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*[[飯田新七]](商人)- [[幕末]][[近江商人]]飯田家の婿[[養子]]となり、'''[[髙島屋]]'''・[[丸紅飯田|高島飯田]]の礎を築いた。 |
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2020年6月15日 (月) 22:12時点における版
つるがし 敦賀市 | |||||
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| |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 中部地方(北陸地方) | ||||
都道府県 | 福井県 | ||||
市町村コード | 18202-8 | ||||
法人番号 | 6000020182028 | ||||
面積 |
251.47km2 | ||||
総人口 |
61,591人 [編集] (推計人口、2024年12月1日) | ||||
人口密度 | 245人/km2 | ||||
隣接自治体 |
南条郡南越前町、三方郡美浜町 滋賀県:高島市、長浜市 | ||||
市の木 | マツ | ||||
市の花 | ハギ | ||||
市の鳥 | ユリカモメ | ||||
敦賀市役所 | |||||
市長 | 米澤光治 | ||||
所在地 |
〒914-8501 福井県敦賀市中央町二丁目1番1号 北緯35度38分42.7秒 東経136度3分19.8秒 / 北緯35.645194度 東経136.055500度座標: 北緯35度38分42.7秒 東経136度3分19.8秒 / 北緯35.645194度 東経136.055500度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
特記事項 | 府省によっては、近畿地方 | ||||
ウィキプロジェクト |
敦賀市(つるがし)は、福井県の南西部にある市。嶺南地方に含まれ、日本海の敦賀湾に面している。原子力発電所が多く立地している。昆布の加工地として知られている。
概要
気候は季節風の強まる冬でも、日本海沿岸地域では比較的穏やかとされている。古代より畿内と北陸道を結ぶ北国街道の脇街道である西近江路(あるいは鯖街道、若狭街道、敦賀街道、七里半越とも(現国道161号、国道367号等))、深坂越、新道野越(現国道8号等)や木の芽街道(現国道476号等)、山陰道への丹後街道(現国道27号等)が通り、また畿内や瀬戸内海に繋がる水運を利用できる琵琶湖からは愛発関を越えてすぐ北側に位置するため交通の要衝とされ、街道沿いには氣比神宮が鎮座して鳥居前町が形成されて、敦賀港とともに発展した。 近代には、欧亜国際連絡列車の日本側の入口として、外国製の地球儀には、3都市から4都市のわずかの街しか記載されない日本の都市の1つとして、敦賀が含まれていた。(1970年代の昭和戦後期までこの形態の地球儀が国内でも販売されていた)現在も鉄道や高速道路の接合地であり、3本の直轄国道(8号、27号、161号)が走り、重要港湾敦賀港には、北海道行きのフェリー定期航路や、大韓民国行きのコンテナ船航路が開設されているなど、日本海側の交通の要衝である。街の歴史は古いが、越前国司配下、鎌倉時代の歴代守護配下、斯波氏配下、朝倉氏配下、酒井氏配下と移り変わる中、政庁が置かれた期間は少なく(桃山時代の短い大谷吉継時代が、敦賀全域を独立統括した唯一の地方政府であったといえる)、軍勢をもつほどの巨大寺社も無かったため、民間主導の商都の性格が強い。
明治期に短期間(現在の福井県の領域を統轄した時期は3年半)県庁所在地だったこと、第2次世界大戦前に市制を敷いた点や、市街地の規模から、福井県嶺南地方の代表都市とされている。2007年(平成19年)に市制施行70周年を迎えた。1960年代以降、原子力発電所や関連施設を誘致し、歴代の敦賀市長は1968年(昭和43年)発足の全国原子力発電所所在市町村協議会会長を務めている。
地理
市域は、令制国での越前国敦賀郡と区域が一致しているが、観光などでは「若狭」「若狭・敦賀」「近江・若狭・敦賀」などの地域区分が用いられることも多い。これは敦賀郡が木の芽峠で他の越前地域と交通遮断されていること、江戸時代に若狭藩(小浜藩)領であったことから敦賀より北の越前よりも風俗が若狭あるいは近江に近いことが理由とされている[1][2][3][4]。ちなみに、市境から琵琶湖までは直線5キロ程度である。
福井県の地方区分においては嶺南に含まれる。間投イントネーションがある嶺南方言が離されるとされる。
明治維新に伴う廃藩置県直後においては敦賀県が置かれた時期(短期間だがこの名が現在の福井県全域だった時期もある)もあるが、ほどなく分割され、現行の福井県だけではなく滋賀県に属したこともあった。現代においても、道州制が実施され仮に福井県が「北陸州」に含まれる場合、嶺南に属する敦賀市や小浜市の市長により「嶺北地方とは縁を切る」旨の発言もなされている[5][6]。
位置
敦賀市は、木ノ芽峠のすぐ南側で若狭湾の最も東に位置する。更に、日本海側と太平洋側が最も接近する地域(分水嶺)が敦賀湾と琵琶湖最北岸を結ぶ線である。琵琶湖の北端から市街地まで20kmも離れていないため、古くは平安時代から現在も琵琶湖と日本海を結ぶ水路建設の話が持ち上がっている[7]。※日本横断運河も参照。
地形
典型的な扇状地地形であり周囲三方を山に囲まれている。またリアス式海岸である若狭湾の東端に位置する。湾は海に入ると急激に水深が下がる天然の良港である。上記の理由により平地が少なく、市の大部分は山林で占められている。この平野(敦賀平野)は南東縁の敦賀断層と南西縁の野坂断層の活動に伴う沈降部に形成された沖積平野である。
気候
日本海側気候である。また、豪雪地帯対策特別措置法において豪雪地帯に指定されている。
- 気温 - 最高37.6℃(1918年8月13日、1917年7月31日)、最低-10.9℃(1904年1月27日)
- 最大降水量 - 211.2ミリ(1965年9月17日)
- 最大瞬間風速 - 47.9メートル(2018年9月4日)
- 最深積雪 - 196センチ(1981年1月15日)→五六豪雪
- 夏日最多日数 - 128日(2013年、2004年)
- 真夏日最多日数 - 75日(1939年)
- 猛暑日最多日数 - 18日(2010年)
- 熱帯夜最多日数 - 45日(2010年)
- 冬日最多日数 - 67日(1936年)
- 真冬日最多日数 - 4日(1936年)
敦賀特別地域気象観測所(敦賀市松栄町、標高2m)の気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 18.9 (66) |
20.5 (68.9) |
24.5 (76.1) |
30.0 (86) |
33.2 (91.8) |
36.8 (98.2) |
37.6 (99.7) |
37.6 (99.7) |
36.7 (98.1) |
31.0 (87.8) |
26.1 (79) |
21.4 (70.5) |
37.6 (99.7) |
平均最高気温 °C (°F) | 7.5 (45.5) |
8.0 (46.4) |
11.6 (52.9) |
17.6 (63.7) |
22.0 (71.6) |
25.3 (77.5) |
29.4 (84.9) |
31.5 (88.7) |
27.3 (81.1) |
21.7 (71.1) |
16.2 (61.2) |
10.7 (51.3) |
19.07 (66.33) |
日平均気温 °C (°F) | 4.5 (40.1) |
4.7 (40.5) |
7.8 (46) |
13.2 (55.8) |
17.8 (64) |
21.7 (71.1) |
25.8 (78.4) |
27.4 (81.3) |
23.4 (74.1) |
17.6 (63.7) |
12.3 (54.1) |
7.4 (45.3) |
15.3 (59.53) |
平均最低気温 °C (°F) | 1.6 (34.9) |
1.5 (34.7) |
3.9 (39) |
8.9 (48) |
13.7 (56.7) |
18.3 (64.9) |
22.7 (72.9) |
24.2 (75.6) |
20.0 (68) |
13.7 (56.7) |
8.5 (47.3) |
4.1 (39.4) |
11.76 (53.18) |
最低気温記録 °C (°F) | −10.9 (12.4) |
−10.5 (13.1) |
−9.6 (14.7) |
−1.7 (28.9) |
2.0 (35.6) |
7.9 (46.2) |
13.1 (55.6) |
14.1 (57.4) |
8.6 (47.5) |
2.7 (36.9) |
−1.0 (30.2) |
−6.2 (20.8) |
−10.9 (12.4) |
降水量 mm (inch) | 269.5 (10.61) |
166.9 (6.571) |
150.2 (5.913) |
118.7 (4.673) |
142.2 (5.598) |
165.7 (6.524) |
195.8 (7.709) |
125.5 (4.941) |
188.2 (7.409) |
135.2 (5.323) |
185.0 (7.283) |
282.4 (11.118) |
2,125.3 (83.672) |
降雪量 cm (inch) | 95 (37.4) |
70 (27.6) |
17 (6.7) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
1 (0.4) |
32 (12.6) |
215 (84.7) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 21.6 | 17.6 | 15.2 | 11.5 | 11.0 | 10.9 | 12.2 | 8.0 | 11.5 | 11.5 | 14.2 | 19.5 | 164.7 |
平均月間日照時間 | 62.3 | 76.2 | 124.4 | 167.1 | 176.6 | 136.4 | 146.5 | 201.6 | 139.5 | 145.8 | 106.5 | 77.3 | 1,560.2 |
出典:国土交通省気象庁 |
隣接する自治体
歴史
平安時代まで
- 氣比神宮創建
- 「古事記」「日本書紀」に「角鹿」[8]が記される。
- 大宝律令(701年完成)において「敦賀」に改称される。
- 北陸道の松原駅家が置かれていた[9]。
- 804年 渤海使が訪れ、交易が行われた。松原客館が置かれる(10世紀初期まで)。
- 10世紀から13世紀にかけて港湾都市として栄えて日宋貿易の拠点となった。
鎌倉時代から戦国時代
- 1336年 新田義貞が恒良親王と尊良親王を奉じて金ヶ崎城に入城、しかし、足利方の越前国守護である斯波高経らの軍勢に包囲され落城した。
- 朝倉氏が越前国を掌握した後は、朝倉氏一族の敦賀郡司が置かれる。
- 朝倉氏の勢力が若狭国にも及ぶ。
- 1575年 越前国平定のため柴田勝家を総大将とした織田信長軍が敦賀に入る(総勢10万5,000ともいわれる)。
- 1589年 大谷吉継が越前国敦賀城主となり、5万7,000石(敦賀郡、今立郡、丹生郡)を領有した。
江戸時代
日本海側から大坂へ至る北前船の寄港地として、江戸時代を通して栄えた。
- 1600年 結城秀康が越前国を領し、京極高次が若狭国を領する。
- 1623年 結城家が越後国へ国替えとなる。
- 1624年 京極忠高が若狭国に加え越前国敦賀郡を与えられ、小浜藩の知行地が確定する。
- 1634年 京極家が国替えとなり、酒井忠勝が小浜藩主(若狭国および越前国敦賀郡)となった。
- 1639年 加賀藩が、西廻り航路による大坂への輸送に成功する(北前船の発祥のひとつ)。
- 1642年 大凶作が敦賀を襲う。敦賀大火発生。
- 1672年 江戸幕府が河村瑞賢に対し、出羽国から大坂への航路開拓を命ずる(北前船の発祥のひとつ)。
- 1682年 若狭国小浜藩第2代藩主酒井忠直の次男酒井忠稠が、父の死去により同藩領のうちから越前国敦賀郡および近江国高島郡の内で1万石を分与されて敦賀藩を樹立。しかし敦賀郡の大部分は小浜藩が領していた。
- 1864年 京を目指していた水戸藩尊攘過激派が、敦賀郡新保で藩主直系徳川慶喜率いる討伐隊が来ると聞き投降。翌1865年、敦賀にて武田耕雲斎ら352人が粛清された(天狗党の乱)。
- 1866年8月7日 鳩原において水害が発生。小浜藩、関口恭孝以下17人が犠牲となる。
明治維新から第二次世界大戦まで
- 1869年8月1日(旧暦6月24日) - 版籍奉還後、敦賀藩主酒井忠経が知藩事(敦賀藩知事)に任命される。
- 1870年4月21日(旧暦3月23日) - 敦賀藩が鞠山藩と改称される。
- 1870年10月12日(旧暦9月17日) - 鞠山藩が廃止されて、小浜藩に編入される。
- 1871年8月29日(旧暦7月14日) - 廃藩置県により小浜藩が廃止され、敦賀は小浜県の所属となる。
- 1871年12月31日(旧暦11月20日) - 府県の再編により敦賀県が設置され、県庁所在地となる。
- 1876年8月21日 - 敦賀県が分割され、滋賀県に編入される。[1][10]
- 1881年2月7日 - 滋賀県から分離されて福井県に編入される。
- 1881年2月13日 - 滋賀県への復県運動が起こる[1][3]。
- 1882年3月10日 - 敦賀駅開業。
- 1889年7月 - 東海道本線の支線として米原駅 - 金ヶ崎駅(現敦賀港駅)間開通。
- 1892年 - 大和田荘七が大和田銀行を設立(建物は現在敦賀市みなとつるが山車会館別館にあたる)。
- 1896年7月 - 北陸本線敦賀駅 - 森田駅間開業。
- 1896年 - 敦賀港が対外貿易港に指定。
- 1899年 - 敦賀港が国際港として開港する。
- 1905年 - 石油貯蔵庫として赤レンガ倉庫が建てられる。
- 1907年 - 初めて電灯が灯る。
- 1909年 - 市内電話が開設される。
- 1910年 - 敦賀駅が現在地に移転。
- 1912年 - ウラジオストク(ロシア)航路に接続する欧亜国際連絡列車が新橋(1914年からは東京) - 金ヶ崎(後に敦賀港に改称)で運行される。
- 1917年 - 小浜線敦賀 - 十村間開業。
- 1918年 - ロシアの作曲家プロコフィエフがアメリカ合衆国への亡命途上、敦賀にて日本上陸。
- 1920年から1921年 - 日本赤十字社が祖国を失いシベリアに取り残されたポーランド孤児を救出。敦賀にて日本上陸。
- 1927年 - 大和田銀行新本店竣工。
- 1933年 - 大和田荘七が町庁舎を寄贈。
- 1940年 - 命のビザにより迫害を逃れてきたユダヤ人が敦賀港から日本に上陸。
- 1945年 - 敦賀空襲により被災。
第二次世界大戦後
- 1947年 - 市内路線バス営業開始。
- 1957年 - 北陸本線敦賀 - 米原間、現在の経路で交流電化開業。
- 1962年 - 北陸トンネル完成。
- 1962年4月 - 福井県立敦賀工業高等学校開校。
- 1963年1月 - 三八(サンパチ)豪雪、154cmの積雪を記録。
- 1968年 - 安政の大獄や桜田門外の変以来の歴史的なわだかまりがあった水戸市と彦根市が、天狗党の乱に関わる当市の仲立ちにより親善都市の盟約を結ぶ[11]。
- 1970年3月 - 日本原子力発電敦賀発電所1号機(沸騰水型軽水炉)運転開始。関西電力へ売電され、同社の送電網を通じて大阪府吹田市で開催中の日本万国博覧会会場へ同社美浜発電所1号機(加圧水型軽水炉)と共に送電。
- 1970年8月 - 新日本海フェリーの舞鶴港 - 敦賀港 - 小樽港航路就航。
- 1972年 - 北陸トンネル列車火災事故発生。
- 1974年 - 現在の敦賀市本庁舎完成。
- 1974年4月1日 - 学校法人湖海学園昭英高等学校開校。
- 1974年8月 - 新日本海フェリー、敦賀 - 新潟 - 小樽航路就航。
- 1977年 - 北陸自動車道の武生IC - 敦賀IC間開通。
- 1980年 - 北陸自動車道の敦賀IC - 米原JCT間開通。名神高速道路に接続。
- 1981年1月 - 五六豪雪で196cmの積雪を記録。
- 1981年 - 大韓民国東海市と姉妹都市盟約締結。
- 1981年 - 国道27号金山バイパス、敦賀市岡山 - 野神間開通。
- 1985年 - 白木トンネル開通。
- 1985年 - 氣比神宮で昭和の大造営。
- 1986年 - 「えびす大黒綱引き」(相生町:旧西町)が「敦賀西町の綱引き」の名称で国の重要無形民俗文化財に指定。
- 1986年 - 学校法人敦賀学園敦賀女子短期大学開学(後に、学校法人敦賀学園敦賀短期大学となったのち、2013年3月末閉学)。
- 1986年 - 学校法人嶺南学園敦賀気比高等学校開校。
- 1986年 - 敦賀セメント・北陸電力共同岸壁が完成。
- 1986年 - 福井厚生年金健康福祉センター「サンピア敦賀」(現 ニューサンピア敦賀)(呉羽町)が開所。
- 1987年1月 - ズ・ダン号事件が起こる。
- 1987年2月 - 日本原子力発電敦賀発電所2号機(加圧水型軽水炉)運転開始。
- 1988年 - 国道8号敦賀バイパス余座 - 坂ノ下間開通。
- 1988年4月7日 - 学校法人嶺南学園敦賀気比高等学校付属中学校開校。
- 1988年 - 中郷古墳群が国の史跡に指定。
- 1988年 - 敦賀港鞠山北A岸壁供用開始。
- 1989年 - 嶺南ケーブルネットワークがケーブルテレビ放送開始。
- 1990年 - 大韓民国釜山 - 敦賀間定期コンテナ船就航。
- 1990年 - 敦賀港鞠山北C岸壁供用開始。
- 1990年 - 敦賀市プラザ萬象(ばんしょう)(東洋町)が開館。
- 1991年 - 敦賀港鞠山北B岸壁供用開始。
- 1991年 - 敦賀市立図書館(東洋町)が移転開館。
- 1991年 - 北陸電力敦賀火力発電所営業運転開始。
- 1992年 - 敦賀市清掃センター(櫛川)が完成。
- 1993年 - 国道27号金山バイパス野神 - 木崎開通。
- 1994年 - 「日本海さかな街」(若葉町一丁目)が開業。
- 1994年4月 - 敦賀市立看護専門学校開校。
- 1994年 - 旧動力炉・核燃料開発事業団の高速増殖炉「もんじゅ」初臨界(1995年初送電)。
- 1996年3月 - 国道8号敦賀バイパス田結 - 余座開通。これと同時に敦賀新港(鞠山埠頭)に接続。
- 1996年 - 大韓民国東海市との姉妹都市提携15周年を記念して、敦賀港と大韓民国を往復する「敦賀市民の船」を運航。
- 1997年5月 - 敦賀市みなとつるが山車会館開館。
- 1999年7月 - 敦賀港開港100周年記念事業「つるが・きらめき・みなと博21」開催。
- 1999年7月 - 新日本海フェリー、敦賀港 - 新潟港 - 秋田港 - 苫小牧港航路就航。
- 2001年 - 姉妹都市提携20周年を記念して敦賀港と大韓民国を往復する「敦賀市民の船」を運航。
- 2001年 - 中華人民共和国台州市と姉妹都市盟約締結。
- 2003年 - JR西日本小浜線直流電化開業。
- 2003年 - 国道476号木ノ芽峠トンネルが完成。
- 2004年3月 - 金ヶ崎緑地が臨港トンネル(金ヶ崎トンネル)とともに供用開始。
- 2004年3月 - 国道27号金山バイパス全通。
- 2005年 - 「男女共同参画宣言都市」となる。
- 2006年9月24日 - JR西日本北陸本線長浜駅 - 敦賀駅間、及び湖西線永原駅 - 近江塩津駅間を交流電化から直流電化へ切替。
- 2006年10月21日 - 敦賀駅までの直流電化に伴い、新快速電車を中心に直流電車が乗り入れ開始(直流電化開業)。
- 2008年11月15日 - 国道8号敦賀バイパス坂ノ下 - 小河口開通。これにより敦賀バイパス全通。
- 2013年3月31日 - 学校法人敦賀学園敦賀短期大学閉学。
- 2014年4月1日 - 公立大学法人敦賀市立看護大学開学。
- 2014年4月5日 - 敦賀駅交流施設オルパークがオープン。
- 2014年7月20日 - 舞鶴若狭自動車道小浜-敦賀JCT開通。これにより舞鶴若狭道は全通。
市域の変遷
- 1889年(明治12年)4月1日 - 町村制の施行により敦賀郡敦賀町が発足。
- 1937年(昭和12年)4月1日 - 市制施行。敦賀郡敦賀町・松原村が合併して敦賀市が発足。
- 1955年(昭和30年)1月15日 - 敦賀市が敦賀郡愛発村・粟野村・東郷村・中郷村・東浦村の近隣5村を編入合併。これにより市制施行以前の敦賀郡全域が敦賀市となる。
人口
敦賀市(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
行政
敦賀市
高浜町や大飯町(現おおい町)と共に、地方交付税(普通交付税)の不交付団体であったが、税収の落ち込みなどのため2010年度より22年ぶりに地方交付税の交付を受ける見通しとなった[12]。
歴代市長
歴代 | 氏名 | 在任期間 |
---|---|---|
1 | 森本一雄 | 1937年4月 - 1938年11月 |
2 | 若林義孝 | 1938年12月 - 1940年12月 |
3 | 末原貫一郎 | 1941年4月 - 1945年4月 |
4 | 田保仁左衛門 | 1945年4月 - 1946年9月 |
5 | 川原与作(2期) | 1947年4月 - 1955年4月 |
6 | 畑守三四治(3期) | 1955年4月 - 1967年4月 |
7 | 矢部知恵夫(3期) | 1967年4月 - 1979年4月 |
8 | 高木孝一(4期) | 1979年4月 - 1995年4月 |
9 | 河瀬一治(5期)[14] | 1995年4月 - 2015年4月 |
10 | 渕上隆信 | 2015年4月 - 現職 |
福井県
|
|
消防
- 敦賀美方消防組合
- 消防本部
- 敦賀消防署
- 気比分署
- 敦賀消防団
- 敦賀消防署
- 消防本部
国の機関
|
|
産業
工業
- 東洋紡 - 所在地は東洋町及び呉羽町(同社に合併した呉羽紡績が由来)と町名となっている。
- JX金属敦賀リサイクル(JXTGグループ)
- 栗田工業 - JX金属敦賀リサイクルの敷地内にあるが資本関係等は存在しない。
- 敦賀セメント(太平洋セメントグループ)
- 永大産業 - 所在地は永大町と町名となっている。
- 日本ピーエス
- ジャクエツ
運送業
農業・漁業
- 福井県農業協同組合
- 浦底漁港
- 立石漁港
- 白木漁港
電力・ガス業
- 日本原子力発電
- 日本原子力研究開発機構
- 北陸電力
- 敦賀火力発電所
- 疋田発電所
- 敦賀ガス
建設業
- 塩浜工業(観音町)
特産品
- コンブ加工 - 古代より蝦夷から運ばれて来た板昆布は、敦賀湊で陸揚げされ、琵琶湖を通じて京、大坂へ送られた。また出汁昆布、おぼろ昆布、とろろ昆布などに加工され、現在でも、全国の80%以上を生産している。
- かまぼこ、ちくわ
- へしこ
- ニシン寿司(麹漬け)
- 求肥昆布
- 水仙まんじゅう(くずまんじゅう)
- 豆落雁
- 堅パン
地域
市街地
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市街地(アーケード商店街を中心とした笙の川以東)と、新市街地(通称新木崎通り若葉交差点から昭和町交差点までの通りを中心とした笙の川以西)の二つに分けられる。敦賀空襲の後、区画整理されたため市街地でも戦前の面影がある町並みは一部にとどまる。
港町として栄えてきた市街地には各所に史跡・旧跡が立地し、農地はほとんどなく、大部分が住宅地か商業地である。敦賀駅から神楽町一丁目付近にかけてのアーケード街は全長2km以上という、都市規模から考えると大規模なものである[注釈 1]。このアーケードは、道路を挟む形で設置されており、商店等は片側にしか所在しない。向かい側へは、アーケードのない車道を横断する必要がある。敦賀駅からアル・プラザ付近にかけてはまだしも、全体として活気に乏しく、半ばシャッター通りと化しているが、更にその加速化を危惧する声もある。
国道8号に指定されているアーケード街の一部は、かつて北陸地方への幹線としてトラック等が行き交ったことから夜間にラーメンの屋台が出店するようになり、現在でも、市内外から屋台の「敦賀ラーメン」を目当てに客が訪れる。毎年9月初めの敦賀まつり期間中は、アーケード街に数多くの露天商が出店し大変混雑する。近年はやや規模が縮小したものの、1980年代ぐらいまでは露天商が氣比神宮を越えた神楽町商店街や住宅地の清水町まで溢れ、その数は1,000店を越える盛況であった。[要出典]
敦賀都市計画マスタープランによると、北陸新幹線敦賀駅駅舎整備事業と平行して東口を新設、現在の敦賀駅前通りを東へ延伸し国道8号敦賀バイパスに接続(福井県道271号敦賀駅東線、2022年度完成予定)、その周囲に「中高年齢層の利用も考慮した」商業施設や住宅施設を整備する計画となっている。国道8号敦賀バイパスの全通により、中心部の混雑緩和には貢献しているものの、観光客や運送業者等が素通りする空洞化の加速が危惧されている。そこで、バイパス全通による交通量の減少を見越して、旧来からの国道8号の車道・歩道等の整備が計画されている。
新市街地は、ほとんどが水田、畑であったが、2本の通りを中心として、商業地や住宅地(分譲マンション・賃貸アパート・戸建住宅)が広がっており、市の人口が横ばいのなか、微増傾向にある。特に片道2車線の福井県道142号松島若葉線(通称新木崎通り)周囲には、広い敷地を生かしたロードサイドショップが多く立地するようになった。高等学校や大学が近くに立地しているため、若者が集まりやすい。敦賀市本庁舎や敦賀警察署も、もとは旧市街地に立地していたが、この付近に移転した。新木崎通りの南端に「日本海さかな街」ができてからは、休日になると観光客が訪れるようになった。ただ、新市街地は駅から遠く、二次交通が未熟であることが難点である。
姉妹都市・提携都市
- 日本国内
- 日本国外
教育
幼稚園
- 敦賀市立敦賀北幼稚園(曙町)
- 敦賀市立松陵幼稚園(平和町)
- 学校法人早翠学園
- 早翠幼稚園(本町一丁目)
- 第二早翠幼稚園(市野々)
- 学校法人栄光学園
- 敦賀教会幼稚園(本町二丁目)
小学校
括弧内は所在地と2018年度の児童数。
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中学校
括弧内は所在地と2018年度の生徒数
- 敦賀市立粟野中学校(金山:652人)
- 敦賀市立気比中学校(清水町一丁目:406人)
- 敦賀市立松陵中学校(松葉町:531人)
- 敦賀市立角鹿中学校(角鹿町:148人)
- 敦賀市立東浦中学校(杉津:13人)
- 学校法人嶺南学園
- 敦賀気比高等学校付属中学校(沓見)
高等学校
- 福井県立敦賀高等学校(松葉町)
- 福井県立敦賀工業高等学校(山泉)
- 学校法人嶺南学園
- 敦賀気比高等学校(沓見)
大学
交通
陸上交通では、京都、米原、舞鶴、福井の四方との結節点となっている。また、海上交通では北海道への貨客フェリーが就航するほか、国際貨物航路も就航するなど物流の結節点となっている。
鉄道
中心駅はJR西日本敦賀駅である。2023年(令和5年)には北陸新幹線の駅も併設される予定。
路線バス
- 福鉄バス
- 敦賀市コミュニティバス(敦賀海陸運輸、敦賀観光バス及び福鉄バスに運行を委託)
- 湖国バス
以下の各社は高速バス。
主な道路
高速道路
一般国道
県道
- 主要地方道
- 一般県道
- 福井県道141号竹波立石縄間線
- 福井県道142号松島若葉線
- 福井県道143号松原粟野停車場線
- 福井県道204号大谷杉津線
- 福井県道207号今庄杉津線
- 福井県道209号五幡新保停車場線
- 福井県道210号余座若葉線
- 福井県道211号山櫛林線
- 福井県道225号敦賀美浜線
- 福井県道271号敦賀駅東線(2022年度完成予定)
港湾
- 敦賀港
- 浦底漁港
- 立石漁港
- 白木漁港
- 航路
マスメディア
新聞
- 朝日新聞社大阪本社福井総局敦賀支局
- 産業経済新聞社大阪本社福井支局敦賀通信部
- 毎日新聞社大阪本社敦賀駐在
- 読売新聞大阪本社敦賀支局
- 中日新聞社敦賀支局(別ブランドの日刊県民福井の支局も兼ねる)
- 福井新聞社敦賀支社
放送・通信
- NHK福井放送局嶺南支局(かつて、第1放送は大阪放送局管轄の敦賀放送局が置かれており、呼出符号はJOBK7であった。)
- FBC敦賀支社
- 福井テレビ敦賀支社
- HARBOR STATION(コミュニティ放送)
- 嶺南ケーブルネットワーク(ケーブルテレビ/ラジオ及びインターネットサービスプロバイダ)
名所・旧跡・観光スポット・祭事
景勝地
- 敦賀湾 - 越前加賀海岸国定公園、若狭湾国定公園の区域。
- 黒河渓谷
社寺・日本庭園
敦賀港周辺・博物館
- 敦賀港
- 金ヶ崎緑地
- 人道の港 敦賀ムゼウム
- きらめきみなと館
- 旧敦賀港駅舎
- 敦賀赤レンガ倉庫 - 国の登録有形文化財
- 洲崎の高灯籠
- 敦賀水産卸売市場 つるが大漁市場
- 敦賀市立博物館(旧大和田銀行)
- みなとつるが山車(やま)会館
- 紙わらべ資料館
- 立石岬灯台
旧跡
- 旧北陸線トンネル群(国の登録有形文化財)
- 中郷古墳群(国の史跡)
- 玄蕃尾城跡(国の史跡)
- 金ヶ崎城跡(国の史跡)、手筒山城跡
- 武田耕雲斎等墓(国の史跡)
- 疋壇城跡(福井県指定史跡)
- 疋田舟川用水路 - 琵琶湖と敦賀湾を運河で結ぶ計画の一環として、小浜藩が1815年に建設。
- 穴地蔵古墳(福井県指定史跡)
- 立洞古墳(二号墳)(福井県指定史跡)
- 洲崎の高灯籠(福井県指定史跡)
- 木の芽古道
- 深坂古道
- 敦賀城跡
- 愛発関跡 - 古代三関の一つ。
- 陸軍省歩兵第19連隊跡(敦賀連隊史蹟碑、歩哨舎等)
- 幸臨寺跡 三重塔を含む9棟の伽藍は敦賀空襲で焼失した。
その他
- 敦賀トンネル温泉
- 敦賀きらめき温泉リラ・ポート
- 日本海さかな街
- ニューサンピア敦賀
- 宇宙戦艦ヤマト、銀河鉄道999:敦賀駅から氣比神宮までの歩道にモニュメントが複数建っている。
- 敦賀ミラノ劇場 - 本町にあった映画館[16]。
- 敦賀東映会館 - 元町にあった映画館[16]。
- 敦賀第一劇場 - 相生町にあった映画館[16]。
- 敦賀アレックスシネマ - アル・プラザ敦賀にある映画館(シネコン)。2000年開館。4スクリーン[17]。運営は有限会社アレックス。
原子力発電広報施設
- 日本原子力研究開発機構 - アクアトム(神楽町二丁目、運営停止中)、アトムプラザ(木崎)、エムシースクエア(白木一丁目、運営停止中)
- 日本原子力発電 - 敦賀原子力館(明神町)、げんでんふれあいギャラリー(本町二丁目)
- 福井県 - 福井原子力センターあっとほうむ(吉河)
祭事
- 敦賀西町の綱引き(相生町):1月に漁師が夷子方、百姓が大黒方に分かれ、その年の大漁と五穀豊穣を願って競われる綱引きの伝統は、400年以上続くとされる[18]。国の重要無形民俗文化財。
- 氣比神宮例大祭と敦賀まつり(9月上旬)
- 花換まつり:金崎宮、4月上旬[19]
- とうろう流しと大花火大会:気比の松原において、送り火として行われる。(8月16日)
- 晴明の朝市(相生町):晴明神社の門前(博物館通り)で行われる。
- きらめきサマーフェスティバル(敦賀港)(7月海の日前後の週末)
- 敦賀港カッターレース(敦賀港)(7月海の日もしくは次の日曜)敦賀海洋少年団が1996年から実施。
関連人物
出身有名人
- 大和田荘七(明治期 - 昭和初期の実業家)
- 大和田金之助(商人)
- 大和田伸也、大和田獏(俳優の兄弟、商人・大和田荘兵衛の子孫)
- 飯田新七(商人)
- 熊谷三太郎(実業家、政治家)
- 西野嘉一郎(実業家)
- 竹中直純(実業家、プログラマー)
- 桑原隲蔵(東洋史学者。京都帝国大学教授)
- 桑原武夫(フランス文学者。評論家。上記、隲蔵の息子。文化勲章受章。京都大学人文科学研究所所長。実際は母の里帰り出産であるが、本人が両親の出身地である、敦賀の地を愛し、終生、敦賀出身と称し続けた)
- 島恭彦(財政学者。京都大学教授)
- 橋本進吉(国語学者。東京帝国大学教授)
- 稲垣達郎(国文学者。早稲田大学教授)
- 洲崎惠三(ドイツ文学者)
- 八木敏雄(アメリカ文学者)
- 辻茂(美術史学者)
- 芝田英昭(立教大学教授)
- 松木謙治郎(元プロ野球選手、元阪神タイガース監督)
- 小林利蔵(元プロ野球選手)
- 辻佳紀(元プロ野球選手、テレビタレント)
- 高橋里志(元プロ野球選手)
- 川崎泰央(元プロ野球選手)
- 岸一郎(野球選手、監督)
- 高木尚(ハンドボール選手)
- 植松俊行(サッカー選手)
- 三田村拓也(プロボクサー)
- 松村康世(女優)
- 峰さを理(女優、元宝塚歌劇団)
- 風見梢太郎(作家、2008年に執筆した長編小説「浜風受くる日々に」には敦賀の風物が多出)
- 髙木孝一(政治家)
- 高木毅(衆議院議員)
- 川島實(政治家)
- 河瀬一治(政治家、敦賀市長)
- 伊東一刀斎(敦賀出身とする書物がある)
- 山登義明(元NHKプロデューサー)
- 久ヶ沢徹(俳優)
- 吉田浩之(声楽家)
- 山下大裕(映画監督)
- 大谷喜久蔵(陸軍軍人、華族)
- 小出保太郎(世界最高齢男性)
- 小松英樹(囲碁棋士)
- 松木治三郎(牧師、神学者)
- 岡野陽一(巨匠)
- 三代真史(ジャズ舞踏家、振付家)
- 大橋陽山(書家)
- 井上白文地(俳人)
- 藤原定(詩人、評論家)
- もんじゅ君(キャラクター)- 敦賀市在住
ゆかりのある人物
- 都怒我阿羅斯等:朝鮮半島から日本に来たとされる伝説上の人物。
- 恒良親王:後醍醐天皇の皇子。金ヶ崎城にて捕われ、後に殺害された。金崎宮祭神。
- 尊良親王:後醍醐天皇の皇子。金ヶ崎城にて自害。金崎宮祭神。
- 大谷吉継:敦賀城主。関ヶ原の戦いで西軍につき自害。
- 武田耕雲斎:水戸藩士。天狗党首領。敦賀郡新保にて江戸幕府側に投降。一党は敦賀で幕府側に虐待され、武田をはじめその多くが処刑された。彼らに同情的であった敦賀と水戸には後日姉妹都市関係が誕生した。敦賀の歴史をまとめた本には、天狗党を手厚く待遇したとある。また、桜田門外の変における水戸と彦根の和解を仲介した場所は敦賀である。
- 籠手田安定:明治期の滋賀県令。滋賀県からの分離に際し、1881年2月、反対文書(若狭・越前四郡離脱に対する建議書[3])を、太政大臣三条実美と内務卿松方正義宛に送る。
- セルゲイ・プロコフィエフ:ロシアの作曲家。敦賀港にて日本上陸。
- 杉原千畝:外交官。「命のビザ」で知られる。ユダヤ系難民が敦賀港で上陸した。
- 古関裕而:「大敦賀行進曲」を作曲。敦賀の盆踊り曲の一つとして市民に知られる。
- 安部公房:作家。小説『箱男』の舞台は敦賀市である。同書に収録されている洋館の写真は、敦賀の歴史的建造物である旧大和田別荘(現在は解体)である。
- ブルーノ・タウト:建築家。来日の際に敦賀港に上陸。その模様は著書『ニッポン』にも記されている。
- 泉鏡花:作家。『高野聖』の冒頭に敦賀の駅前旅館でのシーンが登場する。
- 志賀直哉:作家。『暗夜行路』の中に敦賀が登場する。
- 芥川龍之介:作家。『芋粥』の中に敦賀が登場する。これは、「芋粥」が敦賀に伝わる昔話を題材にしているためである。
- 田山花袋:作家。紀行文の中で敦賀の風光を愛でている。
- アムンゼン:冒険家。敦賀港に寄港。
- かんべむさし:作家。関西学院大学在学中、広告研究会サマーストア出店のため毎夏を敦賀で過ごす。エッセイでしばしば回顧するほか、連作中篇「遠い街・恋の街」の最終話の舞台を敦賀に設定。
- 小泉武夫:発酵学者、食物エッセイスト。敦賀の魚介を愛し、しばしばエッセイで取り上げる。
- 実相寺昭雄:映画監督。長編映画第2作『曼陀羅』の舞台を敦賀に取る。京都と日本海に挟まれた北近畿地方の風土に強い関心を持ち、前作の琵琶湖畔、次作の丹波篠山とで三部作を構成した。
- 瀬戸内寂聴:作家。敦賀短期大学第2代学長。
- 海野弘:評論家・文化史家。日本のモダン建築を探訪した『光の街 影の街』の中で敦賀の旧大和田銀行や大和田別荘などを取り上げている。
- 池内紀:ドイツ文学者・エッセイスト。『日本風景論』(角川選書)の中で「幻の防壁――松島」と題して、敦賀を取り上げている。
- 五木寛之:作家。『五木寛之全紀行』(東京書籍)第5巻の中で、「陰のなかの陽・敦賀」と題して、敦賀を取り上げている。
- 林芙美子:作家。代表作『浮雲』は、主人公が敦賀港に降り立つ場面から始まる。
- 桜田淳子:歌手、女優。1992年から2000年にかけ、芸能活動を半引退の形で当市に在住。
- 松本零士 : 敦賀駅から氣比神宮までの歩道に、宇宙戦艦ヤマトと銀河鉄道999のモニュメントが複数建っており、それらを題材にした絵画コンクールで審査員を務める。
- 半井桃水(小説家)- 敦賀市の病院で死去
- 森可隆(武将)- 信長の命で朝倉方の籠もる越前敦賀・手筒山城を攻めた際に可隆も同行した。初陣の可隆は城に一番乗りを果たし、同城は陥落したが、可隆は深入りをし過ぎたため反撃を受けて討死した。享年19。美濃金山・可成寺に供養墓がある。
- 森本一雄(政治家)- 初代敦賀市長
- 橋本長兵衛(江戸時代の日本画家)-(浮世絵師)の名跡。越前敦賀において鷹の絵を書き長兵衛鷹絵として珍重されていた。
- 大谷吉治(武将)- 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは吉継と共に西軍に与し、北陸で前田勢を足止めした後、関ヶ原に移動。小早川秀秋の軍勢が西軍を裏切り、大谷隊はその攻撃を受けて奮戦するが、部隊は壊滅して父の吉継は自害した。吉治は敦賀に落ち延び再起を期そうとしたが、敦賀城の留守居も不穏な動きをしたため断念し、大坂に落ち延びたと軍記類に記されている[20]。
- 安島鉄次郎(志士)- 敦賀に立ち寄ったことがある
- 武内宿禰(記紀に伝わる古代日本の人物)- 皇后の命で太子を伴って角鹿の笥飯大神(福井県敦賀市の氣比神宮)を拝し、帰還後に開かれた宴では太子に代わって皇后に返歌した[21]。
- 根本新平(水戸藩士)- 斬刑
- 桃井直信(武将)- 越前金ヶ崎城と敦賀の南朝軍と戦った
- 井上武史 (経済学者) - 敦賀市役所職員、福井県立大学准教授
- 伊能忠敬(商人、天文学家)- 敦賀周辺を測量した
- 里見時成(武士)- 敦賀市金ヶ崎町の絹掛神社に、義貞の子義顕、瓜生保、由良具滋、気比氏治らと共に合祀されている。
- 野老朝雄(デザイナー)- 敦賀市オルパークの案内掲示マークや英数字のデザイン[22]
- 直井敏光(プロレスラー)- 敦賀市の北陸自動車道上り線で道路の右側斜面に衝突し横転事故を起こした。その後病院に搬送されたが同日12時40分、頭蓋骨骨折で死亡した。26歳没。
- 金輪五郎(志士)- 敦賀で捕縛された
- 野村嘉六(政治家、弁護士)- 敦賀の裁判所を歴任
- 飯田新七(商人)- 幕末近江商人飯田家の婿養子となり、髙島屋・高島飯田の礎を築いた。
- キム・イルジン(指揮者)- 1991年、日本の敦賀市で開かれた環日本海国際芸術祭に出演。
- 秋田実季(大名)
- 秋本真利(政治家)- 2014年1月7日に高速増殖炉もんじゅ視察のため福井県敦賀市を訪れた際、タクシーを予約しようとしたが、原発反対論者であることを理由として配車を断られた。タクシー会社側は謝罪したとしているが、秋本は不快感を示している。また、国土交通省中部運輸局も、問題のタクシー会社に対し再発防止策を取るよう求めている[23]。
- とだともこ(漫画家)- 漫画酒場ミモザの主な登場人物でマスター(姓は木村)が敦賀出身
- 野添ひとみ(女優)- 一時期、敦賀市に疎開していた
- 藤井勉三(長州藩士)- 明治5年4月2日(1872年5月8日)敦賀県参事に就任
- 藤田小四郎(水戸藩士)- 敦賀の来迎寺にて処刑された
- 吉田圭吾(福井テレビジョンアナウンサー)- 敦賀高校出身
市外局番
敦賀市の市外局番は、料金単位区域(敦賀MA)と同一の範囲を持つ0770(市内局番は20 - 49)で統一されており、以下の区域への通話は市外局番不要かつ市内通話料金が適用される。なお、小浜MAも同じ市外局番(市内局番は50 - 79)であるが、MAが異なるため、市外局番が必要。
なお、西日本電信電話による級局区分は、2級局である。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c 滋賀県のはじまり (PDF) - 滋賀県
- ^ 敦賀県廃止、越前国敦賀郡並びに若狭国を滋賀県へ編入の件 (PDF) - 滋賀県歴史的文書【明い81(3)】
- ^ a b c 若狭・越前四郡離脱に関する建議書 (PDF) - 滋賀県歴史的文書【明お76合本5(31)】
- ^ 高浜虚子の句 - 越前敦賀和菓子処 紅屋
- ^ 福井新聞 2006年3月2日付記事[リンク切れ]
- ^ 福井新聞 2006年3月6日付記事[リンク切れ]
- ^ “敦賀湾と琵琶湖つなぐ運河を検討 自民党福井県連が会を設立へ”. 福井新聞. (2016年9月4日)
- ^ 敦賀の由来となった角鹿(つぬが)のこと - 敦賀市立角鹿中学校
- ^ 門井直哉「近江・越前間の古代北陸道の変遷について」『福井大学地域環境研究教育センター研究紀要 「日本海地域の自然と環境」』第11号、福井大学地域環境研究教育センター、2004年、35-44頁、ISSN 1343-084X、2020年4月22日閲覧。
- ^ 県政史料室へようこそ(歴史的文書) - 滋賀県(日本海に面した滋賀県の地図)
- ^ a b 都市交流 - 水戸市
- ^ MSN産経ニュース、2009年12月5日付
- ^ “議員一覧”. 2018年12月10日閲覧。
- ^ 2011年敦賀市長選挙では原発事故が争点となった。
- ^ a b 透明な海水と白砂が魅力の海水浴場敦賀『水島』のご案内 - オーミマリン
- ^ a b c 『映画年鑑 1969年版 別冊 映画便覧 1969』時事通信社、1969年。1969年の映画館(北陸・甲信越地方)「消えた映画館の記憶」を参照
- ^ 劇場案内 敦賀アレックスシネマ
- ^ 夷子大黒綱引き、歴史感じて 敦賀市立博物館で古衣装など9点展示 産経ニュース2018年1月19日付
- ^ 花換まつり - 金崎宮
- ^ 外岡 2016, p. 79.
- ^ 武内宿禰(古代氏族) & 2010年.
- ^ 野老朝雄さんデザインが敦賀に 東京五輪公式エンブレム作家 福井新聞ONLINE 2016年4月27日
- ^ 敦賀のタクシー会社:脱原発議員の配車拒否し謝罪 毎日新聞 2014年1月15日
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- 敦賀市 (@city_tsuruga) - X(旧Twitter)
- 敦賀市 (tsurugacity) - Facebook
- 敦賀観光協会
- 敦賀市に関連する地理データ - オープンストリートマップ
- 地図 - Google マップ