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落合橋 (長野市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
落合橋
落合橋の中間にある落合橋中央交差点地図
基本情報
日本の旗 日本
所在地 長野県長野市大豆島 - 若穂牛島
交差物件 犀川千曲川
用途 道路橋
路線名 長野県道34号長野菅平線
管理者 長野県長野建設事務所
施工者 櫻田機械工業
着工 1963年昭和38年)6月
竣工 1966年(昭和41年)3月
開通 1966年(昭和41年)11月21日
座標 北緯36度37分7.9秒 東経138度14分30.9秒 / 北緯36.618861度 東経138.241917度 / 36.618861; 138.241917 (落合橋)
構造諸元
形式桁橋
材料
全長 948.200 m
6.000 m - 12.5 m
最大支間長 80.650 m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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長野県道34号標識

落合橋(おちあいばし)は、長野県長野市大豆島 - 若穂牛島犀川千曲川に架かる長野県道34号長野菅平線の橋長948.2 m(メートル)の桁橋

概要

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長野県管理の橋梁の中で4番目に長い橋である[1]

[2][3]

歴史

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1879年明治12年)2月[注釈 3]に牛島の船橋が架橋された。これは橋長128 m、幅員1.5 mの舟橋であった[4]。これは、1914年大正3年)10月には橋長145 m、幅員1.8 mの舟橋となった[5]

1922年(大正11年)2月1日に一部が木橋になった[6]

1929年(昭和4年)に幅員4 mの木橋となったが、1961年(昭和36年)6月27日に昭和36年梅雨前線豪雨によって千曲川が増水したことから撤去され[7]1965年(昭和40年)に流失した[8]

そして、永久橋となる現橋が1963年(昭和38年)6月から1966年(昭和41年)3月の工期で架設され[2]、1966年(昭和41年)11月21日に開通した。これは完成当時長野県内最長の橋梁であった[7]。この橋は、のちに、中央部で堤防道路との接続のため一部が幅員12.5 mまで拡幅されている[9][10]

落合橋は大豆島地区と若穂地区を繋ぐ上に中央部で堤防道路と接続することため交通量が多く、朝夕において渋滞が発生しており、県が対策を行ってきたが、今後も長野東バイパスの開通など交通量が増大傾向と考えられ、また架橋から50年以上が経過し老朽化が進行していることからその対策が架替を含め検討され[10]床版の土砂化や鋼材の腐食など老朽化が著しいこと、若穂スマートインターチェンジへのアクセス道路にもなることから、対策として架替事業が2022年度(令和4年度)の新規事業箇所に選定された[11]

脚注

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注釈

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  1. ^ 信濃川百年史、長野市統計書には948.25 mとあり、長野県の道路2019には948.3 mとある
  2. ^ 後のサクラダ
  3. ^ 1880年との説あり

出典

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  1. ^ 長野県の道路2019” (PDF). 長野県建設部. p. 17 (2019年6月). 2020年9月24日閲覧。
  2. ^ a b 鐵骨橋梁年鑑 昭和42年版” (PDF). pp. 8, 9. 2020年9月24日閲覧。
  3. ^ 建設省北陸地方建設局『信濃川百年史』社団法人北陸建設弘済会、1979年3月30日、1158頁。 
  4. ^ 牛島の船橋(落合橋)1880”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年9月24日閲覧。
  5. ^ 牛島合落合橋1914-10”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年9月24日閲覧。
  6. ^ 落合橋1922-2-1”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年9月24日閲覧。
  7. ^ a b 付表”. 令和元年版長野市統計書. 長野市 (2020年3月25日). 2020年9月25日閲覧。
  8. ^ 落合橋1929”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年9月24日閲覧。
  9. ^ 千曲大橋(落合橋)1966”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年9月24日閲覧。
  10. ^ a b 落合橋の渋滞について”. 県民ホットライン. 長野県建設部道路建設課 (2020年4月). 2020年9月24日閲覧。
  11. ^ 令和3年度公共事業評価の評価結果について”. 長野県公共事業評価監視委員会 (2022-02-29). 2022年4月28日閲覧。

外部リンク

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