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2021年5月13日 (木) 21:23時点における版

舳倉島

国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成(1975年)
所在地 日本の旗 日本 石川県輪島市
所在海域 日本海
座標 北緯37度51分5秒 東経136度55分7秒 / 北緯37.85139度 東経136.91861度 / 37.85139; 136.91861座標: 北緯37度51分5秒 東経136度55分7秒 / 北緯37.85139度 東経136.91861度 / 37.85139; 136.91861
面積 0.55 km²
海岸線長 5 km
最高標高 12.4 m
舳倉島の位置(石川県内)
舳倉島
舳倉島
舳倉島 (石川県)
舳倉島の位置(日本内)
舳倉島
舳倉島
舳倉島 (日本)
プロジェクト 地形
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舳倉島の位置(日本内)
舳倉島
舳倉島

舳倉島(へぐらじま)は、石川県能登半島の北約50km[1]日本海上に浮かぶである。輪島市海士町(あままち)に属する。

地理・自然

周囲約5km、面積0.55km2、標高12.4mの安山岩でできた島である。北側は崖や岩礁が多いが、南側はなだらかで漁港や砂浜がある。

2000万年前の火山活動により形成され、西岸に海没した火口跡を持つ[1]最終氷期で海水面が低下した2万年前は七ツ島とともに能登半島と陸続きであったが、1万6千年前に能登半島から分離した[2]

大陸日本列島を往復する渡り鳥にとっては格好の休息地であるため、日本各地からバードウォッチャーが集まる国内有数の野鳥観察のメッカであり、2008年から2年間かけて行われた調査では361種類の野鳥が確認された[1]一方で、年間を通して見ることができる留鳥ハクセキレイなど4種類に留まり、日本において最も普遍的に存在するスズメもいない。

舳倉島の北約250m~200mにある小瀬と大黒瀬の2つの小島は日本の排他的経済水域 (EEZ) の基点となっている[3]

島の中央には灯火標高42.7mの舳倉島灯台があり、1931年4月1日から点燈している[4]。ここには海上保安庁の職員が常駐し、天気や風、海面の様子を船舶気象通報として情報提供していたが、2005年4月1日から無人化された。

気象庁では、平成25年台風第26号による伊豆大島の大雨被害等を受けて、島しょ部や近年豪雨災害が起きている地域に雨量計を増設することとし、雨量観測所「舳倉島」が設置され、2014年8月7日より運用を開始した[5]

住民生活

アワビサザエワカメテングサなどが採集される「海女の島」として知られる。また対馬海流大陸棚の影響で好漁場となっており、カニタラなどの漁も行われている。海女は舳倉島だけではなく、島と輪島港の中間にある「嫁ぐり礁」(よめぐりしょう)でも素潜りをした。海女は昭和初期から200人前後で推移していた[6]が、2013年の時点では高齢化により70人ほどにまで減少しているという[1]

かつては夏季の漁期(6月-10月)のみ、対岸の輪島市海士町・鳳至町(ふげしまち)から漁民が季節移住してくる島で[7]、昭和30年代までは定住者はほとんどいなかったが、1957年離島振興対策実施地域の指定を受けてインフラ環境が整備されたことで定住者が増えた[8]。この島が、本土側に位置する地域である輪島市海士町の一部となっているのはこのような歴史的背景に由来し、郵便番号も海士町の本土側と同じ番号が割り振られている。

現在は少子化過疎化が進み、鳳至小学校舳倉島分校・上野台中学校舳倉島分校はそれぞれ通学する児童・生徒がいなくなったため休校中となっている。1970年に開設された保育所も閉所され、2009年度からは海士町自治会の託児所が保育を担っている[9]

2000年国勢調査によれば164人がこの島に住所を置いていたが、2010年国勢調査では110人に減少している(ただし夏の漁期には一時的に人口が増加する)。2013年時点の資料[1]によれば、島には150軒ほどの住宅があるが、本土側の海士町に本宅があるケースが多く、実際に島で越冬しているのは20~30人ほどという。

島には診療所(市立輪島病院舳倉診療所)がある。診療所で対処できない患者は漁船かヘリコプターで輪島まで搬送される。

歴史

島の南端に近い字高見には延喜式内社奥津比咩(おくつひめ)神社が鎮座し、近くからは5世紀と8世紀・9世紀の重層遺跡「シラスナ遺跡」が発見されている。この島は古代から日本海交通の要所であり、海士の拠点でもあった。ただ、伊能忠敬の地図には記されていない。日露戦争中、本船を沈められたロシア兵2、3人が手漕ぎボートで漂着して島民とともに生活していたという伝承がある[10]

主な施設

交通

へぐら航路株式会社により、本土の輪島港との間に定期船が毎日1往復運航。輪島港を午前中に出港し、午後に舳倉島を出港して輪島港に戻るダイヤであり、本土側からのみ日帰り可能。

ギャラリー

関連項目

脚注

  1. ^ a b c d e 09_hsggbl_2013_03g_c04.pdf帝国書院|高校の先生のページ 高等学校 地理・地図資料」より(2017年6月18日閲覧)
  2. ^ “舳倉、七ツ島も陸続き 2万年前の能登半島”. 北国新聞. (2008年8月25日). オリジナルの2015年1月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150109051052/http://www.hokkoku.co.jp/news/HT20080825401.htm 2016年8月1日閲覧。 
  3. ^ “舳倉島沖の2島国有化 EEZの基点”. 北国新聞. (2012年9月16日). オリジナルの2012年9月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120920003146/http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20120916101.htm 2016年8月1日閲覧。 
  4. ^ 昭和6年逓信省告示第732号(『官報』第1277号、昭和6年4月6日、p.148.
  5. ^ 気象庁報道発表資料「島しょ部等における雨量観測所の新設について」(平成26年7月16日)
  6. ^ 『昭和あのとき アルバム編』北國新聞社富山新聞社 2014年p.74)
  7. ^ 「舳倉島の海産(彙報 農工商)」(『官報』第1257号、明治20年9月5日、pp.37-38.
  8. ^ 石川県離島振興計画(平成25年度~34年度) - 石川県国土交通省ホームページより)2017年6月18日閲覧。
  9. ^ “舳倉島に託児所オープン 島出身者が保育支え”. 北国新聞. (2009年7月2日). オリジナルの2013年6月10日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130610205856/http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20090702101.htm 2016年8月1日閲覧。 
  10. ^ “日露戦争時、舳倉島にロシア兵漂着 石仏に伝承残る”. 北国新聞. (2008年10月13日). オリジナルの2009年10月7日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20091007200235/http://www.hokkoku.co.jp/_today/H20081013101.htm 2016年8月1日閲覧。 

外部リンク