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「加治屋町 (鹿児島市)」の版間の差分

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2020年9月14日 (月) 22:25時点における版

日本 > 鹿児島県 > 鹿児島市 > 加治屋町
加治屋町
鹿児島県立鹿児島中央高等学校
加治屋町の位置(鹿児島市中心部内)
加治屋町
加治屋町
加治屋町の位置(鹿児島市内)
加治屋町
加治屋町
加治屋町の位置(鹿児島県内)
加治屋町
加治屋町
北緯31度35分7.5秒 東経130度33分4.1秒 / 北緯31.585417度 東経130.551139度 / 31.585417; 130.551139座標: 北緯31度35分7.5秒 東経130度33分4.1秒 / 北緯31.585417度 東経130.551139度 / 31.585417; 130.551139
日本の旗 日本
都道府県 鹿児島県の旗 鹿児島県
市町村 鹿児島市
地域 中央地域
地区 中央地区
人口
2020年(令和2年)4月1日現在)
 • 合計 2,195人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
892-0846

加治屋町(かじやちょう[1])は、鹿児島県鹿児島市[2]。旧薩摩国鹿児島郡鹿児島城下加治屋町、鹿児島県鹿児島府下加治屋町郵便番号は892-0846[3]。人口は2,195人、世帯数は1,365世帯(2020年4月1日現在)[4]1963年(昭和38年)より加治屋町の全域で住居表示を実施している[5][6]

江戸時代には下級武士の居住地となっており[7]、江戸時代の末期から明治時代にかけて活躍した西郷隆盛大久保利通東郷平八郎大山巌山本権兵衛をはじめとする多数の著名人の出身地としても知られている[8][9]。このことから歴史小説家の司馬遼太郎は「いわば、明治維新から日露戦争までを、一町内でやったようなものである。」と述べている[10]

概要

鹿児島市の中央部、甲突川下流域に位置している。町域の北方には西千石町、南方には甲突川を挟んで上之園町及び高麗町、東方には山之口町及び樋之口町、西方には甲突川を挟んで中央町がそれぞれ隣接している。

東端を南北に鹿児島県道20号鹿児島加世田線が南北に通り、北端を鹿児島県道21号鹿児島中央停車場線が東西に通っている。両道路共に鹿児島市電が通っており、北東端には高見馬場電停、北西端には加治屋町電停、南東端には甲東中学校前電停(2015年4月30日までは市立病院前電停)が所在している。

町域の中央部には鹿児島県立鹿児島中央高等学校が所在し、同校内に東郷平八郎生誕記念碑、篠原国幹、村田新八誕生地など、多くの史跡碑が設けられている。

甲突川河畔には維新ふるさと館が所在し、加治屋町を発祥とした日本近代史の歴史考察と展示を行っている。同町の南端部には2015年4月30日まで鹿児島市立病院が所在していたが、上荒田町日本たばこ産業旧鹿児島工場跡地に移転した。

町名の由来

加治屋町という町名の由来には次の説がある。

  • 鶴丸城が築城された慶長7年以降に加治木(現在の姶良市加治木地域)に居住していた家臣がこの付近に鶴丸城が築城されたことにより移転しており、加治木が訛って加治屋と言われるようになったという説[11]
  • 鍛冶屋職がこの付近に多数居住していたことに由来して鍛治屋町と呼ばれていたのが訛って加治屋町と呼ばれるようになったという説[12]

河川

  • 甲突川
    町域の東南端部を流れる二級河川。町域内の甲突川左岸には維新ふるさと館などの歴史に関する施設や幕末をイメージし、武家屋敷などが再現された散策路として維新ふるさとの道が整備されている[13]

地価

2015年(平成27年)1月1日公示地価によれば、下記の加治屋町の商業地における地価は次の通りである[14]

国土交通省
  • 加治屋町12番16外(鹿児島5-24):57万4,000円/m2

歴史

江戸時代から明治時代初期の加治屋町

西郷隆盛生誕地付近

江戸期の加治屋町は薩摩国鹿児島郡鹿児島城下のうちであった[2]

周辺には鹿児島城下の武士屋敷が多くあり、城下町内では鶴丸城から遠い位置にあったことから、主に小姓与(おこしょうぐみ)と呼ばれる城下士の中でも下級にあたる武士の居住地であった[7]。また加治屋町は近世においては上之加治屋町、下之加治屋町と分けられており、郷中としては上之加治屋郷中、下之加治屋郷中、馬乗馬場郷中が置かれた[8]

元禄16年(1703年)には地内の勝目殿屋敷から出火、町域内の下町まで延焼し、士屋敷248所(1,006軒)、町屋敷385所(790軒)、南林寺及び脇寺12所(51軒)、門前90所(170軒)を焼失する大火となった[2]

加治屋町の区域に居住していた下級武士の中には江戸時代末期(幕末)から明治時代にかけて活躍した者が多くおり、西郷隆盛大久保利通[* 1]西郷従道大山巌東郷平八郎樺山資紀などの英傑を数多く輩出した。現在ではそれぞれの生地に記念碑が建立されている[2][15]

また、明治維新から日露戦争までの期間に活躍した政治家軍人など明治政府の中枢の多くを加治屋町出身者が占めていた。このことから『翔ぶが如く』など数多くの歴史小説を執筆している歴史小説家の司馬遼太郎は加治屋町について以下のように述べている[10]

いわば、明治維新から日露戦争までを、一町内でやったようなものである。

司馬遼太郎

なお、江戸時代の遺物となるものは西南戦争の戦闘(1877年)や鹿児島大空襲(1945年)により焼失しているが、区画や通りは江戸時代当時のままとなっている[9]

1871年(明治4年)に実施された廃藩置県により鹿児島県が設置され、加治屋町は鹿児島府下の町となった。

市制施行以降

現在の加治屋町は地図上の線(赤色)で囲まれた区域である

1889年(明治22年)に市制が施行されたのに伴い、鹿児島城下47町及び近在3村の区域より鹿児島市が成立し、江戸期の加治屋町は鹿児島市の町名「加治屋町」となった[16]

1918年(大正7年)4月5日には加治屋町で80戸を焼失する火災が発生した[17]。また、第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)4月1日には加治屋町や田上町下荒田町などがアメリカ軍の大型爆弾による空爆を受け(鹿児島大空襲)、当日空爆を受けた区域で死者587名、負傷者424名の被害を受けた[18]

1948年昭和23年)に鹿児島大空襲により焼失した南林寺町の鹿児島市立病院が加治屋町(当時は樋之口町)に再建し、治療棟及び病棟が各1棟ずつ設置された[19]。その後病棟の増設が行われ、鹿児島県災害拠点病院に指定されるなど鹿児島県の医療機関の中枢を担っていたが、施設の老朽化や駐車場が手狭であることから、2015年平成27年)に上荒田町日本たばこ産業鹿児島工場跡地に病院施設を移転した[20]

1962年(昭和37年)に住居表示に関する法律が施行されたのに伴い、鹿児島市は鹿児島市街地域の住居表示に着手した[6]1963年昭和38年)9月には加治屋町の全域で住居表示が実施され[6]、住居表示の実施に伴い町の区域の再編が行われ、樋之口町の一部を加治屋町に編入した[21]

1985年昭和60年)9月30日に伊敷町の伊敷町電停から加治屋町の加治屋町電停までを結んでいた鹿児島市電伊敷線が廃止となり[22]、加治屋町電停は鹿児島市電第二期線のみが発着することとなった。

町域の変遷

実施後 実施年 実施前
加治屋町(一部) 1963年(昭和38年) 樋之口町(一部)

人口

以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。

統計年 人口
1995年(平成7年) [23] 1,568
2000年(平成12年) [24] 1,610
2005年(平成17年) [25] 1,650
2010年(平成22年) [26] 1,990
2015年(平成27年) [27] 2,085

文化財

国指定

  • 鹿児島県立鹿児島中央高等学校本館及び講堂(登録有形文化財(建造物))
    鹿児島県立鹿児島中央高等学校の校舎の一部であり、敷地西側にある1935年竣工の鉄筋コンクリート造3階一部4階建の校舎である。2007年平成19年)7月31日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された[28][29]

施設

公共

教育

宗教

ギャラリー

誕生碑

著名な出身人物

加治屋町は、江戸時代の末期から明治時代にかけて活躍した人物を多く輩出している[9]。主な出身者としては、西郷隆盛陸軍大将参議西南戦争指導者)、大久保利通内務卿大蔵卿)、東郷平八郎元帥海軍大将)・大山巌元帥陸軍大将)、山本権兵衛(第16・22代内閣総理大臣)などがいる。

  氏名 生年 主な経歴 出身郷中等
西郷隆盛 1828年 陸軍大将参議維新の三傑の一人、西南戦争指導者 下加治屋町郷中
大久保利通 1830年 政治家大蔵卿内務卿)、維新の三傑の一人 下加治屋町郷中
(出生は高麗町
大山巌 1842年 陸軍大臣元帥陸軍大将 下加治屋町郷中
西郷従道 1843年 海軍大臣元帥海軍大将 下加治屋町郷中
井上良馨 1845年 元帥海軍大将  
東郷平八郎 1848年 元帥海軍大将連合艦隊司令長官 下加治屋町郷中
黒木為楨 1844年 陸軍大将伯爵 下加治屋町郷中
村田新八 1836年 政治家 高見馬場郷中
山本権兵衛 1852年 政治家(第16・22代内閣総理大臣)、海軍大将  
篠原国幹 1837年 陸軍大将  
山本英輔 1876年 海軍大将連合艦隊司令長官  
岩下方平 1827年 政治家京都府権知事、大阪府大参事、元老院議官貴族院議員  
樺山資紀 1837年 海軍大将、初代台湾総督枢密顧問官内務大臣 高見馬場郷中
牧野伸顕 1861年 政治家外務大臣内大臣茨城県知事、福井県知事) 下加治屋町郷中
田代安定 1857年 植物学者民族学者台湾総督府官吏  
吉井友実 1828年 元老院議官日本鉄道社長(日本初の鉄道会社)  
毛利正直 1761年 武士華道家、大石兵六夢物語作者  
東郷実猗 1835年 武士、東郷平八郎の兄  
東郷実武 1852年 武士、戊辰戦争で戦死、東郷平八郎の弟  
池上四郎 1842年 武士、軍人(元陸軍少佐)、西南戦争で自刃 旧樋之口通町域
有馬新七 1825年 武士、造士館訓導師、寺田屋事件で死亡[31] (出生は伊集院郷古城村[* 2]
西郷吉二郎 1833年 武士、西郷隆盛の弟、戊辰戦争にて戦死 下加治屋町郷中
西郷小兵衛 1847年 武士、加世田郷副戸長、西郷隆盛の末弟、西南戦争にて戦死 下加治屋町郷中
吉田清英 1840年 武士、内務官僚(埼玉県知事)、日本蚕種貯蔵社長  
愛甲兼達 1863年 実業家十五銀行頭取、勤倹貯蓄銀行取締役、鹿児島電気軌道取締役、日本水電取締役  
宮原晃一郎 1882年 児童文学者、われは海の子作詞者[32]  
春田安喜子 1922年 洋画家、南日本女流美術展審査員  

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[33]

町丁 番・番地 小学校 中学校
加治屋町 全域 鹿児島市立山下小学校 鹿児島市立甲東中学校

交通

高見橋から天文館方面を望む(加治屋町は向かって右側に広がる)

道路

県道

鉄道

鹿児島市交通局鹿児島市電2系統

加治屋町が舞台として登場する作品

脚注

注釈

  1. ^ 生誕地は高麗町であるが、幼少期に下加治屋郷中に転居。
  2. ^ 出生地は伊集院郷古城村(現在の日置市伊集院町古城)。幼少期に父が有馬家の養子となったことに因り加治屋町に移住

出典

  1. ^ 鹿児島市の町名”. 鹿児島市. 2020年7月30日閲覧。
  2. ^ a b c d 角川日本地名大辞典 p.681-682
  3. ^ 鹿児島県鹿児島市加治屋町の郵便番号”. 日本郵便. 2020年8月8日閲覧。
  4. ^ 年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年5月8日閲覧。
  5. ^ 住居表示実施区域町名一覧表”. 鹿児島市 (2020年2月3日). 2020年6月11日閲覧。
  6. ^ a b c 鹿児島市(1970) p.742
  7. ^ a b 鹿児島市史1 p.352
  8. ^ a b 日本歴史地名体系 p.158
  9. ^ a b c 加治屋町編1 偉人輩出 郷中の絆”. 朝日新聞デジタル (2017年2月1日). 2020年5月27日閲覧。
  10. ^ a b 加治屋町(鹿児島市)”. 朝日新聞 (2014年11月21日). 2015年5月16日閲覧。
  11. ^ 鹿児島雑筆 第44号 p.5
  12. ^ かごしま市史こばなし p.102
  13. ^ 歴史ロード"維新ふるさとの道"完成 - 鹿児島市 2011年12月6日閲覧。
  14. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査”. 国土交通省. 2020年5月27日閲覧。
  15. ^ 加治屋町 - 鹿児島市 2011年12月6日閲覧。
  16. ^ 角川日本地名大辞典 p.191-192
  17. ^ 鹿児島市史第2巻 pp.770
  18. ^ 鹿児島市史第2巻 pp.776-777
  19. ^ 鹿児島市立病院 病院概要 - 鹿児島市立病院、2015年5月6日閲覧。
  20. ^ 鹿児島市史5 p.727
  21. ^ 永井隆治 (1963年9月5日). “市政だより”. 鹿児島市. 2020年8月5日閲覧。
  22. ^ 鹿児島市史4 p.527
  23. ^ 国勢調査 / 平成7年国勢調査 小地域集計 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2020年9月10日閲覧。
  24. ^ 国勢調査 / 平成12年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2020年9月10日閲覧。
  25. ^ 国勢調査 / 平成17年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2020年9月10日閲覧。
  26. ^ 国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2020年9月10日閲覧。
  27. ^ 国勢調査 / 平成27年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2020年9月10日閲覧。
  28. ^ 鹿児島県立鹿児島中央高等学校本館及び講堂 - 文化遺産オンライン、2015年5月17日閲覧。
  29. ^ 学校沿革 (PDF) p.3 - 鹿児島県立鹿児島中央高等学校、2015年5月17日閲覧。
  30. ^ 鹿児島)鹿児島市に「かごしま国際交流センター」完成” (2020年3月31日). 2020年8月19日閲覧。
  31. ^ 国士有馬新七 p.442
  32. ^ プロデューサーズコラム 夏休み対策は充分ですか - 鹿児島県、2015年2月20日閲覧。
  33. ^ 小・中学校の校区表”. 鹿児島市役所. 2015年5月17日閲覧。

参考文献

  • 鹿児島市史編さん委員会『鹿児島市史 第一巻』鹿児島市長 勝目清、1969年。 
  • 鹿児島市史編さん委員会『鹿児島市史 第二巻』鹿児島市、1970年。 
  • 南日本新聞『鹿児島市史 第四巻』鹿児島市長 赤崎義則、1990年。 
  • 南日本新聞『鹿児島市史 第五巻』鹿児島市長 森博幸、2015年。 
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店、1983年。ISBN 978-4040014609 
  • 『日本歴史地名体系 47 鹿児島県の地名』平凡社、1998年。ISBN 4-582-49047-6 
  • 川崎 栄蔵『鹿児島雑筆 44号』鹿児島雑筆社、1975年。 
  • 木脇 栄『かごしま市史こばなし』1976年。 
  • 町田 敬二『国士有馬新七』謙光社、1970年。 

関連項目