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|画像説明 = 「忍者市駅」併記後の駅舎(2019年5月) |
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|よみがな = うえのし |
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|ローマ字 = UENOSHI |
|ローマ字 = UENOSHI |
2020年2月14日 (金) 23:01時点における版
上野市駅* | |
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「忍者市駅」併記後の駅舎(2019年5月) | |
うえのし UENOSHI (忍者市) | |
◄西大手 (0.6 km) (0.5 km) 広小路► | |
所在地 | 三重県伊賀市上野丸之内61-2 |
所属事業者 | 伊賀鉄道 |
所属路線 | 伊賀線 |
キロ程 | 3.9 km(伊賀上野起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
962人/日(降車客含まず) -2017年- |
開業年月日 | 1916年(大正5年)8月8日[1] |
備考 | * 1941年に上野町駅から改称。 |
上野市駅(うえのしえき)は、三重県伊賀市上野丸之内にある、伊賀鉄道伊賀線の駅である。愛称は忍者市駅(にんじゃしえき、英語表記:Ninja City Sta.)。
駅構内に車両基地(上野市車庫)と、伊賀鉄道の本社が併設されている。
歴史
- 1916年(大正5年)8月8日 - 開業[1]。上野駅連絡所(現・伊賀上野駅) - 上野町駅間開通に伴うもので、当時の駅名は上野町駅であった[2]。この時点の路線名は「伊賀軌道」である。
- 1917年(大正6年)12月20日 - 社名変更により伊賀鉄道(旧)の駅となる。
- 1922年(大正11年)7月18日 - 伊賀鉄道の上野町駅~西名張駅間の開業により途中駅となる。
- 1926年(大正15年)12月19日 - 社名変更により伊賀電気鉄道の駅となる。
- 1929年(昭和4年)3月31日 - 会社合併により大阪電気軌道伊賀線の駅となる。
- 1931年(昭和6年)9月26日 - 路線譲渡により参宮急行電鉄の駅となる。
- 1941年(昭和16年)3月15日 - 大阪電気軌道が参宮急行電鉄を合併、新発足した関西急行鉄道の駅となる。
- 1941年(昭和16年)9月10日 - 上野市駅に改称。
- 1944年(昭和19年)6月1日 - 太平洋戦争下の戦時合併により関西急行鉄道が近畿日本鉄道に改組。同社の駅となる。
- 1973年(昭和48年)10月1日 - 貨物営業廃止。
- 2002年(平成14年) - 第4回中部の駅百選に選定された。
- 2007年(平成19年)10月1日 - 経営分離により伊賀鉄道(新)の駅となる。
- 2017年(平成29年)4月1日 - 伊賀線の公有民営化により近鉄から伊賀市へ譲渡。
- 2019年(平成31年)2月22日 - 伊賀市が「忍者市駅」を愛称として駅舎に併記[3]。
駅構造
島式ホーム1面2線を持つ、行違い可能な地上駅。駅舎は線路南側、伊賀神戸駅寄りにあり、ホームへは構内踏切で連絡している。
トイレは改札内にあり、男女別で水洗式。また、改札外では、ロータリーに面したハイトピア伊賀のトイレなどが利用可能。
-
「忍者市駅」の駅名標
-
愛称併記前の駅舎(2007年6月)
-
ホーム停車中の列車が伊賀神戸行き、空きホームは伊賀上野行きのりば
のりば
のりば | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | ■伊賀線 | 上り | 伊賀上野方面 |
2 | ■伊賀線 | 下り | 伊賀神戸方面 |
特徴
- 当駅を境に運転系統が分かれており、伊賀神戸方面と伊賀上野方面を通して乗る場合は乗り換えとなるが、直通する列車も設定されている。
- 定期券が購入可能。また、伊賀神戸からの近鉄の乗車券・近鉄特急の特急券の購入が可能(伊賀鉄道移管後も継続)。
- 当駅のすぐ近くに三重交通のバスターミナルがあり、近隣の各地区への路線バス、名古屋・大阪への高速バスや東京への夜行高速バスが運行されている。
- 2004年11月1日に上野市を含む周辺市町村と合併して伊賀市となり、自治体名称として上野市は消滅したが、地元から変更についての要望が無いため、駅名はそのままである。また、2007年10月1日に経営主体が近畿日本鉄道(近鉄)から伊賀鉄道に変更されても駅名は改称されなかった。
- 伊賀鉄道唯一の夜間滞泊設定駅である。
- 隣駅の広小路駅とは0.5kmしか離れていないが、カーブや住宅等があるため互いの駅はホームからは見えない。
当駅乗降人員
近年における当駅の1日乗降人員の調査結果は以下の通りで、伊賀神戸駅に次いで利用者数は2番目に多い[4]。
- 2015年11月10日:1,718人(乗車:998人、降車:720人)
- 2015年11月10日:1,828人(乗車:1,018人、降車:810人)
- 2012年11月13日:1,760人(乗車:847人、降車:913人)
- 2010年11月9日:1,901人
- 2008年11月14日:2,065人
- 2005年11月8日:2,540人(当時近鉄伊賀線)
利用状況
主として通勤通学に利用されるほか、伊賀市の中心駅として観光客も利用する。
上野市駅の利用状況の変遷を下表に示す。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。年度間の比較に適したデータである。
- 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
- 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別利用状況(上野市駅) | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
年 度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果 人/日 |
特 記 事 項 | ||||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1950年(昭和25年) | 663,330 | ←←←← | 390,608 | 1,053,938 | |||
1951年(昭和26年) | 718,950 | ←←←← | 443,219 | 1,162,169 | |||
1952年(昭和27年) | 699,510 | ←←←← | 493,771 | 1,193,281 | |||
1953年(昭和28年) | 681,810 | ←←←← | 403,142 | 1,084,952 | |||
1954年(昭和29年) | 611,940 | ←←←← | 432,667 | 1,044,607 | |||
1955年(昭和30年) | 612,720 | ←←←← | 469,801 | 1,082,521 | |||
1956年(昭和31年) | 615,330 | ←←←← | 434,596 | 1,049,926 | |||
1957年(昭和32年) | 584,700 | ←←←← | 409,109 | 993,809 | |||
1958年(昭和33年) | 591,810 | ←←←← | 415,629 | 1,007,439 | |||
1959年(昭和34年) | 536,550 | ←←←← | 386,395 | 922,945 | |||
1960年(昭和35年) | 580,320 | ←←←← | 366,168 | 946,488 | |||
1961年(昭和36年) | 573,180 | ←←←← | 335,227 | 908,407 | |||
1962年(昭和37年) | 648,600 | ←←←← | 351,511 | 1,000,111 | |||
1963年(昭和38年) | 709,380 | ←←←← | 389,605 | 1,098,985 | |||
1964年(昭和39年) | 802,650 | ←←←← | 443,068 | 1,245,718 | |||
1965年(昭和40年) | 867,750 | ←←←← | 443,145 | 1,310,895 | |||
1966年(昭和41年) | 938,670 | ←←←← | 419,995 | 1,358,665 | |||
1967年(昭和42年) | 918,150 | ←←←← | 414,296 | 1,332,446 | |||
1968年(昭和43年) | 897,120 | ←←←← | 394,690 | 1,291,810 | |||
1969年(昭和44年) | 1,022,490 | ←←←← | 392,853 | 1,415,343 | |||
1970年(昭和45年) | 880,230 | ←←←← | 402,614 | 1,282,844 | |||
1971年(昭和46年) | 846,510 | ←←←← | 397,823 | 1,244,333 | |||
1972年(昭和47年) | 811,680 | ←←←← | 450,654 | 1,262,334 | |||
1973年(昭和48年) | 833,490 | ←←←← | 450,657 | 1,284,147 | |||
1974年(昭和49年) | 811,530 | ←←←← | 441,451 | 1,252,981 | |||
1975年(昭和50年) | 748,410 | ←←←← | 442,561 | 1,190,971 | |||
1976年(昭和51年) | 718,500 | ←←←← | 382,600 | 1,101,100 | |||
1977年(昭和52年) | 701,970 | ←←←← | 368,879 | 1,070,849 | |||
1978年(昭和53年) | 699,600 | ←←←← | 373,585 | 1,073,185 | |||
1979年(昭和54年) | 703,860 | ←←←← | 348,754 | 1,052,614 | |||
1980年(昭和55年) | 699,900 | ←←←← | 347,476 | 1,017,376 | |||
1981年(昭和56年) | 613,980 | ←←←← | 321,002 | 934,982 | |||
1982年(昭和57年) | 583,020 | ←←←← | 323,163 | 906,183 | 11月16日 | 3,167 | |
1983年(昭和58年) | 579,180 | ←←←← | 316,775 | 895,955 | 11月8日 | 3,276 | |
1984年(昭和59年) | 548,460 | ←←←← | 300,267 | 848,727 | 11月6日 | 3,283 | |
1985年(昭和60年) | 525,600 | ←←←← | 293,072 | 818,672 | 11月12日 | 3,182 | |
1986年(昭和61年) | 505,770 | ←←←← | 300,675 | 806,445 | 11月11日 | 3,061 | |
1987年(昭和62年) | 514,830 | ←←←← | 281,865 | 796,695 | 11月10日 | 2,918 | |
1988年(昭和63年) | 529,770 | ←←←← | 274,884 | 804,654 | 11月8日 | 3,233 | |
1989年(平成元年) | 567,450 | ←←←← | 279,393 | 846,843 | 11月14日 | 3,161 | |
1990年(平成2年) | 575,250 | ←←←← | 281,923 | 857,173 | 11月6日 | 3,747 | |
1991年(平成3年) | 586,350 | ←←←← | 273,419 | 857,769 | |||
1992年(平成4年) | 546,630 | ←←←← | 260,787 | 807,417 | 11月10日 | 3,314 | |
1993年(平成5年) | 530,250 | ←←←← | 254,232 | 784,482 | |||
1994年(平成6年) | 520,920 | ←←←← | 201,367 | 722,287 | |||
1995年(平成7年) | 522,210 | ←←←← | 181,604 | 703,814 | 12月5日 | 2,951 | |
1996年(平成8年) | 513,240 | ←←←← | 162,972 | 676,212 | |||
1997年(平成9年) | 499,290 | ←←←← | 146,457 | 645,747 | |||
1998年(平成10年) | 491,910 | ←←←← | 139,473 | 631,383 | |||
1999年(平成11年) | 473,880 | ←←←← | 130,081 | 603,961 | |||
2000年(平成12年) | 447,330 | ←←←← | 121,885 | 569,215 | |||
2001年(平成13年) | 427,320 | ←←←← | 113,638 | 540,958 | |||
2002年(平成14年) | 420,120 | ←←←← | 108,655 | 528,775 | |||
2003年(平成15年) | 408,720 | ←←←← | 106,336 | 515,056 | |||
2004年(平成16年) | 405,540 | ←←←← | 104,877 | 510,417 | |||
2005年(平成17年) | 403,020 | ←←←← | 97,937 | 500,957 | 11月8日 | 2,540 | |
2006年(平成18年) | 383,640 | ←←←← | 95,470 | 479,110 | |||
2007年(平成19年) | 435,930 | ←←←← | 103,090 | 539,020 | |||
2008年(平成20年) | 365,130 | ←←←← | 114,510 | 479,640 | 11月14日 | 2,065 | |
2009年(平成21年) | 347,010 | ←←←← | 102,753 | 449,763 | |||
2010年(平成22年) | 347,370 | ←←←← | 94,660 | 442,030 | 11月9日 | 1,901 |
駅周辺
- 伊賀市役所
- ハイトピア伊賀
- 伊賀市上野図書館
- 津地方裁判所伊賀支部・伊賀簡易裁判所
- 津家庭裁判所上野支部
- 伊賀警察署丸の内交番
- 上野郵便局
- 百五銀行上野中央支店
- 中京銀行上野支店
- 滋賀銀行上野支店
- 北伊勢上野信用金庫上野営業部
- 三重県立上野高等学校
- 伊賀市立崇広中学校
- 伊賀市立上野西小学校
- 上野公園
- 芭蕉翁生家
- 芭蕉翁故郷塚
- 崇広堂
- 旧小田小学校本館
- 上野天神宮
- 旧上野警察署
- だんじり会館
- 伊賀信楽古陶館
- 銀座通り
- 上野新天地商店街
バス路線
上野市駅から旧駅前広場を挟んだ場所にあった上野産業会館の前にのりばが並んでいため、バス停の名称は長らく「上野産業会館」だった。駅前再開発により、上野産業会館が取り壊され、ハイトピア伊賀が完成し、新駅前広場も完成。2013年3月4日よりバス停を新駅前広場に移転、4月1日より停留所名は「上野市駅(ハイトピア伊賀)」に改称されている。バスは三重交通によって運行されている。
の り ば |
形 態 |
系 統 |
路線名 | 主な経由道路 | 主な経由地 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 高 速 バ ス |
い が 号 |
伊賀大宮高速線 | 名阪国道・東名阪道・伊勢湾岸道・東名高速 | YCAT(横浜駅東口)、池袋駅東口、大宮駅西口 | 西武大宮営業所 | 夜行1往復 |
62 | 名古屋上野高速線 | 名阪国道・東名阪道 | 御代インター(森精機前)・関バスセンター(関ドライブイン) | 名鉄バスセンター | 1日8往復 | ||
61 | 伊賀大阪高速線 | 名阪国道・西名阪道 | 大阪梅田(東梅田駅) | 新大阪駅北口 | 休日4往復 | ||
60 | 上野山添線 | 銀座通り・国道422号・名阪国道・国道25号 | 恵美須町・名阪東インター・国道大内(上野ドライブイン)・治田インター・治田西口 | 国道山添(山添インター) | 平日の山添分校開校日は針インターまで延長 | ||
路 線 バ ス |
41 | 西山線 | 銀座通り・国道422号 | 恵美須町・名阪東インター・市民病院下 | 上野市民病院 | 平日のみ運行 | |
2 | 国道25号・国道163号・三重県道138号 | 崇広堂前・小田町・岩倉 | 西山 | ||||
43 | 島ヶ原線 | 国道25号・国道163号・三重県道305号 | 崇広堂前・鍵屋辻、 やぶっちゃランド経由便もあり |
中矢 | |||
52 | 月瀬線 | 国道25号・三重県道/奈良県道82号・奈良県道4号 | 崇広堂前・鍵屋辻・向島・八幡町・永谷辻 | 桃香野口 | |||
53 | 崇広堂前・鍵屋辻・向島・八幡町・法花 | ||||||
27 | 柘植線 | 三重県道138号・国道25号・三重県道2号 | 小田口・城北・印代・西方寺・川東 | 新堂駅南口 | |||
29 | 白鳳通り・国道163号・国道25号・三重県道2号 | 東丸之内・白鳳通り・荒木・西方寺・川東 | |||||
31 | 諏訪線 | 国道422号 | 小田口・伊賀上野駅 | 諏訪下出 | |||
71 | 上野名張線 | 小田口 | 伊賀上野駅 | ||||
3 | 銀座通り・国道422号・国道368号 | 恵美須町・勧進辻・八幡町・守田町・上野インター・金坪・桔梗が丘駅北口 | 名張駅西口 | ||||
91 | 予野線 | 銀座通り・国道422号・三重県道688号・三重県道687号 | 恵美須町・名阪東インター・市民病院下・猪田道駅・金坪・花垣支所前 | 治田西口 | |||
92 | 大滝峡 | ||||||
10 | 阿波線 | 銀座通り・三重県道56号・国道163号 | 恵美須町・茅町駅・緑が丘本町・文化会館口・荒木・大山田支所前 | 汁付 | |||
12 | 恵美須町・茅町駅・緑が丘本町・文化会館口・荒木・大山田支所前・子延口、 大山田温泉経由便もあり |
||||||
16 | 友生線 | 銀座通り・三重県道56号・三重県道153号・三重県道56号 | 恵美須町・茅町駅・緑が丘本町・東小学校前・ゆめが丘・中友生 | 高山 | |||
26 | 玉滝線 | 本町通り・国道25号・三重県道49号 | 農人町・北平野・印代・西方寺・佐那具駅、 アピタ伊賀上野店経由便も有り |
阿山支所前 | |||
4 | コ ミ ュ ニ テ ィ バ ス |
し ら さ ぎ |
外回り循環東コース | 本町通り・三重県道56号・名阪側道・国道422号・名阪側道・国道368号・国道422号・本町通り | 農人町・東小学校前・白鳳高校前・三重県伊賀庁舎・イオンタウン伊賀上野・上野市民病院・守田町・八幡町・向島・中町・ふれあいプラザ前 | 平日ルート | |
農人町・東小学校前・文化会館口・白鳳高校前・桑町駅南・上野市民病院・イオンタウン伊賀上野・守田町・八幡町・向島・中町・ふれあいプラザ前 | 休日ルート | ||||||
外回り循環西コース | 本町通り・国道422号・国道368号・名阪側道・国道422号・名阪側道・三重県道56号・本町通り | ふれあいプラザ前・中町・向島・八幡町・守田町・市民病院下・上野市民病院・三重県伊賀庁舎・白鳳高校前・東小学校前・東丸之内 | 平日ルート | ||||
ふれあいプラザ前・中町・向島・八幡町・守田町・市民病院下・上野市民病院・桑町駅南・白鳳高校前・文化会館口・東小学校前・東丸之内 | 休日ルート | ||||||
内回り循環東コース | 銀座通り・三重県道56号・名阪側道・国道422号・銀座通り | 恵美須町・茅町駅・緑が丘本町・文化会館口・桑町駅南・イオンタウン伊賀上野・上野市民病院・名阪東インター・恵美須町 | 平日のみ | ||||
内回り循環西コース | 本町通り・中之立通り・国道422号・名阪側道・三重県道56号・銀座通り | ふれあいプラザ前・勧進辻・名阪東インター・上野市民病院・イオンタウン伊賀上野・桑町駅南・文化会館口・緑が丘本町・茅町駅・恵美須町 | 平日ルート | ||||
国道25号・本町通り・中之立通り・国道422号・名阪側道・三重県道56号・銀座通り | 崇広堂前・鍵屋辻・中町・勧進辻・名阪東インター・上野市民病院・イオンタウン伊賀上野・桑町駅南・文化会館口・緑が丘本町・茅町駅・恵美須町 | 休日ルート | |||||
北回り循環 | 国道25号・国道163号・三重県道138号・国道25号・白鳳通り | 崇広堂前・小田町・城北・アピタ伊賀上野店・白鳳通り・小田口 |
上野市駅が登場する作品
- フォークシンガーの西岡たかしは、この駅をモチーフにした曲『上野市』(うえのまち)を作詞・作曲・歌唱しており、電車が伊賀神戸方面から桑町-茅町-広小路を経て当駅に向かう様子が描かれている。また、大私鉄の小路線(曲発表当時)を描いた共通点もあることから、この曲は西島三重子の『池上線』(作詞:佐藤順英、作曲:西島三重子)と比較の対象にされるケースが多い。
- 映画『忍者ハットリくん ニンニンふるさと大作戦の巻』(1983年公開)の藤子不二雄Aによる原作漫画では、主人公ハットリくんとその仲間たちが東京駅から東海道新幹線・関西本線経由で、伊賀上野駅から近鉄伊賀線(当時)に乗車し、当駅で下車する描写が見られ、当駅の駅舎も再現されている。映画では伊賀上野駅の駅舎のみ登場する。