利用者:桂鷺淵/寛政譜/a04
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『寛政重修諸家譜』巻92~巻128
- 『寛政重修諸家譜 第一輯』(国民図書、1922年) 巻1~巻200を収録
- 国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082717/2
▲前 |
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巻92-93:三河吉良
[編集]巻第九十二
[編集]§92-1
[編集](1)
[編集]吉良 | 吉良長氏以来の系譜。吉良尊義を経て吉良持広に至る家(東条吉良)を本流とし、吉良満貞末裔(西条吉良)の吉良義安が継ぐ系図。 | 旧刊本 274 |
(2) 義安以後
[編集]吉良 ―― |
吉良上野介義弥が秀忠に拝謁。高家の任を担い3000石。 | 旧刊本 274 |
§92-2
[編集]吉良 左馬四郎 義質 |
吉良義冬(92-1)の二男・東条能登守義叔が召し出される。 本家(吉良左兵衛義周家)が絶えたため、三郎左衛門義孚が請うて家名を吉良に改める。 |
旧刊本 276 |
巻第九十三
[編集]§93-1
[編集]荒川 新右衛門 定候 |
吉良義定(92-1)の二男・荒川出羽守定安が召し出される。 荒川丹波守持暇は近侍の職務上の失態で父に預けられる。 荒川丹波守定昭は駿府城守衛時の不始末で預処分、のち赦免され知行を回復。 |
旧刊本 276 |
§93-2
[編集]一色 靫負 定之 |
吉良義定(92-1)の三男・一色内匠定堅は駿河大納言忠長に仕え、浪人後家光に出仕し御書院番士。 一色内匠定尚は御書院番など務め、知行500石。 |
旧刊本 277 |
巻94:今川・品川
[編集]巻第九十四
[編集]§94-1
[編集](1)
[編集]今川 | 旧刊本 278 |
(2) 義元以後
[編集]今川 主馬 義彰 |
旧刊本 278 |
§94-2
[編集]品川 内膳 高美 |
旧刊本 280 |
§94-3
[編集]品川 権大夫 高政 |
品川高久の二男・権大夫高寛が別家を立てる。 | 旧刊本 281 |
巻95-96:瀬名
[編集]巻第九十五
[編集]§95-1
[編集]瀬名 源太郎 貞如 |
今川貞世以来の系譜(遠江今川氏)。瀬名十右衛門政勝が家康に仕える。 | 旧刊本 282 |
巻第九十六
[編集]§96-1
[編集]瀬名 伝右衛門 貞刻 |
瀬名清貞(95-1)の長男・瀬名藤三郎貞正が家を立て、甲府徳川家附属。 瀬名孫九郎信秀が家を継ぐが、妻の父・神部保平(1340-5)の家の処分に連座し閉門、赦免のないまま死去。 貞正の功績により他家より養子を迎えて嗣がせることが許される。 瀬名伝右衛門貞隅は甲府徳川家書院番頭、家宣の西の丸入りに従い知行500石。 |
旧刊本 283 |
§96-2
[編集]瀬名 才次郎 貞宣 |
瀬名貞正(96-1)の三男・瀬名権之助信次が家綱に拝謁、御書院番。 | 旧刊本 284 |
§96-3
[編集]瀬名 ―― |
瀬名氏明の二男(95-1)・今川平右衛門貞国は武田勝頼夫人(北条夫人)の養子に迎えられたという。 武田氏滅亡後家康に仕え知行200石。小左衛門貞利(氏利・貞信)のとき家名を瀬名に復す。 瀬名十右衛門義行(御納戸頭)は職務怠慢に加え遊所での「不作法な始末」を咎められ切腹、子2人も賜死。 |
旧刊本 284 |
§96-4
[編集]瀬名 弥三郎 貞正 |
今川貞国(96-3)の二男・源三郎広国が召し出され家光に御目見得。
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旧刊本 285 |
巻97:その他の今川庶流・武蔵吉良
[編集]巻第九十七
[編集]§97-1
[編集]堀越 市之進 貞繁 |
呈譜と寛永譜とで「堀越定吉(堀越貞吉)」の祖先について相違があり、考証を付す。 呈譜によれば、今川貞延(遠江今川氏)の末裔であり、その二男・治部少輔貞基より堀越氏と称し、 寛政譜では、堀越佐渡守定久が上野国小泉城主富岡主税助に仕え、堀越伊予守定吉が菅沼定利に属し、 |
旧刊本 285 |
§97-2
[編集]堀越 政吉 政方 |
堀越内匠定次(97-1)の二男・堀越五兵衛定正が忍城番となり、のち江戸に召される。
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旧刊本 286 |
§97-3
[編集]高林 五郎吉 利長 |
高林家は今川庶流という。高林市左衛門吉利が家康に仕え、代官・360石。 歴代加増を受け、高林河内守利春は御小姓・御徒頭・御書院番士を歴任し2210石。 高林市左衛門利要は御書院番・御使番・御先鉄砲頭(盗賊改)を歴任するが、 家内で発生した殺人事件で虚偽報告を行い、800石に減知の上閉門。 |
旧刊本 286 |
§97-4
[編集]高林 弥十郎 利直 |
高林利之(97-3)の二男・高林権七郎寿久が綱吉に召し出され御小姓。甥の高林利要から500石を分知される。
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旧刊本 287 |
§97-5
[編集]吉良 式部 義房 |
吉良義継以来の系譜。中世の武蔵吉良氏。吉良左兵衛佐氏朝が家康に拝謁。 左兵衛佐頼久は最大知行1820石、吉良苗字は一人に限るべしとの家康の命により蒔田氏と改める。 蒔田左兵衛義成が表高家となる。河内守義俊は奥高家を務め石高1420石、家名を吉良に改める。 |
旧刊本 288 |
巻98-99:畠山
[編集]巻第九十八
[編集]§98-1
[編集]畠山 二郎四郎 国儔 |
(Category:高家河内畠山家) 室町・戦国期の河内畠山氏。畠山義純以来の系譜。政長まで略。
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旧刊本 289 |
§98-2
[編集]畠山 弥太郎 義敷 |
畠山政信(98-1)の二男・畠山与兵衛義玄が家を立てる。
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旧刊本 291 |
§98-3
[編集]畠山 帯刀 高致 |
畠山政信(98-1)の三男・畠山左源太高玄が家を立てる。
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旧刊本 292 |
巻第九十九
[編集]§99-1
[編集]畠山 織部 義福 |
(Category:高家能登畠山家) 室町・戦国期の能登畠山氏。畠山満則からの系譜、義統まで略。 |
旧刊本 292 |
§99-2
[編集]上杉 兵部 義長 |
(Category:高家上杉家)畠山義春(99-1)の二男・上杉源四郎長員が立てた家。 | 旧刊本 294 |
§99-3
[編集]畠山 ―― |
医師(曲直瀬玄朔門下)の畠山玄昌(景吉・幽庵)の家。畠山尾州家の流れかとする考証あり。玄昌で記録は途絶。元禄年間に「不法の所行」により死罪に処せられた畠山元悦はその末裔か。 | 旧刊本 295 |
巻100-102:榊原
[編集]巻第百
[編集]§100-1
[編集]榊原 式部大輔 政敦 |
旧刊本 295 |
巻第百一
[編集]§101-1
[編集]榊原 |
榊原勝政は康勝の二男。「ゆえありて」後継者にならず、熊本加藤家(嫡母の実家)に寓居。加藤忠広改易後1000俵が仮に支給されたが遁世、その後池田光政(従兄)のもと岡山に寓居。子の勝直が出仕して幕臣となる。榊原勝岑が宗家を継承。 | 旧刊本 300 |
§101-2
[編集]榊原 |
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旧刊本 301 |
§101-3
[編集]榊原 |
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旧刊本 301 |
巻第百二
[編集]§102-1
[編集]榊原 |
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旧刊本 303 |
§102-2
[編集]榊原 |
榊原久寛が宗家・照休の養子となり、家禄収公
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旧刊本 304 |
§102-3
[編集]榊原 |
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旧刊本 304 |
§102-4
[編集]榊原 |
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旧刊本 305 |
§102-5
[編集]榊原 |
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旧刊本 306 |
巻103-104:向井
[編集]巻第百三
[編集]§103-1
[編集]向井 |
旧刊本 306 |
巻第百四
[編集]§104-1
[編集]向井 |
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旧刊本 309 |
§104-2
[編集]向井 |
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旧刊本 310 |
§104-3
[編集]向井 |
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旧刊本 310 |
§104-4
[編集]向井 |
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旧刊本 311 |
巻105-107:細川
[編集]巻第百五
[編集]清和源氏(義家流 新田庶流) |
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§105-1
[編集]細川 |
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旧刊本 311 |
巻第百六
[編集]§106-1
[編集]細川 |
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旧刊本 324 |
§106-2
[編集]細川 |
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旧刊本 324 |
§106-3
[編集]細川 |
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旧刊本 325 |
巻第百七
[編集]§107-1
[編集]細川 |
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旧刊本 327 |
§107-2
[編集]三淵 |
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旧刊本 327 |
巻108-109:島津
[編集]巻第百八
[編集]清和源氏(為義流) |
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§108-1
[編集]島津 |
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旧刊本 329 |
巻第百九
[編集]§109-1
[編集]島津 |
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旧刊本 343 |
§109-2
[編集]島津 |
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旧刊本 344 |
巻110-111:野々山
[編集]巻第百十
[編集]§110-1
[編集]野々山 |
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旧刊本 345 |
§110-2
[編集]野々山 |
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旧刊本 347 |
§110-3
[編集]上田 |
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旧刊本 347 |
巻第百十一
[編集]§111-1
[編集]野々山 |
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旧刊本 348 |
§111-2
[編集]野々山 |
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旧刊本 348 |
§111-3
[編集]野々山 |
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旧刊本 349 |
§111-4
[編集]野々山 |
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旧刊本 350 |
巻112-113:立花
[編集]巻第百十二
[編集]§112-1
[編集]立花 |
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旧刊本 350 |
巻第百十三
[編集]§113-1
[編集]立花 |
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旧刊本 354 |
§113-2
[編集]立花 |
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旧刊本 356 |
§113-3
[編集]立花 |
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旧刊本 356 |
§113-4
[編集]立花 |
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旧刊本 357 |
巻114:大友
[編集]巻第百十四
[編集]§114-1
[編集]大友 |
旧刊本 357 |
§114-2
[編集]大友 |
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旧刊本 359 |
§114-3
[編集]松野 |
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旧刊本 360 |
巻115:本堂
[編集]巻第百十五
[編集]§115-1
[編集]本堂 大和守 親房 |
本堂氏(Category:本堂氏)は源頼朝の末裔を称する。頼朝と、伊東祐親の三女〔八重姫〕の間に生まれた子(千鶴丸)は祐親に殺害されたとされるが、家伝によれば、実は生き延びて源忠頼と名乗り、奥州和賀に住して「和賀の御所」と呼ばれたという〔和賀氏〕。この忠頼の三男・忠朝が出羽本堂の城を攻め落として住し、本堂氏を称したとされる。本堂伊勢守忠親は小田原に参陣、出羽本堂8980石余を安堵。和賀嫡流和賀秀親の家督を継いだともいう〔和賀忠親と混同か〕。某年死す。本堂伊勢守茂親は関ヶ原に際して本堂城を守備、小野寺義道と戦い、戦後常陸志筑8500石余に移される。栄親は弟の親澄に500石を分与。 | 旧刊本 360 |
巻116-117:木曾
[編集]巻第百十六
[編集]§116-1
[編集]木曾 |
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旧刊本 362 |
§116-2
[編集]馬場 |
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旧刊本 362 |
§116-3
[編集]馬場 |
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旧刊本 364 |
巻第百十七
[編集]§117-1
[編集]千村 |
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旧刊本 365 |
§117-2
[編集]千村 |
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旧刊本 366 |
§117-3
[編集]千村 |
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旧刊本 366 |
§117-4
[編集]千村 |
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旧刊本 367 |
巻118-125:石川
[編集]巻第百十八
[編集]清和源氏(義時流) |
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§118-1
[編集]石川 主殿頭 総師 |
源義家の子・源義時の末裔とする家(石川源氏)。義時の子・源義基が河内国石川郡を領する。南北朝時代には下野小山氏を頼り、小山氏の娘を娶って小山を称する。室町時代の文安年間に石川政康(小山政康)が本願寺蓮誉〔蓮如〕とともに三河に入るという。
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旧刊本 367 |
巻第百十九
[編集]§119-1
[編集]石川 |
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旧刊本 371 |
§119-2
[編集]石川 |
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旧刊本 372 |
§119-3
[編集]石川 |
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旧刊本 372 |
§119-4
[編集]石川 |
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旧刊本 374 |
巻第百二十
[編集]§120-1
[編集]石川 |
旧刊本 374 |
§120-2
[編集]石川 |
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旧刊本 375 |
§120-3
[編集]石川 |
石川数正の家。石川康正は石川清兼の長男 | 旧刊本 375 |
§120-4
[編集]石川 |
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旧刊本 376 |
巻第百二十一
[編集]§121-1
[編集]石川 |
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旧刊本 377 |
§121-2
[編集]石川 |
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旧刊本 377 |
§121-3
[編集]石川 |
旧刊本 378 |
巻第百二十二
[編集]§122-1
[編集]石川 |
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旧刊本 379 |
§122-2
[編集]石川 |
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旧刊本 380 |
§122-3
[編集]石川 |
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旧刊本 380 |
§122-4
[編集]石川 |
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旧刊本 381 |
巻第百二十三
[編集]§123-1
[編集]石川 |
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旧刊本 382 |
§123-2
[編集]石川 |
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旧刊本 382 |
§123-3
[編集]石川 |
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旧刊本 382 |
§123-4
[編集]石川 |
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旧刊本 383 |
巻第百二十四
[編集]§124-1
[編集]石川 |
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旧刊本 384 |
§124-2
[編集]石川 |
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旧刊本 384 |
§124-3
[編集]石川 |
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旧刊本 385 |
巻第百二十五
[編集]§125-1
[編集]石川 |
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旧刊本 386 |
§125-2
[編集]石川 |
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旧刊本 386 |
§125-3
[編集]石川 |
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旧刊本 387 |
§125-4
[編集]石川 |
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旧刊本 387 |
巻126-127:森
[編集]巻第百二十六
[編集]§126-1
[編集]森 |
源義隆が相模国森を領したことによるという。
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旧刊本 388 |
巻第百二十七
[編集]§127-1
[編集]森 |
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旧刊本 392 |
§127-2
[編集]森 |
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旧刊本 392 |
§127-3
[編集]森 |
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旧刊本 393 |
§127-4
[編集]森 |
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旧刊本 394 |
巻128:押田
[編集]巻第百二十八
[編集]§128-1
[編集]押田 |
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旧刊本 394 |
§128-2
[編集]押田 |
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旧刊本 395 |
§128-3
[編集]押田 |
旧刊本 396 |
§128-4
[編集]押田 |
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旧刊本 396 |
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