「三原駅」の版間の差分
西条方面からの列車は全て糸崎駅止となる。 |
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|画像説明 = 南口 |
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|よみがな = みはら |
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|ローマ字 = Mihara |
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2020年2月14日 (金) 22:40時点における版
三原駅 | |
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南口 | |
みはら Mihara | |
所在地 | 広島県三原市城町一丁目1-1 |
所属事業者 | 西日本旅客鉄道(JR西日本) |
電報略号 | ミハ |
駅構造 | 高架駅 |
ホーム |
2面2線(新幹線) 2面4線(在来線) |
乗車人員 -統計年度- |
6,354人/日(降車客含まず) -2017年- |
開業年月日 | 1894年(明治27年)6月10日 |
乗入路線 3 路線 | |
所属路線 | 山陽新幹線 |
キロ程 |
270.2km(新大阪起点) 東京から822.8 km |
◄新尾道 (11.5 km) (39.6 km) 東広島► | |
所属路線 | 山陽本線 |
キロ程 | 233.3 km(神戸起点) |
◄*糸崎 (2.4 km) (9.5 km) 本郷► | |
所属路線 | 呉線 |
キロ程 | 0.0 km(三原起点) |
(5.1km) 須波► | |
備考 |
直営駅(管理駅) みどりの窓口 有 |
三原駅(みはらえき)は、広島県三原市城町一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅である。
三原城本丸跡を横切るように建てられている。三原港まで当駅から300mと近い。
乗り入れ路線
山陽新幹線と、在来線における当駅の所属線である[1]山陽本線、および当駅を起点とする呉線が乗り入れており、後者は竹原・呉方面を回り、海田市駅で山陽本線に合流して広島駅に至る。
在来線はICOCAの利用エリアに含まれている。山陰(松江・米子)・伯備ICOCAエリア(山陰本線 出雲市駅~伯耆大山駅間、伯備線 根雨駅・生山駅・新見駅)、四国旅客鉄道(JR四国)の香川ICOCAエリア(予讃線 高松駅~多度津駅間)からICOCAで入場した場合に乗車できるのは当駅までであるため、当駅以東(以西)に乗り越す場合はいったん降車して改札を出場する必要がある。そのためか当駅を跨いで運転する電車の大半の停車時間を長めにとっている。
歴史
当駅開業前は隣駅の糸崎駅が「三原駅」を名乗っていた。
山陽新幹線の建設に当たって、福山 - 広島間の中間駅は尾道に設置する案と三原に設置する案があったが、いずれか1つを選択する予定になっていた。三原駅には線形的には乗り入れ可能でも市街地の用地買収が困難であり、一方で尾道駅には地形的に新幹線を乗り入れできないが、約2.5 km北に建設予定のバイパス道路沿いに新駅を建設する構想があってこちらが有力とされていた。ところが当時の三原市長の長尾正三が巻き返しにかかり、新幹線ルート上の地権者や住民3,828人の新幹線誘致同意の署名を取り付けて、1969年(昭和44年)1月に国鉄本社に持参した。これにより用地買収に問題が無いとわかり、在来線駅に新幹線駅を併設できる方が望ましいこと、福山 - 広島間の中間に近くなることなどから、国鉄の判断は逆転して三原駅が選択されることになり、新幹線開通と同時に新幹線三原駅が実現することになった。新尾道駅が実現するのはそれから13年後の1988年(昭和63年)のことであり、工事費62億円は地元負担となっている[3]。
年表
- 1894年(明治27年)6月10日 - 山陽鉄道 糸崎駅 - 広島駅間の開通と同時に開業。旅客・貨物の取扱を開始。
- 1906年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道の国有化により、官設鉄道の駅となる。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。山陽本線の所属となる。
- 1930年(昭和5年)3月19日 - 呉線 当駅 - 須波駅間が開通。
- 1965年(昭和40年)9月24日 - みどりの窓口営業開始。
- 1971年(昭和46年)10月1日 - 貨物の取扱を廃止。これは、山陽新幹線建設に際して、駅北側に存在した貨物設備が支障するためである[4]。
- 1975年(昭和50年)3月10日 - 山陽新幹線が岡山駅 - 博多駅間延伸により、当駅に乗り入れ。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
- 1989年(平成元年)9月28日 - 山陽本線(上り線)が高架橋へ切り替え[5]。
- 1990年(平成2年)6月26日 - 山陽本線(下り線)が高架橋へ切り替え[5]。
- 1991年(平成3年)7月29日 - 高架化事業完成。
- 1995年(平成7年)10月1日 - 広島支社の直轄から三原地域鉄道部の管轄となる[6]。
- 1997年(平成9年)11月29日 - ダイヤ改正により「ひかり」の停車が廃止される。
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)3月18日 - ダイヤ改正により、広島駅 - 新大阪駅間を運行する「ひかりレールスター」上下2本が新規停車。
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)3月15日 - ダイヤ改正により東京駅直通「ひかり」が復活(当駅始発)。
- 2012年(平成24年)3月17日 - ダイヤ改正により東京駅直通「ひかり」が、当駅始発から広島発に変更される。また、当駅に停車する「ひかり」と「ひかりレールスター」が増便される。
- 2018年(平成30年)6月1日 - 三原地域鉄道部の廃止[7]に伴い、三原管理駅として駅を管轄する。
駅構造
在来線は島式ホーム2面4線、新幹線は16両編成対応(ホーム長410m)の相対式ホーム2面2線を持つ高架駅である[8][4]。新幹線保線区が設置されており、当駅の下り寄りに保線区への分岐が設置されている[8]。
改札口は1階にある在来線改札口1か所のみで、新幹線専用の改札口は設置されていない。新幹線を利用する際は乗換改札口を通る必要があり、そのためには在来線コンコースに入ることになる。
駅長が配置された直営駅であり、管理駅として山陽本線の本郷駅 - 入野駅間各駅と、呉線の須波駅 - 仁方駅間各駅を管轄している。かつては、同区間を管轄する三原地域鉄道部の事務所が当駅構内にあったが、2018年6月1日の組織改定で廃止されている[7]。
のりば
のりば | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
在来線ホーム | ||||
1 | 呉線 | 竹原・呉方面 | ||
2 | 山陽本線 | 下り | 西条・広島方面 | |
3 | 上り | 尾道・福山方面 | 一部1・2番のりば | |
4 | ||||
新幹線ホーム | ||||
6 | 山陽新幹線 | 下り | 広島・博多方面 | |
7 | 上り | 岡山・新大阪方面 |
- 基本的には上記のように使われているが、呉線から直通してくる山陽本線上り列車に限り、1・2番のりばからも発車する(1番のりばから出ることが多い)。
- 本項ではJR西日本公式サイトの全域路線図[9]に従いラインカラー・路線記号を表記しているが、当駅は広島シティネットワークエリア外のため、駅掲示時刻表においてはアルファベットのないラインカラーシンボルが使われている。
- 山陽本線下り本線は2番のりば、上り本線は4番のりばであり、上り岡山方面に運転される列車と当駅通過列車(貨物列車等)はこの2線を通る。3番のりばは岡山方面からの折り返し列車専用である(呉線からの直通列車が使用することもある。また2019年3月16日ダイヤ改正より、1日2本広島方面から直通する糸崎行きも使用開始)。
- 高架化後、5番のりばは欠番となった。
- 線路配置上、呉線から到着、出発できるのは1 - 3番のりばである。山陽本線、下り西条方面から到着できるのは3・4番のりば、出発できるのは1 - 3番のりばである。上り岡山方面から到着できるのは1 - 3番のりば、出発できるのは1 - 4番のりばである。
- 山陽本線下りはすべて2番のりば、呉線はすべて1番のりばを使用する。
- 1番線には当駅が起点となる呉線の0キロポストが設置されている。
- 新幹線で当駅留置運用が1本設定されている。
- 3・4番のりばの駅名標の両面と1・2番のりばの駅名標の2番線側の面は隣駅が「ほんごう」・「いとざき」と記載されており、1・2番のりばの駅名標の1番線側の面は隣駅が「すなみ」・「いとざき」と記載されている。
高架化以前
1番線は駅舎に面した単式ホームで、広島側には切欠きホームの0番のりばがあり、3・4番のりばは島式ホーム、5番のりばは単式ホームであった。1番のりばと3番のりばの間には通過線が、5番のりばの北側尾道寄りには保線車両用の引込み線が存在した。
のりば | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
0 | ■呉線 | - | 竹原・呉方面 | 切欠きホームの為呉線以外からは入線不可 |
1 | ||||
■山陽本線 | 上り | 尾道・福山方面 | 広島方面へも出発可能 | |
3・4 | 下り | 西条・広島方面 | 優等列車が停車 | |
上り | 尾道・福山方面 | 広島方面へも出発可能 | ||
5 | 優等列車が停車 |
駅構内の施設
ダイヤ
新幹線
1975年3月10日に山陽新幹線が全線開通した当時は、東京駅 - 博多駅(一部広島駅)間運転の『ひかり』が設定されていた。
1980年10月1日改正以降、停車本数が毎時2本となる時間帯が徐々に増やされた。これは、従来の『ひかり』に加えて、新大阪駅 - 博多駅間運転の『こだま』のどちらかが運行されることになったためである。
1986年11月1日改正以降は山陽新幹線区間の『こだま』を増発し、『ひかり』の停車本数が順次削減された。その後1997年11月29日改正をもって、岡山駅での『のぞみ』と『こだま』の接続改善により、『ひかり』の停車はいったん廃止された。
それ以降、基本的に『こだま』が1時間あたり1 - 2本停車するのみだが、2006年3月18日ダイヤ改正から『ひかり』の停車が復活した。当駅始発の東京行き『ひかり』[10]、ひかりレールスター(2便)。 また2013年3月16日ダイヤ改正より『ひかり441号』博多行きは当駅に停車し、次の東広島駅を通過する。当該列車は改正前日の15日までは広島行きであった。また従来の『ひかり』停車駅に加え、新岩国駅に停車する。
在来線
2012年3月17日現在、1時間あたり下り西条方面は2本、上り岡山方面は4本あるが、2011年3月12日以降上り列車は岡山行きだったものも含めて多くが次の糸崎行きに見直され、岡山行きの列車は実質、早朝と昼間、夕方の各1 - 2本のみとなった。また、姫路発当駅止まりの普通列車は朝晩に1本ずつあるが、当駅からの姫路行き普通列車は晩の1本のみである。
駅弁
駅構内で浜吉が駅弁・うどんを販売している。以前、うどんは在来線1番線 - 4番線すべてに店舗があったが、のちに3、4番線の店舗は閉鎖され、1番線・2番線の店舗のみとなった。主な駅弁は下記の通り[11]。
- 元祖珍辨たこめし
- 漫遊弁当
- あなごあいのせ重
- 浮城弁当
- 廣島名物あなごめし(焼あなご)
利用状況
近年の1日平均乗車人員は以下の通りである。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
1987年(昭和62年) | 10,700 |
1988年(昭和63年) | 10,930 |
1989年(平成 元年) | 11,247 |
1990年(平成 2年) | 11,937 |
1991年(平成 3年) | 12,268 |
1992年(平成 4年) | 12,791 |
1993年(平成 5年) | 12,365 |
1994年(平成 6年) | 10,614 |
1995年(平成 7年) | 10,317 |
1996年(平成 8年) | 8,947 |
1997年(平成 9年) | 8,477 |
1998年(平成10年) | 8,180 |
1999年(平成11年) | 7,677 |
2000年(平成12年) | 7,437 |
2001年(平成13年) | 7,150 |
2002年(平成14年) | 6,828 |
2003年(平成15年) | 6,819 |
2004年(平成16年) | 6,850 |
2005年(平成17年) | 7,001 |
2006年(平成18年) | 6,845 |
2007年(平成19年) | 6,791 |
2008年(平成20年) | 6,753 |
2009年(平成21年) | 6,458 |
2010年(平成22年) | 6,326 |
2011年(平成23年) | 6,259 |
2012年(平成24年) | 6,233 |
2013年(平成25年) | 6,347 |
2014年(平成26年) | 6,134 |
2015年(平成27年) | 6,351 |
2016年(平成28年) | 6,363 |
2017年(平成29年) | 6,354 |
駅周辺
- フジグランへは、少々距離があるためバス、またはタクシーで向かう方が速い。
- 広島大学附属三原幼稚園・小学校・中学校
- 三原市役所
- 三原リージョンプラザ
- 三原郵便局
- 三原市立三原小学校
- 三原港フェリーターミナル
- 国道2号三原バイパス
- 国道185号
- ペアシティ三原
- 県立広島大学三原キャンパス
- スーパードラッグひまわり
- エディオン三原店
- ヤマダ電機テックランド三原店
- 三原赤十字病院
バス路線
南口
都市間高速バス
のりば | 路線番号 | 路線名 | 会社名 | 行先・方面など | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | エトワールセト号 | 中国バス・小田急シティバス | 新宿駅西口・新宿南口(バスタ新宿) | 夜行便 | |
10 | エアポートリムジン | 中国バス | 本郷支所前・広島空港 |
一般路線バス
のりば | 路線番号 | 路線名 | 行先・方面など | 備考 |
---|---|---|---|---|
2 | 28 | ■三原福地線 | 日赤前・糸崎駅前・鳴滝登山口 | 登山口で尾道駅前方面に連絡 |
28-1 | 城町・糸崎駅前・鳴滝登山口 | 登山口で尾道駅前方面に連絡 | ||
29 | 日赤前・糸崎駅前・上福地 | |||
29-1 | 城町・糸崎駅前・上福地 | |||
3 | ■幸崎線 | 興生総合病院・和田口・すなみ荘前 | ||
■三原竹原線 | 興生総合病院・和田口・すなみ荘前・久津公民館・忠海駅前・竹原駅・中通 | |||
■小泉循環線 | 三中前・和田口・田野浦小学校前・両名・甲原橋・あやめヶ丘 | |||
三中前・和田口・田野浦小学校前・両名・あやめヶ丘・甲原橋 | ||||
■三原本郷循環線 | 三中前・和田口・田野浦小学校前・両名・あやめヶ丘・松江団地・本郷駅前・沼田東団地上・長谷農協前・三原警察署前 | |||
4 | ■三原本郷循環線 | 三原警察署前・長谷農協前・沼田東団地上・本郷駅前・松江団地・あやめヶ丘・両名・田野浦小学校前・和田口・三中前 | ||
■田野浦線 | 宮浦中央・三原警察署前・田野浦小学校前・青葉台 | |||
■三原本郷線 | 三原警察署前・長谷農協前・沼田東団地上・竹ノ橋・真良・仏通寺・本郷駅前 | |||
■三原本郷循環線 | 三原警察署前・長谷農協前・沼田東団地上・竹ノ橋・西野・法常寺下 | |||
5 | ■三原本郷循環線 | 法常寺下・西野・竹ノ橋・沼田東団地上・長谷農協前・三原警察署前 | ||
■頼兼循環線 | 宮浦中央・県立広島大学・西野・小西北住宅前・法常寺下 | |||
法常寺下・西野・小西北住宅前・県立広島大学・宮浦中央 |
西口
一般路線バス
のりば | 路線番号 | 路線名 | 行先・方面など | 備考 |
---|---|---|---|---|
6 | 60 | ■三原甲山線 | 垣内・石走・坂井原・羽倉・林崎谷・久井・甲山営業所 | |
60-1 | 垣内・石走・室町・久井・甲山営業所 | |||
■三原徳良線 | 垣内・用水・坂井原・羽倉・泉・徳良 | |||
7 | 70 | ■■三原深線 | 東高校前・別所・如水館前・深下組 |
航路
駅の南にある「三原港フェリーターミナル」から、佐木島、小佐木島、因島、生口島、生名島に向かう旅客船・フェリーが運航している。かつては四国(今治)、大三島(井口)へも運航されていたが、しまなみ海道の開通後、廃止または休止された。
隣の駅
付記
- 国指定史跡の三原城址の上へ設置されており、駅構内より天主台への入り口もあり、石垣などの遺構も駅構内に多く残る。
- 当駅以西は広島支社の管轄で、隣の糸崎駅以東は岡山支社の管轄となる。
- 姫路・相生・播州赤穂・長船方面から岡山駅を越えて運行される山陽本線普通列車は大半が当駅で折り返す。管轄上は広島支社管内の駅であるが、西条方面よりも岡山方面の方が、本数が多い(西条方面からの列車は全て糸崎駅止であり、当駅以東に乗り越す場合、当駅または糸崎駅で、始発の岡山行き列車に乗換)。岡山方面(糸崎止含む)はラッシュ時が毎時5 - 6本、日中毎時4本であるが、西条方面は日中毎時2本の運行である。また、岡山 - 福山間の快速列車「サンライナー」が1日1本、当駅まで運転される。
- 高架化前の駅付近は開かずの踏切が多かった。ちなみにロープの手動踏切であった。
- 高架化後、山陽本線は駅西側の路線が高架化前よりルートがかなり変更された。現在は、高架のまま西に一直線に進み、トンネルで山の中をショートカットしているが、高架化以前はトンネルはなく、山の南側を迂回するルートをとっていた。高架化により、当駅 - 本郷駅の営業キロは10.1kmから9.5kmに短縮された。そのため、当駅以西は起点の神戸駅からの距離標が営業キロに0.6を足した値になっている。
- 在来線ホームの接近放送のメロディーは、2003年頃より「かもめの水兵さん」が使用されるようになった。2008年3月15日のダイヤ改正からは宮島口駅、新山口駅等と同様に広島支社標準の接近メロディー(1・2・3番線は「広島駅2・7番線」、4番線は「広島駅4・9番線」のメロディーの音色違い)をベースとした詳細放送が使用されていた。なお現在(2010年3月ダイヤ改正時点)は、1 - 4番線とも「かもめの水兵さん」の接近メロディーをベースとした詳細放送が使用されている。
- しまなみ海道開通時には今治桟橋と当駅を結ぶ高速バスしまなみライナー三原線が開設されたが、数ヶ月で廃止された。
- 数年前までトンネル西側の新倉町辺りで、廃線跡を見ることが出来た。現在は宅地開発に伴い撤去されている。
- 原爆投下直後、山陽本線は当駅で折り返し運転を行っていたが、呉線は海田市駅まで運行していた[12]。
- 当駅から下関駅まで、CTCによって広島において集中管理されている旨が書かれている。
- 1987年度の共通一次試験社会科地理において、当駅周辺の地図を用いた問題が出題された。その際、実際の地名と分かって当駅周辺に詳しい受験生が有利にならないよう、当駅の駅名が「みはま」とされていた。ただし、当駅周辺の地形に詳しい者が見れば当駅周辺と容易に推察できた。
脚注
- ^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年
- ^ 日本国有鉄道旅客局(1984)『鉄道・航路旅客運賃・料金算出表 昭和59年4月20日現行』。
- ^ 髙松良晴 2011, pp. 95–97.
- ^ a b 国鉄新幹線建設局 1977, p. 407.
- ^ a b 『鉄道ジャーナル』第24巻第9号、鉄道ジャーナル社、1990年9月、100頁。
- ^ 『データで見るJR西日本 2001』- 西日本旅客鉄道
- ^ a b データで見るJR西日本2018 - 西日本旅客鉄道 p.203
- ^ a b 国鉄新幹線建設局 1977, p. 405.
- ^ “JR西日本全域路線図” (PDF). JRおでかけネット. 2016年4月21日閲覧。 (PDF)
- ^ ダイヤ改正以前までは新大阪行き『こだま』として運行されていた列車を、東京まで延長したもの。
- ^ 『JR時刻表』2017年3月号、交通新聞社、2017年、257頁。
- ^ 広島原爆投下後の放送 - Radiofly Wiki(archive.is、2012年7月14日) - http://radiofly.to/wiki/?%B9%AD%C5%E7%B8%B6%C7%FA%C5%EA%B2%BC%B8%E5%A4%CE%CA%FC%C1%F7
参考文献
- 国鉄新幹線建設局『山陽新幹線岡山博多間工事誌』社団法人日本鉄道施設協会、1977年。
- 髙松良晴『もう一つの坂の上の雲 鉄道ルート形成史』(初版1刷)日刊工業新聞社、2011年7月25日。ISBN 978-4-526-06714-3。