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{{Infobox 湖 |
{{Infobox 湖 |
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|名称=琵琶湖 |
|名称 = 琵琶湖 |
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|周囲長=235.20{{sfn|環境政策課|2020|p=83}} |
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|所在地 = {{JPN}} [[滋賀県]]{{Location map|Japan Shiga Prefecture#Japan|width=220|float=center|relief=1|label=琵琶湖}}{{Coord|35|20|0|N|136|10|0|E|region:JP-25_scale:400000|display=it}} |
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|所在地={{JPN}} [[滋賀県]] |
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|透明度 = 2.2(南湖)5.5(北湖){{sfn|環境政策課|2020|p=13}} |
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'''琵琶湖'''(びわこ)は、[[滋賀県]]にある[[日本一の一覧|日本最大]]の[[面積]]と貯水量を持つ[[湖]]。[[一級水系]]「[[淀川]]水系」に属する[[一級河川]]である<!--「地理』-->。[[国土交通大臣]]から委託を受けて滋賀県知事が管理を担う。[[湖沼水質保全特別措置法]]指定湖沼で、[[ラムサール条約]]登録[[湿地]]でもある<!--「行政上の扱い」「年表」-->。 |
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古くは淡海・淡海の海・水海・近江の海・細波・{{ruby|鳰|にお}}の海などとも呼ばれ、「びわ湖」「びわこ」と表記されることもあるほか、「{{lang|en|Mother Lake}}」の愛称や「近畿の[[水瓶]]」の別称で呼ばれることもある<!--「呼称」-->。 |
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'''琵琶湖'''(びわこ)は、[[滋賀県]]にある[[日本]][[日本一の一覧|最大]]の[[面積]](約670[[平方キロメートル]])<ref name="概要">[https://www.pref.shiga.lg.jp/ippan/kankyoshizen/biwako/gaiyou.html 琵琶湖の概要] 滋賀県庁(2021年4月10日閲覧)</ref>と貯水量を持つ[[湖]]。[[一級水系]]「[[淀川]]水系」に属する[[一級河川]]である<!--「地理』-->。[[国土交通大臣]]から委託を受けて滋賀県[[都道府県知事|知事]]が管理を担う。[[湖沼水質保全特別措置法]]指定湖沼で、[[ラムサール条約]]登録[[湿地]]でもある<!--「行政上の扱い」「年表」-->。 |
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約440万年前に形成された[[古代湖]]であり、40-100万年ほど前に現在の位置に移動してきた<!--「自然史」-->。{{読み|内湖|ないこ}}を含む多様な地形や多数の固有種を含む豊かな生態系をもっているが、近現代の開発により失われたり減少したりした地形や種もある<!--「地理」「生物相」-->。古くから近畿地方の[[水運]]・[[水資源|水利]]・[[漁撈]]における役割を担い、[[近江八景]]などをとおして景勝地としても知られ、作品の題材となることも多いほか、環境保全活動も盛んにおこなわれている<!--「水利用」「文化や経済」「環境保全」-->。 |
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古くは「淡海」「淡海の海」「水海」「[[近江]]の海」「細波」などのほか、琵琶湖に多い[[カイツブリ]]の古称から「鳰(にお)の海」<ref>[https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/296925 「鳰の海」は今は昔…滋賀県鳥カイツブリ、生息数減もたくましく生き]『[[京都新聞]]』滋賀版(2020年7月6日)2021年4月10日閲覧</ref>とも呼ばれた。現代では「びわ湖」「びわこ」と表記されることもある。滋賀県は県を象徴する母なる湖「Mother Lake 琵琶湖」<ref>[https://www.pref.shiga.lg.jp/motherlake/ Mother Lake 琵琶湖] 滋賀県庁(2021年4月10日閲覧)</ref>として扱い、[[近畿地方]]に供給される水道水の水源になっていることから「近畿の[[水瓶]]<ref name="朝日20210410"/>」の別称で呼ばれることもある<!--「呼称」-->。 |
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[[ファイル:Two Views of Lake Biwa 2022 Jan 2.webm|thumb|琵琶湖]] |
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約440万年前に形成された[[古代湖]]であり、40-100万年ほど前に現在の位置に移動してきた<!--「自然史」-->。{{読み|内湖|ないこ}}を含む多様な地形や多数の固有種を含む豊かな生態系をもっているが、近現代の開発により失われたり減少したりした地形や種もある<!--「地理」「生物相」-->。古くから近畿地方の[[水運]]・[[水資源|水利]]・[[漁撈]]における役割を担い、[[近江八景]]など景勝地としても知られ、作品の題材となることも多いほか、環境保全活動も盛んに行われている<!--「水利用」「文化や経済」「環境保全」-->。滋賀県は7月1日を「びわ湖の日」に定めており、琵琶湖を保全する様々な活動「びわ活」を推進している<ref name="朝日20210410">[https://www.asahi.com/articles/DA3S14864337.html 【47都道府県の謎】滋賀県民の「琵琶湖愛」がわかる日とは 環境保全への取り組み40年「びわ活」「ビワイチ」も][[be (朝日新聞)|『朝日新聞』土曜朝刊別刷り「be」]]2021年4月10日(4面)同日閲覧</ref>。 |
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== 地理 == |
== 地理 == |
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[[ファイル:20091015琵琶湖.jpg|thumb|left|120px|航空写真]] |
[[ファイル:20091015琵琶湖.jpg|thumb|left|120px|航空写真]] |
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琵琶湖の面積は669.26平方キロメートルで、滋賀県の面積の6分の1を占め、日本最大である{{sfn|環境政策課|2020|p=83}}。貯水量は275億[[トン]]で、こちらも |
琵琶湖は[[鈴鹿山脈|鈴鹿山地]]・[[伊吹山地]]・[[野坂山地]]・[[比良山地]]・[[笠置山地|甲賀山地]]といった山々に囲まれた[[滋賀県]]の[[近江盆地]]に位置する{{Sfn|竹林|1999|p=12}}{{Sfn|水質保全機構|2020|p=1.2}}。面積は669.26[[平方キロメートル]]で、[[滋賀県]]の面積の6分の1を占め、[[日本一の一覧|日本最大]]である{{sfn|環境政策課|2020|p=83}}。貯水量は275億[[トン|㎥]]で、こちらも日本一である{{sfn|松田|2013|p=186}}{{efn2|第2位の[[支笏湖]]は、面積は78.7平方キロメートルと小さいが、最大水深が大きいため209億トンの貯水量をもつ{{sfn|松田|2013|p=186}}。}}。湖底が最も深い水域は[[竹生島]]と[[安曇川]][[河口]]の間にあり、2005年には104.1[[メートル]]{{efn2|これは海水面の約マイナス18メートルにあたる{{sfn|池田|2018|p=114}}。}}の最大水深が計測された{{sfn|松田|2013|p=187}}{{sfn|国土地理院: 湖沼調査}}{{sfn|熊谷|2012|p=114}}。南北の延長は長浜市西浅井町[[塩津村 (滋賀県)|塩津]] – [[大津市]]玉野浦間で63.49[[キロメートル]]、最広部は[[長浜市]]下坂浜 – 高島市新旭町[[饗庭村|饗庭]]間の22.8キロメートル、最狭部は[[守山市]]水保町 – 大津市[[堅田 (大津市)|今堅田]]間の1.35キロメートルである{{sfn|水質保全機構|2020|p=1.3}}。[[流域面積]]は[[#湖水|後述]]するように3848平方キロメートルで、[[淀川]]流域の47パーセントに当たる{{sfn|水質保全機構|2020|p=1.3}}。 |
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最狭部に架かる[[琵琶湖大橋]]を挟んだ北側の主湖盆を'''北湖'''(太湖)、南側の副湖盆を'''南湖'''と呼ぶ{{sfn|国際協力総合研究所|1990|p=9}}{{sfn|大久保|1998|p=245}}{{sfn|嘉名|齋藤|1999|p=446}}。面積58平方キロメートル・平均[[水深]]4メートルの南湖に対し、北湖は面積623平方キロメートル・平均水深41メートルであり、湖水の99[[パーセント]]は北湖に蓄えられている{{sfn|植村|太井子|1990|p=723}}{{sfn|大久保|1998|p=245}}。 |
最狭部に架かる[[琵琶湖大橋]]を挟んだ北側の主湖盆を'''北湖'''(太湖)、南側の副湖盆を'''南湖'''と呼ぶ{{sfn|国際協力総合研究所|1990|p=9}}{{sfn|大久保|1998|p=245}}{{sfn|嘉名|齋藤|1999|p=446}}。面積58平方キロメートル・平均[[水深]]4メートルの南湖に対し、北湖は面積623平方キロメートル・平均水深41メートルであり、湖水の99[[パーセント]]は北湖に蓄えられている{{sfn|植村|太井子|1990|p=723}}{{sfn|大久保|1998|p=245}}。 |
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[[東京湾平均海面]]({{lang|en|T.P.}})基準でプラス84.371メートル、[[大阪湾最低潮位]]({{lang|en|O.P.}})基準でプラス85.614メートルの高さが琵琶湖基準水位({{lang|en|'''B'''iwako '''S'''urface '''L'''evel}}、'''{{lang|en|B.S.L.}}''')と定められている{{sfn|松田|2013|p=187}}{{sfn|琵琶湖河川事務所|2013|p=23}}。B.S.L.は、1874年に鳥居川観測点において「これ以上水位が下がることはない」と判断して定められたものと推測されているが、その後、[[#水害と治水|後述]]するように[[淀川|瀬田川]]が改修されたため、さらに水位を下げることが可能となり、2000年ごろまでには満水位を意味するようになった{{sfn|琵琶湖河川事務所|2013|p=23}}{{sfn|庄|2003|p=4}}{{sfn|戸田|2001|p=39}}。1992年制定の瀬田川洗堰操作規則では、大津市[[浜大津|三保ヶ崎]]および堅田漁港・高島市[[大溝町|大溝]]漁港・長浜市[[高月町]]片山漁港・彦根港における計測水位の平均値が琵琶湖の水位とされている{{sfn|林博通|2011|p=12}}{{sfn|琵琶湖河川事務所|2013|p=16}}。 |
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{{For2|琵琶湖周辺の地域区分(湖南・湖東・湖北・湖西)|滋賀県#地域区分}} |
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{{-|left}}<!-- 定義リストのレイアウト崩れを防ぐため --> |
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=== 湖底 === |
=== 湖底 === |
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{{節スタブ|湖底段丘と活構造|date=2021年3月}} |
{{節スタブ|湖底段丘と活構造|date=2021年3月}} |
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琵琶湖の湖底地形は、北湖の北湖盆・中湖盆と南湖(南湖盆)に分けられる{{sfn|池田|2018|p=114}}{{sfn|植村|太井子|1990|p=723}}。若い地形であり水深70メートルを超す北湖に対し、南湖は湖沼の発達ステージの終末状態に近く、水深5メートル以下である{{sfn|池田|2018|pp= |
琵琶湖の湖底地形は、北湖の北湖盆・中湖盆と南湖(南湖盆)に分けられる{{sfn|池田|2018|p=114}}{{sfn|植村|太井子|1990|p=723}}。若い地形であり水深70メートルを超す北湖に対し、南湖は湖沼の発達ステージの終末状態に近く、水深5メートル以下である{{sfn|池田|2018|pp=114f}}。逆くの字型の平面形態を示す北湖の湖底地形は、北西 - 南東方向の北湖盆(深度80 - 90メートル)と北東 - 南西方向の中湖盆(深度75メートル前後)に分かれており、[[沖島]]([[#湖中島|後述]])北側付近には両者を分ける靴状の湖底地形がある{{sfn|池田|2018|p=114}}{{sfn|植村|太井子|1990|p=723}}。北湖盆と中湖盆のいずれも、東側は[[傾斜 (地質学)|傾斜]]が緩く、西側は傾斜が急である{{sfn|植村|太井子|1990|p=723}}。北湖岸においては、若い[[リアス式海岸|リアス状]]の地形が湖底へと続く<!--{{sfn|池田|2018|p=114}}-->。また、[[#湖中島|後述]]の{{読み|湖中島|こちゅうとう}}のほか水没島も存在する{{sfn|池田|2018|p=114}}。 |
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琵琶湖中央の湖底には、900メートルの土砂が[[堆積]]しており、その下には500メートルほどの[[岩盤]]がある<!--{{sfn|里口|2018b|p=12}}-->。南湖の[[烏丸半島]]付近にも900メートルの土砂が堆積しているが、琵琶湖全体でみると岩盤や土砂の厚さは一定ではない{{sfn|里口|2018b|p=12}}{{efn2|中央と烏丸半島付近の土砂の厚さが同じなのは偶然である{{sfn|里口|2018b|p=12}}。}}。 |
琵琶湖中央の湖底には、900メートルの土砂が[[堆積]]しており、その下には500メートルほどの[[岩盤]]がある<!--{{sfn|里口|2018b|p=12}}-->。南湖の[[烏丸半島]]付近にも900メートルの土砂が堆積しているが、琵琶湖全体でみると岩盤や土砂の厚さは一定ではない{{sfn|里口|2018b|p=12}}{{efn2|中央と烏丸半島付近の土砂の厚さが同じなのは偶然である{{sfn|里口|2018b|p=12}}。}}。 |
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=== 湖岸 === |
=== 湖岸 === |
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[[File:Biwako Quasi-National Park Omihachiman04s4s3200.jpg|thumb|[[近江八幡市]]の湖岸]] |
[[File:Biwako Quasi-National Park Omihachiman04s4s3200.jpg|thumb|[[近江八幡市]]の湖岸]] |
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琵琶湖湖岸の構造は多様であり、そのため[[#生物相|後述]]するように生物も多様である<!--中島2001,p118-->。傾斜は西岸は急で東岸は緩やかな傾向にあり、下記の山地系湖岸を除く77パーセントは、流入河川の造営力を受けた{{読み|平野|へいや}}系湖岸である{{sfn|中島|2001|p=118}}。また、[[底質]]と[[植生]]から次の3つに分類することができる{{sfn|中島|2001|pp= |
琵琶湖湖岸の構造は多様であり、そのため[[#生物相|後述]]するように生物も多様である<!--中島2001,p118-->。傾斜は西岸は急で東岸は緩やかな傾向にあり、下記の山地系湖岸を除く77パーセントは、流入河川の造営力を受けた{{読み|平野|へいや}}系湖岸である{{sfn|中島|2001|p=118}}。また、[[底質]]と[[植生]]から次の3つに分類することができる{{sfn|中島|2001|pp=118f}}。 |
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;岩礫型湖岸 |
;岩礫型湖岸 |
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:北湖北岸と[[長命寺]]付近の山地系湖岸。岩や[[岩礁]]が主体<!--中島2001,p118-->。 |
:北湖北岸と[[長命寺]]付近の山地系湖岸。岩や[[岩礁]]が主体<!--中島2001,p118-->。 |
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:最も植生が豊かであり、泥の堆積の発達に伴い、[[植物群落]]が発達する<!--中島2001,p119-->。 |
:最も植生が豊かであり、泥の堆積の発達に伴い、[[植物群落]]が発達する<!--中島2001,p119-->。 |
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湖岸域には陸上[[生物圏]]と水中生物圏をなだらかに繋ぐ{{仮リンク|推移帯|en|Ecotone}}{{efn2|[[生物群系]]の境界など、異なる環境が接し連続的に入り交じる場所を指す[[生態学]]の用語。生物学の多様性が高い{{sfn| |
湖岸域には陸上[[生物圏]]と水中生物圏をなだらかに繋ぐ{{仮リンク|推移帯|en|Ecotone}}{{efn2|[[生物群系]]の境界など、異なる環境が接し連続的に入り交じる場所を指す[[生態学]]の用語。生物学の多様性が高い{{sfn|ブリタニカ・ジャパン|2014}}{{sfn|小学館|n.d.b|loc=エコトーン & 推移帯}}。エコトーン、移行帯とも{{sfn|小学館|n.d.b|loc=エコトーン & 推移帯}}{{sfn|中島|2001|p=117}}。}}が広がり、[[生物多様性]]への寄与や水質浄化機能といった様々な役割を果たしてきた{{sfn|中島|2001|pp=117 & 119}}{{sfn|水野|2011|p=6}}。しかし[[第二次世界大戦]]後、大規模な[[護岸工事]]などにより人工湖岸が増え{{efn2|2018年ごろの人工湖岸の割合は37パーセント(南湖では73パーセント)である{{sfn|東|2018|pp=118f}}。}}、推移帯としての面積は大幅に減少した{{sfn|水野|2011|p=6}}{{sfn|東|2018|pp=118f}}{{sfn|中島|2001|pp=119f}}。 |
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琵琶湖周囲の約50キロメートルには湖岸堤・管理用道路が建設されており、県道としても利用されている{{efn2|管理は滋賀県と水資源機構が行う。}}<!--{{sfn|古賀|2018|p=27}}-->。またそのほぼ全区間には{{読み仮名|前浜|まえはま}}と呼ばれる消波帯が設けられており、堤防の高さを低く抑える効果に加え、親水空間としての役割も果たしている{{sfn|古賀|2018|p=27}}。湖岸堤により分断された生物環境については、「マザーレイク21計画」や「琵琶湖・淀川流域圏の再生計画」において堤脚水路の再自然化が掲げられており、連続性の再生を目指した試験的なビオトープの造成が2003年以降実施されている{{sfn|古賀|2018|p=35}}。 |
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=== 内湖 === |
=== 内湖 === |
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[[File:Inner lakes surrounding Mount Azuchi (c. 1928).jpg|thumb|left|[[昭和]]初期の安土山は小中湖(手前)と大中湖(奥)に囲まれていた{{sfn|県立公文書館|2020}}。]] |
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[[File:琵琶湖の内湖.png|thumb|かつて琵琶湖周辺に存在した{{読み|内湖|ないこ}}の図]] |
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{{see also|入江干拓|大中湖}} |
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琵琶湖の周囲には、琵琶湖の一部が土砂の堆積などにより切り離されてできた{{読み|内湖|ないこ}}と呼ばれる[[ラグーン|潟湖]]がある{{sfn|金木|2015|p=14}}{{sfn|西野|2018a|p=120}}。内湖は、琵琶湖とは水路で結ばれているため水位変動の影響を受ける{{sfn|金木|2015|p=14}}。以下で述べるように20世紀に多くの内湖が消失し、2013年現在残されているのは、[[近江八幡市]]の[[西の湖]]をはじめとする総面積4.25平方キロメートル{{efn2|人工{{読み|内湖|ないこ}}を加えると、2018年現在5.3平方キロメートルである{{sfn|西野|2018a|p=120}}。}}の23{{読み|内湖|ないこ}}のみである{{sfn|大道|2013|p=191}}{{sfn|西野|2018a|p=120}}。 |
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[[昭和]]初期ごろまで、琵琶湖の周囲には大小40あまり、総面積29平方キロメートル(1940年時点)の{{読み|内湖|ないこ}}があった{{sfn|大道|2013|p=191}}。これらの{{読み|内湖|ないこ}}は、繁茂する[[ヨシ]]などにより河川より流入する水を浄化する機能や、魚類の産卵・生育の場、あるいは[[堆積]]した泥による肥料の提供といった役割を担ってきた{{sfn|大道|2013|pp=192-193}}。また{{読み|内湖|ないこ}}は、[[今津町 (滋賀県)|今津]]や[[堅田]]といった[[係留施設|津]]の発展において[[船溜まり]]としての役割を果たしたほか、[[安土城]]や[[大溝陣屋|大溝城]]の立地にも影響を与えた{{sfn|水野|2011|p=6}}。 |
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[[File:琵琶湖の内湖.png|thumb|かつて琵琶湖周辺に存在した{{読み|内湖|ないこ}}の図]] |
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しかし、琵琶湖の[[治水|洪水防御]]のため1943年から始まった河水統制事業により<ref>{{Cite web|url=https://www.city.higashiomi.shiga.jp/0000001122.html|title=びわ湖の干拓|website=東近江市ホームページ|publisher=東近江市|accessdate=2018-12-17}}</ref>{{出典無効|date=2021年2月}}、事業が終了する1952年までに平均水位が数十[[センチメートル]]低下したことや、これに前後して{{読み|内湖|ないこ}}の大半が[[干拓]]されたこともあって琵琶湖の自然は大きく変化し、固有の風致や[[生態系]]が大きく損なわれた{{要出典|date=2021年2月}}''(「[[入江干拓]]」および「[[大中湖]]」も参照)''。2013年現在残されているのは、[[近江八幡市]]の[[西の湖]]をはじめとする総面積4.25平方キロメートルの23{{読み|内湖|ないこ}}のみである{{sfn|大道|2013|p=191}}。 |
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[[昭和]]初期ごろまで、琵琶湖の周囲には大小40あまり、総面積29平方キロメートル(1940年時点)の{{読み|内湖|ないこ}}があった{{sfn|大道|2013|p=191}}。これらの{{読み|内湖|ないこ}}は、繁茂する[[ヨシ]]などにより河川より流入する水を浄化する機能や、魚類の産卵・生育の場、あるいは堆積した泥による肥料の提供といった役割を担ってきた{{sfn|大道|2013|pp=192f}}。また[[#環境史|後述]]するように、[[今津町 (滋賀県)|今津]]や[[堅田 (大津市)|堅田]]といった[[係留施設|津]]の発展において[[船溜まり]]としての役割を果たしたほか、[[安土城]]や[[大溝城]]の立地にも影響を与えた{{sfn|水野|2011|p=6}}。 |
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近代に入ると、[[#水害と治水|後述]]する1905年の[[南郷洗堰]]の築造や1943年から治水・利水を目的として開始された淀川第1期[[河川総合開発事業#河水統制事業|河水統制事業]]の影響で琵琶湖の平均水位が10センチメートルほど下がったため、{{読み|内湖|ないこ}}の水深も浅くなり、{{読み|内湖|ないこ}}漁業は衰退した{{sfn|西野|2018a|p=120}}。さらに[[第二次世界大戦後]]には、人口増加・食糧不足に対応するための農地開発として16箇所、総面積25平方キロメートルあまりの{{読み|内湖|ないこ}}が干拓され消失した{{sfn|金木|2015|p=14}}。なお、1985年 - 1990年にかけては、[[琵琶湖総合開発事業]]による湖周道路の敷設により琵琶湖の一部が切り離され、{{読み|内湖|ないこ}}化した例もある{{sfn|金木|2015|p=14}}。また、[[長浜市]]において2001年より干拓農地の一部を湛水しての[[早崎内湖|早崎{{読み|内湖|ないこ}}]][[ビオトープ]]実験がおこなわれるなど、{{読み|内湖|ないこ}}再生の試みも行われている{{sfn|金木|2015|pp=15f}}{{sfn|早崎内湖再生保全協議会|loc=早崎内湖ビオトープとは & 事業概要}}。 |
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2003年現在、滋賀県は一部の{{読み|内湖|ないこ}}を復元することを計画しており{{sfn|滋賀県琵琶湖研究所|2003}}、生態系の回復や水質浄化が各方面から期待されている<ref>{{Cite web|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160305225910/http://www.ex.biwa.ne.jp/~hayazaki/sub03.html|archivedate=2016-03-05|title=早崎{{読み|内湖|ないこ}}ビオトープ聞取調査結果『広報びわ』|website=早崎ビオトープ公式ホームページ|publisher=早崎ビオトープネットワーキング|accessdate=2018-12-17|url=http://www.ex.biwa.ne.jp/~hayazaki/sub03.html}}</ref>。 |
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=== 湖中島 === |
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{{clear|left}} |
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琵琶湖には[[沖島]]・[[竹生島]]・[[多景島]]の3島がある{{sfn|観光交流局|2018|pp=36f}}{{sfn|里口|2018b|p=16}}{{efn2|{{harvtxt|木村|2001|p=133}} は、これに沖の白石を加え4島としている。}}。沖島は[[近江八幡市]]の沖合い1.5キロメートルに位置する周囲約6.8キロメートル・面積約1.53平方キロメートルの島で、淡水湖沼の有人島としては日本唯一である<!-- 観光交流局2018a,pp=36-37 -->。竹生島は[[長浜市]]の沖合6キロメートルに位置する周囲約2キロメートル・面積約0.14平方キロメートルの島<ref>{{Cite web|和書|title=竹生島|滋賀県ホームページ |url=https://www.pref.shiga.lg.jp/ippan/kendoseibi/koutsu/12389.html |website=滋賀県ホームページ |access-date=2023-03-22 |language=ja}}</ref>、多景島は[[彦根市]]の沖合い5キロメートルに位置する周囲約600メートル・面積約0.012平方キロメートルの島である<!-- 観光交流局2018,pp=36-37 --><ref>{{Cite web|和書|title=琵琶湖に浮かぶ4つの島々と琵琶湖に架かる2つの橋 多景島 {{!}} いま滋賀.jp |url=https://imashiga.jp/2021/01/21/%e7%90%b5%e7%90%b6%e6%b9%96%e3%81%ab%e6%b5%ae%e3%81%8b%e3%81%b64%e3%81%a4%e3%81%ae%e5%b3%b6%e3%80%85%e3%81%a8%e7%90%b5%e7%90%b6%e6%b9%96%e3%81%ab%e6%9e%b6%e3%81%8b%e3%82%8b2%e3%81%a4%e3%81%ae-3/ |website=いま滋賀.jp {{!}} 「いま滋賀」は、一般社団法人・東京滋賀県人会の公式サイトです。 |date=2021-01-21 |access-date=2023-03-22 |language=ja}}</ref>。竹生島と多景島には寺院があり、竹生島は[[西国三十三所]]や[[琵琶湖八景]]に含まれている<!-- 観光交流局2018a,pp=36-37 -->。このほか、多景島から西に4キロメートルの地点には[[沖の白石]]が{{sfn|観光交流局|2018|pp=36f}}、[[草津市]]には1978年ごろに着工された[[人工島]]の[[矢橋帰帆島]]がある{{sfn|朝日新聞|2018}}。またかつて{{efn2|[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]まで{{sfn|平凡社|n.d.}}とも[[戦後|第二次世界大戦後]]の大中の湖の干拓まで{{sfn|大沼|2012b|p=104}}{{sfn|渡邉|2013}}{{sfn|朝日新聞|2016}}ともされる。}}は、[[奥島]](近江八幡市)も独立した島であった{{sfn|平凡社|n.d.}}。 |
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なお、湖北町延勝寺地先には「奥の洲」と呼ばれる浅水域があり<ref>{{Cite web|和書|author=太田滋規|title=3.琵琶湖沿岸|url=https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/2018678.pdf|website=滋賀県|accessdate=2023-12-09}}</ref>、その水面上にある小島も「奥の洲」と称されている<ref>{{Cite web|和書|title=広報ながはま 2013年7月15日|url=https://www.city.nagahama.lg.jp/cmsfiles/contents/0000000/385/KohoNagahama130715_web01.pdf|website=長浜市|accessdate=2023-12-09}}</ref>(奥の洲は湖面の水位が低下すると地続きとなる<ref>{{Cite web|和書|title=滋賀県の琵琶湖が「モンサンミシェルみたい」に 水位低下で「珍光景」出現|url=https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1157460|website=京都新聞|accessdate=2023-12-09}}</ref>)。 |
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=== 湖中島 === |
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琵琶湖には[[沖島]]、[[竹生島]]、[[多景島]]の3島がある{{sfn|観光交流局|2018|pp=36-37}}{{sfn|里口|2018b|p=16}}{{efn2|{{harvtxt|木村|2001|p=133}} は、これに沖の白石を加え4島としている。}}。沖島は[[近江八幡市]]の沖合い1.5キロメートルに位置する周囲6.8キロメートル・面積約1.53平方キロメートルの島で、淡水湖沼の有人島としては日本唯一である<!-- 観光交流局2018a,pp=36-37 -->。竹生島は[[長浜市]]の沖合6キロメートルに位置する周囲約2キロメートルの島、多景島は[[彦根市]]の沖合い5キロメートルに位置する周囲約600メートルの島である<!-- 観光交流局2018,pp=36-37 -->。竹生島と多景島には寺院があり、竹生島は[[西国三十三所]]や[[琵琶湖八景]]に含まれている<!-- 観光交流局2018a,pp=36-37 -->。また、多景島から西に4キロメートルの地点には[[沖の白石]]がある{{sfn|観光交流局|2018|pp=36-37}}。この他、[[草津市]]には、1978年頃に着工された[[人工島]]の[[矢橋帰帆島]]がある{{sfn|朝日新聞|2018}}。 |
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[[ファイル:20080813AnegawaBiwaKo.JPG|サムネイル|[[姉川]][[三角州]]]] |
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[[ファイル:20080813AdoGawa.JPG|サムネイル|[[安曇川]]三角州]] |
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琵琶湖には117本の[[一級河川]]を含む |
琵琶湖には117本の[[一級河川]]を含む約450本の流入河川があり{{sfn|一瀬|2018|p=157}}{{sfn|流域政策局|2018a|p=218}}、周囲の[[山地]]からの流れを[[源流]]とする{{sfn|日経新聞|2020}}。主な流入河川としては、湖南・湖東では[[野洲川]]・[[日野川 (滋賀県)|日野川]]・[[愛知川]]などが、湖北では[[姉川]]・[[高時川]]・[[余呉川]]などが挙げられる。湖西には大きな河川は[[安曇川]]しかなく、ほかは比良山地からの小河川である<!--流域政策局2018a,p.219-->。この内、野洲川と安曇川以外は50キロメートル未満で、急勾配・[[洪水|出水]]のしやすさ・[[渇水]]の多さを特徴とする{{sfn|流域政策局|2018a|p=219}}。[[中世日本|中世]]後期以降、一部の河川は[[天井川]]化しており、それにともない湖岸の土砂堆積状況が変化し、[[河口]]域では[[三角州]]の発達した例や逆に陸地が後退した例がある{{sfn|水野|2011|pp=12f}}。 |
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流出河川は、堅い岩盤でできた山の間を細く抜けていく<!--里口-->[[淀川|瀬田川]]のみ<!--流政a-->であり、[[淀川|宇治川、淀川]]と名前を変えて、[[大阪湾]]([[瀬戸内海]])へ至る<!--流政b-->{{sfn|里口|2018b|p=9}}{{sfn|流域政策局|2018a|p=219}}{{sfn|流域政策局|2018b|p=228}}。瀬田川には、琵琶湖の水位調整と下流域の[[治水]]・利水のために[[瀬田川洗堰]]が設けられている{{sfn|流域政策局|2018a|p=219}}。琵琶湖からの流出経路は、これに[[琵琶湖疏水]](第一、第二)および宇治発電所水路を加えた計4か所である{{sfn|近畿地方整備局河川部|2009|p=198}}{{sfn|戸田|2001|p=38}}。瀬田川の周りの山に水が堰き止められていることは、琵琶湖が湖として成立している要因の一つである{{sfn|里口|2018b|p=9}}。琵琶湖の治水・利水・交通などにおける淀川や琵琶湖疏水との関係については、[[#人間との関わり|後述]]する。 |
流出河川は、堅い岩盤でできた山の間を細く抜けていく<!--里口-->[[淀川|瀬田川]]のみ<!--流政a-->であり、[[淀川|宇治川、淀川]]と名前を変えて、[[大阪湾]]([[瀬戸内海]])へ至る<!--流政b-->{{sfn|里口|2018b|p=9}}{{sfn|流域政策局|2018a|p=219}}{{sfn|流域政策局|2018b|p=228}}。瀬田川には、琵琶湖の水位調整と下流域の[[治水]]・利水のために[[瀬田川洗堰]]が設けられている{{sfn|流域政策局|2018a|p=219}}。琵琶湖からの流出経路は、これに[[琵琶湖疏水]](第一、第二)および宇治発電所水路を加えた計4か所である{{sfn|近畿地方整備局河川部|2009|p=198}}{{sfn|戸田|2001|p=38}}。瀬田川の周りの山に水が堰き止められていることは、琵琶湖が湖として成立している要因の一つである{{sfn|里口|2018b|p=9}}。琵琶湖の治水・利水・交通などにおける淀川や琵琶湖疏水との関係については、[[#人間との関わり|後述]]する。 |
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=== 行政上の扱い === |
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琵琶湖の[[河川法]]上の扱いは、[[淀川]]水系の[[一級河川]]である<!-- 琵琶湖開発総合管理所: 管理業務の目的と内容 -->。琵琶湖は国土交通大臣が管理する大臣管理区間ではなく、全体が[[指定区間]]に指定され滋賀県知事に管理が委託されている{{sfn|琵琶湖開発総合管理所: 管理業務の目的と内容}}{{efn2|例えば、琵琶湖岸に構築物を無許可で設置すると、河川法に基づいて滋賀県から撤去命令が出される。例:[http://www.shigaken-gikai.jp/voices/GikaiDoc/attach/Nittei/Nt1815_12.pdf 「行政代執行の実施結果について」]}}。 |
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琵琶湖と瀬田川の境界は、[[東海道本線]]の瀬田川橋梁から250メートルほど上流側の地点{{efn2|大津市春嵐一丁目字南1030番1地先を右岸、大津市玉野浦字高砂2189番2地先を左岸とする{{sfn|琵琶湖河川事務所|2018}}。}}である<!--{{sfn|琵琶湖河川事務所|2018}}-->。これは、かつては瀬田の唐橋の位置とされていたものが、1894年の「淀川改良工事計画」において約1キロメートル上流に移されたのち、1896年の旧河川法において滋賀郡[[石山 (滋賀県)|石山村]]と栗太郡[[瀬田町|瀬田村]]の間に定められ、さらに1965年の[[河川法]]改正に伴い指定され直したものである{{sfn|琵琶湖河川事務所|2018}}。 |
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=== 行政上の扱い === |
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琵琶湖の[[河川法]]上の扱いは、[[一級河川]](淀川の本川)である<!-- 琵琶湖開発総合管理所: 管理業務の目的と内容 -->。通常の[[国土交通大臣]]が管理する一級河川とは異なり、滋賀県知事に管理が委託されている{{sfn|琵琶湖開発総合管理所: 管理業務の目的と内容}}{{efn2|例えば、琵琶湖岸に構築物を無許可で設置すると、河川法に基づいて滋賀県から撤去命令が出される。例:[http://www.shigaken-gikai.jp/voices/GikaiDoc/attach/Nittei/Nt1815_12.pdf 「行政代執行の実施結果について」]}}。 |
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琵琶湖が所属する市は次のとおりである(北から時計回り)。各市名の右に、市ごとの琵琶湖の面積(単位:平方キロメートル)を示す{{sfn|国土地理院|2020|p=82}}。 |
琵琶湖が所属する市は次のとおりである(北から時計回り)。各市名の右に、市ごとの琵琶湖の面積(単位:平方キロメートル)を示す{{sfn|国土地理院|2020|p=82}}。 |
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* [[長浜市]] - 141.42 |
* [[長浜市]] - 141.42 |
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* [[米原市]] - 27.32 |
* [[米原市]] - 27.32 |
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* [[大津市]] - 89.92 |
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* [[高島市]] - 181.93 |
* [[高島市]] - 181.93 |
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琵琶湖の市町境界については、かつて、どの市町にも組み入れられていなかった。2007年5月8日、沿岸の各自治体による共同会議において境界の設定に合意し、各自治体の議会の同意を得た上で[[総務省]]に届け出を行い、9月28日付で『[[官報]]』に確定が公示された{{sfn|総務省|2007}}{{sfn|朝日新聞|2007}}{{sfn|京都新聞|2007}}。境界確定の目的は主に[[地方交付税交付金]]の増額である。また、増額された交付金の半分は琵琶湖の保全に使われることが発表されている{{sfn|自治振興課|2007|p=1}}。 |
琵琶湖の市町境界については、かつて、どの市町にも組み入れられていなかった。2007年5月8日、沿岸の各自治体による共同会議において境界の設定に合意し、各自治体の議会の同意を得た上で[[総務省]]に届け出を行い、9月28日付で『[[官報]]』に確定が公示された{{sfn|総務省|2007}}{{sfn|朝日新聞|2007}}{{sfn|京都新聞|2007}}。境界確定の目的は主に[[地方交付税交付金]]の増額である。また、増額された交付金の半分は琵琶湖の保全に使われることが発表されている{{sfn|自治振興課|2007|p=1}}。 |
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=== 自然史 === |
=== 自然史 === |
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[[File:Lake Biwa Museum 20201024 04.jpg|thumb|古琵琶湖層群]] |
[[File:Lake Biwa Museum 20201024 04.jpg|thumb|[[古琵琶湖層群]]]] |
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<!-- 本節における「現在」は、数十 - 数百万年オーダーのためWP:DATEDには当たらないと判断したうえで使用しています。--> |
<!-- 本節における「現在」は、数十 - 数百万年オーダーのためWP:DATEDには当たらないと判断したうえで使用しています。--> |
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琵琶湖は世界有数の[[古代湖]]{{efn2|古代湖は世界に20ほどあり{{sfn|小学館|n.d.b|loc=古代湖}}、{{harvtxt|Kiprop|2017}} によると、琵琶湖はそのうち5番目に古い湖である<!-- 以前の版や英語版には3番目や13番めとする記述があったが、里口の研究以前の古い情報に基づいている可能性が高いと判断し、除去した。-->。}}であり、その成立はおよそ[[地球史年表#1000万年前 - 100万年前|440万年前]]{{efn2|この年代は、古琵琶湖層群の火山灰層の研究により明らかになったもので、以前は500万年前や600万年前とされることもあったが、この研究をおこなった里口保文へのインタビューによると、今後約400万年前との推定が覆される可能性はきわめて低いという{{sfn|里口|2018a|p=122}}{{sfn|林由佳里|2019}}。}}まで遡る<!-- 松田2013,p.188;里口2018,p.122 -->。以降現在に至るまでの琵琶湖の各時代の環境は、[[古琵琶湖層群]]と呼ばれる三重県から滋賀県にかけて分布する[[地層]]における各[[累層]]の[[泥]]・[[砂]]・[[礫]]の構成比率の違いにより示されている{{sfn|里口|2001|pp=20f}}。 |
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440万年ほど前に琵琶湖が生まれたのは、後の三重県[[伊賀市]]である<!-- 松田2013,p.188;里口2018,p.122 -->。まず、[[地盤]]の[[断層]]運動によりできた浅い[[地溝|窪地]]に水が溜まり、40 - 50万年ほどかけて浅くて狭い湖となった([[構造湖|断層湖]])<!-- 松田2013,p.188;里口2018,p.122 -->{{efn2|[[津市|津]]付近に存在した東海湖と一体化した大きな湖だったとする仮説もある{{sfn|里口|2018b|p=65}}。}}。この湖は、旧[[大山田村 (三重県)|大山田村]]付近にあったことから、大山田湖と呼ばれる{{sfn|松田|2013|p=188}}{{sfn|里口|2018a|p=122}}。300万年ほど前になると、この湖は[[阿山郡|阿山地方]]にまで北上した{{sfn|松田|2013|p=189}}。この時代の前期に湖は広がり、後期には[[甲賀市|甲賀地方]](滋賀)に位置する北部の沈下により狭くて深い湖となった(阿山・甲賀湖、佐山湖){{sfn|松田|2013|p=189}}{{sfn|里口|2018a|p=123}}{{sfn|里口|2018b|pp=68f}}。260万年ほど前にはさらに北上し、[[水口町|水口地域]]・[[日野町 (滋賀県)|日野地域]]・[[多賀町|多賀地域]]にまで広がっていった{{sfn|松田|2013|pp=189f}}{{sfn|里口|2018a|p=123}}。この時期には蒲生湖沼群と呼ばれる小さな[[三日月湖]]などが多数集まった[[沼沢地]]群になり、その後さらに河川とその周囲の[[湿地]]といった環境{{efn2|{{harvtxt|里口|2018b|p=85}} は、魚種の連続性の観点などから、この時代にも湖があった可能性についても研究を進める必要があると述べている。}}になるなど、不安定な[[水域]]であった{{sfn|松田|2013|p=189}}{{sfn|里口|2018a|p=123}}。この時代に水の流出方向は[[伊勢湾]]方面から[[京都]]・[[大阪]]方面に変わったと考えられている{{sfn|里口|2018b|p=73}}{{efn2|このころ、瀬戸内海や大阪湾はまだ形成されていない{{sfn|里口|2018b|p=73}}。}}。 |
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琵琶湖は世界有数の[[古代湖]]{{efn2|古代湖は世界に20ほどあり{{sfn|コトバンク: 古代湖}}、{{harvtxt|Kiprop|2017}} によると、琵琶湖はそのうち5番目に古い湖である<!-- 以前の版や英語版には3番目や13番めとする記述があったが、里口の研究以前の古い情報に基づいている可能性が高いと判断し、除去した。-->。}}であり、その成立はおよそ[[地球史年表#1000万年前 - 100万年前|440万年前]]{{efn2|この年代は、古琵琶湖層群の火山灰層の研究により明らかになったもので、以前は500万年前や600万年前とされることもあったが、この研究をおこなった里口保文へのインタビューによると、今後約400万年前との推定が覆される可能性はきわめて低いという{{sfn|里口|2018a|p=122}}{{sfn|林|2019}}。}}まで遡る<!-- 松田2013,p.188;里口2018,p.122 -->。以降現在に至るまでの琵琶湖の各時代の環境は、古琵琶湖層群と呼ばれる三重県から滋賀県にかけて分布する[[地層]]における各[[累層]]の[[泥]]・[[砂]]・[[礫]]の構成比率の違いにより示されている{{sfn|里口|2001|pp=20-21}}。 |
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現在滋賀と[[三重県|三重]]・[[岐阜県|岐阜]]両県の[[水系]]を分断している[[鈴鹿山脈]]は、180万年ほど前に[[隆起と沈降|隆起]]し始めた{{sfn|里口|2018b|p=80}}{{efn2|水系が分断される以前、175万年ほど前の洪水では、岐阜の[[火山灰]]が滋賀・京都・大阪を通り[[淡路島]]まで流されている{{sfn|里口|2018b|p=81}}。}}。[[地球史年表#100万年前 - 10万年前|100万年ほど前]]になると、現在の南湖の位置に堅田湖と呼ばれる小さな湖が形成された{{sfn|松田|2013|p=189}}{{sfn|里口|2018a|p=123}}。同じころ、現在の北湖中央付近にも湖があったがその後陸地化したことが、地層の調査に基づき推定されている{{sfn|里口|2018b|pp=40f}}。また90万年ほど前には、現在の北湖中央を南北に横切る山地があった{{sfn|里口|2018b|pp=45f}}。その後琵琶湖の周辺に大きな地殻変動が生じ山地が隆起した43万年ほど前に、北湖の地域にまで琵琶湖は広がり、以降北進することなく現在にまで至っている{{sfn|松田|2013|p=189}}{{sfn|里口|2018a|p=123}}{{efn2|琵琶湖が現在でもすこしずつ北上・沈降していると紹介されることもあるが、地震によって地盤が上下することはあるものの、「年間3センチメートルで動いている」といった説明は誤りである{{sfn|里口|2012|p=124}}{{sfn|松田|2013|p=190}}。}}。40万年ほど前の琵琶湖は現在よりも細長く、その後東へ向けて広がったと考えられている{{sfn|里口|2018b|p=29}}。 |
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440万年ほど前に琵琶湖が生まれたのは、後の三重県[[伊賀市]]である<!-- 松田2013,p.188;里口2018,p.122 -->。まず、[[地盤]]の[[断層]]運動によりできた浅い[[地溝|窪地]]に水が溜まり、40 - 50万年ほどかけて浅くて狭い湖となった([[構造湖|断層湖]])<!-- 松田2013,p.188;里口2018,p.122 -->{{efn2|[[津市|津]]付近に存在した東海湖と一体化した大きな湖だったとする仮説もある{{sfn|里口|2018b|p=65}}。}}。この湖は、旧[[大山田村]]付近にあったことから、大山田湖と呼ばれる{{sfn|松田|2013|p=188}}{{sfn|里口|2018a|p=122}}。300万年ほど前になると、この湖は[[阿山郡|阿山地方]]にまで北上した{{sfn|松田|2013|p=189}}。この時代の前期に湖は広がり、後期には[[甲賀市|甲賀地方]](滋賀)に位置する北部の沈下により狭くて深い湖となった(阿山・甲賀湖、佐山湖){{sfn|松田|2013|p=189}}{{sfn|里口|2018a|p=123}}{{sfn|里口|2018b|pp=68-69}}。260万年ほど前にはさらに北上し、[[水口町|水口地域]]・[[日野町 (滋賀県)|日野地域]]・[[多賀町|多賀地域]]にまで広がっていった{{sfn|松田|2013|pp=189-190}}{{sfn|里口|2018a|p=123}}。この時期には蒲生湖沼群と呼ばれる小さな[[三日月湖]]などが多数集まった[[沼沢地]]群になり、その後さらに河川とその周囲の[[湿地]]といった環境{{efn2|{{harvtxt|里口|2018b|p=85}} は、魚種の連続性の観点などから、この時代にも湖があった可能性についても研究を進める必要があると述べている。}}になるなど、不安定な[[水域]]であった{{sfn|松田|2013|p=189}}{{sfn|里口|2018a|p=123}}。この時代に水の流出方向は[[伊勢湾]]方面から[[京都]]・[[大阪]]方面に変わったと考えられている{{sfn|里口|2018b|p=73}}{{efn2|このころ、瀬戸内海や大阪湾はまだ形成されていない{{sfn|里口|2018b|p=73}}。}}。 |
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現在、滋賀県と三重・[[岐阜県|岐阜]]両県の[[水系]]を分断している[[鈴鹿山脈]]は、180万年ほど前に[[隆起と沈降#隆起|隆起]]し始めた{{sfn|里口|2018b|p=80}}{{efn2|水系が分断される以前、175万年ほど前の洪水では、岐阜の[[火山灰]]が滋賀・京都・大阪を通り[[淡路島]]まで流されている{{sfn|里口|2018b|p=81}}。}}。[[地球史年表#100万年前 - 10万年前|100万年ほど前]]になると、現在の南湖の位置に堅田湖と呼ばれる小さな湖が形成された{{sfn|松田|2013|p=189}}{{sfn|里口|2018a|p=123}}。同じ頃、現在の北湖中央付近にも湖があったがその後陸地化したことが、地層の調査に基づき推定されている{{sfn|里口|2018b|pp=40-41}}。また90万年ほど前には、現在の北湖中央を南北に横切る山地があった{{sfn|里口|2018b|pp=45-46}}。その後、琵琶湖の周辺に大きな地殻変動が生じ山地が隆起した43万年ほど前に、北湖の地域にまで琵琶湖は広がり、以降は北進することなく現在にまで至っている{{sfn|松田|2013|p=189}}{{sfn|里口|2018a|p=123}}{{efn2|琵琶湖が現在でも少しずつ北上・沈降していると紹介されることもあるが、地震によって地盤が上下することはあるものの、「年間3センチメートルで動いている」といった説明は誤りである{{sfn|里口|2012|p=124}}{{sfn|松田|2013|p=190}}。}}。40万年ほど前の琵琶湖は現在よりも細長く、その後に東へ向けて広がったと考えられている{{sfn|里口|2018b|p=29}}。 |
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=== 環境史 === |
=== 環境史 === |
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{{節スタブ|近現代の[[琵琶湖総合開発事業]]関連など|date=2022年1月}} |
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[[File:Lake Biwa Museum 20201024 22.jpg|thumb|葛籠尾崎湖底遺跡]] |
[[File:Lake Biwa Museum 20201024 22.jpg|thumb|葛籠尾崎湖底遺跡]] |
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[[File:Hiradake02, Eight Views of Ōmi.png|サムネイル|1918年 |
[[File:Hiradake02, Eight Views of Ōmi.png|サムネイル|1918年ごろの琵琶湖]] |
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{{See also|滋賀県#歴史|淀川#淀川開発史}} |
{{See also|滋賀県#歴史|淀川#淀川開発史}} |
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本節では、{{仮リンク|環境史|en|Environmental history}}を中心に石器時代以降の琵琶湖の歴史について概説する。交通・治水・利水・漁撈・環境保全といった各分野における詳細については[[#人間との関わり|後述]]する。 |
本節では、{{仮リンク|環境史|en|Environmental history}}を中心に石器時代以降の琵琶湖の歴史について概説する。交通・治水・利水・漁撈・環境保全といった各分野における詳細については[[#人間との関わり|後述]]する。 |
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琵琶湖には90を超える[[琵琶湖湖底遺跡|湖底遺跡]]があり、[[縄文時代]]後期から近代初期にかけてを存続の終期とするそれらからは、琵琶湖周辺の生活や文化の歩みを窺い知ることができる{{sfn|林|2001|p=240}}{{sfn|水野|2011|p=8}}{{sfn|木戸|2018|p=50}}{{efn2|これらの湖底遺跡のうち[[遺構]]を含むものについては、水位の変動、あるいは[[地すべり|地滑り]]や[[地震]]などによる地盤変動により湖底に沈んだものと断定できるが、[[遺物]]のみの[[遺跡]]の場合は、儀式や遺棄により湖底に沈められた可能性も考慮する必要がある{{sfn|林|2001|p=244}}。}}。一方、近世以前の琵琶湖についての[[史料]]は限定的であり、湖岸域の土地利用は変化しやすく支配関係の把握が難しいといった問題もあるため、琵琶湖の環境史研究は発展途上である{{sfn|水野|2011|p=7}}。 |
琵琶湖には90を超える[[琵琶湖湖底遺跡 (曖昧さ回避)|湖底遺跡]]があり、[[縄文時代]]後期から近代初期にかけてを存続の終期とするそれらからは、琵琶湖周辺の生活や文化の歩みを窺い知ることができる{{sfn|林博通|2001|p=240}}{{sfn|水野|2011|p=8}}{{sfn|木戸|2018|p=50}}{{efn2|これらの湖底遺跡のうち[[遺構]]を含むものについては、水位の変動、あるいは[[地すべり|地滑り]]や[[地震]]などによる地盤変動により湖底に沈んだものと断定できるが、[[遺物]]のみの[[遺跡]]の場合は、儀式や遺棄により湖底に沈められた可能性も考慮する必要がある{{sfn|林博通|2001|p=244}}。}}。一方、近世以前の琵琶湖についての[[史料]]は限定的であり、湖岸域の土地利用は変化しやすく支配関係の把握が難しいといった問題もあるため、琵琶湖の環境史研究は発展途上である{{sfn|水野|2011|p=7}}。[[#人間との関わり|後述]]するように琵琶湖では古くから湖上交通や漁撈がおこなわれおり、その拠点として多くの集落が発達しており、津・浦・浜などの文字を含む地名からは、その成立における琵琶湖との密接な結び付きをうかがえる{{sfn|迫田|2015|p=172}}。 |
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;[[先史時代#日本の先史時代|先史時代]] |
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:琵琶湖が現在<!--自然史レベルでの「現在」はWP:DATED違反ではないと判断-->の形に定まったのは、[[日本列島の旧石器時代|旧石器時代]]末期頃であり、琵琶湖周辺ではこの頃の[[石器]]が発見されているが、詳細は不明である{{sfn|林|2001|p=239}}。[[縄文時代|縄文]]早期後半の[[石山貝塚]]などの遺跡からは淡水産の魚介類の貝殻や骨が発見されており、一部山間部にも居住の痕跡はあるが、湖畔での居住を好んだ傾向が窺える{{sfn|林|2001|pp=239-240}}。また[[#交通|後述]]するように、縄文後期には[[丸木舟]]が使用されていたことも判明している{{sfn|用田|2018|p=54}}{{sfn|木村|2001|p=29}}。[[弥生時代|弥生]]前期から中期にかけての湖底遺跡からは、[[弥生土器|土器]]・[[木器]]・石器や炭化米、[[環濠集落|環濠]]などが発見されており、[[灌漑]]・排水が比較的容易であり[[漁撈]]の便もよい琵琶湖畔において、[[稲作#古代の稲作|初期の稲作]]が多く営まれていたと推測できる{{sfn|林|2001|p=241}}{{sfn|耕地課|2019|p=3}}。 |
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琵琶湖が現在<!--自然史レベルでの「現在」はWP:DATED違反ではないと判断-->の位置に定まったのは、[[日本列島の旧石器時代|旧石器時代]]末期ごろであり、琵琶湖周辺ではこのころの[[石器]]が発見されているが、詳細は不明である{{sfn|林博通|2001|p=239}}。縄文早期後半の[[石山貝塚]]などの遺跡からは淡水産の魚介類の貝殻や骨が発見されており、一部山間部にも居住の痕跡はあるが、湖畔での居住を好んだ傾向が窺える{{sfn|林博通|2001|pp=239f}}。また[[#先史・古代の交通|後述]]するように、縄文後期には[[丸木舟]]が使用されていたことも判明している{{sfn|用田|2018|p=54}}{{sfn|木村|2001|p=29}}。[[弥生時代|弥生]]前期から中期にかけての湖底遺跡からは、[[弥生土器|土器]]・[[木器]]・石器・炭化米や[[環濠集落|環濠]]などが発見されており、[[灌漑]]・排水が比較的容易であり[[漁撈]]の便もよい琵琶湖畔において、[[稲作#古代の稲作|初期の稲作]]が多く営まれていたと推測できる{{sfn|林博通|2001|p=241}}{{sfn|耕地課|2019|p=3}}。 |
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;[[古代#日本史|古代]] |
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: [[奈良時代]]には、[[#水害と治水|後述]]するように、僧侶[[行基]]が琵琶湖の[[洪水]]を軽減することを目的とし、[[淀川|瀬田川]]沿いの大日山の[[掘削]]を試みている{{sfn|竹林|今井|1995|p=410}}。また、湖底遺跡は、[[平安時代]]末期を存続の終期とするものが多い{{sfn|水野|2011|p=8}}。 |
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[[#人間との関わり|後述]]するように、[[近江大津宮|大津京]]遷都がおこなわれた[[飛鳥時代]]以降、多くの歌人が琵琶湖を歌に詠み込んでおり、湖上の往来が盛んになされていたこともうかがえる<!--「呼称」「交通」「和歌」-->。また、[[奈良時代]]から近代にかけて、琵琶湖治水のために[[淀川|瀬田川]]の[[浚渫]]・改修が繰り返し計画・実施されることになる<!--水害と治水-->。なお、湖底遺跡は[[平安時代]]末期を存続の終期とするものが多い{{sfn|水野|2011|p=8}}。 |
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;[[中世#日本|中世]] |
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:中世の文書や絵図に記された[[農地|耕地]]の一部は、後に琵琶湖や{{読み|内湖|ないこ}}に水没している{{sfn|水野|2011|pp=11-12}}。[[#交通|後述]]する[[係留施設|津]]の立地の変化の例として、この時期に琵琶湖水位の上昇により{{読み|内湖|ないこ}}が失われた[[木津 (滋賀県)|木津]]<small>(こづ、新旭町{{sfn|木村|2001|p=67}})</small>に代わって、[[今津町 (滋賀県)|今津]]が発展するようになったことが挙げられる{{sfn|水野|2011|p=11}}。また[[横江遺跡]]([[守山市]])などにおいては、[[鎌倉時代]]頃の[[堀]]で囲まれた[[集落]]が確認されている{{sfn|水野|2011|p=9}}。これらの堀はその深さや幅から、防衛機能よりも灌漑・排水や舟運としての性格が強かったと推測されており{{sfn|水野|2011|pp=9-10}}、{{harvtxt|水野|2011|p=10}} は、琵琶湖の水位上昇に対応しての洪水対策という役割の可能性についても言及している。 |
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中世の文書や絵図に記された[[農地|耕地]]の一部は、後に琵琶湖や{{読み|内湖|ないこ}}に水没している{{sfn|水野|2011|pp=11f}}。[[#中世の交通|後述]]する[[係留施設|津]]の立地の変化の例として、この時期に琵琶湖水位の上昇により{{読み|内湖|ないこ}}が失われた[[木津 (滋賀県)|木津]]{{small|(こづ、新旭町{{sfn|木村|2001|p=67}})}}に代わって、[[今津町 (滋賀県)|今津]]が発展するようになったことが挙げられる{{sfn|水野|2011|p=11}}。また[[横江遺跡]]([[守山市]])などにおいては、[[鎌倉時代]]ごろの[[堀]]で囲まれた[[集落]]が確認されている{{sfn|水野|2011|p=9}}。これらの堀はその深さや幅から、防衛機能よりも灌漑・排水や舟運としての性格が強かったと推測されており{{sfn|水野|2011|pp=9f}}、{{harvtxt|水野|2011|p=10}} は、琵琶湖の水位上昇に対応しての[[洪水]]対策という役割の可能性についても言及している。 |
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;[[近世#日本|近世]] |
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:[[織田政権|織田]]・[[豊臣政権]]においては、[[安土城]]を拠点に湖上を一括管理し、経済・社会的に利用することが試みられた{{sfn|用田|2018|p=54}}。安土城が築かれた[[大中湖|大中湖]]一帯は、この頃まで政治的中心地であったが、以降琵琶湖との間に砂州が形成されるなどしたため、豊臣・徳川政権と時代が進むにつれ、膳所や彦根にその地位を譲ることとなった{{sfn|小関|2011|pp=152ff.}}。[[江戸時代]]の琵琶湖周辺域には、200あまりの集落があり{{sfn|竹林|今井|1995|p=417}}、[[#水害と治水|後述]]するように、琵琶湖の治水などを目的とした瀬田川の[[浚渫]]が計5回行われている{{sfn|竹林|今井|1995|p=410}}。 |
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[[織田政権|織田]]・[[豊臣政権]]においては、[[安土城]]を拠点に湖上を一括管理し、経済・社会的に利用することが試みられた{{sfn|用田|2018|p=54}}。安土城が築かれた[[大中湖]]一帯は、このころまで政治的中心地であったが、以降琵琶湖との間に砂州が形成されるなどしたため、豊臣・徳川政権と時代が進むにつれ、膳所や彦根にその地位を譲ることとなった{{sfn|小関|2011|pp=152ff.}}。[[江戸時代]]の琵琶湖周辺域には、200あまりの集落があり{{sfn|竹林|今井|1995|p=417}}、[[#近世の交通|後述]]するように周囲の集落や田畑にはホリと呼ばれる水路が張り巡らされていた<!--交通-->。 |
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;近現代 |
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:琵琶湖の面積{{efn2|{{読み|内湖|ないこ}}を含まない本湖のみの面積。}}は1890年代の推定688[[平方キロメートル]]から、1990年代には669平方キロメートルまで減少している。この要因としては、[[南郷洗堰]]の築造に関連する水位の低下のほか、[[干拓]]・[[埋め立て]]や湖岸整備といった人為的なものが大きいと考えられる{{sfn|東|2012|pp=118-119}}。 |
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近代以降琵琶湖の面積{{efn2|{{読み|内湖|ないこ}}を含まない本湖のみの面積。}}は、1890年代の推定688[[平方キロメートル]]から、1990年代には669平方キロメートルまで減少している。この要因としては、[[南郷洗堰]]の築造に関連する水位の低下のほか、[[干拓]]・[[埋め立て]]や湖岸整備といった人為的なものが大きいと考えられる{{sfn|東|2012|pp=118f}}。 |
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== 湖水 == |
== 湖水 == |
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[[地理|前述]]のとおり、琵琶湖の貯水量は275億[[トン]]であり、平均水位は84.371メートルがB.L.P.として定められている。琵琶湖の集水域([[流域]])は |
[[#地理|前述]]のとおり、琵琶湖の貯水量は275億[[トン]]であり、平均水位は84.371メートルが{{lang|en|B.L.P.}}として定められている。 |
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=== 水循環 === |
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琵琶湖の集水域([[流域]])は3843[[平方キロメートル]]で、その98[[パーセント]]は[[滋賀県]]であり、また滋賀県の90パーセントが琵琶湖の集水域である{{sfn|戸田|2001|p=37}}{{sfn|水質保全機構|2020|p=1.3}}{{efn2|[[大戸川]]なども琵琶湖の水とともに滋賀県から流出しており、これらの集水域を合わせると滋賀県の98%を占めることになる{{sfn|戸田|2001|p=37}}}}。2015年を対象とした推定によると、流入河川より39.3億[[トン]]・[[地下水]]より7.4億トン・湖面への直接降水より12.2億トンの計58.9億トンが琵琶湖に流入、湖面での[[蒸発]]により4.0億トン・[[淀川|瀬田川]]より48.4億トン・[[琵琶湖疏水]]より4.9億トンが琵琶湖から流出しており、[[水循環#滞留時間|滞留時間]]は4.7年である{{sfn|佐藤|2018|pp=134f}}。 |
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琵琶湖の湖水は、その貯水量の約2倍の地下貯留水と繋がっており、湖水の保全と地下水の保全は密接に関わっている{{sfn|川地|2015|p=18}}。また、琵琶湖周辺では年間平均10億トンの[[降雪]]があり、[[水温]]4度ほどで[[密度]]が大きい[[雪解け水]]は、北湖深部に酸素を供給する役割を果たす{{sfn|伏見|2015|p=22}}。 |
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=== 水理現象 === |
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琵琶湖の水流は、流出部がいずれも南にあるため、基本的に北から南に向かうが、下記の環流や静振・密度流などにより、北向きの流れ{{efn2|この北向きの逆流により、汚染された南湖の湖水が北湖に流入することが懸念されている{{sfn|湖沼技術研究会|2007|p=223}}。}}も頻繁に発生する{{sfn|湖沼技術研究会|2007|p=223}}。 |
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=== 水理 === |
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琵琶湖の水流は、流出部がいずれも南にあるため、基本的に北から南に向かうが、下記の環流や静振、密度流などにより、北向きの流れ{{efn2|この北向きの逆流により、汚染された南湖の湖水が北湖に流入することが懸念されている{{sfn|湖沼技術研究会|2007|p=223}}。}}も頻繁に発生する{{sfn|湖沼技術研究会|2007|p=223}}。 |
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;環流 |
;環流 |
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:琵琶湖の[[環流]]は1925年<!--戸田2013, p=35には'26とあるが、id. p.37を見ると観測は'25とあり、'26は論文発表年と考えられるため、 |
:琵琶湖の[[環流]]は1925年<!--戸田2013, p=35には'26とあるが、id. p.37を見ると観測は'25とあり、'26は論文発表年と考えられるため、ほかの資料に従い'25とした。-->の[[神戸地方気象台|神戸海洋気象台]]の観測により発見され{{sfn|焦|2018|p=137}}{{sfn|山敷|松井|禰津|熊谷|2000|p=975}}<!--出典過剰{{sfn|大西|田中|1981}}{{sfn|森川|岡本|1960|p=173}}-->、1960年代から1995年ごろにかけて精力的な研究が行われた{{sfn|戸田|2013|p=36}}。北湖には北から第1環流([[時計回り・反時計回り|反時計回り]])、第2環流(時計回り)、第3環流(反時計回り)の3つの環流があり{{sfn|熊谷|石川|焦|2001|p-=43-44}}{{efn2|{{harvtxt|湖沼技術研究会|2007|p=222}} によると、南湖でも反時計回りの環流が確認されたことがある。}}、常に3つあるとは限らないが{{sfn|水環境部会|2008|p=1}}、第1環流は水温[[成層]]期(春 - 秋)の長期間存在する準定常流である{{sfn|焦|2018|p=137}}{{efn2|2005年には冬の環流も観測されている{{sfn|焦|2018|p=137}}。}}。[[流速]]は第1環流では8月から9月ごろに最大30 - 40[[センチメートル毎秒]]に達する{{sfn|熊谷|石川|焦|2001|p=45}}{{sfn|湖沼技術研究会|2007|p=221}}。環流は南北に移動しており、このことは[[生態系]]や[[漁業]]にも影響を与えていると考えられる{{sfn|熊谷|石川|焦|2001|p=45}}。また、環流は[[水質]]の分布にも影響を与えており、[[沿岸帯]]と沖帯に区分されることになる{{sfn|熊谷|石川|焦|2001|p=46}}。琵琶湖の環流は[[地衡流]]としての性格が強く、発生機構については2018年現在、風成論と熱成論の2つの説がある{{sfn|焦|2018|p=137}}{{sfn|戸田|2013|pp=45-47}}{{sfn|湖沼技術研究会|2007|p=217}}。 |
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;[[セイシュ|静振]]<!--静振はセイシュ(Seiche)の訳語だが、セイシュから副振動へリダイレクトが適切か疑問( |
;[[セイシュ|静振]]<!--静振はセイシュ(Seiche)の訳語だが、セイシュから副振動へリダイレクトが適切か疑問({{Cite journal|和書|author=河地利彦 |title=セイシュと副振動 |journal=農業土木学会誌 |issn=0369-5123 |publisher=農業農村工学会 |year=1987 |volume=55 |issue=12 |pages=1187-1187,a2 |naid=130004100205 |doi=10.11408/jjsidre1965.55.12_1187 |url=https://doi.org/10.11408/jjsidre1965.55.12_1187}}を参照)なので、確証がない場合はリダイレクト解消はしないでください。--> |
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:湖水面に生じる表面静振には、[[周期]]の異なる3 - 7種類{{efn2|5種類とする場合の周期はそれぞれ、240.9分、71.9分、65.0分、39.8分、32.3分{{sfn|湖沼技術研究会|2007|p=212}}。}}がある{{sfn|湖沼技術研究会|2007|pp=211-215}}。水温水層の内部境界面に生じる内部静振は、表面静振に比してきわめて大きな[[振幅]]を |
:湖水面に生じる表面静振には、[[周期]]の異なる3 - 7種類{{efn2|5種類とする場合の周期はそれぞれ、240.9分、71.9分、65.0分、39.8分、32.3分{{sfn|湖沼技術研究会|2007|p=212}}。}}がある{{sfn|湖沼技術研究会|2007|pp=211-215}}。水温水層の内部境界面に生じる内部静振は、表面静振に比してきわめて大きな[[振幅]]をもち、周期は一例においては63時間である<!--{{sfn2|湖沼技術研究会|2007|p=214}}-->。なお、内部静振が水位に与える影響はほとんどない{{sfn|湖沼技術研究会|2007|p=214}}。 |
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;密度流 |
;密度流 |
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:[[台風]]などの強風時には、内部静振による北湖底層から南湖への[[密度流]]が生起するが、大半は北湖に還流するため、南北湖間の交換流としての影響は少ない{{sfn|湖沼技術研究会|2007|p=223}}。秋から冬にかけては、南湖の湖面冷却{{efn2|南湖は北湖に比して水深が浅いため、冷却が早い{{sfn|湖沼技術研究会|2007|p=224}}。}}により、南湖の水が北湖の底層部に潜り込む冬期密度流が発生する。冬期密度流は、発生後数日間持続し、北湖から南湖に還流することはない{{sfn|湖沼技術研究会|2007|p=224}}。 |
:[[台風]]などの強風時には、内部静振による北湖底層から南湖への[[密度流]]が生起するが、大半は北湖に還流するため、南北湖間の交換流としての影響は少ない{{sfn|湖沼技術研究会|2007|p=223}}。秋から冬にかけては、南湖の湖面冷却{{efn2|南湖は北湖に比して水深が浅いため、冷却が早い{{sfn|湖沼技術研究会|2007|p=224}}。}}により、南湖の水が北湖の底層部に潜り込む冬期密度流が発生する。冬期密度流は、発生後数日間持続し、北湖から南湖に還流することはない{{sfn|湖沼技術研究会|2007|p=224}}。 |
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;全層循環 |
;全層循環 |
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:琵琶湖では例年1 - 2月に、湖水が[[鉛直]]方向に混合し、水温と[[溶存酸素量]]が表水層から深水層まで一様になる全層循環(全循環)という物理現象が起こる{{sfn|焦|2018|p=138}}{{sfn|日経新聞|2021}}{{efn2|「[[湖沼#湖沼の温度]]」および「{{仮リンク|湖水層|en|Lake stratification}}」も参照。}}。湖底に棲息する |
:琵琶湖では例年1 - 2月に、湖水が[[鉛直]]方向に混合し、水温と[[溶存酸素量]]が表水層から深水層まで一様になる全層循環(全循環)という物理現象が起こる{{sfn|焦|2018|p=138}}{{sfn|日経新聞|2021}}{{efn2|「[[湖沼#湖沼の温度]]」および「{{仮リンク|湖水層|en|Lake stratification}}」も参照。}}。湖底に棲息する生物に[[酸素]]を供給する働きをもち、「琵琶湖の深呼吸」とも呼ばれる{{sfn|日経新聞|2021}}。[[地球温暖化]]にともなう[[暖冬]]により、2006年と2015年の全層循環は3月中旬まで遅れ、2019年と2020年には2年連続{{efn2|翌2021年については、2月2日に観測が発表された{{sfn|日経新聞|2021}}}}で確認されなかった{{sfn|焦|2018|p=138}}{{sfn|日経新聞|2021}}。このような全層循環の弱体化により深水層の酸素が減少し、湖底動物の大量斃死につながることが懸念されていて{{sfn|陀安|奥田|由水|2011|p=89}}、実際に湖底にすむ固有種である[[ビワオオウズムシ]]の個体数が減少した要因に挙げられている{{sfn|朝日新聞|2021}}。 |
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=== 水質 === |
=== 水質 === |
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{{節スタブ|date=2021年3月}} |
{{節スタブ|date=2021年3月}} |
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[[透明度]]は、2018年の調査によると北湖で5.5[[メートル]]、南湖で2.2メートルであり{{sfn|環境政策課|2020|p=13}}、気象条件によっては16メートルを超える透明度を観測することもある{{sfn|石川|岡本|2007|p=2}}{{efn2|2007年3月15日に[[海津大崎]]付近の水深80メートルの地点で16.8メートルの透明度が観測された。なおこの観測は定期観測ではない{{sfn|石川|岡本|2007|p=2}}。}}。 |
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[[透明度]]は、2018年の調査によると北湖で5.5[[メートル]]、南湖で2.2メートルであり{{sfn|環境政策課|2020|p=13}}、気象条件によっては16メートルを超える透明度を観測することもある{{sfn|石川|岡本|2007|p=2}}{{efn2|2007年3月15日に[[海津大崎]]付近の水深80メートルの地点で16.8メートルの透明度が観測された。なお、この観測は定期観測ではない{{sfn|石川|岡本|2007|p=2}}。}}。 |
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== 関連する自然現象 == |
== 関連する自然現象 == |
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[[ファイル:Site at HIRA ropeway station Shiga,JAPAN.jpg|thumb|北比良峠から琵琶湖を見下ろす]] |
[[ファイル:Site at HIRA ropeway station Shiga,JAPAN.jpg|thumb|北比良峠から琵琶湖を見下ろす]] |
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[[ファイル:Biwako Shinkiro.jpg|thumb|冬の蜃気楼(高島市)]] |
[[ファイル:Biwako Shinkiro.jpg|thumb|冬の蜃気楼(高島市)]] |
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{{after float}} |
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{{see also|#水理現象}} |
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;津波 |
;津波 |
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:滋賀県によると、西岸湖底断層系{{efn2|琵琶湖西岸断層帯は東北-南西方向に延び{{sfn|植村|太井子|1990}}{{要ページ番号|date=2021年2月}}、断層帯北部の最新活動時期は約2800年前から約2400年前 |
:滋賀県によると、[[西岸湖底断層]]系{{efn2|琵琶湖西岸断層帯は東北-南西方向に延び{{sfn|植村|太井子|1990}}{{要ページ番号|date=2021年2月}}、断層帯北部の最新活動時期は約2800年前から約2400年前ごろとされ、活動時には[[断層]]の西側が東側に対して相対的に2mから5m程度隆起した可能性がある。断層帯南部の最新活動時期は1185年([[元暦]]2年)の[[文治地震]]であった可能性があり、活動時には断層の西側が東側に対して相対的に6mから8m程度隆起した可能性があるとされている<ref>[https://www.jishin.go.jp/regional_seismicity/rs_katsudanso/f065_biwako-seigan/ 琵琶湖西岸断層帯] 地震調査研究推進本部事務局([[文部科学省]]研究開発局地震・防災研究課)2020年2月22日閲覧</ref>。}}南部では最大で[[マグニチュード]]7.6の地震が発生し、その場合、4.9メートルの[[津波]]が沖島に到達する。また、同断層系北部では最大でマグニチュード7.2の地震が発生し、その場合、[[長浜市]]沿岸に3メートルの津波が到達すると予測される。ただし、「西岸湖底断層系南部は[[活断層]]だが、300年以内に地震が起こる確率はほぼ0%。ほかの4断層はいずれも活断層ではなく、津波を伴う地震が発生する恐れは極めて小さい」としている<ref>{{Cite news|url=https://www.sankei.com/article/20140317-ZH5NTA46HZIM3KCC4V6THPNV7Y/|title=「琵琶湖に津波はある?」最大で4・9メートル 滋賀県が試算(1/2ページ)|newspaper=[[産経新聞|産経WEST]]|website=|publisher=産経新聞社|accessdate=2018-12-17|date=2014-03-17}}</ref>。また、1185年7月9日に、実際に津波が発生した可能性がある。塩津港遺跡で発掘調査が行われた際、湖底で神社が発見され、その神社から津波と見られる痕跡が見つかった(柱が全て琵琶湖の岸に傾いていた)。また、『[[山槐記]]』には「琵琶湖の水は北に流れた」、[[鴨長明]]は「山は崩れて川を埋め、海(琵琶湖)は傾いて陸地を浸せり」と書いている<ref>[https://blog.goo.ne.jp/uo4/e/e39c0b9ab0acb7073e500b833f407438 『滋賀民報』]</ref>{{Full citation needed |date=2018-12-17 |title=この出典は新聞記事の転載。転載元の記事の書誌情報は不明。}}。 |
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;おろし |
;おろし |
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:[[比良山地]]から琵琶湖に向かって吹く風は[[比良おろし]]と呼ばれ、琵琶湖の[[隆起と沈降|沈降]]と比良山地の[[隆起と沈降|隆起]]により生じた急峻な地形をその要因の一つとする{{sfn|武田|2001|pp=95-97}}。また[[高島市]]勝野では、比良おろしに |
:[[比良山地]]から琵琶湖に向かって吹く風は[[比良おろし]]と呼ばれ、琵琶湖の[[隆起と沈降|沈降]]と比良山地の[[隆起と沈降|隆起]]により生じた急峻な地形をその要因の一つとする{{sfn|武田|2001|pp=95-97}}。また[[高島市]]勝野では、比良おろしにともなう局地風と考えられる勝野おろしが恐れられている{{sfn|武田|2001|p=95}}。これらのおろしは、[[#事件や事故|後述]]するように事故の原因となることも多い。 |
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;湖陸風 |
;湖陸風 |
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:琵琶湖畔では、陸面に比べ湖面の[[比熱]]が大きいことを要因とした風が発生する<!--武田2001-->。昼間は[[日照]]により陸面の[[気温]]が上昇し[[気圧]]が低くなるため、琵琶湖から陸地に向かって「湖風」が吹く<!--武田2001-->。逆に夜間は陸面のほうが先に冷え気圧が高まるため、陸地から琵琶湖に向かって「陸風」が吹く{{sfn|武田|2001|pp= |
:琵琶湖畔では、陸面に比べ湖面の[[比熱]]が大きいことを要因とした風が発生する<!--武田2001-->。昼間は[[日照]]により陸面の[[気温]]が上昇し[[気圧]]が低くなるため、琵琶湖から陸地に向かって「湖風」が吹く<!--武田2001-->。逆に夜間は陸面のほうが先に冷え気圧が高まるため、陸地から琵琶湖に向かって「陸風」が吹く{{sfn|武田|2001|pp=97f}}。 |
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;蜃気楼 |
;蜃気楼 |
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:琵琶湖では、[[下位蜃気楼]]と[[上位蜃気楼]]の2種類の[[蜃気楼]]が発生する<!--{{sfn|伴|2018|p=144}}-->。複雑な像を生じる上位蜃気楼は、琵琶湖や[[富山湾]]において春先から初夏にかけて十数回しか発生せず、非常に珍しい現象である<!--{{sfn|伴|2018|p=144}}-->。この上位蜃気楼は、湖上に暖気が流入し上冷下暖の空気層が生じることにより発生する<!--{{sfn|伴|2018|p=144}}-->。下位蜃気楼は、逆に冷気が流入し上暖下冷の空気層が生じることにより発生し、世界各地で通年昼夜ともに長時間に |
:琵琶湖では、[[下位蜃気楼]]と[[上位蜃気楼]]の2種類の[[蜃気楼]]が発生する<!--{{sfn|伴|2018|p=144}}-->。複雑な像を生じる上位蜃気楼は、琵琶湖や[[富山湾]]において春先から初夏にかけて十数回しか発生せず、非常に珍しい現象である<!--{{sfn|伴|2018|p=144}}-->。この上位蜃気楼は、湖上に暖気が流入し上冷下暖の空気層が生じることにより発生する<!--{{sfn|伴|2018|p=144}}-->。下位蜃気楼は、逆に冷気が流入し上暖下冷の空気層が生じることにより発生し、世界各地で通年昼夜ともに長時間に渡り発生するため、珍しい現象ではない{{sfn|伴|2018|p=144}}{{sfn|京都新聞|2013}}。 |
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== 生物相 == |
== 生物相 == |
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[[ファイル:Silurus_biwaensis1.jpg|サムネイル |
[[ファイル:Silurus_biwaensis1.jpg|サムネイル|ビワコオオナマズ]] |
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[[File:Recycle box for incasive alien fish.jpg|サムネイル|外来魚回収ボックス]] |
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{{see also|#漁撈と食文化|#主な生物種}} |
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{{節スタブ|date=2021年3月}} |
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{{see also|#漁撈と食文化|#主な生物種|琵琶湖の固有種}} |
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琵琶湖では、66種の固有種{{efn2|亜種・変種を含む{{sfn|西野| |
琵琶湖では、66種の[[固有種]]{{efn2|[[亜種]]・[[変種]]を含む{{sfn|西野|2018b|p=152}}。{{仮リンク|ナガタニシ属|en|Heterogen longispira}}([[タニシ科]])と[[オグラヌマガイ属]]([[イシガイ目|イシガイ科]])は水系の固有[[属 (分類学)|属]]{{sfn|西野|2018b|p=152}}{{sfn|琵琶湖環境科学研究センター|n.d.}}。}}を含む1700種以上の水性動植物が報告されるなど、豊かな[[生物相]]をもつ{{sfn|西野|2018b|p=152}}。[[オオクチバス]]や[[ブルーギル]]をはじめとする[[外来種]]の侵入や1992年の琵琶湖水位操作規則の改訂、{{読み|内湖|ないこ}}の消失、[[水田]]とのネットワークの分断等によって固有の[[生物相]]が大きく攪乱を受け、漁獲高が激減した種も多い。それらへの対抗策も講じられ、外来種駆除や生態系に配慮した水位操作、{{読み|内湖|ないこ}}の再生など様々な取り組みが行われているが、まだ十分な効果をあげられていない{{要出典|date=2021年11月}}。オオクチバスもブルーギルもおおむね漸減傾向にあり平成19年と令和3年の生息量を比較するとオオクチバスは444t→178t、ブルーギルは1,689t→223tとなっている<ref>{{Cite web|和書|title=外来魚駆除対策事業|滋賀県ホームページ |url=https://www.pref.shiga.lg.jp/ippan/shigotosangyou/suisan/18681.html |website=滋賀県ホームページ |access-date=2023-03-19 |language=ja}}</ref>。 |
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=== 哺乳類と鳥類 === |
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[[ビワマス]]や[[アユ]]などは川を、[[コイ]]・[[フナ]]・[[ドジョウ]]などは水田を産卵場所として利用することが多いなど、琵琶湖に生息する魚類は周辺の水域との間を移動し、環境の違いをうまく利用している{{sfn|遊磨|2001|p=112}}。 |
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琵琶湖周辺の[[アシ原]]には[[クマネズミ]]と[[ドブネズミ]]の[[クマネズミ属]]、[[カヤネズミ]]などが生息している。木造船に住む[[クマネズミ属]]は「ふなねずみ」と呼ばれ、その背中の毛は伝統工芸品である[[蒔絵筆]](まきえふで)に用いられて、とくに根朱筆(ねじふで)と呼ばれた{{sfn|毎日新聞|2020}}。2010年ごろから[[ヌートリア]]が湖岸や淀川水系の河川で見られるといい、琵琶湖博物館が調査を行っている{{sfn|県立琵琶湖博物館|2020}}。 |
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1980年代以降、日本各地で[[ニホンイノシシ]]や[[リュウキュウイノシシ]]が海や湖を泳いで島に分布を拡大していることが報告されているが、海を渡る例が多く、確認された湖の例は琵琶湖の竹生島と沖島のみだという{{sfn|高橋|2017|pp=16-23}}。沖島では伊崎半島から渡ってきたと思われるニホンイノシシが2009年に初めて目撃され、竹生島には2011年に葛籠尾崎から渡っている様子が目撃された{{sfn|高橋|2017|pp=26-41}}。必ずしも島に留まらず、行き来する様子が確認されている{{sfn|高橋|2017|pp=26}}。竹生島に渡っている個体群は、かつて奥島であった奥島山や長命寺山の山塊に生息しているものだが、視認されるのは1991年ごろからで古くからの生息域ではない。東南方向の山地部から来たと考えられている{{sfn|高橋|2017|pp=26-41}}。{{harvtxt|高橋|2017|pp=26-41}}では、調査を行っている時点で沖島の住民にイノシシの知見がなく、効果的な対策を行えておらず農作物に被害が生じていることを報告している。高橋はさらに、いずれの島も[[カワウ]]の大きなコロニーがあり、これが発生する生ぐさい臭いがイノシシを誘引している可能性を指摘している。 |
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[[File:Recycle box for incasive alien fish.jpg|サムネイル|外来魚回収ボックス]] |
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琵琶湖({{読み|内湖|ないこ}}を含む)とその湖岸、流入河川の河口に生息する[[鳥類]]は、[[渡り鳥]]なども含めると140種類ほどになる。[[カモ科]]が31種と最も多く、[[シギ科]]・[[サギ科]]・[[カモメ科]]がそれに続く{{sfn|亀田|2001|pp=79f}}。 |
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[[オオクチバス]]や[[ブルーギル]]をはじめとする[[外来種]]の侵入や1992年の琵琶湖水位操作規則の改訂、{{読み|内湖|ないこ}}の消失、[[水田]]とのネットワークの分断等によって固有の[[生物相]]が大きく攪乱を受け、漁獲高が激減した種も多い。それらへの対抗策も講じられ、外来種駆除や生態系に配慮した水位操作、{{読み|内湖|ないこ}}の再生など様々な取り組みが行われているが、まだ十分な効果をあげられていない。また、琵琶湖産の稚[[アユ]]は日本各地へ放流され、その為に琵琶湖固有種だけでなく稚アユと共に混獲され放流された[[ハス (魚)|ハス]]などの種が各地で繁殖するという、[[移入種]]を生み出す元ともなっている。 |
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=== 魚類 === |
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琵琶湖({{読み|内湖|ないこ}}を含む)とその湖岸、流入河川の河口に生息する[[鳥類]]は、[[渡り鳥]]なども含めると140種類ほどになる。[[カモ科]]が31種と最も多く、[[シギ科]]、[[サギ科]]、[[カモメ科]]がそれに続く{{sfn|亀田|2001|pp=79-80}}。 |
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{{節スタブ|1=琵琶湖への外来魚(国内外来種と国外外来種を問わず)|date=2021年11月}}[[ビワマス]]や[[アユ]]などは川を、[[コイ]]・[[フナ]]・[[ドジョウ]]などは水田を産卵場所として利用することが多いなど、琵琶湖に生息する[[魚類]]は周辺の水域との間を移動し、環境の違いをうまく利用している{{sfn|遊磨|2001|p=112}}。 |
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[[陸封]]型である琵琶湖産アユは、[[両側回遊]]型の海産系アユと同種であるが、10センチメートルほど(海産系アユは30センチメートルほど)にしか成長せず、[[アユ#コアユ|コアユ]]とも呼ばれる{{sfn|井村|2013|pp=25-45}}。 |
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[[養殖業|養殖]]や[[放流]]に用いられて日本の湖沼や河川にも一般的に生息している体高の高いコイ(飼育型コイ)は[[ユーラシア|ユーラシア大陸]]から導入された系統で、日本[[在来種|在来]]のコイとは異なることが[[遺伝学]]的な研究から明らかにされた。器官の[[形態学 (生物学)|形態]]や生息場所など[[生態学]]的な違いがあるが[[交雑]]が起こり、日本の自然水域では交雑個体が高頻度で検出されている。在来型コイが残存している水域は限られており、琵琶湖では北部に[[個体群]]が知られている{{sfn|松崎|2013}}。[[環境省レッドリスト|環境省のレッドリスト]]では「絶滅のおそれのある地域個体群(LP)」に指定されている。 |
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==== 琵琶湖に由来する外来魚 ==== |
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|幅 = 220px |
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|画像1 = Plecoglossus_altivelis_altivelis_ayu.jpg |
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|説明1 = [[信濃川|千曲川]]水系で捕獲されたコアユ |
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|画像2 = Gengoroubuna-P6041777.jpg |
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|説明2 = [[筑後川]]水系で捕獲されたゲンゴロウブナ |
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}} |
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複数の琵琶湖に由来する種や遺伝的グループが淀川水系の外に導入されている{{efn2|この用語としての導入は、意図性を問わず人の行為によって生物を自然分布外の自然環境に放つことをいう{{sfn|淀|瀬能|2013|p=242}}。}}。 |
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[[アユ]]は河川漁業・遊漁にとって重要な魚種として日本各地で[[栽培漁業|種苗放流]]が行われていて、琵琶湖では各地に出荷する種苗としてアユが採捕されている<ref>{{PDFlink|[http://salmon.fra.affrc.go.jp/kankobutu/tech_repo/fe02/fishandegg159_p25-38.pdf 藤岡康弘、ビワマス]}} 水産総合研究センター さけますセンター『魚と卵』第159号 1990(H2)年3月</ref>。資源量やその他の特徴{{Efn2|詳細は「[[アユ#コアユ]]」を参照。}}により琵琶湖産の種苗は重用され{{sfn|谷口|池田|2009|pp=30-55}}、1990年代ごろは重量ベースで90パーセントを占めるなど、日本のアユ種苗を[[寡占]]していた{{sfn|井村|2013|pp=25-45}}。河川での[[交雑]]の可能性は小さいが、完全には否定されない{{sfn|谷口|池田|2009|pp=30-55}}。 |
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アユ種苗での[[混獲]]による非意図的な導入の影響は大きく、例えば淀川水系固有種と[[三方五湖]]が本来の生息地である[[ハス (魚)|ハス]]が[[関東地方]]から[[九州地方]]に至る範囲で導入され国内外来種となっている{{efn2|琵琶湖のアユに随伴して侵入したと想定される国内外来魚には、ここに挙げたハスとオイカワの他に、カワムツ、ビワヒガイ、ワタカ、スゴモロコ、ギギ、オウミヨシノボリなどがあり10種を超えるという{{sfn|淀|2013|p=141}}。}}。[[オイカワ]]は[[東アジア]]一帯に広く分布する種とされているが、地理的に隔てられて遺伝的な分化が起きており、それぞれが固有の遺伝的特徴を持つ。アユ放流にともなって琵琶湖由来のオイカワが導入され、本来の生息域外に分布を広げただけでなく、在来のグループとの交雑を起こしている{{sfn|高村|2013|pp=85-100}}。{{harvtxt|高村|2013|pp=85-100}} は[[マイクロサテライト]]領域[[デオキシリボ核酸|DNA]]によって[[鬼怒川]]と[[那珂川]]のオイカワで関東グループと琵琶湖グループの交雑が起きていることを示した上で、琵琶湖由来のオイカワが定着していない河川が珍しいほどであるために、交雑や国内外来の問題を解明することが難しいと指摘している。 |
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[[ゲンゴロウブナ]]は、品種改良したヘラブナの名前で知られていて、釣りの対象として人為的なものを含む導入が行われて、現在では全国的に分布している。ヘラブナの放流種苗においても、[[モツゴ]]や[[ヨシノボリ属]]の混入が起こり分布域を拡散させたという{{sfn|瀬能|2013|p=11}}。 |
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=== 植物 === |
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[[File:Vallisneria asiatica var. biwaensis..JPG|thumb|left|ネジレモ]] |
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{{after float}} |
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沈水植物は[[維管束植物]]が23種、[[車軸藻類]]が13種確認されている{{sfn|角野|2018|p=161}}。1950年 - 1960年代以降に、[[ガシャモク]]と[[リュウノヒゲモ]]が[[絶滅]]したと考えられる{{sfn|浜端|2015|p=48}}{{efn2|琵琶湖における絶滅{{sfn|浜端|2015|p=48}}。[[環境省レッドリスト]]においては、ガシャモクが絶滅危惧IA類、リュウノヒゲモが準絶滅危惧種に分類されている{{sfn|野生生物調査協会|Envision環境保全事務所|n.d.}}。}}。固有種である[[ネジレモ]]は、[[茎]]を持たず[[葉]]を[[ロゼット]]状に湖底から直接伸ばしているため、茎を持ち水面に葉を近づけられる[[クロモ (水草)|クロモ]]や[[コカナダモ]]に比して水質悪化の影響を受けやすく、2000年ごろまでに個体数・[[分布 (生物)|分布]]域が大きく減少した{{sfn|浜端|2015|p=49}}。このほか[[サンネンモ]]も固有種であり、2012年には野生絶滅種とされた[[ホシツリモ]]が[[河口湖]]に次いで発見された{{sfn|角野|2018|p=161}}。外来種としては1960年代・1980年代にコカナダモが1970年代・1990年代に[[オオカナダモ]]が大繁殖したほか、[[オオフサモ]]・[[ハゴロモモ]]なども侵入している{{sfn|浜端|2015|pp=52f}}{{efn2|コカナダモの大繁殖は富栄養化の時期と一致し、水質悪化の代名詞のように扱われることもあるが、実際は水質が良好な北湖北部の深水域が主な生育地であり、流れ藻をうまく除去することができれば[[栄養塩]]の除去につなげることも可能である{{sfn|浜端|2015|pp=52f}}。}}。 |
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北湖における沈水植物の分布面積は2013年時点で8パーセントほどで、[[透明度]]の約2倍の[[水深]]10メートル近くまで生育している{{sfn|角野|2018|p=161}}。北湖東岸など遠浅の湖底の箇所においては、沿岸から沖合いに向かって[[ササバモ]]・[[オオササエビモ]]・[[ヒロハノエビモ]]・[[ヒロハノセンニンモ]]・サンネンモの順に優先種が変化する{{sfn|角野|2020|loc=サンネンモ}}。南湖においては、1994年から2014年にかけて沈水植物の分布面積が11パーセントから96パーセントにまで拡大した{{sfn|芳賀|2018|p=162}}{{efn2|2014年の調査では、在来種の[[センニンモ]]が最も多く、次いでコカナダモ・クロモ(在来種)・オオカナダモという順であった{{sfn|芳賀|2018|p=162}}。}}。沈水[[植物群落]]の密生は船舶の航行や漁業の妨げとなり、低酸素水塊の発生による湖底の生物への影響なども懸念されるため、滋賀県などにより除去事業が実施されている{{sfn|芳賀|2018|p=163}}。 |
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[[浮葉植物]]については、外来種の[[チクゴスズメノヒエ]]の分布拡大により、[[アサザ]]{{efn2|{{harvtxt|野生生物調査協会|Envision環境保全事務所|n.d.}} の統一カテゴリにおいては、滋賀県では絶滅危惧I類とされている。}}の[[発芽]]場所が減少し、同種の自生群生地は2015年現在[[東近江市]]の農業用水路のみとなっている<!-- {{sfn|浜端|2015|pp=50f}} -->。また2004年以降は外来種の[[ナガエツルノゲイトウ]]がチクゴスズメノヒエ以上に群落を拡大させている{{sfn|浜端|2015|pp=50f}}。 |
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湖岸や{{読み|内湖|ないこ}}には、葦{{efn2|[[ヨシ]]・[[ツルヨシ]]・[[セイタカヨシ]]の3種が生育している{{sfn|金子|2018|p=164}}。本記事においては、漢字で葦と書いた場合この3種を区別せず指すものとする。}}の群落がある{{sfn|長谷川|2015|p=58}}。葦は、[[富栄養化]]物質などを根から吸うことにより、水湿を改善する能力をもつ<!--{{sfn|長谷川|2015|p=60}}-->。また水の流れを緩やかにすることにより、同様に水質改善能力をもつ藻類やバクテリアの繁殖を促す役割も果たしている{{sfn|長谷川|2015|p=60}}。また、琵琶湖は日本国内に現存する2大葦産地のひとつであり、[[葦簀]]などの加工品が生産されている{{sfn|金子|2018|p=165}}。葦帯の一部は[[琵琶湖総合開発事業]]において消失したものの、1988年から1992年にかけて人工植栽が行われるなどした結果、2007年ごろには自然群落と同程度にまで復元されたと考えられる{{sfn|古賀|2018|p=33}}。 |
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そのほか湖岸には、内陸の淡水湖沿岸においては唯一[[ハマゴウ]]が自生している{{efn2|滋賀県のレッドデータブックでは絶滅危機増大種に指定されている{{sfn|古賀|2018|p=39}}。}}{{sfn|古賀|2018|p=39}}。1980年代と2000年代の湖岸の植生の変化を比較した{{harvtxt|金子|佐々木|2016}} によると、外来植物や人為的な植生、熱帯生種群や泥質立地種群が拡大する一方で、湖岸の景観を特徴づける植物群落が各湖岸地形において減少・消失している。 |
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=== プランクトン === |
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動物性[[プランクトン]]は約240種が記録されており{{sfn|坂本|2015|p=36}}、北湖表層水には1[[リットル]]あたり数個体から数百個体程度の[[ミジンコ目|ミジンコ]]が含まれる{{sfn|伴|2015|p=39}}。ミジンコの中で最も多いのは{{仮リンク|カブトミジンコ|en|Daphnia galeata}}でアユなど餌となっている{{sfn|伴|2015|p=40}}{{efn2|カブトミジンコは[[ケンミジンコ]]や[[ノロ (ミジンコ)|ノロ]]など大型ミジンコにも捕食される{{sfn|伴|2015|p=40}}。}}。2005年ごろからは捕食者のアユの減少により、外来種で大型の{{仮リンク|プリカリアミジンコ|en|Daphnia pulicaria}}が増加しており、ミジンコの[[ろ過|濾過]]能力が琵琶湖の水質改善に影響を与えたと考えられる{{sfn|伴|2015|pp=41f}}{{sfn|目片|2020}}{{sfn|琵琶湖環境科学研究センター|n.d.}}{{efn2|単純に水質改善のためにミジンコを増やせばよいというわけではなく、魚類なども含めた食物連鎖の均衡を考慮する必要がある{{sfn|伴|2015|p=42}}{{sfn|目片|2020}}。}}。そのほか、{{仮リンク|ヤマトヒゲナガケンミジンコ|nl|Eodiaptomus japonicus}}も多く見られ、[[ストロビリディウム属]]{{efn2|[[繊毛虫門]]{{訳語疑問点範囲|[[少毛類|少毛綱]]|Oligotrichea|cand_prefix=原語|date=2021年4月}}[[コレオトリカ目]][[ストロビリディウム科]]{{sfn|GBIF|n.d.}}。}}や小型[[繊毛虫|センモウチュウ]]といった原生動物は通年、[[ワムシ]]は{{仮リンク|ハネウデワムシ属|en|Polyarthra (rotifer)|label=ハネウデワムシ}}が通年、{{仮リンク|ネズワムシ属|en|Trichocerca|label=ネズワムシ}}が夏から秋にかけて見られる{{sfn|永田|2018|p=158}}。 |
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植物性プランクトンは約240種が記録されている{{sfn|坂本|2015|p=36}}、北湖表層水には1[[リットル]]あたり数百万細胞が含まれる{{sfn|伴|2015|p=39}}。1950年代初頭には、秋から冬には[[珪藻]]({{仮リンク|ホシガタケイソウ属|en|Asterionella|label=ホシガタケイソウ}}や{{仮リンク|メロシラ属|en|Melosira|label=メロシラ}})が、夏には[[緑藻]]([[ビワクンショウモ]]など)が現れる比較的安定した季節変化が見られた<!--{{sfn|坂本|2015|p=37}}-->。しかしその後の富栄養化にともない、1960年代半ばごろより[[ミカヅキモ]](緑藻)・[[シネドラ属|シネドラ]](珪藻)・{{仮リンク|フォルミディウム属|en|Phormidium|label=フォルミディウム}}([[藍藻]])といった特定種の大増殖が発生するようになり、1977年以降[[黄金色藻]]の{{仮リンク|ウログレナ属|de|Uroglena|label=ウログレナ}}による[[赤潮]](5-6月ごろ)が、1983年以降藍藻([[アナベナ]]や{{仮リンク|ミクロキスティス属|en|Microcystis|label=ミクロキスティス}})による[[アオコ|アオコ現象]](夏 - 秋)が発生している{{sfn|坂本|2015|p=37}}{{sfn|伴|2015|p=42}}{{sfn|一瀬|2018|p=156}}。 |
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==人間との関わり == |
==人間との関わり == |
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=== 呼称 === |
=== 呼称 === |
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==== 古代 ==== |
==== 古代の呼称 ==== |
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琵琶湖は元々、近淡海{{efn2|これに対し、[[浜名湖]]のことを遠淡海と呼んだ{{sfn|木村|2001|pp= |
琵琶湖は元々、近淡海{{efn2|これに対し、[[浜名湖]]のことを遠淡海と呼んだ{{sfn|木村|2001|pp=42f}}。}}・淡海・淡海の海{{small|(あふみのうみ)}}・水海{{small|(すいかい)}}・近江の海・細波{{small|(さざなみ)}}・鳰の海{{small|(にほのうみ)}}などと呼ばれていた{{sfn|木村|2018a|pp=8 & 46f}}{{sfn|畑|1994|p=9}}。 |
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『[[古事記]]』においては、<q>その[[イザナギ|伊邪那岐]]の大神は、'''淡海'''の[[多賀町|多賀]]に坐すなり</q>(上巻)や<q>東の方追ひ廻りて'''近淡海国'''に到り</q>(中巻)といった用字で現在の滋賀県のことを表している{{sfn|木村|2001|pp= |
『[[古事記]]』においては、<q>その[[イザナギ|伊邪那岐]]の大神は、'''淡海'''の[[多賀町|多賀]]に坐すなり</q>(上巻)や<q>東の方追ひ廻りて'''近淡海国'''に到り</q>(中巻)といった用字で現在の滋賀県のことを表している{{sfn|木村|2001|pp=35f}}{{efn2|以下「呼称」節の引用文中の強調はすべて引用者による。}}。同書における琵琶湖を指す記述としては中巻の |
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{{quote| |
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{{quote|いざ{{ruby|吾君|あぎ}}{{efn2|私の主君の意{{sfn|コトバンク: 吾君}}。}}、[[武振熊|振熊]]が痛手追はずは [[カイツブリ|鳰鳥]]の'''{{ruby|阿布美能宇美|あふみのうみ}}'''{{ruby|迩|に}}{{ruby|潜|かず}}きせなわ}} |
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{{inline block|{{ruby|潜|かず}}きせなわ{{efn2|吾君:私の主君の意{{r|コトバンク 吾君}}。}}}} |
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という歌謡のみが挙げられる{{sfn|木村|2001|pp= |
という歌謡のみが挙げられる{{sfn|木村|2001|pp=37f}}。一方『[[日本書紀]]』には |
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{{quote|'''淡海の海''' [[瀬田町|瀬田]]の済に{{ruby|潜|かず}}く鳥 目にし見えねば 憤りしも}} |
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{{inline block|{{ruby|潜|かず}}く鳥}} |
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|{{inline block|目にし見えねば}}{{inline block|憤りしも}} |
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という歌謡をはじめとし、'''淡海の海'''・'''淡海'''の表記が多数見られ、'''近淡海'''の用字はほとんど見られない{{sfn|木村|2001|p=38}}。同書における近江の表記は、[[天智天皇]]5年{{efn2|これは、近江の表記が公的に国名と定められたと考えられている704年([[大宝 (日本)|大宝]]4年)の、約40年前である{{sfn|木村|2001|p=40}}。}}に<q>是の冬に宮都の鼠、'''近江'''に向きて移る</q>とあるなど、[[奈良時代]]の[[近江大津宮|近江遷都]]以降に顕著に現れる{{sfn|木村|2001|p=38}}。その後の『[[続日本紀]]』の717年([[養老]]元年)の条には<q>行至'''近江国''' 観望'''淡海'''</q>とあり、'''近江'''を国名、'''淡海'''を琵琶湖と使い分けていたことが示唆される{{sfn|木村|2001|pp= |
という歌謡をはじめとし、'''淡海の海'''・'''淡海'''の表記が多数見られ、'''近淡海'''の用字はほとんど見られない{{sfn|木村|2001|p=38}}。同書における近江の表記は、[[天智天皇]]5年{{efn2|これは、近江の表記が公的に国名と定められたと考えられている704年([[大宝 (日本)|大宝]]4年)の、約40年前である{{sfn|木村|2001|p=40}}。}}に<q>是の冬に宮都の鼠、'''近江'''に向きて移る</q>とあるなど、[[奈良時代]]の[[近江大津宮|近江遷都]]以降に顕著に現れる{{sfn|木村|2001|p=38}}。その後の『[[続日本紀]]』の717年([[養老]]元年)の条には<q>行至'''近江国''' 観望'''淡海'''</q>とあり、'''近江'''を国名、'''淡海'''を琵琶湖と使い分けていたことが示唆される{{sfn|木村|2001|pp=40f}}。 |
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また同時期の[[藤原武智麻呂]]の伝記には、<q>'''近江'''は宇宙の名地 |
また同時期の[[藤原武智麻呂]]の伝記には、<q>'''近江'''は宇宙の名地{{small|[……]}}'''水海'''清くして広し</q>との記述があり、これが琵琶湖を'''水海'''と表記したものの初出である{{sfn|木村|2001|pp=41f}}。'''さざなみ'''の用字については、713年([[和銅]]6年)の『[[近江国風土記|近江風土記]]』[[逸文]]を引いた |
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{{quote|'''近江の国'''の風土記引きて言わく、'''淡海の国'''は'''淡海'''を以ちて国の号と為す。故に一名を'''細波国'''と言ふ。目の前に湖上の'''{{ruby|漣|さざ}}なみ'''を向ひ観るが所以なり。}} |
{{quote|'''近江の国'''の風土記引きて言わく、'''淡海の国'''は'''淡海'''を以ちて国の号と為す。故に一名を'''細波国'''と言ふ。目の前に湖上の'''{{ruby|漣|さざ}}なみ'''を向ひ観るが所以なり。}} |
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との文がある{{sfn|木村|2001|p=47}}。'''鳰の海'''については、下って[[平安時代]]の『[[源氏物語]]』は「[[早蕨]]」の巻の |
との文がある{{sfn|木村|2001|p=47}}。'''鳰の海'''については、下って[[平安時代]]の『[[源氏物語]]』は「[[早蕨]]」の巻の |
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{{quote|しなてる'''鳰の海'''に漕ぐ舟の 夏帆ならぬとも逢い見し物を}} |
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や『[[千載和歌集]]』の |
や『[[千載和歌集]]』の |
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{{quote|我がそでの涙や'''鳰の海'''ならん かりにも人をみるめなければ|[[上西門院兵衛]]{{sfn|高木|2004|p=27}}}} |
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|[[上西門院兵衛]]{{sfn|高木|2004|p=27}}}} |
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また『[[古今和歌集]]』の |
また『[[新古今和歌集]]』の |
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{{quote|'''鳰の海'''や月の光のうつろえば 波の花にも秋はみえけり|[[藤原家隆 (左京大夫)|藤原家隆]]}} |
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|[[藤原家隆 (左京大夫)|藤原家隆]]}} |
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などがある<!-- 木村2001,pp48-49 -->。琵琶湖を代表する鳥である鳰([[カイツブリ]])は、上述のように『古事記』にも表れており、後の1965年([[昭和]]40年)には滋賀県の[[県の鳥]]にも指定されている{{sfn|木村|2001|pp= |
などがある<!-- 木村2001,pp48-49 -->。琵琶湖を代表する鳥である鳰([[カイツブリ]])は、上述のように『古事記』にも表れており、後の1965年([[昭和]]40年)には滋賀県の[[県の鳥]]にも指定されている{{sfn|木村|2001|pp=48f}}<ref>[https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/296925 「鳰の海」は今は昔…滋賀県鳥カイツブリ、生息数減もたくましく生き]『[[京都新聞]]』滋賀版(2020年7月6日)2021年4月10日閲覧</ref>。 |
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==== 中 |
==== 中近世の呼称 ==== |
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[[File:Chikubu Island Hougonji DSCN1917.jpg|thumb|left|弁財天]] |
[[File:Chikubu Island Hougonji DSCN1917.jpg|thumb|left|弁財天]] |
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琵琶湖という呼称の最も古い用例は、{{harvtxt|木村|2001|pp=157f.}} によると、[[室町時代]]の[[明応]]年間(1492年 - 1501年)に活躍した僧侶[[景徐周麟]]の[[漢詩]]集『翰林葫盧集』の中の[[七言絶句]]「湖上八景」における |
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{{Quote|{{inline block|[[瀟湘八景|瀟湘八幅]]}} {{inline block|其の図案ずるに}} {{inline block|[[長命寺]]の前}} {{inline block|天下に無し}} {{inline block|一景新たに添う有声画}} {{inline block|袖中に携えて'''琵琶湖'''へ去る{{efn2|ゆうせいが。中国文人は絵画を「無声詩」、詩文を「有声画」と呼んだ{{sfn|木村|2001|p=158}}{{sfn|藤田|2003|p=161}}。}}}}}} |
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琵琶湖という呼称の最も古い用例は、{{harvtxt|木村|2001|pp=157-158}} によると、[[室町時代]]の[[明応]]年間(1492年 - 1501年)に活躍した僧侶[[景徐周麟]]の[[漢詩]]集『翰林葫盧集』の中の[[七言絶句]]「湖上八景」における |
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{{Quote|[[瀟湘八景|瀟湘八幅]] 其の図案ずるに [[長命寺]]の前 天下に無し 一景新たに添う有声画{{efn2|ゆうせいが。中国文人は絵画を「無声詩」、詩文を「有声画」と呼んだ{{sfn|木村|2001|p=158}}{{sfn|藤田|2003|p=161}}。}} 袖中に携えて'''琵琶湖'''へ去る}} |
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である。なお、琵琶湖を[[琵琶]]の形に喩えた例はこれよりも古く、比叡山[[延暦寺]]の僧侶[[光宗 (僧)|光宗]]が1311年から1347年([[応長]]元年から[[貞和]]3年)にかけて編述した『渓嵐拾葉集』に |
である。なお、琵琶湖を[[琵琶]]の形に喩えた例はこれよりも古く、比叡山[[延暦寺]]の僧侶[[光宗 (僧)|光宗]]が1311年から1347年([[応長]]元年から[[貞和]]3年)にかけて編述した『渓嵐拾葉集』に |
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{{Quote|尋云。湖海是[[弁才天|弁財天]]ノ[[三昧耶形|三摩耶形]]ナル方如何。答。凡'''水海'''ノ形ハ'''琵琶'''ノ相貌也。}} |
{{Quote|尋云。湖海是[[弁才天|弁財天]]ノ[[三昧耶形|三摩耶形]]ナル方如何。答。凡'''水海'''ノ形ハ'''琵琶'''ノ相貌也。}} |
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との記述がある{{sfn|木村|2001|pp= |
との記述がある{{sfn|木村|2001|pp=73f}}。周麟が琵琶湖の呼称を用いている漢詩はもう1つあるが、それに次いで古い琵琶湖の用例は[[江戸時代]]の儒学者[[伊藤仁斎]]による1645年([[正保]]2年)の漢詩「過琵琶湖作」まで待たなければならない{{sfn|木村|2001|p=160}}。その後、同じく儒学者の[[貝原益軒]]が1689年(元禄2年)に[[若狭国|若狭]]・近江を旅した際に記した日記『諸州めぐり 西北紀行』には次のような記述がある{{sfn|木村|2001|pp=160f}}。 |
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{{Quote|およそ'''淡海の海'''は、 |
{{Quote|およそ'''淡海の海'''は、{{small|[以下琵琶湖の地形についての記述]}}。此湖の形はよく琵琶に似たり。[[堅田 (大津市)|堅田]]より北七[[里 (尺貫法)|里]]、東西広し。琵琶の腹に似たり。堅田より[[瀬田町|勢田]]まで四里は、東西狭し、一里の内外あり。たとえば琵琶に鹿首あるが如くせばし。勢田より[[宇治市|宇治]]まで弥せばし。琵琶の海老尾に比し、[[竹生島]]を覆手に比すといへり。故に此湖を'''琵琶湖'''と云。}} |
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[[ファイル:Inoh_taizu_biwako.jpg|サムネイル|『[[大日本沿海輿地全図]]』(レプリカ)より。]] |
[[ファイル:Inoh_taizu_biwako.jpg|サムネイル|『[[大日本沿海輿地全図]]』(レプリカ)より。]] |
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この記述は、上述の『渓嵐拾葉集』に沿ったものである{{sfn|木村|2001|p=161}}。また、同年に松本村の原田蔵六が記した地誌『淡海録』第1巻には、 |
この記述は、上述の『渓嵐拾葉集』に沿ったものである{{sfn|木村|2001|p=161}}。また、同年に松本村の原田蔵六が記した地誌『淡海録』第1巻には、 |
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{{Quote|湖水を'''琵琶湖'''と名ずく |
{{Quote|湖水を'''琵琶湖'''と名ずく{{small|[ママ]}}ハ、竹生島の天女音楽を好み給ふ故、海を'''琵琶湖'''と名づく、因みて神を妙音天女と名く}} |
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とある{{sfn|木村|2001|p=61-62}}。元禄年間から[[享保]]年間にかけては |
とある{{sfn|木村|2001|p=61-62}}。元禄年間から[[享保]]年間にかけてはほかにも、[[松尾芭蕉]]による[[俳諧|俳諧文]]や朝鮮通信使の申維翰による『[[海游録]]』など、各種資料において琵琶湖の表記が見られる{{sfn|木村|2001|pp=162-166}}。さらに、江戸時代後期には[[伊能忠敬]]が1807年(文化4年)に「琵琶湖図」を作成するなど、地図上にも琵琶湖の表記が現れるようになる{{sfn|木村|2001|pp=166f}}。なお、琵琶湖の語源については、上述の(弁財天の)琵琶とするもののほか、[[アイヌ語]]の「貝を採るところ」を意味する語に由来し、ビワ(ビハ)は水辺や湿原がある場所を指すという[[吉田金彦]]の説や、楕円形を表すビワ、枇杷の実の形に由来とする説もある{{sfn|木村|2001|pp=77f}}。 |
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==== 近現代 ==== |
==== 近現代の呼称 ==== |
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{{external media|width=230px |
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|image1=[https://www.pref.shiga.lg.jp/kensei/koho/ |
|image1=[https://www.pref.shiga.lg.jp/kensei/koho/koho/300454.html 滋賀県シンボルマーク「{{lang|en|Mother Lake}}」] |
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}}<!-- ウィキメディア・コモンズにアップロードされているが、実際にパブリック・ドメインであるか微妙であると判断し、掲載は保留。--> |
}}<!-- ウィキメディア・コモンズにアップロードされているが、実際にパブリック・ドメインであるか微妙であると判断し、掲載は保留。--> |
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[[明治]]年間には、[[琵琶湖汽船]]や[[琵琶湖新聞]] |
[[明治]]年間には、[[琵琶湖汽船]]や[[琵琶湖新聞]]・琵琶湖踊・琵琶湖治水会・[[琵琶湖疏水]]など琵琶湖の名を冠する名称が多く現れており、琵琶湖という名称が定着したことが窺える{{sfn|木村|2001|p=170}}。なお、琵琶湖という漢字は難しいことから{{efn2|「琵」「琶」は[[当用漢字]]・[[常用漢字]]外の漢字である{{要出典|date=2021年2月}}。}}、[[平仮名|ひらがな]]書きにした'''びわ湖'''や'''びわこ'''などの表記も見られる{{sfn|八幡|1998|loc=第2章}}{{efn2|「{{intitle|"びわ湖"}}」および「{{intitle|"びわこ"}}」も参照。かつては「[[びわ町]]」という自治体も存在した。}}。その他、別称や愛称としては以下のようなものがある。 |
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;Mother Lake |
;{{lang|en|Mother Lake}} |
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:滋賀県は、2000年にマザーレイク21計画を策定するなど、琵琶湖を{{lang|en|Mother Lake}}(母なる湖)と呼んでおり、<q>母なる湖・琵琶湖。預かっているのは、滋賀県です</q>の[[キャッチコピー|文言]]を県の封筒に記載している{{sfn|嘉田|2012}}{{sfn|大田|2014|p=205}}。 |
:滋賀県は、2000年にマザーレイク21計画を策定するなど、琵琶湖を{{lang|en|Mother Lake}}(母なる湖)と呼んでおり、<q>母なる湖・琵琶湖。預かっているのは、滋賀県です</q>の[[キャッチコピー|文言]]を県の封筒に記載している{{sfn|嘉田|2012}}{{sfn|大田|2014|p=205}}。 |
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;近畿の水瓶 |
;近畿の水瓶 |
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:琵琶湖は[[#水利用|上述]]のように滋賀・京都・大阪に水を供給していることから「近畿の[[水瓶]]」などと呼ばれることもある。しかし滋賀県側は、1995年は[[稲葉稔 (政治家)|稲葉稔]]知事が「水瓶」との表現に抗議する答弁をおこなうなど、琵琶湖を「水瓶」と呼ぶ表現を避けている{{sfn|産経新聞|2014}}。これは、滋賀県民にとって自県の象徴的存在である琵琶湖を、いわば |
:琵琶湖は[[#水利用|上述]]のように滋賀・京都・大阪に水を供給していることから「近畿の[[水瓶]]」などと呼ばれることもある{{sfn|産経新聞|2014}}<ref name="朝日20210410"/>。しかし滋賀県側は、1995年は[[稲葉稔 (政治家)|稲葉稔]]知事が「水瓶」との表現に抗議する答弁をおこなうなど、琵琶湖を「水瓶」と呼ぶ表現を避けている{{sfn|産経新聞|2014}}。これは、滋賀県民にとって自県の象徴的存在である琵琶湖を、いわば単なる貯水用[[ダム]]の一種として扱われては県民感情を大きく損なうとの理由によるものである{{sfn|野田|2001|pp=232f}}。 |
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=== 交通 === |
=== 交通 === |
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{{see also|#主な港}} |
{{see also|#主な港|琵琶湖運河|丸子船}} |
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2021年現在、[[琵琶湖汽船]]・[[オーミマリン]]・[[沖島 (琵琶湖)|沖島]]離島振興推進協議会が定期航路を運営している{{sfn|琵琶湖環状線利用促進協議会|2019|pp=1f}}{{sfn|琵琶湖汽船|loc=竹生島クルーズ: 料金・時刻表}}{{sfn|オーミマリン|2021}}{{sfn|離島振興推進協議会. 通船の時刻表}}。 |
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==== 中世以前 ==== |
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==== 先史・古代の交通 ==== |
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[[ファイル:Biwakomarukibune.jpg|thumb|left|古代の丸木舟のレプリカ([[滋賀県立安土城考古博物館|安土城考古博物館]])]] |
[[ファイル:Biwakomarukibune.jpg|thumb|left|古代の丸木舟のレプリカ([[滋賀県立安土城考古博物館|安土城考古博物館]])]] |
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琵琶湖周辺では、[[縄文時代|縄文]]後期の[[丸木舟]](鰹節型と割竹型の2形態、全長は最大のもので7.9[[メートル]])が発見されており{{efn2|[[水茎遺跡|元水茎内湖干拓遺跡]](琵琶湖の丸木舟は、[[鳥浜遺跡]](福井県[[三方郡]])や[[加茂遺跡 (南房総市)|加茂遺跡]](千葉県旧[[丸山町]])の縄文早期のものに次いで古く、2001年時点での縄文後期 - 晩期の丸木舟の出土例は4箇所計21艘に及び、これは日本最多である{{sfn|木村|2001|p=29}}。{{harvtxt|太田|2012|p=10}} によると、[[水茎遺跡|元水茎内湖干拓遺跡]]([[近江八幡市]])から7隻、[[長命寺湖底遺跡]](同市)から1隻、[[松原内湖遺跡]]([[彦根市]])から10隻、[[尾上浜遺跡]](長浜市[[湖北町]])から1隻出土例があり、[[高田遺跡]]・[[鴨田遺跡]]([[長浜市]])からも丸木船やその破片の出土例がある。また、[[滋賀里遺跡]]([[大津市]])や元水茎内湖干拓遺跡からは[[櫂]]も出土している{{sfn|太田|2012|p=10}}。}}、[[先史時代#日本の先史時代|先史時代]]から[[湖沼交通|湖上交通]]がおこなわれていたことがわかる{{sfn|用田|2018|p=54}}{{sfn|木村|2001|pp=29f}}。[[弥生時代|弥生]]中期後半には丸木舟は準構造船に発展し{{efn2|日本における船舶の発展については「[[和船]]」も参照。}}、[[古代日本|古代]]には湖北と都を結ぶ[[航路]]が築かれていた<!--用田2018,p=54-->{{efn2|[[大中湖|大中の湖]]南遺跡{{small|([[安土町]]下富浦)}}からは[[飛鳥時代]]から[[奈良時代]]の[[港湾|港湾施設]]の[[遺構]]が発見されている{{sfn|木村|2001|p=54}}。}}。『[[万葉集]]』にも琵琶湖の船は多く詠まれているが、[[帆]]を読んだものはほとんどなく、当時[[帆走]]は未発達であったと推測される{{Sfn|横田|2012|pp=38f}}。[[東大寺]]・[[藤原京|藤原宮]]・[[石山寺]]の造営においては、[[甲賀郡|甲賀]]・[[高島郡 (滋賀県)|高島]]・[[栗太郡|田上]]からの木材が湖上交通を利用して運搬されている{{sfn|木村|2001|p=58}}{{sfn|用田|2018|p=54}}{{sfn|太田|2012|p=11}}。 |
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その後、[[平安時代]]に都が[[長岡京]]から[[平安京]]に遷都されると、[[北陸道|北国]]・[[東国]]と都とを結ぶ琵琶湖という交通路は、大きく発展していくことになる{{sfn|木村|2001|p=59}}。『[[延喜式]]』巻二六主税には[[北陸道|北陸]]六箇国の税は[[塩津村 (滋賀県)|塩津]]や勝野{{small|(高島市[[大溝町|大溝]])}}から湖上路を[[大津市|大津]]に運ぶとの規定があり、[[東海地方|東海]]よりの物資も[[中山道]]を経て朝妻{{small|([[米原市]])}}から同様に大津に運ばれた{{sfn|大沼|2013a|pp=197-199}}{{sfn|濱|2014|p=68}}。 |
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[[File:「朝妻船」『木曽路名所図絵』 (cropped).jpg|thumb|江戸初期に朝妻が米原湊に取って代わられた後、朝妻船は懐古的に描かれた{{sfn|太田|2012|p=11}}{{efn2|画像は[[西村中和]]『木曽路名所図会』巻一坤、[[秋里籬島]]編、西村吉兵衛(京都)刊、[[文化 (元号)|文化]]2年(1805年)より。}}。]] |
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湖上交通は、大量の物資や人を運ぶには便利であったが、[[#関連する自然現象|前述]]の風や波による遭難のリスクもあった{{sfn|大沼|2013a|p=199}}。このことから、 |
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湖上交通は、大量の物資や人を運ぶには便利であったが、[[#関連する自然現象|前述]]の風や波による遭難のリスクもあった{{sfn|大沼|2013a|p=199}}。[[高市黒人|高市連黒人]]による |
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{{Quote |
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{{quote|{{ruby|武士|もののふ}}の矢橋の船は早くとも急がば廻れ瀬田の長橋|{{efn2|作者は平安時代の[[源俊頼]]とする説と室町時代の[[宗長]]とする説がある{{sfn|中日新聞|2021}}。}}}} |
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|{{inline block|わが船は}}{{inline block|比良の湊に}}{{inline block|漕ぎ{{ruby|泊|は}}てむ}}{{inline block |
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|{{inline block|沖へな{{ruby|離|さか}}りさ}}{{inline block|夜更けにけり}} |
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}} |
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||[[万葉集]] |
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}} |
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という歌からは、舟旅への恐れが窺える{{sfn|磯崎|2001|p=254}}。平安時代ないし[[室町時代]]には、 |
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という歌が詠まれ、また「急がば廻れ」が[[ことわざ|諺]]として広まった{{sfn|大沼|2013a|p=199}}{{efn2|{{harvtxt|コトバンク (急がば回れ) }}は、歌に諺が由来するのではなく、既に広まっていた諺を歌に詠み込んだものと推測している。}}。次の歌からは舟旅への恐れが窺える{{sfn|磯崎|2001|p=254}}。 |
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{{quote |
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{{Quote|わが船は比良の湊に漕ぎ{{ruby|泊|は}}てむ 沖へな{{ruby|離|さか}}りさ夜更けにけり|[[高市黒人|高市連黒人]]|[[万葉集]]}} |
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|{{inline block|{{ruby|武士|もののふ}}の}}{{inline block|[[矢橋]]の船は早くとも}}{{inline block |
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|{{inline block|急がば廻れ}}{{inline block|[[瀬田の唐橋|瀬田の長橋]]}} |
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}} |
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|[[源俊頼]]もしくは[[宗長]]{{sfn|中日新聞|2021}} |
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}} |
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という歌が詠まれ、また「急がば廻れ」という[[ことわざ|諺]]も広まった{{sfn|中日新聞|2021}}{{sfn|大沼|2013a|p=199}}{{efn2|{{harvtxt|小学館|n.d.a}}は、歌に諺が由来するのではなく、すでに広まっていた諺を歌に詠み込んだものと推測している。}}。 |
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平安時代の湖上交通は南北ルートが中心であったが、[[中世#日本|中世]]以降は琵琶湖の最狭部である[[堅田]]などを拠点とする東西ルートも発展していった{{sfn|木村|2001|pp=63-64}}{{efn2|堅田渡については、平安時代の記録も残されている{{sfn|木村|2001|pp=63-64}}。}}。堅田は、中世をとおして湖上交通において中心的な役割を果たし、[[室町時代]]においては上乗権<small>(うわのりけん)</small>と呼ばれる特権を与えられていた{{sfn|杉江|2011|pp=10-12}}。また[[#内湖|前述]]のように、港(津)の発展には{{読み|内湖|ないこ}}が関わっており、{{読み|内湖|ないこ}}を含む湖岸環境の変化により、津の立地も変化している{{sfn|水野|2011|p=11}}。中世には[[荘園 (日本)|荘園]]領主により港が管理されるようになり、[[年貢]]などの貢献物の輸送も湖上輸送も増え、琵琶湖は経済的に利用されるようになる{{sfn|木村|2001|p=64}}{{sfn|用田|2018|p=54}}。室町時代の史料には、湖上に複数の[[関所]]{{efn2|堅田、[[奥島]]、[[坂本 (大津市)|坂本]]の7関、船木([[安曇川町|安曇川]])、船木([[近江八幡市|近江八幡]])、[[沖島]]など{{sfn|杉江|2011|pp=10-11}}}}があったことも示されている{{sfn|杉江|2011|pp=10-11}}。また、1336年([[建武 (日本)|建武]]3年)には[[足利尊氏]]を追った[[後村上天皇|義良親王]]・[[北畠顕家]]が大軍を率いて琵琶湖を東から西に渡るなど、軍事的にも利用されるようになっていく{{sfn|木村|2001|pp=64-65}}{{sfn|用田|2018|p=54}}。 |
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==== 中世の交通 ==== |
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平安時代から三津浜と呼ばれた[[比叡山]]の外港[[坂本 (大津市)|坂本]]は、[[中世日本|中世]]には大津を凌駕するかたちで栄えるようになり、京都への物資運搬を担う[[馬借]]・車借が室町時代以降大きな力を持っていく{{Efn2|「[[馬借]]」「[[土一揆]]」を参照。}}ことにも繋がった<!-- {{sfn|太田|2012|p=12}} -->。湖上交通の中心は平安時代から引き続き南北ルートであったが、中世以降は琵琶湖の最狭部である[[堅田 (大津市)|堅田]]{{efn2|堅田渡については、平安時代の記録も残されている{{sfn|木村|2001|pp=63f}}。}}などを拠点とする東西ルートも発展していく{{sfn|木村|2001|pp=63f}}{{sfn|太田|2012|p=12}}。また[[#内湖|前述]]のように、港(津)の発展には{{読み|内湖|ないこ}}が関わっており、{{読み|内湖|ないこ}}を含む湖岸環境の変化により、津の立地も変化している{{sfn|水野|2011|p=11}}。 |
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[[File:Lake Biwa Museum 20201024 35.jpg|thumb|left|丸子舟]] |
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中世には[[荘園 (日本)|荘園]]領主により港が管理されるようになり、[[年貢]]などの貢献物の輸送も湖上輸送も増え、琵琶湖は経済的に利用されるようになる{{sfn|木村|2001|p=64}}{{sfn|用田|2018|p=54}}。堅田は中世をとおして湖上交通において中心的な役割を果たし、船の検問などを行い湖上の安全を保証する見返りに金品を求めることのできる上乗権{{small|(うわのりけん)}}と呼ばれる特権を室町時代に与えられた{{sfn|杉江|2011|pp=10-12}}{{sfn|太田|2012|p=13}}。湖上には坂本を中心に複数の[[関所|関]]{{Efn2|坂本七ヶ関(本籍・導撫関・講堂関・横川関・中堂関・合関・西塔関)・堅田・奥島・船木([[安曇川町|安曇川]])・船木([[近江八幡市|近江八幡]])・[[沖島]]などが挙げられる{{sfn|杉江|2011|pp=10f}}{{sfn|太田|2012|p=12}}。}}も設けられ、関銭は山寺の造営などに用いられた{{sfn|杉江|2011|pp=10f}}{{sfn|太田|2012|p=12}}。 |
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[[近世#日本|近世]]には、物資輸送・地場産業が振興され、発展した港の間で輸送を巡っての紛争も度々起こっていた。またこの頃には、[[日本海]]などの[[弁才船|弁財船]]よりも幅が狭い[[丸子船]](丸船、丸木船、丸太船とも)と呼ばれる琵琶湖特有の木造[[和船]]が使われるようになった{{sfn|木村|2001|pp=67-68}}。[[織田信長]]は港を重視し、1573年([[天正]]元年)に船長約54メートルの船で坂本から京都に入るなど、琵琶湖を軍事的に大きく活用した{{sfn|木村|2001|p=65}}{{efn2|[[中井均]]は「みずうみの城郭網」において、信長が交通の要所に[[安土城]]、[[長浜城 (近江国)|長浜城]]、[[坂本城]]、[[大溝陣屋|大溝城]]を築き、琵琶湖を取り囲むことで琵琶湖水運を掌握しようとしたとの説を唱えているが、{{harvtxt|杉江|2011|pp=24-45}} は実証性の不足などを指摘し否定的な見解を示している。}}。[[豊臣政権]]下では、湖上交通の拠点は堅田から[[大津市|大津]]に移り、[[大津百艘船]]が創設され、[[浅野長政|浅野長吉]]が1587年([[天正]]15年)に下した高札により特権を与えられたほか{{sfn|杉江|1999|pp=15-16}}、天正17年頃には[[芦浦観音寺|観音寺]]が[[湖水船奉行|船奉行]]を務めることとなり{{sfn|杉江|1999|p=19}}、これらの体制は[[江戸幕府|徳川政権]]下でも踏襲された{{sfn|杉江|1999|p=34}}。また[[豊臣秀吉]]は、[[敦賀城]]主[[大谷吉継]]に命じ大浦から運河を掘り進めようとしたが、前述の平安時代の例と同様に岩山に阻まれ断念しており、このような運河の計画は[[江戸時代]]にも繰り返し浮上したが、そのたびに頓挫している{{sfn|用田|2011|p=164}}。 |
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[[建武 (日本)|建武]]3年(1336年)には[[足利尊氏]]を追った[[後村上天皇|義良親王]]・[[北畠顕家]]が大軍を率いて琵琶湖を東から西に渡るなど、湖上は軍事的にも利用されるようになっていく{{sfn|木村|2001|pp=64f}}{{sfn|用田|2018|p=54}}。[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に入ると、従来の[[延暦寺|比叡山延暦寺]]に加え[[戦国大名]]の[[浅井氏]]が[[菅浦の湖岸集落|菅浦]]・大浦・[[沖島]]、[[六角氏]]が堅田の船を支配下に置くなど、各浦の船の掌握を図るようになった{{sfn|太田|2012|p=14}}。 |
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[[ファイル:Hiroshige Boats on a lake.jpg|サムネイル|[[歌川広重]]『[[近江八景]]』より「矢橋帰帆」(1834年頃)。]] |
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==== 近世の交通 ==== |
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[[西廻海運]]の成立以降は、[[若狭国]]の[[小浜市|小浜]]・[[敦賀市|敦賀]]から琵琶湖を経由する流通路は衰退し、湖上水運は周辺域の流通路へと変容していったため{{sfn|杉江|2011|p=140}}、堅田・大津・近江八幡の三ヵ浦は小さな湊にまで出向き争論を繰り広げるようになり{{sfn|杉江|2011|p=144}}、その後は堅田、大津、大溝、舩木、今津、海津、大浦、塩津、八幡の九ヵ浦体制が成立した{{sfn|杉江|2011|pp=162 & 166}}。大津を拠点とする観音寺が1685年([[貞享]]2年)に船奉行職を罷免され、以降は京都や四日市を拠点とする[[江戸幕府]]の官僚的[[代官]]が船奉行を務めることとなったことには、幕府にとって琵琶湖水運の地位が低下したことが表れている{{sfn|杉江|2011|pp=148 & 154-155}}。もっとも船数は大幅には減少せず{{sfn|杉江|2011|pp=141-142}}、江戸時代中期の[[享保]]年間には5,740艘もの船が琵琶湖を行き来していたとされる{{sfn|木村|2001|p=68}}。 |
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[[File:Lake Biwa Museum 20201024 35.jpg|thumb|left|丸子舟]] |
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[[近世#日本|近世]]には、物資輸送・[[地場産業]]が振興され、発展した港の間で輸送を巡っての紛争もたびたび起こっていた。またこのころには、[[日本海]]などの[[弁才船|弁財船]]よりも幅が狭い[[丸子船]](丸船・丸木船・丸太船とも)と呼ばれる琵琶湖特有の木造[[和船]]が使われるようになった{{sfn|木村|2001|pp=67f}}。[[#滋賀での水利用|後述]]するように湖岸の田畑や集落には、ホリと呼ばれる水路が張り巡らされており、たとえば[[草津市]][[栗太郡|志那町]]では、[[閘門]]を通じて田舟を琵琶湖に下ろし、[[浜大津]]まで往復することもあったと伝えられている{{sfn|迫田|2015|pp=173f}}。 |
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[[織田信長]]{{efn2|信長が築いた[[坂本城]]・[[長浜城 (近江国)|長浜城]]・[[大溝城]]・[[安土城]]は、いずれも[[水城 (城郭)|水城]]である{{sfn|大沼|2012a|p=21}}。}}は港を重視し、[[天正]]元年(1573年)に船長約54メートルの船で[[坂本 (大津市)|坂本]]から[[京都]]に入るなど、琵琶湖を軍事的に大きく活用した{{sfn|木村|2001|p=65}}{{efn2|[[中井均]]は「みずうみの城郭網」において、信長が交通の要所に[[安土城]]・[[長浜城 (近江国)|長浜城]]・[[坂本城]]・[[大溝城]]を築き、琵琶湖を取り囲むことで琵琶湖水運を掌握しようとしたとの説を唱えているが、{{harvtxt|杉江|2011|pp=24-45}} は実証性の不足などを指摘し否定的な見解を示している。織田信長の琵琶湖支配の独自性に否定的で、豊臣秀吉による琵琶湖舟運の再編を高く評価する杉江の主張について、{{harvtxt|太田|2012|pp=14f.}} は戦国大名との比較すると信長の琵琶湖舟運との関わりの積極性は否定できないとし、<q>信長への過大評価への警鐘として理解すべきであろう</q>と評価している。}}。[[豊臣政権]]下では、京都から[[大阪]]へと物資の流れが変わり、それに伴い湖上交通の拠点も堅田や坂本から[[大津市|大津]]に移ることになる{{sfn|杉江|1999|pp=15f}}{{sfn|太田|2012|p=15}}。[[豊臣秀吉]]により創設された[[大津百艘船]]は、大津からの積荷を独占的に扱えるなどとする特権を[[浅野長政|浅野長吉]]が[[天正]]15年(1587年)に下した高札により与えられた{{sfn|杉江|1999|pp=15f}}{{sfn|太田|2012|pp=15f}}。また天正17年ごろには、[[芦浦観音寺|観音寺]]が[[湖水船奉行|船奉行]]を務めることとなった{{sfn|杉江|1999|p=19}}。秀吉は、湊への着岸順に荷物を積み出すことができるとする艫折廻船{{Small|(ともおりかいせん)}}という制度により、堅田の湖上特権を否定した平等な流通システムの創設もおこなった{{sfn|太田|2012|p=16}}。豊臣政権下で築かれたこれらの体制は[[江戸幕府|徳川政権]]下でも踏襲されることとなる{{sfn|杉江|1999|p=34}}{{sfn|太田|2012|p=19}}。 |
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江戸時代には幕府のほか、[[彦根藩]]も独自の船支配を行っていた{{sfn|杉江|2011|p=201}}。彦根では古代以来、朝妻が東西航路の起点であったが、[[元和 (日本)|元和]]年間に松原・米原・[[長浜市|長浜]]の彦根三湊が水運の中核として取って代わった{{sfn|杉江|2011|p=174}}。享保年間には争論の結果、彦根三湊が大津百艘船の特権を切り崩すこととなった{{sfn|杉江|2011|p=201}}。 |
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[[ファイル:Hiroshige Boats on a lake.jpg|サムネイル|[[歌川広重]]の『[[近江八景]]』より「矢橋帰帆」(1834年ごろ)。]] |
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==== 近現代 ==== |
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[[西廻海運]]の成立以降は、[[若狭国]]の[[小浜藩|小浜]]・[[敦賀藩|敦賀]]から琵琶湖を経由する流通路は衰退し、湖上水運は周辺域の流通路へと変容していった{{sfn|杉江|2011|p=140}}。このため、堅田・大津・[[近江八幡市|近江八幡]]の三ヵ浦は小さな湊にまで出向き争論を繰り広げるようになり{{sfn|杉江|2011|p=144}}、その後堅田・大津・大溝・舩木・今津・[[海津村|海津]]・[[西浅井郡|大浦]]・塩津・八幡の九ヵ浦体制が成立した{{sfn|杉江|2011|pp=162 & 166}}。大津を拠点とする[[芦浦観音寺|観音寺]]が[[貞享]]2年(1685年)に船奉行職を罷免され、以降京都や[[四日市市|四日市]]を拠点とする[[江戸幕府|幕府]]の官僚的[[代官]]が船奉行を務めることとなったことには、幕府にとって琵琶湖水運の地位が低下したことが表れている{{sfn|杉江|2011|pp=148 & 154f}}。もっとも船数は大幅には減少せず{{sfn|杉江|2011|pp=141f}}、江戸時代中期の[[享保]]年間には5740艘もの船が琵琶湖を行き来していたとされる{{sfn|木村|2001|p=68}}。また、流通路としての地位の回復や[[#水害と治水|後述]]の水害への対策、[[新田開発]]などを目的として、[[琵琶湖運河|琵琶湖 - 敦賀間に運河を通す計画]]が、江戸時代を通じ複数回持ち上がっている{{sfn|辻川|2012|p=23}}。 |
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江戸時代には幕府のほか、[[彦根藩]]も独自の船支配をおこなっていた{{sfn|杉江|2011|p=201}}。彦根では古代以来、朝妻が東西航路の起点であったが、[[元和 (日本)|元和]]年間に[[松原町 (彦根市)|松原]]・米原・[[長浜市|長浜]]の彦根三湊が水運の中核として取って代わった{{sfn|杉江|2011|p=174}}。享保年間には争論の結果、彦根三湊が大津百艘船の特権を切り崩すこととなった{{sfn|杉江|2011|p=201}}。 |
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近代に入り1869年([[明治]]2年)の蒸気船一番丸(木造外輪船)の就航から1889年(明治22年)の[[東海道線]]全線開通および1931年([[大正]]15年)の[[江若鉄道]]の[[今津町 (滋賀県)|今津]]までの開通にかけては、湖上交通が再び大量輸送を担った{{sfn|用田|2018|p=54}}{{sfn|末永|1991|p=90}}。以降は輸送に占める湖上交通の割合は低下したが、小地域間の湖上交通は1960年代まで続いた{{sfn|用田|2018|p=54}}。なお、丸子船のような木造船は生業・生活に密接に関わるものとして大正ごろまで使われており、1880年(明治13年)の『滋賀県物産誌』に基づくと、輸送船・[[漁船]]・田船など少なくとも1万1,100艘{{efn2|この内12パーセントは内陸部の船である。}}の船が存在していた{{sfn|牧野久美|2001|pp=257-262}}。また、1935年(大正13年)には[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[大尉]]吉田幸三郎により「阪敦大運河計画」が、1935年(昭和10年)には土木技師[[田辺朔郎|田邊朔郎]]により「大琵琶湖運河計画」が立案されている{{sfn|用田|2011|pp=164-165}}。 |
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==== 近現代の交通 ==== |
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[[高度経済成長期]]にも琵琶湖から[[運河]]を掘削して日本海と[[太平洋]]・[[瀬戸内海]]を結ぶ運河構想は持ち上がっている。当初は、琵琶湖から日本海と瀬戸内海を結ぶ「[[日本横断運河|阪敦運河]]」構想を[[福井県]]知事の[[北栄造]]が調整し始めた。特に[[三重県]][[四日市市]]長の[[平田佐矩]]が熱心だったこともあり、福井県・滋賀県・[[岐阜県]]・[[愛知県]]・三重県および[[名古屋市]]・[[敦賀市]]・四日市市の間で、総工費2500億円-3500億円をかけ若狭湾-琵琶湖-[[伊勢湾]]を結ぶ[[中部横断運河]]の建設期成同盟が結成され、[[自由民主党 (日本)|自民党]]副総裁の[[大野伴睦]]が会長に就任した。しかし、大野や平田が相次いで死去したことや、北および敦賀市長の畑守が相次いで落選するなど推進の中心人物を失い、1970年には中部圏開発整備本部が調査の打ち切りを発表した{{sfn|福井県|1996}}{{要ページ番号|date=2021年2月}}。 |
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{{See also|琵琶湖疏水#舟運}}[[File:Yabase-ura, Shiga pref around 1910.png|thumb|矢橋浦(1910年ごろ)|左]]近代に入り[[明治]]2年(1869年)に[[蒸気船]][[一番丸]](5[[トン (代表的なトピック)|トン]]12[[馬力]]の木造[[外輪船]])が就航すると、ふたたび湖上交通が大量輸送を担うこととなる{{sfn|末永|1991|p=90}}{{sfn|福井|2012|p=50}}{{sfn|用田|2018|p=54}}。既存の[[和船]]問屋や漁業者は蒸気船への妨害を行ったが、明治4年(1871年)には大津百艘船などの旧来の制度は解体された{{sfn|福井|2012|pp=50f}}。1874年(明治7年)までに15隻の蒸気船が就航しており、汽船間の競争の激化により事故が続発するようになったため([[#事件や事故|後述]])、1875年(明治8年)7月、滋賀県により汽船取締規則の通達が出されている{{sfn|福井|2012|pp=51f}}。さらに翌1876年3月より大津湊町に汽船取締会所および同支所7箇所が設立され、安全航行のための会所規則が定められた{{sfn|福井|2012|pp=52f}}。1880年(明治13年)7月には[[大阪駅|大阪]] - [[京都駅|京都]]間の鉄道開通にともない[[長浜港 (滋賀県)|長浜]] - [[大津港 (滋賀県)|大津]]間の[[鉄道連絡船]]の営業をめぐる争いが生じ、1882年(明治15年)には滋賀県の介入のもと3社合併により18隻を所有する[[太湖汽船|太湖汽船会社]]が設立されている<!--{{sfn|福井|2012|p=54}}-->。翌1883年には日本初となる湖上鋼鉄船第一太湖丸(516トン)および第二太湖丸(498トン)も定期航路に就航し、1884年には[[長浜駅|長浜]] - [[敦賀駅|敦賀]]間および長浜 - [[大垣駅|大垣]]間の鉄道全線開通に併せてこちらも日本初となる鉄道連絡船が営業を開始した{{sfn|福井|2012|p=54}}。1886年(明治19年)には紺屋関汽船・山田汽船が合併し[[湖南汽船|湖南汽船会社]]が設立され、湖上交通は太湖汽船と堅田以南を営業区域とする湖南汽船の2大会社に統一されていくこととなる{{sfn|福井|2012|p=54}}。 |
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当初日本政府や太湖汽船によって30年程度と見積もられていた鉄道連絡船の役目は、予想外に早い1889年(明治22年)に[[東海道本線|東海道線]]が全線開通したことにより、わずか7年で終りを迎えることとなった{{Sfn|大沼|2012b|p=102}}。そのため[[#景勝・観光地として|後述]]するように、2大汽船会社は、貨客輸送から[[遊覧船]]へと営業の主力を切り替えていくことになる{{sfn|福井|2012|pp=54f}}。さらに1931年([[大正]]15年)には[[江若鉄道]]が[[近江今津駅 (江若鉄道)|今津]]まで開通し、以降は輸送に占める湖上交通の割合は低下したが、小地域間の湖上交通は1960年代まで続いた{{sfn|用田|2018|p=54}}。なお、丸子船のような木造船は生業・生活に密接に関わるものとして大正ごろまで使われており、1880年([[明治]]13年)の『滋賀県物産誌』に基づくと、輸送船・[[漁船]]・田船など少なくとも1万1100艘{{efn2|この内12パーセントは内陸部の船である。}}の船が存在していた{{sfn|牧野久美|2001|pp=257-262}}。 |
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近現代にも、琵琶湖を経由して日本海と[[太平洋]]や[[瀬戸内海]]を繋ぐ運河計画は、琵琶湖疏水の築造に携わった[[田辺朔郎]]による[[昭和]]初期の「[[大琵琶湖運河計画]]」や、[[高度経済成長#日本の例|高度経済成長期]]の「[[日本横断運河|日本横断運河構想]]」など複数回立てられている{{sfn|用田|2011|pp=164f}}{{sfn|辻川|2012|p=23}}。しかし[[モータリゼーション]]が進んだ結果、1964年(昭和39年)に[[琵琶湖大橋]]が、1974年(昭和49年)に[[近江大橋]]が架橋されたことが象徴するように、琵琶湖は水運の手段ではなく陸運の障碍物へと転じていった{{sfn|辻川|2012|p=23}}。 |
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=== 水害と治水 === |
=== 水害と治水 === |
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[[ファイル:Seta river dam Shiga,JAPAN.jpg|thumb|left|瀬田川洗堰]] |
[[ファイル:Seta river dam Shiga,JAPAN.jpg|thumb|left|瀬田川洗堰]] |
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{{main2|瀬田川浚渫・改修の詳細|淀川#淀川開発史}} |
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{{For2|瀬田川浚渫・改修の詳細|淀川#淀川開発史}} |
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<!-- 水害と治水の概要 --> |
<!-- 水害と治水の概要 --> |
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琵琶湖の湖岸域では、河川の[[氾濫]]のほか、「水込み」と呼ばれる琵琶湖の水位上昇による[[水害]]に悩まされてきた{{sfn|水野|2011|p=13}}{{sfn|竹林|今井|1995|p=409}}。古文書における琵琶湖周辺の水害の記録は、701年([[大宝]]元年)以降多く残されている{{sfn|竹林|今井|1995|pp= |
琵琶湖の湖岸域では、河川の[[氾濫]]のほか、「水込み」と呼ばれる琵琶湖の水位上昇による[[水害]]に悩まされてきた{{sfn|水野|2011|p=13}}{{sfn|竹林|今井|1995|p=409}}。古文書における琵琶湖周辺の水害の記録は、701年([[大宝 (日本)|大宝]]元年)以降多く残されている{{sfn|竹林|今井|1995|pp=419f}}。 |
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<!-- 近世以前の治水 --> |
<!-- 近世以前の治水 --> |
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琵琶湖の水害を防ぐための瀬田川改修の歴史は、[[奈良時代]]の僧侶[[行基]]による瀬田川の流れを阻害する小山(のちの大日山)の[[掘削]]の試みにまで遡ることができる{{sfn|竹林|今井|1995|p=409}}。その後 |
琵琶湖の水害を防ぐための瀬田川改修の歴史は、[[奈良時代]]の僧侶[[行基]]による瀬田川の流れを阻害する小山(のちの大日山)の[[掘削]]の試みにまで遡ることができる{{sfn|竹林|今井|1995|p=409}}。その後江戸時代には、幕府の[[普請]]が2回と自普請が3回、計5回の[[浚渫]]工事がおこなわれており、特に1699年([[元禄]]12年)の「[[河村瑞賢]]の大普請」と、[[高島郡 (滋賀県)|高島郡]]深溝村の[[庄屋]]藤原太郎兵衛家の尽力の末に実現した1831年([[天保]]2年)の普請が大規模なものであった{{sfn|竹林|今井|1995|pp=410-412}}{{sfn|水野|2011|pp=13f}}。またこの間、流量増加による洪水を危惧する下流住民の反対などによりなかなか浚渫が実現しなかった時期には、[[アサリ|あさり]]取りなどと称した地元住民による小規模な浚渫などもおこなわれている{{sfn|竹林|今井|1995|pp=410-412}}。 |
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<!-- 近代以降の治水 --> |
<!-- 近代以降の治水 --> |
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近代に入ってからは1890年([[明治]]23年)以降、滋賀県内の有志が結成した琵琶湖水利委員同盟会や滋賀県知事[[大越亨]]により、繰り返し淀川の浚渫の陳情がなされた{{sfn|竹林|今井|1995|pp= |
近代に入ってからは1890年([[明治]]23年)以降、滋賀県内の有志が結成した琵琶湖水利委員同盟会や滋賀県知事[[大越亨]]により、繰り返し淀川の浚渫の陳情がなされた{{sfn|竹林|今井|1995|pp=412f}}。[[明治十八年の淀川洪水|1885年(明治18年)の淀川洪水]]で大きな被害を受けた下流域の反対にも遭ったが、1893年(明治26年)からは小規模な浚渫が実現した{{sfn|水野|2011|p=16}}{{sfn|竹林|今井|1995|pp=412-414}}。さらに1900年から1908年(明治33年から41年)にかけては、大規模な浚渫と上述の大日山の掘削がおこなわれ、また[[南郷洗堰]]が築造されたため琵琶湖の水位の調整が可能となった{{sfn|水野|2011|p=16}}{{sfn|竹林|今井|1995|p=414}}。これらの工事以前には、プラス3.76メートルにまで水位が上昇し琵琶湖周辺のほとんどの地域が237日にわたって浸水した[[明治29年琵琶湖洪水|1896年(明治29年)の洪水]]をはじめとし、ほぼ隔年で長期間の浸水が発生していたが、以降の浸水被害は4年に1度程度にまで減じた{{sfn|竹林|今井|1995|pp=418 & 420}}。その後1961年(昭和36年)には南郷洗堰の隣接地に[[瀬田川洗堰]]が築造されている{{sfn|日経新聞|2017}}{{sfn|日経新聞|2020}}。 |
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=== 水利用 === |
=== 水利用 === |
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==== 滋賀での利用 ==== |
==== 滋賀での水利用 ==== |
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[[ファイル:Harie-Okawa_river-1_2020.jpg|サムネイル|琵琶湖への流入河川の一つである[[安曇川]][[水系]]の[[伏流水]]を利用した「川端文化」で知られる[[針江区]]。]] |
[[ファイル:Harie-Okawa_river-1_2020.jpg|サムネイル|琵琶湖への流入河川の一つである[[安曇川]][[水系]]の[[伏流水]]を利用した「川端文化」で知られる[[針江区]]。]] |
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[[#環境史|前述]]のとおり、琵琶湖湖岸域では[[弥生時代]]ごろから[[稲作]]がおこなわれていた<!--前述要約につき出典略-->。田畑よりも低い位置にある琵琶湖の水は使いにくかったため、[[昭和]]中ごろまで琵琶湖の水を農業や生活に利用することは少なく、もっぱら琵琶湖への流入河川や[[井戸]]の水を利用してきた{{Sfn|牧野厚史|2001|p=202}}。これらの河川の水量は琵琶湖に比べると少なく<!--牧野-->、また[[扇状地]]であるため[[伏流水]]化しやすい地形が多く<!--耕地課-->、[[甲良町]]など[[農業用水]]の確保に問題を抱える地域も多かった<!--牧野-->{{Sfn|牧野厚史|2001|p=202}}{{sfn|耕地課|2019|p=23}}。 |
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琵琶湖に隣接する[[湿地帯]]においては、傾斜が緩いため通常の[[灌漑]]が困難であったが{{sfn|市川|2011|p=209}}、琵琶湖や{{読み|内湖|ないこ}}の水を利用した[[田|水田]]の開発が歴史的に試みられてきた{{sfn|市川|2011|pp=234f}}。形成期においては、泥田([[湿田|超湿田]])が広く見られたと推測され、次いで跳ね[[釣瓶]]や縄をつけた[[桶]]による直接取水もおこなわれるようになったと推測されている{{sfn|市川|2011|p=234}}。その後遅くとも近世中期(中世にまで遡れる可能性もある)までには、ホリと呼ばれる[[溝渠|水路]]{{efn2|ホリは田舟の通路や炊事の場としても利用され、小魚や肥料用の土なども提供していた{{sfn|迫田|2015|p=174}}。}}や「蛇車{{small|(じゃぐるま)}}」と呼ばれる[[踏車|足踏み式の水車]]などの揚水機を用いた逆水灌漑がおこなわれるようになる{{sfn|市川|2011|p=234}}{{sfn|市川|2013|pp=267-269}}。また、琵琶湖と{{読み|内湖|ないこ}}ないしホリとの境界部に[[堰]]や[[閘門]]を設けて水位を上昇させる方法も用いられており、これは[[明治|明治時代]]に[[南郷洗堰]]が築造され琵琶湖の水位が低下したことに伴い採用された例が多いと推定される{{sfn|市川|2011|pp=216 & 234f}}。1904年(明治37年)以降は[[ポンプ]]により琵琶湖から{{読み|内湖|ないこ}}に揚水する方法も用いられるようになっていった{{sfn|市川|2011|p=235}}。なお、[[大正]]年間の調査に基づくと、逆水灌漑の分布は湖南・湖東に多く、平地の傾斜が大きい湖北・湖西では少なかった{{sfn|市川|2011|p=211}}。 |
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[[#環境史|前述]]のとおり、琵琶湖湖岸域では[[弥生時代]]頃から[[稲作]]が行われていた<!--前述要約につき出典略-->。田畑よりも低い位置にある琵琶湖の水は使いにくかったため、[[昭和]]中頃まで琵琶湖の水を農業や生活に利用することは少なく、もっぱら琵琶湖への流入河川や[[井戸]]の水を利用してきた{{Sfn|牧野厚史|2001|p=202}}。これらの河川の水量は琵琶湖に比べると少なく<!--牧野-->、また[[扇状地]]であるため[[伏流水]]化しやすい地形が多く<!--耕地課-->、[[甲良町]]など[[農業用水]]の確保に問題を抱える地域も多かった<!--牧野-->{{Sfn|牧野厚史|2001|p=202}}{{sfn|耕地課|2019|p=23}}。 |
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[[昭和]]30年代ごろには[[上水道]]の普及が始まり、以降湖水の利用量は増えていくことになる{{Sfn|牧野厚史|2001|pp=202, 204}}。滋賀県では1980年ごろから2000年ごろにかけて、人口の増加などの要因により湖水の利用が大幅に増え、2019年時点における上水道の主要な水源は琵琶湖の水となっている{{Sfn|牧野厚史|2001|p=205}}{{sfn|滋賀県|2019a|p=14}}。また、農業水利においては1970年代以降、大型ポンプを備えた施設で湖から水を汲み上げ、[[パイプライン輸送|パイプライン]]で農地に配水する逆水灌漑による湖水の利用が増加した{{Sfn|牧野厚史|2001|p=205}}。{{harvtxt|牧野厚史|2001|pp=205-206|p=}} は、このような水利用は利用者から見えにくく、生活と[[水循環]]の関係に思いを馳せることが難しくなっていると指摘し、[[八幡堀]]の保存活動などは、単なる資源としての水利用に留まらない水問題への地域固有の解決策の方向を示しているのではないかと述べている。 |
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琵琶湖に隣接する[[湿地帯]]においては、傾斜が緩いため通常の[[灌漑]]が困難であったが{{sfn|市川|2011|p=209}}、琵琶湖や{{読み|内湖|ないこ}}の水を利用した[[田|水田]]の開発が歴史的に試みられてきた{{sfn|市川|2011|pp=234-235}}。形成期においては、泥田([[湿田|超湿田]])が広く見られたと推測され、次いで跳ね[[釣瓶]]や[[縄]]をつけた[[桶]]による直接取水も行われるようになったと推測されている{{sfn|市川|2011|p=234}}。その後遅くとも近世中期(中世にまで遡れる可能性もある)までには、ホリと呼ばれる[[溝渠|水路]]や「蛇車<small>(じゃぐるま)</small>」と呼ばれる[[踏車|足踏み式の水車]]などの揚水機を用いた逆水灌漑がおこなわれるようになる{{sfn|市川|2011|p=234}}{{sfn|市川|2013|pp=267-269}}。また、琵琶湖と{{読み|内湖|ないこ}}ないしホリとの境界部に[[堰]]や[[閘門]]を設けて水位を上昇させる方法も用いられており、これは[[明治|明治時代]]に[[南郷洗堰]]が築造され琵琶湖の水位が低下したことに伴い採用された例が多いと推定される{{sfn|市川|2011|pp=216 & 234-235}}。1904年(明治37年)以降は[[ポンプ]]により琵琶湖から{{読み|内湖|ないこ}}に揚水する方法も用いられるようになっていった{{sfn|市川|2011|p=235}}。なお、[[大正]]年間の調査に基づくと、逆水灌漑の分布は湖南・湖東に多く、平地の傾斜が大きい湖北・湖西では少なかった{{sfn|市川|2011|p=211}}。 |
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==== 淀川下流域での水利用 ==== |
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[[昭和]]30年代頃には[[上水道]]の普及が始まり、以降湖水の利用量は増えていくことになる{{Sfn|牧野厚史|2001|pp=202, 204}}。滋賀県では1980年ごろから2000年頃にかけて、人口の増加などの要因により湖水の利用が大幅に増え、2019年時点における上水道の主要な水源は琵琶湖の水となっている{{Sfn|牧野厚史|2001|p=205}}{{sfn|滋賀県|2019a|p=14}}。また、農業水利においては1970年代以降、大型ポンプを備えた施設で湖から水を汲み上げ、[[パイプライン輸送|パイプライン]]で農地に配水する逆水灌漑による湖水の利用が増加した{{Sfn|牧野厚史|2001|p=205}}。{{harvtxt|牧野厚史|2001|pp=205-206|p=}} は、このような水利用は利用者から見えにくく、生活と[[水循環]]の関係に思いを馳せることが難しくなっていると指摘し、[[八幡堀]]の保存活動などは、単なる資源としての水利用に留まらない水問題への地域固有の解決策の方向を示しているのではないかと述べている。 |
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==== 淀川下流域での利用 ==== |
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[[ファイル:疏水3178.JPG|thumb|left|琵琶湖から京都へ水を供給する琵琶湖疏水。]] |
[[ファイル:疏水3178.JPG|thumb|left|琵琶湖から京都へ水を供給する琵琶湖疏水。]] |
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{{see also|淀川#淀川開発史}} |
{{see also|淀川#淀川開発史}} |
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<!-- 京阪神での水利用に占める琵琶湖の割合などについて要追記 --> |
<!-- 京阪神での水利用に占める琵琶湖の割合などについて要追記 --> |
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京都で琵琶湖の湖水を生活用水の源とするようになったのは、琵琶湖第二疏水を完成させた[[1912年]](明治45年)のことである{{Sfn|中川|2011|p=190}}。第一疏水は第二疏水より古く1890年(明治23年)に完成している{{Sfn|大久保|1998|p=245}}。[[琵琶湖疏水]]の建設は[[東京奠 |
京都で琵琶湖の湖水を生活用水の源とするようになったのは、琵琶湖第二疏水を完成させた[[1912年]]([[明治]]45年)のことである{{Sfn|中川|2011|p=190}}。第一疏水は第二疏水より古く1890年(明治23年)に完成している{{Sfn|大久保|1998|p=245}}。[[琵琶湖疏水]]の建設は[[東京奠都]]によって衰退の危機にあった京都を再興することを目的とし、まずは疏水の水車動力によって工業を近代化し、さらに水運を確保する計画で[[京都府知事]]の[[北垣国道]]が先導した{{sfn|京都市上下水道局|2019c}}{{sfn|滋賀県|2018a}}。当時、京都では[[鴨川 (淀川水系)|鴨川]]に源流を持つ京都盆地の水系を[[賀茂別雷神社]](上賀茂神社)が支配し、[[京都御所|御所]]の水源も「御所御用水流通水掛リ之儀者賀茂別雷神社 旧一社ニテ支配被致候」とされていた{{sfn|小野|2019|p=1}}。構造的に夏の渇水期になると上流小山郷の田畑の灌漑が優先されることになり、御所の水は枯渇する様であった。疏水によってに御所用水路の新たな付け替えもあり、御所の庭園と防火用桝への安定供給が図られるようになった{{sfn|小野|2019|pp=1f}}。琵琶湖疏水を介して毎秒24[[立方メートル]](2017年時点){{sfn|京都市上下水道局|2019a}}を取水し、水源の99パーセント(2019年ごろ){{sfn|京都市上下水道局|2019b}}を琵琶湖に頼る[[京都市]]は、1914年([[大正]]3年)以来京都市民の感謝の気持ちとして滋賀県に毎年感謝金(琵琶湖疏水感謝金)を支払っている{{sfn|上江|2016}}{{sfn|門川|2015}}{{efn2|契約は10年ごとに更新され、2015年([[平成]]27年)の更新では三日月知事と水田雅博京都市公営企業管理者上下水道局長とで年間2億3千万円の契約を締結した(1千万円増額){{sfn|門川|2015}}{{sfn|京都市上下水道局|2015}}。}}。財源は京都市民の水道料金で、滋賀県は感謝金を水源保全に充てている{{sfn|京都市上下水道局|2015}}{{sfn|日経新聞|2015}}。 |
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[[File:Otsu, Shiga Prefecture, Japan - panoramio (8).jpg|サムネイル|琵琶湖唯一の流出(自然)河川である瀬田川。]] |
[[File:Otsu, Shiga Prefecture, Japan - panoramio (8).jpg|サムネイル|琵琶湖唯一の流出(自然)河川である瀬田川。]] |
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大阪では[[1895年]](明治28年)に[[淀川]]を水源とする本格給水が始まった{{Sfn|中川|2011|p=190}}。[[第二次世界大戦]] |
大阪では[[1895年]](明治28年)に[[淀川]]を水源とする本格給水が始まった{{Sfn|中川|2011|p=190}}。[[第二次世界大戦後]]の[[高度経済成長|高度経済成長期]]に際しては、著しい産業発展により淀川での安定した取水が必要になった{{Sfn|中川|2011|p=191}}{{Sfn|大久保|1998|p=247}}。琵琶湖下流域における水資源の需要の急速な拡大に対応するために、1972年(昭和47年)に琵琶湖総合開発特別措置法が制定。[[琵琶湖総合開発事業]]を策定した{{Sfn|大久保|1998|p=247}}。事業の策定にあたって上流への影響は避けられないことから、不利益を減らすために原案は滋賀県知事が作成し[[内閣総理大臣]]がこれを決定する形がとられた{{Sfn|大久保|1998|p=248}}。同事業によって水位低下補償事業が完了し、水位の管理について国(瀬田川洗堰管理者)と滋賀県、下流府県が初めて合意した{{Sfn|中川|2011|p=193}}。規則では、[[洪水]]時はあらかじめ水位をマイナス20センチメートルあるいはマイナス30センチメートルに下げて対処、非洪水時は30センチメートルを上限になるべく水位を高く保ち[[渇水]]に備えることを基本とし{{Sfn|中川|2011|p=193}}、下流域の渇水時には琵琶湖水位マイナス1.5メートルまで湖水を利用できることになっている{{Sfn|中川|2011|p=191}}。また、増大する水の需要に[[1991年]](平成3年)度までは不安定な「暫定豊水水利権」(河川の流量が一定の流量を超える場合に限って取水できる[[水利権]])で対応してきたが、同年度末には水資源開発事業が概成し都市用水として最大毎秒40立方メートルの新規水利権が与えられた{{Sfn|三谷|1997|p=520}}{{Sfn|大阪市水道局|2020|p=101}}。下流域の水利権を拡大せざるを得なかった背景には、京阪地域が渇水時であっても比較的豊富な水量を保つ水源として淀川、さらにその水源である琵琶湖への依存を強めたことがある{{Sfn|中川|2011|p=191}}{{efn2|水利権の拡大によって、例えば[[1994年]](平成6年)夏の全国的な渇水によって阪神地区が大きな影響を受けることはなかった{{Sfn|三谷|1997|p=520}}。}}。琵琶湖総合開発事業では、琵琶湖を文化面を含み多方面で活用し親しんでいる滋賀県民の生活に直接的な影響が及ぶことは避けられず、上流と下流の利権をいかに調整するかが事業の肝となった{{Sfn|大久保|1998|p=|pp=247f}}。上流の不利益を解消するために、下流の利水公共団体は琵琶湖とその周辺の上流域の福祉増進に利するために下流負担金602億円を負担することになった{{Sfn|大久保|1998|p=248}}{{Sfn|大阪市水道局|2020|p=101}}{{sfn|国土交通省|1997}}。 |
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琵琶湖の水利用を巡っては、下流の京都・大阪への対抗心を表すために「[[琵琶湖の水止めたろか]]」というジョークがしばしば用いられる{{sfn|ギャラクシー|2017}}{{sfn|日経新聞|2017}}。{{harvtxt|野田|2001|p=232}} は滋賀県・京都府・大阪府の住民を対象にした1995年のアンケート調査を参照し、滋賀県以外の住民は渇水時などには水源として琵琶湖を意識するが、普段はその存在を別段気に留めていないのだと結論づけている。 |
琵琶湖の水利用を巡っては、下流の京都・大阪への対抗心を表すために「[[琵琶湖の水止めたろか]]」というジョークがしばしば用いられる{{sfn|ギャラクシー|2017}}{{sfn|日経新聞|2017}}。{{harvtxt|野田|2001|p=232}} は滋賀県・京都府・大阪府の住民を対象にした1995年のアンケート調査を参照し、滋賀県以外の住民は渇水時などには水源として琵琶湖を意識するが、普段はその存在を別段気に留めていないのだと結論づけている。 |
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=== 天然ガスの利用 === |
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琵琶湖の湖岸一帯では[[天然ガス]]が湧出している場所があり、古くは湖北(現在の高島市)において農家が燃料として使用する例も見られた。湖南では[[1883年]]夏、[[栗太郡]]常盤村(現在の草津市)において住民が[[井戸]]を掘った際に、[[地下水]]に溶け込んでいる天然ガスの存在に気が付かず、水に[[ランプ (照明器具)#カンテラ|カンテラ]]を近づけて火柱を作った逸話も残る<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20180702-BRLNNIUCAVOARDOCLHODJIB66A/3/ |title=琵琶湖から天然ガス、戦中戦後に湧出の記録…近畿の水がめは天然資源の宝庫だった |publisher=産経新聞 |date=2018-07-02 |accessdate=2022-03-30}}</ref>。燃料事情が逼迫した[[1941年]]には、大津市が大阪鉱山監督局に栗太郡瀬田町(現在の大津市)で石油([[メタンガス]])の試掘申請を行っている<ref>大津市が琵琶湖の天然ガス試掘願い(『大阪毎日新聞』1941年4月16日夕刊)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p229 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。 |
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=== 漁撈と食文化 === |
=== 漁撈と食文化 === |
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[[File:琵琶湖 - panoramio (17).jpg|thumb|left|高島市の湖岸]] |
[[File:琵琶湖 - panoramio (17).jpg|thumb|left|高島市の湖岸]] |
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{{see also|日本の郷土料理一覧#滋賀県}} |
{{see also|日本の郷土料理一覧#滋賀県}} |
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<!-- 特徴 --> |
<!-- 特徴 --> |
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[[#生物相|前述]]のとおり、琵琶湖には多様な[[魚介類]]が生息しており、漁場の環境も岩場・[[砂浜]]・{{読み|内湖|ないこ}}・沖合と多様であり、また淡水であるため[[魚類|魚]]が湖と[[川|河川]]を行き来することも要因とし、[[漁法]]もまた多様かつ独特のものとなっている{{Sfn|近江水の宝||p=|loc=[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/2042814.pdf びわ湖の伝統的漁法]}}{{sfn|中藤|2011}}{{sfn|大沼|2013b|p=201}}。その中でも |
[[#生物相|前述]]のとおり、琵琶湖には多様な[[魚介類]]が生息しており、漁場の環境も岩場・[[砂浜]]・{{読み|内湖|ないこ}}・沖合と多様であり、また淡水であるため[[魚類|魚]]が湖と[[川|河川]]を行き来することも要因とし、[[漁法]]もまた多様かつ独特のものとなっている{{Sfn|近江水の宝||p=|loc=[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/2042814.pdf びわ湖の伝統的漁法]}}{{sfn|中藤|2011}}{{sfn|大沼|2013b|p=201}}。その中でも特に「待ち(型)の漁法」の発達と新規[[漁具]]の制限が特徴として挙げられる{{sfn|大沼|2013b|p=203}}{{Sfn|近江水の宝||p=|loc=[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/2042814.pdf びわ湖の伝統的漁法]}}。これは、積極的・新進的な漁法を用いることによる[[資源]]の枯渇を避けるための、[[閉鎖性水域|閉鎖水域]]である琵琶湖ならではの知恵である{{sfn|中藤|2011}}{{sfn|大沼|2013b|p=203}}。 |
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[[ファイル:Fish from Lake Biwa for sale at a fish store in Otsu, Shiga, Japan.jpg|thumb|鮮魚店で売られる琵琶湖の水産物([[大津市]]内)。]] |
[[ファイル:Fish from Lake Biwa for sale at a fish store in Otsu, Shiga, Japan.jpg|thumb|鮮魚店で売られる琵琶湖の水産物([[大津市]]内)。]] |
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<!-- 食文化 --> |
<!-- 食文化 --> |
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固有種を含む琵琶湖の魚介類は、伝統的な食材として、2013年現在においても盛んに食されている<!--{{sfn|大沼|2013c|p=207}}-->。淡水魚の[[生食]]を忌避する日本においては珍しく、[[ビワマス]] |
固有種を含む琵琶湖の魚介類は、伝統的な食材として、2013年現在においても盛んに食されている<!--{{sfn|大沼|2013c|p=207}}-->。淡水魚の[[生食]]を忌避する日本においては珍しく、[[ビワマス]]・[[イワトコナマズ]]・[[ニゴロブナ]]や[[ゲンゴロウブナ]]・[[ハス (魚)|ハス]]などは[[刺し身|造り]]としても食される{{sfn|大沼|2013c|p=207}}。このほか「ジュンジュン」と呼ばれる[[すき焼き]]・[[寄せ鍋]]や[[焼き物 (料理)|焼き物]]、[[佃煮]]などとしても食される{{sfn|大沼|2013c|p=209}}。また、小アユを利用して、[[小鮎の甘露煮|アユの飴煮(あめだき)]]が大津の名物、土産物として作られてきた<ref>「大津市吏員が特定店の客引きと苦情」『京都日出新聞』1926年10月26日(大正ニュース事典編纂委員会『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p.239 毎日コミュニケーションズ 1994年)</ref>。さらに、滋賀県では[[発酵食品]]が発展しており、[[鮒寿司]]をはじめとする[[なれずし]]も作られる{{sfn|堀越|2018|p=16}}{{sfn|小島|2018|p=19}}。滋賀県には、海産物を扱う[[鮮魚店]]とはべつに淡水魚専門の鮮魚店があり、これらの店では鮮魚のほか、佃煮・なれずしといった加工品や[[カモ|鴨]]なども扱われている{{sfn|桑村|2001|p=146}}。 |
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==== 漁撈の歴史 ==== |
==== 漁撈の歴史 ==== |
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<!-- 古代以前 --> |
<!-- 古代以前 --> |
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[[File:Lake Biwa Museum 20201024 28.jpg|thumb|left|{{ruby|魞|エリ}}]] |
[[File:Lake Biwa Museum 20201024 28.jpg|thumb|left|{{ruby|魞|エリ}}]] |
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琵琶湖における魚介類の利用は、1万年以上前にまで遡ることができる{{sfn|大沼|2013b|p=200}}。[[#環境史|前述]]したように、[[縄文時代]]の遺跡からは、[[貝殻]]や魚の骨などが発見されており、[[タンパク質|タンパク源]]に占める琵琶湖産の魚介類(特に[[コイ科]])の比率は[[哺乳類]]よりも高かったと考えられている{{sfn|林|2001|p=239}}{{sfn|橋本|2001|p=246}}{{sfn|山根|2017|pp=16-17}}。また、[[漁網]]用と推測される[[石錘]]・[[土錘]]も出土している{{sfn|山根|2017|p=12}}。[[稲作#古代の稲作|稲作が開始]]された[[弥生時代]]には、魚類が水田を[[産卵]]場所として利用するようになったこともあり、漁網に代わり<!--山根-->[[魞]]<small>(エリ)</small>や[[筌]]といった小型[[漁具#陥穽漁具|陥穽漁具]]による待ちの漁法が発達し{{efn2|{{harvtxt|山根|2017|p=20}} は、魞や[[梁 (漁具)|梁]]による待ちの漁法が縄文時代からおこなわれていた可能性について言及している。}}、[[タンパク質|タンパク]]源に占める魚介類の比率はさらに高まった{{sfn|水野|2011|p=15}}{{sfn|橋本|2001|p=247}}{{sfn|山根|2017|p=36}}。[[古墳時代]]には土錘が増加・多様化し、また[[アサ|麻]]網も普及するようになり、漁獲対象種も多様化したと考えられる{{sfn|山根|2017|pp=42 & 46}}。 |
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琵琶湖における魚介類の利用は、1万年以上前にまで遡ることができる{{sfn|大沼|2013b|p=200}}。[[#環境史|前述]]したように、[[縄文時代]]の遺跡からは、[[貝殻]]や魚の骨などが発見されており、[[タンパク質|タンパク源]]に占める琵琶湖産の魚介類(特に[[コイ科]])の比率は[[哺乳類]]よりも高かったと考えられている{{sfn|林博通|2001|p=239}}{{sfn|橋本|2001|p=246}}{{sfn|山根|2017|pp=16f}}。また、[[漁網]]用と推測される[[石錘]]・[[土錘]]も出土しており{{sfn|山根|2017|p=12}}、漁具とともに出土した[[丸木舟]]も漁労に用いられたと推定される{{sfn|太田|2012|p=11}}。[[稲作#古代の稲作|稲作が開始]]された[[弥生時代]]には、魚類が水田を[[産卵]]場所として利用するようになったこともあり、漁網に代わり<!--山根-->[[魞]]{{small|(エリ)}}や[[筌]]といった小型[[漁具#陥穽漁具|陥穽漁具]]による待ちの漁法が発達し{{efn2|{{harvtxt|山根|2017|p=20}} は、魞や[[梁 (漁具)|梁]]による待ちの漁法が縄文時代からおこなわれていた可能性について言及している。}}、[[タンパク質|タンパク]]源に占める魚介類の比率はさらに高まった{{sfn|水野|2011|p=15}}{{sfn|橋本|2001|p=247}}{{sfn|山根|2017|p=36}}。[[古墳時代]]には土錘が増加・多様化し、また[[アサ|麻]]網も普及するようになり、漁獲対象種も多様化したと考えられる{{sfn|山根|2017|pp=42 & 46}}。 |
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<!-- 中世 --> |
<!-- 中世 --> |
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その後 |
その後[[中世日本|中世]]ごろには網漁が発達しており、従来河川や{{読み|内湖|ないこ}}で用いられていた小型の魞が琵琶湖沖合いで用いられる大型で複雑な魞へと発展したのも、中世の[[13世紀]]ごろであると考えられる{{sfn|水野|2011|pp=15f}}。2017年現在用いられている漁法の内、アユ沖掬い網漁(1960年代に導入)を除く漁法の原初形態は、中世にはすでに存在していたと考えられる{{sfn|山根|2017|p=65}}。流通に制約の大きかった中世においては、京都の鮮魚需要に対する琵琶湖の役割も大きかった{{sfn|水野|2011|p=16}}。このころまでに<!-- 橋本2001には、明確な時期の記載がない -->[[漁撈]]をおもに営む集団の組織化が進んでおり、13世紀ごろには漁撈を巡る複数の紛争が起きていたとの記録がある{{sfn|橋本|2001|p=247}}。一方13世紀は、[[仏教]]思想が庶民の間にも広まり[[殺生]]を禁断とする意識が高まった時代でもあり、その葛藤を伝える説話なども残されている{{sfn|橋本|2001|pp=249f}}。 |
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<!-- 近世以降 --> |
<!-- 近世以降 --> |
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[[近世#日本|近世]]の[[17世紀]] |
[[近世#日本|近世]]の[[17世紀]]ごろには、[[淡水魚]]である[[コイ|鯉]]から[[海水魚]]である[[鯛]]に政権の中心部における需要は移っていったが、[[18世紀]]から[[19世紀]]にかけても、漁撈を巡る紛争は頻繁に起きており、琵琶湖周辺の集落における漁撈はむしろ活発化したと考えられる{{sfn|橋本|2001|p=250}}{{efn2|このことから{{harvtxt|橋本|2001|p=250}} は、現代の[[20世紀]]末に[[キャッチ・アンド・リリース]]を原則とした食慾には基づかない「漁撈」が主流となるまでは、漁撈の基本的な枠組みは17世紀ごろから変化しなかったのではないかと推察している。}}。[[明治]]以降には、網地素材の化学繊維への変化や動力船の導入により、漁獲能力が向上したほか、[[大正]]・[[昭和]]期には、[[テナガエビ]]と[[ワカサギ]]が移入され、漁獲対象種に加わった{{sfn|山根|2017|p=84}}。また、大正末ごろには{{読み|内湖|ないこ}}の[[平湖 (滋賀県)|平湖]]と[[柳平湖]]([[草津市]])を発祥の地とする[[イケチョウガイ|淡水真珠]]の養殖が開始されたが、[[第二次世界大戦後]]は{{読み|内湖|ないこ}}と琵琶湖が切り離されたことなどによる水質悪化により衰退した{{sfn|迫田|2015|p=175}}{{sfn|草津市農林水産課|}}。漁獲量は1957年には1万300[[トン]]に達したが、その後減少し続け、2012年にはピーク時の10分の1の1029トンにまで減じ、魚種の構成もアユが40[[パーセント]]を占めるようになるなど大きく変化している{{sfn|桑村|2001|p=143}}{{sfn|山根|2017|pp=87 & 107}}。また、1956年には29種の漁具が用いられていたが、2015年には8種にまで減少している{{sfn|山根|2017|p=37}}。[[#生物相|前述]]の外来種(特に[[ブルーギル]])の侵入は魞漁の主漁場である{{仮リンク|推移帯|en|Ecotone}}の生態系の撹乱を引き起こし、漁業者の生活を脅かしている{{sfn|山根|2017|pp=111f}}。 |
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=== 景勝・観光地として === |
=== 景勝・観光地として === |
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[[File:Michigan_-_Lake_Biwa%2C_Japan_-_DSC07330.JPG|thumb|left|外輪船ミシガン]] |
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{{see also|滋賀県#観光|滋賀県の観光地}} |
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[[飛鳥時代]]の[[近江大津宮|近江遷都]]以降、[[#和歌|後述]]のように[[近江国|近江]]を舞台とした[[和歌|歌]]が数多く詠まれており、多くの歌人たちが近江を訪れ、琵琶湖と周囲の光景に感性を刺激されたことが推測できる{{sfn|木村|2001|p=49}}。[[近江八景]]{{efn2|近江八景の成立には諸説あり、[[室町時代]] |
[[飛鳥時代]]の[[近江大津宮|近江遷都]]以降、[[#和歌|後述]]のように[[近江国|近江]]を舞台とした[[和歌|歌]]が数多く詠まれており、多くの歌人たちが近江を訪れ、琵琶湖と周囲の光景に感性を刺激されたことが推測できる{{sfn|木村|2001|p=49}}。[[近江八景]]{{efn2|近江八景の成立には諸説あり、[[室町時代]]ごろに漢詩に読まれる中で定着したものとも、江戸時代初期に[[近衛信尹]]が[[瀟湘八景]]に倣って選定した([[近衛政家]]・[[近衛尚通]]が選定したとの説は、{{harvtxt|高梨|2001|p=273}} によると、2001年現在では否定されている)ともされる{{sfn|井上|2013|pp=59f}}{{sfn|木村|2018b|p=58}}。}}は、当初は文学的[[話題|モチーフ]]であったが、江戸時代中ごろには[[街道]]を通行する人が増えたこともあり、『名所記』『[[名所図会]]』といった挿絵入りの旅行案内書や[[浮世絵]]などをつうじて、全国の民衆に膾炙するようになった{{sfn|井上|2013|pp=59f}}{{sfn|木村|2018b|p=58}}。 |
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[[File:Eight Famous Sights of Omi by Imamura Shiko (Tokyo National Museum).jpg|サムネイル|100px|今村紫紅『近江八景』より「三井(晩鐘)」]] |
[[File:Eight Famous Sights of Omi by Imamura Shiko (Tokyo National Museum).jpg|サムネイル|100px|今村紫紅『近江八景』より「三井(晩鐘)」]] |
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1889年([[明治]]22年)の[[東海道本線|東海道線]]全線開通は、前述の鉄道連絡船の廃止に繋がり[[蒸気船|汽船]]会社の経営に打撃を与えたが、同時に[[京阪神]]から琵琶湖観光に気軽に訪れることを可能にもした{{Sfn|大沼|2012b|pp=102-104}}。湖南汽船は1894年(明治27年)に[[大津港 (滋賀県)|大津]]と[[石山 (滋賀県)|石山]]および[[坂本 (大津市)|坂本]]間の航路で湖上観光の営業を開始している。次いで太湖汽船も南湖 - 北湖間の航路運行を開始し、1895年(明治28年)には鉄道連絡船廃止時点のレベルまで業績を回復させるに至っている{{Sfn|大沼|2012b|p=104}}。本格的な湖上[[遊覧船|遊覧]]の嚆矢ともされる湖南汽船の「近江八景めぐり遊覧船」(1903年〈[[明治]]36年〉就航)に続き<!-- 琵琶湖百科編集委員会 -->、太湖汽船も遊覧観光船の建造を行うなどより湖上遊覧に力を入れることとなり<!-- 福井 -->、以降季節ごとの[[観光]]客誘致が展開された<!-- 琵琶湖百科編集委員会 -->{{sfn|琵琶湖百科編集委員会|2001|p=284}}{{sfn|福井|2012|p=55}}。1912年([[大正]]元年)には[[京津電気軌道|京津電車]]の[[三条駅 (京都府)|三条]] - [[札ノ辻駅|札ノ辻]]間が開通し、京都方面からの観光客はさらに増加、2大汽船会社の競争もより激しく展開された。この時期には[[竹生島]]や[[長命寺]]への巡礼を含む観光が定着している{{Sfn|大沼|2012b|p=104}}。[[昭和]]に入ると[[琵琶湖ホテル]]の建設や湖水浴場の整備も進められ{{sfn|琵琶湖百科編集委員会|2001|p=284}}、太湖汽船と[[京阪電気鉄道|京阪電鉄]]による[[マキノ高原|マキノ・スキー場]]開設の翌年にあたる1930年(昭和5年)から1962年(昭和37年)にかけては、スキー客運ぶスキー船も運行された{{Sfn|大沼|2012b|p=105}}。 |
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本格的な湖上[[遊覧船|遊覧]]は、1903年(明治36年)の「[[琵琶湖汽船|近江八景めぐり遊覧船]]」の就航に始まる<!--琵琶湖百科編集委員会2001,p=284-->。以降季節ごとの[[観光]]客誘致が展開され、[[昭和]]に入ると[[琵琶湖ホテル]]の建設や湖水浴場の整備も進められた{{sfn|琵琶湖百科編集委員会|2001|p=284}}。[[第二次世界大戦]]後の1949年(昭和24年)には、翌年の[[琵琶湖国定公園]]の指定に先駆け、滋賀県民からの公募によって「[[琵琶湖八景]]」が選ばれている{{sfn|琵琶湖百科編集委員会|2001|p=284}}{{sfn|木村|2018b|p=59}}。1968年(昭和43年)の[[びわこ大博覧会]]以降は、琵琶湖の水質が悪化するなど、観光が軽視されるようになるが、[[びわこ国体]]で湖上輸送が試みられたのを機に、再度観光が顧みられるようになる<!--琵琶湖百科編集委員会2001,p=284-->。1982年(昭和57年)には[[外輪船]][[ミシガン (旅客船)|ミシガン]]が就航し、滞在型観光を目的としたリゾート・ネックレス構想や水上スポーツ施設の整備なども計画されたが、[[バブル崩壊|バブル経済の崩壊]]により計画は進まなかった。その後は、環境保全や歴史的文化資産の活用などの観点も取り入れた[[エコツーリズム|新しい観光スタイル]]が模索されている{{sfn|琵琶湖百科編集委員会|2001|p=284}}。 |
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[[第二次世界大戦]]後の1950年(昭和25年)には[[琵琶湖国定公園|琵琶湖が国定公園]]に指定されている。これに先駆け前年には、滋賀県民からの公募によって「[[琵琶湖八景]]」が選ばれ{{sfn|琵琶湖百科編集委員会|2001|p=284}}{{sfn|木村|2018b|p=59}}、翌1951年には観光船[[玻璃丸]]が就航した{{Sfn|大沼|2012b|p=105}}。1968年(昭和43年)の[[びわこ大博覧会]]以降は、琵琶湖の水質が悪化するなど、観光が軽視されるようになるが、[[びわこ国体]]で湖上輸送が試みられたのを機に、再度観光が顧みられるようになる<!--琵琶湖百科編集委員会2001,p=284-->。1982年(昭和57年)には玻璃丸を継ぐかたちで[[外輪船]][[ミシガン (旅客船)|ミシガン]]が就航し、滞在型観光を目的としたリゾート・ネックレス構想や水上スポーツ施設の整備なども計画されたが、[[バブル崩壊|バブル経済の崩壊]]により計画は進まなかった{{sfn|琵琶湖百科編集委員会|2001|p=284}}{{Sfn|大沼|2012b|p=106}}。その後は、環境保全や歴史的文化資産の活用などの観点も取り入れた[[エコツーリズム|新しい観光スタイル]]が模索されている{{sfn|琵琶湖百科編集委員会|2001|p=284}}。2019年([[令和]]元年<!--11月-->)には琵琶湖岸を1周する200キロメートルの自転車ルートである[[ビワイチ]]が、[[ナショナルサイクルルート]]の第1弾{{efn2|[[つくば霞ヶ浦りんりんロード]]、[[しまなみ海道サイクリングロード]]と同時{{sfn|滋賀県|2019}}。}}として指定された{{sfn|滋賀県|2019}}{{sfn|読売新聞|2021}}。湖岸には30箇所ほど「水泳所(ビーチ)」が設置されておりウォーターアクティビティのほか[[海水浴]]のように泳ぐことが可能となっている<ref>{{Cite web |title=琵琶湖の水泳場は約30、海水浴とは違う作法…すり鉢状に急に深くなるポイントも |url=https://www.yomiuri.co.jp/national/20240811-OYT1T50076/ |website=読売新聞オンライン |date=2024-08-11 |access-date=2024-09-15 |language=ja}}</ref>。淡水湖であるため特筆するほどの塩分濃度は存在しない。 |
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*[[ビワイチ]] |
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=== 作品の題材として === |
=== 作品の題材として === |
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{{see also|近江八景#八景を取り入れた作品}} |
{{see also|近江八景#八景を取り入れた作品|滋賀県を舞台とした作品一覧}} |
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====和歌==== |
====和歌==== |
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[[File:Kakinomoto Hitomaro.jpg|thumb|100px|left|柿本人麿]] |
[[File:Kakinomoto Hitomaro.jpg|thumb|100px|left|柿本人麿]] |
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[[File:Murasaki-Shikibu-composing-Genji-Monogatari.png|thumb|left|100px|紫式部]] |
[[File:Murasaki-Shikibu-composing-Genji-Monogatari.png|thumb|left|100px|紫式部]] |
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[[#呼称|前述]]のとおり、[[記紀]]にはいくつか琵琶湖を題材とした[[和歌|歌謡]]が含まれている。その後の『[[万葉集]]』にも琵琶湖を題材とした歌は複数含まれており、近江国を舞台とする歌は[[近江大津宮|近江遷都]]以降のものが多い{{sfn|木村|2001|pp=44-49}}。同歌集には[[柿本人麿]]の |
[[#古代の呼称|前述]]のとおり、[[記紀]]にはいくつか琵琶湖を題材とした[[和歌|歌謡]]が含まれている。その後の『[[万葉集]]』にも琵琶湖を題材とした歌は複数含まれており、[[近江国]]を舞台とする歌は[[近江大津宮|近江遷都]]以降のものが多い{{sfn|木村|2001|pp=44-49}}。同歌集には[[柿本人麿]]の |
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{{quote |
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{{quote|淡海の海 夕浪千鳥汝が鳴けば {{ruby|情|こころ}}もしのに{{efn2|しおれての意{{sfn|畑|1994|p=9}}{{sfn|コトバンク: しのに}}。}}いにしへ思ほゆ}} |
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|{{inline block|淡海の海}}{{inline block|夕浪千鳥汝が鳴けば}}{{inline block |
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|{{inline block|{{ruby|情|こころ}}もしのに}}{{inline block|いにしへ思ほゆ}}{{efn2|しのに:しおれての意{{sfn|畑|1994|p=9}}{{r|コトバンク しのに}}。}} |
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}} |
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など、「淡海の海」「近江の海」が含まれた[[和歌|歌]]が14首ある{{sfn|木村|2001|p=44}}{{sfn|畑|1994|p=9}}{{efn2|近江国を舞台とした歌は116首と[[大和国]]・[[摂津国]]に次いで多く、そのうち |
など、「淡海の海」「近江の海」が含まれた[[和歌|歌]]が14首ある{{sfn|木村|2001|p=44}}{{sfn|畑|1994|p=9}}{{efn2|近江国を舞台とした歌は116首と[[大和国]]・[[摂津国]]に次いで多く、そのうち近江・淡海の用字を含む歌は36首である{{sfn|木村|2001|p=44}}。}}。また、湖や志賀にかかる[[枕詞]]「さざなみ」「楽浪」を含む歌は10首あり、おなじく柿本人麿による |
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{{Quote |
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{{Quote|さざなみの志賀の{{ruby|大曲|おおわだ}}{{efn2|大きな湾・入り江の意{{sfn|木村|2001|p=46}}{{sfn|コトバンク: 曲}}。}}淀むとも 昔の人にまた逢わめやも}} |
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|{{inline block|さざなみの}}{{inline block|志賀の[[唐崎 (大津市)|唐崎]]}}{{inline block|幸くあれど}}{{inline block |
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|{{inline block|大宮人の}}{{inline block|舟待ちかねつ}} |
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}} |
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という歌が特に著名である{{sfn|木村|2001|p=46}}。[[飛鳥時代]]の |
という歌が特に著名である{{sfn|木村|2001|p=46}}。湖岸の湊を詠んだ歌も多く、[[小弁 (飛鳥時代・奈良時代の歌人)|小弁]]{{efn2|小弁(しょうべん、生没年不詳)。[[飛鳥時代]]・[[奈良時代]]の歌人。[[春日倉老]]の子とされることもある。}}による |
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{{Quote |
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{{quote|近江の海は港は{{ruby|八十|やそ}}{{efn2|字義通り80という意味ではなく、沢山の意である{{sfn|浅見|2001|p=277}}。}}ちいづくにか 君が舟{{ruby|泊|は}}て草結びけむ}} |
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|{{inline block|[[高島郡 (滋賀県)|高島]]の{{ruby|[[安曇町|阿渡]]|あど}}の湊を}}{{inline block|漕ぎ過ぎて}}{{inline block |
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|{{inline block|[[塩津村 (滋賀県)|塩津]][[菅浦の湖岸集落|菅浦]]}}{{inline block|今から漕ぐらむ}} |
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}} |
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などが挙げられる{{sfn|太田|2012|p=11}}{{r|コトバンク 小弁}}。[[飛鳥時代]]の湖上の賑わいを示す歌としては、 |
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が挙げられる。一方、[[治承・寿永の乱]]における[[平氏政権|平氏]]都落ち間近に[[平忠度]]が詠んだ |
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{{quote |
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{{Quote|さざなみや志賀の都はあれにしを 昔ながら{{efn2|昔ながらと[[長等山]]の[[掛詞]]{{sfn|浅見|2001|p=278}}。}}の山ざくらかな||[[千載和歌集]]}} |
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|{{inline block|近江の海は}}{{inline block|港は{{ruby|八十|やそ}}{{efn2|字義通り80という意味ではなく、沢山の意である{{sfn|浅見|2001|p=277}}。}}ち}}{{inline block|いづくにか}}{{inline block |
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|{{inline block|君が舟{{ruby|泊|は}}て}}{{inline block|草結びけむ}} |
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}} |
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などが挙げられる。一方、都落ち間近に[[平忠度]]が詠んだ |
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は、上述のさざなみの枕詞を用いた歌のなかで最も有名なものであるが、浅見によるとそこには<q>渺々とした琵琶湖の風景</q>が表れている{{sfn|木村|2001|p=47}}{{sfn|浅見|2001|p=278}}。[[平安時代]]の人の往来を示す歌としては、996年([[長徳]]2年)に父[[藤原為時]]の[[越前]][[武生市|武生]]への赴任に同行した[[紫式部]]が[[高島町 (滋賀県)|高島町]]三尾崎で詠んだ |
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{{Quote |
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{{Quote|三尾の海に網引く民の手間{{efn2|動作の手を休める合間の意{{sfn|木村|2001|p=62}}{{sfn|コトバンク: 手間}}。}}もなく立ち居につけて都こひしも|||[[紫式部集]]}} |
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|{{inline block|さざなみや}}{{inline block|志賀の都はあれにしを}}{{inline block |
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|{{inline block|昔ながら{{efn2|昔ながらと[[長等山]]の[[掛詞]]{{sfn|浅見|2001|p=278}}。}}の}}{{inline block|山ざくらかな}} |
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||[[千載和歌集]] |
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は、上述のさざなみの枕詞を用いた歌のなかでもっとも有名なものであるが、浅見によるとそこには<q>渺々とした琵琶湖の風景</q>が表れている{{sfn|木村|2001|p=47}}{{sfn|浅見|2001|p=278}}。[[平安時代]]の人の往来を示す歌としては、[[長徳]]2年(996年)に父[[藤原為時]]の越前[[武生市|武生]]への赴任に同行した[[紫式部]]が[[高島町 (滋賀県)|高島町]]三尾崎で詠んだ |
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{{Quote |
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|{{inline block|三尾の海に}}{{inline block|網引く民の}}{{inline block|手間もなく}}{{inline block |
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|{{inline block|立ち居につけて}}{{inline block|都こひしも}}{{efn2|手間:動作の手を休める合間の意{{sfn|木村|2001|p=62}}{{r|コトバンク 手間}}。}} |
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||[[紫式部集]] |
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が挙げられる{{sfn|木村|2001|p=62}}。 |
が挙げられる{{sfn|木村|2001|p=62}}。 |
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[[File:Basho by Hokusai-small.jpg|thumb|left|100px|松尾芭蕉]] |
[[File:Basho by Hokusai-small.jpg|thumb|left|100px|松尾芭蕉]] |
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[[菅原孝標女]]による『[[更級日記]]』や |
[[菅原孝標女]]による『[[更級日記]]』や[[鎌倉時代]]の[[阿仏尼]]による『[[十六夜日記]]』にも琵琶湖周辺の光景が記述されており、中世文学においては[[竹生島]]信仰が、『[[平家物語]]』や[[謡曲]]『竹生島』などの作品で取り上げられている{{sfn|木村|2001|p=173}}{{sfn|松村|2001|p=264}}。戦乱の世になると、謡曲『[[自然居士 (能)|自然居士]]』や室町時代の小唄を集めた『[[閑吟集]]』において琵琶湖の[[人身売買|人買舟]]や[[密漁]]といった<q>荒々しい様相</q>が描写されるようになるが、一方軍記物においては『[[義経記]]』などに琵琶湖は登場しているものの、湖上の戦の様子を描いた作品はほとんどない{{sfn|松村|2001|p=265}}{{sfn|浅見|2001|p=278}}。[[江戸時代]]については、[[松尾芭蕉]]による |
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{{quote|四方より花吹き入れて鳰の海}} |
{{quote|四方より花吹き入れて鳰の海}} |
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近現代に琵琶湖に関連する[[小説]]としては、次のようなものがある(丸括弧内はおもな関連する土地){{sfn|松村|2001|pp=266-268}}。 |
近現代に琵琶湖に関連する[[小説]]としては、次のようなものがある(丸括弧内はおもな関連する土地){{sfn|松村|2001|pp=266-268}}。 |
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* [[小泉八雲]]『[[鮫人の恩返し]]<!--松村-->』([[瀬田の唐橋]])<!--1899-->『[[果心居士の話]]<!--松村-->』<!--1901--> |
* [[小泉八雲]]『[[鮫人の恩返し]]<!--松村-->』([[瀬田の唐橋]])<!--1899-->『[[果心居士の話]]<!--松村-->』<!--1901--> |
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* [[泉鏡花]]『[[瓔珞品]] |
* [[泉鏡花]]『[[瓔珞品]]{{small|(ようらくぼん)}}<!--松村-->』<!--1905--> |
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* [[岡本かの子]]『[[金魚繚乱]]<!--松村-->』([[大津市|大津]])<!--1937--> |
* [[岡本かの子]]『[[金魚繚乱]]<!--松村-->』([[大津市|大津]])<!--1937--> |
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* [[井上靖]]『[[星と祭]]<!--松村-->』([[長浜市|長浜]])<!--1972--> |
* [[井上靖]]『[[星と祭]]<!--松村-->』([[長浜市|長浜]])<!--1972--> |
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* [[芝木好子]]『[[群青の湖]]<!--松村-->』([[近江八幡]]・葛籠尾崎)<!--1990--> |
* [[芝木好子]]『[[群青の湖]]<!--松村-->』([[近江八幡]]・葛籠尾崎)<!--1990--> |
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室町時代を描いた[[谷崎潤一郎]]『[[盲目物語]]』は、湖上の描写は少ないものの、<q>作品世界は竹生島の沈鬱な影を色濃く帯びており</q>{{sfn|松村|2001|p=266}}、[[秦恒平]]『[[みごもりの湖]]』では[[藤原仲麻呂の乱]]の、[[成澤邦正]]『[[琵琶湖の浮城]]』では室町末期[[水茎岡山城|水茎の岡]]の湖上の戦が描かれている{{sfn|松村|2001|p=265}}。琵琶湖の[[汚染]]や[[自然破壊]]を扱った作品としては、早くは1919年([[大正]]8年)の[[近松秋江]]『[[湖光島影]]』があり、[[第二次世界大戦後]]の[[高度経済成長期]]には[[西口克己]]『[[びわ湖 (小説)|びわ湖]]』が発表されている{{sfn|松村|2001|p=268}}。また、[[中上健次]]『[[日輪の翼]]』や[[平成]]の[[小林恭二]]『[[カブキの日]]』にも琵琶湖(前者は瀬田の唐橋、後者は[[堅田]])を舞台とした描写があるが琵琶湖そのものにはわずかしか触れられておらず、{{harvtxt|松村|2001|p=268}} は自然破壊などにより琵琶湖の生命力が衰えたためだと述べている。 |
室町時代を描いた[[谷崎潤一郎]]『[[盲目物語]]』は、湖上の描写は少ないものの、<q>作品世界は竹生島の沈鬱な影を色濃く帯びており</q>{{sfn|松村|2001|p=266}}、[[秦恒平]]『[[みごもりの湖]]』では[[藤原仲麻呂の乱]]の、[[成澤邦正]]『[[琵琶湖の浮城]]』では室町末期[[水茎岡山城|水茎の岡]]の湖上の戦が描かれている{{sfn|松村|2001|p=265}}。琵琶湖の[[汚染]]や[[自然破壊]]を扱った作品としては、早くは1919年([[大正]]8年)の[[近松秋江]]『[[湖光島影]]』があり、[[第二次世界大戦後]]の[[高度経済成長期]]には[[西口克己]]『[[びわ湖 (小説)|びわ湖]]』が発表されている{{sfn|松村|2001|p=268}}。また、[[中上健次]]『[[日輪の翼]]』や[[平成]]の[[小林恭二]]『[[カブキの日]]』にも琵琶湖(前者は瀬田の唐橋、後者は[[堅田 (大津市)|堅田]])を舞台とした描写があるが琵琶湖そのものにはわずかしか触れられておらず、{{harvtxt|松村|2001|p=268}} は自然破壊などにより琵琶湖の生命力が衰えたためだと述べている。 |
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==== 美術 ==== |
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[[File:Genji emaki sekiya.jpg|thumb|left|「関屋」『源氏物語絵巻』]] |
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[[File:『堅田図旧襖絵』(部分)、16世紀(静嘉堂文庫所蔵).png|thumb|right|『堅田図旧襖絵』(部分)]] |
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琵琶湖が描かれた現存最古の[[絵画]]は、おそらく『[[源氏物語の巻名一覧|源氏物語絵巻]]』の「[[関屋 (源氏物語)|関屋]]」の段である{{sfn|高梨|2001|p=271}}。{{harvtxt|高梨|2001|pp=269f.}} は、これ以前の『[[一遍聖絵]]』や[[鶏足寺 (長浜市)|鶏足寺]]の[[十二神将]]像についても、琵琶湖の水運ネットワークの影響があると指摘している。[[室町時代]]後半からは『近江名所図』の大作が残されており、室町時代の[[狩野派]]による[[屏風絵]]{{efn2|2021年現在、[[滋賀県立近代美術館]]所蔵{{sfn|滋賀県立近代美術館: 近江名所図}}。}}、同じく室町時代の大徳寺[[瑞峯院]]の『堅田図旧襖絵』{{efn2|後に屏風に改装され、[[静嘉堂文庫]]に伝えられた{{sfn|高梨|2001|p=273}}。}}、[[17世紀]]前半([[江戸時代]])の屏風絵{{efn2|2021年現在、[[サントリー美術館]]所蔵{{sfn|サントリー美術館: 近江名所図}}。}}など<!--高梨2001には、大津市歴史博物館蔵のもの挙げられているが、詳細不明-->が挙げられる{{sfn|高梨|2001|p=273}}{{sfn|滋賀県立近代美術館: 近江名所図}}{{sfn|静嘉堂文庫|2014}}。17世紀後半以降には、[[近江八景]]を題材とした絵画([[歌川広重]]によるものが有名)や[[和服|着物]]の[[蒔絵]]・[[陶磁器]]の絵付けなどが現れるが、同時期には古典文学に材をとったものなど、近江八景以外の絵画も描かれている<!-- 高梨2001,p.274-->。[[近代#日本|近代]]以降は、多くの[[洋画家]]・[[日本画家]]が琵琶湖の多様な姿を描いている一方、[[今村紫紅]]や[[下保昭]]などは近江八景の枠組みの中で新たな試みをおこなっている{{sfn|高梨|2001|p=274}}。 |
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{{Flexbox|justify-content=space-around|align-items=center|style=width: 100%;| |
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====美術・音楽・映画==== |
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{{multiple image |
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{{external media|width=270px|align=center |
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|footer = 『近江名所図』(狩野派、16世紀後半) |
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|image1=[https://nihonga.geidai.ac.jp/wp/wp-content/uploads/2018/09/8f7dfcc16f6220e1da637e78c08d9a8c.jpg 源氏物語絵巻: 関屋(現状模写)] |
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|width = 300px |
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|image2=[https://www.shiga-kinbi.jp/?p=20305 近江名所図(室町時代、狩野派)] |
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|image1 = 『近江名所図』左隻、狩野派、室町時代.jpg |
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|image3=[https://www.suntory.co.jp/sma/collection/data/detail?id=525 近江名所図(17世紀前半)] |
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|image2 =『近江名所図』右隻、狩野派、室町時代.jpg |
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|image4=[http://www.seikado.or.jp/exhibition/2014001.html 堅田図旧襖絵]{{efn2|リンク先の「みどころ4」節に一部が掲載。}} |
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|align = center |
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}} |
}} |
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|footer = 『近江名所図』(17世紀前半) |
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|image1 =『近江名所図屛風』左隻、17世紀前半(サントリー美術館所蔵).jpg |
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|image2 =『近江名所図屛風』右隻、17世紀前半(サントリー美術館所蔵).jpg |
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|align = center |
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}} |
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}} |
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==== 音楽と映画 ==== |
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1917年([[大正]]6年)に作られた『[[琵琶湖周航の歌]]』は、滋賀県民に広く愛唱されている{{sfn|飯田|2018|p=24}}。そのほか、[[#事件や事故|後述]]の[[琵琶湖遭難事故]]を歌った『[[琵琶湖哀歌]]』がある{{sfn|武田|2001|p=95}}。 |
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琵琶湖を舞台とした映画としては、『[[幻の湖]]』{{efn2|琵琶湖周辺で1年2月に及ぶ長期[[ロケーション撮影|ロケ]]が行なわれた日本映画。[[琵琶湖大橋]]でクライマックスを迎える。}}、『[[偉大なる、しゅららぼん]]』{{efn2|[[万城目学]]の小説及び2014年春公開の映画。琵琶湖の神から力を授けられた湖の民の話。}}、『[[マザーレイク]]』などが挙げられる。 |
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;美術 |
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:琵琶湖が描かれた現存最古の[[絵画]]は、おそらく『[[源氏物語の巻名一覧|源氏物語絵巻]]』の「[[関屋 (源氏物語)|関屋]]」の段である{{sfn|高梨|2001|p=271}}。{{harvtxt|高梨|2001|pp=269-270}} は、これ以前の『[[一遍聖絵]]』や[[鶏足寺 (長浜市)|鶏足寺]]の[[十二神将]]像についても、琵琶湖の水運ネットワークの影響があると指摘している。[[室町時代]]後半からは『近江名所図』の大作が残されており、室町時代の[[狩野派]]による[[屏風絵]]{{efn2|2021年現在、[[滋賀県立近代美術館]]所蔵{{sfn|滋賀県立近代美術館: 近江名所図}}。}}、同じく室町時代の[[大徳寺]][[瑞峯院]]の『堅田図旧襖絵』{{efn2|後に屏風に改装され、[[静嘉堂文庫]]に伝えられた{{sfn|高梨|2001|p=273}}。}}、[[17世紀]]前半([[江戸時代]])の屏風絵{{efn2|2021年現在、[[サントリー美術館]]所蔵{{sfn|サントリー美術館: 近江名所図}}。}}など<!--高梨2001には、大津市歴史博物館蔵のもの挙げられているが、詳細不明-->が挙げられる{{sfn|高梨|2001|p=273}}{{sfn|滋賀県立近代美術館: 近江名所図}}{{sfn|静嘉堂文庫|2014}}。17世紀後半以降には、[[近江八景]]をモチーフとした絵画([[歌川広重]]によるものが有名)や[[和服|着物]]の[[蒔絵]]・[[陶磁器]]の絵付けなどが現れるが、同時期には古典文学に材をとったものなど、近江八景以外の絵画も描かれている<!-- 高梨2001,p.274-->。[[近代#日本|近代]]以降は、多くの[[洋画家]]・[[日本画家]]が琵琶湖の多様な姿を描いている一方、[[今村紫紅]]や[[下保昭]]などは近江八景の枠組みの中で新たな試みを行っている{{sfn|高梨|2001|p=274}}。 |
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;音楽 |
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:1917年(大正6年)に作られた『[[琵琶湖周航の歌]]』は、滋賀県民に広く愛唱されている{{sfn|飯田|2018|p=24}}。そのほか、[[#事件や事故|後述]]の[[琵琶湖遭難事故]]を歌った『[[琵琶湖哀歌]]』がある{{sfn|武田|2001|p=95}}。 |
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;映画 |
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:琵琶湖を舞台とした映画としては、『[[幻の湖]]』{{efn2|琵琶湖周辺で1年2月に及ぶ長期[[ロケーション撮影|ロケ]]が行なわれた日本映画。[[琵琶湖大橋]]でクライマックスを迎える。}}、『[[偉大なる、しゅららぼん]]』{{efn2|[[万城目学]]の小説及び2014年春公開の映画。琵琶湖の神から力を授けられた湖の民の話。}}、『[[マザーレイク]]』などが挙げられる。 |
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=== 環境保全 === |
=== 環境保全 === |
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{{節スタブ|date=2021年3月}} |
{{節スタブ|date=2021年3月}} |
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[[昭和40年代]]、[[高度経済成長]]に伴って湖水の[[水質汚濁]]や[[富栄養化]]が進んだ<ref>{{ |
[[昭和40年代]]、[[高度経済成長]]に伴って湖水の[[水質汚濁]]や[[富栄養化]]が進んだ<ref>{{Cite web|和書|url=https://www2.nhk.or.jp/school/watch/clip/?das_id=D0005403107_00000| title=琵琶湖の環境問題| website=[[日本放送協会|NHK]] for School| accessdate=2021-02-09}}</ref>。原因の一つに[[合成洗剤]]、[[リン酸塩]]が挙げられ<ref>{{Cite web|和書| url=http://jsda.org/w/01_katud/a_seminar06.html|title=セミナー: もっと良く知ってほしい洗剤|website=[[日本石鹸洗剤工業会|JSDA 日本石鹸洗剤工業会]]|accessdate=2021-02-09}}</ref>、主婦層や女性団体が「[[石鹸]]運動」を起こして対策・改善を求めた<ref>{{Cite web|和書|website=滋賀県 |date=2014-09-11 |url=https://www.pref.shiga.lg.jp/mizukankyobusiness/106669.html |title=琵琶湖を守る県民の活動、取組|accessdate=2021-02-09}}</ref>。このため滋賀県は独自に[[工業排水]]と[[生活排水]]を規制する、いわゆる琵琶湖条例(滋賀県琵琶湖の富栄養化の防止に関する条例)を制定するに至った{{sfn|滋賀県|2021a}}{{sfn|滋賀県|2012}}<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.pref.shiga.lg.jp/d/kankyo/files/rin-senzai-kinshi.pdf|title=りんを含む家庭用合成洗剤の使用の禁止について|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181221095820/https://www.pref.shiga.lg.jp/d/kankyo/files/rin-senzai-kinshi.pdf|archivedate=2018-12-21|url-status=dead|url-status-date=2021-02-09}}</ref>。このほか琵琶湖に関する滋賀県独自の条例としては、『滋賀県琵琶湖のレジャー利用の適正化に関する条例』や『滋賀県琵琶湖の[[ヨシ]]群落の保全に関する条例』、景観を守るための『ふるさと滋賀の風景を守り育てる条例』などがある。 |
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滋賀県は2021年時点、[[国際連合]][[持続可能な開発目標]](SDGs)に倣い、2030年に向けた琵琶湖版SDGsである『マザーレイクゴールズ(MLGs)アジェンダ"』策定を進めている<ref>[https://www.pref.shiga.lg.jp/kensei/koho/e-shinbun/bosyuu/317517.html マザーレイクゴールズ(MLGs)アジェンダ(素案)へのご意見を募集します!]滋賀県庁(2021年3月17日)2021年4月10日閲覧</ref>。 |
滋賀県は7月1日を「びわ湖の日」に定めており、琵琶湖を保全する様々な活動「びわ活」を推進している<ref name="朝日20210410">[https://www.asahi.com/articles/DA3S14864337.html 【47都道府県の謎】滋賀県民の「琵琶湖愛」がわかる日とは 環境保全への取り組み40年「びわ活」「ビワイチ」も][[be (朝日新聞)|『朝日新聞』土曜朝刊別刷り「be」]]2021年4月10日(4面)同日閲覧</ref>。また、2021年時点、[[国際連合]][[持続可能な開発目標]](SDGs)に倣い、2030年に向けた琵琶湖版SDGsである『マザーレイクゴールズ(MLGs)アジェンダ"』策定を進めている<ref>[https://www.pref.shiga.lg.jp/kensei/koho/e-shinbun/bosyuu/317517.html マザーレイクゴールズ(MLGs)アジェンダ(素案)へのご意見を募集します!] 滋賀県庁(2021年3月17日)2021年4月10日閲覧</ref>。 |
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1990年から1991年にかけ[[琵琶湖総合開発事業]]の一環として水質測定施設である南湖湖心局(大津市[[唐崎 (大津市)|唐崎]]沖1. |
1990年から1991年にかけ[[琵琶湖総合開発事業]]の一環として水質測定施設である南湖湖心局(大津市[[唐崎 (大津市)|唐崎]]沖1.5キロメートル)と北湖湖心局(大津市南比良沖4キロメートル及び高島市[[今津町 (滋賀県)|今津]]沖3.5キロメートル)の3基が設置され、[[水素イオン指数|pH]]値、[[溶存酸素量]]、水温、流速などのデータが自動送信されていた{{sfn|京都新聞|2017}}。しかし、内部の測定機器が老朽化し、必要なデータ量も確保できたとして2006年度までに稼働が停止された。その後も維持費がかかり、船舶の衝突事故のおそれもあることから2018年度に撤去されることとなった{{sfn|京都新聞|2017}}。 |
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また、琵琶湖の北方に位置する[[福井県]][[若狭湾]]岸には、[[敦賀発電所|敦賀原発]]・[[美浜発電所|美浜原発]]など多数の[[原子力発電所|原発]]が立地する。琵琶湖との最短距離は20キロメートル程度であるため、[[原子力事故|原発事故]]で[[放射能汚染]]されれば水の供給に影響する可能性があると指摘されている<ref>{{ |
また、琵琶湖の北方に位置する[[福井県]][[若狭湾]]岸には、[[敦賀発電所|敦賀原発]]・[[美浜発電所|美浜原発]]など多数の[[原子力発電所|原発]]が立地する。琵琶湖との最短距離は20キロメートル程度であるため、[[原子力事故|原発事故]]で[[放射能汚染]]されれば水の供給に影響する可能性があると指摘されている<ref>{{Cite web|和書|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110715/lcl11071511500007-n1.htm|title=1435万人…原発事故、琵琶湖汚染想定し代替水源検討 関西広域連合|publisher=[[産経新聞|産経ニュース]]|date=2011-07-15|accessdate=2011-11-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110721235057/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110715/lcl11071511500007-n1.htm|archivedate=2011-07-21}}</ref>。また、ヨシ群落保全条約により、水鳥にとって重要なヨシ群落保全が図られている。[[ラムサール条約登録地一覧 (登録番号1-1000)|ラムサール条約]]湿地を指定するための国際的な基準の一つに、「定期的に2万羽以上の水鳥を支える湿地」とあり、琵琶湖はその基準を満たしている。そのことから、1993年6月10日、北海道釧路市で開催された「ラムサール条約第5回締約会議」において、国内で9番目のラムサール条約湿地となった。琵琶湖がラムサール条約に登録されたことを受け、水鳥をはじめとする野生生物と、湿地の保全や湿原の賢明な利用について理解を深めるための普及啓発活動や、調査・研究・監視等を行う拠点施設として「琵琶湖水鳥・湿地センター」ができた。ラムサール条約に指定されたことで、滋賀県全体で、琵琶湖の自然環境への取り組みが強化された{{要出典|date=2022-08}}。 |
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=== 事件や事故 === |
=== 事件や事故 === |
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滋賀県内の水難事故の3分の1が大津市消防局管内で発生している<!-- |
滋賀県内の[[水難事故]]の3分の1が[[大津市消防局]]管内で発生している<!--{{sfn|産経新聞|2017a}}-->。大津市消防局が2015年に出動した水難救助件数は21件で、救助件数全体に占める割合は9パーセントであり全国平均の4.4パーセントの2倍以上となっている{{sfn|産経新聞|2017a}}。[[#関連する自然現象|前述]]したおろしなどの風は、漁船や[[ウィンドサーフィン]]の事故の原因となることも多く、1941年(昭和16年)には[[琵琶湖遭難事故]]が発生している{{sfn|武田|2001|pp=95-97}}{{efn2|湖上以外でも、JR[[湖西線]]では貨物列車の転覆が2001年までに2回起こっており、列車の不通や[[徐行#鉄道の徐行|徐行]]運転の原因にもなっている{{sfn|武田|2001|p=97}}。}}。 |
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[[#近現代の交通|先に触れた]]近代における蒸気船の事故としては、まず1874年([[明治]]7年)に長運丸が[[唐崎 (大津市)|唐崎]]沖で[[ボイラー]]の破裂により[[沈没]]し、数十名の乗客が犠牲となっている。その翌年には、満芽丸([[大津港 (滋賀県)|大津]]所属)が加重積載により[[小松村 (滋賀県)|小松]]沖で沈没し、47人の犠牲者を出した{{sfn|福井|2012|p=52}}。 |
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このほか、太平洋戦争の終戦間際に[[零式艦上戦闘機]](零戦)六二型が琵琶湖に不時着している{{sfn|時事通信|2012}}。[[昭和53年]]、湖底に沈んでいた零戦が引き上げられ[[京都嵐山美術館]]が修復、その後は[[和歌山県]]「[[ゼロパーク]]」、[[広島県]]「[[大和ミュージアム]]」と引き渡され、展示された<ref>{{Cite web |url=https://wetwing.com/classic/yamato_zero/yamatoindex.html |title=大和ミュージアムの零戦62型 |website= |publisher= |accessdate=2018-12-17}}</ref>。 |
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このほか、[[太平洋戦争]]の終戦間際に[[零式艦上戦闘機]](零戦)六二型が琵琶湖に不時着している{{sfn|時事通信|2012}}。1978年(昭和53年)、湖底に沈んでいた零戦が引き上げられ[[京都嵐山美術館]]が修復、その後は[[和歌山県]]「[[ゼロパーク]]」、[[広島県]]「[[大和ミュージアム]]」と引き渡され、展示された<ref>{{Cite web|和書|url=https://wetwing.com/classic/yamato_zero/yamatoindex.html |title=大和ミュージアムの零戦62型 |website= |publisher= |accessdate=2018-12-17}}</ref>。 |
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=== その他 === |
=== その他 === |
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[[File:第38回鳥人間コンテスト_(20027495056).jpg|thumb|鳥人間コンテスト]] |
[[File:第38回鳥人間コンテスト_(20027495056).jpg|thumb|鳥人間コンテスト]] |
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[[File:大津港から出港する学習船「うみのこ(2代)」.jpg|thumb|学習船「うみのこ」(2代目)。]] |
[[File:大津港から出港する学習船「うみのこ(2代)」.jpg|thumb|学習船「うみのこ」(2代目)。]] |
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;日本遺産 |
;日本遺産 |
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:2015年には、「水とくらしの文化」「水と祈りの文化」「水と食文化」の3つのストーリーで構成された「琵琶湖とその水辺景観 |
:2015年には、「水とくらしの文化」「水と祈りの文化」「水と食文化」の3つのストーリーで構成された「琵琶湖とその水辺景観 — 祈りと暮らしの水遺産」が[[文化庁]]により[[日本遺産]]として認定されている{{sfn|観光交流局|2018}}{{sfn|日本遺産: 琵琶湖とその水辺景観}}。 |
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;スポーツやレジャー |
;スポーツやレジャー |
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:[[淀川|瀬田川]]を中心とし複数の艇庫があり、毎年5月には[[琵琶湖漕艇場]]で日本最大級の[[ボート競技|ボート]]大会である[[朝日レガッタ]]が開催される{{sfn|山脇|2018|pp= |
:[[淀川|瀬田川]]を中心とし複数の艇庫があり、毎年5月には[[琵琶湖漕艇場]]で日本最大級の[[ボート競技|ボート]]大会である[[朝日レガッタ]]が開催される{{sfn|山脇|2018|pp=30f}}。1952年には[[びわこボートレース場]]が日本で3番目のボートレース場として開場している{{sfn|事業課|2015|p=1}}。[[カヌー]]や[[ドラゴンボート]]、[[ソーラーボート]]の競技もおこなわれるほか、[[ヨット]]、[[スタンドアップパドルボード]]などを楽しむこともできる{{sfn|山脇|2018|pp=30f}}。また、2003年には「琵琶湖レジャー利用適正化基本計画」が策定されている{{sfn|環境政策課|2020|p=87}}。 |
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;年中行事・イベント |
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:* [[びわ湖開き]] |
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:* [[伊崎寺#伊崎の棹飛び|伊崎の棹飛び]] |
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:* [[鳥人間コンテスト選手権大会]]([[讀賣テレビ放送|ytv読売テレビ]]の主催で彦根市にて開催) |
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:* 水上歩行コンテスト(NWWA[[日本ウォーターウォーク協会]]の主催で大津市にて開催) |
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:* [[びわ湖大花火大会]] |
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;教育 |
;教育 |
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:滋賀県では、1983年の学習船「うみのこ」就航以降、県内の小学5年生を対象とし、[[滋賀県立びわ湖フローティングスクール|びわ湖フローティングスクール]]と呼ばれる1泊2日の体験学習を実施している{{sfn|武内|渡部|近藤|2001|p=149}}{{sfn|環境政策課|2020|p=58}}。また1981年以降、環境教育[[副読本]]『あおいびわ湖』(小学校) |
:滋賀県では、1983年の学習船「うみのこ」就航以降、県内の小学5年生を対象とし、[[滋賀県立びわ湖フローティングスクール|びわ湖フローティングスクール]]と呼ばれる1泊2日の体験学習を実施している{{sfn|武内|渡部|近藤|2001|p=149}}{{sfn|環境政策課|2020|p=58}}。また1981年以降、環境教育[[副読本]]『あおいびわ湖』(小学校)・『あおい琵琶湖』(中学校)・『琵琶湖と自然』(高校)を、ほぼ5年ごとに改訂を加えながら発行している{{sfn|滋賀県教育委員会|2018}}{{sfn|環境政策課|2020|p=61}}。 |
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;研究機関 |
;研究機関 |
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:琵琶湖に関連する研究機関としては、[[滋賀県琵琶湖環境科学研究センター]] |
:琵琶湖に関連する研究機関としては、[[滋賀県琵琶湖環境科学研究センター]]・[[滋賀県立琵琶湖博物館]]・[[国立環境研究所]]琵琶湖分室などがあり、2014年には各部局・機関が連携して研究をおこなうために[[琵琶湖環境研究推進機構]]が設置された{{sfn|環境政策課|2018|p=240}}。 |
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== 付表 == |
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=== 年表 === |
=== 年表 === |
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※文末の「#」は、関連する節へのページ内リンクである。 |
※文末の「#」は、関連する節へのページ内リンクである。 |
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* [[地球史年表#1000万年前 - 100万年前|440万年前]] |
* [[地球史年表#1000万年前 - 100万年前|440万年前]]ごろ – 後の三重県[[伊賀市]]に古琵琶湖が形成される(大山田湖){{sfn|里口|2018a|p=122}}。[[#自然史|#]] |
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* [[地球史年表#100万年前 - 10万年前|100万年前]] |
* [[地球史年表#100万年前 - 10万年前|100万年前]]ごろ - 現在の南湖の位置に堅田湖が形成される{{sfn|里口|2018a|p=123}}。[[#自然史|#]] |
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* [[地球史年表#100万年前 - 10万年前|43万年前]] |
* [[地球史年表#100万年前 - 10万年前|43万年前]]ごろ - 琵琶湖の移動が終わる{{sfn|里口|2018a|p=123}}。[[#自然史|#]] |
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* [[紀元前1万年]] |
* [[紀元前1万年]]ごろ - 湖岸域での人の営みの痕跡が残され始める{{sfn|林博通|2001|p=239}}{{sfn|琵琶湖百科編集委員会|2001|p=342}}。[[#環境史|#]] |
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* [[紀元前300年]] |
* [[紀元前300年]]ごろ - 湖岸域で稲作が開始される{{sfn|琵琶湖百科編集委員会|2001|p=342}}。[[#環境史|#]] |
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* [[667年]]([[天智天皇]]6年)- [[近江大津宮]]への遷都{{sfn|琵琶湖百科編集委員会|2001|p=343}}。 |
* [[667年]]([[天智天皇]]6年)- [[近江大津宮]]への遷都{{sfn|琵琶湖百科編集委員会|2001|p=343}}。 |
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* [[8世紀|700年]] |
* [[8世紀|700年]]ごろ - 僧侶行基が琵琶湖治水のため大日山の掘削を試みる{{sfn|竹林|今井|1995|p=409}}{{sfn|琵琶湖百科編集委員会|2001|p=343}}。[[#水害と治水|#]] |
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* [[ |
* [[1587年]]([[天正]]15年)- [[大津百艘船]]が特権を与えられる。この数年後には[[芦浦観音寺|観音寺]]が[[湖水船奉行|船奉行]]に任命される{{sfn|杉江|1999|pp=15f & 19}}。[[#近世の交通|#]] |
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* [[ |
* [[1699年]]([[元禄]]12年)- [[河村瑞賢]]による2度目の[[淀川|瀬田川]][[浚渫]](河合瑞賢の大普請){{sfn|竹林|今井|1995|p=411}}{{sfn|琵琶湖百科編集委員会|2001|p=346}}。[[#水害と治水|#]] |
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* [[ |
* [[1831年]]([[天保]]2年)- 深溝村の[[庄屋]]藤原太郎兵衛家の尽力の末瀬田川の浚渫が実現{{sfn|竹林|今井|1995|pp=411f}}{{sfn|琵琶湖百科編集委員会|2001|p=347}}。[[#水害と治水|#]] |
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* [[ |
* [[1869年]]([[明治]]2年)- [[蒸気船]]一番丸が就航{{sfn|用田|2018|p=54}}。[[#近現代の交通|#]] |
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* [[ |
* [[1890年]](明治23年)- 京都市へ水を供給する[[琵琶湖疏水|琵琶湖第1疏水]]が開通{{sfn|大久保|1998|p=245}}{{sfn|琵琶湖百科編集委員会|2001|p=348}}。[[#淀川下流域での水利用|#]] |
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* [[ |
* [[1896年]](明治29年)- [[河川法]]が制定され、以降琵琶湖とその流入河川は行政の管理下に置かれる{{sfn|水野|2011|p=16}}。[[#行政上の扱い|#]] |
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* [[1896年]](明治29年)- [[河川法]]が制定され、以降、琵琶湖とその流入河川は行政の管理下に置かれる{{sfn|水野|2011|p=16}}。[[#行政上の扱い|#]] |
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* [[1896年]](明示29年)- [[明治29年琵琶湖洪水|琵琶湖沿岸部で大洪水]]が起きる{{sfn|竹林|今井|1995|p=21}}{{sfn|琵琶湖百科編集委員会|2001|p=348}}。[[#水害と治水|#]] |
* [[1896年]](明示29年)- [[明治29年琵琶湖洪水|琵琶湖沿岸部で大洪水]]が起きる{{sfn|竹林|今井|1995|p=21}}{{sfn|琵琶湖百科編集委員会|2001|p=348}}。[[#水害と治水|#]] |
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* 1900年から1908年(明治33年から41年)- 南郷洗堰の築造を含む[[淀川|瀬田川]]の大規模な改修工事が |
* 1900年から1908年(明治33年から41年)- 南郷洗堰の築造を含む[[淀川|瀬田川]]の大規模な改修工事がおこなわれ、以降琵琶湖の水害は減る{{sfn|水野|2011|p=16}}。[[#水害と治水|#]] |
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* [[1912年]](明治45年)- [[琵琶湖疏水|琵琶湖第2疏水]]が開通{{Sfn|中川|2011|p=190}}{{sfn|琵琶湖百科編集委員会|2001|p=349}}。[[#淀川下流域での利用|#]] |
* [[1912年]](明治45年)- [[琵琶湖疏水|琵琶湖第2疏水]]が開通{{Sfn|中川|2011|p=190}}{{sfn|琵琶湖百科編集委員会|2001|p=349}}。[[#淀川下流域での水利用|#]] |
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* [[1925年]]([[大正]]14年)- 琵琶湖の[[環流]]が発見される{{sfn|焦|2018|p=137}}。[[#水理|#]] |
* [[1925年]]([[大正]]14年)- 琵琶湖の[[環流]]が発見される{{sfn|焦|2018|p=137}}。[[#水理現象|#]] |
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* [[1950年]]([[昭和]]25年)7月24日 - [[琵琶湖国定公園]]が指定される{{sfn|環境政策課|2020|p=86}}{{sfn|木村|2018b|p=59}}。[[#景勝・観光地として|#]] |
* [[1950年]]([[昭和]]25年)7月24日 - [[琵琶湖国定公園]]が指定される{{sfn|環境政策課|2020|p=86}}{{sfn|木村|2018b|p=59}}。[[#景勝・観光地として|#]] |
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* [[昭和30年代]] - 滋賀県で上下水道の普及が始まる{{Sfn|牧野厚史|2001|p=202}}。[[#滋賀での利用|#]] |
* [[昭和30年代]] - 滋賀県で上下水道の普及が始まる{{Sfn|牧野厚史|2001|p=202}}。[[#滋賀での水利用|#]] |
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* [[1961年]](昭和36年)- [[瀬田川洗堰]]が築造される{{sfn|琵琶湖百科編集委員会|2001|p=350}}。[[#水害と治水|#]] |
* [[1961年]](昭和36年)- [[瀬田川洗堰]]が築造される{{sfn|琵琶湖百科編集委員会|2001|p=350}}。[[#水害と治水|#]] |
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* [[1964年]](昭和39年)9月 - [[琵琶湖大橋]]が開通{{sfn|環境政策課|2020|p=86}}。 |
* [[1964年]](昭和39年)9月 - [[琵琶湖大橋]]が開通{{sfn|環境政策課|2020|p=86}}。[[#近現代の交通|#]] |
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* [[1970年代]] - 以降、大型ポンプとパイプラインを用いた逆水灌漑が拡大する{{Sfn|牧野厚史|2001|p=205}}。[[#滋賀での利用|#]] |
* [[1970年代]] - 以降、大型ポンプとパイプラインを用いた逆水灌漑が拡大する{{Sfn|牧野厚史|2001|p=205}}。[[#滋賀での水利用|#]] |
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* [[1972年]](昭和47年)- 琵琶湖総合開発特別措置法の制定に伴い[[琵琶湖総合開発事業]]が策定される{{sfn|大久保|1998|p=247}}。[[#淀川下流域での利用|#]] |
* [[1972年]](昭和47年)- 琵琶湖総合開発特別措置法の制定に伴い[[琵琶湖総合開発事業]]が策定される{{sfn|大久保|1998|p=247}}。[[#淀川下流域での水利用|#]] |
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* [[1974年]](昭和49年)9月 - [[近江大橋]]が開通。 |
* [[1974年]](昭和49年)9月 - [[近江大橋]]が開通。[[#近現代の交通|#]] |
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* [[1979年]](昭和55年)10月 - 琵琶湖条例(滋賀県琵琶湖の富栄養化の防止に関する[[条例]])が公布される{{sfn|環境政策課|2020|p=86}}。[[#環境保全|#]] |
* [[1979年]](昭和55年)10月 - 琵琶湖条例(滋賀県琵琶湖の[[富栄養化]]の防止に関する[[条例]])が公布される{{sfn|環境政策課|2020|p=86}}。[[#環境保全|#]] |
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* [[1985年]](昭和60年)12月 - [[湖沼法]]における指定湖沼に指定される{{sfn|環境政策課|2020|p=86}}。 |
* [[1985年]](昭和60年)12月 - [[湖沼法]]における指定湖沼に指定される{{sfn|環境政策課|2020|p=86}}。 |
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* [[1993年]]([[平成]]5年) |
* [[1993年]]([[平成]]5年)- [[ラムサール条約]]登録湿地に認定される{{sfn|環境政策課|2020|p=87}}。<!-- [[#環境保全|#]] --> |
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* [[2000年]](平成12年)3月 – 「マザーレイク21計画」が策定される{{sfn|嘉田|2012}}。<!-- [[#環境保全|#]] --> |
* [[2000年]](平成12年)3月 – 「マザーレイク21計画」が策定される{{sfn|嘉田|2012}}。<!-- [[#環境保全|#]] --> |
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=== 年間行事・記念日 === |
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*3月 |
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** [[びわ湖開き]]{{sfn|京都新聞|2021}} |
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*7月 |
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** びわ湖の日(1日){{sfn|滋賀県|2020a}} |
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** [[鳥人間コンテスト選手権大会]](下旬){{sfn|スポーツ報知|2020}} |
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*8月 |
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** [[伊崎寺|伊崎の棹飛び]](1日){{sfn|伊崎寺: 棹飛び}} |
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** [[びわ湖大花火大会]]{{sfn|産経ニュース|2019}} |
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=== 主な生物種 === |
=== 主な生物種 === |
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{{節スタブ|date=2021年12月}} |
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※「*」は希少([[亜種|亜]])[[種 (分類学)|種]]、「**」は絶滅危機増大(亜)種、「***」は[[絶滅危惧種|絶滅危惧(亜)種]]{{efn2|以上の指定カテゴリーは『滋賀県レッドデータブック』2015年版に基づく{{sfn|西野|2018|p=153}}。}}。 |
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※『滋賀県レッドデータブック』2015年版に基づき、希少([[亜種|亜]])[[種 (分類学)|種]]には「*」を、絶滅危機増大(亜)種には「**」を、[[絶滅危惧種|絶滅危惧(亜)種]]には「***」を附す<ref>固有種については{{harvtxt|西野|2018b|p=153}}による。それ以外のものについては別途出典を後置する。</ref> また、環境省レッドリスト2020年版に基づき、絶滅危惧IB類およびI類には「⁑」を、IA類には「⁂」を附す{{sfn|環境省|2020}}。琵琶湖においては絶滅したとされる種には「†」を附す。 |
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==== 動物 ==== |
==== 動物 ==== |
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518行目: | 687行目: | ||
[[File:Gymnogobius isaza by DaijuAzuma.jpg|thumb|イサザ]] |
[[File:Gymnogobius isaza by DaijuAzuma.jpg|thumb|イサザ]] |
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[[File:Silurus lithophilus by OpenCage.jpg|thumb|イワトコナマズ]] |
[[File:Silurus lithophilus by OpenCage.jpg|thumb|イワトコナマズ]] |
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{{after float|15em}} |
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*'''[[魚類]]''' |
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**固有(亜)種{{sfn|細谷|川瀬|2020}} |
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***[[カサゴ目]]{{仮リンク|カジカ科|en|Cottidae}} |
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****{{仮リンク|ウツセミカジカ|en|Cottus reinii}}{{small|({{仮リンク|カジカ属|en|Cottus (fish)|redirect=1}})}}{{efn2|独立種と見做さない研究者もいる{{sfn|西野|2018b|p=153}}。|name=独立種?}} |
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***[[コイ目]][[コイ科]]{{hlist-comma|list_style=display: list-item; margin-left: 1.6em; list-style: disc; |
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|[[アブラヒガイ]]{{#tag:sup|***|title="絶滅危惧種"}}{{#tag:sup|⁂|title="絶滅危惧IA類"}} |
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:::{{hlist-comma |
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|[[ |
|[[ゲンゴロウブナ]]{{#tag:sup|*|title="希少種"}}{{#tag:sup|⁑|title="絶滅危惧IB類"}} |
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|[[ゲンゴロウブナ]]{{#tag:sup|*|title="希少種"}} |
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|[[スゴモロコ]]{{#tag:sup|*|title="希少種"}} |
|[[スゴモロコ]]{{#tag:sup|*|title="希少種"}} |
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|[[ニゴロブナ]]{{#tag:sup|*|title="希少種"}}{{efn2|亜種。|name=亜種}}{{efn2|2013年に[[滋賀県立安土城考古博物館|安土城考古博物館]]がおこなった湖魚料理の人気アンケートを元に滋賀県ミュージアム活性化推進委員会が選定した琵琶湖八珍に含まれる種(ビワヨシノボリはゴリとして、アユはコアユとして選定){{sfn|大沼|2018|p=20}}{{sfn|水産課|2016}}。|name=琵琶湖八珍}} |
|[[ニゴロブナ]]{{#tag:sup|*|title="希少種"}}{{#tag:sup|⁑|title="絶滅危惧IB類"}}{{efn2|亜種。|name=亜種}}{{efn2|2013年に[[滋賀県立安土城考古博物館|安土城考古博物館]]がおこなった湖魚料理の人気アンケートを元に滋賀県ミュージアム活性化推進委員会が選定した琵琶湖八珍に含まれる種(ビワヨシノボリはゴリとして、アユはコアユとして選定){{sfn|大沼|2018|p=20}}{{sfn|水産課|2016}}。|name=琵琶湖八珍}} |
||
|[[ビワヒガイ]]{{#tag:sup|*|title="希少種"}}{{efn2|name=亜種}} |
|[[ビワヒガイ]]{{#tag:sup|*|title="希少種"}}{{efn2|name=亜種}} |
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|[[ホンモロコ]]{{#tag:sup|**|title="絶滅危機増大種"}}{{efn2|name=琵琶湖八珍}} |
|[[ホンモロコ]]{{#tag:sup|**|title="絶滅危機増大種"}}{{#tag:sup|⁂|title="絶滅危惧IA類"}}{{efn2|name=琵琶湖八珍}} |
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|{{仮リンク| |
|[[ヨドゼゼラ]]{{#tag:sup|⁑|title="絶滅危惧IB類"}}{{small|({{仮リンク|ゼゼラ属|en|Biwia}})}} |
||
|[[ワタカ]]{{#tag:sup|***|title="絶滅危惧種"}} |
|[[ワタカ]]{{#tag:sup|***|title="絶滅危惧種"}}{{#tag:sup|⁂|title="絶滅危惧IA類"}} |
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}} |
}} |
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***コイ目[[ドジョウ科]]{{hlist-comma|list_style=display: list-item; margin-left: 1.6em; list-style: disc; |
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|[[オオガタスジシマドジョウ]]{{#tag:sup|***|title="絶滅危惧種"}}{{#tag:sup|⁑|title="絶滅危惧IB類"}} |
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:::{{hlist-comma |
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|[[ |
|[[ビワコガタスジシマドジョウ]]{{#tag:sup|***|title="絶滅危惧種"}}{{#tag:sup|⁑|title="絶滅危惧IB類"}}{{small|(以上[[シマドジョウ属]])}} |
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|[[ビワコガタスジシマドジョウ]]{{#tag:sup|***|title="絶滅危惧種"}} |
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}} |
}} |
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***[[サケ目]][[サケ科]] |
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****[[ビワマス]]{{efn2|name=琵琶湖八珍}} |
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***[[スズキ目]][[ハゼ科]]{{hlist-comma|list_style=display: list-item; margin-left: 1.6em; list-style: disc; |
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:::{{hlist-comma |
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|[[イサザ]]{{#tag:sup|***|title="絶滅危惧種"}}{{efn2|name=琵琶湖八珍}} |
|[[イサザ]]{{#tag:sup|***|title="絶滅危惧種"}}{{efn2|name=琵琶湖八珍}} |
||
|[[ビワヨシノボリ]]{{efn2|name=琵琶湖八珍}} |
|[[ビワヨシノボリ]]{{small|([[ヨシノボリ属]])}}{{efn2|name=琵琶湖八珍}} |
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}} |
}} |
||
***[[ナマズ目]][[ナマズ科]]{{hlist-comma|list_style=display: list-item; margin-left: 1.6em; list-style: disc; |
|||
:::{{hlist-comma |
|||
|[[イワトコナマズ]]{{#tag:sup|**|title="絶滅危機増大種"}} |
|[[イワトコナマズ]]{{#tag:sup|**|title="絶滅危機増大種"}} |
||
|[[ビワコオオナマズ]]{{#tag:sup|*|title="希少種"}} |
|[[ビワコオオナマズ]]{{#tag:sup|*|title="希少種"}} |
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}} |
}} |
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**その他[[在来種]]{{sfn|細谷|川瀬|2020}} |
|||
***サケ目[[アユ科]]{{efn2|{{lang|en|{{harvtxt|Nelson|2007|p=195}}}} は[[キュウリウオ目]][[キュウリウオ科]]と分類し、その下[[アユ亜科]]を置く。}} |
|||
****[[アユ]]{{efn2|name=琵琶湖八珍}} |
|||
***コイ目コイ科 |
|||
****[[ハス (魚)|ハス]]{{#tag:sup|*|title="希少種"}}{{sfn|細谷|川瀬|2020}}{{efn2|name=琵琶湖八珍}} |
|||
**[[外来種]] |
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***[[スズキ目]][[サンフィッシュ科]]{{hlist-comma|list_style=display: list-item; margin-left: 1.6em; list-style: disc; |
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:::{{hlist-comma |
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|[[オオクチバス]]{{sfn|細谷|川瀬|2020}}{{efn2|特定指定外来生物{{sfn|自然環境局|2020}}。『滋賀県琵琶湖のレジャー利用の適正化に関する条例』において[[キャッチ・アンド・リリース]]が禁止されている種{{sfn|滋賀県|2019b|loc=第8条}}。|name=キャッチアンドリリース禁止}} |
|[[オオクチバス]]{{sfn|細谷|川瀬|2020}}{{efn2|特定指定外来生物{{sfn|自然環境局|2020}}。『滋賀県琵琶湖のレジャー利用の適正化に関する条例』において[[キャッチ・アンド・リリース]]が禁止されている種{{sfn|滋賀県|2019b|loc=第8条}}。|name=キャッチアンドリリース禁止}} |
||
|[[コクチバス]]{{sfn| |
|[[コクチバス]]{{sfn|国立環境研究所|n.d.}}{{efn2|name=キャッチアンドリリース禁止}} |
||
|[[ブルーギル]]{{sfn|細谷|川瀬|2020}}{{efn2|name=キャッチアンドリリース禁止}} |
|[[ブルーギル]]{{sfn|細谷|川瀬|2020}}{{efn2|name=キャッチアンドリリース禁止}} |
||
}} |
}} |
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*'''[[貝類]]{{sfn|琵琶湖環境科学研究センター|n.d.}}''' |
|||
**固有(亜)種 |
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***[[二枚貝綱]][[イシガイ目]]{{仮リンク|イシガイ科|en|Unionidae}}{{hlist-comma|list_style=display: list-item; margin-left: 1.6em; list-style: disc; |
|||
|[[イケチョウガイ]]{{#tag:sup|***|title="絶滅危惧種"}}{{#tag:sup|⁂|title="絶滅危惧IA類"}} |
|||
:::{{hlist-comma |
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|[[ |
|[[オグラヌマガイ]]{{#tag:sup|***|title="絶滅危惧種"}}{{#tag:sup|⁑|title="絶滅危惧IB類"}}{{small|([[オグラヌマガイ属]]{{efn2|固有属{{sfn|西野|2018b|p=152}}。|name=固有属}})}} |
||
|[[オ |
|[[オトコタテボシガイ]]{{#tag:sup|**|title="絶滅危機増大種"}}{{small|([[オトコタテボシガイ属]])}} |
||
|[[オトコタテボシガイ]]{{#tag:sup|**|title="絶滅危機増大種"}} |
|||
|[[ササノハガイ]]{{efn2|name=独立種?}} |
|[[ササノハガイ]]{{efn2|name=独立種?}} |
||
|[[タテボシガイ]]{{efn2|name=亜種}} |
|[[タテボシガイ]]{{small|({{仮リンク|イシガイ族|en|Unio (bivalve)}})}}{{efn2|name=亜種}} |
||
|[[マルドブガイ]]{{#tag:sup|*|title="希少種"}} |
|[[マルドブガイ]]{{#tag:sup|*|title="希少種"}}{{small|([[ドブガイ属]])}} |
||
|[[メンカラスガイ]]{{#tag:sup|*|title="希少種"}} |
|[[メンカラスガイ]]{{#tag:sup|*|title="希少種"}}{{small|({{仮リンク|カラスガイ属|en|Cristaria (bivalve)}})}} |
||
}} |
}} |
||
***二枚貝綱{{仮リンク|ハマグリ目|en|Venerida}}[[シジミ科]] |
|||
****[[セタシジミ]]{{#tag:sup|**|title="絶滅危機増大種"}}{{small|({{仮リンク|シジミ属|en|Corbicula}})}} |
|||
***二枚貝綱ハマグリ目[[ドブシジミ科]] |
|||
****[[カワムラマメシジミ]]{{small|({{仮リンク|マメシジミ属|en|Pisidium}})}} |
|||
***[[腹足綱]]{{仮リンク|吸腔目|en|Sorbeoconcha}}{{仮リンク|カワニナ科|en|Pleuroceridae}}{{hlist-comma|list_style=display: list-item; margin-left: 1.6em; list-style: disc; |
|||
:::{{hlist-comma |
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|[[イボカワニナ]]{{#tag:sup|*|title="希少種"}} |
|[[イボカワニナ]]{{#tag:sup|*|title="希少種"}} |
||
|[[オオウラカワニナ]]{{#tag:sup|***|title="絶滅危惧種"}} |
|[[オオウラカワニナ]]{{#tag:sup|***|title="絶滅危惧種"}} |
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589行目: | 751行目: | ||
|[[タテジワカワニナ]]{{#tag:sup|***|title="絶滅危惧種"}} |
|[[タテジワカワニナ]]{{#tag:sup|***|title="絶滅危惧種"}} |
||
|[[タテヒダカワニナ]] |
|[[タテヒダカワニナ]] |
||
|[[ナカセコカワニナ]]{{#tag:sup|**|title="絶滅危機増大種"}} |
|[[ナカセコカワニナ]]{{#tag:sup|**|title="絶滅危機増大種"}}{{#tag:sup|⁑|title="絶滅危惧I類"}} |
||
|[[ナンゴウカワニナ]]{{#tag:sup|**|title="絶滅危機増大種"}} |
|[[ナンゴウカワニナ]]{{#tag:sup|**|title="絶滅危機増大種"}} |
||
|[[ハベカワニナ]] |
|[[ハベカワニナ]] |
||
595行目: | 757行目: | ||
|[[ホソマキカワニナ]]{{#tag:sup|*|title="希少種"}} |
|[[ホソマキカワニナ]]{{#tag:sup|*|title="希少種"}} |
||
|[[モリカワニナ]]{{#tag:sup|*|title="希少種"}} |
|[[モリカワニナ]]{{#tag:sup|*|title="希少種"}} |
||
|[[ヤマトカワニナ]] |
|[[ヤマトカワニナ]]{{small|(以上{{仮リンク|カワニナ属|en|Semisulcospira}})}} |
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}} |
}} |
||
***腹足綱吸腔目[[タニシ科]] |
|||
****[[ナガタニシ]]{{#tag:sup|*|title="希少種"}}{{small|([[ナガタニシ属]]{{efn2|name=固有属}})}} |
|||
***腹足綱吸腔目{{仮リンク|ミズシタダミ科|en|Valvatidae}} |
|||
****[[ビワコミズシタダミ]]{{small|([[ミズシタダミ|ミズシタダミ属]])}} |
|||
***腹足綱[[有肺目]][[ヒラマキガイ科]]{{hlist-comma|list_style=display: list-item; margin-left: 1.6em; list-style: disc; |
|||
|[[カドヒラマキガイ]] |
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|[[ヒロクチヒラマキガイ]]{{small|(以上{{仮リンク|ヒラマキガイ属|en|Gyraulus}})}} |
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}} |
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:::[[オウミガイ]] |
|||
***腹足綱有肺目{{仮リンク|モノアラガイ科|en|Lymnaeidae}} |
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;[[節足動物]] |
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****[[オウミガイ]]{{small|({{仮リンク|モノアラガイ属|en|Radix (gastropod)}})}} |
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:;固有種{{sfn|琵琶湖環境科学研究センター: 分類}} |
|||
*'''[[節足動物]]''' |
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::;[[外顎綱]][[カゲロウ目]]{{仮リンク|シロイロカゲロウ科|en|Polymitarcyidae}}{{sfn|石綿|2020}} |
|||
**固有種{{sfn|琵琶湖環境科学研究センター|n.d.}} |
|||
:::[[ビワコシロカゲロウ]] |
|||
***[[外顎綱]][[カゲロウ目]]{{仮リンク|シロイロカゲロウ科|en|Polymitarcyidae}}{{sfn|石綿|2020}} |
|||
****[[ビワコシロカゲロウ]]{{small|({{仮リンク|シロイロカゲロウ属|en|Ephoron}})}} |
|||
:::[[ビワコエグリトビケラ]] |
|||
***外顎綱[[トビケラ目]]{{仮リンク|コエグリトビケラ科|en|Apataniidae}}{{sfn|上西|2020}} |
|||
::;[[鰓脚綱]]{{仮リンク|双殻目 (節足動物)|en|Diplostraca|label=双殻目}}[[ミジンコ科]] |
|||
****[[ビワコエグリトビケラ]]{{small|({{仮リンク|コエグリトビケラ属|en|Apatania}})}} |
|||
:::[[ビワミジンコ]]{{#tag:sup|***|title="絶滅危惧種"}} |
|||
***[[鰓脚綱]]{{仮リンク|双殻目 (節足動物)|en|Diplostraca|label=双殻目}}[[ミジンコ科]] |
|||
****[[ビワミジンコ]]{{#tag:sup|***|title="絶滅危惧種"}}{{small|({{仮リンク|ミジンコ属|en|Daphnia}})}} |
|||
:::{{hlist-comma |
|||
***[[軟甲綱]][[端脚目]]{{仮リンク|キタヨコエビ科|en|Anisogammaridae}}{{hlist-comma|list_style=display: list-item; margin-left: 1.6em; list-style: disc; |
|||
|[[アナンデールヨコエビ]]{{#tag:sup|**|title="絶滅危機増大種"}} |
|[[アナンデールヨコエビ]]{{#tag:sup|**|title="絶滅危機増大種"}} |
||
|[[ナリタヨコエビ]]{{#tag:sup|**|title="絶滅危機増大種"}} |
|[[ナリタヨコエビ]]{{#tag:sup|**|title="絶滅危機増大種"}}{{small|(以上[[オオエゾヨコエビ属]])}} |
||
}} |
}} |
||
***軟甲綱端脚目{{仮リンク|コロフィウム科|en|Corophiidae}} |
|||
****[[ビワカマカ]]{{#tag:sup|**|title="絶滅危機増大種"}}{{small|([[カマカ属]])}} |
|||
**その他在来種 |
|||
***外顎綱[[ハエ目]][[ユスリカ科]]{{sfn|井上|2020}} |
|||
****[[オオユスリカ]]{{efn2|通称「ビワコムシ」{{sfn|産経新聞|2017b|p=2}}。}} |
|||
***鰓脚綱双殻目ミジンコ科{{sfn|琵琶湖環境科学研究センター|n.d.}} |
|||
::;軟甲綱[[十脚目]][[テナガエビ科]] |
|||
****{{仮リンク|カブトミジンコ|en|Daphnia galeata}}{{small|(ミジンコ属)}}{{sfn|伴|2015|p=40}} |
|||
:::[[スジエビ]]{{sfn|琵琶湖環境科学研究センター: 分類}}{{efn2|name=琵琶湖八珍}} |
|||
***鰓脚綱双殻目ノロミジンコ科{{sfn|琵琶湖環境科学研究センター|n.d.}} |
|||
****[[ノロ (ミジンコ)|ノロ]]{{sfn|伴|2015|p=40}} |
|||
:;[[カイツブリ科|カイツブリ目カイツブリ科]] |
|||
***軟甲綱[[十脚目]][[テナガエビ科]] |
|||
::{{hlist-comma|[[カンムリカイツブリ]]{{efn2|name=ラムサール}}|[[ハジロカイツブリ]]{{efn2|name=ラムサール}}}} |
|||
****[[スジエビ]]{{sfn|琵琶湖環境科学研究センター|n.d.}}{{efn2|name=琵琶湖八珍}} |
|||
:;[[カツオドリ目]][[ウ科]] |
|||
***[[六幼生綱]][[カラヌス目]]{{仮リンク|ディアプトムス科|en|Diaptomidae}} |
|||
::[[カワウ]]{{efn2|name=ラムサール}} |
|||
****{{仮リンク|ヤマトヒゲナガケンミジンコ|nl|Eodiaptomus japonicus}}{{small|({{ill|エオヒゲナガケンミジンコ属|en|Eodiaptomus}})}}{{sfn|永田|2018|p=158}}{{sfn|GBIF|n.d.|loc={{snamei|Eodiaptomus japonicus}}}} |
|||
:;[[カモ目]][[カモ科]] |
|||
**外来種{{sfn|琵琶湖環境科学研究センター|n.d.}} |
|||
::{{hlist-comma |
|||
***鰓脚綱双殻目ミジンコ科 |
|||
****{{仮リンク|プリカリアミジンコ|en|Daphnia pulicaria}}{{small|(ミジンコ属)}}{{sfn|伴|2015|p=41}} |
|||
*'''[[鳥類]]{{sfn|水鳥・湿地センター|2020}}''' |
|||
**[[カイツブリ科|カイツブリ目カイツブリ科]]{{hlist-comma|list_style=display: list-item; margin-left: 1.6em; list-style: disc;|[[カンムリカイツブリ]]{{efn2|name=ラムサール}}|[[ハジロカイツブリ]]{{efn2|name=ラムサール}}}} |
|||
**[[カツオドリ目]][[ウ科]] |
|||
***[[カワウ]]{{efn2|name=ラムサール}} |
|||
**[[カモ目]][[カモ科]]{{hlist-comma|list_style=display: list-item; margin-left: 1.6em; list-style: disc; |
|||
|[[オオヒシクイ]]{{efn2|name=亜種}}{{efn2|2015 - 2017年のいずれかの年に[[ラムサール条約]]の1パーセント基準を超えた種{{sfn|須川|橋本|2018|p=181}}。|name=ラムサール}} |
|[[オオヒシクイ]]{{efn2|name=亜種}}{{efn2|2015 - 2017年のいずれかの年に[[ラムサール条約]]の1パーセント基準を超えた種{{sfn|須川|橋本|2018|p=181}}。|name=ラムサール}} |
||
|[[オカヨシガモ]]{{efn2|name=ラムサール}} |
|[[オカヨシガモ]]{{efn2|name=ラムサール}} |
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640行目: | 810行目: | ||
|[[ヨシガモ]]{{efn2|name=ラムサール}} |
|[[ヨシガモ]]{{efn2|name=ラムサール}} |
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}} |
}} |
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**[[ツル目]][[クイナ科]] |
|||
***[[オオバン]]{{efn2|name=ラムサール}} |
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*'''その他動物''' |
|||
**固有種{{sfn|琵琶湖環境科学研究センター|n.d.}} |
|||
***[[扁形動物門]][[三岐腸目]]{{仮リンク|オオウズムシ科|en|Dendrocoelidae}} |
|||
****[[ビワオオウズムシ]]{{#tag:sup|**|title="絶滅危機増大種"}}{{#tag:sup|⁑|title="絶滅危惧I類"}} |
|||
***扁形動物門{{仮リンク|多食目|en|Macrostomida}}{{仮リンク|フトクチヒメウズムシ科|en|Macrostomidae}} |
|||
****[[カワムラヒメウズムシ]]{{small|({{ill|マクロストマム属|en|Macrostomum}})}} |
|||
***[[海綿動物門]][[普通海綿綱]]{{仮リンク|タンスイカイメン科|en|Spongillidae}} |
|||
****[[オオツカイメン]]{{small|({{仮リンク|ヌマカイメン属|en|Spongilla}})}} |
|||
***[[環形動物門]][[ヒル綱]]{{仮リンク|吻蛭目|en|Rhynchobdellida}}{{仮リンク|グロシフォニ科|en|Glossiphoniidae}} |
|||
****[[イカリビル]]{{#tag:sup|***|title="絶滅危惧種"}}{{small|([[イカリビル属]])}} |
|||
**在来種 |
|||
***[[輪形動物門]]{{仮リンク|単生殖巣綱|en|Monogononta}}{{仮リンク|プロイマ目|fr|Ploima}}[[ネズミワムシ科]] |
|||
****[[ネズミワムシ]]{{small|({{仮リンク|ネズワムシ属|en|Trichocerca}})}}{{sfn|永田|2018|p=158}}{{sfn|永田|2020}} |
|||
***輪形動物門単生殖巣綱プロイマ目{{仮リンク|ヒゲワムシ科|fr|Synchaetidae}} |
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****[[ハネウデワムシ]]{{small|({{仮リンク|ハネウデワムシ属|en|Polyarthra}})}}{{sfn|永田|2018|p=158}}{{sfn|永田|2020}} |
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*'''[[魚類]]''' |
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**[[外来種]] |
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***[[カムルチー]]([[ライギョ]])、[[レンギョ]] |
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*'''[[節足動物]]''' |
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:[[カワムラナベブタムシ]] |
:[[カワムラナベブタムシ]] |
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==== 植物 |
==== 植物 ==== |
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[[File:Vallisneria asiatica var. biwaensis..JPG|thumb|ネジレモ]] |
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*'''[[被子植物]]''' |
|||
**固有種{{sfn|角野|2020}} |
|||
***([[単子葉類]])[[オモダカ目]][[トチカガミ科]] |
|||
****[[ネジレモ]] |
|||
***(単子葉類)オモダカ目[[ヒルムシロ科]] |
|||
****[[サンネンモ]]{{small|([[ヒルムシロ属]])}}{{#tag:sup|**|title="絶滅危機増大種"}} |
|||
**在来種 |
|||
***(単子葉類)[[イネ目]][[イネ科]]{{sfn|琵琶湖環境科学研究センター|n.d.}} |
|||
****[[セイタカヨシ]]{{small|([[ヨシ属]])}}{{sfn|金子|2018|p=164}} |
|||
****[[ツルヨシ]]{{sfn|長谷川|2015|p=59}} |
|||
****[[ヨシ]]{{sfn|長谷川|2015|p=59}} |
|||
***(単子葉類)オモダカ目[[トチカガミ科]]{{sfn|角野|2020}} |
|||
****[[クロモ (水草)|クロモ]]{{sfn|浜端|2015|p=49}}{{sfn|芳賀|2018|p=162}} |
|||
***(単子葉類)オモダカ目ヒルムシロ科{{hlist-comma|list_style=display: list-item; margin-left: 1.6em; list-style: disc; |
|||
|[[オオササエビモ]]{{sfn|角野|2018|p=162}}{{sfn|角野|2020}} |
|||
|[[ササバモ]]{{sfn|芳賀|2018|p=162}}{{sfn|角野|2020}} |
|||
|{{仮リンク|センニンモ|en|Potamogeton maackianus}}{{sfn|芳賀|2018|p=162}}{{sfn|角野|2020}} |
|||
|[[ヒロハノエビモ]]{{sfn|角野|2018|p=162}}{{sfn|角野|2020}} |
|||
|[[ガシャモク]]{{#tag:sup|†|title="琵琶湖においては絶滅した種"}}{{sfn|浜端|2015|p=48}}{{sfn|角野|2020}} |
|||
|[[リュウノヒゲモ]]{{#tag:sup|†|title="琵琶湖においては絶滅した種"}}{{small|(以上[[ヒルムシロ属]])}}{{sfn|浜端|2015|p=48}}{{sfn|GBIF|n.d.|loc={{snamei|Potamogeton pectinatus}} {{lang|la|L.}}}} |
|||
}} |
|||
***([[真正双子葉類]])[[キク目]][[ミツガシワ科]]{{sfn|角野|2020}} |
|||
****[[アサザ]]{{sfn|浜端|2015|p=50}} |
|||
***(真正双子葉類)[[ユキノシタ目]][[アリノトウグサ科]]{{sfn|角野|2020}} |
|||
****{{仮リンク|ホザキノフサモ|en|Myriophyllum spicatum}}{{small|([[フサモ属]])}}{{sfn|芳賀|2018|p=162}} |
|||
**外来種 |
|||
***(単子葉類)オモダカ目[[トチカガミ科]]{{sfn|浜端|2015|p=52}}{{sfn|角野|2020}}{{hlist-comma|list_style=display: list-item; margin-left: 1.6em; list-style: disc;|[[オオカナダモ]]{{sfn|浜端|2015|p=52}}|[[コカナダモ]]{{sfn|浜端|2015|p=52}}}} |
|||
***[[スイレン目]][[ハゴロモモ科]]{{sfn|GBIF|n.d.|loc={{snamei|Strobilidium}} {{lang|la|Schewiakoff}}}} |
|||
****[[ハゴロモモ]]{{sfn|浜端|2015|p=52}} |
|||
*'''[[接合藻]]''' |
|||
**{{仮リンク|チリモ目|en|Desmidiales|redirect=1}}{{仮リンク|ミカヅキモ科|en|Closteriaceae}} |
|||
***[[ミカヅキモ属]]{{sfn|坂本|2015|p=37}} |
|||
*'''[[緑藻植物門|緑藻植物]]''' |
|||
**[[車軸藻綱]][[シャジクモ目]][[シャジクモ科]]{{sfn|野生生物調査協会|Envision環境保全事務所|n.d.}} |
|||
***[[ホシツリモ]]{{sfn|角野|2018|p=161}} |
|||
**[[緑藻綱]][[ヨコワミドロ目]]{{仮リンク|アミミドロ科|en|Hydrodictyaceae|redirect=1}} |
|||
***[[ビワクンショウモ]]{{small|([[クンショウモ属]])}}{{sfn|坂本|2015|p=37}}{{sfn|琵琶湖環境科学研究センター|n.d.}} |
|||
==== その他 ==== |
==== その他 ==== |
||
*'''[[アメーボゾア]]''' |
|||
;固有種 |
|||
**[[ツブリネア綱]][[ナベカムリ目]]ナガツボカムリ科 |
|||
:;[[不等毛藻|不等毛植物門]][[珪藻綱]]コアミケイソウ目{{仮リンク|コスキノディスクス科|en|Coscinodiscaceae}} |
|||
***[[ビワツボカムリ|ビワコツボカムリ]]{{#tag:sup|†|title="琵琶湖においては絶滅した種"}}{{sfn|Ichise|Sakamaki|Shimano|2021|loc=p. 173 & passim}} |
|||
::{{hlist-comma|[[スズキケイソウ]]|[[スズキケイソウモドキ]]}} |
|||
*'''[[珪藻]]{{efn2|珪藻植物門の分類は{{harvtxt|鈴木|南雲|2013}} に基づく。}}''' |
|||
<!-- |
|||
**固有種 |
|||
***[[チュウカンケイソウ綱]]{{仮リンク|ニセコアミケイソウ目|en|Thalassiosirales}}{{仮リンク|ニセコアミケイソウ科|en|Thalassiosiraceae}} |
|||
:[[ビワクンショウモ]]、[[ビワツボカムリ]] |
|||
****[[スズキケイソウ]]{{small|([[プラエステファノス属]])}}{{sfn|辻|大塚|2018|p=3}}{{efn2|以前別種とされていたスズキケイソウモドキは、2018年現在同一種とされている{{sfn|辻|大塚|2018|p=2}}。}} |
|||
--> |
|||
**その他 |
|||
***[[クサリケイソウ綱]]{{仮リンク|オビケイソウ目|en|Fragilariophyceae}}[[オビケイソウ科]] |
|||
****{{仮リンク|ホシガタケイソウ属|en|Asterionella}}{{sfn|坂本|2015|p=37}} |
|||
****[[シネドラ属]]{{sfn|坂本|2015|p=37}} |
|||
***{{仮リンク|コアミケイソウ綱|en|Coscinodiscophyceae}}[[タルケイソウ目]][[タルケイソウ科]] |
|||
****[[メロシラ属]]{{sfn|坂本|2015|p=37}} |
|||
=== 主な港 === |
=== 主な港 === |
||
[[File:Yabase-ura, Shiga pref around 1910.png|thumb|矢橋浦(1910年ごろ)]] |
|||
[[ファイル:Ogoto port Shiga,JAPAN.jpg|thumb|おごと温泉港]] |
[[ファイル:Ogoto port Shiga,JAPAN.jpg|thumb|おごと温泉港]] |
||
{{after float|20em}} |
|||
[[ファイル:Nagahama port01s3872.jpg|thumb|長浜港]] |
|||
{{ul |
|||
[[ファイル:Port of imazu01s3200.jpg|thumb|今津港]] |
|||
|'''古代'''{{efn2|2001年以降に合併した市町は、{{harvtxt|滋賀県|2018a}}に基づいて2018年現在の市に分類した。|name=平成の大合併}} |
|||
*[[長浜市]]{{hlist-comma|list_style=margin: 0.3em 0 0 1.6em; display: list-item; |
|||
;古代{{efn2|2001年以降に合併した市町は、{{harvtxt|滋賀県|2018a}}に基づいて2018年現在の市に分類した。|name=平成の大合併}} |
|||
|[[塩津村 (滋賀県)|塩津]]([[西浅井町]]){{efn2|{{harvtxt|木村|2001|p=54}} において<q>歌集に詠みこまれた湊・浦</q>として挙げられているもの。|name=木村古代}}{{sfn|太田|2012|pp=10f<!--10頁の地図は滋賀県文化財保護協会編『琵琶湖をめぐる交通と経済力』よりの転載-->}} |
|||
:;[[長浜市]] |
|||
::{{hlist-comma |
|||
|[[塩津村 (滋賀県)|塩津]]([[西浅井町]]){{efn2|{{harvtxt|木村|2001|p=54}} において<q>歌集に詠みこまれた湊・浦</q>として挙げられているもの。|name=木村古代}} |
|||
|[[菅浦の湖岸集落|菅浦]](西浅井町){{efn2|name=木村古代}} |
|[[菅浦の湖岸集落|菅浦]](西浅井町){{efn2|name=木村古代}} |
||
|津乎 |
|津乎{{small|(つお)}}の崎([[湖北町]]尾上){{efn2|name=木村古代}} |
||
}} |
}} |
||
*[[米原市]]{{hlist-comma|list_style=margin: 0.3em 0 0 1.6em; display: list-item; |
|||
:;[[米原市]] |
|||
::{{hlist-comma |
|||
|磯{{efn2|name=木村古代}} |
|磯{{efn2|name=木村古代}} |
||
|朝妻{{efn2|name=木村古代}} |
|朝妻{{efn2|name=木村古代}}{{sfn|太田|2012|pp=10f}} |
||
}} |
}} |
||
*[[大津市]]{{hlist-comma|list_style=margin: 0.3em 0 0 1.6em; display: list-item; |
|||
:;[[大津市]] |
|||
|[[唐崎 (大津市)|唐崎]]{{efn2|name=木村古代}} |
|||
::{{hlist-comma |
|||
| |
|大津{{sfn|太田|2012|pp=10f}} |
||
|志賀浦{{efn2|name=木村古代}} |
|||
|三津浜{{efn2|name=木村古代}} |
|||
|[[真野 (大津市)|真野浦]]{{efn2|name=木村古代}} |
|[[真野 (大津市)|真野浦]]{{efn2|name=木村古代}} |
||
|比良湊([[志賀町 (滋賀県)|志賀町]]){{efn2|name=木村古代}} |
|比良湊([[志賀町 (滋賀県)|志賀町]]){{efn2|name=木村古代}} |
||
}} |
}} |
||
*[[高島市]]{{hlist-comma|list_style=margin: 0.3em 0 0 1.6em; display: list-item; |
|||
:;[[高島市]] |
|||
|勝野([[高島町 (滋賀県)|高島町]]){{efn2|name=木村古代}}{{sfn|太田|2012|pp=10f}} |
|||
::{{hlist-comma |
|||
|勝野([[高島町 (滋賀県)|高島町]]){{efn2|name=木村古代}} |
|||
|香取浦(高島町){{efn2|name=木村古代}} |
|香取浦(高島町){{efn2|name=木村古代}} |
||
|真長の浦(高島町){{efn2|name=木村古代}} |
|真長の浦(高島町){{efn2|name=木村古代}} |
||
|安曇([[安曇川町]]){{efn2|name=木村古代}} |
|安曇([[安曇川町]]){{efn2|name=木村古代}} |
||
}} |
}} |
||
*その他{{hlist-comma|list_style=margin: 0.3em 0 0 1.6em; display: list-item; |
|||
:;その他 |
|||
::{{hlist-comma |
|||
|水茎の岡([[近江八幡市]]){{efn2|name=木村古代}} |
|水茎の岡([[近江八幡市]]){{efn2|name=木村古代}} |
||
|[[矢橋]]([[草津市]]){{efn2|name=木村古代}} |
|[[矢橋]]([[草津市]]){{efn2|name=木村古代}} |
||
}} |
}} |
||
|'''中世'''{{sfn|太田|2012|p=12f}} |
|||
;近世{{efn2|name=平成の大合併}} |
|||
*米原市{{hlist-comma|list_style=margin: 0.3em 0 0 1.6em; display: list-item; |
|||
:;長浜市 |
|||
|朝妻 |
|||
::{{hlist-comma |
|||
|[[筑摩御厨|筑摩]] |
|||
}} |
|||
*草津市{{hlist-comma|list_style=margin: 0.3em 0 0 1.6em; display: list-item; |
|||
|[[矢橋]] |
|||
|[[山田村 (滋賀県)|山田]] |
|||
|[[常盤村 (滋賀県)|志那]] |
|||
}} |
|||
*大津市{{hlist-comma|list_style=margin: 0.3em 0 0 1.6em; display: list-item; |
|||
|大津 |
|||
|[[坂本 (大津市)|坂本]] |
|||
|[[堅田 (大津市)|堅田]] |
|||
}} |
|||
*高島市{{hlist-comma|list_style=margin: 0.3em 0 0 1.6em; display: list-item; |
|||
|[[今津町 (滋賀県)|今津]] |
|||
|[[海津村|海津]] |
|||
}} |
|||
*その他{{hlist-comma|list_style=margin: 0.3em 0 0 1.6em; display: list-item; |
|||
|塩津 |
|||
|島(近江八幡市) |
|||
|[[八坂町 (彦根市)|八坂]] |
|||
}} |
|||
|'''近世'''{{efn2|name=平成の大合併}} |
|||
{{OSM Location map |
|||
|coord={{coord|35.2871|136.0780}}|zoom=9|width=213|height=260|nolabels=1|auto-caption=1 |
|||
|caption=近世の主な港。[[File:Red pog.svg|10px]]は九ヵ浦、[[File:Dark Green 004040 pog.svg|10px]]は彦根三湊。 |
|||
|mark-size1=10 |
|||
|label1=大津|label-color1=hard grey|label-pos1=right|mark-coord1={{coord|35.01310|135.86621}}|mark-title1=大津 |
|||
|label2=堅田|label-color2=hard grey|label-pos2=top|mark-coord2={{coord|35.10989|135.92137}}|mark-title2=堅田 |
|||
|label3=大溝|label-color3=hard grey|label-pos3=right|mark-coord3={{coord|35.29273|136.01540}}|mark-title3=大溝 |
|||
|label4=今津|label-color4=hard grey|label-pos4=left|mark-coord4={{coord|35.39721|136.03524}}|mark-title4=今津 |
|||
|label5=海津|label-pos5=bottom|label-color5=hard grey|mark-coord5={{coord|35.4623|136.0715}}|mark-title5=海津 |
|||
|label6=大浦|label-color6=hard grey|label-pos6=right|mark-coord6={{coord|35.48703|136.12211}}|mark-title6=大浦 |
|||
|label7=塩津|mark-coord7={{coord|35.5135|136.16266}}|label-color7=hard grey|label-pos7=top|mark-title7=塩津 |
|||
|label8=長浜|shape8=image|mark8=Dark Green 004040 pog.svg|label-color8=hard grey|label-pos8=left|mark-coord8={{coord|35.372694|136.264722}}|mark-title8=長浜 |
|||
|label9=米原|shape9=image|mark9=Dark Green 004040 pog.svg|label-color9=hard grey|label-pos9=left|mark-coord9={{coord|35.31377|136.2901820}}|mark-title9=米原 |
|||
|label10=松原|shape10=image|mark10=Dark Green 004040 pog.svg|label-color10=hard grey|label-pos10=bottom|mark-coord10={{coord|35.28802|136.24926}}|mark-title10=松原 |
|||
|label11=八幡・舟木|label-color11=hard grey|label-pos11=top|mark-coord11={{coord|35.1562|136.0641}}|mark-title11=八幡・舟木 |
|||
}} |
|||
{{+float|15em}} |
|||
*長浜市{{hlist-comma|list_style=margin: 0.3em 0 0 1.6em; display: list-item; |
|||
|塩津{{efn2|name=九ヵ浦|九ヵ浦{{sfn|杉江|2011|p=162}}。}} |
|塩津{{efn2|name=九ヵ浦|九ヵ浦{{sfn|杉江|2011|p=162}}。}} |
||
|尾上( |
|尾上({{small|おのうえ}}、湖北町){{efn2|name=木村近世}} |
||
|長浜{{efn2|name=木村近世|{{harvtxt|木村|2001|p=67}} において<q>前述の古代の港以外のおもな港</q>として挙げられているもの。}}{{efn2|name=彦根三湊|彦根三湊{{sfn|杉江|2011|p=174}}。}} |
|長浜{{efn2|name=木村近世|{{harvtxt|木村|2001|p=67}} において<q>前述の古代の港以外のおもな港</q>として挙げられているもの。}}{{efn2|name=彦根三湊|彦根三湊{{sfn|杉江|2011|p=174}}。}} |
||
|早崎([[びわ町]]){{efn2|name=木村近世|}} |
|早崎([[びわ町]]){{efn2|name=木村近世|}} |
||
|大浦(西浅井町){{efn2|name=九ヵ浦}} |
|大浦(西浅井町){{efn2|name=九ヵ浦}} |
||
}} |
}} |
||
*米原市 |
|||
**米原{{efn2|name=木村近世}}{{efn2|name=彦根三湊}} |
|||
*彦根市{{hlist-comma|list_style=margin: 0.3em 0 0 1.6em; display: list-item; |
|||
:;彦根市 |
|||
|八坂{{efn2|name=木村近世}} |
|||
::{{hlist-comma |
|||
|[[八坂町 (彦根市)|八坂]]<small>(はっさか)</small>{{efn2|name=木村近世}} |
|||
|薩摩{{efn2|name=木村近世}} |
|薩摩{{efn2|name=木村近世}} |
||
|柳川{{efn2|name=木村近世}} |
|柳川{{efn2|name=木村近世}} |
||
|松原{{efn2|name=木村近世}}{{efn2|name=彦根三湊}} |
|[[松原町 (彦根市)|松原]]{{efn2|name=木村近世}}{{efn2|name=彦根三湊}} |
||
}} |
}} |
||
*近江八幡市{{hlist-comma|list_style=margin: 0.3em 0 0 1.6em; display: list-item; |
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:;近江八幡市 |
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|八幡{{efn2|name=九ヵ浦}} |
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|舟木{{efn2|name=木村近世}}{{efn2|name=九ヵ浦}} |
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740行目: | 985行目: | ||
|常楽寺([[安土町]]){{efn2|name=木村近世}} |
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}} |
}} |
||
*大津市{{hlist-comma|list_style=margin: 0.3em 0 0 1.6em; display: list-item; |
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:;大津市 |
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::{{hlist-comma |
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|大津{{efn2|name=九ヵ浦}} |
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| |
|坂本{{efn2|name=木村近世}} |
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| |
|堅田{{efn2|name=木村近世}}{{efn2|name=九ヵ浦}} |
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|北小松(志賀町){{efn2|name=木村近世}} |
|北小松(志賀町){{efn2|name=木村近世}} |
||
|北比良(志賀町){{efn2|name=木村近世}} |
|北比良(志賀町){{efn2|name=木村近世}} |
||
}} |
}} |
||
*高島市{{hlist-comma|list_style=margin: 0.3em 0 0 1.6em; display: list-item; |
|||
:;高島市 |
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::{{hlist-comma |
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|[[大溝町|大溝]]([[高島町 (滋賀県)|高島町]]){{efn2|name=木村近世}}{{efn2|name=九ヵ浦}} |
|[[大溝町|大溝]]([[高島町 (滋賀県)|高島町]]){{efn2|name=木村近世}}{{efn2|name=九ヵ浦}} |
||
|木津( |
|木津({{small|こづ}}、[[新旭町]]){{efn2|name=木村近世}} |
||
| |
|今津{{efn2|name=木村近世}}{{efn2|name=九ヵ浦}} |
||
| |
|海津([[マキノ町]]){{efn2|name=木村近世}}{{efn2|name=九ヵ浦}} |
||
}} |
}} |
||
|'''近代'''{{sfn|大沼|2012b|pp=102f}} |
|||
;現代 |
|||
* 長浜市{{hlist-comma|list_style=margin: 0.3em 0 0 1.6em; display: list-item; |
|||
:;長浜市 |
|||
|塩津|片山|南浜|長浜|竹生島 |
|||
::{{hlist-comma|[[長浜港 (滋賀県)|長浜港]]{{sfn|滋賀県|2020}}{{sfn|琵琶湖汽船: 各港へのアクセス}}|[[竹生島]]港{{sfn|滋賀県|2020}}{{sfn|滋賀県|2009}} |
|||
}} |
}} |
||
*彦根市{{hlist-comma|list_style=margin: 0.3em 0 0 1.6em; display: list-item; |
|||
:;大津市 |
|||
|松原|柳川 |
|||
::{{hlist-comma|[[大津港 (滋賀県)|大津港]]{{sfn|滋賀県|2020}}{{sfn|琵琶湖汽船: 各港へのアクセス}}|[[びわ湖大津プリンスホテル|におの浜観光港]]{{sfn|琵琶湖汽船: 各港へのアクセス}}|[[柳が崎湖畔公園]]港{{sfn|琵琶湖汽船: 各港へのアクセス}}|[[雄琴温泉|おごと温泉]]港{{sfn|琵琶湖汽船: 各港へのアクセス}}|[[琵琶湖大橋]]港{{sfn|琵琶湖汽船: 各港へのアクセス}} |
|||
}} |
}} |
||
*近江八幡市{{hlist-comma|list_style=margin: 0.3em 0 0 1.6em; display: list-item; |
|||
:;その他 |
|||
|常楽寺|長命寺|八幡|[[沖島 (琵琶湖)|沖ノ島]] |
|||
::{{hlist-comma|[[彦根港]]{{sfn|滋賀県|2020}}|草津[[烏丸半島]]港{{sfn|琵琶湖汽船: 各港へのアクセス}}|[[今津町 (滋賀県)|今津]]港(高島市){{sfn|琵琶湖汽船: 各港へのアクセス}} |
|||
}} |
|||
* 草津市{{hlist-comma|list_style=margin: 0.3em 0 0 1.6em; display: list-item; |
|||
|志那|穴村|山田|矢橋 |
|||
}} |
|||
* 大津市{{hlist-comma|list_style=margin: 0.3em 0 0 1.6em; display: list-item; |
|||
|大津|坂本|堅田|[[和邇村|和邇]]|[[小松村 (滋賀県)|小松]] |
|||
}} |
|||
*高島市{{hlist-comma|list_style=margin: 0.3em 0 0 1.6em; display: list-item; |
|||
|大溝|船木|深溝|今津|海津 |
|||
}} |
|||
*その他{{hlist-comma|list_style=margin: 0.3em 0 0 1.6em; display: list-item; |
|||
| 米原 |
|||
| [[能登川町|能登川]]([[東近江市]]) |
|||
| 赤野井([[守山市]]) |
|||
}} |
|||
|'''現代''' |
|||
{{OSM Location map |
|||
|coord={{coord|35.2498|136.0689}}|zoom=9|width=213|height=260|nolabels=1|auto-caption=1 |
|||
|caption=現代の主な港。[[File:Red pog.svg|10px]]は地方港湾、[[File:Dark Green 004040 pog.svg|10px]]は第一種漁港。 |
|||
|label1=長浜|mark-title1=長浜港|mark-coord1={{coord|35.37334|136.26423}}|label-pos1=bottom|label-color1=hard grey |
|||
|label2=竹生島|mark-title2=竹生島港|mark-coord2={{coord|35.42007|136.14343}}|label-pos2=right|label-color2=hard grey |
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*草津市{{hlist-comma|list_style=margin: 0.3em 0 0 1.6em; display: list-item; |
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*大津市{{hlist-comma|list_style=margin: 0.3em 0 0 1.6em; display: list-item; |
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|[[雄琴温泉|おごと温泉]]港{{sfn|琵琶湖汽船|loc=各港へのアクセス}} |
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|[[琵琶湖大橋]]港{{sfn|琵琶湖汽船|loc=各港へのアクセス}} |
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|和邇漁港{{efn2|name=第一種漁港}} |
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*高島市{{hlist-comma|list_style=margin: 0.3em 0 0 1.6em; display: list-item; |
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|大溝漁港{{efn2|name=第一種漁港}} |
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|今津漁港{{efn2|name=第一種漁港}} |
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*その他{{hlist-comma|list_style=margin: 0.3em 0 0 1.6em; display: list-item; |
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== 注釈 == |
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== 出典 == |
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<ref name="コトバンク 吾君">「[https://kotobank.jp/word/%E5%90%BE%E5%90%9B-422974#E7.B2.BE.E9.81.B8.E7.89.88.20.E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.9B.BD.E8.AA.9E.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E5.85.B8 吾君]」『[[日本国語大辞典|精選版 日本国語大辞典]]』、[[小学館]](『[[コトバンク]]』、[[VOYAGE MARKETING]])。2021年12月15日閲覧。</ref> |
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<ref name="コトバンク 曲">「[https://kotobank.jp/word/%E6%9B%B2-53195#E7.B2.BE.E9.81.B8.E7.89.88.20.E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.9B.BD.E8.AA.9E.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E5.85.B8 曲]」『[[日本国語大辞典|精選版 日本国語大辞典]]』、[[小学館]](『[[コトバンク]]』、[[VOYAGE MARKETING]])。2021年12月15日閲覧。</ref> |
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<ref name="コトバンク しのに">「[https://kotobank.jp/word/%E3%81%97%E3%81%AE%E3%81%AB-522636#E7.B2.BE.E9.81.B8.E7.89.88.20.E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.9B.BD.E8.AA.9E.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E5.85.B8 しのに]」『[[日本国語大辞典|精選版 日本国語大辞典]]』、[[小学館]](『[[コトバンク]]』、[[VOYAGE MARKETING]])。2021年12月15日閲覧。</ref> |
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== 参考文献 == |
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* {{cite book|date=2015-06-06|和書|title=琵琶湖と環境: 未来につなぐ自然と人との共生|publisher=[[サンライズ出版]]|editor=琵琶湖と環境編集委員会|isbn=978-4-88325-568-9}} |
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** {{wikicite|ref={{sfnref|金木|2015}}|reference=金木, 亮一「内湖」14-16頁。}} |
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** {{wikicite|ref={{sfnref|川地|2015}}|reference=川地, 武「土と水」17-20頁。}} |
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** {{wikicite|ref={{sfnref|伏見|2015}}|reference=伏見, 碩二「琵琶湖の雪」21-23頁。}} |
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** {{wikicite|ref={{sfnref|坂本|2015}}|reference=坂本, 充「植物プランクトン」36-38頁}} |
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** {{wikicite|ref={{sfnref|伴|2015}}|reference=伴, 修平「プランクトンのはなし」39-42頁。}} |
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** {{wikicite|ref={{sfnref|浜端|2015}}|reference=浜端, 悦治「琵琶湖の水草」48-57頁。}} |
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** {{wikicite|ref={{sfnref|長谷川|2015}}|reference=長谷川, 博「ヨシの話」58-63頁。}} |
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** {{wikicite|ref={{sfnref|迫田|2015}}|reference=迫田, 正美「湖岸の集落」172-185頁。}} |
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* {{cite book|和書|date=2017-02-10|title=泳ぐイノシシの時代|publisher=[[サンライズ出版]]|last=高橋|first=春成||isbn=978-4-88325-610-5|ref=harv|series=びわ湖の森の生き物}} |
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* {{cite book|和書|date=2017-07-01|last=山根|first=猛|title=琵琶湖の漁業 いま・むかし|publisher=[[サンライズ出版]]|series=琵琶湖博物館ブックレット|isbn=978-4-88325-616-7|ref=harv}} |
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* {{Cite book|和書|date=2018-03|title=琵琶湖ハンドブック|publisher=滋賀県|edition=三訂版|url=https://www.pref.shiga.lg.jp/ippan/kankyoshizen/biwako/11346.html|ncid=BB25911621}} |
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** {{Wikicite|ref={{SfnRef|木村|2018a}}|reference=[[木村至宏|木村, 至宏]]「[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/21993.pdf 『琵琶湖』の名前]」8-9頁。}} |
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** {{Wikicite|ref={{SfnRef|堀越|2018}}|reference=堀越, 昌子「[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/21997.pdf 食文化]」16-17頁。}} |
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** {{Wikicite|ref={{SfnRef|小島|2018}}|reference=小島, 朝子「[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/21998.pdf トピック 湖魚料理]」19頁。}} |
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** {{Wikicite|ref={{SfnRef|大沼|2018}}|reference=大沼, 芳幸「[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/21999.pdf トピック 琵琶湖八珍]」20-21頁。}} |
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** {{Wikicite|ref={{SfnRef|飯田|2018}}|reference=飯田, 忠義「[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22001.pdf トピック 琵琶湖周航の歌]」24-25頁。}} |
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** {{Wikicite|ref={{SfnRef|山脇|2018}}|reference=山脇, 秀錬「[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22004.pdf 湖上のレジャー]」30-31頁。}} |
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** {{Wikicite|ref={{SfnRef|観光交流局|2018}}|reference=観光交流局「[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22007.pdf 島]」「[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22008.pdf トピック 日本遺産]」36-39頁。}} |
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** {{wikicite|ref={{sfnref|木戸|2018}}|reference=木戸, 雅寿「[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22014.pdf 水中遺跡(湖底遺跡)]」50-51頁。}} |
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** {{wikicite|ref={{sfnref|用田|2018}}|reference=用田, 政晴「[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22016.pdf 湖上交通史]」54-55頁。}} |
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** {{Wikicite|ref={{SfnRef|木村|2018b}}|reference=[[木村至宏|木村, 至宏]]「[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22018.pdf 近江八景と琵琶湖八景]」58-59頁。}} |
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** {{Wikicite|ref={{SfnRef|池田|2018}}|reference=[[池田碩|池田, 碩]]「[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22046.pdf 湖底地形]」114-115頁。}} |
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** {{Wikicite|ref={{SfnRef|東|2018}}|reference=東, 善広「[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22048.pdf 湖岸]」118-119頁。}} |
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** {{Wikicite|ref={{SfnRef|里口|2018a}}|reference=里口, 保文「[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22050.pdf 生い立ち]」122-123頁。}} |
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** {{wikicite|ref={{sfnref|西野|2018a}}|reference=西野, 麻知子「[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22049.pdf 内湖]」120-121頁。}} |
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** {{Wikicite|ref={{SfnRef|佐藤|2018}}|reference=佐藤, 祐一「[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22056.pdf 水循環]」134-135頁。}} |
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** {{Wikicite|ref={{SfnRef|焦|2018}}|reference=焦, 春萌「[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22057.pdf 水の流れ]」「[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22058.pdf トピック 琵琶湖の全循環と『低酸素化』]」136-138頁。}} |
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** {{wikicite|ref={{sfnref|一瀬|2018}}|reference=一瀬, 諭「[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22067.pdf 植物プランクトン]」156-157頁。}} |
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** {{wikicite|ref={{sfnref|永田|2018}}|reference=永田, 貴丸「[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22068.pdf 動物プランクトン]」158-159頁。}} |
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** {{wikicite|ref={{sfnref|角野|2018}}|reference=角野, 康郎「[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22069.pdf 水草]」160-161頁。}} |
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** {{wikicite|ref={{sfnref|芳賀|2018}}|reference=芳賀, 裕樹「[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22070.pdf トピック 南湖の沈水植物繁茂]」162-163頁。}} |
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** {{wikicite|ref={{sfnref|金子|2018}}|reference=金子, 有子「[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22071.pdf ヨシ]」164-165頁。}} |
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** {{wikicite|ref={{sfnref|須川|橋本|2018}}|reference=須川, 恒; 橋本, 啓史「[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22079.pdf 水鳥]」180-181頁。}} |
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** {{Wikicite|ref={{SfnRef|流域政策局|2018a}}|reference=流域政策局「[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22098.pdf 琵琶湖と河川]」218-219頁。}} |
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** {{Wikicite|ref={{SfnRef|琵琶湖河川事務所|2018}}|reference=国土交通省[[近畿地方整備局]]琵琶湖河川事務所「[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22099.pdf 琵琶湖と瀬田川の境は?]」220-221頁。}} |
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** {{Wikicite|ref={{SfnRef|流域政策局|2018b}}|reference=流域政策局「[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22103.pdf 琵琶湖と淀川流域]」228-229頁。}} |
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** {{wikicite|ref={{sfnref|環境政策課|2018}}|reference=環境政策課「[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22110.pdf 琵琶湖に関する試験研究]」240頁。}} |
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* {{cite book|和書|date=2018-07-18|last=里口|first=保文|title=琵琶湖はいつできた: 地層が伝える過去の環境|year=2018b|publisher=[[サンライズ出版]]|series=琵琶湖博物館ブックレット|isbn=978-4-88325-644-0|ref=harv}} |
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|'''論文・発表要旨など'''<!--以下コメントアウトした資料は、脚注過剰と判断しコメントアウトした本文中の{{sfn}}と対応--> |
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== 参考資料 ==<!--以下の「:」のみの行を削除しないでください([[Help:箇条書き#定義の箇条書き中の箇条書き]])--> |
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<!--* {{cite journal|和書|last=森川 |first=光郎 |last2=岡本 |first2=巌|authorlink2=岡本巌|title=漂流瓶調査による琵琶湖の表面流について|journal=陸水学雑誌|volume=21|issue=3-4|publisher=[[日本陸水学会]]|year=1960|date=1960-11-30|ref=harv|doi=10.3739/rikusui.21.173|pages=173-186}}--> |
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<!--* {{cite journal|和書|last=大西 |first=外明 |last2=田中 |first2=総太郎|title=琵琶湖北湖の環流の航空機による観察と解析的考察|journal=水理講演会論文集|publisher=[[土木学会]]|ref=harv|volume=25|year=1981|date=1981-01-10|pages=569-575|doi=10.2208/prohe1975.25.569}}--> |
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<!--* {{cite journal|和書|last=大久保|first=賢治|year=1983|title=湖の加熱成層過程と環流|doi=10.2208/prohe1975.27.185|journal=水理講演会論文集|volume=27|pages=185-190|last2=村本|first2=嘉雄|publisher=[[土木学会]]|date=1983-01-17|ref=harv}}--> |
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* {{Cite journal|和書|last=植村 |first=善博|last2=太井子 |first2=宏和|title=琵琶湖湖底の活構造と湖盆の変遷|doi=10.4157/grj1984a.63.11_722|year=1990|date=1990-11-01|journal=地理学評論 Ser. A|publisher=[[日本地理学会]]|volume=63|issue=11|pages=722-740|ref=harv |issn = 0016-7444 }} |
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* {{cite journal|title=大津・長浜間鉄道連絡汽船会社の創立と近江商人|last=末永|first=國紀|authorlink=末永國紀|journal=社会科学|issue=47|pages=89-108|date=1991-08-28|publisher=[[同志社大学]]人文科学研究所|doi=10.14988/pa.2017.0000007993|ref=harv}} |
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* {{Cite journal|和書|last=竹林|first=征三|author-link=竹林征三|last2=今井|first2=範雄|date=1995-06-09|title=琵琶湖の歴史洪水と瀬田川浚渫についての土木史的研究|journal=土木史研究|volume=15|pages=409-423|publisher=[[土木学会]]|ref=harv|DOI=10.2208/journalhs1990.15.409}} |
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* {{Cite journal|和書|last=三谷|first=健太郎|date=1997-08-30|title=琵琶湖総合開発事業の概要と成果|journal=環境技術|volume=49|issue=6|pages=519-523|publisher=環境技術学会|ref=harv|DOI=10.5956/jriet.26.519}} |
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* {{cite journal|last=杉江|first=進|title=近世琵琶湖水運の成立とその特質: 大津百艘船と船奉行|journal=交通史研究|publisher=[[交通史学会]]|volume=43|pages=15-38|date=1999-05-15|ref=harv|和書|doi=10.20712/kotsushi.43.0_15}} |
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* {{cite journal|last=嘉名|first=光市|authorlink=嘉名光市|last2=齋藤|first2=潮|title=主要眺望点における琵琶湖の形状に関する研究|journal=都市計画論文集|publisher=[[日本都市計画学会]]|volume=34|pages=445-450|date=1999-10-25|doi=10.11361/journalcpij.34.445|和書|ref=harv}} |
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* {{cite journal|和書|last=山敷|first=庸亮|last2=松井|first2=三郎|authorlink2=松井三郎 (環境工学者)|last3=禰津|first3=家久|last4=熊谷|first4=道夫|date=2000-02-10|title=琵琶湖環流の数値シミュレーション|journal=水工学論文集|publisher=[[土木学会]]|pages=975-980|volume=44|ref=harv|doi=10.2208/prohe.44.975}} |
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* {{cite journal|和書|last=武内|first=孝|last2=渡部|first2=奈美|last3=近藤|first3=隆二郎|title=居住地と環境学習充実度からみた小学校における体験型環境学習のあり方に関する研究: びわ湖フローティングスクール『湖の子』を事例として|journal=環境システム研究論文集|publisher=[[土木学会]]|date=2001-11-01|ref=harv|doi=10.2208/proer.29.149}} |
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* {{cite journal|和書|last=藤田|first=伸也|title= 南宋画院の詩書画: 三絶の視点から|publisher=[[三重大学]]人文学部文化学科|journal=人文論叢: 三重大学人文学部文化学科研究紀要|volume=20|pages=161-170|ref=harv|date=2003-03-25|naid=110000961943}} |
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* {{cite journal|和書|last=庄|first=建治朗|title=琵琶湖の歴史的水文環境の推定とその水工計画学的応用に関する研究|publisher=[[京都大学]]|ref=harv|date=2003-06-23|doi=10.14989/doctor.r11295}} |
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* {{cite journal|和書|last=高木|first=佳子|authorlink=高木佳子|title=上西門院兵衛について(一): 詠歌資料集成|journal=學苑|publisher=[[昭和女子大学]]|year=2004|ref=harv|naid=110000965118|pages=24-31}} |
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* {{cite journal|和書|last=井村|first=博宣|title=滋賀県におけるアユの種苗全国供給と養殖業の地域的展開|journal=地域漁業研究|publisher=地域漁業学会|date=2013-08-01|ref=harv|doi=10.34510/jrfs.53.3_25|pages=25-45}} |
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* {{cite journal|和書|last=陀安|first=一郎|last2=奥田|first2=昇|last3=由水|first3=千景|title=安定同位体比を用いた生態系変動評価と予測に関する研究|publisher=環境省[[総合環境政策局]]総務課環境研究技術室|journal=温暖化が大型淡水湖の循環と生態系に及ぼす影響評価に関する研究 平成20年度-平成22年度(環境省環境研究総合推進費終了研究成果報告書; D-0804)|year=2011|id={{国立国会図書館書誌ID|024431155}}|url=https://www.data.go.jp/data/dataset/env_20170508_0388/resource/139fa2db-99e2-4d6d-81b5-d62c1af2b0ed|pages=87-105|ref=harv}} |
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* {{cite journal|和書|last=戸田|first=孝|date=2013-07-09|title=琵琶湖環流の研究史|journal=陸水学雑誌|volume=75|issue=1|publisher=[[日本陸水学会]]|pages=35-48|doi=10.3739/rikusui.75.35|ref=harv}} |
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* {{cite journal|和書|last=鈴木|first=秀和|last2=南雲|first2=保|title=珪藻類の分類体系(総説)— 現生珪藻の属ランクのチェックリスト|journal=日本プランクトン学会報|publisher=日本プランクトン学会|volume=60|issue=2|pages=60-79|date=2013-08-25|doi=10.24763/bpsj.60.2_60|ref=harv}} |
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* {{cite journal|和書|last=濱|first=修|year=2014|month=03|title=『皇后宮』木簡と起請文祭祀|journal=紀要|publisher=滋賀県文化財保護協会|issue=27|url=http://shiga-bunkazai.jp/download/kiyou/27_hama.pdf|naid=40022111144|ref=harv}} |
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* {{cite journal|和書|last=大田|first=啓一|date=2014-09-05|title=大きな空間スケールの問題として 琵琶湖環境問題をみる|journal=水文・水資源学会誌|publisher=水文・水資源学会|pages=205-207|volume=27|issue=5|doi=10.3178/jjshwr.27.205|ref=harv}} |
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* {{cite journal|和書|date=2016-03|last1=金子|first1=有子|last2=佐々木|first2=寧|title=琵琶湖湖岸域における近年の植生変化について|journal=東洋大学紀要. 自然科学篇|publisher=東洋大学自然科学研究室|issue=60|pages=77-83|naid=120005820157|ref=harv}} |
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* {{cite journal|和書|date=2018|last=古賀|first=勝之|title=琵琶湖開発事業における琵琶湖保全・再生に向けた取り組み|journal=水利科学|volume=62|issue=3|pages=22-41|publisher=水利科学研究所|doi=10.20820/suirikagaku.62.3_22|ref=harv}} |
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* {{Cite web|和書|url=http://www.jsidre.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2019/04/suido_H30kikaku-2.pdf|title=琵琶湖疏水の開削と京都の近代化|accessdate=2021-01-17|last=小野|first=芳朗|website=[[農業農村工学会]]|year=2019|month=04|ref=harv}} |
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* {{wikicite|reference={{lang|en|Ichise, Satoshi; Sakamaki, Yositaka; Shimano, Satoshi D. (2021). “Neotypification of {{snamei|Difflugia biwae}} ({{sname|Amoebozoa}}: {{sname|Tubulinea}}: {{sname|Arcellinida}}) from the Lake Biwa, Japan”, ''[[日本動物分類学会|Species Diversity]]'', '''26''' (2): 171–186, Aug. 6th. {{doi|10.12782/specdiv.26.171}}.}}|ref={{sfnref|Ichise|Sakamaki|Shimano|2021}}}} |
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・佐藤寛「涸沼のラムサール条約登録への道程」『中央学院大学社会システム研究所紀要』 |
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2022年2月10日 |
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|'''広報誌・パンフレットなど''' |
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* {{cite journal|和書|journal=[https://www.lberi.jp/read/publications/news センターニュース びわ湖みらい]|issue=8|publisher=[[滋賀県琵琶湖環境科学研究センター]]|year= 2007|month=10|title=研究最前線 暖冬がもたらしたびわ湖の異変|url=https://www.lberi.jp/app/webroot/files/03yomu/03-01kankoubutsu/03-01-02biwakomirai/files/biwakomirai8.pdf#page=2|pages=2-3|last=石川|first=俊之|last2=岡本|first2=高弘|ref=harv|id={{国立国会図書館書誌ID|000008037756}}}} |
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; 書籍 |
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* {{cite book|和書|title=瀬田川洗堰|publisher=国土交通省[[近畿地方整備局]]琵琶湖河川事務所|date=2013-11|ref={{sfnref|琵琶湖河川事務所|2013}}|url=https://www.kkr.mlit.go.jp/biwako/info/officeinf/pdf/seta/A07128B00013.pdf}} |
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:* {{cite book|和書|title=近江百人一首を歩く|publisher=[[サンライズ出版]]|last=畑|first=裕子|year=1994|date=1994-07-20|isbn=4-88325-102-0|ref=harv|series=淡海文庫}} |
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* {{cite book|和書|title=近江水の宝|date=2009年 - 2011年|publisher=[[滋賀県教育委員会]]・滋賀県埋蔵部文化センター|ref={{sfnref|近江水の宝}}|year=2009-2011|url=https://www.pref.shiga.lg.jp/ippan/bunakasports/bunkazaihogo/312322.html|id={{全国書誌番号|22287646}}}} |
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:* {{cite book|和書|title=福井県史 通史編6(近現代2)|publisher=福井県|editor=[[福井県]]|year=1996|ref=harv|date=1996-03|doi=10.11501/9541070|isbn=493877206X|url=https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/fukui/07/kenshi/T6/T6-00.htm}}<!-- 福井県のウェブサイトのもののみ確認しているので、書籍と同内容かなど要確認 --> |
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* {{cite journal|和書|date=2013-03|last=渡邉|first=潤子|title=匠の技!江戸の観光ガイドマップ|journal=びわ博だより|issue=12|publisher=[[滋賀県立琵琶湖博物館]]|page=4|url=https://www.biwahaku.jp/research/publication/uploads/012_biwahaku_dayori.pdf#page=4|ref=harv}} |
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:* {{cite book|和書|title=47都道府県うんちく事典: 県の由来からお国自慢まで|publisher=[[PHP研究所]]|isbn=978-4-569-57224-6|last=八幡|first=和郎|authorlink=八幡和郎|year=1998|month=12|ref=harv}} |
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* {{cite journal|和書|last=辻|first=彰洋|last2=大塚|first2=泰介|title=琵琶湖の固有種スズキケイソウの進化の謎に迫る|journal=びわはく|publisher=[[滋賀県立琵琶湖博物館]]|issue=2|date=2018-12-15|url=https://www.biwahaku.jp/uploads/20181219_biwahaku-2up.pdf#page=2|ref=harv|year=2018|id={{国立国会図書館書誌ID|028877088}}}} |
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:* {{cite book|和書|title=琵琶湖 ― その呼称の由来|publisher=[[サンライズ出版]]|date=2001-10-28|year=2001|last=木村|first=至宏|authorlink=木村至宏|isbn=4-88325-129-2|ref=harv|series=淡海文庫}} |
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* {{cite magazine|和書|year=2019|title=船でびわ湖を堪能!クルーズ特集|journal=びわ湖“周遊浪漫”紀行|publisher=琵琶湖環状線利用促進協議会|issue=28|pages=1-2|url=https://www.pref.shiga.lg.jp/kensei/koho/e-shinbun/oshirase/302647.html|ref={{sfnref|琵琶湖環状線利用促進協議会|2019}}}} |
|||
:* {{Cite book|和書|title=知ってますかこの湖を ― 琵琶湖を語る50章|date=2001年11月10日|year=2001|publisher=[[サンライズ出版]]|editor=琵琶湖百科編集委員会|isbn=4-88325-092-X|ref=harv}} |
|||
* {{Cite web|和書|title=淡水真珠パンフレット|website=[[草津市]]|work=[https://www.city.kusatsu.shiga.jp/kurashi/sangyobusiness/norinsuisan/tansuishinjyu.html 淡水真珠養殖のあゆみ]|publisher=草津市農林水産課|url=https://www.city.kusatsu.shiga.jp/kurashi/sangyobusiness/norinsuisan/tansuishinjyu.files/tannsuisinnjyuomote.pdf|accessdate=2021-04-08|ref={{sfnref|草津市農林水産課}}}} |
|||
:** {{wikicite|ref={{sfnref|里口|2001}}|reference=里口, 保文「琵琶湖は自然の日記帳 ― 琵琶湖の地層に過去の環境をみる」19-24頁。}} |
|||
:** {{wikicite|ref={{sfnref|戸田|2001}}|reference=戸田, 孝「『器(うつわ)』としての琵琶湖」37-42頁。}} |
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|'''事典・辞典・データベース'''{{columns-list|colwidth=45em| |
|||
:** {{wikicite|ref={{sfnref|熊谷|石川|焦|2001}}|reference=熊谷, 道夫; 石川, 可奈子; 焦, 春萌「琵琶湖における環流と生態系」43-48頁。}} |
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|'''行政資料など''' |
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* {{Cite book|和書|title=水環境保全技術研修マニュアル: 総論|date=1998年3月|year=1998|publisher=海外環境協力センター|chapter=第18章 琵琶湖|chapterurl=https://www.env.go.jp/earth/coop/coop/document/04-wpctmj1/04-wpctmj1-18.pdf|last=大久保|first=卓也|pages=245-270|url=https://www.env.go.jp/earth/coop/coop/document/04-wpctmj1/contents.html|ref=harv|id={{全国書誌番号|99039505}}}} |
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* {{cite book|和書|title=湖沼における水理・水質管理の技術|year=2007|month=3|publisher=湖沼技術研究会|ref={{sfnref|湖沼技術研究会|2007}}|chapter=琵琶湖の水理・水質特性|url=https://www.mlit.go.jp/river/shishin_guideline/kankyo/kankyou/kosyo/tec/index.html|chapterurl=https://www.mlit.go.jp/river/shishin_guideline/kankyo/kankyou/kosyo/tec/pdf/6.5.pdf}} |
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* {{Cite web|和書|work=[https://www.env.go.jp/council/09water/y0910-14b.html 中央環境審議会水環境部会 水生生物保全環境基準類型指定専門委員会(第14回) 議事次第・資料]|title=資料3-5 琵琶湖の水理現象について|website=[[環境省]]|url=https://www.env.go.jp/council/09water/y0910-14/mat03-6.pdf|accessdate=2021-02-10|ref={{sfnref|水環境部会|2008}}|date=2008-11-26}} |
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* {{cite book|publisher=近畿地方整備局河川部|url=https://www.kkr.mlit.go.jp/river/iinkaikatsudou/yodo_sui/index091113.html|chapterurl=https://www.kkr.mlit.go.jp/river/iinkaikatsudou/yodo_sui/qgl8vl0000007l7e-att/091113sono6.pdf|title=琵琶湖・淀川水系の洪水における水理特性及び流出現象の検証にかかる報告書|chapter=3.7.4 琵琶湖について|year=2009|month=11|ref={{sfnref|近畿地方整備局河川部|2009|pp=197-254}}|和書}} |
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:** {{Wikicite|ref={{sfnRef|大沼|2013a}}|reference=大沼, 芳幸「『急がば廻れ』― 日本経済を支えた天然の運河・琵琶湖」197-199頁。}} |
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* {{cite book|last=嘉田|first=由紀子|authorlink=嘉田由紀子|title=マザーレイク21計画|edition=第2期改定版|chapter=はじめに|year=2012|month=10|publisher=滋賀県琵琶湖環境部琵琶湖政策課|ref=harv|url=https://www.pref.shiga.lg.jp/ippan/kankyoshizen/biwako/11350.html|chapterurl=https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22176.pdf|和書|id={{国立国会図書館書誌ID|023550552}}}} |
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* {{Cite web|和書|url=https://www.city.kyoto.lg.jp/suido/cmsfiles/contents/0000169/169291/dai4kaigiziroku.pdf|title=平成26年度 第4回京都市上下水道事業経営審議委員会議事録|work=京都市上下水道事業経営審議委員会について(平成26年度)|accessdate=2021-01-17|website=京都市上下水道局|year=2015|ref={{sfnref|京都市上下水道局|2015}}}} |
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* {{Cite web|和書|title=びわこボートレース場中期経営計画(平成27年度~平成31年度)|url=https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/16196.pdf|author=滋賀県総務部事業課|website=滋賀県|date=2015年3月|ref={{sfnref|事業課|2015}}|accessdate=2021-02-18}} |
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:** {{Wikicite|ref={{sfnRef|市川|2013}}|reference=市川, 秀之「琵琶湖から水田に水を引く知恵とは?」267-269頁。}} |
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* {{Cite book|和書|title=滋賀県水道ビジョン|year=2019|month=3|publisher=滋賀県|ref={{sfnref|滋賀県|2019a}}|url=https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/5138476.pdf}} |
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* {{Cite book|和書|title=水道局事業年報|edition=平成30年度|month=02|year=2020|publisher=[[大阪市水道局]]|chapter=第4編 水資源|url=https://www.city.osaka.lg.jp/suido/page/0000496406.html|chapterurl=https://www.city.osaka.lg.jp/suido/cmsfiles/contents/0000496/496406/R20302_08.pdf|pages=96-97|ref={{sfnref|大阪市水道局|2020}}|id=[[図書館流通センター|TRCMARC番号]]:[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I098877326-00 20102679]}} |
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* {{Cite web|和書|website=[[滋賀県教育委員会]] |date=2018-03-07|url=https://www.pref.shiga.lg.jp/edu/school/kakusyu/kankyo/104777.html |title=滋賀の環境教育|accessdate=2021-03-04|ref={{sfnref|滋賀県教育委員会|2018}}}} |
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:** {{Wikicite|ref={{SfnRef|流域政策局|2018b}}|reference=流域政策局「[https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22103.pdf 琵琶湖と淀川流域]」228-229頁。}} |
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* {{wikicite|ref={{sfnref|早崎内湖再生保全協議会}}|reference=“[http://r.goope.jp/hayazakinaiko/free/bio 早崎内湖ビオトープとは]”, “[http://r.goope.jp/hayazakinaiko/free/jigyougaiyou 事業概要]”. ''早崎内湖ビオトープ公式ホームページ''. 早崎内湖再生保全協議会. 2021年4月3日閲覧。}} |
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* {{Cite web|和書|website=独立行政法人[[水資源機構]] 琵琶湖開発総合管理所|url=https://www.water.go.jp/kansai/biwako/html/works/works_01.html |title=管理業務の目的と内容|work=管理所の仕事|accessdate=2021-02-18|ref={{sfnref|琵琶湖開発総合管理所: 管理業務の目的と内容}}}} |
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:* {{cite book|和書|last=里口|first=保文|title=琵琶湖はいつできた ― 地層が伝える過去の環境|date=2018-07-18|year=2018b|publisher=[[サンライズ出版]]|series=琵琶湖博物館ブックレット|isbn=978-4-88325-644-0|ref=harv}} |
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* {{Cite web|和書|website=日本遺産ポータルサイト|publisher=[[文化庁]]|url=https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story008/ |title=琵琶湖とその水辺景観 |accessdate=2021-02-18|ref={{sfnref|日本遺産: 琵琶湖とその水辺景観}}}} |
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・ラムサール条約と琵琶湖『滋賀県』2022年6月26日閲覧 |
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・ラムサール条約と条約湿地『環境省』2022年6月17日閲覧 |
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; 論文・発表要旨など |
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・ラムサール条約『財務省』2022年6月17日閲覧 |
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<!--:* {{cite journal|和書|last=森川 |first=光郎 |last2=岡本 |first2=巌|authorlink2=岡本巌|title=漂流瓶調査による琵琶湖の表面流について|journal=陸水学雑誌|volume=21|issue=3-4|publisher=[[日本陸水学会]]|year=1960|date=1960-11-30|ref=harv|doi=10.3739/rikusui.21.173|pages=173-186}}--> |
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<!--:* {{cite journal|和書|last=大西 |first=外明 |last2=田中 |first2=総太郎|title=琵琶湖北湖の環流の航空機による観察と解析的考察|journal=水理講演会論文集|publisher=[[土木学会]]|ref=harv|volume=25|year=1981|date=1981-01-10|pages=569-575|doi=10.2208/prohe1975.25.569}}--> |
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<!--:* {{cite journal|和書|last=大久保|first=賢治|year=1983|title=湖の加熱成層過程と環流|doi=10.2208/prohe1975.27.185|journal=水理講演会論文集|volume=27|pages=185-190|last2=村本|first2=嘉雄|publisher=[[土木学会]]|date=1983-01-17|ref=harv}}--> |
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|'''博物館・美術館などによるウェブページ''' |
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:* {{Cite journal|和書|last=植村 |first=善博|last2=太井子 |first2=宏和|title=琵琶湖湖底の活構造と湖盆の変遷|doi=10.4157/grj1984a.63.11_722|year=1990|date=1990-11-01|journal=地理学評論 Ser. A|publisher=[[日本地理学会]]|volume=63|issue=11|pages=722-740|ref=harv}} |
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* {{Cite web|和書|website=湖北野鳥センター / 琵琶湖水鳥・湿地センター|date=2020-04|url=http://www.biwa.ne.jp/nio/newbird.html|title=水鳥公園内で確認された鳥たち|accessdate=2021-03-21|ref={{sfnref|水鳥・湿地センター|2020}}}} |
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:* {{cite journal|title=大津・長浜間鉄道連絡汽船会社の創立と近江商人|last=末永|first=國紀|authorlink=末永國紀|journal=社会科学|issue=47|pages=89-108|year=1991|date=1991-08-28|publisher=[[同志社大学]]人文科学研究所|doi=10.14988/pa.2017.0000007993|ref=harv}} |
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* {{Cite web|和書|website=サントリー美術館 |url=https://www.suntory.co.jp/sma/collection/data/detail?id=525 |title=近江名所図屛風 |accessdate=2021-02-19|ref={{sfnref|サントリー美術館: 近江名所図}}}} |
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* {{Cite web|和書|website=滋賀県立近代美術館|url=https://www.shiga-kinbi.jp/db/?p=5391 |title=近江名所図 |accessdate=2021-02-19| ref={{sfnref|滋賀県立近代美術館: 近江名所図}}}} |
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:* {{Cite journal|和書|last=三谷|first=健太郎|year=1997|date=1997/08/30|title=琵琶湖総合開発事業の概要と成果|journal=環境技術|volume=49|issue=6|pages=519-523|publisher=環境技術学会|ref=harv|DOI=10.5956/jriet.26.519}} |
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* {{Cite web|和書|website=静嘉堂文庫美術館|url=http://www.seikado.or.jp/exhibition/2014001.html |title=描かれた風景: 絵の中を旅する |accessdate=2021-02-19 |year=2014|ref={{sfnref|静嘉堂文庫|2014}}}} |
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:* {{cite journal|last=杉江|first=進|title=近世琵琶湖水運の成立とその特質 ― 大津百艘船と船奉行|journal=交通史研究|publisher=[[交通史学会]]|volume=43|pages=15-38|date=1999-05-15|year=1999|ref=harv|和書|doi=10.20712/kotsushi.43.0_15}} |
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* {{Cite web|和書|date=2020-05-18|title=【終了しました】フィールドレポーター2020年度第2回調査「えっ!?こんなところにもヌートリア」案内|website=琵琶湖博物館|publisher=滋賀県|url=https://www.biwahaku.jp/2021/02/20202.html|accessdate=2021-11-07|ref={{sfnref|県立琵琶湖博物館|2020}}}} |
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:* {{cite journal|和書|last=山敷|first=庸亮|last2=松井|first2=三郎|authorlink2=松井三郎 (環境工学者)|last3=禰津|first3=家久|last4=熊谷|first4=道夫|year=2000|date=2000-02-10|title=琵琶湖環流の数値シミュレーション|journal=水工学論文集|publisher=[[土木学会]]|pages=975-980|volume=44|ref=harv|doi=10.2208/prohe.44.975}} |
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|'''ニュース記事''' |
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:* {{cite journal|和書|last=武内|firs=孝|last2=渡部|first2=奈美|last3=近藤|first3=隆二郎|title=居住地と環境学習充実度からみた小学校における体験型環境学習のあり方に関する研究 ― びわ湖フローティングスクール『湖の子』を事例として|journal=環境システム研究論文集|publisher=[[土木学会]]|date=2001-11-01|year=2001|ref=harv|doi=10.2208/proer.29.149}} |
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* {{Cite web|和書|url=http://www.asahi.com/politics/update/0508/TKY200705080343.html|title=琵琶湖「分割」に14自治体合意 初めて帰属決まる|website=[[朝日新聞デジタル]]|date=2007-05-08|archiveurl=https://web.archive.org/web/20070511044629/http://www.asahi.com:80/politics/update/0508/TKY200705080343.html|archivedate=2007-05-11|url-status=dead|url-status-date=2021-02-19|ref={{sfnref|朝日新聞|2007}}}} |
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:* {{cite journal|和書|last=藤田|first=伸也|title= 南宋画院の詩書画: 三絶の視点から|publisher=[[三重大学]]人文学部文化学科|journal=人文論叢: 三重大学人文学部文化学科研究紀要|volume=20|pages=161-170|ref=harv|year=2003|date=2003-03-25|naid=110000961943}} |
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* {{Cite web|和書|url=https://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007050900036&genre=A2&area=S00|title=琵琶湖境界線を合意 関係14市町検討会議 交付税増の半額を保全に|date=2007-05-09|website=[[京都新聞]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20070926234020/https://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007050900036&genre=A2&area=S00|archivedate=2007-09-26|url-status=dead|url-status-date=2021-02-19|ref={{sfnref|京都新聞|2007}}}} |
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* {{Cite web|和書|url=https://www.jiji.com/jc/d4?p=zft812-dc0527339&d=d4_mili|title=零式艦上戦闘機 写真特集 |website=[[時事通信]]|accessdate=2020-07-12 |date=2012-05-26|ref={{sfnref|時事通信|2012}}}} |
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:* {{cite journal|和書|last=高木|first=佳子|authorlink=高木佳子|title=上西門院兵衛について(一): 詠歌資料集成|journal=學苑|publisher=[[昭和女子大学]]|year=2004|ref=harv|naid=110000965118|pages=24-31}} |
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* {{Cite web|和書|url=http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20131228000092|title=厳寒、波上ゆらめく琵琶湖に蜃気楼|website=[[京都新聞]]|date=2013-12-28|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140330064934/http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20131228000092|archivedate=2014-03-30|ref={{sfnref|京都新聞|2013}}|accessdate=2021-03-08}} |
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:* {{cite journal|和書|last=陀安|first=一郎|last2=奥田|first2=昇|last3=由水|first3=千景|title=安定同位体比を用いた生態系変動評価と予測に関する研究|publisher=環境省[[総合環境政策局]]総務課環境研究技術室|journal=温暖化が大型淡水湖の循環と生態系に及ぼす影響評価に関する研究 平成20年度-平成22年度(環境省環境研究総合推進費終了研究成果報告書; D-0804)|year=2011|id={{国立国会図書館書誌ID|024431155}}|url=https://www.data.go.jp/data/dataset/env_20170508_0388/resource/139fa2db-99e2-4d6d-81b5-d62c1af2b0ed|pages=87-105|ref=harv}} |
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* {{Cite web|和書|title=【デスクから】「琵琶湖は、近畿の水がめ」はもうやめよう|url=https://www.sankei.com/west/news/141116/wst1411160010-n1.html|website=[[産経新聞|産経]]WEST|accessdate=2021-01-21|first=宏之|last=小林|date=2014.11.16|ref={{sfnref|産経新聞|2014}}}} |
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:* {{cite journal|和書|last=戸田|first=孝|year=2013|date=2013-07-09|title=琵琶湖環流の研究史|journal=陸水学雑誌|volume=75|issue=1|publisher=[[日本陸水学会]]|pages=35-48|doi=10.3739/rikusui.75.35|ref=harv}} |
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* {{Cite web|和書|title=観光船運航、採算が課題 琵琶湖疏水、観光潤す(1)|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASJB06H4J_W5A100C1960E00/|website=[[日本経済新聞]]|date=2015-01-14|accessdate=2021-01-17|language=ja|ref={{sfnref|日経新聞|2015}}}} |
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:* {{cite journal|和書|last=濱|first=修|year=2014|month=03|title=『皇后宮』木簡と起請文祭祀|journal=紀要|publisher=滋賀県文化財保護協会|issue=27|url=http://shiga-bunkazai.jp/download/kiyou/27_hama.pdf|naid=40022111144|ref=harv}} |
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* {{Cite web|和書|author=農政水産部水産課|title=〜琵琶湖の個性的な魚介類8種の利活用を促進〜「琵琶湖八珍(びわこはっちん)」のブランド化事業を開始|website=PR WIRE|publisher=[[共同通信|共同通信PRワイヤー]]|date=2016-01-19|url=https://kyodonewsprwire.jp/release/201601187109|accessdate=2021-03-21|ref={{sfnref|水産課|2016}}}} |
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:* {{cite journal|和書|last=大田|first=啓一|year=2014|date=2014-09-05|title=大きな空間スケールの問題として 琵琶湖環境問題をみる|journal=水文・水資源学会誌|publisher=水文・水資源学会|pages=205-207|volume=27|issue=5|doi=10.3178/jjshwr.27.205|ref=harv}} |
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* {{Cite web|和書|date=2016-07-01|title=奥島山(津田山)(滋賀県近江八幡市)|website=[[朝日新聞デジタル]]|publisher=[[朝日新聞社]]|url=http://www.asahi.com/area/aichi/articles/MTW20160701241320001.html|accessdate=2021-12-31|ref={{sfnref|朝日新聞|2016}}}} |
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:* {{Cite web|url=http://www.jsidre.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2019/04/suido_H30kikaku-2.pdf|title=琵琶湖疏水の開削と京都の近代化|accessdate=2021-01-17|last=小野|first=芳朗|website=[[農業農村工学会]]|year=2019|month=04|ref=harv}} |
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* {{Cite web|和書|url=https://www.iza.ne.jp/article/20170103-IX5ANZO5PVMP7BUXPTKVTDTGQQ/2/ |title=「湖猿」水難救助隊の活躍 実は怖い琵琶湖の水難事故、難度の高い危険な任務 |website=[[産経新聞]] |page=2 |accessdate=2020-07-12 |date=2017-01-09|ref={{sfnref|産経新聞|2017a}}}} |
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* {{Cite web|和書|website=[[産経新聞|産経]]WEST|date=2017-05-12|url=https://www.sankei.com/article/20170512-TMA2XGYRGRIUZC7YTRJBES5QNY/ |title=【関西の議論】迷惑虫「ビワコムシ」が大量発生、壁や車にびっしり…「メチャきしょい」が、実は環境守る“いい虫”|accessdate=2021-03-20|ref={{sfnref|産経新聞|2017b}}}} |
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* {{Cite web|和書|url=http://www.kyoto-np.co.jp/environment/article/20170420000069|title=琵琶湖の「UFO」撤去へ 水質測定施設、老朽化で|website=[[京都新聞]]|date=2017-04-20|accessdate=2018-03-10|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180418173823/http://www.kyoto-np.co.jp/environment/article/20170420000069|archivedate=2018-04-18|ref={{sfnref|京都新聞|2017}}|url-status=dead|url-status-date=2021-02-10}} |
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;広報誌・パンフレットなど |
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* {{Cite web|和書|title=滋賀)いにしえの眺めに思いをはせる 矢橋帰帆島公園|website=[[朝日新聞デジタル]]|date=2018-08-31|url=https://www.asahi.com/articles/ASL8R5H2HL8RPTJB00H.html|ref={{sfnref|朝日新聞|2018}}|accessdate=2021-02-18}} |
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:* {{cite journal|和書|journal=[https://www.lberi.jp/read/publications/ohmia オウミア]|title=[https://www.lberi.jp/app/webroot/files/03yomu/03-01kankoubutsu/03-01-02biwakomirai/files/files/77.pdf 固有魚類のゆりかご-{{読み|内湖|ないこ}}-の復元に向けて]|issue=77|year=2003|month=8|publisher=[[滋賀県琵琶湖研究所]]|ref={{sfnref|滋賀県琵琶湖研究所|2003}}|id={{国立国会図書館書誌ID|000000097335}}}} |
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* {{Cite web|和書|website=[[産経新聞ニュース#産経ニュース (ウェブ)|産経ニュース]]|date=2019-06-16|url=https://www.sankei.com/article/20190616-NHH7TBDYJ5OITJDJ4XKJA7EYSU/ |title=びわ湖花火大会 来年は秋開催検討 五輪で警備整わず|accessdate=2021-03-31|ref={{sfnref|産経ニュース|2019}}}} |
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:* {{cite journal|和書|journal=[https://www.lberi.jp/read/publications/news センターニュース びわ湖みらい]|issue=8|publisher=[[滋賀県琵琶湖環境科学研究センター]]|year= 2007|month=10|title=研究最前線 暖冬がもたらしたびわ湖の異変|url=https://www.lberi.jp/app/webroot/files/03yomu/03-01kankoubutsu/03-01-02biwakomirai/files/biwakomirai8.pdf#page=2|pages=2-3|last=石川|first=俊之|last2=岡本|first2=高弘|ref=harv|id={{国立国会図書館書誌ID|000008037756}}}} |
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* {{Cite web|和書|last=石田|first=弘子|website=[[日本経済新聞]] |date=2020-02-12 |url=https://www.nikkei.com/article/DGKKZO55456960Q0A210C2BC8000/ |title=琵琶湖の治水 歴史すくう: 庄屋3代、命懸けの闘い 古文書ひもとき伝える |accessdate=2021-02-10|ref={{sfnref|日経新聞|2020}}}} |
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* {{Cite web|和書|website=[[毎日新聞]] |date=2020-01-21 |url=https://mainichi.jp/articles/20200121/ddl/k25/040/345000c |title=こだわり展示の裏話/54 ネズミにまつわる滋賀のおはなし=琵琶湖博物館 中村久美子・主任学芸員 /滋賀|accessdate=2021-11-07|ref={{sfnref|毎日新聞|2020}}}} |
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:* {{Citebook|和書|title=近江水の宝|date=2009年 - 2011年|publisher=[[滋賀県教育委員会]]・滋賀県埋蔵部文化センター|ref={{sfnref|近江水の宝}}|year=2009-2011|url=https://www.pref.shiga.lg.jp/ippan/bunakasports/bunkazaihogo/312322.html|id={{全国書誌番号|22287646}}}} |
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* {{Cite web|和書|website=[[スポーツ報知]]|date=2020-04-14|title=読売テレビが「鳥人間コンテスト」開催中止を発表 機体製作困難で安全面を考慮|url=https://hochi.news/articles/20200414-OHT1T50074.html|accessdate=2021-03-31|ref={{sfnref|スポーツ報知|2020}}}} |
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* {{Cite web|和書|website=[[日本経済新聞]]|date=2021-02-02|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOJB023Q80S1A200C2000000/ |title=「琵琶湖の深呼吸」を3年ぶり観測、1月寒波で全層循環|accessdate=2021-02-28|ref={{sfnref|日経新聞|2021}}}} |
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* {{Cite web|和書|website=[[中日新聞]] |url=https://www.chunichi.co.jp/article/205759 |title=〈わたシガ名探偵!〉「急がば回れ」の由来は草津にあり!? |accessdate=2021-02-25|date=2021-02-21|ref={{sfnref|中日新聞|2021}}}} |
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* {{Cite web|和書|website=[[京都新聞]]|date=2021-03-06|url=https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/524017 |title=コロナ終息祈り「黄金の鍵」投じる 大津で「びわ湖開き」|accessdate=2021-03-31|ref={{sfnref|京都新聞|2021}}|url-status=dead|url-status-date=2024-09-10}} |
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;事典・辞典・データベース |
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* {{Cite web|和書|website=[[読売新聞]]|date=2021-03-22|title=気軽「ビワイチ」に一役|work=New門@滋賀|url=https://www.yomiuri.co.jp/local/shiga/feature/CO044595/20210321-OYTAT50021/|accessdate=2021-03-31|ref={{sfnref|読売新聞|2021}}|url-status=dead|url-status-date=2024-09-10}} |
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:* “[[コトバンク]]”. [[朝日新聞社]], [[CARTA HOLDINGS|VOYAGE MARKETING]]. |
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* {{Cite web|和書|last=杉浦|first=奈実|website=[[朝日新聞]]|date=2021-08-26|title=琵琶湖に迫る温暖化の危機 ビワオオウズムシはどこに|url=https://www.asahi.com/articles/ASP8S6RSQP8LPLBJ001.html|accessdate=2021-11-09|ref={{sfnref|朝日新聞|2021}}}} |
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:** {{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/%E5%90%BE%E5%90%9B-422974 |title=吾君とは |accessdate=2021-02-23|ref={{sfnref|コトバンク: 吾君}}}}(『精選版 [[日本国語大辞典]]』他より転載)。 |
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・ラムサール条約、新潟市を認証『日本経済新聞』2022年6月13日 |
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:** {{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/%E6%80%A5%E3%81%8C%E3%81%B0%E5%9B%9E%E3%82%8C-432744#E3.81.93.E3.81.A8.E3.82.8F.E3.81.96.E3.82.92.E7.9F.A5.E3.82.8B.E8.BE.9E.E5.85.B8 |title=急がば廻れとは|accessdate=2021-02-16|ref={{sfnref|コトバンク (急がば回れ)}}}}(『ことわざを知る辞典』より転載)。 |
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・地域住民と「ビオトープ」、日産化学、工場で運営『日本経済新聞』2021年10月13日 |
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:** {{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%A8%E3%82%B3%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B3-1710434 |title=エコトーンとは|accessdate=2021-02-16|ref={{sfnref|コトバンク: エコトーン}}}}(『デジタル[[大辞泉]]』より転載)。 |
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:** {{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E6%B9%96-1739759 |title=古代湖とは|accessdate=2021-02-20|ref={{sfnref|コトバンク: 古代湖}}}}(『デジタル大辞泉』より転載)。 |
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:** {{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/%E3%81%97%E3%81%AE%E3%81%AB-522636 |title=しのにとは |accessdate=2021-02-23|ref={{sfnref|コトバンク: しのに}}}}(『精選版 [[日本国語大辞典]]』他より転載)。 |
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|'''その他ウェブページ''' |
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:** {{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/%E6%8E%A8%E7%A7%BB%E5%B8%AF-82807 |title=推移帯とは|accessdate=2021-02-16|ref={{sfnref|コトバンク: 推移帯}}}}(『[[ブリタニカ国際大百科事典]] 小項目事典』『デジタル大辞泉』より転載)。 |
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* {{Cite web|和書|website=[[伊崎寺|天台宗 伊崎寺]]|url=http://www.isakiji.jp/saotobi.html|title=棹飛び|accessdate=2021-03-31|ref={{sfnref|伊崎寺: 棹飛び}}}} |
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* {{Cite web|和書|title=ダイヤ改正・2021年5月1日(土)、新ダイヤ運航スタート!|website=オーミマリン|url=https://www.ohmitetudo.co.jp/marine/daiyakaisei_2021-0501/index.html|accessdate=2021-04-11|ref={{sfnref|オーミマリン|2021}}}} |
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:** {{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/%E6%9B%B2-53195#E7.B2.BE.E9.81.B8.E7.89.88.20.E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.9B.BD.E8.AA.9E.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E5.85.B8 |title=曲とは |accessdate=2021-02-23|ref={{sfnref|コトバンク: 曲}}}}(『精選版 日本国語大辞典』他より転載)。 |
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* {{Cite web|和書|title=おきしま通船の時刻表|website=沖島町離島振興推進協議会|url=https://montekite.com/ferry/|accessdate=2021-04-11|ref={{sfnref|離島振興推進協議会. 通船の時刻表}}}} |
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:* “[https://www.lberi.jp/iframe_dir/index.html 琵琶湖生物多様性画像データベース]”. [[滋賀県琵琶湖環境科学研究センター]]. |
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* {{Cite web|和書|title=琵琶湖と滋賀県の皆さん・先人の偉大な事業に感謝! 琵琶湖疏水契約締結式|url=http://kyoto-daisakusen.jp/2015-03-30/%E7%90%B5%E7%90%B6%E6%B9%96%E3%81%A8%E6%BB%8B%E8%B3%80%E7%9C%8C%E3%81%AE%E7%9A%86%E3%81%95%E3%82%93%E3%83%BB%E5%85%88%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%81%89%E5%A4%A7%E3%81%AA%E4%BA%8B%E6%A5%AD%E3%81%AB%E6%84%9F/|accessdate=2021-01-17|website=門川大作京都市長OFFICIALサイト|date=2015-03-30|authorlink=門川大作|last=門川|first=大作|ref=harv|year=2015}} |
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:** {{wikicite|ref={{sfnref|琵琶湖環境科学研究センター: 分類}}|reference=「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/species/keisourui.html 珪藻綱]」「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/species/uzumusi.html ウズムシ類]」「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/species/kaimen.html 尋常カイメン綱]」「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/species/hiru.html ヒル綱]」「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/species/kokaku.html 甲殻亜門]」「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/species/ishigai.html イシガイ目]」「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/species/kyuko.html 吸腔目]」「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/species/yuhai.html ハマグリ目]」「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/species/hamaguri.html 有肺目]」2021年3月20日閲覧。}} |
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* {{Cite web|和書|title=関西の水道状況: 京都、神戸の水道水はやはり琵琶湖から?|url=https://www.homes.co.jp/cont/press/buy/buy_00534/|website=[[LIFULL]] HOME'S PRESS|accessdate=2021-01-17|last=上江|first=洲規子|year=2016|ref=harv|date=2016-08-14}} |
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:** {{wikicite|ref={{sfnref|石綿|2020}}|reference=石綿, 進一「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/data/ephoron-limnobium/index.html ビワコシロカゲロウ]」2020年3月、2021年3月20日閲覧。}} |
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* {{Cite web|和書|url=https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/galaxy021 |title=滋賀県民の言う「琵琶湖の水を止めるで!」……止めるとむしろ大変なことに|website=ジモコロ|publisher=[[アイデム]]|date=2017-06-28|accessdate=2021-01-22|author=ギャラクシー|ref=harv|year=2017}} |
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:** {{wikicite|ref={{sfnref|井上|2020}}|reference=井上, 栄壮「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/data/chironomus-chironomus-plumosus/index.html オオユスリカ]」2020年3月、2021年3月20日閲覧。}} |
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* {{wikicite|reference={{lang|en|Kiprop, Victor (2017). “[https://www.worldatlas.com/articles/the-oldest-lakes-in-the-world.html The Oldest Lakes in the World]” ({{lang|ja|英語}}). ''WorldAtlas''. Reunion Technology, Aug. 25th.}} 2021年2月20日閲覧。|ref={{sfnref|Kiprop|2017}}}} |
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* {{Cite web|和書|title=存在そのものが奇跡!? 地質学研究者 里口保文さんに聞きました|work=400万年の古代湖|last=林|first=由佳里|date=2019-10-07|website=しがトコ|url=https://shigatoco.com/toco/biwakofourmillion_01/|ref={{sfnref|林由佳里|2019}}|accessdate=2021-02-22}} |
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:** {{wikicite|ref={{sfnref|角野|2020}}|reference=角野, 康郎「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/data/potamogeton-biwaensis/index.html サンネンモ]」2020年3月、2021年3月20日閲覧。}} |
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* {{Cite web|和書|date=2020-05-05|last=目片|first=雅絵|title=小さな小さな「ミジンコ」が琵琶湖の水を浄化する!?|website=琵琶故知新|url=https://www.biwako.info/biwako/1149/|accessdate=2021-04-05|ref=harv|year=2020}} |
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:** {{wikicite|ref={{sfnref|細谷|川瀬|2020}}|reference=細谷, 和海; 川瀬, 成吾「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/data/sarcocheilichthys-biwaensis/index.html アブラヒガイ]」「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/data/plecoglossus-altivelis-altivelis/index.html アユ]」「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/data/gymnogobius-isaza/index.html イサザ]」「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/data/cottus-reinii/index.html ウツセミカジカ]」「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/data/silurus-lithophilus/index.html イワトコナマズ]」「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/data/cobitis-magnostriata/index.html オオガタスジシマドジョウ]」「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/data/micropterus-salmoides/index.html オオクチバス]」「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/data/carassius-cuvieri/index.html ゲンゴロウブナ]」「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/data/squalidus-chankaensis-biwae/index.html スゴモロコ]」「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/data/squalidus-chankaensis-biwae/index.html ニゴロブナ]」「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/data/opsariichthys-uncirostris-uncirostris/index.html ハス]」「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/data/silurus-biwaensis/index.html ビワコオオナマズ]」「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/data/cobitis-minamorii-oumiensis/index.html ビワコガタスジシマドジョウ]」「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/data/sarcocheilichthys-variegatus-microoculus/index.html ビワヒガイ]」「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/data/oncorhynchus-sp/index.html ビワマス]」「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/data/rhinogobius-biwaensis/index.html ビワヨシノボリ]」「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/data/lepomis-macrochirus/index.html ブルーギル]」「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/data/gnathopogon-caerulescens/index.html ホンモロコ]」「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/data/biwia-yodoensis/index.html ヨドゼゼラ]」「[https://www.lberi.jp/iframe_dir/data/ischikauia-steenacheri/index.html ワタカ]」2020年3月、2021年3月20日閲覧。}} |
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* {{wikicite|ref={{sfnref|琵琶湖汽船}}|reference=“[https://www.biwakokisen.co.jp/access/ 各港へのアクセス]”, “[https://www.biwakokisen.co.jp/cruise/chikubu/price_time/ 料金・時刻表 {{!}} 竹生島クルーズ]”. [[琵琶湖汽船]]. 2021年4月11日閲覧。}} |
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:* {{cite web|last=足羽|first=寛|title=コクチバス|website=[[京都府]]|work=京都府外来生物データ|url=http://www.pref.kyoto.jp/gairai/data/d04_04.html|accessdate=2021-03-21|ref={{sfnref|足羽|n.d.}}}} |
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; 法令など |
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:* {{wikicite|ref={{sfnref|滋賀県|2021}}|reference=『[https://www.pref.shiga.lg.jp/site/jourei/reiki_int/reiki_honbun/k001RG00001105.html 滋賀県公害防止条例施行規則]』昭和48年3月24日 規則第10号(令和3年1月12日施行)。}} |
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:* {{wikicite|ref={{sfnref|滋賀県|2012}}|reference=「[https://www.pref.shiga.lg.jp/site/jourei/reiki_int/reiki_honbun/k001RG00001109.html 滋賀県琵琶湖の富栄養化の防止に関する条例]』昭和54年10月17日 条例第37号(平成24年6月1日施行)。}} |
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:* {{wikicite|ref={{sfnref|滋賀県|2019b}}|reference=『[https://www.pref.shiga.lg.jp/site/jourei/reiki_int/reiki_honbun/k001RG00001113.html 滋賀県琵琶湖のレジャー利用の適正化に関する条例施行規則]』平成15年3月28日 規則第40号(令和元年7月1日施行)。}} |
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; 行政資料など |
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:* {{Cite book|和書|title=湖沼環境保全対策及び適正技術に関する調査研究|year=1990|date=1990年3月|publisher=国際協力事業団国際協力総合研修所|ref=harv|editor=国際協力総合研究所|chapter=第2章 滋賀県の自然環境と社会・経済環境|chapterurl=https://openjicareport.jica.go.jp/pdf/10842979_02.pdf|accessdate=2021-02-09}} |
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:* {{Cite book|和書|title=水環境保全技術研修マニュアル: 総論|date=1998年3月|year=1998|publisher=海外環境協力センター|chapter=第18章 琵琶湖|chapterurl=https://www.env.go.jp/earth/coop/coop/document/04-wpctmj1/04-wpctmj1-18.pdf|last=大久保|first=卓也|pages=245-270|url=https://www.env.go.jp/earth/coop/coop/document/04-wpctmj1/contents.html|ref=harv|id={{全国書誌番号|99039505}}}} |
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:* {{Cite web|url=http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20131228000092|title=厳寒、波上ゆらめく琵琶湖に蜃気楼|website=[[京都新聞]]|date=2013-12-28|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140330064934/http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20131228000092|archivedate=2014-03-30|ref={{sfnref|京都新聞|2013}}|accessdate=2021-03-08}} |
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:* {{Cite web|title=【デスクから】「琵琶湖は、近畿の水がめ」はもうやめよう|url=https://www.sankei.com/west/news/141116/wst1411160010-n1.html|website=[[産経新聞|産経]]WEST|accessdate=2021-01-21|first=宏之|last=小林|date=2014.11.16|ref={{sfnref|産経新聞|2014}}}} |
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:* {{Cite web |url=https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/galaxy021 |title=滋賀県民の言う「琵琶湖の水を止めるで!」……止めるとむしろ大変なことに|website=ジモコロ|publisher=[[アイデム]]|date=2017.06.28 |
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|accessdate=2021-01-22|author=ギャラクシー|ref=harv|year=2017}} |
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:* {{Cite web |first=Victor |last=Kiprop |website=WorldAtlas |date=August 25, 2017 |url=https://www.worldatlas.com/articles/the-oldest-lakes-in-the-world.html |title=The Oldest Lakes in the World |accessdate=2021-02-20|ref=harv|year=2017|language=en|publisher=Reunion Technology}} |
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:* {{Cite web|title=新近江名所圖會 第260回 「大日山」の掘削 -大津市黒津町-|url=http://shiga-bunkazai.jp/%e6%96%b0%e8%bf%91%e6%b1%9f%e5%90%8d%e6%89%80%e5%9c%96%e6%9c%83-%e7%ac%ac260%e5%9b%9e%e3%80%80%e3%80%8c%e5%a4%a7%e6%97%a5%e5%b1%b1%e3%80%8d%e3%81%ae%e6%8e%98%e5%89%8a%e3%80%80%e2%80%95%e5%a4%a7/|accessdate=2021-01-16|date=2017年10月4日|website=滋賀県文化財保護協会|ref={{sfnref|文化財保護協会|2017}}}} |
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:* {{cite web|title=存在そのものが奇跡!? 地質学研究者 里口保文さんに聞きました|work=400万年の古代湖|last=林|first=由佳里|date=2019/10/7|website=しがトコ|url=https://shigatoco.com/toco/biwakofourmillion_01/|ref=harv|year=2019|accessdate=2021-02-22}} |
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:* {{Cite web|website=[[琵琶湖汽船]] |url=https://www.biwakokisen.co.jp/access/ |title=各港へのアクセス|accessdate=2021-02-25|ref={{sfnref|琵琶湖汽船: 各港へのアクセス}}}} |
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* [[湖沼の一覧]] - 地域順 |
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* [[余呉湖]] |
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* [[北陸街道]]、[[鯖街道]] |
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;琵琶湖および周辺の地勢に関する記事 |
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|'''交通'''{{columns-list|colwidth=45em| |
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:* [[余呉湖]] |
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* [[西日本旅客鉄道]](JR西日本)[[琵琶湖線]](琵琶湖の東岸を通る鉄道路線の愛称。正式には[[東海道本線]]) |
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:* [[安土城]]、[[坂本城]]、[[長浜城 (近江国)]] |
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* JR[[湖西線]](琵琶湖の西岸を通る鉄道路線) |
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:* [[北陸街道]]、[[鯖街道]] |
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* JR[[北陸本線]](琵琶湖の東岸を通る鉄道路線) |
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*[[三洋電機]](滋賀県内に工場を構えていた)がかつて生産していた[[洗濯機]]の商品名は「琵琶湖」 |
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:* JR[[北陸本線]](琵琶湖の東岸を通る鉄道路線) |
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* [https://www.pref.shiga.lg.jp/motherlake/ 琵琶湖] - 滋賀県公式サイト |
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* [https://www.kkr.mlit.go.jp/biwako/index.php 琵琶湖河川事務所] - [[国土交通省]][[近畿地方整備局]] |
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*[https://www.lberi.jp/ 滋賀県琵琶湖環境科学研究センター] |
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* [https://www.biwahaku.jp/ 滋賀県立琵琶湖博物館] |
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* [https://www.env.go.jp/water/kosyou/post_4.html 琵琶湖の保全及び再生に関する法律] - [[環境省]] |
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2024年12月14日 (土) 10:10時点における最新版
琵琶湖 | |
---|---|
衛星写真 | |
所在地 | 日本 滋賀県北緯35度20分0秒 東経136度10分0秒 / 北緯35.33333度 東経136.16667度座標: 北緯35度20分0秒 東経136度10分0秒 / 北緯35.33333度 東経136.16667度 |
面積 | 669.26[1] km2 |
周囲長 | 235.20[1] km |
最大水深 | 103.58[1] m |
平均水深 | 41.2[1] m |
貯水量 | 27.5[1] km3 |
水面の標高 | 84.371[2] m |
成因 | 構造湖 |
淡水・汽水 | 淡水 |
湖沼型 | 中栄養湖 |
透明度 | 2.2(南湖)5.5(北湖)[3] m |
プロジェクト 地形 |
琵琶湖(びわこ)は、滋賀県にある日本最大の面積と貯水量を持つ湖。一級水系「淀川水系」に属する一級河川である。国土交通大臣から委託を受けて滋賀県知事が管理を担う。湖沼水質保全特別措置法指定湖沼で、ラムサール条約登録湿地でもある。
古くは淡海・淡海の海・水海・近江の海・細波・
約440万年前に形成された古代湖であり、40-100万年ほど前に現在の位置に移動してきた。
地理
[編集]琵琶湖は鈴鹿山地・伊吹山地・野坂山地・比良山地・甲賀山地といった山々に囲まれた滋賀県の近江盆地に位置する[4][5]。面積は669.26平方キロメートルで、滋賀県の面積の6分の1を占め、日本最大である[1]。貯水量は275億㎥で、こちらも日本一である[6][注 1]。湖底が最も深い水域は竹生島と安曇川河口の間にあり、2005年には104.1メートル[注 2]の最大水深が計測された[2][8][9]。南北の延長は長浜市西浅井町塩津 – 大津市玉野浦間で63.49キロメートル、最広部は長浜市下坂浜 – 高島市新旭町饗庭間の22.8キロメートル、最狭部は守山市水保町 – 大津市今堅田間の1.35キロメートルである[10]。流域面積は後述するように3848平方キロメートルで、淀川流域の47パーセントに当たる[10]。
最狭部に架かる琵琶湖大橋を挟んだ北側の主湖盆を北湖(太湖)、南側の副湖盆を南湖と呼ぶ[11][12][13]。面積58平方キロメートル・平均水深4メートルの南湖に対し、北湖は面積623平方キロメートル・平均水深41メートルであり、湖水の99パーセントは北湖に蓄えられている[14][12]。
東京湾平均海面(T.P.)基準でプラス84.371メートル、大阪湾最低潮位(O.P.)基準でプラス85.614メートルの高さが琵琶湖基準水位(Biwako Surface Level、B.S.L.)と定められている[2][15]。B.S.L.は、1874年に鳥居川観測点において「これ以上水位が下がることはない」と判断して定められたものと推測されているが、その後、後述するように瀬田川が改修されたため、さらに水位を下げることが可能となり、2000年ごろまでには満水位を意味するようになった[15][16][17]。1992年制定の瀬田川洗堰操作規則では、大津市三保ヶ崎および堅田漁港・高島市大溝漁港・長浜市高月町片山漁港・彦根港における計測水位の平均値が琵琶湖の水位とされている[18][19]。
湖底
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
琵琶湖の湖底地形は、北湖の北湖盆・中湖盆と南湖(南湖盆)に分けられる[7][14]。若い地形であり水深70メートルを超す北湖に対し、南湖は湖沼の発達ステージの終末状態に近く、水深5メートル以下である[20]。逆くの字型の平面形態を示す北湖の湖底地形は、北西 - 南東方向の北湖盆(深度80 - 90メートル)と北東 - 南西方向の中湖盆(深度75メートル前後)に分かれており、沖島(後述)北側付近には両者を分ける靴状の湖底地形がある[7][14]。北湖盆と中湖盆のいずれも、東側は傾斜が緩く、西側は傾斜が急である[14]。北湖岸においては、若いリアス状の地形が湖底へと続く。また、後述の
琵琶湖中央の湖底には、900メートルの土砂が堆積しており、その下には500メートルほどの岩盤がある。南湖の烏丸半島付近にも900メートルの土砂が堆積しているが、琵琶湖全体でみると岩盤や土砂の厚さは一定ではない[21][注 3]。
湖岸
[編集]琵琶湖湖岸の構造は多様であり、そのため後述するように生物も多様である。傾斜は西岸は急で東岸は緩やかな傾向にあり、下記の山地系湖岸を除く77パーセントは、流入河川の造営力を受けた
湖岸域には陸上生物圏と水中生物圏をなだらかに繋ぐ推移帯[注 4]が広がり、生物多様性への寄与や水質浄化機能といった様々な役割を果たしてきた[27][28]。しかし第二次世界大戦後、大規模な護岸工事などにより人工湖岸が増え[注 5]、推移帯としての面積は大幅に減少した[28][29][30]。
琵琶湖周囲の約50キロメートルには湖岸堤・管理用道路が建設されており、県道としても利用されている[注 6]。またそのほぼ全区間には
内湖
[編集]琵琶湖の周囲には、琵琶湖の一部が土砂の堆積などにより切り離されてできた
昭和初期ごろまで、琵琶湖の周囲には大小40あまり、総面積29平方キロメートル(1940年時点)の
近代に入ると、後述する1905年の南郷洗堰の築造や1943年から治水・利水を目的として開始された淀川第1期河水統制事業の影響で琵琶湖の平均水位が10センチメートルほど下がったため、
湖中島
[編集]琵琶湖には沖島・竹生島・多景島の3島がある[40][41][注 8]。沖島は近江八幡市の沖合い1.5キロメートルに位置する周囲約6.8キロメートル・面積約1.53平方キロメートルの島で、淡水湖沼の有人島としては日本唯一である。竹生島は長浜市の沖合6キロメートルに位置する周囲約2キロメートル・面積約0.14平方キロメートルの島[42]、多景島は彦根市の沖合い5キロメートルに位置する周囲約600メートル・面積約0.012平方キロメートルの島である[43]。竹生島と多景島には寺院があり、竹生島は西国三十三所や琵琶湖八景に含まれている。このほか、多景島から西に4キロメートルの地点には沖の白石が[40]、草津市には1978年ごろに着工された人工島の矢橋帰帆島がある[44]。またかつて[注 9]は、奥島(近江八幡市)も独立した島であった[45]。
なお、湖北町延勝寺地先には「奥の洲」と呼ばれる浅水域があり[49]、その水面上にある小島も「奥の洲」と称されている[50](奥の洲は湖面の水位が低下すると地続きとなる[51])。
-
竹生島
-
沖島
-
多景島
-
沖の白石
河川
[編集]琵琶湖には117本の一級河川を含む約450本の流入河川があり[52][53]、周囲の山地からの流れを源流とする[54]。主な流入河川としては、湖南・湖東では野洲川・日野川・愛知川などが、湖北では姉川・高時川・余呉川などが挙げられる。湖西には大きな河川は安曇川しかなく、ほかは比良山地からの小河川である。この内、野洲川と安曇川以外は50キロメートル未満で、急勾配・出水のしやすさ・渇水の多さを特徴とする[55]。中世後期以降、一部の河川は天井川化しており、それにともない湖岸の土砂堆積状況が変化し、河口域では三角州の発達した例や逆に陸地が後退した例がある[56]。
流出河川は、堅い岩盤でできた山の間を細く抜けていく瀬田川のみであり、宇治川、淀川と名前を変えて、大阪湾(瀬戸内海)へ至る[57][55][58]。瀬田川には、琵琶湖の水位調整と下流域の治水・利水のために瀬田川洗堰が設けられている[55]。琵琶湖からの流出経路は、これに琵琶湖疏水(第一、第二)および宇治発電所水路を加えた計4か所である[59][60]。瀬田川の周りの山に水が堰き止められていることは、琵琶湖が湖として成立している要因の一つである[57]。琵琶湖の治水・利水・交通などにおける淀川や琵琶湖疏水との関係については、後述する。
行政上の扱い
[編集]琵琶湖の河川法上の扱いは、淀川水系の一級河川である。琵琶湖は国土交通大臣が管理する大臣管理区間ではなく、全体が指定区間に指定され滋賀県知事に管理が委託されている[61][注 10]。
琵琶湖と瀬田川の境界は、東海道本線の瀬田川橋梁から250メートルほど上流側の地点[注 11]である。これは、かつては瀬田の唐橋の位置とされていたものが、1894年の「淀川改良工事計画」において約1キロメートル上流に移されたのち、1896年の旧河川法において滋賀郡石山村と栗太郡瀬田村の間に定められ、さらに1965年の河川法改正に伴い指定され直したものである[62]。
琵琶湖が所属する市は次のとおりである(北から時計回り)。各市名の右に、市ごとの琵琶湖の面積(単位:平方キロメートル)を示す[63]。
琵琶湖の市町境界については、かつて、どの市町にも組み入れられていなかった。2007年5月8日、沿岸の各自治体による共同会議において境界の設定に合意し、各自治体の議会の同意を得た上で総務省に届け出を行い、9月28日付で『官報』に確定が公示された[64][65][66]。境界確定の目的は主に地方交付税交付金の増額である。また、増額された交付金の半分は琵琶湖の保全に使われることが発表されている[67]。
歴史
[編集]自然史
[編集]琵琶湖は世界有数の古代湖[注 12]であり、その成立はおよそ440万年前[注 13]まで遡る。以降現在に至るまでの琵琶湖の各時代の環境は、古琵琶湖層群と呼ばれる三重県から滋賀県にかけて分布する地層における各累層の泥・砂・礫の構成比率の違いにより示されている[71]。
440万年ほど前に琵琶湖が生まれたのは、後の三重県伊賀市である。まず、地盤の断層運動によりできた浅い窪地に水が溜まり、40 - 50万年ほどかけて浅くて狭い湖となった(断層湖)[注 14]。この湖は、旧大山田村付近にあったことから、大山田湖と呼ばれる[73][69]。300万年ほど前になると、この湖は阿山地方にまで北上した[74]。この時代の前期に湖は広がり、後期には甲賀地方(滋賀)に位置する北部の沈下により狭くて深い湖となった(阿山・甲賀湖、佐山湖)[74][75][76]。260万年ほど前にはさらに北上し、水口地域・日野地域・多賀地域にまで広がっていった[77][75]。この時期には蒲生湖沼群と呼ばれる小さな三日月湖などが多数集まった沼沢地群になり、その後さらに河川とその周囲の湿地といった環境[注 15]になるなど、不安定な水域であった[74][75]。この時代に水の流出方向は伊勢湾方面から京都・大阪方面に変わったと考えられている[78][注 16]。
現在滋賀と三重・岐阜両県の水系を分断している鈴鹿山脈は、180万年ほど前に隆起し始めた[79][注 17]。100万年ほど前になると、現在の南湖の位置に堅田湖と呼ばれる小さな湖が形成された[74][75]。同じころ、現在の北湖中央付近にも湖があったがその後陸地化したことが、地層の調査に基づき推定されている[81]。また90万年ほど前には、現在の北湖中央を南北に横切る山地があった[82]。その後琵琶湖の周辺に大きな地殻変動が生じ山地が隆起した43万年ほど前に、北湖の地域にまで琵琶湖は広がり、以降北進することなく現在にまで至っている[74][75][注 18]。40万年ほど前の琵琶湖は現在よりも細長く、その後東へ向けて広がったと考えられている[85]。
環境史
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
本節では、環境史を中心に石器時代以降の琵琶湖の歴史について概説する。交通・治水・利水・漁撈・環境保全といった各分野における詳細については後述する。
琵琶湖には90を超える湖底遺跡があり、縄文時代後期から近代初期にかけてを存続の終期とするそれらからは、琵琶湖周辺の生活や文化の歩みを窺い知ることができる[86][87][88][注 19]。一方、近世以前の琵琶湖についての史料は限定的であり、湖岸域の土地利用は変化しやすく支配関係の把握が難しいといった問題もあるため、琵琶湖の環境史研究は発展途上である[90]。後述するように琵琶湖では古くから湖上交通や漁撈がおこなわれおり、その拠点として多くの集落が発達しており、津・浦・浜などの文字を含む地名からは、その成立における琵琶湖との密接な結び付きをうかがえる[91]。
琵琶湖が現在の位置に定まったのは、旧石器時代末期ごろであり、琵琶湖周辺ではこのころの石器が発見されているが、詳細は不明である[92]。縄文早期後半の石山貝塚などの遺跡からは淡水産の魚介類の貝殻や骨が発見されており、一部山間部にも居住の痕跡はあるが、湖畔での居住を好んだ傾向が窺える[93]。また後述するように、縄文後期には丸木舟が使用されていたことも判明している[94][95]。弥生前期から中期にかけての湖底遺跡からは、土器・木器・石器・炭化米や環濠などが発見されており、灌漑・排水が比較的容易であり漁撈の便もよい琵琶湖畔において、初期の稲作が多く営まれていたと推測できる[96][97]。
後述するように、大津京遷都がおこなわれた飛鳥時代以降、多くの歌人が琵琶湖を歌に詠み込んでおり、湖上の往来が盛んになされていたこともうかがえる。また、奈良時代から近代にかけて、琵琶湖治水のために瀬田川の浚渫・改修が繰り返し計画・実施されることになる。なお、湖底遺跡は平安時代末期を存続の終期とするものが多い[87]。
中世の文書や絵図に記された耕地の一部は、後に琵琶湖や
織田・豊臣政権においては、安土城を拠点に湖上を一括管理し、経済・社会的に利用することが試みられた[94]。安土城が築かれた大中湖一帯は、このころまで政治的中心地であったが、以降琵琶湖との間に砂州が形成されるなどしたため、豊臣・徳川政権と時代が進むにつれ、膳所や彦根にその地位を譲ることとなった[103]。江戸時代の琵琶湖周辺域には、200あまりの集落があり[104]、後述するように周囲の集落や田畑にはホリと呼ばれる水路が張り巡らされていた。
近代以降琵琶湖の面積[注 20]は、1890年代の推定688平方キロメートルから、1990年代には669平方キロメートルまで減少している。この要因としては、南郷洗堰の築造に関連する水位の低下のほか、干拓・埋め立てや湖岸整備といった人為的なものが大きいと考えられる[105]。
湖水
[編集]前述のとおり、琵琶湖の貯水量は275億トンであり、平均水位は84.371メートルがB.L.P.として定められている。
水循環
[編集]琵琶湖の集水域(流域)は3843平方キロメートルで、その98パーセントは滋賀県であり、また滋賀県の90パーセントが琵琶湖の集水域である[106][10][注 21]。2015年を対象とした推定によると、流入河川より39.3億トン・地下水より7.4億トン・湖面への直接降水より12.2億トンの計58.9億トンが琵琶湖に流入、湖面での蒸発により4.0億トン・瀬田川より48.4億トン・琵琶湖疏水より4.9億トンが琵琶湖から流出しており、滞留時間は4.7年である[107]。
琵琶湖の湖水は、その貯水量の約2倍の地下貯留水と繋がっており、湖水の保全と地下水の保全は密接に関わっている[108]。また、琵琶湖周辺では年間平均10億トンの降雪があり、水温4度ほどで密度が大きい雪解け水は、北湖深部に酸素を供給する役割を果たす[109]。
水理現象
[編集]琵琶湖の水流は、流出部がいずれも南にあるため、基本的に北から南に向かうが、下記の環流や静振・密度流などにより、北向きの流れ[注 22]も頻繁に発生する[110]。
- 環流
- 琵琶湖の環流は1925年の神戸海洋気象台の観測により発見され[111][112]、1960年代から1995年ごろにかけて精力的な研究が行われた[113]。北湖には北から第1環流(反時計回り)、第2環流(時計回り)、第3環流(反時計回り)の3つの環流があり[114][注 23]、常に3つあるとは限らないが[115]、第1環流は水温成層期(春 - 秋)の長期間存在する準定常流である[111][注 24]。流速は第1環流では8月から9月ごろに最大30 - 40センチメートル毎秒に達する[116][117]。環流は南北に移動しており、このことは生態系や漁業にも影響を与えていると考えられる[116]。また、環流は水質の分布にも影響を与えており、沿岸帯と沖帯に区分されることになる[118]。琵琶湖の環流は地衡流としての性格が強く、発生機構については2018年現在、風成論と熱成論の2つの説がある[111][119][120]。
- 静振
- 湖水面に生じる表面静振には、周期の異なる3 - 7種類[注 25]がある[122]。水温水層の内部境界面に生じる内部静振は、表面静振に比してきわめて大きな振幅をもち、周期は一例においては63時間である。なお、内部静振が水位に与える影響はほとんどない[123]。
- 密度流
- 台風などの強風時には、内部静振による北湖底層から南湖への密度流が生起するが、大半は北湖に還流するため、南北湖間の交換流としての影響は少ない[110]。秋から冬にかけては、南湖の湖面冷却[注 26]により、南湖の水が北湖の底層部に潜り込む冬期密度流が発生する。冬期密度流は、発生後数日間持続し、北湖から南湖に還流することはない[124]。
- 全層循環
- 琵琶湖では例年1 - 2月に、湖水が鉛直方向に混合し、水温と溶存酸素量が表水層から深水層まで一様になる全層循環(全循環)という物理現象が起こる[125][126][注 27]。湖底に棲息する生物に酸素を供給する働きをもち、「琵琶湖の深呼吸」とも呼ばれる[126]。地球温暖化にともなう暖冬により、2006年と2015年の全層循環は3月中旬まで遅れ、2019年と2020年には2年連続[注 28]で確認されなかった[125][126]。このような全層循環の弱体化により深水層の酸素が減少し、湖底動物の大量斃死につながることが懸念されていて[127]、実際に湖底にすむ固有種であるビワオオウズムシの個体数が減少した要因に挙げられている[128]。
水質
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
透明度は、2018年の調査によると北湖で5.5メートル、南湖で2.2メートルであり[3]、気象条件によっては16メートルを超える透明度を観測することもある[129][注 29]。
関連する自然現象
[編集]- 津波
- 滋賀県によると、西岸湖底断層系[注 30]南部では最大でマグニチュード7.6の地震が発生し、その場合、4.9メートルの津波が沖島に到達する。また、同断層系北部では最大でマグニチュード7.2の地震が発生し、その場合、長浜市沿岸に3メートルの津波が到達すると予測される。ただし、「西岸湖底断層系南部は活断層だが、300年以内に地震が起こる確率はほぼ0%。ほかの4断層はいずれも活断層ではなく、津波を伴う地震が発生する恐れは極めて小さい」としている[132]。また、1185年7月9日に、実際に津波が発生した可能性がある。塩津港遺跡で発掘調査が行われた際、湖底で神社が発見され、その神社から津波と見られる痕跡が見つかった(柱が全て琵琶湖の岸に傾いていた)。また、『山槐記』には「琵琶湖の水は北に流れた」、鴨長明は「山は崩れて川を埋め、海(琵琶湖)は傾いて陸地を浸せり」と書いている[133][要文献特定詳細情報]。
- おろし
- 比良山地から琵琶湖に向かって吹く風は比良おろしと呼ばれ、琵琶湖の沈降と比良山地の隆起により生じた急峻な地形をその要因の一つとする[134]。また高島市勝野では、比良おろしにともなう局地風と考えられる勝野おろしが恐れられている[135]。これらのおろしは、後述するように事故の原因となることも多い。
- 湖陸風
- 琵琶湖畔では、陸面に比べ湖面の比熱が大きいことを要因とした風が発生する。昼間は日照により陸面の気温が上昇し気圧が低くなるため、琵琶湖から陸地に向かって「湖風」が吹く。逆に夜間は陸面のほうが先に冷え気圧が高まるため、陸地から琵琶湖に向かって「陸風」が吹く[136]。
- 蜃気楼
- 琵琶湖では、下位蜃気楼と上位蜃気楼の2種類の蜃気楼が発生する。複雑な像を生じる上位蜃気楼は、琵琶湖や富山湾において春先から初夏にかけて十数回しか発生せず、非常に珍しい現象である。この上位蜃気楼は、湖上に暖気が流入し上冷下暖の空気層が生じることにより発生する。下位蜃気楼は、逆に冷気が流入し上暖下冷の空気層が生じることにより発生し、世界各地で通年昼夜ともに長時間に渡り発生するため、珍しい現象ではない[137][138]。
生物相
[編集]琵琶湖では、66種の固有種[注 31]を含む1700種以上の水性動植物が報告されるなど、豊かな生物相をもつ[139]。オオクチバスやブルーギルをはじめとする外来種の侵入や1992年の琵琶湖水位操作規則の改訂、
哺乳類と鳥類
[編集]琵琶湖周辺のアシ原にはクマネズミとドブネズミのクマネズミ属、カヤネズミなどが生息している。木造船に住むクマネズミ属は「ふなねずみ」と呼ばれ、その背中の毛は伝統工芸品である蒔絵筆(まきえふで)に用いられて、とくに根朱筆(ねじふで)と呼ばれた[142]。2010年ごろからヌートリアが湖岸や淀川水系の河川で見られるといい、琵琶湖博物館が調査を行っている[143]。
1980年代以降、日本各地でニホンイノシシやリュウキュウイノシシが海や湖を泳いで島に分布を拡大していることが報告されているが、海を渡る例が多く、確認された湖の例は琵琶湖の竹生島と沖島のみだという[144]。沖島では伊崎半島から渡ってきたと思われるニホンイノシシが2009年に初めて目撃され、竹生島には2011年に葛籠尾崎から渡っている様子が目撃された[145]。必ずしも島に留まらず、行き来する様子が確認されている[146]。竹生島に渡っている個体群は、かつて奥島であった奥島山や長命寺山の山塊に生息しているものだが、視認されるのは1991年ごろからで古くからの生息域ではない。東南方向の山地部から来たと考えられている[145]。高橋 (2017, pp. 26–41)では、調査を行っている時点で沖島の住民にイノシシの知見がなく、効果的な対策を行えておらず農作物に被害が生じていることを報告している。高橋はさらに、いずれの島もカワウの大きなコロニーがあり、これが発生する生ぐさい臭いがイノシシを誘引している可能性を指摘している。
琵琶湖(
魚類
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ビワマスやアユなどは川を、コイ・フナ・ドジョウなどは水田を産卵場所として利用することが多いなど、琵琶湖に生息する魚類は周辺の水域との間を移動し、環境の違いをうまく利用している[148]。
陸封型である琵琶湖産アユは、両側回遊型の海産系アユと同種であるが、10センチメートルほど(海産系アユは30センチメートルほど)にしか成長せず、コアユとも呼ばれる[149]。
養殖や放流に用いられて日本の湖沼や河川にも一般的に生息している体高の高いコイ(飼育型コイ)はユーラシア大陸から導入された系統で、日本在来のコイとは異なることが遺伝学的な研究から明らかにされた。器官の形態や生息場所など生態学的な違いがあるが交雑が起こり、日本の自然水域では交雑個体が高頻度で検出されている。在来型コイが残存している水域は限られており、琵琶湖では北部に個体群が知られている[150]。環境省のレッドリストでは「絶滅のおそれのある地域個体群(LP)」に指定されている。
琵琶湖に由来する外来魚
[編集]複数の琵琶湖に由来する種や遺伝的グループが淀川水系の外に導入されている[注 32]。
アユは河川漁業・遊漁にとって重要な魚種として日本各地で種苗放流が行われていて、琵琶湖では各地に出荷する種苗としてアユが採捕されている[152]。資源量やその他の特徴[注 33]により琵琶湖産の種苗は重用され[153]、1990年代ごろは重量ベースで90パーセントを占めるなど、日本のアユ種苗を寡占していた[149]。河川での交雑の可能性は小さいが、完全には否定されない[153]。
アユ種苗での混獲による非意図的な導入の影響は大きく、例えば淀川水系固有種と三方五湖が本来の生息地であるハスが関東地方から九州地方に至る範囲で導入され国内外来種となっている[注 34]。オイカワは東アジア一帯に広く分布する種とされているが、地理的に隔てられて遺伝的な分化が起きており、それぞれが固有の遺伝的特徴を持つ。アユ放流にともなって琵琶湖由来のオイカワが導入され、本来の生息域外に分布を広げただけでなく、在来のグループとの交雑を起こしている[155]。高村 (2013, pp. 85–100) はマイクロサテライト領域DNAによって鬼怒川と那珂川のオイカワで関東グループと琵琶湖グループの交雑が起きていることを示した上で、琵琶湖由来のオイカワが定着していない河川が珍しいほどであるために、交雑や国内外来の問題を解明することが難しいと指摘している。
ゲンゴロウブナは、品種改良したヘラブナの名前で知られていて、釣りの対象として人為的なものを含む導入が行われて、現在では全国的に分布している。ヘラブナの放流種苗においても、モツゴやヨシノボリ属の混入が起こり分布域を拡散させたという[156]。
植物
[編集]沈水植物は維管束植物が23種、車軸藻類が13種確認されている[157]。1950年 - 1960年代以降に、ガシャモクとリュウノヒゲモが絶滅したと考えられる[158][注 35]。固有種であるネジレモは、茎を持たず葉をロゼット状に湖底から直接伸ばしているため、茎を持ち水面に葉を近づけられるクロモやコカナダモに比して水質悪化の影響を受けやすく、2000年ごろまでに個体数・分布域が大きく減少した[160]。このほかサンネンモも固有種であり、2012年には野生絶滅種とされたホシツリモが河口湖に次いで発見された[157]。外来種としては1960年代・1980年代にコカナダモが1970年代・1990年代にオオカナダモが大繁殖したほか、オオフサモ・ハゴロモモなども侵入している[161][注 36]。
北湖における沈水植物の分布面積は2013年時点で8パーセントほどで、透明度の約2倍の水深10メートル近くまで生育している[157]。北湖東岸など遠浅の湖底の箇所においては、沿岸から沖合いに向かってササバモ・オオササエビモ・ヒロハノエビモ・ヒロハノセンニンモ・サンネンモの順に優先種が変化する[162]。南湖においては、1994年から2014年にかけて沈水植物の分布面積が11パーセントから96パーセントにまで拡大した[163][注 37]。沈水植物群落の密生は船舶の航行や漁業の妨げとなり、低酸素水塊の発生による湖底の生物への影響なども懸念されるため、滋賀県などにより除去事業が実施されている[164]。
浮葉植物については、外来種のチクゴスズメノヒエの分布拡大により、アサザ[注 38]の発芽場所が減少し、同種の自生群生地は2015年現在東近江市の農業用水路のみとなっている。また2004年以降は外来種のナガエツルノゲイトウがチクゴスズメノヒエ以上に群落を拡大させている[165]。
湖岸や
そのほか湖岸には、内陸の淡水湖沿岸においては唯一ハマゴウが自生している[注 40][171]。1980年代と2000年代の湖岸の植生の変化を比較した金子 & 佐々木 (2016) によると、外来植物や人為的な植生、熱帯生種群や泥質立地種群が拡大する一方で、湖岸の景観を特徴づける植物群落が各湖岸地形において減少・消失している。
プランクトン
[編集]動物性プランクトンは約240種が記録されており[172]、北湖表層水には1リットルあたり数個体から数百個体程度のミジンコが含まれる[173]。ミジンコの中で最も多いのはカブトミジンコでアユなど餌となっている[174][注 41]。2005年ごろからは捕食者のアユの減少により、外来種で大型のプリカリアミジンコが増加しており、ミジンコの濾過能力が琵琶湖の水質改善に影響を与えたと考えられる[175][176][140][注 42]。そのほか、ヤマトヒゲナガケンミジンコも多く見られ、ストロビリディウム属[注 43]や小型センモウチュウといった原生動物は通年、ワムシはハネウデワムシが通年、ネズワムシが夏から秋にかけて見られる[179]。
植物性プランクトンは約240種が記録されている[172]、北湖表層水には1リットルあたり数百万細胞が含まれる[173]。1950年代初頭には、秋から冬には珪藻(ホシガタケイソウやメロシラ)が、夏には緑藻(ビワクンショウモなど)が現れる比較的安定した季節変化が見られた。しかしその後の富栄養化にともない、1960年代半ばごろよりミカヅキモ(緑藻)・シネドラ(珪藻)・フォルミディウム(藍藻)といった特定種の大増殖が発生するようになり、1977年以降黄金色藻のウログレナによる赤潮(5-6月ごろ)が、1983年以降藍藻(アナベナやミクロキスティス)によるアオコ現象(夏 - 秋)が発生している[180][177][181]。
人間との関わり
[編集]呼称
[編集]古代の呼称
[編集]琵琶湖は元々、近淡海[注 44]・淡海・淡海の海(あふみのうみ)・水海(すいかい)・近江の海・細波(さざなみ)・鳰の海(にほのうみ)などと呼ばれていた[183][184]。
『古事記』においては、その伊邪那岐の大神は、淡海の多賀に坐すなり
(上巻)や東の方追ひ廻りて近淡海国に到り
(中巻)といった用字で現在の滋賀県のことを表している[185][注 45]。同書における琵琶湖を指す記述としては中巻の
淡海の海 瀬田の済に
潜 く鳥 目にし見えねば憤りしも
という歌謡をはじめとし、淡海の海・淡海の表記が多数見られ、近淡海の用字はほとんど見られない[188]。同書における近江の表記は、天智天皇5年[注 47]に是の冬に宮都の鼠、近江に向きて移る
とあるなど、奈良時代の近江遷都以降に顕著に現れる[188]。その後の『続日本紀』の717年(養老元年)の条には行至近江国 観望淡海
とあり、近江を国名、淡海を琵琶湖と使い分けていたことが示唆される[190]。
また同時期の藤原武智麻呂の伝記には、近江は宇宙の名地[……]水海清くして広し
との記述があり、これが琵琶湖を水海と表記したものの初出である[191]。さざなみの用字については、713年(和銅6年)の『近江風土記』逸文を引いた
近江の国の風土記引きて言わく、淡海の国は淡海を以ちて国の号と為す。故に一名を細波国と言ふ。目の前に湖上の漣 なみを向ひ観るが所以なり。
との文がある[192]。鳰の海については、下って平安時代の『源氏物語』は「早蕨」の巻の
しなてるや 鳰の海に 漕ぐ舟の 夏帆ならぬとも逢い見し物を
や『千載和歌集』の
我がそでの 涙や鳰の海ならん かりにも人をみるめなければ
また『新古今和歌集』の
鳰の海や 月の光のうつろへば 波の花にも秋はみえけり
—藤原家隆
などがある。琵琶湖を代表する鳥である鳰(カイツブリ)は、上述のように『古事記』にも表れており、後の1965年(昭和40年)には滋賀県の県の鳥にも指定されている[194][195]。
中近世の呼称
[編集]琵琶湖という呼称の最も古い用例は、木村 (2001, pp. 157f.) によると、室町時代の明応年間(1492年 - 1501年)に活躍した僧侶景徐周麟の漢詩集『翰林葫盧集』の中の七言絶句「湖上八景」における
である。なお、琵琶湖を琵琶の形に喩えた例はこれよりも古く、比叡山延暦寺の僧侶光宗が1311年から1347年(応長元年から貞和3年)にかけて編述した『渓嵐拾葉集』に
との記述がある[198]。周麟が琵琶湖の呼称を用いている漢詩はもう1つあるが、それに次いで古い琵琶湖の用例は江戸時代の儒学者伊藤仁斎による1645年(正保2年)の漢詩「過琵琶湖作」まで待たなければならない[199]。その後、同じく儒学者の貝原益軒が1689年(元禄2年)に若狭・近江を旅した際に記した日記『諸州めぐり 西北紀行』には次のような記述がある[200]。
この記述は、上述の『渓嵐拾葉集』に沿ったものである[201]。また、同年に松本村の原田蔵六が記した地誌『淡海録』第1巻には、
湖水を琵琶湖と名ずく[ママ]ハ、竹生島の天女音楽を好み給ふ故、海を琵琶湖と名づく、因みて神を妙音天女と名く
とある[202]。元禄年間から享保年間にかけてはほかにも、松尾芭蕉による俳諧文や朝鮮通信使の申維翰による『海游録』など、各種資料において琵琶湖の表記が見られる[203]。さらに、江戸時代後期には伊能忠敬が1807年(文化4年)に「琵琶湖図」を作成するなど、地図上にも琵琶湖の表記が現れるようになる[204]。なお、琵琶湖の語源については、上述の(弁財天の)琵琶とするもののほか、アイヌ語の「貝を採るところ」を意味する語に由来し、ビワ(ビハ)は水辺や湿原がある場所を指すという吉田金彦の説や、楕円形を表すビワ、枇杷の実の形に由来とする説もある[205]。
近現代の呼称
[編集]画像外部リンク | |
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滋賀県シンボルマーク「Mother Lake」 |
明治年間には、琵琶湖汽船や琵琶湖新聞・琵琶湖踊・琵琶湖治水会・琵琶湖疏水など琵琶湖の名を冠する名称が多く現れており、琵琶湖という名称が定着したことが窺える[206]。なお、琵琶湖という漢字は難しいことから[注 49]、ひらがな書きにしたびわ湖やびわこなどの表記も見られる[207][注 50]。その他、別称や愛称としては以下のようなものがある。
- Mother Lake
- 滋賀県は、2000年にマザーレイク21計画を策定するなど、琵琶湖をMother Lake(母なる湖)と呼んでおり、
母なる湖・琵琶湖。預かっているのは、滋賀県です
の文言を県の封筒に記載している[208][209]。
- 近畿の水瓶
- 琵琶湖は上述のように滋賀・京都・大阪に水を供給していることから「近畿の水瓶」などと呼ばれることもある[210][211]。しかし滋賀県側は、1995年は稲葉稔知事が「水瓶」との表現に抗議する答弁をおこなうなど、琵琶湖を「水瓶」と呼ぶ表現を避けている[210]。これは、滋賀県民にとって自県の象徴的存在である琵琶湖を、いわば単なる貯水用ダムの一種として扱われては県民感情を大きく損なうとの理由によるものである[212]。
交通
[編集]2021年現在、琵琶湖汽船・オーミマリン・沖島離島振興推進協議会が定期航路を運営している[213][214][215][216]。
先史・古代の交通
[編集]琵琶湖周辺では、縄文後期の丸木舟(鰹節型と割竹型の2形態、全長は最大のもので7.9メートル)が発見されており[注 51]、先史時代から湖上交通がおこなわれていたことがわかる[94][218]。弥生中期後半には丸木舟は準構造船に発展し[注 52]、古代には湖北と都を結ぶ航路が築かれていた[注 53]。『万葉集』にも琵琶湖の船は多く詠まれているが、帆を読んだものはほとんどなく、当時帆走は未発達であったと推測される[220]。東大寺・藤原宮・石山寺の造営においては、甲賀・高島・田上からの木材が湖上交通を利用して運搬されている[221][94][222]。
その後、平安時代に都が長岡京から平安京に遷都されると、北国・東国と都とを結ぶ琵琶湖という交通路は、大きく発展していくことになる[223]。『延喜式』巻二六主税には北陸六箇国の税は塩津や勝野(高島市大溝)から湖上路を大津に運ぶとの規定があり、東海よりの物資も中山道を経て朝妻(米原市)から同様に大津に運ばれた[224][225]。
湖上交通は、大量の物資や人を運ぶには便利であったが、前述の風や波による遭難のリスクもあった[226]。高市連黒人による
わが船は比良の湊に漕ぎ泊 てむ沖へな離 りさ夜更けにけり
—万葉集
という歌からは、舟旅への恐れが窺える[227]。平安時代ないし室町時代には、
という歌が詠まれ、また「急がば廻れ」という諺も広まった[228][226][注 55]。
中世の交通
[編集]平安時代から三津浜と呼ばれた比叡山の外港坂本は、中世には大津を凌駕するかたちで栄えるようになり、京都への物資運搬を担う馬借・車借が室町時代以降大きな力を持っていく[注 56]ことにも繋がった。湖上交通の中心は平安時代から引き続き南北ルートであったが、中世以降は琵琶湖の最狭部である堅田[注 57]などを拠点とする東西ルートも発展していく[229][230]。また前述のように、港(津)の発展には
中世には荘園領主により港が管理されるようになり、年貢などの貢献物の輸送も湖上輸送も増え、琵琶湖は経済的に利用されるようになる[231][94]。堅田は中世をとおして湖上交通において中心的な役割を果たし、船の検問などを行い湖上の安全を保証する見返りに金品を求めることのできる上乗権(うわのりけん)と呼ばれる特権を室町時代に与えられた[232][233]。湖上には坂本を中心に複数の関[注 58]も設けられ、関銭は山寺の造営などに用いられた[234][230]。
建武3年(1336年)には足利尊氏を追った義良親王・北畠顕家が大軍を率いて琵琶湖を東から西に渡るなど、湖上は軍事的にも利用されるようになっていく[235][94]。戦国時代に入ると、従来の比叡山延暦寺に加え戦国大名の浅井氏が菅浦・大浦・沖島、六角氏が堅田の船を支配下に置くなど、各浦の船の掌握を図るようになった[236]。
近世の交通
[編集]近世には、物資輸送・地場産業が振興され、発展した港の間で輸送を巡っての紛争もたびたび起こっていた。またこのころには、日本海などの弁財船よりも幅が狭い丸子船(丸船・丸木船・丸太船とも)と呼ばれる琵琶湖特有の木造和船が使われるようになった[237]。後述するように湖岸の田畑や集落には、ホリと呼ばれる水路が張り巡らされており、たとえば草津市志那町では、閘門を通じて田舟を琵琶湖に下ろし、浜大津まで往復することもあったと伝えられている[238]。
織田信長[注 59]は港を重視し、天正元年(1573年)に船長約54メートルの船で坂本から京都に入るなど、琵琶湖を軍事的に大きく活用した[240][注 60]。豊臣政権下では、京都から大阪へと物資の流れが変わり、それに伴い湖上交通の拠点も堅田や坂本から大津に移ることになる[241][242]。豊臣秀吉により創設された大津百艘船は、大津からの積荷を独占的に扱えるなどとする特権を浅野長吉が天正15年(1587年)に下した高札により与えられた[241][243]。また天正17年ごろには、観音寺が船奉行を務めることとなった[244]。秀吉は、湊への着岸順に荷物を積み出すことができるとする艫折廻船(ともおりかいせん)という制度により、堅田の湖上特権を否定した平等な流通システムの創設もおこなった[245]。豊臣政権下で築かれたこれらの体制は徳川政権下でも踏襲されることとなる[246][247]。
西廻海運の成立以降は、若狭国の小浜・敦賀から琵琶湖を経由する流通路は衰退し、湖上水運は周辺域の流通路へと変容していった[248]。このため、堅田・大津・近江八幡の三ヵ浦は小さな湊にまで出向き争論を繰り広げるようになり[249]、その後堅田・大津・大溝・舩木・今津・海津・大浦・塩津・八幡の九ヵ浦体制が成立した[250]。大津を拠点とする観音寺が貞享2年(1685年)に船奉行職を罷免され、以降京都や四日市を拠点とする幕府の官僚的代官が船奉行を務めることとなったことには、幕府にとって琵琶湖水運の地位が低下したことが表れている[251]。もっとも船数は大幅には減少せず[252]、江戸時代中期の享保年間には5740艘もの船が琵琶湖を行き来していたとされる[253]。また、流通路としての地位の回復や後述の水害への対策、新田開発などを目的として、琵琶湖 - 敦賀間に運河を通す計画が、江戸時代を通じ複数回持ち上がっている[254]。
江戸時代には幕府のほか、彦根藩も独自の船支配をおこなっていた[255]。彦根では古代以来、朝妻が東西航路の起点であったが、元和年間に松原・米原・長浜の彦根三湊が水運の中核として取って代わった[256]。享保年間には争論の結果、彦根三湊が大津百艘船の特権を切り崩すこととなった[255]。
近現代の交通
[編集]近代に入り明治2年(1869年)に蒸気船一番丸(5トン12馬力の木造外輪船)が就航すると、ふたたび湖上交通が大量輸送を担うこととなる[257][258][94]。既存の和船問屋や漁業者は蒸気船への妨害を行ったが、明治4年(1871年)には大津百艘船などの旧来の制度は解体された[259]。1874年(明治7年)までに15隻の蒸気船が就航しており、汽船間の競争の激化により事故が続発するようになったため(後述)、1875年(明治8年)7月、滋賀県により汽船取締規則の通達が出されている[260]。さらに翌1876年3月より大津湊町に汽船取締会所および同支所7箇所が設立され、安全航行のための会所規則が定められた[261]。1880年(明治13年)7月には大阪 - 京都間の鉄道開通にともない長浜 - 大津間の鉄道連絡船の営業をめぐる争いが生じ、1882年(明治15年)には滋賀県の介入のもと3社合併により18隻を所有する太湖汽船会社が設立されている。翌1883年には日本初となる湖上鋼鉄船第一太湖丸(516トン)および第二太湖丸(498トン)も定期航路に就航し、1884年には長浜 - 敦賀間および長浜 - 大垣間の鉄道全線開通に併せてこちらも日本初となる鉄道連絡船が営業を開始した[262]。1886年(明治19年)には紺屋関汽船・山田汽船が合併し湖南汽船会社が設立され、湖上交通は太湖汽船と堅田以南を営業区域とする湖南汽船の2大会社に統一されていくこととなる[262]。
当初日本政府や太湖汽船によって30年程度と見積もられていた鉄道連絡船の役目は、予想外に早い1889年(明治22年)に東海道線が全線開通したことにより、わずか7年で終りを迎えることとなった[263]。そのため後述するように、2大汽船会社は、貨客輸送から遊覧船へと営業の主力を切り替えていくことになる[264]。さらに1931年(大正15年)には江若鉄道が今津まで開通し、以降は輸送に占める湖上交通の割合は低下したが、小地域間の湖上交通は1960年代まで続いた[94]。なお、丸子船のような木造船は生業・生活に密接に関わるものとして大正ごろまで使われており、1880年(明治13年)の『滋賀県物産誌』に基づくと、輸送船・漁船・田船など少なくとも1万1100艘[注 61]の船が存在していた[265]。
近現代にも、琵琶湖を経由して日本海と太平洋や瀬戸内海を繋ぐ運河計画は、琵琶湖疏水の築造に携わった田辺朔郎による昭和初期の「大琵琶湖運河計画」や、高度経済成長期の「日本横断運河構想」など複数回立てられている[266][254]。しかしモータリゼーションが進んだ結果、1964年(昭和39年)に琵琶湖大橋が、1974年(昭和49年)に近江大橋が架橋されたことが象徴するように、琵琶湖は水運の手段ではなく陸運の障碍物へと転じていった[254]。
水害と治水
[編集]琵琶湖の湖岸域では、河川の氾濫のほか、「水込み」と呼ばれる琵琶湖の水位上昇による水害に悩まされてきた[267][268]。古文書における琵琶湖周辺の水害の記録は、701年(大宝元年)以降多く残されている[269]。
琵琶湖の水害を防ぐための瀬田川改修の歴史は、奈良時代の僧侶行基による瀬田川の流れを阻害する小山(のちの大日山)の掘削の試みにまで遡ることができる[268]。その後江戸時代には、幕府の普請が2回と自普請が3回、計5回の浚渫工事がおこなわれており、特に1699年(元禄12年)の「河村瑞賢の大普請」と、高島郡深溝村の庄屋藤原太郎兵衛家の尽力の末に実現した1831年(天保2年)の普請が大規模なものであった[270][271]。またこの間、流量増加による洪水を危惧する下流住民の反対などによりなかなか浚渫が実現しなかった時期には、あさり取りなどと称した地元住民による小規模な浚渫などもおこなわれている[270]。
近代に入ってからは1890年(明治23年)以降、滋賀県内の有志が結成した琵琶湖水利委員同盟会や滋賀県知事大越亨により、繰り返し淀川の浚渫の陳情がなされた[272]。1885年(明治18年)の淀川洪水で大きな被害を受けた下流域の反対にも遭ったが、1893年(明治26年)からは小規模な浚渫が実現した[273][274]。さらに1900年から1908年(明治33年から41年)にかけては、大規模な浚渫と上述の大日山の掘削がおこなわれ、また南郷洗堰が築造されたため琵琶湖の水位の調整が可能となった[273][275]。これらの工事以前には、プラス3.76メートルにまで水位が上昇し琵琶湖周辺のほとんどの地域が237日にわたって浸水した1896年(明治29年)の洪水をはじめとし、ほぼ隔年で長期間の浸水が発生していたが、以降の浸水被害は4年に1度程度にまで減じた[276]。その後1961年(昭和36年)には南郷洗堰の隣接地に瀬田川洗堰が築造されている[277][54]。
水利用
[編集]滋賀での水利用
[編集]前述のとおり、琵琶湖湖岸域では弥生時代ごろから稲作がおこなわれていた。田畑よりも低い位置にある琵琶湖の水は使いにくかったため、昭和中ごろまで琵琶湖の水を農業や生活に利用することは少なく、もっぱら琵琶湖への流入河川や井戸の水を利用してきた[278]。これらの河川の水量は琵琶湖に比べると少なく、また扇状地であるため伏流水化しやすい地形が多く、甲良町など農業用水の確保に問題を抱える地域も多かった[278][279]。
琵琶湖に隣接する湿地帯においては、傾斜が緩いため通常の灌漑が困難であったが[280]、琵琶湖や
昭和30年代ごろには上水道の普及が始まり、以降湖水の利用量は増えていくことになる[288]。滋賀県では1980年ごろから2000年ごろにかけて、人口の増加などの要因により湖水の利用が大幅に増え、2019年時点における上水道の主要な水源は琵琶湖の水となっている[289][290]。また、農業水利においては1970年代以降、大型ポンプを備えた施設で湖から水を汲み上げ、パイプラインで農地に配水する逆水灌漑による湖水の利用が増加した[289]。牧野厚史 (2001, pp. 205–206) は、このような水利用は利用者から見えにくく、生活と水循環の関係に思いを馳せることが難しくなっていると指摘し、八幡堀の保存活動などは、単なる資源としての水利用に留まらない水問題への地域固有の解決策の方向を示しているのではないかと述べている。
淀川下流域での水利用
[編集]京都で琵琶湖の湖水を生活用水の源とするようになったのは、琵琶湖第二疏水を完成させた1912年(明治45年)のことである[291]。第一疏水は第二疏水より古く1890年(明治23年)に完成している[12]。琵琶湖疏水の建設は東京奠都によって衰退の危機にあった京都を再興することを目的とし、まずは疏水の水車動力によって工業を近代化し、さらに水運を確保する計画で京都府知事の北垣国道が先導した[292][293]。当時、京都では鴨川に源流を持つ京都盆地の水系を賀茂別雷神社(上賀茂神社)が支配し、御所の水源も「御所御用水流通水掛リ之儀者賀茂別雷神社 旧一社ニテ支配被致候」とされていた[294]。構造的に夏の渇水期になると上流小山郷の田畑の灌漑が優先されることになり、御所の水は枯渇する様であった。疏水によってに御所用水路の新たな付け替えもあり、御所の庭園と防火用桝への安定供給が図られるようになった[295]。琵琶湖疏水を介して毎秒24立方メートル(2017年時点)[296]を取水し、水源の99パーセント(2019年ごろ)[297]を琵琶湖に頼る京都市は、1914年(大正3年)以来京都市民の感謝の気持ちとして滋賀県に毎年感謝金(琵琶湖疏水感謝金)を支払っている[298][299][注 63]。財源は京都市民の水道料金で、滋賀県は感謝金を水源保全に充てている[300][301]。
大阪では1895年(明治28年)に淀川を水源とする本格給水が始まった[291]。第二次世界大戦後の高度経済成長期に際しては、著しい産業発展により淀川での安定した取水が必要になった[302][303]。琵琶湖下流域における水資源の需要の急速な拡大に対応するために、1972年(昭和47年)に琵琶湖総合開発特別措置法が制定。琵琶湖総合開発事業を策定した[303]。事業の策定にあたって上流への影響は避けられないことから、不利益を減らすために原案は滋賀県知事が作成し内閣総理大臣がこれを決定する形がとられた[304]。同事業によって水位低下補償事業が完了し、水位の管理について国(瀬田川洗堰管理者)と滋賀県、下流府県が初めて合意した[305]。規則では、洪水時はあらかじめ水位をマイナス20センチメートルあるいはマイナス30センチメートルに下げて対処、非洪水時は30センチメートルを上限になるべく水位を高く保ち渇水に備えることを基本とし[305]、下流域の渇水時には琵琶湖水位マイナス1.5メートルまで湖水を利用できることになっている[302]。また、増大する水の需要に1991年(平成3年)度までは不安定な「暫定豊水水利権」(河川の流量が一定の流量を超える場合に限って取水できる水利権)で対応してきたが、同年度末には水資源開発事業が概成し都市用水として最大毎秒40立方メートルの新規水利権が与えられた[306][307]。下流域の水利権を拡大せざるを得なかった背景には、京阪地域が渇水時であっても比較的豊富な水量を保つ水源として淀川、さらにその水源である琵琶湖への依存を強めたことがある[302][注 64]。琵琶湖総合開発事業では、琵琶湖を文化面を含み多方面で活用し親しんでいる滋賀県民の生活に直接的な影響が及ぶことは避けられず、上流と下流の利権をいかに調整するかが事業の肝となった[308]。上流の不利益を解消するために、下流の利水公共団体は琵琶湖とその周辺の上流域の福祉増進に利するために下流負担金602億円を負担することになった[304][307][309]。
琵琶湖の水利用を巡っては、下流の京都・大阪への対抗心を表すために「琵琶湖の水止めたろか」というジョークがしばしば用いられる[310][277]。野田 (2001, p. 232) は滋賀県・京都府・大阪府の住民を対象にした1995年のアンケート調査を参照し、滋賀県以外の住民は渇水時などには水源として琵琶湖を意識するが、普段はその存在を別段気に留めていないのだと結論づけている。
天然ガスの利用
[編集]琵琶湖の湖岸一帯では天然ガスが湧出している場所があり、古くは湖北(現在の高島市)において農家が燃料として使用する例も見られた。湖南では1883年夏、栗太郡常盤村(現在の草津市)において住民が井戸を掘った際に、地下水に溶け込んでいる天然ガスの存在に気が付かず、水にカンテラを近づけて火柱を作った逸話も残る[311]。燃料事情が逼迫した1941年には、大津市が大阪鉱山監督局に栗太郡瀬田町(現在の大津市)で石油(メタンガス)の試掘申請を行っている[312]。
漁撈と食文化
[編集]前述のとおり、琵琶湖には多様な魚介類が生息しており、漁場の環境も岩場・砂浜・
固有種を含む琵琶湖の魚介類は、伝統的な食材として、2013年現在においても盛んに食されている。淡水魚の生食を忌避する日本においては珍しく、ビワマス・イワトコナマズ・ニゴロブナやゲンゴロウブナ・ハスなどは造りとしても食される[317]。このほか「ジュンジュン」と呼ばれるすき焼き・寄せ鍋や焼き物、佃煮などとしても食される[318]。また、小アユを利用して、アユの飴煮(あめだき)が大津の名物、土産物として作られてきた[319]。さらに、滋賀県では発酵食品が発展しており、鮒寿司をはじめとするなれずしも作られる[320][321]。滋賀県には、海産物を扱う鮮魚店とはべつに淡水魚専門の鮮魚店があり、これらの店では鮮魚のほか、佃煮・なれずしといった加工品や鴨なども扱われている[322]。
漁撈の歴史
[編集]琵琶湖における魚介類の利用は、1万年以上前にまで遡ることができる[323]。前述したように、縄文時代の遺跡からは、貝殻や魚の骨などが発見されており、タンパク源に占める琵琶湖産の魚介類(特にコイ科)の比率は哺乳類よりも高かったと考えられている[92][324][325]。また、漁網用と推測される石錘・土錘も出土しており[326]、漁具とともに出土した丸木舟も漁労に用いられたと推定される[222]。稲作が開始された弥生時代には、魚類が水田を産卵場所として利用するようになったこともあり、漁網に代わり魞(エリ)や筌といった小型陥穽漁具による待ちの漁法が発達し[注 65]、タンパク源に占める魚介類の比率はさらに高まった[327][328][329]。古墳時代には土錘が増加・多様化し、また麻網も普及するようになり、漁獲対象種も多様化したと考えられる[330]。
その後中世ごろには網漁が発達しており、従来河川や
近世の17世紀ごろには、淡水魚である鯉から海水魚である鯛に政権の中心部における需要は移っていったが、18世紀から19世紀にかけても、漁撈を巡る紛争は頻繁に起きており、琵琶湖周辺の集落における漁撈はむしろ活発化したと考えられる[334][注 66]。明治以降には、網地素材の化学繊維への変化や動力船の導入により、漁獲能力が向上したほか、大正・昭和期には、テナガエビとワカサギが移入され、漁獲対象種に加わった[335]。また、大正末ごろには
景勝・観光地として
[編集]飛鳥時代の近江遷都以降、後述のように近江を舞台とした歌が数多く詠まれており、多くの歌人たちが近江を訪れ、琵琶湖と周囲の光景に感性を刺激されたことが推測できる[342]。近江八景[注 67]は、当初は文学的モチーフであったが、江戸時代中ごろには街道を通行する人が増えたこともあり、『名所記』『名所図会』といった挿絵入りの旅行案内書や浮世絵などをつうじて、全国の民衆に膾炙するようになった[343][344]。
1889年(明治22年)の東海道線全線開通は、前述の鉄道連絡船の廃止に繋がり汽船会社の経営に打撃を与えたが、同時に京阪神から琵琶湖観光に気軽に訪れることを可能にもした[345]。湖南汽船は1894年(明治27年)に大津と石山および坂本間の航路で湖上観光の営業を開始している。次いで太湖汽船も南湖 - 北湖間の航路運行を開始し、1895年(明治28年)には鉄道連絡船廃止時点のレベルまで業績を回復させるに至っている[46]。本格的な湖上遊覧の嚆矢ともされる湖南汽船の「近江八景めぐり遊覧船」(1903年〈明治36年〉就航)に続き、太湖汽船も遊覧観光船の建造を行うなどより湖上遊覧に力を入れることとなり、以降季節ごとの観光客誘致が展開された[346][347]。1912年(大正元年)には京津電車の三条 - 札ノ辻間が開通し、京都方面からの観光客はさらに増加、2大汽船会社の競争もより激しく展開された。この時期には竹生島や長命寺への巡礼を含む観光が定着している[46]。昭和に入ると琵琶湖ホテルの建設や湖水浴場の整備も進められ[346]、太湖汽船と京阪電鉄によるマキノ・スキー場開設の翌年にあたる1930年(昭和5年)から1962年(昭和37年)にかけては、スキー客運ぶスキー船も運行された[348]。
第二次世界大戦後の1950年(昭和25年)には琵琶湖が国定公園に指定されている。これに先駆け前年には、滋賀県民からの公募によって「琵琶湖八景」が選ばれ[346][349]、翌1951年には観光船玻璃丸が就航した[348]。1968年(昭和43年)のびわこ大博覧会以降は、琵琶湖の水質が悪化するなど、観光が軽視されるようになるが、びわこ国体で湖上輸送が試みられたのを機に、再度観光が顧みられるようになる。1982年(昭和57年)には玻璃丸を継ぐかたちで外輪船ミシガンが就航し、滞在型観光を目的としたリゾート・ネックレス構想や水上スポーツ施設の整備なども計画されたが、バブル経済の崩壊により計画は進まなかった[346][350]。その後は、環境保全や歴史的文化資産の活用などの観点も取り入れた新しい観光スタイルが模索されている[346]。2019年(令和元年)には琵琶湖岸を1周する200キロメートルの自転車ルートであるビワイチが、ナショナルサイクルルートの第1弾[注 68]として指定された[351][352]。湖岸には30箇所ほど「水泳所(ビーチ)」が設置されておりウォーターアクティビティのほか海水浴のように泳ぐことが可能となっている[353]。淡水湖であるため特筆するほどの塩分濃度は存在しない。
作品の題材として
[編集]和歌
[編集]前述のとおり、記紀にはいくつか琵琶湖を題材とした歌謡が含まれている。その後の『万葉集』にも琵琶湖を題材とした歌は複数含まれており、近江国を舞台とする歌は近江遷都以降のものが多い[354]。同歌集には柿本人麿の
など、「淡海の海」「近江の海」が含まれた歌が14首ある[356][184][注 70]。また、湖や志賀にかかる枕詞「さざなみ」「楽浪」を含む歌は10首あり、おなじく柿本人麿による
という歌が特に著名である[357]。湖岸の湊を詠んだ歌も多く、小弁[注 72]による
などが挙げられる[222][359]。飛鳥時代の湖上の賑わいを示す歌としては、
などが挙げられる。一方、都落ち間近に平忠度が詠んだ
は、上述のさざなみの枕詞を用いた歌のなかでもっとも有名なものであるが、浅見によるとそこには渺々とした琵琶湖の風景
が表れている[192][361]。平安時代の人の往来を示す歌としては、長徳2年(996年)に父藤原為時の越前武生への赴任に同行した紫式部が高島町三尾崎で詠んだ
—紫式部集
が挙げられる[362]。
その他文学
[編集]菅原孝標女による『更級日記』や鎌倉時代の阿仏尼による『十六夜日記』にも琵琶湖周辺の光景が記述されており、中世文学においては竹生島信仰が、『平家物語』や謡曲『竹生島』などの作品で取り上げられている[364][365]。戦乱の世になると、謡曲『自然居士』や室町時代の小唄を集めた『閑吟集』において琵琶湖の人買舟や密漁といった荒々しい様相
が描写されるようになるが、一方軍記物においては『義経記』などに琵琶湖は登場しているものの、湖上の戦の様子を描いた作品はほとんどない[366][361]。江戸時代については、松尾芭蕉による
四方より花吹き入れて鳰の海
などの琵琶湖畔で詠んだ90あまりの俳句と『幻住庵記』、そして上田秋成による夢物語「夢応の鯉魚」(『雨月物語』)が傑作として挙げられる[367][368]。
近現代に琵琶湖に関連する小説としては、次のようなものがある(丸括弧内はおもな関連する土地)[369]。
室町時代を描いた谷崎潤一郎『盲目物語』は、湖上の描写は少ないものの、作品世界は竹生島の沈鬱な影を色濃く帯びており
[370]、秦恒平『みごもりの湖』では藤原仲麻呂の乱の、成澤邦正『琵琶湖の浮城』では室町末期水茎の岡の湖上の戦が描かれている[366]。琵琶湖の汚染や自然破壊を扱った作品としては、早くは1919年(大正8年)の近松秋江『湖光島影』があり、第二次世界大戦後の高度経済成長期には西口克己『びわ湖』が発表されている[371]。また、中上健次『日輪の翼』や平成の小林恭二『カブキの日』にも琵琶湖(前者は瀬田の唐橋、後者は堅田)を舞台とした描写があるが琵琶湖そのものにはわずかしか触れられておらず、松村 (2001, p. 268) は自然破壊などにより琵琶湖の生命力が衰えたためだと述べている。
美術
[編集]琵琶湖が描かれた現存最古の絵画は、おそらく『源氏物語絵巻』の「関屋」の段である[372]。高梨 (2001, pp. 269f.) は、これ以前の『一遍聖絵』や鶏足寺の十二神将像についても、琵琶湖の水運ネットワークの影響があると指摘している。室町時代後半からは『近江名所図』の大作が残されており、室町時代の狩野派による屏風絵[注 76]、同じく室町時代の大徳寺瑞峯院の『堅田図旧襖絵』[注 77]、17世紀前半(江戸時代)の屏風絵[注 78]などが挙げられる[374][373][376]。17世紀後半以降には、近江八景を題材とした絵画(歌川広重によるものが有名)や着物の蒔絵・陶磁器の絵付けなどが現れるが、同時期には古典文学に材をとったものなど、近江八景以外の絵画も描かれている。近代以降は、多くの洋画家・日本画家が琵琶湖の多様な姿を描いている一方、今村紫紅や下保昭などは近江八景の枠組みの中で新たな試みをおこなっている[377]。
音楽と映画
[編集]1917年(大正6年)に作られた『琵琶湖周航の歌』は、滋賀県民に広く愛唱されている[378]。そのほか、後述の琵琶湖遭難事故を歌った『琵琶湖哀歌』がある[135]。
琵琶湖を舞台とした映画としては、『幻の湖』[注 79]、『偉大なる、しゅららぼん』[注 80]、『マザーレイク』などが挙げられる。
環境保全
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
昭和40年代、高度経済成長に伴って湖水の水質汚濁や富栄養化が進んだ[379]。原因の一つに合成洗剤、リン酸塩が挙げられ[380]、主婦層や女性団体が「石鹸運動」を起こして対策・改善を求めた[381]。このため滋賀県は独自に工業排水と生活排水を規制する、いわゆる琵琶湖条例(滋賀県琵琶湖の富栄養化の防止に関する条例)を制定するに至った[382][383][384]。このほか琵琶湖に関する滋賀県独自の条例としては、『滋賀県琵琶湖のレジャー利用の適正化に関する条例』や『滋賀県琵琶湖のヨシ群落の保全に関する条例』、景観を守るための『ふるさと滋賀の風景を守り育てる条例』などがある。
滋賀県は7月1日を「びわ湖の日」に定めており、琵琶湖を保全する様々な活動「びわ活」を推進している[211]。また、2021年時点、国際連合持続可能な開発目標(SDGs)に倣い、2030年に向けた琵琶湖版SDGsである『マザーレイクゴールズ(MLGs)アジェンダ"』策定を進めている[385]。
1990年から1991年にかけ琵琶湖総合開発事業の一環として水質測定施設である南湖湖心局(大津市唐崎沖1.5キロメートル)と北湖湖心局(大津市南比良沖4キロメートル及び高島市今津沖3.5キロメートル)の3基が設置され、pH値、溶存酸素量、水温、流速などのデータが自動送信されていた[386]。しかし、内部の測定機器が老朽化し、必要なデータ量も確保できたとして2006年度までに稼働が停止された。その後も維持費がかかり、船舶の衝突事故のおそれもあることから2018年度に撤去されることとなった[386]。
また、琵琶湖の北方に位置する福井県若狭湾岸には、敦賀原発・美浜原発など多数の原発が立地する。琵琶湖との最短距離は20キロメートル程度であるため、原発事故で放射能汚染されれば水の供給に影響する可能性があると指摘されている[387]。また、ヨシ群落保全条約により、水鳥にとって重要なヨシ群落保全が図られている。ラムサール条約湿地を指定するための国際的な基準の一つに、「定期的に2万羽以上の水鳥を支える湿地」とあり、琵琶湖はその基準を満たしている。そのことから、1993年6月10日、北海道釧路市で開催された「ラムサール条約第5回締約会議」において、国内で9番目のラムサール条約湿地となった。琵琶湖がラムサール条約に登録されたことを受け、水鳥をはじめとする野生生物と、湿地の保全や湿原の賢明な利用について理解を深めるための普及啓発活動や、調査・研究・監視等を行う拠点施設として「琵琶湖水鳥・湿地センター」ができた。ラムサール条約に指定されたことで、滋賀県全体で、琵琶湖の自然環境への取り組みが強化された[要出典]。
事件や事故
[編集]滋賀県内の水難事故の3分の1が大津市消防局管内で発生している。大津市消防局が2015年に出動した水難救助件数は21件で、救助件数全体に占める割合は9パーセントであり全国平均の4.4パーセントの2倍以上となっている[388]。前述したおろしなどの風は、漁船やウィンドサーフィンの事故の原因となることも多く、1941年(昭和16年)には琵琶湖遭難事故が発生している[134][注 81]。
先に触れた近代における蒸気船の事故としては、まず1874年(明治7年)に長運丸が唐崎沖でボイラーの破裂により沈没し、数十名の乗客が犠牲となっている。その翌年には、満芽丸(大津所属)が加重積載により小松沖で沈没し、47人の犠牲者を出した[390]。
このほか、太平洋戦争の終戦間際に零式艦上戦闘機(零戦)六二型が琵琶湖に不時着している[391]。1978年(昭和53年)、湖底に沈んでいた零戦が引き上げられ京都嵐山美術館が修復、その後は和歌山県「ゼロパーク」、広島県「大和ミュージアム」と引き渡され、展示された[392]。
その他
[編集]- 日本遺産
- 2015年には、「水とくらしの文化」「水と祈りの文化」「水と食文化」の3つのストーリーで構成された「琵琶湖とその水辺景観 — 祈りと暮らしの水遺産」が文化庁により日本遺産として認定されている[393][394]。
- スポーツやレジャー
- 瀬田川を中心とし複数の艇庫があり、毎年5月には琵琶湖漕艇場で日本最大級のボート大会である朝日レガッタが開催される[395]。1952年にはびわこボートレース場が日本で3番目のボートレース場として開場している[396]。カヌーやドラゴンボート、ソーラーボートの競技もおこなわれるほか、ヨット、スタンドアップパドルボードなどを楽しむこともできる[395]。また、2003年には「琵琶湖レジャー利用適正化基本計画」が策定されている[397]。
- 教育
- 滋賀県では、1983年の学習船「うみのこ」就航以降、県内の小学5年生を対象とし、びわ湖フローティングスクールと呼ばれる1泊2日の体験学習を実施している[398][399]。また1981年以降、環境教育副読本『あおいびわ湖』(小学校)・『あおい琵琶湖』(中学校)・『琵琶湖と自然』(高校)を、ほぼ5年ごとに改訂を加えながら発行している[400][401]。
- 研究機関
- 琵琶湖に関連する研究機関としては、滋賀県琵琶湖環境科学研究センター・滋賀県立琵琶湖博物館・国立環境研究所琵琶湖分室などがあり、2014年には各部局・機関が連携して研究をおこなうために琵琶湖環境研究推進機構が設置された[402]。
年表
[編集]※文末の「#」は、関連する節へのページ内リンクである。
- 440万年前ごろ – 後の三重県伊賀市に古琵琶湖が形成される(大山田湖)[69]。#
- 100万年前ごろ - 現在の南湖の位置に堅田湖が形成される[75]。#
- 43万年前ごろ - 琵琶湖の移動が終わる[75]。#
- 紀元前1万年ごろ - 湖岸域での人の営みの痕跡が残され始める[92][403]。#
- 紀元前300年ごろ - 湖岸域で稲作が開始される[403]。#
- 667年(天智天皇6年)- 近江大津宮への遷都[404]。
- 700年ごろ - 僧侶行基が琵琶湖治水のため大日山の掘削を試みる[268][404]。#
- 1587年(天正15年)- 大津百艘船が特権を与えられる。この数年後には観音寺が船奉行に任命される[405]。#
- 1699年(元禄12年)- 河村瑞賢による2度目の瀬田川浚渫(河合瑞賢の大普請)[406][407]。#
- 1831年(天保2年)- 深溝村の庄屋藤原太郎兵衛家の尽力の末瀬田川の浚渫が実現[408][409]。#
- 1869年(明治2年)- 蒸気船一番丸が就航[94]。#
- 1890年(明治23年)- 京都市へ水を供給する琵琶湖第1疏水が開通[12][410]。#
- 1896年(明治29年)- 河川法が制定され、以降琵琶湖とその流入河川は行政の管理下に置かれる[273]。#
- 1896年(明示29年)- 琵琶湖沿岸部で大洪水が起きる[411][410]。#
- 1900年から1908年(明治33年から41年)- 南郷洗堰の築造を含む瀬田川の大規模な改修工事がおこなわれ、以降琵琶湖の水害は減る[273]。#
- 1912年(明治45年)- 琵琶湖第2疏水が開通[291][412]。#
- 1925年(大正14年)- 琵琶湖の環流が発見される[111]。#
- 1950年(昭和25年)7月24日 - 琵琶湖国定公園が指定される[413][349]。#
- 昭和30年代 - 滋賀県で上下水道の普及が始まる[278]。#
- 1961年(昭和36年)- 瀬田川洗堰が築造される[414]。#
- 1964年(昭和39年)9月 - 琵琶湖大橋が開通[413]。#
- 1970年代 - 以降、大型ポンプとパイプラインを用いた逆水灌漑が拡大する[289]。#
- 1972年(昭和47年)- 琵琶湖総合開発特別措置法の制定に伴い琵琶湖総合開発事業が策定される[303]。#
- 1974年(昭和49年)9月 - 近江大橋が開通。#
- 1979年(昭和55年)10月 - 琵琶湖条例(滋賀県琵琶湖の富栄養化の防止に関する条例)が公布される[413]。#
- 1985年(昭和60年)12月 - 湖沼法における指定湖沼に指定される[413]。
- 1993年(平成5年)- ラムサール条約登録湿地に認定される[397]。
- 2000年(平成12年)3月 – 「マザーレイク21計画」が策定される[208]。
年間行事・記念日
[編集]主な生物種
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
※『滋賀県レッドデータブック』2015年版に基づき、希少(亜)種には「*」を、絶滅危機増大(亜)種には「**」を、絶滅危惧(亜)種には「***」を附す[420] また、環境省レッドリスト2020年版に基づき、絶滅危惧IB類およびI類には「⁑」を、IA類には「⁂」を附す[421]。琵琶湖においては絶滅したとされる種には「†」を附す。
動物
[編集]植物
[編集]その他
[編集]主な港
[編集]- 古代[注 92]
- 中世[449]
- 近世[注 92]
- 近代[451]
- 長浜市
- 塩津
- 片山
- 南浜
- 長浜
- 竹生島
- 彦根市
- 松原
- 柳川
- 近江八幡市
- 常楽寺
- 長命寺
- 八幡
- 沖ノ島
- 草津市
- 志那
- 穴村
- 山田
- 矢橋
- 大津市
- 高島市
- 大溝
- 船木
- 深溝
- 今津
- 海津
- その他
- 長浜市
- 現代
- 長浜市
- 彦根市
- 草津市
- 大津市
- 高島市
- その他
注釈
[編集]- ^ 第2位の支笏湖は、面積は78.7平方キロメートルと小さいが、最大水深が大きいため209億トンの貯水量をもつ[6]。
- ^ これは海水面の約マイナス18メートルにあたる[7]。
- ^ 中央と烏丸半島付近の土砂の厚さが同じなのは偶然である[21]。
- ^ 生物群系の境界など、異なる環境が接し連続的に入り交じる場所を指す生態学の用語。生物学の多様性が高い[24][25]。エコトーン、移行帯とも[25][26]。
- ^ 2018年ごろの人工湖岸の割合は37パーセント(南湖では73パーセント)である[29]。
- ^ 管理は滋賀県と水資源機構が行う。
- ^ 人工
内湖 を加えると、2018年現在5.3平方キロメートルである[35]。 - ^ 木村 (2001, p. 133) は、これに沖の白石を加え4島としている。
- ^ 戦国時代まで[45]とも第二次世界大戦後の大中の湖の干拓まで[46][47][48]ともされる。
- ^ 例えば、琵琶湖岸に構築物を無許可で設置すると、河川法に基づいて滋賀県から撤去命令が出される。例:「行政代執行の実施結果について」
- ^ 大津市春嵐一丁目字南1030番1地先を右岸、大津市玉野浦字高砂2189番2地先を左岸とする[62]。
- ^ 古代湖は世界に20ほどあり[68]、Kiprop (2017) によると、琵琶湖はそのうち5番目に古い湖である。
- ^ この年代は、古琵琶湖層群の火山灰層の研究により明らかになったもので、以前は500万年前や600万年前とされることもあったが、この研究をおこなった里口保文へのインタビューによると、今後約400万年前との推定が覆される可能性はきわめて低いという[69][70]。
- ^ 津付近に存在した東海湖と一体化した大きな湖だったとする仮説もある[72]。
- ^ 里口 (2018b, p. 85) は、魚種の連続性の観点などから、この時代にも湖があった可能性についても研究を進める必要があると述べている。
- ^ このころ、瀬戸内海や大阪湾はまだ形成されていない[78]。
- ^ 水系が分断される以前、175万年ほど前の洪水では、岐阜の火山灰が滋賀・京都・大阪を通り淡路島まで流されている[80]。
- ^ 琵琶湖が現在でもすこしずつ北上・沈降していると紹介されることもあるが、地震によって地盤が上下することはあるものの、「年間3センチメートルで動いている」といった説明は誤りである[83][84]。
- ^ これらの湖底遺跡のうち遺構を含むものについては、水位の変動、あるいは地滑りや地震などによる地盤変動により湖底に沈んだものと断定できるが、遺物のみの遺跡の場合は、儀式や遺棄により湖底に沈められた可能性も考慮する必要がある[89]。
- ^
内湖 を含まない本湖のみの面積。 - ^ 大戸川なども琵琶湖の水とともに滋賀県から流出しており、これらの集水域を合わせると滋賀県の98%を占めることになる[106]
- ^ この北向きの逆流により、汚染された南湖の湖水が北湖に流入することが懸念されている[110]。
- ^ 湖沼技術研究会 (2007, p. 222) によると、南湖でも反時計回りの環流が確認されたことがある。
- ^ 2005年には冬の環流も観測されている[111]。
- ^ 5種類とする場合の周期はそれぞれ、240.9分、71.9分、65.0分、39.8分、32.3分[121]。
- ^ 南湖は北湖に比して水深が浅いため、冷却が早い[124]。
- ^ 「湖沼#湖沼の温度」および「湖水層」も参照。
- ^ 翌2021年については、2月2日に観測が発表された[126]
- ^ 2007年3月15日に海津大崎付近の水深80メートルの地点で16.8メートルの透明度が観測された。なお、この観測は定期観測ではない[129]。
- ^ 琵琶湖西岸断層帯は東北-南西方向に延び[130][要ページ番号]、断層帯北部の最新活動時期は約2800年前から約2400年前ごろとされ、活動時には断層の西側が東側に対して相対的に2mから5m程度隆起した可能性がある。断層帯南部の最新活動時期は1185年(元暦2年)の文治地震であった可能性があり、活動時には断層の西側が東側に対して相対的に6mから8m程度隆起した可能性があるとされている[131]。
- ^ 亜種・変種を含む[139]。ナガタニシ属(タニシ科)とオグラヌマガイ属(イシガイ科)は水系の固有属[139][140]。
- ^ この用語としての導入は、意図性を問わず人の行為によって生物を自然分布外の自然環境に放つことをいう[151]。
- ^ 詳細は「アユ#コアユ」を参照。
- ^ 琵琶湖のアユに随伴して侵入したと想定される国内外来魚には、ここに挙げたハスとオイカワの他に、カワムツ、ビワヒガイ、ワタカ、スゴモロコ、ギギ、オウミヨシノボリなどがあり10種を超えるという[154]。
- ^ 琵琶湖における絶滅[158]。環境省レッドリストにおいては、ガシャモクが絶滅危惧IA類、リュウノヒゲモが準絶滅危惧種に分類されている[159]。
- ^ コカナダモの大繁殖は富栄養化の時期と一致し、水質悪化の代名詞のように扱われることもあるが、実際は水質が良好な北湖北部の深水域が主な生育地であり、流れ藻をうまく除去することができれば栄養塩の除去につなげることも可能である[161]。
- ^ 2014年の調査では、在来種のセンニンモが最も多く、次いでコカナダモ・クロモ(在来種)・オオカナダモという順であった[163]。
- ^ 野生生物調査協会 & Envision環境保全事務所 (n.d.) の統一カテゴリにおいては、滋賀県では絶滅危惧I類とされている。
- ^ ヨシ・ツルヨシ・セイタカヨシの3種が生育している[166]。本記事においては、漢字で葦と書いた場合この3種を区別せず指すものとする。
- ^ 滋賀県のレッドデータブックでは絶滅危機増大種に指定されている[171]。
- ^ カブトミジンコはケンミジンコやノロなど大型ミジンコにも捕食される[174]。
- ^ 単純に水質改善のためにミジンコを増やせばよいというわけではなく、魚類なども含めた食物連鎖の均衡を考慮する必要がある[177][176]。
- ^ 繊毛虫門少毛綱[訳語疑問点]コレオトリカ目ストロビリディウム科[178]。
- ^ これに対し、浜名湖のことを遠淡海と呼んだ[182]。
- ^ 以下「呼称」節の引用文中の強調はすべて引用者による。
- ^ 吾君:私の主君の意[186]。
- ^ これは、近江の表記が公的に国名と定められたと考えられている704年(大宝4年)の、約40年前である[189]。
- ^ ゆうせいが。中国文人は絵画を「無声詩」、詩文を「有声画」と呼んだ[196][197]。
- ^ 「琵」「琶」は当用漢字・常用漢字外の漢字である[要出典]。
- ^ 「タイトルに「"びわ湖"」を含むページの一覧」および「タイトルに「"びわこ"」を含むページの一覧」も参照。かつては「びわ町」という自治体も存在した。
- ^ 元水茎内湖干拓遺跡(琵琶湖の丸木舟は、鳥浜遺跡(福井県三方郡)や加茂遺跡(千葉県旧丸山町)の縄文早期のものに次いで古く、2001年時点での縄文後期 - 晩期の丸木舟の出土例は4箇所計21艘に及び、これは日本最多である[95]。太田 (2012, p. 10) によると、元水茎内湖干拓遺跡(近江八幡市)から7隻、長命寺湖底遺跡(同市)から1隻、松原内湖遺跡(彦根市)から10隻、尾上浜遺跡(長浜市湖北町)から1隻出土例があり、高田遺跡・鴨田遺跡(長浜市)からも丸木船やその破片の出土例がある。また、滋賀里遺跡(大津市)や元水茎内湖干拓遺跡からは櫂も出土している[217]。
- ^ 日本における船舶の発展については「和船」も参照。
- ^ 大中の湖南遺跡(安土町下富浦)からは飛鳥時代から奈良時代の港湾施設の遺構が発見されている[219]。
- ^ 画像は西村中和『木曽路名所図会』巻一坤、秋里籬島編、西村吉兵衛(京都)刊、文化2年(1805年)より。
- ^ 小学館 (n.d.a)は、歌に諺が由来するのではなく、すでに広まっていた諺を歌に詠み込んだものと推測している。
- ^ 「馬借」「土一揆」を参照。
- ^ 堅田渡については、平安時代の記録も残されている[229]。
- ^ 坂本七ヶ関(本籍・導撫関・講堂関・横川関・中堂関・合関・西塔関)・堅田・奥島・船木(安曇川)・船木(近江八幡)・沖島などが挙げられる[234][230]。
- ^ 信長が築いた坂本城・長浜城・大溝城・安土城は、いずれも水城である[239]。
- ^ 中井均は「みずうみの城郭網」において、信長が交通の要所に安土城・長浜城・坂本城・大溝城を築き、琵琶湖を取り囲むことで琵琶湖水運を掌握しようとしたとの説を唱えているが、杉江 (2011, pp. 24–45) は実証性の不足などを指摘し否定的な見解を示している。織田信長の琵琶湖支配の独自性に否定的で、豊臣秀吉による琵琶湖舟運の再編を高く評価する杉江の主張について、太田 (2012, pp. 14f.) は戦国大名との比較すると信長の琵琶湖舟運との関わりの積極性は否定できないとし、
信長への過大評価への警鐘として理解すべきであろう
と評価している。 - ^ この内12パーセントは内陸部の船である。
- ^ ホリは田舟の通路や炊事の場としても利用され、小魚や肥料用の土なども提供していた[283]。
- ^ 契約は10年ごとに更新され、2015年(平成27年)の更新では三日月知事と水田雅博京都市公営企業管理者上下水道局長とで年間2億3千万円の契約を締結した(1千万円増額)[299][300]。
- ^ 水利権の拡大によって、例えば1994年(平成6年)夏の全国的な渇水によって阪神地区が大きな影響を受けることはなかった[306]。
- ^ 山根 (2017, p. 20) は、魞や梁による待ちの漁法が縄文時代からおこなわれていた可能性について言及している。
- ^ このことから橋本 (2001, p. 250) は、現代の20世紀末にキャッチ・アンド・リリースを原則とした食慾には基づかない「漁撈」が主流となるまでは、漁撈の基本的な枠組みは17世紀ごろから変化しなかったのではないかと推察している。
- ^ 近江八景の成立には諸説あり、室町時代ごろに漢詩に読まれる中で定着したものとも、江戸時代初期に近衛信尹が瀟湘八景に倣って選定した(近衛政家・近衛尚通が選定したとの説は、高梨 (2001, p. 273) によると、2001年現在では否定されている)ともされる[343][344]。
- ^ つくば霞ヶ浦りんりんロード、しまなみ海道サイクリングロードと同時[351]。
- ^ しのに:しおれての意[184][355]。
- ^ 近江国を舞台とした歌は116首と大和国・摂津国に次いで多く、そのうち近江・淡海の用字を含む歌は36首である[356]。
- ^ 大曲:大きな湾・入り江の意[357][358]。
- ^ 小弁(しょうべん、生没年不詳)。飛鳥時代・奈良時代の歌人。春日倉老の子とされることもある。
- ^ 字義通り80という意味ではなく、沢山の意である[360]。
- ^ 昔ながらと長等山の掛詞[361]。
- ^ 手間:動作の手を休める合間の意[362][363]。
- ^ 2021年現在、滋賀県立近代美術館所蔵[373]。
- ^ 後に屏風に改装され、静嘉堂文庫に伝えられた[374]。
- ^ 2021年現在、サントリー美術館所蔵[375]。
- ^ 琵琶湖周辺で1年2月に及ぶ長期ロケが行なわれた日本映画。琵琶湖大橋でクライマックスを迎える。
- ^ 万城目学の小説及び2014年春公開の映画。琵琶湖の神から力を授けられた湖の民の話。
- ^ 湖上以外でも、JR湖西線では貨物列車の転覆が2001年までに2回起こっており、列車の不通や徐行運転の原因にもなっている[389]。
- ^ a b 独立種と見做さない研究者もいる[423]。
- ^ a b c d 亜種。
- ^ a b c d e f g h 2013年に安土城考古博物館がおこなった湖魚料理の人気アンケートを元に滋賀県ミュージアム活性化推進委員会が選定した琵琶湖八珍に含まれる種(ビワヨシノボリはゴリとして、アユはコアユとして選定)[424][425]。
- ^ Nelson (2007, p. 195) はキュウリウオ目キュウリウオ科と分類し、その下アユ亜科を置く。
- ^ a b c 特定指定外来生物[426]。『滋賀県琵琶湖のレジャー利用の適正化に関する条例』においてキャッチ・アンド・リリースが禁止されている種[427]。
- ^ a b 固有属[139]。
- ^ 通称「ビワコムシ」[432]。
- ^ a b c d e f g h i j k 2015 - 2017年のいずれかの年にラムサール条約の1パーセント基準を超えた種[436]。
- ^ 珪藻植物門の分類は鈴木 & 南雲 (2013) に基づく。
- ^ 以前別種とされていたスズキケイソウモドキは、2018年現在同一種とされている[447]。
- ^ a b 2001年以降に合併した市町は、滋賀県 (2018a)に基づいて2018年現在の市に分類した。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 木村 (2001, p. 54) において
歌集に詠みこまれた湊・浦
として挙げられているもの。 - ^ a b c d e f g h i 九ヵ浦[450]。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 木村 (2001, p. 67) において
前述の古代の港以外のおもな港
として挙げられているもの。 - ^ a b c 彦根三湊[256]。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 第一種漁港[452]
- ^ a b c d 地方港湾[453]。
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関連項目
[編集]- 湖沼に関する記事
- 湖沼の一覧 - 地域順
- 湖沼の一覧 (面積順)
- 日本の湖沼一覧
- 世界湖沼会議
- 琵琶湖および周辺の地勢に関する記事
- 交通
- 琵琶湖に由来する名称
外部リンク
[編集]- 琵琶湖 - 滋賀県公式サイト
- 琵琶湖河川事務所 - 国土交通省近畿地方整備局
- 琵琶湖開発総合管理所 - 独立行政法人水資源機構
- 国立環境研究所琵琶湖分室
- 滋賀県琵琶湖環境科学研究センター
- 滋賀県立琵琶湖博物館
- 琵琶湖の保全及び再生に関する法律 - 環境省