「NHK紅白歌合戦」の版間の差分
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* [[第56回NHK紅白歌合戦|第56回]]([[2005年]])で[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列『[[ワンナイR&R]]』内で[[ガレッジセール]]の[[ゴリ (お笑い芸人)|ゴリ]]が女装(歌手デビュー)したキャラである[[松浦ゴリエ|ゴリエ]]が、女装した男性のソロでは初めて紅組で出場した。正確にはGorie with Jasmine & Joannとして活動しており、メインボーカルはゴリエではなく、女性である[[ジャスミン・S|ジャスミン・アレン]]と[[ジョアン (タレント)|ジョアン]]であるため(ゴリエ本人も若干ソロパートがある)、紅組出場となった。 |
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複数の名義で並行して活動している歌手は、かつては原則両方で出場することはできず、[[沢田研二]]が[[第40回NHK紅白歌合戦|第40回]]([[1989年]])において、ソロ名義と[[ザ・タイガース]]の双方で出場した事例が長らく唯一であった。しかし、[[2000年代]]後半からは同系列の複数のグループ・ユニットをメンバーが掛け持ちし、さらにそれぞれヒットする事例が出てきたため([[モーニング娘。]]、[[AKB48]]、[[EXILE]]など)、徐々に複数の掛け持ち出場が認められるようになってきた。 |
複数の名義で並行して活動している歌手は、かつては原則両方で出場することはできず、[[沢田研二]]が[[第40回NHK紅白歌合戦|第40回]]([[1989年]])において、ソロ名義と[[ザ・タイガース]]の双方で出場した事例が長らく唯一であった。しかし、[[2000年代]]後半からは同系列の複数のグループ・ユニットをメンバーが掛け持ちし、さらにそれぞれヒットする事例が出てきたため([[モーニング娘。]]、[[AKB48]]、[[EXILE]]など)、徐々に複数の掛け持ち出場が認められるようになってきた。 |
2021年10月3日 (日) 21:14時点における版
NHK紅白歌合戦 | |
---|---|
| |
ジャンル | 音楽番組 / 特別番組 |
出演者 | 各回の概要の項を参照 |
エンディング | 蛍の光 |
製作 | |
制作 | 日本放送協会 |
放送 | |
放送局 | 総合テレビ・BS4K・BS8K[注 1] |
映像形式 | リアルタイム字幕放送 デジタル双方向機能対応 |
音声形式 | ステレオ放送 |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | ラジオ 1951年1月3日(第1回) - テレビ 1953年12月31日(第4回) - |
放送時間 | 各回の概要の項を参照 |
回数 | 71 |
公式サイト | |
特記事項: 第1回(1951年)から第3回(1953年1月)までは正月の放送。大晦日(12月31日)の放送は第4回(1953年12月)から。よって1953年は放送が2回あった。 『NHKニュース』による中断あり。 |
NHK紅白歌合戦 | |
---|---|
ジャンル | 音楽番組 / 特別番組 |
放送方式 | 生放送 |
放送期間 | 1951年1月3日(第1回) - |
放送時間 | 各回の概要の項を参照 |
放送回数 | 71 |
放送局 | NHKラジオ第1 |
制作 | 日本放送協会 |
パーソナリティ | 各回の概要の項を参照 |
公式サイト | 公式サイト |
特記事項: 『NHKニュース』による中断あり。 |
『NHK紅白歌合戦』(エヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、日本放送協会(NHK)が1951年(昭和26年)から毎年大晦日に放送している男女対抗形式の大型音楽特別番組である。日本の長寿番組のひとつ。通称は『紅白』。
概要
女性アーティストを紅組(あかぐみ)、男性アーティストを白組(しろぐみ)に分け、対抗形式で歌や演奏を披露する。当初は正月のラジオ番組であったが、NHKがテレビ放送を開始した後は大晦日の夜に移動し、「1年の締めくくり」の代名詞となる。放送が延期・中止されたことは1度もない。2017年12月31日、「最長寿年度テレビ音楽コンペティション(一国内)」としてギネス世界記録に認定された[1]。
日本を代表する人気歌手が大勢出演し、さらに歌手以外のゲストなどもその年人気を博した人物が選出されるため、放送開始当初から高視聴率を記録している。深夜に及ぶ時間帯の番組でありながら年間視聴率の上位に食い込み、多くの年で通年の最高値を弾き出している。そのため国民の関心は高く、年の瀬から正月にかけて、新聞・雑誌から競合局である民放局までが紅白に関する話題を取り上げる。
上述の通り紅白の両組対抗形をとるが、番組の進行の上ではあくまでショーとして番組を構成する要素のひとつであり、決して「対抗」を前面に押し出しているわけではない。ただし、あくまで形式上は「対抗」であるため、その組み合わせの枠の中に入る歌手は、正式には「番組出演」ではなく「紅白歌合戦出場」と呼ばれる。
放送・配信メディア
媒体 | 期間 | 備考 | |
---|---|---|---|
NHKラジオ第1 | 第1回(1951年) - 継続中 | 客席上のラジオ中継席(第24回(1973年)以降の会場であるNHKホールでは、同ホール2階上手席にこれを設けている)から、ステージ上で行われている演目の実況とともに放送。 | |
NHKワールド・ラジオ日本 | 第15回(1964年) - 継続中 | 海外向け。 | |
NHKネットラジオ らじる★らじる | 第62回(2011年) - 継続中 | ||
radiko | 第68回(2017年) - 継続中 | 2度の実験配信期間中に配信。2019年以降も本配信開始により配信継続[注 2]。 | |
総合テレビ | 第4回(1953年) - 継続中 | 1953年2月1日の開局に伴い、同年末から紅白のテレビ放送を開始。 | |
BS1 | 第35回(1984年) - 第37回(1986年) | Aモードステレオ放送。 | |
BS2 | 第38回(1987年) - 第61回(2010年) | Bモードステレオ放送。 完全デジタル化に伴うBSプレミアムへの整理統合、およびそれに伴う番組編成の見直しから終了(ただし地デジ難視対策衛星放送を除く)。 | |
ハイビジョン試験放送→BSハイビジョン | 第40回(1989年) - 第61回(2010年) | 5.1chサラウンドステレオ。
同上の理由により終了(地上波難視聴地域に於いては視聴不可能となった)。 | |
NHKワールド・プレミアム | 第46回(1995年) - 継続中 | 海外向け。 NHKの関連会社が運営している日本語衛星放送局(テレビジャパン(北米)・JSTV(欧州))でも同時放送している[7][8]。 | |
NHKオンデマンド | 第60回(2009年) - 継続中 | ひかりTV(NTTぷらら)やJ:COM(ジュピターテレコム)、U-NEXTなど、NHKと提携している一部の動画配信事業者を含む[9][10]。 中断のNHKニュースを境に前半・後半に分割した上で番組終了翌日(翌年1月1日午後)から約2週間限定で見逃し配信を実施[11][12]。 | |
BS4K | 第69回(2018年) - 継続中 | 5.1ch音声。 | |
BS8K | 第69回(2018年) - 継続中 | 22.2ch音声。終了後も10分のダイジェスト版が放送されている。 | |
NHKプラス | 第71回(2020年) - 継続中 | 中断のNHKニュースを境に前半・後半に分割した上で終了後も7日間限定で見逃し配信を実施。 |
BS4K・BS8Kは総合テレビとは別制作。高精彩を生かしてより現地で見ている紅白に近い体験をコンセプトに、同じステージを別々に制作・中継する。そのため、カメラアングルが総合テレビとは異なり、オープニングCGは固定、2018年・2019年は歌詞に限りテロップが出なかった。
またNHK主体ではないが、海外の現地ケーブルテレビチャンネル(主として日本専門チャンネル)を通じて放送される場合がある(NHKワールド・プレミアム放送の際には字幕がないため)。
放送時間
第18回(1967年)以降、長らく21時(JST、以下同じ)開始に固定されてきたが、2部制となった第40回(1989年)以降は19時台から20時の間を推移している。1部と2部の間には、その年の最後の『NHKニュース』を放送する。殆どの回は5分の定時ニュースの形式だが、第55回(2004年)は10分に拡大し、『NHKニュース7』の短縮版とも言える形式で放送された。なおBShiでは放送されず、『デジタル紅白歌合戦』と題したNHKホール前からのこの後の内容を紹介する中継に差し替えた年もあった。BS4K・8Kはニュース前のつなぎコメントも含めてバックステージからの中継放送に差し替えている。
終了時刻は、総合テレビでは第13回(1962年)以降、一貫して23時45分である(放送メディアによっては例外あり)。また、次の番組も『ゆく年くる年』で固定されている。
出演者
出演者に対しては正式発表まで厳重な「緘口令」が敷かれ、原則NHK側からその都度発表される。一方で特に司会者と出場歌手の人選は注目を集め、大衆紙などでは正式発表の時期に「関係者からのリーク」として予想記事が出されることがある。
司会者
その年の紅白の「顔」ともいうべき存在で、例年その年の出演者の中でもっとも早く決まる(10月後半から11月)。正式決定とともに、本人出席のもとで記者会見がNHK放送センターで行われる(会見を行わず、広報を通じてコメントを発表するのみの場合もあり)。
通常、「紅組司会」「白組司会」「総合司会」の三者がいる。紅組司会と白組司会はそれぞれの組の曲紹介を、総合司会は番組全体の進行や両組司会のサポートを分担してこなす。紅組司会と白組司会は平成初期までは「両軍のキャプテン」とも呼ばれていた。ただし、司会者とは別に「キャプテン」「チームリーダー」を両軍の歌手から一組選出した事が何回かある。基本的に紅組司会は女性が担当、白組司会は男性が担当する。紅組司会と白組司会はテレビタレントが、総合司会はNHKアナウンサー(東京アナウンス室在籍)が担当することが多い。かつての白組司会はNHKでレギュラー番組を持つ中堅・ベテランクラスの俳優や歌手、もしくは放送時点で東京アナウンス室勤務でなおかつ知名度の高い男性アナウンサーが選ばれていた。紅組司会は白組と同等クラスの女優やタレント・歌手を起用する事が多かった。その後、平成に入ってからは白組司会はNHK・民放問わず司会経験が豊富なタレントや司会未経験も含めた俳優(主にその年あるいは翌年の『大河ドラマ』の主演)、第59回(2008年)から第70回(2019年)までは連続でジャニーズ事務所の所属タレントやグループが起用されていた。紅組司会はその年の『連続テレビ小説』(朝ドラ)の上期・東京制作分のヒロインなど女優が務める事が多い。例外として総合司会も含めてNHKのニュース・バラエティなどの番組で司会を務める東京アナウンス室のアナウンサーのみで務めた回もある。一方の総合司会は総合テレビで放送されるニュース番組のメインキャスターやバラエティ・音楽番組の司会者であり、知名度も高いアナウンサーが起用される。第34回(1983年)のタモリ、第56回(2005年)のみのもんた、第68回(2017年)から4回連続で司会を務めている内村光良といったベテランクラスのタレント・芸人を起用する回もある。全員のうち、アナウンサーは必ず最低1名は入っている。これは紅白生放送中にアクシデント(重大事件・事故・災害や、本番中でのいわゆる放送事故など)が発生したり、芸能人司会者が本番直前にアクシデント(病気・負傷・不祥事など)により出演不能となったりした場合の対応のためである。両組・総合司会は通常それぞれ1人ずつだが、複数名が担当した第37回(1986年)、グループが担当した第61回(2010年)- 第65回(2014年)、三者の枠を取り払った第56回(2005年)などの例外がある。
司会担当者は、ほかの長時間番組や音楽番組と比べて特定の人物が何回も続けて担当することは少ない。場合によっては司会未経験のタレントが抜擢されることもある。紅白の台本は、生放送という関係上非常に細かく設定されており、進行上アドリブの必要性は少なく、あくまで「司会者」を演じる役者的性質が強いためである。司会が歌手の場合は、出場歌手を兼ねる場合もある[注 4]。
歌手
出場歌手はおおむね紅白両組それぞれ20組から30組の間を推移している。対戦に組み込まれる正規の歌手は番組への出演が「出場」と呼ばれ、「出場回数」も正式にカウントされる。例年11月下旬に発表記者会見が行われ、その年の初出場の歌手が出席するか、あるいはメッセージが公表される。
両組の割り振りは、メインボーカルの性別を原則とする。そのため、和田アキ子、原由子などは出場形態の違いにより両組からの出場経験がある。番組初期においては厳密に紅組=女性、白組=男性と分けられており、男女混成グループは本来の形態での出場が不可能であった[注 5]。そのため片方の性のメンバーのみでボーカルとコーラスをまとめるなどのアレンジを強いられていた。男女混成グループが初めて出場したのは、第19回(1968年)のピンキーとキラーズであり、このときもどのような扱いにするのかでもめたという。結局メインボーカルがピンキーであったため紅組となったが、初出場時のみ男性メンバーは歌手席に座れなかった。その他のおもな割り振りの例は以下の通り。
- 男女のデュエットは基本的に紅組。例外として、ヒデとロザンナおよび平尾昌晃・畑中葉子はそれぞれ白組から出場。
- 女性メインボーカルのグループでも、はしだのりひことクライマックスおよび青い三角定規はほかの出場歌手との兼ね合いからそれぞれ白組から出場。Paboは全員女性だが同系列の羞恥心とセットで白組から出場。
- 混声ボーカルの場合は、その都度振り分けられる。AAAは両組から出場歴があり、これが同一名義で両組から出場した唯一の例である。
- トランスジェンダーの歌手では、第58回(2007年)に中村中(戸籍上は男性)が紅組で出場した例がある。
- 第56回(2005年)でフジテレビ系列『ワンナイR&R』内でガレッジセールのゴリが女装(歌手デビュー)したキャラであるゴリエが、女装した男性のソロでは初めて紅組で出場した。正確にはGorie with Jasmine & Joannとして活動しており、メインボーカルはゴリエではなく、女性であるジャスミン・アレンとジョアンであるため(ゴリエ本人も若干ソロパートがある)、紅組出場となった。
複数の名義で並行して活動している歌手は、かつては原則両方で出場することはできず、沢田研二が第40回(1989年)において、ソロ名義とザ・タイガースの双方で出場した事例が長らく唯一であった。しかし、2000年代後半からは同系列の複数のグループ・ユニットをメンバーが掛け持ちし、さらにそれぞれヒットする事例が出てきたため(モーニング娘。、AKB48、EXILEなど)、徐々に複数の掛け持ち出場が認められるようになってきた。
第26回(1975年)のずうとるび(日本テレビ系列『笑点』出身)以後、民放番組からデビューした企画の歌手(番組内のキャラクター)など民放色の強い歌手も出場しており、該当の番組を特別に意識した演出(応援など)があるなど、民放とのコラボレーションに対しても比較的寛容である。対する民放の側も、デビューするときに「紅白を狙う」と公言したり、出場が決まった際には紅白本番中やその舞台裏の模様を後日番組内で「紅白ドキュメント」などと銘打って放映したりすることがあるなど、紅白とのコラボレーションに積極的である[14]。
「歌合戦」と称しているものの、演奏のみで歌わないグループの出場もある(G-クレフ、女子十二楽坊など)。
歌手の選考
基本的には、その1年間にヒット曲を出した歌手を対象として、出場者の選考が行われる。本人や所属レコード会社・所属事務所に対して、選考対象とされることや出場への意思の有無の確認が行われ[注 6]、例年11月ごろの選考会議で最終決定される。発表と同時に記者会見が開かれ、『NHKニュース』をはじめ各メディアでも報道される。この記者会見には初出場者が出席することが恒例となっている。第61回(2010年)以降、出場者発表会見はインターネットでもストリーミング配信で生中継がされている[15]。
番組側は基本的に選考の過程や理由などを明らかにはしておらず、非選出者については発表記者会見の質疑応答の中で、最低限の事情を明らかにしている程度である。第65回(2014年)、第66回(2015年)の発表記者会見では「今年の活躍、世論の支持、番組の演出・企画に沿う」という3点が具体的に提示されている[16][17]。第65回ではこの3点を中心に、以下の5つのデータが出場歌手決定の参考資料とされた[16]。
- 7歳以上の全国5,000人を対象にNHKが行ったRDD方式による調査の結果
- 『NHKのど自慢』の予選出場者の曲目
- CD・カセット・DVDの売り上げ
- 有線・カラオケのリクエストなどについての調査
- インターネットや携帯電話によるダウンロードなどについての調査
これらは時代の変化に合わせて微妙に変えている(一例として、サブスクリプションなどの配信サービスやSNSが普及した後の第71回(2020年)では、上記の5つ目が「インターネットでのダウンロード・ストリーミング・ミュージックビデオ再生回数・SNS等についての調査」となっている[18])が、これら参考資料を検討のうえ、総合的に判断している。
出場歌手選考の参考として、第23回(1972年)の選考時より「ご意見を伺う会」が発足し、その会員から意見を求むという体制が第38回(1987年)まで続いた。NHKが視聴者を対象に行うアンケート結果は第37回(1986年)までは重視されていたが、以降は参考程度に留められているという[19][20]。原則として結果は公表されない。
紅白の出場歌手に選出されるには、第一義的には音楽業界での活躍、すなわち音楽セールスの実績(レコード、カセット、CD、DVD、音楽配信、USEN、カラオケなど)・実力・知名度・話題性・世論の支持・歌唱力・同回のテーマとの合致・『NHKのど自慢』出場者に自身の楽曲が選曲されることなどが重要となるが、ほかにも以下の条件が存在するとの指摘がある。
NHKへの貢献度
NHK番組への出演・関与や番組主題歌の歌唱など、NHKに対する貢献度が選考を左右する。たとえば『連続テレビ小説』の主題歌、『大河ドラマ』出演、オリンピック(パラリンピック)・FIFAワールドカップのNHK中継テーマソング、NHK全国学校音楽コンクール課題曲(中学校の部)提供などの場合、出場しやすい面がある(本番中も、タイアップにちなんだ曲紹介や演出がある)。
事務所ごとの出場枠
出場歌手については、所属する芸能事務所毎に一定の枠、数的制限が設けられる慣例があるとされる。この慣例については、番組は公式には認めていない[21]が、ジャニーズ事務所の創業者であるジャニー喜多川が「NHKに2枠固定と言われ意固地になっていた」と枠の存在を暴露する[22]など、公然の秘密となっている。
かつて、1部制時代の1980年代前半までは芸能事務所毎の枠は存在していなかった。このため第25回(1974年)では、出場歌手の紅白計50組中10組を当時全盛期にあった渡辺プロダクションに所属する歌手が占めるという状況も見られた。しかし、その後は一定の枠が事実上設けられる状況となったため、かつての渡辺プロほどの規模で特定の事務所が出場枠の一定割合を専有することは難しくなった。
そのため、大ヒット曲を出しながら事務所枠の関係で出場機会に恵まれない例もある。1980年代から芸能界で大きな影響力を持つようになったジャニーズ事務所に所属する歌手の出場は、第48回(1997年)以降長らく、SMAP・TOKIOの2組に限定されていた[注 7]。その後、第60回(2009年)に嵐とNYC boysが初出場して以降[23]、同事務所からの出場歌手は増えている。
不祥事の有無
NHKは公共放送でありその番組は国民が払う受信料によって制作され、出演者に対するギャラも受信料から払われている。そのため、イメージがクリーンであることも、出演者の選出・決定にあたって重要な必要条件の一つである。実際に、この条件が原因で落選や辞退、あるいは出演の取消という事態が発生している。
特に日本の芸能界は"黒い交際"、すなわち暴力団・ヤクザなどの反社会的勢力が興行師として采配していることが多く、これが表面化すると選考にも決定的な悪影響を及ぼす。それは大物歌手・ベテラン歌手であっても例外ではない。過去には長年紅組トリを独占していた美空ひばりが、1973年、暴力団構成員であった弟・かとう哲也の逮捕をきっかけに、三代目山口組・田岡一雄との関係が問題視された。ひばりへのアンケートの支持が低下し、「ご意見を伺う会」からの批判が相次いだことを理由に落選[24]。正式な出場歌手としてはついに復帰しなかった。また、第37回(1986年)では、北島三郎・山本譲二が暴力団主催の宴席に出席していたことがメディア報道され、本番の差し迫った12月29日に出場辞退を余儀なくされた。代役として角川博と鳥羽一郎が選出されたものの、今度は鳥羽が自身も暴力団との過去の関係を自ら申し出る。この一件に対するNHKの偽善の姿勢を批判して辞退した(代役はシブがき隊)。2011年には、暴力団の影響力排除を目的とした各都道府県の暴力団排除条例が施行され、人気司会者であった島田紳助が暴力団との交際発覚を理由に芸能界を引退し大きな話題になったことなどもあり、NHKも暴力団排除指針を公表。同年の第62回の選考をめぐって、黒い交際の情報がある人物は排除しなければならず、NHKが出場候補者の人選に通常より神経を使い、報道局など組織内の多くのリソースも投入していると各メディアで報じられた。
出場辞退
出場歌手発表時、「誰が出場したか」と同様に、「誰が出場しなかったか」にも注目が集まる。特に1980年代からはミュージシャン系の歌手を中心に「辞退をすることがステータス」「出たら負け」という風潮が高まり、出場の打診を歌手サイドの意思で断る事例が増えた。これらのアーティストは「出場辞退組」と呼ばれるようになる。辞退する理由はさまざまで、知名度が出てきたころに数度だけ出場する例(THE ALFEE、サザンオールスターズなど)、NHKとの不和が原因で出場しない例(アリスなど)、紅白のコンセプトに賛同しない例(小田和正、Mr.Childrenなど)などである。但し、後年になって出場するケースも出ている。
またB'zは年末年始は仕事をしないというコンセプトから、30年以上出場していない[注 8]。
また、常連歌手がある時点で自発的に「勇退」を宣言、翌年から出演を取り止める例(北島三郎、森進一など)もある。最後の出場回の前に宣言したときには、最後のステージとして花を添えることも可能である。一方で、落選したのを契機に「勇退」を宣言するケースもある。常連歌手など功労者を落選させる場合、番組側が該当歌手の名誉のために、公式には「辞退した」ことにさせる場合がある[25]。
なお、出場が正式決定してから辞退し、代替出場の歌手が立てられたケースは少ないものの、以下の事例がある。
- 第2回(1952年) 松島詩子 - 本番当日に交通事故で負傷したため。代役は越路吹雪。
- 第6回(1955年) サンディー・シムス - 飛行機が欠航した影響で、本番当日までに滞在先の香港[注 9]から東京に戻れず。代役は芦野宏。
- 第7回(1956年) 雪村いづみ - 本番当日の急病(胃痙攣)のため。代役は間に合わず、雪村の親友である江利チエミが出場者の印の赤い花を2つ胸につけて出場。
- 第21回(1970年) 江利チエミ - 「ヒット曲がない」という歌手側の意向。代役は日吉ミミ。
- 第22回(1971年) 内山田洋とクール・ファイブ - ボーカルの前川清の急病[注 10]。代役はフォーリーブス。
- 第37回(1986年) 北島三郎・山本譲二・鳥羽一郎 - 北島と山本はこの年の年初に暴力団稲川会の新年会に招かれていたことが発覚したことにより辞退。鳥羽と角川博が代役として出場が決定するも、鳥羽が自身も過去に稲川会と関わりがあったことから、NHKの偽善を批判し辞退。鳥羽の代役はシブがき隊。
- 第39回(1988年) 田原俊彦 - 当初、レコード会社・所属事務所の同意を得てNHKが出場を決定したが、田原本人が「紅白は卒業した」として辞退を表明。代役は男闘呼組。
- 第42回(1991年) HOUND DOG - 歌唱曲の選曲をめぐってNHKとの間でトラブルとなり辞退。代役はバブルガム・ブラザーズ。
- 第55回(2004年) 後浦なつみ - 安倍なつみの詩の盗作発覚により辞退。残りの2人(後藤真希と松浦亜弥)でユニット名も改めて(後藤真希&松浦亜弥として。記録上はそれぞれをソロ歌手扱いとした)出場。
- 第71回(2020年) Snow Man - 21日にメンバーの宮舘涼太が新型コロナウイルス(COVID-19)に感染したことが確認され、保健所から残りのメンバー8名全員が濃厚接触者に該当するとの判断が示されたため、活動を一定期間停止し、隔離生活による経過観察が行われることになり、出場辞退[26][27]。代役は立てず、白組が1組少ない状態で行なわれた。
サンディー・シムス、HOUND DOG、後浦なつみは選出されたのがこの1回のみで、幻の出場となっている(後浦なつみについてはメンバー3人が別名義で出場経験あり)。このほか、出場する予定だったグループの一部の人物が病気・負傷・不祥事などの理由により欠場・出演辞退という事態になり、残りのメンバーで出場したケースも存在する。
ゲスト審査員
その年を代表する著名人(芸能人・スポーツ関係者・音楽関係者・文化人・メディア関係者など)が10人前後起用されることが恒例である。審査への参加だけでなく放送内で随所で司会者とのトークが挟まれ、番組の進行にも関わる。第55回(2004年)までは「特別審査員」と呼ばれており、またNHK番組制作局長が「審査委員長」と呼ばれていた。
ゲスト審査員の発表はもっとも遅く、12月下旬に行われる。一番起用される可能性が高いのは、翌年の『大河ドラマ』(まれに当該年度or次年度・前期の『連続テレビ小説』)の主演者であり、司会や歌手に選ばれた場合を除き、ほぼ毎年審査員となっている。スポーツ関係では、プロ野球の日本シリーズ優勝チームの監督や主力選手、大相撲の看板力士(その年に新横綱、新大関になった力士など)が多い。オリンピックのメダル獲得者は、競技と無関係の場への登場をよしとしない日本体育協会の意向から当初は選出されなかった。初例は第35回(1984年)における江上由美(ロサンゼルスオリンピック女子バレーボール・銅メダル)で、以後は選出が恒例となる(オリンピック開催前年にメダルを期待される選手・監督が起用されることもある)。
その他の出演者
上記のメイン出演者以外に、さまざまな著名人がゲストとして出演する[注 11]。ジャンルとしては、歌手や楽曲と関連する人物の応援、楽曲提供者などの演奏参加、会場外からの中継の進行役(大抵はNHKアナウンサー)などさまざまである。また、その年ブレイクした若手のお笑いタレントが幕間でネタ見せするのも定番である。主要ゲストについては、本番前に逐一出演が発表されていく。
また、大晦日の祝祭ということで、民放の現職アナウンサーのNHK出演も特例で実現している。
- 中村仁美(当時フジテレビ所属) - 第59回(2008年)、羞恥心 With Paboの応援。
- 羽鳥慎一(当時日本テレビ所属) - 第60回(2009年)、FUNKY MONKEY BABYSの応援。
第61回(2010年)からは、『紅白ウラトーク』が開始。会場座席の一部にセットを組み、放送時間中そこからのトークを副音声で放送し続ける。専属のMC(タレントとNHKアナウンサー)がおり、歌手、ゲストが入れ替わり立ち代わり出演する。
番組の流れ
本番まで
両組司会は(特にタレントの場合)、本番までNHK関連の仕事が入る。各テレビ情報誌の年末年始号の表紙に起用されることも多い(紅白の司会を務めるにあたってのインタビューも掲載される)ほか、両組司会を表紙にしたテレホンカードや図書カードも発売される。
出場歌手の曲目や曲順は原則すべて公開されており、曲目は12月中旬、曲順は12月下旬に発表される。
- 原則、1組1曲、その年に発表された自身の持ち歌を披露する。
- 演出上アレンジされたバージョンを披露する場合、「曲目」は元の曲名をアレンジしたもの(年号を振る、「紅白バージョン」などの副題をつけるなど)になることがある。
- 1年でヒット作を連発した歌手や数年越しの出演となる大物歌手は、メドレーとして2曲以上披露することもある。このときはあくまでメドレー自体が「曲目」になり、"メドレー"や"紅白スペシャル"など、披露曲がわからないことがある。
- 演出の都合上、過去の楽曲を披露することもある。特に、本人への支持は強いが新曲のセールスは振るわないベテラン演歌歌手などは往年のヒット曲を何度も歌唱することが多い。最多歌唱回数は「天城越え」の11回、次いで「津軽海峡・冬景色」の10回で、この2曲を歌う石川さゆりは第58回(2007年)以降10年以上両曲を隔年で歌い続けている。
- NHK特有の事情(歌詞や歌い方に性的な連想をさせたり、任侠ものの楽曲であるなど)で選曲できないこともある[28]。
- カバー曲のヒットや追悼企画などで、自身の持ち歌以外の歌を披露する例もあり、複数の出場歌手により歌唱された楽曲も存在する。
- 選曲権は基本的に歌手側には与えられない。このことが歌手から反発を買うことがあり、第42回(1991年)では披露曲をめぐって番組側と対立したHOUND DOGが出場を辞退した。布施明は番組勇退の理由のひとつに「(自身の)歌唱曲が固定している」ことを挙げている。
12月下旬に入ると、紅白のPR特番が多く組まれることも恒例で、司会者をはじめその年の紅白の出演者や紅白の関係者がゲストに招かれる。過去紅白の再放送や名場面放映を中心とした番組もある(いずれもBS2『思い出の紅白歌合戦』や『あなたが選ぶ思い出の紅白・感動の紅白』など)。
会場と楽屋を結ぶ下手側の通路の角に神棚があり、リハーサル開始前には神主を呼び、スタッフ勢ぞろいで成功祈願を行う。歌手はリハの合間に無事歌唱祈願するのが習わしである[29]。
本番2日前の12月29日には台本が完成し、司会者・出場歌手・スタッフの顔合わせからリハーサルが始まる。台本は非常に厚く、トークも含めてすべてト書きされており秒単位での進行が組まれている。ただし一部の演出については、詳細を台本では白紙扱いにし(出場歌手や司会者にも伏せられる場合あり)、本番までシークレットにするものもある。顔合わせでは本番当日の段取り説明などがある。生バンドだった1980~1990年代まではその後に一組ずつ音合わせ、さらに深夜に近い時間帯にはリハーサル室でNHKホールのステージを想定したオープニングや応援合戦などのリハーサルも行っていた。リハーサルはその後、放送時間の大型化などの関係でほとんどをNHKホールで行うようになった。
リハーサルと並行して司会者と出場歌手で面談が行われる。その面談では、司会者側より出場歌手に本番内での曲紹介の内容について説明したり、出場歌手側より司会者に自身の曲紹介をするにあたっての依頼や自身の歌唱にあたっての思い入れ・エピソードなどを語ったりする[30][31]。この面談の内容が本番内で披露されることもある。また、メディア記者もNHKホールに詰め、リハーサル・本番の合間を縫って出演者への取材(ぶら下がり形式)が元日未明まで行われる。おもに、同年の総括や翌年への抱負が述べられるのが恒例である[32]。
NHK側からは弁当(ロケ弁)・ケータリングなどの提供は原則としてなく[注 12]、代わりに司会者や歌手が差し入れを行うことが慣例である。
リハーサルは12月31日の日中まで行われる。その間の12月30日(以前は31日の本番前)には『日本レコード大賞』の受賞歌手が掛け持ちしている。31日の同時開催かつ紅白が21時開始だった時代は「レコ大」が20時50分に終了し、受賞歌手が「レコ大」の衣装のままNHKからの迎えの移動車に駆け込み、パトカーの先導でNHKホールまで急行、車中で着替えを済ませて本番開始の数秒前までに到着した歌手が次々にホールへと駆け込んでいた。
1990年代まではこれらの制作の流れを、NHKアーカイブスに残っている1970年代から80年代の複数の回の映像を混ぜて編集した特別番組を直前特番として放送していた。
放送の進行
番組のオープニングおよびエンディングでは、歌手全員がステージに登場する。かつてはオープニングではステージに向かって出場歌手が入場行進・1980年代の回ではそれと共に出場歌手を一組ずつ紹介[注 13]をすることが基本であり、放送開始から第32回(1981年)、第36回(1985年) - 第38回(1987年)、第40回(1989年)、第43回(1992年)、第47回(1996年) - 第48回(1997年)まで「乾杯の歌」を入場行進曲に使用していた。
タレントの両組司会は、オープニングは両組の色の晴れ着姿[注 14]で登場する。総合司会は、男性アナウンサーの場合はスーツ、女性アナウンサーの場合はドレスを着用する(以降、スーツの場合を除き数度の衣装替えがある)。各司会の紹介[注 15]を経て、そのまま最初の歌手の曲紹介へと入る。
原則として、紅・白両組の歌手が1組ずつ対決する形式である。歌唱時間は1回につき1組3分程度が定番[33]だが、その回の目玉の歌手、楽曲においては優遇され、最長では10分近いこともある[注 16]。一方で、さほどトピックスのない歌手の場合は2分弱まで短縮される。両組間の順番が途中で入れ替わることがあり、「攻守交替」と呼ばれる。
2000年代以降はこの対戦形式の原則に入らない事例も多くなり、対戦の途中に特別コーナーが入る例、対戦相手がいない例、歌唱順の対戦相手と演出上の対戦相手が異なる例[注 17]、正規の対戦歌手とカウントされないながらも対戦枠に組み込まれる例[注 18]などがある。さらに演出上、別々に出場したソロ歌手やグループが組んで1パッケージで登場する[注 19]こともあり、これらが原因で両軍で出場者数が異なる年もある。
4組程度の歌唱が終わったところで、原則総合司会のアナウンサーがゲスト審査員を紹介[注 20]、また審査方法や総合テレビの生中継以外のメディア展開(ラジオブースや裏トークチャンネル、パブリックビューイングなど)を説明する。司会の定位置は舞台脇の花道部分であり、ここで曲紹介やほかの出演者とのトークを行う。舞台は紅組が下手、白組が上手に割り当てられており(第4回〈1953年〉のみ逆)、番組前期は曲紹介も両方の花道で別々に行われていたが、NHKホールは楽屋が下手側にあるため、のちに白組も最初と最後の2組程度以外は下手側で行うようになった。以降原則両組司会が番組進行を担当し、総合司会のアナウンサーは要所要所で両者の進行を補助する。
原則出演歌手は中継も含めて生放送内で歌唱するが、録画出演もまれに行われる[注 21]。
舞台転換やステージの演出にも凝っており、時にはワンステージのために多額の費用や長時間を費やすこともある。3Dマッピングなど、最新の映像技術も駆使される。歌手側も、「豪華衣装」が目玉となった小林幸子と美川憲一を筆頭に、晴れの紅白のために多額の自己負担をする場合がある。
歌の間にはその年のトレンドやテーマに沿ったコーナーがあり、歌手有志が参加する。NHKの人気番組が取り上げられることも多いほか、オリンピックなどスポーツにちなんだ演出が行われることもある。また、正規のステージにおいても歌手間での「応援」がある。特に2010年代以降では、視聴率の都合上、人気の高いポップス歌手を随所に登場させる(演歌歌手の演出としてのバックダンサーなど)演出がなされる。その年に亡くなった著名人の追悼企画が行われることも多い。
会場の観覧者にはペンライト、LEDライト、リアルタイムARシステム、サイリューム、造花、お面などの小道具が配られ、番組側の指示などに従って演出に参加する。出場歌手にもペンライトを配って、ステージ上で使用させることもある。
その年内をもっての引退・休業を発表した歌手や解散・活動休止を決定したバンド・グループが選出された場合、「ラストステージ」として注目される[注 22]。歌手の側も、区切りとして「活動年内限り」とする場合が多いため、視聴率の高い紅白が最後の舞台として選択されやすい。
両組最後に登場する歌手は「トリ」(後に登場する側は「大トリ」)として、特別に注目を集める。通常、ベテラン、大御所と呼ばれる歌手が選出される。まれに若手歌手が選出されると、「大抜擢」と表現される。最後の数組の歌唱の際には、出場歌手も両方の花道に並ぶ。
トリは番組初期は演歌が流行していたこともあり、長らく演歌歌手が独占していた。初めて両組ともにポップス歌手から起用されたのは、演歌が記録的に不作であった第29回(1978年)の山口百恵と沢田研二である(山口百恵は当時19歳であり史上最年少)。その後、演歌の人気が低下してもこの傾向は変わらず、また演歌歌手も出演歌手中「大御所」の位置にあったため、トリを飾るには違和感がなかったこともある。ポップス歌手のトリが増えたのは、演歌歌手の出場が減った2000年代後半からである。ポップス歌手においても、DREAMS COME TRUE、髙橋真梨子、松田聖子など、ベテラン歌手の起用が多い。
- トリ歌手は「ソロ歌手でなくてはいけない」という慣例が存在したとされる。第43回(1992年)にトリをとった由紀さおりは、例年安田祥子とのデュエットでの出場が定番だったが、この年のみソロで出場している(安田はコーラスに回る)。グループでのトリは、第54回(2003年)のSMAPが最初である。白組でソロ歌手以外で務めたのはSMAP、嵐 、ゆずの3組のみで、紅組でソロ歌手以外でトリを務めたのはDREAMS COME TRUEといきものがかりのみで、いずれも男女混合グループである。女性のみで構成されるグループ(乃木坂46をはじめとする坂道シリーズなど)のトリは未だ実現していない。
- 中継出演が解禁されてからも中継出演者がトリをとった前例はなく、「トリは会場歌唱者が務める」との不文律もあるとされる[注 23] [34][35][36][37]。
- 第35回(1984年)で引退前最後のステージとして都はるみが大トリを務めた際、歌唱後に会場からアンコールが行われ、特別にリストにはない2曲目が披露された[注 24]。
- 演歌・歌謡曲が大トリの楽曲となる時には、アウトロが華やかなファンファーレになるよう編曲されている。 第56回(2005年)まではこのファンファーレの演奏後、短いファンファーレと共に両方の花道にいた出場歌手が大トリの歌手に拍手を送りながら中央へ集合していた。
- 第64回(2013年)ではトリが変則的で、正規のトリとして髙橋真梨子・SMAPの歌唱後に、同回で勇退の北島三郎のステージ(「究極の大トリ」と位置づけられた)となった。
- 第69回(2018年)では正規のトリとして石川さゆり・嵐の歌唱後に、特別出演するサザンオールスターズのステージ(前述の北島同様、「究極の大トリ」との位置づけ)となった。
勝敗はゲスト審査員と会場の観客および地上デジタルテレビ放送の双方向システムや携帯電話を利用した視聴者の投票で決定する。審査とその結果の発表方式は回によって異なる。長らくは、全歌手の歌唱後のゲスト審査員と観客の投票で決まっていたが、21世紀に入ると会場外の一般視聴者からの投票も加わる(第1部終了時と合わせて2度)。一般視聴者の票は集計に時間がかかるため、第1部では残り2組(1対戦分)になったところで総合司会のアナウンサーが投票を呼びかけ、2組の歌唱中に投票と集計、ニュース直前に結果を表示する。最終投票時、第59回(2008年)以降は、投票中に「ハイライト」として、全歌手の歌唱シーンのダイジェスト(1組数秒、トータルで3分弱)を流すか、最後に全員歌唱で1曲が入る[注 25]。投票中に、審査員やゲストを含め出演者全員(労働基準法の関係上、実際にステージ上にいるのは18歳以上の出演者に限る)がステージ上に上がる。
優勝(勝利)チームが決定すると、テレビ画面には「○組優勝!!」の字幕スーパーが出て、天井から大量の紙吹雪がステージ一杯に降る(第19回(1968年)から。第19回は風船も一緒に降っていた。ちなみに初期のころはステージに紙テープを投げたり、天井から紙テープのみが降ったり(第14回(1963年) - 第18回(1967年))、くす玉が割れて、紙吹雪・紙テープ・風船が降る演出(第6回(1955年)・第11回(1960年)・第12回(1961年))があった。テレビ番組での先駆けである)。ただ、2000年代ごろからは紙吹雪が優勝決定時には降らず、エンディングの「蛍の光」の場面で降る。そして、優勝組の司会者(キャプテン)に優勝旗が授与される(優勝旗授与を行う人物は回によって異なる。大抵はゲスト審査員のうちの1人)。また、この優勝旗には歴代の優勝チームの色のリボンが飾られている。1950年代ごろは、優勝チームが決定した直後に軍歌「凱旋」が合唱されるのが恒例だった。
フィナーレは第4回以降、1960年代前半の一部の回を除き「蛍の光」を出演者(出場歌手・司会者・ゲスト審査員・ゲスト・合唱団など)ならびに会場の観客で大合唱されることが恒例である。この場面のみに指揮者として参加する音楽家がいる。
- 藤山一郎は、逝去する前年の第43回(1992年)まで合唱の指揮者を務めた(第22回(1971年)は岩城宏之が務めたが、総合指揮者として藤山も出演)。
- 藤山の逝去後、第44回(1993年)から第56回(2005年)まで宮川泰が務めた。
- 宮川の逝去後、第57回(2006年)から第67回(2016年)まで平尾昌晃が務めた。
- 平尾の逝去後、第68回(2017年)は都倉俊一が指揮を務める[38]。
「蛍の光」の演奏は、1980年代までは回によって2番まで歌ったり(特に1980年代までの回)、1番を2回繰り返したりした年(第36回(1985年) - 第38回(1987年))もあれば、一度大エンディング生演奏で締めた後、放送に入らない部分も含めてアップテンポの曲調でもう一度演奏を行った回(第33回(1982年)・第36回(1985年)・第37回(1986年)・第40回(1989年)・第43回(1992年)・第44回(1993年)・第50回(1999年)終了後の「カウントダウンスペシャル」など)もある。第41回(1990年)・第42回(1991年)は演奏を一度締めた後に「第九」をアレンジした曲を流している。
1990年まではステージにいるオーケストラに実際に指揮をしていたが、オーケストラを必要としない歌手が増えた1991年以降はステージの出場歌手と観客に向けてのパフォーマンスになった。
「蛍の光」大合唱が終わると番組オリジナルアレンジの大エンディング生演奏(放送開始〜第31回(1980年)は、かなり暗めのアレンジで、ステージングもステージにいる出演者と会場の観覧者に一人一本ずつ配布されたペンライト照明のみというもの、第34回(1983年)〜第37回(1986年)、第38回(1987年)〜第42回(1991年)はほぼ同じエンディングアレンジを前者は4年連続、後者は5年連続での流用が続き、 第45回(1994年)〜第51回(2000年)、第53回(2002年)、第64回(2013年)〜第67回(2016年)、第69回(2018年)、第71回(2020年)の通算14回と、第52回(2001年)、第56回(2005年)、第58回(2007年)の通算3回に関しては、前者後者共に全く同じエンディングアレンジが流用され、その年その年で全く違った新規のエンディングアレンジが個別で設けられたのは、第32回(1981年)、第33回(1982年)、第43回(1992年)、第44回(1993年)、第57回(2006年)、第59回(2008年)〜第63回(2012年)(それぞれの年で別々のアレンジが施された期間が5年連続で続いた)、第68回(2017年)、第70回(2019年)のみとなっている。また、第64回(2013年)以降、第68回(2017年)と第70回(2019年)を除いて「第九」を織り交ぜたアレンジになっていることが多くなっている)が約20 - 30秒程流れ、締めに単音が流れ(単音が3音連続で続いた第61回(2010年)〜第63回(2012年)、第68回(2017年)を除く)、曲終わりでの余韻を残したあとにステージ演出用ミサイル型クラッカーがステージ上手、下手から客席上に打ち上げられ[注 26]、そこで番組が終了する。
放送後
放送終了後にはNHK放送センターの1階食堂で出場歌手と司会者で打ち上げ会が行われる[39][40]。
1月2日ごろに視聴率が発表され各メディアで話題になる。あわせて1分単位の視聴率も発表されるため、「最高視聴率を獲得したのは誰か」も興味の的になる。通常、トリまたはその付近の歌手が獲得する。
歴史
開始当初 - 1960年代
- 第二次世界大戦終結直後の1945年の大晦日に『紅白音楽試合』というラジオ番組が放送された(『紅白音楽試合』は非公開番組だった)。番組は「新時代にふさわしい音楽番組を作ろう」と考えたディレクターの近藤積の発案であった。近藤は剣道の紅白試合を念頭に置きつつ、「Speed, Sexuality, Sports」という娯楽の3要素を取り入れた番組を制作しようとした。当初は『紅白音楽合戦』の番組名で放送する予定だった[41]が、GHQが「敗戦国がバトルとは何事だ」との判断を下し、仕方がなく、バトルから試合という意味のマッチに変えたというものである。勝敗の判定や審査員はなく、応援団に相当する者も存在しなかったという。当時は大晦日に終夜電車はなく、終電に間に合わない歌手はNHK東京放送会館の音楽部の部屋の椅子でざこ寝をしてもらっていた[42]。音楽試合ということから歌以外の出場者も登場し、木琴、マンドリン、尺八による曲を披露した(ただし先述の通り、この『NHK紅白歌合戦』でも楽器演奏者・グループの出場は可能である)。川田正子が歌った「汽車ポッポ」は元は「兵隊さんの汽車」という戦時童謡であったが、近藤が作詞者・富原薫に依頼して「兵隊さん 兵隊さん 万々歳」を「鉄橋だ 鉄橋だ 楽しいな」にするなどの変更を加えた。また、大ヒットした「リンゴの唄」で同年の新人・並木路子がベテラン勢と肩を並べて出場した(川田・並木とも、のちの『NHK紅白歌合戦』には生涯出場していない)。
- あまりの好評となったが、当時は大晦日に同じ番組を続けるという発想はなく(当時同じ内容のものを翌年も放送するのは能なしと見なされていたという)、1946年以降の大みそか番組として『紅白音楽試合』が編成されることはなかった。しかし、スタッフは『紅白音楽試合』の反響の大きさを忘れられず、放送の約5年後の1951年、「大みそかの番組でなければいいだろう」と正月番組として『第1回NHK紅白歌合戦』を放送した[注 27]。なお、第1回の出場歌手は全員1950年12月31日放送のNHK『明星祭』に出演しなかった者である。
- 第1回(1951年)においては、放送前に出場歌手の曲目や曲順は公表されなかった[43](出場歌手は公表されており、放送前の1951年1月1日付の『毎日新聞』の番組紹介記事に出場歌手名の記載がある[44]。対抗戦形式を意識し、紅組キャプテンの渡辺はま子、白組キャプテンの藤山一郎がそれぞれ相手の出方を見ながら誰に何を歌わせるかを決めるというものだった[45])。
- 第3回(1953年1月2日)までは正月番組として放送されていたが、同じ1953年の12月31日には第4回が放送され、この第4回を機に『紅白音楽試合』同様となる大みそかの放送が定着した。またこれにより1953年は放送が2回あった。なお、大みそかの開催を行った理由は当時年末年始には大みそかしか大規模な会場が開いていなかったことが一因という(番組側としても大みそかの方がトップ歌手を確保しやすいと踏んでいた)。ただ番組側は大みそかに観客が集まるか不安がったという。これはそれまで大みそか夜の催し物は絶対に当たらないというジンクスがあったためで、それを打破すべく第4回では出場歌手数を前回より5組増やす処置をとった。
- 正月開催時代、ステージ上方には「謹賀新年」のプレートが飾られていた。また正月開催時代では、岡晴夫、田端義夫、小畑実といった当時の人気歌手は正月公演のため、出場しなかったが[46]、これらの歌手も大みそか開催移行後に出場するようになった。
- 第3回から実況アナウンサーが登場するようになる。初期ではこのポジションは「スポーツ」がコンセプトのひとつであることから、一線級のスポーツアナウンサーが務めていた[47]。
- 第4回におけるテレビでの本放送開始と同時に視覚的な演出も行われるようになり、選手宣誓や優勝旗の返還や授与が開始された。同回より番組名に回数がカウントされるようになる。また初期3回はすべて白組優勝となったが、同回で紅組が初めて優勝を果たした。初めて敗北を喫した白組の出場歌手は口を揃えて「テレビは怖い。今回は(紅組女性軍の)衣装に負けた」と悔しがったという[48]。
- 紅組歌手の衣装重視傾向は、のちのカラー放送開始後はさらに拍車がかかった[49]。
- 1953年にNHKはテレビ本放送を開始したが、一般家庭へのテレビ普及には程遠く、テレビ番組として独自に制作をするには予算的にも厳しく、NHKラジオの人気番組を中継するということがしばしば行われており、紅白もそのひとつだった。またしばらくはラジオが主でテレビが従という考え方で制作されていた[50]。
- 会場は初期3回までは内幸町にあった旧NHK東京放送会館だった。1953年12月・第4回のラジオ・テレビ同時中継開始以降は東京宝塚劇場や日本劇場(日劇)・日比谷公会堂・産経ホール・新宿コマ劇場[注 28]などを転々としたが、第24回(1973年)以降はNHKホールに固定されている。なお、第72回(2021年)はNHKホールが耐震補強と設備更新などの工事で休館するため、東京国際フォーラムで開催予定である。紅白歌合戦がNHKホール以外で行われるのは第23回(1972年)の東京宝塚劇場以来49年ぶりである。
- 黎明期の紅白は映像はおろか音声すら現存しないとされてきた(第1回に至っては写真も現存しない)が、愛知県名古屋市在住の一般男性が第5回(1954年)からラジオ中継の音声を録音していたオープンリールテープが1999年末に発見され、NHKに提供された。同回以降、ラジオ中継の音声は、すべて上記の男性から提供されたものかどうかは詳細不明だが、第13回(1962年)までのすべての回の音声が現存する。一方、現存する写真は第2回(1952年)が最古で、以後、すべての回の写真が現存する。これは当時の放送局用ビデオテープ(2インチVTR)が非常に高価で大型であり、収録された映像は放送終了後に消去されて他番組に使い回されていたためである。そして、現存する映像は全編だと第14回(1963年)が最古で、第13回(1962年)はラジオ中継の音声とともに当時のニュースでごく一部が紹介された映像が残っている。なお、第15回(1964年)からカラー放送となったが、同回の映像はカラー・白黒とも現存せず、ラジオ中継の音声が現存する。第15回を除いた第14回以降の1960年代はすべての回の映像が現存するが、ほぼ白黒のみ(第16回(1965年)は欠落部分があるがカラーVTRが、第19回(1968年)は保存状態はよくないがカラーフィルムも現存する)である。第21回(1970年)はカラーで現存するがフィルム映像で保存状態がよくなく、一部が欠落している。第22回(1971年)はカラーのビデオ映像で現存するが保存状態のよくない部分がある。第23回(1972年)からNHKがVTRで保存するようになり、同回以降の映像はすべて安定したカラーのビデオ映像で現存する。
- 初期回の音声をNHKラジオ(ラジオ第1、NHK-FM)の特集番組[注 29]で紹介することがある。
- 第8回(1957年)まで出場歌手はソロ歌手に限られていた。しかし、第9回(1958年)に水谷良重・東郷たまみ・沢たまき、ダークダックスがグループとして初めて選出され、以後グループも多く出場するようになった。第13回(1962年)までグループは必ずグループと対戦する格好となっていた。
- 第14回(1963年)より、全国のファンからの関心が高まってきたことから当時の芸能局内に「紅白歌合戦実施委員会」を設置。毎年秋になると同時に実施の準備が始まることになる。
- 1950年代の紅白では、外国曲の選曲が多く行われた[51]。
- 黎明期(第7回ごろ)までは戦前・戦中派の歌手も常連として名を連ねていたが、第8回(1957年)をもって戦前からの第一人者的存在である藤山一郎が後進に道を譲る形で歌手としての出場を辞退。以後、回を重ねるごとに戦前派の歌手の名は消えていく。入れ替わるように、第10回(1959年)では新世代デュオ歌手のザ・ピーナッツが(姉妹または兄弟での出場はこれが初めて)、翌第11回(1960年)では御三家の筆頭として1960年代の歌謡界を牽引するスター歌手となる橋幸夫や、ロカビリーブームの第一人者である平尾昌章(現・平尾昌晃)が、第12回(1961年)では当時NHKで放送中であった『夢であいましょう』内の「今月の歌」コーナーから誕生した「上を向いて歩こう」のヒットにより坂本九がそれぞれ初出場するなど、出場者の顔ぶれにも「世代交代」の色が年々強く反映されるようになっていく。そして第13回(1962年)では前年まで連続出場していた淡谷のり子、林伊佐緒、伊藤久男が落選、完全に戦後派の歌手のみの顔ぶれとなった。
- 第11回(1960年)前後まで、同じレコード会社の歌手同士を対戦させるのは極力控えていたという。その後は同じレコード会社の歌手同士の対決も行われるようになったが、トリ対決についてはこの後もしばらくこの慣例が続いた。
- ビデオリサーチ社によるテレビ視聴率調査が第13回(1962年)から開始される(そして、いきなり80.4%を記録)。翌第14回(1963年)において、81.4%の視聴率を記録する[53]。これは、紅白史上およびビデオリサーチ社の全統計史上最高のテレビ視聴率である[注 31][注 32]。
- 美空ひばりは第14回 - 第23回まで、一貫して紅組トリ(ほとんどの回で大トリ)を務めていた。しかし、先述の通り、翌1973年に実弟が暴力団絡みの事件で逮捕されたことが発端となり、全国各地でひばり公演の開催中止が相次ぐなどして人気が急降下し、同年の第24回も落選となった(その後、第30回〈1979年〉に藤山一郎とともに「30回記念特別ゲスト」扱いで1回のみ復帰、「ひばりのマドロスさん」「リンゴ追分」「人生一路」のメドレーを披露した)。
- 1960年代のグループサウンズ全盛時代、長髪のグループは“不良”という意見が根強く、加えて当時のNHK会長の意向もあって一切出場できなかった。実際、NHK会長が「長い髪の毛のグループ・サウンズは出演させない」と発言し、国会で参考人招致される事態にまでなったほどである(NHKの不祥事参照)。第18回(1967年)のザ・タイガースはその一例である。出演できたのは短髪のジャッキー吉川とブルー・コメッツのみであった。時が経ち、演歌歌手やアイドルが長髪にするケースも出たため当然ながら長髪は解禁になった。
- 沖縄県はアメリカ合衆国の施政権下にあったため、第15回(1964年)まではテレビで中継ができなかった。本土と沖縄を結ぶテレビ中継用マイクロケーブルが完成した翌第16回(1965年)からテレビは沖縄テレビ、ラジオはラジオ沖縄がそれぞれスポンサーをつけるという形で放送を開始した。テレビは1968年に沖縄放送協会の中央放送局がテレビ放送を開始すると同年の第19回から同局での放送となり、1972年の本土復帰でNHK沖縄放送局としての放送となった。ラジオは1972年にNHK沖縄放送局がラジオ放送再開すると同年の第23回から同局での放送となった。
- 第20回(1962年)よりオープニングの入場行進時に出場歌手名がテロップで流れるようになった。また1969年からTBS系列『日本レコード大賞』も同日の19時から21時に開催・テレビ生中継されるようになり、歌手の『レコード大賞』から紅白への大移動が始まった(この大移動は『日本レコード大賞』の開催日繰り上げにより2005年で終了した)。この時期では、『レコード大賞』と同じ衣装で出演する歌手も存在した。
- 1960年代後半から1970年代にかけて、ステージの後ろに出場歌手が並んで座る「歌手席」が設けられることが一般的だった。
- 詳細は以下を参照。
- 1951年 1952年 1953年1月 1953年12月 1954年 1955年 1956年 1957年 1958年 1959年 1960年 1961年 1962年 1963年 1964年 1965年 1966年 1967年 1968年 1969年
1970年代 - 1990年代
- 1970年代になると新三人娘、新御三家、花の高一トリオに代表されるアイドルの台頭、フォークおよびニューミュージック、ロックグループの人気によって、紅白で歌われる曲の質は一変した。
- 公共放送であるNHKは番組中で商品名の使用を規制しているが、かつてはその規制も特に厳しく、紅白でも歌詞に関するトラブルが起こった。第24回(1973年)にかぐや姫の『神田川』の歌詞に出てくる「クレパス」(サクラクレパスの商標)を「クレヨン」に変えさせようとした結果、かぐや姫は出場を辞退した。第29回(1978年)でも山口百恵の『プレイバックPart2』の歌詞にある「真っ赤なポルシェ」を「真っ赤なクルマ」に変えさせようとしたが、実際には原詞通り歌われた(ちなみに、別音楽番組『レッツゴーヤング』『NHKヤング歌の祭典』では「真っ赤なクルマ」として歌った)。
- 視聴率は、1970年代から1980年代前半はなお驚異的に高い域にあった。第25回(1974年)から9年間白組司会を務めた山川静夫が交代となった理由のひとつは視聴率の降下であるが、それでも最後の担当回である第33回(1982年)の視聴率は69.9%(関東地区・ビデオリサーチ社調べ)だった。とりわけ、都はるみの引退舞台となった第35回(1984年)の視聴率は78.1%であり、1960年代に匹敵する数字であった。ところが、以後は視聴率が大幅に落ち込むようになった。
- 第29回(1978年)からステレオ放送開始。
- 第32回(1981年)からこれまでホールの後ろから観客席を通って入場行進していた出場歌手は舞台の後ろから入場行進をするようになった。セットが見直され、大幅な舞台装置の交換が本番中にも可能となった。また応援合戦が少なくなり、歌手席が初めと終わりを除いて設置されなくなった(応援合戦の内容も従来の対抗色が強いものから紅白歌手入り乱れての内容が中心となった)。1980年代半ばごろから応援合戦のみは復活したものの、歌手席は初めと終わりにも設置されなくなった[注 33]。第42回(1991年)から入場行進、優勝旗返還、(両組司会や出場歌手の代表が行う)選手宣誓[注 34]が省略され、さらにそれまではステージ上やオーケストラピットで演奏していたオーケストラが表舞台に出演しなくなった。第53回(2002年)ではオーケストラが小規模ではあるが、久々に表舞台で演奏した。その後、第63回(2012年)で生演奏は廃止、バンドなどを除き事前に録音した伴奏を用いたものに変更された。同回よりエンディングの演出が華やかで明るいものとなる。第31回(1980年)までは、厳かで徐々に照明が暗くなっていく演出があった回もあった。
- 第31回(1980年)から第35回(1984年)の期間は「歌手による歌の祭典」という原点に立ち返るために原則応援ゲストを起用しなかった(まったく応援ゲストが登場しなかった回もある)。
- 第33回(1982年)より、原則ほぼすべての歌唱曲の歌詞テロップがテレビ画面上に登場するようになった。また同回では通常、出場歌手発表後に決める曲目選定を出場歌手選考中の同年9月21日から行った。各レコード会社に「今年紅白に出場させたい人たちのリストを作り、歌唱希望曲を3つ書いて提出を求めるという試みを行った(歌唱希望曲については、自身の過去のヒット曲でも他人の持ち歌でも構わない」とのものであった)。ヒット曲不足の1年を振り返り、曲目によっては出演危機の歌手にもチャンスが与えられるような印象が業界に広まり、また出場させたいリストをレコード会社が提出した時点で出演意思の判断ができるということにもなった。
- 第34回(1983年)- それまでステージ上には紅組白組それぞれにバック演奏を務めるフルバンドと東京放送管弦楽団を配していたが、この年からなくなった。
- 第34回(1983年) - 第36回(1985年)まで金杯・銀杯の授与が採用されていた。これは歌は当然のことながら、衣装などの演出面や番組中の活躍を総合的に判断して授与するものであり、優勝チームから金杯の受賞者が、敗退チームから銀杯の受賞者が選出されることとなった。
- 1980年代の紅白はそれまでより話題を集めにくくなっていた。この時期にもっとも注目されたもののひとつが小林幸子の衣装であった。小林の衣装は1980年代半ばから派手になり、第36回(1985年)の『夫婦しぐれ』で十二単を、翌第37回(1986年)の『別離』ではクレオパトラの衣装を披露した。第42回(1991年)の『冬化粧』では鳥となって飛んだ。1990年代になると、小林と美川憲一の豪華衣装対決が注目されるようになる(2人が直接対決となった回もある)[注 35]。小林が巨大な機械仕掛けなのに対し、美川は間奏などにプリンセス・テンコー監修のイリュージョンで対抗している。ちなみに、小林と美川が紅白で着用する豪華衣装は高額な予算(数億単位の場合も)をかけて本番・出場歌手発表のはるか前である時期から制作開始される[注 36][注 37]ほか、2人の着用衣装は大みそか当日のスポーツ新聞や民放の情報番組やワイドショーで本番前ながら紹介されていた。またこの2人以外にも紅白で豪華衣装を披露する歌手が登場することがある[注 38]。
- テレビでの実況は第38回(1987年)が最後となり、翌第39回(1988年)からはラジオでの実況のみとなった。
- 第40回(1989年)から紅白は2部構成になった。同年昭和天皇が崩御し、「昭和を振り返る」という意味もあったが視聴者の音楽の好みが多様化し、多くの曲を揃えなければ需要に応えられないという視聴率対策の意味合いがあった。この試みは功を奏し、視聴率低落傾向に一応の歯止めがかかった。以後、1990年代は視聴率は50%前後で推移するようになる。
- 1989年以降、紅白の平均視聴率が低下したことなどを理由に、紅白の廃止が検討されたことがあるが、その都度廃止は取りやめとなっている。→詳細は「第40回NHK紅白歌合戦 § 幻の「紅白廃止」と「アジア音楽祭」」を参照
- 1990年代には小室哲哉の作詞作曲した楽曲が市場を制覇したが、その影響は紅白にも表れ、多数の歌手が出場した。
- 第41回(1990年)において、初めてNHKホール以外から中継で歌唱するという演出が行われた。番組内で中継を挿入する企画はこれより以前からあったが、「ステージ上からパフォーマンスを届けることが紅白」との制作者側の共通認識から中継歌唱は行われてこなかった。このときは長渕剛がベルリンから15分にわたって3曲を歌った[57]。しかし、中継先で歌う演出はNHKホールの観客やほかの紅白出場歌手達にも不評を買い、その後、中継先で歌う演出は12年後の第53回(2002年)まで行わなかった(一方、中継演出が復活してからはその演出が定着している)。また、前年は採点の対象は第2部だけだったが、同回からは第1部も採点の対象となった。その影響で、同回から放送時間の前半が『日本レコード大賞』とバッティングするようになり、歌手の奪い合いや掛け持ちによる大移動などの問題がさらに大きくなった。TBSは紅白が『レコード大賞』の裏番組となることに大慌てとなったという。TBS側はNHKに苦言を呈したほか、長時間紅白の定着により毎回視聴率30%を誇っていた『レコード大賞』は視聴率を低下させていくこととなり、ついに2006年をもって開催日を12月30日に繰り上げた(『レコード大賞』は紅白対策でこの年より「歌謡曲・演歌部門」「ポップス・ロック部門」の2部門、すなわち2組のグランプリを輩出させるように変更するなど、工夫を凝らすようになる)。
- 第42回(1991年)以降、オープニングに趣向を凝らした大がかりな構成・演出が行われるようになった。開会宣言を大物著名人が行うこともある。同回では、21時前のニュースによる中断までを第1部、21時から22時30分(森山良子・アンディ・ウィリアムスの対戦カードまで)までを第2部、22時30分から終了までを第3部とする計3部構成がとられた。ただし、第2部から第3部への移行時には中断が挿入されなかったため、ビデオリサーチ社による視聴率調査では第2部・第3部をあわせて“第2部”として取り扱われ、のちの紅白関連資料(NHKによる公式資料を含む)もこのビデオリサーチ社による区割りに則って今回の出場歌手・曲順が紹介されている。
- 1990年代以降、オリジナルソング・テーマソングを制作し、番組内で出場歌手らによって大合唱されるという演出が行われることがある(このときは参加者が楽譜を持って歌唱となる場合もあり)。これらの曲がのちにCD発売される、『みんなのうた』で放送される、NHK全国学校音楽コンクール課題曲に起用されるということもある。また翌年の紅白で出場歌手の歌唱曲として歌唱されるケースもある。
- 1990年代以降、ディズニーや人気アニメとのコラボレーション演出が行われることが多々ある。
- 第45回(1994年) - 第48回(1997年)までその年のNHK新人歌謡コンテストの優勝者に紅白の出場権が与えられた(1998年にNHK新人歌謡コンテストは廃止)。
- 紅白におけるNHKのロゴマークが第46回(1995年)から更新された。
- 1990年代後半を中心にヴィジュアル系バンドのブームが起こり、X JAPAN・LUNA SEA・GLAY・L'Arc〜en〜Cielらが出場した。
- 第50回(1999年)については、番組終了後、後座番組『ゆく年くる年』放送中の23時58分(30秒)ごろより画面が紅白終了直後のNHKホール内の映像に切り替わり、紅白出演者および観客による2000年に向けてのミレニアムカウントダウンの模様が放送された。その後、同回のオリジナルソングとして制作された『21世紀の君たちへ〜A song for children〜』の出演者による大合唱も行われた。通常、総合テレビの年越しの瞬間は『ゆく年くる年』内でシンプルに進行しており、さまざまな形式(大勢が賑やかに迎えることが通例)で新年のカウントダウンが行われる民放テレビ各局の年越し番組とは確実な差異があるが、この際は例外であった。また、BS2とアナログハイビジョンに於いては23時45分以降も「カウントダウンスペシャル」の名で継続放送され、翌年1月1日午前0時5分まで放送された。
- 詳細は、以下を参照。
- 1970年 1971年 1972年 1973年 1974年 1975年 1976年 1977年 1978年 1979年 1980年 1981年 1982年 1983年 1984年 1985年 1986年 1987年 1988年 1989年 1990年 1991年 1992年 1993年 1994年 1995年 1996年 1997年 1998年 1999年
2000年代 -
- 国民の生活様態の多様化などに加え、当時行われていたBSでのサイマル放送も一因となり[注 39]、地上波テレビ放送の視聴率は40%前後まで徐々に低下する。また、常連の出場歌手の中には全盛期を過ぎていたり、音楽セールスや絶対的な知名度があるとはいえないような者が多くを占めるようになる。演歌歌手は紅白に出るか出ないかで翌年の営業(コンサートなど)が大きく変わることから、紅白を敬遠する人は少なく、ポップス歌手のように辞退することがほとんどないためである[58]。
- 21世紀最初の紅白となる第52回(2001年)は、生放送娯楽番組におけるリアルタイム字幕放送を世界初実施。
- 民放各局もかつては大晦日の番組も通常編成で、紅白の「不戦勝」状態が続いていたが、このころから紅白に対抗する番組編成に乗り出す。特に第54回(2003年)では『K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!』(TBS系列)でのボブ・サップVS曙太郎戦時の視聴率が、紅白開始時1分間の例外を除けば調査開始以来初めて瞬間視聴率を4分間逆転されるという事態が発生した(このとき、紅白で出ていたのは長渕剛)。
- そのため、製作者サイドも新しい紅白へ変えるべく、従来の紅白から外れた取り組みを行っている。
- 第53回(2002年)において、番組側は「日本音楽界の総決算」をテーマに掲げ、出場歌手・曲目の多ジャンル化を決行[59]。第52回(2001年)まで常連だった演歌歌手が次々に落選となり、同回以降、演歌歌手の出演数が従来の半分以下になった[60]。NHK関係者は「出場歌手別に視聴率を調査すると演歌のときが目立って下がる。やむを得ない」と語っている[61]。
- 第54回(2003年)、『世界に一つだけの花』が大ヒットしたSMAPが大トリをつとめる。今回のSMAPの事例を機に以後、グループのトリ起用も普通に行われていくようになるが、2020年までに紅組でソロ歌手以外でトリを務めたのはDREAMS COME TRUE といきものがかりのみで、いずれも男女混合グループである。女性のみで構成されるグループ(乃木坂46をはじめとする坂道シリーズなど)のトリは未だ実現していない。以降、演歌歌手が終盤を固める従来の構図は徐々に崩されていき、2010年代に入るとポップス系の歌手が終盤を占めるようになる。2010年代に入ると、演歌の業界の縮小にともない演歌歌手は出場自体が困難になり、常連の演歌歌手が「勇退」という形で相次いで紅白を去った(ただし中堅歌手の返り咲きや若手歌手の抜擢などによる入れ替わりがあり、人数が激減したわけではない)。
- 第58回(2007年)を境に、出場歌手一同で行うアトラクションが廃止され、歌重視のシンプルな構成になる。同年から第60回記念(2009年)までの3年間は通し計画「歌力(うたぢから)」を設け、その一環で2007年は『クイズ紅白検定』が放送された。以降、各年ごとにテーマが設けられる。
- 第59回(2008年)以降、第65回(2014年)を除き、得点集計中に全出場歌手登場シーンのハイライトを放送している。
- 第60回(2009年)以降、NHKオンデマンドの「見逃し番組サービス」で元日から2週間前後にわたり、有料配信を行っている。ジャニーズ事務所所属タレントが出演する番組のインターネット配信はこのケースが史上初となる[62][注 40]。
- 従来の紅白はステージ本体ですべて完結していたが、第58回(2007年)に楽屋ロビーからの中継が入ったのを皮切りに、出番外の歌手のトークや番組の裏側紹介などが行われるようになる(副音声の「紅白裏トーク」、生配信の「紅白楽屋トーク」など、同時進行で放送される形態もある)。
- 2004年には、紅白も担当したNHKプロデューサーが5,000万円近い制作費を不正支出していたことが明るみに出て、NHKは激しい批判にさらされることになった。紅白のあり方についても見直しが提起され、同年の第55回では出場歌手選考の透明感を出すことを目的に「紅白に出場してほしい歌手」と題された世論調査(7歳以上の3,600人を対象に「出場してほしい男女それぞれ2組の歌手」を記入してもらう)が実施された。ただ、歌手からの反発もあり、翌年の第56回(2005年)には視聴者から紅白で聞きたい歌を募ったアンケート『スキウタ〜紅白みんなでアンケート〜』が実施された。しかし、こちらも組織票が多く寄せられるなどトラブルがあり、1年限りで廃止となった。
- 第55回(2004年)と第67回(2016年)で審査方法に対する苦情が多く寄せられたことから、翌年の第56回・第68回は全審査員の投票数すべてをそのまま反映する方式を採用した。
- 2000年代前半は、NHKアナウンサーが紅組および白組の司会を担当することが多くあったが、第59回(2008年)以降は、白組司会はジャニーズ事務所の所属タレントが務めるようになり(2019年まで12年連続)、紅組司会は、NHKの看板番組である『大河ドラマ』や『連続テレビ小説』のヒロイン女優(あるいはヒロイン予定者・経験者)が基本的に務めるようになっている。
- 第59回にはMr.Childrenが、第60回(2009年)には矢沢永吉がそれぞれ初出演し、以降は例年「辞退組」の招聘に成功している。矢沢は「特別枠」での出演であり、以降の「辞退組」も、対戦の枠外なおかつ中継での出演が多い。
- 2000年代半ばごろからNHKホール外からの中継が復活し、中継のステージが毎年数組入るようになっている。大物歌手がコンサート会場から中継出演[注 41]するほか、NHK側がステージ(あるいは中継会場)を用意するケース[注 42]もあり、特に後者は大々的な演出が行われるようになる。中継で出演すること自体には和田アキ子や北島三郎が苦言を述べたことがあり、北島は「ホール側に穴が開く」と表現した。
- 2010年代になってCG技術が飛躍的に進歩を遂げると、それを用いた映像技術を駆使した演出が行われるようになった[注 43]。
- 第63回(2012年)から第66回(2015年)までは、生演奏のバックバンドが完全に消え事実上の「カラオケ」状態での歌唱となっていた。
- 第64回(2013年)から8K映像での制作を実施。BS4KとBS8Kでの放送が開始される第69回(2018年)まで、主に全国のNHK放送局や放送博物館といった関連施設、シネマコンプレックスなどにてパブリックビューイングを行っていた[63][64][65]。
- 2000年代半ばごろから「男女対抗」というコンセプトが薄められるような演出がみられるようになった。一例として、第56回(2005年)では紅組常連の和田アキ子がm-floとコラボレーションして白組から出場し、男性コメディアンのゴリ(ガレッジセール)が女装キャラクター「ゴリエ」として紅組から出場した。また、第58回(2007年)では前年白組司会を務めた中居正広が紅組司会を担当(歌手としてはSMAPのメンバーとして白組から出場)し、またこの年の笑福亭鶴瓶以降、白組司会者も下手側花道で進行を行うようになった(それまでの白組司会者は上手側花道で進行していた)[66]。男女対抗形式が廃止される可能性も報道されている[67]。
- 2019年4月29日、『総決算!平成紅白歌合戦』が放送[68]。
- 同年の第70回では、紅白の歴史で初めて「AI」(美空ひばり)が出場した[69]。
- 2021年3月から2022年6月まで、NHKホールの耐震工事にともない長期休館するため、当該期間に放送予定の第72回は東京国際フォーラムで実施される。NHKホール以外の会場で実施するのは第23回以来49年ぶり、同ホール運用開始以来初となる[70][71]。
- 2020年8月16日、第71回は新型コロナウイルス感染症の対策として、無観客での開催を検討していることが明らかとなった[72][73]。その後の9月10日、NHKは定例会見で、正式に史上初の無観客開催にすると発表した。また、それに伴い放送時間を例年より15分短縮して19時30分から23時45分までとすることも併せて発表された[74]。
- 詳細は、以下を参照。
審査方法の変遷
期間 | 審査方法 |
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? - 第13回(1962年) | 審査員が紅白に塗り分けた団扇の優勢だと思う方をステージ上に向けた数の多かったチームが優勝。 |
第14回(1963年)・第15回(1964年) | 各地方放送局のアナウンサーが地方審査員のポイントを公表。加えて、審査委員長のNHK芸能局長がステージ上で特別審査員のポイントを追加、公表し優勝チームを発表。会場の電光掲示板にも表示される。 |
第16回(1965年) - 第19回(1968年) | 特別審査員が宝箱にボールを入れ、両軍司会がステージ袖に向かってボールを投げ、ボールの数の多いチームが優勝。
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第20回(1969年) - 第31回(1980年) | 得点集計センターのオペレーターが電話で地域代表が優勢と判断したチームを聞き、両組の得点を集計する。その後、特別審査員がスイッチで1ポイントずつ点数を入れ、地域代表の審査結果と合計した点数を電光掲示板に表示し、点数の多かったチームが優勝。 |
第32回(1981年) - 第52回(2001年) | 客席審査員として会場の観客全員も審査を開始。観客が優勢と判断した色のうちわやカード(第32回(1981年)はカード。団扇には組司会の似顔絵が描かれている)で示し、双眼鏡を持った日本野鳥の会が数える風景は恒例となった。団扇による得票数は、第45回(1994年)まではその年のそろ盤日本一が暗算にて計算して自ら発表していたが、第46回(1995年)以降は代わりに緑色のユニフォームを着用した珠算有段者数名が野鳥の会と同じ場所で集計を行って総合司会が得票数を発表していた。第46回(1995年)までは階毎に分けて発表していたが、翌第47回(1996年)以降は全階一緒に発表するかたちに変更している。
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第53回(2002年)・第54回(2003年) | デジタル放送(第53回からはBSデジタル放送、第54回からは地上デジタル放送でも)の双方向機能を利用したお茶の間審査員による投票が行われるようになった(リモコンで紅組の場合は赤ボタン、白組の場合は青ボタン[注 44]を押して投票)。客席審査同様、お茶の間審査で優勢だったチームにボールが2個加算される。
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第55回(2004年) | 客席は審査に参加せず、特別審査員(11票)とお茶の間デジタル審査員(2票)の13個のボールで勝敗を争うかたちとなった。 |
第56回(2005年) | 審査員の投票総数で勝敗を競う方式に変更された。ゲスト審査員10名と「デジタルTV審査員」と新設された「ケータイ審査員」(抽選で選ばれた10,000名)に加え、2年ぶりに復活する会場審査(3,000名程度)を加えた人数で勝敗を競う。これは前年の件や不祥事に伴う信頼回復策の一環として視聴者の意見を重視してイメージアップを図ることが目的だったという。また、「デジタルTV審査員」と「ケータイ審査員」への応募者の中から抽選で各10名、計20名が「ふるさと審査員」としてNHKホールに招待された(「ふるさと審査員」がNHKホールに赴く際にかかる費用はNHK持ちとなっていた)。会場審査はゲスト審査員・ふるさと審査員も含め、専用の紅白の団扇をステージ上のレーダーに向ける『ポップジャム』のブレイクレーダー方式が用いられた。 |
第57回(2006年) | ワンセグ放送の双方向機能による「ワンセグ審査員」がスタート。「ケータイ審査員」と同様抽選で選ばれ、定員は各15,000名。ボールを使う投票方式に戻され、特別審査員は1人1個、それ以外は得票数を数個のボールに置き換えるかたちとなった。
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第58回(2007年) | 「ケータイ審査員」が50,000名に増員、「ワンセグ審査員」は無制限となり、審査方法は再び審査員の投票総数で勝敗を競う方式になった。これには中間審査の票数も加算される。 |
第59回(2008年) - 第61回(2010年) | 同様の審査方式であるが中間審査は1回のみとなり、結果発表はステージ上のLEDパネルに映し出す形を採用。 |
第62回(2011年)・第63回(2012年) | 基本の審査方法はこれまでと同じだが、最終審査のみの得票数で競うかたちを採用。この2回ではゲスト審査員はウタ♪ウッキーのパペットを出して審査に参加した(紅組の場合はウー♪、白組の場合はター♪)。
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第64回(2013年) | 第57回以来7年ぶりにボール審査が復活した。中間審査にて視聴者審査員の優勢だったほうにボール1個。最終審査にて視聴者審査員、会場審査員の優勢だったほうにボール各1個。ゲスト審査員は1人でボール1個。 |
第65回(2014年)・第66回(2015年) | 団扇での投票と似ているが、ゲスト・客席ともに、ペンライトを赤か白かどちらかに点灯させて審査を行った(計測は麻布大学野鳥研究部が担当)。 |
第67回(2016年) | 第64回同様、ボール審査を実施。視聴者は1対戦ごとに1票の投票になった。視聴者審査員、会場審査員は優勢だったほうにボール各2個。ふるさと審査員は全員でボール1個。ゲスト審査員は1人でボール1個。 |
第68回(2017年) | 視聴者は1対戦ごとに1票。会場とゲスト審査員は最後に1人1票投票し、全ての票の合計が多かったほうが優勝となった。
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第69回(2018年) - 第70回(2019年) | 視聴者の投票は、中間審査と最終審査の2回に戻される。視聴者・ゲスト・会場のそれぞれの票が多かったほうに1ポイントずつ与えられ、2ポイント以上を獲得したほうが優勝。 |
第71回(2020年) | 視聴者の投票は、最終審査の1回のみ行われる。視聴開始とともに1票獲得し、その後は5分連続視聴×10回ごとに1票ずつ加算(テレビ1台につき最大5票)。得た票を紅白いずれかにまとめて投じ(票の分割(例:紅組3票、白組2票)は不可)、得票数の多いほうが優勝。ゲスト審査員も同様の形式で投票する。無観客開催のため会場審査はなし。 |
会場の変遷
- 第1回 - 第3回:NHK東京放送会館第1スタジオ
- 第4回、第11回:日本劇場
- 第5回:日比谷公会堂
- 第6回:産経ホール
- 第7回、第8回、第10回、第12回 - 第23回:東京宝塚劇場
- 第9回:新宿コマ劇場
- 第24回 - 第71回、第73回 - (予定):NHKホール
- 第72回(予定):東京国際フォーラム
各回の概要
放送データ
2020年までの通算成績は紅組32勝・白組39勝で白組がリードしている。連勝は紅組が3連勝、白組が6連勝が最多である。
回数 | 放送日 | 放送時間 | 紅組司会 | 白組司会 | 総合司会 | 優勝 | 視聴率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
第1回 | 1951年1月3日 | 20:00-21:00 | 加藤道子 | 藤倉修一[76] | 田辺正晴[76] | 白 | 記録なし |
第2回 | 1952年1月3日 | 19:30-21:00 | 丹下キヨ子 | 白 | |||
第3回 | 1953年1月2日 | 本田寿賀[76] | 宮田輝[76] | 志村正順[76] | 白 | ||
第4回 | 1953年12月31日 | 21:15-22:45 | 水の江瀧子 | 高橋圭三[76] | 北出清五郎[76] | 紅 | |
第5回 | 1954年12月31日 | 21:15-23:00 | 福士夏江[76] | 石井鐘三郎[76] | 紅 | ||
第6回 | 1955年12月31日 | 宮田輝[76] | 紅 (5-4) | ||||
第7回 | 1956年12月31日 | 21:05-23:00 | 白 | ||||
第8回 | 1957年12月31日 | 水の江瀧子 | 紅 (7-4) | ||||
第9回 | 1958年12月31日 | 21:10-23:35 | 黒柳徹子 | 紅 (7-4) | |||
第10回 | 1959年12月31日 | 21:05-23:35 | 中村メイコ | 紅 (7-4) | |||
第11回 | 1960年12月31日 | 21:00-23:40 | 白 | ||||
第12回 | 1961年12月31日 | 穂坂俊明[76] | 白 | ||||
第13回 | 1962年12月31日 | 21:00-23:45 | 森光子 | 宮田輝[76] | 石井鐘三郎[76] | 白 | 80.4% |
第14回 | 1963年12月31日 | 21:05-23:45 | 江利チエミ | 紅 (19-8) | 81.4% | ||
第15回 | 1964年12月31日 | 白 | 72.0% | ||||
第16回 | 1965年12月31日 | 林美智子 | 白 (14-11) | 78.1% | |||
第17回 | 1966年12月31日 | ペギー葉山 | 紅 (22-3) | 74.0% | |||
第18回 | 1967年12月31日 | 21:00-23:45 | 九重佑三子 | [76]北出清五郎 | 紅 | 76.7% | |
第19回 | 1968年12月31日 | 水前寺清子 | 坂本九 | 宮田輝[76] | 白 (10-7) | 76.9% | |
第20回 | 1969年12月31日 | 伊東ゆかり | 紅 (10-7) | 69.7% | |||
第21回 | 1970年12月31日 | 美空ひばり | 宮田輝[76] | 北出清五郎[76] | 紅 (81-79) | 77.0% | |
第22回 | 1971年12月31日 | 水前寺清子 | 鈴木文彌[76] | 白 (102-98) | 78.1% | ||
第23回 | 1972年12月31日 | 佐良直美 | 山川静夫[76] | 紅 (59-42) | 80.6% | ||
第24回 | 1973年12月31日 | 水前寺清子 | 紅 | 75.8% | |||
第25回 | 1974年12月31日 | 佐良直美 | 山川静夫[76] | 土門正夫[76] 中江陽三[76] |
紅 | 74.8% | |
第26回 | 1975年12月31日 | 相川浩[76] | 白 | 72.0% | |||
第27回 | 1976年12月31日 | 紅 | 74.6% | ||||
第28回 | 1977年12月31日 | 白 | 77.0% | ||||
第29回 | 1978年12月31日 | 森光子 | 白 | 72.2% | |||
第30回 | 1979年12月31日 | 水前寺清子 | 中江陽三[76] | 紅 | 77.0% | ||
第31回 | 1980年12月31日 | 黒柳徹子 | 紅 | 71.1% | |||
第32回 | 1981年12月31日 | 生方惠一[76] | 白 (22-11) | 74.9% | |||
第33回 | 1982年12月31日 | 紅 (19-16) | 69.9% | ||||
第34回 | 1983年12月31日 | 鈴木健二[76] | タモリ | 白 (19-10) | 74.2% | ||
第35回 | 1984年12月31日 | 森光子 | 生方惠一[76] | 紅 (31-2) | 78.1% | ||
第36回 | 1985年12月31日 | 森昌子 | 千田正穂[76] | 紅 (22-11) | 66.0% | ||
第37回 | 1986年12月31日 | 目加田賴子[76] 斉藤由貴 |
千田正穂[76] 加山雄三 |
吉川精一[76] | 白 | 59.4% | |
第38回 | 1987年12月31日 | 和田アキ子 | 加山雄三 | 紅 (18-9) | 55.2% | ||
第39回 | 1988年12月31日 | 杉浦圭子[76] | 白 (19-8) | 53.9% | |||
第40回 | 1989年12月31日 | 1部 19:20-20:55 2部 21:00-23:45 |
三田佳子 | 武田鉄矢 | 松平定知[76] | 紅 (20-7) | 1部 38.5% 2部 47.0% |
第41回 | 1990年12月31日 | 西田敏行 | 白 (13-4) | 1部 30.6% 2部 51.5% | |||
第42回 | 1991年12月31日 | 浅野ゆう子 | 堺正章 | 山川静夫[76] | 紅 (8-7) | 1部 34.9% 2部 51.5% | |
第43回 | 1992年12月31日 | 石田ひかり | 白 (15-2) | 1部 40.2% 2部 55.2% | |||
第44回 | 1993年12月31日 | 1部 19:30-20:55 2部 21:00-23:45 |
森田美由紀[76] | 白 (18-9) | 1部 42.4% 2部 50.1% | ||
第45回 | 1994年12月31日 | 1部 20:00-21:25 2部 21:30-23:45 |
上沼恵美子 | 古舘伊知郎 | 宮川泰夫[76] | 紅 (9-8) | 1部 40.1% 2部 51.5% |
第46回 | 1995年12月31日 | 宮本隆治[76] 草野満代[76] |
白 (13-4) | 1部 44.9% 2部 50.4% | |||
第47回 | 1996年12月31日 | 松たか子 | 白 (9-4) | 1部 41.6% 2部 53.9% | |||
第48回 | 1997年12月31日 | 和田アキ子 | 中居正広 | 宮本隆治[76] | 白 (9-4) | 1部 40.2% 2部 50.7% | |
第49回 | 1998年12月31日 | 久保純子[76] | 紅 (9-4) | 1部 45.4% 2部 57.2% | |||
第50回 | 1999年12月31日 | 1部 19:30-21:20 2部 21:30-23:45 |
5代中村勘九郎 | 白 (7-6) | 1部 45.8% 2部 50.8% | ||
第51回 | 2000年12月31日 | 1部 19:20-21:25 2部 21:30-23:45 |
和泉元彌 | 紅 (9-4) | 1部 39.2% 2部 48.4% | ||
第52回 | 2001年12月31日 | 1部 19:30-21:25 2部 21:30-23:45 |
有働由美子[76] | 阿部渉[76] | 三宅民夫[76] | 白 (9-4) | 1部 38.1% 2部 48.5% |
第53回 | 2002年12月31日 | 紅 (9-6) | 1部 37.1% 2部 47.3% | ||||
第54回 | 2003年12月31日 | 1部 19:30-21:20 2部 21:30-23:45 |
有働由美子[76] 膳場貴子[76] |
阿部渉[76] 高山哲哉[76] |
武内陶子[76] | 白 (15-0) | 1部 35.5% 2部 45.9% |
第55回 | 2004年12月31日 | 小野文惠[76] | 阿部渉[76] | 堀尾正明[76] | 紅 (8-5) | 1部 30.8% 2部 39.3% | |
第56回 | 2005年12月31日 | 1部 19:20-21:25 2部 21:30-23:45 |
仲間由紀恵 | 山本耕史 | みのもんた 山根基世[76] |
白 | 1部 35.4% 2部 42.9% |
第57回 | 2006年12月31日 | 前半 19:20-21:25 後半 21:30-23:45 |
中居正広 | 三宅民夫[76] 黒崎めぐみ[76] |
白 (13-5) | 前半 30.6% 後半 39.8% | |
第58回 | 2007年12月31日 | 中居正広 | 笑福亭鶴瓶 | 松本和也[76] 住吉美紀[76] |
白 | 前半 32.8% 後半 39.5% | |
第59回 | 2008年12月31日 | 仲間由紀恵 | 中居正広 | 松本和也[76] 小野文惠[76] |
白 | 前半 35.7% 後半 42.1% | |
第60回 | 2009年12月31日 | 前半 19:15-20:55 後半 21:00-23:45 |
阿部渉[76] | 白 | 前半 37.1% 後半 40.8% | ||
第61回 | 2010年12月31日 | 前半 19:30-21:25 後半 21:30-23:45 |
松下奈緒 | 嵐 | 白 | 前半 35.7% 後半 41.7% | |
第62回 | 2011年12月31日 | 前半 19:15-20:55 後半 21:00-23:45 |
井上真央 | 紅 | 前半 35.2% 後半 41.6% | ||
第63回 | 2012年12月31日 | 堀北真希 | 有働由美子[76] | 白 | 前半 33.2% 後半 42.5% | ||
第64回 | 2013年12月31日 | 綾瀬はるか | 白(9-4) | 前半 36.9% 後半 44.5% | |||
第65回 | 2014年12月31日 | 吉高由里子 | 白 | 前半 35.1% 後半 42.2% | |||
第66回 | 2015年12月31日 | 綾瀬はるか | 井ノ原快彦 | 黒柳徹子 有働由美子[76] |
紅 | 前半 34.8% 後半 39.2% | |
第67回 | 2016年12月31日 | 有村架純 | 相葉雅紀 | 武田真一[76] | 紅(9-6) | 前半 35.1% 後半 40.2% | |
第68回 | 2017年12月31日 | 二宮和也 | 内村光良 桑子真帆[76] |
白 | 前半 35.8% 後半 39.4% | ||
第69回 | 2018年12月31日 | 広瀬すず | 櫻井翔 | 白(2-1) | 前半 37.7% 後半 41.5% | ||
第70回 | 2019年12月31日 | 綾瀬はるか | 内村光良 和久田麻由子[76] |
白(2-1) | 前半 34.7% 後半 37.3% | ||
第71回 | 2020年12月31日 | 前半 19:30-20:55 後半 21:00-23:45 |
二階堂ふみ | 大泉洋 | 内村光良 桑子真帆[76] |
紅 | 前半 34.2% 後半 40.3% |
- 一部の回の優勝チームに付記された括弧内の数字は、最終審査結果の票数。
- 総合司会のうち、第18回までと第25回の土門・中江、第34回のタモリ、第45回の宮川の名義は「進行役」。また、総合司会が正式であるものは第19回から第20回、第34回から第55回、第57回からである。
- 第56回については当初司会者の区別は設定せず、上記の4人によるグループ司会で進行すると発表されたが、実際の放送では仲間がおもに紅組歌手、山本がおもに白組歌手の曲を中心に司会(エンディング時の優勝旗授与も山本が優勝旗を受け取った)、みのは実質上生放送のすべての進行を統括する総合司会的な役割、山根は進行役的役割という形式で役割分担がなされた。上記の表では実質的な役割に従って氏名を記載した。
- 嵐は大野智、櫻井翔、相葉雅紀、二宮和也、松本潤から構成されるグループである。
ラジオ実況
回数 | 担当者[76] |
---|---|
第51回(2000年) | 阿部渉 |
第52回(2001年) | 小野文惠、高市佳明 |
第53回(2002年) | 小野文惠、高市佳明 |
第54回(2003年) | 小野文惠、藤崎弘士 |
第55回(2004年) | 藤崎弘士、住吉美紀 |
第56回(2005年) | 藤崎弘士、黒崎めぐみ |
第57回(2006年) | 小田切千、島津有理子 |
第58回(2007年) | 小田切千、塚原愛 |
第59回(2008年) | 山田康弘、神田愛花 |
第60回(2009年) | 山田康弘、神田愛花 |
第61回(2010年) | 小松宏司、黒崎めぐみ |
第62回(2011年) | 小松宏司、橋本奈穂子 |
第63回(2012年) | 青井実、橋本奈穂子 |
第64回(2013年) | 吉田一貴、久保田祐佳 |
第65回(2014年) | 青井実、首藤奈知子 |
第66回(2015年) | 中川緑、高山哲哉 |
第67回(2016年) | 寺門亜衣子、二宮直輝 |
第68回(2017年) | 小郷知子、二宮直輝 |
第69回(2018年) | 小松宏司、千葉美乃梨 |
第70回(2019年) | 片山千恵子、田村直之 |
第71回(2020年) | 田村直之、赤木野々花 |
テレビ放送副音声
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副音声の担当者のデータが分かったら加筆をお願い致します。 |
回数 | 担当者 |
---|---|
第61回(2010年) | テリー伊藤、松本和也[76] |
第62回(2011年) | テリー伊藤、神田愛花 [76] |
第63回(2012年) | テリー伊藤、小松宏司 [76] |
第64回(2013年) | テリー伊藤、橋本奈穂子 [76] |
第65回(2014年) | バナナマン、久保田祐佳 [76] |
第66回(2015年) | |
第67回(2016年) | バナナマン、橋本奈穂子 [76] |
第68回(2017年) | バナナマン、塚原愛 |
第69回(2018年) | サンドウィッチマン、渡辺直美、雨宮萌果 [76] |
第70回(2019年) | 山里亮太、渡辺直美、杉浦友紀 [76] |
第71回(2020年) | 山里亮太、渡辺直美 |
歴代トップバッター歌手とその曲目
この節の加筆が望まれています。 |
先攻トップバッターを務めたチームで色付きがないのである不明のケースが分かったら色を加えるようよろしくお願い致します。 |
色付きの枠が先攻トップバッター(不明のケースもある)。( )は通算出場回数、[ ]は通算トップバッター回数を示す。
歴代トリ歌手とその曲目
この節の加筆が望まれています。 |
大トリを務めたチームで色付きがないのである不明のケースが分かったら色を加えるよう宜しくお願い致します。 |
色付きの枠が大トリ(不明のケースもある)。( )は通算出場回数、[ ]は通算トリ回数を示す。
回数 | 年 | 紅組トリ | 白組トリ | ||
---|---|---|---|---|---|
歌手 | 曲目 | 歌手 | 曲目 | ||
第1回 | 1951年 | 渡辺はま子(初) [初] | 桑港のチャイナ街 | 藤山一郎(初) [初] | 長崎の鐘 |
第2回 | 1952年 | 渡辺はま子(2) [2] | 火の鳥[注 54] | 藤山一郎(2) [2] | オリンピックの歌 |
第3回 | 1953年 1月 |
笠置シヅ子(2) [初] | ホームラン・ブギ | 灰田勝彦(2) [初] | 野球小僧 |
第4回 | 1953年 12月 |
淡谷のり子[注 55](初) [初] | アデュー | 藤山一郎(4) [3] | 丘は花ざかり |
第5回 | 1954年 | 渡辺はま子(4) [3] | 東京の薔薇 | 霧島昇(3) [初] | 石狩エレジー |
第6回 | 1955年 | 二葉あき子(6) [初] | バラのルンバ | 藤山一郎(6) [4] | ニコライの鐘 |
第7回 | 1956年 | 笠置シヅ子(4) [2] | ヘイ・ヘイ・ブギ | 灰田勝彦(4) [2] | 白銀の山小舎で |
第8回 | 1957年 | 美空ひばり(2) [初] | 長崎の蝶々さん | 三橋美智也(2) [初] | リンゴ花咲く故郷へ |
第9回 | 1958年 | 美空ひばり(3) [2] | 白いランチで十四ノット | 三橋美智也(3) [2] | おさらば東京 |
第10回 | 1959年 | 美空ひばり(4) [3] | 御存知弁天小僧 | 春日八郎(5) [初] | 東京の蟻 |
第11回 | 1960年 | 島倉千代子(4) [初] | 他国の雨 | 三橋美智也(5) [3] | 達者でナ |
第12回 | 1961年 | 島倉千代子(5) [2] | 襟裳岬 | 三波春夫(4) [初] | 文左たから船 |
第13回 | 1962年 | 島倉千代子(6) [3] | さよならとさよなら | 三橋美智也(7) [4] | 星屑の街 |
第14回 | 1963年 | 美空ひばり(8) [4] | 哀愁出船 | 三波春夫(6) [2] | 佐渡の恋唄 |
第15回 | 1964年 | 美空ひばり(9) [5] | 柔 | 三波春夫(7) [3] | 俵星玄蕃 |
第16回 | 1965年 | 美空ひばり(10) [6] | 柔 | 橋幸夫(6) [初] | あの娘と僕〜スイム・スイム・スイム〜 |
第17回 | 1966年 | 美空ひばり(11) [7] | 悲しい酒 | 三波春夫(8) [4] | 紀伊國屋分左衛門 |
第18回 | 1967年 | 美空ひばり(12) [8] | 芸道一代 | 三波春夫(9) [5] | 赤垣源蔵 |
第19回 | 1968年 | 美空ひばり(13) [9] | 熱祷 | 橋幸夫(9) [2] | 赤い夕陽の三度笠 |
第20回 | 1969年 | 美空ひばり(14) [10] | 別れてもありがとう | 森進一(2) [初] | 港町ブルース |
第21回 | 1970年 | 美空ひばり(15) [11] | 人生将棋 | 森進一(3) [2] | 銀座の女 |
第22回 | 1971年 | 美空ひばり(16) [12] | この道をゆく | 森進一(4) [3] | おふくろさん |
第23回 | 1972年 | 美空ひばり(17) [13] | ある女の詩 | 北島三郎(10) [初] | 冬の宿 |
第24回 | 1973年 | 島倉千代子(17) [4」 | からたち日記 | 北島三郎(11) [2] | 帰ろかな |
第25回 | 1974年 | 島倉千代子(18) [5] | 襟裳岬 | 森進一(7) [4] | 襟裳岬 |
第26回 | 1975年 | 島倉千代子(19) [6] | 悲しみの宿 | 五木ひろし(5) [初] | 千曲川 |
第27回 | 1976年 | 都はるみ(12) [初] | 北の宿から | 五木ひろし(6) [2] | 愛の始発 |
第28回 | 1977年 | 八代亜紀(5) [初] | おんな港町 | 五木ひろし(7) [3] | 灯りが欲しい |
第29回 | 1978年 | 山口百恵(5)[初] | プレイバックPart2 | 沢田研二(6) [初] | LOVE (抱きしめたい) |
第30回 | 1979年 | 八代亜紀(7) [2] | 舟唄 | 五木ひろし(9) [4] | おまえとふたり |
第31回 | 1980年 | 八代亜紀(8) [3] | 雨の慕情 | 五木ひろし(10) [5] | ふたりの夜明け |
第32回 | 1981年 | 森昌子(9) [初] | 哀しみ本線日本海 | 北島三郎(19) [3] | 風雪ながれ旅 |
第33回 | 1982年 | 都はるみ(18) [2] | 涙の連絡船 | 森進一(15) [5] | 影を慕いて |
第34回 | 1983年 | 水前寺清子(19) [初] | あさくさ物語 | 細川たかし(9) [初] | 矢切の渡し |
第35回 | 1984年 | 都はるみ(20) [3] | 夫婦坂〜好きになった人[注 56] | 森進一(17) [6] | 北の螢 |
第36回 | 1985年 | 森昌子(13) [2] | 愛傷歌 | 森進一(18) [7] | 女もよう |
第37回 | 1986年 | 石川さゆり(9) [初] | 天城越え | 森進一(19) [8] | ゆうすげの恋 |
第38回 | 1987年 | 和田アキ子(11) [初] | 抱擁 | 五木ひろし(17) [6] | 追憶 |
第39回 | 1988年 | 小林幸子(10) [初] | 雪椿 | 北島三郎(25) [4] | 年輪 |
第40回 | 1989年 | 石川さゆり(12) [2] | 風の盆恋歌 | 北島三郎(26) [5] | 夜汽車 |
第41回 | 1990年 | 都はるみ(22) [4] | 千年の古都 | 森進一(23) [9] | おふくろさん |
第42回 | 1991年 | 和田アキ子(15) [2] | あの鐘を鳴らすのはあなた | 谷村新司(5) [初] | 昴-すばる- |
第43回 | 1992年 | 由紀さおり(13) [初] | 赤とんぼ〜どこかへ帰ろう | 北島三郎(29) [6] | 帰ろかな |
第44回 | 1993年 | 石川さゆり(16) [3] | 津軽海峡・冬景色 | 北島三郎(30) [7] | まつり |
第45回 | 1994年 | 都はるみ(26) [5] | 古都逍遥 | 五木ひろし(24) [7] | 気笛 |
第46回 | 1995年 | 和田アキ子(19) [3] | もう一度ふたりで歌いたい | 細川たかし(21) [2] | 望郷じょんから |
第47回 | 1996年 | 坂本冬美(9) [初] | 夜桜お七 | 北島三郎(33) [8] | 風雪ながれ旅 |
第48回 | 1997年 | 安室奈美恵(3) [初] | CAN YOU CELEBRATE? | 五木ひろし(27) [8] | 千曲川 |
第49回 | 1998年 | 和田アキ子(22) [4] | 今あなたにうたいたい | 五木ひろし(28) [9] | 酒ひとり |
第50回 | 1999年 | 和田アキ子(23) [5] | あの鐘を鳴らすのはあなた | 北島三郎(36) [9] | まつり |
第51回 | 2000年 | 天童よしみ(5) [初] | 道頓堀人情 | 五木ひろし(30) [10] | 山河 |
第52回 | 2001年 | 和田アキ子(25) [6] | 夢 | 北島三郎(38) [10] | 山 |
第53回 | 2002年 | 石川さゆり(25) [4] | 天城越え | 五木ひろし(32) [11] | おふくろの子守唄 |
第54回 | 2003年 | 天童よしみ(8) [2] | 美しい昔 | SMAP(12) [初] | 世界に一つだけの花 |
第55回 | 2004年 | 小林幸子(26) [2] | 雪椿 | 五木ひろし(34) [12] | 雪燃えて |
第56回 | 2005年 | 天童よしみ(10) [3] | 川の流れのように | SMAP(13) [2] | Triangle |
第57回 | 2006年 | 川中美幸(19) [初] | ふたり酒 | 北島三郎(43) [11] | まつり |
第58回[注 57] | 2007年 | 石川さゆり(30) [5] | 津軽海峡・冬景色 | 五木ひろし(37) [13] | 契り |
第59回 | 2008年 | 和田アキ子(32) [7] | 夢 | 氷川きよし(9) [初] | きよしのズンドコ節 |
第60回 | 2009年 | DREAMS COME TRUE(13) [初] | その先へ 〜紅白スペシャルバージョン〜[注 58] | 北島三郎(46) [12] | まつり |
第61回 | 2010年 | DREAMS COME TRUE(14) [2] | 生きてゆくのです♡ feat. ザ紅白スペシャルブラスバンド |
SMAP(18) [3] | This is love '10 SPメドレー[注 59] |
第62回 | 2011年 | 石川さゆり(34) [6] | 津軽海峡・冬景色 | SMAP(19) [4] | SMAP AID 紅白SP[注 60] |
第63回 | 2012年 | いきものがかり(5)[初] | 風が吹いている | SMAP(20) [5] | SMAP2012'スペシャル[注 61] |
第64回[注 62] | 2013年 | 髙橋真梨子(2) [初] | for you… | SMAP(21)[6] | Joymap!![注 63] |
北島三郎(50) [13] | まつり | ||||
第65回[注 64] | 2014年 | 松田聖子(18) [初] | あなたに会いたくて〜Missing You〜 | 嵐(6) [初] | 2014 Thanks Medley[注 65] |
第66回 | 2015年 | 松田聖子(19) [2] | 赤いスイートピー | 近藤真彦(10) [初] | ギンギラギンにさりげなく |
第67回 | 2016年 | 石川さゆり(39) [7] | 天城越え | 嵐(8) [2] | 嵐×紅白スペシャルメドレー[注 66] |
第68回 | 2017年 | 石川さゆり(40) [8] | 津軽海峡・冬景色 | ゆず(8) [初] | 栄光の架橋 |
第69回[注 67] | 2018年 | 石川さゆり(41)[9] | 天城越え | 嵐(10)[3] | 嵐×紅白スペシャルメドレー[注 68] |
特別企画 サザンオールスターズ(5)[初] 希望の轍〜勝手にシンドバッド | |||||
第70回 | 2019年 | MISIA(4) [初] | アイノカタチメドレー[注 69] | 嵐(11)[4] | 嵐×紅白 スペシャルメドレー[注 70] |
第71回 | 2020年 | MISIA(5) [2] | アイノカタチ | 福山雅治(13)[初] | 家族になろうよ |
主な記録
備考
視聴率
毎回、視聴率が非常に高いことで知られる(1月2日公表)。第13回(1962年)のビデオリサーチによる調査開始以降での最高視聴率は第14回(1963年)の81.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム。以下略)[53]。1980年代前半までは「お化け番組」「怪物番組」とも称された。最低視聴率は第70回(2019年)の37.3%である。ほぼ毎回、年間視聴率では民放の人気番組を抑え上位にランクインしており、ほとんどの回で1位となっている[注 71]。毎分視聴率についても一般に公表(1月3日前後)され、どの歌手の部分の視聴率が高かったかも話題となることがある。
「紅白効果」
紅白出演がアーティストの翌年初頭のCD売り上げに少なからず影響を与える。この現象は俗に「紅白効果」と呼ばれている[80]。また紅白歌唱を機に注目され大ヒット・再ヒットした楽曲を翌年の紅白で連続して歌唱するというケースもみられる(その際、再度の「紅白効果」が生まれたというケースもある)。「紅白効果」はヒット曲のみならず、歌い継がれる「名曲」をも生み出すとの向きもある[81]。
紅白出演後(翌年)に紅白で歌われた曲がオリコンシングルチャートで週間1位を獲得したケースは以下。
- 第19回(1968年):ピンキーとキラーズ『恋の季節』(前年末からそのまま連続首位を維持)
- 第27回(1976年):都はるみ『北の宿から』(前年末からそのまま連続首位を維持)
- 第37回(1986年):吉幾三『雪國』
- 第43回(1992年):中山美穂 & WANDS『世界中の誰よりきっと』(前年末からそのまま連続首位を維持)
- 第48回(1997年):安室奈美恵『CAN YOU CELEBRATE?』(返り咲き)[注 72]
- 第53回(2002年):中島みゆき『地上の星』
- 第54回(2003年):SMAP『世界に一つだけの花 (シングル・ヴァージョン)』(返り咲き)
- 第57回(2006年):秋川雅史『千の風になって』
- 第59回(2008年):秋元順子『愛のままで…』
- 第62回(2011年):植村花菜『トイレの神様』
- 第70回(2019年):竹内まりや『いのちの歌(スペシャル・エディション)』
紅白出演後(翌年)に紅白で歌われた曲がBillboard Japan Hot 100で週間1位を獲得したケースは以下。
- 第62回(2011年):植村花菜『トイレの神様』、長渕剛『ひとつ』
- 第66回(2015年):西野カナ『トリセツ』(返り咲き)
- 第67回(2016年):星野源『恋』(前年末に返り咲きそのまま連続首位を維持)
- 第68回(2017年):安室奈美恵『Hero』
- 第69回(2018年):米津玄師『Lemon』(前年末に返り咲きそのまま連続首位を維持)、あいみょん『マリーゴールド』
- 第70回(2019年):Official髭男dism『Pretender』(前年末に返り咲きそのまま連続首位を維持)
- 第71回(2020年):LiSA『炎』(返り咲き)
番組進行に際して
進行にあたっては、台本と合わせてカンペも用意される[注 73]。司会者に対し、スタッフから開始早々のタイミングで「巻き」(スタッフから出演者に早く進行するよう指示が入ること)が入ることも珍しくなく、放送内でアドリブを入れることもなかなかできないという[84]。そのほか、司会者が生本番内で言い間違いや失言をして話題となった事例がある(1980年代ごろまでは司会者の言い間違いなどのハプニングは一切許されないというほどの厳格さがあったが、のちにこのような演出やハプニングはある程度認められるようになった)。これに関連して総合司会経験者の宮本隆治は「NHKホールには魔物が住んでいる」「これまで多くの魔物が先輩の司会者たちを苦しめてきた」と語っている[85]。ただし、これらは現代紅白のものであり、1970年代ごろまでは司会者によるアドリブや自由演出がごく当たり前のように行われていた。一例として、第21回(1970年)では本番内において、白組司会の宮田輝が白組歌手の橋幸夫に対し、歌唱曲を当初予定の『俺たちの花』から『いつでも夢を』に変更することを持ちかけて歌唱させたという出来事があった。
第57回(2006年)までは大部分を両組司会がそれぞれ下手(紅組)、上手(白組)(第4回〈1953年12月〉のみ逆であった)に分かれて別々に進行するものだったが、第58回(2007年)からは一部を除き下手席で両組司会が揃って進行する形となった。
一方で、その「予定調和」を逆手に取り、アーティストが番組にも無断で不意打ちパフォーマンスを行うこともある。紅白でのパフォーマンスなのでのちに大問題になり、アーティストがNHKに出入り禁止を喰らうこともある。これまでのおもなパフォーマンスとしては、以下が挙げられる(詳しくは当該の回やアーティストの項目を参照)。
- 第33回(1982年) - サザンオールスターズの桑田佳祐が三波春夫をパロディ化した衣装と歌い方をした。「とにかく、受信料は払いましょう!」「裏番組(を見たい場合)はビデオで見ましょう!」という発言で、賛否両論が巻き起こった。桑田本人はのちにNHKに詫び状を書かされ、「詫び状なんか書くくらいなら2度と出ない!」と、のちの紅白(ひいてはNHK)との確執につながったことを明かしている。(その後2014年、2018年に出場)
- 第36回(1985年) - 吉川晃司が歌唱中にセットを壊し、終了間際にギターを燃やした。
- 第42回(1991年) - とんねるずがパンツ1枚という衣装で登場した。木梨憲武は赤色、石橋貴明は白色に全身を塗っていた。後ろを向くと、背中に「受信料を払おう」と書いてあった。
- 第43回(1992年) - 本木雅弘が首に白い液体を入れたコンドームの形をした風船をいくつも巻きつけて登場した。さらに、演奏途中では尻を露出した。
- 第57回(2006年) - DJ OZMAが全身肌色のボディスーツを着て股間の部分にキノコの模型をつけた姿で舞台に登場。女性バックダンサーも同様の格好で全裸に見えたため、「公共放送で、しかもプライムタイムであることの配慮がない」としてNHKに苦情が殺到した。総合司会の三宅民夫が番組中に「全裸ではない」と説明した。その後、放送倫理・番組向上機構(BPO)から回答要請を受けた。この影響によりDJ OZMAは一時活動休止を余儀なくされ、その後も活動に大きな制約がかかるなど尾を引き続け、これが最終的には2008年の「引退」宣言にまでつながることになった。
- 第57回(2006年) - 川内康範作詞の『おふくろさん』を歌唱した森進一が川内に無断でセリフを入れた同曲を披露。これに川内が激怒し騒動となった(「おふくろさん騒動」を参照)。
観覧方法
- 初期では先着入場順制であり、当日は会場を取り囲むように長蛇の列ができていたという[86]。のちに観覧募集制に移行した。
- NHKホールでの観覧(3,000人)は官製往復はがきのみで応募が受け付けられる。毎回多数の応募が集まるため、抽選となる。
- 毎年10月中旬ごろに応募要項が告知され、11月初旬ごろに応募が締め切られる。その後、12月上旬ごろに返信発送される。
- 当選通知がそのまま入場整理券となる。整理券(当選はがき)1枚に付き2人分(1歳以上から入場券が必要)まで、当日にNHKホールの座席券と交換できる。座席は無作為に選ばれ、交換するまで分からない。
- ※最多の応募総数は第64回(2013年)の142万7,153通(当選倍率:約1,073倍)。第60回(2009年)は約59万1,274通(倍率:約437倍)であり、2010年代に入ってから爆発的な増加傾向が見られる。ただし、1人何通応募しても当選は1通のみ、複数口の応募者が多数いるため実際の倍率はもっと低い。
- NHKは入場券の転売を禁止としているが、入場券がネットオークションで出品されることが増えている(高額料金になるものも)。ただし、入場の際には整理券に加え、本人確認が実施されるため他人名義で当選したものでは入場できない。また、2014年1月には偽造した入場券を販売していた男性が逮捕される事態も発生している。
なお、第57回(2006年)の募集から、応募資格が次のいずれかに制限されることになった。
- 上記はいずれも銀行口座からの引き落としでも可能。
これにより、NHKの受信料を滞納、もしくは不払いの者は応募できなくなる。そのため、往信側のはがきには受信料負担者名の記入が必要となる。これはほかの公開放送番組の応募(例:『NHK歌謡コンサート』)で実施されていたものと同様である。規則で禁止されている当選はがきの転売行為については観覧当日に本人確認書類を用いた厳格な本人確認を実施することで対策を講じている。
その他
- 紅白の制作費は3億円程度とされる。紅白に携わる者のうち、NHKから弁当が用意されるのは司会者とスタッフのみ。出場歌手は自前で弁当を取り寄せる[87]。
- 自粛ムードが高まった年では紅白が中止になるかと懸念されたこともある[注 74][89]が、実際に中止となったケースはない。
- 和田アキ子、堺正章はTBS系列『日本レコード大賞』(2006年以降は12月30日開催のため直接の競合はしていない)が生裏番組だった時代に、そちらの司会を兼任しながら紅白に出場した回がある(前者は1990年、後者は1999年)。ほかにも生裏番組や前後時間帯の番組と掛け持ちしながら紅白に出演する者が存在している[注 75][注 76]。
- 急な出場者変更(先述)や出場歌手が本来の出番に遅刻(別の仕事と掛け持ちにより)した場合、予定していた歌唱順を入れ替えたという事例もある。
- 客席に出場歌手の身内が招かれ、該当歌手歌唱前に身内にインタビューがされたり、歌唱中に観覧する姿が映されたりすることがある[注 77]。
- 紅白初出場がテレビ・ラジオといったメディアへの初出演となったり[注 78]、テレビ生放送への初出演となった歌手[注 79]もいる。また出演歌手による紅白での歌唱がテレビ初披露もしくはNHKでの初披露となった楽曲もある。
- 身内同士で同時出場・出演(コラボ演奏・歌唱が実現したこともある)するケースがあるほか、元夫婦が同時出場した事例もある。また、交際者同士あるいは元交際者同士を直接対決にするなど、意図的に演出を行うこともある[91]。
- 韓国メディアは紅白、読売テレビ制作・日本テレビ系列『ベストヒット歌謡祭』、フジテレビ系列『FNS歌謡祭』の3番組を「日本三大歌謡祭」と紹介している[92]。
- 2部制となった第40回(1989年)以降、総合テレビにおける1・2部の間に放送される『NHKニュース』において、ニュースを担当するNHKアナウンサーはモニターを通じて第1部(エンディング)を視聴しており、ニュースの冒頭でそれに合わせた表情をすることがある。第1部のエンディングで紅白出演者がニュース担当アナウンサーへの振りコメントを述べたこともあるほか、ニュースの締めではこの後に第2部が放送される旨の挨拶が行われることが恒例だが、第57回(2006年)・第58回(2007年)でニュースを担当した阿部渉(白組司会経験者)が第2部につなげるコメントで締めたこともある。この中断ニュースも高視聴率を記録することが多い[93]。
紅白歌合戦の舞台が収められている作品
- CD音源
- さだまさし『精霊流し スペシャルマキシシングル』(2003年2月19日) - 1曲収録。
- 五木ひろし『五木ひろしカバー&セルフコレクションズ全16曲〜おふくろの子守唄〜』(2003年4月2日) - 1曲収録。
- 秋川雅史『千の風になって 〜一期一会〜』(2008年4月2日) - 1曲収録。
備考[注 80]
- 映画作品
- ビデオ作品
- DVD作品
- 小林幸子 vs 美川憲一『二人だけの紅白歌合戦!!』(2002年12月5日)- 25曲収録。
- 南沙織『Cynthia Premium』(2006年6月14日) - 8曲収録。
- 河島英五『河島英五秘蔵映像集〜デビュー前から最後のTV出演まで』(2007年4月18日) - 1曲収録。
- 髙橋真梨子『髙橋40年』(2013年6月5日) - 2曲収録。
- 中森明菜『プレミアムBOX ルーカス〜NHK紅白歌合戦&レッツゴーヤング etc.』(2015年9月30日) - 8曲収録。
- 北島三郎『歌魂 北島三郎〜NHK紅白歌合戦の軌跡〜』(2017年6月28日) - 曲目の重複なしで28曲(33回分)収録。
- 河合奈保子『プレミアムコレクション〜NHK紅白歌合戦&レッツゴーヤング etc.』(2017年8月30日) - 6曲収録。
- 西城秀樹『HIDEKI NHK Collection〜若さと情熱と感激と〜』(2017年11月15日)- 16曲収録。
- 吉永小百合『歌手デビュー55周年記念ベスト&NHK貴重映像DVD〜寒い朝〜』(2018年2月28日)- 音源2曲、映像3曲収録。
- 島倉千代子『島倉千代子 メモリアルコレクション〜NHK紅白歌合戦&思い出のメロディー etc.〜』(2018年11月7日) - 第8回 - 第13回、第15回のラジオ音源から7曲、第14回、第16回 - 第46回の映像から19曲(22回分)収録。
- ミュージカル「刀剣乱舞」『シブヤノオト Presents ミュージカル「刀剣乱舞」 -2.5次元から世界へ- <特別編集版>』(2019年6月25日) - 2曲(それぞれ刀剣男士・山内惠介)収録。
- 浜崎あゆみ『A BALLADS 2』(2021年4月8日) - 3曲収録。
備考[注 81]
同じコンセプトを持つ企画・パロディなど
- 夏の紅白歌合戦(フジテレビ系列) - スペシャル枠内で放送されていた。
- 世界紅白歌合戦(フジテレビ系列) - 1985年、1986年の2年間、NHK紅白歌合戦の真裏で放送されていた。視聴率(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)は1985年が4.8%、1986年は3.8%と奮わず、2年で終了している[96]。
- ももいろ歌合戦(BS日テレ・フジテレビNEXT・ニッポン放送など)
- NTV紅白歌のベストテン(日本テレビ系列)- 年末には視聴者投票により「あなたが選ぶ紅白歌合戦」が何度か放送された。
- 青白歌合戦 - SPACE SHOWER TVが主催し、2004年12月15日に東京体育館で開催したイベント。
- オールスター感謝祭 - TBSテレビが自社に関係の深い芸能人を出演させる。
- 「○○紅白歌合戦」というタイトルのパロディについては、紅白歌合戦 (曖昧さ回避)を参照。
- ブラジルでは日系人移民が多いということもあり、毎年年末に日系人市民による「日系移民紅白歌合戦」が開催されている。NHKも開催に協力している。
脚注
注釈
- ^ 以前はアナログ・デジタル2K衛星放送でもサイマル放送されていた。
- ^ 但し、いずれもエリアフリーによる地域外配信やタイムフリーによる聞き逃し配信のサービスの利用は不可。
- ^ 東日本大震災の影響で同放送期間が延長された盛岡、仙台、福島の3局は、第62回(2011年)まで。
- ^ 初期では歌手兼司会は認められておらず、司会を担当した歌手がその年のみ不選出となった例がある。
- ^ また、第8回(1957年)まではグループの出場そのものが禁止だった[13]。
- ^ 過去には本人に対しては出場決定後の通知のみであった。そのため、江利チエミや田原俊彦などで出場決定後に本人が辞退の意志を表明するという出来事が起きている。
- ^ 第47回(1996年)は、近藤真彦を含めて3組。
- ^ 但し2017年には、カウントダウン公演ではなく通常公演という形ではあるが、大晦日にライブを行っている。
- ^ 実際の滞在先は当時国交と直行便がなかった韓国のソウルとも言われている。
- ^ 前川以外のメンバーは紅組の藤圭子(前川の妻、当初は直接対戦の予定であった)のバックコーラスとして出場したものの、正式な出場者のエントリーからは外された。
- ^ 初例は、第6回(1955年)のトニー谷。
- ^ 紅白のみならず他の番組であっても、公共放送であるNHKではロケ弁やケータリングの提供は絶対にされない。
- ^ 『レコ大』からの移動に間に合わなかった歌手は不在のまま進行していたが、ギリギリステージに駆け込んできた歌手もいた。
- ^ 例外の年もある。
- ^ 通常は総合司会は自分から名乗り、両組司会は総合司会などから紹介されるのが通例だが、第54回(2003年)、第57回(2006年)、第68回(2017年)以降は両組司会自身から名乗っている。また、第24回(1973年)は相手の司会者が、第49回(1998年)は両組チームリーダーが紹介する形だった。1980年代頃までは総合司会は名乗らない事が多かった。
- ^ 安室奈美恵、嵐など。2020年の嵐は、中継の参加ではなくNHKホールの歌唱で大トリを務める場合には20分のもち時間があるとの報道もあった。
- ^ 第65回(2014年)のSMAPなど。
- ^ 第66回(2015年)のMISIA。
- ^ 第64回(2013年)・第65回(2014年)の水樹奈々とT.M. Revolution。
- ^ 総合司会ではなく両組司会が紹介するケースや1人1人の紹介そのものをしないケースもある。以前はオープニングで行っており、舞台の上に並び紹介を受けてから客席に座ることもあった。
- ^ 第62回(2011年)に特別出演したレディー・ガガなど。
- ^ 小畑実、都はるみ、チェッカーズ、安室奈美恵、X JAPAN、絢香、嵐など。
- ^ 第71回では嵐の中継出演の発表後にも嵐が白組トリもしくは大トリを務める可能性があるとの報道もあった。
- ^ 制作側もその可能性は織り込み済みで、1曲分余裕をとって番組を進行していた。
- ^ 第58回(2007年)の「世界に一つだけの花」(SMAP)、第65回(2014年)の「ふるさと」(嵐 )がこれに当てはまる
- ^ この演出を行うようになったのは第42回(1991年)以降。第46回(1995年)は風船が落ちてきて終了、第50回(1999年)はBS2では終了後も「カウントダウンスペシャル」の題で放送を続行し、総合テレビも23:58から飛び乗る関係で演出無しとなった。現在このクラッカーを打ち上げる演出はNHKホールを使う他の音楽系の特番(『NHKのど自慢』のグランドチャンピオン大会や『思い出のメロディー』など)でもエンディングの締めくくりに使用されることが多い。
- ^ 単発番組の予定だったが、あまりの好評により、翌年の開催が決定した。なおこの時、紅白が長寿番組化することを予想していたスタッフはいなかったという。
- ^ 第9回(1958年)のみ。当時はまだテレビの音響設備が不完全であり、それに加え、コマ劇場が円形のステージであったこと、また、観客からの声援が終始凄まじかったことも手伝い、紅組トリおよび大トリを務めた美空ひばりを始めとして、後ろの楽団の演奏が全く聞き取れず、歌っている最中に音を思い切り外してしまうケースが多発。歌手側や局関係者からも「コマ劇場の使いにくさ」を指摘する声が上がり、結局、コマ劇場を会場とした紅白はこの1回のみに留まってしまった。
- ^ NHK-FM『今日は一日○○三昧』など。
- ^ 第4回は淡谷のり子がトリを取ったとされているが、渡辺はま子がトリを取ったという異説もあり、渡辺説を採用すれば、全回でコロムビア所属の歌手が紅組トリを務めたことになる。
- ^ 同回の瞬間最高視聴率は、五月みどりによる「一週間に十日来い」歌唱時の85.3%。
- ^ 1961年 - 2000年に行われていたニールセンによる調査では、同じ第14回で記録した89.8%が最高記録である。なお、ビデオリサーチ社以前も含めた最高視聴率では、1955年5月30日、日本テレビのボクシング中継・パスカル・ペレス対白井義男戦で記録した96.1%がある(電通調べ[54])。
- ^ 歌手席は第52回(2001年)の第1部内の企画で復活。
- ^ 選手宣誓は第58回(2007年)のみ復活。
- ^ 衣装の大きさについては、NHKホールのステージエレベーターに乗せられるものまでと制限がかけられる。2人は紅白後に衣装を保管しており、自身のコンサートや他番組、イベント等で再度披露したりしている。また、小林が本番の衣装披露時に衣装コンピュータの故障や電気トラブルで完全成功といかなかった事例(第43回(1992年)、第54回(2003年)。この時は翌年にそれぞれ30周年記念リサイタル、『NHK歌謡コンサート』で再度衣装を披露しリベンジしている)があるほか、第55回(2004年)では同年10月23日に小林の出身地・新潟県で発生した新潟県中越地震の被災者に配慮して豪華衣装披露を自粛した。
- ^ 小林の個人事務所・幸子プロモーション関係者は一部週刊誌の取材時に、小林が豪華衣装を準備した状態で紅白落選した場合について「こちらが勝手に用意したものなので文句は言えない」とコメントしていた。
- ^ 和田アキ子は紅白の出場歌手が発表される以前から衣装を制作している小林に否定的な考えを持っており、この件がきっかけで2人の間に確執が生じた[56]。なお、小林は和田の意見に対し、「(紅白の衣装は)見ている人に楽しんでもらおうと思ってやっている」「(紅白に)もし出場できなかったらコンサートで着ます」「アッコちゃんは私よりも年上だけど、芸能界では私が先輩なんですから、陰でコソコソ言わないで何か意見を言いたいのならばじかにはっきりと私に言いに来たらいいのに」などと反論している。
- ^ 愛内里菜、水森かおり。
- ^ 先述の通り、BSサイマル放送は第61回(2010年)を最後に終了したが、第69回(2018年)にBS4K・8K放送で再開。
- ^ ただし、許可が下りずに配信からカットされた例がある。第60回(2009年)のスーザン・ボイルや第65回(2014年)のサザンオールスターズなど(いずれも特別枠)。
- ^ 一例として、福山雅治が該当。第60回(2009年)は自身の故郷である長崎から、第61回(2010年)以降は自身のカウントダウンライブ会場である横浜アリーナからの中継出演であり、NHKホールでの歌唱は、初出場時である第44回(1993年)と第71回(2020年)の2回のみである。
- ^ 一例として、第67回(2016年)に氷川きよしが熊本城から中継出演したケースなどが該当。
- ^ 一例として、Perfume(プロジェクションマッピングを駆使した演出など)、μ's、Aqours(この2つのグループは、「アニメ映像とのシンクロ表現」が特徴)などが該当。
- ^ 第69回(2018年)のみ緑ボタン。
- ^ ただし、歌唱曲は「東京シューシャイン・ボーイ」とする説もある。
- ^ ただし、歌唱曲は「ダゴタの黄昏」とする説もある。
- ^ 「ガラスの十代」「パラダイス銀河」「Diamondハリケーン」「剣の舞」を順に披露。
- ^ 「LOVEマシーン」「ザ☆ピ〜ス!」「恋愛レボリューション21」(モーニング娘。)「付き合ってるのに片思い」(Berryz工房)「都会っ子 純情」(℃-ute)「LALALA 幸せの歌」(ハロプロワンダフルオールスターズ)を順に披露。
- ^ 「ユメタマゴ」「勇気100%」を順に披露。冒頭と2曲の間に「NYC」(NYCの3人をメンバーに含むグループであるNYC boysの楽曲)の1フレーズを挟んでいた。
- ^ 「Dearest」「evolution」「SURREAL」を順に披露[78]。
- ^ 「ハイナ!」「ユメタマゴ」「勇気100%」を順に披露[79]。
- ^ 「Sexy Zone」「Lady ダイヤモンド」「Sexy Summerに雪が降る」など計5曲披露。
- ^ 「アジアの純真」「渚にまつわるエトセトラ」を順に披露。
- ^ ただし、歌唱曲は「桑港のチャイナ街」とする説もある。
- ^ ただし先述の通り、渡辺はま子が紅組トリを取ったとする説もあり、合田道人の著書では、渡辺を紅組トリとする説が採用されている。なお、同回での渡辺の歌唱曲は「ああモンテンルパの夜は更けて」。
- ^ 当初予定は「夫婦坂」のみ。歌唱後にアンコールとして白組司会の鈴木健二が交渉し「好きになった人」を演奏。
- ^ 大トリの後、審査結果を待つ間にSMAPと槇原敬之のメインボーカルの下、出演者(出場歌手、司会者、ゲスト審査員、合唱団)で「世界に一つだけの花」の大合唱が行われた。
- ^ 「MIDDLE OF NOWHERE」「その先へ」を順に披露。
- ^ 「This is love」「Triangle」を順に披露。
- ^ 「not alone 〜幸せになろうよ〜」「オリジナル スマイル」を順に披露。
- ^ 「Moment」「さかさまの空」を順に披露。
- ^ 髙橋→SMAP→北島の順番で歌唱。北島は対戦の枠を超えた「究極の大トリ」扱い。
- ^ 「Mistake!」「Joy!!」を順に披露。
- ^ 大トリの後、審査結果を待つ間に嵐のメインボーカルの下、出演者(出場歌手、司会者、ゲスト審査員、合唱団)で「ふるさと」の大合唱が行われた。
- ^ 「感謝カンゲキ雨嵐」「GUTS !」を順に披露。
- ^ 「A・RA・SHI」「Happiness」「One Love」を順に披露。
- ^ 石川→嵐→サザンオールスターズの順番で歌唱。サザンは特別出演であり紅白の正規出場者とは別の扱いとなる。
- ^ 「君のうた」「Happiness」を順に披露。
- ^ 「アイノカタチ」「INTO THE LIGHT」「Everything」を順に披露。
- ^ 「A・RA・SHI」「Turning Up」を順に披露。
- ^ 年間視聴率1位の座は第49回(1998年)がNHK総合の『1998 FIFAワールドカップ』の日本代表戦中継に抜かれるまで、全て紅白であった。
- ^ 1998年1月12日付オリコンシングルランキングで、12月25日発売のマキシシングル盤が1位、オリジナルの8cm盤が36位を記録した[82]。
- ^ 後に、NHKホール内の1階席の後ろの壁に電光掲示板を設置し、ここに台本を映し出す[83]。
- ^ 1988年9月に昭和天皇の病状が悪化し、日本全国で華美な放送やCMを控える自粛ムードが高まっており、同年の紅白(第39回)は中止が懸念されていたが、遠藤利男(当時のNHK放送総局長)が11月17日の会見で「(今年の紅白を)実施したい」と発言[88]。発言通りに開催された。また、阪神・淡路大震災が発生した1995年(第46回)と東日本大震災が発生した2011年(第62回)についても当初は中止も検討されていたが、視聴者からの開催希望が殺到し、開催となった。新型コロナウイルス感染症が流行した2020年(第71回)は無観客で開催された。
- ^ 多くの出場者は本番組の後に『CDTVスペシャル!年越しプレミアライブ』(TBS系列)や『ジャニーズカウントダウンライブ』(フジテレビ系列、ジャニーズ事務所所属タレントのみ)にも出演している。
- ^ 一方第32回(1981年)では、民放版『ゆく年くる年』のメインパーソナリティーに決まっていたさだまさしが、前後時間帯の民放生番組に出演することを理由に落選したという事例がある[90]。
- ^ 第66回(2015年)での三山ひろし、山内惠介、第67回(2016年)での市川由紀乃など。
- ^ 第46回(1995年)での岡本真夜。
- ^ 第54回(2003年)での倉木麻衣。
- ^ なお、嘉門タツオ(旧芸名:嘉門達夫)『ゴー!ゴー!スクールメイツ』(1993年3月24日)収録の「替え唄メドレー〜紅白バージョン」は紅白歌合戦で歌われた音源ではなく再録音版である。
- ^ μ's『ラブライブ!μ's Live Collection』(Blu-ray Disc、2016年8月26日)には、特典映像として紅白歌合戦用に制作されたアニメーション画像が収録されている[94][95]。
出典
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- ^ 絶対笑ってはいけない高瀬アナ、今年は紅白合間ニュースは担当せず,デイリースポーツ,2017年12月20日
- ^ NHK紅白歌合戦スペシャルアニメーションなど豪華映像特典付!「ラブライブ!μ's Live Collection」Blu-ray発売決定!、V-STORAGE(バンダイナムコアーツ)、2016年4月22日。
- ^ 「ラブライブ!μ's Live Collection」BD特典に紅白のスペシャルアニメ 8月26日発売、アニメ!アニメ!、2016年4月22日。
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参考文献
- NHKウイークリーステラ臨時増刊『紅白50回〜栄光と感動の全記録〜』(NHKサービスセンター 2000年1月)
- 50回を記念して出版されたカラー版のムック。紅白の公式記録的な性格を持つ。
- 合田道人『怪物番組紅白歌合戦の真実』幻冬舎、2004年11月 ISBN 4-344-00702-6 『紅白歌合戦の舞台裏』全音楽譜出版社、2012年12月
- 太田省一『紅白歌合戦と日本人』筑摩書房、2013年11月15日。ISBN 978-4-480-01586-0。
- 山川静夫『私の「紅白歌合戦」物語』文春文庫、2019年12月10日。ISBN 978-4167914158。
関連項目
- 日本放送協会(NHK)
- 紅白音楽試合
- NHKホール
- 思い出のメロディー(「夏の紅白」と呼ばれている)
- ゆく年くる年
- 今夜も生でさだまさし(『新春生放送 年の初めはさだまさし』)
- 日本レコード大賞(TBS系列で生中継)
- 年忘れにっぽんの歌(テレビ東京系列で大晦日に放送される音楽番組。裏番組となる年もある)
- 紅白が生まれた日
- NHKバーチャル紅白歌合戦
外部リンク
- 「NHK紅白歌合戦」公式サイト
- 「NHK紅白歌合戦」公式アカウント (@nhk_kouhaku) - X(旧Twitter)
- NHK紅白歌合戦 (@nhk_kouhaku) - Instagram
- NHKライブストリーミング - LINE LIVE(「紅白ウラトーク」等の関連番組を生配信する)
- 第1回 NHK紅白歌合戦 -NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス
- 幻の紅白歌合戦 - マンガで読むNHKヒストリー
- 特集 その時、舞台裏では…美術セット編 NHK映像デザイン部OBに「紅白歌合戦」の舞台裏を聞く!! NHKアーカイブス
- 番組エピソード 紅白歌合戦 制作者座談会-NHKアーカイブス
- 番組エピソード 「NHK紅白歌合戦」誕生物語-NHKアーカイブス
- 番組エピソード 10年に一度のメモリアル「紅白」-NHKアーカイブス
- 日刊スポーツ・20世紀紅白史メニューページ - ウェイバックマシン(2003年2月10日アーカイブ分)