コンテンツにスキップ

「倍賞千恵子」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
Cewbot (会話 | 投稿記録)
293行目: 293行目:
* [[アデランス]]『シフォレ』(2003年)<ref name="ORICON STYLE CM" />
* [[アデランス]]『シフォレ』(2003年)<ref name="ORICON STYLE CM" />
* [[ユーリーグ]]『いきいき』(2005年)<ref name="ORICON STYLE CM" />
* [[ユーリーグ]]『いきいき』(2005年)<ref name="ORICON STYLE CM" />
* [[サントリー]]『[[BOSSコーヒー|ボス]]・レインボーマウンテン』(2005年)<ref name="ORICON STYLE CM" />
* [[サントリー]]『[[ボス (コーヒー)|ボス]]・レインボーマウンテン』(2005年)<ref name="ORICON STYLE CM" />
* [[日本郵政公社]]
* [[日本郵政公社]]
** 「ゴールデンウィーク期間 現金自動預払器 稼動休止案内」(2007年)
** 「ゴールデンウィーク期間 現金自動預払器 稼動休止案内」(2007年)

2021年6月14日 (月) 14:00時点における版

ばいしょう ちえこ
倍賞 千恵子
倍賞 千恵子
生年月日 (1941-06-29) 1941年6月29日(82歳)
出生地 日本の旗日本 東京都豊島区西巣鴨
東京都北区滝野川[1]育ち)
血液型 B型
職業 女優
歌手
声優
ジャンル 映画
テレビドラマ
活動期間 1961年 -
配偶者 小六禮次郎[1]
著名な家族 倍賞明(弟)
倍賞美津子(妹)
倍賞鉄夫(弟)
公式サイト 倍賞千恵子 オフィシャルウェブサイト
主な作品
テレビドラマ
太陽ともぐら
すずらん
映画
下町の太陽[1]
男はつらいよ[1]<シリーズ全50作>
幸福の黄色いハンカチ[1]
遙かなる山の呼び声
駅 STATION
吹き替え
ハウルの動く城
 
受賞
日本アカデミー賞
最優秀主演女優賞
1980年遙かなる山の呼び声』『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花
ブルーリボン賞
助演女優賞
1975年男はつらいよ 寅次郎相合い傘
その他の賞
毎日映画コンクール
女優主演賞
1970年家族』『男はつらいよ 望郷篇
女優演技賞
1980年『遙かなる山の呼び声』
1981年駅 STATION
テンプレートを表示

倍賞 千恵子(ばいしょう ちえこ、1941年昭和16年〉6月29日[1] - )は、日本女優歌手声優。愛称は「チコちゃん」。

妹は女優の倍賞美津子。弟は日産自動車硬式野球部元監督の倍賞明[注釈 1]新日本プロレスリング元専務取締役で初代リングアナウンサーの倍賞鉄夫。夫は作曲家小六禮次郎

来歴・人物

生い立ち

西巣鴨生まれ。東京都北区滝野川に育つ。戦時中は茨城県疎開北区立滝野川第六小学校北区立紅葉中学校(現:北区立滝野川紅葉中学校)卒業[1]。父は都電運転士、母は車掌であった[3]

倍賞家

珍しい倍賞姓は秋田県鹿角郡(現:鹿角市十和田大湯にルーツを持つ[3]。先祖は佐竹藩に仕えた守衛で、先祖の一人に頭の良い人がいて書記に抜擢され、何かの賞を受けたのがこの姓の由来という[3]。千恵子の父:美悦は当地の出身で、中学のとき東京に出て、数え年15のとき少年車掌の試験を受け合格した[3]。母:青木はなは茨城県真壁郡大和村(現:桜川市)出身[3]。母も小学校卒業後、東京で女子車掌となり美悦と知り合い結婚した[3]

SKD入団

幼少時は「のど自慢」荒らしとして知られ、みすず児童合唱団を経て、1957年松竹音楽舞踊学校に入学。1960年、同校を首席で卒業し、松竹歌劇団(SKD)13期生として入団、若くして「逸材」と注目される[1]。同期に榊ひろみ松竹女優)、加藤みどり声優)らがいる。学校時代の実習出演を経て、同年、グランドレビュー「東京踊り」で初舞台を踏む。この年から、主席入団生にフィナーレの先頭を切って大階段を降りる栄誉が与えられ、バトンガールに扮した倍賞がその初代を勤めた。

映画・歌手デビュー

1961年松竹映画にスカウトされ松竹歌劇団を退団し、『斑女』(中村登監督)で映画デビュー。1963年山田洋次監督の映画『下町の太陽』に主演[1] して以降、山田作品に欠かせない庶民派女優となる。『下町の太陽』は映画・歌だけでなく、現在もそのフレーズ自体が倍賞の代名詞になっている。

1963年に『下町の太陽』で歌手としてもデビューし、第4回日本レコード大賞新人賞を受賞。NHK紅白歌合戦にも4年連続出場した(詳細は下記参照)。他のヒット曲に「さよならはダンスの後に」「おはなはん」「忘れな草をあなたに」(菅原洋一らとの競作)などがある。

山田作品の常連に

映画『男はつらいよ』シリーズでは渥美清演じる主人公車寅次郎の妹さくら役を演じ、人気を不動のものにした[1]。『男はつらいよ』で共演した吉岡秀隆とは現在でも親交が深く、北海道野付郡別海町の倍賞の別荘に遊びに来た際には、(吉岡に)マッサージを頼むほどの仲である。

家族』をはじめ、『男はつらいよ』シリーズの合間を縫って山田が発表したオリジナル大作にも出演。特に『キネマの天地』までは全て主演かマドンナ役である。『男はつらいよ』シリーズ開始前の初期山田作品のほとんどでも倍賞が主演を務めており、延べ60本以上の作品に渡って、海外にも類を見ないほどの緊密かつ長期の監督・主演(または準主演)女優コンビを維持した(それでいて私的な交際の噂が立ったことは一度もない)。逆に他監督作品への出演は非常に少なく、悪女役への意欲も口にしていたものの映画では実現していない。松竹歌劇団出身ということもあり、コンサートなどでは思い切ったモダニズム志向も発揮している。

『男はつらいよ』シリーズにおける「明るいが優しく淑やかなさくら」のキャラクターに比べると、プライベートでの倍賞はもう少しチャキチャキとしている。倍賞の陽性の側面を引き出す企画として、山田の愛弟子高橋正圀NHKテレビドラマ『ぼくの姉さん[4] 二部作を書き下ろした。これは文字通り「妹」さくらとの対照を成しながら共通点も非常に多い(両者の夫も工員と画家という異質な職業ながら、温厚なインテリという点で共通している)という、一種の変奏曲的な狙いとなっている。

渥美の死去は山田洋次から1996年8月6日の夜に電話で聞き、「しばらく信じられなくて、(作品は本人が)動いているから見るのがいやだった」と振り返っており[要出典]8月13日に開かれた「寅さんとのお別れの会」では、弔辞の後に「さくらのバラード」を献歌し、山田監督には「話が支離滅裂になったって、かまわない、途中で泣いてしまっても構わない。とにかくあなたにとっての渥美さんへの思いを話せばいいんだから」と言われている[5]。また、『男はつらいよ』48作で共演した三崎千恵子が死去した際には弔辞を読み、三崎が病床で聴いていたという「忘れな草をあなたに」を歌った。

『男はつらいよ』以後

2004年には、宮崎駿監督のアニメ映画『ハウルの動く城』ではヒロインであるソフィーの声を担当し、主題歌『世界の約束』を歌っている。

長年、松竹専属の映画女優であったこともあり、テレビドラマへの出演が同世代の女優と比べて少ないが、フジテレビのコント番組『志村けんのだいじょうぶだぁ』に出演した折には『男はつらいよ』のパロディを演じ、重要な大ボケの場面を見事に決めて笑いを取ったり、コントの芝居上男装や不良役など普段の芸風からは想像つかない役柄も熱演しボケからツッコミまで幅広く対応したりするなど大女優らしからぬ気さくな一面と役どころの広い芝居ぶりを見せて視聴者からも好評で、回数こそ多くないがコントのオチを任されるほどの常連ゲストとして定着し『バカ殿』にもゲスト出演した。

映画『男はつらいよ』主演の渥美清逝去後は、音楽に重点を置いた芸能活動をしている。歌謡曲からポピュラー/スタンダード、童謡・唱歌まで幅広いジャンルを歌いこなすことに加え、よく伸びるソプラノと日本語の発音の美しさから歌手としての評価も非常に高く(藤山一郎も評価している)、現在でも精力的にコンサートを行っている。

乳癌発覚以後

2001年には、自身の胸のしこりから乳癌が発覚する。紫綬褒章を受章した2005年頃よりピンクリボン活動に参加し、シンポジウムなどにも参加している。その後、同じく乳癌を発症した山田邦子が立ち上げたスター混声合唱団のメンバーとしてもがんの啓発活動を始め、2008年4月に放送されたBS朝日鳥越俊太郎の遺言 〜ガンと共に生きる〜』では、手術時の心境や夫の力添えについて公に詳述した[注釈 2]

2013年春の叙勲では旭日小綬章を受章した。

出演作品

テレビドラマ

映画

舞台 

テレビアニメ

劇場アニメ

ゲーム

ドキュメンタリー・バラエティー

ラジオ

イベント

  • 第37回日本歌手協会歌謡祭(2010年10月28日、ゆうぽうと) - 司会
  • 秋の歌謡フェスティバル(2012年10月12日、ゆうぽうと) - 司会
  • 日本歌手協会創立50周年記念 第40回歌謡祭(2013年11月21日、ゆうぽうと)

CM

歌手活動

代表曲

アルバム

受賞歴

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回 曲目 対戦相手
1963年(昭和38年)/第14回 下町の太陽 芦野宏
1964年(昭和39年)/第15回 瞳とじれば 舟木一夫
1965年(昭和40年)/第16回 さよならはダンスの後に 和田弘とマヒナ・スターズ
1966年(昭和41年)/第17回 おはなはん 坂本九
  • このうち、第14・16・17回は歌唱映像が現存する(第16回はカラー映像)。
  • 第16回では、バックダンサーに妹の美津子が出演している。
  • 第14・16・17回は『思い出の紅白歌合戦』(NHK-BS2)で再放送されている。

著書

単著
共著

脚注

注釈

  1. ^ 日大三高甲子園準優勝時メンバー。2019年に74歳で死去[2]
  2. ^ なお、これまで仕事上の支障がなかったことから、インタビューなどで闘病体験について軽く触れることはあっても、具体的な闘病生活についてはその番組収録まで意図的に伏せていたという。
  3. ^ 「瀬戸の恋唄」をデビュー曲とする記事も存在する[20]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j 別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.59.
  2. ^ 倍賞千恵子の弟でセンバツ準優勝の倍賞明さんが死去…74歳、元日産自動車野球部監督 2019年1月24日5時0分 スポーツ報知(報知新聞社、2019年1月25日閲覧)
  3. ^ a b c d e f 「倍賞家の人々(1)」サンデー毎日 1983年1月9日号 P34-38
  4. ^ 銀河テレビ小説 ぼくの姉さん - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス
  5. ^ 倍賞千恵子著「お兄ちゃん」、「渥美清さんとお別れする会」倍賞千恵子の弔辞全文
  6. ^ 放送ライブラリー 番組ID:000862
  7. ^  - テレビドラマデータベース
  8. ^ 放送ライブラリー 番組ID:001503
  9. ^ 女が職場を去る日 - テレビドラマデータベース
  10. ^ “森七菜:V6井ノ原快彦主演映画に出演 若林時英、阿部純子、KREVAら9人のキャスト発表”. まんたんウェブ (株式会社MANTAN). (2020年4月17日). https://mantan-web.jp/article/20200416dog00m200072000c.html 2020年4月17日閲覧。 
  11. ^ “芳根京子、永遠の命を得た女性の17~100歳以上を熱演! 石川慶監督新作「Arc アーク」に主演”. 映画.com (株式会社エイガ・ドット・コム). (2021年2月9日). https://eiga.com/news/20210209/5/ 2021年2月9日閲覧。 
  12. ^ ジャングル大帝 劇場版(1997)”. 手塚治虫公式サイト. 2016年6月8日閲覧。
  13. ^ ハウルの動く城”. 金曜ロードSHOW!. 2016年6月6日閲覧。
  14. ^ MovieWalker
  15. ^ “新海誠「天気の子」に小栗旬や本田翼ら参加、三浦透子の歌声収めた新映像も到着”. 映画ナタリー. (2019年5月29日). https://natalie.mu/eiga/news/333290 2019年5月29日閲覧。 
  16. ^ 『天気の子』映画パンフレット スタッフロールページより
  17. ^ 大いなる鉄路 16,000km走破 東京発パリ行き(BSフジ)、2018年11月30日閲覧
  18. ^ a b c d e f g h i j k l m 倍賞千恵子のCM出演情報”. ORICON STYLE. 2016年11月13日閲覧。
  19. ^ a b c d “さくら”の倍賞千恵子、ヒット曲をいくつも持つ歌手としての功績を忘れてはならない。【大人のMusic Calendar】”. ニッポン放送 NEWS ONLINE. ニッポン放送 (2020年1月12日). 2020年8月3日閲覧。
  20. ^ 増當竜也 (2016年5月15日). “庶民的イメージを貫きつつ、その実芳醇なキャリアを誇る倍賞千恵子”. シネマズ PLUS. 2020年8月3日閲覧。
  21. ^ 「GAMBA」主題歌PV、倍賞千恵子が小沢健二「ぼくらが旅に出る理由」カバー”. 映画ナタリー (2015年10月2日). 2015年10月2日閲覧。
  22. ^ 第44回 日本アカデミー賞 優秀賞決定!、日本アカデミー賞公式サイト、2021年2月13日閲覧。

関連項目

  • 長崎屋 1960年代にイメージキャラクターを務めていた。

外部リンク