「中尾栄一」の版間の差分
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'''中尾 栄一'''(なかお えいいち、[[1930年]][[1月27日]] - [[2018年]][[11月18日]])は、[[日本]]の[[政治家]]。[[日本の国会議員|衆議院議員]](11期)を務めた。[[山梨県]]出身。[[山梨県立甲府第一高等学校]]、[[青山学院大学]][[文学部]]英米文学科卒業。[[早稲田大学]]大学院[[修士|修士課程]]修了。元[[全日本テコンドー協会#日本テコンドー連盟|日本テコンドー連盟]]会長。[[政策科学研究所|渡辺派]]議長。 |
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[[芦田均]]秘書などを経て、[[1967年]]、[[無所属]]で[[第31回衆議院議員総選挙]]に旧山梨全県区から出馬し初当選(当選同期に[[山下元利]]・[[増岡博之]]・[[加藤六月]]・[[塩川正十郎]]・[[河野洋平]]・[[藤波孝生]]・[[武藤嘉文]]・[[坂本三十次]]・[[塩谷一夫]]・[[山口敏夫]]など)。当選後、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]の[[佐藤栄作]]総裁から追加公認を受け、自民党に入党した。 |
[[芦田均]]秘書などを経て、[[1967年]]、[[無所属]]で[[第31回衆議院議員総選挙]]に旧山梨全県区から出馬し初当選(当選同期に[[山下元利]]・[[増岡博之]]・[[加藤六月]]・[[塩川正十郎]]・[[河野洋平]]・[[藤波孝生]]・[[武藤嘉文]]・[[坂本三十次]]・[[塩谷一夫]]・[[山口敏夫]]など)。当選後、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]の[[佐藤栄作]]総裁から追加公認を受け、自民党に入党した。 |
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[[1973年]]には[[中川一郎]]、[[石原慎太郎]]らとタカ派政策集団 ・[[青嵐会]]を結成し名を売った。以来石原と行動することが多く、[[1980年]]の[[ハプニング解散]]でも所属する[[政策科学研究所 |
[[1973年]]には[[中川一郎]]、[[石原慎太郎]]らとタカ派政策集団 ・[[青嵐会]]を結成し名を売った。以来石原と行動することが多く、[[1980年]]の[[ハプニング解散]]でも所属する[[政策科学研究所|中曽根派]]の意向に反して、[[稲葉修]]と共に反主流派の[[第2次大平内閣|大平内閣]]不信任案欠席に同調、[[1989年]]の総裁選に石原が出馬した折も協力した。派閥領袖である[[中曽根康弘]]の信頼も厚かった。派閥は中曽根康弘派→[[渡辺美智雄]]派→([[志帥会]])[[村上正邦|村上]]・[[亀井静香|亀井]]派→[[江藤隆美|江藤]]・亀井派に属した。 |
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2000年の[[第42回衆議院議員総選挙]]で落選した直後の[[6月30日]]に[[石橋産業事件|若築建設事件]]で受託収賄容疑で逮捕された。[[8月11日]]に5000万円の保釈保証金を支払って[[保釈]]。2004年9月、最高裁判所は懲役1年10ヶ月追徴金6000万円の実刑判決が確定。ただし、病気のため刑の執行が停止され、2018年11月の病死まで収監・服役はなかった。 |
2023年1月9日 (月) 23:18時点における版
中尾栄一 なかお えいいち | |
---|---|
生年月日 | 1930年1月27日 |
出生地 | 山梨県 |
没年月日 | 2018年11月18日(88歳没) |
出身校 |
青山学院大学 早稲田大学大学院 |
前職 | 衆議院議員秘書 |
所属政党 |
(無所属→) 自由民主党 |
称号 |
衆議院永年在職議員 文学修士(早稲田大学) |
親族 |
次男・水野賢一 賢一の養父・水野清 |
第63代 建設大臣 | |
内閣 | 第1次橋本内閣 |
在任期間 | 1996年1月11日 - 1996年11月7日 |
第52代 通商産業大臣 | |
内閣 | 第2次海部改造内閣 |
在任期間 | 1990年12月29日 - 1991年11月5日 |
第38代 経済企画庁長官 | |
内閣 | 竹下内閣 |
在任期間 | 1987年11月6日 - 1988年12月27日 |
選挙区 |
(山梨県全県区→) 山梨1区 |
当選回数 | 11回 |
在任期間 | 1967年1月30日 - 2000年6月2日 |
中尾 栄一(なかお えいいち、1930年1月27日 - 2018年11月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(11期)を務めた。山梨県出身。山梨県立甲府第一高等学校、青山学院大学文学部英米文学科卒業。早稲田大学大学院修士課程修了。元日本テコンドー連盟会長。渡辺派議長。
来歴・人物
芦田均秘書などを経て、1967年、無所属で第31回衆議院議員総選挙に旧山梨全県区から出馬し初当選(当選同期に山下元利・増岡博之・加藤六月・塩川正十郎・河野洋平・藤波孝生・武藤嘉文・坂本三十次・塩谷一夫・山口敏夫など)。当選後、自由民主党の佐藤栄作総裁から追加公認を受け、自民党に入党した。
1973年には中川一郎、石原慎太郎らとタカ派政策集団 ・青嵐会を結成し名を売った。以来石原と行動することが多く、1980年のハプニング解散でも所属する中曽根派の意向に反して、稲葉修と共に反主流派の大平内閣不信任案欠席に同調、1989年の総裁選に石原が出馬した折も協力した。派閥領袖である中曽根康弘の信頼も厚かった。派閥は中曽根康弘派→渡辺美智雄派→(志帥会)村上・亀井派→江藤・亀井派に属した。
2000年の第42回衆議院議員総選挙で落選した直後の6月30日に若築建設事件で受託収賄容疑で逮捕された。8月11日に5000万円の保釈保証金を支払って保釈。2004年9月、最高裁判所は懲役1年10ヶ月追徴金6000万円の実刑判決が確定。ただし、病気のため刑の執行が停止され、2018年11月の病死まで収監・服役はなかった。
水野賢一(参院議員)の実父にあたる(賢一の養父は中尾と当選同期の水野清)。
息子中尾嶺一はJNSの代表取締役(2019年10月28日に破産手続開始)を務めた。
議員連盟
- 憲法20条を考える会(顧問)
略歴
- 1967年1月 - 総選挙に立候補し、初当選。
- 1987年11月 - 経済企画庁長官就任(竹下内閣)。
- 1990年12月 - 通商産業大臣就任(第2次海部内閣)。
- 1996年1月 - 建設大臣に就任(第1次橋本内閣)。
- 2000年
- 6月25日 - 選挙で落選。(次点:5800票差)
- 6月30日 - 東京地検特捜部により、上記建設大臣在任当時に公共工事発注の口利きの見返りに建設会社から三千万円の賄賂を受け取った受託収賄の疑いで逮捕。
- 2003年
- 11月21日 - 東京高裁で実刑判決(懲役1年10ヶ月追徴金6000万円)。
- 12月3日 - 上告。
- 2004年9月 - 最高裁に上告棄却され、有罪判決が確定。
- 2018年11月18日 - 死去[1]。88歳没。
脚注
- ^ 中尾栄一元建設相が死去 共同通信 2018年11月21日
関連項目
議会 | ||
---|---|---|
先代 大野明 |
衆議院予算委員長 1989年 |
次代 越智伊平 |
先代 塩谷一夫 |
衆議院外務委員長 1979年 - 1980年 |
次代 奥田敬和 |
先代 金子岩三 |
衆議院農林水産委員長 1978年 |
次代 佐藤隆 |
公職 | ||
先代 森喜朗 |
建設大臣 第63代:1996年 |
次代 亀井静香 |
先代 武藤嘉文 |
通商産業大臣 第54代:1990年 - 1991年 |
次代 渡部恒三 |
先代 近藤鉄雄 |
経済企画庁長官 第38代:1987年 - 1988年 |
次代 原田憲 |