コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「林大幹」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集
Cewbot (会話 | 投稿記録)
9行目: 9行目:
戦後は一時期笹川町議を務めた後、自民党本部事務局入り。[[1972年]]の[[第33回衆議院議員総選挙]]に[[千葉県第2区 (中選挙区)|旧千葉2区]]から無所属で出馬し初当選(当選同期に[[小泉純一郎]]・[[加藤紘一]]・[[山崎拓]]・[[石原慎太郎]]・[[村岡兼造]]・[[保岡興治]]・[[瓦力]]・[[三塚博]]・[[越智通雄]]・[[野田毅]]・[[深谷隆司]]など)、自民党の追加公認を受けた。
戦後は一時期笹川町議を務めた後、自民党本部事務局入り。[[1972年]]の[[第33回衆議院議員総選挙]]に[[千葉県第2区 (中選挙区)|旧千葉2区]]から無所属で出馬し初当選(当選同期に[[小泉純一郎]]・[[加藤紘一]]・[[山崎拓]]・[[石原慎太郎]]・[[村岡兼造]]・[[保岡興治]]・[[瓦力]]・[[三塚博]]・[[越智通雄]]・[[野田毅]]・[[深谷隆司]]など)、自民党の追加公認を受けた。


党内では[[1973年]]に中川一郎・石原慎太郎らが結成した「[[青嵐会]]」に加わり、その後[[清和政策研究会|清和会(福田派)]]に入会。中川の総裁選出馬に際しては「預け」の形で[[自由革新同友会|中川派]]に入るも、中川の死後に[[政策科学研究所 (派閥)|中曽根→渡辺派]]に属した。[[1992年]]、[[宮澤改造内閣]]の[[環境大臣|環境庁長官]]として初入閣。
党内では[[1973年]]に中川一郎・石原慎太郎らが結成した「[[青嵐会]]」に加わり、その後[[清和政策研究会|清和会(福田派)]]に入会。中川の総裁選出馬に際しては「預け」の形で[[自由革新同友会|中川派]]に入るも、中川の死後に[[政策科学研究所|中曽根→渡辺派]]に属した。[[1992年]]、[[宮澤改造内閣]]の[[環境大臣|環境庁長官]]として初入閣。


翌1993年に行われた衆院選には出馬せず、長男・[[林幹雄|幹雄]]に地盤を譲り政界を引退。1999年に[[勲一等瑞宝章]]を受章<ref>「99年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人、在日外国人の受章者一覧」『読売新聞』1999年11月3日朝刊</ref>し、[[2004年]][[7月11日]]に[[腎不全]]のため千葉県[[旭市]]の病院で死去。享年82。
翌1993年に行われた衆院選には出馬せず、長男・[[林幹雄|幹雄]]に地盤を譲り政界を引退。1999年に[[勲一等瑞宝章]]を受章<ref>「99年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人、在日外国人の受章者一覧」『読売新聞』1999年11月3日朝刊</ref>し、[[2004年]][[7月11日]]に[[腎不全]]のため千葉県[[旭市]]の病院で死去。享年82。

2023年1月9日 (月) 23:26時点における版

林 大幹
はやし たいかん
生年月日 1922年2月23日
出生地 千葉県香取郡東庄町
没年月日 2004年7月11日(82歳没)
出身校 小見川農学校
所属政党 自由民主党

日本の旗 第27代 環境庁長官
内閣 宮沢改造内閣
在任期間 1992年12月12日 - 1993年8月9日

選挙区 旧千葉2区
在任期間 1972年12月11日 - 1979年9月7日
1980年6月23日 - 1993年6月12日
テンプレートを表示

林 大幹(はやし たいかん、1922年2月23日 - 2004年7月11日)は、日本政治家自由民主党衆議院議員(6期)、環境庁長官。長男は自民党衆議院議員の林幹雄

来歴・人物

千葉県香取郡笹川町(現・東庄町)出身。小見川農学校を経て安岡正篤の主宰する金鶏学院に学ぶ。

戦後は一時期笹川町議を務めた後、自民党本部事務局入り。1972年第33回衆議院議員総選挙旧千葉2区から無所属で出馬し初当選(当選同期に小泉純一郎加藤紘一山崎拓石原慎太郎村岡兼造保岡興治瓦力三塚博越智通雄野田毅深谷隆司など)、自民党の追加公認を受けた。

党内では1973年に中川一郎・石原慎太郎らが結成した「青嵐会」に加わり、その後清和会(福田派)に入会。中川の総裁選出馬に際しては「預け」の形で中川派に入るも、中川の死後に中曽根→渡辺派に属した。1992年宮澤改造内閣環境庁長官として初入閣。

翌1993年に行われた衆院選には出馬せず、長男・幹雄に地盤を譲り政界を引退。1999年に勲一等瑞宝章を受章[1]し、2004年7月11日腎不全のため千葉県旭市の病院で死去。享年82。

回想記『四十にして志を立つ 安岡正篤先生に学ぶ』(竹井出版1988年)がある。

脚注

  1. ^ 「99年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人、在日外国人の受章者一覧」『読売新聞』1999年11月3日朝刊
議会
先代
水平豊彦
日本の旗 衆議院環境委員長
1986年 - 1987年
次代
吹田愰
先代
渡辺栄一
日本の旗 衆議院懲罰委員長
1988年 - 1989年
次代
松野幸泰
公職
先代
中村正三郎
日本の旗 環境庁長官
第27代:1992年 - 1993年
次代
広中和歌子