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「稲村佐近四郎」の版間の差分

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== 来歴・人物 ==
== 来歴・人物 ==
[[石川県]][[羽咋市]]大町出身。[[学校法人安田学園教育会|安田商工専門]]卒業。建設会社社長を経て、[[1963年]]の[[第30回衆議院議員総選挙]]に[[石川県第2区 (中選挙区)|旧石川2区]]から出馬し初当選。連続当選8回(当選同期に[[小渕恵三]]・[[橋本龍太郎]]・[[小宮山重四郎]]・[[田中六助]]・[[伊東正義]]・[[渡辺美智雄]]・[[佐藤孝行]]・[[藤尾正行]]・[[中川一郎]]・[[鯨岡兵輔]]・[[西岡武夫]]・[[奥野誠亮]]・[[三原朝雄]]など)。自民党内では中間派の[[大野伴睦]]→[[村上勇]]→[[水田三喜男]]派に所属したが消滅後は[[中曽根康弘]]派に合流。[[1977年]][[福田赳夫改造内閣|福田改造内閣]]の[[総理府#歴代総理府総務長官|総理府総務長官]]兼[[沖縄振興局#歴代の沖縄開発庁長官等|沖縄開発庁長官]]として初入閣。[[1983年]][[第2次中曽根内閣]]で[[国土庁|国土庁長官]]兼[[北海道開発庁#歴代の北海道開発庁長官等|北海道開発庁長官]]として再度入閣を果たす。
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自民党きっての繊維[[族議員]]の大物としても知られていたが、[[1986年]][[日本撚糸工業組合連合会]]から500万円を受け取ったとして[[収賄罪]]で[[起訴|在宅起訴]]され([[撚糸工連事件]])、政界引退に追い込まれた。[[1989年]][[東京地方裁判所|東京地裁]]で懲役2年6ヶ月(執行猶予3年)、追徴金500万円の有罪判決を言い渡され控訴せず確定
自民党きっての繊維[[族議員]]の大物としても知られていたが、[[1986年]][[日本撚糸工業組合連合会]]から500万円を受け取ったとして[[収賄罪]]で[[起訴|在宅起訴]]され([[撚糸工連事件]])、政界引退に追い込まれた。


1990年7月29日[[脳梗塞]]のため死去。[[享年]]73。
1990年7月29日[[脳梗塞]]のため死去。[[享年]]73。

2021年3月11日 (木) 10:31時点における版

稲村 佐近四郎(いなむら さこんしろう、1917年1月20日 - 1990年7月29日)は、日本の政治家。元自由民主党衆議院議員(8期)、元国務大臣総理府総務長官沖縄開発庁長官)、国務大臣(国土庁長官、北海道開発庁長官)



来歴・人物

石川県羽咋市大町出身。旧制安田中学を経て明大商(『明治大学百年の顔』掲載)に学ぶ。建設会社社長を経て、1963年第30回衆議院議員総選挙旧石川2区から出馬し初当選。連続当選8回(当選同期に小渕恵三橋本龍太郎小宮山重四郎田中六助伊東正義渡辺美智雄佐藤孝行藤尾正行中川一郎鯨岡兵輔西岡武夫奥野誠亮三原朝雄など)。自民党内では中間派の大野伴睦村上勇水田三喜男派に所属したが消滅後は中曽根康弘派に合流。1977年福田改造内閣の国務大臣総理府総務長官沖縄開発庁長官として初入閣。1983年第2次中曽根内閣で国務大臣国土庁長官北海道開発庁長官として再度入閣を果たす。

自民党きっての繊維族議員の大物としても知られていたが、1986年日本撚糸工業組合連合会から500万円を受け取ったとして収賄罪在宅起訴され(撚糸工連事件)、政界引退に追い込まれた。

1990年7月29日脳梗塞のため死去。享年73。

子の稲村建男は石川県議会議員で1990年の第39回衆議院議員総選挙で石川2区より出馬したが落選した。

関連項目


公職
先代
加藤六月
日本の旗 国土庁長官
第12代:1983年 - 1984年
次代
河本嘉久蔵
先代
加藤六月
日本の旗 北海道開発庁長官
第46代:1983年 - 1984年
次代
河本嘉久蔵
先代
藤田正明
日本の旗 沖縄開発庁長官
第8代:1977年 - 1978年
次代
三原朝雄
先代
藤田正明
日本の旗 総理府総務長官
第27代:1977年 - 1978年
次代
三原朝雄