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'''東日本大震災'''(ひがしにほんだいしんさい)は、[[2011年]]([[平成]]23年)[[3月11日]]に発生した'''[[東北地方太平洋沖地震]]'''とそれに伴う[[津波]]、およびその後の[[余震]]により引き起こされた大規模[[震災|地震災害]]である。この震災に伴って[[福島第一原子力発電所事故]]が発生した。 |
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発生した日付から'''3.11'''(さんてんいちいち<ref>{{Cite web|url=https://dictionary.goo.ne.jp/jn/250285/meaning/m0u/%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%84%E3%81%A1%E3%81%84%E3%81%A1/|title=さんてんいちいち【三一一】|work=goo辞書|publisher=デジタル大辞泉|accessdate=2017-06-24}}</ref>)、'''311'''(さんいちいち<ref>{{Cite web|url=http://www.miyagi-sfk.net/community/volunteer-center/node_6394|title=311(さんいちいち)ライブラリー|publisher=宮城県社会福祉協議会|accessdate=2017-06-24}}</ref>)と称することもある。 |
発生した日付から'''3.11'''(さんてんいちいち<ref>{{Cite web|url=https://dictionary.goo.ne.jp/jn/250285/meaning/m0u/%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%84%E3%81%A1%E3%81%84%E3%81%A1/|title=さんてんいちいち【三一一】|work=goo辞書|publisher=デジタル大辞泉|accessdate=2017-06-24}}</ref>)、'''311'''(さんいちいち<ref>{{Cite web|url=http://www.miyagi-sfk.net/community/volunteer-center/node_6394|title=311(さんいちいち)ライブラリー|publisher=宮城県社会福祉協議会|accessdate=2017-06-24}}</ref>)と称することもある。 |
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[[ファイル:廃レジャー施設の南三陸シーサイドパレス.jpg|thumb|津波と[[地盤沈下]]で海中に水没した宮城県[[南三陸町]]の建物(2014年3月8日)]] |
[[ファイル:廃レジャー施設の南三陸シーサイドパレス.jpg|thumb|津波と[[地盤沈下]]で海中に水没した宮城県[[南三陸町]]の建物(2014年3月8日)]] |
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[[ファイル:Nobiru Elementary School's gymnasium.jpg|thumb|宮城県[[東松島市]]の指定避難所を襲った津波の犠牲者(2011年3月17日)]] |
[[ファイル:Nobiru Elementary School's gymnasium.jpg|thumb|宮城県[[東松島市]]の指定避難所を襲った津波の犠牲者(2011年3月17日)]] |
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2011年(平成23年)3月11日(金曜日)14時46分18秒([[日本標準時|日本時間]])<ref name="気象庁地震・火山月報">{{PDFlink|[http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/gaikyo/monthly/201103/monthly201103.pdf 平成23年3月 地震・火山月報(防災編)]気象庁}}</ref>、[[宮城県]][[牡鹿半島]]東南東沖130[[キロメートル|km]]を[[震源]](北緯38度06.2分、東経142度51.6分、深さ24km)とする'''東北地方太平洋沖地震'''が発生<ref>{{Cite press release |
2011年(平成23年)3月11日(金曜日)14時46分18秒([[日本標準時|日本時間]])<ref name="気象庁地震・火山月報">{{PDFlink|[http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/gaikyo/monthly/201103/monthly201103.pdf 平成23年3月 地震・火山月報(防災編)]気象庁}}</ref>、[[宮城県]][[牡鹿半島]]の東南東沖130[[キロメートル|km]]を[[震源]](北緯38度06.2分、東経142度51.6分、深さ24km)とする'''東北地方太平洋沖地震'''が発生した<ref>{{Cite press release |
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|publisher = 気象庁 |
|publisher = 気象庁 |
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|url = http://www.jma.go.jp/jma/press/1103/11b/201103111600.html |
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|title = 平成23年3月11日14時46分頃の三陸沖の地震について |
|title = 平成23年3月11日14時46分頃の三陸沖の地震について |
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|date = 2011-03-11 |
|date = 2011-03-11 |
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}}</ref>。規模は[[マグニチュード#モーメントマグニチュード Mw|モーメントマグニチュード]] (Mw) 9.0で、発生時点において'''日本周辺における観測史上最大の地震'''である。[[震源]]は広大で、[[岩手県]]沖から[[茨城県]]沖までの南北約500km、東西約200kmのおよそ10万[[平方キロメートル|km{{sup|2}}]]という広範囲全てが震源域とされる<ref name="気象庁第15報">{{cite press release |
}}</ref>。地震の規模は[[マグニチュード#モーメントマグニチュード Mw|モーメントマグニチュード]] (Mw) 9.0で、発生時点において'''日本周辺における観測史上最大の地震'''である。[[震源]]は広大で、[[岩手県]]沖から[[茨城県]]沖までの南北約500km、東西約200kmのおよそ10万[[平方キロメートル|km{{sup|2}}]]という広範囲全てが震源域とされる<ref name="気象庁第15報">{{cite press release |
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|title = 「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」について(第15報)PDFファイル含む |
|title = 「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」について(第15報)PDFファイル含む |
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|publisher = 気象庁 |
|publisher = 気象庁 |
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|date = 2011-03-11 |
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|accessdate = 2015-03-12 |
|accessdate = 2015-03-12 |
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}}</ref>。最大[[気象庁震度階級|震度]]は宮城県[[栗原市]] |
}}</ref>。最大[[気象庁震度階級|震度]]は宮城県[[栗原市]]で観測された[[震度7]]で、宮城・[[福島県|福島]]・茨城・[[栃木県|栃木]]の4県36市町村と[[仙台市]]内の1区で震度6強を観測した<ref>{{PDFlink| |
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東京、横浜で震度5強を観測した。[http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/2011_03_11_tohoku/0311_shindo.pdf 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震に関する観測・解析データなど -各地の震度-] }}気象庁</ref>。 |
東京、横浜で震度5強を観測した。[http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/2011_03_11_tohoku/0311_shindo.pdf 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震に関する観測・解析データなど -各地の震度-] }}気象庁</ref>。 |
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== 被害 == |
== 被害 == |
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:この地震により、場所によっては波高10[[メートル|m]]以上、最大遡上高40.1mにも上る巨大な[[津波]]が発生し、[[東北地方]]と[[関東地方]]の[[太平洋]]沿岸部に壊滅的な被害が発生した<ref>{{cite web |url=http://www.jwa.or.jp/static/topics/20110422/tsunamigaiyou3.pdf |title=平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震津波の概要(第3報) |publisher=日本気象協会 |date=2011-04-22 |accessdate=2011-05-21 |deadlinkdate= 2014-10-27 |format=PDF |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111214180433/http://www.jwa.or.jp/static/topics/20110422/tsunamigaiyou3.pdf |archivedate=2011-12-14}}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.coastal.jp/ttjt/index.php?%E7%8F%BE%E5%9C%B0%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E7%B5%90%E6%9E%9C |title=現地調査結果 |publisher=東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループ |date=2012-01-14 |accessdate=2012-02-09}}</ref>。また、巨大津波以外にも、地震の揺れや[[液状化現象]]、[[地盤沈下]]、[[ダム]]の決壊などによって、[[北海道]]南岸から東北を経て[[東京湾]]を含む関東南部に至る広大な範囲で被害が発生、各種[[インフラストラクチャー|インフラ]](人々の生活に必須な、いわゆる[[ライフライン]])が寸断された。 |
:この地震により、場所によっては波高10[[メートル|m]]以上、最大遡上高40.1mにも上る巨大な[[津波]]が発生し、[[東北地方]]と[[関東地方]]の[[太平洋]]沿岸部に壊滅的な被害が発生した<ref>{{cite web |url=http://www.jwa.or.jp/static/topics/20110422/tsunamigaiyou3.pdf |title=平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震津波の概要(第3報) |publisher=日本気象協会 |date=2011-04-22 |accessdate=2011-05-21 |deadlinkdate= 2014-10-27 |format=PDF |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111214180433/http://www.jwa.or.jp/static/topics/20110422/tsunamigaiyou3.pdf |archivedate=2011-12-14}}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.coastal.jp/ttjt/index.php?%E7%8F%BE%E5%9C%B0%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E7%B5%90%E6%9E%9C |title=現地調査結果 |publisher=東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループ |date=2012-01-14 |accessdate=2012-02-09}}</ref>。また、巨大津波以外にも、地震の揺れや[[液状化現象]]、[[地盤沈下]]、[[ダム]]の決壊などによって、[[北海道]]南岸から東北を経て[[東京湾]]を含む関東南部に至る広大な範囲で被害が発生し、各種[[インフラストラクチャー|インフラ]](人々の生活に必須な、いわゆる[[ライフライン]])が寸断された。 |
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:[[2016年]](平成28年)[[12月9日]]時点で、震災 |
:[[2016年]](平成28年)[[12月9日]]時点で、震災による死者・行方不明者は18,449人、[[建築物]]の全壊・半壊は合わせて400,827戸<ref name="NPA">{{cite press release |title=東日本大震災について 被害状況と警察措置 |publisher=警察庁 |url=http://www.npa.go.jp/archive/keibi/biki/higaijokyo.pdf |date=2016-12-09 |accessdate=2017-03-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170106143349/http://www.npa.go.jp/archive/keibi/biki/higaijokyo.pdf |archivedate=2017-01-06}}</ref>が公式に確認されている。震災発生直後のピーク時においては避難者は40万人以上、[[停電]]世帯は800万戸以上<ref name="metipress800">経済産業省{{PDF|[https://web.archive.org/web/20110323114808/http://www.meti.go.jp/press/20110311020/20110311020.pdf 地震被害情報(第4報)3月11日18時45分現在]}}(2015年7月14日時点の[[インターネット・アーカイブ|アーカイブ]])</ref>、[[断水]]世帯は180万戸以上<ref>{{Cite web |title=平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の被害状況及び対応について(第17報) |url=http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000015344-img/2r9852000001535l.pdf |publisher=厚生労働省 |format=PDF |date=2011-03-16 |accessdate=2015-03-12}}</ref>等の数値が報告されている。[[復興庁]]によると、2017年2月13日時点の避難者等の数は123,168人となっており<ref>{{Cite web |title=全国の避難者等の数(所在都道府県別・所在施設別の数) |url=http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-1/hinanshasuu.html |publisher=復興庁 |date=2017-02-28 |accessdate=2017-03-10}}</ref>、避難が長期化していることが特徴的である。 |
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:*津波による浸水面積 - 561km{{sup|2}}<ref>{{cite web |url=http://www.gsi.go.jp/common/000059939.pdf |title=津波による浸水範囲の面積(概略値)について(第5報) |publisher=国土地理院 |date=2011-04-18 |format=PDF |accessdate=2016-05-28 }}</ref> |
:*津波による浸水面積 - 561km{{sup|2}}<ref>{{cite web |url=http://www.gsi.go.jp/common/000059939.pdf |title=津波による浸水範囲の面積(概略値)について(第5報) |publisher=国土地理院 |date=2011-04-18 |format=PDF |accessdate=2016-05-28 }}</ref> |
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:*津波被害農地 - 21,476ha(宮城14,341、福島5,462、岩手725等)<ref>{{Cite web |url=http://www.bousai.go.jp/kaigirep/hakusho/h24/bousai2012/html/honbun/1b_1h_1s_01_03.htm |title=農地被害 | publisher=内閣府 |accessdate=2016-08-20 }}</ref> |
:*津波被害農地 - 21,476ha(宮城14,341、福島5,462、岩手725等)<ref>{{Cite web |url=http://www.bousai.go.jp/kaigirep/hakusho/h24/bousai2012/html/honbun/1b_1h_1s_01_03.htm |title=農地被害 | publisher=内閣府 |accessdate=2016-08-20 }}</ref> |
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[[ファイル:Temporary cemetery in Ishinomaki.JPEG|thumb|都道府県別で犠牲者数が最多だった宮城県では[[火葬]]の限界を超えたため、仮埋葬(一時的な[[土葬]])が行われた(宮城県石巻市、2011年6月7日撮影)]] |
[[ファイル:Temporary cemetery in Ishinomaki.JPEG|thumb|都道府県別で犠牲者数が最多だった宮城県では[[火葬]]の限界を超えたため、仮埋葬(一時的な[[土葬]])が行われた(宮城県石巻市、2011年6月7日撮影)]] |
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[[警察庁]]は、2017年(平成29年)3月10日、[[死]]者15,893人、重軽傷者は6,152人、警察に届出があった行方不明者は2,553人と発表(ただし未確認情報を含む。余震によるもの含む)<ref name="NPA" />。国内で起きた[[自然災害]]で死者・行方不明者の合計が1万人を超えたのは戦後初<ref>{{Cite web |url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110315/t10014700671000.html |title=死者・行方不明者 1万人超に |publisher=NHK |date=2011-04-20 |accessdate=2010-04-26 |archiveurl=http://web.archive.org/20110318055501/www3.nhk.or.jp/news/html/20110315/t10014700671000.html |archivedate=2011-03-18}}</ref>、[[明治]]以降でも[[関東大震災]]、[[明治三陸地震]]に次ぐ被害規模であった<ref>{{cite web |url=http://www.bousai.go.jp/kaigirep/hakusho/h24/bousai2012/html/honbun/1b_1h_1s_01_01.htm |title=(1)人的被害 |publisher=内閣府 |accessdate=2016-10-22}}</ref>。岩手・宮城・福島の3県を中心に、1都1道10県で死者・行方不明者が、また1都1道18県で負傷者が発生した<ref name="NPA" />。 |
[[警察庁]]は、2017年(平成29年)3月10日、[[死]]者は15,893人、重軽傷者は6,152人、警察に届出があった行方不明者は2,553人であると発表している(ただし未確認情報を含む。余震によるものを含む)<ref name="NPA" />。日本国内で起きた[[自然災害]]で死者・行方不明者の合計が1万人を超えたのは戦後初めてであり<ref>{{Cite web |url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110315/t10014700671000.html |title=死者・行方不明者 1万人超に |publisher=NHK |date=2011-04-20 |accessdate=2010-04-26 |archiveurl=http://web.archive.org/20110318055501/www3.nhk.or.jp/news/html/20110315/t10014700671000.html |archivedate=2011-03-18}}</ref>、[[明治]]以降でも[[関東大震災]]、[[明治三陸地震]]に次ぐ被害規模であった<ref>{{cite web |url=http://www.bousai.go.jp/kaigirep/hakusho/h24/bousai2012/html/honbun/1b_1h_1s_01_01.htm |title=(1)人的被害 |publisher=内閣府 |accessdate=2016-10-22}}</ref>。岩手・宮城・福島の3県を中心に、1都1道10県で死者・行方不明者が、また1都1道18県で負傷者が発生した<ref name="NPA" />。 |
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{|class="wikitable sortable" style="line-height:1.25em;text-align:right" |
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:*[[焼死]]:0.92%(145体) |
:*[[焼死]]:0.92%(145体) |
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:*不詳:4.22%(666体) |
:*不詳:4.22%(666体) |
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:この震災の犠牲者の死因のほとんどが、津波による水死であった。津波の中には、大量の砂や海底の[[ヘドロ]]、港湾施設の[[重油]]などの有害物質などが含まれ |
:この震災での犠牲者の死因のほとんどが、津波に巻き込まれたことによる水死であった。津波の中には、大量の砂や海底の[[ヘドロ]]、港湾施設の[[重油]]などの有害物質などが含まれていた。砂が肺に入れば気管を詰まらせ、有害物質が肺に入れば身体を侵す。水死に至る経緯は、これらで呼吸困難になったり、がれきが当たり意識を失ったり、3月の雪の舞う中で低体温を伴ってなど、さまざまな経緯もあったと考えられる。 |
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:圧死・損傷死・焼死も、ほとんどが津波によるがれきが要因。 |
:圧死・損傷死・焼死も、ほとんどが津波によるがれきが要因となっている。 |
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:建造物の倒壊や土砂崩れ、天井の非構造部材の落下、高所からの落下など、地震の揺れそのものが原因による犠牲者は、福島県36人・茨城県18人・宮城県13人・東京都7人など、分かっているだけで90人に上る<ref>[https://web.archive.org/web/20130612220714/http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1115/20130517_01.htm 大震災・揺れの犠牲90人超 宮城・山形・福島など1都8県](2013年6月12日時点の[[インターネット・アーカイブ|アーカイブ]]) - 河北新報ニュース、2013年5月17日。</ref>。 |
:建造物の倒壊や土砂崩れ、天井の非構造部材の落下、高所からの落下など、地震の揺れそのものが原因による犠牲者は、福島県36人・茨城県18人・宮城県13人・東京都7人など、分かっているだけで90人に上る<ref>[https://web.archive.org/web/20130612220714/http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1115/20130517_01.htm 大震災・揺れの犠牲90人超 宮城・山形・福島など1都8県](2013年6月12日時点の[[インターネット・アーカイブ|アーカイブ]]) - 河北新報ニュース、2013年5月17日。</ref>。 |
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==== 震災関連死 ==== |
==== 震災関連死 ==== |
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東日本大震災では[[収容避難場所|避難所]]の不衛生や寒さなどで、避難後 |
東日本大震災では[[収容避難場所|避難所]]の不衛生や寒さなどが原因で、避難後に死亡する例([[災害関連死|震災関連死]])が高齢者を中心に相次いでいる<ref>{{Cite web |url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110317/t10014747461000.html |title=避難所生活などで23人死亡 |publisher=NHK |date=2011-03-17 |accessdate=2010-03-18 |archiveurl=http://web.archive.org/20110320194902/www3.nhk.or.jp/news/html/20110317/t10014747461000.html |archivedate=2011-03-20}}</ref><ref>{{Cite news |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110411-OYT1T00610.htm |title=避難所の不衛生、寒さ…震災関連死疑い282人 |newspaper=読売新聞 |date=2011-04-11 |accessdate=2011-04-11 |archiveurl=https://archive.is/20130501070522/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110411-OYT1T00610.htm |archivedate=2013-05-01}}</ref>。[[復興庁]]では震災関連死の死者を「東日本大震災による負傷の悪化などにより死亡し、災害弔慰金の支給等に関する法律に基づき、当該災害弔慰金の支給対象となった者」と定義している<ref>{{Cite web |title=復興の現状と取組 |url=http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat1/sub-cat1-1/20131129_gennjoutotorikumi.pdf |publisher=復興庁 |format=PDF |date=2013-11-29 |accessdate=2015-03-30}}</ref>。復興庁によると、2016年9月末時点での集計で'''3,523人'''(福島県2,086人、宮城県922人、岩手県460人など)が震災関連死に認定されている。死亡した時期別にみると、震災発生から1週間以内は469人、8日後以降1カ月以内は737人、2ヶ月目以降1年以内は1,573人で、5年目でも68人いる<ref>{{Cite web |title=東日本大震災における震災関連死の死者数 |url=http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-6/20140526131634.html |publisher=[[復興庁]] |format=PDF |date=2017-01-16 |accessdate=2017-03-10}}</ref><!--、[[共同通信社]]は2014年3月10日時点での集計で3,048人と報じた<ref>{{Cite news |url=http://www.47news.jp/CN/201403/CN2014031001002350.html |title=震災関連死10都県で3048人 長期避難で体調悪化 |date=2014-03-10 |newspaper=47NEWS |agency=[[共同通信社]] |accessdate=2014-03-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140311011132/http://www.47news.jp/CN/201403/CN2014031001002350.html |archivedate=2014-03-11}}</ref>-->。福島県内の震災関連死による死者数は地震や津波による直接死者数を上回っている<ref name="mainichi20130908">{{Cite news |url=http://mainichi.jp/select/news/20131217k0000m040116000c.html |title=震災関連死:福島1605人…直接死上回る 避難長期化で |newspaper=[[毎日新聞]] |date=2013-12-17 |accessdate=2013-12-17 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20131217043311/http://mainichi.jp/select/news/20131217k0000m040116000c.html |archivedate=2013-12-17}}</ref>。福島県の震災関連死の大部分は、原発事故の避難の影響で体調が悪化するなどして死亡した「原発関連死」とみられ、東京新聞の2016年3月時点での集計によると、福島県内の少なくとも1368人が原発関連死であった<ref>{{Cite news |url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201603/CK2016030602000127.html |title=原発関連死1368人に 本紙集計 1年で136人増 |newspaper=東京新聞 |date=2016-03-06 |accessdate=2016-08-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160306060111/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201603/CK2016030602000127.html |archivedate=2016-03-06}}</ref>。 |
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=== 原子力発電所事故 === |
=== 原子力発電所事故 === |
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[[ファイル:VOA Herman - April 13 2011 Fukushima Nuclear Power Plant-05.jpg|thumb|200px|[[福島第一原子力発電所事故|原子力事故]]の収束に向けた作業が続く福島第一原子力発電所(2011年4月13日、福島県[[双葉郡]])]] |
[[ファイル:VOA Herman - April 13 2011 Fukushima Nuclear Power Plant-05.jpg|thumb|200px|[[福島第一原子力発電所事故|原子力事故]]の収束に向けた作業が続く福島第一原子力発電所(2011年4月13日、福島県[[双葉郡]])]] |
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:地震から約1時間後に遡上高14 - 15mの津波に襲われた[[東京電力]][[福島第一原子力発電所]]は、1-5号機で全交流電源喪失。[[原子炉]]を冷却できなくなり、1号炉・2号炉・3号炉で[[炉心溶融]](メルトダウン)。大量の[[放射性物質]]の漏洩を伴う重大な[[原子力事故]]に発展(→'''[[福島第一原子力発電所事故]]''')。この事故は[[国際原子力事象評価尺度]]で最悪レベル7、[[チェルノブイリ原子力発電所事故]]と同等。同原発の立地する福島県[[浜通り]]地方を中心に、周辺一帯の[[福島県]]住民の避難は長期化、2012年からは「帰還困難区域<ref group=注>[http://kotobank.jp/word/%E5%B8%B0%E9%82%84%E5%9B%B0%E9%9B%A3%E5%8C%BA%E5%9F%9F 帰還困難区域] - コトバンク</ref>」「居住制限区域<ref group=注>[http://kotobank.jp/word/%E5%B1%85%E4%BD%8F%E5%88%B6%E9%99%90%E5%8C%BA%E5%9F%9F 居住制限区域] - コトバンク</ref>」も設定された(→[[福島第一原子力発電所事故の影響]])。その他に火力発電所等でも損害が出たため、東京電力の管轄する関東地方は深刻な[[電力]]不足に陥り、震災直後の一時期には日本国内では65年ぶりに[[輪番停電|計画停電]]が実施された<ref name="electricity_supply">{{Cite web|url=http://www.meti.go.jp/earthquake/electricity_supply/0408_electricity_supply_01_00.pdf|title=夏期の電力需給対策の骨格(案)|accessdate=2011-04-16|date=2011-04-08|format=PDF|publisher=電力需給緊急対策本部}}</ref>。計画停電は東北電力管内でも震災直後に実施、翌[[2012年]]の夏前には関西電力管内でも[[大飯発電所]](大飯原発)の再稼働を巡って論議が起き、計画停電の可能性が議論された。 |
:地震から約1時間後に遡上高14 - 15mの津波に襲われた[[東京電力]][[福島第一原子力発電所]]は、1-5号機で全交流電源を喪失。[[原子炉]]を冷却できなくなり、1号炉・2号炉・3号炉で[[炉心溶融]](メルトダウン)が発生。大量の[[放射性物質]]の漏洩を伴う重大な[[原子力事故]]に発展した(→'''[[福島第一原子力発電所事故]]''')。この事故は[[国際原子力事象評価尺度]]で最悪のレベル7、[[チェルノブイリ原子力発電所事故]]と同等に位置付けられている。同原発の立地する福島県[[浜通り]]地方を中心に、周辺一帯の[[福島県]]住民の避難は長期化するとともに、2012年からは「帰還困難区域<ref group=注>[http://kotobank.jp/word/%E5%B8%B0%E9%82%84%E5%9B%B0%E9%9B%A3%E5%8C%BA%E5%9F%9F 帰還困難区域] - コトバンク</ref>」「居住制限区域<ref group=注>[http://kotobank.jp/word/%E5%B1%85%E4%BD%8F%E5%88%B6%E9%99%90%E5%8C%BA%E5%9F%9F 居住制限区域] - コトバンク</ref>」も設定された(→[[福島第一原子力発電所事故の影響]])。その他に火力発電所等でも損害が出たため、東京電力の管轄する関東地方は深刻な[[電力]]不足に陥り、震災直後の一時期には日本国内では65年ぶりに[[輪番停電|計画停電]]が実施された<ref name="electricity_supply">{{Cite web|url=http://www.meti.go.jp/earthquake/electricity_supply/0408_electricity_supply_01_00.pdf|title=夏期の電力需給対策の骨格(案)|accessdate=2011-04-16|date=2011-04-08|format=PDF|publisher=電力需給緊急対策本部}}</ref>。計画停電は東北電力管内でも震災直後に実施されたほか、翌[[2012年]]の夏前には関西電力管内でも[[大飯発電所]](大飯原発)の再稼働を巡って論議が起き、計画停電の可能性が議論された。 |
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:東日本大震災被災地には、福島第一のほか、以下の原子力発電所があった。いずれも結果的に重大な[[原子力災害]]には至らなかったが、外部電源喪失、非常用発電機の破損、原子炉冷却用海水ポンプ<ref group=注>他の冷却手段が絶たれた場合の最終ヒートシンクとなる</ref>の破損など、重大な原子力災害一歩手前に追い込まれる発電所もあった。このうち福島第二原子力発電所では、第一原発と同様に冷却機能を喪失し、10条通報、[[原子力緊急事態宣言]]発令に至った。 |
:東日本大震災被災地には、福島第一のほか、以下の原子力発電所があった。いずれも結果的に重大な[[原子力災害]]には至らなかったが、外部電源喪失、非常用発電機の破損、原子炉冷却用海水ポンプ<ref group=注>他の冷却手段が絶たれた場合の最終ヒートシンクとなる</ref>の破損など、重大な原子力災害一歩手前に追い込まれる発電所もあった。このうち福島第二原子力発電所では、第一原発と同様に冷却機能を喪失し、10条通報、[[原子力緊急事態宣言]]発令に至った。 |
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=== 建造物 === |
=== 建造物 === |
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警察庁は2017年3月10日現在、全壊121,764戸、半壊280,121戸、全半焼297戸、床上浸水3,352戸、床下浸水10,231戸、一部破損726,443戸の被害が出たと発表<ref name="NPA" />。特に岩手県・宮城県・福島県の沿岸部では、津波によって多くの住宅が流され、全壊戸数は岩手県で19,507戸、宮城県で83,001戸、福島県で15,218戸(いずれも3月10日現在)に上った。 |
警察庁は2017年3月10日現在、全壊121,764戸、半壊280,121戸、全半焼297戸、床上浸水3,352戸、床下浸水10,231戸、一部破損726,443戸の被害が出たと発表している<ref name="NPA" />。特に岩手県・宮城県・福島県の沿岸部では、津波によって多くの住宅が流され、全壊戸数は岩手県で19,507戸、宮城県で83,001戸、福島県で15,218戸(いずれも3月10日現在)に上った。 |
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ファイル:US Navy 110320-N-OB360-166 An aerial view of ships washed ashore and overturned at a port near the Japan Air Self-Defense Force Matsushima Air Base.jpg|津波の被害を受けた[[石巻港]]。写真上部は東松島市大曲地区の冠水した水田(2011年3月20日、宮城県石巻市および東松島市) |
ファイル:US Navy 110320-N-OB360-166 An aerial view of ships washed ashore and overturned at a port near the Japan Air Self-Defense Force Matsushima Air Base.jpg|津波の被害を受けた[[石巻港]]。写真上部は東松島市大曲地区の冠水した水田(2011年3月20日、宮城県石巻市および東松島市) |
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==== 各種施設 ==== |
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{{main|東日本大震災による各種施設の被害}} |
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千葉県市原市の「コスモ石油千葉製油所」LPGタンクが爆発炎上<ref>{{Cite news |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110803-OYT1T00325.htm |title=震災で爆発した詳しい原因…コスモ石油のタンク |publisher=読売新聞 |date=2011-08-03 |accessdate=2013-01-08 |archiveurl=https://archive.is/20130501063541/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110803-OYT1T00325.htm |archivedate=2013-05-01}}</ref>、この影響で近隣の劣化ウラン保管施設に延焼<ref>[https://web.archive.org/web/20110707140024/http://www.chibanippo.co.jp/news/chiba/politics_economy_kiji.php?i=nesp1309498977 劣化ウラン保管施設も延焼コスモ石油のガスタンク火災で](2011年7月7日時点の[[インターネット・アーカイブ|アーカイブ]])</ref>したほか、東北地方や茨城などでは、多くの[[製油所]]や[[工場]]で被災して操業を停止し、[[産業]]界にも幅広く影響が出た。また、北海道・東北・関東の多くの文教施設で、建物の損壊や浸水などの被害が発生した<ref>{{Cite web |url=http://www.47news.jp/CN/201105/CN2011050701000102.html |title=震災で大学の被害900億円超 最大級の加速器も破損 |publisher=共同通信 |date=2011-05-07 |accessdate=2011-05-07 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110510012813/http://www.47news.jp/CN/201105/CN2011050701000102.html |archivedate=2011-05-10}}</ref>。4月6日までに[[文化庁]]により被害が確認された[[文化財]]は463件に上る<ref>{{Cite news |title = 東日本大震災:被害文化財は463件 散逸防止などに着手 |url=http://mainichi.jp/photo/news/20110406k0000e040048000c.html |newspaper=毎日新聞 |date=2011-04-06 |accessdate=2011-04-06}}{{リンク切れ|date=2014年10月}}</ref>{{リンク切れ|date=2014年10月}}。 |
千葉県市原市の「コスモ石油千葉製油所」LPGタンクが爆発炎上<ref>{{Cite news |url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110803-OYT1T00325.htm |title=震災で爆発した詳しい原因…コスモ石油のタンク |publisher=読売新聞 |date=2011-08-03 |accessdate=2013-01-08 |archiveurl=https://archive.is/20130501063541/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110803-OYT1T00325.htm |archivedate=2013-05-01}}</ref>、この影響で近隣の劣化ウラン保管施設に延焼<ref>[https://web.archive.org/web/20110707140024/http://www.chibanippo.co.jp/news/chiba/politics_economy_kiji.php?i=nesp1309498977 劣化ウラン保管施設も延焼コスモ石油のガスタンク火災で](2011年7月7日時点の[[インターネット・アーカイブ|アーカイブ]])</ref>したほか、東北地方や茨城などでは、多くの[[製油所]]や[[工場]]で被災して操業を停止し、[[産業]]界にも幅広く影響が出た。また、北海道・東北・関東の多くの文教施設で、建物の損壊や浸水などの被害が発生した<ref>{{Cite web |url=http://www.47news.jp/CN/201105/CN2011050701000102.html |title=震災で大学の被害900億円超 最大級の加速器も破損 |publisher=共同通信 |date=2011-05-07 |accessdate=2011-05-07 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110510012813/http://www.47news.jp/CN/201105/CN2011050701000102.html |archivedate=2011-05-10}}</ref>。4月6日までに[[文化庁]]により被害が確認された[[文化財]]は463件に上っている<ref>{{Cite news |title = 東日本大震災:被害文化財は463件 散逸防止などに着手 |url=http://mainichi.jp/photo/news/20110406k0000e040048000c.html |newspaper=毎日新聞 |date=2011-04-06 |accessdate=2011-04-06}}{{リンク切れ|date=2014年10月}}</ref>{{リンク切れ|date=2014年10月}}。 |
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==== サプライチェーンの被害 ==== |
==== サプライチェーンの被害 ==== |
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*燃料噴射システムなどを製造する[[ケーヒン]]が被災、現地仕入れ先4社が被災。供給を受けていた[[本田技研工業|ホンダ]]が一時操業停止。 |
*燃料噴射システムなどを製造する[[ケーヒン]]が被災し、現地仕入れ先4社が被災した。供給を受けていた[[本田技研工業|ホンダ]]が一時操業停止した。 |
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*自動車エンジンオイルシールの国内シェア7割をもつ[[NOK (企業)|NOK]]福島工場(福島市)が被災した。特に大きな被害はなかったがインフラ停止のため20日ほど操業を停止した。 |
*自動車エンジンオイルシールの国内シェア7割をもつ[[NOK (企業)|NOK]]福島工場(福島市)が被災した。特に大きな被害はなかったがインフラ停止のため20日ほど操業を停止した。 |
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*[[シリコンウェハー]]の世界シェア6割をもつ2工場、[[信越化学工業|信越半導体]]白河工場([[西郷村]])と[[SUMCO]]米沢事業所が操業停止。 |
*[[シリコンウェハー]]の世界シェア6割をもつ2工場、[[信越化学工業|信越半導体]]白河工場([[西郷村]])と[[SUMCO]]米沢事業所が操業停止した。 |
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*自動車用[[マイクロコンピュータ]]<ref group="注">{{要出典|date=2016年1月|自動車制御の中心部。汎用品ではなく、機種ごとに作り直す。製造装置は小さな振動も嫌う。}}</ref>大手の[[ルネサスエレクトロニクス]]那珂工場(茨城県[[ひたちなか市]])が被災した。復旧に1-2年かかると言われたが、完成車メーカー、半導体製造装置メーカーなどから赤字覚悟で応援が出て、延べ17万人が協力し、80日で復旧した。 |
*自動車用[[マイクロコンピュータ]]<ref group="注">{{要出典|date=2016年1月|自動車制御の中心部。汎用品ではなく、機種ごとに作り直す。製造装置は小さな振動も嫌う。}}</ref>大手の[[ルネサスエレクトロニクス]]那珂工場(茨城県[[ひたちなか市]])が被災した。復旧に1-2年かかると言われたが、完成車メーカー、半導体製造装置メーカーなどから赤字覚悟で応援が出て、延べ17万人が協力し、80日で復旧した。 |
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* 建築ガラスの3割を生産する[[旭硝子]]鹿島工場([[鹿島臨海工業地帯]])が被災した上、専用港も破壊された。 |
* 建築ガラスの3割を生産する[[旭硝子]]鹿島工場([[鹿島臨海工業地帯]])が被災した上、専用港も破壊された。 |
2017年8月13日 (日) 17:52時点における版
東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい)は、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴う津波、およびその後の余震により引き起こされた大規模地震災害である。この震災に伴って福島第一原子力発電所事故が発生した。
発生した日付から3.11(さんてんいちいち[1])、311(さんいちいち[2])と称することもある。
地震発生
2011年(平成23年)3月11日(金曜日)14時46分18秒(日本時間)[3]、宮城県牡鹿半島の東南東沖130kmを震源(北緯38度06.2分、東経142度51.6分、深さ24km)とする東北地方太平洋沖地震が発生した[4]。地震の規模はモーメントマグニチュード (Mw) 9.0で、発生時点において日本周辺における観測史上最大の地震である。震源は広大で、岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200kmのおよそ10万km2という広範囲全てが震源域とされる[5][6]。最大震度は宮城県栗原市で観測された震度7で、宮城・福島・茨城・栃木の4県36市町村と仙台市内の1区で震度6強を観測した[7]。
名称
2011年3月11日14時46分頃に発生した当地震は、同日16時20分、気象庁によって「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」(英: The 2011 off the Pacific coast of Tohoku Earthquake)と命名された[8]。これに対しメディアや組織・団体は各々、「東日本大震災」や「東北関東大震災」[注 1]などの呼称を任意に用いていた。
同年4月1日、日本政府は持ち回り閣議で、当地震によってもたらされた災害(震災)を指す名称を「東日本大震災」とすることを了解、菅直人内閣総理大臣が平成23年度予算成立を受けての記者会見(於:総理大臣官邸)において発表した[9][10][11]。これ以降、地震そのものを指す「東北地方太平洋沖地震」とそれによってもたらされた災害を指す「東日本大震災」という2つの用語が存在することとなったが、各メディアでは「東日本大震災」が両者を共に指す用語のように用いられる傾向にある。
なお、政府による災害名統一以前に使用されていた、主な震災の名称として以下のようなものがある。「大震災」だけではなく、「大地震」や「巨大地震」も震災を指して使われていた。
- 「東日本大震災」 - 朝日新聞[12]、時事通信社[13]、ウェザーニューズ[14]、共同通信社[15]、共同通信加盟社(産経新聞[16]、東京新聞[17]、中日新聞[18]、毎日新聞[19]、日本経済新聞(3月19日朝刊から)[20])、フジテレビ[21]、TBS[22]、テレビ朝日[23]、日本テレビ(3月25日から)[24]、テレビ東京[25]、TOKYO FM[26]、BS11デジタル
- 「東北関東大震災」(とうほくかんとうだいしんさい) - NHK[27][28]、中央共同募金会[29]
- 「3.11大震災」(さんてんいちいちだいしんさい) - 河北新報(東日本大震災と併用で3月14日から)[30]
- 「東北沖大地震」(とうほくおきだいじしん) - 毎日新聞が地震当日から3月14日まで使用[31][リンク切れ]
- 「東北・関東大地震」(とうほくかんとうだいじしん) - 共同通信社[32]、東京新聞[33]など加盟社が地震当日の3月11日(翌12日朝に配達された朝刊やWeb公開された記事を含む)に使用
- 「宮城・茨城沖大地震」(みやぎいばらきおきだいじしん) - 日テレNEWS24が地震当日から3月12日まで使用[34][35]
- 「東日本巨大地震」 (ひがしにほんきょだいじしん)- テレビ朝日(地震発生直後から暫定的に使用)、読売新聞[36][リンク切れ]
- 「東日本大地震」 (ひがしにほんだいじしん)- 日本テレビが地震当日から3月24日まで使用。TOKYO FM、BS11デジタルも使用
- 「東北大震災」 (とうほくだいしんさい)- その他の一部メディアや個人が使用
閣議によって震災の名称が決定したため、日本赤十字社の義援金受付口座名も変更された。
また、この震災で発生した津波について、地元紙を中心に一部で「平成三陸大津波」の呼称が使用されている[37][38][39]。津波そのものに対しては、政府など公的機関は名称を定めていない。
被害
- この地震により、場所によっては波高10m以上、最大遡上高40.1mにも上る巨大な津波が発生し、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害が発生した[40][41]。また、巨大津波以外にも、地震の揺れや液状化現象、地盤沈下、ダムの決壊などによって、北海道南岸から東北を経て東京湾を含む関東南部に至る広大な範囲で被害が発生し、各種インフラ(人々の生活に必須な、いわゆるライフライン)が寸断された。
- 2016年(平成28年)12月9日時点で、震災による死者・行方不明者は18,449人、建築物の全壊・半壊は合わせて400,827戸[42]が公式に確認されている。震災発生直後のピーク時においては避難者は40万人以上、停電世帯は800万戸以上[43]、断水世帯は180万戸以上[44]等の数値が報告されている。復興庁によると、2017年2月13日時点の避難者等の数は123,168人となっており[45]、避難が長期化していることが特徴的である。
- 日本政府は震災による直接的な被害額を16兆円から25兆円と試算している[48]。この額は、被害が大きかった岩手・宮城・福島の3県の県内総生産の合計に匹敵する(阪神・淡路大震災では兵庫県1県の県内総生産の半分ほどであった)。世界銀行の推計では、自然災害による経済損失額としては史上1位としている。
死傷者
警察庁は、2017年(平成29年)3月10日、死者は15,893人、重軽傷者は6,152人、警察に届出があった行方不明者は2,553人であると発表している(ただし未確認情報を含む。余震によるものを含む)[42]。日本国内で起きた自然災害で死者・行方不明者の合計が1万人を超えたのは戦後初めてであり[49]、明治以降でも関東大震災、明治三陸地震に次ぐ被害規模であった[50]。岩手・宮城・福島の3県を中心に、1都1道10県で死者・行方不明者が、また1都1道18県で負傷者が発生した[42]。
都道府県 | 死亡 | 行方不明 | 負傷 | 計 |
---|---|---|---|---|
合計 | 15,893 | 2,553 | 6,152 | 24,598 |
北海道 | 1 | - | 3 | 4 |
青森県 | 3 | 1 | 112 | 116 |
岩手県 | 4,673 | 1,122 | 213 | 6,008 |
宮城県 | 9,540 | 1,230 | 4,145 | 14,915 |
秋田県 | - | - | 11 | 11 |
山形県 | 2 | - | 29 | 31 |
福島県 | 1,613 | 197 | 183 | 1,993 |
茨城県 | 24 | 1 | 712 | 737 |
栃木県 | 4 | - | 133 | 137 |
群馬県 | 1 | - | 42 | 43 |
埼玉県 | - | - | 45 | 45 |
千葉県 | 21 | 2 | 258 | 281 |
東京都 | 7 | - | 117 | 124 |
神奈川県 | 4 | - | 138 | 142 |
新潟県 | - | - | 3 | 3 |
山梨県 | - | - | 2 | 2 |
長野県 | - | - | 1 | 1 |
静岡県 | - | - | 3 | 3 |
三重県 | - | - | 1 | 1 |
高知県 | - | - | 1 | 1 |
死者の内訳と死因
警察庁は2012年3月11日までに、岩手県・宮城県・福島県で検死された15,786人の詳細を発表した。
- 年齢
-
- 0 ‐ 9歳:2.95%(496体)
- 10 ‐19歳:2.65%(419体)
- 20 ‐29歳:3.26%(515体)
- 30 ‐39歳:5.37%(847体)
- 40 ‐49歳:7.07%(1,116体)
- 50 ‐59歳:11.93%(1,883体)
- 60 ‐69歳:18.66%(2,945体)
- 70 ‐79歳:23.81%(3,759体)
- 80歳以上:21.42%(3,381体)
- 年齢不詳:2.48%(392体)
- 男【7,360体 (46.62%)】女【8,363体 (52.98%)】性別不詳【63体 (0.40%)】
- 死因
- この震災での犠牲者の死因のほとんどが、津波に巻き込まれたことによる水死であった。津波の中には、大量の砂や海底のヘドロ、港湾施設の重油などの有害物質などが含まれていた。砂が肺に入れば気管を詰まらせ、有害物質が肺に入れば身体を侵す。水死に至る経緯は、これらで呼吸困難になったり、がれきが当たり意識を失ったり、3月の雪の舞う中で低体温を伴ってなど、さまざまな経緯もあったと考えられる。
- 圧死・損傷死・焼死も、ほとんどが津波によるがれきが要因となっている。
- 建造物の倒壊や土砂崩れ、天井の非構造部材の落下、高所からの落下など、地震の揺れそのものが原因による犠牲者は、福島県36人・茨城県18人・宮城県13人・東京都7人など、分かっているだけで90人に上る[51]。
岩手、宮城、福島の3県では、腕や脚などが見つかり身元が判明したものの、頭部未発見のために死者に計上されていない人が2016年6月10日現在で171人いる。「親指だけ見つかっても、亡くなっているとは限らない」などの理由による。この数を行方不明者数から除外するかどうかは3県で判断が分かれている。[52][53]
静岡大学防災総合センターは、津波の浸水範囲の居住者数に対する死者・行方不明者数の割合をまとめ、明治三陸地震と比較した。それによると、最大は宮城県女川町の11.97%、次いで岩手県の大槌町と陸前高田市でともに11.72%となった。明治三陸地震については浸水域ではなく市町村の人口に対する犠牲者の割合を出したが、岩手県釜石市で約50%になるなど11市町村で15%を超えていて、今回の津波では防災対策に一定の効果があった可能性がある[54][55]。
震災関連死
東日本大震災では避難所の不衛生や寒さなどが原因で、避難後に死亡する例(震災関連死)が高齢者を中心に相次いでいる[56][57]。復興庁では震災関連死の死者を「東日本大震災による負傷の悪化などにより死亡し、災害弔慰金の支給等に関する法律に基づき、当該災害弔慰金の支給対象となった者」と定義している[58]。復興庁によると、2016年9月末時点での集計で3,523人(福島県2,086人、宮城県922人、岩手県460人など)が震災関連死に認定されている。死亡した時期別にみると、震災発生から1週間以内は469人、8日後以降1カ月以内は737人、2ヶ月目以降1年以内は1,573人で、5年目でも68人いる[59]。福島県内の震災関連死による死者数は地震や津波による直接死者数を上回っている[60]。福島県の震災関連死の大部分は、原発事故の避難の影響で体調が悪化するなどして死亡した「原発関連死」とみられ、東京新聞の2016年3月時点での集計によると、福島県内の少なくとも1368人が原発関連死であった[61]。
原子力発電所事故
- 地震から約1時間後に遡上高14 - 15mの津波に襲われた東京電力福島第一原子力発電所は、1-5号機で全交流電源を喪失。原子炉を冷却できなくなり、1号炉・2号炉・3号炉で炉心溶融(メルトダウン)が発生。大量の放射性物質の漏洩を伴う重大な原子力事故に発展した(→福島第一原子力発電所事故)。この事故は国際原子力事象評価尺度で最悪のレベル7、チェルノブイリ原子力発電所事故と同等に位置付けられている。同原発の立地する福島県浜通り地方を中心に、周辺一帯の福島県住民の避難は長期化するとともに、2012年からは「帰還困難区域[注 2]」「居住制限区域[注 3]」も設定された(→福島第一原子力発電所事故の影響)。その他に火力発電所等でも損害が出たため、東京電力の管轄する関東地方は深刻な電力不足に陥り、震災直後の一時期には日本国内では65年ぶりに計画停電が実施された[62]。計画停電は東北電力管内でも震災直後に実施されたほか、翌2012年の夏前には関西電力管内でも大飯発電所(大飯原発)の再稼働を巡って論議が起き、計画停電の可能性が議論された。
- 東日本大震災被災地には、福島第一のほか、以下の原子力発電所があった。いずれも結果的に重大な原子力災害には至らなかったが、外部電源喪失、非常用発電機の破損、原子炉冷却用海水ポンプ[注 4]の破損など、重大な原子力災害一歩手前に追い込まれる発電所もあった。このうち福島第二原子力発電所では、第一原発と同様に冷却機能を喪失し、10条通報、原子力緊急事態宣言発令に至った。
建造物
警察庁は2017年3月10日現在、全壊121,764戸、半壊280,121戸、全半焼297戸、床上浸水3,352戸、床下浸水10,231戸、一部破損726,443戸の被害が出たと発表している[42]。特に岩手県・宮城県・福島県の沿岸部では、津波によって多くの住宅が流され、全壊戸数は岩手県で19,507戸、宮城県で83,001戸、福島県で15,218戸(いずれも3月10日現在)に上った。
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津波の被害を受けた石巻港。写真上部は東松島市大曲地区の冠水した水田(2011年3月20日、宮城県石巻市および東松島市)
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福島第一原子力発電所事故による緊急時避難準備区域が設定された南相馬市内(2011年4月16日、福島県南相馬市原町区)
各種施設
千葉県市原市の「コスモ石油千葉製油所」LPGタンクが爆発炎上[63]、この影響で近隣の劣化ウラン保管施設に延焼[64]したほか、東北地方や茨城などでは、多くの製油所や工場で被災して操業を停止し、産業界にも幅広く影響が出た。また、北海道・東北・関東の多くの文教施設で、建物の損壊や浸水などの被害が発生した[65]。4月6日までに文化庁により被害が確認された文化財は463件に上っている[66][リンク切れ]。
サプライチェーンの被害
- 燃料噴射システムなどを製造するケーヒンが被災し、現地仕入れ先4社が被災した。供給を受けていたホンダが一時操業停止した。
- 自動車エンジンオイルシールの国内シェア7割をもつNOK福島工場(福島市)が被災した。特に大きな被害はなかったがインフラ停止のため20日ほど操業を停止した。
- シリコンウェハーの世界シェア6割をもつ2工場、信越半導体白河工場(西郷村)とSUMCO米沢事業所が操業停止した。
- 自動車用マイクロコンピュータ[注 5]大手のルネサスエレクトロニクス那珂工場(茨城県ひたちなか市)が被災した。復旧に1-2年かかると言われたが、完成車メーカー、半導体製造装置メーカーなどから赤字覚悟で応援が出て、延べ17万人が協力し、80日で復旧した。
- 建築ガラスの3割を生産する旭硝子鹿島工場(鹿島臨海工業地帯)が被災した上、専用港も破壊された。
- 国内最大のタイヤ工場である住友ゴム工業白河工場(白河市)が破壊された。
- 日量80万tの用紙生産をする日本製紙石巻工場が被災した。他にも岩沼工場、勿来工場(いわき市)も被災した。
- 日本のエチレン(石油化学製品の一次原料)の1割(80万t)を生産する三菱化学鹿島事業所が被災した上、コスモ石油千葉製油所の火災による影響を受けた丸善石油化学千葉工場のエチレン生産がストップした。鹿島コンビナートには三菱化学からエチレンの供給を受けている工場が20社以上ある。
- 甲状腺機能低下症治療薬「チラーヂンS」国内流通の98%を製造販売していた、あすか製薬いわき工場が被災し、生産がストップした。
- キリンビールの仙台工場が被災し、本格稼働まで1年かかった。
- 三菱製紙八戸工場が被災した。復旧は11月。
- 日産自動車いわき工場が被災、復旧は5月。
液状化現象および地盤沈下
関東・東北地方の広い範囲で液状化現象が発生し、千葉県千葉市美浜区・習志野市・船橋市・市川市・浦安市・香取市・我孫子市、東京都江東区・江戸川区、神奈川県横浜市の八景島周辺、茨城県ひたちなか市・潮来市、宮城県大崎市の江合川周辺などで、建築物の傾斜や断水・ガス供給停止・水田への土砂の堆積などの被害が生じた[67][68][69]。東京湾岸の埋立地や千葉県北東部から茨城県鹿行地域南部にかけてのいわゆる「水郷地帯」での被害が目立ち、特に浦安市では市内の85%が液状化したほか[70]、自治体により液状化の危険度が低いと認定されていた地域でも被害が発生した[67]。
東北地方から関東地方北部の太平洋沿岸では地震に伴う地盤沈下により、海岸や河口付近などで浸水や冠水のおそれが出ている[71]。石巻市塩富町では、満潮時に町全体が水没している[72][リンク切れ]。また津波によって東北・関東の6県で2万3,600haの農地が流失または冠水しており、農林水産省は3年後の完了をめどにがれきの撤去や土中の塩分の除去を進める方針を固めた[73][74][75]。
火災
津波被害の大きかった宮城県を中心に330件の火災が発生した[76][77]。そのうち、出火原因の159件(約40%)が津波火災[78]で、約30%が電気火災[79]であった。また、停電下の避難中に灯りとして使用していたロウソクなどからの火災による死者も報告されている[80]。他に、数日から数週間後に堆積していたがれきがバクテリアなどの発酵により加熱して発火[81]した事例や、海水に浸水した車両の電装部が劣化し発火した事例も報告されている[80]。
- 津波火災
- 大津波によって倒壊した建造物や車両ががれきとなって内陸部に押し込まれ、浸水域の端や地形や風の影響で堆積(集積)した箇所ではがれきが内在している暖房用石油燃料(灯油、重油)タンク、ガスボンベ、自動車用燃料タンクから漏出した可燃物質に何らかの火花が原因となって発火した。特に、切れ目無く積み重なったがれきは市街地から山林へと延焼を拡大させた。また、延焼しているがれきが海上を漂流し、対岸や離れた場所にも拡大した[80]。住民や消防関係者への聞き取り調査を行った結果からは、津波火災現場では消防水利確保や移動手段の確保が困難で、津波や延焼に巻き込まれる二次被害から逃れるため、消火作業を中止し現場を放棄せざるを得ない状況が生じ、火災が急速に拡大していった[82]。
- 地震火災
- 過去に発生した地震による火災と同様に、倒壊した家屋や建造物中の暖房器具、調理器具、電気配線や破損した電気器具が停電の復旧(復電)後に発火し火災となった[80]。
交通
道路
警察庁は2017年3月10日現在、4,198箇所で道路の損壊があったと発表している[42]。岩手県山田町の船越半島や宮城県の南三陸町、牡鹿半島などにつながる道路が寸断され、岩手・宮城・福島の3県で少なくとも1万6,000人が孤立した[83][84][85]。また、茨城県では北浦に架かる鹿行大橋の一部が崩落した[86]。首都高速道路でも湾岸線を中心に被害が発生し[87]、高架橋に破損箇所が発生した新木場出入口 - 葛西ジャンクション間が3月22日、大黒ジャンクション連絡路が3月27日まで通行止めとなった。
東日本高速道路(NEXCO東日本)管内の高速道路では、広範囲の路線で通行止めとなった。東北自動車道の浦和インターチェンジ - 碇ヶ関インターチェンジ間、秋田自動車道・釜石自動車道・八戸自動車道の一部、常磐自動車道の三郷ジャンクション以北[注 6]、磐越自動車道の津川インターチェンジ以東などが公安委員会により緊急交通路に指定され、緊急車両専用となった[88]。3月24日午前6時に全区間で通行止めが解除され、一般車両の通行が可能となったが[89][リンク切れ]、常磐自動車道の広野インターチェンジ - 常磐富岡インターチェンジ間は、福島第一原子力発電所事故の旧警戒区域内だが2014年2月22日3年ぶりに再開通(通行再開)した。当初2011年度に予定されていた常磐富岡インターチェンジ - 相馬インターチェンジ間は、開通が延期された。なお、旧警戒区域外の南相馬インターチェンジ以北が2012年4月8日に先行開通した。その後、浪江インターチェンジ - 南相馬インターチェンジ間は2014年12月6日、常磐富岡インターチェンジ-浪江インターチェンジ間も2015年3月1日に開通し、この日をもって常磐自動車道は全線開通した。
東北地方整備局は沿岸部の都市への救援のためくしの歯作戦を実行した。
鉄道
東日本旅客鉄道(JR東日本)管内の東北新幹線では、仙台駅など5つの駅が被害を受けたほか[90]、電柱や架線、高架橋の橋脚など約1,100箇所が損傷した[91]。また、気仙沼線など在来線7線区で23駅が流失、線路が約60キロメートルにわたって流されるなどの被害が発生した[92]。
三陸鉄道は北リアス線と南リアス線が線路流出や高架橋の決壊などで、一時全線不通となった。その後復旧工事が進められ順次営業を再開[93]し、2014年4月5日に南リアス線、翌6日に北リアス線が全区間で営業運転を再開した[94]。このほか、仙台空港へ押し寄せた津波により仙台空港鉄道仙台空港線の仙台空港駅も甚大な被害を受けた。
地震発生直後より、JR東日本は新幹線と在来線の運転を終日運転見合わせ、関東・首都圏では私鉄と地下鉄の全線が運行を停止した[95]。このため、職場などから自宅へ帰宅することが困難となった帰宅困難者が首都圏で推計約515万人発生[96]、そのうち自治体が用意した待機場所で11万人以上[97][98]、国などの公的施設も待機場所として開放され、そこでも多数が交通機関復帰まで留まった[99]。また、3月14日からは計画停電の影響などにより、各路線で列車の運休、減便などが行われた[100][101][102]。
航空
仙台空港は滑走路が津波で冠水し、空港ターミナルビルも大きな被害を受けたため、離着陸を停止した[103][104]。津波により1階は完全に水没し、助けを待っていた約1,200人が孤立していたが、13日にほぼ全員が救出された[105][リンク切れ]。また、ターミナルビルの他、空港設備・作業車両等も大きな被害を受け、津波により空港に駐機、及び地上施設内で整備中の航空機がほぼ全滅する被害を受けた[注 7]。これらの被害機の中には海上保安庁の第二管区海上保安本部仙台航空基地所属の航空機が多数含まれている。
4月13日から国内線の一部で1か月ぶりに運航を再開し[106]、7月25日に約4か月半ぶりに国内線定期便の運航を再開[107][リンク切れ]。9月25日には空港ビルも完全復旧し、国際線定期便の運航が再開された[108]。仙台空港の機能回復のため国土交通省では、排水路等の障害物の除去による自然排水の促進のほか、国土交通省が全国に配備している排水ポンプ車25台を集め、3月20日より広範囲の浸水解消を重点的、機動的に実施した[109]。
花巻空港(岩手県)は旅客の対応が当面不可能として定期便の運航を停止し、緊急輸送のみを対象に3月11日18時50分から運用を再開した。三沢空港(青森県)も18時50分に運用を再開した。福島空港はタワーのガラスが全壊したものの運用可能であったため、閉鎖された仙台空港の代替として関西や札幌と結ぶ臨時便を運航することになった。山形空港は停電で運用を停止していたが、3月12日4時から運用を再開し、臨時的に24時間運用を開始した[110]。茨城県小美玉市の茨城空港はターミナルビルの天井の一部が落下[111]。3月12日には空港を閉鎖し、全ての便が欠航になった[112][リンク切れ]。茨城空港は14日から定期便の発着を再開し、花巻空港も17日にターミナルビルの営業を再開した[113][リンク切れ]。
震度6弱を記録した成田国際空港(千葉県)や、震度5強を記録した東京国際空港(羽田空港)は安全確認のために地震発生直後に全ての離着陸を中止したため、両空港に向かっていた航空機86機が両空港が閉鎖されたために降りられなくなり、中部国際空港(愛知県)や関西国際空港(大阪府)、新千歳空港(北海道)や横田基地(東京都)へ代替着陸した。なおこの内の14機は燃料不足で「緊急事態宣言」を出した。羽田空港は一部の施設に損傷が確認されたものの当日中に安全が確認され再開されたが、旅客ターミナルや施設の一部に損傷が起きた成田空港の再開は12日朝に持ち越された。しかし京成電鉄とJRが12日午後まで運休となった上に、東京の都心部との間のリムジンバスの運航も12日夜まで運休するなど成田空港への公共交通手段によるアクセスが一時的に断絶した。なお、福島第一原子力発電所事故の後に国際民間航空機関 (ICAO)、国際航空運送協会 (IATA)、および世界保健機関 (WHO) から、日本への渡航について「健康上のリスクは認められない」とする声明が出された[118]にもかかわらず、ルフトハンザドイツ航空やアリタリア-イタリア航空などの一部の外国航空会社が、放射能の影響や余震を恐れて成田空港への発着便を中部国際空港や関西国際空港への発着に切り替えた。
輸送
震災によって道路・線路などの交通網が被害を受けたことから、郵便や運送などにも大きな影響が出ている。
石油
震災の影響により、東北・北関東太平洋岸に立地する2製油所(JX日鉱日石エネルギー仙台製油所、鹿島石油鹿島製油所)および16油槽所のすべてが稼働停止または出荷不可能状態となり、京浜・千葉地区においても7製油所の内4製油所が稼働を停止し、国内原油処理能力(約450万BD)が約3割(約140万BD)減少。加えて、東北6県でサービスステーション約220ヵ所が被災により営業困難となり、また、石油製品輸送用タンクローリー約150台も被災するなど多大な被害が発生した[119]ことにより、被災地は深刻な燃料不足に陥った。
政府は当初石油の生産量の方に気を取られており、石油の物流の問題への対応が遅れることとなった[120]。3月17日になり海江田万里経済産業大臣は「タンクローリーを西日本から300台移す」と発表。同日、JR貨物によりJX日鉱日石エネルギー根岸製油所から日本海側の鉄道路線を利用し盛岡貨物ターミナル駅への石油列車の運行が行われる。3月23日には国鉄DD51形ディーゼル機関車ニ重連での磐越西線経由による郡山オイルターミナルへの石油輸送も行われた[121]。3月19日には仙台港に入港した海上自衛隊の輸送艦おおすみが灯油入りドラム缶70本(14kl)を輸送した他、3月21日には仙台塩釜港塩釜港区の油槽所にオイルタンカーの第一船が入港している。また3月23日までに被災10港で暫定の航路が確保され、海上からの緊急物資の搬入が可能となった[122]。
水道
震災直後は、宮城、岩手、福島、茨城の4県を中心に北海道から愛知県まで広範囲にわたり、17道県の少なくとも約140万戸で断水が発生した。各地の水道事業者などで作る日本水道協会は、全国の応急給水車約210台に、東北、関東両地方の被災地への派遣を要請[123]。中部、近畿、中国、四国、九州の主に西日本側の自治体の給水車が被災地へと派遣された。
物流
東北地方を中心に100局以上の郵便局に建物全壊や浸水などの大きな被害が出ており、また長野県北部地震によるものや被害規模の小さいものも含め約600局の郵便局に被害が出た[124][125]。この他にも簡易郵便局、集配センターなどの郵便ネットワーク施設や、それら施設などで郵便業務に従事する者にも多くの被害が出ている[124][125]。かんぽの宿松島には津波が3階まで押し寄せたが、130人以上の避難者とともに4階に移動し、12日には全員が救出された[124]。また、青森県・岩手県・宮城県・福島県・茨城県で郵便物の配達が困難になり、北海道・東北6県・茨城県を差出元・差出先とする宅配便の引き受けを中止した[126][リンク切れ]。ヤマト運輸は3月11日、北海道および東北6県への全商品の荷受け・集荷および関東への低温宅配サービスなどの荷受けを中止した[127]。佐川急便も北海道・東北行きの集荷と関東行きの一部集荷を見合わせた[128]。日本郵船は、貨物船3隻が福島県で津波の被害に遭った[127]。後に全て再開しているが、警戒区域内への配送は一切できない。
電子商取引大手のアマゾンジャパンは、同社の流通設備における地震被害により、速達サービスを停止するとともに、北海道および東北への商品配送を停止した[129]。後に再開しているが、警戒区域内への配送は現在でも不可能。
電力
地震直後、東北電力管内では、青森県・岩手県・秋田県の全域、山形県・宮城県のほぼ全域、福島県の一部で合わせて440万戸、東京電力管内では茨城県全域などの404万6千戸が停電した[43]。その後、東京電力では3月19日1時までに停電が解消した。東北電力管内では、4月7日16時までに停電世帯は16万戸まで減ったが、7日夜に起きた余震の直後に、再び401万戸が停電した[130]。
複数の発電所が停止したことによる電力不足を受けて、東京電力管内では地域を分けて順に停電させる輪番停電(計画停電)が3月28日まで実施された。夏場には電力需要の高まりから再び電力不足が予想されたため、東京電力と東北電力の管内で大口需要家へ15%以上の節電を義務付ける電力使用制限令が発動され、節電努力により計画停電は回避された。しかし事故の影響から、定期検査に入った各地の原子力発電所の再稼働を地元の自治体が認めなくなったため、全国の原発が次々と運転を停止。関西電力、九州電力、北海道電力などでも夏季と冬季を中心に電力不足となって節電が呼びかけられた。
通信
アジアの通信各社では、インターネットや電話に使用される海底ケーブルが一部損傷を受けた[131]。東日本電信電話(NTT東日本)は、地震の影響で電話が集中し、交換機の処理能力を超える恐れがあったため、最大90%の通話規制を実施した。また被災地周辺の公衆電話を無料で利用可能とした[132][リンク切れ]。NTTドコモ・東北支社は、携帯電話の無料充電や衛星携帯電話の貸与などのサービスを提供した。停電によって機能停止した携帯電話基地局は備付の自家発電により継続稼働させたが、停電が長時間に及んだため自家発電施設の燃料が枯渇し相次いで停波し通信サービスが停止した[133]。そのため、移動電源車や可搬型発電機を配備した[134]。
移動体通信各社では通信障害により電話がつながりにくい状況が生じ、音声通話についてNTTドコモでは90%、KDDIでは95%、ソフトバンクテレコムでは70%の通信規制を実施した[133]。音声通話の通信規制が続く中、インターネットを使った情報交換が活発となった。Twitterなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)では、被災者に対する呼びかけや、ボランティアや人道支援に関する呼びかけ、医師による健康相談などが行われた。また、東京電力の電気供給能力の不足による停電の恐れがある中、節電を呼び掛ける活動も行われた[135]。一方で、情報交換の容易さからデマ情報も多く発信され、問題となった[136]。
宗教
伝統宗教・新宗教ともに施設に被害を受けている。神社の被害報告は4818件にのぼり、これは本殿の全壊・半壊を含む[137]。国の登録有形文化財であった日本基督教団福島教会は被災後、修復費用が膨大になったことから取り壊された。
宗教法人や宗教家は震災直後から被災者への支援に乗り出しており、金銭・物資の提供、信者によるボランティア、宗教施設の避難所としての開放等が続けられた。新宗教の中には多額の義捐金を出したところもある[138]。
宗教学者の山折哲雄は、橋本五郎との対談で、ある意味「精神的末法」である震災後の世界の中での宗教の役割を問われ、『阪神大震災(1995年)、東日本大震災の両方で宗教者は一生懸命やっていてもボランティアと同じレベルだった』という。『SNSが肥大化し、宗教者の言葉が現代の人々に届かなくなっているが、しっかりした言葉を発して欲しかった』とする[139]。
地域別の被害状況
2011年7月14日15時 (JST) 現在、死者・行方不明者数の合計が100人以上の自治体は、岩手県、宮城県、福島県の22市町村に上っている[140]。
青森県
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岩手県
岩手県の被害は津波によるものが中心であった。
岩手県沿岸は、海岸線近くまで山地が迫り、平地が狭いという地形のため、浸水面積は58km2と3県では最も小さかった。しかし、その狭い平地に漁港と市街地が広がっていたため、浸水域の人口は約11万人であり、浸水域の人口密度は1,900人/km2と3県で最も大きかった。
県中南部は津波高が増すリアス式海岸のため、津波常襲地域であり、津波への対策(防波堤・防潮堤)の規模は日本随一であった。過去の津波の伝承や石碑が至る所に残り、住民の防災意識も高く、多くの人々が避難行動を取ったが、想定を大きく上回る規模の津波が押し寄せたため、甚大な被害を受けた。
陸前高田市では、市民会館や市民体育館などの指定避難所の多くがほぼ天井まで水没して避難者の大半が死亡し、市街地全域が壊滅的被害を受けた。高田病院で4階まで浸水し27人が亡くなるなど、1,800人弱の犠牲者を出した。市職員も1⁄3弱に当たる113人が犠牲になり、浸水域人口に対する犠牲者率は、宮城県女川町に次いで高く、大槌町と同率の11.72%であった。
大槌町では、役場で災害対策本部の準備をしていた職員60人中、当時の町長である加藤宏暉[141]を含め30人以上が亡くなるなど、1,300人弱が犠牲になった。また、火災も発生した。浸水域人口に対する犠牲者率は、宮城県女川町に次いで高く、陸前高田市と同率の11.72%であった。
釜石市では、本来は災害後の避難生活を主とした施設であった鵜住居地区防災センターで津波避難の訓練も行われていたため(最大の可能性として)244人が避難して210人の死者が発生するなど、約1,050人が犠牲となった。元新日鉄釜石ラグビー部の選手で、釜石ラグビー協会会長だった佐野正文[142][リンク切れ]や、マスターズ陸上で世界記録を持っていた104歳の下川原孝[143]も犠牲となった。また、ギネス世界記録にも認定されていた世界最深の釜石港湾口防波堤が破壊された[144]。鵜住居地区は、市内の犠牲者の半分以上を占める悲劇の一方で、「釜石の奇跡」と呼ばれる津波教育の成功例もあった。市立釜石東中学校では、地震発生直後に生徒達が自己判断で避難先に各自走り出し、それを見た隣接の鵜住居小の児童も続いた。第一避難先の介護施設に到着して整列点呼で全員の無事を確認したが、想定にとらわれない教育の下、中学生が小学生の手を引いてさらに高台へ走り出し、それを見た地域住民も後に続いた。学校は10mを超える高さの津波に襲われ、第一避難先の介護施設も1階が水没したが、当日登校した生徒児童約600人全員が無事であった。また、生徒達がさらに上へと避難していく姿を見た介護施設側は、1階の入所者を3階へ移動させていたため、犠牲者が出なかった。
山田町では、介護老人保健施設「シーサイドかろ」で入所者74人と職員14人が亡くなるなど、750人以上が犠牲となった。また、津波に加えて大火も発生した。
宮古市の田老地区は、総延長2433mのX字型、海抜10mの巨大な防潮堤が城壁のように地区を取り囲んでおり、住民は万里の長城と呼び、「津波防災の町」を宣言するほどであったが、それを破壊、越流した津波により地区全体で185人が亡くなるなど、500人以上が犠牲となった。
大船渡市では、特別養護老人ホーム「さんりくの園」で62人が亡くなるなどし、延べ400人以上が犠牲となった。
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津波によって破壊された大槌町役場(岩手県下閉伊郡大槌町)
(2011年4月4日撮影) -
津波によって破壊された陸前高田市役所(岩手県陸前高田市)
(2011年4月12日撮影) -
津波によって破壊された陸前高田市の中心部(岩手県陸前高田市)
(2011年4月3日撮影) -
津波によって破壊された大船渡市の中心部(岩手県大船渡市)
(2011年3月15日撮影) -
津波の被害を受けた宮古港のある宮古市鍬ヶ崎地区。(2011年3月20日)
宮城県
宮城県は、震源地に最も近く、福島県や茨城県と共に激震であった。津波の被害としては、浸水面積327km2と浸水域の人口約33万人はともに3県最大だったため、宮城県のみで阪神・淡路大震災を上回る犠牲者を出した。
県北部は岩手県中南部沿岸と同様に津波高の増すリアス式海岸のため、津波常襲地域であり、津波への対策(防波堤や防潮堤)が成されていた。過去の津波の伝承や石碑が至る所に残り、住民の防災意識も高く、多くの人々が避難行動を取ったが、想定を大きく上回る規模の津波が押し寄せたため、甚大な被害を受けた。
県中南部は単調な海岸線であったが、水深の浅い仙台湾で津波の速度が落ち、後の津波が追い付いて津波高が増した。速度が落ちたため、襲来まで1時間あったが、北部に比べて中南部は過去の津波が数百年前であり、住民の意識が低い中で想像だにしない津波に襲われた。平野が広がっていたため数キロ内陸まで浸水し、甚大な被害を受けた。
気仙沼市では、介護老人保健施設「リバーサイド春圃」で59人が、杉の下地区の住民が避難した海抜12mの高台で93人が亡くなるなど、犠牲者は1,350人以上に及んだ。また、津波により漁船用燃料タンクが倒壊して広範囲に重油が流出して出火、大火災が発生し夜通し燃え続けた。火が付いた大量のがれきが気仙沼湾内を漂い、東北最大の有人島である大島にも燃え移り、島民達が総出で延焼を食い止めた。
南三陸町では、3階建ての防災対策庁舎の屋上まで水没するなど町職員42人が、5階建ての公立志津川病院も4階天井付近まで水没し、入院患者107人中72人と職員3人が死亡。また、海抜15mの高台にあった特別養護老人ホーム「慈恵園」も1階が水没して49人が亡くなるなど、850人以上が犠牲となった。
女川町は震源に最も近いリアス式海岸の町の一つであり、猛烈な津波が町を襲い、中心部は海抜20mの高さまでほぼ水没し、強い引き波により鉄筋の建物の倒壊も目立った。指定避難所であった町立女川病院(女川町地域医療センター)は、海抜16mの高台にあったにもかかわらず、1階が完全に水没した。七十七銀行女川支店では屋上に避難していた行員13人が流され12人が亡くなるなど、犠牲者は約900人であり、浸水域人口に対する犠牲者率は当震災において最大の11.97%であった。一方で5階建ての生涯学習センターでは、屋根付近まで水没したにもかかわらず、鉄扉で密閉され窓もなかったボイラー室に避難した30人弱が無事であった。
石巻市は、本震災最多の3,700人以上の犠牲者を出している。
市内北東部、リアス式海岸に当たる旧雄勝町、旧北上町、旧河北町の沿岸はほぼ完全に壊滅した。3階建ての雄勝病院は完全に水没し、入院患者と職員の65人が流されて生存者は3人、北上川の河口北側にあった石巻市北上総合支所では職員と避難者合わせて57人のうち生存者は3人だけだった。津波はその北上川を氾濫させながら猛烈な勢いで遡上し、5km上流に位置する石巻市立大川小学校(旧河北町立)では徒歩で避難していた児童78人と職員11人が流され、助かったのは児童4人と職員1人のみであった[145][リンク切れ][146]。
市内南部が旧石巻市であり、岩手・宮城・福島では最大規模約12万人の市街地が海に面して広がっていた。このため犠牲者数も多く、また市内各地で身動きの取れない渋滞が発生し、そのまま津波に飲まれて犠牲になる者も非常に多かった。前市長であった土井喜美夫[147]も犠牲となった。
東松島市では市域の36%が浸水した。野蒜地区は、東側の仙台湾(石巻湾)から押し寄せた津波が内陸2キロ弱を横断し、西側の松島湾に流れ込んだ、野蒜小学校の体育館で13人が、特別養護老人ホーム「不老園」の入所者56人が亡くなるなど、野蒜地区や大曲地区が壊滅的被害を受け、約1,100人が犠牲となった。航空自衛隊松島基地も冠水し、多くの航空機が破損した。 その一方で、海岸から1キロ内陸にある個人が、自宅の裏山の岩山に10年かけて避難階段と避難小屋を作っていた。津波避難所と書かれた看板に、近所からは「佐藤山」と呼ばれ、変わり者に見られていたが、結果的に約70人が津波の被害を免れた[148]。
多賀城市は、仙台市のベッドタウンであり、大きな幹線道路2本に沿って郊外型の大型店が建ち並んでいた。海に面しているのは東部の砂押川河口のごく一部であり、市民ですら海の街という認識は薄く、幹線道路を通過する市外の者はさらに認識が薄かった。地震の混乱で道路が大渋滞しているところ、建物の間から突然津波が襲来した。犠牲者は2本の幹線道路の車内を中心に200人弱であり、その半数は市外に住む人であった。
仙台市は104.7万人(2011年3月1日推計人口)[149]を擁する政令指定都市であったが、沿岸部の仙台平野の大部分が開発が制限される市街化調整区域であり、田園地帯が広がっていた[150]ため、人口密集地への浸水はほぼなかった。しかし、沿岸部にあった主な集落である若林区荒浜地区や宮城野区中野蒲生地区が壊滅し、また仙台港一帯の工業地域や商業地域を中心に、犠牲者数は800人以上となった。若林区では区域の60%が浸水し、田園地帯を3 - 4km内陸まで浸水する様子がNHKのヘリコプターからも撮影され、大きく報道された。荒浜にある仙台市消防ヘリポートも被害を受け、津波到達前に離陸した2機のヘリコプター以外の機材が使用不可能になる被害を受けたため、内陸部への移転が計画されている。
名取市では市域の27%が浸水した。中心市街地は内陸部にあったが、沿岸部にあった閖上地区が壊滅的被害を受けるなど、1,000人弱が犠牲となった。閖上大橋で、地震の揺れによる大型トラックの荷崩れが発生し、対向車線の乗用車運転手が死亡する事故が発生した事により通行止めとなり、地区内で渋滞が発生し、犠牲者を増やす要因ともなった。仙台空港の滑走路が冠水する様子は、国内外で大きく報道された。
岩沼市は市域の48%が浸水し200人弱が、亘理町でも町域の48%が浸水し300人弱が犠牲となった。仙台市や名取市同様に中心市街地は内陸部にあったが、沿岸部の集落が壊滅した。亘理町では元女子サッカー選手の佐藤恵利子[151]も犠牲となった。
山元町では町域の38%が浸水した。養護老人ホーム「梅香園」と併設するケアハウスで82人が犠牲に、常磐山元自動車学校の送迎バス5台が津波に飲まれ、教習生と教官の39人が犠牲になる[152]など700人弱が犠牲となった。
この他に、七ヶ浜町でも甚大な被害を受けた。
一方、松島町や塩竈市は周辺の自治体と比較しても被害が軽微であった。これは浦戸諸島とその奥にある松島湾内の島嶼群が津波の威力を緩和、分散したためと推測される[153]。ただし、あくまでも周囲に比べれば軽微だったというだけであり、家屋の浸水や犠牲者が発生したことに変わりはない。
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松島地区の被災状況。手前に広がる水面の多くが、元は陸地であった(2011年6月25日撮影)
秋田県
秋田県の被害は、負傷者11名、建物の一部損壊3棟であった。東北六県で唯一死者がいない県となった。
山形県
山形県の被害は、死者2名、負傷者29名、建物の全壊が37棟、半壊が80棟であった。
福島県
福島県は、沖合の全域が震源域となり、宮城県や茨城県と共に激震であった。
津波の被害としては、浸水面積は112km2と岩手県を上回っている。しかし、福島県の沿岸部は湾や入り江がなく、遠浅の地形のために漁港に適さず、港を中心とした市街地形成が成り立ちにくい県であった(日本の漁港一覧によると、岩手県111か所と宮城県114か所に対して、福島県10か所)。沿岸市町村の中心市街地は、海岸線より数km内陸にあったため、浸水域人口は7万人弱、浸水域の人口密度は600人/km2と、ともに3県で最も少なく、犠牲者数も比例して少なく済んだといえる(ただし、浸水域の人口が宮城県の1⁄5で、犠牲者が1⁄6であるため、犠牲率で見るとほぼ同じである)。
福島県沿岸は、仙台市以南から千葉県まで続く遠浅で単調な海岸線であり、過去に津波の伝承すら皆無だったために、住民の意識が低い中で津波に襲われた。広大な震源域の中に存在した3か所の大きな断層破壊の1つが茨城県北部近海であり、県南部のいわき市に最も早く津波が到達して北上し、宮城県沖で発生して南下してきた津波の動きと複雑に交わったとみられる。福島第一原子力発電所付近(大熊町)で15m、隣接する富岡町付近で20mと、周囲に比べても地形に特段の違いがないにも関わらず極端に高い津波高を観測していることから、この付近では南北方向からの津波が増幅しあったと推測される。
漁港がある自治体で100人以上の犠牲者があり、相馬市で約450人、南相馬市で650人以上、いわき市で350人以上、浪江町で200人弱、新地町で100人以上が犠牲になるなど、甚大な被害を受けた。
この他に、双葉郡の双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、広野町の沿岸も大きな被害が出たが、沿岸集落がごく小規模かほとんどなかったため、それぞれ数十人の犠牲者であった。
双葉郡は漁港が未発達で産業に乏しかった過去から、積極的に東京電力の電力供給地となり、福島第一原子力発電所、福島第二原子力発電所、広野火力発電所と日本有数の電力供給源になっていた。そこを津波が襲来し、日本がかつて経験したことのない全電源喪失による福島第一原子力発電所事故の発生へとつながっていく。
大熊町では、双葉病院に入院中の認知症患者と、隣接する老人介護施設の高齢者のうち227人が一時取り残された。原子炉が水素爆発して20 - 30km圏内の住民10万人以上が各地の避難所へ避難する混乱の中、132人は医師・看護師を同乗させないまま観光用バスに乗せられ、13時間かけて200km移動した。残りの95人は5日後に自衛隊によって救助されたが、最終的に50人が衰弱死した。
このように、福島県では強制的な避難によって避難所を転々とする中で高齢者が犠牲になる事例が多く、震災関連死の認定者数も最も多い。
また、放射性物質の拡散は双葉郡に留まらず福島県の広範囲に広がった。12日20時には25キロ北の南相馬市で20μSV/h、15日4時には40キロ南のいわき市で24μSV/hの最大値を計測した。晴れていたため風と共に通り過ぎる一時的な上昇であり、時間と共に低減していった。放射性物質の放出は3月15日にピークを迎え、9時には正門付近で11,930μSv/hを計測した。15日午後には南東からの風に乗り、北西方面へと流れた。40km離れた飯舘村では16時に23μSV/hと急上昇し18時半には45μSV/h、伊達市を経由し、60km離れた福島市でも17時に22μSV/hと急上昇し19時半には24μSV/hを計測した。南東の風が長時間続き、高濃度の放射性物質が流れ込んでいる所に、不運なことに17時頃から県内各地で雨(雪)が降り始めたため、放射性物質は地面に落ちて土壌に沈着した。このため、北西方面に伸びるように深刻な土壌汚染を引き起こし、そこから発する放射性物質は長期に渡ってさまざまな被害を及ぼした。
飯舘村や伊達郡川俣町の一部は1か月後、伊達市の一部地域は3か月後に避難指定を受けたが、その指定から外れた福島市や伊達市などの中通り北部を中心に母子避難や妊婦避難など数万人単位の自主避難者が発生する事になった。
地震の揺れ自体でも、福島県は被害が大きく、犠牲者数も最も多かった。内陸の中通り地方でも被害が目立ち、白河市では六反山が大規模に崩落し13人が犠牲に、須賀川市では藤沼ダムの高さ18m、長さ133mの堤が一気に決壊し、約150万tの水が、樹木を巻き込んだ高さ2-3mの鉄砲水となって1キロ以上離れた滝地区を襲い、8人が犠牲[154]になった。地震によるダムの決壊は日本初であり、世界的にも1999年の台湾921大地震で決壊した石岡ダムなどについで稀有である。また、郡山市では市役所の一部が倒壊し1人犠牲になるなどした。
この白河市から郡山市にかけての中通り中南部は他県の内陸市町村に比べて家屋損壊も際立っており、矢吹町では総戸数の30%の家屋が全半壊、鏡石町では総戸数の23%の家屋が全半壊、郡山市では2万戸が全半壊、これらは共に津波被害のない内陸市町村としては最大級であった。
また1か月後の4月11日には、いわき市南部の井戸沢断層付近を震源とする内陸直下型地震(福島県浜通り地震)が発生(震度6弱)した。この地震により、井戸沢断層と塩ノ平断層、また市内中部の湯ノ岳断層が同時多発的に数十kmに渡ってそれぞれずれ動き、市内至る所で断層(最大落差2m)の出現や土砂崩れ、地割れが相次ぎ4人が犠牲となった。
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津波によって破壊されたいわき市の沿岸部(福島県いわき市)
(2011年3月27日撮影) -
津波によって破壊された老人ホーム(福島県南相馬市)
(2011年4月16日撮影) -
いわき市久之浜地区の被災状況(2011年6月25日撮影)
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いわき市久之浜地区の被災状況(2011年6月25日撮影)
茨城県
茨城県は、沖合が震源域となり、そのうえ関東平野の弱い地盤も重なって、宮城県や福島県と共に広範囲で激震を観測した。
地震の揺れ自体による被害としては、震度6以上の揺れを観測した市町村は29市町村であり、これは宮城県26市町村、福島県33市町村と並んで多かった。NEXCO東日本の各インターチェンジに設置された震度計で震度6強相当以上を観測したのも、宮城県6地点と福島県6地点に次いで茨城県3地点であり、その中でも最大震度を観測したのは水戸南ICであった。
そのため、揺れによる家屋損壊も福島県と宮城県に次いで大きく、犠牲者数も福島県に次ぐ多さであった。
東海村で常陸那珂火力発電所の煙突200m付近で作業員9人が作業中だったが、鋼鉄製の床板とともに転落した4人が犠牲に、行方市では鹿行大橋が崩落し1人が犠牲になるなどした。
津波の被害としては、浸水面積は23km2であり、福島県と接する北茨城市で犠牲者が出た。また、高萩市、日立市、ひたちなか市、大洗町、神栖市などで市街地が浸水した。
液状化現象の被害も広範囲であり、特に霞ヶ浦・北浦南岸から利根川下流一帯の潮来市、神栖市、鹿嶋市、稲敷市などで被害が大きく、1万戸弱が被害を受けた。
小美玉市与沢にある茨城空港の空港ターミナルビルでは、設置した吊り天井が崩落する被害が発生した。
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茨城県北茨城市磯原を襲った津波の映像
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液状化現象で損壊した道路(茨城県稲敷市)
(2011年4月10日撮影) -
液状化現象による道床流失で被害を受けたひたちなか海浜鉄道湊線(茨城県ひたちなか市)
(2011年4月10日撮影)
千葉県
津波の被害としては、浸水面積は17km2であり、旭市で14人の犠牲者(行方不明者2人)が出た(2015年3月11日現在)。また、銚子市、山武市など北東の沿岸部が浸水、山武市で1人の犠牲者を出した。
液状化現象による被害としては、東京湾岸の埋め立て地で液状化現象が相次ぎ、特に市域の大部分が埋め立て地であった浦安市では深刻な被害が発生した。 また千葉市でも美浜区を中心に1,906戸が液状化した[155]。
我孫子市布佐(ふさ)東部地区[注 9]の液状化では119棟の家屋が全壊扱いとなった。我孫子市は2012年1月時点での倒壊恐れのある約50棟に解体を要請したが、修理して住み続ける人もいた[注 10][156]。
香取市佐原にある伊能忠敬旧宅でも震度6の地震動により被害が生じ[注 11]、歴史的建造物が並ぶ小野川の護岸が一部崩れ、「正文堂書店」のほとんどの屋根瓦が落ちるなど、利根川河川敷など香取市内で大きく液状化被害があった[157]。「大原幽学遺跡旧宅」(旭市、国史跡)で敷地の地割れや地盤沈下、佐倉市の旧堀田邸は漆喰に亀裂が入り、市川市の法華経寺では法華堂の天蓋の飾りの一部が落ちた[158]。
また、市原市にあるコスモ石油千葉製油所では大規模なコンビナート火災が発生した。
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地震によって火災が発生した(千葉県千葉市)
(2011年3月11日撮影) -
地震によって傾いた標識(千葉県浦安市)
(2011年4月4日撮影) -
液状化現象による路面の浸水と噴砂(千葉県香取市)
(2011年3月11日撮影) -
液状化被害で傾いた電柱(千葉県我孫子市)
(2011年3月12日撮影)
東京都
東京都では、千代田区にある九段会館の天井仕上げ材の一部が崩落して2人が犠牲に、江東区の金属加工工場では化学薬品トリクロロエチレンを含んだガスが充満し、吸い込んだ従業員2人が犠牲に、町田市にあるコストコ多摩境の駐車場のスロープが崩落して2人が犠牲になるなど計6人が死亡した。津波による死者はいなかった。また港区台場の国土交通省青海総合庁舎で火災が発生した。
栃木県
栃木県では、芳賀町にある本田技術研究所で壁が崩れて男性1人が犠牲に、那須烏山市神長地区で夫婦が山崩れに巻き込まれて2人が犠牲に、日光市で女性が屋根から落ちて脳出血を起こして1人犠牲になるなど計4人が死亡した[159][160]。
真岡市反町では数か所で地震の影響による液状化現象が発生し、割れ目から砂が噴出した。液状化が起こった地域はかつて旧河川あるいは河岸だった場所であり、農地の下には砂の層で広がっているからであるという。
宇都宮市では板戸地区で国道408号線沿いにある地山が土砂崩れを起こし道路が封鎖されるなどの被害が出ている。
那須塩原市の国道400号線では地震の影響で落石が発生し通行止めになる被害が出た。
栃木市岩舟町では霊山岩船山の西側の峰がV字に崩れ、さらに別の部分でも山肌が崩れたりしたが、人や家屋に被害はなかった。
那珂川町では県内の主要道のひとつである栃木県道52号矢板那珂川線にある新那珂橋が地震の影響で橋脚10基のうち4基の頭部に亀裂が見つかりうち2カ所は沓が破断、上部工も破損しているなどの大きな被害[161]を受け、撤去されることとなった[162][163]。
真岡市の井頭公園一万人プールが震災の影響でウォータースライダーを支える支柱や配管などが壊れ営業が中止になり、2013年には完全復旧した[164]。
歴史的遺産の被害としては益子町の地蔵院の歴代宇都宮氏の墓所にある戦国大名下野宇都宮氏17代当主宇都宮成綱、18代当主宇都宮忠綱の五輪塔が被害を受けた[165]他、さくら市では観光スポットである喜連川城城跡にあるお丸山公園が地震の影響により敷地内に700メートルに渡る大規模な亀裂が生じたほか、公園内の各種施設が損壊するなどの被害を受け、立ち入り禁止となってしまった。現在は土地部分の復旧はしているが喜連川スカイタワーなどの施設はまだ復旧の目処が立っていない[166]。日光市にある日光田母沢御用邸記念公園では石積みが破損するなどの被害が出ている。
その他の県の被害
神奈川県川崎市では、手抜き工事によりミューザ川崎シンフォニーホール(大ホール)の天井板が大規模に崩落し、ミューザ川崎シンフォニーホールは2年以上の長期間の休館を余儀なくされた。
群馬県では地震の影響で1人が死亡し、国道354号線の五料橋において4cmの段差が発生した[167]。
日本国外
アメリカ合衆国のカリフォルニア州クレセントシティでは5人が太平洋を渡った津波にさらわれ、うち1人が犠牲になった[168][169]。
インドネシアのパプア州でも、津波により1人が犠牲になり、5人が行方不明となった[170]。
太平洋の広い範囲に津波が到達したため、日本国外でも建造物の被害が発生した。ハワイ諸島ではハワイ島西岸に津波が押し寄せ、浸水などにより3軒のホテルが営業不能となるなど、数千万ドルに上る被害が発生した[171]。カリフォルニア州のクレセントシティやサンタクルーズでは港湾が損壊し、停泊していた船舶の損害と合わせて1,400万ドルの被害が出た[172]。チリでは数十の住宅が損壊し、200人近くが住家を失った[173]。インドネシアでは、パプア州にあるヨテーファ湾沿岸の複数の村で、住宅が損壊する被害が出た[174]。アメリカのオレゴン州などに流れ着いた漂流物への付着により、それまで現地では確認されていなかったワカメ、マコンブ、海苔などの海藻が漂着し、成長していることが確認されている。これらは漁業や環境に危害を与える心配がある[175]。
影響
人口変化
避難者
岩手県内の避難所は2011年10月に、宮城県内の避難所は2011年12月に、福島県内の避難所は2011年12月に全て閉鎖された[176][177]。埼玉県加須市に設置された、福島県双葉町から集団避難した住民の避難所は、2013年12月まで続いた。一方、災害公営住宅や仮設住宅での避難生活は長期化。震災直後の避難者は推計47万人であったが、2015年8月末現在19万8513人になった。各県にいる被災者は、福島62,773、宮城57,565、岩手25,761。県外避難者は福島から44,854、宮城6873、岩手1552人。 建設済み災害公営住宅10,700戸(計画3万戸)、宅地造成済み4700戸(計画20,600戸)[178]。
震災2年後の福島県の避難者は17.5万人(うち原発1次避難地域からは8.5万人)[179]。
- 福島県の県外避難(2013年3月7日)(合計約5万人、県内避難は約10万人)
- (1)山形県(9,513人)(2)東京都(7,449人)(3)新潟県(5,724人)(4)茨城県(3,943人)(5)埼玉県(3,820人)(6)千葉県(3,313人)(7)栃木県(2,948人)(8)神奈川県(2,449人)(9)宮城県(2,328人)(10)北海道(1,802人)(11)群馬県(1,688人)(12)長野県(1,003人)(13)静岡県(823人)(14)北海道(802人)(15)愛知県(795人)(16)沖縄県(738人)(17)大阪府(734人)(18)山梨県(710人)(19)京都府(702人)(20)兵庫県(604人)
推計人口
被災地のうち、太平洋沿岸の青森県八戸市から福島県いわき市までおよび原発事故の避難地域の推計人口(2010年(平成22年)国勢調査基準)を、震災前(2011年3月1日)と最新とを比較して以下に記載する。
最新の推計人口は、青森県が2024年10月1日現在、岩手県が2024年11月1日現在、宮城県が2024年10月1日現在、福島県が2024年10月1日現在。ただし、2015年(平成27年)国勢調査実施時点で全町・全村が原子力災害による避難指示区域となっている浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、飯舘村、葛尾村および、2015年9月4日まで全町が避難指示区域だった楢葉町については、福島県が最新の推計人口の発表をしていない[180]ため、平成27年国勢調査速報値(2015年10月1日時点の人口)[181]で代用する。
経済
3月11日の東京市場の大引けまであと14分という時間に震災が発生。株式市場には売りが殺到、10350円前後で推移していた日経平均は10254円43銭と前日比180円安まで急落し、安値引けとなった。週明け3月14日の東京市場は午前9時より通常通り取引を開始したが、ほとんどの銘柄が売り気配で始まった。日経平均は、始値は210円安の10044円17銭で始まり、幅広い銘柄に売り注文が殺到し下げ幅を拡大、終値は9620円49銭(633円94銭安 6.18%の下げ)と1万円を割りこんだ。更に翌3月15日には4号機が爆発・炎上し、放射能汚染が広範囲に拡大したことで日経平均は大幅続落、一時1392円安の安値8227円63銭まで下げ、終値は1015円安の8605円15銭と9000円を割り込んだ。15日の日経平均株価は前日比-10.55%、過去3番目に高い下落率の大幅下落を記録する事となった。震災前と比べ、3営業日で2361円87銭安(22.3%安)になった。その後、地震から4営業日目の16日に反発となり、488円高の9093円まで戻した。[186][187][188][リンク切れ]
一方為替相場では、復興資金調達のために円の価値が高まるとの思惑から急激な円高が進行し、3月17日に一時1ドル=76円台となって戦後最高値を更新した[189]。これに対し日銀やG7合意に基づく協調介入により市場の安定化を図り[190]、このため3月20日には80円台を回復し円高にも一応の歯止めがかかった[191][リンク切れ]。さらに、原子炉事故への対応の進展が伝えられると株価も反発し、3月22日には日経平均も9,600円台を回復した[192][リンク切れ]。
しかし、世界銀行が最大で2,350億ドル(約19兆円)、日本政府が16 - 25兆円の震災被害想定額を発表するなど、経済的影響の大きさが伝えられたほか[193][リンク切れ][194]、日銀短観や景気動向調査でも景況感が悪化が伝えられた[195][リンク切れ][196]。工場の被災や部品不足により、国内外で生産停止や特定製品の品薄が発生した[197][198][199][200]一方、「震災特需」「復興特需」による一部産業での景気の上向きが発生している[201][202][203]。ただ、2011年末で推定12万人の震災失業が伝えられるなど[204]、被災地を中心に経済への影響はいまだ続いている状況にある。
復興費用は10年間で23兆円(2011年7月時点)と見込まれていて、復興債による補填も行われている[205][リンク切れ][206][207]。
地震の混乱から発生した問題
震災に便乗した犯罪がなかったわけではないが、諸外国で見られるような略奪や暴動はなく、秩序は保たれていた[208]。しかし、首都圏を中心に不安を感じた市民が生活物資の買い貯めを行う動きが収まらず、物流の回復後も小売店の店頭では品薄状態が続いて、震災の影響がなかった地域にも拡大した[209]。震災だけでなく、東日本での電力不足なども加わったことなどから、日本全体が過度の自粛ムードに包まれ、経済への悪影響が懸念された[210]。
- 刑法犯罪
- 宮城県では、津波で大きな被害を受けた仙台市東部や多賀城市、石巻市などで、従業員のいない店舗や住宅、ガソリンスタンドや車などのガソリンを狙った窃盗事件が相次ぎ、地震発生から26日までに被害総額が約1億円に上った[211]。また、全国的に義援金の募集が行われている中で募金詐欺も発生した[212][213]。
- 警察庁の発表によると、岩手、宮城、福島の被災3県で3月11日から6月末までに発生したATMからの現金窃盗事件は56件、被害総額は6億8400万円に上った。その内の34件は福島県で発生し、そのほとんどが福島原発から20km圏内での犯行だった[214]。また、20 - 30km圏内でも大多数の住民が避難したため、空き巣の被害が相当数あった。20km圏内では住民の出入りが禁止されていたため、数か月後に順次開始された一時帰宅によって初めて空き巣が発覚する事案が多発した。
- ペットの置き去り
- 避難所などの関係から飼い主がペットを手放さざるを得なくなったり、飼い主が死去したりしたために引き取り先が無いペットや野生化したペットが福島県を中心に多発している[215]。
- 石油製品の供給難
- JX仙台製油所や東京湾岸の製油施設、各地油槽所の稼働停止による供給不足と津波によるタンクローリーの被災・遺失による輸送手段喪失が発生し、ガソリン、灯油、軽油の供給が滞った。これに対し政府は、西日本地域の石油製品在庫取り崩し(民間備蓄義務日数70日分を45日分に引き下げ)、製油所の稼働率上昇による増産、流通業者及び地域間の融通を円滑化を指示し[216]、被災地域において特に重要な拠点ガソリンサービスステーション(SS)を指定し、重点的なガソリン等の供給が行われた。しかし、一般のSSでは、元売りからの供給を受けられないため、給油量に制限を設ける等の対応が行われた。西日本地域から300台のタンクローリーの追加投入や製油所、油槽所の稼働再開により3月21日頃からは次第に供給不足は解消した。
- 体調不良
- 2013年、東京大学の研究グループは、東日本大震災以来体調不良になっていると訴える者が多いことに着目し、対象を若年層に絞って全国調査を行ったところ、当該症例数は有感余震回数と高い相関にあり、本震の震度、空間放射線量率、福島第一原子力発電所からの距離との相関性は低いことが判明したと発表した[217]。
- 2014年1月26日、厚生労働省研究班は、岩手、宮城、福島3県で震災当時に保育園児だった子供を対象に「子どもの行動チェックリスト」(CBCL) を用いた調査を行ったところ、25.9%の子が精神的問題に関する医療的ケアが必要な状況と分かったと発表した[218][リンク切れ]。調査対象の子供の43.9%が津波を目撃している[219][リンク切れ]。
- 二重ローン
- 二重ローン問題対策として、東日本大震災の影響により債務の返済が困難になった、個人の住宅ローンや、個人事業主のローンなどの債務を対象とした「個人債務者の私的整理に関するガイドライン」(被災ローン減免制度)が2011年8月22日より運用開始された[220][221][222]。ただし、当ガイドラインの適用件数は2016年4月15日現在、1347件にとどまっている[223][224]。また、事業者向けの対策としては、同年11月に東日本大震災事業者再生支援機構法案(二重ローン救済法案)が成立している。
裁判への影響
東京都中野区暴力団組員殺害事件の裁判が中断された。
試験など
入学試験
宮城県教育委員会は、3月14日から18日までを休校とし、15日に予定していた高等学校一般入学試験の合格者発表を22日以降に延期することを決めた[225][リンク切れ]。
地震発生直後の2011年3月12日 - 13日には国公立大学の入学試験後期日程が予定されていたが、12日は被災地にある32校の大学(私立大学含む)で試験が中止されることになった[226][リンク切れ]。国立36大学・公立15大学・私立7大学が12日の試験の開始時間繰り下げや、地震の影響を受けた受験生の個別対応を行い[227]、追試の対応をした大学もある[228][リンク切れ]。文部科学省は、3月12日における国公立大学後期日程の受験者は6万5,667人(昨年から2万604人減少)であり、この減少は地震の影響によるものであるとしている[229]。東北地方で同日に試験が実施された国公立大学は、全12校のうち秋田大学・秋田県立大学のみであった[229]。翌13日においても6校で試験を中止し、5校で繰り下げ実施または個別対応を行った[230]。
また、家屋の損壊した状況に応じて入学金や授業料の免除を行う大学や、震災や計画停電の影響を考慮して授業開始を5月以降とする大学も増えている[231]。
資格試験
地震発生2日後の3月13日に行われる予定であった第161回国際コミュニケーション英語能力テスト (TOEIC) は、地震の影響で会場が確保できなくなったことなどを理由に[232]、日本全国277会場すべてにおいて中止となった[233]。受験予定人数は約16万人であった[232]。
4月17日に行われる予定であった平成23年度春期情報処理技術者試験は、地震の影響を考慮し延期が決定した[234]。「平成23年度特別情報処理技術者試験」として、6月26日または7月10日に実施されることになった(受験する試験区分により日付が異なる)[235]。
このほか、各種資格試験において全国あるいは一部地域での日程変更が行われている。
就職活動
大手企業を中心に、2012年春に入社予定の学生を対象とした採用活動の開始時期を遅らせる動きが広がった[236]。また、地震の影響で東北地方を中心に内定取り消しや採用活動の中止などが相次ぎ、厚生労働省では緊急支援を検討した[237][リンク切れ][238]。
イベント・スポーツ
この震災によって、2011(平成23)年度春の褒章並びに叙勲、日本プロ野球の開幕戦やJリーグ、名古屋国際女子マラソン、競馬や競輪など、多くの公的行事やイベントが中止または延期となったほか、映画の公開延期や商品の発売中止が起きるなど、様々な分野に少なからざる影響が生じた。
報道
テレビ・ラジオ
地震によって東北・関東地方を中心に大規模な停電が発生したため、停電した放送局の多くは自家発電によって放送を続けた。しかし、東北地方では電力の復旧が遅れたことから、自家発電機の燃料が尽きて停波する放送局が多数現れた。大手の放送局でもTBCラジオや東日本放送は親局が一時停波に追い込まれたが、数日中に復旧した。一方中継局も被災し、3月15日時点でテレビ63か所、ラジオ2か所が停波するなど、放送自体への影響が長引いた[239]。
在京のテレビ・ラジオ各局は、地震発生直後に臨時ニュースを順次編成。その後は3月13日夜まで、ほぼ報道特別番組を中心とした特別編成を組んだ。レギュラーの報道番組も番組としての枠を外し、通常枠に近い時間帯の特別番組をキャスターやスタッフが担当して伝えるといった態勢が取られた。地震3日後の14日から地上波テレビ放送キー局では臨時報道特番の構成が緩和し、一部の情報番組とニュース番組のレギュラー番組が再開されたが、放送時間を拡大した特別版と緊急報道特番を組み合わせた構成の番組が主に放送され、ドラマ・アニメ・バラエティ・映画といったレギュラー番組の大多数が放送中止・繰り下げを継続した[240]が、15日未明から順次バラエティ・ドラマ・映画などのレギュラー番組も再開した[241]。
またテレビ各局で、3月11日の地震発生直後からテレビCMは長時間にわたって放送が中止された。テレビ朝日の約74時間、TBSの62時間、日本テレビとフジテレビの61時間など、各局で長期間CM停止が継続し、CM総合研究所によると、在京民放キー局においては3月11日の14時50分に日本テレビで放送されてから、翌12日の23時56分にテレビ東京で再開されるまで、約33時間にわたってCMが一切放送されなかった[242][243][注 13]。
CM枠が復帰してからも多くの企業が震災を考慮して自粛したため、大量に生じたCM枠の空きを埋めるためにACジャパンの公共広告4種類のみが高頻度で繰り返し放送される状態となった[244][245]。この大量放送によって、視聴者からACジャパンへの問い合わせ・クレームが殺到した一方、CM好感度ランキングでACジャパンが首位を獲得するという現象もあった[245][246][242]。この大規模な自粛は、震災以降日本国内に広まった「自粛ムード」の1つではあるが、諸外国からは特異な現象として指摘される例もあったという[247][248]。
岩手県、秋田県、宮城県、福島県、茨城県では、臨時災害放送局として既存のコミュニティ放送局が出力を増力したほか、自治体が災害FM局を開設した[249]。その他では、在京5局で史上初のラジオ災害情報交差点発動が行われただけでなく、3月13日17時からインターネットサイマル配信サービスradikoのエリア制限を解除して全国で関東・関西地区の民放13局が聴取可能とし、3月25日10時からは中京地区の6局も加わった。この緊急対応は、関西・中京地区の12局で3月31日まで、関東地区の7局で4月11日まで継続された[250][251][252]。東北6県と関東地方の一部の民放FM局をパソコンやスマートフォンで無料聴取するサービスも提供された[253]。民放AM放送でも、地震後1週間程度の期間、Ustreamやニコニコ動画(ニコニコ生放送)、自前のWebサイト等でサイマル配信を実施した放送局があった[254][255][256]。短波放送でも被災地の放送を全国向けに提供する局があった[257]。
この他、末端のアマチュア無線では多くの無線家が非常通信に呼び出しを行い、7.030MHz(指定非常通信周波数)にて情報収集、7.043MHzでの安否確認に協力しており、これによって孤立した集落が救われた例もあった[258][259][260]。
一方、地震動・液状化現象・津波により広範囲で被災した茨城県と千葉県では、地震直後の計画停電の対象エリアに茨城県潮来市や千葉県旭市が含まれるなどしたが、原因の一つとして被災状況が十分に報道されなかったことが挙げられた[261][262][263]。
また、震災によって被災地では共同アンテナが破損したほか、地上デジタル放送の普及活動が停止したため、対策として地デジ難視対策衛星放送を行ったうえで、2011年7月24日に予定されていた地上デジタル放送への全面移行を、岩手、宮城、福島の3県については2012年3月31日に延期した[264][265]。
日本国外でも、各メディアが地震関連のニュースを大きく報じている[266][267][268]。
新聞
震災発生直後、全国紙やブロック紙、地方紙数紙が一斉に号外を発行した。中日新聞は11日付夕刊の最終版であるE版に(2)という版を設けて1面トップで報じた。3月12日付朝刊はスポーツ紙を含めた各紙とも、1面から最終面まで最大級の見出しと写真で震災の状況を報道した。また、日曜日の夕刊は通常だと休刊だが、読売新聞と朝日新聞は3月13日(震災発生から3日目の日曜日)に「特別夕刊」を発行した。3月12日からしばらくの間、最終面に掲載されている番組表を中面に移設して震災関連の報道を優先した新聞社も、数多く存在した(全国紙は3月末まで番組表を中面に移設)[269]。震災直後に発行された新聞では紙面のほとんどが震災報道に当てられたほか、ページ数もおおよそ半分に削減され[注 14]、新聞広告も自粛された。
被災地に立地する新聞社は、災害援助協定を結ぶ近隣地域の新聞社に制作・印刷を委託するなどして新聞発行を継続した[270][271]。岩手県盛岡市の岩手日報社は、東北地方の地方新聞社6社(河北新報社を除く)で締結する災害時相互支援協定の発動を初めて要請し、自家発電機を有する青森市の東奥日報社で4ページの紙面を印刷。宮城県仙台市に発行本社を置くブロック紙『河北新報』は、免震構造の輪転機で印刷した2頁の号外を地震発生当日の23時過ぎに各避難所に届けた。翌日の朝刊は相互支援協定を締結していた新潟日報社に紙面制作を委託し、8頁の朝刊を発行。これらにより、停電のため映像として知られることのなかった沿岸部の深刻な津波被害の詳細を多くの市民が目にすることとなった[272]。石巻市の地方紙・石巻日日新聞は、本社が津波で浸水し輪転機や編集作業用のコンピュータ等を全て失った。水に浸からずに済んだ印刷用ロールから切り出した紙に油性フェルトペンで集めた情報を手書きした壁新聞を作成し、震災翌日から市内の避難所に張り出して情報提供を6日間にわたって実施した。7日目には入手した複合コピー機を使用して印刷した新聞の配布を開始し、2週間後には関係者が応急復旧させた古い輪転機で印刷を再開した。この壁新聞はワシントンにあるニュース総合博物館「ニュージアム」からの要請により、6日分全てが寄贈された[273]。
東北や関東の被災地では、交通インフラの損壊や燃料不足によって配達が遅延し、復旧までに4-5日以上を要した。『岩手東海新聞』(岩手県釜石、宮古市などを中心とする夕刊紙)は、本社にあった唯一の輪転機が水没し、読者の多くも被災したため収入の確保が難しくなり、3月29日付けで全従業員を解雇し、休刊となった。現在も発行再開の見通しは立っていない[274][リンク切れ]。このほか、『いわき民報』(福島県いわき市の夕刊紙)[275][リンク切れ]、『しんぶん赤旗』東北版(日本共産党の機関紙)[276]、『大崎タイムス』(宮城県大崎市の日刊紙)、『三陸新報』(宮城県気仙沼市の日刊紙)などが数日休刊となった。その一方で『東海新報』(岩手県大船渡市の日刊紙)のように自家発電装置で輪転機を回して新聞発行を継続したところもあった。
3月11日付のニューヨーク・タイムズ紙では「日本の厳しい耐震基準や防災教育により、多くの人命が救われた」とする記事が掲載されたほか、3月15日付では「非常事態に陥っても他者への気遣いや礼節を守り続ける日本人の国民性に学ぶべきものがある」とする記事も掲載された[277][278]。またワシントン・ポスト紙でも救助・復興活動に当たる消防団員や自衛官、警察官の様子を「能率的」と評したほか、被災者についても「冷静で礼儀正しく、驚くほどけなげに対処している」としている[279]。
出版・印刷
臨海部に所在する日本製紙の石巻工場と三菱製紙の八戸工場が津波により被災、また内陸部にある日本製紙の岩沼工場、勿来工場も津波の影響は受けなかったが、これらの工場を含む太平洋沿岸部にある製紙工場の生産設備、製品在庫の多くが損壊した。また、燃料不足等により、これらの工場からの出荷が困難となり、全国的に印刷用紙の需給が逼迫した。日本雑誌協会によると、3月18日の時点で発行を休止・中止または発売を延期した雑誌は、『週刊少年ジャンプ』ほか191誌に及んだ[280]。このため、集英社を始めとした各出版社は、緊急措置として『週刊少年ジャンプ』[281]や『週刊アスキー』[282]などの一部雑誌の最新号をインターネット上で無料配信した。また、震災後しばらくは印刷用紙不足が続いたため、一部の雑誌ではページ数の削減や紙質の変更などの措置が取られた。中小印刷会社の中にはこれにより営業が不可能になり、短期間で倒産する企業も現れた。
インターネット
情報提供の手段としてインターネットを利用した対応が行われており、テレビではNHKと民放各局(日本テレビ・テレビ東京を除く)で「停電などでテレビを見られない視聴者への配慮」として、番組をニコニコ動画、Ustream、Yahoo! JAPANでリアルタイム配信した[283]。ニコニコ動画では、NHK、フジテレビ、TBSニュースバードの許諾を得た上で、ライブストリーミング配信(NHKは総合テレビジョン・NHKワールドTVをリアルタイム配信)を行うとともに[284]、独自の緊急生特番も実施し[284]、これらの配信はアカウントなしで視聴が可能になっていた[284]。Ustreamでは、NHK(総合テレビジョン・NHKワールドTV)、テレビ朝日、TBS(TBSニュースバード)、フジテレビ、テレビ神奈川、Yahoo! JAPANでは、NHK(総合テレビジョン・教育テレビジョン)のライブストリーミング配信を行った[285]。なお、インターネット対応が行われたきっかけは、地震発生から約17分後に1人の中学生が行っていたNHKの臨時ニュースの無断配信からとされている[286]。
報道規制
震災発生当時の民主党政権は福島第一原発における事故について炉心融解(メルトダウン)であった事実を認識しながら、この事実の公表に伴うパニックや混乱を避けるとの判断から公式発表ではこの言葉の使用を避け続けた。そして、事故の状況について公式発表の席で正確な事実を伝えなかった。そうした姿勢がかえって海外(主に欧米の主要メディア)を中心に日本政府に対する不信感となり、「福島および首都圏が深刻な放射能被害を受けているが日本政府は事実を隠蔽している」との憶測が広まり、各国の大使館が自国民に日本国内からの退避を呼びかける事態に繋がった。後に客観的事実からそうした認識は単なる憶測の域を出ておらず、心配されるような事態ではないと判明。震災報道に携わった主要メディアは社説などを通じて、過剰な不安を煽った責任について一定の反省を示す一方、政府発表の不正確さがこうした憶測を呼んだとして日本政府を批判した。
2012年1月25日、国境なき記者団は東日本大震災の被災地や東京電力福島第一原発事故で過剰な報道規制が敷かれたことなどを理由に、「世界の報道自由度ランキング」において日本を前年の11位から22位へと格付けした[287][リンク切れ]。
災害対策の動き
日本政府は地震発生から31分後の15時14分に、史上初の緊急災害対策本部を設置した。3月12日夜の持ち回り閣議で、政令により「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震等による災害」を激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律(激甚災害法)に基づく激甚災害に指定し、同じく政令により特定非常災害特別措置法に基づく特定非常災害に指定した(いずれの政令も3月13日公布)。また、青森県、岩手県、宮城県、福島県、茨城県、栃木県、千葉県、東京都は災害救助法の適用を決定した(適用市町村は都県ごとに指定)。3月22日、青森県、岩手県、宮城県、福島県、茨城県、千葉県、内閣府は、東北地方太平洋沖地震と津波による被害について被災者生活再建支援法を適用することを決定した(適用地域は青森県、岩手県、宮城県、福島県、茨城県、栃木県、千葉県)。ただし、国および福島県は原発事故に伴う長期避難世帯を被災者生活再建支援法の長期避難世帯と認めず、福島県には適用していない。
救助・支援活動
震災発生を受けて同日15時14分に設置された内閣府緊急災害対策本部は2011年5月17日、同日までに2万6,708人が警察庁・消防庁・海上保安庁・自衛隊の派遣部隊によって救出されたと発表した[288]。機関別では自衛隊が19286名、消防が5064名、警察が3749名をそれぞれ救出した。
また、日本国外の156の国・地域と41の機関が支援を表明し、28の国・地域・機関から救助隊を、53の国・地域・機関から救援物資を受け入れている[288]。
被災地では、県や市などの物流の拠点まで輸送された食料や燃料、水、薬品などが隅々まで届かず、阪神・淡路大震災発生時と比較して物資が大幅に不足した。その理由として、各地の港湾が被災し、道路網が寸断されたこと、市や町の職員が犠牲になるなどして被災地側の受け入れ態勢が整わなかったこと、輸送車両の燃料が不足したこと、被害が広範囲に及び、避難者が指定避難所以外の施設に分散したこと、などが挙げられる。特に燃料が不足し、被災地では自動車で移動したり暖を取ったりすることも困難な状態が長く続いた。また福島県では、原発事故による被曝を恐れてトラックが引き返すなどし、沿岸部を中心に物資が届きにくくなった[289][290]。奥羽山脈を超える国道347号を初めとするいくつかの道路は例年通り冬季閉鎖であったが、その情報を知らずに日本海側から救援に向かった車両が引き返す例が見られた[291]。
ロイターの編集者であるFelix Salmonは日本に義援金を送るべきではない[292]と主張している。日本は金満な国家であり、何千億ドルに相当するお金を刷って財源を捻出できるからである。金銭の国際援助は発展途上国にすべきものであり、対外純資産世界一である日本[293]に国際援助モデルを適用するのは納得がいかないとしている。
救援物資
救援物資の調達では水や食料は農林水産省、日用品と燃料は経済産業省、医薬品は厚生労働省がそれぞれ各業界から集め、それを自衛隊や、国土交通省が依頼した運送業者が輸送する(日本通運などの運送業者や全日本トラック協会は政府の指定公共機関となっている)という体制が採られた[294]。物資は自衛隊や在日米軍の各基地や駐屯地から、航空自衛隊松島基地や米軍により復旧された仙台空港、福島空港、花巻空港(岩手県)へ空輸され、陸路で県の一次物資集積拠点に搬入されたのち、民間業者により荷卸し・仕分け・搬出され市町村の二次集積所へ運ばれたのち、陸上自衛隊のトラックで各避難所へ運ぶという方式が採られた(※岩手方式[295])。自衛隊以外では海上保安庁の巡視船や航空機を利用した物資輸送が行われ、さらに国土交通省の大型浚渫兼油回収船の清龍丸、海翔丸、白山による緊急物資輸送や航海訓練所所属の航海練習船である銀河丸および海王丸による医薬品などの緊急物資輸送、調査捕鯨船日新丸や、水産庁所属の漁業取締船、水産総合研究センターの調査船などを利用した物資供給も行われた[296]。また(社)海外まき網漁業協会所属のまき網漁船は、3月13日以降計26隻が被災地へ向かい、船に搭載された小型艇(レッコボート)を用いて大型船が接岸できない地域に食料、軽油、毛布等を搬入した。また全日本海員組合はチャーターした200トン型イカ釣り漁船を用いて、函館港から宮古港、気仙沼港、石巻港への物資輸送を行っている[297]。
自衛隊
2011年に動員した自衛隊員は延べ10万6600人である[注 15]。陸上自衛隊23万人のほぼ半数を投入した。3月14日に君塚栄治東北方面総監を指揮官とする自衛隊の各部隊による「災統合任務部隊」(JTF-TH)を編成した。福島第一原発事故に対応しては、JTFとは別に中央即応集団を待機出動させた。
陸上自衛隊東北方面隊管内にある多賀城駐屯地[298]や航空自衛隊松島基地は、震災後の津波によって浸水し、施設や装備に大きな被害を受けた。その他東北地方に所在する他の陸海空自衛隊の基地・駐屯地においても、施設や設備に多数の損害を受けた。
松島基地では駐機場、および格納庫に駐機していた航空機28機(F-2B戦闘機×18機、T-4練習機×4機、U-125救難捜索機×2機、UH-60J救難ヘリコプター×4機)全てが水没するなどの被害を被った[299]。これにより第4航空団は救援活動を行おうにも手も足も出ない状況に陥った。
また、仙台空港において整備中であった、陸上自衛隊第1ヘリコプター団特別輸送ヘリコプター隊所属のEC225LP型1機が津波による空港の浸水によって水没し、全損となった。
防衛省は3月11日14時50分に「災害対策本部」を設置し、52分の自衛艦隊司令官[注 16]による出動可能全艦艇への出港命令、57分の海上自衛隊大湊航空基地からのUH-60J発進を皮切りに、陸海空自衛隊が救助や偵察のためにヘリコプターや戦闘機・哨戒機等をスクランブル発進させた。陸上自衛隊のUH-1が撮影した何波にもわたって襲来する津波の映像は、報道機関を通じて全国に放送されている[300]。また迅速、効果的に救助・支援活動を行うため、14日に陸海空自衛隊の各部隊による統合任務部隊として、君塚栄治東北方面総監を指揮官とする「災統合任務部隊」(JTF-TH)を編成。自衛隊創設以来最大規模の災害派遣を行った[301]。27日現在人員約10万6900名(陸約7万、海空約3万6000)と回転翼217機、固定翼326機、艦船53隻が救援活動を行っている。また福島第一原発の対処には中央特殊武器防護隊を中心とした中央即応集団が専任し、他の部隊とは異なる指揮系統の下で活動している。
日々拡大する被害の復興のため、防衛省は3月16日に、防衛省・自衛隊創設以来初となる即応予備自衛官および予備自衛官の災害招集命令を発令した[302][303]。
自衛隊[304]は発災から2か月間、10万人態勢で復興支援を行ってきたが、2011年5月2日に国際テロ組織アルカーイダのテロリスト、ウサーマ・ビン・ラーディンの死亡が発表されたことを受け、国内でのテロ活動の阻止にも隊力を使用する必要が生じたことから、段階的に派遣の規模を縮小する方針とした。航空自衛隊は当初の規模の半分に縮小している[305]。
- 今回の派遣勢力は最大時で、人員約107,000人(陸上自衛隊約70,000人、海上自衛隊約15,000人、航空自衛隊約21,600人、福島第一原発対処約500人)、航空機約540機、艦艇59隻だった。発災から6月11日までの3か月の派遣規模は、人員延べ約868万7000人、航空機同約4万1000機、艦艇同約4100隻に達した。主な成果は、人命救助1万9286人、遺体収容は9487体。物資等輸送は約11,500t、医療チーム等の輸送は18,310人、患者輸送175人。被災者の生活支援面では、給水支援が約32,820t、給食支援が約4,477,440食、燃料支援が約1,400kL。このほか入浴支援は約854,980人、衛生等支援は約23,370人となっている[306]。震災を目撃したアメリカ海兵隊幹部たちは、もしアメリカ海兵隊のような軍事能力を持つ組織が日本にあったなら、数千名の命を救えたと指摘した[307]。
発災から延べ4か月にわたり10万人規模の統合任務部隊をもって被災者支援・復興を行ってきた防衛省は、2011年7月1日をもって災統合任務部隊を解散した。今後は東北地方の陸自部隊が中心となり支援活動を続ける。
- 7月1日に北澤俊美防衛相(当時)が君塚東北方面総監に対し、災統合任務部隊指揮官の任を解く辞令を交付した[308]。災統合任務部隊の編成解組後現地で支援任務を行ってきた第9師団は7月26日に岩手県内[309]、第6師団は7月31日付けで宮城県内での支援任務を終了した[310]。中央即応集団司令官を長として福島第一原子力発電所事故の対応に当たってきた部隊は2011年12月26日をもって撤収し、防衛省・自衛隊による一連の派遣が終了した[311]。
ロシア連邦軍および中国人民解放軍は、東日本大震災の発災直後から偵察機、戦闘機を波状的に日本の防空識別圏内に飛来させた。自衛隊は、災害派遣と並行して、戦闘機によるスクランブル発進を実施して対処した。両国軍用機による日本の防空識別圏内への飛来はその後も発生し、特にロシア軍は放射能測定を理由に東北地方沖合に何回も航空機を飛来させている。
自衛隊員の災害関連死
2011年4月1日、震災発生翌日の12日に駐屯地を出発し、15日から作業に従事していた50歳代の曹長(陸上自衛隊・旭川駐屯地所属)が死亡した[312][313]。死因は過労死の可能性があるとされている[314]。曹長が所属していた第2特科連隊の連隊長は曹長の死亡について、「誠に残念で、ご冥福をお祈りする。災害派遣活動との因果関係を調査し、原因を究明したい」と述べた[315]。4月2日、防衛省は同曹長を1日付で准尉に特別昇任させることを決めた[316][リンク切れ]。15日には遠野市の指揮所で運用調整に当たっていた第9施設大隊所属の1等陸曹が脳幹出血で死亡[317]、防衛省は同日付で1曹を曹長に特別昇任させた[318][リンク切れ]。1曹が所属していた第9施設大隊の大隊長は、「大変残念。倒れた隊員の復興に懸ける気持ちを受け継ぎ、全力で活動するとともに、隊員の健康管理に万全を期す」と述べた[319]。5月27日未明には第18普通科連隊所属の3等陸曹が死亡。本震災における自衛隊員の災害関連死は3人目となった[320]。
緊急消防援助隊
消防庁の指示で全国の消防本部から緊急消防援助隊のべ10万9919人が派遣されて5064人を救出した[321]。
- 派遣期間 - 平成23年3月11日~平成23年6月6日(88日間)
- 部隊・隊員数 - 1都1道2府40県 総人員30,684人(8,854隊) 延べ人員109,919人(31,166隊)
- 活動地域 - 岩手県、宮城県、福島県、千葉県
- 活動内容 - 航空部隊は人命救助、空中消火、情報収集等に、陸上部隊は消火、救助、救急活動等 に従事した。
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東日本大震災被災地で活動する埼玉県川口市消防局救助部隊
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東日本大震災被災地で活動する大阪府隊の車列
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東日本大震災被災地で活動する緊急消防援助隊大阪府隊
政治・行政
国政
菅第2次改造内閣は、平成23年度本予算案を衆議院本会議で賛成多数で可決させたものの、予算関連法案は成立させるめどが立たず、与野党間の対立も激しさを増していたが[322]、震災発生後は一転し、震災発生から間もなく、菅直人首相が首相官邸に集め、与野党党首会談を行い、「救国」のための協力を要請。野党側も対立姿勢を修正した[323]。14日には震災対応特措法の早期成立が与野党内で合意された[324][リンク切れ]。
2011年(平成23年)4月11日の閣議決定により、東日本大震災復興構想会議が設置された。同年6月24日に東日本大震災復興基本法が公布・施行され、東日本大震災復興対策本部が内閣に設置された。7月25日、東日本大震災の復旧・復興関連経費を盛り込んだ平成23年度第二次補正予算(1兆9,988億円)が成立。11月20日、東日本大震災関係経費11兆7,335億円などを柱とする平成23年度第三次補正予算(12兆1,025億円)が成立。12月7日、東日本大震災復興特別区域法が成立。12月9日、復興庁設置法が成立し、震災からの復興を目的として期間を定めて設置される復興庁の所掌事務、組織が具体化された[325][リンク切れ]。2012年(平成24年)2月10日、復興庁が発足[326]。
2012年(平成24年)1月27日、東日本大震災に関する15組織のうち、「原子力災害対策本部」、「政府・東京電力統合対策室」、「原発事故経済被害対応チーム」、「緊急災害対策本部」、「被災者生活支援チーム」、「官邸緊急参集チーム」、「各府省連絡会議」、「経済情勢に関する検討会合」、「電力需要に関する検討会合」、「電力改革及び東京電力に関する閣僚会合」の10組織が公文書管理法が主旨とする議事録を未作成、そのうち5組織では議事概要も未作成または一部作成であったとする調査結果を発表。野田佳彦首相は午前の参議院本会議で「文書で随時記録されなかったのは遺憾。会議の意志決定過程を把握できる文書作成は国民への説明責任を果たすため極めて重要。」と答弁した[327][328][329]。
政党の動き
- 民主党は、3月11日に岡田克也幹事長を本部長として、党本部に「民主党東北地方太平洋沖地震対策本部」を設置した[330]。
- 自由民主党は、3月11日に谷垣禎一総裁を本部長とする「平成23年3月11日地震緊急対策本部」を設置した[331]。
- 公明党は、3月11日午後に山口那津男代表を総本部長とする「東北地方太平洋沖地震対策本部」を設置した[332]。
- みんなの党は、渡辺喜美代表を本部長とする「地震被害対策本部」を設置したと発表した[333]。
- 日本共産党は、3月11日志位和夫委員長を本部長とする「日本共産党東北地方太平洋沖地震対策本部」の設置を発表した[334][335]。
- たちあがれ日本は、3月12日に平沼赳夫代表が緊急会見「東北地方太平洋沖地震対策について」を行った[336]。
- 国民新党と新党日本は共同で、3月11日17時に亀井静香国民新党代表を本部長、田中康夫新党日本代表を本部長代行とする「東北地方太平洋沖地震対策本部」を設置した[337]。
- 沖縄社会大衆党の糸数慶子委員長は、被災者に弔意とお見舞いの意を表した[338]。
- 新党大地代表代行の浅野貴博は、3月11日付けの自身のブログの中で、政府に迅速かつ的確な対応を求めると共に被災者へのお見舞いの言葉を載せた(代表の鈴木宗男は当時収監中)[339]。
- 日本創新党の山田宏党首は、3月12日に党首声明として、被災者および全ての国民に対してお悔やみとお見舞いの言葉を述べた。またその中で、党としても被災者の支援に全力で努めると発表した[340]。
地方行政
岩手県陸前高田市や宮城県南三陸町・女川町など各地で役所・役場が津波によって冠水・損壊し、岩手県大槌町では町長が死亡するなど、津波被害を受けた東北太平洋岸や原発事故のあった福島県浜通りでは、職員の多くが被災したため人手不足に陥ったり、役場・議会や行政書類が被害を受けたことなどにより、行政機能が麻痺する自治体も出た[341][リンク切れ][342][83][343]。
2011年4月に第17回統一地方選挙が実施されたが、震災地域については被災地選挙延期法で延期されている。
- 千葉県浦安市では、市内の3⁄4を占める埋立地で液状化現象による甚大な被害が発生したにもかかわらず、千葉県が予定通り実施するとしたことから、同市のみ最大2か月の延期をすべきと主張し反発した。期日前投票[344][リンク切れ]を含めた全ての投開票事務が行われなかったため、5月に再選挙が実施されるまで、県議会議員2人が欠けた状態となった[345][346][347][リンク切れ][348][リンク切れ][349]。
間接的な影響ではあるが、ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州で3月27日に行われた州議会選挙では、福島第一原子力発電所事故による反原発運動の高まりなどにより、同盟90/緑の党が第2党に躍進しドイツ社会民主党と連立与党を組むに至るなど[350][リンク切れ]、国外の政局でも日本の震災の影響を受けたところがあった。
皇室
外国企業や公館の対応
原発被害などを受けて、イタリアやフランス、アメリカ合衆国やオーストラリアなどの政府が、日本に駐在している会社員や外交官、学生や旅行者などを一時的に国外へ避難させるために政府専用機や民間チャーター機などを日本国内の空港に派遣し、無償で自国民を国外に避難させると同時に、放射能の影響を受けないと思われる地域への一時避難を奨励する勧告を行った。また在日外国人の中には、本国政府や所属企業からの避難勧告が出ていないにもかかわらず、「自主的に」国外へ逃れるものもいた[351]。
これらの在日外国人の避難や逃亡を受けて、これらの国の企業の日本法人や支店などの中には通常の業務に障害をきたすものや、操業を一時的に停止せざるを得なくなるものもあった[352]。その後も一部の外国企業は、日本法人の本社や支店を「原発被害を受けにくい」とされた関西地方や九州地方などに一時的に移転させることを検討し、実際にアリコジャパンなど、一時的に地方に移転させた企業もあった。
また同様の理由から、ルフトハンザ航空やエールフランス航空などは、原発事故がある程度鎮静化し放射能被害が及ばないことが確認されるまで成田国際空港への乗り入れを停止したり、関西国際空港などへ一時的に目的地を移す措置を行った。また、関西国際空港や韓国経由で成田国際空港へ運航し、その日のうちにこれらの空港に引き返させることで、成田国際空港での乗務員の宿泊及び機内食の積み込みが発生しないようにする航空会社もあった[353]。
復興
岩手・宮城・福島3県沿岸で発生した大量の災害廃棄物(がれき)と津波堆積物(土砂など)の処理が進められていて、復興庁は2014年3月末までに災害廃棄物の処理を完了することを目標としている。2012年11月末時点では、3県37市町村で、災害廃棄物は1,802万tと推計されそのうち86%が撤去済み、34%が処分・処理済みで、また津波堆積物は956万tと推計されそのうち60%が撤去済み、15%が処分・処理済みである。できる限り被災地内での処理を進める方針から、仮設焼却炉の増設が計画されているほか、被災地以外での処理(広域処理)も検討されているが放射性物質の問題から調整が難航している[355]。
津波により市街地あるいは集落単位で建物やインフラが破壊され都市機能が失われた、岩手・宮城・福島3県沿岸などの地域では、復興の方向性を巡る議論が行われ、一部は事業が開始されている。具体的なアイデアには以下のようなものがある[355][356]。
- 高台への移転 - 消失した市街地や集落を、従来の津波浸水地域ではなく、高台に移転して再建するもの。被災地の土地を国・自治体が買い上げる形で公費負担により集団移転を行うことが計画されている[355]。
- 地盤のかさ上げを伴う現地での再建 - 従来の津波浸水地域内で、地盤のかさ上げを行って津波のリスクを低減した上で再建するもの。区画整理方式や、拠点となる市街地を国・自治体が買い上げて一括整備する事業などが計画されている[355]。
- 職住分離 - 住宅、行政庁舎、高台、病院などは高台・地盤かさ上げ地に移転する一方、産業に関連する施設は従来の津波浸水地域内に残すもの。水産や観光が主産業で全面的な移転が難しい地域で検討されている[356]。
- 復興事業を機会とする新たな事業の展開 - 漁業・水産業の協業化、農業への民間投資、省エネルギー・再生可能エネルギーやスマートグリッドの導入(エコタウン)など[356]。
- 津波防御施設の強化 - 防潮堤の復旧や強化のほか、幹線道路や鉄道を高い盛土として堤防としての機能を付加するものや、防災林や緑地などの防災用地を設けるものなど。宮城県の復興計画では、仙台湾岸南部は海岸線沿いに防潮堤、その内側に防災林・緑地、農地、盛土道路、産業用地、盛土鉄道、住宅地の順で帯状にゾーンを形成する多重防御とすることを構想している[356]。
- 津波避難施設の強化 - 津波の緊急避難のためのビルやタワーを設けるものや、津波避難のための道路、一次・二次・収容避難場所を復旧強化するものなど。宮城県の復興計画では、特に職住分離を計画している地域の産業地域(低地)で緊急避難施設を強化することを構想している[356]。
- 津波避難行動支援の強化 - 津波からの避難を啓発する防災教育、震災経験の継承など[356]。
福島県は2012年7月に「ふくしま観光復興支援センター[357]」を設立し、口演者(語り部、2014年9月現在176人)、視察先、ボランティア先、モデルコースの紹介などを行っている。2013年度にセンターが仲介した口演者は1.3万人だった[358]。
- 主な視察受け入れ先[358]
- 福島市 - 避難所で炊き出し支援、交流
- 相馬市 - 津波体験と教訓
- 会津若松市 - 大熊町民の避難生活、仮設住宅のくらし
- いわき市 - 防災・減災学習ツアー
- 川内村 - 全村避難と帰村までの取り組み
- 南会津町 - 避難者の受け入れ体験
- 須賀川市 - 直売所の風評被害払拭の取り組み
- 二本松市 - 原発避難者受け入れ支援、交流
震災3年9ヶ月後の2014年末集計の事業完了割合[359][360]。
復興住宅 15%(用地確保85%)、海岸工事 21%、高台移転 31%、復興道路 39%、漁港 56%、農地 70%、鉄道91%、学校 96%、河川工事 99%、水道 95%、下水道 99%、災害廃棄物の処理 99%(1732万t)[361]
問題点・課題
震災後、ボランティア活動に対する保健衛生上の規制や支援車両に対する道路交通法の規制など、現在の法令による制限が復興の障害となっていることが明らかになった。復興の遅れにより経済や生活に二次的な被害が生じているため、関係自治体では災害特区指定や特別立法への期待も大きい。市街地が壊滅した岩手県陸前高田市などでは、集落ごと高台に移転するといった大規模な対策が検討されているが、課題も山積している。
震災以後も、2011年9月には戦後最大級の勢力をもって上陸した台風15号によって被災地が広範囲で浸水し、福島第一原発では汚染水上昇等の被害が起きている。膨大な量のがれき(例えば岩手県では前年1年間のごみ処理量の23倍に上るがれきが発生した)をどのように処理するかについても、がれきに付着した放射性物質の濃度が問題とされ、広域的な処理は進んでいない。
国および福島県は原発事故に伴う長期避難世帯を被災者生活再建支援法の長期避難世帯と認めていないことから、原発事故の長期避難に伴う災害関連死(特に「原発関連死」と呼ばれる)対策や原発避難者生活再建支援施策が求められている。
震災後の様々な動き
震災遺構
- 仙台市
- 釜石市
- 鵜住居(うのすまい)地区防災センター…2014年2月解体終了[367]
- 陸前高田市
- 奇跡の一本松…復元、保存
- 南三陸町
- 南三陸町防災対策庁舎…南三陸町は解体方針(事業の関係上2013年度末まで)であったが、宮城県の有識者会議終了(2014年度中)までは解体されないこととなった。その後2015年6月に、2031年までは県の施設とすることになった。
- 高野会館(民間所有)[368][注 18]
- 石巻市
- 大槌町
- 気仙沼市
- 女川町
- 宮古市
- 東松島市
- JR旧野蒜駅
- 福島県富岡町
震災から3年の時点で保存が検討されているのは、宮城県で15か所ほど、岩手県では8か所ある[382]。2014年5月現在、宮城県では7市町の12施設が検討対象である[383]。
小惑星の命名
震災復興を祈り、国際天文学連合の「小惑星・彗星・流星2012」(2012年5月に新潟市の朱鷺メッセで開催)をきっかけとして、小惑星に被災地の地名が命名された。これは国立天文台がローウェル天文台に依頼して付けたものである[384][385]。
- 県名 - 宮城 (19534)、岩手 (19691)、青森 (19701)、茨城(19713)、栃木(19731)、千葉県 (20613)
- 福島県の地方名 - 会津 (14701)、浜通り (21966)、中通り (22719)
- 被災自治体名 - 陸前高田(22745,岩手県)、栄村(22885, 長野県下水内郡[注 20])、津南町(22914, 新潟県中魚沼郡[注 21])
その他、以下の震災関連で命名された小惑星がある。
題材とした作品
この震災は被害・被災の規模がきわめて大きく、社会全体に広範な影響をもたらしたことから、東日本大震災に関連して数多くの作品・表現が発表された。その内容は災害ドキュメンタリーや体験記・ノンフィクションの類を始め、鎮魂の思いを込めたもの、東日本大震災からの復興をテーマにしたもの、被災体験やボランティア体験を創作の契機としているものなど、多岐にわたる。
以下に東日本大震災に直接関連するものを挙げる。一般的な概念としての「絆」や「復興」を扱ったものは、ここでは取り上げない。
映画
時系列順に表記し、月が不明なものはその年の最後に付した。年月不明の作品は最後に付した。自主制作作品も含む。
ノンフィクション、ドキュメンタリー
- 津波そして桜 - 2011年9月公開。ルーシー・ウォーカー監督。
- がんばっぺ フラガール! 〜フクシマに生きる。彼女たちのいま〜 - 2011年10月公開。小林正樹監督。
- きょうを守る - 2011年11月公開。菅野結花監督。
- 子どもたちの夏 チェルノブイリと福島 - 2011年11月公開。田野隆太郎監督[386]。
- うたごころ[387] - 2011年。榛葉健監督。
- DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る - 2012年1月公開。高橋栄樹監督。
- Friends after 3.11 劇場版 - 2012年3月公開。岩井俊二監督。
- 立入禁止区域・双葉 〜されど我が故郷〜 - 2012年3月公開。佐藤武光監督。
- 希望の明日へ - 2012年3月の映画祭で公開。
- 季節、めぐり それぞれの居場所 - 2012年公開。大宮浩一監督。
- 逃げ遅れる人々〜東日本大震災と障害者[388] - 2012年、飯田基晴監督。
- グレーゾーンの中で In the Grey Zone - 2012年、イアン・トーマス・アッシュ監督。南相馬で10日間暮らし、人々の本音を引き出す。
- 石巻市立湊小学校避難所 - 2012年公開。藤川佳三監督。
- 先祖になる - 2013年2月公開。池谷薫監督。陸前高田市気仙町荒町地区の77歳の独居老人に密着した作品。第63回ベルリン国際映画祭エキュメニカル賞特別賞、第37回香港国際映画祭ファイアーバード賞(グランプリ)を受賞した[389]。
- わすれないふくしま - 2013年3月公開。四ノ宮浩監督。原発事故で警戒区域となった福島県飯舘村の人々の暮らし。
- 311 - 2013年3月公開。共同監督は森達也、綿井健陽、松林要樹、安岡卓治。
- ガレキとラジオ - 2013年4月公開。梅村太郎、塚原一成監督。宮城県南三陸町の災害ラジオ局「FMみなさん[390]」を扱った。ドキュメンタリーを称しながら「やらせ」演出が指摘された[391][392]。
- 僕らはココで生きていく[393] - 2013年、下山和也監督
- 架け橋 きこえなかった3.11[394] - 監督:今村彩子[注 22]。視聴覚障がい者の被災体験を描く。2013年。出演は小泉正壽さんなど。
- あれから Scince Then[395] - 2014年3月公開。篠崎誠監督
- A2-B-C[396] - 2014年5月公開。イアン・トーマス・アッシュ監督[397][注 23][398]
- ほんとうのうた - 2014年7月公開。河合宏樹監督。郡山市出身の古川日出男が舞台化し2011年から巡回した朗読劇『銀河鉄道の夜』の公演の模様を記録した[399]。
- 1000年後の未来へ-3.11保健師たちの証言 - 2014年公開。都鳥伸也監督[400]。
- 無人地帯/No Man's Zone
- 大津波のあとに
- 槌音
- すぐそばにいたTOMODACHI 〜 The Neighbourly TOMODACHI
- Pray for Japan Official Trailer
- 手のなかの武器
- 原発の町を追われて〜避難民・双葉町の記録
- フタバから遠く離れて Nuclear Nation[401] - 舩橋淳監督、プロデューサー:橋本佳子。エンディングテーマを坂本龍一が担当。
- フタバから遠く離れて 第2部[402]2014年
- フタバから遠く離れて スピンオフ短編 放射能[403]2014年
- フタバから遠く離れて 2016 総集編2016年
- 犬と猫と人間2 動物たちの大震災
- 生き抜く 南三陸町の人々の一年 - 森岡紀人監督
- Light up nippon - 柿本ケンサク監督
- 夢を生きる - テーラー・アンダーソン監督
- ギリギリの女たち - 藤真美穂監督
- Negative: Nothing - クニューセル兄弟監督
- 3.11 東日本大震災から学ぶ 津波・命を守る心構え
- より高く!より早く!!〜津波からの避難〜
- 3.11後を生きる - 中田秀夫監督
- 缶闘記 CANS OF HOPE[406] - 岸田浩和監督
- 今日子と修一の場合[407] - 奥田瑛二企画・脚本監督[408]。
- 宮戸復興の記録 2011〜2013 - 飯塚俊男監督、重枝昭典撮影。2014ゆふいん文化・記録映画祭で松川賞受賞。
- 東北復幸祭〈環WA〉in Paris -子どもたちが見つめた 死・再生・未来-[409][410] - OECD東北スクールの高校生約30人が制作。2015年2月14日(土) - 2月22日(日) いわき市で初上映、DVD化。2015年9月12日(土)〜9月18日(金)[411] ポレポレ東中野 主催:NPO法人OurPlanet-TV、共催:ポレポレ東中野
- 福島 生きものの記録 シリーズ3〜拡散 - 監督:岩崎雅典(2015年/日本/91分)福島第一原発事故によって拡散した放射性物質の行方を追った。
- 種まきうさぎ〜フクシマに向き合う青春〜 - 監督:森康行(2015年/日本/88分)福島の高校生による朗読サークル”たねまきうさぎ”が、原発事故被害者と日本各地の人々の交流活動をする。
- 大地を受け継ぐ[412] - 監督:井上淳一 (2015年/日本/86分)(2016年2月公開)福島県須賀川市の農家樽川和也は、母と2人で暮らしている。父は原発事故による出荷停止のFAXが届いた翌日、自殺した。そこを震災後4年たって11人の学生が訪れる。エンディング曲:フラワーカンパニーズ
- 飯舘村の母ちゃんたち[413] - 監督:古居みずえ。福島県飯舘村からの伊達市に避難し、仮設住宅の隣部屋に住む2人の女性(78歳と79歳)を4年間追う。2016年。
- ふくしま被災地まち物語東京7DAYS(紙芝居)- 浪江町まち物語つたえ隊、まち物語制作委員会。作られた紙芝居は100本近くあるという。
- 「波伝谷に生きる」、「願いと揺らぎ」 -我妻和樹監督。宮城県南三陸町南部の「波伝谷(はでんや)」集落を継続的に撮影した連作。
- 浪江町消防団物語「無念」[414](アニメーション)- いくまさ鉄平監督[注 24]。浪江町まち物語つたえ隊(小澤是寛代表)、まち物語制作委員会(広島。新澤孝重代表)。声の出演大地康雄、浪江町長・馬場有、浪江町消防団・高野仁久、浪江シンガー門馬よし彦他。音楽:門馬よし彦(浪江町在住)、上綱克彦(柳ジョージとレイニーウッド)、秋津智承(チェリスト)。
- 助けを求める人々の声を聞き「必ず来る」と伝えながら、原発事故の避難命令がでて救助に戻れなかった消防団の無念を描く[415]。
フィクション
- ヒミズ - 2012年1月公開。園子温監督。第68回ヴェネツィア国際映画祭最優秀新人賞W受賞(染谷将太、二階堂ふみ)。原作の設定を変更し、震災後の日本を舞台としている。
- 青いソラ白い雲 - 2012年3月公開。金子修介監督。震災後の福島を舞台としている。
- ポテチ - 2012年4月公開。中村義洋監督。震災後の仙台市を舞台としている。
- トテチータ・チキチータ - 2012年4月公開。古勝敦監督。震災前から震災後にかけての東北・東京を舞台としている。
- 希望の国 - 2012年10月公開。園子温監督。夏八木勲、大谷直子ほか大鶴義丹、浜田晃、伊勢谷友介など。震災および福島第一原発事故後、架空の県で更に発生した原発事故を描いている。
- おだやかな日常 - 2012年12月公開。内田伸輝監督、杉野希妃主演・制作。福島原発事故による放射能被害を心配する東京の家族を描く[416]。
- 遺体 明日への十日間 - 2013年2月公開。君塚良一監督。岩手県釜石市の遺体安置所に取材した石井光太のルポ『遺体―震災、津波の果てに』(2011年11月、新潮社)が原作。西田敏行、緒形直人、勝地涼、國村隼、佐藤浩市、柳葉敏郎が出演。
- 桜並木の満開の下に - 2013年4月公開。舩橋淳監督、臼田あさ美主演。震災後の日立市を舞台としている。
- ただいま。 - 2013年9月公開。島田大介監督。
- 朝日のあたる家 - 2013年9月公開。監督・原作・脚本・編集・プロデューサー太田隆文、並樹史朗、斉藤とも子、山本太郎など。原子力事故。
- 家路 - 2014年3月公開。久保田直監督、松山ケンイチ、田中裕子、安藤サクラ、内野聖陽出演。震災後の福島を舞台としている[417]。
- 物置のピアノ - 2014年8月公開。似内千晶監督。
- 救いたい[418] - 2014年11月公開。神山征二郎監督、震災から3年後の仙台の医師夫妻などを描く。出演は鈴木京香、三浦友和、貫地谷しほり、中越典子、藤村志保、津川雅彦など。主題歌「その日が来るまで」小田和正。
- さよなら歌舞伎町 - 2015年1月公開。廣木隆一監督。染谷将太、前田敦子主演。
- セシウムと少女[419] - 監督:才谷遼[注 25]、2015年公開、ファンタジー。主演は白波瀬海来[420]。出演川津祐介、山谷初男、長森雅人、飯田孝男、なんきん。
- Fukushima,mon Amour(フクシマ・モナムール) - ドリス・デリエ監督。2016年第66回ベルリン国際映画祭パノラマ部門で上映し、ハイナー・カーロウ賞を受賞。桃井かおり出演。震災後の福島を描く。
- STOP - キム・ギドク監督。2016年ゆうばり国際ファンタスティック映画祭で上映。原発事故のため東京に移った若い夫婦の生活を描く。
- 人の望みの喜びよ[421] - 杉田真一[注 26]監督。大森絢音、大石稜久他。第64回ベルリン国際映画祭ジェネレーション部門スペシャル・メンション受賞。モントリオール映画祭で上演。震災で両親を失った姉弟を描く。
- 夢の女 ユメノヒト[422] - 坂本礼監督、2015年(2016年公開)。主演佐野和宏。
- 太陽の蓋 - 2016年7月公開。佐藤太監督。
- 彼女の人生は間違いじゃない - 2017年7月公開。廣木隆一監督。
テレビ
- 負げねど!津波〜被災旅館再生記〜[423] - 2013年、仙台放送。第22回FNSドキュメンタリー大賞にて大賞を受賞した[424]。
- ウォッチン!プラスSP 海風に舞う 石巻・十三浜 神楽とともに生きる人々[425] - テレビ制作部専任部長川村和弘、松本真理子ディレクタ一、TBC(東北放送)2015年6月初回放送。「第35回『地方の時代』映像祭2015」でグランプリ[426]。石巻の人々が神楽を通して復興する人々を3年間追ったドキュメンタリー[427]。
- 忘れない3.11 わたしの一言〜ヨシさんの“てんでんこ”〜[428] - 総合プロデューサー 角舘郁也、プロデューサー中村好子、プロデューサー堀米道太郎、撮影・構成 千葉佳史。IBC岩手放送が2011年から続ける震災復興キャンペーンテレビCMのうちの一本。日本民間放送連盟賞/2013年(平成25年)テレビCM部門 優秀賞[429]。2013年2月から月一本。「津波てんでんこ」で逃げた赤沼ヨシ(97歳、女性、田老町)が「復興はてんでんこではできない」と語る。
- きぼう〜ふくしまのめばえ〜 - 福島中央テレビ(日本テレビ系列)の平日夕方の情報番組「ゴジてれ Chu !」の75秒のコーナー。丸淳也報道部部長、村上正信報道部デスク。県内で生まれた赤ちゃんを応援。2012年1月から始まり、2016年2月現在1000回。
- ともに[430] - 折原裕プロデューサー。仙台放送が毎月1回宮城県内の一人一人の復興のあゆみを紹介する30分番組。2011年4月23日から放送中、2016年2月13日で第59回。
文学
ノンフィクション、ルポ、写真集他
- 五木寛之『下山の思想』幻冬舎新書、2011年。
- 高山文彦『大津波を生きる』2012年[431]
- 高嶋博視『武人の本懐 FROM THE SEA 東日本大震災における海上自衛隊の活動記録』講談社、2014年。
- 草谷桂子『3・11を心に刻む ブックガイド』子どもの未来社、2013年[432]。
- 蟹江杏、佐藤史生『ふくしまの子どもたちが描く あのとき、きょう、みらい。』徳間書店、2011年。
- 小野智美編『女川一中生の句 あの日から』羽鳥書店、2013年。
- 麻生幾『前へ! ―東日本大震災と闘った無名戦士たちの記録―』新潮社、2011年。自衛隊、東北地方整備局[注 27]、DMATなどの苦労と活躍を描いたノンフィクション。
- 菱田雄介[注 28]、飯沢耕太郎『アフターマス 震災後の写真』NTT出版、2011年。原作『hope/TOHOKU』は震災11日後に被災地で撮影された。
- 安田菜津紀、渋谷敦志、佐藤慧[注 29]『ファインダー越しの3.11』原書房、2011年12月。現地写真集。
- 岩手日報社『特別報道写真集 平成の三陸大津波 2011.3.11 東日本大震災 岩手の記録 [Kindle版]』岩手日報社、2014年。
- 佐々涼子『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている ―再生・日本製紙石巻工場―』早川書房、2014年。
- 外岡秀俊『3・11複合被災』岩波書店2012年
- 河北新報社『河北新報のいちばん長い日』文藝春秋 2011年
- 森健編『つなみ 被災地の子どもたちの作文集』文藝春秋 2012年
- 第43回大宅壮一ノンフィクション賞。80人の作文を載せたMOOK(18万部)と115人の『完全版』がある。
- 文藝春秋『つなみ 5年後の子どもたちの作文集』文藝春秋2016年4月臨時増刊号
フィクション
- 和合亮一『詩の礫』徳間書店、2011年
- 『昨日ヨリモ優シクナリタイ』徳間書店、2016年
- 『廃炉詩編』2013年3月
- いとうせいこう『想像ラジオ』
- 綿矢りさ『大地のゲーム』
- 佐伯一麦『還れぬ家』 - 後半部分でそれまでの本筋(2008年 - 2009年の出来事)と並行して東日本大震災後の主人公の様子が描かれる。
- 有川浩『空飛ぶ広報室』 - 単行本書き下ろしの後日談(ドラマ版最終話)で東日本大震災時とその後の松島基地の様子が描かれている(主人公はかつてブルーインパルス候補だったという設定)。
- くしまちみなと『おとめ桜の伝説〜小峰シロの物ノ怪事件簿〜』2012年 - 序章が福島県白河市の震災描写。小峰城崩落などがある。
- 熊谷達也『調律師』2013年 - 終盤で仙台市のコンサートホールを訪れた主人公が東日本大震災に巻き込まれる。
- 福井晴敏『震災後』小学館、2011年
- 高橋源一郎『恋する原発』講談社、2011年
- 照井翠『龍宮』角川学芸出版、2012年[433]
- 吉村萬壱 『ボラード病』文藝春秋、2014年 - 災害で人が住めなくなったあと人が戻ってきた海塚の町の様子を小学校5年女子の視点で描く。
- 佐伯一麦『空にみずうみ』2014年6月23日から読売新聞連載小説 - 震災後の仙台を舞台に日常生活のありがたみを描く。
- 乃南アサ『いちばん長い夜に』新潮社、2013年1月。震災により2人の人生に与えた大きな変化が描かれている。
- 岡本貴也『神様の休日 〜僕らはまためぐり逢う』幻冬舎、2014年2月。実話を元に紡がれた修復師の真実の物語。
- 中山七里『アポロンの嘲笑』集英社、2014年9月。逃走する殺人事件の被疑者とそれを追う刑事の視点から、震災直後の福島県の様子や福島第一原子力発電所事故の対応に追われる人々の現状を描く。
- 友井羊『ボランティアバスで行こう!』宝島社、2013年4月。災害ボランティアを題材にしている。
- 平野啓一郎『Re: 依田氏からの依頼』、短編集「透明な迷宮」所収、新潮社、2014年。「新潮」2013年7月号に掲載。
- 佐藤通雅『昔話(むがすこ)佐藤通雅歌集』(2013年)
- 小林エリカ『光の子ども』リトル・モア、2013年。イラストレーターが書いた漫画。
- 真山仁『そして、星の輝く夜がくる』講談社・2014年、続編『海は見えるか』幻冬舎・2016年。阪神淡路大震災で被災した著者が、被災者を描く。
- 金原ひとみ『持たざる者』集英社、2015年4月。
- 北野慶『亡国記』現代書館、2015年[注 31]。
- 真山仁『雨に泣いてる』幻冬舎、2015年。被災地で新聞記者が殺人事件を追う。
- 廣木隆一『彼女の人生は間違いじゃない』河出書房新社、2015年。
- 天童荒太『ムーンナイト・ダイバー』文藝春秋、2016年[434][435]。
- 柳広司『象は忘れない』短編集、文藝春秋、2016年。
- 桐野夏生『バラカ』集英社、2016年。
- 島田明宏『絆〜走れ奇跡の子馬〜』集英社、2017年。被災した南相馬市のファームを舞台に、生き残った子馬を競走馬に育てダービーを目指す。
- 村上春樹『騎士団長殺し』新潮社、2017年。
研究書・学術論文・評論
地震、津波そのものの理科学的考察が主であるものは含まない。(理科学的考察は「東北地方太平洋沖地震」へ)
- 齊藤誠著『震災復興の政治経済学』日本評論社
- 16-25兆円という政府発表の被害額見積もりが過大だったとし、それに基づく復興予算が経済に及ぼす影響を検証している[436]。
- 澤田康幸編『巨大災害・リスクと経済』日本経済新聞出版社。
- エマニュエル・トッド著、石崎晴巳編訳『トッド 自身を語る』藤原書店
- 「東日本大震災は日本の一部だけを襲い、その背後に日本の巨大な工業力がある」と指摘[437]。
- リチャード・J・サミュエルズ著,プレシ南日子他訳『3.11 震災は日本を変えたのか』 英治出版、2016年3月
- 畑村洋太郎『未曾有と想定外 東日本大震災に学ぶ』講談社現代新書、2011年。ISBN 978-4-06-288117-3
- 森一郎『死を超えるもの: 3・11以後の哲学の可能性』東京大学出版会、2013年。ISBN 978-4-13-010124-0
漫画
- 荒木飛呂彦『ジョジョリオン』(『ジョジョの奇妙な冒険』Part8) - 舞台のS市杜王町(現実の仙台市)に出来た謎の隆起物「壁の目」は震災によってできたとされている。
- 雁屋哲原作・花咲アキラ作画『美味しんぼ』 - 2011年9月より連載開始した「被災地編・めげない人々」[438]を皮切りに、被災地関連のシリーズを展開。
- 吉本浩二『さんてつ 日本鉄道旅行地図帳 三陸鉄道 大震災の記録』 - 三陸鉄道の被災から運行の部分再開と全線復旧のめどが立つまでを描いたドキュメンタリー漫画。『月刊コミック@バンチ』2011年12月号から2012年4月号に連載。2012年3月に単行本化。
- 竜田一人『いちえふ 福島第一原子力発電所労働記』 - 福島第一原子力発電所の廃炉作業員が執筆するルポタージュ漫画。2013年MANGA OPEN大賞受賞をきっかけに不定期連載を開始。
- ももち麗子『デイジー 〜3.11 女子高生たちの選択〜』
- 端野洋子『はじまりのはる』:2013年
- 山本おさむ『今日もいい天気』 - 2012年に連載された「原発事故編」がある。
- 山本おさむ『そばもん ニッポン蕎麦行脚』 - 会津若松市で震災に遭った蕎麦屋の話。
演劇
- 『東の風が吹くとき』作・演出:高木達[注 32][439] 青年座
- 『「ノクターン-夜想曲」(2015)-Nocturne 2015-』[440]。作・演出:倉本聰、音楽:倉田信雄、美術:横島憲夫、出演:富良野GROUP
- 2015年1月10日〜3月15日まで全国公演。舞台が福島であり、東日本大震災と原発事故の被災者に寄り添いたいと思って創ったという[441]。
- 井伏銀太郎[442] いぶしぎんたろう。Gin's Bar主宰。1958年5月24日生まれ 宮城県出身、仙台市立仙台高校、仙台デザイン専門学校卒業。井伏銀太郎『White-あの日、白い雪が舞った』(2012年初演)、『イーハトーブの雪』(2015年初演)、『あの年』(2016年初演予定)[443]
- 国立能楽堂の能楽『名取ノ老女』2016年3月。主演(シテ)は梅若玄祥と大槻文蔵。共演宝生和英、金剛龍謹。梅若玄祥が閖上の浜などを入れた「名所教え」等を入れて新作した。梅若玄祥はいずれ名取市でも上演したいと述べている[444]。
ドラマ
- 最高の離婚 - 2013年1月10日から3月21日まで放送されたフジテレビの作品。主人公とその妻が震災発生時の東京で帰宅困難者となった状況で知り合うという設定で描かれた。
- あまちゃん - 2013年4月1日から9月28日まで放送されたNHK連続テレビ小説の作品。舞台となった岩手県北三陸市(現実の久慈市)が被災し、『海女カフェ』や観光協会、北三陸鉄道が被害に遭ったという設定で登場。なお、被害状況はニュース映像などを使用せず、海女カフェ周辺や北三陸鉄道の軌道の被災状況を再現したほかは、鉄拳のイラストや観光協会に展示しているジオラマで表現した。
- 時は立ちどまらない - 2014年2月22日放送のテレビ朝日のスペシャルドラマ。
- 五年目のひとり - 山田太一ドラマスペシャル 2016年11月19日放送
- 絆〜走れ奇跡の子馬〜 - 2017年3月23日・24日放送のNHKの特集ドラマ。島田明宏『絆〜走れ奇跡の子馬〜』のドラマ化作品。
アニメ
- Wake Up, Girls! - 2014年1月10日および2015年9月25日、同12月11日公開のアニメ映画と、2014年1月10日から3月28日までテレビ東京系で放送されたテレビアニメ。震災後の仙台を拠点に活動するアイドルグループの姿を描く。テレビアニメ第9話は被災した気仙沼の街を舞台としている。
短編アニメ
- 今、ふたりの道 - 2015年3月8日に放映された宮城県制作のアニメ。将来を語り合う二人に東日本大震災が襲いかかる。
- 想いのかけら - 2016年2月11日に5分版、3月24日に25分版がNHKで放映された。
音楽
- 花は咲くプロジェクト「花は咲く」- 2012年。震災支援プロジェクト「NHK東日本大震災プロジェクト」のテーマソング。多数の歌手がいろいろな形で歌っている。2017年現在でも多数回放送されている。
- 沢田研二「3月8日の雲」「恨まないよ」「F.A.P.P.」「カガヤケイノチ」(ミニアルバム『3月8日の雲』収録)、「Pray〜神の与え賜いし」「Uncle Donald」「Fridays Voice」「Deep Love」(マキシシングル「Pray」収録)、「三年想いよ」「櫻舗道」「東京五輪ありがとう」「一握り人の罪」「みんな入ろ」(マキシシングル「三年想いよ」収録)
- 小田和正「緑の丘」 - 東北大学校友会歌(小田は工学部建築学科卒業)
- 桑田佳祐「明日へのマーチ」「Let's try again 〜kuwata keisuke ver.〜」「愛しい人へ捧ぐ歌」
- サザンオールスターズ「東京VICTORY」
- 湯川潮音「その日わたしは」(アルバム『濡れない音符』所収)
- 中村雅俊「ワスレナイ」(アルバム、全国ツアー)
- ASIAN KUNG-FU GENERATION「ひかり」
- 群青 (福島県南相馬市立小高中学校平成24年度卒業生の曲) - 福島県南相馬市立小高中学校の平成24年度卒業生と、音楽教諭の小田美樹教諭によって作られた曲。2013年8月10日、譜面第1刷発行。2014年9月1日、群青CDリリース。
- GReeeeN「pray」 - 東日本大震災で被災した方への祈りを込めて作られた曲。「現段階において歌詞を付ける必要はない」という理由からインストゥルメンタルとなっている(マキシシングル「花唄」収録)。
- BUMP OF CHICKEN「Smile」 - 漫画家の井上雄彦が描いたイラストレーション「Smile」を起用したソフトバンクモバイル「復興支援ポータルサイト」TVCMソングとして書き下ろされた曲。チャリティ・シングルとして発売。アレンジバージョンをアルバム『RAY』に収録。
- あしたのうたプロジェクト「あしたのうた」 - STG7-8(ha-j、市川喜康、マシコタツロウ)の呼びかけでミュージシャンが多数参加している。制作された「あしたのうた」には男女各々をボーカルにしたオリジナルバージョンとFace 2 fAKEがプロデュースしたDuet Versionがある。
- 牛来美佳[注 33]「いつかまた浪江の空を」[445]2015年3月。
- 川嶋あい「とびら」 - 2015年3月[446]。
- 冨田勲「イーハトーヴ交響曲」2012年11月初演。同年の10年前頃西澤潤一が「雨ニモマケズ」(宮沢賢治)に曲をつけることを依頼した。冨田は、震災から自分が体験した三河地震(1945年、当時12歳[注 34])を思い起こし、作曲を決めた。
- ハジ→「3.11」- ハジ→本人の自宅は宮城県仙台市
- サカナクション「years」 - SNSを通じて人々が抱える東日本大震災直後の「不安」を楽曲に反射させた曲。「『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』」にB面として収録。その4年後、「懐かしい月は新しい月 〜Coupling & Remix works〜」の特典DVDにて初の映像化。当時の被害に直面した人々の4年後の感情を映像表現化している[447]。
- 音速ライン「彼方まで」(2016年)、「Birthday」(2012年、アルバム「オルタネイティブ」所収)
- 高橋洋子「魂と呼ぶもの」 - 福島復興応援ソング。(ベストアルバム『YOKO SINGS FOREVER』収録)
著名人の被災
- 岩手県
- 黄川田徹(当時57歳) - 民主党衆議院議員、陸前高田市出身・選出、元陸前高田市役所職員。震災で義理の両親(本人は婿養子)と妻(51歳)、長男(29歳)、公設第二秘書の男性をなくし、本人とたまたま高台の教習所に通っていた娘1人が生き残る。自宅は海岸から2kmだった。2013年8月に仮設住宅に入居し2015年3月現在も入居中[要出典]。
- スコット・ファーディー(当時26歳) - ラグビーオーストラリア代表(ラグビーワールドカップ2015出場)。2009年(平成21年)より釜石シーウェイブスに所属していた選手で、釜石市において被災。母国より退避が呼びかけられたが同市に留まり、支援のためボランティア活動を行った。
- 照井翠(当時48歳) - 俳人。岩手県立釜石高校[注 35]で被災、1ヶ月間体育館と合宿所で生活した[448]。その経験を句集「龍宮」などで表現する。
- 土村芳(当時20歳、京都造形芸術大学2年) - 女優。盛岡市出身。大学から実家に帰省の途中、東北新幹線の車内で被災、仙台駅を過ぎたトンネル内で約9時間閉じ込められた[449]。
- 宮城県
- さとう宗幸(当時62歳) - シンガーソングライター。仙台市在住。司会を担当するミヤギテレビ「OH!バンデス」に出演するため同局に向かっていた途上で被災。さとうの代表曲で仙台のご当地ソングでもある「青葉城恋唄」が、1978年(昭和53年)6月12日発生の宮城県沖地震直後にヒットした経緯から、当震災でもさとうが様々な場面で同曲を歌い、桑田佳祐らも宮城県でのコンサートで歌った。さとうを初め、稲垣潤一・遊佐未森・山寺宏一らみやぎびっきの会のメンバー等が歌う復興支援ソング「虹を架けよう」の収益金は、震災で被災した子供たちの支援活動に寄付されている。
- 伊集院静(当時61歳) - 作家。仙台市の自宅にて被災[注 36][450]。後に東日本大震災をテーマにして『男の流儀入門【震災編】』を執筆・刊行し、大友康平(宮城県塩竈市出身)とのコンビでチャリティソング『ハガネのように 花のように』を制作した[451]。
- クミコ(当時56歳) - シャンソン歌手。3月11日夕方から石巻市民会館にてコンサート出演予定だったため、同館地下の控室にいたときに地震が発生した[452]。裏山の採石場に避難したため津波を逃れたが同館は水没、クミコらは裏山で1夜を過ごすことになった[452]。翌日、仙台まで移動したが東京に行く術がなく、タクシーで山形県の庄内空港まで移動し、羽田便で3月13日夜に東京に戻った[452][453](太平洋側の石巻から仙台を経て日本海側の庄内空港まで200km以上の横断)。その後は石巻を初め、被災地で無料コンサートなどを精力的に行っている。
- 俵万智(当時48歳) - 歌人。2006年(平成18年)より自宅が仙台市にあり、両親・長男と共に住んでいた[454]。震災発生時は仕事で東京におり、5日かかって仙台に戻った[454]。福島第一原子力発電所事故による放射線被害から逃れようと考え、子供を連れて震災後も運航を続けていた隣県の山形空港に行き、那覇便で自主避難した[454]。その後、石垣島に渡り、そのまま定住した[454]。この自主避難の経験を含め、震災発生から1年間の短歌を集めた「あれから―俵万智3・11短歌集」を2012年3月に出版した。
- 瀬名秀明(当時43歳) - 作家。仙台市の自宅マンションで被災。
- 手倉森誠(当時43歳) - サッカー選手、監督。ベガルタ仙台監督時代に、仙台のクラブハウス2階で被災する。天井が崩壊し、窓ガラスは割れ、家具が転倒する中を脱出した。夜星が見え「希望の光」だと思った。震災37分後にコーチの瀬川誠の第1子が生まれたことを後から知った[455]。
- 大口玲子(当時41歳) - 詩人。仙台市で被災、原発事故を受け宮崎市に移住。
- サンドウィッチマン(当時36歳) - お笑いコンビ。気仙沼港市場で東北放送(TBC)『サンドのぼんやり〜ぬTV』のロケ中に被災した。2013年3月7日正午から運用開始した新津波警報の啓発ポスターに起用された。→詳細は「サンドウィッチマン (お笑いコンビ) § 東日本大震災のエピソード」を参照
- 平野啓一郎(当時35歳) - 作家。女川町で津波被害を目にして「人生でもっとも衝撃的な光景だった」と述べる。時間の流れが東京と被害地で違うことにヒントを得て、短編「透明な迷宮」(『新潮』2013年7月号)を発表[456]。
- マルキーニョス(当時34歳) - ブラジル人プロサッカー選手。ベガルタ仙台に所属していたが、震災で精神的ショックを受け、退団して母国ブラジルに帰国した。翌シーズンより、他のJリーグ球団に復帰した。
- 近藤修司(当時33歳) - プロレスラー。試合会場への移動のため仙石線の快速列車に乗車中に列車内で被災。翌日他の乗客とともに救出。なお列車の乗客は近藤を含めて全員無事であった。
- MONKEY MAJIK(当時30代) - カナダ人と日本人によるロックバンド。仙台在住。被災地にて泥かきや瓦礫撤去などボランティア活動を続けた。チャリティーライブ「SEND愛」を開催し、売上を寄付した。外務省から「震災復興発信使」(KIZUNA大使)に任命された。
- Rake(年齢不詳) - シンガーソングライター。仙台市出身・在住。同市の自宅にて被災した。震災を機に「素晴らしき世界」を創作し、「誓い」は震災を機に始まった第1回東北六魂祭のテーマ曲となった[457]。
- 羽生結弦(当時16歳、東北高校1年) - フィギュアスケート選手。「アイスリンク仙台」(仙台市泉区)で練習中に建物が大きく揺れ、スケート靴を履いたまま、外へ逃げた。羽生は、氷が波打ち、死の恐怖を感じて泣きながら逃げ出した、と語った。自宅も被害を受け、ライフラインが止まったため、4日間避難所暮らしをした。練習場が使えず、約60回のアイスショー公演で練習と感覚の維持をした[458][459][460]。
- Dorothy Little Happy(当時10代) - アイドルグループ。メンバーは仙台市在住。2011年3月16日にavex traxからメジャー・デビューの予定で準備していたが震災が発生、CDは被災地以外で予定通りの発売となったものの、デビューイベントが全て中止または延期となり、被災地では1ヶ月ほどCDを発売することが出来なかった。8月27日・28日開催の「TOKYO IDOL FESTIVAL2011〜Eco & Smile〜」にて注目を浴びた[461]。
- 岩田華怜(当時12歳) - アイドルグループ:AKB48のメンバー。震災当日は体調不良で小学校を早退して仙台市内の自宅で静養している時に震度6強の地震に遭遇。震災後に開かれたAKB48研究生セレクションを受験して合格し、芸能活動を始めることとなる[462]。
- 佐藤七海(当時11歳) - アイドルグループ:AKB48チーム8の岩手県代表メンバー。仙台市在住時に震災に遭い、自宅が全壊したため避難所暮らしをした[463][464]。その後、岩手県に移住し、AKB48チーム8の岩手県代表に選ばれた。
- 佐々木莉佳子(当時9歳) - アイドルグループ:アンジュルム(旧・スマイレージ)のメンバー。自宅を津波で流され避難生活を余儀なくされる[465][466]。このことが、芸能活動を始めるきっかけとなった。
- 福島県
- 和合亮一(当時43歳) - 高校国語教師、詩人。福島県立保原高等学校(福島県伊達市)で入試の合否判定会議中であった。震災を題材にした「詩の礫」をtwitterで発信し続け、後に出版した。
- GReeeeN(当時30歳前後) - ボーカルグループ(メンバーは歯科医師)。当時、福島県在住[467]。メンバーのHIDEは、震災死亡者の身元特定作業(検視)に参加した。東日本大震災復興プロジェクト『GreenboysProject』を実施した[468]。
- 舞木香純(当時13歳) - アイドルグループ:AKB48チーム8の福島県代表メンバー。双葉郡広野町出身[469]。福島第一原子力発電所事故の影響により、広野町立広野中学校からいわき市立湯本第三中学校に転校[470][471]。AKB48チーム8の福島県代表に選ばれた。
- 優希美青(当時11歳) - 女優。南相馬市在住時に被災した[472][473]。山形県の中学校在校時だった2012年、「第37回ホリプロタレントスカウトキャラバン」でグランプリとなり、芸能界デビューした[474]。岩手県を舞台の1つとする連続テレビ小説「あまちゃん」において、宮城県のローカルアイドルグループ「仙台牛たんガールズ」のセンター・小野寺薫子役を演じた。
- 栞菜智世(当時17歳) - 女優、歌手。いわき市出身。地震発生時には高校の校庭が「まっ二つに割れた」瞬間を目撃、その夜は水とチョコレートだけで一夜を凌ぐ。不自由な生活が続く中で、携帯プレイヤーにダウンロードしてあったJ-POPが心の支えとなった[475]。「第39回ホリプロタレントスカウトキャラバン」でグランプリを獲得し、歌手としてデビュー。
注釈
- ^ 当初は「東北関東大震災」という名称に統一する予定だったが、翌日に長野県北部で地震が発生したため、「東日本大震災」という名称になった。
- ^ 帰還困難区域 - コトバンク
- ^ 居住制限区域 - コトバンク
- ^ 他の冷却手段が絶たれた場合の最終ヒートシンクとなる
- ^ 自動車制御の中心部。汎用品ではなく、機種ごとに作り直す。製造装置は小さな振動も嫌う。[要出典]
- ^ 緊急交通路指定には首都高三郷線・八潮南出口 - 三郷ジャンクション(下り)、三郷ジャンクション - 八潮入口(上り)を含む。
- ^ 幸い、地震発生時は定期発着便の当発着時間を外れていたため、離着陸中の旅客機はおらず、それら乗客乗員の被害はなかった。
- ^ 原文「3.11の5日後には花巻空港が再開し」
- ^ 利根川沿いの埋め立て地を持つ。
- ^ 7戸が曳家(ひきや)で秋田市に移築され、高齢認知症者向けのグループホームになる。
- ^ 鉄筋コンクリート作りの伊能忠敬記念館が平成10年に完成し、2,345点の国宝資料を保存しているため、資料は無事であった。
- ^ a b c d e f g 2015年(平成27年)国勢調査速報値の値。
- ^ テレビ東京を除く民放4系列が、1980年以降にCMを全面カットして放送した例としては、1989年1月7日の昭和天皇崩御における特別編成(局によって時間は異なるが、概ね1月7日午前5時台から1月9日未明までの約42時間)がこれまでの最長であり、本震災の報道においてはそれを上回った。なお、1995年1月17日の阪神・淡路大震災発生時にも、ほぼ2日間のCMを全面カットした局があったが、こちらはあくまで在阪局の一部に限ったことで、系列全体を対象としたものではなかった。
- ^ 朝日新聞・東京版では通常40頁が20 - 24頁となった。
- ^ 阪神大震災225万人
- ^ 倉本憲一
- ^ 旧住所 仙台市若林区荒浜字新堀端32-1
- ^ 300人の高齢者園芸大会参加者などが社員の判断で帰宅をやめ、地上高17mの屋上に避難したが、屋上も津波が襲い、さらに上の非常スペースに避難し助かった。その後1日ペットボトル10本の水を分け合った。
- ^ 全部残すと3 - 8億円かかるため、壁の一部を残し1.65億円。
- ^ 大震災翌日の2011年3月12日の長野県北部地震
- ^ 大震災翌日の2011年3月12日長野県北部地震
- ^ ろう者。映像作家。名古屋在住。
- ^ 映画は一時打ち切られ、関係者や監督によると、過激派組織の「中核派」が、映画に出た1人の女性と、子どもの甲状腺を検査した福島県内の診療所と関係していると外部から指摘されたことが理由だという。女性は原発事故後に中核派になり、映画では2分半インタビューに応じていた。診療所によると中核派のメンバーが中心となって診療所の設立が呼びかけられ、映画には診療所での様子は1分半入っていた。
- ^ 59歳、広島在住。
- ^ しらはせ かいら。17歳の新人、映画初主演。テレビドラマ出演歴あり。1997年9月27日生まれ、千葉県出身
- ^ 1980年生、兵庫県出身。大阪芸術大学映像学科卒。
- ^ 「くしの歯作戦」
- ^ 1972年生まれ、写真家、テレビディレクター。
- ^ 1982年岩手県生まれ。陸前高田市で自分の母親を捜しながら撮影を続ける。
- ^ 仙台市出身、在住。宮城県佐沼高等学校卒。元気仙沼中学校教諭
- ^ 著者のフェイスブックの題名『北野慶(反原発・安倍打倒)』
- ^ たかぎ とおる。1950年福島県いわき市久之浜生まれ。震災時には家の1階に津波が入り、その後3日間放射能から逃れて避難所にいた。明治大学卒。1972 - 2013青年座。福島第一原発近くの架空の村が金で荒廃する「風の家」(NHK)で1989年度イタリア放送協会賞受賞。老夫婦が放射能で衰弱していく様子を描いた『風が吹くとき』(2011年)の脚本。
- ^ ごらいみか、29歳。シンガーソングライター。浪江町出身、群馬県太田市で避難生活中。
- ^ 愛知県岡崎市本宿町に住む
- ^ 海岸から7km。
- ^ 十数年前に大補強し、突っ張り棒をしていた。
出典
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関連項目
- 東北地方太平洋沖地震に関する記事の一覧
- 災害復旧
- 震災復興再開発事業
- 災害対策基本法
- 被災地支援競走
- 放射性物質汚染対処特措法
- 事前復興
- 災害記念碑 - 貞観津波碑(宮城県東松島市宮戸島) - 桜ライン311(岩手県陸前高田市)
- 貞観地震(869年) - 慶長三陸地震(1611年) - 宮城県沖地震
- 女川いのちの石碑
- トモダチ作戦
外部リンク
映像外部リンク | |
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NHK東日本大震災アーカイブス - 日本放送協会(NHK) | |
FNN東日本大震災アーカイブ - フジテレビ - YouTubeチャンネル(3.11忘れない) |
- 東北地方太平洋沖地震への対応 - 首相官邸
- 東日本大震災により生じた災害廃棄物の処理に関する特別措置法 - ぎょうせいオンライン - ウェイバックマシン(2016年3月6日アーカイブ分)
- 防災情報 - 内閣府
- 災害情報 - 国土交通省
- 東日本大震災に関する情報 - 農林水産省
- 東日本大震災 関連情報 - 経済産業省
- 東日本大震災アーカイブ(朝日新聞社提供の被災者証言や写真をGoogle Earthにマッピング)
- 東日本大震災の地域別被害状況 - 社会実情データ図録
- 東日本大震災タイムライン(3月11日より6月18日まで:100日間の主な出来事) (PDF) - 防災科学技術研究所
- 東日本大震災により生じた災害廃棄物の処理に関する特別措置法の概要 (PDF) - 環境省
- 東日本大震災クロニクル 2011.3.11-2011.5.11 (PDF) (新聞報道・書籍・Webサイトなどの資料 (PDF) にもとづいた分野別タイムライン)(一橋大学「社会と基盤」研究会、2011年12月) - 一橋大学機関リポジトリ
- 地震保険制度と損害保険業界の東日本大震災への対応について (PDF) (2011年10月20日時点のアーカイブ) - 社団法人日本損害保険協会 業務企画部 地震・火災・新種グループ