「平井信号場」の版間の差分
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|画像説明 = 下り列車内から撮影(2009年11月) |
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|よみがな = ひらい |
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|ローマ字 = Hirai |
|ローマ字 = Hirai |
2020年2月15日 (土) 09:50時点における版
平井信号場* | |
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下り列車内から撮影(2009年11月) | |
ひらい Hirai | |
◄NH02 伊奈 (1.2 km) (3.8 km) 豊橋 NH01► | |
愛知県豊川市平井町神明 | |
所属事業者 | 名古屋鉄道(名鉄) |
所属路線 | 名古屋本線 |
キロ程 | 3.8 km(豊橋起点) |
開業年月日 | 1927年(昭和2年)6月1日 |
備考 | *1987年 平井信号所より改称 |
平井信号場* | |
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◄下地 (1.7 km) (0.5 km) 小坂井► | |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 飯田線 |
キロ程 | 3.9 km(豊橋起点) |
電報略号 | ヒイ←ヒヰ |
開業年月日 | 1927年(昭和2年)6月1日 |
廃止年月日 | 1963年(昭和38年)12月17日 |
備考 | *1943年 平井信号所より改称 |
平井信号場(ひらいしんごうじょう)は、愛知県豊川市平井町神明にある名古屋鉄道(名鉄)名古屋本線[1][2]の信号場である。
名鉄名古屋本線と東海旅客鉄道(JR東海)飯田線の分岐点である。JRの前身である日本国有鉄道(国鉄)時代には飯田線側にも平井信号場が存在したが、1963年(昭和38年)に廃止、小坂井駅に統合され[3]、現在では小坂井駅の構内扱いとなっている[2]。
豊橋駅と平井信号場の間は、名鉄は3.8 km としている[1]が、国鉄は3.9 km としていた[3]。
構造
複線の名鉄名古屋本線と同じく複線のJR飯田線の分岐・合流点である。下り線の分岐点は両開き形で、分岐後JR飯田線は右手にそれて築堤上を通る名鉄の上り線をアンダークロスし、豊川方面へ向かう。一方豊橋方面へ向かう上り線の合流点は、名鉄名古屋本線側が直線でJR飯田線がそれに合流する形をとる[4]。
元々は名鉄名古屋本線の前身である愛知電気鉄道と飯田線の前身である豊川鉄道が、1927年(昭和2年)にそれぞれの単線を共有して複線として運行を開始したのが始まりで、その分岐点として設置されたのがこの信号場である[3]。豊川鉄道の国有化後は南側の下り線を国鉄、北側の上り線を名鉄が所有する形式に切り替えられた[2]が、それは国鉄が民営化されてJR東海となった現在も変わっていない[4]。
豊川鉄道国有化後は国鉄(後にJR東海)側が信号の操作などを担当している。国鉄は1963年(昭和38年)に平井信号場の操作を行う信号扱所を小坂井駅に設け、それに伴って信号場を小坂井駅構内扱いとしたが、名鉄側は扱いを変更していない[2]。
歴史
- 1927年(昭和2年)6月1日 - 豊川鉄道、平井信号所を新設[3]。愛知電気鉄道(後の名鉄)も新設[1]。
- 1943年(昭和18年)8月1日 - 豊川鉄道が戦時買収により国有化。省線側では法令に従って平井信号所を平井信号場に改称[3](名鉄側は変更せず平井信号所のまま[2])。
- 1963年(昭和38年)12月17日 - 国鉄の平井信号場を小坂井駅構内扱いとする[3]。
- 1987年(昭和62年) - 国鉄民営化に伴う法令の統一に伴い、名鉄が平井信号所を平井信号場に改称[2]。
隣の駅
関連項目
脚注
参考文献
- 石野哲(編) 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』、JTB、1998年。ISBN 978-4-533-02980-6
- 今尾恵介監修 『日本鉄道旅行地図帳』7号東海、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790025-8
- 川島令三 『東海道ライン全線・全駅・全配線』第4巻 豊橋駅-名古屋エリア、講談社、2009年。ISBN 978-4-06-270014-6
- 岩成政和「信号場と信号所 乗り降りできない停車場の話題」『鉄道ピクトリアル』第882巻、電気車研究会、2013年11月。