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「マンハッタンカフェ」の版間の差分

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'''マンハッタンカフェ'''(欧字名:{{Lang|en|Manhattan Cafe}}、[[1998年]][[3月5日]] - [[2015年]][[8月13日]])は[[日本]]の[[競走馬]]、[[種牡馬]]。
'''マンハッタンカフェ'''(欧字名:{{Lang|en|Manhattan Cafe}}、[[1998年]][[3月5日]] - [[2015年]][[8月13日]])は[[日本]]の[[競走馬]]、[[種牡馬]]<ref name="JBIS">{{Cite web |title=マンハッタンカフェ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000324971/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-10-27}}</ref>


2002年の[[JRA賞最優秀4歳以上牡馬]]。[[2001年]]の[[菊花賞]]と[[有馬記念]]、[[2002年]]の[[天皇賞(春)]]した。[[主戦騎手]]は[[蛯名正義]]
2002年の[[JRA賞最優秀4歳以上牡馬]]である。[[2001年]]の[[菊花賞]]と[[有馬記念]]、[[2002年]]の[[天皇賞(春)]]を優勝した。


== デビュー前 ==
== 概要 ==
[[1998年]][[3月5日]][[北海道]][[千歳市]]の[[社台ファーム]]る。は日本で13年連続で[[リーディングサイアー]]に輝いたサンデーサイレンス。母サトルチェンジはアイルランド産馬で、本馬は同馬の第4仔になる。出生時から心身両面ともに弱さがあり、牧場関係者や後の管理調教師・[[小島太]]の間では「奥手タイプ」であるとう見解で一致していた<ref name="yushun200210"/>小島によると、「それでも[[東京優駿|ダー]]という夢を描いていた馬」だったといい、「託す期待大きさが、次第に"何とか走らせなきゃ"という重圧に転じていくをあ頃は感じた」回想ている<ref name="yushun200210"/>
1998年3月5日、[[日本]][[北海道]][[千歳市]]の[[社台ファーム]]産さ父[[サンデーサイレンス]]馬でる。[[セレクトセール]]にて上場され1億3650万円値がついていた。[[西川清]]の所有なり、[[美浦トレニングセンター]]の[[小島太]]厩舎管理デビュー


2戦目で勝ち上がり、続く[[弥生賞]](GII)は4着、自己条件に戻って500万円以下のアザレア賞に臨んだが、輸送が堪えて11着敗退。春の[[クラシック (競馬)|クラシック]]参戦は叶わなかった。休養を挟んで夏の北海道で出世し、3勝馬として迎えた[[菊花賞]](GI)にて[[東京優駿]]優勝馬[[ジャングルポケット (競走馬)|ジャングルポケット]]などを下して優勝し、クラシック戴冠を果たした。それから暮れの[[有馬記念]](GI)にて[[古馬]]に挑み、「二強」を築いた[[テイエムオペラオー]]と[[メイショウドトウ]]など旧世代を下して、1998年[[グラスワンダー]]以来13頭目となる3歳馬による有馬記念優勝を成し遂げた。
[[セレクトセール]]では1億3000万円で、「フサイチ」の冠号で知られる[[関口房朗]]に落札された。社台ファーム繁殖担当の千葉英昭によると、マンハッタンカフェは同期のセール上場馬の中でも馬体の良さは抜けていたといい、また青鹿毛の馬体に白い流星があるという特徴は父のサンデーサイレンスを彷彿させていたと振り返っている<ref name="yushun200210"/>。その後、西川清と社台ファームの[[吉田照哉]]の共同所有となった。そのため同馬は、[[セリ市 (競馬)|市場取引馬]]に関する優遇が受けられなかった。


古馬となり、ジャングルポケットや[[ナリタトップロード]]と対した[[天皇賞(春)]](GI)も優勝し、GI3戦3連勝を達成。[[シンボリルドルフ]]以来となる、3歳秋から4歳春にかけて菊花賞、有馬記念、天皇賞(春)すべて制覇する所業を成し遂げた。その後は、フランスの[[凱旋門賞]](G1)に遠征したが、競走中に故障し13着敗退。[[屈腱炎]]で引退となる。通算成績12戦6勝、GI3勝。
== 戦績 ==
=== 2001年 ===
デビュー戦は2001年[[1月29日]]、[[東京競馬場|東京]]芝2000mの新馬戦に出走し、2番人気に支持されたが3着。初勝利は2戦目の同年[[2月11日]]、東京芝1800mの新馬戦で単勝1.7倍という断然の人気に応えて勝利した。しかしこの頃は体質が弱く、続く[[弥生賞]]では馬体重を前走より20キロも減らして4着、続くアザレア賞でも更に馬体重を16キロも減らした末の11着となり、春のクラシックには出走できずに休養に入った。


競走馬引退後は、[[種牡馬]]となり、2009年には日本の[[リーディングサイアー]]となった。また重賞優勝産駒を多数輩出し、なかでも[[ジョーカプチーノ]]、[[レッドディザイア]]、[[ヒルノダムール]]、[[グレープブランデー]]、[[クイーンズリング]]がGI優勝を果たした。産駒の牝馬も多数、繁殖に回り、[[ブルードメアサイアー]]としての重賞優勝産駒も多数輩出。なかでも[[メイショウハリオ]]、[[テーオーケインズ]]がGI優勝を果たした。
休養明けの復帰戦は[[札幌競馬場|札幌]]の富良野特別。放牧明けで馬体重をアザレア賞の時から+46キロと大幅に増やした状態ながら1番人気に推されて勝利した。小島はこのレースの前に周囲に対して「菊花賞を獲る」と広言したという<ref name="yushun200210"/>。続く[[阿寒湖特別]]では[[古馬]]相手に1番人気で勝ち、秋の上がり馬として[[菊花賞]]戦線に名乗りを挙げる。[[トライアル競走|トライアル]]の[[セントライト記念]]では4着に敗れたが、菊花賞では、逃げた[[マイネルデスポット]]をゴール直前で差しきり優勝、[[競馬の競走格付け|GI]]初勝利となった。


== デビューまで ==
続く有馬記念では、GI7勝の[[テイエムオペラオー]]や、そのライバル[[メイショウドトウ]]らを破り、GI2連勝を果たした。有馬記念で記録した上がり3F33.9秒は中山競馬場の2500m戦で確認されていた当時の最速の上がりであるだけではなく、2005年の湾岸ステークスまでは中山競馬場の2500m戦で確認された唯一の上がり3F33秒台であった。なお、2着に最低人気の[[アメリカンボス]]が入って万馬券となり、『マンハッタン+アメリカン』と同年に起きた[[アメリカ同時多発テロ事件]]の時事問題に掛けた名前の馬2頭で[[サイン理論|サイン馬券]]だと話題となり<ref>[http://www.sponichi.co.jp/gamble/special/pb04/pb01-1223arima/KFullNormal20011223008.html スポニチバックナンバー]</ref>、翌年の有馬記念の予想でもこのことが大きく取り上げられていた。


=== 誕生までの経緯 ===
GIを2勝したものの同世代で[[東京優駿|日本ダービー]]と[[ジャパンカップ]]を制した[[ジャングルポケット (競走馬)|ジャングルポケット]]が年度代表馬および最優秀3歳牡馬に選出され、[[JRA賞]]受賞はならなかった。
サトルチェンジは、父[[ローソサイエティ]]のアイルランド産牝馬である。アイルランドとイギリスで競走馬として走り、アイルランドの[[準重賞]]優勝を含む19戦4勝<ref name="優駿-2002-2-135" />。引退後は、[[繁殖牝馬]]となり、初年度から3年間で{{仮リンク|ポリッシュパトリオット|en|Polish Patriot}}の初仔、[[ビーマイゲスト]]の2番仔、[[デインヒル]]の3番仔を産んでいた<ref name="優駿-2002-2-135" />。4年目、[[グランドロッジ (競走馬)|グランドロッジ]]と交配した後、日本の競走馬生産者である[[社台ファーム]]に購入される。1996年、グランドロッジとの仔をはらんだ状態で、日本に輸入された<ref name="優駿-2002-2-135" />。


同年、グランドロッジの4番仔が産んだ後、日本で初めてとなる交配が実施される。初めての相手は、社台ファームが日本にもたらし、大繁栄を遂げた最高級種牡馬[[サンデーサイレンス]]だった<ref name="JAIRS-サトルチェンジ">{{Cite web |url=https://www.studbook.jp/users/ja/Honba.php?sid=812464782 |title=サトルチェンジ(IRE) |access-date=2022-10-31 |publisher=公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル |archive-url=https://web.archive.org/web/20221030183831/https://www.studbook.jp/users/ja/Honba.php?sid=812464782 |archive-date=2022-10-30}}</ref>。しかし[[流産]]、仔を得ることができなかった<ref name="JAIRS-サトルチェンジ" /><ref name="優駿-2002-2-135" />。
=== 2002年 ===
翌[[2002年]]の初戦は、有馬記念と同じ[[中山競馬場|中山]]芝2500mの[[日経賞]]。単勝1.2倍と圧倒的支持を受けたが、[[アクティブバイオ]]の6着に敗れた{{refnest|group="注"|この日の馬場は、雨の影響で芝の表面が濡れ上滑りする状態のため、バランスを崩したためや、鞍上と馬のリズムの不一致など様々な敗因が指摘されたが、直接の敗因は不明であった<ref name="EX5 8">{{Cite journal |和書 |author=小野塚 耀 |date=2002-11-11 |title=【巻頭書下ろし】孤高の勇者。夢の途中 |journal=Gallop臨時増刊 週間100名馬 EX5 マンハッタンカフェ |issue=通巻第105号 |page=8 |publisher=[[産業経済新聞社]]}}</ref>。また、小島太は一瞬故障したかと思ったほどだった<ref name="名馬 142">{{Cite journal |和書 |author=江面 弘也 |date=2004-11-5 |title=マンハッタンカフェ |journal=THE BEST SELECTION 名馬物語〈エンターブレイン・ムック〉 |page=142 |publisher=㈱エンターブレイン}}</ref>。}}(この頃のマンハッタンカフェは、蹄とトウ骨に不安を抱えていた<ref name="EX5 9">{{Cite journal |和書 |author=小野塚 耀 |date=2002-11-11 |title=【巻頭書下ろし】孤高の勇者。夢の途中 |journal=Gallop臨時増刊 週間100名馬 EX5 マンハッタンカフェ |issue=通巻第105号 |page=9 |publisher=産業経済新聞社}}</ref>。詳細は[[#蹄の不安|後述]])。しかし、次走の天皇賞(春)では、[[ジャングルポケット (競走馬)|ジャングルポケット]]や、2年連続天皇賞(春)3着の菊花賞優勝馬[[ナリタトップロード]]が出走し三強対決といわれていたが、マンハッタンカフェが優勝しGI3勝目を挙げた。結局、対ジャングルポケットでは2戦負けなしだった。管理調教師の小島太は、騎手時代には菊花賞、有馬記念、天皇賞(春)を勝てなかったが、同馬をもって調教師として勝利を挙げたこととなった。また、マンハッタンカフェは、3歳時に菊花賞と有馬記念、4歳時に天皇賞(春)を勝利した。これを成し遂げたのは他に[[シンボリルドルフ]]だけである<ref name="EX5 28-29">{{Cite journal |和書 |author=井崎脩五郎 |date=2002-11-11 |title=【連載エッセイ】僕のはなしを聞きなさい |journal=Gallop臨時増刊 週間100名馬 EX5 マンハッタンカフェ |issue=通巻第105号 |pages=28 - 29 |publisher=産業経済新聞社}}</ref><ref name="Gallop年鑑 2002">{{Cite book|和書 |editor=芹沢邦雄 |others=発行人 渡辺秀茂 編集長 岡田毅 |title=週間Gallop2002 JRA重賞年鑑 金杯から有馬記念まで全重賞を完全収録 |date=2002-12-24 |series=臨時増刊号 |chapter=2002 GIレース回顧 天皇賞(春) |volume=2003年2月5日号 |pages=54 - 55 |publisher=産業経済新聞社}}</ref>(詳細は[[#シンボリルドルフ以来の功績|後述]])。


日本2年目となる1997年、再びサンデーサイレンスとの交配を挑み、受胎、流産はしなかった<ref name="優駿-2002-2-135" />。翌1998年3月5日、[[北海道]][[千歳市]]の社台ファームにて、サトルチェンジの5番仔となる牡馬(後のマンハッタンカフェ)が誕生する<ref>『優駿』2002年2月号 134頁</ref>。5番仔は、父サンデーサイレンスと同じ[[青鹿毛]]だった<ref name="優駿-2002-10-45" />。
同年秋にはヨーロッパに遠征し、[[10月6日]]、[[パリロンシャン競馬場|ロンシャン競馬場]]で行われた[[凱旋門賞]]に出走。これは吉田照哉の「強い馬を世界で走らせたい」という希望によるもので、これに調教師の小島も同調。共同オーナーである西川は遠征に反対したものの「2対1じゃあ仕方ない」と最後には遠征に同意したという<ref>『[[競馬最強の法則]]』([[KKベストセラーズ]])2010年4月号・p.72</ref>。ただ同レースでは5番人気に支持されながらも13着に終わった<ref>{{Cite web|url =http://newsv4.netkeiba.com/?pid=news_view&no=2804|title =マンハッタンカフェ、凱旋門賞13着|publisher = netkeiba.com|accessdate = 2017-09-04}}</ref> 上、レース後に[[屈腱炎]]を発症したことが判明し、引退した。


兄姉では、3番仔と4番仔が日本で競走馬となっている。3番仔は、[[ラッキーフィールド]]が所有して[[エアスマップ]]という名でデビューし、4番仔は、[[関口房朗]]が所有しフサイチエキサイトという名でデビューしていた<ref>{{Cite web |title=フサイチエキサイト|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000308959/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-10-30}}</ref>。このうちエアスマップは、2000年までに準オープンクラスまで出世していた。後になって2001年の[[オールカマー]](GII)を勝利するなど重賞戦線で活躍するようになる<ref>{{Cite web |title=エアスマップ(IRE)|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000299351/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-10-30}}</ref>。
同年は天皇賞(春)を制したことが決め手となり、JRA賞では最優秀4歳以上牡馬を受賞した。


== 競走成績 ==
=== 幼駒時代 ===

{| border="0" cellspacing="0" cellpadding="1" style="font-size: 90%; text-align: center;"
5番仔は、誕生直後から牧場内で良さげな馬という認識があった<ref name="優駿-2002-10-45" />。牧場育成担当の猿倉修によれば、直後は欠点が見当たらなかったという<ref name="優駿-2002-10-45" />。おまけに母仔共々素直であり、牧場内千葉英昭厩舎が担った離乳では、気性の難しい母仔から引き離していたが、サトルチェンジ母仔の引き離しは、最後だった<ref name="優駿-2002-10-45" />。

当歳の5番仔は、1998年の[[セレクトセール]]に上場、1億3650万円で売却された<ref name="JBIS-セレクト">{{Cite web |title=売却成績|セレクトセール サラブレッド 当歳 |JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/seri/1998/10H1/sale/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-10-30}}</ref>。落札したのは、兄フサイチエキサイトも所有していた関口房朗だった<ref name="JBIS-セレクト" />。しかしデビューを前に、駐車場経営者の馬主[[西川清]]の所有に変更となる。西川は、その5番仔を[[美浦トレーニングセンター]]の[[小島太]]調教師に託していた。西川と小島の縁は、騎手時代の小島が1995年[[天皇賞(秋)]]を[[サクラチトセオー]]で制した直後、六本木の寿司屋で偶然席が隣同士になったことがきっかけだった<ref name="優駿-2002-2-59">『優駿』2002年2月号 59頁</ref>。

馬主でなかった西川は、馬を所有した暁には、調教師に転身する小島に託すという約束を取り付けており、数年後、西川の初めての所有馬、思い出の場所から名付けた「カリブカフェ」で結実していた<ref name="優駿-2002-2-59" />。以後、西川は主力厩舎は小島とし、娘の名前から拝借した2頭目「サウザンドハッピー」を挟んで、カリブカフェから拝借して冠名「カフェ」を定めるようになった<ref name="優駿-2002-2-60">『優駿』2002年2月号 60頁</ref>。しばらく小島から「カフェ」が馬名の末尾にあった方が出世しやすいと指摘され、小島に託す馬だけ「(ナントカ)カフェ」とするようにしていた<ref name="優駿-2002-2-60" />。この5番仔は、その規則に従い「'''マンハッタンカフェ'''」と命名される<ref name="優駿-2002-2-60" />。

千葉厩舎を退いたマンハッタンカフェは、続いて三浦長厩舎で初期育成を、東礼治郎厩舎で馴致をこなし、1歳9月に猿倉厩舎で育成段階に入っていた<ref name="優駿-2002-10-45" />。人を背に受け入れたマンハッタンカフェは、素直で癖がなく、どのスタッフでも乗りこなせるほどだった<ref name="優駿-2002-10-45" />。2歳になってからは、猿倉が自ら、マンハッタンカフェの育成を担っている<ref name="優駿-2002-10-45" />。後に猿倉は「乗り始めてから"もしや"という大物感を感じ始めましたね。それまで携わってきた、のちのGI馬達と比べても遜色無い能力は持っている<ref name="優駿-2002-10-45" />」と感じ取ったと回顧している。この能力から次第に牧場では、東京優駿(日本ダービー)優勝の有力馬になるのではという期待がちらつくようになり「ダービーを、本気でダービーを勝つつもりで送り出した馬<ref name="優駿-2002-9-11">『優駿』2002年9月号 11頁</ref>」(石田敏徳)になっていた。

小島は、マンハッタンカフェの鞍上に、[[蛯名正義]]を起用する。蛯名は初めて調教にまたがった時から、高い素質を感じており「とてもおとなしくて、サンデー(サイレンス)の仔にしては珍しいタイプ(中略)気性も含めて、長いところが向いている<ref name="優駿-2001-12-33" />」と感じ取っていた。

== 競走馬時代 ==
=== 3歳(2001年) ===

==== クラシックまでの道程 ====
1月29日、[[東京競馬場]]の[[新馬|新馬戦]](芝2000メートル)、2.0番の2番人気に推されたが、スタートで出遅れた。さらにはハミを取れず、正しく走れなかった<ref name="優駿-2010-3-155">『優駿』2010年3月号 155頁</ref>。トレジャーに後れを取る3着だった<ref name="優駿-2010-3-155" />。そして2月11日、2戦目の新馬戦(芝1800メートル)に1番人気で出走。好位から抜け出して先頭で決勝線を通過。初勝利を挙げた<ref name="優駿-2010-3-155" />。

続いて3月4日、クラシック初戦・[[皐月賞]]の[[トライアル競走]]である[[弥生賞]](GII)に参戦する。相手には、[[アグネスタキオン]]がいた<ref name="優駿-2010-3-155" />。アグネスタキオンは、12月上旬の新馬戦を3馬身半差で優勝した後、暮れの[[ラジオたんぱ杯3歳ステークス]]にて、[[ジャングルポケット (競走馬)|ジャングルポケット]]、[[クロフネ]]らを下して優勝し有力馬となった。クラシックに向けた初戦が、この弥生賞だった<ref name="優駿-2010-3-155" />。8頭立て、1倍台のアグネスタキオンに対して、マンハッタンカフェは、21倍の5番人気、前走よりもマイナス20キログラムで出走していた。4番手を追走し、直線で抜け出しを図ったが、アグネスタキオンに千切られた。[[ボーンキング]]、[[ミスキャスト]]にも及ばず4着、皐月賞の[[優先出走権]]が得られる3着とは、クビ差の4着だった<ref name="優駿-2010-3-156">『優駿』2010年3月号 156頁</ref>。

この敗戦で皐月賞参戦はなくなり4月7日、[[阪神競馬場]]のアザレア賞(500万円以下)に参戦したが、弥生賞からマイナス16、デビュー戦から42キログラムまで減らしていた。2番人気だったが、11着敗退<ref name="優駿-2010-3-156" />。馬体重の減少は、輸送の耐性がなく、この後は続戦できなかった<ref name="優駿-2002-10-43">『優駿』2002年10月号 43頁</ref>。クラシック第2戦の[[東京優駿]](日本ダービー)参戦を諦めて、長期休養となった<ref name="優駿-2002-10-43" />。この時の連敗について後に、小島はこのように回顧している。{{Quotation|輸送に弱かったこともあるけれど、やっぱりまだ、内臓面が本物じゃなかったんだろうね。オーバーワークにならないよう、セーブしてセーブして調整を積んでいたのに、あれだじぇ体重が減るなんて、そうとしか考えられない|小島太<ref>『優駿』2002年1月号 14頁</ref>}}目標をクラシック最終戦の[[菊花賞]]に切り替えて[[札幌競馬場]]の2600メートル戦に臨む。4か月空けた8月4日、富良野特別(500万円以下)に、馬体重を取り戻し、プラス46キログラムで参戦<ref name="優駿-2010-3-156" />。スタートで出遅れたが、追い上げて後方に2馬身差をつけて優勝。2勝目を挙げた<ref name="優駿-2010-3-156" />。それから8月26日、同条件の阿寒湖特別(1000万円以下)では、直線で進路を塞がれるも抜け出し、優勝。2連勝で、3勝馬に成り上がった<ref name="優駿-2001-12-33">『優駿』2001年12月号 33頁</ref><ref name="優駿-2010-3-156" />。

北海道で出世して、本州に舞い戻り9月16日、トライアル競走である[[セントライト記念]](GII)に臨む。蛯名に先約があるため、[[二本柳壮]]が代打した<ref name="優駿-2001-12-33" />。再び体重を減らしてマイナス10キログラムであり、トレジャー、ロードフォレスターに次ぐ3番人気だった<ref name="優駿-2001-11-124">『優駿』2001年11月号 124頁</ref>。道中、好位を追走したが、直線で伸びなかった<ref name="優駿-2001-11-124" />。[[シンコウカリド]]、トレジャー、ロードフォレスターに後れを取る4着、再び優先出走権を獲得することができなかった<ref>『優駿』2001年11月号 135頁</ref>。

==== 菊花賞 ====
優先出走権は得られなかったが、頭数は15頭に留まり、10月21日に[[京都競馬場]]で行われる菊花賞出走を叶えた。京都、関西で行われるため、輸送をする必要があった。マンハッタンカフェは、4月のアザレア賞、阪神競馬場にレース直前で輸送した結果、馬体重を大きく減らして敗れていた<ref name="優駿-2001-12-109">『優駿』2001年12月号 109頁</ref>。この反省を生かして陣営は、関西馬の拠点である[[栗東トレーニングセンター]]の滞在を敢行する<ref name="優駿-2001-12-109" />。余裕を持って早めに東西輸送を済ましていた。9月30日に栗東に入厩<ref name="優駿-2001-12-22">『優駿』2001年12月号 22頁</ref>。当日を微増のプラス4キログラムで迎えている<ref name="優駿-2001-12-133">『優駿』2001年12月号 133頁</ref>。

10月21日、菊花賞(GI)に臨む。15頭立てとなる中、単勝17.1倍の6番人気に推される<ref>『優駿』2001年12月号 24頁</ref>。ここまでのクラシックは、皐月賞はアグネスタキオンが、東京優駿はジャングルポケットが優勝しており、どちらも2着は[[ダンツフレーム]]だった。アグネスタキオンは、東京優駿を前に引退<ref name="優駿-2001-12-22" />。1番人気はジャングルポケット、2番人気はダンツフレーム、3番人気は駒草賞、巴賞、[[札幌記念]]、[[神戸新聞杯]]というオープン、重賞競走4連勝中の[[エアエミネム]]であり、この3頭が抜けた人気だった<ref name="優駿-2001-12-20">『優駿』2001年12月号 20頁</ref>。

2枠2番からスタート、馬群の内側を確保<ref name="優駿-2001-12-133" />。11番人気[[マイネルデスポット]]が単独で逃げ、スローペースを演出していた<ref name="優駿-2001-12-22" />。近い位置にいたジャングルポケット、先行するエアエミネムは走る気が勝り、早くも消耗する一方、マンハッタンカフェは折り合いをつけて追走することができた<ref name="優駿-2001-12-22" />。先行有利のスローペースだったため、逃げるマイネルデスポットの余力は、十分にあった。よって逃げ馬を誰も捉えることができていなかった<ref name="優駿-2001-12-23">『優駿』2001年12月号 23頁</ref>。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=-zXzFUK5UB4&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2001年 菊花賞(GI)<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}

馬群の内側で脚を溜めたマンハッタンカフェは、最終コーナーから促されて、直線で末脚を発揮し、先頭を目指した<ref name="優駿-2001-12-23" />。まず馬群にいて、伸びあぐねるエアエミネムやジャングルポケットを置き去りにする<ref name="優駿-2001-12-22" />。それから内で粘るマイネルデスポットに迫り、ゴール手前で並び立っていた。マイネルデスポットを半馬身差し切ったところで決勝線を通過する<ref name="優駿-2001-12-133" />。
{| class="wikitable" style="float:right; font-size:smaller; text-align:center; margin:10px"
! colspan="2" |春のクラシック不出走馬の菊花賞優勝
|-
|-
!年
|colspan="3"|年月日
!優勝馬{{Efn|1938年[[テツモン]]は、皐月賞未施行、東京優駿以後のデビュー。1946年アヅマライは、第二次世界大戦による競馬中止である。以上の理由により2頭は除外する<ref name="優駿-2001-12-147" />。}}<ref name="優駿-2001-12-147">『優駿』2001年12月号 147頁</ref>
|style="white-space:nowrap;"|[[競馬場]]
|-
|競走名
|1948
|[[競馬の競走格付け|格]]
|[[ニユーフオード]]
|頭<br/>数
|-
|枠<br/>番
|1955
|馬<br/>番
|[[メイヂヒカリ]]
|オッズ<br />(人気)
|-
|着順
|1967
|[[騎手]]
|[[ニットエイト]]
|斤量<br />[kg]
|-
|[[競走馬の適性|距離]](馬場)
|1969
|タイム<br />(上り3[[ハロン (単位)|F]])
|[[アカネテンリュウ]]
|style="text-align: right; white-space:nowrap;"|タイム<br />差
|-
|勝ち馬/(2着馬)
|1975
|[[コクサイプリンス]]
|-
|1976
|[[グリーングラス]]
|-
|1986
|[[メジロデュレン]]
|-
|1988
|[[スーパークリーク]]
|-
|1989
|[[バンブービギン]]
|-
|1990
|[[メジロマックイーン]]
|-
|1995
|[[マヤノトップガン]]
|-
|'''2001'''
|'''マンハッタンカフェ'''
|}
クラシック戴冠、1995年[[マヤノトップガン]]以来となるクラシック初出走馬の菊花賞優勝、6年ぶりの夏の上がり馬が誕生した<ref name="優駿-2001-12-147" /><ref name="優駿-2001-12-133" />。また1998年[[セイウンスカイ]]以来となる美浦所属関東馬の菊花賞優勝だった<ref name="優駿-2001-12-133" />。蛯名、西川、小島は菊花賞初優勝<ref name="優駿-2001-12-20" />。社台ファームは、[[ダンスインザダーク]]、[[エアシャカール]]に次いで3頭目となる生産馬の優勝だった<ref name="優駿-2001-12-20" />。

==== 有馬記念 ====
菊花賞優勝後は、[[宮城県]][[山元町]]の[[山元トレーニングセンター]]の短期放牧を挟んだ<ref name="優駿-2002-1-15">『優駿』2002年1月号 15頁</ref>。ジャパンカップは、小島によれば「菊花賞の頃から、馬が本当にグングンよくなってきているんだ。伸び盛りの成長の芽を摘みたくなかった。それが唯一最大の理由<ref name="優駿-2002-1-15" />」として見送り、暮れの[[有馬記念]](GI)に参戦する<ref name="優駿-2002-1-15" />。菊花賞が超スローペース決着だったことから、フロックと認識される向きがあった<ref name="優駿-2002-1-15" />。なお回避したジャパンカップでは、菊花賞で下したジャングルポケットが、古馬の[[テイエムオペラオー]]、[[ナリタトップロード]]、[[ステイゴールド]]、[[メイショウドトウ]]などを下して優勝していた。
12月23日の有馬記念(GI)は、13頭立てだった<ref name="優駿-2002-2-38">『優駿』2002年2月号 38頁</ref>。人気を集めたのは、このレースでもって引退するライバルの6歳2頭、テイエムオペラオーとメイショウドトウだった<ref name="優駿-2002-2-38" />。テイエムオペラオーはこの年の[[天皇賞(春)]]優勝馬、メイショウドトウは、同[[宝塚記念]]優勝馬であり、前年夏から秋にかけてのGI戦線では、ワンツーを4戦連続張った2頭だった。テイエムオペラオー1.8倍、メイショウドトウ5.5倍、対してマンハッタンカフェは7.1倍の3番人気だった<ref name="優駿-2002-2-38" />。以下7.5倍でナリタトップロード、15倍でトウカイオーザ、17倍で[[トゥザヴィクトリー]]などと続いていた<ref name="優駿-2002-2-38" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=NewfTK9yKF0&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2001年 有馬記念(GI)<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]|video2=[https://www.youtube.com/watch?v=6JFUWouRmy0&ab_channel=%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AC%E7%AB%B6%E9%A6%AC%E3%80%90%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%80%91 2001年 有馬記念(GI)<br />レース映像 関西テレビ競馬公式YouTubeチャンネルによる動画]}}
4枠4番からスタート、中団外側のメイショウドトウ、中団後方のテイエムオペラオーの後方、最後方集団で待機した<ref name="優駿-2002-2-41">『優駿』2002年2月号 41頁</ref><ref name="優駿-2002-2-36">『優駿』2002年2月号 36頁</ref>。トゥザヴィクトリーの先導するスローペースを追走、すなわち後方待機は、不利な立場だった<ref name="優駿-2002-2-36" />。2周目の第3コーナーから後方勢は外から進出を開始する<ref name="優駿-2002-2-36" />。逃げるトゥザヴィクトリーを目指して、まず先駆けてメイショウドトウが行き、それをテイエムオペラオーが追い、さらにマンハッタンカフェが追う直列状態だった<ref name="優駿-2002-2-41" /><ref name="優駿-2002-2-36" />。

前を行くメイショウドトウと、テイエムオペラオーの進出は、先頭トゥザヴィクトリー、2番手で先行する[[アメリカンボス]]をまくるほどの勢いではなかった<ref name="優駿-2002-2-36" />。そんな中、マンハッタンカフェは2頭の外に持ち出し、直線で末脚を発揮する<ref name="優駿-2002-2-36" />。2頭を差し切ったうえに置き去りにし、先行するトゥザヴィクトリーに唯一取り付き、まもなく差し切りを果たした。後方に1馬身4分の1差をつけて決勝線通過<ref name="優駿-2002-2-135">『優駿』2002年2月号 135頁</ref>。テイエムオペラオーには、[[シンボリルドルフ]]越えとなるGI8勝の新記録樹立を阻止、そのうえ自己最低着順4着を食らわせた<ref name="優駿-2002-2-35">『優駿』2002年2月号 35頁</ref>。

GI連勝で、有馬記念戴冠となる。1998年[[グラスワンダー]]以来史上13頭目となる3歳馬による有馬記念優勝となった<ref name="優駿-2002-2-135" />。1972年[[イシノヒカル]]、1984年[[シンボリルドルフ]]、1994年[[ナリタブライアン]]、1995年マヤノトップガンに続いて史上5頭目となる、同一年の菊花賞と有馬記念優勝を成し遂げた<ref name="優駿-2002-2-36" />。また蛯名、西川、小島は有馬記念初優勝だった<ref name="優駿-2002-2-35" />。サンデーサイレンス産駒としても初優勝、これを以て産駒の[[八大競走|旧八大競走]]全制覇を成し遂げている<ref name="優駿-2002-2-145">『優駿』2002年2月号 145頁</ref>。社台ファームは1986年[[ダイナガリバー]]以来の2勝目だった<ref name="優駿-2002-2-35" />。

また2着は、先行して、先頭トゥザヴィクトリーを終いでかわし、テイエムオペラオーとメイショウドトウの追い上げに先着した最低13番人気1枠1番のアメリカンボスだった<ref name="優駿-2002-2-135" />。アメリカンボスが絡んだことで、高配当が生まれ、枠番連勝1-4は2万円超、馬番連勝は4万8千円超となり、共に有馬記念歴代最高配当となっている<ref name="優駿-2002-2-135" /><ref name="優駿-2002-2-145" />。その年の世相が反映されると知られている有馬記念、この年9月11日は、'''マンハッタン'''の[[ワールドトレードセンター (ニューヨーク)|ワールドトレードセンター]]ほか、'''アメリカ'''各地でテロが発生する[[アメリカ同時多発テロ事件]]が起こっていた<ref name="優駿-2002-2-85">『優駿』2002年2月号 85頁</ref>。この年の競馬では10月の[[秋華賞]]「[[テイエムオーシャン|'''テ'''イエムオーシャン]] - [[ローズバド|'''ロ'''ーズバド]]」はあったが、それに続く「'''マンハッタン'''カフェ-'''アメリカン'''ボス」であり、テロの被害を受けた国、地域までが明確に反映される結果となった<ref>『優駿』2010年3月号 158頁</ref><ref name="優駿-2002-2-85" />。

この年の[[JRA賞]]では、[[JRA賞年度代表馬|年度代表馬]]部門で全283票中30票、最優秀3歳部門で43票を集めたが、いずれもジャングルポケットが選出され、受賞には至らなかった{{Efn|年度代表馬は、[[ジャングルポケット (競走馬)|ジャングルポケット]]が153票で選出。[[アグネスデジタル]]が68票を挟んで、30票の第3位がマンハッタンカフェだった。以下[[クロフネ]]26票、[[テイエムオペラオー]]3票、[[アグネスタキオン]]2票、該当馬なし1票<ref name="優駿-2002-2-64" />。}}{{Efn|最優秀3歳牡馬は、ジャングルポケットが225票を集めて選出。43票の次点がマンハッタンカフェだった。以下クロフネ11票、アグネスタキオン4票<ref name="優駿-2002-2-64" />。}}<ref name="優駿-2002-2-64">『優駿』2002年2月号 64頁</ref>。

=== 4歳(2002年) ===

==== 日経賞 ====
この年は、まず天皇賞(春)を目指した。始動戦は、[[阪神大賞典]]の予定もあったが「有馬記念と同じ距離ですし、関東のお客さんに見てもらえる<ref name="優駿-2002-6-69">『優駿』2002年6月号 69頁</ref>」(小島)として3月23日、中山競馬場の[[日経賞]](GII)での始動となる<ref name="優駿-2002-6-69" />。しかしこの頃は、蹄の不安に悩まされる<ref name="100名馬-910">『週刊100名馬 EX5 マンハッタンカフェ』9-10頁</ref>。さらに2月13日の帰厩直後は、再三の食欲不振にも見舞われた<ref>『優駿』2002年4月号 5頁</ref>。それでも調整を続けて当日、小島は、万全に仕上がっていたと考えていた<ref name="優駿-2002-5-35">『優駿』2002年5月号 35頁</ref>。小島は蛯名に「GIのつもりでビッシリ乗ってこい<ref name="優駿-2002-5-35" />」と指示する。当日は、良馬場だったが、小雨が降ったことで<ref name="優駿-2002-5-140">『優駿』2002年5月号 140頁</ref>、芝の表面だけが水に濡れ、末脚を発揮しずらい「上滑りする馬場<ref name="優駿-2002-6-69" />」となる。8頭立て、ロードフォレスター、[[タップダンスシチー]]などと対して単勝オッズ1.2倍の1番人気だった<ref name="優駿-2002-5-124">『優駿』2002年5月号 124頁</ref>。

トーホウシデンが逃げるスローペースを、後方3番手で追走。第3コーナーから大外に持ち出して進出を試みた<ref name="優駿-2002-5-124" />。しかし促されても促されても前方との距離を縮められなかった<ref name="優駿-2002-5-124" />。直線に入っても盛り返すことができず、後方のまま決勝線を通過。[[アクティブバイオ]]、タップダンスシチー、[[コイントス (競走馬)|コイントス]]の先頭争いに約3馬身以上後れを取る6着に敗退した<ref name="優駿-2002-5-140" />。蛯名は、最終コーナーにて、後ろ脚の違和感を感じて、後ろに振り向く仕草をしている<ref name="優駿-2002-5-35" />。蛯名曰く「誰かに乗りかけられたのかと思った<ref name="優駿-2002-5-35" />」ほどの感触だったが、故障は見られなかった<ref name="優駿-2002-5-35" />。

==== 天皇賞(春) ====
続く天皇賞(春)は、関西の京都競馬場で行われるため、東西輸送が必要だった。そこで陣営は、前年の菊花賞と同じように、早めの移動と、栗東滞在からの京都輸送する作戦を実行する<ref name="優駿-2002-6-40">『優駿』2002年6月号 40頁</ref>。4月4日に、栗東に入厩し、3週間の滞在を経ての参戦となった<ref name="優駿-2002-6-40" />。4月28日、天皇賞(春)(GI)に臨む。11頭立てとなる中、マンハッタンカフェと、JRA賞を譲った同期のジャングルポケット、前々々年の菊花賞を優勝した6歳のナリタトップロードの3頭が人気の中心だった。ジャングルポケットとナリタトップロードの前哨戦は、共に阪神大賞典であり、ワンツーフィニッシュ。ナリタトップロードがジャングルポケットに2馬身差をつけて勝利していた。人気は、始動戦の[[京都記念]]から2連勝中のナリタトップロードが2.7倍、マンハッタンカフェが2.9倍、ジャングルポケットが3.5倍となる<ref>『優駿』2002年6月号 41頁</ref>。以下、[[サンライズペガサス]]、エリモブライアンと続いていた<ref>『優駿』2002年6月号 43頁</ref>。開催3日前に雨が降ったものの馬場が回復。当日は、良馬場での開催だった<ref name="優駿-2002-6-40" />。

4枠4番から好スタートを切ったが、控えて中団を確保する<ref name="優駿-2002-6-42">『優駿』2002年6月号 42頁</ref>。近くにナリタトップロードとジャングルポケットがおり、人気3頭が中団にひとかたまりとなり、エリモブライアンが逃げるスローペースを追走した<ref name="優駿-2002-6-42" />。2周目の第3コーナーから各々先頭エリモブライアンに接近し、人気3頭も進出を開始する。内からマンハッタンカフェ、ジャングルポケット、ナリタトップロードまで横並びだった。最終コーナーでは、逃げるエリモブライアンに、外からボーンキングとキングザファクトが並んで先頭を争っており、その背後2列目に人気3頭が揃って迫っていた。2列目では、まず外のナリタトップロードが進出し、先頭の外側を担うキングザファクトに外から接近していた<ref name="優駿-2002-6-42" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=BJhDeQSTw4s&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2002年 天皇賞(春)(GI)<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}
ところがキングザファクトが、コーナーを外側に膨れながら回り、ナリタトップロードもやや外側に張り出されながら直線に向く<ref name="優駿-2010-3-160">『優駿』2010年3月号 160頁</ref>。後れを取るジャングルポケットも、張り出されたナリタトップロードの外から追い上げる形となった<ref name="優駿-2002-6-42" />。一方マンハッタンカフェは、キングザファクトが膨れたことで内側に生まれた空間に入り込み、スムーズにコーナーを回っていた<ref name="優駿-2002-6-42" />。

直線では人気3頭が優勢となる。すなわち末脚比べとなったが、マンハッタンカフェは、コーナーワークで抜け出した<ref name="優駿-2010-3-160" />。外から後れて2頭が追い込み、特にジャングルポケットに接近を許したが、先頭を守った<ref name="優駿-2002-6-42" />。ジャングルポケットにクビ差、ナリタトップロードに半馬身以上差をつけて決勝戦を通過した<ref name="優駿-2002-6-135" />。

GI3戦3連勝で天皇賞を戴冠する<ref name="優駿-2002-6-135">『優駿』2002年6月号 135頁</ref>。1997年マヤノトップガン以来5年ぶりとなる菊花賞優勝馬の天皇賞(春)優勝、1994年[[ビワハヤヒデ]]以来8年ぶりとなる前年菊花賞優勝馬の天皇賞(春)優勝を果たした<ref name="優駿-2002-6-141">『優駿』2002年6月号 141頁</ref>。さらに前年秋の菊花賞優勝から、暮れの有馬記念優勝、さらに翌春の天皇賞(春)優勝を果たしたのは、1984年秋から85年春にかけて成し遂げたシンボリルドルフ以来だった<ref name="優駿-2002-6-141" />。西川は天皇賞初優勝<ref name="優駿-2002-6-38">『優駿』2002年6月号 38頁</ref>。蛯名は、1996年秋[[バブルガムフェロー]]以来の天皇賞2勝目<ref name="優駿-2002-6-38" />。小島は調教師として初勝利<ref name="優駿-2002-6-38" />。1986年秋[[サクラユタカオー]]、1995年秋[[サクラチトセオー]]を騎手として優勝しており、騎手と調教師両方の立場で天皇賞優勝を成し遂げている<ref name="優駿-2002-6-38" />。

==== 夏休み ====
日経賞の不調を取り戻して優勝した天皇賞(春)だったが、実際のところは、出走する直前まで不調だった<ref name="優駿-2002-10-44" />。蹄の不安もあり「ギリギリまで出否を迷ったほど<ref name="優駿-2002-10-44" />」(小島)のなか、万全とは言えないような状態で強行し、優勝を果たしていた<ref name="優駿-2002-10-44" />。そのため続く宝塚記念は、回避。早くも春夏シーズンを終えて、北海道の社台ファームで放牧に出されていた<ref name="優駿-2002-10-44" />。陣営は当初、秋の目標を、天皇賞(秋)やジャパンカップ、すなわち国内専念と考えていた<ref>『優駿』2002年6月号 134頁</ref><ref name="優駿-2002-6-71" />。{{Quotation|'''[[杉本清]]''':それで、巷には海外という声もありますが。<br/>'''[[小島太]]''':来年になれば遠征に耐えられると思うんですが、今のところは……。この前も、栗東に輸送しただけで何日かだめなんです。利口な馬だから、トレセン(トレーニングセンター)の検疫所に一日入っただけでも、もう飼い葉を食べないんです。|『杉本清の競馬談義(206)』<ref name="優駿-2002-6-71">『優駿』2002年6月号 71頁</ref>}}しかし春から夏にかけて虚弱体質を克服するようになる<ref name="優駿-2002-9-11" />。まず、天皇賞(春)から美浦を経由して、放牧地の北海道に輸送されても、体重が減らなかった<ref name="優駿-2002-9-11" />。それから、放牧中のトレーニングで「さらにドシっとした<ref name="優駿-2002-10-44">『優駿』2002年10月号 44頁</ref>」(小島)、「ずいぶんパワーアップ(中略)今年は芯がしっかりした感じ<ref name="優駿-2002-9-11" />」(猿倉)になるまで成長する。そこで陣営は、これまで避けてきた長距離の遠征への挑戦を決意する<ref name="優駿-2002-9-11" />。当初の国内専念宣言を翻して、外国遠征へ、フランスの凱旋門賞参戦が8月8日に発表された<ref name="優駿-2002-11-42">『優駿』2002年11月号 42頁</ref>。

凱旋門賞参戦は、共同オーナーとなった社台ファームの[[吉田照哉]]の希望によるものだったという<ref name=":0">『競馬最強の法則』2010年4月号 72頁</ref>。マンハッタンカフェが夏休みを過ごす8月、社台は種牡馬サンデーサイレンスを喪っていた{{Efn|死に至るのは、正確には8月19日のこと。ただ[[蹄葉炎]]が進行して、衰弱の一途を辿っていた<ref>『優駿』2002年10月号 4頁</ref>。}}。社台が、日本で大繁栄を遂げたサンデーサイレンスと次に目指すのは、外国であり、外国の大レースに遠征して活躍し、名を売る必要があった<ref name="優駿-2002-10-40">『優駿』2002年10月号 40頁</ref>。吉田は「(マンハッタンカフェは)私は凱旋門賞でも勝ち負けになると思っている(中略)マンハッタンカフェが凱旋門賞を勝ったら、欧州では大変な騒ぎになるでしょうし、それがサンデーサイレンスに対しての最大の恩返しになる<ref name="優駿-2002-10-40" />」と考えていた。

また小島は、騎手時代に騎乗したかったレースの一つだった<ref name="優駿-2002-11-45">『優駿』2002年11月号 45頁</ref>。調教師としても1997年、天皇賞(春)と有馬記念を制した[[サクラローレル]]で遠征していたが、前哨戦の[[フォワ賞]]で故障し、競走能力喪失。目前で引退して叶わなかった<ref name="優駿-2002-11-45" />。それから蛯名は、1999年に[[エルコンドルパサー]]で参戦しており、[[モンジュー]]に半馬身届かず2着敗退、それ以来の参戦だった<ref name="優駿-2002-11-45" />。

当初、オーナーの西川は、遠征に反対する立場だった<ref name=":0" />。しかし吉田と小島が乗り気だったため「2対1じゃあ仕方ない」と折れて遠征が実現することとなった<ref name=":0" />。

==== 凱旋門賞 ====
[[ファイル:2003-6-29-EagleCafe.jpg|サムネイル|210x210ピクセル|[[イーグルカフェ]]]]
遠征には、同じ西川所有と小島厩舎所属の[[イーグルカフェ]]が[[帯同馬]]を担った<ref name="優駿-2002-11-42" />。厩舎の先輩イーグルカフェは、1999年にデビューし、外国産であるため2000年のクラシック参戦は叶わなかったが、[[NHKマイルカップ]]を優勝していた。その後2年間、ドバイ遠征などしたが勝利できなかった。それでも2002年7月7日の[[七夕賞]](GIII)を優勝、復活の勝利を挙げた直後の帯同だった。社台ファームでの調整されたマンハッタンカフェは、8月28日に美浦に帰厩する<ref name="優駿-2002-10-120">『優駿』2002年10月号 120頁</ref>。午後から輸出検疫所にイーグルカフェとともに入った<ref name="優駿-2002-10-120" />。9月4日、[[成田国際空港]]から出国し、[[アンカレッジ]]経由でフランスに向かった<ref name="優駿-2002-11-42" />。

フランスでは、[[シャンティイ調教場]]の[[リチャード・ギブソン]]厩舎に滞在している<ref name="優駿-2002-11-42" />。成長したマンハッタンカフェは、輸送にも耐えて、順調に調整され、万全に仕上げられた<ref>『優駿』2002年11月号 44頁</ref><ref name="優駿-2010-3-161" />。10月6日、[[ロンシャン競馬場]]の凱旋門賞(G1)に臨む。愛伊英独日仏の16頭立てだった<ref name="優駿-2002-11-46">『優駿』2002年11月号 46頁</ref>。人気を集めたのは、[[アイルランドダービー]]優勝馬の[[ハイシャパラル]]と、[[フランスダービー]]優勝馬の[[スラマニ]]だった<ref name="優駿-2002-11-105">『優駿』2002年11月号 105頁</ref>。それから前年2着の[[アクアレリスト]]、[[ヨークシャーオークス]]優勝馬の{{仮リンク|イズリントン (競走馬)|en|Islington (horse)|label=イズリントン}}と続き、単勝オッズ9.3倍の5番人気が、マンハッタンカフェだった<ref name="優駿-2002-11-105" />{{Efn|ハイシャパラルとスラマニの馬主は、共に2頭出しをしている。同馬主は、勝馬投票券において一くくりにされたため、1番人気は、ハイシャパラルとブラックサムベラミーである。そして2番人気は、スラマニとセンシブルである<ref name="優駿-2002-11-46" />。}}。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=Vu5jXojhIsI 2002年 凱旋門賞(G1)<br />レース映像 Equidia公式YouTubeチャンネルによる動画]}}好スタートから馬群の外側4番手を追走<ref>『優駿』2002年11月号 106頁</ref>。しかし鈍く、直線に入る前にステッキが入り、以後伸びず後退する<ref name="優駿-2002-11-46" />。終いは促されることもなかった。先頭で決勝線を通過した[[マリエンバード]]に大きく後れを取って通過、13着に敗退した<ref name="優駿-2002-11-6">『優駿』2002年11月号 6頁</ref><ref name="優駿-2002-11-46" />。失速の原因は故障であり、レース後に、左前脚に屈腱炎の兆候が判明。検査を前に即引退となった<ref name="優駿-2002-11-6" /><ref name="優駿-2002-11-46" />。

暮れ、12月22日の有馬記念当日の中山競馬場にて、引退式が行われる<ref name="優駿-2003-2-116">『優駿』2003年2月号 116頁</ref>。前年の有馬記念のゼッケン「4」を着用し、青帽子と勝負服を纏った蛯名を馬上に迎えた姿が、披露された<ref name="優駿-2003-2-116" />。蛯名を背中にこそ乗せたが、怪我のために自らの脚で走ることはできず、人に曳かれるだけだった<ref name="優駿-2003-2-116" />。この年のJRA賞では、全281票中146票を集めて、[[JRA賞最優秀4歳以上牡馬|最優秀4歳以上牡馬]]を受賞している<ref>『優駿』2003年2月号 44頁</ref>。

==種牡馬時代==
引退後は、山元トレーニングセンターを経由して、北海道[[安平町]]の[[社台スタリオンステーション]]に移動<ref name="優駿-2003-2-116" />。社台スタリオンステーションで、翌2003年から種牡馬として供用された。初年度から200頭を超える繁殖牝馬を集め続け、2007年と2008年は150頭前後に落ち着いたが、2009年から再び200頭超えに回復した<ref name="JBIS-種牡馬成績" />。2013年に200頭を割り込んだが164頭、翌2014年は113頭だった<ref name="JBIS-種牡馬成績" />。2015年になると体調不良、免疫低下に見舞われながら種付けを続け、126頭と交配し、繁殖シーズンを全う<ref name="JBIS-種牡馬成績" /><ref name="スポニチ-死亡">{{Cite web |title=マンハッタンカフェ急死 G1・3勝 腹腔内腫瘍、放牧中倒れる - スポニチ Sponichi Annex ギャンブル |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2015/08/15/kiji/K20150815010938750.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2022-10-28 |language=ja}}</ref>。しかしシーズン終了後に衰弱が進み、2015年8月13日、社台スタリオンステーションでの放牧中に17歳で死亡した<ref name="スポニチ-死亡" />。死後の解剖により、死因は、腹腔内の腫瘍と判明した<ref name="スポニチ-死亡" />。

産駒は、2006年から日本競馬で走っている<ref name="JBIS-種牡馬成績" />。複数の世代が揃った2009年には、日本の[[リーディングサイアー]]となった<ref>{{Cite web |title=マンハッタンカフェ死亡「精悍なインパクトのある馬 ご苦労さま」 - スポニチ Sponichi Annex ギャンブル |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2015/08/14/kiji/K20150814010934870.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2022-10-28 |language=ja}}</ref>。初年度から重賞優勝産駒を多数輩出した。さらに3年目産駒の[[ジョーカプチーノ]](母父:[[フサイチコンコルド]])は、2009年の[[NHKマイルカップ]]を優勝<ref name="JBIS-ジョーカプチーノ" />、[[レッドディザイア]](母父:[[カーリアン]])は、2009年の秋華賞を優勝した<ref name="JBIS-レッドディザイア" />。それから5年目産駒の[[グレープブランデー]](母父:[[ジャッジアンジェルーチ]])は、2011年の[[ジャパンダートダービー]]、2013年の[[フェブラリーステークス]]を優勝<ref name="JBIS-グレープブランデー" />。9年目産駒の[[クイーンズリング]](母父:[[アナバー]])は、2016年を[[エリザベス女王杯]]を優勝している<ref name="JBIS-クイーンズリング" />。また4年目産駒の[[ヒルノダムール]](母父:[[ラムタラ]])は、2011年の天皇賞(春)を優勝し、史上2組目となる天皇賞(春)父仔制覇を果たし、父と同じく凱旋門賞にも参戦した<ref name="ウマニティ-ヒルノダムール" /><ref>{{Cite web |title=【天皇賞・春】ヒルノダムール父子制覇! |url=https://umanity.jp/racedata/race_newsdet.php?nid=15027 |website=競馬予想のウマニティ |access-date=2022-10-28 |language=ja}}</ref>。

産駒は多数繁殖牝馬となっており、[[ブルードメアサイアー]]としての産駒が、2011年から日本競馬で走っている<ref>{{Cite web |title=種牡馬情報:BMS成績|マンハッタンカフェ|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000324971/sire/bms/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-10-28}}</ref>。重賞優勝産駒も多数おり、[[テーオーケインズ]](父:[[シニスターミニスター (競走馬)|シニスターミニスター]])は、2021年の[[帝王賞]]と[[チャンピオンズカップ (中央競馬)|チャンピオンズカップ]]を優勝<ref name="JBIS-テーオーケインズ" />。[[メイショウハリオ]](父:[[パイロ]])は、2022年の帝王賞を優勝している<ref name="JBIS-メイショウハリオ" />。

== 競走成績 ==
以下の内容は、[[netkeiba.com]]<ref>{{Cite web |title=マンハッタンカフェの競走成績 {{!}} 競走馬データ |url=https://db.netkeiba.com/horse/1998101554/ |website=netkeiba.com |access-date=2022-10-28 |language=ja}}</ref>並びにJBISサーチ<ref>{{Cite web |title=競走成績:全競走成績|マンハッタンカフェ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000324971/record/?sort=ymd&page=1&order=A |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-10-27}}</ref>、『[[優駿]]』<ref name="優駿-2010-3-161" />の情報に基づく。
{| style="border-collapse: collapse; font-size: 90%; text-align: center; white-space: nowrap;"
! colspan="3" |競走日
! nowrap="" |競馬場
!競走名
!格
!距離
(馬場)
!頭
!枠
!馬
!オッズ
(人気)
!着順
!タイム
(上り3F)
!着差
!騎手
!斤量
[kg]
!1着馬
(2着馬)
!馬体重
[kg]
|-
|-
|[[2001年|2001]].
|[[2001年|2001]].
|1.
|{{0}}1.
|[[1月29日|29]]
|[[1月29日|29]]
|[[東京競馬場|東京]]
|[[東京競馬場|東京]]
|[[新馬|3歳新馬]]
|[[新馬|3歳新馬]]
|
|
| nowrap="" |芝2000m(重)
|15
|15
|5
|5
|9
|9
|style="text-align: right;"|4.0(2人)
| nowrap="" |{{0}}4.0(2人)
|{{Color|darkgreen|{{0}}3着}}
|style="text-align: right;"|3着
|style="white-space: nowrap;"|[[蛯名正義]]
| nowrap="" |2:06.5 (34.9)
| nowrap="" |{{0|-}}0.2
|[[蛯名正義]]
|55
|55
|トレジャー
|style="white-space: nowrap;"|芝2000m(重)
|498
|style="white-space: nowrap;"|2:06.5 (34.9)
|style="text-align: right;"|0.2
||トレジャー
|-
|-
|
|
|2.
|{{0}}2.
|[[2月11日|11]]
|[[2月11日|11]]
|東京
|東京
|3歳新馬
|3歳新馬
|
|
|芝1800m(良)
|16
|16
|3
|3
|5
|5
|style="text-align: right;"|1.7(1人)
|{{0}}1.7(1人)
|style="text-align: right;"|{{color|darkred|1着}}
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|1:49.8 (35.5)
| -0.3
|蛯名正義
|蛯名正義
|55
|55
|芝1800m(良)
|1:49.8 (35.5)
|style="text-align: right;"| -0.3
|(イサオヒート)
|(イサオヒート)
|492
|-
|-
|
|
|3.
|{{0}}3.
|[[3月4日|4]]
|{{0}}[[3月4日|4]]
|[[中山競馬場|中山]]
|[[中山競馬場|中山]]
|[[弥生賞ディープインパクト記念|弥生賞]]
|[[弥生賞ディープインパクト記念|弥生賞]]
|{{JRAGII}}
|{{JRAGII}}
|芝2000m(不)
|8
|8
|7
|7
|7
|7
|style="text-align: right; white-space: nowrap;"|21.4(5人)
|21.4(5人)
|{{0}}4着
|style="text-align: right;"|4着
|2:06.8 (38.4)
|{{0|-}}1.1
|蛯名正義
|蛯名正義
|55
|55
|芝2000m(不)
|2:06.8 (38.4)
|style="text-align: right;"|1.1
|[[アグネスタキオン]]
|[[アグネスタキオン]]
|472
|-
|-
|
|
|4.
|{{0}}4.
|[[4月7日|7]]
|{{0}}[[4月7日|7]]
|[[阪神競馬場|阪神]]
|[[阪神競馬場|阪神]]
|アザレア賞
|アザレア賞
|5下
|{{small|500万下}}
|芝2000m(良)
|16
|16
|5
|5
|10
|10
|style="text-align: right;"|4.0(2人)
|{{0}}4.0(2人)
|11着
|style="text-align: right; white-space:nowrap;"|11着
|2:03.7 (35.9)
|{{0|-}}1.2
|[[河内洋]]
|[[河内洋]]
|55
|55
|芝2000m(良)
|2:03.7 (35.9)
|style="text-align: right;"|1.2
|シノグラフィー
|シノグラフィー
|456
|-
|-
|
|
|8.
|{{0}}8.
|[[8月4日|4]]
|{{0}}[[8月4日|4]]
|[[札幌競馬場|札幌]]
|[[札幌競馬場|札幌]]
|富良野特別
|富良野特別
|5下
|{{small|500万下}}
|芝2600m(良)
|12
|12
|5
|5
|6
|6
|style="text-align: right;"|2.0(1人)
|{{0}}2.0(1人)
|style="text-align: right;"|{{color|darkred|1着}}
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|2:43.5 (35.6)
| -0.3
|蛯名正義
|蛯名正義
|54
|54
|芝2600m(良)
|2:43.5 (35.6)
|style="text-align: right;"| -0.3
|(シュプリゲン)
|(シュプリゲン)
|502
|-
|-
|
|
|8.
|{{0}}8.
|[[8月26日|26]]
|[[8月26日|26]]
|札幌
|札幌
|[[阿寒湖特別]]
|[[阿寒湖特別]]
|10下
|{{small|1000万下}}
|芝2600m(良)
|12
|12
|3
|3
|3
|3
|style="text-align: right;"|1.8(1人)
|{{0}}1.8(1人)
|style="text-align: right;"|{{color|darkred|1着}}
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|2:43.1 (35.8)
| -0.1
|蛯名正義
|蛯名正義
|54
|54
|芝2600m(良)
|2:43.1 (35.8)
|style="text-align: right;"| -0.1
|(トーセンサンダー)
|(トーセンサンダー)
|500
|-
|-
|
|
|9.
|{{0}}9.
|[[9月16日|16]]
|[[9月16日|16]]
|中山
|中山
|style="white-space: nowrap;"|[[セントライト記念]]
|[[セントライト記念]]
|{{JRAGII}}
|{{JRAGII}}
|芝2200m(稍)
|16
|16
|7
|7
|14
|14
|style="text-align: right;"|5.3(3人)
|{{0}}5.3(3人)
|{{0}}4着
|style="text-align: right;"|4着
|2:13.8 (36.3)
|{{0|-}}0.7
|[[二本柳壮]]
|[[二本柳壮]]
|56
|56
|芝2200m(稍)
|2:13.8 (36.3)
|style="text-align: right;"|0.7
|[[シンコウカリド]]
|[[シンコウカリド]]
|490
|-
|-
|
|
206行目: 352行目:
|[[菊花賞]]
|[[菊花賞]]
|{{JRAGI}}
|{{JRAGI}}
|芝3000m(良)
|15
|15
|2
|2
|2
|2
|style="text-align: right;"|17.1(6人)
|17.1(6人)
|style="text-align: right;"|{{color|darkred|1着}}
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|3:07.2 (34.0)
| -0.1
|蛯名正義
|蛯名正義
|57
|57
|(マイネルデスポット)
|芝3000m(良)
|494
|3:07.2 (34.0)
|style="text-align: right;"| -0.1
|style="white-space: nowrap;"|(マイネルデスポット)
|-
|-
|
|
224行目: 371行目:
|[[有馬記念]]
|[[有馬記念]]
|{{JRAGI}}
|{{JRAGI}}
|芝2500m(良)
|13
|13
|4
|4
|4
|4
|style="text-align: right;"|7.1(3人)
|{{0}}7.1(3人)
|style="text-align: right;"|{{color|darkred|1着}}
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|2:33.1 (33.9)
| -0.2
|蛯名正義
|蛯名正義
|55
|55
|芝2500m(良)
|2:33.1 (33.9)
|style="text-align: right;"| -0.2
|([[アメリカンボス]])
|([[アメリカンボス]])
|504
|-
|-
|[[2002年|2002]].
|[[2002年|2002]].
|3.
|{{0}}3.
|[[3月23日|23]]
|[[3月23日|23]]
|中山
|中山
|[[日経賞]]
|[[日経賞]]
|{{JRAGII}}
|{{JRAGII}}
|芝2500m(良)
|8
|8
|8
|8
|8
|8
|style="text-align: right;"|1.2(1人)
|{{0}}1.2(1人)
|{{0}}6着
|style="text-align: right;"|6着
|2:37.5 (34.9)
|{{0|-}}0.5
|蛯名正義
|蛯名正義
|58
|58
|芝2500m(良)
|2:37.5 (34.9)
|style="text-align: right;"|0.5
|[[アクティブバイオ]]
|[[アクティブバイオ]]
|510
|-
|-
|
|
|4.
|{{0}}4.
|[[4月28日|28]]
|[[4月28日|28]]
|京都
|京都
|[[天皇賞(春)]]
|[[天皇賞(春)]]
|{{JRAGI}}
|{{JRAGI}}
|芝3200m(良)
|11
|11
|4
|4
|4
|4
|style="text-align: right;"|2.9(2人)
|{{0}}2.9(2人)
|style="text-align: right;"|{{color|darkred|1着}}
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|3:19.5 (34.1)
|{{0|-}}0.0
|蛯名正義
|蛯名正義
|58
|58
|芝3200m(良)
|3:19.5 (34.1)
|style="text-align: right;"|0.0
|([[ジャングルポケット (競走馬)|ジャングルポケット]])
|([[ジャングルポケット (競走馬)|ジャングルポケット]])
|504
|-
|-
|
|
|10.
|10.
|[[10月6日|6]]
|{{0}}[[10月6日|6]]
|{{small|[[パリロンシャン競馬場|ロンシャン]]}}
|{{small|[[パリロンシャン競馬場|ロンシャン]]}}
|[[凱旋門賞]]
|[[凱旋門賞]]
|{{G1}}
|{{G1}}
|芝2400m(良)
|16
|16
|12
|12
|8
|8
|
|
|13着
|style="text-align: right;"|13着
|2:29.7
|{{0|-}}3.0
|蛯名正義
|蛯名正義
|59.5
|59.5
|芝2400m(良)
|style="text-align: left;"|2:29.7
|style="text-align: right;"|3.0
|[[マリエンバード|Marienbard]]
|[[マリエンバード|Marienbard]]
|計不
|}
|}


== 特徴 ==
== 種牡馬成績 ==
本節では、マンハッタンカフェの気性や蹄などの身体的特徴および[[シンボリルドルフ]]以来となった功績について記述する。

=== 気性 ===
気性については、社台ファーム育成担当の猿倉修は、同牧場の千葉厩舎にいたときからスタッフが手をかけてきたことで、「人間が側にいたら安心するというのか、人に対しては非常に従順でした」と振り返っており<ref name="yushun200210"/>、種牡馬時代にマンハッタンカフェの種付けを見学したことがある[[競馬エイト]]記者の鈴木由希子によると、「他馬が荒々しく迫る中、(マンハッタンカフェは)繁殖牝馬に対してとても丁寧で長距離向きの優しい気性が表れていました」と評し、これが産駒に母系の良さも伝えたのではないかと述べている<ref>{{Cite book|和書|title=サンデーサイレンスの時代|publisher=[[エンターブレイン]]|year=2015|isbn=4576032267|page=88}}</ref>。ただし、厩務員の松本重春は、「とてもプライドの高い馬ですね」と評し、入厩時は若さや幼さが残っていたことでそうした気配も窺える、という程度に感じていたものの、「成長してキャリアを重ねるにつれて、どんどん風格が備わってきました」と語り、馬を扱っているというよりも自分が「扱わせてもらっている」という気分にさせられるようになったという<ref name="yushun200210"/>。また人間や他の馬に対しても威嚇する姿勢を取り、噛む、蹴る、暴れるという悪さを一通りやるため、これはサンデーサイレンス産駒らしい激しい性格をしていると述べ<ref name="yushun200210"/>、小島良太も普段の性格は強情っ張りで、「この馬の性格をよくわかっていて、慣れている人間でなければ扱うのが大変。そんなタイプの馬ですね」と述べている<ref name="yushun200210"/>。

小島太は「ゆったりとした走りと一体になった切れ味」がマンハッタンカフェの武器であると述べている。蛯名正義は「外見とは裏腹に実はとても繊細」という印象を持っているといい、周囲の人間が気遣ってやらなければならないことが多いため、「スタッフの方は大変だと思いますよ」と述べている<ref name="yushun200210"/>。しかし、レースに出るとそのような面を全く見せないといい、走るという場面では余計なことをせず、「絶対と言っていいほど、リキんだりムキになったりもしない」といい、道中はぼーっとした印象を受けるほど冷静ながらもゴーサインを出せば鋭く反応するため、「道中の"タメ"が利くから直線であれだけの切れ味、爆発力を発揮できるのでしょう」と述べ、「乗る立場からすると、こちらの思い通りに動いてくれる、本当に乗りやすい馬なんです」と評している<ref name="yushun200210"/>。


=== 蹄の不安 ===
=== 年度別成績 ===
以下の内容は、JBISサーチの情報に基づく<ref name="JBIS-種牡馬成績">{{Cite web |title=種牡馬情報:世代・年次別(サラ系総合)|マンハッタンカフェ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000324971/sire/generation/thorough_s/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-10-27}}</ref>。
マンハッタンカフェの蹄は、皿のように薄くて平べったい蹄であった。それが4歳になった頃状態が悪化、小島やスタッフを悩まし続けた<ref name="名馬 141">{{Cite journal |和書 |author=江面 弘也 |date=2004-11-5 |title=マンハッタンカフェ |journal=THE BEST SELECTION 名馬物語〈エンターブレイン・ムック〉 |page=141 |publisher=㈱エンターブレイン}}</ref>。4歳初戦の日経賞<ref group="注">レース出走時は、蹄を保護するための鉄橋蹄鉄と呼ばれる特殊な[[蹄鉄]]を装着して出走していた。</ref> ではその影響もあって6着に敗れている。次走の天皇賞(春)を前に小島太は、マスコミとの接触を意識的に避けるなど、不可解な行動の連続であった<ref name="EX5 9" />。小島太はこの時のマンハッタンカフェに関して、「蹄やトウ骨の状態が思わしくなく、回避するか否かをずっと悩んでいた。中途半端な状態で走らせるわけにはいかないから、それでマスコミとの接触を意識的に避けた。元々蹄が薄い馬で、実はかなり前の段階から蟻洞(ぎどう:ツメに穴が開く病気<ref group="注">場合によっては、蹄葉炎に進行することがある。</ref>)できて、装蹄師も苦労した<ref name="EX5 9" />。自分としては菊花賞、有馬記念を勝って満足だったが正当な評価をされなかった。その悔しさから、問題を抱えているのを承知で無理を強いたかもしれない。我慢して期待に応えてくれた」<ref name="EX5 9-10">{{Cite journal |和書 |author=小野塚 耀 |date=2002-11-11 |title=【巻頭書下ろし】孤高の勇者。夢の途中 |journal=Gallop臨時増刊 週間100名馬 EX5 マンハッタンカフェ |issue=通巻第105号 |pages=9 - 10 |publisher=産業経済新聞社}}</ref> と語っている。
{| class="wikitable"

!種付年度
=== シンボリルドルフ以来の功績 ===
!種付頭数
マンハッタンカフェは、3歳時に菊花賞を勝利した後、有馬記念を制覇している。そして、次年の天皇賞(春)に出走して、[[ジャングルポケット (競走馬)|ジャングルポケット]]やナリタトップロードの猛追を振り切って見事勝利を収めた。この菊花賞→同年有馬記念→次年天皇賞(春)を3歳→4歳時に3つとも勝利したのは、2021年2月現在マンハッタンカフェとシンボリルドルフの2頭しかいない<ref name="EX5 28-29" /><ref name="Gallop年鑑 2002" />。
!生産頭数

!血統登録頭数
マンハッタンカフェとシンボリルドルフと同じく菊花賞→同年有馬記念勝利→次年天皇賞(春)というローテーション{{refnest|group="注"|シンボリルドルフのみ菊花賞後は[[ジャパンカップ]]に出走、[[カツラギエース]]の3着に敗れている<ref name="Symboli Rudolf 42-43">{{Cite journal|和書 |author=発行人 佐野慎輔 |author2=編集人 福本雅保 |author3=編集長 鈴木学 |date=2011-10-24 |title=サンスポ復刻 全16戦プレーバック&引退式 |journal=週刊Gallop臨時増刊 さらば皇帝シンボリルドルフ |volume=19 |issue=43号(通巻第976号) |pages=42 - 43 |publisher=産業経済新聞社 }}</ref>。}}を歩んだ馬は、この2頭を含め2021年2月現在合計8頭いるが、それらの馬名、有馬記念後から天皇賞(春)までの成績、レース内容の概略などをまとめた表を下記に示す。
!出走頭数
{| class="wikitable" style="font-size:small;"
!勝馬頭数
!style="width:8%" | 年度(西暦)<br>(元号年)
!重賞勝馬頭数
!style="width:12%" | 馬名<br>(※は1984年のグレード制導入前の馬)
![[アーニングインデックス|AEI]]
!style="width:18%" | 有馬記念後の出走レース成績
![[コンパラブルインデックス|CPI]]
!style="width:8%" | 次年度<br>天皇賞(春)
! レース内容の概略<br>(不出走組は、その年の戦績など)
!style="width:5%" | 出典
|-
|-
!2003
| 1972年<br>(昭和47年) || ※イシノヒカル || '73 東京 4歳以上OP 7着 || '73 不出走 || 1972年度の年度代表馬に選出されたが、脚部不安に見舞われ、11月に出走した左記のレース以降は、1度も出走できず6歳2月で引退した。 || <ref name="EX5 28-29" /><ref name="netkeiba_ishnohikaru">{{Cite web|url=https://db.netkeiba.com/horse/000a000b74/ |title=イシノヒカル競走成績|競走馬データ - netkeiba.com|work=[[netkeiba.com]]|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|accessdate=2021-1-13}}</ref>
|211
|151
|146
|129
|82
|4
|1.58
|
|-
|-
!2004
| 1984年<br>(昭和59年) || シンボリルドルフ || '85 中山 日経賞GII {{color|darkred|1着}}|| '85 {{color|darkred|1着}}|| [[ミスターシービー]]との3度目の三冠馬対決となったが、最後の直線でミスターシービーが失速、2着に入ったサクラガイセンに迫られたが2馬身1/2差で退け、ミスターシービーは5着に敗れた。 || <ref name="Symboli Rudolf">{{Cite journal|和書 |author=発行人 佐野慎輔 |author2=編集人 福本雅保 |author3=編集長 鈴木学 |date=2011-10-24 |title=サンスポ復刻 全16戦プレーバック&引退式 |journal=週刊Gallop臨時増刊 さらば皇帝シンボリルドルフ |volume=19 |issue=43号(通巻第976号) |pages=38 - 51 |publisher=産業経済新聞社 }}</ref><ref name="netkeiba Symboli Rudolf">{{Cite web|url=https://db.netkeiba.com/horse/1981107017/ |title=シンボリルドルフ競走成績|競走馬データ - netkeiba.com|work=netkeiba.com|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|accessdate=2021-1-13}}</ref>
|206
|150
|143
|124
|78
|3
|1.04
|
|-
|-
!2005
| 1994年<br>(平成6年) || [[ナリタブライアン]] || '95 阪神 [[阪神大賞典]]GII {{color|darkred|1着}}|| '95 不出走 || 阪神大賞典後に股関節炎を発症して天皇賞(春)は出走断念。その年の秋に復帰したが、天皇賞(秋)12着→JC6着→有馬記念4着と、精彩を欠いた。 || <ref name="EX5 28-29" /><ref name="netkeiba Narita Brian">{{Cite web|url=https://db.netkeiba.com/horse/1991108889/ |title=ナリタブライアン競走成績|競走馬データ - netkeiba.com|work=netkeiba.com|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|accessdate=2021-1-13}}</ref>
|221
|154
|152
|127
|79
|8
|2.25
|
|-
|-
!2006
| 1995年<br>(平成7年) || [[マヤノトップガン]] || '96 阪神 阪神大賞典GII {{color|darkblue|2着}}|| '96 5着 || 前走阪神大賞典でのナリタブライアンとの死闘から、ナリタブライアンとの2強対決と注目を浴びたが、勝った[[サクラローレル]]から1.0秒差を着けられる大敗を喫した。 || <ref name="EX5 28-29" /><ref name="netkeiba Mayano Top Gun">{{Cite web|url=https://db.netkeiba.com/horse/1992102988/ |title=マヤノトップガン競走成績|競走馬データ - netkeiba.com|work=netkeiba.com|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|accessdate=2020-12-16}}</ref>
|201
|135
|131
|120
|75
|6
|1.89
|
|-
|-
!2007
| 2001年<br>(平成13年) || マンハッタンカフェ || '02 中山 日経賞GII 6着 || '02 {{color|darkred|1着}}|| {{Main2|レース内容の概略およびその後|#2002年}} || <ref name="EX5 28-29" /><ref name="netkeiba Manhattan Cafe">{{Cite web|url=https://db.netkeiba.com/horse/1998101554/ |title=マンハッタンカフェ競走成績|競走馬データ - netkeiba.com|work=netkeiba.com|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|accessdate=2021-1-13}}</ref>
|164
|120
|114
|105
|74
|6
|1.89
|
|-
|-
!2008
| 2011年<br>(平成23年) || [[オルフェーヴル]] || '12 阪神 阪神大賞典GII {{color|darkblue|2着}}|| '12 11着 || 単勝1.3倍の圧倒的1番人気で出走、道中は後方3番手で進んだ。最後の直線ではこれまでの末脚を炸裂させることなく、勝った[[ビートブラック]]から1.8秒差を着けられ惨敗した。 || <ref name="VOL6 Orfevre 26-36">{{Cite journal|和書 |author=発行人 吉川達郎 |author2=編集人 樋山 純 |author3=編集長 大橋伸久 |date=2018-9-24 |title=全21戦PLAYBACK |journal=週刊Gallop臨時増刊 21世紀の名馬 VOL.6 オルフェーヴル |volume=2018年11月号 |pages=26 - 36 |publisher=産業経済新聞社 }}</ref><ref name="netkeiba Orfevre">{{Cite web|url=https://db.netkeiba.com/horse/2008102636// |title=オルフェーヴル競走成績|競走馬データ - netkeiba.com|work=netkeiba.com|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|accessdate=2021-1-13}}</ref>
|154
|104
|102
|90
|53
|3
|1.29
|
|-
|-
!2009
| 2012年<br>(平成24年) || [[ゴールドシップ]] || '13 阪神 阪神大賞典GII {{color|darkred|1着}}|| '13 5着 || 単勝1.3倍の圧倒的1番人気で出走、道中は2周目の3コーナーから進出を開始したが、最後の直線で他馬に寄られる不利もあり、豪脚が炸裂せず、勝った[[フェノーメノ]]から0.9秒差を着けられた。 || <ref name="VOL1 Gold Ship 36-45">{{Cite journal|和書 |author=発行人 片山雅文 |author2=編集人 吉川達郎 |author3=編集長 加藤隆宏 |date=2016-11-14 |title=全28戦PLAYBACK |journal=週刊Gallop臨時増刊 21世紀の名馬 VOL.1 ゴールドシップ |volume=2016年12月14日号 |pages=36 - 45 |publisher=産業経済新聞社 }}</ref><ref name="netkeiba Gold Ship">{{Cite web|url=https://db.netkeiba.com/horse/2009102739/ |title=ゴールドシップ競走成績|競走馬データ - netkeiba.com|work=netkeiba.com|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|accessdate=2021-1-13}}</ref>
|196
|115
|113
|102
|58
|0
|1.25
|
|-
|-
!2010
| 2016年<br>(平成28年) || [[サトノダイヤモンド]] || '17 阪神 阪神大賞典GII {{color|darkred|1着}}|| '17 {{color|darkgreen|3着}}|| [[キタサンブラック]]に次ぐ2番人気で出走、ヤマカツライデンの大逃げで、道中はハイペースで進行、足を使わされたのか、最後の直線で勝ったキタサンブラックに迫ったが1馬身1/4+首差届かなかった。 || <ref name="Gallop年鑑 2016-2017">{{Cite book|和書 |title=週間Gallop JRA重賞年鑑 金杯から有馬記念まで全重賞を完全収録 |series=臨時増刊 |volume=2016 - 2017年 |pages=サトノダイヤモンド各出走レース掲載頁 |publisher=産業経済新聞社}}</ref><ref name="netkeiba Satomo Diamond">{{Cite web|url=https://db.netkeiba.com/horse/2013106101/ |title=サトノダイヤモンド競走成績|競走馬データ - netkeiba.com|work=netkeiba.com|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|accessdate=2021-1-13}}</ref>
|}
|207
|143

|139
上記の表の比較対象として、菊花賞勝利から有馬記念敗戦(不出走を含む)そして天皇賞(春)勝利という馬は、2022年5月現在まで10頭が該当(※は1984年のグレード制導入前の馬){{refnest|group="注"|前年菊花賞馬が天皇賞(春)を勝利した馬は、他に[[ハクリヨウ]](1953年菊花賞1着→1954年天皇賞(春)1着)<ref name="菊花賞全史">{{Cite journal|和書 |author=発行人 宗近良一 |author2=編集人 栗原純一 |author3=編集長 利根川弘生 |date=2005-10-10 |title=菊花賞歴代優勝馬 第14回 ハクリヨウ |journal=週刊Gallop臨時増刊 菊花賞全史 |volume=2005年11月10日号 |page=33 |publisher=産業経済新聞社 }}</ref><ref name="天皇賞全史">{{Cite book|和書 |editor=吉川達郎 |others=発行人 片山雅文 編集長 鈴木 学 |year=2014-11-10 |title=天皇賞全史 |chapter=全150回プレーバック 第29回 ハクリヨウ |series=週間Gallop臨時増刊 |volume=2014年12月10日号 |page=25 |publisher=産業経済新聞社}}</ref> と、[[メイヂヒカリ]](1955年菊花賞1着→1956年天皇賞(春)1着)<ref name="netkeiba Maizi">{{Cite web|url=https://db.netkeiba.com/horse/000a000955/ |title=メイヂヒカリ競走成績|競走馬データ - netkeiba.com|work=netkeiba.com|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|accessdate=2021-1-29}}</ref> の2頭が存在するが、この2頭は有馬記念(前身の中山グランプリ)が創設された1956年以前の馬で、菊花賞勝利から有馬記念敗戦(不出走を含む)そして天皇賞(春)勝利という馬には含まれない。}}、それを下記に示すと(()内のレース名は前哨戦)、
|123

|75
* 1956年(昭和31年)※[[キタノオー]]:菊花賞1着→(4歳以上1着)→中山グランプリ(現・有馬記念)2着→([[目黒記念|目黒記念(春)]]5着)→(5歳以上1着)→天皇賞(春)1着<ref name="netkeiba Kitanooh">{{Cite web|url=https://db.netkeiba.com/horse/1953z00027/ |title=キタノオー競走成績|競走馬データ - netkeiba.com|work=netkeiba.com|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|accessdate=2021-1-29}}</ref>
|0
* 1973年(昭和48年)※[[タケホープ]]:菊花賞1着→有馬記念不出走→([[アメリカジョッキークラブカップ|AJCC]]1着)→([[中山記念]]3着)→天皇賞(春)1着<ref name="netkeiba Take Hope">{{Cite web|url=https://db.netkeiba.com/horse/000a000b79/ |title=タケホープ競走成績|競走馬データ - netkeiba.com|work=netkeiba.com|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|accessdate=2021-1-13}}</ref>
|1.11
* 1990年(平成2年)[[メジロマックイーン]]:菊花賞1着→有馬記念不出走→(阪神大賞典1着)→天皇賞(春)1着<ref name="netkeiba Meziro McQueen">{{Cite web|url=https://db.netkeiba.com/horse/1987107235/ |title=メジロマックイーン競走成績|競走馬データ - netkeiba.com|work=netkeiba.com|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|accessdate=2021-1-13}}</ref>
|
* 1992年(平成4年)[[ライスシャワー]]:菊花賞1着→有馬記念8着→(目黒記念2着)→(日経賞1着)→天皇賞(春)1着<ref name="netkeiba Rice shower">{{Cite web|url=https://db.netkeiba.com/horse/1989107699/ |title=ライスシャワー競走成績|競走馬データ - netkeiba.com|work=netkeiba.com|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|accessdate=2021-1-13}}</ref>
* 1992年(平成5年)[[ビワハヤヒデ]]:菊花賞1着→有馬記念2着→([[京都記念]]1着)→天皇賞(春)1着<ref name="netkeiba Biwa Hayahide">{{Cite web|url=https://db.netkeiba.com/horse/1990103355/ |title=ビワハヤヒデ競走成績|競走馬データ - netkeiba.com|work=netkeiba.com|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|accessdate=2021-1-29}}</ref>
* 2002年(平成14年)[[ヒシミラクル]]:菊花賞1着→有馬記念11着→(阪神大賞典12着)→(産経大阪杯(現・[[大阪杯]])7着)→天皇賞(春)1着<ref name="netkeiba Hishi Miracle">{{Cite web|url=https://db.netkeiba.com/horse/1999104693/ |title=ヒシミラクル競走成績|競走馬データ - netkeiba.com|work=netkeiba.com|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|accessdate=2021-1-13}}</ref>
* 2005年(平成17年)[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]:菊花賞1着→有馬記念2着→(阪神大賞典1着)→天皇賞(春)1着<ref name="netkeiba Deep Impact">{{Cite web|url=https://db.netkeiba.com/horse/2002100816/ |title=ディープインパクト競走成績|競走馬データ - netkeiba.com|work=netkeiba.com|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|accessdate=2021-1-13}}</ref>
* 2015年(平成27年)キタサンブラック:菊花賞1着→有馬記念3着→(産経大阪杯2着)→天皇賞(春)1着<ref name="netkeiba Kitasan Black">{{Cite web|url=https://db.netkeiba.com/horse/2012102013/ |title=キタサンブラック競走成績|競走馬データ - netkeiba.com|work=netkeiba.com|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|accessdate=2021-1-13}}</ref>
* 2018年(平成30年)[[フィエールマン]]:菊花賞1着→有馬記念不出走→(AJCC2着)→天皇賞(春)1着<ref name="netkeiba Fierement">{{Cite web |url=https://db.netkeiba.com/horse/2015105075/ |title=フィエールマン競走成績|競走馬データ - netkeiba.com |work=netkeiba.com |publisher=株式会社ネットドリーマーズ |accessdate=2021-1-13}}</ref>
* 2021年(令和3年)[[タイトルホルダー]]:菊花賞1着→有馬記念5着→(日経賞1着)→天皇賞(春)1着<ref name="netkeiba Title Holder">{{Cite web |url=https://db.netkeiba.com/horse/2018103559/ |title=タイトルホルダー競走成績|競走馬データ - netkeiba.com |work=netkeiba.com |publisher=株式会社ネットドリーマーズ |accessdate=2022-5-1}}</ref>

菊花賞から有馬記念を連覇した上記の表8頭の翌年の天皇賞(春)の成績は、1着2頭、3着1頭、5着以下3頭、不出走2頭となっているのに対し、菊花賞勝利から有馬記念敗戦または不出走の10頭の翌年の天皇賞(春)は全て勝利を収めている。また、前者と後者のその後の戦績を比較すると、前者の天皇賞(春)後は、シンボリルドルフ、マヤノトップガン、オルフェーヴル、ゴールドシップがGIレースを勝利したが、イシノヒカル、ナリタブライアン、マンハッタンカフェ、サトノダイヤモンドがGI未勝利<ref group="注">イシノヒカルがGI未勝利なのは、4歳以降の天皇賞春秋と有馬記念を脚部不安から出走していないためで、グレード制導入以前のGI級のレースは[[八大競走]]([[皐月賞]]・[[東京優駿|東京優駿(日本ダービー)]]・菊花賞・[[桜花賞]]・[[優駿牝馬|優駿牝馬(オークス)]]・天皇賞春秋・有馬記念の8つ)と呼ばれるレースしかなかった。</ref>に終わり、その後のレースでも出走取消や掲示板外(6着以下)、2桁着順の大敗などがあるなど、それぞれが天皇賞(春)およびそれ以降のレースで順調さを欠き、競走成績も安定しているとは云い難い状態になっている<ref name="EX5 28-29" />。それに対し、後者のうち9頭はキタノオーと、タケホープを除き天皇賞(春)後のGIレースを1回以上勝利{{refnest|group="注"|キタノオーとタケホープは、グレード制導入以前の馬で、当時古馬のGI級のレースは、天皇賞春秋と有馬記念しかなく、しかも天皇賞は一度勝利するとそれ以降は出走できない「勝ち抜き制度」を導入していた<ref name="天皇賞全史 115">{{Cite book|和書 |editor=吉川達郎 |others=発行人 片山雅文 編集長 鈴木 学 |year=2014-11-10 |title=天皇賞全史 |chapter=天皇賞アラカルト |series=週間Gallop臨時増刊 |volume=2014年12月10日号 |page=115 |publisher=産業経済新聞社}}</ref> ので、両馬が天皇賞(春)後GIレース未勝利なのは、天皇賞に出られなかった事情と、[[宝塚記念]]は存在していた(ただし、同レース創設は1960年のため、キタノオーの現役時代にはない)が、グレード制導入以降にGIとなったため、古馬のGI級のレースには含まれず、その時代JCはまだ創設されていなかったためである。なお、タケホープは翌年の有馬記念に出走したが、勝った[[タニノチカラ]]の3着に敗れ、ライバル[[ハイセイコー]](2着)にも負けている<ref name="EX1">{{Cite journal |和書 |author=発行人 斉藤富雄 |author2=編集人 芹沢邦雄 |date=2000-05-26 |title=【激闘プレイバック】有馬記念 |journal=Gallop臨時増刊 週間100名馬 EX1 ハイセイコー |issue=2000年7年25日号 |pages=64 - 65 |publisher=産業経済新聞社}}</ref>。}}している。また、ライスシャワーとヒシミラクルは、勝利に恵まれなかったり、脚部不安から長期休養{{refnest|group="注"|ライスシャワーは、天皇賞(春)後出走した全レース未勝利で、2回目の天皇賞(春)勝利後宝塚記念に出走し、レース中に故障を発生して競走中止、その後予後不良となった<ref name="Maiba35 26-34">{{Cite journal|和書 |author=発行人 渡辺秀茂 |author2=編集人 芹沢邦雄 |author3=岡田毅 |date=2001-7-12 |title=全25戦プレーバック |journal=週刊Gallop臨時増刊 週間100名馬 Vol.64 ライスシャワー |volume=2001年7月19日号 |issue=通巻第66号 |pages=26 - 34 |publisher=産業経済新聞社 }}</ref>。また、ヒシミラクルは、その後宝塚記念は勝利したが、京都大賞典2着後長期休養に入り、復帰後の出走レースは全て未勝利に終わった<ref name="netkeiba Hishi Miracle" />。}}するなどで順調さを欠いたりもしたが、他の5頭は、特に大きな故障(例外あり{{refnest|group="注"|例外はメジロマックイーンのみ。それは'92 天皇賞(春)勝利後宝塚記念に出走へ向けての調教中に左前脚部第一指節種子骨骨折を発症した。幸い症状は軽度で骨折部分も治り易い場所だったが、大事をとって'93 産経大阪杯まで長期休養をしている<ref name="Maiba22 9">{{Cite journal|和書 |author=広見直樹 |date=2001-2-1 |title=【巻頭書下ろし】天才と名優。栄光と鬼門の日々 |journal=週刊Gallop臨時増刊 週間100名馬 Vol.22 メジロマックイーン |volume=2001年2月8日号 |issue=通巻第43号 |page=9 |publisher=産業経済新聞社 }}</ref>。}})もなく順調にレースに出走、勝利もしくは2着、負けても掲示板確保(5着以上、ただし例外あり{{refnest|group="注"|例外はビワハヤヒデ以外の4頭が該当、メジロマックイーンは、'91 天皇賞(秋)で1着入線後18着に降着<ref name="Maiba22 ">{{Cite journal|和書 |author=発行人 渡辺秀茂 |author2=編集人 芹沢邦雄 |date=2001-2-1 |title=全21戦プレーバック |journal=週刊Gallop臨時増刊 週間100名馬 Vol.22 メジロマックイーン |volume=2001年2月8日号 |issue=通巻第43号 |page=22 |publisher=産業経済新聞社 }}</ref>。ディープインパクトは、'06 フランス凱旋門賞3位入線、その後、同年11月16日にフランスギャロから、禁止薬物検出問題を受け失格<ref name="VOL5 Deep Impact 36-52">{{Cite journal|和書 |author=発行人 吉川達郎 |author2=編集人 樋山 純 |author3=編集長 大橋伸久 |date=2017-12-11 |title=ディープインパクトの足跡 |journal=週刊Gallop臨時増刊 21世紀の名馬 VOL.5 ディープインパクト |volume=2018年1月号 |page=77 |publisher=産業経済新聞社 }}</ref>。キタサンブラックは、'17 宝塚記念9着<ref name="netkeiba Kitasan Black" />、フィエールマンは、'19 フランス凱旋門賞12着<ref name="netkeiba Fierement" />。なお、ビワハヤヒデは、'95 天皇賞(秋)で[[ネーハイシーザー]]の5着に敗れた上、レース中に左前屈腱炎を発生して、同レース後引退している<ref name="天皇賞全史 122-123">{{Cite book|和書 |editor=吉川達郎 |others=発行人 片山雅文 編集長 鈴木 学 |year=2014-11-10 |title=天皇賞全史 |chapter=第110回 ネーハイシーザー |series=週間Gallop臨時増刊 |volume=2014年12月10日号 |pages=122 - 123 |publisher=産業経済新聞社}}</ref>。}})という好成績を収めている。

菊花賞から有馬記念と連勝した馬の順調度と、菊花賞勝利から有馬記念敗戦または不出走の馬の順調度が違うのは、上記の両者各馬の戦績の比較や、JRAにおけるGI競走の中で、菊花賞は'''3000m'''、有馬記念は'''2500m'''、天皇賞(春)は'''3200m'''と競走距離が1位 - 3位の競走<ref name="2021-jusyo_kanto">{{Cite web|format=PDF|url=https://jra.jp/keiba/program/2020/pdf/jusyo_kanto.pdf#page=47 |title=重賞競走一覧(レース別・関東)|page=47|publisher=日本中央競馬会 |accessdate=2021年1月13日}}</ref><ref name="2021-jusyo_kansai">{{Cite web|format=PDF|url=http://jra.jp/keiba/program/2020/pdf/jusyo_kansai.pdf#page=29 |title=重賞競走一覧 (レース別・関西)|publisher=日本中央競馬会 |pages=16,29|accessdate=2021年1月13日}}</ref> であることから、前者の馬にとっては過酷な負荷であり、順調さを奪っているといえる<ref name="EX5 28-29" />。3歳時の菊花賞をトップで走り抜いたあと、古馬一線級が集まる有馬記念に続き、4歳春の天皇賞を制覇する馬は、マンハッタンカフェとシンボリルドルフの2頭しか例のないレアケースとなる<ref name="EX5 28-29" /><ref name="Gallop年鑑 2002" />。しかし、その負荷は大きなものとなり、その後は両馬共決して順調ではなかった{{refnest|group="注"|マンハッタンカフェの天皇賞(春)後は本文の通り。シンボリルドルフの天皇賞(春)後は、宝塚記念出走予定だったが左肩跂行で出走取消。次に出走した天皇賞(秋)では[[ギャロップダイナ]]の2着に敗れた<ref name="EX5 28-29" />。その後は、JC1着→ 有馬記念1着とGIを連勝、翌年に海外遠征するも、6着に敗れ、帰国後引退した<ref name="Symboli Rudolf 62-71">{{Cite journal|和書 |author=発行人 佐野慎輔 |author2=編集人 福本雅保 |author3=編集長 鈴木学 |date=2011-10-24 |title=サンスポ復刻 全16戦プレーバック&引退式 |journal=週刊Gallop臨時増刊 さらば皇帝シンボリルドルフ |volume=19 |issue=43号(通巻第976号) |pages=62 - 71 |publisher=産業経済新聞社 }}</ref>。}}が、その負荷を厭わず、JRAのGI競走の距離1位 - 3位のレースの3連勝を、マンハッタンカフェとシンボリルドルフは成し遂げたのである<ref name="EX5 28-29" />。

==種牡馬時代==
[[2003年]]より[[社台スタリオンステーション]]で[[種牡馬]]として供用されている。[[2006年]]に初年度産駒がデビューし、[[2007年]]には第2世代目にあたる[[オリエンタルロック]]が産駒初の重賞制覇、[[2009年]]には第3世代目の[[ジョーカプチーノ]]がGI初制覇を遂げた。サイアーランキングでは2008年にベストテン入り(9位)を果たし、翌2009年にはリーディングサイアーを獲得した。また、2歳リーディングの方でも2008年に5位、2009年に7位、2010年には10位と、3年連続でベストテン入りを果たした。

他のサンデーサイレンス直仔の種牡馬が短距離、長距離、ダートなど得意条件が明確化していたのに対し、本馬は短・中・長距離、芝・ダート・AW、牡馬・牝馬問わず活躍馬を輩出し、父サンデーサイレンスの長所であった「配合相手の長所を引き出す和合性」<ref>{{Cite book|和書|author=吉沢譲治|chapter=歴史を大きく塗り替えたサンデーという"血"の解明|title=[[優駿]]|volume=2002年10月号|publisher=[[中央競馬ピーアール・センター]]|year=2002|page=25}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=河村清明|title=三度怒った競馬の神様 サラブレッドに魅入られた男たちの物語|publisher=[[二見書房]]|year=2003|isbn=4576032267|page=192}}</ref> を受け継いだ数少ない存在であった。

2015年に入り体調を崩し、約80頭に種付けを行ったが夏以降は衰弱が著しく、8月13日、社台スタリオンステーションにて放牧中に腹腔内腫瘍のため死亡した<ref>{{Cite web|url =http://newsv4.netkeiba.com/?pid=news_view&no=101018|title =マンハッタンカフェ死亡|publisher = netkeiba.com|accessdate = 2017-09-04}}</ref>。

2017年9月3日、小倉5Rをメイショウテッコンが勝利し、産駒が史上18頭目のJRA通算1000勝を達成<ref>{{Cite web|url =http://newsv4.netkeiba.com/?pid=news_view&no=125796|title =マンハッタンカフェ産駒、JRA通算1000勝達成|publisher = netkeiba.com|accessdate = 2017-09-04}}</ref>。

=== 年度別種牡馬成績(中央+地方) ===
{|class="wikitable" style="text-align:right"
!rowspan="2"|年!!colspan="2"|出走!!colspan="2"|勝利!!rowspan="2"|順位!!rowspan="2"|[[アーニングインデックス|AEI]]!!rowspan="2"|収得賞金
|-
|-
!2011
!頭数!!回数!!頭数!!回数
|202
|142
|137
|125
|75
|4
|1.45
|
|-
|-
!2012
||2006年||56||149||12||15||102||0.75||1億6477万9000円
|200
|136
|135
|111
|71
|2
|1.28
|
|-
|-
!2013
||2007年||174||885||63||98||27||1.17||8億1952万8000円
|164
|107
|107
|92
|64
|5
|1.53
|
|-
|-
!2014
||2008年||279||1708||128||217||9||1.51||16億9759万2000円
|113
|66
|65
|56
|38
|2
|1.17
|
|-
|-
!2015
||2009年||327||2187||144||269||'''1'''||2.01||26億4617万7000円
|-
|126
|46
||2010年||340||2215||139||240||5||1.73||23億6354万8000円
|-
|46
|45
||2011年||315||2044||131||208||5||1.97||24億3639万4000円
|-
|31
|0
||2012年||307||2092||123||195||9||1.53||18億1272万3000円
|1.09
|-
|
||2013年||316||2249||120||236||7||1.75||21億5811万8000円
|-
||2014年||362||2309||126||203||8||1.36||19億6165万8500円
|-
||2015年||344||2335||141||247||8||1.38||19億2717万500円
|-
||2016年||339||2181||147||251||8||1.38||19億8637万4500円
|-
|-
! colspan="3" |合計
||2017年||293||2162||128||219||9||1.60||20億411万8000円
|1530
|1349
|853
|43
|1.47
|1.45
|}
|}
* 2017年終了時点(2014年以降は平地のみ)。
* 出典:[http://www.jbis.or.jp/index.html JBISサーチ]([[日本軽種馬協会]])


* 情報は、2022年10月27日時点。
=== GI級競走優勝馬 ===
* 出走頭数、勝馬頭数、重賞勝馬頭数、[[アーニングインデックス]]、[[コンパラブルインデックス]]は、[[平地競走]]に限る。
※'''太字'''はGI・JpnI競走

=== 重賞優勝産駒 ===

==== GI級競走優勝産駒 ====
GI級競走は、'''太字強調'''にて示す。外国重賞には、その競走が行われた場所の国旗を充てる。
*2006年産
*2006年産
**[[レッドディザイア]]('''[[秋華賞]]'''、[[マクトゥームチャレンジラウンド3]])<ref name="ジョーカプチーノ|JBISサーチ(JBIS-Search)">{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000995651/|title=ジョーカプチーノ|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-03}}</ref>
**[[レッドディザイア]](牝、母父:[[カーリアン]](2009年'''[[秋華賞]]'''、2010年{{Flagicon|UAE}}[[マクトゥームチャレンジラウンド3]])<ref name="JBIS-レッドディザイア">{{Cite web |title=レッドディザイア|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000994916/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-10-28}}</ref>
**[[ジョーカプチーノ]]('''[[NHKマイルカップ]]'''、[[クロードステークス]]、[[ファコンステークス]])<ref name="ジョーカプチーノ|JBISサーチ(JBIS-Search)"/>
**[[ジョーカプチーノ]](牡、母父:[[フサイチコンコルド]](2009年'''[[NHKマイルカップ]]'''、[[ファコンステークス]]、2011年[[クロードステークス]])<ref name="JBIS-ジョーカプチーノ">{{Cite web |title=ジョカプーノ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000995651/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-10-28}}</ref>
*2007年産
*2007年産
**[[ヒルノダムール]]('''[[天皇賞(春)]]'''、[[大阪杯]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001045360/|title=ヒルノダムール|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-03}}</ref>
**[[ヒルノダムール]](牡、母父:[[ラムタラ]](2011年'''[[天皇賞(春)]]'''、[[産経大阪杯]])<ref name="ウマニティ-ヒルノダムール">{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001045360/|title=ヒルノダムール|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-03}}</ref>
*2008年産
*2008年産
**[[グレープブランデー]]('''[[ジャパンダートダービー]]'''、'''[[フェブラリーステークス]]'''、[[東海ステークス]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001088326/|title=グレープブランデー|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-03}}</ref>
**[[グレープブランデー]](牡→[[騸馬|騸]]、母父:[[ジャッジアンジェルーチ]](2011年'''[[ジャパンダートダービー]]'''、2013年'''[[フェブラリーステークス]]'''、[[東海ステークス]])<ref name="JBIS-グレープブランデー">{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001088326/|title=グレープブランデー|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-03}}</ref>
*2012年産
*2012年産
**[[クイーンズリング]]('''[[ザベス女王杯]]'''<ref>[http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=116054 クイーンズリングが差し切り悲願のGI初制覇!/エリザベス女王杯] ([[netkeiba.com]] 2016.11.13)</ref>、[[府中牝馬ステークス]]、[[フィリーズレビュー]]、[[京都牝馬ステークス]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001156107/|title=クイーンズリング|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-11-13}}</ref>
**[[クイーンズリング]](牝、母父:[[アナバー]](2015年[[フィーズレビュー]]、2016年'''[[エリザベス女王杯]]'''、[[府中牝馬ステークス]]、[[京都牝馬ステークス]])<ref name="JBIS-クイーンズリング">{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001156107/|title=クイーンズリング|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-11-13}}</ref>
<gallery>
<gallery>
Red Desire 20090524P1.jpg|レッドディザイア(2006年産)
Red Desire 20090524P1.jpg|レッドディザイア(2006年産)
409行目: 620行目:
</gallery>
</gallery>


=== グレード制重賞優勝 ===
==== 重賞優勝産駒 ====
地方競馬独自の格付けは、アスタリスクを充てる。
*2004年産
*2004年産
**[[アーバニティ]]([[オーシャンステークス]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000806119/|title=アーバニティ|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-03}}</ref>
**[[アーバニティ]](牡、母父:[[アファームド]](2009年[[オーシャンステークス]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000806119/|title=アーバニティ|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-03}}</ref>
**[[セラフィックロンプ]]([[愛知杯]] 2回)<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000798494/|title=セラフィックロンプ|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-03}}</ref>
**[[セラフィックロンプ]](牝、母父:[[ロイヤルスキー]](2008、2010年[[愛知杯]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000798494/|title=セラフィックロンプ|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-03}}</ref>
**[[マンハッタンスカイ]]([[福島記念]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000807305/|title=マンハッタンスカイ|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-03}}</ref>
**[[マンハッタンスカイ]](牡、母父:[[ゴーフォージン]](2008年[[福島記念]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000807305/|title=マンハッタンスカイ|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-03}}</ref>
**マルノマンハッタン(牝、母父:[[カコイーシーズ]](2007年*[[桜花賞 (浦和競馬)|浦和桜花賞]])<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000802064/ |title=マルノマンハッタン |work=JBISサーチ |publisher=公益社団法人日本軽種馬協会 |accessdate=2015-08-03}}</ref>
*2005年産
*2005年産
**[[メイショウクオリア]]([[京都新聞杯]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000891038/|title=メイショウクオリア|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-03}}</ref>
**[[メイショウクオリア]](牡、母父:[[ラーイ]](2008年[[京都新聞杯]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000891038/|title=メイショウクオリア|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-03}}</ref>
**[[レッドアゲート]]([[フローラステークス]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000887572/|title=レッドアゲート|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-03}}</ref>
**[[レッドアゲート]](牝、母父:[[スキャン (競走馬)|スキャン]](2008年[[フローラステークス]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000887572/|title=レッドアゲート|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-03}}</ref>
**[[オリエンタルロック]]([[札幌2歳ステークス]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000889559/|title=オリエンタルロック|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-03}}</ref>
**[[オリエンタルロック]](牡、母父:マウントリヴァーモア(2007年[[札幌2歳ステークス]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000889559/|title=オリエンタルロック|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-03}}</ref>
*2006年産
*2006年産
**[[ベストメンバー]]([[京都新聞杯]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000990927/|title=ベストメンバー|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-03}}</ref>
**[[ベストメンバー]](牡、母父:[[サクラユタカオー]](2009年京都新聞杯)<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000990927/|title=ベストメンバー|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-03}}</ref>
**[[イコピコ]]([[神戸新聞杯]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000995947/|title=イコピコ|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-03}}</ref>
**[[イコピコ]](牡、母父:[[ジェイドロバリー]](2009年[[神戸新聞杯]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000995947/|title=イコピコ|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-03}}</ref>
**[[アントニオバローズ]]([[シンザン記念]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000996215/|title=アントニオバローズ|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-03}}</ref>
**[[アントニオバローズ]](牡、母父:[[キングマンボ]](2009年[[シンザン記念]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000996215/|title=アントニオバローズ|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-03}}</ref>
**[[フミノイマージン]]([[札幌記念]][[マーメイドステークス]]、[[福島牝馬ステークス]]、愛知杯)<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000992333/|title=フミノイマージン|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-03}}</ref>
**[[フミノイマージン]](牝、母父:[[ディキシーランドバンド]](2011年[[福島牝馬ステークス]]、[[マーメイドステークス]]、愛知杯、2012年[[札幌記念]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000992333/|title=フミノイマージン|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-03}}</ref>
**[[テイエムオーロラ]]([[府中牝馬ステークス]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000991958/|title=テイエムオーロラ|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-01}}</ref>
**[[テイエムオーロラ]](牝、母父:[[トニービン]](2010年[[府中牝馬ステークス]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000991958/|title=テイエムオーロラ|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-01}}</ref>
**[[エーシンモアオバー]]([[名古屋グランプリ]] 2回、[[白山大賞典]] 2回)<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000992363/|title=エーシンモアオバー|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-01}}</ref>
**[[エーシンモアオバー]](牡、母父:ルビアノ(2012年、14年[[名古屋グランプリ]]、2013年、14年[[白山大賞典]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000992363/|title=エーシンモアオバー|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-01}}</ref>
*2007年産
*2007年産
**[[ガルボ (競走馬)|ガルボ]]([[東京新聞杯]]、[[ダービー卿チャレンジトロフィー]]、[[シンザン記念]]、[[函館スプリントステークス]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001043988/|title=ガルボ|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-01}}</ref>
**[[ガルボ (競走馬)|ガルボ]](牡、母父:[[ジェネラス]](2010年[[シンザン記念]]、2012年[[東京新聞杯]]、[[ダービー卿チャレンジトロフィー]]、2014年[[函館スプリントステークス]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001043988/|title=ガルボ|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-01}}</ref>
**[[ゲシュタルト (競走馬)|ゲシュタルト]](京都新聞杯)<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001049059/|title=ゲシュタルト|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-01}}</ref>
**[[ゲシュタルト (競走馬)|ゲシュタルト]](牡、母父:[[エンドスウィープ]](2010年京都新聞杯)<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001049059/|title=ゲシュタルト|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-01}}</ref>
**[[アロマカフェ]]([[ラジオNIKKEI賞]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001044912/|title=アロマカフェ|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-01}}</ref>
**[[アロマカフェ]](牡、母父:[[ハートレイク]](2010年[[ラジオNIKKEI賞]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001044912/|title=アロマカフェ|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-01}}</ref>
**[[ハンソデバンド]]([[共同通信杯]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001048314/|title=ハンソデバンド|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-01}}</ref>
**[[ハンソデバンド]](牡、母父:[[アフリート]]([[共同通信杯]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001048314/|title=ハンソデバンド|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-01}}</ref>
**サンディエゴシチー(札幌2歳ステークス)<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001049025/|title=サンディエゴシチー|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-01}}</ref>
**サンディエゴシチー(牡、母父:ラーイ(2009年札幌2歳ステークス)<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001049025/|title=サンディエゴシチー|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-01}}</ref>
*2008年産
*2008年産
**[[ショウナンマイティ]]([[大阪杯|産経大阪杯]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001096795/|title=ショウナンマイティ|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-01}}</ref>
**[[ショウナンマイティ]](牡、母父:[[ストームキャット]](2012年[[大阪杯|産経大阪杯]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001096795/|title=ショウナンマイティ|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-01}}</ref>
**[[トレンドハンター]]([[フラワーカップ]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001093631/|title=トレンドハンター|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-01}}</ref>
**[[トレンドハンター]](牝、母父:[[ブライアンズタイム]](2011年[[フラワーカップ]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001093631/|title=トレンドハンター|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2016-01-01}}</ref>
**タガノマツカゼ(牡→騸、母父:[[ダンシングブレーヴ]](2014年*遠賀川賞)<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001088620/ |title=タガノマツカゼ |work=JBISサーチ |publisher=公益社団法人日本軽種馬協会 |accessdate=2015-08-03}}</ref>
**ボストンリョウマ(牡、母父:ワッスルタッチ(2015年*桂樹杯)<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001088449/ |title=ボストンリョウマ |work=JBISサーチ |publisher=公益社団法人日本軽種馬協会 |accessdate=2015-08-26}}</ref>
**バンブーリバプール(牡、母父:{{仮リンク|ブロッコ|en|Brocco}}(2016年*九州オールカマー)<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001094621/ |title=バンブーリバプール |work=JBISサーチ |publisher=公益社団法人日本軽種馬協会 |accessdate=2020-05-9}}</ref>
*2009年産
*2009年産
**[[ラブイズブーシェ]]([[函館記念]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001103178/|title=ラブイズブーシェ|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2015-12-31}}</ref>
**[[ラブイズブーシェ]](牡、母父:[[メジロマックイーン]](2014年[[函館記念]])<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001103178/|title=ラブイズブーシェ|JBISサーチ(JBIS-Search)|publisher=JBBA|accessdate=2015-12-31}}</ref>
**メイショウコロンボ([[兵庫ゴードトロフィー]]<ref>[http://www.jbis.or.jp/race/result/20141224/227/10/ 2014年兵庫ゴールドトロフィー結果] - JBIS201412月25日閲覧</ref>、[[名古屋大賞典]]<ref>[http://www.jbis.or.jp/race/result/20150326/224/10/ 2015年名古屋大賞典レース結果] - JBIS 2015年3月27日閲覧</ref>
**メイショウコロンボ(牡、母父:[[]](2014年[[兵庫ゴールドトロフィー]]2015年[[名古屋大賞典]]<ref>{{Cite web |title=メイショウコロンボ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001103612/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-10-28}}</ref>
**アートサハラ(牡→騸、母父:[[ラシアンルーブル]](2012年*[[羽田盃]])<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001101565/ |title=アートサハラ |work=JBISサーチ |publisher=公益社団法人日本軽種馬協会 |accessdate=2015-08-03}}</ref>
*2011年産
*2011年産
**マドリードカフェ([[京都ハイジャンプ]])
**マドリードカフェ(牡、母父:[[フォーティナイナー]](2017年[[京都ハイジャンプ]])<ref>{{Cite web |title=マドリードカフェ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001139756/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-10-28}}</ref>
*2012年産
*2012年産
**[[ルージュバック]]([[きさらぎ賞]]、[[エプソムC]]、[[毎日王冠]]<ref>[http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=114658 ルージュバックが23ぶりの牝馬V! いざGIへ!/毎日王冠] ([[netkeiba.com]] 2016.10.09)</ref>、[[産経賞オールカマー]])<ref>[http://db.netkeiba.com/horse/2012104669/ ルージュバック] - netkeiba、2016年10月9日閲覧</ref>
**[[ルージュバック]](牝、母父:[[オーサムアゲイン]](2015年[[きさらぎ賞]]、2016年[[エプソムカップ]]、[[毎日王冠]]、2017年[[産経賞オールカマー|オールカマー]])<ref>{{Cite web |title=ルージュバック|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001156915/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-10-28}}</ref>
**[[シングウィズジョイ]]([[フローラステークス]]、[[ターコイズステークス]])<ref>[http://db.netkeiba.com/horse/2012104241/ シングウィズジョイ] - netkeiba、2017年3月11日閲覧</ref>
**[[シングウィズジョイ]](牝、母父:[[シンボリクリスエス]](2015年[[フローラステークス]]、[[ターコイズステークス]])<ref>[http://db.netkeiba.com/horse/2012104241/ シングウィズジョイ] - netkeiba、2017年3月11日閲覧</ref>
**レジェンドロック(牡、母父:トニービン(2015年*[[せきれい賞]]、*サファイア賞、*はまなす賞)<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001149816/ |title=レジェンドロック |work=JBISサーチ |publisher=公益社団法人日本軽種馬協会 |accessdate=2015-08-03}}</ref>
*2013年産
*2013年産
**[[シャケトラ]]([[日経賞]]、[[アメリカジョッキークラブカップ]]、[[阪神大賞典]]) <ref>[http://db.netkeiba.com/horse/2013105880/ シャケトラ] - netkeiba、2017年4月14日閲覧</ref>
**[[シャケトラ]](牡、母父:[[シングスピール]](2017年[[日経賞]]、2019年[[アメリカジョッキークラブカップ]]、[[阪神大賞典]]) <ref>{{Cite web |title=シャケトラ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001175119/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-10-28}}</ref>
*2014年産
*2014年産
**アメリカズカップ([[きさらぎ賞]]) <ref>[http://db.netkeiba.com/horse/2014105681/ アメリカズカップ] - netkeiba、2017年4月14日閲覧</ref>
**アメリカズカップ(牡、母父:[[コロナドズクエスト]](2017年[[きさらぎ賞]]) <ref>{{Cite web |title=アメリカズカップ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001185725/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-10-28}}</ref>
**プラチナムバレット([[京都新聞杯]]
**プラチナムバレット(牡、母父:[[ホワイトマズル]](2017年京都新聞杯)<ref>{{Cite web |title=プラチナムバレット|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001184868/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-10-28}}</ref>
**[[クイーンマンボ]]([[関東オークス]]、[[レディスプレリュード]]) <ref>[http://db.netkeiba.com/horse/2014104424/ クイーンマンボ] - netkeiba、2017年10月6日閲覧</ref>
**[[クイーンマンボ]](牝、母父:シンボリクリスエス(2017年[[関東オークス]]、[[レディスプレリュード]]) <ref>{{Cite web |title=クイーンマンボ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001188571/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-10-28}}</ref>
**[[レッドアンシェル]]([[CBC賞]]、[[北九州記念]])
**[[レッドアンシェル]](牡、母父:ストームキャット(2019年[[CBC賞]]、2020年[[北九州記念]])<ref>{{Cite web |title=レッドアンシェル|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001191939/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-10-28}}</ref>
**[[デアレガーロ]]([[京都牝馬ステークス]])
**[[デアレガーロ]](牝、母父:スーヴェニアコピー(2019年[[京都牝馬ステークス]])<ref>{{Cite web |title=デアレガーロ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001188294/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-10-28}}</ref>
*2015年産
*2015年産
**[[メイショウテッコン]]([[ラジオNIKKEI賞]]、日経賞)<ref>[http://db.netkeiba.com/horse/2015102420/ メイショウテッコン] - netkeiba、2018年9月26日閲覧</ref>
**[[メイショウテッコン]](牡、母父:[[レモンドロップキッド]](2018年[[ラジオNIKKEI賞]]、2019年日経賞)<ref>{{Cite web |title=メイショウテッコン|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001205973/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-10-28}}</ref>
**ベルセルク(牡、母父:[[サクラバクシンオー]](2018年*[[飛燕賞]])<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001200937/ |title=ベルセルク |work=JBISサーチ |publisher=公益社団法人日本軽種馬協会 |accessdate=2018-02-21}}</ref>


==== ブルードメアサイアーとしての産駒 ====
=== 地方重賞優勝馬 ===
地方競馬独自の格付けは、アスタリスクを充てる。GI級競走は、'''太字強調'''にて示す。
*2004年産
**マルノマンハッタン([[桜花賞 (浦和競馬)|浦和・桜花賞]])<ref>{{Cite web|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000802064/|title=マルノマンハッタン|work=JBISサーチ|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2015-08-03}}</ref>
*2008年産
**タガノマツカゼ(遠賀川賞)<ref>{{Cite web|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001088620/|title=タガノマツカゼ|work=JBISサーチ|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2015-08-03}}</ref>
**ボストンリョウマ(桂樹杯)<ref>{{Cite web|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001088449/|title=ボストンリョウマ|work=JBISサーチ|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2015-08-26}}</ref>
**バンブーリバプール(九州オールカマー)<ref>{{Cite web|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001094621/|title=バンブーリバプール|work=JBISサーチ|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2020-05-9}}</ref>
*2009年産
**アートサハラ([[羽田盃]])<ref>{{Cite web|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001101565/|title=アートサハラ|work=JBISサーチ|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2015-08-03}}</ref>
*2012年産
**レジェンドロック([[せきれい賞]]、サファイア賞、はまなす賞)<ref>{{Cite web|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001149816/|title=レジェンドロック|work=JBISサーチ|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2015-08-03}}</ref>
*2015年産
**ベルセルク([[飛燕賞]])<ref>{{Cite web|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001200937/|title=ベルセルク|work=JBISサーチ|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2018-02-21}}</ref>
=== 母の父としての産駒 ===
*2011年産
*2011年産
**[[ショウナンラグーン]]([[青葉賞]])- [[シンボリクリスエス]]<ref>{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001141961/|title=ショウナンラグーン|work=JBISサーチ|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2021-06-01}}</ref>
**[[ショウナンラグーン]](牡、:シンボリクリスエス(2014年[[青葉賞]]<ref>{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001141961/|title=ショウナンラグーン|work=JBISサーチ|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2021-06-01}}</ref>
*2012年産
*2012年産
**[[ノットフォーマル]]([[フェアリーステークス]])- 父[[ヴァーミリアン]]<ref>{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001157210/|title=ノットフォーマル|work=JBISサーチ|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2021-06-01}}</ref>
**[[ノットフォーマル]](牝、父:[[ヴァーミリアン]](2015年[[フェアリーステークス]])<ref>{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001157210/|title=ノットフォーマル|work=JBISサーチ|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2021-06-01}}</ref>
**ブラックレッグ(牡、父:[[タイキシャトル]](2015年*[[黒潮盃]])<ref>{{Cite web |title=ブラックレッグ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001155409/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-10-28}}</ref>
*2013年産
*2013年産
**[[ダンツプリウス]]([[ニュージーランドトロフィー]])- 父[[ブライアンズタイム]]<ref>{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001173480/|title=ダンツプリウス|work=JBISサーチ|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2021-06-01}}</ref>
**[[ダンツプリウス]](牡、父:ブライアンズタイム(2016年[[ニュージーランドトロフィー]])<ref>{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001173480/|title=ダンツプリウス|work=JBISサーチ|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2021-06-01}}</ref>
**テイエムマケンゲナ(牝、父:[[テイエムオペラオー]](2017年*すみれ賞)<ref>{{Cite web |title=テイエムマケンゲナ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001171130/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-10-28}}</ref>
**サンマルドライヴ(牡、父:[[カジノドライヴ]](2018年*如月賞)<ref>{{Cite web |title=サンマルドライヴ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001174231/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-10-28}}</ref>
**スラッシュ(牡、父:[[グラスワンダー]](2016年*初夏賞)<ref>{{Cite web |title=スラッシュ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001171003/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-10-28}}</ref>
*2015年産
**スターアイリス(牝、父:ヨハネスブルグ(2018年*[[土佐春花賞]])<ref>{{Cite web |title=スターアイリス|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001206898/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-10-28}}</ref>
*2016年産
*2016年産
**[[レッドジェニアル]]([[京都新聞杯]])- 父[[キングカメハメハ]]<ref>{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001217367/|title=レッドジェニアル|work=JBISサーチ|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2021-06-01}}</ref>
**[[レッドジェニアル]](牡→騸、:[[キングカメハメハ]](2019年京都新聞杯)<ref>{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001217367/|title=レッドジェニアル|work=JBISサーチ|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2021-06-01}}</ref>
**ランスオブプラーナ([[毎日杯]])- 父[[ケープブランコ]]<ref>{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001217791/|title=ランスオブプラーナ|work=JBISサーチ|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2021-06-01}}</ref>
**ランスオブプラーナ(牡、:[[ケープブランコ]](2019年[[毎日杯]])<ref>{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001217791/|title=ランスオブプラーナ|work=JBISサーチ|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2021-06-01}}</ref>
**ナムラカメタロー([[佐賀記念]])- 父[[ヨハネスブルグ (競走馬)|ヨハネスブルグ]]<ref>{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001219557/|title=ナムラカメタロー|work=JBISサーチ|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2021-06-01}}</ref>
**ナムラカメタロー(牡、:[[ヨハネスブルグ (競走馬)|ヨハネスブルグ]](2020年[[佐賀記念]])<ref>{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001219557/|title=ナムラカメタロー|work=JBISサーチ|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2021-06-01}}</ref>
**[[トーラスジェミニ]]([[七夕賞]])- 父[[キングズベスト]]<ref>{{Cite web|title=トーラスジェミニ|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001217458/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-07-11}}</ref>
**[[トーラスジェミニ]](牡、:[[キングズベスト]](2021年[[七夕賞]])<ref>{{Cite web|title=トーラスジェミニ|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001217458/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-07-11}}</ref>
**テツ(牡、父:[[ストロングリターン]](2019年*[[MRO金賞]])<ref>{{Cite web |title=テツ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001221079/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-10-28}}</ref>
*2017年産
*2017年産
**[[テーオーケインズ]]('''[[帝王賞]]'''、[[アンタレスステークス]]、'''[[チャンピオンズカップ (中央競馬)|チャンピオンズカップ]]'''、[[平安ステークス]]- 父[[シニスタミニスタ (競走馬)|シニスターミニスター]]<ref>{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001233775/|title=テーオーケインズ|work=JBISサーチ|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2021-06-01}}</ref>
**[[テーオーケインズ]](牡、父:[[シニスターミニスター (競走馬)|シニスターミニスター]](2021年[[アンタレスステークス]]、[[平安ステークス]]、'''[[帝王賞]]'''、'''[[チャンピオンズカップ (中央競馬)|チャンピオンズカップ]]''')<ref name="JBIS-テケインズ">{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001233775/|title=テーオーケインズ|work=JBISサーチ|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2021-06-01}}</ref>
**[[メイショウハリオ]]([[みやこステークス]]、[[マーチステークス]]、'''帝王賞''')- 父[[パイロ]]<ref>{{Cite web|title=メイショウハリオ|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001234732/|website=www.jbis.or.jp |accessdate=2022-05-21}}</ref>
**[[メイショウハリオ]](牡、父:[[パイロ]](2021年[[みやこステークス]]、2022年[[マーチステークス]]、'''帝王賞''')<ref name="JBIS-メイショウハリオ">{{Cite web|title=メイショウハリオ|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001234732/|website=www.jbis.or.jp |accessdate=2022-05-21}}</ref>
**[[ミスニューヨーク]]([[ターコイズステークス]])- 父[[キングズベスト]]<ref>{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001235530/|title=ミスニューヨーク|work=JBISサーチ|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2022-05-22}}</ref>
**[[ミスニューヨーク]](牝、父:キングズベスト(2021年[[ターコイズステークス]])<ref>{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001235530/|title=ミスニューヨーク|work=JBISサーチ|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2022-05-22}}</ref>
**ビックバレリーナ(牝、父:[[トゥザワールド]](2020年*[[東海ゴールドカップ]])<ref>{{Cite web |title=ビックバレリーナ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001237558/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-10-28}}</ref>
*2018年産
*2018年産
**[[リプレーザ]]([[兵庫チャンピオンシップ]])- 父[[リオンディーズ]]<ref>{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001264141/|title=リプレーザ|work=JBISサーチ|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2021-06-01}}</ref>
**[[リプレーザ]](牡、父:[[リオンディーズ]](2021年[[兵庫チャンピオンシップ]])<ref>{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001264141/|title=リプレーザ|work=JBISサーチ|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2021-06-01}}</ref>
**[[レイハリア]]([[葵ステークス]]、[[キーンランドカップ]])- 父[[ロードカナロア]]<ref>{{Cite web|title=レイハリア|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001270856/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-06-07}}</ref>
**[[レイハリア]](牝、父:[[ロードカナロア]](2021年[[葵ステークス]]、[[キーンランドカップ]])<ref>{{Cite web|title=レイハリア|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001270856/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-06-07}}</ref>
**[[テーオーロイヤル]]([[ダイヤモンドステークス]])- 父[[リオンディーズ]]<ref>{{Cite web|title=テーオーロイヤル|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001266566/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2022-02-19}}</ref>
**[[テーオーロイヤル]](牡、父:リオンディーズ(2018年[[ダイヤモンドステークス]])<ref>{{Cite web|title=テーオーロイヤル|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001266566/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2022-02-19}}</ref>
**[[ソウルラッシュ]]([[マイラーズカップ]])- 父[[ルーラーップ]]<ref>{{Cite web|title=ソウルラッシュ|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001270665/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2022-04-24}}</ref>
**[[ソウルラッシュ]](牡、父:[[ルーラーップ]](2022年[[マイラーズカップ]]<ref>{{Cite web|title=ソウルラッシュ|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001270665/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2022-04-24}}</ref>
**プリモステラ(牝、父:[[フリオーソ (2004年生)|フリオーソ]](2020年*[[カペラ賞]])<ref>{{Cite web |title=プリマステラ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001265783/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-10-28}}</ref>
*2019年産
**マルルットゥ(牝、父:[[アンライバルド]](2022年*[[あやめ賞]])<ref>{{Cite web |title=マルルットゥ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001306969/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-10-28}}</ref>
<gallery>
ファイル:テーオーケインズ.jpg|[[テーオーケインズ]]
ファイル:メイショウハリオ 2022帝王賞ゴールシーン.jpg|[[メイショウハリオ]]
</gallery>


== ドラマ出演 ==
== 特徴 ==

[[社台グループ]]創業者の[[吉田善哉]]を題材に、2004年に[[関西テレビ放送|関西テレビ]]で制作され全国放送された[[ドラマ]]『運命の出会い〜サラブレッドにかけた夢〜』に、父親であるサンデーサイレンス役で出演した。
=== 気性 ===
気性については、社台ファーム育成担当の猿倉修は、同牧場の千葉厩舎にいたときからスタッフが手をかけてきたことで、「人間が側にいたら安心するというのか、人に対しては非常に従順<ref name="優駿-2002-10-45" />」と回顧している。また厩務員の松本重春は「とてもプライドの高い馬<ref name="優駿-2002-10-46" />」、さらに小島良太は「性格をよくわかっていて、慣れている人間でなければ扱うのが大変。そんなタイプの馬<ref name="優駿-2002-10-47" />」と評している。また種牡馬時代のマンハッタンカフェは、[[競馬エイト]]記者の鈴木由希子によると、「他馬が荒々しく迫る中、(マンハッタンカフェは)繁殖牝馬に対してとても丁寧で長距離向きの優しい気性<ref name="SSの時代-88">『サンデーサンレンスの時代』88頁</ref>」が発現していたという。

小島は「ゆったりとした走りと一体になった切れ味<ref name="優駿-2002-10-43" />」がマンハッタンカフェの武器であると述べている。蛯名正義は「外見とは裏腹に実はとても繊細<ref name="優駿-2002-10-47">『優駿』2002年10月号 47頁</ref>」「乗る立場からすると、こちらの思い通りに動いてくれる、本当に乗りやすい馬なんです<ref name="優駿-2002-10-47" />」と評している。ただし周囲の人間の配慮が求められた<ref name="優駿-2002-10-47" />。しかしレースでは余計なことはせず「絶対と言っていいほど、リキんだりムキになったり<ref name="優駿-2002-10-47" />」しなかった。したがって道中は冷静であり「道中の"タメ"が利くから直線であれだけの切れ味、爆発力を発揮<ref name="優駿-2002-10-47" />」できたという。

=== 蹄の不安 ===
マンハッタンカフェの蹄は、皿のように薄くて平べったい蹄であった。それが4歳になった頃状態が悪化、小島やスタッフを悩まし続けた<ref>『名馬物語』141頁</ref>。次走の天皇賞(春)を前に小島は、マスコミとの接触を意識的に避ける行動をとっていた<ref name="100名馬-910" />。小島はこの時のマンハッタンカフェに関して、「蹄やトウ骨の状態が思わしくなく、回避するか否かをずっと悩んでいた。中途半端な状態で走らせるわけにはいかないから、それでマスコミとの接触を意識的に避けた。元々蹄が薄い馬で、実はかなり前の段階から蟻洞できて、装蹄師も苦労した。自分としては菊花賞、有馬記念を勝って満足だったが正当な評価をされなかった。その悔しさから、問題を抱えているのを承知で無理を強いたかもしれない。我慢して期待に応えてくれた<ref name="100名馬-910" />」 と語っている。


== 血統表 ==
== 血統表 ==
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|ref4 = <ref name="jbis_ped"/><ref name="netkeiba_ped"/>
}}
}}
*[[競走馬の血統#競走馬の血縁関係|半兄]] - [[エアスマップ]](父[[デインヒル]])
*近親には祖母Santa Lucianaを同じくする[[ビワハイジ]]([[阪神ジュベナイルフィリーズ|阪神3歳牝馬ステークス]])がいる。
*全妹のマンハッタンフィズの仔に[[クイーンカップ]]勝ちの[[アプリコットフィズ]]がいる。

== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
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=== 注釈 ===
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
<references group="注" />

=== 出典 ===
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
: {{Cite book|和書 |editor=芹沢邦雄 |others=発行人 宗近良一 編集長 岡田 毅 |year=2002-11-11 |title=週間100名馬 EX5 マンハッタンカフェ |series=Gallop臨時増刊 |volume=通巻105号 |publisher=[[産業経済新聞社]]}}
: {{Cite book|和書 |editor=青柳昌之 |others=発行人 浜村幸一 編集長 堀内 忠 |year=2004-11-5 |title=THE BEST SELECTION 名馬物語 |series=エンターブレイン・ムック |chapter=マンハッタンカフェ |publisher=㈱[[エンターブレイン]]}}


* 河村清明『三度怒った競馬の神様 サラブレッドに魅入られた男たちの物語』[[二見書房]]、2003年、[[ISBN]] [[%E7%89%B9%E5%88%A5:%E6%96%87%E7%8C%AE%E8%B3%87%E6%96%99/4576032267|4576032267]]
* 『週刊Gallop2002 JRA重賞年鑑』(産業経済新聞社〈Gallop臨時増刊〉)
** 2003年2月5日号
* 『週刊100名馬』( 産業経済新聞社〈Gallop臨時増刊〉)
** 「 EX5 マンハッタンカフェ」通巻105号、2002年11月11日。
* 『THE BEST SELECTION 名馬物語』(エンターブレイン〈エンターブレイン・ムック〉)
** 江面弘也「マンハッタンカフェ」
*『[[競馬最強の法則]]』([[KKベストセラーズ]])
**2010年4月号
* 『[[優駿]]』(日本中央競馬会)
** 2001年11月号
*** 「【Play-back the Grade-Races 2001】第55回セントライト記念(GII)シンコウカリド」
*** 「【重賞データファイル】第55回ラジオ日本賞セントライト記念(GII)(菊花賞トライアル)シンコウカリド」
**2001年12月号
***優駿編集部「【第62回菊花賞】クラシックの大舞台で素質開花 マンハッタンカフェ」
***優駿編集部「【優駿インタビュー】蛯名正義騎手 挑戦し続けること」
***山本尊「【トレセン通信】秋のGIで感じたこと、あれこれ」
***「【重賞データファイル】第62回菊花賞(GI)マンハッタンカフェ」
***「【今月の記録室】夏の上がり馬 菊で大輪咲く」
** 2002年1月号
*** 石田敏徳「【第46回有馬記念直前リポート】マンハッタンカフェ 春とは別馬になった菊花賞馬は、大一番で真の実力を証明する。」
** 2002年2月号
*** 優駿編集部「【第46回有馬記念】強い強い3歳馬 マンハッタンカフェ」
*** 石田敏徳「【テイエムオペラオー&メイショウドトウ】最終章 過酷な勝負の世界に生きて」
*** 優駿編集部「【杉本清の競馬談義】マンハッタンカフェのオーナー 西川清さん」
*** 「【2001年度JRA賞決定!】年度代表馬はジャングルポケット」
*** [[井崎脩五郎]]「【やぶにらみエッセイ】昨年の有馬記念とテロ事件」
*** 「【重賞データファイル】敬宮愛子内親王殿下御誕生慶祝第46回有馬記念(グランプリ)(GI)マンハッタンカフェ」
*** 「【今月の記録室】有馬記念は大波乱の結末」
**2002年4月号
***石田敏徳「【優駿ヘッドライン】古馬、覇権の行方は?――ジャングルポケット、マンハッタンカフェの近況レポート」
** 2002年5月号
*** 石田敏徳「第125回天皇賞(春)(GI)直前リポート」
*** 「【Play-back the Grade-Races 2002】第50回日経賞(GII)アクティブバイオ」
*** 「【重賞データファイル】第50回日経賞(GII)アクティブバイオ」
**2002年6月号
***優駿編集部「【第125回天皇賞(春)】現役最強の実力を証明 マンハッタンカフェ」
***優駿編集部「【杉本清の競馬談義(206)】小島太調教師」
***「【重賞データファイル】第125回天皇賞(春)(GI)マンハッタンカフェ」
***「【今月の記録室】マンハッタンカフェ ルドルフ以来の偉業達成」
** 2002年9月号
*** 石田敏徳「【充電完了! いざ闘いの舞台へ】マンハッタンカフェ」
**2002年10月号
***「【優駿ヘッドライン】大種牡馬サンデーサイレンスが死亡――衰弱性心不全のため、16歳の若さで」
***後藤正俊「【サンデーサイレンス関係者インタビュー】吉田照哉氏 二度と巡り合えない『至宝』と彼亡きあとの展望を語る」
***石田敏徳、村本浩平「【トップホースたちの秋】マンハッタンカフェの知られざる実像に迫る!」
***石田敏徳「【トレセン通信】海外へ遠征する馬の検疫事情」
**2002年11月号
***「【優駿ヘッドライン】マンハッタンカフェ、故障で引退へ」
***高橋直子「【特別レポート】第81回凱旋門賞(GI)」
***石川ワタル「【海外ニュース】第81回凱旋門賞 着実に力を付けた マリエンバードがGI3連勝」
** 2003年2月号
*** 「【2002年度JRA賞決定】年度代表馬はシンボリクリスエス」
*** 「【今月のトピックス】GI3勝の勲章を胸に マンハッタンカフェが引退式を挙行」
** 2010年3月号
*** 河村清明「【サラブレッド・ヒーロー列伝】マンハッタンカフェ 漆黒の覇王」
== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* {{競走馬成績|netkeiba=1998101554|yahoo=1998101554|jbis=0000324971|racingpost=554128/manhattan-cafe}}
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2022年10月31日 (月) 08:01時点における版

マンハッタンカフェ
2002年4月28日、京都競馬場
品種 サラブレッド[1]
性別 [1][2]
毛色 青鹿毛[1][2]
生誕 1998年3月5日[1][2]
死没 2015年8月13日(17歳没)[3]
サンデーサイレンス[1][2]
サトルチェンジ[1][2]
母の父 Law Society[1][2]
生国 日本の旗 日本北海道千歳市[1][2]
生産者 社台ファーム[4]
0(水越治三郎厩舎[5]
生産牧場 社台ファーム[1][2]
育成 社台ファーム
0(千葉英昭厩舎[5]
0(→三浦長厩舎[5]
0(→東礼治郎厩舎[5]
0(→猿倉修厩舎[5]
馬主 西川清[1][2]
調教師 小島太美浦[1]
調教助手 小島良太[6]
蛯沢誠治[7]
松本重春(調教厩務員)[6]
厩務員 松本重春[7]
競走成績
タイトル JRA賞最優秀4歳以上牡馬(2002年)[2]
生涯成績 12戦6勝[2]
日本)11戦6勝[1]
フランス01戦0勝[2][1]
獲得賞金 5億2283万4000円[2]
IC 118E(2002年)[8]
勝ち鞍
GI 菊花賞 2001年
GI 有馬記念 2001年
GI 天皇賞(春) 2002年
繁殖成績
タイトル 日本リーディングサイアー(2009年)[2]
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マンハッタンカフェ(欧字名:Manhattan Cafe1998年3月5日 - 2015年8月13日)は、日本競走馬種牡馬[1]

2002年のJRA賞最優秀4歳以上牡馬である。2001年菊花賞有馬記念2002年天皇賞(春)を優勝した。

概要

1998年3月5日、日本北海道千歳市社台ファームで生産された父サンデーサイレンスの牡馬である。セレクトセールにて上場され、1億3650万円の値がついていた。西川清の所有となり、美浦トレーニングセンター小島太厩舎の管理のもとデビューした。

2戦目で勝ち上がり、続く弥生賞(GII)は4着、自己条件に戻って500万円以下のアザレア賞に臨んだが、輸送が堪えて11着敗退。春のクラシック参戦は叶わなかった。休養を挟んで夏の北海道で出世し、3勝馬として迎えた菊花賞(GI)にて東京優駿優勝馬ジャングルポケットなどを下して優勝し、クラシック戴冠を果たした。それから暮れの有馬記念(GI)にて古馬に挑み、「二強」を築いたテイエムオペラオーメイショウドトウなど旧世代を下して、1998年グラスワンダー以来13頭目となる3歳馬による有馬記念優勝を成し遂げた。

古馬となり、ジャングルポケットやナリタトップロードと対した天皇賞(春)(GI)も優勝し、GI3戦3連勝を達成。シンボリルドルフ以来となる、3歳秋から4歳春にかけて菊花賞、有馬記念、天皇賞(春)すべて制覇する所業を成し遂げた。その後は、フランスの凱旋門賞(G1)に遠征したが、競走中に故障し13着敗退。屈腱炎で引退となる。通算成績12戦6勝、GI3勝。

競走馬引退後は、種牡馬となり、2009年には日本のリーディングサイアーとなった。また重賞優勝産駒を多数輩出し、なかでもジョーカプチーノレッドディザイアヒルノダムールグレープブランデークイーンズリングがGI優勝を果たした。産駒の牝馬も多数、繁殖に回り、ブルードメアサイアーとしての重賞優勝産駒も多数輩出。なかでもメイショウハリオテーオーケインズがGI優勝を果たした。

デビューまで

誕生までの経緯

サトルチェンジは、父ローソサイエティのアイルランド産牝馬である。アイルランドとイギリスで競走馬として走り、アイルランドの準重賞優勝を含む19戦4勝[9]。引退後は、繁殖牝馬となり、初年度から3年間でポリッシュパトリオット英語版の初仔、ビーマイゲストの2番仔、デインヒルの3番仔を産んでいた[9]。4年目、グランドロッジと交配した後、日本の競走馬生産者である社台ファームに購入される。1996年、グランドロッジとの仔をはらんだ状態で、日本に輸入された[9]

同年、グランドロッジの4番仔が産んだ後、日本で初めてとなる交配が実施される。初めての相手は、社台ファームが日本にもたらし、大繁栄を遂げた最高級種牡馬サンデーサイレンスだった[10]。しかし流産、仔を得ることができなかった[10][9]

日本2年目となる1997年、再びサンデーサイレンスとの交配を挑み、受胎、流産はしなかった[9]。翌1998年3月5日、北海道千歳市の社台ファームにて、サトルチェンジの5番仔となる牡馬(後のマンハッタンカフェ)が誕生する[11]。5番仔は、父サンデーサイレンスと同じ青鹿毛だった[5]

兄姉では、3番仔と4番仔が日本で競走馬となっている。3番仔は、ラッキーフィールドが所有してエアスマップという名でデビューし、4番仔は、関口房朗が所有しフサイチエキサイトという名でデビューしていた[12]。このうちエアスマップは、2000年までに準オープンクラスまで出世していた。後になって2001年のオールカマー(GII)を勝利するなど重賞戦線で活躍するようになる[13]

幼駒時代

5番仔は、誕生直後から牧場内で良さげな馬という認識があった[5]。牧場育成担当の猿倉修によれば、直後は欠点が見当たらなかったという[5]。おまけに母仔共々素直であり、牧場内千葉英昭厩舎が担った離乳では、気性の難しい母仔から引き離していたが、サトルチェンジ母仔の引き離しは、最後だった[5]

当歳の5番仔は、1998年のセレクトセールに上場、1億3650万円で売却された[14]。落札したのは、兄フサイチエキサイトも所有していた関口房朗だった[14]。しかしデビューを前に、駐車場経営者の馬主西川清の所有に変更となる。西川は、その5番仔を美浦トレーニングセンター小島太調教師に託していた。西川と小島の縁は、騎手時代の小島が1995年天皇賞(秋)サクラチトセオーで制した直後、六本木の寿司屋で偶然席が隣同士になったことがきっかけだった[15]

馬主でなかった西川は、馬を所有した暁には、調教師に転身する小島に託すという約束を取り付けており、数年後、西川の初めての所有馬、思い出の場所から名付けた「カリブカフェ」で結実していた[15]。以後、西川は主力厩舎は小島とし、娘の名前から拝借した2頭目「サウザンドハッピー」を挟んで、カリブカフェから拝借して冠名「カフェ」を定めるようになった[16]。しばらく小島から「カフェ」が馬名の末尾にあった方が出世しやすいと指摘され、小島に託す馬だけ「(ナントカ)カフェ」とするようにしていた[16]。この5番仔は、その規則に従い「マンハッタンカフェ」と命名される[16]

千葉厩舎を退いたマンハッタンカフェは、続いて三浦長厩舎で初期育成を、東礼治郎厩舎で馴致をこなし、1歳9月に猿倉厩舎で育成段階に入っていた[5]。人を背に受け入れたマンハッタンカフェは、素直で癖がなく、どのスタッフでも乗りこなせるほどだった[5]。2歳になってからは、猿倉が自ら、マンハッタンカフェの育成を担っている[5]。後に猿倉は「乗り始めてから"もしや"という大物感を感じ始めましたね。それまで携わってきた、のちのGI馬達と比べても遜色無い能力は持っている[5]」と感じ取ったと回顧している。この能力から次第に牧場では、東京優駿(日本ダービー)優勝の有力馬になるのではという期待がちらつくようになり「ダービーを、本気でダービーを勝つつもりで送り出した馬[17]」(石田敏徳)になっていた。

小島は、マンハッタンカフェの鞍上に、蛯名正義を起用する。蛯名は初めて調教にまたがった時から、高い素質を感じており「とてもおとなしくて、サンデー(サイレンス)の仔にしては珍しいタイプ(中略)気性も含めて、長いところが向いている[18]」と感じ取っていた。

競走馬時代

3歳(2001年)

クラシックまでの道程

1月29日、東京競馬場新馬戦(芝2000メートル)、2.0番の2番人気に推されたが、スタートで出遅れた。さらにはハミを取れず、正しく走れなかった[19]。トレジャーに後れを取る3着だった[19]。そして2月11日、2戦目の新馬戦(芝1800メートル)に1番人気で出走。好位から抜け出して先頭で決勝線を通過。初勝利を挙げた[19]

続いて3月4日、クラシック初戦・皐月賞トライアル競走である弥生賞(GII)に参戦する。相手には、アグネスタキオンがいた[19]。アグネスタキオンは、12月上旬の新馬戦を3馬身半差で優勝した後、暮れのラジオたんぱ杯3歳ステークスにて、ジャングルポケットクロフネらを下して優勝し有力馬となった。クラシックに向けた初戦が、この弥生賞だった[19]。8頭立て、1倍台のアグネスタキオンに対して、マンハッタンカフェは、21倍の5番人気、前走よりもマイナス20キログラムで出走していた。4番手を追走し、直線で抜け出しを図ったが、アグネスタキオンに千切られた。ボーンキングミスキャストにも及ばず4着、皐月賞の優先出走権が得られる3着とは、クビ差の4着だった[20]

この敗戦で皐月賞参戦はなくなり4月7日、阪神競馬場のアザレア賞(500万円以下)に参戦したが、弥生賞からマイナス16、デビュー戦から42キログラムまで減らしていた。2番人気だったが、11着敗退[20]。馬体重の減少は、輸送の耐性がなく、この後は続戦できなかった[21]。クラシック第2戦の東京優駿(日本ダービー)参戦を諦めて、長期休養となった[21]。この時の連敗について後に、小島はこのように回顧している。

輸送に弱かったこともあるけれど、やっぱりまだ、内臓面が本物じゃなかったんだろうね。オーバーワークにならないよう、セーブしてセーブして調整を積んでいたのに、あれだじぇ体重が減るなんて、そうとしか考えられない — 小島太[22]

目標をクラシック最終戦の菊花賞に切り替えて札幌競馬場の2600メートル戦に臨む。4か月空けた8月4日、富良野特別(500万円以下)に、馬体重を取り戻し、プラス46キログラムで参戦[20]。スタートで出遅れたが、追い上げて後方に2馬身差をつけて優勝。2勝目を挙げた[20]。それから8月26日、同条件の阿寒湖特別(1000万円以下)では、直線で進路を塞がれるも抜け出し、優勝。2連勝で、3勝馬に成り上がった[18][20]

北海道で出世して、本州に舞い戻り9月16日、トライアル競走であるセントライト記念(GII)に臨む。蛯名に先約があるため、二本柳壮が代打した[18]。再び体重を減らしてマイナス10キログラムであり、トレジャー、ロードフォレスターに次ぐ3番人気だった[23]。道中、好位を追走したが、直線で伸びなかった[23]シンコウカリド、トレジャー、ロードフォレスターに後れを取る4着、再び優先出走権を獲得することができなかった[24]

菊花賞

優先出走権は得られなかったが、頭数は15頭に留まり、10月21日に京都競馬場で行われる菊花賞出走を叶えた。京都、関西で行われるため、輸送をする必要があった。マンハッタンカフェは、4月のアザレア賞、阪神競馬場にレース直前で輸送した結果、馬体重を大きく減らして敗れていた[25]。この反省を生かして陣営は、関西馬の拠点である栗東トレーニングセンターの滞在を敢行する[25]。余裕を持って早めに東西輸送を済ましていた。9月30日に栗東に入厩[26]。当日を微増のプラス4キログラムで迎えている[27]

10月21日、菊花賞(GI)に臨む。15頭立てとなる中、単勝17.1倍の6番人気に推される[28]。ここまでのクラシックは、皐月賞はアグネスタキオンが、東京優駿はジャングルポケットが優勝しており、どちらも2着はダンツフレームだった。アグネスタキオンは、東京優駿を前に引退[26]。1番人気はジャングルポケット、2番人気はダンツフレーム、3番人気は駒草賞、巴賞、札幌記念神戸新聞杯というオープン、重賞競走4連勝中のエアエミネムであり、この3頭が抜けた人気だった[29]

2枠2番からスタート、馬群の内側を確保[27]。11番人気マイネルデスポットが単独で逃げ、スローペースを演出していた[26]。近い位置にいたジャングルポケット、先行するエアエミネムは走る気が勝り、早くも消耗する一方、マンハッタンカフェは折り合いをつけて追走することができた[26]。先行有利のスローペースだったため、逃げるマイネルデスポットの余力は、十分にあった。よって逃げ馬を誰も捉えることができていなかった[30]

映像外部リンク
2001年 菊花賞(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

馬群の内側で脚を溜めたマンハッタンカフェは、最終コーナーから促されて、直線で末脚を発揮し、先頭を目指した[30]。まず馬群にいて、伸びあぐねるエアエミネムやジャングルポケットを置き去りにする[26]。それから内で粘るマイネルデスポットに迫り、ゴール手前で並び立っていた。マイネルデスポットを半馬身差し切ったところで決勝線を通過する[27]

春のクラシック不出走馬の菊花賞優勝
優勝馬[注釈 1][31]
1948 ニユーフオード
1955 メイヂヒカリ
1967 ニットエイト
1969 アカネテンリュウ
1975 コクサイプリンス
1976 グリーングラス
1986 メジロデュレン
1988 スーパークリーク
1989 バンブービギン
1990 メジロマックイーン
1995 マヤノトップガン
2001 マンハッタンカフェ

クラシック戴冠、1995年マヤノトップガン以来となるクラシック初出走馬の菊花賞優勝、6年ぶりの夏の上がり馬が誕生した[31][27]。また1998年セイウンスカイ以来となる美浦所属関東馬の菊花賞優勝だった[27]。蛯名、西川、小島は菊花賞初優勝[29]。社台ファームは、ダンスインザダークエアシャカールに次いで3頭目となる生産馬の優勝だった[29]

有馬記念

菊花賞優勝後は、宮城県山元町山元トレーニングセンターの短期放牧を挟んだ[32]。ジャパンカップは、小島によれば「菊花賞の頃から、馬が本当にグングンよくなってきているんだ。伸び盛りの成長の芽を摘みたくなかった。それが唯一最大の理由[32]」として見送り、暮れの有馬記念(GI)に参戦する[32]。菊花賞が超スローペース決着だったことから、フロックと認識される向きがあった[32]。なお回避したジャパンカップでは、菊花賞で下したジャングルポケットが、古馬のテイエムオペラオーナリタトップロードステイゴールドメイショウドトウなどを下して優勝していた。

12月23日の有馬記念(GI)は、13頭立てだった[33]。人気を集めたのは、このレースでもって引退するライバルの6歳2頭、テイエムオペラオーとメイショウドトウだった[33]。テイエムオペラオーはこの年の天皇賞(春)優勝馬、メイショウドトウは、同宝塚記念優勝馬であり、前年夏から秋にかけてのGI戦線では、ワンツーを4戦連続張った2頭だった。テイエムオペラオー1.8倍、メイショウドトウ5.5倍、対してマンハッタンカフェは7.1倍の3番人気だった[33]。以下7.5倍でナリタトップロード、15倍でトウカイオーザ、17倍でトゥザヴィクトリーなどと続いていた[33]

映像外部リンク
2001年 有馬記念(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画
2001年 有馬記念(GI)
レース映像 関西テレビ競馬公式YouTubeチャンネルによる動画

4枠4番からスタート、中団外側のメイショウドトウ、中団後方のテイエムオペラオーの後方、最後方集団で待機した[34][35]。トゥザヴィクトリーの先導するスローペースを追走、すなわち後方待機は、不利な立場だった[35]。2周目の第3コーナーから後方勢は外から進出を開始する[35]。逃げるトゥザヴィクトリーを目指して、まず先駆けてメイショウドトウが行き、それをテイエムオペラオーが追い、さらにマンハッタンカフェが追う直列状態だった[34][35]

前を行くメイショウドトウと、テイエムオペラオーの進出は、先頭トゥザヴィクトリー、2番手で先行するアメリカンボスをまくるほどの勢いではなかった[35]。そんな中、マンハッタンカフェは2頭の外に持ち出し、直線で末脚を発揮する[35]。2頭を差し切ったうえに置き去りにし、先行するトゥザヴィクトリーに唯一取り付き、まもなく差し切りを果たした。後方に1馬身4分の1差をつけて決勝線通過[9]。テイエムオペラオーには、シンボリルドルフ越えとなるGI8勝の新記録樹立を阻止、そのうえ自己最低着順4着を食らわせた[36]

GI連勝で、有馬記念戴冠となる。1998年グラスワンダー以来史上13頭目となる3歳馬による有馬記念優勝となった[9]。1972年イシノヒカル、1984年シンボリルドルフ、1994年ナリタブライアン、1995年マヤノトップガンに続いて史上5頭目となる、同一年の菊花賞と有馬記念優勝を成し遂げた[35]。また蛯名、西川、小島は有馬記念初優勝だった[36]。サンデーサイレンス産駒としても初優勝、これを以て産駒の旧八大競走全制覇を成し遂げている[37]。社台ファームは1986年ダイナガリバー以来の2勝目だった[36]

また2着は、先行して、先頭トゥザヴィクトリーを終いでかわし、テイエムオペラオーとメイショウドトウの追い上げに先着した最低13番人気1枠1番のアメリカンボスだった[9]。アメリカンボスが絡んだことで、高配当が生まれ、枠番連勝1-4は2万円超、馬番連勝は4万8千円超となり、共に有馬記念歴代最高配当となっている[9][37]。その年の世相が反映されると知られている有馬記念、この年9月11日は、マンハッタンワールドトレードセンターほか、アメリカ各地でテロが発生するアメリカ同時多発テロ事件が起こっていた[38]。この年の競馬では10月の秋華賞イエムオーシャン - ーズバド」はあったが、それに続く「マンハッタンカフェ-アメリカンボス」であり、テロの被害を受けた国、地域までが明確に反映される結果となった[39][38]

この年のJRA賞では、年度代表馬部門で全283票中30票、最優秀3歳部門で43票を集めたが、いずれもジャングルポケットが選出され、受賞には至らなかった[注釈 2][注釈 3][40]

4歳(2002年)

日経賞

この年は、まず天皇賞(春)を目指した。始動戦は、阪神大賞典の予定もあったが「有馬記念と同じ距離ですし、関東のお客さんに見てもらえる[41]」(小島)として3月23日、中山競馬場の日経賞(GII)での始動となる[41]。しかしこの頃は、蹄の不安に悩まされる[42]。さらに2月13日の帰厩直後は、再三の食欲不振にも見舞われた[43]。それでも調整を続けて当日、小島は、万全に仕上がっていたと考えていた[44]。小島は蛯名に「GIのつもりでビッシリ乗ってこい[44]」と指示する。当日は、良馬場だったが、小雨が降ったことで[45]、芝の表面だけが水に濡れ、末脚を発揮しずらい「上滑りする馬場[41]」となる。8頭立て、ロードフォレスター、タップダンスシチーなどと対して単勝オッズ1.2倍の1番人気だった[46]

トーホウシデンが逃げるスローペースを、後方3番手で追走。第3コーナーから大外に持ち出して進出を試みた[46]。しかし促されても促されても前方との距離を縮められなかった[46]。直線に入っても盛り返すことができず、後方のまま決勝線を通過。アクティブバイオ、タップダンスシチー、コイントスの先頭争いに約3馬身以上後れを取る6着に敗退した[45]。蛯名は、最終コーナーにて、後ろ脚の違和感を感じて、後ろに振り向く仕草をしている[44]。蛯名曰く「誰かに乗りかけられたのかと思った[44]」ほどの感触だったが、故障は見られなかった[44]

天皇賞(春)

続く天皇賞(春)は、関西の京都競馬場で行われるため、東西輸送が必要だった。そこで陣営は、前年の菊花賞と同じように、早めの移動と、栗東滞在からの京都輸送する作戦を実行する[47]。4月4日に、栗東に入厩し、3週間の滞在を経ての参戦となった[47]。4月28日、天皇賞(春)(GI)に臨む。11頭立てとなる中、マンハッタンカフェと、JRA賞を譲った同期のジャングルポケット、前々々年の菊花賞を優勝した6歳のナリタトップロードの3頭が人気の中心だった。ジャングルポケットとナリタトップロードの前哨戦は、共に阪神大賞典であり、ワンツーフィニッシュ。ナリタトップロードがジャングルポケットに2馬身差をつけて勝利していた。人気は、始動戦の京都記念から2連勝中のナリタトップロードが2.7倍、マンハッタンカフェが2.9倍、ジャングルポケットが3.5倍となる[48]。以下、サンライズペガサス、エリモブライアンと続いていた[49]。開催3日前に雨が降ったものの馬場が回復。当日は、良馬場での開催だった[47]

4枠4番から好スタートを切ったが、控えて中団を確保する[50]。近くにナリタトップロードとジャングルポケットがおり、人気3頭が中団にひとかたまりとなり、エリモブライアンが逃げるスローペースを追走した[50]。2周目の第3コーナーから各々先頭エリモブライアンに接近し、人気3頭も進出を開始する。内からマンハッタンカフェ、ジャングルポケット、ナリタトップロードまで横並びだった。最終コーナーでは、逃げるエリモブライアンに、外からボーンキングとキングザファクトが並んで先頭を争っており、その背後2列目に人気3頭が揃って迫っていた。2列目では、まず外のナリタトップロードが進出し、先頭の外側を担うキングザファクトに外から接近していた[50]

映像外部リンク
2002年 天皇賞(春)(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

ところがキングザファクトが、コーナーを外側に膨れながら回り、ナリタトップロードもやや外側に張り出されながら直線に向く[51]。後れを取るジャングルポケットも、張り出されたナリタトップロードの外から追い上げる形となった[50]。一方マンハッタンカフェは、キングザファクトが膨れたことで内側に生まれた空間に入り込み、スムーズにコーナーを回っていた[50]

直線では人気3頭が優勢となる。すなわち末脚比べとなったが、マンハッタンカフェは、コーナーワークで抜け出した[51]。外から後れて2頭が追い込み、特にジャングルポケットに接近を許したが、先頭を守った[50]。ジャングルポケットにクビ差、ナリタトップロードに半馬身以上差をつけて決勝戦を通過した[52]

GI3戦3連勝で天皇賞を戴冠する[52]。1997年マヤノトップガン以来5年ぶりとなる菊花賞優勝馬の天皇賞(春)優勝、1994年ビワハヤヒデ以来8年ぶりとなる前年菊花賞優勝馬の天皇賞(春)優勝を果たした[53]。さらに前年秋の菊花賞優勝から、暮れの有馬記念優勝、さらに翌春の天皇賞(春)優勝を果たしたのは、1984年秋から85年春にかけて成し遂げたシンボリルドルフ以来だった[53]。西川は天皇賞初優勝[54]。蛯名は、1996年秋バブルガムフェロー以来の天皇賞2勝目[54]。小島は調教師として初勝利[54]。1986年秋サクラユタカオー、1995年秋サクラチトセオーを騎手として優勝しており、騎手と調教師両方の立場で天皇賞優勝を成し遂げている[54]

夏休み

日経賞の不調を取り戻して優勝した天皇賞(春)だったが、実際のところは、出走する直前まで不調だった[55]。蹄の不安もあり「ギリギリまで出否を迷ったほど[55]」(小島)のなか、万全とは言えないような状態で強行し、優勝を果たしていた[55]。そのため続く宝塚記念は、回避。早くも春夏シーズンを終えて、北海道の社台ファームで放牧に出されていた[55]。陣営は当初、秋の目標を、天皇賞(秋)やジャパンカップ、すなわち国内専念と考えていた[56][57]

杉本清:それで、巷には海外という声もありますが。
小島太:来年になれば遠征に耐えられると思うんですが、今のところは……。この前も、栗東に輸送しただけで何日かだめなんです。利口な馬だから、トレセン(トレーニングセンター)の検疫所に一日入っただけでも、もう飼い葉を食べないんです。 — 『杉本清の競馬談義(206)』[57]

しかし春から夏にかけて虚弱体質を克服するようになる[17]。まず、天皇賞(春)から美浦を経由して、放牧地の北海道に輸送されても、体重が減らなかった[17]。それから、放牧中のトレーニングで「さらにドシっとした[55]」(小島)、「ずいぶんパワーアップ(中略)今年は芯がしっかりした感じ[17]」(猿倉)になるまで成長する。そこで陣営は、これまで避けてきた長距離の遠征への挑戦を決意する[17]。当初の国内専念宣言を翻して、外国遠征へ、フランスの凱旋門賞参戦が8月8日に発表された[58]

凱旋門賞参戦は、共同オーナーとなった社台ファームの吉田照哉の希望によるものだったという[59]。マンハッタンカフェが夏休みを過ごす8月、社台は種牡馬サンデーサイレンスを喪っていた[注釈 4]。社台が、日本で大繁栄を遂げたサンデーサイレンスと次に目指すのは、外国であり、外国の大レースに遠征して活躍し、名を売る必要があった[61]。吉田は「(マンハッタンカフェは)私は凱旋門賞でも勝ち負けになると思っている(中略)マンハッタンカフェが凱旋門賞を勝ったら、欧州では大変な騒ぎになるでしょうし、それがサンデーサイレンスに対しての最大の恩返しになる[61]」と考えていた。

また小島は、騎手時代に騎乗したかったレースの一つだった[62]。調教師としても1997年、天皇賞(春)と有馬記念を制したサクラローレルで遠征していたが、前哨戦のフォワ賞で故障し、競走能力喪失。目前で引退して叶わなかった[62]。それから蛯名は、1999年にエルコンドルパサーで参戦しており、モンジューに半馬身届かず2着敗退、それ以来の参戦だった[62]

当初、オーナーの西川は、遠征に反対する立場だった[59]。しかし吉田と小島が乗り気だったため「2対1じゃあ仕方ない」と折れて遠征が実現することとなった[59]

凱旋門賞

イーグルカフェ

遠征には、同じ西川所有と小島厩舎所属のイーグルカフェ帯同馬を担った[58]。厩舎の先輩イーグルカフェは、1999年にデビューし、外国産であるため2000年のクラシック参戦は叶わなかったが、NHKマイルカップを優勝していた。その後2年間、ドバイ遠征などしたが勝利できなかった。それでも2002年7月7日の七夕賞(GIII)を優勝、復活の勝利を挙げた直後の帯同だった。社台ファームでの調整されたマンハッタンカフェは、8月28日に美浦に帰厩する[63]。午後から輸出検疫所にイーグルカフェとともに入った[63]。9月4日、成田国際空港から出国し、アンカレッジ経由でフランスに向かった[58]

フランスでは、シャンティイ調教場リチャード・ギブソン厩舎に滞在している[58]。成長したマンハッタンカフェは、輸送にも耐えて、順調に調整され、万全に仕上げられた[64][2]。10月6日、ロンシャン競馬場の凱旋門賞(G1)に臨む。愛伊英独日仏の16頭立てだった[65]。人気を集めたのは、アイルランドダービー優勝馬のハイシャパラルと、フランスダービー優勝馬のスラマニだった[66]。それから前年2着のアクアレリストヨークシャーオークス優勝馬のイズリントン英語版と続き、単勝オッズ9.3倍の5番人気が、マンハッタンカフェだった[66][注釈 5]

映像外部リンク
2002年 凱旋門賞(G1)
レース映像 Equidia公式YouTubeチャンネルによる動画

好スタートから馬群の外側4番手を追走[67]。しかし鈍く、直線に入る前にステッキが入り、以後伸びず後退する[65]。終いは促されることもなかった。先頭で決勝線を通過したマリエンバードに大きく後れを取って通過、13着に敗退した[68][65]。失速の原因は故障であり、レース後に、左前脚に屈腱炎の兆候が判明。検査を前に即引退となった[68][65]

暮れ、12月22日の有馬記念当日の中山競馬場にて、引退式が行われる[69]。前年の有馬記念のゼッケン「4」を着用し、青帽子と勝負服を纏った蛯名を馬上に迎えた姿が、披露された[69]。蛯名を背中にこそ乗せたが、怪我のために自らの脚で走ることはできず、人に曳かれるだけだった[69]。この年のJRA賞では、全281票中146票を集めて、最優秀4歳以上牡馬を受賞している[70]

種牡馬時代

引退後は、山元トレーニングセンターを経由して、北海道安平町社台スタリオンステーションに移動[69]。社台スタリオンステーションで、翌2003年から種牡馬として供用された。初年度から200頭を超える繁殖牝馬を集め続け、2007年と2008年は150頭前後に落ち着いたが、2009年から再び200頭超えに回復した[71]。2013年に200頭を割り込んだが164頭、翌2014年は113頭だった[71]。2015年になると体調不良、免疫低下に見舞われながら種付けを続け、126頭と交配し、繁殖シーズンを全う[71][72]。しかしシーズン終了後に衰弱が進み、2015年8月13日、社台スタリオンステーションでの放牧中に17歳で死亡した[72]。死後の解剖により、死因は、腹腔内の腫瘍と判明した[72]

産駒は、2006年から日本競馬で走っている[71]。複数の世代が揃った2009年には、日本のリーディングサイアーとなった[73]。初年度から重賞優勝産駒を多数輩出した。さらに3年目産駒のジョーカプチーノ(母父:フサイチコンコルド)は、2009年のNHKマイルカップを優勝[74]レッドディザイア(母父:カーリアン)は、2009年の秋華賞を優勝した[75]。それから5年目産駒のグレープブランデー(母父:ジャッジアンジェルーチ)は、2011年のジャパンダートダービー、2013年のフェブラリーステークスを優勝[76]。9年目産駒のクイーンズリング(母父:アナバー)は、2016年をエリザベス女王杯を優勝している[77]。また4年目産駒のヒルノダムール(母父:ラムタラ)は、2011年の天皇賞(春)を優勝し、史上2組目となる天皇賞(春)父仔制覇を果たし、父と同じく凱旋門賞にも参戦した[78][79]

産駒は多数繁殖牝馬となっており、ブルードメアサイアーとしての産駒が、2011年から日本競馬で走っている[80]。重賞優勝産駒も多数おり、テーオーケインズ(父:シニスターミニスター)は、2021年の帝王賞チャンピオンズカップを優勝[81]メイショウハリオ(父:パイロ)は、2022年の帝王賞を優勝している[82]

競走成績

以下の内容は、netkeiba.com[83]並びにJBISサーチ[84]、『優駿[2]の情報に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離

(馬場)

オッズ

(人気)

着順 タイム

(上り3F)

着差 騎手 斤量

[kg]

1着馬

(2着馬)

馬体重

[kg]

2001. 01. 29 東京 3歳新馬 芝2000m(重) 15 5 9 04.0(2人) 03着 2:06.5 (34.9) -0.2 蛯名正義 55 トレジャー 498
02. 11 東京 3歳新馬 芝1800m(良) 16 3 5 01.7(1人) 01着 1:49.8 (35.5) -0.3 蛯名正義 55 (イサオヒート) 492
03. 04 中山 弥生賞 GII 芝2000m(不) 8 7 7 21.4(5人) 04着 2:06.8 (38.4) -1.1 蛯名正義 55 アグネスタキオン 472
04. 07 阪神 アザレア賞 5下 芝2000m(良) 16 5 10 04.0(2人) 11着 2:03.7 (35.9) -1.2 河内洋 55 シノグラフィー 456
08. 04 札幌 富良野特別 5下 芝2600m(良) 12 5 6 02.0(1人) 01着 2:43.5 (35.6) -0.3 蛯名正義 54 (シュプリゲン) 502
08. 26 札幌 阿寒湖特別 10下 芝2600m(良) 12 3 3 01.8(1人) 01着 2:43.1 (35.8) -0.1 蛯名正義 54 (トーセンサンダー) 500
09. 16 中山 セントライト記念 GII 芝2200m(稍) 16 7 14 05.3(3人) 04着 2:13.8 (36.3) -0.7 二本柳壮 56 シンコウカリド 490
10. 21 京都 菊花賞 GI 芝3000m(良) 15 2 2 17.1(6人) 01着 3:07.2 (34.0) -0.1 蛯名正義 57 (マイネルデスポット) 494
12. 23 中山 有馬記念 GI 芝2500m(良) 13 4 4 07.1(3人) 01着 2:33.1 (33.9) -0.2 蛯名正義 55 アメリカンボス 504
2002. 03. 23 中山 日経賞 GII 芝2500m(良) 8 8 8 01.2(1人) 06着 2:37.5 (34.9) -0.5 蛯名正義 58 アクティブバイオ 510
04. 28 京都 天皇賞(春) GI 芝3200m(良) 11 4 4 02.9(2人) 01着 3:19.5 (34.1) -0.0 蛯名正義 58 ジャングルポケット 504
10. 06 ロンシャン 凱旋門賞 G1 芝2400m(良) 16 12 8 13着 2:29.7 -3.0 蛯名正義 59.5 Marienbard 計不

種牡馬成績

年度別成績

以下の内容は、JBISサーチの情報に基づく[71]

種付年度 種付頭数 生産頭数 血統登録頭数 出走頭数 勝馬頭数 重賞勝馬頭数 AEI CPI
2003 211 151 146 129 82 4 1.58
2004 206 150 143 124 78 3 1.04
2005 221 154 152 127 79 8 2.25
2006 201 135 131 120 75 6 1.89
2007 164 120 114 105 74 6 1.89
2008 154 104 102 90 53 3 1.29
2009 196 115 113 102 58 0 1.25
2010 207 143 139 123 75 0 1.11
2011 202 142 137 125 75 4 1.45
2012 200 136 135 111 71 2 1.28
2013 164 107 107 92 64 5 1.53
2014 113 66 65 56 38 2 1.17
2015 126 46 46 45 31 0 1.09
合計 1530 1349 853 43 1.47 1.45

重賞優勝産駒

GI級競走優勝産駒

GI級競走は、太字強調にて示す。外国重賞には、その競走が行われた場所の国旗を充てる。

重賞優勝産駒

地方競馬独自の格付けは、アスタリスクを充てる。

ブルードメアサイアーとしての産駒

地方競馬独自の格付けは、アスタリスクを充てる。GI級競走は、太字強調にて示す。

特徴

気性

気性については、社台ファーム育成担当の猿倉修は、同牧場の千葉厩舎にいたときからスタッフが手をかけてきたことで、「人間が側にいたら安心するというのか、人に対しては非常に従順[5]」と回顧している。また厩務員の松本重春は「とてもプライドの高い馬[6]」、さらに小島良太は「性格をよくわかっていて、慣れている人間でなければ扱うのが大変。そんなタイプの馬[144]」と評している。また種牡馬時代のマンハッタンカフェは、競馬エイト記者の鈴木由希子によると、「他馬が荒々しく迫る中、(マンハッタンカフェは)繁殖牝馬に対してとても丁寧で長距離向きの優しい気性[145]」が発現していたという。

小島は「ゆったりとした走りと一体になった切れ味[21]」がマンハッタンカフェの武器であると述べている。蛯名正義は「外見とは裏腹に実はとても繊細[144]」「乗る立場からすると、こちらの思い通りに動いてくれる、本当に乗りやすい馬なんです[144]」と評している。ただし周囲の人間の配慮が求められた[144]。しかしレースでは余計なことはせず「絶対と言っていいほど、リキんだりムキになったり[144]」しなかった。したがって道中は冷静であり「道中の"タメ"が利くから直線であれだけの切れ味、爆発力を発揮[144]」できたという。

蹄の不安

マンハッタンカフェの蹄は、皿のように薄くて平べったい蹄であった。それが4歳になった頃状態が悪化、小島やスタッフを悩まし続けた[146]。次走の天皇賞(春)を前に小島は、マスコミとの接触を意識的に避ける行動をとっていた[42]。小島はこの時のマンハッタンカフェに関して、「蹄やトウ骨の状態が思わしくなく、回避するか否かをずっと悩んでいた。中途半端な状態で走らせるわけにはいかないから、それでマスコミとの接触を意識的に避けた。元々蹄が薄い馬で、実はかなり前の段階から蟻洞できて、装蹄師も苦労した。自分としては菊花賞、有馬記念を勝って満足だったが正当な評価をされなかった。その悔しさから、問題を抱えているのを承知で無理を強いたかもしれない。我慢して期待に応えてくれた[42]」 と語っている。

血統表

マンハッタンカフェ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 サンデーサイレンス系ヘイロー系
[§ 2]

*サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛
アメリカ
父の父
Halo
1969 黒鹿毛
アメリカ
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Cosmah Cosmic Bomb
Almahmoud
父の母
Wishing Well
1975 鹿毛
アメリカ
Understanding Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower Montparnasse
Edelweiss

*サトルチェンジ
Subtle Change
1988 黒鹿毛
アイルランド
Law Society
1982 黒鹿毛
アメリカ
Alleged Hoist the Flag
Princess Pout
Bold Bikini Boldnesian
Ran-Tan
母の母
Santa Luciana
1973 黒鹿毛
ドイツ
Luciano Henry the Seventh
Light Arctic
Suleika Ticino
Schwarzblaurot
母系(F-No.) Suleika系(FN:16-c) [§ 3]
5代内の近親交配 5代内アウトブリード [§ 4]
出典
  1. ^ [147]
  2. ^ [148][149]
  3. ^ [150]
  4. ^ [147][149]

脚注

注釈

  1. ^ 1938年テツモンは、皐月賞未施行、東京優駿以後のデビュー。1946年アヅマライは、第二次世界大戦による競馬中止である。以上の理由により2頭は除外する[31]
  2. ^ 年度代表馬は、ジャングルポケットが153票で選出。アグネスデジタルが68票を挟んで、30票の第3位がマンハッタンカフェだった。以下クロフネ26票、テイエムオペラオー3票、アグネスタキオン2票、該当馬なし1票[40]
  3. ^ 最優秀3歳牡馬は、ジャングルポケットが225票を集めて選出。43票の次点がマンハッタンカフェだった。以下クロフネ11票、アグネスタキオン4票[40]
  4. ^ 死に至るのは、正確には8月19日のこと。ただ蹄葉炎が進行して、衰弱の一途を辿っていた[60]
  5. ^ ハイシャパラルとスラマニの馬主は、共に2頭出しをしている。同馬主は、勝馬投票券において一くくりにされたため、1番人気は、ハイシャパラルとブラックサムベラミーである。そして2番人気は、スラマニとセンシブルである[65]

出典

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    • 2001年12月号
      • 優駿編集部「【第62回菊花賞】クラシックの大舞台で素質開花 マンハッタンカフェ」
      • 優駿編集部「【優駿インタビュー】蛯名正義騎手 挑戦し続けること」
      • 山本尊「【トレセン通信】秋のGIで感じたこと、あれこれ」
      • 「【重賞データファイル】第62回菊花賞(GI)マンハッタンカフェ」
      • 「【今月の記録室】夏の上がり馬 菊で大輪咲く」
    • 2002年1月号
      • 石田敏徳「【第46回有馬記念直前リポート】マンハッタンカフェ 春とは別馬になった菊花賞馬は、大一番で真の実力を証明する。」
    • 2002年2月号
      • 優駿編集部「【第46回有馬記念】強い強い3歳馬 マンハッタンカフェ」
      • 石田敏徳「【テイエムオペラオー&メイショウドトウ】最終章 過酷な勝負の世界に生きて」
      • 優駿編集部「【杉本清の競馬談義】マンハッタンカフェのオーナー 西川清さん」
      • 「【2001年度JRA賞決定!】年度代表馬はジャングルポケット」
      • 井崎脩五郎「【やぶにらみエッセイ】昨年の有馬記念とテロ事件」
      • 「【重賞データファイル】敬宮愛子内親王殿下御誕生慶祝第46回有馬記念(グランプリ)(GI)マンハッタンカフェ」
      • 「【今月の記録室】有馬記念は大波乱の結末」
    • 2002年4月号
      • 石田敏徳「【優駿ヘッドライン】古馬、覇権の行方は?――ジャングルポケット、マンハッタンカフェの近況レポート」
    • 2002年5月号
      • 石田敏徳「第125回天皇賞(春)(GI)直前リポート」
      • 「【Play-back the Grade-Races 2002】第50回日経賞(GII)アクティブバイオ」
      • 「【重賞データファイル】第50回日経賞(GII)アクティブバイオ」
    • 2002年6月号
      • 優駿編集部「【第125回天皇賞(春)】現役最強の実力を証明 マンハッタンカフェ」
      • 優駿編集部「【杉本清の競馬談義(206)】小島太調教師」
      • 「【重賞データファイル】第125回天皇賞(春)(GI)マンハッタンカフェ」
      • 「【今月の記録室】マンハッタンカフェ ルドルフ以来の偉業達成」
    • 2002年9月号
      • 石田敏徳「【充電完了! いざ闘いの舞台へ】マンハッタンカフェ」
    • 2002年10月号
      • 「【優駿ヘッドライン】大種牡馬サンデーサイレンスが死亡――衰弱性心不全のため、16歳の若さで」
      • 後藤正俊「【サンデーサイレンス関係者インタビュー】吉田照哉氏 二度と巡り合えない『至宝』と彼亡きあとの展望を語る」
      • 石田敏徳、村本浩平「【トップホースたちの秋】マンハッタンカフェの知られざる実像に迫る!」
      • 石田敏徳「【トレセン通信】海外へ遠征する馬の検疫事情」
    • 2002年11月号
      • 「【優駿ヘッドライン】マンハッタンカフェ、故障で引退へ」
      • 高橋直子「【特別レポート】第81回凱旋門賞(GI)」
      • 石川ワタル「【海外ニュース】第81回凱旋門賞 着実に力を付けた マリエンバードがGI3連勝」
    • 2003年2月号
      • 「【2002年度JRA賞決定】年度代表馬はシンボリクリスエス」
      • 「【今月のトピックス】GI3勝の勲章を胸に マンハッタンカフェが引退式を挙行」
    • 2010年3月号
      • 河村清明「【サラブレッド・ヒーロー列伝】マンハッタンカフェ 漆黒の覇王」

外部リンク