「鳥羽駅」の版間の差分
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|画像 = JR Toba station in 2019.jpg |
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|画像説明 = JR側出入口(市街側) |
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|よみがな = とば |
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|ローマ字 = Toba |
|ローマ字 = Toba |
2020年2月14日 (金) 23:01時点における版
鳥羽駅 | |
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JR側出入口(市街側) | |
とば Toba | |
所在地 | 三重県鳥羽市鳥羽一丁目8-13 |
所属事業者 |
東海旅客鉄道(JR東海) 近畿日本鉄道(近鉄) |
電報略号 | トハ |
駅構造 | 地上駅(一部橋上駅) |
ホーム | 3面7線[1] |
乗車人員 -統計年度- |
(JR東海)337人/日 (近鉄)2,001人/日(降車客含まず) -2017年- |
開業年月日 |
1911年(明治44年)7月21日[2](JR) 1929年(昭和4年)7月23日[3](近鉄) |
乗入路線 3 路線 | |
所属路線 | ■参宮線(JR東海) |
キロ程 | 29.1 km(多気起点) |
◄(臨)池の浦シーサイド (3.7 km) | |
所属路線 | M 近鉄鳥羽線 |
駅番号 | M78 |
キロ程 |
13.2km(宇治山田起点) 伊勢中川から41.5 km |
◄M77 池の浦 (2.6 km) | |
所属路線 | M 近鉄志摩線 |
キロ程 | 0.0 km(鳥羽起点) |
(1.0 km) 中之郷 M79► | |
備考 |
共同使用駅 JR東海:業務委託駅 JR東海:JR全線きっぷうりば 有[1] |
鳥羽駅(とばえき)は、三重県鳥羽市鳥羽一丁目にある、東海旅客鉄道(JR東海)・近畿日本鉄道(近鉄)の駅である。駅番号は近鉄がM78。
乗り入れ路線
JR東海の参宮線と、近鉄の鳥羽線・志摩線の3路線が乗り入れ、接続駅となっている[1]。いずれの路線も当駅が起終点であるが、近鉄の2路線については鳥羽線列車の約半数がそのまま志摩線に直通する。
近鉄線利用時にはPiTaPa(スルッとKANSAI協議会)およびPiTaPaと相互利用可能なカード(相互利用先は当該項目を参照)の利用が可能であるが、JR東海利用時にはTOICAを含むこれらのカードの利用ができない。
歴史
- 1911年(明治44年)7月21日 - 参宮線山田(現在の伊勢市) - 鳥羽間延伸により、その終着駅として開業[4][5]。駅建設のために水深1.8 mの海域を15,000坪余(≒5 ha)埋め立てて土地を確保した[6]。
- 1926年(大正15年)
- 1929年(昭和4年)7月23日 - 志摩電気鉄道(現在の近鉄志摩線)鳥羽 - 真珠港間が開業[5]。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 会社合併により、志摩電気鉄道の路線は三重交通の一路線となる[3]。
- 1953年(昭和28年)
- 1957年(昭和32年)9月21日 - 名古屋行き快速「志摩」運行開始[10]。
- 1964年(昭和39年)2月1日 - 三重交通から鉄道事業が分社化され、旧志摩電の路線は三重電気鉄道に承継[3]。
- 1965年(昭和40年)4月1日 - 近畿日本鉄道が三重電気鉄道を合併。旧志摩電の路線は近鉄志摩線となる[5][10]。
- 1969年(昭和44年)12月10日 - 標準軌化工事のため近鉄志摩線営業休止、バス代行を行う[3]。
- 1970年(昭和45年)3月1日 - 近鉄志摩線が標準軌化工事を完成させ営業を再開[5]。近鉄鳥羽線の五十鈴川 - 当駅間が開業して全通[3]。近鉄の駅が北側に新築移転[11]。
- 1971年(昭和46年)6月13日 - 三重交通の鳥羽バスターミナルが完成[12]。
- 1972年(昭和47年)3月14日 - 東京行き急行「伊勢」廃止[13]。
- 1974年(昭和49年)
- 1975年(昭和50年)10月14日 - 国鉄駅舎完成、営業を開始[5]。
- 1982年(昭和57年)10月1日 - 国鉄駅の営業範囲が「旅客、荷物」へ改正される[15]。
- 1985年(昭和60年)3月14日 - 国鉄駅の営業範囲が「旅客」へ改正される[16]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東海旅客鉄道と近鉄の駅になる[2]。
- 1993年(平成5年)8月1日 - JR駅の0番線ホーム増設[17]。
- 1999年(平成11年)7月23日 - 近鉄新駅舎竣工[5]。
- 2001年(平成13年) - 第3回「中部の駅百選」に選定。
- 2007年(平成19年)4月1日 - 近鉄の駅でPiTaPa使用開始[18]。
- 2012年(平成24年)4月1日 - 鳥羽駅バス停を新設[19]。
- 2015年(平成27年)
駅構造
両社とも地上駅である。
JRは0 - 2番線を使用し[1]頭端式ホーム1面3線がある。1番線は0番線側の切り欠き部にある[1]。なお、快速「みえ」は主に1番線から、普通列車は主に0番線から発車する。
近鉄は3 - 6番のりばを使用し島式ホーム2面4線を持つ橋上駅になっている。ホーム有効長は10両編成分を確保している。近鉄のりばは鳥羽線建設前のJR線南側から現在の北側に移動している[22]。このため、のりばの番号はJRと続き番号であるが、その順番には並んでいない。
改札口はJRホームに直結しているJR管轄の地上改札[1]と、近鉄管轄の橋上駅舎内の2ヶ所がある。JRと近鉄の乗換は中間改札なしで可能であるが、どちらの駅舎も管轄担当社の券売機・窓口しかない。また、津駅・伊勢市駅・松阪駅・桑名駅などとは異なり、JRの乗車券で近鉄の自動改札機を通過することはできないため(有人改札通路を通過することになる)、事実上近鉄とJRで改札口が分離されている。
JR東海の駅は、東海交通事業の職員が業務を担当する業務委託駅で、伊勢市駅が当駅を管理している。近鉄の駅には駅長が置かれ、朝熊駅 - 賢島駅間を管理している[23]。
のりば
JR線のりば | |||
---|---|---|---|
番線 | 路線 | 行先 | 備考 |
0 | ■JR参宮線 | 松阪・名古屋方面[注 1] | 主に普通 |
1 | 主に快速 | ||
2 | 1日1本の快速のみ | ||
近鉄線のりば | |||
のりば | 主な方向(路線) | 行先 | 備考 |
3 | 主に M 近鉄線上り(鳥羽線) | 四日市・名古屋・大阪・京都・奈良方面 | 主に当駅始発の特急 |
4 | 主に M 近鉄線下り(志摩線) | 鵜方・賢島方面 | |
5 | 主に M 近鉄線上り(鳥羽線) | 四日市・名古屋・大阪・京都・奈良方面 | |
6 |
近鉄線ホームは下り本線は4番線、上り本線は5番線である。3・4番のりばは発車については上下両方向可能であるが、入線は宇治山田方面からしかできない。ただし、複線化までは3・4番のりばも上下両方向から入線が可能であった。なお、5・6番のりばは上下両方向からの入線・発車に対応しており、賢島方面へ折返し普通列車が出る場合、ホーム賢島寄りから発車する。
-
JRの0番線
-
改札口(近鉄線)
-
伊勢市側から見た構内
配線図
← 宇治山田方面 ← 多気方面 |
→ 賢島方面 |
|
凡例 出典:[24] 黒線がJR線、赤線が近鉄線 |
特徴
- 共通事項
- 鳥羽観光の拠点駅である[22]。
- 当初は砂浜に沿った海辺の駅であったが、海側が高度経済成長期に大幅に埋め立てられた[25]。海側の幹線道路、土地はすべて埋立地である[25]。海に近いため、3 - 5mの津波が押し寄せると想定されている[26]。
- 中之郷方に連絡通路がある[22]。
- JR線と近鉄線を結ぶ改札内通路には階段しかなく、エレベーターやスロープは設置されていない[27]。乗り換え用のICカードリーダーの設置もない。
ダイヤ面
- 近鉄
- 全ての定期営業列車が停車し、本数こそ少ないが大阪上本町駅からの快速急行・急行、近鉄名古屋駅からの急行は当駅まで乗り入れており、快速急行・急行の運転区間は当駅が南限である[28]。当駅始発の列車は伊勢市駅(宮町駅停車の近鉄名古屋行き急行は宮町駅まで)までの各駅に停車する[28]。なお、下りの到着列車は夜間も設定されているが、上り当駅始発および折り返し列車は朝8時台までの設定となっている[28]。また、快速急行は2016年3月19日変更から2018年3月17日変更まで、当駅の発着が廃止されていた[29][30]。
- 繁忙期の日中時間帯を除いて、朝と夕方以降を中心に当駅発着および折り返し列車が多数設定されているが[28]、構内に引上線がないため、折返し列車を長時間ホームに待機させなければならず、上下線とも発着番線は列車および時間帯によって変動する。特に、当駅発着の急行と普通は発着番線が一定していない。
- 特急列車は、朝に当駅始発の大阪上本町行きが2本(土休日は3本)、近鉄名古屋行きが3本、15時以降に当駅折り返しの乙特急が毎時2本(大阪方面発着と名古屋方面発着の1本ずつ)設定されている[28]。なお、繁忙期に宇治山田駅・五十鈴川駅折り返しの乙特急が当駅到着に延長される場合は朝9時台から折り返し運転を実施している[28]。
- 急行系列車は、平日早朝に当駅始発の大阪上本町行き快速急行が1本、土休日早朝に当駅始発の大阪上本町行き急行が2本、朝に近鉄名古屋行き急行が3本(土休日は2本)、夜間に大阪上本町駅からの快速急行が1本、近鉄名古屋駅からの急行が朝に2本と夜間に1本(土休日は朝と夜間に各2本)設定されている[28]。
- 普通列車は、朝と夕方以降に伊勢中川駅・賢島駅発着の列車が当駅で折り返す[28]。なお、平日8時台には当駅始発の明星行き、宇治山田行きが各1本のみ設定されている[28]。
- 一部の乙特急はこの駅で後部車両解放を行う。構内に引き上げ線は無いので、解放した車両は五十鈴川駅または明星検車区明星車庫へ折り返し回送となる。
- JR東海
- 通常は快速みえと普通列車のみ乗り入れてくるが、時期によっては修学旅行等の臨時列車が乗り入れる事もある。
- 2016年現在、日中時間帯(11時 - 16時)は快速みえと普通列車がそれぞれ1時間に1本発車[注 2]し、早朝・夜間は快速みえと普通列車のどちらかが1時間に1本[注 3]発車する[31]。
- JRの列車は夜間滞泊を行わず、そのまま多気駅方面へ折り返す。
- 1917年(大正6年)から1919年(大正8年)までは出発・到着とも1日8本で、うち急行は出発1本、到着3本が設定されていた[7]。1922年(大正11年)には出発・到着とも1日13本(うち急行5本)に増加、名古屋・湊町・京都・奈良・亀山駅・山田発着便が設定されていた[7]。
駅設備・営業面
- 近鉄
- 乗車券用の自動券売機は数台あるほか、PiTaPa・ICOCA対応の自動改札機および自動精算機(回数券カードに対応)が設置されている。自動精算機ではICカードへのチャージが可能。
- 特急券および定期券は窓口にて販売されているが、各ホームへの特急券自動販売機は設置されていない[32]。
- 駅長室は駅営業所を併設しており、改札外の設置ではあるものの近鉄リテーリングが運営する有人売店設置駅に指定されている[32]。
- 改札前に鳥羽湾の展望に適した広い待合室と軽食コーナーがある[32][1]。
- JR東海
- 自動改札機・自動精算機に加え、自動券売機もない[1]。切符の販売・確認・精算・回収は全て、改札に面した窓口の中にいる駅員が手作業で行う。無人時間帯は無人駅と同様に車内精算となる。
- 駅舎2階に土産物店や飲食店の入る「鳥羽駅名店街」がある[1]。
利用状況
1日の平均乗車人員は以下の通りである[33]。近鉄はJRからの乗り継ぎ人員を含んでいる。*は暦年統計による。戦前は省線(後のJR)が修学旅行生を中心とする観光路線、志摩電鉄(後の近鉄)が地域住民を中心する生活路線として機能していた[34]。1970年(昭和45年)の近鉄鳥羽線の開通により国鉄利用者が激減し、近鉄利用者の大幅に増加した[35]。
年度 | JR東海 | 近畿日本 鉄道 |
---|---|---|
1911年*[36] | 419 | 未開業 |
1920年*[37] | 1,407 | |
1931年*[38] | 1,522 | 212 |
1950年 | 2,931 | |
1960年 | 5,784 | |
1965年 | 5,784 | 1,964 |
1969年 | 5,011 | 2,088 |
1970年 | 1,707 | 4,410 |
1975年 | 1,171 | 5,863 |
1980年 | 557 | 6,263 |
1985年 | 829 | 5,849 |
1990年 | 486 | 5,877 |
1995年 | 612 | 4,472 |
1997年 | 524 | 3,758 |
1998年 | 483 | 3,321 |
1999年 | 457 | 2,949 |
2000年 | 451 | 2,883 |
2001年 | 421 | 2,796 |
2002年 | 395 | 2,683 |
2003年 | 361 | 2,647 |
2004年 | 327 | 2,568 |
2005年 | 328 | 2,459 |
2006年 | 365 | 2,452 |
2007年 | 361 | 2,483 |
2008年 | 368 | 2,285 |
2009年 | 334 | 2,082 |
2010年 | 352 | 2,011 |
2011年 | 337 | 1,881 |
2012年 | 358 | 1,937 |
2013年 | 456 | 2,328 |
2014年 | 355 | 1,968 |
2015年 | 330 | 2,044 |
2016年 | 346 | 2,046 |
2017年 | 337 | 2,001 |
JR
JR鳥羽駅の利用状況の変遷を下表に示す[39]。1916年(大正5年)時点の乗車人員は、三重県内の駅で第8位であった[40]。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。ただし、*は暦年統計による。
- 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別利用状況(JR鳥羽駅) | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 特記事項 | |||||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | ||||
1911年(明治44年)*[36] | ←←←← | 68,800 | 7月開業 | ||||
1912年(大正元年)*[37] | ←←←← | 193,784 | |||||
1913年(大正2年)*[37] | ←←←← | 186,389 | |||||
1914年(大正3年)*[37] | ←←←← | 161,639 | |||||
1915年(大正4年)*[37] | ←←←← | 208,439 | |||||
1916年(大正5年)*[37] | ←←←← | 324,103 | |||||
1917年(大正6年)*[37] | ←←←← | 316,579 | |||||
1918年(大正7年)*[37] | ←←←← | 443,158 | |||||
1919年(大正8年)*[37] | ←←←← | 474,986 | |||||
1920年(大正9年)*[37] | ←←←← | 515,061 | |||||
1921年(大正10年)*[37] | ←←←← | 482,998 | |||||
1922年(大正11年)*[37] | ←←←← | 531,259 | |||||
1923年(大正12年)*[37] | ←←←← | 542,509 | |||||
1924年(大正13年) | ←←←← | ||||||
1925年(大正14年) | ←←←← | ||||||
1926年(昭和元年) | ←←←← | ||||||
1927年(昭和2年) | ←←←← | ||||||
1928年(昭和3年)*[38] | ←←←← | 614,737 | |||||
1929年(昭和4年) | ←←←← | 志摩電鉄開業 | |||||
1930年(昭和5年)*[38] | ←←←← | 664,674 | |||||
1931年(昭和6年)*[38] | ←←←← | 555,856 | |||||
1932年(昭和7年) | ←←←← | ||||||
1933年(昭和8年) | ←←←← | ||||||
1934年(昭和9年) | ←←←← | ||||||
1935年(昭和10年) | ←←←← | ||||||
1936年(昭和11年) | ←←←← | ||||||
1937年(昭和12年) | ←←←← | ||||||
1938年(昭和13年) | ←←←← | ||||||
1939年(昭和14年) | ←←←← | ||||||
1940年(昭和15年) | ←←←← | ||||||
1941年(昭和16年) | ←←←← | ||||||
1942年(昭和17年) | ←←←← | ||||||
1943年(昭和18年) | ←←←← | ||||||
1944年(昭和19年) | ←←←← | ||||||
1945年(昭和20年) | ←←←← | ||||||
1946年(昭和21年) | ←←←← | ||||||
1947年(昭和22年) | ←←←← | 1,400,923 | |||||
1948年(昭和23年) | 629,750 | ←←←← | 556,557 | 1,186,307 | |||
1949年(昭和24年) | 628,530 | ←←←← | 456,615 | 1,085,145 | |||
1950年(昭和25年) | 516,953 | ←←←← | 553,159 | 1,070,112 | |||
1951年(昭和26年) | 464,660 | ←←←← | 696,327 | 1,106,987 | |||
1952年(昭和27年) | 444,785 | ←←←← | 654,876 | 1,099,661 | |||
1953年(昭和28年) | 468,098 | ←←←← | 806,521 | 1,274,619 | |||
1954年(昭和29年) | 501,857 | ←←←← | 862,615 | 1,364,472 | |||
1955年(昭和30年) | 484,736 | ←←←← | 818,821 | 1,303,557 | |||
1956年(昭和31年) | 544,255 | ←←←← | 837,626 | 1,381,881 | |||
1957年(昭和32年) | 632,609 | ←←←← | 773,295 | 1,405,904 | |||
1958年(昭和33年) | 663,320 | ←←←← | 814,365 | 1,477,685 | |||
1959年(昭和34年) | ←←←← | ||||||
1960年(昭和35年) | ←←←← | ||||||
1961年(昭和36年) | 1,192,042 | ←←←← | 1,145,241 | 2,337,283 | |||
1962年(昭和37年) | 1,649,559 | ←←←← | 740,964 | 2,390,523 | |||
1963年(昭和38年) | 1,324,763 | ←←←← | 841,593 | 2,166,356 | |||
1964年(昭和39年) | 1,451,075 | ←←←← | 777,637 | 2,228,712 | |||
1965年(昭和40年) | 1,536,327 | ←←←← | 575,196 | 2,111,523 | |||
1966年(昭和41年) | 1,585,720 | ←←←← | 494,804 | 2,080,524 | |||
1967年(昭和42年) | 1,512,785 | ←←←← | 538,682 | 2,051,467 | |||
1968年(昭和43年) | 1,298,753 | ←←←← | 563,559 | 1,862,312 | |||
1969年(昭和44年) | 1,247,732 | ←←←← | 581,464 | 1,829,196 | |||
1970年(昭和45年) | 397,621 | ←←←← | 225,760 | 623,381 | 近鉄鳥羽線開業 | ||
1971年(昭和46年) | 308,279 | ←←←← | 218,039 | 526,318 | |||
1972年(昭和47年) | 261,654 | ←←←← | 177,715 | 439,369 | |||
1973年(昭和48年) | 233,955 | ←←←← | 172,371 | 406,326 | |||
1974年(昭和49年) | 227,945 | ←←←← | 183,013 | 410,958 | |||
1975年(昭和50年) | 234,476 | ←←←← | 192,959 | 427,435 | |||
1976年(昭和51年) | 248,710 | ←←←← | 189,801 | 438,511 | |||
1977年(昭和52年) | ←←←← | 243,531 | |||||
1978年(昭和53年) | ←←←← | 203,736 | |||||
1979年(昭和54年) | ←←←← | 194,409 | |||||
1980年(昭和55年) | 204,147 | ←←←← | 187,948 | 392,095 | |||
1981年(昭和56年) | 205,509 | ←←←← | 184,121 | 389,630 | |||
1982年(昭和57年) | 181,101 | ←←←← | 164,472 | 345,573 | |||
1983年(昭和58年) | 169,133 | ←←←← | 158,779 | 327,912 | |||
1984年(昭和59年) | 151,850 | ←←←← | 157,031 | 308,881 | |||
1985年(昭和60年) | 154,950 | ←←←← | 147,662 | 302,612 | |||
1986年(昭和61年) | 149,856 | ←←←← | 147,590 | 297,446 | |||
1987年(昭和62年) | 126,867 | ←←←← | 114,730 | 214,597 | |||
1988年(昭和63年) | 120,773 | ←←←← | 113,413 | 234,186 | |||
1989年(平成元年) | 106,794 | ←←←← | 119,644 | 226,438 | |||
1990年(平成2年) | 93,836 | ←←←← | 84,311 | 177,697 | |||
1991年(平成3年) | 96,514 | ←←←← | 147,216 | 243,730 | |||
1992年(平成4年) | 96,430 | ←←←← | 146,731 | 243,161 | |||
1993年(平成5年) | 84,714 | ←←←← | 172,278 | 256,992 | |||
1994年(平成6年) | 78,858 | ←←←← | 154,844 | 233,702 | |||
1995年(平成7年) | 73,127 | ←←←← | 132,751 | 205,878 | |||
1996年(平成8年) | 75,529 | ←←←← | 131,542 | 207,071 | |||
1997年(平成9年) | 71,792 | ←←←← | 119,541 | 191,333 | |||
1998年(平成10年) | 69,621 | ←←←← | 106,804 | 176,425 | |||
1999年(平成11年) | 62,529 | ←←←← | 104,577 | 167,106 | |||
2000年(平成12年) | 63,125 | ←←←← | 101,546 | 164,671 | |||
2001年(平成13年) | 59,514 | ←←←← | 94,100 | 153,614 | |||
2002年(平成14年) | 58,017 | ←←←← | 86,235 | 144,252 | |||
2003年(平成15年) | 52,117 | ←←←← | 80,012 | 132,129 | |||
2004年(平成16年) | 47,026 | ←←←← | 72,426 | 119,452 | |||
2005年(平成17年) | 43,142 | ←←←← | 76,454 | 119,596 | |||
2006年(平成18年) | 41,907 | ←←←← | 91,262 | 133,169 | |||
2007年(平成19年) | 40,427 | ←←←← | 91,811 | 132,238 | |||
2008年(平成20年) | 39,537 | ←←←← | 94,607 | 134,144 | |||
2009年(平成21年) | 36,856 | ←←←← | 85,104 | 121,960 | |||
2010年(平成22年) | 37,219 | ←←←← | 91,194 | 128,413 | |||
2011年(平成23年) | 38,793 | ←←←← | 84,516 | 123,309 | |||
2012年(平成24年) | 36,533 | ←←←← | 94,290 | 130,823 | |||
2013年(平成25年) | 38,748 | ←←←← | 127,807 | 166,555 | |||
2014年(平成26年) | 34,296 | ←←←← | 95,219 | 129,515 | |||
2015年(平成27年) | 31,658 | ←←←← | 89,249 | 120,907 | |||
2016年(平成28年) | 28,009 | ←←←← | 98,458 | 126,467 | |||
2017年(平成29年) | 27,963 | ←←←← | 95,003 | 122,966 |
近鉄
近鉄鳥羽駅の利用状況の変遷を下表に示す[41]。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。ただし、*は暦年統計による。年度間の比較に適したデータである。
- 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
- 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別利用状況(近鉄鳥羽駅) | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果:人/日 | 特記事項 | ||||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1929年(昭和4年) | ←←←← | 7月開業 | |||||
1930年(昭和5年) | ←←←← | ||||||
1931年(昭和6年)*[38] | ←←←← | 77,439 | |||||
1958年(昭和33年) | 192,480 | ←←←← | 502,369 | 694,849 | |||
1959年(昭和34年) | ←←←← | ||||||
1960年(昭和35年) | ←←←← | ||||||
1961年(昭和36年) | ←←←← | ||||||
1962年(昭和37年) | ←←←← | ||||||
1963年(昭和38年) | ←←←← | ||||||
1964年(昭和39年) | ←←←← | ||||||
1965年(昭和40年) | 334,160 | ←←←← | 382,987 | 717,147 | |||
1966年(昭和41年) | 369,090 | ←←←← | 303,430 | 672,520 | |||
1967年(昭和42年) | 385,540 | ←←←← | 268,576 | 654,116 | |||
1968年(昭和43年) | 340,620 | ←←←← | 287,339 | 627,959 | |||
1969年(昭和44年) | 412,560 | ←←←← | 349,640 | 762,210 | 改良工事のため営業休止(バス代行) | ||
1970年(昭和45年) | 450,240 | ←←←← | 1,159,721 | 1,609,961 | 標準軌化し営業再開 | ||
1971年(昭和46年) | 481,230 | ←←←← | 1,182,484 | 1,663,714 | |||
1972年(昭和47年) | 502,950 | ←←←← | 1,306,385 | 1,809,335 | |||
1973年(昭和48年) | 430,320 | ←←←← | 1,619,892 | 2,050,212 | |||
1974年(昭和49年) | 492,810 | ←←←← | 1,732,957 | 2,225,767 | |||
1975年(昭和50年) | 540,180 | ←←←← | 1,599,824 | 2,140,004 | |||
1976年(昭和51年) | 506,640 | ←←←← | 1,643,659 | 2,150,299 | |||
1977年(昭和52年) | 509,400 | ←←←← | 1,694,687 | 2,204,087 | |||
1978年(昭和53年) | 512,580 | ←←←← | 1,708,924 | 2,221,504 | |||
1979年(昭和54年) | 520,230 | ←←←← | 1,778,346 | 2,298,576 | |||
1980年(昭和55年) | 548,040 | ←←←← | 1,744,318 | 2,292,358 | |||
1981年(昭和56年) | 532,320 | ←←←← | 1,687,454 | 2,219,774 | |||
1982年(昭和57年) | 487,950 | ←←←← | 1,628,709 | 2,116,659 | 11月16日 | 8,674 | |
1983年(昭和58年) | 455,700 | ←←←← | 1,650,683 | 2,106,383 | 11月8日 | 11,237 | |
1984年(昭和59年) | 440,490 | ←←←← | 1,733,085 | 2,173,575 | 11月6日 | 9,133 | |
1985年(昭和60年) | 495,900 | ←←←← | 1,669,176 | 2,135,076 | 11月12日 | 9,268 | |
1986年(昭和61年) | 464,130 | ←←←← | 1,645,172 | 2,109,302 | 11月11日 | 8,270 | |
1987年(昭和62年) | 433,530 | ←←←← | 1,557,163 | 1,990,693 | 11月10日 | 9,499 | |
1988年(昭和63年) | 413,250 | ←←←← | 1,490,881 | 1,904,131 | 11月8日 | 8,552 | |
1989年(平成元年) | 391,770 | ←←←← | 1,509,782 | 1,901,552 | 11月14日 | 8,309 | |
1990年(平成2年) | 417,300 | ←←←← | 1,728,115 | 2,145,415 | 11月6日 | 9,318 | |
1991年(平成3年) | 426,450 | ←←←← | 1,723,890 | 2,150,340 | |||
1992年(平成4年) | 435,810 | ←←←← | 1,627,901 | 2,063,711 | 11月10日 | 9,845 | |
1993年(平成5年) | 417,990 | ←←←← | 1,490,203 | 1,908,193 | |||
1994年(平成6年) | 407,010 | ←←←← | 1,394,097 | 1,801,107 | |||
1995年(平成7年) | 385,950 | ←←←← | 1,246,556 | 1,632,506 | 12月5日 | 5,902 | |
1996年(平成8年) | 345,210 | ←←←← | 1,141,157 | 1,486,367 | |||
1997年(平成9年) | 321,300 | ←←←← | 1,050,356 | 1,371,656 | |||
1998年(平成10年) | 280,140 | ←←←← | 932,199 | 1,212,339 | |||
1999年(平成11年) | 250,470 | ←←←← | 829,004 | 1,079,474 | |||
2000年(平成12年) | 248,520 | ←←←← | 803,850 | 1,052,370 | |||
2001年(平成13年) | 240,240 | ←←←← | 780,271 | 1,020,511 | |||
2002年(平成14年) | 226,230 | ←←←← | 752,908 | 979,138 | |||
2003年(平成15年) | 216,180 | ←←←← | 752,757 | 968,937 | |||
2004年(平成16年) | 214,470 | ←←←← | 722,776 | 937,246 | |||
2005年(平成17年) | 203,490 | ←←←← | 694,009 | 897,499 | 11月8日 | 4,376 | |
2006年(平成18年) | 197,940 | ←←←← | 697,164 | 895,104 | |||
2007年(平成19年) | 192,720 | ←←←← | 716,018 | 908,738 | |||
2008年(平成20年) | 191,490 | ←←←← | 642,553 | 834,043 | 11月18日 | 3,752 | |
2009年(平成21年) | 177,300 | ←←←← | 568,025 | 745,325 | |||
2010年(平成22年) | 178,140 | ←←←← | 556,023 | 734,163 | 11月9日 | 3,498 | |
2011年(平成23年) | 172,350 | ←←←← | 515,964 | 688,314 | |||
2012年(平成24年) | 177,750 | ←←←← | 529,417 | 707,167 | 11月13日 | 3,151 | |
2013年(平成25年) | 179,610 | ←←←← | 670,179 | 849,789 | |||
2014年(平成26年) | 173,910 | ←←←← | 544,284 | 718,194 | |||
2015年(平成27年) | 177,720 | ←←←← | 570,496 | 748,216 | 11月10日[42] | 3,848 | |
2016年(平成28年) | 172,680 | ←←←← | 574,269 | 746,949 | 伊勢志摩サミット | ||
2017年(平成29年) | 165,330 | ←←←← | 564,902 | 730,232 | |||
2018年(平成30年) | ←←←← | 11月13日[43] | 3,741 |
駅周辺
- JR側
- 近鉄側
- 国道42号
- ミキモト真珠島
- イルカ島
- 鳥羽一番街(土産物店・食堂が複数入居のビル。鳥羽駅と直結。ゆうちょATM設置)
- 鳥羽国際ホテル
- 鳥羽マルシェ
- 鳥羽港佐田浜桟橋(鳥羽マリンターミナル)
- 鳥羽港伊勢湾フェリーターミナル(伊良湖航路、近鉄志摩線の中之郷駅の方が近い)
- 鳥羽水族館(徒歩約15分。近鉄志摩線の中之郷駅の方が近い)
- 御木本幸吉翁像(ミキモト真珠島内にある像とは異なり、老年期の幸吉を模した像である)
バス路線
長らく駅敷地内ではなく国道42号を挟んだ向かい側の鳥羽バスセンターのみであったが、2012年(平成24年)4月に近鉄鳥羽駅敷地内にかもめバス(鳥羽市営路線バス)鳥羽駅バス停が新設された[19]。鳥羽バスセンターは駅と連絡橋でつながっている。鳥羽バスセンターと鳥羽駅の双方に乗り入れる便は少なく、便によりどちらか一方に乗り入れる[44]。
鳥羽バスセンター
1番乗り場
2番乗り場
3番乗り場
鳥羽駅バス停
2019年4月現在(乗り場番号なし)[47]
- かもめバス
- 1系統 安楽島
- 2系統 ウィスタリアン前
- 1・2・3系統 小浜漁協前
- 3・4系統 鳥羽小学校
- 5系統 鳥羽マリンターミナル(佐田浜)
- 5系統 国崎
隣の駅
- 近畿日本鉄道
- M 鳥羽線・M 志摩線
脚注
- 注釈
- 出典
- ^ a b c d e f g h i 朝日新聞出版(2013):27ページ
- ^ a b 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 25号 紀勢本線・参宮線・名松線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年1月10日、25頁。
- ^ a b c d e 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄』 2号 近畿日本鉄道 1、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年8月22日、18-23頁。
- ^ 鳥羽市史編さん室 1991, p. 1286.
- ^ a b c d e f g “鳥羽市観光基本計画-資料編別冊- 鳥羽の観光史略年表”. 鳥羽市役所 (2008年). 2015年7月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年7月25日閲覧。
- ^ 鳥羽市史編さん室 1991, pp. 177–178.
- ^ a b c d 鳥羽市史編さん室編(1991):226ページ
- ^ 鳥羽市史編さん室編(1991):347ページ
- ^ 「雨が降っても大丈夫 鳥羽驛 "屋根なしホーム"近く解消」伊勢新聞 1953年9月3日付 3面、「わが街 わが村」伊勢新聞 1953年11月9日付 2面
- ^ a b 鳥羽市史編さん室編(1991):445ページ
- ^ 近畿日本鉄道株式会社『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年12月、306頁。全国書誌番号:21906373。
- ^ 鳥羽市史編さん室 1991, p. 445.
- ^ 鳥羽市史編さん室 1991, p. 447.
- ^ 1974年(昭和49年)9月12日日本国有鉄道公示第208号「駅の営業範囲の改正」
- ^ 1982年(昭和57年)9月30日日本国有鉄道公示第113号「駅の営業範囲の改正」
- ^ 1985年(昭和60年)3月12日日本国有鉄道公示第181号「駅の営業範囲の改正」
- ^ 三浦衛「パワーアップした快速気動車<みえ>」『鉄道ジャーナル』第325号、鉄道ジャーナル社、1993年11月、91 - 92頁。
- ^ "平成19年4月1日から、近鉄主要路線でICカードの利用が可能になります" (pdf) (Press release). 近畿日本鉄道. 30 January 2007. 2016年3月13日閲覧。
- ^ a b 総務課公報情報係 編 2012, p. 8.
- ^ 「ご当地入場券でめぐる旅 近鉄10駅」朝日新聞2015年8月29日付朝刊、名古屋版31ページ
- ^ “鳥羽1番街のとっておき 9月vol.3”. 鳥羽一番街 (2015年9月22日). 2019年11月7日閲覧。
- ^ a b c 朝日新聞出版(2014):28ページ
- ^ 『HAND BOOK 2010』、近畿日本鉄道総合企画部編、2010年9月
- ^ 川島令三、『東海道ライン 全線・全駅・全配線 第8巻 名古屋南部・紀勢東部』、p.23、 講談社、2009年9月、ISBN 978-4062700184
- ^ a b 鳥羽市史編さん室編(1991):385 - 386ページ
- ^ 永井啓吾「南部 避難10分以内に 鳥羽市①」朝日新聞2014年11月4日付朝刊、三重版23ページ
- ^ “アクセス”. 伊勢志摩バリアフリーツアーセンター. 2019年11月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 近鉄時刻表2018年3月17日ダイヤ変更号、p.150 - p.157・p.162 - p.184・p.308 - p.315・p.320 - p.342
- ^ 近鉄時刻表2014年9月21日ダイヤ変更号、p.146 - p.153・p.158 - p.180・p.304 - p.311・p.316 - p.338
- ^ 近鉄時刻表2016年3月19日ダイヤ変更号、p.146 - p.153・p.158 - p.180・p.304 - p.311・p.316 - p.338
- ^ “参宮線時刻表”. 東海旅客鉄道. 2016年9月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月7日閲覧。
- ^ a b c 近鉄時刻表2018年3月17日ダイヤ変更号、p.70 - p.87
- ^ 特記しない限り、各年版「三重県統計書」による。
- ^ 鳥羽市史編さん室編(1991):302 - 304ページ
- ^ 鳥羽市史編さん室編(1991):452ページ
- ^ a b 鳥羽市史編さん室 編(1991):119ページ
- ^ a b c d e f g h i j k l m 鳥羽市史編さん室 編(1991):225ページ
- ^ a b c d e 鳥羽市史編さん室 編(1991):303ページ
- ^ 特記しない限り、各年版『三重県統計書』による。
- ^ 鳥羽市史編さん室 編(1991):224ページ
- ^ 特記しない限り、乗車人員は各年版「三重県統計書」、乗降人員調査結果は近鉄広報発行パンフレット「きんてつ」による。
- ^ “駅別乗降人員 山田線 鳥羽線 志摩線”. 近畿日本鉄道. 2016年8月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月8日閲覧。
- ^ 駅別乗降人員 鳥羽線 - 近畿日本鉄道
- ^ “かもめバス時刻表”. 三重交通・鳥羽市地域公共交通会議 (2019年4月1日). 2019年12月5日閲覧。
- ^ a b “鳥羽バスセンター発かもめバス時刻表”. 鳥羽市定期船課管理係 (2019年4月1日). 2019年12月6日閲覧。
- ^ a b c “鳥羽バスセンター”. 主要停留所案内図・時刻表. 三重交通. 2019年12月6日閲覧。
- ^ “鳥羽駅発かもめバス時刻表”. 鳥羽市定期船課管理係 (2019年4月1日). 2019年12月6日閲覧。
参考文献
- 鳥羽市史編さん室『鳥羽市史 下巻』鳥羽市役所、1991年3月25日、1347頁。全国書誌番号:92001549
- 総務課公報情報係 編 編『広報とば 2012年3月1日号』総務課公報情報係〈No.1256〉、2012年3月1日、28頁 。
- 『週刊JR全駅・全車両基地 No.45』朝日新聞出版、2013年6月30日、34p. 全国書誌番号:22263803
- 『週刊私鉄全駅・全車両基地 No.06 近畿日本鉄道②』朝日新聞出版、2014年1月26日、35p. 全国書誌番号:22347638