利用者:桂鷺淵/寛政譜/a01
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『寛政重修諸家譜』巻1~巻25
- 『寛政重修諸家譜 第一輯』(国民図書、1922年) 巻1~巻200を収録
- 国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082717/2
- 『新訂寛政重修諸家譜 第一』(続群書類従刊行会、1964年) 巻1~巻58を収録
巻2:松平諸流略系図
[編集]巻第二
[編集]§2-1
[編集]清和源氏(義家流) |
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松平 | 松平諸流略系図。源(新田)義重から得川義季、松平親氏を経て松平清康に至る。義重から親氏まで略記。
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旧刊本 17 NDL写本 * |
巻3:三木松平
[編集]巻第三
[編集]§3-1
[編集]松平三木 ―― |
松平蔵人信孝は松平信忠の二男。 | 旧刊本 18 NDL写本* |
§3-2
[編集]松平三木 安房守 忠敷 |
松平重忠(3-1)の子・松平九郎右衛門忠利が500石を分知され別家、一時改易されるが赦免。 松平九郎右衛門忠政は近江国北小松村等の境界争いの調査をめぐり一時逼塞。
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旧刊本 18 NDL写本* |
§3-3
[編集]松平三木 与市郎 忠寿 |
松平重利(3-2)の三男・松平小兵衛忠政が別家。 | 旧刊本 19 NDL写本 * |
巻4:福釜松平
[編集]巻第四
[編集]§4-1
[編集]松平福釜 ―― |
松平右京亮親盛は松平長親の二男。 | 旧刊本 19 |
§4-2
[編集]松平福釜 伝次郎 康珍 |
松平康盛(4-1)の四男・松平三郎左衛門康済が甲府徳川家に仕える。 | 旧刊本 20 |
§4-3
[編集]松平福釜 東次郎 康胤 |
松平康済(4-2)の三男・松平左源次康春が甲府徳川家に仕え、のち幕臣。 | 旧刊本 21 |
§4-4
[編集]松平福釜 三郎次郎 康年 |
松平康盛(4-1)の五男・松平三郎九郎康末が父の采地のうち300石を分知される。 | 旧刊本 21 |
§4-5
[編集]松平福釜 宇右衛門 康能 |
松平康親(4-1)の三男・松平宇右衛門康勝が御小姓組に連なる。 | 旧刊本 22 |
巻5-6:桜井松平
[編集]巻第五
[編集]§5-1
[編集]松平桜井 遠江守 忠告 |
尼崎藩主家。松平内膳正信定は松平長親の三男。松平忠頼は浜松藩主(5万石)となるが刃傷事件に遭い横死、城地没収。松平忠重が大名に復帰。
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旧刊本 22 |
巻第六
[編集]§6-1
[編集]松平桜井 縫殿助 忠義 |
松平忠頼(5-1)の次男・松平淡路守忠直が家を立てる。 松平監物忠氏はトラブルから人を殺し、遺族から訴えられて不当とされ改易。 松平三七郎忠明が召し返される。 |
旧刊本 25 |
§6-2
[編集]松平桜井 左門 忠光 |
松平忠直(5-2)の次男・松平左門忠治が父の采地から500石を分知、のち御小姓などを務め加増。
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旧刊本 26 |
§6-3
[編集]松平桜井 駒次郎 忠順 |
松平忠治(6-2)の五男・松平左内忠輝が出仕、父の食禄300俵を分けられる。 | 旧刊本 27 |
§6-4
[編集]松平桜井 幸三郎 忠鎮 |
松平忠頼(5-1)の四男・松平隼人正忠久は駿河大納言忠長に附属。忠長の改易後、松平忠国預けとなり、のち赦免。 松平内記忠周は大坂町奉行を務め1000石。 |
旧刊本 27 |
巻7-8:藤井松平
[編集]巻第七
[編集]§7-1
[編集]松平藤井 山城守 信愛 |
上山藩主家。藤井松平家の本家にあたる(Category:松平山城守家)。松平利長は松平長親の四男。松平信一が諸侯に列する。松平信之は幕府老中。松平忠之は「狂気」を理由に改易され、弟の信通に預けられる。松平信通は父の遺領中1万石を分知され興留藩を立藩していたが、兄が改易された際に特別な家(すぢ異なる家)であるとして加増を受ける。
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旧刊本 28 |
§7-2
[編集]松平藤井 勘介 信寅 |
松平忠国(7-1)の三男・松平志摩守信重が召し出され御小姓、父の遺領より5000石を分知。 | 旧刊本 28 |
巻第八
[編集]§8-1
[編集]松平藤井 伊賀守 忠済 |
上田藩主家(Category:松平伊賀守家) 松平信吉(7-1)の次男・伊豆守忠晴が召し出され、最終的に丹波亀山3万8000石。 松平伊賀守忠周が兄の養子となって跡を継ぎ、転封3度を経て上田藩主。
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旧刊本 31 |
§8-2
[編集]松平藤井 信濃守 忠明 |
松平忠周(8-1)の五男・民部少輔忠容が父の遺領5000石を分知される。 | 旧刊本 33 |
巻9-11:大給松平
[編集]巻第九
[編集]§9-1
[編集]松平大給 和泉守 乗寛 |
西尾藩主家(Category:西尾松平家)。大給松平家の本家にあたる。松平親元は松平親忠の二男。松平家乗は家康の関東入国時に1万石(のち美濃岩村2万石)。乗勝の弟・清成は家康に仕え高天神攻めで負傷。松平近正(13-1)の弟ともされ考証あり。また清成の兄に「松平久助」を置く系譜があり、清成の項で考証を付す。
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旧刊本 34 |
巻第十
[編集]§10-1
[編集]松平大給 求馬介 乗譲 |
松平乗春(9-1)の二男・松平内匠頭乗興、父の遺領から5000石を分知。 | 旧刊本 39 |
§10-2
[編集]松平大給 ―― |
松平乗久(9-1)の七男・松平壱岐守好乗、父の遺領からの分知と新田分で3000石を知行。 | 旧刊本 39 |
§10-3
[編集]松平大給 能登守 乗保 |
岩村藩主家(Category:岩村松平家)。 松平乗寿(9-1)の二男・石川美作守乗政は徳川家綱に近侍、諸侯に列する。 乗政は「ゆへありて」石川氏を称したが乗紀のとき松平氏に復す。 |
旧刊本 40 |
§10-4
[編集]松平大給 善之丞 乗集 |
松平乗紀(10-3)の三男・松平豊前守致乗、父の遺領から新田分2000石を分知される。 | 旧刊本 41 |
巻第十一
[編集]§11-1
[編集]松平大給 左源次 乗冬 |
松平家乗(9-1)の二男・松平但馬守知乗が家を立てる。 | 旧刊本 42 |
§11-2
[編集]松平大給 備後守 乗識 |
松平知乗(11-1)の二男・松平右衛門作乗英が家光の小姓となる。父の遺領から300石を分知される。 松平織部正乗尹は御小納戸頭取、御作事奉行などを務め、600石に加増。 |
旧刊本 43 |
§11-3
[編集]松平大給 一学 乗崇 |
松平知乗(11-1)の三男・松平修理亮乗武は甲府徳川家に仕え、家宣に供奉して幕臣。 | 旧刊本 44 |
§11-4
[編集]松平大給 鉱蔵 乗郷 |
松平知乗(11-1)の四男・松平惣七郎乗実が甲府徳川家に仕える。松平惣十郎乗充が家宣に供奉し幕臣。
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旧刊本 44 |
巻12:大給松平(真次系)
[編集]巻第十二
[編集]§12-1
[編集]松平大給 対馬守 乗尹 |
奥殿藩主家(Category:奥殿松平家) 松平真乗(9-1)の二男・松平縫殿助真次は加増時に先祖の地を望み大給3000石を知行、のち奥殿7000石に加増。 真次の死後、養子乗真と実子乗次が家督を譲りあい、乗次が4000石と家督を継承。 松平縫殿頭乗次は御書院番頭・大番頭・御留守居・大坂定番を歴任。諸侯に列す。 |
旧刊本 45 |
§12-2
[編集]松平大給 小豊次 乗輪 |
松平真次(12-1)の養子・松平肥前守乗真が3000石で家を立て、御書院番頭・駿府城代を歴任して5000石に加増。 松平左門乗包の代、家中で譜代家老と新参家臣が対立。譜代家老が乗包の不行跡を訴えて大給一族を巻き込み、 評定所での両派対決に持ち込まれた。乗包の不行跡は無実とされたが、3000石への減知を受けた。 松平志摩守乗展は、居宅よりの失火延焼、儀式での錯誤などで処分を受けながらも御書院番頭に上る。 |
旧刊本 46 |
巻13-15:大給松平(親清系)
[編集]巻第十三
[編集]§13-1
[編集]松平大給 長門守 近儔 |
豊後府内藩主家(Category:府内松平家) 松平乗正(9-1)の三男・松平左衛門尉親清を祖とする。 松平五左衛門近正は本家松平家乗の家老であったがのち家康に直仕。関ヶ原戦役で伏見城に戦死。 松平五左衛門一生は下野板橋1万石、佐竹氏転封後の水戸城番の一人で功績。 松平右近将監成重は各地へ転封・2万2200石まで加増。松平左近将監忠昭も転封を繰り返し、豊後府内で定着。
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旧刊本 47 |
§13-2
[編集]松平大給 伊勢守 近言 |
松平近陳(13-1)の三男・市之丞近苗は、松平近鎮(14-1)の養子となるが病気のため実家に帰り、 兄・近禎の所務より500俵を分けられて一家を立て、寄合に列する。 |
旧刊本 49 |
巻第十四
[編集]§14-1
[編集]松平大給 主計 近峯 |
松平忠昭(13-1)の二男・松平主計頭近鎮は中奥に候す。父の遺領より分知1000石+新田500石。のち2500石まで加増。
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旧刊本 50 |
§14-2
[編集]松平大給 仁右衛門 近豊 |
松平忠昭(13-1)の三男・松平市正近良は御書院番を務め、新田1000石を分知。のち1500石。 | 旧刊本 51 |
§14-3
[編集]松平大給 勇助 近美 |
松平成重(13-1)の三男・松平源右衛門一重が御小姓組に列す。
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旧刊本 51 |
§14-4
[編集]松平大給 伝蔵 近英 |
松平成重(13-1)の四男・松平伝蔵重勝が出仕。
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旧刊本 51 |
§14-5
[編集]松平大給 熊五郎 近芳 |
松平成重(13-1)の五男・松平杢之助近憲が甲府徳川家に仕える。松平杢之助近住のとき幕臣になる。
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旧刊本 52 |
巻第十五
[編集]§15-1
[編集]松平大給 藤五郎 正之 |
松平近正(13-1)の三男・松平五左衛門正吉が秀忠に仕え、番方を務め戦功あり。700石。 松平藤五郎正勝(御書院番)は「失心して自殺」し、子の松平敬之助正信が500石で家を継ぐ。
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旧刊本 53 |
§15-2
[編集]松平大給 益太郎 正愛 |
松平正吉(15-2)の三男・松平源助正生が亀松の御小姓となる。
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旧刊本 54 |
§15-3
[編集]松平大給 六十郎 正尚 |
松平正吉(15-2)の四男・松平吉右衛門正副が館林徳川家に仕え、幕臣となる。
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旧刊本 54 |
巻16-18:宮石松平
[編集]巻第十六
[編集]§16-1
[編集]松平宮石 藤九郎 正邦 |
宮石松平家は大給松平家の支流。 呈譜によれば、松平乗元の三男・松平乗次が額田郡宮石に住して宮石松平を称したという。
『寛永譜』では大給庶家とのみあり、松平八郎右衛門貞次以前は詳らかではないとされている。 松平喜平宗次は桶狭間の合戦で戦死。松平加賀右衛門康次は460石。
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旧刊本 55 |
§16-2
[編集]松平宮石 加賀右衛門 乗雄 |
松平正次(16-1)の二男・市郎右衛門正茂が父の采地300石を賜る(兄の正成は別個に采地を賜っている)。
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旧刊本 56 |
§16-3
[編集]松平宮石 伊左衛門 正矩 |
松平正次(16-1)の四男・八郎左衛門正友が小十人に列する。
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旧刊本 57 |
巻第十七
[編集]§17-1
[編集]松平宮石 勘十郎 乗郡 |
松平康次(16-1)の三男・松平主米(もとめ)利次が家康に仕える。
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旧刊本 57 |
§17-2
[編集]松平宮石 助大夫 乗興 |
松平乗忠(17-1)の長男(庶子)・弥兵衛乗良が家綱に仕える。
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旧刊本 58 |
§17-3
[編集]松平宮石 ―― |
松平利次(17-1)の二男・又兵衛乗次が召し出される。松平鍋四郎が5歳で没し無嗣断絶。
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旧刊本 59 |
§17-4
[編集]松平宮石 喜平次 乗兆 |
松平利次(17-1)の三男・与兵衛乗政が家綱に仕える。
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旧刊本 59 |
巻第十八
[編集]§18-1
[編集]松平宮石 源五郎 乗通 |
松平康次(16-1)の四男・新五左衛門直次が出仕。 直次は慶安2年10月に死去したが、長男直正も同年12月死去。父の功により直広が相続を許される。
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旧刊本 59 |
§18-2
[編集]松平宮石 所左衛門 次米 |
松平康次(16-1)の五男・所左衛門次倫が家光に仕える。
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旧刊本 60 |
巻19-20:滝脇松平
[編集]巻第十九
[編集]§19-1
[編集]松平滝脇 監物 乗道 |
家祖松平乗清の系譜上の位置、大給松平家との関係について考証あり。 『寛永譜』は親忠の子で大給乗元の弟。今の呈譜も親忠の九男とするが、乗元の子とする一説を記す。 |
旧刊本 61 |
§19-2
[編集] 松平滝脇 市郎右衛門 乗武 |
松平乗次(19-1)の二男・乗久が召し出される。 | 旧刊本 61 |
巻第二十
[編集]§20-1
[編集]松平 岩次郎 正敏 |
「麻生松平家」。 家祖の松平四郎右衛門某(今の呈譜に正忠)および滝脇松平家との関係や庶家について考証あり。 呈譜によれば、滝脇松平乗清の長男・源四郎親正(次男に乗遠)の子孫で、四郎右衛門清房が麻生を領したという。
『寛政譜』は、乗清の没年葬地等も滝脇家の家譜と異なると指摘。また正忠子孫諸家の間でも系譜に齟齬がある。
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旧刊本 62 |
§20-2
[編集]松平 ―― |
松平政次(20-1)の二男・三郎兵衛は、外祖父・村串与三左衛門の跡を継ぎ村串を称する。三郎兵衛正吉が松平に復す。 松平三郎兵衛正吉は御小姓組番士として一時期400石の知行取となるが廩米に改められる。 松平小大夫正晴は養子を3人取っては返したため、以後の養子は認めずとされ、無嗣絶家。 |
旧刊本 64 |
§20-3
[編集]松平 丹後守 信義 |
松平正忠(20-1)の子が松平助十郎正勝であるが、この家の呈譜では正勝の弟に勝秀(20-1)を載せない。 正勝は大坂の陣で戦死し、台命により松平家信(23-1、形原松平家)の二男・松平丹後守重信が婿となって跡を継ぐ。 『寛永譜』では形原松平家の支流に掲げている。 |
旧刊本 64 NDL写本 * |
巻21-22:竹谷松平
[編集]巻第二十一
[編集]§21-1
[編集]松平竹谷 哲吉 守誠 |
松平信光の長男・左京亮守家を始祖とする。守家以来宗家に仕える。 松平備後守清善は家康に従い、異父兄鵜殿長照と戦う。 松平玄蕃頭家清は、家康の関東入国後に武蔵八幡山1万石、のち三河吉田3万石。 松平玄蕃頭忠清は嗣子なく所領を収められるが、弟の清昌が兄の旧領中で新たに5000石を与えられ、交替寄合となる。
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旧刊本 65 |
巻第二十二
[編集]§22-1
[編集]松平竹谷 石見守 貴強 |
松平清宗(21-1)の二男・内記清定が兄家清の領内で分知。与兵衛清信が直参となり御小姓組に列す。 松平清親のとき知行に改め1200石。 |
旧刊本 68 |
§22-2
[編集]松平竹谷 金之丞 清盈 |
松平清信(22-1)の二男・弥右衛門清武が召し出され小十人。弥右衛門清行より甲府勤番。
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旧刊本 68 |
§22-3
[編集]松平竹谷 八郎左衛門 清時 |
松平清信(22-1)の四男・新兵衛信房が召し出され館林徳川家に附属。
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旧刊本 69 |
§22-4
[編集]松平竹谷 ―― |
松平清信(22-1)の五男・与兵衛清春が召し出され徳川亀松の小姓となる。
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旧刊本 70 |
巻23-25:形原松平
[編集]巻第二十三
[編集]§23-1
[編集]松平形原 紀伊守 信彰 |
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旧刊本 70 |
§23-2
[編集]松平形原 監物 庸孝 |
松平信庸の二男・松平庸倫が、兄・信岑の所務から2000俵を分けられ寄合に列する。
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旧刊本 73 |
巻第二十四
[編集]§24-1
[編集]松平形原 主計頭 信愛 |
松平家信の四男・松平民部少輔氏信が出仕。父の遺領から分知2000石、加増を重ねて6000石。 松平勘解由氏清は家綱に仕えるが病のために家督を継がず、弟の民部少輔氏辰が家を継ぐ。 氏辰の遺領6000石は、甥の信房が4000石を継ぎ、長男の信綿が2000石を継いで分家。 氏辰の二男・松平美作守道庸は宗家(信庸)の所務から300俵を分けられ寄合に列する。
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旧刊本 74 |
§24-2
[編集]松平形原 吉太郎 信知 |
松平氏辰(24-1)の二男・松平備後守信綿が父の遺領から2000石を分知される。
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旧刊本 75 |
巻第二十五
[編集]§25-1
[編集]松平石川 ―― |
松平家房の死後、二男の勘助正重は弟の次右衛門正成とともに家康に出仕。正重は外戚の石川氏を称する。 | 旧刊本 75 |
§25-2
[編集]松平形原 藤兵衛 信博 |
石川正重(25-1)の二男・八左衛門信平を祖とする家。
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旧刊本 76 |
§25-3
[編集]松平形原 源七郎 隆則 |
松平家房の三男・次右衛門正成を祖とする家。
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旧刊本 76 |
§25-4
[編集]松平形原 九郎左衛門 親敬 |
松平正成の二男・松平又十郎親明が甲府徳川家に附属。 松平又十郎親春は家宣に御小姓組番頭として仕え、幕臣となり采地500石。
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旧刊本 77 |
▼次 |
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脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 国民図書版では「照信」とするが、国会図書館蔵の原文は「昭信」