国鉄タキ100形貨車
国鉄タキ100形貨車 | |
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基本情報 | |
車種 | タンク車 |
運用者 |
鉄道省 日本国有鉄道 |
所有者 | ライジングサン石油、新津石油、昭和石油 |
製造所 | 日本車輌製造、浅野造船所、新潟鐵工所、汽車製造 |
製造年 | 1929年(昭和4年) |
製造数 | 30両 |
消滅 | 1980年(昭和55年) |
常備駅 | 浜安善駅、塩浜駅、雄別埠頭駅他 |
主要諸元 | |
車体色 | 黒 |
専用種別 | 石油類(除ガソリン) |
化成品分類番号 | 燃31 |
軌間 | 1,067 mm |
全長 | 12,070 mm |
全幅 | 2,600 mm |
全高 | 3,800 mm |
荷重 | 30 t |
実容積 | 38.2 m3 |
自重 | 20.4 t - 21.0 t |
換算両数 積車 | 5.0 |
換算両数 空車 | 2.0 |
台車 | TR20、TR24 |
台車中心間距離 | 7,970 mm |
最高速度 | 75 km/h |
国鉄タキ100形貨車(こくてつタキ100がたかしゃ)は、かつて鉄道省及び1949年(昭和24年)6月1日以降は日本国有鉄道(国鉄)に在籍した私有貨車(タンク車)である。
本形式より改造され別形式となったタサ1900形についても本項目で解説する。
タキ100形
[編集]タキ100形は、石油類専用の30t 積タンク車として1929年(昭和4年)5月1日から1950年(昭和25年)2月27日にかけて30両(タキ100 - タキ129)が日本車輌製造、浅野造船所、新潟鐵工所、汽車製造の4社にて製作された。この内7両(タキ102、タキ100 - タキ101、タキ115 - タキ116、タキ118、タキ120→タサ1900 - タサ1902、タサ1906 - タサ1909)が1930年(昭和5年)12月2日から1935年(昭和10年)5月15日にかけて専用種別変更(石油類→揮発油(ガソリン))が行われ、形式は新形式であるタサ1900形(後述)とされた。
落成時の所有者はライジングサン石油、新津石油、昭和石油の3社である。
車体色は黒色、寸法関係は全長は12,070mm、全幅は2,600mm、全高は3,800mm、 台車中心間距離は7,970mm、実容積は38.2m3、自重は20.4t - 21.0t、換算両数は積車5.0、空車2.0であり、台車はTR20、TR24である。
1980年(昭和55年)11月20日に最後まで在籍した1両(タキ128)が廃車となり、同時に形式消滅となった。
年度別製造数
[編集]各年度による製造会社と両数、所有者は次のとおりである。(所有者は落成時の社名)
- 昭和4年度 - 15両
- 日本車輌製造 6両 ライジングサン石油(タキ100 - タキ105)
- 日本車輌製造 9両 ライジングサン石油(タキ106 - タキ114)
- 昭和6年度 - 8両
- 浅野造船所 8両 ライジングサン石油(タキ115 - タキ122)
- 昭和17年度 - 5両
- 新潟鐵工所 5両 新津石油(タキ123 - タキ127)
- 昭和24年度 - 2両
- 汽車製造 2両 昭和石油(タキ128 - タキ129)
タサ1900形
[編集]タサ1900形は、前述のように1930年(昭和5年)12月2日から1935年(昭和10年)5月15日にかけてタキ100形より改造され、7両(タサ1900 - タサ1902、タサ1906 - タサ1909)が揮発油(ガソリン)専用の24t 積タンク車として落成した。この際何故かタサ1903 - タサ1905は空番であった。
落成時の所有者はライジングサン石油でありその常備駅は、山陽本線の鷹取駅であった。戦中、戦後は石油共販、石油配給統制、石油配給と変遷し1949年(昭和24年)3月3日にシェル石油へ名義変更された。また戦後の一時期は1両(タサ1901)が連合軍専用貨車に指定され、その軍番号は8106であった。
車体色は黒色、寸法関係は全長は12,070mm、全幅は2,600mm、全高は3,640mm、台車中心間距離は7,970mm、実容積は32.8m3、自重は19.4t-20.6t、換算両数は積車4.5、空車2.0であり、台車はアーチバー式のTR20である。
1970年(昭和45年)7月13日に最後まで在籍した4両(タサ1902、タサ1907 - タサ1909)が廃車となり、同時に形式消滅となった。
参考文献
[編集]- 吉岡心平 『プロフェッサー吉岡の私有貨車図鑑(復刻増補)』 2008年、ネコ・パブリッシング刊 ISBN 978-4-7770-0583-3
- 『日本の貨車-技術発達史-』(貨車技術発達史編纂委員会編著、社団法人 日本鉄道車輌工業会刊、2008年)