「情島 (広島県)」の版間の差分
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{{Infobox 島 |
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|島名=情島 |
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|画像=[[ファイル:Nasakejima_Hiroshima.jpg|250px]] |
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画像=[[画像:Gthumb.svg|100px]]<br/>画像募集中| |
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|画像説明=情島(大情島)と小情島 |
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座標={{ウィキ座標度分|34|9|44|N|132|34|28|E||改行=yes}}| |
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海域=[[瀬戸内海]] | |
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[[ファイル:NASAKEJIMA Island.png|250px|right|thumb|周辺]] |
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'''情島'''(なさけしま)は[[瀬戸内海]]中部にある[[芸予諸島]]の[[島]]。</br> |
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'''情島'''(なさけじま)は、[[瀬戸内海]][[芸予諸島]]の[[島]]。有人島である。 |
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広島県[[呉市]][[阿賀港]]の南南西の沖合い約8kmに位置する。 |
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== 地理 == |
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本州[[広島県]][[呉市]]からの南約8.0[[キロメートル|km]]{{Sfn|広島県|2013|p=54}}、[[倉橋島]]のすぐ東側に位置する。この島の西隣が小情島と呼ばれる無人島である。なお、倉橋島は[[音戸大橋]]によって本州の呉市とは結ばれているが、情島は結ばれておらず[[離島]]になる。全島域が呉市[[阿賀 (呉市)|阿賀町]](〒737-0005)。 |
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*広島県呉市[[阿賀町]]に属する。</br> |
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*[[2006年]]9月末時点のこの島の世帯数は9,人口は13人([http://www.city.kure.hiroshima.jp/~statics/people.html/ 呉市公式ウェブサイト]より)。 |
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*情島[[小学校]]があるが,休校中。 |
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面積0.69km<sup>2</sup>、周囲4.5km(2010年度{{Sfn|広島県|2013|p=54}})。島の8割強が山地で、最高峰は高山126m{{Sfn|広島県|2013|p=54}}。島の西側はほぼ岸壁で集落が一つ、東側に砂浜が数カ所ある{{Sfn|広島県|2013|p=54}}。地質はほぼ[[花崗岩]]{{Sfn|広島県|2013|p=62}}。気候は[[瀬戸内海式気候]]。 |
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==自然== |
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2010年現在で人口は6世帯9人、[[高齢化率]]は88.9%{{Sfn|広島県|2013|p=54}}。平地自体が極端に狭いという地形的制約から今後の人口増を望むことが難しく、将来的には集落維持が困難になることが懸念されている{{Sfn|広島県|2013|p=54}}{{Sfn|広島県|2013|p=55}}。 |
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==歴史== |
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*[[円墳]]が存在し,[[古墳時代]]から人が棲んでいたと考えられる。 |
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*[[1945年]]([[昭和]]20年)7月24日の呉軍港空襲時に[[大日本帝国海軍|旧海軍]]の[[戦艦]][[日向 (戦艦)|日向]]が米軍機の攻撃を受け,この島の沖合いで沈没した。 |
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上水道施設は存在しておらず、各家庭の井戸を用いている{{Sfn|広島県|2013|p=58}}。携帯電話は繋がるが他の情報ネットワークは構築されていない{{Sfn|広島県|2013|p=56}}。 |
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==交通== |
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===水上交通=== |
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周辺は小型底引き網の漁場である{{Sfn|広島県|2013|p=56}}。住民はいわゆる[[半農半漁]]<ref name="kotobank" />。島内の漁業従事者は2010年現在で1人のみ{{Sfn|広島県|2013|p=56}}。農家が3世帯あるがあくまで自給的なものに留まっている{{Sfn|広島県|2013|p=57}}。 |
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== 歴史 == |
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[[ファイル:Japanese battleship Ise burning at Kure 28 July 1945.jpeg|thumb|250px|音戸町坪井沖から撮影された[[呉軍港空襲]]の様子。左奥が情島で日向が見える。手前に右が[[倉橋島]]で左の海峡が[[音戸の瀬戸]]、左が呉市本土。]] |
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島の名の由来は伝承によると、[[イチキシマヒメ]]が[[厳島|宮島]]に向かう途中この付近で難航していたところ、この島の住民が助けたことから{{Sfn|江見|1934|p=40}}。 |
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この島の南には“情島古墳”という[[円墳]]が発見されている{{Sfn|広島県|2013|p=60}}<ref name="d_02kure">{{Cite web|和書|url=http://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki_file/kyouiku/pdf/d_02kure.pdf|format=PDF|title=呉市(旧・安芸郡倉橋町,音戸町,蒲刈町,下蒲刈町,豊田郡安浦町,川尻町,豊浜町,豊町を含む)|publisher=広島県教育委員会 |accessdate=2016-02-20}}</ref>。[[横穴式石室]]であるため{{Sfn|広島県|2013|p=60}}<ref name="d_02kure" />、[[古墳時代]]後期のもの。その付近に“火の釜”と呼ばれる[[狼煙]]台跡があり、この地を拠点とした海賊が使っていたと伝承に残る{{Sfn|広島県|2013|p=60}}。 |
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[[江戸時代]]、[[広島藩]]はこの島に放牧場を設けた<ref name="kotobank">{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/情島-892414|title=情島|publisher=コトバンク|accessdate=2016-02-20}}</ref>。そして[[阿賀 (呉市)|阿賀]]の農民に管理させるため移住させている<ref name="kotobank" />。 |
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明治以降の行政区分は、1978年[[賀茂郡 (広島県)|賀茂郡]]阿賀村、1897年賀茂郡阿賀町、1928年呉市に編入された{{Sfn|江見|1934|p=56}}。 |
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ただ[[太平洋戦争]]時には「海軍さんの島」[[大日本帝国海軍]][[呉鎮守府]]が接収し[[竜巻作戦]]([[特四式内火艇]])や[[伏龍]]の秘密訓練場となった<ref name="kotobank" />。大戦末期には浮砲台として[[日向 (戦艦)|日向]]がこの沖に置かれ、[[呉軍港空襲]]により大破、乗員約1000人のうち197人が死亡600人余りが重軽傷を負った<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sensou/201312/0006589399.shtml|title=(12)爆弾攻撃200発日向沈没|publisher=神戸新聞|date2013-12-22|accessdate=2016-02-20}}</ref>。現在島の北側には“日向殉忠碑”“軍艦日向戦没碑”といった慰霊碑が建立されている。 |
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戦後、帰ってきた元島民により1947年時点での人口は207人にまで達したが、以降減少を続けている<ref name="kotobank" />。 |
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NASAKEJIMA Island 1947.jpg|1947年アメリカ軍撮影。ほぼハゲ山になっているが伐開によるものか空襲による火災によるものかは不明。日向の陰影がみえる。 |
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NASAKEJIMA Island 1981.jpg|1981年<ref name="mlit">{{国土航空写真}}</ref> |
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NASAKEJIMA Island 2003.jpg|2003年<ref name="mlit" /> |
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== 七不思議 == |
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この島には七不思議(七奇跡あるいは七名所とも)が伝承されている{{Sfn|江見|1934|pp=42-43}}。 |
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# 粟八斗島の鯛の巣 - 栗を8[[斗]]分 |
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# 夫婦岩の馬殺し - 山に2つの岩があり、3[[間]]離れているが大晦日の夜に密着する。ある時馬がそれに挟まって死んだという。 |
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# 火の釜の窟 - 8[[畳]]ほどの洞窟が2つあり、平家の落武者あるいは海賊が住んでいた。 |
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# 潜り岩 |
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# 狗賓松(天狗の腰掛松) |
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# 水有り |
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# 水場 |
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== 交通 == |
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阿賀港との間で定期便として[[旅客船]]が運航されている。 |
阿賀港との間で定期便として[[旅客船]]が運航されている。 |
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*(有)つかさ |
* (有)つかさ |
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:[[阿賀港]](呉市 |
: [[阿賀港]](呉市)〜 '''情島''' (所要時間 25分、1日3往復) |
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なお乗船場所は阿賀漁協の裏側(海側)で、かつての[[呉・松山フェリー]]の発着場所から約100m北西側にある。運賃は片道210円。港の近くには駐車場はない。 |
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== 脚注 == |
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== 参考資料 == |
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* {{Cite web|和書||publisher=広島県|url=https://www.mlit.go.jp/common/001014130.pdf|format=PDF|title=広島県離島振興計画(平成25年度~平成34年度)|date=2013-12|accessdate=2016-02-20|ref = {{sfnRef|広島県|2013}}}} |
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*[http://watchizu.gsi.go.jp/ 国土地理院地図閲覧サービス] - [http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?id=51321455&slidex=400&slidey=0 情島の1/25000地形図] |
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* {{Cite book|和書|author =[[江見水蔭]]|title =水蔭行脚全集. 第5巻|date =1934|url ={{NDLDC|1107310}}|format = PDF|accessdate =2016-02-20|ref = {{sfnRef|江見|1934}}}} |
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== 関連項目 == |
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{{Japan-geo-stub}} |
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{{Commonscat|Nasakejima}} |
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* [[日本の島の一覧]] |
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* [[離島振興法]] |
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== 外部リンク == |
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[[Category:広島県の地理|なさけしま]] |
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* [http://www.city.kure.lg.jp/ 呉市] |
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[[Category:瀬戸内海の島|なさけしま]] |
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{{日本の指定離島}} |
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[[Category:呉市|なさけしま]] |
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{{Japan-geo-stub}} |
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{{DEFAULTSORT:なさけしま}} |
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[[Category:広島県の島]] |
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[[Category:芸予諸島]] |
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[[Category:広島湾]] |
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[[Category:呉市の地理]] |
2023年11月22日 (水) 05:31時点における最新版
情島 | |
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情島(大情島)と小情島 | |
所在地 | 日本 広島県呉市阿賀町 |
所在海域 | 瀬戸内海 |
所属諸島 | 芸予諸島 |
座標 | 北緯34度9分43.2秒 東経132度34分30.0秒 / 北緯34.162000度 東経132.575000度座標: 北緯34度9分43.2秒 東経132度34分30.0秒 / 北緯34.162000度 東経132.575000度 |
面積 | 0.69 km² |
海岸線長 | 4.5 km |
最高標高 | 126 m |
最高峰 | 高山 |
プロジェクト 地形 |
地理
[編集]本州広島県呉市からの南約8.0km[1]、倉橋島のすぐ東側に位置する。この島の西隣が小情島と呼ばれる無人島である。なお、倉橋島は音戸大橋によって本州の呉市とは結ばれているが、情島は結ばれておらず離島になる。全島域が呉市阿賀町(〒737-0005)。
面積0.69km2、周囲4.5km(2010年度[1])。島の8割強が山地で、最高峰は高山126m[1]。島の西側はほぼ岸壁で集落が一つ、東側に砂浜が数カ所ある[1]。地質はほぼ花崗岩[2]。気候は瀬戸内海式気候。
2010年現在で人口は6世帯9人、高齢化率は88.9%[1]。平地自体が極端に狭いという地形的制約から今後の人口増を望むことが難しく、将来的には集落維持が困難になることが懸念されている[1][3]。
上水道施設は存在しておらず、各家庭の井戸を用いている[4]。携帯電話は繋がるが他の情報ネットワークは構築されていない[5]。
周辺は小型底引き網の漁場である[5]。住民はいわゆる半農半漁[6]。島内の漁業従事者は2010年現在で1人のみ[5]。農家が3世帯あるがあくまで自給的なものに留まっている[7]。
歴史
[編集]島の名の由来は伝承によると、イチキシマヒメが宮島に向かう途中この付近で難航していたところ、この島の住民が助けたことから[8]。
この島の南には“情島古墳”という円墳が発見されている[9][10]。横穴式石室であるため[9][10]、古墳時代後期のもの。その付近に“火の釜”と呼ばれる狼煙台跡があり、この地を拠点とした海賊が使っていたと伝承に残る[9]。
江戸時代、広島藩はこの島に放牧場を設けた[6]。そして阿賀の農民に管理させるため移住させている[6]。
明治以降の行政区分は、1978年賀茂郡阿賀村、1897年賀茂郡阿賀町、1928年呉市に編入された[11]。
明治初期で人口約40人[6]。この時期に松本勝太郎が材木切り出し用に島の半分以上を買収し、別荘を置いていた[8]。
昭和初期で人口約140人[6]。柑橘栽培に従事している[11]。島の海水浴場は松本が所有する土地の中にあり、夏場には一般開放されていた[8]。この時期松本の別荘に江見水蔭が訪れている[8]。
流れ木も 情けの島に 寄せられつ — 江見水蔭、[12]
ただ太平洋戦争時には「海軍さんの島」大日本帝国海軍呉鎮守府が接収し竜巻作戦(特四式内火艇)や伏龍の秘密訓練場となった[6]。大戦末期には浮砲台として日向がこの沖に置かれ、呉軍港空襲により大破、乗員約1000人のうち197人が死亡600人余りが重軽傷を負った[13]。現在島の北側には“日向殉忠碑”“軍艦日向戦没碑”といった慰霊碑が建立されている。
戦後、帰ってきた元島民により1947年時点での人口は207人にまで達したが、以降減少を続けている[6]。
七不思議
[編集]この島には七不思議(七奇跡あるいは七名所とも)が伝承されている[15]。
- 粟八斗島の鯛の巣 - 栗を8斗分
- 夫婦岩の馬殺し - 山に2つの岩があり、3間離れているが大晦日の夜に密着する。ある時馬がそれに挟まって死んだという。
- 火の釜の窟 - 8畳ほどの洞窟が2つあり、平家の落武者あるいは海賊が住んでいた。
- 潜り岩
- 狗賓松(天狗の腰掛松)
- 水有り
- 水場
交通
[編集]阿賀港との間で定期便として旅客船が運航されている。
- (有)つかさ
- 阿賀港(呉市)〜 情島 (所要時間 25分、1日3往復)
なお乗船場所は阿賀漁協の裏側(海側)で、かつての呉・松山フェリーの発着場所から約100m北西側にある。運賃は片道210円。港の近くには駐車場はない。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 広島県 2013, p. 54.
- ^ 広島県 2013, p. 62.
- ^ 広島県 2013, p. 55.
- ^ 広島県 2013, p. 58.
- ^ a b c 広島県 2013, p. 56.
- ^ a b c d e f g “情島”. コトバンク. 2016年2月20日閲覧。
- ^ 広島県 2013, p. 57.
- ^ a b c d 江見 1934, p. 40.
- ^ a b c 広島県 2013, p. 60.
- ^ a b “呉市(旧・安芸郡倉橋町,音戸町,蒲刈町,下蒲刈町,豊田郡安浦町,川尻町,豊浜町,豊町を含む)” (PDF). 広島県教育委員会. 2016年2月20日閲覧。
- ^ a b 江見 1934, p. 56.
- ^ 江見 1934, p. 41.
- ^ “(12)爆弾攻撃200発日向沈没”. 神戸新聞. 2016年2月20日閲覧。
- ^ a b 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
- ^ 江見 1934, pp. 42–43.
参考資料
[編集]- “広島県離島振興計画(平成25年度~平成34年度)” (PDF). 広島県 (2013年12月). 2016年2月20日閲覧。
- 江見水蔭『水蔭行脚全集. 第5巻』(PDF)1934年 。2016年2月20日閲覧。