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「名鉄ク2180形電車」の版間の差分

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{{鉄道車両
[[ファイル:MeitetsuC2181-黒野.jpg|240px|thumb|right|ク2180形2181(黒野駅、1978年)]]
|車両名= 名鉄ク2180形電車
'''名鉄ク2180形電車'''(めいてつク2180がたでんしゃ)は、[[1943年]]([[昭和]]18年)に登場した[[名古屋鉄道]](名鉄)の[[通勤形車両 (鉄道)|通勤形電車]]。当初は[[名鉄名古屋本線|名古屋本線]]等幹線区間で使用されていたが、後年600V化改造の上、[[名鉄揖斐線|揖斐線]]で使用されていた。
|社色= #C00029
|画像= MeitetsuC2181-黒野.jpg
|画像説明= ク2180形2181<br />([[黒野駅|黒野]] 1978年)
|unit= self
|編成両数=
|営業最高速度=
|設計最高速度=
|減速度(通常)=
|減速度(非常)=
|車両定員= 140人(座席50人)
|全長= 16,840 [[ミリメートル|mm]]
|全幅= 2,740 mm
|全高= 3,790 mm
|車体材質= 半鋼製
|車両重量= 23.5 [[トン|t]]
|軌間= 1,067 mm([[狭軌]])
|電気方式= [[直流電化|直流]]600 [[ボルト (単位)|V]]([[架空電車線方式]])
|主電動機=
|主電動機出力=
|搭載数=
|歯車比=
|定格速度=
|駆動装置=
|制御装置= 間接非自動加速制御(HL制御)
|台車= [[ブリル#27MCB|ブリル27-MCB-1]]
|制動方式= SCE[[直通ブレーキ#SME|非常弁付直通ブレーキ]]
|保安装置=
|製造メーカー= [[東洋工機|日本鉄道自動車工業]]
|備考= 各データはク2181、1978年6月1日現在<ref name="Titech-guide4_p300-301" />。
}}
'''名鉄ク2180形電車'''(めいてつク2180がたでんしゃ)は、[[名古屋鉄道]](名鉄)が[[1943年]]([[昭和]]18年)に導入した[[電車]]([[制御車]])である。


落成当初は、[[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]]電化の路線区にて運用される[[主制御器#自動進段|間接自動制御]](AL制御)の'''AL車'''に属する制御車であったが、後年同600 V電化の路線区にて運用される[[主制御器#手動進段|間接非自動制御]](HL制御)の'''HL車'''に属する制御車へ改造された。
==概要==
本形式登場の前年、[[1942年]](昭和17年)に電装された[[名岐鉄道デボ800形電車|モ830形]]と編成する制御車として、ク2181 - 2182の2両が日本鉄道自動車工業(通称日鉄自工、現・[[東洋工機]])で新製された。当時は[[太平洋戦争]]が激化するさなかであり、資材調達が困難になりつつあった状況を反映し、本形式の新製に際しては台枠に旧型車の廃車発生品が使用されている<ref>日鉄自工側で用意された中古台枠を使用したともいわれている。</ref>。そのため車体長がモ830形よりも1.5m短い16mとされ、側面車体裾から台枠が露出した構造とされたことも相まって、モ830形とは相当印象が異なるものとなった。


== 導入経緯 ==
車体外観は正面非貫通構造とされたことが特徴であり、正面雨樋は一直線形状である。窓配置はd2D8D3(d:乗務員用扉, D:客用扉)で、全長が短くなった分モ830形よりも扉間の窓数が2枚少ないが、客用扉幅や側窓の上下寸法、幕板寸法等はモ830形よりも後年新製された運輸省規格型[[名鉄3800系電車|3800系]]に類似したものとなっている。台車は釣り合い梁式の日鉄自工製NT31型を装備していた。
[[太平洋戦争]]の激化に伴う戦時体制への移行によって、沿線に軍事関連施設を多く抱えた名鉄においては輸送量の増大に対応すべく車両増備の必要に迫られていた<ref name="RFJ641_p16" />。しかしその一方で鉄道車両の製造に必要な資材が軍需的要素の高いものへ優先的に充当された影響から、民間向け資材は著しく不足を生じていた<ref name="RFJ641_p16" />。加えて従来名鉄における鉄道車両の発注を独占的に受注していた[[日本車輌製造]]が軍事関連の受注に追われたことから名鉄向けの車両製造を行う余裕がなかったため<ref name="RFJ641_p16" />、同時期に西部線用の制御車として製造が計画された[[名鉄ク2080形電車|ク2080形]]は止む無く名鉄自社工場において木造の粗製車体を新製し予備品の台車と組み合わせて落成するに至っていた<ref name="RFJ641_p16" />。


そのような情勢下において、ク2180形(以下「本形式」)はク2080形を設計の基本に車体長を延長した木造車体を備える東部線用の制御車として計画され<ref name="RFJ641_p16" />、[[1942年]](昭和17年)2月2日付<ref name="RFJ641_p16" />で2両の設計認可を、同年5月12日付認可<ref name="RFJ641_p16" />で5両分の増備認可をそれぞれ得て、計7両の導入計画が立てられた<ref name="RFJ641_p16" />。
==その後の経緯==
前述の通り、本形式はモ830形と編成を組んで使用され、[[1955年]](昭和30年)には正面貫通化改造が施工されている。


その後、同寸法の木造車体と半鋼製車体を比較した場合、前者は事実上[[炭素鋼|普通鋼]]で構成される[[台枠#鉄道車両の台枠|台枠]]のみで[[構体 (鉄道車両)|構体]]強度を確保することから、台枠を極めて頑丈な設計とせざるを得ないため鋼材の節約には繋がらず、また後者は構体強度の点で有利であるのみならず構体全体で強度を確保できるため前者と比較して台枠部分の鋼材が節約でき、さらに構体全体の鋼材使用量も前者と比較して約0.2 [[トン|t]]の増加に留まることを理由として<ref name="RFJ641_p16" />、翌1943年(昭和18年)5月5日付<ref name="RFJ641_p16" />で構体を木造から半鋼製に変更する設計変更認可を得た<ref name="RFJ641_p16" />。同年7月3日付<ref name="RFJ641_p16" />で計5両の製造が認可され、同年10月<ref name="RP64_p34" />に日本鉄道自動車工業(現・[[東洋工機]])において'''ク2180形'''2181・2182の2両が落成した<ref name="RP64_p34" />。
その後[[1965年]](昭和40年)にモ830形が[[名鉄850系電車|850系]]の中間車に転用されたため、編成相手を失った本形式は、翌[[1966年]](昭和41年)に600V化改造を受けて揖斐線に転属した。その際制動装置の[[直通ブレーキ#SME|SME直通空気ブレーキ]]化、台車を[[ブリル]]27MCB1型へ交換、主幹制御器の交換(HL制御化)、客用扉の手動扉化<ref name="doorlock">後年ドアロックおよびドアチェッカーが追設された。</ref>等が施工されている。転属後は[[瀬戸電気鉄道ホ103形電車|モ760形]]などHL制御の電動車と編成を組んで使用されていた。


ク2183 - ク2185の記号番号が予定されていた残る3両については前述した1943年(昭和18年)7月3日付の増加認可申請において''「既ニ製作者トノ契約ヲ締結致シ車輌統制会ノ内諾ヲ得目下製造工程相当進捗」''と説明されていたものの<ref name="RFJ641_p16" />、現車は結局落成せず、本形式は2両のみの導入に留まった<ref name="RFJ641_p16" />。
しかし[[1970年代]]以降、[[名鉄瀬戸線|瀬戸線]]で使用されていたAL制御・自動扉仕様車が揖斐線に配属されて体質改善が進められると、HL制御・手動扉<ref name="doorlock" />仕様の本形式は、それら転入車<ref>[[名古屋鉄道デセホ700形電車|モ700形・750形]]および[[愛知電気鉄道電7形電車|ク2320形]]。いずれも[[1926年]]([[大正]]15年)から[[1929年]](昭和4年)にかけて新製された高経年車であった。</ref>よりも経年が浅かったにも関わらず淘汰対象となった<ref>本形式は戦中混乱期の製造であったためか、各部の老朽化の進行が著しかったこともその要因であった。</ref>。[[1973年]](昭和48年)にク2182が[[廃車 (鉄道)|廃車]]となり、残るク2181も[[1978年]](昭和53年)に廃車となって本形式は形式消滅した。


== 仕様 ==
廃車後、ク2182の車体のみが[[岐阜検車区]](岐阜工場)の裏手に放置されていたが、1995年頃に解体処分されて姿を消している。
構体主要部を普通鋼製とした、車体長16,000 [[ミリメートル|mm]]・車体幅2,700 mmの半鋼製車体を備える<ref name="Titech-guide4_p300-301" /><ref name="Titech-guide4_p224-225" />。ただし台枠については廃車発生品あるいは日本鉄道自動車工業の手持ち古台枠を流用したとされ<ref name="Titech-guide4_p224-225" />、のちに編成を組成した[[名岐鉄道デボ800形電車|モ830形]]<ref name="RP64_p33" />と比較すると車体長が1,500 mm短く、また側面の車体裾部が若干切り上げられ、台枠が外部に露出した構造である点も異なる<ref name="Titech-guide4_p224-225" /><ref name="Titech-guide4_p92-93" />。


前後妻面は扁平な平妻形状とし、前後いずれも貫通路・貫通扉のない非貫通構造とされ、740 mm幅の前面窓を3枚均等配置した<ref name="Titech-guide4_p224-225" />。乗務員室は一方の妻面にのみ設けた片運転台構造で、運転台は乗務員スペースに相当する箇所のうち車体幅方向に全体の1/3のみ仕切り壁を設けた半室構造である<ref name="Titech-guide4_p224-225" />。側面には側面には500 mm幅の乗務員扉、1,120 mm幅の片開客用扉、800 mm幅の2段式の側窓をそれぞれ配し<ref name="Titech-guide4_p224-225" />、[[構体 (鉄道車両)#側面窓配置|側面窓配置]]はd2D8D3(d:乗務員扉、D:客用扉、各数値は側窓の枚数)である<ref name="Titech-guide4_p224-225" />。
==脚注==

{{reflist}}
車内は[[鉄道車両の座席#ロングシート (縦座席)|ロングシート]]仕様で、混雑対策として客用扉間の8枚の側窓のうち、客用扉脇の各1枚分に相当する箇所には座席を設けず立席スペースとし<ref name="Titech-guide4_p224-225" />、1両あたりの車両定員は140人(座席定員50人)とした<ref name="Titech-guide4_p300-301" />。

台車は日本鉄道自動車工業製の[[鉄道車両の台車#イコライザー式|釣り合い梁式台車]]NT31を装着した<ref name="RP64_p34" />。

== 運用 ==
前述の通り、本形式はモ830形と編成を組成して運用され<ref name="RP64_p33" />、[[1955年]](昭和30年)には前後妻面の貫通構造化改造が施工された<ref name="RP64_p33" />。運転台側妻面には648 mm幅の貫通路および貫通扉が、連結面側妻面には700 mm幅の貫通路がそれぞれ追設され、幌枠も新設された<ref name="Titech-guide4_p224-225" />。

その後、[[1965年]](昭和40年)にモ830形が[[名鉄850系電車|850系]]の中間電動車に転用され<ref name="RP246_p81" />、編成相手を失った本形式は、翌[[1966年]](昭和41年)に架線電圧1,500 V路線区用の制御車から同600 V路線区用の制御車に改造された<ref name="RP247_p60" />。その際、降圧対応改造および架線電圧600 V路線区に在籍する電動車各形式との併結対応改造のほか、客用扉下部に内蔵形の乗降ステップが新設され、客用扉下部から戸袋窓下部にかけての車体裾部が台枠下端部まで引き下げられた<ref name="RP247_p60" />。また、台車を廃車発生品の[[ブリル]] (J.G.Brill) 27-MCB-1台車へ換装し<ref name="RP247_p65" />、従来装着したNT31台車は[[名鉄3700系電車 (2代)|3780系]]の制御車ク2780形2784・2785の新製に際して転用された<ref name="Titech-guide4_p306-307" />。

転属後は[[主制御器#電空単位スイッチ式|電空単位スイッチ式]]間接非自動制御(HL制御)仕様の制御車として、ク2181は[[瀬戸電気鉄道ホ103形電車|モ760形]]766と<ref name="RP247_p59" />、ク2182は[[名古屋鉄道デセホ700形電車|モ750形]]752{{refnest|group="注釈"|モ750形は本来間接自動制御(AL制御)仕様の[[動力車|制御電動車]]であるが<ref name="RP611_p112-113" />、[[1965年]](昭和40年)3月に揖斐線系統へ転属したモ752・モ753・モ756・モ757の4両については、転属時に制御装置換装によるHL制御化改造が施工された<ref name="RP611_p112-113" />。}}とそれぞれ編成を組成し<ref name="RP247_p59" />、[[名鉄揖斐線|揖斐線]]および[[名鉄谷汲線|谷汲線]]において運用された<ref name="RP247_p60" />。また後年、客用扉下部の内蔵ステップ高さの切り上げが施工され<ref name="KEIO-guide3_p92" />{{refnest|group="注釈"|施工時期は明らかではないが、1968年(昭和43年)8月発行の『私鉄ガイドブック3 名鉄・京成・都営地下鉄・京浜』 p.92においては内蔵ステップ高さの切り上げが施工された状態の本形式を撮影した画像が収録されている<ref name="KEIO-guide3_p92" />。}}、客用扉下部から戸袋窓下部にかけての車体裾部の引き下げ幅がごくわずかとなったほか<ref name="KEIO-guide3_p92" />、ク2181については前面窓枠のアルミサッシ化も施工された<ref name="Titech-guide4_p224-225" /><ref name="KEIO-guide3_p92" />。

[[1970年代]]以降、[[名鉄瀬戸線|瀬戸線]]の車両体質改善に伴って捻出された、[[主制御器#電動カム軸接触器式|電動カム軸式]]間接自動制御(AL制御)仕様のモ700形・モ750形・[[愛知電気鉄道電7形電車|ク2320形]]の転属による<ref name="RP611_p112-113" />、揖斐線系統に在籍するHL制御仕様の従来車の淘汰が進められた<ref name="RP611_p112-113" />。

HL制御仕様の本形式もまた代替対象となり、[[1973年]](昭和48年)11月にモ752が制御装置を換装しAL制御仕様に改造された<ref name="RP611_p112-113" />ことに伴って編成相手を失ったク2182が同年12月25日付<ref name="PRC11_p179" />で[[廃車 (鉄道)|除籍]]された。残存したク2181についても、[[1978年]](昭和53年)3月19日<ref name="RP611_p112-113" />に実施された瀬戸線の架線電圧1,500 V昇圧に伴う、従来瀬戸線に在籍した前掲各形式の揖斐線系統への転属によって余剰となり<ref name="RP611_p112-113" />、編成を組成したモ766とともに同年10月3日付<ref name="PRC11_p179" />で除籍された。ク2181の廃車をもって、本形式は形式消滅した<ref name="PRC11_p179" />。

なお、ク2182は廃車後車体のみが存置され<ref name="YMK8_p87" />、[[岐阜検車区]](岐阜工場)の裏手において倉庫代用として用いられた<ref name="YMK8_p87" />。

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2|refs=
<ref name="KEIO-guide3_p92">『私鉄ガイドブック3 名鉄・京成・都営地下鉄・京浜』 p.92</ref>
<ref name="Titech-guide4_p92-93">『私鉄電車ガイドブック4 相鉄・横浜市・名鉄・名古屋市』 pp.92 - 93</ref>
<ref name="Titech-guide4_p224-225">『私鉄電車ガイドブック4 相鉄・横浜市・名鉄・名古屋市』 pp.224 - 225</ref>
<ref name="Titech-guide4_p300-301">『私鉄電車ガイドブック4 相鉄・横浜市・名鉄・名古屋市』 pp.300 - 301</ref>
<ref name="Titech-guide4_p306-307">『私鉄電車ガイドブック4 相鉄・横浜市・名鉄・名古屋市』 pp.306 - 307</ref>
<ref name="YMK8_p87">『ヤマケイ私鉄ハンドブック8 名鉄』 p.87</ref>
<ref name="PRC11_p179">『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 p.179</ref>
<ref name="RP64_p33">「私鉄車両めぐり(27) 名古屋鉄道 2」(1956) p.33</ref>
<ref name="RP64_p34">「私鉄車両めぐり(27) 名古屋鉄道 2」(1956) p.34</ref>
<ref name="RP246_p81">「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 1」(1971) p.81</ref>
<ref name="RP247_p59">「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 2」(1971) p.59</ref>
<ref name="RP247_p60">「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 2」(1971) p.60</ref>
<ref name="RP247_p65">「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 2」(1971) p.65</ref>
<ref name="RP611_p112-113">「名鉄モ700、モ750を称え、その足跡をたどる」 (1995) pp.112 - 113</ref>
<ref name="RFJ641_p16">「名鉄モ770形と岐阜のGE電車について」 (2006) p.16</ref>
}}

== 参考資料 ==
; 書籍
* [[慶應義塾大学|慶応義塾大学]]鉄道研究会 『私鉄ガイドブック3 名鉄・京成・都営地下鉄・京浜』 [[誠文堂新光社]] 1968年8月
* [[東京工業大学]]鉄道研究部 『私鉄電車ガイドブック4 相鉄・横浜市・名鉄・名古屋市』 誠文堂新光社 1978年11月
* [[吉川文夫]]・[[広田尚敬|廣田尚敬]] 『ヤマケイ私鉄ハンドブック8 名鉄』 [[山と渓谷#山と渓谷社|山と渓谷社]] 1982年12月 ISBN 4-635-06120-5
* 白井良和 『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 [[保育社]] 1985年12月 ISBN 4-586-53211-4

; 雑誌
* 『[[鉄道ピクトリアル]]』 [[電気車研究会|鉄道図書刊行会]]
** 渡辺肇 「私鉄車両めぐり(27) 名古屋鉄道 2」 1956年11月号(通巻64号) pp.33 - 37
** 渡辺肇・加藤久爾夫 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 1」 1971年1月号(通巻246号) pp.77 - 84
** 渡辺肇・加藤久爾夫 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 2」 1971年2月号(通巻247号) pp.58 - 65
** 渡利正彦 「名鉄モ700、モ750を称え、その足跡をたどる」 1995年8月号(通巻611号) pp.108 - 113
* 『RAILFAN』([[鉄道友の会]]会報誌)
** 澤内一晃 「名鉄モ770形と岐阜のGE電車について」 2006年3月号(通巻641号) pp.16 - 18


== 関連項目 ==
{{名古屋鉄道の車両}}
{{名古屋鉄道の車両}}


{{デフォルトソート:めいてつ2180かたてんしや}}
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[[Category:名古屋鉄道の電車|2180]]
[[Category:名古屋鉄道の電車|2180]]
[[Category:1943年製の鉄道車両]]
[[Category:1943年製の鉄道車両]]

2013年10月2日 (水) 14:31時点における版

名鉄ク2180形電車
ク2180形2181
黒野 1978年)
基本情報
製造所 日本鉄道自動車工業
主要諸元
軌間 1,067 mm(狭軌
電気方式 直流600 V架空電車線方式
車両定員 140人(座席50人)
車両重量 23.5 t
全長 16,840 mm
全幅 2,740 mm
全高 3,790 mm
車体 半鋼製
台車 ブリル27-MCB-1
制御装置 間接非自動加速制御(HL制御)
制動装置 SCE非常弁付直通ブレーキ
備考 各データはク2181、1978年6月1日現在[1]
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名鉄ク2180形電車(めいてつク2180がたでんしゃ)は、名古屋鉄道(名鉄)が1943年昭和18年)に導入した電車制御車)である。

落成当初は、直流1,500 V電化の路線区にて運用される間接自動制御(AL制御)のAL車に属する制御車であったが、後年同600 V電化の路線区にて運用される間接非自動制御(HL制御)のHL車に属する制御車へ改造された。

導入経緯

太平洋戦争の激化に伴う戦時体制への移行によって、沿線に軍事関連施設を多く抱えた名鉄においては輸送量の増大に対応すべく車両増備の必要に迫られていた[2]。しかしその一方で鉄道車両の製造に必要な資材が軍需的要素の高いものへ優先的に充当された影響から、民間向け資材は著しく不足を生じていた[2]。加えて従来名鉄における鉄道車両の発注を独占的に受注していた日本車輌製造が軍事関連の受注に追われたことから名鉄向けの車両製造を行う余裕がなかったため[2]、同時期に西部線用の制御車として製造が計画されたク2080形は止む無く名鉄自社工場において木造の粗製車体を新製し予備品の台車と組み合わせて落成するに至っていた[2]

そのような情勢下において、ク2180形(以下「本形式」)はク2080形を設計の基本に車体長を延長した木造車体を備える東部線用の制御車として計画され[2]1942年(昭和17年)2月2日付[2]で2両の設計認可を、同年5月12日付認可[2]で5両分の増備認可をそれぞれ得て、計7両の導入計画が立てられた[2]

その後、同寸法の木造車体と半鋼製車体を比較した場合、前者は事実上普通鋼で構成される台枠のみで構体強度を確保することから、台枠を極めて頑丈な設計とせざるを得ないため鋼材の節約には繋がらず、また後者は構体強度の点で有利であるのみならず構体全体で強度を確保できるため前者と比較して台枠部分の鋼材が節約でき、さらに構体全体の鋼材使用量も前者と比較して約0.2 tの増加に留まることを理由として[2]、翌1943年(昭和18年)5月5日付[2]で構体を木造から半鋼製に変更する設計変更認可を得た[2]。同年7月3日付[2]で計5両の製造が認可され、同年10月[3]に日本鉄道自動車工業(現・東洋工機)においてク2180形2181・2182の2両が落成した[3]

ク2183 - ク2185の記号番号が予定されていた残る3両については前述した1943年(昭和18年)7月3日付の増加認可申請において「既ニ製作者トノ契約ヲ締結致シ車輌統制会ノ内諾ヲ得目下製造工程相当進捗」と説明されていたものの[2]、現車は結局落成せず、本形式は2両のみの導入に留まった[2]

仕様

構体主要部を普通鋼製とした、車体長16,000 mm・車体幅2,700 mmの半鋼製車体を備える[1][4]。ただし台枠については廃車発生品あるいは日本鉄道自動車工業の手持ち古台枠を流用したとされ[4]、のちに編成を組成したモ830形[5]と比較すると車体長が1,500 mm短く、また側面の車体裾部が若干切り上げられ、台枠が外部に露出した構造である点も異なる[4][6]

前後妻面は扁平な平妻形状とし、前後いずれも貫通路・貫通扉のない非貫通構造とされ、740 mm幅の前面窓を3枚均等配置した[4]。乗務員室は一方の妻面にのみ設けた片運転台構造で、運転台は乗務員スペースに相当する箇所のうち車体幅方向に全体の1/3のみ仕切り壁を設けた半室構造である[4]。側面には側面には500 mm幅の乗務員扉、1,120 mm幅の片開客用扉、800 mm幅の2段式の側窓をそれぞれ配し[4]側面窓配置はd2D8D3(d:乗務員扉、D:客用扉、各数値は側窓の枚数)である[4]

車内はロングシート仕様で、混雑対策として客用扉間の8枚の側窓のうち、客用扉脇の各1枚分に相当する箇所には座席を設けず立席スペースとし[4]、1両あたりの車両定員は140人(座席定員50人)とした[1]

台車は日本鉄道自動車工業製の釣り合い梁式台車NT31を装着した[3]

運用

前述の通り、本形式はモ830形と編成を組成して運用され[5]1955年(昭和30年)には前後妻面の貫通構造化改造が施工された[5]。運転台側妻面には648 mm幅の貫通路および貫通扉が、連結面側妻面には700 mm幅の貫通路がそれぞれ追設され、幌枠も新設された[4]

その後、1965年(昭和40年)にモ830形が850系の中間電動車に転用され[7]、編成相手を失った本形式は、翌1966年(昭和41年)に架線電圧1,500 V路線区用の制御車から同600 V路線区用の制御車に改造された[8]。その際、降圧対応改造および架線電圧600 V路線区に在籍する電動車各形式との併結対応改造のほか、客用扉下部に内蔵形の乗降ステップが新設され、客用扉下部から戸袋窓下部にかけての車体裾部が台枠下端部まで引き下げられた[8]。また、台車を廃車発生品のブリル (J.G.Brill) 27-MCB-1台車へ換装し[9]、従来装着したNT31台車は3780系の制御車ク2780形2784・2785の新製に際して転用された[10]

転属後は電空単位スイッチ式間接非自動制御(HL制御)仕様の制御車として、ク2181はモ760形766と[11]、ク2182はモ750形752[注釈 1]とそれぞれ編成を組成し[11]揖斐線および谷汲線において運用された[8]。また後年、客用扉下部の内蔵ステップ高さの切り上げが施工され[13][注釈 2]、客用扉下部から戸袋窓下部にかけての車体裾部の引き下げ幅がごくわずかとなったほか[13]、ク2181については前面窓枠のアルミサッシ化も施工された[4][13]

1970年代以降、瀬戸線の車両体質改善に伴って捻出された、電動カム軸式間接自動制御(AL制御)仕様のモ700形・モ750形・ク2320形の転属による[12]、揖斐線系統に在籍するHL制御仕様の従来車の淘汰が進められた[12]

HL制御仕様の本形式もまた代替対象となり、1973年(昭和48年)11月にモ752が制御装置を換装しAL制御仕様に改造された[12]ことに伴って編成相手を失ったク2182が同年12月25日付[14]除籍された。残存したク2181についても、1978年(昭和53年)3月19日[12]に実施された瀬戸線の架線電圧1,500 V昇圧に伴う、従来瀬戸線に在籍した前掲各形式の揖斐線系統への転属によって余剰となり[12]、編成を組成したモ766とともに同年10月3日付[14]で除籍された。ク2181の廃車をもって、本形式は形式消滅した[14]

なお、ク2182は廃車後車体のみが存置され[15]岐阜検車区(岐阜工場)の裏手において倉庫代用として用いられた[15]

脚注

注釈

  1. ^ モ750形は本来間接自動制御(AL制御)仕様の制御電動車であるが[12]1965年(昭和40年)3月に揖斐線系統へ転属したモ752・モ753・モ756・モ757の4両については、転属時に制御装置換装によるHL制御化改造が施工された[12]
  2. ^ 施工時期は明らかではないが、1968年(昭和43年)8月発行の『私鉄ガイドブック3 名鉄・京成・都営地下鉄・京浜』 p.92においては内蔵ステップ高さの切り上げが施工された状態の本形式を撮影した画像が収録されている[13]

出典

  1. ^ a b c 『私鉄電車ガイドブック4 相鉄・横浜市・名鉄・名古屋市』 pp.300 - 301
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 「名鉄モ770形と岐阜のGE電車について」 (2006) p.16
  3. ^ a b c 「私鉄車両めぐり(27) 名古屋鉄道 2」(1956) p.34
  4. ^ a b c d e f g h i j 『私鉄電車ガイドブック4 相鉄・横浜市・名鉄・名古屋市』 pp.224 - 225
  5. ^ a b c 「私鉄車両めぐり(27) 名古屋鉄道 2」(1956) p.33
  6. ^ 『私鉄電車ガイドブック4 相鉄・横浜市・名鉄・名古屋市』 pp.92 - 93
  7. ^ 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 1」(1971) p.81
  8. ^ a b c 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 2」(1971) p.60
  9. ^ 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 2」(1971) p.65
  10. ^ 『私鉄電車ガイドブック4 相鉄・横浜市・名鉄・名古屋市』 pp.306 - 307
  11. ^ a b 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 2」(1971) p.59
  12. ^ a b c d e f g 「名鉄モ700、モ750を称え、その足跡をたどる」 (1995) pp.112 - 113
  13. ^ a b c d 『私鉄ガイドブック3 名鉄・京成・都営地下鉄・京浜』 p.92
  14. ^ a b c 『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 p.179
  15. ^ a b 『ヤマケイ私鉄ハンドブック8 名鉄』 p.87

参考資料

書籍
雑誌
  • 鉄道ピクトリアル鉄道図書刊行会
    • 渡辺肇 「私鉄車両めぐり(27) 名古屋鉄道 2」 1956年11月号(通巻64号) pp.33 - 37
    • 渡辺肇・加藤久爾夫 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 1」 1971年1月号(通巻246号) pp.77 - 84
    • 渡辺肇・加藤久爾夫 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 2」 1971年2月号(通巻247号) pp.58 - 65
    • 渡利正彦 「名鉄モ700、モ750を称え、その足跡をたどる」 1995年8月号(通巻611号) pp.108 - 113
  • 『RAILFAN』(鉄道友の会会報誌)
    • 澤内一晃 「名鉄モ770形と岐阜のGE電車について」 2006年3月号(通巻641号) pp.16 - 18