城山 (鹿児島市の町丁)
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城山 | |
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西郷隆盛の銅像 | |
北緯31度35分53.1秒 東経130度33分2.2秒 / 北緯31.598083度 東経130.550611度座標: 北緯31度35分53.1秒 東経130度33分2.2秒 / 北緯31.598083度 東経130.550611度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 鹿児島市 |
地域 | 中央地域 |
地区 |
上町地区(城山町) 城西地区(城山一、二丁目) |
人口 (2020年(令和2年)4月1日現在) | |
• 合計 | 4,768人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
890-0013(城山一丁目) 892-0813(城山二丁目) 892-0853(城山町) |
城山(しろやま Shiroyama)は、鹿児島県鹿児島市の町名。城山一丁目、城山二丁目及び城山町がある。郵便番号は城山一丁目は890-0013、城山二丁目は892-0813、城山町は892-0853。人口は4,768人、世帯数は2,417世帯(2020年4月1日現在)[1]。
城山一丁目、城山二丁目及び城山町の全域で住居表示を実施している。
地理
鹿児島市中部、甲突川の下流域に位置する。町域の北方に玉里町、冷水町、南方には長田町、照国町、山下町、東方に冷水町、長田町、東方に草牟田、新照院町、照国町がそれぞれ接している。
また、一般国道である国道3号、国道10号、国道225号及び国道225号に重複する国道226号は、城山町1番1にある照国神社前交差点をすべて終点としている。
町域内には国の史跡及び天然記念物に指定されている城山が所在する。当地は西南戦争最後の戦地となり、現在も西郷軍司令部の置かれた洞窟などの史跡が残っており、北東部には西郷隆盛が自決した地を示す「南洲翁終焉之地」の碑が存在する。
城山一丁目及び城山二丁目は新興住宅地として1976年(昭和51年)までに開発された。
歴史
城山という名前こそ同じではあるが、城山町は上町地区に属しているのに対し、城山は城西地区に属している。また城山町と城山では成り立ちも異なる。
城山町
1965年(昭和40年)に山下町の一部より分割され城山町として成立[2]。
実施後 | 実施年 | 実施前 |
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城山町 | 1965年(昭和40年) | 山下町の一部 |
城山
1976年(昭和51年)に草牟田町、玉里町、長田町、冷水町の各一部が分割され、城山一丁目及び二丁目が成立した[3]。
実施後 | 実施年 | 実施前 |
---|---|---|
城山一丁目及び城山二丁目 | 1976年(昭和51年) | 草牟田町の一部 |
玉里町の一部 | ||
長田町の一部 | ||
冷水町の一部 |
施設
- 公共施設
- 教育
- 郵便局
- 城山簡易郵便局
- 病院
ギャラリー
- 史跡
世帯数・人口
世帯数 | 人口 | |
---|---|---|
城山一丁目 | 1,007 | 2,011 |
城山二丁目 | 635 | 1,324 |
城山町 | 775 | 1,433 |
計 | 2,417 | 4,768 |
- ^ “年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年5月8日閲覧。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[4]。
町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
城山町 | 全域 | 鹿児島市立名山小学校 | 鹿児島市立長田中学校 |
城山一丁目 | 全域 | 鹿児島市立草牟田小学校 | 鹿児島市立伊敷中学校 |
城山二丁目 | 全域 |
交通
道路
- 国道
脚注
- ^ “年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.360
- ^ 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店
- ^ “小・中学校の校区(学区)表”. 鹿児島市役所. 2020年9月26日閲覧。
関連項目