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== 政策・主張 ==
== 政策・主張 ==
* 選択的[[夫婦別姓]]制度導入に賛成<ref>[[第173回国会]]法務委員会 請願230号</ref>。
* 選択的[[夫婦別姓]]制度導入に賛成<ref>[[第173回国会]]法務委員会 請願230号</ref>。
* [[静岡空港]]建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている<ref>[http://web.archive.org/web/20090307071308/http://kuukouno.hp.infoseek.co.jp/kokaiginsyomei.htm 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会](2009年3月7日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。
* [[静岡空港]]建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている<ref>[http://web.archive.org/web/20090307071308/http://kuukouno.hp.infoseek.co.jp/kokaiginsyomei.htm 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会](2009年3月7日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。


== 所属団体・議員連盟 ==
== 所属団体・議員連盟 ==

2017年9月4日 (月) 15:11時点における版

池田 元久
いけだ もとひさ
生年月日 (1940-12-20) 1940年12月20日(84歳)
出生地 日本の旗神奈川県藤沢市
出身校 早稲田大学政治経済学部
前職 日本放送協会(NHK)記者
所属政党日本社会党→)
社会民主党→)
旧民主党→)
民主党
称号 学士

選挙区旧神奈川4区→)
神奈川6区→)
比例南関東ブロック→)
神奈川6区
当選回数 6回
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池田 元久(いけだ もとひさ、1940年12月20日 ‐ )は、日本の元政治家衆議院議員を6期務めた。民主党時代は鹿野グループに所属した。経済産業副大臣菅第1次改造内閣菅第2次改造内閣)、財務副大臣菅内閣)、衆議院懲罰委員長外務委員長厚生労働委員長を務めた。

経歴

神奈川県立湘南高等学校早稲田大学政治経済学部を卒業。1964年NHKに入局[1]

1990年、NHKを退職し第39回衆議院議員総選挙日本社会党公認で出馬し、中選挙区時代の旧神奈川4区より初当選。しかし1993年第40回衆議院議員総選挙では新党ブームに乗る新生党日本新党新党さきがけの躍進の煽りを受けて社会党は惨敗し、池田も落選した。その後社会党は党名を社会民主党に改めるが退潮傾向に歯止めがかからず、池田は社民党を離党し、山花貞夫社会党委員長や、横路孝弘北海道知事、新党さきがけを離党した菅直人鳩山由紀夫らを中心に結党した旧民主党に入党。小選挙区比例代表並立制導入後初めて実施された第41回衆議院議員総選挙では民主党公認で神奈川6区から出馬し、3年ぶりに国政へ復帰した。2000年第42回衆議院議員総選挙で3選。

2003年第43回衆議院議員総選挙では小選挙区公明党上田勇に僅差で敗れたが、重複立候補していた比例南関東ブロックで復活し、4選。2005年第44回衆議院議員総選挙では上田に約2万票差で敗れ、比例復活もならず落選する。しかし翌2006年偽メール問題永田寿康が議員辞職したため、比例南関東ブロックで次点だった池田が繰り上げ当選し、5選[2]

2009年第45回衆議院議員総選挙では民主党への追い風に乗り、公明党の上田勇を破り6選を果たした[3]。同年12月3日に発足した「宗教と民主主義研究会」の会長に就任。

2010年6月、野田佳彦財務副大臣菅内閣財務大臣に就任し、池田が後任の財務副大臣に就任する。池田は民主党の有志議員によるデフレ脱却議員連盟の顧問を務めているため、所謂「リフレ派」からは評価されているが、インフレターゲット導入に否定的な日本銀行からは警戒された。同年9月に発足した菅第1次改造内閣では経済産業副大臣に就任。

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う福島第一原子力発電所事故を受けて、同日、原子力災害現地対策本部長に就任。4月18日の参議院予算委員会において自民党脇雅史岩城光英が、対策本部設置からの1カ月間で本部長が池田、松下忠洋経済産業副大臣、中山義活経済産業大臣政務官の3人で6回交代しているとして「本部長がころころ代わって、現地で責任ある対応ができるのか非常に疑問だ」と指摘[4][5]。これについて海江田万里経済産業大臣は、本部長が政府への報告で現地を離れる際に菅首相の許可を得て行ったと釈明している[4]

4月11日以降は池田が務めたが、5月31日の衆議院東日本大震災復興特別委員会における自民党の西村康稔に対する海江田の答弁により、池田が5月19日から体調不良で入院し経産省原子力安全・保安院次長が本部長を代行していることが判明した[6]。6月1日、後任に田嶋要経済産業大臣政務官が就任[7]。池田は5月22日の退院後は自宅で療養し6月2日に公務に復帰。退院直後に海江田から本部長への早期復帰を要請され、それができないなら副大臣を辞任するよう求められていたことを明かした[8]。その後、9月の野田内閣発足に伴い、経済産業副大臣を退任。

9月、衆議院厚生労働委員会委員長に就任。

2012年第46回衆議院議員総選挙では神奈川6区で前回下した上田に敗れ、比例復活ならず落選。

2015年春の叙勲で旭日重光章受章[9]

政策・主張

所属団体・議員連盟

脚注

  1. ^ 公式ページ
  2. ^ 池田元久氏が繰り上げへ 永田議員辞職で”. 共同通信 (2006年3月31日). 2011年6月4日閲覧。
  3. ^ 神奈川6区 池田 元久”. 毎日新聞 (2009年). 2009年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年6月4日閲覧。
  4. ^ a b 現地対策本部長 6回も交代 野党追及 政府は陳謝”. 東京新聞 (2011年4月19日). 2011年10月1日閲覧。
  5. ^ 国会会議録2011年4月18日
  6. ^ 福島第1原発:現地トップ不在判明 自民は「隠蔽」追及”. 毎日新聞 (2011年6月1日). 2011年10月1日閲覧。
  7. ^ asahi.com2011年6月1日
  8. ^ 池田副大臣が2週間ぶりに公務に復帰、経産相との「あつれき」明らかに”. 神奈川新聞 (2011年6月2日). 2011年10月1日閲覧。
  9. ^ 「春の叙勲:受章者」毎日新聞 2015年04月29日
  10. ^ 第173回国会法務委員会 請願230号
  11. ^ 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会(2009年3月7日時点のアーカイブ

外部リンク