「深谷隆司」の版間の差分
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* 2018年の相撲雑誌の記事では、[[旭天鵬勝|12代友綱]]が2017年12月25日に[[墨田区]][[業平]]に開いた新しい[[友綱部屋]]の建物に使われる看板の[[揮毫]]を担当していたことが明かされている<ref>『大相撲中継』2018年2月17日号 p.99</ref>。 |
* 2018年の相撲雑誌の記事では、[[旭天鵬勝|12代友綱]]が2017年12月25日に[[墨田区]][[業平]]に開いた新しい[[友綱部屋]]の建物に使われる看板の[[揮毫]]を担当していたことが明かされている<ref>『大相撲中継』2018年2月17日号 p.99</ref>。 |
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* 同じ[[政策科学研究所|旧渡辺派]]に属していた[[山崎拓]]は盟友であり、山崎が旧渡辺派を離脱して[[近未来政治研究会|山崎派]]を旗揚げした時は深谷も参加するほどの仲だったが、山崎が[[第49回衆議院議員総選挙]]において[[立憲民主党 (日本 2020)|立憲民主党]]の[[辻元清美]]の応援演説をして物議を醸すと、「(山崎を)除名すべき」と厳しい言葉で非難し、「盟友」を返上すると断言した<ref>{{Cite web|title=第907回「老害山崎らを除名せよ」|url=http://www.fukayatakashi.jp/article/484133076.html|website=深谷隆司の言いたい放題|date=2021-10-30|accessdate=2022-12-18|language=ja}}</ref>。 |
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== 表彰等 == |
== 表彰等 == |
2023年1月9日 (月) 23:22時点における版
深谷 隆司 ふかや たかし | |
---|---|
| |
生年月日 | 1935年9月29日(89歳) |
出生地 |
東京府東京市浅草区 (現・東京都台東区浅草) |
出身校 | 早稲田大学法学部卒業 |
所属政党 |
(自由民主党→) (無所属→) 自由民主党(旧渡辺派→山崎派) |
称号 | 旭日大綬章 |
公式サイト | 深谷隆司の言いたい放題 |
内閣 |
小渕第2次改造内閣 第1次森内閣 |
在任期間 | 1999年10月5日 - 2000年7月4日 |
内閣 | 村山改造内閣 |
在任期間 | 1995年8月8日 - 1996年1月11日 |
第52代 郵政大臣 | |
内閣 | 第2次海部内閣 |
在任期間 | 1990年2月28日 - 1990年12月28日 |
選挙区 |
(旧東京8区→) (比例東京ブロック→) 東京2区 |
当選回数 | 9回 |
在任期間 |
1972年12月10日 - 1976年12月9日 1979年10月7日 - 2000年6月2日 2005年9月11日 - 2009年7月21日 |
選挙区 | 台東区選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1969年 - 1972年 |
その他の職歴 | |
台東区議会議員 (1963年 - 1965年) | |
第39代 自由民主党総務会長 (総裁:小渕恵三) (1998年 - 1999年) |
深谷 隆司(ふかや たかし、1935年9月29日 - )は、日本の政治家。TOKYO自民党政経塾塾長。
衆議院議員(9期)、郵政大臣(第52代)、自治大臣(第47代)・国家公安委員会委員長(第57代)、通商産業大臣(第64・65代)、自由民主党総務会長(第39代)等を歴任した。
来歴・人物
東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区浅草)に生まれ、のちに旧満州のハルピンへ一家で移住。第二次世界大戦敗戦後、日本へ引き揚げ、台東区立小学校内の引揚者住宅で育った。1954年、19歳で東京都立江北高等学校を卒業し、1956年に21歳で早稲田大学法学部に入学する。1960年、早稲田大学法学部を卒業。1963年、台東区議会議員選挙に出馬し、初当選を果たした。1965年、1期目の途中で台東区議を辞職。1969年の東京都議会議員選挙に台東区選挙区から出馬し、当選。自由民主党に所属した。
1972年、都議会議員を辞職し、第33回衆議院議員総選挙に保守系無所属で旧東京8区(定数3)から出馬し、当選(当選同期に小泉純一郎・加藤紘一・山崎拓・石原慎太郎・村岡兼造・保岡興治・瓦力・三塚博・越智通雄・野田毅など)。のちに自民党に復党し、1976年の第34回衆議院議員総選挙では自民党公認で再選をめざしたが、ロッキード事件のあおりを受け次点で落選した。1979年の第35回衆議院議員総選挙では旧東京8区トップで返り咲きを果たす。1980年に労働政務次官、1982年に総理府総務副長官に就任。1990年、第2次海部内閣で郵政大臣に任命され、初入閣した。
1993年、細川内閣の成立により、自民党は1955年の結党以来、初めて野党に転落した。初めての事態に意気消沈する自民党議員が多かった中で、深谷は予算委員会筆頭理事に就任し、同じく理事に就任した野中広務と共に予算委員会で細川内閣追及の先頭に立った。野中と深谷はそれぞれ野党自民党の都議・府議として革新首長[1]と激しく対決したことがあり、その経験が買われたのであった[2]。1994年5月23日の質疑では、創価学会名誉会長の池田大作がローマ法王に宛てた親書が、連立与党である公明党を通じ、首相の羽田孜がイタリアを訪問した際に羽田によりバチカンに渡された疑惑を追及した。
1995年、村山改造内閣で自治大臣兼国家公安委員会委員長に就任し、2度目の入閣。小選挙区比例代表並立制導入後初めて実施された1996年の第41回衆議院議員総選挙では、東京2区で旧民主党の鳩山邦夫に敗れたが、重複立候補していた比例東京ブロックで復活した。
1998年、自由民主党総務会長に就任し、初めて党三役入りした。翌1999年、東京2区選出の鳩山邦夫が東京都知事選挙への出馬を表明し、衆議院議員を辞職。深谷は補欠選挙への出馬を模索するも、断念した(鳩山は石原慎太郎に敗れ、次点で落選した)。同年10月、小渕再改造内閣で通商産業大臣に就任。2000年の第42回衆議院議員総選挙では、東京2区で民主党の中山義活に敗れ、比例復活もならず、現職閣僚でありながら落選した。そのため投票日の翌日からパリで開かれるOECDの閣僚理事会への出席を急遽取り止め、経済企画庁長官の堺屋太一のみが出席した。2003年の第43回衆議院議員総選挙でも落選。落選後、東洋大学大学院経済学研究科客員教授に就任。
2005年の第44回衆議院議員総選挙の大きな争点の1つであった郵政民営化に関しては、自民党の郵政相経験者である野田聖子、自見庄三郎、八代英太らが反対を唱えて離党する中、早々に賛意を表明し東京2区から自民党公認で出馬。民主党の中山義活に比例復活すら許さない大差をつけて圧勝し、5年ぶりに国政へ復帰した。なお、自民党の内規では小選挙区で2回連続で敗退し比例復活も出来なかった候補者は公認を受けられないが、特例で立候補が認められた。
2007年の第21回参議院議員通常選挙では、東京都選挙区から出馬した保坂三蔵の選挙対策本部長を務めるが、保坂は次点で落選した。2008年自由民主党総裁選挙では、石原伸晃の推薦人代表を務める[3](石原は5人中4位で落選)。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では東京2区で中山義活に敗れ、落選。なお自民党は73歳以上の候補者の比例区への重複立候補を認めていなかったため、比例復活も実現しなかった[4]。
2012年6月22日、党公認の条件である支部長選任の年齢制限に抵触することから、次期総選挙には出馬せず、引退を表明した。深谷は「潮時だ。なすべきことをなした後は自ら身を引き、次の世代に渡すことが天の道だ」と述べた[5]。
エピソード
- 趣味・特技は絵画、料理、空手(6段)、落語。落選中は支持者を集め、浅草演芸ホールで落語会を開いていた。
- 芸能界に交友関係が広く、深谷の公式ホームページにはGacktが応援のメッセージを寄せている。また議員在職25年を表彰し、国会内に掲示された肖像画は、20年来の付き合いのある八代亜紀が描いた。他に交友のある有名人に都倉俊一、花田勝、山田純大らがいる。
- ワールドシュートボクシング協会初代コミッショナー。
- 娘婿はTOKYO自民党政経塾塾長代行の小田全宏。
- 2018年の相撲雑誌の記事では、12代友綱が2017年12月25日に墨田区業平に開いた新しい友綱部屋の建物に使われる看板の揮毫を担当していたことが明かされている[6]。
- 同じ旧渡辺派に属していた山崎拓は盟友であり、山崎が旧渡辺派を離脱して山崎派を旗揚げした時は深谷も参加するほどの仲だったが、山崎が第49回衆議院議員総選挙において立憲民主党の辻元清美の応援演説をして物議を醸すと、「(山崎を)除名すべき」と厳しい言葉で非難し、「盟友」を返上すると断言した[7]。
表彰等
- 2005年 - 政経文化人画人展芸術議員連盟会長賞
- 2006年 - 衆議院議員在職25年表彰
- 2007年 - 政経文化人画人展国際芸術文化振興会副会長賞
- 2010年 - 旭日大綬章
著書
- 「時代に挑む-与党から野党へ、そして与党へ-」東都書房、1996年9月。
- 「大臣日記」角川書店、1991年12月。
- 「ちょっとアメリカ急ぎヨーロッパ-代議士の妻・聞き書き亭主のヨーロッパ便り-」朝日出版社、1989年1月。(共著)深谷慶子。
- 「深谷隆司のさわやかトーク-あなたとこんにちわPart2-」サンケイ出版、1983年3月。
- 「~江戸っ子議員世界を往く~世界のきょうと明日」行政通信社、1971年。
- 「あなたとこんにちは-下町議員の一口評論-」行政通信社、1974年。
- 「保革逆転-チリ軍事クーデターの意味するもの-」浪曼、1974年。
所属していた団体・議員連盟
脚注
- ^ 蜷川虎三・京都府知事、美濃部亮吉・東京都知事
- ^ 『野中広務回顧録』(岩波現代文庫、142ページ)2018年
- ^ “総裁候補の推薦人名簿 自民党”. 共同通信社. 47NEWS. (2008年9月10日) 2015年4月15日閲覧。
- ^ 【速報】東京2区で自民・深谷氏が落選確実 産経新聞 2009年12月31日
- ^ “深谷元通産相が引退表明 「次の世代に渡すのが天の道」”. 産経新聞. (2012年6月22日) 2012年6月24日閲覧。
- ^ 『大相撲中継』2018年2月17日号 p.99
- ^ “第907回「老害山崎らを除名せよ」”. 深谷隆司の言いたい放題 (2021年10月30日). 2022年12月18日閲覧。
参考文献
- 山口朝雄「深谷隆司・全人像」行研出版局、1997年12月。
外部リンク
議会 | ||
---|---|---|
先代 丹羽雄哉 |
衆議院国家基本政策委員長 第8代:2006年 |
次代 衛藤征士郎 |
先代 上原康助 |
衆議院予算委員長 1996年 - 1997年 |
次代 松永光 |
先代 宮崎茂一 |
衆議院逓信委員長 1986年 - 1987年 |
次代 塚原俊平 |
公職 | ||
先代 与謝野馨 |
通商産業大臣 第64・65代:1999年 - 2000年 |
次代 平沼赳夫 |
先代 野中広務 |
自治大臣 第47代:1995年 - 1996年 |
次代 倉田寛之 |
先代 野中広務 |
国家公安委員会委員長 第57代:1995年 - 1996年 |
次代 倉田寛之 |
先代 大石千八 |
郵政大臣 第52代:1990年 |
次代 関谷勝嗣 |
党職 | ||
先代 森喜朗 |
自由民主党総務会長 第39代 : 1998年 - 1999年 |
次代 池田行彦 |
先代 浜田幸一 |
自由民主党青年局長 第11代 : 1976年 - 1977年 |
次代 中山正暉 |