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「永田亮一」の版間の差分

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[[岸信介]]と行動を共にし、岸派の分裂と共に[[愛正会|藤山派]]に参加。更に[[巽会|水田派]]から[[木曜クラブ|田中派]]に所属を変えるが、同じ淡路島を地盤とする[[原健三郎]]が[[船田中|船田派]]から[[政策科学研究所|中曽根派]]に転籍すると政治力に圧倒され末期には当落を繰り返した。[[1983年]]の[[第37回衆議院議員総選挙|総選挙]]で落選し、政界を退く。


長男は兵庫[[県議会議員]]の[[永田秀一]]。同じ兵庫県議の[[北川泰寿]]は孫にあたる。
長男は兵庫[[県議会議員]]の[[永田秀一]]。同じ兵庫県議の[[北川泰寿]]は孫にあたる。

2023年1月9日 (月) 23:25時点における版

永田 亮一(ながた りょういち、1911年9月26日 - 1997年1月13日)は、日本政治家衆議院議員

来歴・人物

兵庫県三原郡倭文村(現南あわじ市倭文長田)に東京市長などを務めた永田秀次郎の長男として生まれる。1935年慶應義塾大学経済学部卒業。

王子製紙勤務等を経て、1952年総選挙で旧兵庫2区から衆議院議員選挙に出馬し、当選。以後、衆議院議員を通算10期務め、自由党日本民主党自由民主党に属した。外務政務次官衆議院外務委員長などを歴任するが、大臣の経験はない。

岸信介と行動を共にし、岸派の分裂と共に藤山派に参加。更に水田派から田中派に所属を変えるが、同じ淡路島を地盤とする原健三郎船田派から中曽根派に転籍すると政治力に圧倒され末期には当落を繰り返した。1983年総選挙で落選し、政界を退く。

長男は兵庫県議会議員永田秀一。同じ兵庫県議の北川泰寿は孫にあたる。

1997年1月13日死去。享年85。

外部リンク


議会
先代
森美秀
日本の旗 衆議院科学技術委員長
1982年 - 1983年
次代
大野潔
先代
國場幸昌
日本の旗 衆議院決算委員長
1981年 - 1982年
次代
古屋亨
先代
竹内黎一
日本の旗 衆議院外務委員長
1978年
次代
塩谷一夫
先代
大坪保雄
日本の旗 衆議院法務委員長
1968年
次代
高橋英吉
先代
園田直
日本の旗 衆議院地方行政委員長
1962年 - 1963年
次代
北澤直吉
先代
平井義一
日本の旗 衆議院運輸委員長
1960年
次代
三池信
先代
岡崎英城
日本の旗 衆議院公職選挙法改正に関する調査特別委員長 次代
田中栄一