国道43号
一般国道 | |
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国道43号 | |
地図 | |
総延長 | 30.0 km |
実延長 | 30.0 km |
現道 | 30.0 km |
制定年 | 1958年(昭和33年) |
起点 | 大阪府大阪市西成区 花園北交差点(北緯34度39分1.59秒 東経135度29分51.47秒 / 北緯34.6504417度 東経135.4976306度) |
主な 経由都市 |
兵庫県尼崎市、西宮市、芦屋市 |
終点 | 兵庫県神戸市灘区 岩屋交差点(北緯34度42分14.32秒 東経135度13分30.22秒 / 北緯34.7039778度 東経135.2250611度) |
接続する 主な道路 (記法) |
国道26号 国道172号 国道2号 国道171号 |
■テンプレート(■ノート ■使い方) ■PJ道路 |
国道43号(こくどう43ごう)は、大阪府大阪市西成区から兵庫県神戸市灘区に至る一般国道である。
概要
[編集]大阪 - 神戸間の交通インフラの一翼を担う道路で、国道2号、阪急神戸本線、阪神本線、JR西日本東海道本線などと並走する[1]。大阪市西淀川区出来島2丁目以西は全区間阪神高速3号神戸線が真上を通り、阪神高速17号西大阪線の全区間はこの国道43号と並行に経路をとる。尼崎 - 西宮間は往時の中国街道(中国路、浜街道)と、西宮 - 神戸間は西国浜街道および明治・大正時代の国道[注釈 1]とほぼ重なる区間をとっている。
かつて高度経済成長期に増え続けた自動車交通量が深刻な大気汚染を引き起こし、西淀川公害訴訟では自動車排気ガスの健康被害が初めて認められた。これを受けて、速度規制、逆位相による防音措置、多数のオービス設置などの処置が施された。
西淀川公害訴訟の結果に加え、1995年(平成7年)の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)の被災・復興も兼ねて国道43号は広域防災帯に位置づけられ、両側車線数削減を実施し用地買収がなされている。このため、開通当時は片側5車線だったが、その後緑地帯の追加措置で片側4車線となり、震災後は阪神高速湾岸線へ交通移動も考慮し片側3車線となっている。さらに歩道を挟んで外側に、緑地が確保されている場所もある。また、西淀川公害訴訟の原告団は、時間帯を区切る形での罰則付きでの大型車規制を盛り込んだルールの制定を求めていたが、同訴訟の和解内容に盛り込まれていなかったことや、原告の高齢化などの事情で断念し、「環境レーン」を設ける形で、罰則無しでの規制を実施し、通行禁止を事実上断念することになった[2]。
路線データ
[編集]一般国道の路線を指定する政令[3][注釈 2]に基づく起終点および重要な経過地は次のとおり。
- 起点:大阪市(西成区、花園北交差点 = 国道26号交点)
- 終点:神戸市(灘区、岩屋交差点 = 国道2号交点)
- 重要な経過地:尼崎市(東本町)、西宮市(本町)、芦屋市(平田町)
- 総延長 : 30.0 km(大阪市 9.8 km、兵庫県 12.7 km、神戸市 7.5 km)[4][注釈 3]
- 重用延長 : なし[4][注釈 3]
- 未供用延長 : なし[4][注釈 3]
- 実延長 : 30.0 km(大阪市 9.8 km、兵庫県 12.7 km、神戸市 7.5 km)[4][注釈 3]
- 指定区間:大阪市西成区出城一丁目1番 - 神戸市灘区岩屋南町3番(全線)[5]
歴史
[編集]大正時代まで、大阪 - 神戸間の交通は中国街道に頼ってきたが、車のすれ違いもままならない狭い道であったことから、のちに国道2号となる「阪神国道」(第一阪神国道)が整備され、1927年(昭和2年)に開通した[6]。しかし、周辺市街地や阪神工業地帯の発展により、昭和10年代には阪神国道も増え続ける交通量に対応できなくなってくると、これに代わる道路建設を求める世論の声が高まってゆく[6]。戦後の1946年(昭和21年)から、のちに「第二阪神国道」とよばれる道路の用地取得が始められた[6]。戦前より市街地として発展してきた阪神間に、新たに広大な道路用地が確保できたのは、戦時疎開の名目で周辺住民や商店を追い出していたためだともいわれている[6]。阪神国道(国道2号)の交通渋滞を緩和するために、この大阪市西成区より神戸市灘区に至る道路がはじめて国道に指定されたのは1953年(昭和28年)5月の二級国道の第一次路線指定のときで、「二級国道173号大阪神戸線」として指定を受けている[6]。それがのちに、国道としての重要性が評価されて、1958年(昭和33年)9月の一級国道路線の第二次指定により二級国道3路線が一級国道に追加された中の路線の一つとして「一級国道43号」への昇格を果たし、同時に「二級国道173号大阪神戸線」は廃止された[7]。その後、1965年(昭和40年)4月の道路法改正に伴い、一級国道・二級国道が廃止統合されて「一般国道43号」となる。
1970年(昭和45年)、大阪万博開催を機に片側5車線の道路が完成[7]。増大し続ける交通量に対応するように、さらに1970年代に国道43号上に高架構造で阪神高速道路公団の管理する自動車専用道路「阪神高速3号神戸線」が建設され、1981年(昭和56年)に全線供用された[7]。急激に増えた自動車やトラックの交通量は、沿道住人には耐えがたいほどの騒音と振動と、排気ガスがもたらした喘息などの公害病も引き起こし、ついには沿道住民は国と阪神高速道路公団に対して、国道43号線道路公害訴訟をおこした[8]。数度に及んだ訴訟は最高裁まで争われ、裁判では国道43号及び阪神高速道路が沿道住民に与える苦痛は受忍限度を超える違法的なものと認定され、その対策が打たれることとなった[8]。
1976年(昭和51年)5月1日、西宮市本町地内に速度違反自動取締装置が設置された。その後、1年の間に交通事故の減少などの効果が認められたため、全国に普及する契機となった[9]。
阪神高速3号神戸線全線供用後の1982年(昭和57年)、片側5車線あった道路は4車線へ削減[8]。1995年(平成7年)に発生した阪神淡路大震災では、国道43号上を走る高架の阪神高速道路が倒壊して大きな被害が出た[8]。震災復興事業により国道43号を再整備したときには、車線数をさらに削減して片側3車線とし、もともと道路があった場所には更なる騒音防止を目的として防音壁の設置や街路樹の植樹が行われた[8]。
年表
[編集]- 1953年(昭和28年)5月18日 - 二級国道173号大阪神戸線(大阪市 - 神戸市)として指定施行[10]。
- 1958年(昭和33年)9月30日 - 一級国道に昇格し、一級国道43号(大阪市 - 神戸市)として指定施行[11]。国道173号は1963年まで欠番となる。
- 1965年(昭和40年)4月1日 - 道路法改正により一級・二級区分が廃止されて一般国道43号として指定施行[3]。
路線状況
[編集]多くの区間で、速度規制40 km/h(一部区間で50 km/h)に制限速度は抑えられており、オービスが多数設置されている[1]。沿道住民の生活環境に配慮して、振動や騒音の影響を少しでも抑制するために、兵庫県内では通常の交通ルールとは反対に、大型車両は一番右側の中央線寄りのレーンを走行する通行規制が敷かれている[1]。
西淀川区出来島から港区安治川大橋までの5 kmほどの区間は連続立体交差となっている。大阪市内では、国道172号(みなと通)と交差する市岡元町3交差点を中心に、大正通と交差する泉尾交差点、中央大通と交差する弁天町駅前交差点で渋滞が頻発する[12]。
通称
[編集]- 二国(にこく)
- 兵庫県内では、「こくどう」と呼ばれる「第一阪神国道」(国道2号)の0.5 kmから1.5 kmほど南側に並行していることから、「第二阪神国道」→「にこく」と呼ばれる[13]。しかし、近年では国道2号を「にこく」と略称することも多い。
- 43(よんさん)
- 国土交通省が機関紙として『よんさん』を発行し、この「よんさん」が「二国(にこく)」に代わる国道43号の通称になりつつある。
車線・最高速度
[編集]区間 | 車線 上下線=上り線+下り線 |
最高速度 | 備考 |
---|---|---|---|
花園北交差点 - 南開交差点 | 6=3+3 | 50 km/h | |
南開交差点 - 中開3北交差点 | 8=4+4 | ||
中開3北交差点 - 北津守ランプ前交差点 | 6=3+3 | ||
北津守ランプ前交差点 - 北津守出入口 | 40 km/h | 阪神高速17号西大阪線と並行 | |
北津守出入口 - 大正東出入口 | 2=1+1 | ||
大正東出入口 - 泉尾交差点 | 4=2+2 | ||
泉尾交差点 - 泉尾商店街前交差点 | 6=3+3 | ||
泉尾商店街前交差点 - 大正西出入口 | 4=2+2 | ||
大正西出入口付近 | 2=1+1 | ||
大正西出入口付近 - 弁天町駅前交差点 | 4=2+2 | ||
弁天町駅前交差点 - 安治川大橋南詰 | 6=3+3 | ||
安治川大橋南詰 - 安治川出入口 | 4=2+2 | ||
安治川出入口 - 中島大橋交差点 | 8=4+4 | 本線・側道各4車線 | |
中島大橋交差点 - 岩屋交差点 | 6=3+3 | 阪神高速3号神戸線と並行 旧10車線区間 |
※大阪府、兵庫県とも40 km/h区間には「環境対策」の補助標識が設置されている。兵庫県内では「市内全域」から交換されたが、速度自動監視機設置路線を示す四角い青色標識に40km/hのイラストを描いたものは「市内全域(高・中速車を塗り潰した跡がある)」のまま存置されている。
地理
[編集]甲子園球場やユニバーサル・スタジオ・ジャパンが道路沿線上にあり、関西地域を代表する大幹線道路となっている[1]。
通過する自治体
[編集]交差する道路
[編集]交差する道路 | 交差する場所 | 備考 | |||
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国道26号 | 大阪府 | 大阪市 | 西成区 | 花園北 | |
大阪府道41号大阪伊丹線 〈なにわ筋〉 |
中開 | ||||
大阪府道29号大阪臨海線 〈新なにわ筋〉 |
中開3北 | ||||
大阪府道29号大阪臨海線 | 北津守ランプ前 | ||||
大阪府道173号大阪八尾線 〈大正通〉 |
大正区 | 泉尾 | |||
大阪市道浪速鶴町線 〈大浪通〉 |
泉尾公園前 | ※平面側道部のみ接続 | |||
国道172号 〈みなと通〉 |
港区 | 市岡元町3 | |||
大阪市道築港深江線 〈中央大通〉 |
弁天町駅前 | ||||
大阪市道福島桜島線 〈北港通〉 |
此花区 | 梅香 | ※平面側道部にて接続・此花高架橋へのオンランプ・オフランプあり | ||
大阪市道福町浜町線 〈姫島通〉 |
西淀川区 | 福町 | ※平面側道部のみ接続 | ||
大阪府道10号大阪池田線 〈淀川通〉 |
大和田西 | ※平面側道部のみ接続 | |||
兵庫県道57号尼崎港線 〈玉江橋線〉 |
兵庫県 | 尼崎市 | 西本町 | ||
兵庫県道57号尼崎港線 〈五合橋線〉 |
五合橋 | ||||
名神高速道路西宮IC | 西宮市 | 西宮インター | |||
兵庫県道345号本山本庄線 | 神戸市 | 東灘区 | (青木5丁目) | ※上り車線側のみ接続 | |
兵庫県道95号灘三田線 | 東明 | ||||
国道2号 | 灘区 | 岩屋 |
※ 交差する場所の括弧書きは地名、それ以外は交差点名で表示
並行する都市高速道路
[編集]沿線
[編集]- 大阪市
- ユニバーサルスタジオジャパン(此花区)
- 尼崎市
- 西宮市
- 武庫川女子大学中央キャンパス
- 鳴尾浜球場
- 甲子園球場
- 西宮神社
- 西宮市大谷記念美術館
- 芦屋市
- 神戸市
- 鉄道
- 阪神工業地帯
- 神戸製鋼所
- JFEスチール
- 新明和工業
- AGC
- 日本山村硝子
- 新日鐵住金
- 三菱電線工業
- 住友電工
- 住友化学
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d 佐藤健太郎 2015, p. 151.
- ^ “国道43号に「環境レーン」 尼崎、大型車禁止は断念”. MSN産経west (産経新聞社). (2011年12月22日). オリジナルの2011年12月22日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b “一般国道の路線を指定する政令(昭和40年3月29日政令第58号)”. e-Gov法令検索. 総務省行政管理局. 2013年8月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g “表26 一般国道の路線別、都道府県別道路現況” (XLS). 道路統計年報2023. 国土交通省道路局. 2024年4月3日閲覧。
- ^ “一般国道の指定区間を指定する政令(昭和33年6月2日政令第164号)”. e-Gov法令検索. 総務省行政管理局. 2013年8月29日閲覧。
- ^ a b c d e 佐藤健太郎 2015, p. 148.
- ^ a b c 佐藤健太郎 2015, p. 149.
- ^ a b c d e 佐藤健太郎 2015, p. 150.
- ^ 装甲車ごと谷に転落 自衛隊員三人が死傷『朝日新聞』1977年(昭和52年)4月24日朝刊、13版、23面
- ^ ウィキソースには、二級国道の路線を指定する政令(昭和28年5月18日政令第96号)の原文があります。
- ^ ウィキソースには、二級国道の路線を指定する政令(昭和43年9月30日政令第281号)の原文があります。
- ^ “「地域の主要渋滞箇所」の公表について~官民一体で京阪神圏内の主要渋滞箇所を選定~” (PDF). 京阪神圏渋滞ボトルネック対策協議会 (2013年2月15日). 2017年10月7日閲覧。
- ^ 佐藤健太郎 2015, p. 71.
参考文献
[編集]- 佐藤健太郎『国道者』新潮社、2015年11月25日。ISBN 978-4-10-339731-1。