田辺豊治
田辺 豊治 たなべ とよはる | |
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生誕 | 1960年5月12日(64歳) |
国籍 | 日本・東京都 |
教育 | 玉川大学工学部 |
業績 | |
専門分野 |
自動車エンジニア テクニカルディレクター |
所属機関 | 本田技研工業 |
勤務先 |
本田技術研究所 ホンダ・パフォーマンス・ディベロップメント(HPD) ホンダ・レーシング・ディベロップメント(HRD) ホンダ・レーシング(HRC)など |
プロジェクト | ホンダF1 |
成果 |
インディ500(2017年) F1世界選手権ドライバーズタイトル(2021年) |
田辺 豊治(たなべ とよはる、1960年5月12日[1] - )は、日本の自動車技術者、モータースポーツディレクター。東京都出身。本田技研工業所属。
ホンダグループのモータースポーツ分野で、エンジン部門の要職を歴任。後年はホンダF1のテクニカルディレクターを務めた。
経歴
[編集]1984年、玉川大学工学部機械工学科卒業後[2]、本田技研工業に入社。市販車用のエンジン開発に携わる。
1986年、ホンダのF1プロジェクトに異動し、マクラーレン・ホンダのゲルハルト・ベルガー担当エンジニアとしてチームに加わる[3]。ホンダの第2期F1活動終了に伴い、1993年よりアメリカに移り、当時のチャンプカー・ワールド・シリーズ(CART)向けエンジンの研究開発に関わる[4]。
2003年にはF1に復帰、B・A・Rでジェンソン・バトンの担当エンジニアとなる[4]。BARがホンダに買収され「ホンダF1」となったあとも2007年まで同職を務めたほか、テストマネージャーなども務めた[4]。2008年には本田技術研究所に戻りF1エンジンの開発責任者となるが、同年限りでホンダがF1を撤退(第3期の活動終了)したため、2009年からは一時市販車用エンジンの開発に回った[4]。
2013年、ホンダ・パフォーマンス・ディベロップメント(HPD)のシニア・マネージャー及び、レースチーム チーフエンジニアを兼任。ホンダのインディカー・シリーズへのエンジン供給の責任者となる。2017年の第101回インディ500では佐藤琢磨と共に優勝の快挙を達成した[5]。
2018年1月1日、ホンダF1のテクニカルディレクターに就任し[6]、スクーデリア・トロ・ロッソへのエンジン供給を担当。翌2019年には親元のレッドブル・レーシングにもエンジン供給を拡大したため、トロ・ロッソと合わせた現場統括を兼任する[7]。同6月のオーストリアGPにてレッドブルが優勝し、パワーユニット(PU)サプライヤーとして復帰してからの初勝利に貢献した[8]。
2021年シーズンにレッドブルがドライバーズタイトルを獲得し、エンジンサプライヤーとして30年ぶりの偉業に貢献[9]。そして今期限りでホンダ第4期のF1活動が終了し、ホンダのPUを継承するレッドブル・パワートレインズへの引き継ぎ完了までイギリスに残留[10]、翌2022年5月に帰国した[11]。一部の報道でその後は定年を迎えるとしていたが[12]、栃木県さくら市のホンダ・レーシング(HRC)に異動し同年秋の時点では「後輩たちの仕事(PU運用)を後ろから支える形(サポート)」と答えている[13]。
エピソード
[編集]- 比較的穏やかな性格と評されており、第2期ホンダF1の時代からチーム内での人気は高かった[14]。
- F1に長年携わって印象に残ったレースは、ジェンソン・バトンが優勝を果たした2006年ハンガリーGPと語っている[15]。
- ジェンソン・バトンは田辺のF1復帰に際し、エールを送った[16]。
- 前述の2006年ハンガリーGP以来13年ぶりのホンダエンジン優勝となった2019年オーストリアGPでは、表彰式で優勝チーム代表として登壇。しかし田辺の登壇は直前に決まったため、表彰台裏まで行った際に、ホンダ側スタッフが登壇すると聞いてなかったFIA職員から止められて、職員がレッドブルに確認を取っている間に、国歌斉唱が終わってしまうハプニングに見舞われたが、トロフィー授与が始まる寸前でなんとか登壇できた。優勝ドライバーのマックス・フェルスタッペンとコンストラクターズトロフィーの授与が終わり、2位のシャルル・ルクレール(フェラーリ)には大会プレゼンターとして参加していたゲルハルト・ベルガーがトロフィーを授与。ルクレール、フェルスタッペン、バルテリ・ボッタスの健闘を称えたベルガーはそのまま田辺へ歩み寄り、抱擁を交わした。ベルガーと田辺は、ホンダF1第2期マクラーレン時代のドライバーとエンジニアの関係であり、ホンダの健闘を称えた。田辺とベルガーの時を経ても変わらぬ友情関係に、会場にいた人々からも割れんばかりの拍手が沸き起こった。
- 同じレッドブルリンク開催となった2021年シュタイアーマルクGPと2021年オーストリアGPでチームは2年ぶりの優勝、さらに2連勝を達成し、レッドブル側の意向で同地の表彰台に2度目の登壇となった。
脚注
[編集]- ^ ホンダF1田辺豊治にトロロッソからサプライズ、スペインGPの地に58歳の誕生日を祝うバースデーケーキが登場 - Formula1-Data・2018年5月13日
- ^ 玉川大学・玉川学園学友会「学友会員の活躍
- ^ “ゲルハルト・ベルガー、ホンダF1の田辺豊治TDの手腕に太鼓判”. F1-Gate.com (2018年3月16日). 2018年7月29日閲覧。
- ^ a b c d ホンダF1、新代表に田辺豊治氏就任!! - STINGER・2017年12月1日
- ^ “ホンダF1 田辺豊治TD、佐藤琢磨とのインディ500制覇を語る”. F1-Gate.com (2018年5月27日). 2018年7月27日閲覧。
- ^ “2018年シーズンの新たなスタートに向け、F1運営体制を変更”. 本田技研工業 (2017年12月7日). 2018年7月27日閲覧。
- ^ “ホンダF1、レッドブル・レーシングへの供給に伴い田辺豊治の役割を調整”. F1 Gate (2019年2月12日). 2019年3月18日閲覧。
- ^ “F1ホンダが味わった撤退、酷評……。13年ぶりの勝利の美酒に嬉し涙。”. Number (2019年7月2日). 2019年7月2日閲覧。
- ^ “30年ぶりのF1王座を獲得したホンダ「皆さんと一緒に獲ったタイトル。ホンダの意地を見せ技術力の高さを証明」と山本”. autosport web (2021年12月13日). 2022年3月20日閲覧。
- ^ ホンダ田辺豊治元F1テクニカルディレクター、今も英国に残り業務を継続「新しいチャレンジへ向けスタート」 - motorsport.com 2022年1月8日
- ^ “レッドブル&HRC密着:ホンダとの新たな第一歩を踏み出したバーレーンGP。初日はフェルスタッペンが首位発進”. auto sport-web (2022年3月19日). 2022年3月20日閲覧。
- ^ “無限ホンダが戻ってくる!?”. F1 STINGER (2020年10月9日). 2022年7月8日閲覧。
- ^ “F1日本GP、ホンダ・レーシングの浅木氏と田辺氏が鈴鹿でトークショー”. インプレス【Car Watch】 (2022年10月8日). 2022年10月8日閲覧。
- ^ ホンダF1 復活はあるか? “セナの相棒”が信頼寄せた新リーダーの横顔 - ベストカーWEB・2018年1月30日
- ^ “THE POWER OF TANABE-SAN”. Honda Racing F1 (2018年4月10日). 2018年7月29日閲覧。
- ^ “Tweet”. Jenson Button (2018年3月7日). 2018年7月29日閲覧。