「千葉真一」の版間の差分
熊本地震での炊き出しを出典込みで編集。バイト数が増えるだけの出典テンプレ変更に意味がある?現状の出典テンプレで編集は楽だと思う。 タグ: サイズの大幅な増減 曖昧さ回避ページへのリンク |
Lingualatin (会話 | 投稿記録) 前版の編集を参考に、 →2010年代: 熊本地震 (2016年)での活動を記述。 →親交の有った芸能人: オスマン・サンコンを追加。 タグ: サイズの大幅な増減 |
||
1行目: | 1行目: | ||
{{ActorActress |
{{ActorActress |
||
| 芸名 = 千葉 真一<br / |
| 芸名 = 千葉 真一<br />''JJ Sonny Chiba'' |
||
| ふりがな = ちば しんいち |
| ふりがな = ちば しんいち |
||
| 画像ファイル = Chiba-Shinichi-1.jpg |
| 画像ファイル = Chiba-Shinichi-1.jpg |
||
| 画像サイズ = 200px |
| 画像サイズ = 200px |
||
| 画像コメント = 『[[国際情報社|映画情報]]』1965年6月号より。 |
| 画像コメント = 『[[国際情報社|映画情報]]』1965年6月号より。 |
||
| 本名 = '''前田 禎穂'''<small>(まえだ さだほ)</small> |
| 本名 = '''前田 禎穂'''<small>(まえだ さだほ)</small>{{sfn|千葉|2008|pp=38-39|loc=「君津のガキ大将時代」}} |
||
| 別名義 = '''和千永 倫道'''<small>(わちなが りんどう)</small> |
| 別名義 = '''和千永 倫道'''<small>(わちなが りんどう)</small>{{sfn|千葉|2008|p=12|loc=「千葉真一、引退宣言の真相」}} |
||
| 出生地 = {{flagicon|JPN}} [[福岡県]][[福岡市]][[博多区]] |
| 出生地 = {{flagicon|JPN}} [[福岡県]][[福岡市]][[博多区]]{{sfn|千葉|2010|pp=81-82|loc=「気骨ある明治生まれの軍人、子供心に誇らしかった飛行機姿の親父」}} |
||
| 出身地 = {{flagicon|JPN}} [[千葉県]][[君津市]] |
| 出身地 = {{flagicon|JPN}} [[千葉県]][[君津市]]{{sfn|千葉|2008|p=38|loc=「君津のガキ大将時代」}} |
||
| 死没地 = {{flagicon|JPN}} 千葉県[[木更津市]]<ref name |
| 死没地 = {{flagicon|JPN}} 千葉県[[木更津市]]<ref name="ntv20210819">{{Cite news |title=俳優 千葉真一さん死去 コロナで肺炎悪化 |newspaper=[[日テレNEWS24]] |date=2021-08-19 |url=https://news.ntv.co.jp/category/society/9d23f3dff194448abe8ac86e02985b86 |accessdate=2022-03-27 |publisher=[[CS日本]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220327092636/https://news.ntv.co.jp/category/society/9d23f3dff194448abe8ac86e02985b86 |archivedate=2022-03-27 |url-status=live}}</ref> |
||
| 国籍 = <!--「出生地」からは推定できないときだけ --> |
| 国籍 = <!--「出生地」からは推定できないときだけ --> |
||
| 民族 = [[日本人]] |
| 民族 = [[日本人]]{{sfn|千葉|2008|pp=38-39|loc=「君津のガキ大将時代」}}{{sfn|千葉|2010|pp=81-82|loc=「気骨ある明治生まれの軍人、子供心に誇らしかった飛行機姿の親父」}}{{sfn|『近代映画』1969年10月号臨時増刊|pp=144-145|loc=「千葉真一 特集」}}<!-- 民族名には信頼できる情報源が出典として必要です。 --> |
||
| 身長 = 176[[センチメートル|cm]]<ref name |
| 身長 = 176[[センチメートル|cm]]<ref name="nikkansports20210819">{{Cite news |title=「キイハンター」JAC設立、千葉真一さん 82歳死去 / 写真特集 |newspaper=[[日刊スポーツ|nikkansports.com]] |date=2021-08-19 |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108190001171.html |accessdate=2022-08-14 |publisher=[[日刊スポーツ新聞社]] |archiveurl=https://archive.ph/nbWg3 |archivedate=2022-08-14 |url-status=live}}</ref><ref name="yahoo">{{Cite web2 |df=ja |url=http://talent.yahoo.co.jp/pf/profile/pp131778 |title=千葉真一 - プロフィール |website=Yahoo! |publisher=Yahoo! JAPAN |accessdate=2013-06-26 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130626113043/http://talent.yahoo.co.jp/pf/profile/pp131778 |archivedate=2013-06-26 |url-status=live}}</ref><ref name="astraia">{{Cite web |url=http://www.astraia.tv/Chiba.html |title=千葉真一 |accessdate=2017-10-24 |work=プロフィール |publisher=[[アストライア (プロダクション)|アストライア]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20171024043301/http://www.astraia.tv/Chiba.html |archivedate=2017-10-24 |url-status=live}}</ref> |
||
| 血液型 = [[ABO式血液型|O型]]<ref name |
| 血液型 = [[ABO式血液型|O型]]<ref name="yahoo" /><ref name="astraia" /> |
||
| 生年 = 1939 |
| 生年 = 1939 |
||
| 生月 = 1 |
| 生月 = 1 |
||
23行目: | 23行目: | ||
| ジャンル = [[映画]]・[[テレビドラマ]]・[[演劇]]・''[[コマーシャルメッセージ|CM]]''・[[ドキュメンタリー]]・[[ナレーション]] |
| ジャンル = [[映画]]・[[テレビドラマ]]・[[演劇]]・''[[コマーシャルメッセージ|CM]]''・[[ドキュメンタリー]]・[[ナレーション]] |
||
| 活動期間 = [[1959年]] - [[2021年]] |
| 活動期間 = [[1959年]] - [[2021年]] |
||
| 活動内容 = 1959年 [[東映ニューフェイス]]<br>[[1960年]] [[デビュー]]<br>[[1966年]] [[台湾映画|台]]・[[アメリカ合衆国の映画|米]]合作映画出演<br>[[1970年]] ''[[ジャパンアクションクラブ|JAC]]''設立<br>[[1973年]] [[香港映画|香]][[タイの映画|泰]][[韓国映画|韓]]合作映画出演<br>[[1974年]] ''Sonny Chiba''<br>[[1977年]] [[フルコンタクト空手|空手大会]]出場<br>[[1979年]] [[日本映画|本邦]]初[[アクション監督]]<br>[[1981年]] 米[[イギリスの映画|英]]合作映画出演<br />[[1989年]] 映画プロデューサー<br />[[1990年]] 映画監督<br />[[1991年]] |
| 活動内容 = 1959年 [[東映ニューフェイス]]<br />[[1960年]] [[デビュー]]<br />[[1966年]] [[台湾映画|台]]・[[アメリカ合衆国の映画|米]]合作映画出演<br />[[1970年]] ''[[ジャパンアクションクラブ|JAC]]''設立<br />[[1973年]] [[香港映画|香]][[タイの映画|泰]][[韓国映画|韓]]合作映画出演<br />[[1974年]] ''Sonny Chiba''<br />[[1977年]] [[フルコンタクト空手|空手大会]]出場<br />[[1979年]] [[日本映画|本邦]]初[[アクション監督]]<br />[[1981年]] 米[[イギリスの映画|英]]合作映画出演<br />[[1989年]] 映画プロデューサー<br />[[1990年]] 映画監督<br />[[1991年]] JAC売却<br />[[1992年]] 拠点を''[[L.A.]]''へ<br />[[1994年]] 米[[メキシコの映画|墨]]合作映画出演<br />[[2008年]] [[京都造形芸術大学|京都造形芸大]][[教授]]<br />[[2010年]] 芸能生活50周年 |
||
| 配偶者 = [[野際陽子]]([[1973年]] - [[1994年]])<br>一般人([[1996年]] - [[2015年]]) |
| 配偶者 = [[野際陽子]]([[1973年]] - [[1994年]])<br />一般人([[1996年]] - [[2015年]]) |
||
| 著名な家族 = [[真瀬樹里]](長女{{ |
| 著名な家族 = [[真瀬樹里]](長女{{efn2|母は[[野際陽子]]。}})<br />[[新田真剣佑]](長男{{efn2|name="真郷"|母は一般人。}})<br />[[眞栄田郷敦]](次男{{efn2|name="真郷"}})<br />[[矢吹二朗]](弟)<!-- 「家族」はその人物の配偶者や家族として公開されている著名人の名前を記入します。 --> |
||
| 事務所 = |
| 事務所 = {{efn2|name="事務所"}} |
||
| 公式サイト = [[#外部リンク]] |
| 公式サイト = [[#外部リンク]] |
||
| 主な作品 = <!-- 発表年順。スタッフ兼務の助演作品はアクション監督・監督・演出・監修へ掲載 -->'''日本映画'''<br>『[[風来坊探偵シリーズ]]』<br>『[[ファンキーハットの快男児シリーズ]]』<br>『[[宇宙快速船]]』『[[事件記者シリーズ]]』<br>『[[柔道一代シリーズ]]』『[[やくざの歌]]』<br>『[[白い熱球]]』『[[太陽に突っ走れ]]』<br>『[[子守唄シリーズ]]』『[[黄金バット#黄金バット(1966年)|黄金バット]]』<br>『[[組織暴力]]』『[[河内遊侠伝]]』<br>『[[陸軍諜報33]]』『[[日本暗殺秘録]]』<br>『[[やくざ刑事シリーズ]]』『[[狼やくざシリーズ]]』<br>『[[麻薬売春Gメンシリーズ]]』<br>『[[仁義なき戦い 広島死闘篇]]』<br>『[[ボディガード牙シリーズ]]』<br>『[[殺人拳シリーズ]]』<br>『[[ルバング島の奇跡 陸軍中野学校]]』<br>『[[地獄拳シリーズ]]』『[[少林寺拳法 (映画)|少林寺拳法]]』<br>『[[ウルフガイ 燃えろ狼男]]』『[[新幹線大爆破]]』<br>『[[けんか空手シリーズ]]』『[[激突! 合気道]]』<br>『[[脱走遊戯]]』『[[沖縄やくざ戦争]]』<br>『[[ドーベルマン刑事#映画|ドーベルマン刑事]]』<br>『[[トラック野郎・度胸一番星|トラック野郎 度胸一番星]]』<br>『[[柳生一族の陰謀]]』『[[沖縄10年戦争]]』<br>『[[赤穂城断絶]]』『[[闇の狩人#映画|闇の狩人]]』<br>『[[戦国自衛隊 (映画)|戦国自衛隊]]』『[[魔界転生#1981年|魔界転生]]』<br>『[[冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-]]』<br>『[[必殺4 恨みはらします]]』<br>『[[新 影の軍団シリーズ]]』『[[銭道|銭道シリーズ]]』<br>『[[SURVIVE STYLE5+]]』『[[親父 (映画)|親父]]』<br>『[[修羅の伝承 荒ぶる凶犬]]』<hr /> |
| 主な作品 = <!-- 発表年順。スタッフ兼務の助演作品はアクション監督・監督・演出・監修へ掲載 -->'''日本映画'''<br />『[[風来坊探偵シリーズ]]』<br />『[[ファンキーハットの快男児シリーズ]]』<br />『[[宇宙快速船]]』『[[事件記者シリーズ]]』<br />『[[柔道一代シリーズ]]』『[[やくざの歌]]』<br />『[[白い熱球]]』『[[太陽に突っ走れ]]』<br />『[[子守唄シリーズ]]』『[[黄金バット#黄金バット(1966年)|黄金バット]]』<br />『[[組織暴力]]』『[[河内遊侠伝]]』<br />『[[陸軍諜報33]]』『[[日本暗殺秘録]]』<br />『[[やくざ刑事シリーズ]]』『[[狼やくざシリーズ]]』<br />『[[麻薬売春Gメンシリーズ]]』<br />『[[仁義なき戦い 広島死闘篇]]』<br />『[[ボディガード牙シリーズ]]』<br />『[[殺人拳シリーズ]]』<br />『[[ルバング島の奇跡 陸軍中野学校]]』<br />『[[地獄拳シリーズ]]』『[[少林寺拳法 (映画)|少林寺拳法]]』<br />『[[ウルフガイ 燃えろ狼男]]』『[[新幹線大爆破]]』<br />『[[けんか空手シリーズ]]』『[[激突! 合気道]]』<br />『[[脱走遊戯]]』『[[沖縄やくざ戦争]]』<br />『[[ドーベルマン刑事#映画|ドーベルマン刑事]]』<br />『[[トラック野郎・度胸一番星|トラック野郎 度胸一番星]]』<br />『[[柳生一族の陰謀]]』『[[沖縄10年戦争]]』<br />『[[赤穂城断絶]]』『[[闇の狩人#映画|闇の狩人]]』<br />『[[戦国自衛隊 (映画)|戦国自衛隊]]』『[[魔界転生#1981年|魔界転生]]』<br />『[[冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-]]』<br />『[[必殺4 恨みはらします]]』<br />『[[新 影の軍団シリーズ]]』『[[銭道|銭道シリーズ]]』<br />『[[SURVIVE STYLE5+]]』『[[親父 (映画)|親父]]』<br />『[[修羅の伝承 荒ぶる凶犬]]』<hr /> |
||
'''海外映画''' |
'''海外映画'''(日本との合作含む)<br />『[[カミカゼ野郎 真昼の決斗]]』『[[海底大戦争]]』<br />『[[東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯]]』<br />『[[激殺! 邪道拳]]』『[[ゴルゴ13 九竜の首]]』<br />『[[武士道ブレード]]』<br />『[[エイセス / 大空の誓い]]』<br />『[[地雷原 A mine field.]]』<br />『[[リゾート・トゥ・キル]]』<br />『[[ザ・サイレンサー MAGNUM357|ザ・サイレンサー ''MAGNUM357'']]』<br />『[[風雲 ストームライダーズ]]』<br />『[[:zh:勝者為王 (古惑仔)|狼たちの伝説 亜州黒社会戦争]]』<br />『[[キル・ビル]]』『[[w:Explosive City|爆裂都市 / ''Explosive City'']]』<br />『[[ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT|ワイルド・スピード''X3 TOKYO DRIFT'']]』<hr /> |
||
'''テレビドラマ''' |
'''テレビドラマ'''(海外ドラマ含む)<br />『[[新 七色仮面]]』『[[アラーの使者]]』<br />『[[暗闇五段|くらやみ五段]]』『[[キイハンター]]』<br />『[[現代鬼婆考 殺愛]]』『[[ザ・ボディガード]]』<br />『[[ザ★ゴリラ7]]』『[[燃える捜査網]]』<br />『[[大非常線]]』『[[七色とんがらし]]』<br />『[[十字路 (1978年のテレビドラマ)|十字路]]』『[[柳生一族の陰謀#テレビ映画|柳生一族の陰謀]]』<br />『[[服部半蔵 影の軍団|影の軍団シリーズ]]』<br />『[[東京大地震マグニチュード8.1]]』<br />『[[柳生あばれ旅シリーズ]]』<br />『[[素晴らしきサーカス野郎]]』<br />『[[深夜にようこそ]]』『[[太閤記 (1987年のテレビドラマ)|太閤記]]』『[[徳川家康 (1988年のテレビドラマ)|徳川家康]]』<br />『[[夢に見た日々]]』『[[十七人の忍者]]』<br />『[[徳川無頼帳]]』『[[寺子屋ゆめ指南]]』<br />『[[:zh:风云:雄霸天下 (2002年电视剧)|風雲 雄霸天下]]』『[[風雲争霸 (テレビドラマ)|風雲争霸]]』<br />『[[風林火山 (NHK大河ドラマ)|風林火山]]』『[[おわこんTV]]』<hr /> |
||
'''演劇'''<br>『[[柳生十兵衛 魔界転生]]』<br>『[[ゆかいな海賊大冒険]]』『[[酔いどれ公爵]]』<br>『[[スタントマン 愛の物語]]』<br>『[[千葉真一奮闘公演 影の軍団]]』<br>『[[風林火山 晴信燃ゆ]]』<hr /> |
'''演劇'''<br />『[[柳生十兵衛 魔界転生]]』<br />『[[ゆかいな海賊大冒険]]』『[[酔いどれ公爵]]』<br />『[[スタントマン 愛の物語]]』<br />『[[千葉真一奮闘公演 影の軍団]]』<br />『[[風林火山 晴信燃ゆ]]』<hr /> |
||
'''アクション監督・監督・演出・監修'''<br><small>※助演兼務含む</small><br>『[[忍者武芸帖 百地三太夫]]』<br>『[[スタントマン物語]]』<br>『[[吼えろ鉄拳]]』『[[燃える勇者]]』<br>『[[アドベンチャー 青春の出発]]』<br>『[[将軍家光の乱心 激突]]』<br>『[[リメインズ 美しき勇者たち]]』<br>『[[HAKEN 覇拳 ふりむけば修羅]]』 |
'''アクション監督・監督・演出・監修'''<br /><small>※助演兼務含む</small><br />『[[忍者武芸帖 百地三太夫]]』<br />『[[スタントマン物語]]』<br />『[[吼えろ鉄拳]]』『[[燃える勇者]]』<br />『[[アドベンチャー 青春の出発]]』<br />『[[将軍家光の乱心 激突]]』<br />『[[リメインズ 美しき勇者たち]]』<br />『[[HAKEN 覇拳 ふりむけば修羅]]』 |
||
| 日本アカデミー賞 = '''[[第2回日本アカデミー賞#優秀助演男優賞|優秀助演男優賞(第2回)]]'''<br>『[[柳生一族の陰謀]]』([[1979年]])<hr />'''[[第45回日本アカデミー賞#会長特別賞|会長特別賞(第45回)]]'''([[2022年]]) |
| 日本アカデミー賞 = '''[[第2回日本アカデミー賞#優秀助演男優賞|優秀助演男優賞(第2回)]]'''<br />『[[柳生一族の陰謀]]』([[1979年]])<hr />'''[[第45回日本アカデミー賞#会長特別賞|会長特別賞(第45回)]]'''([[2022年]]) |
||
| ブルーリボン賞 = '''[[ブルーリボン賞 (映画)#第22回(1979年度)|スタッフ賞(第22回)]]'''(1979年) |
| ブルーリボン賞 = '''[[ブルーリボン賞 (映画)#第22回(1979年度)|スタッフ賞(第22回)]]'''(1979年) |
||
| その他の賞 = '''[[香港電影金像奨]]<br>[[w:18th Hong Kong Film Awards#Best Actor|優秀主演男優賞(第18回)]]'''<br>『[[風雲 ストームライダーズ]]』<br>([[1999年]])<hr /> |
| その他の賞 = '''[[香港電影金像奨]]<br />[[w:18th Hong Kong Film Awards#Best Actor|優秀主演男優賞(第18回)]]'''<br />『[[風雲 ストームライダーズ]]』<br />([[1999年]])<hr /> |
||
'''[[サターン賞]]<br>[[第30回サターン賞#助演男優賞|助演男優賞ノミネート(第30回)]]'''<br>『[[キル・ビル]]』([[2004年]])<hr /> |
'''[[サターン賞]]<br />[[第30回サターン賞#助演男優賞|助演男優賞ノミネート(第30回)]]'''<br />『[[キル・ビル]]』([[2004年]])<hr /> |
||
'''[[w:Hawaii International Film Festival|ハワイ国際映画祭]]'''<br>'''''MAVERICK AWARD'''''([[2005年]])<hr /> |
'''[[w:Hawaii International Film Festival|ハワイ国際映画祭]]'''<br />'''''MAVERICK AWARD'''''([[2005年]])<hr /> |
||
'''[[日本映画批評家大賞]]'''<br>'''ゴールデン・グローリー賞'''([[2006年]])<hr /> |
'''[[日本映画批評家大賞]]'''<br />'''ゴールデン・グローリー賞'''([[2006年]])<hr /> |
||
'''''OKINAWA''''''''シネマ&ミュージックアワード'''<br>'''映画部門功労賞'''(2006年)<hr /> |
'''''OKINAWA''''''''シネマ&ミュージックアワード'''<br />'''映画部門功労賞'''(2006年)<hr /> |
||
'''[[天草映画祭]] 風の賞 特別賞'''([[2007年]])<hr /> |
'''[[天草映画祭]] 風の賞 特別賞'''([[2007年]])<hr /> |
||
'''''SINGAFEST 2011''''' ([[2011年]])<br>'''''LIFETIME ACHIEVEMENT AWARD'''''<hr /> |
'''''SINGAFEST 2011''''' ([[2011年]])<br />'''''LIFETIME ACHIEVEMENT AWARD'''''<hr /> |
||
'''[[文化庁長官表彰]]'''<ref name |
'''[[文化庁長官表彰]]'''<ref name="nikkansports20201217">{{Cite news |title=千葉真一「あんまり似合わない賞」文化庁長官表彰 |newspaper=nikkansports.com |date=2020-12-17 |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202012170000638.html |accessdate=2021-04-04 |publisher=日刊スポーツ新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20201217095620/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202012170000638.html |archivedate=2020-12-17 |url-status=live}}</ref><ref name="news24_20201217">{{Cite news |title=文化庁長官表彰 俳優の千葉真一さんら表彰 |newspaper=日テレNEWS24 |date=2020-12-17 |url=https://www.news24.jp/articles/2020/12/17/07788036.html |accessdate=2021-04-04 |publisher=CS日本 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20201217114649/https://www.news24.jp/articles/2020/12/17/07788036.html |archivedate=2020-12-17 |url-status=live}}</ref><ref name="tokyo-sports20201217">{{Cite news |title=千葉真一に文化庁長官表彰「自分の本当の姿でいこうと思った」ダンディな白髪姿で登場 |newspaper=[[東京スポーツ|東スポWeb]] |date=2020-12-17 |url=https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/2523015/ |accessdate=2021-04-04 |publisher=[[東京スポーツ|東京スポーツ新聞社]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20201219071521/https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/2523015/ |archivedate=2020-12-19 |url-status=live}}</ref>(2020年) |
||
| 備考 = |
| 備考 = |
||
| 受賞 = '''ミスタースポーツモデル'''<br>'''ウェアモデル入賞'''([[1958年]])<hr /> |
| 受賞 = '''ミスタースポーツモデル'''<br />'''ウェアモデル入賞'''([[1958年]])<hr /> |
||
'''[[エランドール賞]] 新人賞'''([[1962年]])<hr /> |
'''[[エランドール賞]] 新人賞'''([[1962年]])<hr /> |
||
'''[[日本映画製作者協会]] 新人賞'''([[1967年]])<hr /> |
'''[[日本映画製作者協会]] 新人賞'''([[1967年]])<hr /> |
||
'''[[京都市民映画祭]] 主演男優賞'''<br>『[[日本暗殺秘録]]』([[1969年]])<br>『[[沖縄やくざ戦争]]』([[1976年]])<!-- 受賞年順に表示されるよう、日本アカデミー賞・ブルーリボン賞以前に受賞した賞はこちらに表記。 --> |
'''[[京都市民映画祭]] 主演男優賞'''<br />『[[日本暗殺秘録]]』([[1969年]])<br />『[[沖縄やくざ戦争]]』([[1976年]])<!-- 受賞年順に表示されるよう、日本アカデミー賞・ブルーリボン賞以前に受賞した賞はこちらに表記。 --> |
||
}} |
}} |
||
{{Infobox Musician <!--プロジェクト:音楽家を参照--> |
{{Infobox Musician <!--プロジェクト:音楽家を参照--> |
||
| Name = 千葉 真一<br><span style="font-size:small">''JJ Sonny Chiba''</span> |
| Name = 千葉 真一<br /><span style="font-size:small">''JJ Sonny Chiba''</span> |
||
| Img = |
| Img = |
||
| Img_capt = |
| Img_capt = |
||
59行目: | 59行目: | ||
| Alias = |
| Alias = |
||
| Blood = <!-- 個人のみ --> |
| Blood = <!-- 個人のみ --> |
||
| School_background = |
| School_background = [[日本体育大学]][[体育学部]][[体育学科]][[卒業]]<ref name="eigacom20130310">{{Cite web |url=http://eiga.com/news/20130310/7/ |title=千葉真一 53年ぶりに母校・日体大を“卒業”し「もうひと花」とさらなる意欲 |accessdate=2013-03-12 |date=2013-03-10 |website=[[映画.com]] |work=映画.com速報 |publisher=エイガ・ドット・コム |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130312003908/http://eiga.com/news/20130310/7/ |archivedate=2013-03-12 |url-status=live}}</ref> |
||
| Born = <!-- 個人のみ --> |
| Born = <!-- 個人のみ --> |
||
| Died = <!-- 個人のみ --> |
| Died = <!-- 個人のみ --> |
||
| Origin = |
| Origin = |
||
| Instrument = <!-- 個人のみ --> |
| Instrument = <!-- 個人のみ --> |
||
| Genre = [[歌謡曲]]・ |
| Genre = [[歌謡曲]]・[[J-POP]] |
||
| Occupation = <!-- 個人のみ --> |
| Occupation = <!-- 個人のみ --> |
||
| Years_active = |
| Years_active = |
||
| Label = [[コダマプレス]](1963年 - 1965年)<br>[[クラウンレコード]](1966年)<br |
| Label = [[コダマプレス]](1963年 - 1965年)<br />[[クラウンレコード]](1966年)<br />[[ミノルフォンレコード|ミノルフォン]](1966年)<br />[[キングレコード|キング]](1968年 - 1973年)<br />[[テイチクレコード|テイチク]](1975年 - 1976年)<br />[[バップ・レコード|VAP]](1985年) |
||
| Production = |
| Production = |
||
| Associated_acts = |
| Associated_acts = |
||
76行目: | 76行目: | ||
| Notable_instruments = |
| Notable_instruments = |
||
}} |
}} |
||
'''千葉 真一'''{{ |
'''千葉 真一'''{{efn2|name="芸名"|[[1969年]]の[[近代映画社|近代映画]]の『千葉真一特集号』では[[東映東京撮影所]]の所長である山崎真一郎が「千葉県出身ということで千葉、そして仕事を忠実に真心込めて」という意味で命名したと紹介しているが{{sfn|『近代映画』1969年10月号臨時増刊|p=148|loc=「千葉真一 特集」}}、千葉自身は「山崎所長から『千葉から来たから名字を'''千葉'''、名前はオレの名前をとって'''真一'''にしろ』と言われた」と述べている{{sfn|千葉|2010|p=101|loc=「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」}}。}}(ちば しんいち、'''''JJ Sonny Chiba'''''{{efn2|name="Sonny"|[[ニュー・ライン・シネマ]]が[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で『[[激突! 殺人拳]]』を『''[[w:The Street Fighter|The Street Fighter]]''』のタイトルで封切公開した際に、社長のロバート・シェイが命名した{{sfn|『キネマ旬報』2021年11月上旬特別号|p=21|loc=伊藤彰彦「Sonny Chibaが生まれた瞬間」}}{{sfn|千葉|2010|p=51|loc=「全米でブルース・リーを超える興行収入、サニー千葉の名を広めた空手映画」}}。それが他国に広まり、世界での通称となったが、[[英語圏]]で'''''Sonny'''''(サニー)は男性の名前に使われるほか、口語で「兄ちゃん・坊や」という意味があり、愛称の“千葉ちゃん”を[[欧米]]風に訳した。その後、'''''JJ Sonny Chiba'''''と改名したが、''JJ'' は''Justice Japan''(正義の日本)の略である{{sfn|千葉|2010|p=51|loc=「全米でブルース・リーを超える興行収入、サニー千葉の名を広めた空手映画」}}{{sfn|千葉|2010|p=11|loc=「序章」}}{{sfn|『新・影の軍団 最終章』|2005|loc=特典映像「劇場初日舞台挨拶」}}。}}, [[1939年]]〈[[昭和]]14年〉[[1月22日]] - [[2021年]]〈[[令和]]3年〉[[8月19日]])は、[[日本]]の[[俳優]]・[[体操選手]]・[[空手家]]・[[歌手]]・[[芸能プロモーター]]・[[アクション監督]]・[[演出家]]・[[映画監督]]・[[映画プロデューサー]]。[[愛称]]:'''千葉ちゃん'''{{efn2|name="芸名"}}。本名:'''前田 禎穂'''(まえだ さだほ){{sfn|千葉|2008|pp=38-39|loc=「君津のガキ大将時代」}}。 |
||
日本を代表する映画スター |
日本を代表する映画スター{{sfn|『SPORTS CITY』1981年第1巻第2号}}{{sfn|『戦国自衛隊』パンフレット|1979|p=30|loc=「プロフィール」}}{{sfn|中村|1999|pp=173,179,182-183|loc=「極真空手三段 千葉真一」}}<ref name="eigacom20210819">{{Cite web |url=https://eiga.com/news/20210819/40/ |title=千葉真一さん死去 新型コロナウイルス感染で82歳 |accessdate=2022-07-14 |date=2021-08-19 |website=映画.com |work=映画.com速報 |publisher=エイガ・ドット・コム |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210821102950/https://eiga.com/news/20210819/40/ |archivedate=2021-08-21 |url-status=live}}</ref>・アクションスターとして<ref name="oricon20210819">{{Cite news |title=新田真剣佑、父・千葉真一さん訃報受け思いつづる「Love you so much Dad」|newspaper=ORICON NEWS |date=2021-08-20 |url=https://www.oricon.co.jp/news/2204129/full/ |accessdate=2022-07-14 |publisher=oricon ME |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210821003218/https://www.oricon.co.jp/news/2204129/full/ |archivedate=2021-08-21 |url-status=live}}</ref><ref name="chunichi20210819">{{Cite web2 |df=ja |url=https://www.chunichi.co.jp/article/314350 |title=俳優・千葉真一さん死去 82歳 新型コロナによる肺炎で入院 |website=中日新聞Web |publisher=中日新聞社 |date=2021-08-19 |accessdate=2021-08-21 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210821085656/https://www.chunichi.co.jp/article/314350 |archivedate=2021-08-21}}</ref><ref name="chunichi20210820a">{{Cite web2 |df=ja |url=https://www.chunichi.co.jp/article/314612 |title=真瀬樹里、父・千葉真一さんとの別れ「穏やかな顔をしておりました」 |website=中日新聞Web |publisher=中日新聞社 |date=2021-08-20 |accessdate=2021-08-21 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210821083017/https://www.chunichi.co.jp/article/314612 |archivedate=2021-08-21 |url-status=live}}</ref><ref>{{Cite news |title=千葉真一さん急死、82歳…新型コロナによる肺炎のため 「柳生一族の陰謀」「服部半蔵 影の軍団」に主演 |newspaper=[[スポーツニッポン|スポニチ Sponichi Annex]] |date=2021-08-19 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/19/kiji/20210819s00041000554000c.html |accessdate=2022-07-14 |publisher=[[スポーツニッポン|スポーツニッポン新聞社]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210819172911/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/19/kiji/20210819s00041000554000c.html |archivedate=2021-08-19 |url-status=live}}</ref><ref>{{Cite news |title=俳優の千葉真一さん亡くなる 新型コロナで肺炎が悪化し入院中 |newspaper=東スポWeb |date=2021-08-19 |url=https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3538543/ |accessdate=2022-07-14 |publisher=東京スポーツ新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210819215447/https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3538543/ |archivedate=2021-08-19 |url-status=live}}</ref>、[[海外]]では'''''Sonny Chiba'''''(サニー ちば)の名で知られており<ref name="eigacom20210819" /><ref name="oricon20210819" /><ref name="chunichi20210819" /><ref name="chunichi20210820a" /><ref name="oricon20210819" /><ref name="chunichi20210820a" /><ref name="zakzak20110518">{{Cite web |url=http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20110518/enn1105181115001-n1.htm |title=JJサニーちば、真面目さと優しさに溢れ… |accessdate=2012-09-27 |author=高平哲郎 |authorlink=高平哲郎 |date=2011-05-18 |website=[[夕刊フジ|ZAKZAK]] |work=あくまで人名事典-昨日の友は今日も友- |publisher=[[産業経済新聞社]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110519102558/http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20110518/enn1105181115001-n1.htm |archivedate=2012-09-27 |url-status=live}}</ref>{{sfn|『酔いどれ公爵』パンフレット|1985|p=32|loc=橋本与志夫「出演者陣の“酔いどれ講釈”」}}、特技の[[体操競技|器械体操]]や[[極真会館|極真カラテ]]四段{{sfn|『極真カラテ総鑑』|2001|p=|loc=64「国際空手道連盟 極真会館 - 年度別昇段登録簿(国内)」}}・[[少林寺拳法]]弐段・[[乗馬]]・[[スキー]]を活かし、[[アクロバット|アクロバティック]]な[[スタント]]・[[擬斗]]・[[殺陣]]を[[吹き替え]]に任せず、自ら演じていたことが定評を得ている{{sfn|『SPORTS CITY』1981年第1巻第2号}}{{sfn|中村|1999|pp=173,179,182-183|loc=「極真空手三段 千葉真一」}}{{sfn|『戦国自衛隊』パンフレット|1979|p=21|loc=脇田巧彦「アクションに賭ける男・千葉真一」}}{{sfn|『キネマ旬報』1977年10月上旬号|pp=42-44}}{{sfn|『せんせい』パンフレット|1989|p=17}}<ref name="nikkansports20210820a">{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000016.html |title=【復刻・日曜のヒーロー】待っていて下さい 必ずや ハリウッドの千葉真一 |accessdate=2022-04-04 |date=2021-08-20 |website=nikkansports.com |work=日曜日のヒーロー |publisher=日刊スポーツ新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210823100552/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000016.html |archivedate=2021-08-23 |url-status=live}}</ref><ref name="sponichi20130126">{{Cite web2 |df=ja |url=http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/01/26/kiji/K20130126005063800.html |title=千葉真一 日体大から半世紀ぶり卒業証書 体操で五輪目指すも中退 |website=スポニチ Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2013-01-26 |accessdate=2013-01-27 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130127195902/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/01/26/kiji/K20130126005063800.html |archivedate=2013-01-27 |url-status=live}}</ref>{{efn2|name="元祖"|「82歳元祖アクションスター」『スポーツ報知』紙面 第11版、1頁<ref name="hochi20210820a">{{Cite news|和書|title=コロナ急変 千葉真一さん 力尽く |newspaper=[[スポーツ報知]] |date=2021-08-20 |url=https://hochi.news/articles/20210819-OHT1T51230.html?page=1 |accessdate=2022-04-04 |format=紙媒体 |publisher=[[報知新聞社]] |edition=第11版 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220404120321/https://hochi.news/articles/20210819-OHT1T51230.html?page=1 |archivedate=2022-04-04 |url-status=live}}</ref>。}}。芸能生活は半世紀以上の60年を越えており、[[映画]]・[[テレビドラマ]]・[[演劇]]など、計1,500本以上の作品に出演{{sfn|千葉|2021|p=303|loc=米谷紳之介「取材を終えて」}}<ref name="ryukyushimpo20220311">{{Cite news |title=千葉真一さんと沖縄 主演作から見る沖縄への視座 「沖縄やくざ」では三線、空手も |newspaper=[[琉球新報|琉球新報 DIGITAL]] |date=2022-03-11 |url=https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1483713.html |accessdate=2022-04-18 |publisher=琉球新報社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220311050605/https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1483713.html |archivedate=2022-03-11 |url-status=live}}</ref>。[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ]](JAC)の創設者で俳優・スタントマンの育成、監督として演出、製作にも携わり、幅広く活躍していた。 |
||
== 生涯 == |
== 生涯 == |
||
=== オリンピックを目指して === |
=== オリンピックを目指して === |
||
[[福岡県]][[福岡市]][[博多区]][[雑餉隈]]で二男三女の長男(第二子)として生誕 |
[[福岡県]][[福岡市]][[博多区]][[雑餉隈]]で二男三女の長男(第二子)として生誕{{sfn|千葉|2010|pp=81-82|loc=「気骨ある明治生まれの軍人、子供心に誇らしかった飛行機姿の親父」}}。4歳の時、[[千葉県]][[君津市]]へ転居{{sfn|千葉|2008|p=38|loc=「君津のガキ大将時代」}}。 |
||
(⇒ ''[[#家族]]'') |
|||
{{See also|[[#家族]]}} |
|||
中学生から[[体操競技|器械体操]]を始め<ref name = 千葉流89>[[#千葉2010|「厳しくも愛情ある指導、体操を始めるきっかけを作ってくれた松本先生」、89頁。]]</ref>、[[近代オリンピック|オリンピック]]で[[日本の国旗|日の丸]]を掲げたいという夢を抱くようになり<ref name = kamakura/><ref name = wakita/>、[[千葉県立木更津高等学校|千葉県立木更津第一高等学校]]へ入学後、1年生で全国大会上位入賞、3年生で全国大会優勝を成し遂げた<ref name = kamakura/><ref name = samurai9596>[[#千葉2010|「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」、95 - 96頁。]]</ref>。[[1957年]]、[[日本体育大学]][[体育学部]][[体育学科]]に進学<ref name = 映画com日体大/><ref name = スポニチ日体大/><ref name = 日刊日体大310>{{Cite news |title = 千葉真一が日体大から特別卒業認定 |newspaper = nikkansports.com |date = 2013-03-10 |url = http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20130310-1095776.html |accessdate = 2013-03-12 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130312020710/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20130310-1095776.html |archivedate = 2013-03-12 |url-status = live }}</ref><ref name = デイリー日体大1>{{Cite news |url = http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/03/10/0005803043.shtml |title = 千葉真一 半世紀がかりで日体大卒業 |newspaper = [[デイリースポーツ|デイリースポーツ online]] |publisher = [[神戸新聞社]] |date = 2013-03-11 |accessdate = 2013-03-12 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130312033752/http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/03/10/0005803043.shtml |archivedate = 2013-03-12 |url-status = live }}</ref>。2年生の時に{{Efn |name = 夏秋 |出典により、夏または秋としている。}}、[[跳馬]]を練習中に着地で失敗し、腰・両膝を痛めてしまう<ref name = 映画com日体大/><ref name = スポニチ日体大/><ref name = 近代映画123-126>{{Cite journal |和書 |year = 1970 |month = 11 |journal = 近代映画 |volume = |issue = |pages = 123 - 126 |publisher = [[近代映画社]] }}</ref><ref name = 報知日体大>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20130312032223/http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20130311-OHT1T00033.htm |date = 2013年3月12日 |title = 千葉真一、57年がかりで日体大を卒業 }}</ref>。医者から「1年間運動禁止」と宣告され<ref name = 映画com日体大/><ref name = デイリー日体大1/>、選手を続けることが困難となる<ref name = 映画com日体大/><ref name = スポニチ日体大/><ref name = デイリー日体大1/>。[[休学]]も検討したが、学費を工面できないので余儀なく退学した{{Efn |name = 日体大 |[[日本体育大学]]は「3年以上の在籍で100単位以上の取得。その後の社会的な活躍や貢献によって、特別卒業認定証を授与する」という新たな規約を設け、千葉を特別卒業認定証第1号とし、[[2013年]][[3月10日]]に[[卒業]]を認定<ref name = 映画com日体大/><ref name = スポニチ日体大/><ref name = 日刊日体大310/><ref name = 報知日体大/><ref>{{Cite news |url = http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/03/10/1p_0005803043.shtml |title = 千葉真一 半世紀がかりで日体大卒業 (Page 2) |newspaper = デイリースポーツ online |publisher = 神戸新聞社 |date = 2013-03-11 |accessdate = 2013-03-12 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210512134435/https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/03/10/1p_0005803043.shtml |archivedate = 2013-03-12 |url-status = live }}</ref>。在学時の成績は優が多く、教授会でも満場一致で同規約の適用を認めていた<ref name = 映画com日体大/><ref name = 日刊日体大311>{{Cite news |url = http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20130311-1096009.html |format = 紙面 |title = 千葉真一 日体大卒業「人生最高の喜び」 |newspaper = 日刊スポーツ |publisher = nikkansports.com |date = 2013-03-11 |accessdate = 2013-03-12 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130312015543/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20130311-1096009.html |archivedate = 2013-03-12 |url-status = live }}</ref>。}}。 |
|||
(⇒ ''[[#器械体操]]'') |
|||
中学生から[[体操競技|器械体操]]を始め{{sfn|千葉|2010|p=89|loc=「厳しくも愛情ある指導、体操を始めるきっかけを作ってくれた松本先生」}}、[[近代オリンピック|オリンピック]]で[[日本の国旗|日の丸]]を掲げたいという夢を抱くようになり{{sfn|『SPORTS CITY』1981年第1巻第2号}}{{sfn|『戦国自衛隊』パンフレット|1979|p=21|loc=脇田巧彦「アクションに賭ける男・千葉真一」}}、[[千葉県立木更津高等学校|千葉県立木更津第一高等学校]]へ入学後、1年生で全国大会上位入賞、3年生で全国大会優勝を成し遂げた{{sfn|『SPORTS CITY』1981年第1巻第2号}}{{sfn|千葉|2010|pp=95-96|loc=「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」}}。[[1957年]]、[[日本体育大学]][[体育学部]][[体育学科]]に進学<ref name="eigacom20130310" /><ref name="sponichi20130126" /><ref name="nikkansports20130310">{{Cite news|和書|title=千葉真一が日体大から特別卒業認定 |newspaper=nikkansports.com |date=2013-03-10 |url=http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20130310-1095776.html |accessdate=2013-03-12 |publisher=日刊スポーツ新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130312020710/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20130310-1095776.html |archivedate=2013-03-12 |url-status=live}}</ref><ref name="daily20130311">{{Cite news |url=http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/03/10/0005803043.shtml |title=千葉真一 半世紀がかりで日体大卒業 |newspaper=[[デイリースポーツ|デイリースポーツ online]] |publisher=[[神戸新聞社]] |date=2013-03-11 |accessdate=2013-03-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130312033752/http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/03/10/0005803043.shtml |archivedate=2013-03-12 |url-status=live}}</ref>。2年生の時に{{efn2|name="夏秋"|出典により、夏または秋としている。}}、[[跳馬]]を練習中に着地で失敗し、腰・両膝を痛めてしまう<ref name="eigacom20130310" /><ref name="sponichi20130126" />{{sfn|『近代映画』1970年11月号|p=123-126}}<ref name="hochi20130311">{{Cite web2 |df=ja |url=http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20130311-OHT1T00033.htm |title=千葉真一、57年がかりで日体大を卒業 |website=スポーツ報知 |publisher=報知新聞社 |date=2013-03-11 |accessdate=2013-03-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130312032223/http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20130311-OHT1T00033.htm |archivedate=2013-03-12}}</ref>。医者から「1年間運動禁止」と宣告され<ref name="eigacom20130310" /><ref name="daily20130311" />、選手を続けることが困難となる<ref name="eigacom20130310" /><ref name="sponichi20130126" /><ref name="daily20130311" />。[[休学]]も検討したが、学費を工面できないので余儀なく退学した{{efn2|name="日体大"|[[日本体育大学]]は「3年以上の在籍で100単位以上の取得。その後の社会的な活躍や貢献によって、特別卒業認定証を授与する」という新たな規約を設け、千葉を特別卒業認定証第1号とし、[[2013年]][[3月10日]]に[[卒業]]を認定<ref name="eigacom20130310" /><ref name="sponichi20130126" /><ref name="nikkansports20130310" /><ref name="hochi20130311" /><ref>{{Cite news |url=http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/03/10/1p_0005803043.shtml |title=千葉真一 半世紀がかりで日体大卒業 (Page 2) |newspaper=デイリースポーツ online |publisher=神戸新聞社 |date=2013-03-11 |accessdate=2013-03-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210512134435/https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/03/10/1p_0005803043.shtml |archivedate=2013-03-12 |url-status=live}}</ref>。在学時の成績は優が多く、教授会でも満場一致で同規約の適用を認めていた<ref name="eigacom20130310" /><ref name="nikkansports20130311">{{Cite news |url=http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20130311-1096009.html |format=紙面 |title=千葉真一 日体大卒業「人生最高の喜び」 |newspaper=日刊スポーツ |publisher=nikkansports.com |date=2013-03-11 |accessdate=2013-03-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130312015543/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20130311-1096009.html |archivedate=2013-03-12 |url-status=live}}</ref>。}}。 |
|||
{{See also|[[#器械体操]]}} |
|||
[[File:Sonny Chiba 1961.jpg|thumb|left|150px|[[ブロマイド]]([[1961年]])]] |
[[File:Sonny Chiba 1961.jpg|thumb|left|150px|[[ブロマイド]]([[1961年]])]] |
||
将来を模索し始めた千葉は実家に帰る途中の[[代々木駅]]で「東映第6期ニューフェイス募集!」のポスターを偶然見かける |
将来を模索し始めた千葉は実家に帰る途中の[[代々木駅]]で「東映第6期ニューフェイス募集!」のポスターを偶然見かける{{sfn|千葉|2010|pp=100-101|loc=「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」}}。地元に戻り、相談した親友も賛成してくれたことや{{sfn|千葉|2010|pp=100-101|loc=「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」}}、かつてミスタースポーツウエア・コンテストに入賞し{{sfn|『近代映画』1969年10月号臨時増刊|p=140|loc=「千葉真一 特集」}}、[[東映ニューフェイス]]を受験するよう勧められていたことから応募した{{sfn|千葉|2010|pp=100-101|loc=「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」}}{{sfn|『近代映画』1969年10月号臨時増刊|p=140|loc=「千葉真一 特集」}}。日本体育大学で器械体操をしていた経歴を珍しがられたが、2万6千人の応募からトップの成績で合格を果たす{{sfn|千葉|2010|pp=100-101|loc=「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」}}。 |
||
=== アクションスター === |
=== アクションスター === |
||
[[1959年]]、[[大学]]を[[中退]]して |
[[1959年]]、[[大学]]を[[中退]]して{{efn2|name="日体大"}}、[[東映]]へ入社。男性6名・女性14名の同期生には[[亀石征一郎]]・[[新井茂子]]・[[茅島成美]]・[[太地喜和子]]・[[真山知子]]・[[都築克子]]らがおり、[[俳優座]]で6か月の研修を受けた{{sfn|千葉|2008|p=60|loc=「そして、千葉真一になった」}}。[[1960年]][[1月7日]]に[[テレビドラマ]]『[[新 七色仮面]]』の二代目・蘭光太郎として[[主演]][[デビュー]]し、続けてテレビドラマ『[[アラーの使者]]』にも主演した。 |
||
(⇒ ''[[#変身ヒーロー]]'') |
|||
{{See also|[[#変身ヒーロー]]}} |
|||
[[File:Wandering Detective Tragedy in Red Valley 1.jpg|thumb|right|300px|『[[風来坊探偵 赤い谷の惨劇]]』で、[[ウィンチェスターライフル]]を手にする。左は[[北原しげみ]]。]] |
[[File:Wandering Detective Tragedy in Red Valley 1.jpg|thumb|right|300px|『[[風来坊探偵 赤い谷の惨劇]]』で、[[ウィンチェスターライフル]]を手にする。左は[[北原しげみ]]。]] |
||
[[1961年]]、[[中山昭二]]の代役で映画『[[警視庁物語|警視庁物語 不在証明(ありばい)]]』に出演後 |
[[1961年]]、[[中山昭二]]の代役で映画『[[警視庁物語|警視庁物語 不在証明(ありばい)]]』に出演後{{sfn|『月刊平凡』1970年 第26巻第3号|p=111|loc=「20人が証言する裸の千葉真一」}}、[[深作欣二]]の初監督映画『[[風来坊探偵 赤い谷の惨劇]]』に主演して、2期先輩の[[曽根晴美]]と「拳銃コンビ」の[[キャッチコピー]]で売り出された<ref>『東映の友』、[[1961年]]、[[東京国立近代美術館]]フイルムセンター4階図書室所蔵。</ref>。[[吹き替え]]なしで[[スタント]]をこなすことから{{sfn|『JAC特集号』|1982|pp=61-62|loc=「世界に通じるアクションスター育成」}}、「アクションができる素材に演技の磨きを増せば」と期待される新人であった{{sfn|『週刊実話特報』1961年 第3巻第8号|pp=3-6|loc=東映城に羽ばたく}}。 |
||
(⇒ ''[[#アクション映画]]'') |
|||
{{See also|[[#アクション映画]]}} |
|||
[[1962年]]は映画『[[事件記者シリーズ]]』の第1作『[[恐怖の魔女]]』に主演したほか、[[1963年]]には映画『[[八州遊侠伝 男の盃]]』で[[時代劇]]初出演や『事件記者シリーズ』の第2作『[[殺人鬼の誘惑]]』と『[[柔道一代シリーズ]]』第一作に主演。[[シングル]]「[[男一匹生きるなら]]」を[[発売|リリース]]して[[歌手]]デビューも果たした。 |
[[1962年]]は映画『[[事件記者シリーズ]]』の第1作『[[恐怖の魔女]]』に主演したほか、[[1963年]]には映画『[[八州遊侠伝 男の盃]]』で[[時代劇]]初出演や『事件記者シリーズ』の第2作『[[殺人鬼の誘惑]]』と『[[柔道一代シリーズ]]』第一作に主演。[[シングル]]「[[男一匹生きるなら]]」を[[発売|リリース]]して[[歌手]]デビューも果たした。 |
||
(⇒ ''[[#音楽]]'') |
|||
{{See also|[[#音楽]]}} |
|||
[[1966年]]、映画『[[カミカゼ野郎 真昼の決斗]]』([[日本映画|日]][[台湾映画|台]]合作)、映画『[[海底大戦争]]』(日[[アメリカ合衆国の映画|米]]合作)にそれぞれ主演し、国際的にも活動し始め、後に『[[東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯]]』([[1973年]]、日[[香港映画|香]][[タイの映画|泰]][[韓国映画|韓]]合作)、『[[激殺! 邪道拳]]』([[1977年]]、日香泰合作)、『[[ゴルゴ13 九竜の首]]』(1977年、日香合作)など、[[諸外国]]との共同作品に主演するきっかけになった。その合間に前年のテレビドラマ『[[暗闇五段|くらやみ五段]]』、[[遠藤実]]の自伝を映画化した『[[太陽に突っ走れ]]』、『[[子守唄シリーズ]]』、『[[河内遊侠伝]]』、『[[陸軍諜報33]]』など次々と主演していた。 |
[[1966年]]、映画『[[カミカゼ野郎 真昼の決斗]]』([[日本映画|日]][[台湾映画|台]]合作)、映画『[[海底大戦争]]』(日[[アメリカ合衆国の映画|米]]合作)にそれぞれ主演し、国際的にも活動し始め、後に『[[東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯]]』([[1973年]]、日[[香港映画|香]][[タイの映画|泰]][[韓国映画|韓]]合作)、『[[激殺! 邪道拳]]』([[1977年]]、日香泰合作)、『[[ゴルゴ13 九竜の首]]』(1977年、日香合作)など、[[諸外国]]との共同作品に主演するきっかけになった。その合間に前年のテレビドラマ『[[暗闇五段|くらやみ五段]]』、[[遠藤実]]の自伝を映画化した『[[太陽に突っ走れ]]』、『[[子守唄シリーズ]]』、『[[河内遊侠伝]]』、『[[陸軍諜報33]]』など次々と主演していた。 |
||
(⇒ ''[[#アクション映画]]'') |
|||
{{See also|[[#アクション映画]]}} |
|||
[[1968年]]からテレビドラマ『[[キイハンター]]』に主演。これまで誰も見たことのないスーパーアクションで人気をさらい、'''千葉ちゃん'''の愛称で一躍国民的アイドルとして親しまれた<ref name = kamakura/><ref name = ア芸キ>{{Cite web |url = http://www.asagei.com/9361 |title = 千葉真一、深作欣二の初監督の怒号に驚いた |accessdate = 2012-12-03 |date = 2012-11-27 |website = [[アサヒ芸能|アサ芸+]] |publisher = [[徳間書店]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20121129044436/http://www.asagei.com/9361 |archivedate = 2012-11-29 |url-status = live }}</ref><ref name = 壬生智裕>{{Cite web |author = 壬生智裕 |url = http://www.cinematoday.jp/page/N0049211 |title = 千葉真一、『仁義なき戦い』の野獣系ヤクザ・大友勝利は役者としての転機と明かす |accessdate = 2012-01-31 |date = 2013-01-13 |website = [[シネマトゥデイ]] |publisher = [[シネマトゥデイ (企業)|シネマトゥデイ]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130116051214/http://www.cinematoday.jp/page/N0049211 |archivedate = 2013-01-16 |url-status = live }}</ref><ref name = 映画com仁義>{{Cite web |url = http://eiga.com/news/20130112/12/ |title = 千葉真一「仁義なき戦い」秘話披露 深作欣二監督の命日に |accessdate = 2012-01-31 |date = 2013-01-12 |website = 映画.com |publisher = エイガ・ドット・コム |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130122013637/http://eiga.com/news/20130112/12/ |archivedate = 2013-01-22 |url-status = live }}</ref>{{Efn |[[1970年]]から放送されていた[[トヨタ・カリーナ]]の''CM''でも、「決まってるね、千葉ちゃん!」が使われていた。}}。 |
|||
(⇒ ''[[#キイハンター]]''・''[[#ファン]]'') |
|||
[[1968年]]からテレビドラマ『[[キイハンター]]』に主演。これまで誰も見たことのないスーパーアクションで人気をさらい、'''千葉ちゃん'''の愛称で一躍国民的アイドルとして親しまれた{{sfn|『SPORTS CITY』1981年第1巻第2号}}<ref name="asagei20121127">{{Cite web |url=http://www.asagei.com/9361 |title=千葉真一、深作欣二の初監督の怒号に驚いた |accessdate=2012-12-03 |date=2012-11-27 |website=[[アサヒ芸能|アサ芸+]] |publisher=[[徳間書店]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20121129044436/http://www.asagei.com/9361 |archivedate=2012-11-29 |url-status=live}}</ref><ref name="cinematoday20130113">{{Cite web |author="cinematoday20130113" |url=https://www.cinematoday.jp/page/N0049211 |title=千葉真一、『仁義なき戦い』の野獣系ヤクザ・大友勝利は役者としての転機と明かす |accessdate=2012-01-31 |date=2013-01-13 |website=[[シネマトゥデイ]] |publisher=[[シネマトゥデイ (企業)|シネマトゥデイ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130116051214/http://www.cinematoday.jp/page/N0049211 |archivedate=2013-01-16 |url-status=live}}</ref><ref name="eigacom20130112">{{Cite web |url=http://eiga.com/news/20130112/12/ |title=千葉真一「仁義なき戦い」秘話披露 深作欣二監督の命日に |accessdate=2012-01-31 |date=2013-01-12 |website=映画.com |publisher=エイガ・ドット・コム |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130122013637/http://eiga.com/news/20130112/12/ |archivedate=2013-01-22 |url-status=live}}</ref>{{efn2|[[1970年]]から放送されていた[[トヨタ・カリーナ]]のCMでも、「決まってるね、千葉ちゃん!」が使われていた。}}。 |
|||
{{See also|[[#キイハンター]]|[[#ファン]]}} |
|||
=== 転機 === |
=== 転機 === |
||
[[1969年]]、[[オールスター|オールスターキャスト]][[映画]]『[[日本暗殺秘録]]』では、[[小沼正]]に扮して[[主演]]した。『キイハンター』を休んで撮影に臨み、そのイメージから脱却しようとする演技は、同年の[[京都市民映画祭]]で主演男優賞を受賞 |
[[1969年]]、[[オールスター|オールスターキャスト]][[映画]]『[[日本暗殺秘録]]』では、[[小沼正]]に扮して[[主演]]した。『キイハンター』を休んで撮影に臨み、そのイメージから脱却しようとする演技は、同年の[[京都市民映画祭]]で主演男優賞を受賞{{sfn|千葉|2010|pp=33-35|loc=「テロリストの苛烈な生涯を演じた大作『日本暗殺秘録』」}}。『キイハンター』で人気者になるだけではなく、「様々な作品に出演していかなくてはいけない」と考え直す転機にもなっている{{sfn|千葉|2010|pp=33-35|loc=「テロリストの苛烈な生涯を演じた大作『日本暗殺秘録』」}}。 |
||
(⇒ ''[[#キイハンター]]'') |
|||
{{See also|[[#キイハンター]]}} |
|||
[[1970年]]、アクション・[[擬斗]]を演じる相手や[[スタント・パーソン|スタントマン]]の不足に悩み{{Efn |name = 講道館の鬼 |自分の役でもないのに「投げ飛ばされる」、「板にぶつかる」、「海に放り込まれる」など、幾度となく代わりに[[スタント]]を演じてきたので<ref>「千葉真一さん [[森末慎二]]さんの若さと元気のヒミツ“年齢に負けない鮫肝油のサラサラパワー”」『[[テレビショッピング]]』 2013年、[[エバーライフ]]。</ref>、[[吹き替え]]ができる人材の不足を憂いていた。}}、[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]で活躍するような[[俳優]]・スタントマンの育成、若年層の教育に関心を持っていたことから、[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ (''JAC'') ]]を創設した。 |
|||
(⇒ ''[[#ジャパンアクションクラブ (JAC)]]''・''[[#演劇]]'') |
|||
[[1970年]]、アクション・[[擬斗]]を演じる相手や[[スタント・パーソン|スタントマン]]の不足に悩み{{efn2|name="講道館の鬼"|自分の役でもないのに「投げ飛ばされる」、「板にぶつかる」、「海に放り込まれる」など、幾度となく代わりに[[スタント]]を演じてきたので<ref>「千葉真一さん [[森末慎二]]さんの若さと元気のヒミツ“年齢に負けない鮫肝油のサラサラパワー”」『[[テレビショッピング]]』 2013年、[[エバーライフ]]。</ref>、[[吹き替え]]ができる人材の不足を憂いていた。}}、[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]で活躍するような[[俳優]]・スタントマンの育成、若年層の教育に関心を持っていたことから、[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ]](JAC)を創設した。 |
|||
[[1973年]]の映画『[[仁義なき戦い 広島死闘篇]]』で演じた大友勝利はシリーズ中1, 2を争う名キャラクターとして人気をつかんでおり<ref name = 壬生智裕/><ref name = アサ芸仁義/><ref name = 仁義なき戦いPERFECTBOOK>{{Cite journal |和書 |year = 2003 |title = [[仁義なき戦い]] PERFECT BOOK |journal = [[別冊宝島]] |issue = 833 |pages = 12, 30 - 31頁 |publisher = [[宝島社]] }}</ref>、これ以降、他の[[ヤクザ映画]]でも「『[[仁義なき戦い]]』の千葉真一さんがやった大友勝利のような」と影響を与え続け、ヤクザ役のひな型となっている<ref name = アサ芸深作/>。 |
|||
(⇒ ''[[#ヤクザ映画]]'') |
|||
{{See also|[[#ジャパンアクションクラブ (JAC)]]|[[#演劇]]}} |
|||
『広島死闘篇』と同時進行で『[[柔道一代シリーズ]]』以来、10年ぶりの[[格闘技|格闘]]映画となる主演作品『[[ボディガード牙シリーズ]]』(1973年)の撮影に入り、続けて主演映画『[[殺人拳シリーズ]]』も[[クランクイン]]したため、『[[仁義なき戦い|仁義なき戦いシリーズ]]』の再出演は実現しなかった<ref name = kyoken>[[#千葉2010|「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』、48 - 49頁。]]</ref>。これ以降は格闘映画で主演作品が[[映画製作|製作]]され、[[極真会館|極真カラテ]]を修行して、[[黒帯]]を允許された技量が生かされることとなる。 |
|||
(⇒ ''[[#空手道]]'') |
|||
[[1973年]]の映画『[[仁義なき戦い 広島死闘篇]]』で演じた大友勝利はシリーズ中1, 2を争う名キャラクターとして人気をつかんでおり<ref name="cinematoday20130113" /><ref name="asagei20120202" />{{sfn|『仁義なき戦い PERFECT BOOK』}}、これ以降、他の[[ヤクザ映画]]でも「『[[仁義なき戦い]]』の千葉真一さんがやった大友勝利のような」と影響を与え続け、ヤクザ役のひな型となっている<ref name="asagei20121128" />。 |
|||
=== ''Sonny Chiba'' === |
|||
1973年に封切公開された[[映画]]『[[ボディガード牙シリーズ]]<ref name = 牙>{{Eiren|03000000371|『ボディガード牙』}}</ref>』を皮切りに、『[[殺人拳シリーズ]]<ref name = 高平哲郎/>』([[1974年]] - [[1976年]])、『[[地獄拳シリーズ]]<ref name = 高平哲郎/>』(1974年)、『[[少林寺拳法 (映画)|少林寺拳法]]』([[1975年]])、『[[けんか空手シリーズ]]<ref name = shinkainin>[[#活動屋|「『新幹線』も海外で人気」、68頁。]]</ref>』(1975年 - [[1977年]])、『[[激殺! 邪道拳]]』(1977年)と、前後して『[[やくざ刑事シリーズ]]<ref name = 子守唄>{{Cite web |url = http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20160318/enn1603180830008-n1.htm |title =【今だから明かす あの映画のウラ舞台】香港で出会った大スター 「千葉空手」生んだブルース・リーの死(1/2ページ)|accessdate = 2016-06-27 |date = 2016-03-18 |website = ZAKZAK |work = ★アクション編(上)|page = 1 |publisher = 産業経済新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20160627094751/http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20160318/enn1603180830008-n1.htm |archivedate = 2016-06-27 |url-status = live }}</ref>』([[1970年]] - [[1971年]])、『[[狼やくざシリーズ]]<ref name = 牙/><ref name = 直100館>[[#活動屋|「直営劇場を100館へ」、26頁。]]</ref>』(1971年 - [[1972年]])、『[[麻薬売春Gメンシリーズ]]<ref name = 牙/>』(1972年)や、[[小説]]・[[劇画]]を映画化した『[[ウルフガイ 燃えろ狼男]]』(1975年)、1977年は『[[空手バカ一代 (映画)|空手バカ一代]]』『[[ドーベルマン刑事#映画|ドーベルマン刑事]]』『[[ゴルゴ13 九竜の首]]<ref name = 九竜/>』など、数々の[[映画]]に[[主演]]。[[テレビドラマ]]『[[キイハンター]]』と同様の[[スタント]]に、[[空手道]]・[[拳法]]・[[体操競技|器械体操]]などが加わり、アクロバティックでスリリングとシャープな演技は好評を博した<ref name = kamakura/><ref name = 高平哲郎/><ref name = wakita/><ref name = 九竜/><ref name = 牙/><ref name = shinkainin/><ref name = 子守唄/><ref name = 直100館/><ref name = makaitensho>[[#パンフ冒険|「解説」、7頁。]]</ref><ref name = bokenshakamikaze>[[#パンフ冒険|「かいせつ」、16頁。]]</ref>。 |
|||
(⇒ ''[[#アクション映画]]'') |
|||
{{See also|[[#ヤクザ映画]]}} |
|||
中でも1974年に主演した『[[激突! 殺人拳]]』は国内のみならず、海外では『''[[w:The Street Fighter|The Street Fighter]]''』のタイトルで公開され、[[アメリカ合衆国|米国]]では[[日本映画]]として初めて[[興行収入]]100万ドル以上を記録<ref name = 殺人拳1/>。この成功は同国で最も権威のある総合情報週刊誌「''[[バラエティ (アメリカ合衆国の雑誌)|Variety]]''」の[[1974年]][[12月18日]]付にも掲載され、同誌が初めて日本映画を取り上げるという快挙を成し遂げている<ref name = brucelee>{{Cite news |title = 本家[[ブルース・リー]]をしのぐ千葉真一 |work = [[朝刊]] |newspaper = [[スポーツ報知|報知新聞]] |publisher = [[報知新聞社]] |date = 1974-12-27 }}</ref><ref name = variety>{{Cite journal |journal = [[バラエティ (アメリカ合衆国の雑誌)|バラエティ]] |language = [[英語]] |date = 1974年12月18日 }}</ref>。この頃から国際的に'''''[[w:Sonny Chiba|Sonny Chiba]]'''''(サニー ちば)という名前で認知されることとなり<ref group = 注釈 name = Sonny/><ref name = samurai11/><ref name = samurai51/><ref name = 高平哲郎/>、主演・出演する[[空手道|カラテ]]をメインにした格闘映画は続々と世界的に大ヒットした<ref name = senpro/><ref name = ライフタイム>{{Cite web |url = https://singafest.wordpress.com/page/2/ |title = Lifetime Achievement Award Tribute: Sonny Chiba |accessdate = 2015-07-29 |date = 2011-08-31 |publisher = Singafest 2011: LA's Newest International Asian Film Festival |language = [[英語]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20150729072131/https://singafest.wordpress.com/page/2/ |archivedate = 2015-07-29 |url-status = live }}</ref><ref name = 香港ゴルゴ>{{Cite journal |和書 |date = 1977-09-11 |title = “ゴルゴ13”香港ロケ 千葉真一 |journal = [[週刊明星]] |publisher = [[集英社]] }}</ref><ref name = シネマトリビューン>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20130124121631/http://cinetri.jp/report/raid0926/ |date = 2013年1月24日 |title =『ザ・レイド』最強格闘家たちが新宿でガチバトル!Berryz工房ももちも、必殺技で参戦!? }}</ref><ref name = oyaji>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20140308102825/http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=8389 |date = 2014年3月8日 |title = 親父 - 映画作品紹介 }}</ref>。海外でも著名人のファンは多い<ref name = 高平哲郎/><ref name = gaiden737983>[[#極真外伝|「極真空手三段 千葉真一」、173, 179, 183頁。]]</ref><ref name = アベンジャーズ>{{webarchive |url = https://archive.is/PL7v |date = 2013年11月5日 |title =「アベンジャーズ」サミュエル・L.ジャクソン、役作りの参考はソニー千葉(千葉真一)}}</ref><ref name = タランティーノ>[[町山智浩]] [[#キルビル|「クエンティン・タランティーノ」、17 - 18頁。]]</ref><ref name = キアヌ>{{webarchive |url = https://archive.is/20160623191254/http://www.yomiuri.co.jp/komachi/beauty/celeb/20131218-OYT8T00409.html |date = 2016年6月23日 |title = スリムボディーが復活 キアヌ・リーブス }}</ref><ref name = Keanu>{{Cite news |title = 千葉真一初対面でキアヌ大興奮、熱いリアクションに「かわいい」の声。|newspaper = [[ナリナリドットコム]] |date = 2015-10-06 |url = http://www.narinari.com/Nd/20151034070.html |accessdate = 2015-10-06 |publisher = [[Narinari.com]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20151006145020/http://www.narinari.com/Nd/20151034070.html |archivedate = 2015-10-06 |url-status = live }}</ref><ref name = 佐藤結>{{Cite journal |和書 |author = 佐藤結 |date = 2015-12-04 |title =『ベテラン』 対談 リュ・スンワン[監督]× 千葉真一 韓国・日本 両国の映画を愛する漢たちの語らい |journal = キネマ旬報 2015年12月下旬号 No.1705 |volume = 1705 |issue = 2519 |page = 70 |publisher = キネマ旬報社 }}</ref>。 |
|||
(⇒ ''[[#格闘映画]]''・''[[#ファン(海外)]]'') |
|||
『広島死闘篇』と同時進行で『[[柔道一代シリーズ]]』以来、10年ぶりの[[格闘技|格闘]]映画となる主演作品『[[ボディガード牙シリーズ]]』(1973年)の撮影に入り、続けて主演映画『[[殺人拳シリーズ]]』も[[クランクイン]]したため、『[[仁義なき戦い|仁義なき戦いシリーズ]]』の再出演は実現しなかった{{sfn|千葉|2010|pp=48-49|loc=「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』」}}。これ以降は格闘映画で主演作品が[[映画製作|製作]]され、[[極真会館|極真カラテ]]を修行して、[[黒帯]]を允許された技量が生かされることとなる。 |
|||
[[テレビ映画]]では『キイハンター』以降、『[[ザ・ボディガード]]』『[[ザ★ゴリラ7]]』『[[燃える捜査網]]』『[[大非常線]]』とアクション作品に主演。この頃、アメリカ・[[カリフォルニア州]]に聳える[[:w:Mammoth Mountain|マンモスマウンテン]]の[[バックカントリー]]を[[スキー]]で滑走しており、その姿は1974年[[5月6日]]に[[ドキュメンタリー]]『千葉真一 4,000メートルのマンモスマウンテンを滑る』([[テレビ東京|東京''12ch'']])や同年[[6月6日]]の『ザ・ボディガード』第10話「グランドキャニオンの殺人者」で、それぞれ放送されている{{Efn |『[[ザ★ゴリラ7]]』の[[クレジットタイトル|オープニングクレジット]]でも滑走している姿は全話流されており、それぞれの[[ボックス・セット#DVD-BOX|''DVD-BOX'']]で視聴できる。この滑走は[[オエノンホールディングス|合同酒精]]「ワリッカ」の[[コマーシャルメッセージ|CM]]で採用され、1979年の『[[バトルフィーバーJ]]』の1,2話エンディングで白石謙作(バトルコサック)が雪山を滑走するシーンにも流用されている<ref>『[[バトルフィーバーJ#映像ソフト化]]』([[東映ビデオ]])の1,2話より。</ref>。}}。前後して若手の育成に追われる日々となったが、1976年の映画『[[沖縄やくざ戦争]]』では[[京都市民映画祭]]の主演男優賞を受賞した。 |
|||
{{See also|[[#空手道]]}} |
|||
1977年4月に[[ハワイ州|ハワイ]]で開催された「日本代表[[極真会館]]チーム対ハワイ代表チーム」という[[フルコンタクト空手]]の対抗戦に参戦<ref name = kamakura/><ref name = whywin8384>[[#なぜ勝つ|「“極真”だけがなぜ勝つのか」、83 - 84頁。]]</ref>。180[[センチメートル|cm]]以上ある[[ネグロイド]]の[[アメリカ東海岸]]空手[[チャンピオン]]と戦い、[[蹴り技#種類|二段蹴り]]で[[ノックアウト|KO]]勝ちを収めた<ref name = kamakura/><ref name = gai174176>[[#極真外伝|「極真空手三段 千葉真一」、174 - 176頁。]]</ref><ref name = whywin8487>[[#なぜ勝つ|「“極真”だけがなぜ勝つのか」、84 - 87頁。]]</ref>。 |
|||
(⇒ ''[[#空手道]]'') |
|||
=== Sonny Chiba === |
|||
1973年に封切公開された[[映画]]『[[ボディガード牙シリーズ]]<ref name="映連_牙">{{Eiren|03000000371|『ボディガード牙』}}. {{accessdate|2023-11-12}}</ref>』を皮切りに、『[[殺人拳シリーズ]]<ref name="zakzak20110518" />』([[1974年]] - [[1976年]])、『[[地獄拳シリーズ]]<ref name="zakzak20110518" />』(1974年)、『[[少林寺拳法 (映画)|少林寺拳法]]』([[1975年]])、『[[けんか空手シリーズ]]{{sfn|『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』|2012|p=68|loc=「『[[新幹線大爆破|新幹線]]』も海外で人気」}}』(1975年 - [[1977年]])、『[[激殺! 邪道拳]]』(1977年)と、前後して『[[やくざ刑事シリーズ]]<ref name="zakzak20160318">{{Cite web |url=http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20160318/enn1603180830008-n1.htm |title=【今だから明かす あの映画のウラ舞台】香港で出会った大スター 「千葉空手」生んだブルース・リーの死(1/2ページ) - ★アクション編(上) |accessdate=2016-06-27 |date=2016-03-18 |website=zakzak:夕刊フジ公式サイト |publisher=産経デジタル |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160627094751/http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20160318/enn1603180830008-n1.htm |archivedate=2016-06-27 |url-status=live}}</ref>』([[1970年]] - [[1971年]])、『[[狼やくざシリーズ]]<ref name="映連_牙" />{{sfn|『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』|2012|p=26|loc=「直営劇場を100館へ」}}』(1971年 - [[1972年]])、『[[麻薬売春Gメンシリーズ]]<ref name="映連_牙" />』(1972年)や、[[小説]]・[[劇画]]を映画化した『[[ウルフガイ 燃えろ狼男]]』(1975年)、1977年は『[[空手バカ一代 (映画)|空手バカ一代]]』『[[ドーベルマン刑事#映画|ドーベルマン刑事]]』『[[ゴルゴ13 九竜の首]]{{sfn|『キネマ旬報』1977年10月上旬号|pp=42-44}}』など、数々の[[映画]]に[[主演]]。[[テレビドラマ]]『[[キイハンター]]』と同様の[[スタント]]に、[[空手道]]・[[拳法]]・[[体操競技|器械体操]]などが加わり、アクロバティックでスリリングとシャープな演技は好評を博した{{sfn|『SPORTS CITY』1981年第1巻第2号}}<ref name="zakzak20110518" />{{sfn|『戦国自衛隊』パンフレット|1979|p=21|loc=脇田巧彦「アクションに賭ける男・千葉真一」}}{{sfn|『キネマ旬報』1977年10月上旬号|pp=42-44}}<ref name="映連_牙" />{{sfn|『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』|2012|p=68|loc=「『[[新幹線大爆破|新幹線]]』も海外で人気」}}<ref name="zakzak20160318" />{{sfn|『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』|2012|p=26|loc=「直営劇場を100館へ」}}{{sfn|『冒険者カミカゼ』パンフレット|1981|p=7|loc=「解説」}}{{sfn|『冒険者カミカゼ』パンフレット|1981|p=16|loc=「かいせつ」}}。 |
|||
{{See also|[[#アクション映画]]}} |
|||
中でも1974年に主演した『[[激突! 殺人拳]]』は国内のみならず、海外では『''[[w:The Street Fighter|The Street Fighter]]''』のタイトルで公開され、[[アメリカ合衆国|米国]]では[[日本映画]]として初めて[[興行収入]]100万ドル以上を記録<ref name="nikkansports20210819" />。この成功は同国で最も権威のある総合情報週刊誌「''[[バラエティ (アメリカ合衆国の雑誌)|Variety]]''」の[[1974年]][[12月18日]]付にも掲載され、同誌が初めて日本映画を取り上げるという快挙を成し遂げている<ref name="報知新聞19741227">{{Cite news|和書|title=本家[[ブルース・リー]]をしのぐ千葉真一 |edition=朝刊 |newspaper=[[スポーツ報知|報知新聞]] |publisher=[[報知新聞社]] |date=1974-12-27}}</ref><ref name="『Variety』">{{Cite journal |journal=[[バラエティ (アメリカ合衆国の雑誌)|Variety]] |language-en-US |date=1974-12-18}}</ref>。この頃から国際的に'''''[[w:Sonny Chiba|Sonny Chiba]]'''''(サニー ちば)という名前で認知されることとなり{{efn2|name="Sonny"}}{{sfn|千葉|2010|p=11|loc=「序章」}}{{sfn|千葉|2010|p=51|loc=「全米でブルース・リーを超える興行収入、サニー千葉の名を広めた空手映画」}}<ref name="zakzak20110518" />、主演・出演する[[空手道|カラテ]]をメインにした格闘映画は続々と世界的に大ヒットした{{sfn|『戦国自衛隊』パンフレット|1979|p=30|loc=「プロフィール」}}<ref name="singafest20110831">{{Cite web |url=https://singafest.wordpress.com/page/2/ |title=Lifetime Achievement Award Tribute: Sonny Chiba |accessdate=2023-11-12 |date=2011-08-31 |publisher=Singafest 2011: LA's Newest International Asian Film Festival |language-en |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150729072131/https://singafest.wordpress.com/page/2/ |archivedate=2015-07-29 |url-status=live}}</ref><ref name="『週刊明星』">{{Cite journal|和書|date=1977-09-11 |title=“ゴルゴ13”香港ロケ 千葉真一 |journal=[[週刊明星]] |publisher=[[集英社]]}}</ref><ref name="cinetri20120927">{{Cite web2 |df=ja |url=http://cinetri.jp/report/raid0926/ |title=『ザ・レイド』最強格闘家たちが新宿でガチバトル!Berryz工房ももちも、必殺技で参戦!? |website="cinetri20120927" |date=2012-09-27 |accessdate=2013-01-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130124121631/http://cinetri.jp/report/raid0926/ |archivedate=2013-01-24 |url-status=live}}</ref><ref name="『親父』">{{Cite web2 |df=ja |url=http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=8389 |title=親父 - 映画作品紹介 |website=CINEMA TOPICS ONLINE |accessdate=2014-03-08 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140308102825/http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=8389 |archivedate=2014-03-08 |url-status=live}}</ref>。海外でも著名人のファンは多い<ref name="zakzak20110518" />{{sfn|中村|1999|pp=173,179,183|loc=「極真空手三段 千葉真一」}}{{sfn|中村|1999|pp=173,179,183|loc=「極真空手三段 千葉真一」}}<ref name="zakzak20120817">{{Cite web2 |df=ja |url=https://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20120817/enn1208171536009-n1.htm |title=サミュエル・L・ジャクソンを生直撃!千葉真一と大の仲良し |website=zakzak:夕刊フジ公式サイト |publisher=産経デジタル |date=2012-08-17 |accessdate=2023-11-12}}</ref><ref name="hollywood-ch20120426">{{Cite web2 |df=ja |url=http://www.hollywood-ch.com/news/12042608.html?cut_page=1 |title=「アベンジャーズ」サミュエル・L.ジャクソン、役作りの参考はソニー千葉(千葉真一) |website=ハリウッドチャンネル |date=2012-04-26 |accessdate=2012-04-26 |archiveurl=https://archive.is/PL7v |archivedate=2013-11-05}}</ref>{{sfn|『キル・ビル Vol.1』パンフレット|2003|pp=17-18|loc=「クエンティン・タランティーノ」([[町山智浩]])}}<ref name="yomiuri20131218">{{Cite web2 |df=ja |url=http://www.yomiuri.co.jp/komachi/beauty/celeb/20131218-OYT8T00409.html |title=スリムボディーが復活 キアヌ・リーブス |website=YOMIURI ONLINE 大手小町 |publisher=読売新聞社 |date=2013-12-18 |accessdate=2016-06-23 |archiveurl=https://archive.is/20160623191254/http://www.yomiuri.co.jp/komachi/beauty/celeb/20131218-OYT8T00409.html |archivedate=2016-06-23}}</ref><ref name="narinari20151006">{{Cite news |title=千葉真一初対面でキアヌ大興奮、熱いリアクションに「かわいい」の声。|newspaper=[[ナリナリドットコム]] |date=2015-10-06 |url=http://www.narinari.com/Nd/20151034070.html |accessdate=2015-10-06 |publisher=[[Narinari.com]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151006145020/http://www.narinari.com/Nd/20151034070.html |archivedate=2015-10-06 |url-status=live}}</ref>{{sfn|『キネマ旬報』2015年12月下旬号}}。 |
|||
{{See also|[[#格闘映画]]|[[#ファン(海外)]]}} |
|||
[[テレビ映画]]では『キイハンター』以降、『[[ザ・ボディガード]]』『[[ザ★ゴリラ7]]』『[[燃える捜査網]]』『[[大非常線]]』とアクション作品に主演。この頃、アメリカ・[[カリフォルニア州]]に聳える[[:w:Mammoth Mountain|マンモスマウンテン]]の[[バックカントリー]]を[[スキー]]で滑走しており、その姿は1974年[[5月6日]]に[[ドキュメンタリー]]『千葉真一 4,000メートルのマンモスマウンテンを滑る』([[テレビ東京|東京12ch]])や同年[[6月6日]]の『ザ・ボディガード』第10話「グランドキャニオンの殺人者」で、それぞれ放送されている{{efn2|『[[ザ★ゴリラ7]]』の[[クレジットタイトル|オープニングクレジット]]でも滑走している姿は全話流されており、それぞれの[[ボックス・セット#DVD-BOX|DVD-BOX]]で視聴できる。この滑走は[[オエノンホールディングス|合同酒精]]「ワリッカ」の[[コマーシャルメッセージ|CM]]で採用され、1979年の『[[バトルフィーバーJ]]』の1,2話エンディングで白石謙作(バトルコサック)が雪山を滑走するシーンにも流用されている<ref>『[[バトルフィーバーJ#映像ソフト化]]』([[東映ビデオ]])の1,2話より。</ref>。}}。前後して若手の育成に追われる日々となったが、1976年の映画『[[沖縄やくざ戦争]]』では[[京都市民映画祭]]の主演男優賞を受賞した。 |
|||
1977年4月に[[ハワイ州|ハワイ]]で開催された「日本代表[[極真会館]]チーム対ハワイ代表チーム」という[[フルコンタクト空手]]の対抗戦に参戦{{sfn|『SPORTS CITY』1981年第1巻第2号}}{{sfn|大山|1979|pp=83-84|loc=「“極真”だけがなぜ勝つのか」}}。180[[センチメートル|cm]]以上ある[[ネグロイド]]の[[アメリカ東海岸]]空手[[チャンピオン]]と戦い、[[蹴り技#種類|二段蹴り]]で[[ノックアウト|KO]]勝ちを収めた{{sfn|『SPORTS CITY』1981年第1巻第2号}}{{sfn|中村|1999|pp=174-176|loc=「極真空手三段 千葉真一」}}{{sfn|大山|1979|pp=85-87|loc=「“極真”だけがなぜ勝つのか」}}。 |
|||
{{See also|[[#空手道]]}} |
|||
=== ジャンルを越えた活躍 === |
=== ジャンルを越えた活躍 === |
||
名実共に[[日本]]を代表するアクションスターとして活躍していたが |
名実共に[[日本]]を代表するアクションスターとして活躍していたが{{sfn|『SPORTS CITY』1981年第1巻第2号}}{{sfn|『キネマ旬報』1977年10月上旬号|pp=42-44}}{{sfn|『冒険者カミカゼ』パンフレット|1981|p=7|loc=「解説」}}{{sfn|『冒険者カミカゼ』パンフレット|1981|p=16|loc=「かいせつ」}}、[[1978年]]から本格的に[[時代劇]]へ進出する。[[主演]][[映画]]『[[柳生一族の陰謀]]』は[[興行収入]]30億円以上の記録的大ヒットし<ref>{{Eiren|03000000934|『柳生一族の陰謀』}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.asagei.com/10838 |title=西郷輝彦、深作欣二作品の萬屋錦之介に身震い |accessdate=2013-01-31 |date=2012-12-12 |website=アサ芸+ |publisher=徳間書店 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130921053929/http://www.asagei.com/10838 |archivedate=2013-09-21 |url-status=live}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=関根忠郎 |coauthors=[[山根貞男]]・[[山田宏一]] |title=惹句術:映画のこころ |year=1986 |publisher=[[講談社]] |page=90 |isbn=4-0620-2005-X}}</ref><ref>{{Cite web2 |df=ja |url=http://www.toeich.jp/?act=program-detail&info_id=1T0000004447 |title=柳生一族の陰謀 (2008) |website=東映チャンネル |accessdate=2014-10-06 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20141006113224/http://www.toeich.jp/?act=program-detail&info_id=1T0000004447 |archivedate=2014-10-06}}</ref>、[[1979年]]に[[第2回日本アカデミー賞]]の優秀助演男優賞を受賞した。[[柳生宗矩|柳生但馬守宗矩]]([[若山富三郎]])・[[宮本武蔵]]([[緒形拳]])と華麗で凄みのある[[一騎討ち]]を披露した主演映画『[[魔界転生#1981年|魔界転生]]』([[1981年]])は観客動員数200万人・[[配給収入]]10.5億円を超し<ref>{{映連配給収入|1981}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.asagei.com/9406 |title=深作欣二「千葉ちゃん、ウソって観客に思わせたら負け」 |accessdate=2012-12-08 |date=2012-11-29 |work=アサ芸+ |publisher=徳間書店 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140728002453/http://www.asagei.com/9406 |archivedate=2014-07-28 |url-status=live}}</ref>、映画『[[赤穂城断絶]]』(1978年)、『[[闇の狩人#映画|闇の狩人]]』([[1979年]])、『[[里見八犬伝 (1983年の映画)|里見八犬伝]]』([[1983年]])、『[[必殺4 恨みはらします]]』([[1987年]])などにも出演。特に『柳生一族の陰謀』、『魔界転生』、[[テレビドラマ]]『[[柳生あばれ旅シリーズ]]』([[1980年]] - 1983年)の[[柳生三厳|柳生十兵衛三厳]]と<ref name="柳生一族の陰謀">{{asin|B000066AEO|title=柳生一族の陰謀 (DVD)}}. 的田也寸志によるレビュー。{{accessdate|2023-11-12}}</ref>{{sfn|『魔界転生』|1981|pp=24-25|loc=佐藤雅夫「プロダクション・ノート 魔界に祟られたスタジオ」}}<ref name="jidaigeki20080530">{{Cite web2 |df=ja |url=http://www.jidaigeki.com/forum/peri/yagyo/20080530_1800.html |title=『柳生十兵衛あばれ旅』 JJサニー千葉、十八番の十兵衛が大暴れ!志穂美悦子、真田広之など充実の顔ぶれ。 |website=時代劇専門チャンネル |date=2008-05-30 |accessdate=2016-03-05 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160305063652/http://www.jidaigeki.com/forum/peri/yagyo/20080530_1800.html |archivedate=2016-03-05}}</ref><ref name="jidaigeki20090731">{{Cite web2 |df=ja |url=http://www.jidaigeki.com/forum/peri/tagyo/20090731_1859.html |title=『徳川無頼帳』 西城秀樹の十兵衛とJJサニー千葉が握手! 強力コンビが吉原を根城に大暴れ。 |website=時代劇専門チャンネル |date=2009-07-31 |accessdate=2012-03-31 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120331003905/http://www.jidaigeki.com/forum/peri/tagyo/20090731_1859.html |archivedate=2012-03-31 |url-status=live}}</ref><ref name="柳生十兵衛七番勝負">{{Cite web2 |df=ja |url=http://www.jidaigeki.com/program/detail/jd11000432.html |title=柳生十兵衛七番勝負 |website=時代劇専門チャンネル |accessdate=2012-06-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120610061606/http://www.jidaigeki.com/program/detail/jd11000432.html |archivedate=2012-06-10 |url-status=live}}</ref>、傑作と評価されている『[[服部半蔵 影の軍団|影の軍団シリーズ]]{{sfn|『ちゃんばらクロニクル』|1999|p=256|loc=「ウーマンパワーの席捲」}}』(1980年 - [[1985年]])の[[服部半蔵]]は<ref name="服部半蔵_影の軍団">{{Cite web2 |df=ja |url=https://www.jidaigeki.com/program/detail/jd00007489.html |title=服部半蔵 影の軍団 |website=時代劇専門チャンネル |accessdate=2021-10-01 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20211001010124/https://www.jidaigeki.com/program/detail/jd00007489.html |archivedate=2021-10-01 |url-status=live}}</ref><ref name="doraku">{{Cite web2 |df=ja |url=http://doraku.asahi.com/ad/clients/jidaigeki/index.html |title=7月1日 あなたの思い出と共にあの時代劇が甦る! |website=どらく |publisher=日本映画放送 |accessdate=2013-04-25 |archiveurl=https://archive.is/mdjfN |archivedate=2013-04-25 |url-status=live}}</ref>、[[十八番]]である<ref name="柳生一族の陰謀" />{{sfn|『魔界転生』|1981|pp=24-25|loc=佐藤雅夫「プロダクション・ノート 魔界に祟られたスタジオ」}}<ref name="jidaigeki20080530" /><ref name="jidaigeki20090731" /><ref name="柳生十兵衛七番勝負" /><ref name="服部半蔵_影の軍団" /><ref name="doraku" />。 |
||
(⇒ ''[[#時代劇]]'') |
|||
{{See also|[[#時代劇]]}} |
|||
1979年には芸能生活20周年記念作品である映画『[[戦国自衛隊 (映画)|戦国自衛隊]]』で<ref name = 戦自プロノー26>[[#パンフ戦国|「プロダクションノート」、26頁。]]</ref>、主演と[[日本映画]]初の[[アクション監督]]を兼務し<ref name = senpro/>、[[配給収入]]で13.5億円のヒットをした<ref>{{映連配給収入|1980}}</ref>。その[[演出]]が評価され、1980年に[[ブルーリボン賞 (映画)#第23回(1980年度)|ブルーリボン賞]]のスタッフ賞を受賞した。[[1981年]]の主演映画『[[冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-|冒険者カミカゼ ''-ADVENTURER KAMIKAZE-'']]』は自ら企画し<ref name = Hoshina>[[#パンフ冒険|保科幸雄 「高鳴る!冒険者たちのメロディ 燃える夢喰い男・千葉真一」、3 - 5頁。]]</ref>、『[[忍者武芸帖 百地三太夫]]』(1980年)と『[[吼えろ鉄拳]]』(1981年)で出演とアクション監督を兼務。[[1989年]]の『[[将軍家光の乱心 激突]]』でも出演とアクション監督を兼ね、この作品は[[第39回ベルリン国際映画祭]]に招待された。[[1990年]]には[[映画プロデューサー|プロデューサー]]と初の[[映画監督|監督]]を兼ねた映画『[[リメインズ 美しき勇者たち]]』を手がけ、アクション映画の全盛期を牽引していた。 |
|||
(⇒ ''[[#アクション映画]]'') |
|||
1979年には芸能生活20周年記念作品である映画『[[戦国自衛隊 (映画)|戦国自衛隊]]』で{{sfn|『戦国自衛隊』パンフレット|1979|p=26|loc=「プロダクションノート」}}、主演と[[日本映画]]初の[[アクション監督]]を兼務し{{sfn|『戦国自衛隊』パンフレット|1979|p=30|loc=「プロフィール」}}、[[配給収入]]で13.5億円のヒットをした<ref>{{映連配給収入|1980}}</ref>。その[[演出]]が評価され、1980年に[[ブルーリボン賞 (映画)#第23回(1980年度)|ブルーリボン賞]]のスタッフ賞を受賞した。[[1981年]]の主演映画『[[冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-]]』は自ら企画し{{sfn|『冒険者カミカゼ』パンフレット|1981|pp=3-5|loc=保科幸雄「高鳴る!冒険者たちのメロディ 燃える夢喰い男・千葉真一」}}、『[[忍者武芸帖 百地三太夫]]』(1980年)と『[[吼えろ鉄拳]]』(1981年)で出演とアクション監督を兼務。[[1989年]]の『[[将軍家光の乱心 激突]]』でも出演とアクション監督を兼ね、この作品は[[第39回ベルリン国際映画祭]]に招待された。[[1990年]]には[[映画プロデューサー|プロデューサー]]と初の[[映画監督|監督]]を兼ねた映画『[[リメインズ 美しき勇者たち]]』を手がけ、アクション映画の全盛期を牽引していた。 |
|||
1981年から[[演劇]]にも進出し、[[ミュージカル]]『[[ゆかいな海賊大冒険]]』([[1982年]] - [[1984年]])<ref name = コマ酒井>[[#酔いどれ|「ごあいさつ 株式会社コマ・スタジアム専務取締役・酒井肇」、35頁。]]</ref>、『[[酔いどれ公爵]]』(1985年)など複数の作品を企画・演出・主演し、''JAC''ミュージカルとして定期的に公演した。[[新宿コマ劇場]]の観客動員数では、3年間にわたって[[満員御礼]]となる記録的な成功を収めている<ref name = コマ酒井/>。 |
|||
(⇒ ''[[#ジャパンアクションクラブ (JAC)]]''・''[[#演劇]]'') |
|||
{{See also|[[#アクション映画]]}} |
|||
1981年から[[演劇]]にも進出し、[[ミュージカル]]『[[ゆかいな海賊大冒険]]』([[1982年]] - [[1984年]]){{sfn|『酔いどれ公爵』パンフレット|1985|p=35|loc=「ごあいさつ 株式会社コマ・スタジアム専務取締役・酒井肇」}}、『[[酔いどれ公爵]]』(1985年)など複数の作品を企画・演出・主演し、JACミュージカルとして定期的に公演した。[[新宿コマ劇場]]の観客動員数では、3年間にわたって[[満員御礼]]となる記録的な成功を収めている{{sfn|『酔いどれ公爵』パンフレット|1985|p=35|loc=「ごあいさつ 株式会社コマ・スタジアム専務取締役・酒井肇」}}。 |
|||
{{See also|[[#ジャパンアクションクラブ (JAC)]]|[[#演劇]]}} |
|||
[[1970年代]]から[[1980年代]]にかけて、テレビドラマ『[[七色とんがらし]]』(1976年)や『[[十字路 (1978年のテレビドラマ)|十字路]]』(1978年)、『[[深夜にようこそ]]』(1986年)、『[[夢に見た日々]]』(1989年)の[[ホームドラマ]]にも主演。[[1982年]]には[[楽曲]]「[[誓い(JACのテーマ)]]」を[[作詞]]、1985年には10年ぶりに[[歌手]]としてリリースした「[[曠野 (曲)|曠野]]」の[[作曲]]も手がけ、俳優・歌手に留まらない映画監督・映画プロデューサー・[[作詞家]]・[[作曲家]]など、その活躍ぶりはジャンルを越えて幅広いものであった。 |
[[1970年代]]から[[1980年代]]にかけて、テレビドラマ『[[七色とんがらし]]』(1976年)や『[[十字路 (1978年のテレビドラマ)|十字路]]』(1978年)、『[[深夜にようこそ]]』(1986年)、『[[夢に見た日々]]』(1989年)の[[ホームドラマ]]にも主演。[[1982年]]には[[楽曲]]「[[誓い(JACのテーマ)]]」を[[作詞]]、1985年には10年ぶりに[[歌手]]としてリリースした「[[曠野 (曲)|曠野]]」の[[作曲]]も手がけ、俳優・歌手に留まらない映画監督・映画プロデューサー・[[作詞家]]・[[作曲家]]など、その活躍ぶりはジャンルを越えて幅広いものであった。 |
||
(⇒ ''[[#音楽]]''・''[[#人間ドラマ]]'') |
|||
{{See also|[[#音楽]]|[[#人間ドラマ]]}} |
|||
=== 海外進出 === |
=== 海外進出 === |
||
[[File:Sonny Chiba.jpg|thumb|left|150px|[[w:Hawaii International Film Festival|ハワイ国際映画祭]](2005年)]] |
[[File:Sonny Chiba.jpg|thumb|left|150px|[[w:Hawaii International Film Festival|ハワイ国際映画祭]](2005年)]] |
||
[[日本]]と[[諸外国]]との合作[[映画]]『[[カミカゼ野郎 真昼の決斗]]』、『[[海底大戦争]]』<ref name |
[[日本]]と[[諸外国]]との合作[[映画]]『[[カミカゼ野郎 真昼の決斗]]』、『[[海底大戦争]]』<ref name="jiji20210820">{{Cite news |title=千葉真一さん死去 アクション俳優、82歳 - 新型コロナに感染 |newspaper=[[時事通信社|時事ドットコムニュース]] |date=2021-08-20 |url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2021081901170&g=soc |accessdate=2022-04-04 |agency=[[時事通信社]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210828180721/https://www.jiji.com/jc/article?k=2021081901170&g=soc |archivedate=2021-08-28 |url-status=live}}</ref>、『[[東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯]]』、『[[激殺! 邪道拳]]』、『[[ゴルゴ13 九竜の首]]』などに[[主演]]し、『[[武士道ブレード]]』([[1981年]]、[[イギリスの映画|英]][[アメリカ合衆国の映画|米]]合作)にも出演。1970年代半ばには[[フランシス・フォード・コッポラ]]が「千葉真一と[[アル・パチーノ]]の共演で映画を[[製作]]したい」と[[東映]]にオファーしたが{{sfn|『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』|2012|p=68|loc=「『[[新幹線大爆破|新幹線]]』も海外で人気」}}、[[岡田茂 (東映)|岡田茂]]は了承せず<ref name="nikkansports20210820a" />、関係者には「本格的な海外作品の出演をあきらめた」と思われていた<ref name="nikkansports20210820a" />。しかし水面下のアピールや主演映画の評判などで、[[1990年]]頃から[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]の出演依頼が届き始めていた<ref name="nikkansports20210820a" />。折しも[[ロサンゼルス]]では映画『[[激突! 殺人拳]]』(1974年)、『[[子連れ殺人拳]]』(1976年)など、14本の主演格闘映画が[[リバイバル]]公開されていた<ref>{{Cite news |title=「カラテのチバ」15年ぶりリバイバルで脚光 ハリウッド映画主演 千葉真一 再び旋風だ |newspaper=[[スポーツニッポン]] |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=1991-03-26}}</ref>。 |
||
(⇒ ''[[#格闘映画]]'') |
|||
{{See also|[[#格闘映画]]}} |
|||
[[1991年]]、[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ (''JAC'') ]]の売却を経て、[[1992年]]にアメリカ映画『[[エイセス / 大空の誓い]]』に出演。これを機に拠点をロサンゼルスへ移して、[[アメリカ]]でも[[俳優]]活動をするようになり、[[永住権#アメリカ合衆国|グリーンカード]]も取得した<ref name = スポニチ急死>{{Cite news |title = 千葉真一さん急死 82歳 コロナで入院中容体悪化「元気だった」のに… |newspaper = スポニチ Sponichi Annex |date = 2021-08-20 |url = https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000152000c.html |accessdate = 2022-04-04 |publisher = スポーツニッポン新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821102603/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000152000c.html |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref><ref>[[#千葉2010|「苦しかったアメリカ移住後の最初の数年間」、246頁。]]</ref>。[[日本]]未公開作品のアクション映画もあるが、長年の経験で培ったそのアクションは高く評価されている<ref name = gai173179182183/><ref>[[#キルビル|「''SONNY CHIBA'' プロフィール」、27頁。]]</ref>。 |
|||
(⇒ ''[[#外国作品]]'') |
|||
[[1991年]]、[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ]](JAC)の売却を経て、[[1992年]]にアメリカ映画『[[エイセス / 大空の誓い]]』に出演。これを機に拠点をロサンゼルスへ移して、[[アメリカ]]でも[[俳優]]活動をするようになり、[[永住権#アメリカ合衆国|グリーンカード]]も取得した<ref name="sponichi20210820a">{{Cite news |title=千葉真一さん急死 82歳 コロナで入院中容体悪化「元気だった」のに… |newspaper=スポニチ Sponichi Annex |date=2021-08-20 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000152000c.html |accessdate=2022-04-04 |publisher=スポーツニッポン新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210821102603/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000152000c.html |archivedate=2021-08-20 |url-status=live}}</ref>{{sfn|千葉|2010|p=246|loc=「苦しかったアメリカ移住後の最初の数年間」}}。[[日本]]未公開作品のアクション映画もあるが、長年の経験で培ったそのアクションは高く評価されている{{sfn|中村|1999|pp=173,179,182-183|loc=「極真空手三段 千葉真一」}}{{sfn|『キル・ビル Vol.1』パンフレット|2003|p=27|loc=「SONNY CHIBA プロフィール」}}。 |
|||
{{See also|[[#外国作品]]}} |
|||
[[1998年]]に出演した[[香港映画]]『[[風雲 ストームライダーズ]]』では、ラスボス“雄覇(ホンパ / ホンファ)”を演じた。[[原作]]のイメージを彷彿とさせるその演技は話題に上り、翌年の第18回[[香港電影金像奨]]では、[[外国人]]として初めて[[w:18th Hong Kong Film Awards#Best Actor|優秀主演男優賞]]にもノミネートされた。[[2001年]]には[[台湾]]でも連続ドラマ化された。 |
[[1998年]]に出演した[[香港映画]]『[[風雲 ストームライダーズ]]』では、ラスボス“雄覇(ホンパ / ホンファ)”を演じた。[[原作]]のイメージを彷彿とさせるその演技は話題に上り、翌年の第18回[[香港電影金像奨]]では、[[外国人]]として初めて[[w:18th Hong Kong Film Awards#Best Actor|優秀主演男優賞]]にもノミネートされた。[[2001年]]には[[台湾]]でも連続ドラマ化された。 |
||
(⇒ ''[[#外国作品]]'') |
|||
{{See also|[[#外国作品]]}} |
|||
[[2003年]]、友人でもある[[クエンティン・タランティーノ]]のアメリカ映画『[[キル・ビル]]』シリーズでは出演と、[[ユマ・サーマン]]、[[ルーシー・リュー]]らハリウッドスターへ[[剣術]]指導をした<ref name = killintro11>[[#キルビル|「''INTRODUCTION''」、11頁。]]</ref>。[[第30回サターン賞]]では『キル・ビル』で[[第30回サターン賞#助演男優賞|助演男優賞]]にノミネートされた。 |
|||
(⇒ ''[[#外国作品]]'') |
|||
[[2003年]]、友人でもある[[クエンティン・タランティーノ]]のアメリカ映画『[[キル・ビル]]』シリーズでは出演と、[[ユマ・サーマン]]、[[ルーシー・リュー]]らハリウッドスターへ[[剣術]]指導をした{{sfn|『キル・ビル Vol.1』パンフレット|2003|p=11|loc=「INTRODUCTION」}}。[[第30回サターン賞]]では『キル・ビル』で[[第30回サターン賞#助演男優賞|助演男優賞]]にノミネートされた。 |
|||
{{See also|[[#外国作品]]}} |
|||
[[2005年]][[10月29日]]に開催された[[w:Hawaii International Film Festival|ハワイ国際映画祭]]では、これまでの功績を讃えた |
[[2005年]][[10月29日]]に開催された[[w:Hawaii International Film Festival|ハワイ国際映画祭]]では、これまでの功績を讃えた“MAVERICK AWARD”を受賞した{{efn2|「59年デビュー」『スポーツ報知』紙面 第11版、1頁<ref name="hochi20210820a" />。}}。 |
||
[[File:Shinichi Chiba and Yoichi Masuzoe 200711.jpg|thumb|right|200px|「健康大使」任命時(2007年)。右は[[舛添要一]]。]] |
[[File:Shinichi Chiba and Yoichi Masuzoe 200711.jpg|thumb|right|200px|「健康大使」任命時(2007年)。右は[[舛添要一]]。]] |
||
[[2007年]]、[[英国放送協会]]製作の、日本をテーマにした[[ドキュメンタリー番組]]『''[[Japanorama]]''』に出演。「''Densetsu'' (''Legends'')」([[伝説]])をテーマにした回で取り上げられ、[[4月9日]]に放送された。同年の大河ドラマ『[[風林火山 (NHK大河ドラマ)|風林火山]]』に[[板垣信方]]役で出演。 11月には[[海外]]で[[通称]]としていた'''''JJ Sonny Chiba'''''(JJ サニー チバ)を日本でも使うようになり<ref name = 舞台挨拶/><ref group = 注釈 name = Sonny/>、'''和千永 倫道'''(わちなが りんどう)の名で、[[映画監督|映画監督業]]への進出を表明した<ref name = 和千永12/>。母親の旧姓・和智永(わちなが)と千葉を併せ、「人の道」を由来としたものである<ref name = 和千永12/>。[[11月26日]]には[[厚生労働省]]から「健康大使」にも任命された<ref>{{Cite web |url = http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/11/h1126-3.html |title = 「健康大使」の任命について |accessdate = 2010-10-09 |date = 2007-11-26 |website = 健康局総務課生活習慣病対策室 |publisher = [[厚生労働省]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20080516044255/http://www.mhlw.go.jp:80/houdou/2007/11/h1126-3.html |archivedate = 2008-05-16 |url-status = live }}</ref>。[[2008年]][[10月]]から[[2009年]]3月まで[[京都造形芸術大学]]の[[教授]]を務めた<ref>{{Cite news |title = 俳優の千葉真一さん死去、82歳 新型コロナで入院中 |newspaper = [[朝日新聞デジタル]] |date = 2021-08-19 |url = https://www.asahi.com/articles/ASP8M7H62P8MUCLV00W.html |accessdate = 2022-03-28 |publisher = [[朝日新聞社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210819185729/https://www.asahi.com/articles/ASP8M7H62P8MUCLV00W.html |archivedate = 2021-08-19 |url-status = live }}</ref>。 |
|||
[[2007年]]、[[英国放送協会]]製作の、日本をテーマにした[[ドキュメンタリー番組]]『[[Japanorama]]』に出演。「Densetsu (Legends)」(伝説)をテーマにした回で取り上げられ、[[4月9日]]に放送された。同年の大河ドラマ『[[風林火山 (NHK大河ドラマ)|風林火山]]』に[[板垣信方]]役で出演。 11月には[[海外]]で[[通称]]としていた'''''JJ Sonny Chiba'''''(JJ サニー チバ)を日本でも使うようになり{{sfn|『新・影の軍団 最終章』|2005|loc=特典映像「劇場初日舞台挨拶」}}{{efn2|name="Sonny"}}、'''和千永 倫道'''(わちなが りんどう)の名で、[[映画監督|映画監督業]]への進出を表明した{{sfn|千葉|2008|p=12|loc=「千葉真一、引退宣言の真相」}}。母親の旧姓・和智永(わちなが)と千葉を併せ、「人の道」を由来としたものである{{sfn|千葉|2008|p=12|loc=「千葉真一、引退宣言の真相」}}。[[11月26日]]には[[厚生労働省]]から「健康大使」にも任命された<ref>{{Cite web |url=http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/11/h1126-3.html |title=「健康大使」の任命について |accessdate=2010-10-09 |date=2007-11-26 |website=健康局総務課生活習慣病対策室 |publisher=[[厚生労働省]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080516044255/http://www.mhlw.go.jp:80/houdou/2007/11/h1126-3.html |archivedate=2008-05-16 |url-status=live}}</ref>。[[2008年]][[10月]]から[[2009年]]3月まで[[京都造形芸術大学]]の[[教授]]を務めた<ref>{{Cite news |title=俳優の千葉真一さん死去、82歳 新型コロナで入院中 |newspaper=[[朝日新聞デジタル]] |date=2021-08-19 |url=https://www.asahi.com/articles/ASP8M7H62P8MUCLV00W.html |accessdate=2022-03-28 |publisher=[[朝日新聞社]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210819185729/https://www.asahi.com/articles/ASP8M7H62P8MUCLV00W.html |archivedate=2021-08-19 |url-status=live}}</ref>。 |
|||
=== 2010年代 === |
=== 2010年代 === |
||
[[2010年]]10月22日には[[東京]]・[[グランドプリンスホテル赤坂]]で、結婚披露宴を兼ねた芸能生活50周年記念式典を開いた。もともとは[[アントニオ猪木]]・[[池谷幸雄]]・[[石田純一]]・[[市川猿之助 (4代目)|市川亀治郎]]・[[今井雅之]]・[[内野聖陽]]・[[梅宮辰夫]]・[[岡崎二朗]]・[[ガッツ石松]]・[[川地民夫]]・[[神取忍]]・[[樹木希林]]・[[北の湖敏満]]・[[京本政樹]]・[[具志堅用高]]・[[郷田勇三]]・[[小林幸子]]・[[コロッケ (タレント)|コロッケ]]・[[高橋英樹 (俳優)|高橋英樹]]・[[竹本直一]]・[[田中好子]]・[[谷村新司]]・[[津川雅彦]]・[[十朱幸代]]・[[夏八木勲]]・[[白竜 (俳優)|白竜]]・[[張本勲]]・[[布施明]]・[[風吹ジュン]]・[[松井章圭]]・[[松坂慶子]]・[[美川憲一]]・[[三田佳子]]・[[やまさき十三]]・[[山本徳郁|山本KID徳郁]]・[[横峯良郎]]・[[ラモス瑠偉]]ら計60名を発起人とした芸能生活50周年記念式典が先に決まっていたところ、現妻と挙式や披露宴をしていなかったため、千葉の要望で記念式典と合わせて企画された<ref name |
[[2010年]]10月22日には[[東京]]・[[グランドプリンスホテル赤坂]]で、結婚披露宴を兼ねた芸能生活50周年記念式典を開いた。もともとは[[アントニオ猪木]]・[[池谷幸雄]]・[[石田純一]]・[[市川猿之助 (4代目)|市川亀治郎]]・[[今井雅之]]・[[内野聖陽]]・[[梅宮辰夫]]・[[岡崎二朗]]・[[ガッツ石松]]・[[川地民夫]]・[[神取忍]]・[[樹木希林]]・[[北の湖敏満]]・[[京本政樹]]・[[具志堅用高]]・[[郷田勇三]]・[[小林幸子]]・[[コロッケ (タレント)|コロッケ]]・[[高橋英樹 (俳優)|高橋英樹]]・[[竹本直一]]・[[田中好子]]・[[谷村新司]]・[[津川雅彦]]・[[十朱幸代]]・[[夏八木勲]]・[[白竜 (俳優)|白竜]]・[[張本勲]]・[[布施明]]・[[風吹ジュン]]・[[松井章圭]]・[[松坂慶子]]・[[美川憲一]]・[[三田佳子]]・[[やまさき十三]]・[[山本徳郁|山本KID徳郁]]・[[横峯良郎]]・[[ラモス瑠偉]]ら計60名を発起人とした芸能生活50周年記念式典が先に決まっていたところ、現妻と挙式や披露宴をしていなかったため、千葉の要望で記念式典と合わせて企画された<ref name="daily20101022">{{Cite web2 |df=ja |url=http://www.daily.co.jp/newsflash/2010/10/22/0003551224.shtml |title=千葉真一が結婚披露宴&芸能生活50周年式典 |website=デイリースポーツ online |publisher=デイリースポーツ |date=2010-10-22 |accessdate=2010-10-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20101024215817/http://www.daily.co.jp/newsflash/2010/10/22/0003551224.shtml |archivedate=2010-10-24}}</ref><ref name="nikkansports20101023">{{Cite news |title=千葉真一が子供と披露宴&50周年式典 |newspaper=nikkansports.com |date=2010-10-23 |url=http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20101023-693233.html |accessdate=2010-11-01 |publisher=日刊スポーツ新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130614094700/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20101023-693233.html |archivedate=2013-06-14 |url-status=live}}</ref><ref name="chunichi20101023">{{Cite web2 |df=ja |url=http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2010102302000097.html |title=千葉真一 家族初お披露目 結婚15年目の披露宴 |website=中日スポーツ・東京中日スポーツ |publisher=中日新聞社 |date=2010-10-23 |accessdate=2010-10-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20101024205329/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2010102302000097.html |archivedate=2010-10-24}}</ref><ref name="daily20101023">{{Cite web2 |df=ja |url=http://www.daily.co.jp/gossip/article/2010/10/23/0003551597.shtml |title=千葉真一、嫁さんLOVE! 結婚披露宴 |website=デイリースポーツ online |publisher=デイリースポーツ |date=2010-10-23 |accessdate=2010-10-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20101024202254/http://www.daily.co.jp/gossip/article/2010/10/23/0003551597.shtml |archivedate=2010-10-24}}</ref><ref name="sponichi20101023">{{Cite web2 |df=ja |url=http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2010/10/23/11.html |title=千葉真一 芸能生活50周年式典で結婚披露宴 |website=スポニチ Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2010-10-23 |accessdate=2010-10-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20101024095722/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2010/10/23/11.html |archivedate=2010-10-24}}</ref><ref name="hochi20101023">{{Cite web2 |df=ja |url=http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20101023-OHT1T00013.htm |title=千葉真一Jr. お披露目…結婚披露宴に600人が出席 |website=スポーツ報知 |publisher=報知新聞社 |date=2010-10-23 |accessdate=2010-10-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20101024151559/http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20101023-OHT1T00013.htm |archivedate=2010-10-24}}</ref><ref name="『ミヤネ屋』">{{Cite episode |df=ja |title=JJサニー千葉 結婚披露宴 将来のハリウッドスター!? 息子たちの素顔 |series=情報ライブ ミヤネ屋 |series-link=情報ライブ ミヤネ屋 |network=[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]] |station=[[讀賣テレビ放送|ytv]] |airdate=2010-10-25 |minutes=14:32 - 14:41}}</ref>。前半の披露宴には家族でキャンドル点灯のほか、長女・[[真瀬樹里]]は父への尊敬とお祝いの挨拶が行われ<ref name="sponichi20101023" />、[[芸能界]]にまだ入っていなかった長男・[[新田真剣佑]]と次男・[[眞栄田郷敦]]の二人も登壇し、手紙を読み上げる形で両親を祝福した。後半の記念式典では出演した260本の[[映画]]・[[テレビドラマ]]などが順に紹介され、千葉は樹里と[[殺陣]]、真剣佑・郷敦とは[[空手道]]の演武で[[空手道#型|型]]と杉板の[[試割り]]を、家族皆で披露した。[[勝野洋]]・[[小堺一機]]・[[夏樹陽子]]らは[[花環]]を贈呈し、出席者に上記発起人ほか、[[太田昭宏]]・[[北島三郎]]・[[関根勤]]・[[高岡早紀]]・[[高橋和也]]、[[デヴィ・スカルノ]]、[[南部虎弾]]、[[ビリー・ブランクス]]、[[堀田眞三]]・[[魔裟斗]]・[[松木安太郎]]ら、多数の[[芸能人]]を含む各界から約600人がお祝いに集まった。千葉は「あっという間の50年だった。まだまだ、やり残したことがあるので精進したいと思う。[[ハリウッド]]で日本の俳優を育てたい」と新たな目標を掲げた<ref name="daily20101022" /><ref name="nikkansports20101023" /><ref name="chunichi20101023" /><ref name="daily20101023" /><ref name="sponichi20101023" /><ref name="hochi20101023" /><ref name="『ミヤネ屋』" />。 |
||
(⇒ ''[[#人柄]]''・''[[#家族]]'') |
|||
{{See also|[[#人柄]]|[[#家族]]}} |
|||
[[2011年]]以降、芸名を日本のみ'''千葉 真一'''、海外では'''''JJ Sonny Chiba'''''としている<ref name = アストライア/><ref name = スポニチ急死/><ref group = 注釈 name = Sonny/>。同年[[9月29日]]から[[10月2日]]にロサンゼルス・[[w:Westwood, Los Angeles|ウエストウッド]]の[[w:Majestic Crest Theatre|ビッグフット・クレスト・シアター]]にて開催された、アジア・アメリカ映画を祝す国際フィルムフェスティバル「''SINGAFEST 2011''」([[w:Bigfoot Entertainment|ビッグフット・エンターテインメント]]主催)では、''LIFETIME ACHIEVEMENT AWARD''を受賞し、代表作の一つである『[[魔界転生#1981年|魔界転生]]』が上映された<ref name = ライフタイム/><ref name = 千歳>{{Cite web |url = http://www5.nikkansports.com/entertainment/column/chitose/archives/22158.html |title = 千葉真一の夢...真の日本映画をアメリカから世界へ |accessdate = 2011-10-31 |author = 千歳香奈子 |date = 2011-10-04 |website = nikkansports.com |work = ハリウッド直送便 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20111006051817/http://www5.nikkansports.com/entertainment/column/chitose/archives/22158.html |archivedate = 2011-10-06 |url-status = live }}</ref>。授賞式には樹里・真剣佑・郷敦も出席し、千葉と樹里は殺陣を、真剣佑と郷敦は空手を披露し、集まった多くのファンをわかせた<ref name = 千歳/>。同年11月、[[徳島県]][[鳴門市]]で生産・販売されている「本格焼き芋焼酎“斬”」の監修をした<ref>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20120927160057/http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20111111/dms1111110831005-n1.htm |date = 2012年9月27日 |title =“うずしお”だけじゃない!鳴門の新観光スポットを探索 }}</ref>。 |
|||
(⇒ ''[[#外国作品]]'') |
|||
[[2011年]]以降、芸名を日本のみ'''千葉 真一'''、海外では'''''JJ Sonny Chiba'''''としている<ref name="astraia" /><ref name="sponichi20210820a" />{{efn2|name="Sonny"}}。同年[[9月29日]]から[[10月2日]]にロサンゼルス・[[w:Westwood, Los Angeles|ウエストウッド]]の[[w:Majestic Crest Theatre|ビッグフット・クレスト・シアター]]にて開催された、アジア・アメリカ映画を祝す国際フィルムフェスティバル「SINGAFEST 2011」([[w:Bigfoot Entertainment|ビッグフット・エンターテインメント]]主催)では、LIFETIME ACHIEVEMENT AWARDを受賞し、代表作の一つである『[[魔界転生#1981年|魔界転生]]』が上映された<ref name="singafest20110831" /><ref name="nikkansports20111004">{{Cite web |url=http://www5.nikkansports.com/entertainment/column/chitose/archives/22158.html |title=千葉真一の夢...真の日本映画をアメリカから世界へ |accessdate=2011-10-31 |author=千歳香奈子 |date=2011-10-04 |website=nikkansports.com |work=ハリウッド直送便 |publisher=日刊スポーツ新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111006051817/http://www5.nikkansports.com/entertainment/column/chitose/archives/22158.html |archivedate=2011-10-06}}</ref>。授賞式には樹里・真剣佑・郷敦も出席し、千葉と樹里は殺陣を、真剣佑と郷敦は空手を披露し、集まった多くのファンをわかせた<ref name="nikkansports20111004" />。同年11月、[[徳島県]][[鳴門市]]で生産・販売されている「本格焼き芋焼酎“斬”」の監修をした<ref>{{Cite web2 |df=ja |url=http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20111111/dms1111110831005-n1.htm |title=“うずしお”だけじゃない!鳴門の新観光スポットを探索 |website=zakzak:夕刊フジ公式サイト |publisher=産経デジタル |date=2011-11-11 |accessdate=2012-09-27 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120927160057/http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20111111/dms1111110831005-n1.htm |archivedate=2012-09-27 |url-status=live}}</ref>。 |
|||
[[2013年]]3月10日、[[日本体育大学]]から正式に卒業を授与され、これにより最終学歴は「日本体育大学[[体育学部]][[体育学科]][[卒業]]」となり、[[学校教育法]]第104条および[[学位規則]]第2条の規定に従って「[[学士]](体育学)」の学位が与えられた<ref group = 注釈 name = 日体大/>。 |
|||
(⇒ ''[[#器械体操]]'') |
|||
{{See also|[[#外国作品]]}} |
|||
[[2014年]]の[[テレビドラマ]]『[[おわこんTV]]』に[[主演]]し、テレビ業界のウラのウラまで知り尽くす名物社長を<ref name = 7月1日おわこんTV>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20140630091752/http://dogatch.jp/news/nhk/25957 |date = 2014年6月30日 |title = 千葉真一&小泉孝太郎がタッグ!業界ドラマ『おわこんTV』は7月1日からスタート }}</ref>、存在感醸し出しながらも軽いタッチで演じた<ref name = 7月1日おわこんTV/><ref>{{Cite web |url = http://www.asagei.com/25009 |title = 新ドラマでは“過去の千葉”像を捨ててみた |accessdate = 2014-10-04 |date = 2014-07-29 |website = アサ芸+ |work = テリー伊藤対談「千葉真一」(1) |page = 1 |publisher = 徳間書店 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20141004090551/http://www.asagei.com/25009 |archivedate = 2014-10-04 |url-status = live }}</ref>。同ドラマは[[文化庁芸術祭賞|文化庁芸術祭参加作品]]となっている<ref name = 芸術祭>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20141003150240/http://www.nhk.or.jp/drama/owakon/ |date = 2014年10月3日 |title = おわこんTV【お知らせ】}}</ref>。 |
|||
[[2013年]]3月10日、[[日本体育大学]]から正式に卒業を授与され、これにより最終学歴は「日本体育大学[[体育学部]][[体育学科]][[卒業]]」となり、[[学校教育法]]第104条および[[学位規則]]第2条の規定に従って「[[学士]](体育学)」の学位が与えられた{{efn2|name="日体大"}}。 |
|||
[[2016年]][[4月14日]]に勃発した[[熊本地震 (2016年)|熊本地震]]では、[[オスマン・サンコン]]と一緒に被災地で炊き出しをした<ref name = 久坂部羊>{{Cite web |url = https://gendai.media/articles/-/117794?page=3 |title = 見返りを求めない |accessdate = 2023-11-12 |author = 久坂部羊 |authorlink = 久坂部羊 |date = 2023-10-25 |website = [[週刊現代|マネー現代]] |work = 幸せな晩年の「意外な過ごし方」…「CoCo壱」創業者が提唱する「ラッキー20%の法則」|publisher = [[講談社]] |page = 3 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20231112224700/https://gendai.media/articles/-/117794?page=3 |archivedate = 2023-11-12 |url-status = live }}</ref><ref name = サンコン真剣佑>{{Cite web |url = https://www.news-postseven.com/archives/20220624_1763236.html/3 |title = オスマン・サンコンさん、アニキと慕った千葉真一さん長男・新田真剣佑との意外な交流を語る |accessdate = 2023-11-12 |author = 中野裕子 |authorlink = 中野裕子 |date = 2022-06-24 |website = [[NEWSポストセブン]] |page = 3 |work = 芸能 |publisher = [[小学館]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20231112224051/https://www.news-postseven.com/archives/20220624_1763236.html/3 |archivedate = 2023-11-12 |url-status = live }}</ref>。同年8月21日、[[千葉市]]の「第41回 親子三代夏祭り」で、[[千葉氏]]の[[中興の祖]]である[[千葉常胤]]に扮して[[時代行列|武者行列]]を務めた<ref>{{Cite news |title = 大河ドラマ化目指すぞ!「千葉氏サミット」初開催 武者行列に千葉真一も |newspaper = ちばとぴ!ニュース |date = 2016-08-22 |url = http://chibatopi.jp/I3794be6 |accessdate = 2022-03-28 |publisher = [[千葉日報|千葉日報社]] |archiveurl = https://archive.ph/PUhkq |archivedate = 2022-03-28 |url-status = live }}</ref><ref name = 若返らせる>{{Cite news |title =「千葉を若返らせる」千葉真一さん、千葉市の健康大使に 製作中の「100年ダンス」お披露目【動画あり】|newspaper = [[千葉日報]] |date = 2019-12-19 |url = https://www.chibanippo.co.jp/news/local/653700 |accessdate = 2022-03-28 |publisher = 千葉日報社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20191220091653/https://www.chibanippo.co.jp/news/local/653700 |archivedate = 2019-12-20 |url-status = live }}</ref>。[[2019年]][[12月19日]]、同市の健康大使に任命された<ref name = 若返らせる/><ref name = 45年前>{{Cite news |title = 80歳・千葉真一「1日1食」続ける健康法は映画俳優の自覚 45年前と体型変わらず |newspaper = オリコンニュース |date = 2019-12-19 |url = https://www.oricon.co.jp/news/2151352/full/ |accessdate = 2022-03-28 |publisher = Oricon ME |archiveurl = https://web.archive.org/web/20191219120737/https://www.oricon.co.jp/news/2151352/full/ |archivedate = 2019-12-19 |url-status = live }}</ref>。市民が主体的に健康づくりを取り組めるよう、同市は広報・啓発の一環として、県内出身で芸能生活60周年を迎えていた千葉が就任する運びとなった<ref name = 若返らせる/><ref name = 45年前/>。任命式では「来月、81歳を迎えるので少々不安でございますが」と挨拶をしながらも、年齢を重ねるごとに健康管理を替えてきたことや、その矜持、健康大使としての抱負を述べた<ref name = 45年前/>。 |
|||
(⇒ ''[[#家族]]'') |
|||
{{See also|[[#器械体操]]}} |
|||
[[2014年]]の[[テレビドラマ]]『[[おわこんTV]]』に[[主演]]し、テレビ業界のウラのウラまで知り尽くす名物社長を<ref name="dogatch20140617">{{Cite web2 |df=ja |url=http://dogatch.jp/news/nhk/25957 |title=千葉真一&小泉孝太郎がタッグ!業界ドラマ『おわこんTV』は7月1日からスタート |website=テレビドガッチ |date=2014-06-17 |accessdate=2014-06-30 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140630091752/http://dogatch.jp/news/nhk/25957 |archivedate=2014-06-30}}</ref>、存在感醸し出しながらも軽いタッチで演じた<ref name="dogatch20140617" /><ref>{{Cite web |url=http://www.asagei.com/25009 |title=新ドラマでは“過去の千葉”像を捨ててみた |accessdate=2014-10-04 |date=2014-07-29 |website=アサ芸+ |work=テリー伊藤対談「千葉真一」(1) |page=1 |publisher=徳間書店 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20141004090551/http://www.asagei.com/25009 |archivedate=2014-10-04 |url-status=live}}</ref>。同ドラマは[[文化庁芸術祭賞|文化庁芸術祭参加作品]]となっている<ref name="『おわこんTV』">{{Cite web2 |df=ja |url=http://www.nhk.or.jp/drama/owakon/ |title=おわこんTV【お知らせ】 |website=NHK |publisher=日本放送協会 |accessdate=2014-10-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20141003150240/http://www.nhk.or.jp/drama/owakon/ |archivedate=2014-10-03}}</ref>。 |
|||
[[2016年]][[4月14日]]に発生した[[熊本地震 (2016年)|熊本地震]]では、[[オスマン・サンコン]]とともに被災地で炊き出しを行った<ref name="gendai20231025">{{Cite web2 |df=ja |url=https://gendai.media/articles/-/117794?page=3 |title=幸せな晩年の「意外な過ごし方」…「CoCo壱」創業者が提唱する「ラッキー20%の法則」 - 見返りを求めない |accessdate=2023-11-13 |author=久坂部羊 |authorlink=久坂部羊 |date=2023-10-25 |website=[[週刊現代|マネー現代]] |publisher=[[講談社]] |page=3 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20231112224700/https://gendai.media/articles/-/117794?page=3 |archivedate=2023-11-12 |url-status=live}}</ref><ref name="news-postseven20220624">{{Cite web2 |df=ja |url=https://www.news-postseven.com/archives/20220624_1763236.html/3 |title=オスマン・サンコンさん、アニキと慕った千葉真一さん長男・新田真剣佑との意外な交流を語る |accessdate=2023-11-13 |author=中野裕子 |date=2022-06-24 |website=[[NEWSポストセブン]] |page=3 |publisher=[[小学館]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20231112224051/https://www.news-postseven.com/archives/20220624_1763236.html/3 |archivedate=2023-11-12 |url-status=live}}</ref>。同年[[2016年]]8月21日、[[千葉市]]の「第41回 親子三代夏祭り」で、[[千葉氏]]の[[中興の祖]]である[[千葉常胤]]に扮して[[時代行列|武者行列]]を務めた<ref>{{Cite news |title=大河ドラマ化目指すぞ!「千葉氏サミット」初開催 武者行列に千葉真一も |newspaper=ちばとぴ!ニュース |date=2016-08-22 |url=http://chibatopi.jp/I3794be6 |accessdate=2022-03-28 |publisher=[[千葉日報|千葉日報社]] |archiveurl=https://archive.ph/PUhkq |archivedate=2022-03-28 |url-status=live}}</ref><ref name="chibanippo20191219">{{Cite news |title=「千葉を若返らせる」千葉真一さん、千葉市の健康大使に 製作中の「100年ダンス」お披露目【動画あり】|newspaper=[[千葉日報]] |date=2019-12-19 |url=https://www.chibanippo.co.jp/news/local/653700 |accessdate=2022-03-28 |publisher=千葉日報社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20191220091653/https://www.chibanippo.co.jp/news/local/653700 |archivedate=2019-12-20 |url-status=live}}</ref>。[[2019年]][[12月19日]]、同市の健康大使に任命された<ref name="chibanippo20191219" /><ref name="oricon20191219">{{Cite news |title=80歳・千葉真一「1日1食」続ける健康法は映画俳優の自覚 45年前と体型変わらず |newspaper=ORICON NEWS |date=2019-12-19 |url=https://www.oricon.co.jp/news/2151352/full/ |accessdate=2022-03-28 |publisher=oricon ME |archiveurl=https://web.archive.org/web/20191219120737/https://www.oricon.co.jp/news/2151352/full/ |archivedate=2019-12-19 |url-status=live}}</ref>。市民が主体的に健康づくりを取り組めるよう、同市は広報・啓発の一環として、県内出身で芸能生活60周年を迎えていた千葉が就任する運びとなった<ref name="chibanippo20191219" /><ref name="oricon20191219" />。任命式では「来月、81歳を迎えるので少々不安でございますが」と挨拶をしながらも、年齢を重ねるごとに健康管理を替えてきたことや、その矜持、健康大使としての抱負を述べた<ref name="oricon20191219" />。 |
|||
{{See also|[[#家族]]}} |
|||
=== 晩年 === |
=== 晩年 === |
||
[[2020年]]、文化活動に優れた成果を示し、文化振興や日本文化の海外発信・国際文化交流に貢献したとして、[[令和]]2年度[[文化庁長官表彰]]をされた<ref name |
[[2020年]]、文化活動に優れた成果を示し、文化振興や日本文化の海外発信・国際文化交流に貢献したとして、[[令和]]2年度[[文化庁長官表彰]]をされた<ref name="nikkansports20201217" /><ref name="news24_20201217" /><ref name="tokyo-sports20201217" />。前年に芸能生活60周年を迎えており、これまでの歩みを振り返りながら、近況や家族のことと併せて、「私にはあんまり似合わない賞をいただいちゃって…。これからはこれに恥じないよう、しっかり努力して生きていきたい」と笑顔を見せた<ref name="nikkansports20201217" /><ref name="news24_20201217" /><ref name="tokyo-sports20201217" />。 |
||
[[2021年]]6月、[[芸能事務所|個人事務所]]「ルイアンドリーブス」を<ref name |
[[2021年]]6月、[[芸能事務所|個人事務所]]「ルイアンドリーブス」を<ref name="chunichi20210420">{{Cite web |url=https://www.chunichi.co.jp/article/240022 |title=新田真剣佑が父・千葉真一の事務所に移籍していた 展覧会サポーター就任会見に出席、質問に口開かず |accessdate=2022-01-19 |date=2021-04-20 |website=[[中日スポーツ]] |work=芸能ニュース |publisher=[[中日新聞社]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210420083102/https://www.chunichi.co.jp/article/240022 |archivedate=2021-04-20 |url-status=live}}</ref>、「エム&リーヴス」へ設立し直した<ref name="news-postseven20220217">{{Cite web |url=https://www.news-postseven.com/archives/20220217_1727059.html |title=晩年の千葉真一さん「断捨離だ」と言って貴重な私物を燃やして身辺整理 |accessdate=2022-02-17 |date=2022-02-17 |website=[[NEWSポストセブン]] |work=芸能 |publisher=[[小学館]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220217025810/https://www.news-postseven.com/archives/20220217_1727059.html?DETAIL |archivedate=2022-02-17 |url-status=live}}</ref>。子供たちに自身の企画やアイデアを受け継いでもらう願いと「いまのうちにきちんとしておきたい」という思いからである<ref name="news-postseven20220217" />。千葉が代表で長男・[[新田真剣佑]]は取締役となり、それまで複数あった会社の事業を統一し、全著作権を「エム&リーヴス」が引き継ぐと決めた<ref name="news-postseven20220217" />{{efn2|name="事務所"|これまでは個人事務所「ルイアンドリーブス」と<ref name="chunichi20210420" />、[[アストライア (プロダクション)|アストライア]]が<ref name="oricon20211005">{{Cite web |url=https://www.oricon.co.jp/news/2209337/full/ |title=千葉真一さん事務所“四十九日法要”報道にコメント「親族間でのトラブルなどは一切ございません」|accessdate=2022-02-17 |date=2021-10-05 |website=ORICON NEWS |publisher=oricon ME |archiveurl=https://web.archive.org/web/20211005101737/https://www.oricon.co.jp/news/2209337/full/ |archivedate=2021-10-05 |url-status=live}}</ref>、窓口となっていた<ref name="chunichi20210420" /><ref name="oricon20211005" />。今回の再編で「エム&リーヴス」に事業を統一することが同社議事録にも記されており、千葉は直筆署名をしている<ref name="news-postseven20220217" />。社名の「エム」は真剣佑のイニシャル「M」が由来で、ゆくゆくは次男・[[眞栄田郷敦]]も合流する構想があった<ref name="news-postseven20220217" />。}}。「膝・足が硬直するなど、昔と比べて身体の自由が利かなくなり、日課の[[ジョギング]]も思うようにできなくなっていた。一昨年末頃から『もう長くない』と漏らし、[[断捨離]]を始めていた」と傍らにいた愛弟子の西田真吾は証言し<ref name="news-postseven20220217" />、自身も「60代までは、まだまだ若者に負けないくらいのスピードができていた。しかし、今ははっきりと肉体が衰えていることを自覚している。気持ちとして、まだまだ演技や作品を追求したいけど、肉体がついてこない」と吐露していた<ref name="jprime20210723p2">{{Cite web |url=https://www.jprime.jp/articles/-/21448?page=2 |title=千葉真一、長男・新田真剣佑が出演する『るろうに剣心』を見て「俺を越えたな」|accessdate=2022-04-04 |date=2021-07-23 |website=[[週刊女性PRIME]] |work=芸能 |page=2 |publisher=[[主婦と生活社]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210724050518/https://www.jprime.jp/articles/-/21448?page=2 |archivedate=2021-07-24 |url-status=live}}</ref>。 |
||
[[スティーブン・セガール]]とダブル主演での映画や<ref>{{cite web|url=https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/2128201/|title=千葉真一さん 渾身の遺作が撮影直前でお蔵入り…原因はW主演セガールのプーチン支持発言|website=女性自身|date=2022-08-23|accessdate=2023-05-05}}</ref>、[[ジェシー・ベンチュラ]]と[[ウェズリー・スナイプス]]と共演するハリウッド映画も撮影予定であったが<ref |
[[スティーブン・セガール]]とダブル主演での映画や<ref>{{cite web|url=https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/2128201/|title=千葉真一さん 渾身の遺作が撮影直前でお蔵入り…原因はW主演セガールのプーチン支持発言|website=女性自身|date=2022-08-23|accessdate=2023-05-05}}</ref>、[[ジェシー・ベンチュラ]]と[[ウェズリー・スナイプス]]と共演するハリウッド映画も撮影予定であったが<ref>{{cite web|url=https://www.fox23.com/news/trending/sonny-chiba-martial-arts-legend-kill-bill-star-dead-at-82/article_e4a9c019-bb0b-5471-845a-9e000eb4ec0d.html|title=Sonny Chiba, martial arts legend, ‘Kill Bill’ star, dead at 82|website=FOX23NEWS|language=en|date=2021-08-19|accessdate=2023-05-05}}</ref>、コロナウイルスのパンデミックにより撮影が延期になっていた。 |
||
=== 最期 === |
=== 最期 === |
||
事業の統一から2か月過ぎた2021年[[8月19日]]17時26分、[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症 |
事業の統一から2か月過ぎた2021年[[8月19日]]17時26分、[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症(COVID-19)]]による[[肺炎]]のため、[[千葉県]][[木更津市]]の[[君津中央病院]]で死去した<ref name="ntv20210819" />。{{没年齢|1939|1|22|2021|8|19}}<ref name="jiji20210820" /><ref name="sponichi20210820a" /><ref>{{Cite news |title=「キイハンター」 JAC設立、千葉真一さん82歳死去 / 写真特集 |newspaper=nikkansports.com |date=2021-08-19 |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108190001171.html |accessdate=2022-03-27 |publisher=日刊スポーツ新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210820021333/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108190001171.html |archivedate=2021-08-20 |url-status=live}}</ref>。折しもCOVID-19の第5波で感染爆発している日本は<ref name="sankei20211222">{{Cite news |title=(40) 2021年8月9日〜 「第5波」感染ついに2万人超す |newspaper=[[産経新聞|産経新聞 THE SANKEI NEWS]] |date=2021-12-22 |url=https://www.sankei.com/article/20211222-6BDBY4BA3NJ3TNODEQMXXZ2AMU/ |accessdate=2022-03-28 |publisher=産業経済新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20211223010248/https://www.sankei.com/article/20211222-6BDBY4BA3NJ3TNODEQMXXZ2AMU/ |archivedate=2021-12-23 |url-status=live}}</ref>、同月6日に[[国・地域毎の2019年コロナウイルス感染症流行状況#2021年|感染者が100万人を超えており]]<ref>{{Cite news |title=東京都 新たに4544人の感染確認 先週の月曜より約700人増 (16:47) |newspaper=[[NEWS WEB]] |date=2021-08-06 |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210806/k10013185121000.html |accessdate=2022-03-28 |publisher=[[日本放送協会|NHK]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210807082658/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210806/k10013185121000.html |archivedate=2021-08-07 |url-status=live}}</ref>、医療体制が逼迫・確保できていない真っ只中に失命した<ref name="sankei20211222" /><ref>{{Cite news |title=倉持仁医師「医療供給体制さえ確保できれば…無駄死にさせるな!」コロナで死去の千葉真一さんを悼むツイート |newspaper=[[中日新聞]] |date=2021-08-20 |url=https://www.chunichi.co.jp/article/315134 |accessdate=2022-03-28 |publisher=中日新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210820160923/https://www.chunichi.co.jp/article/315134 |archivedate=2021-08-20 |url-status=live}}</ref>。本人の意思で、[[COVID-19ワクチン]]を接種していなかった<ref name="jiji20210820" /><ref name="nhk20210820">{{Cite news |title=俳優の千葉真一さん死去 82歳 新型コロナ感染による肺炎 |newspaper=NEWS WEB |date=2021-08-20 |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210819/k10013213051000.html?utm_int=nsearch_contents_search-items_001 |accessdate=2022-04-04 |publisher=NHK |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210821032010/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210819/k10013213051000.html?utm_int=nsearch_contents_search-items_001 |archivedate=2021-08-21 |url-status=live}}</ref>。 |
||
7月末に感染{{efn2|name="感染"|「7月末に感染」、『報知新聞』第11版、1頁<ref name="hochi20210820a" />。}}。せきなどの症状はあったが、元気だったので、そのまま自宅療養を続けていた<ref name="sponichi20210820a" />。しかし8月4日に38.8度の熱を発し<ref name="tokyo-sports20210820b">{{Cite news |title=千葉真一さん 発熱から4日後入院のワケ…元妻と次男・郷敦の手で納骨 |newspaper=東スポweb |date=2021-08-20 |url=https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3541732/ |accessdate=2022-04-04 |publisher=東京スポーツ新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210820145004/https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3541732/ |archivedate=2021-08-21 |url-status=live}}</ref>、[[ポリメラーゼ連鎖反応|PCR検査]]の数値も悪く<ref name="sanspo20210820">{{Cite news |title=千葉真一さん、コロナに死す 8日に入院、肺炎悪化 |newspaper=[[サンケイスポーツ|SANSPO.COM]] |date=2021-08-20 |url=https://www.sanspo.com/article/20210820-AS3NA7RJIVJXZI7ACQIIL3YQEM/ |accessdate=2022-04-04 |publisher=産業経済新聞社 |archiveurl=https://archive.ph/JHxVP |archivedate=2021-08-21 |url-status=live}}</ref>、肺炎が悪化<ref name="sanspo20210820" />。救急車で搬送され<ref name="sponichi20210820a" />、8日に入院した<ref name="sponichi20210820a" /><ref name="sanspo20210820" />。酸素吸入などの治療を受け、一時は回復する兆しがあったものの、容体は急変<ref name="sponichi20210820a" />{{efn2|name="感染"}}。18日あたりから意識がなくなり、そのまま息を引き取った<ref name="jiji20210820" /><ref name="sponichi20210820a" />{{efn2|name="感染"}}<ref name="sanspo20210820" />。新田真剣佑は[[アメリカ合衆国の映画|ハリウッド映画]]の撮影で[[アメリカ合衆国|米国]]に滞在しており<ref name="crank-in20210821">{{Cite news |title=新田真剣佑、父・千葉真一さんとの2ショットを公開「いつも私の心の中にいます」 |newspaper=[[ブロードメディア#クランクイン!|クランクイン!]] |date=2021-08-21 |url=https://www.crank-in.net/news/93144/1 |accessdate=2022-04-04 |publisher=[[ブロードメディア]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210913104634/https://www.crank-in.net/news/93144/1 |archivedate=2021-09-13 |url-status=live}}</ref><ref name="ntv20210820">{{Cite news |title=新田真剣佑、父・千葉真一さんへの思い綴る |newspaper=[[日テレNEWS24|日テレNEWS]] |date=2021-08-20 |url=https://news.ntv.co.jp/category/culture/926912 |accessdate=2022-04-04 |publisher=CS日本 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220404202306/https://news.ntv.co.jp/category/culture/926912 |archivedate=2022-04-04 |url-status=live}}</ref><ref name="sponichi20210820c">{{Cite news |title=千葉真一さん長男・新田真剣佑 英語で追悼「あなたはいつも私の心の中にいる」思い出2ショット写真添え |newspaper=スポニチ Sponichi Annex |date=2021-08-20 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000213000c.html |accessdate=2022-04-04 |publisher=スポーツニッポン新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210821105432/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000213000c.html |archivedate=2021-08-21 |url-status=live}}</ref>、長女・[[真瀬樹里]]と次男・[[眞栄田郷敦]]は仕事後に駆けつけるも<ref name="nhk20210820" /><ref name="sanspo20210820" />、3人は父親の最期を看取ることができなかった<ref name="nhk20210820" /><ref name="sanspo20210820" /><ref name="ntv20210820" />。 |
|||
[[緊急事態宣言及びまん延防止等重点措置#2021年4月 - 9月|緊急事態宣言中]]のため、[[通夜]]は行われていない{{efn2|name="元祖"}}<ref name="sponichi20210820a" /><ref name="sanspo20210820" /><ref>{{Cite news |title=俳優・千葉真一さん死去 82歳 |newspaper=シネマトゥデイ |date=2021-08-19 |url=https://www.cinematoday.jp/news/N0125489 |accessdate=2022-04-04 |publisher=シネマトゥデイ |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210820163943/https://www.cinematoday.jp/news/N0125489 |archivedate=2022-08-20 |url-status=live}}</ref>。翌20日、眞栄田郷敦を喪主とし<ref name="chunichi20210821">{{Cite news |title=喪主は次男・真栄田郷敦 千葉真一さん死去一夜明けて葬儀「荼毘に付しました」長男・真剣佑は米国から「愛してる」 |newspaper=中日スポーツ |date=2021-08-21 |url=https://www.chunichi.co.jp/article/315438 |accessdate=2022-04-18 |publisher=中日新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210821083502/https://www.chunichi.co.jp/article/315438 |archivedate=2021-08-21 |url-status=live}}</ref><ref name="oricon20210821">{{Cite news |title=千葉真一さん 荼毘にふされる 喪主は次男・眞栄田郷敦 |newspaper=ORICON NEWS |date=2021-08-21 |url=https://www.oricon.co.jp/news/2204311/full/ |accessdate=2022-04-18 |publisher=oricon ME |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210821060727/https://www.oricon.co.jp/news/2204311/full/ |archivedate=2021-08-21 |url-status=live}}</ref>、[[葬儀]]が営まれた<ref name="hochi20210821b">{{Cite news |title=新田真剣佑、インスタで父の千葉真一さん追悼「お父さんのことを本当に愛しています」 |newspaper=[[スポーツ報知]] |date=2021-08-21 |url=https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51256.html?page=1 |accessdate=2022-04-04 |publisher=報知新聞社 |page=1 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220404181231/https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51256.html?page=1 |archivedate=2022-04-04 |url-status=live}}</ref>。列席は限定されていたため<ref name="chunichi20210821" />、親戚5人のみが参列<ref name="hochi20210821b" />。[[火葬|荼毘]]に付され<ref name="tokyo-sports20210820b" /><ref>{{Cite news |title=真剣佑「あなたはいつも私の心に」父・千葉真一さん訃報から一夜、インスタに思い投稿 |newspaper=デイリースポーツ online |date=2021-08-21 |url=https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/21/0014609287.shtml |accessdate=2022-04-04 |publisher=神戸新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210911151153/https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/21/0014609287.shtml |archivedate=2021-09-11 |url-status=live}}</ref>、郷敦と前夫人が[[遺骨]]を拾った<ref name="hochi20210821b" />。 |
|||
真瀬樹里は「一報を受け、仕事後駆けつけましたが、最期に立ち会うことはできず…。しかし、顔を見て、お別れと伝えたい事を言うことはできました。苦しんだとは思えないほど、穏やかな顔をしておりました」と最期の様子を振り返り、「少し前に、電話で父の元気な声を聞いたばかりでした。私にとっても突然のことで、まだ現実感がありません。ただただ悔しいです…天国から、両親が見守ってくれていることを信じて、胸を張って見せられる仕事ができるよう、精一杯生きていきたいと思います。父の遺した作品を、これからも愛し続けて頂けたら幸いです」と所属事務所を通じて発表した<ref name="chunichi20210820a" /><ref name="nhk20210820" /><ref name="hochi20210821b" /><ref>{{Cite news |title=千葉真一さんの長女・真瀬樹里、“偉大な父”の急逝に悔しさにじむ 「現実感がありません」「元気な声を聞いたばかり」 |newspaper=ねとらぼエンタ |date=2021-08-20 |author=深戸進路 |url=https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2108/20/news087.html |accessdate=2022-04-18 |publisher=[[ITmedia]] |archiveurl=https://archive.ph/gAXlE |archivedate=2022-04-18 |url-status=live}}</ref><ref name="oricon20220418">{{Cite news |title=新田真剣佑、父・千葉真一さん訃報受け思いつづる「Love you so much Dad」|newspaper=ORICON NEWS |date=2021-08-21 |url=https://www.oricon.co.jp/news/2204129/full/ |accessdate=2022-04-05 |publisher=oricon ME |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210821003218/https://www.oricon.co.jp/news/2204129/full/ |archivedate=2021-08-21 |url-status=live}}</ref><ref name="asahi20210820">{{Cite news |title=千葉真一さんの娘で俳優の真瀬樹里さん「お別れ言えた」 |newspaper=[[朝日新聞]] |date=2021-08-20 |url=https://www.asahi.com/articles/ASP8N3HRKP8NUCVL004.html |accessdate=2022-04-18 |publisher=[[朝日新聞社]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210821185634/https://www.asahi.com/articles/ASP8N3HRKP8NUCVL004.html |archivedate=2021-08-21 |url-status=live}}</ref>。 |
|||
真 |
新田真剣佑は[[Instagram|インスタグラム]]にて、ローソクが立てられたケーキを前にほほ笑む幼少期の新田と幸せそうに笑う千葉の姿や、千葉の体の上で安心した様子で眠る幼少期の新田の姿が収められている2ショットを公開し、「No matter where I am, you'll always be in my heart.(私がどこにいても、あなたはいつも私の心の中にいます); Love you so much Dad.(お父さん、あなたをとても愛しています)」と思いを綴った<ref name="oricon20210819" /><ref name="crank-in20210821" /><ref name="sponichi20210820c" /><ref name="hochi20210821b" /><ref name="oricon20220418" /><ref>{{Cite news |title=ステキな写真…千葉真一さんの長男・新田真剣佑が思い出の写真を公開「お父さん、本当に愛してる」 |newspaper=中日スポーツ |date=2021-08-20 |url=https://www.chunichi.co.jp/article/315044 |accessdate=2022-04-05 |publisher=中日新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210821062645/https://www.chunichi.co.jp/article/315044 |archivedate=2021-08-21 |url-status=live}}</ref><ref>{{Cite news |title=新田真剣佑、父・千葉真一さんとの思い出の写真を公開「あなたはいつも私の心の中に」 |newspaper=[[AbemaNews|ABEMA TIMES]] |date=2021-08-21 |url=https://times.abema.tv/articles/-/8671252 |accessdate=2022-04-05 |publisher=[[ABEMA]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220405063226/https://times.abema.tv/articles/-/8671252 |archivedate=2022-04-05 |url-status=live}}</ref><ref name="encount20210821">{{Cite news |title=新田真剣佑、父・千葉真一さん追悼2Sを公開「あなたはいつも心の中にいる…愛している」 |newspaper=ENCOUNT |date=2021-08-21 |url=https://encount.press/archives/209820/ |accessdate=2022-04-05 |publisher=Creative2 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210820225223/https://encount.press/archives/209820/ |archivedate=2021-08-20 |url-status=live}}</ref>。 |
||
眞栄田郷敦は防護服を着て対面した日の夜に、所属事務所を通じて「一方的な約束をしてきました。それを守るだけです」と発表した<ref name="oricon20210819" /><ref name="sanspo20210820" /><ref name="oricon20210821" /><ref name="oricon20220418" />。 |
|||
新田真剣佑は[[Instagram|インスタグラム]]にて、ローソクが立てられたケーキを前にほほ笑む幼少期の新田と幸せそうに笑う千葉の姿や、千葉の体の上で安心した様子で眠る幼少期の新田の姿が収められている2ショットを公開し、「''No matter where I am, you'll always be in my heart.''(私がどこにいても、あなたはいつも私の心の中にいます)''Love you so much Dad.''(お父さん、あなたをとても愛しています)」と思いを綴った<ref name = オリコン真剣佑/><ref name = クランク2ショット/><ref name = スポアネ真剣/><ref name = HouchMackInsta/><ref name = 3人悼む/><ref>{{Cite news |title = ステキな写真…千葉真一さんの長男・新田真剣佑が思い出の写真を公開「お父さん、本当に愛してる」 |newspaper = 中日スポーツ |date = 2021-08-20 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/315044 |accessdate = 2022-04-05 |publisher = 中日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821062645/https://www.chunichi.co.jp/article/315044 |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite news |title = 新田真剣佑、父・千葉真一さんとの思い出の写真を公開「あなたはいつも私の心の中に」 |newspaper = [[AbemaNews|ABEMA TIMES]] |date = 2021-08-21 |url = https://times.abema.tv/articles/-/8671252 |accessdate = 2022-04-05 |publisher = [[ABEMA]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220405063226/https://times.abema.tv/articles/-/8671252 |archivedate = 2022-04-05 |url-status = live }}</ref><ref name = 真剣志穂美>{{Cite news |title = 新田真剣佑、父・千葉真一さん追悼2Sを公開「あなたはいつも心の中にいる…愛している」 |newspaper = ENCOUNT |date = 2021-08-21 |url = https://encount.press/archives/209820/ |accessdate = 2022-04-05 |publisher = Creative2 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820225223/https://encount.press/archives/209820/ |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。 |
|||
2年前の2019年に千葉は[[世阿弥]]の著作より[[格言]]を抜粋し、樹里には『[[花鏡]]』から「初心不可忘(初心忘るべからず)」、真剣佑には『[[風姿花伝]]』から「秘すれば花」、郷敦には『風姿花伝』から「離見の見」と、それぞれ自筆の巻物にして、3人へ授けている<ref name="jprime20210723p2" /><ref>{{Cite news |title=千葉真一さん死去【復刻】60周年祝賀会で樹里、真剣佑、郷敦と勢ぞろい |newspaper=デイリースポーツ online |date=2021-08-21 |url=https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/19/0014605711.shtml |accessdate=2022-04-05 |publisher=神戸新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220405071759/https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/19/0014605711.shtml |archivedate=2022-04-05 |url-status=live}}</ref>。 |
|||
眞栄田郷敦は防護服を着て対面した日の夜に、所属事務所を通じて「一方的な約束をしてきました。それを守るだけです」と発表した<ref name = オリコン真剣佑/><ref name = サンスポ肺炎/><ref name = オリ喪主郷敦/><ref name = 3人悼む/>。 |
|||
{{See also|[[#家族]]}} |
|||
2年前の2019年に千葉は[[世阿弥]]の著作より[[格言]]を抜粋し、樹里には『[[花鏡]]』から「初心不可忘(初心忘るべからず)」、真剣佑には『[[風姿花伝]]』から「秘すれば花」、郷敦には『風姿花伝』から「離見の見」と、それぞれ自筆の巻物にして、3人へ授けている<ref name = 俺を超えた/><ref>{{Cite news |title = 千葉真一さん死去【復刻】60周年祝賀会で樹里、真剣佑、郷敦と勢ぞろい |newspaper = デイリースポーツ online |date = 2021-08-21 |url = https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/19/0014605711.shtml |accessdate = 2022-04-05 |publisher = 神戸新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220405071759/https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/19/0014605711.shtml |archivedate = 2022-04-05 |url-status = live }}</ref>。 |
|||
(⇒ ''[[#家族]]'') |
|||
== 追悼 == |
== 追悼 == |
||
国内外から追悼が寄せられた<ref name |
国内外から追悼が寄せられた<ref name="nlab20210820">{{Cite news |title=千葉真一さんの急逝に芸能界から多数の追悼メッセージ「役者であるキッカケになった人」「信じられません」|newspaper=ねとらぼエンタ |date=2021-08-20 |author=深戸進路 |url=https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2108/20/news097.html |accessdate=2022-05-10 |publisher=ITmedia |page=1 |archiveurl=https://archive.ph/vK5PP |archivedate=2021-09-01 |url-status=live}}</ref><ref name="nikkansports20210820b">{{Cite news |title=的場浩司「朝からため息しか」秋野暢子「優しい素敵な方」千葉真一さん悼む |newspaper=nikkansports.com |date=2021-08-20 |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000238.html |accessdate=2022-05-10 |publisher=日刊スポーツ新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210820030554/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000238.html |archivedate=2021-08-20 |url-status=live}}</ref><ref name="sponichi20210820b">{{Cite news |title=千葉真一さん死去から一夜明け 芸能界からお悔やみの声続々…池畑慎之介、的場浩司、秋野暢子ら悼む |newspaper=スポニチ Sponichi Annex |date=2021-08-20 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000568000c.html |accessdate=2022-05-09 |publisher=スポーツニッポン新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210820171958/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000568000c.html |archivedate=2021-08-20 |url-status=live}}</ref>。 |
||
=== 追悼(国内) === |
=== 追悼(国内) === |
||
==== 芸能界 ==== |
==== 芸能界 ==== |
||
===== 共演者 ===== |
===== 共演者 ===== |
||
『[[白昼の死角#映画|白昼の死角]]』と『[[伊賀忍法帖#映画|伊賀忍法帖]]』で共演している[[中尾彬]]は[[千葉県立木更津高等学校|千葉県立木更津第一高校]]の[[後輩]]で、「とても真面目な方だった。会うと地元の先輩後輩のように話し、お互い実家も近かった。(3歳年上の千葉は)入れ替わりで卒業しましたが、頻繁に器械体操部のコーチに来ていました」と、バレーボール部の中尾とも会えば話す間柄だったと語った<ref name |
『[[白昼の死角#映画|白昼の死角]]』と『[[伊賀忍法帖#映画|伊賀忍法帖]]』で共演している[[中尾彬]]は[[千葉県立木更津高等学校|千葉県立木更津第一高校]]の[[後輩]]で、「とても真面目な方だった。会うと地元の先輩後輩のように話し、お互い実家も近かった。(3歳年上の千葉は)入れ替わりで卒業しましたが、頻繁に器械体操部のコーチに来ていました」と、バレーボール部の中尾とも会えば話す間柄だったと語った<ref name="hochi20210820b">{{Cite news |title=千葉真一さんの高校後輩・中尾彬が悼む「俺スターになるから、と言っていた」 |newspaper=スポーツ報知 |date=2021-08-20 |url=https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51184.html?page=1 |accessdate=2022-05-08 |publisher=報知新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220508101921/https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51184.html?page=1 |archivedate=2022-05-08 |url-status=live}}</ref>。「[[芸能|芸能界]]に転身しても器械体操の指導で母校へ通い続け、当時珍しかった[[ジーンズ]]を履き、[[スポーツ刈り#慎太郎刈り|慎太郎カット]]にしていた」と在りし日の姿や、中尾も芸能界に入ると「おお、頑張れよ」「俺の映画見てる?」と親しく声をかけてくれた気さくな人柄、夢を語る様を振り返っている<ref name="hochi20210820b" />。「(千葉は)ワクチンも率先して受けるタイプ」と中尾は接種していないことを訝しがりながら、「映画スター。今時、ああいう夢を語れる人が減っちゃったよなあ」と寂しそうだった<ref name="hochi20210820b" />。 |
||
『[[キイハンター]]』、『[[影の軍団シリーズ]]』、『[[柳生あばれ旅]]』などにゲスト出演している[[東映ニューフェイス]]の後輩・[[堀田眞三]]は、[[Twitter |
『[[キイハンター]]』、『[[影の軍団シリーズ]]』、『[[柳生あばれ旅]]』などにゲスト出演している[[東映ニューフェイス]]の後輩・[[堀田眞三]]は、[[Twitter]]で千葉との写真を掲載し、「千葉真一先輩の訃報 信じられないが あの日 あの時無限様々な想いがよぎる 謹んでご冥福をお祈りします 合掌」とつづっている<ref>{{Cite tweet |user=hottashinzo |author=hottashinzo |authorlink=堀田眞三 |number=1428478936527228929 |title=千葉真一先輩の訃報 |date=2021-08-20 |accessdate=2023-11-12 |archiveurl=https://archive.ph/3v62l |archivedate=2022-05-08 |url-status=live}}</ref><ref>{{Cite news |title=堀田眞三「千葉真一先輩の訃報 信じられないが 様々な想いがよぎる」 |newspaper=nikkansports.com |date=2021-08-20 |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000110.html |accessdate=2022-05-08 |publisher=日刊スポーツ新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210820002416/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000110.html |archivedate=2021-08-20 |url-status=live}}</ref>。 |
||
20代半ばの千葉と共演している[[小林幸子]]は[[Instagram|インスタグラム]]にて、「初めて出会ったのは、私にとっては初めてのドラマ出演だった『[[暗闇五段#|くらやみ五段]]』。デビューしてまもない11歳の私を“チビ”と呼び、肩車してくれたり、一緒に[[キャンプファイヤー]]したり、とっても優しいお兄ちゃまという印象でした。その後も『キイハンター』など、いろんなお仕事でご一緒させて頂きました。いつも撮影の合間には、体を鍛えたりアクション練習したり、ずっと動いていて格好いい方でした。最後にお会いしたのは、昨年の文化庁長官表彰の時、息子さんの話を笑顔でお話していたことが印象に残っています。日本のアクションの世界を作り上げ、千葉さん自身が日本の刀のような、何にも負けないはず方なのに。悔しいです。コロナが憎いです。今はゆっくり休んでください。ご冥福をお祈りします。合掌」と思いを記した<ref>{{Cite web |url |
20代半ばの千葉と共演している[[小林幸子]]は[[Instagram|インスタグラム]]にて、「初めて出会ったのは、私にとっては初めてのドラマ出演だった『[[暗闇五段#|くらやみ五段]]』。デビューしてまもない11歳の私を“チビ”と呼び、肩車してくれたり、一緒に[[キャンプファイヤー]]したり、とっても優しいお兄ちゃまという印象でした。その後も『キイハンター』など、いろんなお仕事でご一緒させて頂きました。いつも撮影の合間には、体を鍛えたりアクション練習したり、ずっと動いていて格好いい方でした。最後にお会いしたのは、昨年の文化庁長官表彰の時、息子さんの話を笑顔でお話していたことが印象に残っています。日本のアクションの世界を作り上げ、千葉さん自身が日本の刀のような、何にも負けないはず方なのに。悔しいです。コロナが憎いです。今はゆっくり休んでください。ご冥福をお祈りします。合掌」と思いを記した<ref>{{Cite web |url=https://www.instagram.com/p/CS0WOKHpOMi/ |title=千葉真一さん |accessdate=2022-05-08 |date=2021-08-20 |website=kobayashi_sachiko_5884 |publisher=[[Instagram]] |archiveurl=https://archive.ph/DPfGN |archivedate=2022-05-08 |url-status=live}}</ref><ref>{{Cite news |title=「何にも負けないはずの方…コロナが憎い」小林幸子、千葉真一さんを悼む 11歳のころから共演 |newspaper=中日スポーツ |date=2021-08-21 |url=https://www.chunichi.co.jp/article/315558 |accessdate=2022-05-08 |publisher=中日新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210821151834/https://www.chunichi.co.jp/article/315558 |archivedate=2021-08-21 |url-status=live}}</ref><ref>{{Cite news |title=小林幸子 千葉真一さんと11歳で出会い「何にも負けないはずの方」「コロナが憎いです」|newspaper=デイリースポーツ online |date=2021-08-21 |url=https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/21/0014610401.shtml |accessdate=2022-05-08 |publisher=神戸新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210821181343/https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/21/0014610401.shtml |archivedate=2021-08-21 |url-status=live}}</ref>。 |
||
『[[服部半蔵 影の軍団#影の軍団III|影の軍団III]]』と『[[写真甲子園 0.5秒の夏]]』で共演した[[秋野暢子]]は「千葉真一さん……残念です」と[[ブログ]]で書き始め、「若い頃、東映スタジオで[[殺陣]]を教えていただきました。とても優しく、丁寧に指導してもらい、お優しい素敵な方」と、最近は会えなかったが、世界を代表するアクション俳優から指導を受けた思い出を振り返り、「とても頑強でお元気な方が、コロナ感染されるなんて信じられません」」とショックを隠せず、「どうぞゆっくりおやすみください。ご冥福お祈りしています。合掌」と追悼の言葉を記した<ref name |
『[[服部半蔵 影の軍団#影の軍団III|影の軍団III]]』と『[[写真甲子園 0.5秒の夏]]』で共演した[[秋野暢子]]は「千葉真一さん……残念です」と[[ブログ]]で書き始め、「若い頃、東映スタジオで[[殺陣]]を教えていただきました。とても優しく、丁寧に指導してもらい、お優しい素敵な方」と、最近は会えなかったが、世界を代表するアクション俳優から指導を受けた思い出を振り返り、「とても頑強でお元気な方が、コロナ感染されるなんて信じられません」」とショックを隠せず、「どうぞゆっくりおやすみください。ご冥福お祈りしています。合掌」と追悼の言葉を記した<ref name="nikkansports20210820b" /><ref name="sponichi20210820b" /><ref>{{Cite web |url=https://ameblo.jp/yokosmilerun/entry-12693189097.html |title=千葉真一さん………訃報 |accessdate=2022-05-10 |date=2021-08-20 |website=秋野暢子オフィシャルブログ「スマイルライフ」|publisher=[[アメーバブログ]] |archiveurl=https://archive.ph/qkgHr |archivedate=2022-05-09 |url-status=live}}</ref><ref>{{Cite news |title=千葉真一さん訃報に「ワクチン打たれてなかったとか」「頑強な方が」秋野暢子ショック |newspaper=デイリースポーツ online |date=2021-08-20 |url=https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/20/0014607371.shtml |accessdate=2022-05-10 |publisher=神戸新聞社 |archiveurl=https://archive.ph/LT70m |archivedate=2021-08-22 |url-status=live}}</ref>。 |
||
20代のころに『[[織田信長 (1989年のテレビドラマ)|織田信長]]』で共演した[[野村真美]]は、「ジャパンアクションクラブにお友達もいて、一緒にお食事をしたことも。今朝、テレビで見て『あぁ、そうか…』って言葉がない感じ。胸がつまる思いがありました」と偲んだ<ref>{{Cite news |title |
20代のころに『[[織田信長 (1989年のテレビドラマ)|織田信長]]』で共演した[[野村真美]]は、「ジャパンアクションクラブにお友達もいて、一緒にお食事をしたことも。今朝、テレビで見て『あぁ、そうか…』って言葉がない感じ。胸がつまる思いがありました」と偲んだ<ref>{{Cite news |title=野村真美、千葉真一さんの訃報に「胸がつまる思い」|newspaper=SANSPO.COM |date=2021-08-20 |url=https://www.sanspo.com/article/20210820-O2MLJSLZQ5OGHFNVK5ZX56VAXE/ |accessdate=2022-05-10 |publisher=産業経済新聞社 |archiveurl=https://archive.ph/MLiV0 |archivedate=2021-08-21 |url-status=live}}</ref>。 |
||
『[[源義経 (1990年のテレビドラマ)|源義経]]』で共演した[[東山紀之]]は千葉の悲報に、「20代のころに共演させていただきましたが、千葉さんが時代劇の立ち回りにアクションを入れた最初の方なんです。今、世界中の映画で行われているアクションものの一番最初は千葉さんがお考えになったものなので、この功績は凄いです」と改めて存在の大きさを絶賛した<ref name |
『[[源義経 (1990年のテレビドラマ)|源義経]]』で共演した[[東山紀之]]は千葉の悲報に、「20代のころに共演させていただきましたが、千葉さんが時代劇の立ち回りにアクションを入れた最初の方なんです。今、世界中の映画で行われているアクションものの一番最初は千葉さんがお考えになったものなので、この功績は凄いです」と改めて存在の大きさを絶賛した<ref name="hochi20210822">{{Cite news |title=東山紀之 千葉真一さんを追悼「時代劇の立ち回りにアクションを入れた最初の方…この功績は凄い」 |newspaper=スポーツ報知 |date=2021-08-22 |url=https://hochi.news/articles/20210822-OHT1T51026.html?page=1 |accessdate=2022-05-10 |publisher=報知新聞社 |archiveurl=https://archive.ph/1wTtf |archivedate=2022-05-09 |url-status=live}}</ref><ref name="daily20210822">{{Cite news |title=東山紀之“母親”亡くし“父親”失った真田広之との誓い「僕らは教えを次の世代に」 |newspaper=デイリースポーツ online |date=2021-08-22 |url=https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/22/0014612529.shtml |accessdate=2022-05-10 |publisher=神戸新聞社 |archiveurl=https://archive.ph/cfgE7 |archivedate=2021-08-24 |url-status=live}}</ref>。千葉の弟子・[[真田広之]]と[[電子メール|メール]]で連絡し、「僕は[[メリー喜多川|メリー]]さんという母親を亡くして、真田さんは千葉さんという父親を亡くした。これは自然の摂理で、しょうがないことなんですが、僕らはその教えを次の世代に伝えていくっていうのが、これからますます大事になるねっていうやり取りをさせていただきました」と誓い合ったことを明かしている<ref name="hochi20210822" /><ref name="daily20210822" />。 |
||
『[[寺子屋ゆめ指南]]』で父娘役を演じた[[西田尚美]]は、「千葉さん、信じられません 半年間、時代劇で私の父上様でした」と受け入れがたい心境を吐露した<ref name |
『[[寺子屋ゆめ指南]]』で父娘役を演じた[[西田尚美]]は、「千葉さん、信じられません 半年間、時代劇で私の父上様でした」と受け入れがたい心境を吐露した<ref name="nlab20210820" /><ref name="西田尚美20210820">{{Cite tweet |user=nnnnaominishida |author=西田尚美 |authorlink=西田尚美 |number=1428361797464064001 |title=千葉さん、信じられません |date=2021-08-20 |accessdate=2023-11-12 |archiveurl=https://archive.ph/g8l4Q |archivedate=2022-05-09 |url-status=live}}</ref>。同ドラマは千葉と長女・[[真瀬樹里]]の初共演作でもあり、西田は「千葉さんと娘さんの樹里ちゃんと殺陣のお稽古とか…私がふらふらになっても、千葉さんと樹里ちゃんはとても楽しそうで。なんて素晴らしい時間だったんだろう」と振り返りつつ、「ありがとうございました。心よりご冥福をお祈り致します」と結び、西田が2014年3月2日にリツイートした千葉、真瀬、[[新田真剣佑]]、[[眞栄田郷敦]]の写真を添えている<ref name="nlab20210820" /><ref name="西田尚美20210820" />。 |
||
『[[悪名]]』で共演した[[的場浩司]]はブログで「ため息。笑顔が似合う気さくで偉大な先輩が逝かれた。“千葉真一さん”。偶然にも前回の写真は、千葉さんと初めて共演させて頂いた映画『悪名』のもの。京都のロケ現場で全身からオーラを放つ千葉さんに、緊張しながら御挨拶させて頂いた場面を思い出しました。優しい笑顔が印象に残っています。その後も御会いする度に色んなお話しを聞かせてくれました。千葉さんの御冥福を御祈り致します。朝からため息しか出ないよ」と沈痛の思いをつづった<ref name |
『[[悪名]]』で共演した[[的場浩司]]はブログで「ため息。笑顔が似合う気さくで偉大な先輩が逝かれた。“千葉真一さん”。偶然にも前回の写真は、千葉さんと初めて共演させて頂いた映画『悪名』のもの。京都のロケ現場で全身からオーラを放つ千葉さんに、緊張しながら御挨拶させて頂いた場面を思い出しました。優しい笑顔が印象に残っています。その後も御会いする度に色んなお話しを聞かせてくれました。千葉さんの御冥福を御祈り致します。朝からため息しか出ないよ」と沈痛の思いをつづった<ref name="nikkansports20210820b" /><ref name="sponichi20210820b" /><ref>{{Cite web |url=https://ameblo.jp/matoba-koji/entry-12693196061.html |title=ため息… |accessdate=2022-05-10 |date=2021-08-20 |website=的場浩司オフィシャルブログ |publisher=アメーバブログ |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220509143620/https://ameblo.jp/matoba-koji/entry-12693196061.html |archivedate=2022-05-09 |url-status=live}}</ref>。 |
||
『[[柳生十兵衛七番勝負#テレビドラマ|柳生十兵衛七番勝負]]』で共演した[[村上弘明]]は、世界的アクションスターとして活躍した千葉を「旧来の立ち回りに変革をもたらした人で、特にアクション、殺陣の分野において曲芸的なもの、よりショーアップしたものを取り入れ、時代物、現代物を問わず見せるアクションを創り上げた人でした<ref name |
『[[柳生十兵衛七番勝負#テレビドラマ|柳生十兵衛七番勝負]]』で共演した[[村上弘明]]は、世界的アクションスターとして活躍した千葉を「旧来の立ち回りに変革をもたらした人で、特にアクション、殺陣の分野において曲芸的なもの、よりショーアップしたものを取り入れ、時代物、現代物を問わず見せるアクションを創り上げた人でした<ref name="chunichi20210820b">{{Cite news |title=千葉真一さんは「見せるアクションを創り上げた人」村上弘明が追悼コメント NHKドラマで刃を交える |newspaper=中日スポーツ |date=2021-08-20 |url=https://www.chunichi.co.jp/article/314946 |accessdate=2022-05-10 |publisher=中日新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210820153722/https://www.chunichi.co.jp/article/314946 |archivedate=2021-08-20 |url-status=live}}</ref>」と敬意を表した<ref name="hochi20210821a">{{Cite news |title=村上弘明、NHK時代劇で共演した千葉真一さんを追悼「見せるアクションを創り上げた人」|newspaper=スポーツ報知 |date=2021-08-21 |url=https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51205.html?page=1 |accessdate=2022-05-10 |publisher=報知新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220510100832/https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51205.html?page=1 |archivedate=2022-05-10 |url-status=live}}</ref>。殺陣では「刃を交えたのですが、その一振りに鍛錬を重ねた荘厳さが感じられ、たいへん充実した立ち合いになったと思います。芝居に対するほとばしる情熱がまるで純粋な子供のようで、それがとても印象的でした<ref name="chunichi20210820b" />」と回想<ref name="hochi20210821a" />。その数年後に『[[柳生十兵衛七番勝負 最後の闘い]]』のリハーサル室に現れた千葉は{{efn2|同時期に千葉真一は[[大河ドラマ]]『[[風林火山 (NHK大河ドラマ)|風林火山]]』に出演しており、それぞれ[[NHK総合テレビジョン|NHK総合制作]]の作品である。[[特選!時代劇#木曜時代劇(2006 - 2007年度)|木曜時代劇]]『[[柳生十兵衛七番勝負 最後の闘い]]』には千葉の親友・[[夏八木勲]]も出ている。}}、村上に「やってるねー!相談事があったら、いつでも連絡して。待ってるからさ<ref name="chunichi20210820b" />」と名刺を渡し、立ち去ったという<ref name="hochi20210821a" />。天国の千葉へ村上は「とても残念です。ご冥福をお祈りします<ref name="chunichi20210820b" />」と追悼した<ref name="hochi20210821a" />。 |
||
===== |
===== JAC出身者 ===== |
||
創設した[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ |
創設した[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ]](JAC)からは、愛弟子たちが追悼コメントを発した。 |
||
[[金田治]]は「千葉さんとの思い出は数えきれないほどあるが、同じ作品に出演したことよりも、一緒に練習し、 |
[[金田治]]は「千葉さんとの思い出は数えきれないほどあるが、同じ作品に出演したことよりも、一緒に練習し、JACの合宿、番組の企画でアメリカのアクション映画のロケ地を千葉さんと二人で巡ったりなどのほうが印象に残っている。千葉さんの功績は、アクションの専門職を作ったこと。『自分だけが凄いアクションができてもダメだ』と言い、スタントマンが冷遇されていたなか、日本のアクションを変え、アメリカ映画に負けないスタントが日本でもできるというポリシーを持って続けてきた。僕は千葉さんが考えていたこと、やりたいことを今も自分なりに続けている。千葉さんがいなかったら僕はこの道に入っていないかもしれないし、アクションの仕事で飯を食えていないかもしれない。今の自分は存在していなかった」と回想した<ref>{{Cite web |url=https://wpb.shueisha.co.jp/news/entertainment/2021/10/17/114597/ |title=金田治氏が語る仮面ライダーシリーズを支える“スーツアクター”の仕事「いくら運動神経がよくても、芝居心がなければなれない」|accessdate=2022-07-16 |author=井上陸人 [[昌谷大介]] (A4studio) |date=2021-10-17 |website=[[週刊プレイボーイ|週プレNEWS]] |work=エンタメ |publisher=集英社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20211016221313/https://wpb.shueisha.co.jp/news/entertainment/2021/10/17/114597/ |archivedate=2021-10-16 |url-status=live}}</ref>。 |
||
[[志穂美悦子]]はブログで「見上げる空に」と題し、「それは、あまりに突然で、言葉にならない。でも |
[[志穂美悦子]]はブログで「見上げる空に」と題し、「それは、あまりに突然で、言葉にならない。でもJACイズムは生きている。それぞれの場所で生きている」と恩師の死を悼み、JACへの思いを記した<ref name="encount20210821" />。 |
||
[[真田広之]]は「子役の頃から、様々な事を学ばせて頂きました。何よりも、夢を抱くことの大切さを。志を受け継ぎ、走り続ける事が恩返しと心得ております。本当にお世話になりました。安らかにおやすみ下さい。合掌」と悼んだ<ref name |
[[真田広之]]は「子役の頃から、様々な事を学ばせて頂きました。何よりも、夢を抱くことの大切さを。志を受け継ぎ、走り続ける事が恩返しと心得ております。本当にお世話になりました。安らかにおやすみ下さい。合掌」と悼んだ<ref name="nhk20210820" /><ref name="asahi20210820" />。 |
||
[[伊原剛志]]は |
[[伊原剛志]]はTwitterで、「千葉真一さん!40年前、18歳でJACに入って、目をかけて貰い『[[服部半蔵 影の軍団#影の軍団IV|影の軍団IV]]』『[[コータローまかりとおる!#映画|コータローまかりとおる!]]』に抜擢してくれた。二人きりになると優しく、京都で良く一緒に走ったりトレーニングもした」と思い出を回顧<ref name="nlab20210820" />。「俺が役者であるキッカケになった人だ!有難う御座いました。心からご冥福をお祈りします」と人生に大きな影響を与えた名優をしのんでいる<ref name="nlab20210820" />。 |
||
===== 親交の有った芸能人 ===== |
===== 親交の有った芸能人 ===== |
||
千葉を敬愛する芸能関係者は多い<ref name="nlab20210820" />。 |
|||
千葉を敬愛する芸能関係者は多く<ref name = ねとエン多数追悼/>、[[池畑慎之介]]はブログで偉大な名優との思い出として<ref name = ねとエン多数追悼/>、「53年ぐらい前の何かの雑誌に掲載されたもの<ref name = アメブロピタ>{{Cite web |url = https://ameblo.jp/oziba/entry-12693144059.html |title = 訃報が‥。|accessdate = 2022-05-10 |date = 2021-08-19 |website = 池畑慎之介オフィシャルブログ「VIVA! プラチナ人生!!」|publisher = アメーバブログ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220510115643/https://ameblo.jp/oziba/entry-12693144059.html |archivedate = 2022-05-10 |url-status = live }}</ref>」と千葉、[[野際陽子]]との3ショットを公開し、「ピー(池畑)が16歳。千葉さんが29歳。野際陽子さんが30代前半。みんな若かった<ref name = アメブロピタ/>」としみじみ振り返りつつ、「千葉真一さんのご冥福を心からお祈りいたします。合掌<ref name = アメブロピタ/>」と追悼した<ref name = ねとエン多数追悼/><ref name = ニッカン的秋池/><ref>{{Cite news |title = 池畑慎之介「ご冥福を心からお祈りいたします」千葉真一さん悼む…53年前の千葉さん野際さんとの3ショットで追悼 |newspaper = スポーツ報知 |date = 2021-08-19 |url = https://hochi.news/articles/20210819-OHT1T51222.html?page=1 |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 報知新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220510121211/https://hochi.news/articles/20210819-OHT1T51222.html?page=1 |archivedate = 2022-05-10 |url-status = live }}</ref>。[[オスマン・サンコン]]は日本でタレント活動し始めたころに知り合い、それからは“千葉のアニキ”と慕っていた<ref name = 久坂部羊/><ref name = サンコン真剣佑/>。「コロナでアニキが亡くなったのはショックだった。千葉さんはサムライね!アニキほど、[[アフリカ]]のことを考えてくれた俳優はいなかった」と語り、千葉が創った''JAC'' (JAPAN ACTION CLUB) の顧問に2022年4月、就任している<ref name = サンコン真剣佑/>。 |
|||
(⇒ ''[[#2010年代]]'') |
|||
[[池畑慎之介]]はブログで偉大な名優との思い出として<ref name="nlab20210820" />、「53年ぐらい前の何かの雑誌に掲載されたもの<ref name="oziba20220510">{{Cite web |author=ピーター / 池畑慎之介 |authorlink=池畑慎之介 |url=https://ameblo.jp/oziba/entry-12693144059.html |title=訃報が‥。|accessdate=2022-05-10 |date=2021-08-19 |website=池畑慎之介オフィシャルブログ「VIVA! プラチナ人生!!」|publisher=アメーバブログ |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220510115643/https://ameblo.jp/oziba/entry-12693144059.html |archivedate=2022-05-10 |url-status=live}}</ref>」と千葉、[[野際陽子]]との3ショットを公開し、「ピー(池畑)が16歳。千葉さんが29歳。野際陽子さんが30代前半。みんな若かった<ref name="oziba20220510" />」としみじみ振り返りつつ、「千葉真一さんのご冥福を心からお祈りいたします。合掌<ref name="oziba20220510" />」と追悼した<ref name="nlab20210820" /><ref name="nikkansports20210820b" /><ref>{{Cite news |title=池畑慎之介「ご冥福を心からお祈りいたします」千葉真一さん悼む…53年前の千葉さん野際さんとの3ショットで追悼 |newspaper=スポーツ報知 |date=2021-08-19 |url=https://hochi.news/articles/20210819-OHT1T51222.html?page=1 |accessdate=2022-05-10 |publisher=報知新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220510121211/https://hochi.news/articles/20210819-OHT1T51222.html?page=1 |archivedate=2022-05-10 |url-status=live}}</ref>。 |
|||
[[オスマン・サンコン]]は日本でタレント活動し始めたころに知り合い、それからは“千葉のアニキ”と慕っていた<ref name="gendai20231025" /><ref name="news-postseven20220624" />。「コロナでアニキが亡くなったのはショックだった。千葉さんはサムライね!アニキほど、[[アフリカ]]のことを考えてくれた俳優はいなかった」と語り、千葉が創ったJAPAN ACTION CLUB(JAC)の顧問に2022年4月、就任している<ref name="news-postseven20220624" />。 |
|||
{{See also|[[#2010年代]]}} |
|||
==== スポーツ界 ==== |
==== スポーツ界 ==== |
||
[[1964年東京オリンピックの体操競技]]で[[銅メダル|女子団体銅メダル]]を獲得し、[[日本体育大学]]の同期である[[千葉吟子]]は突然の訃報に、「選手としての実力は相当のものだった。在学中の1年半を一緒に練習していたが、男性なのに柔らかくて、とても素敵な演技をしていた。当時、同期のみんなは彼が入学した時からオリンピック選手になれると思っていた」と振り返り、[[1960年ローマオリンピックの体操競技]]にも出場した吟子は「怪我をしていなければ、一緒に出場していたかもしれない。すごくハンサムで、女性は密かに憧れや気持ちを寄せていた」と回想<ref name |
[[1964年東京オリンピックの体操競技]]で[[銅メダル|女子団体銅メダル]]を獲得し、[[日本体育大学]]の同期である[[千葉吟子]]は突然の訃報に、「選手としての実力は相当のものだった。在学中の1年半を一緒に練習していたが、男性なのに柔らかくて、とても素敵な演技をしていた。当時、同期のみんなは彼が入学した時からオリンピック選手になれると思っていた」と振り返り、[[1960年ローマオリンピックの体操競技]]にも出場した吟子は「怪我をしていなければ、一緒に出場していたかもしれない。すごくハンサムで、女性は密かに憧れや気持ちを寄せていた」と回想<ref name="tokyo-sports20210820a">{{Cite news |title=千葉真一さん、幻の五輪秘話 同期の体操メダリスト語る「五輪選手になれると思っていた」|newspaper=東京スポーツ |date=2021-08-20 |url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/80989 |accessdate=2023-07-20 |publisher=東京スポーツ新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20230720154046/https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/80989 |archivedate=2023-07-20 |url-status=live}}</ref>。「とにかく残念。[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症(COVID-19)]]が終わったら、同期会をやろうって言っていたのに・・・。とても寂しいです」としんみり語った<ref name="tokyo-sports20210820a" />。 |
||
=== 追悼(海外) === |
=== 追悼(海外) === |
||
[[アメリカ合衆国]]では、『[[バラエティ (アメリカ合衆国の雑誌)]]』や『[[ハリウッド・リポーター]]』といった業界誌はもちろん、『[[ニューヨーク・タイムズ]]』や『[[ロサンゼルス・タイムズ]]』、『[[ワシントン・ポスト]]』といったアメリカの[[新聞|主要一般紙]]でもその死が報じられた |
[[アメリカ合衆国]]では、『[[バラエティ (アメリカ合衆国の雑誌)]]』や『[[ハリウッド・リポーター]]』といった業界誌はもちろん、『[[ニューヨーク・タイムズ]]』や『[[ロサンゼルス・タイムズ]]』、『[[ワシントン・ポスト]]』といったアメリカの[[新聞|主要一般紙]]でもその死が報じられた{{sfn|『キネマ旬報』2021年11月上旬特別号|pp=18-19|loc=荻原順子「アメリカにおけるサニー千葉の訃報と反響」}}。映画にしてもテレビドラマにしても自国製の作品のみで十分に調えて供給できるアメリカでは、外国人俳優に対する一般人の関心が決して高くないことを踏まえると、サニー千葉は例外的存在だったと言える{{sfn|『キネマ旬報』2021年11月上旬特別号|pp=18-19|loc=荻原順子「アメリカにおけるサニー千葉の訃報と反響」}}。各媒体とも[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症(COVID-19)]]による合併症で亡くなったことから始まり、[[生い立ち]]や俳優としての経歴を紹介し、欧米で知名度を一気に上げた主演映画『激突! 殺人拳』に言及していた{{sfn|『キネマ旬報』2021年11月上旬特別号|pp=18-19|loc=荻原順子「アメリカにおけるサニー千葉の訃報と反響」}}。 |
||
[[アカデミー賞]]公式Twitterは千葉の訃報に触れ、追悼メッセージを発表した<ref>{{cite news|url=https://www.moviecollection.jp/news/99448/|title=「タランティーノのアイドル」千葉真一の訃報に海外からも追悼相次ぐ|date=2021-08-20|publisher=MOVIE Collection - ムビコレ}}</ref><ref>{{Cite tweet |user=TheAcademy |author=The Academy |authorlink=映画芸術科学アカデミー |number=1428508059026952198 |title=In 50 years on screen, Shinichi “Sonny” Chiba grew from actor to fight choreographer to legend. A black belt in six martial arts, he blended toughness with depth in films like “The Street Fighter,” “Kill Bill Vol. 1” and “The Fast and the Furious: Tokyo Drift”. He will be missed. |date=2021-08-20 |accessdate=2023-11-12}}</ref>。 |
|||
[[アカデミー賞]]公式''Twitter''は千葉の訃報に触れ、追悼メッセージを発表した |
|||
<ref>{{cite news|url=https://www.moviecollection.jp/news/99448/|title=「タランティーノのアイドル」千葉真一の訃報に海外からも追悼相次ぐ|date=2021-08-20|publisher= MOVIE Collection - ムビコレ}}</ref> |
|||
<ref>[https://twitter.com/theacademy/status/1428508059026952198 The Academy@TheAcademy]. 2021年8月20日. 2022年1月18日閲覧。</ref>。 |
|||
[[イギリス]]の[[インデペンデント]]は「『[[キル・ビル]]』などで知られる日本の有名なベテランスターは、新型コロナが原因で死去した」と速報し、[[フランス]]の |
[[イギリス]]の[[インデペンデント]]は「『[[キル・ビル]]』などで知られる日本の有名なベテランスターは、新型コロナが原因で死去した」と速報し、[[フランス]]の[[BFM TV]] は「彼は絶望の危機に瀕している日本映画の真の伝説」と評し、世界中の千葉作品を愛したファンたちも、[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|SNS ]]などで「[[Requiescat in pace|RIP]](安らかに眠れ)」とメッセージを投稿した{{efn2|「英仏が速報」『スポーツ報知』紙面 第11版、芸能欄、21頁<ref name="hochi20210820a" />。}}。 |
||
== 没後 == |
== 没後 == |
||
258行目: | 289行目: | ||
数々の代表作を放送、パッケージ販売、リバイバル上映など、追悼企画としてそれぞれ催された。 |
数々の代表作を放送、パッケージ販売、リバイバル上映など、追悼企画としてそれぞれ催された。 |
||
[[スカパー! (東経110度BS・CSデジタル放送)|スカパー! ]]は死去翌日の8月20日、[[テレビドラマ]]『[[キイハンター]]』『[[現代鬼婆考 殺愛]]』のほか、[[映画]]『[[激突! 殺人拳]]』『[[やくざ刑事シリーズ]]』『[[麻薬売春Gメンシリーズ]]』『[[あゝ同期の桜]]』『[[仁義なき戦い 広島死闘篇]]』『[[いつかギラギラする日]]』、[[時代劇]]『[[赤穂城断絶]]』『[[太閤記 (1987年のテレビドラマ)|太閤記]]』『[[徳川家康 (1988年のテレビドラマ)]]』など、[[主演]]・出演した映画・ドラマ・時代劇を放送すると発表した<ref>{{Cite web |url |
[[スカパー! (東経110度BS・CSデジタル放送)|スカパー! ]]は死去翌日の8月20日、[[テレビドラマ]]『[[キイハンター]]』『[[現代鬼婆考 殺愛]]』のほか、[[映画]]『[[激突! 殺人拳]]』『[[やくざ刑事シリーズ]]』『[[麻薬売春Gメンシリーズ]]』『[[あゝ同期の桜]]』『[[仁義なき戦い 広島死闘篇]]』『[[いつかギラギラする日]]』、[[時代劇]]『[[赤穂城断絶]]』『[[太閤記 (1987年のテレビドラマ)|太閤記]]』『[[徳川家康 (1988年のテレビドラマ)]]』など、[[主演]]・出演した映画・ドラマ・時代劇を放送すると発表した<ref>{{Cite web |url=https://spice.eplus.jp/articles/291594 |title=千葉真一さんを追悼 『キイハンター』『仁義なき戦い 広島死闘篇』『激突! 殺人拳』などドラマ・映画をスカパー!で放送 |accessdate=2021-08-20 |date=2021-08-20 |website=SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス |work=ニュース 映画 |publisher=[[イープラス|e+]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210820132256/https://spice.eplus.jp/articles/291594 |archivedate=2021-08-20 |url-status=live}}</ref>。[[BSテレビ東京]]は24日にアメリカ映画『[[エイセス/大空の誓い|エイセス / 大空の誓い]]』を29日21時から追悼放送するとアナウンス<ref name="realsound20210824">{{Cite web |url=https://realsound.jp/movie/2021/08/post-843483.html |title=千葉真一さんを追悼 BSテレ東で『エイセス / 大空の誓い』放送決定 |accessdate=2021-08-24 |date=2021-08-24 |website=[[リアルサウンド|Real Sound]]映画部 |publisher=blueprint |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210824163629/https://realsound.jp/movie/2021/08/post-843483.html |archivedate=2021-08-24 |url-status=live}}</ref><ref name="hochi20210824">{{Cite news |title=BSテレ東、千葉真一さん追悼で米映画「エイセス / 大空の誓い」29日放送 |newspaper=スポーツ報知 |date=2021-08-24 |url=https://hochi.news/articles/20210824-OHT1T51118.html?page=1 |accessdate=2021-08-24 |publisher=報知新聞社 |page=1 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220410062517/https://hochi.news/articles/20210824-OHT1T51118.html?page=1 |archivedate=2021-08-24 |url-status=live}}</ref>。同局プロデューサーは「[[敬老の日]]に世界の名優たちと同列に活躍する千葉へリスペクトを込めて放映する準備をしていたが、突然の訃報により急遽追悼放送になってしまった…。(自身が)[[昭和]]の映画少年として、数々の千葉出演作から影響を受けたものは計り知れず、その勇姿を心に刻んでほしい」とコメントを寄せている<ref name="realsound20210824" /><ref name="hochi20210824" />。地元の[[千葉テレビ放送|チバテレ]]は主演・[[アクション監督]]の映画『[[戦国自衛隊 (映画)|戦国自衛隊]]』を「千葉真一追悼番組」として10月10日に放送し<ref>{{Cite web |url=https://www.chiba-tv.com/info/detail/54851 |title=千葉真一追悼番組 映画『戦国自衛隊』|accessdate=2021-10-10 |website=チバテレ |work=新着情報 |publisher=[[千葉テレビ放送]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20211001081942/https://www.chiba-tv.com/info/detail/54851 |archivedate=2021-10-01 |url-status=live}}</ref>、[[東映チャンネル]]は「映画界最強の男 千葉真一特集」 と銘打ち、11月は『[[魔界転生#1981年|魔界転生]]』『[[風来坊探偵 赤い谷の惨劇]]』『『[[ゴルゴ13 九竜の首]]』『[[けんか空手 極真拳]]』『[[けんか空手 極真無頼拳]]』『[[やくざ刑事 俺たちに墓はない]]』、12月は『[[柳生一族の陰謀]]』『仁義なき戦い 広島死闘篇』『[[狼やくざ 殺しは俺がやる]]』『激突! 殺人拳』『[[殺人拳2]]』『[[警視庁物語#警視庁物語 不在証明|警視庁物語 不在証明]]』、翌年1月は『[[カミカゼ野郎 真昼の決斗]]』『[[直撃! 地獄拳]]』『[[日本暗殺秘録]]』『[[忍者武芸帖 百地三太夫]]』『[[狼やくざ 葬いは俺が出す]]』『[[逆襲! 殺人拳]]』、翌年2月は『[[直撃地獄拳 大逆転]]』『[[少林寺拳法 (映画)|少林寺拳法]]』『[[東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯]]』『[[ボディガード牙]]』『[[子連れ殺人拳]]』『[[空手バカ一代 (映画)|空手バカ一代]]』と、4か月間に代表作24本を特集放映した<ref>{{Cite web2 |df=ja |url=https://www.toeich.jp/special/chibashinichi_memorial |title=映画界最強の男 千葉真一特集 |website=東映チャンネル |accessdate=2021-10-27 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20211027104409/https://www.toeich.jp/special/chibashinichi_memorial |archivedate=2021-10-27 |url-status=live}}</ref>。[[時代劇専門チャンネル]]は「ありがとう!千葉真一〜ジャパニーズ・ニンジャ・アクションスター〜」と題して11月に『[[服部半蔵 影の軍団]]』と12月に『[[柳生一族の陰謀#連続ドラマ|柳生一族の陰謀]]』を各々全話ラインナップし、『[[里見八犬伝 (1983年の映画)|里見八犬伝]]』『[[伊賀忍法帖#映画|伊賀忍法帖]]』『赤穂城断絶』の映画と併せて放送した<ref>{{Cite web2 |df=ja |url=https://www.jidaigeki.com/osusume/chiba-shinichi/ |title=〈2ヵ月(11-12月)連続〉ありがとう!千葉真一〜ジャパニーズ・ニンジャ・アクションスター〜 |website=時代劇専門チャンネル |accessdate=2021-11-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20211124143625/https://www.jidaigeki.com/osusume/chiba-shinichi/ |archivedate=2021-11-24}}</ref>。 |
||
[[東映ビデオ]]は9月10日に代表作の『逆襲! 殺人拳』と『子連れ殺人拳』を、同年12月8日に初DVD化して販売することを発表し<ref name |
[[東映ビデオ]]は9月10日に代表作の『逆襲! 殺人拳』と『子連れ殺人拳』を、同年12月8日に初DVD化して販売することを発表し<ref name="hochi20210910">{{Cite news |title=千葉真一さんの代表作「逆襲! 殺人拳」と「子連れ殺人拳」が初のパッケージ化 |newspaper=スポーツ報知 |date=2021-09-10 |url=https://hochi.news/articles/20210910-OHT1T51191.html?page=1 |accessdate=2022-07-21 |publisher=報知新聞社 |page=1 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220721164455/https://hochi.news/articles/20210910-OHT1T51191.html?page=1 |archivedate=2022-07-21 |url-status=live}}</ref>、販売した<ref>{{Cite web |url=https://www.toei-video.co.jp/special/chibashinichi/ |title=躍動する肉体が人々の魂を揺さぶった世紀のスター |accessdate=2021-09-10 |website=追悼・千葉真一 |work=特集 |publisher=[[東映ビデオ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210910122229/https://www.toei-video.co.jp/special/chibashinichi/ |archivedate=2021-09-10 |url-status=live}}</ref>。 |
||
[[新文芸坐]]では10月2日に『ボディガード牙』『激突! 殺人拳』『直撃地獄拳 大逆転』『子連れ殺人拳』のオールナイト上映会が<ref name |
[[新文芸坐]]では10月2日に『ボディガード牙』『激突! 殺人拳』『直撃地獄拳 大逆転』『子連れ殺人拳』のオールナイト上映会が<ref name="hochi20210910" />、同月20日から30日には同所で“六つの黒帯を持つ男 世界のアクションスター 追悼・千葉真一”と題して、『直撃地獄拳 大逆転』『激突! 殺人拳』『けんか空手 極真拳』『少林寺拳法』『[[脱走遊戯]]』『ゴルゴ13 九竜の首』『[[沖縄やくざ戦争]]』『仁義なき戦い 広島死闘篇』『柳生一族の陰謀』『魔界転生』『ボディガード牙』『子連れ殺人拳』をラインナップし、特集上映会が開催された<ref>{{Cite web |url=https://natalie.mu/eiga/news/449640 |title=千葉真一の追悼特集が新文芸坐で開催、「激突! 殺人拳」「魔界転生」など12本 |accessdate=2022-08-15 |date=2021-10-16 |website=映画ナタリー |publisher=ナターシャ |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220815141606/https://natalie.mu/eiga/news/449640 |archivedate=2022-08-15 |url-status=live}}</ref>。 |
||
=== 2022年 === |
=== 2022年 === |
||
誕生日の[[1月22日]]、ジャパンアクションクラブ |
誕生日の[[1月22日]]、ジャパンアクションクラブ(JAC)出身の栗原敏・関根大学・[[若山騎一郎]]らを発起人とした「お別れの会 〜さらば!千葉真一〜」が[[港区 (東京都)|東京都港区]]の[[増上寺]]・光摂殿で営まれた<ref name="oriconn20220122">{{Cite web |url=https://www.oricon.co.jp/news/2221948/full/ |title=千葉真一さん、お別れの会がしめやかに 新田真剣佑&眞栄田郷敦「父を愛し続けて」 |website=ORICON NEWS |publisher=oricon ME |date=2022-01-22 |accessdate=2022-01-23}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://saraba.chiba-shinichi.com/ |title=千葉真一さんお別れの会 さらば!千葉真一 |publisher=『千葉真一さんお別れの会』 実行委員会事務局 |accessdate=2022-01-23}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202201220000937.html |title=岡崎二朗「千葉真一は永遠の美しき勇者」夢は子供たちが受け継いだ |publisher=日刊スポーツ |date=2022-01-22 |accessdate=2022-01-23}}</ref>。『戦国自衛隊』のオフショットとして撮影された写真が遺影として飾られ、足元には同作で使用された日本刀とヘルメットが添えられた<ref name="oriconn20220122" />。祭壇は生前に描いた油絵をもとにして約4000本の菊やキキョウを使って白い富士山をデザインされた<ref name="hochinews51167">{{Cite web |url=https://hochi.news/articles/20220122-OHT1T51167.html?page=1 |title=千葉真一さんお別れの会で息子・新田真剣佑と眞栄田郷敦が連名で手紙「心の中に今も変わらず息づいています」 |publisher=スポーツ報知 |date=2022-01-22 |accessdate=2022-01-23}}</ref>。BGMとしてお気に入りだった「[[戦国自衛隊 オリジナル・サウンドトラック#ララバイ・オブ・ユー / LULLABY OF YOU|ララバイ・オブ・ユー / LULLABY OF YOU]]」などが流された。愛用の空手着や主演を務めた時代劇『柳生十兵衛』の眼帯、刀など私物から撮影で使用された小道具まで幅広く展示された<ref>{{Cite web |url=https://www.daily.co.jp/gossip/2022/01/22/0015003559.shtml |title=千葉真一さんお別れの会「柳生十兵衛」の眼帯、刀、愛用の空手着など展示 涙するファンも |publisher=デイリースポーツonline |date=2022-01-22 |accessdate=2022-01-23}}</ref>。長男の新田真剣佑と次男の眞栄田郷敦は欠席し、手紙で連名のコメントを寄せた<ref name="oriconn20220122" />。新型コロナウイルスの感染対策を徹底した上で、午前の一般の部にファンが、夕方から「共に闘った戦友達のお見送り」として関係者が、合わせて約500人が参列した<ref>{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/01/23/kiji/20220122s00041000765000c.html |title=千葉真一さん「お別れの会」、親子3人共演映画の構想もかなわず |publisher=スポニチ |date=2022-01-23 |accessdate=2022-01-23}}</ref>。 |
||
2月20日、[[沖縄県]][[那覇市]]ぶんかテンブス館にて、沖縄映画研究会は「沖縄への視角 千葉真一主演作を手がかりとして」と題し、第10回研究発表会を[[オンライン]]開催し、主演作や人柄を振り返った<ref name |
2月20日、[[沖縄県]][[那覇市]]ぶんかテンブス館にて、沖縄映画研究会は「沖縄への視角 千葉真一主演作を手がかりとして」と題し、第10回研究発表会を[[オンライン]]開催し、主演作や人柄を振り返った<ref name="ryukyushimpo20220311" />。沖縄を舞台・題材にした千葉主演作品には「沖縄と本土の深い溝を描かれている」と同会代表の世良利和は指摘し、[[1976年]]に国内公開された『脱走遊戯』、『沖縄やくざ戦争』などを紹介<ref name="ryukyushimpo20220311" />。世良は「他の役者も沖縄の[[ヤクザ|やくざ]]を演じているが、千葉さんは別格。[[沖縄語|うちなーぐち]]も話し、[[三線]]にあわせて[[空手道|空手]]の[[演武]]もやって見せる、堂々たる主演作だ」と評した<ref name="ryukyushimpo20220311" />。このほかには[[台湾]]から[[国立政治大学]][[講師 (教育)|非常勤講師]]の[[:zh:李政亮|李政亮]]による発表や、映画監督の當間早志と[[特定非営利活動法人|NPO法人]]・シネマラボ突貫小僧代表の平良竜次は「千葉さんは演技や役作り、アクションで創意工夫をする方だった。役者だけでなく、作り手側の人でもあった」と言及<ref name="ryukyushimpo20220311" />。併せて[[2016年]]に収録した千葉のインタビュー動画を初上映し、千葉と[[中島貞夫]]のインタビュー動画も流されている<ref name="ryukyushimpo20220311" />。 |
||
3月27日に開催された[[第94回アカデミー賞]]では、{{仮リンク|イン・メモリアム|en|In memoriam segment}}(授賞式恒例の追悼コーナー)にて、「 |
3月27日に開催された[[第94回アカデミー賞]]では、{{仮リンク|イン・メモリアム|en|In memoriam segment}}(授賞式恒例の追悼コーナー)にて、「SONNY CHIBA ACTOR MARTIAL ARTIST」と紹介され、俳優だけでなく、格闘家としても、その偉業をたたえられた<ref>{{Cite news |title=【米アカデミー賞】千葉真一さん、追悼コーナーで「俳優・格闘家」として紹介 ワダエミさんも |newspaper=nikkansports.com |date=2022-03-28 |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202203280000565.html |accessdate=2022-03-28 |publisher=日刊スポーツ新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220328064822/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202203280000565.html |archivedate=2022-03-28 |url-status=live}}</ref><ref>{{Cite news |title=アカデミー賞で千葉真一さん、ワダ・エミさん追悼 |newspaper=シネマトゥデイ |date=2022-03-28 |url=https://www.cinematoday.jp/news/N0129347 |accessdate=2022-03-29 |publisher=シネマトゥデイ |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220329092643/https://www.cinematoday.jp/news/N0129347 |archivedate=2022-03-29 |url-status=live}}</ref><ref>{{Cite news |title=「第94回アカデミー賞」千葉真一さん、ワダエミさんを追悼 |newspaper=ORICON NEWS |date=2022-03-28 |url=https://www.oricon.co.jp/news/2222042/full/ |accessdate=2022-03-29 |publisher=oricon ME |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220329092947/https://www.oricon.co.jp/news/2222042/full/ |archivedate=2022-03-29 |url-status=live}}</ref>。 |
||
8月17日、真瀬樹里を喪主として「千葉真一さんを偲ぶ会」(会場:東京・新宿区 [[リーガロイヤルホテル東京]] 3階 ロイヤルホール)が行われた<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202208170000533.html |title=千葉真一さんを偲ぶ会で真瀬樹里「父の長子として残してくれたもの責任持って継がせていただく」 |publisher=日刊スポーツ |date=2022-08-17 |accessdate=2022-08-17}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.oricon.co.jp/news/2246052/full/ |title=千葉真一さん「偲ぶ会」しめやかに 長女・真瀬樹里「父と語らって、いい会になれば」│ORICON NEWS |
8月17日、真瀬樹里を喪主として「千葉真一さんを偲ぶ会」(会場:東京・新宿区 [[リーガロイヤルホテル東京]] 3階 ロイヤルホール)が行われた<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202208170000533.html |title=千葉真一さんを偲ぶ会で真瀬樹里「父の長子として残してくれたもの責任持って継がせていただく」 |publisher=日刊スポーツ |date=2022-08-17 |accessdate=2022-08-17}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.oricon.co.jp/news/2246052/full/ |title=千葉真一さん「偲ぶ会」しめやかに 長女・真瀬樹里「父と語らって、いい会になれば」│ORICON NEWS |publisher=オリコン |date=2022-08-17 |accessdate=2022-08-17}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://news.tv-asahi.co.jp/news_geinou/articles/hot_20220817_070.html |title=千葉真一さんを偲ぶ会がしめやかに…長女・真瀬樹里「何とか一年以内に」│テレ朝news |publisher=テレビ朝日 |date=2022-08-17 |accessdate=2022-08-17}}</ref>。発起人は若泉久朗([[KADOKAWA]]執行役員)、[[松浪健四郎]]、[[熊谷俊人]]、倉田保昭、中島貞夫、[[金子修介]]、[[北村龍平]]、[[深作健太]]、谷隼人、真田広之、兵頭慶爾(サンライズジャパン代表取締役)、[[金田治]]、西本良治郎([[ジャパンアクションエンタープライズ]]代表取締役副社長)、鈴木哲也([[アストライア (プロダクション)|アストライア]]代表)<ref name="偲ぶ会">{{Cite web |url=https://www.chibashinichi.com/news/index.html |title=千葉真一 偲ぶ会開催のお知らせ |publisher=千葉真一公式WEBサイト Official website of JJ SONNY CHIBA |accessdate=2022-08-17}}</ref>。主催:アストライア、協力:ジャパンアクションエンタープライズ、[[東映エージエンシー]]<ref name="偲ぶ会" />。もともと1月22日の開催が[[SARSコロナウイルス2-オミクロン株|オミクロン株]]の感染拡大により、首都圏に[[緊急事態宣言及びまん延防止等重点措置|まん延防止等重点措置]]が敷かれ、延期していた同会が<ref>{{Cite web |url=https://www.chibashinichi.com/ |title=千葉真一公式ホームページ |publisher=株式会社アストライア |accessdate=2022-01-23}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202201200000364.html |title=千葉真一さん「偲ぶ会」延期決定、新型コロナ・オミクロン株感染拡大で決断 |publisher=日刊スポーツ |date=2022-01-20 |accessdate=2022-01-23}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/01/21/kiji/20220121s00041000008000c.html |title=千葉真一さん「偲ぶ会」延期 長女の真瀬樹里「皆さまを感染リスクにさらすことは適切でない」 |publisher=スポニチ |date=2022-01-21 |accessdate=2022-01-23}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://hochi.news/articles/20220120-OHT1T51090.html?page=1 |title=千葉真一さんを偲ぶ会延期、所属事務所「コロナ感染により旅立った故人を思うと、適切ではない」 |publisher=スポーツ報知 |date=2022-01-20 |accessdate=2022-01-23}}</ref>、開催された。会場内には白い胡蝶蘭や白いカーネーションなどで彩られた祭壇には真瀬が選んだ写真と、出演した映画のポスターや野際陽子らとのプライベート写真などが飾られた<ref>{{Cite web |url=https://www.chunichi.co.jp/article/528335 |title=千葉真一さんしのぶ会、娘の真瀬樹里「一周忌の時期に合わせてすることができて良かった」│中日スポーツ 東京中日スポーツ |publisher=中日新聞社 |date=2022-08-17 |accessdate=2022-08-17}}</ref>。午後1時から関係者の部、午後3時からジャパンアクションクラブ関係者の部では約100人が参列し、午後5時から一般の部の3部に約50人が来場し、それぞれ献花を行った<ref name="chunichi20220818">{{Cite news |title=「千葉真一の作品をずっと忘れないで」長女・真瀬樹里あいさつ しのぶ会に錦野旦、デヴィ夫人ら出席 |newspaper=中日スポーツ |date=2022-08-18 |url=https://www.chunichi.co.jp/article/528491 |accessdate=2022-08-20 |publisher=中日新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220820100451/https://www.chunichi.co.jp/article/528491 |archivedate=2022-08-20 |url-status=live}}</ref><ref name="sanspo20220817">{{Cite web |url=https://www.sanspo.com/article/20220817-332RSS5YQNI3XH3Q6BUCOPG3BU/ |title=千葉真一さんを偲ぶ会が19日の一周忌前に開催 長女真瀬樹里「いい会にできれば」 |publisher=サンスポ |date=2022-08-17 |accessdate=2022-08-17}}</ref>。千葉と生前親交のあった芸能関係者らが続々と詰めかけ<ref name="sanspo20220817" />、[[別所哲也]]、谷隼人、[[デヴィ・スカルノ]]、[[オスマン・サンコン]]、[[錦野旦]]、松浪健四郎、金子修介、[[河崎実]]ら、計約250人が出席した<ref name="chunichi20220818" /><ref>{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/08/18/kiji/20220818s00041000146000c.html |title=千葉真一さんを偲ぶ会に250人出席 好きだった白い花で祭壇彩る |publisher=スポニチ |date=2022-08-18 |accessdate=2022-08-18}}</ref>。北島三郎、三田佳子、志穂美悦子、[[明石家さんま]]、[[関根勤]]、[[小堺一機]]、[[坂上忍]]、伊原剛志らからは、花が届けられた<ref name="chunichi20220818" />。 |
||
8月19日、[[大願寺]]で一周忌法要が、新田真剣佑と眞栄田郷敦を願主にして営まれた<ref name=" |
8月19日、[[大願寺]]で一周忌法要が、新田真剣佑と眞栄田郷敦を願主にして営まれた<ref name="sanspo20220820">{{Cite web |url=https://www.sanspo.com/article/20220820-YCZDGBIUTJJOXA37SP2VXG3V3Y/ |title=千葉真一さん一周忌法要に100人 |publisher=サンスポ |date=2022-08-20 |accessdate=2022-09-01}}</ref>。真剣佑と郷敦は仕事で欠席したが、連名で「またこうして故人の思いを皆さまと共に分かち合い、新たな絆が生まれました」とメッセージを寄せた<ref name="sanspo20220820" />。祭壇には主演映画『[[魔界転生#1981年|魔界転生]]』(1981年)で務めた柳生十兵衛役の写真などが遺影として飾られ、[[大村崑]]、[[山田隆夫]]、若山騎一郎ら約100人が参列した<ref name="sanspo20220820" />。 |
||
=== 2023年 === |
=== 2023年 === |
||
84回目の誕生日となる1月22日<ref name |
84回目の誕生日となる1月22日<ref name="sponichi20230123">{{Cite news |title=新田真剣佑、眞栄田郷敦 父・千葉真一さん誕生日に兄弟W結婚発表 生前千葉さんに紹介も |newspaper=スポニチ Sponichi Annex |date=2023-01-23 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/01/23/kiji/20230122s00041000719000c.html |accessdate=2023-07-19 |publisher=スポーツニッポン新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20230123011338/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/01/23/kiji/20230122s00041000719000c.html |archivedate=2023-01-23 |url-status=live}}</ref><ref name="sanspo20230123">{{Cite news |title=新田真剣佑&眞栄田郷敦が結婚同時発表 天国の父・千葉真一さん誕生日に、ともに一般女性と |newspaper=SANSPO.COM |date=2023-01-23 |url=https://www.sanspo.com/article/20230123-IDFIJVDMFRKNFN4YKCZK6DZ7DQ/ |accessdate=2023-07-19 |publisher=産業経済新聞社 |page=1 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20230131014525/https://www.sanspo.com/article/20230123-IDFIJVDMFRKNFN4YKCZK6DZ7DQ/ |archivedate=2023-01-31 |url-status=live}}</ref>、新田真剣佑と眞栄田郷敦は一緒にそれぞれの[[結婚]]を発表した<ref name="sponichi20230123" /><ref name="sanspo20230123" /><ref name="mdpr20230122">{{Cite web |url=https://mdpr.jp/news/detail/3566640 |title=新田真剣佑&眞栄田郷敦、同時に結婚を発表 父・千葉真一さんの誕生日に |accessdate=2023-07-19 |date=2023-01-22 |website=モデルプレス |publisher=ネットネイティブ |archiveurl=https://web.archive.org/web/20230122205401/https://mdpr.jp/news/detail/3566640 |archivedate=2023-01-22 |url-status=live}}</ref><ref name="news.ntv20230122">{{Cite news |title=新田真剣佑&眞栄田郷敦 兄弟そろって結婚を発表 2人で決めた“同日発表の理由” |newspaper=日テレNEWS24 |date=2023-01-22 |url=https://news.ntv.co.jp/category/culture/1e1ac026f05a4f44b0c1423cac1063d0 |accessdate=2023-07-19 |publisher=CS日本 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20230122103023/https://news.ntv.co.jp/category/culture/1e1ac026f05a4f44b0c1423cac1063d0 |archivedate=2023-01-22 |url-status=live}}</ref><ref name="zakzak20230123">{{Cite web |url=https://www.zakzak.co.jp/article/20230123-GRORSKXDMNKX5JHDW35CHRVSEY/ |title=新田真剣佑と眞栄田郷敦、父・千葉真一さんの誕生日にW婚同時発表〝千葉兄弟〟の固い結束 |accessdate=2023-07-19 |date=2023-01-23 |website=ZAKZAK |work=芸能 |publisher=産業経済新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20230123063902/https://www.zakzak.co.jp/article/20230123-GRORSKXDMNKX5JHDW35CHRVSEY/ |archivedate=2023-01-23 |url-status=live}}</ref><ref name="oricon20230124">{{Cite news |title=新田真剣佑&眞栄田郷敦、父・千葉真一さん誕生日にそろって結婚 今後も注目作続々 兄は人気漫画実写版、弟は大河ドラマ |newspaper=ORICON NEWS |date=2023-01-24 |url=https://www.oricon.co.jp/news/2264987/full/ |accessdate=2023-07-19 |publisher=oricon ME |archiveurl=https://web.archive.org/web/20230124123343/https://www.oricon.co.jp/news/2264987/full/ |archivedate=2023-01-24 |url-status=live}}</ref>。真剣佑と郷敦は「父の誕生日である1月22日に揃って発表しよう」と事前に決めていたので<ref name="sponichi20230123" /><ref name="sanspo20230123" /><ref name="mdpr20230122" /><ref name="news.ntv20230122" /><ref name="oricon20230124" />、兄弟の結束の強さを示す格好となった<ref name="zakzak20230123" />。生前、真剣佑と郷敦から妻となる女性たちを紹介され、食事を共にしており、息子たちの相手を気に入っていたことから、彼らの結婚を楽しみにしていた<ref name="sponichi20230123" />。 |
||
(⇒ ''[[#家族]]'') |
|||
{{See also|[[#家族]]}} |
|||
== 事績 == |
== 事績 == |
||
=== 変身ヒーロー === |
=== 変身ヒーロー === |
||
[[File:Invasion of the Neptune Men 1.jpg|thumb|300px|right|『[[宇宙快速船]]』にて、[[横蹴り]]と[[裏拳打ち|裏拳]]を同時に繰り出す。]] |
[[File:Invasion of the Neptune Men 1.jpg|thumb|300px|right|『[[宇宙快速船]]』にて、[[横蹴り]]と[[裏拳打ち|裏拳]]を同時に繰り出す。]] |
||
[[デビュー]]作は1960年1月7日から放送された『[[新 七色仮面]]』で、次の『[[アラーの使者]]』にも主演し、まずはテレビドラマで人気を得る<ref name |
[[デビュー]]作は1960年1月7日から放送された『[[新 七色仮面]]』で、次の『[[アラーの使者]]』にも主演し、まずはテレビドラマで人気を得る<ref name="zakzak20110518" />。『新 七色仮面』は『[[七色仮面]]』から引き継がれた作品で、『七色仮面』では蘭光太郎を[[波島進]]、七色仮面を[[スーツアクター]]が分担して演じていた<ref>{{Cite book|和書|author=京本政樹 |authorlink=京本政樹 |date=1992-06 |title=京本政樹のHERO考証学 |publisher=[[バンダイ]] |page=144 |isbn=4-8918-9234-X}}</ref>。波島は古典的な仮面ヒーローの王道を行ったが、千葉はスーツアクターも兼務して、[[器械体操]]を活かしたアクションをふんだんに取り入れ、新しい七色仮面を編み出した{{sfn|『超人画報』|1995|p=42|loc=「七色仮面 / 新 七色仮面」}}{{sfn|『全怪獣怪人 上巻』}}。その演技・[[スタント]]・[[擬斗]]は、後に製作されていく[[変身 (ヒーロー)|変身ヒーロー]]を題材とした[[特撮|特撮作品]]に、大きな影響を与えている{{sfn|『超人画報』|1995|p=42|loc=「七色仮面 / 新 七色仮面」}}{{sfn|『全怪獣怪人 上巻』}}。『アラーの使者』も児童向け活劇だが、アクションは本格的で{{sfn|『超人画報』|1995|p=48|loc=「アラーの使者」}}、翌年の主演映画『[[宇宙快速船]]』のアクションヒーローに繋がっていく{{sfn|『超人画報』|1995|p=53|loc=「宇宙快速船」}}。 |
||
(⇒ ''[[#アクションスター]]'') |
|||
{{See also|[[#アクションスター]]}} |
|||
=== アクション映画 === |
=== アクション映画 === |
||
[[File:Wandering Detective Black Wind in the Harbor 1.jpg|thumb|left|300px|『[[風来坊探偵 岬を渡る黒い風]]』にて、[[ウィンチェスターライフル]]を手にする。中央は[[曽根晴美]]。]] |
[[File:Wandering Detective Black Wind in the Harbor 1.jpg|thumb|left|300px|『[[風来坊探偵 岬を渡る黒い風]]』にて、[[ウィンチェスターライフル]]を手にする。中央は[[曽根晴美]]。]] |
||
1961年に[[深作欣二]]の監督デビュー作『[[風来坊探偵 赤い谷の惨劇]]』に主演。危ないシーンは[[スタントマン]]に任せるのが主流な時代に、「[[吹き替え]]せずにできる」と[[映画スタッフ|スタッフ]]へ言ったので、「さすが[[日体大]]だけに凄いことをやる」と評された |
1961年に[[深作欣二]]の監督デビュー作『[[風来坊探偵 赤い谷の惨劇]]』に主演。危ないシーンは[[スタントマン]]に任せるのが主流な時代に、「[[吹き替え]]せずにできる」と[[映画スタッフ|スタッフ]]へ言ったので、「さすが[[日体大]]だけに凄いことをやる」と評された{{sfn|『JAC特集号』|1982|pp=61-62|loc=「世界に通じるアクションスター育成」}}。深作は文芸作品よりアクションものを好み「肉体こそ俳優の言葉」が口ぐせだったので{{efn2|2013年現在、千葉真一自身は座右の銘を「肉体は永遠の言葉である」としている<ref name="eigacom20130310" /><ref name="nikkansports20130311" />。}}、第二作『[[風来坊探偵 岬を渡る黒い風]]』でも千葉を主演に据え、更に危険な吹き替え無しのスタントを演じさせた{{sfn|『JAC特集号』|1982|p=62|loc=「世界に通じるアクションスター育成」}}。[[第二東映|ニュー東映]]のホープとして主演した『[[ファンキーハットの快男児シリーズ]]』では<ref>{{Eiren|03000009141|『ファンキーハットの快男児』}}</ref>、[[カーチェイス]]、左右に[[開脚]]して2人の敵を同時に倒す[[跳び蹴り]]、[[体操競技|器械体操]]で培った筋骨隆々な肉体美を[[大車輪]]で披露している{{sfn|『SPORTS CITY』1981年第1巻第2号}}{{sfn|『せんせい』パンフレット|1989|p=17}}。こののち千葉と深作は17の映画でコンビを組み、ヒットを連発していく<ref name="nikkansports20210820a" />。 |
||
(⇒ ''[[#キイハンター]]'') |
|||
{{See also|[[#キイハンター]]}} |
|||
深作欣二の評価とは対照的に[[高倉健]]から「アクションスターにはアクションしかできないという評価もあるから、そのイメージを世間に持たれないほうがいい」とアドバイスされ、ドンパチの活劇だけでなく青春ものをやりたいなとも思っていた<ref name = 世通ア育62/>。宣伝担当の福永邦昭は「[[体操競技|器械体操]]で鍛え上げた肉体と抜群の運動神経で、新しいアクション俳優の誕生と騒がれたが、[[東映]]が彼を生かしきれなかった<ref name = 子守唄/>」と振り返っており、それでも東映は映画・テレビドラマと[[ジャンル]]を問わず、アクションスターであることを千葉へ常に求めていくこととなる<ref name = wakita/>。3, 4年ほど悩んだ末、やる以上、誰にも負けない完全にアクションのできる役者に成ろうと決意した<ref name = 世通ア育63>[[#JAC特集号|「世界に通じるアクションスター育成」、63頁。]]</ref>。 |
|||
(⇒ ''[[#格闘映画]]'') |
|||
深作欣二の評価とは対照的に[[高倉健]]から「アクションスターにはアクションしかできないという評価もあるから、そのイメージを世間に持たれないほうがいい」とアドバイスされ、ドンパチの活劇だけでなく青春ものをやりたいなとも思っていた{{sfn|『JAC特集号』|1982|p=62|loc=「世界に通じるアクションスター育成」}}。宣伝担当の福永邦昭は「[[体操競技|器械体操]]で鍛え上げた肉体と抜群の運動神経で、新しいアクション俳優の誕生と騒がれたが、[[東映]]が彼を生かしきれなかった<ref name="zakzak20160318" />」と振り返っており、それでも東映は映画・テレビドラマと[[ジャンル]]を問わず、アクションスターであることを千葉へ常に求めていくこととなる{{sfn|『戦国自衛隊』パンフレット|1979|p=21|loc=脇田巧彦「アクションに賭ける男・千葉真一」}}。3, 4年ほど悩んだ末、やる以上、誰にも負けない完全にアクションのできる役者に成ろうと決意した{{sfn|『JAC特集号』|1982|p=63|loc=「世界に通じるアクションスター育成」}}。 |
|||
1966年の『[[カミカゼ野郎 真昼の決斗]]』([[日本映画|日]][[台湾映画|台]]合作)は[[中華民国|台湾]]で[[ロケーション撮影]]され、離陸する[[軽飛行機]]の翼に飛びつき乗り込むスタントをした<ref name = kamakura/><ref name = 20人が証言113>[[#20人が証言|「20人が証言する裸の千葉真一」、113頁。]]</ref>。疾走する自動車を追いかけアンテナに飛びつくスタントでは、後輪の跳ねた石が脛に突き刺さり、台湾で一週間入院する代償を払っている<ref name = 平凡>{{Cite journal |和書 |year = 1969 |title = ●空中滑降撮影中、地面にたたきつけられる 本誌カメラマンの目の前で千葉真一が 『[[キイハンター]]』 左足首を骨折! 2ヶ月の重傷!! |journal = [[週刊平凡]] |issue = 4月3日号 |publisher = [[マガジンハウス]] }}</ref>。傷だらけになりながらもスタントを演じきったが<ref name = 20人が証言113/>、『[[柔道一代 講道館の鬼]]』(1964年)に続いてケガしたため、父親を受取人にして[[傷害保険]]・[[生命保険]]を契約<ref name = 平凡 />。1970年の『[[やくざ刑事シリーズ]]』では、クランクイン前に約1億円の保険に加入した<ref>{{Cite journal |和書 |title = シネマ・サロン 1億円の生命保険かけた千葉真一 -東映男性路線にカムバック- |journal = 週刊明星 |issue = 1971年5月10日号 |publisher = 集英社 |pages = 172 }}</ref>。同シリーズは後の作品にも影響を与えており、1999年の[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]『[[マトリックス (映画)|マトリックス]]』で[[キアヌ・リーブス]]扮する主人公が片手側転しながら[[機関銃|マシンガン]]を連射するシーンは、第1作の『[[やくざ刑事]]』で千葉が右手で[[拳銃]]を撃ちながら、片手で[[:w:Cartwheel (gymnastics)|側転]]する[[スタント]]が原型となっている<ref>[[#挑む2692|小玉大輔 「VIVA CHIBA! 国内外の映画人から敬愛される伝説のスター」、28頁。]]</ref>。 |
|||
(⇒ ''[[#キイハンター]]''・''[[#格闘映画]]''・''[[#ファン]]'') |
|||
{{See also|[[#格闘映画]]}} |
|||
芸能生活20周年記念作品である『[[戦国自衛隊 (映画)|戦国自衛隊]]』(1979年)で<ref name = 戦自プロノー26/>、主演と[[日本映画]]初の[[アクション監督]]を兼務した<ref name = senpro/>。[[時速]]100[[キロメートル|km]]で飛ぶ[[ヘリコプター]]に[[ロープ]]1本でぶら下がり、[[乗馬]]では同年の『[[闇の狩人#映画|闇の狩人]]』に続き、地面にある[[矢]]と[[弓 (武器)|弓]]を左右に傾き、拾い上げるスタントを演じたほか、ヘリコプターから宙吊りになるシーンは自前の[[ハイスピードカメラ]]を足に括りつけて撮影し<ref name = wakita/>、騎手の目線を写すためにカメラを取り付けたヘルメットを被り乗馬するなど<ref>[[#千葉2008|「革命的手法をもたらした『戦国自衛隊』」、73 - 74頁。]]</ref>{{Efn |当時の[[ハイスピードカメラ]]は今と比べると遥かに重たく、外見もかさばっていた。}}、アクション監督として撮影を自ら行っており、これらの敢行は[[映画スタッフ|スタッフ]]をとても心配させた<ref name = wakita/>。[[馬]]の脇腹に隠れての乗馬は、テレビ時代劇『[[柳生一族の陰謀#テレビ映画|柳生一族の陰謀]]』第27話「美女と野獣」で千葉が、既に演じていたものを[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ (''JAC'') ]]のメンバーに再現させ、『[[戦略大作戦]]』を意識して演出をした<ref name = 高平哲郎/>、1980年に[[ブルーリボン賞 (映画)#第23回(1980年度)|ブルーリボン賞]]のスタッフ賞を受賞した。 |
|||
{{Main|戦国自衛隊}} |
|||
1966年の『[[カミカゼ野郎 真昼の決斗]]』([[日本映画|日]][[台湾映画|台]]合作)は[[中華民国|台湾]]で[[ロケーション撮影]]され、離陸する[[軽飛行機]]の翼に飛びつき乗り込むスタントをした{{sfn|『SPORTS CITY』1981年第1巻第2号}}{{sfn|『月刊平凡』1970年 第26巻第3号|p=113|loc=「20人が証言する裸の千葉真一」}}。疾走する自動車を追いかけアンテナに飛びつくスタントでは、後輪の跳ねた石が脛に突き刺さり、台湾で一週間入院する大けがを負っている{{sfn|『週刊平凡』1969年4月3日号}}。傷だらけになりながらもスタントを演じきったが{{sfn|『月刊平凡』1970年 第26巻第3号|p=113|loc=「20人が証言する裸の千葉真一」}}、『[[柔道一代 講道館の鬼]]』(1964年)に続いてケガしたため、父親を受取人にして[[傷害保険]]・[[生命保険]]を契約{{sfn|『週刊平凡』1969年4月3日号}}。1970年の『[[やくざ刑事シリーズ]]』では、クランクイン前に約1億円の保険に加入した<ref>{{Cite journal|和書|title=シネマ・サロン 1億円の生命保険かけた千葉真一 -東映男性路線にカムバック- |journal=週刊明星 |issue=1971年5月10日号 |publisher=集英社 |pages=172}}</ref>。同シリーズは後の作品にも影響を与えており、1999年の[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]『[[マトリックス (映画)|マトリックス]]』で[[キアヌ・リーブス]]扮する主人公が片手側転しながら[[機関銃|マシンガン]]を連射するシーンは、第1作の『[[やくざ刑事]]』で千葉が右手で[[拳銃]]を撃ちながら、片手で[[:w:Cartwheel (gymnastics)|側転]]する[[スタント]]が原型となっている{{sfn|『キネマ旬報』2021年11月上旬特別号|p=28|loc=小玉大輔「VIVA CHIBA! 国内外の映画人から敬愛される伝説のスター」}}。 |
|||
{{See also|[[#キイハンター]]|[[#格闘映画]]|[[#ファン]]}} |
|||
芸能生活20周年記念作品である『[[戦国自衛隊 (映画)|戦国自衛隊]]』(1979年)で{{sfn|『戦国自衛隊』パンフレット|1979|p=26|loc=「プロダクションノート」}}、主演と[[日本映画]]初の[[アクション監督]]を兼務した{{sfn|『戦国自衛隊』パンフレット|1979|p=30|loc=「プロフィール」}}。[[時速]]100[[キロメートル|km]]で飛ぶ[[ヘリコプター]]に[[ロープ]]1本でぶら下がり、[[乗馬]]では同年の『[[闇の狩人#映画|闇の狩人]]』に続き、地面にある[[矢]]と[[弓 (武器)|弓]]を左右に傾き、拾い上げるスタントを演じたほか、ヘリコプターから宙吊りになるシーンは自前の[[ハイスピードカメラ]]を足に括りつけて撮影し{{sfn|『戦国自衛隊』パンフレット|1979|p=21|loc=脇田巧彦「アクションに賭ける男・千葉真一」}}、騎手の目線を写すためにカメラを取り付けたヘルメットを被り乗馬するなど{{sfn|千葉|2008|pp=73-74|loc=「革命的手法をもたらした『戦国自衛隊』」}}{{efn2|当時の[[ハイスピードカメラ]]は今と比べると遥かに重たく、外見もかさばっていた。}}、アクション監督として撮影を自ら行っており、これらの敢行は[[映画スタッフ|スタッフ]]をとても心配させた{{sfn|『戦国自衛隊』パンフレット|1979|p=21|loc=脇田巧彦「アクションに賭ける男・千葉真一」}}。[[馬]]の脇腹に隠れての乗馬は、テレビ時代劇『[[柳生一族の陰謀#テレビ映画|柳生一族の陰謀]]』第27話「美女と野獣」で千葉が、既に演じていたものを[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ]](JAC)のメンバーに再現させ、『[[戦略大作戦]]』を意識して演出をした<ref name="zakzak20110518" />、1980年に[[ブルーリボン賞 (映画)#第23回(1980年度)|ブルーリボン賞]]のスタッフ賞を受賞した。 |
|||
{{Main|戦国自衛隊 (映画)}} |
|||
東映から「好きな映画を作っていい」と許可され、企画した1981年の主演作『[[冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-]]』は、[[フランスの映画|フランス映画]]『[[冒険者たち]]』を[[オマージュ]]した作品で、空手・拳法の達人や剣豪・忍者とは異なるしがない大学職員に扮して活劇を演じた{{sfn|『冒険者カミカゼ』パンフレット|1981|pp=3-5|loc=保科幸雄「高鳴る!冒険者たちのメロディ 燃える夢喰い男・千葉真一」}}。前年の『[[忍者武芸帖 百地三太夫]]』では[[ワイヤーアクション]]を初めて取り入れ、『[[吼えろ鉄拳]]』と同様に[[俳優]]とアクション監督を兼ね、『[[燃える勇者]]』ではアクション監修に携わった。1989年の『[[将軍家光の乱心 激突]]』では再び、アクション監督と俳優を兼務したが、この作品は[[第39回ベルリン国際映画祭]]に招待された。[[1990年の映画|1990年]]には[[映画プロデューサー|プロデューサー]]と初の[[映画監督|監督]]を兼ねた映画『[[リメインズ 美しき勇者たち]]』を手がけ、[[アクション映画]]の全盛期を牽引していた。 |
|||
東映から「好きな映画を作っていい」と許可され、企画した1981年の主演作『[[冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-|冒険者カミカゼ ''-ADVENTURER KAMIKAZE-'']]』は、[[フランスの映画|フランス映画]]『[[冒険者たち]]』を[[オマージュ]]した作品で、空手・拳法の達人や剣豪・忍者とは異なるしがない大学職員に扮して活劇を演じた<ref name = Hoshina/>。前年の『[[忍者武芸帖 百地三太夫]]』では[[ワイヤーアクション]]を初めて取り入れ、『[[吼えろ鉄拳]]』と同様に[[俳優]]とアクション監督を兼ね、『[[燃える勇者]]』ではアクション監修に携わった。1989年の『[[将軍家光の乱心 激突]]』では再び、アクション監督と俳優を兼務したが、この作品は[[第39回ベルリン国際映画祭]]に招待された。[[1990年の映画|1990年]]には[[映画プロデューサー|プロデューサー]]と初の[[映画監督|監督]]を兼ねた映画『[[リメインズ 美しき勇者たち]]』を手がけ、[[アクション映画]]の全盛期を牽引していた。 |
|||
{{Main|冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-}} |
{{Main|冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-}} |
||
{{Main|将軍家光の乱心 激突}} |
{{Main|将軍家光の乱心 激突}} |
||
これまで話題作に数多く主演してきたが、それとは裏腹に「アメリカで撮影が始まるときには『 |
これまで話題作に数多く主演してきたが、それとは裏腹に「アメリカで撮影が始まるときには『Ready camera. Action!』と声がかかる。“アクション”は本来『あらゆる演技』を意味するものだけど{{sfn|千葉|2010|pp=183-184|loc=「受け継がれる武士道」}}、『体が動くからアクション俳優をやれ』と要望通りに何でも演じてきたことで、日本では逆にアクションのみが先行してしまい、あまり良くないイメージを持たれた{{sfn|千葉|2010|pp=183-184|loc=「受け継がれる武士道」}}{{sfn|『キネマ旬報』1982年8月上旬号|pp=130-133}}」と複雑な心情を吐露している。 |
||
(⇒ ''[[#アクションスター]]''・''[[#ジャンルを越えた活躍]]'') |
|||
{{See also|[[#アクションスター]]|[[#ジャンルを越えた活躍]]}} |
|||
=== 音楽 === |
=== 音楽 === |
||
1963年に[[シングル]]「[[男一匹生きるなら]]」を[[発売|リリース]]して[[歌手]]デビューを果たした。[[1967年の音楽|1967年]]に[[グループ・サウンズ]]の「ザ・サタンズ」というエレキバンドを結成 |
1963年に[[シングル]]「[[男一匹生きるなら]]」を[[発売|リリース]]して[[歌手]]デビューを果たした。[[1967年の音楽|1967年]]に[[グループ・サウンズ]]の「ザ・サタンズ」というエレキバンドを結成{{sfn|『月刊平凡』1969年 第25巻第8号|p=81|loc=「追跡ルポ / チバシンのモーレツ24時間」}}{{sfn|『GS グループ・サウンズ』|2013}}。リーダーとして夜は音楽喫茶で歌い{{sfn|『月刊平凡』1969年 第25巻第8号|p=81|loc=「追跡ルポ / チバシンのモーレツ24時間」}}、九州巡業や東京の[[ジャズ喫茶]]でライブをしていた{{sfn|『GS グループ・サウンズ』|2013}}。メンバーには[[ドラマー]]兼ライブの司会者で[[潮健児]]、もう1人の[[ドラムセット|ドラム]]・[[サイドギター]]・[[ベースギター]]・[[電子オルガン]]・[[リードギター]]の5人は高校の後輩である{{sfn|『GS グループ・サウンズ』|2013}}。バンド名の由来は漫画『[[悪魔くん]]』が好きな千葉が名付けたもの{{sfn|『月刊平凡』1970年 第26巻第3号|p=113|loc=「20人が証言する裸の千葉真一」}}。主な楽曲には1968年の「[[女の片えくぼ]]」があり、同年5月11日に放送された『[[キイハンター]]』第6話「影のメロディー」では、風間洋介(千葉)と谷口ユミ([[大川栄子]])が[[ゴーゴー喫茶]]で踊るシーンの[[劇伴]]に流され、ザ・サタンズも[[バックバンド]]のメンバーとして出演している。このほか映画やドラマの主題歌も歌い、作詞・作曲も手掛けた。 |
||
(⇒ ''[[#ジャンルを越えた活躍]]''・''[[#キイハンター]]''・''[[#ディスコグラフィ]]'') |
|||
{{See also|[[#ジャンルを越えた活躍]]|[[#キイハンター]]|[[#ディスコグラフィ]]}} |
|||
=== キイハンター === |
=== キイハンター === |
||
『[[キイハンター]]』(1968年 - 1973年)は、瞬く間に視聴率は30パーセントを超え、1年の放送予定が5年に延ばされた<ref name |
『[[キイハンター]]』(1968年 - 1973年)は、瞬く間に視聴率は30パーセントを超え、1年の放送予定が5年に延ばされた<ref name="asagei20121127" />{{sfn|千葉|2010|p=28|loc=「毎回新しいアクションにチャレンジ、大人気となった『キイハンター』」}}。山頂駅を出発した[[谷]]を行き来する[[索道|ロープウェイ]]に[[ワイヤ]]を投げてぶら下がってからよじ登り、走行する[[列車]]や[[バス (交通機関)|バス]]に飛び降りて屋根で敵と格闘、[[自動車]]から並走する[[軽飛行機]]に飛び移る、[[雪渓]]から回転しながら転落、滑落しそうな[[滝]]の前で格闘など、数々のスタントを演じているがケガも絶えず、大きなものでは左[[足首]]骨折や[[日本刀]]で[[腕]]を斬られたこともある{{sfn|『週刊平凡』1969年4月3日号}}{{sfn|千葉|2010|p=20|loc=「毎回新しいアクションにチャレンジ、大人気となった『キイハンター』」}}{{sfn|千葉|2010|pp=25-26|loc=「毎回新しいアクションにチャレンジ、大人気となった『キイハンター』」}}{{sfn|千葉|2008|pp=65-66|loc=「死と隣り合わせのアクションシーン」}}。 |
||
(⇒ ''[[#アクション映画]]'') |
|||
{{See also|[[#アクション映画]]}} |
|||
{{Main|キイハンター}} |
{{Main|キイハンター}} |
||
本作の脚本は映画に比べるとアクションが詳細に指定されていなかったので、千葉は良いものを作りたい一心で積極的にアイデアを出すが、経費を気にするスタッフと対立することもあった |
本作の脚本は映画に比べるとアクションが詳細に指定されていなかったので、千葉は良いものを作りたい一心で積極的にアイデアを出すが、経費を気にするスタッフと対立することもあった{{sfn|『JAC特集号』|1982|p=63|loc=「世界に通じるアクションスター育成」}}。しかし視聴率が上がっていき、千葉のアイデアはどんどん採用されていくこととなる{{sfn|『JAC特集号』|1982|p=63|loc=「世界に通じるアクションスター育成」}}。国内では[[1969年]](昭和44年)の[[近代映画社|近代映画]]10月号臨時増刊では『千葉真一特集号』を刊行され、[[マーガレット (雑誌)|週刊マーガレット]]では同年のNo.17から『千葉真一物語』が連載されるなど、[[人気]]はさらに上昇していった{{sfn|『SPORTS CITY』1981年第1巻第2号}}<ref name="asagei20121127" />。[[海外]]でもオンエアされ、[[ブルース・リー]]は千葉の大ファンとなり<ref name="zakzak20160318" />、その活躍に深い興味を示して共演の申し入れをしてきたが{{sfn|『SPORTS CITY』1981年第1巻第2号}}、リーの突然の死により実現しなかった{{sfn|『SPORTS CITY』1981年第1巻第2号}}<ref name="zakzak20160318" />。千葉のアクションやスタントを観てから熱狂的なファンとなった[[ジャッキー・チェン]]は、千葉のようなアクションスターになる夢を抱いていた<ref name="堀田眞三20060730">{{Cite web |url=http://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/46a52dbafe59712cdeaf15ab22f92cbb |title=千葉真一さんの職業病 |accessdate=2011-01-05 |author=堀田眞三 |authorlink=堀田眞三 |date=2006-07-30 |website=俳優 堀田眞三(グランパ)です。|work=Weblog |publisher=[[gooブログ]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130517232515/http://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/46a52dbafe59712cdeaf15ab22f92cbb |archivedate=2013-05-17 |url-status=live}}</ref>。 |
||
(⇒ ''[[#ファン(海外)]]'') |
|||
{{See also|[[#ファン(海外)]]}} |
|||
[[香港]]・[[タイ王国]]で[[映画]]『[[東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯]]』(1973年)、『[[激殺! 邪道拳]]』『[[ゴルゴ13 九竜の首]]』(1977年)、『[[HAKEN 覇拳 ふりむけば修羅]]』『[[地雷原 A mine field.]]』(1992年)など、千葉の[[主演]]・[[映画監督|監督]]作品が[[ロケーション撮影]]された際には現地で大歓迎されている。[[中島貞夫]]は『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』をタイの製作会社からの資本参加を得てロケができた理由の一つに、『キイハンター』が当地で放送されており、千葉の人気が高かったことを挙げている{{sfn|中島|2014|p=324|loc=「『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』」}}。 |
|||
{{See also|[[#ファン]]}} |
|||
[[香港]]・[[タイ王国]]で[[映画]]『[[東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯]]』(1973年)、『[[激殺! 邪道拳]]』『[[ゴルゴ13 九竜の首]]』(1977年)、『[[HAKEN 覇拳 ふりむけば修羅]]』『[[地雷原 A mine field.]]』(1992年)など、千葉の[[主演]]・[[映画監督|監督]]作品が[[ロケーション撮影]]された際には現地で大歓迎されている。[[中島貞夫]]は『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』をタイの製作会社からの資本参加を得てロケができた理由の一つに、『キイハンター』が当地で放送されており、千葉の人気が高かったことを挙げている<ref>[[#遊撃|「『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』」、324頁。]]</ref>。 |
|||
(⇒ ''[[#ファン]]'') |
|||
{{Main|東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯}} |
{{Main|東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯}} |
||
共演者の[[野際陽子]]は「ともかく熱意が凄くて、ケガすると普通はビビるのがそれ位以上のことに挑戦して成功する“怖いもの知らず”。でも[[サボテン]]だけは怖いんですって |
共演者の[[野際陽子]]は「ともかく熱意が凄くて、ケガすると普通はビビるのがそれ位以上のことに挑戦して成功する“怖いもの知らず”。でも[[サボテン]]だけは怖いんですって{{sfn|『月刊平凡』1970年 第26巻第3号|p=113|loc=「20人が証言する裸の千葉真一」}}」と証言している。千葉に比べると[[役者]]として駆け出しだった野際だが、放映し始めた頃のギャラは多くの映画に主演経験のある千葉より高かったので、「追い越してやる」と奮起させてくれる間柄でもあった{{efn2|2年後にギャラは千葉のほうが上になった{{sfn|千葉|2008|p=92|loc=出会いは『キイハンター』・野際陽子}}。}}。 |
||
[[谷隼人]]は「千葉さんは『キイハンター』で[[身体障害者]]のファンが増えた。“あなたのアクションは私たちの夢です”と言われ、自分のアクションが希望を与えるならと一層刺激を受けていた。彼らの施設にも寄付をしていた |
[[谷隼人]]は「千葉さんは『キイハンター』で[[身体障害者]]のファンが増えた。“あなたのアクションは私たちの夢です”と言われ、自分のアクションが希望を与えるならと一層刺激を受けていた。彼らの施設にも寄付をしていた{{sfn|『月刊平凡』1970年 第26巻第3号|p=113|loc=「20人が証言する裸の千葉真一」}}」、[[大川栄子]]は「俳優にならなかったら、体育の先生になっていたと、よく基本を教えてくれる{{sfn|『月刊平凡』1970年 第26巻第3号|p=112|loc=「20人が証言する裸の千葉真一」}}」と言っている。 |
||
[[宮内洋]]は千葉が爆発の中を駆け抜けるシーンを横のアングルから見ていた時、「カメラを通して観るように」と言われ、安全のために千葉は火薬と距離を取りアクションをしていたが、レンズの位置からみると「今にも火薬でやられてしまうような迫力だった」とその迫力の違いに驚愕していた<ref name="weekly-g20161115">{{Cite web2 |df=ja |url=https://weekly-g.jp/c05roman/s01horoniga/ho153/ |title=1秒でも長く映っていたい!! |accessdate=2016-11-23 |date=2016-11-15 |work=宮内洋(俳優) - ほろ苦インタビュー |publisher=週刊ジョージア |archiveurl=https://web.archive.org/web/20161123082940/https://weekly-g.jp/c05roman/s01horoniga/ho153/ |archivedate=2016-11-23}}</ref>。『[[仮面ライダーV3]]』のオファーを受けた宮内は演技づくりのために『[[仮面ライダー]]』を何本かみて、「“アクションの神様”である千葉真一さんから教えを受けた私なら、変身前のアクションシーンをもっと盛り上げられると思った」とその影響を認めている<ref name="weekly-g20161115" />。このほかにも「(V3の)アクションシーンで必ず手袋を着用したのは怪我を防ぐためだが、これは千葉さんのアイデアを取り入れたものだ<ref>{{Cite episode |df=ja |title=[[仮面ライダーシリーズ]]よ永遠に |series=とことん! [[石ノ森章太郎]]・最終章 |network=[[日本放送協会|NHK]] |station=[[NHK衛星第2テレビジョン|NHK BS2]] |airdate=2008-03-29}}</ref>」と、アクションのノウハウを千葉から享受されていた。 |
|||
[[大川栄子]]は「俳優にならなかったら、体育の先生になっていたと、よく基本を教えてくれる<ref name = 20人が証言112>[[#20人が証言|「20人が証言する裸の千葉真一」、112頁。]]</ref>」と言っている。 |
|||
{{See also|[[#アクションスター]]}} |
|||
[[宮内洋]]は千葉が爆発の中を駆け抜けるシーンを横のアングルから見ていた時、「カメラを通して観るように」と言われ、安全のために千葉は火薬と距離を取りアクションをしていたが、レンズの位置からみると「今にも火薬でやられてしまうような迫力だった」とその迫力の違いに驚愕していた<ref name = georgia>{{Cite web2 |url = https://weekly-g.jp/c05roman/s01horoniga/ho153/ |title = 1秒でも長く映っていたい!! |accessdate = 2016-11-23 |date = 2016-11-15 |work = 宮内洋(俳優) - ほろ苦インタビュー |publisher = 週刊ジョージア |archiveurl = https://web.archive.org/web/20161123082940/https://weekly-g.jp/c05roman/s01horoniga/ho153/ |archivedate = 2016-11-23 }}</ref>。『[[仮面ライダーV3]]』のオファーを受けた宮内は演技づくりのために『[[仮面ライダー]]』を何本かみて、「“アクションの神様”である千葉真一さんから教えを受けた私なら、変身前のアクションシーンをもっと盛り上げられると思った」とその影響を認めている<ref name = georgia/>。このほかにも「(V3の)アクションシーンで必ず手袋を着用したのは怪我を防ぐためだが、これは千葉さんのアイデアを取り入れたものだ<ref>{{Cite episode |title = [[仮面ライダーシリーズ]]よ永遠に |series = とことん! [[石ノ森章太郎]]・最終章 |network = [[日本放送協会|NHK]] |station = [[NHK衛星第2テレビジョン|BS2]] |airdate = 2008-03-29 }}</ref>」と、アクションのノウハウを千葉から享受されていた。 |
|||
(⇒ ''[[#アクションスター]]'') |
|||
1969年、『キイハンター』を休んで[[映画]]『[[日本暗殺秘録]]』に[[主演]]。[[TBSテレビ|TBS]]やファンから復帰の要望が高まっていたが{{sfn|千葉|2010|pp=33-35|loc=「テロリストの苛烈な生涯を演じた大作『日本暗殺秘録』」}}、風間洋介のイメージから脱皮しようと同作に賭ける思いはとても強かった{{sfn|千葉|2010|pp=33-35|loc=「テロリストの苛烈な生涯を演じた大作『日本暗殺秘録』」}}。中島貞夫と打ち合わせしながら[[小沼正]]を創り上げていき、撮影見学に来ていた小沼本人からもその演技は太鼓判を押された{{sfn|千葉|2010|pp=33-35|loc=「テロリストの苛烈な生涯を演じた大作『日本暗殺秘録』」}}。同作で[[京都市民映画祭]]の主演男優賞を受賞し、これが「様々な作品に出演していくためにも。『キイハンター』を[[卒業]]しよう{{sfn|千葉|2010|pp=33-35|loc=「テロリストの苛烈な生涯を演じた大作『日本暗殺秘録』」}}」と決意することとなる。降板をボス役の[[丹波哲郎]]に申し入れ<ref name="asagei20121127" />{{sfn|千葉|2010|p=28|loc=「毎回新しいアクションにチャレンジ、大人気となった『キイハンター』」}}、丹波と[[東映]]は続けたかったが{{sfn|千葉|2010|p=28|loc=「毎回新しいアクションにチャレンジ、大人気となった『キイハンター』」}}、丹波は「千葉が居ないのでは『キイハンター』は成り立たない。だったら一度番組を終わらせよう」と理解を示し、大ヒットしていた同ドラマは1973年に終焉<ref name="asagei20121127" />{{sfn|千葉|2010|p=28|loc=「毎回新しいアクションにチャレンジ、大人気となった『キイハンター』」}}。千葉は「丹波さんの決断にとても感謝している」と述懐している{{sfn|千葉|2010|p=28|loc=「毎回新しいアクションにチャレンジ、大人気となった『キイハンター』」}}。 |
|||
1969年、『キイハンター』を休んで[[映画]]『[[日本暗殺秘録]]』に[[主演]]。[[TBSテレビ|TBS]]やファンから復帰の要望が高まっていたが<ref name = samurai3335/>、風間洋介のイメージから脱皮しようと同作に賭ける思いはとても強かった<ref name = samurai3335/>。中島貞夫と打ち合わせしながら[[小沼正]]を創り上げていき、撮影見学に来ていた小沼本人からもその演技は太鼓判を押された<ref name = samurai3335/>。同作で[[京都市民映画祭]]の主演男優賞を受賞し、これが「様々な作品に出演していくためにも。『キイハンター』を[[卒業]]しよう<ref name = samurai3335/>」と決意することとなる。降板をボス役の[[丹波哲郎]]に申し入れ<ref name = ア芸キ/><ref name = samurai28/>、丹波と[[東映]]は続けたかったが<ref name = samurai28/>、丹波は「千葉が居ないのでは『キイハンター』は成り立たない。だったら一度番組を終わらせよう」と理解を示し、大ヒットしていた同ドラマは1973年に終焉<ref name = ア芸キ/><ref name = samurai28/>。千葉は「丹波さんの決断にとても感謝している」と述懐している<ref name = samurai28/>。 |
|||
{{Main|キイハンター}} |
{{Main|キイハンター}} |
||
{{Main|日本暗殺秘録}} |
{{Main|日本暗殺秘録}} |
||
=== ジャパンアクションクラブ |
=== ジャパンアクションクラブ(JAC) === |
||
1970年、アクション・[[擬斗]]を演じる相手や[[スタント・パーソン|スタントマン]]の不足に悩み{{ |
1970年、アクション・[[擬斗]]を演じる相手や[[スタント・パーソン|スタントマン]]の不足に悩み{{efn2|name="講道館の鬼"}}、[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]で活躍するような[[俳優]]・スタントマンの育成、若年層の教育に関心を持っていたことから、[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ]](JAC)を設立。結成式には[[若山富三郎]]が駆けつけてお祝いをしていた<ref>{{Cite episode |df=ja |title=銀幕にかける情熱 夢・ロマン そて挑戦 |series=本格報道 INsideOUT |series-link=本格報道 INsideOUT |station=[[日本BS放送|BS11]] |airdate=2013-03-20 |minutes=21:00 - 21:54}}</ref>。主な門下生には[[春田純一]]・[[金田治]]・[[西本良治郎]]・[[山岡淳二]]・[[大葉健二]]・[[高橋利道]]・[[栗原敏]]・[[井上誠吾]]・[[志穂美悦子]]・[[真田広之]]・[[甲斐将馬]]・[[関根大学]]・[[稲田龍雄]]・斉藤一之・[[黒崎輝]]・[[崎津隆介]]・[[山田一善]]・[[山本亨 (俳優)|山本亨]]・[[渡洋史]]・[[高木淳也]]・[[伊原剛志]]・[[堤真一]]・[[真矢武]]・[[土家歩]]・[[村松美香]]・[[山口祥行]]らがおり、俳優・[[アクション監督]]・スタントマン・[[スーツアクター]]で活躍する人材を輩出<ref name="nikkansports20210820a" />。指導者には千葉真一自身のほか、[[日本体育大学]]の[[OB・OG|OB]]がアクション・[[スタント]]の為のトレーニング<ref>[[#誠真JAC3|「厳しいコーチ」、14 - 15頁。]]{{Full citation needed|date=2023年11月}}</ref>、[[石橋雅史]]が[[空手道]]をそれぞれ教えていた<ref>[[#誠真JAC3|「石橋雅史と出会う」、6 - 7頁。]]{{Full citation needed|date=2023年11月}}</ref>。 |
||
(⇒ [[#''空手道'']]) |
|||
{{See also|#空手道}} |
|||
千葉真一の親友・[[夏八木勲]]や<ref name = 夏八木ポスト>{{Cite web |url = http://www.news-postseven.com/archives/20130429_184553.html |title = 世界的アクションスター・千葉真一に劣らぬ夏八木勲の筋肉美 |accessdate = 2013-05-04 |author = 春日太一 |authorlink = 春日太一 |date = 2013-04-29 |website = [[NEWSポストセブン]] |work = 芸能 |publisher = [[小学館]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130504043823/http://www.news-postseven.com/archives/20130429_184553.html |archivedate = 2013-05-04 |url-status = live }}</ref><ref name = 徳間骨太>{{Cite web |url = http://www.asagei.com/13902 |title = 夏八木勲「親友・千葉真一が明かした骨太“名脇役人生”」|accessdate = 2013-07-01 |date = 2013-05-29 |work = アサ芸+ |publisher = 徳間書店 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130701105308/http://www.asagei.com/13902 |archivedate = 2013-07-01 |url-status = live }}</ref>、[[桜木健一]]<ref name = 桜木>[[#平凡69121|「アクションをやるならJACへ来いよ!」、106頁。]]</ref>、ら所属していない俳優も練習に通っていた<ref name = 夏八木ポスト/><ref name = 徳間骨太/><ref name = 桜木/>。共に格闘映画を製作してきた[[橋本新一]](脚本家・助監督)は「[[東映]]の[[大部屋俳優]]だけでは千葉真一との擬斗を活かせることができなかったから、''JAC''を作ったことで格闘映画の質は向上した」と評している<ref>[[#カラ映6421|ギンディ小林 「橋本新一 インタビュー」、24頁。]]</ref>。 |
|||
千葉真一の親友・[[夏八木勲]]や<ref name="news-postseven20130429">{{Cite web |url=http://www.news-postseven.com/archives/20130429_184553.html |title=世界的アクションスター・千葉真一に劣らぬ夏八木勲の筋肉美 |accessdate=2013-05-04 |author=春日太一 |authorlink=春日太一 |date=2013-04-29 |website=[[NEWSポストセブン]] |work=芸能 |publisher=[[小学館]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130504043823/http://www.news-postseven.com/archives/20130429_184553.html |archivedate=2013-05-04 |url-status=live}}</ref><ref name="asagei20130529">{{Cite web |url=http://www.asagei.com/13902 |title=夏八木勲「親友・千葉真一が明かした骨太“名脇役人生”」|accessdate=2013-07-01 |date=2013-05-29 |work=アサ芸+ |publisher=徳間書店 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130701105308/http://www.asagei.com/13902 |archivedate=2013-07-01 |url-status=live}}</ref>、[[桜木健一]]{{sfn|『月刊平凡』1969年 第25巻第12号|p=106|loc=「アクションをやるならJACへ来いよ!」}}、ら所属していない俳優も練習に通っていた<ref name="news-postseven20130429" /><ref name="asagei20130529" />{{sfn|『月刊平凡』1969年 第25巻第12号|p=106|loc=「アクションをやるならJACへ来いよ!」}}。共に格闘映画を製作してきた[[橋本新一]](脚本家・助監督)は「[[東映]]の[[大部屋俳優]]だけでは千葉真一との擬斗を活かせることができなかったから、JACを作ったことで格闘映画の質は向上した」と評している{{sfn|『映画秘宝』2006年 第12巻第5号|p=24|loc=ギンディ小林「橋本新一 インタビュー」}}。 |
|||
トップスターでありながら、志穂美悦子の『[[女必殺拳]]』、真田広之の『[[忍者武芸帖 百地三太夫]]』『[[吼えろ鉄拳]]』『[[伊賀忍法帖]]』、大葉健二の『[[宇宙刑事ギャバン]]』、黒崎輝の『[[伊賀野カバ丸#映画|伊賀野カバ丸]]』『[[コータローまかりとおる!#映画|コータローまかりとおる]]』、村松美香の『[[旅少女 (テレビドラマ)|旅少女]]』など、教え子たちの主演作品に[[助演]]として出演することも多い<ref>[[#役者は一日|「JACの創設」、40 - 41頁。]]</ref>。共に格闘映画を製作してきた[[橋本新一]](脚本家・助監督)は「[[東映]]の[[大部屋俳優]]だけでは彼の擬斗を活かせることができなかったから、''JAC'' を作ったことで格闘映画の質は向上した」と評している<ref>[[#カラ映6421|ギンディ小林 「橋本新一 インタビュー」、24頁。]]</ref>。 |
|||
トップスターでありながら、志穂美悦子の『[[女必殺拳]]』、真田広之の『[[忍者武芸帖 百地三太夫]]』『[[吼えろ鉄拳]]』『[[伊賀忍法帖]]』、大葉健二の『[[宇宙刑事ギャバン]]』、黒崎輝の『[[伊賀野カバ丸#映画|伊賀野カバ丸]]』『[[コータローまかりとおる!#映画|コータローまかりとおる]]』、村松美香の『[[旅少女 (テレビドラマ)|旅少女]]』など、教え子たちの主演作品に[[助演]]として出演することも多い{{sfn|春日|2015|pp=40-41|loc=「JACの創設」}}。共に格闘映画を製作してきた[[橋本新一]](脚本家・助監督)は「[[東映]]の[[大部屋俳優]]だけでは彼の擬斗を活かせることができなかったから、JACを作ったことで格闘映画の質は向上した」と評している{{sfn|『映画秘宝』2006年 第12巻第5号|p=24|loc=ギンディ小林「橋本新一 インタビュー」}}。 |
|||
(⇒ ''[[#転機]]''・''[[#演劇]]''・''[[#ファン(国内)]]'') |
|||
30代前半でJAC創設を経て育成を続け、志穂美悦子の『[[女必殺拳]]』、真田広之の『[[忍者武芸帖 百地三太夫]]』『[[吼えろ鉄拳]]』『[[伊賀忍法帖]]』、大葉健二の『[[宇宙刑事ギャバン]]』、黒崎輝の『[[伊賀野カバ丸#映画|伊賀野カバ丸]]』『[[コータローまかりとおる!#映画|コータローまかりとおる]]』、村松美香の『[[旅少女 (テレビドラマ)|旅少女]]』など、教え子たちの主演作品に[[助演]]{{sfn|春日|2015|pp=40-41|loc=「JACの創設」}}。自身がトップスターでありながら、後進の活躍に華を添える姿勢は、当時の映画スターでは珍しいことであった{{sfn|春日|2015|pp=40-41|loc=「JACの創設」}}。 |
|||
{{See also|[[#転機]]|[[#演劇]]|[[#ファン(国内)]]}} |
|||
=== ヤクザ映画 === |
=== ヤクザ映画 === |
||
1966年から始まった[[任侠映画]]『[[子守唄シリーズ]]』をヒットさせていたが<ref name |
1966年から始まった[[任侠映画]]『[[子守唄シリーズ]]』をヒットさせていたが<ref name="zakzak20160318" />、1973年の映画『[[仁義なき戦い 広島死闘篇]]』がイメージを一新することとなる。 |
||
配役は[[予科練]]出身の[[ヤクザ]]・山中正治に決まり、セリフも全て覚えて撮影に入る直前だった<ref name="cinematoday20130113" /><ref name="eigacom20130112" />{{sfn|千葉|2010|pp=39-43|loc=「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』」}}。しかし狂犬のようなヤクザ・[[大友勝利]]を演じることが決まっていた[[北大路欣也]]が「大友は粗暴で下品すぎて、どうしても自分では演じられない。山中をやらせてほしい」と言い出したことから、[[プロデューサー]]の[[日下部五朗]]と宣伝担当者らは千葉を突然訪ね、「山中と大友を交代してもらえないか」と依頼してきた<ref name="cinematoday20130113" /><ref name="eigacom20130112" />{{sfn|千葉|2010|pp=39-43|loc=「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』」}}。『[[日本暗殺秘録]]』に続いて『広島死闘篇』の[[脚本]]を執筆した[[笠原和夫 (脚本家)|笠原和夫]]は、[[小沼正]]の一面を山中のキャラクターに取り込んでいたこともあり、東映と笠原は「小沼を好演して受賞した千葉に、山中を演じさせよう」とキャスティングしていた{{sfn|千葉|2010|pp=39-43|loc=「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』」}}。このような経緯から千葉も、小沼と山中に共通点を見出して役作りしてきたため、初めは交代に難色を示した{{sfn|千葉|2010|pp=39-43|loc=「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』」}}。ほどなくして[[深作欣二]]が会議で唯一「千葉に大友を演じさせたほうが、絶対おもしろくなる」と主張していたことを知り、似たような役を再び演じることは俳優として停滞するのではないかと再考し、「役作りし直すから、出番を少し後にずらしてほしい」と交代を了承した<ref name="cinematoday20130113" /><ref name="eigacom20130112" />{{sfn|千葉|2010|pp=39-43|loc=「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』」}}。この時、[[中島貞夫]]も「大友をやるべき」と説得しており、「千葉ちゃんはサクさん(深作欣二)ともよく付き合っていたけど、肝心なところでは僕の意見を聞いてくれた」と話している{{sfn|中島|2014|p=474|loc=「『日本の仁義』」}}。北大路に役を譲ったのはこれが初めてでなく、[[1963年]]の映画『[[海軍 (映画)|海軍]]』に続いて二度目であった{{efn2|[[北大路欣也]]は戦前からの大スターで東映の役員を兼務していた[[市川右太衛門]]の御曹司であることから、東映は北大路の意向を幾度となく受け入れてきた<ref name="asagei20121128">{{Cite web |url=http://www.asagei.com/9401 |title=千葉真一、深作欣二の初時代劇の教えに感謝 |accessdate=2012-11-29 |date=2012-11-28 |work=アサ芸+ |publisher=徳間書店 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130922053410/http://www.asagei.com/9401 |archivedate=2013-09-22 |url-status=live}}</ref>。}}。 |
|||
配役は[[予科練]]出身の[[ヤクザ]]・山中正治に決まり、セリフも全て覚えて撮影に入る直前だった<ref name = 壬生智裕/><ref name = 映画com仁義/><ref name = samurai3943>[[#千葉2010|「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』、39 - 43頁。]]</ref>。しかし狂犬のようなヤクザ・[[大友勝利]]を演じることが決まっていた[[北大路欣也]]が「大友は粗暴で下品すぎて、どうしても自分では演じられない。山中をやらせてほしい」と言い出したことから、[[プロデューサー]]の[[日下部五朗]]と宣伝担当者らは千葉を突然訪ね、「山中と大友を交代してもらえないか」と依頼してきた<ref name = 壬生智裕/><ref name = 映画com仁義/><ref name = samurai3943/>。『[[日本暗殺秘録]]』に続いて『広島死闘篇』の[[脚本]]を執筆した[[笠原和夫 (脚本家)|笠原和夫]]は、[[小沼正]]の一面を山中のキャラクターに取り込んでいたこともあり、東映と笠原は「小沼を好演して受賞した千葉に、山中を演じさせよう」とキャスティングしていた<ref name = samurai3943/>。このような経緯から千葉も、小沼と山中に共通点を見出して役作りしてきたため、初めは交代に難色を示した<ref name = samurai3943/>。ほどなくして[[深作欣二]]が会議で唯一「千葉に大友を演じさせたほうが、絶対おもしろくなる」と主張していたことを知り、似たような役を再び演じることは俳優として停滞するのではないかと再考し、「役作りし直すから、出番を少し後にずらしてほしい」と交代を了承した<ref name = 壬生智裕/><ref name = 映画com仁義/><ref name = samurai3943/>。この時、[[中島貞夫]]も「大友をやるべき」と説得しており、「千葉ちゃんはサクさん(深作欣二)ともよく付き合っていたけど、肝心なところでは僕の意見を聞いてくれた」と話している<ref>[[#遊撃|「『日本の仁義』」、474頁。]]</ref>。北大路に役を譲ったのはこれが初めてでなく、[[1963年]]の映画『[[海軍 (映画)|海軍]]』に続いて二度目であった{{Efn |[[北大路欣也]]は戦前からの大スターで東映の役員を兼務していた[[市川右太衛門]]の御曹司であることから、東映は北大路の意向を幾度となく受け入れてきた<ref name = アサ芸深作>{{Cite web |url = http://www.asagei.com/9401 |title = 千葉真一、深作欣二の初時代劇の教えに感謝 |accessdate = 2012-11-29 |date = 2012-11-28 |work = アサ芸+ |publisher = 徳間書店 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130922053410/http://www.asagei.com/9401 |archivedate = 2013-09-22 |url-status = live }}</ref>。}}。 |
|||
{{Main|日本暗殺秘録}} |
{{Main|日本暗殺秘録}} |
||
{{Main|仁義なき戦い 広島死闘篇}} |
{{Main|仁義なき戦い 広島死闘篇}} |
||
[[ブロマイド]]の売上げが俳優部門で4年連続No.1のアイドルでもあったが<ref name |
[[ブロマイド]]の売上げが俳優部門で4年連続No.1のアイドルでもあったが<ref name="asagei20121127" /><ref name="cinematoday20130113" /><ref name="eigacom20130112" /><ref name="asagei20120202">{{Cite web |url=http://www.asagei.com/3678 |title=「仁義なき戦い」40年目の壮絶秘話 (1)「顔のシワ作り」に励んだ松方 |accessdate=2012-11-29 |date=2012-02-02 |work=アサ芸+ |publisher=徳間書店 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131216074450/http://www.asagei.com/3678 |archivedate=2013-12-16 |url-status=live}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|year=2007 |title=【突然引退】 千葉真一が酸素ボンベ闘病 |journal=[[アサヒ芸能|週刊アサヒ芸能]] |issue=8月2日号 |pages=204-207 |publisher=徳間書店}}</ref>、過激なセリフに悩みながら「これまで良いと思ったものを全て捨てる」という姿勢で、[[サングラス]]を常時掛けて眼を隠し、唇を裏返しにして糊付けするなど、役柄にふさわしい演技・扮装を工夫した<ref name="eigacom20130112" />{{sfn|千葉|2010|pp=43-45|loc=「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』」}}。そして作り上げた大友勝利はシリーズ中1, 2を争う名キャラクターとして人気をつかんでおり<ref name="cinematoday20130113" /><ref name="asagei20120202" />{{sfn|『仁義なき戦い PERFECT BOOK』}}、後の[[ヤクザ映画]]でも「『[[仁義なき戦い]]』の千葉真一さんがやった大友勝利のような」と影響を与え続け、ヤクザ役のひな型となっている<ref name="asagei20121128" />。封切り公開されると千葉のイメージチェンジは話題となり<ref name="zakzak20110518" /><ref name="cinematoday20130113" /><ref name="eigacom20130112" />{{sfn|『キネマ旬報』1982年8月上旬号|pp=130-133}}、[[俳優座]]養成所1期生で千葉と何度か共演している[[岩崎加根子]]などからも絶賛され{{sfn|千葉|2010|p=48|loc=「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』」}}、それを聞いた千葉は「とても自信がついた。悪役の妙味を知ることができ、実に大きなものを与えてくれた作品だった」と語っている<ref name="cinematoday20130113" /><ref name="eigacom20130112" />。大友勝利は人気キャラクターだけあって[[主人公]]にした企画が出され<ref name="cinematoday20130113" />、『[[仁義なき戦い 頂上作戦]]』にも大友で出演する予定だったが<ref>{{Cite book|和書|author=小林信彦 |authorlink=小林信彦 |year=1991 |month=10 |title=映画を夢見て |publisher=[[筑摩書房]] |pages=177-185 |isbn=978-4-4808-7186-2}}</ref>、『広島死闘篇』と同時進行で『[[柔道一代シリーズ]]』以来、10年ぶりの[[格闘技|格闘]]映画に[[クランクイン]]したため、『[[仁義なき戦い|仁義なき戦いシリーズ]]』の再出演は実現しなかった{{sfn|千葉|2010|pp=48-49|loc=「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』」}}。 |
||
(⇒ ''[[#転機]]'') |
|||
{{See also|[[#転機]]}} |
|||
{{Main|仁義なき戦い#登場人物}} |
{{Main|仁義なき戦い#登場人物}} |
||
多くの[[ヤクザ映画]]を手掛けてきた[[俊藤浩滋]]は「役者でいうと[[高倉健]]タイプかな。(ヤクザ映画で)行動派を演じさせれば、ピッと光るものがある」と評している<ref>{{Cite book |
多くの[[ヤクザ映画]]を手掛けてきた[[俊藤浩滋]]は「役者でいうと[[高倉健]]タイプかな。(ヤクザ映画で)行動派を演じさせれば、ピッと光るものがある」と評している<ref>{{Cite book|和書|author1=俊藤浩滋 |authorlink1=俊藤浩滋 |author2=山根貞男 |authorlink2=山根貞男 |title=任侠映画伝 |date=1999-02-01 |edition=第一刷 |publisher=講談社 |id=C0095 |isbn=4-0620-9594-7 |pages=265-266 |chapter=第十二章 夢とロマンを求めて}}</ref>。 |
||
=== 格闘映画 === |
=== 格闘映画 === |
||
[[1963年]]から始まる『[[柔道一代シリーズ]]』に主演したのが最初の格闘映画で、第二作『[[柔道一代 講道館の鬼]]』([[1964年の映画|1964年]])の乱闘シーンで[[肩]]を[[骨折]]してしまった |
[[1963年]]から始まる『[[柔道一代シリーズ]]』に主演したのが最初の格闘映画で、第二作『[[柔道一代 講道館の鬼]]』([[1964年の映画|1964年]])の乱闘シーンで[[肩]]を[[骨折]]してしまった{{sfn|『週刊平凡』1969年4月3日号}}{{efn2|name="講道館の鬼"}}。1963年11月には主演映画『空手風雲録』に備え、[[空手道|空手道場]]で[[跳び蹴り]]を繰り出す姿が残されている{{efn2|「1面写真」『スポーツ報知』紙面 第11版<ref name="hochi20210820a" />。}}。 |
||
(⇒ ''[[#アクション映画]]''・''[[#空手道]]'') |
|||
{{See also|[[#アクション映画]]|[[#空手道]]}} |
|||
[[File:Sonny Chiba Signature.svg|thumb|260px|''Sonny Chiba''の[[サイン]]]] |
|||
1973年の『[[ボディガード牙シリーズ]]』で、10年ぶりに格闘映画へカムバック。翌年の『[[激突! 殺人拳]]』は、[[ヤクザ映画]]が下火になっていた[[東映]]にとって、久々の大ヒットを飛ばす作品となった<ref name = 高平哲郎/><ref>{{Cite book |和書 |author = 小沢茂弘 |authorlink = 小沢茂弘 |coauthors = 高橋聡 |title = 困った奴ちゃ - 東映ヤクザ監督の波乱万丈生 |publisher = [[ワイズ出版]] |date = 1996-11-10 |edition = 初版第一刷 |isbn = 9784948735576 |pages = 91 - 92 }}</ref>。[[アメリカ合衆国]]・[[ヨーロッパ]]・[[オーストラリア]]・[[カナダ]]の映画会社も『激突! 殺人拳』を買い付けに来ていた<ref name = brucelee/>。なかでもアメリカの[[ニュー・ライン・シネマ]]は当初ヤクザ映画を購入するつもりだったが、本作を見て心変わりし、「[[ブルース・リー]]以上だ。素晴らしい<ref name = brucelee/>」と評して興行権を買い取り、『''[[w:The Street Fighter|The Street Fighter]]''』とタイトルをつけ、千葉を''[[w:Sonny Chiba|Sonny Chiba]]''(サニー ちば)とネーミング<ref name = 伊藤生まれた21/><ref name = samurai51/><ref name = samurai11/><ref name = 高平哲郎/>{{Efn |name = Sonny }}。 |
|||
[[File:Sonny Chiba Signature.svg|thumb|260px|Sonny Chibaの[[サイン]]]] |
|||
1974年11月12日から主にアメリカ中南部の都市18館で封切られ、3週間でベスト5に躍り出て千葉の代表作となった<ref name = 高平哲郎/><ref name = brucelee/><ref name = variety/>。アメリカで最も権威のある総合情報週刊誌「''[[バラエティ (アメリカ合衆国の雑誌)|Variety]]''」の[[12月18日]]付にもこの出来事が掲載され、同誌が初めて日本映画を取り上げるという快挙を成し遂げている<ref name = brucelee/><ref name = variety/>。大ヒットした要因として「リーの舞踊劇的な[[功夫]]と違い、ワザと力もより本物に近く、迫力がある」「[[体操競技|器械体操]]を利用した、トランジスター的器用さが面白い」と評されており<ref name = brucelee/>、計四作の『[[殺人拳シリーズ]]』として封切りされた<ref>[[#あかん|「千葉真一の躍進とカラテ映画」、345頁。]]</ref>。[[忍者]]の末裔に扮した同年の主演作『[[直撃! 地獄拳]]』は、千葉のスピードあるアクションと[[石井輝男]]のユーモアとウィットを盛り込んだ演出が組み合わされた作品で、1974年度に4億1700万円の[[配給収入]]を上げ、同年度の[[日本映画]]配給収入ランキング第5位に入り、アメリカでは『''[[w:The Executioner|The Executioner]]''』というタイトルで[[1999年]]現在、10万本以上のビデオが売れている<ref name = gai173179>[[#極真外伝|「極真空手三段 千葉真一」、173, 179頁。]]</ref>。 |
|||
1973年の『[[ボディガード牙シリーズ]]』で、10年ぶりに格闘映画へカムバック。翌年の『[[激突! 殺人拳]]』は、[[ヤクザ映画]]が下火になっていた[[東映]]にとって、久々の大ヒットを飛ばす作品となった<ref name="zakzak20110518" /><ref>{{Cite book|和書|author=小沢茂弘 |authorlink=小沢茂弘 |coauthors=高橋聡 |title=困った奴ちゃ - 東映ヤクザ監督の波乱万丈生 |publisher=[[ワイズ出版]] |date=1996-11-10 |edition=初版第一刷 |isbn=978-4-9487-3557-6 |pages=91-92}}</ref>。[[アメリカ合衆国]]・[[ヨーロッパ]]・[[オーストラリア]]・[[カナダ]]の映画会社も『激突! 殺人拳』を買い付けに来ていた<ref name="報知新聞19741227" />。なかでもアメリカの[[ニュー・ライン・シネマ]]は当初ヤクザ映画を購入するつもりだったが、本作を見て心変わりし、「[[ブルース・リー]]以上だ。素晴らしい<ref name="報知新聞19741227" />」と評して興行権を買い取り、『''[[w:The Street Fighter|The Street Fighter]]''』とタイトルをつけ、千葉を[[w:Sonny Chiba|Sonny Chiba]](サニー ちば)とネーミング{{sfn|『キネマ旬報』2021年11月上旬特別号|p=21|loc=伊藤彰彦「Sonny Chibaが生まれた瞬間」}}{{sfn|千葉|2010|p=51|loc=「全米でブルース・リーを超える興行収入、サニー千葉の名を広めた空手映画」}}{{sfn|千葉|2010|p=11|loc=「序章」}}<ref name="zakzak20110518" />{{efn2|name="Sonny"}}。 |
|||
(⇒ ''[[#Sonny Chiba]]''・''[[#海外進出]]''・''[[#空手道]]'') |
|||
1974年11月12日から主にアメリカ中南部の都市18館で封切られ、3週間でベスト5に躍り出て千葉の代表作となった<ref name="zakzak20110518" /><ref name="報知新聞19741227" /><ref name="『Variety』" />。アメリカで最も権威のある総合情報週刊誌「[[バラエティ (アメリカ合衆国の雑誌)|Variety]]」の[[12月18日]]付にもこの出来事が掲載され、同誌が初めて日本映画を取り上げるという快挙を成し遂げている<ref name="報知新聞19741227" /><ref name="『Variety』" />。大ヒットした要因として「リーの舞踊劇的な[[功夫]]と違い、ワザと力もより本物に近く、迫力がある」「[[体操競技|器械体操]]を利用した、トランジスター的器用さが面白い」と評されており<ref name="報知新聞19741227" />、計四作の『[[殺人拳シリーズ]]』として封切りされた{{sfn|春日|2013|p=345|loc=「千葉真一の躍進とカラテ映画」}}。[[忍者]]の末裔に扮した同年の主演作『[[直撃! 地獄拳]]』は、千葉のスピードあるアクションと[[石井輝男]]のユーモアとウィットを盛り込んだ演出が組み合わされた作品で、1974年度に4億1700万円の[[配給収入]]を上げ、同年度の[[日本映画]]配給収入ランキング第5位に入り、アメリカでは『''[[w:The Executioner|The Executioner]]''』というタイトルで[[1999年]]現在、10万本以上のビデオが売れている{{sfn|中村|1999|pp=173,179|loc=「極真空手三段 千葉真一」}}。 |
|||
海外では[[格闘技|マーシャルアーツ]]の大スターである"''Sonny Chiba''"の熱狂的な人気は根強く<ref name = oyaji/>{{Efn |特に[[アメリカ州]]<ref name = senpro/><ref name = ライフタイム/>・[[ヨーロッパ]]<ref name = senpro/><ref name = ライフタイム/>・[[東南アジア]]<ref name = シネマトリビューン/>・[[香港]]など<ref name = 香港ゴルゴ/>。}}、[[キアヌ・リーブス]]<ref name = キアヌ/>、[[クエンティン・タランティーノ]]、[[リュ・スンワン]]<ref name = 佐藤結/>、らの著名人の熱烈なファンがおり、[[谷川貞治]]は「千葉さんの映画のおかげで[[格闘技]][[人口]]がかなり増え、格闘技界の宝だ<ref>{{Cite video |和書 |people = [[谷川貞治]] |title = [[HAKEN 覇拳 ふりむけば修羅]] 推薦文 |medium = [[VHS]] |publisher = [[オデッサ・エンタテインメント#タキ・コーポレーション|タキ・コーポレーション]] |date = 1992-01-24 }}</ref>」と述べている。 |
|||
(⇒ ''[[#ファン(海外)]]'') |
|||
{{See also|[[#Sonny Chiba]]|[[#海外進出]]|[[#空手道]]}} |
|||
[[岡田茂 (東映)|岡田茂]]は「(主人公と)牛との格闘を欧州ではびっくりして、えらく受けている<ref name = shinkainin/>。[[ショウ・ブラザーズ]]が千葉真一の[[空手映画]]を購入して[[シンガポール]]でも大ヒット<ref name = 66千葉>[[#活動屋|「千葉の空手は断然強い」、66頁。]]</ref>。[[東南アジア映画祭]]で[[ジャカルタ]]へ行ったときも、抜群の動員力と人気を上げていた<ref name = 66千葉/>。千葉くんの空手が入って、東南アジア全域で当たり、すごい人気だ<ref name = 67新幹線>[[#活動屋|「『新幹線』も海外で人気」、67頁。]]</ref>。東洋でナンバーワンなんだから、あのアクションをやらせたら世界に(千葉真一以外)いないんじゃないかな<ref name = 67新幹線/>」と世界各地の人気・商況・反響を語っている。この頃[[フランシス・フォード・コッポラ]]は「千葉真一と[[アル・パチーノ]]の共演で映画を[[製作]]したい」と東映へオファーし<ref name = shinkainin/>、千葉も「[[海外]]で勝負させてください」と岡田に懇望したが<ref>[[#千葉2010|「海を渡る気概」、242頁。]]</ref>、「まだその時期ではない」と認められなかった<ref name = nikkan1/>。 |
|||
(⇒ ''[[#海外進出]]'') |
|||
海外では[[格闘技|マーシャルアーツ]]の大スターである「Sonny Chiba」の熱狂的な人気は根強く<ref name="『親父』" />{{efn2|特に[[アメリカ州]]{{sfn|『戦国自衛隊』パンフレット|1979|p=30|loc=「プロフィール」}}<ref name="singafest20110831" />・[[ヨーロッパ]]{{sfn|『戦国自衛隊』パンフレット|1979|p=30|loc=「プロフィール」}}<ref name="singafest20110831" />・[[東南アジア]]<ref name="cinetri20120927" />・[[香港]]など<ref name="『週刊明星』" />。}}、[[キアヌ・リーブス]]<ref name="yomiuri20131218" />、[[クエンティン・タランティーノ]]、[[リュ・スンワン]]{{sfn|『キネマ旬報』2015年12月下旬号}}、らの著名人の熱烈なファンがおり、[[谷川貞治]]は「千葉さんの映画のおかげで[[格闘技]][[人口]]がかなり増え、格闘技界の宝だ<ref>{{Cite video|和書|people=[[谷川貞治]] |title=HAKEN 覇拳 ふりむけば修羅 推薦文 |medium=[[VHS]] |publisher=[[オデッサ・エンタテインメント#タキ・コーポレーション|タキ・コーポレーション]] |date=1992-01-24}}</ref>」と述べている。 |
|||
『[[けんか空手シリーズ]]』や『[[子連れ殺人拳]]』で千葉とタッグを組んだ[[山口和彦]]は「常に自分しかできないアクションを見せることに徹していた。熱心な男で現場でいろいろなアイデアを出してくる。全てのアイデアを聞き入れることはできなかったが、自分が[[アクション映画]]を変えるんだという、その意気込みは凄かった。そうやって彼は自分の代わりが居ないところまで到達したからね。千葉真一というアクションスターは永遠に残っていくよ」と評している<ref>[[#カラ映6421|ギンディ小林 「山口和彦 INTERVIEW」、27頁。]]</ref>。 |
|||
(⇒ ''[[#Sonny Chiba]]''・''[[#空手道]]'') |
|||
{{See also|[[#ファン(海外)]]}} |
|||
[[岡田茂 (東映)|岡田茂]]は「(主人公と)牛との格闘を欧州ではびっくりして、えらく受けている{{sfn|『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』|2012|p=68|loc=「『[[新幹線大爆破|新幹線]]』も海外で人気」}}。[[ショウ・ブラザーズ]]が千葉真一の[[空手映画]]を購入して[[シンガポール]]でも大ヒット{{sfn|『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』|2012|p=66|loc=「千葉の空手は断然強い」}}。[[東南アジア映画祭]]で[[ジャカルタ]]へ行ったときも、抜群の動員力と人気を上げていた{{sfn|『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』|2012|p=66|loc=「千葉の空手は断然強い」}}。千葉くんの空手が入って、東南アジア全域で当たり、すごい人気だ{{sfn|『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』|2012|p=67|loc=「『[[新幹線大爆破|新幹線]]』も海外で人気」}}。東洋でナンバーワンなんだから、あのアクションをやらせたら世界に(千葉真一以外)いないんじゃないかな{{sfn|『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』|2012|p=67|loc=「『[[新幹線大爆破|新幹線]]』も海外で人気」}}」と世界各地の人気・商況・反響を語っている。この頃[[フランシス・フォード・コッポラ]]は「千葉真一と[[アル・パチーノ]]の共演で映画を[[製作]]したい」と東映へオファーし{{sfn|『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』|2012|p=68|loc=「『[[新幹線大爆破|新幹線]]』も海外で人気」}}、千葉も「[[海外]]で勝負させてください」と岡田に懇望したが{{sfn|千葉|2010|p=242|loc=「海を渡る気概」}}、「まだその時期ではない」と認められなかった<ref name="nikkansports20210820a" />。 |
|||
{{See also|[[#海外進出]]}} |
|||
『[[けんか空手シリーズ]]』や『[[子連れ殺人拳]]』で千葉とタッグを組んだ[[山口和彦]]は「常に自分しかできないアクションを見せることに徹していた。熱心な男で現場でいろいろなアイデアを出してくる。全てのアイデアを聞き入れることはできなかったが、自分が[[アクション映画]]を変えるんだという、その意気込みは凄かった。そうやって彼は自分の代わりが居ないところまで到達したからね。千葉真一というアクションスターは永遠に残っていくよ」と評している{{sfn|『映画秘宝』2006年 第12巻第5号|p=27|loc=ギンディ小林「山口和彦 INTERVIEW」}}。 |
|||
{{See also|[[#Sonny Chiba]]|[[#空手道]]}} |
|||
{{Main|激突! 殺人拳}} |
{{Main|激突! 殺人拳}} |
||
{{Main|殺人拳シリーズ}} |
{{Main|殺人拳シリーズ}} |
||
382行目: | 434行目: | ||
=== 人間ドラマ === |
=== 人間ドラマ === |
||
アクションスターとして大画面をいっぱいに暴れまわっていた同時期、アクション・格闘・スタントを主としない対照的な作品に主演をし、静の演技を見せ、主戦場のアクション映画・アクションドラマで魅せる姿とは対照的であった |
アクションスターとして大画面をいっぱいに暴れまわっていた同時期、アクション・格闘・スタントを主としない対照的な作品に主演をし、静の演技を見せ、主戦場のアクション映画・アクションドラマで魅せる姿とは対照的であった{{sfn|『キネマ旬報』2021年11月上旬特別号|p=31|loc=石飛徳樹「渋い外見の奥に在る弱さと温かさ」}}{{sfn|『映画秘宝』2021年11月号|p=20|loc=加藤義彦「テレビドラマで挑んだ『静』の演技」}}。 |
||
1976年のドラマ『[[七色とんがらし]]』を皮切りに、1978年には[[鎌田敏夫]]脚本の『[[十字路 (1978年のテレビドラマ)|十字路]]』に主演し、不器用ながら朴訥な男を演じていた |
1976年のドラマ『[[七色とんがらし]]』を皮切りに、1978年には[[鎌田敏夫]]脚本の『[[十字路 (1978年のテレビドラマ)|十字路]]』に主演し、不器用ながら朴訥な男を演じていた{{sfn|『キネマ旬報』2021年11月上旬特別号|p=31|loc=石飛徳樹「渋い外見の奥に在る弱さと温かさ」}}{{sfn|『映画秘宝』2021年11月号|p=20|loc=加藤義彦「テレビドラマで挑んだ『静』の演技」}}。 |
||
インタビュー番組を視聴した[[山田太一 (脚本家)|山田太一]]は、(千葉真一に)[[侍]]だけでない一面を感じ取り、主演ドラマを書き下ろしたのが、1986年の『[[深夜にようこそ]]』である |
インタビュー番組を視聴した[[山田太一 (脚本家)|山田太一]]は、(千葉真一に)[[侍]]だけでない一面を感じ取り、主演ドラマを書き下ろしたのが、1986年の『[[深夜にようこそ]]』である{{sfn|『映画秘宝』2021年11月号|p=20|loc=加藤義彦「テレビドラマで挑んだ『静』の演技」}}。サラリーマンの悲哀を感じさせる中年を丁寧に演じ、長ゼリフを淡々と、しかし静かに感情を込めながら、発していた{{sfn|『映画秘宝』2021年11月号|p=20|loc=加藤義彦「テレビドラマで挑んだ『静』の演技」}}。その3年後にも山田とタッグを組み、主演したのが『[[夢に見た日々]]』で、挫折を引きずり続ける男に扮し、真実味を与えていた{{sfn|『映画秘宝』2021年11月号|p=20|loc=加藤義彦「テレビドラマで挑んだ『静』の演技」}}。 |
||
いずれもキャリアを積んだ千葉真一の役者としての成熟を感じさせる人間ドラマである |
いずれもキャリアを積んだ千葉真一の役者としての成熟を感じさせる人間ドラマである{{sfn|『映画秘宝』2021年11月号|p=20|loc=加藤義彦「テレビドラマで挑んだ『静』の演技」}}。 |
||
(⇒ ''[[#ジャンルを越えた活躍]]'') |
|||
{{See also|[[#ジャンルを越えた活躍]]}} |
|||
=== 時代劇 === |
=== 時代劇 === |
||
[[1978年]]から本格的に[[時代劇]]へ進出するが、[[1963年]]の『[[八州遊侠伝 男の盃]]』以来であった。[[木刀]]で[[殺陣]]の練習を1日8時間行い臨み、[[主演]][[映画]]『[[柳生一族の陰謀]]』では20[[メートル|m]]の[[崖]]から[[川]]へ飛び込む[[スタント]]をした。この作品は千葉が『裏柳生』というタイトルで[[深作欣二]]へ提出した[[企画]]がベースになっている<ref name |
[[1978年]]から本格的に[[時代劇]]へ進出するが、[[1963年]]の『[[八州遊侠伝 男の盃]]』以来であった。[[木刀]]で[[殺陣]]の練習を1日8時間行い臨み、[[主演]][[映画]]『[[柳生一族の陰謀]]』では20[[メートル|m]]の[[崖]]から[[川]]へ飛び込む[[スタント]]をした。この作品は千葉が『裏柳生』というタイトルで[[深作欣二]]へ提出した[[企画]]がベースになっている<ref name="asagei20121128" /><ref>{{Cite journal|和書|author=田島隆久 |date=1979-12-15 |title=千葉真一インタビュー アメリカの俳優のように、理想的な仕事ができた |journal=キネマ旬報 |volume=1590 |issue=776 |page=76 |chapter=俳優生活20年の記念として |publisher=キネマ旬報社}}</ref>{{sfn|春日|2013|p=358|loc=「『柳生一族の陰謀』」}}{{sfn|春日|2015|p=46|loc=「柳生十兵衛の殺陣」}}<ref>{{Cite web2 |df=ja |url=http://project-jax.com/act/urayagyu/ |title=第1回公演「裏YAGYU」|website=Project JAX |accessdate=2013-12-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131213051519/http://project-jax.com/act/urayagyu/ |archivedate=2013-12-13}}</ref>。深作は従来の時代劇でなく、もっとテンポのあるアクション時代劇を作りたかったので、その期待に応えられる俳優は千葉真一、ただ一人しかないと見定めていた{{sfn|『ちゃんばらクロニクル』|1999|p=245|loc=「不確実性の時代劇」}}。[[2012年]]の[[ハリウッド映画]]『[[アベンジャーズ (2012年の映画)|アベンジャーズ]]』の[[サミュエル・L・ジャクソン]]が、扮した役柄は千葉の柳生十兵衛を参考としているなど、後世の作品にも影響を与え、根強い人気がある<ref name="zakzak20120817" /><ref name="hollywood-ch20120426" /><ref name="nikkansports20130216">{{Cite news |title=「千葉真一の柳生十兵衛だな」/ 秋山監督 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp1-20130216-1085854.html |format=紙面 |newspaper=日刊スポーツ |publisher=nikkansports.com |date=2013-02-16 |accessdate=2013-02-16 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130216064343/http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp1-20130216-1085854.html |archivedate=2013-02-16 |url-status=live}}</ref>。しかし十兵衛で長時間、左目に[[眼帯]]をしていたため千葉の右目は酷使され、視力を失い、人工レンズを入れる代償も払っていた{{sfn|千葉|2010|p=68|loc=「悲願の柳生十兵衛役を演じ、テレビでの連載にもつながった『柳生一族の陰謀』」}}。 |
||
(⇒ ''[[#ジャンルを越えた活躍]]''・''[[#ファン]]'') |
|||
{{See also|[[#ジャンルを越えた活躍]]|[[#ファン]]}} |
|||
{{Main|柳生一族の陰謀}} |
{{Main|柳生一族の陰謀}} |
||
{{Main|魔界転生#1981年}} |
{{Main|魔界転生#1981年}} |
||
千葉真一演ずる剣豪・忍者は、[[空手]]や[[体操競技|器械体操]]の技を取り入れたアクロバティックな[[殺陣]]で、人気を得ている<ref name |
千葉真一演ずる剣豪・忍者は、[[空手]]や[[体操競技|器械体操]]の技を取り入れたアクロバティックな[[殺陣]]で、人気を得ている<ref name="服部半蔵_影の軍団" /><ref name="doraku" /><ref>{{Cite web2 |df=ja |url=http://www.jidaigeki.com/forum/peri/kagyo/20101217_1925.html |title=『影の軍団Ⅲ』打倒、紀州!!千葉・真田・志穂美ら影の軍団。石橋蓮司も女装の刺客で登場。 |website=時代劇専門チャンネル |date=2010-12-17 |accessdate=2016-03-05 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160305071800/http://www.jidaigeki.com/forum/peri/kagyo/20101217_1925.html |archivedate=2016-03-05 |url-status=live}}</ref>。その身体能力を活かしたド迫力の殺陣を時代劇の芝居に持ち込み、これまで表現できなかったアクロバティックな動きが、時代劇の殺陣で観れるようになった{{sfn|春日|2020|p=194}}。時代劇の表現が定形化し、大人しくなっていく中で、新たな可能性を追求・挑戦し続けたスターである{{sfn|春日|2020|p=194}}。 |
||
{{Main|影の軍団シリーズ}} |
{{Main|影の軍団シリーズ}} |
||
[[2007年]]の『[[風林火山 (NHK大河ドラマ)|風林火山]]』を「いままで大河ドラマに不思議と縁が無く、ようやく(出演のオファーが)来たかと思った」と語っており<ref>{{Cite book |
[[2007年]]の『[[風林火山 (NHK大河ドラマ)|風林火山]]』を「いままで大河ドラマに不思議と縁が無く、ようやく(出演のオファーが)来たかと思った」と語っており<ref>{{Cite book|和書|title=別冊[[ザテレビジョン]] [[NHK大河ドラマ]] [[風林火山 (NHK大河ドラマ)|風林火山]] |date=2006-12 |edition=初版 |publisher=[[KADOKAWA]] |isbn=4-0489-4480-0 |page=40}}</ref>、共演した[[内野聖陽]]は |
||
{{Cquote|思い出に残るシーンは、それはもちろん千葉真一さんとの[[殺陣]]でしょうね。僕も殺陣が非常に好きで普段から稽古しているんですが、千葉さんといえば世界的にも有名でアクションも凄いじゃないですか。そういう方と殺陣ができるのが、うれしくてしょうがなかった。千葉さんは「どっからでもかかっていらっしゃい」という感じで、どっしりと構えている。僕もこの大きな胸を借りて、思いっきりやってやれという感じで、やらせていただきました。千葉さんはすごく情熱的な方で、収録が終わっても若い人を集めて酒を飲みながら、演技について語っているんですよ。その仲間に僕も入れていただいて、電気が消えて「早く出て行ってください」と言われても、ひたすら飲んで語っていました(笑)。殺陣の極意をいろいろ聞かせていただいて、楽しかったですね。視聴者の方にはお教えできないテクニックも教わって、いろんな意味で勉強になりました(笑)。<ref>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20100920094115/http://ch-ginga.jp/ginganavi/201007_iv.html |date = 2010年9月2日 |title =【内野聖陽さんインタビュー】その生き様に感動!内野聖陽が大河ドラマ「風林火山」の魅力を語る。}}</ref>}} |
|||
{{Cquote|思い出に残るシーンは、それはもちろん千葉真一さんとの[[殺陣]]でしょうね。僕も殺陣が非常に好きで普段から稽古しているんですが、千葉さんといえば世界的にも有名でアクションも凄いじゃないですか。そういう方と殺陣ができるのが、うれしくてしょうがなかった。千葉さんは「どっからでもかかっていらっしゃい」という感じで、どっしりと構えている。僕もこの大きな胸を借りて、思いっきりやってやれという感じで、やらせていただきました。千葉さんはすごく情熱的な方で、収録が終わっても若い人を集めて酒を飲みながら、演技について語っているんですよ。その仲間に僕も入れていただいて、電気が消えて「早く出て行ってください」と言われても、ひたすら飲んで語っていました(笑)。殺陣の極意をいろいろ聞かせていただいて、楽しかったですね。視聴者の方にはお教えできないテクニックも教わって、いろんな意味で勉強になりました(笑)<ref>{{Cite web2 |df=ja |url=http://ch-ginga.jp/ginganavi/201007_iv.html |title=【内野聖陽さんインタビュー】その生き様に感動!内野聖陽が大河ドラマ「風林火山」の魅力を語る。 |website=チャンネル銀河 |accessdate=2010-09-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100920094115/http://ch-ginga.jp/ginganavi/201007_iv.html |archivedate=2010-09-20}}</ref>。}} |
|||
と語っている。 |
と語っている。 |
||
[[市川猿之助 (4代目)|市川猿之助]]は『風林火山』がテレビドラマ初出演だったが、「現場がよかった。千葉真一さんは僕に付きっきりで、映像のことを教えてくれた」と撮影時の様子を振り返っている<ref>{{Cite web |url |
[[市川猿之助 (4代目)|市川猿之助]]は『風林火山』がテレビドラマ初出演だったが、「現場がよかった。千葉真一さんは僕に付きっきりで、映像のことを教えてくれた」と撮影時の様子を振り返っている<ref>{{Cite web |url=https://thetv.jp/news/detail/1029104/ |title=市川猿之助、香川照之の助力に感謝「1日付いて頭を下げてくれた」〈アナザースカイ〉 |accessdate=2021-04-18 |date=2021-04-16 |website=ザテレビジョン |publisher=KADOKAWA |archive-url=https://web.archive.org/web/20210416130015/https://thetv.jp/news/detail/1029104/ |archive-date=2021-04-18 |url-status=live}}</ref>。 |
||
=== 演劇 === |
=== 演劇 === |
||
1980年代、定期的に |
1980年代、定期的にJAC[[ミュージカル]]を公演し、成功を収めていた{{sfn|『酔いどれ公爵』パンフレット|1985|p=35|loc=「ごあいさつ 株式会社コマ・スタジアム専務取締役・酒井肇」}}。[[大地真央]]や[[少年隊]]も観劇に来場しており、[[宝塚歌劇団]]を退団したばかりの大地は今後どういう方向性で行けば迷っていた頃で、「千葉さんにどうしてもご挨拶をしたい」と要望し、楽屋を訪ねて「刺激を受けました」と伝えている<ref>{{Cite book|和書|title=誠真会館館長・井上誠吾ら元JACメンバー座談会(7) |date=2016-12-01 |publisher=武道ユニオン |series=フルコンタクトKARATE MAGAZINE 2016 December |volume=9 |isbn=978-4-4342-2746-2 |oclc=967582192 |page=56 |chapter=千葉の指導}}</ref>。 |
||
{{See also|[[#ジャンルを越えた活躍]]}} |
|||
JACの設立当初は[[吹き替え]]せずにアクションを演じられる[[俳優]]・[[スタントマン]]を育成する場だったが、[[ウエスト・サイド物語]]に感動して「いつかはミュージカルをやりたい」という夢を抱いていた{{sfn|『酔いどれ公爵』パンフレット|1985|pp=27-31|loc=「千葉真一 対談 石崎勝久(映画評論家)」}}、「肉体は俳優の言葉」というポリシーに「五体で喜怒哀楽を表現する」を加えて生徒を育てていく{{sfn|『キネマ旬報』1982年8月上旬号|pp=130-133}}、「[[役者]]を育てるにはミュージカルが一番だと気づいた<ref name="zakzak20110518" />」、などミュージカル公演は悲願のひとつであった。[[高平哲郎]]は[[1980年代]]後半からミュージカルやショー関係の舞台が多くなってきたときに、「脇を固めてくれるダンサーや役者は、ほとんどがJAC出身者か[[劇団四季]]の退団者だった」と述べている<ref name="zakzak20110518" />。 |
|||
{{See also|[[#転機]]|[[#ジャパンアクションクラブ (JAC) ]]}} |
|||
=== 外国作品 === |
=== 外国作品 === |
||
[[File:Sonny Chiba (48483678681).jpg|thumb|right|200px|ギャラクシーコン・[[ローリー (ノースカロライナ州)|ローリー]]のイベントで『[[キル・ビル]]』のザ・ブライドモデルの刀を構える(2019年)。<br />[[File:Nuvola apps arts.svg|16px|link=]] {{YouTube|blkhko_4T8s|The Lonely Shepherd · Zamfir - Kill Bill Vol. 1 Original Soundtrack}}]] |
[[File:Sonny Chiba (48483678681).jpg|thumb|right|200px|ギャラクシーコン・[[ローリー (ノースカロライナ州)|ローリー]]のイベントで『[[キル・ビル]]』のザ・ブライドモデルの刀を構える(2019年)。<br />[[File:Nuvola apps arts.svg|16px|link=]] {{YouTube|blkhko_4T8s|The Lonely Shepherd · Zamfir - Kill Bill Vol. 1 Original Soundtrack}}]] |
||
1966年以降、日本と外国の合作映画や海外資本の作品に主演し始め、1973年から主演し始めた格闘映画が国内外でヒットし始めると、アメリカらオファーが来たものの、[[東映]]の反対により進まなかったが、1990年代初頭に『[[エイセス/大空の誓い|エイセス / 大空の誓い]]』皮切りに、外国作品に出演し出した<ref name = 小玉23>[[#挑む2692|小玉大輔 「サニー千葉としての海外出演作品」、23頁。]]</ref>。 |
|||
1966年以降、日本と外国の合作映画や海外資本の作品に主演し始め、1973年から主演し始めた格闘映画が国内外でヒットし始めると、アメリカらオファーが来たものの、[[東映]]の反対により進まなかったが、1990年代初頭に『[[エイセス/大空の誓い|エイセス / 大空の誓い]]』皮切りに、外国作品に出演し出した{{sfn|『キネマ旬報』2021年11月上旬特別号|p=23|loc=小玉大輔「サニー千葉としての海外出演作品」}}。 |
|||
ハリウッド映画だけでなく、他の外国作品にも出演しており、[[香港映画]]では『[[風雲 ストームライダーズ]]』が代表作である。 |
ハリウッド映画だけでなく、他の外国作品にも出演しており、[[香港映画]]では『[[風雲 ストームライダーズ]]』が代表作である。 |
||
[[2003年]]、クエンティン・タランティーノのアメリカ映画『[[キル・ビル]]』では“百代目 服部半蔵”として出演と、[[ユマ・サーマン]]、[[ルーシー・リュー]]らハリウッドスターへ[[剣術]]指導をした |
[[2003年]]、クエンティン・タランティーノのアメリカ映画『[[キル・ビル]]』では“百代目 服部半蔵”として出演と、[[ユマ・サーマン]]、[[ルーシー・リュー]]らハリウッドスターへ[[剣術]]指導をした{{sfn|『キル・ビル Vol.1』パンフレット|2003|p=11|loc=「INTRODUCTION」}}。サーマンは「Sonny(サニー)は大好きよ。私にとって彼は大スターだし、偉大な俳優だと思う{{sfn|『キル・ビル Vol.1』パンフレット|2003|p=21|loc=「ユマ・サーマン インタビュー」(森山京子 訳)}}」と、一方のリューは「Sonnyは本当にいろいろなことを教えてくれた{{sfn|『キル・ビル Vol.1』パンフレット|2003|p=26|loc=「ルーシー・リュー インタビュー」([[小西未来]] 訳)}}」と、それぞれ語っている。 |
||
後輩の[[松方弘樹]]は千葉が海外で活躍している要因を |
後輩の[[松方弘樹]]は千葉が海外で活躍している要因を |
||
{{Cquote|むちゃくちゃ仕事熱心な方です。しかも弱音を吐いたところを聞いたことがない。映画の現場では遅刻もしなければ、現場から早く自宅に帰ることもない。まじめなんですね。本当に頭が下がる思いです。もう一つかなわないことがあるんです。僕は割と交友関係は広い方なんですが、千葉さんは僕以上に友達が多い。だれとでもすぐに友達になるんですよね。ホントうらやましい。[[ハリウッド]]にポンと挑戦できちゃうのも、気さくな性格とこの交友関係の広さなんでしょうね。<ref name = nikkan1/>}} |
|||
{{Cquote|むちゃくちゃ仕事熱心な方です。しかも弱音を吐いたところを聞いたことがない。映画の現場では遅刻もしなければ、現場から早く自宅に帰ることもない。まじめなんですね。本当に頭が下がる思いです。もう一つかなわないことがあるんです。僕は割と交友関係は広い方なんですが、千葉さんは僕以上に友達が多い。だれとでもすぐに友達になるんですよね。ホントうらやましい。[[ハリウッド]]にポンと挑戦できちゃうのも、気さくな性格とこの交友関係の広さなんでしょうね。<ref name="nikkansports20210820a" />}} |
|||
と評している。 |
と評している。 |
||
426行目: | 489行目: | ||
=== 器械体操 === |
=== 器械体操 === |
||
[[File:Sonny Chiba at the horizontal bar on 1961.jpg|thumb|left|200px|[[鉄棒]]で[[大車輪]]をする([[日本体育大学]]にて、1961年)。]] |
[[File:Sonny Chiba at the horizontal bar on 1961.jpg|thumb|left|200px|[[鉄棒]]で[[大車輪]]をする([[日本体育大学]]にて、1961年)。]] |
||
君津市君津中学校へ進学すると、千葉の進路に影響を与えることとなる体育教師の松本と出会う |
君津市君津中学校へ進学すると、千葉の進路に影響を与えることとなる体育教師の松本と出会う{{sfn|千葉|2010|p=89|loc=「厳しくも愛情ある指導、体操を始めるきっかけを作ってくれた松本先生」}}。松本は千葉を[[陸上競技]]・[[バレーボール]]・[[野球]]([[投手]]で4番打者{{sfn|『近代映画』1970年11月号|p=123-126}})など、複数の大会に出場させていた{{sfn|千葉|2010|p=89|loc=「厳しくも愛情ある指導、体操を始めるきっかけを作ってくれた松本先生」}}。この頃[[1952年ヘルシンキオリンピック|ヘルシンキオリンピック]]が開催され、日本勢が[[体操競技]]でメダルを獲得したことにより、体操競技の一大ブームが発生する{{sfn|千葉|2010|pp=90-91|loc=「厳しくも愛情ある指導、体操を始めるきっかけを作ってくれた松本先生」}}。松本はその時勢に乗り、千葉を「体操部を創るから部員になれ」と勧誘したので、[[運動部]]を掛け持ちしながら練習し始める日々となった{{sfn|千葉|2010|pp=90-91|loc=「厳しくも愛情ある指導、体操を始めるきっかけを作ってくれた松本先生」}}。勧められての体操競技だったが、やがて[[近代オリンピック|オリンピック]]で[[日本の国旗|日の丸]]を掲げたいという夢を抱くようになり{{sfn|『SPORTS CITY』1981年第1巻第2号}}{{sfn|『戦国自衛隊』パンフレット|1979|p=21|loc=脇田巧彦「アクションに賭ける男・千葉真一」}}、松本に相談すると「体操するなら[[千葉県立木更津高等学校|木更津一高]]へ行け」とアドバイスされた{{sfn|千葉|2010|pp=90-91|loc=「厳しくも愛情ある指導、体操を始めるきっかけを作ってくれた松本先生」}}。進学校のため躊躇していると松本は練習後にも勉強をみてくれる先生を手配し、その甲斐有って合格{{sfn|千葉|2010|pp=90-91|loc=「厳しくも愛情ある指導、体操を始めるきっかけを作ってくれた松本先生」}}。入学後は体操競技に専念し、1年生で全国大会上位入賞、3年生で全国大会優勝を成し遂げた{{sfn|『SPORTS CITY』1981年第1巻第2号}}{{sfn|千葉|2010|pp=95-96|loc=「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」}}。 |
||
[[1957年]]、[[日本体育大学]][[体育学部]][[体育学科]]へ進学<ref name |
[[1957年]]、[[日本体育大学]][[体育学部]][[体育学科]]へ進学<ref name="eigacom20130310" /><ref name="sponichi20130126" /><ref name="nikkansports20130310" /><ref name="daily20130311" />。同級生には[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]]の[[跳馬]][[金メダル|金メダリスト]]の[[山下治広]]がおり、ヘルシンキオリンピックの跳馬[[銀メダル|銀メダリスト]]・[[竹本正男]]に指導を受けた{{sfn|『SPORTS CITY』1981年第1巻第2号}}<ref name="sponichi20130126" />。オリンピック出場を目指して練習に明け暮れていたが、独力で通学することが条件だったので、学費を稼ぐために時給が高い[[土工]]や引越しの[[アルバイト]]を、身体鍛錬も兼ねて並行していた{{sfn|『月刊平凡』1970年 第26巻第3号|p=110|loc=「20人が証言する裸の千葉真一」}}。大学2年生の夏{{efn2|name="夏秋"}}、跳馬を練習中に着地で失敗し、腰・両膝を痛めてしまう<ref name="eigacom20130310" /><ref name="sponichi20130126" />{{sfn|『近代映画』1970年11月号|p=123-126}}<ref name="hochi20130311" />。練習とアルバイトの掛け持ちで身体を酷使していたことも加わり悪化し、医者から「1週間運動禁止」と宣告された<ref name="eigacom20130310" /><ref name="daily20130311" />。1週間も練習を休めば差がつくこの時期に、選手を続けることが困難となる<ref name="eigacom20130310" /><ref name="sponichi20130126" /><ref name="daily20130311" />。山下はその実力を「日本の体操選手が不得意にしている[[あん馬]]が彼は得意だった。でも大学二年の秋{{efn2|name="夏秋"}}、跳馬の練習中に着地を失敗して[[アキレス腱]]と腰を痛めてしまって…。あのまま体操を続けていれば、間違いなく東京オリンピックでメダルを獲得できたのに惜しかった」と評し、才能を惜しんでいる{{sfn|『月刊平凡』1970年 第26巻第3号|p=110|loc=「20人が証言する裸の千葉真一」}}。 |
||
(⇒ ''[[#オリンピックを目指して]]'') |
|||
{{See also|[[#オリンピックを目指して]]}} |
|||
=== 空手道 === |
=== 空手道 === |
||
[[東映]]に入る前から[[大山道場]]に通っており、きっかけは[[大学生]]の時に[[大山倍達]]を知っている[[朝鮮民族|韓国人]]から紹介を受けて入門 |
[[東映]]に入る前から[[大山道場]]に通っており、きっかけは[[大学生]]の時に[[大山倍達]]を知っている[[朝鮮民族|韓国人]]から紹介を受けて入門{{sfn|中村|1999|p=173|loc=「極真空手三段 千葉真一」}}。[[格闘技|格闘]]映画で千葉の敵役を演じた[[石橋雅史]]は[[極真会館|極真カラテ]]の[[先輩]]にあたる{{sfn|中村|1999|p=173|loc=「極真空手三段 千葉真一」}}<ref>{{Cite book|和書|title=蘇る伝説“[[大山道場]]”読本 |date=2000-01-14 |edition=初刷 |pages=178-179 |publisher=[[日本スポーツ出版社]] |isbn=4-9309-4327-2}}</ref>。大山は「学生時分から千葉は道場へ通ってきており、仕事の関係でまとまった稽古をしていないまでも、門下生の序列でいうと相当古い方になるんだよ{{sfn|真樹|1986|pp=104-105|loc=「『けんか空手 極真拳』の撮影で初めて会う」}}」と語っている。千葉は[[段級位制#名誉段位|名誉段位]]ではなく、一般門下生と同様に昇段審査を受け、[[1965年]][[10月15日]]に[[黒帯]]([[空手道#段級位・色帯・称号|初段]])を允許{{sfn|『極真カラテ総鑑』|2001|p=62|loc=「国際空手道連盟 極真会館 - 年度別昇段登録簿(国内)」}}、1977年2月3日に[[空手道#段級位・色帯・称号|弐段]]を越えて飛び段で[[空手道#段級位・色帯・称号|参段]]{{sfn|『極真カラテ総鑑』|2001|p=63|loc=「国際空手道連盟 極真会館 - 年度別昇段登録簿(国内)」}}、1984年1月20日に[[空手道#段級位・色帯・称号|四段]]へ昇段した{{sfn|『極真カラテ総鑑』|2001|p=|loc=64「国際空手道連盟 極真会館 - 年度別昇段登録簿(国内)」}}。 |
||
(⇒ ''[[#格闘映画]]'') |
|||
{{See also|[[#格闘映画]]}} |
|||
1977年3月16日に[[空手道]]による真剣勝負をすることが発表され<ref>{{Cite news |title = 千葉真一三段がデスマッチ |newspaper = スポーツニッポン |publisher = 毎日新聞社 |date = 1977-03-16 }}</ref>、4月に[[ハワイ州|ハワイ]]で開催された「日本代表[[極真会館]]チーム対ハワイ代表チーム」という[[フルコンタクト空手]]の対抗戦に参戦した<ref name = kamakura/><ref name = whywin8384/>。他の日本代表メンバーには[[大石代悟]]・[[二宮城光]]・[[東孝]]・[[中村誠 (空手家)|中村誠]]などがおり{{Efn |[[大石代悟]]と[[二宮城光]]はケガのため、対抗戦を欠場した<ref name = whywin86>[[#なぜ勝つ|「“極真”だけがなぜ勝つのか」、86頁。]]</ref>。}}、対戦相手は「前[[アメリカ東海岸]]空手チャンピオンのグレッグ・カーフマン」という180[[センチメートル|cm]]以上ある[[ネグロイド]]であった<ref name = gai174176/><ref name = whywin8487/>。千葉は通常の空手技の他に、跳び右[[後ろ回し蹴り]]や[[蹴り技#種類|胴回し回転蹴り]]の元となった前方宙返りして踵で蹴るなど攻撃して、第2ラウンドに[[蹴り技#種類|二段蹴り]]で[[ノックアウト|KO]]勝ちを収めた<ref name = kamakura/><ref name = gai174176/><ref name = whywin8487/>。結果的に同年5月14日に国内で封切り公開された[[映画]]『[[空手バカ一代 (映画)|空手バカ一代]]』の宣伝にもなった。[[大山倍達]]は「千葉真一の[[空手映画]]は[[欧米]]で非常なブームとなっており、本職の[[空手家]]らの『''Sonny Chiba''(サニー ちば)の空手は本物』という批評が聞かれていた。極真カラテの黒帯である千葉だからそれも当然で、この対抗試合に出場してその実力を示したのは立派と言うしかない」と述べている<ref name = whywin86/>。 |
|||
(⇒ ''[[#Sonny Chiba]]'') |
|||
1977年3月16日に[[空手道]]による真剣勝負をすることが発表され<ref>{{Cite news |title=千葉真一三段がデスマッチ |newspaper=スポーツニッポン |publisher=毎日新聞社 |date=1977-03-16}}</ref>、4月に[[ハワイ州|ハワイ]]で開催された「日本代表[[極真会館]]チーム対ハワイ代表チーム」という[[フルコンタクト空手]]の対抗戦に参戦した{{sfn|『SPORTS CITY』1981年第1巻第2号}}{{sfn|大山|1979|pp=83-84|loc=「“極真”だけがなぜ勝つのか」}}。他の日本代表メンバーには[[大石代悟]]・[[二宮城光]]・[[東孝]]・[[中村誠 (空手家)|中村誠]]などがおり{{efn2|[[大石代悟]]と[[二宮城光]]はケガのため、対抗戦を欠場した{{sfn|大山|1979|p=86|loc=「“極真”だけがなぜ勝つのか」}}。}}、対戦相手は「前[[アメリカ東海岸]]空手チャンピオンのグレッグ・カーフマン」という180[[センチメートル|cm]]以上ある[[ネグロイド]]であった{{sfn|中村|1999|pp=174-176|loc=「極真空手三段 千葉真一」}}{{sfn|大山|1979|pp=85-87|loc=「“極真”だけがなぜ勝つのか」}}。千葉は通常の空手技の他に、跳び右[[後ろ回し蹴り]]や[[蹴り技#種類|胴回し回転蹴り]]の元となった前方宙返りして踵で蹴るなど攻撃して、第2ラウンドに[[蹴り技#種類|二段蹴り]]で[[ノックアウト|KO]]勝ちを収めた{{sfn|『SPORTS CITY』1981年第1巻第2号}}{{sfn|中村|1999|pp=174-176|loc=「極真空手三段 千葉真一」}}{{sfn|大山|1979|pp=85-87|loc=「“極真”だけがなぜ勝つのか」}}。結果的に同年5月14日に国内で封切り公開された[[映画]]『[[空手バカ一代 (映画)|空手バカ一代]]』の宣伝にもなった。[[大山倍達]]は「千葉真一の[[空手映画]]は[[欧米]]で非常なブームとなっており、本職の[[空手家]]らの「Sonny Chiba(サニー ちば)の空手は本物」という批評が聞かれていた。極真カラテの黒帯である千葉だからそれも当然で、この対抗試合に出場してその実力を示したのは立派と言うしかない」と述べている{{sfn|大山|1979|p=86|loc=「“極真”だけがなぜ勝つのか」}}。 |
|||
1984年1月20日 - 22日に開催された極真会館主催の第3回[[全世界空手道選手権大会|オープントーナメント全世界空手道選手権大会]]では[[志穂美悦子]]・[[真田広之]]ら[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ (''JAC'') ]]メンバーを率い、[[演武]]と[[テレビ]]のゲスト解説をした。同年8月、極真会館[[ブラジル]]支部長・[[磯部清次]]の招待により、志穂美・真田・[[大葉健二]]を連れて[[サンパウロ]]へ行き、25日 - 26日に開催された第1回[[日本|日]][[ブラジル|伯]]・第8回ブラジル極真空手道選手権大会でも演武を行った<ref>{{Cite journal |和書 |date = 1984-11-01 |title = 速報!! [[アデミール・ダ・コスタ]]が連覇 ブラジル支部設立10周年記念大会 |journal = [[月刊パワー空手]] |volume = 7 |issue = 11 |pages = 3 - 13 |publisher = パワー空手出版社 }}</ref>。 |
|||
{{See also|[[#Sonny Chiba]]}} |
|||
日本・[[アメリカ]]・[[東南アジア]]と[[世界]]各国で後進の育成・[[空手道]]の普及に活動しており、毎年10月には[[旧武徳殿]]がある[[京都市武道センター]]で少年少女オープン空手道選手権大会「千葉真一総裁杯」を催している。『[[新 影の軍団シリーズ]]』で共演した[[高野八誠]]は「最終章のラストシーンで千葉さんと[[殺陣]]をするんですが、休憩中に千葉さんが後ろ回し蹴りを見せてくれて、すっごい感動しましたね。動きは昔と変わってないなって、改めてビックリさせてもらいました<ref>[[#新影最終|特典映像 「高野八誠インタビュー」]]</ref>」と、当時66歳の千葉について語っている。 |
|||
(⇒ ''[[#格闘映画]]'') |
|||
1984年1月20日 - 22日に開催された極真会館主催の第3回[[全世界空手道選手権大会|オープントーナメント全世界空手道選手権大会]]では[[志穂美悦子]]・[[真田広之]]ら[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ]](JAC)メンバーを率い、[[演武]]と[[テレビ]]のゲスト解説をした。同年8月、極真会館[[ブラジル]]支部長・[[磯部清次]]の招待により、志穂美・真田・[[大葉健二]]を連れて[[サンパウロ]]へ行き、25日 - 26日に開催された第1回[[日本|日]][[ブラジル|伯]]・第8回ブラジル極真空手道選手権大会でも演武を行った<ref>{{Cite journal|和書|date=1984-11-01 |title=速報!! [[アデミール・ダ・コスタ]]が連覇 ブラジル支部設立10周年記念大会 |journal=月刊パワー空手 |volume=7 |issue=11 |pages=3-13 |publisher=パワー空手出版社}}</ref>。 |
|||
日本・[[アメリカ]]・[[東南アジア]]と[[世界]]各国で後進の育成・[[空手道]]の普及に活動しており、毎年10月には[[旧武徳殿]]がある[[京都市武道センター]]で少年少女オープン空手道選手権大会「千葉真一総裁杯」を催している。『[[新 影の軍団シリーズ]]』で共演した[[高野八誠]]は「最終章のラストシーンで千葉さんと[[殺陣]]をするんですが、休憩中に千葉さんが後ろ回し蹴りを見せてくれて、すっごい感動しましたね。動きは昔と変わってないなって、改めてビックリさせてもらいました{{sfn|『新・影の軍団 最終章』|2005|loc=特典映像「高野八誠インタビュー」}}」と、当時66歳の千葉について語っている。 |
|||
{{See also|[[#格闘映画]]}} |
|||
=== ファン === |
=== ファン === |
||
==== ファン(国内) ==== |
==== ファン(国内) ==== |
||
[[日本]]では[[秋山幸二]]<ref name |
[[日本]]では[[秋山幸二]]<ref name="nikkansports20130216" />・[[いしだあゆみ]]{{sfn|『月刊平凡』1969年 第25巻第12号|p=232|loc=「表紙のおしゃべり」}}・[[今井雅之]]<ref name="i-masayuki20101024">{{Cite web |url=https://ameblo.jp/i-masayuki/entry-10686169761.html |title=大先輩 |accessdate=2012-09-28 |author=今井雅之 |authorlink=今井雅之 |date=2010-10-24 |website=今井雅之の押忍! |work=今井雅之オフィシャルブログ |publisher=アメーバブログ |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120927151845/http://ameblo.jp/i-masayuki/entry-10686169761.html |archivedate=2012-09-27 |url-status=live}}</ref><ref name="i-masayuki20110628">{{Cite web |url=https://ameblo.jp/i-masayuki/entry-10937286125.html |title=千葉先輩!!! |accessdate=2012-09-28 |author=今井雅之 |date=2011-06-28 |website=今井雅之の押忍! |work=今井雅之オフィシャルブログ |publisher=アメーバブログ |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120927152910/http://ameblo.jp/i-masayuki/entry-10937286125.html |archivedate=2012-09-27 |url-status=live}}</ref>・[[小倉久寛]]<ref name="nikkansports20231018">{{Cite news |title=三宅裕司&三宅裕司&小倉久寛、劇団SETのスパイアクション作品開幕直前「最高のアクション」と自信、劇団SETのスパイアクション作品開幕直前「最高のアクション」と自信 |newspaper=nikkansports.com |date=2023-10-18 |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202310180000914.html |accessdate=2023-10-26 |publisher=日刊スポーツ新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20231026143014/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202310180000914.html |archivedate=2023-10-26 |url-status=live}}</ref>・[[尾崎将司]]{{sfn|『週刊ゴルフダイジェスト』2013年9月24号}}・[[竹中直人]]<ref name="nikkan-spa20231018">{{Cite web |url=https://nikkan-spa.jp/1726750/2 |title=「アクションの激しさとギャグのゆるさの緩急を見せたい」 - 竹中直人と『燃えよデブゴン』谷垣監督が語る、真のアクションスターの条件 |accessdate=2021-02-22 |author=小西麗 |date=2021-01-11 |website=[[SPA!|日刊SPA!]] |publisher=[[扶桑社]] |page=2 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210113081926/https://nikkan-spa.jp/1726750/2 |archivedate=2021-01-13 |url-status=live}}</ref>・[[吉川晃司]]<ref name="eigamiru_吉川晃司">{{Cite web2 |df=ja |url=http://eigamiru.link/archives/26444 |title=吉川晃司、大ファンの千葉真一と倉田保昭が共演するアクション映画の楽曲を担当 |website=映画を観ると得をする |date=n.d. |accessdate=2016-12-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20161203035713/http://eigamiru.link/archives/26444 |archivedate=2016-12-03}}{{信頼性要検証|date=2023年11月}}</ref><ref name="nikkatsu">{{Cite web |url=http://www.nikkatsu.com/movie/official/master_of_thunder/atmovie/production/index.html |title=音楽も壮絶バトル!吉川晃司VS大槻ケンヂ率いる特撮 |accessdate=2017-10-26 |year=2006 |website=[[マスター・オブ・サンダー 決戦!! 封魔竜虎伝]] |work=プロダクションノート |publisher=『マスター・オブ・サンダー』製作委員会 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20171026075631/http://www.nikkatsu.com/movie/official/master_of_thunder/atmovie/production/index.html |archivedate=2017-10-26 |url-status=live}}</ref>・[[関根勤]]<ref name="zakzak20110518" />・[[園子温]]<ref>{{Cite news |title=園子温監督 芸人デビュー「たけしさんに肉薄したい」|newspaper=スポニチ Sponichi Annex |date=2013-05-01 |url=http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/05/01/kiji/K20130501005717300.html |accessdate=2013-05-13 |publisher=スポーツニッポン新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130502014022/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/05/01/kiji/K20130501005717300.html |archivedate=2013-05-02 |url-status=live}}</ref>・[[高平哲郎]]<ref name="zakzak20110518" />、[[吉本真由美]]<ref name="『2時のワイドショー』">{{Cite episode |df=ja |title=千葉真一 沢田研二 魔界転生 |url=https://www.youtube.com/watch?v=z8I5SSqz-AE |series=2時のワイドショー |series-link=2時のワイドショー |network=[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]] |station=[[讀賣テレビ放送|ytv]] |airdate=1981年5月 |time=22分22秒から}}</ref>、などのファンがいる。 |
||
|archiveurl = https://web.archive.org/web/20130502014022/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/05/01/kiji/K20130501005717300.html |archivedate = 2013-05-02 |url-status = live }}</ref>・[[高平哲郎]]<ref name = 高平哲郎/>、[[吉本真由美]]<ref name = 真由美>{{Cite episode |title = 千葉真一 沢田研二 魔界転生 |url = https://www.youtube.com/watch?v=z8I5SSqz-AE |series = 2時のワイドショー |series-link = 2時のワイドショー |network = [[日本テレビネットワーク協議会|NNS]] |station = [[讀賣テレビ放送|ytv]] |airdate = 1981年5月 |time = 22分22秒から }}</ref>、などのファンがいる。 |
|||
秋山幸二は「あなたにとって[[侍|サムライ]]とは?」という問いに「千葉真一の柳生十兵衛は、生きるか死ぬか究極の真剣勝負というイメージがいい」と評した<ref name |
秋山幸二は「あなたにとって[[侍|サムライ]]とは?」という問いに「千葉真一の柳生十兵衛は、生きるか死ぬか究極の真剣勝負というイメージがいい」と評した<ref name="nikkansports20130216" />、いしだあゆみは雑誌の表紙撮影で対面したときに「わたし、千葉さんの大ファンなんです」と伝えており{{sfn|『月刊平凡』1969年 第25巻第12号|p=232|loc=「表紙のおしゃべり」}}、[[テレビドラマ]]『[[雪の朝に]]』([[1987年]])にて、いしだは千葉の恋人役で念願の共演を果たし、[[映画]]『[[闇の狩人]]』([[1979年]])や千葉主演のテレビドラマ『[[おわこんTV]]』([[2014年]])でも共演した。今井雅之は子供の頃、友達と『[[キイハンター]]』ごっこで遊ぶときには、千葉に扮するほどの熱狂的なファンである<ref name="i-masayuki20101024" /><ref name="i-masayuki20110628" /><ref>{{Cite web |url=http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20150716/enn1507161140007-n2.htm |title=スクープ! 今井雅之さん、幻の「戦国自衛隊」遺していた 20年前に続編の脚本執筆(2/2ページ)|accessdate=2015-07-18 |date=2015-07-16 |website=ZAKZAK |work=芸能 |page=2 |publisher=産業経済新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150718094922/http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20150716/enn1507161140007-n2.htm |archivedate=2015-07-18 |url-status=live}}</ref>。 |
||
(⇒ ''[[#2010年代]]''・''[[#キイハンター]]''・''[[#時代劇]]'') |
|||
{{See also|[[#2010年代]]|[[#キイハンター]]|[[#時代劇]]}} |
|||
小倉久寛はアクションヒーローを聞かれ、「千葉真一さんです」と回答<ref name = 久寛日刊/>。尾崎将司は千葉の『[[影の軍団シリーズ]]』を好み、千葉演ずる主人公が敵を倒す前に唱える“天魔覆滅”を“無”と解釈し、「[[パター]]の前に“天魔覆滅”と発して打つとリズムが出ていい」と語っている<ref name = 天魔覆滅/>。吉川晃司は「(千葉を)憧れのヒーロー」と答え<ref name = kikkawa1/><ref name = kikkawa2/>、竹中直人はアクション作品の憧憬として、心に残るアクションスターに千葉を挙げている<ref name = 竹中直人/>。吉本真由美は、千葉が主演映画『[[魔界転生 (1981年の映画)|魔界転生]]』のプロモーションで『[[2時のワイドショー]]』に出演した際、司会の[[奥田博之 (アナウンサー)|奥田博之]]から「この吉本くんは大変、千葉さんのファンでしてね。(前日から)眠られない、眠られないと。自分が好きな俳優さんが来られると、この人(吉本)はものを言わなくなってしまうんですよ」と紹介されている<ref name = 真由美/>。 |
|||
(⇒ ''[[#アクション映画]]''・''[[#キイハンター]]''・''[[#格闘映画]]''・''[[#時代劇]]'') |
|||
小倉久寛はアクションヒーローを聞かれ、「千葉真一さんです」と回答<ref name="nikkansports20231018" />。尾崎将司は千葉の『[[影の軍団シリーズ]]』を好み、千葉演ずる主人公が敵を倒す前に唱える“天魔覆滅”を“無”と解釈し、「[[パター]]の前に“天魔覆滅”と発して打つとリズムが出ていい」と語っている{{sfn|『週刊ゴルフダイジェスト』2013年9月24号}}。吉川晃司は「(千葉を)憧れのヒーロー」と答え<ref name="eigamiru_吉川晃司" /><ref name="nikkatsu" />、竹中直人はアクション作品の憧憬として、心に残るアクションスターに千葉を挙げている<ref name="nikkan-spa20231018" />。吉本真由美は、千葉が主演映画『[[魔界転生 (1981年の映画)|魔界転生]]』のプロモーションで『[[2時のワイドショー]]』に出演した際、司会の[[奥田博之 (アナウンサー)|奥田博之]]から「この吉本くんは大変、千葉さんのファンでしてね。(前日から)眠られない、眠られないと。自分が好きな俳優さんが来られると、この人(吉本)はものを言わなくなってしまうんですよ」と紹介されている<ref name="『2時のワイドショー』" />。 |
|||
[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ (''JAC'') ]]に1980年代初期までに入団したメンバーのほとんどが千葉の勇姿に憧れた者ばかりで、[[春田純一]]<ref name = 春田>[[#JAC特集号|「前人未踏!15Mのダイビング」、150頁。]]</ref>・[[大葉健二]]<ref name = 大葉>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20170320054038/http://www.crank-in.net/movie/news/13467 |date = 2017年3月20日 |title = 30年ぶりにギャバンを演じた大葉健二「50代の女性がセーラー服を着る恥ずかしさが判りました」}}</ref>・[[志穂美悦子]]<ref name = "志穂美">[[#JAC特集号|「可能性に最大限挑戦したい!」、141頁。]]</ref><ref name = クランクイン1>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20131224084744/http://www.crank-in.net/movie/column/28435/1 |date = 2013年12月24日 |title = 27年ぶりのテレビ出演で再注目 元女優・志穂美悦子のスゴさ1 }}</ref><ref name = 日刊スポ27年ぶり>{{Cite news |title = 長渕悦子さんが27年ぶりテレビ出演 |newspaper = nikkansports.com |date = 2013-12-18 |url = http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20131218-1232885.html |accessdate = 2017-10-25 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20140120152654/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20131218-1232885.html |archivedate = 2014-01-20 |url-status = live }}</ref>・[[関根大学]]<ref>[[#宇宙刑事|「インタビュー 関根大学」、67頁。]]</ref>・[[山田一善]]<ref>[[#宇宙刑事|「インタビュー 山田一善」、127頁。]]</ref>・[[渡洋史]]<ref>{{Cite book |和書 |editor = 安藤幹夫、[[スタジオ・ハード|スタジオハード]] |title = 宇宙刑事大全 |edition = |date = 2000-06-01 |publisher = [[双葉社]] |isbn = 4575290807 |oclc = 674734525 |pages = 128 - 130 |chapter = }}</ref>、などがいる。 |
|||
(⇒ ''[[#ジャパンアクションクラブ (JAC) ]]'') |
|||
{{See also|[[#アクション映画]]|[[#キイハンター]]|[[#格闘映画]]|[[#時代劇]]}} |
|||
[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ]](JAC)に1980年代初期までに入団したメンバーのほとんどが千葉の勇姿に憧れた者ばかりで、[[春田純一]]{{sfn|『JAC特集号』|1982|p=150|loc=「前人未踏!15Mのダイビング」}}・[[大葉健二]]<ref>{{Cite web2 |df=ja |url=http://www.crank-in.net/movie/news/13467 |title=30年ぶりにギャバンを演じた大葉健二「50代の女性がセーラー服を着る恥ずかしさが判りました」 |website=クランクイン! |publisher=ブロードメディア |date=2012-01-20 |accessdate=2017-03-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170320054038/http://www.crank-in.net/movie/news/13467 |archivedate=2017-03-20}}</ref>・[[志穂美悦子]]{{sfn|『JAC特集号』|1982|p=141|loc=「可能性に最大限挑戦したい!」}}<ref>{{Cite web2 |df=ja |url=http://www.crank-in.net/movie/column/28435/1 |title=27年ぶりのテレビ出演で再注目 元女優・志穂美悦子のスゴさ1 |website=クランクイン! |publisher=ブロードメディア |date=2013-12-22 |accessdate=2013-12-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131224084744/http://www.crank-in.net/movie/column/28435/1 |archivedate=2013-12-24}}</ref><ref>{{Cite news |title=長渕悦子さんが27年ぶりテレビ出演 |newspaper=nikkansports.com |date=2013-12-18 |url=http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20131218-1232885.html |accessdate=2017-10-25 |publisher=日刊スポーツ新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140120152654/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20131218-1232885.html |archivedate=2014-01-20 |url-status=live}}</ref>・[[関根大学]]{{sfn|『宇宙刑事ダイナミックガイドブック』|2015|p=67|loc=「インタビュー 関根大学」}}・[[山田一善]]{{sfn|『宇宙刑事ダイナミックガイドブック』|2015|p=127|loc=「インタビュー 山田一善」}}・[[渡洋史]]<ref>{{Cite book|和書|editor=安藤幹夫、[[スタジオ・ハード|スタジオハード]] |title=宇宙刑事大全 |date=2000-06-01 |publisher=[[双葉社]] |isbn=4-5752-9080-7 |oclc=674734525 |pages=128-130}}</ref>、などがいる。 |
|||
{{See also|[[#ジャパンアクションクラブ (JAC) ]]}} |
|||
==== ファン(海外) ==== |
==== ファン(海外) ==== |
||
日本国外の熱烈なファンには[[キアヌ・リーブス]]<ref name |
日本国外の熱烈なファンには[[キアヌ・リーブス]]<ref name="yomiuri20131218" /><ref name="narinari20151006" />、[[クエンティン・タランティーノ]]{{sfn|『キル・ビル Vol.1』パンフレット|2003|pp=17-18|loc=「クエンティン・タランティーノ」([[町山智浩]])}}{{sfn|中村|1999|pp=173,179|loc=「極真空手三段 千葉真一」}}、[[サミュエル・L・ジャクソン]]{{sfn|中村|1999|pp=173,179,183|loc=「極真空手三段 千葉真一」}}<ref name="zakzak20120817" /><ref name="hollywood-ch20120426" />{{sfn|中村|1999|p=179|loc=「極真空手三段 千葉真一」}}、[[ジャッキー・チェン]]<ref name="堀田眞三20060730" />、[[ジャレッド・フェルナンデス]]<ref name="nikkansports20070723">{{Cite web2 |df=ja |url=http://hiroshima.nikkansports.com/baseball/professional/carp/p-rp-tp0-20070723-231158.html |title=フェルナンデス、千葉真一引退にショック |website=nikkansports.com |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2007-07-23 |accessdate=2010-01-06 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100106064204/http://hiroshima.nikkansports.com/baseball/professional/carp/p-rp-tp0-20070723-231158.html |archivedate=2010-01-06}}</ref>、[[ジョナサン・ノーラン]]<ref name="ign20180412">{{Cite web |url=http://jp.ign.com/westworld/23822/news/2 |title=『ウェストワールド』シーズン2:将軍ワールドのエピソードは日本語で描かれる |accessdate=2018-04-19 |first=Alex |last=Gilyadov |date=2018-04-12 |website=[[IGN|IGN Japan]] |work=映画・ドラマ |publisher=[[産経デジタル]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180419092042/http://jp.ign.com/westworld/23822/news/2 |archivedate=2018-04-19 |url-status=live}}</ref><ref name="ew20180412">{{Cite web |url=http://ew.com/tv/2018/04/09/westworld-shogun-world-interview/ |title=Westworld creators break silence on 'spectacular' Shogun World plans |accessdate=2018-04-19 |first=James |last=Hibberd |authorlink=:w:James Hibberd (writer) |date=2018-04-12 |website=[[エンターテインメント・ウィークリー]] |work=TV |publisher=[[タイム・ワーナー]] |language=en |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180419091915/http://ew.com/tv/2018/04/09/westworld-shogun-world-interview/ |archivedate=2018-04-19 |url-status=live}}</ref>、[[ブルース・リー]]<ref name="zakzak20160318" />、[[マイク・タイソン]]<ref name="nikkansports20210220">{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/sports/column/hyakkei/news/202102150000680.html |title=タイソン公開スパーでも… 楽観ムード包まれ違和感 |accessdate=2021-02-20 |author=首藤正徳 |date=2021-02-16 |website=nikkansports.com |work=首藤正徳のスポーツ百景 |publisher=日刊スポーツ新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210217113808/https://www.nikkansports.com/sports/column/hyakkei/news/202102150000680.html |archivedate=2021-02-17 |url-status=live}}</ref>、[[リュ・スンワン]]{{sfn|『キネマ旬報』2015年12月下旬号}}、[[インドネシア]]の[[格闘家]]・[[俳優]]の[[:id:Yayan Ruhian|ヤヤン・ルヒアン]]<ref name="cinetri20120927" />、らがおり、[[世界]]の映画人・著名人に影響を与えている。 |
||
キアヌ・リーブスは「僕は |
キアヌ・リーブスは「僕はSonny Chibaの映画とともに育ったようなものなんだ<ref name="yomiuri20131218" />」、「『''[[w:The Street Fighter|The Street Fighter]]''』からアクションと芝居を学んだ。僕は映画用の[[カンフー]]ならできるけど、サニー千葉は実際に人をボコボコにできる。情熱を感じる<ref name="narinari20151006" />」と語り、リーブスの主演映画『[[ジョン・ウィック]]』のプロモーションで[[来日]]した2015年10月に千葉と待望の対面を果たした際には、「Oh my god!」を連発、固い握手を交わし、「ハジメマシテ、マエストロ(巨匠)!」と低頭して挨拶<ref name="narinari20151006" />。「あなたはキャラクターを演じるだけでなく、そこにアクションを盛り込んだ。屈強なキャラクターにもあなたが演じると心が感じられる」と身振り手振りを交えながら、リーブスは終始嬉しそうに大はしゃぎしていた<ref name="narinari20151006" />。 |
||
クエンティン・タランティーノは[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]『[[トゥルー・ロマンス]]』で[[主人公]]が『[[激突! 殺人拳]]』を[[映画館]]で観て、部屋には『[[カミカゼ野郎 真昼の決斗]]』、『[[東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯]]』のポスターを貼るなど、千葉の熱狂的ファンである主人公を描いている。サミュエル・L・ジャクソンは初めて千葉に会った時、直立不動で「サインをください」と頼んでいた |
クエンティン・タランティーノは[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]『[[トゥルー・ロマンス]]』で[[主人公]]が『[[激突! 殺人拳]]』を[[映画館]]で観て、部屋には『[[カミカゼ野郎 真昼の決斗]]』、『[[東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯]]』のポスターを貼るなど、千葉の熱狂的ファンである主人公を描いている。サミュエル・L・ジャクソンは初めて千葉に会った時、直立不動で「サインをください」と頼んでいた{{sfn|中村|1999|p=179|loc=「極真空手三段 千葉真一」}}。千葉が『[[パルプ・フィクション]]』の撮影現場を訪問した際、いつもは自信満々で堂々としているジャクソンも、このときばかり緊張を隠せなかった<ref>{{Cite web |url=https://cinemore.jp/jp/erudition/886/article_887_p3.html#a887_p3_1 |title=栄冠、そして大ヒットを引き寄せた最大のスターは誰か? |accessdate=2021-03-01 |author=相馬学 |date=2019-08-22 |website=CINEMORE |work=『パルプ・フィクション』低予算製作でスターたちを動かした真の奇跡とは? |publisher=[[太陽企画]] |page=3 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20201229054721/https://cinemore.jp/jp/erudition/886/article_887_p3.html |archivedate=2020-12-29 |url-status=live}}</ref>。 |
||
ジャッキー・チェンはスターとして認められだした頃に[[東映京都撮影所]]へ出向き、千葉を表敬訪問して念願であった対面を実現した<ref name |
ジャッキー・チェンはスターとして認められだした頃に[[東映京都撮影所]]へ出向き、千葉を表敬訪問して念願であった対面を実現した<ref name="堀田眞三20060730" />。ジョナサン・ノーランは「千葉真一の作品を見て育った」と答え<ref name="ign20180412" /><ref name="ew20180412" />、[[広島東洋カープ]]の[[投手]]で[[映画プロデューサー]]転身の夢があるジャレッド・フェルナンデスは「中学時代から、Sonny Chibaの映画をよく見ていた。いい映画を作って彼を呼びたい」と言っている<ref name="nikkansports20070723" />。ブルース・リーは『キイハンター』で千葉を知っており{{sfn|『SPORTS CITY』1981年第1巻第2号}}、大ファンとなったリーは<ref name="zakzak20160318" />、共演をオファーしていた{{sfn|『SPORTS CITY』1981年第1巻第2号}}。 |
||
マイク・タイソンは1990年に試合で来日した際、練習の合間に[[飯田橋]]の[[レンタルビデオ|レンタルビデオショップ]]へ行き、「シンイチ・チバ(千葉真一)の映画はどれ?」と同行した[[日刊スポーツ]]の記者・首藤正徳に尋ね、上機嫌で計10本を借りて、ホテルへ戻ったが、首藤は「(タイソンは)連日の不調ぶりがウソのように明るかった」と述べている<ref name |
マイク・タイソンは1990年に試合で来日した際、練習の合間に[[飯田橋]]の[[レンタルビデオ|レンタルビデオショップ]]へ行き、「シンイチ・チバ(千葉真一)の映画はどれ?」と同行した[[日刊スポーツ]]の記者・首藤正徳に尋ね、上機嫌で計10本を借りて、ホテルへ戻ったが、首藤は「(タイソンは)連日の不調ぶりがウソのように明るかった」と述べている<ref name="nikkansports20210220" />。リュ・スンワンは『[[キネマ旬報]]』の2015年12月下旬号で対談した際、千葉から『[[仁義なき戦い 広島死闘篇]]』のDVDにサインをしてもらい、「今日はDVDを持って来られなかったのですが、千葉さんの『激突! 殺人拳』が本当に好きなんです。僕があまりにも見ているので、うちの子供たちもテーマ曲を口ずさむことができる。お会いできて光栄です」と喜びを語っている{{sfn|『キネマ旬報』2015年12月下旬号}}。ヤヤン・ルヒアンは映画『[[ザ・レイド]]』の[[宣伝|プロモーション]]で[[2012年]]に来日した際、「千葉さんのアクションは本当に勉強になります」と日本が誇る世界のアクションスターに敬意を表した<ref name="cinetri20120927" />。 |
||
{{See also|[[#キイハンター]]|[[#格闘映画]]|[[#時代劇]]|[[#外国作品]]}} |
|||
=== 交友 === |
=== 交友 === |
||
==== 交友(国内) ==== |
==== 交友(国内) ==== |
||
[[深作欣二]]・[[高倉健]]・[[大山倍達]]を「人生で最も影響を受けた特別な存在で最も敬愛する人物 |
[[深作欣二]]・[[高倉健]]・[[大山倍達]]を「人生で最も影響を受けた特別な存在で最も敬愛する人物{{sfn|千葉|2010|p=131|loc=「第4章 現代日本のサムライ三傑 - [[深作欣二]]、[[高倉健]]、[[大山倍達]]」}}」、尊敬する[[俳優]]に「[[ジェームズ・ディーン]]、[[ジャン=ポール・ベルモンド]]、高倉健、[[若山富三郎]]、[[ゲイリー・クーパー]]<ref>{{Cite web2 |df=ja |url=http://www.tbsradio.jp/top954/2011/12/12.html |title=千葉真一 高倉健から東映解雇を救ってもらった体験を明かす |website=TBSラジオ |accessdate=2014-11-21 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20141121065647/http://www.tbsradio.jp/top954/2011/12/12.html |archivedate=2014-11-21}}</ref>」、「[[親友]]は[[夏八木勲]]<ref name="news-postseven20130429" /><ref name="tokyo-sports20130514">{{Cite news |title=千葉真一 夏八木勲さんへの思い語る |newspaper=東京スポーツ |date=2013-05-14 |url=http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/142369/ |accessdate=2013-05-21 |publisher=東京スポーツ新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130611045130/http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/142369/ |archivedate=2013-06-11 |url-status=live}}</ref>」を挙げている。 |
||
[[1967年]]の[[映画]]『[[あゝ同期の桜]]』で知己を得て以来、最も共演が多い夏八木勲は千葉を<ref name="news-postseven20130429" /><ref name="tokyo-sports20130514" />、 |
|||
[[1967年]]の[[映画]]『[[あゝ同期の桜]]』で知己を得て以来、最も共演が多い夏八木勲は千葉を<ref name = 夏八木ポスト/><ref name = 東スポ夏八木/>、{{cquote|新人で[[京都市|京都]]にきたばかりで挨拶の仕方も知らなく、そんな僕を千葉ちゃんがいろいろと面倒みてくれた。「何も知らない奴だから、あまりいじめないでくれよ」と周囲に言ってくれたんです。お陰で見知らぬ京都でかなり過ごしやすくなったので、本当に感謝しています。千葉ちゃんのそういう性格はもちろんだけど、あそこまで自分の肉体を意のままに操れるよう、鍛えていたことに僕はビックリしてね。千葉ちゃんから「''JAC''でアクションの練習をしているから、なっちゃんも暇があったら来てみない?」って誘われたので、時間がある時は練習場に行って、紛れて一緒に鍛えたりしていました。<ref name = 夏八木ポスト/>}}と評しており、千葉と夏八木を知る関係者も「夏八木さんの口からは、千葉さんを絶賛する言葉しか聞いたことがない。千葉さんも夏八木さんを『僕の人生の中で最高の俳優』と認めていて、事あるごとに仕事に誘っていた。互いによき理解者で、尊敬し合えるかけがえのない友だった」と証言している<ref name = 東スポ夏八木/>。 |
|||
{{Cquote|新人で[[京都市|京都]]にきたばかりで挨拶の仕方も知らなく、そんな僕を千葉ちゃんがいろいろと面倒みてくれた。「何も知らない奴だから、あまりいじめないでくれよ」と周囲に言ってくれたんです。お陰で見知らぬ京都でかなり過ごしやすくなったので、本当に感謝しています。千葉ちゃんのそういう性格はもちろんだけど、あそこまで自分の肉体を意のままに操れるよう、鍛えていたことに僕はビックリしてね。千葉ちゃんから「JACでアクションの練習をしているから、なっちゃんも暇があったら来てみない?」って誘われたので、時間がある時は練習場に行って、紛れて一緒に鍛えたりしていました。<ref name="news-postseven20130429" />}} |
|||
深作欣二は「ともかく熱心だった。特にアクションシーンになると、自分からアイデアを出して急にイキイキしてくる。[[スティーブ・マックイーン]]みたいになりたいというのが口癖だった<ref>[[#20人が証言|「20人が証言する裸の千葉真一」、111 - 112頁。]]</ref>」、[[東映ニューフェイス]]の先輩でもある高倉健は「お互いに無口なところが妙に気が合ってね。普通なら男同士、酒でも飲んで語り合うもんだが、酒を飲めない俺に気を使ってか、喫茶店でコーヒーを飲んだりメシを食いに行ったりで、内気な恋人同士のデートみたいだった。それでも楽しいんだなあ<ref name = 20人が証言111/>」、同期の[[亀石征一郎]]は「[[方言]]が抜けないから研修が終わっても、一人で発音の練習をしていたのが印象的だった<ref name = 20人が証言111/>」と語る。 |
|||
と評しており、千葉と夏八木を知る関係者も「夏八木さんの口からは、千葉さんを絶賛する言葉しか聞いたことがない。千葉さんも夏八木さんを『僕の人生の中で最高の俳優』と認めていて、事あるごとに仕事に誘っていた。互いによき理解者で、尊敬し合えるかけがえのない友だった」と証言している<ref name="tokyo-sports20130514" />。 |
|||
デビュー当時から相談に乗っていた[[潮健児]]は「[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]]のあった[[昭和]]39年([[1964年]])前後に一番悩んでいた。[[日本体育大学]]の友人はオリンピックで名を上げ、『[[網走番外地 (東映)|網走番外地]]』で高倉健さんがスターになった。映画をやめたいと漏らしていた<ref name = 20人が証言112/>」と苦悩する様子を、[[鶴田浩二]]は「融通の利かないところが損しているな。絶対に弁解しないから、誤解されやすい<ref name = 20人が証言112/>」と、それぞれ慮っている。 |
|||
深作欣二は「ともかく熱心だった。特にアクションシーンになると、自分からアイデアを出して急にイキイキしてくる。[[スティーブ・マックイーン]]みたいになりたいというのが口癖だった{{sfn|『月刊平凡』1970年 第26巻第3号|pp=111-112|loc=「20人が証言する裸の千葉真一」}}」、[[東映ニューフェイス]]の先輩でもある高倉健は「お互いに無口なところが妙に気が合ってね。普通なら男同士、酒でも飲んで語り合うもんだが、酒を飲めない俺に気を使ってか、喫茶店でコーヒーを飲んだりメシを食いに行ったりで、内気な恋人同士のデートみたいだった。それでも楽しいんだなあ{{sfn|『月刊平凡』1970年 第26巻第3号|p=111|loc=「20人が証言する裸の千葉真一」}}」、同期の[[亀石征一郎]]は「[[方言]]が抜けないから研修が終わっても、一人で発音の練習をしていたのが印象的だった{{sfn|『月刊平凡』1970年 第26巻第3号|p=111|loc=「20人が証言する裸の千葉真一」}}」と語る。 |
|||
[[中尾彬]]は[[千葉県立木更津高等学校|千葉県立木更津第一高等学校]]の後輩で、「前田さん(千葉の本名)」と挨拶する<ref name = nakao>{{Cite journal |和書 |date = 1970-6-14 |title = モーレツ体操教師と生徒 千葉真一 + 中尾彬 |journal = 週刊明星 |volume = 23 |issue = |publisher = 集英社 }}</ref>。日体大に在学していた千葉が[[教育実習]]で指導した生徒が中尾で、教師と教え子の関係でもあったが、理由もなく反抗して授業をよくサボっていた<ref name = nakao/>。芸能界で再会したときに、中尾は非礼を陳謝<ref name = nakao/>。中尾の出演ドラマ『[[二人の刑事]]』([[TBSテレビ|TBS]])を千葉が「観ているぜ」と言うと、中尾は「光栄です」と低頭する間柄である<ref name = nakao/>。 |
|||
デビュー当時から相談に乗っていた[[潮健児]]は「[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]]のあった[[昭和]]39年([[1964年]])前後に一番悩んでいた。[[日本体育大学]]の友人はオリンピックで名を上げ、『[[網走番外地 (東映)|網走番外地]]』で高倉健さんがスターになった。映画をやめたいと漏らしていた{{sfn|『月刊平凡』1970年 第26巻第3号|p=112|loc=「20人が証言する裸の千葉真一」}}」と苦悩する様子を、[[鶴田浩二]]は「融通の利かないところが損しているな。絶対に弁解しないから、誤解されやすい{{sfn|『月刊平凡』1970年 第26巻第3号|p=112|loc=「20人が証言する裸の千葉真一」}}」と、それぞれ慮っている。 |
|||
特別後援者として[[ピラニア軍団]]に関わっており、軍団の結成式が[[1975年]]に[[大阪市]]の[[御堂会館]]で催され、深作欣二・[[渡瀬恒彦]]と共に立会った<ref name = robin>{{Cite book |和書 |author = ロビン前田 |coauthors = [[杉作J太郎]]・[[植地毅]] |editor = 杉作J太郎・植地毅 |title = 東映スピード・アクション浪漫アルバム |edition = 第一刷 |date = 2015-9-30 |publisher = [[徳間書店]] |series = 浪漫アルバム |isbn = 4198640033 |page = 231 |chapter = ピラニア軍団 }}</ref>。千葉は舞台へ上がらず、[[カメラ]]片手に客席からメンバーに声をかけて裏方に徹し、場を盛り上げていた。そんな千葉に[[川谷拓三]]は感謝し「ワシ、生まれて初めてこんな派手なスポットライトを浴びましたわ。ホンマおおきに!」と号泣していた<ref name = robin/>。 |
|||
[[中尾彬]]は[[千葉県立木更津高等学校|千葉県立木更津第一高等学校]]の後輩で、「前田さん(千葉の本名)」と挨拶する{{sfn|『週刊明星』1970年6月}}。日体大に在学していた千葉が[[教育実習]]で指導した生徒が中尾で、教師と教え子の関係でもあったが、理由もなく反抗して授業をよくサボっていた{{sfn|『週刊明星』1970年6月}}。芸能界で再会したときに、中尾は非礼を陳謝{{sfn|『週刊明星』1970年6月}}。中尾の出演ドラマ『[[二人の刑事]]』([[TBSテレビ|TBS]])を千葉が「観ているぜ」と言うと、中尾は「光栄です」と低頭する間柄である{{sfn|『週刊明星』1970年6月}}。 |
|||
特別後援者として[[ピラニア軍団]]に関わっており、軍団の結成式が[[1975年]]に[[大阪市]]の[[御堂会館]]で催され、深作欣二・[[渡瀬恒彦]]と共に立会った{{sfn|『東映スピード・アクション浪漫アルバム』|p=231|loc=ロビン前田「ピラニア軍団」}}。千葉は舞台へ上がらず、[[カメラ]]片手に客席からメンバーに声をかけて裏方に徹し、場を盛り上げていた。そんな千葉に[[川谷拓三]]は感謝し「ワシ、生まれて初めてこんな派手なスポットライトを浴びましたわ。ホンマおおきに!」と号泣していた{{sfn|『東映スピード・アクション浪漫アルバム』|p=231|loc=ロビン前田「ピラニア軍団」}}。 |
|||
==== 交友(海外) ==== |
==== 交友(海外) ==== |
||
友人である[[サミュエル・L・ジャクソン]]<ref name = |
友人である[[サミュエル・L・ジャクソン]]<ref name="zakzak20120817" /><ref name="hollywood-ch20120426" />、[[クエンティン・タランティーノ]]のほかには{{sfn|『キル・ビル Vol.1』パンフレット|2003|pp=17-18|loc=「クエンティン・タランティーノ」([[町山智浩]])}}、[[スティーヴン・セガール]]{{sfn|中村|1999|p=179|loc=「極真空手三段 千葉真一」}}、[[デニス・ヘイスバート]]、[[映画プロデューサー]]の[[デスティン・パフ]]<ref name="cinematoday20111110">{{Cite web2 |df=ja |url=https://www.cinematoday.jp/page/N0036889 |title=千葉真一が米ドラマで主演!タイトルは「ブシドー」!72歳にして米アクション・ドラマ初主演作に |accessdate=2012-04-13 |author=島村幸恵 |date=2011-11-10 |publisher=シネマトゥデイ |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120413074113/http://www.cinematoday.jp/page/N0036889 |archivedate=2012-04-13 |url-status=live}}</ref>、らと親交がある<ref name="hollywood-ch20120426" />{{sfn|『キル・ビル Vol.1』パンフレット|2003|pp=17-18|loc=「クエンティン・タランティーノ」([[町山智浩]])}}{{sfn|中村|1999|p=179|loc=「極真空手三段 千葉真一」}}<ref name="cinematoday20111110" />。セガールは流暢な[[大阪弁]]で「千葉先生、居てはりまっか?」などと頻繁に連絡してきており{{sfn|中村|1999|p=179|loc=「極真空手三段 千葉真一」}}、パフは「'''''[[w:Sonny Chiba|Sonny Chiba]]'''''(サニー ちば)のような伝説の俳優と組めるなんて、これ以上の幸せはない<ref name="cinematoday20111110" />」と語っている。 |
||
{{See also|[[#格闘映画]]|[[#ファン]]}} |
|||
=== 人柄 === |
=== 人柄 === |
||
[[スポーツニッポン]]文化部次長だった[[脇田巧彦]]は「何事においても、とことん、のめりこむ性質で、適度ということを知らない熱血漢である |
[[スポーツニッポン]]文化部次長だった[[脇田巧彦]]は「何事においても、とことん、のめりこむ性質で、適度ということを知らない熱血漢である{{sfn|『戦国自衛隊』パンフレット|1979|p=21|loc=脇田巧彦「アクションに賭ける男・千葉真一」}}」と評し、娘の[[真瀬樹里]]は「何があっても進んでいく前向きさと、映画への情熱は世界一。パパは私の誇り<ref name="sponichi20101023" />」と話している。[[高平哲郎]]は「打ち合わせ相手を待っていると、後ろのテーブルには千葉さんが女性と仕事の話をしながら、食事をしていた。思わず『高平です。ご無沙汰しています』と声をかけると、千葉さんは立ち上がり、笑顔で『お元気ですか』と答えてくれた。2回しか会ってない私にきちんと挨拶をしてくれるのが、千葉さんの真面目さと優しさなんだと思う<ref name="zakzak20110518" />」と記している。 |
||
[[日刊スポーツ]]の記者は「圧倒的な存在感を[[オーラ]]と呼ぶが、それを感じた<ref name |
[[日刊スポーツ]]の記者は「圧倒的な存在感を[[オーラ]]と呼ぶが、それを感じた<ref name="nikkansports20210820a" />」、[[東映ニューフェイス]]の後輩である[[堀田眞三]]は「かつて大流行した『カッコいい!千葉ちゃん!』の言葉通り、“カッコよさ”の象徴だった<ref name="hottashinzo20101023">{{Cite web |url=https://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/0bdbc9509a9f454ded6421ec848eea3c |title=千葉真一先輩 記念パーティー |accessdate=2022-04-04 |author=堀田眞三 |authorlink=堀田眞三 |date=2010-10-23 |website=俳優 堀田眞三(グランパ)です。|publisher=gooブログ |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220404101430/https://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/0bdbc9509a9f454ded6421ec848eea3c |archivedate=2022-04-04 |url-status=live}}</ref>。国中を席巻した[[カリスマ]]であり、正真正銘の映画スターとして、醸し出す雰囲気や存在感が全然違う<ref name="hottashinzo20101023" />。共演俳優や[[東映]]の後輩らも、威厳とパワフルで圧倒されるけど明るくて格好良いと言ってるし、滲み出る男を感じさせてくれる<ref>{{Cite web |url=http://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/0b3e88fc87d9142cc997ff50361e5d73 |title=“親父”衣装合わせなどの打ち合わせ。|accessdate=2012-03-30 |author=堀田眞三 |date=2006-07-10 |work=俳優 堀田眞三(グランパ)です。|publisher=gooブログ |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120330192829/http://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/0b3e88fc87d9142cc997ff50361e5d73 |archivedate=2012-03-30 |url-status=live}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/544ac87ac80114c4b9b1c67b2e8b4bd5 |title=親父 - 撮影 快調! |accessdate=2012-03-30 |author=堀田眞三 |date=2006-07-21 |work=俳優 堀田眞三(グランパ)です。|publisher=gooブログ |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120330192715/http://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/544ac87ac80114c4b9b1c67b2e8b4bd5 |archivedate=2012-03-30 |url-status=live}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/e86da1f1ff47f38da0dbfd58f22e6339 |title=いよいよ“親父”の撮影 |accessdate=2012-03-30 |author=堀田眞三 |date=2006-07-26 |work=俳優 堀田眞三(グランパ)です。|publisher=gooブログ |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120330195425/http://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/e86da1f1ff47f38da0dbfd58f22e6339 |archivedate=2012-03-31 |url-status=live}}</ref>」、[[サミュエル・L・ジャクソン]]は「タフガイを演じる時には、いつも千葉さんの演技を参考にさせてもらっているんだ。カリスマ的な存在感のある、最高にクールな俳優だと思うよ<ref name="hollywood-ch20120426" />」、[[あさ美]]は「かっこよすぎだし、オーラがすごいし、魅入っちゃった<ref>{{Cite web |url=http://ameblo.jp/asami-kumakiri/entry-11377402906.html |title=かっこよすぎで |accessdate=2012-11-25 |author=あさ美 |authorlink=あさ美 |date=2012-10-12 |work=あさ美のMaybe☆めいビー |publisher=アメーバブログ |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130310063038/http://ameblo.jp/asami-kumakiri/entry-11377402906.html |archivedate=2013-03-10 |url-status=live}}</ref>」、[[大木凡人]]は「とにかくカッコ良く情熱をもったスターです<ref>{{Cite web |url=http://ameblo.jp/ooki-bondo/entry-11411813425.html |title=千葉真一と大木凡人 2時間トーク ディナークルーズ |accessdate=2012-12-06 |author=大木凡人 |authorlink=大木凡人 |date=2012-11-24 |work=凡ちゃんブログ |publisher=アメーバブログ |archiveurl=https://web.archive.org/web/20121206065045/http://ameblo.jp/ooki-bondo/entry-11411813425.html |archivedate=2012-12-06 |url-status=live}}</ref>」、[[小泉孝太郎]]は「撮影現場に入られただけで、見えていないのにそれと分かる雰囲気を感じるくらい、ものすごい存在感でした。何かに例えるならば、[[サッカーコートジボワール代表]]の[[ディディエ・ドログバ]]のような。千葉さんが画面の前にお立ちになると、一気に何かが激変します{{efn2|[[テレビドラマ]]『[[おわこんTV]]』の発表会見で小泉は、[[2014年]][[6月14日]]の[[2014 FIFAワールドカップ・グループC#コートジボワール vs 日本(Match 6)|サッカーW杯・日本 vs コートジボワール]]に交代出場して試合の流れを変えた[[ディディエ・ドログバ|ドログバ]]に、千葉をなぞらえた<ref name="nikkansports20140616">{{Cite news |url=http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20140616-1318794.html |title=小泉孝太郎、千葉真一「ドログバのよう」 |newspaper=日刊スポーツ |publisher=nikkansports.com |date=2014-06-16 |accessdate=2014-10-04 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20141004074458/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20140616-1318794.html |archivedate=2014-10-04 |url-status=live}}</ref>。}}<ref name="nikkansports20140616" />」など、異口同音に「(千葉さんには)オーラやカリスマ性がある」と証言している。 |
||
[[真樹日佐夫]]は「とても折り目正しいところに、淡い好感をおぼえた |
[[真樹日佐夫]]は「とても折り目正しいところに、淡い好感をおぼえた{{sfn|真樹|1986|p=106|loc=「『けんか空手 極真拳』の撮影で初めて会う」}}」、「[[ニューヨーク]]で酒を酌み交わした時{{efn2|千葉真一は映画の撮影で、[[真樹日佐夫]]は[[梶原一騎]]と共に[[極真会館]]の北米支部長会議に出席する[[大山倍達]]の随行で、それぞれ[[ニューヨーク]]を訪れていた{{sfn|真樹|1986|pp=106-108|loc=「いくら飲んでも崩れを見せぬ見事な酒品だった」}}。}}、いくら飲んでも崩れを見せぬ見事な酒品だった{{sfn|真樹|1986|pp=106-108|loc=「いくら飲んでも崩れを見せぬ見事な酒品だった」}}」と述べ、[[平松伸二]]は自身の漫画が映画化されたときに、『[[ドーベルマン刑事#映画|ドーベルマン刑事]]』の撮影現場を訪れて主人公の加納錠治を演ずる千葉真一と会っており、「まさかこんな若い人(平松)が漫画を描いているとはねえ~!」「ホンネを言えば、ボクとかより[[松田優作]]くんなんかの方が加納にあってると思ってるんじゃないのかなァ!!」と笑いながら話しかけられ、「図星だった!千葉さんは正直で気さくないい人だった」と回想している<ref>{{Cite book|和書|author=平松伸二 |authorlink=平松伸二 |title=[[そしてボクは外道マンになる]] |origdate=2017-09-19 |edition=初版 |publisher=[[集英社]] |isbn=4-0889-0757-4 |volume=2 第7話 |chapter=結婚してください!}}</ref>。 |
||
[[戸田菜穂]]は[[1990年]]の『第15回 [[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』で、約3万4千人の応募者のなかからグランプリに選ばれるが、発表の直前に後ろで控えていると、審査員の1人だった千葉に「いつか共演しましょうね」と声をかけられ、「え、もしかして?!」と嬉しさや驚きを飲み込んだのが「芸能界での一番最初の思い出」と振り返っている<ref |
[[戸田菜穂]]は[[1990年]]の『第15回 [[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』で、約3万4千人の応募者のなかからグランプリに選ばれるが、発表の直前に後ろで控えていると、審査員の1人だった千葉に「いつか共演しましょうね」と声をかけられ、「え、もしかして?!」と嬉しさや驚きを飲み込んだのが「芸能界での一番最初の思い出」と振り返っている<ref>{{Cite news|和書|title=柄本時生「絶対井岡だ」スポーツジムで遭遇の記憶 |newspaper=日刊スポーツ |date=2020-11-27 |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202011270000989.html |accessdate=2021-02-21 |publisher=日刊スポーツ新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20201201104259/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202011270000989.html |archivedate=2020-12-01 |url-status=live}}</ref>。 |
||
=== 好尚 === |
=== 好尚 === |
||
; 趣味 |
; 趣味 |
||
高校在学中から[[ハリウッド映画]]のファンで、[[アラン・ラッド]]の『[[シェーン]]』や[[ゲイリー・クーパー]]の『[[真昼の決闘]]』など、[[西部劇]]・[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]を夢中で観ていた |
高校在学中から[[ハリウッド映画]]のファンで、[[アラン・ラッド]]の『[[シェーン]]』や[[ゲイリー・クーパー]]の『[[真昼の決闘]]』など、[[西部劇]]・[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]を夢中で観ていた{{sfn|千葉|2010|pp=95-96|loc=「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」}}。[[水彩画]]{{sfn|『週刊実話特報』1961年 第3巻第8号|pp=3-6|loc=東映城に羽ばたく}}。日記をつけている{{sfn|『月刊平凡』1969年 第25巻第8号|p=81|loc=「追跡ルポ / チバシンのモーレツ24時間」}}。愛車は[[日産・ブルーバード]]、[[フォード・モーター|フォード]]、白の[[フォルクスワーゲン・タイプ1|フォルクスワーゲン1200(1963年型)]]と[[セダン]]に乗り始め<ref>{{Cite journal|和書|date=1964-09-13 |title=今度はスポーツカーに替える |journal=[[サンデー交毎]] |page=1 |publisher=[[交通毎日新聞社]]}}</ref>、[[スポーツカー]]では[[マツダ・コスモ|マツダ・コスモスポーツ(白)]]と[[フォード・マスタング#初代後期(1969年 - 1973年)|フォード・マスタング・Mach1]]{{sfn|『月刊平凡』1969年 第25巻第8号|p=78|loc=「追跡ルポ / チバシンのモーレツ24時間」}}、[[マーキュリー (自動車)#差別化の成功|マーキュリー・クーガー]]へ乗り継いだ。[[トヨタ・カリーナ]]のCMに出演した頃、[[トヨタ自動車|トヨタ]]よりカリーナの新車を毎年提供されていたので1年間乗った後、[[志穂美悦子]]や[[真田広之]]ら[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ]](JAC)のメンバーに譲っていた。 |
||
; 健康法 |
; 健康法 |
||
健康法は一日一食を心掛け<ref name |
健康法は一日一食を心掛け<ref name="oricon20191219" />、水素サプリメントを飲んでいた<ref>{{Cite web |url=https://president.jp/articles/-/49763 |title=「失うのはお金だけではない」千葉真一さんもハマっていた"怪しい水商品"の3つの特徴 |publisher=president |date=2021-09-10 |accessdate=2022-10-05}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/2014174/ |title=千葉真一さん「水素飲んでるから大丈夫」ワクチン拒絶にあった“サプリ”傾倒 |publisher=女性自身 |date=2021-09-06 |accessdate=2022-10-05}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=名取宏ほか |title=新型コロナとワクチンの「本当のこと」がわかる本~【検証】新型コロナ デマ・陰謀論~ |publisher=彩図社 |date=2021 |isbn=978-4-8013-0576-2}}</ref>。 |
||
; 思考 |
; 思考 |
||
「[[フリーメイソン|フリーメイソンリー]]の会員である」と『[[週刊文春]]』の2021年1月14日号で記事になり、「友達やまわりに何人もいたんで、いろいろと興味津々、探索しているところ」と取材に答えた<ref>{{Cite web2 | |
「[[フリーメイソン|フリーメイソンリー]]の会員である」と『[[週刊文春]]』の2021年1月14日号で記事になり、「友達やまわりに何人もいたんで、いろいろと興味津々、探索しているところ」と取材に答えた<ref>{{Cite web2 |df=ja |url=https://bunshun.jp/denshiban/articles/b241|title=【追悼】千葉真一があのフリーメーソンに入会|publisher=週刊文春|date=2021-01-06|accessdate=2022-5-10}}</ref>。2022年8月19日付の『[[週刊新潮|デイリー新潮]]』によると、[[日蓮正宗]]に帰依し、2019年3月11日付の御授戒と同年12月20日付の御本尊下付願があると配信された<ref>{{Cite web |title=千葉真一「一周忌」で再燃した“宗教問題” 明かされた日蓮正宗の「御本尊」と「御授戒文」の波紋(デイリー新潮) |url=https://www.dailyshincho.jp/article/2022/08190605/ |website=デイリー新潮 |access-date=2022-08-18 |language=ja}}</ref>。 |
||
=== 家族 === |
=== 家族 === |
||
[[福岡県]][[福岡市]][[博多区]][[雑餉隈]]で二男三女の長男(第二子)として生誕 |
[[福岡県]][[福岡市]][[博多区]][[雑餉隈]]で二男三女の長男(第二子)として生誕{{sfn|千葉|2010|pp=81-82|loc=「気骨ある明治生まれの軍人、子供心に誇らしかった飛行機姿の親父」}}。父親は[[大刀洗町]]に在った[[陸軍飛行戦隊]]に所属する[[軍人]]で、母親は[[熊本県]]出身で学生時代に[[陸上競技]]をしていた{{sfn|千葉|2010|pp=81-82|loc=「気骨ある明治生まれの軍人、子供心に誇らしかった飛行機姿の親父」}}。[[零式艦上戦闘機|零式二号艦上戦闘機]]などの[[テストパイロット]]を務めていた父親は、初めて建造された[[航空母艦|空母]]へ初着艦を成功させるなど、危険な重責業務で給料の半分が飲み代となり、家庭は裕福でなかった{{sfn|『近代映画』1969年10月号臨時増刊|pp=144-145|loc=「千葉真一 特集」}}。4歳の時、父親が[[千葉県]][[木更津市]]へ異動となったため、家族で千葉県[[君津市]]へ転居した{{sfn|千葉|2008|p=38|loc=「君津のガキ大将時代」}}。[[終戦]]後、軍が解体され、父親は漁業組合の役員へ転職したが、家計は厳しかった{{sfn|『近代映画』1969年10月号臨時増刊|pp=144-145|loc=「千葉真一 特集」}}。小学生の頃から、新聞・牛乳配達をして家計を助けた{{sfn|『月刊平凡』1970年 第26巻第3号|p=110|loc=「20人が証言する裸の千葉真一」}}。しかし「貧乏だったものの大自然に囲まれていたため、[[米]]以外は不自由せずにいろいろな[[食物]]を食べることができ、自分の土台となった」と当時を述懐している{{sfn|千葉|2008|p=34|loc=「パイロットだった親父」}}。父親は[[芸能界]]入りを猛烈に反対して[[勘当]]していたが{{sfn|千葉|2010|pp=100-101|loc=「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」}}、作品を観てからは考えを変え{{sfn|千葉|2010|p=103|loc=「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」}}、その後は観るのを楽しんでいる{{sfn|『月刊平凡』1970年 第26巻第3号|p=110|loc=「20人が証言する裸の千葉真一」}}。[[1971年]]初めには地元の[[君津市]]に実家を新築して親孝行をした{{sfn|千葉|2010|p=85|loc=「「気骨ある明治生まれの軍人、子供心に誇らしかった飛行機姿の親父」」}}。 |
||
{{See also|[[#オリンピックを目指して]]}} |
|||
弟の[[矢吹二朗]]が中学生になると[[東京都]]へ呼び寄せ、学校にも通わせ、育ち盛りの矢吹にはご飯を食べさせ、千葉は[[コッペパン]]に水という日々もあった |
弟の[[矢吹二朗]]が中学生になると[[東京都]]へ呼び寄せ、学校にも通わせ、育ち盛りの矢吹にはご飯を食べさせ、千葉は[[コッペパン]]に水という日々もあった{{sfn|『月刊平凡』1970年 第26巻第3号|p=110|loc=「20人が証言する裸の千葉真一」}}。「ときどき兄貴の腕時計や無理して買った[[テープレコーダー]]が無くなったのは、きっと[[質屋]]へ持って行っていたと思う。僕には心配させまいと、一言も言わなかった」と語る{{sfn|『月刊平凡』1970年 第26巻第3号|p=110|loc=「20人が証言する裸の千葉真一」}}。 |
||
テレビドラマ『[[キイハンター]]』で共演した[[野際陽子]]と[[1973年]]に結婚し、一人娘の[[真瀬樹里]]を儲ける。おしどり夫婦として有名だったが、[[ハリウッド]]で仕事が増え始めて拠点を移したい千葉と |
テレビドラマ『[[キイハンター]]』で共演した[[野際陽子]]と[[1973年]]に結婚し、一人娘の[[真瀬樹里]]を儲ける。おしどり夫婦として有名だったが、[[ハリウッド]]で仕事が増え始めて拠点を移したい千葉と{{sfn|千葉|2008|pp=113-114|loc=「樹里が生まれた日」}}、[[日本]]に居たい野際の意志不一致から{{sfn|千葉|2008|pp=113-114|loc=「樹里が生まれた日」}}、[[1994年]]に離婚。[[記者会見]]を野際と一緒に行うなど憎みあっての離婚ではないため、真瀬共々良好な関係を続けており、真瀬とは[[テレビドラマ|テレビ]][[時代劇]]『[[寺子屋ゆめ指南]]』、『[[風林火山 (NHK大河ドラマ)|風林火山]]』で共演し、複数の[[トーク番組]]へ一緒に出演している。[[1996年]]に28歳年下の一般女性と再婚。長男・[[新田真剣佑]]と次男・[[眞栄田郷敦]]を授かり、[[アメリカ合衆国]][[カリフォルニア州]][[ビバリーヒルズ]]に在住していた<ref name="nikkansports20210820a" /><ref name="chunichi20101023" /><ref name="daily20101023" /><ref name="hochi20101023" />。[[2015年]]に一般女性と離婚したが<ref>{{Cite news |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1586737.html |title=千葉真一が離婚 調停中の28歳下の夫人と昨年 |newspaper=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2016-01-01 |accessdate=2016-01-01}}</ref>、その女性とは子供たちともども良好な関係を続けていた<ref name="sponichi20210820a" />。 |
||
== 受賞 == |
== 受賞 == |
||
521行目: | 600行目: | ||
* [[ブルーリボン賞 (映画)#第22回(1979年度)|第22回ブルーリボン賞]] - スタッフ賞(1979年) |
* [[ブルーリボン賞 (映画)#第22回(1979年度)|第22回ブルーリボン賞]] - スタッフ賞(1979年) |
||
: 千葉真一とジャパンアクションクラブによる、日本映画のアクション技への貢献に対して) |
: 千葉真一とジャパンアクションクラブによる、日本映画のアクション技への貢献に対して) |
||
* 第18回[[香港電影金像奨]] - [[w:18th Hong Kong Film Awards#Best Actor|優秀主演男優賞]] 『[[風雲 ストームライダーズ|風雲 ストームライダーズ / 雄覇天下]]』([[1999年]]) |
* 第18回[[香港電影金像奨]] - [[w:18th Hong Kong Film Awards#Best Actor|優秀主演男優賞]] 『[[風雲 ストームライダーズ|風雲 ストームライダーズ / 雄覇天下]]』([[1999年]]) |
||
* [[第30回サターン賞|第30回]][[サターン賞]] - [[第30回サターン賞#助演男優賞|助演男優賞ノミネート]] 『[[キル・ビル]]』([[2004年]]) |
* [[第30回サターン賞|第30回]][[サターン賞]] - [[第30回サターン賞#助演男優賞|助演男優賞ノミネート]] 『[[キル・ビル]]』([[2004年]]) |
||
* 第25回[[w:Hawaii International Film Festival|ハワイ国際映画祭]] - |
* 第25回[[w:Hawaii International Film Festival|ハワイ国際映画祭]] - MAVERICK AWARD([[2005年]]) |
||
: 映画への貢献を称える特別賞 |
: 映画への貢献を称える特別賞 |
||
* 第15回[[日本映画批評家大賞]] - ゴールデン・グローリー賞([[2006年]]) |
* 第15回[[日本映画批評家大賞]] - ゴールデン・グローリー賞([[2006年]]) |
||
: 日本映画の発展に貢献した俳優 |
: 日本映画の発展に貢献した俳優 |
||
* |
* OKINAWA シネマ&ミュージックアワード - 映画部門功労賞(2006年) |
||
:「おきなわシネマ&ミュージックフェスタ2006」にて、映画の発展に貢献したクリエイターとして表彰 |
:「おきなわシネマ&ミュージックフェスタ2006」にて、映画の発展に貢献したクリエイターとして表彰 |
||
* [[天草映画祭]] - 風の賞 特別賞([[2007年]]) |
* [[天草映画祭]] - 風の賞 特別賞([[2007年]]) |
||
* |
* SINGAFEST 2011〔[[w:Bigfoot Entertainment|ビッグフット・エンターテインメント]]主催〕- LIFETIME ACHIEVEMENT AWARD([[2011年]]) |
||
: |
: MARTIAL ARTS LEGEND Sonny Chibaを表彰 |
||
* [[文化庁長官表彰]]([[2020年]])<ref name |
* [[文化庁長官表彰]]([[2020年]])<ref name="nikkansports20201217" /><ref name="news24_20201217" /><ref name="tokyo-sports20201217" /><ref>{{Cite web2 |df=ja |url=https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/pdf/92684701_02.pdf#page=19 |title=令和二年度文化庁長官表彰名簿 |page=17 |format=PDF |website=文化庁 |publisher=文化庁 |date=n.d. |accessdate=2023-11-12}}</ref> |
||
* [[第45回日本アカデミー賞]] - [[第45回日本アカデミー賞#会長特別賞|会長特別賞]]([[2022年]]) |
* [[第45回日本アカデミー賞]] - [[第45回日本アカデミー賞#会長特別賞|会長特別賞]]([[2022年]]) |
||
539行目: | 618行目: | ||
==== 国内映画 ==== |
==== 国内映画 ==== |
||
<small>☆太字は[[主演]]や[[映画スタッフ|スタッフ兼務]]作品。諸外国との合作映画は[[#海外映画]]を参照。社名のない作品は[[東映]]。</small> |
<small>☆太字は[[主演]]や[[映画スタッフ|スタッフ兼務]]作品。諸外国との合作映画は[[#海外映画]]を参照。社名のない作品は[[東映]]。</small> |
||
* [[警視庁物語|警視庁物語シリーズ]]([[1961年の日本公開映画|1961年]])- 中川刑事 |
* [[警視庁物語|警視庁物語シリーズ]]([[1961年の日本公開映画|1961年]]) - 中川刑事 |
||
** [[警視庁物語|警視庁物語 不在証明(ありばい)]] |
** [[警視庁物語|警視庁物語 不在証明(ありばい)]] |
||
** [[警視庁物語|警視庁物語 十五才の女]] |
** [[警視庁物語|警視庁物語 十五才の女]] |
||
** [[警視庁物語|警視庁物語 十二人の刑事]] |
** [[警視庁物語|警視庁物語 十二人の刑事]] |
||
* '''[[風来坊探偵シリーズ]](1961年、[[ニュー東映]])- 主演・西園寺五郎''' |
* '''[[風来坊探偵シリーズ]](1961年、[[ニュー東映]]) - 主演・西園寺五郎''' |
||
** '''[[風来坊探偵 赤い谷の惨劇]]''' |
** '''[[風来坊探偵 赤い谷の惨劇]]''' |
||
** '''[[風来坊探偵 岬を渡る黒い風]]''' |
** '''[[風来坊探偵 岬を渡る黒い風]]''' |
||
[[File:Invasion of the Neptune Men 2.jpg|thumb|right|200px|『[[宇宙快速船]]』の[[ポスター]]]] |
[[File:Invasion of the Neptune Men 2.jpg|thumb|right|200px|『[[宇宙快速船]]』の[[ポスター]]]] |
||
* '''[[宇宙快速船]](1961年、ニュー東映)- 主演・立花真一 / アイアンシャープ''' |
* '''[[宇宙快速船]](1961年、ニュー東映) - 主演・立花真一 / アイアンシャープ''' |
||
* '''[[ファンキーハットの快男児シリーズ]](1961年)- 主演・天下一郎''' |
* '''[[ファンキーハットの快男児シリーズ]](1961年) - 主演・天下一郎''' |
||
** '''[[ファンキーハットの快男児]](ニュー東映)''' |
** '''[[ファンキーハットの快男児]](ニュー東映)''' |
||
** '''[[ファンキーハットの快男児 二千万円の腕]]''' |
** '''[[ファンキーハットの快男児 二千万円の腕]]''' |
||
* [[次郎長社長と石松社員シリーズ]] |
* [[次郎長社長と石松社員シリーズ]] |
||
** [[進藤の社長シリーズ 石松社員は男でござる]](1961年)- 長島 |
** [[進藤の社長シリーズ 石松社員は男でござる]](1961年) - 長島 |
||
** [[次郎長社長と石松社員 安来ぶし道中]](1963年)- 塩見寛 |
** [[次郎長社長と石松社員 安来ぶし道中]](1963年) - 塩見寛 |
||
* [[南太平洋波高し]]([[1962年の日本公開映画|1962年]])- 結城 |
* [[南太平洋波高し]]([[1962年の日本公開映画|1962年]]) - 結城 |
||
* [[恋愛学校 ラブ・スクール]](1962年、ニュー東映)- 木暮慎一 |
* [[恋愛学校 ラブ・スクール]](1962年、ニュー東映) - 木暮慎一 |
||
* [[二・二六事件 脱出]](1962年、ニュー東映)- 篠原上等兵 |
* [[二・二六事件 脱出]](1962年、ニュー東映) - 篠原上等兵 |
||
* [[恋と太陽とギャング]](1962年、ニュー東映)- 山内 |
* [[恋と太陽とギャング]](1962年、ニュー東映) - 山内 |
||
* [[あの空の果てに星はまたゝく]](1962年)- 堀本義夫 |
* [[あの空の果てに星はまたゝく]](1962年) - 堀本義夫 |
||
* [[残酷な月]](1962年)- 正木 |
* [[残酷な月]](1962年) - 正木 |
||
* [[山麓 (映画)|山麓]](1962年)- 速水信吉 |
* [[山麓 (映画)|山麓]](1962年) - 速水信吉 |
||
* [[八月十五日の動乱]](1962年)- 大森医師 |
* [[八月十五日の動乱]](1962年) - 大森医師 |
||
* [[ギャング対Gメン]](1962年)- 梶修 |
* [[ギャング対Gメン]](1962年) - 梶修 |
||
* [[王将 (1962年の映画)|王将]](1962年)- 毛利 |
* [[王将 (1962年の映画)|王将]](1962年) - 毛利 |
||
* '''[[事件記者シリーズ]] - 主演・城野大助''' |
* '''[[事件記者シリーズ]] - 主演・城野大助''' |
||
** '''[[恐怖の魔女]](1962年)''' |
** '''[[恐怖の魔女]](1962年)''' |
||
570行目: | 649行目: | ||
** [[こまどり姉妹|こまどりのりんごっ子姉妹]] - 梅さん |
** [[こまどり姉妹|こまどりのりんごっ子姉妹]] - 梅さん |
||
** [[こまどり姉妹|こまどり姉妹 未練ごころ]] - 富沢健一 |
** [[こまどり姉妹|こまどり姉妹 未練ごころ]] - 富沢健一 |
||
* [[暴力街 (1963年の映画)|暴力街]](1963年)- 市ノ木一夫 |
* [[暴力街 (1963年の映画)|暴力街]](1963年) - 市ノ木一夫 |
||
* '''[[特別機動捜査隊|特別機動捜査隊シリーズ]](1963年)- 主演・内藤刑事''' |
* '''[[特別機動捜査隊|特別機動捜査隊シリーズ]](1963年) - 主演・内藤刑事''' |
||
** '''[[特別機動捜査隊#特別機動捜査隊|特別機動捜査隊]]''' |
** '''[[特別機動捜査隊#特別機動捜査隊|特別機動捜査隊]]''' |
||
** '''[[特別機動捜査隊#特別機動捜査隊 東京駅に張り込め|特別機動捜査隊 東京駅に張り込め]]''' |
** '''[[特別機動捜査隊#特別機動捜査隊 東京駅に張り込め|特別機動捜査隊 東京駅に張り込め]]''' |
||
577行目: | 656行目: | ||
** '''[[柔道一代]](1963年)''' |
** '''[[柔道一代]](1963年)''' |
||
** '''[[柔道一代 講道館の鬼]]([[1964年の日本公開映画|1964年]])''' |
** '''[[柔道一代 講道館の鬼]]([[1964年の日本公開映画|1964年]])''' |
||
* [[八州遊侠伝 男の盃]](1963年)- 佐太郎 |
* [[八州遊侠伝 男の盃]](1963年) - 佐太郎 |
||
* [[浅草の侠客]](1963年)- 葉山新介 |
* [[浅草の侠客]](1963年) - 葉山新介 |
||
* [[海軍 (映画)#東映製作(1963年) |
* [[海軍 (映画)#東映製作(1963年) |海軍]](1963年) - 牟田口隆夫 |
||
* '''[[やくざの歌]](1963年)- 主演・新田俊次''' |
* '''[[やくざの歌]](1963年) - 主演・新田俊次''' |
||
* [[ギャング忠臣蔵]](1963年)- 矢頭七郎 |
* [[ギャング忠臣蔵]](1963年) - 矢頭七郎 |
||
* '''[[白い熱球]](1963年)- 主演・荻原要太''' |
* '''[[白い熱球]](1963年) - 主演・荻原要太''' |
||
* [[わが恐喝の人生]](1963年)- 小沢伍郎 |
* [[わが恐喝の人生]](1963年) - 小沢伍郎 |
||
* [[地獄命令]](1964年)- 大松信一 |
* [[地獄命令]](1964年) - 大松信一 |
||
* [[東京アンタッチャブル 売春地下組織]](1964年)- 原田芳夫 |
* [[東京アンタッチャブル 売春地下組織]](1964年) - 原田芳夫 |
||
* [[君たちがいて僕がいた]](1964年)- 矢吹誠 |
* [[君たちがいて僕がいた]](1964年) - 矢吹誠 |
||
* [[竜虎一代]](1964年)- 松橋新一 |
* [[竜虎一代]](1964年) - 松橋新一 |
||
* [[あの雲に歌おう]]([[1965年の日本公開映画|1965年]])- 戸野村淳 |
* [[あの雲に歌おう]]([[1965年の日本公開映画|1965年]]) - 戸野村淳 |
||
* [[可愛いあの娘]](1965年)- 森本 |
* [[可愛いあの娘]](1965年) - 森本 |
||
* [[おゝい、雲!]](1965年)- 辰巳三郎 |
* [[おゝい、雲!]](1965年) - 辰巳三郎 |
||
* [[にっぽん泥棒物語]](1965年)- 大木弁護士 |
* [[にっぽん泥棒物語]](1965年) - 大木弁護士 |
||
* [[逃亡 (映画)|逃亡]](1965年)- 立石三郎 |
* [[逃亡 (映画)|逃亡]](1965年) - 立石三郎 |
||
* [[やくざGメン 明治暗黒街]](1965年)- 柴山徹 |
* [[やくざGメン 明治暗黒街]](1965年) - 柴山徹 |
||
* [[無頼漢仁義]](1965年)- 陣内壮一 |
* [[無頼漢仁義]](1965年) - 陣内壮一 |
||
* [[網走番外地 (東映)|網走番外地シリーズ]] |
* [[網走番外地 (東映)|網走番外地シリーズ]] |
||
** [[網走番外地 北海篇]](1965年)- 葉山 |
** [[網走番外地 北海篇]](1965年) - 葉山 |
||
** [[網走番外地 南国の対決]](1966年)- 谷村 |
** [[網走番外地 南国の対決]](1966年) - 谷村 |
||
* [[夜の牝犬]]([[1966年の日本公開映画|1966年]])- 大月辰男 |
* [[夜の牝犬]]([[1966年の日本公開映画|1966年]]) - 大月辰男 |
||
* '''[[太陽に突っ走れ]](1966年)- 主演・進藤孝''' |
* '''[[太陽に突っ走れ]](1966年) - 主演・進藤孝''' |
||
* '''[[子守唄シリーズ]] - 主演・遠藤文吾''' |
* '''[[子守唄シリーズ]] - 主演・遠藤文吾''' |
||
** '''[[浪曲子守唄]](1966年)''' |
** '''[[浪曲子守唄]](1966年)''' |
||
** '''[[続 浪曲子守唄]]([[1967年の日本公開映画|1967年]])''' |
** '''[[続 浪曲子守唄]]([[1967年の日本公開映画|1967年]])''' |
||
** '''[[出世子守唄]](1967年)''' |
** '''[[出世子守唄]](1967年)''' |
||
* '''[[黄金バット#黄金バット(1966年)|黄金バット]](1966年)- 主演・ヤマトネ博士''' |
* '''[[黄金バット#黄金バット(1966年)|黄金バット]](1966年) - 主演・ヤマトネ博士''' |
||
* '''[[組織暴力]](1967年)- 主演・高杉晋次''' |
* '''[[組織暴力]](1967年) - 主演・高杉晋次''' |
||
* [[あゝ同期の桜#映画|あゝ同期の桜]](1967年)- 半沢少尉 |
* [[あゝ同期の桜#映画|あゝ同期の桜]](1967年) - 半沢少尉 |
||
* [[北海遊侠伝]](1967年)- 間修一 |
* [[北海遊侠伝]](1967年) - 間修一 |
||
* [[ギャングの帝王]](1967年)- 松本 |
* [[ギャングの帝王]](1967年) - 松本 |
||
* '''[[河内遊侠伝]](1967年)- 主演・杉本駒吉''' |
* '''[[河内遊侠伝]](1967年) - 主演・杉本駒吉''' |
||
* [[人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊]]([[1968年の日本公開映画|1968年]])- 滝口航海長 |
* [[人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊]]([[1968年の日本公開映画|1968年]]) - 滝口航海長 |
||
* '''[[陸軍諜報33]](1968年)- 主演・山本和夫''' |
* '''[[陸軍諜報33]](1968年) - 主演・山本和夫''' |
||
* [[あゝ予科練]](1968年)- 児玉少尉 |
* [[あゝ予科練]](1968年) - 児玉少尉 |
||
* [[不良番長#不良番長 猪の鹿お蝶|不良番長 猪の鹿お蝶]]([[1969年の日本公開映画|1969年]])- 藤木光男 |
* [[不良番長#不良番長 猪の鹿お蝶|不良番長 猪の鹿お蝶]]([[1969年の日本公開映画|1969年]]) - 藤木光男 |
||
* '''[[日本暗殺秘録]](1969年)- 主演・[[小沼正]] |
* '''[[日本暗殺秘録]](1969年) - 主演・[[小沼正]] - [[京都市民映画祭]]主演男優賞、昭和44年度[[芸術祭 (文化庁)|芸術祭]]参加作品。''' |
||
* '''[[やくざ刑事シリーズ]] - 主演・隼田志郎''' |
* '''[[やくざ刑事シリーズ]] - 主演・隼田志郎''' |
||
** '''[[やくざ刑事]]([[1970年の日本公開映画|1970年]]) |
** '''[[やくざ刑事]]([[1970年の日本公開映画|1970年]]) |
||
620行目: | 699行目: | ||
** '''[[やくざ刑事 恐怖の毒ガス]]([[1971年の日本公開映画|1971年]])''' |
** '''[[やくざ刑事 恐怖の毒ガス]]([[1971年の日本公開映画|1971年]])''' |
||
** '''[[やくざ刑事 俺たちに墓はない]](1971年)''' |
** '''[[やくざ刑事 俺たちに墓はない]](1971年)''' |
||
* [[最後の特攻隊]](1970年)- 三島大尉 |
* [[最後の特攻隊]](1970年) - 三島大尉 |
||
* '''[[狼やくざシリーズ]]''' |
* '''[[狼やくざシリーズ]]''' |
||
** '''[[狼やくざ 殺しは俺がやる]](1971年) - 主演・氷室剛介''' |
** '''[[狼やくざ 殺しは俺がやる]](1971年) - 主演・氷室剛介''' |
||
** '''[[狼やくざ 葬いは俺が出す]]([[1972年の日本公開映画|1972年]])- 主演・伊吹徹''' |
** '''[[狼やくざ 葬いは俺が出す]]([[1972年の日本公開映画|1972年]]) - 主演・伊吹徹''' |
||
* '''[[麻薬売春Gメンシリーズ]](1972年)''' |
* '''[[麻薬売春Gメンシリーズ]](1972年)''' |
||
** '''[[麻薬売春Gメン]] - 主演・菊池靖男''' |
** '''[[麻薬売春Gメン]] - 主演・菊池靖男''' |
||
** '''[[麻薬売春Gメン 恐怖の肉地獄]] - 主演・菊地春夫''' |
** '''[[麻薬売春Gメン 恐怖の肉地獄]] - 主演・菊地春夫''' |
||
* [[銀蝶流れ者 牝猫博奕]](1972年)- 東隆次 |
* [[銀蝶流れ者 牝猫博奕]](1972年) - 東隆次 |
||
* [[仁義なき戦い 広島死闘篇]]([[1973年の日本公開映画|1973年]])- [[大友勝利]] |
* [[仁義なき戦い 広島死闘篇]]([[1973年の日本公開映画|1973年]]) - [[大友勝利]] |
||
* '''[[ボディガード牙シリーズ]](1973年)- 主演・牙直人''' |
* '''[[ボディガード牙シリーズ]](1973年) - 主演・牙直人''' |
||
** '''[[ボディガード牙]]''' |
** '''[[ボディガード牙]]''' |
||
** '''[[ボディガード牙 必殺三角飛び]]''' |
** '''[[ボディガード牙 必殺三角飛び]]''' |
||
* '''[[殺人拳シリーズ]]''' |
* '''[[殺人拳シリーズ]]''' |
||
** '''[[激突! 殺人拳]]([[1974年の日本公開映画|1974年]])- 主演・剣琢磨''' |
** '''[[激突! 殺人拳]]([[1974年の日本公開映画|1974年]]) - 主演・剣琢磨''' |
||
** '''[[殺人拳2]](1974年)- 主演・剣琢磨''' |
** '''[[殺人拳2]](1974年) - 主演・剣琢磨''' |
||
** '''[[逆襲! 殺人拳]](1974年)- 主演・剣琢磨''' |
** '''[[逆襲! 殺人拳]](1974年) - 主演・剣琢磨''' |
||
** '''[[子連れ殺人拳]]([[1976年の日本公開映画|1976年]])- 主演・坂田周平''' |
** '''[[子連れ殺人拳]]([[1976年の日本公開映画|1976年]]) - 主演・坂田周平''' |
||
* '''[[ルバング島の奇跡 陸軍中野学校]](1974年)- 主演・菊地一郎''' |
* '''[[ルバング島の奇跡 陸軍中野学校]](1974年) - 主演・菊地一郎''' |
||
* '''[[地獄拳シリーズ]](1974年)- 主演・甲賀竜一''' |
* '''[[地獄拳シリーズ]](1974年) - 主演・甲賀竜一''' |
||
** '''[[直撃! 地獄拳]]''' |
** '''[[直撃! 地獄拳]]''' |
||
** '''[[直撃地獄拳 大逆転]]''' |
** '''[[直撃地獄拳 大逆転]]''' |
||
* [[女必殺拳シリーズ|女必殺拳]](1974年)- 響征一 |
* [[女必殺拳シリーズ|女必殺拳]](1974年) - 響征一 |
||
* '''[[少林寺拳法 (映画)|少林寺拳法]]([[1975年の日本公開映画|1975年]])- 主演・[[宗道臣]]''' |
* '''[[少林寺拳法 (映画)|少林寺拳法]]([[1975年の日本公開映画|1975年]]) - 主演・[[宗道臣]]''' |
||
* [[若い貴族たち 13階段のマキ]](1975年)- 日向健一 |
* [[若い貴族たち 13階段のマキ]](1975年) - 日向健一 |
||
* '''[[ウルフガイ 燃えろ狼男]](1975年)- 主演・犬神明''' |
* '''[[ウルフガイ 燃えろ狼男]](1975年) - 主演・犬神明''' |
||
* [[新幹線大爆破]](1975年)- 青木運転士 |
* [[新幹線大爆破]](1975年) - 青木運転士 |
||
* '''[[けんか空手シリーズ]] - 主演・[[大山倍達]]''' |
* '''[[けんか空手シリーズ]] - 主演・[[大山倍達]]''' |
||
** '''[[けんか空手 極真拳]](1975年)''' |
** '''[[けんか空手 極真拳]](1975年)''' |
||
** '''[[けんか空手 極真無頼拳]](1975年)''' |
** '''[[けんか空手 極真無頼拳]](1975年)''' |
||
** '''[[空手バカ一代 (映画)|空手バカ一代]]([[1977年の日本公開映画|1977年]])''' |
** '''[[空手バカ一代 (映画)|空手バカ一代]]([[1977年の日本公開映画|1977年]])''' |
||
* [[爆発! 暴走族]](1975年)- 津上 |
* [[爆発! 暴走族]](1975年) - 津上 |
||
* [[新仁義なき戦い 組長の首]](1975年)- [[バーテンダー]] |
* [[新仁義なき戦い 組長の首]](1975年) - [[バーテンダー]] - [[カメオ出演]]<ref name="asagei20121128" />。 |
||
* [[激突! 合気道]] (1975年)- 名取新兵衛 |
* [[激突! 合気道]] (1975年) - 名取新兵衛 |
||
* [[必殺女拳士]](1976年)- 桧垣一真 |
* [[必殺女拳士]](1976年) - 桧垣一真 |
||
* [[横浜暗黒街 マシンガンの竜]](1976年)- 小松啓市 |
* [[横浜暗黒街 マシンガンの竜]](1976年) - 小松啓市 |
||
* [[ラグビー野郎]](1976年)- 大館力男 |
* [[ラグビー野郎]](1976年) - 大館力男 |
||
* '''[[脱走遊戯]](1976年)- 主演・神木渡''' |
* '''[[脱走遊戯]](1976年) - 主演・神木渡''' |
||
* '''[[沖縄やくざ戦争]](1976年)- 主演・国頭正剛 |
* '''[[沖縄やくざ戦争]](1976年) - 主演・国頭正剛 - 京都市民映画祭主演男優賞。''' |
||
* [[日本の首領|やくざ戦争 日本の首領]](1977年)- 迫田常吉 |
* [[日本の首領|やくざ戦争 日本の首領]](1977年) - 迫田常吉 |
||
* [[北陸代理戦争]](1977年)- 金井八郎 |
* [[北陸代理戦争]](1977年) - 金井八郎 |
||
* [[日本の仁義]](1977年)- 木暮勝次 |
* [[日本の仁義]](1977年) - 木暮勝次 |
||
* '''[[ドーベルマン刑事#映画|ドーベルマン刑事]](1977年)- 主演・加納錠治''' |
* '''[[ドーベルマン刑事#映画|ドーベルマン刑事]](1977年) - 主演・加納錠治''' |
||
* [[トラック野郎・度胸一番星]](1977年)- 新村譲次 |
* [[トラック野郎・度胸一番星]](1977年) - 新村譲次 |
||
* [[ブラック・ジャック (実写版)#映画(1977年・宍戸錠版)|瞳の中の訪問者]](1977年、[[ホリプロ|ホリ企画]])- 酔っ払い |
* [[ブラック・ジャック (実写版)#映画(1977年・宍戸錠版)|瞳の中の訪問者]](1977年、[[ホリプロ|ホリ企画]]) - 酔っ払い - カメオ出演。 |
||
* '''[[柳生一族の陰謀]]([[1978年の日本公開映画|1978年]])- 主演・[[柳生三厳|柳生十兵衛三厳]] |
* '''[[柳生一族の陰謀]]([[1978年の日本公開映画|1978年]]) - 主演・[[柳生三厳|柳生十兵衛三厳]] - [[第2回日本アカデミー賞]]優秀助演男優賞。''' |
||
* [[宇宙からのメッセージ]](1978年、東映 / [[東北新社]])- ハンス王子 |
* [[宇宙からのメッセージ]](1978年、東映 / [[東北新社]]) - ハンス王子 |
||
* [[沖縄10年戦争]](1978年)- 伊波朝勇 |
* [[沖縄10年戦争]](1978年) - 伊波朝勇 |
||
* [[赤穂城断絶]](1978年)- [[不破正種|不破数右衛門]] |
* [[赤穂城断絶]](1978年) - [[不破正種|不破数右衛門]] |
||
* [[白昼の死角#映画|白昼の死角]]([[1979年の日本公開映画|1979年]]、東映 / [[角川映画|角川春樹事務所]])- 太田洋助 |
* [[白昼の死角#映画|白昼の死角]]([[1979年の日本公開映画|1979年]]、東映 / [[角川映画|角川春樹事務所]]) - 太田洋助 |
||
* [[闇の狩人]](1979年、[[俳優座]] / [[松竹]])- 下国左門 |
* [[闇の狩人]](1979年、[[俳優座]] / [[松竹]]) - 下国左門 |
||
* [[蘇える金狼#1979年|蘇える金狼]](1979年、角川春樹事務所)- 桜井光彦 |
* [[蘇える金狼#1979年|蘇える金狼]](1979年、角川春樹事務所) - 桜井光彦 |
||
* '''[[戦国自衛隊 (映画)|戦国自衛隊]](1979年、角川春樹事務所)- 主演・伊庭義明三尉 兼 [[アクション監督]] |
* '''[[戦国自衛隊 (映画)|戦国自衛隊]](1979年、角川春樹事務所) - 主演・伊庭義明三尉 兼 [[アクション監督]] |
||
* [[復活の日#映画|復活の日]]([[1980年の日本公開映画|1980年]]、角川春樹事務所 / [[TBSテレビ|TBS]])- 山内博士 |
* [[復活の日#映画|復活の日]]([[1980年の日本公開映画|1980年]]、角川春樹事務所 / [[TBSテレビ|TBS]]) - 山内博士 |
||
* '''[[忍者武芸帖 百地三太夫]](1980年)- 不知火将監 兼 アクション監督''' |
* '''[[忍者武芸帖 百地三太夫]](1980年) - 不知火将監 兼 アクション監督''' |
||
* [[ちゃんばらグラフィティー 斬る!]]([[1981年の日本公開映画|1981年]]) |
* [[ちゃんばらグラフィティー 斬る!]]([[1981年の日本公開映画|1981年]]) |
||
* '''[[魔界転生#1981年|魔界転生]](1981年、東映 / 角川春樹事務所)- 主演・[[柳生三厳|柳生十兵衛光厳]]{{ |
* '''[[魔界転生#1981年|魔界転生]](1981年、東映 / 角川春樹事務所) - 主演・[[柳生三厳|柳生十兵衛光厳]]{{efn2|name="光厳"|[[柳生三厳|柳生十兵衛光厳]]の「光厳」だが、「三厳」ではなく「光厳」と[[小冊子|パンフレット]]『[[魔界転生]]』の登場人物・キャスト一覧に表記されているため、当該記事もこれに則った{{sfn|『魔界転生』|1981|p=11|loc=「登場人物」}}{{sfn|『魔界転生』|1981|p=26|loc=「キャスト」}}。}}''' |
||
* '''[[吼えろ鉄拳]](1981年)- 太刀川俊介 兼 アクション監修''' |
* '''[[吼えろ鉄拳]](1981年) - 太刀川俊介 兼 アクション監修''' |
||
* '''[[冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE- |
* '''[[冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-]](1981年) - 主演・神風大介''' |
||
* [[蒲田行進曲#映画|蒲田行進曲]]([[1982年の日本公開映画|1982年]]、角川春樹事務所 / 松竹)- 本人 |
* [[蒲田行進曲#映画|蒲田行進曲]]([[1982年の日本公開映画|1982年]]、角川春樹事務所 / 松竹) - 本人 - [[カメオ出演|友情出演]]。 |
||
* [[伊賀忍法帖#映画|伊賀忍法帖]](1982年、角川春樹事務所 / 東映)- [[柳生宗厳|柳生新左衛門]] |
* [[伊賀忍法帖#映画|伊賀忍法帖]](1982年、角川春樹事務所 / 東映) - [[柳生宗厳|柳生新左衛門]] |
||
* '''[[伊賀野カバ丸]]([[1983年の日本公開映画|1983年]])- 伊賀野才蔵 兼 企画''' |
* '''[[伊賀野カバ丸]]([[1983年の日本公開映画|1983年]]) - 伊賀野才蔵 兼 企画''' |
||
* [[里見八犬伝 (1983年の映画)|里見八犬伝]](1983年、角川春樹事務所)- 犬山道節 |
* [[里見八犬伝 (1983年の映画)|里見八犬伝]](1983年、角川春樹事務所) - 犬山道節 |
||
* '''[[コータローまかりとおる!]]([[1984年の日本公開映画|1984年]])- ムーア公国大佐 兼 企画''' |
* '''[[コータローまかりとおる!]]([[1984年の日本公開映画|1984年]]) - ムーア公国大佐 兼 企画''' |
||
* [[最後の博徒]]([[1985年の日本公開映画|1985年]])- 加納良三 〔モデル : [[美能幸三]]〕 |
* [[最後の博徒]]([[1985年の日本公開映画|1985年]]) - 加納良三 〔モデル : [[美能幸三]]〕 |
||
* [[キャバレー (小説)#映画|キャバレー]]([[1986年の日本公開映画|1986年]]、角川春樹事務所)- 関東連合組長 |
* [[キャバレー (小説)#映画|キャバレー]]([[1986年の日本公開映画|1986年]]、角川春樹事務所) - 関東連合組長 - [[カメオ出演|ゲスト出演]]。 |
||
* [[必殺4 恨みはらします]]([[1987年の日本公開映画|1987年]]、[[朝日放送テレビ|ABC]] / 松竹)- わらべや文七 |
* [[必殺4 恨みはらします]]([[1987年の日本公開映画|1987年]]、[[朝日放送テレビ|ABC]] / 松竹) - わらべや文七 |
||
* '''[[将軍家光の乱心 激突]]([[1989年の日本公開映画|1989年]])- 伊庭庄左衛門 兼 アクション監督 |
* '''[[将軍家光の乱心 激突]]([[1989年の日本公開映画|1989年]]) - 伊庭庄左衛門 兼 アクション監督 - [[第39回ベルリン国際映画祭]]招待作品。''' |
||
* [[丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる]](1989年、丹波企画 / [[学習研究社]])<small>※[[特別出演]]。</small> |
* [[丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる]](1989年、丹波企画 / [[学習研究社]])<small>※[[特別出演]]。</small> |
||
* '''[[せんせい (1989年の映画)|せんせい]](1989年、トム・ソーヤ企画)- 牛山誠 兼 [[映画プロデューサー|プロデューサー]]''' |
* '''[[せんせい (1989年の映画)|せんせい]](1989年、トム・ソーヤ企画) - 牛山誠 兼 [[映画プロデューサー|プロデューサー]]''' |
||
* [[極道戦争 武闘派]]([[1991年の日本公開映画|1991年]])- 笠井高次 |
* [[極道戦争 武闘派]]([[1991年の日本公開映画|1991年]]) - 笠井高次 |
||
* [[いつかギラギラする日]]([[1992年の日本公開映画|1992年]]、 |
* [[いつかギラギラする日]]([[1992年の日本公開映画|1992年]]、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]] / [[バンダイ]] / 松竹) - 柴 |
||
* [[ちんちろまい]]([[2000年の日本公開映画|2000年]]、[[ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント (日本)|ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント]])- 黒田武士 |
* [[ちんちろまい]]([[2000年の日本公開映画|2000年]]、[[ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント (日本)|ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント]]) - 黒田武士 |
||
* [[実録・安藤昇侠道伝 烈火]]([[2002年の日本公開映画|2002年]]、[[東映ビデオ]])- 阪東連合幹事長 土方泰典 |
* [[実録・安藤昇侠道伝 烈火]]([[2002年の日本公開映画|2002年]]、[[東映ビデオ]]) - 阪東連合幹事長 土方泰典 |
||
* [[伝説のやくざ ボンノ|伝説のやくざ ボンノ シリーズ]](東映ビデオ)- 山賀組 山倉組組長 山倉健一 |
* [[伝説のやくざ ボンノ|伝説のやくざ ボンノ シリーズ]](東映ビデオ) - 山賀組 山倉組組長 山倉健一 |
||
** [[伝説のやくざ ボンノ|伝説のやくざ ボンノ 烈火の章]](2002年) |
** [[伝説のやくざ ボンノ|伝説のやくざ ボンノ 烈火の章]](2002年) |
||
** 伝説のやくざ ボンノ 落日の章([[2003年の日本公開映画|2003年]]) |
** 伝説のやくざ ボンノ 落日の章([[2003年の日本公開映画|2003年]]) - ''[[オリジナルビデオ|OV.]]'' |
||
* '''[[新 影の軍団シリーズ]]([[シネマパラダイス]])- 主演・初代[[服部半蔵]]''' |
* '''[[新 影の軍団シリーズ]]([[シネマパラダイス]]) - 主演・初代[[服部半蔵]]''' |
||
** '''[[新 影の軍団]](2003年) - 兼 企画''' |
** '''[[新 影の軍団]](2003年) - 兼 企画''' |
||
** '''[[新 影の軍団II]](2003年)- 兼 企画''' |
** '''[[新 影の軍団II]](2003年) - 兼 企画''' - ''OV.'' |
||
** '''[[新 影の軍団III 地雷火]](2003年)- 兼 製作総指揮''' |
** '''[[新 影の軍団III 地雷火]](2003年) - 兼 製作総指揮''' |
||
** '''[[新 影の軍団IV 地雷火]](2003年)- 兼 製作総指揮''' |
** '''[[新 影の軍団IV 地雷火]](2003年) - 兼 製作総指揮''' - ''OV.'' |
||
** '''[[新 影の軍団V]]([[2005年の日本公開映画|2005年]])''' |
** '''[[新 影の軍団V]]([[2005年の日本公開映画|2005年]])''' |
||
** '''[[新 影の軍団 最終章]](2005年)''' |
** '''[[新 影の軍団 最終章]](2005年)''' |
||
* [[バトル・ロワイアルII 鎮魂歌]](2003年、東映 / [[テレビ朝日 |
* [[バトル・ロワイアルII 鎮魂歌]](2003年、東映 / [[テレビ朝日]]) - 三村真樹雄 |
||
* [[銭道|銭道シリーズ]](シネマパラダイス)- 神開浩次郎 |
* [[銭道|銭道シリーズ]](シネマパラダイス) - 神開浩次郎 |
||
** [[銭道]]([[2004年の日本公開映画|2004年]]) |
** [[銭道]]([[2004年の日本公開映画|2004年]]) |
||
** 銭道2 借金地獄抜け道指南(2004年) |
** 銭道2 借金地獄抜け道指南(2004年) |
||
** 銭道3 なにわ金融指南(2004年) |
** 銭道3 なにわ金融指南(2004年) |
||
** 銭道4 男と女の金融講座(2004年)<small> |
** 銭道4 男と女の金融講座(2004年)<small>※OV.</small> |
||
** 銭道5 無限連鎖講(2004年)<small> |
** 銭道5 無限連鎖講(2004年)<small>※OV</small> |
||
** 銭道6(2005年) |
** 銭道6(2005年) |
||
* '''''[[SURVIVE STYLE5+]]''(2004年、東北新社)- 主演・薬品会社社長 風間''' |
* '''''[[SURVIVE STYLE5+]]''(2004年、東北新社) - 主演・薬品会社社長 風間''' |
||
* [[猿飛佐助 闇の軍団|猿飛佐助 闇の軍団シリーズ]](2005年)- 柳生十兵衛三厳 |
* [[猿飛佐助 闇の軍団|猿飛佐助 闇の軍団シリーズ]](2005年) - 柳生十兵衛三厳 |
||
** [[猿飛佐助 闇の軍団]]3 風の巻 |
** [[猿飛佐助 闇の軍団]]3 風の巻 |
||
** 猿飛佐助 闇の軍団4 火の巻 完結篇 |
** 猿飛佐助 闇の軍団4 火の巻 完結篇 |
||
* ''[[THE WINDS OF GOD|THE WINDS OF GOD -KAMIKAZE-]]''([[2006年の日本公開映画|2006年]]、松竹)- 太田信忠 飛行隊長 |
* ''[[THE WINDS OF GOD|THE WINDS OF GOD -KAMIKAZE-]]''([[2006年の日本公開映画|2006年]]、松竹) - 太田信忠 飛行隊長 |
||
* [[マスター・オブ・サンダー 決戦!! 封魔龍虎伝]](2006年、[[日活]])- 源流和尚 |
* [[マスター・オブ・サンダー 決戦!! 封魔龍虎伝]](2006年、[[日活]]) - 源流和尚 |
||
* '''[[親父 (映画)|親父]]([[2007年の日本公開映画|2007年]]、[[チェイスフィルムエンタテインメント]])- 主演・沼田竜道 兼 監督''' |
* '''[[親父 (映画)|親父]]([[2007年の日本公開映画|2007年]]、[[チェイスフィルムエンタテインメント]]) - 主演・沼田竜道 兼 監督''' |
||
* [[修羅の花道|修羅の花道シリーズ]]([[2012年の日本公開映画|2012年]]、[[コンセプトフィルム]])- 須玉誉士夫 |
* [[修羅の花道|修羅の花道シリーズ]]([[2012年の日本公開映画|2012年]]、[[コンセプトフィルム]]) - 須玉誉士夫 - 特別出演。 |
||
** [[修羅の花道]] |
** [[修羅の花道]] |
||
** 修羅の花道 2 |
** 修羅の花道 2 - OV. |
||
* [[日本統一|日本統一シリーズ]]([[2013年の日本公開映画|2013年]]、[[オールインエンタテインメント]])- 初代侠和会会長 権田誠蔵(初代権田組組長) |
* [[日本統一|日本統一シリーズ]]([[2013年の日本公開映画|2013年]]、[[オールインエンタテインメント]]) - 初代侠和会会長 権田誠蔵(初代権田組組長) |
||
** [[日本統一]] |
** [[日本統一]] |
||
** 日本統一 2 |
** 日本統一 2 - OV. |
||
* [[ニンジャセオリー]]([[2014年の日本公開映画|2014年]]、[[ワッヘンフィルムスタジオ]])- 忍者マスター |
* [[ニンジャセオリー]]([[2014年の日本公開映画|2014年]]、[[ワッヘンフィルムスタジオ]]) - 忍者マスター - 特別出演。 |
||
* '''[[修羅の伝承 荒ぶる凶犬]](2014年、[[アスプロスドラーゴ]])- 主演・秋山秀平''' |
* '''[[修羅の伝承 荒ぶる凶犬]](2014年、[[アスプロスドラーゴ]]) - 主演・秋山秀平''' |
||
* [[歌舞伎町はいすくーる]](2014年、コンセプトフィルム / [[NKTエンターテイメント]])- 八海山理事長 |
* [[歌舞伎町はいすくーる]](2014年、コンセプトフィルム / [[NKTエンターテイメント]]) - 八海山理事長 - 特別出演。 |
||
* [[エイプリルフールズ]]([[2015年の日本公開映画|2015年]]、[[フジテレビジョン| |
* [[エイプリルフールズ]]([[2015年の日本公開映画|2015年]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]] / [[共同テレビジョン]]) - 強面暴力団幹部 |
||
* [[騒音 (映画)|騒音]](2015年、[[浅井企画]] / [[スタジオブルー]])- 特別指導教官 |
* [[騒音 (映画)|騒音]](2015年、[[浅井企画]] / [[スタジオブルー]]) - 特別指導教官 |
||
* [[極道天下布武|極道天下布武シリーズ]]([[2017年の日本公開映画|2017年]]、[[オールインエンタテインメント]])- 安芸 毛利屋一家総長 毛利屋元就 |
* [[極道天下布武|極道天下布武シリーズ]]([[2017年の日本公開映画|2017年]]、[[オールインエンタテインメント]]) - 安芸 毛利屋一家総長 毛利屋元就 |
||
** 極道天下布武 第一幕 |
** 極道天下布武 第一幕 |
||
** 極道天下布武 第二幕 |
** 極道天下布武 第二幕 |
||
** 極道天下布武 第四幕 |
** 極道天下布武 第四幕 |
||
* [[写真甲子園 0.5秒の夏]](2017年、シネボイス)- 椅子工房の職人 |
* [[写真甲子園 0.5秒の夏]](2017年、シネボイス) - 椅子工房の職人 |
||
==== 海外映画 ==== |
==== 海外映画 ==== |
||
<small>☆太字は[[主演]]や[[映画スタッフ|スタッフ兼務]]作品で、[[日本]]との合作映画も含む。</small> |
<small>☆太字は[[主演]]や[[映画スタッフ|スタッフ兼務]]作品で、[[日本]]との合作映画も含む。</small> |
||
* '''[[カミカゼ野郎 真昼の決斗]]([[1966年の映画|1966年]]、[[日本映画|日]][[台湾映画|台]]合作)- 主演・御手洗健''' |
* '''[[カミカゼ野郎 真昼の決斗]]([[1966年の映画|1966年]]、[[日本映画|日]][[台湾映画|台]]合作) - 主演・御手洗健''' |
||
* '''[[海底大戦争]](1966年、日[[アメリカ合衆国の映画|米]]合作)- 主演・安部''' |
* '''[[海底大戦争]](1966年、日[[アメリカ合衆国の映画|米]]合作) - 主演・安部''' |
||
* '''[[東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯]]([[1973年の日本公開映画|1973年]]、日[[香港映画|香]][[タイの映画|泰]][[韓国映画|韓]]合作)- 主演・和田達也''' |
* '''[[東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯]]([[1973年の日本公開映画|1973年]]、日[[香港映画|香]][[タイの映画|泰]][[韓国映画|韓]]合作) - 主演・和田達也''' |
||
* '''[[激殺! 邪道拳]]([[1977年の映画|1977年]]、日香泰合作)- 主演・無音笛 兼 企画''' |
* '''[[激殺! 邪道拳]]([[1977年の映画|1977年]]、日香泰合作) - 主演・無音笛 兼 企画''' |
||
* '''[[ゴルゴ13 九竜の首]](1977年、日香合作)- 主演・[[ゴルゴ13 (架空の人物)|ゴルゴ13(デューク東郷)]]''' |
* '''[[ゴルゴ13 九竜の首]](1977年、日香合作) - 主演・[[ゴルゴ13 (架空の人物)|ゴルゴ13(デューク東郷)]]''' |
||
* [[武士道ブレード]]([[1981年の映画|1981年]]、[[イギリスの映画|英]]米合作)- 井戸守 |
* [[武士道ブレード]]([[1981年の映画|1981年]]、[[イギリスの映画|英]]米合作) - 井戸守 |
||
* '''[[HAKEN 覇拳 ふりむけば修羅|''HAKEN'' 覇拳 ふりむけば修羅]](1992年、日香合作)- 高阪正 兼 監督''' |
* '''[[HAKEN 覇拳 ふりむけば修羅|''HAKEN'' 覇拳 ふりむけば修羅]](1992年、日香合作) - 高阪正 兼 監督''' |
||
* [[エイセス / 大空の誓い]]([[1992年の映画|1992年]]、米)- スエオ・ホリコシ大佐 |
* [[エイセス / 大空の誓い]]([[1992年の映画|1992年]]、米) - スエオ・ホリコシ大佐 |
||
* '''[[地雷原 A mine field.|地雷原 ''A mine field.'']](1992年、日泰合作)- 主演・高木弘道 兼 原案''' |
* '''[[地雷原 A mine field.|地雷原 ''A mine field.'']](1992年、日泰合作) - 主演・高木弘道 兼 原案''' |
||
* '''[[リゾート・トゥ・キル]]([[1994年の映画|1994年]]、米[[メキシコの映画|墨]]合作)- 主演・''Jiro 'J.J.' Jintani''''' |
* '''[[リゾート・トゥ・キル]]([[1994年の映画|1994年]]、米[[メキシコの映画|墨]]合作) - 主演・''Jiro 'J.J.' Jintani''''' |
||
* '''[[ザ・サイレンサー MAGNUM357|ザ・サイレンサー ''MAGNUM357'']](1994年、日米合作)- 主演・マコト''' |
* '''[[ザ・サイレンサー MAGNUM357|ザ・サイレンサー ''MAGNUM357'']](1994年、日米合作) - 主演・マコト''' |
||
* '''[[風雲 ストームライダーズ]]([[1998年の映画|1998年]]、香港)- 主演・雄覇 |
* '''[[風雲 ストームライダーズ]]([[1998年の映画|1998年]]、香港) - 主演・雄覇 - 第18回[[香港電影金像奨]] [[w:18th Hong Kong Film Awards#Best Actor|優秀主演男優賞]]。''' |
||
* 小李飛刀之飛刀外傳 ''The Legend Of The Flying Swordsman''([[2000年の映画|2000年]]、香港)- 李元覇 |
* 小李飛刀之飛刀外傳 ''The Legend Of The Flying Swordsman''([[2000年の映画|2000年]]、香港) - 李元覇 |
||
* {{仮リンク|狼たちの伝説 亜州黒社会戦争|zh|勝者為王 (2000年電影)}}(2000年、香港)- 草刈一雄 |
* {{仮リンク|狼たちの伝説 亜州黒社会戦争|zh|勝者為王 (2000年電影)}}(2000年、香港) - 草刈一雄 |
||
* [[キル・ビル]]([[2003年の映画|2003年]]、米)- 100代目[[服部半蔵]] 兼 [[剣術]]指導 |
* [[キル・ビル]]([[2003年の映画|2003年]]、米) - 100代目[[服部半蔵]] 兼 [[剣術]]指導 - [[第30回サターン賞]] [[第30回サターン賞#助演男優賞|助演男優賞]]。 |
||
[[ファイル:千葉真一と松下順一.jpg|代替文=映画「爆裂都市」千葉真一と松下順一|サムネイル|[[2003年]]、『爆裂都市 / ''Explosive City''』の撮影に関する千葉真一と[[松下順一]]との打ち合わせ風景]] |
[[ファイル:千葉真一と松下順一.jpg|代替文=映画「爆裂都市」千葉真一と松下順一|サムネイル|[[2003年]]、『爆裂都市 / ''Explosive City''』の撮影に関する千葉真一と[[松下順一]]との打ち合わせ風景]] |
||
* {{仮リンク|爆裂都市 (2004年の映画)|label=爆裂都市 / ''Explosive City''|en|Explosive City}}([[2004年の映画|2004年]]、香港)- |
* {{仮リンク|爆裂都市 (2004年の映画)|label=爆裂都市 / ''Explosive City''|en|Explosive City}}([[2004年の映画|2004年]]、香港) - Otosan |
||
* [[ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT|ワイルド・スピード''X3 TOKYO DRIFT'']]([[2006年の映画|2006年]]、米)- カマタ組長 |
* [[ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT|ワイルド・スピード''X3 TOKYO DRIFT'']]([[2006年の映画|2006年]]、米) - カマタ組長 |
||
* ''[[SUSHI GIRL]]''([[2012年の映画|2012年]]、米)- [[握り寿司#寿司職人|寿司職人]] |
* ''[[SUSHI GIRL]]''([[2012年の映画|2012年]]、米) - [[握り寿司#寿司職人|寿司職人]] |
||
* [[テイク・ア・チャンス〜アメリカの内弟子〜]]([[2015年の映画|2015年]]、米)- [[宮本武蔵]] |
* [[テイク・ア・チャンス〜アメリカの内弟子〜]]([[2015年の映画|2015年]]、米) - [[宮本武蔵]] |
||
=== テレビドラマ === |
=== テレビドラマ === |
||
<small>☆太字は[[主演]]や[[映画スタッフ|スタッフ兼務]]作品。</small> |
<small>☆太字は[[主演]]や[[映画スタッフ|スタッフ兼務]]作品。</small> |
||
==== 国内ドラマ ==== |
==== 国内ドラマ ==== |
||
* '''[[七色仮面|新 七色仮面]]([[1960年のテレビ (日本)|1960年]]、''[[毎日放送|MBS]]'')- 主演・二代目七色仮面 / 蘭光太郎''' |
* '''[[七色仮面|新 七色仮面]]([[1960年のテレビ (日本)|1960年]]、''[[毎日放送|MBS]]'') - 主演・二代目七色仮面 / 蘭光太郎''' |
||
* '''ドキュメンタリードラマ / [[指名手配 (テレビドラマ)|指名手配]] 第38回 [[悪魔の火]](1960年[[7月6日]]、''[[テレビ朝日|NET]]'')- 主演''' |
* '''ドキュメンタリードラマ / [[指名手配 (テレビドラマ)|指名手配]] 第38回 [[悪魔の火]](1960年[[7月6日]]、''[[テレビ朝日|NET]]'') - 主演''' |
||
* '''[[アラーの使者]](1960年、 |
* '''[[アラーの使者]](1960年、NET) - 主演・鳴海五郎 / アラーの使者''' |
||
* [[浅草の灯 (1937年の映画)|浅草の灯]]([[1963年のテレビ (日本)|1963年]]、 |
* [[浅草の灯 (1937年の映画)|浅草の灯]]([[1963年のテレビ (日本)|1963年]]、NET) |
||
* '''[[鉄道公安36号]]([[1964年のテレビ (日本)|1964年]]、 |
* '''[[鉄道公安36号]]([[1964年のテレビ (日本)|1964年]]、NET) - 主演・早川公安官''' |
||
** '''第53話「シグナルは赤だ」''' |
** '''第53話「シグナルは赤だ」''' |
||
** '''第72話「終電車」''' |
** '''第72話「終電車」''' |
||
** '''第78話「影ある牙」''' |
** '''第78話「影ある牙」''' |
||
** '''第79話「消えた荷箱」''' |
** '''第79話「消えた荷箱」''' |
||
* [[日曜劇場|東芝日曜劇場]](''[[TBSテレビ|TBS]]'') |
* [[日曜劇場|東芝日曜劇場]](''[[TBSテレビ|TBS]]'') |
||
** [[栄光の旗]] 前編([[1965年のテレビ (日本)|1965年]][[4月4日]])- 山中中尉 |
** [[栄光の旗]] 前編([[1965年のテレビ (日本)|1965年]][[4月4日]]) - 山中中尉 |
||
** '''[[足で見る山]]([[1990年のテレビ (日本)|1990年]][[9月9日]])- 主演・倉橋''' |
** '''[[足で見る山]]([[1990年のテレビ (日本)|1990年]][[9月9日]]) - 主演・倉橋''' |
||
* [[特別機動捜査隊]] 第207話「大都会 後編」(1965年、 |
* [[特別機動捜査隊]] 第207話「大都会 後編」(1965年、NET) - 小松刑事 |
||
* [[黄色い風土#テレビドラマ|黄色い風土]](1965年 - [[1966年のテレビ (日本)|1966年]]、 |
* [[黄色い風土#テレビドラマ|黄色い風土]](1965年 - [[1966年のテレビ (日本)|1966年]]、NET) |
||
* '''[[暗闇五段|くらやみ五段]](1965年 - 1966年、 |
* '''[[暗闇五段|くらやみ五段]](1965年 - 1966年、NET) - 主演・倉見達也''' |
||
* '''[[キイハンター]]([[1968年のテレビ (日本)|1968年]] - [[1973年のテレビ (日本)|1973年]]、 |
* '''[[キイハンター]]([[1968年のテレビ (日本)|1968年]] - [[1973年のテレビ (日本)|1973年]]、TBS) - 主演・風間洋介''' |
||
* [[特命捜査室]] 第9話「デートは殺しのタイム」([[1969年のテレビ (日本)|1969年]][[8月28日]]、 |
* [[特命捜査室]] 第9話「デートは殺しのタイム」([[1969年のテレビ (日本)|1969年]][[8月28日]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]) |
||
* [[柔道一直線#テレビドラマ版|柔道一直線]] |
* [[柔道一直線#テレビドラマ版|柔道一直線]](TBS) - 鷲尾 |
||
** 第41話「荒鷲よはばたけ! -高校とはなにか-」([[1970年のテレビ (日本)|1970年]][[4月5日]]) |
** 第41話「荒鷲よはばたけ! -高校とはなにか-」([[1970年のテレビ (日本)|1970年]][[4月5日]]) |
||
** 第45話「火の鳥よ翼を燃やせ -師とはなにか-」(1970年[[5月3日]]) |
** 第45話「火の鳥よ翼を燃やせ -師とはなにか-」(1970年[[5月3日]]) |
||
** 第68話「鬼車と講道館 -自信とはなにか-」(1970年[[10月18日]]) |
** 第68話「鬼車と講道館 -自信とはなにか-」(1970年[[10月18日]]) |
||
* [[刑事くん]] |
* [[刑事くん]](TBS) - 矢吹刑事 |
||
** 第一部第31話「きらめく星は我が胸に」([[1972年のテレビ (日本)|1972年]][[4月3日]]) |
** 第一部第31話「きらめく星は我が胸に」([[1972年のテレビ (日本)|1972年]][[4月3日]]) |
||
** 第二部第1話「ぼくたちの春」(1973年[[4月16日]]) |
** 第二部第1話「ぼくたちの春」(1973年[[4月16日]]) |
||
** 第二部第38話「輝かしき道へ」([[1974年のテレビ (日本)|1974年]][[1月7日]]) |
** 第二部第38話「輝かしき道へ」([[1974年のテレビ (日本)|1974年]][[1月7日]]) |
||
* [[ロボット刑事]]( |
* [[ロボット刑事]](フジテレビ) - 新條敬太郎 |
||
** 第1話「バドーの殺人セールスマン」(1973年[[4月5日]]) |
** 第1話「バドーの殺人セールスマン」(1973年[[4月5日]]) |
||
** 第2話「目撃者はゼロ」(1973年[[4月12日]]) |
** 第2話「目撃者はゼロ」(1973年[[4月12日]]) |
||
* '''サスペンスシリーズ / [[現代鬼婆考 殺愛]](1973年[[9月28日]]、 |
* '''サスペンスシリーズ / [[現代鬼婆考 殺愛]](1973年[[9月28日]]、MBS) - 主演・大庭しげ / 大庭しげ男''' |
||
* '''[[ザ・ボディガード]](1974年、 |
* '''[[ザ・ボディガード]](1974年、NET) - 主演・鷲見秀介''' |
||
* '''[[ザ★ゴリラ7]]([[1975年のテレビ (日本)|1975年]]、 |
* '''[[ザ★ゴリラ7]]([[1975年のテレビ (日本)|1975年]]、NET) - 主演・風見大介''' |
||
* '''[[燃える捜査網]](1975年 - [[1976年のテレビ (日本)|1976年]]、 |
* '''[[燃える捜査網]](1975年 - [[1976年のテレビ (日本)|1976年]]、NET) - 主演・大神史郎''' |
||
* '''[[大非常線]](1976年、 |
* '''[[大非常線]](1976年、NET) - 主演・五代正弘''' |
||
* '''[[ナショナルゴールデン劇場]] / [[七色とんがらし]](1976年、 |
* '''[[ナショナルゴールデン劇場]] / [[七色とんがらし]](1976年、NET) - 主演・鮫島鉄男''' |
||
* [[新伍とんでけ捕物帳]]([[1977年のテレビ (日本)|1977年]]、 |
* [[新伍とんでけ捕物帳]]([[1977年のテレビ (日本)|1977年]]、TBS) |
||
* '''[[土曜ドラマ (NHK)|土曜ドラマ]] [[鎌田敏夫|鎌田敏夫シリーズ]] / [[十字路 (1978年のテレビドラマ)|十字路]]([[1978年のテレビ (日本)|1978年]]、''[[日本放送協会|NHK]]'')- 主演・木原潤三''' |
* '''[[土曜ドラマ (NHK)|土曜ドラマ]] [[鎌田敏夫|鎌田敏夫シリーズ]] / [[十字路 (1978年のテレビドラマ)|十字路]]([[1978年のテレビ (日本)|1978年]]、''[[日本放送協会|NHK]]'') - 主演・木原潤三''' |
||
* [[土曜ワイド劇場]] |
* [[土曜ワイド劇場]] |
||
** '''[[想い出の海辺 パパ、ぼく死にたくない!!]](1978年[[9月9日]]、''[[テレビ朝日|ANB]]'')- 主演''' |
** '''[[想い出の海辺 パパ、ぼく死にたくない!!]](1978年[[9月9日]]、''[[テレビ朝日|ANB]]'') - 主演''' |
||
** [[旅行けば連続殺人]](1988年[[7月16日]]、 |
** [[旅行けば連続殺人]](1988年[[7月16日]]、ANB) - 南条哲也 |
||
** [[OL潜入! ニッポン風俗名所]](1989年[[6月17日]]、''[[朝日放送テレビ|ABC]]'')- 岩田 |
** [[OL潜入! ニッポン風俗名所]](1989年[[6月17日]]、''[[朝日放送テレビ|ABC]]'') - 岩田 |
||
* '''[[柳生一族の陰謀#テレビ映画|柳生一族の陰謀]](1978年 - [[1979年のテレビ (日本)|1979年]]、''[[関西テレビ放送|KTV]]'')- 主演・[[柳生三厳|柳生十兵衛三厳]]''' |
* '''[[柳生一族の陰謀#テレビ映画|柳生一族の陰謀]](1978年 - [[1979年のテレビ (日本)|1979年]]、''[[関西テレビ放送|KTV]]'') - 主演・[[柳生三厳|柳生十兵衛三厳]]''' |
||
* ドラマ ネットワーク 第3弾 / [[雪山讃歌・ある青春 〜 立てた! 滑れた!]](1978年[[10月28日]]、 |
* ドラマ ネットワーク 第3弾 / [[雪山讃歌・ある青春 〜 立てた! 滑れた!]](1978年[[10月28日]]、フジテレビ) - |
||
* [[南十字星 コルネリアお雪異聞 わたしの山田長政]](1978年、 |
* [[南十字星 コルネリアお雪異聞 わたしの山田長政]](1978年、ABC) - [[宮本武蔵]] - [[特別出演]]。 |
||
* '''[[服部半蔵 影の軍団|影の軍団シリーズ]] |
* '''[[服部半蔵 影の軍団|影の軍団シリーズ]](KTV)''' |
||
** '''[[服部半蔵 影の軍団]]([[1980年のテレビ (日本)|1980年]])- 主演・三代目[[服部半蔵]]''' |
** '''[[服部半蔵 影の軍団]]([[1980年のテレビ (日本)|1980年]]) - 主演・三代目[[服部半蔵]]''' |
||
** '''[[影の軍団II]](1981年 - [[1982年のテレビ (日本)|1982年]])- 主演・柘植新八''' |
** '''[[影の軍団II]](1981年 - [[1982年のテレビ (日本)|1982年]]) - 主演・柘植新八''' |
||
** '''[[影の軍団III]](1982年)- 主演・多羅尾半蔵''' |
** '''[[影の軍団III]](1982年) - 主演・多羅尾半蔵''' |
||
** '''[[影の軍団IV]]([[1985年のテレビ (日本)|1985年]])- 主演・十五代目服部半蔵''' |
** '''[[影の軍団IV]]([[1985年のテレビ (日本)|1985年]]) - 主演・十五代目服部半蔵''' |
||
** '''[[影の軍団 幕末編]](1985年)- 主演・十五代目服部半蔵''' |
** '''[[影の軍団 幕末編]](1985年) - 主演・十五代目服部半蔵''' |
||
* '''[[木曜ゴールデンドラマ|木曜ゴールデンドラマスペシャル]] / [[東京大地震マグニチュード8.1]](1980年[[4月17日]]、''[[讀賣テレビ放送|ytv]]'')- 主演・小林''' |
* '''[[木曜ゴールデンドラマ|木曜ゴールデンドラマスペシャル]] / [[東京大地震マグニチュード8.1]](1980年[[4月17日]]、''[[讀賣テレビ放送|ytv]]'') - 主演・小林''' |
||
* '''[[柳生あばれ旅シリーズ]] |
* '''[[柳生あばれ旅シリーズ]](ANB) - 主演・柳生十兵衛三厳''' |
||
** '''[[柳生あばれ旅]](1980年 - [[1981年のテレビ (日本)|1981年]])''' |
** '''[[柳生あばれ旅]](1980年 - [[1981年のテレビ (日本)|1981年]])''' |
||
** '''[[柳生十兵衛あばれ旅]](1982年 - [[1983年のテレビ (日本)|1983年]])''' |
** '''[[柳生十兵衛あばれ旅]](1982年 - [[1983年のテレビ (日本)|1983年]])''' |
||
* [[警視庁殺人課]] 第1話「復讐のバラード」(1981年[[4月13日]]、 |
* [[警視庁殺人課]] 第1話「復讐のバラード」(1981年[[4月13日]]、ANB) - |
||
* [[宇宙刑事ギャバン]] |
* [[宇宙刑事ギャバン]](ANB) - ボイサー - 特別出演。 |
||
** 第1話「東京地底の怪要塞」(1982年[[3月5日]])<small>※写真のみでノンクレジット。</small> |
** 第1話「東京地底の怪要塞」(1982年[[3月5日]])<small>※写真のみでノンクレジット。</small> |
||
** 第11話「父は生きているのか?謎のSOS信号」(1982年[[6月4日]])<small>※写真のみでノンクレジット。</small> |
** 第11話「父は生きているのか?謎のSOS信号」(1982年[[6月4日]])<small>※写真のみでノンクレジット。</small> |
||
822行目: | 901行目: | ||
** 第43話「再会」(1983年[[2月18日]]) |
** 第43話「再会」(1983年[[2月18日]]) |
||
** 第44話「ドンホラーの首」(1983年[[2月25日]])<small>※ノンクレジット。</small> |
** 第44話「ドンホラーの首」(1983年[[2月25日]])<small>※ノンクレジット。</small> |
||
* [[宇宙刑事シャリバン]] 第15話「海鳴りの仕掛島」(1983年[[6月10日]]、 |
* [[宇宙刑事シャリバン]] 第15話「海鳴りの仕掛島」(1983年[[6月10日]]、ANB) - ボイサー - ノンクレジット。 |
||
* '''[[水曜ロードショー (日本テレビ)|水曜ロードショー特別企画]] / [[素晴らしきサーカス野郎]]([[1984年のテレビ (日本)|1984年]][[1月4日]]、''[[日本テレビ放送網| |
* '''[[水曜ロードショー (日本テレビ)|水曜ロードショー特別企画]] / [[素晴らしきサーカス野郎]]([[1984年のテレビ (日本)|1984年]][[1月4日]]、''[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]'') - 主演・前島大学 兼 [[企画]]''' |
||
* '''[[金曜ドラマ (TBS)|金曜ドラマ]] / [[深夜にようこそ]]([[1986年のテレビ (日本)|1986年]]、 |
* '''[[金曜ドラマ (TBS)|金曜ドラマ]] / [[深夜にようこそ]]([[1986年のテレビ (日本)|1986年]]、TBS) - 主演・村田耕三''' |
||
* [[TBS大型時代劇スペシャル]] |
* [[TBS大型時代劇スペシャル]](TBS) |
||
** [[太閤記 (1987年のテレビドラマ)|太閤記]]([[1987年のテレビ (日本)|1987年]])- [[明智光秀]] |
** [[太閤記 (1987年のテレビドラマ)|太閤記]]([[1987年のテレビ (日本)|1987年]]) - [[明智光秀]] |
||
** [[徳川家康 (1988年のテレビドラマ)|徳川家康]]([[1988年のテレビ (日本)|1988年]])- [[石川数正]] |
** [[徳川家康 (1988年のテレビドラマ)|徳川家康]]([[1988年のテレビ (日本)|1988年]]) - [[石川数正]] |
||
** [[織田信長 (1989年のテレビドラマ)|織田信長]]([[1989年のテレビ (日本)|1989年]])- [[織田信秀]] |
** [[織田信長 (1989年のテレビドラマ)|織田信長]]([[1989年のテレビ (日本)|1989年]]) - [[織田信秀]] |
||
** [[源義経 (1990年のテレビドラマ)|源義経]](1990年)- 禅林坊覚日 |
** [[源義経 (1990年のテレビドラマ)|源義経]](1990年) - 禅林坊覚日 |
||
** [[武田信玄 (1991年のテレビドラマ)|武田信玄]]([[1991年のテレビ (日本)|1991年]])- [[武田信虎]] |
** [[武田信玄 (1991年のテレビドラマ)|武田信玄]]([[1991年のテレビ (日本)|1991年]]) - [[武田信虎]] |
||
* [[金曜女のドラマスペシャル]] / [[雪の朝に]](1987年[[5月1日]]、 |
* [[金曜女のドラマスペシャル]] / [[雪の朝に]](1987年[[5月1日]]、フジテレビ) - 坂本医師 |
||
* [[旅少女 (テレビドラマ)|旅少女]](1987年、 |
* [[旅少女 (テレビドラマ)|旅少女]](1987年、NHK ) - 石川猛志 |
||
* SAISON SPECIAL / [[秋のシナリオ]](1987年[[11月6日]]、 |
* SAISON SPECIAL / [[秋のシナリオ]](1987年[[11月6日]]、日本テレビ) - 辰巳プロデューサー |
||
* [[新春時代劇スペシャル]] |
* [[新春時代劇スペシャル]](ANB) |
||
** [[家光と彦左と一心太助 天下の一大事]](1989年)- 柳生十兵衛三厳 |
** [[家光と彦左と一心太助 天下の一大事]](1989年) - 柳生十兵衛三厳 |
||
** [[新吾十番勝負]](1990年)- 梅井多門 |
** [[新吾十番勝負]](1990年) - 梅井多門 |
||
** [[戦国乱世の暴れん坊 斎藤道三 怒涛の天下取り]](1991年)- [[明智光綱]] |
** [[戦国乱世の暴れん坊 斎藤道三 怒涛の天下取り]](1991年) - [[明智光綱]] |
||
* '''[[シリーズ街]] / [[夢に見た日々]](1989年、 |
* '''[[シリーズ街]] / [[夢に見た日々]](1989年、ANB) - 主演・関本慎作''' |
||
* '''[[時代劇スペシャル (フジテレビ)|時代劇スペシャル]] / [[十七人の忍者]](1990年[[10月10日]]、 |
* '''[[時代劇スペシャル (フジテレビ)|時代劇スペシャル]] / [[十七人の忍者]](1990年[[10月10日]]、フジテレビ) - 主演・[[伊賀流|伊賀]]三ノ組 組頭 甚伍左 兼 監督補''' |
||
* '''[[徳川無頼帳]]([[1992年のテレビ (日本)|1992年]]、''[[テレビ東京 |
* '''[[徳川無頼帳]]([[1992年のテレビ (日本)|1992年]]、''[[テレビ東京]]'') - 主演・廓幻之介([[松平忠輝]]) 兼 監修''' |
||
* [[森蘭丸〜戦国を駆け抜けた若獅子〜]]([[1993年のテレビ (日本)|1993年]][[8月10日]]、 |
* [[森蘭丸〜戦国を駆け抜けた若獅子〜]]([[1993年のテレビ (日本)|1993年]][[8月10日]]、テレビ東京) - [[森可成|森三左衛門可成]] |
||
* [[土曜グランド劇場]] / [[聖龍伝説]]([[1996年のテレビ (日本)|1996年]]、 |
* [[土曜グランド劇場]] / [[聖龍伝説]]([[1996年のテレビ (日本)|1996年]]、日本テレビ) - 冴木勇次 |
||
* [[金曜時代劇]] |
* [[金曜時代劇]](NHK) |
||
** [[寺子屋ゆめ指南]]([[1997年のテレビ (日本)|1997年]])- 泉水又十郎 |
** [[寺子屋ゆめ指南]]([[1997年のテレビ (日本)|1997年]]) - 泉水又十郎 |
||
** [[柳生十兵衛七番勝負]] 第5話「邪の剣光の剣」([[2005年のテレビ (日本)|2005年]])- 宮本武蔵 |
** [[柳生十兵衛七番勝負]] 第5話「邪の剣光の剣」([[2005年のテレビ (日本)|2005年]]) - 宮本武蔵 |
||
* [[できちゃった結婚 (テレビドラマ)|できちゃった結婚]]([[2001年のテレビドラマ (日本)|2001年]]、 |
* [[できちゃった結婚 (テレビドラマ)|できちゃった結婚]]([[2001年のテレビドラマ (日本)|2001年]]、フジテレビ) - 小谷一徹 |
||
* [[アストロ球団 (テレビドラマ)|アストロ球団]](2005年、 |
* [[アストロ球団 (テレビドラマ)|アストロ球団]](2005年、[[テレビ朝日]]) - J. シュウロ |
||
* [[大河ドラマ]] / [[風林火山 (NHK大河ドラマ)|風林火山]]([[2007年のテレビ (日本)|2007年]]、 |
* [[大河ドラマ]] / [[風林火山 (NHK大河ドラマ)|風林火山]]([[2007年のテレビ (日本)|2007年]]、NHK) - [[板垣信方]] |
||
* [[木曜ミステリーシアター]] / [[秘密諜報員 エリカ]] #13 最終話([[2011年のテレビ (日本)|2011年]][[12月29日]]、 |
* [[木曜ミステリーシアター]] / [[秘密諜報員 エリカ]] #13 最終話([[2011年のテレビ (日本)|2011年]][[12月29日]]、ytv) - 聖フランシスコ教会の牧師 - [[友情出演]]。 |
||
* '''[[プレミアムよるドラマ]] / [[おわこんTV]] ([[2014年のテレビ (日本)|2014年]]、 |
* '''[[プレミアムよるドラマ]] / [[おわこんTV]] ([[2014年のテレビ (日本)|2014年]]、[[NHK BSプレミアム]]) - 主演・荒巻源次郎''' - [[文化庁芸術祭賞|文化庁芸術祭参加作品]]<ref name="『おわこんTV』" />。 |
||
==== 海外ドラマ ==== |
==== 海外ドラマ ==== |
||
* '''{{仮リンク|風雲 (2002年のテレビドラマ)|zh|风云:雄霸天下 (2002年电视剧)|label=風雲}}([[2002年]]、[[台湾ドラマ|台湾]])- 主演・雄覇''' |
* '''{{仮リンク|風雲 (2002年のテレビドラマ)|zh|风云:雄霸天下 (2002年电视剧)|label=風雲}}([[2002年]]、[[台湾ドラマ|台湾]]) - 主演・雄覇''' |
||
* {{仮リンク|風雲争霸|zh|风云争霸|label=風雲争霸}}([[2004年]]、[[中国ドラマ|中国]])- 東方青木 / 東方白石 |
* {{仮リンク|風雲争霸|zh|风云争霸|label=風雲争霸}}([[2004年]]、[[中国ドラマ|中国]]) - 東方青木 / 東方白石 |
||
=== 演劇 === |
=== 演劇 === |
||
<small>☆太字は[[主演]]や[[映画スタッフ|スタッフ兼務]]作品。</small> |
<small>☆太字は[[主演]]や[[映画スタッフ|スタッフ兼務]]作品。</small> |
||
* '''[[柳生十兵衛 魔界転生]]([[1981年]][[7月3日]] - [[7月28日]]、[[新宿コマ劇場]])- 主演・[[柳生三厳|柳生十兵衛光厳]] |
* '''[[柳生十兵衛 魔界転生]]([[1981年]][[7月3日]] - [[7月28日]]、[[新宿コマ劇場]]) - 主演・[[柳生三厳|柳生十兵衛光厳]]{{efn2|name="光厳"}}''' - 第1回''[[ジャパンアクションクラブ|JAC]]''[[ミュージカル]]『[[スタントマン物語]]』と同時上演。 |
||
* '''[[ゆかいな海賊大冒険]] - 主演・ダイダロス船長 兼 [[演出]]''' |
* '''[[ゆかいな海賊大冒険]] - 主演・ダイダロス船長 兼 [[演出]]''' |
||
** '''([[1982年]]、新宿コマ劇場)'''<small>※第2回 |
** '''([[1982年]]、新宿コマ劇場)'''<small>※第2回JACミュージカル。</small> |
||
** '''([[1983年]]、[[梅田芸術劇場|梅田コマ劇場]])'''<small>※第3回 |
** '''([[1983年]]、[[梅田芸術劇場|梅田コマ劇場]])'''<small>※第3回JACミュージカル。</small> |
||
** '''([[1984年]]、新宿コマ劇場)'''<small>※第4回 |
** '''([[1984年]]、新宿コマ劇場)'''<small>※第4回JACミュージカル。</small> |
||
* '''[[酔いどれ公爵]]([[1985年]]、新宿コマ劇場)- 主演・ロベール公爵 兼 企画・原案・演出''' |
* '''[[酔いどれ公爵]]([[1985年]]、新宿コマ劇場) - 主演・ロベール公爵 兼 企画・原案・演出''' - 第5回JACミュージカル。 |
||
* '''[[スタントマン 愛の物語]]([[1986年]][[4月3日]] - [[4月27日]])- 主演 兼 企画監修''' |
* '''[[スタントマン 愛の物語]]([[1986年]][[4月3日]] - [[4月27日]]) - 主演 兼 企画監修''' - 第6回JACミュージカル。新美正雄演出。『[[アドベンチャー 青春の出発]]』と同時上演。新宿コマ劇場開場30周年記念。 |
||
* '''[[千葉真一奮闘公演 影の軍団]]([[1987年]]、[[大阪府]][[中座]])- 主演・[[服部半蔵]]''' |
* '''[[千葉真一奮闘公演 影の軍団]]([[1987年]]、[[大阪府]][[中座]]) - 主演・[[服部半蔵]]''' |
||
* [[風林火山 晴信燃ゆ]]([[2008年]][[4月5日]] - 4月27日、[[日生劇場]])- [[板垣信方]] |
* [[風林火山 晴信燃ゆ]]([[2008年]][[4月5日]] - 4月27日、[[日生劇場]]) - [[板垣信方]] |
||
* ''[[バイオハザードシリーズ#舞台|BIOHAZARD THE STAGE]]''([[2015年]][[10月22日]] - [[11月1日]]、''[[EX THEATER ROPPONGI]]'')- エズラ・セネット |
* ''[[バイオハザードシリーズ#舞台|BIOHAZARD THE STAGE]]''([[2015年]][[10月22日]] - [[11月1日]]、''[[EX THEATER ROPPONGI]]'') - エズラ・セネット |
||
=== Vシネマ === |
=== Vシネマ === |
||
<small>☆海外で公開された作品、シリーズに映画とOV両方がある作品は[[#映画]]を参照。</small> |
<small>☆海外で公開された作品、シリーズに映画とOV両方がある作品は[[#映画]]を参照。</small> |
||
* [[悲しきヒットマン|悲しきヒットマン 蒼き狼]]([[2001年]]、[[GPミュージアムソフト|GPミュージアム]])- 龍神会組長 三好 |
* [[悲しきヒットマン|悲しきヒットマン 蒼き狼]]([[2001年]]、[[GPミュージアムソフト|GPミュージアム]]) - 龍神会組長 三好 |
||
* [[悪名|悪名 シリーズ]]([[シネマパラダイス]]<!--的場浩司版-->)全2作 - 黒島東洋蔵 |
* [[悪名|悪名 シリーズ]]([[シネマパラダイス]]<!--的場浩司版-->)全2作 - 黒島東洋蔵 |
||
** [[悪名|悪名 AKUMYOH]](2001年) |
** [[悪名|悪名 AKUMYOH]](2001年) |
||
884行目: | 963行目: | ||
** [[新・日本の首領#新・日本の首領II 非情篇|新・日本の首領II 非情篇]] |
** [[新・日本の首領#新・日本の首領II 非情篇|新・日本の首領II 非情篇]] |
||
** [[新・日本の首領#新・日本の首領III 激闘篇|新・日本の首領III 激闘篇]] |
** [[新・日本の首領#新・日本の首領III 激闘篇|新・日本の首領III 激闘篇]] |
||
* [[実録九州やくざ抗争 誠への道|実録九州やくざ抗争 誠への道シリーズ]]([[2006年]]・[[2007年]]、GPミュージアム)全2作 - 雄仁会初代会長 大賀磯治 |
* [[実録九州やくざ抗争 誠への道|実録九州やくざ抗争 誠への道シリーズ]]([[2006年]]・[[2007年]]、GPミュージアム)全2作 - 雄仁会初代会長 大賀磯治 - [[特別出演]]。 |
||
** 実録・九州やくざ抗争 誠への道(2006年) |
** 実録・九州やくざ抗争 誠への道(2006年) |
||
** 実録・九州やくざ抗争 誠への道 完結編(2007年) |
** 実録・九州やくざ抗争 誠への道 完結編(2007年) |
||
890行目: | 969行目: | ||
** [[千年の松]]([[2009年]]2月) |
** [[千年の松]]([[2009年]]2月) |
||
** 千年の松 完結篇(2009年4月) |
** 千年の松 完結篇(2009年4月) |
||
* [[極道の紋章|極道の紋章 第十八章]]([[2012年]]、[[オールインエンタテインメント]]) - 九州 白浜一家総長 城島誠太郎 |
* [[極道の紋章|極道の紋章 第十八章]]([[2012年]]、[[オールインエンタテインメント]]) - 九州 白浜一家総長 城島誠太郎 - 特別出演 |
||
* [[首領の道]]6・7・8・9([[2013年]]、オールインエンタテインメント) - 東和総業総長 高木レイホウ |
* [[首領の道]]6・7・8・9([[2013年]]、オールインエンタテインメント) - 東和総業総長 高木レイホウ |
||
* [[関東極道連合会]]1・2([[2014年]]・[[2015年]]、オールインエンタテインメント) - 博徒集団国士会会長 守川 |
* [[関東極道連合会]]1・2([[2014年]]・[[2015年]]、オールインエンタテインメント) - 博徒集団国士会会長 守川 |
||
896行目: | 975行目: | ||
=== ライブ === |
=== ライブ === |
||
* 千葉真一ショー([[1967年]] - [[1969年]])- ザ・サタンズと共に歌謡ショーを地方公演 |
* 千葉真一ショー([[1967年]] - [[1969年]]) - ザ・サタンズと共に歌謡ショーを地方公演 |
||
* 春を呼ぶフェスティバル([[1971年]]1月30・31日、[[梅田コマ劇場|梅田コマ・スタジアム]]) |
* 春を呼ぶフェスティバル([[1971年]]1月30・31日、[[梅田コマ劇場|梅田コマ・スタジアム]]) |
||
=== ドキュメンタリー === |
=== ドキュメンタリー === |
||
* 千葉真一 4,000メートルの[[:w:Mammoth Mountain|マンモスマウンテン]]を滑る([[1974年のテレビ (日本)|1974年]][[5月6日]]、[[テレビ東京|東京 |
* 千葉真一 4,000メートルの[[:w:Mammoth Mountain|マンモスマウンテン]]を滑る([[1974年のテレビ (日本)|1974年]][[5月6日]]、[[テレビ東京|東京12ch]]) |
||
* アクションスターはこうして作る!! -汗と涙の特訓合宿-([[1985年のテレビ (日本)|1985年]]、 |
* アクションスターはこうして作る!! -汗と涙の特訓合宿-([[1985年のテレビ (日本)|1985年]]、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]) |
||
* なんだ、こいつら。 |
* なんだ、こいつら。JACスーパーアクション in 激突([[1989年]]、[[東映ビデオ]]) |
||
* |
* [[Japanorama]]「伝説〔Legends〕」([[2007年]][[4月9日]]、[[英国放送協会|BBC]]) |
||
=== 情報 === |
=== 情報 === |
||
; [[紀行番組|紀行]]・[[旅番組]] |
; [[紀行番組|紀行]]・[[旅番組]] |
||
* [[いい旅・夢気分]]( |
* [[いい旅・夢気分]]([[テレビ東京]])<small>※各年の夏に家族で出演。</small> |
||
** [[2005年のテレビ (日本)|2005年]] - [[五島列島]]の[[旅]] |
** [[2005年のテレビ (日本)|2005年]] - [[五島列島]]の[[旅]] |
||
** [[2006年のテレビ (日本)|2006年]] - [[知床半島]]の旅 |
** [[2006年のテレビ (日本)|2006年]] - [[知床半島]]の旅 |
||
** [[2007年のテレビ (日本)|2007年]] - [[高知県|高知]]・[[四万十川]]の旅 |
** [[2007年のテレビ (日本)|2007年]] - [[高知県|高知]]・[[四万十川]]の旅 |
||
** [[2008年のテレビ (日本)|2008年]] - [[長崎県|長崎]]・[[対馬]]の旅 |
** [[2008年のテレビ (日本)|2008年]] - [[長崎県|長崎]]・[[対馬]]の旅 |
||
; [[情報番組|情報]]・[[ワイド番組]] |
; [[情報番組|情報]]・[[ワイド番組]] |
||
* [[リビング2]] 千葉真一のハッスル料理([[1977年のテレビ (日本)|1977年]][[5月3日]]、 |
* [[リビング2]] 千葉真一のハッスル料理([[1977年のテレビ (日本)|1977年]][[5月3日]]、[[フジテレビ]]) |
||
* [[やじうまテレビ!]] 千葉真一の金曜ハンター([[2013年のテレビ (日本)|2013年]]、 |
* [[やじうまテレビ!]] 千葉真一の金曜ハンター([[2013年のテレビ (日本)|2013年]]、[[テレビ朝日]]) - [[コメンテーター]] - 毎週[[金曜日]]レギュラー。 |
||
; [[ニュース番組|ニュース]]・[[教養番組]] |
; [[ニュース番組|ニュース]]・[[教養番組]] |
||
* [[本格報道 INsideOUT|本格報道 |
* [[本格報道 INsideOUT|本格報道 INsideOUT]]「銀幕にかける情熱 夢・ロマン そて挑戦」(2013年[[3月20日]]、[[日本BS放送|BS11]]) |
||
* [[謎解き!江戸のススメ|謎解き! 江戸のススメ]]「柳生一族」〜知られざる真実〜(2013年[[9月2日]]、 |
* [[謎解き!江戸のススメ|謎解き! 江戸のススメ]]「柳生一族」〜知られざる真実〜(2013年[[9月2日]]、[[BS-TBS]]) |
||
<!-- バラエティ番組はレギュラー出演した番組のみでゲスト出演などは不要 ⇒ PJ:ENTAME参照 --> |
<!-- バラエティ番組はレギュラー出演した番組のみでゲスト出演などは不要 ⇒ PJ:ENTAME参照 --> |
||
927行目: | 1,006行目: | ||
; ラジオドラマ |
; ラジオドラマ |
||
* [[セイ!ヤング|セイ!ヤングスペシャル]] [[宇宙からのメッセージ]]([[1978年]][[4月19日]]、 |
* [[セイ!ヤング|セイ!ヤングスペシャル]] [[宇宙からのメッセージ]]([[1978年]][[4月19日]]、[[文化放送]]) - ハンス王子 |
||
; 語り手 |
; 語り手 |
||
* [[少林寺 (映画)|少林寺]]([[1982年]])- [[ナレーション]] |
* [[少林寺 (映画)|少林寺]]([[1982年]]) - [[ナレーション]] - [[日本]]で[[2005年]][[8月3日]]に発売されたアルティメット・エディションDVD |
||
* [[BS時代劇]] / [[猿飛三世]]([[2012年のテレビ (日本)|2012年]]、 |
* [[BS時代劇]] / [[猿飛三世]]([[2012年のテレビ (日本)|2012年]]、[[NHK BSプレミアム]]) - 初代[[猿飛佐助]] |
||
=== 肖像 === |
=== 肖像 === |
||
; 小説 |
; 小説 |
||
* 過去のない男・胡蝶幻太郎探偵シリーズ([[1971年]]4月号 - [[1972年]]3月号、[[学研ホールディングス|学研]])- 胡蝶幻太郎 |
* 過去のない男・胡蝶幻太郎探偵シリーズ([[1971年]]4月号 - [[1972年]]3月号、[[学研ホールディングス|学研]]) - 胡蝶幻太郎 - 『[[中一コース]]』に連載された[[ミステリ]]。 |
||
; レコードジャケット |
; レコードジャケット |
||
* [[ザ★ゴリラ7#サウンドトラック|ザ・ゴリラ7のテーマ]]([[1975年]]、[[テイチクレコード]]) |
* [[ザ★ゴリラ7#サウンドトラック|ザ・ゴリラ7のテーマ]]([[1975年]]、[[テイチクレコード]]) |
||
* [[渥美二郎#シングル|空手道]](1975年<!-- 8月 -->、[[ワーナー・パイオニア]]) |
* [[渥美二郎#シングル|空手道]](1975年<!-- 8月 -->、[[ワーナー・パイオニア]]) |
||
* [[光と影のバラード]]([[1981年]]<!-- 10月 -->、[[バンダイ・ミュージックエンタテインメント| |
* [[光と影のバラード]]([[1981年]]<!-- 10月 -->、[[バンダイ・ミュージックエンタテインメント|SMS Records]]) |
||
=== CM === |
=== CM === |
||
* [[トヨタ自動車]] - [[トヨタ・カリーナ]]([[1970年]] - [[1988年]])<small>※初代から4代目まで<ref>{{Cite web2 | |
* [[トヨタ自動車]] - [[トヨタ・カリーナ]]([[1970年]] - [[1988年]])<small>※初代から4代目まで<ref>{{Cite web2 |df=ja |url=https://bestcarweb.jp/feature/column/263549?prd=2 |title=セダンの良心がまたひとつ消える プレミオ&アリオン生産終了 コロナとカリーナの光と影 |accessdate=2021-03-28 |author=ベストカーWeb編集部オオハシ |date=2021-01-11 |website=[[ベストカー|ベストカーWeb]] |publisher=[[講談社ビーシー]] |page=2 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210328100419/https://bestcarweb.jp/feature/column/263549?prd=2 |archivedate=2021-03-28 |url-status=live}}</ref>。</small> |
||
* [[日本盛]] - 清酒 日本盛(1970年 - [[1971年]]) |
* [[日本盛]] - 清酒 日本盛(1970年 - [[1971年]]) |
||
* [[オリエント時計]] - 液晶クオーツ([[1976年]] - [[1978年]]) |
* [[オリエント時計]] - 液晶クオーツ([[1976年]] - [[1978年]]) |
||
* [[ハウス食品]] - [[ジャワカレー]](1976年 - [[1982年]]) |
* [[ハウス食品]] - [[ジャワカレー]](1976年 - [[1982年]]) - [[野際陽子]]と共演。 |
||
* [[オエノンホールディングス|合同酒精]] - ワリッカ([[1979年]] - [[1984年]]) |
* [[オエノンホールディングス|合同酒精]] - ワリッカ([[1979年]] - [[1984年]]) |
||
* [[PHILIPS]] - フィリシェーブ([[1981年]] - 1982年<ref>{{Cite journal |
* [[PHILIPS]] - フィリシェーブ([[1981年]] - 1982年<ref>{{Cite journal|和書|date=1982-06-05 |title=おとこ達よ 野性の切れ味を忘れるな |journal=[[週刊宝石]] |volume=2 |issue=23 |page=2 |publisher=[[光文社]]}}</ref>) |
||
* [[青山商事|洋服の青山]](1982年 - [[1986年]]) |
* [[青山商事|洋服の青山]](1982年 - [[1986年]]) |
||
* ニコちゃん食品 - いももちおふくろさん([[1985年]])<small>※野際と共演。[[北海道]]のみ。</small> |
* ニコちゃん食品 - いももちおふくろさん([[1985年]])<small>※野際と共演。[[北海道]]のみ。</small> |
||
* [[がまかつ]] - 釣竿がま鮎マークII(1985年) |
* [[がまかつ]] - 釣竿がま鮎マークII(1985年) |
||
* [[原ヘルス工業]] - バブルスター([[1989年]] - [[1990年]])<small>※[[梅宮辰夫]]・[[松方弘樹]]・[[北大路欣也]]・[[山城新伍]]と共演。</small> |
* [[原ヘルス工業]] - バブルスター([[1989年]] - [[1990年]])<small>※[[梅宮辰夫]]・[[松方弘樹]]・[[北大路欣也]]・[[山城新伍]]と共演。</small> |
||
* |
* [[JTB]] - エース「夫婦いい旅」([[1991年]])<small>※野際と共演。</small> |
||
* [[サントリー]] - ビア吟生(1991年 - [[1992年]]) |
* [[サントリー]] - ビア吟生(1991年 - [[1992年]]) |
||
* [[登別伊達時代村]](1992年)<small>※北海道のみ。</small> |
* [[登別伊達時代村]](1992年)<small>※北海道のみ。</small> |
||
967行目: | 1,046行目: | ||
** ノドボトケさん・発音がなってないな 証言篇 |
** ノドボトケさん・発音がなってないな 証言篇 |
||
** ノドボトケさん・おじさん頭が悪いから 証言篇 |
** ノドボトケさん・おじさん頭が悪いから 証言篇 |
||
* [[ニューギン]] - |
* [[ニューギン]] - CR[[新・影の軍団|新 影の軍団「忍者隊」]]([[2006年]]) |
||
* [[フィールズ (企業)|フィールズ]] - |
* [[フィールズ (企業)|フィールズ]] - CR[[七人の侍|七人の侍「雨の中の戦い」]]([[2008年]]) |
||
* ニューギン - |
* ニューギン - CR[[柳生一族の陰謀]]([[2011年]]) |
||
* 百年の活力 - 砂漠人参カンカ([[2013年]]) |
* 百年の活力 - 砂漠人参カンカ([[2013年]]) |
||
* [[エバーライフ]] - 鮫肝海王(2013年) |
* [[エバーライフ]] - 鮫肝海王(2013年) |
||
976行目: | 1,055行目: | ||
== 監督・演出・監修 == |
== 監督・演出・監修 == |
||
☆出演兼務の作品は[[#出演]]を参照。 |
|||
; 映画 |
; 映画 |
||
* [[燃える勇者]]([[1981年]]、[[東映]])- [[アクション映画|アクション]][[監修]] |
* [[燃える勇者]]([[1981年]]、[[東映]]) - [[アクション映画|アクション]][[監修]] |
||
* [[リメインズ 美しき勇者たち]]([[1990年]]、[[松竹]] / サニー千葉エンタープライズ / |
* [[リメインズ 美しき勇者たち]]([[1990年]]、[[松竹]] / サニー千葉エンタープライズ / [[JTB]] / [[松竹京都撮影所 (企業)|京都映画]]) - [[映画監督|監督]] 兼 製作 |
||
; 演劇 |
; 演劇 |
||
* [[スタントマン物語]](1981年[[7月3日]] - [[7月28日]]、[[新宿コマ劇場]]、第1回 |
* [[スタントマン物語]](1981年[[7月3日]] - [[7月28日]]、[[新宿コマ劇場]]、第1回[[ジャパンアクションクラブ|JAC]][[ミュージカル]]) - [[演出]] - [[深作欣二]]監修、『[[柳生十兵衛 魔界転生]]』と同時上演。 |
||
* [[アドベンチャー 青春の出発]]([[1986年]][[4月3日]] - [[4月27日]]、第6回 |
* [[アドベンチャー 青春の出発]]([[1986年]][[4月3日]] - [[4月27日]]、第6回JACミュージカル) - 演出 兼 企画 - 『[[スタントマン 愛の物語]]』と同時上演、新宿コマ劇場開場30周年記念。 |
||
; 商品 |
; 商品 |
||
* 斬([[2011年]])- [[徳島県|徳島産]] |
* 斬([[2011年]]) - [[徳島県|徳島産]]の[[芋焼酎]]を監修 |
||
== 音楽 == |
== 音楽 == |
||
☆太字は[[作曲]]兼務。声の出演は[[#声(ドラマ・語り手)]]を、写真のみの出演は[[#肖像]]を、それぞれ参照。 |
|||
<!-- 千葉真一の楽曲でない他人の曲を載せないでください。作詞・作曲・規格などの情報は、Wikipedia日本語版に無い楽曲のみを載せてください。 --> |
<!-- 千葉真一の楽曲でない他人の曲を載せないでください。作詞・作曲・規格などの情報は、Wikipedia日本語版に無い楽曲のみを載せてください。 --> |
||
{{Dl2 |
|||
; シングル |
|||
| シングル | |
|||
* [[男一匹生きるなら]]([[1963年の音楽|1963年]]<!-- 1月 -->、[[歌謡コダマ]]) |
|||
* [[ |
* [[男一匹生きるなら]]([1963年1月、[[歌謡コダマ]]) |
||
* [[ |
* [[ともしび (千葉真一の曲)|ともしび]](1963年3月、特選歌謡コダマ) |
||
* [[東横線で帰ろうよ]] |
* [[本当だぜ 君]](1963年3月、特選歌謡コダマ) |
||
* [[東横線で帰ろうよ]]{{efn2|[[作詞]]:[[森和夫]]、[[作曲]]:[[木内紀九生]]、[[編曲]]:[[橘場清]]、規格:[[ソノシート]]、規格品番:KX-1009。}}(1963年9月21日、歌謡コダマ) |
|||
* [[暗闇五段#主題歌|くらやみ五段]] |
* [[暗闇五段#主題歌|くらやみ五段]](1965年、[[コダマプレス]]) |
||
* [[くらやみなげのうた]] |
* [[くらやみなげのうた]]{{efn2|規格:[[ソノシート]]。}}(1965年、コダマプレス) - 楽曲「くらやみ五段」の[[A面/B面|B面]]。 |
||
* [[暗闇五段#主題歌|瞼のうた]](1965年、コダマプレス) |
* [[暗闇五段#主題歌|瞼のうた]](1965年、コダマプレス) |
||
* [[カミカゼ野郎 真昼の決斗#主題歌|素敵なカミカゼ野郎]] |
* [[カミカゼ野郎 真昼の決斗#主題歌|素敵なカミカゼ野郎]](1966年、[[日本クラウン|クラウンレコード]]) |
||
* [[恋のアドベンチャー]](1966年、クラウンレコード) |
* [[恋のアドベンチャー]](1966年、クラウンレコード) - 楽曲「素敵なカミカゼ野郎」のB面。 |
||
* [[太陽に突っ走れ#主題歌・挿入歌|太陽も笑っている]](1966年、[[徳間ジャパンコミュニケーションズ|ミノルフォン]]) |
* [[太陽に突っ走れ#主題歌・挿入歌|太陽も笑っている]](1966年、[[徳間ジャパンコミュニケーションズ|ミノルフォン]]) |
||
* [[太陽に突っ走れ#主題歌・挿入歌|妻に捧げる歌]](1966年、ミノルフォン) |
* [[太陽に突っ走れ#主題歌・挿入歌|妻に捧げる歌]](1966年、ミノルフォン) |
||
* [[握手をしよう]] |
* [[握手をしよう]]{{efn2|name="下沢"|千葉真一と[[真田広之|下沢広之]]名義だが、下沢はセリフのみ。}}{{efn2|作詞:[[高田そうか]]、作曲:[[北村得夫]]、編曲:[[小町昭]]、規格:[[コンパクト盤|EP]]、規格品番:BS-818。}}(1968年、[[キングレコード]]) |
||
* [[母のひざはゆりかご]] |
* [[母のひざはゆりかご]]{{efn2|name="下沢"}}{{efn2|作詞:[[山北由希夫]]、作曲・編曲:小町昭。}}(1968年、キングレコード) - 楽曲「握手をしよう」のB面。 |
||
* [[男の子守唄 (千葉真一の曲)|男の子守唄]](1968年、キングレコード) |
* [[男の子守唄 (千葉真一の曲)|男の子守唄]](1968年、キングレコード) |
||
* [[女の片えくぼ]](1968年、キングレコード) |
* [[女の片えくぼ]](1968年、キングレコード) |
||
* [[一匹狼 (千葉真一の曲)|一匹狼]] |
* [[一匹狼 (千葉真一の曲)|一匹狼]](1970年、キングレコード) |
||
* [[白いワゴン]](1970年、キングレコード) |
* [[白いワゴン]](1970年、キングレコード) |
||
* [[俺たちに墓はないから]] |
* [[俺たちに墓はないから]]{{efn2|作詞:[[風間陽介]]、作曲・編曲:[[北村得夫]]、規格:EP、規格品番:BS-1203。}}(1970年、キングレコード) - 映画『[[やくざ刑事 俺たちに墓はない]]』の主題歌。 |
||
* [[夕日に立つ乙女]] |
* [[夕日に立つ乙女]]{{efn2|作詞:[[名村宏]]、作曲:[[江口浩司]]、編曲:[[森岡賢一郎]]。}}(1970年、キングレコード) - 楽曲「俺たちに墓はないから」のB面。 |
||
* [[野良犬のブルース]] |
* [[野良犬のブルース]](1971年、キングレコード) |
||
* [[白い月の浜辺]](1971年、キングレコード) |
* [[白い月の浜辺]](1971年、キングレコード) |
||
* [[葬いは俺が出す]] |
* [[葬いは俺が出す]]{{efn2|作詞:[[及川恒平]]、作曲:[[小室等]]、編曲:[[寺島尚彦]]、規格:EP、規格品番:BS-1581。}}(1972年、キングレコード) - 映画『[[狼やくざ 葬いは俺が出す]]』の主題歌。 |
||
* [[母を亡くした禿鷹よ]] |
* [[母を亡くした禿鷹よ]]{{efn2|作詞:[[太田浩児]]、作曲・編曲:[[桜庭伸幸]]。}}(1972年、キングレコード) - 楽曲「葬いは俺が出す」のB面。 |
||
* [[流れ唄]] |
* [[流れ唄]](1973年、キングレコード) |
||
* [[街角のエトランゼ]](1973年、キングレコード) |
* [[街角のエトランゼ]](1973年、キングレコード) |
||
* [[燃える捜査網#主題歌|旅人ひとり]] |
* [[燃える捜査網#主題歌|旅人ひとり]](1975年、[[テイチクレコード]]) |
||
* [[限りなき愛 〜千葉真一のラブテーマ〜]] |
* [[限りなき愛 〜千葉真一のラブテーマ〜]](1976年、テイチクレコード) |
||
* [[小さな旅立ち]](1976年、テイチクレコード) |
* [[小さな旅立ち]](1976年、テイチクレコード) |
||
* |
* '[[曠野 (曲)|曠野]](1985年、[[バップ・レコード|VAP]])' |
||
* [[影 (千葉真一の曲)|影]](1985年、VAP) |
* [[影 (千葉真一の曲)|影]](1985年、VAP) |
||
* [[粋な関係]] |
* [[粋な関係]](2020年、[[日本コロムビア]]) - 楽曲「ごめんね大丈夫」のB面、[[清水節子]]とのデュエット。 |
||
| アルバム(オムニバス含む) | |
|||
* [[東京紳士]](1963年、別冊歌謡コダマ) |
* [[東京紳士]](1963年、別冊歌謡コダマ) - 『[[歌う東映スター]]』の1曲目に収録<ref>{{Cite book|和書|author=千葉真一 |coauthors=本間千代子、小林裕子、小川守、[[三田佳子]] 歌 |title=歌う東映スター |year=1963 |publisher=コダマプレス |series=別冊歌謡コダマ;KY-1001 |id={{NDLbooks|R100000002-I000009223076-00}} }}</ref>。 |
||
* [[アクションスターNo.1 - 千葉真一の魅力]](1971年、キングレコード) |
* [[アクションスターNo.1 - 千葉真一の魅力]](1971年、キングレコード) |
||
| 作詞 | |
|||
* [[光への叫び]] |
* [[光への叫び]](1981年) - ミュージカル『[[スタントマン物語]]』の主題歌 |
||
* [[誓い(JACのテーマ)]] |
* [[誓い(JACのテーマ)]](1983年) - 時代劇『[[影の軍団III]]』の主題歌 |
||
| [[エグゼクティブ・プロデューサー]] | |
|||
* [[青春ワンウェイ]](1983年) |
* [[青春ワンウェイ]](1983年) - [[高木淳也]]の[[アルバム]] |
||
}} |
|||
== 著書 == |
== 著書 == |
||
* {{Cite book |
* {{Cite book|和書|author=千葉真一 |title=千葉ちゃんのスポーツ特訓 |edition=初版 |date=1977-05-25 |publisher=[[廣済堂出版|KOUSAIDO BOOKS]] |ncid=BA71724274 |asin=B000J8VCIM}} |
||
* {{Cite book |
* {{Cite book|和書|author=千葉真一 |title=千葉真一 改め 和千永倫道 |edition=初版第1刷 |date=2008-05-05 |publisher=[[山と渓谷社]] |isbn=4-6353-4022-8 |oclc=227283266 |ref={{sfnref|千葉|2008}} }} |
||
* {{Cite book |
* {{Cite book|和書|author=千葉真一 |title=千葉流 サムライへの道 |edition=初版第1刷 |date=2010-09-20 |publisher=[[ぶんか社]] |isbn=4-8211-4269-4 |oclc=662404923 |ref={{sfnref|千葉|2010}} }} |
||
* {{Cite book |
* {{Cite book|和書|author=千葉真一 |title=DVD BOOK 千葉真一のキッズアクション入門 |edition=第1版第1刷 |date=2014-08-01 |publisher=[[ベースボールマガジン社]] |isbn=4-5831-0739-0 |oclc=889958889}} |
||
:: 千葉は監修を担当。 |
|||
* {{Cite book |
* {{Cite book|和書|author=千葉真一 |others=構成 米谷紳之介 |title=侍役者道 〜我が息子たちへ〜 |edition=第1刷 |date=2021-12-25 |publisher=[[双葉社]] |isbn=978-4-5753-1684-1 |oclc=1289471537 |ref={{sfnref|千葉|2021}} }} |
||
:: 千葉の没後の出版。 |
|||
== 参考文献 == |
|||
:<small>※異なる頁を複数参照をしている文献のみ。発表年順。</small> |
|||
* {{Cite journal |和書 |date = 1969-8-5 |title = 追跡ルポ / チバシンのモーレツ24時間 |journal = [[月刊平凡]] |volume = 25 |issue = 8 |publisher = [[平凡出版]] |ref = モーレツ24 }} |
|||
* {{Cite journal |和書 |date = 1969-10-15 |title = 千葉真一特集号 デビュー10周年 / アクションとともに! |journal = 近代映画 |volume = |issue = 10月号臨時増刊 |publisher = [[近代映画社]] |ref = 近代196910 }} |
|||
* {{Cite journal |和書 |date = 1969-12-1 |journal = 月刊平凡 |volume = 25 |issue = 12 |publisher = 平凡出版 |ref = 平凡69121 }} |
|||
* {{Cite journal |和書 |date = 1970-3-1 |title = 今月のズームアップ / 20人が証言する裸の千葉真一 |journal = 月刊平凡 |volume = 26 |issue = 3 |publisher = 平凡出版 |ref = 20人が証言 }} |
|||
* {{Cite book |和書 |author = 大山倍達 |authorlink = 大山倍達 |title = わがカラテ革命 |publisher = [[講談社]] |date = 1979-11-9 |edition = 第3刷 |isbn = 4061241931 |oclc = 673398027 |ref = なぜ勝つ }} |
|||
* {{Cite book |和書 |title = [[戦国自衛隊 (映画)|戦国自衛隊]] |publisher = [[角川映画|角川春樹事務所]] |date = 1979-12-15 |asin = B004M0T1C2 |ref = パンフ戦国 }} |
|||
* {{Cite book |和書 |title = [[魔界転生#1981年|魔界転生]] |publisher = 角川春樹事務所 / [[東映]] |date = 1981-6-6 |asin = B077C161LY |ref = パンフ魔界 }} |
|||
* {{Cite book |和書 |title = [[冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-]] |publisher = 東映 |date = 1981-11-7 |asin = B0076JWROK |ref = パンフ冒険 }} |
|||
* {{Cite journal |和書 |date = 1982-3-5 |title = ジャパン・アクション・クラブ12周年記念 JAC特集号 |volume = 8 |issue = 4 |publisher = 近代映画社 |ref = JAC特集号 }} |
|||
* {{Cite book |和書 |title = 第IV回JACミュージカル [[酔いどれ公爵]] |publisher = [[新宿コマ劇場|新宿コマ・スタジアム]] |date = 1985-4-1 |asin = B00GJMM25Y |ref = 酔いどれ }} |
|||
* {{Cite book |和書 |author = 真樹日佐夫 |authorlink = 真樹日佐夫 |title = 極真カラテ 二十七人の侍 「地上最強の格闘技」を支えた男たちの伝説 |date = 1986-7-10 |edition = 1刷 |publisher = [[サンケイ出版]] |isbn = 4383025064 |oclc = 122968262 |chapter = 第11話 学生時代からの大山門下生 千葉真一三段 |ref = 学生時代 }} |
|||
* {{Cite book |和書 |editor = 竹書房 / イオン編 |date = 1995-11-30 |title = 超人画報 国産架空ヒーロー40年の歩み |edition = 初版第1刷 |publisher = [[竹書房]] |id = C0076 |isbn = 4884758749 |oclc = 40507555 |ref = 超人画報 }} |
|||
* {{Cite book |和書 |author = 能村庸一 |authorlink = 能村庸一 |title = 実録テレビ時代劇史 ちゃんばらクロニクル1953-1998 |publisher = [[東京新聞出版局]] |date = 1999-2-10 |edition = 2刷 |isbn = 4808306549 |oclc = 675629235 |ref = 実テ時 }} |
|||
* {{Cite book |和書 |author = 中村カタブツ |authorlink = 中村カタブツ |title = 極真外伝 〜極真空手もう一つの闘い〜 |publisher = [[ぴいぷる社]] |date = 1999-12-25 |edition = 第1刷 |isbn = 4893741373 |oclc = 675680900 |ref = 極真外伝 }} |
|||
* {{Cite book |和書 |title = 極真カラテ総鑑 新・精神主義への創世紀へ |date = 2001-4-20 |edition = 初版 |publisher = 株式会社I.K.O. 出版事務局 |isbn = 4816412506 |oclc = 676281505 |ref = 昇段 }} |
|||
* {{Cite book |和書 |title = [[キル・ビル Vol.1]] |date = 2003-10-25 |publisher = [[ユニバーサル・ピクチャーズ]] |asin = B003NIVNQ6 |ref = キルビル }} |
|||
* {{Cite video |和書|date = 2005-6-25 |title = 新・影の軍団 〜最終章〜 服部半蔵最期の戦い |medium = [[DVD]] |publisher = [[シネマパラダイス]] |time = 1時間28 分 |oclc = 1129700186 |ref = 新影最終 }} |
|||
* {{Cite book |和書 |title = [[映画秘宝]] |date = 2006-4-21 |publisher = [[洋泉社]] |volume = 12巻5号 |asin = B000ESSRBW |chapter = 史上最強のカラテ映画大戦争! |ref = カラ映6421 }} |
|||
* {{Cite book |和書 |editor = [[文化通信社]] |others = 指田洋・渡邉裕二・大川仁志 |title = 映画界のドン 岡田茂の活動屋人生 |date = 2012-6-15 |edition = 初版 |publisher = [[ヤマハミュージックメディア]] |isbn = 4636885198 ||oclc = 820774816 |ref = 活動屋 }} |
|||
* {{Cite book |和書 |author = 春日太一 |authorlink = 春日太一 |title = あかんやつら 東映京都撮影所血風録 |publisher = [[文藝春秋]] |date = 2013-11-30 |edition = 第2刷 |isbn = 4163768106 |oclc = 952394433 |ref = あかん }} |
|||
* {{Cite book |和書 |author = 中島貞夫 |authorlink = 中島貞夫 |editor = 河野眞吾 |title = 遊撃の美学 映画監督中島貞夫㊤ |date = 2014-10-20 |edition = 第1刷 |publisher = [[ワイズ出版]] |isbn = 4898302831 |oclc = 895768292 |ref = 遊撃 }} |
|||
* {{Cite book |和書 |editor = [[杉作J太郎]]・[[伴ジャクソン]] |title = 宇宙刑事ダイナミックガイドブック |date = 2015-1-30 |edition = 初版 |publisher = [[徳間書店]] |id = C9476 |isbn = 4197301324 |oclc = 910540013 |ref = 宇宙刑事 }} |
|||
* {{Cite book |和書 |author = 春日太一 |title = 役者は一日にしてならず |date = 2015-2-28 |edition = 初版第一刷 |publisher = [[小学館]] |isbn = 4093798699 |oclc = 905172825 |ref = 役者は一日 }} |
|||
* {{Cite news |title = コロナ急変 千葉真一さん 力尽く |newspaper = [[スポーツ報知]] |date = 2021-8-20 |
|||
|url = https://hochi.news/articles/20210819-OHT1T51230.html?page=1 |accessdate = 2022-4-4 |format = 紙媒体 |publisher = [[報知新聞社]] |quote = 11版 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220404120321/https://hochi.news/articles/20210819-OHT1T51230.html?page=1 |archivedate = 2022-4-4 |url-status = live |ref = 報知11版 }} |
|||
* {{Cite journal |和書 |date = 2021-09-21 |title = 千葉真一よ、永遠に!! |journal = 映画秘宝 2021年11月号 |volume = 通巻18号 |issue = 11 |publisher = [[双葉社]] |asin = B09B12VZMW |ref = 永遠1811 }} |
|||
* {{Cite journal |和書 |date = 2021-11-01 |title = 千葉真一 世界(アクション)に挑み続けた男 |journal = 2021 [[キネマ旬報]] 11月上旬特別号 |volume = 通巻2692号 |issue = 1878 |publisher = [[キネマ旬報社]] |asin = B09HG6KDDX |ref = 挑む2692 }} |
|||
== 脚注 == |
== 脚注 == |
||
{{脚注ヘルプ}} |
|||
=== 注釈 === |
=== 注釈 === |
||
{{ |
{{Notelist2|20em}} |
||
=== 出典 === |
=== 出典 === |
||
{{Reflist}} |
{{Reflist|20em}} |
||
== 参考文献 == |
|||
発売順。 |
|||
{{Refbegin|30em}} |
|||
* {{Cite journal|和書|date=1961-02-23 |title=東映城に羽ばたく |journal=週刊実話特報 |volume=3 |issue=8 |pages=3-6 |publisher=[[双葉社]] |ref={{sfnref|『週刊実話特報』1961年 第3巻第8号}} }} |
|||
* {{Cite journal|和書|year=1969 |title=●空中滑降撮影中、地面にたたきつけられる 本誌カメラマンの目の前で千葉真一が 『[[キイハンター]]』 左足首を骨折! 2ヶ月の重傷!! |journal=[[週刊平凡]] |issue=1969年4月3日号 |publisher=[[マガジンハウス]] |ref={{sfnref|『週刊平凡』1969年4月3日号}} }} |
|||
* {{Cite journal|和書|date=1969-08-05 |title=追跡ルポ / チバシンのモーレツ24時間 |journal=[[月刊平凡]] |volume=25 |issue=8 |publisher=[[平凡出版]] |ref={{sfnref|『月刊平凡』1969年 第25巻第8号}} }} |
|||
* {{Cite journal|和書|date=1969-10-15 |title=千葉真一特集号 デビュー10周年 / アクションとともに! |journal=近代映画 |issue=10月号臨時増刊 |publisher=[[近代映画社]] |ref={{sfnref|『近代映画』1969年10月号臨時増刊}} }} |
|||
* {{Cite journal|和書|date=1969-12-01 |journal=月刊平凡 |volume=25 |issue=12 |publisher=平凡出版 |ref={{sfnref|『月刊平凡』1969年 第25巻第12号}} }} |
|||
* {{Cite journal|和書|date=1970-03-01 |title=今月のズームアップ / 20人が証言する裸の千葉真一 |journal=月刊平凡 |volume=26 |issue=3 |publisher=平凡出版 |ref={{sfnref|『月刊平凡』1970年 第26巻第3号}} }} |
|||
* {{Cite journal|和書|date=1970-06-14 |title=モーレツ体操教師と生徒 千葉真一+中尾彬 |journal=週刊明星 |volume=23 |publisher=集英社 |ref={{sfnref|『週刊明星』1970年6月}} }} |
|||
* {{Cite journal|和書|year=1970 |month=11 |journal=近代映画 |pages=123-126 |publisher=[[近代映画社]] |ref={{sfnref|『近代映画』1970年11月号}} }} |
|||
* {{Cite journal|和書|date=1977-10-01 |title=[[ゴルゴ13 九竜の首]] |journal=[[キネマ旬報|KINEJUN キネマ旬報]] |volume=1532 |issue=718 |pages=42-44 |publisher=[[キネマ旬報社]] |format=グラビア |ref={{sfnref|『キネマ旬報』1977年10月上旬号}} }}(1977年10月上旬号) |
|||
* {{Cite book|和書|author=大山倍達 |authorlink=大山倍達 |title=わがカラテ革命 |publisher=[[講談社]] |date=1979-11-09 |edition=第3刷 |isbn=4-0612-4193-1 |oclc=673398027 |ref={{sfnref|大山|1979}} }} |
|||
* {{Cite book|和書|title=[[戦国自衛隊 (映画)|戦国自衛隊]] |publisher=[[角川映画|角川春樹事務所]] |date=1979-12-15 |asin=B004M0T1C2 |format=パンフレット |ref={{sfnref|『戦国自衛隊』パンフレット|1979}} }} |
|||
* {{Cite book|和書|title=[[魔界転生#1981年|魔界転生]] |publisher=角川春樹事務所 / [[東映]] |date=1981-06-06 |asin=B077C161LY |format=パンフレット |ref={{sfnref|『魔界転生』|1981}} }} |
|||
* {{Cite journal|和書|date=1981-06-25 |title=とっておきの『先生』特集 |journal=SPORTS CITY |volume=1 |issue=2 |page=32 |publisher=鎌倉書房 |ref={{sfnref|『SPORTS CITY』1981年第1巻第2号}} }} |
|||
* {{Cite book|和書|title=[[冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-]] |publisher=東映 |date=1981-11-07 |asin=B0076JWROK |format=パンフレット |ref={{sfnref|『冒険者カミカゼ』パンフレット|1981}} }} |
|||
* {{Cite journal|和書|date=1982-03-05 |title=ジャパン・アクション・クラブ12周年記念 JAC特集号 |volume=8 |issue=4 |publisher=近代映画社 |ref={{sfnref|『JAC特集号』|1982}} }} |
|||
* {{Cite journal|和書|author=黒田邦雄 |date=1982-08-01 |title=ザ・インタビュー 千葉真一 |journal=KINEJUN キネマ旬報 |volume=1655 |issue=841 |pages=130-133 |publisher=キネマ旬報社 |ref={{sfnref|『キネマ旬報』1982年8月上旬号}} }}(1982年8月上旬号) |
|||
* {{Cite book|和書|title=第IV回JACミュージカル [[酔いどれ公爵]] |publisher=[[新宿コマ劇場|新宿コマ・スタジアム]] |date=1985-04-01 |asin=B00GJMM25Y |format=パンフレット |ref={{sfnref|『酔いどれ公爵』パンフレット|1985}} }} |
|||
* {{Cite book|和書|author=真樹日佐夫 |authorlink=真樹日佐夫 |title=極真カラテ 二十七人の侍 「地上最強の格闘技」を支えた男たちの伝説 |date=1986-07-10 |edition=1刷 |publisher=[[サンケイ出版]] |isbn=4-3830-2506-4 |oclc=122968262 |chapter=第11話 学生時代からの大山門下生 千葉真一 三段 |ref={{sfnref|真樹|1986}} }} |
|||
* {{Cite journal|和書|date=1989-04-08 |title=トムソーヤ企画メンバー ■プロフィール / コメント |journal=[[せんせい (1989年の映画)|せんせい]] |page=17 |publisher=[[松竹]] |format=パンフレット |ref={{sfnref|『せんせい』パンフレット|1989}} }} |
|||
* {{Cite book|和書|date=1990-03-24 |title=[[全怪獣怪人]] |publisher=[[勁文社]] |volume=上巻 |pages=48-49 |id=C0676 |isbn=4-7669-0962-3 |ref={{sfnref|『全怪獣怪人 上巻』}} }} |
|||
* {{Cite book|和書|editor=竹書房 / イオン |date=1995-11-30 |title=超人画報 国産架空ヒーロー40年の歩み |edition=初版第1刷 |publisher=[[竹書房]] |id=C0076 |isbn=4-8847-5874-9 |oclc=40507555 |ref={{sfnref|『超人画報』|1995}} }} |
|||
* {{Cite book|和書|author=能村庸一 |authorlink=能村庸一 |title=実録テレビ時代劇史 ちゃんばらクロニクル1953-1998 |publisher=[[東京新聞出版局]] |date=1999-02-10 |edition=2刷 |isbn=4-8083-0654-9 |oclc=675629235 |ref={{sfnref|『ちゃんばらクロニクル』|1999}} }} |
|||
* {{Cite book|和書|author=中村カタブツ |title=極真外伝 〜極真空手もう一つの闘い〜 |publisher=[[ぴいぷる社]] |date=1999-12-25 |edition=第1刷 |isbn=4-8937-4137-3 |oclc=675680900 |ref={{sfnref|中村|1999}} }} |
|||
* {{Cite book|和書|title=極真カラテ総鑑 新・精神主義への創世紀へ |date=2001-04-20 |edition=初版 |publisher=株式会社I.K.O. 出版事務局 |isbn=4-8164-1250-6 |oclc=676281505 |ref={{sfnref|『極真カラテ総鑑』|2001}} }} |
|||
* {{Cite journal|和書|year=2003 |title=仁義なき戦い PERFECT BOOK |journal=[[別冊宝島]] |issue=833 |pages=12,30-31 |publisher=[[宝島社]] |ref={{sfnref|『仁義なき戦い PERFECT BOOK』}} }} |
|||
* {{Cite book|和書|title=[[キル・ビル Vol.1]] |date=2003-10-25 |publisher=[[ユニバーサル・ピクチャーズ]] |asin=B003NIVNQ6 |format=パンフレット |ref={{sfnref|『キル・ビル Vol.1』パンフレット|2003}} }} |
|||
* {{Cite video|和書|date=2005-06-25 |title=新・影の軍団 〜最終章〜 服部半蔵最期の戦い |medium=[[DVD]] |publisher=[[シネマパラダイス]] |oclc=1129700186 |ref={{sfnref|『新・影の軍団 最終章』|2005}} }} - 本編時間:1時間28分 |
|||
* {{Cite book|和書|title=[[映画秘宝]] |date=2006-04-21 |publisher=[[洋泉社]] |volume=12 |issue=5 |asin=B000ESSRBW |chapter=史上最強のカラテ映画大戦争! |ref={{sfnref|『映画秘宝』2006年 第12巻第5号}} }} |
|||
* {{Cite book|和書|editor=[[文化通信社]] |others=指田洋 渡邉裕二 大川仁志 取材インタビュー・対談・コラムなど |title=映画界のドン 岡田茂の活動屋人生 |date=2012-06-15 |edition=初版 |publisher=[[ヤマハミュージックメディア]] |isbn=4-6368-8519-8 ||oclc=820774816 |ref={{sfnref|『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』|2012}} }} |
|||
* {{Cite journal|和書|date=2013-09-24 |title=ジャンボも唱える影の軍団「天魔覆滅」|journal=[[ゴルフダイジェスト|週刊ゴルフダイジェスト]] |volume=36 |issue=2013年9月24号 |page=126 |publisher=[[ゴルフダイジェスト|ゴルフダイジェスト社]] |ref={{sfnref|『週刊ゴルフダイジェスト』2013年9月24号}} }} |
|||
* {{Cite book|和書|author=春日太一 |authorlink=春日太一 |title=あかんやつら 東映京都撮影所血風録 |publisher=[[文藝春秋]] |date=2013-11-30 |edition=第2刷 |isbn=4-1637-6810-6 |oclc=952394433 |ref={{sfnref|春日|2013}} }} |
|||
* {{Cite book|和書|editor=近代映画社 |others=辻幸多郎 章著者 |title=GS グループ・サウンズ 1965〜1970 |date=2013-12-25 |publisher=近代映画社 |isbn=978-4-7648-2390-7 |page=111 |volume=NEW SOUNDS GROUP |chapter=千葉真一とザ・サタンズ誕生 |ref={{sfnref|『GS グループ・サウンズ』|2013}} }} |
|||
* {{Cite book|和書|author=中島貞夫 |authorlink=中島貞夫 |editor=河野眞吾 |title=遊撃の美学 映画監督中島貞夫(上) |date=2014-10-20 |edition=第1刷 |publisher=[[ワイズ出版]] |isbn=4-8983-0283-1 |oclc=895768292 |ref={{sfnref|中島|2014}} }} |
|||
* {{Cite book|和書|editor1=杉作J太郎 |editor1-link=杉作J太郎 |editor2=伴ジャクソン |title=宇宙刑事ダイナミックガイドブック |date=2015-01-30 |edition=初版 |publisher=[[徳間書店]] |id=C9476 |isbn=4-1973-0132-4 |oclc=910540013 |ref={{sfnref|『宇宙刑事ダイナミックガイドブック』|2015}} }} |
|||
* {{Cite book|和書|author=春日太一 |title=役者は一日にしてならず |date=2015-02-28 |edition=初版第一刷 |publisher=[[小学館]] |isbn=4-0937-9869-9 |oclc=905172825 |ref={{sfnref|春日|2015}} }} |
|||
* {{Cite book|和書|author=ロビン前田 |others=[[杉作J太郎]] [[植地毅]] 編著 |title=東映スピード・アクション浪漫アルバム |edition=第一刷 |date=2015-09-30 |publisher=[[徳間書店]] |series=浪漫アルバム |isbn=978-4-1986-4003-3 |page=231 |chapter=ピラニア軍団 |ref={{sfnref|『東映スピード・アクション浪漫アルバム』}} }} |
|||
* {{Cite journal|和書|author=佐藤結 |date=2015-12-04 |title=『ベテラン』 対談 リュ・スンワン[監督]× 千葉真一 韓国・日本 両国の映画を愛する漢たちの語らい |journal=キネマ旬報 |volume=1705 |issue=2519 |page=70 |publisher=キネマ旬報社 |ref={{sfnref|『キネマ旬報』2015年12月下旬号}} }}(2015年12月下旬号) |
|||
* {{Cite book|和書|author=春日太一 |title=時代劇入門 |edition=初版 |date=2020-03-10 |publisher=[[KADOKAWA]] |series=[[角川新書]] |volume=K-308 |isbn=978-4-04-082263-1 |ncid=BB30170940 |oclc=1158080311 |asin=4040822633 |page=194 |chapter=第三部 とりあえず知っておきたい基礎知識 第三章 とりあえず知っておきたい 千葉真一 |ref={{sfnref|春日|2020}} }} |
|||
* {{Cite journal|和書|date=2021-09-21 |title=千葉真一よ、永遠に!! |journal=映画秘宝 |volume=通巻18号11 |issue=2021年11月号 |publisher=[[双葉社]] |id={{JAN|4910020211118}} |asin=B09B12VZMW |ref={{sfnref|『映画秘宝』2021年11月号}} }} |
|||
* {{Cite journal|和書|date=2021-11-01 |title=千葉真一 世界(アクション)に挑み続けた男 |journal=キネマ旬報 |volume=通巻2692号1878 |issue=2021年11月上旬特別号 |publisher=[[キネマ旬報社]] |asin=B09HG6KDDX |id={{JAN|4910207211115}} |ref={{sfnref|『キネマ旬報』2021年11月上旬特別号}} }} |
|||
{{Refend}} |
|||
== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
||
* [[ジャパンアクションエンタープライズ]] - [[ジャパンアクションクラブ]] |
* [[ジャパンアクションエンタープライズ]] - [[ジャパンアクションクラブ]](JAC)から派生 |
||
== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
||
{{Commonscat |
{{Commonscat|Shinichi "Sonny" Chiba}} |
||
* {{Facebook |
* {{Facebook|JJ.s.chiba}} |
||
* {{Official website |https://louisandleaves.com/ |JJ.SONNY CHIBA Official Web Page 2019 |
* {{Official website |https://louisandleaves.com/ |JJ.SONNY CHIBA Official Web Page 2019}} - Louis and Leaves株式会社による運営 |
||
* {{Official website |https://chibashinichi.com/ |千葉真一公式WEBサイト |
* {{Official website |https://chibashinichi.com/ |千葉真一公式WEBサイト}} - 株式会社アストライアによる運営 |
||
* {{Official website |https://www.astraia.tv/Chiba.html |千葉真一 - アストライア |
* {{Official website |https://www.astraia.tv/Chiba.html |千葉真一 - アストライア}} |
||
* {{AllMovie name|12789|Shin'ichi Chiba}} |
|||
* [https://www.allmovie.com/artist/sonny-chiba-p12789 allmovie Sonny Chiba ]{{en icon}} |
|||
* {{IMDB name |
* {{IMDB name|0002002|Shin'ichi Chiba}} |
||
* [ |
* [https://hkmdb.com/db/people/view.mhtml?id=4280&display_set=big5 千葉真一 - 香港影庫 HKMDB ]{{yue icon}}{{en icon}} |
||
* |
* {{Webarchive |url=https://archive.is/PEVl |date=2012-12-18 |title=千葉真一 - 香港電影資料館 Hong Kong Film Archive}}{{yue icon}}{{en icon}} |
||
** [https://www.filmarchive.gov.hk/en/web/hkfa/search_result.html?query=%E5%8D%83%E8%91%89%E7%9C%9F%E4%B8%80 「千葉真一」Search Results - Hong Kong Film Archive]{{yue icon}}{{en icon}} |
|||
* {{Wayback |url = https://www2.nhk.or.jp/archives/search/special/detail/?d=selection051 |title = 特集 あの人のとっておきセレクション 千葉真一さん NHKアーカイブス |date = 20150408004525 }} |
|||
* {{Webarchive |url=https://web.archive.org/web/20150408004525/https://www2.nhk.or.jp/archives/search/special/detail/?d=selection051 |title=特集 あの人のとっておきセレクション 千葉真一さん NHKアーカイブス}} |
|||
* {{NHK人物録 |0009071213_00000 }} |
|||
* {{NHK人物録 |0009071213_00000}} |
|||
* {{Amebaブログ |jjsonnychiba |千葉真一オフィシャルブログ }} <small>※2012年9月18日 - 2014年3月14日に所属していた株式会社[[スティルパートナーズ]]による運営。事務所閉鎖により更新停止。</small> |
|||
* {{Amebaブログ|jjsonnychiba|千葉真一オフィシャルブログ}} |
|||
:: 2012年9月18日 - 2014年3月14日に所属していた株式会社[[スティルパートナーズ]]による運営。事務所閉鎖により更新停止。 |
|||
{{エランドール賞新人賞}} |
{{エランドール賞新人賞}} |
2023年11月13日 (月) 01:05時点における版
千葉 真一 JJ Sonny Chiba | |
---|---|
学歴 | 日本体育大学体育学部体育学科卒業[13] |
ジャンル | 歌謡曲・J-POP |
レーベル |
コダマプレス(1963年 - 1965年) クラウンレコード(1966年) ミノルフォン(1966年) キング(1968年 - 1973年) テイチク(1975年 - 1976年) VAP(1985年) |
千葉 真一[注 4](ちば しんいち、JJ Sonny Chiba[注 5], 1939年〈昭和14年〉1月22日 - 2021年〈令和3年〉8月19日)は、日本の俳優・体操選手・空手家・歌手・芸能プロモーター・アクション監督・演出家・映画監督・映画プロデューサー。愛称:千葉ちゃん[注 4]。本名:前田 禎穂(まえだ さだほ)[1]。
日本を代表する映画スター[20][21][22][23]・アクションスターとして[24][25][26][27][28]、海外ではSonny Chiba(サニー ちば)の名で知られており[23][24][25][26][24][26][29][30]、特技の器械体操や極真カラテ四段[31]・少林寺拳法弐段・乗馬・スキーを活かし、アクロバティックなスタント・擬斗・殺陣を吹き替えに任せず、自ら演じていたことが定評を得ている[20][22][32][33][34][35][36][注 6]。芸能生活は半世紀以上の60年を越えており、映画・テレビドラマ・演劇など、計1,500本以上の作品に出演[38][39]。ジャパンアクションクラブ(JAC)の創設者で俳優・スタントマンの育成、監督として演出、製作にも携わり、幅広く活躍していた。
生涯
オリンピックを目指して
福岡県福岡市博多区雑餉隈で二男三女の長男(第二子)として生誕[3]。4歳の時、千葉県君津市へ転居[4]。
中学生から器械体操を始め[40]、オリンピックで日の丸を掲げたいという夢を抱くようになり[20][32]、千葉県立木更津第一高等学校へ入学後、1年生で全国大会上位入賞、3年生で全国大会優勝を成し遂げた[20][41]。1957年、日本体育大学体育学部体育学科に進学[13][36][42][43]。2年生の時に[注 7]、跳馬を練習中に着地で失敗し、腰・両膝を痛めてしまう[13][36][44][45]。医者から「1年間運動禁止」と宣告され[13][43]、選手を続けることが困難となる[13][36][43]。休学も検討したが、学費を工面できないので余儀なく退学した[注 8]。
将来を模索し始めた千葉は実家に帰る途中の代々木駅で「東映第6期ニューフェイス募集!」のポスターを偶然見かける[48]。地元に戻り、相談した親友も賛成してくれたことや[48]、かつてミスタースポーツウエア・コンテストに入賞し[49]、東映ニューフェイスを受験するよう勧められていたことから応募した[48][49]。日本体育大学で器械体操をしていた経歴を珍しがられたが、2万6千人の応募からトップの成績で合格を果たす[48]。
アクションスター
1959年、大学を中退して[注 8]、東映へ入社。男性6名・女性14名の同期生には亀石征一郎・新井茂子・茅島成美・太地喜和子・真山知子・都築克子らがおり、俳優座で6か月の研修を受けた[50]。1960年1月7日にテレビドラマ『新 七色仮面』の二代目・蘭光太郎として主演デビューし、続けてテレビドラマ『アラーの使者』にも主演した。
1961年、中山昭二の代役で映画『警視庁物語 不在証明(ありばい)』に出演後[51]、深作欣二の初監督映画『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』に主演して、2期先輩の曽根晴美と「拳銃コンビ」のキャッチコピーで売り出された[52]。吹き替えなしでスタントをこなすことから[53]、「アクションができる素材に演技の磨きを増せば」と期待される新人であった[54]。
1962年は映画『事件記者シリーズ』の第1作『恐怖の魔女』に主演したほか、1963年には映画『八州遊侠伝 男の盃』で時代劇初出演や『事件記者シリーズ』の第2作『殺人鬼の誘惑』と『柔道一代シリーズ』第一作に主演。シングル「男一匹生きるなら」をリリースして歌手デビューも果たした。
1966年、映画『カミカゼ野郎 真昼の決斗』(日台合作)、映画『海底大戦争』(日米合作)にそれぞれ主演し、国際的にも活動し始め、後に『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』(1973年、日香泰韓合作)、『激殺! 邪道拳』(1977年、日香泰合作)、『ゴルゴ13 九竜の首』(1977年、日香合作)など、諸外国との共同作品に主演するきっかけになった。その合間に前年のテレビドラマ『くらやみ五段』、遠藤実の自伝を映画化した『太陽に突っ走れ』、『子守唄シリーズ』、『河内遊侠伝』、『陸軍諜報33』など次々と主演していた。
1968年からテレビドラマ『キイハンター』に主演。これまで誰も見たことのないスーパーアクションで人気をさらい、千葉ちゃんの愛称で一躍国民的アイドルとして親しまれた[20][55][56][57][注 9]。
転機
1969年、オールスターキャスト映画『日本暗殺秘録』では、小沼正に扮して主演した。『キイハンター』を休んで撮影に臨み、そのイメージから脱却しようとする演技は、同年の京都市民映画祭で主演男優賞を受賞[58]。『キイハンター』で人気者になるだけではなく、「様々な作品に出演していかなくてはいけない」と考え直す転機にもなっている[58]。
1970年、アクション・擬斗を演じる相手やスタントマンの不足に悩み[注 10]、アメリカ映画で活躍するような俳優・スタントマンの育成、若年層の教育に関心を持っていたことから、ジャパンアクションクラブ(JAC)を創設した。
1973年の映画『仁義なき戦い 広島死闘篇』で演じた大友勝利はシリーズ中1, 2を争う名キャラクターとして人気をつかんでおり[56][60][61]、これ以降、他のヤクザ映画でも「『仁義なき戦い』の千葉真一さんがやった大友勝利のような」と影響を与え続け、ヤクザ役のひな型となっている[62]。
『広島死闘篇』と同時進行で『柔道一代シリーズ』以来、10年ぶりの格闘映画となる主演作品『ボディガード牙シリーズ』(1973年)の撮影に入り、続けて主演映画『殺人拳シリーズ』もクランクインしたため、『仁義なき戦いシリーズ』の再出演は実現しなかった[63]。これ以降は格闘映画で主演作品が製作され、極真カラテを修行して、黒帯を允許された技量が生かされることとなる。
Sonny Chiba
1973年に封切公開された映画『ボディガード牙シリーズ[64]』を皮切りに、『殺人拳シリーズ[29]』(1974年 - 1976年)、『地獄拳シリーズ[29]』(1974年)、『少林寺拳法』(1975年)、『けんか空手シリーズ[65]』(1975年 - 1977年)、『激殺! 邪道拳』(1977年)と、前後して『やくざ刑事シリーズ[66]』(1970年 - 1971年)、『狼やくざシリーズ[64][67]』(1971年 - 1972年)、『麻薬売春Gメンシリーズ[64]』(1972年)や、小説・劇画を映画化した『ウルフガイ 燃えろ狼男』(1975年)、1977年は『空手バカ一代』『ドーベルマン刑事』『ゴルゴ13 九竜の首[33]』など、数々の映画に主演。テレビドラマ『キイハンター』と同様のスタントに、空手道・拳法・器械体操などが加わり、アクロバティックでスリリングとシャープな演技は好評を博した[20][29][32][33][64][65][66][67][68][69]。
中でも1974年に主演した『激突! 殺人拳』は国内のみならず、海外では『The Street Fighter』のタイトルで公開され、米国では日本映画として初めて興行収入100万ドル以上を記録[7]。この成功は同国で最も権威のある総合情報週刊誌「Variety」の1974年12月18日付にも掲載され、同誌が初めて日本映画を取り上げるという快挙を成し遂げている[70][71]。この頃から国際的にSonny Chiba(サニー ちば)という名前で認知されることとなり[注 5][18][17][29]、主演・出演するカラテをメインにした格闘映画は続々と世界的に大ヒットした[21][72][73][74][75]。海外でも著名人のファンは多い[29][76][76][77][78][79][80][81][82]。
テレビ映画では『キイハンター』以降、『ザ・ボディガード』『ザ★ゴリラ7』『燃える捜査網』『大非常線』とアクション作品に主演。この頃、アメリカ・カリフォルニア州に聳えるマンモスマウンテンのバックカントリーをスキーで滑走しており、その姿は1974年5月6日にドキュメンタリー『千葉真一 4,000メートルのマンモスマウンテンを滑る』(東京12ch)や同年6月6日の『ザ・ボディガード』第10話「グランドキャニオンの殺人者」で、それぞれ放送されている[注 11]。前後して若手の育成に追われる日々となったが、1976年の映画『沖縄やくざ戦争』では京都市民映画祭の主演男優賞を受賞した。
1977年4月にハワイで開催された「日本代表極真会館チーム対ハワイ代表チーム」というフルコンタクト空手の対抗戦に参戦[20][84]。180cm以上あるネグロイドのアメリカ東海岸空手チャンピオンと戦い、二段蹴りでKO勝ちを収めた[20][85][86]。
ジャンルを越えた活躍
名実共に日本を代表するアクションスターとして活躍していたが[20][33][68][69]、1978年から本格的に時代劇へ進出する。主演映画『柳生一族の陰謀』は興行収入30億円以上の記録的大ヒットし[87][88][89][90]、1979年に第2回日本アカデミー賞の優秀助演男優賞を受賞した。柳生但馬守宗矩(若山富三郎)・宮本武蔵(緒形拳)と華麗で凄みのある一騎討ちを披露した主演映画『魔界転生』(1981年)は観客動員数200万人・配給収入10.5億円を超し[91][92]、映画『赤穂城断絶』(1978年)、『闇の狩人』(1979年)、『里見八犬伝』(1983年)、『必殺4 恨みはらします』(1987年)などにも出演。特に『柳生一族の陰謀』、『魔界転生』、テレビドラマ『柳生あばれ旅シリーズ』(1980年 - 1983年)の柳生十兵衛三厳と[93][94][95][96][97]、傑作と評価されている『影の軍団シリーズ[98]』(1980年 - 1985年)の服部半蔵は[99][100]、十八番である[93][94][95][96][97][99][100]。
1979年には芸能生活20周年記念作品である映画『戦国自衛隊』で[101]、主演と日本映画初のアクション監督を兼務し[21]、配給収入で13.5億円のヒットをした[102]。その演出が評価され、1980年にブルーリボン賞のスタッフ賞を受賞した。1981年の主演映画『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-』は自ら企画し[103]、『忍者武芸帖 百地三太夫』(1980年)と『吼えろ鉄拳』(1981年)で出演とアクション監督を兼務。1989年の『将軍家光の乱心 激突』でも出演とアクション監督を兼ね、この作品は第39回ベルリン国際映画祭に招待された。1990年にはプロデューサーと初の監督を兼ねた映画『リメインズ 美しき勇者たち』を手がけ、アクション映画の全盛期を牽引していた。
1981年から演劇にも進出し、ミュージカル『ゆかいな海賊大冒険』(1982年 - 1984年)[104]、『酔いどれ公爵』(1985年)など複数の作品を企画・演出・主演し、JACミュージカルとして定期的に公演した。新宿コマ劇場の観客動員数では、3年間にわたって満員御礼となる記録的な成功を収めている[104]。
1970年代から1980年代にかけて、テレビドラマ『七色とんがらし』(1976年)や『十字路』(1978年)、『深夜にようこそ』(1986年)、『夢に見た日々』(1989年)のホームドラマにも主演。1982年には楽曲「誓い(JACのテーマ)」を作詞、1985年には10年ぶりに歌手としてリリースした「曠野」の作曲も手がけ、俳優・歌手に留まらない映画監督・映画プロデューサー・作詞家・作曲家など、その活躍ぶりはジャンルを越えて幅広いものであった。
海外進出
日本と諸外国との合作映画『カミカゼ野郎 真昼の決斗』、『海底大戦争』[105]、『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』、『激殺! 邪道拳』、『ゴルゴ13 九竜の首』などに主演し、『武士道ブレード』(1981年、英米合作)にも出演。1970年代半ばにはフランシス・フォード・コッポラが「千葉真一とアル・パチーノの共演で映画を製作したい」と東映にオファーしたが[65]、岡田茂は了承せず[35]、関係者には「本格的な海外作品の出演をあきらめた」と思われていた[35]。しかし水面下のアピールや主演映画の評判などで、1990年頃からアメリカ映画の出演依頼が届き始めていた[35]。折しもロサンゼルスでは映画『激突! 殺人拳』(1974年)、『子連れ殺人拳』(1976年)など、14本の主演格闘映画がリバイバル公開されていた[106]。
1991年、ジャパンアクションクラブ(JAC)の売却を経て、1992年にアメリカ映画『エイセス / 大空の誓い』に出演。これを機に拠点をロサンゼルスへ移して、アメリカでも俳優活動をするようになり、グリーンカードも取得した[107][108]。日本未公開作品のアクション映画もあるが、長年の経験で培ったそのアクションは高く評価されている[22][109]。
1998年に出演した香港映画『風雲 ストームライダーズ』では、ラスボス“雄覇(ホンパ / ホンファ)”を演じた。原作のイメージを彷彿とさせるその演技は話題に上り、翌年の第18回香港電影金像奨では、外国人として初めて優秀主演男優賞にもノミネートされた。2001年には台湾でも連続ドラマ化された。
2003年、友人でもあるクエンティン・タランティーノのアメリカ映画『キル・ビル』シリーズでは出演と、ユマ・サーマン、ルーシー・リューらハリウッドスターへ剣術指導をした[110]。第30回サターン賞では『キル・ビル』で助演男優賞にノミネートされた。
2005年10月29日に開催されたハワイ国際映画祭では、これまでの功績を讃えた“MAVERICK AWARD”を受賞した[注 12]。
2007年、英国放送協会製作の、日本をテーマにしたドキュメンタリー番組『Japanorama』に出演。「Densetsu (Legends)」(伝説)をテーマにした回で取り上げられ、4月9日に放送された。同年の大河ドラマ『風林火山』に板垣信方役で出演。 11月には海外で通称としていたJJ Sonny Chiba(JJ サニー チバ)を日本でも使うようになり[19][注 5]、和千永 倫道(わちなが りんどう)の名で、映画監督業への進出を表明した[2]。母親の旧姓・和智永(わちなが)と千葉を併せ、「人の道」を由来としたものである[2]。11月26日には厚生労働省から「健康大使」にも任命された[111]。2008年10月から2009年3月まで京都造形芸術大学の教授を務めた[112]。
2010年代
2010年10月22日には東京・グランドプリンスホテル赤坂で、結婚披露宴を兼ねた芸能生活50周年記念式典を開いた。もともとはアントニオ猪木・池谷幸雄・石田純一・市川亀治郎・今井雅之・内野聖陽・梅宮辰夫・岡崎二朗・ガッツ石松・川地民夫・神取忍・樹木希林・北の湖敏満・京本政樹・具志堅用高・郷田勇三・小林幸子・コロッケ・高橋英樹・竹本直一・田中好子・谷村新司・津川雅彦・十朱幸代・夏八木勲・白竜・張本勲・布施明・風吹ジュン・松井章圭・松坂慶子・美川憲一・三田佳子・やまさき十三・山本KID徳郁・横峯良郎・ラモス瑠偉ら計60名を発起人とした芸能生活50周年記念式典が先に決まっていたところ、現妻と挙式や披露宴をしていなかったため、千葉の要望で記念式典と合わせて企画された[113][114][115][116][117][118][119]。前半の披露宴には家族でキャンドル点灯のほか、長女・真瀬樹里は父への尊敬とお祝いの挨拶が行われ[117]、芸能界にまだ入っていなかった長男・新田真剣佑と次男・眞栄田郷敦の二人も登壇し、手紙を読み上げる形で両親を祝福した。後半の記念式典では出演した260本の映画・テレビドラマなどが順に紹介され、千葉は樹里と殺陣、真剣佑・郷敦とは空手道の演武で型と杉板の試割りを、家族皆で披露した。勝野洋・小堺一機・夏樹陽子らは花環を贈呈し、出席者に上記発起人ほか、太田昭宏・北島三郎・関根勤・高岡早紀・高橋和也、デヴィ・スカルノ、南部虎弾、ビリー・ブランクス、堀田眞三・魔裟斗・松木安太郎ら、多数の芸能人を含む各界から約600人がお祝いに集まった。千葉は「あっという間の50年だった。まだまだ、やり残したことがあるので精進したいと思う。ハリウッドで日本の俳優を育てたい」と新たな目標を掲げた[113][114][115][116][117][118][119]。
2011年以降、芸名を日本のみ千葉 真一、海外ではJJ Sonny Chibaとしている[9][107][注 5]。同年9月29日から10月2日にロサンゼルス・ウエストウッドのビッグフット・クレスト・シアターにて開催された、アジア・アメリカ映画を祝す国際フィルムフェスティバル「SINGAFEST 2011」(ビッグフット・エンターテインメント主催)では、LIFETIME ACHIEVEMENT AWARDを受賞し、代表作の一つである『魔界転生』が上映された[72][120]。授賞式には樹里・真剣佑・郷敦も出席し、千葉と樹里は殺陣を、真剣佑と郷敦は空手を披露し、集まった多くのファンをわかせた[120]。同年11月、徳島県鳴門市で生産・販売されている「本格焼き芋焼酎“斬”」の監修をした[121]。
2013年3月10日、日本体育大学から正式に卒業を授与され、これにより最終学歴は「日本体育大学体育学部体育学科卒業」となり、学校教育法第104条および学位規則第2条の規定に従って「学士(体育学)」の学位が与えられた[注 8]。
2014年のテレビドラマ『おわこんTV』に主演し、テレビ業界のウラのウラまで知り尽くす名物社長を[122]、存在感醸し出しながらも軽いタッチで演じた[122][123]。同ドラマは文化庁芸術祭参加作品となっている[124]。
2016年4月14日に発生した熊本地震では、オスマン・サンコンとともに被災地で炊き出しを行った[125][126]。同年2016年8月21日、千葉市の「第41回 親子三代夏祭り」で、千葉氏の中興の祖である千葉常胤に扮して武者行列を務めた[127][128]。2019年12月19日、同市の健康大使に任命された[128][129]。市民が主体的に健康づくりを取り組めるよう、同市は広報・啓発の一環として、県内出身で芸能生活60周年を迎えていた千葉が就任する運びとなった[128][129]。任命式では「来月、81歳を迎えるので少々不安でございますが」と挨拶をしながらも、年齢を重ねるごとに健康管理を替えてきたことや、その矜持、健康大使としての抱負を述べた[129]。
晩年
2020年、文化活動に優れた成果を示し、文化振興や日本文化の海外発信・国際文化交流に貢献したとして、令和2年度文化庁長官表彰をされた[10][11][12]。前年に芸能生活60周年を迎えており、これまでの歩みを振り返りながら、近況や家族のことと併せて、「私にはあんまり似合わない賞をいただいちゃって…。これからはこれに恥じないよう、しっかり努力して生きていきたい」と笑顔を見せた[10][11][12]。
2021年6月、個人事務所「ルイアンドリーブス」を[130]、「エム&リーヴス」へ設立し直した[131]。子供たちに自身の企画やアイデアを受け継いでもらう願いと「いまのうちにきちんとしておきたい」という思いからである[131]。千葉が代表で長男・新田真剣佑は取締役となり、それまで複数あった会社の事業を統一し、全著作権を「エム&リーヴス」が引き継ぐと決めた[131][注 3]。「膝・足が硬直するなど、昔と比べて身体の自由が利かなくなり、日課のジョギングも思うようにできなくなっていた。一昨年末頃から『もう長くない』と漏らし、断捨離を始めていた」と傍らにいた愛弟子の西田真吾は証言し[131]、自身も「60代までは、まだまだ若者に負けないくらいのスピードができていた。しかし、今ははっきりと肉体が衰えていることを自覚している。気持ちとして、まだまだ演技や作品を追求したいけど、肉体がついてこない」と吐露していた[133]。
スティーブン・セガールとダブル主演での映画や[134]、ジェシー・ベンチュラとウェズリー・スナイプスと共演するハリウッド映画も撮影予定であったが[135]、コロナウイルスのパンデミックにより撮影が延期になっていた。
最期
事業の統一から2か月過ぎた2021年8月19日17時26分、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による肺炎のため、千葉県木更津市の君津中央病院で死去した[5]。82歳没[105][107][136]。折しもCOVID-19の第5波で感染爆発している日本は[137]、同月6日に感染者が100万人を超えており[138]、医療体制が逼迫・確保できていない真っ只中に失命した[137][139]。本人の意思で、COVID-19ワクチンを接種していなかった[105][140]。
7月末に感染[注 13]。せきなどの症状はあったが、元気だったので、そのまま自宅療養を続けていた[107]。しかし8月4日に38.8度の熱を発し[141]、PCR検査の数値も悪く[142]、肺炎が悪化[142]。救急車で搬送され[107]、8日に入院した[107][142]。酸素吸入などの治療を受け、一時は回復する兆しがあったものの、容体は急変[107][注 13]。18日あたりから意識がなくなり、そのまま息を引き取った[105][107][注 13][142]。新田真剣佑はハリウッド映画の撮影で米国に滞在しており[143][144][145]、長女・真瀬樹里と次男・眞栄田郷敦は仕事後に駆けつけるも[140][142]、3人は父親の最期を看取ることができなかった[140][142][144]。
緊急事態宣言中のため、通夜は行われていない[注 6][107][142][146]。翌20日、眞栄田郷敦を喪主とし[147][148]、葬儀が営まれた[149]。列席は限定されていたため[147]、親戚5人のみが参列[149]。荼毘に付され[141][150]、郷敦と前夫人が遺骨を拾った[149]。
真瀬樹里は「一報を受け、仕事後駆けつけましたが、最期に立ち会うことはできず…。しかし、顔を見て、お別れと伝えたい事を言うことはできました。苦しんだとは思えないほど、穏やかな顔をしておりました」と最期の様子を振り返り、「少し前に、電話で父の元気な声を聞いたばかりでした。私にとっても突然のことで、まだ現実感がありません。ただただ悔しいです…天国から、両親が見守ってくれていることを信じて、胸を張って見せられる仕事ができるよう、精一杯生きていきたいと思います。父の遺した作品を、これからも愛し続けて頂けたら幸いです」と所属事務所を通じて発表した[26][140][149][151][152][153]。
新田真剣佑はインスタグラムにて、ローソクが立てられたケーキを前にほほ笑む幼少期の新田と幸せそうに笑う千葉の姿や、千葉の体の上で安心した様子で眠る幼少期の新田の姿が収められている2ショットを公開し、「No matter where I am, you'll always be in my heart.(私がどこにいても、あなたはいつも私の心の中にいます); Love you so much Dad.(お父さん、あなたをとても愛しています)」と思いを綴った[24][143][145][149][152][154][155][156]。
眞栄田郷敦は防護服を着て対面した日の夜に、所属事務所を通じて「一方的な約束をしてきました。それを守るだけです」と発表した[24][142][148][152]。
2年前の2019年に千葉は世阿弥の著作より格言を抜粋し、樹里には『花鏡』から「初心不可忘(初心忘るべからず)」、真剣佑には『風姿花伝』から「秘すれば花」、郷敦には『風姿花伝』から「離見の見」と、それぞれ自筆の巻物にして、3人へ授けている[133][157]。
追悼
追悼(国内)
芸能界
共演者
『白昼の死角』と『伊賀忍法帖』で共演している中尾彬は千葉県立木更津第一高校の後輩で、「とても真面目な方だった。会うと地元の先輩後輩のように話し、お互い実家も近かった。(3歳年上の千葉は)入れ替わりで卒業しましたが、頻繁に器械体操部のコーチに来ていました」と、バレーボール部の中尾とも会えば話す間柄だったと語った[161]。「芸能界に転身しても器械体操の指導で母校へ通い続け、当時珍しかったジーンズを履き、慎太郎カットにしていた」と在りし日の姿や、中尾も芸能界に入ると「おお、頑張れよ」「俺の映画見てる?」と親しく声をかけてくれた気さくな人柄、夢を語る様を振り返っている[161]。「(千葉は)ワクチンも率先して受けるタイプ」と中尾は接種していないことを訝しがりながら、「映画スター。今時、ああいう夢を語れる人が減っちゃったよなあ」と寂しそうだった[161]。
『キイハンター』、『影の軍団シリーズ』、『柳生あばれ旅』などにゲスト出演している東映ニューフェイスの後輩・堀田眞三は、Twitterで千葉との写真を掲載し、「千葉真一先輩の訃報 信じられないが あの日 あの時無限様々な想いがよぎる 謹んでご冥福をお祈りします 合掌」とつづっている[162][163]。
20代半ばの千葉と共演している小林幸子はインスタグラムにて、「初めて出会ったのは、私にとっては初めてのドラマ出演だった『くらやみ五段』。デビューしてまもない11歳の私を“チビ”と呼び、肩車してくれたり、一緒にキャンプファイヤーしたり、とっても優しいお兄ちゃまという印象でした。その後も『キイハンター』など、いろんなお仕事でご一緒させて頂きました。いつも撮影の合間には、体を鍛えたりアクション練習したり、ずっと動いていて格好いい方でした。最後にお会いしたのは、昨年の文化庁長官表彰の時、息子さんの話を笑顔でお話していたことが印象に残っています。日本のアクションの世界を作り上げ、千葉さん自身が日本の刀のような、何にも負けないはず方なのに。悔しいです。コロナが憎いです。今はゆっくり休んでください。ご冥福をお祈りします。合掌」と思いを記した[164][165][166]。
『影の軍団III』と『写真甲子園 0.5秒の夏』で共演した秋野暢子は「千葉真一さん……残念です」とブログで書き始め、「若い頃、東映スタジオで殺陣を教えていただきました。とても優しく、丁寧に指導してもらい、お優しい素敵な方」と、最近は会えなかったが、世界を代表するアクション俳優から指導を受けた思い出を振り返り、「とても頑強でお元気な方が、コロナ感染されるなんて信じられません」」とショックを隠せず、「どうぞゆっくりおやすみください。ご冥福お祈りしています。合掌」と追悼の言葉を記した[159][160][167][168]。
20代のころに『織田信長』で共演した野村真美は、「ジャパンアクションクラブにお友達もいて、一緒にお食事をしたことも。今朝、テレビで見て『あぁ、そうか…』って言葉がない感じ。胸がつまる思いがありました」と偲んだ[169]。
『源義経』で共演した東山紀之は千葉の悲報に、「20代のころに共演させていただきましたが、千葉さんが時代劇の立ち回りにアクションを入れた最初の方なんです。今、世界中の映画で行われているアクションものの一番最初は千葉さんがお考えになったものなので、この功績は凄いです」と改めて存在の大きさを絶賛した[170][171]。千葉の弟子・真田広之とメールで連絡し、「僕はメリーさんという母親を亡くして、真田さんは千葉さんという父親を亡くした。これは自然の摂理で、しょうがないことなんですが、僕らはその教えを次の世代に伝えていくっていうのが、これからますます大事になるねっていうやり取りをさせていただきました」と誓い合ったことを明かしている[170][171]。
『寺子屋ゆめ指南』で父娘役を演じた西田尚美は、「千葉さん、信じられません 半年間、時代劇で私の父上様でした」と受け入れがたい心境を吐露した[158][172]。同ドラマは千葉と長女・真瀬樹里の初共演作でもあり、西田は「千葉さんと娘さんの樹里ちゃんと殺陣のお稽古とか…私がふらふらになっても、千葉さんと樹里ちゃんはとても楽しそうで。なんて素晴らしい時間だったんだろう」と振り返りつつ、「ありがとうございました。心よりご冥福をお祈り致します」と結び、西田が2014年3月2日にリツイートした千葉、真瀬、新田真剣佑、眞栄田郷敦の写真を添えている[158][172]。
『悪名』で共演した的場浩司はブログで「ため息。笑顔が似合う気さくで偉大な先輩が逝かれた。“千葉真一さん”。偶然にも前回の写真は、千葉さんと初めて共演させて頂いた映画『悪名』のもの。京都のロケ現場で全身からオーラを放つ千葉さんに、緊張しながら御挨拶させて頂いた場面を思い出しました。優しい笑顔が印象に残っています。その後も御会いする度に色んなお話しを聞かせてくれました。千葉さんの御冥福を御祈り致します。朝からため息しか出ないよ」と沈痛の思いをつづった[159][160][173]。
『柳生十兵衛七番勝負』で共演した村上弘明は、世界的アクションスターとして活躍した千葉を「旧来の立ち回りに変革をもたらした人で、特にアクション、殺陣の分野において曲芸的なもの、よりショーアップしたものを取り入れ、時代物、現代物を問わず見せるアクションを創り上げた人でした[174]」と敬意を表した[175]。殺陣では「刃を交えたのですが、その一振りに鍛錬を重ねた荘厳さが感じられ、たいへん充実した立ち合いになったと思います。芝居に対するほとばしる情熱がまるで純粋な子供のようで、それがとても印象的でした[174]」と回想[175]。その数年後に『柳生十兵衛七番勝負 最後の闘い』のリハーサル室に現れた千葉は[注 14]、村上に「やってるねー!相談事があったら、いつでも連絡して。待ってるからさ[174]」と名刺を渡し、立ち去ったという[175]。天国の千葉へ村上は「とても残念です。ご冥福をお祈りします[174]」と追悼した[175]。
JAC出身者
創設したジャパンアクションクラブ(JAC)からは、愛弟子たちが追悼コメントを発した。
金田治は「千葉さんとの思い出は数えきれないほどあるが、同じ作品に出演したことよりも、一緒に練習し、JACの合宿、番組の企画でアメリカのアクション映画のロケ地を千葉さんと二人で巡ったりなどのほうが印象に残っている。千葉さんの功績は、アクションの専門職を作ったこと。『自分だけが凄いアクションができてもダメだ』と言い、スタントマンが冷遇されていたなか、日本のアクションを変え、アメリカ映画に負けないスタントが日本でもできるというポリシーを持って続けてきた。僕は千葉さんが考えていたこと、やりたいことを今も自分なりに続けている。千葉さんがいなかったら僕はこの道に入っていないかもしれないし、アクションの仕事で飯を食えていないかもしれない。今の自分は存在していなかった」と回想した[176]。
志穂美悦子はブログで「見上げる空に」と題し、「それは、あまりに突然で、言葉にならない。でもJACイズムは生きている。それぞれの場所で生きている」と恩師の死を悼み、JACへの思いを記した[156]。
真田広之は「子役の頃から、様々な事を学ばせて頂きました。何よりも、夢を抱くことの大切さを。志を受け継ぎ、走り続ける事が恩返しと心得ております。本当にお世話になりました。安らかにおやすみ下さい。合掌」と悼んだ[140][153]。
伊原剛志はTwitterで、「千葉真一さん!40年前、18歳でJACに入って、目をかけて貰い『影の軍団IV』『コータローまかりとおる!』に抜擢してくれた。二人きりになると優しく、京都で良く一緒に走ったりトレーニングもした」と思い出を回顧[158]。「俺が役者であるキッカケになった人だ!有難う御座いました。心からご冥福をお祈りします」と人生に大きな影響を与えた名優をしのんでいる[158]。
親交の有った芸能人
千葉を敬愛する芸能関係者は多い[158]。
池畑慎之介はブログで偉大な名優との思い出として[158]、「53年ぐらい前の何かの雑誌に掲載されたもの[177]」と千葉、野際陽子との3ショットを公開し、「ピー(池畑)が16歳。千葉さんが29歳。野際陽子さんが30代前半。みんな若かった[177]」としみじみ振り返りつつ、「千葉真一さんのご冥福を心からお祈りいたします。合掌[177]」と追悼した[158][159][178]。
オスマン・サンコンは日本でタレント活動し始めたころに知り合い、それからは“千葉のアニキ”と慕っていた[125][126]。「コロナでアニキが亡くなったのはショックだった。千葉さんはサムライね!アニキほど、アフリカのことを考えてくれた俳優はいなかった」と語り、千葉が創ったJAPAN ACTION CLUB(JAC)の顧問に2022年4月、就任している[126]。
スポーツ界
1964年東京オリンピックの体操競技で女子団体銅メダルを獲得し、日本体育大学の同期である千葉吟子は突然の訃報に、「選手としての実力は相当のものだった。在学中の1年半を一緒に練習していたが、男性なのに柔らかくて、とても素敵な演技をしていた。当時、同期のみんなは彼が入学した時からオリンピック選手になれると思っていた」と振り返り、1960年ローマオリンピックの体操競技にも出場した吟子は「怪我をしていなければ、一緒に出場していたかもしれない。すごくハンサムで、女性は密かに憧れや気持ちを寄せていた」と回想[179]。「とにかく残念。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が終わったら、同期会をやろうって言っていたのに・・・。とても寂しいです」としんみり語った[179]。
追悼(海外)
アメリカ合衆国では、『バラエティ (アメリカ合衆国の雑誌)』や『ハリウッド・リポーター』といった業界誌はもちろん、『ニューヨーク・タイムズ』や『ロサンゼルス・タイムズ』、『ワシントン・ポスト』といったアメリカの主要一般紙でもその死が報じられた[180]。映画にしてもテレビドラマにしても自国製の作品のみで十分に調えて供給できるアメリカでは、外国人俳優に対する一般人の関心が決して高くないことを踏まえると、サニー千葉は例外的存在だったと言える[180]。各媒体とも新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による合併症で亡くなったことから始まり、生い立ちや俳優としての経歴を紹介し、欧米で知名度を一気に上げた主演映画『激突! 殺人拳』に言及していた[180]。
アカデミー賞公式Twitterは千葉の訃報に触れ、追悼メッセージを発表した[181][182]。
イギリスのインデペンデントは「『キル・ビル』などで知られる日本の有名なベテランスターは、新型コロナが原因で死去した」と速報し、フランスのBFM TV は「彼は絶望の危機に瀕している日本映画の真の伝説」と評し、世界中の千葉作品を愛したファンたちも、SNS などで「RIP(安らかに眠れ)」とメッセージを投稿した[注 15]。
没後
2021年
数々の代表作を放送、パッケージ販売、リバイバル上映など、追悼企画としてそれぞれ催された。
スカパー! は死去翌日の8月20日、テレビドラマ『キイハンター』『現代鬼婆考 殺愛』のほか、映画『激突! 殺人拳』『やくざ刑事シリーズ』『麻薬売春Gメンシリーズ』『あゝ同期の桜』『仁義なき戦い 広島死闘篇』『いつかギラギラする日』、時代劇『赤穂城断絶』『太閤記』『徳川家康 (1988年のテレビドラマ)』など、主演・出演した映画・ドラマ・時代劇を放送すると発表した[183]。BSテレビ東京は24日にアメリカ映画『エイセス / 大空の誓い』を29日21時から追悼放送するとアナウンス[184][185]。同局プロデューサーは「敬老の日に世界の名優たちと同列に活躍する千葉へリスペクトを込めて放映する準備をしていたが、突然の訃報により急遽追悼放送になってしまった…。(自身が)昭和の映画少年として、数々の千葉出演作から影響を受けたものは計り知れず、その勇姿を心に刻んでほしい」とコメントを寄せている[184][185]。地元のチバテレは主演・アクション監督の映画『戦国自衛隊』を「千葉真一追悼番組」として10月10日に放送し[186]、東映チャンネルは「映画界最強の男 千葉真一特集」 と銘打ち、11月は『魔界転生』『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』『『ゴルゴ13 九竜の首』『けんか空手 極真拳』『けんか空手 極真無頼拳』『やくざ刑事 俺たちに墓はない』、12月は『柳生一族の陰謀』『仁義なき戦い 広島死闘篇』『狼やくざ 殺しは俺がやる』『激突! 殺人拳』『殺人拳2』『警視庁物語 不在証明』、翌年1月は『カミカゼ野郎 真昼の決斗』『直撃! 地獄拳』『日本暗殺秘録』『忍者武芸帖 百地三太夫』『狼やくざ 葬いは俺が出す』『逆襲! 殺人拳』、翌年2月は『直撃地獄拳 大逆転』『少林寺拳法』『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』『ボディガード牙』『子連れ殺人拳』『空手バカ一代』と、4か月間に代表作24本を特集放映した[187]。時代劇専門チャンネルは「ありがとう!千葉真一〜ジャパニーズ・ニンジャ・アクションスター〜」と題して11月に『服部半蔵 影の軍団』と12月に『柳生一族の陰謀』を各々全話ラインナップし、『里見八犬伝』『伊賀忍法帖』『赤穂城断絶』の映画と併せて放送した[188]。
東映ビデオは9月10日に代表作の『逆襲! 殺人拳』と『子連れ殺人拳』を、同年12月8日に初DVD化して販売することを発表し[189]、販売した[190]。
新文芸坐では10月2日に『ボディガード牙』『激突! 殺人拳』『直撃地獄拳 大逆転』『子連れ殺人拳』のオールナイト上映会が[189]、同月20日から30日には同所で“六つの黒帯を持つ男 世界のアクションスター 追悼・千葉真一”と題して、『直撃地獄拳 大逆転』『激突! 殺人拳』『けんか空手 極真拳』『少林寺拳法』『脱走遊戯』『ゴルゴ13 九竜の首』『沖縄やくざ戦争』『仁義なき戦い 広島死闘篇』『柳生一族の陰謀』『魔界転生』『ボディガード牙』『子連れ殺人拳』をラインナップし、特集上映会が開催された[191]。
2022年
誕生日の1月22日、ジャパンアクションクラブ(JAC)出身の栗原敏・関根大学・若山騎一郎らを発起人とした「お別れの会 〜さらば!千葉真一〜」が東京都港区の増上寺・光摂殿で営まれた[192][193][194]。『戦国自衛隊』のオフショットとして撮影された写真が遺影として飾られ、足元には同作で使用された日本刀とヘルメットが添えられた[192]。祭壇は生前に描いた油絵をもとにして約4000本の菊やキキョウを使って白い富士山をデザインされた[195]。BGMとしてお気に入りだった「ララバイ・オブ・ユー / LULLABY OF YOU」などが流された。愛用の空手着や主演を務めた時代劇『柳生十兵衛』の眼帯、刀など私物から撮影で使用された小道具まで幅広く展示された[196]。長男の新田真剣佑と次男の眞栄田郷敦は欠席し、手紙で連名のコメントを寄せた[192]。新型コロナウイルスの感染対策を徹底した上で、午前の一般の部にファンが、夕方から「共に闘った戦友達のお見送り」として関係者が、合わせて約500人が参列した[197]。
2月20日、沖縄県那覇市ぶんかテンブス館にて、沖縄映画研究会は「沖縄への視角 千葉真一主演作を手がかりとして」と題し、第10回研究発表会をオンライン開催し、主演作や人柄を振り返った[39]。沖縄を舞台・題材にした千葉主演作品には「沖縄と本土の深い溝を描かれている」と同会代表の世良利和は指摘し、1976年に国内公開された『脱走遊戯』、『沖縄やくざ戦争』などを紹介[39]。世良は「他の役者も沖縄のやくざを演じているが、千葉さんは別格。うちなーぐちも話し、三線にあわせて空手の演武もやって見せる、堂々たる主演作だ」と評した[39]。このほかには台湾から国立政治大学非常勤講師の李政亮による発表や、映画監督の當間早志とNPO法人・シネマラボ突貫小僧代表の平良竜次は「千葉さんは演技や役作り、アクションで創意工夫をする方だった。役者だけでなく、作り手側の人でもあった」と言及[39]。併せて2016年に収録した千葉のインタビュー動画を初上映し、千葉と中島貞夫のインタビュー動画も流されている[39]。
3月27日に開催された第94回アカデミー賞では、イン・メモリアム(授賞式恒例の追悼コーナー)にて、「SONNY CHIBA ACTOR MARTIAL ARTIST」と紹介され、俳優だけでなく、格闘家としても、その偉業をたたえられた[198][199][200]。
8月17日、真瀬樹里を喪主として「千葉真一さんを偲ぶ会」(会場:東京・新宿区 リーガロイヤルホテル東京 3階 ロイヤルホール)が行われた[201][202][203]。発起人は若泉久朗(KADOKAWA執行役員)、松浪健四郎、熊谷俊人、倉田保昭、中島貞夫、金子修介、北村龍平、深作健太、谷隼人、真田広之、兵頭慶爾(サンライズジャパン代表取締役)、金田治、西本良治郎(ジャパンアクションエンタープライズ代表取締役副社長)、鈴木哲也(アストライア代表)[204]。主催:アストライア、協力:ジャパンアクションエンタープライズ、東映エージエンシー[204]。もともと1月22日の開催がオミクロン株の感染拡大により、首都圏にまん延防止等重点措置が敷かれ、延期していた同会が[205][206][207][208]、開催された。会場内には白い胡蝶蘭や白いカーネーションなどで彩られた祭壇には真瀬が選んだ写真と、出演した映画のポスターや野際陽子らとのプライベート写真などが飾られた[209]。午後1時から関係者の部、午後3時からジャパンアクションクラブ関係者の部では約100人が参列し、午後5時から一般の部の3部に約50人が来場し、それぞれ献花を行った[210][211]。千葉と生前親交のあった芸能関係者らが続々と詰めかけ[211]、別所哲也、谷隼人、デヴィ・スカルノ、オスマン・サンコン、錦野旦、松浪健四郎、金子修介、河崎実ら、計約250人が出席した[210][212]。北島三郎、三田佳子、志穂美悦子、明石家さんま、関根勤、小堺一機、坂上忍、伊原剛志らからは、花が届けられた[210]。
8月19日、大願寺で一周忌法要が、新田真剣佑と眞栄田郷敦を願主にして営まれた[213]。真剣佑と郷敦は仕事で欠席したが、連名で「またこうして故人の思いを皆さまと共に分かち合い、新たな絆が生まれました」とメッセージを寄せた[213]。祭壇には主演映画『魔界転生』(1981年)で務めた柳生十兵衛役の写真などが遺影として飾られ、大村崑、山田隆夫、若山騎一郎ら約100人が参列した[213]。
2023年
84回目の誕生日となる1月22日[214][215]、新田真剣佑と眞栄田郷敦は一緒にそれぞれの結婚を発表した[214][215][216][217][218][219]。真剣佑と郷敦は「父の誕生日である1月22日に揃って発表しよう」と事前に決めていたので[214][215][216][217][219]、兄弟の結束の強さを示す格好となった[218]。生前、真剣佑と郷敦から妻となる女性たちを紹介され、食事を共にしており、息子たちの相手を気に入っていたことから、彼らの結婚を楽しみにしていた[214]。
事績
変身ヒーロー
デビュー作は1960年1月7日から放送された『新 七色仮面』で、次の『アラーの使者』にも主演し、まずはテレビドラマで人気を得る[29]。『新 七色仮面』は『七色仮面』から引き継がれた作品で、『七色仮面』では蘭光太郎を波島進、七色仮面をスーツアクターが分担して演じていた[220]。波島は古典的な仮面ヒーローの王道を行ったが、千葉はスーツアクターも兼務して、器械体操を活かしたアクションをふんだんに取り入れ、新しい七色仮面を編み出した[221][222]。その演技・スタント・擬斗は、後に製作されていく変身ヒーローを題材とした特撮作品に、大きな影響を与えている[221][222]。『アラーの使者』も児童向け活劇だが、アクションは本格的で[223]、翌年の主演映画『宇宙快速船』のアクションヒーローに繋がっていく[224]。
アクション映画
1961年に深作欣二の監督デビュー作『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』に主演。危ないシーンはスタントマンに任せるのが主流な時代に、「吹き替えせずにできる」とスタッフへ言ったので、「さすが日体大だけに凄いことをやる」と評された[53]。深作は文芸作品よりアクションものを好み「肉体こそ俳優の言葉」が口ぐせだったので[注 16]、第二作『風来坊探偵 岬を渡る黒い風』でも千葉を主演に据え、更に危険な吹き替え無しのスタントを演じさせた[225]。ニュー東映のホープとして主演した『ファンキーハットの快男児シリーズ』では[226]、カーチェイス、左右に開脚して2人の敵を同時に倒す跳び蹴り、器械体操で培った筋骨隆々な肉体美を大車輪で披露している[20][34]。こののち千葉と深作は17の映画でコンビを組み、ヒットを連発していく[35]。
深作欣二の評価とは対照的に高倉健から「アクションスターにはアクションしかできないという評価もあるから、そのイメージを世間に持たれないほうがいい」とアドバイスされ、ドンパチの活劇だけでなく青春ものをやりたいなとも思っていた[225]。宣伝担当の福永邦昭は「器械体操で鍛え上げた肉体と抜群の運動神経で、新しいアクション俳優の誕生と騒がれたが、東映が彼を生かしきれなかった[66]」と振り返っており、それでも東映は映画・テレビドラマとジャンルを問わず、アクションスターであることを千葉へ常に求めていくこととなる[32]。3, 4年ほど悩んだ末、やる以上、誰にも負けない完全にアクションのできる役者に成ろうと決意した[227]。
1966年の『カミカゼ野郎 真昼の決斗』(日台合作)は台湾でロケーション撮影され、離陸する軽飛行機の翼に飛びつき乗り込むスタントをした[20][228]。疾走する自動車を追いかけアンテナに飛びつくスタントでは、後輪の跳ねた石が脛に突き刺さり、台湾で一週間入院する大けがを負っている[229]。傷だらけになりながらもスタントを演じきったが[228]、『柔道一代 講道館の鬼』(1964年)に続いてケガしたため、父親を受取人にして傷害保険・生命保険を契約[229]。1970年の『やくざ刑事シリーズ』では、クランクイン前に約1億円の保険に加入した[230]。同シリーズは後の作品にも影響を与えており、1999年のアメリカ映画『マトリックス』でキアヌ・リーブス扮する主人公が片手側転しながらマシンガンを連射するシーンは、第1作の『やくざ刑事』で千葉が右手で拳銃を撃ちながら、片手で側転するスタントが原型となっている[231]。
芸能生活20周年記念作品である『戦国自衛隊』(1979年)で[101]、主演と日本映画初のアクション監督を兼務した[21]。時速100kmで飛ぶヘリコプターにロープ1本でぶら下がり、乗馬では同年の『闇の狩人』に続き、地面にある矢と弓を左右に傾き、拾い上げるスタントを演じたほか、ヘリコプターから宙吊りになるシーンは自前のハイスピードカメラを足に括りつけて撮影し[32]、騎手の目線を写すためにカメラを取り付けたヘルメットを被り乗馬するなど[232][注 17]、アクション監督として撮影を自ら行っており、これらの敢行はスタッフをとても心配させた[32]。馬の脇腹に隠れての乗馬は、テレビ時代劇『柳生一族の陰謀』第27話「美女と野獣」で千葉が、既に演じていたものをジャパンアクションクラブ(JAC)のメンバーに再現させ、『戦略大作戦』を意識して演出をした[29]、1980年にブルーリボン賞のスタッフ賞を受賞した。
東映から「好きな映画を作っていい」と許可され、企画した1981年の主演作『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-』は、フランス映画『冒険者たち』をオマージュした作品で、空手・拳法の達人や剣豪・忍者とは異なるしがない大学職員に扮して活劇を演じた[103]。前年の『忍者武芸帖 百地三太夫』ではワイヤーアクションを初めて取り入れ、『吼えろ鉄拳』と同様に俳優とアクション監督を兼ね、『燃える勇者』ではアクション監修に携わった。1989年の『将軍家光の乱心 激突』では再び、アクション監督と俳優を兼務したが、この作品は第39回ベルリン国際映画祭に招待された。1990年にはプロデューサーと初の監督を兼ねた映画『リメインズ 美しき勇者たち』を手がけ、アクション映画の全盛期を牽引していた。
これまで話題作に数多く主演してきたが、それとは裏腹に「アメリカで撮影が始まるときには『Ready camera. Action!』と声がかかる。“アクション”は本来『あらゆる演技』を意味するものだけど[233]、『体が動くからアクション俳優をやれ』と要望通りに何でも演じてきたことで、日本では逆にアクションのみが先行してしまい、あまり良くないイメージを持たれた[233][234]」と複雑な心情を吐露している。
音楽
1963年にシングル「男一匹生きるなら」をリリースして歌手デビューを果たした。1967年にグループ・サウンズの「ザ・サタンズ」というエレキバンドを結成[235][236]。リーダーとして夜は音楽喫茶で歌い[235]、九州巡業や東京のジャズ喫茶でライブをしていた[236]。メンバーにはドラマー兼ライブの司会者で潮健児、もう1人のドラム・サイドギター・ベースギター・電子オルガン・リードギターの5人は高校の後輩である[236]。バンド名の由来は漫画『悪魔くん』が好きな千葉が名付けたもの[228]。主な楽曲には1968年の「女の片えくぼ」があり、同年5月11日に放送された『キイハンター』第6話「影のメロディー」では、風間洋介(千葉)と谷口ユミ(大川栄子)がゴーゴー喫茶で踊るシーンの劇伴に流され、ザ・サタンズもバックバンドのメンバーとして出演している。このほか映画やドラマの主題歌も歌い、作詞・作曲も手掛けた。
キイハンター
『キイハンター』(1968年 - 1973年)は、瞬く間に視聴率は30パーセントを超え、1年の放送予定が5年に延ばされた[55][237]。山頂駅を出発した谷を行き来するロープウェイにワイヤを投げてぶら下がってからよじ登り、走行する列車やバスに飛び降りて屋根で敵と格闘、自動車から並走する軽飛行機に飛び移る、雪渓から回転しながら転落、滑落しそうな滝の前で格闘など、数々のスタントを演じているがケガも絶えず、大きなものでは左足首骨折や日本刀で腕を斬られたこともある[229][238][239][240]。
本作の脚本は映画に比べるとアクションが詳細に指定されていなかったので、千葉は良いものを作りたい一心で積極的にアイデアを出すが、経費を気にするスタッフと対立することもあった[227]。しかし視聴率が上がっていき、千葉のアイデアはどんどん採用されていくこととなる[227]。国内では1969年(昭和44年)の近代映画10月号臨時増刊では『千葉真一特集号』を刊行され、週刊マーガレットでは同年のNo.17から『千葉真一物語』が連載されるなど、人気はさらに上昇していった[20][55]。海外でもオンエアされ、ブルース・リーは千葉の大ファンとなり[66]、その活躍に深い興味を示して共演の申し入れをしてきたが[20]、リーの突然の死により実現しなかった[20][66]。千葉のアクションやスタントを観てから熱狂的なファンとなったジャッキー・チェンは、千葉のようなアクションスターになる夢を抱いていた[241]。
香港・タイ王国で映画『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』(1973年)、『激殺! 邪道拳』『ゴルゴ13 九竜の首』(1977年)、『HAKEN 覇拳 ふりむけば修羅』『地雷原 A mine field.』(1992年)など、千葉の主演・監督作品がロケーション撮影された際には現地で大歓迎されている。中島貞夫は『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』をタイの製作会社からの資本参加を得てロケができた理由の一つに、『キイハンター』が当地で放送されており、千葉の人気が高かったことを挙げている[242]。
共演者の野際陽子は「ともかく熱意が凄くて、ケガすると普通はビビるのがそれ位以上のことに挑戦して成功する“怖いもの知らず”。でもサボテンだけは怖いんですって[228]」と証言している。千葉に比べると役者として駆け出しだった野際だが、放映し始めた頃のギャラは多くの映画に主演経験のある千葉より高かったので、「追い越してやる」と奮起させてくれる間柄でもあった[注 18]。
谷隼人は「千葉さんは『キイハンター』で身体障害者のファンが増えた。“あなたのアクションは私たちの夢です”と言われ、自分のアクションが希望を与えるならと一層刺激を受けていた。彼らの施設にも寄付をしていた[228]」、大川栄子は「俳優にならなかったら、体育の先生になっていたと、よく基本を教えてくれる[244]」と言っている。
宮内洋は千葉が爆発の中を駆け抜けるシーンを横のアングルから見ていた時、「カメラを通して観るように」と言われ、安全のために千葉は火薬と距離を取りアクションをしていたが、レンズの位置からみると「今にも火薬でやられてしまうような迫力だった」とその迫力の違いに驚愕していた[245]。『仮面ライダーV3』のオファーを受けた宮内は演技づくりのために『仮面ライダー』を何本かみて、「“アクションの神様”である千葉真一さんから教えを受けた私なら、変身前のアクションシーンをもっと盛り上げられると思った」とその影響を認めている[245]。このほかにも「(V3の)アクションシーンで必ず手袋を着用したのは怪我を防ぐためだが、これは千葉さんのアイデアを取り入れたものだ[246]」と、アクションのノウハウを千葉から享受されていた。
1969年、『キイハンター』を休んで映画『日本暗殺秘録』に主演。TBSやファンから復帰の要望が高まっていたが[58]、風間洋介のイメージから脱皮しようと同作に賭ける思いはとても強かった[58]。中島貞夫と打ち合わせしながら小沼正を創り上げていき、撮影見学に来ていた小沼本人からもその演技は太鼓判を押された[58]。同作で京都市民映画祭の主演男優賞を受賞し、これが「様々な作品に出演していくためにも。『キイハンター』を卒業しよう[58]」と決意することとなる。降板をボス役の丹波哲郎に申し入れ[55][237]、丹波と東映は続けたかったが[237]、丹波は「千葉が居ないのでは『キイハンター』は成り立たない。だったら一度番組を終わらせよう」と理解を示し、大ヒットしていた同ドラマは1973年に終焉[55][237]。千葉は「丹波さんの決断にとても感謝している」と述懐している[237]。
ジャパンアクションクラブ(JAC)
1970年、アクション・擬斗を演じる相手やスタントマンの不足に悩み[注 10]、アメリカ映画で活躍するような俳優・スタントマンの育成、若年層の教育に関心を持っていたことから、ジャパンアクションクラブ(JAC)を設立。結成式には若山富三郎が駆けつけてお祝いをしていた[247]。主な門下生には春田純一・金田治・西本良治郎・山岡淳二・大葉健二・高橋利道・栗原敏・井上誠吾・志穂美悦子・真田広之・甲斐将馬・関根大学・稲田龍雄・斉藤一之・黒崎輝・崎津隆介・山田一善・山本亨・渡洋史・高木淳也・伊原剛志・堤真一・真矢武・土家歩・村松美香・山口祥行らがおり、俳優・アクション監督・スタントマン・スーツアクターで活躍する人材を輩出[35]。指導者には千葉真一自身のほか、日本体育大学のOBがアクション・スタントの為のトレーニング[248]、石橋雅史が空手道をそれぞれ教えていた[249]。
千葉真一の親友・夏八木勲や[250][251]、桜木健一[252]、ら所属していない俳優も練習に通っていた[250][251][252]。共に格闘映画を製作してきた橋本新一(脚本家・助監督)は「東映の大部屋俳優だけでは千葉真一との擬斗を活かせることができなかったから、JACを作ったことで格闘映画の質は向上した」と評している[253]。
トップスターでありながら、志穂美悦子の『女必殺拳』、真田広之の『忍者武芸帖 百地三太夫』『吼えろ鉄拳』『伊賀忍法帖』、大葉健二の『宇宙刑事ギャバン』、黒崎輝の『伊賀野カバ丸』『コータローまかりとおる』、村松美香の『旅少女』など、教え子たちの主演作品に助演として出演することも多い[254]。共に格闘映画を製作してきた橋本新一(脚本家・助監督)は「東映の大部屋俳優だけでは彼の擬斗を活かせることができなかったから、JACを作ったことで格闘映画の質は向上した」と評している[253]。
30代前半でJAC創設を経て育成を続け、志穂美悦子の『女必殺拳』、真田広之の『忍者武芸帖 百地三太夫』『吼えろ鉄拳』『伊賀忍法帖』、大葉健二の『宇宙刑事ギャバン』、黒崎輝の『伊賀野カバ丸』『コータローまかりとおる』、村松美香の『旅少女』など、教え子たちの主演作品に助演[254]。自身がトップスターでありながら、後進の活躍に華を添える姿勢は、当時の映画スターでは珍しいことであった[254]。
ヤクザ映画
1966年から始まった任侠映画『子守唄シリーズ』をヒットさせていたが[66]、1973年の映画『仁義なき戦い 広島死闘篇』がイメージを一新することとなる。
配役は予科練出身のヤクザ・山中正治に決まり、セリフも全て覚えて撮影に入る直前だった[56][57][255]。しかし狂犬のようなヤクザ・大友勝利を演じることが決まっていた北大路欣也が「大友は粗暴で下品すぎて、どうしても自分では演じられない。山中をやらせてほしい」と言い出したことから、プロデューサーの日下部五朗と宣伝担当者らは千葉を突然訪ね、「山中と大友を交代してもらえないか」と依頼してきた[56][57][255]。『日本暗殺秘録』に続いて『広島死闘篇』の脚本を執筆した笠原和夫は、小沼正の一面を山中のキャラクターに取り込んでいたこともあり、東映と笠原は「小沼を好演して受賞した千葉に、山中を演じさせよう」とキャスティングしていた[255]。このような経緯から千葉も、小沼と山中に共通点を見出して役作りしてきたため、初めは交代に難色を示した[255]。ほどなくして深作欣二が会議で唯一「千葉に大友を演じさせたほうが、絶対おもしろくなる」と主張していたことを知り、似たような役を再び演じることは俳優として停滞するのではないかと再考し、「役作りし直すから、出番を少し後にずらしてほしい」と交代を了承した[56][57][255]。この時、中島貞夫も「大友をやるべき」と説得しており、「千葉ちゃんはサクさん(深作欣二)ともよく付き合っていたけど、肝心なところでは僕の意見を聞いてくれた」と話している[256]。北大路に役を譲ったのはこれが初めてでなく、1963年の映画『海軍』に続いて二度目であった[注 19]。
ブロマイドの売上げが俳優部門で4年連続No.1のアイドルでもあったが[55][56][57][60][257]、過激なセリフに悩みながら「これまで良いと思ったものを全て捨てる」という姿勢で、サングラスを常時掛けて眼を隠し、唇を裏返しにして糊付けするなど、役柄にふさわしい演技・扮装を工夫した[57][258]。そして作り上げた大友勝利はシリーズ中1, 2を争う名キャラクターとして人気をつかんでおり[56][60][61]、後のヤクザ映画でも「『仁義なき戦い』の千葉真一さんがやった大友勝利のような」と影響を与え続け、ヤクザ役のひな型となっている[62]。封切り公開されると千葉のイメージチェンジは話題となり[29][56][57][234]、俳優座養成所1期生で千葉と何度か共演している岩崎加根子などからも絶賛され[259]、それを聞いた千葉は「とても自信がついた。悪役の妙味を知ることができ、実に大きなものを与えてくれた作品だった」と語っている[56][57]。大友勝利は人気キャラクターだけあって主人公にした企画が出され[56]、『仁義なき戦い 頂上作戦』にも大友で出演する予定だったが[260]、『広島死闘篇』と同時進行で『柔道一代シリーズ』以来、10年ぶりの格闘映画にクランクインしたため、『仁義なき戦いシリーズ』の再出演は実現しなかった[63]。
多くのヤクザ映画を手掛けてきた俊藤浩滋は「役者でいうと高倉健タイプかな。(ヤクザ映画で)行動派を演じさせれば、ピッと光るものがある」と評している[261]。
格闘映画
1963年から始まる『柔道一代シリーズ』に主演したのが最初の格闘映画で、第二作『柔道一代 講道館の鬼』(1964年)の乱闘シーンで肩を骨折してしまった[229][注 10]。1963年11月には主演映画『空手風雲録』に備え、空手道場で跳び蹴りを繰り出す姿が残されている[注 20]。
1973年の『ボディガード牙シリーズ』で、10年ぶりに格闘映画へカムバック。翌年の『激突! 殺人拳』は、ヤクザ映画が下火になっていた東映にとって、久々の大ヒットを飛ばす作品となった[29][262]。アメリカ合衆国・ヨーロッパ・オーストラリア・カナダの映画会社も『激突! 殺人拳』を買い付けに来ていた[70]。なかでもアメリカのニュー・ライン・シネマは当初ヤクザ映画を購入するつもりだったが、本作を見て心変わりし、「ブルース・リー以上だ。素晴らしい[70]」と評して興行権を買い取り、『The Street Fighter』とタイトルをつけ、千葉をSonny Chiba(サニー ちば)とネーミング[16][17][18][29][注 5]。
1974年11月12日から主にアメリカ中南部の都市18館で封切られ、3週間でベスト5に躍り出て千葉の代表作となった[29][70][71]。アメリカで最も権威のある総合情報週刊誌「Variety」の12月18日付にもこの出来事が掲載され、同誌が初めて日本映画を取り上げるという快挙を成し遂げている[70][71]。大ヒットした要因として「リーの舞踊劇的な功夫と違い、ワザと力もより本物に近く、迫力がある」「器械体操を利用した、トランジスター的器用さが面白い」と評されており[70]、計四作の『殺人拳シリーズ』として封切りされた[263]。忍者の末裔に扮した同年の主演作『直撃! 地獄拳』は、千葉のスピードあるアクションと石井輝男のユーモアとウィットを盛り込んだ演出が組み合わされた作品で、1974年度に4億1700万円の配給収入を上げ、同年度の日本映画配給収入ランキング第5位に入り、アメリカでは『The Executioner』というタイトルで1999年現在、10万本以上のビデオが売れている[264]。
海外ではマーシャルアーツの大スターである「Sonny Chiba」の熱狂的な人気は根強く[75][注 21]、キアヌ・リーブス[80]、クエンティン・タランティーノ、リュ・スンワン[82]、らの著名人の熱烈なファンがおり、谷川貞治は「千葉さんの映画のおかげで格闘技人口がかなり増え、格闘技界の宝だ[265]」と述べている。
岡田茂は「(主人公と)牛との格闘を欧州ではびっくりして、えらく受けている[65]。ショウ・ブラザーズが千葉真一の空手映画を購入してシンガポールでも大ヒット[266]。東南アジア映画祭でジャカルタへ行ったときも、抜群の動員力と人気を上げていた[266]。千葉くんの空手が入って、東南アジア全域で当たり、すごい人気だ[267]。東洋でナンバーワンなんだから、あのアクションをやらせたら世界に(千葉真一以外)いないんじゃないかな[267]」と世界各地の人気・商況・反響を語っている。この頃フランシス・フォード・コッポラは「千葉真一とアル・パチーノの共演で映画を製作したい」と東映へオファーし[65]、千葉も「海外で勝負させてください」と岡田に懇望したが[268]、「まだその時期ではない」と認められなかった[35]。
『けんか空手シリーズ』や『子連れ殺人拳』で千葉とタッグを組んだ山口和彦は「常に自分しかできないアクションを見せることに徹していた。熱心な男で現場でいろいろなアイデアを出してくる。全てのアイデアを聞き入れることはできなかったが、自分がアクション映画を変えるんだという、その意気込みは凄かった。そうやって彼は自分の代わりが居ないところまで到達したからね。千葉真一というアクションスターは永遠に残っていくよ」と評している[269]。
人間ドラマ
アクションスターとして大画面をいっぱいに暴れまわっていた同時期、アクション・格闘・スタントを主としない対照的な作品に主演をし、静の演技を見せ、主戦場のアクション映画・アクションドラマで魅せる姿とは対照的であった[270][271]。
1976年のドラマ『七色とんがらし』を皮切りに、1978年には鎌田敏夫脚本の『十字路』に主演し、不器用ながら朴訥な男を演じていた[270][271]。
インタビュー番組を視聴した山田太一は、(千葉真一に)侍だけでない一面を感じ取り、主演ドラマを書き下ろしたのが、1986年の『深夜にようこそ』である[271]。サラリーマンの悲哀を感じさせる中年を丁寧に演じ、長ゼリフを淡々と、しかし静かに感情を込めながら、発していた[271]。その3年後にも山田とタッグを組み、主演したのが『夢に見た日々』で、挫折を引きずり続ける男に扮し、真実味を与えていた[271]。
いずれもキャリアを積んだ千葉真一の役者としての成熟を感じさせる人間ドラマである[271]。
時代劇
1978年から本格的に時代劇へ進出するが、1963年の『八州遊侠伝 男の盃』以来であった。木刀で殺陣の練習を1日8時間行い臨み、主演映画『柳生一族の陰謀』では20mの崖から川へ飛び込むスタントをした。この作品は千葉が『裏柳生』というタイトルで深作欣二へ提出した企画がベースになっている[62][272][273][274][275]。深作は従来の時代劇でなく、もっとテンポのあるアクション時代劇を作りたかったので、その期待に応えられる俳優は千葉真一、ただ一人しかないと見定めていた[276]。2012年のハリウッド映画『アベンジャーズ』のサミュエル・L・ジャクソンが、扮した役柄は千葉の柳生十兵衛を参考としているなど、後世の作品にも影響を与え、根強い人気がある[77][78][277]。しかし十兵衛で長時間、左目に眼帯をしていたため千葉の右目は酷使され、視力を失い、人工レンズを入れる代償も払っていた[278]。
千葉真一演ずる剣豪・忍者は、空手や器械体操の技を取り入れたアクロバティックな殺陣で、人気を得ている[99][100][279]。その身体能力を活かしたド迫力の殺陣を時代劇の芝居に持ち込み、これまで表現できなかったアクロバティックな動きが、時代劇の殺陣で観れるようになった[280]。時代劇の表現が定形化し、大人しくなっていく中で、新たな可能性を追求・挑戦し続けたスターである[280]。
2007年の『風林火山』を「いままで大河ドラマに不思議と縁が無く、ようやく(出演のオファーが)来たかと思った」と語っており[281]、共演した内野聖陽は
「 | 思い出に残るシーンは、それはもちろん千葉真一さんとの殺陣でしょうね。僕も殺陣が非常に好きで普段から稽古しているんですが、千葉さんといえば世界的にも有名でアクションも凄いじゃないですか。そういう方と殺陣ができるのが、うれしくてしょうがなかった。千葉さんは「どっからでもかかっていらっしゃい」という感じで、どっしりと構えている。僕もこの大きな胸を借りて、思いっきりやってやれという感じで、やらせていただきました。千葉さんはすごく情熱的な方で、収録が終わっても若い人を集めて酒を飲みながら、演技について語っているんですよ。その仲間に僕も入れていただいて、電気が消えて「早く出て行ってください」と言われても、ひたすら飲んで語っていました(笑)。殺陣の極意をいろいろ聞かせていただいて、楽しかったですね。視聴者の方にはお教えできないテクニックも教わって、いろんな意味で勉強になりました(笑)[282]。 | 」 |
と語っている。
市川猿之助は『風林火山』がテレビドラマ初出演だったが、「現場がよかった。千葉真一さんは僕に付きっきりで、映像のことを教えてくれた」と撮影時の様子を振り返っている[283]。
演劇
1980年代、定期的にJACミュージカルを公演し、成功を収めていた[104]。大地真央や少年隊も観劇に来場しており、宝塚歌劇団を退団したばかりの大地は今後どういう方向性で行けば迷っていた頃で、「千葉さんにどうしてもご挨拶をしたい」と要望し、楽屋を訪ねて「刺激を受けました」と伝えている[284]。
JACの設立当初は吹き替えせずにアクションを演じられる俳優・スタントマンを育成する場だったが、ウエスト・サイド物語に感動して「いつかはミュージカルをやりたい」という夢を抱いていた[285]、「肉体は俳優の言葉」というポリシーに「五体で喜怒哀楽を表現する」を加えて生徒を育てていく[234]、「役者を育てるにはミュージカルが一番だと気づいた[29]」、などミュージカル公演は悲願のひとつであった。高平哲郎は1980年代後半からミュージカルやショー関係の舞台が多くなってきたときに、「脇を固めてくれるダンサーや役者は、ほとんどがJAC出身者か劇団四季の退団者だった」と述べている[29]。
外国作品
1966年以降、日本と外国の合作映画や海外資本の作品に主演し始め、1973年から主演し始めた格闘映画が国内外でヒットし始めると、アメリカらオファーが来たものの、東映の反対により進まなかったが、1990年代初頭に『エイセス / 大空の誓い』皮切りに、外国作品に出演し出した[286]。
ハリウッド映画だけでなく、他の外国作品にも出演しており、香港映画では『風雲 ストームライダーズ』が代表作である。
2003年、クエンティン・タランティーノのアメリカ映画『キル・ビル』では“百代目 服部半蔵”として出演と、ユマ・サーマン、ルーシー・リューらハリウッドスターへ剣術指導をした[110]。サーマンは「Sonny(サニー)は大好きよ。私にとって彼は大スターだし、偉大な俳優だと思う[287]」と、一方のリューは「Sonnyは本当にいろいろなことを教えてくれた[288]」と、それぞれ語っている。
後輩の松方弘樹は千葉が海外で活躍している要因を
「 | むちゃくちゃ仕事熱心な方です。しかも弱音を吐いたところを聞いたことがない。映画の現場では遅刻もしなければ、現場から早く自宅に帰ることもない。まじめなんですね。本当に頭が下がる思いです。もう一つかなわないことがあるんです。僕は割と交友関係は広い方なんですが、千葉さんは僕以上に友達が多い。だれとでもすぐに友達になるんですよね。ホントうらやましい。ハリウッドにポンと挑戦できちゃうのも、気さくな性格とこの交友関係の広さなんでしょうね。[35] | 」 |
と評している。
人物
器械体操
君津市君津中学校へ進学すると、千葉の進路に影響を与えることとなる体育教師の松本と出会う[40]。松本は千葉を陸上競技・バレーボール・野球(投手で4番打者[44])など、複数の大会に出場させていた[40]。この頃ヘルシンキオリンピックが開催され、日本勢が体操競技でメダルを獲得したことにより、体操競技の一大ブームが発生する[289]。松本はその時勢に乗り、千葉を「体操部を創るから部員になれ」と勧誘したので、運動部を掛け持ちしながら練習し始める日々となった[289]。勧められての体操競技だったが、やがてオリンピックで日の丸を掲げたいという夢を抱くようになり[20][32]、松本に相談すると「体操するなら木更津一高へ行け」とアドバイスされた[289]。進学校のため躊躇していると松本は練習後にも勉強をみてくれる先生を手配し、その甲斐有って合格[289]。入学後は体操競技に専念し、1年生で全国大会上位入賞、3年生で全国大会優勝を成し遂げた[20][41]。
1957年、日本体育大学体育学部体育学科へ進学[13][36][42][43]。同級生には東京オリンピックの跳馬金メダリストの山下治広がおり、ヘルシンキオリンピックの跳馬銀メダリスト・竹本正男に指導を受けた[20][36]。オリンピック出場を目指して練習に明け暮れていたが、独力で通学することが条件だったので、学費を稼ぐために時給が高い土工や引越しのアルバイトを、身体鍛錬も兼ねて並行していた[290]。大学2年生の夏[注 7]、跳馬を練習中に着地で失敗し、腰・両膝を痛めてしまう[13][36][44][45]。練習とアルバイトの掛け持ちで身体を酷使していたことも加わり悪化し、医者から「1週間運動禁止」と宣告された[13][43]。1週間も練習を休めば差がつくこの時期に、選手を続けることが困難となる[13][36][43]。山下はその実力を「日本の体操選手が不得意にしているあん馬が彼は得意だった。でも大学二年の秋[注 7]、跳馬の練習中に着地を失敗してアキレス腱と腰を痛めてしまって…。あのまま体操を続けていれば、間違いなく東京オリンピックでメダルを獲得できたのに惜しかった」と評し、才能を惜しんでいる[290]。
空手道
東映に入る前から大山道場に通っており、きっかけは大学生の時に大山倍達を知っている韓国人から紹介を受けて入門[291]。格闘映画で千葉の敵役を演じた石橋雅史は極真カラテの先輩にあたる[291][292]。大山は「学生時分から千葉は道場へ通ってきており、仕事の関係でまとまった稽古をしていないまでも、門下生の序列でいうと相当古い方になるんだよ[293]」と語っている。千葉は名誉段位ではなく、一般門下生と同様に昇段審査を受け、1965年10月15日に黒帯(初段)を允許[294]、1977年2月3日に弐段を越えて飛び段で参段[295]、1984年1月20日に四段へ昇段した[31]。
1977年3月16日に空手道による真剣勝負をすることが発表され[296]、4月にハワイで開催された「日本代表極真会館チーム対ハワイ代表チーム」というフルコンタクト空手の対抗戦に参戦した[20][84]。他の日本代表メンバーには大石代悟・二宮城光・東孝・中村誠などがおり[注 22]、対戦相手は「前アメリカ東海岸空手チャンピオンのグレッグ・カーフマン」という180cm以上あるネグロイドであった[85][86]。千葉は通常の空手技の他に、跳び右後ろ回し蹴りや胴回し回転蹴りの元となった前方宙返りして踵で蹴るなど攻撃して、第2ラウンドに二段蹴りでKO勝ちを収めた[20][85][86]。結果的に同年5月14日に国内で封切り公開された映画『空手バカ一代』の宣伝にもなった。大山倍達は「千葉真一の空手映画は欧米で非常なブームとなっており、本職の空手家らの「Sonny Chiba(サニー ちば)の空手は本物」という批評が聞かれていた。極真カラテの黒帯である千葉だからそれも当然で、この対抗試合に出場してその実力を示したのは立派と言うしかない」と述べている[297]。
1984年1月20日 - 22日に開催された極真会館主催の第3回オープントーナメント全世界空手道選手権大会では志穂美悦子・真田広之らジャパンアクションクラブ(JAC)メンバーを率い、演武とテレビのゲスト解説をした。同年8月、極真会館ブラジル支部長・磯部清次の招待により、志穂美・真田・大葉健二を連れてサンパウロへ行き、25日 - 26日に開催された第1回日伯・第8回ブラジル極真空手道選手権大会でも演武を行った[298]。
日本・アメリカ・東南アジアと世界各国で後進の育成・空手道の普及に活動しており、毎年10月には旧武徳殿がある京都市武道センターで少年少女オープン空手道選手権大会「千葉真一総裁杯」を催している。『新 影の軍団シリーズ』で共演した高野八誠は「最終章のラストシーンで千葉さんと殺陣をするんですが、休憩中に千葉さんが後ろ回し蹴りを見せてくれて、すっごい感動しましたね。動きは昔と変わってないなって、改めてビックリさせてもらいました[299]」と、当時66歳の千葉について語っている。
ファン
ファン(国内)
日本では秋山幸二[277]・いしだあゆみ[300]・今井雅之[301][302]・小倉久寛[303]・尾崎将司[304]・竹中直人[305]・吉川晃司[306][307]・関根勤[29]・園子温[308]・高平哲郎[29]、吉本真由美[309]、などのファンがいる。
秋山幸二は「あなたにとってサムライとは?」という問いに「千葉真一の柳生十兵衛は、生きるか死ぬか究極の真剣勝負というイメージがいい」と評した[277]、いしだあゆみは雑誌の表紙撮影で対面したときに「わたし、千葉さんの大ファンなんです」と伝えており[300]、テレビドラマ『雪の朝に』(1987年)にて、いしだは千葉の恋人役で念願の共演を果たし、映画『闇の狩人』(1979年)や千葉主演のテレビドラマ『おわこんTV』(2014年)でも共演した。今井雅之は子供の頃、友達と『キイハンター』ごっこで遊ぶときには、千葉に扮するほどの熱狂的なファンである[301][302][310]。
小倉久寛はアクションヒーローを聞かれ、「千葉真一さんです」と回答[303]。尾崎将司は千葉の『影の軍団シリーズ』を好み、千葉演ずる主人公が敵を倒す前に唱える“天魔覆滅”を“無”と解釈し、「パターの前に“天魔覆滅”と発して打つとリズムが出ていい」と語っている[304]。吉川晃司は「(千葉を)憧れのヒーロー」と答え[306][307]、竹中直人はアクション作品の憧憬として、心に残るアクションスターに千葉を挙げている[305]。吉本真由美は、千葉が主演映画『魔界転生』のプロモーションで『2時のワイドショー』に出演した際、司会の奥田博之から「この吉本くんは大変、千葉さんのファンでしてね。(前日から)眠られない、眠られないと。自分が好きな俳優さんが来られると、この人(吉本)はものを言わなくなってしまうんですよ」と紹介されている[309]。
ジャパンアクションクラブ(JAC)に1980年代初期までに入団したメンバーのほとんどが千葉の勇姿に憧れた者ばかりで、春田純一[311]・大葉健二[312]・志穂美悦子[313][314][315]・関根大学[316]・山田一善[317]・渡洋史[318]、などがいる。
ファン(海外)
日本国外の熱烈なファンにはキアヌ・リーブス[80][81]、クエンティン・タランティーノ[79][264]、サミュエル・L・ジャクソン[76][77][78][319]、ジャッキー・チェン[241]、ジャレッド・フェルナンデス[320]、ジョナサン・ノーラン[321][322]、ブルース・リー[66]、マイク・タイソン[323]、リュ・スンワン[82]、インドネシアの格闘家・俳優のヤヤン・ルヒアン[74]、らがおり、世界の映画人・著名人に影響を与えている。
キアヌ・リーブスは「僕はSonny Chibaの映画とともに育ったようなものなんだ[80]」、「『The Street Fighter』からアクションと芝居を学んだ。僕は映画用のカンフーならできるけど、サニー千葉は実際に人をボコボコにできる。情熱を感じる[81]」と語り、リーブスの主演映画『ジョン・ウィック』のプロモーションで来日した2015年10月に千葉と待望の対面を果たした際には、「Oh my god!」を連発、固い握手を交わし、「ハジメマシテ、マエストロ(巨匠)!」と低頭して挨拶[81]。「あなたはキャラクターを演じるだけでなく、そこにアクションを盛り込んだ。屈強なキャラクターにもあなたが演じると心が感じられる」と身振り手振りを交えながら、リーブスは終始嬉しそうに大はしゃぎしていた[81]。
クエンティン・タランティーノはアメリカ映画『トゥルー・ロマンス』で主人公が『激突! 殺人拳』を映画館で観て、部屋には『カミカゼ野郎 真昼の決斗』、『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』のポスターを貼るなど、千葉の熱狂的ファンである主人公を描いている。サミュエル・L・ジャクソンは初めて千葉に会った時、直立不動で「サインをください」と頼んでいた[319]。千葉が『パルプ・フィクション』の撮影現場を訪問した際、いつもは自信満々で堂々としているジャクソンも、このときばかり緊張を隠せなかった[324]。
ジャッキー・チェンはスターとして認められだした頃に東映京都撮影所へ出向き、千葉を表敬訪問して念願であった対面を実現した[241]。ジョナサン・ノーランは「千葉真一の作品を見て育った」と答え[321][322]、広島東洋カープの投手で映画プロデューサー転身の夢があるジャレッド・フェルナンデスは「中学時代から、Sonny Chibaの映画をよく見ていた。いい映画を作って彼を呼びたい」と言っている[320]。ブルース・リーは『キイハンター』で千葉を知っており[20]、大ファンとなったリーは[66]、共演をオファーしていた[20]。
マイク・タイソンは1990年に試合で来日した際、練習の合間に飯田橋のレンタルビデオショップへ行き、「シンイチ・チバ(千葉真一)の映画はどれ?」と同行した日刊スポーツの記者・首藤正徳に尋ね、上機嫌で計10本を借りて、ホテルへ戻ったが、首藤は「(タイソンは)連日の不調ぶりがウソのように明るかった」と述べている[323]。リュ・スンワンは『キネマ旬報』の2015年12月下旬号で対談した際、千葉から『仁義なき戦い 広島死闘篇』のDVDにサインをしてもらい、「今日はDVDを持って来られなかったのですが、千葉さんの『激突! 殺人拳』が本当に好きなんです。僕があまりにも見ているので、うちの子供たちもテーマ曲を口ずさむことができる。お会いできて光栄です」と喜びを語っている[82]。ヤヤン・ルヒアンは映画『ザ・レイド』のプロモーションで2012年に来日した際、「千葉さんのアクションは本当に勉強になります」と日本が誇る世界のアクションスターに敬意を表した[74]。
交友
交友(国内)
深作欣二・高倉健・大山倍達を「人生で最も影響を受けた特別な存在で最も敬愛する人物[325]」、尊敬する俳優に「ジェームズ・ディーン、ジャン=ポール・ベルモンド、高倉健、若山富三郎、ゲイリー・クーパー[326]」、「親友は夏八木勲[250][327]」を挙げている。
1967年の映画『あゝ同期の桜』で知己を得て以来、最も共演が多い夏八木勲は千葉を[250][327]、
「 | 新人で京都にきたばかりで挨拶の仕方も知らなく、そんな僕を千葉ちゃんがいろいろと面倒みてくれた。「何も知らない奴だから、あまりいじめないでくれよ」と周囲に言ってくれたんです。お陰で見知らぬ京都でかなり過ごしやすくなったので、本当に感謝しています。千葉ちゃんのそういう性格はもちろんだけど、あそこまで自分の肉体を意のままに操れるよう、鍛えていたことに僕はビックリしてね。千葉ちゃんから「JACでアクションの練習をしているから、なっちゃんも暇があったら来てみない?」って誘われたので、時間がある時は練習場に行って、紛れて一緒に鍛えたりしていました。[250] | 」 |
と評しており、千葉と夏八木を知る関係者も「夏八木さんの口からは、千葉さんを絶賛する言葉しか聞いたことがない。千葉さんも夏八木さんを『僕の人生の中で最高の俳優』と認めていて、事あるごとに仕事に誘っていた。互いによき理解者で、尊敬し合えるかけがえのない友だった」と証言している[327]。
深作欣二は「ともかく熱心だった。特にアクションシーンになると、自分からアイデアを出して急にイキイキしてくる。スティーブ・マックイーンみたいになりたいというのが口癖だった[328]」、東映ニューフェイスの先輩でもある高倉健は「お互いに無口なところが妙に気が合ってね。普通なら男同士、酒でも飲んで語り合うもんだが、酒を飲めない俺に気を使ってか、喫茶店でコーヒーを飲んだりメシを食いに行ったりで、内気な恋人同士のデートみたいだった。それでも楽しいんだなあ[51]」、同期の亀石征一郎は「方言が抜けないから研修が終わっても、一人で発音の練習をしていたのが印象的だった[51]」と語る。
デビュー当時から相談に乗っていた潮健児は「東京オリンピックのあった昭和39年(1964年)前後に一番悩んでいた。日本体育大学の友人はオリンピックで名を上げ、『網走番外地』で高倉健さんがスターになった。映画をやめたいと漏らしていた[244]」と苦悩する様子を、鶴田浩二は「融通の利かないところが損しているな。絶対に弁解しないから、誤解されやすい[244]」と、それぞれ慮っている。
中尾彬は千葉県立木更津第一高等学校の後輩で、「前田さん(千葉の本名)」と挨拶する[329]。日体大に在学していた千葉が教育実習で指導した生徒が中尾で、教師と教え子の関係でもあったが、理由もなく反抗して授業をよくサボっていた[329]。芸能界で再会したときに、中尾は非礼を陳謝[329]。中尾の出演ドラマ『二人の刑事』(TBS)を千葉が「観ているぜ」と言うと、中尾は「光栄です」と低頭する間柄である[329]。
特別後援者としてピラニア軍団に関わっており、軍団の結成式が1975年に大阪市の御堂会館で催され、深作欣二・渡瀬恒彦と共に立会った[330]。千葉は舞台へ上がらず、カメラ片手に客席からメンバーに声をかけて裏方に徹し、場を盛り上げていた。そんな千葉に川谷拓三は感謝し「ワシ、生まれて初めてこんな派手なスポットライトを浴びましたわ。ホンマおおきに!」と号泣していた[330]。
交友(海外)
友人であるサミュエル・L・ジャクソン[77][78]、クエンティン・タランティーノのほかには[79]、スティーヴン・セガール[319]、デニス・ヘイスバート、映画プロデューサーのデスティン・パフ[331]、らと親交がある[78][79][319][331]。セガールは流暢な大阪弁で「千葉先生、居てはりまっか?」などと頻繁に連絡してきており[319]、パフは「Sonny Chiba(サニー ちば)のような伝説の俳優と組めるなんて、これ以上の幸せはない[331]」と語っている。
人柄
スポーツニッポン文化部次長だった脇田巧彦は「何事においても、とことん、のめりこむ性質で、適度ということを知らない熱血漢である[32]」と評し、娘の真瀬樹里は「何があっても進んでいく前向きさと、映画への情熱は世界一。パパは私の誇り[117]」と話している。高平哲郎は「打ち合わせ相手を待っていると、後ろのテーブルには千葉さんが女性と仕事の話をしながら、食事をしていた。思わず『高平です。ご無沙汰しています』と声をかけると、千葉さんは立ち上がり、笑顔で『お元気ですか』と答えてくれた。2回しか会ってない私にきちんと挨拶をしてくれるのが、千葉さんの真面目さと優しさなんだと思う[29]」と記している。
日刊スポーツの記者は「圧倒的な存在感をオーラと呼ぶが、それを感じた[35]」、東映ニューフェイスの後輩である堀田眞三は「かつて大流行した『カッコいい!千葉ちゃん!』の言葉通り、“カッコよさ”の象徴だった[332]。国中を席巻したカリスマであり、正真正銘の映画スターとして、醸し出す雰囲気や存在感が全然違う[332]。共演俳優や東映の後輩らも、威厳とパワフルで圧倒されるけど明るくて格好良いと言ってるし、滲み出る男を感じさせてくれる[333][334][335]」、サミュエル・L・ジャクソンは「タフガイを演じる時には、いつも千葉さんの演技を参考にさせてもらっているんだ。カリスマ的な存在感のある、最高にクールな俳優だと思うよ[78]」、あさ美は「かっこよすぎだし、オーラがすごいし、魅入っちゃった[336]」、大木凡人は「とにかくカッコ良く情熱をもったスターです[337]」、小泉孝太郎は「撮影現場に入られただけで、見えていないのにそれと分かる雰囲気を感じるくらい、ものすごい存在感でした。何かに例えるならば、サッカーコートジボワール代表のディディエ・ドログバのような。千葉さんが画面の前にお立ちになると、一気に何かが激変します[注 23][338]」など、異口同音に「(千葉さんには)オーラやカリスマ性がある」と証言している。
真樹日佐夫は「とても折り目正しいところに、淡い好感をおぼえた[339]」、「ニューヨークで酒を酌み交わした時[注 24]、いくら飲んでも崩れを見せぬ見事な酒品だった[340]」と述べ、平松伸二は自身の漫画が映画化されたときに、『ドーベルマン刑事』の撮影現場を訪れて主人公の加納錠治を演ずる千葉真一と会っており、「まさかこんな若い人(平松)が漫画を描いているとはねえ~!」「ホンネを言えば、ボクとかより松田優作くんなんかの方が加納にあってると思ってるんじゃないのかなァ!!」と笑いながら話しかけられ、「図星だった!千葉さんは正直で気さくないい人だった」と回想している[341]。
戸田菜穂は1990年の『第15回 ホリプロタレントスカウトキャラバン』で、約3万4千人の応募者のなかからグランプリに選ばれるが、発表の直前に後ろで控えていると、審査員の1人だった千葉に「いつか共演しましょうね」と声をかけられ、「え、もしかして?!」と嬉しさや驚きを飲み込んだのが「芸能界での一番最初の思い出」と振り返っている[342]。
好尚
- 趣味
高校在学中からハリウッド映画のファンで、アラン・ラッドの『シェーン』やゲイリー・クーパーの『真昼の決闘』など、西部劇・アメリカ映画を夢中で観ていた[41]。水彩画[54]。日記をつけている[235]。愛車は日産・ブルーバード、フォード、白のフォルクスワーゲン1200(1963年型)とセダンに乗り始め[343]、スポーツカーではマツダ・コスモスポーツ(白)とフォード・マスタング・Mach1[344]、マーキュリー・クーガーへ乗り継いだ。トヨタ・カリーナのCMに出演した頃、トヨタよりカリーナの新車を毎年提供されていたので1年間乗った後、志穂美悦子や真田広之らジャパンアクションクラブ(JAC)のメンバーに譲っていた。
- 健康法
健康法は一日一食を心掛け[129]、水素サプリメントを飲んでいた[345][346][347]。
- 思考
「フリーメイソンリーの会員である」と『週刊文春』の2021年1月14日号で記事になり、「友達やまわりに何人もいたんで、いろいろと興味津々、探索しているところ」と取材に答えた[348]。2022年8月19日付の『デイリー新潮』によると、日蓮正宗に帰依し、2019年3月11日付の御授戒と同年12月20日付の御本尊下付願があると配信された[349]。
家族
福岡県福岡市博多区雑餉隈で二男三女の長男(第二子)として生誕[3]。父親は大刀洗町に在った陸軍飛行戦隊に所属する軍人で、母親は熊本県出身で学生時代に陸上競技をしていた[3]。零式二号艦上戦闘機などのテストパイロットを務めていた父親は、初めて建造された空母へ初着艦を成功させるなど、危険な重責業務で給料の半分が飲み代となり、家庭は裕福でなかった[6]。4歳の時、父親が千葉県木更津市へ異動となったため、家族で千葉県君津市へ転居した[4]。終戦後、軍が解体され、父親は漁業組合の役員へ転職したが、家計は厳しかった[6]。小学生の頃から、新聞・牛乳配達をして家計を助けた[290]。しかし「貧乏だったものの大自然に囲まれていたため、米以外は不自由せずにいろいろな食物を食べることができ、自分の土台となった」と当時を述懐している[350]。父親は芸能界入りを猛烈に反対して勘当していたが[48]、作品を観てからは考えを変え[351]、その後は観るのを楽しんでいる[290]。1971年初めには地元の君津市に実家を新築して親孝行をした[352]。
弟の矢吹二朗が中学生になると東京都へ呼び寄せ、学校にも通わせ、育ち盛りの矢吹にはご飯を食べさせ、千葉はコッペパンに水という日々もあった[290]。「ときどき兄貴の腕時計や無理して買ったテープレコーダーが無くなったのは、きっと質屋へ持って行っていたと思う。僕には心配させまいと、一言も言わなかった」と語る[290]。
テレビドラマ『キイハンター』で共演した野際陽子と1973年に結婚し、一人娘の真瀬樹里を儲ける。おしどり夫婦として有名だったが、ハリウッドで仕事が増え始めて拠点を移したい千葉と[353]、日本に居たい野際の意志不一致から[353]、1994年に離婚。記者会見を野際と一緒に行うなど憎みあっての離婚ではないため、真瀬共々良好な関係を続けており、真瀬とはテレビ時代劇『寺子屋ゆめ指南』、『風林火山』で共演し、複数のトーク番組へ一緒に出演している。1996年に28歳年下の一般女性と再婚。長男・新田真剣佑と次男・眞栄田郷敦を授かり、アメリカ合衆国カリフォルニア州ビバリーヒルズに在住していた[35][115][116][118]。2015年に一般女性と離婚したが[354]、その女性とは子供たちともども良好な関係を続けていた[107]。
受賞
☆ノミネートを含む。
- ミスタースポーツモデル - ウェアモデル入賞(1958年)
- エランドール賞 - 新人賞(1962年)
- 日本映画製作者協会 - 新人賞(1967年)
- 京都市民映画祭 - 主演男優賞『日本暗殺秘録』(1969年)
- 京都市民映画祭 - 主演男優賞 『沖縄やくざ戦争』(1976年)
- 第2回日本アカデミー賞 - 優秀助演男優賞 『柳生一族の陰謀』(1979年)
- 第22回ブルーリボン賞 - スタッフ賞(1979年)
- 千葉真一とジャパンアクションクラブによる、日本映画のアクション技への貢献に対して)
- 第18回香港電影金像奨 - 優秀主演男優賞 『風雲 ストームライダーズ / 雄覇天下』(1999年)
- 第30回サターン賞 - 助演男優賞ノミネート 『キル・ビル』(2004年)
- 第25回ハワイ国際映画祭 - MAVERICK AWARD(2005年)
- 映画への貢献を称える特別賞
- 日本映画の発展に貢献した俳優
- OKINAWA シネマ&ミュージックアワード - 映画部門功労賞(2006年)
- 「おきなわシネマ&ミュージックフェスタ2006」にて、映画の発展に貢献したクリエイターとして表彰
- 天草映画祭 - 風の賞 特別賞(2007年)
- SINGAFEST 2011〔ビッグフット・エンターテインメント主催〕- LIFETIME ACHIEVEMENT AWARD(2011年)
- MARTIAL ARTS LEGEND Sonny Chibaを表彰
出演
映画
国内映画
☆太字は主演やスタッフ兼務作品。諸外国との合作映画は#海外映画を参照。社名のない作品は東映。
- 宇宙快速船(1961年、ニュー東映) - 主演・立花真一 / アイアンシャープ
- ファンキーハットの快男児シリーズ(1961年) - 主演・天下一郎
- ファンキーハットの快男児(ニュー東映)
- ファンキーハットの快男児 二千万円の腕
- 次郎長社長と石松社員シリーズ
- 進藤の社長シリーズ 石松社員は男でござる(1961年) - 長島
- 次郎長社長と石松社員 安来ぶし道中(1963年) - 塩見寛
- 南太平洋波高し(1962年) - 結城
- 恋愛学校 ラブ・スクール(1962年、ニュー東映) - 木暮慎一
- 二・二六事件 脱出(1962年、ニュー東映) - 篠原上等兵
- 恋と太陽とギャング(1962年、ニュー東映) - 山内
- あの空の果てに星はまたゝく(1962年) - 堀本義夫
- 残酷な月(1962年) - 正木
- 山麓(1962年) - 速水信吉
- 八月十五日の動乱(1962年) - 大森医師
- ギャング対Gメン(1962年) - 梶修
- 王将(1962年) - 毛利
- 事件記者シリーズ - 主演・城野大助
- こまどり姉妹シリーズ(1963年)
- こまどりのりんごっ子姉妹 - 梅さん
- こまどり姉妹 未練ごころ - 富沢健一
- 暴力街(1963年) - 市ノ木一夫
- 特別機動捜査隊シリーズ(1963年) - 主演・内藤刑事
- 柔道一代シリーズ - 主演・本郷四郎
- 柔道一代(1963年)
- 柔道一代 講道館の鬼(1964年)
- 八州遊侠伝 男の盃(1963年) - 佐太郎
- 浅草の侠客(1963年) - 葉山新介
- 海軍(1963年) - 牟田口隆夫
- やくざの歌(1963年) - 主演・新田俊次
- ギャング忠臣蔵(1963年) - 矢頭七郎
- 白い熱球(1963年) - 主演・荻原要太
- わが恐喝の人生(1963年) - 小沢伍郎
- 地獄命令(1964年) - 大松信一
- 東京アンタッチャブル 売春地下組織(1964年) - 原田芳夫
- 君たちがいて僕がいた(1964年) - 矢吹誠
- 竜虎一代(1964年) - 松橋新一
- あの雲に歌おう(1965年) - 戸野村淳
- 可愛いあの娘(1965年) - 森本
- おゝい、雲!(1965年) - 辰巳三郎
- にっぽん泥棒物語(1965年) - 大木弁護士
- 逃亡(1965年) - 立石三郎
- やくざGメン 明治暗黒街(1965年) - 柴山徹
- 無頼漢仁義(1965年) - 陣内壮一
- 網走番外地シリーズ
- 網走番外地 北海篇(1965年) - 葉山
- 網走番外地 南国の対決(1966年) - 谷村
- 夜の牝犬(1966年) - 大月辰男
- 太陽に突っ走れ(1966年) - 主演・進藤孝
- 子守唄シリーズ - 主演・遠藤文吾
- 黄金バット(1966年) - 主演・ヤマトネ博士
- 組織暴力(1967年) - 主演・高杉晋次
- あゝ同期の桜(1967年) - 半沢少尉
- 北海遊侠伝(1967年) - 間修一
- ギャングの帝王(1967年) - 松本
- 河内遊侠伝(1967年) - 主演・杉本駒吉
- 人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊(1968年) - 滝口航海長
- 陸軍諜報33(1968年) - 主演・山本和夫
- あゝ予科練(1968年) - 児玉少尉
- 不良番長 猪の鹿お蝶(1969年) - 藤木光男
- 日本暗殺秘録(1969年) - 主演・小沼正 - 京都市民映画祭主演男優賞、昭和44年度芸術祭参加作品。
- やくざ刑事シリーズ - 主演・隼田志郎
- やくざ刑事(1970年)
- やくざ刑事 マリファナ密売組織(1970年)
- やくざ刑事 恐怖の毒ガス(1971年)
- やくざ刑事 俺たちに墓はない(1971年)
- 最後の特攻隊(1970年) - 三島大尉
- 狼やくざシリーズ
- 狼やくざ 殺しは俺がやる(1971年) - 主演・氷室剛介
- 狼やくざ 葬いは俺が出す(1972年) - 主演・伊吹徹
- 麻薬売春Gメンシリーズ(1972年)
- 麻薬売春Gメン - 主演・菊池靖男
- 麻薬売春Gメン 恐怖の肉地獄 - 主演・菊地春夫
- 銀蝶流れ者 牝猫博奕(1972年) - 東隆次
- 仁義なき戦い 広島死闘篇(1973年) - 大友勝利
- ボディガード牙シリーズ(1973年) - 主演・牙直人
- 殺人拳シリーズ
- ルバング島の奇跡 陸軍中野学校(1974年) - 主演・菊地一郎
- 地獄拳シリーズ(1974年) - 主演・甲賀竜一
- 女必殺拳(1974年) - 響征一
- 少林寺拳法(1975年) - 主演・宗道臣
- 若い貴族たち 13階段のマキ(1975年) - 日向健一
- ウルフガイ 燃えろ狼男(1975年) - 主演・犬神明
- 新幹線大爆破(1975年) - 青木運転士
- けんか空手シリーズ - 主演・大山倍達
- けんか空手 極真拳(1975年)
- けんか空手 極真無頼拳(1975年)
- 空手バカ一代(1977年)
- 爆発! 暴走族(1975年) - 津上
- 新仁義なき戦い 組長の首(1975年) - バーテンダー - カメオ出演[62]。
- 激突! 合気道 (1975年) - 名取新兵衛
- 必殺女拳士(1976年) - 桧垣一真
- 横浜暗黒街 マシンガンの竜(1976年) - 小松啓市
- ラグビー野郎(1976年) - 大館力男
- 脱走遊戯(1976年) - 主演・神木渡
- 沖縄やくざ戦争(1976年) - 主演・国頭正剛 - 京都市民映画祭主演男優賞。
- やくざ戦争 日本の首領(1977年) - 迫田常吉
- 北陸代理戦争(1977年) - 金井八郎
- 日本の仁義(1977年) - 木暮勝次
- ドーベルマン刑事(1977年) - 主演・加納錠治
- トラック野郎・度胸一番星(1977年) - 新村譲次
- 瞳の中の訪問者(1977年、ホリ企画) - 酔っ払い - カメオ出演。
- 柳生一族の陰謀(1978年) - 主演・柳生十兵衛三厳 - 第2回日本アカデミー賞優秀助演男優賞。
- 宇宙からのメッセージ(1978年、東映 / 東北新社) - ハンス王子
- 沖縄10年戦争(1978年) - 伊波朝勇
- 赤穂城断絶(1978年) - 不破数右衛門
- 白昼の死角(1979年、東映 / 角川春樹事務所) - 太田洋助
- 闇の狩人(1979年、俳優座 / 松竹) - 下国左門
- 蘇える金狼(1979年、角川春樹事務所) - 桜井光彦
- 戦国自衛隊(1979年、角川春樹事務所) - 主演・伊庭義明三尉 兼 アクション監督
- 復活の日(1980年、角川春樹事務所 / TBS) - 山内博士
- 忍者武芸帖 百地三太夫(1980年) - 不知火将監 兼 アクション監督
- ちゃんばらグラフィティー 斬る!(1981年)
- 魔界転生(1981年、東映 / 角川春樹事務所) - 主演・柳生十兵衛光厳[注 25]
- 吼えろ鉄拳(1981年) - 太刀川俊介 兼 アクション監修
- 冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-(1981年) - 主演・神風大介
- 蒲田行進曲(1982年、角川春樹事務所 / 松竹) - 本人 - 友情出演。
- 伊賀忍法帖(1982年、角川春樹事務所 / 東映) - 柳生新左衛門
- 伊賀野カバ丸(1983年) - 伊賀野才蔵 兼 企画
- 里見八犬伝(1983年、角川春樹事務所) - 犬山道節
- コータローまかりとおる!(1984年) - ムーア公国大佐 兼 企画
- 最後の博徒(1985年) - 加納良三 〔モデル : 美能幸三〕
- キャバレー(1986年、角川春樹事務所) - 関東連合組長 - ゲスト出演。
- 必殺4 恨みはらします(1987年、ABC / 松竹) - わらべや文七
- 将軍家光の乱心 激突(1989年) - 伊庭庄左衛門 兼 アクション監督 - 第39回ベルリン国際映画祭招待作品。
- 丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる(1989年、丹波企画 / 学習研究社)※特別出演。
- せんせい(1989年、トム・ソーヤ企画) - 牛山誠 兼 プロデューサー
- 極道戦争 武闘派(1991年) - 笠井高次
- いつかギラギラする日(1992年、日本テレビ / バンダイ / 松竹) - 柴
- ちんちろまい(2000年、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント) - 黒田武士
- 実録・安藤昇侠道伝 烈火(2002年、東映ビデオ) - 阪東連合幹事長 土方泰典
- 伝説のやくざ ボンノ シリーズ(東映ビデオ) - 山賀組 山倉組組長 山倉健一
- 伝説のやくざ ボンノ 烈火の章(2002年)
- 伝説のやくざ ボンノ 落日の章(2003年) - OV.
- 新 影の軍団シリーズ(シネマパラダイス) - 主演・初代服部半蔵
- 新 影の軍団(2003年) - 兼 企画
- 新 影の軍団II(2003年) - 兼 企画 - OV.
- 新 影の軍団III 地雷火(2003年) - 兼 製作総指揮
- 新 影の軍団IV 地雷火(2003年) - 兼 製作総指揮 - OV.
- 新 影の軍団V(2005年)
- 新 影の軍団 最終章(2005年)
- バトル・ロワイアルII 鎮魂歌(2003年、東映 / テレビ朝日) - 三村真樹雄
- 銭道シリーズ(シネマパラダイス) - 神開浩次郎
- SURVIVE STYLE5+(2004年、東北新社) - 主演・薬品会社社長 風間
- 猿飛佐助 闇の軍団シリーズ(2005年) - 柳生十兵衛三厳
- 猿飛佐助 闇の軍団3 風の巻
- 猿飛佐助 闇の軍団4 火の巻 完結篇
- THE WINDS OF GOD -KAMIKAZE-(2006年、松竹) - 太田信忠 飛行隊長
- マスター・オブ・サンダー 決戦!! 封魔龍虎伝(2006年、日活) - 源流和尚
- 親父(2007年、チェイスフィルムエンタテインメント) - 主演・沼田竜道 兼 監督
- 修羅の花道シリーズ(2012年、コンセプトフィルム) - 須玉誉士夫 - 特別出演。
- 修羅の花道
- 修羅の花道 2 - OV.
- 日本統一シリーズ(2013年、オールインエンタテインメント) - 初代侠和会会長 権田誠蔵(初代権田組組長)
- 日本統一
- 日本統一 2 - OV.
- ニンジャセオリー(2014年、ワッヘンフィルムスタジオ) - 忍者マスター - 特別出演。
- 修羅の伝承 荒ぶる凶犬(2014年、アスプロスドラーゴ) - 主演・秋山秀平
- 歌舞伎町はいすくーる(2014年、コンセプトフィルム / NKTエンターテイメント) - 八海山理事長 - 特別出演。
- エイプリルフールズ(2015年、フジテレビ / 共同テレビジョン) - 強面暴力団幹部
- 騒音(2015年、浅井企画 / スタジオブルー) - 特別指導教官
- 極道天下布武シリーズ(2017年、オールインエンタテインメント) - 安芸 毛利屋一家総長 毛利屋元就
- 極道天下布武 第一幕
- 極道天下布武 第二幕
- 極道天下布武 第四幕
- 写真甲子園 0.5秒の夏(2017年、シネボイス) - 椅子工房の職人
海外映画
- カミカゼ野郎 真昼の決斗(1966年、日台合作) - 主演・御手洗健
- 海底大戦争(1966年、日米合作) - 主演・安部
- 東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯(1973年、日香泰韓合作) - 主演・和田達也
- 激殺! 邪道拳(1977年、日香泰合作) - 主演・無音笛 兼 企画
- ゴルゴ13 九竜の首(1977年、日香合作) - 主演・ゴルゴ13(デューク東郷)
- 武士道ブレード(1981年、英米合作) - 井戸守
- HAKEN 覇拳 ふりむけば修羅(1992年、日香合作) - 高阪正 兼 監督
- エイセス / 大空の誓い(1992年、米) - スエオ・ホリコシ大佐
- 地雷原 A mine field.(1992年、日泰合作) - 主演・高木弘道 兼 原案
- リゾート・トゥ・キル(1994年、米墨合作) - 主演・Jiro 'J.J.' Jintani
- ザ・サイレンサー MAGNUM357(1994年、日米合作) - 主演・マコト
- 風雲 ストームライダーズ(1998年、香港) - 主演・雄覇 - 第18回香港電影金像奨 優秀主演男優賞。
- 小李飛刀之飛刀外傳 The Legend Of The Flying Swordsman(2000年、香港) - 李元覇
- 狼たちの伝説 亜州黒社会戦争(2000年、香港) - 草刈一雄
- キル・ビル(2003年、米) - 100代目服部半蔵 兼 剣術指導 - 第30回サターン賞 助演男優賞。
- 爆裂都市 / Explosive City(2004年、香港) - Otosan
- ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT(2006年、米) - カマタ組長
- SUSHI GIRL(2012年、米) - 寿司職人
- テイク・ア・チャンス〜アメリカの内弟子〜(2015年、米) - 宮本武蔵
テレビドラマ
国内ドラマ
- 新 七色仮面(1960年、MBS) - 主演・二代目七色仮面 / 蘭光太郎
- ドキュメンタリードラマ / 指名手配 第38回 悪魔の火(1960年7月6日、NET) - 主演
- アラーの使者(1960年、NET) - 主演・鳴海五郎 / アラーの使者
- 浅草の灯(1963年、NET)
- 鉄道公安36号(1964年、NET) - 主演・早川公安官
- 第53話「シグナルは赤だ」
- 第72話「終電車」
- 第78話「影ある牙」
- 第79話「消えた荷箱」
- 東芝日曜劇場(TBS)
- 特別機動捜査隊 第207話「大都会 後編」(1965年、NET) - 小松刑事
- 黄色い風土(1965年 - 1966年、NET)
- くらやみ五段(1965年 - 1966年、NET) - 主演・倉見達也
- キイハンター(1968年 - 1973年、TBS) - 主演・風間洋介
- 特命捜査室 第9話「デートは殺しのタイム」(1969年8月28日、フジテレビ)
- 柔道一直線(TBS) - 鷲尾
- 刑事くん(TBS) - 矢吹刑事
- ロボット刑事(フジテレビ) - 新條敬太郎
- サスペンスシリーズ / 現代鬼婆考 殺愛(1973年9月28日、MBS) - 主演・大庭しげ / 大庭しげ男
- ザ・ボディガード(1974年、NET) - 主演・鷲見秀介
- ザ★ゴリラ7(1975年、NET) - 主演・風見大介
- 燃える捜査網(1975年 - 1976年、NET) - 主演・大神史郎
- 大非常線(1976年、NET) - 主演・五代正弘
- ナショナルゴールデン劇場 / 七色とんがらし(1976年、NET) - 主演・鮫島鉄男
- 新伍とんでけ捕物帳(1977年、TBS)
- 土曜ドラマ 鎌田敏夫シリーズ / 十字路(1978年、NHK) - 主演・木原潤三
- 土曜ワイド劇場
- 想い出の海辺 パパ、ぼく死にたくない!!(1978年9月9日、ANB) - 主演
- 旅行けば連続殺人(1988年7月16日、ANB) - 南条哲也
- OL潜入! ニッポン風俗名所(1989年6月17日、ABC) - 岩田
- 柳生一族の陰謀(1978年 - 1979年、KTV) - 主演・柳生十兵衛三厳
- ドラマ ネットワーク 第3弾 / 雪山讃歌・ある青春 〜 立てた! 滑れた!(1978年10月28日、フジテレビ) -
- 南十字星 コルネリアお雪異聞 わたしの山田長政(1978年、ABC) - 宮本武蔵 - 特別出演。
- 影の軍団シリーズ(KTV)
- 木曜ゴールデンドラマスペシャル / 東京大地震マグニチュード8.1(1980年4月17日、ytv) - 主演・小林
- 柳生あばれ旅シリーズ(ANB) - 主演・柳生十兵衛三厳
- 警視庁殺人課 第1話「復讐のバラード」(1981年4月13日、ANB) -
- 宇宙刑事ギャバン(ANB) - ボイサー - 特別出演。
- 宇宙刑事シャリバン 第15話「海鳴りの仕掛島」(1983年6月10日、ANB) - ボイサー - ノンクレジット。
- 水曜ロードショー特別企画 / 素晴らしきサーカス野郎(1984年1月4日、日本テレビ) - 主演・前島大学 兼 企画
- 金曜ドラマ / 深夜にようこそ(1986年、TBS) - 主演・村田耕三
- TBS大型時代劇スペシャル(TBS)
- 金曜女のドラマスペシャル / 雪の朝に(1987年5月1日、フジテレビ) - 坂本医師
- 旅少女(1987年、NHK ) - 石川猛志
- SAISON SPECIAL / 秋のシナリオ(1987年11月6日、日本テレビ) - 辰巳プロデューサー
- 新春時代劇スペシャル(ANB)
- 家光と彦左と一心太助 天下の一大事(1989年) - 柳生十兵衛三厳
- 新吾十番勝負(1990年) - 梅井多門
- 戦国乱世の暴れん坊 斎藤道三 怒涛の天下取り(1991年) - 明智光綱
- シリーズ街 / 夢に見た日々(1989年、ANB) - 主演・関本慎作
- 時代劇スペシャル / 十七人の忍者(1990年10月10日、フジテレビ) - 主演・伊賀三ノ組 組頭 甚伍左 兼 監督補
- 徳川無頼帳(1992年、テレビ東京) - 主演・廓幻之介(松平忠輝) 兼 監修
- 森蘭丸〜戦国を駆け抜けた若獅子〜(1993年8月10日、テレビ東京) - 森三左衛門可成
- 土曜グランド劇場 / 聖龍伝説(1996年、日本テレビ) - 冴木勇次
- 金曜時代劇(NHK)
- できちゃった結婚(2001年、フジテレビ) - 小谷一徹
- アストロ球団(2005年、テレビ朝日) - J. シュウロ
- 大河ドラマ / 風林火山(2007年、NHK) - 板垣信方
- 木曜ミステリーシアター / 秘密諜報員 エリカ #13 最終話(2011年12月29日、ytv) - 聖フランシスコ教会の牧師 - 友情出演。
- プレミアムよるドラマ / おわこんTV (2014年、NHK BSプレミアム) - 主演・荒巻源次郎 - 文化庁芸術祭参加作品[124]。
海外ドラマ
演劇
- 柳生十兵衛 魔界転生(1981年7月3日 - 7月28日、新宿コマ劇場) - 主演・柳生十兵衛光厳[注 25] - 第1回JACミュージカル『スタントマン物語』と同時上演。
- ゆかいな海賊大冒険 - 主演・ダイダロス船長 兼 演出
- 酔いどれ公爵(1985年、新宿コマ劇場) - 主演・ロベール公爵 兼 企画・原案・演出 - 第5回JACミュージカル。
- スタントマン 愛の物語(1986年4月3日 - 4月27日) - 主演 兼 企画監修 - 第6回JACミュージカル。新美正雄演出。『アドベンチャー 青春の出発』と同時上演。新宿コマ劇場開場30周年記念。
- 千葉真一奮闘公演 影の軍団(1987年、大阪府中座) - 主演・服部半蔵
- 風林火山 晴信燃ゆ(2008年4月5日 - 4月27日、日生劇場) - 板垣信方
- BIOHAZARD THE STAGE(2015年10月22日 - 11月1日、EX THEATER ROPPONGI) - エズラ・セネット
Vシネマ
☆海外で公開された作品、シリーズに映画とOV両方がある作品は#映画を参照。
- 悲しきヒットマン 蒼き狼(2001年、GPミュージアム) - 龍神会組長 三好
- 悪名 シリーズ(シネマパラダイス)全2作 - 黒島東洋蔵
- 悪名 AKUMYOH(2001年)
- 悪名2 〜荒ぶる喧嘩魂〜(2002年)
- 殺しの軍団 シリーズ(シネマパラダイス)全2作 - 神羅組組長 神羅忠次郎
- 殺しの軍団(2001年8月)
- 殺しの軍団 関西制圧への道(2001年10月)
- 浪商のヤマモトじゃ! 喧嘩野球編(2003年、GPミュージアム)
- 実録・九州やくざ烈伝 兇健と呼ばれた男(2003年、シネマパラダイス) - 雄仁会初代会長 大賀磯治
- 新・日本の首領 シリーズ(2004年、シネマパラダイス) - 二代目辰野会舎弟頭 高野松雄
- 実録九州やくざ抗争 誠への道シリーズ(2006年・2007年、GPミュージアム)全2作 - 雄仁会初代会長 大賀磯治 - 特別出演。
- 実録・九州やくざ抗争 誠への道(2006年)
- 実録・九州やくざ抗争 誠への道 完結編(2007年)
- 千年の松 シリーズ(GPミュージアム)全2作 - 元関根組組長 関根
- 極道の紋章 第十八章(2012年、オールインエンタテインメント) - 九州 白浜一家総長 城島誠太郎 - 特別出演
- 首領の道6・7・8・9(2013年、オールインエンタテインメント) - 東和総業総長 高木レイホウ
- 関東極道連合会1・2(2014年・2015年、オールインエンタテインメント) - 博徒集団国士会会長 守川
- 頂点(てっぺん)1・2・3(2017年、オールインエンタテインメント)全3作 - 藤倉
ライブ
- 千葉真一ショー(1967年 - 1969年) - ザ・サタンズと共に歌謡ショーを地方公演
- 春を呼ぶフェスティバル(1971年1月30・31日、梅田コマ・スタジアム)
ドキュメンタリー
- 千葉真一 4,000メートルのマンモスマウンテンを滑る(1974年5月6日、東京12ch)
- アクションスターはこうして作る!! -汗と涙の特訓合宿-(1985年、日本テレビ)
- なんだ、こいつら。JACスーパーアクション in 激突(1989年、東映ビデオ)
- Japanorama「伝説〔Legends〕」(2007年4月9日、BBC)
情報
- 本格報道 INsideOUT「銀幕にかける情熱 夢・ロマン そて挑戦」(2013年3月20日、BS11)
- 謎解き! 江戸のススメ「柳生一族」〜知られざる真実〜(2013年9月2日、BS-TBS)
声(ドラマ・語り手)
- レコード
- ラジオドラマ
- セイ!ヤングスペシャル 宇宙からのメッセージ(1978年4月19日、文化放送) - ハンス王子
- 語り手
肖像
- 小説
- レコードジャケット
- ザ・ゴリラ7のテーマ(1975年、テイチクレコード)
- 空手道(1975年、ワーナー・パイオニア)
- 光と影のバラード(1981年、SMS Records)
CM
- トヨタ自動車 - トヨタ・カリーナ(1970年 - 1988年)※初代から4代目まで[358]。
- 日本盛 - 清酒 日本盛(1970年 - 1971年)
- オリエント時計 - 液晶クオーツ(1976年 - 1978年)
- ハウス食品 - ジャワカレー(1976年 - 1982年) - 野際陽子と共演。
- 合同酒精 - ワリッカ(1979年 - 1984年)
- PHILIPS - フィリシェーブ(1981年 - 1982年[359])
- 洋服の青山(1982年 - 1986年)
- ニコちゃん食品 - いももちおふくろさん(1985年)※野際と共演。北海道のみ。
- がまかつ - 釣竿がま鮎マークII(1985年)
- 原ヘルス工業 - バブルスター(1989年 - 1990年)※梅宮辰夫・松方弘樹・北大路欣也・山城新伍と共演。
- JTB - エース「夫婦いい旅」(1991年)※野際と共演。
- サントリー - ビア吟生(1991年 - 1992年)
- 登別伊達時代村(1992年)※北海道のみ。
- 関西デジタルホン - しゃべるならデジタルホン(1995年 - 1997年)※クエンティン・タランティーノと共演。関西のみ。
- しゃべりすぎの男 税関篇
- しゃべりすぎの男 喫茶店篇
- しゃべりすぎの男 銭湯篇
- 千葉県選挙管理委員会 - 千葉県知事選挙「千葉県にあなたの真剣な一票を」(2001年)
- キリンビバレッジ - 超力水(2002年)
- サントリー - なっちゃんスムージー(2004年)
- ノドボトケさん・とても新しい感覚だ 証言篇
- ノドボトケさん・スムージィー 証言篇
- ノドボトケさん・発音がなってないな 証言篇
- ノドボトケさん・おじさん頭が悪いから 証言篇
- ニューギン - CR新 影の軍団「忍者隊」(2006年)
- フィールズ - CR七人の侍「雨の中の戦い」(2008年)
- ニューギン - CR柳生一族の陰謀(2011年)
- 百年の活力 - 砂漠人参カンカ(2013年)
- エバーライフ - 鮫肝海王(2013年)
- 湯浅温泉 湯浅城(2013年)※和歌山県のみ。
- NTTドコモ - ドコモ光「何がはじまる?」篇(2015年 - )※渡辺謙・安藤玉恵・佐藤江梨子・マキタスポーツと共演 兼 ナレーション。
監督・演出・監修
☆出演兼務の作品は#出演を参照。
- 映画
- 演劇
- スタントマン物語(1981年7月3日 - 7月28日、新宿コマ劇場、第1回JACミュージカル) - 演出 - 深作欣二監修、『柳生十兵衛 魔界転生』と同時上演。
- アドベンチャー 青春の出発(1986年4月3日 - 4月27日、第6回JACミュージカル) - 演出 兼 企画 - 『スタントマン 愛の物語』と同時上演、新宿コマ劇場開場30周年記念。
- 商品
音楽
☆太字は作曲兼務。声の出演は#声(ドラマ・語り手)を、写真のみの出演は#肖像を、それぞれ参照。
- シングル
-
- 男一匹生きるなら([1963年1月、歌謡コダマ)
- ともしび(1963年3月、特選歌謡コダマ)
- 本当だぜ 君(1963年3月、特選歌謡コダマ)
- 東横線で帰ろうよ[注 26](1963年9月21日、歌謡コダマ)
- くらやみ五段(1965年、コダマプレス)
- くらやみなげのうた[注 27](1965年、コダマプレス) - 楽曲「くらやみ五段」のB面。
- 瞼のうた(1965年、コダマプレス)
- 素敵なカミカゼ野郎(1966年、クラウンレコード)
- 恋のアドベンチャー(1966年、クラウンレコード) - 楽曲「素敵なカミカゼ野郎」のB面。
- 太陽も笑っている(1966年、ミノルフォン)
- 妻に捧げる歌(1966年、ミノルフォン)
- 握手をしよう[注 28][注 29](1968年、キングレコード)
- 母のひざはゆりかご[注 28][注 30](1968年、キングレコード) - 楽曲「握手をしよう」のB面。
- 男の子守唄(1968年、キングレコード)
- 女の片えくぼ(1968年、キングレコード)
- 一匹狼(1970年、キングレコード)
- 白いワゴン(1970年、キングレコード)
- 俺たちに墓はないから[注 31](1970年、キングレコード) - 映画『やくざ刑事 俺たちに墓はない』の主題歌。
- 夕日に立つ乙女[注 32](1970年、キングレコード) - 楽曲「俺たちに墓はないから」のB面。
- 野良犬のブルース(1971年、キングレコード)
- 白い月の浜辺(1971年、キングレコード)
- 葬いは俺が出す[注 33](1972年、キングレコード) - 映画『狼やくざ 葬いは俺が出す』の主題歌。
- 母を亡くした禿鷹よ[注 34](1972年、キングレコード) - 楽曲「葬いは俺が出す」のB面。
- 流れ唄(1973年、キングレコード)
- 街角のエトランゼ(1973年、キングレコード)
- 旅人ひとり(1975年、テイチクレコード)
- 限りなき愛 〜千葉真一のラブテーマ〜(1976年、テイチクレコード)
- 小さな旅立ち(1976年、テイチクレコード)
- '曠野(1985年、VAP)'
- 影(1985年、VAP)
- 粋な関係(2020年、日本コロムビア) - 楽曲「ごめんね大丈夫」のB面、清水節子とのデュエット。
- アルバム(オムニバス含む)
-
- 東京紳士(1963年、別冊歌謡コダマ) - 『歌う東映スター』の1曲目に収録[360]。
- アクションスターNo.1 - 千葉真一の魅力(1971年、キングレコード)
- 作詞
-
- 光への叫び(1981年) - ミュージカル『スタントマン物語』の主題歌
- 誓い(JACのテーマ)(1983年) - 時代劇『影の軍団III』の主題歌
- エグゼクティブ・プロデューサー
著書
- 千葉真一『千葉ちゃんのスポーツ特訓』(初版)KOUSAIDO BOOKS、1977年5月25日。ASIN B000J8VCIM。 NCID BA71724274。
- 千葉真一『千葉真一 改め 和千永倫道』(初版第1刷)山と渓谷社、2008年5月5日。ISBN 4-6353-4022-8。OCLC 227283266。
- 千葉真一『千葉流 サムライへの道』(初版第1刷)ぶんか社、2010年9月20日。ISBN 4-8211-4269-4。OCLC 662404923。
- 千葉真一『DVD BOOK 千葉真一のキッズアクション入門』(第1版第1刷)ベースボールマガジン社、2014年8月1日。ISBN 4-5831-0739-0。OCLC 889958889。
- 千葉は監修を担当。
- 千葉真一『侍役者道 〜我が息子たちへ〜』構成 米谷紳之介(第1刷)、双葉社、2021年12月25日。ISBN 978-4-5753-1684-1。OCLC 1289471537。
- 千葉の没後の出版。
脚注
注釈
- ^ 母は野際陽子。
- ^ a b 母は一般人。
- ^ a b これまでは個人事務所「ルイアンドリーブス」と[130]、アストライアが[132]、窓口となっていた[130][132]。今回の再編で「エム&リーヴス」に事業を統一することが同社議事録にも記されており、千葉は直筆署名をしている[131]。社名の「エム」は真剣佑のイニシャル「M」が由来で、ゆくゆくは次男・眞栄田郷敦も合流する構想があった[131]。
- ^ a b 1969年の近代映画の『千葉真一特集号』では東映東京撮影所の所長である山崎真一郎が「千葉県出身ということで千葉、そして仕事を忠実に真心込めて」という意味で命名したと紹介しているが[14]、千葉自身は「山崎所長から『千葉から来たから名字を千葉、名前はオレの名前をとって真一にしろ』と言われた」と述べている[15]。
- ^ a b c d e ニュー・ライン・シネマがアメリカで『激突! 殺人拳』を『The Street Fighter』のタイトルで封切公開した際に、社長のロバート・シェイが命名した[16][17]。それが他国に広まり、世界での通称となったが、英語圏でSonny(サニー)は男性の名前に使われるほか、口語で「兄ちゃん・坊や」という意味があり、愛称の“千葉ちゃん”を欧米風に訳した。その後、JJ Sonny Chibaと改名したが、JJ はJustice Japan(正義の日本)の略である[17][18][19]。
- ^ a b 「82歳元祖アクションスター」『スポーツ報知』紙面 第11版、1頁[37]。
- ^ a b c 出典により、夏または秋としている。
- ^ a b c 日本体育大学は「3年以上の在籍で100単位以上の取得。その後の社会的な活躍や貢献によって、特別卒業認定証を授与する」という新たな規約を設け、千葉を特別卒業認定証第1号とし、2013年3月10日に卒業を認定[13][36][42][45][46]。在学時の成績は優が多く、教授会でも満場一致で同規約の適用を認めていた[13][47]。
- ^ 1970年から放送されていたトヨタ・カリーナのCMでも、「決まってるね、千葉ちゃん!」が使われていた。
- ^ a b c 自分の役でもないのに「投げ飛ばされる」、「板にぶつかる」、「海に放り込まれる」など、幾度となく代わりにスタントを演じてきたので[59]、吹き替えができる人材の不足を憂いていた。
- ^ 『ザ★ゴリラ7』のオープニングクレジットでも滑走している姿は全話流されており、それぞれのDVD-BOXで視聴できる。この滑走は合同酒精「ワリッカ」のCMで採用され、1979年の『バトルフィーバーJ』の1,2話エンディングで白石謙作(バトルコサック)が雪山を滑走するシーンにも流用されている[83]。
- ^ 「59年デビュー」『スポーツ報知』紙面 第11版、1頁[37]。
- ^ a b c 「7月末に感染」、『報知新聞』第11版、1頁[37]。
- ^ 同時期に千葉真一は大河ドラマ『風林火山』に出演しており、それぞれNHK総合制作の作品である。木曜時代劇『柳生十兵衛七番勝負 最後の闘い』には千葉の親友・夏八木勲も出ている。
- ^ 「英仏が速報」『スポーツ報知』紙面 第11版、芸能欄、21頁[37]。
- ^ 2013年現在、千葉真一自身は座右の銘を「肉体は永遠の言葉である」としている[13][47]。
- ^ 当時のハイスピードカメラは今と比べると遥かに重たく、外見もかさばっていた。
- ^ 2年後にギャラは千葉のほうが上になった[243]。
- ^ 北大路欣也は戦前からの大スターで東映の役員を兼務していた市川右太衛門の御曹司であることから、東映は北大路の意向を幾度となく受け入れてきた[62]。
- ^ 「1面写真」『スポーツ報知』紙面 第11版[37]。
- ^ 特にアメリカ州[21][72]・ヨーロッパ[21][72]・東南アジア[74]・香港など[73]。
- ^ 大石代悟と二宮城光はケガのため、対抗戦を欠場した[297]。
- ^ テレビドラマ『おわこんTV』の発表会見で小泉は、2014年6月14日のサッカーW杯・日本 vs コートジボワールに交代出場して試合の流れを変えたドログバに、千葉をなぞらえた[338]。
- ^ 千葉真一は映画の撮影で、真樹日佐夫は梶原一騎と共に極真会館の北米支部長会議に出席する大山倍達の随行で、それぞれニューヨークを訪れていた[340]。
- ^ a b 柳生十兵衛光厳の「光厳」だが、「三厳」ではなく「光厳」とパンフレット『魔界転生』の登場人物・キャスト一覧に表記されているため、当該記事もこれに則った[356][357]。
- ^ 作詞:森和夫、作曲:木内紀九生、編曲:橘場清、規格:ソノシート、規格品番:KX-1009。
- ^ 規格:ソノシート。
- ^ a b 千葉真一と下沢広之名義だが、下沢はセリフのみ。
- ^ 作詞:高田そうか、作曲:北村得夫、編曲:小町昭、規格:EP、規格品番:BS-818。
- ^ 作詞:山北由希夫、作曲・編曲:小町昭。
- ^ 作詞:風間陽介、作曲・編曲:北村得夫、規格:EP、規格品番:BS-1203。
- ^ 作詞:名村宏、作曲:江口浩司、編曲:森岡賢一郎。
- ^ 作詞:及川恒平、作曲:小室等、編曲:寺島尚彦、規格:EP、規格品番:BS-1581。
- ^ 作詞:太田浩児、作曲・編曲:桜庭伸幸。
出典
- ^ a b c 千葉 2008, pp. 38–39, 「君津のガキ大将時代」.
- ^ a b c 千葉 2008, p. 12, 「千葉真一、引退宣言の真相」.
- ^ a b c d e 千葉 2010, pp. 81–82, 「気骨ある明治生まれの軍人、子供心に誇らしかった飛行機姿の親父」.
- ^ a b c 千葉 2008, p. 38, 「君津のガキ大将時代」.
- ^ a b “俳優 千葉真一さん死去 コロナで肺炎悪化”. 日テレNEWS24 (CS日本). (2021年8月19日). オリジナルの2022年3月27日時点におけるアーカイブ。 2022年3月27日閲覧。
- ^ a b c 『近代映画』1969年10月号臨時増刊, pp. 144–145, 「千葉真一 特集」.
- ^ a b “「キイハンター」JAC設立、千葉真一さん 82歳死去 / 写真特集”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2021年8月19日). オリジナルの2022年8月14日時点におけるアーカイブ。 2022年8月14日閲覧。
- ^ a b "千葉真一 - プロフィール". Yahoo!. Yahoo! JAPAN. 2013年6月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月26日閲覧。
- ^ a b c “千葉真一”. プロフィール. アストライア. 2017年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月24日閲覧。
- ^ a b c d “千葉真一「あんまり似合わない賞」文化庁長官表彰”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2020年12月17日). オリジナルの2020年12月17日時点におけるアーカイブ。 2021年4月4日閲覧。
- ^ a b c d “文化庁長官表彰 俳優の千葉真一さんら表彰”. 日テレNEWS24 (CS日本). (2020年12月17日). オリジナルの2020年12月17日時点におけるアーカイブ。 2021年4月4日閲覧。
- ^ a b c d “千葉真一に文化庁長官表彰「自分の本当の姿でいこうと思った」ダンディな白髪姿で登場”. 東スポWeb (東京スポーツ新聞社). (2020年12月17日). オリジナルの2020年12月19日時点におけるアーカイブ。 2021年4月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l “千葉真一 53年ぶりに母校・日体大を“卒業”し「もうひと花」とさらなる意欲”. 映画.com. 映画.com速報. エイガ・ドット・コム (2013年3月10日). 2013年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月12日閲覧。
- ^ 『近代映画』1969年10月号臨時増刊, p. 148, 「千葉真一 特集」.
- ^ 千葉 2010, p. 101, 「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」.
- ^ a b 『キネマ旬報』2021年11月上旬特別号, p. 21, 伊藤彰彦「Sonny Chibaが生まれた瞬間」.
- ^ a b c d 千葉 2010, p. 51, 「全米でブルース・リーを超える興行収入、サニー千葉の名を広めた空手映画」.
- ^ a b c 千葉 2010, p. 11, 「序章」.
- ^ a b 『新・影の軍団 最終章』 2005, 特典映像「劇場初日舞台挨拶」.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『SPORTS CITY』1981年第1巻第2号.
- ^ a b c d e f 『戦国自衛隊』パンフレット 1979, p. 30, 「プロフィール」.
- ^ a b c 中村 1999, pp. 173, 179, 182–183, 「極真空手三段 千葉真一」.
- ^ a b “千葉真一さん死去 新型コロナウイルス感染で82歳”. 映画.com. 映画.com速報. エイガ・ドット・コム (2021年8月19日). 2021年8月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月14日閲覧。
- ^ a b c d e “新田真剣佑、父・千葉真一さん訃報受け思いつづる「Love you so much Dad」”. ORICON NEWS (oricon ME). (2021年8月20日). オリジナルの2021年8月21日時点におけるアーカイブ。 2022年7月14日閲覧。
- ^ a b "俳優・千葉真一さん死去 82歳 新型コロナによる肺炎で入院". 中日新聞Web. 中日新聞社. 2021年8月19日. 2021年8月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月21日閲覧。
- ^ a b c d "真瀬樹里、父・千葉真一さんとの別れ「穏やかな顔をしておりました」". 中日新聞Web. 中日新聞社. 2021年8月20日. 2021年8月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月21日閲覧。
- ^ “千葉真一さん急死、82歳…新型コロナによる肺炎のため 「柳生一族の陰謀」「服部半蔵 影の軍団」に主演”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2021年8月19日). オリジナルの2021年8月19日時点におけるアーカイブ。 2022年7月14日閲覧。
- ^ “俳優の千葉真一さん亡くなる 新型コロナで肺炎が悪化し入院中”. 東スポWeb (東京スポーツ新聞社). (2021年8月19日). オリジナルの2021年8月19日時点におけるアーカイブ。 2022年7月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 高平哲郎 (2011年5月18日). “JJサニーちば、真面目さと優しさに溢れ…”. ZAKZAK. あくまで人名事典-昨日の友は今日も友-. 産業経済新聞社. 2012年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年9月27日閲覧。
- ^ 『酔いどれ公爵』パンフレット 1985, p. 32, 橋本与志夫「出演者陣の“酔いどれ講釈”」.
- ^ a b 『極真カラテ総鑑』 2001, 64「国際空手道連盟 極真会館 - 年度別昇段登録簿(国内)」.
- ^ a b c d e f g h 『戦国自衛隊』パンフレット 1979, p. 21, 脇田巧彦「アクションに賭ける男・千葉真一」.
- ^ a b c d 『キネマ旬報』1977年10月上旬号, pp. 42–44.
- ^ a b 『せんせい』パンフレット 1989, p. 17.
- ^ a b c d e f g h i j “【復刻・日曜のヒーロー】待っていて下さい 必ずや ハリウッドの千葉真一”. nikkansports.com. 日曜日のヒーロー. 日刊スポーツ新聞社 (2021年8月20日). 2021年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i "千葉真一 日体大から半世紀ぶり卒業証書 体操で五輪目指すも中退". スポニチ Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. 2013年1月26日. 2013年1月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年1月27日閲覧。
- ^ a b c d e 「コロナ急変 千葉真一さん 力尽く」『スポーツ報知』(紙媒体)、報知新聞社、2021年8月20日、第11版。オリジナルの2022年4月4日時点におけるアーカイブ。2022年4月4日閲覧。
- ^ 千葉 2021, p. 303, 米谷紳之介「取材を終えて」.
- ^ a b c d e f “千葉真一さんと沖縄 主演作から見る沖縄への視座 「沖縄やくざ」では三線、空手も”. 琉球新報 DIGITAL (琉球新報社). (2022年3月11日). オリジナルの2022年3月11日時点におけるアーカイブ。 2022年4月18日閲覧。
- ^ a b c 千葉 2010, p. 89, 「厳しくも愛情ある指導、体操を始めるきっかけを作ってくれた松本先生」.
- ^ a b c 千葉 2010, pp. 95–96, 「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」.
- ^ a b c 「千葉真一が日体大から特別卒業認定」『nikkansports.com』日刊スポーツ新聞社、2013年3月10日。オリジナルの2013年3月12日時点におけるアーカイブ。2013年3月12日閲覧。
- ^ a b c d e f “千葉真一 半世紀がかりで日体大卒業”. デイリースポーツ online (神戸新聞社). (2013年3月11日). オリジナルの2013年3月12日時点におけるアーカイブ。 2013年3月12日閲覧。
- ^ a b c 『近代映画』1970年11月号, p. 123-126.
- ^ a b c "千葉真一、57年がかりで日体大を卒業". スポーツ報知. 報知新聞社. 2013年3月11日. 2013年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月12日閲覧。
- ^ “千葉真一 半世紀がかりで日体大卒業 (Page 2)”. デイリースポーツ online (神戸新聞社). (2013年3月11日). オリジナルの2013年3月12日時点におけるアーカイブ。 2013年3月12日閲覧。
- ^ a b “千葉真一 日体大卒業「人生最高の喜び」” (紙面). 日刊スポーツ (nikkansports.com). (2013年3月11日). オリジナルの2013年3月12日時点におけるアーカイブ。 2013年3月12日閲覧。
- ^ a b c d e 千葉 2010, pp. 100–101, 「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」.
- ^ a b 『近代映画』1969年10月号臨時増刊, p. 140, 「千葉真一 特集」.
- ^ 千葉 2008, p. 60, 「そして、千葉真一になった」.
- ^ a b c 『月刊平凡』1970年 第26巻第3号, p. 111, 「20人が証言する裸の千葉真一」.
- ^ 『東映の友』、1961年、東京国立近代美術館フイルムセンター4階図書室所蔵。
- ^ a b 『JAC特集号』 1982, pp. 61–62, 「世界に通じるアクションスター育成」.
- ^ a b 『週刊実話特報』1961年 第3巻第8号, pp. 3–6, 東映城に羽ばたく.
- ^ a b c d e f “千葉真一、深作欣二の初監督の怒号に驚いた”. アサ芸+. 徳間書店 (2012年11月27日). 2012年11月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年12月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j "cinematoday20130113" (2013年1月13日). “千葉真一、『仁義なき戦い』の野獣系ヤクザ・大友勝利は役者としての転機と明かす”. シネマトゥデイ. シネマトゥデイ. 2013年1月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月31日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “千葉真一「仁義なき戦い」秘話披露 深作欣二監督の命日に”. 映画.com. エイガ・ドット・コム (2013年1月12日). 2013年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月31日閲覧。
- ^ a b c d e f 千葉 2010, pp. 33–35, 「テロリストの苛烈な生涯を演じた大作『日本暗殺秘録』」.
- ^ 「千葉真一さん 森末慎二さんの若さと元気のヒミツ“年齢に負けない鮫肝油のサラサラパワー”」『テレビショッピング』 2013年、エバーライフ。
- ^ a b c “「仁義なき戦い」40年目の壮絶秘話 (1)「顔のシワ作り」に励んだ松方”. アサ芸+. 徳間書店 (2012年2月2日). 2013年12月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月29日閲覧。
- ^ a b 『仁義なき戦い PERFECT BOOK』.
- ^ a b c d e “千葉真一、深作欣二の初時代劇の教えに感謝”. アサ芸+. 徳間書店 (2012年11月28日). 2013年9月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月29日閲覧。
- ^ a b 千葉 2010, pp. 48–49, 「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』」.
- ^ a b c d 『ボディガード牙』 - 日本映画製作者連盟. 2023年11月12日閲覧。
- ^ a b c d e 『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』 2012, p. 68, 「『新幹線』も海外で人気」.
- ^ a b c d e f g h “【今だから明かす あの映画のウラ舞台】香港で出会った大スター 「千葉空手」生んだブルース・リーの死(1/2ページ) - ★アクション編(上)”. zakzak:夕刊フジ公式サイト. 産経デジタル (2016年3月18日). 2016年6月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月27日閲覧。
- ^ a b 『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』 2012, p. 26, 「直営劇場を100館へ」.
- ^ a b 『冒険者カミカゼ』パンフレット 1981, p. 7, 「解説」.
- ^ a b 『冒険者カミカゼ』パンフレット 1981, p. 16, 「かいせつ」.
- ^ a b c d e f 「本家ブルース・リーをしのぐ千葉真一」『報知新聞』報知新聞社、1974年12月27日、朝刊。
- ^ a b c Variety. (1974-12-18).
- ^ a b c d “Lifetime Achievement Award Tribute: Sonny Chiba”. Singafest 2011: LA's Newest International Asian Film Festival (2011年8月31日). 2015年7月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月12日閲覧。
- ^ a b 「“ゴルゴ13”香港ロケ 千葉真一」『週刊明星』、集英社、1977年9月11日。
- ^ a b c d "『ザ・レイド』最強格闘家たちが新宿でガチバトル!Berryz工房ももちも、必殺技で参戦!?". "cinetri20120927". 2012年9月27日. 2013年1月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年1月24日閲覧。
- ^ a b "親父 - 映画作品紹介". CINEMA TOPICS ONLINE. 2014年3月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月8日閲覧。
- ^ a b c 中村 1999, pp. 173, 179, 183, 「極真空手三段 千葉真一」.
- ^ a b c d "サミュエル・L・ジャクソンを生直撃!千葉真一と大の仲良し". zakzak:夕刊フジ公式サイト. 産経デジタル. 2012年8月17日. 2023年11月12日閲覧。
- ^ a b c d e f "「アベンジャーズ」サミュエル・L.ジャクソン、役作りの参考はソニー千葉(千葉真一)". ハリウッドチャンネル. 2012年4月26日. 2013年11月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年4月26日閲覧。
- ^ a b c d 『キル・ビル Vol.1』パンフレット 2003, pp. 17–18, 「クエンティン・タランティーノ」(町山智浩).
- ^ a b c d "スリムボディーが復活 キアヌ・リーブス". YOMIURI ONLINE 大手小町. 読売新聞社. 2013年12月18日. 2016年6月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月23日閲覧。
- ^ a b c d e “千葉真一初対面でキアヌ大興奮、熱いリアクションに「かわいい」の声。”. ナリナリドットコム (Narinari.com). (2015年10月6日). オリジナルの2015年10月6日時点におけるアーカイブ。 2015年10月6日閲覧。
- ^ a b c d 『キネマ旬報』2015年12月下旬号.
- ^ 『バトルフィーバーJ#映像ソフト化』(東映ビデオ)の1,2話より。
- ^ a b 大山 1979, pp. 83–84, 「“極真”だけがなぜ勝つのか」.
- ^ a b c 中村 1999, pp. 174–176, 「極真空手三段 千葉真一」.
- ^ a b c 大山 1979, pp. 85–87, 「“極真”だけがなぜ勝つのか」.
- ^ 『柳生一族の陰謀』 - 日本映画製作者連盟
- ^ “西郷輝彦、深作欣二作品の萬屋錦之介に身震い”. アサ芸+. 徳間書店 (2012年12月12日). 2013年9月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年1月31日閲覧。
- ^ 関根忠郎、山根貞男・山田宏一『惹句術:映画のこころ』講談社、1986年、90頁。ISBN 4-0620-2005-X。
- ^ "柳生一族の陰謀 (2008)". 東映チャンネル. 2014年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月6日閲覧。
- ^ 1981年配給収入10億円以上番組 - 日本映画製作者連盟
- ^ “深作欣二「千葉ちゃん、ウソって観客に思わせたら負け」”. アサ芸+. 徳間書店 (2012年11月29日). 2014年7月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年12月8日閲覧。
- ^ a b ASIN B000066AEO, 柳生一族の陰謀 (DVD). 的田也寸志によるレビュー。2023年11月12日閲覧。
- ^ a b 『魔界転生』 1981, pp. 24–25, 佐藤雅夫「プロダクション・ノート 魔界に祟られたスタジオ」.
- ^ a b "『柳生十兵衛あばれ旅』 JJサニー千葉、十八番の十兵衛が大暴れ!志穂美悦子、真田広之など充実の顔ぶれ。". 時代劇専門チャンネル. 2008年5月30日. 2016年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月5日閲覧。
- ^ a b "『徳川無頼帳』 西城秀樹の十兵衛とJJサニー千葉が握手! 強力コンビが吉原を根城に大暴れ。". 時代劇専門チャンネル. 2009年7月31日. 2012年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月31日閲覧。
- ^ a b "柳生十兵衛七番勝負". 時代劇専門チャンネル. 2012年6月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月10日閲覧。
- ^ 『ちゃんばらクロニクル』 1999, p. 256, 「ウーマンパワーの席捲」.
- ^ a b c "服部半蔵 影の軍団". 時代劇専門チャンネル. 2021年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月1日閲覧。
- ^ a b c "7月1日 あなたの思い出と共にあの時代劇が甦る!". どらく. 日本映画放送. 2013年4月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月25日閲覧。
- ^ a b 『戦国自衛隊』パンフレット 1979, p. 26, 「プロダクションノート」.
- ^ 1980年配給収入10億円以上番組 - 日本映画製作者連盟
- ^ a b 『冒険者カミカゼ』パンフレット 1981, pp. 3–5, 保科幸雄「高鳴る!冒険者たちのメロディ 燃える夢喰い男・千葉真一」.
- ^ a b c 『酔いどれ公爵』パンフレット 1985, p. 35, 「ごあいさつ 株式会社コマ・スタジアム専務取締役・酒井肇」.
- ^ a b c d “千葉真一さん死去 アクション俳優、82歳 - 新型コロナに感染”. 時事ドットコムニュース. 時事通信社. (2021年8月20日). オリジナルの2021年8月28日時点におけるアーカイブ。 2022年4月4日閲覧。
- ^ “「カラテのチバ」15年ぶりリバイバルで脚光 ハリウッド映画主演 千葉真一 再び旋風だ”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). (1991年3月26日)
- ^ a b c d e f g h i j “千葉真一さん急死 82歳 コロナで入院中容体悪化「元気だった」のに…”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2021年8月20日). オリジナルの2021年8月20日時点におけるアーカイブ。 2022年4月4日閲覧。
- ^ 千葉 2010, p. 246, 「苦しかったアメリカ移住後の最初の数年間」.
- ^ 『キル・ビル Vol.1』パンフレット 2003, p. 27, 「SONNY CHIBA プロフィール」.
- ^ a b 『キル・ビル Vol.1』パンフレット 2003, p. 11, 「INTRODUCTION」.
- ^ “「健康大使」の任命について”. 健康局総務課生活習慣病対策室. 厚生労働省 (2007年11月26日). 2008年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年10月9日閲覧。
- ^ “俳優の千葉真一さん死去、82歳 新型コロナで入院中”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2021年8月19日). オリジナルの2021年8月19日時点におけるアーカイブ。 2022年3月28日閲覧。
- ^ a b "千葉真一が結婚披露宴&芸能生活50周年式典". デイリースポーツ online. デイリースポーツ. 2010年10月22日. 2010年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年10月24日閲覧。
- ^ a b “千葉真一が子供と披露宴&50周年式典”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2010年10月23日). オリジナルの2013年6月14日時点におけるアーカイブ。 2010年11月1日閲覧。
- ^ a b c "千葉真一 家族初お披露目 結婚15年目の披露宴". 中日スポーツ・東京中日スポーツ. 中日新聞社. 2010年10月23日. 2010年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年10月24日閲覧。
- ^ a b c "千葉真一、嫁さんLOVE! 結婚披露宴". デイリースポーツ online. デイリースポーツ. 2010年10月23日. 2010年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年10月24日閲覧。
- ^ a b c d "千葉真一 芸能生活50周年式典で結婚披露宴". スポニチ Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. 2010年10月23日. 2010年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年10月24日閲覧。
- ^ a b c "千葉真一Jr. お披露目…結婚披露宴に600人が出席". スポーツ報知. 報知新聞社. 2010年10月23日. 2010年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年10月24日閲覧。
- ^ a b "JJサニー千葉 結婚披露宴 将来のハリウッドスター!? 息子たちの素顔". 情報ライブ ミヤネ屋. 2010年10月25日. 14:32 - 14:41 該当時間:. NNS. ytv。
- ^ a b 千歳香奈子 (2011年10月4日). “千葉真一の夢...真の日本映画をアメリカから世界へ”. nikkansports.com. ハリウッド直送便. 日刊スポーツ新聞社. 2011年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年10月31日閲覧。
- ^ ""うずしお"だけじゃない!鳴門の新観光スポットを探索". zakzak:夕刊フジ公式サイト. 産経デジタル. 2011年11月11日. 2012年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年9月27日閲覧。
- ^ a b "千葉真一&小泉孝太郎がタッグ!業界ドラマ『おわこんTV』は7月1日からスタート". テレビドガッチ. 2014年6月17日. 2014年6月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月30日閲覧。
- ^ “新ドラマでは“過去の千葉”像を捨ててみた”. アサ芸+. テリー伊藤対談「千葉真一」(1). 徳間書店. p. 1 (2014年7月29日). 2014年10月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月4日閲覧。
- ^ a b "おわこんTV【お知らせ】". NHK. 日本放送協会. 2014年10月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月3日閲覧。
- ^ a b 久坂部羊 (2023年10月25日). "幸せな晩年の「意外な過ごし方」…「CoCo壱」創業者が提唱する「ラッキー20%の法則」 - 見返りを求めない". マネー現代. 講談社. p. 3. 2023年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月13日閲覧。
- ^ a b c 中野裕子 (2022年6月24日). "オスマン・サンコンさん、アニキと慕った千葉真一さん長男・新田真剣佑との意外な交流を語る". NEWSポストセブン. 小学館. p. 3. 2023年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月13日閲覧。
- ^ “大河ドラマ化目指すぞ!「千葉氏サミット」初開催 武者行列に千葉真一も”. ちばとぴ!ニュース (千葉日報社). (2016年8月22日). オリジナルの2022年3月28日時点におけるアーカイブ。 2022年3月28日閲覧。
- ^ a b c “「千葉を若返らせる」千葉真一さん、千葉市の健康大使に 製作中の「100年ダンス」お披露目【動画あり】”. 千葉日報 (千葉日報社). (2019年12月19日). オリジナルの2019年12月20日時点におけるアーカイブ。 2022年3月28日閲覧。
- ^ a b c d “80歳・千葉真一「1日1食」続ける健康法は映画俳優の自覚 45年前と体型変わらず”. ORICON NEWS (oricon ME). (2019年12月19日). オリジナルの2019年12月19日時点におけるアーカイブ。 2022年3月28日閲覧。
- ^ a b c “新田真剣佑が父・千葉真一の事務所に移籍していた 展覧会サポーター就任会見に出席、質問に口開かず”. 中日スポーツ. 芸能ニュース. 中日新聞社 (2021年4月20日). 2021年4月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月19日閲覧。
- ^ a b c d e f “晩年の千葉真一さん「断捨離だ」と言って貴重な私物を燃やして身辺整理”. NEWSポストセブン. 芸能. 小学館 (2022年2月17日). 2022年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月17日閲覧。
- ^ a b “千葉真一さん事務所“四十九日法要”報道にコメント「親族間でのトラブルなどは一切ございません」”. ORICON NEWS. oricon ME (2021年10月5日). 2021年10月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月17日閲覧。
- ^ a b “千葉真一、長男・新田真剣佑が出演する『るろうに剣心』を見て「俺を越えたな」”. 週刊女性PRIME. 芸能. 主婦と生活社. p. 2 (2021年7月23日). 2021年7月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月4日閲覧。
- ^ “千葉真一さん 渾身の遺作が撮影直前でお蔵入り…原因はW主演セガールのプーチン支持発言”. 女性自身 (2022年8月23日). 2023年5月5日閲覧。
- ^ “Sonny Chiba, martial arts legend, ‘Kill Bill’ star, dead at 82” (英語). FOX23NEWS (2021年8月19日). 2023年5月5日閲覧。
- ^ “「キイハンター」 JAC設立、千葉真一さん82歳死去 / 写真特集”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2021年8月19日). オリジナルの2021年8月20日時点におけるアーカイブ。 2022年3月27日閲覧。
- ^ a b “(40) 2021年8月9日〜 「第5波」感染ついに2万人超す”. 産経新聞 THE SANKEI NEWS (産業経済新聞社). (2021年12月22日). オリジナルの2021年12月23日時点におけるアーカイブ。 2022年3月28日閲覧。
- ^ “東京都 新たに4544人の感染確認 先週の月曜より約700人増 (16:47)”. NEWS WEB (NHK). (2021年8月6日). オリジナルの2021年8月7日時点におけるアーカイブ。 2022年3月28日閲覧。
- ^ “倉持仁医師「医療供給体制さえ確保できれば…無駄死にさせるな!」コロナで死去の千葉真一さんを悼むツイート”. 中日新聞 (中日新聞社). (2021年8月20日). オリジナルの2021年8月20日時点におけるアーカイブ。 2022年3月28日閲覧。
- ^ a b c d e “俳優の千葉真一さん死去 82歳 新型コロナ感染による肺炎”. NEWS WEB (NHK). (2021年8月20日). オリジナルの2021年8月21日時点におけるアーカイブ。 2022年4月4日閲覧。
- ^ a b “千葉真一さん 発熱から4日後入院のワケ…元妻と次男・郷敦の手で納骨”. 東スポweb (東京スポーツ新聞社). (2021年8月20日). オリジナルの2021年8月21日時点におけるアーカイブ。 2022年4月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “千葉真一さん、コロナに死す 8日に入院、肺炎悪化”. SANSPO.COM (産業経済新聞社). (2021年8月20日). オリジナルの2021年8月21日時点におけるアーカイブ。 2022年4月4日閲覧。
- ^ a b “新田真剣佑、父・千葉真一さんとの2ショットを公開「いつも私の心の中にいます」”. クランクイン! (ブロードメディア). (2021年8月21日). オリジナルの2021年9月13日時点におけるアーカイブ。 2022年4月4日閲覧。
- ^ a b “新田真剣佑、父・千葉真一さんへの思い綴る”. 日テレNEWS (CS日本). (2021年8月20日). オリジナルの2022年4月4日時点におけるアーカイブ。 2022年4月4日閲覧。
- ^ a b “千葉真一さん長男・新田真剣佑 英語で追悼「あなたはいつも私の心の中にいる」思い出2ショット写真添え”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2021年8月20日). オリジナルの2021年8月21日時点におけるアーカイブ。 2022年4月4日閲覧。
- ^ “俳優・千葉真一さん死去 82歳”. シネマトゥデイ (シネマトゥデイ). (2021年8月19日). オリジナルの2022年8月20日時点におけるアーカイブ。 2022年4月4日閲覧。
- ^ a b “喪主は次男・真栄田郷敦 千葉真一さん死去一夜明けて葬儀「荼毘に付しました」長男・真剣佑は米国から「愛してる」”. 中日スポーツ (中日新聞社). (2021年8月21日). オリジナルの2021年8月21日時点におけるアーカイブ。 2022年4月18日閲覧。
- ^ a b “千葉真一さん 荼毘にふされる 喪主は次男・眞栄田郷敦”. ORICON NEWS (oricon ME). (2021年8月21日). オリジナルの2021年8月21日時点におけるアーカイブ。 2022年4月18日閲覧。
- ^ a b c d e “新田真剣佑、インスタで父の千葉真一さん追悼「お父さんのことを本当に愛しています」”. スポーツ報知 (報知新聞社): p. 1. (2021年8月21日). オリジナルの2022年4月4日時点におけるアーカイブ。 2022年4月4日閲覧。
- ^ “真剣佑「あなたはいつも私の心に」父・千葉真一さん訃報から一夜、インスタに思い投稿”. デイリースポーツ online (神戸新聞社). (2021年8月21日). オリジナルの2021年9月11日時点におけるアーカイブ。 2022年4月4日閲覧。
- ^ 深戸進路 (2021年8月20日). “千葉真一さんの長女・真瀬樹里、“偉大な父”の急逝に悔しさにじむ 「現実感がありません」「元気な声を聞いたばかり」”. ねとらぼエンタ (ITmedia). オリジナルの2022年4月18日時点におけるアーカイブ。 2022年4月18日閲覧。
- ^ a b c “新田真剣佑、父・千葉真一さん訃報受け思いつづる「Love you so much Dad」”. ORICON NEWS (oricon ME). (2021年8月21日). オリジナルの2021年8月21日時点におけるアーカイブ。 2022年4月5日閲覧。
- ^ a b “千葉真一さんの娘で俳優の真瀬樹里さん「お別れ言えた」”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2021年8月20日). オリジナルの2021年8月21日時点におけるアーカイブ。 2022年4月18日閲覧。
- ^ “ステキな写真…千葉真一さんの長男・新田真剣佑が思い出の写真を公開「お父さん、本当に愛してる」”. 中日スポーツ (中日新聞社). (2021年8月20日). オリジナルの2021年8月21日時点におけるアーカイブ。 2022年4月5日閲覧。
- ^ “新田真剣佑、父・千葉真一さんとの思い出の写真を公開「あなたはいつも私の心の中に」”. ABEMA TIMES (ABEMA). (2021年8月21日). オリジナルの2022年4月5日時点におけるアーカイブ。 2022年4月5日閲覧。
- ^ a b “新田真剣佑、父・千葉真一さん追悼2Sを公開「あなたはいつも心の中にいる…愛している」”. ENCOUNT (Creative2). (2021年8月21日). オリジナルの2021年8月20日時点におけるアーカイブ。 2022年4月5日閲覧。
- ^ “千葉真一さん死去【復刻】60周年祝賀会で樹里、真剣佑、郷敦と勢ぞろい”. デイリースポーツ online (神戸新聞社). (2021年8月21日). オリジナルの2022年4月5日時点におけるアーカイブ。 2022年4月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 深戸進路 (2021年8月20日). “千葉真一さんの急逝に芸能界から多数の追悼メッセージ「役者であるキッカケになった人」「信じられません」”. ねとらぼエンタ (ITmedia): p. 1. オリジナルの2021年9月1日時点におけるアーカイブ。 2022年5月10日閲覧。
- ^ a b c d “的場浩司「朝からため息しか」秋野暢子「優しい素敵な方」千葉真一さん悼む”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2021年8月20日). オリジナルの2021年8月20日時点におけるアーカイブ。 2022年5月10日閲覧。
- ^ a b c “千葉真一さん死去から一夜明け 芸能界からお悔やみの声続々…池畑慎之介、的場浩司、秋野暢子ら悼む”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2021年8月20日). オリジナルの2021年8月20日時点におけるアーカイブ。 2022年5月9日閲覧。
- ^ a b c “千葉真一さんの高校後輩・中尾彬が悼む「俺スターになるから、と言っていた」”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2021年8月20日). オリジナルの2022年5月8日時点におけるアーカイブ。 2022年5月8日閲覧。
- ^ hottashinzo [@hottashinzo] (2021年8月20日). "千葉真一先輩の訃報". 2022年5月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。X(旧Twitter)より2023年11月12日閲覧。
- ^ “堀田眞三「千葉真一先輩の訃報 信じられないが 様々な想いがよぎる」”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2021年8月20日). オリジナルの2021年8月20日時点におけるアーカイブ。 2022年5月8日閲覧。
- ^ “千葉真一さん”. kobayashi_sachiko_5884. Instagram (2021年8月20日). 2022年5月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月8日閲覧。
- ^ “「何にも負けないはずの方…コロナが憎い」小林幸子、千葉真一さんを悼む 11歳のころから共演”. 中日スポーツ (中日新聞社). (2021年8月21日). オリジナルの2021年8月21日時点におけるアーカイブ。 2022年5月8日閲覧。
- ^ “小林幸子 千葉真一さんと11歳で出会い「何にも負けないはずの方」「コロナが憎いです」”. デイリースポーツ online (神戸新聞社). (2021年8月21日). オリジナルの2021年8月21日時点におけるアーカイブ。 2022年5月8日閲覧。
- ^ “千葉真一さん………訃報”. 秋野暢子オフィシャルブログ「スマイルライフ」. アメーバブログ (2021年8月20日). 2022年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月10日閲覧。
- ^ “千葉真一さん訃報に「ワクチン打たれてなかったとか」「頑強な方が」秋野暢子ショック”. デイリースポーツ online (神戸新聞社). (2021年8月20日). オリジナルの2021年8月22日時点におけるアーカイブ。 2022年5月10日閲覧。
- ^ “野村真美、千葉真一さんの訃報に「胸がつまる思い」”. SANSPO.COM (産業経済新聞社). (2021年8月20日). オリジナルの2021年8月21日時点におけるアーカイブ。 2022年5月10日閲覧。
- ^ a b “東山紀之 千葉真一さんを追悼「時代劇の立ち回りにアクションを入れた最初の方…この功績は凄い」”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2021年8月22日). オリジナルの2022年5月9日時点におけるアーカイブ。 2022年5月10日閲覧。
- ^ a b “東山紀之“母親”亡くし“父親”失った真田広之との誓い「僕らは教えを次の世代に」”. デイリースポーツ online (神戸新聞社). (2021年8月22日). オリジナルの2021年8月24日時点におけるアーカイブ。 2022年5月10日閲覧。
- ^ a b 西田尚美 [@nnnnaominishida] (2021年8月20日). "千葉さん、信じられません". 2022年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。X(旧Twitter)より2023年11月12日閲覧。
- ^ “ため息…”. 的場浩司オフィシャルブログ. アメーバブログ (2021年8月20日). 2022年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月10日閲覧。
- ^ a b c d “千葉真一さんは「見せるアクションを創り上げた人」村上弘明が追悼コメント NHKドラマで刃を交える”. 中日スポーツ (中日新聞社). (2021年8月20日). オリジナルの2021年8月20日時点におけるアーカイブ。 2022年5月10日閲覧。
- ^ a b c d “村上弘明、NHK時代劇で共演した千葉真一さんを追悼「見せるアクションを創り上げた人」”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2021年8月21日). オリジナルの2022年5月10日時点におけるアーカイブ。 2022年5月10日閲覧。
- ^ 井上陸人 昌谷大介 (A4studio) (2021年10月17日). “金田治氏が語る仮面ライダーシリーズを支える“スーツアクター”の仕事「いくら運動神経がよくても、芝居心がなければなれない」”. 週プレNEWS. エンタメ. 集英社. 2021年10月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月16日閲覧。
- ^ a b c ピーター / 池畑慎之介 (2021年8月19日). “訃報が‥。”. 池畑慎之介オフィシャルブログ「VIVA! プラチナ人生!!」. アメーバブログ. 2022年5月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月10日閲覧。
- ^ “池畑慎之介「ご冥福を心からお祈りいたします」千葉真一さん悼む…53年前の千葉さん野際さんとの3ショットで追悼”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2021年8月19日). オリジナルの2022年5月10日時点におけるアーカイブ。 2022年5月10日閲覧。
- ^ a b “千葉真一さん、幻の五輪秘話 同期の体操メダリスト語る「五輪選手になれると思っていた」”. 東京スポーツ (東京スポーツ新聞社). (2021年8月20日). オリジナルの2023年7月20日時点におけるアーカイブ。 2023年7月20日閲覧。
- ^ a b c 『キネマ旬報』2021年11月上旬特別号, pp. 18–19, 荻原順子「アメリカにおけるサニー千葉の訃報と反響」.
- ^ “「タランティーノのアイドル」千葉真一の訃報に海外からも追悼相次ぐ”. MOVIE Collection - ムビコレ. (2021年8月20日)
- ^ The Academy [@TheAcademy] (2021年8月20日). "In 50 years on screen, Shinichi "Sonny" Chiba grew from actor to fight choreographer to legend. A black belt in six martial arts, he blended toughness with depth in films like "The Street Fighter," "Kill Bill Vol. 1" and "The Fast and the Furious: Tokyo Drift". He will be missed". X(旧Twitter)より2023年11月12日閲覧。
- ^ “千葉真一さんを追悼 『キイハンター』『仁義なき戦い 広島死闘篇』『激突! 殺人拳』などドラマ・映画をスカパー!で放送”. SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス. ニュース 映画. e+ (2021年8月20日). 2021年8月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月20日閲覧。
- ^ a b “千葉真一さんを追悼 BSテレ東で『エイセス / 大空の誓い』放送決定”. Real Sound映画部. blueprint (2021年8月24日). 2021年8月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月24日閲覧。
- ^ a b “BSテレ東、千葉真一さん追悼で米映画「エイセス / 大空の誓い」29日放送”. スポーツ報知 (報知新聞社): p. 1. (2021年8月24日). オリジナルの2021年8月24日時点におけるアーカイブ。 2021年8月24日閲覧。
- ^ “千葉真一追悼番組 映画『戦国自衛隊』”. チバテレ. 新着情報. 千葉テレビ放送. 2021年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月10日閲覧。
- ^ "映画界最強の男 千葉真一特集". 東映チャンネル. 2021年10月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月27日閲覧。
- ^ "〈2ヵ月(11-12月)連続〉ありがとう!千葉真一〜ジャパニーズ・ニンジャ・アクションスター〜". 時代劇専門チャンネル. 2021年11月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月24日閲覧。
- ^ a b “千葉真一さんの代表作「逆襲! 殺人拳」と「子連れ殺人拳」が初のパッケージ化”. スポーツ報知 (報知新聞社): p. 1. (2021年9月10日). オリジナルの2022年7月21日時点におけるアーカイブ。 2022年7月21日閲覧。
- ^ “躍動する肉体が人々の魂を揺さぶった世紀のスター”. 追悼・千葉真一. 特集. 東映ビデオ. 2021年9月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月10日閲覧。
- ^ “千葉真一の追悼特集が新文芸坐で開催、「激突! 殺人拳」「魔界転生」など12本”. 映画ナタリー. ナターシャ (2021年10月16日). 2022年8月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月15日閲覧。
- ^ a b c “千葉真一さん、お別れの会がしめやかに 新田真剣佑&眞栄田郷敦「父を愛し続けて」”. ORICON NEWS. oricon ME (2022年1月22日). 2022年1月23日閲覧。
- ^ “千葉真一さんお別れの会 さらば!千葉真一”. 『千葉真一さんお別れの会』 実行委員会事務局. 2022年1月23日閲覧。
- ^ “岡崎二朗「千葉真一は永遠の美しき勇者」夢は子供たちが受け継いだ”. 日刊スポーツ (2022年1月22日). 2022年1月23日閲覧。
- ^ “千葉真一さんお別れの会で息子・新田真剣佑と眞栄田郷敦が連名で手紙「心の中に今も変わらず息づいています」”. スポーツ報知 (2022年1月22日). 2022年1月23日閲覧。
- ^ “千葉真一さんお別れの会「柳生十兵衛」の眼帯、刀、愛用の空手着など展示 涙するファンも”. デイリースポーツonline (2022年1月22日). 2022年1月23日閲覧。
- ^ “千葉真一さん「お別れの会」、親子3人共演映画の構想もかなわず”. スポニチ (2022年1月23日). 2022年1月23日閲覧。
- ^ “【米アカデミー賞】千葉真一さん、追悼コーナーで「俳優・格闘家」として紹介 ワダエミさんも”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2022年3月28日). オリジナルの2022年3月28日時点におけるアーカイブ。 2022年3月28日閲覧。
- ^ “アカデミー賞で千葉真一さん、ワダ・エミさん追悼”. シネマトゥデイ (シネマトゥデイ). (2022年3月28日). オリジナルの2022年3月29日時点におけるアーカイブ。 2022年3月29日閲覧。
- ^ “「第94回アカデミー賞」千葉真一さん、ワダエミさんを追悼”. ORICON NEWS (oricon ME). (2022年3月28日). オリジナルの2022年3月29日時点におけるアーカイブ。 2022年3月29日閲覧。
- ^ “千葉真一さんを偲ぶ会で真瀬樹里「父の長子として残してくれたもの責任持って継がせていただく」”. 日刊スポーツ (2022年8月17日). 2022年8月17日閲覧。
- ^ “千葉真一さん「偲ぶ会」しめやかに 長女・真瀬樹里「父と語らって、いい会になれば」│ORICON NEWS”. オリコン (2022年8月17日). 2022年8月17日閲覧。
- ^ “千葉真一さんを偲ぶ会がしめやかに…長女・真瀬樹里「何とか一年以内に」│テレ朝news”. テレビ朝日 (2022年8月17日). 2022年8月17日閲覧。
- ^ a b “千葉真一 偲ぶ会開催のお知らせ”. 千葉真一公式WEBサイト Official website of JJ SONNY CHIBA. 2022年8月17日閲覧。
- ^ “千葉真一公式ホームページ”. 株式会社アストライア. 2022年1月23日閲覧。
- ^ “千葉真一さん「偲ぶ会」延期決定、新型コロナ・オミクロン株感染拡大で決断”. 日刊スポーツ (2022年1月20日). 2022年1月23日閲覧。
- ^ “千葉真一さん「偲ぶ会」延期 長女の真瀬樹里「皆さまを感染リスクにさらすことは適切でない」”. スポニチ (2022年1月21日). 2022年1月23日閲覧。
- ^ “千葉真一さんを偲ぶ会延期、所属事務所「コロナ感染により旅立った故人を思うと、適切ではない」”. スポーツ報知 (2022年1月20日). 2022年1月23日閲覧。
- ^ “千葉真一さんしのぶ会、娘の真瀬樹里「一周忌の時期に合わせてすることができて良かった」│中日スポーツ 東京中日スポーツ”. 中日新聞社 (2022年8月17日). 2022年8月17日閲覧。
- ^ a b c “「千葉真一の作品をずっと忘れないで」長女・真瀬樹里あいさつ しのぶ会に錦野旦、デヴィ夫人ら出席”. 中日スポーツ (中日新聞社). (2022年8月18日). オリジナルの2022年8月20日時点におけるアーカイブ。 2022年8月20日閲覧。
- ^ a b “千葉真一さんを偲ぶ会が19日の一周忌前に開催 長女真瀬樹里「いい会にできれば」”. サンスポ (2022年8月17日). 2022年8月17日閲覧。
- ^ “千葉真一さんを偲ぶ会に250人出席 好きだった白い花で祭壇彩る”. スポニチ (2022年8月18日). 2022年8月18日閲覧。
- ^ a b c “千葉真一さん一周忌法要に100人”. サンスポ (2022年8月20日). 2022年9月1日閲覧。
- ^ a b c d “新田真剣佑、眞栄田郷敦 父・千葉真一さん誕生日に兄弟W結婚発表 生前千葉さんに紹介も”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2023年1月23日). オリジナルの2023年1月23日時点におけるアーカイブ。 2023年7月19日閲覧。
- ^ a b c “新田真剣佑&眞栄田郷敦が結婚同時発表 天国の父・千葉真一さん誕生日に、ともに一般女性と”. SANSPO.COM (産業経済新聞社): p. 1. (2023年1月23日). オリジナルの2023年1月31日時点におけるアーカイブ。 2023年7月19日閲覧。
- ^ a b “新田真剣佑&眞栄田郷敦、同時に結婚を発表 父・千葉真一さんの誕生日に”. モデルプレス. ネットネイティブ (2023年1月22日). 2023年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月19日閲覧。
- ^ a b “新田真剣佑&眞栄田郷敦 兄弟そろって結婚を発表 2人で決めた“同日発表の理由””. 日テレNEWS24 (CS日本). (2023年1月22日). オリジナルの2023年1月22日時点におけるアーカイブ。 2023年7月19日閲覧。
- ^ a b “新田真剣佑と眞栄田郷敦、父・千葉真一さんの誕生日にW婚同時発表〝千葉兄弟〟の固い結束”. ZAKZAK. 芸能. 産業経済新聞社 (2023年1月23日). 2023年1月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月19日閲覧。
- ^ a b “新田真剣佑&眞栄田郷敦、父・千葉真一さん誕生日にそろって結婚 今後も注目作続々 兄は人気漫画実写版、弟は大河ドラマ”. ORICON NEWS (oricon ME). (2023年1月24日). オリジナルの2023年1月24日時点におけるアーカイブ。 2023年7月19日閲覧。
- ^ 京本政樹『京本政樹のHERO考証学』バンダイ、1992年6月、144頁。ISBN 4-8918-9234-X。
- ^ a b 『超人画報』 1995, p. 42, 「七色仮面 / 新 七色仮面」.
- ^ a b 『全怪獣怪人 上巻』.
- ^ 『超人画報』 1995, p. 48, 「アラーの使者」.
- ^ 『超人画報』 1995, p. 53, 「宇宙快速船」.
- ^ a b 『JAC特集号』 1982, p. 62, 「世界に通じるアクションスター育成」.
- ^ 『ファンキーハットの快男児』 - 日本映画製作者連盟
- ^ a b c 『JAC特集号』 1982, p. 63, 「世界に通じるアクションスター育成」.
- ^ a b c d e 『月刊平凡』1970年 第26巻第3号, p. 113, 「20人が証言する裸の千葉真一」.
- ^ a b c d 『週刊平凡』1969年4月3日号.
- ^ 「シネマ・サロン 1億円の生命保険かけた千葉真一 -東映男性路線にカムバック-」『週刊明星』1971年5月10日号、集英社、172頁。
- ^ 『キネマ旬報』2021年11月上旬特別号, p. 28, 小玉大輔「VIVA CHIBA! 国内外の映画人から敬愛される伝説のスター」.
- ^ 千葉 2008, pp. 73–74, 「革命的手法をもたらした『戦国自衛隊』」.
- ^ a b 千葉 2010, pp. 183–184, 「受け継がれる武士道」.
- ^ a b c 『キネマ旬報』1982年8月上旬号, pp. 130–133.
- ^ a b c 『月刊平凡』1969年 第25巻第8号, p. 81, 「追跡ルポ / チバシンのモーレツ24時間」.
- ^ a b c 『GS グループ・サウンズ』 2013.
- ^ a b c d e 千葉 2010, p. 28, 「毎回新しいアクションにチャレンジ、大人気となった『キイハンター』」.
- ^ 千葉 2010, p. 20, 「毎回新しいアクションにチャレンジ、大人気となった『キイハンター』」.
- ^ 千葉 2010, pp. 25–26, 「毎回新しいアクションにチャレンジ、大人気となった『キイハンター』」.
- ^ 千葉 2008, pp. 65–66, 「死と隣り合わせのアクションシーン」.
- ^ a b c 堀田眞三 (2006年7月30日). “千葉真一さんの職業病”. 俳優 堀田眞三(グランパ)です。. Weblog. gooブログ. 2013年5月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年1月5日閲覧。
- ^ 中島 2014, p. 324, 「『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』」.
- ^ 千葉 2008, p. 92, 出会いは『キイハンター』・野際陽子.
- ^ a b c 『月刊平凡』1970年 第26巻第3号, p. 112, 「20人が証言する裸の千葉真一」.
- ^ a b "1秒でも長く映っていたい!!". 宮内洋(俳優) - ほろ苦インタビュー. 週刊ジョージア. 2016年11月15日. 2016年11月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月23日閲覧。
- ^ "仮面ライダーシリーズよ永遠に". とことん! 石ノ森章太郎・最終章. 2008年3月29日. NHK. NHK BS2。
- ^ "銀幕にかける情熱 夢・ロマン そて挑戦". 本格報道 INsideOUT. 2013年3月20日. 21:00 - 21:54 該当時間:. BS11。
- ^ 「厳しいコーチ」、14 - 15頁。[要文献特定詳細情報]
- ^ 「石橋雅史と出会う」、6 - 7頁。[要文献特定詳細情報]
- ^ a b c d e 春日太一 (2013年4月29日). “世界的アクションスター・千葉真一に劣らぬ夏八木勲の筋肉美”. NEWSポストセブン. 芸能. 小学館. 2013年5月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月4日閲覧。
- ^ a b “夏八木勲「親友・千葉真一が明かした骨太“名脇役人生”」”. アサ芸+. 徳間書店 (2013年5月29日). 2013年7月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年7月1日閲覧。
- ^ a b 『月刊平凡』1969年 第25巻第12号, p. 106, 「アクションをやるならJACへ来いよ!」.
- ^ a b 『映画秘宝』2006年 第12巻第5号, p. 24, ギンディ小林「橋本新一 インタビュー」.
- ^ a b c 春日 2015, pp. 40–41, 「JACの創設」.
- ^ a b c d e 千葉 2010, pp. 39–43, 「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』」.
- ^ 中島 2014, p. 474, 「『日本の仁義』」.
- ^ 「【突然引退】 千葉真一が酸素ボンベ闘病」『週刊アサヒ芸能』8月2日号、徳間書店、2007年、204-207頁。
- ^ 千葉 2010, pp. 43–45, 「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』」.
- ^ 千葉 2010, p. 48, 「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』」.
- ^ 小林信彦『映画を夢見て』筑摩書房、1991年10月、177-185頁。ISBN 978-4-4808-7186-2。
- ^ 俊藤浩滋、山根貞男「第十二章 夢とロマンを求めて」『任侠映画伝』(第一刷)講談社、1999年2月1日、265-266頁。ISBN 4-0620-9594-7。C0095。
- ^ 小沢茂弘、高橋聡『困った奴ちゃ - 東映ヤクザ監督の波乱万丈生』(初版第一刷)ワイズ出版、1996年11月10日、91-92頁。ISBN 978-4-9487-3557-6。
- ^ 春日 2013, p. 345, 「千葉真一の躍進とカラテ映画」.
- ^ a b 中村 1999, pp. 173, 179, 「極真空手三段 千葉真一」.
- ^ 谷川貞治『HAKEN 覇拳 ふりむけば修羅 推薦文』(VHS)タキ・コーポレーション、1992年1月24日。
- ^ a b 『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』 2012, p. 66, 「千葉の空手は断然強い」.
- ^ a b 『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』 2012, p. 67, 「『新幹線』も海外で人気」.
- ^ 千葉 2010, p. 242, 「海を渡る気概」.
- ^ 『映画秘宝』2006年 第12巻第5号, p. 27, ギンディ小林「山口和彦 INTERVIEW」.
- ^ a b 『キネマ旬報』2021年11月上旬特別号, p. 31, 石飛徳樹「渋い外見の奥に在る弱さと温かさ」.
- ^ a b c d e f 『映画秘宝』2021年11月号, p. 20, 加藤義彦「テレビドラマで挑んだ『静』の演技」.
- ^ 田島隆久「千葉真一インタビュー アメリカの俳優のように、理想的な仕事ができた」『キネマ旬報』第1590巻第776号、キネマ旬報社、1979年12月15日、76頁。
- ^ 春日 2013, p. 358, 「『柳生一族の陰謀』」.
- ^ 春日 2015, p. 46, 「柳生十兵衛の殺陣」.
- ^ "第1回公演「裏YAGYU」". Project JAX. 2013年12月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月13日閲覧。
- ^ 『ちゃんばらクロニクル』 1999, p. 245, 「不確実性の時代劇」.
- ^ a b c “「千葉真一の柳生十兵衛だな」/ 秋山監督” (紙面). 日刊スポーツ (nikkansports.com). (2013年2月16日). オリジナルの2013年2月16日時点におけるアーカイブ。 2013年2月16日閲覧。
- ^ 千葉 2010, p. 68, 「悲願の柳生十兵衛役を演じ、テレビでの連載にもつながった『柳生一族の陰謀』」.
- ^ "『影の軍団Ⅲ』打倒、紀州!!千葉・真田・志穂美ら影の軍団。石橋蓮司も女装の刺客で登場。". 時代劇専門チャンネル. 2010年12月17日. 2016年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月5日閲覧。
- ^ a b 春日 2020, p. 194.
- ^ 『別冊ザテレビジョン NHK大河ドラマ 風林火山』(初版)KADOKAWA、2006年12月、40頁。ISBN 4-0489-4480-0。
- ^ "【内野聖陽さんインタビュー】その生き様に感動!内野聖陽が大河ドラマ「風林火山」の魅力を語る。". チャンネル銀河. 2010年9月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年9月20日閲覧。
- ^ “市川猿之助、香川照之の助力に感謝「1日付いて頭を下げてくれた」〈アナザースカイ〉”. ザテレビジョン. KADOKAWA (2021年4月16日). 2021年4月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月18日閲覧。
- ^ 「千葉の指導」『誠真会館館長・井上誠吾ら元JACメンバー座談会(7)』 9巻、武道ユニオン〈フルコンタクトKARATE MAGAZINE 2016 December〉、2016年12月1日、56頁。ISBN 978-4-4342-2746-2。OCLC 967582192。
- ^ 『酔いどれ公爵』パンフレット 1985, pp. 27–31, 「千葉真一 対談 石崎勝久(映画評論家)」.
- ^ 『キネマ旬報』2021年11月上旬特別号, p. 23, 小玉大輔「サニー千葉としての海外出演作品」.
- ^ 『キル・ビル Vol.1』パンフレット 2003, p. 21, 「ユマ・サーマン インタビュー」(森山京子 訳).
- ^ 『キル・ビル Vol.1』パンフレット 2003, p. 26, 「ルーシー・リュー インタビュー」(小西未来 訳).
- ^ a b c d 千葉 2010, pp. 90–91, 「厳しくも愛情ある指導、体操を始めるきっかけを作ってくれた松本先生」.
- ^ a b c d e f 『月刊平凡』1970年 第26巻第3号, p. 110, 「20人が証言する裸の千葉真一」.
- ^ a b 中村 1999, p. 173, 「極真空手三段 千葉真一」.
- ^ 『蘇る伝説“大山道場”読本』(初刷)日本スポーツ出版社、2000年1月14日、178-179頁。ISBN 4-9309-4327-2。
- ^ 真樹 1986, pp. 104–105, 「『けんか空手 極真拳』の撮影で初めて会う」.
- ^ 『極真カラテ総鑑』 2001, p. 62, 「国際空手道連盟 極真会館 - 年度別昇段登録簿(国内)」.
- ^ 『極真カラテ総鑑』 2001, p. 63, 「国際空手道連盟 極真会館 - 年度別昇段登録簿(国内)」.
- ^ “千葉真一三段がデスマッチ”. スポーツニッポン (毎日新聞社). (1977年3月16日)
- ^ a b 大山 1979, p. 86, 「“極真”だけがなぜ勝つのか」.
- ^ 「速報!! アデミール・ダ・コスタが連覇 ブラジル支部設立10周年記念大会」『月刊パワー空手』第7巻第11号、パワー空手出版社、1984年11月1日、3-13頁。
- ^ 『新・影の軍団 最終章』 2005, 特典映像「高野八誠インタビュー」.
- ^ a b 『月刊平凡』1969年 第25巻第12号, p. 232, 「表紙のおしゃべり」.
- ^ a b 今井雅之 (2010年10月24日). “大先輩”. 今井雅之の押忍!. 今井雅之オフィシャルブログ. アメーバブログ. 2012年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年9月28日閲覧。
- ^ a b 今井雅之 (2011年6月28日). “千葉先輩!!!”. 今井雅之の押忍!. 今井雅之オフィシャルブログ. アメーバブログ. 2012年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年9月28日閲覧。
- ^ a b “三宅裕司&三宅裕司&小倉久寛、劇団SETのスパイアクション作品開幕直前「最高のアクション」と自信、劇団SETのスパイアクション作品開幕直前「最高のアクション」と自信”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2023年10月18日). オリジナルの2023年10月26日時点におけるアーカイブ。 2023年10月26日閲覧。
- ^ a b 『週刊ゴルフダイジェスト』2013年9月24号.
- ^ a b 小西麗 (2021年1月11日). “「アクションの激しさとギャグのゆるさの緩急を見せたい」 - 竹中直人と『燃えよデブゴン』谷垣監督が語る、真のアクションスターの条件”. 日刊SPA!. 扶桑社. p. 2. 2021年1月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月22日閲覧。
- ^ a b "吉川晃司、大ファンの千葉真一と倉田保昭が共演するアクション映画の楽曲を担当". 映画を観ると得をする. n.d. 2016年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年12月3日閲覧。[信頼性要検証]
- ^ a b “音楽も壮絶バトル!吉川晃司VS大槻ケンヂ率いる特撮”. マスター・オブ・サンダー 決戦!! 封魔竜虎伝. プロダクションノート. 『マスター・オブ・サンダー』製作委員会 (2006年). 2017年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月26日閲覧。
- ^ “園子温監督 芸人デビュー「たけしさんに肉薄したい」”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2013年5月1日). オリジナルの2013年5月2日時点におけるアーカイブ。 2013年5月13日閲覧。
- ^ a b "千葉真一 沢田研二 魔界転生". 2時のワイドショー. 1981年5月. 該当時間: 22分22秒から. NNS. ytv。
- ^ “スクープ! 今井雅之さん、幻の「戦国自衛隊」遺していた 20年前に続編の脚本執筆(2/2ページ)”. ZAKZAK. 芸能. 産業経済新聞社. p. 2 (2015年7月16日). 2015年7月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年7月18日閲覧。
- ^ 『JAC特集号』 1982, p. 150, 「前人未踏!15Mのダイビング」.
- ^ "30年ぶりにギャバンを演じた大葉健二「50代の女性がセーラー服を着る恥ずかしさが判りました」". クランクイン!. ブロードメディア. 2012年1月20日. 2017年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月20日閲覧。
- ^ 『JAC特集号』 1982, p. 141, 「可能性に最大限挑戦したい!」.
- ^ "27年ぶりのテレビ出演で再注目 元女優・志穂美悦子のスゴさ1". クランクイン!. ブロードメディア. 2013年12月22日. 2013年12月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月24日閲覧。
- ^ “長渕悦子さんが27年ぶりテレビ出演”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2013年12月18日). オリジナルの2014年1月20日時点におけるアーカイブ。 2017年10月25日閲覧。
- ^ 『宇宙刑事ダイナミックガイドブック』 2015, p. 67, 「インタビュー 関根大学」.
- ^ 『宇宙刑事ダイナミックガイドブック』 2015, p. 127, 「インタビュー 山田一善」.
- ^ 安藤幹夫、スタジオハード 編『宇宙刑事大全』双葉社、2000年6月1日、128-130頁。ISBN 4-5752-9080-7。OCLC 674734525。
- ^ a b c d e 中村 1999, p. 179, 「極真空手三段 千葉真一」.
- ^ a b "フェルナンデス、千葉真一引退にショック". nikkansports.com. 日刊スポーツ新聞社. 2007年7月23日. 2010年1月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年1月6日閲覧。
- ^ a b Gilyadov, Alex (2018年4月12日). “『ウェストワールド』シーズン2:将軍ワールドのエピソードは日本語で描かれる”. IGN Japan. 映画・ドラマ. 産経デジタル. 2018年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月19日閲覧。
- ^ a b Hibberd, James (2018年4月12日). “Westworld creators break silence on 'spectacular' Shogun World plans” (英語). エンターテインメント・ウィークリー. TV. タイム・ワーナー. 2018年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月19日閲覧。
- ^ a b 首藤正徳 (2021年2月16日). “タイソン公開スパーでも… 楽観ムード包まれ違和感”. nikkansports.com. 首藤正徳のスポーツ百景. 日刊スポーツ新聞社. 2021年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月20日閲覧。
- ^ 相馬学 (2019年8月22日). “栄冠、そして大ヒットを引き寄せた最大のスターは誰か?”. CINEMORE. 『パルプ・フィクション』低予算製作でスターたちを動かした真の奇跡とは?. 太陽企画. p. 3. 2020年12月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月1日閲覧。
- ^ 千葉 2010, p. 131, 「第4章 現代日本のサムライ三傑 - 深作欣二、高倉健、大山倍達」.
- ^ "千葉真一 高倉健から東映解雇を救ってもらった体験を明かす". TBSラジオ. 2014年11月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年11月21日閲覧。
- ^ a b c “千葉真一 夏八木勲さんへの思い語る”. 東京スポーツ (東京スポーツ新聞社). (2013年5月14日). オリジナルの2013年6月11日時点におけるアーカイブ。 2013年5月21日閲覧。
- ^ 『月刊平凡』1970年 第26巻第3号, pp. 111–112, 「20人が証言する裸の千葉真一」.
- ^ a b c d 『週刊明星』1970年6月.
- ^ a b 『東映スピード・アクション浪漫アルバム』, p. 231, ロビン前田「ピラニア軍団」.
- ^ a b c 島村幸恵 (2011年11月10日). "千葉真一が米ドラマで主演!タイトルは「ブシドー」!72歳にして米アクション・ドラマ初主演作に". シネマトゥデイ. 2012年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年4月13日閲覧。
- ^ a b 堀田眞三 (2010年10月23日). “千葉真一先輩 記念パーティー”. 俳優 堀田眞三(グランパ)です。. gooブログ. 2022年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月4日閲覧。
- ^ 堀田眞三 (2006年7月10日). ““親父”衣装合わせなどの打ち合わせ。”. 俳優 堀田眞三(グランパ)です。. gooブログ. 2012年3月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月30日閲覧。
- ^ 堀田眞三 (2006年7月21日). “親父 - 撮影 快調!”. 俳優 堀田眞三(グランパ)です。. gooブログ. 2012年3月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月30日閲覧。
- ^ 堀田眞三 (2006年7月26日). “いよいよ“親父”の撮影”. 俳優 堀田眞三(グランパ)です。. gooブログ. 2012年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月30日閲覧。
- ^ あさ美 (2012年10月12日). “かっこよすぎで”. あさ美のMaybe☆めいビー. アメーバブログ. 2013年3月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月25日閲覧。
- ^ 大木凡人 (2012年11月24日). “千葉真一と大木凡人 2時間トーク ディナークルーズ”. 凡ちゃんブログ. アメーバブログ. 2012年12月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年12月6日閲覧。
- ^ a b “小泉孝太郎、千葉真一「ドログバのよう」”. 日刊スポーツ (nikkansports.com). (2014年6月16日). オリジナルの2014年10月4日時点におけるアーカイブ。 2014年10月4日閲覧。
- ^ 真樹 1986, p. 106, 「『けんか空手 極真拳』の撮影で初めて会う」.
- ^ a b 真樹 1986, pp. 106–108, 「いくら飲んでも崩れを見せぬ見事な酒品だった」.
- ^ 平松伸二「結婚してください!」『そしてボクは外道マンになる』 2 第7話(初版)、集英社(原著2017年9月19日)。ISBN 4-0889-0757-4。
- ^ 「柄本時生「絶対井岡だ」スポーツジムで遭遇の記憶」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2020年11月27日。オリジナルの2020年12月1日時点におけるアーカイブ。2021年2月21日閲覧。
- ^ 「今度はスポーツカーに替える」『サンデー交毎』、交通毎日新聞社、1964年9月13日、1頁。
- ^ 『月刊平凡』1969年 第25巻第8号, p. 78, 「追跡ルポ / チバシンのモーレツ24時間」.
- ^ “「失うのはお金だけではない」千葉真一さんもハマっていた"怪しい水商品"の3つの特徴”. president (2021年9月10日). 2022年10月5日閲覧。
- ^ “千葉真一さん「水素飲んでるから大丈夫」ワクチン拒絶にあった“サプリ”傾倒”. 女性自身 (2021年9月6日). 2022年10月5日閲覧。
- ^ 名取宏ほか『新型コロナとワクチンの「本当のこと」がわかる本~【検証】新型コロナ デマ・陰謀論~』彩図社、2021年。ISBN 978-4-8013-0576-2。
- ^ "【追悼】千葉真一があのフリーメーソンに入会". 週刊文春. 2021年1月6日. 2022年5月10日閲覧。
- ^ “千葉真一「一周忌」で再燃した“宗教問題” 明かされた日蓮正宗の「御本尊」と「御授戒文」の波紋(デイリー新潮)”. デイリー新潮. 2022年8月18日閲覧。
- ^ 千葉 2008, p. 34, 「パイロットだった親父」.
- ^ 千葉 2010, p. 103, 「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」.
- ^ 千葉 2010, p. 85, 「「気骨ある明治生まれの軍人、子供心に誇らしかった飛行機姿の親父」」.
- ^ a b 千葉 2008, pp. 113–114, 「樹里が生まれた日」.
- ^ “千葉真一が離婚 調停中の28歳下の夫人と昨年”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2016年1月1日) 2016年1月1日閲覧。
- ^ "令和二年度文化庁長官表彰名簿" (PDF). 文化庁. 文化庁. n.d. p. 17. 2023年11月12日閲覧。
- ^ 『魔界転生』 1981, p. 11, 「登場人物」.
- ^ 『魔界転生』 1981, p. 26, 「キャスト」.
- ^ ベストカーWeb編集部オオハシ (2021年1月11日). "セダンの良心がまたひとつ消える プレミオ&アリオン生産終了 コロナとカリーナの光と影". ベストカーWeb. 講談社ビーシー. p. 2. 2021年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月28日閲覧。
- ^ 「おとこ達よ 野性の切れ味を忘れるな」『週刊宝石』第2巻第23号、光文社、1982年6月5日、2頁。
- ^ 千葉真一、本間千代子、小林裕子、小川守、三田佳子 歌『歌う東映スター』コダマプレス〈別冊歌謡コダマ;KY-1001〉、1963年。国立国会図書館サーチ:R100000002-I000009223076-00。
参考文献
発売順。
- 「東映城に羽ばたく」『週刊実話特報』第3巻第8号、双葉社、1961年2月23日、3-6頁。
- 「●空中滑降撮影中、地面にたたきつけられる 本誌カメラマンの目の前で千葉真一が 『キイハンター』 左足首を骨折! 2ヶ月の重傷!!」『週刊平凡』1969年4月3日号、マガジンハウス、1969年。
- 「追跡ルポ / チバシンのモーレツ24時間」『月刊平凡』第25巻第8号、平凡出版、1969年8月5日。
- 「千葉真一特集号 デビュー10周年 / アクションとともに!」『近代映画』10月号臨時増刊、近代映画社、1969年10月15日。
- 『月刊平凡』第25巻第12号、平凡出版、1969年12月1日。
- 「今月のズームアップ / 20人が証言する裸の千葉真一」『月刊平凡』第26巻第3号、平凡出版、1970年3月1日。
- 「モーレツ体操教師と生徒 千葉真一+中尾彬」『週刊明星』第23巻、集英社、1970年6月14日。
- 『近代映画』、近代映画社、1970年11月、123-126頁。
- 「ゴルゴ13 九竜の首」(グラビア)『KINEJUN キネマ旬報』第1532巻第718号、キネマ旬報社、1977年10月1日、42-44頁。(1977年10月上旬号)
- 大山倍達『わがカラテ革命』(第3刷)講談社、1979年11月9日。ISBN 4-0612-4193-1。OCLC 673398027。
- 『戦国自衛隊』(パンフレット)角川春樹事務所、1979年12月15日。ASIN B004M0T1C2。
- 『魔界転生』(パンフレット)角川春樹事務所 / 東映、1981年6月6日。ASIN B077C161LY。
- 「とっておきの『先生』特集」『SPORTS CITY』第1巻第2号、鎌倉書房、1981年6月25日、32頁。
- 『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-』(パンフレット)東映、1981年11月7日。ASIN B0076JWROK。
- 「ジャパン・アクション・クラブ12周年記念 JAC特集号」第8巻第4号、近代映画社、1982年3月5日。
- 黒田邦雄「ザ・インタビュー 千葉真一」『KINEJUN キネマ旬報』第1655巻第841号、キネマ旬報社、1982年8月1日、130-133頁。(1982年8月上旬号)
- 『第IV回JACミュージカル 酔いどれ公爵』(パンフレット)新宿コマ・スタジアム、1985年4月1日。ASIN B00GJMM25Y。
- 真樹日佐夫「第11話 学生時代からの大山門下生 千葉真一 三段」『極真カラテ 二十七人の侍 「地上最強の格闘技」を支えた男たちの伝説』(1刷)サンケイ出版、1986年7月10日。ISBN 4-3830-2506-4。OCLC 122968262。
- 「トムソーヤ企画メンバー ■プロフィール / コメント」(パンフレット)『せんせい』、松竹、1989年4月8日、17頁。
- 『全怪獣怪人』 上巻、勁文社、1990年3月24日、48-49頁。ISBN 4-7669-0962-3。C0676。
- 竹書房 / イオン 編『超人画報 国産架空ヒーロー40年の歩み』(初版第1刷)竹書房、1995年11月30日。ISBN 4-8847-5874-9。OCLC 40507555。C0076。
- 能村庸一『実録テレビ時代劇史 ちゃんばらクロニクル1953-1998』(2刷)東京新聞出版局、1999年2月10日。ISBN 4-8083-0654-9。OCLC 675629235。
- 中村カタブツ『極真外伝 〜極真空手もう一つの闘い〜』(第1刷)ぴいぷる社、1999年12月25日。ISBN 4-8937-4137-3。OCLC 675680900。
- 『極真カラテ総鑑 新・精神主義への創世紀へ』(初版)株式会社I.K.O. 出版事務局、2001年4月20日。ISBN 4-8164-1250-6。OCLC 676281505。
- 「仁義なき戦い PERFECT BOOK」『別冊宝島』第833号、宝島社、2003年、12,30-31。
- 『キル・ビル Vol.1』(パンフレット)ユニバーサル・ピクチャーズ、2003年10月25日。ASIN B003NIVNQ6。
- 『新・影の軍団 〜最終章〜 服部半蔵最期の戦い』(DVD)シネマパラダイス、2005年6月25日。OCLC 1129700186。 - 本編時間:1時間28分
- 「史上最強のカラテ映画大戦争!」『映画秘宝』 12巻、5号、洋泉社、2006年4月21日。ASIN B000ESSRBW。
- 文化通信社 編『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』指田洋 渡邉裕二 大川仁志 取材インタビュー・対談・コラムなど(初版)、ヤマハミュージックメディア、2012年6月15日。ISBN 4-6368-8519-8。OCLC 820774816。
- 「ジャンボも唱える影の軍団「天魔覆滅」」『週刊ゴルフダイジェスト』第36巻2013年9月24号、ゴルフダイジェスト社、2013年9月24日、126頁。
- 春日太一『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』(第2刷)文藝春秋、2013年11月30日。ISBN 4-1637-6810-6。OCLC 952394433。
- 近代映画社 編「千葉真一とザ・サタンズ誕生」『GS グループ・サウンズ 1965〜1970』 NEW SOUNDS GROUP、辻幸多郎 章著者、近代映画社、2013年12月25日、111頁。ISBN 978-4-7648-2390-7。
- 中島貞夫 著、河野眞吾 編『遊撃の美学 映画監督中島貞夫(上)』(第1刷)ワイズ出版、2014年10月20日。ISBN 4-8983-0283-1。OCLC 895768292。
- 杉作J太郎、伴ジャクソン 編『宇宙刑事ダイナミックガイドブック』(初版)徳間書店、2015年1月30日。ISBN 4-1973-0132-4。OCLC 910540013。C9476。
- 春日太一『役者は一日にしてならず』(初版第一刷)小学館、2015年2月28日。ISBN 4-0937-9869-9。OCLC 905172825。
- ロビン前田「ピラニア軍団」『東映スピード・アクション浪漫アルバム』杉作J太郎 植地毅 編著(第一刷)、徳間書店〈浪漫アルバム〉、2015年9月30日、231頁。ISBN 978-4-1986-4003-3。
- 佐藤結「『ベテラン』 対談 リュ・スンワン[監督]× 千葉真一 韓国・日本 両国の映画を愛する漢たちの語らい」『キネマ旬報』第1705巻第2519号、キネマ旬報社、2015年12月4日、70頁。(2015年12月下旬号)
- 春日太一「第三部 とりあえず知っておきたい基礎知識 第三章 とりあえず知っておきたい 千葉真一」『時代劇入門』 K-308(初版)、KADOKAWA〈角川新書〉、2020年3月10日、194頁。ASIN 4040822633。ISBN 978-4-04-082263-1。 NCID BB30170940。OCLC 1158080311。
- 「千葉真一よ、永遠に!!」『映画秘宝』通巻18号112021年11月号、双葉社、2021年9月21日、ASIN B09B12VZMW、JAN 4910020211118。
- 「千葉真一 世界(アクション)に挑み続けた男」『キネマ旬報』通巻2692号18782021年11月上旬特別号、キネマ旬報社、2021年11月1日、ASIN B09HG6KDDX、JAN 4910207211115。
関連項目
- ジャパンアクションエンタープライズ - ジャパンアクションクラブ(JAC)から派生
外部リンク
- 千葉真一 (JJ.s.chiba) - Facebook
- JJ.SONNY CHIBA Official Web Page 2019 - Louis and Leaves株式会社による運営
- 千葉真一公式WEBサイト - 株式会社アストライアによる運営
- 千葉真一 - アストライア
- Shin'ichi Chiba - オールムービー
- Shin'ichi Chiba - IMDb
- 千葉真一 - 香港影庫 HKMDB
- 千葉真一 - 香港電影資料館 Hong Kong Film Archive at Archive.is (archived 2012-12-18)
- 特集 あの人のとっておきセレクション 千葉真一さん NHKアーカイブス at the Wayback Machine (archived 2015-04-08)
- 千葉真一 - NHK人物録
- 千葉真一オフィシャルブログ - Ameba Blog
- 2012年9月18日 - 2014年3月14日に所属していた株式会社スティルパートナーズによる運営。事務所閉鎖により更新停止。
- 千葉真一
- 日本の男優
- アクション俳優
- 剣劇俳優
- 剣戟俳優
- ヤクザ映画の俳優
- 日本のミュージカル俳優
- 日本の舞台俳優
- 東映の俳優
- Vシネマ俳優
- 日本のスタントマン
- スーツアクター
- 日本の男性ポップ歌手
- 日本の企業創立者
- 日本のプロモーター
- アクション監督
- 日本の映画プロデューサー
- 日本の映画監督
- 日本の作詞家
- 日本の男性作曲家
- 日本の男性声優
- 日本のナレーター
- 日本の男子空手家
- 複数のスポーツで活躍した選手
- 日本体育大学出身の人物
- 極真会館の人物
- 東映時代劇
- 京都芸術大学の教員
- 日本クラウンのアーティスト
- キングレコードのアーティスト
- テイチクエンタテインメントのアーティスト
- 福岡市出身の人物
- 千葉県出身の人物
- 在アメリカ合衆国日本人
- 日本のフリーメイソン
- 2019新型コロナウイルス感染症で亡くなった日本の人物
- 20世紀日本の俳優
- 21世紀日本の俳優
- 20世紀日本の脚本家
- 21世紀日本の脚本家
- 20世紀日本の実業家
- 21世紀日本の実業家
- 20世紀のスポーツ選手
- 21世紀のスポーツ選手
- 野際陽子
- ピラニア軍団
- 過去の浅井企画所属者
- 1939年生
- 2021年没