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「船津町 (鹿児島市)」の版間の差分

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2020年9月14日 (月) 22:27時点における版

日本 > 鹿児島県 > 鹿児島市 > 船津町
船津町
国道225号を呉服町交差点から南方向に望む
国道225号を呉服町交差点から南方向に望む
船津町の位置(鹿児島市中心部内)
船津町
船津町
船津町の位置(鹿児島市内)
船津町
船津町
船津町の位置(鹿児島県内)
船津町
船津町
北緯31度35分19.5秒 東経130度33分27.5秒 / 北緯31.588750度 東経130.557639度 / 31.588750; 130.557639
日本
都道府県 鹿児島県
市町村 鹿児島市
地域 中央地域
地区 中央地区
人口
2020年(令和2年)4月1日現在)
 • 合計 411人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
892-0831

船津町(ふなつちょう[1])は、鹿児島県鹿児島市[2]。旧薩摩国鹿児島郡鹿児島城下船津町郵便番号は892-0831[3]。人口は411人、世帯数は291世帯(2020年4月1日現在)[4]1963年(昭和38年)より船津町の全域で住居表示を実施している[5][6]

地理

鹿児島市の中部、甲突川下流域に位置する。町域の北方には呉服町、南方には松原町、東方には新町、西方には千日町、北東には大黒町にそれぞれ接している。

町域の中央を国道225号が南北に通っている[7]

町名の由来

船津町という町名は江戸時代頃にこの付近に船着き場があったことに由来する[8]

歴史

江戸時代の船津町

江戸時代には薩摩国鹿児島郡鹿児島城下のうちであった[2]天保年間の『天保年間鹿児島城下絵図』に「船津町」と町名が書かれているのが見える[9]

江戸時代には安政3年(1774年)と文政5年(1822年)の2度大火が発生している[9]

明治時代以後

明治時代前期の船津町は平民が多く住んでおり、町人街であった[10]1882年(明治15年)時点で船津町には松原小学が設置されていた[11]

1889年(明治22年)に市制が施行されたのに伴い、鹿児島城下47町と近在の3村より鹿児島市が設置された。これに伴って船津町は鹿児島市の町名「船津町」となった[2]

1962年(昭和37年)に住居表示に関する法律が施行されたのに伴い、鹿児島市は鹿児島市街地域の住居表示に着手した[6]1963年昭和38年)には甲突川北部地域に対して住居表示法に基づく住居表示が一斉に行われた[6]。住居表示の実施に合わせて町の区域の再編が行われ、船津町・南林寺町山之口町の一部より新たに千日町が設置された[2]。同時に船津町の全域で住居表示が実施された[6][12]

町域の変遷

実施後 実施年 実施前
千日町(一部) 1963年(昭和38年) 船津町(一部)

人口

統計年次〔年〕 世帯数〔世帯〕 総人口〔人〕 出典
1908年(明治41年) 170 735 [2]
1922年(大正11年) 177 1,066 [2]
1935年(昭和10年) 198 1,069 [2]

施設

教育

  • 学校法人すみれ学園鹿児島医療工学専門学校(2016年(平成28年)開校[13][14]

教育

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[15]

町丁 番・番地 小学校 中学校
船津町 全域 鹿児島市立松原小学校 鹿児島市立甲東中学校

著名な出身者

交通

道路

一般国道

脚注

  1. ^ 鹿児島市の町名”. 鹿児島市. 2020年7月30日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 角川(1983) p.567
  3. ^ 鹿児島県鹿児島市船津町の郵便番号”. 日本郵便. 2020年8月6日閲覧。
  4. ^ 年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年5月8日閲覧。
  5. ^ 住居表示実施区域町名一覧表”. 鹿児島市 (2020年2月3日). 2020年6月11日閲覧。
  6. ^ a b c d 鹿児島市(1970) p.742
  7. ^ 角川(1983) p.692
  8. ^ 南日本新聞(2013)
  9. ^ a b 平凡社(1998) p.165
  10. ^ 鹿児島市(1969) p.771
  11. ^ 鹿児島市(1970) p.813
  12. ^ 永井隆治 (1963年9月5日). “市政だより”. 鹿児島市. 2020年8月5日閲覧。
  13. ^ 学校の沿革”. 学校法人すみれ学園鹿児島医療工学専門学校. 2020年8月6日閲覧。
  14. ^ 専修学校名簿”. 鹿児島県 (2019年5月1日). 2020年8月6日閲覧。
  15. ^ 小・中学校の校区表”. 鹿児島市役所. 2010年7月9日閲覧。
  16. ^ 鹿児島市(1970)
  17. ^ 日外アソシエーツ. “伊集院 斉(イシュウインヒトシ)とは”. コトバンク. 2020年8月6日閲覧。

参考文献

  • 鹿児島市史編さん委員会『鹿児島市史 第一巻』鹿児島市、1969年http://www.city.kagoshima.lg.jp/kikakuzaisei/kikaku/seisaku-s/shise/shokai/shishi/kagoshima-04.html 
  • 鹿児島市史編さん委員会『鹿児島市史 第二巻』鹿児島市長 末吉利雄、1970年http://www.city.kagoshima.lg.jp/kikakuzaisei/kikaku/seisaku-s/shise/shokai/shishi/kagoshima-03.html 
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店、1983年。ISBN 978-4040014609 
  • 芳即正五味克夫日本歴史地名大系47巻 鹿児島県の地名』平凡社、1998年。ISBN 978-4582910544 
  • 「港町を歩く 4 消えた「始まり」の町名」『南日本新聞』2013年1月8日、19面。

関連項目