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[[京郷新聞]]によると、韓国は夫と妻、親世代と子世代など他者との無限競争が日常化された能力主義社会であり、「世代葛藤」が「世代戦争」と呼ばれるまでになっている。[[OECD]]が2018年1月に発表した「2017生活の質(How's life)」レポートにて、韓国では社会生活の中でさまざまな紛争を経験したことがあると回答した割合が34%で、調査対象国のうち1位であった。特に韓国で「事業と雇用」の問題と「隣人と住居環境」問題に紛争を経験した割合はそれぞれ他国よりも高く、もっとも主要な韓国の日常葛藤要因となっている。さらに困難時に頼れる家族や親戚、友人などの人間関係があると答えた割合が全OECD加盟国の最下位だった。生活の満足度も10点満点中5.9点で、OECD最下位だった。京郷新聞は職場でも帰宅後の家庭でも、大小の葛藤と争いにストレスを受けることは多いにもかかわらず、他者からの支援は受けにくい社会だというのが調査結果でも表れたと報道している<ref>[http://v.media.daum.net/v/201802も14102723423?rcmd=rn '만인이 만인과 싸운다' 각자도생의 한국 사회] 京郷新聞</ref>。 |
[[京郷新聞]]によると、韓国は夫と妻、親世代と子世代など他者との無限競争が日常化された能力主義社会であり、「世代葛藤」が「世代戦争」と呼ばれるまでになっている。[[OECD]]が2018年1月に発表した「2017生活の質(How's life)」レポートにて、韓国では社会生活の中でさまざまな紛争を経験したことがあると回答した割合が34%で、調査対象国のうち1位であった。特に韓国で「事業と雇用」の問題と「隣人と住居環境」問題に紛争を経験した割合はそれぞれ他国よりも高く、もっとも主要な韓国の日常葛藤要因となっている。さらに困難時に頼れる家族や親戚、友人などの人間関係があると答えた割合が全OECD加盟国の最下位だった。生活の満足度も10点満点中5.9点で、OECD最下位だった。京郷新聞は職場でも帰宅後の家庭でも、大小の葛藤と争いにストレスを受けることは多いにもかかわらず、他者からの支援は受けにくい社会だというのが調査結果でも表れたと報道している<ref>[http://v.media.daum.net/v/201802も14102723423?rcmd=rn '만인이 만인과 싸운다' 각자도생의 한국 사회] 京郷新聞</ref>。 |
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2021年5月12日 (水) 05:50時点における版
- 大韓民国
- 대한민국
-
(国旗) (国章) - 国の標語:弘益人間(建国理念、デ・ファクト)
- 国歌:애국가 (愛國歌)
愛国歌 -
公用語 朝鮮語・韓国手話言語 首都 ソウル特別市 最大の都市 ソウル - 政府
-
大統領 文在寅 国務総理 洪楠基(権限代行) 国会議長 朴炳錫 大法院長 金命洙 - 面積
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総計 100,339km2(109位) 水面積率 0.3% - 人口
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総計(2019年) 51,845,612[1]人(25位) 人口密度 503(12位)人/km2 - GDP(自国通貨表示)
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合計(2020年) 1900兆0,010億[2]大韓民国ウォン - GDP(MER)
-
合計(2020年) 1兆5,868億[2]ドル(10位) 1人あたり 30,644[2]ドル - GDP(PPP)
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合計(2020年) 2兆2935億[2]ドル(12位) 1人あたり 44,292[2]ドル - 独立のちに単独政府樹立
-
大韓民国臨時政府樹立記念日
(現行大韓民国憲法及び政府はその継承性を主張)1919年4月11日 アメリカ軍政庁設置 1945年9月8日 独立準備選挙実施 1948年5月10日 大韓民国樹立宣言
(アメリカ軍政の終了)1948年8月15日
通貨 大韓民国ウォン(KRW) 時間帯 UTC+9 (韓国標準時) (DST:なし) ISO 3166-1 KR / KOR ccTLD .kr 国際電話番号 82 -
(国璽)
大韓民国 | |
---|---|
各種表記 | |
ハングル: | 대한민국 |
漢字: | 大韓民國 |
発音: | テハンミングク |
日本語読み: | だいかんみんこく |
RR式: | Daehan Min-guk |
MR式: | Taehan Min'guk |
英語表記: | Republic of Korea |
大韓民国(だいかんみんこく、朝鮮語: 대한민국、漢字: 大韓民國、英: Republic of Korea)、通称
概説
憲法上は鴨緑江、豆満江以南の「朝鮮半島及び付属島嶼」全域を領土とするが、現在北緯38度付近の軍事境界線以北は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の統治下にあり、韓国の施政権は全く及んでいない。朝鮮戦争で争った北朝鮮とは1953年に休戦したが、その後も断続的に軍事的対立や小規模な衝突が発生している。
政治面は1980年代半ばまで独裁体制が取られていたが、1987年の民主化宣言によって成立し、現在まで続いている第六共和国憲法に基づく体制は民主主義政体と評価される[3]。
経済面は1960年代前半まで世界最貧国グループにあったので[4][5][6]、独自に資金や技術を調達できなかった[7]。しかし、ベトナム戦争参戦で獲得したアメリカ合衆国からのドル資金と、日本からの1960年代半ばから1990年までの約25年に渡る円借款およびその後も続いた技術指導や技術援助により、社会インフラを構築し輸出産業が育ち早い経済発展を遂げた[7][8]。これは漢江の奇跡と呼ばれ、国内総生産(GDP)で世界10位(2021年時点)となっている[9]。韓国の一人当たりGDPは、2018に3万3346ドル (USD) を記録した[10](日本は約4万ドル[11])。
支配領域には山地が多く平野部は少ない。森林と農地で国土の約81%を占める[12]。ソウル首都圏には全人口5千万人の約半数が居住し世界の都市圏人口の順位でも第5位となっている[13]。海上では南と東に日本、西に中華人民共和国と各々国境を接する。
国名
大韓民国 |
人口 - 経済 |
教育 - 交通 |
言語 - 軍事 |
政治 |
文化 |
遺跡 - 映画 |
芸術 - 文学 |
演劇 - 舞踊 |
宗教 - 民俗 |
地理 |
温泉 - 国立公園 |
歴史 |
先史時代 |
古朝鮮 - 檀君朝鮮 |
箕子朝鮮 - 衛氏朝鮮 |
三韓時代 - 三国時代 |
統一新羅 |
後三国時代 |
高麗 |
李氏朝鮮 - 大韓帝国 |
日本統治時代 |
連合軍軍政期 |
大韓民国 |
カテゴリ |
政治 - 法律 - 経済 |
教育 - 軍事 - 交通 |
組織 - 文化 - 歴史 |
正式名称
正式名称は、ハングル表記: 대한민국、漢字表記: 大韓民國。読みは、テハンミングク 発音 。略称は、한국(韓國、ハングク)である。
「韓」は、古代朝鮮半島の南部にあった「三韓」と呼ばれる馬韓、辰韓、弁韓の国々の名称に由来する朝鮮民族の別名で、1897年に当時の朝鮮国(朝鮮王朝)が清から独立するにあたって使用した国号「大韓帝国」に由来している(朝鮮国が国号を「大韓帝国」とした経緯については大韓帝国#国名を参照のこと)。1910年の日韓併合後、朝鮮の地域呼称は「韓」から「朝鮮」へ戻されたが、1919年に朝鮮独立運動の活動家たちが中華民国で「朝鮮の亡命政権」(大韓民国臨時政府)を樹立する際、共和制国家の名称として「大韓」と「民国」を採用した(名称採用の経緯については大韓民国臨時政府#名称の由来参照のこと)。
現在の「大韓民国」という国号は、李承晩、金九などの「大韓民国臨時政府」を正当な独立運動の主体と考える大韓独立促成国民会(独促国民会)の強い意向により決まった。
1945年の日本の降伏時点で、連合国は大韓民国臨時政府の政府承認を否定し、朝鮮全土を連合国軍の占領下に置いた。その後、1948年に米軍統治下の朝鮮のみで独立することが決まると、米軍は憲法制定(制憲)国会を招集して独立準備にあたらせた。その際、憲法起草委員会が新国家の憲法起草とともに新国家の国号と年号も決めることになり、国号候補として「大韓民国」「高麗共和国」「朝鮮共和国」「韓国」の四つが挙げられた。最終的には、1948年6月23日に採決が行われ、独促国民会が推す「大韓民国」が新国家の国号に決定した[14]。なお委員会が国号を決定しかねていたある日、臨時政府側の池青天(チ・チョンチョン)将軍(光復軍司令官)が起草委員でもないのに突然委員会に姿を現し、「国号は『大韓民国』、年号は『檀紀』に即決せよ、さもないと割腹自殺する」というハプニングがあったという[15]。
日本における呼称
日本語表記は、大韓民国。略称は、韓国。
大韓民国の建国からしばらくの日本では、「韓国」のほかに「南朝鮮」「南鮮」などの呼称も一般的であった。1965年の日韓基本条約締結で国交が樹立されてからは「大韓民国(韓国)」の呼称も使用されるようになるが、メディアなどでは「南朝鮮・大韓民国」と二つ並べて呼称されることが多かった[16]。1980年代中葉以降、「南朝鮮」「南鮮」の呼称は公式の場面でほとんど用い[17]例外として日本共産党が南北が国際連合へ加盟した際、「どちらかが全体を代表するという響きがない」として用いていたことがあった[18][19]。日本語での伝統的な異称としては「高麗(こま、「狛」とも表記)」があり、「こまひと(高麗人)」といえば朝鮮半島の人々の異称であった[20]。
独立直後は「ハーヌ民国」と表記する地図もあった。
ヨーロッパ諸語における呼称
ヨーロッパ諸語でのコリア(Korea)はマルコ・ポーロの『東方見聞録』における「高麗(고려 [koɾjʌ]、コリョ)」に由来する。大韓民国のヨーロッパ諸語の呼称は Republic of Korea(英語)を公式に使用している。また、北朝鮮を North Korea、韓国を South Korea と略称することも多い。
朝鮮民主主義人民共和国と韓国における「朝鮮」の呼称
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)政府は、自国や自民族の呼称として「朝鮮」を用いており、かつ韓国を主権国家として正式に承認していない。南北朝鮮は、東西ドイツ基本条約を結んだかつての東西ドイツとは違い、条約に基づく相互国家承認をしていない。1991年の南北基本合意書に「相手方の体制を認定し尊重する」(第1条)との規定はあるが、合意書が批准を経たものでないため、法的拘束力を持っていない。このため、北朝鮮の人々は、韓国政府が実効支配している地域を
韓国(南朝鮮)の人々も、大韓民国建国まで、韓国政府の実効支配区域(38度線以南の朝鮮)に居住する朝鮮民族の間でも、自国や自民族の呼称として「朝鮮」を用いていた。しかし、韓国と北朝鮮は、1948年の両者の建国以来、「朝鮮の合法な政府」としての地位をめぐって対立しており、1950年には朝鮮戦争によって甚大な被害を受けている。このため韓国の人々は、大韓民国建国以降は、敵対する北朝鮮が半島全土の呼称として「朝鮮」を用いていることや、韓国を「南朝鮮」と呼称していること、韓国人から歴史的にあまり芳しくないと考えられている日本統治時代や李氏朝鮮を想起させること[21] などの歴史的・政治的事情により、「朝鮮」という表現を避ける傾向が強い。
これらの事情のため、韓国人が「朝鮮民族」「朝鮮語」などの言葉を日常で使うことはほとんどなく、「韓民族」「韓国語」という表現が主流となっている。また、朝鮮半島を「韓半島」、朝鮮戦争を「韓国戦争」または「韓国動乱」などと呼称するのが一般的となっている。朝鮮の南北についても「北韓・南韓」と呼んでいる[22]。さらに、朝鮮人参も「高麗人参」という[23]。
ただし、ごく一部の民族民主(NL)系人士が自国のことを「南朝鮮」と呼んでいるほか、ホテル名や学校名、朝鮮日報のような大韓民国成立以前から存在する組織など、ごく少数の固有名詞では、あえて歴史的な事実を尊重して、歴史的感覚から「高麗」「新羅」と同様に「朝鮮」を使用している場合もある[24]。
歴史
朝鮮の歴史 | ||||||||||
考古学 | 朝鮮の旧石器時代 櫛目文土器時代 8000 BC-1500 BC 無文土器時代 1500 BC-300 BC | |||||||||
伝説 | 檀君朝鮮 | |||||||||
古朝鮮 | 箕子朝鮮 | |||||||||
燕 | ||||||||||
辰国 | 衛氏朝鮮 | |||||||||
原三国 | 辰韓 | 弁韓 | 漢四郡 | |||||||
馬韓 | 帯方郡 | 楽浪郡 | 濊 貊 |
沃 沮 | ||||||
三国 | 伽耶 42- 562 |
百済 |
高句麗 | |||||||
新羅 | ||||||||||
南北国 | 唐熊津都督府・安東都護府 | |||||||||
統一新羅 鶏林州都督府 676-892 |
安東都護府 668-756 |
渤海 698-926 | ||||||||
後三国 | 新羅 -935 |
後 百済 892 -936 |
後高句麗 901-918 |
遼 | 女真 | |||||
統一 王朝 |
高麗 918- | 金 | ||||||||
元遼陽行省 (東寧・双城・耽羅) | ||||||||||
元朝 | ||||||||||
高麗 1356-1392 | ||||||||||
李氏朝鮮 1392-1897 | ||||||||||
大韓帝国 1897-1910 | ||||||||||
近代 | 日本統治時代の朝鮮 1910-1945 | |||||||||
現代 | 朝鮮人民共和国 1945 連合軍軍政期 1945-1948 | |||||||||
アメリカ占領区 | ソビエト占領区 | |||||||||
北朝鮮人民委員会 | ||||||||||
大韓民国 1948- |
朝鮮民主主義 人民共和国 1948- | |||||||||
Portal:朝鮮 |
独立に至る経緯
朝鮮は1910年の韓国併合によって日本の統治下に入り、国際的に併合の合法性を問題視する国もなかった。しかし、第二次世界大戦の勃発で日本と連合国が敵対するようになると、連合国の首脳は1943年に発表したカイロ宣言の中で大戦後の朝鮮に「自由且独立ノモノタラシムル」ことを宣言した[25]。1945年2月、ヤルタ協定にて連合国首脳は戦後朝鮮を米・英・中・ソ4か国による信託統治下に置くことを決定[26]、ヤルタ会談と米軍との秘密協定に基づいてソ連軍は8月9日の対日参戦後速やかに朝鮮半島へ侵攻を開始した。1945年8月15日、日本がポツダム宣言の受託を宣言したことで朝鮮の日本統治からの離脱が決定的となった。韓国ではこれを「光復」と呼び、8月15日を光復節という祝日に定めている(北朝鮮も同日を祝日に定めている[27])。
光復後、朝鮮は北緯38度以北(北朝鮮)をソ連軍に、以南(南朝鮮)をアメリカ軍にそれぞれ占領された。米軍司令部は9月7日に朝鮮における軍政(占領統治)実施を宣言し、独立運動家らが自発的に樹立した朝鮮人民共和国や大韓民国臨時政府の政府承認を否定した[28]。9月9日に米軍は朝鮮総督府から降伏文書の署名を受け[29]、南朝鮮では新設された在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁が朝鮮総督府の統治機構を一部復活させて直接統治を実施した[30]。
米軍軍政下の朝鮮半島南部には幾つかの政治勢力が存在した[31]。このうち李承晩を中心とする右派のグループは米国ともっとも近い関係にあった[31]。しかし李承晩は米国本国との直接のパイプを見せながら米軍軍政に対して接したため軍政の当局からは厄介な存在として扱われていた[31]。ただ李承晩には長年本国を離れていたため国内に組織的な支持勢力を持っていないという弱点もあった[31]。右派の政治勢力には李承晩のグループとともに大韓民国臨時政府の中心となっていた金九のグループがあった[31]。さらに右派には宋鎮禹や金性洙など韓国民主党(韓民党)を結成した政治勢力がおり、韓民党は財政的基盤では他よりも優位にあった[32]。一方、左派の政治勢力には朴憲永のグループがあった(朴憲永はのちに北朝鮮へ越北)[32]。このほか呂運亨を中心とする中道左派のグループや金奎植を中心とする中道右派のグループが存在した[32]。
第二次世界大戦後の朝鮮半島南部では左右対立が激しく、無償農地改革を主張していた左派勢力のほうが優勢だった[33]。しかしソ連が提案した朝鮮半島の国際信託統治案をめぐって左派が「賛託」と呼ばれる賛成派につき、右派が「反託」と呼ばれる反対派についたことを契機に状況は変化した[32]。連合国は1945年12月のモスクワ三国外相会議にて朝鮮半島の信託統治を協定し、翌1946年1月から京城府で信託統治実施に向けた米ソ共同委員会を開催した。しかし、共同委員会は信託統治受け入れに反対する李承晩、金九ら大韓民国臨時政府系の右派の扱いをめぐって紛糾し、米ソ対立から1947年7月に決裂した[28]。
アメリカは朝鮮問題を国際連合に持ち込み、国連は1947年11月14日に国連監視下で南北朝鮮総選挙と統一政府樹立を行うことを決定した。翌1948年1月に国連は国連朝鮮委員団(UNTCOK)を朝鮮へ派遣し、総選挙実施の可能性調査を行った。ソ連がUNTCOKの入北を拒否したため、アメリカ主導の国連は2月26日にUNTCOKが活動可能な南朝鮮単独での総選挙の実施を決定、金九、金奎植ら大韓民国臨時政府重鎮や北朝鮮人民委員会による南部単独での総選挙反対を押し切って5月10日に南部単独総選挙を実施した。
米軍軍政は李承晩や金九を絶対的に支持していたわけではなく、中道派を軸に左右の勢力を取り込んだ政権を実現しようとしたが挫折(左右合作運動)[31]。結局、李承晩と韓民党の連携による政権樹立が目指された[31]。憲法案では大統領制を採用するか内閣責任制を採用するかが争点となり、強大な権力を理想とする李承晩や金九は大統領制を主張したのに対し、議会に基盤を置いていた韓民党は内閣責任制を主張した[34]。制憲憲法はその折衷案として大統領を国会議員の間接選挙により選出する大統領間接選挙制を採用した[35][36]。選挙によって成立した制憲議会は7月12日に制憲憲法を制定、7月20日には李承晩を大韓民国大統領に選出して独立国家としての準備を性急に進めた。この制憲憲法には進歩的な条文も含まれていたが、自由に関しては法律での制限を広範に認める内容で、国内の多くの政治勢力の意向を汲んだ妥協点が反映されたものだった[35]。
光復から3年後の1948年8月15日、李承晩が大韓民国政府樹立を宣言[37]。同日独立祝賀会が行われ、実効支配地域を北緯38度線以南の朝鮮半島のみとしたまま大韓民国が独立国家となった[38]。
南朝鮮単独で大韓民国が建国された翌月の1948年9月9日、大韓民国の実効支配が及ばなかった残余の朝鮮半島北部は金日成首相の下で朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)として独立した。
双方に政権ができてからも南北分断回避を主張する南北協商論は強く、金九や金奎植は平壌で金日成と会談したが決裂した(南北連席会議)[34]。南北間には隔たりがあり、金日成はこの会議を朝鮮半島全体の指導者として印象づけるために利用したという評価もある[34]。
1948年の時点では南北の分断はまだ強固で強靱に制度化されたものとはみられていなかったが、冷戦を背景に南北で非常に対照的な憲法が制定されたことで南北の分断は次第に固定化された[34]。互いに朝鮮半島全土を領土であると主張する分断国家はそれぞれの朝鮮統一論を掲げ、朝鮮民主主義人民共和国の金日成首相は建国翌日の9月10日に最高人民会議の演説で「国土完整」を訴え、他方大韓民国(南朝鮮)の李承晩大統領は軍事力の行使をも視野に入れた「北進統一」を唱えた[39]。互いを併吞しようとする両政府は1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争によって、実際に干戈を交えることになる。
朝鮮戦争
1950年6月25日、朝鮮人民軍(北朝鮮軍)は韓国との境界であった北緯38度線を越えて南下を開始し、朝鮮戦争(韓国動乱)が勃発した。そのころ、弱体である韓国軍は敗退を重ね、洛東江以東の釜山周辺にまで追い詰められた。北朝鮮の侵攻に対して国連安保理は非難決議を上げ、米国を中心とする西側諸国は国連軍を結成して韓国軍とともに後退戦を戦っていたが、仁川上陸作戦により北朝鮮軍の戦線を崩壊させ、反攻に転換した。韓国軍・国連軍は敗走する北朝鮮軍を追って鴨緑江近辺にまで侵攻した。これに対し中国が義勇軍を派遣して北朝鮮の支援を開始、韓国軍・国連軍を南に押し戻し、一時再びソウルを占領した。その後、北緯38度線付近で南北の両軍は膠着状態になり、戦争で疲弊した米国と北朝鮮は1951年7月10日から休戦合意を巡る協議を開始した。2年間にわたる戦協議の末、1953年7月27日の朝鮮戦争休戦協定締結をもって大規模な戦闘は停止した。ただし、韓国政府は休戦協定に署名しておらず、戦争自体も協定上は停戦状態のままとなっている。この戦争により、朝鮮半島のほとんど全域が戦場となり、インフラや文化財の焼失、戦闘での死者のみならず、保導連盟事件や済州島四・三事件の例にあるように双方とも敵の協力者と見なした一般市民の大量処刑を行うなど、物的、人的被害が著しく、国土は荒廃した。また、38度線が引かれたことにより朝鮮半島の分断が確定的となり、朝鮮統一問題が南北朝鮮の最重要課題となっている。
李承晩時代
1948年に初代大統領に就任した李承晩は、日本から戦争賠償金を獲得するために「対日戦勝国(連合国の一員)」としての地位を認定するよう国際社会に要求したが、連合国からは最終的に認定を拒否され、1951年の日本国との平和条約を締結することができなかった。そのため、李承晩は李承晩ラインの設置(1952年)や竹島の占拠(1953年)によって武力で日本の主権を奪う政策に出た。一方、国内では朝鮮戦争という危機的状況下でも権力を維持し、戦争中に釜山へ移転していた政府を休戦後に再びソウルへ戻すことができた。朝鮮戦争後、李承晩は政敵の排除(進歩党事件など)や反政府運動に対する厳しい弾圧とともに、権威主義的体制を固めていった。しかし、経済政策の失敗で韓国は最貧国の一員に留まっており、権威主義的な施策もあって人気は低迷していった。そのため、不正な憲法改正や選挙など法を捻じ曲げての権力の維持を図ろうとしたものの、1960年4月19日の学生デモを契機として政権は崩壊し(四月革命)、李承晩はハワイへ亡命した。
朴正煕時代
李承晩失脚後は、張勉内閣の下、政治的自由化が急速に進展したが、学生を中心とした北への合流を目指した南北統一運動が盛り上がりを見せるに至り、危機感を抱いた朴正煕少将をはじめとした軍の一部が1961年5月16日にクーデターを決行し、国家再建最高会議 が権力を掌握した。第三共和国憲法の承認後、朴正煕は1963年10月に第5代大統領に当選 した。1972年、野党勢力の伸張により政権の合法的延長が難しくなった朴正煕は10月17日、非常戒厳令を発し憲法を改正(第四共和国)、大統領の直接選挙を廃止して、自らの永久政権化を目指した。「維新体制」と呼ばれるこの時期には、反対派に対する激しい弾圧により政治的自由が著しく狭まったが、1979年10月26日、側近の中央情報部長により朴正煕は暗殺された。朴正煕時代は強権政治の下、朝鮮戦争以来低迷していた経済の再建を重視した。しかし、世界最貧国グループに属していた韓国は[5][6] 自前で「資金」や「技術」を調達できず、いずれも、特に米国や日本など海外に依存せざるを得なかった[4][7]。資金面では、米国のベトナム戦争参戦で得た巨額のドル資金や、1965年に日韓基本条約締結を契機に日本からの1990年までの約25年にわたる円借款、技術面は、日米の技術者による指導や日米企業との技術提携を通して、技術やノウハウを吸収し、鉄鋼、石油化学などの基礎産業が整備され、造船や自動車産業などの輸出産業も成長した[7][8]。のちに「漢江の奇跡」と呼ばれた。これにより韓国は世界最貧国の層を脱した[4]。一方で朴政権は人材登用や産業投資に際し、自身の出身地である慶尚道を優遇し、全羅道に対しては冷遇をしたため、慶尚道と全羅道の地域対立、差別の問題が深刻になった。この問題は今に至るまで解決していない。
全斗煥・盧泰愚時代
朴正煕の暗殺により、急速に規制が解かれた韓国の政治はソウルの春と呼ばれる民主化の兆しを見せたが、1979年12月12日より始まった粛軍クーデターにより、全斗煥陸軍少将をはじめとした「新軍部」が軍を掌握した。新軍部の権力奪取の動きに対して反対運動が各地で発生したが、80年5月17日に非常戒厳令拡大措置が発令され、政治活動の禁止と野党政治家の一斉逮捕が行われた。5月18日、光州では、戒厳軍と学生のデモ隊の衝突が起こり、これをきっかけに市民が武装蜂起したが、5月27日、全羅南道道庁に立てこもる市民軍は戒厳軍により武力鎮圧された(光州事件)。新軍部は朴正煕暗殺後に大統領の職を引き継いでいた崔圭夏を8月16日に辞任させ、全斗煥が大統領に就任し、憲法を改正。翌81年2月25日に行われた選挙により全斗煥が大統領に選出された。1987年、大統領の直接選挙を求める6月民主抗争が起こり、与党の盧泰愚大統領候補による6.29民主化宣言が引き出されたため、大統領直接選挙を目指した改憲が約束された。しかしながら、12月に行われた大統領選挙では、野党側の有力な候補が金泳三、金大中に分裂したために、全斗煥の後継者である盧泰愚が大統領に当選し、軍出身者の政権が続くこととなった。全斗煥、盧泰愚の時代は、軍政に反対する民主化運動とそれに対する弾圧の激しい時代であったが、朴正熙時代から引き続いた高度な経済成長と、1988年ソウルオリンピックの成功、中華人民共和国やソビエト連邦(1990年9月30日)との国交樹立[40]、国際連合への南北同時加盟などにより新興工業経済国として韓国の国際的認知度の上がった時代でもあった。
文民政権登場以後
1990年、金泳三率いる統一民主党が金鍾泌の率いる新民主共和党とともに盧泰愚政権の与党である民主正義党と合同(「三党合同」)し、巨大与党である民主自由党が発足した。金泳三は1992年の大統領選挙に民主自由党の候補として出馬し当選した。金泳三は久しぶりに軍出身者でない文民の大統領であったが、旧軍事政権と協力したために実現したものだった。しかしながら、金泳三政権時代に、全斗煥、盧泰愚元大統領らに対する軍事政権下の不正追及が開始された。1997年の大統領選挙では、長年にわたって反軍政・民主化運動に関わってきた金大中が大統領に当選した。金大中政権において民主化・自由化は本格化し、国家安全企画部の改組、民主労総の合法化などが行われた。民主労総を支持基盤とした民主労働党が結成され、のちに国政進出を果たした。対北朝鮮政策も「太陽政策」のもと2000年6月に南北首脳会談を実現させ、分断された鉄道の連結や経済協力など南北融和が進み、近い将来の統一の期待を膨らませた。金大中は日本文化の開放も進め、日韓ワールドカップの共催を頂点に日韓の友好ムードは高まった。2002年の大統領選挙で当選した盧武鉉は支持基盤的に金大中の後継であり、政策も引き継いだ。2007年大統領選挙に当選した李明博、2012年大統領選挙に当選した朴槿恵により、再び政権は慶尚道系保守勢力へ戻り、各種政策も揺り戻しが起こっているが、民主的政体は大韓民国においてもはや定着していると言える。2017年3月には民主化以降初めての大統領弾劾が成立して朴槿恵が失脚。5月の大統領選挙に文在寅が当選し、再び革新系に政権が戻った。
年表
大韓民国成立後の歴史は、憲法(大韓民国憲法)による政体の相違によって、七つの時代に区分される。
- 1945年 - 1948年:アメリカ軍政庁期(連合軍軍政期、非独立)
- 1948年:済州島4・3事件。
- 1948年5月10日:南朝鮮単独での初代総選挙が実施される。
- 1948年7月12日:大韓民国憲法が制定され、7月17日に公布される。
- 1948年 - 1960年:第一共和国期
- 1948年8月15日:第二次世界大戦後の米ソ冷戦の中、アメリカの支援により大韓民国が建国、9月9日にソ連の支援により朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が建国される。
- 1948年:済州島4・3事件継続。
- 1948年:麗水・順天事件。
- 1948年5月14日:瑞穂丸拿捕事件[41]。韓国による日本漁船拿捕、民間人虐待。
- 1949年:聞慶虐殺事件。
- 1949年:対馬領有宣言[42]。
- 1950年1月12日:アメリカ合衆国国務長官、ディーン・アチソンが「アチソンライン」を表明。
- 1950年6月25日:朝鮮戦争。北朝鮮の先制攻撃による朝鮮半島の主権をめぐる紛争。
- 1950年6月27日:保導連盟事件。李承晩大統領による韓国民大量虐殺。犠牲者は20万人から120万人と推定[43]。
- 1952年1月18日:李承晩ラインの設定。この海域設定により、竹島を取り込む。海域内での韓国籍漁船以外の漁業を禁止し、違反漁船は拿捕、接収、銃撃、殺害などの被害に遭った(おもに日本国籍)。
- 1952年2月12日:アメリカは韓国に対し、李承晩ラインを認めないと通告するも、韓国はこれを無視。
- 1953年:竹島近海の日本巡視船への銃撃開始[44]。
- 1953年2月4日:第一大邦丸事件。韓国海軍が日本漁船を銃撃後、民間人を虐待・殺害。
- 1953年7月27日:朝鮮戦争休戦協定。国連軍と中朝連合軍間で署名。終戦でなく停戦であり、名目上は現在も戦時中。
- 1953年10月1日:米韓相互防衛条約。米韓同盟が結ばれる。
- 1954年:韓国沿岸警備隊竹島派遣公表[44]。
- 1955年8月18日:日本との経済関係断絶[45]。
- 1959年12月4日:新潟日赤センター爆破未遂事件。
- 1960年4月27日:四月革命によって李承晩初代大統領が失脚し、第二共和国が始まる。
- 1960年 - 1961年:第二共和国期
- 朴正煕少将による5・16軍事クーデターによって国家再建最高会議が設置される。
- 1961年 - 1963年:国家再建最高会議(軍政)期
- 朴正煕が軍職を辞して大統領となり、第三共和国が始まる。
- 1963年 - 1972年:第三共和国期
- 1964年 - 1973年:ベトナムに出兵。韓国軍によるベトナム人に対する大虐殺・慰安婦・ライダイハン問題が生じる。虐殺現場100か所以上、犠牲者数最大3万人との調査結果もあり、強姦・売春婦強制妊娠の犠牲者は最小1500人から最大3万人と推定されている[46]。
- 1952年 - 1965年:韓国による日本漁船拿捕328隻、日本人漁民抑留3929人、死傷44人(1968年の『日韓漁業対策運動史』より)。抑留者は大虐待を強いられる。海上保安庁巡視船に向けた銃撃等の事件は15件で、16隻が攻撃された。
- 1965年1月:竹島密約。
- 1965年6月22日:日韓基本条約締結。同日「日韓請求権並びに経済協力協定」「文化財及び文化協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」なども結ばれる。これらにより、日韓国交樹立、日本の韓国に対する経済協力、両国間の請求権の完全かつ最終的な解決(韓国の対日請求権放棄含む)、日韓関係正常化などで合意。日本は韓国に対し無償3億ドル、有償2億ドル、および民間融資3億ドル以上、計約11億ドルの経済協力支援を行った(当時1ドル=約360円)[47]。
- 1968年:青瓦台襲撃未遂事件。
- 1971年8月23日:実尾島(シルミド)事件。
- 1972年10月17日:十月維新後の憲法改正で第四共和国が始まる。
- 1972年 - 1979年:第四共和国期
- 1973年8月8日:大韓民国中央情報部(KCIA)によって日本国内に滞在していた大韓民国の民主化運動家、金大中を拉致する事件が発生し、この日本国への主権侵害によって日韓関係は悪化する。
- 1974年8月15日:朴正煕大統領の陸英修夫人が在日韓国人の文世光によって暗殺される文世光事件が発生する。
- 1976年8月18日:ポプラ事件。
- 1970年代:コリアゲート事件発覚。
- 1979年10月26日:朴正煕暗殺事件によって崔圭夏によって第五共和国が始まる(ソウルの春)。
- 1979年 - 1987年:第五共和国期
- 1980年:5・17非常戒厳令拡大措置。
- 1980年5月18日 - 5月27日:光州事件。
- 1983年9月1日 - 大韓航空機撃墜事件。
- 1983年10月 - ラングーン事件。
- 1987年6月29日:盧泰愚による民主化宣言により第六共和国が始まる。
- 1987年 - 現在:第六共和国期
- 1987年11月29日:大韓航空機爆破事件。
- 1988年 - ソウルオリンピック。
- 1991年:湾岸戦争に参戦。国連加盟国となる。
- 1997年11月21日:国際通貨基金(IMF) に救済金融を要請[48]。
- 1997年12月3日:IMFによる韓国救済。韓国が通貨危機(国家破綻の危機)に陥り、国際通貨基金(IMF) 資金支援合意書に署名[48]。IMF管理下に入る。韓国の抱えた民間短期対外債務残高は320億ドル(12月12日時点)で、その借入先の日本は118億ドルを担う。
- 2000年6月13日:「太陽政策」を推進していた金大中大統領と北朝鮮の金正日総書記(国防委員長)による南北首脳会談。6月15日に6.15南北共同宣言を締結。
- 2001年7月4日:日韓通貨スワップ協定締結。
- 2002年:アフガニスタンに出兵[49]。
- 2003年:イラクに出兵。
- 2004年9月:イラクのアルビール県にザイトゥーン部隊を派遣。
- 2005年3月17日:盧武鉉大統領による「対日外交戦争(新韓日ドクトリン)」政策宣言。
- 2007年10月:盧武鉉大統領と北朝鮮の金正日総書記による第2回南北首脳会談。
- 2008年:ザイトゥーン部隊をイラクから撤収。
- 2008年 - 2009年:韓国通貨危機。ウォンの大暴落。
- 2010年3月26日:韓国哨戒艦沈没事件。
- 2010年11月23日:延坪島砲撃事件。
- 2011年12月14日:韓国挺身隊問題対策協議会が、韓国内に慰安婦像を設置。以降、韓国系団体が中心となり慰安婦像を世界中に設置(アメリカ合衆国・カナダ・オーストラリア・中華人民共和国・中華民国・ドイツなど)。韓国には100体以上の慰安婦像が存在(2018年8月現在)[50]。
- 2012年8月10日:李明博竹島上陸。李明博大統領が竹島(独島)上陸後、韓国領であると改めて発言。
- 2012年8月14日:韓国による天皇謝罪要求。李明博大統領が「(天皇が)韓国に来たければ独立運動家を回って跪いて謝罪せよ」と発言。
- 2014年4月16日:セウォル号沈没事故。
- 2013年3月1日:朴槿恵大統領が「(日本と韓国の)加害者と被害者という歴史的立場は、1000年の歴史が流れても変わらない」と発言。
- 2015年2月23:日韓通貨スワップ協定終了。
- 2015年12月28日:慰安婦問題日韓合意(慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決を確認した日韓の合意)。
- 2017年1月6日:「日韓通貨スワップ協定に関する協議の無期限中断」を日本政府が発表。釜山での慰安婦像設置(2016年12月30日)を慰安婦問題日韓合意違反とみなした抗議措置。
- 2017年3月 - 5月:韓国史上初となる朴槿恵大統領の弾劾と前倒し大統領選挙で革新系の文在寅が当選。
- 2017年9月27日:平昌オリンピック(冬季)公式ホームページ内の世界地図に日本が存在しない画像を使用[51][52]。
- 2018年4月 - 9月:文在寅大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長による南北首脳会談(2018年4月南北首脳会談・2018年5月南北首脳会談・2018年9月南北首脳会談)。
- 2018年10月30日:徴用工訴訟問題。
- 2018年12月20日:韓国海軍レーダー照射問題。
- 2019年7月3日:「和解・癒やし財団(日本政府資金拠出の、元慰安婦支援事業を行う韓国の財団)」を韓国政府が解散。
- 2019年8月23日:軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を韓国が破棄を発表。11月23日午前0時に効力を失う予定だったが、大韓民国側が11月22日に破棄通告を停止し現在も有効である[53][54]。
地方行政区分
特別市 (、Teukbyeol-si)- 1:
ソウル特別市 () 広域市 (、Gwangyeok-si)- 2:
釜山広域市 () - 3:
大邱広域市 () - 4:
仁川広域市 () - 5:
光州広域市 () - 6:
大田広域市 () - 7:
蔚山広域市 () 特別自治市 (、Teukbyeol-jachisi)- #:
世宗特別自治市 () 道 (、Do)- 8:
京畿道 () - 9:
江原道 () - 10:
忠清北道 () - 11:
忠清南道 () - 12:
全羅北道 () - 13:
全羅南道 () - 14:
慶尚北道 () - 15:
慶尚南道 () 特別自治道 (、Teukbyeol-jachido)- 16:
済州特別自治道 ()
なお、現在大韓民国の統治の及んでいない黄海道、平安南道、平安北道、咸鏡南道、咸鏡北道の五つの道(以北五道)も名目上設置されている。
地理
大韓民国は朝鮮半島全域を領土と主張し、そのうちの南北軍事境界線以南及びその属島を統治している。軍事境界線以北は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)政府によって実効統治されているが、大韓民国では北朝鮮地域を指す表現として「
西には黄海、東には日本海に面し、大韓海峡(対馬海峡の西水道)を隔てて釜山と対馬とは約50キロメートルの距離である。全国土面積は10万0339km2(2017年基準、干拓事業による領土拡張)で、これは日本の総面積37万7961km2のほぼ4分の1(26%)にあたり、北海道本島の面積7万7984km2の1.26倍に相当する。国土は古期造山帯が支配的である。
地震は九州など日本から伝わるものを除きほとんど発生しないことから、比較的安価に高層マンションが建設可能であり、戸建より人気がある。活火山もまったく存在しない(済州島、鬱陵島は火山島だが活動していない)が、少数の温泉はある。
日韓間には、竹島(韓国名:独島)領有問題が存在するほか、1990年代以降、日本海(韓国名:東海)の国際的な呼称をめぐって日本国政府と大韓民国政府が対立するなど、いくつかの問題がある(参考:日本海呼称問題、李承晩ライン)。
1948年8月の建国以降も、日本統治時代の植林政策を受け継ぎ森林の造成を行い、1970年代以降、40年間で100億本(1日あたり約68万本)の木を植林したと韓国内で報道されている[56][57]。
- 韓国の範囲
- 最北端(韓国政府の実効支配下にある地域) - 江原道高城郡
- 最北端(韓国政府が主張、北朝鮮政府が実効支配) - 咸鏡北道
- 最南端 - 馬羅島(済州特別自治道西帰浦市)
- 最西端(韓国政府の実効支配下にある地域) - 白翎島(ペンニョンとう、仁川広域市甕津郡)
- 最西端(韓国政府が主張、北朝鮮政府が実効支配) - 平安北道
- 最東端(韓国政府の実効支配下にある地域、韓国政府が主張) - 竹島(独島)
- 最東端(日本政府が主張) - 竹嶼
気候
ケッペンの気候区分によると、ソウル、春川、堤川などの北部や内陸部、山岳地帯は亜寒帯冬季少雨気候、それ以外の地域は温帯夏雨気候および温暖湿潤気候に属する。半島状に位置しているものの、顕著な大陸性気候であり、寒暖の差が激しく気温の年較差、日較差が大きい。南部や東部沿岸部を除いて、1月の平均気温は氷点下になり、特に最低気温が低くなる。冬は大陸からの季節風の影響を受け、日本の同緯度の地域に比べると寒冷である[58]。たとえばソウルは新潟県長岡市付近と同緯度にあるが、1月の平均気温は-2.4度で、冬の寒さは日本の北東北から北海道南部と同じである。強烈なシベリア寒気団に覆われると、ソウルでも最低気温が-10度から-15度前後になり、郊外では-15度を下回ることもあるなど平年を大きく下回る寒さになることもある。また釜山は名古屋、京都と同緯度にあるが、1月の平均気温は3.2度で、東京より平均気温が2、3度低い。全体的に、日本の北関東から東北地方や北海道南部の気温に匹敵する。この気候はオンドルを発達させた。
冬季は晴れる日が多いため朝夕の冷え込みが厳しい反面、韓国一の豪雪地帯である鬱陵島のほか、過去に1メートルを超える積雪を観測したことのある日本海沿岸の江陵、東海市、束草や内陸の平昌郡(大関嶺)など江原道を除けば降雪量は少なく、東日本・西日本の太平洋側の降雪量と同程度かむしろ少ないくらいである。実際に、ソウル周辺地域の過去最深積雪でさえ30センチ程度と少ない。寒冷な気候はそれほど長く続かず、2月になれば三寒四温となりだいぶ暖かくなり、4月に入ると桜が開花する。
済州島は九州北部の福岡県と同緯度にあり、韓国ではもっとも温暖とされるが、冬は半島部と同様の北西季節風の影響、また(38度線以南の現在の)韓国では最高峰である漢拏山(標高1,950メートル)がそびえる地形的要因により非常に風が強く、済州市の1月の平均気温は5 - 6度と東京などとほぼ同じ寒さである(体感温度はさらに低い)。西帰浦市の位置する南部は温暖で高知県や宮崎県北部の気温に匹敵する。
夏は半島部においては日本列島よりは湿気が少ない。ソウルの夏の気温は30度を超えることもよくあり、また内陸の盆地にある大邱は韓国でもっとも暑いとされるが、湿気が少なく、また熱帯夜になることはほとんどないため、エアコンがなくても寝苦しいということはほとんどない。
近年は[いつ?]中国の砂漠化の進行に伴う黄砂被害の拡大が問題となっている。
平年値 (月単位) |
北西部沿岸 | 北部内陸 | 北部高地 | ソウル都市圏 | 北東部沿岸 | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
江華 | 鉄原 | 春川 | 原州 | 楊平 | 堤川 | 忠州 | 清州 | 平昌郡 大関嶺 |
太白 | ソウル | 水原 | 仁川 | 利川 | 天安 | 束草 | 江陵 | ||||
気候区分 | Dwa | Dwa | Dwa | Dwa | Dwa | Dwa | Dwa | Cfa | Dfb | Dwb | Cwa | Cwa | Cwa | Dwa | Cfa | Cfa | Cfa | |||
平均 気温 (℃) |
最暖月 | 24.5 (8月) |
23.8 (8月) |
24.6 (8月) |
24.8 (8月) |
25.0 (8月) |
23.8 (8月) |
24.9 (8月) |
25.8 (8月) |
19.1 (7,8月) |
21.0 (8月) |
25.7 (8月) |
25.6 (8月) |
25.2 (8月) |
24.8 (8月) |
25.1 (8月) |
23.7 (8月) |
24.6 (8月) | ||
最寒月 | -3.8 (1月) |
-5.5 (1月) |
-4.6 (1月) |
-4.3 (1月) |
-3.4 (1月) |
-5.2 (1月) |
-4.2 (1月) |
-2.4 (1月) |
-7.7 (1月) |
-4.8 (1月) |
-2.4 (1月) |
-2.9 (1月) |
-2.1 (1月) |
-3.1 (1月) |
-2.9 (1月) |
-0.3 (1月) |
0.4 (1月) | |||
降水量 (mm) |
最多月 | 358.2 (7月) |
400.9 (7月) |
383.8 (7月) |
362.2 (7月) |
429.4 (7月) |
373.5 (7月) |
293.5 (7月) |
285.1 (8月) |
420.9 (8月) |
287.3 (7月) |
394.7 (7月) |
351.1 (7月) |
319.6 (7月) |
370.2 (7月) |
298.3 (7月) |
293.0 (8月) |
298.9 (8月) | ||
最少月 | 17.7 (1月) |
20.6 (1月) |
20.3 (1月) |
22.0 (1月) |
16.6 (12月) |
23.0 (12月) |
21.1 (12月) |
25.3 (12月) |
36.8 (12月) |
19.2 (12月) |
20.8 (1月) |
21.8 (12月) |
19.3 (12月) |
16.3 (12月) |
23.4 (1月) |
38.2 (12月) |
38.3 (12月) | |||
平年値 (月単位) |
中西部沿岸 | 中部内陸 | 鬱陵島 | 南東部沿岸 | 南部内陸 | 南部沿岸 | 済州島 | |||||||||||||
瑞山 | 保寧 | 群山 | 大田 | 全州 | 南原 | 安東 | 大邱 | 鬱陵 | 浦項 | 蔚山 | 光州 | 密陽 | 木浦 | 釜山 | 統営 | 昌原 馬山 |
済州 | 西帰浦 | ||
気候区分 | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Cwa | Cfa | Cwa | Cwa | Cwa | Cfa | Cfa | |
平均 気温 (℃) |
最暖月 | 25.1 (8月) |
25.5 (8月) |
25.7 (8月) |
25.6 (8月) |
26.2 (8月) |
25.2 (8月) |
24.8 (8月) |
26.4 (8月) |
23.6 (8月) |
25.7 (8月) |
25.9 (8月) |
26.2 (8月) |
25.8 (8月) |
26.1 (8月) |
25.9 (8月) |
26.1 (8月) |
26.5 (8月) |
26.8 (8月) |
27.1 (8月) |
最寒月 | -2.0 (1月) |
-0.8 (1月) |
-0.4 (1月) |
-1.0 (1月) |
-0.5 (1月) |
-1.4 (1月) |
-2.2 (1月) |
0.6 (1月) |
1.4 (1月) |
1.8 (1月) |
2.0 (1月) |
0.6 (1月) |
0.0 (1月) |
1.7 (1月) |
3.2 (1月) |
3.1 (1月) |
2.8 (1月) |
5.7 (1月) |
6.8 (1月) | |
降水量 (mm) |
最多月 | 295.9 (8月) |
297.1 (8月) |
263.1 (8月) |
333.9 (7月) |
299.6 (7月) |
346.1 (8月) |
244.3 (7月) |
235.9 (8月) |
170.7 (9月) |
227.4 (8月) |
240.3 (8月) |
308.9 (7月) |
269.5 (7月) |
236.7 (7月) |
316.9 (7月) |
313.5 (7月) |
299.0 (8月) |
262.5 (8月) |
309.8 (7月) |
最少月 | 26.6 (2月) |
28.1 (1月) |
29.3 (12月) |
25.9 (12月) |
31.1 (12月) |
25.4 (12月) |
16.6 (12月) |
15.3 (12月) |
72.2 (3月) |
25.7 (12月) |
23.0 (12月) |
33.5 (12月) |
16.4 (12月) |
29.3 (12月) |
22.8 (12月) |
21.1 (12月) |
22.0 (12月) |
47.7 (12月) |
45.1 (12月) |
- 最暖月22度未満 - 薄水色
- 最寒月-3度未満(=亜寒帯(D)の条件)- 薄水色、水色、青色
政治
政治体制
1948年8月15日の建国以来、大韓民国は共和憲政体制を採用している。国家体制を定める憲法は、建国直前の1948年7月17日に最初の憲法を採択して以来、9回の憲法改正を経て現在に至っている。特に、国家体制を大きく変えた5回の改憲は韓国政体の歴史的な一区切りとされ、それぞれの時期に存続していた憲法は第一から第六憲法と呼称されている。それにともない、各憲法に基づいて構成されていた政体も、第一から第六共和国と呼称されている。現在の憲法は第六共和国憲法と呼ばれ、1987年10月29日に採択された。この憲法は、5年毎の直接選挙による大統領の選出を定めているほか、大統領の再選禁止なども盛り込まれており、韓国憲政史上もっとも民主主義的な体制を規定した内容である。第六共和国憲法に基づいた第六共和国は、1988年2月25日に盧泰愚大統領の就任以来、今日まで持続している。現在でも役人の権限が非常に強い役人社会である。腐敗があまりにも蔓延しているため、中央・地方の全公職者・公企業・国公立の教職員とされていたが、社会に与える影響力が大きいという点から記者などマスコミに携わる従事者と私立学校教職員、それらの配偶者への接待・贈り物を禁止するキムヨンラン法が制定された[59]。
地方自治
1990年代以降は地方自治体の選挙も実施されているが、それ以前の広域自治体の首長は政府の任命、基礎自治体の首長は知事や特別市長、直轄市長による任命であった。
警察
司法
大陸法を採用している。三審制で最高の司法機関は大法院である。法律の合憲性、弾劾裁判、政党への解散命令、憲法訴願審判については大法院に設置される憲法裁判所で審判が行われる。
司法通訳
誤訳・意訳が問題になった通訳が再び担当になること、弁護士が用意した通訳者に頼ることなどがあり通訳が不足している。外国人が関係した刑事裁判は2012年の3249件から2014年の3790件と増加傾向にあるが、韓国内の裁判所に2015年に登録されている司法通訳は計約1200人で、英語、中国語、日本語など28言語の通訳が選択可能だが、難しい法律用語を正確に伝えられる司法通訳の数は限られている[60]。
加藤達也産経新聞ソウル支局長を含め、メディア側に対する民事・刑事での法的措置も頻発しており、大統領の主張・意向通りで検察が動くなど批判が多い。加藤支局長のときは韓国の検察は、記事に「朴槿恵大統領の名誉を傷つける意図」があったことを立証するためとして、記事を読んで朴氏の男女関係を臆測したインターネット掲示板2ちゃんねるの書き込みを証拠として提出するほど形振り構わない[61][62]。名誉毀損の告訴が増加傾向にあり、2005年以降の9年で告訴件数は70%も増え、年間1万2000件を超えた一方で、検察当局が実際に起訴する割合は下がり、2013年の起訴率はたったの22%だった。強引な告訴の多さを示している。政府がマスコミや市民への告訴を乱発していることが国民にも影響を与えているとみられ、実際に裁判で無罪となるケースも多い[63]。判決も含め、韓国の司法判断は、時の政権の意向や世論の動向に影響されやすい[64]。
酒酔減軽
韓国刑法10条2項にある「心身障害で事物を弁別したり意思を決定したりする能力が低下している場合には、刑を軽減する」を根拠として酩酊状態だと減刑される。ナヨン事件以降に酒酔減軽廃止を求める世論がある[65]。2018年4月27日には2017年12月に隣家の幼稚園児を車に連れ込んで性的暴行し、「酒に酔って犯行を覚えていない」と主張した50代の会社員に懲役10年を宣告したため、「酒に酔って、通常の精神状態ではなかった」という被告人の主張を受け入れて懲役12年の刑で済んだナヨン事件の再来として、未成年者への性暴行をアメリカのように無期懲役にすることを求める請願に20万人以上が参加するなど廃止世論が再び強まった[66][67][68][69][70]。
軍事
国防部と国軍
大韓民国大統領は陸軍・海軍・空軍の最高司令官であり、大統領、国防部長官、合同参謀本部議長のもとに陸海空軍本部が所属する。2020年の国防予算は約50兆1500億ウォン[71]、兵力は陸軍約52万、海軍約6.8万人(大韓民国海兵隊2.8万人含む)、空軍約6.5万人である。18か月から22か月の徴兵制[72] と志願兵制を併用しており、すべての男性には兵役義務があるが、近視などの身体的問題やその年度の予算不足のため免除や短縮勤務となる者もある。政治家の息子や有名俳優やスポーツ選手などの中には徴兵逃れをしている者もおり、たびたび報道されている[73]。
大韓民国国軍の主たる国防対象は軍事境界線(38度線)を挟んで対峙する朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の朝鮮人民軍であり、大半の陸上戦力を向けている。1950年に勃発した朝鮮戦争以来、朝鮮戦争休戦後の1953年に締結された米韓相互防衛条約に基づいた米韓同盟によりアメリカ軍と緊密なつながりがあり、しばしば朝鮮半島有事を想定した米韓合同軍事演習を実施している。協定により平時の作戦統制権は韓国軍が単独行使するが、有事の際の戦時作戦統制権は少なくとも2020年代半ばまでは米軍と共同行使するため米韓連合司令部が置かれている[74]。2008年4月に行われた米韓首脳会談において、在韓米軍を2万8500人体制で維持することが決定された。
また、韓国軍は国防対象を日本へも向けている。日本から韓国への策源地(敵地)攻撃能力が皆無なのとは対照的に、韓国国内から日本のほぼ全域を射程とする射程1500キロの玄武-3巡航ミサイルシリーズや、射程180 - 500キロの玄武-1・玄武-2弾道ミサイルシリーズやATACMS弾道ミサイル、イージスシステムを搭載し巡航ミサイルの発射が可能な世宗大王級駆逐艦の配備をするなど、日本本土をも攻撃可能な兵器の増強をしている。また、新造する強襲揚陸艦に竹島の韓国名である「独島」と名づけたり、最新鋭機のF-15Kに空軍参謀総長が自ら乗り込んで、日本に対して竹島の実効支配を見せつけるために竹島上空を飛行するなどしている。さらに政府要人や軍幹部が相次いで公然と日本に軍事的に対抗する意思を示しており[75]、盧武鉉大統領時代にはアメリカ政府に対して「日本を仮想敵国にするよう」正式に要請している[76]。また伊藤博文を暗殺したテロリストの名を冠した潜水艦安重根や文禄・慶長の役で豊臣軍と戦った武将の名を冠した李舜臣級駆逐艦を保有し、日本に対する海軍艦艇の数的劣勢を補うために、日本本土と至近の済州島に建設中の海軍基地に独島級揚陸艦と最新鋭の214型潜水艦を配備する予定であるなど、日本に対する軍事的対抗心を露にしている。
情報機関
- 大韓民国国家情報院(英語表記:National Intelligence Service:NIS)- 大韓民国中央情報部(KCIA)、国家安全企画部(ANSP)から改称
- 国軍情報司令部(英語表記:Defense Intelligence Command:DIC)
- 国軍機務司令部(英語表記:Defense Security Command:DSC)- 国軍保安司令部から改称
核開発疑惑
1970年代に大韓民国大統領であった朴正煕は大韓民国独自の核兵器開発を構想しており、大韓民国の核保有を望まないアメリカ合衆国との政治問題に発展していた[77]。2004年には過去において韓国がウラン濃縮など核兵器開発の研究を行っていた事実が発覚し、国際原子力機関(IAEA)の査察を受けている。
また、1979年の朴正煕暗殺事件以後も現職の政治家や大統領が核武装を肯定する発言が相次いでいる。ハンナラ党の鄭夢準議員や宋永仙議員は北朝鮮への対抗上、韓国は核武装を進めるべきだと述べている[78][79]。2013年2月、李明博大統領は韓国国内から核武装論が出ていることについて、「愛国的で、高く評価する」「北朝鮮と中国への警告になり、間違っているとばかり言えない」と述べた[80]。
その他にも外国への核拡散関与が発覚することもある。2005年には大韓民国の放射性アイソトープ販売企業であるキョンド洋行が、イラン企業のパトリス社に放射性物質であるニッケル63を売ったほか、フランスからは別の放射性物質である三重水素(トリチウム)を買い入れ、パトリスに売り渡していたことが報道された。
国際関係
大韓民国は、国際連合加盟国のうち189か国と国交を結んでいる。2020年1月時点で国交のない国連加盟国は朝鮮民主主義人民共和国、キューバ、シリアの3か国である。国交締結国のうち、特にアメリカ、中国、日本とは経済または軍事のいずれかの面で結びつきが親密となっている。
朝鮮民主主義人民共和国との関係
1948年8月15日の朝鮮半島南部における大韓民国建国以来、翌月の1948年9月9日に朝鮮半島北部にて建国された朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とは「朝鮮唯一の正統な国家」としての立場をめぐり、敵対的な関係が続いた。2013年3月6日付の朝鮮労働党機関紙『労働新聞』が「米帝が核兵器を振り回せばわれわれは精密核打撃手段でソウルだけでなくワシントンまで火の海にするだろう[81]」と大韓民国とアメリカ合衆国を並べて非難したように[82]、北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国は南韓、大韓民国を「米帝の傀儡」だとみなし(「南朝鮮傀儡」)、特に米韓合同軍事演習実施のたびに関係が悪化する。
1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争以後、朝鮮半島の分断は決定的となった。強硬な反共主義者であり、「北進統一」論を掲げていた李承晩初代大統領は軍事力による朝鮮半島統一の可能性を断ち切らなかったため、1953年7月27日に朝鮮戦争休戦協定が国連軍と中朝連合軍の間で署名された際も、北側は朝鮮人民軍の南日大将が署名したのに対し、南側はアメリカ軍のウィリアム・ハリソン・Jr中将が署名し、大韓民国の要人は休戦協定に署名しなかった。朝鮮戦争休戦後も初代大統領の李承晩や朴正煕、全斗煥らによる軍事政権は強固な反共主義政策を実行し、1987年6月29日の民主化宣言まで朝鮮民主主義人民共和国が「対南工作」で派遣したスパイや、大韓民国国内の共産主義者に対しては「国家保安法 (大韓民国)」やその他の法令に基づき厳重な取り締まりが行われた。ただし、1987年の民主化以後は「国家保安法」の存在にもかかわらず、大韓民国にも政治集団として朝鮮民主主義人民共和国と朝鮮労働党の指導理念である「主体思想」を支持する「主体思想派」が存在する。また、1990年代に北朝鮮の経済が崩壊し、北朝鮮で「苦難の行軍」と呼ばれる飢餓が発生したあとには「脱北者」と呼ばれる亡命者が南朝鮮、大韓民国に流入している。
大韓民国政府は1万人を超える「北派工作員」を北朝鮮に送り込み多くの犠牲を出している[83]。1971年8月23日に発生した実尾島事件はこの「北派工作員」派遣の過程で発生した事件であった。朝鮮民主主義人民共和国政府もさまざまな手法で韓国に対する「対南工作」を行っており、青瓦台襲撃未遂事件、ラングーン事件、文世光事件で大韓民国大統領の暗殺を謀ったり、イ・スンボク事件や江陵浸透事件などで大韓民国への侵入事件を引き起こしている。また、大韓航空機YS-11ハイジャック事件等で韓国国民の拉致事件を引き起こしており、大韓航空機爆破事件では韓国国民を標的とした無差別テロ事件を引き起こしている。また陸上の軍事境界線や海上の北方限界線をめぐっては、南北分断以降、1976年のポプラ事件、1999年の第1延坪海戦、2002年の第2延坪海戦、2009年の大青海戦、2010年の天安沈没事件、延坪島砲撃事件等の武力衝突が断続的に発生している。
このような中、統一に向けた努力が試みられているが、実を結ぶには至っていない。1960年の四月革命によって学生と市民が李承晩初代大統領を退陣させたあと、同1960年8月14日に朝鮮民主主義人民共和国の金日成首相は南北朝鮮統一のために「連邦制統一案」を発表、両政府代表による「最高民族委員会」の結成を提唱し、初めて具体的な平和統一案を提出したが、大韓民国の張勉首相がこの提案を検討することのないまま、翌1961年の5・16軍事クーデターによって朴正煕少将が軍事政権を樹立したため、この提案は流れてしまった[84][85]。1972年のニクソン大統領の中国訪問によってそれまで敵対していた米中関係が改善した結果が南北朝鮮に波及したため、同1972年7月4日に大韓民国の朴正煕大統領と朝鮮民主主義人民共和国の金日成首相は共同で南北共同声明を発表したが、その後朴正煕大統領が維新クーデターでさらなる権力集中を進め、また1973年の金大中事件で大韓民国国内の民主派を弾圧する姿勢を維持したため、以後北側からの南北間の対話は途絶えた[86]。なお、金大中事件直前の1973年6月23日に朴正煕大統領は「平和統一外交宣言」を、金日成主席は「祖国統一五大方針」をそれぞれ提出しているが、国際連合同時加盟問題に対する南北両政府の主張の隔たりの大きさが浮き彫りになる結果に終わっている[87]。
1979年10月26日に朴正煕暗殺事件が発生したあと、翌1980年5月に5・17非常戒厳令拡大措置によって全斗煥将軍が実権を握ると、同1980年10月10日に朝鮮民主主義人民共和国の金日成主席は、軍事政権である大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の両国間の政治体制の相違を乗り越えて低い段階での連邦制を実現するため、「高麗民主連邦共和国」創設を提示した[88]。
冷戦終結以後は雪解けが進み、1991年の大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の国際連合同時加盟や南北基本合意書に結実した。1993年に大統領に就任した金泳三は「三段階統一論」を提示した[88]。1998年に発足した金大中政権は「太陽政策」の名の下、積極的に朝鮮民主主義人民共和国との融和政策を進め、2000年6月には金正日国防委員長と南北首脳会談を実施、6.15南北共同宣言を締結し、大韓民国国内に和解ムードが広がっていた。
2003年に発足した盧武鉉政権も太陽政策を引き継ぎ、朝鮮民主主義人民共和国による2006年の核実験以後も、2007年10月に第2回南北首脳会談を実施したが、北朝鮮による日本人拉致問題が発覚し、相次ぐ北朝鮮によるミサイル発射実験、北朝鮮核問題をめぐる六者会合の実施など北朝鮮包囲網が国際的に形成されたこともあり、2008年2月25日に発足した李明博政権以降は太陽政策を転換した。李明博政権下では南北間の緊張が高まり、2009年の大青海戦、2010年の天安沈没事件、延坪島砲撃事件などの軍事衝突が勃発している。
朴槿恵政権下の2014年には韓国政府から北朝鮮に対して30億ウォン(約3億円)規模の人道支援が実施された[89]。
なお、北朝鮮と韓国は対中関係で大きく変化してきており、2014年の北朝鮮による核実験の強行によって建国以来の血盟関係にあった中朝関係は急速に悪化する一方、習近平中国最高指導者が北朝鮮首脳との面会に先だって訪韓するなど中韓両国は急速に接近し、北朝鮮政府は中国に派遣する自国の貿易商に中韓関係の情報収集を命じ、警戒を強めているとされている[90]。2015年2月に北朝鮮は中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)に創立メンバーとして参加しようと特使を派遣したが中国側の拒否によって失敗に終わったのに対し[91]、韓国は同年3月にアジアインフラ投資銀行(AIIB)に創立メンバーとして参加した。2015年9月の中国の軍事パレードでは、韓国は大統領の朴槿恵が参加し党総書記である習近平と肩を並べて参観したのに対し、北朝鮮は朝鮮労働党書記である崔竜海を派遣したが席は端に近い位置であった[92]。韓国の聯合ニュースはその写真と1954年に金日成と毛沢東が同じ場所で軍事パレードを参観した写真を並べ、「主人公の変化は、半世紀を超える間に韓中関係と中朝関係がどれだけ変化したかを象徴している」と報じた[92]。
中華人民共和国との関係
反共期
1948年8月15日に建国された大韓民国は、李承晩初代大統領の反共主義の影響もあって、1949年10月1日に中国共産党の毛沢東主席によって中華人民共和国が建国されたあと、中国国民党の蔣介石総統とともに台湾に逃れた中華民国と親交を深めた。1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発すると、緒戦での首都ソウルの最初の陥落後、臨時首都釜山にまで追い詰められた李承晩政権はダグラス・マッカーサー司令官率いる国連軍の介入によって朝鮮民主主義人民共和国が統治していた38度線以北を北上し、1950年中に大韓民国国軍は一時中朝国境の鴨緑江にまで到達したが、毛沢東主席はアメリカ合衆国(中国語では美国)に抗して朝鮮民主主義人民共和国を援けるため(「抗美援朝」)に朝鮮戦争参戦を決断、彭徳懐司令官率いる中国人民志願軍(抗美援朝義勇軍)はアメリカ軍主体の国連軍を38度線以南にまで押し戻し、一時中朝連合軍は国連軍が奪還した首都ソウルを再占領した。
1953年7月27日に中朝連合軍代表の南日大将と国連軍代表のウィリアム・ハリソン・Jr中将の間で朝鮮戦争休戦協定が署名されたあとも、大韓民国は反共主義から中華人民共和国と敵対した。中華人民共和国も1961年7月11日の中朝友好協力相互援助条約締結で示したように、大韓民国よりも朝鮮民主主義人民共和国を重視する姿勢を示した。
しかし、1976年の毛沢東主席の死後、中華人民共和国の実権を握った鄧小平が1978年12月にそれまでの経済政策を変更して改革開放路線を歩み、西側諸国からの外資導入への意欲を見せたことと、1990年の東西冷戦体制の崩壊を要因として、大韓民国の対中政策は転換した。
1992年8月24日に盧泰愚大統領は、人口が多く市場として有望で、安価な労働力の提供が可能な中華人民共和国との国交樹立を模索する産業界からの要請もあり、中華人民共和国との国交を正常化し(中韓国交正常化)、「一つの中国論」に基づいて中華民国(台湾)とは断交した。
中韓国交正常化後
中韓国交正常化以降、韓国では対中投資ブームが起こり、多くの韓国企業が安い労働力を求めて中華人民共和国に進出した。現在では韓国の対中投資額は日本のそれを上回り、投資額は国家としては第1位となっている[93]。特に山東省青島、遼寧省大連、吉林省延辺朝鮮族自治州には韓国企業の投資が累積している。また中華人民共和国に留学する外国人学生数で、韓国はトップを占めるほどになっている。
投資額が国家として1位とはいえ、韓国企業の対中投資実行額は2004年の62億5000万ドルから、2007年には1月から11月の段階で32億3000万ドルと、3年でほぼ半減のペースとなっている。要因としては2008年1月より施行された外資優遇を原則廃止した新たな企業所得税法、従業員の待遇を向上させる労働契約法や現地トラブルも重なり「中華人民共和国離れ」が加速している[94]。
また、WTO香港ラウンドにおいて、韓国の農業従事者が香港で激しいデモ活動を展開した。香港の警察はデモを行った人々を拘束した。
韓国は2014年3月に中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)に創立メンバーとして参加することを決定し、韓国の企画財政省高官はAIIBを通じた北朝鮮でのインフラ開発に期待感を示した[95]。また、2015年9月3日に中国が開催した抗日戦争勝利70年記念式典には大統領の朴槿恵が出席した[96]。しかし中国軍にとって脅威になりうるTHAADミサイルシステムの在韓米軍配備をめぐり両国の関係は悪化していき、2016年7月8日に米韓両国関係者がTHAAD配備が最終的に決定したと発表した[97] ことに対し、中国側は「強烈な不満と断固とした反対」を表明[98]。国交正常化25周年となる2017年8月24日の記念式典の共同開催や文在寅韓国大統領の訪中も中国側によって拒否され実現せず、それぞれが主催する式典が北京で別々に開催された[99][100]。
ソビエト連邦及びロシアとの関係
1945年の第二次世界大戦終結により、朝鮮半島は北緯38度線を完全な境界線として、8月に進駐したソビエト連邦軍軍政下の北部と、9月に進駐したアメリカ軍軍政下の南部と分断占領された(連合軍軍政期)。朝鮮半島北部では1945年9月11日に朴憲永ら朝鮮半島内部で抗日運動を行っていた共産主義者が中心となって朝鮮共産党が再建されたあと、中国共産党、八路軍に所属し抗日闘争を戦っていた中国朝鮮族の共産主義者や、ソ連や満洲から帰還した抗日パルチザンが朝鮮半島北部に流入し、こうした社会主義者、共産主義者の協同戦線党として1946年8月に北朝鮮労働党が結成され、その中でもソ連軍の士官として朝鮮半島に帰還した金日成は1946年2月に北朝鮮臨時人民委員会委員長に就任したあと、農地改革を実施する中で徐々に権力基盤を固めた[101]。
1948年にアメリカ合衆国主導の南北統一総選挙が国連で決議されたが、北部を軍政統治するソビエト連邦が拒否し、南北分断が確定した。同1948年8月15日には朝鮮半島南部単独で大韓民国が独立を宣言し、追って9月9日には朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が残余の朝鮮半島北部のみで独立を宣言したため、大韓民国は建国当初からソ連と敵対関係になった。
ソ連は朝鮮半島北部で朝鮮労働党の指導による社会主義国の建設に成功し、1950年6月25日の朝鮮戦争勃発後は朝鮮人民軍の南侵を支持したが、国際連合安全保障理事会における欠席戦術を逆手に取られてアメリカを中心とした国連軍の編成と介入を許し、朝鮮半島全域への勢力拡大は失敗した。この際、ソ連軍は直接介入を控えたものの、軍事顧問団の派遣や兵器の供給で朝鮮民主主義人民共和国や中華人民共和国の中朝連合軍による軍事作戦を支えた。
1950年代
1953年の朝鮮戦争休戦後、朝鮮民主主義人民共和国の執政党となった朝鮮労働党党内では、1950年代の金日成首相を領袖とする満州派の権力基盤独占化の過程で、1956年の8月宗派事件によって朝鮮労働党ソ連派は南日らごく一部を除いて粛清されたが、北朝鮮における親ソ派の粛清にもかかわらずソビエト連邦は1961年7月6日に朝鮮民主主義人民共和国とソ朝友好協力相互援助条約を締結し、朝鮮半島唯一の正統政権と認め、大韓民国とはまったく外交交渉を行わなかった。
その後のベトナム戦争では、アメリカ合衆国の要請に応じて南ベトナムに出兵した大韓民国国軍が北ベトナムを通じてソ連と中華人民共和国の支援を受ける南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)と激しい戦闘を行った。朴正煕大統領率いる大韓民国の軍事政権は反共主義を唱え、朝鮮民主主義人民共和国の背後にいると考えられていたソ連や中国を強く警戒しており、この1960年代から1970年代の東西冷戦の激しい時期では大韓民国とソ連の関係は絶たれていた。
1980年代
1981年、首都ソウルが1988年のソウルオリンピック開催都市に決まると、韓国はホスト国としてソビエト連邦を含むすべての国を安全に招待する義務を負った。しかし全斗煥政権は対ソ強硬姿勢と国内の民主化運動弾圧を継続し、1983年9月1日には大韓航空の旅客機がソビエト連邦領空を侵犯したあとに撃墜された大韓航空機撃墜事件も発生して、両国間の関係はまったく改善されなかった。
この敵対的な韓ソ関係が変化したのは、1985年に登場したソビエト連邦のゴルバチョフ政権が「新思考外交」による冷戦の緩和を訴えて以降である。韓国も1987年の大統領選挙に勝利し、翌1988年に成立した盧泰愚政権が民主化を進めつつソビエト連邦や中国との緊張緩和を目指す「北方外交」を提唱した結果、1988年9月17日から10月2日にかけて開催されたソウルオリンピックはソビエト連邦や東欧諸国の参加を得て無事に開催された。この際に両国の接触が本格的に開始され、首脳会談を経て、1990年9月30日に韓国とソビエト連邦は国交を樹立した。1991年にはゴルバチョフが初訪韓(済州島を訪問)し、同年に大韓民国は朝鮮民主主義人民共和国と同時に国際連合加盟を果たした。また、第二次大戦後に旧日本領の南樺太(その後、ソビエト連邦がサハリン州に編入)に取り残され、無国籍状態やソビエト連邦国籍になっていた残留朝鮮人の韓国訪問・帰還事業や、第二次世界大戦前にヨシフ・スターリンによって極東の沿海地方から中央アジアへ民族全員が強制移住させられたソビエト連邦国籍の朝鮮人(「カレイスキー/高麗人」と称される)との交流が開始された。
1990年代
1991年12月にソビエト連邦が崩壊したあと、後継国家としてロシア連邦やその他の独立国家共同体(CIS)諸共和国が完全な独立国家として成立しても、韓国側からの積極的なアプローチは続いた。現代自動車はロシアの外国自動車市場で最大のメーカーとなり、LG電子も家電市場で3割のシェアを獲得したと伝えられている(ジェトロレポートより[102])。巨大財閥以外の韓国企業もロシアに進出し、ウラジオストクを重要な拠点としてシベリア開発にも関与している。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は社会主義体制を放棄した現在でも北朝鮮との友好関係を維持し、南北等距離外交を推進していることから、北朝鮮の核開発問題をめぐる六者会合への参加国に含まれている。
また、ソ連崩壊後に新たに中央アジアに独立したカザフスタンやウズベキスタンにも韓国企業が進出している。両国には韓国からの直行便が就航し、高麗人(カレイスキー)への朝鮮語教育の支援などを含めた関係強化が進められている。
アメリカ合衆国との関係
第二次世界大戦終結後、アメリカ合衆国(米国)を盟主とする西側諸国とソビエト連邦(ソ連)を盟主とする東側諸国の間で東西冷戦体制が形成される中、朝鮮半島南部は在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁による連合国軍政に置かれた。1948年5月10日に左派や朝鮮半島北部の反対の中で実施された朝鮮半島南部単独での初代総選挙を経て、同1948年8月15日に李承晩初代大統領の下、アメリカ軍軍政下にあった朝鮮半島南部に右派を中心とする大韓民国が成立し、1948年11月20日に大韓民国国会でアメリカ軍の無期限駐留要請が決議された。1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争では朝鮮民主主義人民共和国の朝鮮人民軍が大韓民国の首都ソウルを攻略したあと、釜山に逃れた李承晩政権の防衛には、ダグラス・マッカーサー元帥率いるアメリカ合衆国を中心とする国連軍が大きな役割を果たした。1953年7月27日に朝鮮人民軍の南日大将とアメリカ陸軍のウィリアム・ハリソン・Jr中将の間で朝鮮戦争休戦協定が署名されたあと、同1953年10月1日に調印された米韓相互防衛条約によって大韓民国はアメリカ合衆国の同盟国となった。
1960年代
朝鮮戦争休戦後の1950年代の大韓民国は軍事的、経済的にアメリカ合衆国に依存していたが、李承晩政権の末期にはアメリカ合衆国からの援助が減額されるようになった。1961年に5・16軍事クーデターにより軍人出身の朴正煕が軍事政権を設立した韓国は、ベトナム出兵の承認をアメリカ合衆国に求めたが認められなかった。1963年11月22日に民主党のジョン・F・ケネディ大統領が暗殺され(ケネディ大統領暗殺事件)、副大統領だったリンドン・ジョンソンが大統領に昇格すると大韓民国国軍のベトナムへの出兵が認められ、朴正煕大統領はアメリカ軍に次ぐ大部隊を南ベトナムに派遣し、民間人を含む多くのベトナム人を殺戮した[103]。大韓民国軍のベトナム派兵は、1968年2月12日に発生した「フォンニィ・フォンニャットの虐殺事件」のような戦争犯罪を伴い、ベトナム戦争終結後の越韓関係にしこりを残している。ベトナム出兵によりアメリカからの経済援助も増額され、戦争特需によって三星・現代などの財閥が形成された[103]。米国は韓国が導入した外資40億ドルのうち、およそ20億ドルを直接負担、その他の負担分も斡旋し、日本からは約11億ドル、西独などの西欧諸国からは約10億3000万ドル調達した。また、戦争に関わった技術者・軍人・建設者・用役軍納などの貿易外特需(7億4000万ドル)や軍事援助(60年代後半の五年間で17億ドル)も韓国の高度成長を支えた[104]。こうして韓国は、ベトナム参戦を契機に急成長を遂げていく(「漢江の奇跡」)[105]。また、韓国人の米国への移住が許可され、在米韓国人は200万人に達している。しかしながらベトナム派兵によって強化されたあとの米韓関係も、1970年代に入ると朴正煕大統領の核武装構想によって大韓民国の核兵器保有を望まなかった民主党のジミー・カーター大統領との間で軋轢を起こしている。また1970年代には、KCIAが関与したアメリカ合衆国下院議員買収工作が発生し、米韓両国の政治問題と化した(コリアゲート事件)。
1980年代
1987年6月29日の民主化宣言と、翌1988年の盧泰愚政権の発足、朴正煕、全斗煥両大統領の軍事政権による開発独裁下で実現した韓国経済の躍進(漢江の奇跡)、1990年以降の東西冷戦体制の崩壊は、この構図を転換する要因となった。大韓民国はソビエト連邦、中華人民共和国、ベトナム社会主義共和国と、それまで反共主義から対立していた社会主義国との国交を樹立し、これら諸国に対する経済投資も拡大した。また、1991年に勃発した湾岸戦争に際しては、多国籍軍に大韓民国国軍を派遣している。
1990年代
1998年の金大中政権成立後は太陽政策によって朝鮮民主主義人民共和国との関係も金泳三政権期に比べて改善された。一方、1999年の老斤里事件報道後、在韓米軍に対する反感が強まり、2002年に米軍車両に韓国人女子中学生が轢き殺された事件(議政府米軍装甲車女子中学生轢死事件)によって米軍に対する反感がいっそう高まった。同時に米軍兵器の近代化と展開能力の向上により、想定される戦闘の様相が、米軍が駐留し始めたころとは異なってきているため、米軍が韓国に駐留する必要性は減少している。このため、米国も在韓米軍を削減する政策を打ち出している。
2000年代
2003年2月25日に発足した盧武鉉政権はイラク戦争に際して米英軍主導の有志連合に大韓民国国軍を派兵し、2004年にはイラクのアルビール県にザイトゥーン部隊を派遣した一方、金大中政権以来の太陽政策を引き継ぎ、特に2006年の北朝鮮の核実験後も北朝鮮との宥和政策推進のために2007年10月に第2回南北首脳会談を行う親北反米政策をとったため、米国との関係は悪化した。
2008年2月25日に発足した李明博政権は金大中政権以前の親米路線に方針を転換したため、対米関係も改善されると見込まれていた。しかし4月、BSE問題に端を発する米国産牛肉の輸入をめぐり反発する野党、市民と政権の対立が激化しており、今後も米国との良好な関係が維持できるのか不透明な状態が続いている。
アメリカとは固い絆を築いているとされ、アメリカ軍への慰安婦[106][107] として数十年にわたって提供された女性たちが謝罪と補償を求めているが[108][109][110]、日本を相手とした場合とは異なり、韓国政府は女性たちを支援しないこととしており[108][111]、韓国人とアメリカ人によってアメリカ各地の公共施設に建立が進められている慰安婦追慕碑にはアメリカ軍慰安婦や韓国軍慰安婦は対象外としている[112][113]。一方で、日本軍慰安婦を非難することには共同歩調をとっている[114]。
2010年代
しかし、2014年2月末以降、日韓の歴史問題をめぐるシャーマン米国務次官の発言、韓国国内でのリッパート駐韓米大使襲撃事件の発生、中国主導のアジアインフラ投資銀行への韓国の参加表明などにより米韓関係には不協和音が生じていると報道されており、4月には米韓連合軍の防衛力強化を主要議題として米韓国防相会談がセッティングされたが、中国への配慮から米国が求めている最新鋭ミサイル防衛システム「最終段階高高度地域防衛(THAAD)」の在韓米軍への配備は議題に含まないとされた[115]。
2020年代
2020年6月11日、ドナルド・トランプ大統領の側近、リチャード・グレネルは、「在韓米軍撤収計画」を示唆した[116]。
日本国との関係
大韓民国は日本が朝鮮民主主義人民共和国を国家として承認していないため[117](日本が承認していない国一覧も参照)、朝鮮半島内では唯一の合法政府と認めている[118]。
日本に対しては、歴史的経緯や歴代政権の政策により、一部の韓国民における反日感情は世界的に見てもその傾向は高い方である[119][120][121][122][123]。
日本と韓国は相互に貿易総額で第3位(2016年)の貿易相手国であり、韓国の財閥企業は多くの部品・素材・生産機器を日本からの輸入に依存しており、経済的な結び付きは高い[124]。
大韓民国は1965年に朴正煕大統領と佐藤栄作内閣総理大臣との間で批准された日韓基本条約に基づき、日本国が朝鮮半島の唯一の正統国家として承認している国家であり、隣国であるだけでなく、かつては日本の一部であったという歴史的背景もあり、政治・経済・文化などあらゆる分野で比較的緊密な関係にある。
一方で、歴史的経緯や政治・教育などの誘導により韓国民における反日感情は著しく高い。特に1910年の朝鮮併合から1945年の第二次世界大戦(大東亜戦争)までの日本の統治に対して朝鮮半島の近代化などを無視した否定的な意見は多く、2003年に発足した盧武鉉政権下では日本統治時代の「親日派」の子孫を排除・抑圧する法律(日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法および親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法)が施行されている。これらの法律は法の不遡及の原則に反するとの指摘があり(法の不遡及#韓国)、このような法律が施行されることで自国民を政治的に反日派へ誘導し日韓関係に対し思想や言論などの自由を失わせている。
公然と戦前・戦中の日本(韓国や北朝鮮では「日帝」と呼ばれる)について肯定的な発言をする人物は激しく非難され、出国拒否、発言の撤回などの制裁を受けている。
韓国側では李承晩・金九ら右派民族主義者を中心として建国された当初から現在に至るまで、朝鮮併合と、それに伴う同化政策(皇民化教育など)に屈辱的な感情を抱いており、韓国統監として朝鮮併合案に反対して朝鮮国家の樹立に尽力していた伊藤博文を暗殺したテロリスト・安重根を英雄視するなど、根強い反日感情がある。外交の舞台でも日本に批判的な発言が多く、金泳三大統領は中国の江沢民国家主席との中韓首脳会談で、竹島問題について「日本のポルジャンモリ(ばかたれ)をしつけ直してやる」と発言している[125]。
鈴置高史は韓国政府にとって、日本に謝らせることそのものが外交得点で国内対策でもあるとし、日本がそのたびに要求通りにしたとしても国内で困ったときには「やっぱり不十分だった」と再び謝罪を求めてくると述べている。韓国の三大紙の東亜日報論説委員による社説の見出しが「[オピニオン]2人の春樹の無限謝罪論 」[126] という「謝罪は無限に続くべき」だという「無限」という言葉に韓国人の本音がよく現れていると分析した。村上春樹が東京新聞で「相手(韓国人)が納得するまで謝ることが大切」、慰安婦問題で活動してきた和田春樹東京大学名誉教授が訪韓インタビューで「もういい、納得した、と言える人は当事者しかいない」と強調したと言っていることが、韓国人はどう謝罪・賠償されても納得するつもりはまったくないので、韓国人が納得するまでというなら日本・日本人・日本政府の「謝罪は無限に続く」ことになると結論づけた[127]。
連合軍占領期と大韓民国建国後
1945年の第二次世界大戦終結後、日本軍の武装解除のために連合軍の一員であるアメリカ軍が日本統治下にあった朝鮮半島南部に上陸し、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁による軍政が敷かれた[28]。
1948年8月15日の大韓民国建国直前に発生した済州島4・3事件では、南朝鮮政府の弾圧から逃れるために済州島民が日本に移入することとなった[128]。
また、李承晩政権下では反民族行為処罰法に基づき、1949年に反民族行為特別調査委員会が組織され、親日反民族行為者が法的に認定された。
1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争では、連合軍占領下にあった日本は、韓国を助けるために海上保安官や民間船員など8000名以上を国連軍の作戦に参加させ、開戦からの半年間だけでも56名が命を落としている[129]。韓国政府は1950年のソウル会戦で北朝鮮軍に敗北すると、亡命政府を設けるために山口県を提供することを日本政府に求めている(仁川上陸作戦の成功により亡命政府が立ち消えになったため実現せず)[130]。
また、韓国政府は犯罪者や密入国の韓国人の強制送還の大半を拒んだため、日本政府は抑留された日本人の返還と引き換えに韓国人の密入国者・犯罪者の送還を諦め[131]、日本国内で釈放した。1959年には在日朝鮮人の帰還事業を阻止する目的で在日米軍立川飛行場経由で工作員を日本に送り込み、新潟日赤センター爆破未遂事件を起こしている。
日本が自国領土とする竹島(韓国名は独島:독도)を、韓国が自国の領土と主張して武力占拠、日本海上に李承晩ラインを設定し、この線を越えて操業する日本漁船を拿捕し乗員を抑留・殺害してきた。この時代には、第一大邦丸事件のように、多数の日本人が韓国人によって殺害された。1965年に国交が回復するまでに、韓国によって日本漁船328隻が拿捕、日本人44人が殺傷、3929人が抑留されることとなった[132]。
日韓基本条約締結後の国交樹立
李承晩政権期は国交断絶状態であったが、1960年の四月革命で李承晩政権が打倒され、1961年の5・16軍事クーデターで朴正煕(帝国陸軍士官学校第57期生にして、日本名は高木正雄であった)政権が成立したあと、両国の国交正常化交渉が本格化した。国交正常化交渉の過程では請求権問題がもっとも紛糾した。韓国による対日請求権の主張に対して日本側は、日本統治時代に朝鮮半島に投下した資本および引き揚げた日本人が残した財産(GHQ調査で52.5億ドル[133])を主張することで韓国側に対抗した。
1965年、サンフランシスコ平和条約と国際連合総会での採択決議第百九十五条を想起して、日韓基本条約が締結された。サンフランシスコ平和条約では沖ノ鳥島の存在が明記されている[134]。ともに締結された財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定に基づいて、日本が朝鮮に投資した資本および日本人の個別財産のすべてを放棄するとともに、約11億ドルの無償資金と借款を援助することによって、日韓間の両国間および国民間の請求権に関する問題は完全かつ最終的に解決されていることが確認された[135]。しかし、韓国政府や韓国メディアは国民に積極的に周知を行わなかったため、日本政府への新たな補償を求める訴えや抗議活動がなされ続けていたが、2009年8月14日にソウル行政裁判所による情報公開によって韓国人の個別補償は日本政府ではなく韓国政府に求めなければならないことが韓国民にも明らかにされている[136]。なお、韓国はその資金をインフラの整備に充て、戦時徴兵補償金は死亡者1人あたり30万ウォン(約2.24万円)であった[137]。
1970年代
朴正煕政権時代の1973年8月8日には大韓民国中央情報部(KCIA)が日本国に滞在していた大韓民国の民主化運動家、金大中を拉致し、日本国の主権を侵害し、明らかな犯罪行為である金大中拉致事件を引き起こしている。
1990年代
1997年のアジア通貨危機により、韓国の経済は危機に瀕した。発足したばかりの金大中政権は国際通貨基金の支援とその経済政策を受け入れ、新自由主義的傾向をもつ構造改革政策によって危機を乗り切った。この時期、首相は金大中と立場を異にするものの経済通と呼ばれた金鍾泌であった。IMF支援の際、日本は韓国に対する緊急支援のうち最大の100億ドルの準備を行った[138][139][140]。
1999年には新日韓漁業協定が発効し日韓暫定水域が設定された。これにより竹島周辺海域も日本漁船が操業できる海域に設定されたが、暫定水域は日本側に大きく食い込む形で設定されたため、日本の漁業は大きなダメージを受けている。たとえば新協定の発効以降、暫定水域での韓国漁船による乱獲とゴーストフィッシングと事実上の占拠が続いており、韓国漁船は資源の保全状況が比較的良好な日本のEEZにまで進出して違法操業を行っている。これに対して日本側は官民を上げて、協定改定による暫定水域での漁法に対する法的拘束力の実現や是正、取り締まりの強化を要請している。
2000年代以降
※2000年代以降の、慰安婦や竹島などの顕著な係争となっている個別問題と関連した日韓関係の記述は、関係の推移をわかりやすくするため分離して後述する。
2003年に発足した盧武鉉政権は当初「歴史問題に言及しない」と発言するなど両国関係の改善が期待されたが、国内においては日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法および親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法を制定するなど、一貫して反日的な態度をとり矛盾を伴う二枚舌な政策を行う。盧武鉉政権は日本時代の親日派問題の清算として、「日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法」および「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」を制定し、反民族行為認定者の子孫の土地や財産を国が事実上没収する人権蹂躙とも取れる法を制定し、実際に「親日派」10人の子孫が所有する約13億6000万円相当の土地を没収する[141] など、韓国民主化以前の反共主義さながらの反日主義で上記特別法適用を開始している。2006年に韓国政府は親日反民族行為者財産調査委員会を設置し、2010年までに親日反民族行為者の子孫の資産約180億円を没収した[142]。
日本は2000年代の小泉純一郎政権時にG4諸国を結成し国連常任理事国入りを目指したが、韓国は日本の歴史教科書の記述や竹島問題や小泉総理の靖国神社参拝を持ち出し、日本の常任理事国入りに反対する国際運動を行った。また小泉政権時の2004年から2005年にかけては靖国問題や歴史教科書問題や竹島問題を理由とした日本に対する抗議デモの影響により、韓国側が民間交流行事をキャンセルする事態がいくつか発生し、その後もソウルの日本大使館前で韓国人の老人が焼身自殺を図ったり安倍晋三首相の写真や人形に火をつける過激なデモが発生している。
2010年代に入っても韓国の要人が歴史問題に関して日本を非難する発言を繰り返しており、2013年3月に朴槿恵大統領が日韓関係について「加害者と被害者という歴史的立場は1000年の歴史が流れても変わらない」[143]、2015年4月には柳興洙駐日本韓国大使が「加害者は100回謝罪しても当然。何回したかは関係ない」[144]、2015年に韓国与党セヌリ党の金乙東(キム・ウルドン)最高委員が「日王(天皇)はひきょうにも命乞いして生き残った」と述べ[145]、2019年2月に文喜相国会議長が明仁天皇を「戦争犯罪者の息子」と呼ぶなどしている(後述)。
2013年1月、韓国は日韓間で締結した犯罪人引渡し条約を無視して、靖国神社に放火した刑事犯の中国人の日本への引渡しを拒否して、「政治犯」として中国に送還した。これに対して安倍晋三首相は抗議声明を発表した[146]。同年3月11日、韓国は日本政府主催の東日本大震災二周年追悼式を中国とともに欠席した[147]。
2015年、韓国地検による産経新聞支局長名誉毀損起訴事件などを受けて、日本の外務省は韓国について「報道の自由」などに疑念があるとし、2014年版外交青書にあった「自由、民主主義、基本的人権などの基本的な価値を共有する」という表現を2015年版外交青書では削除した[148]。
2000年代以降、韓国政府が日本の国際的地位を失墜させることを目的とした『ディスカウント・ジャパン運動』を行っており、VANK等の民間団体を強力に後援しながら、世界に向けて日本を貶める対日宣伝工作活動を行っている[149][要検証 ]。
韓国側が行っているさまざまなディスカウント・ジャパン運動、全米各地への慰安婦像の建立、軍事情報包括保護協定締結の突然のキャンセル、日韓犯罪人引き渡し協定を無視しての中国人靖国神社放火犯の引き渡し拒否、対馬の盗難仏像の返還拒否、韓国三大紙中央日報の東日本大震災時の「日本沈没」報道や「原爆は神の懲罰」コラム、大統領の竹島上陸と天皇謝罪要求など、韓国側の反日的な動きが活発になっているが(後述)、この原因として、中国の国力の増大と日本の国力の低下により、韓国が伝統的に持つ「従中卑日」の小中華思想が強くなって先祖返りしていることが原因であると専門家から分析されている[150]。またこれを裏づける証言として、竹島に上陸した李明博が日本の国力が落ちたことに言及している[151]。
以後に2000年代以降の日韓関係をわかりやすく項目ごとに記述する。
- 徴用工訴訟問題に関する関係
- 2018年10月に韓国大法院が、1965年の日韓請求権協定に基づいた両国間での長年にわたって続いてきた政治的合意を覆し、日本への個人請求権を認める判決を下した。これにより日韓関係が極度に悪化し、1965年の日韓国交正常化以降で最悪といわれるまでの状況になった。
- 慰安婦問題に関する関係
- 韓国政府は、日本軍慰安婦は日本軍により組織的に拉致・監禁・強姦された「性奴隷」だったとして、日本への謝罪と賠償を求める運動を世界各国で行っており[114][152][153][154][155]、その結果、世界各国の議会で対日謝罪要求決議が可決され[114][156]、米国の複数の公共施設で韓国人によって当事国であるアメリカ軍慰安婦[157] や韓国軍慰安婦[158] ではなく、第三国である日本軍の慰安婦を対象とした追慕碑の設置が行われる事態となっている[112][113]。2011年には、韓国の市民団体が駐韓日本大使館正面に13歳の少女慰安婦と称する像を建立し[159]、訪日した李明博大統領が野田佳彦首相に対し、日本国が韓国の求める誠意を示さない限りさらなる銅像の建立がなされるとする強要を行った[160]。また、大韓民国女性家族部が韓国漫画映像振興院や漫画家と協力してアングレーム国際漫画祭で日本を非難する慰安婦の漫画を出展し、世界各国で慰安婦写真展を開催し、ユネスコの世界記憶遺産に慰安婦の証言録を登録することを企画している。さらに、訪韓外国人観光客に韓国の歴史認識に基づいたパンフレットを配るなどして日本の「不当性」を知らしめる運動も企画している[149]。これと同時に、韓国政府は政府見解に反し日本軍慰安婦が自発的な売春婦であったことを公に発する国民に対しては検挙するなどして言論統制を行っており[161]、慰安婦の自発的売春や、日本の朝鮮半島統治による恩恵の存在、竹島に対する日本の領有権を主張をしているブログや掲示板などの「親日賞賛サイト」の記述を、放送通信審議委員会の指示の下で強制的に削除したり接続を遮断している[162]。
- 2015年12月28日、日韓政府の間で、日本軍の従軍慰安婦問題を最終かつ不可逆的に決着させることを目的とした慰安婦問題日韓合意が結ばれた。しかし、2017年5月に文在寅政権が発足すると、この合意を覆そうとする動きが活発になった。2016年9月29日には韓国外交部が「日本側が慰安婦被害者の方々の心の傷を癒やす追加的な感性的措置をとることを期待している」と合意を覆して日本の追加対応を求める声明を発表し[163]、2019年2月には、韓国の国会議長の文喜相(ムン・ヒサン)が、明仁天皇を「戦争犯罪の主犯の息子」と呼びながら天皇の慰安婦への直接謝罪が必要と発言した[164]。これに対し日本の各界から抗議の声が上がると、文議長は「日本は盗人猛々しい」とさらに日本を非難した[165]。
- 国土と海洋(竹島・対馬・日本海呼称など)問題に関する関係
- 2008年7月21日、韓国国会議員50名によって対馬島返還要求決議案が韓国国会に提出された。同年11月、日本は大陸棚限界委員会(Commission on the Limits of the Continental Shelf、略称:CLCS)に対して、沖ノ鳥島を基点とする海域を含む七つの海域を大陸棚の延長として申請を提出した。その申請に対して、韓国は「沖ノ鳥島は、島に該当せず岩にあたる」という抗弁を2009年2月に大陸棚限界委員会へ提出した。しかしながら大陸棚限界委員会が沖ノ鳥島を起点とする大陸棚を日本の大陸棚の延長として認定したため、韓国の主張は事実上、国際機関から退けられることとなった(日韓基本関係条約はサンフランシスコ平和条約の関係規定を想起し条約を締結することに決定と定められており、そのサンフランシスコ平和条約において沖ノ鳥の存在が明記されているが、それにもかかわらず韓国はこの時点から公式に沖ノ鳥島を岩だと主張しはじめた)。
- 韓国は官民をあげて世界各国で「竹島は韓国の独島である」「日本海呼称は東海呼称が正しい」「韓国が日本に文化を伝えてあげた(一部韓国起源説も含む)」という宣伝工作活動も行っており[166][167][168]、VANKが協力していることも助力して、1999年時点で3%しかなかった世界の主要機関・地図制作会社・出版社の日本海/東海併記の世界地図が、13年後の2012年時点では30%にまで増加している[169]。2014年にアメリカバージニア州で、在米韓国人の政治運動により、すべての教科書で日本海と東海を併記することを決定する法律が成立した[170]。日本政府は、このような竹島問題や日本海呼称問題などの外交案件に関わる韓国側の宣伝工作活動に対しては抗議を行っている[171][172]
- 2012年8月、李明博大統領が竹島に上陸し、天皇への謝罪要求を行うと、日韓関係は一気に悪化した。
- 2012年12月、韓国政府は東シナ海での韓国の大陸棚を、同国沿岸から200海里(約370キロ)を越えた沖縄トラフ付近まで拡張することを求める大陸棚境界画定案を国連の大陸棚限界委員会に提出した[173]。
- 文化財問題に関する関係
- 日韓間では、文化財についても問題となっている。韓国政府は、日本にある朝鮮半島から流出した文化財の「返還」を日本政府や民間機関に求めている。これらの文化財は売買や寄贈、所有権の移転等の合法的な手段によって日本に持ち込まれたものや、朝鮮併合以前に由来したものがほとんどであることから、韓国に引き渡す場合は「返還」ではなく「寄贈」となるのだが、韓国政府や韓国マスコミは「略奪文化財」なので「返還」が正しいと主張している。そして、菅直人内閣はこれに迎合する形で日韓図書協定を結び、1200冊あまりの図書文化財の事実上の「返還」を談話で決定した[176]。
- また、韓国では小中華思想や韓民族優越主義の観点から「日本文化のほとんどが日本人が朝鮮半島から盗み出したもの」という韓国起源説が蔓延しており、「日本に略奪された韓国文化財と文化を取り戻しにいく」という名目で、韓国人によって日本にあるさまざまな文化財が組織的・計画的に韓国に盗み出され[177][178][179][180][181]、日本文化が剽窃される事例が相次いでいる[182]。特に日本人が正当に入手した高麗仏画が盗難の標的にされ、このうち長崎県壱岐市安国寺から盗まれた「高麗版大般若経(重文)」は大韓民国指定国宝284号に指定され、兵庫県高砂市鶴林寺から盗まれた「阿弥陀三尊像(重文)」は韓国の寺に寄付されている。対馬市の観音寺からは、長崎県指定有形文化財「観世音菩薩坐像[183]」が盗み出され韓国に持ち込まれたが、韓国地裁は観音寺返還を事実上拒否する判決を下した[184]。韓国政府は日本の外務省からの度重なる文化財の返還要請にもかかわらず、文化財不法輸出入等禁止条約を無視し続け、盗難文化財の日本への返還を拒否し続けている。このような状況がありながら、菅直人内閣が在韓日本文化財については完全に無視したまま朝鮮半島由来の文化財の「返還」を決定したため、野党から批判された。
- 2012年6月、日韓間で結ばれる予定だった軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の締結が、締結1時間前になって突然韓国側からキャンセルされた。
- 2018年12月、韓国海軍レーダー照射問題が発生し、慰安婦問題や徴用工訴訟問題などの歴史認識問題で悪化の一途をたどる日韓関係をさらに悪化させる事態となったが、これは親北朝鮮の文在寅大統領の影響もあると分析されている[187]。
- 経済的関係
- 経済面において韓国は、日本との関係が深い。韓国から日本への電子部品や工作機械などの輸出も増大している。韓国の対外輸出の増加に伴い、日本からの部品輸入や日本への特許使用権料の支払いも増加しており、戦後一貫して韓国の対日貿易は赤字が続いている。
- 2020年の貿易収支では208億4000万ドルの赤字であった[188]。原因として拡大していった半導体産業の素材・部品において日本に依存していること韓国が日本に黒字を出している品目は代替可能な物であるからである[189]。「韓国が世界貿易で稼いでも、その半分以上を日本へ引き渡している構図である」[190] と指摘されている。対日輸入の金額自体は増加しているが、輸入に占める割合は2005年には18.5%、2006年は16.8%、2019年は9.5%[191]と全体的に減少傾向であり、また輸出でも同様の現象が起こっている。
- 韓国の対日貿易赤字は日本の経済政策における為替変動が問題であるとして、2013年2月のロシアモスクワにおいてのG20では「円安は日本政府の意図的政策によるもの」として問題提起[192]、続いて同年4月米国ワシントンでのG20においても「日本の量的緩和は韓国輸出競争力に打撃と懸念する」として声明を発表、公式会議において名指しで日本を非難する立場をとっている[193]。
- 過去の李承晩政権時代には外貨流出や北送事業(北朝鮮帰国運動)への抗議を理由に、1955年8月から翌年1月と1959年6月から翌年4月の2度にわたり通商断交を宣言したことがあるが、2回とも韓国側の要請で1年以内に通商再開をしている。2003年に両国首脳は自由貿易協定(FTA)締結を目指すことで合意したが、交渉は難航している。
- 2002年の日韓ワールドカップ以降、一部の日本女性の間で韓流ブームが起こり、2010年から2012年にかけてK-POPブームが起こるなど、特に若年女性層で音楽CDや化粧品などの韓国製品が消費されるようになった。このように日本では韓国文化の受容が一部で進み韓国文化に対する政治的統制もないが、韓国ではテレビ地上放送での日本の番組放送が禁止されているなど日本文化に対する統制が続いている[195]。
ベトナムとの関係
ベトナム戦争では南ベトナム陣営として参戦し約5000人の兵士が戦死、帰還兵が枯葉剤の影響によって後遺症に苦しめられることになったこと、ハミの虐殺などの韓国兵士による民間人の虐殺行為から両国間に根強いわだかまりが残っている。1992年に北ベトナムの後継国であるベトナム社会主義共和国と国交を樹立。韓国政府は虐殺行為を認めていない立場であり補償問題は遅れている[196][197]。
一方でベトナムは韓国の主要な輸出先のひとつであり、2014年から2017年現在にかけて韓国人の直接投資の割合がトップであったこと、韓国で働く外国人労働者の7%にあたる約15万人がベトナム人であることなど経済的な結びつきも強い[198][199]。2019年時点でベトナムの総輸出の25%がサムスン電子のものであり、コロナショックではサムスンの技術者が14日の隔離措置を免除された[200]。ベトナムからの労働者受け入れも盛んで[201]、2019年では22万人のベトナム人が在留しており中国に次ぐ数となっている[202]。
ベトナム戦争での人権問題、在韓ベトナム人の待遇問題などはあるが韓国企業の進出によりベトナムでの韓国感情は改善してきている[203]。
MIKTA
経済
経済史概要
韓国建国直後の経済は、朝鮮戦争による国土荒廃で日本統治時代のインフラが破壊されたことにより大きく立ち後れていたが、日韓基本条約により獲得した日本からの資金と技術移転などにより、1962年から1994年の間、年20%の輸出の伸びを記録し、毎年平均GDPが10%成長した。これは漢江の奇跡と呼ばれ、アジア四小龍のひとつにも例えられた[7][8][204][205][206]。高度経済成長を遂げ、新興工業経済地域(NIEs)のひとつに数えられた時期を経て、1996年にアジアで2番目のOECD(経済協力開発機構)加盟国になった。それによりアジアの先進国は2国、日本と韓国になった。
1997年にはアジア通貨危機により韓国経済は大きな危機に直面し、大量倒産や失業と財閥解体が起こり、外資導入と市場の寡占化が進んだ。大手輸出企業や銀行の株主の多くは外国人になった。2000年ごろには一時期な経済の立ち直りがあったものの、政府の金融政策のためクレジットカードを大量に発行した余波もあり、2003年ごろには個人破産が急増して国内での信用不安が高まり、金融が危機的状態となった。2008年時点では大学新卒者が正規社員として働くのは困難であり[207]、2009年大卒者就業見込みは55万人中4万人だけであった[208]。徴兵義務や就職難のため、優秀な若者は韓国国内の経済状況に関わらず海外への脱出を目指す傾向が強いが、経済的苦境のためにますます国を離れて米国や日本の企業に就職する若者が多くなっており、頭脳流出が懸念されている。
大手製造業である一部財閥系輸出企業は好調だが、韓国全体の雇用に寄与しているとは言いがたく、内需はきわめて停滞しており、韓国国内においては財閥系企業の寡占が問題となっている[209]。2008年時点で、韓国の国内総生産の18%、輸出の21%を三星財閥ひとつで占めていた[210]。このため、社会では「二極化」という言葉がよく使われるようになり、経済的格差の拡大が問題となっている。2000年ごろから富裕層向けの高層マンションブームとなり、2002年から2012年までの10年間に不動産価格は68.5%上昇(日本のバブル景気とほぼ同率)した。しかし人口動態の高齢化や内需の不振により、すでに不動産価格は下落を始めており、ソウルのアパート価格は2011年2月以後22か月連続で下落した[211]。2010年段階で国民の約10分の1にあたる500万人が、屋上部屋、地下、ビニールハウスなどの政府が定めた最低居住水準に満たない住居で暮らしている[212]。
2007年ごろには、韓国の製造業が、技術的に先行する日本と、大量生産により追い上げる中国の存在に追い込まれるのではないかとする「サンドイッチ現象」への懸念が持ち上がっていたが[213]、2010年ごろから2012年末までに続いた超円高や、2011年のタイの大規模洪水や東日本大震災などの天災で、日本の製造業が大規模な被害を受けたため、韓国の製造業は大きく業績を伸ばした。特に好調なサムスン電子は売り上げ高と利益を伸ばし、世界最大の電機企業になっている。また現代・起亜グループは世界における自動車販売台数を急激に伸ばした。
主要な産業は情報技術、造船、鉄鋼、自動車などである。主要な企業としては、サムスン電子や、現代自動車、LG電子、ポスコ、現代重工業などがある。リーマン・ショック以降、ウォン安政策によって輸出が伸び、2011年には韓国の貿易依存度は対GDP96%となった。2011年度の統計によると、核心技術や素材、部品産業を日本に依存しているために、日本との貿易収支は208億ドルの赤字である[188]、また好調な輸出に支えられて、韓国の総貿易収支は452億ドルの黒字であった[214]。
2018年10月時点での国内総生産は世界11位。近年は知的財産への投資も増加している(韓国の知的財産権問題も参照)。
一向に解消されない財閥企業への一極集中により若者の就職難や格差問題が続いており、2015年ごろから韓国のSNSでは「ヘル朝鮮」という言葉が流行語になり、韓国内外の複数のマスコミにも報道される事態となっている。2018年時点で従業員300人未満の中小企業が国内の労働者全体の87%に相当する1300万人を雇用している。最低賃金上昇など人件費負担や政府の政策に反発する中小企業の国外脱出が増加している[215]。行きすぎた最低賃金引き上げによる副作用の補填に8兆ウォン(8000億円)を投入する事態になっている[216]。
金融
金融関係は大きな転換期にある。銀行関係では、韓国銀行が中央銀行で、民間の主要銀行にはKEBハナ銀行、国民銀行、ウリィ銀行(もと韓一銀行など)、新韓銀行がある。証券は韓国証券取引所で新規発行・取引されており、証券会社のウリィ投資証券、NH投資証券など四大証券会社が買収交渉に揺れているところに[217]、新しく未来アセット大宇などが生まれている。保険会社にはサムスン生命、クモ生命(錦湖アシアナグループ)、サムスン火災などがある。
建築・土木・プラント
韓国の建築・土木企業は1990年代ごろまで、「不実工事」(手抜き工事)による三豊百貨店や聖水大橋、KB橋の崩落事故等により多数の死者を出したことから信頼性に疑問を持たれることもある[218] が、近年は韓国建設業界の発展は目覚ましく、世界への進出を加速させている。
2000年以降、韓国建設業界は単純な土木工事から脱却し石油化学などのプラント受注などに力を入れており、中東地域やアジアからの受注が多い。また、リゾートやニュータウンの建設にも力を入れており、サムスン建設がドバイで完成時点で世界一の高さになったブルジュ・ハリファを外国企業と共同で建設した。ただし源泉技術は海外に依存しており、たとえば第2ロッテワールドタワーの基礎・構造・風洞設計や外壁や衛星測量などの核心技術はすべて外国企業の技術に依存している[219]。
韓国の建築企業は、発電所や淡水・発電プラントなどの大型プロジェクトを一括(ターンキー方式)受注している。おもな企業は、斗山重工業、現代重工業、サムスンエンジニアリング、サムスン物産、現代建設、サムスン建設、SK建設、SKエンジニアリング、GS建設、大宇インターナショナル、韓電KPS、ハンソルEMEなどである。
造船
現代重工業の鄭周永会長が、創建期に研修生を1年間日本の造船会社に派遣して海上コンテナ2台分の設計図などの各種資料を不法に盗み出させたことを告白しているように[220]、韓国の造船業は日本からの技術移転や不法なスパイ行為による技術流出により発展してきた。
その後、プラザ合意以降の日本の円高による競争力低下とアジア通貨危機を受けての空前のウォン安が韓国造船業界に追い風になり[221]、2000年に建造量と受注残(いずれも標準貨物船換算トン数)で日本を抜き世界1位の造船大国になった。
それとともに造船技術も発展し、2002年から2006年までに世界で発注されたLNG船の78.3%、ドリルシップの68%、油田開発用洋上石油生産設備(FPSO)の53.8%を韓国メーカーが受注し、高付加価値船舶市場でも高いシェアを得た[222][223][224]。ただし海洋プラント市場では、核心技術の不足により国産化率が20%ほどにとどまり、大半の利益は海外企業に流れており見かけのシェアほどの利益を得られていない[225]。
2008年に世界金融危機を受けて世界経済の収縮が始まると、造船業界の景気も急激に悪化し、韓国造船業界の成長も急速に落ち込んでいる。2009年の9月期までの韓国大手造船メーカーの受注額は年初計画の3%から10%に留まり[226]、年間建造量こそ世界1位を維持したが年間受注量と受注残(いずれも標準貨物船換算トン数)が初めて中国に抜かれ世界2位になった[227]。2010年上半期には建造量、受注量、受注残量すべての指標で中国に抜かれた[228]。
2015年は現代重工、サムスン重工、大宇造船の造船大手3社だけで総額8兆ウォン(7300億円)以上の赤字を出した。赤字額の多くの要因は海洋プラントであった[229]。
軍需産業
兵器の製造の受注においては、韓国の国内企業ではほとんどを現代重工業が担っており、歩兵用銃器の製造に関しては大宇重工業が行っている。また兵器の多くを輸入(ライセンス生産も含む)に頼っており、韓国の2006年から2010年までの兵器輸入額は74億300万ドルで、インドと中国に次ぐ世界3位であった[230]。2000年代に入り兵器の国産化が続々と進められたが、K2戦車、K9 155mm自走榴弾砲、K21歩兵戦闘車、K11複合型小銃、コムドクスリ級ミサイル艇などの初期運用前後に欠陥が次々と発覚し、新型国産兵器の生産や配備が遅滞する事例が続出している[231]。
工作機械・金型/製造装置
2000年代初頭より中小企業庁は京畿道富川市の金型産業を地域特化品目に認定するなど金型産業にも力を入れている。これを受け富川市は金型産業支援条例を制定し、世界で初めての金型集積化団地を造成し、世界的な金型産業の前進基地として育成している。
事務用機器、医療用機器、自動車用ギアボックス、携帯電話、PDA・半導体用金型部品、プレス用金型部品、自動車用プレス金型部品、エンジニアリングプラスチック金型、二重射出金型、ダイキャスティング金型、ブロー金型、マシニングセンタ、放電加工機、NCフライス盤、研削盤などのさまざま金型メーカーが存在している[232]。長らく金型・工作機械産業は輸入超過の赤字であり韓国の産業界では問題児とされていたが、2005年以降黒字に好転し、外貨獲得率80 - 90%の優秀な産業に変貌している。
アメリカの最先端ブロンコ・スタジアムの骨組みとなる数十トンの鉄骨用高強度ボルト・ナットの輸出や、独BMWの部品供給メーカー、カイザー社への工作機械供給など世界各国に輸出している[233]。
韓国にはKPF、ファチョン機械、牙城精密、貨泉機工、ドラゴン電気などの中小企業から斗山インフラコアのような大企業まで1000社以上が存在している。
製鉄
ポスコ(POSCO、旧浦項製鉄)などの製鉄会社がある。ポスコは新日本製鐵から当時の最新の技術をそのまま導入して設立された。近年、中国で粗鉄の需要が急速に伸び中国国内の調達だけでは間に合わないため、中国は韓国から輸入するケースが出ている。また日本の自動車メーカーもポスコの鋼板を採用するようになった。
ポスコの製鉄技術は2004年ごろから急激に品質が向上し、新日本製鐵の高品位製品のシェアを奪っていったが、これは90年代に新日鐵を退職した技術者が、新日鐵が数十年と数百億円をかけて開発した門外不出の「方向性電磁鋼板」の技術をポスコに流出させたことによるものである[234]。2012年、ポスコと新日鐵の元技術者は新日鐵から、不正競争防止法の「営業秘密の不正取得行為」にあたるとして、1000億円の損害賠償と高性能鋼板の製造・販売差し止めを求めて提訴されている[235]。この裁判によると、ポスコ本社の社長の意思決定により日本から機密情報が盗用されており、ポスコ東京研究所の実態について「研究所とは名ばかりで実験設備は何もなく、もっぱら日本の鉄鋼メーカーの情報を収集し韓国の本社に送っていた」ことが明らかになった[236]。
自動車
2020年時点の韓国の独立系自動車資本は現代-起亜自動車グループだけであり、その他の自動車メーカーは外国企業の傘下である。
韓国の自動車産業の歴史は日本企業との提携から始まった。現代自動車は三菱自動車、現在では現代自動車の傘下に入っている起亜自動車はマツダ、大宇自動車(GM大宇を経て現在は韓国GM)はトヨタ、ルノーサムスン自動車は日産自動車と提携していた。韓国国内では1988年に自動車の輸入が自由化されたが、「輸入先多辺化(多角化)制度」と呼ばれる事実上の対日輸入禁止品目において自動車が指定されていたために、日本車の輸入・販売は1998年7月に至るまで禁止されていた[237]。
現代-起亜自動車グループは、2000年代中盤までには日本以外の世界市場ですでに一定の低・中価格帯の車種のシェアを獲得し、2000年代後半にはさらなる高価格帯への参入を企図し、2008年に初めて海外の高級車マーケットにヒュンダイ・ジェネシスを投入した。一方、趣味性の高いスポーツカーはほとんど販売しておらず、数々の特色のあるスポーツカーを市場に投入してきた日本の自動車メーカーとこの点で異なる。2002年、現代・起亜はアメリカで、エンジン出力水増し広告が発覚し、集団訴訟され、補償金を支払った。2012年、今度は燃費水増し広告が発覚し集団訴訟が起こされ2億1000万ドルの支払いで和解した[238]。
韓国車のデザインは2000年代前半ごろまでは日本車の影響が強かったが、2000年代後半からその影響を脱し飛躍的に向上している。これは現代-起亜自動車グループが、生産効率よりもデザイン優先に経営方針を定め、起亜がアウディのチーフデザイナーだったペーター・シュライヤーを獲得して最高デザイン責任者に、現代がBMWのチーフデザイナーだったクリストファー・チャップマンを獲得してデザイン責任者に据えたことが影響している[239]。現代起亜グループの立役者となったペーター・シュライヤーは2012年12月に現代起亜グループの社長となった。また品質の向上も著しく、世界金融危機以降の円高ウォン安の影響もあり、特に米国や欧州市場で販売シェアを伸ばしており、2011年の現代-起亜自動車グループの現代自動車と起亜自動車の合計販売台数は660万台で世界4位であった(ルノー・日産アライアンスを順位に入れると5位)[239]。
半導体・電子部品
DRAMでは世界シェアの約半数近くを占める。1997年のアジア通貨危機で、当時、単なる主要企業にすぎなかった韓国の半導体メーカーらは一時的に倒産寸前にまで追い込まれるが(ハイニックス半導体は、2001年に一度経営破綻している)、韓国政府からの公的資金注入による韓国の将来をかけた半官半民体制や、破綻を避けるための広範な構造改革、効率的な経営計画の実行、大規模投資、日本の電機メーカーとの相互協力(ソニーとの液晶パネル製造の合弁会社設立や、相互特許使用契約の締結。 東芝との光ディスク装置の合弁会社設立。古くはフラッシュメモリの共同開発と技術仕様・製品情報の供与契約の締結などもしている)などを経て著しく躍進し、グローバル企業への成長を加速させる。半導体技術力向上の一環として、世界中から人材を集めるのが特徴で、サムスン電子などは韓国政府のバックアップのもと、1991年の日本のバブル崩壊時に大がかりにリストラされた東芝、松下電器、三洋電機、シャープ、NECなどの日本人技術者を高給でヘッドハンティングし、日本人技術顧問が外国人技術者中77名と大半を占めるなどの環境下で、最新技術を取得(ちなみに、韓国企業に協力した日本技術者の多くは、数年すると勤めた韓国の会社を辞め、中には自殺する人もいた。日本企業にも戻れず、あまり幸せな経歴を歩んでいないという[240])。それらの要因と日本の電気メーカーの緩慢さ・展望の見誤りもあり、1990年代まで日本が優位にあったDRAM業界のシェアを韓国が塗り替えることになった。これに対し日本や他国の企業は技術流出の対抗策として、自社技術者の監視、生産技術の内製化を進めている。一方で韓国企業でも同様に他国への技術流出対策を積極的に行っている。フラッシュメモリーは日本や米国にも輸出する反面で部品を輸入し、水平分業が盛んである。パソコンや携帯電話などで使われる汎用品の液晶パネルでもDRAMと同じ産業構造であり、韓国が世界トップのシェアを占めている。
家電・情報通信製品
韓国の家電・情報通信製品は世界有数の販売シェアを得ており、液晶テレビや携帯電話の分野ではサムスン電子が、冷蔵庫、洗濯機、エアコンなどの白物家電の分野ではLG電子が世界的に有名である。
特にサムスン電子の製品は、新興国のみならず欧米でも低価格で人気を得て、高いブランド価値も得ている。デジタルカメラやプリンターなど日本企業が健闘していた製品領域での伸びも著しい。携帯電話の分野では国際マーケットでノキアやモトローラなどと熾烈な競争を続けている。基幹部品のフラッシュメモリーや液晶パネルのシェアで世界トップであることが強みであり、第三世代携帯電話 を中心に韓国製のシェアが伸びている。この分野についてはOEM(相手先ブランドによる生産)やEMSなどが広範に行われており、いわゆるブランドシェアと実際の国際マーケットにおける貢献の詳細については不明な点も多い。クレジットカード照会機、PCPOSシステムと周辺機器、複合クレジットカード照会機をはじめとした各種の電子機器の海外輸出も行われている。
情報通信インフラ
韓国ではブロードバンドが普及しており、インターネット放送や通信型ゲーム、サイワールド[242] などのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)やオーマイニュース[243] などの市民参加型インターネット新聞サイトなど多様なサービスを展開している。部分的には、IPマスカレードが法律で禁止されているため、ルーターをあまり使用せず、IPアドレスが不足するといった問題もある。これは電話会社との料金設定上の契約によるものである。全世界のスパム発信元ランキングではワースト6位であり[244]、全体としてのセキュリティ対策は十分とは言いがたい現状である(日本は33位)が、セキュリティに対する関心は高まっている[245]。また、韓国国内ではネット上のマナーや倫理問題から、韓国内サイトでの発言は匿名性を排し、個人名や国民番号を記載させる傾向にある。
無線通信技術の分野では、CDMA技術など米国の会社に対する基本技術への特許使用料が増加しており、新規技術開発が急がれていた。こうした中、韓国電子通信研究院(ETRI)が 2007年に「WiMAX」規格の派生規格である「WiBro」の開発に成功し、「モバイルWiMAX wave1」規格はWiBroに準拠して策定された。しかし世界的に導入が進み事実上の国際標準になっているのは「モバイルWiMAX wave2」規格であり、期待通りの成果を収めたとはいえない。
農業
第二次世界大戦以降、韓国の農業技術は向上した。韓国の農業関係者の努力と、日本の農業技術の導入などが要因である。禹長春の業績が知られている。近年では、日本が開発した品種の種苗を韓国内に持ち込み、韓国内で無断栽培・無断増殖して韓国国外に輸出することが、韓国による日本の農作物に対する知的財産権の侵害として問題になっている。2017年の推計によると、イチゴや「シャインマスカット」に代表されるブドウの被害が顕著であり、イチゴだけでも日本側の販売機会損失が5年間で220億円となっている[246]。また、サツマイモの「べにはるか」の種芋も韓国人によって無断で持ち出され、2018年時点で韓国のサツマイモ栽培面積の4割が同品種となっている[247]。またチョー・ハンギュが自然・有機農業を韓国式自然農法と称して実践している。
医療・生命科学
再生医療は世界的に将来有望な市場とみなされており、近年、韓国でも再生医学などの医療・生命科学技術(バイオテクノロジー)を振興している。2004年から2005年にかけてのソウル大学の黄禹錫教授のヒト胚性幹細胞(ES細胞)に関する一連の世界初の成果により、韓国は再生医学分野における世界の先頭走者に躍り出ると見られていた。しかし、実験に用いる卵子採取に際して倫理的な問題が浮上し、黄禹錫教授が米科学雑誌『Science』で発表した、世界初の「ヒトクローン胚からのES細胞作製に関する論文」についての捏造疑惑が浮上した。捜査と再検証によりイヌクローンの論文以外の一連の世界初の成果はすべて捏造だということが判明した。これにより黄禹錫はソウル大学を免職処分になり、さらには詐欺と横領罪により起訴されるに至っている(事件の詳細は黄禹錫の項を参照)。
経済自由地域
韓国政府は、2003年8月に「経済自由地域の指定運営法」に基づいて、仁川の永宗島、松島、青羅地区を経済自由区域に指定し、同年10月24日には釜山および鎮海と光陽湾一帯に対しても同様の指定を行い、仁川・釜山および鎮海・光陽湾による「3特区体制」を整備した。政府はこの3地域を「北東アジアのハブ(中心国家)構想(仁川は国際空港を中心とした金融・物流・国際業務センターとしての役割を担い、釜山および鎮海(東南地域担当)と光陽湾(西南地域担当)は中国・上海と競争する港湾物流・工業団地として育成する)」の拠点に据えるとの計画を発表した。
2006年からは、外国企業誘致のため、経済自由区域内では英語を公用化する必要性があるとして、公文書を英語で受付・処理するようになり、公文書や看板などには英語が併記されるようになった。
他にも、外国企業誘致策の一環として、松島地区において韓国では初めての公的教育機関としての外国人学校(対象は、韓国に住む外国人、仁川経済自由地域に進出する外国企業で働く外国人の子弟)となるチャドウィックインターナショナルスクールが2010年に開校した[248](永宗島と青羅地区にも、同様の外国人学区が建設される予定)。
交通
道路
鉄道
空運
国民
民族構成
現代
歴史的な観点で言えば、後述するように朝鮮は古来、多様な経路からの異民族の移住があったが、現代の民族構成は96%が朝鮮民族であり単一民族国家である。北方の分断国家である朝鮮民主主義人民共和国と同様、単一民族国家意識が強いのが特徴的である。これは李氏朝鮮時代から日本統治時代にかけて住民の均質化が進んだことによる。国内には少数ながら中国系住民(華僑・華人)も存在し、韓国に永住権を持つ外国人の大半は華人であるが、華人に対しての排外的な風土と諸施策が影響し、さらに中国そのものの経済発展もあって、過去数十万人いたが現在では19万人ほどとなっている[249]。
近年、在韓外国人が急増しており、その数は200万人を超えた。外国人の占める割合は4%を超え日本を上回る[250]。急速に、かつての単一民族国家から日本以上の移民社会へと変貌を遂げつつある。大半は中国人、特に中国朝鮮族が占めているが、国際結婚の急増から東南アジアも非常に多い。また、カレイスキー(高麗人)との関係から旧ソ連を構成していた中央アジア諸国出身者も2万0265人いる[251]。花嫁不足の地方では35.9%が国際結婚であり[252]、韓国統計庁「婚姻・離婚統計」によると、2018年度の全結婚件数の9.2%が国際結婚であった[253]。多文化家族の児童・生徒は全体の2.5%で出生数に締める割合は5.5%であった[254]。
歴史的観点
歴史的に見れば朝鮮半島には多様な異民族が流入していた。たとえば『魏志東夷伝』には「陳勝などの蜂起、天下の叛秦、燕・斉・趙の民が数万口で、朝鮮に逃避した」「辰韓は馬韓の東において、その耆老の伝世では、古くの亡人が秦を避けるとき、馬韓がその東界の地を彼らに割いたと自言していた」と記録されており、朝鮮半島の古代国家は国を割いてまで秦の亡民の建国を許していた。また、朝鮮半島中・西北部には漢の植民地である楽浪郡、真番郡、臨屯郡、玄菟郡の漢四郡が置かれ、大量の漢族が移住して土着化し、東北部は高句麗人、渤海人、女真人などツングース民族の流入が相次ぎ、また、高麗時代初期に異民族が23万8000人あまりも帰化していた[255]。あるいは契丹が滅亡した後に、高麗に渡来した契丹人は100万に達するという記録もあった[256]。
韓洪九によると、中国人の箕子・衛満、渤海遺民の集団移住、契丹(契丹の高麗侵攻)・モンゴル(モンゴルの高麗侵攻)・日本(文禄・慶長の役)・満州(丁卯胡乱)からの侵入など、歴史上朝鮮半島に大量に人々が流入した事例は数多くあり、韓国が単一民族というのは「神話」でしかない。韓国の姓氏の族譜では、祖先が中国から渡来した帰化姓氏が数多くあり(金光林によると、朝鮮の姓氏の半分は外国人起源であり、大半は中国人に起源に持つ[257])、少なくとも族譜が編纂された李氏朝鮮時代には、単一民族意識がなかった証左である。そもそも身分制社会だった近世では、支配層の両班と被支配層の奴婢・賤民が同じ血を分けた単一民族だという意識は成立しえなかったという[258]。
言語
公用語のひとつはソウル方言をもとにした朝鮮語(「韓国語」)であり、文字はおもにハングルを用いる。なお「韓国語」とはおもに外国向けの表現であり、韓国民は「国語」「ウリマル(우리말、「われわれの言葉」を意味する)」と呼ぶことが多い。最近ではハングルのみで読み書きするための教育を受けた世代が多くなり、古文書を扱う公務員や教育関係者など一部を除き、漢字を読むことができない国民が多い。最近は再び、学校での漢字教育も重視すべきとされているが、全般的に漢字表記は少ない。2002年のW杯前後より、東亜の漢字文化圏からの観光客への便宜および同地域の国際交流推進を目的に、交通施設の標識などに漢字が増えてきている。
2015年12月31日制定の『韓国手話言語法』により、韓国手話は二つ目の公用語となった[259]。
宗教
2005年に行われた韓国統計庁の社会統計調査によると韓国は総人口の約3割がクリスチャンであり[261]、約2割が仏教徒である。韓国の宗教人口はほぼ半数で、残りのほぼ半数は無宗教者ながら祖先崇拝や法事は熱心に行う。
CIAによる『ザ・ワールド・ファクトブック』に記された2010年の調査では、大韓民国国民のうち31.6%がキリスト教徒であり、キリスト教徒のうちの24%がプロテスタント、7.6%がローマ・カトリック(大韓民国のカトリック)となっており、仏教徒が24.2%と続き、不明もしくはその他が0.9%、無宗教が43.3%となっている[262]。韓国のキリスト教は信者の絶対数でフィリピンに続き、アジア第2のキリスト教国家である[263]。
古来中国の影響から高麗時代には仏教、朝鮮時代には儒教が国教であり、さらに独自の伝統信仰である巫俗の信者がいる。クリスチャンの多くはプロテスタントであり、カトリックは少数派である。フランスのAFPBBによると韓国では宗教が社会的勢力として、信者数の多い団体は莫大な資産と巨大な社会的な影響力を誇っている[264]。AFPBBによると韓国では、いくつものキリスト教系のカルト宗教が2018年時点でも急速に勢力拡大させている。3歳児がカルトの犠牲として死亡する事件も起きている。韓国検察当局によれば、2018年5月にソウルで救世主を自称するカルト指導者が女性信者を最少で7人もレイプした容疑で逮捕されている。2018年8月には、フィジーで韓国から移住すれば災害から救われると信者らに信じ込ませたカルト教団が約400人をパスポートを取り上げて監禁し、悪魔払い儀式として数百回も暴行していたとして、韓国入国時に韓国警察に逮捕された[265][266][267]。
社会
少子高齢化・人口減少社会
2000年に65歳以上人口が国の総人口の7%以上を占める「高齢化社会」になった韓国は、2017年に同人口が14%を超え「高齢社会」になった。17年間での高齢社会への移行は日本の24年間よりも短く、史上もっとも速い速度で高齢社会に移行した国となった[268]。また韓国は2011年から2020年までの間に、65歳以上人口が年平均4.4%増加しており、これはOECD加盟国平均の年平均2.6%増加の約1.7倍高速で、最速の増加率であった[269]。この総人口に対する高齢者人口の割合の増加の原因は、日本と同様に晩婚化と非婚化による少子化が原因であり、2000年代以降の合計特殊出生率は一貫して日本以下であり世界最低レベルである[270]。2017年には高齢社会に突入したのと同時に高齢者が子供の数を逆転し、さらには15歳以上65歳未満の生産年齢人口の対総人口比率が減少しはじめる人口オーナス社会に突入した。
韓国は2019年に総人口のピークを記録し、2020年から人口減少社会に突入した。2020年12月末時点での総人口は前年比2万人減の5182万9千人で、2020年の出生数は前年比10%減の27万6千人、合計特殊出生率は世界最低の0.84であった。2016年時点では2029年から人口減少社会に突入すると予想されていたが、婚姻率と出生率が従来の予想よりも急速に低下しているため、4年前の予想より9年早い人口減少社会への突入となった。新型コロナウイルスの流行による雇用や婚姻件数の減少により2022年の合計特殊出生率は0.72まで低下し、さらに少子高齢化と人口減少が加速する予想である[271][272]。
韓国の人口の未来予測としては、2006年にオックスフォード大学の人口学者デービッド・コールマン教授が「韓国は世界で初めて少子化で消滅する国になるだろう」と予測した[273]。2019年3月の人口推計では、2065年には全人口に対する65歳以上の高齢者比率が46%と世界最高となり、2067年の総人口は1972年水準の3365万人まで減少すると予測された[274]。また2021年の推計では、2048年に65歳以上の高齢者比率が37.4%となりOECD加盟国中最高になると予測された[269]。
葛藤社会と自殺
京郷新聞によると、韓国は夫と妻、親世代と子世代など他者との無限競争が日常化された能力主義社会であり、「世代葛藤」が「世代戦争」と呼ばれるまでになっている。OECDが2018年1月に発表した「2017生活の質(How's life)」レポートにて、韓国では社会生活の中でさまざまな紛争を経験したことがあると回答した割合が34%で、調査対象国のうち1位であった。特に韓国で「事業と雇用」の問題と「隣人と住居環境」問題に紛争を経験した割合はそれぞれ他国よりも高く、もっとも主要な韓国の日常葛藤要因となっている。さらに困難時に頼れる家族や親戚、友人などの人間関係があると答えた割合が全OECD加盟国の最下位だった。生活の満足度も10点満点中5.9点で、OECD最下位だった。京郷新聞は職場でも帰宅後の家庭でも、大小の葛藤と争いにストレスを受けることは多いにもかかわらず、他者からの支援は受けにくい社会だというのが調査結果でも表れたと報道している[275]。
自殺率が年々増加し続けており、2003年から2019年まで、2017年にリトアニアに抜かれた以外は一貫してOECD加盟国中ワースト1位の自殺率であり、2019年の自殺率は10万人当たり26.9人であった。日本や韓国では若い韓国の芸能人の自殺がしばしば報道で取り上げられるが、むしろ他国と比べて自殺率が際立って高いのが高齢者である。2018年時点の韓国の高齢者貧困率は43.4%でOECD加盟国中最悪で、加盟国平均の14.8%や日本の19.6%よりはるかに高かった[269]。これは韓国の社会保障整備が長らく未熟であり、公的年金制度が開始されたのが1988年、国民皆年金制度が整備されたのが1999年であったため、高齢者は掛金を支払った期間が短く、年金受給資格がないか受給できても少額に過ぎず、困窮せざるを得ないためである。例えば2019年時点で受給可能年齢に達した人のうち実際に受給している人の割合は41.6%にすぎなかった。これらの要因もあって、政府支出に占める社会保障の割合はOECD加盟国中で最下位である[276]。
若者のあいだでは、一向に解消されない財閥企業への一極集中により就職難や格差問題が続いている。2015年ごろから韓国のSNSでは若者を中心に「ヘル朝鮮」という言葉が流行語になり、韓国内外の複数のマスコミにも報道される事態となっている。
地域的葛藤
人口の91%は都市部に住んでいる[277]。特に首都のソウル特別市には全人口の2割にあたる約1000万人が住んでいる。また一般に首都圏として扱われるソウル、仁川、京畿道の合計人口は全人口の半分近くにのぼり、非常に強い人口の一極集中がみられる。人々の方言や、価値観や意識は地域間の差が大きく、現在でも地域対立は強く選挙などへの影響も強い。これは伝統的なものとされる。
軍事政権時代は朴正煕大統領の出身地である慶尚北道の大邱市や慶州周辺に多額の予算が投入される一方、光州市など全羅道は、予算配分でも就職など社会においてもさまざまな差別があったことも、地域対立の原因である。大邱地域と慶尚道の出身者はTKとよばれ社会のあるゆる面で優遇された。嶺南圏(ヨンナムコン)といわれる慶尚道と、湖南圏(ホナムコン)といわれる全羅道の、東西での対立感情は今でも強い[278]。
経済的葛藤
韓国の職業価値観は日本と相違があり、特にブルーカラーの職業は冷ややかな目で見られているという指摘が日本の一部メディアにある[278]。この価値観のため、韓国の自営業は長くは続かないことが特徴とされる。過去においては、歌手や俳優などはもともと貴族に仕えるための職業でホステスや水商売に近いイメージがあり、親戚に歌手がいる場合は恥ずべきこととして隠すことが多かったという。しかし現在ではそのような価値観も大幅に変化している。韓国の経済成長期は、大量の人口が農村部から都市部へ移り、女性も工場労働者として長時間労働により経済発展を支えたが、女性が働くことも身分が低いこととみなす差別感が根強い。最近では高学歴女性など積極的に働く人も多いが、女性の社会進出は遅れぎみであり伝統的な性別役割意識も強い。
サオジョン・オリュクト
韓国の労働者の収入は40代で頂点に達し急降下する。2018年時点でも公式の定年は60歳だが、平均退職年齢49.1歳で実質定年になっており、40代、50代になると職場から退出させられている。 日本では50代こそ円熟期で会社の核心であるが、韓国のサラリーマンは45歳になると定年を意味する「サオジョン」、56歳まで在籍していると泥棒を意味する「オリュクト」と批判され早期退職させられる。それでも、TOEICスコアを900点以上取得、資格取得・海外語学研修・評価取得のためのボランティア活動の「スペック」がないと就職ですら不可能なため、若者は就職のために「スペック」を得るために動いている。追い出された元サラリーマンは無理な起業や貧困に陥り、70代で紙資源拾いも珍しくない。マネートゥデイによると170万人いる。中央日報によると退職を控えた韓国のサラリーマンが先に退職した先輩から「生半可な起業は絶対にするな」とされる。借金してパン屋やチキン屋を起業するが自営業の8割は倒産するほど自営業競争が激しいため、多くが退職金を借金に変えるためである。OECDの所得不平等統計で韓国の65歳以上の所得水準がOECD加盟国の中で最低だった背景には、韓国の高齢者には約1万4000円の公的年金すら受給資格がない人が多いことにある。そのため、高齢者の自殺率が1位になっている[279][280][281][282][283][284][285][286][287][288][289]。
カンガルー族・ブーメランキッズ
厳しい受験戦争を勝ち抜いて有名大学を卒業しても、就職できない学生が増え続けている。「最低賃金引き上げ」「労働時間短縮」を受けて企業は韓国国内に投資しなくなったため、若年層が影響を受けて最悪の青年失業率になっている。2017年から2018年にかけて日本の大卒就職率は98%なのに対して、韓国は日本の最低89.7%を下回る67.7%である。就職放棄を含む実質的な失業状態にある人を含んだ青年層の体感失業率、アルバイトをしながら就職活動中の人や入社試験に備える学生などを含めた体感失業率は統計開始以降最悪の約23 - 24%である。中央日報は「主要先進国が活況を呈しながら、韓国の若者だけ前例のない求人難を経験している」と嘆いている。青年の失業率が過去最高を更新するなかで、20歳を過ぎた子を親が扶養するケースが増加している。自立すべき年齢でありながら親に頼る「カンガルー族」、「ブーメランキッズ」を持つ40 - 60代の中壮年層は自分の子と高齢者となった親を同時に扶養する二重の負担を抱えている。 25歳以上で親から月平均73万8000ウォン(約7万3300円)をもらっている。このような自立できない人が増加して、40 - 60代の4割が25歳以上になった子供を扶養している。50代の毎月の支出の25%を占めている[290][291][292][293][294][295][296]。韓国の労働市場は正規雇用は25%、残り75%は非正規など低収入の仕事であるため、75%の側にならないために履歴書に書ける項目を増やす「スペック」積み、入社後も出世競争もある超競争社会である。苛烈な競争社会で、受験戦争を勝ち残って一流大学を卒業して大企業に就職するのが理想とされている。サムスン電子やLG電子、現代自動車など大手財閥系企業に就職できる者はわずかであり、大手財閥系企業でなければ脱落者とみなされかねない空気がある。自殺や鬱になるものが他世代よりも増加し、2016年には20代の鬱病患者が2012年よりも22.2%増えた[297][298]。2018年時点で20代の約40万人が失業者である。「就職無経験失業者」は2018年時点で10万4000人で、20、30代が8万9000人で85.6%を占める。雇用経験がまったくない若い求職や、就職できても質の低い仕事に追いやられるものが増加している。 そのため、日本への就職希望者が急増している。2016年には日本で就職した韓国人は2008年比で2.3倍になった[299][300][301][302]。
- 不動産投機と所得不平等問題
不動産投機による地価や賃料高騰、所有の不平等が世界でもっとも深刻な国である。韓国の不動産による不平等が、深刻な所得格差の重要な原因である。韓国では人口の44%が一坪にもならない土地しか所有していない一方、人口の1%が個人私有地の約55%、人口の10%が約97%の土地を所有している[303]。
教育
日本同様の6-3-3-4制の学校制度を持つ。日本以上の学歴社会であり大学受験は熾烈を極め、予備校などのための教育費負担が大きいことも問題となっている[304]。大学進学率や子弟が塾へ通う割合もきわめて高く、公式統計によると、2012年の大学進学率(大学入学者数/高校卒業者数)は71.3%である[305]。初代大統領の李承晩が、プリンストン大学で博士号を取った人物ということもあって、アメリカの一流大学で博士号を取得する学生が尊ばれた。政府高官や大学教授などの高い地位が約束されていて、1970年代後半までは、新聞に顔写真と経歴が掲載されるほどだった。また、企業や奨学財団も、アメリカ留学を積極的に推し勧めた。そのため、厳しい受験競争を勝ち抜いたトップクラスの学生は、アメリカ留学へと向かった。1980年代以降は博士号取得者が増加し、その数は1998年までで3万人に達するといわれている。今では単にアメリカで博士号を取得した程度では、大学教員として迎え入れられることはなくなっているという。こうした人材が経済発展の礎となった。米国際教育研究所によると、2010年から2011年学期にアメリカの大学に在籍した韓国の留学生数は、中国15万7000人、インド10万3000人に次いで第3位、7万3000人である[306]。
一方で、英語教育への過度の熱心さゆえに、TOEFL受験受付ページへのログインのために連続クリックツールなどを使い、それが原因でサーバーに多大なる負担を与える事件が起き、その結果TOEFLは世界で唯一韓国だけは除外されている[307] 時期があった。
治安
韓国の治安は国際的にはいいほうとされるが、殺人・強制性交・強盗などの凶悪犯罪を含む犯罪発生率は日本と比べると高い。犯罪割合は日本の3倍以上、殺人は2.4倍、強姦わいせつ事件は5.8倍という統計データがある。聯合ニュースは2009年7月31日付で韓国での殺人、強盗、強姦、窃盗、暴力の5大犯罪の発生件数がここ5年間で20%近く増加していることを伝えている[308]。警察庁の発表による2019年の統計では凶悪犯罪の発生件数は2万6476件であった(韓国の凶悪犯罪の統計は日本と異なり殺人未遂、強制わいせつを含む[309])[310]。
韓国の警察庁の発表によると2019年の性犯罪は3万6682件で性的自由を侵害する強制性交・準強制性交及び強制わいせつ・順強制わいせつが64%を占める[310]。韓国警察では強姦と強制わいせつを同じ枠で集計するため注意が必要である(韓国は強姦+強制わいせつ、日本は強制性交等のみで比較しているため)[311][312]。2008年には、再発を防止するために、性犯罪前歴者に電子足輪の装着が義務づけられたが、足輪をつけたまま暴行する再犯者が後を絶たない[313][要ページ番号]。韓国女性の半数が性犯罪に遭遇している(2012年調査)ことから男性から女性への性犯罪が日常茶飯事であるとされている[314]。
特に未成年者による性犯罪が多く、低年齢化も進んでいる[315]。強姦事件は日本の10倍、アメリカの2倍(人口10万人あたり)となっており、2003年から2008年にかけて42.9%増加するなど、減少傾向にあるアメリカや日本と対比的である[308][315]。
また、未成年者による強姦の50.7%は輪姦である[315]。アメリカ国務省は、韓国の犯罪発生率は低いが、強姦事案が報告されており、性犯罪に巻き込まれないよう夜間の一人旅は慎重にすべしと旅行者に呼びかけており、韓国の大都市ではアメリカの大都市と同程度の安全対策をすることが望ましいとしている[316]。また、同様の警告は、イギリス外務省よりも発せられている[317]。
韓国警察庁の資料によると、2016年に、詐欺24万1613件、横領5万0053件、背任4358件も起きている。また、2016年に、偽証罪で2657人、誣告罪(日本では虚偽告訴罪)で4841人が起訴されている[310]。
2010年現在、韓国女性10万人以上が海外で売春を行っているが、その半数にあたる5万人が日本で売春をしており、韓国内で募集された高校生を含む未成年者までもが売春目的で渡航するなど深刻な問題となっている[318][319]。2008年3月31日、ソウル市城北区下月谷洞のアパート工事現場前で売春に従事する女性と売買事業主ら300人あまりが片道2車線の道路を占拠し、本地域での営業権を求めデモ活動を行うなど、アングラな産業として売春が黙認されているのも事実である。また『ハント全国連合』と呼称する性売買事業主たちによる連合団体が存在し、売春を禁止する法律自体の変更、撤回を求め活動していることから、国際的な世論とは裏腹に売春業に従事する者は権利や保障を求め活発である。
2012年6月15日付の朝鮮日報の記事によると、2007年に女性家族部が実施した実態調査の結果、韓国の風俗産業の経済規模は約14兆952億ウォン(当時の為替レートで約9622億円)と試算されており、これは同年の国家予算239兆ウォン(約16兆円)の約6%に相当する額である[320]。また同調査によると、韓国全土で46247か所の風俗店が営業しており、これらの店で働く女性は26万9707人に達し、客となる男性は年間延べ9395万人、1人の成人男性が1年に5回近く風俗店を利用していることとなる。一般的に売買春行為が密かに行われている点を考慮すると、実際の数はこれよりもはるかに多いと考えることもでき、男性の権利擁護を目指す男性連帯は2011年12月に韓国国内の風俗店で働く女性の数を189万人(韓国女性人口の約7.5%)と推定され、同団体の関係者により「自発的に売春を行う女性が、現実として非常に多いことも問題だ」と指摘されたことが同記事にて報道された。
韓国内の宗教家、医師、芸術家、大学教授、ジャーナリスト、弁護士という6種の職業による2011年から2016年までの5年間の強姦と強制わいせつ犯罪の統計結果では1位宗教家、2位医師、3位芸術家、4位大学教授、5位ジャーナリスト、6位は弁護士の順となっている。代表的な六つの職業の中では医師と芸術家の性犯罪が増加している傾向にある[321]。
民族主義と対日観
朝鮮半島の歴代王朝は長期間に渡って中国大陸の歴代王朝に服属・朝貢していた。これらの歴代王朝の多くは中国歴代王朝による冊封を受け、「礼教、音楽、法律、制度、衣冠(身分秩序)、文物(文化の産物)、ことごとく中国の制度に従い[322]」と記述されたように中華文化を尊ぶ事大主義と、自らは中国文明(大中華)に次ぐ「小中華」であり、周辺国である日本や琉球や満洲などの夷狄より文化的に優越するという「小中華思想」が形成されていた。
大韓民国建国後、1961年の5・16軍事クーデターのあとに第5代大統領となった朴正煕は、この朝鮮民族の属国史の原因を自分達の民族性によるものと考え[323]、「民族の中興の使命を達成するための主体的民族史観」に基づいた「国籍ある教育」を掲げて、愛国心教育や民族教育を徹底するようになった。この徹底した自民族優越主義的な愛国民族教育が伝統的な小中華思想や原理主義的な儒教と結びつくことで、韓国社会の間で自国を「歴史的な文化先進国」、日本を「歴史的に未開で野蛮な文化的劣等者」とする人種差別に根差した価値観がますます根付くようになった[要出典]。
学校教育やメディアで、「日本は韓国の優れた文化を受け入れるだけの文化劣等国」「有史以来一枚見下げるべき文化的劣等者」「韓半島に比べてみすぼらしくて短い歴史しか持たず、歴史を捏造するしかない日本」というような対日蔑視に基づいた論評が行われることもあり[324][325][326][327]、このような対日蔑視に基づいた「文化的劣等者の日本人に韓国が併合された」という認識が韓国国民の反日感情の大きな要因になっていると指摘する研究者もいる[328]。現代の日本社会や文化に対しては親しみを感じながらも、上記のような理由でスポーツイベントなどで[[反日|反日行動]が見られることもある[329][330]。
一方で、韓国社会における非正規雇用の増加や物価急騰、過酷な受験戦争と男女差別などにより、近年の韓国人の愛国心は低下しているという調査結果もある[331][332]。
韓国籍との国際結婚
優れた人材の確保などを目的として国籍法を改正し、成人の二重国籍を条件つきで容認している。韓国の改正国籍法は1997年5月に一部施行され、韓国と他国との二重国籍になった者は、22歳までに韓国内で外国籍を行使しないと誓約すれば、外国籍を放棄せずに韓国籍を維持できるようになった。すでに韓国籍を失った元二重国籍者も、2012年5月までに申請すれば外国籍を持ったまま韓国籍を再取得できた。日本の国籍法では二重国籍を認めておらず、法務省は「韓国籍を維持、再取得すれば日本国籍を失う可能性がある」(民事1課)と指摘する[333]。1998年6月13日以前に生まれた者は父が韓国人である場合のみ大韓民国の国籍が付与される[334]。
文化
チョゴリないし韓服、キムチ、朝鮮人参に代表される韓食、オンドルに代表される住居などに伝統文化が息づいている。韓国の伝統社会では地理的な関係から中華文明の影響が大きかった。
大統領直属の大韓民国国家ブランド委員会の指導の下、官民を上げてさまざまな組織が韓国のイメージや「国格」を高めるため、韓食の世界化などの対外文化広報を行っており、伝統文化やハイカルチャーの広報を韓国文化院が担い、大衆文化については韓国コンテンツ振興院(KOCCA)が民間企業のコンテンツ制作と輸出と宣伝に多額の国費を投入して強力に後援している。韓国の2008年度の文化振興予算は1169億で、日本の1018億円より多く、国家予算比では日本の7倍であり、海外への宣伝と輸出にきわめて積極的である[335]。
文学
映画
大衆文化
かつて韓国は自国の地上波テレビで日本のドラマ・映画、日本語の歌が放映されることは法律で禁止され、強く制限されていた[336]。1998年から日本の大衆文化を順次受け入れ始め、2010年9月10日にはSKE48が「2010ソウルドラマアワード」の授賞式に出演し、日本語で歌う姿が韓国の地上波で初めて生放送された[337]。
韓国政府が韓国コンテンツ振興院(KOCCA)を設立して、国家戦略として映画・放送映像(テレビドラマ)・K-POP・ゲーム・アニメ・マンファ・キャラクターなどの大衆文化の振興を図っている。対外世論工作やさまざまな韓国製品の輸出の尖兵としての役割も果たすため、韓国政府が国策として民間企業のコンテンツの制作と輸出を強力に後援している。映画やテレビドラマの制作やK-POPシンガーの育成、コンサートの開催にも国費が投入され、コンテンツ制作企業に制作費の10%の輸出実績があれば、韓国政府が金融機関に貸し出し保証書を発行しており、これにより韓国のコンテンツ制作企業は金融機関から積極的に融資を受けることができるようになっており、韓国のコンテンツ制作企業から輸出相手国企業に補助金が支払われるまでになっている[338]。
インターネットにおける大衆文化
韓国では、多くの人が映画や音楽やゲームなどのさまざまな大衆文化をネット経由で楽しんでおり、韓国の大衆文化とインターネットは密接な関係にある。街中にPC房(PCバン、インターネットカフェ)がいたるところにあり、ブロードバンドを手軽に利用することができ、インターネットテレビのストリーミング放送やミュージックビデオの無料閲覧が早くから実現するなど、特色あるインターネット文化を構築している。2000年には世界でいち早くブロードバンド利用者が1000万人を突破し、2002年の日韓ワールドカップのころには盛んに「インターネット強国」を自称し海外に宣伝していた。韓国ではインターネットが現実世界に与える影響力は大きく、盧武鉉の大統領選挙当選や2008年韓国蝋燭デモにおいても大きな影響力を発揮している。
大衆文化における日韓関係
- 韓国での日本大衆文化の流入制限
詳しくは韓国での日本大衆文化の流入制限を参照。
- 韓国政府による日本の大衆文化に対する規制と段階的撤廃
詳しくは 韓国における日本大衆文化の開放 を参照。
韓国政府は、長い間「国民感情を害する」との名目により、日本の大衆文化が韓国に流入することを禁止してきた(倭色を参照)。このような中、一部の韓国国民は、日本の地上波放送の電波が届く釜山や日本海側沿岸部で日本のテレビ放送を鑑賞する、規制の対象外の日本の輸入書籍を購読する、治外法権のある在韓日本大使館公報文化院を利用する、台湾からの輸入CDや海賊版を購入するなど、規制をかいくぐって限定的ながら日本の大衆文化に接してきた。
韓国政府が日本の大衆文化を段階的に開放したのは1990年代後半の金大中政権からであり、1998年の第1次日本大衆文化開放では、漫画販売の全面開放と、世界4大映画祭(アカデミー賞と世界3大映画祭)受賞映画と日韓合作映画に限っての映画館上映のみ開放された。翌年の1999年の第2次開放では、年齢制限のない実写版映画の映画館上映と、2000席以下での室内での日本語歌謡公演(コンサートなど)に限って追加開放された。
開放が大幅に進んだのは2000年の第3次開放からであり、日本語歌謡公演の全面開放、日本語歌唱のない日本の音盤(CDなど)販売、PC・オンライン・店舗用ゲーム機(家庭用の据え置きと携帯ゲーム機以外)の販売・稼働、「青少年観覧不可」以外の実写版映画の映画館上映、国際映画祭を受賞したアニメ映画の映画館上映、スポーツ・報道・ドキュメンタリー・韓国で映画館上映された映画の有料放送(ケーブルテレビ・衛星放送)が追加開放された。これを受けて、韓国デジタル衛星放送・スカイライフや多くのケーブルテレビ局が、韓国の総代理店(スバルコリア)を通じて日本放送協会(NHK)に使用料を支払いNHKワールドプレミアムの再送信を行うようになった。ただし地上波放送では依然として厳しい規制が続いた。日本語歌謡公演では、2000年8月にCHAGE & ASKAが韓国女性団体の招聘を受けて蚕室体操競技場で日本人アーティスト初となる大規模公演を2日間開催した。
2002年には日韓ワールドカップ=サッカーワールドカップが韓国と日本により共同開催され、日韓国民交流年として850件を超える交流行事が行われた。これを機に日韓間の文化的交流が爆発的に広まった。草彅剛は、チョナン・カンという名前で韓国で活躍するようになった。
そして2004年の第4次開放ではさらに開放が進み、実写版映画の映画館上映、音盤(CDなど)販売、ゲーム販売が全面開放された。ビデオでは韓国の映画館で上映されたものに限っての販売・レンタルが開放された。有料放送(ケーブルテレビ・衛星放送)では、生活情報、教養、日本語歌唱、韓国で映画館上映された映画の放送が全面開放され(アニメ映画のみ2006年から)、ドラマについては「12歳以上視聴可」と日韓合作ドラマの放送に限って開放された。日本語公演についても第4次開放以降安室奈美恵、L'Arc〜en〜Ciel、嵐、MISIA、V6、X JAPAN、堂本光一、Perfume、安全地帯などが単独公演を行ってきた。各種イベントに日本人アーティストが出演する機会もある。
一方、地上波放送での日本文化開放は、「国民への多大な影響」を名目に強い規制があり、日韓合作以外のドラマ(日本の一般ドラマ)、日本人歌手の公演中継と日本人歌手の韓国国内放送出演以外の日本語歌謡の放送は規制されたままである。韓国で映画館上映されていないビデオの販売・レンタル、連続アニメ番組と娯楽型番組(コメディ・バラエティ・トークショーなど)の放送に関しては、有料放送と地上波放送の両方でいまだに規制されたままである。地上波放送の日本語歌謡の規制については、前述の通り公演中継や韓国国内放送への出演であれば第4次開放で開放されていたが、放送局の自主規制により長らく歌唱の一部を切り取った録画放送にとどめていた。しかし、2010年9月10日に、事前に放送通信審議委員会を通したうえで、SKE48が「2010ソウルドラマアワード」授賞式で『強き者よ』『青空片想い』を日本語でフルコーラス歌う姿が初めて韓国の地上波テレビで生中継された[339]。
- 韓国社会における日本に対する表現の自主規制
親日的な言論や大衆文化上の表現に対する法的な規制はないが、かつて韓国国民の反日感情は強く、親日的な発言をした人物は韓国社会から弾圧を受ける傾向にあり、さまざまなメディアで親日的な表現の事実上の自主規制が行われていた。
一方、南北和解の進展に伴い、共産主義的な書籍の発行、共産主義的な言論を規制の対象としてきた「国家保安法」の改正が論議されているが、まだ同法は効力を残しており、自主規制のみならず、親北朝鮮的な言論や大衆文化上の表現に対してはさまざまな明文化された規制がある。
- 韓国における日本の大衆文化
韓国には大衆文化に限らず「日本で成功したものは必ず韓国でも成功する」という神話があると分析する者もおり[340]、特に大衆文化の分野において、さまざまな日本の事物が輸入され『韓国風』への改装を経て韓国市場に出た。
韓国では長年日本の文化が禁止されていたが、かつて韓国のドラマ、アニメ、音楽、漫画、ゲーム製作者などが日本の作品を盗作するケースが見られ、これらの盗作に対する韓国司法による司法判断では日本側に不利な判決となる例もあった[341]。
- 日本における韓国の大衆文化
一方日本においては、韓国が日本の大衆文化を開放し、日韓ワールドカップが開催されたことから、マスコミが韓国を取り上げることが激増した。2003年から2004年にNHKが韓国TVドラマ『冬のソナタ』を地上波放送したことをきっかけに、2004年から2005年にかけて民放テレビ局や女性週刊誌でも頻繁に韓国の芸能情報を報道するようになり、中高年女性を中心として「韓流ブーム」が起きた。音楽面では東方神起やBoAが成功し、東京ドームでの公演を行い紅白歌合戦へ参加した。2010年以降は日本のテレビメディアがK-POPグループとしてKARAや少女時代などの韓国のアイドルグループを頻繁に取り上げたが、一部では2011年のフジテレビ騒動やフジテレビ抗議デモなどの嫌韓世論が沸き起こった。
その後2017年頃にはTWICE、BLACKPINK、BTSが登場し、再びブームとなった[342]。
- 韓国起源説への注目
日韓ワールドカップを境に、韓国や日本のウェブサイトなどを介して韓国側のマスコミ報道や歴史教育や対日世論が日本側に紹介される事例が増えたが、ここで韓国起源説が注目された。2005年には韓国起源説を大きく取り扱った『マンガ嫌韓流』が日本で出版されベストセラーとなり、韓国でも各種マスコミに報じられたため、韓国でも『マンガ嫌日流』という対抗作品が出版され、日本でも翻訳出版された。また韓国起源説のひとつの「コムド起源問題」では、全日本剣道連盟[343] および全日本剣道連盟配下の国際剣道連盟[344] のウェブページで剽窃問題として正式に取り上げられるまでに至った。
世界遺産
韓国国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が13件、自然遺産が1件存在する。
祝祭日
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 新正 | 신정 | 「新暦(太陽暦)の元日」という意味 |
12月30日 (旧暦) 1月1日 (旧暦) 1月2日 (旧暦) |
旧正月(ソルラル) | 구정(설날) | 旧正月、こちらの方が韓国で言う正月 |
3月1日 | 三一節 | 삼일절 | 三・一独立運動が起こった日(1919年) |
5月5日 | 子供の日 | 어린이 날 | 日本のこどもの日と同じ日 |
4月8日 (旧暦) | 釈迦誕生日 | 석가탄신일 | 日本の「花まつり」に相当 |
6月6日 | 顕忠日 | 현충일 | 殉国者に敬意を払う日 |
8月15日 | 光復節 | 광복절 | 日本統治からの解放を祝う日 |
8月14日 (旧暦) 8月15日 (旧暦) 8月16日 (旧暦) |
秋夕(チュソク) | 추석 | 韓国のお盆 |
10月3日 | 開天節 | 개천절 | 開国記念日(檀君説話に基づく) |
10月9日 | ハングルの日 | 한글날 | 1446年に世宗大王がハングルを発明し公布したことを記念する日 |
12月25日 | 聖誕節 | 성탄절 | クリスマス |
- 休日が集中していた10月初旬の「国軍の日(국군의 날)」(10月1日)と「ハングルの日(한글날)」(10月9日)は、休日の多さが経済発展に悪影響を及ぼす懸念から1991年より公休日でなくなった。しかし、ハングルの日は2013年より公休日に再指定された。
- 「植木日(식목일)」(4月5日)は2006年より公休日でなくなった。
- 「三一節」「制憲節」「光復節」「開天節」「ハングルの日」の五つを「国慶日(국경일)」と呼ぶ。「ハングルの日」は2006年より国慶日となった。
- 「制憲節(제헌절)」(7月17日)は2008年より公休日でなくなった。
年齢
現在、韓国では公的には満年齢を使用している(1962年以降)が、民間では数え年が広く使われている。
スポーツ
韓国では、野球・サッカー・バスケットボール・バレーボール・柔道・ゴルフ・アーチェリー・卓球・バドミントン・スピードスケート・ショートトラックスピードスケート・カーリングが盛んである。野球においては1982年に韓国野球委員会が発足してプロ野球がスタートし、サッカーにおいては1983年にプロリーグであるKリーグが開幕、バスケットボールにおいては1996年に韓国バスケットボールリーグ(KBL)が開幕した。特に野球とサッカーは国民的スポーツの地位を得ていて、国内のビッグゲームや国際大会での国民の熱狂ぶりは有名である。また、対戦相手が日本や中国ともなればその熱狂ぶりの度合いはさらに増す。だが、一方で審判に賄賂を渡したり、ラフプレーの多さや対戦国への差別的な侮辱や、さらには道徳的な問題について指摘されることもある[345]。
サッカー
サッカー韓国代表は、アジアの中では最多となる10回のFIFAワールドカップへの出場を果たしている。2002年には、日本との共同開催という形で第17回ワールドカップ開催を実現させている。この大会においてはさまざまな疑惑の判定があったものの[346]、代表チームはオランダ人の監督の下、イタリアやスペインといった強豪国を破り、過去最高となる4位の成績を収めた。サポーターは「プルグン・アンマ(붉은 악마:赤い悪魔)」と呼ばれ、「テーハンミング(대한민국:大韓民国)」や「オー、ピルスンコリア(오 필승 코리아:オー、必勝コリア)」といった熱狂的なコールが日本でも注目された。しかし、一方で国際試合におけるラフプレーやトラブルも多数指摘されている[347][348][349][350]。
野球
野球大韓民国代表は、2000年のシドニーオリンピックで初のメダルとなる銅メダルを獲得し、2004年のアテネオリンピックへの出場は逃したものの、野球が正式競技種目として最後の大会となった2008年の北京オリンピックでは強豪キューバ代表を破り、念願の金メダルを獲得した。
WBCにおいても、2006年の第1回大会では準決勝で日本と対戦して敗れた。2009年の第2回大会では決勝まで進んだが、接戦の末にまたしても日本の前に敗れ準優勝に終わった。巻き返しを図った2013年の第3回大会と2017年の第4回大会では1次ラウンドで姿を消した。
格闘技
2000年のシドニーオリンピックから正式競技種目として採用されているテコンドーは国技とされ、テコンドーも日本の柔道同様、現在は国際的スポーツとなっている。日本の相撲によく似たシルムも存在する。
ウィンタースポーツ
最近では冬のウィンタースポーツでも顕著な成績を上げており、中でも2010年のバンクーバーオリンピックにおいては金妍兒が女子フィギュアスケートで韓国史上初の金メダルを獲得している。スピードスケートでも牟太釩を筆頭に金メダル3個、銀メダル2個の快挙を成し遂げた。一方、ショートトラックスピードスケートではこれまでに冬季オリンピックで金メダル21個、銀メダル12個、銅メダル9個を獲得するなど強豪国となっている。
自国開催となった2018年の平昌オリンピックでも韓国選手団は金メダル5個、銀メダル8個、銅メダル4個の計17個のメダルを獲得した。
通信とメディア
1961年から1987年までは、軍事政権による言論統制が続き、新聞業界の再編などが行われた。放送局は民放2局が公営の韓国放送公社(KBS)に統合され、残った民放の韓国文化放送(MBC)も65%の株式をKBSが保有、基督教放送も準国営化され、コマーシャルと報道の放送が大幅に規制された。
1987年の民主化宣言以降は言論の自由が一応は保障され、新聞社が増大した。しかし政府が報道内容に干渉することも多く、本格的な言論の自由は1998年以降である。最近もKBSとMBCは、日本の日本放送協会(NHK)以上に政府の影響力が強く、テレビ報道の内容は政府寄りである。
1990年にはマスコミ統制で一度KBSに統合された東亜放送のチャンネルを使用した民放のSBSをはじめ、宗教放送専門の仏教放送、圓音放送、平和放送、交通情報専門の交通放送、韓国交通放送(名称が類似しているが別組織)、教育放送専門の韓国教育放送公社、国楽のアリラン専門・国楽FM放送などの新局が多数開局、FEBC-Koreaもすでに中波で開局していたソウルと済州島以外の主要都市にFM放送局を開局し、ラジオネットワーク事業に参入を果たした。ケーブルテレビ局を通した専門チャンネルの放送も増えている。
新聞各紙の紙面は1980年代までは日本と似た縦書きだったが、現在は欧米と同じ横書きになっている。
日本との間に起こる歴史期認識問題や領土問題などの報道では、日本側の主張を「歪曲」「捏造」「妄言」などと主観的な言葉で断じたうえで報道することが多い[351][352]。一般的に愛国心を鼓舞するような報道が頻繁になされ、スポーツイベントなどでも顕著である[353]。
インターネット
報道規制
著名な出身者
脚注
注釈
出典
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関連項目
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外部リンク
- 日本政府
- 外務省 - 大韓民国
- 在大韓民国日本国大使館
- その他
- JETRO - 大韓民国
- "South Korea". The World Factbook (英語). Central Intelligence Agency.
- 大韓民国/log20220429 - DMOZ
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大韓民国(韓国) (朝鮮半島南部) |
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未統一 (朝鮮統一問題も参照) |
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サイゴン陥落前の南ベトナム (ベトナム国→ベトナム共和国) |
ベトナム民主共和国(北ベトナム) (+サイゴン陥落後の南ベトナム) |
ベトナム社会主義共和国 (統合<補足>:1976年7月2日) |
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中華民国 (台湾) |
中華人民共和国 (中国大陸) | 未統一 (中国統一も参照) |
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ドイツ連邦共和国 (西ドイツ) |
ドイツ民主共和国 (東ドイツ) |
ドイツ連邦共和国 (再統一:1990年10月3日) |
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イエメン・アラブ共和国 (北イエメン) |
イエメン人民民主共和国 (南イエメン) |
イエメン共和国 (統一:1990年5月22日) ただし内戦下で再分裂 |
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アンゴラ民主人民共和国 | アンゴラ人民共和国 | アンゴラ共和国 (統一:2002年4月4日) |
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※太字記載の国は統一の主体となった国。 |