「下市田駅」の版間の差分
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|画像説明 = ホームと待合室(2008年6月) |
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|よみがな = しもいちだ |
|よみがな = しもいちだ |
2020年2月15日 (土) 00:45時点における版
下市田駅 | |
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ホームと待合室(2008年6月) | |
しもいちだ Shimo-ichida | |
◄元善光寺 (1.8 km) (1.2 km) 市田► | |
所在地 | 長野県下伊那郡高森町下市田1441 |
所属事業者 | 東海旅客鉄道(JR東海) |
所属路線 | 飯田線 |
キロ程 | 135.6 km(豊橋起点) |
電報略号 | シイ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
乗車人員 -統計年度- |
62人/日(降車客含まず) -2016年- |
開業年月日 | 1923年(大正12年)3月18日 |
備考 |
駅員無配置駅 標高:435m |
下市田駅(しもいちだえき)は、長野県下伊那郡高森町下市田にある、東海旅客鉄道(JR東海)飯田線の駅である。
駅構造
単式ホーム1面1線を持つ地上駅。飯田駅管理の無人駅で駅舎はなく、待合所やトイレがある。ホームは、もともと石積みであったものを、覆うようにコンクリートで補強している。ワンマン列車運行に伴いミラーが設置され、ワンマンの入り口の表示がなされた以外、長年姿を変えていない。
ホームの北側の柵を超えると、すぐに国道へ出る道へ行けることから、危険といわれているにもかかわらずそこから出て行くものが絶えず、地元の地区会などでは問題になったこともある。
利用状況
「長野県統計書」によると、1日平均の乗車人員は以下の通りである。
- 2007年度 - 60人
- 2010年度 - 52人
- 2011年度 - 45人
- 2012年度 - 42人
- 2013年度 - 49人
- 2014年度 - 50人
- 2015年度 - 59人
- 2016年度 - 62人[1]
駅周辺
高森町文化財に指定されている大柊の木がある。近年では郊外店の進出が著しく、天竜川沿いには工業団地の誘致も進んでいる。
歴史
- 1923年(大正12年)3月18日 - 伊那電気鉄道の元善光寺 - 市田間延伸時に下市田停留場として開業。旅客駅。
- 1943年(昭和18年)8月1日 - 伊那電気鉄道線が飯田線の一部として国有化され、鉄道省(後の日本国有鉄道)が承継。同時に駅に昇格し、下市田駅となる。
- 1954年(昭和29年)12月1日 - 東京都区内の各駅や長野駅を発着する旅客も利用可能となる。
- 1971年(昭和46年)4月1日 - 旅客発着駅の制限を廃止。同時に業務委託終了、無人化。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東海旅客鉄道の駅となる。
- 2011年(平成23年)5月31日 - リニア中央新幹線において、JR東海が想定している長野県での駅設置位置が本駅と市田駅周辺、及び南方の農地であると言う報道がされる[2]。
隣の駅
出典・脚注
- ^ “平成28年(2016年)長野県統計書 - 13.運輸” (PDF). 長野県企画振興部情報政策課統計室. 2019年3月15日閲覧。
- ^ “リニア駅「高森南東部」案が有力 JR飯田駅含まぬ見通し”. 信濃毎日新聞. (2011年5月31日). オリジナルの2011年6月2日時点におけるアーカイブ。 2011年6月29日閲覧。