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[[愛媛県]][[越智郡]][[玉川町 (愛媛県)|玉川町]](現・[[今治市]])鈍川出身<ref name="プロフィール">{{Cite web|url=https://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:4/85/view/16597|title=データベース『えひめの記憶』 今治市 越智伊平(1920~2000)|publisher=愛媛県|accessdate=2022-06-22}}</ref>。相模原工学校卒。
[[愛媛県]][[越智郡]][[玉川町 (愛媛県)|玉川町]](現・[[今治市]])鈍川出身<ref name="プロフィール">{{Cite web|url=https://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:4/85/view/16597|title=データベース『えひめの記憶』 今治市 越智伊平(1920~2000)|publisher=愛媛県|accessdate=2022-06-22}}</ref>。相模原工学校卒。


[[今治市議会議員]]、[[愛媛県議会]]議長<ref>{{Cite web|title=愛媛県庁/歴代議長・副議長一覧|url=https://www.pref.ehime.jp/gikai/aramashi/rekidai.html|website=www.pref.ehime.jp|accessdate=2021-04-29}}</ref>を経て、[[1972年]]、衆院補選に[[愛媛県第2区 (中選挙区)|旧愛媛2区]]から初当選<ref name=":0" />。以来連続当選10回。自民党内で所属した[[政策科学研究所 (派閥)|中曽根派]]では[[渡辺美智雄]]に近く、[[1979年]]に起きた[[四十日抗争]]では、[[福田赳夫]]を支持する[[中曽根康弘]]の意向に反し、[[大平正芳]]を支持した渡辺と行動を共にした。
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環境政務次官、労働政務次官などを経て、[[1987年]]11月、[[竹下内閣]]の[[建設大臣]]として初入閣。その後も、衆議院予算委員長、[[運輸大臣]]などを歴任<ref name=":0" />。
環境政務次官、労働政務次官などを経て、[[1987年]]11月、[[竹下内閣]]の[[建設大臣]]として初入閣。その後も、衆議院予算委員長、[[運輸大臣]]などを歴任<ref name=":0" />。

2023年1月9日 (月) 23:21時点における版

越智 伊平
おち いへい
生年月日 1920年12月10日
出生地 日本の旗 日本 愛媛県
越智郡玉川町(現・今治市)[1]
没年月日 (2000-03-24) 2000年3月24日(79歳没)
出身校 相模原工学校卒業
所属政党 自由民主党村上・亀井派
称号 正三位

内閣 第2次橋本改造内閣
在任期間 1997年9月11日 - 1997年9月26日

日本の旗 第65代 運輸大臣
内閣 宮澤改造内閣
在任期間 1992年12月12日 - 1993年8月9日

日本の旗 第51代 建設大臣
内閣 竹下内閣
在任期間 1987年11月6日 - 1988年12月27日

選挙区旧愛媛2区→)
比例四国ブロック
当選回数 10回
在任期間 1972年10月8日 - 2000年3月24日

愛媛県の旗 第60代愛媛県議会議長
在任期間 1971年5月7日 - 1972年7月8日

その他の職歴
愛媛県の旗 愛媛県議会議員
1959年 - 1972年
今治市議会議員
1955年 - 1959年
テンプレートを表示

越智 伊平(おち いへい、1920年12月10日 - 2000年3月24日[2])は、日本政治家自由民主党衆議院議員正三位。越智電気商会(現・四国通建)創業者[3]

来歴・人物

顕彰碑

愛媛県越智郡玉川町(現・今治市)鈍川出身[1]。相模原工学校卒。

今治市議会議員愛媛県議会議長[4]を経て、1972年、衆院補選に旧愛媛2区から初当選[2]。以来連続当選10回。自民党内で所属した中曽根派では渡辺美智雄に近く、1979年に起きた四十日抗争では、福田赳夫を支持する中曽根康弘の意向に反し、大平正芳を支持した渡辺と行動を共にした。

環境政務次官、労働政務次官などを経て、1987年11月、竹下内閣建設大臣として初入閣。その後も、衆議院予算委員長、運輸大臣などを歴任[2]

1997年9月、76歳の高齢で第2次橋本改造内閣農林水産大臣に就任したが[2]、直後に脳梗塞で倒れ、就任してわずか16日で辞任した。自民系が分裂して争った1999年1月の愛媛県知事選挙では現職の伊賀貞雪を支持したが大差で敗れ、影響力を失った。

自身の政治公約だった瀬戸内海大橋(西瀬戸自動車道)架橋を見届けた後の2000年3月24日心不全のため死去。79歳没。

エピソード

  • 少林寺拳法は6段の腕前だった[2]
  • 建設大臣時代、強制収用の適用は関係者数百人のうち反対する人が一人ぐらいにまで減ってから行うように主張していた[5]
  • 運輸大臣として最後の成田空港問題シンポジウムに参加し、反対同盟旧熱田派が提示した条件の受け入れを過去の経緯に対する謝罪とともに表明。成田空港問題の転換点の一つとなった。越智はシンポジウム開催に先立ち、暴行を受けることを懸念するセキュリティポリスからの警告を受けながらも、傍聴席まで下りて反対派農民の遺影に頭を下げて合掌した[6]
  • 愛媛県今治市に、越智が創業した企業の本社内に「越智伊平記念館」が2003年開館している。
  • 越智の顕彰碑が2006年に除幕されている。

経歴

  • 1972年 - 衆院選に初当選
  • 1975年12月 - 環境政務次官(三木内閣)
  • 1976年12月 - 労働政務次官(福田内閣)
  • 1986年7月 - 衆院議院運営委員会委員長
  • 1987年11月 - 建設大臣(竹下内閣)
  • 1990年3月 - 衆院予算委員長
  • 1992年12月 - 運輸大臣(宮澤改造内閣
  • 1997年9月 - 農林水産大臣(第2次橋本改造内閣)に就任したが16日で辞任。
  • 2000年3月24日 - 死去

脚注

  1. ^ a b データベース『えひめの記憶』 今治市 越智伊平(1920~2000)”. 愛媛県. 2022年6月22日閲覧。
  2. ^ a b c d e 明治~昭和, 新訂 政治家人名事典. “越智 伊平(オチ イヘイ)とは - コトバンク”. コトバンク. 2018年9月9日閲覧。
  3. ^ 代表挨拶 | 四国通建株式会社”. www.stk.co.jp. 2018年9月9日閲覧。
  4. ^ 愛媛県庁/歴代議長・副議長一覧”. www.pref.ehime.jp. 2021年4月29日閲覧。
  5. ^ 朝日新聞成田支局『ドラム缶が鳴りやんで―元反対同盟事務局長石毛博道・成田を語る』四谷ラウンド、1998年、185・186頁。
  6. ^ 朝日新聞成田支局『ドラム缶が鳴りやんで―元反対同盟事務局長石毛博道・成田を語る』四谷ラウンド、1998年、183-186頁。
議会
先代
中尾栄一
日本の旗 衆議院予算委員長
1990年 - 1991年
次代
渡部恒三
先代
綿貫民輔
日本の旗 衆議院議院運営委員長
第43代:1986年 - 1987年
次代
三塚博
先代
瓦力
日本の旗 衆議院大蔵委員長
1984年 - 1986年
次代
小泉純一郎
先代
小此木彦三郎
日本の旗 衆議院運輸委員長
1981年 - 1982年
次代
原田憲
公職
先代
藤本孝雄
日本の旗 農林水産大臣
第25代:1997年
次代
島村宜伸
先代
奥田敬和
日本の旗 運輸大臣
第66代:1992年 - 1993年
次代
伊藤茂
先代
天野光晴
日本の旗 建設大臣
第51代:1987年 - 1988年
次代
小此木彦三郎