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2020年6月16日 (火) 23:18時点における版
浜崎あゆみ | |
---|---|
基本情報 | |
出生名 | 濱﨑 歩 |
別名 |
|
生誕 | 1978年10月2日(46歳) |
出身地 | 日本・福岡県福岡市早良区[1] |
学歴 | 堀越高等学校 中退 |
ジャンル | |
職業 | |
担当楽器 | ボーカル |
活動期間 | |
レーベル | |
事務所 |
(1993年 - 1996年) (1998年 - ) |
共同作業者 | 松浦勝人(音楽プロデューサー) |
公式サイト | ayumi hamasaki official site |
浜崎あゆみ(はまさき あゆみ、1978年10月2日 - )は、日本の女性歌手、女優、モデル。本名は濱﨑 歩(読み同じ)[3]。福岡県福岡市早良区出身[1]。所属芸能事務所はエイベックス・マネジメント。所属レコード会社はエイベックス・エンタテインメントで、レーベルはavex trax。血液型はA型。公式ファンクラブは「TeamAyu」。愛称は「ayu」。
概要
モデルや女優としての活動を経て事務所を移籍、1998年4月8日に1stシングル「poker face」でソロ歌手としてデビュー[3][4]。歌手デビュー後の楽曲については、オリジナル曲は全て自身で作詞し、「CREA」名義でいくつか作曲も手がけている。楽曲のみならず衣装、ミュージックビデオ、雑誌グラビア、CDジャケットのレイアウトやライブ演出といったビジュアルアートに至るまで、本人による徹底した非常に厳しいチェックを行っている[5]。
2012年発売のベストアルバム『A SUMMER BEST』のリリースによりシングル・アルバムの総売上枚数が5000万枚を突破、B'z、Mr.Childrenに続き、史上3組目、5年5か月ぶりの記録を達成。総売上枚数が5000万枚を越えたのはソロアーティスト並びに女性アーティストとしては史上初の快挙であった[6]。
影響
1999年1月発売のデビューアルバム『A Song for ××』が約145万枚を売り上げて歌手としてブレイクを果たすと女子中高生を中心に彼女のファッションやメイクを真似する若者たちが増え、マスコミなどから「女子高生のカリスマ」と呼ばれるようになった[4]。ファッションリーダーとしてネイルアート、大きなサングラス、豹柄などの流行を生み出し社会現象となった。のちにベストジーニストやネイルクイーンでは殿堂入りも果たしている[7][8]。
2001年3月期において、所属レコード会社エイベックス社の売上高・利益の4割を稼ぎ出し、同年秋にアルバムの発売延期の情報が流れただけで株価が下落するなど、同社の経営状態を左右するほど看板歌手としての浜崎の存在感は高まり、浜崎頼りの同社の経営体質の弱点を揶揄する「あゆ依存」という言葉も生まれたほどであった[9]。 また、2004年にエイベックスの経営方針を巡って当時の専務松浦勝人と依田巽会長が争った際には、浜崎あゆみの言動が大きな影響を与えた(詳細は「エイベックスお家騒動」参照)。
来歴
1978年 - 1997年 キッズモデル、アイドル時代
幼少の頃に父親が蒸発、母子家庭で育った[10]。小学生の頃にSOSモデルエージェンシー福岡にスカウトされ、「浜崎くるみ」の芸名で福岡中央銀行のポスターや地元商業広告に登場。その後、東京のサンミュージック(現:サンミュージックプロダクション)を紹介され、所属することとなる。都営地下鉄浅草線浅草駅のホームに掲示されているタレント養成所の広告には、加藤晴彦とともにこの頃の写真が掲載されていた。
1993年、14歳でテレビ朝日系テレビドラマ『ツインズ教師』でドラマ初出演し、女優としてデビュー。1994年、15歳で芸名を「浜﨑あゆみ」(『崎』の異体字『﨑』)に改名し、同年4月に堀越高等学校芸能活動コースに入学。同級生には中山エミリがいる。16歳から17歳にかけて「渚のシンドバット」「未成年」や「闇のパープル・アイ」等テレビドラマ・映画、Vシネマで女優として出演。またグラビアアイドルとしての活動や"AYUMI"名義でアルバム「NOTHING FROM NOTHING」のリリース(1995年)なども行った。
また、スーパーファミコンのサテラビュー向けラジオ番組に泉谷しげると共にレギュラー出演していた事もある。この番組の打ち上げで泉谷がふざけて投げたパイプ椅子が浜崎あゆみに当たったことがあるという。当時に対談した伊集院光によるとこの頃の浜崎はアイドルでは全然売れておらず、一人で出した企画盤のCDをみんなに配っていたという[11]。
1995年に当時入り浸っていた六本木のヴェルファーレのVIPルームでエイベックス創業者であり当時専務でだった松浦勝人と知り合う。その後、翌1996年末にサンミュージックとの契約が切れたことをきっかけに、松浦よりエイベックスに誘われる。
翌1997年夏、浜崎はボイストレーニングのため3ヶ月間ニューヨークへ渡り、エイベックスからの歌手として再デビューへの入念な準備が始まった。その際、当初は3~4人組のグループを結成し、ボーカルに浜崎を据えるつもりでいたが本人が断り、従来での形となった[12]。当時、松浦勝人はエイベックスの売上の大半を叩き出していた小室哲哉と衝突・不仲となり、安室奈美恵、華原朋美などの小室の成功手法・ノウハウを取り入れながら、アイドル的外見を持つアーティストがファッションリーダーなどとしても売れると察知し、脱小室戦略として自身が手掛けたEvery Little Thingの成功を収めた直後、新人の浜崎あゆみに全力で投資・注力することを決める。18歳でデビューが決まる際、松浦曰く浜崎の顔(容姿)は100%完璧の好きな顔だったが、芸能界における重鎮や社内幹部からは浜崎あゆみの顔では売れないと評価されたという。そんな中、浜崎は松浦が最後まで自分を信じて必死に売り出そうとしてくれることに対し好意を抱き、松浦へ送った手紙がデビュー直後の歌詞となっていたこと、松浦とデビュー前から大ブレイクするまで交際していたことが、2019年発売の自伝的小説「M」で明かされている。
1998年 - 2000年 歌手デビュー、女子高生のカリスマへ
1998年4月8日発売の1stシングル「poker face」で「浜崎あゆみ」として19歳で歌手デビュー。デビュー時から莫大な広告費と綿密な計画で2ヶ月に1枚という超ハイペースでCDがリリースされ、多くの化粧品会社や製菓メーカーなどとタイアップし、テレビ・雑誌などのメディアによって徹底的かつ短期間で常に露出し続ける戦略が取られる。8月5日発売の3rdシングル「Trust」で初のトップ10入りを果たし18万枚を記録、この年だけで5枚のシングルをリリースし、徐々に浜崎あゆみの知名度・注目度が上がる。
同年12月28日、ニッポン放送”浜崎あゆみのオールナイトニッポン”で初ラジオMCを務める。事前に秋元康が”浜崎あゆみさんはバカじゃないと思います”と語るシーンを映したラジオ番宣のTVCMを打つなど異例のプロモーションを行った。ラジオ内では当時の若者の街角インタビューが流され、”浜崎あゆみは頭が悪そう・女優時代はサバサバキャラだったのに急に歌手デビューして不思議少女になってバカっぽい口調でayuね〜と自分を呼んだりして調子に乗ってる・朋ちゃん(華原朋美)の真似してる・天然ボケを作ってる・一緒にいて疲れそう・歌う時に腰に手を当てて可愛い子ぶってる”などと浜崎を嫌う人が多かったが、番組中に浜崎を嫌いという人たちが電話をかけてきて話をすると、彼女は自らの生い立ちを語ることで相手をすっかり共感させて泣かせてしまう。その反響は凄まじく、翌日には浜崎の公式サイトの掲示板がパンクするほどであった。プロデューサーの松浦勝人曰く《いくら嫌われても、あるべきものが内面にきちんとあれば、それが理解された時、嫌われ度合いが大きいほど振り子は次には逆に振れる。「嫌い」から「好き」に大きく振れる。だから、自分の人生を全部暴露しちゃえ、いい詞が書けることは間違いないんだからそれで押していけという戦略をとった》という。
その結果、1999年1月1日発売の1stアルバム『A Song for ××』がいきなりオリコンチャート1位を初獲得。渋谷の街を浜崎の顔で一色にするなど”街をジャックする斬新な宣伝方法”と”本人が手掛けた歌詞”が話題となり、自身初のミリオンセラーとなる。同年つんく♂プロデュースの4月14日発売の7thシングル「LOVE 〜Destiny〜 / LOVE 〜since1999〜」でシングルでも初のオリコンチャート1位を獲得。この頃から本人出演でJT「桃の天然水」、HONDA「ジョルノクレア」、花王「AUBE」、森永製菓「こんがりショコラ」などのCMに立て続けに出演し、7月14日発売の9thシングル「Boys & Girls」が3週連続1位を獲得、自身出演CM曲を4曲収録した翌8月11日発売の10thシングル「A(4曲A面)」がシングル扱いでは初のミリオンセラーを記録し、夏に大ブレイクを果たす。同年11月10日発売の2ndアルバム『LOVEppears』は上半身裸で胸を髪で隠すジャケットが話題となり、ダブルミリオンを記録。同年12月31日の『第50回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たす。この年だけで7枚のシングルにオリジナルアルバム2枚、リミックスアルバムなど怒涛のリリースラッシュで他の追随を許さない勢いと露出量で一気にトップアーティストに躍り出た。この頃から女子高生を中心にカリスマ的存在となり、浜崎のブレイクに伴い、ライヴ・コンサート・アーティストのグッズ・エッセイ・写真集など、広告代理店のような発想で音楽以外の利益を生み出すビジネスモデルも形が整っていった。
2000年4月より自身がセルフプロデュースを務める初めてのコンサートツアーに挑むも、左耳の疾患(内耳性突発難聴)により一部の公演を延期した。同年、KOSE「VISSE」やTU-KAなどのCMキャラクターに起用され、4月から6月にかけて絶望三部作と評して3ヶ月連続でシングルをリリース。中でも6月7日発売の16thシングル「SEASONS」は136万枚を超え、これらを収録した9月27日発売の3rdアルバム『Duty』も豹柄のジャケットが大きな話題となり予約が殺到し、オリジナルアルバムとしては自身最高の290万枚を記録。同年11月、全日本有線放送大賞でグランプリを受賞した。以降、2001年と2002年のALL JAPANリクエストアワード、2003年のベストヒット歌謡祭でもグランプリを受賞し、4連覇を達成している。同年12月13日発売の19thシングル「M」では、CREAとして初めて作曲を手掛け、この曲も132万枚のミリオンセラーを達成。同年12月31日には2度目の紅白出場と同時に、初のカウントダウンライブを開催。同年、CD総売上げ200億円を突破。
2001年 - 2003年 A BEST発売、レコード大賞3連覇
2001年1月31日発売の20thシングル「Evolution」も95万枚の売上を記録。2月28日には1stシングル「poker face」から8thシングル「TO BE」までの8作品が12cmシングルとしてリミックスを追加して再発売され、オリコン週間ランキング20位〜31位に全作がランクインするなど、人気絶頂ぶりを見せつけた。
同年3月28日、デビュー丸3年にして自身初のベストアルバム『A BEST』を発売。宇多田ヒカルの2ndアルバムの発売日にぶつけるなどの過去最大級規模のプロモーションを実施したことでマスコミ連日報道合戦となり、結果として自身最高の400万枚以上の売上を記録。夏には東京、大阪、名古屋、福岡の4大ドームツアーを行った。年末には、75万枚を記録した9月27日発売の24thシングル「Dearest」で日本レコード大賞を初受賞し、3度目の紅白出場。12月12日には『songnation』に参加し、小室哲哉の作曲、自身の作詞のもとアメリカ同時多発テロ事件チャリティシングル「a song is born」をglobeのKEIKOとの共作でリリース。前年に続いて史上初二年連続CD総売上げ200億円を突破した。
2002年1月1日発売の4thアルバム『I am...』がダブルミリオンを記録。『タイム』誌アジア版3月25日号の表紙を飾り、第一回MTV ASIA AWARDSで特別名誉賞を受賞。2002年4月24日発売の26thシングル「Free & Easy」は雑誌『Free & Easy』とのコラボレーション企画であり、同時に雑誌の別刊『浜崎共和国』を発売する。7月24日発売の27thシングル「H(3曲A面)」が、日本のシングルCDの売り上げが全体的に低迷しはじめた2002年において唯一、オリコン・日本レコード協会でのシングルミリオンセラーを記録(100万枚出荷記念版含む)。9月26日発売の28thシングル「Voyage」に合わせて6年ぶりに女優として演じた短編映画『月に沈む』が公開。10月12日、初のレギュラー及び総合司会を務める番組『ayu ready?』がスタートした。12月18日発売の5thアルバム『RAINBOW』もミリオンセラーを記録。年末、67万枚を記録した「Voyage」で日本レコード大賞を2年連続で受賞し、4度目の紅白出場を果たす。
2003年3月12日発売のバラードベスト『A BALLADS』ではファン投票により選曲された。また、5thアルバム『RAINBOW』の初回盤購入者がインターネット上のみで聴くことができたインスト楽曲に、10万人以上のメッセージを読んだ、浜崎あゆみ自身が詞をつけて完成させた「RAINBOW」が収録された。10月、シングル30枚発売記念スペシャルライブ『A museum 〜30th single collection live〜』が行われた。12月17日に初のミニアルバム『Memorial address』を発売し、ミリオンセラーを記録。ボーナストラック以外の収録曲全てに対しプロモーション・ビデオが作られるなど億単位の制作費を投入し、この頃からプロモーション・ビデオの製作に力を入れるようになった。年末、37万枚を記録した11月6日発売の31stシングル「No way to say」で史上初のレコード大賞3連覇を達成。(ただし、同年は国民的大ヒットとなったSMAP「世界に一つだけの花」が最有力候補と見られていたが、楽曲コンセプトに沿わないことから賞レースを辞退した背景がある)
2004年 - 2006年 エイベックスお家騒動、歌手業専念期
2004年3月20日、総合司会を務めていた番組『ayu ready?』の放送が終了。この頃からCM等のキャラクターの多くを降板し、歌手業に専念している。7月末、エイベックスお家騒動が起こり(→諸騒動、エイベックス参照)、これ以降は年末の賞レースを辞退。同年12月15日発売の6thアルバム『MY STORY』がミリオンセラーを記録、これが2020年現在では自身最後のミリオンとなっている。「Moments」で6度目の紅白出場。
2005年には愛・地球博開会式第三部にて『a song is born』を披露。「Fairyland」で7度目の紅白出場。
2006年6月21日発売の40thシングル「BLUE BIRD」ではソロ歌手および女性ボーカルでは史上初のシングル総売上2,000万枚を達成する。同年8度目となるNHK紅白歌合戦では、11月29日に発売された8thアルバム『Secret』より「JEWEL」を選曲し、初めてアルバム曲を披露することになった。
2007年 - 2009年 A BEST 2発売、歌手デビュー10周年
2007年2月28日、『A BEST 2 -BLACK-』『A BEST 2 WHITE-』が発売された。オリコンチャート1位および2位を初登場で独占。また、自身初のアジアツアー(香港、台湾、上海)を開催。7月18日発売の41stシングル「glitter/fated」のDVDには香港の俳優・余文楽(ショーン・ユー)と共演したショートフィルムが収録。12月5日には、初のデジタル・ダウンロード規格のみのシングル「Together When...」を発表。前年に続き、この曲で9度目の紅白に出場。
2008年4月8日にデビュー10周年記念を迎え、それを記念してシングル・コレクション・アルバム『A COMPLETE 〜ALL SINGLES〜』発売等、10周年記念の活動を行った。2009年3月25日発売の10thアルバム『NEXT LEVEL』では、日本人アーティストとしては初となるUSBメモリ形態を発売した。「Mirrorcle World」で10度目の紅白歌合戦に初のトップバッターとして出場。
2010年 - 2012年 50thシングル
2010年、シングル50枚目の発売に向けて、作曲者を槇原敬之や、デビュー曲「poker face」などの作曲を手がけた星野靖彦や、活動再開をしたばかりの小室哲哉を作曲として迎え、3作連続シングルリリースし、『ayumi hamasaki Rock'n'Roll Circus Tour FINAL 〜7days Special〜』と題して、代々木体育館で7日間ツアーファイナルを開催した。8月より、日本のアーティストとしては初のデジタル3Dでのライブコンサート映画『A3D ayumi hamasaki ARENA TOUR 2009 A 〜NEXT LEVEL〜』が公開。12月には、浦田直也との共作「Dream ON」をリリース。浜崎が自分以外のアーティストの作品を手掛けるのは今回が初となった。
2011年1月、前年PVで共演したオーストリア人モデル・俳優と結婚。(翌12年1月に離婚するも、アメリカのみでの入籍・離婚であった)
2012年8月8日、ベストアルバム『A SUMMER BEST』をリリース。このベストアルバムのリリースによりシングル、アルバムの総売上枚数が5000万枚を突破し、B'z、Mr.Childrenに続き、史上3組目、5年5か月ぶりの記録を達成した。総売上枚数が5000万枚を越えたのはソロアーティスト並びに女性アーティストとしては史上初の快挙であった[13]。同年末、14回目の紅白歌合戦では自身初となる過去のヒットメドレーを披露。
2013年 - 2015年 歌手デビュー15周年
2013年4月8日にデビュー15周年を迎え、それを記念して、2012年11月8日から2013年3月8日までの毎月8日に5ヶ月連続でリリースを行った。同年にはデビュー15周年を記念して『ayumi hamasaki 15th Anniversary TOUR 〜A BEST LIVE〜』を開催。同年末、15回目となる紅白歌合戦に出場し、6年連続でトップバッターとして2004年「INSPIRE」を披露。
2014年2月、年下の医学部大学院生と再婚(2016年9月に離婚)。
2014年11月23日、15年連続で出場・史上最多となる6回のトップバッターを務め、番組功労者でもあったNHK紅白歌合戦の同年選考から漏れることがNHK側から事前に通達される。浜崎自身は「ひとつの終焉」と受け止め、同番組の卒業を自身のツイッターにて発表した[14]。この頃からCDの制作に時間をかけるようになり、シングルのリリースを控え、アルバムに専念するようになる。
2015年4月22日、法務省の特別矯正監を務める杉良太郎の呼びかけで、刑務所や少年院へ慰問し講演、歌唱などを通じて受刑者の改善更生を図ることを目的とした同省初の「矯正支援官」に就任[15]。
2016年 - 2018年 A BEST発売から15年、歌手デビュー20周年
2016年3月28日、『A BEST』のリマスター版である『A BEST -15th Anniversary Edition-』を発売した。また、年末恒例となっていたカウントダウンライブの会場である国立代々木競技場第一体育館が、2017年春より約2年間の耐震補強工事のため使用ができず、同会場にてのカウントダウンライブが17年目である本年度の公演をもって一旦終了となった[16]。
2018年4月にデビューから20周年を記念して、全国アリーナツアー『ayumi hamasaki ARENA TOUR 2018 〜POWER of MUSIC 20th Anniversary〜』が開催された[17]。
2019年 - 小説『M 愛すべき人がいて』
2019年8月1日、浜崎への取材を元にまとめた小松成美の小説[注 1]『M 愛すべき人がいて』(幻冬舎)が発売され[18]、初週3.8万部を売り上げた。同著を原作としたテレビドラマが2020年4月からテレビ朝日系で放送開始されたが[19]、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で5月9日に予定されていた第4話以降の放送が延期される[20]。
2020年1月、前年11月に第一子の男児を出産していたことを公表。結婚はしていない。
2020年2月20日、全国ツアー「ayumi hamasaki TROUBLE TOUR 2020 A 〜サイゴノトラブル〜」を埼玉県三郷市でスタートさせたが[21]、翌21日の同地での公演を最後に、新型コロナウイルス感染拡大を受けての開催自粛に入り、5月19日、最終的に残り全公演計36公演の中止が発表された[22]。
人物
名字の「浜崎」(濱﨑)の正しい読み方は「はまざき」ではなく、「はまさき」である。
趣味・嗜好
2007年から初の日本国外での公演(台北、香港、上海)を含むライブツアーを本格的に行い、東アジア地域への進出も果たしている。歌手デビュー前にボイストレーニングのために渡米しているが、デビュー当時は英語は不得意とコメントしており[どこ?]、ほとんどの歌詞は日本語であった。しかし、2002年以降は英語詞を含めた楽曲も多く発表している。2006年にCNNの日本特集『Japan now』期間中に放送された対談番組『Talk Asia』では、短時間ではあったが英語を披露している。
犬、特に小型犬が好きで、チワワやダックスフントなどを飼っている。仕事場に連れてきており、ライブツアーのMC中にステージに登場したり、ミュージックビデオに出演することもあった。
婚約(結婚)・離婚・出産
2011年1月1日、カウントダウンライブ終了直後、ツイッターおよび自身のファンクラブのブログにて、オーストリア出身のモデル・俳優のマニュエル・シュワルツ(50thシングル「L」収録のウェディングソング「Virgin Road」を含む3部作のミュージックビデオで共演していた男性)と結婚することを発表[23][24]。同日、アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガスにて挙式した[25][26]。ただし、日本国内での婚姻手続きをしていなかったため、戸籍上は未婚のままであった[27]。のち2012年1月16日、ファンクラブのブログにて彼との離婚の意向を発表し、翌日、離婚申請が受理された[28][29]。
2013年12月12日、自身のファンクラブのブログにてロサンゼルス在住の男性と婚約を発表[30]。2014年3月3日、代理人として本人の母親が都内の区役所に婚姻届と米国の結婚証明書を提出した[31]。しかし、2016年9月11日、公式ファンクラブサイトのブログにて離婚する意向を発表した[32][33]。
2020年1月1日、公式ファンクラブサイト「Team Ayu」において、前年末に極秘出産をしていたことを明かした[34]。
内耳性突発難聴
2000年、初のコンサートツアーの第二幕直前に多忙なスケジュールの積み重ね等の理由によって、左耳の疾患(内耳性突発難聴)を患い、一部公演を延期した。医者からは「すぐ治療にとりかかるべきだ」と告げられていたが、ツアーを強行した。後に左耳の聴覚が弱くなる後遺症を負ったことを公表した。その後も定期健診は受けるが、治療のための休養をとらなかった。そのため、2008年1月4日、自身のファンクラブのブログにおいて、以前から抱えていた左耳の疾患(内耳性突発難聴)が悪化し、2007年末頃には医者から「治療の術はない」と、左耳の聴覚が完全に失われ治らなくなったことを告白した。
その他の疾患
2008年12月24日、過労による貧血で高所から落下。右手に全治3週間の重傷を負い、出演予定だった音楽番組の出演を急遽辞退。その後の自身のカウントダウンライブや初のトップバッターで登場するNHK紅白歌合戦の出演も危ぶまれたが、緊急手術後、医者の条件付出演を行った[35]。
2011年9月16日、滞在先の米国で急性咽頭炎を発症し、体調不良で帰国する航空機に搭乗できなかったため、この日出演する予定であった音楽番組『ミュージックステーション』への出演を急遽取りやめた[36]。出演については意欲的であり、手配の際の心情を自身のTwitter及びファンクラブ公式ブログに書き込みをしている。「出演に間に合うまで各地の航空会社搭乗券を探している」という内容の発言等、謝罪をしている。
暴言騒動
2002年1月末、インターネット掲示板を発端として、ライブ会場で「浜崎あゆみが身障者の少女を罵倒した」という動画付きの噂が流れた。新聞報道にまで拡大し[37][38][39]、公式サイトやファンHPが荒らしに遭った。avexの会長兼社長(当時)の依田巽も声明文を発表。一方、本人の声明文でなかったことなどから大炎上に繋がる。雑誌『Free & Easy』とのコラボレーション雑誌『浜崎共和国』において「自分がデマを撒かれたことよりも、そのデマにファンが迷ったり辛い思いをしたのなら、その方がよっぽど辛い」とのコメントを発表している。なお、この事件の影響でこの年の『ayumi hamasaki ARENA TOUR 2002 A』ではスポンサーがつかない事態となり(浜崎のライブでスポンサーがつかなかったのはこの時のみである)、2003年1月に発売された問題の『ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2001-2002 A』のDVDはアンコールの大部分が(ラストの「Endless sorrow "gone with the wind ver."」以外)カットされている。なお、カウントダウンライブを行った国立代々木競技場での身体障害者用車椅子スペースは、緊急時すぐ避難できるよう、アリーナの左右入り口と指定されているため、暴言騒動となった「前列の障害者を罵倒」の信憑性はないと言える。DVDに収録されている終了際の浜崎あゆみのMCでは、浜崎自身の友達が本公演を見に来ていることを告げており、問題の動画は本公演での浜崎自身のMCを部分的に編集したものであることがわかる。
エイベックスお家騒動
2004年7月30日、当時エイベックス専務の松浦勝人は、会長であった依田巽と経営方針が決裂し別会社を設立することを表明した[40]。その直後、浜崎自身もマスコミに対し「彼の存続と共に浜崎あゆみの行方も決めさせて頂きたいと思っております。」と歌手デビューの際に世話になり自身のプロデューサーである松浦に追従し移籍する考えを明らかにした。当時、エイベックスの売り上げの40%を稼いでいた浜崎の表明が決定的な打撃となり、株は暴落、株主からの抗議が殺到し、また、エイベックス社内は混乱に陥った。8月3日、浜崎の表明を大きく受け、経営陣は方向転換を余儀なくされ、松浦は執行役員として復帰(後に社長就任)し、移籍の懸念等は解消された[41]。松浦と対立した依田は代表辞任に追い込まれた。このお家騒動を理由にこの年の日本レコード大賞など一連の賞レースを辞退し、以降賞レースからは距離を置くようになる。これについてはエイベックス・グループの内紛劇(クーデター騒動)も参照されたい。
渋谷ゲリライベント
2009年4月7日午後3時ごろ「渋谷109」前のイベントスペースで自身の書籍宣伝を行った[42]。しかし、ゲリラであったにもかかわらず、数千人の見物客が集まり、その一部が車道にはみ出すなどして交通を混乱させた。その後、道路使用許可を取っていないことが発覚し、道路交通法違反の疑いで関係先が家宅捜索を受けた[43]。その後、所属事務所と広告代理店は、略式命令を出された[44]。
その他
東京都内屈指の高級住宅街「田園調布」にある大豪邸を10億円で購入所持し、その内容がメディアに公開された。ちなみに売り物件情報によると地上3階建ての邸内にパーティルーム60畳、ゲストルーム50畳、ベッドルーム37畳を備えた坪170万〜180万円ぐらいの金額かつ約280坪あることから、土地だけで5億円近い値がつくという[要出典]。
作品
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受賞記録
- 音楽賞
- 日本レコード大賞
- 大賞 (2001年「Dearest」、2002年「Voyage」、2003年「No way to say」)
- 日本ゴールドディスク大賞
- アーティスト・オブ・ザイヤー(2001年、2002年、2004年)
- 日本有線大賞
- 大賞(2001年、2002年)
- 全日本有線放送大賞→ALL JAPANリクエストアワード→ベストヒット歌謡祭
- グランプリ(2000年、2001年、2002年〈ポップス部門〉、2003年〈ポップス部門〉)
- ワールド・ミュージック・アワード
- Best-selling Artist/Japan(2001年、2005年)、Best-selling Artist/Asia(2002年)
- Best Pops Singer/Japan(2003年)
- その他の受賞
- ベストドレッサー賞(2000年)
- ベストジーニスト一般選出部門(2000年、2001年、2003年 - 2005年)
- ネイルクィーン(2001年 - 2003年)殿堂入り
- バービーアワード(2001年)第1回受賞
- 第14回日本メガネベストドレッサー賞(2001年) - サングラス部門
- 世界で最も美しい顔100人(2013年) - 60位
ライブ
「A」はすべてロゴ表記
日程 | 種別 | タイトル | 会場・備考 (※は追加公演、※※は再追加公演) |
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1999年5月8日 | 単発公演 | ayumi hamasaki SECRET LIVE | 会場 - 05/08 赤坂BLITZ (東京都)
ライブハウスで開催された、初のワンマンライブ。 |
2000年4月28日 - 8月9日 | コンサートツアー | ayumi hamasaki concert tour 2000 A | 13会場32公演
1幕 04/28 東京ベイNKホール (千葉県)
06/28 仙台市体育館 (宮城県) 2ndアルバム『LOVEppears』を引っ提げて全国のホールとアリーナで敢行された、初のライブツアー。 |
2000年12月9日 | 単発公演 | UC SPECIAL LIVE ayumi hamasaki limited stage 2000 winter |
会場 - 12/09 東京国際フォーラム・ホールC (東京都)
ユーシーカードの主宰で開催された。 |
2000年12月30日 - 12月31日 | 単発公演 | ayumi hamasaki countdown live 2000-2001 A | 1会場2公演
12/30 国立代々木競技場・第一体育館 (東京都) 初のカウントダウンライブ。 |
2001年6月22日 - 7月7日 | コンサートツアー | ayumi hamasaki DOME TOUR 2001 A | 4会場8公演
|
2001年12月30日 - 12月31日 | 単発公演 | ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2001-2002 A | 1会場2公演
12/30 国立代々木競技場・第一体育館 (東京都) 2度目のカウントダウンライブ。 |
2002年4月27日 - 6月16日 | コンサートツアー | ayumi hamasaki ARENA TOUR 2002 A | 13会場32公演
04/27 マリンメッセ福岡 (福岡県) 4thアルバム『I am...』を引っ提げて敢行されたアリーナツアー。 |
2002年6月29日 | 単発公演 | ayumi hamasaki OPEN AIR LIVE 2000 A | 1会場2公演
06/29 お台場野外特設会場 (東京都) 初の野外ライブ。 |
2002年7月6日 - 7月28日 | コンサートツアー | ayumi hamasaki STADIUM TOUR 2002 A | 4会場8公演
初のスタジアムツアー。 |
2002年12月30日 - 12月31日 | 単発公演 | ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2002-2003 A | 1会場2公演
12/30 国立代々木競技場・第一体育館 (東京都) 3度目のカウントダウンライブ。 |
2003年3月18日 - 5月27日 | 会員限定コンサートツアー | ayumi hamasaki LIMITED TA LIVE TOUR |
7会場27公演
03/18 名古屋CLUB DIAMOND HALL (愛知県) 初のファンクラブ会員限定で開催されたライブハウスツアー。 |
2003年10月9日 - 10月31日 | 単発公演 | A musium 〜30th single collection live〜 |
2会場8公演
10/09 国立代々木競技場・第一体育館 (東京都) メジャーデビュー5周年と、30作目のシングル「forgiveness」の発売を記念して開催された。 |
2003年12月30日 - 2004年4月25日 | コンサートツアー | ayumi hamasaki ARENA TOUR 2003-2004 A | 12会場31公演
12/30 国立代々木競技場・第一体育館 (東京都) 1stミニアルバム『Memorial address』を引っ提げて敢行されたアリーナツアー。初めて年を跨いで敢行され、恒例となっていたカウントダウンライブが組み込まれている。 |
2004年12月30日 - 12月31日 | 単発公演 | ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2004-2005 A | 1会場2公演
12/30 国立代々木競技場・第一体育館 (東京都) 5度目のカウントダウンライブ。 |
2005年2月1日 - 4月24日 | コンサートツアー | ayumi hamasaki ARENA TOUR 2005 A 〜MY STORY〜 |
12会場31公演
02/01 大阪城ホール (大阪府) 6thアルバム『MY STORY』を引っ提げて敢行されたアリーナツアー。 |
2005年12月30日 - 12月31日 | 単発公演 | ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2005-2006 A | 1会場2公演
12/30 国立代々木競技場・第一体育館 (東京都) 6度目のカウントダウンライブ。 |
2006年3月11日 - 6月11日 | コンサートツアー | ayumi hamasaki ARENA TOUR 2006 A 〜(miss)understood〜 |
12会場30公演
03/11 さいたまスーパーアリーナ (埼玉県) 7thアルバム『(miss)understood』を引っ提げて敢行されたアリーナツアー。 |
2006年12月30日 - 12月31日 | 単発公演 | ayumi hamasaki BEST of COUNTDOWN LIVE 2006-2007 | 1会場2公演
12/30 国立代々木競技場・第一体育館 (東京都) 7度目のカウントダウンライブ。 |
2007年3月10日 - 6月10日 | コンサートツアー | ayumi hamasaki ASIA TOUR 2007 A 〜Tour of Secret〜 |
8会場16公演
03/10 さいたまスーパーアリーナ (埼玉県) |
2007年12月30日 - 12月31日 | 単発公演 | ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2007-2008 Anniversary | 1会場2公演
12/30 国立代々木競技場・第一体育館 (東京都) 8度目のカウントダウンライブ。タイトルは当公演からメジャーデビュー10周年に突入することに由来している。 |
2008年4月5日 - 11月2日 | コンサートツアー | ayumi hamasaki ASIA TOUR 2008 〜10th Anniversary〜 |
13会場31公演
国内公演 04/05 国立代々木競技場・第一体育館 (東京都)
9thアルバム『GUILTY』を引っ提げて敢行された、メジャーデビュー10周年記念アジアツアー。前ツアーと異なり、国内と国外に分かれて敢行された。 |
2008年12月30日 - 12月31日 | 単発公演 | ayumi hamasaki PREMIUM COUNTDOWN LIVE 2008-2009 A | 1会場2公演
12/30 国立代々木競技場・第一体育館 (東京都) 9度目のカウントダウンライブ。 |
2009年4月11日 - 10月22日 | コンサートツアー | ayumi hamasaki ARENA TOUR 2009 A 〜NEXT LEVEL〜 |
12会場35公演
04/11 さいたまスーパーアリーナ (埼玉県) 10thアルバム『NEXT LEVEL』を引っ提げて敢行されたアリーナツアー。 |
2009年12月30日 - 12月31日 | 単発公演 | ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2009-2010 A ~Future Classics~ |
1会場2公演
12/30 国立代々木競技場・第一体育館 (東京都) 10度目のカウントダウンライブ。 |
2010年4月10日 - 10月11日 | コンサートツアー | ayumi hamasaki ARENA TOUR 2010 A 〜Rock'n'Roll Circus〜 |
13会場41公演
04/10 さいたまスーパーアリーナ (埼玉県)
10/02 国立代々木競技場・第一体育館 (東京都) 11thアルバム『Rock'n'Roll Circus』を引っ提げて敢行されたアリーナツアー。10月からの東京公演は再追加公演という名目で、同年50thシングル「L」を発売する記念から開催された[45]。 |
2010年12月30日 - 12月31日 | 単発公演 | ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2010-2011 A ~do it again~ |
1会場2公演
12/30 国立代々木競技場・第一体育館 (東京都) 11度目のカウントダウンライブ。 |
2011年5月7日 - 10月19日 | コンサートツアー | ayumi hamasaki 〜POWER of MUSIC〜 2011 A |
9会場26公演
05/07 広島グリーンアリーナ (広島県)
09/30 大阪城ホール (大阪府)
当初は12thアルバム『Love songs』を引っ提げて敢行される予定であったが、同年に東日本大震災が発生したこともあり急遽内容を変更して開催されたアリーナツアー。そのため、当初はスケジュールに組まれていた宮城公演はお蔵入りとなった[46][47]。 |
2011年12月29日 - 12月31日 | 単発公演 | ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2011-2012 A ~HOTEL Love songs~ |
1会場3公演
12/29 国立代々木競技場・第一体育館 (東京都) 12度目のカウントダウンライブ。初めて3公演開催された。 |
2012年5月7日 - 10月19日 | コンサートツアー | ayumi hamasaki ARENA TOUR 2012 A ~HOTEL Love songs~ |
13会場34公演
04/07 さいたまスーパーアリーナ (埼玉県) 12thアルバム『Love songs』と、13thアルバム『Party Queen』を引っ提げて敢行されたアリーナツアー[47]。このツアーの最終・東京公演には氣志團がサプライズゲストとして出演した。 |
2012年12月29日 - 12月31日 | 単発公演 | ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2012-2013 A ~WAKE UP~ |
1会場3公演
12/29 国立代々木競技場・第一体育館 (東京都) 13度目のカウントダウンライブ。 |
2013年4月13日 - 7月28日 | コンサートツアー | ayumi hamasaki 15th Anniversary TOUR ~A BEST LIVE~ |
12会場28公演
04/13 さいたまスーパーアリーナ (埼玉県) 14thアルバム『LOVE again』を引っ提げて敢行された、メジャーデビュー15周年記念によるアリーナツアー。この公演のセットリストはファン投票によって決定された。 |
2013年12月29日 - 12月31日 | 単発公演 | ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2013-2014 A | 1会場3公演
12/29 国立代々木競技場・第一体育館 (東京都) 14度目のカウントダウンライブ。 |
2014年5月30日 - 7月6日 | コンサートツアー | ayumi hamasaki PREMIUM SHOWCASE ~Feel the love~ |
3会場11公演
05/30 日本ガイシホール (愛知県) |
2014年12月29日 - 12月31日 | 単発公演 | ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2014-2015 A Cirque de Minuit ~真夜中のサーカス~ |
1会場3公演
12/29 国立代々木競技場・第一体育館 (東京都) 15度目のカウントダウンライブ。 |
2015年4月11日 - 7月7日 | コンサートツアー | ayumi hamasaki ARENA TOUR 2015 A Cirque de Minuit ~真夜中のサーカス~ |
12会場28公演
04/11 さいたまスーパーアリーナ (埼玉県) 16thアルバム『A ONE』を引っ提げて敢行されたアリーナツアー。 |
2015年9月29日 - 11月24日 | 会員限定コンサートツアー | TA LIMITED LIVE TOUR |
9会場19公演
09/29 Zepp DiverCity (東京都) 2003年に「TeamAyu」会員限定で行った“ayumi hamasaki LIMITED TA LIVE TOUR”以来のファンクラブツアー。 |
2015年12月29日 - 12月31日 | 単発公演 | ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2015-2016 A ~MADE IN TOKYO~ |
1会場3公演
12/29 国立代々木競技場・第一体育館 (東京都) 16度目のカウントダウンライブ。 |
2016年5月14日 - 7月18日 | コンサートツアー | ayumi hamasaki ARENA TOUR 2016 A ~MADE IN JAPAN~ |
9会場17公演
05/14 日本ガイシホール (愛知県) 17thアルバム『M(A)DE IN JAPAN』を引っ提げて敢行されたアリーナツアー。 |
2016年9月30日 - 12月08日 | 会員限定コンサートツアー | TA LIMITED LIVE TOUR 2016 |
10会場20公演
09/30 Zepp Sapporo (北海道) 前年に続いて3度目となるファンクラブツアー。 |
2016年12月29日 - 12月31日 | 単発公演 | ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2016-2017 A Just the beginning -20- |
1会場3公演
12/29 国立代々木競技場・第一体育館 (東京都) 17度目のカウントダウンライブ。 |
2017年5月13日 - 7月17日 | コンサートツアー | ayumi hamasaki Just the beginning -20- TOUR 2017 |
4会場9公演
05/13 横浜アリーナ (神奈川県) 「Just the beginning」のツアーは3つの章からなり、アリーナツアーが第1章の位置付けである。 |
2017年9月6日 - 11月28日 | コンサートツアー | ayumi hamasaki Just the beginning 第2章 ~sacrifice~ |
20会場23公演
09/06 パシフィコ横浜国立大ホール (神奈川県) 「Just the beginning」のツアーは3つの章からなり、今ホールツアーは第2章の位置付けである。 |
2017年12月2日 - 2018年2月20日 | コンサートツアー | ayumi hamasaki Just the beginning -20- TOUR 2017 第3章 |
23会場28公演
12/02 和歌山県民文化会館 大ホール (和歌山県) 「Just the beginning」のツアーは3つの章からなり、今ホールツアーは第3章の位置付けである。 |
2018年4月7日 - 7月22日 | コンサートツアー | ayumi hamasaki ARENA TOUR 2018 ~POWER of MUSIC 20th Anniversary~ | 7会場11公演
04/07 さいたまスーパーアリーナ (埼玉県) デビュー20周年を記念したアリーナツアー。 |
2018年10月19日 - 2019年2月21日 | コンサートツアー | ayumi hamasaki LIVE TOUR ーTROUBLE- 2018ー2019 A |
28会場37公演
10/19 森のホール21 (千葉県) 6thミニアルバム『TROUBLE』を引っ提げて敢行されたホールツアー。 |
2018年12月31日 | 単発公演 | ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2018-2019 A -TROUBLE- | 1会場1公演
12/31 東京国際フォーラム ホールA (東京都) 2年ぶり18度目のカウントダウンライブ。 |
2019年4月6日 - 4月7日 | 単発公演 | ayumi hamasaki 21st anniversary -POWER of A^3- |
1会場2公演
04/06 さいたまスーパーアリーナ (埼玉県) デビュー21周年を記念した2daysライブ。 |
2019年5月1日 - 8月18日 | コンサートツアー | ayumi hamasaki TROUBLE TOUR 2019-2020 A ーmisunderstoodー |
19会場23公演
05/01 千葉県文化会館 (千葉県) 令和初のライブツアー。 |
2019年12月31日 | 単発公演 | ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2019-2020 ~Promised Land~ A |
1会場1公演
12/31 国立代々木競技場・第一体育館 (東京都) 19度目のカウントダウンライブ。改修工事が完了し、3年振りとなる国立代々木競技場での開催。 |
2020年2月20日 - 2月21日 | コンサートツアー | ayumi hamasaki TROUBLE TOUR 2020 A ~サイゴノトラブル~ | 1会場2公演
02/20 三郷市文化会館 (埼玉県) 新型コロナウイルス(COVID 19)の感染拡大に伴い、ツアー初日・2日目の埼玉公演以外 |
出演イベント
公演年 | タイトル | 公演日・会場 |
---|---|---|
2002年 | a-nation 2002 | 08/03 富山県総合運動公園陸上競技場 (富山県) |
08/04 安比高原スキー場野外特設会場 (岩手県) | ||
08/10 呉港特設野外会場 (広島県) | ||
08/11 ハウステンボス特設野外会場 (長崎県) | ||
08/17 スポーツランドSUGO (宮城県) | ||
08/18 つま恋リゾート 彩の郷・多目的広場 (静岡県) | ||
08/24 WTCオープンエアスタジアム (大阪府) | ||
08/25 WTCオープンエアスタジアム (大阪府) | ||
08/31 お台場野外特設会場 (東京都) | ||
09/01 お台場野外特設会場 (東京都) | ||
2018年 | TOKYO RAINBOW PRIDE 2018 | 05/06 代々木公園野外ステージ (東京都) |
出演
テレビ
- ayu ready?(2002年 - 2004年、フジテレビ)
- スーパーテレビ情報最前線(日本テレビ)
- 「噂の歌手の正体見た浜崎あゆみ…光と影」(2000年5月22日)
- 「浜崎あゆみ…光と影 25歳の絶望と決断」(2004年4月12日)
以下、浜崎くるみ名義
以下、浜崎 歩名義
- バトルスピリッツ 龍虎の拳(1993年、フジテレビ、単発アニメ) - ユリ・サカザキ 役(声優)
以下、浜﨑あゆみ名義
- 西遊記 第11話「未来を見通す家なき子」(1994年、日本テレビ)
- 湘南リバプール学院 第24話「アイドルにはなれない」(1995年、フジテレビ) - 入江さやか 役
- 未成年(1995年、TBS) - 田畑瞳 役
- 火曜サスペンス劇場「名無しの探偵シリーズ11・ガラスの少女」(1995年、日本テレビ) - 川久保奈美 役
- 土曜ワイド劇場「少女Aの殺人・女子高校生が父に殺意を抱く時…スキャンダルが名門校を揺らす!」(1996年、テレビ朝日) - 高杉いずみ 役
- 闇のパープル・アイ(1996年、テレビ朝日) - 森島由佳 役
- 土曜ワイド劇場「同居人カップルの殺人推理旅行4・嘘をつく女 熊本阿蘇〜財産を狙って欲望が渦巻く」(1996年、テレビ朝日) - 野村舞 役
- きっと誰かに逢うために第9回(1996年、テレビ東京)
- NHK紅白歌合戦出場歴
出演順は「(紅組出演順)/(紅組出場者数)」で表す。
年/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 |
---|---|---|---|---|
1999年(平成11年)/第50回 | 初 | 「Boys & Girls」 | 14/27 | 野猿 |
2000年(平成12年)/第51回 | 2 | 「SEASONS」 | 15/28 | L'Arc〜en〜Ciel |
2001年(平成13年)/第52回 | 3 | 「Dearest」 | 14/27 | ゴスペラーズ |
2002年(平成14年)/第53回 | 4 | 「Voyage」 | 15/27 | ポルノグラフィティ |
2003年(平成15年)/第54回 | 5 | 「No way to say」 | 16/30 | 森山直太朗 |
2004年(平成16年)/第55回 | 6 | 「Moments」 | 18/28 | ゴスペラーズ |
2005年(平成17年)/第56回 | 7 | 「fairyland」 | 17/29 | 氷川きよし |
2006年(平成18年)/第57回 | 8 | 「JEWEL」 | 16/27 | スキマスイッチ |
2007年(平成19年)/第58回 | 9 | 「Together When...」 | 18/27 | 槇原敬之 |
2008年(平成20年)/第59回 | 10 | 「Mirrorcle World」 | 1/26 | 布施明 |
2009年(平成21年)/第60回 | 11 | 「Rule」 | 1/25 | EXILE |
2010年(平成22年)/第61回 | 12 | 「Virgin Road」 | 1/22 | EXILE |
2011年(平成23年)/第62回 | 13 | 「progress」 | 1/25 | NYC |
2012年(平成24年)/第63回 | 14 | 2012 A SPECIAL メドレー(Aはロゴ表記) 「Dearest」「evolution」「SURREAL」 |
1/25 | NYC |
2013年(平成25年)/第64回 | 15 | 「INSPIRE」 | 1/25 | Sexy Zone |
2019年現在、トップバッターとして通算6度は郷ひろみとともに最多タイ記録。6年連続トップバッターは紅白通じての最多記録。
映画
- A3D ayumi hamasaki ARENA TOUR 2009 A 〜NEXT LEVEL〜(2010年、3D映画)
- A3D II ayumi hamasaki Rock'n'Roll Circus Tour FINAL 〜7days Special〜(2011年、3D映画)
以下、浜﨑あゆみ名義
- すももももも(1995年、パル企画) - 栗子 役
- 麗霆゛子!! 総長最後の日(1995年、パル企画) - 最上みさき 役
- 渚のシンドバッド(1995年、東宝) - 相原果沙音 役
- 学校II(1996年、松竹) - 青山由香 役
- 湘南爆走族 帰ってきた伝説の5人(1997年、徳間ジャパンコミュニケーションズ) - 津山よし子 役
ラジオ
脚注
注釈
- ^ 「事実に基づくフィクション」とされる。
出典
- ^ a b 伊藤えり (2018年7月9日). “太った?と揶揄される浜崎あゆみの男性遍歴をおさらい!結婚・離婚はしている?旦那は?”. エキサイトニュース (エキサイト) 2020年4月12日閲覧。
- ^ a b c d Alexey Eremenko. Ayumi Hamasaki|Biography & History - オールミュージック. 2020年4月12日閲覧。
- ^ a b “浜崎あゆみ“再婚”25歳UCLA医大生と”. 日刊スポーツ. (2013年12月14日) 2014年11月24日閲覧。
- ^ a b “浜崎あゆみが歌手デビューから女子高生のカリスマになるまで - 読めるモ編集部”. Yomerumo(ヨメルモ) byGMO (2014年2月27日). 2014年11月24日閲覧。
- ^ 日本テレビの情報ドキュメンタリー番組「スーパーテレビ情報最前線」(2000年)。[信頼性要検証]
- ^ “浜崎あゆみ BARKSアーティスト”. BARKS. 2015年1月19日閲覧。
- ^ “倖田来未3人目のネイルクイーン殿堂入り”. 日刊スポーツ. (2008年11月17日) 2014年11月24日閲覧。
- ^ “ベストジーニスト 草なぎ殿堂入り、あゆ返り咲き”. スポーツ報知. (2003年10月1日)
- ^ “財務で読む気になる数字:“浜崎あゆみ依存”解消で「健全になった」、音楽ビジネスの特殊性 - Business Media 誠”. アイティメディア株式会社 (2008年4月21日). 2014年11月24日閲覧。
- ^ 『ROCKIN’ON JAPAN 4月号』、ロッキング・オン、2001年。
- ^ https://smart-flash.jp/entame/77524
- ^ “「浜崎の顔では絶対に売れない」浜崎あゆみをカリスマにしたavex22年前の“逆転戦略”とは”. 文春オンライン. 2020年4月18日閲覧。
- ^ “浜崎あゆみ、ソロ初の総売上5000万枚超え「ファンのみんなの記録」”. オリコンスタイル. オリコン (2012年8月15日). 2014年3月4日閲覧。
- ^ “浜崎あゆみ紅白出場せず「卒業」ツイート”. 日刊スポーツ. (2014年11月23日) 2015年2月9日閲覧。
- ^ “あゆ、法務相初「矯正支援官」就任”. スポーツ報知. (2015年4月23日) 2015年5月7日閲覧。
- ^ “浜崎あゆみ、“聖地”代々木改修前最後の年越しライブ 17年連続も「泣きそう」”. オリコン (2016年11月8日). 2017年1月1日閲覧。
- ^ “浜崎あゆみデビュー20周年ツアー、野村義男も祝福”. 日刊スポーツ (2018年4月8日). 2018年4月8日閲覧。
- ^ “浜崎あゆみ、エイベックス松浦氏への想い歌詞に 小説『M』で“禁断の恋”告白”. AbemaTIMES (AbemaTV). (2019年8月1日) 2019年8月17日閲覧。
- ^ “あゆ小説ドラマ 来年4月にテレ朝で放送決定 秋元康氏が原作に異例のコメント”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2019年9月4日) 2019年9月4日閲覧。
- ^ “「M」第4話が延期に、代わりに第1話特別編を放送”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2020年5月3日) 2020年5月19日閲覧。
- ^ “「ありがとう」浜崎あゆみが泣いた…ママになって初のコンサートツアーは感動のスタート”. CHUNICHI Web (中日新聞社). (2020年2月20日) 2020年5月19日閲覧。
- ^ “浜崎あゆみ 全国ツアー全36公演中止発表「心がちぎれる想い」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2020年5月19日) 2020年5月19日閲覧。
- ^ “浜崎あゆみ Twitterで結婚を発表”. Twitter (2011年1月1日). 2011年1月1日閲覧。
- ^ “浜崎あゆみが電撃結婚! オーストリア人俳優と交際4ヶ月”. eltha. オリコン (2011年1月1日). 2014年3月4日閲覧。
- ^ “浜崎あゆみさん、ラスベガスで結婚”. 読売新聞 (2011年1月2日). 2011年1月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年1月2日閲覧。
- ^ “元旦挙式の浜崎あゆみ 「彼がわたしのLast Angel」”. 産経新聞 (2011年1月2日). 2011年1月2日閲覧。
- ^ “浜崎あゆみ、婚約者“お披露目” 米男性と手をつないでラブラブ帰国”. スポーツニッポン. (2013年12月16日) 2014年11月24日閲覧。
- ^ “浜崎あゆみさんの離婚が成立” (2012年1月17日). 2012年1月17日閲覧。
- ^ “浜崎あゆみ:離婚成立…結婚生活たった2カ月”. 毎日jp. 毎日新聞. (2012年1月18日). オリジナルの2012年1月19日時点におけるアーカイブ。 2014年3月4日閲覧。
- ^ “浜崎あゆみ、10歳年下米国人と“婚約” ハイテンションで幸せ報告”. eltha. オリコン (2013年12月13日). 2014年3月4日閲覧。
- ^ “浜崎あゆみが「ひな祭り婚」母が代理で婚姻届提出”. 東京スポーツ. (2014年3月3日) 2014年11月24日閲覧。
- ^ “浜崎あゆみ離婚表明「それぞれの道へ進むことに…」”. 日刊スポーツ. (2016年9月12日) 2018年8月18日閲覧。
- ^ “浜崎あゆみ離婚へ 結婚3年、10歳下の米国人とすでに別居中”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2016年9月12日) 2020年1月2日閲覧。
- ^ “浜崎あゆみが昨年末に出産「天使を産みママになりました」ファンクラブサイトで報告”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2020年1月2日) 2020年1月2日閲覧。
- ^ “右手手術の浜崎あゆみ、カウントダウンライブ及びNHK紅白出場へ”. オリコンスタイル. オリコン (2008年12月29日). 2014年3月4日閲覧。
- ^ “あゆ無念…咽頭炎で帰国困難、米国で静養”. デイリースポーツ. (2011年9月16日). オリジナルの2014年11月24日時点におけるアーカイブ。
- ^ OP編原田 (2002年2月5日). “浜崎あゆみ ネット上の噂を否定”. OOPSニュース. 2008年11月9日閲覧。
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- ^ "辞任取締役の復帰に関するお知らせ" (Press release). エイベックス. 3 August 2004. 2008年11月9日閲覧。
- ^ “BARKS 浜崎あゆみが渋谷の街にぶらり登場、109前は武道館公演規模の人だかり”. 2010年8月9日閲覧。
- ^ スポニチ (2009年8月28日). “あゆ渋谷イベントで担当者ら11人書類送検”. 2010年8月9日閲覧。
- ^ スポニチ (2010年1月15日). “東京簡裁 あゆ事務所などに罰金5万円の略式命令”. 2010年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年8月9日閲覧。
- ^ “浜崎あゆみ、シングル50枚発売記念し代々木で7DAYS公演”. 音楽ナタリー. 2020年4月14日閲覧。
- ^ “浜崎あゆみ、春夏アリーナツアー“ホテルラブソング”へ誘う”. 音楽ナタリー. 2020年4月14日閲覧。
- ^ a b “浜崎あゆみ2年越しの“ホテルラブソング”ツアー27公演発表”. 音楽ナタリー. 2020年4月14日閲覧。
外部リンク
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