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=== 歌手デビューまで === |
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2019年7月10日 (水) 10:16時点における版
田原 俊彦 | |
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出生名 | 田原 俊彦 |
別名 | トシちゃん |
生誕 |
1961年2月28日(63歳) 日本神奈川県横須賀市 |
出身地 | 日本, 山梨県甲府市 |
学歴 | 山梨県立甲府工業高等学校卒業 |
ジャンル | J-POP |
職業 | 歌手、俳優、タレント |
活動期間 | 1979年 - |
レーベル | ユニバーサルJ Prime Music |
事務所 | ジェイブレイブ |
公式サイト | 田原俊彦 |
田原 俊彦(たはら としひこ、1961年2月28日 - )は、日本のアイドル歌手、俳優、タレント。
神奈川県横須賀市出生、山梨県甲府市出身[1]。ジェイブレイブ所属。血液型B型。
愛称はトシちゃん。妻は元モデルの向井田彩子。長女はタレントの田原可南子。
所属事務所
ジャニーズ事務所 → 個人事務所「DOUBLE “T” PROJECT」 → ヒロ・パブリッシャーズ → ヒット・バイブ → JVCエンタテインメント → フォーミュラミュージックエンタテインメント→ジェイブレイブ
ジャニーズ時代の参加ユニット
来歴・人物
山梨県立甲府工業高等学校(全日制・土木科)卒業。身長175cm、体重58kg[2]。姉が2人、妹が1人いる[1]。
歌手デビューまで
1967年3月、横須賀・大津マリア幼稚園を卒園後、同年4月に横須賀市立馬堀小学校に入学。しかし、入学後間もなく6月23日に父が糖尿病で亡くなり、一家の生活が立ち行かなくなったため、翌7月2日に母の故郷である山梨県甲府市桜井町に転居[1]。母の手ひとつで育てられながら、高校卒業までを甲府市で過ごした[注 1][注 2]。
幼い時に父を亡くして、田原自身を含む4人の子供を抱えた母子家庭の生活は貧しく、また芸能界に対する強い憧れもあって、貧しい生活から早く抜け出して一家を楽にさせるには芸能人になって成功する以外に道はないと中学時代から決意していた。高校に入学した1976年5月、ジャニーズ事務所に履歴書を送ったが、返事が来なかったため、同年8月、事前連絡もせずに東京の事務所を直接訪問。事務所のスタッフからジャニー喜多川社長の居場所を教えられて日劇へ行き、ジャニー本人と直談判の末に入門を認められる[3][4]。高校時代は事務所のレッスンのため週末ごとに甲府市と東京の間を電車で往復する生活を続けた後[注 3]、1979年3月1日、高校卒業と同時に正式に上京した。母は当初、息子の芸能界入りに反対していたが、息子が正式に上京する時には、「やっぱり芸能界は無理だった、なんて言って逃げて帰って来るんじゃないよ」と言って送り出したという[6]。
テレビでの初出演は1978年の秋(当時高校3年生)、テレビ朝日の『とびだせ!パンポロリン』にて。歌と体操のお兄さんとして出演していたギャングスの松原秀樹の代役出演であった。
1979年4月、曽我泰久(現:曾我泰久)、長谷部徹と共に、川崎麻世のバックコーラス&ダンスグループ「ピラミッド」を結成。同年7月まで、毎週日曜夜7時から30分間放送していた日本テレビのダンス番組『ミュージックボンボン』にもピラミッドとして出演。この番組には「ジャPAニーズ」も共に出演していた。同年7月、フォーリーブスのおりも政夫がミュージカル『南太平洋』に出演した際に、1ヶ月間だけ彼の付き人を経験。
学園ドラマ『3年B組金八先生』に中学生役で出演が決まった時、共演の近藤真彦と野村義男は実際に中学生(当時15歳)であったが、田原はすでに18歳(放送中に誕生日を迎え19歳)で高校を卒業していたため、事務所側の意向もあり、1歳若く年齢を詐称。その年齢との辻褄を合わせるために、公式のプロフィールも「高校を2年一杯で中退」に変更しなければならなかった。この件については、後に歌番組の中で謝罪している。なお、『金八先生』で共演した近藤と野村とは、共に「たのきんトリオ」の愛称で人気を博することになった。『金八先生』に出演していた当時の田原の人気は凄まじく、全国から送られてくるファンレターの数が最高で月18万通にも達したという。
歌手デビュー後
- 1980年6月、たのきんトリオの先陣を切り、レイフ・ギャレットの『New York City Nights』をカバーした『哀愁でいと』で歌手デビュー。近藤真彦と共に、郷ひろみ、西城秀樹から男性アイドルの座を奪い取り[7]、1980年代のトップアイドルとして活躍する[7]。ダンスのうまさも手伝い、日本におけるダンスビートにのせて踊りながら歌うポップスの男性アイドルとしての存在を明確にした[8]。第1シングルB面および第2シングル以降、クラシック畑の宮下智を作曲に抜擢してのコンビネーションも効果的に作用した。第22回日本レコード大賞・最優秀新人賞、第11回日本歌謡大賞・放送音楽新人賞などを受賞。その後も『教師びんびん物語』など、多くのドラマに主演するなど、俳優としても活躍した。
- 1982年、ブロマイド年間売上実績の男性部門でトップ。
- ファンによるステージ用の応援コールも生まれた。代表的なものは「T・O・S・H・I スーパーアイドルLOVE俊ちゃん!」。
- 『哀愁でいと』から『ジャングルJungle』まで、オリコンシングルの連続TOP10入り37作の記録を持つ。その後の3作はTOP入りを逃すも、『雨が叫んでる』で通算38作目の、かつ現在で最後のTOP10入りとなった。なお、通算で38作のオリコンTOP10入りは、サザンオールスターズの『愛と欲望の日々/LONELY WOMAN』に破られるまで、当時歴代1位の記録だった。
- 1984年ロサンゼルスオリンピックの際には、聖火リレーのランナーの1人として、日系アメリカ人俳優のジョージ・タケイらとリトル・トーキョーを走った。その際、現地報道では「日本のマイケル・ジャクソン」と紹介された[9]。
- TBS系『ザ・ベストテン』では最多出場記録を持っており、同番組には田原の名前入りの青いソファーが1988年1月7日よりスタジオに設置されていた。このイスは、1987年12月31日の『ザ・ベストテン』放送の際に紹介された。
- フジテレビ系『夜のヒットスタジオ』に初出演したのはデビュー9日後の1980年6月30日放送の回[10]である。それ以降、原則月1回〜2回のハイペースで出演を続け、番組終了(1990年10月)までの間に158回の出演回数を記録。番組が『夜のヒットスタジオDELUXE』と改題され、2時間枠に放送時間を拡大したのを機に新設されたマンスリーゲストにも歴代最多の3回(1985年5月、1986年12月、1989年6月)抜擢された。『教師びんびん物語』主演当時には教え子役の子役との共演ともに主題歌でもある『ごめんよ涙』を披露したり、座長公演の最中での出演時にはその舞台でのいでたちで番組に登場したり、渡辺貞夫・久保田利伸などとのセッションを行うなど、パフォーマンスを数多く番組内で披露した。レギュラー放送最終回である1990年9月19日放送では、トリを任されスタジオを駆け回りながら『ジャングルJungle』を熱唱した。
- 1980年から1986年まで、『NHK紅白歌合戦』に7年連続出場していた。しかし1987年、歌手活動よりも俳優業が多くなった時期ではあるが、シングルは『KID』、ドラマ『ラジオびんびん物語』の主題歌『どうする?』等3枚発売されていたものの落選。翌1988年に発売された『抱きしめてTONIGHT』がフジテレビ系ドラマ『教師びんびん物語』の高視聴率とリンクしたこともあり、久々の長期的ヒットに発展。同年の紅白に選ばれるが、前年落選の報復をするかのように、本人の希望で出場者発表後に突然の辞退宣言を表明[注 4]。1989年にも『ごめんよ涙』でヒットしたものの、結局不出場。その後、NHKの番組には一切出演していなかったが、1994年に『ふたりのビッグショー』(松田聖子と共演)、2005年には『思い出のメロディー』に出演した。
- 諸星和己の回想によると、当時の田原はジャニーズ合宿所では別格で、近藤も頭を下げる事があるほど絶対的な存在だったという。
- 1983年の『ザ・ベストテン』の特番にて、近藤が当時の流行歌『浪花恋しぐれ』を番組内でカヴァーする予定だったが、本番直前に負傷するアクシデントに見舞われ、病院に行く事になったため急遽田原に代役の依頼を入れ、近藤の代わりに歌うことになった。生放送ゆえ時間がない中、5分で歌詞とメロディを叩き込み本番を成功させた。
ジャニーズ独立後
- 1994年3月1日、個人事務所「DOUBLE "T" PROJECT」を設立し、ジャニーズ事務所から独立。ただし、この独立はジャニーズ事務所側の反対を押し切って実行されたものと言われ、独立後はジャニーズ事務所の後輩たちとの共演は、ほぼ存在しなくなり、タレントとしても長らく不遇な時期が長く続いたが、それでも古くからのファン達に支えられて毎年コンサートツアーやディナーショーを全国各地で行い、地道な努力を辛抱強く積み重ねて再びマスコミの注目を集めるようになった。現在は司会者としても活躍しながら、古くからのファンだけでなく多くの若年層のファンをも獲得している。なお、田原本人は過去の独立問題と何ら関係なく、人生最大の恩人としてジャニーに対する敬意と感謝の気持ちを今も変わらず持ち続けている旨を自伝『職業=田原俊彦』の中で語っている。また、田原は前述の通り幼い時に父を亡くしているため、自分にとってはジャニーは第2の父であるとも語っている。
- 同年、長女が誕生し記者会見に応じるが、「僕くらいビッグになると…」という発言だけがマスコミに取り上げられ、激しいバッシングを受ける。ジョークのつもりだったが、メディアから「思い上がっている」と批判された。後年のインタビューでは「僕に力がなかった」と反省するコメントをしている。[11]
- 交友関係においては、プロサッカー選手の三浦知良とは、三浦がまだ無名だった頃からの親友であるという(田原のファンであった無名時代の三浦が、1987年に静岡で行われた田原のコンサートに遊びに行ったことがきっかけ)。1993年、三浦がJリーグアウォーズ表彰式で、初代MVPを受賞した際着ていた真赤なタキシードは、田原が10周年コンサートツアーで着用した物である。また、かつてデュエット共演した研ナオコとは非常に仲が良いことで知られる。ただ「広く浅くではなく、本当に気の合う人達と狭くても深いお付き合いをしたい」という田原自身の信条もあり、芸能界での交友関係はそれほど広くない。
- 田原のバックダンサーや振付師として、木野正人(乃生佳之と共に「BD104(バックダンサートシ)」を1980年代後半に組んでもいた[12][13])が、長年務めてきた。
- 1999年以降2001年まで、田原が主演したドラマ『巡査びんびん物語』『教師びんびん物語』が2時間ドラマ枠で放映された。
- 2006年6月からインターネットラジオ番組「田原俊彦DOUBLE"T"リラックスタイム」を開始。2009年シーズン4では視聴者数(ユニークユーザー)が25万人を超えた。
- 2010年4月同番組はシーズン5を迎え、田原俊彦DOUBLE"T"リラックスタイム5と題し、毎週金曜日15時更新、アーカイブ放送も24時間365日常時視聴可能である。
- 2009年4月にはデビュー30周年を迎え、田原俊彦デビュー30周年記念プロジェクト公式サイトを立ち上げた。
- 2009年5月27日、23年ぶりとなる自伝『職業=田原俊彦』(KKロングセラーズ刊)を出版。
- 2010年4月22日、LIVE DVD「30th Anniversary TOSHIHIKO TAHARA DOUBLE“T”TOUR 2009」を発売。
- 2017年2月、ユニバーサルJより6月にシングル「フェミニスト」を発売することを発表。11年ぶりのメジャー復帰となった。
ジャニーズ独立後にジャニーズ事務所所属のタレントと共演した番組
- 1994年10月12日の「94夜のヒットスタジオ超豪華秋スペシャル」に少年隊・光GENJISUPER5・SMAPと共演。
- 1994年10月〜12月放映のドラマ「半熟卵」で、当時ジュニアだった森田剛と共演。
- 1995年4月16日の「ヤンヤン歌うスタジオ同窓会スペシャル」で近藤真彦と別撮りという形だが共演。
ディスコグラフィ
シングル
- 哀愁でいと(1980.06.21)
- ハッとして!Good(1980.09.21)
- 恋=Do!(1981.01.12)
- ブギ浮ぎI LOVE YOU(1981.04.01)
- キミに決定!(1981.07.01)
- 悲しみ2(TOO)ヤング(1981.09.02)
- グッドラックLOVE(1981.10.16)
- 君に薔薇薔薇…という感じ(1982.01.27)
- 原宿キッス(1982.05.08)
- NINJIN娘(1982.08.06)
- 誘惑スレスレ(1982.10.15)
- ラブ・シュプール(1982.12.18)
- ピエロ(1983.02.17)
- シャワーな気分(1983.05.18)
- さらば‥夏(1983.08.12)
- エル・オー・ヴイ・愛・N・G(1983.11.18)
- チャールストンにはまだ早い(1984.02.03)
- 騎士道(1984.05.23)
- 顔に書いた恋愛小説(ロマンス)(1984.08.08)
- ラストシーンは腕の中で(1984.11.14)
- 銀河の神話(1985.02.01)
- 堕ちないでマドンナ(1985.05.16)
- 夏ざかりほの字組(1985.07.21)※Toshi & Naoko、研ナオコとのデュエット
- 華麗なる賭け(1985.08.14)
- It's BAD(1985.11.28)
- Hardにやさしく(1986.03.05)
- ベルエポックによろしく(1986.06.19)
- あッ(1986.09.21)
- KID(1987.01.21)
- “さようなら”からはじめよう(1987.06.21)
- どうする?(1987.09.11)
- 夢であいましょう (1988.01.21)
- 抱きしめてTONIGHT(1988.04.21)
- フジテレビ系ドラマ『教師びんびん物語』主題歌
- かっこつかないね(1988.08.17)
- フジテレビ系ドラマ『金太十番勝負!』主題歌
- 愛しすぎて (1989.01.11)
- ごめんよ涙(1989.04.19)
- フジテレビ系ドラマ『教師びんびん物語II』主題歌
- ひとりぼっちにしないから (1989.09.26)
- ジャングルJungle(1990.03.21)
- フジテレビ系ドラマ『日本一のカッ飛び男』主題歌
- NUDE (1990.11.28)
- 夏いまさら一目惚れ(1991.05.02)
- 思い出に負けない(1992.04.17)
- 雨が叫んでる(1992.08.05)※現在のところ、オリコントップ10入りした最後の曲
- フジテレビ系ドラマ『逃亡者』主題歌
- ダンシング・ビースト(1993.07.07)
- KISSで女は薔薇になる(1993.11.03)
- 雪のないクリスマス(1994.11.02)
- 魂を愛が支配する(1995.08.19)
- 真夜中のワンコール(1996.02.21)
- DA・DI・DA (1996.06.21)
- A NIGHT TO REMEMBER (1997.01.18)
- EASY...LOVE ME... (1997.11.21)
- キミニオチテユク (1998.06.24)
- 涙にさよならしないか (1999.07.23)
- 抱きしめていいですか (2001.08.01)
- DO-YO (2002.07.31)
- DANGAN LOVE-弾丸愛- (2004.07.07)
- 恋すれどシャナナ(2004.10.21)※田原俊彦&研ナオコ
- 願いを星の夜へ‥‥(2005.08.03)
- ジラシテ果実(2006.07.05)
- Cordially(2009.6.17)
- シンデレラ (2010.5.7)
- Rainy X'mas Day(2010.11.17)
- さよならloneliness(2011.04.20)
- BLUE(feat.LUV)(2011.08.03)
- ヒマワリ/星のように(2011.11.16)
- Mr. BIG(2012.6.20)
- LOVE&DREAM feat.SKY-HI/Bonita(2014.6.25)※SKY-HIとのコラボ
- BACK TO THE 90's(2015.6.17)
- TRUE LOVE〜約束の歌〜(2015.11.11)
- ときめきに嘘をつく(2016.6.22)
- フェミニスト(2017.6.21)
- Escort to my world(2018.6.20)
- 好きになってしまいそうだよ(2019.6.26)
12インチシングル、その他
- 風の上ならSO HAPPY(1984.04.12)※12インチシングル
- どうする?(1987.12.05)※12インチシングル
- Always You(2008.06.25)※DVDシングル
オリジナル・アルバム
- 田原俊彦(1980年8月5日)
- TOSHI'81(1980年12月13日)
- No.3 Shine Toshi(1981年6月24日)
- 夏一番(1982年3月27日)
- EVE only(1983年1月27日)
- 波に消えたラブ・ストーリー(1983年7月21日)
- ジュリエットからの手紙(1984年3月21日)
- メルヘン(1984年6月21日)
- TOSHI 10R NEW YORK(1984年11月21日)
- Don't disturb(1985年7月4日)
- 失恋美学(1985年12月15日)
- 男…痛い(1986年6月19日)
- 目で殺す(1986年12月5日)
- YESTERDAY MY LOVE(1987年5月21日)
- Dancin'(1988年7月13日)
- TOKYO BEAT(1989年5月17日)
- DOUBLE“T”(1990年6月21日)
- 夏の王様 ~MY BLUE HEAVEN~(1991年6月5日)
- GENTLY(1992年9月2日)
- MORE ELECTRIC~(1993年8月4日)
- MY FAVORITE SONGS(1994年11月18日)
- TENDERNESS(1995年9月6日)
- Vintage 37(1998年7月23日)
- I AM ME!(2013年6月19日)
ベスト・アルバム/コンピレーション
- ベストオブ田原俊彦(1982年9月1日)
- 田原俊彦A面コレクション(1986年6月19日)
- 田原俊彦B面コレクション(1986年6月19日)
- NON-STOP TOSHI(1987年2月21日)
- Thank You, for GLORIOUS HITS36 in 10years(1989年11月22日)
- BEST 1987〜1991(1991年11月21日)
- PRESENTS 〜THE GREATEST HITS IN 15YEARS〜(1994年7月24日)
- BEST OF TOSHIHIKO TAHARA(1998年2月18日)
- Dynamite Survival(2003年7月24日)
- Myこれ!クション田原俊彦(2004年1月21日)
- ♥'MOTTO+MS005(2007年6月20日)
- 30th Anniversary BEST(2010年9月1日)
- 35th Anniversary All Singles Best 1980-2014(2014年8月6日):『LOVE&DREAM feat.SKY-HI/Bonita』までの全シングルを収録。但しポニーキャニオン時代のシングルの内『哀愁でいと』〜『堕ちないでマドンナ』、『華麗なる賭け』〜『ジャングルJungle』・『雨が叫んでる』は新規録音版の収録となっている(『夏ざかりほの字組』・『NUDE』〜『思い出に負けない』・『ダンシングビート』以降はオリジナル版を収録)。
サウンド・トラック
- グッドラックLOVE サウンド・トラック(1981年11月29日)
- TOSHI THE MOVIE(1983年11月5日)※1983年の10月5日には「TOSHI THE MOVIE TOSHI CAN」と題した缶入りカセットテープが限定発売された。缶の中にはカラーピンナップやジグソーパズルなども封入。
- 瀬戸内少年野球団〔青春篇〕最後の楽園サウンドトラック(1987年11月21日)
映像作品
- Toshi Forever(1983年8月4日)
- メルヘン(1984年10月1日)
- TOSHI 12R NEW YORK(1984年12月6日)
- 田原俊彦 7 Years' Memory(1986年6月19日)
- 青春グラフィティ ミュージカル「ACB」-恋の片道切符-(1988年3月1日)
- 10TH ANNIVERSARY GLORIOUS (1989年10月14日)
- ジャングルJungle(1990年5月21日、シングルビデオ)
- DOUBLE "T" '90(1990年12月5日)
- NUDE(1991年2月6日、シングルビデオ)
- 夏の王様 -MY BLUE HEAVEN- (1991年6月21日)
- GENTLY(1992年9月18日)
- PRESENTS(1994年7月6日)
- Vintage Life(1998年12月16日)
- 25th Anniversary LIVE&CLIPS「DT:025」(2004年4月21日)
- 30th Anniversary TOSHIHIKO TAHARA DOUBLE “T” TOUR 2009(2010年4月22日)
- さよならloneliness(2011年5月21日、ファンクラブ通販限定シングルビデオ)
- 33rd Anniversary TOSHIHIKO TAHARA DOUBLE “T” TOUR 2012(2013年2月20日)
主な出演作品
映画
- わが青春のイレブン(1979年、東映) - ロックシンガー赤岡(川崎麻世)のバックバンドのギタリスト 役
- たのきんスーパーヒットシリーズ(1981年 - 1983年、東宝)
- 第1弾・青春グラフィティ スニーカーぶる〜す(1981年2月11日公開、【監督:河崎義祐】) - 高木敏夫 役
- 第2弾・ブルージーンズメモリー BLUE JEANS MEMORY(1981年7月11日公開、【監督:河崎義祐】) - 田川俊之 役
- 第3弾・グッドラックLOVE(1981年12月20日公開、【監督河崎義祐】) - 主演・中村亮二 役
- 第4弾・ハイティーン・ブギ(1982年8月7日公開、【監督:舛田利雄】) - 鳴海重 役
- 第5弾・ウィーン物語 ジェミニ・YとS(1982年12月18日公開、【監督:河崎義祐】) - 主演・若草俊一 / ヨハネス・ローテンベルグ 役(二役)
- 第6弾・嵐を呼ぶ男(1983年8月4日公開、【監督:井上梅次】) - 桜井直人 役
- Love Forever(1983年8月4日公開、東宝) - 主演
- エル・オー・ヴィ・愛・N・G(1983年12月24日公開、東宝、【監督:舛田利雄】) - 主演・立花協 役
- 瀬戸内少年野球団青春篇 最後の楽園(1987年1月24日公開、松竹、【監督:三村晴彦】) - 主演・櫟壮介 役
- 課長島耕作(1992年10月3日公開、東宝、【監督:根岸吉太郎】) - 主演・島耕作 役
- 必殺始末人(1997年3月1日公開、松竹、【監督:石原興】) - 主演・山村只次郎 役
オリジナルビデオ
- 必殺始末人II 乱れ咲く女役者の夢舞台(1997年7月発売)
- 必殺始末人III 地獄に散った花びら二枚(1998年2月発売)
テレビドラマ
- 3年B組金八先生(TBS) - 沢村正治 役
- 3年B組金八先生 第1シリーズ(1979年10月 - 1980年3月)
- 3年B組金八先生 スペシャルI「贈る言葉」(1982年)
- 3年B組金八先生 スペシャルIII「小さな嘘」(1984年)
- 3年B組金八先生 スペシャルIV「イジメられっ子 金八先生」(1985年)
- 心(1980年4月24日 - 1981年1月29日、TBS) - 宮寺恵一 役
- ただいま放課後(1980年5月 - 1981年3月、フジテレビ) - 北川豪史 役
- それからの武蔵(1981年、テレビ東京)
- 東芝日曜劇場(TBS)
- 愛情(1981年、TBS)
- おんなの家(1981年)
- 妻の寝顔(1982年)
- 夢かける甲子園(1985年9月1日) - 主演
- 春の雪ダルマ(1986年)
- さよなら三角またきて四角(1982年4月 - 6月、TBS)
- 看護婦日記 パートI(1983年、TBS) - 井花圭一 役
- こぶしの花(1984年2月15日、日本テレビ) - 主演
- 燃えて散る炎の剣士 沖田総司(1984年、日本テレビ) - 主演
- サントリーミステリーロマン「運命交響曲殺人事件」(1984年 テレビ朝日)
- 聖夜に愛が死んだ(1984年12月25日、日本テレビ、火曜サスペンス劇場)
- ロックシンガーは闇に沈む(1985年、NHK) - 主演
- はらはらと雪月花(1986年1月3日、TBS)
- 森繁久弥の七人の孫(1987年、TBS)
- SF氏の不思議なトリップ(1987年、HBC制作・TBS) - 主演
- びんびんシリーズ(フジテレビ) - 主演・徳川龍之介 役
- ラジオびんびん物語(1987年8月 - 9月)
- 教師びんびん物語(1988年4月 - 6月)
- SPびんびん物語(1988年10月6日)
- 教師びんびん物語II(1989年4月 - 6月)
- 巡査びんびん物語(1999年5月14日)
- 教師びんびん物語スペシャル(2000年3月17日)
- 教師びんびん物語スペシャルII(2001年3月16日)
- 金太十番勝負!(1988年10月 - 12月、フジテレビ) - 主演・東金太 役
- 赤ひげ(1989年、TBS)- 主演
- 俺たちの時代(1989年10月 - 12月、TBS) - 主演・柴田竜夫 役
- 日本一のカッ飛び男(1990年4月 - 6月、フジテレビ) - 主演・倉田健人 役
- 松本清張作家活動40年記念SP・張込み(1991年9月27日、フジテレビ) - 主演・柚木刑事 役
- 次男次女ひとりっ子物語(1991年10月 - 12月、TBS) - 主演・桜井祥平 役
- 逃亡者(1992年7月 - 9月、フジテレビ) - 主演・加山英治 役
- 家族の食卓'93「妻の入院」(1993年1月3日、フジテレビ) - 主演
- 愛してるよ!(1993年10月 - 12月、テレビ朝日、月曜ドラマ・イン) - 主演・伊達真介 役
- 死刑台のエレベーター(1993年11月19日、フジテレビ) - 主演
- 怪談III「牡丹燈篭」(1994年、フジテレビ) - 主演
- 半熟卵(1994年10月 - 12月、フジテレビ) - 小柳晴夫 役
- 世にも奇妙な物語 冬の特別編「ブルギさん」(1995年1月4日、フジテレビ) - 主演・高野 役
- 素浪人 花山大吉(1995年4月1日、テレビ朝日) - 焼津の半次 役
バラエティ番組
- たのきん全力投球!(1980年 - 1983年、TBS)
- カックラキン大放送(日本テレビ)
- 8時だョ!全員集合(1982年 - 1985年、TBS)不定期のゲスト出演
- 森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ)
- 見た目が勝負!?(1996年 - 1997年、テレビ東京)司会
- Lucky Toshi Luciano(2009年10月4日 - 、BeeTV)
- 爆報! THE フライデー(2011年10月 - 、TBS)スペシャルゲストMC(実質的なレギュラー司会者)
音楽番組
- レッツゴーヤング(NHK) 「サンデーズ」として出演後、司会を担当。
- 夜のヒットスタジオ(フジテレビ)
- ザ・ベストテン(TBS)
- ザ・トップテン(日本テレビ)
- 歌のトップテン(日本テレビ)
- ミュージックステーション(テレビ朝日)
- ふたりのビッグショー(NHK、1994年5月9日) - 松田聖子と共演
- FUN(日本テレビ)
- 第37回思い出のメロディー(NHK、2005年8月)
- ポップジャム(NHK)
- HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP 冬の名曲2時間スペシャル!(フジテレビ、2010年12月13日)
NHK紅白歌合戦出場歴
年度/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 |
---|---|---|---|---|
1980年(昭和55年)/第31回 | 初 | 哀愁でいと | 02/23 | 松田聖子 |
1981年(昭和56年)/第32回 | 2 | 悲しみ2(TOO)ヤング | 02/22 | 石川ひとみ |
1982年(昭和57年)/第33回 | 3 | 誘惑スレスレ | 02/22 | 河合奈保子 |
1983年(昭和58年)/第34回 | 4 | さらば‥夏 | 16/21 | 松田聖子(2) |
1984年(昭和59年)/第35回 | 5 | チャールストンにはまだ早い | 13/20 | 小柳ルミ子 |
1985年(昭和60年)/第36回 | 6 | 華麗なる賭け | 07/20 | 中森明菜 |
1986年(昭和61年)/第37回 | 7 | あッ | 05/20 | 小柳ルミ子(2) |
- 注意点
- 出演順は「出演順/出場者数」で表す。
- 対戦相手の歌手名のカッコ内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にあるカッコはトリ等を務めた回数を表す。
ラジオ
- 田原俊彦 8時のでいと(1980年、ニッポン放送) - 松原秀樹と共演
- 田原俊彦 ハロー!アイラブユー(1981年、ニッポン放送)
- 田原俊彦のグッドラック2ナイト(1981年、ニッポン放送)
- 田原俊彦 誘惑・トゥナイトSHE!SAYS!DO!(シー・セイ・ドゥー)(1982年、ニッポン放送)
- 田原俊彦 君とSHOWERING NIGHT SHE!SAYS!DO! (1983年、ニッポン放送)
- 田原俊彦 SHE!SAYS!DO! いつだってアイ・ラブ・ユー (1983年、ニッポン放送)
- 田原俊彦 SHE!SAYS!DO! 気分はナチュラル! (1986年、ニッポン放送)
- 田原俊彦 SHE!SAYS!DO! 心はストレート (1986年、ニッポン放送)
- 田原俊彦 ひとつぶの青春 (1984年、エフエム東京)
- 田原俊彦のDancing Tonight (1988年、ニッポン放送)
- ザ・リクエストパレード(ニッポン放送)
- 田原俊彦のフライデー・トリコロール(1993年7月23日、エフエム東京)
- 田原俊彦 DOUBLE “T” リラックスタイム (インターネットラジオ、2006年6月29日 - 12月19日・全26回)
- 田原俊彦 DOUBLE “T”リラックスタイム2 (インターネットラジオ、2007年6月8日 - 9月21日・全16回)
- 田原俊彦 DOUBLE “T”リラックスタイム3 (インターネットラジオ、2008年4月4日 - 9月28日・全26回)
- 田原俊彦 DOUBLE “T”リラックスタイム4 (インターネットラジオ、2009年4月10日 - 9月18日・全24回)
- 田原俊彦 DOUBLE “T”リラックスタイム5 (インターネットラジオ、2010年4月2日 - 9月10日・全24回)
- 田原俊彦 DOUBLE “T”リラックスタイム6 (インターネットラジオ、2011年4月15日 - 9月23日・全24回)
- 田原俊彦 DOUBLE “T”リラックスタイム7 (インターネットラジオ、2012年5月18日 - 11月9日・全12回)
- 田原俊彦 DOUBLE “T”リラックスタイム8 (インターネットラジオ、2013年5月18日 - 11月8日・全12回)
- 田原俊彦 DOUBLE “T”リラックスタイム9 (インターネットラジオ、2014年6月13日 - 11月28日・全12回)
- 田原俊彦 DOUBLE “T”リラックスタイム10 (インターネットラジオ、2015年6月5日 - 11月20日・全12回)
- 田原俊彦 DOUBLE “T”リラックスタイム11 (インターネットラジオ、2016年6月10日 - 11月25日・全12回)
舞台
- 夢泥棒(1985年、東京宝塚劇場)
- ACB(アシベ)(1987年、日生劇場) - 主演
- マランドロ〜チ・ン・ピ・ラ・オ・ペ・ラ(1990年、日生劇場) - 主演
- 心を繋ぐ6ペンス(1991年4月1日 - 30日、帝国劇場) - 主演
- ガイズ・アンド・ドールズ(1993年、日生劇場) - 主演
アニメ
モバイル
CM
- 江崎グリコ
- ライオン
- 牛乳石鹸
- キッコーマン
- 大阪ガス
- サントリー
- フマキラー「ベープマット」(1987年頃 - 1989年)
- タケダ「ベンザエース」(1991年)
- ハウス食品 とんがりコーン(時期不明 - 1992年)
- ダイハツ・シャレード(1990年 - 1992年)
- JT「ハーフタイム 完熟豆100%コーヒー」(1993年)
- WORLD adabat(1996年)
- ポッカ じっくりコトコト煮込んだスープ(1996年)
- 資生堂
- DDI
- UCカード
- NEC
- 松下電器 テクニクス
- サッポロビール 黒ラベル
- APAグループイメージキャラクター(2005年 - 2006年)
- 食糧庁 ごはん食推進委員会
- アオキーズ・ピザ 肉巻きスーパーデラックス(中京広域圏ローカルCM、2009年)
- としまえん としまえんプール広告「としプー!」(2013年、夏期)、イルミネーションショー広告「としッパ!」(2013年 - 2014年、冬期)
- 南海電気鉄道 創業130年キャンペーン「愛が、多すぎる。」(2015年4月 - )
- グアム政府観光局 2015年秋 - 2016年春 イメージキャラクター(2015年 - 2016年)[14]
イベント
脚注
注釈
- ^ なお、父の墓も甲府市にあり、父の命日の時期には必ず甲府市に戻って墓参りをしているという。
- ^ このため、NHK紅白歌合戦における出身地紹介では「神奈川県横須賀市出身」「山梨県甲府市出身」と異なる表記がされることもあった。ただし、田原本人は自らを横須賀市出身ではなく甲府市出身であると公式に宣言している。
- ^ ちなみに、田原が高校時代に甲府市の自宅と東京の事務所を往復する際の交通費は全てジャニーが払っており、しかも田原がレッスンを終えて日曜日の晩に甲府市へ帰る際には、毎回必ずジャニー自ら新宿駅のホームまで田原を見送りに行っていたという[5]。
- ^ かつて病気や不祥事等で発表後に辞退というケースは何度かあったが、出たくないという理由で発表後に辞退というケースは現時点では田原と1970年の江利チエミの2人だけ。それ以外では発表前に辞退を申し出るケースがほとんどであったため、発表後にしかも本人が固辞して辞退というケースは前代未聞であった。
出典
- ^ a b c “田原俊彦 横須賀生まれでも「山梨県甲府市出身」と語る理由”. NEWSポストセブン. 小学館 (2014年6月24日). 2014年6月29日閲覧。
- ^ http://www.vip-times.co.jp/?talent_id=M94-0546
- ^ 田原俊彦が『ライオンのごきげんよう』で、ジャニー喜多川氏に言及して反響 - エキサイトニュース、2014年8月25日
- ^ 『スポーツ報知』2013年8月24日26面「我が人生あの人この人こう言う録」
- ^ 田原俊彦『職業=田原俊彦』ロングセラーズ、2009年5月。ISBN 978-4845421527。
- ^ 山梨日日新聞2009年2月2日付記事より。
- ^ a b “ザ・ベストテン サザン、五木ひろし、田原俊彦だけが持つ記録”. 女性自身 (光文社). (2018年7月5日). オリジナルの2018年10月26日時点におけるアーカイブ。 2018年10月26日閲覧。
- ^ 羽島亨「ライナーノート」(『BEST OF TOSHIHIKO TAHARA』)(ポニーキャニオン、1998年)
- ^ “Olympic torch runners wove through the old mission town...” (英語). UPI. United Press International (1984年7月19日). 2018年7月18日閲覧。
- ^ この回では吉田拓郎・河合奈保子・鹿取洋子も初出演していた。
- ^ “田原俊彦、ビッグ発言を回想「干されたのは俺に力がないから」”. サンケイスポーツ. (2018年6月23日)
- ^ 田原俊彦LIVEに元CHA-CHA木野がバックダンサーとして復活 - NEWSポストセブン、2013年10月9日
- ^ 元CHA-CHA木野正人 ジャニーズ合宿所での田原俊彦の思い出 - NEWSポストセブン、2014年8月17日
- ^ “2015/2016シーズン、グアムの新キャンペーンキャラクターに田原俊彦さんの起用を決定!”. PR TIMES (2015年8月3日). 2015年8月21日閲覧。