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栃木県道・茨城県道205号須賀川大子線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
栃木県道205号から転送)
一般県道
栃木県道205号標識
茨城県道205号標識
栃木県道205号須賀川大子線
茨城県道205号須賀川大子線
総延長 16.932 km
実延長 *.* km
制定年 1961年4月1日(栃木県側)
1959年10月14日(茨城県側)
起点 栃木県大田原市
終点 茨城県久慈郡大子町
接続する
主な道路
記法
国道461号
テンプレート(ノート 使い方) PJ道路
茨城県道205号須賀川大子線
茨城県大子町初原(2010年10月)

栃木県道・茨城県道205号須賀川大子線(とちぎけんどう・いばらきけんどう205ごう すかがわだいごせん)は、栃木県大田原市から茨城県久慈郡大子町に至る一般県道である。

概要

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栃木県大田原市須賀川から茨城県久慈郡大子町上岡まで東西に結ぶ延長約17キロメートル (km) の路線。県境の八溝山地を茶の里トンネルで抜ける。

路線データ

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歴史

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1959年昭和34年)10月14日、新たな県道として栃木県那須郡黒羽町須賀川を起点とし、茨城県久慈郡大子町を終点とする区間を本路線とする県道須賀川大子線として茨城県が県道路線認定した。 1995年平成7年)に整理番号205となり現在に至る。

年表

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  • 1959年昭和34年)10月14日
    • 茨城県が須賀川大子線(図面対照番号139)として路線認定[3]
    • 道路の区域は、県界久慈郡大子町大字左貫から久慈郡大子町大字上岡の主要地方道大子黒羽線交点(現在は国道461号にあたる)までと決定された[1]
  • 1961年(昭和36年)4月1日:栃木県が須賀川大子線として路線認定。
  • 1969年(昭和44年)7月3日:久慈郡大子町大字上岡字引沼の狭隘路(最小幅員4.0 m、延長275 m)を道路改良[4]
  • 1973年(昭和48年)6月21日:久慈郡大子町大字初原字鹿ノ沢 - 同字岩ノ目の狭隘な現道(最小幅員3.0 m、延長1.07 km)を2車線化改良[5]
  • 1995年平成7年)3月30日:茨城県区間において、整理番号が整理番号198から現在の番号(整理番号205)に変更される[6]
  • 2007年(平成19年)1月10日:久慈郡大子町大字左貫地内の旧道(計898m)が指定解除され大子町道へ降格[7]

路線状況

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道路施設

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  • 茶の里トンネル
    1999年8月竣工。栃木県大田原市須賀川 - 茨城県久慈郡大子町大字佐貫を結ぶ、延長180.0 m、幅10.75 m、高さ4.7 mのトンネル。

地理

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通過する自治体

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  • 栃木県大田原市 - 茨城県久慈郡大子町

交差する道路

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沿線

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  • 鷹彦スリーカントリー(大子町上岡)

脚注

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注釈

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  1. ^ 幅員、曲線半径、こう配その他道路の状況により最大積載4トンの普通貨物自動車が通行できない区間。

出典

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  1. ^ a b 道路の区域決定(昭和三十四年十月十四日 茨城県告示第九百三号) (PDF) ,茨城県報 号外(1959年(昭和34年)10月14日)より
  2. ^ a b c d e 『茨城県道路現況調書』令和2年3月31日現在、p. 13
  3. ^ 県道路線認定(昭和三十四年十月十四日 茨城県告示第九百一号) (PDF) ,茨城県報 号外(1959年(昭和34年)10月14日)より
  4. ^ 道路区域の変更・道路の供用開始(昭和44年7月3日 茨城県告示第842・847号) (PDF)”, 茨城県報 (茨城県) 号外: pp. pp. 4, 6, (1969年7月3日) 
  5. ^ 道路区域の変更・道路の供用開始(昭和48年6月21日 茨城県告示第647・648号) (PDF)”, 茨城県報 (茨城県) 第6129号: pp. pp. 3–4, (1973年6月21日) 
  6. ^ 県道の路線名および整理番号の変更(平成7年3月30日 茨城県告示第436号) (PDF)”, 茨城県報 (茨城県) 第637号: pp. pp. 8–12, (1995年3月30日) 
  7. ^ 道路の区域の変更(平成19年11月1日 茨城県告示第1337・1338・1339号) (PDF)”, 茨城県報 (茨城県) 第1923号: pp. pp. 9–11, (2007年11月1日) 

参考文献

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関連項目

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