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福井県

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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ふくいけん ウィキデータを編集
福井県
福井県旗 福井県章
福井県旗 福井県章
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
団体コード 18000-9
ISO 3166-2:JP JP-18
面積 4,190.57km2
総人口 738,591[編集]
推計人口、2024年11月1日)
人口密度 176人/km2
隣接都道府県 石川県滋賀県岐阜県京都府
県の木
県の花 水仙
県の鳥 つぐみ
他のシンボル 県の魚:越前蟹
県の歌:福井県民歌
ふるさとの日:2月7日
福井県庁
知事 杉本達治
法人番号 4000020180009 ウィキデータを編集
所在地 910-8580
福井県福井市大手三丁目17番1号
北緯36度3分54.7秒 東経136度13分18秒 / 北緯36.065194度 東経136.22167度 / 36.065194; 136.22167
福井県庁
外部リンク 福井県ホームページ
福井県の位置

福井県行政区画図

― 市 / ― 町

ウィキポータル 日本の都道府県/福井県
ウィキプロジェクト

福井県(ふくいけん)は、日本海若狭湾に面する、日本の一つである。県庁所在地福井市

概要

山中峠木ノ芽峠栃ノ木峠を通る稜線を境にして、北側の嶺北越前地方)と、南側の嶺南若狭地方および敦賀市)より構成される。また日本海及び若狭湾の福井県海域には周囲0.1km以上の島が58あるが全て無人島で、常神半島沖の岩礁である千島で約3kmの距離しか離れていない。

越前の緑豊かな山々と、若狭の清らかな水の流れに代表されるように、自然が美しい場所であり、それを代表する語に越山若水(えつざんじゃくすい)がある。

地理上は北陸地方または中部地方と分類されるが、一部の行政管轄区分において近畿地方とされる場合もある。

地理・地域

気候

県内全域が日本海側気候豪雪地帯(一部特別豪雪地帯)である。特別豪雪地帯の大野市勝山市池田町南越前町の旧今庄町は全国屈指の積雪量であり、年間の降水量は多い時に3000mm以上に達する。ただし、近年は暖冬傾向で、降水量は昔に比べ減少しつつある。

一方で、日本海沿岸部では対馬暖流の影響により、冬でも比較的暖かく、よりもの日が多い。このために、「弁当忘れても傘忘れるな」という天気の格言が存在する。福井市などは内陸に位置するため、沿岸部に面する新潟市や金沢市などよりは豪雪となりやすい。過去には1963年1月31日に213cm、近年でも2011年1月31日に積雪119cmを記録しているなど、1m以上の積雪となることもある。

福井県内各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:気象庁・気象統計情報
平年値
(月単位)
嶺北 嶺南
坂井市
三国
坂井市
春江
福井 福井市
越廼
勝山 大野  南越前町
今庄
敦賀 美浜 小浜
平均
気温
(°C)
最暖月 25.6
(8月)
26.8
(8月)
26.6
(8月)
26.0
(8月)
25.1
(8月)
27.1
(8月)
26.4
(8月)
26.5
(8月)
最寒月 3.1
(2月)
3.1
(1,2月)
4.9
(2月)
1.1
(2月)
1.5
(2月)
4.3
(2月)
4.1
(2月)
3.5
(2月)
降水量
(mm)
最多月 224.0
(12月)
279.8
(1月)
223.0
(9月)
278.7
(7月)
336.1
(1月)
282.3
(12月)
250.8
(1月)
221.1
(9月)
最少月 121.4
(4月)
137.4
(4月)
140.6
(4月)
140.4
(4月)
134.8
(4月)
133.1
(4月)
121.3
(4月)
110.0
(4月)

地形

西側に若狭湾、東側に越前海岸

福井県は地図で見ると、のような形をしている。特に、嶺南に所属する若狭湾の海岸線はリアス式海岸として有名である。

自然公園

隣接する府県

自治体

以下の9市7郡8町、計17市町がある。町は「まち」ではなくすべて「ちょう」と読む。

嶺北

福井地区
坂井地区
奥越前(奥越)地区
丹南(南越前または南越)地区


嶺南

二州地区
若狭地区


市町村合併による動向

平成の大合併による2004年3月から2006年3月の合併状況

いわゆる平成の大合併が始まる前は7市11郡22町6村(計35市町村)であった。それ以前に消滅していたのは敦賀郡だけだったが、合併によって坂井・足羽・大野・遠敷の各郡が消滅し、大飯郡を除いて「一郡一町」となった。

勝山市池田町が現段階での合併を見送る方針であるほか、福井市の合併協議会から離脱した鯖江市も態度を保留している。

平均寿命

  • 平均寿命2000年(平成12年)、実際は多少のずれがある)
    • 男 - 78.55歳(全国2位)
    • 女 - 85.39歳(全国2位)
    • 男女平均 - 81.97歳

歴史

令制国ごとの歴史は、越前国若狭国も参照。

先史時代

旧石器時代
  • 県内には遺跡が各地に点在しており、約1万5000年前から人が住んでいたことが窺える。三国町の西下向・雄島・馬コロバシ遺跡や永平寺町の木橋遺跡、南幅遺跡などからはナイフ型石器(三国型と命名)や掻器などの多数の石器が出土している。
縄文時代
  • 鳥浜貝塚(若狭町)からは草創期の縄文式土器(隆起線文・斜格子文土器)をはじめ竪穴式住居跡や丸木舟、弓矢、土器に模様を付けるための縄などが出土している。その他、県内各地の遺跡からも多くの遺物が出土し、土器の形式から畿内飛騨国などの地域との交流があったことが窺える。
弥生時代
  • 前期頃には稲作が伝わったとみられ、それを窺わせる土器が出土している。
  • 金属器、玉、布の生産も行われていたようである。嶺北は銅鐸が出土した日本海側の北限である。
  • 中期頃には首長の墓が作られ始め、後期後半になると大型化してくる。
古墳時代
  • 4世紀初め頃には嶺北前方後円墳が造られ始め、4世紀中頃からは九頭竜川中流域で大規模な古墳が造られ始める。手繰ケ城山古墳(4世紀末)や六呂瀬山古墳群(4世紀後半~5世紀前半)などは北陸地方最大規模であり、この地域が強大な勢力を持っていたことが窺える。
  • 5世紀になると嶺南でも主に若狭町付近で前方後円墳が造られ始める。
  • 5世紀後半から6世紀にかけて若狭(わかさ)、高志(こし)、三国、角鹿(つぬが)の四国造が分立した。三国国造があった地域は、継体天皇がその即位まで過ごしたとされている。現在の嶺北出身である継体天皇がヤマトの大王として迎え入れられたことが契機となって、ヤマトの勢力と越国の勢力とが合一した。
  • 570年574年高句麗使が越国近辺に来着する。
  • 継体天皇以来、古墳に船と馬の埴輪が埋葬されるようになり、日本は後期古墳時代となる。
  • 6世紀後半以降は前方後円墳に代わって小規模な円墳群集墳が造られ始めるが、7世紀になると古墳自体造られなくなる。

古代

飛鳥時代から奈良時代
  • 7世紀後半頃には律令制の導入に伴い「若狭国」が成立したと見られ、7世紀末には「越前国」が成立したと考えられる。
  • 若狭国は若狭湾で精製した塩を調(地方特産物を納税)として都に納めていた。現在も製塩遺跡が残る。
  • また調とは別に(にえ)と呼ばれる海産物を直接天皇家に貢いだことが平城京の木簡や延喜式から分かっている。これにより若狭国は万葉集に出てくる「御食国」の一つと推定されている。
  • 749年東大寺が越前国の豪族から土地の寄進を受け、また墾田を買収して、福井平野に多くの荘園を獲得する。この頃には条里制が布かれる。現在でも福井平野には条里遺構が存在する。
  • 8世紀になると渤海との交流が盛んになり、若狭国や越前国は渤海使の来航や遣渤海使の派遣の拠点となる。8世紀後半には交易が中心になる。
  • 764年、クーデターに失敗した恵美押勝(藤原仲麻呂)が越前国に逃れようとするも愛発関が閉じられたため失敗する(藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱))。
平安時代
  • 10世紀になると越前国の東大寺領荘園は荒廃し、代わって皇室領、摂関家が中心になる。
  • この頃は泰澄の開基とされる白山信仰が盛んになり、11世紀末にはその拠点である平泉寺(勝山市)が延暦寺の末寺になり興隆する。
  • 10世紀末に人が来航し交易が行われるようになる。特に院政期以降は敦賀津などを中心に貿易が盛んに行われるようになる。
  • 11世紀末より主に院分国となり、保元平治の乱以降は平氏の知行国となる。
  • 治承・寿永の乱(源平合戦)において、越前国では斎藤氏など多くの武士が木曾義仲に味方する。しかし、その後の東国御家人中心の鎌倉幕府の下では、地頭に任命される越前、若狭の国御家人たちはいなかったようである。

中世

鎌倉時代
  • 島津氏後藤氏等が守護職に任ぜられる。
  • この頃になると廻船業が発達し、敦賀津小浜津三国湊などが整備され、海上交易が盛んになる。また、それらの港は年貢を京に輸送するための拠点ともなる。
  • 1243年には、道元が越前国志比庄にある吉峰寺(永平寺町)に入り、翌年に大佛寺(後の永平寺)を創建する。
  • 13世紀末以降には高田系浄土真宗が越前国北部を中心に広まる。
室町時代
  • 1336年足利尊氏の入京により恒良親王尊良親王を奉じて北陸落ちした新田義貞金ケ崎城(敦賀)に入るが、越前国守護斯波高経の軍勢により翌年落城する。義貞は脱出するも、1338年に越前国藤島燈明寺畷(福井市新田塚)にて戦死する。この後も越前国内は戦乱が続き1341年、北朝方が平定する。この後、主に斯波氏が越前国の守護となる。しかし、実質的に越前国を統治していたのは守護代甲斐氏であった。
  • 若狭国では南北朝時代には守護の交代が頻繁に行われるが、1366年一色氏が守護となり、国人一揆を抑えて若狭を支配する。しかし、1440年、一色氏の勢力拡大を恐れた将軍足利義教武田氏を守護に任命する。武田氏は一色氏残党や一揆を抑えて若狭を支配する。
  • 15世紀後半になると斯波氏と甲斐氏の対立が深まり、やがて越前国内で内乱が起きる。最終的には幕府の支援を受けた甲斐氏が勝利するものの、応仁の乱時、朝倉孝景が台頭、甲斐氏に代わって越前国を掌握する。後に朝倉氏戦国大名として勃興する。
戦国時代
  • 1471年蓮如が越前国吉崎に入り吉崎御坊を建立、北陸地方における本願寺系浄土真宗の布教拠点となる。その後、一向一揆が相次ぐこととなる。
  • 1506年加賀国から本願寺門徒らが侵入する。しかし、朝倉教景(宗滴)指揮する朝倉方はこれを九頭竜川で迎え撃ち勝利する(九頭竜川の戦い)。
  • この後、朝倉氏は本願寺系浄土真宗を禁圧する。そのため、多くの本願寺門徒や僧は加賀国に逃れる。そして、たびたび越前国に侵入することになる。
  • 16世紀以降、若狭国では内乱が相次ぎ武田氏は次第に弱体化する。また、朝倉氏が武田氏支援のため若狭国に軍事介入するようになる。
  • 足利義秋(義昭)が上洛を果たすため、1566年に武田氏を頼って若狭国に、1567年には朝倉義景を頼って越前国に入る(この時、義昭に改名)。しかし、上洛を果たせず、1568年織田信長を頼って美濃国に出国してしまう。
  • 1568年、朝倉氏が若狭国に侵攻する。
  • 1569年、将軍義昭が本願寺と朝倉氏を和睦させる、この時、本願寺系浄土真宗の禁圧も解かれる。また、本願寺と外交関係のあった甲斐武田氏ら遠方勢力らとも連携を取る。
  • 1570年4月、信長が朝倉攻めを開始し、金ヶ崎城などを開城させる。しかし、浅井長政の離反により京に撤退する(金ヶ崎の退き口)。
  • 1570年9月、信長が大坂、野田・福島で三好三人衆や本願寺と交戦している最中、義景が兵を率い、浅井・朝倉連合軍が3万の軍勢で京に攻め上り、京の口、比叡山に築城する。六角氏の挙兵などもあり、信長は孤立するが、将軍義昭の仲介で講和が成立する(志賀の陣)。
安土桃山時代
  • 1573年8月、信長が刀禰坂の戦いを経て朝倉氏の本拠地である越前国一乗谷に侵攻、義景は大野に逃れるも家臣の裏切りにより自刃、朝倉氏は滅亡する。越前国は朝倉氏の旧臣に、若狭国は丹羽長秀に統治させる。
  • 1574年、朝倉方から織田方に寝返った武将同士で抗争が発生、それに乗じて一向一揆が蜂起する。本願寺門徒は武将や国人、平泉寺などを襲撃し、越前国を本願寺領国化する。
  • 1575年8月、信長が越前国に再侵攻し本願寺門徒や僧を弾圧、柴田勝家に越前北ノ庄をはじめ越前八郡を、金森長近らに越前大野郡を、不破光治佐々成政前田利家府中三人衆)に越前府中二郡を与える。
  • 1583年清洲会議羽柴秀吉と柴田勝家の対立が深まり、賤ヶ岳の戦いにおいて秀吉が勝利、勝家の居城である北ノ庄城を攻め落とす。その後、丹羽長秀が越前の大半を、蜂屋頼隆が敦賀郡を、金森長近が引き続き大野郡を統治する。その後も領主の交替が相次ぐ。
  • 一方若狭では丹羽長秀が越前に移った後、木村隼人佐らが治めていたが、1585年には長秀の子丹羽長重の領地となり、1587年には浅野長吉(長政)が統治し、その後も領主の交替が相次いだ。

近世

  • 1586年に若狭で、1598年には越前で太閤検地が実施され、結果、若狭が8万5000石、越前が68万石となった。
江戸時代
  • 越前国
    • 1600年関ヶ原の戦いの後、戦功第一の恩賞として結城秀康に越前一国および下野国結城郡75万石が与えられる(北ノ庄藩)。越前松平家は、将軍家徳川秀忠の兄の家ということから、制外の家(各種特権が許された家)または、御三家に次ぐ家という意味で四家などともよばれる。
    • 1623年、秀康の長男松平忠直狼藉を理由に豊後国荻原に配流された。かわりに秀康次男の越後高田藩松平忠昌が幕命により相続し、忠直の長男松平光長には越後国高田(上越市)に新たに領地が与えられた。このとき北ノ庄藩は規模を縮小し、余地をもって越前勝山藩大野藩丸岡藩などの複数の小藩が成立。また、敦賀郡はいったん幕府領(天領)となった後、小浜藩領となり、後に小浜藩支藩の敦賀藩などが成立した。このように、越前は複数の藩に分割統治されることとなった。江戸幕府八代将軍徳川吉宗が若かりし頃、領地を持っていたこともあった。交代寄合旗本の陣屋としては白崎陣屋の金森氏がある。忠昌の越前入部の際、北ノ庄は福居(後に福井)に改称された。これが福井市および県名の由来とされている。
    • その後、鯖江藩などが成立する。その他越前には福井藩の支藩や幕府領、旗本領、国外の大名の領地もあり、多数の領主によって分割統治される状態が明治まで続いた。忠昌の子孫である越前松平家は紆余曲折を経ながらも福井藩主として幕末まで残った。出雲松江藩主家や播磨明石藩主家、上野前橋藩主家などの大藩の藩主家は忠昌の弟達から始まる越前松平家傍流にあたり、津山松平家は忠直の息子光長に関係する傍流である。
  • 若狭国
  • 江戸時代前期は上方北国を結ぶ年貢米などの中継地として、小浜や敦賀の湊が多用された。
  • 江戸時代中頃以降は北前船が三国や敦賀に寄港し、蝦夷地大坂を結んでいた。小浜の古河、越前河野浦の右近などの北前船主が活躍した。
  • 1774年、小浜藩医である杉田玄白中川淳庵前野良沢らとともに「ターヘル・アナトミア」を翻訳し、「解体新書」を刊行する。
  • 幕末期には福井藩主である松平春嶽や福井藩士橋本左内、元小浜藩士の梅田雲浜らが活躍する。また、丸岡藩や小浜藩などが台場を建設する。

近代

明治維新から昭和第二次世界大戦の終戦)まで

現代

昭和(第二次世界大戦後)
平成

人口

福井県(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 744,230人
1975年(昭和50年) 773,599人
1980年(昭和55年) 794,354人
1985年(昭和60年) 817,633人
1990年(平成2年) 823,585人
1995年(平成7年) 826,996人
2000年(平成12年) 828,944人
2005年(平成17年) 821,592人
2010年(平成22年) 806,314人
2015年(平成27年) 786,740人
2020年(令和2年) 766,863人
総務省統計局 国勢調査より

政治・行政

国政

衆議院小選挙区が3。参議院では、全県で1区を構成。

県政

福井城址にある福井県庁舎

財政

2007年(平成19年)度
  • 財政力指数 0.40
    • IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)11自治体中10位
2006年(平成18年)度
  • 財政力指数 0.37
    • IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)11自治体中4位
2005年(平成17年)度
  • 財政力指数 0.34
    • IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)14自治体中11位
2004年(平成16年)度
  • 財政力指数 0.33
    • IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)13自治体中9位

姉妹州省・提携州省

経済・産業

主な産業

  • 繊維産業
  • 楽器
  • 眼鏡産業
    • 鯖江市を中心にメガネフレームなど、全国生産の90%以上を生産
  • 原子力発電
    • 県内に、原子炉は15基設置されている(敦賀市:4基(内1基廃止措置中)、美浜町:3基、おおい町:4基、高浜町:4基)。

生活・交通

警察

消防

ライフライン

電力
都市ガス

交通

空港

鉄道

旅客線は越美北線を除いて、電化されている。

西日本旅客鉄道(JR西日本)
えちぜん鉄道
福井鉄道
日本貨物鉄道
整備新幹線
未成線

道路

高速自動車国道
一般国道自動車専用道路
一般国道


県道
一般有料道路

港湾

医療・福祉

災害拠点病院
保育所

教育

マスメディア

新聞

日刊新聞

テレビ局

ラジオ局

ケーブルテレビ

その他

文化・スポーツ

方言

同じ県内でも嶺北地方と嶺南地方では方言が大きく異なり、嶺北地方の方言は北陸方言に属し、嶺南地方の方言は近畿方言に属する。また、嶺北内においても、福井市とその周辺(坂井市あわら市も含む場合もある)とその他の地域とではアクセントなどが異なる。

食文化

郷土料理

伝統工芸

経済産業大臣指定伝統的工芸品
福井県指定郷土工芸品
伝統工芸品

スポーツ

観光

鯖街道 熊川宿

有形文化財建造物

国宝
重要伝統的建造物群保存地区

県立文化施設

ファイル:Harmony hall fukui.jpg
福井県立音楽堂

主な観光地

丸岡城
永平寺
蘇洞門
名所旧跡
自然景勝地
温泉
スキー場
  • IZUMIクロスカントリー
  • 今庄365
  • カドハラ
  • 雁が原
  • 九頭竜


都市公園

福井県を舞台とした作品

映画

テレビドラマ

小説

アニメ

漫画

ゲーム 

福井県出身の人物

縁のある歴史上の人物


集団
法人

脚注

  1. ^ 福井県総務部情報政策課. “福井県が日本に誇る指標”. 2009年7月30日閲覧。

関連項目

外部リンク

行政
観光
先代
石川県の一部(越中国
滋賀県の一部(若狭国
行政区の変遷
1881年 -
(第2次福井県)
次代
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