「村田諒太」の版間の差分
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|caption=[[住之江競艇場]]のトークショーにて<br>(2017年12月23日) |
|caption=[[住之江競艇場]]のトークショーにて<br>(2017年12月23日) |
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|style=[[オーソドックス|右]][[ボクサーファイター]] <ref>[https://web.archive.org/web/20220409113327/https://www.jiji.com/amp/article?k=2022040900392&g=spo 村田、ゴロフキンに敗れる 9回TKO、王座統一ならず―ボクシング] 時事通信 2022年4月9日</ref> |
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'''村田 諒太'''(むらた りょうた、[[1986年]][[1月12日]] - )は、[[日本]]の[[プロボクサー]]。[[2012年ロンドンオリンピックのボクシング競技|ロンドンオリンピック]][[ミドル級]][[金メダル|金メダリスト]]。[[奈良県]][[奈良市]]出身。[[帝拳プロモーション|帝拳ボクシングジム]]所属。現[[世界ボクシング協会|WBA]]世界ミドル級王者。日本人ボクサーとして[[竹原慎二]]以来2人目のミドル級世界王者であり、オリンピックメダリストとしては日本人初の世界王者である<ref>[http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2017/10/22/kiji/20171022s00021000302000c.html 村田“因縁”エンダムに涙のリベンジ!7回TKOで日本人2人目ミドル級王者] スポニチアネックス 2017年10月22日</ref>。 |
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'''村田 諒太'''(むらた りょうた、[[1986年]]〈[[昭和]]61年〉[[1月12日]] - )は、[[日本]]の元[[プロボクサー]]。[[奈良県]][[奈良市]]出身。[[2012年ロンドンオリンピックのボクシング競技|ロンドンオリンピック]][[ミドル級]][[金メダル|金メダリスト]]。元[[世界ボクシング協会|WBA]]世界ミドル級[[スーパー王座|スーパー王者]]。[[帝拳プロモーション|帝拳ボクシングジム]]に所属していた。オリンピック金メダルとプロ世界チャンピオンの両方達成した初の日本人ボクサー<ref>[https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2017/10/22/kiji/20171022s00021000302000c.html 村田“因縁”エンダムに涙のリベンジ!7回TKOで日本人2人目ミドル級王者] スポニチアネックス 2017年10月22日</ref>。血液型AB型<ref>[http://www.teiken.com/profile/murata.html 選手プロフィール] 帝拳ジム公式サイト</ref>。 |
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マッチメイクは帝拳プロモーションと[[トップランク社]]が担当してい |
マッチメイクは帝拳プロモーションと[[トップランク社]]が担当していた。トレーナーはプロ転向当初はイスマエル・サラスだったが、田中繊大と[[ホルヘ・リナレス]]の弟であるカルロス・リナレスが務めていた。入場テーマ曲は映画『[[パイレーツ・オブ・カリビアン]]』のテーマ曲である「He's a Pirate(彼こそが海賊)」。 |
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== 来歴 == |
== 来歴 == |
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|publisher = 幻冬舎 |
|publisher = 幻冬舎 |
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|isbn = 978-4344023093 |
|isbn = 978-4344023093 |
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}}</ref>。小学校6年生の時に両親が離婚(ただし両親は離婚後も同居中である)、村田は当時のことを「崩壊した家庭環境が辛くて嫌でたまらなかった」と振り返っている<ref name="Murata101" />。 |
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小学校6年生の時に両親が離婚(ただし両親は離婚後も同居中である)、村田は当時のことを「崩壊した家庭環境が辛くて嫌でたまらなかった」と振り返っている<ref name="Murata101" />。 |
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=== 学生時代 === |
=== 学生時代 === |
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5歳から水泳に親しみ、[[奈良市立伏見中学校]]では陸上部に所属。1500メートル走で奈良市大会4位の成績を残すが長続きしなかった<ref>{{Cite web|title=【インタビュー】村田諒太(ロンドン五輪ボクシング男子ミドル級金メダリスト)前編(2012.10.23)|url=http://dime.jp/genre/47417/2/|publisher=dime.jp|date=2012 |
5歳から水泳に親しみ、[[奈良市立伏見中学校]]では陸上部に所属。1500メートル走で奈良市大会4位の成績を残すが長続きしなかった<ref>{{Cite web|和書|title=【インタビュー】村田諒太(ロンドン五輪ボクシング男子ミドル級金メダリスト)前編(2012.10.23)|url=http://dime.jp/genre/47417/2/|publisher=dime.jp|date=2012-10-23|page=2|accessdate=2012-11-10|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140708153916/http://dime.jp/genre/47417/2/|archivedate=2014-07-08|url-status=dead|url-status-date=2017-10}}</ref>。家庭の事情もあり、街中で喧嘩をするなどすさんでいた村田が金髪で登校したところ、当時の担任であった北出忠徳教諭に視聴覚室に連れ込まれ「お前、何かやりたいことはないんか?」との問いに、村田が「ボクシングやったら、やるわ」と答えたことがボクシングを始めるきっかけとなった<ref name="Murata101" />。北出の手配で、その週末から地元の[[奈良県立奈良工業高等学校|奈良工業高等学校]](現[[奈良県立奈良朱雀高等学校]])のボクシング部(当時の主将は[[名城信男]])が主催する週末ボクシング教室に通いはじめる<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20120821123540/http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/sports/article/news/20120821-OHO1T00062.htm|title=名城3度目世界奪取へ村田に見に来て〜…WBA世界Sフライ級|date=2012年8月21日|publisher=[[スポーツ報知]]大阪版|accessdate=2012年8月25日}}</ref><ref name="朝日2012年8月13日">"金の拳 宿った金言 ボクシング村田" 2012年8月13日付[[朝日新聞]]朝刊(大阪本社13版)29面</ref>。[[1984年ロサンゼルスオリンピックのボクシング競技|ロサンゼルスオリンピック]]日本代表で同校ボクシング部監督の[[高見公明]]によれば、当初から[[陸上競技]]仕込みのスピードがあったが、パワーは後の練習で身についたものだという<ref>{{Cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/news/20120807-OYT8T01526.htm|title=五輪ボクシング・村田準決勝へ 恩師「金必ず取れる」|date=2012年8月8日|publisher=[[読売新聞]]奈良版|accessdate=2012年8月9日}}</ref>。しかし練習が辛く、わずか2週間ほどで行くのをやめてしまう。その後、再び奈良工業高等学校のボクシング練習に顔を出すようになるも2ヶ月ほどで足首を負傷し、以降二度と練習に顔を出さなくなる<ref name="Murata101" />。中学校3年生から大阪の[[進光ボクシングジム]]でトレーニングを始める。授業にほとんど出ていなかったこともあって勉強は不得意で中学3年生時の通信簿は「1」と「2」だけであった<ref name="Murata101" />。 |
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[[京都廣学館高等学校|南京都高等学校]]に進学<ref name="朝日2012年8月13日"/>、高校初戦は黒星スタートであったが徐々に頭角を現し、高校2年時で選抜・総体・国体の高校3冠を達成。また3年時でも選抜と総体を制して高校5冠を達成し、最後の国体で[[粟生隆寛]]に次ぐ史上2人目の高校6冠の達成がかかっていたが、2府4県が団体戦により3枠を争う国体近畿予選で村田自身は[[ミドル級]]で優勝するも京都チームが団体戦4位に留まり |
[[京都廣学館高等学校|南京都高等学校]]に進学<ref name="朝日2012年8月13日"/>、高校初戦は黒星スタートであったが徐々に頭角を現し、高校2年時で選抜・総体・国体の高校3冠を達成。また3年時でも選抜と総体を制して高校5冠を達成し、最後の国体で[[粟生隆寛]]に次ぐ史上2人目の高校6冠の達成がかかっていたが、2府4県が団体戦により3枠を争う国体近畿予選で村田自身は[[ミドル級]]で優勝するも京都チームが団体戦4位に留まり、国体出場を逃す。国体に出られなくなった代わりに[[全日本アマチュアボクシング選手権大会|全日本選手権]]に参戦するも、決勝で[[佐藤幸治 (ボクサー)|佐藤幸治]]に1回[[ノックアウト|RSC]]負けに終わる。 |
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卒業後は[[東洋大学]][[経営学部]]経営学科へ進学し[[東洋大学ボクシング部|ボクシング部]]に所属。2004年に全日本選手権初優勝<ref name="asbc"> |
卒業後は[[東洋大学]][[経営学部]]経営学科へ進学し[[東洋大学ボクシング部|ボクシング部]]に所属。2004年に全日本選手権初優勝<ref name="asbc">[http://www.asiaboxing.org/biographies.php?country=8&boxer=326 ASBC(アジアボクシング連盟)による主な試合結果] {{En icon}}</ref>。 |
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2005年にはキングスカップに出場、前年の[[2004年アテネオリンピックのボクシング競技|アテネオリンピック]]ミドル級[[銅メダル|銅メダリスト]]で[[ムエタイ]]で魔裟斗に勝ったこともある[[スリヤー・ソー・プルンチット]]に |
2005年にはキングスカップに出場、前年の[[2004年アテネオリンピックのボクシング競技|アテネオリンピック]]ミドル級[[銅メダル|銅メダリスト]]で[[ムエタイ]]で[[魔裟斗]]に勝ったこともある[[スリヤー・ソー・プルンチット]]に決勝で敗れ、銀メダルを獲得<ref name="Murata101" />。同年、[[アジアアマチュアボクシング選手権|アジア選手権]]にミドル級(75 kg)で出場し銅メダルを獲得<ref name="asbc" /><ref>{{cite web|url= http://amateur-boxing.strefa.pl/Championships/AsianChampionships2005.html |title= 23.Asian Championships - Ho Chi Minh City, Vietnam - August 29 - September 4 2005 |publisher= Amateur.Boxing.Strefa.pl |date= |accessdate= 2014-05-18}}</ref>。同年、[[2005年世界ボクシング選手権大会|世界選手権]]にミドル級(75 kg)で出場するが1回戦で敗退した<ref>{{cite web|url= http://amateur-boxing.strefa.pl/Championships/WorldChamps2005.html |title= 13.World Championships Mianyang, China November 13-20, 2005 |publisher= Amateur.Boxing.Strefa.pl |date= |accessdate= 2014-01-05}}</ref>。 |
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<ref>{{cite web|url= http://amateur-boxing.strefa.pl/Championships/WorldChamps2005.html |title= 13.World Championships Mianyang, China November 13-20, 2005 |publisher= Amateur.Boxing.Strefa.pl |date= |accessdate= 2014-01-05}}</ref>。 |
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2006年には |
2006年には[[2006年アジア競技大会におけるボクシング競技|アジア大会]]代表に選ばれるが1回戦でアテネオリンピックウェルター級金メダリストのバクシャー・アルタエルに5-24で敗退する。アルタエフとは半年後のキングスカップで再戦するが再び敗退した<ref name="Murata101" />。 |
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2007年には[[2007年世界ボクシング選手権大会|世界選手権]]にミドル級( |
2007年には[[2007年世界ボクシング選手権大会|世界選手権]]にミドル級(75 kg)で出場するも2回戦でショーン・エストラーダに敗退した<ref>{{cite web|url= http://amateur-boxing.strefa.pl/Championships/WorldChamps2007.html |title= 14.World Championships - Chicago, USA - October 23 - November 3 2007 |publisher= Amateur.Boxing.Strefa.pl |date= |accessdate= 2014-05-18}}</ref>。同年の全日本選手権では2度目の優勝を収めたが<ref name="asbc" />、2008年1月のオリンピック・アジア1次予選で準決勝敗退、3月のオリンピック・アジア2次予選でも初戦敗退してオリンピック出場権を獲得できず<ref>{{cite web|url= http://amateur-boxing.strefa.pl/Championships/AsianOlyQual2008_2.html |title= Asian Olympic Qualifications - Astana, Kazakhstan - March 17-23 2008 |publisher= Amateur.Boxing.Strefa.pl |date= |accessdate= 2014-05-18}}</ref>、[[2008年北京オリンピックのボクシング競技|北京オリンピック]]出場が完全に消滅したことで現役引退を決めた。 |
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2008年3月に東洋大学を卒業。[[学校法人東洋大学]]に就職し大学職員 兼 ボクシング部コーチとして勤務。 |
2008年3月に東洋大学を卒業。[[学校法人東洋大学]]に就職し大学職員 兼 ボクシング部コーチとして勤務。 |
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2009年、2月に起きた東洋大学ボクシング部元部員の不祥事をきっかけに1年半ぶりの現役復帰を決意<ref name="nikkan0808">{{Cite news|url=http://london2012.nikkansports.com/boxing/news/p-sp-tp0-20120808-997141.html|title=村田メダル確定! 金もいける|date=2012年8月8日|publisher=[[日刊スポーツ]]|accessdate=2012年8月9日}}</ref>。2009年から2011年にかけて全日本選手権で3連覇を果たす<ref name="asbc" /><ref name="nikkan20111120">{{Cite web|url= |
2009年、2月に起きた東洋大学ボクシング部元部員の不祥事をきっかけに1年半ぶりの現役復帰を決意<ref name="nikkan0808">{{Cite news|url=http://london2012.nikkansports.com/boxing/news/p-sp-tp0-20120808-997141.html|title=村田メダル確定! 金もいける|date=2012年8月8日|publisher=[[日刊スポーツ]]|accessdate=2012年8月9日}}</ref>。2009年から2011年にかけて全日本選手権で3連覇を果たす<ref name="asbc" /><ref name="nikkan20111120">{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/sports/news/f-sp-tp0-20111120-866232.html|title=世界「銀」村田V3/ボクシング|date=2011年11月20日|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2012年7月13日}}</ref>。 |
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2010年、カザフスタン大統領杯にミドル級( |
2010年、カザフスタン大統領杯にミドル級(75 kg)で出場するが2回戦敗退<ref>{{cite web|url= http://amateur-boxing.strefa.pl/Tournaments/PresidentsCupKAZ2010.html |title= 2.Presidents Cup - Astana, Kazakhstan - June 28 - July 2 2010 |publisher= Amateur.Boxing.Strefa.pl |date= |accessdate= 2014-05-18}}</ref>。 |
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2011年7月 |
2011年7月、[[インドネシア大統領杯国際ボクシングトーナメント|インドネシア大統領杯]]にミドル級(75 kg)で出場し初の国際大会優勝<ref group="映像">{{Cite video|date=2011年9月2日|title=インドネシア大統領杯2011 村田決勝|url=https://www.youtube.com/watch?v=9GsGd5ZU6rE&list=UUXEgculW38TdNvZvQFFw1Eg|medium=試合全容|publisher=善理俊哉(格闘技ライター)の[[YouTube]]チャンネル|accessdate=2012年6月24日}}</ref><ref>{{cite web|url= http://amateur-boxing.strefa.pl/Tournaments/PresidentsCup2011.pdf |title= 21.President's Cup - Jakarta, Indonesia - July 3-9 2011 |publisher= Amateur.Boxing.Strefa.pl |date= |accessdate= 2014-05-18}}</ref>。 |
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2011年8月、アジア選手権で2回戦敗退。 |
2011年8月、アジア選手権で2回戦敗退。 |
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2011年10月、[[2011年世界ボクシング選手権大会|世界選手権]]にミドル級(75 kg)で出場、過去にこの大会で[[金メダル|金メダリスト]]となったアボス・アトエフと2回戦で対戦。3回にアトエフから2度の[[ノックダウン|スタンディングダウン]]を奪い、3回RSC勝ちを収めた。4回戦に勝利して[[2012年ロンドンオリンピックのボクシング競技|ロンドンオリンピック]]出場権を獲得した後、準決勝で[[エスキバ・ファルカン]]を破り、日本人として初めて決勝に進出したが、イエフゲン・フイトロフに22-24の僅差判定負けを喫して銀メダル獲得となった<ref>{{Cite journal|和書|author=MACC出版|date=2011年10月15日|journal=アイアンマン|issue=11月号増刊(『[[ボクシング・ビート]]』11月号)|pages=108–109頁|title=村田が銀&五輪切符獲得|publisher=フィットネススポーツ}}</ref><ref>{{cite web|url= http://amateur-boxing.strefa.pl/Championships/WorldChamps2011.pdf |title= 16.AIBA World Championships - Baku, Azerbaijan - September 26 - October 8 2011 |publisher= Amateur.Boxing.Strefa.pl |date= |accessdate= 2014-05-18}}</ref>。しかし、世界選手権での銀メダル獲得は日本人最高成績であり、メダリストは[[石井幸喜]]、[[川内将嗣]]に次いで3人目であった。英国のボクシング専門誌『ボクシング・マンスリー』7月号は、ロンドンオリンピックにおける各階級最大の脅威を紹介する記事の中で、英国にとって「ミドル級最大の強敵は日本の村田」と評価した<ref>{{Cite web|和書|author=草野克己|url=http://www.fukuishimbun.co.jp/nationalnews/EN/entame_kakutougi/599814.html|title=ミドル級で高い評価 五輪ボクシング、村田|date=2012年7月17日|publisher=[[福井新聞]]|accessdate=2012年7月17日}}</ref>。 |
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この後、試合をこなしながら調整した方がいいと思う気持ちもあり、全日本選手権には出場し優勝したが<ref name="nikkan20111120" />、「手の内を明かしたくない」と考え国際試合からは離れた<ref>{{Cite web|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/sports/article/news/20120804-OHO1T00217.htm|title=村田メダル王手! 44年ぶり快挙へ「自分を信じる」…男子ミドル級|date=2012年8月4日|publisher=スポーツ報知大阪版|accessdate=2012年8月9日}}</ref>。2012年5月には[[ワタナベボクシングジム|ワタナベジム]]への出稽古で元日本・東洋太平洋[[スーパーウェルター級]]王者の[[柴田明雄]]と[[スパーリング]]をし、高校3年時から交流がある同ジム所属の現役世界王者・[[内山高志]]から左ボディー打ちをアドバイスされた<ref>{{Cite web|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/box/news/20120517-OHT1T00260.htm|title=五輪内定・村田、内山直伝の左ボディー披露|date=2012年5月18日|publisher=スポーツ報知|accessdate=2012年8月9日}}</ref>。また、7月には[[帝拳プロモーション|帝拳ジム]]で日本[[スーパーミドル級]]1位の[[三浦広光]]とスパーリングをし、南京都高の先輩で同ジム所属の現役世界王者・[[山中慎介]]から激励を受けた<ref>{{Cite web|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/sports/article/news/20120714-OHO1T00171.htm|title=五輪=村田が五輪へ最終スパー、44年ぶりメダル誓う|date=2012年7月14日|publisher=スポーツ報知|accessdate=2012年8月9日}}</ref>。 |
この後、試合をこなしながら調整した方がいいと思う気持ちもあり、全日本選手権には出場し優勝したが<ref name="nikkan20111120" />、「手の内を明かしたくない」と考え国際試合からは離れた<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20120804204126/http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/sports/article/news/20120804-OHO1T00217.htm|title=村田メダル王手! 44年ぶり快挙へ「自分を信じる」…男子ミドル級|date=2012年8月4日|publisher=スポーツ報知大阪版|accessdate=2012年8月9日}}</ref>。2012年5月には[[ワタナベボクシングジム|ワタナベジム]]への出稽古で元日本・東洋太平洋[[スーパーウェルター級]]王者の[[柴田明雄]]と[[スパーリング]]をし、高校3年時から交流がある同ジム所属の現役世界王者・[[内山高志]]から左ボディー打ちをアドバイスされた<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20120518035904/http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/box/news/20120517-OHT1T00260.htm|title=五輪内定・村田、内山直伝の左ボディー披露|date=2012年5月18日|publisher=スポーツ報知|accessdate=2012年8月9日}}</ref>。また、7月には[[帝拳プロモーション|帝拳ジム]]で日本[[スーパーミドル級]]1位の[[三浦広光]]とスパーリングをし、南京都高の先輩で同ジム所属の現役世界王者・[[山中慎介]]から激励を受けた<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20120714133126/http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/sports/article/news/20120714-OHO1T00171.htm|title=五輪=村田が五輪へ最終スパー、44年ぶりメダル誓う|date=2012年7月14日|publisher=スポーツ報知|accessdate=2012年8月9日}}</ref>。 |
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=== ロンドンオリンピック === |
=== ロンドンオリンピック === |
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[[2012年]]の[[2012年ロンドンオリンピックのボクシング競技|ロンドンオリンピック]]で村田は第2[[シード]]となり<ref>{{Cite web|url=http://london2012.nikkansports.com/boxing/news/f-sp-tp0-20120728-990515.html|title=村田は2回戦から! ボク組み合わせ決定|date=2012年7月28日|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2012年8月3日}}</ref>、8月2日に行われた2回戦から出場。アブデルマレク・ラフーを21-12の判定で下し、準々決勝に進出した<ref>{{Cite web|url=http://jp.reuters.com/article/sportsNews/idJPTYE87200Z20120803?rpc=165|title=五輪=ミドル級の村田が準々決勝へ、優勝候補敗れる波乱も|date=2012年8月3日|publisher=[[ロイター]]|accessdate=2012年8月3日}}</ref>。 |
[[2012年]]の[[2012年ロンドンオリンピックのボクシング競技|ロンドンオリンピック]]にミドル級で出場。日本人選手のミドル級でのオリンピック出場は1996年の[[1996年アトランタオリンピックの日本選手団#ボクシング|アトランタオリンピック]]での[[本博国]]に以来16年ぶりとなった<ref name="hochi0808">{{Cite news|url=https://web.archive.org/web/20120809035947/http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/etc/news/20120808-OHT1T00003.htm|title=村田1勝でも凄い! 体格勝る欧米人が断然有利…ボクシング・ミドル級事情|date=2012年8月8日|publisher=スポーツ報知|accessdate=2012年8月9日}}</ref>。村田は第2[[シード]]となり<ref>{{Cite web|和書|url=http://london2012.nikkansports.com/boxing/news/f-sp-tp0-20120728-990515.html|title=村田は2回戦から! ボク組み合わせ決定|date=2012年7月28日|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2012年8月3日}}</ref>、8月2日に行われた2回戦から出場。アブデルマレク・ラフーを21-12の判定で下し、準々決勝に進出した<ref>{{Cite web|和書|url=http://jp.reuters.com/article/sportsNews/idJPTYE87200Z20120803?rpc=165|title=五輪=ミドル級の村田が準々決勝へ、優勝候補敗れる波乱も|date=2012年8月3日|publisher=[[ロイター]]|accessdate=2012年8月3日}}</ref>。 |
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8月6日に行われた準々決勝の |
8月6日に行われた準々決勝では[[トルコ]]のアデム・キリッチに初回から1ポイントのリードを許したが<ref name="sponichi08008">{{Cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/olympic/news/2012/08/08/kiji/K20120808003855781.html|title=村田“1日ぶり”決めた! 史上初の複数メダル確定|date=2012年8月8日|publisher=[[スポーツニッポン]]|accessdate=2012年8月9日}}</ref>、3回に10-5の大差をつけて最終的に17-13の逆転勝ちを収めメダル獲得を確定させた<ref>{{Cite news|url=http://mainichi.jp/sports/news/20120807k0000e050143000c.html|title=五輪ボクシング:村田、クールに強打…ミドル級メダル確定|date=2012年8月7日|publisher=毎日新聞|accessdate=2012年8月9日}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://london2012.nikkansports.com/boxing/news/f-sp-tp0-20120807-996480.html|title=五輪=ミドル級村田、メダル確定|date=2012年8月6日|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2012年8月6日}}</ref>。 |
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8月10日、準決勝で前年の世界選手権で勝利したウズベキスタンのアボス・アトエフと対戦、1回に3ポイントをリードされたものの<ref>{{Cite web|author=Jake Donovan|url=http://www.boxingscene.com/?m=show&opt=printable&id=55926#ixzz23AbuMHe3|title=Olympics Men's Middleweight Semifinals Live Results|date=2012年8月10日|publisher=Boxing Scene.com|language=英語|accessdate=2012年8月10日}}</ref>、後半に入り猛攻を見せ、ポイントで逆転、最終的に13-12で判定勝ちを収めて決勝に進出した<ref>{{Cite news|url = |
8月10日、準決勝で前年の世界選手権で勝利した[[ウズベキスタン]]のアボス・アトエフと対戦、1回に3ポイントをリードされたものの<ref>{{Cite web|author=Jake Donovan|url=http://www.boxingscene.com/?m=show&opt=printable&id=55926#ixzz23AbuMHe3|title=Olympics Men's Middleweight Semifinals Live Results|date=2012年8月10日|publisher=Boxing Scene.com|language=英語|accessdate=2012年8月10日}}</ref>、後半に入り猛攻を見せ、ポイントで逆転、最終的に13-12で判定勝ちを収めて決勝に進出した<ref>{{Cite news|url =https://www.nikkei.com/article/DGXNASFK10050_Q2A810C1000000/|title=ボクシング村田、「銀」以上確定 逆転で決勝進出|newspaper =日本経済新聞|date=2012-8-10}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/headlines/20120811-00000000-spnavi-spo.html|title=48年ぶり決勝進出の村田「目標まであと一歩」|date=2012年8月10日|publisher=[[Yahoo! JAPAN|スポーツナビ]]|accessdate=2012年8月10日}}</ref>。 |
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8月11日の決勝戦ではブラジルの[[エスキバ・ファルカ |
8月11日の決勝戦では[[ブラジル]]の[[エスキバ・ファルカン]]を14-13で破り金メダルを獲得した<ref>{{Cite web|和書|url=https://spaia.jp/column/wrestling/10147|title=レスリングのオリンピック日本人男子メダリストを紹介、偉大な功績を残した3選手|publisher=【SPAIA】スパイア|date=2020-05-04|accessdate=2020-11-14}}</ref><ref group="映像">{{Cite video|date=2012年8月11日|title=Boxing Men's Middle (75kg) - Gold Medal Final - Brazil v Japan Full Replay - London 2012 Olympics|url=http://www.youtube.com/watch?v=h29uO1J78uo|medium=試合全容|language=英語|publisher=IOC([[国際オリンピック委員会]])の公式YouTubeチャンネル|accessdate=2012年8月19日}}</ref><ref group="映像">{{Cite video|date=2012年8月12日|title=Boxing Men's Middle (75kg) Finals Bout - Japan GOLD - London 2012 Olympic Games Highlights|url=http://www.youtube.com/watch?v=NbubzW06SCQ|medium=試合・表彰式抜粋、インタビュー|language=英語|publisher=IOCの公式YouTubeチャンネル|accessdate=2012年8月19日}}</ref><ref>{{cite web|url= http://amateur-boxing.strefa.pl/Championships/OlympicGames2012.html |title= 30.Olympic Games - London, Great Britain - July 28 - August 12 2012 |publisher= Amateur.Boxing.Strefa.pl |date= |accessdate= 2014-05-18}}</ref>。日本人選手によるボクシング金メダル獲得は[[1964年東京オリンピックのボクシング競技|1964年東京オリンピック]]の[[バンタム級]]、[[桜井孝雄]]以来48年ぶりで、バンタム級を超えた階級でのメダル獲得は日本初となった<ref name="hochi0808" />。この試合は初回を村田、2回をファルカンがとる接戦で、結果的に3回にファルカンの反則の[[ボクシング#反則|ホールディング]]で村田に2ポイントが加点されたことが勝敗を分けた<ref>{{Cite news|url=http://www.jiji.com/jc/zc?k=201208/2012081200163|title=村田、狙って奪った金=歴史刻んだ壮絶ファイト-ボクシング〔五輪・ハイライト〕|date=2012年8月12日|publisher=[[時事通信社]]|accessdate=2012年8月20日}}</ref>。ブラジル五輪委員会 (COB) は8月17日になって[[国際ボクシング協会 (AIBA)]] に試合結果の見直しを求めたが<ref>{{Cite news|url=http://london2012.nikkansports.com/boxing/news/f-sp-tp0-20120818-1002584.html|title=村田金に見直し要請 ブラジル五輪委|date=2012年8月18日|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2012年8月18日}}</ref>、この要請は退けられた<ref>{{Cite news|publisher=[[AP通信|AP]]・[[共同通信社]]|url=https://web.archive.org/web/20120822064528/http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/box/news/20120822-OHT1T00101.htm|title=村田「金」獲得試合、ブラジルの判定再考要請退けられる|date=2012年8月22日|agency=[[スポーツ報知]]|accessdate=2012年8月22日}}</ref>。 |
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[[博報堂DYメディアパートナーズ]]が同月下旬に行った「アスリートイメージ評価調査」では、ロンドン五輪で期待以上の成績だったと思う選手の1位に選ばれた<ref>{{Cite news|publisher=[[博報堂DYメディアパートナーズ]]|url=http://www.hakuhodody-media.co.jp/newsrelease/report/20120910_6488.html|title=「アスリートイメージ評価調査」ロンドンオリンピック事後特別調査を実施|date=2012年9月10日|accessdate=2012年9月11日}}</ref>。 |
[[博報堂DYメディアパートナーズ]]が同月下旬に行った「アスリートイメージ評価調査」では、ロンドン五輪で期待以上の成績だったと思う選手の1位に選ばれた<ref>{{Cite news|publisher=[[博報堂DYメディアパートナーズ]]|url=http://www.hakuhodody-media.co.jp/newsrelease/report/20120910_6488.html|title=「アスリートイメージ評価調査」ロンドンオリンピック事後特別調査を実施|date=2012年9月10日|accessdate=2012年9月11日}}</ref>。 |
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ロンドンから帰国後間もなく、[[和歌山県立体育館]]で開催された国体近畿ブロック予選に参加 |
ロンドンから帰国後間もなく、[[和歌山県立体育館]]で開催された国体近畿ブロック予選に参加し、ミドル級のシード選手として8月26日に行われた決勝の1試合を行った<ref>{{Cite news|title=村田選手、国体予選に出場 金メダリスト京都に力|url=http://www.kyoto-np.co.jp/sports/article/20120824000021|publisher=[[京都新聞]]|date=2012年8月24日|accessdate=2012年8月26日}}</ref>。村田はこの試合で[[竹迫司登]]に2回56秒RSC勝ちで優勝を収め、京都の[[第67回国民体育大会|岐阜国体]]出場権を確保するが、試合後に自らは国体に出場せずに「ボクシングはこれで一区切り。基本的には続けようと思っていない」と現役引退を示唆し<ref>{{Cite news|title=村田 現役引退を表明 指導者転向へ「これで一区切りに」|url=https://www.sponichi.co.jp/olympic/news/2012/08/27/kiji/K20120827003985131.html|publisher=スポーツニッポン|date=2012年8月27日|accessdate=2012年8月27日}}</ref><ref>{{Cite news|title=引退か ボクシング金の村田が衝撃発言|author=近間康隆|url=https://www.nikkansports.com/sports/news/p-sp-tp0-20120827-1007131.html|publisher=日刊スポーツ|date=2012年8月27日|accessdate=2012年8月27日}}</ref>、東洋大学職員として指導者の道へ進む意向を示した<ref name="chuspo0827">{{Cite news|title=村田諒太が“引退”示唆|author=森合正範|url=http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/sports/news/CK2012082702000128.html|publisher=[[中日スポーツ]]|date=2012年8月27日|accessdate=2012年8月27日}}</ref><ref>{{Cite news|title=村田 金メダルは「ちょっとの才能とちょっとの努力」|url=https://www.sponichi.co.jp/olympic/news/2012/08/27/kiji/K20120827003988071.html|publisher=スポーツニッポン|date=2012年8月27日|accessdate=2012年8月27日}}</ref>。長期的な展望として[[日本オリンピック委員会]] (JOC) のスポーツ指導者海外研修員として[[スポーツ科学]]や[[スポーツマネジメント]]を学びに英国など英語圏の国へ海外留学する構想があることを明かした<ref name="sanspo20121219">{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2012/12/19/kiji/K20121219004807400.html|title=村田 留学先に英国希望「グローバルに自分を展開したい」|date=2012年12月19日|publisher=サンケイスポーツ|accessdate=2012年12月19日}}</ref><ref name="chuspo0827" /><ref>{{Cite news|title=村田、引退も視野に長期休養へ「これで一区切り」|url=http://www.sanspo.com/sports/news/20120826/box12082617410002-n1.html|agency=[[サンケイスポーツ]]|publisher=共同通信社|date=2012年8月26日|accessdate=2012年8月26日}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=【インタビュー】村田諒太(ロンドン五輪ボクシング男子ミドル級金メダリスト)後編(2012.10.24)|url=http://dime.jp/genre/47432/3/|publisher=dime.jp|date=2012年10月24日|page=3|accessdate=2012年11月10日}}</ref><ref>{{Cite news|title=村田諒太、2013年は再出発を宣言|url=http://www.daily.co.jp/general/2013/01/07/0005651373.shtml|publisher=デイリースポーツ|date=2013年1月7日|accessdate=2013年2月3日}}</ref>。プロ転向については、[[協栄ジム]]の[[金平桂一郎]]会長が1億円の契約金を用意してプロ転向を勧誘するが<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2012/08/17/kiji/K20120817003918720.html |title= 協栄ジム 村田獲り資金確保「熱が冷める前に動く」 |publisher= スポニチ |date= 2012年8月17日 |accessdate= 2024年8月29日}}</ref>、村田は「金メダルが1億円より安いとは思わない。それを汚すぐらいなら1億円はいらない」と、これまでと変わらずプロ転向拒否の姿勢を示した<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.sponichi.co.jp/olympic/news/2012/08/27/kiji/K20120827003985131.html |title= 村田 現役引退を表明 指導者転向へ「これで一区切りに」 |publisher= スポニチ |date= 2012年8月27日 |accessdate= 2024年8月29日}}</ref>。 |
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=== アマチュア引退勧告、プロ転向 === |
=== アマチュア引退勧告、プロ転向 === |
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ロンドン五輪終了後、村田は[[国際ボクシング協会 (AIBA)|AIBA]]が設立するプロ団体APBへの参加を名指しで要請されていたが<ref name="mainichi130202">{{Cite news|title=村田「アマ追放」 背景にプロ側への不信感|author=来住哲司|url=http://mainichi.jp/sports/news/20130203k0000m050068000c.html|publisher=毎日新聞|date=2013年2月2日|accessdate=2013年2月3日}}</ref>、現役を引退する可能性がある旨を記した公式文書を提出し、日本アマチュアボクシング連盟(現・[[日本ボクシング連盟]]。以下、日連)経由で辞退した<ref name="daily20130203">[https://www.daily.co.jp/ring/2013/02/03/1p_0005715129.shtml 引退勧告を受けた村田、プロ転向示唆] デイリースポーツ 2013年2月3日</ref>。その後、村田はアマチュアでの現役続行を選び、AIBAから再度APB参加を要請されたが、再び辞退<ref name="sponichi130203">{{Cite news|title=アマ連盟“裏切り行為”の村田に引退勧告も会長“心変わり”|url= |
ロンドン五輪終了後、村田は[[国際ボクシング協会 (AIBA)|AIBA]]が設立するプロ団体[[国際ボクシング協会#APB|AIBAプロボクシング]](APB)への参加を名指しで要請されていたが<ref name="mainichi130202">{{Cite news|title=村田「アマ追放」 背景にプロ側への不信感|author=来住哲司|url=http://mainichi.jp/sports/news/20130203k0000m050068000c.html|publisher=毎日新聞|date=2013年2月2日|accessdate=2013年2月3日}}</ref>、現役を引退する可能性がある旨を記した公式文書を提出し、日本アマチュアボクシング連盟(現・[[日本ボクシング連盟]]。以下、日連)経由で辞退した<ref name="daily20130203">[https://www.daily.co.jp/ring/2013/02/03/1p_0005715129.shtml 引退勧告を受けた村田、プロ転向示唆] デイリースポーツ 2013年2月3日</ref>。その後、村田はアマチュアでの現役続行を選び、AIBAから再度APB参加を要請されたが、再び辞退<ref name="sponichi130203">{{Cite news|title=アマ連盟“裏切り行為”の村田に引退勧告も会長“心変わり”|url=https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2013/02/03/kiji/K20130203005116990.html|publisher=スポーツニッポン|date=2013年2月3日|accessdate=2013年2月3日}}</ref>。その一方で、[[全日本社会人ボクシング選手権大会|全日本社会人選手権]]への出場に意欲を示し、プロ転向に向けても独自に動くなど一貫性を欠いたと見られる行動をとっていた<ref name="nikkan130203">{{Cite news|title=村田に史上初の引退勧告→謝罪→プロ転向|author=木村有三|url=https://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20130203-1080377.html|publisher=日刊スポーツ|date=2013年2月3日|accessdate=2013年2月3日}}</ref>。五輪終了後に[[東洋大学ボクシング部|東洋大学]]総監督の東郷武は、3年以内に監督を任せようと考えていたというが<ref>{{Cite news|title=村田諒太“プロ転向”に恩師が大困惑|url=https://web.archive.org/web/20160826074339/http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/32047/|publisher=[[東京スポーツ]]|date=2012年08月19日|accessdate=2013年2月3日}}</ref>、[[スポーツ報知]]によれば、2012年秋からは[[フジテレビジョン|フジテレビ]]主導で、同局[[ボクシング中継]]の窓口である[[三迫ボクシングジム|三迫ジム]]入りとプロ転向を奨められていた<ref>{{Cite news|title=村田、プロ転向へ! 48年ぶり桜井氏以来2人目!|url=https://web.archive.org/web/20130201224534/http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/box/news/20130202-OHT1T00050.htm|publisher=スポーツ報知|date=2013年2月2日|accessdate=2013年2月3日}}</ref>。日連会長の[[山根明]]は、2013年1月14日に大阪市内で村田からプロ転向の意思を伝えられ、数日後に同ジムの会長・[[三迫仁志]]とマネジャーから、経緯報告のための訪問を受けた<ref name="daily20130203" />。 |
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山根によれば、村田が「『プロ転向を他には言ってない』と話しておきながら、東京では(その動きを)ほとんど知っていた」ことも不信感を募らせる一因となった。日連は村田に対して2013年2月2日、大阪市開催の理事会で、引退かアマチュア続行かプロ転向かの進路決定をめぐる信義則違反を理由として、同連盟初となるアマチュア選手としての[[日本ボクシング連盟#処分|引退勧告]]を満場一致で決議した<ref name="nikkan130203" />。山根は村田の言動には一貫性がなく、AIBAに対する約束違反があったと説明し<ref name="sponichi130203" />、また一連の経過の中で選手の意思は尊重するものの、プロ側とは共存共栄を図れる関係で日連強化選手の引き抜きなどはないものと認識していたが「裏切られた」と不快感を示した<ref name="mainichi130202" />。 |
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村田は同日夜に山根と会談し、報道が先行して迷惑をかけたことを全面謝罪した。 |
村田は同日夜に山根と会談し、報道が先行して迷惑をかけたことを全面謝罪した。直後の会見で村田は改めてプロ転向の意思を表明し、引退勧告については「愛情ある措置をいただいたと、僕のことをしっかり考えた上ですべてのことを進めて下さっていると感謝しています。連盟の出された指示に従うだけですから」、またプロ入りについては「僕がプロに行く以上、負けは許されない。東洋大学もまだこの話を知らないですし、まず皆さんに応援していただける環境づくりをしたいと思います」と話した<ref name="nikkan130203" /><ref>{{Cite news|title=村田に聞く「愛情ある措置、引退勧告に感謝」|url=https://web.archive.org/web/20130203044202/http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/box/news/20130203-OHT1T00066.htm|publisher=スポーツ報知|date=2013年2月3日|accessdate=2013年2月3日}}</ref>。三迫ジム関係者はまだ何も決まっていないと言い、「村田君と連盟のこういう関係は望んでいなかった」と困惑した様子を見せた<ref>{{Cite news|title=三迫ジム関係者困惑「まだ何も」|url=https://www.daily.co.jp/ring/2013/02/03/0005715131.shtml|publisher=デイリースポーツ|date=2013年2月3日|accessdate=2013年2月3日}}</ref>。翌3日、日連は大阪市内で臨時総会を開き、村田への引退勧告を正式に承認した<ref>{{Cite news|title=ボクシング村田に引退勧告 正式承認|url=http://daily.co.jp/newsflash/ring/2013/02/03/0005715671.shtml|publisher=デイリースポーツ|date=2013年2月3日|accessdate=2013年2月3日}}</ref>。引退勧告から9日後の4月12日、村田はプロ転向を宣言し、[[三迫ボクシングジム]]に所属することとなった。 |
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プロ転向の際の騒動について村田は2016年9月3日放送の[[ザ・インタビュー〜トップランナーの肖像〜]]にて、「僕は初めは引退するつもりだった。でもチヤホヤされたのを含めて周囲から評価されるなかで、まだ体力的にイケるからもうちょっとボクシングがしたい、五輪金メダルを取ったような成功体験をもう一度味わいたいと思った。でもアマチュアで現役続行したいと言ったら『駄目だ』と言われた(誰に言われたか名前は明かさず)。なので後進の指導がしたいし英語の勉強もしたいから海外留学もしたいと職場に相談したがそれも駄目だった。それで今度はプロに転向しようかと妻に相談したら絶対に駄目だと言われ、迷っていた。そんな最中にNHKの[[課外授業 ようこそ先輩]](2012年12月29日放送分)の収録で[[奈良市立伏見小学校]]で母校の小学校6年生と2日間過ごしてるうちに、昔の自分の夢が『五輪で金メダルを取ってプロ転向してラスベガスでやる』ことだったことを思い出した。収録を終えて妻に『もう1回自分の夢を追いかけたいからプロに行きたい』と言ったら許してくれた。たぶん妻は最初に相談した時はプロ転向の理由がアマチュアで現役続行できない、留学できないというネガティブな理由だったから駄目と言ったんだと思う。明日に向かっていくもの、次に向かうパワーが理由になったから許してくれたのだと思うので感謝している」と語っている。 |
プロ転向の際の騒動について村田は2016年9月3日放送の[[ザ・インタビュー〜トップランナーの肖像〜]]にて、「僕は初めは引退するつもりだった。でもチヤホヤされたのを含めて周囲から評価されるなかで、まだ体力的にイケるからもうちょっとボクシングがしたい、五輪金メダルを取ったような成功体験をもう一度味わいたいと思った。でもアマチュアで現役続行したいと言ったら『駄目だ』と言われた(誰に言われたか名前は明かさず)。なので後進の指導がしたいし英語の勉強もしたいから海外留学もしたいと職場に相談したがそれも駄目だった。それで今度はプロに転向しようかと妻に相談したら絶対に駄目だと言われ、迷っていた。そんな最中にNHKの[[課外授業 ようこそ先輩]](2012年12月29日放送分)の収録で[[奈良市立伏見小学校]]で母校の小学校6年生と2日間過ごしてるうちに、昔の自分の夢が『五輪で金メダルを取ってプロ転向してラスベガスでやる』ことだったことを思い出した。収録を終えて妻に『もう1回自分の夢を追いかけたいからプロに行きたい』と言ったら許してくれた。たぶん妻は最初に相談した時はプロ転向の理由がアマチュアで現役続行できない、留学できないというネガティブな理由だったから駄目と言ったんだと思う。明日に向かっていくもの、次に向かうパワーが理由になったから許してくれたのだと思うので感謝している」と語っている。 |
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4月16日に[[後楽園ホール]]でフジテレビ「[[EXCITING TIME]]」で生中継もされたプロテストマッチを受け合格、プロボクサーへと転向した。 |
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=== プロデビュー戦へ === |
=== プロデビュー戦へ === |
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2013年4月12日、プロ転向記者会見が開かれ、三迫ジム所属としてプロに転向することが発表された<ref>{{Cite web|和書|url= https://boxingnews.jp/news/798/ |title= 村田諒太プロ転向記者会見 プロテストをフジテレビで中継 |publisher= ボクシングニュース |date= 2013年4月12日 |accessdate= 2024年8月29日}}</ref>。 |
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プロテスト合格後、[[アメリカ合衆国]]で練習を積むなどした後、2013年7月3日、東京・[[有明コロシアム]]にて、8月25日に東洋太平洋ミドル級王者で日本スーパーウェルター級王者でもある[[柴田明雄]]を相手に73kg契約6回戦でデビュー戦を行うことが発表された<ref>[http://www.nikkansports.com/battle/news/f-bt-tp0-20130703-1151548.html 村田諒太、8.25柴田明雄とデビュー戦] 日刊スポーツ 2013年7月3日閲覧</ref>。 |
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2013年4月16日、[[後楽園ホール]]でプロテストを受け合格、この模様はフジテレビ「[[EXCITING TIME]]」の第1弾として村田のプロテストのスパーリングなどが[[ゴールデンタイム]]に生中継された<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.fujitv.co.jp/b_hp/130416kaspe/ |title= カスペ!・ボクシングEXCITING TIME~金メダリスト村田 公開プロテストマッチ&怪物井上 日本ランク1位に挑む!~ |publisher= フジテレビ |date= 2013年4月16日 |accessdate= 2024年8月29日}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url= https://mantan-web.jp/article/20130412dog00m200049000c.html |title= 村田諒太選手 プロ転向を表明 フジテレビがプロテストをゴールデン生中継 |publisher= MANTANWEB |date= 2013年4月13日 |accessdate= 2024年8月29日}}</ref>。 |
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2013年8月25日、有明コロシアムで柴田明雄と対戦し、2回2分24秒TKOで下し、圧勝でプロデビュー戦を飾った<ref>[http://boxingnewsboxon.blogspot.jp/2013/08/opbf2tko.html 村田、デビュー戦でOPBF王者を2回TKO] ボクシングニュース「Box-on!」 2013年8月25日</ref>。この勝利で東洋太平洋ミドル級1位<ref>[http://boxingnews.jp/news/5984/ OPBF最新ランキング、村田がミドル級1位に] Boxing News(ボクシングニュース) 2013年9月6日</ref>、日本ミドル級1位<ref>[http://boxingnewsboxon.blogspot.jp/2013/08/blog-post_7622.html 村田いきなり1位に 最新日本ランキング] ボクシングニュース「Box-on!」 2013年8月27日</ref>、[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界ミドル級19位にランクされた<ref>[http://www.nikkansports.com/battle/news/f-bt-tp0-20130913-1188707.html 村田WBC19位に初ランク] 日刊スポーツ 2013年9月13日閲覧</ref>。 |
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2013年6月4日、[[トップランク]]との契約を発表<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.nikkansports.com/battle/news/f-bt-tp0-20130604-1137820.html |title= 五輪「金」村田、米トップランク社と契約 |publisher= 日刊スポーツ |date= 2013年6月4日 |accessdate= 2024年8月29日}}</ref>。10日には[[アメリカ合衆国]][[ロサンゼルス]]で[[ボブ・アラム]]と記者会見を行った<ref>{{Cite web|和書|url= https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201306160007-spnavi?p=1 |title= トップランク社と契約した村田諒太の未来 |publisher= スポーツナビ |date= 2013年6月18日 |accessdate= 2024年8月29日}}</ref>。 |
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2013年8月25日、[[有明コロシアム]]で東洋太平洋ミドル級王者で日本スーパーウェルター級王者でもある[[柴田明雄]]と73kg契約6回戦で対戦し、2回2分24秒TKOで下し、圧勝でプロデビュー戦を飾った<ref>[https://boxingnewsboxon.blogspot.com/2013/08/opbf2tko.html 村田、デビュー戦でOPBF王者を2回TKO] ボクシングニュース「Box-on!」 2013年8月25日</ref>。この勝利で東洋太平洋ミドル級1位<ref>[http://boxingnews.jp/news/5984/ OPBF最新ランキング、村田がミドル級1位に] Boxing News(ボクシングニュース) 2013年9月6日</ref>、日本ミドル級1位<ref>[https://boxingnewsboxon.blogspot.com/2013/08/blog-post_7622.html 村田いきなり1位に 最新日本ランキング] ボクシングニュース「Box-on!」 2013年8月27日</ref>、[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界ミドル級19位にランクされた<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/news/f-bt-tp0-20130913-1188707.html 村田WBC19位に初ランク] 日刊スポーツ 2013年9月13日閲覧</ref>。 |
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2013年12月6日、[[両国国技館]]でデイブ・ピーターソンと73kg契約8回戦を行い、8回1分20秒TKO勝ちを収めた<ref>[http://boxingnews.jp/news/8894/ 村田、プロ2戦目は最終8回TKO勝ち] Boxing News(ボクシングニュース) 2013年12月6日</ref>。 |
2013年12月6日、[[両国国技館]]でデイブ・ピーターソンと73kg契約8回戦を行い、8回1分20秒TKO勝ちを収めた<ref>[http://boxingnews.jp/news/8894/ 村田、プロ2戦目は最終8回TKO勝ち] Boxing News(ボクシングニュース) 2013年12月6日</ref>。 |
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2014年2月22日、[[中華人民共和国]]の[[マカオ]]にある[[ザ・ベネチアン・マカオ]]内[[コタイ・アリーナ]]でカルロス・ナシメンと73.4kg契約8回戦を行い、4回43秒TKO勝ちを収めた<ref>[http://boxingnews.jp/news/11071/ 村田、4回TKO勝ちで海外デビュー] Boxing News(ボクシングニュース) 2014年2月22日</ref>。 |
2014年2月22日、[[中華人民共和国]]の[[マカオ]]にある[[ザ・ベネチアン・マカオ]]内[[コタイ・アリーナ]]でカルロス・ナシメンと73.4kg契約8回戦を行い、4回43秒TKO勝ちを収めた<ref>[http://boxingnews.jp/news/11071/ 村田、4回TKO勝ちで海外デビュー] Boxing News(ボクシングニュース) 2014年2月22日</ref>。 |
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2014年5月22日、[[京都府立体育館|島津アリーナ京都]]でヘスス・アンヘル・ネリオと73.4kg契約10回戦を行い、6回2分35秒KO勝ちを収めた<ref>[http://boxingnews.jp/news/14296/ 村田が4連続KO勝ち、メキシカンを6回で撃沈] Boxing News(ボクシングニュース) 2014年5月22日</ref> |
2014年5月22日、[[京都府立体育館|島津アリーナ京都]]でヘスス・アンヘル・ネリオと73.4kg契約10回戦を行い、6回2分35秒KO勝ちを収めた<ref>[http://boxingnews.jp/news/14296/ 村田が4連続KO勝ち、メキシカンを6回で撃沈] Boxing News(ボクシングニュース) 2014年5月22日</ref><ref>[http://boxingnews.jp/news/14853/ 村田がWBCミドル級13位にランクイン] Boxing News(ボクシングニュース) 2014年6月11日</ref>。 |
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2014年7月10日、アメリカ合衆国の[[カリフォルニア州]]で[[世界ボクシング協会|WBA]]世界ミドル級[[スーパー王座|スーパー王者]][[ゲンナジー・ゴロフキン]]とスパーリングを行い<ref>[http://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20140712-1333022.html 村田、ゴロフキンのパンチに脱帽] 日刊スポーツ 2014年7月12日</ref>、15日にWBC世界ミドル級11位にランクされた<ref>[http://boxingnews.jp/news/15783/ 江藤兄弟がWBCランキング入り] Boxing News(ボクシングニュース) 2014年7月15日</ref>。 |
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2014年 |
2014年7月10日、アメリカ合衆国の[[カリフォルニア州]]で[[世界ボクシング協会|WBA]]世界ミドル級[[スーパー王座|スーパー王者]][[ゲンナジー・ゴロフキン]]とスパーリングを行った<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20140712-1333022.html 村田、ゴロフキンのパンチに脱帽] 日刊スポーツ 2014年7月12日</ref><ref>[http://boxingnews.jp/news/15783/ 江藤兄弟がWBCランキング入り] Boxing News(ボクシングニュース) 2014年7月15日</ref>。 |
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2014年 |
2014年9月5日、[[国立代々木競技場|国立代々木第二体育館]]でWBC世界ミドル級22位でメキシコミドル級王者でもあるアドリアン・ルナと73.4kg契約10回戦を行い、10回3-0(98-92、99-91、100-90)の判定勝ちを収めた<ref>[http://boxingnews.jp/news/17351/ 村田諒太3-0判定勝ち、松本亮はデンカオに快勝] Boxing News(ボクシングニュース) 2014年9月5日</ref>。この試合から村田は[[帝拳プロモーション|帝拳ボクシングジム]]の所属選手になることが発表された<ref>[http://boxingnews.jp/news/17130/ 村田諒太が帝拳に移籍、近づく世界挑戦に向け新体制] Boxing News(ボクシングニュース) 2014年8月29日</ref><ref>[https://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20141015-1382141.html 村田諒太が世界ランク8位] 日刊スポーツ 2014年10月15日</ref>。 |
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2014年12月30日、[[東京体育館]]でジェシー・ニックロウと73.4kg契約10回戦を行い、10回3-0(100-91、2者が100-90)の判定勝ちを収めた<ref>[http://boxingnews.jp/news/21451/ 村田諒太は2戦連続の判定勝ち] Boxing News(ボクシングニュース) 2014年12月30日</ref><ref>[http://boxingnews.jp/news/22565/ 村田諒太がIBFランク入り、小原佳太&中谷正義も] Boxing News(ボクシングニュース) 2015年2月10日</ref>。 |
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2015年 |
[[2015年]]5月1日、[[大田区総合体育館]]で[[世界ボクシング機構|WBO]]世界ミドル級14位でWBOラテンアメリカミドル級王者でもあるダグラス・ダミアオ・アタイデと73.4kg契約10回戦を行い、5回38秒TKO勝ちを収めた<ref>[http://boxingnews.jp/news/25588/ 村田諒太3試合ぶりのKO勝利、世界ランカー対決制す] Boxing News(ボクシングニュース) 2015年5月1日</ref><ref>[http://boxingnews.jp/news/25995/ 五十嵐俊幸の対戦相手決定、中屋ジムが代替わり] Boxing News(ボクシングニュース) 2015年5月12日</ref><ref>[http://boxingnews.jp/news/26257/ WBOランキング、ミドル級の村田諒太が11位に] Boxing News(ボクシングニュース) 2015年5月19日</ref>。 |
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2015年9月12日、アメリカのラスベガスで試合を予定していたが、練習中に右肩を痛め中止となった。また、これにより計画がずれ込んだため年内の世界挑戦も白紙となった<ref>{{ |
2015年9月12日、アメリカのラスベガスで試合を予定していたが、練習中に右肩を痛め中止となった。また、これにより計画がずれ込んだため年内の世界挑戦も白紙となった<ref>{{Cite web|和書|url= http://thepage.jp/detail/20150721-00000004-wordleafs |title= 村田、肩の怪我で年内世界挑戦計画は白紙! |publisher= THE PAGE |date= 2015-7-22 |accessdate= 2015-7-27}}</ref>。 |
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2015年11月7日、[[ラスベガス]]の[[トーマス&マック・センター]]でアメリカデビュー戦。[[ティモシー・ブラッドリー]]vs[[ブランドン・リオス]]の前座で元WBOオリエンタルミドル級王者のガナー・ジャクソンと73.4kg契約10回戦を行い、10回3-0(97-93、98-92、99-91)の判定勝ちを収めた<ref>[http://boxingnews.jp/news/31672/ 村田諒太3-0判定勝ち、ラスベガスデビュー飾る] Boxing News(ボクシングニュース) 2015年11月8日</ref>。 |
2015年11月7日、[[ラスベガス]]の[[トーマス&マック・センター]]でアメリカデビュー戦。[[ティモシー・ブラッドリー]]vs[[ブランドン・リオス]]の前座で元WBOオリエンタルミドル級王者のガナー・ジャクソンと73.4kg契約10回戦を行い、10回3-0(97-93、98-92、99-91)の判定勝ちを収めた<ref>[http://boxingnews.jp/news/31672/ 村田諒太3-0判定勝ち、ラスベガスデビュー飾る] Boxing News(ボクシングニュース) 2015年11月8日</ref>。 |
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2016年5月14日、[[香港]]の[[香港コンベンション・アンド・エキシビション・センター]]でフェリペ・サントス・ペドロソと73.4kg契約10回戦を行い、4回2分50秒TKO勝ちを収めた<ref>[http://boxingnews.jp/news/37517/ 村田諒太4回TKOで10連勝、次戦は7.23ラスベガス] Boxing News(ボクシングニュース) 2016年5月14日</ref>。 |
2016年5月14日、[[香港]]の[[香港コンベンション・アンド・エキシビション・センター]]でフェリペ・サントス・ペドロソと73.4kg契約10回戦を行い、4回2分50秒TKO勝ちを収めた<ref>[http://boxingnews.jp/news/37517/ 村田諒太4回TKOで10連勝、次戦は7.23ラスベガス] Boxing News(ボクシングニュース) 2016年5月14日</ref>。 |
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2016年7月23日、[[MGMグランド・ガーデン・アリーナ]]に |
2016年7月23日、[[MGMグランド・ガーデン・アリーナ]]に初登場。[[テレンス・クロフォード]]vs[[ビクトル・ポストル]]の前座で元[[北米ボクシング協会|NABA]]北米並びにWBCアメリカ大陸ミドル級王者のジョージ・タドーアーニッパーと[[スーパーミドル級]]契約10回戦を行い、ボディアッパーでダウンを奪い最後は連打でレフェリーがストップ。初回1分52秒TKO勝ちを収めた<ref>[http://boxingnews.jp/news/39432/ 村田諒太が初回TKO勝ち、サンダース挑戦に前進] Boxing News(ボクシングニュース) 2016年7月24日</ref>。 |
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2016年12月30日、有明コロシアムでブルーノ・サンドバルと162ポンド契約10回戦を行い、3回2分53秒KO勝ちを収めた<ref>[http://boxingnews.jp/news/43901/ 村田諒太“世界前哨戦”3回KO勝ち、清水聡も快勝] Boxing News(ボクシングニュース) 2016年12月30日</ref>。この勝利でWBA世界ミドル級2位にランクされた<ref>[http://boxingnews.jp/news/44127/ WBA&IBF最新ランキング、井上尚&八重樫TV情報] Boxing News(ボクシングニュース) 2017年1月9日</ref>。 |
2016年12月30日、有明コロシアムでブルーノ・サンドバルと162ポンド契約10回戦を行い、3回2分53秒KO勝ちを収めた<ref>[http://boxingnews.jp/news/43901/ 村田諒太“世界前哨戦”3回KO勝ち、清水聡も快勝] Boxing News(ボクシングニュース) 2016年12月30日</ref>。この勝利でWBA世界ミドル級2位にランクされた<ref>[http://boxingnews.jp/news/44127/ WBA&IBF最新ランキング、井上尚&八重樫TV情報] Boxing News(ボクシングニュース) 2017年1月9日</ref>。 |
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2017年3月27日、同月18日に[[ダニエル・ジェイコブス]]が |
2017年3月27日、同月18日にWBA世界ミドル級レギュラー王者[[ダニエル・ジェイコブス]]が同スーパー王者ゲンナジー・ゴロフキンとの団体内王座統一戦に敗れWBA世界ミドル級レギュラー王座が空位となったことに伴い、WBA世界ミドル級暫定王者でWBA世界ミドル級1位の[[ハッサン・ヌダム・ヌジカム]]とWBA世界ミドル級2位の村田との間でWBA世界ミドル級レギュラー王座決定戦を行うことが発表された<ref>[http://www.fightnews.com/Boxing/n-dam-vs-murata-update-398893 N’Dam vs. Murata Update] Fightnews.com 2017年3月27日</ref>。 |
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=== WBA世界ミドル級王座挑戦、再戦へ === |
=== WBA世界ミドル級王座挑戦、再戦へ === |
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2017年5月20日、[[有明コロシアム]]でWBA世界ミドル級[[暫定王座|暫定王者]]でWBA世界ミドル級1位の[[ハッサン・ヌダム・ヌジカム]]とWBA世界ミドル級王座決定戦を行い、プロ初黒星となる12回1-2(117-110、111-116、112-115)の判定負けを喫し王座獲得に失敗した<ref>[http://www.fightnews.com/Boxing/ndam-wins-controversial-split-decision-murata-claim-wba-160lb-title-404533 N’Dam wins vacant WBA 160lb belt by split nod over Murata] Fightnews.com 2017年5月20日</ref><ref>[http://boxingnews.jp/news/47899/ 村田諒太にまさかの判定、ダウン奪うも1-2負け] Boxing News(ボクシングニュース) 2017年5月20日</ref>。試合後 |
2017年5月20日、[[有明コロシアム]]でWBA世界ミドル級[[暫定王座|暫定王者]]でWBA世界ミドル級1位の[[ハッサン・ヌダム・ヌジカム]]とWBA世界ミドル級レギュラー王座決定戦を行い、4回に右のカウンターでダウンを奪い、その後も試合を優勢に進めるも、プロ初黒星となる12回1-2(117-110、111-116、112-115)の判定負けを喫し王座獲得に失敗した<ref>[http://www.fightnews.com/Boxing/ndam-wins-controversial-split-decision-murata-claim-wba-160lb-title-404533 N’Dam wins vacant WBA 160lb belt by split nod over Murata] Fightnews.com 2017年5月20日</ref><ref>[http://boxingnews.jp/news/47899/ 村田諒太にまさかの判定、ダウン奪うも1-2負け] Boxing News(ボクシングニュース) 2017年5月20日</ref>。この判定は"疑惑の判定"とも言われ、試合後にWBA会長はヌジカムと村田を再戦させる意向を示すと共に「私のスコアは117-110で村田の勝利。まずは村田諒太、帝拳プロモーション、そしてすべての日本のファンに謝らなければならない。このひどい判定によるダメージを修復する言葉はない」と自身のソーシャルメディアにコメントを載せ、この試合の判定に言及した異例の声明を発表した<ref>[http://www.wbaboxing.com/boxing-news/wba-orders-ndam-murata-rematch WBA orders N’Dam-Murata rematch] WBA公式サイト 2017年5月20日</ref><ref>[http://boxingnews.jp/news/47933/ WBA会長が異例の声明、村田敗退の判定を謝罪] Boxing News(ボクシングニュース) 2017年5月21日</ref>。 |
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2017年5月24日、[[日本ボクシングコミッション|JBC]]は上述のヌジカムと村田の間で行われたWBA世界ミドル級王座決定戦に関し、採点の内容に関してWBA会長に文書で抗議したと発表した。試合の採点結果を再検証し、2週間以内の回答を求めたとのこと<ref>[http://boxingnews.jp/news/48080/ JBCがWBAに抗議文、村田諒太世界戦の検証求める] Boxing News(ボクシングニュース) 2017年5月24日</ref>。 |
2017年5月24日、[[日本ボクシングコミッション|JBC]]は上述のヌジカムと村田の間で行われたWBA世界ミドル級王座決定戦に関し、採点の内容に関してWBA会長に文書で抗議したと発表した。試合の採点結果を再検証し、2週間以内の回答を求めたとのこと<ref>[http://boxingnews.jp/news/48080/ JBCがWBAに抗議文、村田諒太世界戦の検証求める] Boxing News(ボクシングニュース) 2017年5月24日</ref>。 |
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2017年5月25日、WBAはヌジカム支持の採点をしたグスタボ・バティージャとヒューバート・アールを6ヵ月間の資格停止処分とし<ref>[http://www.wbaboxing.com/boxing-news/padilla-and-earle-suspended-for-6-months Padilla and Earle suspended for 6 months] WBA公式サイト 2017年5月25日</ref><ref>{{Cite news|date=2017-05-26|url= |
2017年5月25日、WBAはヌジカム支持の採点をしたグスタボ・バティージャとヒューバート・アールを6ヵ月間の資格停止処分とし<ref>[http://www.wbaboxing.com/boxing-news/padilla-and-earle-suspended-for-6-months Padilla and Earle suspended for 6 months] WBA公式サイト 2017年5月25日</ref><ref>{{Cite news|date=2017-05-26|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK50220_W7A520C1000000/|title=WBA会長、村田らに再戦指令 ジャッジ2人は資格停止|newspaper=日本経済新聞|accessdate=2017-05-26}}</ref>、上述のヌジカムと村田の間で行われたWBA世界ミドル級王座決定戦の採点に問題があったとしてヌジカムと村田に対し再戦するよう指令を出した<ref>[http://www.wbaboxing.com/boxing-news/wba-ratifies-rematch-ndam-murata-and-orders-barthelemy-relikh-2#.WSk2zJLyhdg WBA ratifies Rematch N’Dam-Murata and orders Barthelemy-Relikh 2] WBA公式サイト 2017年5月25日</ref><ref>[http://boxingnews.jp/news/48123/ WBAがジャッジ2人を資格停止処分、村田判定問題] Boxing News(ボクシングニュース) 2017年5月26日</ref>。 |
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2017年6月27日、WBAは上述の再戦指令に基づく対戦交渉が合意に至らなければWBA世界ミドル級レギュラー王者ハッサン・ヌダム・ヌジカム対WBA世界ミドル級1位村田諒太の入札を同年7月7日に行うと発表したが<ref>[http://www.wbaboxing.com/boxing-news/ndam-murata-goes-to-purse-bids N’Dam-Murata goes to purse bids] WBA公式サイト 2017年6月27日</ref><ref>[http://boxingnews.jp/news/49020/ WBAが村田諒太とエンダムの入札期日を指定] Boxing News(ボクシングニュース) 2017年6月28日</ref>、6月29日、帝拳ジムの[[本田明彦]]会長はWBAの入札指令について、「(相手陣営と)まだ交渉も始めていないのに、おかしな話だ。入札は100%やらない。こちらは(再戦を)あまりやる気はない」と話し、「村田がWBA以外の団体とやるのを阻止するために(入札指令を)出したのではないか」との見解を示した<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.daily.co.jp/ring/2017/06/29/0010323709.shtml |title= 村田vsエンダムの再戦消滅も…WBAの興行権入札指令を本田会長が拒否へ |publisher= デイリースポーツ |date= 2017-6-29 |accessdate= 2017-9-3}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url= http://www.hochi.co.jp/sports/boxing/20170628-OHT1T50261.html |title= WBAの「再戦入札」村田諒太陣営が拒否「まだ交渉も始めていないのに、おかしな話」 |publisher= スポーツ報知 |date= 2017-6-29 |accessdate= 2017-9-3}}</ref>。 |
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2017年6月27日、WBAは上述の再戦指令に基づく対戦交渉が合意に至らなければWBA世界ミドル級正規王者ハッサン・ヌダム・ヌジカム対WBA世界ミドル級1位村田諒太戦に関する入札を同年7月7日に行うと発表したが<ref>[http://www.wbaboxing.com/boxing-news/ndam-murata-goes-to-purse-bids N’Dam-Murata goes to purse bids] WBA公式サイト 2017年6月27日</ref><ref>[http://boxingnews.jp/news/49020/ WBAが村田諒太とエンダムの入札期日を指定] Boxing News(ボクシングニュース) 2017年6月28日</ref>、6月29日、帝拳ジムの[[本田明彦]]会長はWBAの入札指令について、「(相手陣営と)まだ交渉も始めていないのに、おかしな話だ。入札は100%やらない。こちらは(再戦を)あまりやる気はない」と話し、「村田がWBA以外の団体とやるのを阻止するために(入札指令を)出したのではないか」との見解を示した<ref>{{cite web|url= https://www.daily.co.jp/ring/2017/06/29/0010323709.shtml |title= 村田vsエンダムの再戦消滅も…WBAの興行権入札指令を本田会長が拒否へ |publisher= デイリースポーツ |date= 2017-6-29 |accessdate= 2017-9-3}}</ref><ref>{{cite web|url= http://www.hochi.co.jp/sports/boxing/20170628-OHT1T50261.html |title= WBAの「再戦入札」村田諒太陣営が拒否「まだ交渉も始めていないのに、おかしな話」 |publisher= スポーツ報知 |date= 2017-6-29 |accessdate= 2017-9-3}}</ref>。 |
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=== WBA世界ミドル級王座獲得 === |
=== WBA世界ミドル級王座獲得 === |
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2017年10月22日、[[両国国技館]]でWBA世界ミドル級 |
2017年10月22日、[[両国国技館]]でWBA世界ミドル級レギュラー王者のハッサン・ヌダム・ヌジカムと再戦し、7回終了TKO勝ちを収め前戦の借りを返し、日本人として[[竹原慎二]]以来22年ぶり2人目のミドル級世界王者となった<ref>[http://fightnews.com/murata-dethrones-ndam/7269 Murata dethrones N’Dam] Fightnews.com 2017年10月22日</ref><ref>[http://www.wbaboxing.com/boxing-news/murata-stops-ndam-in-tokyo-to-win-wba-title#.Wez6GGhcX7o Murata stops N’Dam in Tokyo to win WBA title] WBA公式サイト 2017年10月22日</ref><ref>[http://boxingnews.jp/news/52659/ 村田諒太がエンダムに雪辱、WBAミドル級王者に] Boxing News(ボクシングニュース) 2017年10月22日</ref>。試合はアメリカでは[[ESPN]]の第2チャンネル[[ESPN2]]によって生中継された<ref>{{Cite web|和書|url= https://boxrec.com/en/event/755170 |title= USA ESPN2 |publisher= BoxRec |date= 2017年10月22日 |accessdate= 2024年8月29日}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url= https://www.tapology.com/fightcenter/events/69440-teraji-vs-guevara |title= U.S. Broadcast: ESPN 2 |publisher= Tapology. |date= 2017年10月22日 |accessdate= 2024年8月29日}}</ref><ref>{{cite web|url= https://www.ringtv.com/521095-top-rank-boss-bob-arum-talks-espn-boxing-schedule-plans-early-2018/ |title= TOP RANK BOSS BOB ARUM TALKS ESPN BOXING SCHEDULE, PLANS FOR EARLY 2018 |publisher= THE RING |date= 2017年10月26日 |accessdate= 2017年12月16日}}</ref>。10月28日、WBAの2017年10月度の月間MVPに選出された<ref>[http://www.wbaboxing.com/wp-content/uploads/rankings/2017-october.pdf World Boxing Association Ranking] WBA公式サイト 2017年10月28日</ref><ref>[http://www.wbaboxing.com/boxing-news/there-have-been-many-changes-on-the-october-ranking#.WfUEvGhcWEc There have been many changes on the October ranking] WBA公式サイト 2017年10月28日</ref><ref>[http://boxingnews.jp/news/52830/ WBAランキング 村田諒太はじめ複数階級で新王者] Boxing News(ボクシングニュース) 2017年10月30日</ref>。 |
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[[2018年]]2月9日、東京・関西運動記者クラブ・ボクシング分科会による、2017年プロボクシング年間最優秀選手賞を受賞した<ref>[https://www.bbm-japan.com/_ct/17147131 2017年 プロボクシング『年間優秀選手表彰式』開催] ベースボール・マガジン社WEB</ref><ref>[https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2018/02/09/kiji/20180209s00021000223000c.html 村田諒太が初MVP 恩師命日に…「見守ってくれると思う」] スポニチアネックス 2018年2月9日</ref>。 |
[[2018年]]2月9日、東京・関西運動記者クラブ・ボクシング分科会による、2017年プロボクシング年間最優秀選手賞を受賞した<ref>[https://www.bbm-japan.com/_ct/17147131 2017年 プロボクシング『年間優秀選手表彰式』開催] ベースボール・マガジン社WEB</ref><ref>[https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2018/02/09/kiji/20180209s00021000223000c.html 村田諒太が初MVP 恩師命日に…「見守ってくれると思う」] スポニチアネックス 2018年2月9日</ref>。 |
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2018年4月15日、[[横浜アリーナ]]でWBA世界ミドル級6位 |
2018年4月15日、[[横浜アリーナ]]でWBA世界ミドル級6位のエマヌエーレ・ブランダムラと対戦し、8回2分56秒TKO勝ちを収め、初防衛に成功した<ref>[https://fightnews.com/murata-stops-blandamura-eight-retains-wba-belt/19196 Murata stops Blandamura, keeps WBA 160lb belt] Fightnews.com 2018年4月15日</ref><ref>[http://boxingnews.jp/news/57232/ 村田諒太は8回TKOで初防衛「ゴロフキン目指す」] Boxing News(ボクシングニュース) 2018年4月15日</ref>。アメリカではESPN2で生中継された<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2018/03/21/kiji/20180321s00021000148000c.html |title= 村田諒太、初防衛戦が全米生中継 “宿敵”と7月にラスベガスで激突か |publisher= スポニチ |date= 2018年3月20日 |accessdate= 2018年7月10日}}</ref><ref>{{cite web|url= http://www.espn.com/boxing/story/_/id/23027148/ryota-murata-vs-emanuele-felice-blandamura-how-watch-fight-espn |title= How to watch Ryota Murata vs. Emanuele Felice Blandamura on ESPN |publisher= ESPN.com |date= 2018年4月5日 |accessdate= 2018年7月10日}}</ref>。 |
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2018年6月12日、WBAはWBA世界ミドル級3位の[[ロブ・ブラント]]と指名試合を行うよう指令を出した<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2018/06/13/kiji/20180613s00021000121000c.html |title= WBA 村田諒太に3位ブラントとの対戦を指示 |publisher= スポニチ |date= 2018年6月13日 |accessdate= 2018年7月10日}}</ref>。 |
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2018年8月13日、WBA本部で行われた指名試合の入札で村田を擁するトップランク社は参加せず、ブラントを擁するグレッグ・コーヘン・プロモーションズが最低入札額の20万ドルを僅かに上回る202,114ドルで落札、ファイトマネーの分配率は共に50%(101,057ドル)となった<ref>[https://www.boxingscene.com/ryota-murata-vs-robert-brant-purse-bid-won-by-greg-cohen--130851 Ryota Murata vs. Robert Brant Purse Bid Won By Greg Cohen] BoxingScene.com 2018年8月13日</ref>。 |
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===王座陥落、そして奪還=== |
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2018年10月20日、ラスベガスの[[パークMGM]]内パークシアターでWBA世界ミドル級3位のロブ・ブラントと対戦し<ref>[http://boxingnews.jp/news/60531/ 村田がラスベガスでV2戦 10.20ブラントと指名試合] Boxing News(ボクシングニュース) 2018年8月30日</ref>、軽快なブラントに対して手も足も遅い村田は終始主導権を握られ、12回0-3(110-118、109-119×2)での判定負けで2度目の防衛に失敗し、王座から陥落した<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.nikkansports.com/battle/news/201810210000160.html |title= 村田諒太、ブラントに判定負け…聖地でV2逃す |publisher= スポニチ |date= 2018年6月13日 |accessdate= 2018年10月21日}}</ref>。試合はアメリカでは[[ESPN+]]、日本では日本人ボクサーでは初めてとなる[[DAZN]]で生中継され、後日にフジテレビで深夜録画放送された。 |
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[[2019年]]7月12日、[[大阪府立体育会館]]にてWBA世界ミドル級レギュラー王者のロブ・ブラントと再戦を行い、2回2分34秒TKO勝ちを収め、9ヶ月振りに王座返り咲きに成功した<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkansports.com/battle/news/201907090000039.html|title=村田諒太が王座奪還!拳四朗V6/ダブル世界戦詳細|newspaper=日刊スポーツ|date=2019-07-09|accessdate=2019-07-13}}</ref>。試合はアメリカではESPN+でストリーム配信された<ref>{{cite web|url= https://www.espn.com/boxing/story/_/id/27105017/robert-brant-vs-ryota-murata-espn+-how-watch |title= Robert Brant vs. Ryota Murata on ESPN+: How to watch |publisher= ESPN.com |date= 2019年7月10日 |accessdate= 2019年8月2日}}</ref>。 |
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2019年7月18日、ロブ・ブラントが試合の契約に含まれていた再戦条項の権利を行使すると明かすも<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2019/07/20/kiji/20190720s00021000001000c.html |title= 村田との再戦条項、ブラントが権利行使 ESPN報じる |publisher= スポニチ |date= 2019年7月20日 |accessdate= 2019年8月2日}}</ref>、その後、村田とスティーブン・バトラーの勝者との対戦が保障されることを条件に、再戦条項の権利行使を延期する意向を示した<ref>{{cite web|url= https://www.badlefthook.com/2019/10/12/20911038/ryota-murata-vs-steven-butler-winner-would-have-face-rob-brant-next-espn-boxing-news |title= Ryota Murata vs Steven Butler winner would have to face Rob Brant |publisher= Bad Left Hook |date= 2019年10月12日 |accessdate= 2019年11月12日}}</ref>。 |
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2019年12月23日、横浜アリーナでWBA世界ミドル級8位のスティーブン・バトラーと対戦し、5回2分45秒TKO勝ちを収め初防衛に成功した<ref>[https://boxingnews.jp/news/71898/ 村田諒太の右強打炸裂 5回TKOで初防衛成功] Boxing News(ボクシングニュース)2019年12月23日</ref>。 |
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[[2020年]]2月3日、[[サウル・アルバレス]]との対戦交渉を、帝拳ジム側が会場に5月24日のさいたまスーパーアリーナを押さえ、本田明彦会長が渡米し、最終交渉にあたったが、アルバレスのプロモーターである[[ゴールデンボーイ・プロモーションズ]]は積極的だったが、アルバレス本人に近いサイドが[[シンコ・デ・マヨ|メキシコの戦勝記念日]]の5月5日前後の米本土での開催にこだわり難色を示して、いったん交渉中止となり、5月開催は無くなった<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.bbm-japan.com/boxing/17337478 |title= 村田諒太のカネロ戦、5月実現はなし |publisher= ボクシング・マガジン編集部 |date= 2019年2月3日 |accessdate= 2020年5月11日}}</ref>。 |
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2020年3月6日、サウル・アルバレスとの対戦交渉について、本田明彦会長が「12月に対戦する方向になっている」と相手側と基本合意していることを明かした<ref>{{Cite web|和書|url= https://hochi.news/articles/20200306-OHT1T50260.html |title= 村田諒太、カネロ戦合意 帝拳・本田会長「12月に対戦する方向」 |publisher= スポーツ報知 |date= 2020年3月7日 |accessdate= 2020年5月11日}}</ref>。 |
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2021年1月6日、アルバレスの王座返上により空位となっていたミドル級スーパー王座について、WBAはキャリアと記録を考慮して、村田をレギュラー王座から[[スーパー王座]]に昇格したことを発表した<ref>[https://www.boxingscene.com/ryota-murata-promoted-wba-super-champion-middleweight--154564 Ryota Murata Promoted To WBA 'Super' Champion at Middleweight] Boxing Scene 2021年1月6日</ref>。 |
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=== ゲンナジー・ゴロフキンとの対戦 === |
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2021年11月12日、東京都内で開かれた記者会見において、[[ゲンナジー・ゴロフキン 対 村田諒太戦|ゲンナジー・ゴロフキンとの2団体王座統一戦]]が12月29日に[[さいたまスーパーアリーナ]]で開催されることが正式発表された。記者会見には村田のほか帝拳ジムの浜田剛史代表、リモートで米フロリダ州からゴロフキンとGGGプロモーションのトム・ロフラーが出席し、海外メディア向けの第1部と国内メディア向けの第2部というスタイルで行われた。帝拳ジム会長の[[本田明彦]]は両者のファイトマネーの合計が「日本ボクシング史上最高額」である事を明かした<ref>[https://boxingnews.jp/news/86726/ 12.29村田諒太×ゴロフキン正式発表 ミドル級2団体統一戦 prime videoライブ配信] BoxingNews 2021年11月12日</ref>。 |
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2021年12月3日、[[新型コロナウイルス]]の変異株オミクロン株急拡大を受け、政府が外国人の新規入国を禁止する水際対策を実施したことで、ゴロフキンが日本に入国することが出来なくなり試合が延期になったことが発表された<ref>{{Cite web|和書|url= https://jp.reuters.com/article/sport-idJPKBN2II29I |title= 村田─ゴロフキン戦が延期、新型コロナ影響 |publisher= ロイター |date= 2021年12月4日 |accessdate= 2021年12月29日}}</ref>。 |
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[[2022年]]3月3日、3月からの政府の外国人に対する水際対策の緩和を受けて、試合が4月9日に再設定されたことが発表された<ref>[https://boxingnews.jp/news/88931/ 12.29村田諒太×ゴロフキン正式発表 村田諒太「僕が詰めていくと思う」 ゴロフキンとミドル級統一戦は4.9さいたまSA発表] BoxingNews 2022年3月2日</ref>。 |
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2022年4月9日、2年4か月ぶりの試合を[[さいたまスーパーアリーナ]]でIBF世界ミドル級王者[[ゲンナジー・ゴロフキン]]と2団体王座統一戦を行い、序盤はボディを当て相手を下がらせる場面はあったものの、その後はゴロフキンのガードの間を縫う多彩な角度のパンチを受けて徐々に劣勢となり、9回村田の左フックに右のカウンターを合わせられてダウンするとセコンドからタオルが投入され、9回2分11秒TKO負けを喫し、WBAスーパー王座から陥落した<ref>[https://boxingnews.jp/news/89685/ スコアあり 村田諒太が9回TKO負け 序盤ゴロフキンを苦しめるもミドル級王座統一ならず] BoxingNews 2022年4月9日</ref>。試合後のリング上で、ゴロフキンから中央アジアの民族衣装[[チャパン]]([[:en:Chapan]])のガウンを贈られた。後にゴロフキンは「[[カザフスタン]]には、チャパンを最も尊敬する人に贈るという習慣がある。彼に敬意を表して贈った」と語っている<ref>[https://the-ans.jp/news/234290/ ゴロフキン、試合後に自身のガウンを村田諒太に贈呈 ネット感銘「偉大なチャンピオン」 | THE ANSWER]</ref>。なお、試合の模様は日本国内が[[Amazon Prime Video]]、海外では[[DAZN]]で生配信され、後日[[WOWOW]]で録画放送された。 |
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{{Main|ゲンナジー・ゴロフキン 対 村田諒太戦}} |
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=== 引退 === |
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2018年6月12日、WBAはWBA世界ミドル級3位のロバート・ブラントと指名試合を行うよう指令を出した<ref>{{cite web|url= https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2018/06/13/kiji/20180613s00021000121000c.html |title= WBA 村田諒太に3位ブラントとの対戦を指示 |publisher= スポニチ |date= 2018年6月13日 |accessdate= 2018年7月10日}}</ref>。 |
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2023年2月22日、本田明彦会長に正式な引退意向を伝え、了承され、[[年間表彰選手 (ボクシング)|22年度ボクシング年間表彰式]]に出席した際に、前年4月に行われたゴロフキン戦について「僕の中では最後と思っている。まだ発表できていないだけの話で、個人的にはそう思っている」と事実上の引退を表明した<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.nikkansports.com/battle/news/202302220001208.html |title= 村田諒太引退決断「あの試合は僕の中では最後の試合」3月会見 帝拳・本田会長に意向伝えていた |publisher= 日刊スポーツ |date= 2023年2月23日 |accessdate= 2023年2月29日}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url = https://www.sankei.com/article/20230222-EDTER2QUGZO3ZNEKN5ISRFYL2Y/ |title = ボクシングの村田諒太が事実上の引退表明 ロンドン五輪金、元プロ世界王者|website = www.sankei.com|publisher = www.sankei.com|date = 2023-02-22|accessdate = 2023-02-23}}</ref>。2023年3月28日、都内で会見を開き、引退を正式発表した<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.nikkansports.com/battle/news/202303280000390.html |title= 村田諒太が現役引退を正式表明「すべての自分のロングショットをみて総括すれば悔いはない」 |publisher= 日刊スポーツ |date= 2023年3月28日 |accessdate= 2023年3月28日}}</ref>。 |
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2018年8月13日、WBA本部で行われた指名試合の入札で村田を擁するトップランク社は参加せず、ブラントを擁するグレッグ・コーヘン・プロモーションズが最低入札額(200,000ドル)を僅かに上回る202,114ドルで落札、ファイトマネーの分配率は共に50%(101,057ドル)となった<ref>[https://www.boxingscene.com/ryota-murata-vs-robert-brant-purse-bid-won-by-greg-cohen--130851 Ryota Murata vs. Robert Brant Purse Bid Won By Greg Cohen] BoxingScene.com 2018年8月13日</ref>。 |
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== 戦績 == |
== 戦績 == |
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* アマチュアボクシング:138戦 119勝 (89KO・RSC) 19敗 |
* アマチュアボクシング:138戦 119勝 (89KO・RSC) 19敗 |
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* プロボクシング |
* プロボクシング:19戦 16勝 (13KO) 3敗 |
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{{Fightstatstop}} |
{{Fightstatstop}} |
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{{Fightstatscont|1|2013年8月 |
{{Fightstatscont|1|2013年8月25日|{{Yes2}}☆|2R 2:24|TKO|[[柴田明雄]]([[ワタナベボクシングジム|ワタナベ]])|{{JPN}}|プロデビュー戦}} |
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{{Fightstatscont|2|2013年12月6日|☆|8R 1:20|TKO|デイブ・ピーターソン|{{USA}}|}} |
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{{Fightstatscont|3|2014年2月22日|☆|4R 0:43|TKO|カルロス・ナシメント|{{BRA}}|}} |
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{{Fightstatscont|4|2014年5月22日|☆|6R 2:35|KO|ヘスス・アンヘル・ネリオ|{{MEX}}|}} |
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{{Fightstatscont|5|2014年9月5日|☆|10R|判定3-0|アドリアン・ルナ|{{MEX}}|}} |
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{{Fightstatscont|6|2014年12月30日|☆|10R|判定3-0|ジェシー・ニックロウ|{{USA}}|}} |
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{{Fightstatscont|7|2015年5月1日|☆|5R 0:38|TKO|ダグラス・ダミアオ・アタイデ|{{BRA}}|}} |
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{{Fightstatscont|8|2015年11月7日|☆|10R|判定3-0|ガナー・ジャクソン|{{NZL}}|}} |
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{{Fightstatscont|9|2016年1月30日|☆|2R 2:23|KO|ガストン・アレハンドロ・ベガ|{{ARG}}|}} |
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{{Fightstatscont|10|2016年5月14日|☆|4R 2:50|TKO|フェリペ・サントス・ペドロソ|{{BRA}}|}} |
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{{Fightstatscont|11|2016年7月23日|☆|1R 1:52|TKO|ジョージ・タドーアーニッパー|{{USA}}|}} |
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{{Fightstatscont|12|2016年12月30日|☆|3R 2:53|KO|ブルーノ・サンドバル|{{MEX}}|}} |
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{{Fightstatscont|13|2017年5月20日|★|12R|判定1-2|[[ハッサン・ヌダム・ヌジカム]]|{{FRA}}|[[世界ボクシング協会|WBA]]世界[[ミドル級]]王座決定戦}} |
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{{Fightstatscont|14|2017年10月22日|☆|7R 終了|TKO|[[ハッサン・ヌダム・ヌジカム]]|{{FRA}}|WBA世界ミドル級タイトルマッチ}} |
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{{Fightstatscont|15|2018年4月15日|☆|8R 2:56|TKO|エマヌエーレ・ブランダムラ|{{ITA}}|WBA防衛1}} |
{{Fightstatscont|15|2018年4月15日|{{Yes2}}☆|8R 2:56|TKO|エマヌエーレ・ブランダムラ|{{ITA}}|WBA防衛1}} |
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{{Fightstatscont|16|2018年10月20日|{{No2}}★|12R|判定0-3|[[ロブ・ブラント]]|{{USA}}|WBA陥落}} |
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{{Fightstatscont|18|2019年12月23日|{{Yes2}}☆|5R 2:45|TKO|スティーブン・バトラー|{{CAN}}|WBA防衛1→[[スーパー王座]]認定}} |
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{{Fightstatscont|19|2022年4月9日|{{No2}}★|9R 2:11|TKO|[[ゲンナジー・ゴロフキン]]|{{KAZ}}|[[ゲンナジー・ゴロフキン 対 村田諒太戦|WBA・IBF世界ミドル級王座統一戦]]<br>WBA陥落}} |
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{{Fightstatsbottom}} |
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== 人物 == |
== 人物 == |
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*[[京都廣学館高等学校|南京都高等学校]]ボクシング部で指導を受けた同校監督の武元前川を恩師として挙げている。2010年2月に武元は急死したが、村田は「先生の夢は五輪選手を育てたい、だった」と話している<ref name="nikkan0808" />。 |
*[[京都廣学館高等学校|南京都高等学校]]ボクシング部で指導を受けた同校監督の武元前川を恩師として挙げている。2010年2月に武元は急死したが、村田は「先生の夢は五輪選手を育てたい、だった」と話している<ref name="nikkan0808" />。 |
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*2008年北京五輪出場を逃し |
*[[2008年]]に北京五輪出場を逃し現役を引退した後は、東洋大学職員兼ボクシング部コーチとして大学に勤務し後進の指導を担当していたが、[[2009年]]2月に{{Anchors| 東洋大学ボクシング部の元部員}}東洋大学ボクシング部の元部員が[[覚醒剤取締法]]違反容疑で逮捕されると、東洋大学ボクシング部は活動自粛となり、関東大学リーグ1部から3部へ降格処分が下された。そのため村田はコーチであったのに不祥事を止められなかった自戒の念と、全日本選手権で優勝することが出来れば東洋大学ボクシング部の名誉回復につながるのではと判断し現役に復帰した<ref name="Murata101" />。 |
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*2010年5月 |
*[[2010年]]5月に東洋大学に勤務する4歳年上の女性と結婚。翌年5月に長男、2014年5月に長女が誕生。[[2012年ロンドンオリンピックのボクシング競技|ロンドン五輪]]の準々決勝直前には携帯電話で日本にいる長男の映像を見て気持ちを落ち着かせた<ref>{{Cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/olympic/news/2012/08/08/kiji/K20120808003855791.html|title=村田は変わった! 家族の存在で“ポジティブ”に|date=2012年8月8日|publisher=スポニチアネックス|accessdate=2012年8月9日}}</ref>。 |
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*ロンドン |
*ロンドン五輪バンタム級銅メダリストの[[清水聡 (ボクサー)|清水聡]]とは同い年で大学1年時からともに日本代表として過ごすライバル関係であり、ロンドン五輪準々決勝に出発する前、前日にメダル獲得を確定させた清水からは「村田は変に『頑張れよ』という方が緊張するだろうから」と考えて「負けろよ」とエールを送られた<ref>{{Cite news|url=http://mainichi.jp/sports/news/20120808k0000m050051000c.html|title=五輪ボクシング:狙うは金 いいライバルの清水と村田|date=2012年8月7日|publisher=毎日新聞|accessdate=2012年8月9日}}</ref>。 |
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*アマチュアボクシングに誇りを持っているため「アマチュア」という言葉を嫌い、その理由を「プロに負ける要素がないから」と説明している。プロボクサーとのスパーリングで実際には村田が相手を翻弄していても「引けを取らない」などとマスメディアが報じることも好まない<ref>善理俊哉 [http://blog.livedoor.jp/serishunya/archives/2012-08.html#20120817 村田株、1億円超えのバブル期へ] せりしゅんや的アマボク通信 2012年8月17日。</ref>。ロンドンオリンピックを控えた2012年中ごろには「世界チャンピオンが今、プロで何人もいますけど、僕らの世界ではそうはいかないですよ」と話している<ref group="映像">{{Cite video|date=2012年7月6日|title=半世紀ぶりの金メダルへ 村田諒太〈東洋大学ボクシング部コーチ〉|url=http://www.youtube.com/watch?v=_fuMlOG7_1Y|medium=|time=2:25|publisher=大学スポーツ総合サイトCSParkのYouTubeチャンネル|accessdate=2012年8月19日}}</ref>。 |
*アマチュアボクシングに誇りを持っているため「アマチュア」という言葉を嫌い、その理由を「プロに負ける要素がないから」と説明している。プロボクサーとのスパーリングで実際には村田が相手を翻弄していても「引けを取らない」などとマスメディアが報じることも好まない<ref>善理俊哉 [http://blog.livedoor.jp/serishunya/archives/2012-08.html#20120817 村田株、1億円超えのバブル期へ] せりしゅんや的アマボク通信 2012年8月17日。</ref>。ロンドンオリンピックを控えた2012年中ごろには「世界チャンピオンが今、プロで何人もいますけど、僕らの世界ではそうはいかないですよ」と話している<ref group="映像">{{Cite video|date=2012年7月6日|title=半世紀ぶりの金メダルへ 村田諒太〈東洋大学ボクシング部コーチ〉|url=http://www.youtube.com/watch?v=_fuMlOG7_1Y|medium=|time=2:25|publisher=大学スポーツ総合サイトCSParkのYouTubeチャンネル|accessdate=2012年8月19日}}</ref>。 |
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*日本人ボクサーとして[[竹原慎二]]以来2人目のミドル級世界王者で、竹原慎二が[[ウィリアム・ジョッピー]]に敗れて出来なかったミドル級世界王座の防衛を日本人ボクサーとして初めて達成した<ref>[http://www.wbaboxing.com/boxing-news/murata-retains-title-against-blandamura#.WtSrYRZcWEc Murata Retains Title Against Blandamura] WBA公式サイト 2018年4月15日</ref>。 |
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*好きな選手は、[[フェリックス・トリニダード]]<ref name="Murata101" />。 |
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*好きな選手は[[フェリックス・トリニダード]]<ref name="Murata101" />。 |
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*憧れのアスリートとして[[魔裟斗]]と[[室伏広治]]をあげている<ref name="Murata101" />。また「喧嘩をしたら負けると思った」人物として室伏広治と[[朝青龍明徳|朝青龍]]の二人を挙げている<ref>[http://efight.jp/news-20150322_143937 【ボクシング】村田諒太「次はリアルな試合になる」] 2015年3月22日 イーファイト</ref>。村田が18歳の頃から魔裟斗がパンチのみのボクシングスパーリングをする際にスパーリング・パートナーとして招聘され拳を交えている。最初にスパーリングした当時はボクシングが[[K-1]]に人気を奪われていた時期ということもあり、「蹴りが無いパンチだけのスパーリングでは絶対に負けたくない」と意気込んでいたが当時既にK-1世界王者に輝いていた魔裟斗にはさすがにかなわず劣勢だった。しかし、[[ゴング格闘技]]で両者が対談した際に魔裟斗は「村田くんの素質の良さは当時から感じていた」と語っている。 |
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*憧れのアスリートとして[[魔裟斗]]と[[室伏広治]]を挙げている<ref name="Murata101" />。 |
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*アマ時代の一時期ウェイトトレーニングを取り入れていたが、スピードが鈍り、故障も増えたことから現在はやっていない<ref name="Murata101" /><ref>{{cite web|url= https://smart-flash.jp/serial/imready/19295/2 |title= 【村田諒太インタビュー】Vol.6「減量とトレーニング」 |publisher= FLASH |date= 2017年5月8日 |accessdate= 2017年12月16日}}</ref>。 |
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*村田が18歳の頃から魔裟斗がパンチのみのボクシングスパーリングをする際にスパーリング・パートナーとして招聘され拳を交えている。スパーリングでは村田に分があったものの、初めてスパーリングをした時は、当時ボクシングが[[K-1]]に人気を奪われていたことから「蹴りが無いパンチだけのスパーリングでは絶対に負けたくない」という意気込みに反して、既にK-1世界王者に輝いていた魔裟斗に劣勢を強いられた<ref>{{Cite web|和書|title=二枚目ツーショット|url=http://blog.livedoor.jp/serishunya/archives/52020977.html|website=せりしゅんや的アマボク通信|accessdate=2020-12-04|language=ja}}</ref>。[[ゴング格闘技]]で両者が対談した際に魔裟斗は「村田くんの素質の良さは当時から感じていた」と語っている。 |
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*試合前、試合後は飲まないが、それ以外の日には飲酒をすることがある<ref name="Murata101" />。 |
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*「喧嘩をしたら負けると思った」人物として室伏広治と[[朝青龍明徳|朝青龍]]の二人を挙げている<ref>[https://efight.jp/news-20150322_143937 【ボクシング】村田諒太「次はリアルな試合になる」] [[2015年]]3月22日 イーファイト</ref> |
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*勝負曲は[[Superfly]]の「Beep!!」である<ref name="Murata101" />。 |
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*CTスキャン撮影の際、医者に「頭蓋骨が厚いね。一般の人より1.5倍くらい厚い」と言われたことがある<ref name="Murata101" />。 |
*CTスキャン撮影の際、医者に「頭蓋骨が厚いね。一般の人より1.5倍くらい厚い」と言われたことがある<ref name="Murata101" />。 |
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*アマ時代の一時期ウェイトトレーニングを取り入れていたが、スピードが鈍り、故障も増えたことから現在はやっていない<ref name="Murata101" /><ref>{{Cite web|和書|url= https://smart-flash.jp/serial/imready/19295/2/ |title= 【村田諒太インタビュー】Vol.6「減量とトレーニング」 |publisher= FLASH |date= 2017年5月8日 |accessdate= 2017年12月16日}}</ref>。 |
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*2013年9月、女性向けファッションショー「[[神戸コレクション]]」にゲストモデルとして出演<ref>{{Cite news |title=プロデビュー戦の次はモデル?! 五輪金・村田選手登場に大歓声 神戸コレクション開催 |url=http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130901/wlf13090120390021-n1.htm |newspaper=MSN産経WEST |date=2013-09-01 }}</ref>。 |
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*試合前および試合後は飲まないが、それ以外の日には飲酒をすることがある<ref name="Murata101" />。 |
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*2017年5月、WBA世界ミドル級王座決定戦を前に[[岡山県]][[笠岡市]][[大島中]]に在住する父方の祖父母が笠岡市の[[小林嘉文]]市長を表敬訪問し、応援を依頼。市民有志が「笠岡から村田諒太選手を応援する会」を結成した<ref>[https://ja-jp.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1406511619411942&id=487513294645117 特定非営利活動法人 笠岡を元気にする会]大島まちづくり協議会</ref><ref>[http://www.sanyonews.jp/article/529798/ 村田選手のWBA王座戦応援を 笠岡の祖父母が市長を表敬]. 山陽新聞. (2017年5月11日)2017年5月11日閲覧。</ref><ref>[http://mainichi.jp/articles/20170516/ddl/k33/050/600000c ボクシング:村田諒太選手、WBA王座挑戦 「感謝忘れずに」 笠岡在住・高本さん夫妻、孫へエール /岡山]. 毎日新聞. (2017年5月16日)2017年5月16日閲覧。</ref><ref>[http://www.hochi.co.jp/topics/20170520-OHT1T50235.html 村田の祖父母が暮らす岡山でPVも「なんでや!?」]. スポーツ報知. (2017年5月20日)2017年5月20日閲覧。</ref>。 |
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*勝負曲は[[Superfly]]の「Beep!!」である<ref name="Murata101" />。 |
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*2018年4月、[[竹原慎二]]が[[ウィリアム・ジョッピー]]に敗れ果たせなかったWBA世界ミドル級王座の初防衛を[[横浜アリーナ]]で日本人ミドル級世界王者として初めて果たした<ref>[http://www.wbaboxing.com/boxing-news/murata-retains-title-against-blandamura#.WtSrYRZcWEc Murata Retains Title Against Blandamura] WBA公式サイト 2018年4月15日</ref>。 |
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*2013年9月、女性向けファッションショー「[[神戸コレクション]]」にゲストモデルとして出演<ref>{{Cite news |title=プロデビュー戦の次はモデル?! 五輪金・村田選手登場に大歓声 神戸コレクション開催 |url=https://web.archive.org/web/20130901225736/http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130901/wlf13090120390021-n1.htm |newspaper=MSN産経WEST |date=2013-09-01 }}</ref>。 |
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*[[牧師]]の[[アーサー・ホーランド]]から洗礼を受け、[[キリスト教徒|クリスチャン]]となる<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.youtube.com/watch?v=N38cNzvKDsI |title= 【Blessing News】元WBAミドル級王者 村田諒太×不良牧師 Arthur Hollands (Vlog📹 2024/06/20) |publisher= THE ARTHUR HOLLANDS SHOW |date= 2024年6月21日 |accessdate= 2024年9月1日}}</ref>。そのためインタビュー等で[[聖書]]を引用することがある<ref>{{Cite web|和書|title=プロボクサーの村田諒太、息子への手紙で新約聖書の「タラントのたとえ」 |url=https://www.christiantoday.co.jp/articles/27029/20190716/ryota-murata-bible-parable-of-the-talents.htm |website=クリスチャントゥデイ |date=2023-07-16 |access-date=2023-07-16 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=村田諒太(ボクサー)「聖書が語る才能」 |url=https://christiancommons.or.jp/murata-ryota/ |website=クリスチャンコモンズ |date=2022-06-04 |access-date=2023-07-16 |language=ja |last=tksano}}</ref>。 |
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== 獲得タイトル == |
== 獲得タイトル == |
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;プロ |
;プロ |
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* [[世界ボクシング協会|WBA]]世界[[ミドル級]]王座 |
* [[世界ボクシング協会|WBA]]世界[[ミドル級]]レギュラー王座(1期目:防衛1=陥落、2期目:防衛1=スーパー王座に認定) |
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*WBA世界ミドル級[[スーパー王座]](防衛0) |
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== 主な受賞歴 == |
== 主な受賞歴 == |
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; ボクシング競技<!-- 直接関係するもの --> |
; ボクシング競技<!-- 直接関係するもの --> |
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* [[年間表彰選手 (ボクシング)|プロ・アマチュア年間表彰]] |
* [[年間表彰選手 (ボクシング)|プロ・アマチュア年間表彰]] |
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** 2005年アマチュアボクシング部門 最優秀選手賞<ref>{{Cite web|url=http://www.boxing.jp/cgi/news/news.cgi?mode=view&no=333|title= 長谷川初のMVP|date=2005年12月|publisher=boxing.jp||accessdate=2012年6月26日}}</ref> |
** 2005年アマチュアボクシング部門 最優秀選手賞<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.boxing.jp/cgi/news/news.cgi?mode=view&no=333|title= 長谷川初のMVP|date=2005年12月|publisher=boxing.jp||accessdate=2012年6月26日}}</ref> |
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** 2006年アマチュアボクシング部門 敢闘賞<ref>{{Cite web|url=http://www.jbc.or.jp/rls/2007/0123.html|title=2006年度年間優秀選手表彰式開催|date=2007年1月23日|publisher=[[日本ボクシングコミッション]]|accessdate=2012年6月26日}}</ref> |
** 2006年アマチュアボクシング部門 敢闘賞<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jbc.or.jp/rls/2007/0123.html|title=2006年度年間優秀選手表彰式開催|date=2007年1月23日|publisher=[[日本ボクシングコミッション]]|accessdate=2012年6月26日}}</ref> |
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** 2007年アマチュアボクシング部門 敢闘賞<ref>{{Cite web|url=http://www.jbc.or.jp/rls/2008/0123.html|title=2007年度年間優秀選手表彰式開催|date=2008年1月23日|publisher=日本ボクシングコミッション|accessdate=2012年6月26日}}</ref> |
** 2007年アマチュアボクシング部門 敢闘賞<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jbc.or.jp/rls/2008/0123.html|title=2007年度年間優秀選手表彰式開催|date=2008年1月23日|publisher=日本ボクシングコミッション|accessdate=2012年6月26日}}</ref> |
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** 2011年アマチュアボクシング部門 最優秀選手賞<ref>{{Cite journal|和書|author=MACC出版|date=2012年2月15日|journal=アイアンマン|issue=3月号増刊(『ボクシング・ビート』3月号)|pages=109頁|title=「44年ぶり五輪メダル狙う」MVP村田が宣言|publisher=フィットネススポーツ}}</ref> |
** 2011年アマチュアボクシング部門 最優秀選手賞<ref>{{Cite journal|和書|author=MACC出版|date=2012年2月15日|journal=アイアンマン|issue=3月号増刊(『ボクシング・ビート』3月号)|pages=109頁|title=「44年ぶり五輪メダル狙う」MVP村田が宣言|publisher=フィットネススポーツ}}</ref> |
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** 2012年アマチュアボクシング部門 最優秀選手賞<ref>{{Cite news|url=http://www.daily.co.jp/newsflash/ring/2013/01/07/0005652840.shtml|title=ボクシング井岡は初、村田3度目|date=2013年1月7日|publisher=[[デイリースポーツ]]|accessdate=2013年1月18日}}</ref> |
** 2012年アマチュアボクシング部門 最優秀選手賞<ref>{{Cite news|url=http://www.daily.co.jp/newsflash/ring/2013/01/07/0005652840.shtml|title=ボクシング井岡は初、村田3度目|date=2013年1月7日|publisher=[[デイリースポーツ]]|accessdate=2013年1月18日}}</ref> |
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** 2014年プロボクシング部門 努力賞<ref>[http://boxingnews.jp/news/21632/ 井上尚弥がMVP含め3冠獲得、2014年表彰選手決定] Boxing News(ボクシングニュース) 2015年1月6日</ref> |
** 2014年プロボクシング部門 努力賞<ref>[http://boxingnews.jp/news/21632/ 井上尚弥がMVP含め3冠獲得、2014年表彰選手決定] Boxing News(ボクシングニュース) 2015年1月6日</ref> |
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** 2017年プロボクシング部門 最優秀選手賞<ref>[http://boxingnews.jp/news/55553/ 年間表彰式開催 MVPは村田諒太、技能賞に井上尚弥] Boxing News(ボクシングニュース) 2018年2月9日</ref> |
** 2017年プロボクシング部門 最優秀選手賞<ref>[http://boxingnews.jp/news/55553/ 年間表彰式開催 MVPは村田諒太、技能賞に井上尚弥] Boxing News(ボクシングニュース) 2018年2月9日</ref> |
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** 2019年プロボクシング部門 殊勲賞・優秀選手賞・KO賞<ref>[https://www.nikkansports.com/m/battle/news/202002070000219_m.html?mode=all 井上尚弥2年連続2冠 最優秀選手賞と年間最高試合] 日刊スポーツ 2020年2月7日</ref> |
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**2022年プロボクシング部門 年間最高試合賞<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/news/202302080000671.html 井上尚弥MVP、村田諒太が年間最高試合 寺地拳四朗は技能賞初受賞 ボクシング年間表彰一覧] 日刊スポーツ 2023年2月8日</ref> |
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* [[JOCスポーツ賞]] 特別功労賞(2012年)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/sports/news/f-sp-tp0-20120626-973427.html|title=「メダルで感謝」ボクシング村田|date=2012年6月26日|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2012年6月26日}}</ref> |
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* 京都府スポーツ賞 特別栄誉賞(2012年)<ref>{{Cite news|url=http://www.kyoto-np.co.jp/sports/article/20120808000144|title=フェンシング太田ら11人に京都府スポーツ賞|date=2012年8月8日|publisher=京都新聞|accessdate=2012年8月9日}}</ref> |
* 京都府スポーツ賞 特別栄誉賞(2012年)<ref>{{Cite news|url=http://www.kyoto-np.co.jp/sports/article/20120808000144|title=フェンシング太田ら11人に京都府スポーツ賞|date=2012年8月8日|publisher=京都新聞|accessdate=2012年8月9日}}</ref> |
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* [[日本オリンピック委員会|JOC]] オリンピック特別賞(2012年)<ref>{{Cite news|title=竹田JOC会長、熱戦終え「誇りや一体感」=五輪日本選手団が解団式|url=http://www.jiji.com/jc/zc?k=201208/2012081400848|publisher=時事通信社|date=2012年8月14日|accessdate=2012年8月18日}}</ref> |
* [[日本オリンピック委員会|JOC]] オリンピック特別賞(2012年)<ref>{{Cite news|title=竹田JOC会長、熱戦終え「誇りや一体感」=五輪日本選手団が解団式|url=http://www.jiji.com/jc/zc?k=201208/2012081400848|publisher=時事通信社|date=2012年8月14日|accessdate=2012年8月18日}}</ref> |
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* 東京都栄誉賞(2012年)<ref name="jiji0817">{{Cite news|title=内村選手らメダリスト27人表彰=石原知事「招致の追い風に」-東京都|url=http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2012081700850|publisher=時事通信社|date=2012年8月17日|accessdate=2012年8月18日}}</ref> |
* 東京都栄誉賞(2012年)<ref name="jiji0817">{{Cite news|title=内村選手らメダリスト27人表彰=石原知事「招致の追い風に」-東京都|url=http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2012081700850|publisher=時事通信社|date=2012年8月17日|accessdate=2012年8月18日}}</ref> |
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* 都民スポーツ大賞(2012年)<ref name="jiji0817" /> |
* 都民スポーツ大賞(2012年)<ref name="jiji0817" /> |
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* 奈良県県民栄誉賞(2012年)<ref>{{Cite news|title=村田選手に県民栄誉賞 五輪ボクシング金「大きな感動与えた」 奈良|url=http://sankei.jp.msn.com/region/news/120824/nar12082402130001-n1.htm|publisher=[[産経新聞|MSN産経ニュース]]|date=2012年8月24日|accessdate=2012年8月25日}}</ref> |
* 奈良県県民栄誉賞(2012年)<ref>{{Cite news|title=村田選手に県民栄誉賞 五輪ボクシング金「大きな感動与えた」 奈良|url=https://web.archive.org/web/20120823224004/http://sankei.jp.msn.com/region/news/120824/nar12082402130001-n1.htm|publisher=[[産経新聞|MSN産経ニュース]]|date=2012年8月24日|accessdate=2012年8月25日}}</ref> |
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* 奈良市市民栄誉賞(2012年)<ref>{{Cite news|title=五輪ボクシング金・村田選手、奈良市も市民栄誉賞 創設決定|url=http://sankei.jp.msn.com/region/news/120825/nar12082502070003-n1.htm|publisher=MSN産経ニュース|date=2012年8月25日|accessdate=2012年8月25日}}</ref> |
* 奈良市市民栄誉賞(2012年)<ref>{{Cite news|title=五輪ボクシング金・村田選手、奈良市も市民栄誉賞 創設決定|url=https://web.archive.org/web/20120824225924/http://sankei.jp.msn.com/region/news/120825/nar12082502070003-n1.htm|publisher=MSN産経ニュース|date=2012年8月25日|accessdate=2012年8月25日}}</ref> |
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* [[紫綬褒章]](2012年)<ref>{{Cite news|title=由紀さおり、三浦友和らに紫綬褒章|url= |
* [[紫綬褒章]](2012年)<ref>{{Cite news|title=由紀さおり、三浦友和らに紫綬褒章|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20121102-1041154.html|publisher=日刊スポーツ|date=2012年11月2日|accessdate=2012年11月2日}}</ref> |
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* [[アジアオリンピック評議会|アジア・オリンピック評議会]] スポーツ・スター賞(2012年)<ref>{{Cite web|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/etc/news/20121108-OHT1T00214.htm|title=OCAが五輪金の村田、松本ら表彰|date=2012年11月8日|publisher=スポーツ報知|accessdate=2012年11月10日}}</ref> |
* [[アジアオリンピック評議会|アジア・オリンピック評議会]] スポーツ・スター賞(2012年)<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20121108212039/http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/etc/news/20121108-OHT1T00214.htm|title=OCAが五輪金の村田、松本ら表彰|date=2012年11月8日|publisher=スポーツ報知|accessdate=2012年11月10日}}</ref> |
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* スポーツニッポンフォーラム FOR ALL 2012 グランプリ(2012年)<ref>{{Cite web|url= |
* スポーツニッポンフォーラム FOR ALL 2012 グランプリ(2012年)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2012/12/07/kiji/K20121207004720570.html|title=村田 ひそかな夢告白「英国で学んでアマ界に恩返し」|date=2012年12月7日|publisher=スポニチアネックス|accessdate=2012年12月19日}}</ref> |
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* [[毎日スポーツ人賞]] 個人賞(2012年)<ref name="sanspo20121219" /> |
* [[毎日スポーツ人賞]] 個人賞(2012年)<ref name="sanspo20121219" /> |
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* [[ビッグスポーツ賞]](2012年)<ref>{{Cite news|title=吉田、伊調ら金メダリスト7人が受賞|url= |
* [[ビッグスポーツ賞]](2012年)<ref>{{Cite news|title=吉田、伊調ら金メダリスト7人が受賞|url=https://www.nikkansports.com/sports/news/f-sp-tp0-20121220-1062142.html|publisher=日刊スポーツ|date=2012年12月20日|accessdate=2012年12月29日}}</ref> |
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* [[日本スポーツ賞]] オリンピック特別賞(2012年)<ref>{{Cite news|title=村田、試合見据え本格始動を明かす…日本スポーツ賞表彰式|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/feature/sports/20101117-736646/news/20130119-OHO1T00025.htm|publisher=スポーツ報知|date=2013年1月19日|accessdate=2013年2月21日}}</ref> |
* [[日本スポーツ賞]] オリンピック特別賞(2012年)<ref>{{Cite news|title=村田、試合見据え本格始動を明かす…日本スポーツ賞表彰式|url=https://web.archive.org/web/20130119153614/http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/feature/sports/20101117-736646/news/20130119-OHO1T00025.htm|publisher=スポーツ報知|date=2013年1月19日|accessdate=2013年2月21日}}</ref> |
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* [[デイリースポーツ]] ホワイトベア・スポーツ賞 個人賞(2012年)<ref>{{Cite news|title=ボクシング「金」村田ホワイトベア受賞|url=http://www.daily.co.jp/general/2013/02/08/0005726371.shtml|publisher=デイリースポーツ|date=2013年2月8日|accessdate=2013年2月21日}}</ref> |
* [[デイリースポーツ]] ホワイトベア・スポーツ賞 個人賞(2012年)<ref>{{Cite news|title=ボクシング「金」村田ホワイトベア受賞|url=http://www.daily.co.jp/general/2013/02/08/0005726371.shtml|publisher=デイリースポーツ|date=2013年2月8日|accessdate=2013年2月21日}}</ref> |
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* [[日本プロスポーツ大賞]] 殊勲賞(2017年)<ref>{{Cite news|title=【ボクシング】村田諒太が日本プロスポーツ大賞殊勲賞を受賞、今年を漢字一文字で例えると変|url= |
* [[日本プロスポーツ大賞]] 殊勲賞(2017年)<ref>{{Cite news|title=【ボクシング】村田諒太が日本プロスポーツ大賞殊勲賞を受賞、今年を漢字一文字で例えると変|url=https://efight.jp/news-20171220_275633|publisher=イーファイト|date=2017年12月20日|accessdate=2017年12月20日}}</ref> |
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* [[世界ボクシング協会|WBA]] 2017年10月度月間MVP |
* [[世界ボクシング協会|WBA]] 2017年10月度月間MVP |
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* 第13回日本スポーツ学会大賞(2022年)<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/news/202301250001131.html 村田諒太、帝拳ジム浜田剛史代表がスポーツ学会大賞 ジム初代世界王者大場政夫さん命日に授賞式] 日刊スポーツ 2023年1月25日</ref> |
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; その他 |
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* [[ベストジーニスト]](2012年)<ref>{{Cite news|author=中島耕太郎|title=ボクシング金の村田選手、ベストジーニストに|url=http://www.asahi.com/culture/update/1004/TKY201210040406.html|publisher=朝日新聞|date=2012年10月4日|accessdate=2012年11月30日}}</ref> |
* [[ベストジーニスト]](2012年)<ref>{{Cite news|author=中島耕太郎|title=ボクシング金の村田選手、ベストジーニストに|url=http://www.asahi.com/culture/update/1004/TKY201210040406.html|publisher=朝日新聞|date=2012年10月4日|accessdate=2012年11月30日}}</ref> |
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* [[GQ JAPAN|GQ]] Men of the Year 2012<ref>{{Cite news|title=「GQ Men of the Year 2012」豪華な顔ぶれ一堂に、草間彌生も受賞|url= |
* [[GQ JAPAN|GQ]] Men of the Year 2012<ref>{{Cite news|title=「GQ Men of the Year 2012」豪華な顔ぶれ一堂に、草間彌生も受賞|url=https://www.afpbb.com/articles/-/2912627?pid=9864593|publisher=[[フランス通信社|AFPBB News]]|date=2012年11月19日|accessdate=2012年11月30日}}</ref> |
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* イクメン オブ ザイヤー (2013年) |
* イクメン オブ ザイヤー (2013年) |
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* [[ベスト・ファーザー イエローリボン賞]](2014年)<ref>[http://boxingnews.jp/news/14663/ 村田がベスト・ファーザー賞&ベストネクタイスト賞] Boxing News(ボクシングニュース) 2014年6月4日</ref> |
* [[ベスト・ファーザー イエローリボン賞]](2014年)<ref>[http://boxingnews.jp/news/14663/ 村田がベスト・ファーザー賞&ベストネクタイスト賞] Boxing News(ボクシングニュース) 2014年6月4日</ref> |
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== スポンサー == |
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* [[マイナビ]] |
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* Stake.com |
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* [[全日本空輸|ANA]] |
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* [[BOAT RACE振興会]]<ref>[https://www-zakzak-co-jp.cdn.ampproject.org/v/s/www.zakzak.co.jp/spo/amp/190813/spn1908130004-a.html?amp_js_v=a2&_gsa=1&usqp=mq331AQFKAG4AQE%3D#aoh=15771792807125&_ct=1577179586702&csi=1&referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.com&_tf=%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9%3A%20%251%24s&share=https%3A%2F%2Fwww.zakzak.co.jp%2Fspo%2Fnews%2F190813%2Fspn1908130004-n1.html WBA世界ミドル級王者・村田諒太が“リベンジ”始球式 「BOAT RACEナイター」楽天vsオリックス戦] zakzak 2019年8月13日</ref> |
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* [[ナイキ]](サポート契約)<ref>{{cite web|url= http://www.daily.co.jp/ring/2015/01/27/0007691452.shtml |title= 村田、ナイキと契約 世界獲りへ決意 |publisher= デイリースポーツ |date= 2015-1-27 |accessdate= 2015-7-27}}</ref> |
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* [[ |
* [[サミー|Sammy]] |
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* Flight PILOT |
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* [[すき家]]<ref>{{cite web|url= http://www.nikkansports.com/battle/news/1456043.html |title= 村田5社目スポンサー すき家と契約 |publisher= 日刊スポーツ |date= 2015-4-3 |accessdate= 2015-7-27}}</ref> |
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* |
* [[ナイキ]]<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.daily.co.jp/ring/2015/01/27/0007691452.shtml |title= 村田、ナイキと契約 世界獲りへ決意 |publisher= デイリースポーツ |date= 2015-1-27 |accessdate= 2015-7-27}}</ref> |
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=== 過去のスポンサー === |
=== 過去のスポンサー === |
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* [[アンダーアーマー]] |
* [[アンダーアーマー]] |
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* [[すき家]]<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.nikkansports.com/battle/news/1456043.html |title= 村田5社目スポンサー すき家と契約 |publisher= 日刊スポーツ |date= 2015-4-3 |accessdate= 2015-7-27}}</ref> |
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* [[全日本空輸|全日空]] |
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* [[Tailor Fields]] |
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* [[DAZN]]<ref>{{Cite web|和書|url= https://web.archive.org/web/20171217014120/https://www.jiji.com/jc/article?k=000000052.000019339&g=prt |title= 村田諒太 DAZNアンバサダーに就任 村田選手を起用した新CMが10月22日(日)の世界戦にて放映決定 |publisher= 時事ドットコム |date= 2017年10月19日 |accessdate= 2017年12月16日}}</ref> |
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* [[MGMリゾーツ・インターナショナル|MGMリゾーツ]]<ref>[https://www-oricon-co-jp.cdn.ampproject.org/v/s/www.oricon.co.jp/news/2109501/amp/?amp_js_v=a2&_gsa=1&usqp=mq331AQFKAG4AQE%3D#aoh=15771791884633&_ct=1577179195009&csi=1&referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.com&_tf=%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9%3A%20%251%24s&share=https%3A%2F%2Fwww.oricon.co.jp%2Fnews%2F2109501%2Ffull%2F 村田諒太選手、米MGMとスポンサー契約 日本人ボクサー初の快挙「ラスベガスでタイトルマッチを」] ORICON NEWS 2018年4月13日</ref> |
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* [[サッポロビール]]<ref>[https://www-daily-co-jp.cdn.ampproject.org/v/s/www.daily.co.jp/ring/2018/04/03/0011127807.shtml?amp_js_v=a2&_gsa=1&pg=amp&usqp=mq331AQFKAG4AQE%3D#aoh=15771792807125&_ct=1577179290172&csi=1&referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.com&_tf=%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9%3A%20%251%24s&share=https%3A%2F%2Fwww.daily.co.jp%2Fring%2F2018%2F04%2F03%2F0011127807.shtml 村田、スポンサー総額1億円超え!ビッグマネー手に自信] デイリースポーツ 2018年4月3日</ref> |
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== メディア出演 == |
== メディア出演 == |
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=== テレビ番組 === |
=== テレビ番組 === |
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*[[情熱大陸]] |
*[[情熱大陸]]([[毎日放送]]、2013年08月25日<ref>{{Cite web|和書|url= http://www.mbs.jp/jounetsu/2013/08_25.shtml |title= ゴールデンボーイ村田諒太の「あれから」と「これから」。注目のプロデビュー戦舞台裏に密着!|publisher= 毎日放送 |date= 2013-8-25 |accessdate= 2017-10-30}}</ref>、2017年5月28日<ref>{{Cite web|和書|url= http://www.mbs.jp/jounetsu/2017/05_28.shtml |title= 不可解な判定負けで異例の“再戦指示”…闘い済んで村田が語った本音。「心の炎に情熱まだある。知らない己に気付いた」独占密着!|publisher= 毎日放送 |date= 2017-5-28 |accessdate= 2017-10-30}}</ref>、10月29日<ref>{{Cite web|和書|url= http://www.mbs.jp/jounetsu/2017/10_29.shtml |title= 新・世界チャンピオン誕生!因縁の再戦で見せた“覚悟”と、胸の内に秘め続けて来た“苦悩と葛藤”に密着!!|publisher= 毎日放送 |date= 2017-10-29 |accessdate= 2017-10-30}}</ref>) |
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* [[「黄金のバンタム」を破った男〜ファイティング原田物語〜]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]]、2014年2月22日) - ジムの選手 役 |
* [[「黄金のバンタム」を破った男〜ファイティング原田物語〜]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]]、2014年2月22日) - ジムの選手 役 |
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* [[第68回NHK紅白歌合戦]](2017年12月31日、[[ |
* [[第68回NHK紅白歌合戦]](2017年12月31日、[[NHK総合テレビジョン|NHK総合]]・[[NHKラジオ第1放送|ラジオ第1]]) - ゲスト審査員 |
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== 脚注 == |
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* [[オリンピックのボクシング競技・メダリスト一覧]] |
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* [[年間表彰選手 (ボクシング)]] |
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* [[日本のボクシング世界王者一覧]] |
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* [[世界ボクシング協会世界王者一覧|世界ボクシング協会(WBA)世界王者一覧]] |
* [[世界ボクシング協会世界王者一覧|世界ボクシング協会(WBA)世界王者一覧]] |
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* [[ボクシング現王者一覧]] |
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== 外部リンク == |
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* {{Instagram|ryota_murata_official}} |
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* [http://www.aiba-london2012.com/index.php/boxers/b-men-s-middle-75kg/276-ryota-murata AIBA(国際ボクシング協会)による主な試合結果] {{En icon}} |
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* {{Facebook|ryota.murata.official}} |
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* [http://88.85.4.2/biographies.fwx?id_athlete=269 AIBA(国際ボクシング協会)によるAIBA関連の詳細な試合結果] {{En icon}} |
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2024年11月23日 (土) 13:31時点における最新版
住之江競艇場のトークショーにて (2017年12月23日) | |
基本情報 | |
---|---|
本名 | 村田 諒太 |
通称 | 黄金の拳 |
階級 | ミドル級 |
身長 | 183cm[1] |
リーチ | 190cm[1] |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1986年1月12日(38歳) |
出身地 | 奈良県奈良市 |
スタイル | 右ボクサーファイター [2] |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 19 |
勝ち | 16 |
KO勝ち | 13 |
敗け | 3 |
獲得メダル | ||
---|---|---|
日本 | ||
男子 ボクシング | ||
オリンピック | ||
金 | 2012 ロンドン | ミドル級 |
世界ボクシング選手権 | ||
銀 | 2011 バクー | ミドル級 |
インドネシア大統領杯 | ||
金 | 2011 ジャカルタ | ミドル級 |
アジア選手権 | ||
銅 | 2005 ホーチミン | ミドル級 |
村田 諒太 | |
---|---|
YouTube | |
チャンネル | |
活動期間 | 2020年6月18日 - |
登録者数 | 4.6万人 |
総再生回数 | 355万回 |
チャンネル登録者数・総再生回数は 2022年5月19日時点。 |
村田 諒太(むらた りょうた、1986年〈昭和61年〉1月12日 - )は、日本の元プロボクサー。奈良県奈良市出身。ロンドンオリンピックミドル級金メダリスト。元WBA世界ミドル級スーパー王者。帝拳ボクシングジムに所属していた。オリンピック金メダルとプロ世界チャンピオンの両方達成した初の日本人ボクサー[3]。血液型AB型[4]。
マッチメイクは帝拳プロモーションとトップランク社が担当していた。トレーナーはプロ転向当初はイスマエル・サラスだったが、田中繊大とホルヘ・リナレスの弟であるカルロス・リナレスが務めていた。入場テーマ曲は映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』のテーマ曲である「He's a Pirate(彼こそが海賊)」。
来歴
[編集]両親が共に公務員の家庭に3人兄弟の末っ子として生まれた[5]。小学校6年生の時に両親が離婚(ただし両親は離婚後も同居中である)、村田は当時のことを「崩壊した家庭環境が辛くて嫌でたまらなかった」と振り返っている[5]。
学生時代
[編集]5歳から水泳に親しみ、奈良市立伏見中学校では陸上部に所属。1500メートル走で奈良市大会4位の成績を残すが長続きしなかった[6]。家庭の事情もあり、街中で喧嘩をするなどすさんでいた村田が金髪で登校したところ、当時の担任であった北出忠徳教諭に視聴覚室に連れ込まれ「お前、何かやりたいことはないんか?」との問いに、村田が「ボクシングやったら、やるわ」と答えたことがボクシングを始めるきっかけとなった[5]。北出の手配で、その週末から地元の奈良工業高等学校(現奈良県立奈良朱雀高等学校)のボクシング部(当時の主将は名城信男)が主催する週末ボクシング教室に通いはじめる[7][8]。ロサンゼルスオリンピック日本代表で同校ボクシング部監督の高見公明によれば、当初から陸上競技仕込みのスピードがあったが、パワーは後の練習で身についたものだという[9]。しかし練習が辛く、わずか2週間ほどで行くのをやめてしまう。その後、再び奈良工業高等学校のボクシング練習に顔を出すようになるも2ヶ月ほどで足首を負傷し、以降二度と練習に顔を出さなくなる[5]。中学校3年生から大阪の進光ボクシングジムでトレーニングを始める。授業にほとんど出ていなかったこともあって勉強は不得意で中学3年生時の通信簿は「1」と「2」だけであった[5]。
南京都高等学校に進学[8]、高校初戦は黒星スタートであったが徐々に頭角を現し、高校2年時で選抜・総体・国体の高校3冠を達成。また3年時でも選抜と総体を制して高校5冠を達成し、最後の国体で粟生隆寛に次ぐ史上2人目の高校6冠の達成がかかっていたが、2府4県が団体戦により3枠を争う国体近畿予選で村田自身はミドル級で優勝するも京都チームが団体戦4位に留まり、国体出場を逃す。国体に出られなくなった代わりに全日本選手権に参戦するも、決勝で佐藤幸治に1回RSC負けに終わる。
卒業後は東洋大学経営学部経営学科へ進学しボクシング部に所属。2004年に全日本選手権初優勝[10]。
2005年にはキングスカップに出場、前年のアテネオリンピックミドル級銅メダリストでムエタイで魔裟斗に勝ったこともあるスリヤー・ソー・プルンチットに決勝で敗れ、銀メダルを獲得[5]。同年、アジア選手権にミドル級(75 kg)で出場し銅メダルを獲得[10][11]。同年、世界選手権にミドル級(75 kg)で出場するが1回戦で敗退した[12]。
2006年にはアジア大会代表に選ばれるが1回戦でアテネオリンピックウェルター級金メダリストのバクシャー・アルタエルに5-24で敗退する。アルタエフとは半年後のキングスカップで再戦するが再び敗退した[5]。
2007年には世界選手権にミドル級(75 kg)で出場するも2回戦でショーン・エストラーダに敗退した[13]。同年の全日本選手権では2度目の優勝を収めたが[10]、2008年1月のオリンピック・アジア1次予選で準決勝敗退、3月のオリンピック・アジア2次予選でも初戦敗退してオリンピック出場権を獲得できず[14]、北京オリンピック出場が完全に消滅したことで現役引退を決めた。
2008年3月に東洋大学を卒業。学校法人東洋大学に就職し大学職員 兼 ボクシング部コーチとして勤務。
2009年、2月に起きた東洋大学ボクシング部元部員の不祥事をきっかけに1年半ぶりの現役復帰を決意[15]。2009年から2011年にかけて全日本選手権で3連覇を果たす[10][16]。
2010年、カザフスタン大統領杯にミドル級(75 kg)で出場するが2回戦敗退[17]。
2011年7月、インドネシア大統領杯にミドル級(75 kg)で出場し初の国際大会優勝[映像 1][18]。
2011年8月、アジア選手権で2回戦敗退。
2011年10月、世界選手権にミドル級(75 kg)で出場、過去にこの大会で金メダリストとなったアボス・アトエフと2回戦で対戦。3回にアトエフから2度のスタンディングダウンを奪い、3回RSC勝ちを収めた。4回戦に勝利してロンドンオリンピック出場権を獲得した後、準決勝でエスキバ・ファルカンを破り、日本人として初めて決勝に進出したが、イエフゲン・フイトロフに22-24の僅差判定負けを喫して銀メダル獲得となった[19][20]。しかし、世界選手権での銀メダル獲得は日本人最高成績であり、メダリストは石井幸喜、川内将嗣に次いで3人目であった。英国のボクシング専門誌『ボクシング・マンスリー』7月号は、ロンドンオリンピックにおける各階級最大の脅威を紹介する記事の中で、英国にとって「ミドル級最大の強敵は日本の村田」と評価した[21]。
この後、試合をこなしながら調整した方がいいと思う気持ちもあり、全日本選手権には出場し優勝したが[16]、「手の内を明かしたくない」と考え国際試合からは離れた[22]。2012年5月にはワタナベジムへの出稽古で元日本・東洋太平洋スーパーウェルター級王者の柴田明雄とスパーリングをし、高校3年時から交流がある同ジム所属の現役世界王者・内山高志から左ボディー打ちをアドバイスされた[23]。また、7月には帝拳ジムで日本スーパーミドル級1位の三浦広光とスパーリングをし、南京都高の先輩で同ジム所属の現役世界王者・山中慎介から激励を受けた[24]。
ロンドンオリンピック
[編集]2012年のロンドンオリンピックにミドル級で出場。日本人選手のミドル級でのオリンピック出場は1996年のアトランタオリンピックでの本博国に以来16年ぶりとなった[25]。村田は第2シードとなり[26]、8月2日に行われた2回戦から出場。アブデルマレク・ラフーを21-12の判定で下し、準々決勝に進出した[27]。
8月6日に行われた準々決勝ではトルコのアデム・キリッチに初回から1ポイントのリードを許したが[28]、3回に10-5の大差をつけて最終的に17-13の逆転勝ちを収めメダル獲得を確定させた[29][30]。
8月10日、準決勝で前年の世界選手権で勝利したウズベキスタンのアボス・アトエフと対戦、1回に3ポイントをリードされたものの[31]、後半に入り猛攻を見せ、ポイントで逆転、最終的に13-12で判定勝ちを収めて決勝に進出した[32][33]。
8月11日の決勝戦ではブラジルのエスキバ・ファルカンを14-13で破り金メダルを獲得した[34][映像 2][映像 3][35]。日本人選手によるボクシング金メダル獲得は1964年東京オリンピックのバンタム級、桜井孝雄以来48年ぶりで、バンタム級を超えた階級でのメダル獲得は日本初となった[25]。この試合は初回を村田、2回をファルカンがとる接戦で、結果的に3回にファルカンの反則のホールディングで村田に2ポイントが加点されたことが勝敗を分けた[36]。ブラジル五輪委員会 (COB) は8月17日になって国際ボクシング協会 (AIBA) に試合結果の見直しを求めたが[37]、この要請は退けられた[38]。
博報堂DYメディアパートナーズが同月下旬に行った「アスリートイメージ評価調査」では、ロンドン五輪で期待以上の成績だったと思う選手の1位に選ばれた[39]。
ロンドンから帰国後間もなく、和歌山県立体育館で開催された国体近畿ブロック予選に参加し、ミドル級のシード選手として8月26日に行われた決勝の1試合を行った[40]。村田はこの試合で竹迫司登に2回56秒RSC勝ちで優勝を収め、京都の岐阜国体出場権を確保するが、試合後に自らは国体に出場せずに「ボクシングはこれで一区切り。基本的には続けようと思っていない」と現役引退を示唆し[41][42]、東洋大学職員として指導者の道へ進む意向を示した[43][44]。長期的な展望として日本オリンピック委員会 (JOC) のスポーツ指導者海外研修員としてスポーツ科学やスポーツマネジメントを学びに英国など英語圏の国へ海外留学する構想があることを明かした[45][43][46][47][48]。プロ転向については、協栄ジムの金平桂一郎会長が1億円の契約金を用意してプロ転向を勧誘するが[49]、村田は「金メダルが1億円より安いとは思わない。それを汚すぐらいなら1億円はいらない」と、これまでと変わらずプロ転向拒否の姿勢を示した[50]。
アマチュア引退勧告、プロ転向
[編集]ロンドン五輪終了後、村田はAIBAが設立するプロ団体AIBAプロボクシング(APB)への参加を名指しで要請されていたが[51]、現役を引退する可能性がある旨を記した公式文書を提出し、日本アマチュアボクシング連盟(現・日本ボクシング連盟。以下、日連)経由で辞退した[52]。その後、村田はアマチュアでの現役続行を選び、AIBAから再度APB参加を要請されたが、再び辞退[53]。その一方で、全日本社会人選手権への出場に意欲を示し、プロ転向に向けても独自に動くなど一貫性を欠いたと見られる行動をとっていた[54]。五輪終了後に東洋大学総監督の東郷武は、3年以内に監督を任せようと考えていたというが[55]、スポーツ報知によれば、2012年秋からはフジテレビ主導で、同局ボクシング中継の窓口である三迫ジム入りとプロ転向を奨められていた[56]。日連会長の山根明は、2013年1月14日に大阪市内で村田からプロ転向の意思を伝えられ、数日後に同ジムの会長・三迫仁志とマネジャーから、経緯報告のための訪問を受けた[52]。
山根によれば、村田が「『プロ転向を他には言ってない』と話しておきながら、東京では(その動きを)ほとんど知っていた」ことも不信感を募らせる一因となった。日連は村田に対して2013年2月2日、大阪市開催の理事会で、引退かアマチュア続行かプロ転向かの進路決定をめぐる信義則違反を理由として、同連盟初となるアマチュア選手としての引退勧告を満場一致で決議した[54]。山根は村田の言動には一貫性がなく、AIBAに対する約束違反があったと説明し[53]、また一連の経過の中で選手の意思は尊重するものの、プロ側とは共存共栄を図れる関係で日連強化選手の引き抜きなどはないものと認識していたが「裏切られた」と不快感を示した[51]。
村田は同日夜に山根と会談し、報道が先行して迷惑をかけたことを全面謝罪した。直後の会見で村田は改めてプロ転向の意思を表明し、引退勧告については「愛情ある措置をいただいたと、僕のことをしっかり考えた上ですべてのことを進めて下さっていると感謝しています。連盟の出された指示に従うだけですから」、またプロ入りについては「僕がプロに行く以上、負けは許されない。東洋大学もまだこの話を知らないですし、まず皆さんに応援していただける環境づくりをしたいと思います」と話した[54][57]。三迫ジム関係者はまだ何も決まっていないと言い、「村田君と連盟のこういう関係は望んでいなかった」と困惑した様子を見せた[58]。翌3日、日連は大阪市内で臨時総会を開き、村田への引退勧告を正式に承認した[59]。引退勧告から9日後の4月12日、村田はプロ転向を宣言し、三迫ボクシングジムに所属することとなった。
プロ転向の際の騒動について村田は2016年9月3日放送のザ・インタビュー〜トップランナーの肖像〜にて、「僕は初めは引退するつもりだった。でもチヤホヤされたのを含めて周囲から評価されるなかで、まだ体力的にイケるからもうちょっとボクシングがしたい、五輪金メダルを取ったような成功体験をもう一度味わいたいと思った。でもアマチュアで現役続行したいと言ったら『駄目だ』と言われた(誰に言われたか名前は明かさず)。なので後進の指導がしたいし英語の勉強もしたいから海外留学もしたいと職場に相談したがそれも駄目だった。それで今度はプロに転向しようかと妻に相談したら絶対に駄目だと言われ、迷っていた。そんな最中にNHKの課外授業 ようこそ先輩(2012年12月29日放送分)の収録で奈良市立伏見小学校で母校の小学校6年生と2日間過ごしてるうちに、昔の自分の夢が『五輪で金メダルを取ってプロ転向してラスベガスでやる』ことだったことを思い出した。収録を終えて妻に『もう1回自分の夢を追いかけたいからプロに行きたい』と言ったら許してくれた。たぶん妻は最初に相談した時はプロ転向の理由がアマチュアで現役続行できない、留学できないというネガティブな理由だったから駄目と言ったんだと思う。明日に向かっていくもの、次に向かうパワーが理由になったから許してくれたのだと思うので感謝している」と語っている。
プロデビュー戦へ
[編集]2013年4月12日、プロ転向記者会見が開かれ、三迫ジム所属としてプロに転向することが発表された[60]。
2013年4月16日、後楽園ホールでプロテストを受け合格、この模様はフジテレビ「EXCITING TIME」の第1弾として村田のプロテストのスパーリングなどがゴールデンタイムに生中継された[61][62]。
2013年6月4日、トップランクとの契約を発表[63]。10日にはアメリカ合衆国ロサンゼルスでボブ・アラムと記者会見を行った[64]。
2013年8月25日、有明コロシアムで東洋太平洋ミドル級王者で日本スーパーウェルター級王者でもある柴田明雄と73kg契約6回戦で対戦し、2回2分24秒TKOで下し、圧勝でプロデビュー戦を飾った[65]。この勝利で東洋太平洋ミドル級1位[66]、日本ミドル級1位[67]、WBC世界ミドル級19位にランクされた[68]。
2013年12月6日、両国国技館でデイブ・ピーターソンと73kg契約8回戦を行い、8回1分20秒TKO勝ちを収めた[69]。
2014年2月22日、中華人民共和国のマカオにあるザ・ベネチアン・マカオ内コタイ・アリーナでカルロス・ナシメンと73.4kg契約8回戦を行い、4回43秒TKO勝ちを収めた[70]。
2014年5月22日、島津アリーナ京都でヘスス・アンヘル・ネリオと73.4kg契約10回戦を行い、6回2分35秒KO勝ちを収めた[71][72]。
2014年7月10日、アメリカ合衆国のカリフォルニア州でWBA世界ミドル級スーパー王者ゲンナジー・ゴロフキンとスパーリングを行った[73][74]。
2014年9月5日、国立代々木第二体育館でWBC世界ミドル級22位でメキシコミドル級王者でもあるアドリアン・ルナと73.4kg契約10回戦を行い、10回3-0(98-92、99-91、100-90)の判定勝ちを収めた[75]。この試合から村田は帝拳ボクシングジムの所属選手になることが発表された[76][77]。
2014年12月30日、東京体育館でジェシー・ニックロウと73.4kg契約10回戦を行い、10回3-0(100-91、2者が100-90)の判定勝ちを収めた[78][79]。
2015年5月1日、大田区総合体育館でWBO世界ミドル級14位でWBOラテンアメリカミドル級王者でもあるダグラス・ダミアオ・アタイデと73.4kg契約10回戦を行い、5回38秒TKO勝ちを収めた[80][81][82]。
2015年9月12日、アメリカのラスベガスで試合を予定していたが、練習中に右肩を痛め中止となった。また、これにより計画がずれ込んだため年内の世界挑戦も白紙となった[83]。
2015年11月7日、ラスベガスのトーマス&マック・センターでアメリカデビュー戦。ティモシー・ブラッドリーvsブランドン・リオスの前座で元WBOオリエンタルミドル級王者のガナー・ジャクソンと73.4kg契約10回戦を行い、10回3-0(97-93、98-92、99-91)の判定勝ちを収めた[84]。
2016年1月30日、上海の上海東方体育中心でWBCムンドヒスパノミドル級王者のガストン・アレハンドロ・ベガと73.4kg契約10回戦を行い、2回2分23秒KO勝ちを収めた[85]。
2016年5月14日、香港の香港コンベンション・アンド・エキシビション・センターでフェリペ・サントス・ペドロソと73.4kg契約10回戦を行い、4回2分50秒TKO勝ちを収めた[86]。
2016年7月23日、MGMグランド・ガーデン・アリーナに初登場。テレンス・クロフォードvsビクトル・ポストルの前座で元NABA北米並びにWBCアメリカ大陸ミドル級王者のジョージ・タドーアーニッパーとスーパーミドル級契約10回戦を行い、ボディアッパーでダウンを奪い最後は連打でレフェリーがストップ。初回1分52秒TKO勝ちを収めた[87]。
2016年12月30日、有明コロシアムでブルーノ・サンドバルと162ポンド契約10回戦を行い、3回2分53秒KO勝ちを収めた[88]。この勝利でWBA世界ミドル級2位にランクされた[89]。
2017年3月27日、同月18日にWBA世界ミドル級レギュラー王者ダニエル・ジェイコブスが同スーパー王者ゲンナジー・ゴロフキンとの団体内王座統一戦に敗れWBA世界ミドル級レギュラー王座が空位となったことに伴い、WBA世界ミドル級暫定王者でWBA世界ミドル級1位のハッサン・ヌダム・ヌジカムとWBA世界ミドル級2位の村田との間でWBA世界ミドル級レギュラー王座決定戦を行うことが発表された[90]。
WBA世界ミドル級王座挑戦、再戦へ
[編集]2017年5月20日、有明コロシアムでWBA世界ミドル級暫定王者でWBA世界ミドル級1位のハッサン・ヌダム・ヌジカムとWBA世界ミドル級レギュラー王座決定戦を行い、4回に右のカウンターでダウンを奪い、その後も試合を優勢に進めるも、プロ初黒星となる12回1-2(117-110、111-116、112-115)の判定負けを喫し王座獲得に失敗した[91][92]。この判定は"疑惑の判定"とも言われ、試合後にWBA会長はヌジカムと村田を再戦させる意向を示すと共に「私のスコアは117-110で村田の勝利。まずは村田諒太、帝拳プロモーション、そしてすべての日本のファンに謝らなければならない。このひどい判定によるダメージを修復する言葉はない」と自身のソーシャルメディアにコメントを載せ、この試合の判定に言及した異例の声明を発表した[93][94]。
2017年5月24日、JBCは上述のヌジカムと村田の間で行われたWBA世界ミドル級王座決定戦に関し、採点の内容に関してWBA会長に文書で抗議したと発表した。試合の採点結果を再検証し、2週間以内の回答を求めたとのこと[95]。
2017年5月25日、WBAはヌジカム支持の採点をしたグスタボ・バティージャとヒューバート・アールを6ヵ月間の資格停止処分とし[96][97]、上述のヌジカムと村田の間で行われたWBA世界ミドル級王座決定戦の採点に問題があったとしてヌジカムと村田に対し再戦するよう指令を出した[98][99]。
2017年6月27日、WBAは上述の再戦指令に基づく対戦交渉が合意に至らなければWBA世界ミドル級レギュラー王者ハッサン・ヌダム・ヌジカム対WBA世界ミドル級1位村田諒太の入札を同年7月7日に行うと発表したが[100][101]、6月29日、帝拳ジムの本田明彦会長はWBAの入札指令について、「(相手陣営と)まだ交渉も始めていないのに、おかしな話だ。入札は100%やらない。こちらは(再戦を)あまりやる気はない」と話し、「村田がWBA以外の団体とやるのを阻止するために(入札指令を)出したのではないか」との見解を示した[102][103]。
WBA世界ミドル級王座獲得
[編集]2017年10月22日、両国国技館でWBA世界ミドル級レギュラー王者のハッサン・ヌダム・ヌジカムと再戦し、7回終了TKO勝ちを収め前戦の借りを返し、日本人として竹原慎二以来22年ぶり2人目のミドル級世界王者となった[104][105][106]。試合はアメリカではESPNの第2チャンネルESPN2によって生中継された[107][108][109]。10月28日、WBAの2017年10月度の月間MVPに選出された[110][111][112]。
2018年2月9日、東京・関西運動記者クラブ・ボクシング分科会による、2017年プロボクシング年間最優秀選手賞を受賞した[113][114]。
2018年4月15日、横浜アリーナでWBA世界ミドル級6位のエマヌエーレ・ブランダムラと対戦し、8回2分56秒TKO勝ちを収め、初防衛に成功した[115][116]。アメリカではESPN2で生中継された[117][118]。
2018年6月12日、WBAはWBA世界ミドル級3位のロブ・ブラントと指名試合を行うよう指令を出した[119]。
2018年8月13日、WBA本部で行われた指名試合の入札で村田を擁するトップランク社は参加せず、ブラントを擁するグレッグ・コーヘン・プロモーションズが最低入札額の20万ドルを僅かに上回る202,114ドルで落札、ファイトマネーの分配率は共に50%(101,057ドル)となった[120]。
王座陥落、そして奪還
[編集]2018年10月20日、ラスベガスのパークMGM内パークシアターでWBA世界ミドル級3位のロブ・ブラントと対戦し[121]、軽快なブラントに対して手も足も遅い村田は終始主導権を握られ、12回0-3(110-118、109-119×2)での判定負けで2度目の防衛に失敗し、王座から陥落した[122]。試合はアメリカではESPN+、日本では日本人ボクサーでは初めてとなるDAZNで生中継され、後日にフジテレビで深夜録画放送された。
2019年7月12日、大阪府立体育会館にてWBA世界ミドル級レギュラー王者のロブ・ブラントと再戦を行い、2回2分34秒TKO勝ちを収め、9ヶ月振りに王座返り咲きに成功した[123]。試合はアメリカではESPN+でストリーム配信された[124]。
2019年7月18日、ロブ・ブラントが試合の契約に含まれていた再戦条項の権利を行使すると明かすも[125]、その後、村田とスティーブン・バトラーの勝者との対戦が保障されることを条件に、再戦条項の権利行使を延期する意向を示した[126]。
2019年12月23日、横浜アリーナでWBA世界ミドル級8位のスティーブン・バトラーと対戦し、5回2分45秒TKO勝ちを収め初防衛に成功した[127]。
2020年2月3日、サウル・アルバレスとの対戦交渉を、帝拳ジム側が会場に5月24日のさいたまスーパーアリーナを押さえ、本田明彦会長が渡米し、最終交渉にあたったが、アルバレスのプロモーターであるゴールデンボーイ・プロモーションズは積極的だったが、アルバレス本人に近いサイドがメキシコの戦勝記念日の5月5日前後の米本土での開催にこだわり難色を示して、いったん交渉中止となり、5月開催は無くなった[128]。
2020年3月6日、サウル・アルバレスとの対戦交渉について、本田明彦会長が「12月に対戦する方向になっている」と相手側と基本合意していることを明かした[129]。
2021年1月6日、アルバレスの王座返上により空位となっていたミドル級スーパー王座について、WBAはキャリアと記録を考慮して、村田をレギュラー王座からスーパー王座に昇格したことを発表した[130]。
ゲンナジー・ゴロフキンとの対戦
[編集]2021年11月12日、東京都内で開かれた記者会見において、ゲンナジー・ゴロフキンとの2団体王座統一戦が12月29日にさいたまスーパーアリーナで開催されることが正式発表された。記者会見には村田のほか帝拳ジムの浜田剛史代表、リモートで米フロリダ州からゴロフキンとGGGプロモーションのトム・ロフラーが出席し、海外メディア向けの第1部と国内メディア向けの第2部というスタイルで行われた。帝拳ジム会長の本田明彦は両者のファイトマネーの合計が「日本ボクシング史上最高額」である事を明かした[131]。
2021年12月3日、新型コロナウイルスの変異株オミクロン株急拡大を受け、政府が外国人の新規入国を禁止する水際対策を実施したことで、ゴロフキンが日本に入国することが出来なくなり試合が延期になったことが発表された[132]。
2022年3月3日、3月からの政府の外国人に対する水際対策の緩和を受けて、試合が4月9日に再設定されたことが発表された[133]。
2022年4月9日、2年4か月ぶりの試合をさいたまスーパーアリーナでIBF世界ミドル級王者ゲンナジー・ゴロフキンと2団体王座統一戦を行い、序盤はボディを当て相手を下がらせる場面はあったものの、その後はゴロフキンのガードの間を縫う多彩な角度のパンチを受けて徐々に劣勢となり、9回村田の左フックに右のカウンターを合わせられてダウンするとセコンドからタオルが投入され、9回2分11秒TKO負けを喫し、WBAスーパー王座から陥落した[134]。試合後のリング上で、ゴロフキンから中央アジアの民族衣装チャパン(en:Chapan)のガウンを贈られた。後にゴロフキンは「カザフスタンには、チャパンを最も尊敬する人に贈るという習慣がある。彼に敬意を表して贈った」と語っている[135]。なお、試合の模様は日本国内がAmazon Prime Video、海外ではDAZNで生配信され、後日WOWOWで録画放送された。
引退
[編集]2023年2月22日、本田明彦会長に正式な引退意向を伝え、了承され、22年度ボクシング年間表彰式に出席した際に、前年4月に行われたゴロフキン戦について「僕の中では最後と思っている。まだ発表できていないだけの話で、個人的にはそう思っている」と事実上の引退を表明した[136][137]。2023年3月28日、都内で会見を開き、引退を正式発表した[138]。
戦績
[編集]- アマチュアボクシング:138戦 119勝 (89KO・RSC) 19敗
- プロボクシング:19戦 16勝 (13KO) 3敗
戦 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2013年8月25日 | ☆ | 2R 2:24 | TKO | 柴田明雄(ワタナベ) | 日本 | プロデビュー戦 |
2 | 2013年12月6日 | ☆ | 8R 1:20 | TKO | デイブ・ピーターソン | アメリカ合衆国 | |
3 | 2014年2月22日 | ☆ | 4R 0:43 | TKO | カルロス・ナシメント | ブラジル | |
4 | 2014年5月22日 | ☆ | 6R 2:35 | KO | ヘスス・アンヘル・ネリオ | メキシコ | |
5 | 2014年9月5日 | ☆ | 10R | 判定3-0 | アドリアン・ルナ | メキシコ | |
6 | 2014年12月30日 | ☆ | 10R | 判定3-0 | ジェシー・ニックロウ | アメリカ合衆国 | |
7 | 2015年5月1日 | ☆ | 5R 0:38 | TKO | ダグラス・ダミアオ・アタイデ | ブラジル | |
8 | 2015年11月7日 | ☆ | 10R | 判定3-0 | ガナー・ジャクソン | ニュージーランド | |
9 | 2016年1月30日 | ☆ | 2R 2:23 | KO | ガストン・アレハンドロ・ベガ | アルゼンチン | |
10 | 2016年5月14日 | ☆ | 4R 2:50 | TKO | フェリペ・サントス・ペドロソ | ブラジル | |
11 | 2016年7月23日 | ☆ | 1R 1:52 | TKO | ジョージ・タドーアーニッパー | アメリカ合衆国 | |
12 | 2016年12月30日 | ☆ | 3R 2:53 | KO | ブルーノ・サンドバル | メキシコ | |
13 | 2017年5月20日 | ★ | 12R | 判定1-2 | ハッサン・ヌダム・ヌジカム | フランス | WBA世界ミドル級王座決定戦 |
14 | 2017年10月22日 | ☆ | 7R 終了 | TKO | ハッサン・ヌダム・ヌジカム | フランス | WBA世界ミドル級タイトルマッチ |
15 | 2018年4月15日 | ☆ | 8R 2:56 | TKO | エマヌエーレ・ブランダムラ | イタリア | WBA防衛1 |
16 | 2018年10月20日 | ★ | 12R | 判定0-3 | ロブ・ブラント | アメリカ合衆国 | WBA陥落 |
17 | 2019年7月12日 | ☆ | 2R 2:34 | TKO | ロブ・ブラント | アメリカ合衆国 | WBA世界ミドル級タイトルマッチ |
18 | 2019年12月23日 | ☆ | 5R 2:45 | TKO | スティーブン・バトラー | カナダ | WBA防衛1→スーパー王座認定 |
19 | 2022年4月9日 | ★ | 9R 2:11 | TKO | ゲンナジー・ゴロフキン | カザフスタン | WBA・IBF世界ミドル級王座統一戦 WBA陥落 |
テンプレート |
人物
[編集]- 南京都高等学校ボクシング部で指導を受けた同校監督の武元前川を恩師として挙げている。2010年2月に武元は急死したが、村田は「先生の夢は五輪選手を育てたい、だった」と話している[15]。
- 2008年に北京五輪出場を逃し現役を引退した後は、東洋大学職員兼ボクシング部コーチとして大学に勤務し後進の指導を担当していたが、2009年2月に東洋大学ボクシング部の元部員が覚醒剤取締法違反容疑で逮捕されると、東洋大学ボクシング部は活動自粛となり、関東大学リーグ1部から3部へ降格処分が下された。そのため村田はコーチであったのに不祥事を止められなかった自戒の念と、全日本選手権で優勝することが出来れば東洋大学ボクシング部の名誉回復につながるのではと判断し現役に復帰した[5]。
- 2010年5月に東洋大学に勤務する4歳年上の女性と結婚。翌年5月に長男、2014年5月に長女が誕生。ロンドン五輪の準々決勝直前には携帯電話で日本にいる長男の映像を見て気持ちを落ち着かせた[139]。
- ロンドン五輪バンタム級銅メダリストの清水聡とは同い年で大学1年時からともに日本代表として過ごすライバル関係であり、ロンドン五輪準々決勝に出発する前、前日にメダル獲得を確定させた清水からは「村田は変に『頑張れよ』という方が緊張するだろうから」と考えて「負けろよ」とエールを送られた[140]。
- アマチュアボクシングに誇りを持っているため「アマチュア」という言葉を嫌い、その理由を「プロに負ける要素がないから」と説明している。プロボクサーとのスパーリングで実際には村田が相手を翻弄していても「引けを取らない」などとマスメディアが報じることも好まない[141]。ロンドンオリンピックを控えた2012年中ごろには「世界チャンピオンが今、プロで何人もいますけど、僕らの世界ではそうはいかないですよ」と話している[映像 4]。
- 日本人ボクサーとして竹原慎二以来2人目のミドル級世界王者で、竹原慎二がウィリアム・ジョッピーに敗れて出来なかったミドル級世界王座の防衛を日本人ボクサーとして初めて達成した[142]。
- 好きな選手はフェリックス・トリニダード[5]。
- 憧れのアスリートとして魔裟斗と室伏広治を挙げている[5]。
- 村田が18歳の頃から魔裟斗がパンチのみのボクシングスパーリングをする際にスパーリング・パートナーとして招聘され拳を交えている。スパーリングでは村田に分があったものの、初めてスパーリングをした時は、当時ボクシングがK-1に人気を奪われていたことから「蹴りが無いパンチだけのスパーリングでは絶対に負けたくない」という意気込みに反して、既にK-1世界王者に輝いていた魔裟斗に劣勢を強いられた[143]。ゴング格闘技で両者が対談した際に魔裟斗は「村田くんの素質の良さは当時から感じていた」と語っている。
- 「喧嘩をしたら負けると思った」人物として室伏広治と朝青龍の二人を挙げている[144]
- CTスキャン撮影の際、医者に「頭蓋骨が厚いね。一般の人より1.5倍くらい厚い」と言われたことがある[5]。
- アマ時代の一時期ウェイトトレーニングを取り入れていたが、スピードが鈍り、故障も増えたことから現在はやっていない[5][145]。
- 試合前および試合後は飲まないが、それ以外の日には飲酒をすることがある[5]。
- 勝負曲はSuperflyの「Beep!!」である[5]。
- 2013年9月、女性向けファッションショー「神戸コレクション」にゲストモデルとして出演[146]。
- 牧師のアーサー・ホーランドから洗礼を受け、クリスチャンとなる[147]。そのためインタビュー等で聖書を引用することがある[148][149]。
獲得タイトル
[編集]- アマチュア
- 2005年アジア選手権ミドル級銅メダル
- 2011年インドネシア大統領杯ミドル級金メダル
- 2011年世界ボクシング選手権大会ミドル級銀メダル
- ロンドンオリンピックミドル級金メダル
- プロ
主な受賞歴
[編集]- ボクシング競技
- プロ・アマチュア年間表彰
- JOCスポーツ賞 特別功労賞(2012年)[160]
- 京都府スポーツ賞 特別栄誉賞(2012年)[161]
- JOC オリンピック特別賞(2012年)[162]
- 東京都栄誉賞(2012年)[163]
- 都民スポーツ大賞(2012年)[163]
- 奈良県県民栄誉賞(2012年)[164]
- 奈良市市民栄誉賞(2012年)[165]
- 紫綬褒章(2012年)[166]
- アジア・オリンピック評議会 スポーツ・スター賞(2012年)[167]
- スポーツニッポンフォーラム FOR ALL 2012 グランプリ(2012年)[168]
- 毎日スポーツ人賞 個人賞(2012年)[45]
- ビッグスポーツ賞(2012年)[169]
- 日本スポーツ賞 オリンピック特別賞(2012年)[170]
- デイリースポーツ ホワイトベア・スポーツ賞 個人賞(2012年)[171]
- 日本プロスポーツ大賞 殊勲賞(2017年)[172]
- WBA 2017年10月度月間MVP
- 第13回日本スポーツ学会大賞(2022年)[173]
- その他
- ベストジーニスト(2012年)[174]
- GQ Men of the Year 2012[175]
- イクメン オブ ザイヤー (2013年)
- ベスト・ファーザー イエローリボン賞(2014年)[176]
- ベストネクタイスト賞(2014年)
スポンサー
[編集]過去のスポンサー
[編集]メディア出演
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
CM
[編集]- NTTドコモ LTE 「Strong.村田さんと謙さん」 篇 (同社のイメージキャラクター・渡辺謙と共演、2013年10月12日 - )
- 高橋書店
- アンダーアーマー
- すき家
- NURO
- フジテレビ「変わる、フジ。変える、テレビ」
テレビ番組
[編集]- 情熱大陸(毎日放送、2013年08月25日[183]、2017年5月28日[184]、10月29日[185])
- 「黄金のバンタム」を破った男〜ファイティング原田物語〜(フジテレビ、2014年2月22日) - ジムの選手 役
- 第68回NHK紅白歌合戦(2017年12月31日、NHK総合・ラジオ第1) - ゲスト審査員
脚注
[編集]- ^ a b DAZN tale of the tape prior to the Gennady Golovkin fight.
- ^ 村田、ゴロフキンに敗れる 9回TKO、王座統一ならず―ボクシング 時事通信 2022年4月9日
- ^ 村田“因縁”エンダムに涙のリベンジ!7回TKOで日本人2人目ミドル級王者 スポニチアネックス 2017年10月22日
- ^ 選手プロフィール 帝拳ジム公式サイト
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 村田諒太『101%のプライド』幻冬舎、2012年。ISBN 978-4344023093。
- ^ “【インタビュー】村田諒太(ロンドン五輪ボクシング男子ミドル級金メダリスト)前編(2012.10.23)”. dime.jp. p. 2 (2012年10月23日). 2014年7月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月10日閲覧。
- ^ “名城3度目世界奪取へ村田に見に来て〜…WBA世界Sフライ級”. スポーツ報知大阪版 (2012年8月21日). 2012年8月25日閲覧。
- ^ a b "金の拳 宿った金言 ボクシング村田" 2012年8月13日付朝日新聞朝刊(大阪本社13版)29面
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映像資料
[編集]- ^ インドネシア大統領杯2011 村田決勝 (試合全容). 善理俊哉(格闘技ライター)のYouTubeチャンネル. 2 September 2011. 2012年6月24日閲覧。
- ^ Boxing Men's Middle (75kg) - Gold Medal Final - Brazil v Japan Full Replay - London 2012 Olympics (試合全容) (英語). IOC(国際オリンピック委員会)の公式YouTubeチャンネル. 11 August 2012. 2012年8月19日閲覧。
- ^ Boxing Men's Middle (75kg) Finals Bout - Japan GOLD - London 2012 Olympic Games Highlights (試合・表彰式抜粋、インタビュー) (英語). IOCの公式YouTubeチャンネル. 12 August 2012. 2012年8月19日閲覧。
- ^ 半世紀ぶりの金メダルへ 村田諒太〈東洋大学ボクシング部コーチ〉. 大学スポーツ総合サイトCSParkのYouTubeチャンネル. 6 July 2012. 該当時間: 2:25. 2012年8月19日閲覧。
関連項目
[編集]- 男子ボクサー一覧
- アマチュアボクシング日本王者一覧
- 2012年ロンドンオリンピックの日本選手団
- 2012年ロンドンオリンピックのメダリスト一覧
- 日本の夏季オリンピック金メダル
- オリンピックのボクシング競技・メダリスト一覧
- 年間表彰選手 (ボクシング)
- 日本のボクシング世界王者一覧
- 世界ボクシング協会(WBA)世界王者一覧
外部リンク
[編集]- 村田諒太 (@ryota_murata_official) - Instagram
- 村田諒太 (ryota.murata.official) - Facebook
- 村田諒太channel VILLAGE FIELD - YouTubeチャンネル
- 村田諒太 - 帝拳ジム公式サイト
- 村田諒太の戦績 - BoxRec
前王者 ハッサン・ヌダム・ヌジカム |
WBA世界ミドル級王者 2017年10月22日 - 2018年10月20日 |
次王者 ロブ・ブラント |
前王者 ロブ・ブラント |
WBA世界ミドル級王者 2019年7月12日 - 2021年1月5日 |
空位 次タイトル獲得者 エリスランディ・ララ |
空位 前タイトル保持者 サウル・アルバレス |
WBA世界ミドル級スーパー王者 2021年1月5日 - 2022年4月9日 |
次王者 ゲンナジー・ゴロフキン |