国鉄485系電車
国鉄485系電車 (481系・483系・485系・489系) | |
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国鉄485系電車「しらさぎ」 (2001年8月12日 新疋田駅 - 敦賀駅間) | |
基本情報 | |
運用者 |
日本国有鉄道 東日本旅客鉄道 西日本旅客鉄道 九州旅客鉄道 |
製造所 |
川崎車両→川崎重工業 日立製作所笠戸事業所 日本車輌製造 東急車輛製造 汽車製造 近畿車輛 |
製造年 | 1964年 - 1979年 |
製造数 | 1453両 |
運用開始 | 1964年12月25日 |
運用終了 |
2017年3月3日(定期) 2022年12月11日(臨時) |
主要諸元 | |
軌間 | 1067 mm |
電気方式 |
直流1500 V 交流20000 V(50 Hz・60 Hz) |
最高運転速度 | 120 km/h* |
設計最高速度 | 160 km/h |
起動加速度 | 1.3 km/h/s(MT比1:1)- 1.6 km/h/s(同2:1) |
車体 | 普通鋼 |
台車 |
DT32・TR69 インダイレクトマウント空気ばね台車 |
主電動機 | MT54形直流直巻電動機 |
主電動機出力 | 120 kW × 4軸 |
駆動方式 | 中空軸平行カルダン駆動方式 |
歯車比 | 22:77(1:3.50) |
定格速度 |
72.0 km/h(全界磁) 116.0 km/h(40 %界磁) |
制御方式 | 抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁 |
制御装置 | CS15系制御器 |
制動装置 |
発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ 抑速ブレーキ |
保安装置 |
ATS-S(登場時) ATS-P(一部) ATC-L(3000番台の一部) |
備考 | * 基本値。湖西線・ほくほく線にて 130 km/h、津軽海峡線で140 km/h運行を実施。 |
485系電車(485けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した交流直流両用特急形電車である。 本項では、交流60 Hz対応の481系電車・交流50 Hz対応の483系電車、ならびに交流50 Hz / 60 Hz対応の485系電車を基本に信越線の協調運転にも対応した489系電車についても解説を行う。
概要
[編集]1950年代半ば以降、国鉄は地方線区の電化では地上設備の低廉性などから交流電化を推進し、各地に直流電化方式との接続点となるデッドセクションが生じた。さらに特急列車の運転区間が地方線区に拡大され、上述の異電源方式区間への直通運転要求に応えるために製造されたのが本系列である。
1964年(昭和39年)から関西対北陸・九州向け特急用に直流/交流60 Hz対応の481系電車が、翌1965年から関東対東北用に直流/交流 50 Hz対応の483系電車が製造された。1968年からは交流の周波数が50 Hz・60 Hz両対応となった485系電車が製造され、本系列の統一形式名となった。
1971年には派生系列として、信越本線横川 - 軽井沢間(碓氷峠)でEF63との協調運転に対応した489系電車の製造も開始された。
本系列は1979年(昭和54年)まで製造が行われ、四国を除く日本各地の特急列車に投入された。当初は主に東京・大阪・名古屋などの大都市圏と交流電化された東北・北陸・九州方面直通特急で、山陽・東北・上越の各新幹線開業後は、新幹線連絡特急などで運用された。北海道にも投入されたが、同地の冬期の極寒と乾燥度の高い雪による故障が頻発し(→詳細は#1500番台を参照)、道内専用形式781系と交代する形で撤退した(その後、青函トンネル開業に伴う乗り入れで道内運用は復活している)。
1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化時には、北海道旅客鉄道(JR北海道)・東日本旅客鉄道(JR東日本)・西日本旅客鉄道(JR西日本)・九州旅客鉄道(JR九州)に継承され、1990年代以降はジョイフルトレインへの改造車も登場した。しかし、2000年代に入ると後継車両への置き換えや老朽化に伴う廃車が進行し、2017年3月3日に全ての定期運用を終了[1]。2022年(令和4年)12月11日、最後まで残っていた「リゾートやまどり」編成が退役し同月28日付で廃車され[2]、これをもって485系は形式消滅した。
登場の経緯
[編集]国鉄初の特急型直流電車である151系(旧20系電車)は、1958年11月1日より東京 - 大阪・神戸間特急「こだま」として運転を開始した[3]。151系とほぼ同時に急行型の153系(旧91系)も東京 - 名古屋・大垣間準急「東海」に投入された[3]。
交直流電車では急行型の451系が、1962年10月1日より上野 - 仙台間急行「みやぎの」で運転を開始したが、特急型は当初151系電車を交直流仕様にした車両を新製投入することが検討されており、451系電車と同時に上野 - 仙台間の特急として投入する予定であった[3]。しかし、東海道新幹線開業で余剰となる151系電車に交直流化改造を施工する計画があったため[注 1]、既存車両を活用する配慮から新製計画は凍結となった[3]。だが、新幹線の開業を機に方針が特急列車網整備へ再転換となり、151系電車の交直流化改造は見送られ、山陽本線や上越線に転用された[3]。
この結果、一旦は見送られた交直流特急型電車新製計画が再開[3]。1964年12月25日からは北陸本線系統で交流60 Hz用の481系が、1965年10月1日からは東北本線系統で交流50 Hz用の483系が営業運転を開始した[3]。
構造
[編集]※本項では基本構造について解説を行う。詳細な設計変更は各項目を参照のこと。
車体
[編集]外観は151系の流れを踏襲しており、制御車先頭部は同様のボンネット型を採用した。なお、1972年以降製造の中期型では、ほぼ同時期に登場した183系と同様のデザインに変更されたため定員が8人増加した。
床下機器の寸法に合わせ床面の高さを近郊形・急行形の車両よりも10 mm高い1230 mmとし、屋根高さも151系に比べて120 mm高くなった。運用路線のプラットホーム高さに合わせるため、扉部にはレール面970 mmの高さにステップを設置し、東北・北陸などの寒冷地区への投入を考慮した耐雪耐寒構造で製造された。また、側扉は当初は普通鋼製であったが、1968年以降の製造車は内側が無塗装のステンレス製に変更された。
サービス面では側面行先表示に当初は従来通りサボを使用したが、481系・483系では電動自動巻取式方向幕搭載準備工事が国鉄車両としては初めて施工され、1968年以降製造された485系では新製時より搭載された。表示器は当初18コマ、中期型以降は40コマ対応となり後に後者へ統一された。
冷房装置は、初期型ではAU12形分散式冷房装置1基ないし2基をキノコ形ケース[注 2]に収め、先頭車は5基、中間車は6基を屋根上に搭載する。ただし、パンタグラフを搭載する中間電動車(モハ480形・モハ482形・モハ484形・モハ488形)は、パンタグラフや交流機器などの艤装スペースとの関係から、屋根上へのAU12形搭載数は3基に制限され、不足する冷房能力は車内機器室に床置形のAU51形を3基搭載することで補っている。なお、中期型以降では大幅に変更された(詳細は後述)。
主要機器
[編集]制御方式は、直流電化区間では架線電源をそのまま使用し、交流電化区間では変圧器で降圧後に整流器で直流にする401系・421系からの一貫した間接式の機器構成を踏襲したMM'ユニット方式による抵抗制御を採用。M車には山岳区間での使用も考慮して抑速ブレーキを搭載した自動ノッチ戻し機構付きのCS15系制御装置を、M'車には交流区間で直流電源を供給する主変圧器・主整流器などの機器を搭載するが、対応する商用周波数や製造時期などにより、若干の差異がある。
主電動機は、定格出力120 kWのMT54系直流直巻電動機を特急形電車としては初めて搭載した[4]。歯車比を22:77(1:3.50)とすることで、MT比1:1組成でも20 ‰程度の勾配を登坂可能となり、経済性が向上した。最高運転速度は120 km/hとされた。
台車は揺枕吊を廃止したインダイレクトマウント式空気ばね台車DT32A形を電動車に、TR69A形を付随車に装着。増備中に何度か改良型へのマイナーチェンジも実施した。
パンタグラフは、設計段階でBT饋電方式の交直・交交セクション通過時トラブルを懸念して1基搭載案があったものの[5]、直流区間では離線対策から2基搭載使用となった[注 3]。国鉄末期以降は、130 km/h運転を実施していた湖西線を除いて、架線の損耗減少対策から原則として第2パンタグラフを使用中止もしくは撤去した。ただし、JR東日本の一部車両では架線の霜取りを目的に引き続き2基使用していた。
編成全体のサービス電源用電動発電機(MG)ならびに空気圧縮機(CP)は、調理用電熱器による電力消費量を確保するため、食堂車のサシ481形が自車給電用として定格容量70 kVAのMGを床下に搭載するほかは、151系以来の「騒音発生源を客室からできるだけ遠ざける」という設計思想をそのまま反映し、MG・CPとも先頭となる制御車のボンネット内に搭載された。容量ならびに搭載位置は製造年次で異なるほか、制御車の形状変更や後の3MG・CP化により付随車にも搭載されたほか、1980年代半ば以降は短編成化によりMG・CP未搭載のクハ480形や、廃車発生品のMG・CPを搭載する改造車番台区分も存在した。
- 詳細は各系列・改造車の項目を参照のこと。
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新造車
[編集]横川 - 軽井沢間の碓氷峠用の協調運転専用機器を搭載する489系を除き、主変圧器の対応周波数に関係しない制御・付随車は483系・485系においても481形が引続き増備された[注 4]。
481系電車
[編集]1963年4月より471系により運行を開始した北陸本線の電車急行列車は利用が好調であったことから、1964年度には大阪・名古屋と富山を結ぶ電車特急列車の新設が決定。交流60 Hz対応の交直流特急電車として、1964年に481系が登場した[4]。1964年8月の北陸本線金沢 - 富山操車場(現在:富山貨物)間交流電化完成により1964年10月1日のダイヤ改正で新設された「雷鳥」「しらさぎ」として製造され、同年12月25日より運用を開始した[6]。
北陸特急用には、1964年にモハ481形・モハ480形電動車ユニットが11組22両と制御・付随車が計19両で11両編成×3本と予備車8両の計41両が新製された。翌1965年には、151系電車で運転されていた九州特急「つばめ」「はと」の置換え用として、11両編成×5本と予備車1両の計56両が増備された。新製時には向日町運転所(→京都総合運転所→現:吹田総合車両所京都支所)へ集中配置され、北陸特急と山陽・九州特急での広域運用が実施された[7]。
151系は系列内に10種類の形式が用意されたが、481系では運用効率などの観点から、制御車のクハ481形、電動車のモハ481形およびモハ480形、1等車(後のグリーン車)のサロ481形、食堂車のサシ481形の5形式に集約された[8]。運用開始時の編成は、1等車を2両、食堂車1両を組み込んだ11両編成とされた[注 5]。
制御車の前面形状は、151系「こだま形」に準じたボンネットスタイルとなった[4]。ボンネットの内部は151系同様に機器室とされ、三相交流440 V・60 Hz、定格容量150 kVAを出力するMH93-DM55A型電動発電機(MG)と容量2950 L/minのMH92B-C3000A型空気圧縮機(CP)を搭載した[10]。ボンネットの側面下部には通風グリルが設けられ[9]、クハ151形の2箇所から3箇所に増設された。後の483系・485系・489系を含めたボンネット先頭車は、製造時期およびメーカーにより、先頭車部・乗務員室側窓窓枠の形状、乗務員室側窓後部に見られる水切り落とし込み部の角度・寸法に若干の差異が存在する。
運転台は後方に監視窓を設置するものの、屋根への造形が若干異なる。車体高さが高くなった分を尾灯下の裾部寸法を切り詰めることで調整し、運転室上部高さは151系と同じ3,880 mmとされた[4]ほか、前灯横左右のマーカーライト[注 6]が省略された。また、新造時にはバックミラーが取付けられていたが、破損が多く保守が困難なため、後述の増備車も含めて大半が1970年代前半に撤去された。また、当初は後方防護用として編成最後部となる場合には下部前照灯に赤色フィルターを取付たほか、不時停車時用に交互点滅回路が搭載されたが、ATSの完備等により1966年10月に廃止された。
車体塗装は赤2号とクリーム4号のいわゆる「国鉄特急色」である[7]。クハ481形のうち1964年新製車のクハ481-1 - 8は直流形の151系との区別のため運転台下部のスカートが赤に塗られたが、1965年増備車のクハ481-9 - 18はボンネットに「ひげ」が入れられ、東北特急用483系の登場により50 Hz・60 Hzを識別するためスカートが赤とクリーム帯の塗り分けとなった[11]。後に1 - 8も同様の塗色に変更された。
座席は161系と同じで、1等車(後のグリーン車)がリクライニングシートのR24形、2等車(後の普通車)が回転クロスシートのT17系とされた[4]。
サロ481形 (1 - 18) は1等車で、客室定員は48名。レイアウトは151系電車と異なり、前位側から和式トイレ+洗面所・客室・出入台・専務車掌室・洋式トイレ+洗面所とされた。
サシ481形 (1 - 9) は食堂車。調理に使用する電熱機器類ならびに冷房装置対応用として、定格容量70 kVAの自車給電用MGを床下に搭載する[12]。基本構造はサシ151形に準ずるが、回送運転台を調理室側妻面にも設置したほか、当初からFRP製椅子を採用するなどの相違点がある。旅客用の乗降扉はないが、物資積み込み用に外吊り式の引戸が設けられた[9]。また、それまでの電車・気動車の食堂車に設置されていた列車位置表示器は本形式より廃止された。
本グループ97両は、山陽新幹線博多開業の1975年3月10日ダイヤ改正で全車九州の鹿児島運転所(現在:鹿児島車両センター)へ転出。クハ481形 (1 - 18) は九州地区へ転出した後に赤アクセントが省略されたが、1985年の常磐線特急「ひたち」増発に伴う転用前後にスカート部がクリーム色へ変更され、「ひげ」も復元された。
電動車のモハ481形・モハ480形ユニット (1 - 26) は、国鉄末期の1985年12月までに全車廃車となった[13]。サシ481形・サロ481形も国鉄時代の1981年、1985年にそれぞれ全車廃車となったが、クハ481形は全車がJR東日本へ継承された[13]。クハ481形は訓練車編成に組成された車両を除き1997年までに廃車、最後まで残存した17も2007年に廃車となった。
新製配置 | 予算 | 製造年次 | 川崎車輌 | 日立製作所 |
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向日町 | 39年第1次民有車両 | 1964 | 1 - 4 | 5 - 8 |
39年第4次債務 | 1965 | 9 - 14 | 15 - 18 |
新製配置 | 予算 | 製造年次 | 川崎車輌 | 日立製作所 |
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向日町 | 39年第1次民有車両 | 1964 | 1 - 5 | 6 - 11 |
39年第4次債務 | 1965 | 12 - 20 | 21 - 26 |
新製配置 | 予算 | 製造年次 | 川崎車輌 | 日立製作所 | 汽車会社 |
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向日町 | 39年第1次民有車両 | 1964 | 1 - 7 | ||
39年第4次債務 | 1965 | 8 - 13 | 14 - 18 |
新製配置 | 予算 | 製造年次 | 近畿車輛 |
---|---|---|---|
向日町 | 39年第1次民有車両 | 1964 | 1 - 5 |
39年第4次債務 | 1965 | 6 - 9 |
483系
[編集]1965年10月ダイヤ改正で東北本線盛岡電化完成に伴い、キハ80系で運転されていた盛岡発着の特急「やまびこ[注 7]」、仙台発着の特急「ひばり」の電車化用として、1965年 - 1966年に仙台運転所(現在:仙台車両センター)へ集中配置された、電動車を交流50 Hz用対応のモハ483形・482形とした計52両のグループである。
モハ483形・モハ482形とモハ481形・モハ480形の大きな差異は搭載する主変圧器で、基本構造は共通する。主変圧器は453系で採用されたTM9である。
クハ481形先頭部の塗り分けは481系に準じた「ひげ」が標記されたが、スカートは50 Hz対応の識別のためクリーム色に塗られた[8]。クハ481-26はボンネット下部の通風グリルが3箇所から2箇所に変更されている。クハ481-19・20・22・24は1982年の東北新幹線開業による九州地区への転用後に赤ストライプを省略したが、1985年以降の常磐線「ひたち」への再転用後に復元した。
分割民営化時にはクハ481形 (19 - 28) の全車がJR東日本に承継され、営業用車は1999年までに、訓練車に転用された24・26の2両も2007年までに廃車になった。21・28はジョイフルトレイン「華」の先頭車に改造されて2022年まで運用されていた。
モハ483形・モハ482形 (1 - 15) のうち、12 - 15はJR東日本に承継され、1990年に廃車された。サロ481形 (19 - 25) は1968年の編成変更により、全車がクロ481形50番台へ改造された。サシ481形 (10 - 14) は新製配置された仙台運転所から転属することなく、1981年 - 1984年に廃車となった。
新製配置 | 予算 | 製造年次 | 日本車輌 | 近畿車輛 |
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仙台 | 39年第4次債務 | 1965 | 19・20 | 21 - 26 |
39年第5次債務 | 1967 | 27・28 |
新製配置 | 予算 | 製造年次 | 日本車輌 | 汽車会社 | 日立製作所 |
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仙台 | 39年第4次債務 | 1965 | 1 - 4 | 5 - 8 | |
39年第5次債務 | 9・10 | 11 - 13 | |||
40年第2次民有車両 | 1966 | 14・15 |
新製配置 | 予算 | 製造年次 | 汽車会社 |
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仙台 | 39年第4次債務 | 1965 | 19 - 22 |
39年第5次債務 | 23 - 25 |
新製配置 | 予算 | 製造年次 | 近畿車輛 |
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仙台 | 39年第1次民有車両 | 1965 | 10 - 13 |
39年第4次債務 | 14 |
485系電車
[編集]電動車ユニットを交流50 Hz・60 Hz共用とし、国鉄在来線すべての電化方式に対応する3電源形のモハ485・モハ484へ変更したグループで、1968年から1979年まで製造された。
製造期間は長期に及んだため、その間に大きな設計変更や派生形式の製造などが行われたほか、TM14形主変圧器は冷却ならびに絶縁用に使用されていたPCB(ポリ塩化ビフェニル)変圧器油の毒性が問題[注 8]となったため、新造車では1974年(昭和49年)製の1500番台から変圧器油にシリコーン油を使用したTM20形に変更。それ以前の車両も順次交換が施工された。
初期型(1968年 - 1972年)
[編集]従来は商用周波数の違いにより主変圧器が異なったため、車両形式も50 Hz用と60 Hz用で別々に起こされていたが[注 9]、交流電化区間の拡大に伴って、全国規模の広域転属や3電源区間の直通運転が要望されるようになった[14]。1968年に全国で使用可能な50・60 Hz両用の主変圧器が開発されると、1968年10月の「ヨンサントオ」改正向けに投入する特急形電車にも搭載されることになり、481系・483系を統合した3電源対応版として1968年7月に登場したのが485系である[14]。
485系の形式となったのは電動車のモハ485・484形のみで、制御車や付随車は引き続き481系と共通とされたが、以後の増備車両は485系と総称されるようになった[15]。電動車以外では、東北特急「やまばと」「あいづ」用にクロ481形が登場している。1970年には東北特急「ひばり」「やまびこ」12両化用として、サハ481形が登場した。
車体は耐候性に優れる高張力鋼が採用され、車内の天井板はメラミン化粧板が使用された[14]。客用側扉はステンレス化され、戸袋部にレールヒーターが設置された。481系・483系で準備工事であった行先表示器は583系とともに本使用が開始されたほか、車側表示灯が食堂車を除いて車体端から車体中央寄りに移動された[14]。サシ481形 (15 - 39) は、客室窓のカーテンがベネシャンブラインド内蔵の二重窓に変更された[14]。クハ・クロ481形のスカートは483系と同じくクリーム色とされた[14]。
主変圧器は、50/60 Hz両用のTM14とされた[14]。直流区間を含めて3電源対応となったことから「走る変電所」とも通称された[16]。主電動機はMT54B、主制御器はCS15E、パンタグラフはPS16H形2基となり、いずれも耐寒耐雪性能の向上が図られている[14]。
ヨンサントオ改正では電車特急の120 km/h運転が実施されるため、ブレーキ率の向上が図られた[14]。ブレーキ弁は直通ブレーキのシリンダ圧を向上したME38AE2、ブレーキ制御装置は電動車がC1AE、付随車がC2AEとなった[14]。また、東北特急は所要時間短縮のために交直地上切換方式の駅である黒磯駅を通過するため、制御車(クハ・クロ)に交直車上切換用選別子が設置された[14]。
ヨンサントオ改正での奥羽本線特急「やまばと」・磐越西線特急「あいづ」電車化にあたり、板谷峠急勾配区間でのMT比2:1の確保と、磐越西線でのホーム有効長の問題から、食堂車と1等車を同時連結した6M3Tの9両編成とすることになり、クロ481形 (1 - 5) が日本車輌製造で製造された。定員は36名で、車掌室・トイレ・洗面所・出入口を客室後位側に設置し、冷房装置はAU12形を4基搭載する[17]。また、既配置のサロ481形→クロ481形50番台改造工事も施工されたが、新造車も改造車に合わせた設計となったため、全長はクハ481形0番台よりも短い21,100 mmとなった。
クハ・クロ481形のうち1969年(昭和44年)の増備車(クハ481-30 - 40、クロ481-5)からはボンネット下部の通風グリルのスリットが横型から縦型に変更された[11]。また、後方防護用赤色フィルターや不時停車時用交互点滅回路は新造時から未装備である。新幹線博多開業後の1975年以降に九州へ転出した車両は「ひげ」が省略されたが、1985年3月改正で常磐線へ転用された車両(31・32・34・36・38・40)は「ひげ」が復活している。
1971年にはボンネット車のマイナーチェンジ車としてクロ481・クハ481形100番台が登場した。MGを583系で用いた容量210 kVAのMH129-DM88形として床下へ移設[18]、先頭車内部の搭載機器はCPのみとした。前照灯を白熱灯からシールドビームに変更、ボンネットの冷却用外気取入口にダクト状のカバーを装着した。クハ481・クロ481とも1972年(昭和47年)増備の102以降はタイフォンの設置位置がスカート部からボンネットに変更された(後に101も移設)。クハ481-109は1972年5月に60 Hz用赤スカート塗装で落成し、東北特急で運用後に同年9月に青森から向日町へ転出した。
1972年(昭和47年)製造車(MM'ユニット62 - 96・クハ481-105 - 126・サハ481-14・サロ481-36 - 51・サシ481-29 - 39)は台車の枕ばねをベローズ式からダイヤフラム式へ変更したDT32E・TR69E形となった。
クロ481形0番台 (1 - 5) は1・2が1975年に九州へ転出、3 - 5は1983年にクハ481形600番台へ改造されて九州へ転出し、全車とも分割民営化時にはJR九州に承継された。クハ481-602は1988年にクロ481-4に復元されたが、各車とも1995年(平成7年)までに全車廃車となった。クロ481形100番台 (101 - 104) は1982年に全車が九州へ転出、JR九州に承継され1996年までに全廃となった。
クハ481形0番台 (29 - 40)は、分割民営化時にはJR東日本とJR九州に承継されたが、JR九州では1996年(平成8年)までに、JR東日本ではジョイフルトレインの種車となった車両を除き2000年(平成12年)までに廃車された。クハ481形100番台 (101 - 126) は、102がJR東日本に、他はJR西日本に承継されたが、いずれも2004年(平成16年)までに全車廃車となった。
モハ485形・モハ484形 (1 - 96) は、分割民営化時にはJR東日本・JR西日本・JR九州に承継されたが、JR九州では1994年(平成6年)までに、JR東日本では訓練車に改造されたモヤ484-2(旧モハ484-61)が2007年(平成19年)に、JR西日本では2011年(平成23年)にそれぞれ廃車となり区分消滅した。サハ481形 (1 - 14) は、国鉄時代に一部がサハ489形やクハ480形に改造され、未改造車はJR九州に継承されたが、2000年までに全車廃車となった。
サロ481形 (26 - 51) は国鉄時代に3両がサロ181形1050番台へ、4両がクロ480形へ改造された。未改造車は民営化時にJR北海道、JR東日本、JR西日本、JR九州に承継されたが、JR北海道では1990年に、他社はJR西日本を最後に2001年に全廃された。サシ481形 (15 - 39) は全車国鉄時代に廃車された。
JR東日本で訓練車に転用されていた編成のうち、モヤ484-2は営業仕様のモハ484-61に復元され、クハ481-26とともにさいたま市の鉄道博物館で保存されている[16]。JR九州継承車はクロ481-5を格下げ改造したクハ481-603が九州鉄道記念館に保存されている。
新製配置 | 予算 | 製造年次 | 日立製作所 | 日本車輌 | 近畿車輛 | 東急車輛 |
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仙台 | 42年第2次債務 | 1968 | 29 | |||
43年第4次債務 | 1969 | 30 | ||||
向日町 | 31・32 | 33・34 | ||||
43年第5次債務 | 35・36 | |||||
44年民有車両 | 1970 | 37・38 | ||||
45年第1次債務 | 1971 | 39・40 |
車両番号 | 製造会社 | 予算 | 落成日 | 新製配置 | 九州地区転属 | クハ481改造 | 廃車日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 日車 | 42年第2次債務 | 1968.6.3 | 仙台 | 1975.5.30 南福岡 |
1993.4.23 鹿児島 |
||
2 | 1968.6.4 | 1975.6.6 南福岡 | ||||||
3 | 1968.6.6 | 1983.10.5 鹿児島 |
601 | 1993.11.7 鹿児島 | ||||
4 | 1968.6.6 | 602 | 1993.3.24 鹿児島 |
1988.12.4 クロ481-4に復元 | ||||
5 | 43年第4次債務 | 1969.6.27 | 1983.10.31 鹿児島 |
603 | 1995.3.24 南福岡 |
九州鉄道記念館 静態保存車 |
車両番号 | 製造会社 | 予算 | 落成日 | 新製配置 | 南福岡転属 | 鹿児島転属 | 廃車日 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
101 | 日車 | 45年第2次債務 | 1971.6.30 | 仙台 | 1982.12.2 | 1988.3.7 | 1995.3.24 |
102 | 東急 | 46年本予算 | 1971.12.23 | 1982.10.2 | 1988.3.2 | ||
103 | 日立 | 1971.12.22 | 1982.9.25 | 1988.3.1 | 1995.10.5 | ||
104 | 46年第1次債務 | 1972.2.24 | 1982.10.15 | 1988.2.27 | 1996.3.31 |
新製配置 | 予算 | 製造年次 | 東急車輛 | 日立製作所 | 日本車輌 | 川崎重工業 |
---|---|---|---|---|---|---|
仙台 | 45年第2次債務 | 1971 | 101 | |||
46年本予算 | 102 | 103 | ||||
46年第1次債務 | 1972 | 104 | ||||
青森 | 46年第2次債務 | 125・126 | 109・110・113 - 118 | |||
向日町 | 105・106 | 119 - 124 | 107・108 | 111・112 |
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 日立製作所 | 日本車輌 | 近畿車輛 | 汽車会社 | 川崎重工業 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1968 | 仙台 | 1 - 12 | 13 - 17 | ||||
1969 | 18 - 20 | ||||||
向日町 | 24 - 27 | 28 - 30 | 21 - 23 | ||||
1970 | 仙台 | 34 - 36 | 37 - 43 | ||||
向日町 | 31 - 33 | ||||||
1971 | 仙台 | 50 - 53 | 54 - 57 | 47 - 49 | |||
向日町 | 44 - 46 | ||||||
1972 | 仙台 | 58 - 61 | |||||
向日町 | 62 - 64 | 82 - 88 | 65 - 67 | 72 - 74 | |||
青森 | 89 - 96 | 68 - 71 75 - 81 |
製造年次 | 新製配置 | 日本車輌 | 汽車会社 | 東急車輛 | 日立製作所 |
---|---|---|---|---|---|
1970 | 仙台 | 1 - 5 | 6 - 10 | ||
1971 | 11 | 12 | 13 | ||
1972 | 14 |
製造年次 | 新製配置 | 川崎重工業 | 日立製作所 | 近畿車輛 | 東急車輛 | 日本車輌 |
---|---|---|---|---|---|---|
1969 | 向日町 | 26・27・30・31 | 28 - 29 | |||
1970 | 34・35 | 32・33 | ||||
1972 | 41・42 | 46 - 49 | 36・37 | 38・39 | ||
青森 | 40・43 - 45 | 50・51 |
製造年次 | 新製配置 | 近畿車輌 | 日立製作所 | 日本車輌 | 東急車輛 | 川崎重工業 |
---|---|---|---|---|---|---|
1968 | 仙台 | 15・16 | 17 - 20 | |||
1969 | 21 | |||||
向日町 | 22 - 24 | |||||
1970 | 26 | 25 | ||||
1971 | 仙台 | 28 | 27 | |||
1972 | 29 | |||||
向日町 | 36・37 | 31 | 30 | 33 | ||
青森 | 38・39 | 32 | 34・35 |
中期型(1972年 - 1973年)
[編集]電車特急網の整備が全国に進むと、将来的には電車急行のような分割・併合運転が電車特急でも行われることが予想された[19]。1972年10月の羽越本線新津 - 秋田間電化で日本海縦貫線特急「白鳥」「いなほ」電車化用に投入された62両以降は、同年6月に登場した直流特急形の183系に準じた前面貫通構造の採用と冷房装置の変更などの設計変更が行われることになり、485系200番台と称されるグループが登場した[19]。向日町運転所・仙台運転所・青森運転所に新製配置された。
モハ485 | モハ484 |
---|---|
97 | 201 |
↓ | |
135 | 239 |
136 | 601 |
137 | 240 |
↓ | |
145 | 248 |
146 | 602 |
147 | 249 |
↓ | |
206 | 308 |
クハ481形は分割併合を考慮した前面貫通形を採用し、200番台に番台区分された[20]。連結面車体長も21000 mmと短縮されたが、定員はボンネット車より8名多い64名となった[20]。運転台からの後方監視窓はない。前頭部の連結器はボンネット車の並形自動連結器に代わり、中間車と同じ密着連結器が採用された[19]。
貫通路の構造はクハネ581形・クハネ583形同様に外扉を設けて貫通扉などを隠すものであるが、外扉の開閉は空気シリンダーにより自動化された。正面の列車名表示器は貫通扉幅の制約から小型化された手動式である。運転室への昇降は201 - 220がはしご式、221以降が階段式であるほか、階段式車では客室から乗務員室へのドアを右側にオフセットする設計変更が行われた。
青森配置車の203・204[注 10]・207・208には電気連結器と自動解結装置および自動貫通幌引出装置が試験的に装着されていた[21]。これらは分割・併合運用の際に作業の省力化を狙ったものだったが、数回テストされただけに留まり、1976年には撤去されている[注 11]。
冷房装置は、モハ484形は1基で1両全体を冷房できるAU71A形集中式冷房装置へ、その他の形式ではAU13E形分散式冷房装置5基搭載へ変更された[19]。モハ484形は集中式冷房装置への変更に伴い平天井となり、AU41形を設置する機器室と業務用室が廃止されたことで定員が8名増加、72名となり、200番台 (201 - 308) に区分された[22]。
台車は空気ばねをダイヤフラム式としたDT32E・TR69Eが当初より使用された[21]。クハの床下には210 kVAのMGと容量を2000 L/minへ変更したMH113-C2000形CPが搭載された[12]。
東北特急ではグリーン車を編成端に連結していたため、モハ484形に編成中間に専務車掌室と業務用室を設けた車両が登場し、600番台 (601・602) に番台区分された。定員は200番台より8名少ない64名である[22]。一般に特急列車の専務車掌室は編成中央部にあるグリーン車のものを使用する傾向があるが、東北特急では仙台運転所編成が上野方先頭車にクロ481形を組み込んでいたため、青森運転所編成もサロ481形は2号車に連結していた[23]ためこのような構成となった。この構造は後の1000番台・1500番台に承継された。
モハ485形 (97 - 206) ・サロ481形 (52 - 103) ・サシ481形 (40 - 72) は冷房装置以外に大きな設計変更がないために在来車の続番とされた。このため、それまで一致していたMM'ユニットのハイフン以下の車両番号が不揃いとなった。
クハ481形200番台は全部で63両 (201 - 263) が製造されたが、うち42両が青森運転所に、21両が向日町運転所に配置された。これにより、青森に配置されていた100番台車10両は全車が向日町運転所に早期転出となった。これは当時、東北本線系統と奥羽本線系統の特急を福島駅で分割・併合運転する計画があり、その準備段階として集中配置を行ったものである。なお、後にホーム有効長や奥羽本線の板谷峠区間の急勾配の制約などの諸事情を鑑みた結果、この計画は白紙に戻された[注 12]。また、欠点である貫通扉からの隙間風や居住性の悪さが乗務員から敬遠され、300番台以降の非貫通型クハに置換えが進んだ結果、青森運転所の配置車は国鉄時代に北陸・九州地区へ全車転出した。
分割併合運用については1976年から長崎本線・佐世保線の「かもめ」「みどり」でも実施されたが、この時は正面貫通路を一切使用していない。営業運転での正面貫通路の使用開始は1985年3月14日ダイヤ改正による「くろしお」からで、それ以前から使用する見込みのない車両は腐食防止や隙間風対策の観点から外扉の溶接もしくは貫通路を完全に埋込む改造が施工された。
サシ481形は、国鉄時代に54・55・69 - 71の5両がサロ481-501 - 505(和式グリーン車「だんらん」)へ、52・67の2両は一旦廃車され車籍抹消となった後に車籍復活のうえスシ24 3・501へ改造された。分割民営化時には、JR東日本に64・68、JR北海道に50の計3両が承継されたが、JR東日本所属の2両は1988年にスシ24 504・505へ、50は1989年にスシ24 508へ改造されたため、本形式は消滅した。
電動車ユニットはモハ485-196・モハ484-298が最後まで残存していたが、2016年1月28日で廃車となり区分消滅した。サロ481形は、2004年2月にJR西日本が承継した68・71の廃車により消滅した。クハ481形200番台は、JR九州で国鉄色に復元されていた大分車両センター所属の256が2016年10月2日付で廃車され区分消滅、廃車後は小倉工場で保存されている。
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 日本車輌 | 川崎重工業 | 日立製作所 | 近畿車輛 |
---|---|---|---|---|---|---|
1972 | 青森 | 201 - 204 | 205・206 211・212 |
207・208 213 - 218 227・228 |
209・210 219・220 |
|
向日町 | 225・226 | |||||
1973 | 青森 | 235 258・259 |
221 - 224 254・255 |
229・230 256・257 |
237・238 262・263 |
236 260・261 |
向日町 | 233・234 245・246 |
243・244 | 231・232 251 - 253 |
239 - 242 247 - 250 |
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 日本車輌 | 川崎重工業 | 日立製作所 | 近畿車輛 |
---|---|---|---|---|---|---|
1972 | 青森 | 201 - 208 | 209 - 212 221 - 224 |
213 - 216 230 - 233 247・248 602 |
217 - 220 | |
向日町 | 225 - 229 243 - 246 |
234 - 236 | ||||
1973 | 青森 | 293 - 296 | 237 - 239 285 - 288 601 |
289 - 292 | 262 - 264 301 - 308 |
297 - 300 |
向日町 | 256 - 258 273・274 |
240 - 242 271・272 277 |
249 - 255 281 - 284 |
265 - 270 275・276 278 - 280 |
259 - 261 |
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 日本車輌 | 川崎重工業 | 日立製作所 | 近畿車輛 |
---|---|---|---|---|---|---|
1972 | 青森 | 97 - 104 | 105 - 108 117 - 120 |
109 - 112 126 - 129 144 - 146 |
113 - 116 | |
向日町 | 121 - 125 140 - 143 |
130 - 132 | ||||
1973 | 青森 | 191 - 194 | 133 - 136 183 - 186 |
187 - 190 | 160 - 162 199 - 206 |
195 - 198 |
向日町 | 154 - 156 171・172 |
147 - 153 169・170 |
147 - 153 179 - 182 |
163 - 168 173 - 178 |
157 - 159 |
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 日本車輌 | 川崎重工業 | 日立製作所 | 近畿車輛 |
---|---|---|---|---|---|---|
1972 | 青森 | 52 - 55 | 56・57・59 | 64・72・73 | 58 | |
向日町 | 60 - 63 70・71 |
65・66 | ||||
1973 | 青森 | 101 | 67・99 | 100 | 103 | 102 |
仙台 | 84 - 86 | |||||
向日町 | 79 - 81 91・92 |
68・69 | 74 - 78 97・98 |
87 - 90 93 - 96 |
82・83 |
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 日本車輌 | 川崎重工業 | 日立製作所 | 近畿車輛 |
---|---|---|---|---|---|---|
1972 | 青森 | 40・41 | 42・45 | 43・48 54・55 |
44 | |
向日町 | 46・47 | 49・53 | ||||
1973 | 青森 | 70 | 50・68 | 69 | 72 | 71 |
仙台 | 60 | |||||
向日町 | 58・64 | 51・52 63・67 |
56・57 65・66 |
61・62 | 59 |
後期型(1974年 - 1976年)
[編集]モハ485 | モハ484 |
---|---|
207 | 309 |
↓ | |
223 | 325 |
224 | 603 |
↓ | |
228 | 607 |
229 | 326 |
↓ | |
248 | 345 |
249 | 608 |
↓ | |
255 | 614 |
1972年より増備されていた485系200番台は前面貫通構造が採用されていたが、貫通扉からの隙間風侵入や運転台スペースが狭いなどの課題があった[24]。また、同時期新製の183系では、普通席に簡易リクライニングシートが採用されていたことから、485系においても前面非貫通化や座席の簡易リクライニング化などの改良を加えた増備車として、485系300番台と称されるグループが1974年に登場した[25]。このグループは新たに金沢運転所・南福岡電車区・秋田運転区にも新製配置された。
クハ481形は前面非貫通の形状となり、300番台に区分された[25]。車体長を200番台より250 mm延長し、0番台・100番台と同じ連結面車体長が21,250 mmとなった[25]。定員は200番台と同じ64名である[20]。貫通扉用のレールは存置されたほか、運転室後部の後方確認用小窓が復活した[25]。騒音源であった床下のCPは助士席下部へ移設され、助士席下部の車体側面には空気圧縮機用通風ルーバーが設けられた[20]。列車名表示器は大型長方形で側面方向幕連動の電動式に変更された。以後に製造された1500番台・1000番台は、基本的にこのグループの同期製造車の仕様を踏襲する。
普通車の座席は、183系電車や14系客車と同じ簡易リクライニングシートのR-51AN形が設置された[25]。一部車両では循環式汚物処理装置準備工事[注 13]を施工した。
1975年増備車では付随台車の設計変更があり、クハ481-311・313・315 - 354・サロ481-115 - 133・サハ481形100番台はブレーキシリンダをダイヤフラムシリンダとしたTR69H形に変更された。また側面ドアコック蓋・非常口ハッチをユニット式に、電動車については妻面の冷却風取り入れダクトの形状も変更された。
クハ481形300番台は54両が製造され、東北地区に重点投入された。これにより、貫通型の200番台を九州の長崎本線・佐世保線電化用に捻出した[25]。他形式の車両番号は中期型からの続番で、MM'ユニットはモハ485-207 + モハ484-309からとされたが、モハ484形は車掌室・車販準備室の付いた600番台(603以降)も製造されたことから、引き続き番号の組み合わせが不揃いである。サハ481形は15が仙台運転所に、16 - 19は金沢運転所(現在:金沢総合車両所)に配置された。食堂車はサシ481形73 - 76(及び同時期のサシ489形)をもって製造終了し、以後は既存車両の改造転用で賄われた[26]。
サロ481形は104 - 133が製造されたが、このうち1975年11月改正での奥羽本線羽前千歳 - 秋田間電化と「つばさ」の電車化用に新製された、115・116・122・123・127・128の6両は、雪害対策として床下にMG・CP搭載、前位車端部に車販準備室・車販コーナー設置で製造された[25]。これらのグループは1978年にサロ481形1000番台1051 - 1056へ改造されている。
1976年にはサハ481形100番台が18両製造され、北陸・九州特急増強用に向日町と南福岡へ集中配置された。後位側に車販準備室・業務用室が設置され、定員はサハ481形0番台より8名少ない64名である[27]。床下にMG・CP設置準備工事が施工されており、1978年10月のダイヤ改正で東北特急3MG化のため一部が仙台運転所へ転出した。
1985年3月改正で北陸特急「雷鳥」系統への食堂車連結が終了し、食堂車が外された代わりにMG・CP付きのサハ481形100番台が組み込まれた[27]。サシ481-73・74は、1985年に和風グリーン車「だんらん」へ改造、75・76は1986年3月31日付で一旦廃車されたが、1987年3月に車籍復活のうえスシ24 502・503へ改造され、JR北海道へ継承された。サハ481形100番台は後に大部分がクハ481形や183系・189系電車の先頭車に改造され、残った車両も1998年の廃車をもって区分消滅している[27]。
サハ481形0番台の15 - 19は、1985年に全車が紀勢本線特急増発用のクハ480形に改造されて消滅した[28]。サロ481形は、JR西日本が承継した118が2005年12月に廃車されたことで原型車が消滅、クハ481形300番台は2015年7月3日にJR東日本仙台車両センター所属の334が廃車されたことで区分消滅した[29]。
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 川崎重工業 | 日立製作所 |
---|---|---|---|---|
1974 | 向日町 | 301・302・304 | ||
金沢 | 303・305 306・308 |
307・310 | ||
仙台 | 312・314 | |||
1975 | 青森 | 332 - 337 | 311・313・315 | 342 |
金沢 | 318 - 327 | 343・344 | ||
仙台 | 328 - 331 | 316・317 | 338 - 341 | |
1976 | 青森 | 345 - 352 | ||
仙台 | 353・354 |
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 川崎重工業 | 日立製作所 |
---|---|---|---|---|
1974 | 仙台 | 309・310 | 603 - 607 | |
向日町 | 311 - 315 | |||
金沢 | 316 - 322 | 323 - 325 | ||
1975 | 青森 | 610・611 | ||
仙台 | 608・609 | |||
金沢 | 329 - 336 | 343 - 345 | ||
南福岡 | 337 - 342 | 326 - 328 | ||
1976 | 青森 | 612 - 614 |
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 川崎重工業 | 日立製作所 |
---|---|---|---|---|
1974 | 仙台 | 207・208 | 224 - 228 | |
向日町 | 209 - 213 | |||
金沢 | 214 - 220 | 221 - 223 | ||
1975 | 青森 | 251・252 | ||
仙台 | 249・250 | |||
金沢 | 232 - 239 | 246 - 248 | ||
南福岡 | 240 - 245 | 229 - 231 | ||
1976 | 青森 | 253 - 255 |
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 川崎重工業 | 日立製作所 | 近畿車輛 |
---|---|---|---|---|---|
1974 | 仙台 | 15 | |||
金沢 | 16・17 | 18 | |||
1975 | 19 | ||||
1976 | 向日町 | 101 - 113 | |||
南福岡 | 114 - 118 |
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 川崎重工業 | 日立製作所 |
---|---|---|---|---|
1974 | 仙台 | 114 | ||
金沢 | 108 - 111 | 112・113 | ||
向日町 | 104 - 107 | |||
1975 | 青森 | 130 | ||
秋田 | 122・123 | 115・116 | 127・128 | |
仙台 | 124・125 | 126・129 | ||
金沢 | 117 - 121 | 131・132 | ||
1976 | 青森 | 133 |
製造年次 | 新製配置 | 日立製作所 | 東急車輛 |
---|---|---|---|
1974 | 向日町 | 73・74 | |
金沢 | 75 | ||
仙台 | 76 |
モハ485 | モハ484 |
---|---|
1-96 | 1-96 |
97-133 | 201-237 |
134 | 601 |
135-144 | 238-247 |
145 | 602 |
146-223 | 248-325 |
224-228 | 603-607 |
229-248 | 326-345 |
249-255 | 608-614 |
1500番台
[編集]北海道・函館本線の電化区間であり、道央都市間連絡の要となる札幌 - 旭川[注 14]間では、冬期も安定した性能を誇る711系電車による急行「かむい」ならびにノンストップ急行「さちかぜ」が堅調な実績を上げていた。そのため、同形式をベースとした新型交流用特急車が計画されたものの、TM14形を含む従来形主変圧器において絶縁・冷却に使われていたPCB油の毒性が判明したことから、油種変更に対応するため計画は一時頓挫した。だが、沿線と北海道総局の期待が強いことから、暫定的に485系をベースとして北海道向け耐寒耐雪強化車が1973年度第1次債務で川崎重工業(現在:川崎重工業車両カンパニー)と日立製作所笠戸事業所の2社により新造されることが決定し、1974年に北海道向け特別耐寒耐雪形である485系1500番台が登場した[30]。
編成はモノクラス4M2Tの6両編成とされ、6両編成3本と予備のMM'ユニット1組・クハ481形2両の計22両が製造された[31]。クハ481形は300番台と同様の非貫通型であるが、冬季の視認性向上の観点から運転台上前照灯を2灯とした[32]。また、ワイパーブレードを4本に増強し運転台側面ガラスも熱線入りに変更した[30]。モハ484形は専務車掌室・車販準備室設置とした600番台の構造を踏襲した。
台車は呼吸式軸箱とした上で、軸箱支持装置用の軸ばねをゴムでカバーし、電動車では両抱き式耐雪ブレーキならびに鋳鉄製制輪子対応のDT32G形を、クハ481形では踏面清掃装置付のTR69G形を装着した。主抵抗器は強制通風であるが、電動送風機が停止しても力行可能なMR127形とされた[33]。主変圧器はPCB油に代わり、無害なシリコーン油を使用するTM20形が採用された。床下機器箱には凍結防止用電熱ヒーターを追加し、防雪ならびに粉雪浸入防止シール類を新設した。
新製直後は耐寒耐雪装備の試用を兼ね、青森運転所への貸渡名目で大阪 - 青森間の「白鳥」に充当された。「白鳥」暫定運用時は前面ヘッドマークをシール貼りとした[32]。1975年7月より北海道初の電車特急「いしかり」の運行が開始された[34]。北海道での運用に際しては先頭車の連結器を並形自動連結器としたが、これは青函連絡船を含み非電化区間となる青森→札幌の配給回送、車両故障発生時のED76形500番台やDD51形による牽引を行うためである。
しかし、485系は基本設計が本州仕様であることから、冬季の北海道では様々なトラブルが発生した。巻き上げた雪で尾灯が埋もれる現象が多発したため、1976年に苗穂工場で尾灯が外付け式に改造された。また、無接点制御装置搭載の711系電車に対し485系では主制御器などの電装部品に可動部品や接点が多く、侵入した粉雪の融解による絶縁不良や再凍結による動作不良が発生した。さらに、機器箱に負圧部を作らないよう対策を取らなかったことが原因となり、走行時の負圧でアスピリンスノーと称される極微粒の粉雪を吸い込み、機器の熱で溶けて故障の元となった。
また、走行中は負圧となる車内に北海道特有の粉雪が出入口や貫通幌隙間から大量に侵入し、凍結した客用扉の不作動による遅延・運転打切り・運休が続発した[注 15]。
これらトラブルの根本的解決のため、1978年には北海道専用特急電車となる781系電車が開発され、1980年には量産車による置換えが完了した。485系1500番台は1980年夏までに全車が本州の青森運転所に転出し、台車を標準品のDT32E・TR69H形に、主抵抗器をMR52Dに、クハの先頭連結器を密着連結器に交換した。
本州転出後は、青森運転所所属で「いなほ」・「はつかり」・「むつ」で運用されていたが、電動車ユニットは1985年3月改正で全車が向日町運転所へ転出し、北陸本線の特急「雷鳥」で運用された[35]。この電動車ユニットは国鉄分割民営化前の1986年11月改正で上沼垂運転区へ転属し、日本海縦貫線系統の「白鳥」「雷鳥」「北越」で運用された[35]。クハ481-1502 - 1505・1507の5両も1986年に上沼垂区へ転属した。クハ481-1508は1982年の広域転配に伴う転属車牽引のため、鹿児島運転所へ入線したことで電化区間最北端・最南端両方への到来実績がある。
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クロハ481-3020
(元・クハ481-1501) -
クロ481-1503
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クハ481-1505
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クハ481-1507
本番台区分は分割民営化の際に全車がJR東日本に継承された[35]。このうちクハ481形は青森残留車と上沼垂運転区・秋田運転区へ転出する車両に分かれたが、最終的には全車とも一度は新潟へ配置された。上沼垂区の電動車ユニットは全車がグレードアップ改造を受けたが、2002年に全廃された[35]。
クハ481-1501は、1987年にクロハ481-1020へ改造、1999年に3000番台リニューアル改造でクロハ481-3020となったが、2006年に新潟へ転出、2017年4月6日付で廃車された[36]。クハ481-1506は秋田を経て新潟へ転出し、2000年に3000番台リニューアル改造でクハ481-3506となったが、JR羽越本線脱線事故で被災し、2007年3月31日付で廃車された。
クハ481-1502・1503は、上沼垂区におけるグレードアップ改造の施工を経て、2006年に長野支社のジョイフルトレイン「彩(いろどり)」のクロ481-1502・1503へ改造されたが、屋根上の2灯前照灯は撤去された。2015年7月1日付で交直切換機能を直流側に固定しクロ481-5502・5503へ再改番[37]されたが、2017年10月20日付で廃車された[38]。
クハ481-1504・1505は、上沼垂区におけるグレードアップ改造の施工を経て、2002年より勝田電車区の波動輸送用K60編成に組み込まれたが、2013年1月に運用を離脱、廃車回送された[39]。クハ481-1507も上沼垂区におけるグレードアップ改造を施工されたが、2006年6月1日付で廃車された。
クハ481-1508はJR化以降の1987年に秋田へ転出し、「つばさ」「あいづ」用にATS-Pを搭載、1992年に青森へ再転出し、急行「津軽」用に車内減光装置を搭載した。2000年に上沼垂へ転出、2001年よりT18編成[注 16]の先頭車となり、2008年6月には上沼垂色から塗装変更されたことで国鉄特急色をまとうようになった[30]。2014年時点では新潟車両センターに所属し、特急「北越」、快速「くびき野」で運用されていた[35]が、2015年7月10日付で廃車となった[29]。廃車後は新津鉄道資料館で保存されている[40]。
車両番号 | 製造会社 落成日 新製配置 |
転属 | 改造 | 廃車 | |||
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1501 | 川重 1974.5.23 札幌 |
青森 1980.9.10 |
新潟 2006.3.24 |
クロハ481-1020 1987.12.24 クロハ481-3020 1999.3.24 |
2017.4.6 | ||
1502 | 青森 1980.8.10 |
新潟 1986.9.19 |
長野 2006.5.22 |
クロ481化 2006.5.22 5502・5503へ改番 2015.7.1 |
2017.10.2 | ||
1503 | 新潟 1986.10.28 |
||||||
1504 | 青森 1980.6.11 |
勝田 2002.12.6 |
2013.1.23 | ||||
1505 | 日立 1974.4.25 札幌 |
新潟 1986.9.19 |
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1506 | 青森 1980.9.10 |
秋田 1992.7.1 |
新潟 1997.3.27 |
クハ481-3506 2000.12.12 |
2007.3.31 | ||
1507 | 日立 1974.6.1 札幌 |
青森 1980.9.28 |
新潟 1986.10.15 |
2006.6.1 | |||
1508 | 秋田 1987.7.1 |
青森 1992.7.1 |
新潟 2000.7.2 |
2015.7.10 |
車両番号 | 製造会社 | 落成日 | 新製配置 | 青森 転属 |
向日町 転属 |
上沼垂 転属 |
廃車日 |
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1501 | 川重 | 1974.5.23 | 札幌 | 1980.9.10 | 1985.2.14 | 1986.11.1 | 2001.7.19 |
1502 | 1980.8.10 | 1985.2.5 | 2001.6.13 | ||||
1503 | 1980.6.11 | 1985.2.14 | 2002.4.2 | ||||
1504 | 日立 | 1974.4.25 | 1980.8.10 | 2001.4.3 | |||
1505 | 1980.9.10 | 2002.4.2 | |||||
1506 | 1974.6.1 | 1980.9.28 | 1985.3.14 | 2001.4.3 | |||
1507 | 1985.2.5 | 2001.11.21 |
1000番台
[編集]-
クハ481-1015 公式側
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クハ481-1015 非公式側
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クハ481-1016 公式側
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クハ481-1016 非公式側
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モハ484-1023 公式側
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モハ484-1032 非公式側
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モハ485-1032
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クハ481-1015 ジャンパ連結器詳細
助士席側
KE9形 高圧三相引通
運転席側
KE70形 総括制御用(右)
KE76形 給電区分変更制御用(左)
本系列は元々耐寒耐雪構造ではあったが、冬期の東北地方を走行する「白鳥」や「いなほ」では雪害によるMG故障などの車両不具合が多発したことから、1974年に登場した183系1000番台をベースとした耐寒耐雪強化構造の電車の投入が要望された[41]。183系1000番台は両先頭車の電動発電機(MG)・電動空気圧縮機(CP)に加えて中間車のサロにもMG・CPを搭載した「3MG方式」が取られており、先頭車のMGが故障した際にもサービス電源と圧縮空気の供給に支障がないようにされていた[42]。
1975年の奥羽本線羽前千歳 - 秋田間電化に伴う特急「つばさ」電車化における485系投入では、当初は九州の長崎本線・佐世保線電化用の200番台に、スタンバイMG付きで新製されたサロ481形とジャンパ連結器を改造した従来のサシ481形を組み込んで「つばさ」に暫定投入された。1976年には485系基本番台後期型を元にした耐寒耐雪強化仕様車が開発され、485系1000番台が登場した[43]。
編成は中間にMG・CP付きのサロ481形を組み込んだ3MG方式の12両編成とし、食堂車は既存車の引き通し線追加改造車が編入された。クハ481形は300番台に準じた非貫通型で、モハ484形は東北地区の要望から600番台に準じた車掌室付きとされた[41]。サロ481形は前位車端部のトイレ・洗面所を車販準備室・車販コーナー設置に仕様変更した。485系1000番台ではMGトラブル発生時にクハ481形運転席から給電区分をワンタッチで変更できるよう改良されたため、KE76形ジャンパ連結器1基による給電制御用引通線を増設した。クハ481形は片渡りとなり、奇数番号車が奇数向き、偶数番号車が偶数向きに固定された[44]。
当初は「つばさ」用として秋田運転区へMM'ユニット24組48両・クハ481形12両・サロ481形6両の計66両が[注 17]、1978年から1979年にかけて秋田運転区への増発対応用としてMM'ユニット32組64両・クハ481形18両・サロ481形2両の計102両が、青森運転所へ在来車に代わる増備車としてMM'ユニット28組56両・クハ481形13両の計69両、全体で237両が新製された。
食堂車のサシ481形は新製されず、既存車に引通線増設などの改造を計14両へ施工し充当した。既存車に搭載の70 kVA MGは電子レンジなどの調理用とし、冷房・照明などサービス電源はクハからの供給とされた[41]。サシ481形は原番号のままで、サシ489形からの改造車は横軽協調運転装置を外してサシ481形80番台へ改番された。また、青森運転所への1000番台新製配置車には食堂車は組み込まれなかった。1976年施工の6両は「つばさ」電車化用に伴う元「にちりん」用編成からの転用車で、他車の九州復帰後もこの6両は秋田に残留した。1978年ならびに1979年施工の8両は「つばさ」増発用で、余剰となった仙台運転所のサシ481形1両、金沢運転所のサシ481形5両とサシ489形3両を改造して充当した。
モハ484形の主整流器は、当初は乾式風冷式のRS22A形もしくはRS40A形を搭載したが、1010・1012・1014・1016・1018・1020・1022・1024はフロン沸騰冷却式のRS45A形を、1979年製造の1081 - 1088は改良型のRS45B形を搭載する。
このほか、耐寒耐雪仕様として、電動発電機(MG)・電動空気圧縮機(CP)・主電動機の寒冷地仕様強化ならびに器箱密閉化および防水処置・空気ブレーキ装置の機器箱収納化を実施した[45]。また、主電動機およびMG冷却用風道に夏⇔冬切替およびフィルター交換の容易化を施工[46]、水揚装置で凍結対策を施工した[47]。クハ481形は乗務員室の暖房を強化した。
電動台車はブレーキシリンダに防雪カバーを取付けたDT32E形、付随台車はゴムシリンダ式としたTR69H形とし、クハ481形の先頭台車にスノープロウを装着した[43]。
210 kVA MGとCPを搭載するサロ481形ならびに厨房設備に対応する70 kVA MGを搭載するサシ481形では、通常時は自車給電とし、いずれかのクハ481形が搭載するMGに異常が発生した際にはサロ481形搭載MGからの給電区分に切り替える。また、サシ481形のMGに異常が発生した場合もサロ481形からの給電となり[注 18]、サロ481形搭載MGに異常が発生した場合はクハ481形からの給電となるバックアップが確保された。
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1978年以降製造の車両は、モハ484形の冷房装置をAU71B形に変更したほか、屋根上ランボード構造も変更された。屋根布はアルミ蒸着ビニール(銀色)から通常の屋根布(灰色)へ変更された。モハ485形・484形およびサロ481形の車端部には、埋め込み型の手摺りを設置した。普通車の簡易リクライニングシートは、背もたれが倒れた状態でロックが可能なR-51BN形へ変更した[44]。1979年6月19日に川崎重工業が製造したモハ485・484-1085 - 1088・クハ481-1040 - 1043の落成を最後に本系列の製造が終了した。
1978年の「つばさ」増発時には、基本番台の3MG車サロ481-115・116・122・123・127・128の6両が1000番台用引き通し線装備改造を行い、サロ481-1051 - 1056となった。
分割民営化時には、モハ485・484-1001 - 1006・1025 - 1029がJR西日本に、他はJR東日本に承継された。JR西日本承継車はグレードアップ化改造された車両のほか、組換により在来車とユニットを組成したケースも多い。JR東日本承継車は、クハ481形43両中29両がクロハ481形に、モハ485形は9両がクモハ485形に改造されるなど、短編成化に起因する施工例が多く、3000番台化された96両のうち89両が本番台区分からの改造である。
JR東日本では、クハ481-1001→クロハ481-1010→3010・1003→クロハ481-1011・1005→3005・1033→クロハ481-1018・1034→クロハ481-1006→クハ481-3034→クロハ481-3026・1037→3037→クロハ481-3037の5両が方向転換改造を施工した。
2016年4月時点では、仙台車両センターA1・A2編成に組成されるモハ485・484-1032・1077の2組4両とクハ481-1015・1016の2両、計6両が車籍を有していたが、2016年6月19日の運用を最後に離脱、2016年8月4日付で廃車された[48]。
モハ485+モハ484 | ||||||
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製造年次 | 配置 | 日立製作所 | 日本車輌 | 東急車輛 | 近畿車輛 | 川崎重工業 |
1976 | 秋田 | 1001 - 1008 1021 - 1024 |
1009 - 1012 | 1013 - 1016 | 1017 - 1020 | |
1978 | 1069 - 1080 | 1042 - 1049 | 1050 - 1053 | |||
青森 | 1038 - 1041 | 1025 - 1030 | 1057 - 1065 | |||
1979 | 1031 - 1037 | 1066 - 1068 | 1054 - 1056 | |||
秋田 | 1081 - 1084 | 1085 - 1088 | ||||
クハ481 | ||||||
製造年次 | 配置 | 日立製作所 | 日本車輌 | 東急車輛 | 近畿車輛 | 川崎重工業 |
1976 | 秋田 | 1001 - 1004 1011・1012 |
1005・1006 | 1007・1008 | 1009・1010 | |
1978 | 1032 - 1037 | 1021 - 1026 | ||||
青森 | 1019・1020 | 1013 -1016 | 1027 -1031 | |||
1979 | 1017・1018 | |||||
秋田 | 1038・1039 | 1040 - 1043 | ||||
サロ481 | ||||||
製造年次 | 配置 | 日立製作所 | 日本車輌 | 東急車輛 | 近畿車輛 | |
1976 | 秋田 | 1001・1002 1006 |
1003 | 1004 | 1005 | |
1979 | 1007・1008 |
489系電車
[編集]1969年10月改正において、金沢 - 上野間を信越本線経由で結ぶキハ82系気動車特急「はくたか」が電車化されたが、485系では信越本線横川 - 軽井沢間(横軽)の最大66.7 ‰の急勾配区間である碓氷峠を越える対策がなく、電車化に際しては上越線経由へ変更された[49]。一方、1972年3月15日国鉄ダイヤ改正では客車急行「白山」が電車特急に格上げされるのに伴って、485系0番台をベースに、横軽間にて最大12両編成でEF63と協調運転可能な設備を備えた車両を増備することになり、新系列の489系が1971年に登場した[49]。
横軽間を通過する電車は無動力状態で最大8両編成に制限されていたが、1967年に急行形の165系を元に開発された169系では、EF63との協調運転を行うことで最大12両編成の入線が可能となった。489系は485系に横軽用協調運転機能を付加した系列で、169系と同様に形式末尾が9となっている[50]。485系の設計変更期と同時期に製造されたため、それぞれに対応する区分番台が存在している。
電動車・付随車とも新形式が起こされ、1971年にはクハ489形・モハ489形・モハ488形・サロ489形・サシ489形の5形式[50]、1972年にはサハ489形も登場した。各車とも台枠・連結器の強化などの通称「横軽対策」がなされ、この対策を示す「Gマーク」が車両番号の横に表記された[49]。なお、EF63との協調運転は不可能となるものの、485系と混結しての運転も可能である。
1971年 - 1974年にかけて、制御車14組28両・グリーン車28両・電動車ユニット42組84両・食堂車ならびに付随車が12両の新製車164両と、181系・485系からの改造車4両、12両×14本・168両が落成。本来の目的である信越特急「白山」「あさま」「そよかぜ」のほか、「雷鳥[注 19]」「しらさぎ」「北越」「はくたか」でも運用された。1978年 - 1979年に編成組成ならびに運用変更の点からサロ489形1000番台10両を追加新造した。
分割民営化時には、JR東日本へ28両、JR西日本へ108両が承継された。新製車174両のほか、国鉄時代にサシ181形からの改造車が2両、サハ481形からの改造車が2両、分割民営化後の1990年にJR東日本がサロ481形から2両を改造編入をしたため総車両数は180両であるが、編成組成や用途変更による他形式への改造や廃車があるため、全車両が一斉に揃ったことはなく、サシ489形は1988年に、サハ489形は1991年に廃形式となった。
1997年に北陸新幹線長野暫定開業が開業したことに伴う信越本線横川 - 軽井沢間の廃止により、本系列は存在意義を失った[注 20]。また、老朽化も進行していたため、JR東日本所属車のうち長野総合車両所配置車は2000年までに廃車となり、保留車となっていた新潟車両センター配置のサロ489形2両も2010年までに廃車。JR西日本所属車も他系列への置換えで2012年までにほとんどが廃車となり、2014年10月時点では金沢総合車両所配置のクハ489-1のみが車籍を有していたが、2015年2月13日付で廃車となったことで本形式は廃系列となった[51]。
初期型(1971年 - 1972年)
[編集]1971年7月に夏期臨時列車への充当目的も兼ね、向日町運転所へ同所の485系と共通の11両編成で落成・配置された。1971年秋よりEF63との協調運転テストを行い、年末にはスキー臨時列車である「あさま銀嶺」で実戦投入のリハーサルとも言うべき横軽区間での営業運転が行われた。1972年3月改正より信越特急「白山」での運用を開始した。
車体はおおむね485系0番台に準ずるものの、クハ489形偶数向き車はEF63との連結を日常的に行うため自動連結器のカバーが省略されたほか、解放テコが設置された[49]。ジャンパ連結器は485系と共通する編成総括制御用KE70形と別に協調制御用KE76形を増設する方式[注 21]を採用したため、付随車も489形の別形式となった。このためクハ489形はクハ481形と異なり、片渡りで方向転換ができない構造となったことから、上り方と下り方で番台区分が異なる。
「あさま」「そよかぜ」で運用されていた181系では、電気機関車と連結するクハは別形式のクハ180形とされたが、489系では同一形式の番台区分としてクハ489形の奇数向きが0番台、偶数向きが500番台とされた[19]。クハ489形はクハ481形100番台に準じており、MH129-DM88型 MG(容量 210 kVA)[18]を床下に、ボンネット内部に吐出量2950 L/minのMH92B-C3000A型CP[12]を搭載した。偶数向き500番台はクハ180形同様にブレーキホース(BP管)を装着し、ボンネットの自動連結器が常時剥き出しの状態になるが、連結器カバーの装着は可能である[注 22]。
EF63と連結される上り方のクハ489形は直通予備ブレーキを設置し、抑速発電ブレーキが不能となった場合に動作する抑圧装置を搭載するほか、連結器カバーが省略され運転席下側にEF63との協調制御用KE70形ジャンパ連結器[注 23]を装備する。横軽間での下り列車における前方監視のため、クハ489形奇数向き車の運転台側面に車掌弁を設置した。
主制御器はEF63との協調運転時にカム軸が機関車からの指令により途中停止可能なCS15Gとし、誘導分流器は界磁分流率を変えてEF63とのノッチ合わせを可能としたIC58-MR130に変更した。台車は初期車はDT32A・TR69A形を装着したが、横軽区間での座屈防止のため空気ばねをパンクさせる装置が設けられた[19]。
1972年上期には、当初からサハ489形組込で落成した12両編成が「白山」格上げ名義により向日町運転所に配置された。タイフォン設置位置はクハ489-1・2・501・502がスカート部であったが、クハ489 - 3 - 5・503[注 24] - 505はボンネット部に変更された。台車は300番台グループまでDT32E・TR69E形を装着した。
なお、1971年製造2編成分のサハ489形は1972年に1両を新製。「白山」運転開始から8か月経った11月にサハ481形を改造し充当されたが、本グループでは後にCP搭載の追加改造を施工。また、サシ489形は編成数に対して1両製造数が足りないが、サシ181形改造の100番台を充当して対応した。
また、サロ489形・サハ489形は1986年までに他形式への改造種車となった。サシ489形は3・4が1985年以降保留車となったままJR西日本に継承。1988年3月にスシ24 1・2へ改造され廃形式となった。一方でクハ489形とMM'ユニットは全車JR西日本が承継。一部は「能登」をJR東日本へ移管する2010年まで運用された。
形式 | 製造年次 | 予算 | 東急車輛 | 近畿車輛 |
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モハ489+モハ488 | 1971 | 45年第2次債務 | 1 - 3 | 4 - 6 |
1972 | 46年本予算 | 7 - 9 | 10 - 15 | |
クハ489 | 1971 | 45年第2次債務 | 1・501 | 2・502 |
1972 | 46年本予算 | 3・503 | 4・5・504・505 | |
サロ489 | 1971 | 45年第2次債務 | 1・2 | 3・4 |
1972 | 46年本予算 | 5・6 | 7 - 10 | |
サハ489 | 1972 | 46年本予算 | 1・2 | 3・4 |
サシ489 | 1971 | 45年第2次債務 | 1 | 2 |
1972 | 46年本予算 | 3・4 |
中期型(1972年 - 1973年)
[編集]485系200番台と同様に、先頭車の貫通化や冷房装置の変更などが実施された1972年下期以降製造のグループである。
クハ489形は下り方が200番台、上り方が600番台に区分された[24]。600番台のCPは0番台車と仕様を合わせるため、容量2,100 L/minのMH113-C2000[12]を2基搭載としたほか、連結器を密着連結器として解放テコを廃止した[24]。前面ジャンパ連結器は、奇数向き車が運転席下側に総括制御用KE70形と編成間協調回線用KE76形・助手席下側にKE9形三相引通、EF63と連結する偶数向き車は運転席下側にEF63協調制御用KE70形とKE9形三相引通、助手席下側に総括制御用KE70形と編成間協調回線用KE76形の構成となった。
モハ488形は、屋根上の冷房装置を集中式のAU71形へ変更したことで乗車定員が8名増加したため、200番台に区分されたが、モハ489形は冷房装置をAU13E型へ変更したのみで既存車の続番となったことから、それまで一致していたMM'ユニットのハイフン以下の車両番号が不揃いとなった。本グループでは モハ489-16からモハ489-30までと、モハ488-201からモハ488-215までの番号順に組成されたユニット15組(30両)が該当する。付随車はモハ489形同様に冷房装置変更のみのため、基本番台からの続番を踏襲するが、サハ489形は初期型でCP搭載改造を施工され、車番が +200 された 1 - 4 → 201 - 204に対応して元番号の続番の5-を附番し、新製当初からCPを搭載するほか、1986年までに他形式へ改造された。
1972年下期製造車は、向日町運転所へ「白山」2往復化[注 25]と同所の485系との共通予備車名義により11両×3編成で落成配置されたグループである。うちサハ489形1両はサハ481形改造車を、サシ489形1両はサシ181形改造の100番台をそれぞれ充当した。
1973年製造車は、「白山」3往復化と間合い運用の「あさま」1往復投入名義で製造された12両×2編成と1972年下期製造車組込用サハ489形2両。1973年3月15日より「白山」運用が移管されたこともあり、本グループより新製配置が金沢運転所に変更された。
向日町所属車は、3月15日付で0番台・500番台2編成と200番台・600番台1編成、7月に0番台・500番台2編成と200番台・600番台1編成、9月に200番台・600番台1編成が金沢に転出。11両のままとされた0番台・500番台1編成[注 26]のみが向日町に残存して引き続き共通予備車とされたが、翌1974年4月に純増備となる485系[注 27]が配置されたため金沢に転出した。
JR東日本へ継承されたクハ489形は、本グループに属する201 - 203・601 - 603の6両である。JR西日本継承車は、200番台が204・205の廃車で2003年に、600番台が604の廃車で2011年に廃区分番台となった。モハ489形・モハ488形民営化時には全車JR西日本が承継。サハ489形はサロ489形は13がJR西日本へ、14 - 16がJR東日本へ継承された以外は1986年までにサロ110形へ改造された。サシ489形は1986年 - 1987年に全車廃車となったが、民営化後の1989年3月に7が車籍復活と同時にスシ24 507へ改造され、寝台特急「北斗星」に転用された。
形式 | 製造年次 | 予算 | 東急車輛 | 近畿車輛 | 日立製作所 |
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モハ489 | 1972 | 47年第1次民有 | 16 - 18 | 19 - 21 | 22 |
1973 | 47年第1次債務 | 23 - 25 | 26 - 30 | ||
モハ488 | 1972 | 47年第1次民有 | 201 - 203 | 204 - 206 | 207 |
1973 | 47年第1次債務 | 208 - 210 | 211 - 215 | ||
クハ489 | 1972 | 47年第1次民有 | 201・601 | 202・602 | 203・603 |
1973 | 47年第1次債務 | 204・604 | 205・605 | ||
サロ489 | 1972 | 47年第1次民有 | 11・12 | 13・14 | |
1973 | 47年第1次債務 | 15・16 | 17 - 20 | ||
サハ489 | 1973 | 47年第1次債務 | 5 | 6 - 8 | |
サシ489 | 1972 | 47年第1次民有 | 5 | 6 | |
1973 | 47年第1次債務 | 7 | 8 |
後期型(1974年 - 1979年)
[編集]489系300番台は485系300番台に対応するグループで、1974年から1979年にかけて製造された。1975年3月10日ダイヤ改正で「雷鳥」増発分ならびに「しらさぎ」運用を向日町から金沢運転所へ移管し、485系電車との共通予備車とした。
クハ489形は非貫通型となり、下り方を300番台、上り方を700番台に区分した[25]。空気圧縮機は床下搭載としたことから、助手席(1位側)下部の機器室カバーがない[52]。普通車の座席は簡易リクライニングシートとされた。中間車の車両番号は中期型から続番であるため、MM'ユニットはモハ489-31 + モハ488-216 - モハ489-42 + モハ488-227の12組24両。
クハ489形は全車JR西日本に継承され、300番台は2004年の303廃車で、700番台は2010年9月の702廃車で廃区分番台となった。モハユニットはJR東日本にモハ489-31 + モハ488-216 - モハ489-33 + モハ488-218・モハ489-35 + モハ488-220 - モハ489-40 + モハ488-225、JR西日本にモハ489-34 + モハ488-21・モハ489-41 + モハ488-226・モハ489-42 + モハ488-227が継承された。
サハ489形は、1985年に9・11が他形式へ改造、10・12は向日町運転所へ転出しJR西日本に継承されたものの保留車扱いとされたのち1991年12月1日付で廃車。サロ489形は、21・22・24が1986年にサロ110形へ改造されJR東日本に継承されたほか、23・25 - 28は金沢配置のままJR西日本に継承された。
サシ489形は9が1986年に余剰廃車[注 28]。10 - 12は1978年にサシ481形へ改造されたものの、12はサシ489-83として1982年に本形式へ復元。1985年以降は保留車とされたが、1987年3月に北長野運転所へ転出しJR東日本へ継承。1988年2月にスシ24 506へ改造された。
形式 | 製造年次 | 予算 | 東急車輛 | 近畿車輛 | 日立製作所 |
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モハ489 | 1974 | 48年第3次民有 | 35 - 37 | 31 - 34 | |
48年第1次債務 | 38 - 40 | ||||
48年第2次債務 | 41・42 | ||||
モハ488 | 48年第3次民有 | 220 - 222 | 216 - 219 | ||
48年第1次債務 | 223 - 225 | ||||
48年第2次債務 | 226・227 | ||||
クハ489 | 48年第3次民有 | 303・703 | 301・302・701・702 | ||
48年第1次債務 | 304・704 | ||||
サロ489 | 48年第3次民有 | 23・24 | 21・22 | ||
48年第1次債務 | 25 - 27 | ||||
48年第2次債務 | 28 | ||||
サハ489 | 48年第3次民有 | 10 | 9 | ||
48年第1次債務 | 11・12 | ||||
サシ489 | 48年第3次民有 | 10 | 9 | ||
48年第1次債務 | 11 | ||||
48年第2次債務 | 12 |
サロ489形1000番台
[編集]1978年10月ダイヤ改正では、共通運用となった「白山」「はくたか」は三相回路配電盤搭載のサシ489形とCP搭載のサハ489形が編成から外れることになった。また、編成が7月以降3MG・3CP化を実施した上で暫定6M4T→8M4Tとなることから[注 29]、サロ481形1000番台と同様に210 kVA MGとC2000形CPを搭載した上で協調運転装置を装備するグリーン車として1978年に9両、1979年に1両の計10両新製されたのが本番台区分である。本グループのみ台車はTR69H形を装着する。
車体はサロ481形1000番台に準じたが、MG設置位置はサロ181形1100番台と同様に車体中央部とされた[53]。489系在来車と編成を組成することから、485系1000番台に装備された制御車からの給電区分変更制御機構はなく、どちらかのクハ489形でMGトラブルが発生した際には手動で給電区分を変更する必要がある。
1004が1988年にMG・CPを撤去しサロ489-101に改造され、それ以外の車両もクロ481形・480形へ改造されたため、1991年までに廃区分番台となった。
車両番号 | 製造会社 | 落成日 | 配置 | 改造後車番 | 施工工場 | 施工日 |
---|---|---|---|---|---|---|
1001 | 東急 | 1978.9.7 | 金沢 | クロ481-2001 | 吹田 | 1989.2.15 |
1002 | 日車 | 1978.7.6 | クロ480-1001 | 1988.2.8 | ||
1003 | クロ481-2003 | 1989.4.6 | ||||
1004 | サロ489-101 | 松任 | 1988.12.17 | |||
1005 | クロ480-1002 | 吹田 | 1988.2.15 | |||
1006 | 東急 | 1979.3.16 | クロ481-2002 | 1989.3.7 | ||
1007 | 日車 | 1978.7.11 | クロ481-2004 | 1991.6.24 | ||
1008 | クロ480-1003 | 1988.2.5 | ||||
1009 | クロ481-2005 | 1991.2.9 | ||||
1010 | クロ480-1004 | 1988.2.5 |
国鉄時代の改造車
[編集]特記する場合を除いて施工工場等は、当時の名称で表記する。
改番を伴う改造車
[編集]クロ481形50番台
[編集]1968年10月1日のダイヤ改正(ヨンサントオ)において、東北特急は奥羽本線「やまばと」が電車化されるのに伴って6M3Tの9両編成に統一されることになった。これに際して、クロ481形0番台を新製5両するとともに、仙台運転所所属のサロ481-19 - 25の7両を1968年6月から9月にかけて郡山工場で先頭車化改造し、クロ481-51 - 57となった[54]。485系列で初の改造番台であり、483系として新製されたサロ481形7両全車が改造されている[55]。
改造に際してはサロ481形の後位側に運転台を設置したが、既存の台枠を活用してボンネット形の運転台を組み立てる工法が採用された[55]。ボンネット形での先頭車化改造は151系クロ150形に次いで2例目である[56]。新製車のクロ481形0番台と同じく全長は20,100 mm、定員は36名で、ボンネット内に電動発電機と空気圧縮機が設置されたが、外観上でクーラー・ベンチレーターの位置が多少異なる[55]。
東北特急では偶数向きで使用された[57]。1975年に方向転換改造を施工した上で7両とも九州特急「かもめ」「みどり」用にへ転出したが、1981年に53が事故廃車、1982年12月に52が、1983年12月に54が廃車となった。
分割民営化の際には4両がJR九州に承継された。このうちクロ481-56は1991年に「有明」水前寺乗り入れ対応編成予備車として前面スカート部にジャンパ連結器を追設装備する改造が施工された[58]。1995年までに廃車となり消滅した。
- サロ481-19 - 25 → クロ481-51 - 57
サハ489形50番台
[編集]1971年に登場した489系は、北陸特急、山陽・九州特急にて11両編成で暫定運用されていたが、山陽新幹線岡山開業の1972年3月改正で電車特急となる「白山」で横軽区間に12両編成で本格投入されることにになった[59]。この際に付随車が不足するため、サハ481形を種車に横軽協調用設備を追加改造したサハ489形50番台が1972年11月に2両登場した[59]。
種車は1970年製造のサハ481-1・2で、サハ489形0番台前期車と同じく冷房装置はキノコ型キセのAU12形を6基搭載する[59]。
翌1973年には空気圧縮機を搭載したサハ489形250番台に改造されたため、サハ489形50番台は消滅した[59]。
- サハ481-1・2 → サハ489-51・52
サシ489形100番台
[編集]1972年3月改正での「白山」電車特急化用として、付随車とともに不足する食堂車を補うため、直流特急形の181系サシ181形100番台のうちサシ181-102・103の2両を489系に編入してサシ489形100番台に改造された[60]。1972年2月から3月にかけて長野工場(現在:長野総合車両センター)で施工されている。
181系は車体高さが低いため、枕梁を改造して台枠上面高さが485系列と揃えられたが、車体断面がわずかに異なっている[60]。台車は種車と同じベローズ式空気ばねのTR69C形である[60]。調理室側妻面に回送運転台を増設し、入換運転用の掴み棒も設置された[60]。内装関係の改造は未施工で、ベネシャンブラインドや「あずさ」充当記念で壁面に飾られた中央東線沿線の名峰レリーフ(サシ181-102は槍ヶ岳、103は白馬岳)も残された。
1985年の北陸特急への食堂車連結終了に伴い、1986年に廃車された[60]。
- サシ181-102・103 → サシ489-101・102
サハ489形200・250番台
[編集]横軽区間では台車の空気ばねをパンクさせて運転しており、両端先頭車の空気圧縮機のみでは空気ばねへ空気を再供給するのに時間を要していた。このため、サハ489形に空気圧縮機(MH113B-C2000M)を増設する改造が実施され、サハ489形0番台4両を改造したサハ489形200番台が登場した[59]。1973年3月から5月にかけて吹田工場で改造されている。この改造は189系のサロ189形にもフィードバックされた。
サハ489形50番台2両も同様の理由で空気圧縮機が搭載され、サハ489形250番台となった[59]。1973年3月・4月に吹田工場で改造されている。
200番台は1985年に2両がクハ480形0番台に、残る2両が1986年にクハ481形750番台に改造されて消滅した[59]。250番台は1984年に251がサハ481-201に、252も同じ1984年にクハ480形クハ480-11に改造されて消滅した[59]。
- サハ489-1 - 4 → サハ489-201 - 204
- サハ489-51・52 → サハ489-251・252
サロ481形1050番台
[編集]1978年10月改正での奥羽本線特急「つばさ」増発に伴って、不足するサロ481形とサシ481形は従来車からの転用で補うこととなった。このうち、サロ481形は1975年に「つばさ」電車化用として、車販準備室設置やMG・CPを搭載したサロ481-115・116・122・123・127・128を種車に、土崎工場で1000番台に対応する引き通し線に改造した上で、サロ481-1051 - 1056とした[61]。種車の6両は1976年に南福岡電車区へ転出したが、この改造で再び秋田運転区へ転入したものである。
分割民営化に際しては、全車がJR東日本に継承された。1989年に1051が格下げでサハ481形300番台に、翌1990年に1052・1053がサロ489形1050番台へ改造され、残りの3両は1994年に廃車となった[61]。
- サロ481-115・116・122・123・127・128 → サロ481-1051 - 1056
サシ481形80番台
[編集]1978年より、信越特急「白山」の489系12両編成を6M6Tから8M4Tに変更するのに伴って、食堂車の連結が廃止され、サシ489形の余剰車が発生した[61]。一方、1978年10月改正では奥羽本線特急「つばさ」が増発されることになり、「白山」の食堂車廃止で余剰となったサハ489形0番台3両を485系に編入し、横軽協調運転装置の撤去と485系1000番台相当の引き通し線追加等の改造を行ったサシ481形80番台が登場した[61]。
1982年11月改正で「つばさ」への食堂車連結が廃止となり、1両が再び489系に改造された[61]。残る2両は北陸特急「雷鳥」増発用に転用されたが、1985年に和風グリーン車「だんらん」のサロ481形500番台に改造されて消滅した[61]。
- サシ489-10 - 12 → サシ481-81 - 83
サシ489形80番台
[編集]1982年11月改正では奥羽特急「つばさ」の食堂車連結が廃止されたが、信越特急「白山」では食堂車の連結が復活し、不足する食堂車を補うこととなった[60]。これにより、元「つばさ」用食堂車としてサシ489形からサシ481形に改造された3両のうちの1両であるサシ481-83が489系に再編入されたが、新造時のサシ489-12とはならず、サシ481形時代と同番号のサシ489-83となった[60]。
1985年の北陸特急への食堂車連結廃止で運用を離脱したが、JR東日本に継承されて同社唯一のサシ489形となり、1988年に客車寝台特急「北斗星」用の食堂車スシ24形(スシ24 506)に改造されて消滅した[60]。スシ24 506は2015年の「北斗星」運用終了後も保留車として、2020年現在でも車籍を有する。
- サシ481-83 → サシ489-83
サロ481形1500番台
[編集]1982年11月改正での上越新幹線開業で在来線特急「とき」の181系が運用を終了し、1982年 - 1983年にサロ181形1100番台6両を485系のサロ481形に編入する改造が盛岡・郡山・土崎の3工場で行われた。サロ181形1100番台は1978年10月改正で「とき」の3MG化に伴って登場したもので、将来の485系編入を前提に新製されたため、181系の編成では凹凸が目立っていた[61]。
サロ181-1101 - 1106がサロ481-1501 - 1506に改造され、ジャンパ連結器の変更や幌の485系仕様への交換が行われた。行先表示器も使用されたが、181系時代に設置されたサボ受けはそのまま残された。1500番台新製車との関連は全くない。
改造落成後は青森運転所に配置されたが、1985年の「ひたち」増発時に勝田電車区へ転出し、JR東日本に継承された[61]。1990年 - 1991年に1506を除く5両が「ひたち」のモノクラス7両編成化により、クハ481形1100番台に再改造された。残る1506はジョイフルトレイン「ニューなのはな」のクロ484-5へ改造され、本区分は消滅した[61]。
- サロ181-1101 - 1106 → サロ481-1501 - 1506
サロ481形0番台134・135
[編集]1984年2月改正で九州特急から583系が撤退するのに伴い、昼行特急の短編成化と編成数増加によるグリーン車の不足を補うため、1982年11月改正で余剰となっていたサロ489形初期車2両がサロ481形に編入された。1983年にサロ489-6・8の2両が鹿児島車両管理所で横軽協調装置を撤去する改造を行い、基本番台新製車の続番であるサロ481-134・135となった。サロ481形0番台初期車と車体が同じなため、冷房装置はAU12形を搭載する[62]。
2両ともJR九州に承継されたが、1990年に廃車されて消滅した[62]。
- サロ489-6・8 → サロ481-134・135
サハ481形200番台
[編集]九州特急「かもめ」の増結予備車確保のため、1983年3月に小倉工場でサハ489-251から横軽協調装置とCPを取り外しサハ481形へ復元した[59]。
車番は元番号とはならず、新たに201が区分された。JR九州に承継されたが、1990年に廃車。
- サハ489-251 → サハ481-201
クハ481形600番台
[編集]1983年の東北新幹線開業で保留車となったクロ481-3 - 5へ、鹿児島車両管理所で施工された普通車化。国鉄時代に施工された本系列唯一の格下げ改造である。
- 車掌室部分を客室化。
- 種車の小窓が並ぶ窓配置のまま残されているが、窓割と座席間隔は一致しない。
- 3両共に「ひげ」の溝が有ったが、当時「ひげ」が描かれていたのは602だけであった。(603は、展示の際に描かれたものである)
- 座席は、当時「サロンエクスプレス東京」への改造で不要となった14系座席車の簡易リクライニングシートを転用。
3両ともJR九州に承継され、1980年代は1年おきに南福岡と鹿児島を交互転属したが、601は1995年に廃車。602は1988年にクロ481-4へ復元後1993年に廃車。603は廃車後、九州鉄道記念館にて静態保存されている。
- クロ481-3 - 5 → クハ481-601 - 603
クハ481形500番台
[編集]1984年2月ダイヤ改正で、九州地区特急列車増発による先頭車不足解消のため、上越新幹線開業で保留車となっていたクハ181-109・クハ180-5を対象に、鹿児島車両管理所で施工した本系列化改造。
- 車体は181系電車時代のままで屋根上前灯なし。他の本系列車両との床面高さや屋根の高さも異なる。
- 検電アンテナは改造当初からクハ481形後期型車と同型のものを搭載した。
- 502は種車となったクハ180-5同様に自動連結器カバー無し[注 30]。
- 塗色も落成当初は501の連結器カバーを赤一色に変更した以外はボンネットの赤帯やグレーのスカートなど181系時代のままであったが、のちに赤帯抹消・スカートのクリーム色化などを施工。
- 当初は九州島内専用を前提として、コスト削減のため交直切替スイッチの設置を省略したが、1986年11月改正で設定された「にちりん」の下関発着列車に充当された際、交直切替スイッチがないため小倉で運転打ち切りというトラブルが発生したことから、スイッチ取付の追加改造を施工。
落成後、1980年代は1年おきに南福岡と鹿児島を交互転属するような動きをしたが、501は1993年に南福岡で、502が1991年に鹿児島で廃車された。
- クハ181-109 → クハ481-501
- クハ180-5 → クハ481-502
サロ481形500番台(「だんらん」)
[編集]1985年3月改正において、北陸線特急の食堂車連結が廃止されたが、食堂車廃止で余剰となったサシ481形を種車に、9両がサロ481形500番台として和式グリーン車「だんらん」へ改造され、「雷鳥」へ投入された[63]。車内はビュッフェと畳敷き和室に改装され、塗装は国鉄特急色の窓下に金色の帯が入れられた[63]。
- 妻面の回送運転台ならびに調理室区画では男子小トイレとガーランド型通風器を撤去。
- ダイニング区画を1位側・3側に衝立で1卓4名の7室に仕切られた畳敷きの和室に改装。床を嵩上げし各座敷には座敷机と座椅子を設置。2位側・4位側に650 mm幅の通路を設置し座敷との間には仕切板を、通路窓下には手すりを備えた。
- 調理室区画は、種車の食堂自動扉と冷水器を撤去した上でビュフェに全面改装。大型冷蔵庫をはじめとする一部機器は種車から流用されたが、新たに設置された厨房には流し・戸棚・物置・電気コンロ・電子レンジ・ジュースクーラー・コーヒーマシンなどを装備する。このほか、3位側業務用扉後位側に厨房用換気扇を設置した。
- 車体面では調理室区画の開閉可能窓を客室窓と同等の固定窓に変更。
- 外吊式の業務用扉は残存させたが、乗客用扉ならびにトイレ・洗面所は装備しない。
- 床下機器の大幅変更は実施しておらず自車給電用70 kVA MGも残存。
505・507が鷹取工場で、他車が吹田工場で改造施工。1985年3月ダイヤ改正にて、「雷鳥」4号車のサロ481形0番台に続く5号車へ連結されたが、1989年に一部列車の「スーパー雷鳥」化により運用離脱。502 - 505・508・509の6両は「スーパー雷鳥」用ラウンジ付きグリーン車サロ481形2000番台へ再改造されたが、残りの3両は運用離脱後、向日町運転所で留置された後、1993年に廃車された。
- サシ481-54・55・69・70・71・73・74・81・82 → サロ481-501 - 509
クモハ485形0番台
[編集]1985年3月改正で鹿児島本線特急「有明」が基本5両編成に短編成化されることになり、クモハ485形0番台とクロ480形0番台が先頭車化改造により登場した[64]。このうち、クモハ485形0番台はモハ485形15両に先頭車化改造とMG・CP設置改造を行ったもので、改造は1984年 - 1985年にかけて鹿児島車両管理所・小倉工場・幡生工場で施工された。
先頭車化改造では、モハ485形のトイレ・洗面所・デッキ部分を台枠ごと撤去して485系1000番台タイプの運転台ブロックを接合する工法が採用され、485系では初の制御電動車(クモハ)となった[65]。運転台のすぐ後ろに機器室を設けたため、定員は56名に減少した[65]。客用扉とデッキは機器室と客室の間に設置された[65]。タイフォンカバーはスリットタイプである[65]。
短編成化後は、通常5両、多客期7両となるため、編成の反対側先頭車のクロ480形のMG・CPだけでは容量不足の可能性があった[65]。これに対応するため、改造に際しては床下水タンク跡に容量110 kVAのMGが、運転台助士席下にCPが設置されており、機器室にはMG起動装置やAVR(自動電圧調整器)、床下から移設した空気タンクなどが設置されている[65]。
分割民営化時には全車JR九州に承継され、末期は特急「にちりん」として2011年まで定期運用された[65]。その後は保留車や波動用となったが、最後まで残存したクモハ485-5が2016年1月18日に廃車され、区分消滅した。
- モハ485-97・98・100 - 102・104・105・109・111・113・116・118・120・134・145 → クモハ485-1 - 15
クロ480形0番台
[編集]1984 - 1985年に「有明」「にちりん」短編成化に伴い、鹿児島車両管理所ならびに小倉工場でサロ481形に対して鹿児島方に連結される制御車化改造を施工した区分。クロ481形50番台とは異なり、クハ481形300番台車に準じた運転台を台枠ごと接合したことから外観および定員などは大きく異なるほか、MGは床下に容量210 kVAタイプを、運転台下にC2000形 CPを搭載する。また、台車は種車から流用されており、1 - 14はTR69E、15のみTR69Hを装着する。
- 1 - 4はAU12形5基搭載の初期車からの改造車だが、後年冷房容量増強のために後位にAU13E形を1基増設。
- 5 - はAU13E形搭載車で改造時に1基撤去して4基搭載に変更したが、のちにAU13E形を1基運転台側に増設。
改造後は15両全車が鹿児島運転所へ配置。1986年に運用移管により、南福岡電車区へ再転出。1987年の分割民営化によりJR九州に承継されたが、1987年中に11・12は半室普通車化再改造により、クロハ480-51・52へ改番。1988年3月13日ダイヤ改正で再び鹿児島運転所へ転出したが、1991年5月 - 1992年3月にRED EXPRSS化ならびに座席配置の2+1列への変更を実施。さらに1992年7月にはクロハ480-52を1992年にクロ480-12へ復元し、2・4・6・8・10・12 - 15が南福岡配置となった。その後1993年2月に2・4と5・7を車両交換。以後南福岡配置車は「有明」「かもめ」、鹿児島配置車は「にちりん」で運用されたが、余剰老朽化により2000年までに廃車となった。
- サロ481-40・43 - 45・53・56・58・64・67・76・78・83・87・103・130 → クロ480-1 - 15
クハ480形0番台
[編集]1985年の「くろしお」増発には、経費節減のため新幹線開業などで余剰となった本系列の転用が決定したが、4両という短編成のため、制御車不足が問題となった。これに際してはサハ481・489形を種車に、MG・CPは未搭載とした制御車化改造での対応となり、1984年 - 1985年にかけて、長野・広島・幡生の各工場と新津車両管理所(→新津車両製作所→現在:総合車両製作所新津事業所)での施工により落成した形式である。
- 運転台はクハ481形200番台に準じた貫通型とされたが、分割・併合運転を頻繁に行うため一枚貫通扉の簡単な構造とした。
冷房装置は種車により異なり、クハ480-1 - 3と9 - 11はAU12形5基、4 - 8はAU13E形5基である[62]。クハ480-9 - 11はサハ489形200・250番台の改造車で、種車のMG・CPは短編成では不要なため撤去された。
1986年に「くろしお」が381系に再度統一されることになり、全11両のうち1 - 4・7・9 - 11が「みどり」「にちりん」用として南福岡電車区へ、5・6・8が「北近畿」用として福知山運転所(現在:福知山電車区)へ転出した。福知山転出の3両は1986年に8・6がクハ481-801・802へ、1987年に5がクハ481-851へ改造[注 33]。801・851は1990年にクハ183形へ再改造された。南福岡転出の8両は、貫通扉埋込み時に立体型特急マークに変更されたが、2000年までに全車廃車された[62]。
- サハ481-12 - 19 → クハ480-1 - 8
- サハ489-201・204・252 → クハ480-9 - 11
クハ481形700番台
[編集]1985年3月改正での北陸特急「しらさぎ」「加越」「北越」の7両編成統一により不足する先頭車を補うため、サハ489-11を種車に先頭車化改造を行い、クハ481-701が登場した[66]。改造施工は松任工場である。
先頭車化改造に際しては、後位の客室を切断して485系1000番台タイプの運転台ユニットが接合され、空気圧縮機は床下から運転台助士席下へ移設し、床下には210 kVAのMGが新設された[66]。冷房装置はAU13E形であるが、運転台すぐ後ろの1基がやや後方に寄っている[66]。
分割民営化時にはJR西日本に承継された。2001年に金沢から京都総合運転所へ転出し、「雷鳥」用A編成に組成。2010年の「雷鳥」運用を最後に、2011年に廃車された[66]。
- サハ489-11 →クハ481-701
クハ481形750番台
[編集]1986年11月のダイヤ改正で福知山線・山陰本線電化による大阪 - 城崎間特急「北近畿」の新設、北陸特急「雷鳥」の増発によりクハ481形が必要となったことから、1986年に幡生車両所(現在:下関総合車両所)でサハ489形200番台2両・0番台中期車1両をクハ481形へ先頭車化改造し、750番台に区分された[66][注 34]。
改造内容は700番台と同様であるが、MG出力は160 kVAとなり、床下の空気圧縮機は存置された[66]。冷房装置は「北近畿」用の751・752は種車がサハ489-202・203のためAU12形5基、「雷鳥」用の753は種車がサハ489-5のためAU13E形5基を搭載する[66]。
国鉄分割民営化では751・752がJR西日本、753がJR東日本に継承された[66]。JR西日本の751・752は183系のクハ183-751・752へ再改造、JR東日本の753は2001年にジョイフルトレイン「きらきらうえつ」のクハ484-702へ再改造され消滅した[66]。
- サハ489-202・203・5 →クハ481-751 - 753
クハ481形800・850番台
[編集]1986年の福知山線特急「北近畿」新設用として、元「くろしお」用の1枚貫通扉車クハ480形クハ480-8・6・5の3両に空気圧縮機とMGを搭載したクハ481形800番台801・802が1986年に、850番台851が1987年に登場した[67]。番台区分はMG容量の違いによるもので、800番台が210 kVA、850番台が160 kVAである[68]。改造施工は801・802が大宮工場、851が吹田工場である。
車体は両番台とも種車のクハ480形とほぼ同一で、冷房装置はAU13E形5基、定員は64名である[66]。空気圧縮機はいずれも床下に搭載する[66]。前面のタイフォン部分にはお椀型のカバーが設置された[68]。
JR西日本に継承され、1990年にはクハ481-802が183系のクハ183-801に、クハ481-851がクハ183-851にそれぞれ改造された。クハ481-801は1991年に金沢へ転出し「スーパー雷鳥」付属編成の自由席車となった[69]が、2001年に京都総合運転所へ転出して2010年3月まで「雷鳥」で使用された[66][70]。2010年8月20日付で廃車され廃区分番台となった。
- クハ480-8・6 →クハ481-801・802
- クハ480-5 →クハ481-851
クモハ485形100番台
[編集]1986年11月改正で特急「有明」に3両編成の博多 - 熊本間区間列車が設定されることになり、モハ485形中期・後期車の5両が1986年に先頭車化改造されてクモハ485形100番台となった[71]。改造所は鹿児島車両管理所・小倉工場である。
先頭車化改造の内容は1985年実施のクモハ485形0番台に準じているが、短編成のためMG・CPの設置は省略された[71]。機器室も省略され、客用扉とデッキは連結面側に移設された[71]。定員は64名である[71]。
全車がJR九州に継承された。102 - 105・108は「ハウステンボス」へ転用の際に、AU13E形冷房装置が1基増設された[71]。末期は日豊本線「きりしま」「ひゅうが」で運用されたが、最後まで残存した102が2015年1月5日に廃車され、区分消滅した[72]。
- モハ485-202・231・240 - 245 → クモハ485-101 - 108
クロハ481形200番台(九州地区)
[編集]クロハ481形は特急列車の短編成化と少なからず要求されるグリーン車需要に対応すべく、クハ481形の客室前位にグリーン室を設置した形式である。
1986年 - 1987年に熊本発着「有明」3両編成化によりクモハ485形100番台と編成組成することから、小倉工場でクハ481形200番台8両に改造施工。200番台区分だが、施工は0番台よりも先の国鉄末期時代であり、全車JR九州に継承。
グリーン室座席は、当初新幹線0系の廃車発生品3列×3席を流用したが、分割民営化後の1989年に201を除いて0番台と同数の新型シート3列×5席に交換。全車がJR九州に承継されたが2012年までに廃車となった。
- クハ481-236・242・244・248・249・250・252・259 → クロハ481-201 - 208
クロハ481形200・300番台(北近畿地区)
[編集]1986 - 1987年に福知山線特急「北近畿」用として、吹田工場で改造施工されたグループ。200番台は種車がクハ481形200番台、300番台がクハ481形300番台による区分であり、国鉄時代に改造施工が開始されたため九州地区向けとされた201 - 208に続く209から付番された。
グリーン席座席配置は2+2で、普通席との仕切部窓を縮小するなど、九州地区向け仕様車との差異がある。
1989年に301がクハ481-309へ、1991年に213がクハ481-201へ復元されたほか、クロハ183形800番台に改造された。
- クハ481-209 - 212・201・204・205 → クロハ481-209 - 215
- クハ481-309・354 → クロハ481-301・302
クモハ485形1000番台
[編集]1986年11月1日改正で奥羽本線・田沢湖線特急「たざわ」が短編成化されるのに伴い、モハ485形1500番台9両を先頭車化改造したクモハ485形1000番台が1986年7月 - 10月にかけて登場した。改造施工は土崎工場である。
先頭車化改造では運転台ユニットが接合され、短編成のためMG・CPの搭載は省略されたが、冬季豪雪地帯での故障対策として非常用電源と充電装置が搭載された[71]。客用扉とデッキは乗務員扉のすぐ後ろに設けられ、定員は68名である[71]。
9両全車がJR東日本に継承され、1988年3月13日付で青森から秋田へ転出した。1001・1009は1997年にジョイフルトレイン「ニューなのはな」のモロ485形へ改造され、一般車は「かもしか」運用を最後に2011年に廃車となり消滅した[71]。
- モハ485-1017・1048・1019・1072・1080・1079・1073・1023・1076 → クモハ485-1001 - 1009
クロハ481形1000番台(国鉄・秋田地区)
[編集]田沢湖線特急「たざわ」は、1985年3月14日改正以降モノクラス6両編成で運転されていたが、1986年11月1日改正では輸送力適正化による短編成化と同時にグリーン席が設置されることになった[73]。1986年4月から10月にかけてクハ481形1000番台偶数車9両が半室グリーン車に改造され、クロハ481形1000番台となった。施工所は土崎工場である。最初期落成車はクロハ480形とされたが[74][要ページ番号]、早期に本形式へ改められた。
定員はグリーン室12名・普通室44名である[73]。グリーン席は発生品のR-27形が2 + 2列・1,210 mm間隔で3組配置されたが、窓は普通席時代のままのためピッチと窓割りは合っていない[73]。
1001 - 1009の全車がJR東日本に継承され、JR東日本でも続番で1993年までに21両が改造された。1008・1009はJR化後の改造車に合わせてグリーン席16名・普通席36名に再改造された(グリーン席はレッグレストを装備する試作的要素の高いシートに交換)。
1001・1004・1008は3000番台にリニューアル改造された。なお、1001は方向転換とクハ481形復元を同時施工した。1005・1006は「はくたか」9両編成用としてリニューアル時に格下げされてクハ481形3000番台となった[73]。新潟配置車はグリーン室部分冷房装置をAU13E形からAU112形への交換施工もある。
秋田に残留した1002・1003・1007は2010年の「かもしか」廃止に伴い2011年に廃車となった[73]。2013年に新潟の1009が廃車となり、国鉄時代に改造のグループは消滅した[73]。
- クハ481-1018・1024・1012・1032・1026・1034・1036・1008・1014 → クロハ481-1001 - 1009
改番を伴わない改造工事
[編集]クハ481形の改造
[編集]- クハ481-9・12・22
国鉄時代に簡易リクライニングシートへ交換。
- クハ481-25・26・27・30
国鉄時代に郡山工場で下部前照灯をシールドビーム化。
モハ484形耐塩害対策施工車
[編集]羽越本線ならびに奥羽本線秋田 - 青森間の日本海に近い電化区間では、冬期の強い北西風による塩害で屋根上特別高圧機器に塩分が付着すると絶縁性能低下による短絡が懸念されたことから、同区間で運用される青森・秋田・新潟配置となる車両には碍子に緑色のシリコン樹脂塗料を付着させて対応した。
黒磯駅通過用列車選別装置搭載工事
[編集]東北本線黒磯駅は、1959年の電化開業時は地上切切換方式の交直接続設備を有しており、1965年の483系運転開始時は同駅に必ず停車しパンタグラフを降下、地上側で電源切替後にパンタグラフを再上昇させ発車する形態を採用した。しかし1968年10月1日ダイヤ改正では、一部の特急列車が通過となったことから[注 35]、下り1番線と上り5番線に従来の地上切換設備を残存させたまま、新たに車上切換が可能なデッドセクションを追設した。本設備は同時に信号動作も行う方式としたため、通過運用に充当される青森・秋田・仙台配置のクハ481形・クロ481形には列車選別装置を搭載する工事が施工された。なお、北陸・山陽・九州線向けの先頭車両についても、1968年度以降の製造車は将来の東日本地区への転配属を考慮して準備工事とした。
同改正後の電車特急は、同駅通過・停車問わず車上切換を行うことにより停車列車でも地上切換に比較すると停車時間を短縮できることから、基本的に1993年までは本装置を使用して運転された。
ロール式ヘッドマーク改造車
[編集]ヘッドマークの盗難防止ならびに交換作業省力化の観点から1970年代初頭に吹田工場で向日町運転所所属のクハ481-2 - 7・9 - 11・15 - 18・37・38へ施工された改造で、ヘッドマーク内側の照明部分に電気指令式方向幕システムを搭載した。
- 従来からのヘッドマークも装着可能で、故障時にはヘッドマーク正面向って右側に取付けられたクランクハンドルの差込口で手動操作も可能とした。
- 構造上ヘッドマークが奥まった位置となることから晴天の日中などは判読しにくい難点があった。
- 1975年の九州転出後は使用停止となったが、システムならびにクランク差込口は残された[注 36]。
- ロールマークで確認されている列車名
- 「つばめ」「はと」「しおじ」「うずしお」「みどり」「なは」「日向」「雷鳥」「しらさぎ」「北越」「はくたか」「有明」「白山」「かもめ」「にちりん」
仙台運転所先頭車タイフォン移設工事
[編集]仙台運転所に配置されたクハ481-19 - 30・101ならびにクロ481-1 - 5・51 - 57・101のタイフォンは元々スカート部設置で次の3タイプが存在した。
- カバーなし
- 中折れ式カバー装着
- 回転式タイフォンカバー装着
しかし東北地区では冬期の積雪ならびに氷着による動作不良防止やタイフォン保護の観点から、1970年代前半にボンネット部への移設が施工された。
- 屋根上前灯カバーもホイッスル部スリットから雪の浸入による溜帯防止のためカバー後方を切欠いた。そのために向日町配置車との区別が可能になった。
100番台ではクハ481・クロ481-101が唯一スカート部へのタイフォンを設置して落成したが、1973年に他車と同じ位置へ改造された。このため名残としてタイフォン上部に手すりが残存する。
サシ481形引き通し線改造車
[編集]1000番台では3MG化が行われ、トラブル発生時には運転席から給電区分変更できるなどの設計変更が行われたため、編成組成するサシ481形では在来車に引通線増設などでの対応になった。このため、全車1000番台で構成される秋田運転区に転入した際、土崎工場で施工された改造である。サシ489形からの改造車を除き車番変更は未実施。サシ481形から改造のグループでは、1976年に57 - 59・61 - 63の6両、1978年 - 1979年に65 - 67・75・76で施工されている[75]。
57 - 59・61 - 63は、「つばさ」電車化時に暫定投入された長崎・佐世保線用200番台車編成の組込車から改造された。1978年10月2日のダイヤ改正で「つばさ」が増発されたことに伴い、同年中に65 - 67の3両が改造施工された。さらに1979年7月1日ダイヤ改正では、同年に金沢運転所予備車1両(75)と編成変更で余剰となった仙台運転所所属車1両(76)へ追加改造を施工した。このほか、サシ489形の編入車3両(81 - 83)も用意された。
1982年に「つばさ」の食堂車が廃止された一方で、「雷鳥」増発により向日町へ57 - 59が、「白山」に食堂車が復活した金沢へ61 - 63・65 - 67・75・76が転出したが、いずれも1985年3月14日のダイヤ改正で食堂車が外され、全車1986年2月 - 3月に廃車された。1986年3月31日付で廃車となった車両のうち、67・75・76は分割民営化直前の1987年2月から3月にかけて車籍復活ならびに「北斗星」用24系食堂車スシ24 501 - 503へ改造され、JR北海道が承継した。
サシ481形 1000番台対応引通線改造車 | |||||
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車両番号 | 新製配置 | 秋田転属 | 向日町/金沢転属 | 廃車日 | スシ24改造 |
サシ481-57 | 向日町 | 1975.9.16 | 1982.11.14 向日町 | 1986.3.31 | |
サシ481-58 | 1986.2.27 | ||||
サシ481-59 | |||||
サシ481-61 | 1982.7.4 金沢 | 1986.3.31 | |||
サシ481-62 | |||||
サシ481-63 | 1982.8.27 金沢 | ||||
サシ481-65 | 向日町 | 1978.8.6 | 1982.8.30 金沢 | 1986.3.31 | |
サシ481-66 | 1982.8.27 金沢 | ||||
サシ481-67 | 1982.8.30 金沢 | スシ24 501 1987.2.2 松任工場 | |||
サシ481-75 | 金沢 | 1979.5.15 | 1982.9.8 金沢 | スシ24 502 1987.3.23 吹田工場 | |
サシ481-76 | 仙台 | スシ24 503 1987.3.20 新津車両所 |
ビデオカー改造車
[編集]1980年より、九州管内の一部の特急列車において、サービス向上の一環としてビデオ上映を実施することとなり、鹿児島車両管理所配置のクハ481-33・35・37・39へビデオ装置の設置改造が実施された[75]。車内は床面を雛壇式化、運転台仕切に50インチスクリーンを設置し、車外の客用扉周囲に「ビデオ特急」のステッカーを貼り付けた[75]。スクリーン設置に伴いスクリーン側の座席を8席分撤去したため、定員は48名となった。
主に「有明」で運用されたが、1985年に上映中止となり、ビデオ機器も後に撤去された[75]。雛壇式の床構造はそのままであった。
他系列への改造車
[編集]短編成化による付随車の制御車化改造ならびに余剰となったグリーン車の転用が圧倒的に多く、24系客車化では不足した食堂車の転用が主になる。
181系への改造
[編集]1978年10月改正で上越特急「とき」用181系の3MG化に伴う編成変更が行われることになり、MG・CP付きグリーン車は485系タイプの車体でサロ181形1000番台が新製されたが、MP・CPのないグリーン車は新製両数を抑えるため既存車の改造とされ、サロ481形初期車3両がサロ181形1050番台に改造された[76]。ジャンパ連結器や幌枠、渡り板も181系仕様に変更されている[54]。
編成構成は183系と共通化された。1982年の上越新幹線開業に伴って181系としての運用は終了したが、このうち2両が113系グリーン車に再改造された[76]。
- サロ481-26 - 28 → サロ181-1051 - 1053
183系・189系への改造(国鉄)
[編集]1978年10月改正では183系による「とき」が増発されたが、新製両数を抑えるためサロ481形に引き通し線設置などの改造を行って4両がサロ183形1050番台に改造された[54]。また、信越特急「あさま」系統の増発に対応するためサロ481形3両がサロ189形50番台に改造された[54]。
- サロ481-90・98・112・133 → サロ183-1051 - 1054
- サロ481-110・111・113 → サロ189-51 - 53
1982年11月改正での「あさま」増発では、東北特急で余剰となった485系が転用されることになり、モハ485・484形のユニットがモハ189・188形に編入された。車体は189系と同タイプのものが新製され[54]、主制御器なども189系と同タイプとなった[77]。
- モハ485-199・203 - 205 → モハ189-501 - 504
- モハ484-301・305 - 307 → モハ188-501 - 504
1985年3月改正以降は、183系・189系の特急列車の短編成高頻度運転化が図られることになり、必要となる先頭車がサハ481・489形の先頭車化改造で補われた。幕張電車区の183系による中央線特急「あずさ」は1985年3月改正で長野運転所へ移管されることになり、サハ489形2両をクハ183形100番台に、サハ481形2両をクハ182形に改造した[78]。クハ183形1000番台タイプの運転台を接合し、運転台直後にもデッキと客用扉が増設された[78] />。先頭車化改造車は、いずれも既存の客用扉のステップは存置された[79]。
- サハ489-7・9 → クハ183-101・102
- サハ481-110・111 → クハ182-1・2
1986年11月改正では「あずさ」の短編成化が行われ、サハ481形の先頭車化改造車としてクハ183・182形100番台、サハ489形からクハ183形150番台への改造車が登場した。このうち、クハ183形150番台は183系1000番台タイプではなく485系1000番台タイプの運転台が接合されたため、全長が250 mm長くなっている[79]。
- サハ481-107・105・114 → クハ183-103 - 105
- サハ481-117・103・112・104・102 → クハ182-101 - 105
- サハ489-8・6 → クハ183-151・152
同じ1986年11月改正で「あさま」が短編成化された際は、サハ481形4両がクハ188形100・600番台各2両に改造された[79]。
- サハ481-113・106 → クハ188-101・102
- サハ481-101・115 → クハ188-601・602
国鉄分割民営化ではJR東日本に承継された。サロ183-1052・1053は1988年にグレードアップ改造と同時にサロ481-98・112へ復元施工された。サロ183-1051・1054は1989年にサハ481-305・304へ改造、サロ189-51 - 53は1989年にサハ481-306 - 308へ改造された。
113系グリーン車への改造
[編集]近郊形電車113系のサロ110形0番台・1000番台およびサロ111形の老朽置き換えのため、余剰となっていたサロ481・489形を近郊型のサロ110形に編入したグループが1983年から1985年にかけて登場した[77]。分割民営化後は各番台とも全車JR東日本が継承した。
東海道本線東京口では、1983年にサロ489形を113系に編入したサロ110形350番台が登場し、客用扉の増設やステップの埋め込みなどの改造が行われた[77]。このほか、サロ481形より改造されたサロ181形1050番台からも2両がサロ110形300番台へ編入されている。
1985年には横須賀・総武快速線のサロ110形1000番台置き換えのためサロ489形・サロ481形を113系1000番台に編入したサロ110形1350番台が登場した[76]。
- (サロ481-26・27 → )サロ181-1051・1052 → サロ110-302・303
- サロ489-1 - 5・10 - 12・7・9・17・18 → サロ110-351 - 362
- サロ489-19 - 22・24 → サロ110-1351 - 1355
- サロ481-93・95・96 → サロ110-1356 - 1358
スシ24形500番台への改造(国鉄)
[編集]1988年3月の津軽海峡線開業により、上野 - 札幌間寝台特急「北斗星」の運行が開始されるのに先立ち、国鉄時代の1987年にサシ481形3両が24系客車のスシ24形に改造され、スシ24 501 - 503となった。密着自動連結器への交換・ブレーキ装置のCL化・引通回路・車体色の変更が施工されたが、車体の基本構造や台車、屋根上機器などは485系のままであった。
スシ24 501 - 503は、1985年の廃車後も留置されていたサシ481-67・75・76・の3両を車籍復活の上で改造した[80]。塗装は青20号に変更され、耐寒耐雪構造強化・青函トンネル通過に伴う出火対策・回送運転台撤去が行われた。当初は北海道内の団体列車に使用され[81]、国鉄分割民営化でJR北海道に承継された。
1988年の「北斗星」運行開始時にはダイニング内装のグレードアップと食堂座席定員を40名から28名へ変更などの改造が施工された。「北斗星」向けには1989年までにJR東日本で504 - 507が、JR北海道で508が増備されている。
2008年の「北斗星」減便でJR北海道車による運用が廃止され、508を含むJR北海道車は全車廃車となった。この4両はミャンマー国鉄に譲渡されている[81]。
- サシ481-67・75・76 → スシ24 501 - 503
JR各社の改造車
[編集]JR東日本の改造車
[編集]クロハ481形1000番台(JR東日本・青森地区)
[編集]JR東日本ではモノクラス6両編成であった「はつかり」「いなほ」にもグリーン席設置を行うことになり、青函トンネル開業の1988年3月13日ダイヤ改正に向けて1987年 - 1988年にクハ481形1000番台奇数車11両・クハ481形1500番台1両の12両で半室グリーン車への改造が行われ、クロハ481形1000番台の1010 - 1021に付番された[80]。国鉄時代の1000番台改造車とは逆向きの奇数向きである[80]。配置は青森運転所、改造施工は土崎工場である。
国鉄時代の改造車よりもグリーン席が1列多く、定員はグリーン室16名・普通室36名である[82]。グリーン席は新幹線100系のグリーン車に準じたリクライニングシートで、シートピッチは1,210 mmに拡大された[80]。クロハ481-1012・1013・1015 - 1017・1019は「はつかり」函館延長運転のためATC-L搭載、CP床下移設などの青函トンネル通過対策を施工した[83]。また、クロハ481-1020は種車が1500番台のクハ481-1501であり、屋根上の前照灯や尾灯の形状は1500番台のままであった[82]。
1993年には「はつかり」での583系運用終了に伴ってクハ481-1029・1035・1041の奇数車3両が半室グリーン車に追加改造され、1028 - 1030が付番された[80]。この3両のみ施工改造が青森運転所である。秋田地区向け改造車クロハ481-1022 - 1027に準じているが、グリーン車の座席は発生品のR27形が使用された[80]。種車は上野発着「つばさ」「あいづ」充当のためATS-Pを搭載し、夜行急行「津軽」用に車内減光装置も搭載していた。青函トンネル通過には対応しない。1029は種車時代にシャッター式タイフォンカバーに取っ手が改造装着されていた。
1010・1011・1018は「いなほ」転用時に偶数向きへ方向転換改造された。1028 - 1030は2000年より上沼垂運転区に転出して方向転換され、1029は2000年に「いなほ」「北越」共通予備編成、1028・1030は2003年に「ムーンライトえちご」の165系置き換え用として投入された。1029は2001年に上沼垂色へ塗装変更されたが、2008年に国鉄色へ再変更された。1028・1030は新製時から廃車まで編成全車とも国鉄色から塗装変更がない。
引き続き青森に所属した1012・1015 - 1017・1019 - 1021、また1997年に上沼垂に転出の1010は3000番台にリニューアルされた。3020(元1020)は2005年の羽越本線脱線事故で被災した3010(元1010)の代替として2006年に青森から新潟へ転出して方向転換されている。1014は2005年、1013は2006年に仙台車両センターへそれぞれ転出し、「あいづ」編成へのリニューアルと同時にクハ481形へ復元された。
1028 - 1030は新潟転出後に首都圏対応のデジタル列車無線機を搭載した。1030が2014年に、1028・1029が2015年に廃車となった[29]。新潟車両センター所属の1029が2015年8月12日に廃車され、クロハ481形1000番台は区分消滅ならびに廃形式となった[29]。
- クハ481-1001・1003・1009・1015・1017・1021・1023・1031・1033・1039・1501・1013 → クロハ481-1010 - 1021
- クハ481-1019・1035・1041 → クロハ481-1028 - 1030
クロハ481形1000・300番台(JR東日本・秋田地区)
[編集]1988年3月のダイヤ改正では南秋田運転所の「つばさ」「いなほ」にもグリーン席を設けることになり、1988年 - 1989年にクハ481形1000番台偶数車6両に半室グリーン車化改造を行い、「はつかり」用改造車に続いて1022 - 1027に区分された。また、1989年に300番台からの改造車も1両登場し、クハ481-348を種車に車両番号は国鉄時代の「北近畿」用改造車に続いてクロハ481-303となった[84]。改造施工はいずれも土崎工場である。
改造内容は青森車と共通するが、青森車とは逆向きで「たざわ」と同じ偶数向きである[85]。1000番台、300番台ともに定員はグリーン室16名、普通室36名である[84]。このほか、「たざわ」で使用されていたクロハ481-1008・1009の2両もグリーン席を1列増やした定員16名とする再改造を行った[85]。
当初はグリーン席16名グループを「たざわ」系統に投入し、捻出されたグリーン席12名グループを「つばさ」「いなほ」系統で使用した[85]。1989年3月11日ダイヤ改正時点ではグリーン席16名グループが「たざわ」14往復と山形発着「つばさ」1往復に充当されていた。後にグリーン席12名グループと共通運用となり、「はつかり」「いなほ」「こまくさ」にも充当された。
1996年 - 1997年の「いなほ」運用移管により全車上沼垂運転区へ転出。1024・1027が3000番台化リニューアル改造を施工された。303は2000年にリニューアル改造と同時に全室普通車へ復元され、クハ481-3348となった[84]。
- クハ481-1042・1002・1004・1028・1038・1040 → クロハ481-1022 - 1027
- クハ481-348 → クロハ481-303
青函トンネル通過対応車
[編集]1988年3月13日の青函トンネルに伴うダイヤ改正では、盛岡 - 青森間で運転されていた「はつかり」の一部列車を津軽海峡線を経由し函館まで延長運転することになった。延長区間のうち海峡線新中小国信号場 - 木古内間は保安装置をATC-Lとしたことから、「はつかり」用編成のクロハ481形・クハ481形1000番台各6両を対象にATC-Lの設置改造が行われた[80]。ATCは助士席下部に設置され、この位置に設置されていたCPを床下へ移設している[80]。土崎工場で施工された。
- クロハ481-1012・1013・1015 - 1017・1019
- クハ481-1006・1010・1016・1020・1022・1030
また、1991年3月改正より青函トンネルでの最高速度140 km/h運転が開始されたため、1990年度よりモハ484形の第1パンタグラフが高速域での架線追従性に優れたPS26B形へ交換された[80]。
- モハ484-1009・1014・1022・1031・1032・1038・1046・1047・1049・1059・1077・1087
1996年以降に本工事を施工した6編成中5編成に3000番台化工事を施工。対象から漏れたクロハ481-1015・クハ481-1016・モハ485・484-1032・1077は2006年に仙台車両センターへ転出し、磐越西線特急「あいづ」用に改造された。このほかモハ484形のPS26B形パンタグラフ交換は増結用MM'ユニットの3049・3051・3067へも施工された。
上沼垂区「北越」「雷鳥」グレードアップ車
[編集]JR東日本では「あずさ」用183系グレードアップ車に続き、新潟エリアでも「北越」「雷鳥」などの特急列車のイメージアップのために上沼垂運転区(現在:新潟車両センター)所属の485系で内装グレードアップ工事を行った[85]。9両編成8本のうち各編成のグリーン車・普通車指定席車を合わせて48両が対象となり、1988年12月から1990年12月にかけて施工された。
編成は日本海縦貫線用9両編成であるT1 - T8編成で、大阪方1号車 - 3号車・5号車・6号車は普通車指定席、4号車はグリーン車、新潟方7号車 - 9号車は普通車自由席とされた。普通車指定席は1500・1000番台が主体で、自由席車は電動車ユニットでAU12系冷房車の初期車などが、先頭車はボンネット車やクハ481-753が使用された[85]。
外部塗装は白地に緑と青の帯を配する通称「上沼垂色」へ編成単位で変更した[85]。雪国のスノーホワイトを基調に日本海のマリンブルーと越後平野のプレイングリーンを配する[86]。この色は後に上沼垂区配置車両のうちジョイフルトレイン・3000番台車・国鉄色車を除いた車両へ施工し、所属車の標準色ともいえる形で採用された。
グリーン車・普通車指定席車は座席部分の床を70 mm嵩上げしてセミハイデッキ化され、窓を上方へ100 mm拡大した[85]。グリーン車はC席を独立させた1 + 2配置の3列式とし、従来より座面横幅の広いシートへの交換により定員36名に変更した。普通車座席を背面テーブル付R55型リクライニングシートへ交換、シートピッチを970 mmへ拡大し定員4名減とした。普通車自由席はシートピッチ910 mmのままアコモデーション改善を実施した。
内窓カバーパネル(窓キセ)をFRP製に変更、荷棚を読書灯付の物に交換、仕切ドアを自動ドアに改造し上部にデジタル時計と案内表示器を設置した。また百円硬貨専用→テレホンカード式の公衆電話の新設、洗面所のリニューアルも行われた。
2001年の「白鳥」廃止後は9両編成が消滅して波動用の6両編成となり、後に勝田車両センターのK60編成や長野支社のジョイフルトレイン「彩(いろどり)」に転用された車両もあったが、MM'ユニット3組は新潟残留でそれぞれT14・T16・T17編成に組成[注 37]され、定期運用終了する2015年まで充当された。
クハ481形1100番台
[編集]「ひたち」で運用されていたクハ481形初期車置換えのため、1989年 - 1991年にかけてサロ481形1000番台・1500番台の先頭車化と普通車格下げ改造を郡山工場で同時施工した。グリーン車の窓配置がそのまま流用されたため客室窓は小さく、座席と窓割りは合っていない。乗務員室のすぐ後ろは荷物スペースとされたが、後に床置式冷房装置のAU203形が設置された[87]。
1993年に1104の1両が「ビバあいづ」用にクロハ481-1501へ再改造された[87]。常磐線ではE653系の投入に伴い「ひたち」運用が無くなり、2000年までに5両が廃車となった[87]。残る1105・1107の2両は2001年にジョイフルトレイン「せせらぎ」のクロ485・484形に改造されて消滅した[87]。
- サロ481-1003・1004・1006・1501 - 1505 → クハ481-1101 - 1108
サハ481形300番台
[編集]1989年の651系「スーパーひたち」運転開始と同時に通常の「ひたち」は短編成モノクラス化が実施された。そのため車販準備室装備普通車の必要が発生しサハ481形100番台が転用されたが、それでも不足したことから保留車となっていたサロ481形1050番台・サロ183形1050番台・サロ189形50番台を郡山工場で普通車化改造を施工し充当させることになり発生した番台区分である。
種車はサロ183形・サロ189形も含まれるが、これらもサロ481形基本番台からの改造車であり、303を除いて差異はほとんどない[87]。E653系投入による置換えで2000年までに廃車となり区分消滅。
- サロ481-126・129 → サハ481-301・302
- (サロ481-115 →)サロ481-1051 → サハ481-303
- (サロ481-133・90 →)サロ183-1054・1051 → サハ481-304・305
- (サロ481-110・111・113 →)サロ189-51 - 53 → サハ481-306 - 308
サロ489形1050番台
[編集]JR東日本の信越本線特急「あさま」「そよかぜ」では189系のほか489系も投入され、両端貫通型先頭車でサロの1両入った9両編成3本が使用されていたが、1990年に常磐線特急「ひたち」モノクラス化で余剰となった勝田電車区のサロ481-1053・1052が「あさま」増結用として転用されることになり、横軽対策と協調運転対応によりサロ489形へ改造編入されてサロ489-1051・1052となった[88]。改造は長野工場である。
この2両はVIP対応車で防弾ガラスなどを備えており、お召列車用としての運転にも備えていた[88]。1995年5月12日に「90年代観光振興行動計画(TAP90's)」に基づく「栃木・群馬観光立県推進地方会議」の視察団が利用する臨時列車「臨時特急ほのぼの号」が中軽井沢-高崎間でジョイフルトレイン「リゾートエクスプレスゆう」を使用して運転された際、サロ489-1051が「ゆう」と同色に塗り替え編成に組込まれた記録がある[88]。
北陸新幹線長野開業前の1996年には長野総合車両所から上沼垂運転区に転出し、上沼垂色に変更されて「雷鳥」「北越」で使用されたが、2001年に編成から外され、2010年に廃車となった[88]。
- (サロ481-122・116 →)サロ481-1053・1052 → サロ489-1051・1052
訓練車(モヤ484形0番台)
[編集]1991年にJR東日本では、乗務員を対象に定期的に行う異常時の取扱いや応急処置等の教育訓練のため保留車を訓練用に整備することになった。そのために本系列でもモハ484形を種車にしたモヤ484形訓練車が改造で落成した。
モヤ484-1がモハ484-60を種車に青森運転所で、モヤ484-2がモハ484-61を種車に郡山工場で改造施工。室内は座席を一部撤去して、テーブルとパイプ椅子を持込みミーティングルームとし、備品収納用ロッカーや視聴覚教育用モニタ、ビデオを搭載するためのラックを装備する。塗装は国鉄特急色に白線2本と「訓練車」の表記が追加されたものとなった[88]。
訓練車編成は勝田電車区で保留車として残る両端ボンネット車の編成を4両編成2本に組み替え、モヤ484-1を含む編成が青森運転所に、モヤ484-2を含む編成が勝田電車区に配置された[88]。
2001年には勝田所属のクハ481-17が60 Hz仕様赤スカートに復元されたが、青森車が2005年に廃車、勝田車も2007年に廃車となった。勝田車うちの2両は解体されず、モヤ484-2はモハ484-61は復元工事を実施し、クハ481-26とともにさいたま市の鉄道博物館で静態保存された[88]。
編成番号 | ← 上野 青森 →
| |||
---|---|---|---|---|
クハ481 | モヤ484 | モハ485 | クハ481 | |
青森運転所A13編成 | 16 | 1 | 60 | 24 |
勝田電車区K26編成 | 26 | 2 | 61 | 17 |
「ひたち」併結14両編成運転対応改造
[編集]1993年以降に「ひたち」は2編成併結14両編成運転を開始したことから、その対応として勝田電車区所属のクハ481-31・32・34・36・38・40へ前面スカート一部を欠取り電車の連結器交換および制御回路用KE70形ジャンパ連結器を装備した改造である。
- 本改造は2編成間の総括制御が目的であり、高圧引通ならびにサービス電源用三相引通はそれぞれの編成内で完結させていることから、対応するジャンパ連結器は装備しない。
- 前面に装備される総括制御回線が片渡り構造となるクハ481形1000番台・1100番台に合せて、上り方は正面向って左側、下り方は右側にKE70形を装備したことから、方向が固定された[注 38]。
- 下り方先頭となる車両にはジャンパ栓とジャンパ栓受けも装備されたが、これは同区の300番台・1000番台・1100番台車にも施工された。「ひたち」運用終了後に上沼垂運転区へ転出した4両のうち下り方に組成されていた332・333・1011の3両は栓受けがそのまま残された[注 39]。
「ビバあいづ」用改造
[編集]1993年12月1日から磐越西線郡山 - 会津若松・喜多方間で特急「ビバあいづ」が運転開始されることになり、1993年7月・8月に勝田電車区所属の「あいづ」用7両編成からサロを外した6両編成を仙台運転所へ転出させ、アコモデーションを改造した専用編成が用意されることになった[89]。改造は郡山工場で1993年11月までに施工した。
塗装はシルバーメタリックをベースとした専用塗装となり、両端先頭車の運転台上部前照灯は撤去された[90]。クハ481-1104の運転室寄り客室を定員16名のグリーン室に変更してクロハ481-1501に改造され、6号車に組み込まれた[90]。グリーン席、普通車指定席は255系と同タイプのリクライニングシートが搭載された[89]。3号車に組み込まれたモハ485-1008は客席を撤去してフリースペース「インビテーションカー」に改造され、車内は会津若松市の歴史や観光案内、物産品の展示などが行われていた[91]。
モハ485-1008は1998年12月に座席車に復元されて自由席車となったが、2002年11月末に定期運用を終了した。2003年4月4日付で電動車1ユニット(モハ485・484-1008)が廃車となり、4両編成で勝田電車区に再転出して波動用のK40編成として運用されたが、2013年に廃車となった。
← 郡山・喜多方 会津若松 →
| |||||
クハ481 | モハ484 | モハ485 | モハ484 | モハ485 | クロハ481 |
---|---|---|---|---|---|
345 | 1008 | 1053 | 1501 |
クロハ481形1500番台
[編集]1993年の「ビバあいづ」運転開始により、クハ481-1104が同列車用の半室グリーン車として改造されクロハ481-1501となった。運転台寄りの半室がグリーン席となり、座席はグリーン席・普通席とも255系と同タイプのリクライニングシートである[90]。定員はグリーン席16名、普通席24名である[90]。
運転席上部の前照灯はクハ481-345とともに撤去された。クハ481-1104時代に乗務員室後ろに設置された床置き式のAU203形が引き続き搭載されており、乗務員扉と側窓の間には通風用のルーバーが存在する[90]。
181系電車として落成し車体も使用する最後の1両で、2002年の「ビバあいづ」廃止後は勝田車両センターK40編成に組み込まれ臨時列車などで運用されたが、2013年に廃車され消滅した[90]。
- (サロ181-1101 → サロ481-1501 →)クハ481-1104 → クロハ481-1501
485系3000番台
[編集]JR東日本では経年20年が経過した485系1000番台を中心に1996年より大幅なリニューアル工事が施工され、車両番号を3000番台に変更した[91]。青森運転所所属車は1995年度から1999年度にかけて「はつかり」用6両編成7本・増結用MM`ユニット3組の48両、上沼垂運転区所属車は1996年度から2000年度にかけて「はくたか」用9両編成2本・「いなほ」「北越」用6両編成5本の48両の計96両に施工された[91]。改造工場は土崎工場(現在:秋田総合車両センター)とMM'ユニットの一部のみ青森運転所東派出所(最終塗装は土崎工場)である。
モハ485・484形、クロハ481形、クハ481形、サロ481形の5形式が改造されている。改造種車は大半が1000番台であるが、先頭車には1000番台のほかに1500番台や300番台からの改造車も存在した[91]。1000番台・1500番台からの改造車は元番号に2000を、300番台からの改造車は元番号に3000を足している[92]。クロハ481形1000番台・300番台からクハ481形3000番台に改造された車両は、種車のクハ481形時代の番号を元に改番された[91]。
前面は運転台屋根部分の鋼体がすべて取り替えられ、運転台窓は大型の1枚窓に変更された[93]。前照灯は上部にプロジェクション灯が2灯、腰部左右にシールドビームとHID灯が1灯ずつ配置された[93]。尾灯はLED化され、同じくLED化された愛称表示器の上に横1列で配置された[93]。前頭部にはFRP製マスクが取り付けられている[93]。またワイパーは運転席側2連 + 助士席側1連の3本となり、空気式から電気式に変更された。スカート部にはカバーも取り付けられた。
側窓はサロを除いて下方に90 mm、上方に15 mm拡大された[93]。側引戸もハニカム構造で軽量化されたタイプに交換され、側面行先表示器もLED化された[93]。
塗装は「はつかり」用が白地に下部をブルーバイオレットで塗り分け、白との境界部が濃い青のライン、前面FRPマスク部分がイエローとなった[93]。「はくたか」「いなほ」「北越」用は上沼垂色に準じて白をベースに側扉周りとFRPマスクをプレイングリーンとし、車体下部はマリンブルーで塗り分けられた[93]。「はつかり」用では前面と前頭部側面に「North East Express 485」のロゴが、「はくたか」用では前頭部側面に翼のエンブレムが設けられ、「いなほ」「北越」用ではロゴがない[93]。
内装は化粧板を貼り替え、天井は平天井化し冷房吹出し口もラインフロー化された[93]。出入台照明をダウンライト化、扉ストッパーをキャッチャ式化、客室仕切戸を電気式パルサーチ検知採用により自動化した(ドア挟み防止センサー内蔵)。出入台と運転室の床敷物をノンスリップタイプに交換した。トイレは真空吸引式洋式に交換、従来の洗面所を撤去しユニット式男子トイレと小スペース用洗面所を新設した。
各車両の仕切戸と妻引戸上部に案内・号車番号・禁煙などの各種情報を提示する電光式装置が設置され、同じ場所にLEDスクロール方式の案内表示機(次停車駅表示、新聞ニュース表示、天気予報表示等)も併設した。車内放送のオルゴールにクラシック音楽を採用した[注 40]。
グリーン車では新幹線200系と同様の荷棚へ交換、カーテンキセを含めたカバーはFRP製へ交換した。クロハ481形は4列のまま新型シートに交換、サロ481形は種車が3列シートのグレードアップ車のためモケット張替を施工した。普通車では、シートピッチは910 mmのままフリーストップリクライニングと座面のスライドが可能なタイプに交換、荷棚を新タイプへ変更、喫煙車へは空気清浄機を設置した。
モハ484形のうち6両編成4号車と9両編成5号車はバリアフリー対応車とされ、車いす対応大型洋式トイレ・多目的室・客室出入台側に車いす対応座席2脚を設置した[94]。モハ485形の一部ではトイレ・洗面所が撤去され、車販準備室・電話室へ変更された。座席配置は種車と比べて大きな変化はなく、クハ481形は全室普通車で定員64名、クロハ481形はグリーン室16名・普通室36名、モハ485形は定員72名である。モハ484形の定員は通常車が64名、バリアフリー対応改造車は58名である。サロ481形は2+1配置の3列シートのため36名である[95]。
補助電源はMGからSIVに換装され、出力210 kVAのSC54形が搭載された[93]。機器は東洋電機製造製で、209系で使用している昇降圧チョッパ式SIVを基本に、交直流対応としたものである[96]。さらに豪雪地帯を走行することから、耐雪仕様とした[96]。CPは2,500 L/minへ容量増大し、三相交流誘導電動機駆動スクリュー式コンプレッサーのMH3099-C2500MLが床下に搭載された[93]。遮断器はメンテナンスフリーのため空気式(ABB)から真空式(VCB)に換装された[93]。制御装置・方式などは在来車と共通である。青函トンネル通過対応車からの改造車は先頭車助士席下にATC-Lを搭載[97]、モハ484形のパンタグラフはPS26Bに換装されている[94]。
「はつかり」用編成は青森運転所(2004年より青森車両センター、2016年より盛岡車両センター青森派出所)に配置され、1996年より運用を開始した。2002年の東北新幹線八戸開業後は「はつかり」が廃止され、八戸 - 函館間の「白鳥」用となった。2010年の東北新幹線新青森開業では「白鳥」が方向転換され、秋田 - 青森間特急「つがる」用に4両編成も投入されたが、「つがる」運用は2011年にE751系へ置き換えられた。2016年の北海道新幹線開業による「白鳥」廃止で運用を離脱し、2019年1月22日付で最後まで在籍したA6編成6両が廃車となった[98]。
「はくたか」用編成は北越急行ほくほく線開業の1997年から翌1998年にかけてATS-P搭載・サロ481形組み込みの9両編成2本(R1・R2編成)が上沼垂運転区(2004年より新潟車両センター)に投入された。間合い運用の「雷鳥」などで大阪駅へ入線した実績もある。2005年の「はくたか」運用終了後は6両編成化されて「いなほ」「北越」用編成に編入され、それぞれR26・R27編成に改められた他、クハ481-3026・3037の2両がクロハ481形3000番台に改造された[93]。以後も波動用で首都圏乗り入れがあり、夜行快速「ムーンライトえちご」および臨時快速「フェアーウェイ」の予備車として新宿駅にも入線している。前頭部側面の「はくたかエンブレム」は2011年までに撤去された[99]。
「いなほ」「北越」用編成は2000年 - 2001年に6両編成5本(R21 - R25編成)の48両が上沼垂運転区に配置された。2005年12月25日に発生したJR羽越本線脱線事故では「いなほ14号」で運転中のクハ481-3506ほか6両編成が突風で横転大破し、2007年3月31日付で全車廃車となった。「いなほ」は2010年の東北新幹線新青森開業で秋田以南のみの運用となり、2014年にE653系1000番台へ置き換えられた。「北越」は2015年の北陸新幹線金沢開業で廃止された。
「北越」廃止後に運行されていた新潟 - 糸魚川間の臨時快速1往復は2017年3月3日に定期運用を終了し[100]、3月19日のR28編成による団体列車によるラストランを最後に運用を終了した[101]。その後は新潟車両センター配置車両は2017年4月までに全車廃車となった[102]。R26編成は2017年3月13日から翌14日にかけて長野総合車両センターへ配給回送され[103]、4月3日付で廃車[36]。R28編成は4月4日に長野総合車両センターへ配給回送され[104]、4月6日付で廃車された[36]。
2012年には青森車両センターの「白鳥」用車両のうちモハ485・484-3014の同番号ユニットがジョイフルトレイン「ジパング」用中間車に改造され、盛岡車両センターに配置されていたが、2022年10月14日付で廃車となった[105]。
- 2010年12月3日までの編成
号車 1 2 3 4 5 6 青森車・新潟車共通事項
4号車は車いす対応車
5号車は車販準備室・電話室設置青森車 クハ
481モハ
484モハ
485モハ
484モハ
485クロハ
481青森 →号車 6 5 4 3 2 1 新潟車 クハ
481モハ
485モハ
484モハ
485モハ
484クロハ
481← 新潟青森・金沢・新宿 →
- 新潟所属R1・2編成の「はくたか」運用終了後は、青森・新潟車共に6両編成で車両構成は同じになったが組成は異なる。青森基準で見た場合、編成的にはクロハが先端で同じ位置になるが、MM'ユニットと号車名が逆向きとなる。
- 2010年12月4日以降の編成
号車 1 2 3 4 5 6 青森車
3号車は車いす対応車
2号車は車販準備室・電話室設置
新潟車
4号車は車いす対応車
5号車は車販準備室・電話室設置青森車
6両編成クロハ
481モハ
485モハ
484モハ
485モハ
484クハ
481← 函館・新青森青森 →号車 1 2 3 4 青森車
4両編成クロハ
481モハ
485モハ
484クハ
481← 秋田青森 →号車 6 5 4 3 2 1 新潟車 クハ
481モハ
485モハ
484モハ
485モハ
484クロハ
481← 新潟金沢・新宿・秋田 →
表中の施工工場・配置車両基地は竣工当時の名称で記載し、以下に読み替える。
- 青森東派→青森運転所東派出所
- 青森→青森運転所(2004年4月1日以降は青森車両センター 2016年3月26日以降は盛岡車両センター青森派出所)
- 上沼垂→上沼垂運転区
- 新潟→新潟車両センター
- 盛岡→盛岡車両センター
車番 | 竣工 | 施工 | 初期配置 | 転属 | 廃車 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
3009 | 1999.10.7 | 土崎工場 | 青森 | 2011.8.24[106] | ||
3014 | 1998.9.22 | 盛岡 2012年 | ジバング中間車 | |||
3018 | 2000.12.22 | 上沼垂 | 2007.3.31 | 羽越本線脱線転覆事故車 | ||
3022 | 1997.10.1 | 青森 | 2018.11.2[107] | モハ484形バリアフリー対応車 | ||
3030 | 1998.3.2 | 上沼垂 | 2015.7.10[29] | |||
3031 | 1997.3.29 | 青森 | 2018.12.7[107] | |||
3033 | 1996.12.23 | 上沼垂 | 2017.4.3[36] | |||
3034 | 2001.3.29 | 2015.11.27[108] | ||||
3035 | 1997.12.12 | 青森東派 | 青森 | 2016.12.6[109] | ||
3037 | 2000.1.30 | 土崎工場 | 上沼垂 | 2015.5.10[110] | ||
3038 | 1998.9.28 | 青森東派 | 青森 | 2011.11.4 | ||
3039 | 2000.9.22 | 土崎工場 | 上沼垂 | 2015.9.10[29] | ||
3040 | 1997.1.16 | 2017.4.6[36] | モハ484形バリアフリー対応車 | |||
3044 | 2000.12.22 | 2007.3.31 | 羽越本線脱線転覆事故車 | |||
3046 | 1996.3.29 | 青森 | 2019.1.22[98] | |||
3047 | 1997.10.1 | 青森東派 | 2018.10.10[107] | |||
3049 | 1997.3.28 | 2018.12.7[107] | 保留車 | |||
3050 | 2001.3.29 | 土崎工場 | 上沼垂 | 2015.11.27[108] | ||
3051 | 1997.11.19 | 青森 | 2011.11 | |||
3054 | 1998.3.2 | 上沼垂 | 2015.7.10[29] | |||
3056 | 1997.11.19 | 青森 | 新潟 2006.3.24 | 2017.4.6[36] | ||
3059 | 1996.3.29 | 青森 | 2019.1.22[98] | モハ484形バリアフリー対応車 | ||
3060 | 1996.3.29 | 上沼垂 | 2017.4.3[36] | |||
3062 | 1996.3.29 | 青森 | 2018.10.10[107] | |||
3065 | 2000.3.30 | 上沼垂 | 2015.7.1[29] | モハ484形バリアフリー対応車 | ||
3066 | 2015.7.1[29] | |||||
3067 | 1996.12.27 | 青森東派 | 青森 | 2016.12.6[109] | ||
3068 | 1999.3.24 | 土崎工場 | 2011.7.5[106] | |||
3070 | 2000.1.31 | 上沼垂 | 2015.5.10[110] | |||
3075 | 2000.9.22 | 2015.9.10[29] | ||||
3081 | 1999.3.24 | 青森東派 | 青森 | 2018.11.2[107] | ||
3086 | 1998.3.13 | 土崎工場 | 上沼垂 | 2014.5.30 | ||
3087 | 1999.10.7 | 青森 | 2011.7.5 |
車番 | 竣工 | 改造前車番 | 初期配置 | 廃車 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
3005 | 1997.11.19 | クハ481-1005 | 青森 | 2016.12.6[109] | ATC-L未搭載・津軽海峡線非対応車 |
3006 | 1997.3.29 | クハ481-1006 | 2018.12.7[107] | ATC-L搭載・津軽海峡線対応車 | |
3010 | 1997.3.29 | クハ481-1010 | 2011.8.24[106] | ||
3011 | 1998.3.2 | クハ481-1011 | 上沼垂 | 2015.7.10[29] | ATS-P搭載車 |
3018 | 2000.1.31 | クロハ481-1001 | 2015.5.10[110] | ||
3020 | 1998.9.22 | クハ481-1020 | 青森 | 2011.11.4 | ATC-L搭載・津軽海峡線対応車 |
3022 | 1997.10.1 | クハ481-1022 | 2018.11.2[107] | ||
3026 | 1996.12.13 | クロハ481-1005 | 上沼垂 | (改造) | 2005.5.2クロハ481-3026へ改造 |
3030 | 1996.3.29 | クハ481-1030 | 青森 | 2019.1.22[98] | ATC-L搭載・津軽海峡線対応車 |
3034 | 1996.12.13 | クロハ481-1006 | 上沼垂 | 2017.4.3[36] | ATS-P搭載車 |
3037 | 1998.3.2 | クハ481-1037 | (改造) | 2005.5.1クロハ481-3037へ改造 | |
3043 | 2000.9.22 | クハ481-1043 | 2015.9.10[29] | ||
3342 | 2001.3.29 | クハ481-342 | 2015.11.27[108] | ||
3348 | 2000.3.30 | クロハ481-303 | 2015.7.1[29] | ||
3350 | 1999.3.24 | クハ481-350 | 青森 | 2017.4.6[36] | 2006.3.24 新潟へ転属 |
3506 | 2000.12.12 | クハ481-1506 | 上沼垂 | 2007.3.31 | 羽越本線脱線転覆事故車 |
車番 | 竣工 | 改造前車番 | 初期配置 | 廃車 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
3004 | 2000.3.30 | クロハ481-1004 | 上沼垂 | 2015.7.1[29] | |
3008 | 2001.3.29 | クロハ481-1009 | 2015.11.27[108] | ||
3010 | 2000.12.12 | クロハ481-1010 | 2007.3.31 | 羽越本線脱線転覆事故車 | |
3012 | 1996.3.29 | クロハ481-1012 | 青森 | 2019.1.22[98] | ATC-L搭載・津軽海峡線対応車 |
3015 | 1998.9.28 | クロハ481-1015 | 2011.11.4 | ||
3016 | 1997.3.29 | クロハ481-1016 | 2018.12.7[107] | ||
3017 | 1997.10.1 | クロハ481-1017 | 2018.11.2[107] | ||
3019 | 1999.10.7 | クロハ481-1019 | 2011.8.24[106] | ||
3020 | 1999.3.24 | クロハ481-1020 | 2017.4.6[36] | 2006.3.24 新潟へ転属 | |
3021 | 1997.11.19 | クロハ481-1021 | 2016.12.6[109] | ATC-L未搭載・津軽海峡線非対応車 | |
3024 | 2000.1.31 | クロハ481-1024 | 上沼垂 | 2015.5.10[110] | |
3026 | 2005.5.2 | クハ481-3026 | 新潟 | 2017.4.3[36] | ATS-P搭載車 |
3027 | 2000.9.22 | クロハ481-1027 | 上沼垂 | 2015.9.10[29] | |
3037 | 2005.5.1 | クハ481-3037 | 新潟 | 2015.7.10[29] | ATS-P搭載車 |
車番 | 竣工 | 改造前車番 | 初期配置 | 廃車 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
3106 | 1998.3.13 | サロ481-106 | 上沼垂 | 2008.10.30 | 旧T3編成から転用 |
3107 | 1997.2.14 | サロ481-107 | 旧T4編成から転用 |
「あいづ」向けリニューアル車(2005年)
[編集]2005年の「あいづデスティネーションキャンペーン」開催に合わせて、新宿 - 喜多方間の特急「あいづ」を運転することになり、485系6両編成1本をリニューアル改造の上で充当した[111][要検証 ]。種車は「ビバあいづ」編成置き換えのため2002年11月8日付で青森運転所から仙台運転所へ転入した元A7編成で、2002年12月1日より「あいづ」「ホリデーあいづ」、2003年10月1日改正で格下げされた快速「あいづライナー」に使用されたが、2004年10月15日の同列車廃止後は事実上の休車となっていた。改造は2005年6月までに郡山総合車両センターで施工した。
クロハ481-1014は全室普通車に復元され、元番号のクハ481-1017に復帰した[111][要検証 ]。前面は運転台からノーズ部分が切り落とされた形になり、前照灯は愛称表示器の両脇に移設、尾灯はLED化の上でノーズ切り落とし部に移設された[111][要検証 ]。座席は新品に交換のうえでシートピッチが1,100 mmに拡大され、定員は改造前の380名から改造後は319名となった。
塗装は会津の伝統を示す赤帯と温かみのある白・オレンジの配色とされた[112]。東武100系電車と同色塗装であり、後に東武直通特急「日光・きぬがわ」用へ転用改造することを前提としていた。
2005年7月1日は「オープニングあいづ」として会津若松→喜多方を片道運行。翌2日から新宿 - 喜多方間の特急「あいづ」1往復ならびに郡山 - 会津若松・喜多方間の特急「アクセスあいづ」2往復が運転された[注 41]。2005年9月まで運転され、翌2006年からは東武鉄道乗り入れ用に再改造されて特急「日光」「きぬがわ」に投入された。
改造 年次 |
← 上野・新宿・郡山・喜多方 会津若松・仙台 →
| |||||
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クハ481 | モハ484 | モハ485 | モハ484 | モハ485 | クハ481 | |
2005年 | 334 | 1058 | 1055 | 1017 |
東武鉄道乗り入れ対応改造
[編集]「あいづ」用2005年度改造車は、東武鉄道乗り入れ特急への転用のため2005年12月15日付で小山車両センターへ転出した。小山転出後に東武乗り入れのための再改造を郡山総合車両センターで施工した。
先頭車正面の列車愛称表示器の撤去・運転台部分を3000番台に準じた1枚窓の新しい構体へ交換・3号車の業務用室を多目的室へ変更した。乗務員交代は栗橋駅で行うことになり、JR・東武両者の保安装置や機器類を一斉切替可能なスイッチが設置されている[111][要検証 ]。東武形ATSと列車無線、自動放送装置も搭載された。
2006年3月18日から新宿 - 東武日光・鬼怒川温泉間特急「日光」「きぬがわ」に投入された。253系1000番台の投入に伴い2012年2月10日付で仙台車両センターへ再度転出し、「あいづライナー」運用に充当されたが、老朽化により2015年7月3日付で廃車された[29]。
「あいづ」向け改造(2006年)
[編集]2006年も「この夏も会津へ2006キャンペーン」が開催されることになり、上野 - 喜多方間の特急「あいづ」運転のため元青森運転所A3編成が2006年3月23日付で仙台運転所へ転入し、2006年7月26日までにリニューアル工事が施工された。
クロハ481-1013は全室普通車に復元され、元番号のクハ481-1015に復帰した[111][要検証 ]。海峡線用ATC-Lを撤去しATS-Psを追加搭載、塗装は会津大学短期大学部学生のデザインをベースとした赤と黒の2色に「あいづデスティネーションキャンペーン」のマスコットキャラクター「あかべぇ」をまとわせた専用塗装となった。
2006年7月29日より上野発着の「あいづ」ならびに仙台発着の「仙台あいづ」に2006年9月まで充当された[注 42]。この編成は仙台所属のまま引き続き快速「あいづライナー」運用へ充当されたが、2007年 - 2010年まで夏期キャンペーン期間のみ「あいづ」へ充当された[注 43]。2011年6月には国鉄色への塗装変更を施工。2012年2月に「あいづライナー」を元東武直通車編成が再転入した以降は波動対応ならびに元東武直通車編成の予備として運用されたが、老朽化により2016年8月4日付で廃車された[48]。
改造 年次 |
← 上野・新宿・郡山・喜多方 会津若松・仙台 →
| |||||
---|---|---|---|---|---|---|
クハ481 | モハ484 | モハ485 | モハ484 | モハ485 | クハ481 | |
2006年 | 1016 | 1077 | 1032 | 1015 |
JR西日本の改造車
[編集]クロ480形1000番台
[編集]1988年3月改正で北陸特急「北越」を従来の7両編成から6両編成(金沢運転所O編成)に短縮することになり、1988年にサロ489形5両を吹田工場で先頭車化改造してクロ480形1000番台に区分された。種車がサロ489形1000番台のために210kVAのMGおよびCPを搭載するほか、台車はTR69Hを装着する。0番台同様に前位側トイレ・洗面所区画を台枠ごとカットし新たに別途製造済の運転台を接合したほか、後位側に車掌室・車販準備室のほか電話室を設置する。
クロ480-1002は1991年に「かがやき」「きらめき」用グリーン車としてクロ480-2301に改造された。残る車両は2004年の「加越」「しらさぎ」統合ならびに683系化で余剰となり廃車された。
- サロ489-1002・1005・1008・1010 → クロ480-1001 - 1004
サロ489形100番台
[編集]「スーパー雷鳥」用パノラマグリーン車クロ481-2101への改造が予定されていたサハ481-118にMGを、サロ481-2006へCPを供出するため、1988年にサロ489-1004に松任工場で撤去工事を施工した。サロ489形1000番台は本車を除いてすべて制御車化改造が施工されたため新製時の車体を維持する唯一の車両である。
改造後も引き続き新製配置の金沢運転所で「しらさぎ」「加越」「北越」などに充当されたが、681系電車・683系電車への置換えで運用離脱となり2003年に廃車。
- サロ489-1004 → サロ489-101
「かがやき」「きらめき」グレードアップ車
[編集]JR西日本では1988年3月13日ダイヤ改正で運転開始した北陸本線特急「かがやき」「きらめき」用として485系のグレードアップ改造車が投入された[112]。金沢運転所S編成に施工した専用塗装化ならびに内装をデラックス化する改造工事である。
改造内容は上述した上沼垂運転区施工車とほぼ同様であるが、「かがやき」「きらめき」充当車は当初普通車のみで全車指定席であったこと。さらに並行する北陸自動車道高速バスに対抗する観点からシートピッチを1,010 mmへ拡大したが、窓割は従来のままのため座席配置と窓割が一致しない区画が存在するほか、客室窓の上方拡大は未施工でデジタル時計内蔵案内表示器が仕切ドア上部では壁面に設置となった相違点がある。
「かがやき」「きらめき」用S編成も1990年以降にクロ480-2301・クロ481-2201・2300番台などの改造グリーン車を組込んだが[注 44]、こちらは座席床面の嵩上げは未施工ならびにオーディオパネルは未装備であり、クロ480-2301を除きシートピッチは1,180 mmである[注 45]。
S編成充当車は1997年に一部が「はくたか」用V編成にならびに「加越」用K編成に転用されたが、いずれも2003年までに金沢での運用を終了。一部は京都総合運転所に転出し「雷鳥」などで運用され、2011年8月までに廃車となった。
「白山」用ラウンジ&コンビニエンスカー改造車
[編集]1989年に金沢運転所所属で「白山」用H編成の6号車に組成されるモハ489-18 - 21へ車両番号は変更せず松任工場で施工された以下の改造である。
- 客室はユニットを組むモハ488形寄り側窓4区画分の定員32名に変更
- 客室に続く側窓1枚分区画は仕切りとし客室側半区画は窓を埋込とし残り半分のラウンジ側は外気取り入れ可能な上段下降式窓へ変更
- 客室寄り側窓2枚分区画はフリーラウンジスペースとして1位側・3位側に波形テーブルと丸椅子 2位側・4位側にテーブルとソファを設置
- デッキ寄り側窓2区画は1位側・3位側が流し台を備えたカウンター 2位側・4位側が窓を埋込とし冷蔵ケースや商品陳列棚としたコンビニエンススペースとした
- カウンター妻面には冷蔵庫ならびに電子レンジも装備しレトルトや冷凍食品であるもののカレーライス・鰻丼・おでん・たこ焼きなどの軽食を加熱して供した
- 洗面所とトイレは倉庫などの業務用室に変更し電動行先表示機を使用停止
コンビニエンス営業は「白山」のみで行われ、他の列車では専ら車内販売の基地として使用された。
1997年にH編成1本減で18が波動輸送対応用Z01編成に転用されたが1998年に廃車。残りの3両は1997年の「白山」廃止後も引き続きH編成に組成され「能登」で運用され続けたが、コンビニエンス営業が終了となったことから冷蔵ケースや商品陳列棚を撤去し清涼飲料水の自動販売機を設置。2010年の運用終了後は2012年までに廃車となった。
向日町所属ボンネット車の密連化改造
[編集]1986年12月から大阪 - 和倉温泉間にキハ65形改造車のキロ65形による臨時特急「ゆぅトピア和倉」が運転開始されたが、金沢以西は「雷鳥」に無動力で牽引される方法が採られた。キロ65形は密着連結器に交換されていたため、当初は向日町運転所所属のクハ481形200番台・300番台車で限定運用されたが、ボンネット車の配置が多いことから1989年3月以降運用上の制約を避けるため同所所属のクハ481-101・103・105・106・111・112・118 - 123へ電車の連結器交換および制御回路用KE70形ジャンパ連結器装備などを施工した改造である[注 46]。
なお、本改造はJR東日本勝田電車区0番台車2編成連結運転対応改造との相違点として、方向転換を考慮して両渡り構造を採用したが、本系列のみによる分割併合運用に対応させる目的はないため、高圧三相引通用KE9形ジャンパ連結器は装備しない。
「スーパー雷鳥」用改造車
[編集]北陸特急では1989年3月11日ダイヤ改正で「スーパー雷鳥」の運転が開始されることになり、設備を一新した専用編成が485系の改造で投入された[113]。パノラマグリーン車とラウンジ付きグリーン車の連結、普通車指定席の嵩上げとシートピッチ拡大などのグレードアップ、湖西線での最高速度130 km/h運転による所要時間短縮が図られた[113]。塗装はオイスターホワイト(白)をベースにJR西日本のコーポレートカラーである青色帯の上にピンク色の細帯を巻いた専用色に変更された[113]。編成は金沢運転所のR編成となっている。
パノラマグリーン車のクロ481形2000・2100番台は中間車の先頭車化改造で運転台が接合され、座席は2 + 1列の3列配置となり、座席部床面の嵩上げと客室窓の上方拡大を施工した[113]。ラウンジ付きグリーン車のサロ481形2000番台は「雷鳥」の和風グリーン車「だんらん」からの改造車で、半室をパノラマグリーン車と同タイプのグリーン席、もう半室をラウンジとした[113]。普通車指定席も「かがやき」「きらめき」と同様にシートピッチ拡大などのグレードアップがなされ、自由席車もリクライニングシート化された[113]。また、各車とも肘掛にオーディオパネルを装備した[113]。
運用開始当初は7両編成であったが、利用の好調により9両編成に増車され、1991年2月までに9両編成5本が登場した[113]。同年9月の七尾線電化までにはクハ481形200番台を連結する基本7両編成6本・先頭車化改造されたクモハ485形200番台を連結する付属3両編成7本が用意された[113]。基本7両編成が七尾線和倉温泉行きの場合、付属3両編成は金沢駅で分割併合して富山方面行きとなり、富山地方鉄道への直通運転も行われた[114]。
1995年4月には681系「サンダーバード」と編成を合わせるため大阪方がパノラマグリーン車となるよう方向転換され、同年10月の「しらさぎ」分割併合運転開始により「スーパー雷鳥」のうち3編成が10両固定編成となった[113]。これにより10両固定編成にはサロ481形を「スーパー雷鳥」普通車指定席仕様に改造したサハ481形500番台が組み込まれている[114]。
2001年3月3日ダイヤ改正での683系投入により、「スーパー雷鳥」は「サンダーバード」に統合されて廃止された。ラウンジ付きグリーン車は廃車となり、パノラマグリーン車ほか一部が「しらさぎ」用にリニューアルされて転用された。
クロ481形2000・2100番台
[編集]-
クロ481-2002
旧国鉄色 -
クロ481-2002
しらさぎ色 -
クロ481-2101
スーパー雷鳥色(旧塗り分け)
客室窓配置に相違 -
しらさぎリニューアル以後の客室内
1989年の北陸特急「スーパー雷鳥」運転開始に伴い、同列車充当金沢運転所R編成の富山方先頭車に前面展望を楽しめるパノラマグリーン車を連結することになった[115]。吹田工場でサロ489形1000番台・サハ481形100番台へ施工した先頭車化ならびにグレードアップリニューアル改造である。
前面は低運転台の流線型とし、大型曲面ガラスにより前面展望を可能とした[115]。前灯・尾灯はフロントガラス下部へ並列にまとめてケース内設置としたほか、フロントガラス内上部にも前灯を2基搭載する。車内のグリーン席は展望の観点からシートのヘッドレスト部分が小型化されており、以後のJR西日本におけるパノラマ型展望車の基礎となった。
シートは乗客用扉から運転席に向かって通路を挟み向かって左側が2席、右側が1席の2 + 1配置とした上で、シートピッチ1,160 mmで12列配置した[113]。床面を150 mm嵩上げし、窓を上方へ76 mm拡大した[113]。また、車掌室を客室化し、車販準備室を洋式トイレ・洗面所に改装した[113]。塗装は側面の青帯と赤帯が正面まで回り込む仕様とされたが、短期間のうちに乗務員扉付近とライトケース周囲で帯を分断する仕様に変更した。2000番台では種車のMGは継承したが、CPは隣接するラウンジ付きグリーン車のサロ481形2000番台へ移設された[115]。
2101は種車がサハ481-118となるための区分で窓配置・車体長・搭載機器配置・台車形式が異なる[116]。車販準備室を客室化し、トイレは洋式にするなどリニューアルされた[113]。改造種車はMG・CPを撤去していたが、この改造時にサロ489-1004から取り外した出力210 kVAのMGが床下に再設置された[113]。その他の点は両番台で共通する。
2001年の「スーパー雷鳥」廃止後は塗装変更と内装リニューアルを施し2001年7月12日より「しらさぎ」に転用された。「しらさぎ」転用時にサロ481形2000番台が廃車となったために以後は次位にCP搭載改造を施工したモハ485形500番台+モハ484形ユニットを連結することが限定された。
2003年7月19日に「しらさぎ」も683系へ置換えられたため京都総合運転所へ転出。旧国鉄色へ塗色変更し「雷鳥」用A01 - A06編成に組成され2001年9月20日から2011年3月11日まで運用されたのち、全車廃車となった。
- サロ489-1001・1006・1003・1007・1009 → クロ481-2001 - 2005
- サハ481-118 → クロ481-2101
サロ481形2000番台
[編集]JR西日本では1989年と1991年に吹田工場で和式グリーン車「だんらん」のサロ481形500番台のうち6両が「スーパー雷鳥」用ラウンジルーム付きグリーン車に再改造され、サロ481形2000番台となった[117]。改造では種車の半室をグリーン席、もう半室をコンビニエンスラウンジとし、グリーン席側を同時改造のパノラマグリーン車クロ481形と連結した[113]。
グリーン席は「だんらん」時代の和室を撤去してシートピッチ1180 mmの2 + 1配置のリクライニングシートを6列配置し、床面を150 mm嵩上げして窓を上方へ拡大した[113]。食堂車時代からの外吊式業務用扉は引き続き残存させたが、乗客用扉ならびにトイレ・洗面所は装備しない。
「だんらん」時代のビュフェをコンビニエンスラウンジに変更し、ラウンジにはフリースペースとビュッフェコーナーを設けた[113]。ラウンジ部は1位側・3位側は大型ソファーをコの字状に配置、2位側・4位側はサシ481形時代の通路窓で高位置となることから、背もたれが無い床机状のソファーを縦に3席配置して窓下に長テーブルを設置した。落成直後の色調はバブル期を反映して壁面は白、座席は薄紫を基調としたが、後年に茶色を基調としたシックで落ち着いた和の雰囲気に変更された。
ビュフェカウンター部を売店とし、商品陳列棚・ジュースクーラー・冷蔵ショーケースなどを設置、冷蔵庫ならびに電子レンジも装備した。また、床面はローンテックスを施工した上でタイルカーペットを敷設した。客室に続く側窓1区画は埋込とし仕切壁・ビデオデッキ&モニターテレビ機器室・カード式公衆電話室を設置した。
業務用室は側窓埋込が行われたが、サシ481形時代に設置されていた妻面の回送運転台用窓は残存した。また、クロ481形には側面方向幕を搭載しないため新たに方向幕を新設した。また、1989年改造の2001-2004では車端部の手すりの撤去と窪みの埋め込みも行われたが、1991年に追加改造された2005・2006は手すりを残置した。
グリーン車側の半室をパノラマグリーン車と連結するため方向転換が行われたほか、床下の70 kVAのMGを撤去してCPが移設された[113]。CPは大半がパノラマグリーン車の種車から、サロ481-2006ではサロ489-1004から移設されている[113]。
2001年の「スーパー雷鳥」廃止後は「しらさぎ」への転用対象から外れて廃車された[117]。CPはモハ485形500番台に再移設、台車は新たに改造されるサハ481形600番台・700番台に転用された。
- サロ481-502 - 505・509・508 → サロ481-2001 - 2006
クロ481形2200・2300番台
[編集]1990年から「かがやき」と運用分離されていた「きらめき」も1992年3月14日のダイヤ改正でモノクラス4両→6両グリーン車組込編成で共通運用化されることになり、クハ481形200・300番代へのグリーン車化改造が松任工場・吹田工場で施工された。クハ481形200番台からの改造車が2200番台、クハ481形300番台からの改造車が2300番台に区分された。
改造内容は両番台共通で、床面を50 mm嵩上げ、座席は2+1配置12列に変更され、定員は36名である[116]。トイレと洗面所がリニューアルされ、側面方向幕は客室窓上へ移設された[116]。
1997年の「かがやき」・「きらめき」廃止と北越急行ほくほく線開業により、2302・2303は「はくたか」用V編成に、2201・2301は国鉄特急色に変更されて「加越」・「北越」に転用された[116]。2002年の「はくたか」681系化後は2302・2303の2両も「加越」用K編成へ転用された。
2003年の「加越」の「しらさぎ」統合と683系化により2201は廃車となり、2300番台は3両とも京都総合運転所の「雷鳥」用A編成の非パノラマグリーン車編成に組み込まれた。2009年に3両とも山陰特急用183系へ改造されて消滅した[116]。
- クハ481-224 → クロ481-2201
- クハ481-307・325・327 → クロ481-2301 - 2303
クロ480形2300番台
[編集]2301は1991年に「かがやき」用S編成にグリーン車組込むためクロ480-1002に転用改造を吹田工場で施工した区分。クロ481形2300番台同様に座席配置を2+1とし床面を50 mm嵩上げ、またトイレ・洗面所のリニューアルにより同部分の小窓を埋込とし、車掌室・車販準備室を撤去した上で方向幕は客室化した部分の客窓上部に移設などグレードアップ化を実施した。
「かがやき」「きらめき」廃止後は「加越」へ転用され、「加越」廃止後は京都総合運転所へ転出し「雷鳥」用A10編成に組成されたが、2010年4月30日付で廃車され廃形式となった。
- クロ480-1002 → クロ480-2301
クモハ485形200番台
[編集]1991年の七尾線電化に伴って「スーパー雷鳥」は基本7両・付属3両の10両編成が組まれることになり、3両編成の付属編成用先頭車としてモハ485形を先頭車化改造したクモハ485形200番台が登場した[118]。吹田・松任の両工場で施工された。
改造では前位のトイレと洗面所を撤去し、切妻で貫通扉が1枚の低運転台が設置された。指定席車仕様として座席床面を70 mm嵩上げ、R55系フリーストップリクライニングシートを1,010 mmピッチで配置し、定員は60名である[113]。後位車端には電話室と車販準備室が設置された[113]。
クハのMGが故障しても運転が継続可能なよう、非常用に小型SIVのSC16が設置された[113]。前位側台車は種車のDT32E形に手ブレーキ装置とスノープロウなどを取付たWDT32形に変更された。
1995年の付属編成方向転換時に205が運用を外れ休車。1997年には201・203・204は「しらさぎ」増結車に転用され電気連結器を装着。2001年の編成変更の際にはユニットを組むモハ484形が組み替えられ、2003年まで運用された。「スーパー雷鳥」用に残存した202・206・207は2001年の運用終了後は休車となった。
2003年に205は廃車、保留車を含む残存車6両は山陰本線特急用としてクモハ183形200番台に改造された。
- モハ485-219・220・235・236・246・247・239 → クモハ485-201 - 207
サハ481形500番台
[編集]「しらさぎ」用付属編成捻出により「スーパー雷鳥」用編成3本が10両貫通固定編成化されることになり、1997年にサロ481形より金沢総合車両所で改造。外観は種車と大差ないが、グレードアップ化で指定席車両となることから、床面を70 mm嵩上げした上でシートピッチを1010 mmとしたことで窓配置と座席間隔が一致しない。
2001年に「しらさぎ」へ転用、2003年に京都総合運転所へ転出し「雷鳥」で運用されたが、2011年までに全車廃車となった。
- サロ481-66・121・131 → サハ481-501 - 503
「しらさぎ」分割併合対応改造
[編集]1997年10月改正で「しらさぎ」の分割併合運転が開始されることになり、「スーパー雷鳥」編成のクモハ485形200番台を含む車両が転用され、3両付属編成3本と4両基本編成4本が分割併合用に組成された[119]。「スーパー雷鳥」からの転用車は再方転されて正方向に復帰し、クモハを含む分割併合側先頭部は電気連結器を設置、車体塗装は国鉄特急色に変更された[119]。また、自由席と指定席の客室の関係から電動車ユニットを組む車両の差し替えが行われている[119]。
「はくたか」リニューアル車
[編集]1997年3月改正での北越急行ほくほく線開業で従来の「かがやき」に代わって福井・金沢 - 越後湯沢間に特急「はくたか」が設定されたが、このうちJR西日本受け持ち列車は681系に加えて元「かがやき」「きらめき」用485系をリニューアルして投入することになった[119]。改造内容は車体塗装の変更、化粧板や床材、座席モケットの交換などである[119]。先頭車には北越急行乗り入れのためATS-Pが搭載された[120]。
塗装は白地に薄いグレーとJR西日本のコーポレートカラーである青帯が配された。福知山電車区配置の183系A・C編成と塗装が酷似するが、相違は地色が灰色な点である。
1996年に8両編成2本が改造され、編成番号はV01・V02編成となった[120]。V01編成はS02編成 + S05編成2・3号車MM'ユニット、V02編成はS03編成+S04編成2・3号車MM'ユニットで組成されており、S04・S05編成から車両は6・7号車に組み込まれた。金沢方1号車はクロハ481形2300番台で、4号車のモハ484形は車掌室付きである。残りの「かがやき」「きらめき」用グレードアップ車は国鉄色に変更されて「加越」に転用された[121][119]。
8両とされたのは「はくたか」共管のJR東日本上沼垂運転区485系の9両編成に合わせること、また北越急行内での最高運転速度が当初は140 km/h、1998年12月8日以降は150 km/hに設定されたことからMT比2:1以上が要求されたためである。
「しらさぎ」リニューアル車
[編集]2001年3月改正では683系の投入により「サンダーバード」が増発され、485系の「スーパー雷鳥」は運転終了となったが、この捻出車を「しらさぎ」のサービス向上用に転用することになった[119]。旧「スーパー雷鳥」編成を既存の「しらさぎ」分割併合車同様に再方転して編成組み換えを行い、富山方をグリーン車とした基本7両編成7本、および付属3両編成3本が用意された[119]。
塗装はグレーをベースに窓まわりを紺色とし、窓下にオレンジの帯が配された[119]。車内はカーテンなどの交換、トイレ・洗面所のリフレッシュなどが行われた。基本7本のうち4本が分割併合に対応し、基本編成の米原方2両と付属編成の米原方1両が自由席車となった[119]。
グリーン車は旧「スーパー雷鳥」のパノラマグリーン車が転用されたが、基本編成に対して1両不足するためクハ489形改造の非パノラマグリーン車クロ481-2351が投入された[119]。サロ481形ラウンジ付きグリーン車に代わり新たにパノラマグリーン車に隣接するモハ485形には空気圧縮機が設置されて500番台となった[122]。付随車の不足する4両はモハ484形のグレードアップ車が電装解除されて組み込まれた[122]。
クロ481形2350番台
[編集]「スーパー雷鳥」編成のクロ481形パノラマグリーン車は2001年に「しらさぎ」に転用されたが、その際に基本編成は6本→7本になることからクロ481形は1両不足となったため、クハ489-301にグリーン車化改造を施工した。施工所は金沢総合車両所である。
2201・2300番台と同様に座席は2 + 1配置12列の定員36名へ変更したほか、床面を50 mm嵩上げ。車掌室ならびに業務用控室は省略する。種車がクハ489形300番台であるため、CPは運転台助手席下部ではなく床下に搭載された[123]。側面方向幕の客室窓上移設は未施工でトイレ・洗面所設置のままなど相違がある。
「しらさぎ」の683系電車化に伴い、2003年7月19日に廃車。
- クハ489-301 → クロ481-2351
モハ485形500番台
[編集]「スーパー雷鳥」編成に組成されるクロ481形2000番台・2100番台は床下にMGを搭載するが、CPは次位に連結されるサロ481形2000番台に移設されていた。しかし、2001年に「しらさぎ」へ転用する際にサロ481形が編成から外れ廃車となることから、新たにクロ481形の次位に連結されるモハ485形へCPを金沢総合車両所で移設したことにより改番した区分である。
本区分は「スーパー雷鳥」へグレードアップする工事を施工した際にトイレ・洗面所を電話室と清涼飲料水自動販売機スペースへ変更していたことから、同時に撤去した床下水タンク跡にCPを搭載する。
「しらさぎ」運用終了後は京都総合運転所へ転出し「雷鳥」で運用され2011年までに全車廃車となった。
- モハ485-234・222・218・232・248・237 → モハ485-501 - 506
サハ481形600番台
[編集]2001年の「スーパー雷鳥」編成の「しらさぎ」転用時にサハ481形が4両不足したことから金沢総合車両所でモハ484形を電装解除した区分。種車のAU71形集中式冷房装置も流用されたほか、種車は指定席用グレードアップ改造を施工済。2003年に京都総合運転所へ転出し「雷鳥」で運用されたが、2011年までに全車廃車となった。
602は「かがやき」用S編成時代にトイレ・洗面所を撤去し電話室と自販機が設置されたが本改造時に復元された。
- モハ484-333・335・332・321 → サハ481-601 - 604
「しらさぎ」「加越」から「雷鳥」への転用
[編集]2003年10月のダイヤ改正で「しらさぎ」・「加越」は683系2000番台への置き換えとともに「しらさぎ」へ統合されたが、余剰となった485系「しらさぎ」「加越」編成よりグレードアップ車の一部が金沢から京都へ転属し、「雷鳥」編成に組み込まれた[122]。編成は「サンダーバード」用681系・683系のグリーン車の向きに合わせて方向転換され、大阪方先頭車をグリーン車とした9両編成10本が組成された[124]。塗装は国鉄特急色に統一された[124]。
編成は大阪方1号車がグリーン車、2・3・4号車が普通車指定席、5号車から9号車が普通車自由席である[124]。グリーン車はパノラマグリーン車またはクロ481・480形2300番台が転用され、指定席車のモハユニットとサハ1両はグレードアップ車、6号車のモハ484形は車販準備室付きである[124]。指定席車のサハ481形のうち3両はモハ485形を電装解除したサハ481形700・750番台への改造で補われている[124]。
この「雷鳥」組成変更によりクハ481形ボンネット車の運用は終了した[124]。
サハ481形700・750番台
[編集]2003年の「しらさぎ」「加越」への683系電車投入による「雷鳥」転用で、サハ481形が500番台・600番台の7両では不足することから、モハ485形3両を電装解除して充当した[124]。751は種車が1000番台による区分である。金沢総合車両所で施工された。
種車はいずれもモハ485形時代に「スーパー雷鳥」指定席車としてグレードアップ工事を施工済で、定員はいずれも64名である[125]。2011年までに全車廃車となった。
- モハ485-227・228 → サハ481-701・702
- モハ485-1029 → サハ481-751
JR九州の改造車
[編集]クロハ481形0番台
[編集]民営化後の1987年 - 1988年にJR九州小倉工場で計13両が改造された区分。種車は1 - 8が貫通型の200番台、9 - 13が非貫通の300番台であるが、番号による区別はなく0番台の連番である。グリーン席は3列×5席。
1993年にクロハ481-1がクハ481-226に復元された。2000年に9 - 13が廃車。残りの車両も2012年までに廃車された。
- クハ481-226・232・233・234・239・241・251・262 → クロハ481-1 - 8
- クハ481-312・328・329・341・353 → クロハ481-9 - 13
クロハ480形50番台
[編集]1987年 - 1988年に小倉工場でクロ480形へ前位側グリーン席5列を残して後位側を普通車化改造したグループ。52は1992年にクロ480-12へ復元。51は2001年に廃車。
- クロ480-11・12 → クロハ480-51・52
キハ183系「オランダ村特急」との協調運転対応
[編集]1960年代には電車と気動車の協調運転が実現可能なことが確認されたが、定期列車での運転は見送られていた[126]。1986年開始の北陸特急「雷鳥」485系とキロ65系「ゆぅトピア和倉」併結運転ではブレーキ制御のみの協調で動力は電車牽引であった[126]。1987年には鉄道総合技術研究所(鉄道総研)でクモニ83形とキハ30形による協調運転試験を行い、電車・気動車の協調運転システムが開発された[126]。
JR九州では1989年4月より485系特急「有明」とキハ183系1000番台「オランダ村特急」の完全協調運転を開始した[126]。協調運転を行ったのは門司港発の下り「有明11号」のみで、上りは単独運転であった[126]。当初は気動車が先頭の編成として門司港 - 博多間で併結していたが、1990年3月改正からは電車を先頭として併結区間も門司港 - 鳥栖間に延長された[126]。
電車特急「ハウステンボス」の運行開始に伴い、「オランダ村特急」は1992年3月改正で運行を終了した[126]。キハ183系1000番台は「ゆふいんの森II世」に改造された。
「RED EXPRESS」シリーズへの改造
[編集]JR九州が783系以降の新型車との格差解消を目的に1989年以降に施工した以下の改造である。
- 車体
- 機器
- 電源切替回路を使用不能にし、交流専用車化。
- モハ484形の第2パンタグラフを撤去。さらに一部車両では附帯するランボードも撤去。
- 車内
- グリーン座席を3列シートに統一。
- 普通座席をリクライニングシートに交換[注 49]。
- グリーン車ならびに喫煙普通車へ空気清浄機を取付。
- トイレへ換気扇を取付。
- クロ480形を含む5両編成に組込まれるモハ485形はトイレ・洗面所を業務員室・車販準備室に変更。
- デッキ部にカード式公衆電話ならびにアンテナを設置。
- 先頭車
- クハ481形200番台・クハ480形は連結用貫通扉埋込ならびに扉レールを撤去。
- クハ481形300番台・クモハ485形は前面飾り帯を撤去。
- 前面特急マークを金色化[注 50]。
- ヘッドマークは黒を地色とし、白抜き文字で列車名やエンブレムなどを表記する以下の新デザインに変更された。
- 「KAMOME EXPRESS」「MIDORI EXPRESS」「HUIS TEN BOSCH」は新たに作成されたエンブレム[注 51] を表記。
- 「RED EXPRESS」は上側に大きく「RE」のロゴ、下側に列車名を「かもめ」はローマ字で、他列車はひらがなで表記。
- 「きりしま」「ひゅうが」では以下のパターンが存在する。
- 「RED EXPRESS」と同一仕様。
- ロゴ部を2段で「KIRISHIMA EXPRESS」に変更した仕様。
- ロゴ部を「K & H」に変更した仕様。
- 列車名のみ表記。
- ただし諸事情などで国鉄時代にデザインされた文字のみ、またはイラスト入りヘッドマークで運用された実績がある(画像参照)。
本改修は最終的に6種類の塗装バリエーションとした上でJR九州所属全車に施工された。
- KAMOME EXPRESS
- 1990年3月に「かもめ」単独運用充当の7両・8両編成へ施工されたJR九州のコーポレートカラーである赤を基調とし、窓周りを連続窓風に黒くした塗装。各所に「かもめ」をモチーフとしたロゴが入れたことから「赤いかもめ」とも呼称された。
- 1996年に783系へ置換えられ消滅。
- MIDORI EXPRESS
- 1990年10月に施工された「みどり」用塗装。赤を基調とするが、「KAMOME EXPRESS」で採用された窓周りの黒塗装は未施工。各所に「みどり」をモチーフとしたロゴを入れたことから「赤いみどり」と呼称された。
- 2000年に783系へ置換えられ消滅。
- RED EXPRESS
- 元々は「みどり」と併結を行う「かもめ」用5両編成へ1990年に施工。赤を基調として各所に「RED EXPRESS」の文字とロゴマークが入る。
- 上述2種とは異なり運用列車の限定制約がないことから「にちりん」「有明」にも充当された。
- 2000年以降は「きりしま」「ひゅうが」でも運用されたが、783系・787系へ置換られ2012年度に消滅。
- HUIS TEN BOSCH → KIRISHIMA & HYUGA
- 1992年に施工。赤を基調とし各所に「HUIS TEN BOSCH」の文字とロゴマークが入る「ハウステンボス」用塗装。
- 1994年に車体基調色を編成内でクモハ485(緑)+モハ484(青)+サハ481(黄)+クハ481(緑)とし、アクセントに赤・青・黄・緑の4色によるブロックパターンを組合わせた新塗装へ変更。
- 2000年に「ハウステンボス」全列車が783系へ統一され、「きりしま」「ひゅうが」へ転用する際にサハ481形は廃車し3両編成化。ロゴマーク等を変更して「KIRISHIMA & HYUGA」塗装となった。
- 2012年度に783系・787系へ置換られ消滅。
- KIRISHIMA EXPRESS
- 1995年に施工された緑を基調とした「きりしま」用塗装で「KIRISHIMA EXPRESS」のロゴが入る。
- 2000年に「ひゅうが」と共通運用となり、「にちりん」用「RED EXPRESS」塗装車と「ハウステンボス」車を転用した「KIRISHIMA & HYUGA」車での運用に変更したため一旦消滅。
- 2004年にRED EXPRESS保留車だった3両のDk9編成へ施工され復活するが、2010年に旧国鉄色への塗装変更で再度消滅[128]。
- 旧国鉄色
- 2000年にミレニアム記念としてDk2編成[注 52] に施工。2010年8月には上述のDk9編成[注 53]、さらに12月には大分車両センター所属の連結用MM'ユニットにも施工された[129][注 54]。
- 本グループのDo32編成5両がJR九州で最後に車籍を有する本系列であったが、2015年10月18日に大分駅から小倉総合車両センターへの廃車回送を兼ねたさよなら運転で運用を終了[130]。
クロ481形300番台
[編集]1990年にJR九州小倉工場(現在:小倉総合車両センター)が南福岡電車区配置のクハ481-243へ施工した全室グリーン車化改造で1両のみの区分とされ、改造施工後は鹿児島運転所に配置された。
改造により出入台前位に乗務員室を増設したため乗降扉横の窓が2分割されており、シートピッチ拡大により窓配置が一致しないほか、座席は落成時が通常の2+2配置とされたものの1991年以降に実施された2+1の3列配置へグレードアップが施工された。
1995年4月20日ダイヤ改正で「にちりん」運用が終了し「きりしま」専従なった際にグリーン車連結を中止したため南福岡電車区へ転出。同区配置のクロ480形と「にちりん」「かもめ」で共通運用されたが、2000年3月11日ダイヤ改正で同区の全室グリーン車運用終了に伴い2000年3月31日付で廃車ならびに廃区分番台となった。
- クハ481-243 → クロ481-301
モハ485形電装解除車(JR九州)
[編集]1992年 - 1994年に鹿児島車両所・小倉工場で「ハウステンボス」編成用にモハ485形6両の電装解除をしサハ481形化した改造[注 55]。車番は形式のみ変更を実施。2000年までに全車廃車となった。
- モハ485-93・126・153・159・163・195 → サハ481-93・126・153・159・163・195(同番号)
JR各社の他系列への改造車
[編集]スシ24形0番台への改造(JR西日本)
[編集]JR西日本では1988年にサシ481・489形3両が24系客車のスシ24形に改造され、スシ24 1 - 3となった[131]。改造内容は国鉄時代のスシ24 501 - 503と同様であるが、食堂の窓は高さが低くなった。スシ24 1・2はサシ489形初期車からの改造のため冷房装置がキノコ型カバーのAU12で、スシ24 3は1986年に廃車となったサシ481-52を車籍復活の上で改造した[131]。
1988年に鷹取工場で改造後、宮原客車区(後の宮原総合運転所)に配置された。改造当初は「びわ湖一周グルメ列車」など団体列車に使用され、一般の24系と同じ塗装であったが、1989年に運行開始の大阪 - 札幌間寝台特急「トワイライトエクスプレス」用として整備され、塗装も緑色となった[131]。
2015年の「トワイライトエクスプレス」運用終了後はツアー列車に使用されたが、2017年3月までに廃車となった。スシ24 1は京都鉄道博物館で展示保存されている。
- サシ489-3・4 → スシ24 1 - 2
- サシ481-52 → スシ24 3
スシ24形500番台への改造(JR東日本・JR北海道)
[編集]1988年の寝台特急「北斗星」運行開始に合わせ、JR東日本ではサシ481・489形を改造したスシ24形3両を投入した[81]。車両番号はJR北海道承継車3両に続いてスシ24 504 - 506となった[81]。
1989年にはJR東日本で507、JR北海道で508が増備された[131]。JR北海道車は501 - 503を含めて札幌運転所に、JR東日本車は尾久客車区に配置された。504 - 506の食堂定員は当初40名であったが、「北斗星」運行開始までにJR北海道の501 - 503も含めて28名に変更した[131]。
2008年の「北斗星」減便で508を含むJR北海道車4両が廃車となり、各車ともミャンマー国鉄に譲渡された[81]。以後はJR東日本車のみ運用されたが、2015年の「北斗星」廃止で運用を終了した。2020年現在では保留車ではあるもののスシ24 506が車籍を有するほか、一部車両が保存もしくは譲渡されている。
スシ24 504は埼玉県川口市東川口「ピュアビレッジ東川口」でレストランとして営業[132][133][134]、スシ24 505は茨城県筑西市「ザ・ヒロサワ・シティ」で展示保存された。
- サシ481-64・65 → スシ24 504・505
- サシ489-83 → スシ24 506
- サシ489-7 → スシ24 507
- サシ481-50 → スシ24 508
オハ24形300番台への改造(JR九州)
[編集]JR九州では1990年3月改正より新大阪 - 西鹿児島間寝台特急「なは」に夜行高速バスとの競争のため内装をグレードアップした座席車「レガートシート」車を投入することになり、サロ481形3両がオハ24形300番台に改造された。車内は3列独立リクライニングシートとされ、シートピッチは1,160 mmである[135]。同改正では京都 - 長崎間寝台特急「あかつき」にも14系0番台を改造したオハ14形300番台の「レガートシート」車が連結された[135]。
「なは」は2004年の九州新幹線新八代 - 鹿児島中央間開業に伴って熊本止まりとなり、オハ24形300番台は2005年10月の「なは」「あかつき」併結運転開始に伴って編成から外され、2005年度中に全車廃車となった[135]。オハ24 301はタイ国鉄へ譲渡され、A.P.V301となった。
- サロ481-52・101・102 → オハ24 301 - 303
183系800番台への改造(JR西日本)
[編集]1986年に運行を開始した福知山線・山陰本線特急「北近畿」では485系が全線直流区間を運行していたが、1991年の七尾線直流電化により113系に485系の交流機器を転用して交直流化した415系800番台が七尾線に投入されることになり、「北近畿」用485系の交流機器が撤去されて183系800番台となった[136]。
このグループは1990年から1991年にかけて36両が改造され、交流機器撤去などの改造が実施された[136]。増結用ユニットの一部は485系として存置された[136]。引き通し線などの違いにより従来型の183系と連結しての運用はできない。塗装は国鉄特急色であるが、後に実施されたアコモデーション改良以降は窓下に赤2号の細帯が入れられた[136]。
1996年には山陰本線園部 - 福知山間、ならびに北近畿タンゴ鉄道宮福線・宮津線の福知山 - 宮津 - 天橋立間が電化されることになり、485系改造の183系編入車が42両増備された[136]。いずれも北陸特急への681系投入による余剰車の転用で、直流化改造とともにリニューアル工事も行い、塗装もベージュに窓周りが茶色で窓下にコーポレートカラーの青帯が入るものとなった[136]。
2003年には山陰本線・舞鶴線系統で電車特急の分割併合を行うことになり、元「しらさぎ」「加越」用485系のクモハ485形200番台など20両が183系に編入されたが、交流機器の撤去は行わず使用停止とされた[136]。
2009年には「北近畿」系統用183系へのATS-P設置工事に伴う予備車を確保するため、683系の増備で余剰となった元「雷鳥」用485系非パノラマ編成が183系に編入され、6両編成3本が増備された[137]。交流機器が存置されており、塗装も「雷鳥」時代と同じ国鉄特急色で窓下の細帯はない[137]。
2011年より287系の新製投入が開始され、「北近畿」の列車名は「こうのとり」に改称された。2012年からは元「くろしお」用381系が転入し、JR西日本の183系は2013年に運用を終了した。
ジョイフルトレインへの改造(JR東日本)
[編集]本系列をベースとしたジョイフルトレインは以下で解説する車両があり、改造および所有はすべてJR東日本である。全車改造車で施工内容は車体構体を流用したケースや、下回りだけ流用して全く新しい車両構体に載せ換えを実施したケースなど、多種におよぶ。
「シルフィード」
[編集]「シルフィード」は1990年度に新潟支社が導入した欧風電車である[137]。編成はクモロ485-1・モロ484-1・クロ484-1の3両編成で、余剰となった189系グリーン車サロ189形の改造であるが、新製車体と485系の部品を組み合わせている[138]。配置は上沼垂運転区である[137]。
先頭車の前面は165系「パノラマエクスプレスアルプス」に類似した展望構造で、客室の座席は2列・1列の3列構成である[139]。編成定員は81名である[138]。パンタグラフはモロ484形に1基のみ搭載で低屋根構造となっており、その下にトイレ・洗面所・更衣室を設置している。クロ484-1の床下にはディーセル機関車牽引による非電化路線乗り入れのため発電用ディーゼルエンジンも設けられ、DE10形の専用塗装機(長岡運転区所属DE10 1701)も用意された[137]。
2000年度に普通車となり、形式番号もクモハ485-701・モハ484-701・クハ484-701に変更された[137]。2001年度にはカーペット車「NO.DO.KA」に再改造された[137]。
- サロ189-2 → クモロ485-1 → クモハ485-701
- サロ189-3 → モロ484-1 → モハ484-701
- サロ189-4 → クロ484-1 → クハ484-701
「リゾートエクスプレスゆう」
[編集]水戸支社はスロ81系お座敷客車「ふれあい」の置き換え用として1991年度に欧風電車「リゾートエクスプレスゆう」を導入した[137]。配置は勝田電車区である[137]。
編成はクモロ485-2・モロ484-2・サロ485-1・モロ485-1・モロ484-3・クロ484-2の6両編成で、サロ485-1・モロ485-1を除く4両は「シルフィード」の続番である[139]。改造種車は余剰グリーン車のサロ183形・サロ189形・サロ481形であるが、新製車体に485系の部品を組み合わせている[140]。水郡線など非電化区間乗り入れ用として50系客車の荷物車マニ50 2186が電源車に改造された[137][要検証 ]。
先頭車は運転席後部を展望室とし、大型窓が設けられた。車内は片側通路で2列・1列の座席が千鳥配置で設けられた。編成定員は132名である[140]。4号車のサロ485-1はフリースペースで、ドーム型展望席を有する展望室、ステージ・サービスカウンターなどを備えたイベントフロアで構成されている[137]。
1998年度にはお座敷車に改造された[137][要検証 ]。その後も団体列車等で運用されたが、2018年に廃車となった[140]。
- サロ189-6 → モロ485-1 - 1998年10月の和式化で定員が33名から28名へ変更。
- サロ189-7・8 → モロ484-2・3 - 1998年10月の和式化で定員が39名から32名へ変更。
- サロ189-5 → クモロ485-2 - 1998年10月の和式化で定員が21名から20名へ変更。
- サロ183-1008 → クロ484-2 - 1998年10月の和式化で定員が21名から20名へ変更。
- サロ481-1002 → サロ485-1
「宴」
[編集]首都圏では客車による欧風車やお座敷車が複数運用されていたが、お座敷車の増強用として485系電車の改造によるお座敷電車「宴」が1994年度に導入された[137][要検証 ]。編成は両端を制御車としたクロ485-1・モロ485-2・モロ484-4・モロ485-3・モロ484-5・クロ484-3の6両編成で、クロ485-1を除く5両は「ゆう」の続番である[139]。小山電車区に配置された[137][要検証 ]。
車体は新造され、種車の機器類と組み合わされた。改造施工は東急車輛製造である[140]。前面は曲面ガラスを用いた丸みのあるデザインで、車内の客室は高床構造の全面畳敷とされている[137][要検証 ]。屋根高さは限界まで高く取られ、冷房装置は車端部に搭載された[140]。編成定員は152名である[140]。塗装は小豆色をベースに金帯2本が配された[137][要検証 ]。
2019年2月の団体列車を最後に運用を終了し、同年4月に廃車となった[140]。
- クハ481-25 → クロ485-1
- クハ481-22 → クロ484-3
- モハ485-56・37 → モロ485-2・3
- モハ484-56・37 → モロ484-4・5
「華」
[編集]首都圏で使用されていた12系客車のお座敷車「なごやか」の老朽置き換え用として、1996年に485系を改造したお座敷電車「華」が導入された[137][要検証 ]。編成はクロ485-2・モロ485-4・モロ484-6・モロ485-5・モロ484-7・クロ484-4の6両編成で、全車とも「宴」の続番である[139]。「宴」と同じく小山電車区に配置された[137][要検証 ]。
車体は「宴」が基本であるが、前面は展望性向上のため大型1枚窓ガラスに変更された[137][要検証 ]。定員は車両・編成とも「宴」と同じである[141]。塗装は紫水晶色をベースにコスモスピンクのラインが配されている[137][要検証 ]。
2022年4月1日時点では高崎車両センターに配置されていたが、2022年10月30日に運行終了し、同年11月11日付で廃車された[2]。
- クハ481-21 → クロ485-2
- クハ481-28 → クロ484-4
- モハ485-87・149 → モロ485-4・5
- モハ484-87・251 → モロ484-6・7
「ニューなのはな」
[編集]千葉支社の165系お座敷電車「なのはな」の老朽置き換え用として、1997年度に485系改造の多目的車「ニューなのはな」が投入された[137][要検証 ]。編成はクロ485-3・モロ485-6・モロ484-8・モロ485-7・モロ484-9・クロ484-5の6両編成で、「華」の続番である。幕張電車区に配置された[137][要検証 ]。
車体は「華」が基本であるが、車内はお座敷とクロスシートへの変換が可能な構造とされ、団体貸切と波動輸送の双方に対応可能となった[137][要検証 ]。側面には行先表示器も設置されている[139]。2号車(モロ484-9)は業務室・多目的室、固定クロスシート4組、4号車(モロ484-8)は低屋根部に車販準備室・ミーティング室が設置された。編成定員はお座敷で最大204名、クロスシートで312名である[141]。
老朽化のため2016年9月26日付で廃車された[48][141]。
- サロ481-1007 → クロ485-3
- サロ181-1106 → サロ481-1506 → クロ484-5
- モハ485-1017・1076 → クモハ485-1001・1009 → モロ485-6・7
- モハ484-1017・1076 → モロ484-8・9
「やまなみ」
[編集]高崎支社の12系お座敷客車「くつろぎ」の老朽置き換えのため、1998年度に改造投入されたのがお座敷車「やまなみ」である[137][要検証 ]。編成はクロ485-4・モロ485-8・モロ484-10・クロ484-6の4両編成で、「ニューなのはな」の続番である[139]。新前橋電車区に配置された。
車体は「華」に準じており、塗装は緑色をベースにアクセントとして下部に赤い帯が入れられた[142]。編成定員は100名である[143]。
2011年度に中間車は「リゾートやまどり」に、先頭車は「ジパング」に再改造されて消滅した[142]。
- クハ481-34 → クロ484-6
- クハ481-40 → クロ485-4
- モハ485-58 → モロ485-8
- モハ484-58 → モロ484-10
「せせらぎ」
[編集]高崎支社の12系お座敷客車「やすらぎ」の老朽置き換えのため、2000年度に改造投入されたのがお座敷車「せせらぎ」である[142]。編成はクロ485-5・モロ485-9・モロ484-11・クロ484-7の4両編成で、「やまなみ」の続番である[144]。「やまなみ」と同じく新前橋電車区に配置された[142]。
「やまなみ」に準じた仕様であるが、前面は前灯が四角形になり、上部にプロジェクタランプが追加された[142]。塗装はワインレッドをベースに白帯が配された[142]。「やまなみ」との併結運転対応のため、シャンパ連結器を高圧引き通し用のKE10形から総括制御用のKE70形に設計変更された。編成定員は座席配置の見直しにより「やまなみ」より多い116名である[143]。
2010年度に「リゾートやまどり」へ再改造され、旧「やまなみ」の中間車を組み込んだ6両編成となった[142]。
- サロ181-1102 → サロ481-1502 → クハ481-1105 → クロ485-5
- サロ181-1104 → サロ481-1504 → クハ481-1107 → クロ484-7
- モハ485-1071 → モロ485-9
- モハ484-1071 → モロ484-11
「NO.DO.KA」
[編集]新潟支社では2001年10月に欧風電車「シルフィード」をカーペット車「NO.DO.KA」に再改造した[142]。「シルフィード」最末期の2000年度に全車普通車化されており、クモハ485-701・モハ484-701・クハ484-701の3両編成である[144]。
車体や機器類はそのままで、客室は座席を撤去して高床のカーペット敷きに変更し、片側に通路を設けた構造とされた[142]。編成定員は96名である。外装はフィルムによりラッピングされており、配色は白をベースに裾部を茶色、アクセントとしてパステルカラーを配し、メタリックのラインが入れられた[142]。
「きらきらうえつ」
[編集]2001年の新潟デスティネーションキャンペーン開催に合わせて、羽越本線の観光列車用として登場したのが「きらきらうえつ」である[142]。編成は全車普通車、クハ485-701・モハ485-702・モハ484-702・クハ484-702の4両編成である[144]。クハ485-701を除く3両は「NO.DO.KA」の続番であるが、モハユニットは番号を702に揃えたため、モハ485-701は欠番である。
種車の下回りを流用し、新規製造した構体へ載せ換えた。前面は大型2枚窓ガラスで、運転室の後ろに展望室が設置された[145]。床面はハイデッカー構造で、出入口とはスロープで繋がっている[142]。3号車(モハ485-702)は業務用室・多目的室を設置する。2号車(モハ484-702)はパンタグラフのある低屋根部分にミニビュフェ「茶屋」、中央部にラウンジ、反対側車端部に映像ゾーンを設置した。先頭車にはトイレ・洗面所を設置している。編成定員は116名である[145]。
2014年には、2号車の映像スペースにテレビモニタに代わってプロジェクションマッピングが導入された[146]。
土休日に新潟 - 酒田間の臨時快速「きらきらうえつ」として定期的に運用されたほか、団体列車や波動輸送にも使用されていたが、2019年に快速「きらきらうえつ」運用を終了した[145]。ハイブリッド車HB-E300系「海里」新製投入による置き換えで2020年に廃車となった。
- サハ489-5 → クハ481-753 → クハ484-702
- モハ485-1078 → モハ485-702
- モハ484-1078 → モハ484-702
- クハ481-349 → クハ485-701
「彩」
[編集]長野支社の14系お座敷客車「浪漫」の老朽置き換えのため、2007年に改造されたのが「彩」である[146]。編成は元新潟車両センターの485系1500・1000番台を改造した6両編成であるが、形式をクハ・モハからクロ・モロに変更したのみで番号の変更はなかった[146]。配置は長野総合車両センターである[146]。
車体は新製ではなく、種車のものが流用された[146]。先頭の1号車(クロ481-1503)・6号車(クロ481-1502)は室内は1列 + 2列の回転リクライニングシートが配置され、運転室背後は談話スペースとした。2号車(モロ484-1024)・3号車(モロ485-1024)・5号車(モロ485-1007)は4人用簡易コンパートメントで構成され、座席をフルフラットにすることも可能である。3号車にはマッサージチェア・パウダールーム、5号車には車いす対応座席・トイレ・添乗員室を装備する。4号車(モロ484-1007)はフリースペースでソファとテーブルを備え、車端部には多目的室が設けられている。
前面は前照灯と尾灯を移設し、前面愛称表示器は市販の40V型ワイド液晶モニタを搭載する[145]。パンタグラフはシングルアーム式のPS32形を1基搭載(第2パンタグラフは撤去)[145]、静電アンテナを後位に移設し、屋根上ヘッドライトを撤去しており、狭小トンネルのある中央本線への乗り入れが可能である。
2015年に回路を直流側に固定する改造を行い、車両番号も5000番台に改番された[145]。2017年9月に運用を終了し、翌10月に廃車となった[145]。
- クハ481-1503 → クロ481-1503 → クロ481-5503[37]
- モハ485-1007 → モロ485-1007 → モロ485-5007[37]
- モハ484-1007 → モロ484-1007 → モロ484-5007[37]
- モハ485-1024 → モロ485-1024 → モロ485-5024[37]
- モハ484-1024 → モロ484-1024 → モロ484-5024[37]
- クハ481-1502 → クロ481-1502 → クロ481-5502[37]
「リゾートやまどり」
[編集]2011年の群馬デスティネーションキャンペーンに合わせ、高崎支社の「やまなみ」の中間車2両と「せせらぎ」4両編成を組み合わせ、6両編成で普通座席車の「リゾートやまどり」に改造された[146]。配置は高崎車両センターである[146]。
編成はクハ485-703・モハ485-704・モハ484-704・モハ485-703・モハ484-703・クハ484-703の6両編成で、車両番号は「きらきらうえつ」の続番であるが、車両番号を揃えるためクハ485-702は欠番となった[144]。
塗装は茶色をベースに下部を萌黄色とされ、茶色には旧型客車などのぶどう色2号が使用されている[147]。車内はお座敷を全て撤去し、リクライニングシートが設置された[146]。編成定員は136名である[147]。種車の展望室・トイレなどは存置されたが、3号車にはバリアフリー対応トイレを新設、4号車のミーティングルームはキッズルームに改装された[146]。
2022年4月1日時点では高崎車両センターに配置されていたが、2022年12月11日に運行終了し、同年12月28日付で廃車された[2]。これによりJRグループ最後の485系稼働車が消滅した。
- (サロ181-1104 → サロ481-1504 → クハ481-1107) → クロ484-7 → クハ484-703
- (モハ485-58) → モロ485-8 → モハ485-703
- (モハ484-58) → モロ484-10 → モハ484-703
- (モハ485-1071) → モロ485-9 → モハ485-704
- (モハ484-1071) → モロ484-11 → モハ484-704
- (サロ181-1102 → サロ481-1502 → クハ481-1105) → クロ485-5 → クハ485-703
「ジパング」
[編集]2012年のいわてデスティネーションキャンペーンに向けて、2011年に盛岡支社が485系を改造投入したのが「ジパング」である[146]。高崎支社の元「やまなみ」用先頭車2両に東北特急「白鳥」用3000番台電動車ユニット(元青森車両センター所属)を転用して組み込んだ4両編成となり、盛岡車両センターに配置された[146]。
編成はクハ485-704・モハ485-3014・モハ484-3014・クハ484-704の全車普通車4両編成で、先頭車は「リゾートやまどり」の続番であるが、中間車は3000番台のまま改番されていない[144]。
塗装は黒とねずみ色のツートンで、世界文化遺産に登録された平泉を象徴する金色が配された[147]。先頭車はお座敷がすべて撤去され、窓向きのペアシートに変更された[146]。トイレと洗面所は撤去され、観光地のPRスペースとされた[146]。中間車は3000番台へのリニューアル時に設けられたバリアフリー対応設備が活用されている[147]。
土休日の臨時快速「ジパング平泉号」のほか団体臨時列車などにも使用されたが、2021年10月10日のさよなら運転を以て営業運行を終了した。その後郡山へ回送、10月14日付で廃車された[105]。
- (クハ481-40) → クロ485-4 → クハ485-704
- (モハ485-1014) → モハ485-3014[注 56]
- (モハ484-1014) → モハ484-3014[注 57]
- (クハ481-34) → クロ484-6 → クハ484-704
事故廃車
[編集]余剰・老朽化以外による事故廃車は本系列全体で18両ある。
- モハ485-117・モハ484-221・クロ481-53
- 1981年6月7日13時53分頃に発生した長崎本線特急「かもめ・みどり」脱線事故の当該車両。7月27日付で廃車となったが、国鉄時代に発生した唯一の事故廃車である。
- モハ489-220 - 222・モハ488-35 - 37・クハ489-202・602・サロ489-14
- 長野総合車両所所属N302編成。1996年11月24日の17時05分頃、長野駅構内で特急「あさま88号」として発車した当該編成に構内回送中の189系9両編成が接触する事故に遭遇した。窓ガラス10数枚と車体側面に損傷を受けた程度であったが、翌年に迫った北陸新幹線先行開業(長野新幹線)による余剰が決定していたことと経年から修繕せずにそのまま廃車[注 58]。
- モハ485-3018・モハ484-3018・モハ485-3044・モハ484-3044・クハ481-3506・クロハ481-3010
- 新潟車両センター所属R24編成。2005年12月25日に発生したJR羽越本線脱線事故の当該編成[148][注 59]。警察の保全命令解除後に2007年3月31日付で全車廃車。2014年4月より、新潟県中越地震・東日本大震災の被災車両と共に福島県白河市の総合研修センター「事故の歴史展示館」で保存・展示されている[149]。
国鉄分割民営化後の状況
[編集]北陸特急「雷鳥」「しらさぎ」用として登場し、さらに東北・山陽方面をはじめ四国を除く全国の電車特急に充当された。その後は新幹線の開業により、短距離・短編成の特急列車に充当され民営化に至った。
1987年4月の分割民営化で、483系8両・485系1083両・489系136両がJR4社に承継された。
会社 | 車両 基地 |
Mc | M | M' | Tc (T'c) |
Tsc (T'sc) |
Thsc | Ts | T | Td | 計 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
JR北海道 | 札幌運転所 | 6 | 1 | 7 | 全車保留車 | |||||||
JR東日本 | 青森運転所 | 9 | 31 | 40 | 22 | 9 | 2 | 2 | 115 | Tは増結車 Tdは保留車 | ||
秋田運転区 | 28 | 28 | 24 | 4 | 84 | 全車1000番台 | ||||||
勝田電車区 | 50 4 |
50 4 |
36 | 18 | 154 8 |
この書体は483系 | ||||||
北長野運転所 | 9 | 9 | 6 | 3 | 1 | 28 | 全車489系 Tdは保留車 | |||||
上沼垂運転区 | 24 | 24 | 16 | 8 | 72 | |||||||
JR西日本 | 金沢運転所 | 25 33 |
25 33 |
26 20 |
7 16 |
2 | 83 104 |
この書体は489系 Tdは保留車 | ||||
向日町運転所 | 60 | 60 | 38 2 |
30 | 2 2 |
190 4 |
この書体は489系 Tは保留車 | |||||
福知山運転所 | 18 | 18 | 9 | 9 | 54 | |||||||
JR九州 | 南福岡電車区 | 23 | 48 | 71 | 21 (8) |
10 (15) |
8 | 10 | 10 | 224 | ( )は480形 | |
鹿児島運転所 | 29 | 29 | 28 | 14 | 100 |
定期運用終了後もJR東日本所属車は2022年4月1日時点で12両が車籍を有し[150]、臨時運用に充当されていたが2022年12月11日で運用を終了した。
分割民営化時(1987年4月1日)→2023年4月1日 車両数推移 | ||||
---|---|---|---|---|
483系 | 485系 | 489系 | 会社別残存率 | |
JR北海道 | 7→0 | 0 % | ||
JR東日本 | 8→0 | 425→0 | 28→0 | 0 % |
JR西日本 | 327→0 | 108→0 | 0 % | |
JR九州 | 324→0 | 0 % | ||
系列別総計 | 8→0 | 1,083→0 | 136→0 | |
系列別残存率 | 0 % | 0 % | 0 % |
分割民営化後会社別車両数推移 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
西暦 | JR北海道 | JR東日本 | JR西日本 | JR九州 | 総計 | |||
485系 | 483系 | 485系 | 489系 | 485系 | 489系 | 485系 | ||
1987年 | 7 | 8 | 425 | 28 | 327 | 108 | 324 | 1,227 |
1988年 | 7 | 8 | 423 | 27 | 331 | 102 | 324 | 1,222 |
1989年 | 7 | 8 | 425 | 27 | 333 | 100 | 324 | 1,224 |
1990年 | 6 | 2 | 399 | 27 | 334 | 99 | 302 | 1,169 |
1991年 | 0 | 0 | 382 | 29 | 309 | 98 | 302 | 1,120 |
1992年 | 380 | 29 | 300 | 95 | 288 | 1,092 | ||
1993年 | 370 | 29 | 299 | 95 | 263 | 1,056 | ||
1994年 | 368 | 29 | 291 | 95 | 256 | 1,039 | ||
1995年 | 361 | 29 | 291 | 95 | 231 | 1,007 | ||
1996年 | 361 | 29 | 250 | 94 | 216 | 950 | ||
1997年 | 361 | 29 | 244 | 94 | 203 | 931 | ||
1998年 | 342 | 4 | 241 | 92 | 182 | 861 | ||
1999年 | 326 | 4 | 238 | 86 | 180 | 834 | ||
2000年 | 296 | 4 | 234 | 86 | 110 | 730 | ||
2001年 | 283 | 2 | 234 | 86 | 76 | 636 | ||
2002年 | 260 | 2 | 206 | 61 | 76 | 605 | ||
2003年 | 252 | 2 | 193 | 55 | 76 | 578 | ||
2004年 | 244 | 2 | 120 | 43 | 73 | 482 | ||
2005年 | 238 | 2 | 93 | 40 | 73 | 446 | ||
2006年 | 238 | 2 | 85 | 39 | 73 | 437 | ||
2007年 | 228 | 2 | 85 | 39 | 73 | 427 | ||
2008年 | 226 | 2 | 85 | 39 | 73 | 425 | ||
2009年 | 224 | 2 | 85 | 39 | 73 | 423 | ||
2010年 | 224 | 2 | 58 | 32 | 73 | 389 | ||
2011年 | 224 | 0 | 27 | 9 | 69 | 329 | ||
2012年 | 201 | 0 | 9 | 33 | 243 | |||
2013年 | 191 | 1 | 8 | 200 | ||||
2014年 | 173 | 1 | 8 | 182 | ||||
2015年 | 135 | 0 | 5 | 140 | ||||
2016年 | 93 | 1 | 94 | |||||
2017年 | 75 | 0 | 75 | |||||
2018年 | 54 | 54 | ||||||
2019年 | 26 | 26 | ||||||
2020年 | 16 | 16 | ||||||
2021年 | 16 | 16 | ||||||
2022年 | 12 | 12 | ||||||
2023年 | 0 | 0 |
JR北海道
[編集]1500番台の本州転出後、分割民営化直前に以下の車両が札幌運転所に転入しJR北海道に承継されたが、営業運転には投入されず他系列への改造種車もしくは廃車となった。
- サシ481-50
- 1987年3月27日に青森運転所から転入。当初は車籍抹消後レストランに転用するという計画もあったが、「北斗星」1往復(3号・4号)を季節列車から定期格上げの際に食堂車組込が必要となり、1989年に苗穂工場でスシ24 508へ改造された。2008年3月のダイヤ改正まで運用され同年4月30日付で廃車となった。
- サロ481-37・41・47・60・63・94
- 仙台から転入した94を除いた5両は、1986年3月31日に一旦廃車扱いとなり、国鉄分割民営化直前の1987年3月6日に車籍復活した元向日町運転所所属車。真偽不明だがジョイフルトレインの種車に使われるという計画もあったものの、1990年に全車廃車となった。
一方営業運転では、青函トンネル開業時にはそれまで青森発着とされていた東北新幹線連絡特急の一部を函館まで延長運転することになり、1987年12月6日から青森 - 函館間で1日1往復の試運転を開始。トンネルが開業した1988年3月13日から2002年11月30日までは「はつかり」で、それ以後は「白鳥」でJR東日本青森車両センター所属の津軽海峡線走行対応車が乗り入れたが、2016年3月26日の北海道新幹線新函館北斗開業によるダイヤ改正で「白鳥」が全廃されたことから本系列の運用は終了した。
- 当初は1000番台が投入されたが、後に3000番台のみで運転された。また、車両故障時には運用の都合から函館運輸所の789系電車での代走となったケースもある。
- JR北海道と東日本の乗務員交代は原則として蟹田で行われたが、一部列車は青森で行われた。
JR東日本
[編集]JR中で最も多い461両が継承された。主に東北・上越新幹線との連絡特急列車や快速列車などのフィーダー輸送に充当されてきたが、一部はジョイフルトレインに改造された。新幹線の開業や後継車両の導入により数を減らし、新潟駅 - 糸魚川駅間の快速列車を最後に2017年に定期運用を終了した。
2022年4月時点で車籍を有していた12両は全てがジョイフルトレインであり、高崎車両センター所属の「リゾートやまどり」「華」の6両編成2本計12両であった。このうち、「華」のクロ485-2は1965年6月に落成した車輌を1997年に改造したものであり、皇室専用車を除いたJR東日本の車籍を有する電車の中では最長寿となっていた。この12両も同年内に運行を終了し、同年12月28日までに廃車されて[2]、485系は全廃となった。同時にこれにより、58年間続いた485系電車(前身となる481系電車・483系電車を含む)の歴史は幕を下ろした。
全般検査は秋田・新潟・長野配置車両を除き郡山総合車両センターが担当していた。
なお、JR西日本所属車も以前は「白鳥」「雷鳥」「北越」「白山」などで乗り入れていたが、2010年3月13日のダイヤ改正で「能登」が不定期格下げになったことにより乗り入れは終了した。
JR西日本
[編集]435両が継承され、108両が183系電車に改造[注 60]。MM'ユニットの組換を頻繁に行ったのも同社の特徴である。
1990年代後半からは681系・683系の登場により急速に数を減らし、2011年3月のダイヤ改正による北陸特急「雷鳥」の廃止により同社所属車の定期運用が消滅。その後は順次廃車が進行し2014年10月現在では保留車としてクハ489-1のみが在籍していたが[151]、上述のように2015年2月13日付で廃車[51]。これにより同社在籍の本系列は183系への改造車も含めて全廃となった。
他社所属の本系列はJR東日本新潟車両センター所属車が「北越」で2015年3月13日まで乗り入れていた。他社へはJR東日本管内へは特急「白山」、急行「能登」などで上野まで、特急「雷鳥」などで新潟まで、特急「白鳥」で青森まで乗り入れがあった。JR東海管内へは名古屋まで「しらさぎ」と間合いの「ホームライナー大垣・関ヶ原」で2003年まで乗り入れていた。2001年5月12日・5月13日には、485系ボンネット車編成が高松駅再開発事業で完成した施設「サンポート高松」の名称をそのまま列車名に使用した大阪 - 高松の臨時急行で初入線し、四国初の485系入線となった。
宗教団体向け臨時列車では、創価学会が関係のあった日蓮正宗の総本山である大石寺に参詣するため日蓮正宗法華講連合会向け団体臨時列車として身延線富士宮へ1991年まで運行されていた通称創価臨もしくは創臨[注 61]で金沢・糸魚川方面←(北陸本線・東海道本線・身延線)→富士宮間、また金光教祭典時に山陽本線金光へ運行される通称金光臨に金沢・京都所属の本系列が充当されるケースが多かったのも特徴である。
JR九州
[編集]485系のみ324両が継承された同社には、南福岡・鹿児島に続き大分鉄道事業部大分車両センターにも配置された。JR九州では内外装のリニューアルが積極的に実施され、コーポレートカラーの赤をベースとした塗装のシリーズが登場した。
783系や787系・883系・885系などの新型特急用電車の増備により、末期の485系は日豊本線ローカル特急用の69両が大分車両センターと鹿児島総合車両所に残るのみとなっていた[152]。その後は「にちりん」「きりしま」「ひゅうが」などで運用されたが、2011年3月12日の九州新幹線鹿児島ルート全線開業に伴うダイヤ改正で余剰となった783系・787系などに置換えられ定期運用が終了となり[注 62]、波動輸送対応となる一部車両を除いて廃車となった。2016年10月2日付でクハ481-256が廃車となり[153]、JR九州からは全廃となった。
なお同社では1990年代以降、編成番号を付与する際に系列固有アルファベットと車両基地固有小書きアルファベットに一連の数字を組み合わせて表示させており[注 63]、本系列を示すDと所属基地から次の3種類が存在した。
- DM:南福岡電車区〈本ミフ〉
- Do:大分車両センター〈分オイ〉
- DK:鹿児島総合車両所〈鹿カコ〉
運用
[編集]東北・奥羽・常磐・上信越・日本海縦貫線
[編集]東北を中心とした東日本地区での使用車両は、以下の車両基地に配置された。
- 仙台運転所(→ 仙台電車区 → 仙台車両センター)
- 青森運転所(→ 青森車両センター → 盛岡車両センター青森派出所)
- 秋田運転区(→ 南秋田運転所→秋田車両センター → 秋田総合車両センター南秋田センター)
- 勝田電車区(→ 勝田車両センター)
- 上沼垂運転区(→ 新潟車両センター)
仙台運転所では1965年10月1日のダイヤ改正で「ひばり」2往復・「やまびこ」1往復用として483系44両で運用開始。1968年10月1日改正からは「やまばと」「あいづ」、1972年からは「ひたち」にも充当。1973年10月1日改正で「やまびこ」を青森運転所へ移管するものの以後は増発され続ける「ひばり」「ひたち」「やまばと」に対応した。最盛期の1978年には12両編成×15本・9両編成×6本・予備車6両の計240両が配置された。
1978年10月2日ダイヤ改正では東北特急の増発が図られ、「はつかり」1往復「ひばり」2往復「ひたち」3往復「やまばと」1往復区間延長→「つばさ」増発を実施したが、東北本線・高崎線で規格ダイヤが導入され特急列車の所要時間が軒並み増大した[154]。なお、本改正では485系1000番台167両(クハ481形×31両、サロ481形×2両、MM'ユニット×64組[128両])を青森運転所と秋田運転区に集中配置したほか、上野口特急グリーン車連結位置に関して信越・上越方面の列車も含めて連結位置を統一する動きがあり、東北特急の485系12両編成では6号車に統一された。
1982年11月15日のダイヤ改正では、6月に開業した東北新幹線の増発と上越新幹線の大宮暫定開業に伴い、上野発着の在来線特急が大幅に減少した。奥羽本線・磐越西線直通特急の一部と「ひたち」を除き軒並み廃止・削減され、主力は食堂車を不連結とした編成に再組成した上で多くが新幹線連絡列車となった[155]。
1985年3月14日ダイヤ改正による東北・上越新幹線上野開業では東北特急は新幹線連絡の性格を強め、短編成化が実施された[156]。東北・上越新幹線上野開業後も残存した「つばさ」1往復・「あいづ」・常磐特急「ひたち」・信越特急「あさま」「白山」・近距離運転の「新特急」を除き上野乗り入れが打ち切られたが、捻出された車両で他地区での増発を行った。
1986年11月1日ダイヤ改正では上沼垂運転区に72両を配置。9両編成×8本を組成した。
以上の体制で国鉄分割民営化を迎えた。
仙台運転所 → 仙台車両センター
[編集]1965年に483系48両が仙台運転所に配置され、1965年10月1日の東北本線仙台 - 盛岡間電化に伴うダイヤ改正より上野 - 盛岡間「やまびこ」1往復、上野 - 仙台間「ひばり」2往復での運転を開始した[157]。当初は、8両編成×2本が1本充当、10両編成×3本が2本充当とし、それぞれ1編成ずつが予備。サロ481形2両が連結用を兼ねた予備車として運用された[157]。
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1968年10月1日ダイヤ改正により、奥羽本線米沢 - 山形間が交流20000 V・50Hzで電化され、上野 - 山形間の特急「やまばと」が電車化された[159]。これに合わせて交流50 Hz・60 Hz両用の485系が初投入され、仙台運転所に45両が配置された[159]。また、「ひばり」も2往復から6往復に「やまびこ」1往復が増発され本系列による運用となった[159]。このほか「やまばと」に連結していた会津若松発着編成は「あいづ」として独立させ、改正に先立ち9月17日から本系列で運転開始となった[注 64]。
奥羽本線福島 - 米沢間では板谷峠区間に平均33.3 ‰、赤岩駅付近には最大38.0 ‰の急勾配があり、MM'ユニット1組が故障した際も上り勾配で起動可能なMT比2:1にする必要が生じた[160][要検証 ]。仙台運転所の10両編成は6M4TのためMT比2:1を満たせず、奥羽本線は変電所容量からMM'ユニットは3組までに制限されたため8M4Tの12両編成の組成が不可であったこと[160][要検証 ]。さらに「あいづ」も磐越西線内ホーム有効長の関係から9両まで制約もあり、MT比2:1で1等車・食堂車を組み込んだ編成組成が要求された。このため仙台運転所編成は、サロ481形に先頭車化改造を施工した7両と新製車4両のクロ481形を落成させ上野方先頭車として組込んだ6M3Tの9両編成に組成変更した[160][要検証 ]。
上述した組成変更に対応して、同年6月までにクロ481-1 - 4とクハ481-29を落成させダイヤ改正前の6月11日から9両編成での運転が行われた[161]。ただし夏期繁忙期の7月19日 - 9月24日までは、早期落成したMM'ユニット5組を活用し、仙台方クハ481形の次位に組込み11両編成での運転を実施。
配置は9両編成×10本と予備車7両の計97両となったが、10編成すべてで「ひばり」6往復・「やまびこ」1往復・「やまばと」2往復・「あいづ」1往復に充当となったことから[162]、当初は「ひばり」1往復を季節列車とし、1969年6月に9両編成×1本を増備。1968年10月1日ダイヤ改正で定期列車化した[163]。
- 仙台運転所運用(1969年10月)
- 運用1:仙台 1830発……(24M ひばり6)……上野 2228着
- 運用2:上野 900発……(13M ひばり2)……仙台 1258着・仙台 1420 発……(20M ひばり4)……上野 1818着・【上野 1856発……(8023M ひばり51)……仙台 2258着】
- 運用3:【仙台 543発……(8012M ひばり51)……上野 955着】・上野 1100発……(15M ひばり3)仙台 1458着・仙台 1600発……(22M ひばり5)……上野 1958着
- 運用4:上野 730発……(11M ひばり1)……仙台 1128着・仙台 1220発……(18M ひばり3)……上野 1618着・上野 1700発……(1015M やまばと2)……山形 2135着
- 運用5:山形 755発……(1012M やまばと1)……上野 1230着・上野 1320発……(1011M やまばと1)……山形 1755着
- 運用6:山形 1235発……(1016M やまばと2)……上野 1710着・上野…(回送)…東京 1825発……(23M ひばり6)……仙台 2225着
- 運用7:仙台 900発……(14M ひばり2)……上野 1258着・上野 1415発……(1013M あいづ)……会津若松 1750着
- 運用8:会津若松 1035発……(1014M あいづ)……上野 1410着・上野 1500発……(19M ひばり4)……仙台 1858着
- 運用9:仙台 730発……(12M ひばり1)……東京 1130着・東京 1255……(17M やまびこ)……盛岡 1915着
- 運用10:盛岡 900発……(16M やまびこ)……東京 1520着・東京…(回送)…上野 1630発……(21M ひばり5)……仙台 2028着
- 斜体:1968年10月1日 - 1969年9月30日は季節列車(6012M・6011M)
- 【斜体】:臨時列車。運転日以外は上野口で夜間滞泊を行う。
1970年7月1日ダイヤ改正では、高需要のため1970年5月・7月にモハ485・484-34 - 39・サハ481-1 - 6を新製配置し、「ひばり」3往復と「やまびこ」1往復を12両編成化[164]。予備車の活用も含め12両編成×5本で4運用充当、9両編成×7本で6運用充当となり、「ひばり」1往復が増発された。本改正に先立ち1970年6月21日から、既存の9両編成も含み順次3号車のサシ481形と4号車・5号車のMM'ユニットを入替て食堂車を6号車にする組成変更が実施された[164]。
さらに1970年9月11日にはモハ485・484-40 - 43・サハ481-7 - 10が落成、10月1日ダイヤ改正では12両編成×9本で8運用充当、9両編成は編成両数制約のある「あいづ」と送り込みならびに帰所を兼ねた「ひばり」1往復のみの2運用充当となった[165]。また、車両不足や運用に余裕がないなどの諸事情で、本来特急列車として運転されるところを455系・457系による急行列車として臨時急行「エコーもりおか」と仙台 - 青森の「くりこま」が運転された。
1972年3月15日ダイヤ改正では、1971年2月以降に46両の新製と向日町運転所からサシ481-22の転入による大量増備が行われ「やまびこ」2往復「ひばり」2往復[注 65]「やまばと」1往復が増発された[166]。また、上野 - 秋田間気動車特急「いなほ」と共通運用であった「ひたち」臨時2往復に充当しており、本系列としては初めて常磐線での営業運転が実施された[167]。
仙台運転所運用では「ひばり」への9両編成充当が終了して全列車12両編成となり、「あいづ」は「ひたち」と共通運用に変更となった[168]。12両編成9本が「やまびこ」東京・上野 - 盛岡間2往復、「ひばり」東京・上野 - 仙台6往復、「やまばと」上野 - 山形3往復に、9両編成4本が「ひたち」上野 - 平(現在:いわき)・原ノ町・仙台(常磐線経由)5往復[169]、「あいづ」上野 - 会津若松1往復に運用された。
1973年1月31日からは、「ひばり」グリーン車混雑緩和のため12両編成のうち2本がグリーン車2両組込13両編成となった[170]。この増結のため1973年1月にサロ481-84 - 86が仙台運転所へ新製配置されている。
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1973年3月31日をもって東京 - 上野間の回送線を使用した特急運転が東北・上越新幹線工事の影響で廃止されることになり[注 66]、「やまびこ」「ひばり」の東京駅乗り入れが中止。1973年10月1日ダイヤ改正では「はつかり」「ひばり」2往復「ひたち」1往復を12両編成で増発し[171]、「やまびこ」運用をすべて青森運転所へ集約。1974年4月1日からは「ひたち」運用の12両編成充当を1往復から3往復に増強した[172]。
1975年3月10日ダイヤ改正で「ひたち」は2往復増発で8往復体制となった[173]。12両編成1本が増備され、車両は15両増備された。5月以降は仙台運転所12両編成に組成されていたクロ481形とサハ481形はクハ481形とサロ481形に差替えられ、翌1976年から運転される「かもめ」「みどり」へ転用のため南福岡電車区へ転属した。
1978年10月改正での東北特急編成統一に伴い、5月26日より13両編成8号車のサハが外され、暫定12両編成となった。さらに9月21日からクロ481形をクハ481形に置換えてグリーン車2両組込編成は消滅し、従来からの12両編成も9月21日からグリーン車連結位置を変更した。9両編成は6号車のサシ481形を外し、サハ481形に置き換えた。青森運転所への1000番台投入で捻出された従来型485系34両が仙台運転所に転入し、サハ481形はMG・CPのないサハ481形0番台4両(サハ481-12 - 15)を仙台から向日町へ転属させ、サシ481形は1両が秋田へ転出した。入れ替わりに向日町からは3MG化のためMG・CP準備工事車のサハ481形100番台7両(サハ481-101 - 107)が仙台へ転入している。
運用は「やまばと」が秋田へ移管され、仙台の12両編成は12本で「ひばり」11往復、「ひたち」6往復、9両編成は4本で「ひたち」5往復、「あいづ」上野 - 会津若松1往復で運用された。
1980年10月改正では「ひばり」1往復が廃止となり、12両編成1本のうち食堂車を除いたクハ481形200番台2両とサロ481形1両、MM'ユニット4組8両の計11両が南福岡に転属し、余剰の食堂車は廃車となった。これらの車両は、1980年10月1日国鉄ダイヤ改正で九州地区の増発に充当された。
1982年11月の東北新幹線開業に伴うダイヤ改正では東北特急「ひばり」が全廃となり、「やまばと」「あいづ」も秋田運転区に移管されたため、受け持ちは常磐線特急「ひたち」のみとなった。「ひたち」は余剰車を使って増発され、12両編成×10本が定期運用となった。
余剰車は483系MM'ユニットとサシ481形の初期車一部が廃車となったほかは、他の車両基地へ転出した。向日町運転所に12両(MM'ユニット2組4両、クハ481形4両、サロ481形4両)、南福岡電車区に16両(クハ481形12両 クロ481形4両)、鹿児島運転所に14両(MM'ユニット7組14両)が転属した。向日町転属車は「雷鳥」増発、南福岡転属車は「かもめ」「みどり」増発に使用された。一方で青森からMM'ユニット6組12両が転入したほか、「ひたち」編成のサシ→サハ置換えのためにサハ481-112 - 114が南福岡電車区から仙台運転所へ転入した。
残存した「ひたち」運用も1985年3月のダイヤ改正で勝田電車区へ移管となり、仙台運転所の485系運用は消滅したた[174]。余剰となったサロ481形4両とサシ481形11両のみ残存となったものの1986年中にサロ481形は3両がサロ110形へ改造、1両が札幌運転所へ転出。サシ481形は全車廃車となり本系列の配置は一旦終了した。
民営化後の1993年に特急「ビバあいづ」用編成が所属となり配置が復活。郡山 - 会津若松・喜多方間で専用の6両編成で運転された。運転時は常に会津若松滞留となることから、月1回帰所する際は運休もしくは代替快速列車で運転したほか、長期検査時には勝田電車区もしくは青森運転所から本系列を借入して充当した。2001年12月に上野発着の「あいづ」復活運転実施に際し、首都圏乗り入れ用にATS-Pの設置改造がなされた。2002年3月23日のダイヤ改正では磐越西線で土曜・休日ダイヤを設定したことから、土曜・休日の運転に限り列車名を「ホリデービバあいづ」に変更した。
「ビバあいづ」編成は2002年11月30日をもって定期運用を終了、2002年12月7日に運転された「さよならビバあいづ」を最後にすべての運用が終了となった。2003年に会津若松方電動車ユニットが廃車されて4両編成となり、2003年3月29日付で勝田電車区に再転出し波動用のK40編成として運用された。
2002年の「あいづ」運行に際し元青森運転所A7編成が転入し、A3・A4編成となった。2005年度「あいづデスティネーションキャンペーン」(あいづDC)に合わせて改造され臨時特急「あいづ・アクセスあいづ」に充当された。「あいづ」運行終了後に東武日光線直通特急「日光・きぬがわ」用に再改造され小山車両センターに転出しG55・G58編成となった。
2006年夏の臨時特急「あいづ・仙台あいづ」用として元青森運転所A3編成が転入し、A1・A2編成となった。郡山総合車両センターで「あかべぇ」塗装への変更を含む改造を施工、以後2010年まで夏期に臨時特急「あいづ」に充当された。夏期の臨時「あいづ」充当や入場期間中を含め何らかの理由で本編成を「あいづライナー」に充当できない場合は、同センターの583系N-1+N-2編成が代走充当された。
2007年2月 - 3月には、A1・A2編成が千葉県勝浦市で行われる「かつうらビッグひな祭り」に対応する高尾 - 安房鴨川間臨時特急「かつうらひなまつり」に充当[注 67]。以降は「あいづライナー」のほか「この夏も会津へ2007キャンペーン」の一環として上野 - 喜多方の臨時特急「あいづ」に充当された。
「あかべぇ」編成は2011年春に郡山総合車両センターに入場し、国鉄特急色に塗装変更を実施[175]。6月2日の「あいづライナー」より運用に復帰した[176]。ただし583系は2011年8月20日付で秋田車両センターへ転出したため、東武直通車が転入する2012年2月までは勝田車両センター所属K60編成もしくは新潟車両センター所属T18編成による代走充当が実施された。東武直通車転入後は国鉄色編成は波動輸送が中心になったが、元東武直通編成が検査入場等の場合は「あいづライナー」代走運用にも充当された。
2011年の「日光・きぬがわ」の253系1000番台導入に伴い、東武直通特急運用から離脱したG55・G58編成は2012年2月12日付で本センターへ再転入してA3・A4編成となった。当初は2011年4月16日の転入が予定されていたが、前月に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響で列車そのものが運休となり、253系への置き換えも2011年6月に延期されていた[177]。ラッピングを施工の上で2012年2月25日より「あいづライナー」運用に投入し[178]、検査等で「あいづライナー」に充当できない際には国鉄色編成が代走した。
元東武直通車編成は2015年3月14日のダイヤ改正で「あいづライナー」が廃止されたため定期運用が終了[179]。3月15日の団体臨時列車『さよなら「あいづライナー485系」』で運用を終了し、2015年7月3日付で廃車された[29]。
国鉄色編成は「ふくしまデスティネーションキャンペーン」が開催された2015年4月 - 6月の週末ならびにゴールデンウィークを中心に、通常は719系電車4両編成による快速列車3往復を置き換えた快速「あいづ」ならびに波動運用に充当された。JRグループ最後の国鉄色485系編成となっていたが、老朽化のため2016年6月18日・6月19日に仙台支社が主催するラストランを最後に運用を離脱[180]。2016年8月4日付で廃車され配置が消滅した[48]。
青森運転所 → 盛岡車両センター青森派出所
[編集]青森運転所では東北特急用として583系の配置があったが、1972年6月の東北特急「ひばり」「やまびこ」増発、また同年10月の羽越本線・奥羽本線電化による日本海縦貫線特急「白鳥」「いなほ」電車化用[169][注 68][181]として485系が配置された[182]。
2018年10月1日の時点ではA1・A5・A6の6両編成3本とMM'ユニット2組4両の3000番台計22両配置となったが[183]、2019年1月22日付で最後まで在籍したA6編成6両が廃車となり配置が終了した[98]。全般検査は当初盛岡工場が担当していたが、1985年に閉鎖廃止となったことから郡山工場(現在:郡山総合車両センター)へ移管された。
1972年6月15日の東北特急増発に伴い、仙台運転所の運用を補完する形で新たに青森運転所へサロ481形を組込んだ12両編成×3本と予備車9両の計45両が配置され[160][要検証 ][注 69]、当初は仙台運転所からの運用移管で「ひばり」3往復と「やまびこ」臨時2往復を担当した[167]。出入所運用がなかったため車両は仙台運転所へ常駐による対応となった。白新線・羽越本線電化開業に伴う10月2日のダイヤ改正による「L特急」設定に伴い運用が大幅に増加した。
1972年8月5日に羽越本線新津 - 秋田間ならびに奥羽本線秋田 - 青森間が交流電化され、1972年10月2日ダイヤ改正ではキハ81系・キハ82系気動車による大阪 - 青森間特急「白鳥」、および上野 - 秋田 - 青森間特急「いなほ」(羽越本線経由)が485系で電車化された[184]。「白鳥」は大阪 - 青森間で直流1500 V・交流20000 V・50 / 60 Hzの3種類電化方式区間を通過するため481系・483系は使用できず、3電源対応の485系を活かす初めての電車となった[160][要検証 ]。気動車時代に「いなほ」と共通運用されていた「ひたち」も電車化されたが、運用分離で仙台運転所に移管された。
青森運転所には131両が配置された。13両編成は大阪 - 青森間「白鳥」1往復専用に用意された[160][要検証 ][185]。12両編成は上野 - 秋田・青森間(上越線・羽越本線経由)「いなほ」2往復、上野 - 盛岡間「やまびこ」3往復、上野 - 仙台間「ひばり」4往復に充当された。青森運転所への増備は改正後も続き、11月1日から「やまびこ」は休日運転1往復を含む3往復充当に変更。翌1973年3月24日からは「はつかり」季節電車1往復にも充当された。
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青森運転所の運用は長距離かつ仙台・盛岡・秋田などで停泊が続き1週間近く帰所できず[注 70]、不定期電車の運休日には丸一日上野口で停泊や折り返し間合時間を長めに取られる物も存在した。これは首都圏側に配置車両がなかったため車両故障や雪による遅延でダイヤが混乱した際、後続の折り返し列車に停泊編成を充当させることで定時性確保や不用意な運休を避けるための措置である。しかし運用変更を多用すると検修周期の問題が発生し、予定外の場所で検査切れになるケースもあるため青森 - 上野で回送電車を仕立てたり仙台運転所の車両で代走させるなどして対応した。
1978年10月2日ダイヤ改正での東北特急編成統一に備え、青森運転所では同年6月から12両編成のグリーン車を順次6号車に変更した。「白鳥」用13両編成は改正前の8月8日からグリーン車1両を減車し、8月15日からグリーン車を6号車に変更した。受け持ちは「やまばと」1往復ならびに秋田発着「いなほ」を秋田運転区へ移管した。運用は12両編成で「白鳥」1往復、「はつかり」3往復、「いなほ」2往復、「やまびこ」4往復、「ひばり」4往復を担当した。1000番台77両の投入により従来型の485系は金沢に44両(クハ481形6両、MM'ユニット19組38両)、仙台に34両(クハ481形7両、MM'ユニット13組26両、サロ481形1両)が転出した。サロ481形1両は183系に改造されて上越特急「とき」に転用された。
1980年には北海道への781系投入により485系1500番台22両が札幌運転所から青森運転所に転属し、玉突きで200番台車が青森から南福岡電車区に転属した。
最盛期の1978年から1980年にかけてには12両編成×22本と予備車5両の計269両で「はつかり」「やまびこ」「ひばり」「やまばと」「いなほ」「白鳥[注 71]」などの東北特急へ同所の583系電車174両と共に広域運用を担当した。東北新幹線の開業により運用を縮小し、分割民営化時点では、6両モノクラス編成×11本・「たざわ」用5両編成×4本・3両編成×5本・増結用MM'ユニット5組10両とサハ481形2両・保留車サシ481形2両の計115両が配置されていた。 以下は前身の青森運転所→青森車両センター時代を含む1982年以降の主な運用推移である。
1982年11月15日改正では東北特急「ひばり」「やまびこ」が廃止され、「いなほ」は新潟 - 秋田・青森間の新幹線連絡列車の愛称となり、従来の上野発着「いなほ」は「鳥海」に改称された。また、金沢 - 青森間の気動車急行「しらゆき」が福井 - 青森間特急「白鳥」に格上げされた。12両編成はサロ481形・サシ481形組込で大阪 - 青森間「白鳥」、上野 - 青森間「鳥海」各1往復に使用された。9両編成は盛岡 - 青森間特急「はつかり」、新潟 - 秋田・青森間「いなほ」(秋田運転区と共管)、福井 - 青森間「白鳥」に使用された。
この改正では青森運転所から向日町運転所に8両(MM'ユニット4組8両)、青森運転所→南福岡電車区に43両(MM'ユニット15組30両・サロ481形13両)、鹿児島運転所に22両(MM'ユニット10組20両・サロ481形2両)、仙台運転所にMM'ユニット6組12両、秋田運転区にクハ481形1000番台12両が転出したほか、「あさま」増発用に485系モハ485形・484形ユニット4組8両が189系モハ189形・188形に改造されて長野運転所へ転出した。一方で「とき」廃止で運用を終了した181系から1978年製のサロ181形1100番台6両が485系サロ481形1500番台に編入され、新潟運転所上沼垂支所から青森運転所に転入した。また、MM'ユニット9組18両とサシ481形16両が余剰となり保留車となった。
東北新幹線上野開業による1985年3月14日改正では「はつかり」用485系の9両編成運用が無くなり、モノクラス6両編成に短縮された[186](MM'ユニットは全車1000番台化)。また、秋田 - 青森間急行「むつ」は特急に格上げされて485系が投入された。「白鳥」のうち青森 - 福井間1往復が「北越」「いなほ」への系統分割により廃止され、青森 - 大阪間1往復は向日町運転所に移管された。「鳥海」は秋田運転区へ移管。車両配置は6両編成×15本と保留車のサロ481形3両・サシ481形17両の計110両配置となった。
国鉄最後の1986年11月1日改正では「たざわ」「つばさ」(山形発着1往復)が秋田運転区から移管され、同区より転入のクロハ481形組み込み3両・5両編成により充当された。なお、秋田 - 青森間特急「むつ」は廃止された。民営化後の1987年10月からは「はつかり」用6両編成の6号車が半室グリーン車のクロハ481形となった[186]。
1988年3月13日の青函トンネル開業に伴うダイヤ改正により、「はつかり」は函館への乗り入れ列車が設定された[186]。青函トンネル通過には保安装置にATC-Lが必要なため、485系6両編成の12本中6本にATC-Lの設置改造が実施された[186]。また、蟹田 - 青森の津軽線普通列車にも充当された。一方で「たざわ」「つばさ」運用は秋田運転区へ再移管されて同区へ転出した。
1990年には勝田電車区からの転入車により訓練車4両編成を配置した。
山形新幹線開業の1992年7月1日改正では、583系による夜行急行「津軽」の583系一時置き換えのため南秋田運転所から元「つばさ」用でATS-P搭載の9両編成3本[注 72]が転入してA10 - A12編成となり、入れ替わりに「いなほ」は7往復中5往復の秋田運転区への運用移管により青函非対応のA10 - A12の6両編成3本が転出した。「津軽」への充当は583系のリニューアル工事に伴うもので、工事が完了する1993年9月30日までの期間限定とされた。
「津軽」運用終了後のA10 - A12編成は9両編成からサロとモハ1ユニットを外した6両編成に短縮し、クハ481形1000番台の片側1両をクロハ481形への改造ならびに一部車両交換の上で他の6両編成と共通化。編成番号はそのままに「はつかり」4往復増と波動輸送に転用。サロ481-1001・1005・1008は保留車となったが、MM'ユニットはその後増結用や他編成と数度の組換を実施し、モハ485・484-1021・1035・1057の3組6両が1996年3月12日付で南秋田運転所へ再転出した。
1993年12月1日改正では「はつかり」の583系による定期運用が終了し、「はつかり」は全て485系となった[186]。
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秋田新幹線の工事・開業準備に伴う1996年3月30日改正では、「いなほ」運用を上沼垂運転区へ移管し、以後は「はつかり」運用のみ担当した。配置車両は6両のA1 - A12編成12本・4両の訓練車A13編成・サロ481形保留車3両の計79両となった。
1996年4月には485系のリニューアル改造車3000番台が登場した[186]。1996年3月29日に第一陣のA6編成が竣工、1996年4月21日の「はつかり14号」から運用を開始[187]。また、2度の転配が行われ、3000番台増結用MM'ユニットの捻出補完としてモハ485・484-1021・1035・1057[注 73] が1997年3月27日付で南秋田運転所から再転入。6月には上沼垂運転区のクハ481-1005と本運転所所属のクハ481-342を車両交換する形の転出入が行われた[注 74]。
3000番台化改造工事は1999年10月までに海峡線乗入6両編成×5本・海峡線非対応6両編成×2本・増結用MM'ユニット3組6両の計48両へ施工。工事完了後の12月4日のダイヤ改正では定期運用を海峡線充当が3000番台車で4本、盛岡 - 青森間専従が在来車と3000番台で4本とする運用変更を実施した。
2000年3月11日のダイヤ改正では、盛岡 - 青森間でE751系が「スーパーはつかり」7往復で運用を開始した。E751系は6両編成3本のみで、青函トンネル用ATC-Lは未設置(準備工事のみ)のため函館乗り入れは不可能であった[186]。函館乗り入れは引き続き全列車が485系3000番台の「はつかり」で継続され、盛岡 - 青森間限定運用も海峡線非対応の485系3000番台2本での充当となった。
定期運用を離脱した485系在来車編成5本は、予備ならびに臨時列車などの波動輸送担当となった。2000年7月にはA12編成が上沼垂運転区へ転出し、共通予備T18編成となった。保留車のサロ481形は1001が2001年7月13日付で、1005・1008は同年8月23日付で廃車された。2002年11月にはA7編成が仙台運転所へ転出し、磐越西線の「あいづ」で運用された。
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2002年12月2日の東北新幹線八戸開業では盛岡発着の「はつかり」は全廃となり、八戸・青森 - 函館間のJR北海道789系による「スーパー白鳥」、およびJR東日本485系による「白鳥」に変更された[188]。また、本州内の八戸 - 青森・弘前間特急「つがる」が新設された。
485系は3000番台6両編成7本と増結用MM'ユニット3組6両の計48両が配置され、津軽海峡線対応のA1・A2・A4・A5・A6編成の5本は「白鳥」5往復と「つがる」1.5往復、および津軽線普通列車の蟹田発青森行き1本に充当された。津軽海峡線非対応のA8・A9編成は「つがる」2往復と津軽線普通列車の蟹田 - 青森間1往復に充当された。このほか、予定臨時「つがる」運用に2往復もしくは3往復に海峡線対応・非対応を問わず充当された。
3000番台を除いた在来車では、波動対応1000番台6両編成×3本・訓練車4両編成×1本が配置されており、3000番台と併せて計70両配置となった。1000番台編成からA10編成は2003年1月に、A11編成は2003年3月までに上沼垂運転区へ転出し、「ムーンライトえちご」K1・K2編成に転用された。
1000番台6両編成は、実質的には転用未定のまま海峡線ならびに波動運用対応のほか臨時「つがる」充当用とした予備車を兼ねるA3編成1本のみの状態で、2006年3月に同編成は「あいづ」充当により仙台へ転出したほか、羽越本線脱線転覆事故による車両補充のため3000番台A9編成に組成されていたモハ485・484-3056[注 75]・クハ481-3350・クロハ481-3020の計4両が新潟車両センターへ転出した。
郡山工場への入出場は原則自走による回送で行われていたが、東北新幹線八戸開業後は双頭型両用連結器を装備したEF81 134・136・139・141のいずれかに牽引され、青森 - (奥羽本線)- 秋田 - (羽越本線) - 新津 - (信越本線) - 宮内 - (上越線) - 高崎 - (高崎線) - 大宮 - (東北本線) - 田端信号場 - (田端貨物線) - 三河島 - (常磐線) - 馬橋 - (武蔵野貨物支線) - 南流山 - (武蔵野線) - 武蔵浦和 - (武蔵野貨物支線) - 与野 - (東北本線) - 郡山のルートで配給列車による無動力回送へ変更された。
これは青森 - 盛岡間を第三セクター化した青い森鉄道・IGRいわて銀河鉄道経由とすると自社線内のみの運転が必須となる配給列車は設定できず、仮に設定できた場合でも線路使用料が発生するほか、貨車による甲種車両輸送ではJR貨物に輸送費を支払う必要があることに起因する。このため倍以上の迂回となっても費用削減が可能であり、さらには同センター所属の本系列は波動対応のA10 - A12編成を除くと首都圏内を走行する際に必要なATS-Pを搭載しておらず、田端信号場を経由するのは方転・機回しの手間を省略する目的によるものである。
青森運転所は2004年4月1日付で青森車両センターに組織変更・改称された。改称時点ではA1・A2・A4・A5・A6・A8の3000番台6両編成×6本と増結用MM'ユニット4組8両ならびに訓練車のA13編成で計48両となったが、A13編成は2005年に廃車となった。
2010年12月4日の東北新幹線新青森開業に伴って「スーパー白鳥」「白鳥」は新青森 - 青森 - 函館間の運用に短縮となり、485系は「白鳥」定期2往復に残存したほか、「つがる」用4両編成が組成された。「白鳥」には6両編成がA1・A5・A6編成の3本、「つがる」には4両編成のA2・A4・A8編成の3本が投入された。6両編成はJR北海道函館運輸所の789系とグリーン車連結位置を合せるために編成ごと方向転換を実施した[注 76]。このほか、増結用MM'ユニット7組14両も在籍していた。
「つがる」は秋田発着の「かもしか」を統合、さらに毎日運転の臨時列車扱いで大館発着を新設し4両編成が投入された。4両編成は「つがる」のほか青い森鉄道線青森 - 浅虫温泉間快速列車1往復(5552M・5553M)の運用も存在した。
2011年4月23日からは「つがる」定期4往復がすべてE751系に置き換えられた[188]。485系4両編成はA8編成のみ残存し、検修・故障時などに浅虫温泉快速1往復と大館発着「つがる」2往復に限定充当された。大館発着「つがる」は2014年3月15日のダイヤ改正で廃止され間合いの浅虫温泉快速も充当終了。以後は秋田発着2往復運用[注 77] の予備車とされた。
余剰車のうちA4編成に組成されていたモハ485・484-3014は、2011年にジョイフルトレイン『ジパング』へ再改造され盛岡車両センターへ転出。A4編成の制御車2両・A2編成・増結用MM'ユニット4組8両の計14両が廃車され、配置は増結用MM'ユニット2組4両・保留MM'ユニット1組2両を含み28両へ減少した。
北海道新幹線新函館北斗開業による2016年3月26日改正では「白鳥」を含む津軽海峡線の定期旅客列車が廃止となり、485系による定期特急列車の運用が消滅した。「つがる」も485系の予備充当が終了となったことから、すべての運用が終了。また、青森車両センターは組織変更により盛岡車両センター青森派出所に改称された。車両は検査期限が残っていたため引き続き配置されたが[189]、2016年から2019年にかけて廃車が進められ、2019年1月22日のA6編成6両の廃車をもって全廃となった[98]。
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秋田運転区→秋田車両センター
[編集]1975年10月に奥羽本線羽前千歳 - 秋田間が電化され、尾久客車区のキハ181系で運行されていた上野 - 秋田間特急「つばさ」2往復が同年11月に電車化されることになり、485系が秋田運転区に初配置された[193][194]。置き換えられたキハ181系は山陰本線・伯備線や四国地区などに全車転用された[195]。
秋田電化の完成は当初は1976年春の予定であったが、地元の強い要請もあり1975年11月の実施に前倒しされた[195]。当初は電化工事の遅れていた長崎本線・佐世保線用の485系200番台が南福岡電車区から転入して暫定投入された[193]。南福岡から50両、青森からクハ481形200番台10両が転入し、新製車のサロ481形6両(車販準備室・MG・CP設置車)と合わせて計66両が配置された。編成は12両編成×5本と予備車のMM'ユニット1組2両・クハ481形2両・サロ481形1両・サシ481形1両で、食堂車サシ481形は九州特急「にちりん」編成より捻出されている[196]。
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運用は当初「つばさ」2往復のみを担当した。
- 運用1:秋田 0840発……(1042M つばさ1)……上野 1616着
- 運用2:上野 0804発……(1041M つばさ1)……秋田 1539着
- 運用3:秋田 1340発……(1044M つばさ2)……上野 2115着
- 運用4:上野 1204発……(1043M つばさ2)……秋田 1939着
従来の東北特急では、583系を含みグリーン車が上野寄り1号車・2号車のどちらかもしくは双方に組成されていたのに対し「つばさ」では6号車に組成された。これは3MG方式を導入する1000番台投入時に再び編成変更して乗客などに混乱を与えない配慮もあったが、トラブル発生時に運転台から給電区分を簡単に変更するには編成中央部付近にMG・CP装備のサロ481形1000番台が組成されている方が都合がいいためでもある。
翌1976年春には耐寒耐雪設備を強化した485系1000番台が秋田運転区に投入され、暫定投入の九州向け車は長崎・佐世保線電化開業により南福岡電車区へ再転出した[193]。サシ481形は秋田に残留して引き通し線追加など1000番台対応改造を施工し、秋田には12両編成×6本の72両が配置された。
1978年10月2日ダイヤ改正では秋田運転区には485系1000番台60両が増備され、サロ・サシの1000番台編入により全編成が1000番台に統一された。上野口特急の編成統一では秋田車の組成変更はなかった。「やまばと」3往復は仙台・青森から移管され、「いなほ」は改正当初は1往復であったが、1979年7月1日より2編成増備で秋田発着「いなほ」1往復を増発した。この時点では12両編成12本計144両が「つばさ」3往復、「いなほ」2往復、「やまばと」上野 - 山形3往復に充当されていた。配置は12両編成×14本と予備のクハ481形2両計170両となった。
1982年6月の東北新幹線大宮暫定開業に伴い、食堂車が編成から外され11両編成となりサシ481形は向日町ならびに金沢へ転出。11月の上越新幹線開業によるダイヤ改正ではサロ481形組込9両・モノクラス6両の短編成化を実施。編成増対応として青森からクハ481形が転入し新たに「たざわ」「はつかり」「あいづ」などに充当される広域運用が組まれた。
1982年11月の東北・上越新幹線本格開業では12両編成が9両編成に短縮され、上野発着で残った「つばさ」「やまばと」「あいづ」に使用された。6両編成はこの改正で電化された田沢湖線経由の盛岡 - 秋田間特急「たざわ」6往復のほか、盛岡 - 青森間(東北本線経由)「はつかり」6往復を担当した[197]。食堂車はサシ481形11両(1両はサシ489形に改造)が「雷鳥」増発用に向日町へ、サシ481形3両が「白山」食堂車復活用に金沢へ転出した。青森運転所へは1000番台MM'ユニット3組6両・サロ481形1050番台3両が転出している。
1985年3月14日改正では「つばさ」1往復と「あいづ」の上野発着が残ったが、それ以外の「つばさ」は奥羽本線内のみの運用となり、「やまばと」は全廃された。上野 - 秋田・青森間「鳥海」は上野 - 秋田間の臨時特急「鳥海」に格下げされ青森運転所より移管、専用のサロ481形組込7両編成も組成された。「たざわ」は2往復で秋田 - 青森間が延長されたほか、1号車のクハ481形9両が1986年に半室グリーン車のクロハ481形に改造された。1985年には「はつかり」が、続いて1986年には「たざわ」が青森運転所に移管された[193]。
秋田運転区は民営化直前の1987年3月1日に南秋田運転所に改称された[193]。1987年の民営化後は、6両編成用に一部のクハ481形→クロハ481形への改造、さらに青森からモハ485形→クモハ485形への改造施工車の転入により3両・5両編成が組成された。臨時「鳥海」は民営化後に勝田電車区と共管になり1988年に廃止。
1988年には「たざわ」が南秋田運転所に再移管された[193]。1988年3月には「たざわ」の多客期増結用としてサハ481-108・109[198]が青森より転入したが、配置は一時的で1989年3月に勝田へ転出した。
485系「つばさ」は1989年には12往復の運転となったが、奥羽本線福島 - 山形間でミニ新幹線を採用した山形新幹線が1992年に開業することになり、1990年より標準軌への改軌工事による単線化のため4往復が減便された[199]。1991年には改軌工事進捗により奥羽本線福島 - 山形間経由での運用を終了し、東北新幹線との接続駅を仙台駅として仙山線経由での迂回運転がなされた[200]。
1992年7月の山形新幹線開業で「つばさ」は400系による新幹線列車の愛称となり、在来線特急は山形 - 秋田間で「こまくさ」の運行を開始した[193]。「あいづ」は勝田電車区に移管され、485系秋田車の上野駅直通は消滅した[193]。余剰となった9両編成3本は青森運転所へ転出し、急行「津軽」ならびに波動輸送対応に転用された。
1996年にはミニ新幹線の秋田新幹線開業に向けた田沢湖線・奥羽本線の改軌工事が開始され、「たざわ」の盛岡乗り入れは中止された[198]。1997年3月の秋田新幹線開業とE3系「こまち」運転開始により特急「たざわ」は廃止され、秋田 - 青森間特急「かもしか」の運転が開始された[198]。「はつかり」運用は青森へ、「いなほ」運用は上沼垂運転区へ移管された。1997年に国鉄色から秋田色もしくはかもしか色と呼ばれる専用色に変更、11月11日に「かもしか1号」でデビューした[201]。
1999年3月13日の山形新幹線新庄延伸開業では「こまくさ」が701系による快速に格下げされたため、定期運用は「かもしか」のみとなった[198]。2004年4月1日の南秋田運転所から秋田車両センターへ組織変更ならびに改称後は、保留車となっていたMcM'ユニット4組が廃車され3両編成×3本のみの配置となった。
2010年12月4日の東北新幹線新青森開業に伴うダイヤ改正により「かもしか」は「つがる」に吸収され、同時に青森車両センターに運用移管となったため定期運用が消滅した[注 78]。その後は波動輸送対応で団体列車・臨時列車で運用[202] されたが、2011年10月に全車が廃車となり配置が消滅した。
なお、本センター配置車両は国鉄時代に1000番台対応改造工事を施工したサシ481-57 - 59・61 - 63・65 - 67・75・76・81 - 83の14両、民営化後に青森から転入したクハ481-346 - 349[注 79]・351・352・1506・1508の8両、多客期増結用とされたサハ481-108・109の2両を除きすべて1000番台車で構成されており、全般検査は後述する新潟車両センター所属車と同様に秋田総合車両センターで実施されていた。
2005年 秋田車両センター3両編成 | |||
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← 秋田 青森 →
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クロハ481 | モハ484 | クモハ485 | 廃車日 |
1003 | 1023 | 1008 | 2011.10.7 |
1007 | 1080 | 1005 | 2011.10.14 |
1002 | 1079 | 1006 | 2011.10.27 |
勝田電車区→勝田車両センター
[編集]勝田電車区では国鉄末期の1985年に仙台運転所から「ひたち」の運用移管が行われ、青森運転所・仙台運転所・向日町運転所・南福岡電車区・鹿児島運転所からの転入車により11両編成×15本計165両が配置された。これらの車両はクハ481形がトップナンバーを含む九州地区から転入したボンネット車のみ30両[注 80]・483系電車MM'ユニット4組8両・モハ485+484ユニットがトップナンバーを含む53組が初期車・サロ481形が改造車を含み全車AU13E形分散式冷房装置搭載という特徴があった。
常磐線特急「ひたち」は従来は11往復であったが、急行「ときわ」の全廃・格上げにより下り24本・上り23本に大幅増発された[203]。増発用車両は青森・仙台・向日町の余剰車が充てられるが、同時にクハ481形を非ボンネット型からボンネット型への置換えが行われ、九州地区から大量に初期車が転入した。これは短編成化した際の座席確保の点から、改正後11両編成となる「ひたち」にボンネットを、短編成列車に非ボンネットを充当させるのが目的で、引換えに東北地区からはクハ481形200番台・300番台が軒並み向日町や九州地区の南福岡・鹿児島に転出した。
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民営化を見据えた1986年11月のダイヤ改正によりクハ481形300番台・サロ481形1000番台ならびに1050番台が転入し上野方MM'ユニット1組カットの9両編成×18本に組成変更。1988年3月までは秋田運転区と共管で臨時「鳥海」にも充当された。
民営化後はフリーストップ式リクライニングシートへの交換やATS-P搭載工事が実施されたほか、1989年3月11日ダイヤ改正の651系投入により一部列車を「スーパーひたち」として分離。編成組成を7両編成×8本へ変更。さらにはグリーン車の普通車化改造を実施。最終的には10本と予備車22両へ再組成し、余剰となった初期車が廃車され一部車両は他車両基地へ転出した。1990年には「リゾートエクスプレスゆう」6両編成1本(K30編成)が配置されたほか、1991年には4両の訓練車編成が落成。1992年7月1日から1993年11月30日までは「あいづ」運用が南秋田運転所から移管され[注 82]、送り込みと帰区を兼ねた「ひたち」1往復に共通運用でサロ481形組込7両編成を充当2本・予備1本組成したためモノクラス7両編成は9本となった。
1991年には水戸駅から鹿島臨海鉄道大洗までディーゼル機関車牽引で乗り入れる夏季臨時特急「ビーチイン大洗ひたち」の運転が計画されたが、1991年5月14日に発生した信楽高原鐵道列車衝突事故から「不測の事態への対応がしにくい」等の理由により、数度の試運転を実施したのみで乗り入れは取り止められた[204]。なお、この際にクハ481-315・1011は前面連結器が密着自動連結器へ交換された[205]。
一方で「ひたち」では1992年から国鉄色からひたち色と呼ばれるグレーを基調にした専用色へ塗装変更。一部列車で慢性的混雑が発生していたことからクハ481形0番台に7両×2本連結対応の制御回路用KE70形ジャンパ連結器前面追設ならびに密着連結器への交換工事を施工し1993年1月から14両運転を開始[206]。「あいづ」廃止後は「リゾートエクスプレスゆう」・訓練車編成・踏切監視ならびに波動輸送対応用4両編成×2本[注 83]・保留車モハ485+484-2・サロ481-1007・1054・1056・1506を除き定期運用に対応する以下の7両編成×10本が組成された。
勝田電車区485系「ひたち」編成(1994年) | |||||||
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← 上野 勝田・いわき・仙台 →
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編成 番号 |
クハ 481 |
モハ 484 |
モハ 485 |
サハ 481 |
モハ 484 |
モハ 485 |
クハ 481 |
K1 | 1101 | 50 | 306 | 310 | 208 | 315 | |
K2 | 1102 | 63 | 303 | 67 | 31 | ||
K3 | 1103 | 64 | 304 | 603 | 224 | 32 | |
K4 | 349 | 1018 | 109 | 1083 | 1011 | ||
K5 | 1105 | 69 | 302 | 59 | 36 | ||
K6 | 1106 | 49 | 308 | 71 | 313 | ||
K7 | 1107 | 1071 | 108 | 1034 | 332 | ||
K8 | 1108 | 58 | 301 | 53 | 40 | ||
K9 | 38 | 54 | 306 | 51 | 333 | ||
K10 | 34 | 77 | 307 | 309 | 207 | 311 |
1994年にモハ485 + 484-2・サロ481-1054・1056が、1997年に4両編成×2本が廃車され、サロ481-1007・1506がジョイフルトレイン「ニューなのはな」改造を施工して幕張電車区へ転出。1997年にはE653系一次車7両編成×4本落成により、余剰車が発生。K1 - K7編成に組成変更を実施し、1998年7月には前後クハ481形がボンネット車・MM'ユニットが初期車で組成されたK7編成[注 84]を国鉄色へ塗装変更。同年12月にE653系二次車落成置換えにより定期運用が終了した。1999年までに一般型車両は訓練車編成を除いて10両が状態の悪い車両交換用として上沼垂運転区へ[注 85]、10両がリゾートトレイン改造の種車として新前橋電車区へ[注 86]転出した以外は廃車となった。
その後は波動輸送用として以下の編成が転入。
- 2002年 - K60編成(6両 上沼垂運転区T19編成)
- 2003年 - K40編成(4両 仙台運転所ビバあいづ編成からMM'ユニット1008をカット[注 87])
勝田電車区は2004年4月1日付で勝田車両センターに組織変更ならびに改称された。K60編成が2004年に、K40編成が2005年にオリジナル塗装に塗り替えられ、主に「ぶらり鎌倉号」「ぶらり高尾散策号」などの臨時急行・快速列車や団体列車で運用された。
2007年に訓練車のK26編成が廃車。2013年には2013年3月16日ダイヤ改正による「フレッシュひたち」運用終了で余剰となったE653系電車[注 88]の転用で、2013年1月にK40編成・K60編成が相次いで郡山総合車両センターへ廃車回送された[39][207]。
最後まで残っていた「リゾートエクスプレスゆう」も2018年9月6日付で廃車となり[208][209][210]、本センターから485系の配置が消滅した。
上沼垂運転区 → 新潟車両センター
[編集]1986年11月1日に新潟運転所上沼垂支所から上沼垂運転区へ組織変更ならびに改称したと同時に実施された国鉄最後のダイヤ改正で、分社化時のJR各社の車両運用や供給を考慮した車両転配ならびに日本海縦貫線に関係する特急車両配置基地の見直しを行った。この結果、青森運転所から5両、秋田運転区から18両、勝田電車区から3両、向日町運転所から45両、金沢運転所から1両の転入により72両が配置され、主に「雷鳥」・「白鳥」・「北越」など日本海縦貫線での広域運用を担当した[211]。
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1986年当初配置の72両により9両編成×8本が組成されT1 - T8の編成番号を付番。大阪 - 青森間「白鳥」・大阪 - 新潟間「雷鳥」・「北越」・臨時「いなほ」で運用された[212]。
- 運用1:新潟904(4018M 雷鳥18)1556大阪
- 運用2:大阪1040(5001M 白鳥)2340青森
- 運用3:青森450(5002M 白鳥)1801大阪
- 運用4:大阪750(4003M 雷鳥3)1437新潟1700(1018M 北越8)2045金沢
- 運用5:金沢744(1013M 北越3)1142新潟1315(4030M 雷鳥30)2005大阪
- 運用6:大阪1150(4013M 雷鳥13)1844新潟
- 臨時1:新潟1119(8021M いなほ81)1402酒田1503(8024M いなほ84)新潟
- 臨時2:新潟(回送)長岡841(9030M 北越80)1128金沢1633(9035M 北越85)1742長岡(回送)新潟
1988年12月から1990年12月にかけてグレードアップ改造が施工され、車体色は後に本センター配置車両の標準色となる通称上沼垂色が塗装された。指定席車両はサロ481形を除き200番台・1000番台・1500番台で統一し、クハ481形は大阪方は非ボンネット車、新潟方はT7編成の753を除きボンネット[注 89]で組成し、前頭の自動連結器は後年に密着連結器へ交換を実施。
サロ481形は従来から配置されていた8両中6両が改造対象となり、残りの2両は長野・松本に配置されていたサロ183-1052・1053をサロ481-98・112に復帰して組み込まれた。38・104は予備車として編成から除外となり1994年に廃車となった。工事期間中の予備車確保の観点から1989年4月に勝田より9両編成1本が転入。同年中にMM'ユニット2組とクハ481形2両は勝田へ再転出となったほか、1990年にMM'ユニット1組は廃車、サロ481形は1991年に勝田へ再転出[注 90]。
1990年 グレードアップ改造後のT1 - T8編成 | |||||||||
← 大阪・青森 新潟 →
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編成 番号 |
クハ 481 |
モハ 484 |
モハ 485 |
サロ 481 |
モハ 484 |
モハ 485 |
モハ 484 |
モハ 485 |
クハ 481 |
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T1 | 1505 | 1504 | 105 | 1012 | 87 | 21 | |||
T2 | 260 | 1506 | 114 | 1502 | 83 | 29 | |||
T3 | 1503 | 1507 | 106 | 1501 | 65 | 23 | |||
T4 | 261 | 1503 | 107 | 1505 | 86 | 102 | |||
T5 | 1507 | 1078 | 125 | 1069 | 251 | 149 | 28 | ||
T6 | 1502 | 1020 | 124 | 1024 | 66 | 30 | |||
T7 | 258 | 1013 | 112 | 1011 | 241 | 138 | 753 | ||
T8 | 1504 | 1007 | 98 | 1010 | 85 | 27 | |||
座席区分 | 指定席 | 自由席 |
1990年には3両編成のジョイフルトレイン「シルフィード」が配置された。1994年からは新潟発長岡行きの座席定員制列車として快速「らくらくライナー」が485系で運行開始した。1995年からは大阪滞留編成の間合い運用で「びわこライナー」にも充当された。
1996年3月30日ダイヤ改正では青森運転所担当分「いなほ」運用を秋田新幹線工事・開業に関連して本区ならびに南秋田運転所へ移管。クロハ481形組込み6両編成2本が南秋田運転所から転入[213]。また、8月30日付で長野総合車両所からサロ489-1051・1052が転入した。
1997年3月22日ダイヤ改正では北越急行ほくほく線開業に伴う特急列車網の再編が行われたが、この改正で新設された越後湯沢 - 金沢間特急「はくたか」用リニューアル改造の3000番台車によるサロ481形組込9両編成が落成した[214][注 91]。編成番号はR1編成で、「はくたか」1往復を担当するとともに出入区を兼ねた「北越[注 92]」ならびに「雷鳥」3往復に充当した。この改正で「白鳥」運用はJR西日本京都総合運転所(旧・向日町運転所)へ移管された[214]。6両編成は南秋田運転所担当分「いなほ」運用を移管し、定期8往復・臨時1往復ならびに「北越[注 92]」「みのり」それぞれ1往復に充当。
R1編成検査時の予備として、T5編成はATS-P搭載ならびに全車グレードアップ車へ組成変更を実施[215]。編成本数は2本から10本に増加[215]。増加うちわけは7本が南秋田からの転入、1本が「白鳥」運用移管で余剰となった9両編成1本と転入車から組成した。
翌1998年には3000番台化改造工事を施工したR2編成[注 93]が落成したことにより、9両T編成は5本まで減少。さらにT1・T2編成の新潟方クハ481形を除きグレードアップ車となった。このためトータルでは1本減の7編成となった[215]。
南秋田からはMcM'ユニット2組4両が転入するもジョイフルトレイン改造前程で幕張電車区(現在:幕張車両センター)へ転出。また、長野から転入のサロ489形2両はいずれの編成にも組成されない予備車とされた。このほか、クハ481形では南秋田から転入した1005と青森所属の342が[注 74]、クロハ481形では南秋田との間で1002と1023[注 94]が車両交換する形で転出入が行われた。
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1999年2月以降には通勤ライナー列車「らくらくライナー」が「らくらくホームトレイン」に改称された。1999年にはT17・T19・T20編成から新潟方MM'ユニット1組をカットした4両編成×3本のT21-T23編成が組成され、6両編成はT11 - 20編成の10本となった。4両編成は「いなほ」「みのり」に充当されたほか、E653系に置換えられ余剰となった勝田電車区所属車両のうちMMユニット3組6両とクハ481形4両が転入。状態の悪い車両を置換える玉突き転配が実施された結果、2001年までにMM'ユニットは1000・3000番台に集約。クハ481形ボンネット車は全車廃車となった。2000年からは6両T編成や秋田・青森からの転入車も改造されこれらは6両のR21 - R25編成となった。
2000年7月にはATS-Pならびに車内減光装置を搭載する青森運転所A12編成が転入した[注 16]。
大阪 - 青森間特急「白鳥」が廃止となった2001年3月3日ダイヤ改正では、大阪 - 新潟間の「雷鳥」が金沢を境に「雷鳥」「北越」に系統分離された。このため「雷鳥」ならびに間合いの「びわこライナー」運用をJR西日本へ移管し終了。余剰となったT1 - T5編成はMM'ユニット1000番台の一部が「北越」増発用として6両編成へ転用、クハ481-349と保留車となっていた753ならびにMM'ユニット1078の4両が「きらきらうえつ」の改造種車とされたほか、モノクラス編成に再組成された車両を除き廃車となった。
9両編成はT1 - T5編成にまで減少し2001年の運用終了により消滅。4両・6両編成も含め老朽車の廃車ならびに後述する3000番台R編成への改造などが行われていたことから、1000番台を主とした組成変更を実施し以下の編成番号に整理された。
- クロハ481形組込6両編成:T11 - T18
- 波動輸送対応用6両モノクラス編成:T19
- 「みのり」ならびに酒田発着「いなほ」2往復充当用4両モノクラス編成:T21・T22
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これらの結果クロハ481形6両編成はT11 -T18・R21 - R25編成の13本となった[注 95]。
ジョイフルトレインは「シルフィード」に普通車格下げ改造を施工し「NO.DO.KA」へリニューアルしたほか、新たに4両編成の「きらきらうえつ」が配置された。
2002年12月にはT21・T22編成が充当される特急「みのり」を快速「くびき野」に格下げした上で運転区間を新井まで短縮したほか、波動用T19編成が勝田電車区へ転出。2005年までにクハ481-333・1507を除いたT21編成ならびにT22編成が長野総合車両センターへ転出したため以降はT11 - T18編成がR編成と共通運用で充当された。「くびき野」運用では春日山駅のホーム高さの関係で乗降用ドアステップ装着が必須であることから、「いなほ」「北越」とは別運用が組まれ4・5号車MM'ユニットにグレードアップ車が組成されるT16・T17編成がほぼ専従となった。両編成のいずれかが検査などの際には他のT・R編成に乗降用ドアステップを装着して充当した。
2003年4月には青森運転所より旧A10・A11編成の6両編成×2本が転入し、K編成となった。快速「ムーンライトえちご」「フェアーウェイ」運用の165系の老朽置換え用で、ATS-Pならびに車内減光装置を搭載するほか[注 97]、塗装は新製から独自色への変更がなく廃車まで国鉄色が維持された。6号車がレディースカー(女性専用車両)のためデッキ部がピンク色、座席モケットはエンジ色に変更されているほか、首都圏主要駅のホーム高さにあわせるため乗降用ドアステップ[注 98]を装備する。また、2010年度に首都圏内で完全運用が開始されたデジタル列車無線機を搭載する。予備編成がないために検査・故障[注 99]などの際はT18編成が充当されたが、T18編成も充当できない場合はR26・R27編成が充当された[注 100]。
2004年3月改正では新潟発村上行き快速「らくらくトレイン村上」が設定され、従来の長岡行き「らくらくホームトレイン」が「らくらくトレイン長岡」に改称された。
上沼垂運転区は2004年4月1日付で新潟車両センターへ組織変更ならびに改称された。2004年10月23日に発生した新潟県中越地震の影響で上越新幹線越後湯沢 - 新潟間が不通になり、10月27日 - 11月28日に新潟から越後線・信越本線経由の北陸新幹線乗り継ぎ臨時快速列車に充当され「みのり」廃止以来となる長野まで運用された。
2005年3月1日ダイヤ改正では、「はくたか」運用をJR西日本681系・683系に置換えたため9両のR1・R2編成は定期運用を終了。両編成は予備車扱いとなり、多客期の「いなほ」運用に充当された。
また、12月25日に発生した羽越本線脱線事故により当該のR24編成が山形県警察から物的捜査資料として押収、証拠物件の保全命令が出され長期使用不能となったことから車両不足が発生した。このためR2編成からMM'ユニット1組+サロ481-3106をカットした6両編成とし「くびき野」運用に充当。
2006年3月にR1・R2編成を6両化し、R26・R27編成に再組成[注 101]。両編成ともATS-Pを搭載するが、R27編成は本センター所属車で唯一近畿圏乗入にも対応する。R24編成の代替として青森運転所からA9編成に組成されていたクロハ481-3020・クハ481-3350とA8編成に組成されていたモハ485・484-3056[注 102]の4両が転入。R1編成から外されたモハ485・484-3040とR28編成を組成。余剰となったサロ481-3106・3107は休車、R2編成のモハ485・484-3086は増結用に転用した。
2006年5月22日に「くびき野」運用の完全6両化を実施。4両のT21・T22編成は余剰となり、T21編成のクハ481-333・1507が廃車となった。残存の6両は長野総合車両センターに転出、2006年にジョイフルトレイン「彩(いろどり)」へ改造された。このため定期運用充当車はすべてクロハ481形組込6両編成×15本に統一された。R24編成は捜査終了により2007年3月31日付で廃車。サロ481-3106・3107は2008年10月に廃車となり、サロ481形は廃形式となった。
2010年12月4日ダイヤ改正での東北新幹線八戸 - 新青森間延伸開業に伴い、青森まで運転されていた「いなほ」の秋田以北は「つがる」に分離された。T・R編成は特急「いなほ」「北越」、快速「くびき野」、座席定員制快速「らくらくトレイン長岡」、直江津 - 新井間普通列車[注 103]に充当された。
この2010年12月4日ダイヤ改正ではK編成が充当されていた「ムーンライトえちご」の臨時列車格下げならびに「フェアーウェイ」廃止により、運用は首都圏配置の183系に移管[注 104][217] された。同編成は定期夜行急行「能登」の臨時列車格下げにより同運用をJR西日本金沢総合車両所から移管。T・R編成との共通運用を組む「ホームライナー鴻巣3号・古河3号[注 105]」・「北越3号・8号(「能登」運転日のみ)」にも充当された[注 106]。
サロ489形1050番台1051・1052の2両は2001年の「雷鳥」運用終了後も保留車として配置されていたが、2010年10月に廃車となりJR東日本から489系が全廃となった。
2012年3月17日ダイヤ改正では「能登」が廃止、「ホームライナー鴻巣3号・古河3号」は大宮総合車両センター配置185系に運用移管、「ムーンライトえちご」は臨時列車のまま当センターに運用再移管された。また、同改正による急行「きたぐに」定期列車廃止の補完として直江津発新潟行き快速「おはよう信越」が旧「きたぐに」とほぼ同時刻で片道1本設定され、485系6両編成により全車指定席で運転された[218]。同時に新潟発長岡行き快速「らくらくトレイン長岡」は直江津へ延長され「らくらくトレイン信越」に改称された。
2013年9月28日より「いなほ」にE653系が順次投入され、2014年3月14日本改正時点では酒田までの2往復に減少し、7月11日に置換えが完了した。同時に「らくらくトレイン信越」もE653系電車への置換えを実施し、羽越本線での定期運用が終了した[219]。E653系への置換え余剰により2013年度はT11・14・17編成[220]、2014年度は上期にT12・15・16編成が[221]、下期にはT13編成が12月27日付で廃車となりT編成の上沼垂色塗装車は全廃となった。増結用のリニュアル車モハ485・484-3086は2014年5月30日付で廃車となった[221]。
「ムーンライトえちご」は2014年4月4日 - 5月3日に「えちご春の夜空」として運転されたが、5月23日発表の夏期増発列車に関するプレスリリースでは運転が記載されておらず[222]、同列車はこれ以降の運転設定がない状態となった。K編成は2014年6月10日付でK2編成が[221]、2015年3月20日付でK1編成が廃車され全廃となった[注 107]。
2015年3月14日に実施された北陸新幹線金沢延伸開業に伴うダイヤ改正により、新潟車両センター所属編成の定期列車充当は新潟 - えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン糸魚川間に新設された快速列車1往復[223]のみとなった。
T編成は同年5月30日に運転されたT18編成の団体臨時列車「ありがとう485系国鉄色号」ですべての運用を終了[224]。最後まで残存したT18編成[注 16]は元青森運転所A12編成でATS-Pならびに車内減光装置を搭載[注 97]。2000年転入後の2001年に上沼垂色塗装が施されたが、K1・K2編成と共通予備であることから2008年6月に国鉄色へ塗装変更[注 108]。各支社間貸出や首都圏乗入のためデジタル無線機を搭載する[30]。青森方先頭車に組成されていたクハ481-1508は2015年7月10日付で廃車され[29]、7月12日にトレーラーで新潟市新津鉄道資料館へ搬入された[40]。残りの5両は2015年8月10日にEF64・EF81牽引で秋田総合車両センターへ配給回送され[225]、8月12日付で廃車された[29]。
2016年3月26日ダイヤ改正で北海道新幹線開業により「白鳥」が廃止されたため、新潟 - 糸魚川間の快速列車が485系唯一の定期運用となった。2017年3月4日ダイヤ改正で新潟 - 糸魚川間の快速列車が廃止[226]されたことにより485系の定期列車が全廃となり、改正前日の3月3日を最後に定期運用を終了[1][226]。3月19日にR28編成を充当した団体臨時列車「ありがとう485系信越の旅!」でジョイフルトレインを除いたすべての運用が終了した[101]。4月までにジョイフルトレインを除く全車が廃車となった[36]。
廃車は以下のスケジュールでR21・R25編成は秋田総合車両センターへ、R22・R23・R26 - R28編成は長野総合車両センターへ長岡車両センター所属。EF64の双頭連結器牽引による配給回送[注 109]を行い実施された。
- R21編成:2015年5月9日秋田へ自走回送 5月10日廃車[227]
- R22編成:2015年6月17日長野へ配給回送[228] 2015年7月1日廃車[29]
- R27編成:2015年7月8日長野へ配給回送 7月10日廃車[29]
- R23編成:2015年9月8日長野へ配給回送[229] 9月10日廃車[29]
- R25編成:2015年11月26日秋田へ自走回送 11月27日廃車[108]
- R26編成:2017年3月13日 - 3月14日長野へ配給回送[103] 2017年4月3日廃車[36]
- R28編成:2017年4月4日長野へ配給回送[104] 4月6日廃車[36]
2018年1月7日に「NO.DO.KA」が運行を終了[230]し、同月10日には自走で新宿駅を経由して長野総合車両センターへ回送[231]され、同日付で廃車となった[232]。
「きらきらうえつ」は、HB-E300系「海里」への置き換えに伴い[233]2019年9月29日で定期運行を終了[234][235][236][237][238]。2019年12月15日に運転された旅行商品専用列車「きらきらうえつ美食旅」をもってすべての営業運転が終了した[239][240]。
「きらきらうえつ」は2020年3月1日付で廃車となり、485系の配置車両が消滅した[241]。なお、本センター配置車両は全般検査を秋田総合車両センターで実施していた。
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- 新潟車両センター所属車
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T11編成
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T12編成
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T13編成
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T14編成 特急「みのり」マーク
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T17編成[注 96] 快速「くびき野」
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T18編成 1500番代国鉄色
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R25編成
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R26編成
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R27編成
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R28編成
長野第一運転区→長野総合車両センター
[編集]1986年11月に「あさま」「そよかぜ」用として200番台車を中心にした金沢運転所から転入の489系9両編成×3本27両でN301 - N303編成を組成し長野第一運転区[注 110] に配置された。塗装はJR化後の1990年以降に国鉄色から189系グレードアップ改造車で採用されたあさま色への変更を実施した。また、定期運用では交流電化区間は存在しない。
このほか1987年3月11日に保留車としてサシ489-83が転入したが、1988年にスシ24 506へ改造され尾久客車区へ転出。1990年には勝田電車区からサロ481-1053・1052をサロ489-1051・1052へ改造した上での転入により最大29両が配置された。
1996年にサロ489-1051・1052は上沼垂運転区へ転出、N302編成が長野駅構内での事故により廃車。残存したN301・N303編成も1997年の北陸新幹線長野開業により定期運用を失い2000年までに全車廃車となった。
2004年に長野総合車両センターに改称された。その後2006年に新潟車両センターより4両編成×2本が転入。クハ2両は廃車となったが、残りの6両を改造したジョイフルトレイン「彩(いろどり)」を配置。2015年7月に交直切替機能を使用停止し直流専用車とされたが、2017年10月20日付で廃車された[232]。
なお、配置車両の全般検査は489系も含み前身の長野工場時代から本センターで実施していた。
長野総合車両所489系「あさま」「そよかぜ」編成 | |||||||||
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← 上野 長野 →
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編成 番号 |
クハ 489 |
モハ 488 |
モハ 489 |
サロ 489 |
モハ 488 |
モハ 489 |
モハ 488 |
モハ 489 |
クハ 489 |
N301 | 601 | 218 | 33 | 16 | 217 | 32 | 216 | 31 | 201 |
N302 | 602 | 222 | 37 | 14 | 221 | 36 | 220 | 35 | 202 |
N303 | 603 | 225 | 40 | 15 | 224 | 39 | 223 | 38 | 203 |
北陸・山陽・上信越線
[編集]向日町運転所 → 京都総合運転所
[編集]向日町運転所には1964年に「雷鳥」「しらさぎ」用の481系41両が初配置された[242]。1975年3月までは山陽・九州特急を担当。以後は「雷鳥」「北越」などの北陸特急を主に運用された。489系電車との混結や「シュプール号」などでの夜行運用に対応した客室減光装置搭載編成も在籍し、1997年3月 - 2001年3月までは在来線電車特急として最長運転距離となる大阪 - 青森間「白鳥」にも投入されていたが、それ以降は「雷鳥」のみが定期運用となった。
1964年に481系の第1陣となる41両が向日町運転所へ新製配置されて、1964年12月25日より「雷鳥」「しらさぎ」の各1往復で営業運転を開始した[243][244]。東海道新幹線が開業した1964年10月1日ダイヤ改正で「雷鳥」「しらさぎ」の列車ダイヤは設定されていたが、車両落成がダイヤ改正後の10月末となったことから運休扱いとなり、試運転を経て年末年始輸送を控えた12月からの営業運転開始となった[243]。編成は両列車とも1等車2両・食堂車1両を組み込んだ11両編成であった[245][246]。
- 運用1:大阪1230(2001M 雷鳥)1715富山1815(2004M しらさぎ)2240名古屋
- 運用2:名古屋800(2003M しらさぎ)1225富山1335(2002M 雷鳥)1820大阪
一方、東海道新幹線開業により新大阪 - 博多へ運転区間を変更した「つばめ」「はと」は暫定的に直流用151系で運転され、山陽本線上り広島 - 八本松間(瀬野八)で補助機関車を連結、九州内交流電化区間では下関 - 門司間がEF30、門司 - 博多間がED73の両電気機関車による牽引とし車内電源用にサヤ420形電源車を連結していた[247]。
1965年には「つばめ」「はと」の瀬野八での補助機関車連結や下関以西での機関車牽引を解消する目的で、481系増備車56両が落成。11両編成×8本と予備車9両の計97両配置となり、1964年10月1日ダイヤ改正で151系「つばめ」「はと」を置き換えた[248]。運用は6編成充当で電化区間が熊本まで伸びたため「つばめ」は運転区間を名古屋 - 熊本へ延長した[158][249]。1966年10月1日改正では1運用増により「雷鳥」は2往復へ増発された[250]。
- 運用1:大阪1800(2003M 第二雷鳥)2240富山
- 運用2:富山645(2002M 第一雷鳥)1130大阪1240(2001M 第一雷鳥)1710富山1810(2012M しらさぎ)2235名古屋
- 運用3:名古屋915(3M つばめ)2206熊本
- 運用4:熊本805(4M つばめ)2052名古屋
- 運用5:名古屋800(2011M しらさぎ)1225富山1335(2004M 第二雷鳥)1820大阪
- 運用6:新大阪1330(5M はと)2215博多
- 運用7:博多755(6M はと)1640新大阪
1968年10月1日の「ヨンサントオ」ダイヤ改正では「つばめ」「はと」運用から485系が運用を外れ、南福岡電車区の581系・583系に移管された[251]。引換に向日町運転所の九州特急運用はへ置換えられた大阪 - 大分間「みどり」(1967年10月1日ダイヤ改正でキハ82系から581系に置き換え)に485系が充当となったほか、北陸特急では「雷鳥」が2往復から3往復、「しらさぎ」が1往復から2往復増発に充当された[162][251]。
また、本改正から最高運転速度が110→120 km/hへアップされたことから、各列車の所要時間も短縮された。
- 運用1:大阪 1800発……(2005M 雷鳥3)……富山 2218着
- 運用2:富山 645発……(2002M 雷鳥1)……大阪 1105着・大阪 1230発……(2003M 雷鳥2号)……富山 1645着
- 運用3:富山 555発……(22M しらさぎ1)……名古屋 0959着・名古屋 1315発……(23M しらさぎ2)……富山 1714着・富山 1750発……(24M しらさぎ2)……名古屋 2153着
- 運用4:名古屋 815発……(21M しらさぎ1)……富山 1214着・富山 1325発……(2004M 雷鳥2)……大阪 1747着
- 運用5:大阪 945発……(2001M 雷鳥1)……富山 1400着・富山 1545発……(2006M 雷鳥2)……大阪 2007着
- 運用6:新大阪 928発……(1M みどり)……大分 1905着
- 運用7:大分 1005発……(2M みどり)……新大阪 1942着
ヨンサントオ改正における山陽特急のうち昼行は10往復設定されたが、481系の運用は新大阪 - 大分間「みどり」1往復のみで、他は151系改造の181系または昼夜兼用の583系が使用された[252][253]。583系は名古屋 - 熊本間「つばめ」1往復と新大阪 - 博多間「はと」2往復の合計3往復、181系は新大阪 - 広島・下関間「しおじ」3往復と新大阪・大阪 - 宇野間の四国連絡特急「うずしお」3往復の合計6往復であった。
1969年10月1日ダイヤ改正に対応して、向日町運転所に初めて485系35両を新製配置[254]。11両編成×3本のほか、MM'ユニット1組は481系予備車9両と新たな編成を組成し、11両編成×13本で11編成を運用に充当した[254]。
山陽特急では、「うずしお」3往復のうち下り3号・上り1号の1往復に本系列を充当[254]、初の全区間直流運転電車となった[163]。捻出された181系電車は「しおじ」新大阪 - 下関間1往復増発用に転用[254]。
北陸特急では、大阪 - 金沢間に「雷鳥」1往復を増発し4往復となった[255]。増発分は共通運用で上野 - 金沢間を北陸本線糸魚川 - 直江津間ならびに信越本線直江津 - 宮内間電化に伴い信越本線経由から上越線経由に変更で運転した「はくたか」に充当された[163][255]。これにより向日町運転所配置車は、東は上野、西は大分までの広域運用を行うこととなったほか[256]、大阪 - 新潟間臨時特急「北越」も設定され翌1970年3月1日に定期電車化された[257][258][注 111]。
- 運用1:新大阪 1735発……(1015M うずしお3)……宇野 2025着
- 運用2:宇野 840発……(1012M うずしお1)……新大阪 1132着…大阪 1430発……(2015M 北越)……新潟 2211着
- 運用3:新潟 700発……(2016M 北越)……大阪 1449着・大阪 1800発……(2007M 雷鳥4)……富山 2219着
- 運用4:富山 645発……(2002M 雷鳥1)……大阪 1105着・大阪 1240発……(2005M 雷鳥3)……富山 1654着
- 運用5:富山 555発……(22M しらさぎ1)……名古屋 0959着・名古屋 1315発……(23M しらさぎ2)富山 1714着・富山 1750発……(24M しらさぎ2)……名古屋 2153着
- 運用6:名古屋 815発……(21M しらさぎ1)……富山 1214着・富山 1325発……(2004M 雷鳥2)……大阪 1747着
- 運用7:大阪 945発……(2003M 雷鳥2)……富山 1359着・富山 1545発……(2008M 雷鳥4)……大阪 2007着
- 運用8:新大阪 928発……(1M みどり)……大分 1905着
- 運用9:大分 1005発……(2M みどり)……新大阪 1942着
- 運用10:大阪 810発……(2001M 雷鳥1)……金沢 1147着・金沢 1330発……(1022M はくたか)……上野 2010着
- 運用11:上野 710発……(1021M はくたか)……金沢 1425着・金沢 1510発……(2006M 雷鳥3)……大阪 1857着
- 「北越」は1970年2月28日までは列車番号8015M・8016Mで運転
また、「雷鳥」は1970年10月2日ダイヤ改正では運用見直しで1往復増の5往復化[165]。1971年にはサハ489形を組み込まない489系早期落成車11両編成×2本が配置された。489系は向日町所の定期運用にも組み込まれ、九州地区での運転も確認されている。これにより485系電車運用に余裕が出たことから、「雷鳥」は1971年7月30日から6往復化[259]。さらに尾久・金沢・大分で夜間滞留車による「はくたか」や「みどり」の間合いで臨時夜行特急として大阪 - 大分「夕月」ならびに上野 - 富山「はくたか51号」にも充当された。
1972年3月15日には山陽新幹線新大阪 - 岡山間暫定開業に伴うダイヤ改正が実施された[166][260]。向日町運転所への485系増備はないものの、代わりに信越本線横川 - 軽井沢間でEF63重連との協調運転に対応した前年から製造開始された489系が12両×4編成と485系と共通運用される11両編成×1本を組成。12両編成は3編成を充当し、送り込みと帰所を兼ねた「雷鳥」との共通運用で上野 - 金沢間「白山」の運転を開始した[261]。これにより「雷鳥」は8往復運転となった[166]。
- 489系運用1:大阪 1830発……(4029M 雷鳥10)……富山 2245着・富山…(回送)…金沢
- 489系運用2:金沢 700発……(3006M 白山)……上野 1334着・上野 1425発……(3005M 白山)……金沢 2053着
- 489系運用3:金沢…(回送)…富山 715発……(4012M 雷鳥1)……大阪 1130着・大阪 1230発……(4021M 雷鳥6)……富山 1640着・富山 1715発……(4030M 雷鳥10)……大阪 2130着
また、1971年夏期には東京・上野 - 中軽井沢間季節特急「そよかぜ」2往復にも充当されたほか、さらに増備が続き1971年11月までに12両編成×6本まで増強。7月24日から従来の「白山」は上り「白山1号」下り「白山2号」へ変更の上で2往復化[注 112]、「雷鳥」は2往復増の10往復運転となった[262]。
- 489系運用4:大阪 900発……(4015M 雷鳥2)……金沢 1225着・金沢 1255発……(3008M 白山2)……上野 1942着
- 489系運用5:上野 925発……(3007M 白山1)……金沢 1555着・金沢 1640発……(4026M 雷鳥8)……大阪 2010着
なお、「白山」運用は1973年4月1日付で金沢運転所へ移管。車両は段階的な転出が1974年4月までに実施された。
下り「はくたか」は冬期は豪雪地帯の上越線を経由するため大幅遅延も多く、その影響は共通運用の上り「雷鳥」にまで波及することから、上り「はくたか」発車時刻を下り「はくたか」到着時刻より遅くする変更を実施した[166]。下り「はくたか」が遅延した場合には下り「雷鳥3号」から上り「はくたか」に入る予定の編成を上り「雷鳥6号」で大阪に戻し、遅延した下り「はくたか」は最初から遅延を前提に上り「はくたか」として上野に送り返す運用変更により「雷鳥」の定時運行が確保された。しかし「はくたか」の遅延が慢性化すると折り返し運用が続き当該編成が向日町に戻ることができず、検修の問題から車両交換に伴う回送電車を向日町 - 金沢に仕立てたほか金沢運転所の489系による代走など弊害が発生した[263]。
- 改正前
- 上野 710発……(1021M はくたか)……金沢 1425着・金沢 1510発……(2006M 雷鳥3)……大阪 1857着
- 大阪 810発……(2001M 雷鳥1)……金沢 1147着・金沢 1330発……(1022M はくたか)……上野 2010着
- 改正後
- 上野 830発……(3001M はくたか)……金沢 1450着・金沢 1610発……(4022M 雷鳥6)……大阪 1944着
- 大阪 1030発……(4015M 雷鳥3)……金沢 1353着・金沢 1515発……(3002M はくたか)……上野 2139着
山陽・九州特急の多くは岡山発着になり、大阪発着では「うずしお」が廃止となるが、「しおじ」は新大阪 - 広島間1往復で残存した[264]。また、岡山 - 博多・熊本間「つばめ」2往復と岡山 - 下関間「はと」1往復ほか[265]、新大阪・大阪 - 大分間「みどり」2往復に充当された。さらに4月27日からは「みどり」の間合い運用で日豊本線博多 - 大分間「にちりん」1往復にも充当[266]。初の全区間交流運転となる九州島内運用も開始された。
- 大阪 825発……(1M みどり)……大分 1753着・大分 2038発……(4014M にちりん2)……博多 2333着
- 博多 753発…………(4013M にちりん2)……大分・1050着・大分 1120発……(2M みどり)……新大阪 2038着
- 博多口では「つばめ」と共通運用を実施。
本改正では1968年以降中断していた181系の関東地区転用による置換えを含め向日町運転所配置車は段階的な増備を実施し、小刻みな運用変更ならびに増発も行われた。
- 1972年3月15日:11両編成×15本 13編成充当
- 1972年4月27日:11両編成×17本 15編成充当
- 1972年5月4日:11両編成×18本 16編成充当
- 1972年10月2日:11両編成×21本 19編成充当
- 1973年3月1日:11両編成×31本 29編成充当
- 1973年4月1日:11両編成×32本 30編成充当
- 1973年5月30日:11両編成×33本 30編成充当
- 1973年7月1日:11両編成×35本 30編成充当
また、上述した編成には共通予備としてサハ489形を除外した489系11両編成は1974年3月まで1ないし2編成が含まれるほか、1973年5月25日をもって向日町運転所の181系運用は終了。その結果、充当定期列車は以下となった[267]。
- 「はくたか」上野 - 金沢(上越線経由)……1往復
- 「北越」大阪・金沢 - 新潟……3往復
- 「雷鳥」大阪 - 金沢・富山……7往復
- 「しらさぎ」名古屋 - 富山……3往復
- 「みどり」大阪・岡山 - 大分……2往復
- 「つばめ」岡山 - 博多・熊本……4往復
- 「しおじ」新大阪・大阪 - 広島・下関……3往復
- 「はと」岡山 - 下関……5往復
- 「にちりん」博多 - 大分……1往復
1973年10月1日ダイヤ改正[171]では大阪発着「みどり」は列車番号を33M・34Mへ変更、「つばめ」充当を5往復へ増強した。「北越」の金沢発着1往復・大阪発着1往復を金沢運転所489系へ運用移管、「雷鳥」充当を9往復へ増強した。また、キハ82系で運転されていた大阪 - 西鹿児島(現在:鹿児島中央)・宮崎間「なは」「日向」を分離し、「なは」を485系化した。本系列は11両編成×35本と予備のMM'ユニット1組とクハ481形1両の計364両を配置。運用には30編成が充当された。
- 大阪 705発……(1M なは)……西鹿児島 2004着・西鹿児島 800発……(2M なは)……大阪 2101着
1974年4月25日ダイヤ改正では日豊本線南宮崎電化で「日向」へも充当された[268]。
- 大阪725(31M 日向)2017宮崎930(32M 日向)2243大阪
向日町配置車は11両編成×37本の計382両で定期32運用が組まれ新潟・上野・宮崎・西鹿児島とさらに広域運用が行われた[注 113]。
1975年3月10日の山陽新幹線博多開業に伴うダイヤ改正により、山陽本線昼行特急は全廃となった[173][270]。向日町運転所の485系は407両のうち204両が余剰となり、余剰車の大多数が九州へ転用された[270]。向日町配置車は北陸運用充当車を除いて新幹線連絡の「有明」「にちりん」増発用として南福岡と鹿児島、また青森・金沢へも転出した結果、11両編成×13本の計141両まで減少した。
鹿児島にはモハ481形・モハ480形を含む初期車11両編成×7本の77両、南福岡にはクハ481形・モハ484形は200番台に限定した中期型以降「にちりん」充当用11両編成×6本とサシ481形を除外した10両編成×3本ならびに予備のMM'ユニット3組6両・サロ481形8両の110両に振分けられた。南福岡配置車は長崎本線・佐世保線電化時に運転開始の「かもめ」「みどり」で分割・併合運用を行うことが予定されていた。青森にはクハ481-249・250[注 114] とサシ481-64の計3両、金沢にはサシ481-65 - 67の3両が転出した。
車両を鹿児島向け・南福岡向け・青森ならびに金沢転出・向日町残留に振分けするため半年近く前から編成替えや運用に細心の注意を払い準備した。転出目的の回送電車を極力減らし、そのまま改正ダイヤでの新電車運転をスムーズに行うため前日に九州地区・下関・広島で運用が終了する編成は軒並み転出車で運転された。
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この1975年3月改正で北陸特急「雷鳥」は前年開業の湖西線経由となった[271]。翌1976年には北陸特急12両編成化のためサハ481-101 - 113が新製配置された。この車両は向日町運転所への本系列最後の新製車である。
1978年10月2日改正では「はくたか」が金沢運転所へ移管され、向日町車による上野への広域運用が終了した[271]。「北越」のうち大阪 - 新潟間運行列車は「雷鳥」に編入された[272]。また、「雷鳥」のうち4往復が向日町の583系で運用された[271]。
1981年の神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア'81)開催中は三ノ宮 - 富山間臨時特急「ポートピア」に充当された[273]。
- 富山0546(9040M ポートピア)1025三ノ宮1702(9043M ポートピア)2200富山
1982年11月15日の東北・上越新幹線暫定開業に伴うダイヤ改正では、急行「立山」の格上げで特急「雷鳥」2往復が増発された[271]。また、583系による「雷鳥」のうち2往復が485系に変更された[271]。大幅運用減となった東北地区から23両、運用見直しで金沢運転所から10両、南福岡電車区から3両が転入し12両編成×16本計192両となった。
1985年3月14日のダイヤ改正では「雷鳥」の583系運用が無くなり、「雷鳥」全列車が向日町の485系での運用となった[271]。北陸特急の食堂車廃止によりサシ481形が外される一方で、一部の「雷鳥」用編成ではサシ481形改造の和式グリーン車サロ481形500番台「だんらん」が組み込まれた[274]。また、大阪 - 青森間「白鳥」が青森運転所から向日町運転所へ移管された。再び東北地区の青森、秋田、仙台から余剰車が大量転入し、273両まで増加した。
サハ481形は1985年3月に仙台から向日町へ全車出戻り転属、金沢所属の16 - 19も向日町転属となった。同改正では1000番台の東北地区から他地域転出が初めて行われ、青森運転所や秋田運転区からMM'ユニットのみが向日町運転所に転出した。同時に1500番台のMM'ユニットも全車青森から向日町に転出した。
1986年11月1日のダイヤ改正で民営化を見据えた日本海縦貫線の特急運用見直しにより、「雷鳥」2往復と「白鳥」は上沼垂運転区へ[275]、「北越」は金沢運転所へ移管された[274]。また、余剰車の一部が廃車もしくは車種間改造を施工され同所から転出、1500番台のMM'ユニットを含む44両は上沼垂運転区へ転出した。1986年3月に余剰となったサロ・サシ481形が廃車となったが、一部車両は分割民営化直前に車籍を復活させた。
1986年12月にはキロ65系による七尾線直通の大阪 - 和倉温泉間特急「ゆぅトピア和倉」が運転を開始し、北陸本線内は「雷鳥」の485系に無動力で牽引された。併結する485系の先頭車はジャンパ連結器の関係でクハ481形200番台・300番台組込編成の限定運用であった。
民営化時には保留車5両を含む194両が配置された。なお、分割民営化後も北陸特急の運用形態の変更に伴う大きな編成変更を度々実施しており、その動きを以下で解説する。
1987年の分割民営化時、向日町運転所の485系は一般グリーン車と「だんらん」組み込みの10両編成が9本、一般グリーン車のみの9両編成が11本組成され、「雷鳥」で運用されていた[274]。このほか編成に組成されない保留車としてサロ481形0番台1両・サハ481形4両が在籍していた。
向日町運転所485系(1987年)[276] | ||||||||||
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← 大阪 富山 →
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10両 9本 |
クハ 481 |
モハ 484 |
モハ 485 |
サロ 481 |
サロ 481 -500 |
モハ 484 |
モハ 485 |
モハ 484 |
モハ 485 |
クハ 481 |
9両 11本 |
クハ 481 |
モハ 484 |
モハ 485 |
サロ 481 |
モハ 484 |
モハ 485 |
モハ 484 |
モハ 485 |
クハ 481 |
1989年には金沢車による「スーパー雷鳥」が運転開始されることになり、「雷鳥」の和式グリーン車「だんらん」は廃止され、一部が「スーパー雷鳥」用ラウンジ付きグリーン車に転用された。「だんらん」組込10両編成のうち3本を分割し18両が金沢運転所へ転出し、残存編成も一般グリーン車組込9両編成に統一された。また、「ゆぅトピア和倉」連結編成の運用効率化のため、10月までにボンネット先頭車100番台にも密着連結器化・ジャンパ連結器設置などの併結対応改造を施工した。
1991年の3月・9月の「スーパー雷鳥」ほか金沢車増発のため、1990年10月より計19両が金沢運転所へ転出した。京都残存車(9両編成×15本)は1991年度から1992年度にかけてサロ481形の大阪側洗面所をカード式公衆電話室に改装、各車の洗面所改良の改造が行われた。また、A03・A05編成に夜行運用対応の客室減光装置を装備した。
1996年3月には山陰本線園部 - 綾部間電化開業となり、電動車ユニットの一部が京都・金沢から福知山運転所に転属した。京都車の編成は4号車サロ481形組込9両編成×9本となり、多客期には一部編成に増結用MM'ユニット組込の11両編成(グリーン車は4号車→6号車に変更)で運用した。A02・A03・A06編成には「シュプール号」向けに客室減光装置を装備し、先頭車は貫通型が使用されて583系電車との連結運用にも使用された[277]。向日町運転所は1996年3月に組織変更で京都総合運転所となった。
1997年3月には大阪 - 青森間「白鳥」の運用が上沼垂運転区から京都総合運転所に移管された[278]。
その後、各編成の座席定員を統一するため、1999年までに中間車を組み替えた。2号車・3号車および7・8号車MM'ユニットは基本番台後期型、5号車・6号車MM'ユニットは基本番台初期型・1000番台にそれぞれ限定、5号車のモハ484形業務用室は1999年9月 - 11月に車販準備室に改造した。
京都総合運転所485系電車(1999年) | |||||||||
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← 金沢 大阪 →
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編成 番号 |
クハ 481 |
モハ 485 |
モハ 484 |
モハ 485 |
モハ 484 |
サロ 481 |
モハ 485 |
モハ 484 |
クハ 481 |
A01 | 119 | 185 | 287 | 75 | 49 | 186 | 288 | 123 | |
A02 | 322 | 213 | 315 | 73 | 86 | 125 | 229 | 253 | |
A03 | 323 | 106 | 210 | 76 | 74 | 141 | 244 | 228 | |
A04 | 105 | 191 | 293 | 80 | 46 | 212 | 314 | 121 | |
A05 | 111 | 103 | 207 | 72 | 68 | 128 | 232 | 103 | |
A06 | 489-303[注 115] | 188 | 290 | 1004 | 48 | 162 | 264 | 223 | |
A07 | 101 | 139 | 242 | 1026 | 70 | 190 | 292 | 118 | |
A08 | 120 | 189 | 291 | 81 | 36 | 119 | 223 | 122 | |
A09 | 126 | 99 | 203 | 82 | 71 | 211 | 313 | 106 |
- 備考
- 斜字:クハ481形100番台 ライトカバー無し
2001年3月3日ダイヤ改正では、在来線で日本最長の昼行特急であった大阪 - 青森間「白鳥」が廃止され–[278]、「雷鳥」・「北越」・「いなほ」に系統分割された。「雷鳥」は新潟発着列車が「雷鳥」・「北越」に分割され、ダイヤ改正前の9往復から10往復に増発。上沼垂運転区担当運用3往復が移管され、すべて当所での運用となった。金沢車の「スーパー雷鳥」も681・683系化されて消滅し、「びわこライナー」も金沢から京都へ移管された[278]。
ダイヤ改正前の2001年2月22日に金沢総合車両所より「しらさぎ」「加越」用初代K編成のうちK25編成7両が転入。増結用予備MM'ユニットを組込みA10編成とし、4号車サロ481形組込9両編成×10本となった。この後に金沢総合車両所の「スーパー雷鳥」「しらさぎ」で使用されていた車両が一部転入し、先頭車両をクハ481形100番台と交換する形で「雷鳥」編成に組込んだ。
2003年には金沢総合車両所「しらさぎ」「加越」が683系化により運用を離脱し、パノラマグリーン車やグレードアップ車などが京都総合運転所へ転属して「雷鳥」へ転用された[279]。グリーン車の向きを681系・683系「サンダーバード」と合わせるため編成ごと方向転換し、クロ481形・480形を大阪方先頭車とする9両編成とした。1号車はグリーン車、普通車指定席の2号車 - 4号車はグレードアップ車を、自由席の5号車 - 9号車はアコモ改善車を充当し、パノラマグリーン車(クロ481形2000・2100番台)組込編成は6本、非パノラマグリーン車(クロ481・480形2300番台)組込編成を4本とした。
不足するサハ481形3両はモハ485形からサハ481形700番台・750番台への改造で補った。パノラマ編成での2号車はCP搭載のモハ485形500番台に限定された。3号車のモハ484形は車掌室装備車で、トイレ・洗面所撤去を施工した。6号車のモハ484形は業務用室→車販準備室への改造が90を除いて1999年9月 - 11月に、90も金沢から転入後の2002年5月に改造施工された。転用車両は以下のとおり。
- 「しらさぎ」用車両…計25両
- クロ481形2000番台・2100番台…6両
- モハ485形500番台組込MM'ユニット…6組12両
- サハ481形500番台・600番台…7両
- 「加越」用車両…計5両
- クロ480形2300番台・クロ481形2300番台…4両
- クハ481形300番台…1両
クハ481形ボンネット車はクハ481-101・103・120・122が「雷鳥」に残っていたが、この組み換えにより運用を終了した[279]。定期運用は2003年9月20日のA08編成が、臨時運用では同月20・21日の大阪 - 富山間「懐かしの雷鳥」の両端ボンネット車でサロ481形3両を組込んだ11両編成が最終運行となった[279]。
当初の編成番号はパノラマ編成がA02・A05 - A07・A09・A10編成、非パノラマ編成がA01・A03・A04・A08であったが、2004年1月の番号改称でパノラマ編成がA01 - A06編成、非パノラマ編成がA07 - A10編成に整理された[70]。パノラマ編成は「雷鳥」4・5・9・12・17・30・31・38・41・48号に[注 116]、非パノラマ編成は「雷鳥」8・13・16・34・37・47号に充当されたが、非パノラマ編成は予備編成が無いためパノラマ編成が充当される場合があった。
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2008年からは485系「雷鳥」置き換え用の683系4000番台「サンダーバード」が金沢配置で増備されるのに伴い、2009年10月1日改正では「雷鳥」が5往復減便された。パノラマグリーン車を連結していないA07 - A09編成が定期運用から離脱することになり、残存編成間で一部車両交換を実施。離脱編成は4号車 - 6号車のサハ481形+MM'ユニット1組を廃車とし、残存した6両編成3本が2009年9月から12月にかけて183系に改造され福知山電車区に転出している[280][281][282]。
- クハ489-604:A07 → A04編成
- クハ489-704・モハ485・484-1003:A08 → A10編成
- モハ485・484-80:A08 → A06編成
- モハ485・484-76・サハ481-702:A09 → A01編成
2010年3月13日改正では「雷鳥」定期運用が「雷鳥8号・33号」1往復のみとなり、編成も通常期6両、多客期9両に短縮された。多客期対応のため各編成の組成両数固定化は未実施[283]。A02・A10編成は運用離脱しその後廃車。A05編成は同年夏の多客期輸送終了後に、A04編成は2011年に運用離脱となり廃車となった。
2011年3月12日のダイヤ改正で「雷鳥」は「サンダーバード」に統合され、3月11日の「雷鳥33号」を最後に本系列での定期運用を終了した。3月27日運転の団体臨時列車を最後に運用離脱、順次吹田工場へ廃車回送を実施。8月までに全車廃車となった[284]。
京都総合運転所は本系列配置消滅後の2012年6月1日に組織変更で吹田総合車両所京都支所に統合・改称された[285]。
金沢運転所 → 金沢総合車両所
[編集]金沢運転所への車両配置は、1973年4月1日付での向日町運転所から「白山」「雷鳥」の運用移管による489系転入が起源である[286]。増備により「北越」「あさま」のほか、季節特急「そよかぜ」にも充当された[287]。
1975年3月10日ダイヤ改正で「雷鳥」が米原経由から湖西線経由に変更。「しらさぎ」5往復への充当と米原発着の「加越」運転開始に伴い485系も配置された。その後、金沢運転所の北陸本線運用では485系・489系の混結運用を開始。1975年10月2日から「白山」と上越線経由の「はくたか」は共通運用化。
1978年7月に489系「白山」はサシ489形ならびにサハ489形の連結を中止し、暫定10両編成に変更した。同年5月18日には信越本線(現・えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン)妙高高原 - 関山間で大規模な地すべりによる白田切川土石流災害が発生し[288]、被災復旧工事に際し同年5月21日 - 9月5日の間、当時3往復運転されていた「白山」は1往復運休・1往復長野発着・1往復上越線迂回の措置が採られた。
1978年10月2日ダイヤ改正で「白山」「はくたか」増発用にMG・CP付きのサロ489形1000番台10両を金沢運転所に配置した。「はくたか」はこの改正で向日町運転所から金沢運転所に移管された[289]。サシ481形4両・サシ489形3両の合計7両は1000番対応引通線を追加してサシ481形に編入し、奥羽特急「つばさ」用に秋田運転区へ転出した。サロ481形のうち3両は189系のサロ189形50番台に改造されて信越特急「あさま」用に長野運転所へ転出、1両は183系のサロ183形1050番台に改造されて上越特急「とき」用に新潟運転所上沼垂支所へ転出した。
1979年4月20日から「白山」はサロ489形1000番台の組成による3MG化を実施し再び12両編成に変更した[注 29]。
1982年の上越新幹線開業で「はくたか」は廃止、「白山」は食堂車が復活した[289]。1985年には「白山」の食堂車が再び廃止となり、編成も9両編成に短縮された[289]。分割民営化を前に1986年11月には「あさま」用189系電車補完のため27両が長野第一運転区(後の北長野運転所→長野総合車両センター)へ転出した。
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1987年の民営化時にはJR西日本に継承され、485系・489系併せて187両が配置された。編成はサロ481形・489形組込の9両編成×10本・7両編成×13本と増結用MM'ユニット2組で「しらさぎ」「加越」「北越」金沢発着の臨時「白鳥」ならびに「白山」と間合い運用でJR東日本上野口でホームライナーに充当された。このほかに保留車としてサシ489形2両も配置されていたが、1988年にスシ24形へ改造され離脱した。
1988年以降は「白山」充当編成の独立化ならびに各種グレードアップをはじめ分割併合可能をした「スーパー雷鳥」のほか「雷鳥」「かがやき」「きらめき」「はくたか」「能登」など列車ごとに組成された編成で改造およびMM'ユニットの組換を頻繁に行っており、首都圏・近畿圏ならびに北越急行乗入のため先頭車の一部はATS-Pを搭載した。
「しらさぎ」「加越」「北越」用にサロ481形を組み込む485系・489系の7両編成はK編成となり、民営化時にはK1 - K13の13編成を組成。「しらさぎ」「北越」のほか、名古屋口では間合いでホームライナー運用にも充当された。本編成の特徴として、国鉄時代はクハ481形が300番台を中心に組成されたが、民営化直前の1986年以降はクハ481形100番台をはじめとする初期車を含む向日町運転所からの転入車やH編成の「白山」専従化による489系の転用による組込が行われた。
他編成への転用改造などで車両交換が頻繁に行われた結果、アコモ改善車が未施工・H編成用施工・本編成用の3種類が混在するほか、組成も485系限定・485系+489系混結・489系限定などバリエーションに富んでおり、さらには予備車や増結用MM'ユニットが多く、上述のH編成をはじめ列車単位で編成組成され予備車がないS・V・R・O編成へ緊急時に組込も実施される実質的共通予備車としての役割も持たされていた[注 117]。
初代K編成系列別組成および予備車詳細(1991年 - 1994年) | |||||||
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年次 | 系列別組成 | 予備車 | |||||
485系限定 | 485系+489系混結 | 489系限定 | MM'ユニット | クハ481 | サロ481 | ||
1991年 | 4本 | 6本 | 3本 | 485系1組 489系1組 |
4両 | 1両 | |
1992年 | 3本 | 7本 | 485系4組 489系2組 |
1両 | 3両 | ||
1993年 | 4本 | 6本 | 1両 | ||||
1994年 | 485系3組 489系2組 |
「白山」「しらさぎ」用はH編成の9両編成10本が組成されており、「白山」のほか「北越」「ホームライナー大宮」臨時「あさま」に充当される489系電車限定4運用と検査・車両故障時には485系電車組込可の「しらさぎ」専従5運用に分けられていた。
1988年3月13日のダイヤ改正で金沢発着で運転開始された「かがやき」2往復は長岡で上越新幹線へ、「きらめき」1往復[注 118]は米原で東海道新幹線へ連絡の速達性を重視した列車で[注 119]、充当にあたっては並行する北陸自動車道高速バスとの競合も考慮された結果、グレードアップ改造ならびに特別塗装を施工した専用編成のS編成が組成された。当初はモノクラス4両編成×2本[注 120]であった。
同改正では「北越」用にO編成が4本組成された。米原方にサロ489形1000番台改造のクロ480形1000番台を連結。1991年以降は1編成減で「加越」にも充当されたほか一部車両交換も実施。O02編成は前述のH編成・初代K編成以外で唯一ボンネット車のクハ481-112[注 121]を組成した。
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1989年3月11日のダイヤ改正で横軽区間が介在する「白山」運用充当の4編成に車体色をオイスターホワイトをベースにバラ色・薄群青色・ライトコバルトブルーを配した白山色へリニューアルし、6号車に組成されるモハ489形をラウンジ&コンビニエンスカーに改装するなどのアコモ改善を施工。当初はH1 - H4編成が組成された。
クハ489形は0番台・500番台組込が2編成、300番台・700番台組込が2編成[注 122]。当初はアコモ改善は施工するもののラウンジ&コンビニエンスカーは不連結かつ国鉄色のH5・H6編成も組成された。H1 - H4編成に予備車がないため、車両故障もしくは検査等で充当できない場合にH5・H6編成は「白山」運用へ充当のほか、多客期の定期ならびに臨時「しらさぎ」や波動輸送に対応させた。
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1989年には速達列車「スーパー雷鳥」用としてパノラマグリーン車やラウンジ付きグリーン車(旧「だんらん」)を組み込んだ専用編成の7両編成4本が用意され、同年3月11日より「スーパー雷鳥」6往復の運転を開始した。運行区間は大阪 - 富山間が基本であるが、1往復は神戸発着で運転された[290]。定期列車に加えて季節運転で「スーパー雷鳥・信越」で長野まで乗り入れ運用を設定していた[291]。
「スーパー雷鳥」は好評であったため、1990年3月10日改正では9両編成に増車され、編成も増備されて9両編成5本となった[292]。なお、パノラマグリーン車は登場時は富山向きであった[292]。
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1990年3月以降は「かがやき」「きらめき」のうち「かがやき」のみ6両化された。一時的に共通運用が解かれ「きらめき」充当の4両編成は編成番号をI01とした。翌1991年からは米原方にクロ480-2301・クロ481-2201・2300番台などの改造グリーン車を組込「北越」「加越」にも充当した。
1991年9月1日ダイヤ改正における七尾線津幡 - 和倉温泉間電化開業に伴い、一部の「スーパー雷鳥」が和倉温泉へ直通することになり、「スーパー雷鳥」用全編成が基本7両・付属3両の分割併合編成に変更された[293]。大阪方3両付属編成7本(R7 - R13編成)+金沢方7両基本編成6本(R1 - R6編成)に組成変更され、基本7両編成が七尾線和倉温泉へ、付属3両編成は富山地方鉄道へ乗り入れた。これによりキハ65系気動車の七尾線直通「ゆぅトピア和倉」と富山地方鉄道線直通「リゾート立山」は廃止された[293]。
このダイヤ改正では「白山」用H5・H6編成が他編成の初期車廃車置換えなど組成変更されて消滅し、「しらさぎ」運用は初代K編成に集約された[注 117]。共通予備の国鉄色MM'ユニット3組6両も1991年以降は初代K編成に集約された。
1992年3月14日ダイヤ改正でH編成は「白山」1往復「ホームライナー大宮」1本への充当が終了したほか、上野口間合いで「あさま」1往復充当ならびに臨時「雷鳥」1往復に3本充当へ運用変更した。
1993年3月18日ダイヤ改正で客車急行「能登」が489系により電車化され、クハ489形300番台・700番台を他編成に組成変更し、ボンネット形の0番台・500番台によるH01 - H04編成となった。本改正で「能登」は季節列車扱いで福井発着を設定した。「スーパー雷鳥」の富山地方鉄道への乗り入れは本線宇奈月温泉行「スーパー雷鳥・宇奈月」立山線立山行「スーパー雷鳥・立山」が設定されていたが、1993年9月18日ダイヤ改正では「スーパー雷鳥・宇奈月」に集約された。
1994年12月3日ダイヤ改正で「能登」福井発着は正式に定期化されたほか、北陸新幹線工事のため火曜日発は多客期ならびに祝日を除き高崎 - 直江津間は客扱いをせず上越線経由での運転が設定された。
- 運用1:金沢2232(602M 能登)605上野
- 運用2:上野830(3051M 白山)1436金沢1512(1027M 北越7)1843新潟1937(1028M 北越8)2317金沢
- 運用3:金沢744(3052M 白山)1407上野1530(3025M あさま25)1814長野1853(3038M あさま38)2145上野2358(601M)655金沢
同改正では「かがやき」「きらめき」運用も再び共通化され5編成が組成された。「スーパー雷鳥」の長野行き「スーパー雷鳥・信越」は冬期シーズンのみの運行に縮小し、富山地方鉄道乗入運用が「スーパー雷鳥・立山」に変更された。
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1995年4月20日ダイヤ改正では681系による「スーパー雷鳥(サンダーバード)」8往復が運行を開始し、485系「スーパー雷鳥」は4往復となったほか、「スーパー雷鳥」編成による一般の「雷鳥」も設定された[293]。先頭グリーン車の向きを681系量産車に合わせるため、485系「スーパー雷鳥」編成の方向転換(北方貨物線を使用)が実施され、パノラマグリーン車は大阪向きとなった[293]。本改正より富山地方鉄道乗入運用を終了し、付属編成は1本減少でクモハ485-205+モハ484-343は休車、クハ481-308は1996年3月にクロ183-2706へ改造され福知山へ転出した。
1995年以降に国鉄特急色で出場した車両は、雨樋部分の赤色を省略した簡易塗装となった[294]。
1997年3月22日ダイヤ改正では北越急行ほくほく線が開業したことにより「かがやき」「きらめき」を廃止、新たに越後湯沢で上越新幹線と接続する「はくたか」が設定された。これにより元「かがやき」「きらめき」用S編成より転用のリニューアル車で組成された6M2Tの8両編成×2本がV編成として投入されており、金沢方にクロ481形2300番台を連結する。「はくたか」転用改造工事は1996年から施工されており、改正前には「かがやき」「きらめき」で運用された。
「はくたか」用V編成(1998年) | ||||||||
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← 金沢 越後湯沢 →
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編成 番号 |
クロ 481 |
モハ 484 |
モハ 485 |
モハ 484 |
モハ 485 |
モハ 484 |
モハ 485 |
クハ 481 |
V01 | 2302 | 318 | 216 | 1003 | 319 | 217 | 309 | |
V02 | 2303 | 325 | 223 | 611 | 252 | 316 | 214 | 306 |
S編成の残りの車両は編成名はそのままでMM'ユニットを1組カットした上で塗装を国鉄色へ変更し「加越」へ充当された。
「加越」用S編成(1998年) | ||||||
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← 米原 金沢 →
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編成 番号 |
クロ 481 |
モハ 484 |
モハ 485 |
クハ 481 | ||
S01 | 2201 | 1027 | 229 | |||
S02 | 2301 | 604 | 225 | 317 | ||
S03 | 0-2301 | 610 | 251 | 303 |
- 備考
- 0-:480形
また、この改正では681系による「スーパー雷鳥(サンダーバード)」が「サンダーバード」に改称された[293]。485系「スーパー雷鳥」は神戸発着が廃止となり、「雷鳥」「サンダーバード」を含めて大阪発着に統一された。このほか、3月21日をもって489系H編成の「北越」への充当を終了した。金沢運転所は1997年3月22日の組織変更で松任工場と統合し金沢総合車両所へ改称された[286]。
1997年10月1日の北陸新幹線長野先行開業に伴うダイヤ改正では信越本線横川 - 軽井沢間が廃止となり、「白山」ならびに在来線「あさま」が廃止された。これによる運用減からH04編成は波動輸送対応用Z01編成に転用された。上越線経由に変更された「能登」と間合いによる「ホームライナー鴻巣3号」「ホームライナー古河3号」が定期運用(平日運転、土曜・休日運休)となった。このほか、H編成は臨時「はくたか」や車両故障時などの緊急対応で本来投入されない「北越」「加越」「雷鳥」などにも充当された。
- 運用1:金沢(回送)福井2107(602M 能登)605上野
- 運用2:上野1835(3971M ホームライナー鴻巣3)1930鴻巣(回送)上野2124(3623M ホームライナー古河3)2223古河(回送)上野2354(601M 能登)750福井(回送)金沢
このダイヤ改正では「しらさぎ」分割併合運転が実施されることになり、改正前の同年7月より「スーパー雷鳥」「しらさぎ」編成の組み換えが行われ、「スーパー雷鳥」用には10両固定編成3本が登場した[293]。編成番号はR01 - R03編成が7両基本編成、R11 - R13編成が3両基本編成、R21 - R23編成が10両固定編成となった。捻出された付属編成3本はユニット組替の上で「しらさぎ」K編成へ転用された。
「しらさぎ」編成は運用見直しにより「スーパー雷鳥」からクモハ485形200番台を含む転用も含め、基本10本・増結用付属3本の編成となった。
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1997年の「白山」廃止でH編成1本減となった後に1998年にコンビニエンスカーMM'ユニットのモハ489-18+モハ488-203が廃車され7両編成化された。編成番号はZ01編成とされていたが、後にH04編成に改称された。同編成は主に波動運用や臨時列車に充当されたほか、客室減光装置を搭載することから予備もしくはH01 - H03編成のMM'ユニットを組込み「能登」運用に充当された実績もある。ATS-P・デジタル無線機も搭載する。
波動輸送用H04編成(2009年4月) | ||||||
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← 大阪・上野 新潟・越後湯沢 →
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クハ 489 |
モハ 488 |
モハ 489 |
サロ 489 |
モハ 488 |
モハ 489 |
クハ 489 |
502 | 14 | 13 | 15 | 2 |
2000年から2002年までにH編成は白山色から国鉄色に塗装変更したほか、デジタル列車無線機・夜行運用対応客室減光装置を搭載する工事を施工。このため通称舞浜臨と呼ばれる東京ディズニーリゾート向け京葉線直通団体列車など首都圏への波動運用やリバイバル列車にも投入された実績がある。H02編成の新潟方クハ489-3はヘッドライトカバーが撤去されている[295]。K21編成は2000年8月に新大阪発博多行き「リバイバルはと」として2両増結の9両編成で運転されたほか、2001年5月12日・5月13日に運転の「サンポート高松」では四国の高松駅へ入線している[296]。
2001年3月のダイヤ改正で683系の投入により「サンダーバード」が15往復に増発され、「スーパー雷鳥」は全廃となった[279]。サロ481形2000番台は廃車となったが、その他のグレードアップ車は一部を除き「しらさぎ」に転用された[297]。「北越」はJR東日本上沼垂運転区へ完全移管され、「北越」「加越」用O編成は「加越」のみの運用となり、4両編成に短縮された。また、「能登」は従来の金沢発着に変更となった。
2001年10月ダイヤ改正で「しらさぎ」運用をリニューアル車によるY編成へ変更することにより、グレードアップ車7両・10両編成が組成されY編成となった。塗装は青とオレンジのラインが入る色(通称「あおさぎ」)へ変更、クロ481形2000番台・2100番台を含む「スーパー雷鳥」からの転用車を中心に初代K編成ならびに新たに改造されたモハ485形500番台・サハ481形600番台などで組成された。
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改正直前まで初代K編成が運用されていたことから、ダイヤ改正時に転用予定車の落成が間に合わず、初代K編成が「しらさぎ」用Y編成に組成変更される際の過渡期間に残存車で組成された編成はK31 - K33を付番した。臨時「雷鳥」にも充当されている。「しらさぎ」運用終了後はY編成のY31 - Y33に編入された。K編成の編成記号は「加越」用O・S編成を統合した2代目K編成へ継承された。
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2002年3月23日のダイヤ改正により北越急行で681系による最高速度160 km/h運転が開始され、「はくたか」用V編成は681系への置き換えにより消滅した。元V編成は「加越」用のK11 - K13編成に編入された。
2002年4月に再組成した2代目K編成は旧O・S編成を集約、V編成からの転用車を含め国鉄色の4・6両ならびに増結用MM'3組計36両で組成された。当初は6両編成が臨時「雷鳥」にも充当された。K編成ではグリーン車の位置を「しらさぎ」と合わせるため、クロ480形・481形グリーン車の連結位置を金沢方へ変更した。その際に編成ごと方向転換したことからMM'ユニットも逆向きとなるため他編成と混結使用が不可となり、増結用MM'ユニットも本編成専用である。
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旧K31 - K33編成はY編成への移行後に一部車両を交換した上で編成記号を「しらさぎ」グループと同様のYに変えた7両編成×2本と増結用MM'ユニット1組の16両で構成される波動輸送対応編成となり、臨時「しらさぎ」にも充当された。Z01→H04編成が489系限定で首都圏乗入対応が施工されているのに対し、本編成は485系・489系混結でサロ481・489形を組込むほか、Y33編成はH04編成に組込んで「はくたか」や「能登」運用にも充当された実績がある。
2003年10月1日ダイヤ改正での「しらさぎ」683系置き換えと「加越」の「しらさぎ」への統合に伴い、Y編成、K編成は定期運用を終了した。パノラマグリーン車やグレードアップ車を含む一部車両は京都総合運転所へ転出し、「雷鳥」に転用された。
2004年10月23日に発生した新潟県中越地震の影響により、2004年10月23日から2005年3月24日まで年末年始の多客期となる2004年12月30日 - 2005年1月3日を除き「能登」は運休。代替臨時列車として2005年2月11日 - 3月20日の金曜日・土曜日・3月20日発で北越急行ほくほく線を経由する「能登91号・92号」が設定されH編成を充当した[注 123]。
2005年には波動用のY31 - Y33編成が廃車となり、本所の485系配置が終了した。
489系H04編成は2009年3月の団体臨時列車充当を最後に運用離脱。同年9月に廃車となりその後解体された。2010年3月13日ダイヤ改正で「能登」臨時列車化とJR東日本新潟車両センターへの運用移管により、H01 - H03編成も定期運用を終了した。H02編成は定期最終上り「能登」充当後に返却回送を兼ねた団体臨時列車「リバイバルとき」に投入。さらに吹田工場へ回送されて2010年5月20日付で廃車。H03編成は定期最終下り「能登」充当後に松任本所へ回送されて2010年9月30日付で廃車された。
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H01編成は定期運用消滅後も引き続き臨時・団体列車や「はくたか」の代走運用に投入されていたが、2011年3月下旬の一般乗客向けさよなら運転後は同所内で事故対策訓練に使用されたほか、2012年4月16日 - 4月17日には映画撮影を目的とした貸切列車[298][299] で使用された。その後、同年5月15日に運用検修センターから本所まで回送され、6月1日付でクハ489-1以外の8両が廃車。最後まで車籍のあったクハ489-1も、京都鉄道博物館での展示保存のため松任本所で整備後、2015年2月10日 - 2月11日に梅小路運転区へ配給回送され、同年2月13日付で廃車となり本系列の配置が終了した[51]。
九州地区
[編集]-
「有明」
-
「にちりん」
-
「かもめ」
後方4両は「みどり」 -
「みどり」
前方8両は「かもめ」
九州地区で運用は1965年10月1日ダイヤ改正で本州から乗入の「つばめ」「はと」が起源であるが[158]、向日町運転所所属車による本州からの直通運用のみで、島内のみ運行される列車への充当は、1972年4月27日から「みどり」の間合い運用で博多 - 大分間の「にちりん」増発1往復分への投入からである[266]。
1975年3月10日の山陽新幹線博多開業によるダイヤ改正で本州からの昼行特急は全廃[266]。余剰車が向日町運転所から南福岡電車区と鹿児島運転所に転入した。南福岡電車区では「にちりん」博多・小倉 - 宮崎間3往復、鹿児島運転所では「有明」小倉・博多 - 西鹿児島間7往復および「にちりん」博多・小倉 - 大分・宮崎間4往復を担当した。
1980年代に入ると九州内でのサシ481形食堂営業が1980年9月30日で終了。初期車の置換えが始まり、鹿児島所属の481系電車MM'ユニットならびにサシ481形AU12形分散式冷房装置搭載車は1985年までに淘汰された。また、モハ484形第2パンタグラフの撤去も開始された[注 124]。
1984年2月のダイヤ改正では九州内の583系運用が終了[300]。485形により増発を行った際には短編成化による先頭車不足から、東北・上越新幹線開業による181系保留車をクハ481形に改造、485系中間車の先頭車化改造でクモハ485形・クロ480形を登場させるなどして対応した。クモハ485形への改造は定員数の問題からモハ484形200番台のユニットが充当されたために鹿児島運転所の初期車は南福岡車と交換が行われたほか、青森運転所からMM'ユニット9組18両が転入。また、東北地区にボンネット型クハを大量供出した見返りに非ボンネットクハ16両が南福岡電車区に転入した。
1985年3月[156]および1986年11月1日国鉄ダイヤ改正[212]では急行格上げや増発により運用数が大幅に増加した。また、増発による短編成化に伴い、先頭車化改造や半室グリーン車のクロハ481形への改造などにより短編成化はさらに推進され「有明」では3両編成も組成された。
分割民営化時にはJR九州に324両が承継された。
1989年 - 1992年には「有明」がキハ183系1000番台「オランダ村特急」と世界初の気動車との動力協調運転を行った。また、改修工事の施工も開始され、下関発着の「にちりん」廃止後は大半の車両が電源切替回路の使用停止により交流区間専用車となったが、783系電車以降の新型車落成に伴い充当列車も徐々に減少。1992年の「つばめ」への787系電車投入により鹿児島本線熊本以南、1994年には「有明」の783系電車統一により同線鳥栖以南の運用を終了。1995年からは改修車の廃車も始まり、1999年までにサロ481形および先頭車は全廃となった。
その一方で1992年に登場した「ハウステンボス」、1995年に「にちりん」を系統分割した「きりしま」、1997年には博多 - 大分間の「にちりん」から改称された「ソニック」に大分区への入出庫を兼ねた1往復へ充当された。博多 - 肥前山口間では「かもめ」5両・「みどり」4両・「ハウステンボス」4両の3列車を併結し、旅客列車としては九州最長の13両編成で運転された[注 125]。
南福岡電車区
[編集]山陽新幹線博多開業の1975年3月10日のダイヤ改正で山陽本線と九州を結ぶ在来線昼行特急が全廃となり、向日町運転所から南福岡電車区に106両の485系が転入した[301]。同時に配置された鹿児島運転所とともに九州島内の特急列車を担当した。
長崎本線・佐世保線は新幹線博多開業と同時に電化完成予定であったが、工事の遅れから1976年7月に延期された。その一方で東北の奥羽本線全線電化が早まったことから、特急「つばさ」用1000番台落成までの約半年の間、向日町から南福岡に転属したものの休車扱いとなっていた「かもめ」「みどり」充当用200番台車を一時的に秋田運転区へ転出させ「つばさ」に充当された。
仙台運転所からは1975年5月から6月にかけて「みどり」用グリーン車としてクロ481-1・2・51 - 57が、「かもめ」用としてサハ481-3 - 11がそれぞれ転入していた。クロ481形は方向転換も実施するため郡山工場で事前に両渡り構造への改造を施工した[注 126]。
南福岡残留車では向日町時代と同じ11両編成の6本が「にちりん」3往復に使用された。1975年8月以降は食堂車サシ481形が外されて10両編成となり、食堂車を「つばさ」電車化用に捻出した。同年10月からは仙台より転入の「かもめ」用サハ481形を増結して再び11両編成となった。
東北地区へは「つばさ」電車化用編成が秋田へ、サロ481-98が車両需給調整で青森へ、クハ481-243・244・サロ481-92 - 97が仙台へ転出した。仙台転出車はクロ481形・サハ481形との車両交換名目のほか、別途製造されたMM'ユニットと組合せ増発と予備車確保の目的による。1976年には1000番台落成により秋田転出車の再転入と共に青森運転所や仙台運転所からも車両が転入するが、後に一部は本州に再転出した。
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長崎本線・佐世保線全線電化に伴う1976年7月1日ダイヤ改正では、急行「出島」・「弓張」の特急格上げによる小倉・博多 - 長崎間「かもめ」7往復、小倉・博多 - 佐世保間「みどり」6往復が運転開始となり、小倉・博多 - 肥前山口間では485系列で初の併結運転を行った[302]。「かもめ」は8両編成、「みどり」は4両編成で、両列車の併結で最大12両編成を組んだが、併結時に向かい合うクハ481形200番台の貫通路は使用されなかった[301][303]。
南福岡にはサロ481-98が青森から、さらにクハ481形では東北地区へ300番台投入による捻出で青森から209・211・213・214・249・250が、仙台から243・244が転入した。なお、長崎本線・佐世保線電化用名義の新製車のうち九州地区に直接新製配置されたのはMM'ユニット9組18両[注 127]とサハ481-114 - 118の5両のみである。
1978年には「にちりん」編成のMG・CP付きサロ481形6両をサロ481形1050番台に改造し、東北特急「つばさ」の増発と3MG化に転用した。サロの不足は鹿児島からの転入で補い、サハは連結位置を6号車に変更した。このほかサロ481形2両が183系のサロ183形1050番台に改造されて上越特急「とき」に転用された。
1986年11月の改正で「かもめ」「みどり」はすべて分離運転となった。「みどり」の先頭車には紀勢本線「くろしお」で短期間使用されていたクハ480形が転用されている[301]。
JR化直前の1987年3月21日からは、熊本発着「有明」のうち2往復を毎日運転の臨時普通電車として、当時非電化だった豊肥本線水前寺まで熊本機関区所属のDE10[注 128]で下りは牽引、上りは推進により延長運転を開始した[304]。
- サービス電源は併結改造を施工したスハフ12形[注 129]を、1987年7月以降は三相交流440 Vで出力容量275 kVAのディーゼル発電機ならびに自動空気ブレーキと電気指令式ブレーキの相互読替装置などを搭載する改造を施工したヨ28001・28002を連結して対応した。
- JR化直後の1987年5月6日以降は水前寺延長運転を5往復に増発[注 130]。
1988年3月13日ダイヤ改正では新形式の783系が鹿児島本線に投入された[306]。「有明」水前寺乗り入れも783系に変更・定期電車化し、引き続き1994年7月まで行われた。
1990年3月18日には「にちりん47号」運用中のモハ485-229が踏切事故で床を大きく損傷した。復旧に際し保留車となっていたモハ485-23から車体を流用したため、冷房装置がAU12形6基の異端車となった[306]。
2000年3月には885系による「白いかもめ」就役と「みどり」「ハウステンボス」が783系に統一されたことで長崎本線・佐世保線の定期電車運用を終了。本改正ではこれらの余剰車を「にちりん」から系統分割した「ひゅうが」に転用[注 131]。翌2001年3月3日のダイヤ改正では885系「白いソニック」の投入と博多乗入れ「にちりん」への783系充当・「にちりんシーガイア」「ドリームにちりん」集約により博多乗入れが終了。このため南福岡の定期運用が消滅した。その後は残存車両が波動輸送に充当されたが、2004年2月までに大分や鹿児島への転出や廃車により配置車両が消滅した。この運用の大幅な縮小により2002年から106両が一気に廃車され、消滅した形式・区分番台も発生した。
鹿児島運転所 → 鹿児島車両センター
[編集]1975年3月10日のダイヤ改正により、鹿児島運転所にも向日町運転所からの転出車のうち154両の485系が配置された[307]。
当初は南福岡と同じ11両編成で「有明」「にちりん」に使用されたが、1978年にはサロ481形各1両が減車されて10両編成となった。余剰車のうち8両は南福岡へ転属したほか、3両は181系のサロ181形に改造されて新潟運転所上沼垂支所へ転属した。
1982年11月改正では仙台運転所から485系電動車ユニット10組とサロ481形2両の22両が転入した。老朽化したモハ481・480形ユニットの廃車が進み、翌年末には3ユニット6両のみが残存、1985年に全廃となった。
2010年4月時点では39両配置。DK8編成 - 10編成[注 132](3両)・DK11編成 - 16編成[注 133](5両編成)が配置されていたが、2006年12月に旧国鉄色へ塗装変更したDK9編成と大分所属のDo1編成を交換する形で転配を実施。2011年3月12日で以下の運用を終了。その後は順次廃車回送が行われ、2012年度までに全廃となった。
- 2012年3月12日に小倉総合車両センターへ廃車回送されたDK11編成は[308]、2012年4月28日に幕張メッセで行われたニコニコ動画の大規模イベント「ニコニコ超会議」の企画「485系公開解体買付ショー」の提供車両とされ解体が行われた[309]。
- DK1編成・8編成・10編成
- DK11編成 - 16編成
- 「にちりん」
- 「きりしま」
- 鹿児島本線「さわやかライナー3号/ホームライナー2号」
- 宮崎・南宮崎 - 宮崎空港 普通列車
鹿児島鉄道事業部鹿児島車両センター所属車編成表(2011年運用終了時点) | ||||||
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← 小倉 鹿児島中央 →
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編成番号 | クモハ485 | モハ484 | クハ481 | 車体色 | ||
DK1 | 101 | 304 | 246 | K & H | ||
DK8 | 108 | 342 | 238 | |||
DK10 | 7 | 209 | 213 | RE | ||
編成番号 | クモハ485 | モハ484 | モハ485 | モハ484 | クロハ481 | 車体色 |
DK11 | 3 | 204 | 180 | 282 | 203 | RE |
DK12 | 6 | 208 | 164 | 268 | 4 | |
DK13 | 9 | 215 | 169 | 271 | 205 | |
DK14 | 1 | 201 | 176 | 278 | 5 | |
DK15 | 11 | 220 | 177 | 279 | 6 | |
DK16 | 8 | 213 | 152 | 254 | 7 |
大分電車区 → 大分車両センター
[編集]大分電車区時代の1994年3月1日付で南福岡電車区から転入し初めて本系列が配置された[310]。その後1995年4月20日までに鹿児島運転所などとの転出入が実施され、4月20日現在で43両(4両編成10本・3両編成1本)が配置となり「にちりん」で運用された。
その後は運用の見直しや883系・885系投入により廃車・南福岡区への転出が行われ、2000年3月11日ダイヤ改正で一旦定期運用を終了。臨時列車などの波動運用対応用として7両のDo21編成ならびに5両のDo31編成の計12両が残存となった[311]。
2006年3月18日ダイヤ改正では鹿児島所からの運用移管により定期運用が復活。車両面では3両のDo1 - 7編成と増結用MM'ユニット2組4両の計25両が転入、従来からの所属車両は5両のDo31編成が引き続き波動輸送用として残存したもののDo21編成は組成を解き3両が鹿児島所に転出したことから配置総数は34両となった。2011年3月12日まで以下の列車で運用された[312]。
定期運用終了後はRED EXPRESS色・K&H色の編成が2012年度内までに全車廃車となったが、2014年4月時点で旧国鉄色で波動輸送対応用として3両のDo2編成と5両のDo32編成計8両の配置となった。
- Do2編成:鹿児島所属時の2000年10月6日付でミレニアム記念として415系・475系・キハ58系・キハ66系などと共に旧国鉄色に変更された。2011年6月26日に運転された団体列車「ありがとう485系〜かもめ・みどり〜」を最後に運用を離脱。以後は保留車とされたが、2014年11月6日に小倉総合車両センターへ回送[313]。2014年12月から翌2015年1月にかけて廃車された[72]。
- Do32編成:RED EXPRESS保留車をリニューアルした旧DK9編成がベースで2010年8月にKIRISHIMA EXPRESS色から旧国鉄色に変更。2010年12月に鹿児島から転入し増結用MM'ユニットのモハ485-196+モハ484-298を組込んだ編成。転入後は『485系さよなら企画』の一環で「にちりん」「きりしま」で運用された[129]。2015年3月以降はMM'ユニット2両を除いた3両編成で運用されていたが、2015年10月18日に小倉総合車両センターで実施された工場祭りに合わせ配給回送を兼ねた「さよならDo32 九州国鉄色485系 廃車回送ラストラン!」として運転され[130]、2016年1月にクハ481-256を除く4両が廃車[314]。車籍が残っていたクハ481-256も同年10月2日付で廃車された[153]。
大分車両センター所属車編成表(2014年10月時点) | |||||||
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← 小倉 鹿児島中央 →
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編成番号 | クモハ485 | モハ484 | モハ485 | モハ484 | クハ481 | 廃車 | 車体色 |
Do2 | 102 | 328 | 230 | 2014年度 | 国鉄 | ||
Do32 | 5 | 206 | 196 | 298 | 256 | 2016年 |
北海道地区
[編集]北海道初の電車特急用として1974年に登場した485系1500番台は1974年4月より22両が札幌運転所へ配置されたが、当時は蒸気機関車の廃止に伴う機関助士の削減に対する労使間の対立が激しく、電車特急の運転開始は1年延期され1975年夏と見込まれた[315]。本州の青森運転所への仮配置と特急「白鳥」での暫定使用を経て、翌1975年1月から3月にかけて順次札幌へ回送し、訓練運転を開始した。
485系1500番台は1975年7月18日から新設された特急「いしかり」での運用を開始し、7往復に充当された。当初は7月1日から運転としたが[316]、労働争議の縺れによるストライキを実施したため18日からの運転となった。当初はノンストップ急行「さちかぜ」の愛称を引き継ぐ予定だったが[316]、増収目的の格上げとの風評を避けるため「いしかり」に変更された。運用は2編成を投入し、ダイヤは札幌・旭川を8 - 20時の偶数時00分発に設定[316]。旭川8時発上り1号 (1002M) と札幌18時発下り6号 (1011M) は「さちかぜ」のダイヤを踏襲した途中駅には一切停車しない完全ノンストップ運転が実施された[316]。
しかし本来は本州地区での使用が前提とされた車両であるため、冬期にはトラブルが多発した。このため編成をMM'1ユニット減の4両に短縮、運転間隔を2時間から4時間とする計画運休による間引きで予備車と折り返し整備時間を確保した。札幌 - 旭川の運転時間は途中駅停車便が1時間43分、ノンストップ便が1時間37分で折返し間合いが20分程度に設定されていた。1979年から1980年にかけての冬期は旭川駅構内滞留線新設や781系試作車による運用投入から計画運休は実施されなかった[317]。
千歳線・室蘭本線が電化された1980年10月改正で781系量産車が投入され、室蘭 - 札幌 - 旭川間特急「ライラック」の運転が開始された[318]。置き換えられた485系1500番台は1980年9月までに本州の青森運転所へ転出した。
紀勢本線
[編集]紀勢本線特急「くろしお」は1978年の和歌山 - 新宮間電化より振り子式電車の381系で運転されていたが、1985年3月14日ダイヤ改正で気動車急行「きのくに」を置換える形で電車特急「くろしお」を4往復増発する際、車両需給の都合と経費節減のために他地区で余剰となっていた485系44両を日根野電車区(現在:吹田総合車両所日根野支所)に配置し充当した。
紀勢本線は季節や区間によって乗客数の変動が大きいため4両編成を2本併結して対応することになった。その際に不足する先頭車は短編成のためMG・CPはクハ481形からの供給で充分と判断されサハ481形・489形から改造のクハ480形を充当。また、モハ484形は車掌室装備の600番台に限定した上で4両編成×11本を組成することになり以下の44両が日根野電車区へ配置された。
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しかし、天王寺 - 新宮の所要時間は振子式の381系と比べ1時間半ほど長く[注 134]、従来の気動車急行列車と大差がなく苦情も多発したため381系の転入による置換えが決定、翌1986年11月1日のダイヤ改正で運用を終了。一部のクハ481形はクロハ481形に、クハ480形はMG・CP搭載を施工しクハ481形へ改造の上で「北近畿」運用へ充当される福知山運転区転出車[注 135] と九州地区の南福岡電車区転出車に分けられた。
自社保有のキハ5501形・キハ5551形気動車で「きのくに」に連結して乗り入れを行っていた南海電気鉄道は、置換え用に本系列の購入を検討していることが1982年に全国紙の関西版で報じられたが、和歌山市駅構内にある南海・国鉄の連絡線を電化させる必要があり、結局実現せずに乗り入れを廃止している。
北近畿地区
[編集]1986年11月改正で福知山線・山陰本線が電化された際、大阪 - 城崎間に設定された特急「北近畿」に485系が投入された。全区間が直流電化であり、民営化後の1990年より交流機器を撤去して183系への改造が行われたが、増結車の一部は485系として残存していた[319]。
2001年3月末時点ではモハ485・484-70ほか485系電動車ユニット5組が福知山運転所に所属し、183系G61 - G65編成の6両編成のうち電動車2ユニット中各1ユニットが485系で存置されていた[320]。
東武鉄道直通特急
[編集]本系列による大手私鉄東武日光線への直通運転となる新宿 - 東武日光・鬼怒川温泉間「日光」「きぬがわ」用6両編成のG55・G58編成が2005年12月に仙台運転所から小山車両センターへ転入。2006年3月から運用されていた。予備車がないため検査や車両故障などの場合は列車名にも「スペーシア」の愛称を付け東武100系電車で代走、東武車も使用できない場合は大宮総合車両センター所属の189系・OM201編成「彩野」が投入されていた。
2011年6月4日より「日光」「きぬがわ」は253系1000番台に置き換えられ[321]、2012年2月10日付で仙台車両センターへ転出した。
その他のエピソード
[編集]- 国鉄時代に大量に増備され日本各地で特急列車に広く運用されたが、2022年現在鳥取県・島根県・愛媛県とJRの電化区間が存在しない徳島県・高知県、JR線が存在しない沖縄県では走行実績がない。また、神奈川県・静岡県・山梨県・三重県・奈良県・香川県は定期列車での入線はなく、すべて臨時列車もしくは回送など非営業列車によるものである。
- JR化後には列車別・基地別に様々な塗装が登場したことで、転属直後や貸出・運用変更または故障などで予備車を連結した際など混色編成になることも多くなった。上沼垂運転区T編成にひたち色のMM'ユニットが組込まれたり、「シュプール号」では583系との併結運転や旧国鉄色のMM'ユニット組込みが代表的な例である。また、2003年には北陸地区で森ノ宮電車区所属の103系USJラッピング車が展示されることになり、金沢総合車両所の本系列が電源車として使用された実績がある。
- 制御車の国鉄色塗装で新製時もしくは検査等による工場入場時に何らかの手違いにより、以下のエラー塗装が存在する。
- クハ481-109
- スカートは本来50 ㎐用クリーム塗装であるが、新製時に製造メーカーである川崎重工業の手違いで60 Hz用赤スカートで落成。そのまま納入され青森運転所に配置、「白鳥」「いなほ」「ひばり」「やまびこ」と臨時の「はつかり」に使用された[注 136]。向日町運転所へ転出後に吹田工場での検査入場で本来のクリーム塗装を施工した。
- クハ481-216
- 1978年の仙台運転所転出後に郡山工場へ入場した際に本来は先頭部手前で区切られる裾部赤2号帯が、貫通扉カバー部手前まで塗装された状態で出場。同車は1982年にそのままの状態で南福岡電車区へ転出し、小倉工場へ検査入場した際に本来の状態へ再塗装された。
- クハ481-311
- 1986年の勝田電車区転出後に郡山工場へ入場した際、上述したクハ481-216と同様の塗装を施工。
- クハ489-503
- 1975年前後の一時期にスカートをグレーに塗装。松任工場に入場し短期間で本来のクリーム色へ復元。
- 富山地方鉄道16010形ならびに10030形の一部車両が制御装置・台車・主電動機にJR九州から廃車発生品を購入し再用した。これは種車の機器が使用不可能であったことや[注 137]、以前に「スーパー雷鳥」で本系列や急行「立山」などで457系・475系の乗り入れ実績があり、扱いに慣れているという理由での導入である。
保存車
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静態保存車
[編集]画像 | 車番 | 所在地 | 最終配置・経緯 |
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クハ481-26 モハ484-61 |
埼玉県さいたま市大宮区大成町3丁目47 鉄道博物館 |
勝田車両センターK26(訓練車)編成に組成。 2007年の廃車後に郡山総合車両センターで整備後[注 139]に搬入。 開館時から展示。 | |
クハ481-1508 | 新潟県新潟市秋葉区新津東町2丁目5-6 新潟市新津鉄道資料館 |
新潟車両センターT18編成に組成。 2015年7月廃車後に搬入[29]。 建屋が完成した10月から展示保存[40]。 | |
クハ489-501 | 石川県小松市土居原町772 土居原ボンネット広場 |
金沢総合車両所H01編成大阪・上野方先頭車。 2012年6月1日の廃車後に小松市へ譲渡。 2013年4月より小松駅近くの現在地で保存[注 140]。 | |
クハ489-1 | 京都府京都市下京区観喜寺町 京都鉄道博物館 |
金沢総合車両所H01編成新潟方先頭車。 2015年2月10日に金沢総合車両所から搬出[325]。 2月13日付で廃車[51]。 開館時より展示保存。 | |
クハ481-603 | 福岡県北九州市門司区清滝2丁目3-29 九州鉄道記念館 |
1995年に南福岡電車区を廃車後も小倉工場に留置。 2003年に修復移設し開館時より展示保存。 | |
クハ481-246 | 鹿児島総合車両所Dk01編成に組成。 2013年の廃車後に前頭部のみ保存。 RED EXPRESS色で運転室内部に立ち入ることが可能。 | ||
クハ481-256 | 福岡県北九州市小倉北区金田3丁目1-1 小倉総合車両センター |
大分車両センターDo32編成に組成。 2016年10月2日の廃車[153]と同時に展示保存[326]。 |
保管・転用車
[編集]本系列では圧倒的に食堂車が多いが、殆どの車両は転用後の事業終了や閉店、土地再開発、老朽化などの理由により解体された。現存するのは以下の1両のみである(ただし、民間保存車であるブルートレインの中には食堂車サシを改造したスシ24系の保存車が存在する。改造されないまま廃車され、民間譲渡された1両を記す)。
- サシ481-48
- 1988年頃に岩手県盛岡市立太田スポーツセンターの横で喫茶店へ転用。1990年代後半には閉店となり、2020年現在では倉庫として利用。車掌車ヨを数両連結した状態で保存されている。窓ガラス破損や塗装の剥離など、状態は良くない。
- 2024年2月に石川県小松市に移送することを公表[327]。
以下の車両はすべて解体済。
- クロ481-2001
- 吹田総合車両所で保管[328]されていたが後に解体。
- サロ481-41
- 北海道勇払郡むかわ町字汐見にあるドライブインに転用。国鉄分割民営化時にJR北海道へ承継された車両で、1990年の廃車後にサハネ581-14・36と共に移設された。閉店後は現場に放置され、サハネ581形は横転するなどして状態も非常に悪く2005年頃に解体。
- サシ481-43・サロ481-99
- 青森県八戸市の個人が購入。サシ481形は食堂へ転用後2003年頃に、サロ481形は学習塾へ転用後2010年頃にそれぞれ解体。
- サシ481-24・26・30 サロ481-16
- 1986年4月2日西鹿児島駅(現在:鹿児島中央駅)前にサシ481-26を転用したイタリアンレストラン「ヴェズビオ」がオープンした[329]。同店はおりからのバブル景気とイタリア料理ブームに乗り、支店を南宮崎駅前にサシ481-30を、同年11月21日には川内駅にサロ481-16を使い開業、小倉駅前にはサシ481-24を使ったフレンチレストラン「トランドール」も開店させた[329]。経営母体は国鉄九州総局で分割民営化後はJR九州へ承継されたが、利用者減少や施設老朽化、駅前再開発により閉店後に解体。
- サシ481-27
- モハネ583・582-95・サロ455-31・キハ58 92・キユニ28 20と共に宮城県大崎市の「たかともワンダーファーム」が館内施設として購入し、同車はレストランとして営業を行っていたが、2008年9月に車体腐食のため解体。
- サシ489-1・2
- 1988年4月より[330]、京浜東北線蒲田駅前で「グルメステーション蒲田」に転用。その後ラーメン店に改装されるも再び閉店。駅前再開発により1997年2月に解体[331]。
- サシ489-9
- 茨城県鹿嶋市で個人経営のレストランに転用されたが、車体の腐食が激しくなり2008年7月解体。
なお、上記の他にも485系電車から改造されたスシ24形客車のうちスシ24-504が埼玉県川口市でレストランに転用、スシ24-1が京都府京都市の京都鉄道博物館の展示物としてそれぞれ利用されている。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 1961年以降製造の151電動車ユニットは、将来の交直流化改造を想定して台枠強化ならびに主電動機に脈流対策を施したMT46B形搭載で落成した。
- ^ 鉄道趣味誌ではしばしば「キセ」と称される。
- ^ デッドセクションの間を2つのパンタグラフで短絡すると異種電源の混触となり電気事故の元となるほか、当時進めていた交流電化方式は吸上変圧器を用いるBT饋電方式であったため、交流区間のブースターセクション間を2つのパンタグラフで短絡すると帰線電流が吸上変圧器に流れず、トロリー線の饋電電流すべてがパンタグラフ間を結ぶ電線に流れ吸上変圧器の機能が失われるばかりかこれも電気事故の元となる。この種の事故を防ぐため、485系電車は直流区間では2つのパンタグラフを断路器を介して結び離線対策を講じるとともに、交流区間では第2パンタグラフを屋上の断路器を交直切り替えスイッチの操作で開放する回路構成にされた。
- ^ 483系はモハ483・482、485系はモハ485・484の中間電動車のMM'ユニットのみの製造となった。その後、国鉄時代の先頭車化改造においてクハ480形・クロ480形を、分割民営化後にJR東日本がジョイフルトレイン化改造においてクハ485形・クハ484形を制式化した。
- ^ 計画時は1等車2両を編成端に連ねた編成とされたが、付随車が編成の端に偏る(クハ・サロ・サロと連続する)ため、中間に1等車を組み込む編成に変更された[9]。
- ^ 交互点滅灯もしくはウインカーランプとも呼称
- ^ 「つばさ」盛岡編成から独立させ別愛称への変更。
- ^ 日本では、1968年(昭和43年)の「カネミ油症事件」をきっかけに、1972年(昭和47年)に行政指導という緊急避難的な措置として製造・輸入・使用が原則として中止され、翌1973年(昭和48年)には、化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律を制定(発効は1975年〈昭和50年〉)し、法的に禁止された。PCBを含む廃棄物は、国の具体的対策が決定するまで使用者が保管することが義務付けられたが、電気機器等については耐用年数を迎えるまで使用が認められたことから、PCBを含む機器所在や廃棄物絶対量の把握が曖昧なものとなった。
- ^ 変圧器開発において至適条件は周波数によって異なるため、それぞれに最適化された変圧器が設計された。現在でも商用交流の送配電用変圧器は使用周波数によって作り分けられている。
- ^ クハ481-204は分割民営化直前の1987年2月にクロハ481-214へ改造されJR西日本に承継。1990年6月にはクロハ183-801へ再改造された。同車は踏切事故復旧時に前面貫通扉を埋込んでいるが、スカートには電気連結器装着時代の痕跡が確認できる。
- ^ 分割民営化後に西日本・九州所属車の一部に電気連結器・自動解結装置を装着した車両が存在する。
- ^ 冬期は屈指の豪雪地帯である奥羽本線は列車が遅延することも多く、分割・併合運用では他列車への影響も問題視されたためとも言われている。
- ^ 車両側には装置および汚物タンクを搭載するが、当時は地上側処理施設の整備が遅れていたため完成までは配管をタンクに接続せず流し管を別に設置し線路上に汚物を垂れ流す方法がとられた。
- ^ 旭川電化当時の駅名の読みはあさひがわ。このため側面方向幕に記載される旭川の英字表記はFOR ASAHIGAWAとされた。
- ^ 扉に設置されたヒーターにより雪はいったん溶けたものの、走行中に冷やされ再度凍り付き客用扉を固着させるため、次駅までの20分 - 30分間に凍結する問題への対策として、湯の入った大型やかんをいくつも用意し扉に湯を掛けて氷を溶かしたという
- ^ a b c 当初はT17編成を付番。また、クロハ481形が青森方にクハ481形が金沢方に組成されていたことから、方向転換の上で再組成しT15編成へ再付番。2001年3月3日にT18編成へ再々付番された。
- ^ 1976年製造の1000番台車は「つばさ」用として秋田運転区に投入されたが、国鉄の予算名目上は長崎本線・佐世保線電化用名義で製造された。なお、長崎本線・佐世保線の特急には暫定的に「つばさ」に使用されていた200番台車を南福岡電車区に転属させて使用した。
- ^ a b 本番台区分の給電制御変更機能は、クハ481形・サロ481形に対応するものであり、通常は自車給電のみとなるサシ481形の制御は考慮されていない。したがってサシ481形のMGに異常が発生し使用不能となった場合は同車の三相回路配電盤を手動で切替てサロ481形からの給電となる。
- ^ 当初は向日町に配置されたため、送り込みを兼ねた共通運用とされた。
- ^ このため車両番号に付く横軽対策車を示す「●」マークを車両検査時に省略した車両も存在した。
- ^ 169系での総括制御は165系との混結ではKE64形ジャンパ連結器2基で、169系単独で協調制御も行う場合はKE70形ジャンパ連結器を用いた方式を採用。
- ^ 解放テコ部分を切り欠いた連結器カバーを装着して落成しており、製造直後や21世紀になってからのリバイバルトレインでも装着されて運用された実績がある。
- ^ 編成間総括制御用とは回路構成が異なることから別途装備する必要があり、当然ながら両者の相互連結制御は不可である。
- ^ 1974年から1976年頃にかけてクハ489-503はスカートが本来のクリーム4号ではなく、クハ181形同様グレーに塗られていた時期がある。
- ^ 名目上は、1972年11月25日より急行「妙高」1往復の運転区間延長を兼ねた格上げである。
- ^ モハ489・488-7 - 9・クハ489-3・503・サロ489-5・8・サシ489-102
- ^ クハ481形300番台初落成車を含む。
- ^ 1986年にはサシ489形が余剰廃車となったが、減価償却資産の耐用年数等に関する大蔵省令第15号に定められた鉄道用車両における電車の償却年数である13年に満たない期間での廃車である。
- ^ a b 編成変更以前の金沢運転所食堂車組込12両編成は、「白山」「雷鳥」充当489系限定が13本、「しらさぎ」充当用485系・489系混結可編成が5本組成されていた。1978年7月以降はこれを「白山」「はくたか」充当489系限定編成10本と「しらさぎ」「雷鳥」充当11本へ組成変更。この際に必要な485系200番台MM'ユニット19組38両とクハ481形200番台6両は青森運転所からの転入車で賄うことになっていた。しかし青森配置車は金沢への転出と引換に新製される485系1000番台の一部落成が1979年に遅れたため「白山」「はくたか」充当編成はMM'ユニット1組カットの暫定10両編成を組成せざるを得なくなったことから2段階にわけての組成変更となった。この組成変更が改正3ヶ月前から行われた理由は、「しらさぎ」「雷鳥」充当編成も含み捻出されたサシ481形4両とサシ489形3両が、秋田運転区へ転出する際に1000番台組込対応改造が必要であったためである。また、サハ489形は旧「しらさぎ」編成に組成されていたサハ481形4両が向日町運転所へ転出したことから「しらさぎ」「雷鳥」充当編成に転用。サロ489形0番台の一部も「しらさぎ」「雷鳥」充当編成に転用し、捻出されたサロ481形4両がサロ183形1050番台とサロ189形50番台に改造された。
- ^ 横軽区間用KE64形ジャンパ連結器も残存。
- ^ クハ481形200番台同様に貫通幌を外付けで取付けることは可能だが、この場合は必然的に貫通幌が剥き出しの状態となる。また、このケースでの営業運転実績は無い。
- ^ キハ181系気動車で運用されていた「つばさ」は基本7両+付属4両の11両編成とされたが、編成中間のキハ181形は立体型特急マークが貫通路構成時に通行支障をきたすことから同様例として取り外された。そのため、「つばさ」基本7両編成の間合い運用で運転される「あおば」では、秋田方キハ181形の特急マークが外された状態とされた。なお、分割併合運転が多数存在したキハ82系で運用されていた列車に関しては、このような措置は採られていない。
- ^ 801・802は早期落成したため、福知山所属のまま日根野貸渡で「くろしお」運用にも充当。一方で851は改造日程の都合でクハ480-5のまま福知山へ転出し「北近畿」に充当されてから改造という差異がある。
- ^ 1986年5月と早期落成したため、福知山所属のまま日根野に貸渡され、他のクハ480形改造工事充当車と差し替えられて末期の「くろしお」でも運用された。
- ^ 「はつかり」の盛岡以南、「やまびこ」の仙台以南は基本的に1県1駅のみの停車とされ、「ひばり」「つばさ」「やまばと」も増発や所要時間短縮の関係上停車駅を絞る傾向が強まった。
- ^ JR化後「ひたち」で運用されていた勝田配置車両が、イベント展示の際に表示された実績がある。
- ^ 自由席となる4・5号車に組成。これは未改造車に比較すると定員が4名減となるため指定席となる2・3号車への組成を避けたことによる。
- ^ 前面のみが片渡りであるため本工事施工車同士ならびにクハ481形1000番台・1100番台との併結運転は不可能になるが、後部側は従来からの両渡りのままのため方向転換は可能である。また、方向転換を行った場合でも前面両渡り構造のクハ481形200番台・300番台・1500番台と併結運転は可能であるが、本工事施工車が方向転換を行っての営業運転実績はない。
- ^ 1011は転入直後の1998年3月に3000番台改造を施工された際に撤去、333は2006年に、最後まで運用された332は2014年に廃車。
- ^ ヨハン・シュトラウス2世「美しく青きドナウ」、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ「主よ、人の望みの喜びよ」、アントニオ・ヴィヴァルディ「春」、フェリックス・メンデルスゾーン「春の歌」など。
- ^ 「あいづ」は土休日を中心に、「アクセスあいづ」は平日を中心に運転されるため両列車が同日に運転されることはない。また、車両は東大宮もしくは会津若松で夜間滞留となり、所属の仙台車両センターへは月1回検査のため平日に出入が行われ、その際には「アクセスあいづ」は運休となった。
- ^ 両列車とも磐越西線郡山 - 喜多方間は共通のダイヤ設定とし、平日は仙台発着、土曜・休日は上野発着とした。
- ^ 2009年7月4日・7月5日の「あいづ」には車両運用の都合で新潟車両センター所属T18編成が充当された。
- ^ R編成用グリーン車も含み種車が元々グリーン車である場合は客室窓が小窓であるのに対して、それ以外では大窓となる。このため座席配置と窓割が一致しない区画が存在する。
- ^ S編成用グリーン車ではクロ480-2301の種車がサロ489-1005であり、他の車両は種車がクハ481形であることに由来する。また、R編成用クロ481形2000番台・2101番台・サロ481形2000番台のシートピッチは1,160 mmである。
- ^ 後に「ゴールデンエクスプレスアストル」や「シュプール&リゾート」でもこの機能が発揮された。
- ^ 1989年からJR九州バスに導入された「RED LINER」がデザインベース。ただし「KIRISHIMA EXPRESS」のみJR九州がデザインを担当[127]。
- ^ 旧国鉄色再塗装車は銀色に復元。
- ^ ただし一部車両はモケット張替のみ実施。
- ^ 旧国鉄色再塗装車は金と銀の塗り分けに復元。
- ^ 「みどり」のエンブレムは783系化後も継承。
- ^ 施工当時は鹿児島所属で後に大分車両センターに転出し現在はDo2編成。
- ^ 2000年施工車は先頭車の飾り帯の復元がされてないのに対して、2010年施工車は復元されるなどの差異がある。
- ^ 同時にDk9編成の大分転出とMM'ユニットで5両編成化されDo32編成となった。
- ^ ユニットを組成していたモハ484形は廃車。
- ^ ジパング改造時には改番されず。
- ^ ジパング改造時には改番されず。
- ^ 一方の当該車である189系はグレードアップ編成であったことと先頭車のみが軽度の損傷であったため修復を行うが、冬期シーズン・長野オリンピック・新幹線開業を控えた時期に2編成が使用不能となり「あさま」充当用編成が不足したことから、先頭車とMM'ユニット1組は長野所属車、グリーン車とMM'ユニット1組は松本運転所(現・松本車両センター)所属車でN401編成を組成し対応した。
- ^ 当該編成は先頭から クハ481-3506・モハ485-3018・モハ484-3018・モハ485-3044・モハ484-3044・クロハ481-3010 の順で組成。全車両が脱線した。
- ^ 183系200・700・800番台への改造車は福知山電車区に配置。特急網「北近畿ビッグXネットワーク」で運用された。
- ^ 日蓮正宗が創価学会を破門したために全面的に廃止。
- ^ ただし787系の転属措置と運用の都合から改正当日の一部列車は鹿児島総合車両所の本系列5両編成で運転された。
- ^ 編成組成が変わらない転属を行った場合は数字が変わらず配置先を示すアルファベットのみ変わるが(例:Do1→DK1)、組成が変更となった場合は数字も変更となる(例:DK9→Do32)。
- ^ 「やまばと」山形編成は10日間単独運転の後9月27日から本系列での運転を開始。
- ^ ただし1往復は583系を充当
- ^ 回送線自体の廃止はそれから10年後の1983年である。
- ^ 充当期間中は幕張車両センターに貸し出し名義となる。なお、2008年以降は幕張配置の183系や松本車両センター配置のE257系0番台が投入される。
- ^ キハ80系広域転配の関係から本系列化は9月27日に実施。
- ^ そのうちクハ481-123・124は向日町運転所からの借入。
- ^ 1972年10月2日ダイヤ改正時点では「いなほ」のみで出入所を行っており、1972年11月1日からの運用増に対して1973年3月31日まで以前は盛岡で夜間滞留となっていた「やまびこ」充当編成を青森まで回送し、深夜に仕業検査を実施。早朝に再び盛岡まで回送して上り「やまびこ」に充当する措置が採られた。
- ^ 当初はサロ481形2両組込の13両編成×2本・予備1本で充当されたが、1978年8月以降は1両減車で上野口東北特急と共通運用となった
- ^ クハ481形は奇数向き車のみ1000番台となった理由は秋田所属の偶数向き車が、1989年までに全車クロハ481形へ改造済であったことによる。
- ^ 1035は1997年12月に3000番台化改造を施工しA8編成に組成。1021はA11編成に、1057はA10編成に組成され、共に「ムーンライトえちご」用165系置換えのため2003年に上沼垂へ転出。
- ^ a b クハ481-1005は「いなほ」運用移管により南秋田運転所から上沼垂運転区へ1997年3月22日付で転入したばかりの車両である。本転配は3000番台化改造は極力1000番台車に施工する方針からによるもので、青森再転入時に方向転換ならびに3000番台化改造を施工し、同年11月19日付でクハ481-3005として落成した。ただし青森運転所の3000番台化は当初海峡線対応車6編成が対象となったものの途中で海峡線対応車5編成と非対応車2編成に計画変更されたこと。クハ481形1000番台は43両中29両がクロハ481形へ改造されていたこともあり不足気味で、青森配置車も唯一300番台からクハ481-350が3350へ改造対象となった。また、車両交換の形になった342も2001年に3000番台化改造を施工された。
- ^ MM'ユニット3056は、転出直前までA8編成に組成されており、A9編成のMM'ユニット1081と車両交換を実施した。
- ^ 789系は函館・八戸・新青森・秋田方先頭車が、本系列は青森方先頭車がグリーン車であったことから、乗客案内の利便性向上も含めて本系列の方向転換により統一させた。
- ^ 2号 → 3号 → 6号 → 7号の運用。
- ^ 秋田支社管内で主に奥羽本線臨時快速に投入されるケースもあった。また、2007年2月12日には青森車両センター所属車が不足したため秋田から回送し臨時特急「つがる」2往復に充当された。
- ^ 348はクロハ481-303へ改造。さらに3000番台化改造と同時にクハ復元を施工しクハ481-3348となった。
- ^ 一部車両は一旦仙台を経ての転入。
- ^ 20・22・24も3両は1982年に仙台から九州地区に一旦転出しており、再び東日本エリアに出戻る形となった。
- ^ 山形新幹線開業により在来車特急「つばさ」が廃止となり秋田からの充当車両送り込みができなくなったことによる。
- ^ クハ481-1+モハ485・484-1+クハ481-2 クハ481-20+モハ485・484-36+クハ481-14で本編成と訓練車編成は併結対応工事未施工。
- ^ 上野← クハ481-38 + モハ484・485-54 + サハ481-109 + モハ484・485-63 + クハ481-32 →勝田・いわき・仙台
- ^ MM'ユニット1018・1044・1083 クハ481-332・333・349・1011でこのうちMM'ユニット1044とクハ481-349・1011の4両は3000番台改造を施工。
- ^ MM'ユニット53・58・1071 クハ481-34・40・1105・1107
- ^ ビバあいづ投入前は、勝田所属であったため出戻り転属でもある。
- ^ 当初はいわき - 仙台間の新設特急に転用される予定であったが、福島第一原子力発電所事故により計画が白紙となり余剰となった。
- ^ クハ481-21・23・27・28・29・30・102
- ^ クハ481-22・25 モハ485+484-14・20・57 サロ481-1056 このうちMM'ユニットの57が返却されずに廃車。
- ^ 改造種車は旧T4編成に組成されていたサロ481-107および1996年5月に南秋田から転入したMM'ユニット3組とクロハ481形1000番台2両をクハ481形に復元して充当した。
- ^ a b 9両編成は指定日のみ充当。非充当の場合は「はくたか」運用車は金沢滞留とし、「北越」運用は6両編成の新潟滞留車を充当。
- ^ 改造種車は旧T3編成に組成されていたサロ481-106およびMM'ユニットとクハ481形が1996年に南秋田から転入した1030ならびに勝田から転入した1011を充当。
- ^ 1002はグリーン室定員12名・普通室定員は44名。1023はグリーン室定員16名・普通室定員36名。秋田配置車は両グループが一部共通運用される反面で新潟配置車はグリーン室定員16名に統一されていたための車両交換である。
- ^ 一部の「いなほ」運用では閑散期に4両へ減車措置が採られていた一方で、繁忙期を中心に6両 + 4両の10両で運転された実績がある[216]。
- ^ a b クハ481-332・333・1011は勝田所属時に下り方に組成されていたことから、2編成併結改造で制御回路用KE70形ジャンパ連結器栓受けを装備したほか、同様に勝田から転入したものの上り方に組成されていて栓受けを装備しないクハ481-349も含みひたち色へ塗替をした際に愛称幕上部の特急エンブレムを取り外しており、本センター転入後に上沼垂色へ塗装変更後も復元は未施工。
- ^ a b T18・K1・K2編成に組成される車両は、元々は秋田運転区で上野発着「つばさ」と共通運用の「あいづ」に充当されていた9両編成×3本に組成されており、両列車では首都圏乗入対策からATS-Pを搭載していた。1992年7月1日のダイヤ改正で両列車廃止に伴い青森運転所へ転出し急行「津軽」への充当な波動輸送対応へ転用の際に車内減光装置を搭載。1993年10月以降にMM'ユニット1組とサロ481形をカットした6両編成へ再組成され、クハ481形1000番台をクロハ481形へ改造。新潟転出によりクロハ481形とクハ481形の方向転換を実施し連結位置を逆転させた。
- ^ 脱着可能であり、T18・R26・R27編成も代走時には装着して充当された。
- ^ 「ムーンライトえちご」が定期運行されていた時期は首都圏側停泊中に車両故障が発生すると予備車を新潟から回送あるいは運休させるしか対処法がなかったが、2007年2月2日下り「ムーンライトえちご」に充当予定のT18編成が大宮総合車両センター車両検査科東大宮センターから回送中に車両故障を起こした際には、急遽同センターの183系1000番台OM102編成代走となった。なお、同編成はモノクラスのため本来グリーン車利用客に対してグリーン料金の払戻しとグレードアップ車である3号車の同番号席に、3号車の指定券を持っていた乗客は1号車の同番号席への振替が行われた。
- ^ ただし、首都圏内の列車無線が完全デジタル化された2010年7月以降は装置未搭載のR26・R27編成は充当されない。
- ^ 金沢方クハ481形はクロハ481形へ改造。MM'ユニットは、7・8号車がカット。2・3号車は4・5号車へ、5・6号車は2・3号車へ組成。
- ^ A9編成に組み込まれていたモハ485・484-3068と車両交換。また、A9編成で転属対象から外れたモハ485・484-3081は増結用ユニットに転用。
- ^ 「くびき野」に投入される2編成は新井で運用終了となるが、夜間滞留は2本とも直江津で行うためにそのうち1編成は送り込みを兼ねた(新井行1328M・直江津行1351Mの1往復)普通列車に投入される。もう1編成は回送で運転。
- ^ 主に大宮総合車両センター常駐で幕張車両センター所属のマリ31・32編成が投入された。
- ^ このため「能登」が運転されない日はいずれかの編成が尾久車両センターに終日滞留となりホームライナー運用に投入された。ただし「能登」が運転されない期間が長期化した際の検査スケジュールや車両故障発生の場合は、回送もしくは配給列車により編成の入替が行われた。
- ^ 塗装が国鉄色であることから、同一装備を持つT18編成と共にJR東日本管内で運転されるリバイバルトレインなどのイベント列車に充当されることも多い。
- ^ K2編成は秋田総合車両センターへ、K1編成は長野総合車両センターへ回送され廃車。
- ^ JRマークなしでクハ481-1508側面の車両番号はステンレス切抜き文字ではなく白色のステッカー貼付する[30]。
- ^ 長野総合車両センターへの廃車回送は従来自力走行で行われていたが、2015年3月14日以降は信越本線長野 - 直江津間が北陸新幹線並走区間となり、第3セクターのえちごトキめき鉄道ならびにしなの鉄道へ移管されたため線路使用料が発生すること。また、経路が上越線→高崎線→武蔵野線→中央本線→篠ノ井線経由となり、R26・27編成を除き首都圏通過に必要なATS-Pを搭載していないこと。なおかつ狭小トンネル区間を走行する際にモハ484形のパンタグラフ折り畳み高さが制限値をクリアできないため事前に取り外すなどの措置が必要となりEF64形牽引による無動力配給回送となった。
- ^ 1986年9月1日に長野運転所が長野運転所第二分所を統合し長野第一運転区へ改称。さらに1987年3月1日に北長野運転所に再改称。JR化後は1991年7月1日に長野工場と統合し長野総合車両所となり、2004年6月1日に長野総合車両センターへ改称して現在に至る。
- ^ 『485系物語』では前日の2月28日と記載。
- ^ 名目上は上野 - 妙高高原間急行「妙高」の区間延長を伴う特急格上げ。
- ^ 運用番号1 - 11が北陸・上越方面、運用番号12 - 32が山陽・九州方面とそれぞれ分けられていた[269]。
- ^ 当時東北地区では、クハ481形200番台は300番台への振替が進行中であり、落成までの繋ぎ名目も含ませての転出。この2両は翌1976年5月に南福岡へ再転出した。
- ^ クハ489型 303
- ^ 運転開始時は4・13・17・34・47・48号に充当。
- ^ a b H編成が車両故障もしくは検査等で充当できない場合は、489系限定で組成されたK編成に予備もしくは組成を一時的に解いているH編成から489系MM'ユニット1組を組込み充当させており、クハ489形200・600番台組込のK編成にMM'ユニット1組増結で充当したケースもある。
- ^ 臨時「加越」1往復にも充当。
- ^ 運転開始時の途中停車駅は、「かがやき」が高岡・富山・直江津、「きらめき」が福井のみを設定。
- ^ クハ481-306+モハ484-316+モハ485-214+クハ481-303ならびにクハ481-224+モハ484-319+モハ485-217+クハ481-229の2編成で予備車がなく、検修ならびに車両故障時にはK編成からサロ481形とMM'ユニット1組を外すなどして代走で対応した。
- ^ 京都総合運転所からの転入車で「ゆぅトピア和倉」併結対応改造施工車。
- ^ スカート部の塗装が0・500番台はオイスターホワイト、300・700番台が薄群青色という相違点がある。
- ^ ほくほく線経由の運転では方向転換がないため金沢 - 直江津間は通常と逆編成とされた。このため運行開始前後にH編成を大阪まで回送し北方貨物線・大阪経由で方向転換を行ったほか、上野口ホームライナー運用は金沢土曜日発編成が上野に日曜到着後は基本東大宮滞留とし、月曜日 - 金曜日に充当された。また、運用の都合上新潟車両センター所属R1・R2編成を充当したケースもあった。
- ^ 撤去形態は碍子のみ残す物や完全撤去など様々である。
- ^ 2011年3月改正までは783系も同様に13両編成を組んでいた。
- ^ クロ481形は先頭部に制御回路用KE70形ジャンパ連結器が未装備で中間に連結できないこともあり回送経路は複雑な動きを要求された。
- ^ 書類上は南福岡電車区に配置されたものの同所では使用されず秋田運転区に転出。
- ^ 当初はDE10 1755に国鉄特急色へ塗装変更し専従とした。
- ^ 485系電車・12系客車も電源電圧は三相交流440 Vであり、スハフ12形に搭載されるディーゼル発電機の容量は0番台で180 kVA、100番台で210 kVAであり、自車を含み6両分の供給容量がある。
- ^ ただし増発分はゴールデンウイーク・夏期や年末年始の多客繁忙期は当該列車を西鹿児島方面への臨時延長へ充当変更とし、熊本 - 水前寺間は別列車として運転された[305]。
- ^ 「KIRISHIMA & HYUGA」塗装車が竣工する12月までは暫定措置として一切のレタリングなどを隠して運行。
- ^ DK10編成は大分のDo21編成からMM'ユニット2組を外した編成。クハ481-213は最後まで残存したRED EXPRESS色。
- ^ DK12編成は2006年9月17日に発生したJR日豊本線脱線転覆事故により被災したが、2006年12月に復旧したクロハ481-4と大分車両センターの波動用MM'ユニットを組込み運用に復帰した。
- ^ 2020年現在で「くろしお」に充当される287系・289系は振子機能は未搭載であるが、加減速性能向上ならびに低重心設計による曲線通過速度を本則+10 - 15 km/の設定とされていることなどから、和歌山 - 白浜間を本系列よりも約10分早く走行している。
- ^ その後全車が他区所へ転出か、交流機器を撤去または使用停止にして183系電車に改造されたために485系としての配置は既にない。
- ^ 「白鳥」「いなほ」のマークは新規に作成され、「ひばり」「やまびこ」のマークは仙台運転所のものと共通で使用したが、「はつかり」のマークは毛筆で手書きしたものだった。
- ^ 前者は譲渡元である西武鉄道での再利用。後者は標準軌車両で機器流用そのものに難があった。
- ^ クハ481-17から移植。
- ^ 製造直後の状態に近づける以下の内容を施工。
- 屋根の塗装色をグレーから国鉄時代の銀に復元
- クハ481-26の前灯をシールドビームから白熱灯[注 138] に復元
- ボンネット側面上部にステンレス製のJNRロゴマークを復元
- モヤ484-2をモハ484-61へ復元
- ^ 劣化により車両状態が芳しくなかったことからクラウドファンディングを実施し、2017年3月20日に補修を完了[322]。同月25日・26日の2日間に撮影会が行われた[323]。その後、2023年にはクハ481-502(実車はクハ180-5からの改造車)を模した外観に変更されている[324]。
出典
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