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鹿児島県立甲南高等学校の人物一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

鹿児島県立甲南高等学校人物一覧(かごしまけんりつこうなんこうとうがっこうじんぶついちらん)は、鹿児島県立甲南高等学校に関係する人物の一覧記事。前身の旧制中等教育機関の関係者も扱う。(Wikipediaに記事のある人物を表示する。)

【凡例:中学造士館〔明治前期〕⇒鹿児島県立中学造士館〔1884-1887年の中学造士館〕、中学造士館〔高中予科〕⇒鹿児島高等中学造士館予科[注釈 1]、中学造士館〔明治中期〕⇒鹿児島県中学造士館(鹿児島県尋常中学造士館)〔1896-1901年の中学造士館〕、二中⇒鹿児島県立第二鹿児島中学校、二高女⇒鹿児島県立第二高等女学校、甲南⇒鹿児島県立甲南高等学校(鹿児島県甲南高等学校)】

出身者

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政治・行政・立法

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国会議員・閣僚・民選知事・市区町村長
上記以外

法曹

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社会運動・社会活動

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実業・経済・経営

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報道・マスコミ・ジャーナリズム

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学術・研究(理・工・農・医系)

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学術・研究(人文学・社会科学・人間科学系)

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文学・評論・文筆

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美術・工芸・映像・漫画・ゲーム

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芸能・音楽

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スポーツ

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軍人

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教職員

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校長
教職員

備考

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旧制学校卒業回卒業年対照表[7]
卒業年 二中 (旧制中学校) 二高女 (高等女学校)
1908年(明治41年) 1回 5年制
1909年(明治42年) 2回
1910年(明治43年) 3回
1911年(明治44年) 4回
1912年(明治45年) 5回
1913年(大正2年) 6回
1914年(大正3年) 7回 1期 4年制
1915年(大正4年) 8回 2期
1916年(大正5年) 9回 3期
1917年(大正6年) 10回 4期
1918年(大正7年) 11回 5期
1919年(大正8年) 12回 6期
1920年(大正9年) 13回 7期
1921年(大正10年) 14回 8期
1922年(大正11年) 15回 9期
1923年(大正12年) 16回 10期
1924年(大正13年) 17回 11期
1925年(大正14年) 18回 12期
1926年(大正15年) 19回 13期
1927年(昭和2年) 20回 ※4年制から5年制に変更のため卒業生なし
1928年(昭和3年) 21回 14期 5年制
1929年(昭和4年) 22回 15期
1930年(昭和5年) 23回 16期
1931年(昭和6年) 24回 17期
1932年(昭和7年) 25回 18期
1933年(昭和8年) 26回 19期
1934年(昭和9年) 27回 20期
1935年(昭和10年) 28回 21期
1936年(昭和11年) 29回 22期
1937年(昭和12年) 30回 23期
1938年(昭和13年) 31回 24期
1939年(昭和14年) 32回 25期
1940年(昭和15年) 33回 26期
1941年(昭和16年) 34回 27期
1942年(昭和17年) 35回 28期
1943年(昭和18年) 36回 29期
1944年(昭和19年) 37回 30期
1945年(昭和20年) 38回 5年卒業 31期 5年卒業
39回 全員4年卒業 32期 全員4年卒業
1946年(昭和21年) 40回 ※同学年
40回:4年卒業
41回:5年卒業
33期 ※同学年
33期:4年卒業
34期:5年卒業
1947年(昭和22年) 41回 34期
1948年(昭和23年) 42回 5年卒業
→新制高校第3学年へ
35期 5年卒業
→新制高校第3学年へ
1949年(昭和24年) 43回 36期
  • 1906年(明治39年)に鹿児島県立鹿児島中学校分校3年生が鹿児島県立第二鹿児島中学校4年生となり、1908年の1回卒
  • 旧制中学校・高等女学校は5年制でも、1年早く上級学校に進学する四年修了制度(四修)があるため、参考文献により記載された旧制学校を出た年と回が表と異なる人物もいる。
  • 旧制二中42回5年卒業生は、新制鹿児島県鹿児島高等学校第四部第3学年進学者を含む。
  • 旧制二高女35期5年卒業生は、新制鹿児島県鹿児島高等学校第二部第3学年進学者を含む。
  • 旧制二中43回5年卒業生と旧制二高女36期5年卒業生は、新制鹿児島県甲南高等学校第3学年進学者(1950年(昭和25年)甲南1期卒業生)を含む。

脚注

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注釈

[編集]
  1. ^ 出身者は尋常中学校相当の予科の生徒を記載、本科の卒業生は第七高等学校造士館 (旧制)#著名な出身者を参照
  2. ^ a b c d e f 二中40回卒(4年卒業)と二中41回卒(5年卒業)は同学年
  3. ^ 学制改革による移行措置のため。
  4. ^ 二中独立直後の1906年5月に4年次で退学し旧制錦城中4年次編入

出典

[編集]
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  12. ^ 宮崎日日新聞社『宮崎県大百科事典』(1983年10月)
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