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{{サッカークラブ
{{サッカークラブ
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| 本社所在地 = [[神奈川県]][[川崎市]][[高津区]][[末長 (川崎市)|末長]]四丁目8-52<ref>{{PDFlink|[http://www.city.kawasaki.jp/250/cmsfiles/contents/0000060/60920/KYUSIN_SUENAGA_3_4.pdf 住居表示旧新対照表 末長3・4丁目]}} 平成26年度の住居表示実施地区、川崎市ホームページ 2014年10月19日閲覧</ref> 富士通末長分室
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| 事業内容 = サッカークラブの運営他
|代表者= 藁科 義弘<ref name="jleague" />
| 代表者 = 吉田 明宏<ref name="jleague" />
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|売上高= 512,300万円 (2018年1月期)<ref name="jl2017">{{cite web|url=https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h29kaiji.pdf|title=2017年度(平成29年度)Jクラブ個別情報開示資料|work=日本プロサッカーリーグ|accessdate=2018-08-07}}</ref>
| 売上高 = 696,900万円 (2020年1月期)<ref name="jl2019">{{Cite web|和書|url=https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h31kaiji-1.pdf|title=2019年度(平成31年度)Jクラブ個別情報開示資料|work=日本プロサッカーリーグ|accessdate=2020-10-15}}</ref>
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'''川崎フロンターレ'''(かわさきフロンターレ、Kawasaki Frontale)は、[[日本]]の[[神奈川県]][[川崎市]]をホームタウンとする<ref name="jleague" />、[[日本プロサッカーリーグ]](Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
'''川崎フロンターレ'''(かわさきフロンターレ、{{Lang-en-short|Kawasaki Frontale}})は、[[日本]]の[[神奈川県]][[川崎市]]をホームタウンとする<ref name="jleague" />、[[日本プロサッカーリーグ]](Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。


== 概要 ==
== 概要 ==
[[1955年]]に[[富士通サッカー部]]として創部<ref name="jleague" />。[[1997年]]に[[Jリーグ準会員制度|Jリーグ準会員]]に承認され、[[1999年]]にJリーグへ加盟した<ref name="jleague" />。ホームスタジアムは[[中原区]]の[[等々力陸上競技場]]<ref name="jleague" />、練習場は[[麻生区]]の[[川崎フロンターレ麻生グラウンド]]である<ref name="jleague" />。
[[1955年]]に'''[[富士通サッカー部]]'''として創部。[[1997年]]に[[Jリーグ準会員制度|Jリーグ準会員]]に承認され、[[1999年]]にJリーグへ加盟。ホームスタジアムは[[中原区]]の[[等々力陸上競技場]]、練習場は[[麻生区]]の[[川崎フロンターレ麻生グラウンド]]。最前線で挑戦し続ける開拓精神を基軸としており、クラブ名も「フロンティアスピリッツ」が由来としている<ref name=":422">{{Cite web|和書|title=川崎フロンターレ オフィシャルWEBサイト|url=http://www.frontale.co.jp/|website=川崎フロンターレ オフィシャルWEBサイト|accessdate=2021-05-31|language=ja}}</ref><ref name=":522">{{Cite web|和書|title=川崎フロンターレについて:KAWASAKI FRONTALE|url=https://www.frontale.co.jp/about/club_profile.html#|website=www.frontale.co.jp|accessdate=2021-05-31}}</ref><ref name=":622">{{Cite web|和書|title=新チーム名称は「川崎フロンターレ」に決定!!~98年Jリーグ昇格を目指す富士通川崎FC、新チーム名称を発表~|url=https://pr.fujitsu.com/jp/news/1997/Feb/25.html|website=pr.fujitsu.com|accessdate=2021-05-31}}</ref>。エンブレムは川崎市の花 [[ツツジ]]、チームマスコット イルカ、チームカラーを基に、世界に向けて開かれた活力と、魅力ある臨海都市 川崎をシンボライズしたマークである<ref name=":422" /><ref name=":522" />。クラブマスコットは先進技術やスピードをモチーフとしている[[ふろん太]]<ref name=":422" /><ref name=":522" />、[[カブレラ]]、ワルンタ


呼称に関しては、川崎市をホームタウンとするクラブで、Jリーグ公式サイトやDAZNのテロップ表記では「川崎F」の略称を用いている。Jリーグ創成期に[[東京ヴェルディ1969]]が等々力陸上競技場を本拠地とし、チーム呼称を「ヴェルディ川崎」としていた名残による物である。ただし、一部のスポーツ新聞([[スポーツニッポン]]・[[日刊スポーツ]]など)を除き新聞のスコアテーブルなどでは「川崎」とだけ表記している。
チーム名の「フロンターレ (Frontale) 」はイタリア語で「正面の、前飾り」を意味し、常に最前線で挑戦し続けるフロンティアスピリッツ、すなわち正面から正々堂々と戦う姿勢を表している<ref name="jleague" />。ちなみに富士通には[[アメリカンフットボール]]チームの[[富士通フロンティアーズ]]([[Xリーグ]]所属。1985年創設・チーム名制定)、女子[[バスケットボール]]の[[富士通レッドウェーブ]]([[バスケットボール女子日本リーグ機構|Wリーグ]]・1985年創部)、[[富士通カワサキレッドスピリッツ]]([[チャレンジリーグ (バレーボール)|V・チャレンジリーグ]]男子)があり、すべて川崎市を本拠地としており、バレーボールを除き[[川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナー]]に参加している。

<!--記述の必要性についてノートで議論中につきコメントアウト
=== 大宮アルディージャとの縁故 ===
{{独自研究|section=1|date=2021年11月12日 (金) 22:48 (UTC)}}
[[大宮アルディージャ]]は1999年に川崎と同時にJリーグに参入し、2004年に川崎と同時にJ1昇格が確定した縁故があり、ライバル関係とされている<ref>{{Cite web|title=J1リーグ2006/第20節試合結果 | 大宮アルディージャ公式サイト {{!}} 試合日程・結果 アーカイブ {{!}} 大宮アルディージャ公式サイト|url=https://www.ardija.co.jp/match/archive/detail/archive/2006j/0826.html|website=www.ardija.co.jp|accessdate=2021-06-23|language=ja}}</ref>。クラブ同士のスタイルも正反対であり、川崎が開拓精神的な攻撃的サッカーを主軸としていることに対し、大宮は堅守やバランスを提唱している<ref name=":42">{{Cite web|title=川崎フロンターレ オフィシャルWEBサイト|url=https://www.frontale.co.jp/about/club_profile_jp.html|website=川崎フロンターレ オフィシャルWEBサイト|accessdate=2021-05-31|language=ja}}</ref><ref name=":52">{{Cite web|title=クラブプロフィール|url=https://www.frontale.co.jp/about/club_profile.html|website=川崎フロンターレ オフィシャルWEBサイト|accessdate=2021-11-13}}</ref><ref name=":62">{{Cite web|title=�$B?7%A!>N$O!V@n:j%U%m%s%?!|url=https://pr.fujitsu.com/jp/news/1997/Feb/25.html|website=pr.fujitsu.com|accessdate=2021-05-31}}</ref><ref>{{Cite web|title=クラブ概要 {{!}} 大宮アルディージャ公式サイト|url=https://www.ardija.co.jp/club/outline.html|website=www.ardija.co.jp|accessdate=2021-05-28|language=ja}}</ref>。2016年後半では、川崎と大宮間での選手同士・サポーター同士のトラブルが発生<ref>{{Cite web|title=大久保退場で10人の川崎、一時は逆転も乱打戦落とす 大宮MF江坂が劇的決勝弾|url=https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20160917/494355.html|website=サッカーキング|accessdate=2021-05-26|language=ja|first=FromOne|last=co.,Ltd}}</ref><ref>{{Cite web|title=川崎サポーターへの処罰が決定 大宮選手バス妨害で5試合入場禁止|url=https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20160925/497111.html|website=サッカーキング|accessdate=2021-05-26|language=ja|first=FromOne|last=co.,Ltd}}</ref>。また、大宮の中心選手であった[[家長昭博]]が川崎へ移籍することになった(家長の2014年の大宮移籍後初ゴールは第3節 川崎戦であり、同時にJ1通算17500ゴールとなった)。2017年最終節では大宮に5-0で大勝した。この試合で川崎のリーグ初優勝が確定し、大宮のJ1最下位によるJ2降格が確定した<ref name=":1">{{Cite web|title=川崎逆転、歴史動いた 川崎5―0大宮 サッカーJ1:朝日新聞デジタル|url=https://www.asahi.com/articles/DA3S13256859.html|website=朝日新聞デジタル|accessdate=2021-05-28|language=ja}}</ref><ref name=":2">{{Cite web|title=【J1採点&寸評】川崎 5-0 大宮|川崎のエースに最高点の「9」! 先制弾の阿部、2アシストの家長も高評価|url=https://news.livedoor.com/article/detail/13973623/|website=ライブドアニュース|accessdate=2021-05-28|language=ja}}</ref><ref name=":3">{{Cite web|title=劇的逆転、歓喜の涙 開始早々、主導権 12月2日・大宮戦 {{!}} カナロコ by 神奈川新聞|url=https://www.kanaloco.jp/sports/entry-22695.html|website=カナロコ|accessdate=2021-05-28|language=ja}}</ref>。大宮監督の[[石井正忠]]にとっては、前年度では鹿島を優勝させて[[レアル・マドリード]]との試合で世界2位という結果になったのにも関わらず、2017年度では優勝チームとの試合での大敗による最下位・J2降格という正反対の結果となった<ref name=":1" /><ref name=":2" /><ref name=":3" />。2021年には大宮がJ2最下位になったことに対し、川崎はJ1首位で大宮のJ1通算21戦連続無敗記録を更新した<ref>{{Cite web|title=【データが語る】21戦無敗の12~13年大宮と20~21年川崎Fを比較 - データが語る - サッカーコラム : 日刊スポーツ|url=https://www.nikkansports.com/soccer/column/data/news/202105120001108.html|website=nikkansports.com|accessdate=2021-05-28|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|title=川崎FがJ1新記録、22試合連続無敗を達成! 三笘薫と小林悠の得点で札幌下す|url=https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20210516/1428543.html|website=サッカーキング|accessdate=2021-05-28|language=ja|first=FromOne|last=co.,Ltd}}</ref><ref>{{Cite web|title=川崎フロンターレがJ1新記録達成!大宮アルディージャ上回る22戦連続無敗|url=https://www.footballchannel.jp/2021/05/16/post421577/|website=フットボールチャンネル|accessdate=2021-05-28|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|title=J1川崎、22戦無敗の新記録 G大阪は完敗(写真=共同)|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK00797_W1A510C2000000/|website=日本経済新聞|date=2021-05-16|accessdate=2021-05-28|language=ja}}</ref>。
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== 歴史 ==
== 歴史 ==
=== 前史 ===
=== 前史 ===
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1955年に創部された「[[富士通サッカー部]]」が前身であり<ref name="jleague" />、[[1972年]]に[[日本サッカーリーグ]]へ昇格、1992年から[[ジャパンフットボールリーグ]](旧JFL)へ参加<ref name="jleague" />。[[1996年]]に「'''富士通川崎フットボールクラブ'''」(ふじつうかわさきフットボールクラブ)へ改称し、11月21日に運営会社となる「'''富士通川崎スポーツマネジメント株式会社'''」(ふじつうかわさきスポーツマネジメント)を設立。1997年に[[Jリーグ準加盟クラブ|Jリーグ準会員]]となり<ref name="jleague" />、名称が公募によって'''川崎フロンターレ'''と決定された。
1955年に創部された「[[富士通サッカー部]]」が前身であり<ref name="jleague" />、[[1972年]]に[[日本サッカーリーグ]]へ昇格、1992年から[[ジャパンフットボールリーグ]](旧JFL)へ参加<ref name="jleague" />。[[1996年]]に「'''富士通川崎フットボールクラブ'''」へ改称し、11月21日に運営会社となる「'''富士通川崎スポーツマネジメント株式会社'''」を設立。
1997年に[[Jリーグ準会員制度|Jリーグ準会員]]となり<ref name="jleague" />、名称が公募によって'''川崎フロンターレ'''と決定された。


=== 1997年 - 1998年 (JFL) ===
=== 1997年 - 1998年 (JFL) ===
====1997年====
====1997年====
[[ファイル:Todoroki Athletics Stadium.jpg|thumb|right|320px|川崎フロンターレ試合風景 (2006年11月26日)]]
[[ファイル:Todoroki Athletics Stadium.jpg|thumb|right|320px|川崎フロンターレ試合風景 (2006年11月26日)]]
前年の旧JFL10位からJリーグ昇格条件の2位以内を目指すため、富士通サッカー部がJSL1部に昇格した時の主将だった小浜誠二が事実上の責任者となる常務に就任。富士通からの豊富な資金力を利用して、監督を富士通社員の[[城福浩]]からプロ契約の[[斉藤和夫]]へと交代し<ref>城福は監督続投を希望したが容れられず、社業専念となった。1998年、FC東京設立準備室に招かれた城福は富士通を退社してプロ指導者へ転身、2008年-2010年途中にはFC東京のトップチーム監督に就任してフロンターレと「多摩川クラシコ」で対戦した。</ref>、選手では[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]の[[中西哲生]]、[[湘南ベルマーレ|平塚]]の[[ジウベルト・カルロス・ナシメント|ベッチーニョ]]、[[横浜フリューゲルス|横浜F]]の[[桂秀樹]]、[[清水エスパルス|清水]]の[[向島建]]、[[横浜F・マリノス|横浜M]]の[[小泉淳嗣]]等を獲得。富士通川崎時代のレギュラーだった[[伊藤彰 (サッカー選手)|伊藤彰]]・[[小松崎保]]・[[源平貴久]]などの富士通社員選手は控えに回し、元Jリーガーを重用した布陣で1年でのJリーグ昇格を目指した。この他、ブラジルの[[グレミオFBPA|グレミオ]]との業務提携も発表した。ちなみに、現在のチームカラーが水色と黒なのは、グレミオのチームカラーを模した名残である
Jリーグ昇格条件の2位以内を目指すため、小浜誠二が事実上の責任者となる常務に就任。監督を富士通社員の[[城福浩]]からプロ契約の[[斉藤和夫]]へと交代し<ref group=注釈>城福は監督続投を希望したが容れられず、社業専念となった。1998年、FC東京設立準備室に招かれた城福は富士通を退社してプロ指導者へ転身、2008年-2010年途中にはFC東京のトップチーム監督に就任してフロンターレと「多摩川クラシコ」で対戦した。</ref>、選手では[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]の[[中西哲生]]、[[湘南ベルマーレ|平塚]]の[[ジウベルト・カルロス・ナシメント|ベッチーニョ]]、[[横浜フリューゲルス|横浜F]]の[[桂秀樹]]、[[清水エスパルス|清水]]の[[向島建]]、[[横浜F・マリノス|横浜M]]の[[小泉淳嗣]]等を獲得。


ブラジルの[[グレミオFBPA|グレミオ]]との業務提携も発表した<ref>{{Cite web|和書|title=川崎フロンターレ、「グレミオ」と姉妹クラブ関係を締結|url=https://pr.fujitsu.com/jp/news/1997/Mar/27-2.html|website=pr.fujitsu.com|accessdate=2020-05-05|publisher=富士通}}</ref>。現在のチームカラーが水色と黒なのは、グレミオのチームカラーを模した名残である<ref>{{Cite web|和書|title=意外!デザインのルーツが「他のチームだった」ユニフォーム5着|url=https://qoly.jp/2020/04/24/football-jersey-design-roots-lfb-1?part=5|website=Qoly|accessdate=2020-05-05}}</ref>。
フロンターレは優勝争いに加わり、前半戦終了の第15節終了時点では昇格圏内の2位に付けていた<ref>ただし、この第15節では開幕戦から14連敗中だった[[水戸ホーリーホック]]にJFL昇格後の初勝利を許していた。</ref>。後半戦には平塚から[[野口幸司]]、[[東京ヴェルディ1969|V川崎]]から[[長谷部茂利]]を追加補強したが、同9月の第20-22節に上位の直接対決となった[[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]、[[東京ガスサッカー部|東京ガス]]、[[本田技研工業フットボールクラブ|本田技研]]に3連敗して昇格圏外となる3位に後退した後に斉藤が監督を辞任。最終成績は札幌・東京ガスに次ぐ3位となり、勝ち点1差でJリーグ昇格を逃した。シーズン後には野口や長谷部は元の所属チームに戻り、小泉も退団した。

最終成績は3位となり、勝ち点1差でJリーグ昇格を逃した。


==== 1998年 ====
==== 1998年 ====
前シーズン終盤の監督不在を解消するため、グレミオからあっせんされた[[ロベルト・デ・アルメイダ|ベット]]監督就任。[[鹿島アントラーズ|鹿島]]から[[鬼木達]]が加わり、シーズン序盤にゴールを量産した[[ヴァルディネイ・フレイタス・ダ・マッタ|ヴァルディネイ]]や途中退団のベッチーニョに代わって入団した[[リボニール・ルッシェル|ツゥット]]などの[[ブラジル人]][[フォワード (サッカー)|FW]]が活躍した。前年は[[桐光学園中学校・高等学校|桐光学園高校]]からの新入団直後にグレミオにサッカー留学していた[[佐原秀樹]]も試合に出場し、社員選手でも[[川元正英]]や[[久野智昭]]がレギュラーを獲得して、チムの総合力向上に成功した。最終節の[[ソニー仙台FC]]戦で敗れてJFL優勝は東京ガスにさらわれたが、準優勝となった。しかし、[[J1参入決定戦1回戦]]の[[アビスパ福岡|福岡]]戦で[[ゴールデンゴール|Vゴール]]負けを喫し、[[J2リーグ|Jリーグ ディビジョン2]] (J2) への参入が決まった。{{Main|J1参入決定戦1回戦}}
[[ロベルト・デ・アルメイダ|ベット]]監督就任。[[鹿島アントラーズ|鹿島]]から[[鬼木達]]が加わり、[[ヴァルディネイ・フレイタス・ダ・マッタ|ヴァルディネイ]]や[[リボニール・ルッシェル|ツゥット]]などの[[ブラジル人]][[フォワード (サッカー)|FW]]が活躍した。前年は[[桐光学園中学校・高等学校|桐光学園高校]]からの新入団直後にグレミオにサッカー留学していた[[佐原秀樹]]も試合に出場し、社員選手でも[[川元正英]]や[[久野智昭]]がレギュラーでプレーした。準優勝となった、[[J1参入決定戦1回戦]]の[[アビスパ福岡|福岡]]戦で[[ゴールデンゴール|Vゴール]]負けを喫し、[[J2リーグ|Jリーグ ディビジョン2]] (J2) への参入が決まった。{{Main|J1参入決定戦1回戦}}


=== 1999年 (J2) ===
=== 1999年 (J2) ===
ベット体制2年目。元日本代表の[[岩本輝雄]]を獲得して同時に主将に据えた。リーグ戦は開幕3連敗でスタートし、第5節の[[ヴァンフォーレ甲府]]戦に勝利した後、ベットを監督から解任。[[Jリーグカップ]](ナビスコ杯)1回戦の[[ガンバ大阪|G大阪]]戦<ref>2試合で1勝1敗、合計得点数の差で敗退した。</ref> を挟み、第6節、4月18日の札幌戦から[[松本育夫]]に監督が交代した<ref>2000年3月に出版された松本の著書『尽くしてみないか、全力を-サッカーがくれた熱血意識革命』の中で、この監督就任は[[メキシコシティオリンピック]]でのチームメイト(主将)だった元富士通監督の[[八重樫茂生]]からの要請だった事を明かしている。</ref>。久々のクラブチーム監督となった松本に対して反発した岩本はやがてチーム構想から外されたが<ref>岩本はこのシーズン限りで退団し、その後もフロンターレへのわだかまりを口にしていたが、2006年に岩本がNHK衛星放送の『東海道五十三次完全踏破 [[街道てくてく旅]]』で旧[[東海道]]の約500kmを徒歩で歩いた際には、[[川崎宿]](川崎市川崎区)通過時にフロンターレスタッフ・ふろん太・サポーター有志が応援のため集まった。</ref>、岩本に代わって主将に就任した中西の起用や[[柏レイソル|柏]]から途中加入した[[ディフェンダー (サッカー)|DF]][[森川拓巳]]などが守備を安定させ、攻撃面ではブラジル人の[[パウロ・セザール・フォンセカ・ド・ナシメント|ティンガ]]が活躍した。松本就任後のチームは順調に勝ち点を伸ばし、7月30日・第19節の[[大宮アルディージャ|大宮]]戦に勝利して首位に立ち、[[11月5日]]の[[サガン鳥栖|鳥栖]]戦(等々力)に勝利し、J1昇格条件のJ2の2位以内が確定。[[11月8日]]にJ2優勝も決めた<ref>2位のFC東京が大宮に敗れたため。</ref>。
ベット体制2年目。元日本代表の[[岩本輝雄]]を獲得して同時に主将に据えた。リーグ戦は開幕3連敗でスタートし、第5節の[[ヴァンフォーレ甲府]]戦に勝利した後、ベットを監督から解任。[[Jリーグカップ]]1回戦の[[ガンバ大阪|G大阪]]戦<ref group=注釈>2試合で1勝1敗、合計得点数の差で敗退した。</ref> を挟み、第6節、4月18日の札幌戦から[[松本育夫]]に監督が交代した<ref group=注釈>2000年3月に出版された松本の著書『尽くしてみないか、全力を-サッカーがくれた熱血意識革命』の中で、この監督就任は[[メキシコシティオリンピック]]でのチームメイト(主将)だった元富士通監督の[[八重樫茂生]]からの要請だった事を明かしている。</ref>。松本に反発した岩本はやがてチーム構想から外されたが<ref group=注釈>岩本はこのシーズン限りで退団し、その後もフロンターレへのわだかまりを口にしていたが、2006年に岩本がNHK衛星放送の『東海道五十三次完全踏破 [[街道てくてく旅]]』で旧[[東海道]]の約500kmを徒歩で歩いた際には、[[川崎宿]](川崎市川崎区)通過時にフロンターレスタッフ・ふろん太・サポーター有志が応援のため集まった。</ref>、岩本に代わって主将に就任した中西の起用や[[柏レイソル|柏]]から途中加入した[[ディフェンダー (サッカー)|DF]][[森川拓巳]]などが守備を安定させ、攻撃面ではブラジル人の[[パウロ・セザール・フォンセカ・ド・ナシメント|ティンガ]]が活躍した。松本就任後のチームは順調に勝ち点を伸ばし、7月30日・第19節の[[大宮アルディージャ|大宮]]戦に勝利して首位に立ち、[[11月5日]]の[[サガン鳥栖|鳥栖]]戦(等々力)に勝利し、J1昇格条件のJ2の2位以内が確定。[[11月8日]]にJ2優勝も決めた<ref group=注釈>2位のFC東京が大宮に敗れたため。</ref>。


前年のJ1参入戦に続くこの年の戦いは中西が自身のホームページで日記として書き続け、シーズン終了後に『魂の叫び J2聖戦記』として出版された<ref>サッカーライターの[[金子達仁]]・[[戸塚啓]]との共著。</ref>、これは後に中西がマスメディアで活躍する素地となった。また、この年の開幕戦にチーム初のマスコットとして[[ふろん太]]を発表<ref>ふろん太の公式プロフィールでは、生年月日をこの開幕戦が行われた1999年3月14日としている。出典:フロンターレ公式サイト、選手・スタッフプロフィール内「マスコット ふろん太」</ref>。5月には練習場が東京都[[稲城市]]の富士通南多摩工場敷地内の「富士通南多摩グラウンド」<ref>2005年に同工場が閉鎖された後は稲城市に移管され、「稲城市営南多摩スポーツ広場」に改称された。</ref> から、川崎市[[麻生区]]片平にある[[川崎フロンターレ麻生グラウンド|麻生グラウンド]](旧・[[大東学園高等学校]]グラウンド)に移転。さらに市内全体での広報活動を強化し、川崎市も市民後援会を発足させた。
前年のJ1参入戦に続くこの年の戦いは中西が自身のホームページで日記として書き続け、シーズン終了後に『魂の叫び J2聖戦記』として出版された<ref group=注釈>サッカーライターの[[金子達仁]]・[[戸塚啓]]との共著。</ref>
この年の開幕戦にチーム初のマスコットとして[[ふろん太]]を発表<ref group=注釈>ふろん太の公式プロフィールでは、生年月日をこの開幕戦が行われた1999年3月14日としている。出典:フロンターレ公式サイト、選手・スタッフプロフィール内「マスコット ふろん太」</ref>。5月には練習場が富士通南多摩グラウンドから、川崎市[[麻生区]]片平にある[[川崎フロンターレ麻生グラウンド|麻生グラウンド]](旧・[[大東学園高等学校]]グラウンド)に移転。市内全体での広報活動を強化し、川崎市も市民後援会を発足させた。


=== 2000年 (J1) ===
=== 2000年 (J1) ===
松本が監督を退いて社長となり、後任としてヘッドコーチの[[ゼッカ]]が監督に就任。初のJ1挑戦に備えて積極的な補強を進め、特に[[鹿島アントラーズ|鹿島]]からは同シーズンの主将に指名された[[奥野僚右]]、[[鈴木隆行]]、[[バルデマール・アウレリアーノ・デ・オリベイラ・フィリョ|マジーニョ]]、[[鬼木達]](再移籍)などを相次いで獲得。他にも[[サッカーパラグアイ代表|パラグアイ代表]][[ミッドフィールダー|MF]][[ギド・ビルギリオ・アルバレンガ|アルバレンガ]]、元[[サッカー日本代表|日本代表]]FW[[森山泰行]]等が加入したが、これらの選手と従来の選手との融合が全く図れず、実権のない社長に棚上げされた松本と副社長兼強化責任者の小浜の対立も表面化し、富士通出身の杉本聰ゼネラルアドバイザー(前社長)により小浜中心の体制で運営を進めることが確認されるなど、チーム内での不協和音が増加した。外国人を入れ替える方針により[[FC東京]]へ[[期限付き移籍|レンタル移籍]]させたFW[[リボニール・ルッシェル|ツゥット]]が大活躍し、FC東京がJ1で躍進した事も新体制への批判に拍車をかけた。
松本が監督を退いて社長となり、後任としてヘッドコーチの[[ゼッカ]]が監督に就任。[[鹿島アントラーズ|鹿島]]から[[奥野僚右]]、[[鈴木隆行]]、[[バルデマール・アウレリアーノ・デ・オリベイラ・フィリョ|マジーニョ]]、[[鬼木達]](再移籍)などを獲得。[[サッカーパラグアイ代表|パラグアイ代表]][[ミッドフィールダー|MF]][[ギド・アルバレンガ|アルバレンガ]]、元[[サッカー日本代表|日本代表]]FW[[森山泰行]]等が加入した。


ム成績は低迷し、V川崎とリーグ戦で初対戦<ref>1999年の第79回天皇杯では対戦している。</ref> となった4月22日・1stステージ第8節の「[[川崎ダービー]]」も敗れ、5月3日・第10節の[[ジュビロ磐田|磐田]]戦では[[藤田俊哉]]に[[ペナルティーキック]]だけで3得点の[[ハットトリック]]を許す空前絶後の記録を許して1 - 5と大敗した後にゼッカを解任し、ヘッドコーチの[[今井敏明]]が後任の監督に就任。5月27日・第15節(最終節)の[[セレッソ大阪|C大阪]]戦([[長居陸上競技場|長居]])ではシーズン後に同年のJリーグ優秀新人賞を獲得した[[我那覇和樹]]の得点に続いて[[浦田尚希]]が延長Vゴールを決め、2 - 1で勝利してC大阪の優勝を阻止した<ref>1stステージの優勝は横浜M。この試合は「長居の悲劇」と呼ばれるようになった。</ref> が、1stステージは16チーム中15位で終え、2ndステージでも苦戦が続いた。8月19日・第10節の[[ジェフユナイテッド市原・千葉|市原]]戦に敗れてJ1残留の可能性が低くなると、その後のナビスコ杯準々決勝でV川崎に勝利してベスト4に進んだ後にクラブはシーズン2度目の監督交代に踏み切り、育成部から移動させた[[小林寛 (サッカー選手)|小林寛]]を監督とした。この時期までに外国人選手は全員入れ替わり、出番減った鈴木隆行も鹿島に戻るなど、チームは開幕前から大きく様変わりていた。新体制で臨んだナビスコ杯準決勝では[[京都サンガF.C.|京都]]を下して決勝に進出したが、決勝では鹿島に敗れてタイトルを逃し、リーグ戦でも11月18日・第13節([[日立柏サッカー場|日立柏]])の柏戦を戦う前に残留争いの対象チームが勝利を飾ったためJ2降格が決定した。
ズン途中にヘッドコーチの[[今井敏明]]が後任の監督に就任。第15節(最終節)の[[セレッソ大阪|C大阪]]戦では[[我那覇和樹]]の得点[[浦田尚希]]が延長Vゴールを決め、2 - 1で勝利してC大阪の優勝を阻止した<ref group=注釈>1stステージの優勝は横浜M。この試合は「長居の悲劇」と呼ばれるようになった。</ref> 1stステージは16チーム中15位で終えた。シーズン2度目の監督交代[[小林寛 (サッカー選手)|小林寛]]が就任した。ナビスコ杯決勝では鹿島に敗れて準優勝。リーグJ2降格が決定した。


シーズン後には再びチーム改革が行われシーズン終了まで指揮を執った小林監督の他、杉本ゼネラルアドバイザー・松本社長・小浜副社長のクラブ首脳陣、[[奥野僚右]]主将JFL時代からチームの顔だった中西など、多くの選手やスタッフがクラブを退団した。
シーズン後には、監督小林の他、ゼネラルアドバイザー・杉本、社長・松本、副社長・小浜、[[奥野僚右]]、中西などがクラブを退団した。


=== 2001年 - 2004年 (J2) ===
=== 2001年 - 2004年 (J2) ===
==== 2001年 ====
==== 2001年 ====
ヴェルディ川崎が調布に移転したことで、川崎唯一のJ1チームとなった。
再びJ2でのシーズンとなったこの年は[[堀井美晴]]が監督、[[サンパウロFC]]の元監督で現役時代に名古屋でもプレーした[[エジヴァウド・オリヴェイラ・シャヴェス|ピッタ]]をコーチに迎え、前年にサンパウロFCから[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]へレンタル移籍していたブラジル人FW[[マルシオ・パッソス・ジ・アルブケルケ|エメルソン]]を完全移籍により獲得した。エメルソンはハイペースでゴールを重ねたが、チーム自体は守備戦術の整備が進まずに低迷し<ref>最終的な失点数はリーグで7位(6番目に多い)。</ref>、7月14日の第20節・甲府戦に引き分けた時点で8位となっていた。この後、堀井監督は解任、大分を解任されたばかりの[[石崎信弘]]を新監督に迎えた。クラブは長期的視点に立ったチーム整備に方針を転換し、新人DFの[[伊藤宏樹]]は出場停止の最終節を除く43試合に出場した。一方、ピッタコーチとエメルソンは揃って[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]へ移籍した。結果としてシーズンは7位に終わったが、最終節の[[モンテディオ山形|山形]]戦([[山形県総合運動公園陸上競技場|山形県陸]])では[[浦上壮史]]の好セーブ連発と[[我那覇和樹]]の延長Vゴールにより1 - 0で勝利し、山形のJ1昇格を阻止した<ref>正確には、0 - 0のまま延長戦に突入した時点で山形のJ1昇格失敗と仙台の逆転昇格が決定していた。石崎は1999年に「[[1999年J2最終節|秋天の陽炎]]」と呼ばれる試合で大分でのJ1昇格を山形に阻まれた経験があり、奇しくも逆の構図となった。</ref>。続く[[第81回天皇杯全日本サッカー選手権大会|第81回天皇杯]]では戦力外通告を受けた[[阿部良則]]や伊藤彰などの選手が活躍してベスト4の成績を収めた<ref>これは「[[リストラ]]選手の活躍」(参照:[[ノート:リストラ選手の活躍|ノート]])として話題となり、2006年に出版された『クラブ創設10周年メモリアルブック』(兼2006年イヤーブック)でもこの表現で紹介された。</ref>。


[[堀井美晴]]を監督、[[エジヴァウド・オリヴェイラ・シャヴェス|ピッタ]]をコーチに迎え、前年に[[サンパウロFC]]から[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]へレンタル移籍していた[[マルシオ・パッソス・ジ・アルブケルケ|エメルソン]]を完全移籍により獲得した。7月14日の第20節・甲府戦に引き分けた時点で8位。堀井を監督から解任し、[[石崎信弘]]を新監督に迎えた。新人DFの[[伊藤宏樹]]は出場停止の最終節を除く43試合に出場した。
なお、クラブ体制自体も前年までの混乱から一新され、富士通サッカー部のマネージャーや[[日本サッカーリーグ]]の運営委員、富士通本社の部長などを務めてきた<ref>川崎市立大師小学校でのPTA講演会の「[http://www.tomuraya.co.jp/syougakkou-68.htm 後援者紹介]」、2003年作成、2013年9月29日閲覧。</ref>[[武田信平]]が前年12月から社長に、強化本部長(GM)に元富士通サッカー部監督の[[福家三男]]、強化部長に同サッカー部の元選手である[[庄子春男]]が就任し、福家と庄子が強化責任者となった。運営面では地域社会との関係強化が図られ、運営会社の商号が「富士通川崎スポーツマネジメント」から「株式会社川崎フロンターレ」へ変更され、川崎市や他企業、およびサポーター持株会などからの資本を受け入れた。また、クラブによる従来のファンクラブと、川崎市が組織していた川崎市民後援会が統合された。同シーズンからV川崎が[[東京都]][[調布市]]の[[東京スタジアム (多目的スタジアム)|東京スタジアム]](現:味の素スタジアム)へ本拠地を移転したため、等々力でのJリーグ公式戦はフロンターレ主催試合のみ行われる事になった。

シーズンは7位。[[第81回天皇杯全日本サッカー選手権大会|第81回天皇杯]]はベスト4<ref group=注釈>これは「[[リストラ]]選手の活躍」(参照:[[ノート:リストラ選手の活躍|ノート]])として話題となり、2006年に出版された『クラブ創設10周年メモリアルブック』(兼2006年イヤーブック)でもこの表現で紹介された。</ref>。

クラブ体制自体も一新され、富士通サッカー部のマネージャーや[[日本サッカーリーグ]]の運営委員、富士通本社の部長などを務めてきた<ref>川崎市立大師小学校でのPTA講演会の「[http://www.tomuraya.co.jp/syougakkou-68.htm 後援者紹介]」、2003年作成、2013年9月29日閲覧。</ref>[[武田信平]]が前年12月から社長に、強化本部長(GM)に元富士通サッカー部監督の[[福家三男]]、強化部長に同サッカー部の元選手である[[庄子春男]]が就任し、福家と庄子が強化責任者となった。運営面では地域社会との関係強化が図られ、運営会社の商号が「株式会社川崎フロンターレ」へ変更され、川崎市や他企業、およびサポーター持株会などからの資本を受け入れた。また、クラブによる従来のファンクラブと、川崎市が組織していた川崎市民後援会が統合された。


==== 2002年 ====
==== 2002年 ====
石崎体制2年目。[[アントニオ・ベント・ドス・サントス|ベンチーニョ]]、[[マルコス・ボニファシオ・ダ・ローシャ|マルキーニョ]]や途中加入の[[マーロン・デ・ソウザ・ロペス|マーロン]]、[[アレックス・アントニオ・デ・メロ・サントス|アレックス]]などのブラジル人選手が攻撃を担い、中盤には[[ヴィッセル神戸|神戸]]からレンタル移籍した[[茂原岳人]]が加わった。さらに、DF[[岡山一成]]を獲得し守備力を強化。石崎のプレス術も浸透し、勝ち点を多く積み上げたが、前半戦の出遅れが最後まで挽回できず、4位に終わった。[[第82回天皇杯全日本サッカー選手権大会|第82回天皇杯]]はベスト8に入った
石崎体制2年目。[[アントニオ・ベント・ドス・サントス|ベンチーニョ]]、[[マルコス・ボニファシオ・ダ・ローシャ|マルキーニョ]]や途中加入の[[マーロン・デ・ソウザ・ロペス|マーロン]]、[[アレックス・アントニオ・デ・メロ・サントス|アレックス]]などのブラジル人選手が攻撃を担った。リーグ4位。[[第82回天皇杯全日本サッカー選手権大会|第82回天皇杯]]はベスト8。


新加入の岡山はファンサービスに熱心で、試合後にバックスタンドの前でサポーターから[[メガホン]]を借り、ビールケースの上に乗って観客に対する「マイクパフォーマンス」を度々行った。これは「岡山劇場」と呼ばれ、クラブ・チームとファン・サポーターの一体化に大きく貢献し、岡山の退団後もクラブの伝統として他選手や来賓・ゲストなどに引き継がれた<ref>岡山自身もこのパフォーマンスで注目され、その後も移籍先のチームで「岡山劇場」を続けて、サポーターから根強い人気を得るようになった。</ref>。
新加入の岡山一成は試合後にバックスタンドの前でサポーターから[[メガホン]]を借り、ビールケースの上に乗って観客に対する「マイクパフォーマンス」を度々行った。これは「岡山劇場」と呼ばれ、クラブ・チームとファン・サポーターの一体化に大きく貢献し、岡山の退団後もクラブの伝統として他選手や来賓・ゲストなどに引き継がれた<ref group=注釈>岡山自身もこのパフォーマンスで注目され、その後も移籍先のチームで「岡山劇場」を続けて、サポーターから根強い人気を得るようになった。</ref>。


==== 2003年 ====
==== 2003年 ====
石崎体制3年目。ブラジルの[[SEパルメイラス]]から獲得したFW[[カルロス・アルベルト・カルヴァリョ・ドス・アンジョス・ジュニオル|ジュニーニョ]]が[[我那覇和樹]]とともに前線で活躍、また[[鹿島アントラーズ|鹿島]]から移籍したDF[[アウグスト・ペドロ・デ・ソウザ|アウグスト]]も攻守にわたりチームをまとめ上げた。また、[[大宮アルディージャ|大宮]]からFW[[ホルヘ・ルイス・デリー・バルデス|バルデス]]を獲得したが<ref>バルデスは札幌時代の1997年にフロンターレとの2試合ともにVゴールを決め、札幌のJFL優勝に貢献していた。</ref>、年齢の影響やケガにより3得点に止まりシーズン途中に退団した。日本人の新加入選手では、前年J1に昇格した大分から石崎監督と一緒のJ1昇格を実現するために移籍したMF[[山根巌]]、テスト生から採用された新人ながら開幕の[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]戦でデビューし、主に交代要員として全試合でベンチ入りしたMF[[中村憲剛]]などが加わった。しかし、リーグ最多の88得点、リーグ最少の7敗ながらリーグ最多タイの13引き分けと「勝ちきれない」試合が多く、最終的には2位と勝ち点1差の3位に終わり、J1昇格に失敗した。シーズン終了後に石崎が監督を辞任した。[[第83回天皇杯全日本サッカー選手権大会|第83回天皇杯]]ではベスト16に進出し、2回戦の[[長崎県立国見高等学校|国見高校]]戦(等々力)の後には選手やサポーターによる石崎監督の胴上げが行われた。
石崎体制3年目。ブラジルの[[SEパルメイラス]]から獲得したFW[[カルロス・アルベルト・カルヴァリョ・ドス・アンジョス・ジュニオル|ジュニーニョ]]が[[我那覇和樹]]とともに前線で活躍、また[[鹿島アントラーズ|鹿島]]から移籍したDF[[アウグスト・ペドロ・デ・ソウザ|アウグスト]]も攻守にわたりチームをまとめ上げた。[[大宮アルディージャ|大宮]]からFW[[ホルヘ・デリー・バルデス|バルデス]]を獲得したが<ref group=注釈>バルデスは札幌時代の1997年にフロンターレとの2試合ともにVゴールを決め、札幌のJFL優勝に貢献していた。</ref>、シーズン途中に退団した。日本人の新加入選手では、大分からMF[[山根巌]]、中央大学からMF[[中村憲剛]]などが加わった。
リーグ最多の88得点、リーグ最少の7敗ながらリーグ最多タイの13引き分けと、最終的には2位と勝ち点1差の3位に終わり、J1昇格に失敗した。シーズン終了後にチームから、石崎の契約満了発表された。[[第83回天皇杯全日本サッカー選手権大会|第83回天皇杯]]ではベスト16に進出し、2回戦の[[長崎県立国見高等学校|国見高校]]戦(等々力)の後には選手やサポーターによる石崎の胴上げが行われた。


==== 2004年 ====
==== 2004年 ====
:チームスローガン:「'''Mind-1 勝点1への執念―こころ1つにJ1へ。'''」
:チームスローガン:「'''Mind-1 勝点1への執念―こころ1つにJ1へ。'''」
鹿島でコーチを務めていた[[関塚隆]]が監督に就任。また、鹿島からDF[[相馬直樹]]、[[アルビレックス新潟|新潟]]から2年連続でJ2リーグ得点王の[[マルクス・ビニシウス・デ・モライス|マルクス]]を補強した。リーグ戦では開幕直後から首位を独走し、[[9月26日]]・第36節の[[水戸ホーリーホック|水戸]]戦([[笠松運動公園陸上競技場|笠松]])でマルクスの2ゴールにより2 - 1で勝利してJ2の2位以内によるJ1昇格が「内定」<ref>Jリーグ理事会での決定が必要なため、この表現を用いた。</ref>、続く[[10月2日]]・第37節の[[横浜FC]]戦(等々力)にも勝利して5年ぶり2度目のJ2優勝が確定。シーズン最終成績も勝ち点105、得点104と、昇格後に設定した「ダブル・トリプル」の目標を達成した。また、ジュニーニョは37得点を挙げてJ2得点王を獲得した。[[第84回天皇杯全日本サッカー選手権大会|第84回天皇杯]]ではベスト16に入った。なお、この年のスローガン「Mind-1」は、2011年からの[[東日本大震災]]復興支援活動で再び利用される事になった
[[関塚隆]]が監督に就任。鹿島からDF[[相馬直樹]]、[[アルビレックス新潟|新潟]]から2年連続でJ2リーグ得点王の[[マルクス・ビニシウス・デ・モライス|マルクス]]を補強した。リーグ戦では開幕直後から首位を独走し、[[9月26日]]・第36節の[[水戸ホーリーホック|水戸]]戦([[笠松運動公園陸上競技場|笠松]])でマルクスの2ゴールにより2 - 1で勝利してJ2の2位以内によるJ1昇格が決まり<ref group=注釈>Jリーグ理事会での決定が必要な、この表現を用いた。</ref>、続く[[10月2日]]・第37節の[[横浜FC]]戦(等々力)にも勝利して5年ぶり2度目のJ2優勝が確定。シーズン最終成績も当時のJ2としては史上最多となる勝ち点105<ref>その後仙台が51試合制だった2009年に勝ち点106を達成した為J2では史上2位である。</ref>、2023年現在でもJ2のシーズン最多である得点104と、昇格後に設定した「ダブル・トリプル」の目標を達成。2位の大宮に当時としては最多となる18の勝ち点差をつけてJ2を制した。また、ジュニーニョは37得点を挙げてJ2得点王を獲得した。[[第84回天皇杯全日本サッカー選手権大会|第84回天皇杯]]ではベスト16に入った。なお、この年のスローガン「Mind-1」は、2011年からの[[東日本大震災]]復興支援活動や、2024年の「Mind-1 NEXT」で再び利用されている。


=== 2005年 - (J1) ===
=== 2005年 - (J1) ===
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==== 2005年 ====
==== 2005年 ====
:チームスローガン:「'''FRONTALE FORTISSIMO -強く激しく!!-'''」
:チームスローガン:「'''FRONTALE FORTISSIMO -強く激しく!!-'''」
関塚体制2年目。J1昇格を機に、地域密着に更に力を入れるため、エンブレムからFUJITSU」という企業名を外し、5年ぶりのJ1シーズンを迎えた
関塚体制2年目。地域密着に更に力を入れるため、エンブレムからFUJITSU企業名をはずす


現有戦力をベースにし、若干名の補強選手を加えて臨んだが、序盤戦は試合終了間際に失点を喫する試合が続き、中盤戦は攻撃陣に怪我人が相次いだ影響もあり勝ちきれない試合が多かった。しかし、8月の中断期間中に行ったキャンプで戦術を熟成した結果チーム状態が好転、終盤戦ではチーム新記録となる6連勝を記録した。また、[[川崎市]]出身のDF[[箕輪義信]]が日本代表に選出された。シーズン成績は8位となり、最低条件の「J1残留を果たした。天皇杯は2年ぶりにベスト8へ進出した。
現有戦力をベースにし、若干名の補強選手を加えて臨んだが、終盤戦ではチーム新記録となる6連勝を記録。また、[[川崎市]]出身のDF[[箕輪義信]]が日本代表に選出された。鹿島、千葉、柏、東京V、磐田、名古屋から初勝利を挙げ、シーズン成績は8位となり、J1残留を果たした。天皇杯は2年ぶりにベスト8へ進出した。


==== 2006年 ====
==== 2006年 ====
:チームスローガン:「'''Challenge the Future'''」
:チームスローガン:「'''Challenge the Future'''」
関塚体制3年目。アウグストが退団、相馬・久野が現役を引退。一方で左サイドに新外国人[[マルコス・アルベルト・スカビンスキ|マルコン]]を獲得。開幕戦の新潟戦で[[我那覇和樹]]のハットトリックなどにより6 - 0、第2節の[[京都サンガF.C.|京都]]戦でもジュニーニョのハットトリックを含む7 - 2で下し、開幕2試合で13得点のJリーグ新記録を打ち立てて好スタートを切り、[[2006 FIFAワールドカップ]]前の中断期間を暫定ながら首位で折り返した。中断期間中にマルクスが[[東京ヴェルディ1969|東京V]]に移籍した一方、MF[[マギヌン・ラファエル・ファリアス・タバレス|マギヌン]]を獲得した。
関塚体制3年目。アウグストが退団、相馬・久野が現役を引退。[[マルコス・アルベルト・スカビンスキ|マルコン]]を獲得。開幕となる新潟戦で[[我那覇和樹]]が日本人初開幕戦ハットトリック<ref>鹿島にいた[[柳沢敦]]も広島との開幕戦でハットトリックを達成し、2人同時にハットトリックを達成している。</ref> などにより6 - 0、第2節の[[京都サンガF.C.|京都]]戦でもジュニーニョのハットトリックを含む7 - 2で勝利、開幕2試合で13得点のJリーグ新記録を打ち立てて好スタートを切り、[[2006 FIFAワールドカップ]]前の中断期間を暫定ながら首位で折り返した。中断期間中にマルクスが[[東京ヴェルディ1969|東京V]]に移籍した一方、MF[[マギヌン・ラファエル・ファリアス・タバレス|マギヌン]]を獲得した。


W杯終了後に日本代表に我那覇、続いて[[中村憲剛]]がそれぞれ初招集された。
W杯終了後に日本代表に我那覇、続いて[[中村憲剛]]が招集され、それぞれ代表デビューを果たした。終盤[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]や[[ガンバ大阪|G大阪]]との直接対決で一時調子を落とすも、最終節でG大阪を抜いて2位で終了。ジュニーニョ、我那覇、中村、[[谷口博之]]の4選手がリーグ戦で2桁得点を挙げ、チーム合計84得点(リーグ1位)となった。中村と谷口はJベストイレブンに選出。また、シーズン18得点の我那覇が日本人得点王(タイ記録)となった。


リーグは2位。ジュニーニョ、我那覇、中村、[[谷口博之]]の4選手がリーグ戦で2桁得点を挙げ、シーズン84ゴール(リーグ1位)と前年にJリーグを制したG大阪が持っていた82ゴールを上回り、2回戦総当たりになった1996年以降では2位、延長戦が廃止された2003年以降のJ1シーズン最多得点記録となった。中村と谷口はJベストイレブンに選出。
前年の天皇杯で優勝し、既に[[AFCチャンピオンズリーグ]] (ACL) 出場権を得ている浦和がリーグ戦で優勝したため、規定により[[AFCチャンピオンズリーグ2007]]への出場権を獲得した。

前年の天皇杯で優勝し、既に[[AFCチャンピオンズリーグエリート|AFCチャンピオンズリーグ]] (ACL) 出場権を得ている浦和がリーグ優勝を達成した為、規定により[[AFCチャンピオンズリーグ2007]]への出場権を獲得した。


==== 2007年 ====
==== 2007年 ====
[[画像:Nabisco Final 2007 Kawasaki.JPG|thumb|right|300px|ナビスコカップ決勝時のコレオグラフィー]]
[[画像:Nabisco Final 2007 Kawasaki.JPG|thumb|right|300px|ナビスコカップ決勝時のコレオグラフィー]]
:チームスローガン:「'''One for Goal, Goal for One'''」
:チームスローガン:「'''One for Goal, Goal for One'''」
関塚体制4年目。シーズン前最初の練習試合で新加入の[[フランシスマール・カリオカ・デ・オリベイラ|フランシスマール]]が左膝[[靭帯損傷|靱帯断裂]]の重傷を負ったが、3月3日のJ1開幕戦(等々力)で[[鹿島アントラーズ|鹿島]]を下し、4月15日の第6節(等々力)にはチーム史上初めて[[清水エスパルス|清水]]に勝利、4月21日に[[埼玉スタジアム2002]]で行われた第7節では、浦和のホーム連続不敗のJリーグ記録を25試合で止めた。
関塚体制4年目。シーズン前の練習試合で新加入の[[フランシスマール・カリオカ・デ・オリベイラ|フランシスマール]]が左膝[[靭帯損傷|靱帯断裂]]の重傷を負った
4月21日に[[埼玉スタジアム2002]]で行われた第7節では、浦和のホーム連続不敗のJリーグ記録を25試合で止めた。


4月23日、[[我那覇和樹]]が試合後に受けた疲労回復の静脈注射(点滴)がJリーグの[[ドーピング]](禁止薬物使用)規定違反と認定され、自粛期間を含めて公式戦6試合の出場停止、チームにも1000万円の罰金となった。我那覇は5月19日の[[大分トリニータ|大分]]戦から復帰した、以後は精彩を欠き、年間を通じて1ゴールのみに終わった。この問題はその後も尾を引き、結局は2008年に[[スポーツ仲裁裁判所]]で審理される事になったが、仲裁の結果は我那覇にドーピングの事実が認められないとされ、かつ、Jリーグ側に仲裁費用の負担を求める異例の裁定となった。
4月23日、[[我那覇和樹]]が試合後に受けた疲労回復の静脈注射(点滴)がJリーグの[[ドーピング]](禁止薬物使用)規定違反と認定され、自粛期間を含めて公式戦6試合の出場停止、チームにも1000万円の罰金が課された。2008年に[[スポーツ仲裁裁判所]]で審理される事になったが、仲裁の結果は我那覇にドーピングの事実が認められないとされ、かつ、Jリーグ側に仲裁費用の負担を求める異例の裁定となった。


[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]から獲得したGK[[川島永嗣]]は全34試合フル出場を果たし、我那覇に代わり先発で起用されたプロ2年目の[[鄭大世]]12得点と飛躍22得点のジュニーニョは2004年のJ2に続きJ1得点王に輝き、リーグ2位の計66得点を挙げた一方、失点はリーグ11位の48失点に上り、前年を下回る5位でシーズンを終了した。
[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]から獲得したGK[[川島永嗣]]は全34試合フル出場プロ2年目の[[鄭大世]]12得点、ジュニーニョは22得点で得点王に輝き、リーグ2位の計66得点を挙げた5位でシーズンを終了した。


[[AFCチャンピオンズリーグ2007]]は、グループリーグF組を1位で通過したが、準々決勝で[[フーラッド・モバラケ・セパハンFC|セパハン]]にPK戦で敗退した。
[[AFCチャンピオンズリーグ2007]]は、グループリーグF組を1位で通過したが、準々決勝で[[フーラッド・モバラケ・セパハンFC|セパハン]]にPK戦で敗退した。


また、9月23日のJ1第26節・[[柏レイソル|柏]]戦(柏)で、セパハンとの第1戦から先発選手8人を入れ替えて臨み、0 - 4と大敗した。Jリーグ専務理事(当時)の[[犬飼基昭]]<ref>ACLプロジェクトチームを主宰。イランからの帰国時に[[アラブ首長国連邦|UAE]]のドバイまでのチャーター便費用を補助していた。</ref> は「ベストメンバーの出場を求めた自分達への背信行為であってサポーターへの裏切り行為だ」と怒りを顕わにしたが、川崎側は当該試合の前にJリーグ事務局へ予め[[ベストメンバー規定]]に抵触していない旨を事前確認していた。また、川崎は勝ち残っていた浦和に情報提供し<ref>特に時差の関係で川崎の敗北が決まった後も、[[ウジアラビア]]の[[リヤド]]にいた川崎のスカウト準々決勝の[[アル・ヒル]]vs[[アル・ワフダ・アダビ|アル・ワフダ]]戦を観戦し、勝ち上がったアル・ワフダデータ浦和に提供した。アル・ワフダは準決勝でセパハンに敗れたが、JリーグチームのACL優勝を目指ための美談として伝えられた。</ref>、浦和は決勝でセパハンて優勝した。優勝後、浦和は川崎の協力について感謝すると述べた。
また、9月23日のJ1第26節・[[柏レイソル|柏]]戦(柏)で、セパハンとの第1戦から先発選手8人を入れ替えて臨んだ。Jリーグ専務理事(当時)の[[犬飼基昭]]<ref group=注釈>ACLプロジェクトチームを主宰。イランからの帰国時に[[アラブ首長国連邦|UAE]]のドバイまでのチャーター便費用を補助していた。</ref> は「ベストメンバーの出場を求めた自分達への背信行為であってサポーターへの裏切り行為だ」と怒りを顕わにしたが、川崎側は当該試合の前にJリーグ事務局へ予め[[ベストメンバー規定]]に抵触していない旨を事前確認していた。また犬飼の発言受け、サポーター団体ラブの選手起用支持る弾幕提示した。


ナビスコ杯は決勝で[[ガンバ大阪|G大阪]]に敗れて準優勝。天皇杯はベスト4で鹿島に敗れた
ナビスコ杯は決勝で[[ガンバ大阪|G大阪]]に敗れて準優勝。天皇杯はベスト4。


[[AFCアジアカップ2007]]に[[中村憲剛]]およびGK川島が日本代表に選出。中村は決勝まで5試合連続で先発起用された。また、代表候補合宿には[[森勇介]]と[[黒津勝]]も初招集された(正式メンバー登録はならず)。FW[[鄭大世]]も[[サッカー朝鮮民主主義人民共和国代表|北朝鮮代表]]に初選出され、[[東アジアサッカー選手権2008]]予選大会で3試合8得点で得点王となり、翌年2月の本大会進出に貢献した。
[[AFCアジアカップ2007]]に[[中村憲剛|中村]]および川島が日本代表に選出。中村は決勝まで5試合連続で先発起用された。また、代表候補合宿には[[森勇介]]と[[黒津勝]]も初招集された。FW[[鄭大世]]も[[サッカー朝鮮民主主義人民共和国代表|北朝鮮代表]]に初選出され、[[東アジアサッカー選手権2008]]予選大会で3試合8得点で得点王となり、翌年2月の本大会進出に貢献した。


==== 2008年 ====
==== 2008年 ====
:チームスローガン:「'''With 12 (supporters) '''」
:チームスローガン:「'''With 12 (supporters) '''」
関塚体制5年目。MFマギヌンが名古屋へ移籍。一方で[[東京ヴェルディ1969|東京V]]へ期限付き移籍していた[[吉原慎也]]、[[ジヴァニウド・ヴィエイラ・ジ・ソウザ|フッキ]]らがチームに復帰し、[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]より[[山岸智]]を獲得した。また、[[青山学院大学]]からMF[[田坂祐介]]、[[駒澤大学]]からMF[[菊地光将]]、[[早稲田大学ア式蹴球部|早稲田大学]]からDF[[横山知伸]]、下部組織よりトップチームへ昇格のDF[[吉田勇樹]](後にU-19日本代表に選出)らが加入。
関塚体制5年目。MFマギヌンが名古屋へ移籍。[[東京ヴェルディ1969|東京V]]へ期限付き移籍していた[[吉原慎也]]、[[ジヴァニウド・ヴィエイラ・ジ・ソウザ|フッキ]]らがチームに復帰し、[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]より[[山岸智]]を獲得。また、[[青山学院大学]]からMF[[田坂祐介]]、[[駒澤大学体育会サッカー部|駒澤大学]]からMF[[菊地光将]]、[[早稲田大学ア式蹴球部|早稲田大学]]からDF[[横山知伸]]、下部組織よりトップチームへ昇格のDF[[吉田勇樹]]らが加入。


開幕戦の東京V戦で試合終盤に追いつかれドローに終わると、続く[[ヴィッセル神戸|神戸]]戦に1-4で大敗。更に神戸戦での起用法を不満としたフッキが4月2日に退団、東京Vへ完全移籍した。その後は安定感を欠いた戦いを強いられ、フッキによる一連の騒動による心労、かねてから罹患していた持病の[[不整脈]]の悪化もあり、関塚が検査入院のため離脱。入院こそ免れたものの、ドクターストップがかかり、同月24日に監督を辞任。ヘッドコーチの[[高畠勉]]が監督に昇格した。
起用法を不満としたフッキが4月2日に退団、東京Vへ完全移籍した。罹患していた持病の[[不整脈]]の悪化もあり、関塚が検査入院のため離脱。同月24日に監督を辞任。ヘッドコーチの[[高畠勉]]が監督に昇格した。


一方、5月27日には[[我那覇和樹]]が、[[スポーツ仲裁裁判所]] (CAS) にJリーグが科した処分(ドーピング禁止規定違反)の取り消しを求めた問題で、スポーツ仲裁裁判所は我那覇の訴えを認める裁定を下した(ただし、Jリーグ側は誤訳を盾に我那覇本人、及び当時のチームドクターへの正式な謝罪は未だ行われていない)。
一方、5月27日には[[我那覇和樹]]が、[[スポーツ仲裁裁判所]] (CAS) にJリーグが科した処分(ドーピング禁止規定違反)の取り消しを求めた問題で、スポーツ仲裁裁判所は我那覇の訴えを認める裁定を下した(ただし、Jリーグ側は誤訳を盾に我那覇本人、及び当時のチームドクターへの正式な謝罪は未だ行われていない)。


6月21日には[[箕輪義信]]を[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]へ期限付きで放出し、7月8日には[[サントスFC]]のMF[[ヴィトール・シルバ・アシス・デ・オリベイラ・ジュニオール|ヴィトール・ジュニオール]]を期限付移籍で獲得。7月29日にはFW[[都倉賢]]を[[ザスパクサツ群馬|草津]]に期限付きで放出するも、8月5日にはサントスのFW[[レナト・カルロス・マルティンス・ジュニオール|レナチーニョ]]を期限付き移籍で獲得した。
6月21日には[[箕輪義信]]を[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]へ期限付きで放出し、7月8日には[[サントスFC]]のMF[[ヴィトール・シルバ・アシス・デ・オリベイラ・ジュニオール|ヴィトール・ジュニオール]]を期限付移籍で獲得。7月29日にはFW[[都倉賢]]を[[ザスパクサツ群馬|草津]]に期限付きで放出、8月5日にはサントスのFW[[レナト・カルロス・マルティンス・ジュニオール|レナチーニョ]]を期限付き移籍で獲得した。


8月に川崎フロンターレ後援会の会員数が初の2万人を突破。また、この頃から[[等々力陸上競技場]]の老朽化及び混雑に対し、競技場の全面改修を求める請願書の提出の一環として、シーズン終盤に10万筆目標の署名活動を行った(最終的に15万4020筆を集め、2月18日に川崎市へ提出)。
8月に川崎フロンターレ後援会の会員数が初の2万人を突破。また、この頃から[[等々力陸上競技場]]の老朽化及び混雑に対し、競技場の全面改修を求める請願書の提出の一環として、シーズン終盤に10万筆目標の署名活動を行った(最終的に15万4020筆を集め、2月18日に川崎市へ提出)。


シーズン成績は、首位争いに加わり、リーグ最終節まで優勝の可能性を残し、2006年以来の準優勝でシーズンを終え、[[AFCチャンピオンズリーグ2009]]の出場権を獲得した。
リーグ準優勝でシーズンを終え、[[AFCチャンピオンズリーグ2009]]の出場権を獲得した。


==== 2009年 ====
==== 2009年 ====
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:チームスローガン:「'''ONE STEP'''」
:チームスローガン:「'''ONE STEP'''」
体調が回復した関塚が再び監督に就任前年途中から指揮を執った高畠は再びヘッドコーチに就任した。
関塚が再び監督に、高畠は再びヘッドコーチに就任した。


我那覇と箕輪がそれぞれ[[ヴィッセル神戸|神戸]]、[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]に完全移籍し、[[原田拓]]が[[ロアッソ熊本|熊本]]へ、[[大橋正博]]が[[Kリーグクラシック|Kリーグ]][[江原FC|江原]]へ、レンタル移籍だった[[都倉賢]]([[ザスパクサツ群馬|草津]])、[[西山貴永]][[ベガタ仙台|仙台]])が完全移籍するなど7選手退団。ま[[FC東京]]にレンタル移籍していた[[佐原秀樹]]のレンタル期間が1年延長された。
我那覇と箕輪がそれぞれ[[ヴィッセル神戸|神戸]]、[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]に完全移籍し、[[原田拓]]が[[ロアッソ熊本|熊本]]へ、[[大橋正博]]が[[Kリーグクラシック|Kリーグ]][[江原FC|江原]]へ、レンタル移籍だった[[都倉賢]]、[[西山貴永]]が完全移籍。前年に[[東京ヴェディ1969|東京V]]のレンタル移籍から復帰した吉原慎也[[ジュビロ磐田|磐田]]へ再度レンタル移籍し[[FC東京]]にレンタル移籍していた[[佐原秀樹]]のレンタル期間が1年延長された。


主な補強は[[セレッソ大阪|C大阪]]へ期限付き移籍していた[[相澤貴志]]の復帰、新戦力として、[[特別指定選手]]として[[2004年]]・[[2005年]]に所属していた[[清水エスパルス|清水]]の[[矢島卓郎]]を完全移籍で獲得(事実上の古巣復帰)、レンタル移籍だったヴィトール・ジュニオールを完全移籍で獲得、ジュニーニョも契約期間延長するなど攻撃陣を中心に選手を獲得した(なお、前年に[[東京ヴェルディ1969|東京V]]のレンタル移籍から復帰した吉原慎也が[[ジュビロ磐田|磐田]]へ再度レンタル移籍)
主な補強は[[セレッソ大阪|C大阪]]へ期限付き移籍していた[[相澤貴志]]の復帰、新戦力として、[[特別指定選手]]として[[2004年]]・[[2005年]]に所属していた[[清水エスパルス|清水]]の[[矢島卓郎]]を完全移籍で獲得、レンタル移籍だったヴィトール・ジュニオールを完全移籍で獲得。


[[2009年のJリーグカップ|ナビスコカップ]]は決勝まで進んだが、2000年、2007年に続き、準優勝に終わった。この決勝戦後の表彰式において、協会名誉総裁の[[憲仁親王妃久子|高円宮妃久子]]はじめ協会幹部やスポンサー関係者の前で、川崎の一部選手が首にかけて頂いた準優勝メダルを外す行為」、「握手を拒む行為」、「壁に寄り掛かかんだり、しゃがみ込む行為」、「ガムを噛みながらの表彰式参加」といった行動<ref name=f20091104>[http://www.frontale.co.jp/info/2009/1104_1.html 弊クラブ所属選手の行為について (お詫び)]、川崎フロンターレ公式サイト、2009年11月4日</ref> をとったことが問題となった<ref>[http://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp0-20091104-562613.html 鬼武チェアマン川崎Fに激怒]、nikkansports.com、2009年11月4日</ref>。これを受けて、クラブ側の川崎は謝罪<ref name=f20091104/>、準優勝賞金5000万円の自主返還、社長ら役員3人の減俸、[[森勇介]]の最低1試合の出場停止などの処分を発表した<ref>[http://www.frontale.co.jp/info/2009/1105_5.html 弊クラブ所属選手の行為について (対応・処分)]、川崎フロンターレリリース、2009年11月5日</ref>。しかしJリーグ側は賞金返還を受け付けず、代わりにホームタウン活動への使用を提案。サッカーボールや図書、少年サッカーチームへのビブスなどの物品の他、残額は全て川崎市への寄付とされた<ref>天野春果「僕がバナナを売って算数ドリルを作るワケ」37頁(2011年・小学館)</ref>。{{Main|2009年のJリーグカップ#表彰式での川崎フロンターレの行為について}}
[[2009年のJリーグカップ|ナビスコカップ]]は準優勝。この決勝戦後の表彰式において、一部選手が首にかけて頂いた準優勝メダルを外すといった行動<ref name=f20091104>[http://www.frontale.co.jp/info/2009/1104_1.html 弊クラブ所属選手の行為について (お詫び)]、川崎フロンターレ公式サイト、2009年11月4日</ref> をとった。これを受けて、クラブ側は謝罪<ref name=f20091104/>、準優勝賞金5000万円の自主返還、社長ら役員3人の減俸、[[森勇介]]の最低1試合の出場停止などの処分を発表した<ref>[http://www.frontale.co.jp/info/2009/1105_5.html 弊クラブ所属選手の行為について (対応・処分)]、川崎フロンターレリリース、2009年11月5日</ref>。Jリーグ側は賞金返還をホームタウン活動への使用を提案。サッカーボールや図書、少年サッカーチームへのビブスなどの物品の他、残額は全て川崎市への寄付とされた<ref>天野春果「僕がバナナを売って算数ドリルを作るワケ」37頁(2011年・小学館)</ref>。


リーグは準優勝。関塚が監督を辞任した。
リーグ戦では終盤に首位に立つが第32節に[[大分トリニータ|大分]]に敗戦、[[鹿島アントラーズ|鹿島]]に再度首位を明け渡した。優勝は最終節までもつれ込み、「川崎が勝ち、なおかつ鹿島が引き分け以下でなければ川崎の優勝はない」という状況で、12月5日の最終節で[[柏レイソル|柏]]に3 - 2で勝利したが、鹿島が浦和に勝ったため鹿島の優勝が決まり、川崎は2年連続で優勝を逃した。天皇杯でも仙台に敗れた。関塚がこのシーズン限りで監督を辞任した。


[[12月26日]]に『公益のため多額の私財を寄附した』功に対して、[[日本国政府|日本政府]]より褒状を受けた<ref>『[[官報]]』 [[2010年]](平成22年)1月8日付 第10頁 褒賞に告知されている。</ref>。
[[12月26日]]に『公益のため多額の私財を寄附した』功に対して、[[日本国政府|日本政府]]より褒状を受けた<ref>『[[官報]]』 [[2010年]](平成22年)1月8日付 第10頁 褒賞に告知されている。</ref>。
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==== 2010年 ====
==== 2010年 ====
:チームスローガン:「'''+α -Plus ALFA-'''」
:チームスローガン:「'''+α -Plus ALFA-'''」
後任監督にヘッドコーチの[[高畠勉]]が就任。コーチ陣ではフィジカルコーチの[[里内猛]]がクラブを離れたが、U-18で指導に当たっていたクラブOBの[[鬼木達]]がトップチームコーチに就任。
監督にヘッドコーチの[[高畠勉]]が就任。U-18で指導に当たっていたクラブOBの[[鬼木達]]がトップチームコーチに就任。


横浜FMから[[小宮山尊信]]が完全移籍、[[スタッド・レンヌ]]から9年ぶりのJリーグ復帰となる[[稲本潤一]]を獲得。[[佐原秀樹]]が[[FC東京]]への期限付き移籍から2年ぶりに復帰した。一方、[[村上和弘]]が大宮へ移籍。[[吉原慎也]]が退団(のち[[柏レイソル|柏]]に加入)、[[山岸智]]や、[[養父雄仁]]、[[久木野聡]]・[[杉浦恭平]]などがそれぞれ期限付き移籍した。
横浜FMから[[小宮山尊信]]が完全移籍、[[スタッド・レンヌ]]から9年ぶりのJリーグ復帰となる[[稲本潤一]]を獲得。[[佐原秀樹]]が[[FC東京]]への期限付き移籍から2年ぶりに復帰した。[[村上和弘]]が大宮へ移籍。[[吉原慎也]]が退団(のち[[柏レイソル|柏]]に加入)、[[山岸智]]や、[[養父雄仁]]、[[久木野聡]]・[[杉浦恭平]]などがそれぞれ期限付き移籍した。


[[AFCチャンピオンズリーグ2010|2010年のACL]]は、開幕がJリーグ開幕前の2月下旬にずれ込んだのに対応できなかったのと、アウェー全敗がたたって予選敗退。
[[AFCチャンピオンズリーグ2010|2010年のACL]]は予選敗退。


[[2010 FIFAワールドカップ日本代表]]に[[川島永嗣]]、[[稲本潤一]]、[[中村憲剛]]の3人が選出され、川島は日本の全4試合にフル出場し、ベスト16進出に貢献した。また稲本が終盤での出場で2試合、中村が1試合出場した。[[サッカー朝鮮民主主義人民共和国代表|北朝鮮代表]]には[[鄭大世]]が選出された。
[[2010 FIFAワールドカップ日本代表]]に[[川島永嗣]]、[[稲本潤一]]、[[中村憲剛]]の3人が選出され、川島は日本の全4試合にフル出場し、ベスト16進出に貢献した。また稲本が2試合、中村が1試合出場した。[[サッカー朝鮮民主主義人民共和国代表|北朝鮮代表]]には[[鄭大世]]が選出された。


W杯終了後の7月、川島が[[ベルギー]][[ベルギー・ファースト・ディビジョンA|1部]]の[[リールセSK]]へ、鄭が[[ドイツ]][[2. ブンデスリーガ (ドイツサッカー)|2部]]の[[VfLボーフム]]へ移籍。また、先発メンバーから外されたレナチーニョが高畠の采配に不満を訴え、練習ボイコットからブラジルへ無断帰国し、8月末に[[ポルトガル]][[プリメイラ・リーガ|1部]]の[[ポルティモネンセSC|ポルティモネンセ]]へ期限付き移籍した。
W杯終了後の7月、川島が[[ベルギー]][[ベルギー・ファースト・ディビジョンA|1部]]の[[リールセSK]]へ、鄭が[[ドイツ]][[2. ブンデスリーガ (ドイツサッカー)|2部]]の[[VfLボーフム]]へ移籍。レナチーニョが高畠の采配に不満を訴え、練習ボイコットからブラジルへ無断帰国し、8月末に[[ポルトガル]][[プリメイラ・リーガ|1部]]の[[ポルティモネンセSC|ポルティモネンセ]]へ期限付き移籍した。


中断期までは[[鹿島アントラーズ|鹿島]]や[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]を射程圏内に入れていたが、川島の穴を[[相澤貴志]]が埋めた一方、鄭の穴を埋めるには至らず、中断期間以降はこれまでの攻撃力に陰りが見えた上、守備でも脆さが露呈するなど先制しても逃げ切れない試合が目立つようになった。その後、次第に上位争いから脱落し5位でシーズンを終了、ACLの出場権も逃した。高畠はシーズン終了後に監督を退任した。
川島の穴を[[相澤貴志]]が埋めた一方、鄭の穴を埋めるには至らず、5位でシーズンを終了。高畠はシーズン終了後に監督を退任した。


==== 2011年 ====
==== 2011年 ====
:チームスローガン:「'''挑 -いどむ-'''」
:チームスローガン:「'''挑 -いどむ-'''」
この年からユニフォームサプライヤーがプーマに変更。
[[FC町田ゼルビア|町田]]元監督の[[相馬直樹]]が監督に就任。DF[[森勇介]]が[[東京ヴェルディ1969|東京V]]、[[稲本潤一]]の加入などで出場機会を減らした[[谷口博之]]がユース時代に所属した[[横浜F・マリノス|横浜FM]]、[[植草裕樹]]がレンタル移籍先の[[モンテディオ山形|山形]]、[[木村祐志]]が[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]へそれぞれ移籍した。
[[FC町田ゼルビア|町田]]元監督の[[相馬直樹]]が監督に就任。DF[[森勇介]]が[[東京ヴェルディ1969|東京V]]、[[谷口博之]]が[[横浜F・マリノス|横浜FM]]、[[植草裕樹]]がレンタル移籍先の[[モンテディオ山形|山形]]、[[木村祐志]]が[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]へそれぞれ移籍した。


一方で横浜FMから[[山瀬功治]][[田中裕介]]、東京Vから[[柴崎晃誠]]を獲得。U-21代表で活躍した[[實藤友紀]]をはじめとした6人の新人選手が加入した。
横浜FMから[[山瀬功治]][[田中裕介]]、東京Vから[[柴崎晃誠]]U-21代表[[實藤友紀]]6人の新人選手が加入した。


また、強化本部長福家が退任し、庄子が強化本部長に就任した。
強化本部長には福家が退任し、[[庄子春男 (サッカー選手)|庄子春男]]が就任した。


リーグ前半戦、勝ち切れない試合が続く中、第11-18節まで8戦負けなしで一時は3位まで浮上した。しかし、中盤戦(夏場の連戦)以降失速し、7月23日(第6節)の[[アルビレックス新潟|新潟]]戦から9月11日(第25節)の[[ヴィッセル神戸|神戸]]戦までリーグ8連敗を喫した<ref>{{cite web|url=http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00125214.html|title=【J1:第25節 川崎F vs 神戸】|work=J's Goal|date=2011-09-12|accessdate=2012-12-04}}</ref>。9月17日(第26節)の[[モンテディオ山形|山形]]戦に勝利して、連敗を「8」で止めた<ref>{{cite web|url=http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00125542.html|title=【J1:第26節 山形 vs 川崎F】|work=J's Goal|date=2011-09-18|accessdate=2012-12-04}}</ref> が、連敗脱出後も残留争いに加わり、J1残留果たしたが、J1復帰以降最低の11位に終わった
7月23日(第6節)の[[アルビレックス新潟|新潟]]戦から9月11日(第25節)の[[ヴィッセル神戸|神戸]]戦までリーグ8連敗を喫した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00125214.html|title=【J1:第25節 川崎F vs 神戸】|work=J's Goal|date=2011-09-12|accessdate=2012-12-04}}</ref>。9月17日(第26節)の[[モンテディオ山形|山形]]戦に勝利して、連敗を止めた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00125542.html|title=【J1:第26節 山形 vs 川崎F】|work=J's Goal|date=2011-09-18|accessdate=2012-12-04}}</ref> 。リーグは11位。


なお、同年3月11日に発生した[[東日本大震災]]に対する復興支援活動として、フロンターレは「Mind-1」キャンペーンとしての支援活動を開始し、津波で甚大な被害を受けた[[岩手県]][[陸前高田市]]などへの物資提供などを開始し、翌年以降も継続した(地域密着の項目を参照)。
同年3月11日に発生した[[東日本大震災]]に対する復興支援活動として、フロンターレは「Mind-1」キャンペーンとしての支援活動を開始し、津波で甚大な被害を受けた[[岩手県]][[陸前高田市]]などへの物資提供などを開始し、翌年以降も継続した(地域密着の項目を参照)。

4月23日のリーグ再開初戦、[[ベガルタ仙台|仙台]]戦は[[Jクロニクルベスト]]の「ベストマッチ (10試合) 」、[[J30ベストアウォーズ]]の「[[J30ベストアウォーズ・ベストマッチ|ベストマッチ (1試合)]] 」にも選ばれた。
{{Main|J30ベストアウォーズ・ベストマッチ}}


==== 2012年 ====
==== 2012年 ====
:チームスローガン:「'''一体感'''」
:チームスローガン:「'''一体感'''」
相馬体制2年目。川崎のエースストライカーとして活躍してきたジュニーニョが[[鹿島アントラーズ|鹿島]]へ完全移籍したほか、通算11年在籍していた[[相澤貴志]]<ref>2000年-2007年、2009年-2011年まで在籍(2008年は[[セレッソ大阪]]にレンタル移籍。)</ref> が[[FC町田ゼルビア|町田]]に、[[横山知伸]]が[[セレッソ大阪|C大阪]]に、[[菊地光将]]が[[大宮アルディージャ|大宮]]に、[[久木野聡]]が[[栃木SC]]に完全移籍、[[棗佑喜]]が栃木SCに、[[薗田淳]]が町田にレンタル移籍、[[松本拓也 (サッカー選手)|松本拓也]]がレンタル移籍期間満了につき[[湘南ベルマーレ|湘南]]に復帰、昨シーズン[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]にレンタル移籍していた[[養父雄仁]]が[[ロアッソ熊本|熊本]]へ完全移籍、[[吉田勇樹]]が現役を引退し、スクール・普及コーチに就任した。
相馬体制2年目。ジュニーニョが[[鹿島アントラーズ|鹿島]]へ完全移籍したほか、[[相澤貴志]]<ref group=注釈>2000年-2007年、2009年-2011年まで在籍(2008年は[[セレッソ大阪]]にレンタル移籍。)</ref> が[[FC町田ゼルビア|町田]]に、[[横山知伸]]が[[セレッソ大阪|C大阪]]に、[[菊地光将]]が[[大宮アルディージャ|大宮]]に、[[久木野聡]]が[[栃木SC]]に完全移籍、[[棗佑喜]]が栃木SCに、[[薗田淳]]が町田にレンタル移籍、[[松本拓也 (サッカー選手)|松本拓也]]がレンタル移籍期間満了につき[[湘南ベルマーレ|湘南]]に復帰、昨シーズン[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]にレンタル移籍していた[[養父雄仁]]が[[ロアッソ熊本|熊本]]へ完全移籍、[[吉田勇樹]]が現役を引退し、スクール・普及コーチに就任した。


補強は、湘南から[[西部洋平]]、C大阪から[[小松塁]]、京都から[[森下俊]]を完全移籍で、[[コリチーバFC]]から[[レナト・リベイロ・カリスト|レナト]]、[[ジェシマウロ・ジョゼ・ボルゲス|ジェシ]]。[[グレミオFBPA|グレミオ]]から[[レネ・フェレイラ・ドス・サントス|レネ・サントス]]をレンタル移籍で獲得、2年間[[愛媛FC|愛媛]]にレンタル移籍していた[[杉浦恭平]]が復帰した。
補強は、湘南から[[西部洋平]]、C大阪から[[小松塁]]、京都から[[森下俊]]を完全移籍で、[[コリチーバFC]]から[[レナト・リベイロ・カリスト|レナト]]、[[ジェシマウロ・ジョゼ・ボルゲス|ジェシ]]。[[グレミオFBPA|グレミオ]]から[[レネ・フェレイラ・ドス・サントス|レネ・サントス]]をレンタル移籍で獲得、2年間[[愛媛FC|愛媛]]にレンタル移籍していた[[杉浦恭平]]が復帰した。


開幕2連勝と順調なスタートを切ったが、その後は公式戦5戦勝ちなしと低迷。その後3月31日の浦和戦、4月8日のFC東京戦で数的有利でありながら勝てないなど攻撃面での行き詰まりを見せたことや、開幕前後から選手との関係が疎遠になっていた事<ref>{{cite web|url=http://blogola.jp/p/26039|title=【川崎F】相馬直樹監督との契約解除に関する庄子春男GMコメント|work=|publisher=BLOGOLA|accessdate=2012-04-11}}</ref> などを理由に4月11日に相馬を解任した。その後、後任監督決定までの3試合(ナビスコ杯の1試合を含む)をコーチの[[望月達也]]が監督代行ての指揮を経て、同月23日、筑波大監督の[[風間八宏]]が監督に就任した。中盤こそ故障者が多発したことや決定力不足により苦戦した時期もあったが、11月7日の浦和戦で4対2で勝利した試合から、シーズン終了まで3勝1分と負け無しでシーズンを終える。最終的には前年を上回る8位でフィニッシュした。なお、7月1日に風間監督の長男である[[風間宏希]]と[[風間宏矢]]が入団し、Jリーグ史上初めて同時に父が監督、息子が選手として所属する「親子鷹」が実現した<ref>[[ゲキサカ]]記事、「[http://web.gekisaka.jp/news/detail/?101505-103021-fl J初の親子鷹誕生!!川崎Fが風間兄弟の加入を正式発表]」、2012年7月1日付、2017年4月23日閲覧。</ref>。
4月11日に相馬を解任した。[[望月達也]]が監督代行し、同月23日、筑波大監督の[[風間八宏]]が監督に就任した。7月1日に風間監督の長男である[[風間宏希]]と次男の[[風間宏矢]]が入団し、Jリーグ史上初めて同時に父が監督、息子が選手として所属した<ref>[[ゲキサカ]]記事、「[http://web.gekisaka.jp/news/detail/?101505-103021-fl J初の親子鷹誕生!!川崎Fが風間兄弟の加入を正式発表]」、2012年7月1日付、2017年4月23日閲覧。</ref>。


リーグは8位。
レナトがシーズン終盤になってチームにフィットして大車輪の活躍を見せたり、[[大島僚太]]や[[楠神順平]]などの成長があったなど攻撃面では収穫があったが、天皇杯4回戦の大宮戦で前半だけで3点をリードしながらも後半だけで4失点して敗退するなど、守備面で課題を残すシーズンとなった。また本拠の等々力が大型改築に入った。

本拠の等々力が大型改築に入った。


==== 2013年 ====
==== 2013年 ====
:チームスローガン:「'''Wing -勝利に向かって進み続ける-'''」
:チームスローガン:「'''Wing -勝利に向かって進み続ける-'''」
風間体制2年目。12シーズン在籍してきた[[黒津勝]]が[[横浜FC]]へ移籍。前年に主力として活躍した[[山瀬功治]]が京都、[[楠神順平]]がC大阪、[[小松塁]]が大分に、昨シーズン途中から古巣の東京Vに期限付き移籍していた[[柴崎晃誠]]が[[徳島ヴォルティス|徳島]]へそれぞれ完全移籍。同じくシーズン途中から栃木SCへ期限付き移籍していた[[田中雄大 (1988年生のサッカー選手)|田中雄大]]が[[ガイナーレ鳥取|鳥取]]に、[[杉浦恭平]]が[[ヴィッセル神戸|神戸]]へ、[[安藤駿介]]が湘南へ、[[森下俊]]が横浜FCへ期限付き移籍した。
風間体制2年目。[[黒津勝]]が[[横浜FC]][[山瀬功治]]が京都、[[楠神順平]]がC大阪、[[小松塁]]が大分に、昨シーズン途中から古巣の東京Vに期限付き移籍していた[[柴崎晃誠]]が[[徳島ヴォルティス|徳島]]へそれぞれ完全移籍。同じくシーズン途中から栃木SCへ期限付き移籍していた[[田中雄大 (1988年生のサッカー選手)|田中雄大]]が[[ガイナーレ鳥取|鳥取]]に、[[杉浦恭平]]が[[ヴィッセル神戸|神戸]]へ、[[安藤駿介]]が湘南へ、[[森下俊]]が横浜FCへ期限付き移籍した。

補強では横浜FMから[[森谷賢太郎]]、札幌から[[山本真希]]、[[ガンバ大阪|G大阪]]から[[中澤聡太]]、神戸から[[大久保嘉人]]、東京Vから[[新井章太]]を、新外国人としてパトリックを獲得。棗佑喜と薗田淳が期限付き移籍から復帰した。更には風間の強い要望でトレーニングコーチとして[[西本直]]が入閣した(しかし、5月に一身上の都合で退団)。


補強では横浜FMから[[森谷賢太郎]]、札幌から[[山本真希]]、[[ガンバ大阪|G大阪]]から[[中澤聡太]]、神戸から[[大久保嘉人]]、東京Vから[[新井章太]]を、新外国人としてパトリックを獲得。棗佑喜と薗田淳が期限付き移籍から復帰した。風間の強い要望でトレーニングコーチとして[[西本直]]が入閣した(5月に一身上の都合で退団)。
2005年以来となるアウェイでの開幕戦となった柏戦は3-1で敗戦、その後の大分戦は大久保のゴールのみに留まって1-1の引き分けになるなど、6節を終えて勝ち無し(3敗3分)で第3節までは降格圏に低迷する。しかし7節の仙台戦で4-2でリーグ戦初勝利を挙げると、8節の東京戦で敗れた以降は[[FIFAコンフェデレーションズカップ2013|コンフェデレーションズカップ]]によるリーグ戦中断まで5月は5試合負け無しで8位と持ち直した。


[[2013年のJリーグカップ|ナビスコカップ]]では、[[2010年のJリーグカップ|2010年]]以来3シーズンぶりに決勝トーナメント進出を果たした。しかも'''「ACL出場チーム以外のJ1チームでグループリーグ→グループリーグ上位+ACL出場チームで決勝トーナメント」'''というレギュレーションになった2005年以降では、初めて自力で決勝トーナメントに進出<ref>[[2007年のJリーグカップ|2007年]]、[[2009年のJリーグカップ|2009年]]、[[2010年のJリーグカップ|2010年]]はいずれも[[AFCチャンピオンズリーグ]] (ACL) に出場していたため、予選グループを免除されていた。</ref> した。しかし決勝トーナメントで準々決勝の[[ベガルタ仙台|仙台]]こそ危なげなく勝ち進んだものの、準決勝の浦和戦ホーム・等々力での2失点が祟り、2戦合計3-3(アウェーゴール数だけなら0-2)で敗退した。
[[2013年のJリーグカップ|ナビスコカップ]]では、[[2010年のJリーグカップ|2010年]]以来3シーズンぶりに決勝トーナメント進出を果たした。準決勝の浦和戦は2戦合計3-3アウェーゴール数の差で敗退した。


リーグ戦前半戦終了時に首位広島勝点差8の7位だったが、戦に入8月9月9試合連続で連が出来い状態が続き、順位も6位と10位の間を推移する。しかし、第27節名古屋戦から終節までの8試合を3連勝4連勝各1回の7勝1敗。しかも8試合の中唯一敗れた鹿島戦こそ4失点だったもののそれ以外の7試合を1失点以内に抑え、最終節にはホーム・等々力[[横浜F・マリノス|横浜FM]]との神奈川ダービーを制し、3位に浮上<ref>横浜FMは首位でこ試合を迎え、勝てば自力でのJ1優勝を決められたが川崎に敗れ、さらに2位の広島が鹿島に勝ったために順位を逆転され、優勝を逃した。</ref>。スコアレスドローも含めの無失点試合は僅か6と2005年の再昇格以降2番目に少ない数字だったが、その失点数を上回る程の得点力(リーグ2の65得点)を武器に[[AFCチャンピオンズリーグ2014]]出場権を獲得した。
Jリーグ開幕から6戦勝ちなし苦しいスタートとなったが、7節から17節は僅か2敗で8勝1分で前を折返す、後半戦も3試合勝なしから持ち直8試合7勝1敗で締めくくり、最終節で対戦した横浜FMとの[[神奈川ダービー]]1-0で勝利。横浜FMの優勝を阻止しに敗れた3位の鹿島と4の浦和抜い3位に入り[[AFCチャンピオンズリーグ2014]]出場権を獲得した。


天皇杯では[[高知大学]]、[[東京ヴェルディ1969|東京V]]、[[モンテディオ山形|山形]]と格下相手ながら順調に勝ち進み、4年ぶりにベスト8に入る。初のJ1勢との対決となった[[サガン鳥栖|鳥栖]]に延長戦の末敗れた。
天皇杯では[[高知大学体育会サッカー部|高知大学]]、[[東京ヴェルディ1969|東京V]]、[[モンテディオ山形|山形]]順調に勝ち進み、ベスト8[[サガン鳥栖|鳥栖]]に延長戦の末敗れた。


==== 2014年 ====
==== 2014年 ====
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:チームスローガン:「'''OURS'''」
:チームスローガン:「'''OURS'''」
風間体制3年目。J2時代の2001年からチームを支えてきた[[伊藤宏樹]]が現役を引退、[[風間宏矢]]が[[大分トリニータ|大分]]、[[矢島卓郎]]が横浜FM、[[棗佑喜]]が[[松本山雅FC|松本]]、[[風間宏希]]が[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]へ、[[薗田淳]]が札幌、鳥取へ期限付き移籍していた[[田中雄大 (1988年生のサッカー選手)|田中雄大]]が[[水戸ホーリーホック|水戸]]へ完全移籍、[[高木駿]]が千葉へ期限付き移籍、[[アラン・ロペス・ピニェイロ|アラン・ピニェイロ]]、[[ロブソン・ジャヌアリオ・デ・パウラ|ロブソン]]が期限付き移籍期間満了、[[谷尾昂也]](鳥取)[[杉浦恭平]](神戸)が期限付き移籍先に完全移籍、昨年横浜FCに期限付き移籍していた[[森下俊]]は[[ジュビロ磐田|磐田]]に期限付き移籍した。
風間体制3年目。[[伊藤宏樹]]が現役を引退、[[風間宏矢]]が[[大分トリニータ|大分]]、[[矢島卓郎]]が横浜FM、[[棗佑喜]]が[[松本山雅FC|松本]]、[[風間宏希]]が[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]へ、[[薗田淳]]が札幌、鳥取へ期限付き移籍していた[[田中雄大 (1988年生のサッカー選手)|田中雄大]]が[[水戸ホーリーホック|水戸]]へ完全移籍、[[高木駿]]が千葉へ期限付き移籍、[[アラン・ロペス・ピニェイロ|アラン・ピニェイロ]]、[[ロブソン・ジャヌアリオ・デ・パウラ|ロブソン]]が期限付き移籍期間満了、[[谷尾昂也]](鳥取)[[杉浦恭平]](神戸)が期限付き移籍先に完全移籍、昨年横浜FCに期限付き移籍していた[[森下俊]]は[[ジュビロ磐田|磐田]]に期限付き移籍した。


補強は、大分から[[森島康仁]]、横浜FCから[[武岡優斗]]を完全移籍で、栃木から[[パウロ・ロベルト・ゴンサガ|パウリーニョ]]、[[大宮アルディージャ|大宮]]から[[金久保順]]を期限付き移籍で獲得、[[安藤駿介]]が期限付き移籍から復帰、昨年途中に[[特別指定選手]]として登録された[[筑波大学蹴球部|筑波大学]]のMF[[谷口彰悟]]、[[阪南大学サッカー部|阪南大学]]のMF[[可児壮隆]]が入団した。
補強は、大分から[[森島康仁]]、横浜FCから[[武岡優斗]]を完全移籍で、栃木から[[パウロ・ロベルト・ゴンサガ|パウリーニョ]]、[[大宮アルディージャ|大宮]]から[[金久保順]]を期限付き移籍で獲得、[[安藤駿介]]が期限付き移籍から復帰、昨年途中に[[特別指定選手]]として登録された[[筑波大学蹴球部|筑波大学]]のMF[[谷口彰悟]]、[[阪南大学サッカー部|阪南大学]]のMF[[可児壮隆]]が入団した。


[[AFCチャンピオンズリーグ2014|2014年のACL]]では、最初のアウェー2戦([[蔚山現代FC|蔚山現代ホランイ]]、[[ウェスタン・シドニー・ワンダラーズFC]])こそ落としたものの、Jリーグの日程を調整したり<ref>第5節の名古屋戦と、第7節の柏戦はその翌週にあるACLの試合がいずれも火曜日に開催されるので、そのまま土曜開催になると中2日で臨まなければならなかった為。</ref>、ホームで負けなかったのに加え、[[広州恒大淘宝足球倶楽部|広州恒大]]の3冠を阻止した[[中国FAカップ]]王者・[[北京人和足球倶楽部|貴州人和]]にアウェーで勝った事がものを言い、2009年以来5年ぶり3回目の決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメントでは前年のファイナリストである[[FCソウル]]と対戦。等々力での第1戦で2-3で敗れた事で、第2戦こそ2-1で勝利しトータルスコア4-4だったものの、アウェーゴール下回り(川崎の2に対しFCソウルは3)ベスト16で姿を消した。天皇杯は3回戦で[[愛媛FC]]に敗れ、ACL出場に伴い決勝トーナメント準々決勝からの出場となったナビスコカップはC大阪にこそ2戦合計5-4で勝ちあがったものの、小林代表招集で失った準決勝のG大阪に2戦合計4-5で敗れ、準々決勝からの不安材料だった守備の脆さが露呈された形で2年連続準決勝敗退となった。リーグ戦では15節から26節までは僅か2敗ACL出場権争い4以内はキープていたが、終盤は不安定だった。当時首位だった浦和や鳥栖を破ったかと思えば、鬼門である[[新潟スタジアム|デンカビッグスワンスタジアム]]2012年以外ちの無い新潟にあっさり負けたりJ1残留争いを演じる甲府清水とのゲーム先制しながらも2試合続けて逆転負けする有様。おまけに主将の中村が足関節骨棘障害で離脱したのが祟り、中村が先発から外れた最後6試合で1分け3敗と急失速し、得点王を2年連続で獲得した大久保の頑張りも報われず、ACL出場圏も逃し6位に終わった
[[AFCチャンピオンズリーグ2014|2014年のACL]]では3回目の決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメントでは前年のファイナリストである[[FCソウル]]と対戦しトータルスコア4-4だったものの、アウェーゴールの差でベスト16。天皇杯は3回戦で[[愛媛FC]]に敗れる。ナビスコカップは小林代表招集され準決勝のG大阪に2戦合計4-5で敗れ、ベスト4。リーグ戦では15節から26節までは当時首位だった浦和を破る等僅か2敗で突き進みACL圏内位で推移していたが、鬼門だった新潟市のデンカビッグスワンスタジアムでは相変わらずてず当時残留争いを強いられていた甲府清水に2試合逆転負けしたの加え、その清水戦で主将の中村が足関節捻挫で離脱したのも重なり、27節からの8試合で2勝1分け5敗と急失速しまい6位。


==== 2015年 ====
==== 2015年 ====
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補強は、[[ベガルタ仙台|仙台]]から[[角田誠]]、大宮から[[橋本晃司]]、松本から[[船山貴之]]、C大阪から[[杉本健勇]]、[[徳島ヴォルティス|徳島]]から[[松井謙弥]]を完全移籍で、[[アメリカFC (ミナスジェライス州)|アメリカFC]]から[[エルソン・フェレイラ・デ・ソウザ|エウシーニョ]]を期限付き移籍で獲得。ユースから[[板倉滉]]、[[三好康児]]が昇格し、昨年途中に[[特別指定選手]]として登録された[[筑波大学蹴球部|筑波大学]]の[[車屋紳太郎]]、同じく筑波大学の[[中野嘉大]]が入団した。
補強は、[[ベガルタ仙台|仙台]]から[[角田誠]]、大宮から[[橋本晃司]]、松本から[[船山貴之]]、C大阪から[[杉本健勇]]、[[徳島ヴォルティス|徳島]]から[[松井謙弥]]を完全移籍で、[[アメリカFC (ミナスジェライス州)|アメリカFC]]から[[エルソン・フェレイラ・デ・ソウザ|エウシーニョ]]を期限付き移籍で獲得。ユースから[[板倉滉]]、[[三好康児]]が昇格し、昨年途中に[[特別指定選手]]として登録された[[筑波大学蹴球部|筑波大学]]の[[車屋紳太郎]]、同じく筑波大学の[[中野嘉大]]が入団した。
[[4月25日]]のJ1リーグ1st7節[[ヴァンフォーレ甲府]]戦におい[[2000年]]の[[J1リーグ]]初参入から11シーズン余りで、ホーム[[等々力陸上競技場]]でのJ1リーグ戦通算100勝目を達成。
[[4月25日]]のJ1リーグ1st7節[[ヴァンフォーレ甲府]]戦にてホーム[[等々力陸上競技場]]でのJ1リーグ戦通算100勝目を達成。


2000年から社長を務めていた武田信平が会長に就任。後任の社長には藁科義弘が就任した。
2000年から社長を務めていた武田信平が会長に就任。後任の社長には藁科義弘が就任した。


6月には、2007年から6シーズン在籍し、ドイツ・ブンデスリーガ2部[[VfLボーフム]]に所属していた[[田坂祐介]]が3年ぶりに復帰した。
6月には、[[VfLボーフム]]に所属していた[[田坂祐介]]が3年ぶりに復帰した。


1stステージ開幕戦、アウェイ横浜FM戦は3-1で勝利した。ホーム開幕神戸戦は引き分け第3節の山形戦で敗戦を喫するものの4月に入り、2勝1分1敗と調子を取り戻した。9節のFC東京戦では大久保嘉人がJ1の通算得点で横浜FCの三浦知良と肩をべた14節にはアウェイ清水戦で2-5と大敗を喫したが1stステージ終盤に3連勝を飾り1stステージは5位で終えた。
9節のFC東京戦では大久保嘉人がJ1の通算得点で横浜FCの三浦知良と並んだ。終盤に3連勝を飾り1stステージは5位で終えた。


7月にはホーム等々力に香川真司擁するドイツブンデスリーガの強豪ドルトムントを迎えての親善試合を行ったが、試合は香川の得点を含む6 - 0で敗戦、ドイツの強豪を相手に一点も取れずに大敗した。
7月にはホーム等々力に[[香川真司]]擁するブンデスリーガの[[ボルシア・ドルトムント|ドルトムント]]を迎えての親善試合を行ったが、試合は香川の得点を含む0-6で敗戦した。


ナビスコカップでは予選リーグ6節までに2勝1敗2分で終え予選リーグ最終節仙台戦に予選突破の望みを繋いだが仙台に引き分けナビスコカップは予選リーグ敗退となった。
ナビスコカップでは予選リーグ敗退となった。


2ndステージに入り開幕戦はFC東京に勝利したものの開幕戦直後に攻撃の主力レナトが中国・広州富力へ電撃移籍し、その後6節の山形戦で引き分けると3連敗を喫し4試合で2得点と失速した。9月に入り4連勝で16得点を重ね、CS出場への可能性を残したが14節で広島に敗れCS出場の可能性が消滅した。リーグ終盤戦に再び失速し1分2敗したものの最終節は仙台相手に勝利を収め、リーグ戦は2ndステージ7位、年間順位は6位で終えた。また大久保がシーズン23得点を挙げ史上初となる3年連続J1単独得点王に輝き、通算156得点となり[[中山雅史]]の通算得点記録157得点まであと1点に迫ったが惜しくも今シーズンの達成はならなかった。
2ndステージ開幕戦直後にレナトが中国・[[広州城足球倶楽部|広州富力]]へ移籍した。リーグ戦は2ndステージ7位、年間順位は6位で終えた。また大久保がシーズン23得点を挙げ史上初となる3年連続J1単独得点王に輝た。


天皇杯では2回戦で中国リーグ所属の[[松江シティFC]]<ref>松江には谷尾昂也が所属していて、この試合にフル出場し、川崎所属時には実現しなかった等々力での公式戦出場を果たした。出典:ゲキサカ「[http://web.gekisaka.jp/news/detail/?171254-171254-fl 念願の等々力でプレーした松江シティFC FW谷尾「こんな形でできるとは」]」、2015年9月6日付、2017年4月23日閲覧。</ref> に、3回戦でJ2の京都にそれぞれ勝利、4回戦では前年チャンピオンのG大阪と対戦、唯一残されたタイトルだったが0-2と完し天皇杯は4回で姿を消すこととなった
天皇杯では2回戦で中国リーグ所属の[[FC神楽しまね|松江シティFC]]<ref group=注釈>松江には谷尾昂也が所属していて、この試合にフル出場し、川崎所属時には実現しなかった等々力での公式戦出場を果たした。出典:ゲキサカ「[http://web.gekisaka.jp/news/detail/?171254-171254-fl 念願の等々力でプレーした松江シティFC FW谷尾「こんな形でできるとは」]」、2015年9月6日付、2017年4月23日閲覧。</ref> に、3回戦でJ2の京都に勝利、4回戦では前年チャンピオンのG大阪敗戦。


また、等々力陸上競技場のメインスタンド改修工事も完成し、3月のJ1開幕から供用された。これに合わせてチームは新スタンドのグラフィックや断面図をデザインした特別ユニフォームを試合で着用した<ref>川崎フロンターレ、「[http://www.frontale.co.jp/info/2015/0622_16.html 「新メインスタンド完成記念ユニフォーム」着用と販売のお知らせ]」、2015年6月22日付、2017年4月23日閲覧。</ref>。
また、等々力陸上競技場のメインスタンド改修工事も完成し、3月のJ1開幕から供用された。これに合わせてチームは新スタンドのグラフィックや断面図をデザインした特別ユニフォームを試合で着用した<ref>川崎フロンターレ、「[http://www.frontale.co.jp/info/2015/0622_16.html 「新メインスタンド完成記念ユニフォーム」着用と販売のお知らせ]」、2015年6月22日付、2017年4月23日閲覧。</ref>。
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風間体制5年目。[[西部洋平]]が清水、[[船山貴之]]、[[山本真希]]が千葉、[[杉本健勇]]がC大阪、[[山越享太郎]]が栃木、[[實藤友紀]]が[[アビスパ福岡|福岡]]、[[松井謙弥]]が大宮へ完全移籍、湘南に期限付き移籍していた[[可児壮隆]]、千葉に期限付き移籍していた[[安柄俊]]が[[ツエーゲン金沢|金沢]]へ期限付き移籍、[[角田誠]](清水)、[[中澤聡太]](C大阪)、[[森島康仁]]、[[森下俊]](磐田)はそれぞれ期限付き移籍先へ完全移籍、[[福森晃斗]]は札幌への期限付き移籍期間が延長、[[アルトゥール・ブラジリアーノ・マイア|アルトゥール・マイア]]が期限付き移籍期間満了により退団した。
風間体制5年目。[[西部洋平]]が清水、[[船山貴之]]、[[山本真希]]が千葉、[[杉本健勇]]がC大阪、[[山越享太郎]]が栃木、[[實藤友紀]]が[[アビスパ福岡|福岡]]、[[松井謙弥]]が大宮へ完全移籍、湘南に期限付き移籍していた[[可児壮隆]]、千葉に期限付き移籍していた[[安柄俊]]が[[ツエーゲン金沢|金沢]]へ期限付き移籍、[[角田誠]](清水)、[[中澤聡太]](C大阪)、[[森島康仁]]、[[森下俊]](磐田)はそれぞれ期限付き移籍先へ完全移籍、[[福森晃斗]]は札幌への期限付き移籍期間が延長、[[アルトゥール・ブラジリアーノ・マイア|アルトゥール・マイア]]が期限付き移籍期間満了により退団した。


補強は、[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]から[[大塚翔平]]、千葉から[[森本貴幸]]、柏から[[狩野健太]]、京都から[[原川力]]、札幌から昨シーズンFC東京に期限付き移籍していた[[奈良竜樹]]という大島と共に参戦した[[AFC U-23選手権2016]]を制した[[U-23サッカー日本代表]]コンビに加え、[[水原三星ブルーウィングス]]から[[鄭成龍|鄭成龍(チョン・ソンリョン)]]、[[アヴァイFC]]から[[エドゥアルド・ダ・シルヴァ・ナシメント・ネット|エドゥアルド・ネット]]を完全移籍で獲得、[[高木駿]]が期限付き移籍先から復帰、[[順天堂大学]]から[[長谷川竜也]]が入団した。また、昨シーズンまで背番号16をつけていた大島僚太が今シーズンから背番号10をつけることとなり、クラブで初めて日本人選手が10番を付ける事になった。この他、シーズン中に柏から[[カルロス・エドゥアルド・ベンディニ・ジュスティ|エドゥアルド]]を期限付き移籍で獲得した。
補強は、[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]から[[大塚翔平]]、千葉から[[森本貴幸]]、柏から[[狩野健太]]、京都から[[原川力]]、札幌から昨シーズンFC東京に期限付き移籍していた[[奈良竜樹]]、[[水原三星ブルーウィングス]]から[[鄭成龍|鄭成龍(チョン・ソンリョン)]]、[[アヴァイFC]]から[[エドゥアルド・ダ・シルヴァ・ナシメント・ネット|エドゥアルド・ネット]]を完全移籍で獲得、[[高木駿]]が期限付き移籍先から復帰、[[順天堂大学]]から[[長谷川竜也]]が入団した。大島僚太がクラブで初めて日本人選手が10番を付ける事になった。シーズン中に柏から[[カルロス・エドゥアルド・ベンディニ・ジュスティ|エドゥアルド]]を期限付き移籍で獲得した。


1stステージは2位。
1stステージ開幕戦で昨年のリーグ王者広島に勝利すると、ここから7節まで5勝2分と良い出だしを切った、8節は浦和との上位直接対決に敗れたものの、ここから更に5勝2分と好調を維持し1stステージ残り2試合で首位に立ち自力優勝の可能性を残し2位鹿島と勝ち点1差で迎えた16節アウェイでの福岡戦、中村憲剛を怪我で欠く厳しい状況。試合は前半15分までに[[金森健志]]一人に2点を奪われ、最下位福岡相手に2点を追う厳しい展開に、その後2点を返し試合は2-2の引き分けに終わったが鹿島が勝利した為2位となり自力優勝の可能性は消滅した、最終節は大宮に2-0で勝利したものの1stステージ優勝は僅かに届かずステージ順位2位で終えた。


気を取り直して挑んだ2ndステージは小林が好調をキープし、開幕節となる[[仙台スタジアム|ユアテックスタジアム仙台]]での[[ベガルタ仙台|仙台]]戦から[[東京スタジアム (多目的スタジアム)|味の素スタジアム]]で行われたFC東京との多摩川クラシコまで全てゴールを挙げて、迎えた[[平塚競技場|Shonan BMW スタジアム平塚]]で行われた[[湘南ベルマーレ|湘南]]との[[神奈川ダービー]]で2-0とリードして迎えた後半15分、橋本のコーナーキックに頭で合わせ、それまで並び、自身も師匠と敬うジュニーニョのクラブ記録を更新する6試合連続ゴールを挙げた。またその神奈川ダービーも3-2競り勝ち、クラブ史上新記録となる15戦無敗記録、最終的には8月13日に[[鳥栖スタジアム|ベストアメニティスタジアム]]で行われ鳥栖戦で敗れ、8試合連続ゴールかかった小林もノーゴール終わるが無敗を16伸ばした。
2ndステージは小林が開幕節の[[ベガルタ仙台|仙台]]戦から[[湘南ベルマーレ|湘南]]までジュニーニョのクラブ記録を更新する6試合連続ゴールを挙げた。同試合でクラブ史上新記録となる15戦無敗記録たのに加え、17クラブ全て勝利した。


年間2位でクラブ史上初の[[Jリーグチャンピオンシップ]]出場。チャンピオンシップ準決勝で鹿島に0-1で敗れ、総合順位としては年間3位<ref group=注釈>年間勝ち点では3位だった鹿島がチャンピオンシップで優勝し、順位が繰り下がった。</ref> 。
9月25日の横浜FM戦はアディショナルタイムで小林が決勝点を決め劇的勝利。年間勝ち点では13節まで首位を守るものの、終盤戦は不安定な成績となり、勝ち点年間1位の可能性を残していた最終戦のG大阪戦でも逆転負けし<ref>結果として、この試合に勝てば浦和を逆転して年間1位となっていた。</ref>、浦和に次ぐ年間2位でクラブ史上初の[[Jリーグチャンピオンシップ]]出場となった。チャンピオンシップ準決勝はホーム開催となったが、[[金崎夢生]]の一発に沈み鹿島に0-1で敗れ、決勝進出とはならず、総合順位としては年間3位<ref>年間勝ち点では3位だった鹿島がチャンピオンシップで優勝し、川崎の順位が繰り下がった。</ref> でシーズンを終える事となった。一方、[[第96回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]では順調に勝ち進み、準決勝では大宮を下して翌2017年シーズンの[[AFCチャンピオンズリーグ2017|ACL]]本戦出場権獲得を果たした<ref>決勝で対戦する鹿島は既にJ1優勝による本戦出場権を得ていたため、仮に決勝で敗れても天皇杯優勝チームに与えられる本戦出場権が繰り上げで与えられる事になっていた。</ref>。2017年1月1日に行われた天皇杯決勝(クラブ史上初の元日決戦)では、鹿島に先制されるもののその後小林のゴールで追いついて同点とし、延長戦へと持ち込んだものの、この試合を最後に鹿島を退団する[[ファブリシオ・ドス・サントス・メシアス|ファブリシオ]]に決勝点を決められ敗戦、準優勝となった。


[[第96回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は準決勝では大宮を下して翌2017年シーズンの[[AFCチャンピオンズリーグ2017|ACL]]本戦出場権獲得した<ref group=注釈>決勝で対戦する鹿島は既にJ1優勝による本戦出場権を得ていた為、仮に決勝で敗れても天皇杯優勝チームに与えられる本戦出場権が繰り上げで与えられる事になっていた。</ref>。2017年1月1日に行われた天皇杯決勝では準優勝。
なお、J1終盤戦が続いていた10月14日に風間の契約満了に伴う退任、11月7日にコーチを務めていた[[鬼木達]]の来季新監督就任と、{{要出典範囲|Jリーグクラブでは異例となる早期での|date=2019年1月}}翌シーズン体制発表が行なわれていた<ref>11月上旬には大久保のFC東京移籍が公然となり、本人も来季からの移籍を認めていた。なお、公式発表は天皇杯決勝終了後の2017年1月になった。出典:スポニチアネックス、大西純一「[http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2016/11/23/kiji/K20161123013772700.html なぜ川崎F大久保のFC東京移籍がこんなに早く決まったのか]」、2016年11月23日付、2017年4月23日閲覧。</ref>。

10月14日に風間の契約満了に伴う退任、11月7日にコーチを務めていた[[鬼木達]]の来季新監督就任が発表された<ref group=注釈>11月上旬には大久保のFC東京移籍が公然となり、本人も来季からの移籍を認めていた。なお、公式発表は天皇杯決勝終了後の2017年1月になった。出典:スポニチアネックス、大西純一「[https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2016/11/23/kiji/K20161123013772700.html なぜ川崎F大久保のFC東京移籍がこんなに早く決まったのか]」、2016年11月23日付、2017年4月23日閲覧。</ref>。


==== 2017年 ====
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:チームスローガン:'''Paint it Blue'''
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前年の発表通り、[[鬼木達]]が監督に就任。[[大久保嘉人]]がFC東京、[[高木駿]]が[[大分トリニータ|大分]]、金沢へ期限付き移籍していた[[安柄俊]]が[[ロアッソ熊本|熊本]]に移籍。[[原川力]]が鳥栖、[[中野嘉大]]が仙台に期限付き移籍、[[福森晃斗]]が期限付き移籍先の札幌へ完全移籍した。
[[鬼木達]]が監督に就任。[[大久保嘉人]]がFC東京、[[高木駿]]が[[大分トリニータ|大分]]、金沢へ期限付き移籍していた[[安柄俊]]が[[ロアッソ熊本|熊本]]に移籍。[[原川力]]が鳥栖、[[中野嘉大]]が仙台に期限付き移籍、[[福森晃斗]]が期限付き移籍先の札幌へ完全移籍した。


補強は大宮から[[家長昭博]]、G大阪から[[阿部浩之]]、[[アルビレックス新潟|新潟]]から[[フィッツジェラルド舞行龍ジェームズ|舞行龍ジェームズ]]を完全移籍で獲得、[[エドゥアルド・ダ・シルヴァ・ナシメント・ネット|エドゥアルド・ネット]]、[[カルロス・エドゥアルド・ベンディニ・ジュスティ|エドゥアルド]]が完全移籍に移行、ユースから[[田中碧 (サッカー選手)|田中碧]]、[[桐光学園中学校・高等学校|桐光学園高校]]から[[タビナス・ジェファーソン]]、[[愛知学院大学]]から[[知念慶]]が入団した。
補強は大宮から[[家長昭博]]、G大阪から[[阿部浩之]]、[[アルビレックス新潟|新潟]]から[[フィッツジェラルド舞行龍ジェームズ|舞行龍ジェームズ]]を完全移籍で獲得、[[エドゥアルド・ダ・シルヴァ・ナシメント・ネット|エドゥアルド・ネット]]、[[カルロス・エドゥアルド・ベンディニ・ジュスティ|エドゥアルド]]が完全移籍に移行、ユースから[[田中碧 (サッカー選手)|田中碧]]、[[桐光学園中学校・高等学校|桐光学園高校]]から[[タビナス・ジェファーソン]]、[[愛知学院大学]]から[[知念慶]]が入団した。


[[2017年のJ1リーグ|2017年のJ1]]は連敗が一度もなく19節の磐田戦以降15戦を無敗で突き進み、最終節大宮戦では5-0の勝利し、悲願のリーグ優勝。クラブ創設21年目にして初めての主要タイトル獲得を達成した。1999年のJ2発足初年度に所属していたクラブとして初のJ1リーグ優勝<ref>{{Cite web|和書|url=http://number.bunshun.jp/articles/-/829422?page=4 |title=川崎優勝を象徴する最後の5点目。「甘い」と言われても貫いた攻撃姿勢。|publisher=Number Web |date=2017-12-04 |accessdate=2017-12-06}}</ref> Jリーグ史上4チーム目の2年連続勝ち点70以上となり、リーグ優勝が得失点差で決まったのはJリーグ史上初<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sanspo.com/article/20171203-4SH7QQGWWRNOVJZK4472R7EZ3I/ |title=川崎逆転Vは史上初の得失点差決着!2チームならんだ勝ち点72 |publisher=SANSPO.COM |date=2017-12-03 |accessdate=2017-12-06}}</ref>。年間4敗は2005年に1シーズン制が始まってからはリーグ史上最少タイで、4敗でのリーグ優勝は史上最少。得失点差+39でのリーグ優勝は史上最多タイ<ref group=注釈>2ステージ制時代にあたる2015年、2016年、2004年以前を含めても1994年のV川崎(+44)、2015年の広島(+43)、2002年の磐田(+42)、1993年のV川崎(+41)に次いで5番目に多い差である。</ref>。最終節まで1度も首位に立たずに逆転優勝したのは2007年の鹿島に次いで、連勝は長くても3で止まっていた為4連勝以上を記録せずにリーグ優勝を果たしたのは2012年の広島に次いでいずれも史上2例目である。
3シーズンぶりの出場となったACLは[[水原三星ブルーウィングス]]、2度のACL制覇を経験している[[広州恒大淘宝足球倶楽部|広州恒大]]、[[香港プレミアリーグ|香港]]の[[東方足球隊|イースタンSC]]と同組に。ホームでの初戦は小林のゴールで先制するも、オウンゴールでドロー決着。鬼木新体制は1-1で発進することとなった。次節のイースタンSC戦ではPKを献上した奈良が退場するなどして苦しめられるが、板倉のプロ初ゴールによりかろうじて引き分けに持ち込んでいる。ACLに関しては、このあともアウェイ、ホームの2連戦となった広州恒大戦が連続ドローと結果が出ず、グループステージ4戦連続引き分けという珍しい戦績となった。後がない状態で迎えた敵地でのACL第5節水原三星戦は奈良のゴールを守り切り1-0で勝利。自力でのグループステージ突破の可能性が復活すると、最終戦のホームでのイースタンSC戦を4-0で快勝しグループステージを首位で通過した。決勝トーナメント1回戦は[[ムアントン・ユナイテッドFC|ムアントン・ユナイテッド]]との対戦となる。アウェイでの第1戦はタイ特有の蒸し暑さに苦しみ先制点を奪われるものの、中村、小林という新旧キャプテンのゴールで逆転すると阿部が追加点を奪い3-1で逆転勝ち。第2戦も小林、長谷川、エドゥアルド・ネット、ハイネルのゴールで4-1と連勝し、3回目の準々決勝進出を果たす。準々決勝では浦和とのJリーグクラブ同士の対決となり、等々力での第1戦は小林の2ゴールとエウシーニョのACL初得点で3-1と快勝。有利な状況で迎えた[[埼玉スタジアム2002|埼玉スタジアム]]での第2戦もエウシーニョの先制点が決まり、2戦合計4-1と圧倒的に有利な状況に持ち込む。ところが[[興梠慎三]]に同点ゴールを許すと、{{要出典範囲|その興梠に対するチャレンジが危険なプレーとして認定され左サイドバックの車屋が一発退場になると試合はここから暗転した。|date=2019年1月}}[[ズラタン・リュビヤンキッチ|ズラタン]]、[[ラファエル・ダ・シルバ|ラファエル・シルバ]]と立て続けにゴールを奪われ2戦合計4-4と同点に追いつかれると、更に後半41分に[[高木俊幸]]にループシュートを沈められ1−4、2戦合計で4-5と逆転され敗戦。初の準決勝進出を逃す結果となった。


個人では、鬼木が優勝監督賞を受賞したほか<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/201712050000599.html |title=川崎F鬼木監督が優勝監督賞を受賞「うれしく思う」 |publisher=日刊スポーツ |date=2017-12-05 |accessdate=2017-12-06}}</ref>、23得点を記録した小林が最優秀選手賞と得点王を受賞した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=33365 |title=【Jアウォーズ】川崎の小林悠がMVP!! 得点王とダブル受賞は史上6人目の快挙 |publisher=サッカーダイジェストWeb |date=2017-12-05 |accessdate=2017-12-06}}</ref>。また小林に加え、エウシーニョ、車屋、中村がベストイレブンに<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/201712050000647.html |title=小林悠ら川崎Fから最多4人/ベストイレブン一覧 |publisher=日刊スポーツ |date=2017-12-06 |accessdate=2017-12-06}}</ref>、さらにこの4人に加え、谷口、阿部、大島の7選手が優秀選手賞に<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20171203/678457.html |title=JリーグがJ1優秀選手賞33名を発表! 鹿島から最多8名選出 |publisher=サッカーキング |date=2017-12-03 |accessdate=2017-12-06}}</ref> それぞれ選出された。
[[Jリーグカップ|ルヴァンカップ]]ではACL出場に伴って決勝トーナメントからの出場となる。初戦のFC東京には2戦合計7-1と大勝して3年ぶりに準決勝に進出する。
準決勝の相手はクラブ史上初のベスト4に勝ち進んだ仙台だった。ユアスタでの第1戦では前半は0-3と大量リードを許したが、後半アディショナルタイムにルーキーの知念がプロ初ゴールを奪うなど2-3とした。勝利が最低条件となる等々力での第2戦では三好が今シーズン初ゴールを決めたが、後半に奈良が退場し一時は2戦合計4-4となる苦しい展開となるも{{要出典範囲|ACLの敗退の反省を生かして逃げ切りを図り、|date=2019年1月}}途中出場の長谷川の追加点で試合を決定づけた。苦しみながらも若手の活躍もあり、結局2戦合計5-4とし、前身のヤマザキナビスコカップを含めて8年ぶり4度目の決勝進出を果たした。
決勝戦は2017年シーズンに限っていえば、リーグ戦では1勝1敗のイーブンの成績ながらも鳥栖時代から通算成績で3勝5敗と相性の良くない[[尹晶煥]]率いるC大阪だった。
試合は{{要出典範囲|奈良を出場停止で欠く最終ラインに開始1分でミスが発生。エドゥアルドがクリアを焦って空振りしこれを杉本に決められて先制を奪われる。|date=2019年1月}}シュート数で言えば6本だったC大阪の倍近い11本を放つが、最後まで得点を挙げられず。逆に同点ゴールを狙う後半アディショナルタイムにカウンターを受け、[[エリアス・バルボサ・デ・ソウザ|ソウザ]]に決定的な追加点を奪われた。川崎は0−2で敗れ、2000年、2007年、2009年に続きまたしても決勝で無得点のまま敗戦し、準優勝となった。


3シーズンぶりの出場となったACLは[[水原三星ブルーウィングス]]、[[広州足球倶楽部|広州恒大淘宝]]、[[香港プレミアリーグ|香港]]の[[東方足球隊]]と同組。グループステージを首位で通過した。決勝トーナメント準々決勝では浦和とのJリーグクラブ同士の対決で第1戦は3-1で勝利、第2戦もエウシーニョのゴールで先制するも[[興梠慎三]]のゴールで1-1の同点にされると車屋が退場した事で10人となってしまい、[[ズラタン・リュビヤンキッチ|ズラタン]]、[[ラファエル・ダ・シルバ|ラファエル・シルバ]]に続け様にゴールを奪われて遂に2戦合計でも4-4と同点に追いつかれると、後半41分に[[高木俊幸]]に決められて2戦合計で4-5と2戦合計4-1からの逆転負けでベスト8敗退となってしまった。
[[2017年のJ1リーグ|2017年のJ1]]は、{{要出典範囲|チームの得点源だった大久保がFC東京に移籍した事により、その大久保の穴埋めが懸念されていたが、|date=2019年1月}}チームキャプテンの小林が大久保に代わり、チームの得点源として活躍。開幕戦のアウェー・大宮戦に2-0で勝利する。前半戦こそはエドゥアルドが右肩関節反復性脱臼で手術を行い4か月ほど離脱したり、エウシーニョが2月に脛骨骨折、舞行龍ジェームスが右膝外側半月板損傷で離脱し、その後国内の公式戦をほぼ全休する等故障者が続出してリーグ順位が一時9位になる等、苦しい展開があったものの、シーズン通じて連敗は無かった。また、課題だった守備もシーズンが進むにつれ改善された。怪我人が戻り{{要出典範囲|序盤は故障で出遅れた一人である家長がフィットしだした|date=2019年1月}}J1第19節での敗戦以降は、リーグ戦では15試合負けなかった。{{要出典範囲|また連勝は最長でも3止まりだったものの、チャンスをものにして大量得点を奪っての完封勝ちの多さでカバーした。|date=2019年1月}}
J1第21節終了時点では、首位だった鹿島との勝ち点の差は最大7点差だったが鹿島が勝ちきれない試合が多くなるにつれ、鹿島との勝ち点の差はどんどん小さくなっていった。第29節のホーム等々力での仙台戦では、チームは退場者を出しながらも後半37分以降の5分間で3得点を決め、0-2のビハインドからの逆転勝利を飾り、第32節のホーム等々力でのG大阪戦では{{要出典範囲|シュートを25本近く放つもゴールを奪えずにいたが、後半37分にコーナーキックからエウシーニョが25本目のシュートで点をとり、1-0で勝ち点3を取り切り勝負強さを発揮したシーズンでもあった。|date=2019年1月}}第33節では、アウェーでの浦和戦([[11月29日]])に1-0で勝利し、鹿島がホームでの柏戦([[11月26日]])では引き分けに終わった為、首位・鹿島との勝ち点の差が2に縮まった。


[[Jリーグカップ|ルヴァンカップ]]ではACL出場に伴って決勝トーナメントからの出場。初戦の[[FC東京]]には2戦合計7-1で3年ぶりに準決勝に進出。準決勝は[[ベガルタ仙台]]と対戦。第1戦の前半は0-3とリードを許したが、後半アディショナルタイムに知念がプロ初ゴールを奪う等2-3として望みを繋ぐと等々力での第2戦では三好がシーズン初ゴールを決めたが、後半にセンターバックの奈良が退場し一時は2戦合計4-4となるも途中出場の長谷川の追加点で2戦合計5-4とし、8年ぶり4度目の決勝進出を果たした。決勝戦は[[セレッソ大阪]]と対戦。早々に奈良に代わって先発のエドゥアルドがクリアを空振りした末杉本に先制ゴールを奪われ、その後も得点を奪えずアディショナルタイムに前掛かりになった所をカウンターで[[エリアス・バルボサ・デ・ソウザ|ソウザ]]にゴールを奪われ試合終了。Jリーグカップ決勝で史上初の4試合ノーゴール<ref>それまでは浦和の3回(PK戦まで縺れ込んだ[[2004年のJリーグカップ|2004年]]、[[2011年のJリーグカップ|2011年]]、[[2013年のJリーグカップ|2013年]])が最多である。</ref> かつJリーグカップ決勝の連敗が最長の4となった。
そして迎えたJ1最終節ではホーム等々力での大宮戦では開始早々前半1分に阿部が先制点を記録、さらに小林がハットトリックを決め最後は長谷川が締めのゴールを挙げ川崎が5-0と大勝した。一方の鹿島はアウェー・磐田と対戦し、0-0のスコアレスドローに終わった。この結果、川崎は鹿島とは[[勝ち点]]72で並んだものの、得失点差では鹿島の+22を上回る+39だったため、順位が逆転、1999年のJ2発足初年度に所属していたクラブとして史上初のJ1リーグ優勝<ref>{{Cite web|url=http://number.bunshun.jp/articles/-/829422?page=4 |title=川崎優勝を象徴する最後の5点目。
「甘い」と言われても貫いた攻撃姿勢。 |publisher=Number Web |date=2017-12-04 |accessdate=2017-12-06}}</ref> と磐田、柏に続き[[オリジナル10|1993年のJリーグ開幕時に所属していたクラブ]]以外で3クラブ目のJ1リーグ優勝、クラブ創設21年目にして初めての主要タイトル獲得を達成した。リーグ優勝が得失点差で決まった(優勝と2位の勝ち点が等しかった)のはJリーグ史上初である<ref>{{Cite web |url=http://www.sanspo.com/soccer/news/20171203/jle17120303090007-n1.html |title=川崎逆転Vは史上初の得失点差決着!2チームならんだ勝ち点72 |publisher=SANSPO.COM |date=2017-12-03 |accessdate=2017-12-06}}</ref>。また得失点差の+39はチーム史上最多、総失点32はチーム史上最少<ref>{{Cite web |url=http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20171203/678223.html |title=【コラム】昨季と異なる“強さ”を示した川崎…転換点となった夜、指揮官が発したある一言とは |publisher=サッカーキング
|date=2017-12-03 |accessdate=2017-12-06}}</ref>、年間4敗はリーグ史上最少であった。シーズン中一度も首位に立つことなく最終節で首位になり逆転優勝を果たした。これは07年シーズンの鹿島以来10年ぶり2回目のことであった。

個人では、鬼木が優勝監督賞を受賞したほか<ref>{{Cite web |url=http://www.nikkansports.com/soccer/news/201712050000599.html |title=川崎F鬼木監督が優勝監督賞を受賞「うれしく思う」 |publisher=日刊スポーツ |date=2017-12-05 |accessdate=2017-12-06}}</ref>、最終節前は杉本に2ゴール差をつけられながらハットトリックを達成し23得点を記録し得点ランキングトップに立った小林が、Jリーグ史上6人目となる最優秀選手賞と得点王とのダブル受賞を達成した<ref>{{Cite web |url=http://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=33365 |title=【Jアウォーズ】川崎の小林悠がMVP!! 得点王とダブル受賞は史上6人目の快挙 |publisher=サッカーダイジェストWeb |date=2017-12-05 |accessdate=2017-12-06}}</ref>。また小林に加え、エウシーニョ、車屋、中村がベストイレブンに<ref>{{Cite web |url=http://www.nikkansports.com/soccer/news/201712050000647.html |title=小林悠ら川崎Fから最多4人/ベストイレブン一覧 |publisher=日刊スポーツ |date=2017-12-06 |accessdate=2017-12-06}}</ref>、さらにこの4人に加え、谷口、阿部、大島の7選手が優秀選手賞に<ref>{{Cite web |url=http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20171203/678457.html |title=JリーグがJ1優秀選手賞33名を発表! 鹿島から最多8名選出 |publisher=サッカーキング |date=2017-12-03 |accessdate=2017-12-06}}</ref> それぞれ選出された。


==== 2018年 ====
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:チームスローガン:'''GO Sensational !'''
:チームスローガン:'''GO Sensational !'''


鬼木体制2年目。[[狩野健太]]、[[大塚翔平]]が契約満了、中村に次いで2番目に長く在籍した井川が[[香港プレミアリーグ|香港]]のイースタンSC、[[森本貴幸]]が[[アビスパ福岡|福岡]]、[[日本フットボールリーグ|JFL]]・[[FC今治|今治]]へ期限付き移籍していた[[可児壮隆]]が[[ガイナーレ鳥取|鳥取]]へ完全移籍、[[板倉滉]]が仙台、[[三好康児]]が札幌に期限付き移籍、[[中野嘉大]](仙台)、原川が期限付き移籍先の鳥栖へ完全移籍、[[ハイネル・サントス・ナシメント|ハイネル]]が期限付き移籍期間満了で退団した。
鬼木体制2年目。[[狩野健太]]、[[大塚翔平]]が契約満了、[[井川祐輔]]が[[香港プレミアリーグ|香港]]の東方足球隊、[[森本貴幸]]が[[アビスパ福岡|福岡]]、[[日本フットボールリーグ|JFL]]・[[FC今治|今治]]へ期限付き移籍していた[[可児壮隆]]が[[ガイナーレ鳥取|鳥取]]へ完全移籍、[[板倉滉]]が仙台、[[三好康児]]が札幌に期限付き移籍、[[中野嘉大]](仙台)、原川が期限付き移籍先の鳥栖へ完全移籍、[[ハイネル・サントス・ナシメント|ハイネル]]が期限付き移籍期間満了で退団した。


補強はFC東京から2シーズンぶりに加入する大久保をはじめ、鹿島<ref>昨シーズンはG大阪へ期限付き移籍</ref> から[[赤崎秀平|赤﨑秀平]]、[[モンテディオ山形|山形]]から[[鈴木雄斗]]、いずれも神奈川ダービーのライバルで[[湘南ベルマーレ|湘南]]から[[下田北斗]]、横浜FMから[[齋藤学]]を完全移籍で獲得。[[ポープ・ウィリアム]]が完全移籍に移行し、[[阪南大学]]から[[脇坂泰斗]]、[[流通経済大学]]から[[守田英正]]が入団した。
補強はFC東京から2シーズンぶりに加入する大久保、横浜FMから[[齋藤学]]、鹿島<ref group=注釈>昨シーズンはG大阪へ期限付き移籍</ref> から[[赤崎秀平|赤﨑秀平]]、[[モンテディオ山形|山形]]から[[鈴木雄斗]]、[[湘南ベルマーレ|湘南]]から[[下田北斗]]を完全移籍で獲得。[[ポープ・ウィリアム]]が完全移籍に移行し、[[阪南大学]]から[[脇坂泰斗]]、[[流通経済大学]]から[[守田英正]]が入団した。


初出場した[[FUJI XEROX SUPER CUP]]では、昨年のYBCルヴァンカップ決勝でも戦ったC大阪と対戦。[[山口蛍]]、[[清武弘嗣]]にゴールを決められ2点を先行され、1点を返すも[[高木俊幸]]に追加点を奪われ、小林、大久保のゴール実らず2-3で敗れ準優勝。
初出場した[[スーパーカップ (日本サッカー)|FUJI XEROX SUPER CUP]]では、C大阪と対戦。小林、大久保が得点するも2-3で敗れ準優勝。


リーグ戦では、代表活動による中断明け最初の上位決戦に当たる第5節の広島戦で初黒星を喫したが、[[2017年のJ1リーグ|昨年]]の第20節のFC東京戦から[[2018年のJ1リーグ|今年]]の第4節の[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]戦までクラブ新記録となる19試合連続無敗となっただがその反面、優勝を争った鹿島と共に2年連続で出場した[[AFCチャンピオンズリーグ2018]]では、[[Aリーグ|ヒュンダイ・A・リーグ]]2位だった[[メルボルン・ビクトリーFC|メルボルン・クトリー]]、[[中国サッカー・スーパーリーグ|中国スーパーリーグ]]2位の[[上海集団足球倶楽部|上海上港]]、[[韓国FAカップ]]優勝の[[蔚山現代FC|蔚山現代]]と同組であったが、[[上海体育場]]での上海上港戦の試合前にグループステージ敗退が決定その後も上海上港戦は先制点を奪われて知念のゴーで引き分けた。最終戦の蔚山現代戦は怪我からの復帰を果たした武岡や舞行龍ジェームス、新戦力の鈴木と下田と斎藤を先発させ、その鈴木、既存戦力の長谷川のゴールで2点リーで前半を折り返すも、後半は一転して蔚山現代ペースを奪われ2失点で引き分けに終わった。これにより{{要出典範囲|2004年からACLホームアンドアウエー方式なってからは日本サッカー史上3チーム目の'''グループステージ勝利な'''に終わる不名誉な記録を残して大会を去った。|date=2019年1月}}
リーグ戦では、[[2017年のJ1リーグ|昨年]]の第20節のFC東京戦から第4節の[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]戦までクラブ新記録となる19試合連続無敗を記録。2年連続で出場した[[AFCチャンピオンズリーグ2018]]では、[[Aリーグ|ヒュンダイ・A・リーグ]]2位だった[[メルボルン・ビクトリーFC|メルボルン・ヴィクトリー]]、[[中国サッカー・スーパーリーグ|中国スーパーリーグ]]2位の[[上海港足球倶楽部|上海上港集団]]、[[韓国FAカップ]]優勝の[[蔚山HD FC|蔚山現代]]と同組であったが、グループステージ敗退。エドゥアルド・ネットが名古屋に、大久保磐田移籍した。
ACLの敗退後、鹿島、敵地での鳥栖、神戸と連勝したものの、浦和には2点を奪われ、多摩川クラシコのFC東京には6年ぶりに等々力で敗れ、鬼木体制初の連敗を喫し当時首位だった広島との勝ち点差がシーズン最多の13に広がった。さらにエドゥアルド・ネットが名古屋に、大久保が磐田に移籍と{{要出典範囲|攻撃面で痛い流出を強いられた。|date=2019年1月}}


ACLに出場していた関係で2年連続で決勝トーナメントからの出場で、決勝進出を目指した[[2018年のJリーグカップ|YBCルヴァンカップ]]では鹿島と対戦。カシマスタジアムでの準々決勝1stレグでは開始19分で先制を許すも、その12分後に[[知念慶]]がPKを決めて1-1のドロー。しかしホームの等々力が陸上大会で使われる為使用出来ず、[[FC東京]]のホーム・味の素スタジアムで開催された2ndレグでは、前半に2ゴールを奪われ、後半阿部のゴールで1点を返すも新加入の[[セルジオ・アントニオ・ソレール・デ・オリヴェイラ・ジュニオール|セルジーニョ]]にとどめのゴールを奪われタイムアップし、準々決勝敗退となった
ACLに出場していた関係で2年連続で決勝トーナメントからの出場で、[[2018年のJリーグカップ|YBCルヴァンカップ]]では鹿島と対戦。カシマスタジアムでの準々決勝1stレグでは開始19分で先制を許すも、その12分後に[[知念慶]]がPKを決めて1-1のドロー。しかしホームの等々力が第87回日本学生陸上競技対校選手権大会で使われる為使用出来ず、味の素スタジアムで開催された2ndレグでは、前半に2ゴールを奪われ、後半阿部のゴールで1点を返すも準々決勝敗退。


天皇杯は準々決勝で山形に2-3敗戦。
しかし、その後のリーグ戦では、{{要出典範囲|エドゥアルド・ネットの放出が当時ルーキーだった守田のレギュラー定着に拍車をかけ、攻撃陣も優勝の原動力となった小林の1トップに家長、中村、阿部の2列目に戻した事で昨年同様に大久保の不在を感じさせず、中断明け以降連勝が2で止まっても中断前は4つあった負け数を減らし地道に勝ち点を稼ぐ事でカバー。|date=2019年1月}}8月19日の広島戦で逆転勝利を収めたのに続き、広島が26節の鳥栖戦以降7試合で1しか稼げなかった間勝ち点を縮め続け、9月29日の第28節[[V・ファーレン長崎|長崎]]戦に勝利したことで広島に代わり首位浮上。11月3日の第31節柏戦でクラブ史上初の柏戦ダブル(ホーム・アウェー共に勝つ事)を達成したのに続き史上最長の3年連続ACL出場権獲得(3位以内)を確定させ、連覇に王手をかけると11月10日に行われた第32節のC大阪戦で、勝てば自力での優勝が決まる状況で1-2で敗れたものの、広島も敗れた為、2010年の名古屋、2012年の広島に続いて史上3例目となる最終節を待たずしてのリーグ優勝を達成した。これにより、Jリーグ史上5チーム目、[[オリジナル10]]以外では史上初となる連覇を果たした。最終的に得点数(57得点)と失点数(27失点、Jリーグ史上3位<ref>2008年の大分が24失点、2011年の仙台が25失点である。</ref> )と両項目でリーグトップを記録した。


リーグ戦は、11月3日の第31節柏戦で3-0で勝利しクラブ史上初となる3年連続ACL出場権獲得を確定させ、11月10日に行われた第32節のC大阪戦で敗れたものの、広島も仙台に0-1で敗れた為、史上3例目となる最終節を待たずしてのリーグ優勝を達成した。これにより、Jリーグ史上5チーム目、[[オリジナル10]]以外では史上初となるJリーグ連覇を果たした。歴代のリーグ優勝チームの中で、2005年にJリーグが1シーズン制になってからは2015年からの2年間を除いて2位に12の勝ち点差をつけて優勝したのは史上最大である<ref group=注釈>2ステージ制時代にあたる2015年、2016年、2004年以前を含めてもJリーグに勝ち点制が導入された1995年以降では2位・横浜FMに16の勝ち点差をつけて優勝した2002年の磐田に次いで2番目である。</ref>。得点数(57得点)と失点数(27失点と2年連続でクラブ史上最少を更新、当時Jリーグ史上3位<ref group=注釈>2008年の大分が24失点、2011年の仙台と2019年のC大阪がいずれも25失点である。</ref> )と両項目でリーグトップを記録したのも最後の中断期間を挟まずにリーグ優勝を決めたのもいずれもJリーグ史上初である。
====2019年====

2年連続出場で平成最後の[[FUJI XEROX SUPER CUP]]では、天皇杯王者の浦和と対戦。新加入の[[レアンドロ・ダミアン]]が決勝点を挙げ、去年果たせなかったFUJI XEROX SUPER CUP初優勝を飾った<ref>因みに2019年のFUJI XEROX SUPER CUPの入場者数は52587人と21世紀に入ってからは最多、1995年の[[東京ヴェルディ1969|V川崎]]対[[湘南ベルマーレ|平塚(今の湘南)]]戦に記録した53167人に次ぐ記録である。</ref>。
==== 2019年 ====
:チームスローガン:'''EVER BLUE'''
鬼木体制3年目。武岡優斗、田坂祐介、森谷賢太郎、エウシーニョが契約満了、エドゥアルドが松本、仙台に期限付き移籍していた板倉滉が[[マンチェスター・シティFC|マンチェスター・シティ]]へ完全移籍、札幌に期限付き移籍していた三好が横浜FMに期限付き移籍、ポープ・ウィリアムが大分に期限付き移籍、赤崎秀平が名古屋に期限付き移籍、タビナス・ジェファーソンが岐阜に期限付き移籍した。

補強は[[藤嶋栄介]]を山口から、[[ジェジエウ・カルドソ・ミランダ|ジェジエウ]]を[[パラナ・クルーベ]]からそれぞれ期限付き移籍、[[マグノ・ジョゼ・ダ・シルバ|マギーニョ]]を[[ヴィラ・ノヴァFC]]から、元ブラジル代表でロンドン五輪の得点王の[[レアンドロ・ダミアン・ダ・シウバ・ドス・サントス|レアンドロ・ダミアン]]を[[SCインテルナシオナル]]から、[[馬渡和彰]]を広島から、[[山村和也]]をC大阪からそれぞれ完全移籍で獲得。[[昌平中学・高等学校|昌平高校]]から[[原田虹輝]]が入団。

2年連続出場となった[[スーパーカップ (日本サッカー)|FUJI XEROX SUPER CUP]]では、天皇杯優勝の浦和と対戦。レアンドロ・ダミアンが決勝点を挙げ、初優勝を飾った<ref group=注釈>因みに2019年のFUJI XEROX SUPER CUPの入場者数は52587人と21世紀に入ってからは最多、1995年の[[東京ヴェルディ1969|V川崎]]対[[湘南ベルマーレ|平塚(今の湘南)]]戦に記録した53,167人に次ぐ記録である。</ref>。

[[AFCチャンピオンズリーグ2019|ACL]]ではシドニーFC、上海上港、蔚山現代と同組。グループリーグ3位で決勝T進出を逃した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.goal.com/jp/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9/j%E7%8E%8B%E8%80%85%E5%B7%9D%E5%B4%8Ef%E3%81%AE%E3%81%BFacl%E6%95%97%E9%80%80%E9%B9%BF%E5%B3%B6%E3%81%8C%E9%80%9A%E9%81%8E%E3%81%AA%E3%82%89%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8B%A23%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%8916%E5%85%A5%E3%82%8A/1je7iynwrvbea1a55zjc7ydlse|title=J王者・川崎FのみACL敗退…鹿島が通過なら日本勢3チームラウンド16入り|publisher=GOAL|date=2019-05-21|accessdate=2019-05-22}}</ref>。

7月19日、[[チェルシーFC]]と「[[Jリーグワールドチャレンジ|明治安田生命Jリーグワールドチャレンジ2019]]」にて対戦。ダミアンのゴールで1-0で勝利した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jleague.jp/match/jwc/2019/071902/live/|title=7/19「明治安田生命Jリーグワールドチャレンジ2019」試合結果|publisher=公式サイト|date=2019-07-19|accessdate=2019-07-19}}</ref>。

天皇杯では、神戸に敗れ4回戦で敗退。

YBCルヴァンカップは3年連続で決勝トーナメントから出場。前任の風間が率いる名古屋に等々力での第1戦は2-0で勝利し、[[名古屋市瑞穂公園陸上競技場|パロマ瑞穂スタジアム]]での第2戦は2-2で引き分け準決勝進出、準決勝は鹿島に等々力での第1戦は3-1で逆転勝ちし、第2戦はスコアレスドローで2年ぶりの決勝戦に進出した。決勝戦で[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]と対戦。前半10分に先制されるが、アディショナルタイムに脇坂のコーナーキックから阿部が押し込んでJリーグカップ決勝で初めての得点を挙げて前半を折り返す。後半43分に途中出場の小林が逆転弾を決めたが、後半アディショナルタイムにゴールキーパーの[[具聖潤]]も上がったコーナーキックから[[深井一希]]にヘディングで叩き込まれて2-2の同点となり延長戦に突入。延長前半4分に谷口が[[チャナティップ・ソングラシン|チャナティップ]]の突破を止めたシーンで一度はイエローカードを提示されたが、その後VARの末に決定機阻止としてレッドカードが提示された。その直後のFKを試合前まで過去3年のJ1で当時6発決めている福森に直接決められ2-3と勝ち越されるが、延長後半4分に中村のコーナーキックから山村のシュート性で折り返した所を小林が合わせ史上8人目のJリーグカップ決勝で2ゴール<ref group=注釈>Jリーグカップの決勝で2ゴールを挙げたのは、唯一決勝がホームアンドアウエー制度だった1997年の[[バルデマール・アウレリアーノ・デ・オリベイラ・フィリョ|マジーニョ]]、1998年の[[川口信男]]、2003年の[[マルシオ・パッソス・ジ・アルブケルケ|エメルソン]]、2010年の[[前田遼一]]、2012年の[[柴崎岳]]、2014年の[[佐藤寿人]]と[[アンデルソン・パトリック・アグウイアル・オリベイラ|パトリック]]で何れも先発で2ゴールを挙げているので、途中出場での2ゴールは史上初である。</ref>。その後のPK戦では4番手の車屋が失敗するも新井が札幌の5番手・[[石川直樹 (サッカー選手)|石川直樹]]を横っ飛びで防ぐとサドンデス戦で6番手の[[進藤亮佑]]も防ぎ5度目の決勝にして初優勝<ref group=注釈>因みにJリーグカップ決勝の歴史上PK戦はこの試合も含めて7例あり、いずれも先に失敗したクラブは全て準優勝となっている為、先に失敗したクラブが逆転で制して優勝したのはJリーグカップ史上初。準々決勝と準決勝を含めても[[2018年のJリーグカップ|2018JリーグYBCルヴァンカップ]]準決勝の湘南対柏戦以来2例目である。</ref>([[2019年のJリーグカップ#決勝]]の欄も参照)。鬼木は国内3大タイトルを3年連続で獲得した日本人監督<ref group=注釈>因みに外国人監督も合わせると、日本人ではG大阪時代の西野(2007年から2009年)、ブラジル人ではいずれも鹿島時代の[[トニーニョ・セレーゾ]](2000年から2002年)と[[オズワルド・オリヴェイラ]](2007年から2011年の在任期間全て)、第1次柏時代の[[ネルソン・バプティスタ・ジュニオール|ネルシーニョ]](2011年から2013年)に続いて5人目である。</ref> となった。

[[2019年のJ1リーグ|リーグ戦]]では、第5節の[[松本山雅FC|松本]]戦から第20節の[[大分トリニータ|大分]]戦まで15試合連続無敗を記録。6月30日に行われた第17節の磐田戦に3-1で勝利した事で関塚、風間に次いでクラブ史上3人目のJ1監督通算50勝を84試合目というクラブ史上最速<ref group=注釈>因みに関塚は103試合目で、風間は106試合目で監督通算50勝を達成している。</ref> で達成したが、上位3クラブがホームで10勝以上(横浜FMとFC東京が12勝、鹿島が11勝)挙げた一方で残留争いを強いられたクラブを中心に下位(10位以下)から7分1敗と勝ち点を取り零し、この内6クラブにホームで引き分けて<ref>名古屋、浦和、札幌、鳥栖、J2に降格した松本、清水</ref> シーズン12分け<ref group=注釈>2005年にJ1再昇格を果たしてからどころかJ2にいた頃を含めてもJ2優勝を果たした1999年は1分け、2002年は4分け、2003年は5分け、2度目のJ2優勝を果たした2004年に至っては引き分けがなかったので、ホーム・等々力での9分けはJリーグ加盟後クラブ史上最多である。</ref> と勝ちきれない試合が多く、等々力での勝利数は5勝どまり。負け数が1つ減ったにも関わらず年間順位は4位と鹿島が上位3チームの中で唯一天皇杯の決勝に進出していた為、ACL出場権獲得に望みを繋いでいたが、鹿島は決勝で神戸に0-2で敗れた為4年連続のACL出場権獲得は果たせなかった。

==== 2020年 ====
:チームスローガン:'''GET NEXT 青き意志とともに。'''

鬼木体制4年目。新井章太が千葉、奈良竜樹が鹿島、名古屋にレンタル移籍していた赤崎秀平が仙台、阿部浩之が名古屋へそれぞれ完全移籍、長崎にレンタル移籍していたカイオ・セザールがレンタル移籍期間を延長し、ポープ・ウィリアムが岡山に、タビナス・ジェファーソンがG大阪に、鈴木雄斗が松本に、マギーニョが横浜FC、馬渡和彰が湘南へ、知念慶が大分にそれぞれ期限付き移籍した。また[[本田技研工業株式会社フットボールクラブ|Honda FC]]から[[遠野大弥]]を完全移籍で獲得し[[アビスパ福岡|福岡]]へ、[[宮城天]]はユースから昇格し[[カターレ富山|富山]]へそれぞれ期限付きで移籍した。

補強は宮代大聖が復帰。レンタルで加入していた藤嶋、馬渡洋樹、ジェジエウを完全移籍で契約<ref group=注釈>その後、馬渡洋樹は3月21日に[[ファジアーノ岡山FC|岡山]]に完全移籍、藤嶋は9月28日に契約解除した。</ref>。ジオゴ・マテウス、イ・キョンテを期限付き移籍、[[丹野研太]]、[[山根視来]]を完全移籍で獲得<ref group=注釈>イ・キョンテの獲得は10月8日。</ref>。[[筑波大学蹴球部|筑波大学]]から[[三笘薫]]、[[順天堂大学]]から[[旗手怜央]]、[[東海学園大学]]から[[神谷凱士]]、[[桐蔭横浜大学]]から[[イサカ・ゼイン]]が入団した。

[[2020年のJ1リーグ|リーグ戦]]は鳥栖と引き分け開幕戦引き分けが8年連続に伸びたものの、[[SARSコロナウイルス2|新型コロナウイルス]]の影響で国内全ての公式戦が中断。8月15日の札幌戦で三笘と小林がそれぞれ2ゴールを挙げJ1で途中出場選手の2人が複数得点を挙げた史上初の記録。また小林がジュニーニョの持っていたクラブ最多得点記録を更新した。第11節[[セレッソ大阪|C大阪]]戦では10連勝を達成。引き分けの制度が導入された現行の2003年以降では同一シーズンでのJ1新記録を達成した。第22節の広島戦を2-0で勝利しJリーグ史上初となる2度目の10連勝を記録。第25節のFC東京戦に勝利して12連勝を達成。クラブ史上初の神奈川ダービー(横浜FM、横浜FC、湘南)6戦全勝。11月25日、G大阪戦で5-0で勝利し2年ぶり3回目のリーグ優勝。4試合を残しての優勝はJ1史上最速。2006年に記録した延長戦廃止後の2003年以降のシーズン最多得点記録(84ゴール)を更新し、88ゴールと2回戦総当たりになった1996年以降では2位、延長戦が廃止された2003年以降では最多記録を更新した。シーズン3敗はJリーグ開幕後最小、シーズン26勝は2回戦総当たり制の現行ルールで最多記録。得失点差+57で優勝したのは1993年以降、2位に18の勝ち点差をつけて優勝したのはJリーグに勝ち点制が導入された1995年以降いずれもリーグ新記録。44試合制だった[[2004年のJリーグ ディビジョン2|2004年のJ2]]でも104ゴールとJ2のシーズン最多得点記録を更新して優勝した為、J1とJ2でシーズン最多得点での優勝はJリーグ史上初である。また鬼木は国内3大タイトルを4年連続で獲得した史上初の日本人監督となった<ref group=注釈>全ての監督を含めても鹿島時代の在任期間(2007年から2011年)全てで獲得したオリヴェイラ以来2人目である。</ref>。

個人では、鬼木が2年ぶりに優勝監督賞、家長、三笘、守田、田中、谷口、ジェジエウ、山根、登里、鄭成龍がベストイレブンに、さらにこの9人に加え、レアンドロ・ダミアン、小林、脇坂、大島の4選手が優秀選手賞にそれぞれ選出された。なおベストイレブンに9人選出されたのは1クラブ当たりの選出数としては史上最多である。

[[2020年のJリーグカップ|YBCルヴァンカップ]]は4年ぶりのグループステージステージからの参加で4年連続のプライムステージ進出。ベスト8の神戸戦では[[御崎公園球技場|ノエビアスタジアム]]で6-0とJリーグカップ決勝トーナメントのアウェイチーム最多得点差で勝利するも準決勝戦でFC東京に敗れてベスト4。

100回目の天皇杯はコロナウイルスの影響による日程変更のため準決勝から参加となり、J3を制した[[ブラウブリッツ秋田|秋田]]と対戦。前半39分に三笘が、後半36分に田中が自身初の直接フリーキックを決め2-0で勝利。決勝はG大阪と対戦して後半10分にレアンドロ・ダミアンのスルーパスに反応して抜け出した三笘が得点。1-0で制して天皇杯初優勝。Jリーグと天皇杯の2冠を達成した。J2からスタートしたチームとしては史上初の国内3大タイトル完全制覇となった。

また、2003年からチームを牽引してきた中村憲剛が現役を引退した。

==== 2021年 ====
:チームスローガン:'''New Front.'''

鬼木体制5年目。中村が引退、湘南に期限付き移籍していた馬渡和彰が大宮に、松本に期限付き移籍していた鈴木雄斗が磐田に、岡山に期限付き移籍していたポープ・ウィリアムが大分に、G大阪に期限付き移籍していたタビナス・ジェファーソンが水戸に、下田が大分に、守田が[[CDサンタ・クララ]]に、齋藤が名古屋に、カイオ・セザールが期限付き移籍先の長崎にそれぞれ完全移籍、[[コリチーバFC]]から期限付き移籍していたジオゴ・マテウスが退団した。横浜FCに期限付き移籍していたマギーニョが移籍期間を延長し、原田が鳥取に、宮代が徳島にそれぞれ期限付き移籍した。

補強は福岡から遠野、大分から知念、富山から宮城がそれぞれ期限付き移籍から復帰。大分から[[小塚和季]]、松本から[[塚川孝輝]]、名古屋から[[ジョアン・フェリピ・シミッチ・ウルバノ|ジョアン・シミッチ]]を完全移籍で獲得。[[静岡学園中学校・高等学校|静岡学園高校]]から[[田邉秀斗]]、桐蔭横浜大学から[[橘田健人]]が入団した。

2年ぶりの出場となったFUJI XEROX SUPER CUPでは、Jリーグと天皇杯でいずれも準優勝のG大阪と対戦。三笘が公式戦3試合連続ゴールを挙げ、大会史上6人目の1試合2ゴールを挙げた。後半追いつかれるものの途中出場だった小林のゴールで勝ち越し2回目の優勝を飾った。

リーグ戦は開幕戦で横浜FMに2-0で勝利し、等々力開催で9年ぶりの開幕戦勝利を挙げて鬼木は監督通算85勝目。前任の風間を抜きクラブの通算監督勝利数で単独トップを挙げた後、C大阪、仙台、[[徳島ヴォルティス|徳島]]、柏にも勝ち開幕5連勝。J2時代だった2004年の開幕3連勝を抜きクラブ史上最長となった。

4月29日の第22節・5月4日の第12節は2位・名古屋との異例の2連戦であったが<ref name=nikkann210427>{{cite news |url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/202104260001006.html |title=J1最強「矛盾対決」川崎F対名古屋GW異例の2連戦 指揮官修正力がカギ |newspaper=日刊スポーツ |date=2021-04-27 |accessdate=2021-04-30}}</ref>[[豊田スタジアム]]で4-0、等々力で3-2と連勝した<ref>{{cite news |url=https://www.chunichi.co.jp/article/245499 |title=【J1川碕】天王山第1ラウンド4発圧倒…名古屋の「最強盾」をあっけなく打ち砕いた |newspaper=中日スポーツ |date=2021-04-29 |accessdate=2021-04-30}}</ref><ref>{{cite news |url=https://www.chunichi.co.jp/article/248211 |title=【J1名古屋】「川崎相手には通用しなかった…」自慢の堅守も“崩壊” 直接対決2連敗に「何をするべきかを見つめ直す」 |newspaper=中日スポーツ |date=2021-05-04 |accessdate=2021-05-06}}</ref>

6月27日から7月11日のACLの6試合はウズベキスタンで、帰国後の7月17日から9月1日までの国内大会の9試合はすべてアウェイの会場での試合であり、約3ヶ月間は等々力で試合をする事ができなかった。

5月16日に札幌に2-0で勝利した事で、連続無敗記録が22試合となりJ1リーグ記録を更新<ref>{{cite news |url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/202105160001152.html |title=川崎Fが止まらない!J1最長22戦無敗でも「まだ修正できるところある」 |newspaper=日刊スポーツ |date=2021-05-16 |accessdate=2021-05-17}}</ref><ref>{{cite news |url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/202105130000820.html |title=札幌福森、川崎Fの不敗記録阻止へ意欲「自分たちしかいない」昨季敵地勝利 |newspaper=日刊スポーツ |date=2021-05-15 |accessdate=2021-05-17}}</ref>。5月30日に鬼木が156試合目というJリーグ史上最速かつクラブ史上初の監督通算100勝目を達成。同時に開幕からの無敗記録を更新。この記録は8月25日に行われた第26節福岡戦に0-1で敗れるまで続き、最終的にリーグ戦開幕25試合連続無敗、リーグ戦通算30試合連続無敗、公式戦42試合連続無敗の記録を残した。

11月3日、ホームで浦和と1-1で引き分け、横浜FMがG大阪に0-1で敗れた為、2年連続4回目のリーグ優勝を決めた。鬼木は国内3大タイトルを5年連続で獲得し、また一人で4回目のリーグ優勝を果たし、単独最多優勝監督となった。更に鬼木はYBCルヴァンカップと天皇杯のタイトルも1つずつ獲得しているので、獲得した国内三大大会で獲得したタイトル数は6と西野朗(G大阪時代に当たる2008年のACLも含めて)と並んで日本人監督で最多タイとなった。2年連続の年間勝ち点80以上もJリーグ史上初である。さらに、11月27日に等々力でG大阪に4-1で勝利し1996年以降ではリーグ史上初の年間勝ち点90以上。現行の勝ち点制に換算しても52試合制だった1995年のV川崎に次いで史上2番目に多い勝ち点92となった<ref>厳密には勝ち点108を稼いだV川崎の他に当時の横浜マリノスが勝ち点98、名古屋が勝ち点97を稼いだが、当時は延長戦やPK戦もありこれらを引き分けとすると、横浜マリノスは25勝11分15敗の勝ち点86、名古屋は23勝13分16敗の勝ち点82、V川崎は29勝11分12敗の勝ち点98という計算になる。</ref>。また史上2チーム目のホームゲーム無敗を達成したのに続き、2020年の11月19日以降22戦無敗とクラブのホーム無敗記録を更新した。レアンドロ・ダミアンが23ゴールで得点王のタイトル<ref group="注釈">ジュニーニョ、3年連続で獲得した大久保嘉人、チームメイトの小林に続いて4人目である。</ref> を獲得、ジュニーニョが2007年に記録したクラブの外国人選手によるJ1最多得点記録を更新した。またシーズンは38試合に増えたにも関わらず28勝8分け2敗とシーズンの最少敗戦記録を更新した。イエローカードの枚数は18枚しか受けず、1試合平均0・47枚とJ1記録を24年ぶりに塗り替え、無警告試合は25試合で27年ぶりに塗り替えた。

個人では、鬼木が2年連続で優勝監督賞、レアンドロ・ダミアン、家長、脇坂、旗手、谷口、ジェジエウ、山根がベストイレブン。さらにこの7人に加え、橘田、登里、鄭成龍の3選手が優秀選手賞に選出された。なおこれにより、通算40人とリーグ最多ベストイレブン輩出クラブになった。レアンドロ・ダミアンが2016年の中村、2017年の小林、2018年の家長に続きチーム史上4人目のJリーグMVPに選出された。

2年ぶりのACLでは、大島が怪我からの復帰を果たすも、田中が海外移籍を前提とした渡欧によりチームを離脱し[[フォルトゥナ・デュッセルドルフ|デュッセルドルフ]]への期限付き移籍が決定した。グループステージでは6戦合計27得点の全勝で突破。第3戦の[[ユナイテッド・シティFC]](フィリピン)戦では橘田がクラブ史上初のACLハットトリック<ref group="注釈">第5戦の[[大邱FC]]戦でレアンドロ・ダミアンもハットトリックを達成している。</ref> を達成したのに続き、国内外の公式戦ではクラブ史上最多となる1試合8得点をマークした。ラウンドオブ16で[[蔚山HD FC|蔚山現代]]と対戦。0-0でPK戦の末敗退。

ルヴァンカップは準々決勝で浦和と対戦。アウェイでの第1戦は家長のPKで追いつき1-1。およそ3か月ぶりのホーム等々力での第2戦は3-3のドロー。2戦合計4-4ながら等々力でアウェーゴールを3点も奪われて敗退しベスト8。

2連覇を目指した天皇杯では、2回戦でJ3の[[AC長野パルセイロ]]を、3回戦でJ2千葉をそれぞれPK戦の末勝ち上がり、ベスト16ではJ1の清水を、ベスト8では鹿島を下して準決勝進出。大分との準決勝では、延長後半に小林のゴールで先制するも、下田のクロスを[[エンリケ・デ・ソウザ・トレヴィザン|エンリケ・トレヴィザン]]に決められ同点に追いつかれこの大会3度目のPK戦の末、2番手の山村と7番手の山根が高木に止められてベスト4。結果的に、シーズンにおいてカップ戦(ACL・ルヴァンカップ・天皇杯)では1度の敗戦もなかった{{Efn|PK戦となった試合は、PK戦の結果にかかわらず記録上『引き分け』の扱いとなる。}}ものの、いずれのタイトルも獲得出来なかった。

==== 2022年 ====
:チームスローガン:'''HEART BEATS!'''
鬼木体制6年目<ref group=注釈>通算監督在任年数で関塚(J2だった2004年から2009年)に並んだが、関塚は2008年4月24日に体調不良を訴えて辞任し高畠が後任に就いた為、就任から5年間を全うしたのはクラブ史上初である。</ref>。イ・キョンテが岡山に復帰、旗手が[[セルティックFC|セルティック]]に、長谷川が横浜FCにそれぞれ完全移籍、横浜FCに期限付き移籍していたマギーニョが期限付き移籍期間を満了し退団した。原田が長野に、宮代が鳥栖に、イサカ・ゼインが横浜FCに、神谷が[[藤枝MYFC|藤枝]]にそれぞれ期限付き移籍した。

補強は横浜FCから[[瀬古樹]]、札幌から[[チャナティップ・ソングラシン|チャナティップ]]をそれぞれ完全移籍<ref group=注釈>なおこの時の移籍金は推定4億6500万円(1億3400万バーツ)と、2009年に京都が東京Vから[[ディエゴ・デ・ソウザ・ガマ・シルバ|ディエゴ]]を獲得した際の推定4億5000万円を抜いて国内クラブ間の移籍金としては史上最高額である。</ref> で獲得、ユースから[[五十嵐太陽]]と[[高井幸大]]、[[興國高等学校|興国高校]]から[[永長鷹虎]]、桐蔭横浜大学からユース出身者の[[早坂勇希]]、流通経済大学から[[佐々木旭]]、法政大学から[[松井蓮之]]が入団した。

4月2日に行われた第6節のC大阪戦に敗れるまでに記録したホーム25試合連続無敗は浦和とG大阪に並ぶリーグタイ記録、4月10日に行われた第8節の柏戦で鬼木は通算184試合目の指揮を執り、関塚を抜いて単独最多となった。またその柏戦からACLを挟んで5月21日に行われた第14節の鳥栖戦まで5試合連続で無失点となり、クラブ新記録となったが、守備陣は前年の11月7日に[[鳥栖スタジアム|駅前不動産スタジアム]]で行われた鳥栖戦でジェジエウを左膝の前十字靭帯と内側側副靭帯を損傷する大怪我で失った影響が大きく、前半17試合終了時点で21失点と2015年以来7年ぶりに試合の半数を終えて6年ぶりにシーズンの失点数が試合数を超えた。また攻撃陣もJ1に初めて昇格した2000年以来22年ぶりとなる16試合連続3得点未満<ref>特に14節の鳥栖戦、15節の湘南戦、4年ぶりの連敗を喫した16節の京都戦は10年ぶりの3試合連続ノーゴールとなった。</ref> と得点力も低下し、左ウィングで主に先発する事の多かったマルシーニョと宮城が合わせて5ゴールと前年[[ロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズ|ベルギー]]へ移籍する前に8ゴールを挙げた三笘の半数を超えるのが関の山だった。7月30日にジェジエウが復帰して以降8月は全勝。試合数の違いがありながら暫定で首位にも返り咲いたがその一方でレアンドロ・ダミアンが8月20日の福岡戦で右足関節の外側靱帯損傷と右腓骨筋肉離れで離脱しシーズン終了。9月に入り湘南に1-2で敗れてJ1でクラブ史上初の神奈川ダービー3敗目を喫するとそこから1勝2分1敗と失速し、3勝1分で乗り切った横浜FMに引き離され、10月1日に当時2020年以外はリーグ戦で無敗の札幌に3-4で敗れ鬼木体制で最多にして2014年以来8年ぶりの8敗目で勝ち点差を8にまで広げられた。その後清水や京都と残留を争っていた相手や神戸に全勝し、横浜FMが当時残留争いの渦中にいたG大阪と磐田に日産スタジアムで連敗し足踏みした事もあり勝ち点差を2まで縮めて最終節まで優勝の望みを繋いだ。最終節では退場者を出しながらもFC東京に勝利する意地を見せたが、横浜FMも勝利した事で最終順位は2位。ジェジエウがピッチにいない時に(途中交代で退いた時も含めて)前年と同じ28失点と全42失点の66%にのぼり、[[2010年の川崎フロンターレ|2010年]]以来12年ぶりにアウェー6勝どまり。18クラブ中唯一ホームの等々力で勝ち点40以上(43)を記録しながらアウェーでの勝ち点が23と優勝した横浜FM(勝ち点29)だけではなく7位の柏(勝ち点26)、4位の鹿島や5位のC大阪(いずれも勝ち点25)よりも少なく、特に敵地で下位(10位以下)のクラブ相手に3勝3分け3敗の勝ち点12<ref>因みに横浜FMが敵地で下位クラブと対戦した時の成績は6勝2分1敗の勝ち点20である。</ref> と取り零し続けた事が祟り[[2019年のJ1リーグ|2019年]]に続いてまたしても横浜FMにリーグ3連覇を阻まれた。なお去年も横浜FMと共にワンツーフィニッシュとなった為、同県同士のクラブが2年連続で2位以内に入ったのはJリーグ史上初である。

2年連続9回目の出場となった[[AFCチャンピオンズリーグ2022|AFCチャンピオンズリーグ]]はマレーシアでグループリーグが集中開催された。[[マレーシア・スーパーリーグ]]王者・[[ジョホール・ダルル・タクジム]]、[[Kリーグ1]]で2位の蔚山現代<ref group=注釈>本戦の前に突破しなければならないプレーオフラウンドを勝ち抜いた。</ref>、[[中国サッカー・スーパーリーグ|中国スーパーリーグ]]の[[広州足球倶楽部]]と同組。広州に2勝したものの3勝2分1敗でグループIの2位。しかしACLに参加する予定だった[[上海海港足球倶楽部]]が上海での新型コロナウイルス拡大に伴って参加を辞退した為例年とは違うレギュレーション<ref group=注釈>上海海港が辞退した事で東地区で各グループ2位のチームの戦績を比較する際にグループ4位のチームとの対戦戦績を除外。その結果最終節までグループステージ突破の可能性を残していた末、最終節で広州に勝ち、両者が引き分けの場合に1位通過となっていたがジョホールが蔚山現代に勝った為、1位でグループステージを突破する可能性が消えた。更に2位でグループステージ突破の可能性も残していたものの最下位に沈んだ広州との対戦を除いた上位3チーム同士の対戦での勝ち点で5しか稼げなかった事でグループステージを突破する可能性が消えた為。</ref> により5月を待たずしてグループステージ敗退が決定した。

天皇杯は[[札幌大学]]に5-0で勝利したものの、当時J2で11位だった東京Vに0-1で敗れ8年ぶりの3回戦敗退。なお[[2022 FIFAワールドカップ|カタールワールドカップ]]が11月21日から12月18日にかけて開催される関係で日程が大幅に前倒しになった為、前身の富士通サッカー部時代も合わせて[[第57回天皇杯全日本サッカー選手権大会|1977年]]に初出場して以降6月中に天皇杯で敗退したのはクラブ史上初である。

ACLに出場した関係でプライムステージから参加となったYBCルヴァンカップは準々決勝でC大阪と対戦。トップチーム関係者が新型コロナウィルスの陽性判断を受け、ベンチメンバーをゴールキーパー3人で埋めなければならなかった[[キンチョウスタジアム|ヨドコウ桜スタジアム]]での第1戦は脇坂のゴールで1-1。等々力での第2戦はマルシーニョの2ゴールで2戦合計3-1とリードするも後半ATに[[加藤陸次樹]]に、実質ラストプレーで[[山田寛人]]にヘディングで押し込まれて痛恨の引き分け。2年連続で2点のリードを試合終了間際に途中出場の選手に奪われてアウェーゴール差による準々決勝敗退となった。なお2006年にJリーグカップ決勝トーナメントに[[アウェーゴール]]制度が導入されて以降2年続けてアウェーゴールで敗退したのはJリーグカップ史上初である。

この年は、国内とアジアの合わせて5つのタイトル獲得に挑戦しながらジェジエウの離脱時にスーパーカップとACLと天皇杯のタイトルを失い、6年ぶりに無冠でシーズンを終えた。

====2023年====
:チームスローガン:'''Exceed_'''
鬼木体制7年目<ref group=注釈>通算監督在任年数で関塚(J2だった2004年から2009年)を抜いて、1997年にJリーグ準会員となって'''「富士通川崎フットボールクラブ」'''から現在の名称に公募で改称してからは史上最長である。</ref>。知念が鹿島に、イサカ・ゼインが山形に、丹野が[[いわてグルージャ盛岡|岩手]]に、谷口が[[アル・ラーヤンSC|アル・ラーヤン]]にそれぞれ完全移籍、原田が長野に、田邊が千葉に、五十嵐が[[レノファ山口FC|山口]]にそれぞれ育成型期限付き移籍<ref>原田の場合は、通常の期限付き移籍から育成型期限付き移籍に変更した上で期限付き移籍を延長した。</ref>、神谷が[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]に、宮城が長崎にそれぞれ期限付き移籍した。

補強は鳥栖から宮代が期限付き移籍から復帰。湘南から[[瀬川祐輔]]、京都から[[上福元直人]]、柏から[[大南拓磨]]を完全移籍で獲得。ユースから [[大関友翔]]、[[松長根悠仁]]、[[桐蔭横浜大学]]から[[山田新]]、[[履正社学園豊中中学校・履正社高等学校|履正社高校]]から[[名願斗哉]]が入団した。

横浜FM対[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]による[[スーパーカップ (日本サッカー)|富士フイルムスーパーカップ]]のハーフタイムに行われた最後の[[Jリーグマスコット総選挙]]でワルンタは2位に入賞。それまでは2015年の[[ふろん太]]が6位だったので、過去最高順位と共にクラブ史上初のトップ3に入った。

AFCチャンピオンズリーグの開催時期が秋に変わった為、全クラブ参加となった[[2023年のJリーグカップ|JリーグYBCルヴァンカップ]]では、J2の清水、浦和、湘南と同組。センターバック中心に怪我人が続出した状態で開幕し、清水に2-3とJ2のクラブも参加する制度に変わった[[2019年のJリーグカップ|2019年]]以降では初めてJ2のクラブに敗れ、湘南と浦和にホームで2戦連続スコアレスドロー。4節の清水に6発大勝したものの、マルシーニョが左ハムストリング肉離れで離脱した状態で臨んだ第5節の浦和戦で瀬川のゴールで先制するも逆転負け。[[平塚競技場|レモンガススタジアム]]で湘南に2点ビハインドからの逆転勝ちを収めたが、直接対決のレギュレーションが優先される為、7年ぶりのグループリーグ敗退となった。

年明け早々にレアンドロ・ダミアンが右足関節の手術で合流が遅れ、1月のトレーニング中に小林が左第5趾基節骨骨折で、翌月のトレーニングでは登里が左ヒラメ筋肉離れでそれぞれ開幕戦を棒に振った中で始まった[[2023年のJ1リーグ|リーグ戦]]では、開幕戦の横浜FM戦に敗北しジェジエウがレッドカードで退場した上に車屋が右ハムストリングの肉離れで2年連続の開幕戦負傷退場。3節の湘南戦でそのジェジエウが左膝外側半月板損傷で、4節の新潟戦では2節の鹿島戦で退場したセンターバックの山村<ref>なお開幕して2戦続けて退場処分を受けたのは、初めてのJ1にあたり2023年現在U-18監督の長橋康弘が福岡との開幕戦で、鬼木が鹿島との第2節でそれぞれレッドカードを受けた[[2000年のJリーグ|2000年]]以来23年ぶりである。</ref> とインサイドハーフの大島がそれぞれ負傷交代と離脱者続出に歯止めがかからなかった上、センターバックの高井が[[ウズベキスタン]]で行われた[[AFC U23アジアカップ]]の代表招集で失っていた事も重なってしまい、千葉に育成型期限付き移籍で放出していた田邊(千葉では2試合で22分しか出場出来ず)を復帰させても最終ラインが手薄となった序盤は9節終了時点で2勝3分4敗と負けが先行する形となった。その田邊も4月7日のG大阪戦で左膝の内側側副靭帯を損傷し全治4~5か月の離脱を余儀なくされ、その後3連勝を飾るが連敗も目立ち、かつて圧倒的な強さを誇ったホーム[[等々力陸上競技場|等々力]]で競り負ける試合が増えた。第29節で[[アルビレックス新潟|新潟]]に2-3で敗れた事で、5試合を残して優勝の可能性が消滅した。鹿島には相性の良さを発揮し、3年連続のシーズンダブルを達成した一方で残留争いの[[ガンバ大阪|G大阪]]、昇格したばかりの新潟にシーズンダブルを食らう等不安定だった。

また、10月29日に行われた第31節の柏戦で遠野がレッドカードを受け、シーズン7枚目かつ7人目の退場者を出す。当時J2だった[[2002年のJリーグ ディビジョン2|2002年]]と[[2003年のJリーグ ディビジョン2|2003年]]の6枚を抜き、加えて全員違う選手<ref>2002年は2回退場処分を受けた[[マルコス・ボニファシオ・ダ・ローシャ|マルキーニョ]]、[[久野智昭]]、当時コーチを務めた寺田、[[茂原岳人]]、[[渡辺匠]]。2003年は2回退場処分を受けたその茂原と渡辺、[[黄川田賢司]]、[[岡山一成]]。2023年はジェジエウ、山村、車屋、脇坂、シーズン途中に[[水原三星ブルーウィングス]]に移籍した小塚、大南、その試合の遠野である。</ref> が退場処分を受けている為、レッドカードの枚数・選手共にクラブ史上最多。しかもその内車屋以外の6枚は全て一発退場だったので、J2が創設される前の1993年から1998年までを含めても一発退場を受けた人数でJ1最多タイ<ref>2回受けた[[ネルソン・バプティスタ・ジュニオール|ネルシーニョ]]、[[沢田謙太郎]]、[[伊達倫央]]、[[大熊裕司]]、[[石川健太郎]]、[[横山雄次]]と一発退場を受けた回数のJ1最多は[[1995年の柏レイソル|1995年の柏]]である。</ref> となってしまった。

また、前述のマルシーニョが左ハムストリング肉離れで、レアンドロ・ダミアンが前述の右足関節の手術に加えて、6月21日に左足関節捻挫で再び離脱し、前年に推定4億6500万円で獲得したチャナティップが全公式戦で3ゴール3アシストしか出来なかっただけではなくフル出場すら1試合も出来ないまま6月に[[BGパトゥム・ユナイテッドFC|パトゥム・ユナイテッド]]に移籍する等外国人選手も苦しんだ為、開幕戦から外国人選手のノーゴールが続きリーグ戦での初ゴールは、開幕して27戦目にあたる9月15日に等々力で行われたFC東京との多摩川クラシコでマルシーニョが決めるまで待たなければならず<ref>[[ハイネル・サントス・ナシメント|ハイネル]]が決めるまで10戦かかった[[2017年のJ1リーグ|2017年]]を大幅に更新し、Jリーグにおける開幕戦からのノーゴールはクラブ史上最長である。</ref>、[[ガラタサライSK (サッカー)|ガラタサライ]]から補強しクラブ史上初のヨーロッパ諸国出身選手となった[[バフェティンビ・ゴミス]]を獲得してもゴールを奪えず、外国人選手のゴール数は5(マルシーニョとジョアン・シミッチが1ゴール、レアンドロ・ダミアンが3ゴール)と「富士通川崎フットボールクラブ」から公募で現在のクラブ名になって1997年から2年間戦った[[ジャパンフットボールリーグ]]時代も含めてクラブ史上最少タイと足を引っ張ってしまい、最終順位は[[2012年のJリーグ ディビジョン1|2012シーズン]]以来11年ぶりの8位で2013シーズン以降では最低記録となった。しかし、[[天皇杯 JFA 第103回全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]では順調に勝ち進み2回戦では等々力で栃木県代表の[[栃木シティフットボールクラブ|栃木シティFC]]、3回戦では水戸市にある[[水戸市立競技場|ケーズデンキスタジアム]]でJ2の[[水戸ホーリーホック|水戸]]、ベスト16では高知市にある[[高知県立春野総合運動公園陸上競技場]]で高知県代表の[[高知ユナイテッドSC|高知ユナイテッド]]を次々と倒し、準々決勝ではデンカビッグスワンスタジアムで新潟に120分間の末3-3でPK戦の末勝ち進み2年ぶり3回目の準決勝進出。等々力では福岡に4-2で勝って3年ぶり3回目の決勝進出。決勝での柏戦で120分間スコアレスドローでPK戦<ref>なお両クラブとも10人目まで縺れた為、天皇杯で10人以上かかったのは史上最多である。</ref> の末3年ぶり2度目の優勝を果たし、来季のACL出場権を獲得した。なおACL出場権を獲得するのは4年連続でクラブ史上最長である。また鬼木は西野を抜いて日本人監督最多となる7個目の国内三大タイトル獲得となり、鹿島時代に率いた[[オズワルド・オリヴェイラ]]の6個を抜いて1クラブでの最多タイトル獲得となった<ref>通算獲得タイトルでも、鬼木は浦和時代にあたる[[天皇杯 JFA 第98回全日本サッカー選手権大会|2018年の天皇杯]]も獲得したそのオリヴェイラと並んだ。</ref>。

==== 2024年 ====
 チームスローガン:'''Mind-1 NEXT 心をひとつに、その先へ'''

鬼木体制8年目。宮代が神戸に、登里がC大阪に、山根が[[ロサンゼルス・ギャラクシー|LAギャラクシー]]に、ジョアン・シミッチが[[サントスFC|サントス]]に、神谷が甲府に、山村が横浜FMにそれぞれ完全移籍、五十嵐がレンタル移籍期間を延長し、松長根・大関が[[福島ユナイテッドFC|福島]]に、永長が[[ザスパクサツ群馬|ザスパ群馬]]に、名願が仙台にそれぞれ育成型期限付き移籍した。

補強は山形から宮城が、町田から松井が期限付き移籍から復帰。甲府から[[三浦颯太]]、名古屋から[[丸山祐市]]、[[ゴイアスEC|ゴイアス]]から[[ジョゼ・ヒカルド・アラウージョ・フェルナンデス|ゼ・ヒカルド]]、[[ECバイーア|バイーア]]から[[パトリッキ・ヴェロン・ペレテウ・ペレイラ|パトリッキ・ヴェロン]]、[[サンパウロFC|サンパウロ]]から[[エリソン・ダニーロ・ジ・ソウザ|エリソン]]<ref>{{Cite web |title=川崎F新加入のブラジル人3選手が自らの特長を語る…MFパトリッキ・ヴェロン、FWエリソン、MFゼ・ヒカルド「鮭のおにぎり、カレー、豆腐が美味しい」 |url=https://web.gekisaka.jp/news/jleague/detail/?400279-400279-fl |website=ゲキサカ |date=2024-01-21 |access-date=2024-01-21 |language=ja |last=石川祐介}}</ref>、G大阪から[[山本悠樹]]を完全移籍で獲得。ユースから[[由井航太]]、桐蔭横浜大学から[[山内日向汰]]、[[静岡学園中学校・高等学校|静岡学園高校]]から[[神田奏真]]が入団した。

天皇杯優勝で、2年ぶりの出場となった富士フイルムスーパーカップでは、前年Jリーグ王者の神戸と対戦して1-0で勝利し3年ぶり3回目の優勝を果たした。[[AFCチャンピオンズリーグ2023/24|ACL]]では、[[山東泰山足球倶楽部|山東泰山]]と対戦。[[済南オリンピック・スポーツセンター]]での第1戦は新加入の[[エリソン・ダニーロ・デ・ソウザ|エリソン]]が移籍後初ゴール、マルシーニョ、家長と3点を奪って勝ったものの2点を失い3-2。引き分け以上で勝ち上がるUvance とどろきスタジアム by Fujitsuでの第2戦は前半8分に大南が自陣ペナルティーエリア手前で[[李源一]]に奪われた末クロスに合わせた[[クリザン・ダ・クルス・ケイロス・バルセロス|クリザン]]にヘディング弾を決められ、僅か8分で1点リードしていた2戦合計スコアを3-3にされたのに続き、前半25分、脇坂のコーナーキックがミスキックになってカウンターを浴び、左サイドの[[ヴァレリ・カザイシュヴィリ]]に右足アウトサイドでアーリークロスを入れられると、これに正面で飛び込んだガオ・ジュンイーに決められて25分で2戦合計で3-4と逆転される。6分後に山本のスルーパスに抜け出した三浦(グループリーグは移籍元である甲府の一員で戦っていた)がプロ初ゴールで折り返し、後半14分にエリソンの公式戦2試合連続ゴールで2-2とし2戦合計で5-4で逆転するも後半28分にクリザンにまたしてもゴールを奪われて2-3とされると、延長戦突入が濃厚になったアディショナルタイムにコーナーキックの流れからセンターバックの[[ジャジソン・クリスティアーノ・シウヴァ・デ・モライス|ジャジソン]]に押し込まれて2-4とされて試合終了。共にベスト8で名古屋と対戦した[[AFCチャンピオンズリーグ2009|2009年]]、浦和と対戦した[[AFCチャンピオンズリーグ2017|2017年]]に続いて第1戦で勝利しながら第2戦でまたしても2試合合計で逆転されて、その大会で初黒星が痛恨のベスト16敗退となった。

2連覇を目指す天皇杯は初戦となる2回戦の[[ソニー仙台FC|ソニー仙台]]には2-0で勝利したものの、[[大分スポーツ公園総合競技場|レゾナックドーム大分]]で大分に1-3で敗れて3回戦で敗退。[[天皇杯 JFA 第101回全日本サッカー選手権大会|2021年]]の準決勝に続いてまたしても大分に天皇杯2連覇を阻まれる結果となってしまった。

[[2024年のJ1リーグ|リーグ戦]]では、広島が町田に勝利した事で首位との勝ち点差が22に広がり、7試合<ref>第28節の浦和戦は、雷雨の延期の影響で試合消化が他チームより1試合少ない</ref>を残してリーグ優勝の可能性が消滅した。

[[2024年のJリーグカップ|YBCルヴァンカップ]]では、準決勝で[[アルビレックス新潟|新潟]]に敗れてベスト4で敗退。

クラブ初のヨーロッパ諸国出身で元フランス代表の[[バフェティンビ・ゴミス|ゴミス]]が退団。その後長年の現役生活に幕を閉じた<ref>{{Cite web |title=川崎フロンターレ:バフェティンビ ゴミス選手 現役引退のお知らせ |url=https://www.frontale.co.jp/info/2024/1111_1.html |website=川崎フロンターレ オフィシャルWEBサイト |access-date=2024-11-21}}</ref>。

2024年10月16日、8年間指揮した鬼木達監督が契約満了。8シーズンで7タイトルを獲った日本を代表する監督だった <ref>{{Cite web |title=川崎フロンターレ:鬼木達監督 契約満了のお知らせ |url=https://www.frontale.co.jp/info/2024/1016_1.html |website=川崎フロンターレ オフィシャルWEBサイト |access-date=2024-10-17}}</ref>。

==== 2025年 ====
新監督に、前[[アビスパ福岡]]監督の[[長谷部茂利]]が就任<ref>{{Cite press release|和書|date=2024-12-12|url=https://www.frontale.co.jp/info/2024/1212_1.html|title=長谷部茂利氏 監督就任のお知らせ|publisher=川崎フロンターレ|accessdate=2024-12-12}}</ref>。

== 現所属メンバー ==
{{Main|川崎フロンターレの選手一覧}}


== 成績 ==
== 成績 ==
380行目: 540行目:
== タイトル・表彰 ==
== タイトル・表彰 ==
=== 国内タイトル ===
=== 国内タイトル ===
* '''[[J1リーグ]]:2回'''
* '''[[J1リーグ]]:4回'''
** [[2017年のJリーグ|2017]], [[2018年のJリーグ|2018]]
** [[2017年のJリーグ|2017]], [[2018年のJリーグ|2018]], [[2020年のJリーグ|2020]], [[2021年のJリーグ|2021]]
* '''[[J2リーグ]]:2回'''
* '''[[J2リーグ]]:2回'''
** [[1999年のJリーグ|1999]], [[2004年のJリーグ|2004]]
** [[1999年のJリーグ|1999]], [[2004年のJリーグ|2004]]
* '''[[FUJI XEROX SUPER CUP]]:1回'''
* '''[[Jリーグカップ]]:1回'''
** [[FUJI XEROX SUPER CUP2019|2019]]
** [[2019年のJリーグカップ|2019]]
* '''[[天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会]]:2回'''

** [[天皇杯 JFA 第100回全日本サッカー選手権大会|2020]], [[天皇杯 JFA 第103回全日本サッカー選手権大会|2023]]
=== 表彰 ===
* '''[[スーパーカップ (日本サッカー)|スーパーカップ]]:3回'''
** [[2019年のスーパーカップ (日本サッカー)|2019]], [[2021年のスーパーカップ (日本サッカー)|2021]], [[2024年のスーパーカップ (日本サッカー)|2024]]


=== 個人・チーム表彰 ===
; [[Jリーグアウォーズ#最優秀選手賞(MVP)|最優秀選手(MVP)]]
; [[Jリーグアウォーズ#最優秀選手賞(MVP)|最優秀選手(MVP)]]
*2016:[[中村憲剛]]
*2016:[[中村憲剛]]
*2017:[[小林悠 (サッカー選手)|小林悠]]
*2017:[[小林悠 (サッカー選手)|小林悠]]
*2018:[[家長昭博]]
*2018:[[家長昭博]]
*2021:[[レアンドロ・ダミアン・ダ・シウバ・ドス・サントス|レアンドロ・ダミアン]]

; [[Jリーグベストイレブン|ベストイレブン]]
; [[Jリーグベストイレブン|ベストイレブン]]
* 2006:中村憲剛, [[谷口博之]]
* 2006:[[中村憲剛]], [[谷口博之]]
* 2007:中村憲剛, [[カルロス・アルベルト・カルヴァリョ・ドス・アンジョス・ジュニオル|ジュニーニョ]]
* 2007:[[中村憲剛]], [[カルロス・アルベルト・カルヴァリョ・ドス・アンジョス・ジュニオル|ジュニーニョ]]
* 2008:中村憲剛
* 2008:[[中村憲剛]]
* 2009:中村憲剛, [[川島永嗣]]
* 2009:[[中村憲剛]], [[川島永嗣]]
* 2010:中村憲剛
* 2010:[[中村憲剛]]
* 2013:[[大久保嘉人]]
* 2013:[[大久保嘉人]]
* 2014:大久保嘉人
* 2014:[[大久保嘉人]]
* 2015:大久保嘉人
* 2015:[[大久保嘉人]]
* 2016:中村憲剛, 小林悠
* 2016:[[中村憲剛]], [[小林悠 (サッカー選手)|小林悠]]
* 2017:中村憲剛, 小林悠, [[車屋紳太郎]], [[エルソン・フェレイラ・デ・ソウザ|エウシーニョ]]
* 2017:[[中村憲剛]], [[小林悠 (サッカー選手)|小林悠]], [[車屋紳太郎]], [[エルソン・フェレイラ・デ・ソウザ|エウシーニョ]]
* 2018:中村憲剛, 家長昭博, 車屋紳太郎, エウシーニョ, [[鄭成龍|チョン・ソンリョン]], [[谷口彰悟]], [[大島僚太]]
* 2018:[[中村憲剛]], [[家長昭博]], [[車屋紳太郎]], [[エルソン・フェレイラ・デ・ソウザ|エウシーニョ]], [[鄭成龍|チョン・ソンリョン]], [[谷口彰悟]], [[大島僚太]]
* 2020:[[三笘薫]], [[家長昭博]], [[守田英正]], [[田中碧 (サッカー選手)|田中碧]], [[谷口彰悟]], [[山根視来]], [[ジェジエウ・カルドソ・ミランダ|ジェジエウ]], [[登里享平]], [[鄭成龍|チョン・ソンリョン]]
*2021 : [[ジェジエウ・カルドソ・ミランダ|ジェジエウ]],[[谷口彰悟]],[[脇坂泰斗]],[[レアンドロ・ダミアン・ダ・シウバ・ドス・サントス|レアンドロ・ダミアン,]][[山根視来]],[[家長昭博]],[[旗手怜央]]
*2022 : [[谷口彰悟]],[[山根視来]],[[脇坂泰斗]],[[家長昭博]],[[マルシオ・アウグスト・ダ・シルバ・バルボサ|マルシーニョ]]
*2023 : [[脇坂泰斗]]


; [[Jリーグアウォーズ#得点王|得点王]]
; [[Jリーグアウォーズ#得点王|得点王]]
* 2007:ジュニーニョ
* 2007:[[カルロス・アルベルト・カルヴァリョ・ドス・アンジョス・ジュニオル|ジュニーニョ]]
* 2013:大久保嘉人
* 2013:[[大久保嘉人]]
* 2014:大久保嘉人
* 2014:[[大久保嘉人]]
* 2015:大久保嘉人
* 2015:[[大久保嘉人]]
* 2017:小林悠
* 2017:[[小林悠 (サッカー選手)|小林悠]]
*2021 : [[レアンドロ・ダミアン・ダ・シウバ・ドス・サントス|レアンドロ・ダミアン]]


; フェアプレー個人賞
; フェアプレー個人賞
* 2015:[[谷口彰悟]]
* 2009 : [[川島永嗣]]
*2015 : [[谷口彰悟]]
*2021 : [[山根視来]]


; 優勝監督賞
; 優勝監督賞
* 2017:[[鬼木達]]
* 2017:[[鬼木達]]
* 2018:[[鬼木達]]
* 2020:[[鬼木達]]
*2021 : [[鬼木達]]
; [[Jリーグカップ#最優秀選手賞|Jリーグカップ最優秀選手賞(MVP)]]
* 2019:[[新井章太]]

; [[Jリーグカップ#ニューヒーロー賞|Jリーグカップニューヒーロー賞]]
* 2006:[[谷口博之]]
'''功労選手賞'''


* 2006 : [[相馬直樹]]
; Jリーグカップ
*2014 : [[伊藤宏樹]]
* 2006:[[谷口博之]] [[Jリーグカップ#ニューヒーロー賞|ニューヒーロー賞]]
* 2021 : [[中村憲剛]]
* 2023 : [[鄭大世]]


=== その他 ===
=== その他 ===
*[[Jリーグアウォーズ#フェアプレー賞(高円宮杯)|J1フェアプレー賞]]:5
*[[Jリーグアウォーズ#フェアプレー賞(高円宮杯)|J1フェアプレー賞]]:8
** 2012, 2015, 2016, 2017, 2018
** 2012, 2015, 2016, 2017, 2018,2019,2020,2021(高円宮杯受賞)
*[[J30ベストアウォーズ]]:[[J30ベストアウォーズ・ベストマッチ|ベストマッチ]]受賞


== ユニフォーム ==
== ユニフォーム ==
{{ユニフォームの色2
{{ユニフォームの色
| F正シャツ= 水色<ref name="jleague" />|F正パンツ=水色<ref name="jleague" />|F正ストッキング=黒<ref name="jleague" />
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| F副シャツ=ベージュ|F副パンツ=ベージュ|F副ストッキング=ベージュ
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| G正シャツ=緑|G正パンツ=緑|G正ストッキング=緑
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=== チームカラー ===
=== チームカラー ===
*{{color box|#00BFFF}} サックスブルー<ref name="jleague" />、{{colorbox|black}} ブラック<ref name="jleague" />
*{{color box|#23B1EA}} サックスブルー<ref name="jleague" />、{{colorbox|#221615}} ブラック<ref name="jleague" />、{{colorbox|#FFFFFF}} ホワイト<ref name="jleague" />


=== ユニフォームデザイン ===
=== ユニフォームデザイン ===
494行目: 665行目:
* 2014年の1stユニフォームは川崎市の市制90周年を記念して川崎市の全7区のシンボルマークをモチーフとした市松模様となっている。また、背番号の下にふろん太のシルエットが隠れている。ただし、ACL仕様の1stユニフォームは2ndユニフォームの色違いである。
* 2014年の1stユニフォームは川崎市の市制90周年を記念して川崎市の全7区のシンボルマークをモチーフとした市松模様となっている。また、背番号の下にふろん太のシルエットが隠れている。ただし、ACL仕様の1stユニフォームは2ndユニフォームの色違いである。
* 2016年の1stユニフォームは「原点回帰」をコンセプトに20周年記念として創立当時のストライプ柄を採用<ref name=2016uni>[http://www.frontale.co.jp/info/2016/0117_3.html お知らせ:KAWASAKI FRONTALE:2016シーズン 「1st/2nd/GK/カップ戦ユニフォーム」先行販売のお知らせ] 2016年1月17日</ref>。ただしサプライヤーはペナルティではなくプーマである。
* 2016年の1stユニフォームは「原点回帰」をコンセプトに20周年記念として創立当時のストライプ柄を採用<ref name=2016uni>[http://www.frontale.co.jp/info/2016/0117_3.html お知らせ:KAWASAKI FRONTALE:2016シーズン 「1st/2nd/GK/カップ戦ユニフォーム」先行販売のお知らせ] 2016年1月17日</ref>。ただしサプライヤーはペナルティではなくプーマである。
* 2016年はクラブとしては初となるカップ戦限定デザインユニフォームを採用(1stユニフォームのみ)。2009-2010シーズンのデザインの復刻版となっている<ref name=2016uni />。こちらもサプライヤーはアシックスではなくプーマである。
* 2016年はクラブとしては初となるカップ戦限定デザインユニフォームを採用(1stユニフォームのみ)。2009 - 2010シーズンのデザインの復刻版となっている<ref name=2016uni />。こちらもサプライヤーはアシックスではなくプーマである。
* [[AFCチャンピオンズリーグ]]については規定によりスポンサーは1社に限られているため、FUJITSUの胸ロゴのみ<ref>ただしJリーグとは違いFUJITSUの公式ロゴではなく角ゴシック体表記。これは胸ロゴの規格がJリーグより小さいという都合によるものと思われる(特に「JI」の上に「∞」があるため、ACLの規格に合わせるとロゴが小さくなり過ぎる)。ちなみに2013年出場時の[[ベガルタ仙台|仙台]]は、[[アイリスオーヤマ]]の胸ロゴデザイン小変更(IRIS OHYAMAの文字列を2段に)で対応した。</ref> 表記され、左袖に大会のロゴ、背番号上には選手名([[アルファベット]]表記)を入れている。
* [[AFCチャンピオンズリーグエリート|AFCチャンピオンズリーグ]]については規定によりスポンサーは1社に限られているため、FUJITSUの胸ロゴのみ<ref group=注釈>2021年出場時までは、FUJITSUの公式ロゴではなく角ゴシック体表記。これは胸ロゴの規格がJリーグより小さいという都合によるものと思われる(「JI」の上に「∞」があるため、ACLの規格に合わせるとロゴがかなり小さくなる。2022年出場時は小さい公式ロゴを使用)。ちなみに2013年出場時の[[ベガルタ仙台|仙台]]は、[[アイリスオーヤマ]]の胸ロゴデザイン小変更(IRIS OHYAMAの文字列を2段に)で対応した。</ref> 表記され、左袖に大会のロゴ、背番号上には選手名([[アルファベット]]表記)を入れている。


=== ユニフォームスポンサー ===
=== ユニフォームスポンサー ===
{| class="wikitable" style="font-size:smaller;
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; border:double #221615; 4px 4px 4px #23B1EA;"
|- style="background-color:#23B1EA; color:#FFFFFF; font-weight:bold;"
!掲出箇所!!スポンサー名!!表記!!掲出年!!備考
|掲出箇所||スポンサー名||表記||掲出年||備考
|-
|-
!胸
!胸
|[[富士通]]||align=center|FUJITSU||1997年 - ||2013年 - 2017年の2ndユニフォームは「[[arrows (携帯電話)|arrows]]」表記<br />(2015までは旧ロゴの「ARROWS」表記<br>ACLでは1st、2nd共に「FUJITSU」表記)
|[[富士通]]||FUJITSU||1997年 - ||2013年 - 2015年の2ndは「[[arrows (携帯電話)|ARROWS]]」表記<br/>2016年 - 2017年は旧ロゴの「arrows」表記<br/>(ACLでは1st、2nd共に「FUJITSU」表記
|-
|-
!rowspan="2"|鎖骨
!rowspan="2"|鎖骨
|[https://www.ga-tech.co.jp/ GA technologies ]||align=center|RENOSY||2018年9月 -<ref>{{Cite press release|url=http://www.frontale.co.jp/info/2018/0914_3.html |title=株式会社GA technologiesとのユニフォームスポンサー契約締結のお知らせ|publisher=公式サイト|date=2018-9-14|accessdate=2018-9-18}}</ref> ||左側に表記
|[[GA technologies]]||RENOSY||2018年9月 - <ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.frontale.co.jp/info/2018/0914_3.html |title=株式会社GA technologiesとのユニフォームスポンサー契約締結のお知らせ|publisher=公式サイト|date=2018-9-14|accessdate=2018-9-18}}</ref>||左側に表記
|-
||[http://www.fujitsu.com/jp/group/bsc/ 富士通ビー・エス・シー]||align=center|富士通<br>ビー・エス・シー ||2018年4月 -<ref>{{Cite press release|url=http://www.frontale.co.jp/info/2018/0327_1.html |title=株式会社富士通ビー・エス・シーとのユニフォームスポンサー契約締結のお知らせ|publisher=公式サイト|date=2018-3-27|accessdate=2018-4-7}}</ref>
||右側に表記
|-
|-
|[[Anker#日本法人|アンカー・ジャパン]]||ANKER||2021年 - ||右側に表記<br/>2021年は「Anker {{smaller|Innovations JAPAN}}」表記
|-
|-
!背中上部
!背中上部
|[[SMBC日興証券]]||align=center|SMBC日興証券||20114月 - ||2005年 - 2007年途中は商品名の[[ピーカブー (証券サービス)|ピーカブー]]<br />(2007年途中 - 2011年3月は「日興コーディアル証券」表記)
|[[SMBC日興証券]]||SMBC日興証券||2005年 - ||2005年 - 2007年途中は商品名の[[ピーカブー (証券サービス)|ピーカブー]]」表記<br/>2007年途中 - 2011年3月は「日興コーディアル証券」表記
|-
|-
!背中下部
!背中下部
|[[PwCコンサルティング]]||pwc||2023年 - <ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.frontale.co.jp/info/2023/0102_3.html|title=PwCコンサルティング合同会社とのユニフォームパートナー契約締結のお知らせ|publisher=公式サイト|date=2023-01-02|accessdate=2023-01-02}}</ref>||
|[[富士通エフサス]]||align=center|富士通エフサス||2018年 - ||1998年 - 2004年は背中上部(「Fsas」表記)
|-
|-
!袖
!袖
|[[エバラ食品工業]]||エバラ||2023年 - <ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.frontale.co.jp/info/2022/1029_1.html|title=エバラ食品工業株式会社とのユニフォームパートナー契約締結のお知らせ|publisher=公式サイト|date=2022-10-29|accessdate=2022-10-29}}</ref>||
|[[富士通マーケティング|富士通<br />マーケティング]]||align=center|富士通<br />マーケティング||2011年 - ||
|-
|-
!パンツ
!パンツ前面
|[https://www.matsuo-komuten.co.jp/ 松尾工務店]||MATSUO||2021年4月 - <ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.frontale.co.jp/info/2021/0226_1.html|title=株式会社松尾工務店とのトップパートナー契約締結のお知らせ|publisher=公式サイト|date=2021-2-26|accessdate=2021-2-26}}</ref>||
|[[PFU]]||align=center|PFU||2003年 - 2005年<br />2009年 - ||
|-
!パンツ背面
|[[川崎信用金庫]]||川崎信用金庫 100<br/>{{smaller|KAWASHIN 100th Anniversary}}||2022年 - ||
|}
|}


=== ユニフォームサプライの遍歴 ===
=== ユニフォームサプライヤーの遍歴 ===
* 1997年 - 1998年:[[ペナルティ (スポーツ用品)|ペナルティ]]
* 1997年 - 1998年:[[ペナルティ (スポーツ用品)|ペナルティ]]
* 1999年 - 2010年:[[アシックス]]
* 1999年 - 2010年:[[アシックス]]
530行目: 703行目:


=== 歴代ユニフォーム ===
=== 歴代ユニフォーム ===
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{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:65%; border:double #221615; font-size:smaller; 4px 4px 4px #23B1EA;"
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!colspan=5|FP 1st
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|-
|-
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554行目: 731行目:
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575行目: 752行目:
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=== 歴代ユニフォームスポンサー表 ===
=== 歴代ユニフォームスポンサー表 ===
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|2000
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|2002
|2002
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|2007||[[ピーカブー (証券サービス)|ピーカブー]] / <br/>[[SMBC日興証券|日興コーディアル証券]]
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|-
|2010
|2010
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|2020||[[富士通Japan|富士通<br/>マーケティング /<br/>富士通Japan]]||rowspan="2"|-
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|-
|2021||[[Anker#日本法人|Anker<br/>{{smaller|Innovations<br/>JAPAN}}]]||rowspan="2"|[[富士通Japan]]||- / <br/>[https://www.matsuo-komuten.co.jp/ MATSUO]
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|2018||rowspan="2"|[[富士通|FUJITSU]]||-/<br>[https://www.ga-tech.co.jp/ RENOSY ](左側)<br>[http://www.fujitsu.com/jp/group/bsc/ 富士通<br>ビー・エス・シー](右側)||rowspan="2"|[[富士通エフサス]]
|2022||rowspan="2"|[[Anker#日本法人|ANKER]]||rowspan="2"|[https://www.matsuo-komuten.co.jp/ MATSUO]||rowspan="2"|[[川崎信用金庫|川崎信用金庫 100<br/>{{smaller|KAWASHIN 100th Anniversary}}]]
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|2023||[[PwCコンサルティング|pwc]]||[[エバラ食品工業|エバラ]]
|2019||[https://www.ga-tech.co.jp/ RENOSY ](左側)<br>[http://www.fujitsu.com/jp/group/bsc/ 富士通<br>ビー・エス・シー](右側)
|}
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* この他、1997年 - 1998年は旧JFL、1999年 - はJリーグのロゴが右袖に付く。

* 1998年 - 2004年の背中スポンサー、富士通エフサス(Fsas)の会社名は「富士通サポートアンドサービス」。
* この他、1997 - 98年は旧JFL、1999年以降はJリーグのロゴが右袖に付く。
* [[ノエル (企業)|ノエル]](NOEL)は、2005年途中にCIの変更によりロゴが変更されたが、2005年シーズンは旧ロゴのままで、2006年シーズンより新ロゴに変更された。
* 1998年 - 2004年の背中スポンサー、富士通エフサス (Fsas) の会社名は「富士通サポートアンドサービス」。
* 2007年9月30日の[[金融商品取引法]]施行に伴い、日興コーディアル証券(当時)はユニフォームでの掲示名を商品名の「ピーカブー」から自社名に変更。マスコットのピーカブーは2014年5月末まで応援マスコットとして主にホームゲームでふろん太と共に活動した。同年6月にキャラの使用権利が日興からクラブへ移籍されため頭の部分を青色にした上で公募で「'''カブレラ'''」と改名された。クラブ公式のマスコットとして活動している。
* [[ノエル (企業)|ノエル]] (NOEL) は、2005年途中にCIの変更によりロゴが変更されたが、2005年シーズンは旧ロゴのままで、2006年シーズンより新ロゴに変更された。
* 2007年9月30日の[[金融商品取引法]]施行に伴い、日興コーディアル証券(当時)はユニフォームでの掲示名を商品名の「ピーカブー」から自社名に変更。ちなみに、このマスコットはホームゲームでたびたび登場し、川崎のマスコットである[[ふろん太]]とは大の仲良しである。なおピーカブーは2014年5月末まで応援マスコットとして活動した後、同年6月にキャラの使用権利が日興からクラブへ「完全移籍」することになったため頭の部分を青色にした上で公募で「'''カブレラ'''」と改名された。
* 2013年 - 2017年の2ndユニフォーム胸スポンサーのARROWSは富士通の[[スマートフォン]]、[[タブレット (コンピュータ)|タブレット端末]]のブランド名。ただし、2014年及び2017年のACL仕様の2ndユニフォームはロゴが赤色のFUJITSUとなっている。
* 2013年 - 2017年の2ndユニフォーム胸スポンサーのARROWSは富士通の[[スマートフォン]]、[[タブレット (コンピュータ)|タブレット端末]]のブランド名。ただし、2014年及び2017年のACL仕様の2ndユニフォームはロゴが赤色のFUJITSUとなっている。
* ARROWSのロゴは2015年途中に従来の大文字から小文字のarrowsに変更されたが、2015年シーズンは旧ロゴのまま、2016年より変更された。
* ARROWSのロゴは2015年途中に従来の大文字から小文字のarrowsに変更されたが、2015年シーズンは旧ロゴのまま、2016年より変更された。


== スポンサー ==
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== アカデミー ==
== アカデミー ==
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* 川崎フロンターレU-12
* 川崎フロンターレU-12
* 川崎フロンターレU-10
* 川崎フロンターレU-10

== 新聞などによるチーム略称の表記 ==
[[ファイル:AZZURRO NERO.JPG|thumb|250px|right|川崎フロンターレオフィシャルショップAZZURRO NERO (アズーロ・ネロ)]]
*[[2000年]]まで<ref>[[1998年]]までは[[Jリーグ準加盟クラブ|Jリーグ準会員]]としてJFLとナビスコ杯に参加</ref> は川崎市に本拠地を置くJリーグチームが[[東京ヴェルディ1969|ヴェルディ川崎(V川崎)]]を含め2つあったので、区別の意味合いで'''川崎F'''と表示していた。
*[[2001年]]以後、ヴェルディが[[東京都]]にホームタウンを移してからも、Jリーグ公式サイトや[[J's GOAL]]では'''川崎F'''と表記されているが、'''川崎'''と記載されるケースもある([[ウィキペディア日本語版]]も後者で表記)。なお、スポーツ新聞では日刊スポーツとスポーツニッポンは'''川崎F'''と表記しているが他は'''川崎'''表記である。
*本拠地[[等々力陸上競技場]]アウェーゴール裏2階席上部に2014年まであった電光スコアボード(スタジアム改装に伴い2015年以降は大型ビジョン化)のチーム表記は[[2010年]]までは'''川崎F'''と表記されていたが[[2011年]]からは'''川崎'''と表記されていた。


== 運営会社 ==
== 運営会社 ==
* [[1997年]] - [[2001年]]: 富士通川崎スポーツマネージメント株式会社
* [[1997年]] - [[2001年]]: 富士通川崎スポーツマネージメント株式会社
* [[2002年]] - 現 在: 株式会社川崎フロンターレ
* [[2002年]] - 現在: 株式会社川崎フロンターレ


== 地域密着 ==
== 地域密着 ==
[[富士通サッカー部]]は[[1996年]]にプロ化を推進するにあたり、Jリーグの理念に沿った地域社会との共生を目指すことをテーマに掲げた。地元川崎市の各行政区でのサッカースクール(学校巡回スクール含む)の実施といったサッカーに関わることだけでなく、地域の市民・区民まつりへの参加、市内各商店街等の行事への選手らの派遣(お年始など)、また地元商店街加盟店舗などの協賛によるマン・オブ・ザ・マッチの表彰制度'''「あんたが大賞」'''、週末のホームゲームでのサイン会等を積極的に行うように務めた。特に、[[クリスマス]]シーズンに行われる入院児への訪問活動'''「青い[[サンタクロース]]」'''は毎年恒例の奉仕活動として定着している。
[[富士通サッカー部]]は[[1996年]]にプロ化を推進するにあたり、Jリーグの理念に沿った地域社会との共生を目指すことをテーマに掲げた。地元川崎市の各行政区でのサッカースクール(学校巡回スクール含む)の実施といったサッカーに関わることだけでなく、地域の市民・区民まつりへの参加、市内各商店街等の行事への選手らの派遣(お年始など)、また地元商店街加盟店舗などの協賛によるマン・オブ・ザ・マッチの表彰制度'''「あんたが大賞」'''、週末のホームゲームでのサイン会等を積極的に行うように務めた。特に、[[クリスマス]]シーズンに行われる入院児への訪問活動'''「青い[[サンタクロース]]」'''は毎年恒例の奉仕活動として定着している。


一方、ホームタウンである川崎市も[[2004年]]9月に「'''[[川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナー]]'''」を制定。フロンターレはこの創設メンバーとして認定を受け、これに基づく活動を推進していくことになった。また、その中で、川崎市は他の地元企業・団体、またサポーター持株会と共に、運営会社(当時の富士通川崎スポーツマネジメント)の株式の一部を取得した。現在は[[富士電機]]・[[富士通]]グループ各社のほか、川崎市に本社や事業所を持つ企業・[[公益法人]]など36の団体が出資している。特に富士通系のスポーツクラブではフロンターレのほか、[[富士通レッドウェーブ|女子バスケット「レッドウェーブ」]]、[[富士通フロンティアーズ|アメリカンフットボール「フロンティアーズ」]]もこのパートナーに参加しているが、[[富士通カワサキレッドスピリッツ|男子バレーボール「川崎レッドスピリッツ」]]は、富士通系で唯一まだこのパートナーに加盟していない。2016年からは男子バスケットボールの[[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ]](Bリーグ)でとどろきアリーナをホームとする「[[東芝川崎ブレイブサンダース]]」とのコラボレーション企画を発表し、ホームゲーム同日開催時のチケット割引サービスなどを実施している<ref>川崎フロンターレ、[http://www.frontale.co.jp/info/2016/1017_13.html 「かわさきスポーツパートナーpresents 10/22「川崎ブレイブサンダース×川崎フロンターレ」コラボ企画実施のお知らせ」]、2016年10月17日付、2017年4月23日閲覧。</ref>。
ホームタウンである川崎市も[[2004年]]9月に「'''[[川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナー]]'''」を制定。フロンターレはこの創設メンバーとして認定を受けた。また、川崎市は他の地元企業・団体、またサポーター持株会と共に、運営会社の株式の一部を取得した。現在は[[富士電機]]・[[富士通]]グループ各社のほか、川崎市に本社や事業所を持つ企業・[[公益法人]]など36の団体が出資している。2016年からは男子バスケットボールの[[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ]](Bリーグ)でとどろきアリーナをホームとする「[[川崎ブレイブサンダース]]」とのコラボレーション企画を発表し、ホームゲーム同日開催時のチケット割引サービスなどを実施している<ref>川崎フロンターレ、[http://www.frontale.co.jp/info/2016/1017_13.html 「かわさきスポーツパートナーpresents 10/22「川崎ブレイブサンダース×川崎フロンターレ」コラボ企画実施のお知らせ」]、2016年10月17日付、2017年4月23日閲覧。</ref>。


2006年はクラブ創立10周年に当たり、川崎市商店街連合会を通じ、市内の全商店街の街灯にチームの応援[[タペストリー]](ふろん太のデザイン)を配布。2006年1月の時点では、タペストリー掲示を了解したのが加盟全139団体(商店街以外を含む)中68団体と紹介されている。両者の良好な関係はその後も続き、2014年には同連合会に加盟する市内全域の11地区の商店街連合会<ref>川崎区は4団体、幸区は2団体、他の5区は1団体が加盟。</ref> 全てと市連合会の青年部が「あんたが大賞」として、フロンターレの主催試合で最も印象に残る活躍をした同チームの選手 ([[MIP]]) に各地区の名産品などの商品を贈り<ref>川崎市商店街連合会公式サイト、「[http://k-shouren.jp/?page_id=32 川崎市商店街連合会は、川崎フロンターレを応援しています!]」</ref>、持株会の理事長には川崎市商店街連合会の相談役(元会長)である和田義盛が就任している<ref>川崎フロンターレ持株会オフィシャルサイト、「[http://www.frontalemochikabukai.com/overview.html 概要]」、2015年5月11日閲覧。</ref>。
2006年はクラブ創立10周年に当たり、川崎市商店街連合会を通じ、市内の全商店街の街灯にチームの応援[[タペストリー]]を配布。2014年には同連合会に加盟する市内全域の11地区の商店街連合会<ref group=注釈>川崎区は4団体、幸区は2団体、他の5区は1団体が加盟。</ref> 全てと市連合会の青年部が「あんたが大賞」として、フロンターレの主催試合で最も印象に残る活躍をした同チームの選手 に各地区の名産品などの商品を贈り<ref>川崎市商店街連合会公式サイト、「[http://k-shouren.jp/?page_id=32 川崎市商店街連合会は、川崎フロンターレを応援しています!]」</ref>、持株会の理事長には川崎市商店街連合会の相談役(元会長)である和田義盛が就任している<ref>川崎フロンターレ持株会オフィシャルサイト、「[http://www.frontalemochikabukai.com/overview.html 概要]」、2015年5月11日閲覧。</ref>。


また広報担当者のインタビュー記事には、後援会員の75%が等々力陸上競技場と富士通本店・川崎工場のある中原区、クラブ事務所のある[[高津区]]、そして市が整備しフロンターレが[[指定管理者]]となって2006年4月に開業した「[[フロンタウン・さぎぬま]]」([[フットサル]]場)のある[[宮前区]]の3区在住者で占められるとあり、クラブ方針としても特にこの3区での営業活動を先行して重視するとしている。
また広報担当者のインタビュー記事には、後援会員の75%が等々力陸上競技場と富士通本店・川崎工場のある中原区、クラブ事務所のある[[高津区]]、そして市が整備しフロンターレが[[指定管理者]]となって2006年4月に開業した「[[フロンタウン・さぎぬま]]」([[フットサル]]場)のある[[宮前区]]の3区在住者で占められる。


[[川崎競馬場]]で[[2006年]][[11月2日]]に[[JBCスプリント|JBCマイル]]競走の前座として「祝10周年・フロンターレ特別」が行われた<ref>[http://www.keiba.go.jp/topics/2006/1005.html 地方競馬全国協会ニュースリリース]、[http://www.nankankeiba.com/dirt4.kawasaki/ns_2006092821_4.html 川崎競馬場ニュースリリース]</ref>。
[[川崎競馬場]]で[[2006年]][[11月2日]]に[[JBCスプリント|JBCマイル]]競走の前座として「祝10周年・フロンターレ特別」が行われた<ref>[http://www.keiba.go.jp/topics/2006/1005.html 地方競馬全国協会ニュースリリース]、[http://www.nankankeiba.com/dirt4.kawasaki/ns_2006092821_4.html 川崎競馬場ニュースリリース]</ref>。


またトップチームの麻生練習場がある麻生区では[[2009年]]に「麻生アシストクラブ」が発足した。「しんゆり・芸術のまちづくりフォーラム」内に事務所が置かれ、商店街や各種団体などが構成する同クラブを川崎市役所(麻生区役所)やフロンターレが後援する形を取って、同区内での広報・支援活動を展開する事になった<ref>[http://kpress.weblogs.jp/news/2009/08/post-9d54-1.html 川崎市麻生区で川崎麻生アシストクラブが発足] k-press 2009年8月23日付</ref>。同クラブでは[[小田急電鉄]]の協力も受け、麻生練習場の最寄り駅である[[小田急多摩線]][[栗平駅]]のホーム脇陸橋に告知看板を出すなどの活動をしている<ref>[http://www.frontale.co.jp/diary/2010/0519.html 新ランドマーク誕生!] 川崎公式サイト内「フロンターレ日記」2010年5月19日</ref>。
トップチームの麻生練習場がある麻生区では[[2009年]]に「麻生アシストクラブ」が発足した。「しんゆり・芸術のまちづくりフォーラム」内に事務所が置かれ、商店街や各種団体などが構成する同クラブを川崎市役所(麻生区役所)やフロンターレが後援する形を取って、同区内での広報・支援活動を展開する事になった<ref>[http://kpress.weblogs.jp/news/2009/08/post-9d54-1.html 川崎市麻生区で川崎麻生アシストクラブが発足] k-press 2009年8月23日付</ref>。同クラブでは[[小田急電鉄]]の協力も受け、麻生練習場の最寄り駅である[[小田急多摩線]][[栗平駅]]のホーム脇陸橋に告知看板を出すなどの活動をしている<ref>[http://www.frontale.co.jp/diary/2010/0519.html 新ランドマーク誕生!] 川崎公式サイト内「フロンターレ日記」2010年5月19日</ref>。


スポーツ交流パートナー事業以外の異競技交流では[[大相撲]]・[[春日山部屋]]が川崎市川崎区にある<ref>同部屋の前師匠(20代)、[[春日山 (相撲)|春日山]]由晃(現役時代の四股名は[[春日富士晃大]])は川崎市で育ち、同市立桜本中学校卒業後に角界入りしていた。なお、春日山部屋は2012年に現師匠(21現役時代の四股は[[濱錦竜郎]]、[[熊本市]]出身)に引き継がれ、その後20代と21代の間には民事訴訟も起こったが、所在地は変わらず、フロンターレとの協力関係も維持されている。</ref> という縁で、フロンターレのファン感謝デーに春日山部屋の力士をゲスト出演として招き、フロンターレの主催試合では春日山部屋の所属力士が同部屋のちゃんこを販売する屋台が競技場外の広場に毎回出店されてい。また、毎年1度は同部屋の力士が等々力陸上競技場を訪れ、相撲にちなんだイベントを行う「イッツァスモウワールド」<ref>[[東京ディズニーランド]]などの[[ディズニーパーク]]にある[[イッツ・ア・スモールワールド]]をもじった名称。</ref> を実施してい。2014年は開催が途切れたが、2015年4月29日のJ1・1stステージ第8節、[[柏レイソル]]戦では2年ぶりに開催され、同部屋力士によるアトラクション、特製ちゃんこなどの飲食販売、等々力陸上競技場での[[枡席]]の設置、選手入場前の[[呼出]]による両チーム名の読み上げなどが行われた。なお、この時の開催は[[日本相撲協会]]も後援し、[[本場所]](五月場所)のチケット販売、特製焼き鳥の販売、マスコット「ひよの山」の来場<ref>焼き鳥やひよの山が[[両国国技館]]以外で披露されるのは稀だとされている。</ref>、始球式では人気の高い[[振分]]親方(現役時代は[[高見盛精彦]])の参加などで協力した<ref>フロンターレ日記、2015年5月9日付、「[http://www.frontale.co.jp/diary/2015/0509.html 柏戦 イッツァ スモウワールド報告!]」</ref>。一方、2009年からは毎年1回、[[両国国技館]]での本場所でフロンターレが告知してサポーターが集まる春日山部屋応援ツアーが実施され、同部屋所属の[[春日王克昌]]などの応援に駆けつけ([[2010年]][[9月13日]] [[NHK総合テレビジョン]]「[[Bizスポ]]」より)、2011年も九月場所(秋場所)9日目の9月19日に実施された<ref>[http://www.frontale.co.jp/info/2011/0822_5.html JTBアウェイツアー「春日山部屋応援ツアー2011」参加者募集のお知らせ]</ref>。春日王は[[大相撲八百長問題]]によって2011年4月に引退したが、同年の「イッツ・ア・スモウワールド」開催日となった5月3日のジュビロ磐田戦では春日王が試合前にグラウンドに登場して引退報告と今までの支援への感謝を述べ、5月28日に行われた春日王の[[断髪式]]には武田社長が参加した<ref>[http://www.frontale.co.jp/diary/2011/0607.html] フロンターレ日記2011年6月7日</ref>。
スポーツ交流パートナー事業以外の異競技交流では[[大相撲]]・[[中川部屋]]が川崎市にある<ref group=注釈>同部屋の前身である春日山部屋の師匠(20代)、[[春日山 (相撲)|春日山]]由晃(故人、現役時代の四股名は[[春日富士晃大]])は川崎市で育ち、同市立桜本中学校卒業後に角界入りしていた。なお、春日山部屋は2012年に21現役時代の四股は[[濱錦竜郎]]、[[熊本市]]出身)に引き継がれ、その後20代と21代の間には民事訴訟も起こり、最終的に部屋も一時閉鎖となったが、2017年に15代[[中川 (相撲)|中川]](現役時代の四股名は[[旭里憲治]]、[[大阪府]][[池田市]]出身)により中川部屋として再興されて以降も所在地は川崎市のまま変わらず(2017年に川崎区から幸区に移転)、フロンターレとの協力関係も維持されている。</ref> という縁で、フロンターレのファン感謝デーに中川部屋の力士をゲスト出演として招き、フロンターレの主催試合では中川部屋の所属力士が同部屋のちゃんこを販売する屋台が競技場外の広場に毎回出店されてい。また、毎年1度は同部屋の力士が等々力陸上競技場を訪れ、相撲にちなんだイベントを行う「イッツァスモウワールド」<ref group=注釈>[[東京ディズニーランド]]などの[[ディズニーパーク]]にある[[イッツ・ア・スモールワールド]]をもじった名称。</ref> を実施してい。2014年は開催が途切れたが、2015年4月29日のJ1・1stステージ第8節、[[柏レイソル]]戦では2年ぶりに開催され、同部屋力士によるアトラクション、特製ちゃんこなどの飲食販売、等々力陸上競技場での[[枡席]]の設置、選手入場前の[[呼出]]による両チーム名の読み上げなどが行われた。なお、この時の開催は[[日本相撲協会]]も後援し、[[本場所]](五月場所)のチケット販売、特製焼き鳥の販売、マスコット「ひよの山」の来場<ref group=注釈>焼き鳥やひよの山が[[両国国技館]]以外で披露されるのは稀だとされている。</ref>、始球式では[[振分]]親方([[高見盛精彦]])の参加した<ref>フロンターレ日記、2015年5月9日付、「[http://www.frontale.co.jp/diary/2015/0509.html 柏戦 イッツァ スモウワールド報告!]」</ref>。2016年10月に春日山部屋が閉鎖されたため2017年は開催が見送られたが中川部屋としての再興により2018年には再開された<ref>[https://kawasaki.keizai.biz/headline/453/ 川崎フロンターレと相撲部屋がコラボ 「イッツァ スモウワールド」] 川崎経済新聞、2018年3月26日</ref>。2019年は中川部屋勢に加え、川崎市出身久々の幕内力士となった[[友風勇太]]([[尾車部屋]])が参加し、始球式を行った<ref>フロンターレ日記、2019年5月12日付、「[http://www.frontale.co.jp/diary/2019/0512.html 令和初陣川崎勝利!]」</ref>。2020年は新型コロナウイルスの影響により開催されていない。2009年からは毎年1回、[[両国国技館]]での本場所でフロンターレが告知してサポーターが集まる中川(春日山部屋応援ツアーが実施された。2011年も九月場所(秋場所)9日目の9月19日に実施された<ref>[http://www.frontale.co.jp/info/2011/0822_5.html JTBアウェイツアー「春日山部屋応援ツアー2011」参加者募集のお知らせ]</ref>。春日王は2011年4月に引退したが、同年の「イッツ・ア・スモウワールド」開催日となった5月3日のジュビロ磐田戦では春日王が試合前にグラウンドに登場して引退報告と今までの支援への感謝を述べ、5月28日に行われた春日王の[[断髪式]]には武田社長が参加した<ref>[http://www.frontale.co.jp/diary/2011/0607.html] フロンターレ日記2011年6月7日</ref>。


元[[プロボクサー]]の[[新田渉世]]が川崎市多摩区に開いている川崎新田ボクシングジムとも協力関係にあり、2011年8月16日にとどろきアリーナで行われた同ジム主催の興行ではふろん太が登場し、「日本マスコット級タイトル決定戦(非公認)」として[[一平くん]]([[愛媛FC]]応援マスコット)と対戦して勝利した後、メインイベントだった[[黒田雅之]]の日本[[ライトフライ級]]タイトルマッチでのラウンドボーイを務めた<ref>[http://www.frontale.co.jp/diary/2011/0816.html] フロンターレ日記2011年8月16日</ref>。
元[[プロボクサー]]の[[新田渉世]]が川崎市多摩区に開いている[[川崎新田ボクシングジム]]とも協力関係にあり、2011年8月16日にとどろきアリーナで行われた同ジム主催の興行ではふろん太が登場し、「日本マスコット級タイトル決定戦(非公認)」として[[一平くん]]([[愛媛FC]]応援マスコット)と対戦して勝利した後、メインイベントだった[[黒田雅之]]の日本[[ライトフライ級]]タイトルマッチでのラウンドボーイを務めた<ref>[http://www.frontale.co.jp/diary/2011/0816.html] フロンターレ日記2011年8月16日</ref>。


2009年からは地元密着のための事業の一つとして、小学6年生用のオリジナル[[算数]][[問題集|ドリル]]を作成し市内の小学校に配布している<ref>[http://web.archive.org/web/20090413214815/http://www.jsgoal.jp:80/official/00080000/00080508.html 「フロンターレ算数ドリル」完成のお知らせ] [[J's GOAL]]、2009年4月8日</ref>。これは[[プレミアリーグ]]の[[アーセナルFC|アーセナル]]がロンドン市と共同で毎年製作している外国語学習教材にヒントを得たもので<ref>[http://www.j-league.or.jp/100year/report/_/?c=&n=kawasaki&code=00000533 「川崎フロンターレ算数ドリル」完成] Jリーグ公式サイト・2009年4月28日</ref>、初年度は市内の1校のみに配布されたが、2010年は前年のナビスコ杯準優勝の賞金を原資に市内の全小学校及び特別支援学校に配布先を拡大<ref name=jsgoal101007>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00108033.html 川崎F:2010算数ドリル・ゲストティーチャー(稲本潤一選手、伊藤宏樹選手)レポート] [[J's GOAL]]、2010年10月7日</ref>。2011年からは川崎市からも補助金が出るようになった<ref>[http://www.frontale.co.jp/info/2011/0411_2.html 2011年度「川崎フロンターレ算数ドリル(上巻)」完成のお知らせ] 川崎フロンターレ・2011年4月11日</ref>。このドリルを題材とした小学生と選手の交流授業「算数ドリル・ゲストティーチャー」も行われている他<ref name=jsgoal101007 />、2011年には[[東日本大震災]]で被害を受けた[[岩手県]][[陸前高田市]]の小学校にも同ドリルが寄付された<ref>[http://www.frontale.co.jp/info/2011/0419_1.html 「川崎フロンターレ算数ドリル」の寄付について] 川崎フロンターレ・2011年4月19日</ref>
2009年からは地元密着のための事業の一つとして、小学6年生用のオリジナル[[算数]][[問題集|ドリル]]を作成し市内の小学校に配布している<ref>[https://web.archive.org/web/20090413214815/http://www.jsgoal.jp:80/official/00080000/00080508.html 「フロンターレ算数ドリル」完成のお知らせ] [[J's GOAL]]、2009年4月8日</ref>。これは[[プレミアリーグ]]の[[アーセナルFC|アーセナル]]がロンドン市と共同で毎年製作している外国語学習教材にヒントを得たもので<ref>[http://www.j-league.or.jp/100year/report/_/?c=&n=kawasaki&code=00000533 「川崎フロンターレ算数ドリル」完成] Jリーグ公式サイト・2009年4月28日</ref>、初年度は市内の1校のみに配布されたが、2010年は前年のナビスコ杯準優勝の賞金を原資に市内の全小学校及び特別支援学校に配布先を拡大<ref name=jsgoal101007>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00108033.html 川崎F:2010算数ドリル・ゲストティーチャー(稲本潤一選手、伊藤宏樹選手)レポート] [[J's GOAL]]、2010年10月7日</ref>。2011年からは川崎市からも補助金が出るようになった<ref>[http://www.frontale.co.jp/info/2011/0411_2.html 2011年度「川崎フロンターレ算数ドリル(上巻)」完成のお知らせ] 川崎フロンターレ・2011年4月11日</ref>。このドリルを題材とした小学生と選手の交流授業「算数ドリル・ゲストティーチャー」も行われている他<ref name=jsgoal101007 />、2011年には[[東日本大震災]]で被害を受けた[[岩手県]][[陸前高田市]]の小学校にも同ドリルが寄付された<ref>[http://www.frontale.co.jp/info/2011/0419_1.html 「川崎フロンターレ算数ドリル」の寄付について] 川崎フロンターレ・2011年4月19日</ref>


2015年、旧[[川崎球場]]をリニューアルしてオープンした[[川崎富士見球技場]](富士通スタジアム川崎)の[[指定管理者]]に、[[東急コミュニティー]]と共同で認定され、フロンターレのサッカースクール生による練習、並びにユースチームの公式戦に使用されている。
これらの活動を広くまとめた書籍として、2011年6月17日にフロンターレプロモーション部部長の天野春果が『僕がバナナを売って算数ドリルを作るワケ』を[[小学館]]から出版し、テレビ東京系のサッカー番組「[[FOOT×BRAIN]]」などでも紹介された<ref>2011年11月12日放送、天野が中西哲生や中村憲剛と共に出演。</ref>。天野は2016年11月2日に同社から2冊目の著書『スタジアムの宙にしあわせの歌が響く街』を出版してマスメディア各社から取り上げられ、2017年2月からは[[2020年夏季オリンピック|2020年東京五輪]]・[[東京パラリンピック (2020年)|パラリンピック]]組織委員会へ出向した<ref>東京新聞、[http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201612/CK2016120702000177.html 「名物企画仕掛け人が五輪組織委へ フロンターレ部長・天野春果さん」]、2016年12月7日付、2017年4月23日閲覧。</ref>。


2016年3月現在、Jリーグが実施しているスタジアム観戦者調査において、2010年シーズンから5年連続で地域貢献度1位の評価を得ている。
2016年3月現在、Jリーグが実施しているスタジアム観戦者調査において、2010年シーズンから5年連続で地域貢献度1位の評価を得ている。


毎試合、審判・両チーム選手入場前にサポーターが川崎市民の歌『好きです かわさき 愛の街』を歌うことが慣例となっている。
毎試合、審判・両チーム選手入場前にサポーターが川崎市民の歌『[[好きです かわさき 愛の街]]』を歌うことが慣例となっている。

2023年3月、「[[フロンタウン生田|Anker フロンタウン生田]]」を開業<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kanaloco.jp/sports/soccer/frontale/article-976835.html |title=川崎・生田に新拠点 育成組織強化や地域活性化 |access-date=2023-04-08 |publisher=神奈川新聞}}</ref>。


== 応援番組 ==
== 応援番組 ==
786行目: 1,058行目:
* [[SUKI!SUKI!フロンターレ]] ([[イッツ・コミュニケーションズ|iTSCOM]])
* [[SUKI!SUKI!フロンターレ]] ([[イッツ・コミュニケーションズ|iTSCOM]])
* [[かわさき市民放送#VAMOS!川崎フロンターレ|VAMOS!川崎フロンターレ]] ([[かわさき市民放送|FM K-City]])
* [[かわさき市民放送#VAMOS!川崎フロンターレ|VAMOS!川崎フロンターレ]] ([[かわさき市民放送|FM K-City]])
*囲碁将棋と明日美のハッピーフロンターレ!!!([[アール・エフ・ラジオ日本|ラジオ日本]])


== 後援会 ==
== 後援会 ==
1997年のクラブ発足当初から存在していたファンクラブと、1999年に川崎市が設立した市民後援会が合流し、2001年から現在の川崎フロンターレ後援会の形となった。愛称は「ブルーフレンズ<ref>この愛称を用いて、かわさきFMで放送されるホームゲームの実況放送の名前は「BLUE FRIENDS STADIUM○○○○」(○○○○部分には西暦年が入る)ともされている。</ref>」。後援会長は事実上川崎市長の[[充て職]]で、初代は[[高橋清 (川崎市長)|高橋清]]、その後は長く[[阿部孝夫]]が務めた後、2013年11月からは[[福田紀彦]]が就任している。毎年7月1日の市制記念日<ref>[[1924年]]7月1日、川崎市が現在の川崎区の範囲で市制を施行。後の中原区となる[[中原町 (神奈川県)|中原町]]が川崎市に編入されたのは[[1933年]]8月1日。</ref> 付近で行われる「市制記念試合」では、後援会長を兼任する市長が試合前に挨拶をするのが恒例となっている。
1997年のクラブ発足当初から存在していたファンクラブと、1999年に川崎市が設立した市民後援会が合流し、2001年から現在の川崎フロンターレ後援会の形となった。愛称は「ブルーフレンズ<ref group=注釈>この愛称を用いて、かわさきFMで放送されるホームゲームの実況放送の名前は「BLUE FRIENDS STADIUM○○○○」(○○○○部分には西暦年が入る)ともされている。</ref>」。後援会長は事実上川崎市長の[[充て職]]で、初代は[[高橋清 (川崎市長)|高橋清]]、その後は長く[[阿部孝夫]]が務めた後、2013年11月からは[[福田紀彦]]が就任している。毎年7月1日の市制記念日<ref group=注釈>[[1924年]]7月1日、川崎市が現在の川崎区の範囲で市制を施行。後の中原区となる[[中原町 (神奈川県)|中原町]]が川崎市に編入されたのは[[1933年]]8月1日。</ref> 付近で行われる「市制記念試合」では、後援会長を兼任する市長が試合前に挨拶をするのが恒例となっている。


後援会員には個人・ファミリー(同一住所の2-4名)・ジュニア(小中学生)<ref>2014年度では、個人会員が10,347人、ファミリー会員が12,450人、ジュニア会員が4,254人。</ref> の3種別があり、特典として、「ホームAゾーン招待チケット」<ref>ジュニア会員にはなく、代わりにシーズンチケットを格安で販売する</ref>、「会員限定イベント参加権」、「シーズンチケット購入権」、会報誌「デルフィーノ」送付等がある。また、富士通が後援会員限定で自社パソコン「FMV」の特別価格商品やフロンターレ限定モデルを販売する事がある<ref>
後援会員には個人・ファミリー・ジュニア(小中学生)<ref group=注釈>2014年度では、個人会員が10,347人、ファミリー会員が12,450人、ジュニア会員が4,254人。</ref> の3種別。
川崎フロンターレ、「お知らせ」2013年10月2日付、「[http://www.frontale.co.jp/info/2013/1002_1.html 後援会員限定「Frontale×FMVコラボ企画 第10弾 川崎フロンターレ特別モデル販売キャンペーン」開催のお知らせ]」</ref>。2015年には招待チケットの配布枚数が1会員あたり2枚から1枚へと減少し、代わりに多様な席種での割引サービスが受けられる「えらべるクーポン」制度が導入された。
後援会員の数は年々増加し、J1復帰の2005年には12,406人だったのが、2008年には20,189人と初めて2万人台となり、2011年には24,588人に達した。その後は減少傾向にあったが、2014年には27,051人で、初めて2万5千人を超えた。2018年は優勝効果もあり4万人を超えた。


2014年は27,051人で初めて2万5千人を超え、2016年に3万人、2018年に4万人、2019年には4万5千人を超えた。
{| class="wikitable"

|-
{| class="wikitable" style="text-align:right; border:double #221615; box-shadow: 4px 4px 4px #23B1EA;"
! rowspan="1" |年度
|- style="text-align:center; background-color:#23B1EA; color:#FFFFFF; font-weight:bold;"
! rowspan="1" |後援会員数
|年度||後援会員数
|-
|-
|2005年
|2005年
|style="text-align:right;"|12,406
|12,406
|-
|-
|2006年
|2006年
|style="text-align:right;"|12,681
|12,681
|-
|-
|2007年
|2007年
|style="text-align:right;"|16,686
|16,686
|-
|-
|2008年
|2008年
|style="text-align:right;"|20,189
|20,189
|-
|-
|2009年
|2009年
|style="text-align:right;"|21,522
|21,522
|-
|-
|2010年
|2010年
|style="text-align:right;"|24,004
|24,004
|-
|-
|2011年
|2011年
|style="text-align:right;"|24,588
|24,588
|-
|-
|2012年
|2012年
|style="text-align:right;"|23,778
|23,778
|-
|-
|2013年
|2013年
|style="text-align:right;"|23,187
|23,187
|-
|-
|2014年
|2014年
|style="text-align:right;"|27,051
|27,051
|-
|-
|2015年
|28,019
|-
|2016年
|30,904
|-
|2017年
|36,894
|-
|2018年
|43,838
|-
|2019年
|45,643
|-
|2020年
|44,600
|-
|2021年
|45,966
|}
|}


{| class="wikitable" style="text-align:right; border:double #221615; box-shadow: 4px 4px 4px #23B1EA;"
後援会のページでは、前年度での会員内訳が詳細に発表されている。その年代と性別は、以下の通りである。
|- style="text-align:center; background-color:#23B1EA; color:#FFFFFF; font-weight:bold;"

|年代||後援会員数||百分比
{| class="wikitable"
|-
! rowspan="1" |年代
! rowspan="1" |後援会員数
! rowspan="1" |百分比
|-
|-
|0-9歳
|0-9歳
|3,892
|style="text-align:right;"|3,480
|8%
|style="text-align:right;"|13%
|-
|-
|10-19歳
|10-19歳
|7,428
|style="text-align:right;"|4,835
|16%
|style="text-align:right;"|18%
|-
|-
|20-29歳
|20-29歳
|6,212
|style="text-align:right;"|2,693
|14%
|style="text-align:right;"|10%
|-
|-
|30-39歳
|30-39歳
|6,523
|style="text-align:right;"|4,826
|14%
|style="text-align:right;"|18%
|-
|-
|40-49歳
|40-49歳
|10,202
|style="text-align:right;"|6,464
|22%
|style="text-align:right;"|24%
|-
|-
|50-59歳
|50-59歳
|8,038
|style="text-align:right;"|3,004
|17%
|style="text-align:right;"|11%
|-
|-
|60歳以上
|60歳以上
|3,656
|style="text-align:right;"|1,645
|8%
|style="text-align:right;"|6%
|-
|-
|年齢不明
|年齢不明
|15
|style="text-align:right;"|104
|0%
|style="text-align:right;"|0%
|-
|-
| colspan="3" |2021年度集計
|}
|}


{| class="wikitable" style="text-align:right; border:double #221615; box-shadow: 4px 4px 4px #23B1EA;"
{| class="wikitable"
|- style="text-align:center; background-color:#23B1EA; color:#FFFFFF; font-weight:bold;"
|-
|性別||後援会員数||百分比
! rowspan="1" |性別
! rowspan="1" |後援会員数
! rowspan="1" |百分比
|-
|-
|男性
|男性
|29,157
|style="text-align:right;"|17,358
|63%
|style="text-align:right;"|65%
|-
|-
|女性
|女性
|16,745
|style="text-align:right;"|9,140
|36%
|style="text-align:right;"|34%
|-
|-
|性別不明
|性別不明
|64
|style="text-align:right;"|373
|0%
|style="text-align:right;"|1%
|-
|-
| colspan="3" |2021年度集計
|}
|}


また、地域別では川崎市在住者が18,062人で全体の67%を占め、川崎市民(1,460,171人)全体に対しては1.24%、81人に一人と紹介されている。川崎市内の7区別では等々力陸上競技場のある中原区が6,383人で、会員数と区民全体(244,120人)に対する会員数比(2.61%、38人に一人)の双方で最高となっている。一方、最も南にある川崎区(1,224人、0.56%、180人に一人)は会員数と区民人口比の双方で最も低く、次いで市北部の多摩区と麻生区で区民人口比が1%を下回っている。川崎市外の会員数では[[横浜市]]が2,175人で最も多く、次いで中原区に隣接する[[東京都]][[大田区]]、[[世田谷区]]などとなっている<ref>東京特別区を一つの市と考えると、会員数ベスト10の地域として挙げられている[[品川区]]・[[目黒区]]・[[杉並区]]との5区合計で横浜市を上回る。</ref>。
地域別では川崎市在住者が26,104人で全体の57%を占める。川崎市外の会員数では[[横浜市]]が4,032人で最も多く、次いで中原区に隣接する[[東京都]][[大田区]]、[[世田谷区]]などとなっている<ref group=注釈>東京特別区を一つの市と考えると、会員数ベスト10の地域として挙げられている[[品川区]]・[[目黒区]]・[[杉並区]]との5区合計で横浜市を上回る。</ref>。


== 企画等 ==
== コラボレーション・パロディー ==
=== コラボレーション ===
=== コラボ企画 ===
*[[2005年]] [[NHK教育]]「[[ピタゴラスイッチ]]」「アルゴリズムこうしん」で「川崎フロンターレのみなさんといっしょ」として我那覇和樹・鬼木達・寺田周平・今野章・アウグスト・ふろん太が[[いつもここから]]の二人と行進を行った。
*[[2005年]]〜 [[ガンプラ]](ガンダムプラモ)とコラボ。
*2005年~ [[ガンプラ]](ガンダムプラモ)
*[[2008年]]、漫画『[[GIANT KILLING]]』(作:[[綱本将也]]・[[ツジトモ]]、[[モーニング (漫画雑誌)|週刊モーニング]]連載)とコラボ。
*2007年
**9月20日開催の[[多摩川クラシコ]](対[[FC東京]])のポスターイラスト、およびトレーディングカードにツジトモ書き下ろしで同作の登場人物『達海猛』のイラストが使われた。{{Main2|これにまつわるエピソード|ツジトモ}}
**[[エースをねらえ!]]/[[4月15日]]の[[清水エスパルス|清水]]戦。Jリーグ加盟以来勝利を挙げていなかった清水を相手に「エス(パルス)をねらえ!」と題して初勝利を目指そうという企画を行った<ref>{{Cite web|和書|title=フロンターレ日記:イベント情報満載|url=http://www.frontale.co.jp/|website=川崎フロンターレ|accessdate=2021-05-22|date=2007-04-07}}</ref>。この時はアニメの「エースをねらえ!」で岡ひろみ役を演じた[[高坂真琴]]が「このゲームは絶対に負けられない!! 打倒オレンジ、ついに完結よ!!」といったフレーズの宣伝を行った。
*[[2009年]]、TVアニメ『[[天体戦士サンレッド]](作:[[くぼたまこと]]、[[ヤングガンガン]]連載)』とコラボ。
**[[川崎麻世]]/[[6月30日]]の[[ヴィッセル神戸|神戸]]戦で、川崎市のスポンサードマッチ「川崎市制記念試合」([[7月1日]]の市制施行記念日に合わせた記念試合)を実施<ref>{{Cite web|和書|title=川﨑麻世さん「YMCAヤングマンショー」バックダンサー募集のお知らせ|url=https://www.frontale.co.jp/info/2007/0608_1.html|website=川崎フロンターレ オフィシャルWEBサイト|accessdate=2021-05-22|publisher=川崎フロンターレ|date=2007-06-08}}</ref>。その試合で川崎麻世が「[[YOUNG MAN (Y.M.C.A.)]]」をハーフタイムショーとして熱唱。
**中村、井川、谷口の3選手、武田社長、マスコットキャラクター・[[ふろん太]]とその家族との共演アニメ(全4話)が制作され、『[[ファイト!川崎フロンターレ]]』内で放送された [http://www.frontale.co.jp/info/2008/1218_2.html]。『サンレッド』のDVD2〜5巻に映像特典として収録されている。また、そのコラボレーション企画の一環として、タレントの[[髭男爵]]の2人(山田ルイ53世、ひぐち君)が開幕戦の始球式に登場した(両者とも、同作のアニメに声優として出演)。
***なお、川崎市制記念試合では川崎市により市民が招待されているが、2004年(市制施行70周年)から2006年までは当時川崎市内在住だった[[西城秀樹]]が毎年招聘され、ハーフタイムショーに出演していた。2008年から西城が再び出演するようになった。西城は死去する前年の2017年まで出演し、以降もハーフタイムショーでゲストがヤングマンのショーを行っている。
*[[2009年]]、[[モンテディオ山形|山形]]戦にて、新たにスポンサーになったDoleより、アウェー応援サポーターを含む来場者全員にバナナ1房をプレゼント。
**[[朝日放送テレビ|朝日放送(現:朝日放送テレビ)]]・[[パネルクイズ アタック25|パネルクイズアタック25]]/[[8月25日]]の[[ガンバ大阪]]戦の試合において、同番組とのコラボレーション「アタック25日」を開催<ref>{{Cite web|和書|title=川崎がG大阪戦へ「アタック25日」作戦!|url=https://web.gekisaka.jp/news/detail/?27169-7797-fl|website=ゲキサカ|accessdate=2021-05-22|language=ja|publisher=講談社|date=2007-08-09}}</ref><ref name=":0">{{Cite web|和書|title=8/25(土)G大阪戦「アタック25日」企画スタートのお知らせ|url=https://www.frontale.co.jp/info/2007/0711_3.html|website=川崎フロンターレ オフィシャルWEBサイト|accessdate=2021-05-22|date=2007-07-11}}</ref>。[[博多華丸]]が[[児玉清]]の物まねで「フロンターレ!! 大事なアタックチャーンス!!」とPRした他、同番組の特徴である回答者のカラーの入れ替わり(ガンバの青からフロンターレの水色)のパフォーマンスをバックスタンドのフロンターレ応戦席で行った。
*[[2010年]]、麻生グランド近くに住んでいるということで[[平泉成]]が開幕キャンペーンに出演。[[開幕戦]]には[[始球式]]も務める
**[[あいのり]]/[[5月11日]]のAFCチャンピオンズリーグ・アレマ・マラン(インドネシア)戦で、同大会初出場・初の決勝ラウンド進出決定の時にサポーターがそれをパロディー化した「はつのり」のTシャツを着用し祝福<ref>{{Cite web|和書|title=フロンターレ日記:はつのり!!|url=http://www.frontale.co.jp/|website=川崎フロンターレ|accessdate=2021-05-22|date=2007-05-10}}</ref>。
*[[2010年]]、ファン感謝デーにおいて[[ピラメキーノ]]とコラボ。スタジアムにピラメキパンダが登場し選手と一緒にピラメキたいそうを踊ったほかレギュラー<ref>スタジオからの中継</ref> が聞いた質問に選手が答えた。
**[[プロジェクトX〜挑戦者たち〜]]/[[9月]]に行われるアウェーでの[[鹿島アントラーズ|鹿島]]([[9月1日]])、[[柏レイソル|柏]]([[9月22日]])の試合を、ホームタウンの頭文字が全て「K」(川崎=Kawasaki、鹿島=Kashima、柏=Kashiwa)で始まるということ、更に「決戦の9月」という意味合いも込めて、大応援団を川崎から繰り出そうという「プロジェクトK(打倒!! 鹿島&柏)」なる試みを行った<ref>{{Cite web|和書|title=アウェイ大動員計画発令!「プロジェクトK」実施のお知らせ|url=https://www.frontale.co.jp/info/2007/0817_1.html|website=川崎フロンターレ オフィシャルWEBサイト|accessdate=2021-05-22|date=2007-08-17}}</ref>。なお、2006年のホーム鹿島戦では[[スキージャンプ]]競技の極限点になぞらえた「[[K点]]越え」キャンペーンを実行した。
*[[2012年]]、漫画・映画『[[テルマエ・ロマエ]]』(作:[[ヤマザキマリ]]、[[コミックビーム]]連載)とコラボ<ref>[http://number.bunshun.jp/articles/-/198777 川崎フロンターレ名物部長が企てた、漫画『テルマエ・ロマエ』と川崎市『銭湯』とのコラボ。『一緒におフロんたーれ] - Number Web(更新日: 2012年2月17日)</ref>。
**スポンサーの[[和幸商事|とんかつ和幸]]協賛の下、パロディー弁当が発売された<ref name=":0" />。なお、このパロディー弁当が発売されると必ずチームは勝利を挙げている。
*2012年6月30日、[[フォーミュラ・ニッポン]]とコラボ、等々力の陸上トラックをフォーミュラカーが走った<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jleague/2012/text/201207130002-spnavi_1.html 川崎とF・ニッポンのありえないコラボ 等々力のトラックを疾走したフォーミュラカー] - スポーツナビ(更新日: 2012年7月13日)</ref>。これが縁となり、同年11月に[[富士スピードウェイ]]で開催された[[JAFグランプリ#富士スプリントカップ|JAFグランプリ]]では、フォーミュラ・ニッポン予選での最高速度上位3名を『フォーミュラ・ニッポン 川崎フロンターレ賞』として表彰した。
***清水戦/「カツのよ!!フロンターレ弁当」(オレンジデザート入りのとんかつ弁当)
*[[2014年]]5月3日、[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]戦で国民的人気演芸番組「[[笑点]]」([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])とコラボ。黒と共にチームカラーが水色である為笑点で水色の着物で大喜利に出演している落語家の[[三遊亭小遊三]]([[山梨県]][[大月市]]出身)が来場し、始球式も務める。
***神戸戦/「マヨわずカツ弁当」(とんかつにタルタルマヨネーズソースが添付されている)
*[[2016年]]、漫画『[[宇宙兄弟]]』(作:[[小山宙哉]]、週刊モーニング連載)及び[[宇宙航空研究開発機構|JAXA]](宇宙航空研究開発機構)とコラボ<ref>[http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20160117/392282.html サポから天体望遠鏡を贈られた大久保「星からパワーをもらって4年連続得点王!」 | サッカーキング] 2016年1月17日</ref>。毎年恒例の算数ドリルも宇宙兄弟及びJAXAとのコラボレーション仕様として製作される。
***G大阪戦/「アカッツ!! チャンス!!弁当」(当日発売されたカツ弁当の半数に幸運をもたらすといわれる「ラッキーメンチカツ」が挿入されている)

*[[2008年]]、漫画『[[GIANT KILLING]]』
=== パロディー ===
**9月20日開催の[[多摩川クラシコ]](対[[FC東京]])のポスターイラスト、およびトレーディングカードにツジトモ書き下ろしで同作の登場人物『達海猛』のイラストが使われた。{{For2|これにまつわるエピソード|ツジトモ}}
*[[2007年]]のホームゲーム開催時(等々力陸上競技場)に様々な[[パロディ|パロディー]]やコラボレーションを実施。
*[[2009年]]
**[[エースをねらえ!]]/[[4月15日]]の[[清水エスパルス|清水]]戦。Jリーグ加盟以来勝利を挙げていなかった清水を相手に「エース」ならぬ「エス(パルス)をねらえ!」と題して初勝利を目指そうという企画を行った。この時はアニメの「エースをねらえ!」で岡ひろみ役を演じた[[高坂真琴]]が「このゲームは絶対に負けられない!! 打倒オレンジ、ついに完結よ!!」といったフレーズの宣伝を行った。
**TVアニメ『[[天体戦士サンレッド]]』
**[[川崎麻世]](タレント)/[[6月30日]]の[[ヴィッセル神戸|神戸]]戦で、川崎市のスポンサードマッチ([[7月1日]]の市制施行記念日に合わせた記念試合)を実施。その試合で川崎麻世が「[[YOUNG MAN (Y.M.C.A.)]]」をハーフタイムショーとして熱唱。
***中村、井川、谷口の3選手、社長の武田、マスコットキャラクター・[[ふろん太]]とその家族との共演アニメ(全4話)が制作され、『[[ファイト!川崎フロンターレ]]』内で放送された<ref>[https://www.frontale.co.jp/info/2008/1218_2.html 特別コラボアニメ「天体戦士サンレッド」×「川崎フロンターレ」製作について] - 川崎フロンターレ公式サイト(更新日: 2008年12月18日)]</ref>。『サンレッド』のDVD2〜5巻に映像特典として収録された。コラボレーション企画の一環として、[[髭男爵]]が開幕戦で始球式を行った(両者とも、同作のアニメに声優として出演)。
**[[朝日放送テレビ|朝日放送(現:朝日放送テレビ)]]・[[パネルクイズ アタック25|パネルクイズアタック25]]/[[8月25日]]の[[ガンバ大阪]]戦の試合において、同番組とのコラボレーション「アタック25日」を開催。[[博多華丸]]が[[児玉清]]の物まねで「フロンターレ!! 大事なアタックチャーンス!!」とPRした他、同番組の特徴である回答者のカラーの入れ替わり(ガンバの青からフロンターレの水色)のパフォーマンスをバックスタンドのフロンターレ応戦席で行った。
**[[モンテディオ山形|山形]]戦にて、新たにスポンサーになった[[ドール・フード・カンパニー|Dole]]より、[[ホーム・アンド・アウェー#概説|アウェー]]応援サポーターを含む来場者全員に[[バナナ]]1房をプレゼントした。
**[[あいのり]]/[[5月11日]]のAFCチャンピオンズリーグ・アレマ・マラン(インドネシア)戦で、同大会初出場・初の決勝ラウンド進出決定の時にサポーターがそれをパロディー化した「はつのり」のTシャツを着用し祝福。
*[[2010年]]
**[[プロジェクトX〜挑戦者たち〜]]/[[9月]]に行われるアウェーでの[[鹿島アントラーズ|鹿島]]([[9月1日]])、[[柏レイソル|柏]]([[9月22日]])の試合を、ホームタウンの頭文字が全て「K」(川崎=Kawasaki、鹿島=Kashima、柏=Kashiwa)で始まるということ、更に「決戦の9月」という意味合いも込めて、大応援団を川崎から繰り出そうという**「プロジェクトK(打倒!! 鹿島&柏)」なる試みを行った。なお、2006年のホーム鹿島戦では[[スキージャンプ]]競技の極限点になぞらえた「[[K点]]越え」キャンペーンを実行した。
**[[川崎フロンターレ麻生グラウンド|麻生グランド]]近くに住んでいるということで[[平泉成]]が開幕キャンペーンに出演。[[開幕戦]]には[[始球式]]も務める。

**ファン感謝デーにおいて[[ピラメキーノ]]。スタジアムにピラメキパンダが登場し選手と一緒にピラメキたいそうを踊ったほかレギュラー<ref group=注釈>スタジオからの中継</ref> が聞いた質問に選手が答えた。
また、こういったコラボレーションで、スポンサーの一つである[[和幸商事|とんかつ和幸]]協賛の下、パロディー弁当が発売された。
*[[2011年]]~[[2014年]]、コンビニエンスストアの[[ローソン]](高津駅前店)とコラボ店舗を営業した<ref>[https://www.ryutsuu.biz/backnumber/store/d080212.html ローソン/川崎フロンターレとのコラボ店舗オープン] - 流通ニュース(更新日: 2011年8月2日)</ref>。
*清水戦/「カツのよ!!フロンターレ弁当」(オレンジデザート入りのとんかつ弁当)
*[[2012年]]
*神戸戦/「マヨわずカツ弁当」(とんかつにタルタルマヨネーズソースが添付されている)
**漫画・映画『[[テルマエ・ロマエ]]』<ref>[http://number.bunshun.jp/articles/-/198777 川崎フロンターレ名物部長が企てた、漫画『テルマエ・ロマエ』と川崎市『銭湯』とのコラボ。『一緒におフロんたーれ] - Number Web(更新日: 2012年2月17日)</ref>。
*G大阪戦/「アカッツ!! チャンス!!弁当」(当日発売されたカツ弁当の半数に幸運をもたらすといわれる「ラッキーメンチカツ」が挿入されている)
**6月30日、[[フォーミュラ・ニッポン]]とコラボし、等々力の陸上トラックをフォーミュラカーが走った<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jleague/2012/text/201207130002-spnavi_1.html 川崎とF・ニッポンのありえないコラボ 等々力のトラックを疾走したフォーミュラカー] - スポーツナビ(更新日: 2012年7月13日)</ref>。同年11月に[[富士スピードウェイ]]で開催された[[JAFグランプリ#富士スプリントカップ|JAFグランプリ]]では、フォーミュラ・ニッポン予選での最高速度上位3名を『フォーミュラ・ニッポン 川崎フロンターレ賞』として表彰した。

*[[2013年]]~ [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[武蔵中原駅]]の[[発車メロディ]]としてフロンターレの応援歌「FRONTALE2000」「FRONTALE20000」が採用された<ref>[https://www.frontale.co.jp/info/2013/0120_11.html 川崎フロンターレ「JR武蔵中原駅「発車メロディ」について」] - 川崎フロンターレ公式サイト(更新日: 2013年1月20日)</ref>。
※このパロディー弁当が発売されると必ずチームは勝利を挙げている(2008年8月25日現在)。
*[[2014年]]5月3日、[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]戦で「[[笑点]]」([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])とコラボ。水色の着物で大喜利に出演している落語家の[[三遊亭小遊三]]([[山梨県]]出身)が来場し、始球式も務める。

*2014年~ 東日本旅客鉄道(JR東日本)[[武蔵小杉駅]]の発車メロディとしてフロンターレの応援歌「[[ナンバーワン野郎!]]」([[ザ・クロマニヨンズ]])が採用された<ref>[https://www.frontale.co.jp/info/2014/0217_35.html JR南武線武蔵小杉駅「フロンターレ応援ソング発車メロディ」開始のお知らせ] - 川崎フロンターレ公式サイト(更新日: 2014年2月17日)</ref>。
なお、上記の川崎市制記念試合では川崎市により市民が集団招待されているが、2004年(市制施行70周年)から2006年までは当時川崎市内在住で、「YOUNG MAN」を日本語カバーでヒットさせた[[西城秀樹]]が毎年招聘され、ハーフタイムショーに出演するのが常だった。2008年からは川崎麻世に代わって西城が再び出演するようになった。西城は2003年に[[脳梗塞]]を発症しており、2011年には同病を再発し、川崎市外への転出も行った。2012年以降の市制記念試合にも引き続いて出演していたが、2018年5月16日に西城が死去したため、死去前年の2017年が最後の出演となった。
*[[2016年]]、漫画『[[宇宙兄弟]]』及び[[宇宙航空研究開発機構|JAXA]](宇宙航空研究開発機構)とコラボ<ref>[https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20160117/392282.html サポから天体望遠鏡を贈られた大久保「星からパワーをもらって4年連続得点王!」 | サッカーキング] 2016年1月17日</ref>。毎年恒例の算数ドリルも宇宙兄弟及びJAXAとのコラボレーション仕様として製作される。
*[[2020年]]
**[[7月15日]]から2021年[[1月31日]]にかけて、[[SCRAP]]が周遊型の[[体験型ゲーム|体験型ゲーム・イベント]]「川崎フロンターレ 絶体絶命からの脱出」を開催した。
**[[12月9日]]に[[TBS]]で放送されたクイズバラエティ「[[東大王]]」で、「川崎市にあるJリーグのクラブチーム」を解答する問題で芸能人チームの解答者の一人だった[[木村有希 (モデル)|ゆきぽよ]]が、「マドレーヌ」と誤答したことがきっかけとなり、「ふろん太」の焼き印を入れた「川崎マドレーヌ」が発売された。
*2021年、[[有吉の壁]]/4月21日放送の同番組で、[[チョコレートプラネット]]が披露したコントの中でのセリフ「川崎のフロンターレ」に呼応する形で、5月4日の名古屋戦にて「チョコのプラネット」という名称の洋菓子を発売した<ref>{{Cite web|和書|title=「このクラブおかしい」「仕事早すぎ」川崎、“チョコプラ”とのまさかの急遽コラボに大反響! 本人もツイッターで反応 {{!}} サッカーダイジェストWeb|url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=89939|website=www.soccerdigestweb.com|accessdate=2021-05-22|language=ja|publisher=日本スポーツ企画出版社|date=2021-04-22}}</ref>。
*[[2022年]]
**[[8月13日]]京都サンガ戦で「フロンターレ26周年記念・ボーイズビーアンビシャス」<ref>[https://www.frontale.co.jp/info/2022/0801_18.html 26(フロ)周年記念特別企画 8/13 京都「ボーイズビーアンビシャス」開催のお知らせ]</ref> と題した格闘技とのコラボ企画を開催する予定であった。基は[[2020年]][[2月29日]]の北海道コンサドーレ札幌戦で、[[新日本プロレス]]とのコラボレーションで、[[真壁刀義]]の来場も予定されていた<ref>[https://www.frontale.co.jp/info/2020/0224_13.html 2/29 札幌「ボーイズビーアンビシャス」開催のお知らせ]</ref> が、コロナの感染拡大によるJリーグ自体の開催中止に伴いこのイベントも中止となり、2年越しの開催となる予定であったもので、[[RIZIN]]所属キックボクサーの[[矢地祐介]]、[[所英男]]、[["ブラックパンサー"ベイノア]]、[[川崎新田ボクシングジム]]所属プロボクサーらのエキシビション、[[那須川天心]]による始球式、[[大仁田厚]]が出場するJリーグ史上初の「電流爆破マッチ」を含むプロレスの試合2試合(男女1試合づつ)、元プロボクサー・[[黒田雅之]]の引退セレモニーとスパーリング公開、またウェブ通販限定の企画として「RIZIN×FRONTALEオープンフィンガーグローブ」の販売<ref>[https://www.frontale.co.jp/info/2022/0808_9.html WEB限定企画!「RIZIN×FRONTALEオープンフィンガーグローブ」販売のお知らせ]</ref> が予定されていた。しかし、台風8号の接近が予想されるため、一部のエキシビションとプロレスの試合は中止<ref>[https://www.frontale.co.jp/info/2022/pdf/220812_FronparkMAP_0813.pdf 8月13日会場MAP(8月12日17時現在)]</ref> し、大仁田による試合会場でのスピーチ、那須川の始球式など、一部のみ実施<ref>[https://www.nikkansports.com/soccer/news/202208120001113.html 川崎F 大仁田厚、怒りの電流爆破バット持参? ※大雨でも安全に実施出来るそうです](日刊スポーツ)</ref> することに一度変更されたが、台風の接近が試合時間と重なるため、試合自体が延期となり、またもイベントそのものも中止となった<ref>[https://www.frontale.co.jp/info/2022/0813_1.html 【重要!】8/13 京都「試合中止」のお知らせ]</ref>。なお京都戦の代替え・10月12日ではこれらのイベントは順延されなかった<ref>[https://www.frontale.co.jp/info/2022/1003_19.html 10/12 京都「ホームゲーム開催情報」について]</ref> が、黒田は[[8月27日]]に行われた鹿島戦の試合前のアトラクションで改めて引退セレモニーのみを開催<ref>[https://boxingnews.jp/news/93015/ 元日本王者の黒田雅之が川崎フロンターレ試合で引退式 新田ジムは地元信金とコラボ](ボクシングニュース)</ref>、またフィンガーグローブは同年12月31日に「RIZIN40」が行われることを受けてそのタイミングで発売された<ref>[https://www.frontale.co.jp/info/2022/1219_17.html WEB限定企画!「RIZIN×FRONTALEオープンフィンガーグローブ」販売のお知らせ]</ref>。
**[[8月31日]]サガン鳥栖戦で「LDH JAPAN×川崎フロンターレ 川崎市制記念試合」を開催した。[[GENERATIONS]]から[[中務裕太]]をゲストに招き、「Y.M.C.A」の歌謡ショー(ハーフタイム)のほか、[[コロッケ]]によるモノマネパフォーマンスなどを行う<ref>[https://www.frontale.co.jp/info/2022/0808_17.html 26(フロ)周年記念特別企画「LDH JAPAN」×「川崎フロンターレ」 8/31 鳥栖「川崎市制記念試合」実施のお知らせ]</ref>。


== アウェイゲーム観戦ツアー ==
== アウェイゲーム観戦ツアー ==
{{Wikinews|サッカー・鹿島対川崎F戦が豪雨のため途中で取りやめ|サッカー・Jリーグ、史上初の「再開試合」は川崎Fが逃げ切る}}
{{wikinewshas|川崎フロンターレ|
* [[n:サッカー・鹿島対川崎F戦が豪雨のため途中で取りやめ|サッカー・鹿島対川崎F戦が豪雨のため途中で取りやめ]]
* [[n:サッカー・Jリーグ、史上初の「再開試合」は川崎Fが逃げ切る|サッカー・Jリーグ、史上初の「再開試合」は川崎Fが逃げ切る]]
}}
川崎フロンターレはサポーターのアウェイゲーム観戦ツアーに、他チームとは一風変わった企画を行うことが多い。特にJ2時代も含めて新潟との[[新潟スタジアム|東北電力ビッグスワンスタジアム]]において行われた試合において勝利がなく(2012年に初めて勝利した)、新潟戦を対象としたアウェイゲームでは大々的な企画を実施している。

* [[2007年]][[10月28日]]のFC東京ホームゲームの多摩川クラシコで、多摩川の「[[丸子橋#沿革|丸子の渡し]]」を約70年ぶりに復活させて船で東京へ乗り込むアウェイツアーを実施<ref>[http://www.jsgoal.jp/official/kawasaki/00055565.html オフィシャルニュース|多摩川クラシコ「アウェイ舟ツアー」参加者募集のお知らせ] [[J's GOAL]]</ref>。
* [[2007年]][[10月28日]]のFC東京ホームゲームの多摩川クラシコで、多摩川の「[[丸子橋#沿革|丸子の渡し]]」を約70年ぶりに復活させて船で東京へ乗り込むアウェイツアーを実施<ref>[http://www.jsgoal.jp/official/kawasaki/00055565.html オフィシャルニュース|多摩川クラシコ「アウェイ舟ツアー」参加者募集のお知らせ] [[J's GOAL]]</ref>。
* 2009年4月12日の対清水エスパルス戦は、「何もしない」プロモーションを実施した。これはJ参入以降清水にアウェーで勝利したことがなく、それを打破するために2006年から3年続けて大々的なアウェーツアーをしたものの勝利できないことから、あえて「何もしない」こととした。なお、当日の試合は敗れ、清水戦アウェー未勝利は2011年まで続いた<ref>[http://www.frontale.co.jp/info/2009/0323_3.html お知らせ:KAWASAKI FRONTALE:4/12 清水「何もしない」プロモーション実施のお知らせ:]</ref>。
* 2009年4月12日の対清水エスパルス戦は、「何もしない」プロモーションを実施した。これはJ参入以降清水にアウェーで勝利したことがなく、それを打破するために2006年から3年続けて大々的なアウェーツアーをしたものの勝利できないことから、あえて「何もしない」こととした。なお、当日の試合は敗れ、清水戦アウェー未勝利は2011年まで続いた<ref>[http://www.frontale.co.jp/info/2009/0323_3.html お知らせ:KAWASAKI FRONTALE:4/12 清水「何もしない」プロモーション実施のお知らせ:]</ref>。
* [[2009年]][[5月24日]]のアウェイの多摩川クラシコで、試合前日の23日の夜に横浜から[[伊豆大島]]へ[[フェリー]]で行き、試合当日の24日に[[大島空港]]から飛行機で[[東京スタジアム (多目的スタジアム)|味の素スタジアム]]の隣にある[[調布飛行場]]へ行くという「多摩川クラシコエアーツアー」を実施<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00083110.html 【無事に味スタヘ到着!】多摩川クラシコ:川崎F「エアーツアー」レポート (2009年5月24日)] [[J's GOAL]]</ref>。
* [[2009年]][[5月24日]]のホームの多摩川クラシコで、試合前日の23日の夜に横浜から[[伊豆大島]]へ[[フェリー]]で行き、試合当日の24日に[[大島空港]]から飛行機で[[東京スタジアム (多目的スタジアム)|味の素スタジアム]]の隣にある[[調布飛行場]]へ行くという「多摩川クラシコエアーツアー」を実施しました<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00083110.html 【無事に味スタヘ到着!】多摩川クラシコ:川崎F「エアーツアー」レポート (2009年5月24日)] [[J's GOAL]]</ref>。
* [[2009年]][[7月11日]]のアルビレックス新潟ホームゲームのアウェイツアーではそれまで新潟に10連敗していたため、「新潟戦11連敗阻止キャンペーン『11回目のプロポーズ』」と題し、全員そろいの川崎のチームカラー[[パジャマ]]を着て貸切列車で移動するというツアーを実施。帰りの貸切夜行列車では、新潟まで来たふろん太らが見送っていた<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00085772.html 川崎フロンターレ新潟戦アウェイツアー「11回目のプロポーズ」写真レポート] [[J's GOAL]]、2009年7月12日</ref>。
* [[2009年]][[7月11日]]のアルビレックス新潟ホームゲームのアウェイツアーではそれまで新潟に10連敗していたため、「新潟戦11連敗阻止キャンペーン『11回目のプロポーズ』」と題し、全員そろいの川崎のチームカラー[[パジャマ]]を着て貸切列車で移動するというツアーを実施。帰りの貸切夜行列車では、新潟まで来たふろん太らが見送っていた<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00085772.html 川崎フロンターレ新潟戦アウェイツアー「11回目のプロポーズ」写真レポート] [[J's GOAL]]、2009年7月12日</ref>。
* [[2009年]][[10月7日]]の鹿島アントラーズとの16分間の再試合では、1,000円のバスツアーを実施。平日にもかかわらず応募が集まり、最終的にバス25台の規模となった。なお、この際には鹿島サポーターと思われる客は排除するという徹底ぶりだった<ref>[http://sankei.jp.msn.com/sports/soccer/090929/scr0909291536001-n1.htm 「16分間」観戦ツアーにサポ殺到 豪雨中断の鹿島-川崎戦]([[MSN産経]] [[2009年]][[9月29日]])</ref>
* [[2009年]][[10月7日]]の鹿島アントラーズとの16分間の再試合では、1,000円のバスツアーを実施。平日の再試合にもわらずバス25台の規模となった。<ref>[https://web.archive.org/web/20091002232957/http://sankei.jp.msn.com/sports/soccer/090929/scr0909291536001-n1.htm 「16分間」観戦ツアーにサポ殺到 豪雨中断の鹿島-川崎戦]([[MSN産経]] [[2009年]][[9月29日]])</ref>


== 決算 ==
== 決算 ==
川崎フロンターレの決算は、つぎのとおり。

=== 損益 ===
=== 損益 ===
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{| class="wikitable"
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|-
!年度 !!{{abbr|収入|営業収入}} !!広告料 !!入場料 !!{{abbr|配分|Jリーグ配分金}} !!その他 !!{{abbr|費用|営業費用}} !!事業費 !!{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}} !!{{abbr|管理費|一般管理費}} !!{{abbr|利益|営業利益}} !!{{abbr|純利益|当期純利益}}
|年度||{{abbr|収入|営業収入}}||広告料||入場料||{{abbr|配分|Jリーグ配分金}}||その他||{{abbr|費用|営業費用}}||事業費||{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}}||{{abbr|管理費|一般管理費}}||{{abbr|利益|営業利益}}||{{abbr|純利益|当期純利益}}
|-|style="font-weight:bold;" |2005 ||style="background-color:wheat" |1,913 ||1,262 ||277 ||231 ||143 ||style="background-color:wheat" |1,816 ||1,533 ||N.A. ||283 ||style="background-color:wheat" |97 ||style="background-color:wheat" |39
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974行目: 1,262行目:
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</div>


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|- style="text-align:center; background-color:#23B1EA; color:#FFFFFF; font-weight:bold;"
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!年度 !!{{abbr|収益|営業収益}} !!広告料 !!入場料 !!{{abbr|配分|Jリーグ配分金}} !!{{abbr|育成|アカデミー}} !!その他 !!{{abbr|費用|営業費用}} !!{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}} !!{{abbr|試合|試合関連経費}} !!{{abbr|トップ|トップチーム運営経費}} !!{{abbr|育成|アカデミー運営経費}} !!{{abbr|女子|女子チーム運営経費}} !!{{abbr|販売|販売費および一般管理費}} !!{{abbr|利益|営業利益}} !!{{abbr|純利益|当期純利益}}
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|style="font-weight:bold;" |2011 ||style="background-color:wheat" |3,275 ||1,738 ||554 ||213 ||157 ||613 ||style="background-color:wheat" |3,212 ||1,587 ||165 ||239 ||95 ||0 ||1,126 ||style="background-color:wheat" |63 ||style="background-color:wheat" |42
|style="font-weight:bold;" |2011 ||style="background-color:wheat" |3,275 ||1,738 ||554 ||213 ||157 ||613 ||style="background-color:wheat" |3,212 ||1,587 ||165 ||239 ||95 ||0 ||1,126 ||style="background-color:wheat" |63 ||style="background-color:wheat" |42
999行目: 1,287行目:
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</div>


{| class="wikitable" style="border:double #221615; font-size:smaller; box-shadow: 4px 4px 4px #23B1EA;"
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!年度 !!{{abbr|収益|営業収益}} !!広告料 !!入場料 !!{{abbr|配分|Jリーグ配分金}} !!{{abbr|育成|アカデミー}} !!物販 !!その他 !!{{abbr|費用|営業費用}} !!{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}} !!{{abbr|試合|試合関連経費}} !!{{abbr|トップ|トップチーム運営経費}} !!{{abbr|育成|アカデミー運営経費}} !!{{abbr|女子|女子チーム運営経費}} !!物販 !!{{abbr|販売|販売費および一般管理費}} !!{{abbr|利益|営業利益}} !!{{abbr|純利益|当期純利益}}
|年度||{{abbr|収益|営業収益}}||広告料||入場料||{{abbr|配分|Jリーグ配分金}}||{{abbr|育成|アカデミー}}||物販||その他||{{abbr|費用|営業費用}}||{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}}||{{abbr|試合|試合関連経費}}||{{abbr|トップ|トップチーム運営経費}}||{{abbr|育成|アカデミー運営経費}}||{{abbr|女子|女子チーム運営経費}}||物販||{{abbr|販売|販売費および一般管理費}}||{{abbr|利益|営業利益}}||{{abbr|純利益|当期純利益}}
|-
|-
|style="font-weight:bold;" |2016 ||style="background-color:wheat" |4,254 ||1,809 ||907 ||222 ||168 ||476 ||672 ||style="background-color:wheat" |3,923 ||1,643 ||195 ||279 ||44 ||0 ||378 ||1,384 ||style="background-color:wheat" |331 ||style="background-color:wheat" |217
|style="font-weight:bold;" |2016 ||style="background-color:wheat" |4,254 ||1,809 ||907 ||222 ||168 ||476 ||672 ||style="background-color:wheat" |3,923 ||1,643 ||195 ||279 ||44 ||0 ||378 ||1,384 ||style="background-color:wheat" |331 ||style="background-color:wheat" |217
|-
|-
|style="font-weight:bold;" |2017 ||style="background-color:wheat" |5,123 ||1,854 ||1,038 ||495 ||183 ||563 ||990 ||style="background-color:wheat" |4,730 ||2,339 ||229 ||298 ||60 ||0 ||420 ||1,384 ||style="background-color:wheat" |394 ||style="background-color:wheat" |261
|'''2017'''
|-
|5,123
|style="font-weight:bold;" |2018 ||style="background-color:wheat" |6,074 ||1,478 ||975 ||1,416 ||196 ||869 ||1,140 || style="background-color:wheat" |5,599 ||2,614 ||222 ||326 ||67 ||0 ||576 ||1,794 || style="background-color:wheat" |475 || style="background-color:wheat" |322
|1,854
|-
|1,038
|style="font-weight:bold;" |2019 ||style="background-color:wheat" |6,969 ||2,143 ||1,042 ||1,792 ||216 ||835 ||941 || style="background-color:wheat" |6,168 ||2,958 ||260 ||359 ||78 ||0 ||689 ||1,824 || style="background-color:wheat" |801 || style="background-color:wheat" |562
|495
|183
|-
|style="font-weight:bold;" |2020 ||style="background-color:wheat" |5,445 ||2,097 ||435 ||1,139 ||160 ||678 ||936 || style="background-color:wheat" |5,662 ||3,036 ||195 ||363 ||47 ||0 ||490 ||1,531 || style="background-color:wheat" |-217 || style="background-color:wheat" |-131
|563
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|229
|298
|60
|0
|420
|1,384
|394
|261
|}
|}
<div style="font-size:small">
<div style="font-size:small">
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h28kaiji.pdf 2016]
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h28kaiji.pdf 2016]
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h29kaiji.pdf 2017]
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h30kaiji_3.pdf 2018]
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h31kaiji.pdf 2019]
[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-r2kaiji.pdf 2020]


金額の単位: 百万円
金額の単位: 百万円
1,043行目: 1,324行目:
|y2Title=営業費用
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2024年12月19日 (木) 11:09時点における最新版

川崎フロンターレ
原語表記 川崎フロンターレ
愛称 フロンターレ
クラブカラー     サックスブルー[1]
    ブラック[1]
    ホワイト[1]
創設年 1955年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン J1リーグ
昨季リーグ順位 8位(2024年)
クラブライセンス J1
ホームタウン 神奈川県川崎市[1]
ホームスタジアム
Uvanceとどろきスタジアム by Fujitsu[1]
収容人数 26,827[1]
運営法人 株式会社川崎フロンターレ[1]
代表者 吉田明宏[1]
監督 日本の旗 長谷部茂利
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
株式会社川崎フロンターレ[1]
Kawasaki Frontale Co., Ltd.
本社(2012年10月31日)
本社(2012年10月31日)
種類 株式会社
本社所在地 213-0013
神奈川県川崎市高津区末長四丁目8-52[2] 富士通末長分室
設立 1996年11月21日
業種 サービス業
法人番号 3020001070104 ウィキデータを編集
事業内容 サッカークラブの運営他
代表者 吉田 明宏[1]
資本金 3億4,900万円
売上高 69億6,900万円 (2020年1月期)[3]
営業利益 8億100万円 (2020年1月期)[3]
経常利益 8億200万円 (2020年1月期)[3]
純利益 5億6,200万円 (2020年1月期)[3]
純資産 21億200万円 (2020年1月期)[3]
総資産 33億7,600万円 (2020年1月期)[3]
決算期 1月期
主要株主 富士通川崎市他36法人・団体
外部リンク 公式ウェブサイト
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川崎フロンターレ(かわさきフロンターレ、: Kawasaki Frontale)は、日本神奈川県川崎市をホームタウンとする[1]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

概要

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1955年富士通サッカー部として創部。1997年Jリーグ準会員に承認され、1999年にJリーグへ加盟。ホームスタジアムは中原区等々力陸上競技場、練習場は麻生区川崎フロンターレ麻生グラウンド。最前線で挑戦し続ける開拓精神を基軸としており、クラブ名も「フロンティアスピリッツ」が由来としている[4][5][6]。エンブレムは川崎市の花 ツツジ、チームマスコット イルカ、チームカラーを基に、世界に向けて開かれた活力と、魅力ある臨海都市 川崎をシンボライズしたマークである[4][5]。クラブマスコットは先進技術やスピードをモチーフとしているふろん太[4][5]カブレラ、ワルンタ。

呼称に関しては、川崎市をホームタウンとするクラブで、Jリーグ公式サイトやDAZNのテロップ表記では「川崎F」の略称を用いている。Jリーグ創成期に東京ヴェルディ1969が等々力陸上競技場を本拠地とし、チーム呼称を「ヴェルディ川崎」としていた名残による物である。ただし、一部のスポーツ新聞(スポーツニッポン日刊スポーツなど)を除き新聞のスコアテーブルなどでは「川崎」とだけ表記している。


歴史

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前史

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1955年に創部された「富士通サッカー部」が前身であり[1]1972年日本サッカーリーグへ昇格、1992年からジャパンフットボールリーグ(旧JFL)へ参加[1]1996年に「富士通川崎フットボールクラブ」へ改称し、11月21日に運営会社となる「富士通川崎スポーツマネジメント株式会社」を設立。

1997年にJリーグ準会員となり[1]、名称が公募によって川崎フロンターレと決定された。

1997年 - 1998年 (JFL)

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1997年

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川崎フロンターレ試合風景 (2006年11月26日)

Jリーグ昇格条件の2位以内を目指すため、小浜誠二が事実上の責任者となる常務に就任。監督を富士通社員の城福浩からプロ契約の斉藤和夫へと交代し[注釈 1]、選手では名古屋中西哲生平塚ベッチーニョ横浜F桂秀樹清水向島建横浜M小泉淳嗣等を獲得。

ブラジルのグレミオとの業務提携も発表した[7]。現在のチームカラーが水色と黒なのは、グレミオのチームカラーを模した名残である[8]

最終成績は3位となり、勝ち点1差でJリーグ昇格を逃した。

1998年

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ベットが監督に就任。鹿島から鬼木達が加わり、ヴァルディネイツゥットなどのブラジル人FWが活躍した。前年は桐光学園高校からの新入団直後にグレミオにサッカー留学していた佐原秀樹も試合に出場し、社員選手でも川元正英久野智昭がレギュラーでプレーした。準優勝となったが、J1参入決定戦1回戦福岡戦でVゴール負けを喫し、Jリーグ ディビジョン2 (J2) への参入が決まった。

1999年 (J2)

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ベット体制2年目。元日本代表の岩本輝雄を獲得して同時に主将に据えた。リーグ戦は開幕3連敗でスタートし、第5節のヴァンフォーレ甲府戦に勝利した後、ベットを監督から解任。Jリーグカップ1回戦のG大阪[注釈 2] を挟み、第6節、4月18日の札幌戦から松本育夫に監督が交代した[注釈 3]。松本に反発した岩本はやがてチーム構想から外されたが[注釈 4]、岩本に代わって主将に就任した中西の起用やから途中加入したDF森川拓巳などが守備を安定させ、攻撃面ではブラジル人のティンガが活躍した。松本就任後のチームは順調に勝ち点を伸ばし、7月30日・第19節の大宮戦に勝利して首位に立ち、11月5日鳥栖戦(等々力)に勝利し、J1昇格条件のJ2の2位以内が確定。11月8日にJ2優勝も決めた[注釈 5]

前年のJ1参入戦に続くこの年の戦いは中西が自身のホームページで日記として書き続け、シーズン終了後に『魂の叫び J2聖戦記』として出版された[注釈 6]

この年の開幕戦にチーム初のマスコットとしてふろん太を発表[注釈 7]。5月には練習場が富士通南多摩グラウンドから、川崎市麻生区片平にある麻生グラウンド(旧・大東学園高等学校グラウンド)に移転。市内全体での広報活動を強化し、川崎市も市民後援会を発足させた。

2000年 (J1)

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松本が監督を退いて社長となり、後任としてヘッドコーチのゼッカが監督に就任。鹿島から奥野僚右鈴木隆行マジーニョ鬼木達(再移籍)などを獲得。パラグアイ代表MFアルバレンガ、元日本代表FW森山泰行等が加入した。

シーズン途中にヘッドコーチの今井敏明が後任の監督に就任。第15節(最終節)のC大阪戦では我那覇和樹の得点と浦田尚希が延長Vゴールを決め、2 - 1で勝利してC大阪の優勝を阻止した[注釈 8] 1stステージは16チーム中15位で終えた。シーズン2度目の監督交代で小林寛が就任した。ナビスコ杯決勝では鹿島に敗れて準優勝。リーグはJ2降格が決定した。

シーズン後には、監督小林の他、ゼネラルアドバイザー・杉本、社長・松本、副社長・小浜、奥野僚右、中西などがクラブを退団した。

2001年 - 2004年 (J2)

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2001年

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ヴェルディ川崎が調布に移転したことで、川崎唯一のJ1チームとなった。

堀井美晴を監督、ピッタをコーチに迎え、前年にサンパウロFCから札幌へレンタル移籍していたエメルソンを完全移籍により獲得した。7月14日の第20節・甲府戦に引き分けた時点で8位。堀井を監督から解任し、石崎信弘を新監督に迎えた。新人DFの伊藤宏樹は出場停止の最終節を除く43試合に出場した。

シーズンは7位。第81回天皇杯はベスト4[注釈 9]

クラブ体制自体も一新され、富士通サッカー部のマネージャーや日本サッカーリーグの運営委員、富士通本社の部長などを務めてきた[9]武田信平が前年12月から社長に、強化本部長(GM)に元富士通サッカー部監督の福家三男、強化部長に同サッカー部の元選手である庄子春男が就任し、福家と庄子が強化責任者となった。運営面では地域社会との関係強化が図られ、運営会社の商号が「株式会社川崎フロンターレ」へ変更され、川崎市や他企業、およびサポーター持株会などからの資本を受け入れた。また、クラブによる従来のファンクラブと、川崎市が組織していた川崎市民後援会が統合された。

2002年

[編集]

石崎体制2年目。ベンチーニョマルキーニョや途中加入のマーロンアレックスなどのブラジル人選手が攻撃を担った。リーグ戦は4位。第82回天皇杯はベスト8。

新加入の岡山一成は試合後にバックスタンドの前でサポーターからメガホンを借り、ビールケースの上に乗って観客に対する「マイクパフォーマンス」を度々行った。これは「岡山劇場」と呼ばれ、クラブ・チームとファン・サポーターの一体化に大きく貢献し、岡山の退団後もクラブの伝統として他選手や来賓・ゲストなどに引き継がれた[注釈 10]

2003年

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石崎体制3年目。ブラジルのSEパルメイラスから獲得したFWジュニーニョ我那覇和樹とともに前線で活躍、また鹿島から移籍したDFアウグストも攻守にわたりチームをまとめ上げた。大宮からFWバルデスを獲得したが[注釈 11]、シーズン途中に退団した。日本人の新加入選手では、大分からMF山根巌、中央大学からMF中村憲剛などが加わった。

リーグ最多の88得点、リーグ最少の7敗ながらリーグ最多タイの13引き分けと、最終的には2位と勝ち点1差の3位に終わり、J1昇格に失敗した。シーズン終了後にチームから、石崎の契約満了が発表された。第83回天皇杯ではベスト16に進出し、2回戦の国見高校戦(等々力)の後には選手やサポーターによる石崎の胴上げが行われた。

2004年

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チームスローガン:「Mind-1 勝点1への執念―こころ1つにJ1へ。

関塚隆が監督に就任。鹿島からDF相馬直樹新潟から2年連続でJ2リーグ得点王のマルクスを補強した。リーグ戦では開幕直後から首位を独走し、9月26日・第36節の水戸戦(笠松)でマルクスの2ゴールにより2 - 1で勝利してJ2の2位以内によるJ1昇格が決まり[注釈 12]、続く10月2日・第37節の横浜FC戦(等々力)にも勝利して5年ぶり2度目のJ2優勝が確定。シーズン最終成績も当時のJ2としては史上最多となる勝ち点105[10]、2023年現在でもJ2のシーズン最多である得点104と、昇格後に設定した「ダブル・トリプル」の目標を達成。2位の大宮に当時としては最多となる18の勝ち点差をつけてJ2を制した。また、ジュニーニョは37得点を挙げてJ2得点王を獲得した。第84回天皇杯ではベスト16に入った。なお、この年のスローガン「Mind-1」は、2011年からの東日本大震災復興支援活動や、2024年の「Mind-1 NEXT」で再び利用されている。

2005年 - (J1)

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2005年

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チームスローガン:「FRONTALE FORTISSIMO -強く激しく!!-

関塚体制2年目。地域密着に更に力を入れるため、エンブレムからFUJITSUの企業名をはずす。

現有戦力をベースにし、若干名の補強選手を加えて臨んだが、終盤戦ではチーム新記録となる6連勝を記録。また、川崎市出身のDF箕輪義信が日本代表に選出された。鹿島、千葉、柏、東京V、磐田、名古屋から初勝利を挙げ、シーズン成績は8位となり、J1残留を果たした。天皇杯は2年ぶりにベスト8へ進出した。

2006年

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チームスローガン:「Challenge the Future

関塚体制3年目。アウグストが退団、相馬・久野が現役を引退。マルコンを獲得。開幕となる新潟戦で我那覇和樹が日本人初の開幕戦ハットトリック[11] などにより6 - 0、第2節の京都戦でもジュニーニョのハットトリックを含む7 - 2で勝利、開幕2試合で13得点のJリーグ新記録を打ち立てて好スタートを切り、2006 FIFAワールドカップ前の中断期間を暫定ながら首位で折り返した。中断期間中にマルクスが東京Vに移籍した一方、MFマギヌンを獲得した。

W杯終了後に日本代表に我那覇、続いて中村憲剛がそれぞれ初招集された。

リーグは2位。ジュニーニョ、我那覇、中村、谷口博之の4選手がリーグ戦で2桁得点を挙げ、シーズン84ゴール(リーグ1位)と前年にJリーグを制したG大阪が持っていた82ゴールを上回り、2回戦総当たりになった1996年以降では2位、延長戦が廃止された2003年以降のJ1シーズン最多得点記録となった。中村と谷口はJベストイレブンに選出。

前年の天皇杯で優勝し、既にAFCチャンピオンズリーグ (ACL) 出場権を得ている浦和がリーグ優勝を達成した為、規定によりAFCチャンピオンズリーグ2007への出場権を獲得した。

2007年

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ナビスコカップ決勝時のコレオグラフィー
チームスローガン:「One for Goal, Goal for One

関塚体制4年目。シーズン前の練習試合で新加入のフランシスマールが左膝靱帯断裂の重傷を負った。

4月21日に埼玉スタジアム2002で行われた第7節では、浦和のホーム連続不敗のJリーグ記録を25試合で止めた。

4月23日、我那覇和樹が試合後に受けた疲労回復の静脈注射(点滴)がJリーグのドーピング(禁止薬物使用)規定違反と認定され、自粛期間を含めて公式戦6試合の出場停止、チームにも1000万円の罰金が課された。2008年にスポーツ仲裁裁判所で審理される事になったが、仲裁の結果は我那覇にドーピングの事実が認められないとされ、かつ、Jリーグ側に仲裁費用の負担を求める異例の裁定となった。

名古屋から獲得したGK川島永嗣は全34試合フル出場。プロ2年目の鄭大世が12得点し、ジュニーニョは22得点で得点王に輝き、リーグ2位の計66得点を挙げた。5位でシーズンを終了した。

AFCチャンピオンズリーグ2007は、グループリーグF組を1位で通過したが、準々決勝でセパハンにPK戦で敗退した。

また、9月23日のJ1第26節・戦(柏)で、セパハンとの第1戦から先発選手8人を入れ替えて臨んだ。Jリーグ専務理事(当時)の犬飼基昭[注釈 13] は「ベストメンバーの出場を求めた自分達への背信行為であってサポーターへの裏切り行為だ」と怒りを顕わにしたが、川崎側は当該試合の前にJリーグ事務局へ予めベストメンバー規定に抵触していない旨を事前確認していた。また犬飼の発言を受け、サポーター団体はクラブの選手起用を支持する弾幕を提示した。

ナビスコ杯は決勝でG大阪に敗れて準優勝。天皇杯はベスト4。

AFCアジアカップ2007中村および川島が日本代表に選出。中村は決勝まで5試合連続で先発起用された。また、代表候補合宿には森勇介黒津勝も初招集された。FW鄭大世北朝鮮代表に初選出され、東アジアサッカー選手権2008予選大会で3試合8得点で得点王となり、翌年2月の本大会進出に貢献した。

2008年

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チームスローガン:「With 12 (supporters)

関塚体制5年目。MFマギヌンが名古屋へ移籍。東京Vへ期限付き移籍していた吉原慎也フッキらがチームに復帰し、千葉より山岸智を獲得。また、青山学院大学からMF田坂祐介駒澤大学からMF菊地光将早稲田大学からDF横山知伸、下部組織よりトップチームへ昇格のDF吉田勇樹らが加入。

起用法を不満としたフッキが4月2日に退団、東京Vへ完全移籍した。罹患していた持病の不整脈の悪化もあり、関塚が検査入院のため離脱。同月24日に監督を辞任。ヘッドコーチの高畠勉が監督に昇格した。

一方、5月27日には我那覇和樹が、スポーツ仲裁裁判所 (CAS) にJリーグが科した処分(ドーピング禁止規定違反)の取り消しを求めた問題で、スポーツ仲裁裁判所は我那覇の訴えを認める裁定を下した(ただし、Jリーグ側は誤訳を盾に我那覇本人、及び当時のチームドクターへの正式な謝罪は未だ行われていない)。

6月21日には箕輪義信札幌へ期限付きで放出し、7月8日にはサントスFCのMFヴィトール・ジュニオールを期限付移籍で獲得。7月29日にはFW都倉賢草津に期限付きで放出、8月5日にはサントスのFWレナチーニョを期限付き移籍で獲得した。

8月に川崎フロンターレ後援会の会員数が初の2万人を突破。また、この頃から等々力陸上競技場の老朽化及び混雑に対し、競技場の全面改修を求める請願書の提出の一環として、シーズン終盤に10万筆目標の署名活動を行った(最終的に15万4020筆を集め、2月18日に川崎市へ提出)。

リーグは準優勝でシーズンを終え、AFCチャンピオンズリーグ2009の出場権を獲得した。

2009年

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2009年シーズン基本フォーメーション
チームスローガン:「ONE STEP

関塚が再び監督に、高畠は再びヘッドコーチに就任した。

我那覇と箕輪がそれぞれ神戸札幌に完全移籍し、原田拓熊本へ、大橋正博Kリーグ江原へ、レンタル移籍だった都倉賢西山貴永が完全移籍。前年に東京Vのレンタル移籍から復帰した吉原慎也が磐田へ再度レンタル移籍した。FC東京にレンタル移籍していた佐原秀樹のレンタル期間が1年延長された。

主な補強はC大阪へ期限付き移籍していた相澤貴志の復帰、新戦力として、特別指定選手として2004年2005年に所属していた清水矢島卓郎を完全移籍で獲得、レンタル移籍だったヴィトール・ジュニオールを完全移籍で獲得。

ナビスコカップは準優勝。この決勝戦後の表彰式において、一部選手が首にかけて頂いた準優勝メダルを外すといった行動[12] をとった。これを受けて、クラブ側は謝罪[12]、準優勝賞金5000万円の自主返還、社長ら役員3人の減俸、森勇介の最低1試合の出場停止などの処分を発表した[13]。Jリーグ側は賞金返還をホームタウン活動への使用を提案。サッカーボールや図書、少年サッカーチームへのビブスなどの物品の他、残額は全て川崎市への寄付とされた[14]

リーグは準優勝。関塚が監督を辞任した。

12月26日に『公益のため多額の私財を寄附した』功に対して、日本政府より褒状を受けた[15]

2010年

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チームスローガン:「+α -Plus ALFA-

監督にヘッドコーチの高畠勉が就任。U-18で指導に当たっていたクラブOBの鬼木達がトップチームコーチに就任。

横浜FMから小宮山尊信が完全移籍、スタッド・レンヌから9年ぶりのJリーグ復帰となる稲本潤一を獲得。佐原秀樹FC東京への期限付き移籍から2年ぶりに復帰した。村上和弘が大宮へ移籍。吉原慎也が退団(のちに加入)、山岸智や、養父雄仁久木野聡杉浦恭平などがそれぞれ期限付き移籍した。

2010年のACLは予選敗退。

2010 FIFAワールドカップ日本代表川島永嗣稲本潤一中村憲剛の3人が選出され、川島は日本の全4試合にフル出場し、ベスト16進出に貢献した。また稲本が2試合、中村が1試合出場した。北朝鮮代表には鄭大世が選出された。

W杯終了後の7月、川島がベルギー1部リールセSKへ、鄭がドイツ2部VfLボーフムへ移籍。レナチーニョが高畠の采配に不満を訴え、練習ボイコットからブラジルへ無断帰国し、8月末にポルトガル1部ポルティモネンセへ期限付き移籍した。

川島の穴を相澤貴志が埋めた一方、鄭の穴を埋めるには至らず、5位でシーズンを終了。高畠はシーズン終了後に監督を退任した。

2011年

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チームスローガン:「挑 -いどむ-

この年からユニフォームサプライヤーがプーマに変更。 町田元監督の相馬直樹が監督に就任。DF森勇介東京V谷口博之横浜FM植草裕樹がレンタル移籍先の山形木村祐志北九州へそれぞれ移籍した。

横浜FMから山瀬功治田中裕介、東京Vから柴崎晃誠、U-21代表の實藤友紀ら6人の新人選手が加入した。

強化本部長には福家が退任し、庄子春男が就任した。

7月23日(第6節)の新潟戦から9月11日(第25節)の神戸戦までリーグ8連敗を喫した[16]。9月17日(第26節)の山形戦に勝利して、連敗を止めた[17] 。リーグは11位。

同年3月11日に発生した東日本大震災に対する復興支援活動として、フロンターレは「Mind-1」キャンペーンとしての支援活動を開始し、津波で甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市などへの物資提供などを開始し、翌年以降も継続した(地域密着の項目を参照)。

4月23日のリーグ再開初戦、仙台戦はJクロニクルベストの「ベストマッチ (10試合) 」、J30ベストアウォーズの「ベストマッチ (1試合) 」にも選ばれた。

2012年

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チームスローガン:「一体感

相馬体制2年目。ジュニーニョが鹿島へ完全移籍したほか、相澤貴志[注釈 14]町田に、横山知伸C大阪に、菊地光将大宮に、久木野聡栃木SCに完全移籍、棗佑喜が栃木SCに、薗田淳が町田にレンタル移籍、松本拓也がレンタル移籍期間満了につき湘南に復帰、昨シーズン甲府にレンタル移籍していた養父雄仁熊本へ完全移籍、吉田勇樹が現役を引退し、スクール・普及コーチに就任した。

補強は、湘南から西部洋平、C大阪から小松塁、京都から森下俊を完全移籍で、コリチーバFCからレナトジェシグレミオからレネ・サントスをレンタル移籍で獲得、2年間愛媛にレンタル移籍していた杉浦恭平が復帰した。

4月11日に相馬を解任した。望月達也が監督代行し、同月23日、筑波大監督の風間八宏が監督に就任した。7月1日に風間監督の長男である風間宏希と次男の風間宏矢が入団し、Jリーグ史上初めて同時に父が監督、息子が選手として所属した[18]

リーグは8位。

本拠の等々力が大型改築に入った。

2013年

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チームスローガン:「Wing -勝利に向かって進み続ける-

風間体制2年目。黒津勝横浜FC山瀬功治が京都、楠神順平がC大阪、小松塁が大分に、昨シーズン途中から古巣の東京Vに期限付き移籍していた柴崎晃誠徳島へそれぞれ完全移籍。同じくシーズン途中から栃木SCへ期限付き移籍していた田中雄大鳥取に、杉浦恭平神戸へ、安藤駿介が湘南へ、森下俊が横浜FCへ期限付き移籍した。

補強では横浜FMから森谷賢太郎、札幌から山本真希G大阪から中澤聡太、神戸から大久保嘉人、東京Vから新井章太を、新外国人としてパトリックを獲得。棗佑喜と薗田淳が期限付き移籍から復帰した。風間の強い要望でトレーニングコーチとして西本直が入閣した(5月に一身上の都合で退団)。

ナビスコカップでは、2010年以来3シーズンぶりに決勝トーナメント進出を果たした。準決勝の浦和戦は2戦合計3-3アウェーゴール数の差で敗退した。

Jリーグでは開幕から6戦勝ちなしと苦しいスタートとなったが、7節から17節は僅か2敗で8勝1分で前半を折り返すと、後半戦も3試合勝ちなしから持ち直して最後8試合は7勝1敗で締めくくり、最終節で対戦した横浜FMとの神奈川ダービーを1-0で勝利。横浜FMの優勝を阻止し、共に敗れた3位の鹿島と4位の浦和を抜いて3位に入りAFCチャンピオンズリーグ2014出場権を獲得した。

天皇杯では高知大学東京V山形に順調に勝ち進み、ベスト8で鳥栖に延長戦の末敗れた。

2014年

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2014年シーズン基本フォーメーション
チームスローガン:「OURS

風間体制3年目。伊藤宏樹が現役を引退、風間宏矢大分矢島卓郎が横浜FM、棗佑喜松本風間宏希北九州へ、薗田淳が札幌、鳥取へ期限付き移籍していた田中雄大水戸へ完全移籍、高木駿が千葉へ期限付き移籍、アラン・ピニェイロロブソンが期限付き移籍期間満了、谷尾昂也(鳥取)杉浦恭平(神戸)が期限付き移籍先に完全移籍、昨年横浜FCに期限付き移籍していた森下俊磐田に期限付き移籍した。

補強は、大分から森島康仁、横浜FCから武岡優斗を完全移籍で、栃木からパウリーニョ大宮から金久保順を期限付き移籍で獲得、安藤駿介が期限付き移籍から復帰、昨年途中に特別指定選手として登録された筑波大学のMF谷口彰悟阪南大学のMF可児壮隆が入団した。

2014年のACLでは3回目の決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメントでは前年のファイナリストであるFCソウルと対戦しトータルスコア4-4だったものの、アウェーゴールの差でベスト16。天皇杯は3回戦で愛媛FCに敗れる。ナビスコカップは小林が代表招集され準決勝のG大阪に2戦合計4-5で敗れ、ベスト4。リーグ戦では15節から26節までは当時首位だった浦和を破る等僅か2敗で突き進みACL圏内の順位で推移していたが、鬼門だった新潟市のデンカビッグスワンスタジアムでは相変わらず勝てず、当時残留争いを強いられていた甲府や清水に2試合連続で逆転負けしたのに加え、その清水戦で主将の中村が右足関節捻挫で離脱したのも重なり、27節からの8試合で2勝1分け5敗と急失速してしまい6位。

2015年

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チームスローガン:「ATTRACTIVE

風間体制4年目。田中裕介オーストラリアウエスタン・シドニーへ、稲本潤一が札幌へ、杉山力裕清水へ完全移籍、福森晃斗が札幌へ、可児壮隆湘南へ、森島康仁が磐田へ、中澤聡太C大阪へ期限付き移籍、パウリーニョジェシ金久保順が期限付き移籍期間満了につき退団した。また高木駿森下俊の期限付き移籍期間が延長した。

補強は、仙台から角田誠、大宮から橋本晃司、松本から船山貴之、C大阪から杉本健勇徳島から松井謙弥を完全移籍で、アメリカFCからエウシーニョを期限付き移籍で獲得。ユースから板倉滉三好康児が昇格し、昨年途中に特別指定選手として登録された筑波大学車屋紳太郎、同じく筑波大学の中野嘉大が入団した。 4月25日のJ1リーグ1st7節ヴァンフォーレ甲府戦にてホーム等々力陸上競技場でのJ1リーグ戦通算100勝目を達成。

2000年から社長を務めていた武田信平が会長に就任。後任の社長には藁科義弘が就任した。

6月には、VfLボーフムに所属していた田坂祐介が3年ぶりに復帰した。

9節のFC東京戦では大久保嘉人がJ1の通算得点で横浜FCの三浦知良と並んだ。終盤に3連勝を飾り1stステージは5位で終えた。

7月にはホーム等々力に香川真司擁するブンデスリーガのドルトムントを迎えての親善試合を行ったが、試合は香川の得点を含む0-6で敗戦した。

ナビスコカップでは予選リーグ敗退となった。

2ndステージ開幕戦直後にレナトが中国・広州富力へ移籍した。リーグ戦は2ndステージ7位、年間順位は6位で終えた。また大久保がシーズン23得点を挙げ史上初となる3年連続J1単独得点王に輝いた。

天皇杯では2回戦で中国リーグ所属の松江シティFC[注釈 15] に、3回戦でJ2の京都に勝利、4回戦では前年チャンピオンのG大阪に敗戦。

また、等々力陸上競技場のメインスタンド改修工事も完成し、3月のJ1開幕から供用された。これに合わせてチームは新スタンドのグラフィックや断面図をデザインした特別ユニフォームを試合で着用した[19]

2016年

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チームスローガン:「CHALLENGE THE FUTURE

風間体制5年目。西部洋平が清水、船山貴之山本真希が千葉、杉本健勇がC大阪、山越享太郎が栃木、實藤友紀福岡松井謙弥が大宮へ完全移籍、湘南に期限付き移籍していた可児壮隆、千葉に期限付き移籍していた安柄俊金沢へ期限付き移籍、角田誠(清水)、中澤聡太(C大阪)、森島康仁森下俊(磐田)はそれぞれ期限付き移籍先へ完全移籍、福森晃斗は札幌への期限付き移籍期間が延長、アルトゥール・マイアが期限付き移籍期間満了により退団した。

補強は、北九州から大塚翔平、千葉から森本貴幸、柏から狩野健太、京都から原川力、札幌から昨シーズンFC東京に期限付き移籍していた奈良竜樹水原三星ブルーウィングスから鄭成龍(チョン・ソンリョン)アヴァイFCからエドゥアルド・ネットを完全移籍で獲得、高木駿が期限付き移籍先から復帰、順天堂大学から長谷川竜也が入団した。大島僚太がクラブで初めて日本人選手が10番を付ける事になった。シーズン中に柏からエドゥアルドを期限付き移籍で獲得した。

1stステージは2位。

2ndステージは小林が開幕節の仙台戦から湘南戦までジュニーニョのクラブ記録を更新する6試合連続ゴールを挙げた。同試合でクラブ史上新記録となる15戦無敗を記録したのに加え、17クラブ全てに勝利した。

年間2位でクラブ史上初のJリーグチャンピオンシップ出場。チャンピオンシップ準決勝で鹿島に0-1で敗れ、総合順位としては年間3位[注釈 16]

天皇杯は準決勝では大宮を下して翌2017年シーズンのACL本戦出場権獲得した[注釈 17]。2017年1月1日に行われた天皇杯決勝では準優勝。

10月14日に風間の契約満了に伴う退任、11月7日にコーチを務めていた鬼木達の来季新監督就任が発表された[注釈 18]

2017年

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2017年シーズン基本フォーメーション
チームスローガン:Paint it Blue

鬼木達が監督に就任。大久保嘉人がFC東京、高木駿大分、金沢へ期限付き移籍していた安柄俊熊本に移籍。原川力が鳥栖、中野嘉大が仙台に期限付き移籍、福森晃斗が期限付き移籍先の札幌へ完全移籍した。

補強は大宮から家長昭博、G大阪から阿部浩之新潟から舞行龍ジェームズを完全移籍で獲得、エドゥアルド・ネットエドゥアルドが完全移籍に移行、ユースから田中碧桐光学園高校からタビナス・ジェファーソン愛知学院大学から知念慶が入団した。

2017年のJ1は連敗が一度もなく19節の磐田戦以降15戦を無敗で突き進み、最終節大宮戦では5-0の勝利し、悲願のリーグ優勝。クラブ創設21年目にして初めての主要タイトル獲得を達成した。1999年のJ2発足初年度に所属していたクラブとして初のJ1リーグ優勝[20] Jリーグ史上4チーム目の2年連続勝ち点70以上となり、リーグ優勝が得失点差で決まったのはJリーグ史上初[21]。年間4敗は2005年に1シーズン制が始まってからはリーグ史上最少タイで、4敗でのリーグ優勝は史上最少。得失点差+39でのリーグ優勝は史上最多タイ[注釈 19]。最終節まで1度も首位に立たずに逆転優勝したのは2007年の鹿島に次いで、連勝は長くても3で止まっていた為4連勝以上を記録せずにリーグ優勝を果たしたのは2012年の広島に次いでいずれも史上2例目である。

個人では、鬼木が優勝監督賞を受賞したほか[22]、23得点を記録した小林が最優秀選手賞と得点王を受賞した[23]。また小林に加え、エウシーニョ、車屋、中村がベストイレブンに[24]、さらにこの4人に加え、谷口、阿部、大島の7選手が優秀選手賞に[25] それぞれ選出された。

3シーズンぶりの出場となったACLは水原三星ブルーウィングス広州恒大淘宝香港東方足球隊と同組。グループステージを首位で通過した。決勝トーナメント準々決勝では浦和とのJリーグクラブ同士の対決で第1戦は3-1で勝利、第2戦もエウシーニョのゴールで先制するも興梠慎三のゴールで1-1の同点にされると車屋が退場した事で10人となってしまい、ズラタンラファエル・シルバに続け様にゴールを奪われて遂に2戦合計でも4-4と同点に追いつかれると、後半41分に高木俊幸に決められて2戦合計で4-5と2戦合計4-1からの逆転負けでベスト8敗退となってしまった。

ルヴァンカップではACL出場に伴って決勝トーナメントからの出場。初戦のFC東京には2戦合計7-1で3年ぶりに準決勝に進出。準決勝はベガルタ仙台と対戦。第1戦の前半は0-3とリードを許したが、後半アディショナルタイムに知念がプロ初ゴールを奪う等2-3として望みを繋ぐと等々力での第2戦では三好がシーズン初ゴールを決めたが、後半にセンターバックの奈良が退場し一時は2戦合計4-4となるも途中出場の長谷川の追加点で2戦合計5-4とし、8年ぶり4度目の決勝進出を果たした。決勝戦はセレッソ大阪と対戦。早々に奈良に代わって先発のエドゥアルドがクリアを空振りした末杉本に先制ゴールを奪われ、その後も得点を奪えずアディショナルタイムに前掛かりになった所をカウンターでソウザにゴールを奪われ試合終了。Jリーグカップ決勝で史上初の4試合ノーゴール[26] かつJリーグカップ決勝の連敗が最長の4となった。

2018年

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チームスローガン:GO Sensational !

鬼木体制2年目。狩野健太大塚翔平が契約満了、井川祐輔香港の東方足球隊、森本貴幸福岡JFL今治へ期限付き移籍していた可児壮隆鳥取へ完全移籍、板倉滉が仙台、三好康児が札幌に期限付き移籍、中野嘉大(仙台)、原川が期限付き移籍先の鳥栖へ完全移籍、ハイネルが期限付き移籍期間満了で退団した。

補強はFC東京から2シーズンぶりに加入する大久保、横浜FMから齋藤学、鹿島[注釈 20] から赤﨑秀平山形から鈴木雄斗湘南から下田北斗を完全移籍で獲得。ポープ・ウィリアムが完全移籍に移行し、阪南大学から脇坂泰斗流通経済大学から守田英正が入団した。

初出場したFUJI XEROX SUPER CUPでは、C大阪と対戦。小林、大久保が得点するも2-3で敗れ準優勝。

リーグ戦では、昨年の第20節のFC東京戦から第4節の名古屋戦までクラブ新記録となる19試合連続無敗を記録。2年連続で出場したAFCチャンピオンズリーグ2018では、ヒュンダイ・A・リーグ2位だったメルボルン・ヴィクトリー中国スーパーリーグ2位の上海上港集団韓国FAカップ優勝の蔚山現代と同組であったが、グループステージ敗退。エドゥアルド・ネットが名古屋に、大久保が磐田に移籍した。

ACLに出場していた関係で2年連続で決勝トーナメントからの出場で、YBCルヴァンカップでは鹿島と対戦。カシマスタジアムでの準々決勝1stレグでは開始19分で先制を許すも、その12分後に知念慶がPKを決めて1-1のドロー。しかしホームの等々力が第87回日本学生陸上競技対校選手権大会で使われる為使用出来ず、味の素スタジアムで開催された2ndレグでは、前半に2ゴールを奪われ、後半阿部のゴールで1点を返すも準々決勝敗退。

天皇杯は準々決勝で山形に2-3敗戦。

リーグ戦は、11月3日の第31節柏戦で3-0で勝利しクラブ史上初となる3年連続ACL出場権獲得を確定させ、11月10日に行われた第32節のC大阪戦で敗れたものの、広島も仙台に0-1で敗れた為、史上3例目となる最終節を待たずしてのリーグ優勝を達成した。これにより、Jリーグ史上5チーム目、オリジナル10以外では史上初となるJリーグ連覇を果たした。歴代のリーグ優勝チームの中で、2005年にJリーグが1シーズン制になってからは2015年からの2年間を除いて2位に12の勝ち点差をつけて優勝したのは史上最大である[注釈 21]。得点数(57得点)と失点数(27失点と2年連続でクラブ史上最少を更新、当時Jリーグ史上3位[注釈 22] )と両項目でリーグトップを記録したのも最後の中断期間を挟まずにリーグ優勝を決めたのもいずれもJリーグ史上初である。

2019年

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チームスローガン:EVER BLUE

鬼木体制3年目。武岡優斗、田坂祐介、森谷賢太郎、エウシーニョが契約満了、エドゥアルドが松本、仙台に期限付き移籍していた板倉滉がマンチェスター・シティへ完全移籍、札幌に期限付き移籍していた三好が横浜FMに期限付き移籍、ポープ・ウィリアムが大分に期限付き移籍、赤崎秀平が名古屋に期限付き移籍、タビナス・ジェファーソンが岐阜に期限付き移籍した。

補強は藤嶋栄介を山口から、ジェジエウパラナ・クルーベからそれぞれ期限付き移籍、マギーニョヴィラ・ノヴァFCから、元ブラジル代表でロンドン五輪の得点王のレアンドロ・ダミアンSCインテルナシオナルから、馬渡和彰を広島から、山村和也をC大阪からそれぞれ完全移籍で獲得。昌平高校から原田虹輝が入団。

2年連続出場となったFUJI XEROX SUPER CUPでは、天皇杯優勝の浦和と対戦。レアンドロ・ダミアンが決勝点を挙げ、初優勝を飾った[注釈 23]

ACLではシドニーFC、上海上港、蔚山現代と同組。グループリーグ3位で決勝T進出を逃した[27]

7月19日、チェルシーFCと「明治安田生命Jリーグワールドチャレンジ2019」にて対戦。ダミアンのゴールで1-0で勝利した[28]

天皇杯では、神戸に敗れ4回戦で敗退。

YBCルヴァンカップは3年連続で決勝トーナメントから出場。前任の風間が率いる名古屋に等々力での第1戦は2-0で勝利し、パロマ瑞穂スタジアムでの第2戦は2-2で引き分け準決勝進出、準決勝は鹿島に等々力での第1戦は3-1で逆転勝ちし、第2戦はスコアレスドローで2年ぶりの決勝戦に進出した。決勝戦で札幌と対戦。前半10分に先制されるが、アディショナルタイムに脇坂のコーナーキックから阿部が押し込んでJリーグカップ決勝で初めての得点を挙げて前半を折り返す。後半43分に途中出場の小林が逆転弾を決めたが、後半アディショナルタイムにゴールキーパーの具聖潤も上がったコーナーキックから深井一希にヘディングで叩き込まれて2-2の同点となり延長戦に突入。延長前半4分に谷口がチャナティップの突破を止めたシーンで一度はイエローカードを提示されたが、その後VARの末に決定機阻止としてレッドカードが提示された。その直後のFKを試合前まで過去3年のJ1で当時6発決めている福森に直接決められ2-3と勝ち越されるが、延長後半4分に中村のコーナーキックから山村のシュート性で折り返した所を小林が合わせ史上8人目のJリーグカップ決勝で2ゴール[注釈 24]。その後のPK戦では4番手の車屋が失敗するも新井が札幌の5番手・石川直樹を横っ飛びで防ぐとサドンデス戦で6番手の進藤亮佑も防ぎ5度目の決勝にして初優勝[注釈 25]2019年のJリーグカップ#決勝の欄も参照)。鬼木は国内3大タイトルを3年連続で獲得した日本人監督[注釈 26] となった。

リーグ戦では、第5節の松本戦から第20節の大分戦まで15試合連続無敗を記録。6月30日に行われた第17節の磐田戦に3-1で勝利した事で関塚、風間に次いでクラブ史上3人目のJ1監督通算50勝を84試合目というクラブ史上最速[注釈 27] で達成したが、上位3クラブがホームで10勝以上(横浜FMとFC東京が12勝、鹿島が11勝)挙げた一方で残留争いを強いられたクラブを中心に下位(10位以下)から7分1敗と勝ち点を取り零し、この内6クラブにホームで引き分けて[29] シーズン12分け[注釈 28] と勝ちきれない試合が多く、等々力での勝利数は5勝どまり。負け数が1つ減ったにも関わらず年間順位は4位と鹿島が上位3チームの中で唯一天皇杯の決勝に進出していた為、ACL出場権獲得に望みを繋いでいたが、鹿島は決勝で神戸に0-2で敗れた為4年連続のACL出場権獲得は果たせなかった。

2020年

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チームスローガン:GET NEXT 青き意志とともに。

鬼木体制4年目。新井章太が千葉、奈良竜樹が鹿島、名古屋にレンタル移籍していた赤崎秀平が仙台、阿部浩之が名古屋へそれぞれ完全移籍、長崎にレンタル移籍していたカイオ・セザールがレンタル移籍期間を延長し、ポープ・ウィリアムが岡山に、タビナス・ジェファーソンがG大阪に、鈴木雄斗が松本に、マギーニョが横浜FC、馬渡和彰が湘南へ、知念慶が大分にそれぞれ期限付き移籍した。またHonda FCから遠野大弥を完全移籍で獲得し福岡へ、宮城天はユースから昇格し富山へそれぞれ期限付きで移籍した。

補強は宮代大聖が復帰。レンタルで加入していた藤嶋、馬渡洋樹、ジェジエウを完全移籍で契約[注釈 29]。ジオゴ・マテウス、イ・キョンテを期限付き移籍、丹野研太山根視来を完全移籍で獲得[注釈 30]筑波大学から三笘薫順天堂大学から旗手怜央東海学園大学から神谷凱士桐蔭横浜大学からイサカ・ゼインが入団した。

リーグ戦は鳥栖と引き分け開幕戦引き分けが8年連続に伸びたものの、新型コロナウイルスの影響で国内全ての公式戦が中断。8月15日の札幌戦で三笘と小林がそれぞれ2ゴールを挙げJ1で途中出場選手の2人が複数得点を挙げた史上初の記録。また小林がジュニーニョの持っていたクラブ最多得点記録を更新した。第11節C大阪戦では10連勝を達成。引き分けの制度が導入された現行の2003年以降では同一シーズンでのJ1新記録を達成した。第22節の広島戦を2-0で勝利しJリーグ史上初となる2度目の10連勝を記録。第25節のFC東京戦に勝利して12連勝を達成。クラブ史上初の神奈川ダービー(横浜FM、横浜FC、湘南)6戦全勝。11月25日、G大阪戦で5-0で勝利し2年ぶり3回目のリーグ優勝。4試合を残しての優勝はJ1史上最速。2006年に記録した延長戦廃止後の2003年以降のシーズン最多得点記録(84ゴール)を更新し、88ゴールと2回戦総当たりになった1996年以降では2位、延長戦が廃止された2003年以降では最多記録を更新した。シーズン3敗はJリーグ開幕後最小、シーズン26勝は2回戦総当たり制の現行ルールで最多記録。得失点差+57で優勝したのは1993年以降、2位に18の勝ち点差をつけて優勝したのはJリーグに勝ち点制が導入された1995年以降いずれもリーグ新記録。44試合制だった2004年のJ2でも104ゴールとJ2のシーズン最多得点記録を更新して優勝した為、J1とJ2でシーズン最多得点での優勝はJリーグ史上初である。また鬼木は国内3大タイトルを4年連続で獲得した史上初の日本人監督となった[注釈 31]

個人では、鬼木が2年ぶりに優勝監督賞、家長、三笘、守田、田中、谷口、ジェジエウ、山根、登里、鄭成龍がベストイレブンに、さらにこの9人に加え、レアンドロ・ダミアン、小林、脇坂、大島の4選手が優秀選手賞にそれぞれ選出された。なおベストイレブンに9人選出されたのは1クラブ当たりの選出数としては史上最多である。

YBCルヴァンカップは4年ぶりのグループステージステージからの参加で4年連続のプライムステージ進出。ベスト8の神戸戦ではノエビアスタジアムで6-0とJリーグカップ決勝トーナメントのアウェイチーム最多得点差で勝利するも準決勝戦でFC東京に敗れてベスト4。

100回目の天皇杯はコロナウイルスの影響による日程変更のため準決勝から参加となり、J3を制した秋田と対戦。前半39分に三笘が、後半36分に田中が自身初の直接フリーキックを決め2-0で勝利。決勝はG大阪と対戦して後半10分にレアンドロ・ダミアンのスルーパスに反応して抜け出した三笘が得点。1-0で制して天皇杯初優勝。Jリーグと天皇杯の2冠を達成した。J2からスタートしたチームとしては史上初の国内3大タイトル完全制覇となった。

また、2003年からチームを牽引してきた中村憲剛が現役を引退した。

2021年

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チームスローガン:New Front.

鬼木体制5年目。中村が引退、湘南に期限付き移籍していた馬渡和彰が大宮に、松本に期限付き移籍していた鈴木雄斗が磐田に、岡山に期限付き移籍していたポープ・ウィリアムが大分に、G大阪に期限付き移籍していたタビナス・ジェファーソンが水戸に、下田が大分に、守田がCDサンタ・クララに、齋藤が名古屋に、カイオ・セザールが期限付き移籍先の長崎にそれぞれ完全移籍、コリチーバFCから期限付き移籍していたジオゴ・マテウスが退団した。横浜FCに期限付き移籍していたマギーニョが移籍期間を延長し、原田が鳥取に、宮代が徳島にそれぞれ期限付き移籍した。

補強は福岡から遠野、大分から知念、富山から宮城がそれぞれ期限付き移籍から復帰。大分から小塚和季、松本から塚川孝輝、名古屋からジョアン・シミッチを完全移籍で獲得。静岡学園高校から田邉秀斗、桐蔭横浜大学から橘田健人が入団した。

2年ぶりの出場となったFUJI XEROX SUPER CUPでは、Jリーグと天皇杯でいずれも準優勝のG大阪と対戦。三笘が公式戦3試合連続ゴールを挙げ、大会史上6人目の1試合2ゴールを挙げた。後半追いつかれるものの途中出場だった小林のゴールで勝ち越し2回目の優勝を飾った。

リーグ戦は開幕戦で横浜FMに2-0で勝利し、等々力開催で9年ぶりの開幕戦勝利を挙げて鬼木は監督通算85勝目。前任の風間を抜きクラブの通算監督勝利数で単独トップを挙げた後、C大阪、仙台、徳島、柏にも勝ち開幕5連勝。J2時代だった2004年の開幕3連勝を抜きクラブ史上最長となった。

4月29日の第22節・5月4日の第12節は2位・名古屋との異例の2連戦であったが[30]豊田スタジアムで4-0、等々力で3-2と連勝した[31][32]

6月27日から7月11日のACLの6試合はウズベキスタンで、帰国後の7月17日から9月1日までの国内大会の9試合はすべてアウェイの会場での試合であり、約3ヶ月間は等々力で試合をする事ができなかった。

5月16日に札幌に2-0で勝利した事で、連続無敗記録が22試合となりJ1リーグ記録を更新[33][34]。5月30日に鬼木が156試合目というJリーグ史上最速かつクラブ史上初の監督通算100勝目を達成。同時に開幕からの無敗記録を更新。この記録は8月25日に行われた第26節福岡戦に0-1で敗れるまで続き、最終的にリーグ戦開幕25試合連続無敗、リーグ戦通算30試合連続無敗、公式戦42試合連続無敗の記録を残した。

11月3日、ホームで浦和と1-1で引き分け、横浜FMがG大阪に0-1で敗れた為、2年連続4回目のリーグ優勝を決めた。鬼木は国内3大タイトルを5年連続で獲得し、また一人で4回目のリーグ優勝を果たし、単独最多優勝監督となった。更に鬼木はYBCルヴァンカップと天皇杯のタイトルも1つずつ獲得しているので、獲得した国内三大大会で獲得したタイトル数は6と西野朗(G大阪時代に当たる2008年のACLも含めて)と並んで日本人監督で最多タイとなった。2年連続の年間勝ち点80以上もJリーグ史上初である。さらに、11月27日に等々力でG大阪に4-1で勝利し1996年以降ではリーグ史上初の年間勝ち点90以上。現行の勝ち点制に換算しても52試合制だった1995年のV川崎に次いで史上2番目に多い勝ち点92となった[35]。また史上2チーム目のホームゲーム無敗を達成したのに続き、2020年の11月19日以降22戦無敗とクラブのホーム無敗記録を更新した。レアンドロ・ダミアンが23ゴールで得点王のタイトル[注釈 32] を獲得、ジュニーニョが2007年に記録したクラブの外国人選手によるJ1最多得点記録を更新した。またシーズンは38試合に増えたにも関わらず28勝8分け2敗とシーズンの最少敗戦記録を更新した。イエローカードの枚数は18枚しか受けず、1試合平均0・47枚とJ1記録を24年ぶりに塗り替え、無警告試合は25試合で27年ぶりに塗り替えた。

個人では、鬼木が2年連続で優勝監督賞、レアンドロ・ダミアン、家長、脇坂、旗手、谷口、ジェジエウ、山根がベストイレブン。さらにこの7人に加え、橘田、登里、鄭成龍の3選手が優秀選手賞に選出された。なおこれにより、通算40人とリーグ最多ベストイレブン輩出クラブになった。レアンドロ・ダミアンが2016年の中村、2017年の小林、2018年の家長に続きチーム史上4人目のJリーグMVPに選出された。

2年ぶりのACLでは、大島が怪我からの復帰を果たすも、田中が海外移籍を前提とした渡欧によりチームを離脱しデュッセルドルフへの期限付き移籍が決定した。グループステージでは6戦合計27得点の全勝で突破。第3戦のユナイテッド・シティFC(フィリピン)戦では橘田がクラブ史上初のACLハットトリック[注釈 33] を達成したのに続き、国内外の公式戦ではクラブ史上最多となる1試合8得点をマークした。ラウンドオブ16で蔚山現代と対戦。0-0でPK戦の末敗退。

ルヴァンカップは準々決勝で浦和と対戦。アウェイでの第1戦は家長のPKで追いつき1-1。およそ3か月ぶりのホーム等々力での第2戦は3-3のドロー。2戦合計4-4ながら等々力でアウェーゴールを3点も奪われて敗退しベスト8。

2連覇を目指した天皇杯では、2回戦でJ3のAC長野パルセイロを、3回戦でJ2千葉をそれぞれPK戦の末勝ち上がり、ベスト16ではJ1の清水を、ベスト8では鹿島を下して準決勝進出。大分との準決勝では、延長後半に小林のゴールで先制するも、下田のクロスをエンリケ・トレヴィザンに決められ同点に追いつかれこの大会3度目のPK戦の末、2番手の山村と7番手の山根が高木に止められてベスト4。結果的に、シーズンにおいてカップ戦(ACL・ルヴァンカップ・天皇杯)では1度の敗戦もなかった[注釈 34]ものの、いずれのタイトルも獲得出来なかった。

2022年

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チームスローガン:HEART BEATS!

鬼木体制6年目[注釈 35]。イ・キョンテが岡山に復帰、旗手がセルティックに、長谷川が横浜FCにそれぞれ完全移籍、横浜FCに期限付き移籍していたマギーニョが期限付き移籍期間を満了し退団した。原田が長野に、宮代が鳥栖に、イサカ・ゼインが横浜FCに、神谷が藤枝にそれぞれ期限付き移籍した。

補強は横浜FCから瀬古樹、札幌からチャナティップをそれぞれ完全移籍[注釈 36] で獲得、ユースから五十嵐太陽高井幸大興国高校から永長鷹虎、桐蔭横浜大学からユース出身者の早坂勇希、流通経済大学から佐々木旭、法政大学から松井蓮之が入団した。

4月2日に行われた第6節のC大阪戦に敗れるまでに記録したホーム25試合連続無敗は浦和とG大阪に並ぶリーグタイ記録、4月10日に行われた第8節の柏戦で鬼木は通算184試合目の指揮を執り、関塚を抜いて単独最多となった。またその柏戦からACLを挟んで5月21日に行われた第14節の鳥栖戦まで5試合連続で無失点となり、クラブ新記録となったが、守備陣は前年の11月7日に駅前不動産スタジアムで行われた鳥栖戦でジェジエウを左膝の前十字靭帯と内側側副靭帯を損傷する大怪我で失った影響が大きく、前半17試合終了時点で21失点と2015年以来7年ぶりに試合の半数を終えて6年ぶりにシーズンの失点数が試合数を超えた。また攻撃陣もJ1に初めて昇格した2000年以来22年ぶりとなる16試合連続3得点未満[36] と得点力も低下し、左ウィングで主に先発する事の多かったマルシーニョと宮城が合わせて5ゴールと前年ベルギーへ移籍する前に8ゴールを挙げた三笘の半数を超えるのが関の山だった。7月30日にジェジエウが復帰して以降8月は全勝。試合数の違いがありながら暫定で首位にも返り咲いたがその一方でレアンドロ・ダミアンが8月20日の福岡戦で右足関節の外側靱帯損傷と右腓骨筋肉離れで離脱しシーズン終了。9月に入り湘南に1-2で敗れてJ1でクラブ史上初の神奈川ダービー3敗目を喫するとそこから1勝2分1敗と失速し、3勝1分で乗り切った横浜FMに引き離され、10月1日に当時2020年以外はリーグ戦で無敗の札幌に3-4で敗れ鬼木体制で最多にして2014年以来8年ぶりの8敗目で勝ち点差を8にまで広げられた。その後清水や京都と残留を争っていた相手や神戸に全勝し、横浜FMが当時残留争いの渦中にいたG大阪と磐田に日産スタジアムで連敗し足踏みした事もあり勝ち点差を2まで縮めて最終節まで優勝の望みを繋いだ。最終節では退場者を出しながらもFC東京に勝利する意地を見せたが、横浜FMも勝利した事で最終順位は2位。ジェジエウがピッチにいない時に(途中交代で退いた時も含めて)前年と同じ28失点と全42失点の66%にのぼり、2010年以来12年ぶりにアウェー6勝どまり。18クラブ中唯一ホームの等々力で勝ち点40以上(43)を記録しながらアウェーでの勝ち点が23と優勝した横浜FM(勝ち点29)だけではなく7位の柏(勝ち点26)、4位の鹿島や5位のC大阪(いずれも勝ち点25)よりも少なく、特に敵地で下位(10位以下)のクラブ相手に3勝3分け3敗の勝ち点12[37] と取り零し続けた事が祟り2019年に続いてまたしても横浜FMにリーグ3連覇を阻まれた。なお去年も横浜FMと共にワンツーフィニッシュとなった為、同県同士のクラブが2年連続で2位以内に入ったのはJリーグ史上初である。

2年連続9回目の出場となったAFCチャンピオンズリーグはマレーシアでグループリーグが集中開催された。マレーシア・スーパーリーグ王者・ジョホール・ダルル・タクジムKリーグ1で2位の蔚山現代[注釈 37]中国スーパーリーグ広州足球倶楽部と同組。広州に2勝したものの3勝2分1敗でグループIの2位。しかしACLに参加する予定だった上海海港足球倶楽部が上海での新型コロナウイルス拡大に伴って参加を辞退した為例年とは違うレギュレーション[注釈 38] により5月を待たずしてグループステージ敗退が決定した。

天皇杯は札幌大学に5-0で勝利したものの、当時J2で11位だった東京Vに0-1で敗れ8年ぶりの3回戦敗退。なおカタールワールドカップが11月21日から12月18日にかけて開催される関係で日程が大幅に前倒しになった為、前身の富士通サッカー部時代も合わせて1977年に初出場して以降6月中に天皇杯で敗退したのはクラブ史上初である。

ACLに出場した関係でプライムステージから参加となったYBCルヴァンカップは準々決勝でC大阪と対戦。トップチーム関係者が新型コロナウィルスの陽性判断を受け、ベンチメンバーをゴールキーパー3人で埋めなければならなかったヨドコウ桜スタジアムでの第1戦は脇坂のゴールで1-1。等々力での第2戦はマルシーニョの2ゴールで2戦合計3-1とリードするも後半ATに加藤陸次樹に、実質ラストプレーで山田寛人にヘディングで押し込まれて痛恨の引き分け。2年連続で2点のリードを試合終了間際に途中出場の選手に奪われてアウェーゴール差による準々決勝敗退となった。なお2006年にJリーグカップ決勝トーナメントにアウェーゴール制度が導入されて以降2年続けてアウェーゴールで敗退したのはJリーグカップ史上初である。

この年は、国内とアジアの合わせて5つのタイトル獲得に挑戦しながらジェジエウの離脱時にスーパーカップとACLと天皇杯のタイトルを失い、6年ぶりに無冠でシーズンを終えた。

2023年

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チームスローガン:Exceed_

鬼木体制7年目[注釈 39]。知念が鹿島に、イサカ・ゼインが山形に、丹野が岩手に、谷口がアル・ラーヤンにそれぞれ完全移籍、原田が長野に、田邊が千葉に、五十嵐が山口にそれぞれ育成型期限付き移籍[38]、神谷が甲府に、宮城が長崎にそれぞれ期限付き移籍した。

補強は鳥栖から宮代が期限付き移籍から復帰。湘南から瀬川祐輔、京都から上福元直人、柏から大南拓磨を完全移籍で獲得。ユースから 大関友翔松長根悠仁桐蔭横浜大学から山田新履正社高校から名願斗哉が入団した。

横浜FM対甲府による富士フイルムスーパーカップのハーフタイムに行われた最後のJリーグマスコット総選挙でワルンタは2位に入賞。それまでは2015年のふろん太が6位だったので、過去最高順位と共にクラブ史上初のトップ3に入った。

AFCチャンピオンズリーグの開催時期が秋に変わった為、全クラブ参加となったJリーグYBCルヴァンカップでは、J2の清水、浦和、湘南と同組。センターバック中心に怪我人が続出した状態で開幕し、清水に2-3とJ2のクラブも参加する制度に変わった2019年以降では初めてJ2のクラブに敗れ、湘南と浦和にホームで2戦連続スコアレスドロー。4節の清水に6発大勝したものの、マルシーニョが左ハムストリング肉離れで離脱した状態で臨んだ第5節の浦和戦で瀬川のゴールで先制するも逆転負け。レモンガススタジアムで湘南に2点ビハインドからの逆転勝ちを収めたが、直接対決のレギュレーションが優先される為、7年ぶりのグループリーグ敗退となった。

年明け早々にレアンドロ・ダミアンが右足関節の手術で合流が遅れ、1月のトレーニング中に小林が左第5趾基節骨骨折で、翌月のトレーニングでは登里が左ヒラメ筋肉離れでそれぞれ開幕戦を棒に振った中で始まったリーグ戦では、開幕戦の横浜FM戦に敗北しジェジエウがレッドカードで退場した上に車屋が右ハムストリングの肉離れで2年連続の開幕戦負傷退場。3節の湘南戦でそのジェジエウが左膝外側半月板損傷で、4節の新潟戦では2節の鹿島戦で退場したセンターバックの山村[39] とインサイドハーフの大島がそれぞれ負傷交代と離脱者続出に歯止めがかからなかった上、センターバックの高井がウズベキスタンで行われたAFC U23アジアカップの代表招集で失っていた事も重なってしまい、千葉に育成型期限付き移籍で放出していた田邊(千葉では2試合で22分しか出場出来ず)を復帰させても最終ラインが手薄となった序盤は9節終了時点で2勝3分4敗と負けが先行する形となった。その田邊も4月7日のG大阪戦で左膝の内側側副靭帯を損傷し全治4~5か月の離脱を余儀なくされ、その後3連勝を飾るが連敗も目立ち、かつて圧倒的な強さを誇ったホーム等々力で競り負ける試合が増えた。第29節で新潟に2-3で敗れた事で、5試合を残して優勝の可能性が消滅した。鹿島には相性の良さを発揮し、3年連続のシーズンダブルを達成した一方で残留争いのG大阪、昇格したばかりの新潟にシーズンダブルを食らう等不安定だった。

また、10月29日に行われた第31節の柏戦で遠野がレッドカードを受け、シーズン7枚目かつ7人目の退場者を出す。当時J2だった2002年2003年の6枚を抜き、加えて全員違う選手[40] が退場処分を受けている為、レッドカードの枚数・選手共にクラブ史上最多。しかもその内車屋以外の6枚は全て一発退場だったので、J2が創設される前の1993年から1998年までを含めても一発退場を受けた人数でJ1最多タイ[41] となってしまった。

また、前述のマルシーニョが左ハムストリング肉離れで、レアンドロ・ダミアンが前述の右足関節の手術に加えて、6月21日に左足関節捻挫で再び離脱し、前年に推定4億6500万円で獲得したチャナティップが全公式戦で3ゴール3アシストしか出来なかっただけではなくフル出場すら1試合も出来ないまま6月にパトゥム・ユナイテッドに移籍する等外国人選手も苦しんだ為、開幕戦から外国人選手のノーゴールが続きリーグ戦での初ゴールは、開幕して27戦目にあたる9月15日に等々力で行われたFC東京との多摩川クラシコでマルシーニョが決めるまで待たなければならず[42]ガラタサライから補強しクラブ史上初のヨーロッパ諸国出身選手となったバフェティンビ・ゴミスを獲得してもゴールを奪えず、外国人選手のゴール数は5(マルシーニョとジョアン・シミッチが1ゴール、レアンドロ・ダミアンが3ゴール)と「富士通川崎フットボールクラブ」から公募で現在のクラブ名になって1997年から2年間戦ったジャパンフットボールリーグ時代も含めてクラブ史上最少タイと足を引っ張ってしまい、最終順位は2012シーズン以来11年ぶりの8位で2013シーズン以降では最低記録となった。しかし、天皇杯では順調に勝ち進み2回戦では等々力で栃木県代表の栃木シティFC、3回戦では水戸市にあるケーズデンキスタジアムでJ2の水戸、ベスト16では高知市にある高知県立春野総合運動公園陸上競技場で高知県代表の高知ユナイテッドを次々と倒し、準々決勝ではデンカビッグスワンスタジアムで新潟に120分間の末3-3でPK戦の末勝ち進み2年ぶり3回目の準決勝進出。等々力では福岡に4-2で勝って3年ぶり3回目の決勝進出。決勝での柏戦で120分間スコアレスドローでPK戦[43] の末3年ぶり2度目の優勝を果たし、来季のACL出場権を獲得した。なおACL出場権を獲得するのは4年連続でクラブ史上最長である。また鬼木は西野を抜いて日本人監督最多となる7個目の国内三大タイトル獲得となり、鹿島時代に率いたオズワルド・オリヴェイラの6個を抜いて1クラブでの最多タイトル獲得となった[44]

2024年

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 チームスローガン:Mind-1 NEXT 心をひとつに、その先へ

鬼木体制8年目。宮代が神戸に、登里がC大阪に、山根がLAギャラクシーに、ジョアン・シミッチがサントスに、神谷が甲府に、山村が横浜FMにそれぞれ完全移籍、五十嵐がレンタル移籍期間を延長し、松長根・大関が福島に、永長がザスパ群馬に、名願が仙台にそれぞれ育成型期限付き移籍した。

補強は山形から宮城が、町田から松井が期限付き移籍から復帰。甲府から三浦颯太、名古屋から丸山祐市ゴイアスからゼ・ヒカルドバイーアからパトリッキ・ヴェロンサンパウロからエリソン[45]、G大阪から山本悠樹を完全移籍で獲得。ユースから由井航太、桐蔭横浜大学から山内日向汰静岡学園高校から神田奏真が入団した。

天皇杯優勝で、2年ぶりの出場となった富士フイルムスーパーカップでは、前年Jリーグ王者の神戸と対戦して1-0で勝利し3年ぶり3回目の優勝を果たした。ACLでは、山東泰山と対戦。済南オリンピック・スポーツセンターでの第1戦は新加入のエリソンが移籍後初ゴール、マルシーニョ、家長と3点を奪って勝ったものの2点を失い3-2。引き分け以上で勝ち上がるUvance とどろきスタジアム by Fujitsuでの第2戦は前半8分に大南が自陣ペナルティーエリア手前で李源一に奪われた末クロスに合わせたクリザンにヘディング弾を決められ、僅か8分で1点リードしていた2戦合計スコアを3-3にされたのに続き、前半25分、脇坂のコーナーキックがミスキックになってカウンターを浴び、左サイドのヴァレリ・カザイシュヴィリに右足アウトサイドでアーリークロスを入れられると、これに正面で飛び込んだガオ・ジュンイーに決められて25分で2戦合計で3-4と逆転される。6分後に山本のスルーパスに抜け出した三浦(グループリーグは移籍元である甲府の一員で戦っていた)がプロ初ゴールで折り返し、後半14分にエリソンの公式戦2試合連続ゴールで2-2とし2戦合計で5-4で逆転するも後半28分にクリザンにまたしてもゴールを奪われて2-3とされると、延長戦突入が濃厚になったアディショナルタイムにコーナーキックの流れからセンターバックのジャジソンに押し込まれて2-4とされて試合終了。共にベスト8で名古屋と対戦した2009年、浦和と対戦した2017年に続いて第1戦で勝利しながら第2戦でまたしても2試合合計で逆転されて、その大会で初黒星が痛恨のベスト16敗退となった。

2連覇を目指す天皇杯は初戦となる2回戦のソニー仙台には2-0で勝利したものの、レゾナックドーム大分で大分に1-3で敗れて3回戦で敗退。2021年の準決勝に続いてまたしても大分に天皇杯2連覇を阻まれる結果となってしまった。

リーグ戦では、広島が町田に勝利した事で首位との勝ち点差が22に広がり、7試合[46]を残してリーグ優勝の可能性が消滅した。

YBCルヴァンカップでは、準決勝で新潟に敗れてベスト4で敗退。

クラブ初のヨーロッパ諸国出身で元フランス代表のゴミスが退団。その後長年の現役生活に幕を閉じた[47]

2024年10月16日、8年間指揮した鬼木達監督が契約満了。8シーズンで7タイトルを獲った日本を代表する監督だった [48]

2025年

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新監督に、前アビスパ福岡監督の長谷部茂利が就任[49]

現所属メンバー

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成績

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タイトル・表彰

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国内タイトル

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個人・チーム表彰

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最優秀選手(MVP)
ベストイレブン
得点王
フェアプレー個人賞
優勝監督賞
Jリーグカップ最優秀選手賞(MVP)
Jリーグカップニューヒーロー賞

功労選手賞

その他

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ユニフォーム

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ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) 水色
FP(2nd) ベージュ ベージュ ベージュ
GK(1st)
GK(2nd)
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd

チームカラー

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  •   サックスブルー[1]    ブラック[1]    ホワイト[1]

ユニフォームデザイン

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  • 2004年から右袖に「KAWASAKI」の文字が書かれたワッペン、選手やスタッフ用には「市の花」であるツツジ刺繍が付けられている。
  • 2011年のユニホーム右脇部には川崎市高津区出身の岡本太郎デザインによる「挑」の文字が付けられていた。
  • 2014年の1stユニフォームは川崎市の市制90周年を記念して川崎市の全7区のシンボルマークをモチーフとした市松模様となっている。また、背番号の下にふろん太のシルエットが隠れている。ただし、ACL仕様の1stユニフォームは2ndユニフォームの色違いである。
  • 2016年の1stユニフォームは「原点回帰」をコンセプトに20周年記念として創立当時のストライプ柄を採用[50]。ただしサプライヤーはペナルティではなくプーマである。
  • 2016年はクラブとしては初となるカップ戦限定デザインユニフォームを採用(1stユニフォームのみ)。2009 - 2010シーズンのデザインの復刻版となっている[50]。こちらもサプライヤーはアシックスではなくプーマである。
  • AFCチャンピオンズリーグについては規定によりスポンサーは1社に限られているため、FUJITSUの胸ロゴのみ[注釈 40] 表記され、左袖に大会のロゴ、背番号上には選手名(アルファベット表記)を入れている。

ユニフォームスポンサー

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掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
富士通 FUJITSU 1997年 - 2013年 - 2015年の2ndは「ARROWS」表記
2016年 - 2017年は旧ロゴの「arrows」表記
(ACLでは1st、2nd共に「FUJITSU」表記)
鎖骨 GA technologies RENOSY 2018年9月 - [51] 左側に表記
アンカー・ジャパン ANKER 2021年 - 右側に表記
2021年は「Anker Innovations JAPAN」表記
背中上部 SMBC日興証券 SMBC日興証券 2005年 - 2005年 - 2007年途中は商品名の「ピーカブー」表記
2007年途中 - 2011年3月は「日興コーディアル証券」表記
背中下部 PwCコンサルティング pwc 2023年 - [52]
エバラ食品工業 エバラ 2023年 - [53]
パンツ前面 松尾工務店 MATSUO 2021年4月 - [54]
パンツ背面 川崎信用金庫 川崎信用金庫 100
KAWASHIN 100th Anniversary
2022年 -

ユニフォームサプライヤーの遍歴

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歴代ユニフォーム

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FP 1st
1999 - 2000
2001 - 2003
2004
2005
2006
2007
2008
2009 - 2010
2011
2012
2013
2014
2015
2016
2017
2018
2019
2020
2021
2022
2023
2024 -
FP 2nd
1999 - 2003
2004
2005
2006
2007
2008
2009
2010
2011
2012
2013
2014
2015
2016
2017
2018
2019
2020
2021
2022
2023
2024 -
FP Other
2014
ACL
2014
川崎市制
90周年記念
2015

メインスタンド
完成記念
2016
カップ戦
2016
宇宙兄弟コラボ
2017
ACL 1st
2017
ACL 2nd
2017
SUMMER
2018
ACL 1st
2018
ACL 2nd
2018
Limited
2019
ACL 1st
2019
ACL 2nd
2019
川崎市制
95周年記念
2020
Limited
2021
ACL 1st
2021
ACL 2nd
2021
Limited
2022
ACL 1st
2022
ACL 2nd
2022
Limited
2023
Limited

歴代ユニフォームスポンサー表記

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年度 箇所 サプライヤー
鎖骨左 鎖骨右 背中上部 背中下部 パンツ前面 パンツ背面
1997 FUJITSU 解禁前 NIFTY 解禁前 富士通
ゼネラル
- 解禁前 PENALTY
1998 Fsas FUJITSU GENERAL
1999 富士通ゼネラル asics
2000 FUJITSU / GENERAL
富士通ゼネラル
2001 富士通ゼネラル
2002
2003 PFU
2004 nOEL
2005 ピーカブー
2006 NOEL ふくしまの米
2007 ピーカブー /
日興コーディアル証券
2008 日興コーディアル証券
2009 富士通ゼネラル
エアコン
PFU
2010
2011 日興コーディアル証券 /
SMBC日興証券
富士通
マーケティング
PUMA
2012 SMBC日興証券
2013 FUJITSU
(1st)
ARROWS
(2nd)
2014 FUJITSU
(Jリーグ仕様1st・ACL用)
ARROWS
(Jリーグ仕様2nd)
2015 FUJITSU
(1st)
ARROWS
(2nd)
2016 FUJITSU
(1st・カップ戦)
arrows
(2nd)
@nifty
2017 FUJITSU
(Jリーグ仕様1st・ACL用)
arrows
(Jリーグ仕様2nd)
2018 FUJITSU - /
RENOSY
- /
富士通
ビー・エス・シー
富士通エフサス
2019 RENOSY 富士通
ビー・エス・シー
2020 富士通
マーケティング /
富士通Japan
-
2021 Anker
Innovations
JAPAN
富士通Japan - /
MATSUO
2022 ANKER MATSUO 川崎信用金庫 100
KAWASHIN 100th Anniversary
2023 pwc エバラ
  • この他、1997年 - 1998年は旧JFL、1999年 - はJリーグのロゴが右袖に付く。
  • 1998年 - 2004年の背中スポンサー、富士通エフサス(Fsas)の会社名は「富士通サポートアンドサービス」。
  • ノエル(NOEL)は、2005年途中にCIの変更によりロゴが変更されたが、2005年シーズンは旧ロゴのままで、2006年シーズンより新ロゴに変更された。
  • 2007年9月30日の金融商品取引法施行に伴い、日興コーディアル証券(当時)はユニフォームでの掲示名を商品名の「ピーカブー」から自社名に変更。マスコットのピーカブーは2014年5月末まで応援マスコットとして主にホームゲームでふろん太と共に活動した。同年6月にキャラの使用権利が日興からクラブへ移籍されため頭の部分を青色にした上で公募で「カブレラ」と改名された。クラブ公式のマスコットとして活動している。
  • 2013年 - 2017年の2ndユニフォーム胸スポンサーのARROWSは富士通のスマートフォンタブレット端末のブランド名。ただし、2014年及び2017年のACL仕様の2ndユニフォームはロゴが赤色のFUJITSUとなっている。
  • ARROWSのロゴは2015年途中に従来の大文字から小文字のarrowsに変更されたが、2015年シーズンは旧ロゴのまま、2016年より変更された。

スポンサー

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アカデミー

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  • 川崎フロンターレU-18
  • 川崎フロンターレU-15
  • 川崎フロンターレU-13
  • 川崎フロンターレU-12
  • 川崎フロンターレU-10

運営会社

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  • 1997年 - 2001年: 富士通川崎スポーツマネージメント株式会社
  • 2002年 - 現在: 株式会社川崎フロンターレ

地域密着

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富士通サッカー部1996年にプロ化を推進するにあたり、Jリーグの理念に沿った地域社会との共生を目指すことをテーマに掲げた。地元川崎市の各行政区でのサッカースクール(学校巡回スクール含む)の実施といったサッカーに関わることだけでなく、地域の市民・区民まつりへの参加、市内各商店街等の行事への選手らの派遣(お年始など)、また地元商店街加盟店舗などの協賛によるマン・オブ・ザ・マッチの表彰制度「あんたが大賞」、週末のホームゲームでのサイン会等を積極的に行うように務めた。特に、クリスマスシーズンに行われる入院児への訪問活動「青いサンタクロースは毎年恒例の奉仕活動として定着している。

ホームタウンである川崎市も2004年9月に「川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナー」を制定。フロンターレはこの創設メンバーとして認定を受けた。また、川崎市は他の地元企業・団体、またサポーター持株会と共に、運営会社の株式の一部を取得した。現在は富士電機富士通グループ各社のほか、川崎市に本社や事業所を持つ企業・公益法人など36の団体が出資している。2016年からは男子バスケットボールのジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ(Bリーグ)でとどろきアリーナをホームとする「川崎ブレイブサンダース」とのコラボレーション企画を発表し、ホームゲーム同日開催時のチケット割引サービスなどを実施している[55]

2006年はクラブ創立10周年に当たり、川崎市商店街連合会を通じ、市内の全商店街の街灯にチームの応援タペストリーを配布。2014年には同連合会に加盟する市内全域の11地区の商店街連合会[注釈 41] 全てと市連合会の青年部が「あんたが大賞」として、フロンターレの主催試合で最も印象に残る活躍をした同チームの選手 に各地区の名産品などの商品を贈り[56]、持株会の理事長には川崎市商店街連合会の相談役(元会長)である和田義盛が就任している[57]

また広報担当者のインタビュー記事には、後援会員の75%が等々力陸上競技場と富士通本店・川崎工場のある中原区、クラブ事務所のある高津区、そして市が整備しフロンターレが指定管理者となって2006年4月に開業した「フロンタウン・さぎぬま」(フットサル場)のある宮前区の3区在住者で占められる。

川崎競馬場2006年11月2日JBCマイル競走の前座として「祝10周年・フロンターレ特別」が行われた[58]

トップチームの麻生練習場がある麻生区では2009年に「麻生アシストクラブ」が発足した。「しんゆり・芸術のまちづくりフォーラム」内に事務所が置かれ、商店街や各種団体などが構成する同クラブを川崎市役所(麻生区役所)やフロンターレが後援する形を取って、同区内での広報・支援活動を展開する事になった[59]。同クラブでは小田急電鉄の協力も受け、麻生練習場の最寄り駅である小田急多摩線栗平駅のホーム脇陸橋に告知看板を出すなどの活動をしている[60]

スポーツ交流パートナー事業以外の異競技交流では大相撲中川部屋が川崎市にある[注釈 42] という縁で、フロンターレのファン感謝デーに中川部屋の力士をゲスト出演として招き、フロンターレの主催試合では中川部屋の所属力士が同部屋のちゃんこを販売する屋台が競技場外の広場に毎回出店されていた。また、毎年1度は同部屋の力士が等々力陸上競技場を訪れ、相撲にちなんだイベントを行う「イッツァスモウワールド」[注釈 43] を実施していた。2014年は開催が途切れたが、2015年4月29日のJ1・1stステージ第8節、柏レイソル戦では2年ぶりに開催され、同部屋力士によるアトラクション、特製ちゃんこなどの飲食販売、等々力陸上競技場での枡席の設置、選手入場前の呼出による両チーム名の読み上げなどが行われた。なお、この時の開催は日本相撲協会も後援し、本場所(五月場所)のチケット販売、特製焼き鳥の販売、マスコット「ひよの山」の来場[注釈 44]、始球式では振分親方(高見盛精彦)の参加した[61]。2016年10月に春日山部屋が閉鎖されたため2017年は開催が見送られたが、中川部屋としての再興により2018年には再開された[62]。2019年は中川部屋勢に加え、川崎市出身久々の幕内力士となった友風勇太尾車部屋)が参加し、始球式を行った[63]。2020年は新型コロナウイルスの影響により開催されていない。2009年からは毎年1回、両国国技館での本場所でフロンターレが告知してサポーターが集まる中川(春日山)部屋応援ツアーが実施された。2011年も九月場所(秋場所)9日目の9月19日に実施された[64]。春日王は2011年4月に引退したが、同年の「イッツ・ア・スモウワールド」開催日となった5月3日のジュビロ磐田戦では春日王が試合前にグラウンドに登場して引退報告と今までの支援への感謝を述べ、5月28日に行われた春日王の断髪式には武田社長が参加した[65]

プロボクサー新田渉世が川崎市多摩区に開いている川崎新田ボクシングジムとも協力関係にあり、2011年8月16日にとどろきアリーナで行われた同ジム主催の興行ではふろん太が登場し、「日本マスコット級タイトル決定戦(非公認)」として一平くん愛媛FC応援マスコット)と対戦して勝利した後、メインイベントだった黒田雅之の日本ライトフライ級タイトルマッチでのラウンドボーイを務めた[66]

2009年からは地元密着のための事業の一つとして、小学6年生用のオリジナル算数ドリルを作成し市内の小学校に配布している[67]。これはプレミアリーグアーセナルがロンドン市と共同で毎年製作している外国語学習教材にヒントを得たもので[68]、初年度は市内の1校のみに配布されたが、2010年は前年のナビスコ杯準優勝の賞金を原資に市内の全小学校及び特別支援学校に配布先を拡大[69]。2011年からは川崎市からも補助金が出るようになった[70]。このドリルを題材とした小学生と選手の交流授業「算数ドリル・ゲストティーチャー」も行われている他[69]、2011年には東日本大震災で被害を受けた岩手県陸前高田市の小学校にも同ドリルが寄付された[71]

2015年、旧川崎球場をリニューアルしてオープンした川崎富士見球技場(富士通スタジアム川崎)の指定管理者に、東急コミュニティーと共同で認定され、フロンターレのサッカースクール生による練習、並びにユースチームの公式戦に使用されている。

2016年3月現在、Jリーグが実施しているスタジアム観戦者調査において、2010年シーズンから5年連続で地域貢献度1位の評価を得ている。

毎試合、審判・両チーム選手入場前にサポーターが川崎市民の歌『好きです かわさき 愛の街』を歌うことが慣例となっている。

2023年3月、「Anker フロンタウン生田」を開業[72]

応援番組

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後援会

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1997年のクラブ発足当初から存在していたファンクラブと、1999年に川崎市が設立した市民後援会が合流し、2001年から現在の川崎フロンターレ後援会の形となった。愛称は「ブルーフレンズ[注釈 45]」。後援会長は事実上川崎市長の充て職で、初代は高橋清、その後は長く阿部孝夫が務めた後、2013年11月からは福田紀彦が就任している。毎年7月1日の市制記念日[注釈 46] 付近で行われる「市制記念試合」では、後援会長を兼任する市長が試合前に挨拶をするのが恒例となっている。

後援会員には個人・ファミリー・ジュニア(小中学生)[注釈 47] の3種別。

2014年は27,051人で初めて2万5千人を超え、2016年に3万人、2018年に4万人、2019年には4万5千人を超えた。

年度 後援会員数
2005年 12,406
2006年 12,681
2007年 16,686
2008年 20,189
2009年 21,522
2010年 24,004
2011年 24,588
2012年 23,778
2013年 23,187
2014年 27,051
2015年 28,019
2016年 30,904
2017年 36,894
2018年 43,838
2019年 45,643
2020年 44,600
2021年 45,966
年代 後援会員数 百分比
0-9歳 3,892 8%
10-19歳 7,428 16%
20-29歳 6,212 14%
30-39歳 6,523 14%
40-49歳 10,202 22%
50-59歳 8,038 17%
60歳以上 3,656 8%
年齢不明 15 0%
2021年度集計
性別 後援会員数 百分比
男性 29,157 63%
女性 16,745 36%
性別不明 64 0%
2021年度集計

地域別では川崎市在住者が26,104人で全体の57%を占める。川崎市外の会員数では横浜市が4,032人で最も多く、次いで中原区に隣接する東京都大田区世田谷区などとなっている[注釈 48]

企画等

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コラボ企画

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  • 2005年 NHK教育ピタゴラスイッチ」「アルゴリズムこうしん」で「川崎フロンターレのみなさんといっしょ」として我那覇和樹・鬼木達・寺田周平・今野章・アウグスト・ふろん太がいつもここからの二人と行進を行った。
  • 2005年~ ガンプラ(ガンダムプラモ)
  • 2007年
    • エースをねらえ!4月15日清水戦。Jリーグ加盟以来勝利を挙げていなかった清水を相手に「エス(パルス)をねらえ!」と題して初勝利を目指そうという企画を行った[73]。この時はアニメの「エースをねらえ!」で岡ひろみ役を演じた高坂真琴が「このゲームは絶対に負けられない!! 打倒オレンジ、ついに完結よ!!」といったフレーズの宣伝を行った。
    • 川崎麻世6月30日神戸戦で、川崎市のスポンサードマッチ「川崎市制記念試合」(7月1日の市制施行記念日に合わせた記念試合)を実施[74]。その試合で川崎麻世が「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」をハーフタイムショーとして熱唱。
      • なお、川崎市制記念試合では川崎市により市民が招待されているが、2004年(市制施行70周年)から2006年までは当時川崎市内在住だった西城秀樹が毎年招聘され、ハーフタイムショーに出演していた。2008年から西城が再び出演するようになった。西城は死去する前年の2017年まで出演し、以降もハーフタイムショーでゲストがヤングマンのショーを行っている。
    • 朝日放送(現:朝日放送テレビ)パネルクイズアタック258月25日ガンバ大阪戦の試合において、同番組とのコラボレーション「アタック25日」を開催[75][76]博多華丸児玉清の物まねで「フロンターレ!! 大事なアタックチャーンス!!」とPRした他、同番組の特徴である回答者のカラーの入れ替わり(ガンバの青からフロンターレの水色)のパフォーマンスをバックスタンドのフロンターレ応戦席で行った。
    • あいのり5月11日のAFCチャンピオンズリーグ・アレマ・マラン(インドネシア)戦で、同大会初出場・初の決勝ラウンド進出決定の時にサポーターがそれをパロディー化した「はつのり」のTシャツを着用し祝福[77]
    • プロジェクトX〜挑戦者たち〜9月に行われるアウェーでの鹿島9月1日)、9月22日)の試合を、ホームタウンの頭文字が全て「K」(川崎=Kawasaki、鹿島=Kashima、柏=Kashiwa)で始まるということ、更に「決戦の9月」という意味合いも込めて、大応援団を川崎から繰り出そうという「プロジェクトK(打倒!! 鹿島&柏)」なる試みを行った[78]。なお、2006年のホーム鹿島戦ではスキージャンプ競技の極限点になぞらえた「K点越え」キャンペーンを実行した。
    • スポンサーのとんかつ和幸協賛の下、パロディー弁当が発売された[76]。なお、このパロディー弁当が発売されると必ずチームは勝利を挙げている。
      • 清水戦/「カツのよ!!フロンターレ弁当」(オレンジデザート入りのとんかつ弁当)
      • 神戸戦/「マヨわずカツ弁当」(とんかつにタルタルマヨネーズソースが添付されている)
      • G大阪戦/「アカッツ!! チャンス!!弁当」(当日発売されたカツ弁当の半数に幸運をもたらすといわれる「ラッキーメンチカツ」が挿入されている)
  • 2008年、漫画『GIANT KILLING
    • 9月20日開催の多摩川クラシコ(対FC東京)のポスターイラスト、およびトレーディングカードにツジトモ書き下ろしで同作の登場人物『達海猛』のイラストが使われた。
  • 2009年
    • TVアニメ『天体戦士サンレッド
      • 中村、井川、谷口の3選手、社長の武田、マスコットキャラクター・ふろん太とその家族との共演アニメ(全4話)が制作され、『ファイト!川崎フロンターレ』内で放送された[79]。『サンレッド』のDVD2〜5巻に映像特典として収録された。コラボレーション企画の一環として、髭男爵が開幕戦で始球式を行った(両者とも、同作のアニメに声優として出演)。
    • 山形戦にて、新たにスポンサーになったDoleより、アウェー応援サポーターを含む来場者全員にバナナ1房をプレゼントした。
  • 2010年
    • 麻生グランド近くに住んでいるということで平泉成が開幕キャンペーンに出演。開幕戦には始球式も務める。
    • ファン感謝デーにおいてピラメキーノ。スタジアムにピラメキパンダが登場し選手と一緒にピラメキたいそうを踊ったほかレギュラー[注釈 49] が聞いた質問に選手が答えた。
  • 2011年2014年、コンビニエンスストアのローソン(高津駅前店)とコラボ店舗を営業した[80]
  • 2012年
  • 2013年東日本旅客鉄道(JR東日本)武蔵中原駅発車メロディとしてフロンターレの応援歌「FRONTALE2000」「FRONTALE20000」が採用された[83]
  • 2014年5月3日、甲府戦で「笑点」(日本テレビ)とコラボ。水色の着物で大喜利に出演している落語家の三遊亭小遊三山梨県出身)が来場し、始球式も務める。
  • 2014年~ 東日本旅客鉄道(JR東日本)武蔵小杉駅の発車メロディとしてフロンターレの応援歌「ナンバーワン野郎!」(ザ・クロマニヨンズ)が採用された[84]
  • 2016年、漫画『宇宙兄弟』及びJAXA(宇宙航空研究開発機構)とコラボ[85]。毎年恒例の算数ドリルも宇宙兄弟及びJAXAとのコラボレーション仕様として製作される。
  • 2020年
    • 7月15日から2021年1月31日にかけて、SCRAPが周遊型の体験型ゲーム・イベント「川崎フロンターレ 絶体絶命からの脱出」を開催した。
    • 12月9日TBSで放送されたクイズバラエティ「東大王」で、「川崎市にあるJリーグのクラブチーム」を解答する問題で芸能人チームの解答者の一人だったゆきぽよが、「マドレーヌ」と誤答したことがきっかけとなり、「ふろん太」の焼き印を入れた「川崎マドレーヌ」が発売された。
  • 2021年、有吉の壁/4月21日放送の同番組で、チョコレートプラネットが披露したコントの中でのセリフ「川崎のフロンターレ」に呼応する形で、5月4日の名古屋戦にて「チョコのプラネット」という名称の洋菓子を発売した[86]
  • 2022年
    • 8月13日京都サンガ戦で「フロンターレ26周年記念・ボーイズビーアンビシャス」[87] と題した格闘技とのコラボ企画を開催する予定であった。基は2020年2月29日の北海道コンサドーレ札幌戦で、新日本プロレスとのコラボレーションで、真壁刀義の来場も予定されていた[88] が、コロナの感染拡大によるJリーグ自体の開催中止に伴いこのイベントも中止となり、2年越しの開催となる予定であったもので、RIZIN所属キックボクサーの矢地祐介所英男"ブラックパンサー"ベイノア川崎新田ボクシングジム所属プロボクサーらのエキシビション、那須川天心による始球式、大仁田厚が出場するJリーグ史上初の「電流爆破マッチ」を含むプロレスの試合2試合(男女1試合づつ)、元プロボクサー・黒田雅之の引退セレモニーとスパーリング公開、またウェブ通販限定の企画として「RIZIN×FRONTALEオープンフィンガーグローブ」の販売[89] が予定されていた。しかし、台風8号の接近が予想されるため、一部のエキシビションとプロレスの試合は中止[90] し、大仁田による試合会場でのスピーチ、那須川の始球式など、一部のみ実施[91] することに一度変更されたが、台風の接近が試合時間と重なるため、試合自体が延期となり、またもイベントそのものも中止となった[92]。なお京都戦の代替え・10月12日ではこれらのイベントは順延されなかった[93] が、黒田は8月27日に行われた鹿島戦の試合前のアトラクションで改めて引退セレモニーのみを開催[94]、またフィンガーグローブは同年12月31日に「RIZIN40」が行われることを受けてそのタイミングで発売された[95]
    • 8月31日サガン鳥栖戦で「LDH JAPAN×川崎フロンターレ 川崎市制記念試合」を開催した。GENERATIONSから中務裕太をゲストに招き、「Y.M.C.A」の歌謡ショー(ハーフタイム)のほか、コロッケによるモノマネパフォーマンスなどを行う[96]

アウェイゲーム観戦ツアー

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  • 2007年10月28日のFC東京ホームゲームの多摩川クラシコで、多摩川の「丸子の渡し」を約70年ぶりに復活させて船で東京へ乗り込むアウェイツアーを実施[97]
  • 2009年4月12日の対清水エスパルス戦は、「何もしない」プロモーションを実施した。これはJ参入以降清水にアウェーで勝利したことがなく、それを打破するために2006年から3年続けて大々的なアウェーツアーをしたものの勝利できないことから、あえて「何もしない」こととした。なお、当日の試合は敗れ、清水戦アウェー未勝利は2011年まで続いた[98]
  • 2009年5月24日のホームの多摩川クラシコで、試合前日の23日の夜に横浜から伊豆大島フェリーで行き、試合当日の24日に大島空港から飛行機で味の素スタジアムの隣にある調布飛行場へ行くという「多摩川クラシコエアーツアー」を実施しました[99]
  • 2009年7月11日のアルビレックス新潟ホームゲームのアウェイツアーではそれまで新潟に10連敗していたため、「新潟戦11連敗阻止キャンペーン『11回目のプロポーズ』」と題し、全員そろいの川崎のチームカラーパジャマを着て貸切列車で移動するというツアーを実施。帰りの貸切夜行列車では、新潟まで来たふろん太らが見送っていた[100]
  • 2009年10月7日の鹿島アントラーズとの16分間の再試合では、1,000円のバスツアーを実施。平日の再試合にも関わらずバス25台の規模となった。[101]

決算

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損益

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年度 収入 広告料 入場料 配分 その他 費用 事業費 人件費 管理費 利益 純利益
2006 2,780 1,630 391 368 391 2,765 2,319 1,535 446 15 2
2007 3,105 1,683 524 385 513 3,096 2,600 1,639 496 9 24
2008 3,320 1,857 484 354 625 3,250 2,721 1,743 529 70 9
2009 3,604 1,829 626 393 756 3,543 3,029 1,951 514 61 6
2010 3,540 1,856 603 298 783 3,493 2,831 1,743 662 47 7

出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 200520062007200820092010

金額の単位: 百万円

人件費は事業費に含まれる。

年度 収益 広告料 入場料 配分 育成 その他 費用 人件費 試合 トップ 育成 女子 販売 利益 純利益
2011 3,275 1,738 554 213 157 613 3,212 1,587 165 239 95 0 1,126 63 42
2012 3,073 1,373 558 214 158 770 3,005 1,428 179 235 73 0 1,090 68 33
2013 3,214 1,702 540 218 164 590 3,170 1,557 174 262 75 0 1,102 44 21
2014 3,359 1,794 571 228 171 595 3,288 1,546 185 269 74 0 1,214 71 44
2015 4,077 1,569 777 197 179 1,355 3,977 1,685 190 430 50 0 1,622 100 61

出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 20112012201320142015

金額の単位: 百万円

年度 収益 広告料 入場料 配分 育成 物販 その他 費用 人件費 試合 トップ 育成 女子 物販 販売 利益 純利益
2016 4,254 1,809 907 222 168 476 672 3,923 1,643 195 279 44 0 378 1,384 331 217
2017 5,123 1,854 1,038 495 183 563 990 4,730 2,339 229 298 60 0 420 1,384 394 261
2018 6,074 1,478 975 1,416 196 869 1,140 5,599 2,614 222 326 67 0 576 1,794 475 322
2019 6,969 2,143 1,042 1,792 216 835 941 6,168 2,958 260 359 78 0 689 1,824 801 562
2020 5,445 2,097 435 1,139 160 678 936 5,662 3,036 195 363 47 0 490 1,531 -217 -131

出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2016 2017 2018 2019 2020

金額の単位: 百万円

資産

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年度 総資産 総負債 純資産 資本金
2005 786 296 489 349
2006 996 504 491 349
2007 1,104 588 515 349
2008 1,075 549 525 349
2009 1,097 566 531 349
2010 1,039 501 538 349
2011 962 381 581 349
2012 988 374 614 349
2013 1,241 607 635 349
2014 1,195 516 679 349
2015 2,278 1,539 739 349
2016 1,958 1,001 957 349
2017 2,234 1,016 1,218 349
2018 2,833 1,292 1,540 349
2019 3,376 1,273 2,102 349
2020 2,840 868 1,972 349

出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 200520062007200820092010201120122013201420152016 2017 2018 2019 2020

金額の単位: 百万円

脚注

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注釈
  1. ^ 城福は監督続投を希望したが容れられず、社業専念となった。1998年、FC東京設立準備室に招かれた城福は富士通を退社してプロ指導者へ転身、2008年-2010年途中にはFC東京のトップチーム監督に就任してフロンターレと「多摩川クラシコ」で対戦した。
  2. ^ 2試合で1勝1敗、合計得点数の差で敗退した。
  3. ^ 2000年3月に出版された松本の著書『尽くしてみないか、全力を-サッカーがくれた熱血意識革命』の中で、この監督就任はメキシコシティオリンピックでのチームメイト(主将)だった元富士通監督の八重樫茂生からの要請だった事を明かしている。
  4. ^ 岩本はこのシーズン限りで退団し、その後もフロンターレへのわだかまりを口にしていたが、2006年に岩本がNHK衛星放送の『東海道五十三次完全踏破 街道てくてく旅』で旧東海道の約500kmを徒歩で歩いた際には、川崎宿(川崎市川崎区)通過時にフロンターレスタッフ・ふろん太・サポーター有志が応援のため集まった。
  5. ^ 2位のFC東京が大宮に敗れたため。
  6. ^ サッカーライターの金子達仁戸塚啓との共著。
  7. ^ ふろん太の公式プロフィールでは、生年月日をこの開幕戦が行われた1999年3月14日としている。出典:フロンターレ公式サイト、選手・スタッフプロフィール内「マスコット ふろん太」
  8. ^ 1stステージの優勝は横浜M。この試合は「長居の悲劇」と呼ばれるようになった。
  9. ^ これは「リストラ選手の活躍」(参照:ノート)として話題となり、2006年に出版された『クラブ創設10周年メモリアルブック』(兼2006年イヤーブック)でもこの表現で紹介された。
  10. ^ 岡山自身もこのパフォーマンスで注目され、その後も移籍先のチームで「岡山劇場」を続けて、サポーターから根強い人気を得るようになった。
  11. ^ バルデスは札幌時代の1997年にフロンターレとの2試合ともにVゴールを決め、札幌のJFL優勝に貢献していた。
  12. ^ Jリーグ理事会での決定が必要な為、この表現を用いた。
  13. ^ ACLプロジェクトチームを主宰。イランからの帰国時にUAEのドバイまでのチャーター便費用を補助していた。
  14. ^ 2000年-2007年、2009年-2011年まで在籍(2008年はセレッソ大阪にレンタル移籍。)
  15. ^ 松江には谷尾昂也が所属していて、この試合にフル出場し、川崎所属時には実現しなかった等々力での公式戦出場を果たした。出典:ゲキサカ「念願の等々力でプレーした松江シティFC FW谷尾「こんな形でできるとは」」、2015年9月6日付、2017年4月23日閲覧。
  16. ^ 年間勝ち点では3位だった鹿島がチャンピオンシップで優勝し、順位が繰り下がった。
  17. ^ 決勝で対戦する鹿島は既にJ1優勝による本戦出場権を得ていた為、仮に決勝で敗れても天皇杯優勝チームに与えられる本戦出場権が繰り上げで与えられる事になっていた。
  18. ^ 11月上旬には大久保のFC東京移籍が公然となり、本人も来季からの移籍を認めていた。なお、公式発表は天皇杯決勝終了後の2017年1月になった。出典:スポニチアネックス、大西純一「なぜ川崎F大久保のFC東京移籍がこんなに早く決まったのか」、2016年11月23日付、2017年4月23日閲覧。
  19. ^ 2ステージ制時代にあたる2015年、2016年、2004年以前を含めても1994年のV川崎(+44)、2015年の広島(+43)、2002年の磐田(+42)、1993年のV川崎(+41)に次いで5番目に多い差である。
  20. ^ 昨シーズンはG大阪へ期限付き移籍
  21. ^ 2ステージ制時代にあたる2015年、2016年、2004年以前を含めてもJリーグに勝ち点制が導入された1995年以降では2位・横浜FMに16の勝ち点差をつけて優勝した2002年の磐田に次いで2番目である。
  22. ^ 2008年の大分が24失点、2011年の仙台と2019年のC大阪がいずれも25失点である。
  23. ^ 因みに2019年のFUJI XEROX SUPER CUPの入場者数は52587人と21世紀に入ってからは最多、1995年のV川崎平塚(今の湘南)戦に記録した53,167人に次ぐ記録である。
  24. ^ Jリーグカップの決勝で2ゴールを挙げたのは、唯一決勝がホームアンドアウエー制度だった1997年のマジーニョ、1998年の川口信男、2003年のエメルソン、2010年の前田遼一、2012年の柴崎岳、2014年の佐藤寿人パトリックで何れも先発で2ゴールを挙げているので、途中出場での2ゴールは史上初である。
  25. ^ 因みにJリーグカップ決勝の歴史上PK戦はこの試合も含めて7例あり、いずれも先に失敗したクラブは全て準優勝となっている為、先に失敗したクラブが逆転で制して優勝したのはJリーグカップ史上初。準々決勝と準決勝を含めても2018JリーグYBCルヴァンカップ準決勝の湘南対柏戦以来2例目である。
  26. ^ 因みに外国人監督も合わせると、日本人ではG大阪時代の西野(2007年から2009年)、ブラジル人ではいずれも鹿島時代のトニーニョ・セレーゾ(2000年から2002年)とオズワルド・オリヴェイラ(2007年から2011年の在任期間全て)、第1次柏時代のネルシーニョ(2011年から2013年)に続いて5人目である。
  27. ^ 因みに関塚は103試合目で、風間は106試合目で監督通算50勝を達成している。
  28. ^ 2005年にJ1再昇格を果たしてからどころかJ2にいた頃を含めてもJ2優勝を果たした1999年は1分け、2002年は4分け、2003年は5分け、2度目のJ2優勝を果たした2004年に至っては引き分けがなかったので、ホーム・等々力での9分けはJリーグ加盟後クラブ史上最多である。
  29. ^ その後、馬渡洋樹は3月21日に岡山に完全移籍、藤嶋は9月28日に契約解除した。
  30. ^ イ・キョンテの獲得は10月8日。
  31. ^ 全ての監督を含めても鹿島時代の在任期間(2007年から2011年)全てで獲得したオリヴェイラ以来2人目である。
  32. ^ ジュニーニョ、3年連続で獲得した大久保嘉人、チームメイトの小林に続いて4人目である。
  33. ^ 第5戦の大邱FC戦でレアンドロ・ダミアンもハットトリックを達成している。
  34. ^ PK戦となった試合は、PK戦の結果にかかわらず記録上『引き分け』の扱いとなる。
  35. ^ 通算監督在任年数で関塚(J2だった2004年から2009年)に並んだが、関塚は2008年4月24日に体調不良を訴えて辞任し高畠が後任に就いた為、就任から5年間を全うしたのはクラブ史上初である。
  36. ^ なおこの時の移籍金は推定4億6500万円(1億3400万バーツ)と、2009年に京都が東京Vからディエゴを獲得した際の推定4億5000万円を抜いて国内クラブ間の移籍金としては史上最高額である。
  37. ^ 本戦の前に突破しなければならないプレーオフラウンドを勝ち抜いた。
  38. ^ 上海海港が辞退した事で東地区で各グループ2位のチームの戦績を比較する際にグループ4位のチームとの対戦戦績を除外。その結果最終節までグループステージ突破の可能性を残していた末、最終節で広州に勝ち、両者が引き分けの場合に1位通過となっていたがジョホールが蔚山現代に勝った為、1位でグループステージを突破する可能性が消えた。更に2位でグループステージ突破の可能性も残していたものの最下位に沈んだ広州との対戦を除いた上位3チーム同士の対戦での勝ち点で5しか稼げなかった事でグループステージを突破する可能性が消えた為。
  39. ^ 通算監督在任年数で関塚(J2だった2004年から2009年)を抜いて、1997年にJリーグ準会員となって「富士通川崎フットボールクラブ」から現在の名称に公募で改称してからは史上最長である。
  40. ^ 2021年出場時までは、FUJITSUの公式ロゴではなく角ゴシック体表記。これは胸ロゴの規格がJリーグより小さいという都合によるものと思われる(「JI」の上に「∞」があるため、ACLの規格に合わせるとロゴがかなり小さくなる。2022年出場時は小さい公式ロゴを使用)。ちなみに2013年出場時の仙台は、アイリスオーヤマの胸ロゴデザイン小変更(IRIS OHYAMAの文字列を2段に)で対応した。
  41. ^ 川崎区は4団体、幸区は2団体、他の5区は1団体が加盟。
  42. ^ 同部屋の前身である春日山部屋の師匠(20代)、春日山由晃(故人、現役時代の四股名は春日富士晃大)は川崎市で育ち、同市立桜本中学校卒業後に角界入りしていた。なお、春日山部屋は2012年に21代(現役時代の四股名は濱錦竜郎熊本市出身)に引き継がれ、その後20代と21代の間には民事訴訟も起こり、最終的に部屋も一時閉鎖となったが、2017年に15代中川(現役時代の四股名は旭里憲治大阪府池田市出身)により中川部屋として再興されて以降も所在地は川崎市のまま変わらず(2017年に川崎区から幸区に移転)、フロンターレとの協力関係も維持されている。
  43. ^ 東京ディズニーランドなどのディズニーパークにあるイッツ・ア・スモールワールドをもじった名称。
  44. ^ 焼き鳥やひよの山が両国国技館以外で披露されるのは稀だとされている。
  45. ^ この愛称を用いて、かわさきFMで放送されるホームゲームの実況放送の名前は「BLUE FRIENDS STADIUM○○○○」(○○○○部分には西暦年が入る)ともされている。
  46. ^ 1924年7月1日、川崎市が現在の川崎区の範囲で市制を施行。後の中原区となる中原町が川崎市に編入されたのは1933年8月1日。
  47. ^ 2014年度では、個人会員が10,347人、ファミリー会員が12,450人、ジュニア会員が4,254人。
  48. ^ 東京特別区を一つの市と考えると、会員数ベスト10の地域として挙げられている品川区目黒区杉並区との5区合計で横浜市を上回る。
  49. ^ スタジオからの中継
出典
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  10. ^ その後仙台が51試合制だった2009年に勝ち点106を達成した為、J2では史上2位である。
  11. ^ 鹿島にいた柳沢敦も広島との開幕戦でハットトリックを達成し、2人同時にハットトリックを達成している。
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  26. ^ それまでは浦和の3回(PK戦まで縺れ込んだ2004年2011年2013年)が最多である。
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  35. ^ 厳密には勝ち点108を稼いだV川崎の他に当時の横浜マリノスが勝ち点98、名古屋が勝ち点97を稼いだが、当時は延長戦やPK戦もありこれらを引き分けとすると、横浜マリノスは25勝11分15敗の勝ち点86、名古屋は23勝13分16敗の勝ち点82、V川崎は29勝11分12敗の勝ち点98という計算になる。
  36. ^ 特に14節の鳥栖戦、15節の湘南戦、4年ぶりの連敗を喫した16節の京都戦は10年ぶりの3試合連続ノーゴールとなった。
  37. ^ 因みに横浜FMが敵地で下位クラブと対戦した時の成績は6勝2分1敗の勝ち点20である。
  38. ^ 原田の場合は、通常の期限付き移籍から育成型期限付き移籍に変更した上で期限付き移籍を延長した。
  39. ^ なお開幕して2戦続けて退場処分を受けたのは、初めてのJ1にあたり2023年現在U-18監督の長橋康弘が福岡との開幕戦で、鬼木が鹿島との第2節でそれぞれレッドカードを受けた2000年以来23年ぶりである。
  40. ^ 2002年は2回退場処分を受けたマルキーニョ久野智昭、当時コーチを務めた寺田、茂原岳人渡辺匠。2003年は2回退場処分を受けたその茂原と渡辺、黄川田賢司岡山一成。2023年はジェジエウ、山村、車屋、脇坂、シーズン途中に水原三星ブルーウィングスに移籍した小塚、大南、その試合の遠野である。
  41. ^ 2回受けたネルシーニョ沢田謙太郎伊達倫央大熊裕司石川健太郎横山雄次と一発退場を受けた回数のJ1最多は1995年の柏である。
  42. ^ ハイネルが決めるまで10戦かかった2017年を大幅に更新し、Jリーグにおける開幕戦からのノーゴールはクラブ史上最長である。
  43. ^ なお両クラブとも10人目まで縺れた為、天皇杯で10人以上かかったのは史上最多である。
  44. ^ 通算獲得タイトルでも、鬼木は浦和時代にあたる2018年の天皇杯も獲得したそのオリヴェイラと並んだ。
  45. ^ 石川祐介 (2024年1月21日). “川崎F新加入のブラジル人3選手が自らの特長を語る…MFパトリッキ・ヴェロン、FWエリソン、MFゼ・ヒカルド「鮭のおにぎり、カレー、豆腐が美味しい」”. ゲキサカ. 2024年1月21日閲覧。
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関連項目

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外部リンク

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