青森市
あおもりし 青森市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 青森県 | ||||
市町村コード | 02201-2 | ||||
法人番号 | 4000020022012 | ||||
面積 |
824.61km2 | ||||
総人口 |
260,301人 [編集] (推計人口、2024年11月1日) | ||||
人口密度 | 316人/km2 | ||||
隣接自治体 | 黒石市、五所川原市、十和田市、平川市、東津軽郡平内町、蓬田村、南津軽郡藤崎町、北津軽郡板柳町、上北郡七戸町 | ||||
市の木 | あおもりとどまつ | ||||
市の花 | はまなすの花 | ||||
市の鳥 市の昆虫 |
ふくろう ホタル | ||||
青森市役所 | |||||
市長 | 西秀記 | ||||
所在地 |
〒030-8555 青森県青森市中央一丁目22番5号 北緯40度49分22秒 東経140度44分49秒 / 北緯40.8228度 東経140.7469度座標: 北緯40度49分22秒 東経140度44分49秒 / 北緯40.8228度 東経140.7469度 青森市役所庁舎 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
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ウィキプロジェクト |
青森市(あおもりし)は、青森県の津軽地方[1]・東青地域にある市。青森県の県庁所在地及び人口が最多の都市であり、中核市に指定されている。青森湾に臨む交通の要地。江戸初期に港町として発展。三内丸山遺跡や青森ねぶた祭が知られる。
地理
[編集]本州最北の県である青森県のほぼ中央に位置する。県の西半部を指す津軽地方においては北東部に位置し、東津軽郡の町村と東青地域を構成する。青森平野を中心とし、北は陸奥湾の支湾である青森湾に面し、南部から東部にかけては奥羽山脈の北端部にあたる八甲田山・東岳山地の山が連なり、西部で市域は津軽半島の脊梁山脈である梵珠山地や津軽平野に広がる。市街地は青森湾沿いの中心市街地から青森平野上を扇状に展開しており、行政都市・商業都市・交通都市・港湾都市の性格を有する。
東北地方を縦貫する路線および本州と北海道をつなぐ路線の結節点であり、日本国内の交通・物流における要衝である。西の津軽半島と東の夏泊半島に抱かれた青森湾奥に青森港があり、函館港との青函航路をフェリーが運航している。鉄道は新青森駅が東北新幹線の終点、北海道新幹線の起点となっている。また、青い森鉄道線(旧東北本線)と奥羽本線が青森駅で合流して終点となり、津軽線が津軽半島の青森湾沿いを北に延びている。道路は東北自動車道が青森インターチェンジで終点となり、国道4号と国道7号も中心部で終点となって接続している。また、南西部の丘陵地には青森空港がある。
陸奥湾はその大きさに対して湾口である平舘海峡の幅が狭いため外洋の影響を受けにくい。湾外から入った波浪は広い湾内で拡散するため、波高が小さく穏やかで、また潮汐によって流入または流出する海水が限られるため干満差も小さい。こうした安定的な海域環境は養殖業や港湾に適し、沿岸ではホタテの養殖が営まれ、湾奥の青森港は岩礁もなく静穏度が高い天然の良港となっている。
南東部の八甲田山一帯は十和田八幡平国立公園に指定されており、四季を通じた観光地となっている。北東部の浅虫地区は浅虫夏泊県立自然公園に指定されている。市内には温泉が多く、八甲田山麓の酸ヶ湯や湾岸の浅虫温泉などがある。
地形
[編集]山地は青森平野を囲むように存在し、奥羽山脈に属する南部の八甲田火山地と東部の東岳山地、および津軽山地に属する西部の梵珠山地に分けられる。田代平湿原がある田代平は八甲田カルデラ(田代平カルデラ、先八甲田カルデラ)のカルデラ湖の跡であり、その北東の山列はカルデラの外輪山。八甲田山はカルデラに噴出した南北2つの中央火口丘群の総称であり、約20体の火山体で構成される。
丘陵地は八甲田山の山麓部になっている火山性の八甲田火山丘陵と梵珠山地の山麓部になっている非火山性の大釈迦丘陵がある。
青森平野は主要部の深沢平野と北西部の上磯平野に分けられる。深沢平野は堤川などによって形成された沖積平野で、上磯平野は海底が隆起した海岸平野。島は浅虫地区に湯ノ島と裸島がある。
河川・湖沼
[編集]気候
[編集]ケッペンの気候区分の定義上は青森市街は温暖湿潤気候(Cfa)、八甲田山はツンドラ気候(ET)、観測所のある酸ヶ湯は亜寒帯湿潤気候(Dfb)に属する。冬季は降雪が多く、全域が特別豪雪地帯に指定されている。最深積雪の平年値は101cm。年間降雪量の平年値は567cmにおよび、この規模の都市としては旭川市(557cm)をも上回り、最も多い。1931年2月23日に-24.7℃を記録しているが、近年は暖冬化、都市化により-10度までさえ下がることも稀になった。冬季の平均最低気温も大幅に上昇し、現平年値では1961 - 1990年平年値と比較すると、1月が-5.0℃→-3.5℃に、2月は-5.2℃→-3.3℃と大幅に上昇している。夏は比較的蒸し暑くなり、8月の平均気温は23.5℃で、平均最高気温は27.8℃に達する。1994年8月12日には過去最高の36.7℃を観測した。
青森市花園(青森地方気象台、標高3m)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 13.5 (56.3) |
19.4 (66.9) |
21.4 (70.5) |
28.3 (82.9) |
33.6 (92.5) |
33.5 (92.3) |
35.9 (96.6) |
36.7 (98.1) |
36.1 (97) |
30.5 (86.9) |
24.1 (75.4) |
21.1 (70) |
36.7 (98.1) |
平均最高気温 °C (°F) | 1.8 (35.2) |
2.7 (36.9) |
6.8 (44.2) |
13.7 (56.7) |
18.8 (65.8) |
22.1 (71.8) |
26.0 (78.8) |
27.8 (82) |
24.5 (76.1) |
18.3 (64.9) |
11.2 (52.2) |
4.5 (40.1) |
14.9 (58.8) |
日平均気温 °C (°F) | −0.9 (30.4) |
−0.4 (31.3) |
2.8 (37) |
8.5 (47.3) |
13.7 (56.7) |
17.6 (63.7) |
21.8 (71.2) |
23.5 (74.3) |
19.9 (67.8) |
13.5 (56.3) |
7.2 (45) |
1.4 (34.5) |
10.7 (51.3) |
平均最低気温 °C (°F) | −3.5 (25.7) |
−3.3 (26.1) |
−0.8 (30.6) |
4.1 (39.4) |
9.4 (48.9) |
14.1 (57.4) |
18.6 (65.5) |
20.0 (68) |
15.8 (60.4) |
9.1 (48.4) |
3.4 (38.1) |
−1.4 (29.5) |
7.1 (44.8) |
最低気温記録 °C (°F) | −23.5 (−10.3) |
−24.7 (−12.5) |
−18.4 (−1.1) |
−12.2 (10) |
−1.4 (29.5) |
4.0 (39.2) |
6.5 (43.7) |
8.9 (48) |
3.0 (37.4) |
−2.4 (27.7) |
−12.1 (10.2) |
−20.6 (−5.1) |
−24.7 (−12.5) |
降水量 mm (inch) | 139.9 (5.508) |
99.0 (3.898) |
75.2 (2.961) |
68.7 (2.705) |
76.7 (3.02) |
75.0 (2.953) |
129.5 (5.098) |
142.0 (5.591) |
133.0 (5.236) |
119.2 (4.693) |
137.4 (5.409) |
155.2 (6.11) |
1,350.7 (53.177) |
降雪量 cm (inch) | 195 (76.8) |
141 (55.5) |
64 (25.2) |
4 (1.6) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
23 (9.1) |
143 (56.3) |
567 (223.2) |
平均降水日数 (≥0.5 mm) | 24.0 | 20.0 | 16.7 | 12.2 | 11.3 | 9.5 | 10.2 | 10.8 | 11.6 | 14.6 | 18.9 | 23.6 | 183.3 |
平均降雪日数 | 29.6 | 26.1 | 22.1 | 5.7 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.2 | 10.2 | 26.0 | 119.5 |
% 湿度 | 78 | 76 | 70 | 65 | 71 | 78 | 80 | 78 | 76 | 73 | 73 | 78 | 75 |
平均月間日照時間 | 48.5 | 72.3 | 126.0 | 179.1 | 201.4 | 180.0 | 161.4 | 178.0 | 162.4 | 144.4 | 85.4 | 50.4 | 1,589.2 |
出典:気象庁(平均値:1991年 - 2020年、極値:1882年 - 現在)[2][3] |
青森(青森地方気象台・1961 - 1990年平均)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
平均最高気温 °C (°F) | 1.1 (34) |
1.7 (35.1) |
5.5 (41.9) |
12.9 (55.2) |
18.5 (65.3) |
21.5 (70.7) |
25.4 (77.7) |
27.6 (81.7) |
23.3 (73.9) |
17.4 (63.3) |
10.6 (51.1) |
4.2 (39.6) |
14.1 (57.4) |
日平均気温 °C (°F) | −1.8 (28.8) |
−1.7 (28.9) |
1.5 (34.7) |
7.6 (45.7) |
13.0 (55.4) |
16.8 (62.2) |
20.9 (69.6) |
22.9 (73.2) |
18.4 (65.1) |
12.0 (53.6) |
6.2 (43.2) |
1.0 (33.8) |
9.7 (49.5) |
平均最低気温 °C (°F) | −5.0 (23) |
−5.2 (22.6) |
−2.4 (27.7) |
2.7 (36.9) |
7.9 (46.2) |
12.9 (55.2) |
17.3 (63.1) |
19.0 (66.2) |
13.9 (57) |
7.0 (44.6) |
2.1 (35.8) |
−2.2 (28) |
5.7 (42.3) |
出典:理科年表[要文献特定詳細情報] |
要素 | 観測値 | 観測年月日 | 統計期間 |
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最高気温 | 36.7℃ | 1994年8月12日 | 1882年1月以降 |
最低気温 | -24.7℃ | 1931年2月23日 | |
降雪の深さ寒候年合計 | 1263 cm | 1986年 | 1954寒候年以降 |
最深積雪 | 209 cm | 1945年2月21日 | 1894年1月以降 |
- 青森空港の気候
- 市南西部の青森空港がある大谷(アメダス名:青森大谷)は標高が198mと高く、都市化の影響も小さいために、冬の朝の気温は4 - 5度ほども低くなり、2018年2月2日には-17.7℃を観測している。
- 酸ケ湯の気候
- 市南東部の八甲田山麓にある酸ケ湯温泉は、標高890mに位置し、非常に寒冷な気候として知られている。1月の平均気温は-7.5℃と亜寒帯湿潤気候(Dfb)に属し、1月の平均最高気温は-5.1℃にしかならず、醜寒で有名な北海道内陸の幌加内町(-3.9℃)、占冠村(-3.4℃)や陸別町(-2.5℃)などの地域の最高気温よりも低い。厳寒期には日中でも氷点下10度以下となることも少なくなく、しばしば日中の気温が日本一低い場所となることもある。日本屈指の豪雪地帯でもあり、1996年寒候期の積雪量は2376cmに達し、過去最深積雪は2013年2月26日の566cmである[5]。
人口
[編集]青森市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 青森市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 青森市
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
青森市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
統計年 | 人口 | 備考 | グラフ |
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1727年(享保12年) | 6,172人 |
| |
1750年(寛延3年) | 5,163人 | 4月 | |
1788年(天明8年) | 4,668人 | ||
1799年(寛政11年) | 6,137人 | ||
1805年(文化2年) | 6,491人 | ||
1811年(文化8年) | 6,944人 | 青森記 | |
1843年(天保14年) | 6,033人 | ||
1852年(嘉永5年) | 7,779人 | ||
1864年(元治元年) | 9,991人 | 九浦町中人別戸数諸工諸家業総括牒 | |
1869年(明治2年) | 10,750人 | ||
旧青森市 | |||
1898年(明治31年) | 27,991人 | 4月1日市制施行 | |
1920年(大正9年) | 48,941人 | 第1回国勢調査 | |
1925年(大正14年) | 58,794人 | 第2回国勢調査 | |
1930年(昭和5年) | 77,103人 | 第3回国勢調査 | |
1935年(昭和10年) | 93,413人 | 第4回国勢調査 | |
1940年(昭和15年) | 99,065人 | 第5回国勢調査 | |
1945年(昭和20年) | 56,653人 | 11月 | |
1947年(昭和22年) | 90,828人 | 臨時国勢調査 | |
1950年(昭和25年) | 106,417人 | 第7回国勢調査 | |
1955年(昭和30年) | 183,747人 | 第8回国勢調査 | |
1960年(昭和35年) | 202,211人 | 第9回国勢調査 | |
1965年(昭和40年) | 224,433人 | 第10回国勢調査 | |
1970年(昭和45年) | 240,063人 | 第11回国勢調査 | |
1975年(昭和50年) | 264,222人 | 第12回国勢調査 | |
1980年(昭和55年) | 287,594人 | 第13回国勢調査 | |
1985年(昭和60年) | 294,045人 | 第14回国勢調査 | |
1990年(平成2年) | 287,808人 | 第15回国勢調査 | |
1995年(平成7年) | 294,167人 | 第16回国勢調査 | |
2000年(平成12年) | 297,859人 | 第17回国勢調査 | |
青森市 | |||
2005年(平成17年) | 311,508人 | 第18回国勢調査 | |
出典:[6][7] |
2015年の国勢調査における人口は2位の八戸市、3位の弘前市を抑え県内1位だった。また前回調査からの人口増減率はマイナス3.96%で長崎市のマイナス3.21%、甲府市のマイナス2.95%を上回り、県庁所在地としては最大の減少率だった[8]。
隣接している自治体
[編集]歴史
[編集]前近代
[編集]縄文時代には集落が築かれていた(三内丸山遺跡)。室町時代には南部氏支族である堤氏の領地であった。堤氏は戦国時代末期に津軽氏に攻め滅ぼされ、外ヶ浜は弘前藩の領地となった。青森は弘前藩(津軽藩)初代藩主津軽為信のときに開港が計画されたといわれ[9]、構想を引き継いだ2代藩主津軽信枚とその家臣である森山弥七郎によって寛永期に港町が築かれ、その後商港および北方との交通港として発展した。
居城弘前城の建設(慶長16年〈1611年〉)と城下町弘前の整備を終えた弘前藩は江戸との海運を目的とした港の開発を企図した。信枚は森山を開港奉行に任じ、寛永元年(1624年)善知鳥村(うとうむら、青森の古名)に港を開いたが(廻船運航の許可を得た寛永2年(1625年)または町割りがされた寛永3年(1626年)が開港年とされることもある)、このとき海岸付近にハイネズ(浜松・磯馴松(そなれまつ))が繁茂する高さ一丈(約3メートル)ほどの小丘があり、「青森」と呼ばれて漁船が帰るときの目標物になっていたことから、開港に際してその名を採って青森村と改称した。次いで寛永3年(1626年)に信枚は森山に青森の町づくりを命じ[10]、浜町・本町(大町)・米町の3町がつくられ、青森町が成立した(当時は「青盛町」との表記もあった)。同年、土地と建築資材の無償提供、10年間の免税などの条件が示されて移住が奨励されると、近江・越前などから移住が相次ぎ、開港からわずか数年で戸数1000ほどの町が形成された。
江戸中期以降弘前藩最大の港および城下弘前に次ぐ町となった[9]。
- 浪岡
- 浪岡には室町時代北畠親房の子孫が移り住み(浪岡北畠氏)、浪岡城を拠点に戦国大名化して北津軽・東津軽に勢力を張ったが、大浦為信(津軽為信)に攻め滅ぼされた。江戸時代、青森と弘前の中間に位置する浪岡は羽州街道の宿場として栄え、多くの人や物資が行き交った。
- 年表
-
- 縄文時代前期中葉 - 中期末葉(約5500年 - 4000年前) - 三内丸山遺跡(特別史跡)の集落が繁栄する。
- 縄文時代後期前半(約4000年前) - 小牧野遺跡(国の史跡)の環状列石が構築される。
- 平安時代(10世紀ごろ - 12世紀ごろ) - 高屋敷館遺跡(国の史跡)の環壕集落。
- 文治 6年(1190年) - 大河兼任軍と鎌倉軍が善知鳥前の梯(現在の善知鳥崎)で戦う。
- 応永年間(1394年 - 1428年) - 北畠親房の子孫が浪岡に来住。
- 応仁年間(1467年 - 1468年) - 浪岡北畠氏、浪岡城(国の史跡)を構築[11]。
- 明応 7年(1498年) - 南部信時の四男堤光康、横内城を構築。
- 天正 6年(1578年)7月[12] - 浪岡城、大浦為信(津軽為信)に攻められて落城。
- 天正13年(1585年)3月 - 大浦為信、外が浜にある油川城を攻略[12]。一帯は大浦氏(津軽氏)の領有となる。
- 元和年間(1615年 - 1624年) - 野内番所が置かれる。
- 寛永元年(1624年) - 弘前藩、善知鳥村に港の建設を始める。
- 寛永1625年6月19日) - 弘前藩、津軽から江戸へ廻船を運航する許可を幕府より得る。 2年5月15日(
- 寛永1626年5月1日) - 弘前藩、森山弥七郎に町づくりを命じる[13]。 3年4月6日(
- 寛文11年(1671年) - 仮屋(藩の出先施設)が設置される。元治元年(1864年)から陣屋と称し明治2年(1869年)に仮屋にもどした[14][15]。
- 天明 3年(1783年)7月 - 青森騒動[16][17]。
- 嘉永 6年(1853年) - 大火で安方町の湊番所などが焼失[18]
- 元治 2年(1865年) - 幕府より蝦夷地(北海道)への渡海地に指定される。
近現代
[編集]明治4年7月14日(1871年8月29日)の廃藩置県で弘前藩は弘前県となる。政府は同年9月4日、弘前県に七戸県、八戸県、斗南県、黒石県、館県の5県を併合し( 太政官布告『七戶八戶斗南黑石館ノ五縣ヲ弘前縣ニ併ス』。ウィキソースより閲覧。)、翌9月5日に熊本藩出身の野田豁通を大参事(知事)に任命した。野田は箱館戦争の際に官軍の拠点となった青森町に駐在した経験から当地の地勢に通じており、県域の中央に位置し、港もあって各方面への交通に利便がある青森町に県庁を置くよう、大参事就任前に政府に伺書を提出していた。政府は野田の建言を受け入れ、直後の9月23日に県庁を青森町に置くことを定めて県名も青森県に改めた( 太政官布告『弘前縣ヲ靑森ニ移シ靑森縣ト改稱』。ウィキソースより閲覧。)。
1873年(明治6年)3月に大区小区制が実施されて第一大区一小区となった。以下の青森27町で構成された。
27町 | 竪町 | 14町 | 新町、寺町、鍛冶町、大工町、松森町、米町、馬喰町、安方町、越前町、大町、塩町、多葉香町、浜町、蜆貝町 |
横町 | 13町 | 一念坊小路、大手通、御倉通、柳町、寺通 (3) 、福士通、上林通、横町通、馬喰町新角、弟飴角、堤町 |
1878年(明治11年)の郡区町村編制法では、10月30日に大区小区制が廃止されて第一大区は東津軽郡となった。1883年(明治16年)に第一組戸長役場が設置されて青森18町を所管した。役場の名称は1884年(明治17年)11月から青森安方町外十七ケ町戸長役場となった。
18町 | 青森米町、青森安方町、青森新安方町、青森浜町、青森新浜町、青森蜆貝町、青森新蜆貝町、青森大町、青森塩町、青森莨町、青森博労町、青森堤町、青森松森町、青森大工町、青森鍛冶町、青森寺町、青森柳町、青森新町 |
1889年(明治22年)の市制・町村制の実施(明治の大合併)では、従来の青森18町に造道村から独立していた栄町と造道村字浪打・大野村字長嶋を加えた区域をもって4月1日に町制を施行し、青森町が発足した。
19町 | 安方町、新安方町、大町、米町、浜町、新浜町、新町、柳町、寺町、鍛冶町、大工町、松森町、博労町、堤町、莨町、蜆貝町、新蜆貝町、塩町、栄町 |
2大字 | 大野、造道 |
1897年(明治30年)10月1日に浦町村、滝内村大字古川を編入、1898年(明治31年)4月1日に市制を施行して青森市となる。1939年(昭和14年)6月1日に油川町、1951年(昭和26年)4月1日に滝内村を編入。
昭和の大合併では、1954年(昭和29年)5月3日に大野村、1955年(昭和30年)1月1日に筒井町、横内村、東岳村、高田村、同年1月15日に浜舘村、荒川村、同年3月1日に新城村、奥内村、原別村、1956年(昭和31年)9月1日に後潟村を編入した。1962年(昭和37年)10月1日に野内村を編入。
平成の大合併では、2005年(平成17年)4月1日に浪岡町と合併して青森市を新設し、旧浪岡町の区域に地域自治区浪岡を設置。2006年(平成18年)10月1日に中核市に移行した。
- 年表
-
- 1873年(明治 6年)2月11日 - 開拓使、青森 - 函館間に定期航路を開設。
- 1875年(明治 8年)12月16日 - 歩兵第4連隊第2大隊が弘前から青森に移転。
- 1876年(明治 9年)4月 - 歩兵第4連隊第2大隊が歩兵第5連隊第1大隊となる。
- 1888年(明治21年)12月6日 - 東奥日報が創刊。
- 1891年(明治24年)9月1日 - 東北本線青森 - 盛岡間開通により、青森 - 上野間全通。
- 1894年(明治27年)12月1日 - 奥羽本線青森 - 弘前間開通。1905年(明治38年)9月14日に青森 - 福島間全通。
- 1897年(明治30年)3月5日 - 青森電燈株式会社、配電を開始。
- 1902年(明治35年)1月23日 - 八甲田山雪中行軍遭難事件。
- 1908年(明治41年)3月7日 - 青函連絡船が就航。
- 1909年(明治42年)
- 1910年(明治43年)5月3日 - 青森大火。
- 1924年(大正13年)8月 - 青森築港が竣工。
- 1926年(大正15年)
- 1933年(昭和 8年)
- 5月 - 初代「青森市民歌」を制定。
- 6月 - 青森飛行場が完成。
- 1935年(昭和10年)8月21日 - 夕方から降り始めた豪雨のため浸水家屋2000戸以上[20]。
- 1937年(昭和12年)4月1日 - 東京 - 仙台 - 青森 - 札幌間に日本航空輸送の定期航空便が就航。
- 1941年(昭和16年)4月17日 - NHK青森放送局が開局。
- 1942年(昭和17年)9月15日 - 新蜆貝町の民家から出火。重油が保管されていた県漁連倉庫に延焼して火勢が拡大し、328戸(211棟)が全焼[21]。
- 1944年(昭和19年)5月 - 青森医学専門学校が開校。
- 1945年(昭和20年)7月28日 - 青森大空襲。
- 1947年(昭和22年)5月17日 - 古川町、長島町で大火。約350棟が焼失。同年8月11日、市内に昭和天皇の戦後巡幸があった際には、天皇が車中から焼け跡を視察[22]。
- 1950年(昭和25年)6月 - 青森競輪開始。
- 1951年(昭和26年)12月5日 - 津軽線青森 - 蟹田間開通。
- 1957年(昭和32年) - 青森市教育委員会が「青森市民の歌(愛市の歌)」を選定。
- 1963年(昭和38年)5月21日 - 昭和天皇、香淳皇后が市営球場、青森県立あすなろ学園、県庁などを行幸啓[23]。
- 1964年(昭和39年)11月5日 - 青森空港開港。1965年(昭和40年)6月1日に東京定期便が就航。
- 1968年(昭和43年)7月21日 - 東北本線が南方に移転。
- 1970年(昭和45年)2月6日 - 青森市市議会が自主解散。議長選出をめぐる贈収賄容疑を受けたもので、同月26日に告示された出直選には75人が立候補した[24]。
- 1972年(昭和47年)7月26日 - 市章・市旗・市民憲章(初代)・2代目「青森市民歌」(「青森市民の歌(愛市の歌)」より改題)の制定告示が行われる。
- 1979年(昭和54年)9月27日 - 東北自動車道青森 - 大鰐弘前間開通。1987年(昭和62年)9月9日に青森 - 川口JCT間全通。
- 1984年(昭和59年)6月30日 - 青森隕石が落下。
- 1986年(昭和61年)4月24日 - 青森県観光物産館アスパムが開館。
- 1987年(昭和62年)7月19日 - 新青森空港暫定開港。1990年(平成2年)3月24日に全面供用開始。
- 1988年(昭和63年)
- 1992年(平成 4年)7月27日 - 青森ベイブリッジ供用開始。1994年(平成6年)7月に全面供用開始。
- 1993年(平成 5年)4月1日 - 青森公立大学が開学。
- 2003年(平成15年)
- 2月1日から8日 - 2003年アジア冬季競技大会。開閉会式、フィギュアスケート競技、カーリング競技を開催。
- 9月28日 - 青森自動車道青森 - 青森東間開通。
- 2005年(平成17年)12月26日 - 新市民歌「大きな朝に」を制定。
- 2007年(平成19年)3月17日から25日 - 2007年世界女子カーリング選手権大会を開催。
- 2008年(平成20年)6月7日・8日 - 第34回主要国首脳会議(洞爺湖サミット)の関連会合であるG8エネルギー大臣会合および5か国エネルギー大臣会合を開催。青森宣言を採択。
- 2010年(平成22年)12月4日 - 東北新幹線新青森 - 八戸間開業により、東北新幹線全通。これに伴い、並行在来線である東北本線青森 - 八戸間がJR東日本から青い森鉄道に移管。
- 2016年(平成28年)3月26日 - 北海道新幹線新青森 - 新函館北斗間開業。
沿革
[編集]あおもりし 青森市 | |||
---|---|---|---|
| |||
廃止日 | 2005年4月1日 | ||
廃止理由 |
新設合併 青森市(旧)、南津軽郡浪岡町 → 青森市(新) | ||
現在の自治体 | 青森市(新) | ||
廃止時点のデータ | |||
国 | 日本 | ||
地方 | 東北地方 | ||
都道府県 | 青森県 | ||
隣接自治体 | 黒石市、五所川原市、十和田市、東津軽郡平内町、蓬田村、南津軽郡浪岡町、平賀町、上北郡七戸町 | ||
市の木 | あおもりとどまつ | ||
市の花 | はまなすの花 | ||
市の鳥 | うとう | ||
青森市役所 | |||
所在地 |
〒030-0822 青森県青森市中央一丁目22-5 | ||
ウィキプロジェクト |
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町制施行により東津軽郡青森町が成立。
- 1897年(明治30年)10月1日 - 浦町村(字奥野を除く)、滝内村の一部(大字古川)を編入。
- 1898年(明治31年)4月1日 - 市制施行により青森市となる。単独市制。面積5.89 km2。
- 1927年(昭和 2年)4月1日 - 滝内村の一部(大字古川、大字沖館、大字新田)、造道村の一部(大字造道、大字八重田)を編入。11.40 km2。
- 1932年(昭和 7年)6月1日 - 大野村の一部(北金沢、北片岡)を編入。12.14 km2。
- 1939年(昭和14年)6月1日 - 油川町を編入。19.88 km2。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 滝内村を編入。57.02 km2。
- 1954年(昭和29年)5月3日 - 大野村を編入。71.15 km2。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 筒井町、横内村、東岳村、高田村を編入。277.02 km2。
- 1955年(昭和30年)1月15日 - 浜舘村と荒川村を編入。477.53 km2。
- 1955年(昭和30年)3月1日 - 新城村、奥内村、原別村を編入する。630.06 km2。
- 1956年(昭和31年)9月1日 - 後潟村を編入。665.46 km2。
- 1962年(昭和37年)10月1日 - 野内村を編入。692.94 km2。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 青森市及び浪岡町が合併し、改めて青森市が発足する。
- 2007年(平成19年)9月1日 - 藤崎町との境界を変更。824.52 km2。
行政
[編集]市長
[編集]- 西秀記:2023年(令和5年)6月5日 -
代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
青森町 | ||||
1 | 柿崎忠兵衛 | |||
工藤卓爾 | 1896年(明治29年)9月24日 | |||
旧・青森市 | ||||
1 | 工藤卓爾 | 1898年(明治31年)7月4日 | 1902年(明治35年)4月19日 | |
2 | 笹森儀助 | 1902年(明治35年)5月7日 | 1903年(明治36年)12月16日 | |
3 | 芹川得一 | 1904年(明治37年)1月20日 | 1908年(明治41年)10月12日 | |
4 | 淡谷清蔵 | 1908年(明治41年)12月7日 | 1910年(明治43年)3月31日 | |
5 | 工藤卓爾 | 1910年(明治43年)4月22日 | 1916年(大正5年)4月21日 | |
6 | 1916年(大正5年)4月22日 | 1917年(大正6年)1月13日 | ||
7 | 阿部政太郎 | 1917年(大正6年)2月7日 | 1919年(大正8年)10月22日 | |
8 | 工藤卓爾 | 1921年(大正10年)2月28日 | 1924年(大正13年)11月4日 | |
9 | 阿部政太郎 | 1925年(大正14年)2月12日 | 1926年(大正15年)5月17日 | |
10 | 中野浩 | 1926年(大正15年)8月8日 | 1930年(昭和5年)8月7日 | |
11 | 北山一郎 | 1930年(昭和5年)8月8日 | 1934年(昭和9年)8月7日 | |
12 | 加賀秀雄 | 1934年(昭和9年)10月18日 | 1936年(昭和11年)3月20日 | |
13 | 千葉伝蔵 | 1936年(昭和11年)5月28日 | 1940年(昭和15年)5月27日 | |
14 | 1940年(昭和15年)5月28日 | 1944年(昭和19年)5月27日 | ||
15 | 1944年(昭和19年)5月28日 | 1945年(昭和20年)7月5日 | ||
16 | 柿崎守忠 | 1945年(昭和20年)7月28日 | 1946年(昭和21年)11月14日 | |
17 | 横山實 | 1947年(昭和22年)4月5日 | 1951年(昭和26年)4月4日 | 戦災復興に尽力 名誉市民 |
18 | 1951年(昭和26年)4月25日 | 1955年(昭和30年)4月15日 | ||
19 | 1955年(昭和30年)4月30日 | 1959年(昭和34年)4月29日 | ||
20 | 1959年(昭和34年)4月30日 | 1963年(昭和38年)4月29日 | ||
21 | 千葉元江 | 1963年(昭和38年)4月30日 | 1967年(昭和42年)4月29日 | |
22 | 奈良岡末造 | 1967年(昭和42年)4月30日 | 1971年(昭和46年)4月29日 | |
23 | 1971年(昭和46年)4月30日 | 1974年(昭和49年)1月12日 | ||
24 | 1974年(昭和49年)2月24日 | 1975年(昭和50年)4月29日 | ||
25 | 1975年(昭和50年)4月30日 | 1979年(昭和54年)4月29日 | ||
26 | 工藤正 | 1979年(昭和54年)4月30日 | 1983年(昭和58年)4月29日 | |
27 | 1983年(昭和58年)4月30日 | 1984年(昭和59年)10月12日 | 助役が受託収賄容疑で逮捕された責任をとり辞職 | |
28 | 1984年(昭和59年)11月19日 | 1987年(昭和62年)4月29日 | ||
29 | 1987年(昭和62年)4月30日 | 1989年(平成元年)3月22日 | 在任中に死去 | |
30 | 佐々木誠造 | 1989年(平成元年)5月 | 1993年(平成5年)5月 | |
31 | 1993年(平成5年)5月 | 1997年(平成9年)5月 | ||
32 | 1997年(平成9年)5月 | 2001年(平成13年)5月 | ||
33 | 2001年(平成13年)5月 | 2005年(平成17年)3月31日 | ||
青森市 | ||||
- | 佐々木誠造 | 2005年(平成17年)4月1日 | 2005年(平成17年)4月23日 | 市長職務執行者 |
1 | 佐々木誠造 | 2005年(平成17年)4月24日 | 2009年(平成21年)4月23日 | |
2 | 鹿内博 | 2009年(平成21年)4月24日 | 2013年(平成25年)4月23日 | |
3 | 2013年(平成25年)4月24日 | 2016年(平成28年)10月31日 | 青森駅前再開発ビルの経営破綻の責任をとり辞職 | |
- | 福井正樹 | 2016年(平成28年)11月1日 | 2016年(平成28年)11月27日 | 市長職務代理者 |
4 | 小野寺晃彦 | 2016年(平成28年)11月27日 | 2023年(令和5年)4月30日 | 青森県知事選挙立候補準備のため辞職 |
- | 能代谷潤治 | 2023年(令和5年)5月1日 | 2023年(令和5年)6月5日 | 市長職務執行者 |
5 | 西秀記 | 2023年(令和5年)6月5日 | 現職 |
市役所
[編集]- 庁舎 - 本庁舎、駅前庁舎、柳川庁舎、浪岡庁舎
- 支所 - 浜館支所、奥内支所、原別支所、後潟支所、野内支所
議会
[編集]市議会
[編集]県議会
[編集]- 選挙区:青森市選挙区
- 定数:10名
- 任期:2019年(平成31年)4月30日 - 2023年(令和4年)4月29日
議員名 | 会派名 | 備考 |
---|---|---|
鹿内博 | 県民主役の県政の会 | |
高橋修一 | 自由民主党 | |
伊吹信一 | 公明・健政会 | |
森内之保留 | 自由民主党 | |
吉俣洋 | 日本共産党 | |
山谷清文 | 自由民主党 | |
花田栄介 | 自由民主党 | |
関良 | 青和会 | |
一戸富美雄 | 青和会 | |
渋谷哲一 | 県民主役の県政の会 |
衆議院
[編集]- 選挙区:青森1区(青森市、むつ市、東津軽郡、上北郡(野辺地町、横浜町、六ケ所村)、下北郡)
- 任期:2021年10月31日 - 2025年10月30日
- 投票日:2021年10月31日
- 当日有権者数:342,174人
- 投票率:51.84%
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 重複 |
---|---|---|---|---|---|---|
当 | 江渡聡徳 | 66 | 自由民主党 | 前 | 91,011票 | ○ |
升田世喜男 | 64 | 立憲民主党 | 元 | 64,870票 | ○ | |
斎藤美緒 | 41 | 日本共産党 | 新 | 17,783票 |
行政機関
[編集]県の機関
[編集]国の機関
[編集]司法機関
[編集]- 青森地方裁判所 本庁
- 青森家庭裁判所 本庁
- (管轄地:青森市(旧青森市)・東津軽郡(平内町、今別町、蓬田村、外ヶ浜町))
- 青森簡易裁判所 本庁
- (管轄地:青森市(旧青森市)・東津軽郡(平内町、今別町、蓬田村、外ヶ浜町))
施設
[編集]警察
[編集]- 青森県警察本部
- 青森警察署 - 青森南警察署の管轄区域を除く区域を管轄
- 青森南警察署 - 浪岡の区域を管轄(青森空港の区域を除く)
- 鉄道警察隊
- 青森県運転免許センター
消防
[編集]- 青森地域広域事務組合消防本部
- 消防署 - 中央消防署、東消防署、浪岡消防署
- 消防団 - 青森市青森消防団、青森市浪岡消防団
医療
[編集]医療機関
- 国立病院機構青森病院
- 県立病院
- 青森県立中央病院
- 青森県立つくしが丘病院
- 市立病院
- 青森市民病院
- 青森市立浪岡病院
保健
郵便
[編集]郵便局
[編集]直営郵便局
|
|
- 青森問屋町簡易郵便局(84773)
- 青森南簡易郵便局(84738)
- 青森流通団地内簡易郵便局(84794)
- 桜川簡易郵便局(84783)
- サンロード青森内簡易郵便局(84787)
- 松丘簡易郵便局(84776)
文化施設
[編集]- 文化施設
- 劇団
- 催事
- ゆきのまち幻想文学賞
- 津軽三味線日本一決定戦
- あおもり国際版画トリエンナーレ
運動施設
[編集]- スポーツ施設
- スポーツチーム
- 青森ワッツ(バスケットボール)
- ラインメール青森FC(サッカー)
- チーム青森(カーリング)
- 催事
- 全国高等学校カーリング選手権大会
- AOMORIマラソン大会
- 青函カップヨットレース
- 青森県民駅伝競走大会(9月第1日曜日)
対外関係
[編集]姉妹都市・提携都市
[編集]国内
[編集]海外
[編集]多都市間交流
[編集]国内
[編集]国際
[編集]経済
[編集]- 市内総生産:1兆129億6000万円(平成18年度市民経済計算)
- 就業人口:14万2993人(平成17年国勢調査)
- 第一次産業:5724人(4.0%)、第二次産業:2万3147人(16.2%)、第三次産業:11万1754人(78.2%)
農業
[編集]- リンゴ
- 特に浪岡地区で生産が盛んで、市町村別出荷量は全国第3位(平成17年)となっている。
- カシス(クロスグリ)
- 国内生産量の90パーセントを占める。青森市の気候に適した作物として特産品化が進められている。
工業
[編集]商業
[編集]- 主な商業施設
-
- 百貨店
- 寄合百貨店・複合ビル
- アウガ
- ラビナ、アンドラビナ - 青森駅ビル
- クロスタワー ア・ベイ
- 総合スーパー
- イトーヨーカドー青森店
- ショッピングセンター
- イオンタウン青森浜田
- イオンタウン青森東
- イオンタウン浪岡
- ガーラタウン・アオモリウエストモール
- サンロード青森
- ドリームタウンアリー
- 東青森ステーションショッピングセンター
- ラ・セラ三内ショッピングセンター
- ラ・セラ東バイパスショッピングセンター
- 仲卸
- その他の商業施設
金融機関
[編集]支店を置く金融機関
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通信
[編集]- マスメディア
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支社・支局を置くマスメディア
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教育
[編集]大学
[編集]- 公立大学
- 私立大学
- 私立短期大学
- その他の大学の施設
- 東北大学大学院生命科学研究科附属浅虫海洋生物学教育研究センター
- 東北大学学術資源研究公開センター植物園八甲田山分園
- 弘前大学北日本新エネルギー研究所
- 弘前大学食料科学研究所
学校法人青森山田学園青森短期大学は平成25年3月に閉校。
高等学校
[編集]県立
※以下は廃校。
- 青森戸山高等学校(2013年・青森東高等学校へ統合)
私立
中学校
[編集]市立:19校(五十音順)
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※以下は廃校。
私立
小学校
[編集]市立:45校(五十音順)
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※以下は廃校。
- 鶴ヶ坂小学校(2009年・新城中央小学校へ統合)
- 戸門小学校(同上)
- 孫内小学校(同上)
- 金浜小学校(2010年・荒川小学校へ統合)
- 栄山小学校(2012年・泉川小学校へ統合)
- 野沢小学校(2012年・荒川小学校へ統合)
- 浅虫小学校(2013年・東陽小学校へ統合)
- 久栗坂小学校(2014年・原別小学校へ統合)
- 後潟小学校(2020年・北小学校を統合新設)
- 奥内小学校(同上)
- 西田沢小学校(同上)
- 大栄小学校(2022年・浪岡北小学校へ統合)
幼稚園
[編集]私立
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特別支援学校
[編集]専修学校・各種学校
[編集]専修学校(私立:11校)
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各種学校(私立:1校)
- 青森タイピスト養成所
学校教育以外の施設
[編集]- 公共職業能力開発施設
- 独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構青森支部青森職業能力開発促進センター
- 青森県立青森高等技術専門校 - 職業能力開発校
- 認定職業能力開発施設
- 青森職業能力開発校
- 浪岡共同高等職業訓練校
- あおもりコンピュータ・カレッジ - 情報処理技能者養成施設
交通
[編集]青森市は東北以北の県道庁所在地で唯一、市内にフル規格新幹線、空港、高速道路、港が揃う都市であり、北日本における交通の要衝となっている。
空港
[編集]国内線
航空会社 | 就航地 |
---|---|
日本航空(JAL)[注釈 3] | 新千歳空港、東京国際空港、大阪国際空港 |
全日本空輸(ANA)[注釈 4] | 新千歳空港、大阪国際空港 |
フジドリームエアラインズ(FDA)[注釈 5] | 名古屋空港、神戸空港 |
国際線
航空会社 | 就航地 |
---|---|
大韓航空(KE) | 韓国・仁川国際空港(ソウル) |
エバー航空(BK) | 台湾・台湾桃園国際空港(台北) |
鉄道・索道
[編集]道路
[編集]バス
[編集]- 高速バス
- 路線バス
船舶
[編集]- 港湾
- 航路
観光
[編集]観光情報・交流・物産・道の駅
[編集]自然
[編集]- 八甲田山 - 日本百名山
- 八甲田山湿原群(田代平湿原など) - 日本の重要湿地500
- 萱野高原、田代高原
- 地獄沼、極楽沼、横沼、グダリ沼
- 梵珠山 - 県民の森
- 陸奥湾(原別海岸・青森湾東岸) - 日本の重要湿地500
- ハクチョウ(浅虫・久栗坂地域) - 特別天然記念物「小湊のハクチョウおよびその渡来地」
- 田代平湿原植物群落 - 市の天然記念物
- 浅虫生活環境保全林 - 森林浴の森100選
- 馬場山アカマツ巨樹 - 森の巨人たち百選
- 源常林の銀杏 - 市の天然記念物
- 三誉の松 - 市の天然記念物
博物館・美術館
[編集]- 博物館
- 青森県立郷土館 - 登録博物館
- 青森県近代文学館 - 青森県立図書館に併設
- 青森県営浅虫水族館
- 青森市森林博物館
- あおもり北のまほろば歴史館
- 青森市中世の館
- 青森市八甲田山雪中行軍遭難資料館
- 縄文時遊館
- 青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸
- 東北大学植物園八甲田山分園
- 陸上自衛隊青森駐屯地 防衛館
- 美術館
- 青森県立美術館 - 博物館相当施設
- 青森市民美術展示館
- 青森公立大学国際芸術センター青森
- 常田健 土蔵のアトリエ美術館
- 棟方志功記念館
歴史・遺跡・社寺・記念碑
[編集]- 金光上人の墓
- 伝北畠氏墓所 - 市の史跡
- 旧坪田家住宅 - 県重宝
- 幸畑陸軍墓地 - 市の史跡天然記念物
- 遺跡
- 社寺
- 記念碑
- 歩兵第5連隊第二大隊遭難記念碑(八甲田雪中行軍遭難事件) - 市の有形文化財
- 赤い絲モニュメント
- 文芸のこみち
- 津軽海峡冬景色歌謡碑
- 日本プロ野球初の完全試合達成記念碑
- 国道の碑
公園
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レクリエーション
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温泉
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その他
[編集]- あおもり海の駅 青森マリーナ
- 青森競輪場
- 青森ベイ・プロムナード
- 八甲田ロープウェー
- 八甲田トンネル - 全長26,455mは陸上複線トンネルとして世界最長[29]
- 三内丸山架道橋 - 支間長150mはコンクリート鉄道橋として、また新幹線橋として日本最長[29]
- 青森ベイブリッジ
- 城ヶ倉大橋 - 支間長255mは上路式鋼アーチ橋として建設時日本最長
文化・名物
[編集]祭事・催事
[編集]- 青森冬まつり(2月上旬)
- 八甲田ウォーク(3月29日 - 3月31日)
- 青森春まつり、浪岡さくらまつり(4月下旬 - 5月上旬)
- AOMORI春フェスティバル(ゴールデンウイークの2日間開催)
- 青森レインボーパレード(6月)
- 浅虫温泉ねぶた祭(7月中旬)
- YASUKATA BAY FESTIVAL
- 浅虫温泉花火大会(8月1日)
- 青森ねぶた祭(8月2日 - 8月7日) - 重要無形民俗文化財。東北三大祭りの1つ。
- 青森花火大会(8月7日)
- 浪岡北畠まつり(8月中旬)
- 雲谷かがり(8月16日)
- 青森秋まつり(9月中旬)
食文化
[編集]出身・関連著名人
[編集]公人
[編集]- 淡谷悠蔵(衆議院議員、作家)
- 大沢久明(衆議院議員)
- 古寺宏(衆議院議員)
- 田中藤次郎(衆議院議員)
- 津川武一(衆議院議員、作家)
- 山崎竜男(参議院議員、環境庁長官)
- 斉藤里恵[30](東京都議会議員、「筆談ホステス」著者)
文化人
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芸能人
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スポーツ選手
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マスコミ関係者
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その他
[編集]ゆかりの人物
[編集]- あがた森魚(シンガーソングライター) - 小学生時代を過ごす。
- 海渡英祐(推理作家)
- 垣岩令佳(バドミントン選手) - 市民栄誉賞受賞者
- 北郷三穂子(NHKアナウンサー) - 出生地、初任地。
- 久慈次郎(野球選手)- 出生地。
- 少路和伸(画家) - 在住。
- なかにし礼(作詞家、小説家) - 小・中学生時代を過ごす。
- 福原愛(卓球選手) - 市民栄誉賞受賞者
- 藤井瑞希(バドミントン選手) - 市民栄誉賞受賞者
- 松坂大輔(プロ野球選手) - 出生地。
青森市を撮影した映画作品
[編集]- 風が通り抜ける道(2024年公開/イオンエンターテイメント)
ギャラリー
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 青森県・青森県観光連盟 あおもり教育旅行ガイド
- ^ “平年値ダウンロード”. 気象庁. 2024年3月閲覧。
- ^ “観測史上1〜10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2024年3月閲覧。
- ^ “観測史上1〜10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2014年6月15日閲覧。
- ^ 観測史上1〜10位の値 月最深積雪 (cm) (年間を通じての値) 酸ケ湯 気象庁
- ^ “人口・世帯数(推移)”. 青森市. 2010年3月3日閲覧。
- ^ 『青森市の歴史』
- ^ “平成27年国勢調査”. 総務省統計局 (2016年10月26日). 2017年7月22日閲覧。
- ^ a b 宮崎道生 1982, pp. 171–173, 青森開港と廻米.
- ^ 長谷川成一ほか 2000, pp. 191–193, 北奥近世都市の成立.
- ^ “浪岡城(なみおかじょう)とは 日本の城がわかる事典(講談社) - コトバンク”. 2018年11月20日閲覧。
- ^ a b “「あおもり歴史トリビア」第156号(2015年5月1日配信)/青森市”. 青森市. 2018年11月20日閲覧。
- ^ “「あおもり歴史トリビア」第2号(2012年4月13日配信)/青森市”. 青森市. 2018年11月20日閲覧。
- ^ 『御借屋の由来』青森県庁東棟玄関脇銘板
- ^ “「あおもり歴史トリビア」第59号(2013年5月31日配信)/青森市”. 青森市. 2018年11月20日閲覧。
- ^ “「あおもり歴史トリビア」第87号(2013年12月13日配信)/青森市”. 青森市. 2018年11月20日閲覧。
- ^ “歴史05 近世の飢饉と青森の民衆” (PDF). 青森県庁. 2018年11月20日閲覧。
- ^ “第2編 前近代における北部日本海域の大火” (PDF). 内閣府. 2018年11月20日閲覧。
- ^ 「青森市内の工場地帯で大火」『東奥日報』1926年(大正15年)7月11日夕刊(大正ニュース編纂委員会『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p.2 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 「記録破りの豪雨で県下全般水浸し」『東奥日報』1935年(昭和10年)8月24日(昭和ニュース編纂委員会『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p.16-17 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 「青森市で火事、三百二十八戸焼く」『東奥日報』1942年(昭和17年)9月16日(昭和ニュース編纂委員会『昭和ニュース事典第8巻 昭和17年/昭和20年』本編p.5 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、406頁。ISBN 978-4-487-74410-7。
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、124頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ 「青森の出直し市議選始る」『朝日新聞』1970年(昭和45年)2月27日朝刊 12版 15面
- ^ “青森スポーツ会館愛称「オカでんアリーナ」”. 東奥日報 (2024年6月14日). 2024年6月14日閲覧。
- ^ “青森市総合体育館 7月オープン”. 東奥日報 (2024年6月22日). 2024年7月4日閲覧。
- ^ “ありがとう青森市民体育館/寄せ書き数百件”. 東奥日報 (2024年6月25日). 2024年7月4日閲覧。
- ^ 青森県地域産業課・青森県の伝統工芸品
- ^ a b “東北新幹線「八戸・新青森間」開業に向けた整備状況”. 青森県庁. 2011年9月10日閲覧。
- ^ 筆談ホステス母になる / 斉藤 里恵【著】 - 紀伊國屋書店ウェブストア
- ^ “青森市観光大使 新山 千春(にいやま ちはる)”. 青森市. 2020年11月3日閲覧。
参考文献
[編集]- 長谷川成一ほか『青森県の歴史』児玉幸多監修(第1版第1刷)、山川出版社〈県史〉、2000年2月25日。ISBN 4634320207。 NCID BA45501953。
- 宮崎道生『青森県の歴史』児玉幸多監修(2版10刷)、山川出版社〈県史シリーズ〉、1982年8月15日(原著1970年7月7日)。ISBN 4634230208。 NCID BN06471435。
- 青森市史編さん委員会 編集『青森市の歴史』(四版)青森市、1991年10月1日。
- 青森市文化団体協議会・編『あおもり文化一〇〇年の軌跡』青森市文化団体協議会、2001年9月9日。ISBN 4-87373-112-7。
- 小沼幹止『青森市の歴史散歩』(二版)よしのや本間書店、1984年7月15日。