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マンハッタンカフェ

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マンハッタンカフェ
2002年4月28日、京都競馬場
品種 サラブレッド
性別 [1]
毛色 青鹿毛[1]
生誕 1998年3月5日[1]
死没 2015年8月13日(17歳没)
サンデーサイレンス[1]
サトルチェンジ[1]
母の父 Law Society[1]
生国 日本の旗 日本北海道千歳市[1]
生産者 社台ファーム[1]
馬主 西川清[1]
調教師 小島太美浦[1]
調教助手 小島良太[1]
厩務員 松本重春[1]
競走成績
タイトル JRA賞最優秀4歳以上牡馬(2002年)
生涯成績 12戦6勝
中央競馬)11戦6勝
フランス)1戦0勝
獲得賞金 5億2283万4000円
IC 118E(2002年)[2]
勝ち鞍
GI 菊花賞 2001年
GI 有馬記念 2001年
GI 天皇賞(春) 2002年
繁殖成績
タイトル 日本リーディングサイアー(2009年)
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マンハッタンカフェ(欧字名:Manhattan Cafe1998年3月5日 - 2015年8月13日)は日本競走馬種牡馬

2002年のJRA賞最優秀4歳以上牡馬2001年菊花賞有馬記念2002年天皇賞(春)に勝利した。主戦騎手蛯名正義

デビュー前

1998年3月5日北海道千歳市社台ファームに生まれる。父は日本で13年連続でリーディングサイアーに輝いたサンデーサイレンス。母のサトルチェンジはアイルランド産馬で、本馬は同馬の第4仔になる。出生時から心身両面ともに弱さがあり、牧場関係者や後の管理調教師・小島太の間では、「奥手のタイプ」であるという見解で一致していた[1]。小島によると、「それでもダービーという夢を描いていた馬」だったといい、「託す期待の大きさが、次第に"何とか走らせなきゃ"という重圧に転じていくのをあの頃は感じた」と回想している[1]

セレクトセールでは1億3000万円で、「フサイチ」の冠号で知られる関口房朗に落札された。社台ファーム繁殖担当の千葉英昭によると、マンハッタンカフェは同期のセール上場馬の中でも馬体の良さは抜けていたといい、また青鹿毛の馬体に白い流星があるという特徴は父のサンデーサイレンスを彷彿させていたと振り返っている[1]。その後、西川清と社台ファームの吉田照哉の共同所有となった。そのため同馬は、市場取引馬に関する優遇が受けられなかった。

戦績

2001年

デビュー戦は2001年1月29日東京芝2000mの新馬戦に出走し、2番人気に支持されたが3着。初勝利は2戦目の同年2月11日、東京芝1800mの新馬戦で単勝1.7倍という断然の人気に応えて勝利した。しかしこの頃は体質が弱く、続く弥生賞では馬体重を前走より20キロも減らして4着、続くアザレア賞でも更に馬体重を16キロも減らした末の11着となり、春のクラシックには出走できずに休養に入った。

休養明けの復帰戦は札幌の富良野特別。放牧明けで馬体重をアザレア賞の時から+46キロと大幅に増やした状態ながら1番人気に推されて勝利した。小島はこのレースの前に周囲に対して「菊花賞を獲る」と広言したという[1]。続く阿寒湖特別では古馬相手に1番人気で勝ち、秋の上がり馬として菊花賞戦線に名乗りを挙げる。トライアルセントライト記念では4着に敗れたが、菊花賞では、逃げたマイネルデスポットをゴール直前で差しきり優勝、GI初勝利となった。

続く有馬記念では、GI7勝のテイエムオペラオーや、そのライバルメイショウドトウらを破り、GI2連勝を果たした。有馬記念で記録した上がり3F33.9秒は中山競馬場の2500m戦で確認されていた当時の最速の上がりであるだけではなく、2005年の湾岸ステークスまでは中山競馬場の2500m戦で確認された唯一の上がり3F33秒台であった。なお、2着に最低人気のアメリカンボスが入って万馬券となり、『マンハッタン+アメリカン』と同年に起きたアメリカ同時多発テロ事件の時事問題に掛けた名前の馬2頭でサイン馬券だと話題となり[3]、翌年の有馬記念の予想でもこのことが大きく取り上げられていた。

GIを2勝したものの同世代で日本ダービージャパンカップを制したジャングルポケットが年度代表馬および最優秀3歳牡馬に選出され、JRA賞受賞はならなかった。

2002年

2002年の初戦は、有馬記念と同じ中山芝2500mの日経賞。単勝1.2倍と圧倒的支持を受けたが、アクティブバイオの6着に敗れた[注 1](この頃のマンハッタンカフェは、蹄とトウ骨に不安を抱えていた[6]。詳細は後述)。しかし、次走の天皇賞(春)では、ジャングルポケットや、2年連続天皇賞(春)3着の菊花賞優勝馬ナリタトップロードが出走し三強対決といわれていたが、マンハッタンカフェが優勝しGI3勝目を挙げた。結局、対ジャングルポケットでは2戦負けなしだった。管理調教師の小島太は、騎手時代には菊花賞、有馬記念、天皇賞(春)を勝てなかったが、同馬をもって調教師として勝利を挙げたこととなった。また、マンハッタンカフェは、3歳時に菊花賞と有馬記念、4歳時に天皇賞(春)を勝利した。これを成し遂げたのは他にシンボリルドルフだけである[7][8](詳細は後述)。

同年秋にはヨーロッパに遠征し、10月6日ロンシャン競馬場で行われた凱旋門賞に出走。これは吉田照哉の「強い馬を世界で走らせたい」という希望によるもので、これに調教師の小島も同調。共同オーナーである西川は遠征に反対したものの「2対1じゃあ仕方ない」と最後には遠征に同意したという[9]。ただ同レースでは5番人気に支持されながらも13着に終わった[10] 上、レース後に屈腱炎を発症したことが判明し、引退した。

同年は天皇賞(春)を制したことが決め手となり、JRA賞では最優秀4歳以上牡馬を受賞した。

競走成績

年月日 競馬場 競走名


オッズ
(人気)
着順 騎手 斤量
[kg]
距離(馬場) タイム
(上り3F
タイム
勝ち馬/(2着馬)
2001. 1. 29 東京 3歳新馬 15 5 9 4.0(2人) 3着 蛯名正義 55 芝2000m(重) 2:06.5 (34.9) 0.2 トレジャー
2. 11 東京 3歳新馬 16 3 5 1.7(1人) 1着 蛯名正義 55 芝1800m(良) 1:49.8 (35.5) -0.3 (イサオヒート)
3. 4 中山 弥生賞 GII 8 7 7 21.4(5人) 4着 蛯名正義 55 芝2000m(不) 2:06.8 (38.4) 1.1 アグネスタキオン
4. 7 阪神 アザレア賞 500万下 16 5 10 4.0(2人) 11着 河内洋 55 芝2000m(良) 2:03.7 (35.9) 1.2 シノグラフィー
8. 4 札幌 富良野特別 500万下 12 5 6 2.0(1人) 1着 蛯名正義 54 芝2600m(良) 2:43.5 (35.6) -0.3 (シュプリゲン)
8. 26 札幌 阿寒湖特別 1000万下 12 3 3 1.8(1人) 1着 蛯名正義 54 芝2600m(良) 2:43.1 (35.8) -0.1 (トーセンサンダー)
9. 16 中山 セントライト記念 GII 16 7 14 5.3(3人) 4着 二本柳壮 56 芝2200m(稍) 2:13.8 (36.3) 0.7 シンコウカリド
10. 21 京都 菊花賞 GI 15 2 2 17.1(6人) 1着 蛯名正義 57 芝3000m(良) 3:07.2 (34.0) -0.1 (マイネルデスポット)
12. 23 中山 有馬記念 GI 13 4 4 7.1(3人) 1着 蛯名正義 55 芝2500m(良) 2:33.1 (33.9) -0.2 アメリカンボス
2002. 3. 23 中山 日経賞 GII 8 8 8 1.2(1人) 6着 蛯名正義 58 芝2500m(良) 2:37.5 (34.9) 0.5 アクティブバイオ
4. 28 京都 天皇賞(春) GI 11 4 4 2.9(2人) 1着 蛯名正義 58 芝3200m(良) 3:19.5 (34.1) 0.0 ジャングルポケット
10. 6 ロンシャン 凱旋門賞 G1 16 12 8 13着 蛯名正義 59.5 芝2400m(良) 2:29.7 3.0 Marienbard

特徴

本節では、マンハッタンカフェの気性や蹄などの身体的特徴およびシンボリルドルフ以来となった功績について記述する。

気性

気性については、社台ファーム育成担当の猿倉修は、同牧場の千葉厩舎にいたときからスタッフが手をかけてきたことで、「人間が側にいたら安心するというのか、人に対しては非常に従順でした」と振り返っており[1]、種牡馬時代にマンハッタンカフェの種付けを見学したことがある競馬エイト記者の鈴木由希子によると、「他馬が荒々しく迫る中、(マンハッタンカフェは)繁殖牝馬に対してとても丁寧で長距離向きの優しい気性が表れていました」と評し、これが産駒に母系の良さも伝えたのではないかと述べている[11]。ただし、厩務員の松本重春は、「とてもプライドの高い馬ですね」と評し、入厩時は若さや幼さが残っていたことでそうした気配も窺える、という程度に感じていたものの、「成長してキャリアを重ねるにつれて、どんどん風格が備わってきました」と語り、馬を扱っているというよりも自分が「扱わせてもらっている」という気分にさせられるようになったという[1]。また人間や他の馬に対しても威嚇する姿勢を取り、噛む、蹴る、暴れるという悪さを一通りやるため、これはサンデーサイレンス産駒らしい激しい性格をしていると述べ[1]、小島良太も普段の性格は強情っ張りで、「この馬の性格をよくわかっていて、慣れている人間でなければ扱うのが大変。そんなタイプの馬ですね」と述べている[1]

小島太は「ゆったりとした走りと一体になった切れ味」がマンハッタンカフェの武器であると述べている。蛯名正義は「外見とは裏腹に実はとても繊細」という印象を持っているといい、周囲の人間が気遣ってやらなければならないことが多いため、「スタッフの方は大変だと思いますよ」と述べている[1]。しかし、レースに出るとそのような面を全く見せないといい、走るという場面では余計なことをせず、「絶対と言っていいほど、リキんだりムキになったりもしない」といい、道中はぼーっとした印象を受けるほど冷静ながらもゴーサインを出せば鋭く反応するため、「道中の"タメ"が利くから直線であれだけの切れ味、爆発力を発揮できるのでしょう」と述べ、「乗る立場からすると、こちらの思い通りに動いてくれる、本当に乗りやすい馬なんです」と評している[1]

蹄の不安

マンハッタンカフェの蹄は、皿のように薄くて平べったい蹄であった。それが4歳になった頃状態が悪化、小島やスタッフを悩まし続けた[12]。4歳初戦の日経賞[注 2] ではその影響もあって6着に敗れている。次走の天皇賞(春)を前に小島太は、マスコミとの接触を意識的に避けるなど、不可解な行動の連続であった[6]。小島太はこの時のマンハッタンカフェに関して、「蹄やトウ骨の状態が思わしくなく、回避するか否かをずっと悩んでいた。中途半端な状態で走らせるわけにはいかないから、それでマスコミとの接触を意識的に避けた。元々蹄が薄い馬で、実はかなり前の段階から蟻洞(ぎどう:ツメに穴が開く病気[注 3])できて、装蹄師も苦労した[6]。自分としては菊花賞、有馬記念を勝って満足だったが正当な評価をされなかった。その悔しさから、問題を抱えているのを承知で無理を強いたかもしれない。我慢して期待に応えてくれた」[13] と語っている。

シンボリルドルフ以来の功績

マンハッタンカフェは、3歳時に菊花賞を勝利した後、有馬記念を制覇している。そして、次年の天皇賞(春)に出走して、ジャングルポケットやナリタトップロードの猛追を振り切って見事勝利を収めた。この菊花賞→同年有馬記念→次年天皇賞(春)を3歳→4歳時に3つとも勝利したのは、2021年2月現在マンハッタンカフェとシンボリルドルフの2頭しかいない[7][8]

マンハッタンカフェとシンボリルドルフと同じく菊花賞→同年有馬記念勝利→次年天皇賞(春)というローテーション[注 4]を歩んだ馬は、この2頭を含め2021年2月現在合計8頭いるが、それらの馬名、有馬記念後から天皇賞(春)までの成績、レース内容の概略などをまとめた表を下記に示す。

年度(西暦)
(元号年)
馬名
(※は1984年のグレード制導入前の馬)
有馬記念後の出走レース成績 次年度
天皇賞(春)
レース内容の概略
(不出走組は、その年の戦績など)
出典
1972年
(昭和47年)
※イシノヒカル '73 東京 4歳以上OP 7着 '73 不出走 1972年度の年度代表馬に選出されたが、脚部不安に見舞われ、11月に出走した左記のレース以降は、1度も出走できず6歳2月で引退した。 [7][15]
1984年
(昭和59年)
シンボリルドルフ '85 中山 日経賞GII 1着 '85 1着 ミスターシービーとの3度目の三冠馬対決となったが、最後の直線でミスターシービーが失速、2着に入ったサクラガイセンに迫られたが2馬身1/2差で退け、ミスターシービーは5着に敗れた。 [16][17]
1994年
(平成6年)
ナリタブライアン '95 阪神 阪神大賞典GII 1着 '95 不出走 阪神大賞典後に股関節炎を発症して天皇賞(春)は出走断念。その年の秋に復帰したが、天皇賞(秋)12着→JC6着→有馬記念4着と、精彩を欠いた。 [7][18]
1995年
(平成7年)
マヤノトップガン '96 阪神 阪神大賞典GII 2着 '96 5着 前走阪神大賞典でのナリタブライアンとの死闘から、ナリタブライアンとの2強対決と注目を浴びたが、勝ったサクラローレルから1.0秒差を着けられる大敗を喫した。 [7][19]
2001年
(平成13年)
マンハッタンカフェ '02 中山 日経賞GII 6着 '02 1着 [7][20]
2011年
(平成23年)
オルフェーヴル '12 阪神 阪神大賞典GII 2着 '12 11着 単勝1.3倍の圧倒的1番人気で出走、道中は後方3番手で進んだ。最後の直線ではこれまでの末脚を炸裂させることなく、勝ったビートブラックから1.8秒差を着けられ惨敗した。 [21][22]
2012年
(平成24年)
ゴールドシップ '13 阪神 阪神大賞典GII 1着 '13 5着 単勝1.3倍の圧倒的1番人気で出走、道中は2周目の3コーナーから進出を開始したが、最後の直線で他馬に寄られる不利もあり、豪脚が炸裂せず、勝ったフェノーメノから0.9秒差を着けられた。 [23][24]
2016年
(平成28年)
サトノダイヤモンド '17 阪神 阪神大賞典GII 1着 '17 3着 キタサンブラックに次ぐ2番人気で出走、ヤマカツライデンの大逃げで、道中はハイペースで進行、足を使わされたのか、最後の直線で勝ったキタサンブラックに迫ったが1馬身1/4+首差届かなかった。 [25][26]

上記の表の比較対象として、菊花賞勝利から有馬記念敗戦(不出走を含む)そして天皇賞(春)勝利という馬は、2022年5月現在まで10頭が該当(※は1984年のグレード制導入前の馬)[注 5]、それを下記に示すと(()内のレース名は前哨戦)、

  • 1956年(昭和31年)※キタノオー:菊花賞1着→(4歳以上1着)→中山グランプリ(現・有馬記念)2着→(目黒記念(春)5着)→(5歳以上1着)→天皇賞(春)1着[30]
  • 1973年(昭和48年)※タケホープ:菊花賞1着→有馬記念不出走→(AJCC1着)→(中山記念3着)→天皇賞(春)1着[31]
  • 1990年(平成2年)メジロマックイーン:菊花賞1着→有馬記念不出走→(阪神大賞典1着)→天皇賞(春)1着[32]
  • 1992年(平成4年)ライスシャワー:菊花賞1着→有馬記念8着→(目黒記念2着)→(日経賞1着)→天皇賞(春)1着[33]
  • 1992年(平成5年)ビワハヤヒデ:菊花賞1着→有馬記念2着→(京都記念1着)→天皇賞(春)1着[34]
  • 2002年(平成14年)ヒシミラクル:菊花賞1着→有馬記念11着→(阪神大賞典12着)→(産経大阪杯(現・大阪杯)7着)→天皇賞(春)1着[35]
  • 2005年(平成17年)ディープインパクト:菊花賞1着→有馬記念2着→(阪神大賞典1着)→天皇賞(春)1着[36]
  • 2015年(平成27年)キタサンブラック:菊花賞1着→有馬記念3着→(産経大阪杯2着)→天皇賞(春)1着[37]
  • 2018年(平成30年)フィエールマン:菊花賞1着→有馬記念不出走→(AJCC2着)→天皇賞(春)1着[38]
  • 2021年(令和3年)タイトルホルダー:菊花賞1着→有馬記念5着→(日経賞1着)→天皇賞(春)1着[39]

菊花賞から有馬記念を連覇した上記の表8頭の翌年の天皇賞(春)の成績は、1着2頭、3着1頭、5着以下3頭、不出走2頭となっているのに対し、菊花賞勝利から有馬記念敗戦または不出走の10頭の翌年の天皇賞(春)は全て勝利を収めている。また、前者と後者のその後の戦績を比較すると、前者の天皇賞(春)後は、シンボリルドルフ、マヤノトップガン、オルフェーヴル、ゴールドシップがGIレースを勝利したが、イシノヒカル、ナリタブライアン、マンハッタンカフェ、サトノダイヤモンドがGI未勝利[注 6]に終わり、その後のレースでも出走取消や掲示板外(6着以下)、2桁着順の大敗などがあるなど、それぞれが天皇賞(春)およびそれ以降のレースで順調さを欠き、競走成績も安定しているとは云い難い状態になっている[7]。それに対し、後者のうち9頭はキタノオーと、タケホープを除き天皇賞(春)後のGIレースを1回以上勝利[注 7]している。また、ライスシャワーとヒシミラクルは、勝利に恵まれなかったり、脚部不安から長期休養[注 8]するなどで順調さを欠いたりもしたが、他の5頭は、特に大きな故障(例外あり[注 9])もなく順調にレースに出走、勝利もしくは2着、負けても掲示板確保(5着以上、ただし例外あり[注 10])という好成績を収めている。

菊花賞から有馬記念と連勝した馬の順調度と、菊花賞勝利から有馬記念敗戦または不出走の馬の順調度が違うのは、上記の両者各馬の戦績の比較や、JRAにおけるGI競走の中で、菊花賞は3000m、有馬記念は2500m、天皇賞(春)は3200mと競走距離が1位 - 3位の競走[47][48] であることから、前者の馬にとっては過酷な負荷であり、順調さを奪っているといえる[7]。3歳時の菊花賞をトップで走り抜いたあと、古馬一線級が集まる有馬記念に続き、4歳春の天皇賞を制覇する馬は、マンハッタンカフェとシンボリルドルフの2頭しか例のないレアケースとなる[7][8]。しかし、その負荷は大きなものとなり、その後は両馬共決して順調ではなかった[注 11]が、その負荷を厭わず、JRAのGI競走の距離1位 - 3位のレースの3連勝を、マンハッタンカフェとシンボリルドルフは成し遂げたのである[7]

種牡馬時代

2003年より社台スタリオンステーション種牡馬として供用されている。2006年に初年度産駒がデビューし、2007年には第2世代目にあたるオリエンタルロックが産駒初の重賞制覇、2009年には第3世代目のジョーカプチーノがGI初制覇を遂げた。サイアーランキングでは2008年にベストテン入り(9位)を果たし、翌2009年にはリーディングサイアーを獲得した。また、2歳リーディングの方でも2008年に5位、2009年に7位、2010年には10位と、3年連続でベストテン入りを果たした。

他のサンデーサイレンス直仔の種牡馬が短距離、長距離、ダートなど得意条件が明確化していたのに対し、本馬は短・中・長距離、芝・ダート・AW、牡馬・牝馬問わず活躍馬を輩出し、父サンデーサイレンスの長所であった「配合相手の長所を引き出す和合性」[50][51] を受け継いだ数少ない存在であった。

2015年に入り体調を崩し、約80頭に種付けを行ったが夏以降は衰弱が著しく、8月13日、社台スタリオンステーションにて放牧中に腹腔内腫瘍のため死亡した[52]

2017年9月3日、小倉5Rをメイショウテッコンが勝利し、産駒が史上18頭目のJRA通算1000勝を達成[53]

年度別種牡馬成績(中央+地方)

出走 勝利 順位 AEI 収得賞金
頭数 回数 頭数 回数
2006年 56 149 12 15 102 0.75 1億6477万9000円
2007年 174 885 63 98 27 1.17 8億1952万8000円
2008年 279 1708 128 217 9 1.51 16億9759万2000円
2009年 327 2187 144 269 1 2.01 26億4617万7000円
2010年 340 2215 139 240 5 1.73 23億6354万8000円
2011年 315 2044 131 208 5 1.97 24億3639万4000円
2012年 307 2092 123 195 9 1.53 18億1272万3000円
2013年 316 2249 120 236 7 1.75 21億5811万8000円
2014年 362 2309 126 203 8 1.36 19億6165万8500円
2015年 344 2335 141 247 8 1.38 19億2717万500円
2016年 339 2181 147 251 8 1.38 19億8637万4500円
2017年 293 2162 128 219 9 1.60 20億411万8000円

GI級競走優勝馬

太字はGI・JpnI競走

グレード制重賞優勝馬

地方重賞優勝馬

  • 2004年産
  • 2008年産
    • タガノマツカゼ(遠賀川賞)[89]
    • ボストンリョウマ(桂樹杯)[90]
    • バンブーリバプール(九州オールカマー)[91]
  • 2009年産
  • 2012年産
  • 2015年産

母の父としての産駒

ドラマ出演

社台グループ創業者の吉田善哉を題材に、2004年に関西テレビで制作され全国放送されたドラマ『運命の出会い〜サラブレッドにかけた夢〜』に、父親であるサンデーサイレンス役で出演した。

血統表

マンハッタンカフェ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 サンデーサイレンス系ヘイロー系
[§ 2]

*サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛
アメリカ
父の父
Halo
1969 黒鹿毛
アメリカ
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Cosmah Cosmic Bomb
Almahmoud
父の母
Wishing Well
1975 鹿毛
アメリカ
Understanding Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower Montparnasse
Edelweiss

*サトルチェンジ
Subtle Change
1988 黒鹿毛
アイルランド
Law Society
1982 黒鹿毛
アメリカ
Alleged Hoist the Flag
Princess Pout
Bold Bikini Boldnesian
Ran-Tan
母の母
Santa Luciana
1973 黒鹿毛
ドイツ
Luciano Henry the Seventh
Light Arctic
Suleika Ticino
Schwarzblaurot
母系(F-No.) Suleika系(FN:16-c) [§ 3]
5代内の近親交配 5代内アウトブリード [§ 4]
出典
  1. ^ [109]
  2. ^ [110][111]
  3. ^ [112]
  4. ^ [109][111]

脚注

注釈

  1. ^ この日の馬場は、雨の影響で芝の表面が濡れ上滑りする状態のため、バランスを崩したためや、鞍上と馬のリズムの不一致など様々な敗因が指摘されたが、直接の敗因は不明であった[4]。また、小島太は一瞬故障したかと思ったほどだった[5]
  2. ^ レース出走時は、蹄を保護するための鉄橋蹄鉄と呼ばれる特殊な蹄鉄を装着して出走していた。
  3. ^ 場合によっては、蹄葉炎に進行することがある。
  4. ^ シンボリルドルフのみ菊花賞後はジャパンカップに出走、カツラギエースの3着に敗れている[14]
  5. ^ 前年菊花賞馬が天皇賞(春)を勝利した馬は、他にハクリヨウ(1953年菊花賞1着→1954年天皇賞(春)1着)[27][28] と、メイヂヒカリ(1955年菊花賞1着→1956年天皇賞(春)1着)[29] の2頭が存在するが、この2頭は有馬記念(前身の中山グランプリ)が創設された1956年以前の馬で、菊花賞勝利から有馬記念敗戦(不出走を含む)そして天皇賞(春)勝利という馬には含まれない。
  6. ^ イシノヒカルがGI未勝利なのは、4歳以降の天皇賞春秋と有馬記念を脚部不安から出走していないためで、グレード制導入以前のGI級のレースは八大競走皐月賞東京優駿(日本ダービー)・菊花賞・桜花賞優駿牝馬(オークス)・天皇賞春秋・有馬記念の8つ)と呼ばれるレースしかなかった。
  7. ^ キタノオーとタケホープは、グレード制導入以前の馬で、当時古馬のGI級のレースは、天皇賞春秋と有馬記念しかなく、しかも天皇賞は一度勝利するとそれ以降は出走できない「勝ち抜き制度」を導入していた[40] ので、両馬が天皇賞(春)後GIレース未勝利なのは、天皇賞に出られなかった事情と、宝塚記念は存在していた(ただし、同レース創設は1960年のため、キタノオーの現役時代にはない)が、グレード制導入以降にGIとなったため、古馬のGI級のレースには含まれず、その時代JCはまだ創設されていなかったためである。なお、タケホープは翌年の有馬記念に出走したが、勝ったタニノチカラの3着に敗れ、ライバルハイセイコー(2着)にも負けている[41]
  8. ^ ライスシャワーは、天皇賞(春)後出走した全レース未勝利で、2回目の天皇賞(春)勝利後宝塚記念に出走し、レース中に故障を発生して競走中止、その後予後不良となった[42]。また、ヒシミラクルは、その後宝塚記念は勝利したが、京都大賞典2着後長期休養に入り、復帰後の出走レースは全て未勝利に終わった[35]
  9. ^ 例外はメジロマックイーンのみ。それは'92 天皇賞(春)勝利後宝塚記念に出走へ向けての調教中に左前脚部第一指節種子骨骨折を発症した。幸い症状は軽度で骨折部分も治り易い場所だったが、大事をとって'93 産経大阪杯まで長期休養をしている[43]
  10. ^ 例外はビワハヤヒデ以外の4頭が該当、メジロマックイーンは、'91 天皇賞(秋)で1着入線後18着に降着[44]。ディープインパクトは、'06 フランス凱旋門賞3位入線、その後、同年11月16日にフランスギャロから、禁止薬物検出問題を受け失格[45]。キタサンブラックは、'17 宝塚記念9着[37]、フィエールマンは、'19 フランス凱旋門賞12着[38]。なお、ビワハヤヒデは、'95 天皇賞(秋)でネーハイシーザーの5着に敗れた上、レース中に左前屈腱炎を発生して、同レース後引退している[46]
  11. ^ マンハッタンカフェの天皇賞(春)後は本文の通り。シンボリルドルフの天皇賞(春)後は、宝塚記念出走予定だったが左肩跂行で出走取消。次に出走した天皇賞(秋)ではギャロップダイナの2着に敗れた[7]。その後は、JC1着→ 有馬記念1着とGIを連勝、翌年に海外遠征するも、6着に敗れ、帰国後引退した[49]

出典

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参考文献

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外部リンク