コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

志苫裕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

志苫 裕(しとま ゆたか、1927年11月29日 - 2006年10月26日)は、日本政治家参議院議員(4期)。

略歴

[編集]

新潟県出身。新潟県立佐渡農学校卒業。1974年第10回参議院議員通常選挙日本社会党公認で新潟県地方区から立候補し初当選。1986年に3期目の当選を果たす。

1989年4月8日、新潟県知事君健男胃がん発覚を理由として、副知事の金子清に辞意を伝え、事実上後継として金子を指名した。同年4月19日、君は辞職した。その後、同年6月4日執行の新潟県知事選挙に、志苫は社会党・社民連推薦で立候補した。立候補を届け出た告示日の同年5月15日付で公職選挙法規定により、参議院議員を退職(自動失職)となった。しかし、野党陣営は長﨑明が共産党推薦で立候補したため野党票が分散。金子が初当選した[1]

※当日有権者数:1,805,196人 最終投票率:79.07%(前回比:増加7.86pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
金子清56無所属658,086票46.66%(推薦)自由民主党
志苫裕61無所属611,986票43.40%(推薦)社会党、社民連
長﨑明65無所属140,161票9.94%(推薦)共産党

1992年第16回参議院議員通常選挙比例区から立候補し当選して復帰した。1998年第18回参議院議員通常選挙には出馬せず、政界から引退(通算当選4回)した。党内では土井たか子の側近として知られ、1994年細川内閣が提出した小選挙区比例代表並立制を柱とする政治改革関連法案に反対票を投じ、「党員権100日停止」の処分を受けたことがある。

1998年秋の叙勲で勲二等旭日重光章受章[2]

2006年10月26日14時24分、脳内出血のため新潟市内の病院で死去した。78歳没。死没日をもって正四位に叙される[3]

脚注

[編集]
  1. ^ 新潟県・県知事選”. 政治データのブログ (2019年2月24日). 2023年10月12日閲覧。
  2. ^ 「98年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、及び外国人の受章者一覧」『読売新聞』1996年11月3日朝刊
  3. ^ 『官報』第4476号10-11頁 平成18年12月4日号
議会
先代
小川仁一
日本の旗 参議院議院運営委員長
1995年 - 1996年
次代
下稲葉耕吉
先代
寺田熊雄
日本の旗 参議院決算委員長
1979年 - 1980年
次代
野田哲
先代
安永英雄
日本の旗 参議院災害対策特別委員長 次代
久保亘