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藤枝泉介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤枝 泉介
ふじえだ せんすけ
防衛庁長官着任式にて(1961年7月19日)
生年月日 (1907-12-03) 1907年12月3日
出生地 日本の旗 栃木県宇都宮市
没年月日 (1971-06-06) 1971年6月6日(63歳没)
出身校 東京帝国大学法学部英法科
所属政党民主自由党→)
自由党→)
日本民主党→)
自由民主党岸派椎名派
称号 正三位
勲一等旭日大綬章
親族 長兄・船田中大政翼賛会政策局内政部長、元衆議院議長)
次兄・船田享二京城帝国大学教授、元衆議院議員)
甥・船田譲(元参議院議員、元栃木県知事
大甥・船田元(衆議院議員)
義大姪・船田恵(元参議院議員)

在任期間 1969年7月16日 - 1969年12月2日
衆議院議長 松田竹千代

日本の旗 第13・14代 自治大臣
第22・23代 国家公安委員会委員長
内閣 第1次第3次改造内閣
第2次佐藤内閣
在任期間 1966年12月3日 - 1967年11月25日

日本の旗 第35代 運輸大臣
内閣 第1次佐藤第2次改造内閣
在任期間 1966年10月14日 - 1966年12月3日

日本の旗 第14代 防衛庁長官
内閣 第2次池田第1次改造内閣
在任期間 1961年7月18日 - 1962年7月18日

内閣 第1次池田内閣
第2次池田内閣
在任期間 1960年7月19日 - 1961年7月18日

その他の職歴
日本の旗 衆議院議員
旧群馬1区
当選回数 8回
1949年1月23日 - 1952年8月28日
1953年4月19日 - 1971年6月6日
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藤枝 泉介(ふじえだ せんすけ、1907年明治40年〉12月3日 - 1971年昭和46年〉6月6日)は、日本政治家内務官僚

衆議院副議長(第48代)、自治大臣(第13・14代)、国家公安委員会委員長(第22・23代)、運輸大臣(第34代)、防衛庁長官(第14代)、総理府総務長官(第4・5代)、衆議院議員(8期)などを歴任した[1]

経歴

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「船田三兄弟」の末弟。長兄は第51・56代衆議院議長船田中、次兄はローマ法学者の船田享二。所属政党は民主自由党自由党日本民主党自由民主党。自民党での所属派閥は岸信介派→川島正次郎派→椎名悦三郎派(十日会交友クラブ)。

1907年船田兵吾の三男として栃木県宇都宮市に生まれる。後に藤枝家の養子となる。浦和高等学校を経て1930年東京帝国大学法学部英法科を卒業。内務省に入省し、鹿児島県愛媛県埼玉県群馬県で勤務する。群馬県副知事を経て、1949年(昭和24年)第24回衆議院議員総選挙群馬1区(当時)から立候補し当選する。以後、当選8回[2]1954年第2次鳩山一郎内閣で大蔵政務次官に任命され、1960年には第1次池田内閣で総理府総務長官に任命されて初入閣。第2次池田内閣でも留任し、1961年、第2次池田第1次改造内閣防衛庁長官に転任。1966年、第1次佐藤第2次改造内閣運輸大臣[3]、続く第1次佐藤第3次改造内閣第2次佐藤内閣では自治大臣国家公安委員会委員長、1969年、衆議院副議長などを歴任。憲法調査会委員、自民党副幹事長も務めた。

議員在職中の1971年6月6日、死去した。63歳没。死没日付をもって正三位に叙され、勲一等旭日大綬章を追贈された。追悼演説は同年7月15日の衆議院本会議で、田邊誠により行われた[4]

年譜

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論文

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家族

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脚注

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議会
先代
小平久雄
日本の旗 衆議院副議長
第47代:1969年
次代
荒舩清十郎
公職
先代
塩見俊二
日本の旗 自治大臣
第12・13代:1966年 - 1967年
次代
赤沢正道
先代
塩見俊二
日本の旗 国家公安委員会委員長
第22・23代:1966年 - 1967年
次代
赤沢正道
先代
荒舩清十郎
日本の旗 運輸大臣
第35代:1966年
次代
大橋武夫
先代
西村直己
日本の旗 防衛庁長官
第14代:1961年 - 1962年
次代
志賀健次郎
先代
福田篤泰
日本の旗 総理府総務長官
第4・5代:1960年 - 1961年
次代
小平久雄