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| name = 那古野 |
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2021年9月6日 (月) 06:03時点における版
那古野 | |
---|---|
名古屋国際センタービル(中村区那古野一丁目) | |
北緯35度10分31.31秒 東経136度53分30.32秒 / 北緯35.1753639度 東経136.8917556度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 名古屋市 |
区 |
中村区 西区 |
人口 (2019年(平成31年)2月1日現在)[WEB 1] | |
• 合計 | 3,026人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 | |
市外局番 | 052 (名古屋MA)[WEB 4] |
ナンバープレート | 名古屋 |
那古野(なごの)は、愛知県名古屋市中村区および西区にある町名、または円頓寺商店街及び名古屋市営地下鉄桜通線国際センター駅を中心として広がる繁華街をいう。現行行政地名は那古野一丁目および二丁目。住居表示実施区域。
概要
名古屋市西区の南東端、中村区の北東端に位置する。
町丁としての「那古野」は、西区那古野一丁目、中村区那古野一丁目、西区那古野二丁目が存在する。これらは後述の通り1977年(昭和52年)・1978年(昭和53年)・1981年(昭和56年)の3回にわたる住居表示実施により、西区志摩町・上畠町・沢井町・橋詰町・替地町の全域と西区那古野町・大船町・五条町・塩町・隅田町・菊井通・千歳町・明道町・裏塩町・新道町の各一部地域、中村区小鳥町・大船町の各一部地域から成立した[1]。町丁名の由来となった那古野町の一部町域は、隣接する西区名駅二丁目・三丁目に組み入れられている[1]。
かつて愛知県愛知郡に存在した那古野村(なごやむら)が、1898年(明治31年)8月22日に名古屋市(なごやし)に編入され、1902年(明治35年)に那古野町(なごのちょう)となった[WEB 5]。
名古屋駅からみて北東方向、徒歩圏にあり近い割には比較的静かな街である。名古屋でも屈指の下町であり、食堂、古い民家などが多い。特に堀川沿岸の四間道は1986年(昭和61年)に名古屋市の街並み保存地区に指定され[WEB 6]、伊藤家住宅などの歴史的な建造物が残されている。
かつては名古屋市営バスの那古野営業所が置かれていたが[注釈 1]、名古屋市交通局旧那古野営業所用地活用事業として再開発され、2009年に名古屋プライムセントラルプロジェクトのオフィス棟「名古屋プライムセントラルタワー」とレジデンス棟「ブリリアタワー名古屋グランスイート」が完成した。
-
円頓寺商店街(西区那古野一丁目)
-
那古野交差点越しに見た名古屋プライムセントラルタワー(右)とブリリアタワー名古屋グランスイート(左)住居表示としては西区名駅二丁目。
世帯数と人口
2019年(平成31年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 1]。
区 | 丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|---|
中村区 | 那古野一丁目 | 223世帯 | 306人 |
中村区 計 | 223世帯 | 306人 | |
西区 | 那古野一丁目 | 874世帯 | 1,393人 |
那古野二丁目 | 756世帯 | 1,327人 | |
西区 計 | 1,630世帯 | 2,720人 | |
計 | 1,853世帯 | 3,026人 |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
1995年(平成7年) | 3,253人(西:2,984人・中村:269人[WEB 7]) |
|
||
2000年(平成12年) | 3,422人(西:3,113人・中村:309人[WEB 8]) | |||
2005年(平成17年) | 3,312人(西:2,992人・中村:320人[WEB 9]) | |||
2010年(平成22年) | 3,458人(西:3,020人・中村:438人[WEB 10]) | |||
2015年(平成27年) | 3,436人(西:3,097人・中村:339人[WEB 11]) |
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 12]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 13]。
区 | 丁目 | 番・番地等 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
---|---|---|---|---|---|
中村区 | 那古野一丁目 | 全域 | 名古屋市立笹島小学校 | 名古屋市立笹島中学校 | 尾張学区 |
西区 | 那古野一丁目 | 全域 | 名古屋市立なごや小学校 | 名古屋市立菊井中学校 | |
那古野二丁目 | 全域 |
歴史
町名の由来
「那古野」は名古屋の古名の1つであるが、確証のある説はない。『なごやの町名』においては、「浪越」(なみこし)からナゴヤに変化した説や、「饒屋」(にぎや)と呼んでいたのがナゴヤに変化した説が挙げられている[1]。
沿革
那古野町
- 1901年(明治34年)4月17日 - 下名古屋の一部より、那古野町が成立[2]。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 行政区設置に伴い、西区所属となる[2]。
- 1977年(昭和52年)10月23日 - 一部が西区那古野二丁目・名駅二~三丁目となる[2]。
- 1978年(昭和53年)10月15日 - 残部が西区那古野二丁目・名駅二丁目に編入され廃止[2]。
那古野
- 1977年(昭和52年)10月23日 - 以下の通り、西区那古野一~二丁目および中村区那古野一丁目が成立[2][3]。
- 1978年(昭和53年)10月15日 - 以下の通り、西区那古野一~二丁目の町域を拡張[2]。
- 1981年(昭和56年)8月23日 - 西区裏塩町・五条町・塩町・隅田町の各一部を同区那古野一丁目へ、西区上畠町の全域および明道町・菊井通・新道町・隅田町・千歳町の各一部を同区那古野二丁目へ編入[2]。
施設
那古野一丁目
- カノークス本社(西区)
- ダイコク電機本社(中村区)
- 四間道
- 伊藤家住宅(西区、県指定文化財)
- 名古屋国際センター(中村区)
- 国際連合地域開発センター
- 名古屋国際センターライブラリー
- 圓頓寺(西区)
- 浅間神社
- 専修寺名古屋別院
- 慶栄寺
- 金刀比羅神社
-
カノークス本社
-
専修寺名古屋別院
-
慶栄寺
-
名古屋国際センターライブラリー
-
浅間神社
那古野二丁目
- 名古屋市立なごや小学校東校舎(西区、旧・名古屋市立那古野小学校)
- 名古屋ビューティーアート専門学校(西区)
- 名古屋市立第三幼稚園(西区)
- 名古屋市特別消防隊第二方面隊(西区)
-
名古屋市立第三幼稚園(2017年7月)
交通
鉄道
バス
- 名古屋市営バス「那古野町」バス停
道路
- 名駅通(愛知県道68号名古屋津島線)
- 桜通(愛知県道68号名古屋津島線)
- 江川線(名古屋市道江川線)
- 外堀通(愛知県道200号名古屋甚目寺線)
- 菊井通(名古屋市道東志賀町線)
その他
日本郵便
- 集配担当する郵便局は以下の通りである[WEB 14]。
区 | 町丁 | 郵便番号 | 郵便局 |
---|---|---|---|
中村区 | 那古野 | 450-0001[WEB 2] | 名古屋西郵便局 |
西区 | 那古野 | 451-0042[WEB 3] |
脚注
注釈
- ^ 那古野営業所は、厳密には西区名駅二丁目に存在した。
出典
WEB
- ^ a b “町・丁目(大字)別、年齢(10歳階級)別公簿人口(全市・区別)”. 名古屋市 (2019年2月20日). 2019年2月20日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年2月10日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年2月10日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年1月6日閲覧。
- ^ 愛知芸術文化センター愛知県図書館 (2008年10月15日). “名古屋の地名「那古野」の由来について知りたい。”. レファレンス協同データベース. 2014年11月13日閲覧。
- ^ “町並み保存地区” (日本語). 名古屋市住宅都市局まちづくり企画部歴史まちづくり推進室. (2013年3月4日) 2013年8月17日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年3月28日). “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2019年4月27日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年5月30日). “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2019年4月27日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年6月27日). “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2019年4月27日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2012年1月20日). “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2019年4月27日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2019年4月27日閲覧。
- ^ “市立小・中学校の通学区域一覧”. 名古屋市 (2018年11月10日). 2019年1月14日閲覧。
- ^ “平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について”. 愛知県教育委員会 (2015年2月16日). 2019年1月14日閲覧。
- ^ 郵便番号簿 平成29年度版 - 日本郵便. 2019年02月10日閲覧 (PDF)
書籍
- ^ a b c 名古屋市計画局 1992, p. 229.
- ^ a b c d e f g 名古屋市計画局 1992, p. 754.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 767.
参考文献
- 名古屋市計画局 著、水野時二・林薫一・岩崎公弥監修 編『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。