「魚津駅」の版間の差分
182.251.20.112 (会話) による ID:73017379 の版を取り消し タグ: 取り消し |
|||
27行目: | 27行目: | ||
|pxl = |
|pxl = |
||
|画像説明 = 駅舎(2017年5月) |
|画像説明 = 駅舎(2017年5月) |
||
{{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=280|type=point|marker=rail}} |
|地図={{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=280|type=point|marker=rail}} |
||
{{location map|width=240|Japan Toyama|label=魚津駅|mark=MUTCD I-12.svg|marksize=8|caption=魚津駅(あいの風とやま鉄道)位置図(富山県)|float=center}} |
{{location map|width=240|Japan Toyama|label=魚津駅|mark=MUTCD I-12.svg|marksize=8|caption=魚津駅(あいの風とやま鉄道)位置図(富山県)|float=center}} |
||
|よみがな = うおづ |
|よみがな = うおづ |
||
217行目: | 217行目: | ||
|pxl = |
|pxl = |
||
|画像説明 = ホーム(2011年) |
|画像説明 = ホーム(2011年) |
||
{{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=280|type=point|marker=rail}} |
|地図={{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=280|type=point|marker=rail}} |
||
{{location map|width=240|Japan Toyama|label=新魚津駅|mark=MUTCD I-12.svg|marksize=8|caption=新魚津駅(富山地方鉄道)位置図(富山県)|float=center}} |
{{location map|width=240|Japan Toyama|label=新魚津駅|mark=MUTCD I-12.svg|marksize=8|caption=新魚津駅(富山地方鉄道)位置図(富山県)|float=center}} |
||
|よみがな = しんうおづ |
|よみがな = しんうおづ |
2020年2月15日 (土) 06:29時点における版
魚津駅 新魚津駅 | |
---|---|
うおづ Uozu しんうおづ Shin-Uozu | |
所在地 | 富山県魚津市 |
所属事業者 |
あいの風とやま鉄道(駅詳細) 日本貨物鉄道(JR貨物) 富山地方鉄道(駅詳細) |
魚津駅(うおづえき)は、富山県魚津市釈迦堂一丁目および北鬼江一丁目にある、あいの風とやま鉄道・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅である。
あいの風とやま鉄道「魚津駅」と富山地方鉄道「新魚津駅」の乗り継ぎが可能(地下道で接続され、エレベーター有り)[1]。
本記事では、当駅西口側にあり、かつては同一駅名であった富山地方鉄道本線の新魚津駅(しんうおづえき)についても詳述する。
あいの風とやま鉄道
あいの風とやま鉄道 魚津駅 | |
---|---|
駅舎(2017年5月) | |
うおづ Uozu | |
◄東滑川 (5.0 km) (6.3 km) 黒部► | |
所在地 | 富山県魚津市釈迦堂一丁目1-1 |
所属事業者 | あいの風とやま鉄道 |
所属路線 | ■あいの風とやま鉄道線[2] |
キロ程 |
67.1km(倶利伽羅起点) 金沢から84.9km 米原から261.5 km |
電報略号 | ウオ←ウヲ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面3線 |
乗車人員 -統計年度- |
2,035人/日(降車客含まず) -2018年- |
開業年月日 | 1908年(明治31年)11月16日 |
備考 |
直営駅 みどりの窓口有 |
概要
2015年(平成27年)3月14日の北陸新幹線長野駅 - 金沢駅間の開業による並行在来線の経営分離によって、北陸本線の倶利伽羅駅から市振駅間があいの風とやま鉄道へ移管されることに伴い、当駅も併せて移管された[2][3]。
駅構内にはあいの風とやま鉄道線と地鉄本線を結ぶ渡り線が設置されている[4]。
国鉄、JR西日本時代
JR西日本富山地域鉄道部管理の直営駅でみどりの窓口が設置されていた[5]。特急列車・急行列車の大半が停車した[5]。また、大阪方面への特急「サンダーバード」が1往復のみ乗り入れていた[6]。
かつては、富山地方鉄道(地鉄)魚津駅(現・新魚津駅)とJR魚津駅が跨線橋で繋がっていたが、北側の地鉄側に地下道を作り、両駅は切り離された[7]。
歴史
- 1906年(明治39年)7月19日 - 当時の魚津町議会議長が、下新川郡下野方村大字友道村(現・新宿)に停車場を設置するよう逓信大臣に請願書を提出。この際、敷地等の代金は魚津町が寄付すると提案している[8]。後に鉄道院が魚津町の将来の発展を予測し、現在地での建設が決定する[9]。
- 1908年(明治41年)11月16日 - 官設鉄道北陸線の富山駅 - 魚津駅間延伸により富山県下新川郡道下村に終着駅として開業(一般駅)[10][11]。旧仮名遣いは「うをづ」[10][12]。同時に直江津まで延伸するための鉄道工事用資材の運搬を主目的とした、現在の魚津港付近までの貨物支線(通称『信濃浜線』)開業[13][14]。
- 1909年(明治42年)
- 9月 - 北陸線全通後の貨物支線における貨物運輸を見込み、魚津町長小野時男が鉄道院総裁後藤新平へ「魚津海岸線終端設備完成の件につき請願」と題した請願書を以てその整備を稟請するが認められなかった[15]。その請願書に曰く、「曩ニ富直鉄道建設ニ当リ、当局者ハ魚津町将来ノ発展ヲ予想シ、一面一万五千坪余ノ敷地ヲ有スル鉄道停車場ヲ設定シ、更ニ作業用トシテ一哩ヲ隔ツル海岸ニ向ツテ終点ニ壱万坪ノ停車場ヲ有スル海岸線ヲ敷設セラレタリ。而シテ聞ク処ニ依レバ、建設事業完了ノ後ニハ海岸線ノ終点ヲ以テ石炭貯蔵場ニ充用シ、或ハ貨物集散ニ依リテハ公衆貨物ノ取扱ニ供用セントノ計画アリト、果シテ然ルヤ。顧フニ港湾修築ノ効果ハ大ニシテハ国家ノ富強ヲ増進シ、小ニシテハ一地方民ノ福利ヲ促成シ、戦後国民ノ最大要務ナルハ勿論ナリト雖モ、之レガ改築経営ノ事業タル、須ラク多数ノ歳月ト多大ノ費用ヲ要シ、到底一地方町民ノ能ク遂行シ得ヘキモノニ非ラザルガ故ニ、現下施設セラレタル魚津駅海岸線終点ニ於テ更ニ相当ノ設備ヲ施シ、魚津港湾ノ地勢ヲ利用シテ、富直間鉄道ノ門戸ヲ形成シ、以テ海陸連絡ノ道ヲ開カレナバ、独リ地方町民ノ幸福ナルノミナラズ、実ニ国家ノ利益ナリト信ズルト同時ニ我町民ノ熱望モ亦茲ニ有リ」[16]。
- 10月12日 - 国有鉄道線路名称制定に伴い、北陸本線所属駅となる[17]。
- 1910年(明治43年)4月16日 - 北陸本線が泊駅まで延伸[18]。途中駅となる[19]。
- 1911年(明治44年)11月30日 - 魚津町が無償使用許可を得て人車軌道として運輸業務を行っていた貨物支線を院線に編入する旨、鉄道院総裁後藤新平に請願する[15][16]。その請願書に曰く、「魚津駅ヨリ分岐セル海岸線ハ富直線建設材用材料運搬ノ為メ布設セラレタルモノニ可有之候ヘ共魚津駅停車場ノ位置ハ魚津町ノ北方道下村ニ在リテ市街ノ中央ヲ離レルコト拾八町ニ及ビ而カモ市街ノ地形ハ東西ニ長ク南北ニ短クシテ殆ンド蜿蜒ノ匍匐スル状ヲ為セリ殊ニ海陸ノ連絡ハ市中ヲ貫流セル角川尻ヨリ大町裏ニ至ル間ニ在ルヲ以テ貨物ノ運搬上不利不便尠ナカラサルヲ認ム」[16]。
- 1914年(大正3年)春 - 貨物支線廃線[20]。
- 1930年(昭和5年) - 国産肥料株式会社(1935年(昭和10年)10月より日本カーバイド工業)の集積場を駅西側に設置し、同時に旧貨物支線跡に専用線(軌間2フィート)を敷設して、ガソリン機関車によって貨物運輸業務を開始する[21]。
- 1936年(昭和11年)
- 1937年(昭和12年)12月 - 日本カーバイド工業株式会社が鹿島参宮鉄道より蒸気機関車(独アーサーコッペル社製)を購入する[15]。同機関車は1969年(昭和44年)11月廃車となってより、魚津市立村木小学校及び滑川市立児童館において静態保存されている[15]。
- 1938年(昭和13年)3月31日 - 日本カーバイド工業株式会社が同社専用線運輸業務の富山電気鉄道への委託を廃止し、爾後自営によってこれを運行することとする[22]。
- 1943年(昭和18年)10月1日 - 当駅 - 滑川駅間に早月信号場が開業する[23]。
- 1947年(昭和22年)11月1日 - 昭和天皇の行幸あり、当駅貨物ホームにて米穀輸送状況を天覧し、駅長笠間藤正に対し運輸業激励の言葉を賜与する[24]。
- 1948年(昭和23年)5月 - 日本カーバイド工業株式会社が、その専用線を以て工場を囲む環状線を完成させる[15]。
- 1954年(昭和29年)4月 - 2代目の現駅舎(鉄筋平屋建て、建坪94.8坪、庇15.5坪)に改築[7]。
- 1959年(昭和34年) - 構内拡張工事完成[25]。
- 1961年(昭和36年)9月29日 - 当駅 - 黒部駅間に片貝信号場が開業する[23]。
- 1964年(昭和39年)11月20日 - 当駅 - 滑川駅間の早月信号場が、東滑川駅として開業する[26]。
- 1965年(昭和40年)8月25日 - 富山操車場 - 泊駅間が交流電化する[27]。
- 1966年(昭和41年)8月30日 - 当駅 - 東滑川駅間に角川信号場が開業する[23]。
- 1968年(昭和43年)
- 1969年(昭和44年)6月17日 - 片貝信号場 - 黒部駅間が複線化し、片貝信号場が廃止される[23][27]。
- 1970年(昭和45年)3月1日 - 特別急行北越の停車駅となる[28]。
- 1974年(昭和49年)10月1日 - 営業範囲を改正し、旅客、荷物及び車扱貨物を取扱う駅となる[29]。
- 1977年(昭和52年) - 自動券売機設置[7]。
- 1983年(昭和58年)2月 - 構内に「うまい水」を設置[30][31]。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 営業範囲を改正し、旅客、荷物及び貨物を取扱う駅となる[32]。
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 営業範囲を改正し、荷物の取扱を廃する[33]。また、車扱貨物は専用線発着のものに限る[33]。また、特別急行白鳥の停車駅となる[34]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、国鉄駅は西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる[23]。日本貨物鉄道(JR貨物)の駅は、コンテナ貨物及び専用線発着車扱貨物の取扱を開始する[23]。
- 1989年(平成元年)3月 - 特別急行雷鳥の始発駅となる[31]。
- 1992年(平成4年)1月9日 - 魚津市が当駅接続の専用線を廃止するように日本カーバイド工業に対し申し入れる[35]。
- 1994年(平成6年)日本カーバイド工業魚津工場への専用線廃止[36]。
- 1995年(平成7年)1月20日 - 駅前と駅西を結ぶ地下道が完成[7]。
- 1996年(平成8年)3月16日 - 営業範囲を改正し、専用線発着車扱貨物の取扱を廃する[23]。同時に自動車代行駅となり、富山貨物駅へのトラック代行輸送を開始する[23][37]。
- 1997年(平成9年)3月22日 - 越後湯沢行きの「はくたか」が初停車[38]。北陸3県の歴史上初めて、陸路にて東京まで2時間台でアクセス可能な駅となる。
- 1998年(平成10年)12月4日 - 駅前アーケードが完成し、竣工式を挙行する[36][39]。
- 1999年(平成11年)
- 2000年(平成12年)
- 2001年(平成13年)
- 2003年(平成15年)
- 2006年(平成18年)4月1日 - JR貨物魚津駅が魚津オフレールステーションの名称を使用開始[47]。
- 2008年(平成20年)
- 2010年(平成22年)12月24日 - JR魚津駅と富山地方鉄道新魚津駅の駅舎移設を盛り込んだ基本構想の素案が示される[50]。
- 2015年(平成27年)
- 2016年(平成28年)
- 2017年(平成29年)3月 - せり込み蝶六をアレンジした到着メロディ「Uozu Chime」を導入[55][56][57]。
- 2019年(令和元年)6月23日 - 『魚源商店』が閉店[58]
駅構造
単式ホーム1面1線、島式ホーム1面2線を合せ、計2面3線を有する地上駅である[5][6]。単式の1番線ホーム側に駅舎があり、島式の2・3番線ホームへは跨線橋で連絡している[59]。駅舎は鉄筋コンクリート造平屋建で、1954年(昭和29年)4月に竣工した[7][6]。駅構内には自動券売機、みどりの窓口、コインロッカー、多目的便所があり、Wi-Fiの使用も可能である[59]。また、駅舎の北側には、ますのすしの源が運営する売店『魚源商店』(2015年(平成27年)5月3日開店、2019年(令和元年)6月23日閉店[58])、南側にはジェック経営コンサルタントが運営する特産品販売・休憩施設『ミラマルシェ』(2016年(平成28年)3月30日開店)および『魚津駅前のうまい水』という水飲み場がある[53][54]。
のりば
番線 | 路線 | 方向 | 行先[60] |
---|---|---|---|
1 | ■あいの風とやま鉄道線 | 上り | 富山・金沢方面 |
2・3 | 下り | 泊・糸魚川方面 |
- 通常の停車には1・2番線が用いられ、3番線は通常使用されていない[60]。
- JR駅としての営業最終日の2015年(平成27年)3月13日までは、3番線は糸魚川・直江津方面行きの待避列車と、当駅始発・大阪行きの「サンダーバード」が使用していた[5]。
-
魚津駅1番のりば
-
魚津駅2,3番のりば(釈迦堂側)
-
新魚津駅ホームより魚津駅ホーム
-
駅に停車するハットリ君列車
-
待合室
-
改札
-
魚源商店
-
駅舎本屋建物財産標
到着メロディ
2017年(平成29年)3月の新旅客案内システム導入に伴い、じゃんとこい魚津まつり最終日のせり込み蝶六街流しで唄い踊られる民謡「せり込み蝶六」をアレンジした「Uozu Chime」が到着メロディとして使用開始された[56][61][57]。なお、当駅でのメロディーの導入にあたり、魚津市によって「せり込み蝶六」のアレンジという条件で一般公募がなされ、東京都在住の男性がアレンジしたものが採用された[56]。
駐車場
あいの風とやま鉄道魚津駅または富山地方鉄道新魚津駅から片道100km以上の遠距離旅行(鉄道利用は片道でも可)をする場合、当駅から徒歩約5分の魚津市営魚津駅南駐車場を24時間100円で利用できるサービスがある(通常は24時間310円)[62]。
魚津オフレールステーション
魚津オフレールステーション(略称:魚津ORS)は、JR貨物の駅の通称で[63]、魚津市北鬼江一丁目(旅客駅とは別の場所)に位置する。1面1線のコンテナホーム(ヤード)を有している[37]。2014年(平成26年)3月時点では、貨物列車の代替として、富山貨物駅との間にトラック便が1日1.5往復(当駅発が2本)設定されている[64]。2019年版の『貨物時刻表』では、当駅での取り扱いはない。
JR貨物魚津駅は、1996年(平成8年)3月16日より貨物列車の発着がない自動車代行駅になり[37]、その後2006年(平成18年)の貨物駅の名称整理の際にオフレールステーションの名称を使用するようになった[47]。当駅では、12ftコンテナに限るコンテナ貨物のみを取り扱っている[37]。貨物列車が発着していた頃は、日本カーバイド工業魚津工場へ至る専用線が1994年(平成6年)まで富山地方鉄道魚津駅側から分岐していた[36]。
日本貨物鉄道は2015年(平成27年)7月に採算上の理由によって当駅を含む10箇所のオフレールステーションを廃止する方針を示したが、これに対し富山県や魚津市等の自治体は同年12月に日本貨物鉄道や国土交通省に対しその存続を要望した[65]。石井隆一富山県知事は2016年(平成28年)の富山県議会特別予算委員会において関係市町村等と連繫の上、その存続に向け支援を行う旨を表明した[65]。
1930年(昭和5年)12月5日付『鉄道公報』附録通報「専用線一覧(運輸局)」によると、当駅接続の専用線は次の通りであった[66]。
- 国産肥料線(動力:省機関車及び手押、作業粁程:0.4粁)
1951年(昭和26年)12月15日付『鉄道公報』第732号通報「専用線一覧について(営業局)」別表によると、当駅接続の専用線は次の通りであった[67]。
- 日本カーバイド工業線(第三者使用:日本通運、動力:富山地方鉄道所有機関車、作業粁程:1.3粁)
1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった[68]。
- 日本カーバイド工業線(第三者使用:日本通運、動力:富山地方鉄道所有機関車、作業粁程:1.3粁)
1967年(昭和42年)7月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった[69]。
- 日本カーバイド工業線(第三者使用:日本通運、動力:富山地方鉄道所有機関車、作業粁程:1.3粁)
- 丸八及び富山県経済農業協同組合連合会線(動力:手押、作業粁程:0.2粁、備考:共用)
1970年(昭和45年)10月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった[70]。
- 日本カーバイド工業線(通運事業者:日本通運、動力:富山地方鉄道所有機関車、作業粁程:1.3粁、総延長粁程:3.4粁)
- 丸八、富山県経済農業協同組合連合会及び秩父セメント共有線(動力:手押、作業粁程:0.2粁、総延長粁程:0.3粁)
1983年(昭和58年)4月1日現在における当駅接続の専用線は以下の通りであった[71]。
- 日本カーバイド工業線(通運事業者:日本通運、動力:富山地方鉄道所有機関車、作業粁程:1.3粁、総延長粁程:3.4粁)
- 丸八、富山県経済農業協同組合連合会及び秩父セメント共有線(通運事業者:埼北自動車、動力:移動機関車及び手押、作業粁程:0.2粁、総延長粁程:0.3粁)
-
1947年(昭和22年)11月1日、当駅にて米の供出状況を天覧する昭和天皇
-
1958年(昭和33年)当時の魚津駅及び日本カーバイド株式会社魚津工場周辺の地図。工場内において専用線が環状になっているのが確認できる
-
1958年(昭和33年)当時の日本カーバイド工業株式会社魚津工場
-
北陸本線より地鉄線を跨ぐ日本カーバイド分岐線跡(本新町)
-
日本カーバイド工業専用線跡
-
1975年(昭和50年)10月16日撮影の当駅周辺航空写真
富山地方鉄道
富山地方鉄道 新魚津駅 | |
---|---|
ホーム(2011年) | |
しんうおづ Shin-Uozu | |
◄T23 電鉄魚津 (1.3 km) (2.7 km) 経田 T25► | |
所在地 | 富山県魚津市釈迦堂430-1 |
駅番号 | T24 |
所属事業者 | 富山地方鉄道 |
所属路線 | ■本線 |
キロ程 | 30.2 km(電鉄富山起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面2線 |
乗降人員 -統計年度- |
1,503人/日 -2017年- |
開業年月日 | 1936年(昭和11年)8月21日[72] |
歴史
- 1936年(昭和11年)
- 1943年(昭和18年)1月1日 - 会社合併により富山電気鉄道の駅は富山地方鉄道本線の駅となる[73]。
- 1959年(昭和34年)9月30日 - 駅構内の配線を変更し、また駅舎を改築する[74]。
- 1995年(平成7年)4月1日 - 東西地区を結ぶ地下道の完成(1月20日)により、富山地方鉄道の魚津駅がJR駅から切り離され、新魚津駅に改称[75]。西側にロータリーが完成[7]。
駅構造
島式ホーム1面2線を有する地上駅である[4]。2016年(平成28年)9月9日現在、7時から20時まで駅員が配置されている[76]。駅の東西地区は地下道によって結ばれており、新魚津駅入口は地下道の途中にある[4][1]。新魚津駅の駅前は西口にあたる[1]。駅構内には自動券売機及び便所がある[1]。駅番号はT24。
1929年(昭和4年)4月から1994年(平成6年)まで使用されていた日本カーバイド工業(使用開始当初は国産肥料会社)の引き込み線(魚津駅開業から1914年(大正3年)春まで使用されていた貨物支線(浜線)の跡地を利用していた[13])は、山側の国鉄から当線を跨いで海側の工場へ伸びていた[36]。
のりば
のりば | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | ■本線 | 下り | 電鉄黒部・宇奈月温泉方面 |
2 | ■本線 | 上り | 中滑川・電鉄富山・立山方面 |
両ホームとも上下両方向の出発に対応している[4]。
利用状況
近年の1日平均乗降人員・乗車人員は以下の通りである[78][79]。
年度 | あいの風 とやま鉄道 |
富山地方鉄道 | |
---|---|---|---|
1日平均 乗車人員 |
1日平均 乗車人員 |
1日平均 乗降人員 | |
1995年 | 3,007 | ||
1996年 | 3,058 | ||
1997年 | 2,929 | 1,774 | |
1998年 | 2,808 | 1,652 | |
1999年 | 2,743 | 1,505 | |
2000年 | 2,769 | 1,415 | |
2001年 | 2,749 | 1,309 | |
2002年 | 2,695 | 1,275 | |
2003年 | 2,697 | 1,382 | |
2004年 | 2,645 | 1,329 | |
2005年 | 2,613 | 1,372 | |
2006年 | 2,598 | 1,404 | |
2007年 | 2,624 | 677 | 1,404 |
2008年 | 2,645 | 682 | 1,410 |
2009年 | 2,533 | 657 | 1,364 |
2010年 | 2,498 | 652 | 1,346 |
2011年 | 2,429 | 680 | 1,389 |
2012年 | 2,484 | 688 | 1,404 |
2013年 | 2,567 | 685 | 1,385 |
2014年 | 2,291[注 1] | 745 | 1,445 |
2015年 | 2,142 | 735 | 1,440 |
2016年 | 2,098 | 1,432 | |
2017年 | 2,058 | 1,503 | |
2018年 | 2,035 |
駅周辺
-
駅周辺風景
-
東口
昭和30年代までの魚津駅前(釈迦堂地区)は、駅正面以外は周囲に水田が広がり、約30戸の兼業農家がある集落にすぎなかった[80]。現在の魚津駅前の街路は、1963年(昭和38年)4月から1979年(昭和54年)3月にかけて区画整理されたものである[81][82]。この間に、市役所や農協会館などの建物が駅前に建ち並ぶ様になる。一方、駅西については、1981年(昭和56年)度から区画整理され、1995年(平成7年)11月21日に完了した[83]。
- 魚津市役所(1967年に完成)
- 魚津市役所第1分庁舎(旧・魚津税務署。1965年(昭和40年)に完成。1999年(平成11年)9月、魚津合同庁舎への移転に伴い分庁舎として利用)
- 魚津市役所第2分庁舎
- 富山県立魚津高等学校
- 柿の木割り(飲食店が集まる歓楽街)
- 魚津ショッピングスクエアー サンプラザ
- 大阪屋ショップ魚津釈迦堂店(かつてユニー魚津店があった場所にある)
- クスリのアオキ吉島店
- シメノドラッグ魚津店
- 魚津商工会議所ビル
- 魚津商工会議所をキーテナントとした地上6階建てのビル。富山第一銀行魚津支店、新川インフォメーションセンターおよびインテック、富山テレビ放送、チューリップテレビの各支社なども入居している。
- アパホテル魚津駅前(旧称:信開魚津ファーストホテル。1989年(平成元年)10月20日完成。アパホテルとしては金沢・小松に続く3番目のホテル[84])
- ホテルグランミラージュ
- スカイホテル魚津(旧・ホテルサンルート魚津 1982年(昭和57年)完成)
- スカイホテル魚津アネックス(魚津スカイホテル 1986年(昭和61年)完成。シティハイツ(マンション)を隣接)
- ホテル美浪館
- ビジネスホテル美浪
- 魚津マンテンホテル駅前(2008年(平成20年)4月開業)
- 富山第一銀行魚津駅前支店
- 北陸銀行魚津駅前支店
- にいかわ信用金庫魚津駅前支店
- にいかわ信用金庫北部支店
- 北陸労働金庫魚津支店
- 富山県信用組合
- 日本カーバイド工業魚津工場
- 常泉寺
- 日本通運魚津支店
- JAうおづ営農経済センター
- 魚津市農協会館(1967年(昭和42年)に完成。2015年(平成27年)までは北日本放送の支社も同居していた)
- ありそドーム
- 魚津市浄化センター
隣の駅
あいの風とやま鉄道
- 富山地方鉄道
- ■本線
脚注
注釈
- ^ 2014年4月1日から2015年3月13日までの347日間における1日平均乗車人員は2,311人、365日間における1日平均乗車人員は2,291人。
出典
- ^ a b c d 新魚津駅 駅情報 - 富山地方鉄道
- ^ a b c “「あいの風」出発進行 ヘッドマークデザイン 山沢さんが大役”. 北陸中日新聞 (中日新聞社). (2015年3月15日)
- ^ a b 「県民の足」新たな船出 あいの風鉄道も開業 - 2015年(平成27年)3月15日、北日本新聞(2016年(平成28年)9月9日閲覧)
- ^ a b c d 川島令三編、『中部ライン 全線・全駅・全配線第7巻 富山・糸魚川・黒部エリア』(23及び67頁)、2010年(平成22年)10月、講談社
- ^ a b c d 郡司武編、『週刊朝日百科 JR全駅・全車両基地』43号(21頁)、2013年(平成25年)6月、朝日新聞出版
- ^ a b c 川島令三編、『中部ライン 全線・全駅・全配線第7巻 富山・糸魚川・黒部エリア』(23及び49頁)、2010年(平成22年)10月、講談社
- ^ a b c d e f 魚津市史 続巻 現代編(魚津市教育委員会 2012年(平成24年)3月31日発行)162ページ
- ^ 『道下のあゆみを尋ねて』(2012年11月23日、道下公民館発行)95ページ
- ^ 『道下のあゆみを尋ねて』(2012年11月23日、道下公民館発行)100ページ
- ^ a b 明治四十一年逓信省告示第1145号(『官報』、1908年(明治41年)11月14日、内閣印刷局)
- ^ 鉄道省編、『昭和十二年十月一日現在 鉄道停車場一覧』、1937年(昭和12年)12月、川口印刷所出版部
- ^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 2』 JTB、1998年
- ^ a b 『富山廃線紀行』(2008年7月16日、草卓人著)122、123ページ
- ^ 『魚津市史 下巻 近代のひかり』(1972年3月25日、魚津市役所発行)207 - 208ページ
- ^ a b c d e 草卓人、『富山廃線紀行』、2008年(平成20年)8月、桂書房
- ^ a b c d 魚津市史編纂委員会編、『魚津市史 史料編』、1982年(昭和57年)3月、魚津市役所
- ^ 明治四十二年鉄道院告示第54号(『官報』、1909年(明治42年)10月12日、内閣印刷局)
- ^ 明治四十三年鉄道院告示第30号(『官報』、1910年(明治43年)4月14日、内閣印刷局)
- ^ 『角川日本地名大辞典 16 富山県 』789ページ
- ^ 『富山廃線紀行』(2008年7月16日、草卓人著)123ページ
- ^ a b 『富山廃線紀行』(2008年7月16日、草卓人著)124ページ
- ^ 日本カーバイド工業株式会社創立二十年史編纂委員会編、『日本カーバイド工業株式会社二十年史』、1958年(昭和33年)2月、日本カーバイド工業株式会社
- ^ a b c d e f g h i 石野哲、『停車場変遷大事典 国鉄・JR編Ⅱ』、1998年(平成10年)10月、JTB
- ^ 富山県編、『富山県行幸記録』、1949年(昭和24年)10月、富山県
- ^ 保存版 魚津・黒部・下新川今昔写真帖(郷土出版社 2007年4月15日発行)57ページ「道下小学校児童の渡る北鬼江踏切」より。
- ^ 昭和三十九年日本国有鉄道公示第549号(『官報』、1964年(昭和39年)11月18日、大蔵省印刷局〉
- ^ a b c d 日本国有鉄道編、『日本国有鉄道百年史年表』、1972年(昭和47年)10月、日本国有鉄道
- ^ 「特急「北越」の停車祝う 国鉄魚津駅」、『北日本新聞』(12面)、1970年(昭和45年)3月2日、北日本新聞社
- ^ 昭和四十九年日本国有鉄道公示第208号(『官報』、1974年(昭和49年)9月12日、大蔵省印刷局)
- ^ 魚津市史 続巻 現代編(魚津市教育委員会 2012年(平成24年)3月31日発行)564ページ
- ^ a b 『うおづ便利帳』(2012年4月、魚津市役所発行)16 - 17ページ『市制60周年の歩み』より。
- ^ 昭和五十九年日本国有鉄道公示第174号(『官報』、1984年(昭和59年)1月30日、大蔵省印刷局)
- ^ a b 昭和六十一年日本国有鉄道公示第140号(『官報』、1986年(昭和61年)10月30日、大蔵省印刷局)
- ^ 「待望の特急停車祝う 小杉駅に朝晩一回 魚津駅でも白鳥号」、『北日本新聞』(19面)、1986年(昭和61年)11月2日、北日本新聞社
- ^ 「魚津市が日カに申し入れ 引き込み線廃止を 国道8号 - 海岸線直通へ」、『北日本新聞』(23面)、1992年(平成4年)1月10日、北日本新聞社
- ^ a b c d e f 魚津市史 続巻 現代編(魚津市教育委員会 2012年(平成24年)3月31日発行)163ページ
- ^ a b c d 川島令三編、『中部ライン 全線・全駅・全配線第7巻 富山・糸魚川・黒部エリア』、2010年(平成22年)10月、講談社
- ^ 「来る春行く春「ほくほく線」 特急「はくたか」デビュー」、『朝日新聞』1997年(平成9年)3月23日、朝日新聞社
- ^ 「アーケードで雨の日も万全 JR魚津駅に完成」、『朝日新聞』1998年(平成10年)12月5日、朝日新聞社
- ^ 「魚津市長「国に従う」 フル規格(どこへ、北陸新幹線)」、『朝日新聞』1999年(平成11年)7月22日、朝日新聞社
- ^ 「魚津市議「スーパー特急で」 北陸新幹線で小里代議士に直訴」、『朝日新聞』1999年(平成11年)12月16日、朝日新聞社
- ^ 「スーパー特急方式の「魚津駅停車を」 促進同盟、引き続き確認」、『朝日新聞』2000年(平成12年)9月27日、朝日新聞社
- ^ 「北陸新幹線のフル規格化の方針受け入れ 魚津駅促進同盟会」、『朝日新聞』2001年(平成13年)2月18日、朝日新聞社
- ^ 「魚津市長、第三セクター化同意 北陸新幹線の並行在来線」、『朝日新聞』2001年(平成13年)3月26日、朝日新聞社
- ^ 「魚津駅南に市営駐車場」、『朝日新聞』2003年(平成15年)10月1日、朝日新聞社
- ^ 「魚津駅、バリアフリー化 障害者ら、エレベーターに」、『朝日新聞』2003年(平成15年)11月6日、朝日新聞社
- ^ a b 貨物駅の廃止及び呼称の統一について、2006年(平成18年)3月16日、JR貨物(2016年(平成28年)9月9日閲覧)
- ^ 「三大奇観「埋没林」、JR魚津駅に登場」、『朝日新聞』2008年(平成20年)10月29日、朝日新聞社
- ^ 魚津市史 続巻 現代編(魚津市教育委員会 2012年(平成24年)3月31日発行)164ページ
- ^ 『北日本新聞』2010年12月25日付朝刊21面より。
- ^ “「ちゃお」全店が閉店 JR駅構内の売店”. 北國新聞社 (2015年3月1日). 2015年5月3日閲覧。
- ^ "ICカードサービス開始日について" (Press release). あいの風とやま鉄道株式会社. 30 January 2015. 2015年7月10日閲覧。
- ^ a b 伊勢村優樹(2015年4月28日). “魚津駅 売店“復活” 「魚源商店」開店 地元食材、輸入品も”. 北陸中日新聞 (中日新聞社)
- ^ a b 北日本新聞 2016年3月31日付朝刊26面『ミラマルシェ完成、電飾看板も披露』より。
- ^ Yahoo!ニュース『せり込み蝶六のアレンジ曲募集 魚津駅』(2016年7月5日閲覧)
- ^ a b c “あいの風とやま鉄道 魚津駅の列車到着メロディが決定しました!!”. 魚津市 (2015年9月1日). 2017年1月1日閲覧。
- ^ a b あいの風とやま鉄道 (2016年12月14日). “各駅の到着メロディの制作状況等について”. 富山県. 2016年12月30日閲覧。
- ^ a b 北日本新聞 2019年6月18日付28面『ますずし源 店舗網見直し 高岡・魚津駅直営店閉店へ』より。
- ^ a b 魚津 各駅情報 - あいの風とやま鉄道
- ^ a b 魚津駅発車時刻表 - あいの風とやま鉄道(2015年4月14日閲覧)
- ^ あいの風とやま鉄道 (2016年12月14日). “新指令システム稼動に伴う利便性の向上について”. 富山県. 2016年12月30日閲覧。
- ^ “市営駐車場のご案内”. 魚津市 (2015年3月14日). 2015年5月3日閲覧。
- ^ JR貨物 エリア別サービス案内
- ^ 『貨物時刻表 平成26年3月ダイヤ改正』、鉄道貨物協会、2014年、146頁。
- ^ a b 「魚津市で存続を「支援する」 オフ・レール・ステーション 富山県議会予算特別委」、『富山新聞』(3面)、2016年(平成28年)3月16日、富山新聞社
- ^ 名取紀之・滝沢隆久編、『NEKO MOOK 402 トワイライトゾ~ンマニュアル11』(271頁)、2002年(平成14年)9月、ネコ・パブリッシング、ISBN:9784873669021
- ^ 名取紀之・瀧澤隆久編、『トワイライトゾ~ン・マニュアル8』(『レイル・マガジン』第16巻15号)、1999年(平成11年)11月、ネコ・パブリッシング
- ^ 名取紀之・瀧澤隆久編、『RM POCKET 11 トワイライトゾ~ン・マニュアルⅣ』、1995年(平成7年)10月、ネコ・パブリッシング
- ^ 日本国有鉄道貨物営業局編、『専用線一覧表 昭和42年7月1日』(162頁)、1967年(昭和42年)8月、日本国有鉄道貨物営業局
- ^ 日本国有鉄道貨物局編、『専用線一覧表 昭和45年10月1日』、1970年(昭和45年)、日本国有鉄道貨物局
- ^ 名取紀之編、『トワイライトゾ~ン・マニュアル6』(『Rail Magazine』別巻)第14巻第17号(313頁)、1997年(平成9年)10月、ネコ・パブリッシング
- ^ a b c 富山地方鉄道五十年史(昭和58年3月28日発行)876ページ
- ^ 富山地方鉄道五十年史(昭和58年3月28日発行)880ページ
- ^ 富山地方鉄道株式会社編、『富山地方鉄道五十年史』、1983年(昭和58年)3月、富山地方鉄道
- ^ 富山地方鉄道編、 『富山地方鉄道70年史 この20年のあゆみ』 、2000年(平成12年)、富山地方鉄道
- ^ 鉄道線各駅の駅員配置時間表(H24年3月17日改正)、富山地方鉄道(2016年(平成28年)9月9日閲覧)
- ^ "2018年度 あいの風とやま鉄道 利用状況等" (PDF) (Press release). あいの風とやま鉄道. 14 June 2019. 2019年6月27日閲覧。
- ^ a b 統計年鑑 - 富山県(2016年(平成28年)9月9日閲覧)
- ^ a b 魚津市の統計 - 魚津市
- ^ 魚津市史 続巻 現代編(魚津市教育委員会 2012年(平成24年)3月31日発行)282ページ
- ^ 『図説 魚津の歴史』(2012年3月31日、魚津市教育委員会発行)280ページ
- ^ 魚津市史 続巻 現代編(魚津市教育委員会 2012年(平成24年)3月31日発行)139~143ページ
- ^ 魚津市史 続巻 現代編(魚津市教育委員会 2012年(平成24年)3月31日発行)146~147ページ
- ^ 北日本新聞 1989年1月26日付5面『魚津に都市型ホテル 信開グループ 今秋の完成目指す』