渡部橋
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渡部橋 | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 新潟県燕市渡部 |
交差物件 | 大河津分水 |
用途 | 道路橋 |
路線名 | 新潟県道2号新潟寺泊線 |
管理者 | 新潟県三条地域振興局 |
施工者 | 宮地鐵工所 |
開通 | 1969年(昭和44年)11月1日 |
座標 | 北緯37度39分7.8秒 東経138度48分25.8秒 / 北緯37.652167度 東経138.807167度 |
構造諸元 | |
形式 | トラス橋・桁橋 |
材料 | 鋼 |
全長 | 383.600 m |
幅 | 6.700 m |
最大支間長 | 86.0 m |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
渡部橋(わたべばし)は、新潟県燕市渡部の大河津分水に架かる新潟県道2号新潟寺泊線の橋長383.6 m(メートル)のトラス橋・桁橋。
概要
[編集]- 形式 - 鋼3径間単純合成鈑桁橋3連+鋼3径間連続下路トラス橋+単純合成鈑桁橋2連
- 橋格 - 第1種 (TL-20) + 雪 (100 kg/m2)
- 橋長 - 383.600 m
- 支間割 - 38.100 m+38.500 m+39.600 m+(55.920 m+74.560 m+55.920 m)+38.500 m+38.100 m
- 幅員
- 総幅員 - 6.700 m
- 有効幅員 - 6.000 m
- 車道 - 6.000 m
- 歩道 - なし
- 総鋼重 - 463.833 t
- トラス部 - 238.758 t
- 床版 - 鉄筋コンクリート
- 施工 - 宮地鐵工所[注釈 1](上部工)・鹿島建設・氏田組(下部工)
- 架設工法 - トラッククレーン工法・ケーブルエレクション工法
橋のすぐ下流には大河津分水路の河床勾配を安定させるための石港床留が設置されている[2]。
歴史
[編集]信濃川の洪水を日本海に直接放流するために掘削された人工河川で、1922年(大正11年)に通水した大河津分水路[3]に架かる橋として先代の橋が1919年(大正8年)4月に橋長374 m、幅3.7 mの木造土橋が架橋された[4]。
新潟県により架替に着手され、上部工が1967年(昭和42年)8月から1968年(昭和43年)8月の工期で宮地鐵工所によって施工され、1969年(昭和44年)11月1日に永久橋となる鋼トラス橋の新橋が開通した[5]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 現在の宮地エンジニアリング
出典
[編集]- ^ “鐵骨橋梁年鑑 昭和44年版” (PDF). 日本橋梁建設協会. pp. 110, 111 (1970年3月31日). 2021年4月7日閲覧。
- ^ “大河津分水の歴史と経緯”. 国土交通省北陸地方整備局信濃川河川事務所. 2021年4月7日閲覧。
- ^ “大地に恵み 人に安らぎ 大河津分水 地域とともに未来をひらく” (PDF). 国土交通省北陸地方整備局信濃川河川事務所. 2021年4月7日閲覧。
- ^ “渡部橋1919-4”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2021年4月7日閲覧。
- ^ “渡部橋1969-11-1”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2021年4月7日閲覧。
外部リンク
[編集]- 新潟県三条地域振興局地域整備部 - 橋梁管理者
- 空から見た信濃川・魚野川 - 北陸地方整備局 信濃川河川事務所