コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

稚内分屯地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
稚内分屯基地から転送)

座標: 北緯45度26分15秒 東経141度39分06秒 / 北緯45.437490100961284度 東経141.6515350341797度 / 45.437490100961284; 141.6515350341797

稚内分屯地
野寒布岬付近から見た分屯地
野寒布岬付近から見た分屯地
位置
地図
所在地 北海道稚内市恵比須5-2-1
座標 北緯45度26分15秒 東経141度39分06秒 / 北緯45.437490100961284度 東経141.6515350341797度 / 45.437490100961284; 141.6515350341797
概要
テンプレートを表示

稚内分屯地(わっかないぶんとんち、JGSDF Vice-Camp Wakkanai)は、野寒布岬近くの北海道稚内市恵比須5-2-1に所在し、陸上自衛隊海上自衛隊航空自衛隊情報本部が共同使用している防衛省施設における陸上自衛隊としての呼称で、名寄駐屯地の分屯地として運用されている。

概要

[編集]
稚内分屯地周辺の空中写真。2018年7月17日撮影の12枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

同施設内には海上自衛隊の陸上施設が併設されており、主要な施設や敷地は航空自衛隊三沢基地分屯基地である航空自衛隊稚内分屯基地が占めている[1]

陸上自衛隊は「稚内分屯地」(わっかないぶんとんち、JGSDF Vice-Camp Wakkanai)、海上自衛隊は「稚内基地分遣隊」(わっかないきちぶんけんたい、JMSDF Wakkanai Base Facility)と各自衛隊拠点の呼称があるが、1954年(昭和29年)12月、アメリカ空軍レーダーサイトに、航空自衛隊の北部航空警戒管制隊第1中隊第2小隊が展開して、その後、正式に「航空自衛隊稚内分屯基地(わっかないぶんとんきち、JASDF Wakkanai Sub Base)」となった。

稚内分屯基地は、「陸」「海」「空」の3つの自衛隊が同じ敷地に所在する全国でも珍しい基地である[2]

陸上自衛隊の普通科部隊や海上自衛隊の護衛艦群などの実力部隊は配備されておらず、通信傍受宗谷海峡での船舶監視などを主な任務としている。航空自衛隊の分屯基地内には航空自衛隊が主に使用する共用ヘリポート(50m×20m)がある。各自衛隊の部隊では、陸上自衛隊分屯地司令は第301沿岸監視隊長と兼務の2等陸佐、海上自衛隊基地分遣隊の隊長は2等海佐、航空自衛隊分屯基地司令は第18警戒隊長と兼務の1等空佐を充てており、基地の特性上、航空自衛隊の部隊長が常に最先任者となるよう配置されている。最寄の演習場は、鬼志別演習場

沿革

[編集]

アメリカ軍

航空自衛隊稚内分屯基地

  • 1954年(昭和29年)12月:レーダー運用部隊として航空自衛隊北部航空警戒管制隊第1中隊第2小隊が展開[5]
  • 1956年(昭和31年)
    • 9月:第1警戒隊第2小隊に改編[5]
    • 10月15日:第301沿岸監視隊が稚内分屯地に駐屯[6]

陸上自衛隊名寄駐屯地稚内分屯地・航空自衛隊稚内分屯基地

  • 1956年(昭和31年)
    • 10月25日:名寄駐屯地稚内分屯地が開設。
    • 10月31日:第301沿岸監視隊が稚内分屯地に移駐。
  • 1957年(昭和32年)
    • 北部方面調査隊稚内派遣隊(現北部情報保全隊稚内情報保全派遣隊)が創設。
    • 9月:航空自衛隊第18警戒中隊に改編[5]
  • 1959年(昭和34年)11月:アメリカ空軍第848航空警戒管制中隊(USAF 848th Aircraft Control & Warning Squadron 本部:三沢)第18分遣隊よりレーダー運用移管[5]
  • 1960年(昭和35年)1月20日:第382基地通信中隊稚内派遣隊(現第301基地通信中隊稚内派遣隊)が創設。
  • 1961年(昭和36年)
    • 3月25日:旭川地方連絡部稚内分駐所(現旭川地方協力本部稚内地域事務所)が創設。
    • 7月15日:航空自衛隊第18警戒群に改編[5]
  • 1962年(昭和37年)8月15日:第342会計隊稚内派遣隊が創設。
  • 1972年(昭和47年)6月30日:米軍業務が閉鎖(航空自衛隊へ所管移転)[4]

陸上自衛隊名寄駐屯地稚内分屯地・海上自衛隊稚内基地分遣隊・航空自衛隊稚内分屯基地

  • 1974年(昭和49年)3月16日:海上自衛隊大湊地方隊稚内基地分遣隊が所在し海上自衛隊稚内基地が発足[7]
  • 1982年(昭和57年):名寄駐屯地業務隊稚内管理班が創設。
  • 1987年(昭和62年)12月:J/FPS-2レーダ運用開始[5]
  • 1991年(平成03年)3月29日:第439会計隊が稚内分屯地で新編[8]
  • 2000年(平成12年)3月31日:第18警戒隊に改編[5]
  • 2015年(平成27年)3月26日:会計隊の改編に伴い、第439会計隊が廃止され、第342会計隊稚内派遣隊が設置される。
  • 2017年(平成29年):J/FPS-2レーダ運用終了[9]
  • 2022年(令和4年):J/FPS-7Bレーダ運用開始[9]

駐屯部隊・機関

[編集]

分屯基地管理業務(警備・給食等)は名寄駐屯地業務隊稚内管理班及び第301沿岸監視隊所属の陸上自衛官技官が行っている。また、電気・給気は海上自衛隊部隊からも要員の差し出しのうえ共同で実施している。基地内の各種契約・会計管理は陸自の会計隊が一括で実施、外部回線及び基地内の通信業務等も陸自の基地システム通信中隊派遣隊が一括で担当している。

陸上自衛隊稚内分屯地

[編集]

北部方面隊隷下部隊

[編集]

海上自衛隊稚内基地

[編集]
  • 大湊地方隊
    • 稚内基地分遣隊:稚内港の掃海や宗谷海峡警備業務のため寄港する艦船の受け入れを担当。

航空自衛隊稚内分屯基地

[編集]

情報本部

[編集]
  • 電波部
    • 東千歳通信所

最寄の幹線交通

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 分屯基地本部隊舎には第18警戒隊本部の他に第301沿岸監視隊の本部が設置されている。海上自衛隊の隊舎は陸自や空自とは別の場所に本部が設置されている
  2. ^ 稚内基地分遣隊
  3. ^ 「稚内にアメリカがあった」北海道新聞旭川支社
  4. ^ a b c 稚内基地分遣隊の沿革
  5. ^ a b c d e f g 第18警戒隊の沿革
  6. ^ 稚内市百年史編さん委員会 編『稚内百年史』1978年10月30日、453頁。 
  7. ^ 大湊地方隊の歩み 中名生正己 「世界の艦船」1994年9月号 P69-75 株式会社海人社
  8. ^ ユニット紹介”. 陸上自衛隊第2師団 分屯地の紹介. 2020年7月23日閲覧。
  9. ^ a b 第18警戒隊の沿革”. 2022年7月20日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]