第27回全国中等学校優勝野球大会
第27回全国中等学校優勝野球大会 | |
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試合日程 | 1941年 関特演動員輸送のため予選中途で中止 |
出場校 | 22(予定)校 |
< 19401946 > 全国高等学校野球選手権大会 |
第27回全国中等学校優勝野球大会(だい27かいぜんこくちゅうとうがっこうゆうしょうやきゅうたいかい)は、1941年(昭和16年)に行われる予定だった全国中等学校優勝野球大会である。
概要
[編集]地方大会半ばで独ソ戦に便乗して発動された関特演に伴う軍隊の大動員による交通輸送の逼迫のため、基本的に県をまたいでの移動が禁止され、結果的にいくつかの予選と本大会が中止された。この年は、社会人野球でも都市対抗野球大会が同様の理由で中止になっている。これより1946年(昭和21年)に再開されるまで、戦争のために中断という形になっている。実際には1942年(昭和17年)に全国大会を行うが、主催者が文部省で朝日新聞社でないため、全国中等学校優勝野球大会の記録に含まれていない。
大会の予選は、6月14日の鹿児島県大会からはじまった。しかし、文部省の次官通達によって、全国的なスポーツ競技会が中止となり、7月16日付東京朝日新聞朝刊にわずか6行で大会の中止が告げられた[1]。7月11日付の『朝日新聞』には、北九州の予選展望と、沖縄県大会での沖縄二中の優勝を報じる記事が掲載されているが、7月13日付では、全国大会の予選という位置づけではなく、単に「中等野球」として、「熊本県大会」と「北鮮大会」の結果が報じられている。
そのためその後、各県では県レベルにとどめて大会を行ったところもあり、「予選」になるはずだった対戦が、夏から秋にかけて行われたところも多い。また、全国大会ではなくなったため、試合の参加をとりやめた学校もあった。
日本統治下にあった朝鮮、満洲、台湾が最後に参加した大会でもあった[2]。
大会の再開の兆しが見えなくなり、1942年7月12日に朝日新聞が紙面で大会の終止を掲載。12月3日に第26回大会で優勝(2連覇)した海草中が大阪の朝日新聞本社を訪れ、優勝旗を返還した[1]。
海草中にとって中京商(第17~19回大会)以来の夏3連覇に挑む大会だったが、中止により幻となった(5年後に再開された第28回大会では全国大会出場を逃している)。
各県優勝校のなかで太字の学校は2020年現在春・夏の全国大会への出場がない。
北海道地区大会
[編集]奥羽地区大会
[編集]東北地区大会
[編集]- 山形県大会(9月21日-23日)
- 宮城県大会(7月26日-28日)
- 福島県は試合の実施なし。
北関東地区大会
[編集]- 茨城県大会(10月4日、5日)
- 栃木県大会(8月28日-9月1日)
- 群馬県大会(8月12日-15日)
南関東地区大会
[編集]- 埼玉県大会(8月3日-8日)
- 千葉県大会(8月2日-5日)
- 神奈川県大会(7月28日-8月4日)
東京地区大会
[編集]信越地区大会
[編集]山静地区大会
[編集]北陸地区大会
[編集]東海地区大会
[編集]京津地区大会
[編集]紀和地区大会
[編集]大阪地区大会
[編集]兵庫地区大会
[編集]- 7月25日-29日に開催。
- 2回戦の途中で中断。優勝校を決めなかった。
山陽地区大会
[編集]山陰地区大会
[編集]四国地区大会
[編集]- 高知県大会(7月29日)
- 高知市商が優勝。リーグ戦で実施され、勝ち抜けて出場決定。
- 香川県・愛媛県・徳島県は試合の実施なし。
北九州地区大会
[編集]南九州地区大会
[編集]- 熊本県大会(7月12日-13日)
- 大分県大会(7月16日、17日)
- 宮崎県大会(7月6日)
- 鹿児島県大会(6月14日-21日)
- 沖縄県大会(7月9日、10日)
朝鮮地区大会
[編集]満洲地区大会
[編集]- 7月17日-19日に開催。
- 天津商が優勝。リーグ戦で実施され、勝ち抜けて出場決定。
台湾地区大会
[編集]- 7月24日-30日に開催。
脚注
[編集]- ^ a b 週刊甲子園の夏 第18号、朝日新聞出版 2008年
- ^ 但し、台湾は1942年の全国中等学校野球大会に出場している
参考文献
[編集]- 全国高等学校野球選手権大会70年史
- 神田順治『高校野球の青春』(岩波ジュニア新書)