コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「千葉真一」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
最期: 医師とは言え第三者の憶測を含む記述は不要
 
(39人の利用者による、間の52版が非表示)
1行目: 1行目:
{{ActorActress
{{ActorActress
| 芸名 = 千葉 真一<br /><span style="font-size:small">''JJ Sonny Chiba''</span>
| 芸名 = 千葉 真一<br /><span style = font-size:small>''Sonny Chiba''</span>
| ふりがな = ちば しんいち
| ふりがな = ちば しんいち
| 画像ファイル = Chiba-Shinichi-1.jpg
| 画像ファイル = Chiba-Shinichi-1.jpg
6行目: 6行目:
| 画像コメント = 『[[国際情報社|映画情報]]』1965年6月号より。
| 画像コメント = 『[[国際情報社|映画情報]]』1965年6月号より。
| 本名 = '''前田 禎穂'''<small>(まえだ さだほ)</small><ref name = 和千永3839>[[#千葉2008|「君津のガキ大将時代」、38 - 39頁。]]</ref>
| 本名 = '''前田 禎穂'''<small>(まえだ さだほ)</small><ref name = 和千永3839>[[#千葉2008|「君津のガキ大将時代」、38 - 39頁。]]</ref>
| 別名義 =
| 別名義 = '''和千永 倫道'''<small>(わちなが りんどう)</small><ref name = 和千永12>[[#千葉2008|「千葉真一、引退宣言の真相」、12頁。]]</ref>
| 出生地 = {{flagicon|JPN}} [[福岡県]][[福岡市]][[博多区]]<ref name = 千葉流8182>[[#千葉2010|「気骨ある明治生まれの軍人、子供心に誇らしかった飛行機姿の親父」、81 - 82頁。]]</ref>
| 出生地 = {{flagicon|JPN}} [[福岡県]][[福岡市]][[博多区]]<ref name = 千葉流8182>[[#千葉2010|「気骨ある明治生まれの軍人、子供心に誇らしかった飛行機姿の親父」、81 - 82頁。]]</ref>
| 出身地 = {{flagicon|JPN}} [[千葉県]][[君津市]]<ref name = 和千永38>[[#千葉2008|「君津のガキ大将時代」、38頁。]]</ref>
| 出身地 = {{flagicon|JPN}} [[千葉県]][[君津市]]<ref name = 和千永38>[[#千葉2008|「君津のガキ大将時代」、38頁。]]</ref>
| 死没地 = {{flagicon|JPN}} 千葉県[[木更津市]]<ref name = 君津中央>{{Cite news ja |title = 俳優 千葉真一さん死去 コロナで肺炎悪化 |newspaper = [[日テレNEWS24]] |date = 2021-08-19 |url = https://news.ntv.co.jp/category/society/9d23f3dff194448abe8ac86e02985b86 |accessdate = 2022-03-27 |publisher = [[CS日本]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220327092636/https://news.ntv.co.jp/category/society/9d23f3dff194448abe8ac86e02985b86 |archivedate = 2022-03-27 |url-status = live }}</ref>
| 死没地 = {{flagicon|JPN}} 千葉県[[木更津市]]<ref name = 君津中央>{{Cite news |和書 |title = 俳優 千葉真一さん死去 コロナで肺炎悪化 |newspaper = [[日テレNEWS24]] |date = 2021-08-19 |url = https://news.ntv.co.jp/category/society/9d23f3dff194448abe8ac86e02985b86 |accessdate = 2022-03-27 |publisher = [[CS日本]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220327092636/https://news.ntv.co.jp/category/society/9d23f3dff194448abe8ac86e02985b86 |archivedate = 2022-03-27 |url-status = live }}</ref>
| 国籍 = <!--「出生地」からは推定できないときだけ -->
| 国籍 = <!--「出生地」からは推定できないときだけ -->
| 民族 = [[日本人]]<ref name = 和千永3839/><ref name = 千葉流8182/><ref name = 近代144-145>[[#近代196910|「千葉真一特集」、144 - 145頁。]]</ref><!-- 民族名には信頼できる情報源が出典として必要です。 -->
| 民族 = [[日本人]]{{R |和千永3839 |千葉流8182 }}<ref name = 近代144-145>[[#近代196910|「千葉真一特集」、144 - 145頁。]]</ref><!-- 民族名には信頼できる情報源が出典として必要です。 -->
| 身長 = 176[[センチメートル|cm]]<ref name = 殺人拳1>{{Cite news ja |title =「キイハンター」JAC設立、千葉真一さん 82歳死去 / 写真特集 |newspaper = [[日刊スポーツ|nikkansports.com]] |date = 2021-08-19 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108190001171.html |accessdate = 2022-08-14 |publisher = [[日刊スポーツ新聞社]] |archiveurl = https://archive.ph/nbWg3 |archivedate = 2022-08-14 |url-status = live }}</ref><ref name = yahoo>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20130626113043/http://talent.yahoo.co.jp/pf/profile/pp131778 |date = 2013年6月26日 |title = 千葉真一 - プロフィール }}</ref><ref name = アストライア>{{Cite web |和書 |url = http://www.astraia.tv/Chiba.html |title = 千葉真一 |accessdate = 2017-10-24 |work = プロフィール |publisher = [[アストライア (プロダクション)|アストライア]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20171024043301/http://www.astraia.tv/Chiba.html |archivedate = 2017-10-24 |url-status = live }}</ref>
| 身長 = 176[[センチメートル]]<ref name = 殺人拳1>{{Cite news |和書 |title =「キイハンター」JAC設立、千葉真一さん 82歳死去 / 写真特集 |newspaper = [[日刊スポーツ|nikkansports.com]] |date = 2021-08-19 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108190001171.html |accessdate = 2022-08-14 |publisher = [[日刊スポーツ新聞社]] |archiveurl = https://archive.ph/nbWg3 |archivedate = 2022-08-14 |url-status = live }}</ref><ref name = yahoo>{{Wayback |url = http://talent.yahoo.co.jp/pf/profile/pp131778 |title = 千葉真一 - プロフィール |date = 20130626113043 }}</ref><ref name = アストライア>{{Cite web |和書 |url = http://www.astraia.tv/Chiba.html |title = 千葉真一 / Shinichi Chiba, JJ Sonny Chiba |accessdate = 2017-10-24 |website = PROFILE |work = 俳優/ Actor |publisher = [[アストライア (プロダクション)|アストライア]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20171024043301/http://www.astraia.tv/Chiba.html |archivedate = 2017-10-24 |url-status = live }}</ref>
| 血液型 = [[ABO式血液型|O型]]<ref name = yahoo/><ref name = アストライア/>
| 血液型 = [[ABO式血液型|O型]]{{R |yahoo |アストライア }}
| 生年 = 1939
| 生年 = 1939
| 生月 = 1
| 生月 = 1
20行目: 20行目:
| 没月 = 8
| 没月 = 8
| 没日 = 19
| 没日 = 19
| 職業 = [[俳優]]・[[体操選手]]・[[]]・[[手]]・[[芸能プロモーター]]・[[アクション監督]]・[[演出家]]・[[映画監督]]・[[映画プロデューサー]]
| 職業 = [[俳優]]・[[体操選手]]・[[手]]・[[]]・[[芸能プロモーター]]・[[アクション監督]]・[[演出家]]・[[映画プロデューサー]]・[[映画監督]]
| ジャンル = [[映画]]・[[テレビ映画]]・[[ドラマ]]・[[音楽]]・[[演劇]]・''[[コマーシャルメッセージ|CM]]''
| ジャンル = [[映画]]・[[テレビ映画]]・[[ドラマ]]・[[音楽]]・[[演劇]]・''[[コマーシャルメッセージ|CM]]''
| 活動期間 = [[1959年]] - [[2021年]]
| 活動期間 = [[1959年]] - [[2021年]]
| 活動内容 = 1959年 [[東映ニューフェイス]]<br>[[1960年]] [[デビュー]]<br>[[1966年]] [[台湾映画|台]]・[[アメリカ合衆国の映画|米]]合作映画演<br>[[1970年]] ''[[ジャパンアクションクラブ|JAC]]''設立<br>[[1973年]] [[香港映画|香]][[タイの映画|泰]][[韓国映画|韓]]合作映画演<br>[[1974年]] ''Sonny Chiba''<br>[[1977年]] [[フルコンタクト空手|空手大会]]出場<br>[[1979年]] [[日本映画|本邦]]初[[アクション監督]]<br>[[1981年]] 米[[イギリスの映画|英]]合作映画演<br />[[1989年]] 映画プロデューサー<br />[[1990年]] 映画監督<br />[[1991年]] ''JAC'' 売却<br>[[1992年]] 拠点を''[[L.A.]]''へ<br>[[1994年]] 米[[メキシコの映画|墨]]合作映画演<br>[[2008年]] [[京都造形芸術大学|京都造形芸大]][[教授]]<br>[[2010年]] 芸能生活50周年
| 活動内容 = [[1959年]] [[東映ニューフェイス]]<br>[[1960年]] [[デビュー]]<br>[[1966年]] [[日本映画|日]][[台湾映画|台]]・[[アメリカ合衆国の映画|米]]合作映画演<br>[[1970年]] ''[[ジャパンアクションクラブ|JAC]]''設立<br>[[1973年]] [[香港映画|香]][[タイの映画|泰]][[韓国映画|韓]]合作映画演<br>[[1974年]] ''[[w:Sonny Chiba|Sonny Chiba]]''<br>[[1977年]] [[フルコンタクト空手|空手大会]]出場<br>[[1979年]] [[日本映画|本邦]]初[[アクション監督]]<br>[[1981年]] 米[[イギリスの映画|英]]合作映画演<br />[[1989年]] 映画プロデューサー<br />[[1990年]] 映画監督<br />[[1991年]] ''JAC''売却<br>[[1992年]] 拠点を''[[L.A.]]''へ<br>[[1994年]] 米[[メキシコの映画|墨]]合作映画演<br>[[2008年]] [[京都造形芸術大学|京都造形芸大]][[教授]]<br>[[2010年]] 芸能生活50周年
| 配偶者 = [[野際陽子]]([[1973年]] - [[1994年]])<br>一般人([[1996年]] - [[2015年]])
| 配偶者 = [[野際陽子]]([[1973年]] - [[1994年]])<br>一般人([[1996年]] - [[2015年]])
| 著名な家族 = [[真瀬樹里]](長女{{Efn |母は[[野際陽子]]。}})<br>[[新田真剣佑]](長男{{Efn |name = 真郷 |母は一般人。}})<br>[[眞栄田郷敦]](次男{{Efn |name = 真郷 }})<br>[[矢吹二朗]](弟)<!-- 「家族」はその人物の配偶者や家族として公開されている著名人の名前を記入します。 -->
| 著名な家族 = [[真瀬樹里]](長女{{Efn |母は[[野際陽子]]。}})<br>[[新田真剣佑]](長男{{Efn |name = 真郷 |母は一般人。}})<br>[[眞栄田郷敦]](次男{{Efn |name = 真郷 }})<br>[[矢吹二朗]](弟)<!-- 「家族」はその人物の配偶者や家族として公開されている著名人の名前を記入します。 -->
| 事務所 = [[#注釈|注釈10]]
| 事務所 = [[#注釈|注釈9]]
| 公式サイト = [[#外部リンク]]
| 公式サイト = [[#外部リンク]]
| 主な作品 = <!-- 発表年順。スタッフ兼務の助演作品はアクション監督・監督・演出・監修へ掲載 -->'''日本映画'''<br>『[[風来坊探偵シリーズ]]』<br>『[[ファンキーハットの快男児シリーズ]]』<br>『[[宇宙快速船]]』『[[事件記者シリーズ]]』<br>『[[柔道一代シリーズ]]』『[[やくざの歌]]』<br>『[[白い熱球]]』『[[太陽に突っ走れ]]』<br>『[[子守唄シリーズ]]』『[[黄金バット#黄金バット(1966年)|黄金バット]]』<br>『[[組織暴力]]』『[[河内遊侠伝]]』<br>『[[陸軍諜報33]]』『[[日本暗殺秘録]]』<br>『[[やくざ刑事シリーズ]]』『[[狼やくざシリーズ]]』<br>『[[麻薬売春Gメンシリーズ]]』<br>『[[仁義なき戦い 広島死闘篇]]』<br>『[[ボディガード牙シリーズ]]』<br>『[[殺人拳シリーズ]]』<br>『[[ルバング島の奇跡 陸軍中野学校]]』<br>『[[地獄拳シリーズ]]』『[[少林寺拳法 (映画)|少林寺拳法]]』<br>『[[ウルフガイ 燃えろ狼男]]』『[[新幹線大爆破]]』<br>『[[けんか空手シリーズ]]』『[[激突! 合気道]]』<br>『[[脱走遊戯]]』『[[沖縄やくざ戦争]]』<br>『[[ドーベルマン刑事#映画|ドーベルマン刑事]]』<br>『[[トラック野郎・度胸一番星|トラック野郎 度胸一番星]]』<br>『[[柳生一族の陰謀]]』『[[沖縄10年戦争]]』<br>『[[赤穂城断絶]]』『[[闇の狩人#映画|闇の狩人]]』<br>『[[戦国自衛隊 (映画)|戦国自衛隊]]』『[[魔界転生#1981年|魔界転生]]』<br>『[[冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-]]』<br>『[[必殺4 恨みはらします]]』<br>『[[新 影の軍団シリーズ]]』『[[銭道|銭道シリーズ]]』<br>『[[SURVIVE STYLE5+]]』『[[親父 (映画)|親父]]』<br>『[[修羅の伝承 荒ぶる凶犬]]』<hr />
| 主な作品 = <!-- 発表年順。スタッフ兼務の助演作品はスタッフ掲載 -->'''日本映画'''<br>{{hlist-comma|『[[風来坊探偵シリーズ]]』|『[[ファンキーハットの快男児シリーズ]]』|『[[宇宙快速船]]』|『[[事件記者シリーズ]]』|『[[特別機動捜査隊#映画|特別機動捜査隊シリーズ]]』|『[[柔道一代シリーズ]]』|『[[海軍 (映画)#東映製作(1963年)|海軍]]』|『[[やくざの歌]]』|『[[白い熱球]]』|『[[わが恐喝の人生]]』|『[[やくざGメン 明治暗黒街]]』|『[[太陽に突っ走れ]]』|『[[子守唄シリーズ]]』|『[[黄金バット#黄金バット(1966年)|黄金バット]]』|『[[組織暴力]]』|『[[あゝ同期の桜#映画|あゝ同期の桜]]』|『[[河内遊侠伝]]』|『[[陸軍諜報33]]』|『[[日本暗殺秘録]]』|『[[やくざ刑事シリーズ]]』|『[[狼やくざシリーズ]]』|『[[麻薬売春Gメンシリーズ|麻薬売春''G''メンシリーズ]]』|『[[仁義なき戦い 広島死闘篇]]』|『[[ボディガード牙シリーズ]]』|『[[殺人拳シリーズ]]』|『[[ルバング島の奇跡 陸軍中野学校]]』|『[[地獄拳シリーズ]]』|『[[女必殺拳]]』|『[[少林寺拳法 (映画)|少林寺拳法]]』|『[[ウルフガイ 燃えろ狼男]]』|『[[新幹線大爆破]]』|『[[けんか空手シリーズ]]』|『[[激突! 合気道]]』|『[[脱走遊戯]]』|『[[沖縄やくざ戦争]]』|『[[ドーベルマン刑事#映画|ドーベルマン刑事]]』|『[[トラック野郎 度胸一番星]]』|『[[柳生一族の陰謀]]』|『[[沖縄10年戦争]]』|『[[赤穂城断絶]]』|『[[闇の狩人#映画|闇の狩人]]』|『[[戦国自衛隊 (映画)|戦国自衛隊]]』|『[[魔界転生#1981年|魔界転生]]』|『[[冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-|冒険者カミカゼ ''-ADVENTURER KAMIKAZE-'']]』|『[[里見八犬伝 (1983年の映画)|里見八犬伝]]』|『[[必殺4 恨みはらします]]』|『[[新 影の軍団シリーズ]]』|『[[銭道|銭道シリーズ]]』|''[[SURVIVE STYLE5+]]''|『[[親父 (映画)|親父]]』|『[[修羅の伝承 荒ぶる凶犬]]』}}<hr>
'''海外映画''' <small>※日本との合作含む</small><br>『[[カミカゼ野郎 真昼の決斗]]』『[[海底大戦争]]』<br>『[[東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯]]』<br>『[[激殺! 邪道拳]]』『[[ゴルゴ13 九竜の首]]』<br>『[[武士道ブレード]]』<br>『[[エイセス / 大空の誓い]]』<br>『[[地雷原 A mine field.]]』<br>『[[リゾート・トゥ・キル]]』<br>『[[ザ・サイレンサー MAGNUM357|ザ・サイレンサー ''MAGNUM357'']]』<br>『[[風雲 ストームライダーズ]]』<br>『[[:zh:勝者為王 (古惑仔)|狼たちの伝説 亜州黒社会戦争]]』<br>『[[キル・ビル]]』『[[w:Explosive City|爆裂都市 / ''Explosive City'']]』<br>『[[ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT|ワイルド・スピード''X3 TOKYO DRIFT'']]』<hr />
'''海外映画''' <small>※日本との合作含む</small><br>{{hlist-comma|『[[カミカゼ野郎 真昼の決斗]]』|『[[海底大戦争]]』|『[[東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯]]』|『[[激殺! 邪道拳]]』|『[[ゴルゴ13 九竜の首]]』|『[[武士道ブレード]]』|『[[エイセス / 大空の誓い]]』|『[[地雷原 A mine field.|地雷原 ''A mine field.'']]』|『[[リゾート・トゥ・キル]]』|『[[ザ・サイレンサー MAGNUM357|ザ・サイレンサー ''MAGNUM357'']]』|『[[風雲 ストームライダーズ]]』|『[[:zh:小李飛刀之飛刀外傳|小李飛刀之飛刀外傳]]』|『[[:zh:勝者為王 (古惑仔)|狼たちの伝説 亜州黒社会戦争]]』|『[[キル・ビル]]』|『[[w:Explosive City|爆裂都市 / ''Explosive City'']]』|『[[ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT|ワイルド・スピード''X3 TOKYO DRIFT'']]』}}<hr>
'''テレビ映画'''<br>『[[新 七色仮面]]』『[[アラーの使者]]』<br>『[[暗闇五段|くらやみ五段]]』『[[キイハンター]]』<br>『[[現代鬼婆考 殺愛]]』『[[ザ・ボディガード]]』<br>『[[ザ★ゴリラ7]]』『[[燃える捜査網]]』<br>『[[大非常線]]』『[[柳生一族の陰謀#テレビ映画|柳生一族の陰謀]]』<br>『[[服部半蔵 影の軍団|影の軍団シリーズ]]』<br>『[[東京大地震マグニチュード8.1]]』<br>『[[柳生あばれ旅シリーズ]]』<br>『[[素晴らしきサーカス野郎]]』『[[太閤記 (1987年のテレビドラマ)|太閤記]]』<br>『[[徳川家康 (1988年のテレビドラマ)|徳川家康]]』『[[十七人の忍者]]』『[[徳川無頼帳]]』<hr />
'''テレビ映画'''<br>{{hlist-comma|『[[新 七色仮面]]』|『[[アラーの使者]]』|『[[暗闇五段|くらやみ五段]]』|『[[キイハンター]]』|『[[現代鬼婆考 殺愛]]』|『[[ザ・ボディガード]]』|『[[ザ★ゴリラ7]]』|『[[燃える捜査網]]』|『[[大非常線]]』|『[[柳生一族の陰謀#テレビ映画|柳生一族の陰謀]]』|『[[影の軍団シリーズ]]』|『[[東京大地震マグニチュード8.1]]』|『[[柳生あばれ旅シリーズ]]』|『[[素晴らしきサーカス野郎]]』|『[[太閤記 (1987年のテレビドラマ)|太閤記]]』|『[[徳川家康 (1988年のテレビドラマ)|徳川家康]]』|『[[十七人の忍者 (テレビ映画)|十七人の忍者]]』|『[[徳川無頼帳]]』}}<hr>
'''ドラマ''' <small>※海外ドラマ含む</small><br>『[[七色とんがらし]]』『[[十字路 (1978年のテレビドラマ)|十字路]]』<br>『[[深夜にようこそ]]』『[[夢に見た日々]]』<br>『[[寺子屋ゆめ指南]]』『[[:zh:风云:雄霸天下 (2002年电视剧)|風雲 雄霸天下]]』<br>『[[風雲争霸 (テレビドラマ)|風雲争霸]]』『[[風林火山 (NHK大河ドラマ)|風林火山]]』『[[おわこんTV]]』<hr />
'''ドラマ''' <small>※海外ドラマ含む</small><br>{{hlist-comma|『[[七色とんがらし]]』|『[[十字路 (1978年のテレビドラマ)|十字路]]』|『[[深夜にようこそ]]』|『[[夢に見た日々]]』|『[[寺子屋ゆめ指南]]』|『[[:zh:风云:雄霸天下 (2002年电视剧)|風雲 雄霸天下]]』|『[[風雲争霸 (テレビドラマ)|風雲争霸]]』|『[[風林火山 (NHK大河ドラマ)|風林火山]]』|『[[チョコレートTV#テレビドラマ|おわこん''TV'']]』}}<hr />
'''演劇'''<br>『[[柳生十兵衛 魔界転生]]』<br>『[[ゆかいな海賊大冒険]]』『[[酔いどれ公爵]]』<br>『[[スタントマン 愛の物語]]』<br>『[[千葉真一奮闘公演 影の軍団]]』<br>『[[風林火山 晴信燃ゆ]]』<hr />
'''演劇'''<br>{{hlist-comma|『[[柳生十兵衛 魔界転生]]』|『[[ゆかいな海賊大冒険]]』|『[[酔いどれ公爵]]』|『[[スタントマン 愛の物語]]』|『[[千葉真一奮闘公演 影の軍団]]』|『[[風林火山 晴信燃ゆ]]』}}<hr />
'''アクション監督・監督・演出・監修'''<br><small>※助演兼務含む</small><br>『[[忍者武芸帖 百地三太夫]]』<br>『[[スタントマン物語]]』<br>『[[吼えろ鉄拳]]』『[[燃え勇者]]』<br>『[[アドベンチャー 青春の出発]]』<br>『[[将軍家光の乱心 激突]]』<br>『[[リメインズ 美しき勇者たち]]』<br>『[[HAKEN 覇拳 ふりむけば修羅]]』
'''[[映画スタッフ|スタッフ]]''' <small>※助演兼務含む</small><br>{{hlist-comma|『[[忍者武芸帖 百地三太夫]]』|『[[スタントマン物語]]』|『[[吼えろ鉄拳]]』|『[[伊賀忍法帖#映画|伊賀忍法帖]]』|『[[伊賀野カバ丸#映画|伊賀野カバ丸]]』|『[[コータローまかりとお!#映画|コータローまかりとおる!]]』|『[[アドベンチャー 青春の出発]]』|『[[将軍家光の乱心 激突]]』|『[[せんせい (1989年の映画)|せんせい]]』|『[[リメインズ 美しき勇者たち]]』|『[[HAKEN 覇拳 ふりむけば修羅|''HAKEN'' 覇拳 ふりむけば修羅]]』}}
| 日本アカデミー賞 = '''[[第2回日本アカデミー賞#優秀助演男優賞|優秀助演男優賞(第2回)]]'''<br>『[[柳生一族の陰謀]]』([[1979年]])<hr />'''[[第45回日本アカデミー賞#会長特別賞|会長特別賞(第45回)]]'''([[2022年]])
| 日本アカデミー賞 = '''[[第2回日本アカデミー賞#優秀助演男優賞|優秀助演男優賞(第2回)]]'''<br>『[[柳生一族の陰謀]]』([[1979年]])<hr />
'''[[第45回日本アカデミー賞#会長特別賞|会長特別賞(第45回)]]'''([[2022年]])
| ブルーリボン賞 = '''[[ブルーリボン賞 (映画)#第22回(1979年度)|スタッフ賞(第22回)]]'''(1979年)
| ブルーリボン賞 = '''[[ブルーリボン賞 (映画)#第22回(1979年度)|スタッフ賞(第22回)]]'''(1979年)
| その他の賞 = '''[[香港電影金像奨]]<br>[[w:18th Hong Kong Film Awards#Best Actor|優秀主演男優賞(第18回)]]'''<br>『[[風雲 ストームライダーズ]]』<br>([[1999年]])<hr />
| その他の賞 = '''[[香港電影金像奨]]<br>[[w:18th Hong Kong Film Awards#Best Actor|優秀主演男優賞(第18回)]]'''<br>『[[風雲 ストームライダーズ]]』([[1999年]])<hr />
'''[[サターン賞]]<br>[[第30回サターン賞#助演男優賞|助演男優賞ノミネート(第30回)]]'''<br>『[[キル・ビル]]』([[2004年]])<hr />
'''[[サターン賞]]<br>[[第30回サターン賞#助演男優賞|助演男優賞ノミネート(第30回)]]'''<br>『[[キル・ビル]]』([[2004年]])<hr />
'''[[w:Hawaii International Film Festival|ハワイ国際映画祭]]'''<br>'''''MAVERICK AWARD'''''([[2005年]])<hr />
'''[[w:Hawaii International Film Festival|ハワイ国際映画祭]]'''<br>'''''MAVERICK AWARD'''''([[2005年]])<hr />
'''[[日本映画批評家大賞]]'''<br>'''ゴールデン・グローリー賞'''([[2006年]])<hr />
'''[[日本映画批評家大賞]]'''<br>'''ゴールデン・グローリー賞'''([[2006年]])<hr />
'''''OKINAWA''''''''シネマ&ミュージックアワード'''<br>'''映画部門功労賞'''(2006年)<hr />
'''''OKINAWA''''' '''シネマ&ミュージックアワード'''<br>'''映画部門功労賞'''(2006年)<hr />
'''[[天草映画祭]] 風の賞 特別賞'''([[2007年]])<hr />
'''[[天草映画祭]] 風の賞 特別賞'''([[2007年]])<hr />
'''''SINGAFEST 2011''''' ([[2011年]])<br>'''''LIFETIME ACHIEVEMENT AWARD'''''<hr />
'''''SINGAFEST 2011''''' ([[2011年]])<br>'''''LIFETIME ACHIEVEMENT AWARD'''''<hr />
'''[[文化庁長官表彰]]'''([[2020年]])
'''[[文化庁長官表彰]]'''<ref name = 文化日刊>{{Cite news ja |title = 千葉真一「あんまり似合わない賞」文化庁長官表彰 |newspaper = nikkansports.com |date = 2020-12-17 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202012170000638.html |accessdate = 2021-04-04 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20201217095620/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202012170000638.html |archivedate = 2020-12-17 |url-status = live }}</ref><ref name = 文化日テレ>{{Cite news ja |title = 文化庁長官表彰 俳優の千葉真一さんら表彰 |newspaper = 日テレNEWS24 |date = 2020-12-17 |url = https://www.news24.jp/articles/2020/12/17/07788036.html |accessdate = 2021-04-04 |publisher = CS日本 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20201217114649/https://www.news24.jp/articles/2020/12/17/07788036.html |archivedate = 2020-12-17 |url-status = live }}</ref><ref name = 文化東スポ>{{Cite news ja |title = 千葉真一に文化庁長官表彰「自分の本当の姿でいこうと思った」ダンディな白髪姿で登場 |newspaper = [[東京スポーツ|東スポWeb]] |date = 2020-12-17 |url = https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/2523015/ |accessdate = 2021-04-04 |publisher = [[東京スポーツ|東京スポーツ新聞社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20201219071521/https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/2523015/ |archivedate = 2020-12-19 |url-status = live }}</ref>(2020年)
| 備考 =
| 備考 =
| 受賞 = <!-- 受賞年順に表示されるよう、日本アカデミー賞・ブルーリボン賞以前に受賞した賞はこちらに表記。 -->
| 受賞 = '''ミスタースポーツモデル'''<br>'''ウェアモデル入賞'''([[1958年]])<hr />
'''ミスタースポーツモデル'''<br>'''ウェアモデル入賞'''([[1958年]])<hr />
'''[[エランドール賞]] 新人賞'''([[1962年]])<hr />
'''[[エランドール賞]] 新人賞'''([[1962年]])<hr />
'''[[日本映画製作者協会]] 新人賞'''([[1967年]])<hr />
'''[[日本映画製作者協会]] 新人賞'''([[1967年]])<hr />
'''[[京都市民映画祭]] 主演男優賞'''<br>『[[日本暗殺秘録]]』([[1969年]])<br>『[[沖縄やくざ戦争]]』([[1976年]])<!-- 受賞年順に表示されるよう、日本アカデミー賞・ブルーリボン賞以前に受賞した賞はこちらに表記。 -->
'''[[京都市民映画祭]] 主演男優賞'''<br>『[[日本暗殺秘録]]』([[1969年]])<br>『[[沖縄やくざ戦争]]』([[1976年]])
}}
}}
{{Infobox Musician <!--プロジェクト:音楽家を参照-->
{{Infobox Musician <!--プロジェクト:音楽家を参照-->
| Name = 千葉 真一<br><span style="font-size:small">''JJ Sonny Chiba''</span>
| Name = 千葉 真一<br><span style = font-size:small>''Sonny Chiba''</span>
| Img =
| Img =
| Img_capt =
| Img_capt =
60行目: 62行目:
| Alias =
| Alias =
| Blood = <!-- 個人のみ -->
| Blood = <!-- 個人のみ -->
| School_background = <!-- 個人のみ -->[[日本体育大学]][[体育学部]][[体育学科]][[卒業]]
| School_background = <!-- 個人のみ -->[[日本体育大学]][[体育学部]][[体育学科]][[卒業]]<ref name = 映画com日体大>{{Cite web |和書 |url = http://eiga.com/news/20130310/7/ |title = 千葉真一 53年ぶりに母校・日体大を“卒業”し「もうひと花」とさらなる意欲 |accessdate = 2013-03-12 |date = 2013-03-10 |website = [[映画.com]] |work = 映画.com速報 |publisher = エイガ・ドット・コム |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130312003908/http://eiga.com/news/20130310/7/ |archivedate = 2013-03-12 |url-status = live }}</ref>
| Born = <!-- 個人のみ -->
| Born = <!-- 個人のみ -->
| Died = <!-- 個人のみ -->
| Died = <!-- 個人のみ -->
68行目: 70行目:
| Occupation = <!-- 個人のみ -->
| Occupation = <!-- 個人のみ -->
| Years_active =
| Years_active =
| Label = [[コダマプレス]](1963年 - 1965年)<br>[[クラウンレコード]](1966年)<br> [[ミノルフォコー|ミノルフォン]](1966年)<br>[[キングレコード|キング]](1968年 - 1973年)<br>[[テイチクレコード|テイチク]](1975年 - 1976年)<br> ''[[バップ・レコード|VAP]]''(1985年)
| Label = [[コダマプレス]](1963年 - 1965年)<br>[[日本クラウン|クラウンレコード]](1966年)<br> [[徳間ジャパンコミュニケションズ|ミノルフォン]](1966年)<br>[[キングレコード|キング]](1968年 - 1973年)<br>[[テイチクエンタテインメント|テイチク]](1975年 - 1976年)<br> ''[[バップ・レコード|VAP]]''(1985年)
| Production =
| Production =
| Associated_acts =
| Associated_acts =
77行目: 79行目:
| Notable_instruments =
| Notable_instruments =
}}
}}
'''千葉 真一'''{{Efn |name = 芸名 |[[1969年]]の[[近代映画社|近代映画]]の『千葉真一特集号』では[[東映東京撮影所]]の所長である山崎真一郎が「千葉県出身ということで千葉、そして仕事を忠実に真心込めて」という意味で命名したと紹介しているが<ref>[[#近代196910|「千葉真一特集」、148頁。]]</ref>、千葉自身は「山崎所長から『千葉から来たから名字を'''千葉'''、名前はオレの名前をとって'''真一'''にしろ』と言われた」と述べている<ref>[[#千葉2010|「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」、101頁。]]</ref>。}}(ちば しんいち、'''''JJ Sonny Chiba'''''{{Efn |name = Sonny |[[ニュー・ライン・シネマ]]が[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で『[[激突! 殺人拳]]』を『''[[w:The Street Fighter|The Street Fighter]]''』のタイトルで封切公開した際に、社長のロバート・シェイが命名した<ref name = 伊藤生まれた21>[[#挑む2692|伊藤彰彦 「''Sonny Chiba''が生まれた瞬間」、21頁。]]</ref><ref name = samurai51>[[#千葉2010|「全米でブルース・リーを超える興行収入、サニー千葉の名を広めた空手映画」、51頁。]]</ref>。それが他国に広まり、世界での通称となったが、[[英語圏]]で'''''Sonny'''''(サニー)は男性の名前に使われるほか、口語で「兄ちゃん・坊や」という意味があり、愛称の“千葉ちゃん”を[[欧米]]風に訳した。その後、'''''JJ Sonny Chiba'''''と改名したが、''JJ'' は''Justice Japan''(正義の日本)の略である<ref name = samurai51/><ref name = samurai11>[[#千葉2010|「序章」、11頁。]]</ref><ref name = 舞台挨拶>[[#新影最終|特典映像、「劇場初日舞台挨拶」]]</ref>。}}, [[1939年]]〈[[昭和]]14年〉[[1月22日]] - [[2021年]]〈[[令和]]3年〉[[8月19日]])は、[[日本]]の[[俳優]]・[[体操選手]]・[[]]・[[手]]・[[芸能プロモーター]]・[[アクション監督]]・[[演出家]]・[[映画監督]]・[[映画プロデューサー]][[愛称]]:'''千葉ちゃん'''{{Efn |name = 芸名 }}。本名:'''前田 禎穂'''(まえだ さだほ)<ref name = 和千永3839/>
'''千葉 真一'''{{Efn |[[東映東京撮影所]]の所長である山崎真一郎が「千葉県出身ということで千葉、そして仕事を忠実に真心込めて」という意味で命名したと『千葉真一特集号』([[近代映画社]])で紹介しているが<ref>[[#近代196910|「千葉真一特集」、148頁。]]</ref>、千葉自身は「山崎所長から『千葉から来たから名字を'''千葉'''、名前はオレの名前をとって'''真一'''にしろ』と言われた」と述べている<ref>[[#千葉2010|「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」、101頁。]]</ref><ref name = 報知元祖92111>[[#報知11版|「82歳元祖アクションスター」、紙面11版、1頁。]]</ref>。}}(ちば しんいち、'''''[[w:Sonny Chiba|Sonny Chiba]]'''''{{Efn |name = Sonny |[[ニュー・ライン・シネマ]]が[[アメリカ合衆国]]で『[[激突! 殺人拳]]』を『''[[w:The Street Fighter|The Street Fighter]]''』のタイトルで封切公開した際に、社長のロバート・シェイが命名した<ref name = 伊藤21>[[伊藤彰彦 (映画史家)|伊藤彰彦]] [[#挑む2692|「''Sonny Chiba''が生まれた瞬間」、21頁。]]</ref><ref name = samurai51>[[#千葉2010|「全米でブルース・リーを超える興行収入、サニー千葉の名を広めた空手映画」、51頁。]]</ref>。それが他国に広まり、世界での通称となったが、[[英語圏]]で'''''Sonny'''''(サニー)は男性の名前に使われるほか、口語で「兄ちゃん・坊や」という意味があり、愛称の“千葉ちゃん”を[[欧米]]風に訳した。[[2000年代]]から'''''JJ Sonny Chiba'''''としたが<ref name = 舞台挨拶>[[#新影最終|特典映像、「劇場初日舞台挨拶」]]</ref>、''JJ'' は''Justice Japan''(正義の日本)の略である{{R |samurai51 }}<ref name = samurai11>[[#千葉2010|「序章」、11頁。]]</ref>。}}, [[1939年]][[1月22日]] - [[2021年]][[8月19日]])は、[[日本]]の[[俳優]]・[[体操選手]]・[[手]]・[[]]・[[芸能プロモーター]]・[[アクション監督]]・[[演出家]]・[[映画プロデューサー]][[映画監督]]。


日本を代表する映画スター<ref name = kamakura>{{Cite journal |和書 |date = 1981-06-25 |title = とっておき『先生』特集 |journal = ''SPORTS CITY'' |volume = 1 |issue = 2 |page = 32 |publisher = 鎌倉書房 }}</ref><ref name = senpro>[[#パンフ戦国|「プロフィール」、30頁。]]</ref><ref name = gai173179182183>[[#極真外伝|「極真空手三段 千葉真一」、173, 179, 182 - 183頁。]]</ref><ref name = 役者一日4041>[[#役者は一日|春日太一「JACの創設」、40 - 41頁。]]</ref><ref name = 映画com死去>{{Cite web |和書 |url = https://eiga.com/news/20210819/40/ |title = 千葉真一さん死去 新型コロナウイルス感染で82歳 |accessdate = 2022-07-14 |date = 2021-08-19 |website = 映画.com |work = 映画.com速報 |publisher = エイガ・ドット・コム |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821102950/https://eiga.com/news/20210819/40/ |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>・アクションスターとして<ref name = オリコン真剣佑>{{Cite news ja |title = 新田真剣佑、父・千葉真一さん訃報受け思いつづる「Love you so much Dad」|newspaper = [[オリコン|オリコンニュース]] |date = 2021-08-20 |url = https://www.oricon.co.jp/news/2204129/full/ |accessdate = 2022-07-14 |publisher = [[オリコン#企業グループ|Oricon ME]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821003218/https://www.oricon.co.jp/news/2204129/full/ |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref><ref name = 中日コロナ肺炎210819>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20210821085656/https://www.chunichi.co.jp/article/314350 |date = 2021年8月21日 |title = 俳優・千葉真一さん死去 82歳 新型コロナによる肺炎で入院 }}</ref><ref name = 中日真瀬210820>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20210821083017/https://www.chunichi.co.jp/article/314612 |date = 2021年8月21日 |title = 真瀬樹里、父・千葉真一さんとの別れ「穏やかな顔をしておりました」}}</ref><ref>{{Cite news ja |title = 千葉真一さん急死、82歳…新型コロナによる肺炎のため 「柳生一族の陰謀」「服部半蔵 影の軍団」に主演 |newspaper = [[スポーツニッポン|スポニチ Sponichi Annex]] |date = 2021-08-19 |url = https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/19/kiji/20210819s00041000554000c.html |accessdate = 2022-07-14 |publisher = [[スポーツニッポン|スポーツニッポン新聞社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210819172911/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/19/kiji/20210819s00041000554000c.html |archivedate = 2021-08-19 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite news ja |title = 俳優の千葉真一さん亡くなる 新型コロナで肺炎が悪化し入院中 |newspaper = 東スポWeb |date = 2021-08-19 |url = https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3538543/ |accessdate = 2022-07-14 |publisher = 東京スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210819215447/https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3538543/ |archivedate = 2021-08-19 |url-status = live }}</ref>、[[海外]]では'''''Sonny Chiba'''''(サニー ちば)の知られており<ref name = 映画com死去/><ref name = オリコン真剣佑/><ref name = 中日コロナ肺炎210819/><ref name = 中日真瀬210820/><ref name = オリコン真剣佑/><ref name = 中日瀬210820/><ref name = 高平哲郎>{{Cite web |和書 |url = http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20110518/enn1105181115001-n1.htm |title = JJサニーちば、真面目さと優しさに溢れ… |accessdate = 2012-09-27 |author = 高平哲郎 |authorlink = 高平哲郎 |date = 2011-05-18 |website = [[夕刊フジ|ZAKZAK]] |work = あくまで人名事典昨日の友は今日も友 |publisher = [[産業経済新聞社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20110519102558/http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20110518/enn1105181115001-n1.htm |archivedate = 2012-09-27 |url-status = live }}</ref><ref>[[#酔いどれ|橋本与志夫 「出演者陣の“酔いどれ講釈”」、32頁。]]</ref>、特技の[[体操競技|器械体操]][[極真会館|極真カラテ]]四段<ref name = Yodan>[[#昇段|「国際空手道連盟 極真会館 - 年度別昇段登録簿(国内)」、64頁。]]</ref>・[[少林寺拳法]]弐段・[[乗馬]]・[[スキー]]を活かし[[アクロバット|アクロバティック]]な[[スタント]]・[[擬斗]]・[[殺陣]]を[[吹き替え]]に任せず、自ら演じてたことが定評を得ている<ref name = kamakura/><ref name = gai173179182183/><ref name = wakita>[[#パンフ戦国|脇田巧彦 「アクションに賭ける男・千葉真一」、21頁。]]</ref><ref name = 九竜>{{Cite journal |和書 |date = 1977-10-01 |title = [[ゴルゴ13 九竜の首]] |journal = [[キネマ旬報|KINEJUN キネマ旬報]] |volume = 1532 |issue = 718 |pages = 42 - 44 |publisher = [[キネマ旬報社]] |format = グラビア }}</ref><ref name = んせい>{{Cite journal |和書 |date = 1989-04-08 |title = トムソーヤ企画メバー ■プロフィール / コメント |journal = [[せんせい (1989年の映画)|せんせい]] |page = 17 |publisher = [[松竹]] |format = パンフレット }}</ref><ref name = nikkan1>{{Cite web |和書 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000016.html |title =【復刻・日曜のヒーロー】待っていて下さい 必ずや ハリウッドの千葉真一 |accessdate = 2022-04-04 |date = 2021-08-20 |website = nikkansports.com |work = 日曜日のヒーロー |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210823100552/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000016.html |archivedate = 2021-08-23 |url-status = live }}</ref><ref name = スポニチ日体大>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20130127195902/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/01/26/kiji/K20130126005063800.html |date = 2013年1月27日 |title = 千葉真一 日体大から半世紀ぶり卒業証 体操で五輪目指すも中退 }}</ref><ref name = 報知元祖92111>[[#報知11版|「82歳元祖アクションスター」、紙面11版、1頁。]]</ref>。芸能生活は半世紀以上の60年を越えており、[[映画]]・[[テレビドラマ]]・[[演劇]]など、計1,500本以上の作品に出演<ref name = 米谷>[[#取材を終えて|米谷紳之介 「取材を終えて」、303頁。]]</ref><ref name = 沖縄映画研究>{{Cite news ja |title = 千葉真一さんと沖縄 主演作から見る沖縄へ視座 沖縄やくざでは三線、空手も |newspaper = [[琉球新報|琉球新報 DIGITAL]] |date = 2022-03-11 |url = https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1483713.html |accessdate = 2022-04-18 |publisher = 琉球新報社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220311050605/https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1483713.html |archivedate = 2022-03-11 |url-status = live }}</ref>。[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ (''JAC'') ]]の創設者で、俳優・スタトマンの育成、監督として演出、製作にも携わり、幅広く活躍していた
日本を代表する映画スター<ref name = エンよも1>{{Cite web |和書 |url = https://www.sankei.com/article/20210903-X2OZL6RJUBPL7G6PUYP3I37BYU/ |title = 欧米が絶賛した千葉真一ブルース・リー違い |accessdate = 2024-02-29 |author = 岡田敏一 |authorlink = 岡田敏一 |date = 2021-09-03 |website = [[産経デジタル]] |work =【エンタメよもやま話】|publisher = [[産業経済新聞社]] |page = 1 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210903021216/https://www.sankei.com/article/20210903-X2OZL6RJUBPL7G6PUYP3I37BYU/ |archivedate = 2021-09-03 |url-status = live }}</ref><ref name = senpro>[[#パンフ戦国|「プロフィール」、30頁。]]</ref><ref name = 役者一日4041>[[#役者は一日|春日太一 「JACの創設」、40 - 41頁。]]</ref><ref name = 映画com死去>{{Cite web |和書 |url = https://eiga.com/news/20210819/40/ |title = 千葉真一さん死去 新型コロナウイルス感染で82歳 |accessdate = 2022-07-14 |date = 2021-08-19 |website = [[映画.com]] |work = 映画.com速報 |publisher = [[エイガ・ドット・コム]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821102950/https://eiga.com/news/20210819/40/ |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>・アクションスターとして<ref name = オリコン真剣佑>{{Cite news |和書 |title = 新田真剣佑、父・千葉真一さん訃報受け思いつづる「Love you so much Dad」|newspaper = [[オリコン|ORICON NEWS]] |date = 2021-08-20 |url = https://www.oricon.co.jp/news/2204129/full/ |accessdate = 2022-07-14 |publisher = [[オリコン#企業グループ|Oricon ME]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821003218/https://www.oricon.co.jp/news/2204129/full/ |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref><ref name = 中日コロナ肺炎210819>{{Wayback |url = https://www.chunichi.co.jp/article/314350 |title = 俳優・千葉真一さん死去 82歳 新型コロナによる肺炎で入院 |date = 20210821085656 }}</ref><ref name = 中日真瀬210820>{{Wayback |url = https://www.chunichi.co.jp/article/314612 |title = 真瀬樹里、父・千葉真一さんとの別れ「穏やかな顔をしておりました」|date = 20210821083017 }}</ref><ref name = Ane肺炎>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん急死、82歳…新型コロナによる肺炎のため 「柳生一族の陰謀」「服部半蔵 影の軍団」に主演 |newspaper = [[スポーツニッポン|スポニチ Sponichi Annex]] |date = 2021-08-19 |url = https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/19/kiji/20210819s00041000554000c.html |accessdate = 2022-07-14 |publisher = [[スポーツニッポン|スポーツニッポン新聞社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210819172911/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/19/kiji/20210819s00041000554000c.html |archivedate = 2021-08-19 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite news |和書 |title = 俳優の千葉真一さん亡くなる 新型コロナで肺炎が悪化し入院中 |newspaper = 東スポWeb |date = 2021-08-19 |url = https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3538543/ |accessdate = 2022-07-14 |publisher = 東京スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210819215447/https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3538543/ |archivedate = 2021-08-19 |url-status = live }}</ref>、[[海外]]では'''''Sonny Chiba'''''(サニー ちば)の[[通称]]名高い{{R |エンよも1 |映画com死去 |オリコン真剣佑 |中日コロナ肺炎210819 |中日真瀬210820 }}<ref name = 三かわ>{{Cite news |和書 |title = お見事、空手三段 |newspaper = [[東京新聞]] かわらばん |date = 1977-02-28 |publisher = [[東京新聞社]] }}</ref><ref name = kamakura>{{Cite journal |和書 |date = 1981-06-25 |title = とっておきの『先生』特集 |journal = ''SPORTS CITY'' |volume = 1 |issue = 2 |page = 32 |publisher = 鎌倉書房 }}</ref><ref name = gai173179182183>[[#極外伝|「極真空手三段 千葉真一」、173, 179, 182 - 183頁。]]</ref><ref name = 高平哲郎>{{Cite web |和書 |url = http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20110518/enn1105181115001-n1.htm |title = JJサニーちば、真面目さと優しさに溢れ… |accessdate = 2012-09-27 |author = 高平哲郎 |authorlink = 高平哲郎 |date = 2011-05-18 |website = [[夕刊フジ|ZAKZAK]] |work = あくまで人名事典 -昨日の友は今日も友- |publisher = 産業経済新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20110519102558/http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20110518/enn1105181115001-n1.htm |archivedate = 2012-09-27 |url-status = live }}</ref><ref name = Ane国際派>{{Cite news |和書 |title = 海外でも愛さた国際派「サニー千葉」、タランティーノ監督らもファン公言 |newspaper = スポニチ Sponichi Annex |date = 2021-08-20 |url = https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000169000c.html |accessdate = 2024-03-01 |publisher = スポーツニッポン新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820051752/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000169000c.html |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref><ref name = CNNjp1>{{Cite news |和書 |title = アクションスターの千葉真一さん死去、82歳キル・ビル」などに出演 (1/2) |newspaper = [[CNN|CNN.co.jp]] |date = 2021-08-20 |url = https://www.cnn.co.jp/showbiz/35175488.html |accessdate = 2024-03-03 |publisher = [[CNN]] |page = 1 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820054339/https://www.cnn.co.jp/showbiz/35175488.html |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。[[吹き替え]]に任せず、特技の[[体操競技|器械体操]][[極真会館|極真カラテ]][[空手道#段級位・色帯・称号|四段]]<ref name = Yodan>[[#昇段|「国際空手道連盟 極真会館 - 年度別昇段登録簿(国内)」、64頁。]]</ref>・[[乗馬]]・[[スキー]]・[[少林寺拳法]]弐段を活かし[[アクロバット|アクロバティック]]な[[スタント]]・[[殺陣]]を自ら演じてたことや{{R |kamakura |gai173179182183 }}<ref name = wakita>[[#パンフ戦国|脇田巧彦 「アクションに賭ける男・千葉真一」、21頁。]]</ref><ref name = 九竜>{{Cite journal |和書 |date = 1977-10-01 |title = [[ゴルゴ13 九竜の首]] |journal = [[キネマ旬報|KINEJUN キネマ旬報]] |volume = 1532 |issue = 718 |pages = 42 - 44 |publisher = [[キネマ旬報社]] |format = グラビア }}</ref>、名優としての存在感も併せ{{R |報知元祖92111 |よも1 |gai173179182183 }}<ref name = nikkan1>{{Cite web |和書 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000016.html |title =【復刻・日曜のヒーロー】待っていて下さい 必ずや ハリウッドの千葉真一 |accessdate = 2022-04-04 |date = 2021-08-20 |website = nikkansports.com |work = 日曜日のヒーロー |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210823100552/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000016.html |archivedate = 2021-08-23 |url-status = live }}</ref><ref name = ねとエン多数追悼>{{Cite news |書 |title = 千葉真一さんの急逝に芸能界から多数追悼メッセージ役者であるキッカケになった人」「信じられません」|newspaper = [[ねとらぼ|ねとらぼエンタ]] |date = 2021-08-20 |author = 深戸進路 |url = https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2108/20/news097.html |accessdate = 2022-05-10 |publisher = [[ITmedia]] |page = 1 |archiveurl = https://archive.ph/vK5PP |archivedate = 2021-09-01 |url-status = live }}</ref>、定評を博している{{R |報知元祖92111 |エンよも1 |kamakura |gai173179182183 |Ane国際派 |wakita |九竜 |nikkan1 |ねとエ多数追悼 }}

[[芸能|芸能生活]]は半世紀以上の60年を越え、[[映画]]・[[テレビ映画]]・[[ドラマ]]・[[演劇]]など、計1,500本以上の作品に出演<ref>[[#侍役者|米谷紳之介 「取材を終えて」、303頁。]]</ref><ref name = 沖縄映画研究>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さんと沖縄 主演作から見る沖縄への視座 「沖縄やくざ」では三線、空手も |newspaper = [[琉球新報|琉球新報 DIGITAL]] |date = 2022-03-11 |url = https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1483713.html |accessdate = 2022-04-18 |publisher = 琉球新報社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220311050605/https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1483713.html |archivedate = 2022-03-11 |url-status = live }}</ref>。創設した[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ (''JAC'') ]]からは、数々の[[スタントマン]]・[[スーツアクター]]・[[殺陣|殺陣師]]・俳優・アクション監督を輩出している{{R |エンよも1 |役者一日4041 |映画com死去 |Ane肺炎 }}<ref name = スポニチ急死>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん急死 82歳 コロナで入院中容体悪化「元気だった」のに… |newspaper = スポニチ Sponichi Annex |date = 2021-08-20 |url = https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000152000c.html |accessdate = 2022-04-04 |publisher = スポーツニッポン新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821102603/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000152000c.html |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。本職だけではなく、指導者として後進の育成をし、映画・演劇の[[演出]]、[[映画製作|製作]]にも参画するなど、多岐にわたり活躍していた。

[[愛称]]:'''千葉ちゃん'''{{Efn |name = カリーナ |[[1970年]]から放送されていた[[トヨタ・カリーナ]]の''CM''でも、「決まってるね、千葉ちゃん!」が使われていた。}}・'''チバシン'''{{Efn |デビューから[[1970年代]]初頭まで呼ばれていた。}}。本名:'''前田 禎穂'''(まえだ さだほ){{R |和千永3839 }}。


== 生涯 ==
== 生涯 ==
=== オリンピックを目指して ===
=== オリンピックを目指して ===
[[福岡県]][[福岡市]][[博多区]][[雑餉隈]]にて、二男三女の長男・第二子として生誕{{R |千葉流8182 }}。4歳の時、[[千葉県]][[君津市]]へ転居{{R |和千永38 }}。中学生から器械体操を始め<ref name = 千葉流89>[[#千葉2010|「厳しくも愛情ある指導、体操を始めるきっかけを作ってくれた松本先生」、89頁。]]</ref>、[[近代オリンピック|オリンピック]]で[[日本の国旗|日の丸]]を掲げたいという夢を抱くようになり{{R |kamakura |wakita }}、[[千葉県立木更津高等学校|千葉県立木更津第一高等学校]]へ入学後、1年生で全国大会上位入賞{{R |kamakura }}、3年生で全国大会優勝を成し遂げた<ref name = samurai9596>[[#千葉2010|「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」、95 - 96頁。]]</ref>。
[[福岡県]][[福岡市]][[博多区]][[雑餉隈]]で二男三女の長男(第二子)として生誕<ref name = "千葉流8182" />。4歳の時、[[千葉県]][[君津市]]へ転居<ref name = 和千永38/>。
(⇒ ''[[#家族]]'')
(⇒ ''[[#家族]]'')


中学生から[[体操競技|器械体操]]を始め<ref name = 千葉流89>[[#千葉2010|「厳しくも愛情ある指導、操を始めるきっかけを作ってくれた松本先生」、89頁。]]</ref>、[[近代オリンピック|オリンピック]][[日本の国旗|日の丸]]を掲げいという夢を抱くようになり<ref name = kamakura/><ref name = wakita/>、[[千葉県立木更津高等学校|千葉県立木更津第高等学校]]へ入学後、1年生で全国会上位入賞、3年生全国大会優勝を成し遂げた<ref name = kamakura/><ref name = samurai9596>[[#千葉2010|「オリンピックで金メダル目指た学生時代、味わった栄光挫折、95 - 96頁。]]</ref>。[[1957年]]、[[日本体育大学]][[体育学部]][[体育学科]]に進学<ref name = 映画com日体大/><ref name = スポニチ日体大/><ref name = 日刊日体大310>{{Cite news ja |title = 千葉真一が日体大から特別卒業認定 |newspaper = nikkansports.com |date = 2013-03-10 |url = http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20130310-1095776.html |accessdate = 2013-03-12 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130312020710/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20130310-1095776.html |archivedate = 2013-03-12 |url-status = live }}</ref><ref name = デイリー日体大1>{{Cite news ja |url = http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/03/10/0005803043.shtml |title = 千葉真一 半世紀がかりで日体大卒業 |newspaper = [[デイリースポーツ|デイリースポーツ online]] |publisher = [[神戸新聞社]] |date = 2013-03-11 |accessdate = 2013-03-12 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130312033752/http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/03/10/0005803043.shtml |archivedate = 2013-03-12 |url-status = live }}</ref>。2年生の時に{{Efn |name = 夏秋 |出典により、夏または秋としている。}}、[[跳馬]]を練習中に着地で失敗し、腰・両膝を痛めてしまう<ref name = 映画com日体大/><ref name = スポニチ日体大/><ref name = 近代映画123-126>{{Cite journal |和書 |year = 1970 |month = 11 |journal = 近代映画 |volume = |issue = |pages = 123 - 126 |publisher = [[近代映画社]] }}</ref><ref name = 報知日体大>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20130312032223/http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20130311-OHT1T00033.htm |date = 2013年3月12 |title = 千葉真一、57年がかりで日体大を卒業 }}</ref>。医者から「1間運動禁止」と宣告され<ref name = 映画com日体大/><ref name = デイー日大1/>、選手を続けることが困難となる<ref name = 映画com日体大/><ref name = スポニチ日体大/><ref name = デイリー日体大1/>。[[休学]]も検討したが、学費を工面きないので余儀なく退学した{{Efn |name = 日体大 |[[日本育大学]]は「3年以上の在籍で100単位以上の取。その後の社会的な活躍や貢献によって、特別卒業認定証を授与する」という新たな規約を設け、千葉を特別卒業認定証第1号とし、[[2013年]][[3月10日]][[卒業]]を認定<ref name = 映画com日体大/><ref name = スポニチ体大/><ref name = 日刊日体大310/><ref name = 報知日体大/><ref>{{Cite news ja |url = http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/03/10/1p_0005803043.shtml |title = 千葉真一 半世紀がかりで体大卒業 (Page 2) |newspaper = デイリースポーツ online |publisher = 神戸新聞 |date = 2013-03-11 |accessdate = 2013-03-12 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210512134435/https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/03/10/1p_0005803043.shtml |archivedate = 2013-03-12 |url-status = live }}</ref>。在学時の成績は優が多く教授会でも満場一致で同規約の適用を認めていた<ref name = 映画com日体大/><ref name = 日刊日体大311>{{Cite news ja |url = http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20130311-1096009.html |format = 紙面 |title = 千葉真一 体大卒業「人生最高の喜び」 |newspaper = 日刊スポーツ |publisher = nikkansports.com |date = 2013-03-11 |accessdate = 2013-03-12 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130312015543/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20130311-1096009.html |archivedate = 2013-03-12 |url-status = live }}</ref>。}}。
[[1957年]][[日本育大学]][[体育学部]][[スポーツ学部|体育学科]]に進学した<ref name = スポニチ日体大>{{Wayback |url = http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/01/26/kiji/K20130126005063800.html |title = 千葉 日体から半世紀ぶり卒業証書 体操五輪目指すも中退 |date = 20130127195902 }}</ref><ref name = 映画com日体大>{{Cite web |和書 |url = http://eiga.com/news/20130310/7/ |title = 千葉真一 53年ぶりに母校・日体大“卒業”「もうひとさらなる意欲 |accessdate = 2013-03-12 |date = 2013-03-10 |website = 映画.com |work = 映画.com速報 |publisher = エイガ・ドット・コム |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130312003908/http://eiga.com/news/20130310/7/ |archivedate = 2013-03-12 |url-status = live }}</ref><ref name = 日刊日体大310>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一が日体大から特別卒業認定 |newspaper = nikkansports.com |date = 2013-03-10 |url = http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20130310-1095776.html |accessdate = 2013-03-12 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130312020710/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20130310-1095776.html |archivedate = 2013-03-12 |url-status = live }}</ref><ref name = デイリー日体大1>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一 半世紀がかりで日体大卒業 |newspaper = [[デイリースポーツ|デイリースポーツ online]] |date = 2013-03-11 |url = http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/03/10/0005803043.shtml |accessdate = 2013-03-12 |publisher = [[神戸新聞社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130312033752/http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/03/10/0005803043.shtml |archivedate = 2013-03-12 |url-status = live }}</ref>。器械体操の仲間には後の[[1964東京オンピックの操競技]]で[[銅メダル|女子団銅メダル]]を獲得する[[千葉吟子]]や、同オリンピック[[金メダル|金メダリスト]]で“山下跳び”の[[山下治広]]がおり{{R |kamakura }}<ref name = 春秋>{{Cite web |和書 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/315181 |title = 春秋 |accessdate = 2024-02-28 |date = 2021-08-21 |website = [[中日新聞]] |work = オピニオン |publisher = [[中日新聞社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821143939/https://www.chunichi.co.jp/article/315181 |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>、「種目によっては山下より上」と評されてい{{R |春秋 }}。

(⇒ ''[[#器械体操]]'')
将来を嘱望されていたが{{R |中日春秋 }}、2年生の時に{{Efn |name = 夏秋 |出典により、夏または秋としている。}}、[[跳馬]]を練習中に着地で失敗し、[[腰]]・[[膝]]を痛めてしまう{{R |報知元祖92111 |スポニチ日体大 |映画com日体大 }}<ref name = 近代映画123-126>{{Cite journal |和書 |year = 1970 |month = 11 |journal = 近代映画 |volume = |issue = |pages = 123 - 126 |publisher = [[近代映画社]] }}</ref><ref name = 報知日体大>{{Wayback |url = http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20130311-OHT1T00033.htm |title = 千葉真一、57年がかりで日体大を卒業 |date = 20130312032223 }}</ref>。医者から「1年間運動禁止」と宣告され{{R |映画com日体大 |デイリー日体大1 }}、選手を続けることが困難となる{{R |スポニチ日体大 |映画com日体大 |デイリー日体大1 }}。[[休学]]も検討したが、学費を工面できないので余儀なく退学した{{Efn |name = 日体大 |[[日本体育大学]]は「3年以上の在籍で100単位以上の取得。その後の社会的な活躍や貢献によって、特別卒業認定証を授与する」という新たな規約を設け、千葉を特別卒業認定証第1号とし、[[2013年]]3月10日に[[卒業]]を認定{{R |スポニチ日体大 |映画com日体大 |日刊日体大310 |報知日体大 }}<ref>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一 半世紀がかりで日体大卒業 (Page 2) |newspaper = デイリースポーツ online |date = 2013-03-11 |url = http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/03/10/1p_0005803043.shtml |accessdate = 2013-03-12 |publisher = 神戸新聞社 |page = 2 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210512134435/https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/03/10/1p_0005803043.shtml |archivedate = 2013-03-12 |url-status = live }}</ref>。在学時の成績は優が多く、教授会でも満場一致で同規約の適用を認めていた{{R |映画com日体大 }}<ref name = 日刊日体大311>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一 日体大卒業「人生最高の喜び」 |newspaper = nikkansports.com |date = 2013-03-11 |url = http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20130311-1096009.html |accessdate = 2013-03-12 |format = 紙面 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130312015543/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20130311-1096009.html |archivedate = 2013-03-12 |url-status = live }}</ref>。}}。
(⇒ ''[[#2010年代]]''・''[[#体操界・日体大]]''・''[[#器械体操]]'')

今後を模索し始め、実家に帰る途中の[[代々木駅]]で「東映第6期ニューフェイス募集!」のポスターを偶然見かける<ref name = samurai100101>[[#千葉2010|「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」、100 - 101頁。]]</ref>。地元に戻り、相談した親友も賛成してくれたことや{{R |samurai100101 }}、かつてミスタースポーツウエア・コンテストに入賞し<ref name = 近代140>[[#近代196910|「千葉真一特集」、140頁。]]</ref>、[[東映ニューフェイス]]を受験するよう勧められていたこともあり、応募した{{R |samurai100101 |近代140 }}。日本体育大学で器械体操をしていた経歴を珍しがられたが、2万6千人の応募からトップの成績で合格を果たす{{R |samurai100101 }}。


[[1959年]]、[[大学]]を[[中退]]し{{Efn |name = 日体大 }}、入社。男性6名・女性14名のうち、[[俳優]]では[[新井茂子]]・[[亀石征一郎]]・[[太地喜和子|志村妙子]]・[[阿久津克子|都築克子]]・[[真山知子|中条宏美]]・[[茅島成美|春海洋子]]や、[[映画監督]]では[[中島貞夫]]が<ref>[[#大森|「18 居候が演技開化の機会に - 千葉真一 」、117頁。]]</ref>、同期生にいた。
[[File:Sonny Chiba 1961.jpg|thumb|left|150px|[[ブロマイド]]([[1961年]])]]
将来を模索し始めた千葉は実家に帰る途中の[[代々木駅]]で「東映第6期ニューフェイス募集!」のポスターを偶然見かける<ref name = samurai100101>[[#千葉2010|「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」、100 - 101頁。]]</ref>。地元に戻り、相談した親友も賛成してくれたことや<ref name = samurai100101/>、かつてミスタースポーツウエア・コンテストに入賞し<ref name = 近代140>[[#近代196910|「千葉真一特集」、140頁。]]</ref>、[[東映ニューフェイス]]を受験するよう勧められていたことから応募した<ref name = samurai100101/><ref name = 近代140/>。日本体育大学で器械体操をしていた経歴を珍しがられたが、2万6千人の応募からトップの成績で合格を果たす<ref name = samurai100101/>。


=== アクションスター ===
=== アクションスター ===
[[1959年]]、[[大学]]を[[中退]]して<ref group = 注釈 name = 日体大/>、[[東映]]に入社。男性6名・女性14名の同期生には[[亀石征一郎]]・[[新井茂子]]・[[茅島成美]]・[[太地喜和子]]・[[真山知子]]・[[都築克子]]らがおり、[[俳優座]]で6か月の研修を受けた<ref>[[#千葉2008|「そして、千葉真一になった」、60頁。]]</ref>[[1960年]][[1月7日]]に[[テレビ映画]]『[[新 七色仮面]]』の二代目・蘭光太郎として[[主演]][[デビュー]]し、続けてテレビ映画『[[アラーの使者]]』にも主演した。
[[俳優座]]で6か月の研修を経て<ref>[[#千葉2008|「そして、千葉真一になった」、60頁。]]</ref>[[1960年]][[1月7日]]に『[[新 七色仮面]]』の二代目・蘭光太郎として[[主演]][[デビュー]]続けて『[[アラーの使者]]』にも主演した{{R |中日春秋 }}
(⇒ ''[[#変身ヒーロー]]'')
(⇒ ''[[#変身ヒーロー]]'')


[[1961年]]、[[中山昭二]]の代役で『[[警視庁物語#警視庁物語 不在証明|警視庁物語 不在証明]]』に出演後<ref name = 20人が証言111>[[#20人が証言|「20人が証言する裸の千葉真一」、111頁。]]</ref>、[[深作欣二]]が初めて監督をした『[[風来坊探偵 赤い谷の惨劇]]』に主演して、2期先輩の[[曽根晴美]]と「拳銃コンビ」の[[キャッチコピー]]で売り出された<ref>『東映の友』、1961年、[[東京国立近代美術館]]フイルムセンター4階図書室所蔵。</ref>。『[[ファンキーハットの快男児シリーズ]]』でもコンビを組み、深作は自身が愛着もしくは面白味のある役どころに千葉を起用していくことで作品を弾けさせ、千葉も深作を師匠と仰ぎ、その期待に応えていく<ref>[[樋口尚文]][[#挑む2692|「深作にとっての千葉はゴダールにとってのベルモンド」、25頁。]]</ref>。『[[宇宙快速船]]』も含め、[[吹き替え]]無しで[[スタント]]をこなし<ref name = 世ア5960>[[#JAC特集号|「世界に通じるアクションスター育成」、59 - 60頁。]]</ref>、キレのある[[殺陣|擬斗]]を披露するので{{R |世ア5960 }}、「アクションができる素材に演技の磨きを増せば」と期待される新人であった<ref name = 実話特報>{{Cite journal |和書 |date = 1961-02-23 |title = 東映城に羽ばたく |journal = 週刊実話特報 |volume = 3 |issue = 8 |pages = 3 - 6 |publisher = [[双葉社]] }}</ref>。
[[File:Wandering Detective Tragedy in Red Valley 1.jpg|thumb|right|300px|『[[風来坊探偵 赤い谷の惨劇]]』で、[[ウィンチェスターライフル]]を手にする。左は[[北原しげみ]]。]]
(⇒ ''[[#アクション作品]]'')
[[1961年]]、[[中山昭二]]の代役で映画『[[警視庁物語|警視庁物語 不在証明(ありばい)]]』に出演後<ref name = 20人が証言111>[[#20人が証言|「20人が証言する裸の千葉真一」、111頁。]]</ref>、[[深作欣二]]の初監督映画『[[風来坊探偵 赤い谷の惨劇]]』に主演して、2期先輩の[[曽根晴美]]と「拳銃コンビ」の[[キャッチコピー]]で売り出された<ref>『東映の友』、[[1961年]]、[[東京国立近代美術館]]フイルムセンター4階図書室所蔵。</ref>。[[吹き替え]]なしで[[スタント]]をこなすことから<ref name = 世通ア育6162>[[#JAC特集号|「世界に通じるアクションスター育成」、61 - 62頁。]]</ref>、「アクションができる素材に演技の磨きを増せば」と期待される新人であった<ref name = 実話特報>{{Cite journal |和書 |date = 1961-02-23 |title = 東映城に羽ばたく |journal = 週刊実話特報 |volume = 3 |issue = 8 |pages = 3 - 6 |publisher = [[双葉社]] }}</ref>。
(⇒ ''[[#アクション映画]]'')


[[1962年]]は『[[事件記者シリーズ]]』の第1作『[[恐怖の魔女]]』、[[1963年]]には『[[特別機動捜査隊#映画|特別機動捜査隊シリーズ]]』、シリーズ化される『[[柔道一代]]』、『[[殺人鬼の誘惑]]』、『[[海軍 (映画)#東映製作(1963年)|海軍]]{{Efn |name = 譲る |当初キャスティングされていた役柄ではなく、別の役柄を演じることになったのが、『[[海軍 (映画)#東映製作(1963年)|海軍]]』(1963年)と『[[仁義なき戦い 広島死闘篇]]』(1973年)である{{R |中日春秋 }}<ref name = 笠原276>[[#深作山根|「笠原和夫との共同作業」『第八章 仁義なき戦いシリーズの炸裂』、276頁。]]</ref><ref name = アサ芸深作>{{Cite web |和書 |url = https://www.asagei.com/9401 |title = 千葉真一、深作欣二の初時代劇の教えに感謝 |accessdate = 2024-04-06 |date = 2012-11-28 |website = アサ芸+ |work = 芸能 |publisher = 徳間書店 |archiveurl = https://archive.md/mDoJJ |archivedate = 2024-04-06 |url-status = live }}</ref><ref name = 壬生智裕>{{Cite web |和書 |author = 壬生智裕 |url = http://www.cinematoday.jp/page/N0049211 |title = 千葉真一、『仁義なき戦い』の野獣系ヤクザ・大友勝利は役者としての転機と明かす |accessdate = 2012-01-31 |date = 2013-01-13 |website = [[シネマトゥデイ]] |publisher = [[シネマトゥデイ (企業)|シネマトゥデイ]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130116051214/http://www.cinematoday.jp/page/N0049211 |archivedate = 2013-01-16 |url-status = live }}</ref>。(⇒ ''[[#転機]]''・''[[#ヤクザ映画]]'')}}』、『[[やくざの歌]]』、『[[白い熱球]]』に主演している{{R |中日春秋 }}。『[[八州遊侠伝 男の盃]]』で[[時代劇]]に初出演した。
[[1962年]]は映画『[[事件記者シリーズ]]』の第1作『[[恐怖の魔女]]』に主演したほか、[[1963年]]には映画『[[八州遊侠伝 男の盃]]』で[[時代劇]]初出演や『事件記者シリーズ』の第2作『[[殺人鬼の誘惑]]』と『[[柔道一代シリーズ]]』第一作に主演。[[シングル]]「[[男一匹生きるなら]]」を[[発売|リリース]]して[[歌手]]デビューも果たした。
(⇒ ''[[#音楽]]'')


同年には音楽活動も始め、「[[男一匹生きるなら]]」を[[発売|リリース]]して[[歌手]]デビューを果たした。[[1967年]]には“'''千葉真一とザ・サタンズ'''”という[[グループ・サウンズ]]の[[バンド (音楽)|バンド]]を結成<ref name = モー81>[[#モーレツ24|「追跡ルポ / チバシンのモーレツ24時間」、81頁。]]</ref><ref name = GS196570>{{Cite book |和書 |editor = 辻幸多郎 |title = GS グループ・サウンズ 1965&#12316;1970 |date = 2013-12-25 |publisher = 近代映画社 |isbn = 476482390X |page = 111 |volume = NEW SOUNDS GROUP |chapter = 千葉真一とザ・サタンズ誕生 }}</ref>。リーダーとして夜は[[都内]]の[[ジャズ喫茶|音楽喫茶]]・[[ライブハウス]]で歌い{{R |モー81 }}、[[九州]]へも[[巡業]]し、[[演奏|ライブ]]をしていた{{R |GS196570 }}。
[[1966年]]、映画『[[カミカゼ野郎 真昼の決斗]]』([[日本映画|日]][[台湾映画|台]]合作)、映画『[[海底大戦争]]』(日[[アメリカ合衆国の映画|米]]合作)にそれぞれ主演し、国際的にも活動し始め、後に『[[東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯]]』([[1973年]]、日[[香港映画|香]][[タイの映画|泰]][[韓国映画|韓]]合作)、『[[激殺! 邪道拳]]』([[1977年]]、日香泰合作)、『[[ゴルゴ13 九竜の首]]』(1977年、日香合作)など、[[諸外国]]との共同作品に主演するきっかけになった。その合間に前年のテレビドラマ『[[暗闇五段|くらやみ五段]]』、[[遠藤実]]の自伝を映画化した『[[太陽に突っ走れ]]』、『[[子守唄シリーズ]]』、『[[河内遊侠伝]]』、『[[陸軍諜報33]]』など次々と主演していた。
(⇒ ''[[#アクショ映画]]'')
(⇒ ''[[#音楽]]''・''[[#キイハター]]''・''[[#ディスコグラフィ]]'')

[[1966年]]は、『[[カミカゼ野郎 真昼の決斗]]』、『[[海底大戦争]]<ref name = 千葉時事>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん死去 アクション俳優、82歳 - 新型コロナに感染 |newspaper = [[時事通信社|時事ドットコムニュース]] |date = 2021-08-20 |url = https://www.jiji.com/jc/article?k=2021081901170&g=soc |accessdate = 2022-04-04 |agency = [[時事通信社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210828180721/https://www.jiji.com/jc/article?k=2021081901170&g=soc |archivedate = 2021-08-28 |url-status = live }}</ref>』など、[[外国]][[ロケーション撮影|ロケ]]・外国資本の作品にそれぞれ主演した。後に[[1970年代]]の『[[東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯]]<ref>{{Wayback |url = http://www.toeich.jp/?act=program-detail&info_id=1T0000001641 |title = 東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯 |date = 20141006114436 }}</ref><ref>[[#遊撃|『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』、324 - 327頁。]]</ref>』、『[[激殺! 邪道拳]]』、『[[ゴルゴ13 九竜の首]]{{R |九竜 }}』に続く、諸外国との共同作品に主演するきっかけとなった。その合間に主演作では[[1965年]]に『[[暗闇五段#テレビ映画|くらやみ五段]]』の放送がスタートし、[[遠藤実]]の自伝を映画化した『[[太陽に突っ走れ]]』や、大ヒットした『[[子守唄シリーズ]]』も翌年にかけて興行している<ref name = 子守唄>{{Cite web |和書 |url = http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20160318/enn1603180830008-n1.htm |title = 香港で出会った大スター 「千葉空手」生んだブルース・リーの死(1/2ページ)|accessdate = 2016-06-27 |date = 2016-03-18 |website = ZAKZAK |work =【今だから明かす あの映画のウラ舞台】|page = 1 |publisher = 産業経済新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20160627094751/http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20160318/enn1603180830008-n1.htm |archivedate = 2016-06-27 |url-status = live }}</ref>。
(⇒ ''[[#Sonny Chiba]]''・''[[#海外進出]]''・ ''[[#アクション作品]]'')

[[1967年]]には『[[組織暴力]]』や父親が[[軍人]]だったので{{R |千葉流8182 }}、「夢にまで[[特別攻撃隊|特攻隊]]が出てくる<ref>{{Cite journal |和書 |title = 2月の話題映画ご案内 スターおうわさアラカルト |journal = [[Myojo|月刊明星]] |issue = 1967年3月号 |publisher = [[集英社]] |pages = 253 }}</ref>」と語る『[[あゝ同期の桜#映画|あゝ同期の桜]]』、『[[河内遊侠伝]]』など次々と主演していた{{R |中日春秋 }}。
(⇒ ''[[#家族]]'')


[[1968年]]からテレビ映画『[[キイハンター]]』に主演。これまで誰も見たことのないスーパーアクションで人気をさらい、'''千葉ちゃん'''の愛称で一躍国民的アイドルとして親しまれた<ref name = kamakura/><ref name = ア芸キ>{{Cite web|和書|url = http://www.asagei.com/9361 |title = 千葉真一、深作欣二の初監督の怒号に驚いた |accessdate = 2012-12-03 |date = 2012-11-27 |website = [[アサヒ芸能|アサ芸+]] |publisher = [[徳間書店]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20121129044436/http://www.asagei.com/9361 |archivedate = 2012-11-29 |url-status = live }}</ref><ref name = 壬生智裕>{{Cite web |和書 |author = 壬生智裕 |url = http://www.cinematoday.jp/page/N0049211 |title = 千葉真一、『仁義なき戦い野獣系ヤクザ・大友勝利は役者としての転機と明かす |accessdate = 2012-01-31 |date = 2013-01-13 |website = [[シネマトゥデイ]] |publisher = [[シネマトゥデ (企業)|シネマゥデイ]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130116051214/http://www.cinematoday.jp/page/N0049211 |archivedate = 2013-01-16 |url-status = live }}</ref><ref name = 映画com仁義>{{Cite web |和書 |url = http://eiga.com/news/20130112/12/ |title = 千葉真一「仁義なき戦い」秘話披露 深作欣二監督命日に |accessdate = 2012-01-31 |date = 2013-01-12 |website = 映画.com |publisher = エイガ・ット・ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130122013637/http://eiga.com/news/20130112/12/ |archivedate = 2013-01-22 |url-status = live }}</ref>{{Efn |[[1970年]]から放送されていた[[トヨタ・カリーナ]]の''CM''でも、「決まってるね、千葉ちゃん!」が使われていた。}}。
[[1968年]]は主演作『[[陸軍諜報33]]』のほ『[[キイハンター]]』の放映がスタート。これまで誰も見たことのないスーパーアクションで人気をさらい{{R |報知元祖92111 |Ane肺炎 }}、'''千葉ちゃん'''の愛称で{{Efn |name = カリーナ }}、一躍国民的アイドルとして親しまれた{{R |報知元祖92111 |kamakura |壬生智裕 }}<ref name = ア芸キ>{{Cite web |和書 |url = https://www.asagei.com/9361 |title = 千葉真一、深作欣二の初監督の怒号に驚いた |accessdate = 2024-04-06 |date = 2012-11-27 |website = [[アサヒ芸能|アサ芸+]] |work = 芸能 |publisher = [[徳間書店]] |archiveurl = https://archive.md/z8Oup |archivedate = 2024-04-06 |url-status = live }}</ref><ref name = 映画com仁義>{{Cite web |和書 |url = http://eiga.com/news/20130112/12/ |title = 千葉真一仁義なき戦い」秘話披露 深作欣二監督命日に |accessdate = 2012-01-31 |date = 2013-01-12 |website = 映画.com |publisher = ガ・ドッ・コム |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130122013637/http://eiga.com/news/20130112/12/ |archivedate = 2013-01-22 |url-status = live }}</ref>。海外でも放送され{{R |kamakura }}<ref name = 東ソバ324>[[#遊撃|『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』、324頁。]]</ref>、[[ブルース・リー]]や{{R |kamakura }}、[[ジャッキー・チェン]]が<ref name = 職業病>{{Cite web |和書 |url = http://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/46a52dbafe59712cdeaf15ab22f92cbb |title = 千葉真一さん職業病 |accessdate = 2013-05-17 |author = 堀田眞三 |authorlink = 堀田眞三 |date = 2006-07-30 |website = 俳優 堀田眞三(グランパ)です。|work = [[gooブログ]] |publisher = [[NTTドコモ]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130517232515/http://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/46a52dbafe59712cdeaf15ab22f92cbb |archivedate = 2013-05-17 |url-status = live }}</ref>、同作で活躍する勇姿を視聴している{{R |kamakura |職業病 }}。
(⇒ ''[[#キイハンター]]''・''[[#ファン]]'')
(⇒ ''[[#音楽]]''・''[[#キイハンター]]''・''[[#ファン]]'')


=== 転機 ===
=== 転機 ===
[[1969年]]、[[オールスター|オールスターキャスト]][[映画]]『[[日本暗殺秘録]]』では[[小沼正]]に扮して[[主演]]した。『キイハンター』を休んで撮影に臨み、そのイメージから脱却ようする演技は、同年の[[京都市民映画祭]]で主演男優賞を受賞<ref name = samurai3335>[[#千葉2010|「テロリストの苛烈な生涯を演じた大作『日本暗殺秘録』」、33 - 35頁。]]</ref>。『キイハンター』で人気者になるだけではなく、「様々な作品に出演していかなくてはいけない」と考え直す転機にもなっている<ref name = samurai3335/>
[[1969年]]、[[オールスター|オールスターキャスト]]で製作された『[[日本暗殺秘録]]』では[[小沼正]]に扮して主演した。『キイハンター』を休んで撮影に臨み、小沼が悩み苦しみ葛藤から、怒りへ覚醒ていく情念を、アクションスターいう枠に収まらない、印象深い演技をしている{{R |中日春秋 }}<ref>{{Cite book |和書 |author = 沢辺有司 |title = ワケありな映画 |date = 2011-05-10 |edition = 初版第一刷 |publisher = [[彩図社]] |page = 151 |isbn = 4883927911 |chapter = 千葉真一がテロリストを熱演 }}</ref>。同年の[[京都市民映画祭]]では、主演男優賞を受賞<ref name = samurai3335>[[#千葉2010|「テロリストの苛烈な生涯を演じた大作『日本暗殺秘録』」、33 - 35頁。]]</ref>。『キイハンター』で人気者になるだけではなく、「様々な作品に出演していかなくてはいけない」と考え直す転機にもなっている{{R |samurai3335 }}
(⇒ ''[[#キイハンター]]'')
(⇒ ''[[#キイハンター]]'')


同時期、日本の映画・テレビ映画のアクションシーンを欧米作品並に向上させるため<ref name = 創設144145>[[#侍役者|第3章 肉体は俳優の言葉だ &#12316;日本映画のアクションを変えろ!&#12316; ジャパンアクションクラブの創設、144 - 145頁。]]</ref>、自分と同レベルで動ける俳優・スタントマンの育成が急務を要すると痛感したことから{{R |創設144145 }}<ref name = 初10研>[[#JAC特集号|「初日10名の研究生が10日目には3名」、63 - 64頁。]]</ref>、1969年に養成所を設立し、人材育成を始める{{R |nikkan1 |初10研 }}。[[1970年]]には[[法人]]として、正式にジャパンアクションクラブ (''JAC'') を発足させ{{R |報知元祖92111 |エンよも1 |Ane肺炎 |kamakura |nikkan1 }}、俳優の傍ら、指導者を兼務した。
[[1970年]]、アクション・[[擬斗]]を演じる相手や[[スタント・パーソン|スタントマン]]の不足に悩み{{Efn |name = 講道館の鬼 |自分の役でもないのに「投げ飛ばされる」、「板にぶつかる」、「海に放り込まれる」など、幾度となく代わりに[[スタント]]を演じてきたので<ref>「千葉真一さん [[森末慎二]]さんの若さと元気のヒミツ“年齢に負けない鮫肝油のサラサラパワー”」『[[テレビショッピング]]』 2013年、[[エバーライフ]]。</ref>、[[吹き替え]]ができる人材の不足を憂いていた。}}、[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]で活躍するような[[俳優]]・スタントマンの育成、若年層の教育に関心を持っていたことから、[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ (''JAC'') ]]を創設した。
(⇒ ''[[#ジャパンアクションクラブ (JAC)]]''・''[[#演劇]]'')
(⇒ ''[[#ジャパンアクションクラブ (JAC)]]''・''[[#演劇]]'')


[[1973年]]映画『[[仁義なき戦い 広島死闘篇]]』で演じた大友勝利はシリーズ中1, 2を争う名キャラクターとして人気をつかんでおり<ref name = 壬生智裕/><ref name = アサ芸仁義/><ref name = 仁義なき戦いPERFECTBOOK>{{Cite journal |和書 |year = 2003 |title = [[仁義なき戦い]] PERFECT BOOK |journal = [[別冊宝島]] |issue = 833 |pages = 12, 30 - 31頁 |publisher = [[宝島社]] }}</ref>、これ以降、他の[[ヤクザ映画]]でも「『[[仁義なき戦い]]』の千葉真一さんがやった大友勝利のような」と影響を与え続け、ヤクザ役のひな型となっている<ref name = アサ芸深作/>。
1973年の『[[仁義なき戦い 広島死闘篇]]』では[[映画撮影|クランクイン]]直前に配役交換が行われ{{R |中日春秋 |笠原276 |アサ芸深作 |壬生智裕 }}{{Efn |name = 譲る }}、凶暴凶悪なキャラクターである大友勝利を演じることになっが、『[[仁義なき戦い|仁義なき戦いシリーズ]]』の中で、主人公をしのぐほどの強烈な印象を残す{{R |中日春秋 |壬生智裕 }}。大友はシリーズ中1, 2を争う名キャラクターとして人気をつかんでおり{{R |中日春秋 |壬生智裕 }}<ref name = アサ芸仁義>{{Cite web |和書 |url = https://www.asagei.com/3678 |title = (1)「顔のシワ作り」に励んだ松方 |accessdate = 2024-04-06 |date = 2012-11-28 |website = アサ芸+ |work =「仁義なき戦い」40年目の壮絶秘話 |publisher = 徳間書店 |archiveurl = https://archive.vn/lHNBq |archivedate = 2024-04-06 |url-status = live }}</ref><ref name = 仁義PB>{{Cite journal |和書 |year = 2003 |title = [[仁義なき戦い]] PERFECT BOOK |journal = [[別冊宝島]] |issue = 833 |pages = 12, 30 - 31頁 |publisher = [[宝島社]] }}</ref>、これ以降、他の[[ヤクザ映画]]でも「『仁義なき戦い』の千葉真一さんがやった大友勝利のような」と影響を与え続け、ヤクザ役のひな型となっている<ref name = アサ芸深作>{{Cite web |和書 |url = https://www.asagei.com/9401 |title = 千葉真一、深作欣二の初時代劇の教えに感謝 |accessdate = 2024-04-06 |date = 2012-11-28 |website = アサ芸+ |work = 芸能 |publisher = 徳間書店 |archiveurl = https://archive.md/mDoJJ |archivedate = 2024-04-06 |url-status = live }}</ref>。
(⇒ ''[[#ヤクザ映画]]'')
(⇒ ''[[#アクションスター]]''・''[[#ヤクザ映画]]'')


『広島死闘篇』と同時進行で『[[柔道一代シリーズ]]』以来、10年ぶりの[[格闘技|格闘]]映画なる主演作品『[[ボディガード牙シリーズ]]』(1973年)の撮影に入り、続けて主演映画『[[殺人拳シリーズ]]』[[クランクイン]]したため、『[[仁義なき戦い|仁義なき戦いシリーズ]]』の再出演は実現しなかった<ref name = kyoken>[[#千葉2010|「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』、48 - 49頁。]]</ref>。これ以降は格闘映画で主演作品が[[映画製作|製作]]され、[[極真会館|極真カラテ]]を修行して[[黒帯]]を允許された技量が生かされることとなる。
『広島死闘篇』と同時進行で『[[柔道一代シリーズ]]』以来、10年ぶりの[[格闘技]]を[[モチーフ (物語)|モチーフ]]とした『[[ボディガード牙シリーズ]]』の撮影に入り、『[[殺人拳シリーズ]]』と次々主演作が[[クランクイン]]したため、『仁義なき戦いシリーズ』の再出演は実現しなかった<ref name = kyoken>[[#千葉2010|「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』、48 - 49頁。]]</ref>。これ以降は格闘をメインとした作品に続けざま主演していくが、[[極真会館|極真カラテ]]を修行して[[黒帯]]を允許された技量が生かされることとなる{{R |エンよも1 |kamakura |gai173179182183 |CNNjp1 }}
(⇒ ''[[#空手道]]'')
(⇒ ''[[#空手道]]'')


=== ''Sonny Chiba'' ===
=== ''Sonny Chiba'' ===
『ボディガード牙シリーズ<ref name = 牙>{{Eiren |03000000371 |『ボディガード牙』}}</ref>』(1973年)は日本だけに止まらず、[[欧米]]でもヒットし、格闘ブームの先駆けとなる作品になった{{R |Ane国際派 |CNNjp1 }}。
1973年に封切公開された[[映画]]『[[ボディガード牙シリーズ]]<ref name = 牙>{{Eiren|03000000371|『ボディガード牙』}}</ref>』を皮切りに、『[[殺人拳シリーズ]]<ref name = 高平哲郎/>』([[1974年]] - [[1976年]])、『[[地獄拳シリーズ]]<ref name = 高平哲郎/>』(1974年)、『[[少林寺拳法 (映画)|少林寺拳法]]』([[1975年]])、『[[けんか空手シリーズ]]<ref name = shinkainin>[[#活動屋|「『新幹線』も海外で人気」、68頁。]]</ref>』(1975年 - [[1977年]])、『[[激殺! 邪道拳]]』(1977年)と、前後して『[[やくざ刑事シリーズ]]<ref name = 子守唄>{{Cite web |和書 |url = http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20160318/enn1603180830008-n1.htm |title =【今だから明かす あの映画のウラ舞台】香港で出会った大スター 「千葉空手」生んだブルース・リーの死(1/2ページ)|accessdate = 2016-06-27 |date = 2016-03-18 |website = ZAKZAK |work = ★アクション編(上)|page = 1 |publisher = 産業経済新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20160627094751/http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20160318/enn1603180830008-n1.htm |archivedate = 2016-06-27 |url-status = live }}</ref>』([[1970年]] - [[1971年]])、『[[狼やくざシリーズ]]<ref name = 牙/><ref name = 直100館>[[#活動屋|「直営劇場を100館へ」、26頁。]]</ref>』(1971年 - [[1972年]])、『[[麻薬売春Gメンシリーズ]]<ref name = 牙/>』(1972年)や、[[小説]]・[[劇画]]を映画化した『[[ウルフガイ 燃えろ狼男]]』(1975年)、1977年は『[[空手バカ一代 (映画)|空手バカ一代]]』『[[ドーベルマン刑事#映画|ドーベルマン刑事]]』『[[ゴルゴ13 九竜の首]]<ref name = 九竜/>』など、数々の[[映画]]に[[主演]]。[[テレビドラマ]]『[[キイハンター]]』と同様の[[スタント]]に、[[空手道]]・[[拳法]]・[[体操競技|器械体操]]などが加わり、アクロバティックでスリリングとシャープな演技は好評を博した<ref name = kamakura/><ref name = 高平哲郎/><ref name = wakita/><ref name = 九竜/><ref name = 牙/><ref name = shinkainin/><ref name = 子守唄/><ref name = 直100館/><ref name = makaitensho>[[#パンフ冒険|「解説」、7頁。]]</ref><ref name = bokenshakamikaze>[[#パンフ冒険|「かいせつ」、16頁。]]</ref>。
(⇒ ''[[#アクション映画]]'')


これを皮切りに『殺人拳シリーズ{{R |高平哲郎 }}』([[1974年]] - [[1976年]])、『[[地獄拳シリーズ]]{{R |高平哲郎 }}』(1974年)、『[[少林寺拳法 (映画)|少林寺拳法]]』([[1975年]])、『[[けんか空手シリーズ]]<ref name = shinkainin>[[#活動屋|「『新幹線』も海外で人気」、68頁。]]</ref>』(1975年 - 1977年)、『激殺! 邪道拳』(1977年)、前後して『[[やくざ刑事シリーズ]]{{R |子守唄 }}』(1970年 - [[1971年]])、『[[狼やくざシリーズ]]{{R |牙 }}<ref name = 直100館>[[#活動屋|「直営劇場を100館へ」、26頁。]]</ref>』(1971年 - [[1972年]])、『[[麻薬売春Gメンシリーズ|麻薬売春''G''メンシリーズ]]{{R |牙 }}』(1972年)、『[[ウルフガイ 燃えろ狼男]]』(1975年)、『[[ドーベルマン刑事#映画|ドーベルマン刑事]]』『ゴルゴ13 九竜の首{{R |九竜 }}』(1977年)など数々の主演作と、助演作の『[[女必殺拳]]』(1974年)、『[[激突! 合気道]]』(1975年)、『[[必殺女拳士]]』(1976年)は、国内興行だけでなく、海外でも封切りされている<ref name = 伊藤22>[[伊藤彰彦 (映画史家)|伊藤彰彦]] [[#挑む2692|「''Sonny Chiba''が生まれた瞬間」、22頁。]]</ref>。
中でも1974年に主演した『[[激突! 殺人拳]]』は国内のみならず、海外では『''[[w:The Street Fighter|The Street Fighter]]''』のタイトルで公開され、[[アメリカ合衆国|米国]]では[[日本映画]]として初めて[[興行収入]]100万ドル以上を記録<ref name = 殺人拳1/>。この成功は同国で最も権威のある総合情報週刊誌「''[[バラエティ (アメリカ合衆国の雑誌)|Variety]]''」の[[1974年]][[12月18日]]付にも掲載され、同誌が初めて日本映画を取り上げるという快挙を成し遂げている<ref name = brucelee>{{Cite news ja |title = 本家[[ブルース・リー]]をしのぐ千葉真一 |newspaper = [[スポーツ報知|報知新聞]] 朝刊 |publisher = [[報知新聞社]] |date = 1974-12-27 }}</ref><ref name = variety>{{Cite journal |journal = [[バラエティ (アメリカ合衆国の雑誌)|バラエティ]] |language = [[英語]] |date = 1974年12月18日 }}</ref>。この頃から国際的に'''''[[w:Sonny Chiba|Sonny Chiba]]'''''(サニー ちば)という名前で認知されることとなり<ref name = samurai11/><ref name = samurai51/><ref name = 高平哲郎/>{{Efn |name = Sonny }}、主演・出演する[[空手道|カラテ]]をメインにした格闘映画は続々と世界的に大ヒットした<ref name = senpro/><ref name = ライフタイム>{{Cite web |url = https://singafest.wordpress.com/page/2/ |title = Lifetime Achievement Award Tribute: Sonny Chiba |accessdate = 2015-07-29 |date = 2011-08-31 |publisher = Singafest 2011: LA's Newest International Asian Film Festival |language = [[英語]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20150729072131/https://singafest.wordpress.com/page/2/ |archivedate = 2015-07-29 |url-status = live }}</ref><ref name = 香港ゴルゴ>{{Cite journal |和書 |date = 1977-09-11 |title = “ゴルゴ13”香港ロケ 千葉真一 |journal = [[週刊明星]] |publisher = [[集英社]] }}</ref><ref name = シネマトリビューン>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20130124121631/http://cinetri.jp/report/raid0926/ |date = 2013年1月24日 |title =『ザ・レイド』最強格闘家たちが新宿でガチバトル!Berryz工房ももちも、必殺技で参戦!? }}</ref><ref name = oyaji>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20140308102825/http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=8389 |date = 2014年3月8日 |title = 親父 - 映画作品紹介 }}</ref>。海外でも著名人のファンは多い<ref name = 高平哲郎/><ref name = gaiden737983>[[#極真外伝|「極真空手三段 千葉真一」、173, 179, 183頁。]]</ref><ref name = アベンジャーズ>{{webarchive |url = https://archive.is/PL7v |date = 2013年11月5日 |title =「アベンジャーズ」サミュエル・L.ジャクソン、役作りの参考はソニー千葉(千葉真一)}}</ref><ref name = タランティーノ>[[町山智浩]] [[#キルビル|「クエンティン・タランティーノ」、17 - 18頁。]]</ref><ref name = キアヌ>{{webarchive |url = https://archive.is/20160623191254/http://www.yomiuri.co.jp/komachi/beauty/celeb/20131218-OYT8T00409.html |date = 2016年6月23日 |title = スリムボディーが復活 キアヌ・リーブス }}</ref><ref name = Keanu>{{Cite news ja |title = 千葉真一初対面でキアヌ大興奮、熱いリアクションに「かわいい」の声。|newspaper = [[ナリナリドットコム]] |date = 2015-10-06 |url = http://www.narinari.com/Nd/20151034070.html |accessdate = 2015-10-06 |publisher = [[Narinari.com]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20151006145020/http://www.narinari.com/Nd/20151034070.html |archivedate = 2015-10-06 |url-status = live }}</ref><ref name = 佐藤結>{{Cite journal |和書 |author = 佐藤結 |date = 2015-12-04 |title =『ベテラン』 対談 リュ・スンワン[監督]× 千葉真一 韓国・日本 両国の映画を愛する漢たちの語らい |journal = キネマ旬報 2015年12月下旬号 No.1705 |volume = 1705 |issue = 2519 |page = 70 |publisher = キネマ旬報社 }}</ref>。
(⇒ ''[[#格闘映画]]''・''[[#ファン(海外)]]'')


上記作品は『キイハンター』と同様の[[スタント]]に、[[空手道]]・[[拳法]]・器械体操が加わり、アクロバティック・スリリング・シャープな演技は好評を博した{{R |kamakura |高平哲郎 |wakita |九竜 |子守唄 |牙 |shinkainin |直100館 }}<ref name = makaitensho>[[#パンフ冒険|「解説」、7頁。]]</ref><ref name = bokenshakamikaze>[[#パンフ冒険|「かいせつ」、16頁。]]</ref>。
[[テレビ映画]]では『キイハンター』以降、『[[ザ・ボディガード]]』『[[ザ★ゴリラ7]]』『[[燃える捜査網]]』『[[大非常線]]』とアクション作品に主演。この頃、アメリカ・[[カリフォルニア州]]に聳える[[:w:Mammoth Mountain|マンモスマウンテン]]の[[バックカントリー]]を[[スキー]]で滑走しており、その姿は1974年[[5月6日]]に[[ドキュメンタリー]]『千葉真一 4,000メートルのマンモスマウンテンを滑る』([[テレビ東京|東京''12ch'']])や同年[[6月6日]]の『ザ・ボディガード』第10話「グランドキャニオンの殺人者」で、それぞれ放送されている{{Efn |『[[ザ★ゴリラ7]]』の[[クレジットタイトル|オープニングクレジット]]でも滑走している姿は全話流されており、それぞれの[[ボックス・セット#DVD-BOX|''DVD-BOX'']]で視聴できる。この滑走は[[オエノンホールディングス|合同酒精]]「ワリッカ」の[[コマーシャルメッセージ|CM]]で採用され、1979年の『[[バトルフィーバーJ]]』の1,2話エンディングで白石謙作(バトルコサック)が雪山を滑走するシーンにも流用されている<ref>『[[バトルフィーバーJ#映像ソフト化]]』([[東映ビデオ]])の1,2話より。</ref>。}}。前後して若手の育成に追われる日々となったが、1976年の映画『[[沖縄やくざ戦争]]』では[[京都市民映画祭]]の主演男優賞を受賞した。


とりわけ『殺人拳シリーズ』の第一作『[[激突! 殺人拳]]』(1974年)は、『''[[w:The Street Fighter|The Street Fighter]]''』のタイトルで海外公開されるやいなや{{R |エンよも1 }}、同年11月12日から[[アメリカ合衆国|アメリカ]]中南部の都市18館を3週間興行され、全米ベスト5にランクインしている{{R |高平哲郎 |Ane国際派 }}<ref name = bl1227>{{Cite news |和書 |title = 本家ブルース・リーしのぐ千葉真一 全米でヒット5位『……殺人拳』“舞踊風”より迫真力 |newspaper = [[スポーツ報知|報知新聞]] |date = 1974-12-27 |publisher = [[報知新聞社]] |edition = [[朝刊]] }}</ref><ref name = var1218>{{Cite journal |journal = [[バラエティ (アメリカ合衆国の雑誌)]] |language = [[英語]] |date = 1974年12月18日 }}</ref>。[[日本映画]]として初めて[[興行収入]]100万ドル以上を計上した{{R |殺人拳1 }}。この成功は『[[バラエティ (アメリカ合衆国の雑誌)]]』の同年12月18日付に取り上げられ、日本映画が初めて同誌に掲載される快挙を成し遂げている{{R |Ane国際派 |bl1227 |var1218 }}。
1977年4月に[[ハワイ州|ハワイ]]で開催された「日本代表[[極真会館]]チーム対ハワイ代表チーム」という[[フルコンタクト空手]]の対抗戦に参戦<ref name = kamakura/><ref name = whywin8384>[[#なぜ勝つ|「“極真”だけがなぜ勝つのか」、83 - 84頁。]]</ref>。180[[センチメートル|cm]]以上ある[[ネグロイド]]の[[アメリカ東海岸]]空手[[チャンピオン]]と戦い、[[蹴り技#種類|二段蹴り]]で[[ノックアウト|KO]]勝ちを収めた<ref name = kamakura/><ref name = gai174176>[[#極真外伝|「極真空手三段 千葉真一」、174 - 176頁。]]</ref><ref name = whywin8487>[[#なぜ勝つ|「“極真”だけがなぜ勝つのか」、84 - 87頁。]]</ref>。

(⇒ ''[[#空手道]]'')
この頃から国際的に'''''Sonny Chiba'''''(サニー ちば)という名前で認知されることとなり{{R |samurai51 |samurai11 |エンよも1 |高平哲郎 }}{{Efn |name = Sonny }}、輸出された主演・出演作品は世界的に続々と大ヒットした{{R |senpro }}<ref name = ライフタイム>{{Cite web |url = https://singafest.wordpress.com/page/2/ |title = Lifetime Achievement Award Tribute: Sonny Chiba |accessdate = 2015-07-29 |date = 2011-08-31 |publisher = Singafest 2011: LA's Newest International Asian Film Festival |language = [[英語]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20150729072131/https://singafest.wordpress.com/page/2/ |archivedate = 2015-07-29 |url-status = live }}</ref><ref name = 香港ゴルゴ>{{Cite journal |和書 |date = 1977-09-11 |title = “ゴルゴ13”香港ロケ 千葉真一 |journal = [[週刊明星]] |publisher = [[集英社]] }}</ref><ref name = シネマトリビューン>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20130124121631/http://cinetri.jp/report/raid0926/ |date = 2013年1月24日 |title =『ザ・レイド』最強格闘家たちが新宿でガチバトル!Berryz工房ももちも、必殺技で参戦!? }}</ref><ref name = oyaji>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20140308102825/http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=8389 |date = 2014年3月8日 |title = 親父 - 映画作品紹介 }}</ref>。海外でも著名人のファンは多い{{R |エンよも1 |Ane国際派 }}<ref name = gaiden737983>[[#極真外伝|「極真空手三段 千葉真一」、173, 179, 183頁。]]</ref><ref name = アベンジャーズ>{{Archive.today |url = http://www.hollywood-ch.com/news/12042608.html?cut_page=1 |title =「アベンジャーズ」サミュエル・L.ジャクソン、役作りの参考はソニー千葉(千葉真一)|date = 20120427133309 }}</ref><ref name = タランティーノ>[[町山智浩]] [[#キルビル|「クエンティン・タランティーノ」、17 - 18頁。]]</ref><ref name = キアヌ>{{Archive.today |url = http://www.yomiuri.co.jp/komachi/beauty/celeb/20131218-OYT8T00409.html |title = スリムボディーが復活 キアヌ・リーブス |date = 20160623191254 }}</ref><ref name = Keanu>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一初対面でキアヌ大興奮、熱いリアクションに「かわいい」の声。|newspaper = [[ナリナリドットコム]] |date = 2015-10-06 |url = http://www.narinari.com/Nd/20151034070.html |accessdate = 2015-10-06 |publisher = [[Narinari.com]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20151006145020/http://www.narinari.com/Nd/20151034070.html |archivedate = 2015-10-06 |url-status = live }}</ref><ref name = 佐藤結>{{Cite journal |和書 |author = 佐藤結 |date = 2015-12-04 |title =『ベテラン』 対談 リュ・スンワン[監督]× 千葉真一 韓国・日本 両国の映画を愛する漢たちの語らい |journal = キネマ旬報 2015年12月下旬号 No.1705 |volume = 1705 |issue = 2519 |page = 70 |publisher = キネマ旬報社 }}</ref>。1975年12月には<ref name = 縦深62>[[#活動屋|「1975年(昭和50年)12月 映像多角化の縦深展開で収益拡大」、62頁。]]</ref>、[[フランシス・フォード・コッポラ]]から「千葉真一と[[アル・パチーノ]]の共演で映画を撮りたい」と申し入れが東映に来た{{R |shinkainin }}。海外進出の機会だったが{{R |nikkan1 }}、このオファーを[[岡田茂 (東映) ]]が断ったので実現していない{{R |nikkan1 }}。
(⇒ ''[[#海外進出]]''・''[[#アクション作品]]''・''[[#格闘作品]]''・''[[#ファン(海外)]]'')

芸能活動と若手の育成に追われる日々が再開し{{R |nikkan1 }}、1976年には『[[沖縄やくざ戦争]]』で京都市民映画祭の主演男優賞を受賞する。[[テレビ映画]]でも『キイハンター』以降、『[[ザ・ボディガード]]』(1974年)、『[[ザ★ゴリラ7]]』『[[燃える捜査網]]』(1975年)『[[大非常線]]』(1976年)とアクション作品に主演。

このような中で、[[カリフォルニア州]]に聳える[[:w:Mammoth Mountain|マンモスマウンテン]]の[[バックカントリー]]を[[スキー]]で滑走しており、その姿は1974年[[5月6日]]に[[ドキュメンタリー]]『千葉真一 4,000メートルのマンモスマウンテンを滑る』([[テレビ東京|東京''12ch'']])や[[6月6日]]の『ザ・ボディガード』第10話「グランドキャニオンの殺人者」で、それぞれ放送されている{{Efn |『[[ザ★ゴリラ7]]』の[[クレジットタイトル|オープニングクレジット]]でも滑走している姿は全話流されており、それぞれの[[ボックス・セット#DVD-BOX|''DVD-BOX'']]で視聴できる。[[1979年]]の『[[バトルフィーバーJ]]』の1,2話エンディングで白石謙作(バトルコサック)が雪山を滑走するシーンにも流用されている<ref>『[[バトルフィーバーJ#映像ソフト化]]』([[東映ビデオ]])の1,2話より。</ref>。}}。この滑走は[[オエノンホールディングス|合同酒精]]「ワリッカ」の[[コマーシャルメッセージ|''CM'']]で採用され、流された。

1977年4月に[[ハワイ州]]で開催された「日本代表[[極真会館]]チーム対ハワイ代表チーム」という[[フルコンタクト空手]]の対抗戦に参戦{{R |kamakura }}<ref name = デス4>{{Cite news |title = 千葉真一三段がデスマッチ 4月にハワイで他流派の挑戦受け 18日に出発“世界空手行脚”「ボケっとするより」|newspaper = [[スポーツニッポン]] |publisher = [[毎日新聞グループホールディングス]] |date = 1977-03-16 |edition = 朝刊 }}</ref><ref name = whywin8384>[[#なぜ勝つ|「“極真”だけがなぜ勝つのか」、83 - 84頁。]]</ref><ref name = Farewell>{{Cite web |和書 |url = https://efight.jp/news-20220123_876031 |title = 千葉真一「お別れの会」で大山倍達との組手や試合など”秘蔵映像”も、空手着や映画小道具を展示で偲ぶ |accessdate = 2023-12-22 |date = 2022-01-23 |website = イーファイト |work = ニュース |page = 1 |publisher = [[吉倉拓児|ヨシクラデザイン]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220123033437/https://efight.jp/news-20220123_876031 |archivedate = 2022-01-23 |url-status = live }}</ref>。180[[センチメートル]]以上ある[[ネグロイド]]の[[アメリカ東海岸]]空手[[チャンピオン]]と戦い、[[蹴り技#種類|二段蹴り]]で[[ノックアウト|KO]]勝ちを収めた{{R |Farewell }}<ref name = gai174176>[[#極真外伝|「極真空手三段 千葉真一」、174 - 176頁。]]</ref><ref name = whywin8487>[[#なぜ勝つ|「“極真”だけがなぜ勝つのか」、84 - 87頁。]]</ref><ref name = 組手大会映像>{{Cite web |和書 |url = https://efight.jp/news-20220123_876031/2 |title =【フォト】1.千葉真一 vs.大山総裁 2.極真の試合でKO勝利する千葉さん |accessdate = 2023-12-22 |date = 2022-01-23 |website = イーファイト |work = ニュース |page = 2 |publisher = ヨシクラデザイン |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220123102513/https://efight.jp/news-20220123_876031/2 |archivedate = 2022-01-23 |url-status = live }}</ref><ref name = efight松井>{{Cite web |和書 |url = https://efight.jp/news-20210820_596903 |title = 極真・松井館長が、”大先輩”千葉真一氏を追悼「アドバイスを頂いた」|accessdate = 2024-02-02 |date = 2021-08-20 |website = イーファイト |work = ニュース |publisher = ヨシクラデザイン |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820112308/https://efight.jp/news-20210820_596903 |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。
(⇒ ''[[#2022年]]''・''[[#極真カラテ]]''・''[[#空手道]]'')


=== ジャンルを越えた活躍 ===
=== ジャンルを越えた活躍 ===
名実共に[[日本]]を代表するアクションスターとして活躍していたが<ref name = kamakura/><ref name = 九竜/><ref name = makaitensho/><ref name = bokenshakamikaze/>、[[1978年]]から本格的に[[時代劇]]へ進出する[[主演]][[映画]]『[[柳生一族の陰謀]]』は[[興行収入]]30億円以上の記録的大ヒットし<ref>{{Eiren|03000000934|『柳生一族の陰謀』}}</ref><ref name = 興行収入>{{Cite web |和書 |url = http://www.asagei.com/10838 |title = 西郷輝彦、深作欣二作品の萬屋錦之介に身震い |accessdate = 2013-01-31 |date = 2012-12-12 |website = アサ芸+ |publisher = 徳間書店 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130921053929/http://www.asagei.com/10838 |archivedate = 2013-09-21 |url-status = live }}</ref><ref name = 惹句術>{{Cite book ja |author1 = 関根忠郎 |author2 = [[山根貞男]] |author3 = [[山田宏一]] |title = 惹句術:映画のこころ |year = 1986 |publisher = [[講談社]] |page = 90 |isbn = 406202005X }}</ref><ref>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20141006113224/http://www.toeich.jp/?act=program-detail&info_id=1T0000004447 |date = 2014年10月6日 |title = 柳生一族の陰謀 (2008) }}</ref>[[1979年]]に[[第2回日本アカデミー賞]]の優秀助演男優賞を受賞した。[[柳生宗矩|柳生但馬守宗矩]]([[若山富三郎]])[[宮本武蔵]]([[緒形拳]])と華麗で凄みのある[[一騎討ち]]を披露した主演映画『[[魔界転生#1981年|魔界転生]]』([[1981年]])は観客動員数200万人・[[配給収入]]10.5億円を超<ref>{{映連配給収入|1981}}</ref><ref>{{Cite web |和書 |url = http://www.asagei.com/9406 |title = 深作欣二「千葉ちゃん、ウソって観客に思わせたら負け」 |accessdate = 2012-12-08 |date = 2012-11-29 |work = アサ芸+ |publisher = 徳間書店 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20140728002453/http://www.asagei.com/9406 |archivedate = 2014-07-28 |url-status = live }}</ref>、映画『[[赤穂城断絶]]』(1978年)、『[[闇の狩人#映画|闇の狩人]]』([[1979年]])『[[里見八犬伝 (1983年の映画)|里見八犬伝]]』([[1983年]])、『[[必殺4 恨みはらします]]』([[1987年]])などにも出演。特に『柳生一族の陰謀』、『魔界転生』、テレビ映画『[[柳生あばれ旅シリーズ]]』([[1980年]] - 1983年)の[[柳生三厳|柳生十兵衛三厳]]と<ref name = 一族DVD>{{Cite web |和書 |url = https://www.amazon.co.jp/dp/B000066AEO |title = 商品の説明「Amazonレビュー」|accessdate = 2017-06-27 |author = 的田也寸志 |website = 柳生一族の陰謀 (DVD) |publisher = [[Amazon.co.jp]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20170627035542/https://www.amazon.co.jp/dp/B000066AEO |archivedate = 2017-06-27 |url-status = live }}</ref><ref name = 魔界に祟られた>[[#パンフ魔界|佐藤雅夫 「プロダクション・ノート 魔界に祟られたスタジオ」、24 - 25頁。]]</ref><ref name = ペリー十あば>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20160305063652/http://www.jidaigeki.com/forum/peri/yagyo/20080530_1800.html |date = 2016年3月5日 |title =『柳生十兵衛あばれ旅』 JJサニー千葉、十八番の十兵衛が大暴れ!志穂美悦子、真田広之など充実の顔ぶれ。}}</ref><ref name = ペリー徳無>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20120331003905/http://www.jidaigeki.com/forum/peri/tagyo/20090731_1859.html |date = 2012年3月31日 |title =『徳川無頼帳』 西城秀樹の十兵衛とJJサニー千葉が握手! 強力コンビが吉原を根城に大暴れ。}}</ref><ref name = 十七>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20120610061606/http://www.jidaigeki.com/program/detail/jd11000432.html |date = 2012年6月10日 |title = 柳生十兵衛七番勝負 }}</ref>、傑作と評価されている『[[服部半蔵 影の軍団|影の軍団シリーズ]]<ref>[[#実テ時|「ウーマンパワーの席捲」、256頁。]]</ref>』(1980年 - [[1985年]])の[[服部半蔵]]は<ref name = 服部半蔵>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20211001010124/https://www.jidaigeki.com/program/detail/jd00007489.html |date = 2021年10月1日 |title = 服部半蔵 影の軍団 }}</ref><ref name = どらく>{{webarchive |url = https://archive.is/mdjfN |date = 2013年4月25日 |title = 7月1日 あなたの思い出と共にあの時代劇が甦る!}}</ref>、[[十八番]]である<ref name = 一族DVD/><ref name = 魔界に祟られた/><ref name = ペリー十あば/><ref name = ペリー徳無/><ref name = 十七/><ref name = 服部半蔵/><ref name = どらく/>
名実共に日本を代表するアクションスターとして活躍する中{{R |kamakura |九竜 |makaitensho |bokenshakamikaze }}、[[1978年]]から本格的に時代劇へ進出{{R |高平哲郎 }}。主演『[[柳生一族の陰謀]]』は[[興行収入]]30億円以上の記録的大ヒット<ref>{{Eiren |03000000934 |『柳生一族の陰謀』}}</ref><ref name = 興行収入>{{Cite web |和書 |url = http://www.asagei.com/10838 |title = 西郷輝彦、深作欣二作品の萬屋錦之介に身震い |accessdate = 2013-01-31 |date = 2012-12-12 |website = アサ芸+ |publisher = 徳間書店 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130921053929/http://www.asagei.com/10838 |archivedate = 2013-09-21 |url-status = live }}</ref><ref name = 惹句術>{{Cite book |和書 |author = 関根忠郎 |coauthors = [[山根貞男]][[山田宏一]] |title = 惹句術:映画のこころ |year = 1986 |publisher = [[講談社]] |page = 90 |isbn = 406202005X }}</ref><ref>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20141006113224/http://www.toeich.jp/?act=program-detail&info_id=1T0000004447 |date = 2014年10月6日 |title = 柳生一族の陰謀 (2008) }}</ref>。同作で[[1979年]]に[[第2回日本アカデミー賞]]の優秀助演男優賞を受賞。
[[1981年]]の主演作『[[魔界転生#1981年|魔界転生]]』では[[柳生宗矩|柳生但馬守宗矩]]([[若山富三郎]])[[宮本武蔵]]([[緒形拳]])と華麗で凄みのある[[一騎討ち]]を披露し観客動員数200万人・[[配給収入]]10.5億円を超す成功を収めた<ref>{{映連配給収入|1981}}</ref><ref>{{Cite web |和書 |url = https://www.asagei.com/9406 |title = 深作欣二「千葉ちゃん、ウソって観客に思わせたら負け」|accessdate = 2024-04-06 |date = 2012-11-29 |website = アサ芸+ |work = 芸能 |publisher = 徳間書店 |archiveurl = https://archive.md/wijre |archivedate = 2024-04-06 |url-status = live }}</ref>『[[赤穂城断絶]]』(1978年)、『[[闇の狩人#映画|闇の狩人]]』(1979年)、『[[伊賀忍法帖#映画|伊賀忍法帖]]』([[1982年]])『[[里見八犬伝 (1983年の映画)|里見八犬伝]]』([[1983年]])、『[[必殺4 恨みはらします]]』([[1987年]])などにも出演。特に『柳生一族の陰謀』、『魔界転生』、『[[柳生あばれ旅シリーズ]]』([[1980年]] - 1983年)の[[柳生三厳|柳生十兵衛]]と<ref name = 一族DVD>{{Cite web |和書 |url = https://www.amazon.co.jp/dp/B000066AEO |title = 商品の説明「Amazonレビュー」|accessdate = 2017-06-27 |author = 的田也寸志 |website = 柳生一族の陰謀 (DVD) |publisher = [[Amazon.co.jp]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20170627035542/https://www.amazon.co.jp/dp/B000066AEO |archivedate = 2017-06-27 |url-status = live }}</ref><ref name = 魔界に祟られた>[[#パンフ魔界|佐藤雅夫 「プロダクション・ノート 魔界に祟られたスタジオ」、24 - 25頁。]]</ref><ref name = ペリー十あば>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20160305063652/http://www.jidaigeki.com/forum/peri/yagyo/20080530_1800.html |date = 2016年3月5日 |title =『柳生十兵衛あばれ旅』 JJサニー千葉、十八番の十兵衛が大暴れ!志穂美悦子、真田広之など充実の顔ぶれ。}}</ref><ref name = ペリー徳無>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20120331003905/http://www.jidaigeki.com/forum/peri/tagyo/20090731_1859.html |date = 2012年3月31日 |title =『徳川無頼帳』 西城秀樹の十兵衛とJJサニー千葉が握手! 強力コンビが吉原を根城に大暴れ。}}</ref><ref name = 十七>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20120610061606/http://www.jidaigeki.com/program/detail/jd11000432.html |date = 2012年6月10日 |title = 柳生十兵衛七番勝負 }}</ref>、傑作と評価されている『[[影の軍団シリーズ]]<ref>[[#実テ時|「ウーマンパワーの席捲」、256頁。]]</ref>』(1980年 - [[1985年]])の[[服部半蔵]]は<ref name = 服部半蔵>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20211001010124/https://www.jidaigeki.com/program/detail/jd00007489.html |date = 2021年10月1日 |title = 服部半蔵 影の軍団 }}</ref><ref name = どらく>{{webarchive |url = https://archive.is/mdjfN |date = 2013年4月25日 |title = 7月1日 あなたの思い出と共にあの時代劇が甦る!}}</ref>、[[十八番]]である{{R |一族DVD |魔界に祟られた |ペリー十あば |ペリー徳無 |十七 |服部半蔵 |どらく }}
(⇒ ''[[#時代劇]]'')
(⇒ ''[[#時代劇]]'')


1979年には芸能生活20周年記念作品である映画『[[戦国自衛隊 (映画)|戦国自衛隊]]』で<ref name = 戦自プロノー26>[[#パンフ戦国|「プロダクションノート」、26頁。]]</ref>、主演と[[日本映画]]初の[[アクション監督]]を兼務し<ref name = senpro/>[[配給収入]]で13.5億円の大ヒットを記録<ref>{{映連配給収入|1980}}</ref>。その[[演出]]が評価され、1980年に[[ブルーリボン賞 (映画)#第23回(1980年度)|ブルーリボン賞]]のスタッフ賞を受賞した。[[1981年]]の主演映画『[[冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-|冒険者カミカゼ ''-ADVENTURER KAMIKAZE-'']]』は自ら企画し<ref name = Hoshina>[[#パンフ冒険|保科幸雄 「高鳴る!冒険者たちのメロディ 燃える夢喰い男・千葉真一」、3 - 5頁。]]</ref>、『[[忍者武芸帖 百地三太夫]]』(1980年)と『[[吼えろ鉄拳]]』(1981年)で出演とアクション監督を兼務。[[1989年]]の『[[将軍家光の乱心 激突]]』でも出演とアクション監督を兼ね、この作品は[[第39回ベルリン国際映画祭]]に招待された。[[1990年]]には[[映画プロデューサー|プロデューサー]]と初の[[映画監督|監督]]を兼ねた映画『[[リメインズ 美しき勇者たち]]』を手がけ、アクション映画の全盛期を牽引していた。
1979年には芸能生活20周年記念作品である『[[戦国自衛隊 (映画)|戦国自衛隊]]』で<ref name = 戦自プロノー26>[[#パンフ戦国|「プロダクションノート」、26頁。]]</ref>、主演と日本映画初のアクション監督を兼務し{{R |senpro }}、配給収入で13.5億円の大ヒットを記録<ref>{{映連配給収入|1980}}</ref>。その演出が評価され、1980年に[[ブルーリボン賞 (映画)#第23回(1980年度)|ブルーリボン賞]]のスタッフ賞を受賞した。
(⇒ ''[[#アクション映画]]'')


1981年の主演作『[[冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-|冒険者カミカゼ ''-ADVENTURER KAMIKAZE-'']]』は自ら企画し<ref name = Hoshina>[[#パンフ冒険|保科幸雄 「高鳴る!冒険者たちのメロディ 燃える夢喰い男・千葉真一」、3 - 5頁。]]</ref>、『[[忍者武芸帖 百地三太夫]]』(1980年)と『[[吼えろ鉄拳]]』(1981年)で出演とアクション監督を兼務。[[1989年]]の『[[将軍家光の乱心 激突]]』でも出演とアクション監督を兼ね、同作は[[第39回ベルリン国際映画祭]]に招待された。
1981年から[[演劇]]にも進出し、[[ミュージカル]]『[[ゆかいな海賊大冒険]]』([[1982年]] - [[1984年]])<ref name = コマ酒井>[[#酔いどれ|「ごあいさつ 株式会社コマ・スタジアム専務取締役・酒井肇」、35頁。]]</ref>、『[[酔いどれ公爵]]』(1985年)など複数の作品を企画・演出・主演し、''JAC''ミュージカルとして定期的に公演した。[[新宿コマ劇場]]の観客動員数では、3年間にわたって[[満員御礼]]となる記録的な成功を収めている<ref name = コマ酒井/>。

[[1990年]]には映画プロデューサーと初映画監督を兼ねた『[[リメインズ 美しき勇者たち]]』を手がけ、アクション作品の全盛期を牽引していた。
(⇒ ''[[#2022年]]''・''[[#アクション作品]]'')

1981年から[[演劇]]にも進出し、『[[ゆかいな海賊大冒険]]<ref name = コマ酒井>[[#酔いどれ|「ごあいさつ 株式会社コマ・スタジアム専務取締役・酒井肇」、35頁。]]</ref>』(1982年 - [[1984年]])、『[[酔いどれ公爵]]』(1985年)など複数の作品を企画・演出・主演し、''JAC''ミュージカルとして定期的に公演した。[[新宿コマ劇場]]の観客動員数では、3年間にわたって[[満員御礼]]となる記録的な成功を収めている{{R |コマ酒井 }}。
(⇒ ''[[#ジャパンアクションクラブ (JAC)]]''・''[[#演劇]]'')
(⇒ ''[[#ジャパンアクションクラブ (JAC)]]''・''[[#演劇]]'')


[[1970年代]]から[[1980年代]]にかけ[[テレビドラマ]]『[[七色とんがらし]]』(1976年)や『[[十字路 (1978年のテレビドラマ)|十字路]]』(1978年)、『[[深夜にようこそ]]』(1986年)、『[[夢に見た日々]]』(1989年)の人間ドラマにも主演<ref name = 石飛31>[[#挑む2692|石飛徳樹 「渋い外見の奥に在る弱さと温かさ」、31頁。]]</ref><ref name = 加藤静20>[[#永遠1811|加藤義彦 「テレビドラマで挑んだ『静』の演技」、20頁。]]</ref>。[[1982年]]には[[楽曲]]「[[誓い(JACのテーマ)]]」を[[作詞]]、1985年には10年ぶりに[[歌手]]としてリリースした「[[曠野 (曲)|曠野]]」の[[作曲]]も手がけ、俳優・歌手に留まらない映画監督・映画プロデューサー・[[作詞家]]・[[作曲家]]など、その活躍ぶりはジャンルを越えて幅広いものであった。
並行して[[1970年代]]から[[1980年代]]にかけ、『[[七色とんがらし]]』(1976年)や『[[十字路 (1978年のテレビドラマ)|十字路]]』(1978年)、『[[深夜にようこそ]]』([[1986]])、『[[夢に見た日々]]』(1989年)の人間ドラマにも主演<ref name = 石飛31>[[#挑む2692|石飛徳樹 「渋い外見の奥に在る弱さと温かさ」、31頁。]]</ref><ref name = 加藤静20>[[#永遠1811|加藤義彦 「テレビドラマで挑んだ『静』の演技」、20頁。]]</ref>。1982年には「[[誓い(JACのテーマ)]]」を[[作詞]]、1985年には10年ぶりに[[歌手]]としてリリースした「[[曠野 (曲)|曠野]]」の[[作曲]]も手がけ、俳優・歌手に留まらない映画監督・映画プロデューサー・[[作詞家]]・[[作曲家]]など、その活躍ぶりはジャンルを越えて幅広いものであった。
(⇒ ''[[#音楽]]''・''[[#人間ドラマ]]'')
(⇒ ''[[#音楽]]''・''[[#人間ドラマ]]'')


=== 海外進出 ===
=== 海外進出 ===
[[File:Wandering Detective Tragedy in Red Valley 1.jpg|thumb|right|300px|『[[風来坊探偵 赤い谷の惨劇]]』で、[[ウィンチェスターライフル]]を手にする。左は[[北原しげみ]]。]]
[[File:Sonny Chiba.jpg|thumb|left|150px|[[w:Hawaii International Film Festival|ハワイ国際映画祭]](2005年)]]
1966年から1970年代に数々の日本と[[諸外国]]との合作作品に主演するほか、1981年は『[[武士道ブレード]]』([[イギリスの映画|英]]米合作)に主演した。1975年に訪れた海外進出を岡田茂が認めなかったので断念した経緯もあり{{R |nikkan1 |shinkainin |縦深62 }}、関係者内では「本格的な海外作品の出演をあきらめた」と認識されていた{{R |nikkan1 }}。
[[日本]]と[[諸外国]]との合作[[映画]]『[[カミカゼ野郎 真昼の決斗]]』、『[[海底大戦争]]』<ref name = 千葉時事>{{Cite news ja |title = 千葉真一さん死去 アクション俳優、82歳 - 新型コロナに感染 |newspaper = [[時事通信社|時事ドットコムニュース]] |date = 2021-08-20 |url = https://www.jiji.com/jc/article?k=2021081901170&g=soc |accessdate = 2022-04-04 |agency = [[時事通信社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210828180721/https://www.jiji.com/jc/article?k=2021081901170&g=soc |archivedate = 2021-08-28 |url-status = live }}</ref>、『[[東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯]]』、『[[激殺! 邪道拳]]』、『[[ゴルゴ13 九竜の首]]』などに[[主演]]し、『[[武士道ブレード]]』([[1981年]]、[[イギリスの映画|英]][[アメリカ合衆国の映画|米]]合作)にも出演。1970年代半ばには[[フランシス・フォード・コッポラ]]が「千葉真一と[[アル・パチーノ]]の共演で映画を[[製作]]したい」と[[東映]]へオファーしていたが<ref name = shinkainin/>、[[岡田茂 (東映)|岡田茂]]は断ったので<ref name = nikkan1/>、「本格的な海外作品の出演をあきらめた」と関係者内で認識されていた<ref name = nikkan1/>。しかし水面下のアピールや主演映画の評判などで、[[1990年]]頃から[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]の出演依頼が届き始めていた<ref name = nikkan1/>。折しも[[ロサンゼルス]]では映画『[[激突! 殺人拳]]』(1974年)、『[[子連れ殺人拳]]』(1976年)など、14本の主演格闘映画が[[リバイバル]]公開されていた<ref>{{Cite news ja |title =「カラテのチバ」15年ぶりリバイバルで脚光 ハリウッド映画主演 千葉真一 再び旋風だ |newspaper = [[スポーツニッポン]] |publisher = スポーツニッポン新聞社 |date = 1991-03-26 }}</ref>。
(⇒ ''[[#格闘映画]]'')
(⇒ ''[[#アクションスター]]''・''[[#Sonny Chiba]]'')


それでも[[アメリカ合衆国の映画|ハリウッド]]への思いは募り{{R |Ane国際派 }}、水面下のアピールや主演映画の評判などで{{R |nikkan1 }}、海外進出を決意{{R |Ane国際派 }}。その姿勢は[[真田広之]]にも大きな影響を与えており、「(師は)国内だけでなく、常に世界市場に目を向けていた。私も海外の俳優・監督と一緒に仕事をするには、どうしたらいいかを考えるようになった」と述懐している<ref name = SHOGUN>{{Cite web |和書 |url = https://www.gqjapan.jp/article/20240414-shogun-star-hiyoruki-sanada |title = 準備万端にしてから役に入るのは楽 |accessdate = 2024-04-19 |author = ''Jake Kring-Schreifels'' |editor = ''Miwako Ozawa'' |date = 2024-04-14 |website = ''[[GQ JAPAN]]'' |work =『SHOGUN 将軍』は未来への大きな一歩 - 真田広之、俳優兼プロデューサーとしての想い |publisher = [[コンデナスト・パブリケーションズ#日本法人|コンデナスト・ジャパン]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20240419155953/https://www.gqjapan.jp/article/20240414-shogun-star-hiyoruki-sanada |archivedate = 2024-04-19 |url-status = live }}</ref>。
[[1991年]]、[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ (''JAC'') ]]の売却を経て、[[1992年]]にアメリカ映画『[[エイセス / 大空の誓い]]』に出演。これを機に拠点をロサンゼルスへ移して、[[アメリカ]]でも[[俳優]]活動をするようになり、[[永住権#アメリカ合衆国|グリーンカード]]も取得した<ref name = スポニチ急死>{{Cite news ja |title = 千葉真一さん急死 82歳 コロナで入院中容体悪化「元気だった」のに… |newspaper = スポニチ Sponichi Annex |date = 2021-08-20 |url = https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000152000c.html |accessdate = 2022-04-04 |publisher = スポーツニッポン新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821102603/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000152000c.html |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref><ref>[[#千葉2010|「苦しかったアメリカ移住後の最初の数年間」、246頁。]]</ref>。[[日本]]未公開作品のアクション映画もあるが、長年の経験で培ったそのアクションは高く評価されている<ref name = gai173179182183/><ref>[[#キルビル|「''SONNY CHIBA'' プロフィール」、27頁。]]</ref>。
(⇒ ''[[#外国作品]]'')
(⇒ ''[[#JAC OB OG]]'')

[[1990年]]頃から[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]の出演依頼が届き始め{{R |nikkan1 }}、折しも[[ロサンゼルス]]では『激突! 殺人拳』(1974年)、『[[子連れ殺人拳]]』(1976年)など、14本の主演作がリバイバル興行されていた<ref>{{Cite news |和書 |title =“カラテのチバ”15年ぶりリバイバルで脚光 ハリウッド映画主演 千葉真一 再び旋風だ |newspaper = スポーツニッポン |publisher = 毎日新聞グループホールディングス |date = 1991-03-26 |edition = 朝刊 }}</ref>。
(⇒ ''[[#格闘作品]]'')


[[1991年]]、ジャパンアクションクラブ (''JAC'') の売却を経て、[[1992年]]に『[[エイセス / 大空の誓い]]』に出演{{R |Ane国際派 }}。これを機に拠点をロサンゼルスへ移し{{R |Ane国際派 }}、アメリカ合衆国でも活動をするようになり、[[永住権#アメリカ合衆国|グリーンカード]]も取得した{{R |スポニチ急死 }}<ref>[[#千葉2010|「苦しかったアメリカ移住後の最初の数年間」、246頁。]]</ref>。日本未公開作品もあるが{{R |Ane国際派 }}、長年の経験で培ったそのアクションは高く評価されている<ref name = gai173179182183/><ref>[[#キルビル|「''SONNY CHIBA'' プロフィール」、27頁。]]</ref>。
[[1998年]]に出演した[[香港映画]]『[[風雲 ストームライダーズ]]』では、ラスボス“雄覇(ホンパ / ホンファ)”を演じた。[[原作]]のイメージを彷彿とさせるその演技は話題に上り、翌年の第18回[[香港電影金像奨]]では、[[外国人]]として初めて[[w:18th Hong Kong Film Awards#Best Actor|優秀主演男優賞]]にもノミネートされた。[[2001年]]には[[台湾]]でも連続ドラマ化された。
(⇒ ''[[#外国作品]]'')
(⇒ ''[[#外国作品]]'')


[[1998年]]に出演した『[[風雲 ストームライダーズ]]』では、ラスボス“雄覇(ホンパ / ホンファ)”を演じた。[[原作]]のイメージを彷彿とさせるその演技は話題に上り、翌年の第18回[[香港電影金像奨]]では、[[外国人]]として初めて[[w:18th Hong Kong Film Awards#Best Actor|優秀主演男優賞]]にもノミネートされた。[[2001年]]には[[台湾]]でも連続ドラマ化された。
[[2003年]]、友人でもある[[クエンティン・タランティーノ]]のアメリカ映画『[[キル・ビル]]』シリーズでは出演と、[[ユマ・サーマン]]、[[ルーシー・リュー]]らハリウッドスターへ[[剣術]]指導をした<ref name = killintro11>[[#キルビル|「''INTRODUCTION''」、11頁。]]</ref>。[[第30回サターン賞]]では『キル・ビル』で[[第30回サターン賞#助演男優賞|助演男優賞]]にノミネートされた。
(⇒ ''[[#追悼(アジア)]]''・''[[#外国作品]]'')

[[2003年]]、友人でもある[[クエンティン・タランティーノ]]が監督した『[[キル・ビル]]』シリーズでは出演と、[[ユマ・サーマン]]、[[ルーシー・リュー]]らハリウッドスターへ[[剣術]]指導をした{{R |Ane国際派 }}<ref name = killintro11>[[#キルビル|「''INTRODUCTION''」、11頁。]]</ref>。[[第30回サターン賞]]では『キル・ビル』で[[第30回サターン賞#助演男優賞|助演男優賞]]にノミネートされた。
(⇒ ''[[#外国作品]]'')
(⇒ ''[[#外国作品]]'')


[[2005年]][[10月29日]]に開催された[[w:Hawaii International Film Festival|ハワイ国際映画祭]]では、これまでの功績を讃えた“''MAVERICK AWARD''”を受賞した<ref>[[#報知11版|「59年デビュー」、紙面11版、1頁。]]</ref>。
2005年10月29日に開催された[[w:Hawaii International Film Festival|ハワイ国際映画祭]]では、これまでの功績を讃えた“''MAVERICK AWARD''”を受賞した{{R |Ane国際派 }}<ref>[[#報知11版|「59年デビュー」、紙面11版、1頁。]]</ref>。


[[2007年]]、[[英国放送協会]]製作の、日本をテーマにしたドキュメンタリーの『''[[Japanorama]]''』に出演。「''Densetsu'' (''Legends'')」([[伝説]])をテーマにした回で取り上げられ、[[4月9日]]に放送された。同年の『[[風林火山 (NHK大河ドラマ)]]』に[[板垣信方]]役で出演。 11月には海外で通称としていた'''''JJ Sonny Chiba'''''(JJ サニー チバ)を日本でも使うようになった{{R |舞台挨拶 }}{{Efn |name = Sonny }}。[[11月26日]]には[[厚生労働省]]から健康大使にも任命されている<ref>{{Cite web |和書 |url = http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/11/h1126-3.html |title = 「健康大使」の任命について |accessdate = 2010-10-09 |date = 2007-11-26 |website = 健康局総務課生活習慣病対策室 |publisher = [[厚生労働省]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20080516044255/http://www.mhlw.go.jp:80/houdou/2007/11/h1126-3.html |archivedate = 2008-05-16 |url-status = live }}</ref>。[[2008年]]10月から[[2009年]]3月まで[[京都造形芸術大学]]の[[教授]]を務めた<ref>{{Cite news |和書 |title = 俳優の千葉真一さん死去、82歳 新型コロナで入院中 |newspaper = [[朝日新聞デジタル]] |date = 2021-08-19 |url = https://www.asahi.com/articles/ASP8M7H62P8MUCLV00W.html |accessdate = 2022-03-28 |publisher = [[朝日新聞社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210819185729/https://www.asahi.com/articles/ASP8M7H62P8MUCLV00W.html |archivedate = 2021-08-19 |url-status = live }}</ref>。
[[File:Shinichi Chiba and Yoichi Masuzoe 200711.jpg|thumb|right|200px|「健康大使」任命時(2007年)。右は[[舛添要一]]。]]
[[2007年]]、[[英国放送協会]]製作の、日本をテーマにした[[ドキュメンタリー番組]]『''[[Japanorama]]''』に出演。「''Densetsu'' (''Legends'')」([[伝説]])をテーマにした回で取り上げられ、[[4月9日]]に放送された。同年の[[大河ドラマ]]『[[風林火山 (NHK大河ドラマ)|風林火山]]』に[[板垣信方]]役で出演。 11月には[[海外]]で[[通称]]としていた'''''JJ Sonny Chiba'''''(JJ サニー チバ)を日本でも使うようになり<ref name = 舞台挨拶/>{{Efn |name = Sonny }}、'''和千永 倫道'''(わちなが りんどう)の名で、[[映画監督|映画監督業]]への進出を表明した<ref name = 和千永12/>。母親の旧姓・和智永(わちなが)と千葉を併せ、「人の道」を由来としたものである<ref name = 和千永12/>。[[11月26日]]には[[厚生労働省]]から「健康大使」にも任命された<ref>{{Cite web |和書 |url = http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/11/h1126-3.html |title = 「健康大使」の任命について |accessdate = 2010-10-09 |date = 2007-11-26 |website = 健康局総務課生活習慣病対策室 |publisher = [[厚生労働省]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20080516044255/http://www.mhlw.go.jp:80/houdou/2007/11/h1126-3.html |archivedate = 2008-05-16 |url-status = live }}</ref>。[[2008年]][[10月]]から[[2009年]]3月まで[[京都造形芸術大学]]の[[教授]]を務めた<ref>{{Cite news ja |title = 俳優の千葉真一さん死去、82歳 新型コロナで入院中 |newspaper = [[朝日新聞デジタル]] |date = 2021-08-19 |url = https://www.asahi.com/articles/ASP8M7H62P8MUCLV00W.html |accessdate = 2022-03-28 |publisher = [[朝日新聞社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210819185729/https://www.asahi.com/articles/ASP8M7H62P8MUCLV00W.html |archivedate = 2021-08-19 |url-status = live }}</ref>。


=== 2010年代 ===
=== 2010年代 ===
[[File:Sonny Chiba.jpg|thumb|right|200px|[[w:Hawaii International Film Festival|ハワイ国際映画祭]]([[2005年]])]]
[[2010年]]10月22日には[[東京]]・[[グランドプリンスホテル赤坂]]で、結婚披露宴を兼ねた芸能生活50周年記念式典を開いた。もともとは[[アントニオ猪木]]・[[池谷幸雄]]・[[石田純一]]・[[市川猿之助 (4代目)|市川亀治郎]]・[[今井雅之]]・[[内野聖陽]]・[[梅宮辰夫]]・[[岡崎二朗]]・[[ガッツ石松]]・[[川地民夫]]・[[神取忍]]・[[樹木希林]]・[[北の湖敏満]]・[[京本政樹]]・[[具志堅用高]]・[[郷田勇三]]・[[小林幸子]]・[[コロッケ (タレント)|コロッケ]]・[[高橋英樹 (俳優)|高橋英樹]]・[[竹本直一]]・[[田中好子]]・[[谷村新司]]・[[津川雅彦]]・[[十朱幸代]]・[[夏八木勲]]・[[白竜 (俳優)|白竜]]・[[張本勲]]・[[布施明]]・[[風吹ジュン]]・[[松井章圭]]・[[松坂慶子]]・[[美川憲一]]・[[三田佳子]]・[[やまさき十三]]・[[山本徳郁|山本KID徳郁]]・[[横峯良郎]]・[[ラモス瑠偉]]ら計60名を発起人とした芸能生活50周年記念式典が先に決まっていたところ、現妻と挙式や披露宴をしていなかったため、千葉の要望で記念式典と合わせて企画された<ref name = daily1>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20101024215817/http://www.daily.co.jp/newsflash/2010/10/22/0003551224.shtml |date = 2010年10月24日 |title = 千葉真一が結婚披露宴&芸能生活50周年式典 }}</ref><ref name = nikkan2>{{Cite news ja |title = 千葉真一が子供と披露宴&50周年式典 |newspaper = nikkansports.com |date = 2010-10-23 |url = http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20101023-693233.html |accessdate = 2010-11-01 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130614094700/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20101023-693233.html |archivedate = 2013-06-14 |url-status = live }}</ref><ref name = chunichi>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20101024205329/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2010102302000097.html |date = 2010年10月24日 |title = 千葉真一 家族初お披露目 結婚15年目の披露宴 }}</ref><ref name = daily2>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20101024202254/http://www.daily.co.jp/gossip/article/2010/10/23/0003551597.shtml |date = 2010年10月24日 |title = 千葉真一、嫁さんLOVE! 結婚披露宴 }}</ref><ref name = sponichi>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20101024095722/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2010/10/23/11.html |date = 2010年10月24日 |title = 千葉真一 芸能生活50周年式典で結婚披露宴 }}</ref><ref name = houchi>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20101024151559/http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20101023-OHT1T00013.htm |date = 2010年10月24日 |title = 千葉真一Jr. お披露目…結婚披露宴に600人が出席 }}</ref><ref name = miyaneya>{{Cite episode |title = JJサニー千葉 結婚披露宴 将来のハリウッドスター!? 息子たちの素顔 |series = 情報ライブ ミヤネ屋 |series-link = 情報ライブ ミヤネ屋 |network = [[日本テレビネットワーク協議会|NNS]] |station = [[讀賣テレビ放送|ytv]] |airdate = 2010-10-25 |minutes = 14:32 - 14:41 }}</ref>。前半の披露宴には家族でキャンドル点灯のほか、長女・[[真瀬樹里]]は父への尊敬とお祝いの挨拶が行われ<ref name = sponichi/>、[[芸能界]]にまだ入っていなかった長男・[[新田真剣佑]]と次男・[[眞栄田郷敦]]の二人も登壇し、手紙を読み上げる形で両親を祝福した。後半の記念式典では出演した260本の映画・テレビ映画・ドラマなどが順に紹介され、千葉は樹里と[[殺陣]]、真剣佑・郷敦とは[[空手道]]の演武で[[空手道#型|型]]と杉板の[[試割り]]を、家族皆で披露した。[[勝野洋]]・[[小堺一機]]・[[夏樹陽子]]らは[[花環]]を贈呈し、出席者に上記発起人ほか、[[太田昭宏]]・[[北島三郎]]・[[関根勤]]・[[高岡早紀]]・[[高橋和也]]、[[デヴィ・スカルノ]]、[[南部虎弾]]、[[ビリー・ブランクス]]、[[堀田眞三]]・[[魔裟斗]]・[[松木安太郎]]ら、多数の[[芸能人]]を含む各界から約600人がお祝いに集まった。千葉は「あっという間の50年だった。まだまだ、やり残したことがあるので精進したいと思う。[[ハリウッド]]で日本の俳優を育てたい」と新たな目標を掲げた<ref name = daily1/><ref name = nikkan2/><ref name = chunichi/><ref name = daily2/><ref name = sponichi/><ref name = houchi/><ref name = miyaneya/>。
[[2010年]]10月22日には[[グランドプリンスホテル赤坂]]で、結婚披露宴を兼ねた芸能生活50周年記念式典を開いた<ref name = nikkan0728>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一が子供と披露宴&50周年式典 |newspaper = nikkansports.com |date = 2010-10-23 |url = http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20101023-693233.html |accessdate = 2010-11-01 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130614094700/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20101023-693233.html |archivedate = 2013-06-14 |url-status = live }}</ref>。もともとは[[アントニオ猪木]]・[[池谷幸雄]]<ref name = dsob>{{Cite web |和書 |url = https://ameblo.jp/dewisukarno/entry-10689328083.html |title = 千葉真一さん 芸能生活50周年記念・結婚披露宴 |accessdate = 2012-09-28 |author = デヴィ夫人 |authorlink = デヴィ・スカルノ |date = 2010-10-28 |website = Dewi Sukarno Official Blog |work = [[アメーバブログ]] |publisher = [[サイバーエージェント]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20141211032505/https://ameblo.jp/dewisukarno/entry-10689328083.html |archivedate = 2014-12-11 |url-status = live }}</ref>・[[石田純一]]{{R |dsob }}・[[市川猿之助 (4代目)|市川亀治郎]]・[[今井雅之]]<ref name = 今井>{{Cite web |和書 |url = http://ameblo.jp/i-masayuki/entry-10686169761.html |title = 大先輩 |accessdate = 2012-09-28 |author = 今井雅之 |authorlink = 今井雅之 |date = 2010-10-24 |website = 今井雅之の押忍! |work = アメーバブログ |publisher = サイバーエージェント |archiveurl = https://web.archive.org/web/20120927151845/http://ameblo.jp/i-masayuki/entry-10686169761.html |archivedate = 2012-09-27 |url-status = live }}</ref>・[[内野聖陽]]・[[梅宮辰夫]]・[[岡崎二朗]]・[[ガッツ石松]]{{R |dsob }}・[[川地民夫]]<ref name = 川地>{{Cite web |和書 |url = https://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/0bdbc9509a9f454ded6421ec848eea3c |title = 千葉真一先輩 記念パーティー |accessdate = 2022-04-04 |author = 堀田眞三 |date = 2010-10-23 |website = 俳優 堀田眞三(グランパ)です。|work = gooブログ |publisher = NTTドコモ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220404101430/https://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/0bdbc9509a9f454ded6421ec848eea3c |archivedate = 2023-04-04 |url-status = live }}</ref>・[[神取忍]]・[[樹木希林]]・[[北の湖敏満]]・[[京本政樹]]{{R |今井 }}・[[具志堅用高]]・[[郷田勇三]]・[[小林幸子]]{{R |nikkan0728 |川地 }}・[[コロッケ (タレント)|コロッケ]]{{R |nikkan0728 |川地 }}・[[高橋英樹 (俳優)|高橋英樹]]・[[竹本直一]]・[[田中好子]]・[[谷村新司]]・[[津川雅彦]]・[[十朱幸代]]・[[夏八木勲]]{{R |nikkan0728 }}・[[白竜 (俳優)|白竜]]・[[張本勲]]{{R |nikkan0728 }}・[[布施明]]・[[風吹ジュン]]・[[松井章圭]]・[[松坂慶子]]・[[美川憲一]]{{R |川地 }}・[[三田佳子]]・[[やまさき十三]]・[[山本徳郁|山本''KID''徳郁]]・[[横峯良郎]]・[[ラモス瑠偉]]ら計60名を発起人とした芸能生活50周年記念式典が先に決まっていたところ、現妻と挙式や披露宴をしていなかったため、千葉の要望で記念式典と合わせて企画された{{R |nikkan0728 }}<ref name = daily1>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20101024215817/http://www.daily.co.jp/newsflash/2010/10/22/0003551224.shtml |date = 2010年10月24日 |title = 千葉真一が結婚披露宴&芸能生活50周年式典 }}</ref><ref name = chunichi>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20101024205329/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2010102302000097.html |date = 2010年10月24日 |title = 千葉真一 家族初お披露目 結婚15年目の披露宴 }}</ref><ref name = daily2>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20101024202254/http://www.daily.co.jp/gossip/article/2010/10/23/0003551597.shtml |date = 2010年10月24日 |title = 千葉真一、嫁さんLOVE! 結婚披露宴 }}</ref><ref name = sponichi>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20101024095722/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2010/10/23/11.html |date = 2010年10月24日 |title = 千葉真一 芸能生活50周年式典で結婚披露宴 }}</ref><ref name = houchi>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20101024151559/http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20101023-OHT1T00013.htm |date = 2010年10月24日 |title = 千葉真一Jr. お披露目…結婚披露宴に600人が出席 }}</ref><ref name = miyaneya>{{Cite episode |title = JJサニー千葉 結婚披露宴 将来のハリウッドスター!? 息子たちの素顔 |series = 情報ライブ ミヤネ屋 |series-link = 情報ライブ ミヤネ屋 |network = [[日本テレビネットワーク協議会|NNS]] |station = [[讀賣テレビ放送|ytv]] |airdate = 2010-10-25 |minutes = 14:32 - 14:41 }}</ref>。前半の披露宴には家族でキャンドル点灯のほか、長女・[[真瀬樹里]]は父への尊敬とお祝いの挨拶が行われ{{R |sponichi }}、芸能界にまだ入っていなかった長男・[[新田真剣佑]]と次男・[[眞栄田郷敦]]の二人も登壇し、手紙を読み上げる形で両親を祝福している。後半の記念式典では主演・出演した映画・テレビ映画・ドラマ・演劇が順に紹介され、樹里と[[殺陣]]{{R |dsob |川地 }}、真剣佑・郷敦とは空手道の演武で[[空手道#型|型]]と杉板の[[試割り]]を家族皆で披露{{R |dsob |川地 |chunichi |daily2 |sponichi |houchi |miyaneya }}。[[勝野洋]]・[[小堺一機]]・[[夏樹陽子]]らは[[花環]]を贈呈し、出席者に上記発起人ほか、[[太田昭宏]]・[[北島三郎]]・[[関根勤]]{{R |dsob }}・[[高岡早紀]]・[[高橋和也]]、[[デヴィ・スカルノ]]{{R |dsob }}、[[南部虎弾]]、[[ビリー・ブランクス]]、[[堀田眞三]]{{R |川地 }}・[[魔裟斗]]・[[松木安太郎]]ら、多数の[[芸能人]]を含む、各界から約600人がお祝いに集った{{R |川地 |nikkan0728 |chunichi |daily2 |sponichi |houchi |miyaneya }}。「あっという間の50年だった。まだまだ、やり残したことがあるので精進したい」と気を引き締めつつ、感謝の意を表している{{R |nikkan0728 |chunichi |daily2 |sponichi |houchi |miyaneya }}。
(⇒ ''[[#人柄]]''・''[[#家族]]'')
(⇒ ''[[#最期]]''・''[[#人柄]]''・''[[#家族]]'')


[[2011年]]以降、芸名を日本のみ'''千葉 真一'''、海外では'''''JJ Sonny Chiba'''''としている<ref name = アストライア/><ref name = スポニチ急死/>{{Efn |name = Sonny }}。同年[[9月29日]]から[[10月2日]]ロサンゼルス・[[w:Westwood, Los Angeles|ウエストウッド]]の[[w:Majestic Crest Theatre|ビッグフット・クレスト・シアター]]にて開催された、アジア・アメリカ映画を祝す国際フィルムフェスティバル「''SINGAFEST 2011''」([[w:Bigfoot Entertainment|ビッグフット・エンターテインメント]]主催)では、''LIFETIME ACHIEVEMENT AWARD''を受賞し、代表作の一つである『[[魔界転生#1981年|魔界転生]]』が上映された<ref name = ライフタイム/><ref name = 千歳>{{Cite web |和書 |url = http://www5.nikkansports.com/entertainment/column/chitose/archives/22158.html |title = 千葉真一の夢...真の日本映画をアメリカから世界へ |accessdate = 2011-10-31 |author = 千歳香奈子 |date = 2011-10-04 |website = nikkansports.com |work = ハリウッド直送便 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20111006051817/http://www5.nikkansports.com/entertainment/column/chitose/archives/22158.html |archivedate = 2011-10-06 |url-status = live }}</ref>。授賞式には樹里・真剣佑・郷敦も出席し、千葉と樹里は殺陣を、真剣佑と郷敦は空手を披露し、集まった多くのファンをわかせた<ref name = 千歳/>同年11月、[[徳島県]][[鳴門市]]で生産・販売されている「本格焼き芋焼酎“斬”」の監修をした<ref>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20120927160057/http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20111111/dms1111110831005-n1.htm |date = 2012年9月27日 |title =“うずしお”だけじゃない!鳴門の新観光スポットを探索 }}</ref>。
[[2011年]]以降、芸名を日本のみ'''千葉 真一'''、海外では'''''JJ Sonny Chiba'''''としている{{R |アストライア |スポニチ急死 }}{{Efn |name = Sonny }}。同年9月29日から10月2日にアジア・アメリカ映画を祝す国際フィルムフェスティバル「''SINGAFEST 2011''」([[w:Bigfoot Entertainment|ビッグフット・エンターテインメント]]主催)がロサンゼルス・[[w:Westwood, Los Angeles|ウエストウッド]]の[[w:Majestic Crest Theatre|ビッグフット・クレスト・シアター]]にて開催され、''LIFETIME ACHIEVEMENT AWARD''を受賞<ref name = 千歳>{{Cite web |和書 |url = http://www5.nikkansports.com/entertainment/column/chitose/archives/22158.html |title = 千葉真一の夢...真の日本映画をアメリカから世界へ |accessdate = 2011-10-31 |author = 千歳香奈子 |date = 2011-10-04 |website = nikkansports.com |work = ハリウッド直送便 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20111006051817/http://www5.nikkansports.com/entertainment/column/chitose/archives/22158.html |archivedate = 2011-10-06 |url-status = live }}</ref>。代表作の一つである『[[魔界転生#1981年|魔界転生]]』が上映され{{R |ライフタイム |千歳 }}、授賞式には樹里・真剣佑・郷敦も出席し、千葉と樹里は殺陣を、真剣佑と郷敦は空手を披露し、集まった多くのファンをわかせている{{R |千歳 }}。11月、[[徳島県]][[鳴門市]]で生産・販売されている「本格焼き芋焼酎“斬”」の監修をした<ref>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20120927160057/http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20111111/dms1111110831005-n1.htm |date = 2012年9月27日 |title =“うずしお”だけじゃない!鳴門の新観光スポットを探索 }}</ref>。
(⇒ ''[[#外国作品]]'')
(⇒ ''[[#最期]]''・''[[#外国作品]]''・''[[#家族]]'')


[[2013年]]3月10日、[[日本体育大学]]から正式に卒業を授与され、これにより最終学歴は「日本体育大学[[体育学部]][[体育学科]][[卒業]]」となり、[[学校教育法]]第104条および[[学位規則]]第2条の規定に従って「[[学士]](体育学)」の学位が与えられた{{Efn |name = 日体大 }}。
[[2013年]]3月10日、日本体育大学から正式に[[卒業]]を授与され、これにより最終学歴は「日本体育大学体育学部体育学科卒業」となり、[[学校教育法]]第104条および[[学位規則]]第2条の規定に従って「[[学士]]([[スポーツ科学|体育学]])」の学位が与えられた{{Efn |name = 日体大 }}。
(⇒ ''[[#器械体操]]'')
(⇒ ''[[#体操界・日体大]]''・''[[#器械体操]]'')


[[2014年]]のテレビドラマ『[[おわこんTV]]』に[[主演]]し、テレビ業界のウラのウラまで知り尽くす名物社長を<ref name = 7月1日おわこんTV>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20140630091752/http://dogatch.jp/news/nhk/25957 |date = 2014年6月30日 |title = 千葉真一&小泉孝太郎がタッグ!業界ドラマ『おわこんTV』は7月1日からスタート }}</ref>、存在感醸し出しながらも軽いタッチで演じた<ref name = 7月1日おわこんTV/><ref>{{Cite web |和書 |url = http://www.asagei.com/25009 |title = 新ドラマでは“過去の千葉”像を捨ててみた |accessdate = 2014-10-04 |date = 2014-07-29 |website = アサ芸+ |work = テリー伊藤対談「千葉真一」(1) |page = 1 |publisher = 徳間書店 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20141004090551/http://www.asagei.com/25009 |archivedate = 2014-10-04 |url-status = live }}</ref>。同ドラマは[[文化庁芸術祭賞|文化庁芸術祭参加作品]]となっている<ref name = 芸術祭>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20141003150240/http://www.nhk.or.jp/drama/owakon/ |date = 2014年10月3日 |title = おわこんTV【お知らせ】}}</ref>。
[[2014年]]の『[[チョコレートTV#テレビドラマ|おわこん''TV'']]』に主演し、テレビ業界のウラのウラまで知り尽くす名物社長を<ref name = 7月1日おわこんTV>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20140630091752/http://dogatch.jp/news/nhk/25957 |date = 2014年6月30日 |title = 千葉真一&小泉孝太郎がタッグ!業界ドラマ『おわこんTV』は7月1日からスタート }}</ref>、存在感醸し出しながらも軽いタッチで演じた{{R |7月1日おわこんTV }}<ref>{{Cite web |和書 |url = http://www.asagei.com/25009 |title = 新ドラマでは“過去の千葉”像を捨ててみた |accessdate = 2014-10-04 |date = 2014-07-29 |website = アサ芸+ |work = テリー伊藤対談「千葉真一」(1) |page = 1 |publisher = 徳間書店 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20141004090551/http://www.asagei.com/25009 |archivedate = 2014-10-04 |url-status = live }}</ref>。同ドラマは[[文化庁芸術祭賞|文化庁芸術祭参加作品]]となっている<ref name = 芸術祭>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20141003150240/http://www.nhk.or.jp/drama/owakon/ |date = 2014年10月3日 |title = おわこんTV【お知らせ】}}</ref>。


[[2016年]][[4月14日]]に勃発した[[熊本地震 (2016年)|熊本地震]]では、[[オスマン・サンコン]]と一緒に被災地で炊き出しをした<ref name = 久坂部羊>{{Cite web |和書 |url = https://gendai.media/articles/-/117794?page=3 |title = 見返りを求めない |accessdate = 2023-11-12 |author = 久坂部羊 |authorlink = 久坂部羊 |date = 2023-10-25 |website = [[週刊現代|マネー現代]] |work = 幸せな晩年の「意外な過ごし方」…「CoCo壱」創業者が提唱する「ラッキー20%の法則」|publisher = [[講談社]] |page = 3 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20231112224700/https://gendai.media/articles/-/117794?page=3 |archivedate = 2023-11-12 |url-status = live }}</ref><ref name = サンコン真剣佑>{{Cite web |和書 |url = https://www.news-postseven.com/archives/20220624_1763236.html/3 |title = オスマン・サンコンさん、アニキと慕った千葉真一さん長男・新田真剣佑との意外な交流を語る |accessdate = 2023-11-12 |author = 中野裕子 |date = 2022-06-24 |website = [[NEWSポストセブン]] |page = 3 |work = 芸能 |publisher = [[小学館]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20231112224051/https://www.news-postseven.com/archives/20220624_1763236.html/3 |archivedate = 2023-11-12 |url-status = live }}</ref>。同年8月21日、[[千葉市]]の「第41回 親子三代夏祭り」で、[[千葉氏]][[中興の祖]]である[[千葉常胤]]に扮して[[時代行列|武者行列]]を務めた<ref>{{Cite news ja |title = 大河ドラマ化目指すぞ!「千葉氏サミット」初開催 武者行列に千葉真一も |newspaper = ちばとぴ!ニュース |date = 2016-08-22 |url = http://chibatopi.jp/I3794be6 |accessdate = 2022-03-28 |publisher = [[千葉日報|千葉日報社]] |archiveurl = https://archive.ph/PUhkq |archivedate = 2022-03-28 |url-status = live }}</ref><ref name = 若返らせる>{{Cite news ja |title =「千葉を若返らせる」千葉真一さん、千葉市の健康大使に 製作中の「100年ダンス」お披露目【動画あり】|newspaper = [[千葉日報]] |date = 2019-12-19 |url = https://www.chibanippo.co.jp/news/local/653700 |accessdate = 2022-03-28 |publisher = 千葉日報社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20191220091653/https://www.chibanippo.co.jp/news/local/653700 |archivedate = 2019-12-20 |url-status = live }}</ref>。[[2019年]][[12月19日]]市の健康大使に任命された<ref name = 若返らせる/><ref name = 45年前>{{Cite news ja |title = 80歳・千葉真一「1日1食」続ける健康法は映画俳優の自覚 45年前と体型変わらず |newspaper = オリコンニュース |date = 2019-12-19 |url = https://www.oricon.co.jp/news/2151352/full/ |accessdate = 2022-03-28 |publisher = Oricon ME |archiveurl = https://web.archive.org/web/20191219120737/https://www.oricon.co.jp/news/2151352/full/ |archivedate = 2019-12-19 |url-status = live }}</ref>。市民が主体的に健康づくりを取り組めるよう、同市は広報・啓発の一環として、県内出身で芸能生活60周年を迎えていた千葉が就任する運びとなった<ref name = 若返らせる/><ref name = 45年前/>。任命式では「来月、81歳を迎えるので少々不安でございますが」と挨拶をしながらも、年齢を重ねるごとに健康管理を替えてきたことや、その矜持、健康大使としての抱負を述べた<ref name = 45年前/>
[[2016年]][[4月14日]]に勃発した[[熊本地震 (2016年)|熊本地震]]では、母の故郷を憂い{{R |千葉流8182 }}<ref name = JWT>{{Cite web |和書 |url = https://jasonwinterstea.jp/blogs/interview/interview-201707 |title = 特別編 千葉真一さん オスマン・ユーラ・サンコンさん |accessdate = 2024-02-26 |website = ジェイソン・ウィンターズ・ティー |work = インタビュー |publisher = イオス コーポレーション |archiveurl = https://web.archive.org/web/20240226135611/https://jasonwinterstea.jp/blogs/interview/interview-201707 |archivedate = 2024-02-26 |url-status = live }}</ref>、[[オスマン・サンコン]]と一緒に被災地で炊き出しをした{{R |JWT }}<ref name = 久坂部羊>{{Cite web |和書 |url = https://gendai.media/articles/-/117794?page=3 |title = 見返りを求めない |accessdate = 2023-11-12 |author = 久坂部羊 |authorlink = 久坂部羊 |date = 2023-10-25 |website = [[週刊現代|マネー現代]] |work = 幸せな晩年の「意外な過ごし方」…「CoCo壱」創業者が提唱する「ラッキー20%の法則」|publisher = [[講談社]] |page = 3 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20231112224700/https://gendai.media/articles/-/117794?page=3 |archivedate = 2023-11-12 |url-status = live }}</ref><ref name = サンコン真剣佑>{{Cite web |和書 |url = https://www.news-postseven.com/archives/20220624_1763236.html/3 |title = オスマン・サンコンさん、アニキと慕った千葉真一さん長男・新田真剣佑との意外な交流を語る |accessdate = 2023-11-12 |author = 中野裕子 |date = 2022-06-24 |website = [[NEWSポストセブン]] |page = 3 |work = 芸能 |publisher = [[小学館]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20231112224051/https://www.news-postseven.com/archives/20220624_1763236.html/3 |archivedate = 2023-11-12 |url-status = live }}</ref>。同年8月21日、[[千葉市]]の「第41回 親子三代夏祭り」で、[[千葉氏]][[中興の祖]]である[[千葉常胤]]に扮して[[時代行列|武者行列]]を務めた<ref>{{Cite news |和書 |title = 大河ドラマ化目指すぞ!「千葉氏サミット」初開催 武者行列に千葉真一も |newspaper = ちばとぴ!ニュース |date = 2016-08-22 |url = http://chibatopi.jp/I3794be6 |accessdate = 2022-03-28 |publisher = [[千葉日報|千葉日報社]] |archiveurl = https://archive.ph/PUhkq |archivedate = 2022-03-28 |url-status = live }}</ref><ref name = 若返らせる>{{Cite news |和書 |title =「千葉を若返らせる」千葉真一さん、千葉市の健康大使に 製作中の「100年ダンス」お披露目【動画あり】|newspaper = [[千葉日報]] |date = 2019-12-19 |url = https://www.chibanippo.co.jp/news/local/653700 |accessdate = 2022-03-28 |publisher = 千葉日報社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20191220091653/https://www.chibanippo.co.jp/news/local/653700 |archivedate = 2019-12-20 |url-status = live }}</ref>。
(⇒ ''[[#親交の有った芸能人]]'')
[[2019年]]12月19日、千葉市の健康大使に任命された{{R |若返らせる }}<ref name = 45年前>{{Cite news |和書 |title = 80歳・千葉真一「1日1食」続ける健康法は映画俳優の自覚 45年前と体型変わらず |newspaper = オリコンニュース |date = 2019-12-19 |url = https://www.oricon.co.jp/news/2151352/full/ |accessdate = 2022-03-28 |publisher = Oricon ME |archiveurl = https://web.archive.org/web/20191219120737/https://www.oricon.co.jp/news/2151352/full/ |archivedate = 2019-12-19 |url-status = live }}</ref>。市民が主体的に健康づくりを取り組めるよう、同市は広報・啓発の一環として、県内出身で芸能生活60周年を迎えていた千葉が就任する運びとなった<ref name = 若返らせる/><ref name = 45年前/>。任命式では「来月、81歳を迎えるので少々不安でございますが」と挨拶をしながらも、年齢を重ねるごとに健康管理を替えてきたことや、その矜持、健康大使としての抱負を述べた{{R |45年前 }}
(⇒ ''[[#親交の有った芸能人]]''・''[[#家族]]'')
(⇒ ''[[#家族]]'')


=== 晩年 ===
=== 晩年 ===
[[File:Shinichi Chiba and Yoichi Masuzoe 200711.jpg|thumb|right|300px|「健康大使」任命時(2007年)。右は[[舛添要一]]。]]
[[2020年]]、文化活動に優れた成果を示し、文化振興や日本文化の海外発信・国際文化交流に貢献したとして、[[令和]]2年度[[文化庁長官表彰]]をされた<ref name = 文化日刊/><ref name = 文化日テレ/><ref name = 文化東スポ/>。前年に芸能生活60周年を迎えており、これまでの歩みを振り返りながら、近況や家族のことと併せて、「私にはあんまり似合わない賞をいただいちゃって…。これからはこれに恥じないよう、しっかり努力して生きていきたい」と笑顔を見せた<ref name = 文化日刊/><ref name = 文化日テレ/><ref name = 文化東スポ/>。
[[2020年]]、文化活動に優れた成果を示し、文化振興や日本文化の海外発信・国際文化交流に貢献したとして、[[文化庁長官表彰]]をされた<ref name = 文化日刊>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一「あんまり似合わない賞」文化庁長官表彰 |newspaper = nikkansports.com |date = 2020-12-17 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202012170000638.html |accessdate = 2021-04-04 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20201217095620/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202012170000638.html |archivedate = 2020-12-17 |url-status = live }}</ref><ref name = 文化日テレ>{{Cite news |和書 |title = 文化庁長官表彰 俳優の千葉真一さんら表彰 |newspaper = 日テレNEWS24 |date = 2020-12-17 |url = https://www.news24.jp/articles/2020/12/17/07788036.html |accessdate = 2021-04-04 |publisher = CS日本 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20201217114649/https://www.news24.jp/articles/2020/12/17/07788036.html |archivedate = 2020-12-17 |url-status = live }}</ref><ref name = 文化東スポ>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一に文化庁長官表彰「自分の本当の姿でいこうと思った」ダンディな白髪姿で登場 |newspaper = [[東京スポーツ|東スポWeb]] |date = 2020-12-17 |url = https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/2523015/ |accessdate = 2021-04-04 |publisher = [[東京スポーツ|東京スポーツ新聞社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20201219071521/https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/2523015/ |archivedate = 2020-12-19 |url-status = live }}</ref>。前年に芸能生活60周年を迎えており、これまでの歩みを振り返りながら、近況や家族のことと併せて、「私にはあんまり似合わない賞をいただいちゃって…。これからはこれに恥じないよう、しっかり努力して生きていきたい」と笑顔を見せた{{R |文化日刊 |文化日テレ |文化東スポ }}。
(⇒ ''[[#最期]]'')


[[2021年]]6月、[[芸能事務所|個人事務所]]「ルイアンドリーブス」を<ref name = ルイ>{{Cite web |和書 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/240022 |title = 新田真剣佑が父・千葉真一の事務所に移籍していた 展覧会サポーター就任会見に出席、質問に口開かず |accessdate = 2022-01-19 |date = 2021-04-20 |website = [[中日スポーツ]] |work = 芸能ニュース |publisher = [[中日新聞社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210420083102/https://www.chunichi.co.jp/article/240022 |archivedate = 2021-04-20 |url-status = live }}</ref>、「エム&リーヴス」へ設立し直した<ref name = mlive>{{Cite web |和書 |url = https://www.news-postseven.com/archives/20220217_1727059.html |title = 晩年の千葉真一さん「断捨離だ」と言って貴重な私物を燃やして身辺整理 |accessdate = 2022-02-17 |date = 2022-02-17 |website = NEWSポストセブン |work = 芸能 |publisher = 小学館 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220217025810/https://www.news-postseven.com/archives/20220217_1727059.html?DETAIL |archivedate = 2022-02-17 |url-status = live }}</ref>。子供たちに自身の企画やアイデアを受け継いでもらう願いと「いまのうちにきちんとしておきたい」という思いからである<ref name = mlive/>。千葉が代表で長男・[[新田真剣佑]]は取締役となり、それまで複数あった会社の事業を統一し、全著作権を「エム&リーヴス」が引き継ぐと決めた<ref name = mlive/>{{Efn |これまでは個人事務所「ルイアンドリーブス」と<ref name = ルイ/>、[[アストライア (プロダクション)|アストライア]]が<ref name = アス>{{Cite web |和書 |url = https://www.oricon.co.jp/news/2209337/full/ |title = 千葉真一さん事務所“四十九日法要”報道にコメント「親族間でのトラブルなどは一切ございません」|accessdate = 2022-02-17 |date = 2021-10-05 |website = オリコンニュース |work = 芸能TOP |publisher = Oricon ME |archiveurl = https://web.archive.org/web/20211005101737/https://www.oricon.co.jp/news/2209337/full/ |archivedate = 2021-10-05 |url-status = live }}</ref>、窓口となっていた<ref name = ルイ/><ref name = アス/>。今回の再編で「エム&リーヴス」に事業を統一することが同社議事録にも記されており、千葉は直筆署名をしている<ref name = mlive/>。社名の「エム」は真剣佑のイニシャル「''M''」が由来で、ゆくゆくは次男・[[眞栄田郷敦]]も合流する構想があった<ref name = mlive/>。}}。「膝・足が硬直するなど、昔と比べて身体の自由が利かなくなり、日課の[[ジョギング]]も思うようにできなくなっていた。一昨年末頃から『もう長くない』と漏らし、[[断捨離]]を始めていた」と傍らにいた愛弟子の西田真吾は証言し<ref name = mlive/>自身も「60代までは、まだまだ若者に負けないくらいのスピードができていた。しかし今ははっきりと肉体が衰えていることを自覚している。気持ちとして、まだまだ演技や作品を追求したいけど、肉体がついてこない」と吐露していた<ref name = 俺を超えた>{{Cite web |和書 |url = https://www.jprime.jp/articles/-/21448?page=2 |title = 千葉真一、長男・新田真剣佑が出演する『るろうに剣心』を見て「俺を越えたな」|accessdate = 2022-04-04 |date = 2021-07-23 |website = [[週刊女性PRIME]] |work = 芸能 |page = 2 |publisher = [[主婦と生活社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210724050518/https://www.jprime.jp/articles/-/21448?page=2 |archivedate = 2021-07-24 |url-status = live }}</ref>。
2021年6月、[[芸能事務所|個人事務所]]「ルイアンドリーブス」を<ref name = ルイ>{{Cite news |和書 |title = 新田真剣佑が父・千葉真一の事務所に移籍していた 展覧会サポーター就任会見に出席、質問に口開かず |newspaper = [[中日スポーツ]] |date = 2021-04-20 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/240022 |accessdate = 2022-01-19 |publisher = 中日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210420083102/https://www.chunichi.co.jp/article/240022 |archivedate = 2021-04-20 |url-status = live }}</ref>、「エム&リーヴス」へ設立し直した<ref name = mlive>{{Cite web |和書 |url = https://www.news-postseven.com/archives/20220217_1727059.html |title = 晩年の千葉真一さん「断捨離だ」と言って貴重な私物を燃やして身辺整理 |accessdate = 2022-02-17 |date = 2022-02-17 |website = NEWSポストセブン |work = 芸能 |publisher = 小学館 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220217025810/https://www.news-postseven.com/archives/20220217_1727059.html?DETAIL |archivedate = 2022-02-17 |url-status = live }}</ref>。子供たちに自身の企画やアイデアを受け継いでもらう願いと「いまのうちにきちんとしておきたい」という思いからである{{R |mlive }}。千葉が代表で新田真剣佑は取締役となり、それまで複数あった会社の事業を統一し、全著作権を「エム&リーヴス」が引き継ぐと決めた{{R |mlive }}{{Efn |これまでは個人事務所「ルイアンドリーブス」と{{R |ルイ }}、[[アストライア (プロダクション)|アストライア]]が<ref name = アス>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん事務所“四十九日法要”報道にコメント「親族間でのトラブルなどは一切ございません」|newspaper = オリコンニュース |date = 2021-10-05 |url = https://www.oricon.co.jp/news/2209337/full/ |accessdate = 2022-02-17 |publisher = Oricon ME |archiveurl = https://web.archive.org/web/20211005101737/https://www.oricon.co.jp/news/2209337/full/ |archivedate = 2021-10-05 |url-status = live }}</ref>、窓口となっていた{{R |ルイ |アス }}。今回の再編で「エム&リーヴス」に事業を統一することが同社議事録にも記されており、千葉は直筆署名をしている{{R |mlive }}。社名の「エム」は真剣佑のイニシャル「''M''」が由来で、ゆくゆくは眞栄田郷敦も合流する構想があった{{R |mlive }}。}}。[[西田真吾]]は「膝・足が硬直するなど、昔と比べて身体の自由が利かなくなり、日課の[[ジョギング]]も思うようにできなくなっていた。一昨年末頃から『もう長くない』と漏らし、[[断捨離]]を始めていた」と証言しており{{R |mlive }}本人も「60代までは、まだまだ若者に負けないくらいのスピードができていた。しかし今はハッキリと肉体が衰えていることを自覚している。気持ちとして演技や作品を追求したいけど、肉体がついてこない」と吐露していた<ref name = 俺を超えた>{{Cite web |和書 |url = https://www.jprime.jp/articles/-/21448?page=2 |title = 千葉真一、長男・新田真剣佑が出演する『るろうに剣心』を見て「俺を越えたな」|accessdate = 2022-04-04 |date = 2021-07-23 |website = [[週刊女性PRIME]] |work = 芸能 |page = 2 |publisher = [[主婦と生活社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210724050518/https://www.jprime.jp/articles/-/21448?page=2 |archivedate = 2021-07-24 |url-status = live }}</ref>。
(⇒ ''[[#家族]]'')


[[スティーブン・セガール]]とダブル主演での映画や<ref>{{Cite web |和書 |url = https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/2128201/ |title = 千葉真一さん 渾身の遺作が撮影直前でお蔵入り…原因はW主演セガールのプーチン支持発言 |website = 女性自身 |date = 2022-08-23 |accessdate = 2023-05-05 }}</ref>、[[ジェシー・ベンチュラ]][[ウェズリー・スナイプス]]と共演するハリウッド映画も撮影予定であったが<ref name = fox>{{Cite web |url = https://www.fox23.com/news/trending/sonny-chiba-martial-arts-legend-kill-bill-star-dead-at-82/article_e4a9c019-bb0b-5471-845a-9e000eb4ec0d.html |title = Sonny Chiba, martial arts legend, 'Kill Bill' star, dead at 82 |accessdate = 2023-05-05 |author = Bob D'Angelo, Cox Media Group National Content Desk |date = 2021-08-19 |website = FOX23NEWS |language = 英語 |publisher = [[FOXニュース]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20231116131504/https://www.fox23.com/news/trending/sonny-chiba-martial-arts-legend-kill-bill-star-dead-at-82/article_e4a9c019-bb0b-5471-845a-9e000eb4ec0d.html |archivedate = 2023-11-16 |url-status = live }}</ref>、コロナウイルスのパンデミックにより撮影が延期になっていた。
[[スティーブン・セガール]]とダブル主演での映画や<ref name = セガール>{{Cite web |和書 |url = https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/2128201/ |title = 千葉真一さん 渾身の遺作が撮影直前でお蔵入り…原因はW主演セガールのプーチン支持発言 |website = 女性自身 |date = 2022-08-23 |accessdate = 2023-05-05 }}</ref>、[[ジェシー・ベンチュラ]][[ウェズリー・スナイプス]]と共演するハリウッド映画も撮影予定であったが<ref name = fox>{{Cite web |url = https://www.fox23.com/news/trending/sonny-chiba-martial-arts-legend-kill-bill-star-dead-at-82/article_e4a9c019-bb0b-5471-845a-9e000eb4ec0d.html |title = Sonny Chiba, martial arts legend, 'Kill Bill' star, dead at 82 |accessdate = 2023-05-05 |author = Bob D'Angelo, Cox Media Group National Content Desk |date = 2021-08-19 |website = FOX23NEWS |language = 英語 |publisher = [[FOXニュース]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20231116131504/https://www.fox23.com/news/trending/sonny-chiba-martial-arts-legend-kill-bill-star-dead-at-82/article_e4a9c019-bb0b-5471-845a-9e000eb4ec0d.html |archivedate = 2023-11-16 |url-status = live }}</ref>、コロナウイルスのパンデミックにより撮影が延期になっていた{{R |セガール |fox }}


=== 最期 ===
=== 最期 ===
事業の統一から2か月過ぎた2021年[[8月19日]]17時26分、[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症 (''COVID-19'') ]]による[[肺炎]]のため、[[千葉県]][[木更津市]]の[[君津中央病院]]で死去した<ref name = 君津中央/>。{{没年齢|1939|1|22|2021|8|19}}<ref name = 千葉時事/><ref name = スポニチ急死/><ref>{{Cite news ja |title =「キイハンター」 JAC設立、千葉真一さん82歳死去 / 写真特集 |newspaper = nikkansports.com |date = 2021-08-19 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108190001171.html |accessdate = 2022-03-27 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820021333/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108190001171.html |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。本人の意思で、[[COVID-19ワクチン|''COVID-19''ワクチン]]を接種していなかった<ref name = 千葉時事/><ref name = 樹里NHK>{{Cite news ja |title = 俳優の千葉真一さん死去 82歳 新型コロナ感染による肺炎 |newspaper = NEWS WEB |date = 2021-08-20 |url = https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210819/k10013213051000.html?utm_int=nsearch_contents_search-items_001 |accessdate = 2022-04-04 |publisher = NHK |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821032010/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210819/k10013213051000.html?utm_int=nsearch_contents_search-items_001 |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>。
事業の統一から2か月過ぎた2021年8月19日17時26分、[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症 (''COVID-19'') ]]による[[肺炎]]のため、千葉県[[木更津市]]の[[君津中央病院]]で死去した{{R |君津中央 }}。{{没年齢|1939|1|22|2021|8|19}}{{R |千葉時事 |スポニチ急死 }}<ref>{{Cite news |和書 |title =「キイハンター」JAC設立、千葉真一さん82歳死去 / 写真特集 |newspaper = nikkansports.com |date = 2021-08-19 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108190001171.html |accessdate = 2022-03-27 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820021333/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108190001171.html |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。折しも''COVID-19''の第5波で感染爆発している日は<ref name = 第5波2万>{{Cite news |和書 |title = (40) 2021年8月9日&#12316; 「第5波」感染ついに2万超す |newspaper = [[産経新聞|産経新聞 THE SANKEI NEWS]] |date = 2021-12-22 |url = https://www.sankei.com/article/20211222-6BDBY4BA3NJ3TNODEQMXXZ2AMU/ |accessdate = 2022-03-28 |publisher = 産業経済新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20211223010248/https://www.sankei.com/article/20211222-6BDBY4BA3NJ3TNODEQMXXZ2AMU/ |archivedate = 2021-12-23 |url-status = live }}</ref>、同月6日に[[国・地域毎の2019年コロナウイルス感染症流行状況#2021年|感染者が100万人を超えており]]<ref>{{Cite news |和書 |title = 東京都 新たに4544人の感染確認 先週の月曜より約700人増 (16:47) |newspaper = [[NEWS WEB]] |date = 2021-08-06 |url = https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210806/k10013185121000.html |accessdate = 2022-03-28 |publisher = [[日本放送協会|NHK]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210807082658/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210806/k10013185121000.html |archivedate = 2021-08-07 |url-status = live }}</ref>、医療体制が逼迫・確保できていない真っ只中に失命した{{R |第5波2万 }}<ref>{{Cite news |和書 |title = 倉持仁医師「医療供給体制さえ確保できれば…無駄死にさせるな!」コロナで死去の千葉真一さんを悼むツイート |newspaper = 中日新聞 |date = 2021-08-20 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/315134 |accessdate = 2022-03-28 |publisher = 中日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820160923/https://www.chunichi.co.jp/article/315134 |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。自らの意思で、[[COVID-19ワクチン|''COVID-19''ワクチン]]を接種していなかった{{R |千葉時事 }}<ref name = 樹里NHK>{{Cite news |和書 |title = 俳優の千葉真一さん死去 82歳 新型コロナ感染による肺炎 |newspaper = NEWS WEB |date = 2021-08-20 |url = https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210819/k10013213051000.html?utm_int=nsearch_contents_search-items_001 |accessdate = 2022-04-04 |publisher = NHK |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821032010/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210819/k10013213051000.html?utm_int=nsearch_contents_search-items_001 |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>。


7月末に感染<ref name = 7月感染>[[#報知11版|「7月末に感染」、紙面11版、1頁。]]</ref>。せきなどの症状はあったが、元気だったので、そのまま自宅療養を続けていた<ref name = スポニチ急死/>。しかし8月4日に38.8度の熱を発し<ref name = 郷敦荼毘>{{Cite news ja |title = 千葉真一さん 発熱から4日後入院のワケ…元妻と次男・郷敦の手で納骨 |newspaper = 東スポweb |date = 2021-08-20 |url = https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3541732/ |accessdate = 2022-04-04 |publisher = 東京スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820145004/https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3541732/ |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>、[[ポリメラーゼ連鎖反応|''PCR''検査]]の数値も悪く<ref name = サンスポ肺炎>{{Cite news ja |title = 千葉真一さん、コロナに死す 8日に入院、肺炎悪化 |newspaper = [[サンケイスポーツ|SANSPO.COM]] |date = 2021-08-20 |url = https://www.sanspo.com/article/20210820-AS3NA7RJIVJXZI7ACQIIL3YQEM/ |accessdate = 2022-04-04 |publisher = 産業経済新聞社 |archiveurl = https://archive.ph/JHxVP |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>、肺炎が悪化<ref name = サンスポ肺炎/>。救急車で搬送され<ref name = スポニチ急死/>、8日に入院した<ref name = スポニチ急死/><ref name = サンスポ肺炎/>。酸素吸入などの治療を受け、一時は回復する兆しがあったものの、容体は急変<ref name = スポニチ急死/><ref name = 7月感染/>。18日あたりから意識がなくなり、そのまま息を引き取った<ref name = 千葉時事/><ref name = スポニチ急死/><ref name = 7月感染/><ref name = サンスポ肺炎/>。新田真剣佑は[[アメリカ合衆国の映画|ハリウッド映画]]の撮影で[[アメリカ合衆国|米国]]に滞在しており<ref name = クランク2ショット>{{Cite news ja |title = 新田真剣佑、父・千葉真一さんとの2ショットを公開「いつも私の心の中にいます」 |newspaper = [[ブロードメディア#クランクイン!|クランクイン!]] |date = 2021-08-21 |url = https://www.crank-in.net/news/93144/1 |accessdate = 2022-04-04 |publisher = [[ブロードメディア]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210913104634/https://www.crank-in.net/news/93144/1 |archivedate = 2021-09-13 |url-status = live }}</ref><ref name = 日テレ真剣>{{Cite news ja |title = 新田真剣佑、父・千葉真一さんへの思い綴る |newspaper = [[日テレNEWS24|日テレNEWS]] |date = 2021-08-20 |url = https://news.ntv.co.jp/category/culture/926912 |accessdate = 2022-04-04 |publisher = CS日本 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220404202306/https://news.ntv.co.jp/category/culture/926912 |archivedate = 2022-04-04 |url-status = live }}</ref><ref name = スポアネ真剣>{{Cite news ja |title = 千葉真一さん長男・新田真剣佑 英語で追悼「あなたはいつも私の心の中にいる」思い出2ショット写真添え |newspaper = スポニチ Sponichi Annex |date = 2021-08-20 |url = https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000213000c.html |accessdate = 2022-04-04 |publisher = スポーツニッポン新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821105432/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000213000c.html |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>、長女・[[真瀬樹里]]次男・[[眞栄田郷敦]]は仕事後に駆けつけるも<ref name = 樹里NHK/><ref name = サンスポ肺炎/>、3人は父親の最期を看取ることができなかった<ref name = 樹里NHK/><ref name = サンスポ肺炎/><ref name = 日テレ真剣/>
7月末に感染<ref name = 7月感染>[[#報知11版|「7月末に感染」、紙面11版、1頁。]]</ref>。[[咳嗽]]などの症状はあったが、元気だったので、そのまま自宅療養を続けていた{{R |スポニチ急死 }}。しかし8月4日に38.8度の熱を発し<ref name = 郷敦荼毘>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん 発熱から4日後入院のワケ…元妻と次男・郷敦の手で納骨 |newspaper = 東スポweb |date = 2021-08-20 |url = https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3541732/ |accessdate = 2022-04-04 |publisher = 東京スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820145004/https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3541732/ |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>、[[ポリメラーゼ連鎖反応|''PCR''検査]]の数値も悪く<ref name = サンスポ肺炎>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん、コロナに死す 8日に入院、肺炎悪化 |newspaper = [[サンケイスポーツ|SANSPO.COM]] |date = 2021-08-20 |url = https://www.sanspo.com/article/20210820-AS3NA7RJIVJXZI7ACQIIL3YQEM/ |accessdate = 2022-04-04 |publisher = 産業経済新聞社 |archiveurl = https://archive.ph/JHxVP |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>、肺炎が悪化{{R |サンスポ肺炎 }}。救急車で搬送され{{R |スポニチ急死 }}、8日に入院した{{R |スポニチ急死 |サンスポ肺炎 }}。酸素吸入などの治療を受け、一時は回復する兆しがあったものの、容体は急変{{R |スポニチ急死 |7月感染 }}。18日あたりから意識がなくなり、そのまま息を引き取った{{R |千葉時事 |スポニチ急死 |7月感染 |サンスポ肺炎 }}。新田真剣佑はハリウッド映画の撮影でアメリカ合衆国に滞在しており<ref name = クランク2ショット>{{Cite news |和書 |title = 新田真剣佑、父・千葉真一さんとの2ショットを公開「いつも私の心の中にいます」|newspaper = [[ブロードメディア#クランクイン!|クランクイン!]] |date = 2021-08-21 |url = https://www.crank-in.net/news/93144/1 |accessdate = 2022-04-04 |publisher = [[ブロードメディア]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210913104634/https://www.crank-in.net/news/93144/1 |archivedate = 2021-09-13 |url-status = live }}</ref><ref name = 日テレ真剣>{{Cite news |和書 |title = 新田真剣佑、父・千葉真一さんへの思い綴る |newspaper = [[日テレNEWS24|日テレNEWS]] |date = 2021-08-20 |url = https://news.ntv.co.jp/category/culture/926912 |accessdate = 2022-04-04 |publisher = CS日本 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220404202306/https://news.ntv.co.jp/category/culture/926912 |archivedate = 2022-04-04 |url-status = live }}</ref><ref name = スポアネ真剣>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん長男・新田真剣佑 英語で追悼「あなたはいつも私の心の中にいる」思い出2ショット写真添え |newspaper = スポニチ Sponichi Annex |date = 2021-08-20 |url = https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000213000c.html |accessdate = 2022-04-04 |publisher = スポーツニッポン新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821105432/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000213000c.html |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>、真瀬樹里と眞栄田郷敦は仕事後に駆けつけるも{{R |樹里NHK |サンスポ肺炎 }}、3人は父親の最期を看取ることができなかった{{R |樹里NHK |サンスポ肺炎 |日テレ真剣 }}
(⇒ ''[[#家族]]'')


[[緊急事態宣言及びまん延防止等重点措置#2021年4月 - 9月|緊急事態宣言中]]のため、[[通夜]]は行われていない<ref name = 報知元祖92111/><ref name = スポニチ急死/><ref name = サンスポ肺炎/><ref>{{Cite news ja |title = 俳優・千葉真一さん死去 82歳 |newspaper = シネマトゥデイ |date = 2021-08-19 |url = https://www.cinematoday.jp/news/N0125489 |accessdate = 2022-04-04 |publisher = シネマトゥデイ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820163943/https://www.cinematoday.jp/news/N0125489 |archivedate = 2022-08-20 |url-status = live }}</ref>。翌20日、眞栄田郷敦を喪主とし<ref name = 中日喪主郷敦>{{Cite news ja |title = 喪主は次男・真栄田郷敦 千葉真一さん死去一夜明けて葬儀「荼毘に付しました」長男・真剣佑は米国から「愛してる」 |newspaper = 中日スポーツ |date = 2021-08-21 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/315438 |accessdate = 2022-04-18 |publisher = 中日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821083502/https://www.chunichi.co.jp/article/315438 |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref><ref name = オリ喪主郷敦>{{Cite news ja |title = 千葉真一さん 荼毘にふされる 喪主は次男・眞栄田郷敦 |newspaper = オリコンニュース |date = 2021-08-21 |url = https://www.oricon.co.jp/news/2204311/full/ |accessdate = 2022-04-18 |publisher = Oricon ME |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821060727/https://www.oricon.co.jp/news/2204311/full/ |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>、[[葬儀]]が営まれた<ref name = HouchMackInsta>{{Cite news ja |title = 新田真剣佑、インスタで父の千葉真一さん追悼「お父さんのことを本当に愛しています」 |newspaper = [[スポーツ報知]] |date = 2021-08-21 |url = https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51256.html?page=1 |accessdate = 2022-04-04 |publisher = 報知新聞社 |page = 1 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220404181231/https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51256.html?page=1 |archivedate = 2022-04-04 |url-status = live }}</ref>。列席はされていたため<ref name = 中日喪主郷敦/>、親戚5人のみが参列<ref name = HouchMackInsta/>。[[火葬|荼毘]]に付され<ref name = 郷敦荼毘/><ref>{{Cite news ja |title = 真剣佑「あなたはいつも私の心に」父・千葉真一さん訃報から一夜、インスタに思い投稿 |newspaper = デイリースポーツ online |date = 2021-08-21 |url = https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/21/0014609287.shtml |accessdate = 2022-04-04 |publisher = 神戸新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210911151153/https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/21/0014609287.shtml |archivedate = 2021-09-11 |url-status = live }}</ref>、郷敦と前夫人が[[遺骨]]を拾った<ref name = HouchMackInsta/>
[[緊急事態宣言及びまん延防止等重点措置#2021年4月 - 9月|緊急事態宣言中]]のため、[[通夜]]は行われていない{{R |報知元祖92111 |スポニチ急死 |サンスポ肺炎 }}<ref>{{Cite news |和書 |title = 俳優・千葉真一さん死去 82歳 |newspaper = シネマトゥデイ |date = 2021-08-19 |url = https://www.cinematoday.jp/news/N0125489 |accessdate = 2022-04-04 |publisher = シネマトゥデイ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820163943/https://www.cinematoday.jp/news/N0125489 |archivedate = 2022-08-20 |url-status = live }}</ref>。翌20日、眞栄田郷敦を喪主とし<ref name = 中日喪主郷敦>{{Cite news |和書 |title = 喪主は次男・真栄田郷敦 千葉真一さん死去一夜明けて葬儀「荼毘に付しました」長男・真剣佑は米国から「愛してる」|newspaper = 中日スポーツ |date = 2021-08-21 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/315438 |accessdate = 2022-04-18 |publisher = 中日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821083502/https://www.chunichi.co.jp/article/315438 |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref><ref name = オリ喪主郷敦>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん 荼毘にふされる 喪主は次男・眞栄田郷敦 |newspaper = オリコンニュース |date = 2021-08-21 |url = https://www.oricon.co.jp/news/2204311/full/ |accessdate = 2022-04-18 |publisher = Oricon ME |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821060727/https://www.oricon.co.jp/news/2204311/full/ |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>、[[葬儀]]が営まれた<ref name = HouchMackInsta>{{Cite news |和書 |title = 新田真剣佑、インスタで父の千葉真一さん追悼「お父さんのことを本当に愛しています」|newspaper = [[スポーツ報知]] |date = 2021-08-21 |url = https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51256.html?page=1 |accessdate = 2022-04-04 |publisher = 報知新聞社 |page = 1 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220404181231/https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51256.html?page=1 |archivedate = 2022-04-04 |url-status = live }}</ref>。人数が制限されていたため{{R |中日喪主郷敦 }}、親戚5人のみが参列{{R |HouchMackInsta }}。[[火葬|荼毘]]に付され{{R |郷敦荼毘 }}<ref>{{Cite news |和書 |title = 真剣佑「あなたはいつも私の心に」父・千葉真一さん訃報から一夜、インスタに思い投稿 |newspaper = デイリースポーツ online |date = 2021-08-21 |url = https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/21/0014609287.shtml |accessdate = 2022-04-04 |publisher = 神戸新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210911151153/https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/21/0014609287.shtml |archivedate = 2021-09-11 |url-status = live }}</ref>、郷敦と前夫人が[[遺骨]]を拾った{{R |HouchMackInsta }}
(⇒ ''[[#家族]]'')


真瀬樹里は「一報を受け、仕事後駆けつけましたが、最期に立ち会うことはできず…。しかし、顔を見て、お別れと伝えたい事を言うことはできました。苦しんだとは思えないほど、穏やかな顔をしておりました」と最期の様子を振り返り、「少し前に、電話で父の元気な声を聞いたばかりでした。私にとっても突然のことで、まだ現実感がありません。ただただ悔しいです…天国から両親が見守ってくれていることを信じて、胸を張って見せられる仕事ができるよう、精一杯生きていきたいと思います。父の遺した作品を、これからも愛し続けて頂けたら幸いです」と所属事務所を通じて発表した<ref name = 中日真瀬210820/><ref name = 樹里NHK/><ref name = HouchMackInsta/><ref>{{Cite news ja |title = 千葉真一さんの長女・真瀬樹里、“偉大な父”の急逝に悔しさにじむ 「現実感がありません」「元気な声を聞いたばかり」 |newspaper = ねとらぼエンタ |date = 2021-08-20 |author = 深戸進路 |url = https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2108/20/news087.html |accessdate = 2022-04-18 |publisher = [[ITmedia]] |archiveurl = https://archive.ph/gAXlE |archivedate = 2022-04-18 |url-status = live }}</ref><ref name = 3人悼む>{{Cite news ja |title = 新田真剣佑、父・千葉真一さん訃報受け思いつづる「Love you so much Dad」|newspaper = オリコンニュース |date = 2021-08-21 |url = https://www.oricon.co.jp/news/2204129/full/ |accessdate = 2022-04-05 |publisher = Oricon ME |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821003218/https://www.oricon.co.jp/news/2204129/full/ |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref><ref name = 樹里真田沢>{{Cite news ja |title = 千葉真一さんの娘で俳優の真瀬樹里さん「お別れ言えた」 |newspaper = [[朝日新聞]] |date = 2021-08-20 |url = https://www.asahi.com/articles/ASP8N3HRKP8NUCVL004.html |accessdate = 2022-04-18 |publisher = [[朝日新聞社]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821185634/https://www.asahi.com/articles/ASP8N3HRKP8NUCVL004.html |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>。
長女・真瀬樹里は「一報を受け、仕事後駆けつけましたが、最期に立ち会うことはできず…。しかし、顔を見て、お別れと伝えたい事を言うことはできました。苦しんだとは思えないほど、穏やかな顔をしておりました」と最期の様子を振り返り、「少し前に、電話で父の元気な声を聞いたばかりでした。私にとっても突然のことで、まだ現実感がありません。ただただ悔しいです…天国から両親が見守ってくれていることを信じて、胸を張って見せられる仕事ができるよう、精一杯生きていきたいと思います。父の遺した作品を、これからも愛し続けて頂けたら幸いです」と所属事務所を通じて発表した{{R |中日真瀬210820 |樹里NHK |HouchMackInsta }}<ref>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さんの長女・真瀬樹里、“偉大な父”の急逝に悔しさにじむ 「現実感がありません」「元気な声を聞いたばかり」|newspaper = ねとらぼエンタ |date = 2021-08-20 |author = 深戸進路 |url = https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2108/20/news087.html |accessdate = 2022-04-18 |publisher = ITmedia |archiveurl = https://archive.ph/gAXlE |archivedate = 2022-04-18 |url-status = live }}</ref><ref name = 3人悼む>{{Cite news |和書 |title = 新田真剣佑、父・千葉真一さん訃報受け思いつづる「Love you so much Dad」|newspaper = ORICON NEWS |date = 2021-08-21 |url = https://www.oricon.co.jp/news/2204129/full/ |accessdate = 2022-04-05 |publisher = Oricon ME |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821003218/https://www.oricon.co.jp/news/2204129/full/ |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref><ref name = 樹里真田沢>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さんの娘で俳優の真瀬樹里さん「お別れ言えた」|newspaper = [[朝日新聞]] |date = 2021-08-20 |url = https://www.asahi.com/articles/ASP8N3HRKP8NUCVL004.html |accessdate = 2022-04-18 |publisher = 朝日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821185634/https://www.asahi.com/articles/ASP8N3HRKP8NUCVL004.html |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>。


新田真剣佑は[[Instagram|インスタグラム]]にて、ローソクが立てられたケーキを前にほほ笑む幼少期の新田と幸せそうに笑う千葉の姿や、千葉の体の上で安心した様子で眠る幼少期の新田の姿が収められている2ショットを公開し、「''No matter where I am, you'll always be in my heart.''(私がどこにいても、あなたはいつも私の心の中にいます)''Love you so much Dad.''(お父さん、あなたをとても愛しています)」と思いを綴った<ref name = オリコン真剣佑/><ref name = クランク2ショット/><ref name = スポアネ真剣/><ref name = HouchMackInsta/><ref name = 3人悼む/><ref>{{Cite news ja |title = ステキな写真…千葉真一さんの長男・新田真剣佑が思い出の写真を公開「お父さん、本当に愛してる」 |newspaper = 中日スポーツ |date = 2021-08-20 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/315044 |accessdate = 2022-04-05 |publisher = 中日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821062645/https://www.chunichi.co.jp/article/315044 |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite news ja |title = 新田真剣佑、父・千葉真一さんとの思い出の写真を公開「あなたはいつも私の心の中に」 |newspaper = [[AbemaNews|ABEMA TIMES]] |date = 2021-08-21 |url = https://times.abema.tv/articles/-/8671252 |accessdate = 2022-04-05 |publisher = [[ABEMA]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220405063226/https://times.abema.tv/articles/-/8671252 |archivedate = 2022-04-05 |url-status = live }}</ref><ref name = 真剣志穂美>{{Cite news ja |title = 新田真剣佑、父・千葉真一さん追悼2Sを公開「あなたはいつも心の中にいる…愛している」 |newspaper = ENCOUNT |date = 2021-08-21 |url = https://encount.press/archives/209820/ |accessdate = 2022-04-05 |publisher = Creative2 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820225223/https://encount.press/archives/209820/ |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。
長男・新田真剣佑は[[Instagram|インスタグラム]]にて、ローソクが立てられたケーキを前に幸せそうに笑う千葉と微笑む幼少期真剣佑や、千葉の体の上で安心した様子で眠る幼少期の真剣佑の姿が収められている2ショットを公開し、「''No matter where I am, you'll always be in my heart.''(私がどこにいても、あなたはいつも私の心の中にいます)''Love you so much Dad.''(お父さん、あなたをとても愛しています)」と思いを綴った{{R |オリコン真剣佑 |クランク2ショット |スポアネ真剣 |HouchMackInsta |3人悼む }}<ref>{{Cite news |和書 |title = ステキな写真…千葉真一さんの長男・新田真剣佑が思い出の写真を公開「お父さん、本当に愛してる」|newspaper = 中日スポーツ |date = 2021-08-20 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/315044 |accessdate = 2022-04-05 |publisher = 中日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821062645/https://www.chunichi.co.jp/article/315044 |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite news |和書 |title = 新田真剣佑、父・千葉真一さんとの思い出の写真を公開「あなたはいつも私の心の中に」 |newspaper = [[AbemaNews|ABEMA TIMES]] |date = 2021-08-21 |url = https://times.abema.tv/articles/-/8671252 |accessdate = 2022-04-05 |publisher = [[ABEMA]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220405063226/https://times.abema.tv/articles/-/8671252 |archivedate = 2022-04-05 |url-status = live }}</ref><ref name = 真剣志穂美>{{Cite news |和書 |title = 新田真剣佑、父・千葉真一さん追悼2Sを公開「あなたはいつも心の中にいる…愛している」|newspaper = [[ENCOUNT]] |date = 2021-08-21 |url = https://encount.press/archives/209820/ |accessdate = 2022-04-05 |publisher = [[Creative2]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820225223/https://encount.press/archives/209820/ |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。


眞栄田郷敦は防護服を着て対面した日の夜に、所属事務所を通じて「一方的な約束をしてきました。それを守るだけです」と発表した<ref name = オリコン真剣佑/><ref name = サンスポ肺炎/><ref name = オリ喪主郷敦/><ref name = 3人悼む/>
次男・眞栄田郷敦は防護服を着て対面した日の夜に、所属事務所を通じて「一方的な約束をしてきました。それを守るだけです」と発表した{{R |オリコン真剣佑 |サンスポ肺炎 |オリ喪主郷敦 |3人悼む }}


2年前の2019年に千葉は[[世阿弥]]の著作より[[格言]]を抜粋し、樹里には『[[花鏡]]』から「初心不可忘(初心忘るべからず)」、真剣佑には『[[風姿花伝]]』から「秘すれば花」、郷敦には『風姿花伝』から「離見の見」と、それぞれ自筆の巻物にして、3人へ授けている<ref name = 俺を超えた/><ref>{{Cite news ja |title = 千葉真一さん死去【復刻】60周年祝賀会で樹里、真剣佑、郷敦と勢ぞろい |newspaper = デイリースポーツ online |date = 2021-08-21 |url = https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/19/0014605711.shtml |accessdate = 2022-04-05 |publisher = 神戸新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220405071759/https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/19/0014605711.shtml |archivedate = 2022-04-05 |url-status = live }}</ref>。
2019年に[[世阿弥]]の著作より[[格言]]を抜粋し、樹里には『[[花鏡]]』から「初心不可忘(初心忘るべからず)」、真剣佑には『[[風姿花伝]]』から「秘すれば花」、郷敦には『風姿花伝』から「離見の見」と、それぞれ自筆の巻物にして娘・息子たちへ授けている{{R |俺を超えた }}<ref>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん死去【復刻】60周年祝賀会で樹里、真剣佑、郷敦と勢ぞろい |newspaper = デイリースポーツ online |date = 2021-08-21 |url = https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/19/0014605711.shtml |accessdate = 2022-04-05 |publisher = 神戸新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220405071759/https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/19/0014605711.shtml |archivedate = 2022-04-05 |url-status = live }}</ref>。
(⇒ ''[[#家族]]'')
(⇒ ''[[#晩年]]''・''[[#体操界・日体大]]''・''[[#2022年]]''・''[[#空手道]]''・''[[#家族]]'')


== 追悼 ==
== 追悼 ==
国内外から追悼が寄せられた<ref name = ねとエン多数追悼>{{Cite news ja |title = 千葉真一さんの急逝に芸能界から多数の追悼メッセージ「役者であるキッカケになった人」「信じられません」|newspaper = ねとらぼエンタ |date = 2021-08-20 |author = 深戸進路 |url = https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2108/20/news097.html |accessdate = 2022-05-10 |publisher = ITmedia |page = 1 |archiveurl = https://archive.ph/vK5PP |archivedate = 2021-09-01 |url-status = live }}</ref><ref name = ニッカン的秋池>{{Cite news ja |title = 的場浩司「朝からため息しか」秋野暢子「優しい素敵な方」千葉真一さん悼む |newspaper = nikkansports.com |date = 2021-08-20 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000238.html |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820030554/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000238.html |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref><ref name = 池慎秋暢的浩>{{Cite news ja |title = 千葉真一さん死去から一夜明け 芸能界からお悔やみの声続々…池畑慎之介、的場浩司、秋野暢子ら悼む |newspaper = スポニチ Sponichi Annex |date = 2021-08-20 |url = https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000568000c.html |accessdate = 2022-05-09 |publisher = スポーツニッポン新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820171958/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000568000c.html |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。
国内外の各界から追悼が寄せられた{{R |ねとエン多数追悼 }}<ref name = ニッカン的秋池>{{Cite news |和書 |title = 的場浩司「朝からため息しか」秋野暢子「優しい素敵な方」千葉真一さん悼む |newspaper = nikkansports.com |date = 2021-08-20 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000238.html |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820030554/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000238.html |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref><ref name = 池慎秋暢的浩>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん死去から一夜明け 芸能界からお悔やみの声続々…池畑慎之介、的場浩司、秋野暢子ら悼む |newspaper = スポニチ Sponichi Annex |date = 2021-08-20 |url = https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000568000c.html |accessdate = 2022-05-09 |publisher = スポーツニッポン新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820171958/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/08/20/kiji/20210820s00041000568000c.html |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。


=== 追悼(国内) ===
=== 追悼(国内) ===
==== 芸能界 ====
==== 芸能界 ====
===== 共演者 =====
===== 共演者 =====
『[[白昼の死角#映画|白昼の死角]]』と『[[伊賀忍法帖#映画|伊賀忍法帖]]』で共演している[[中尾彬]]は[[千葉県立木更津高等学校|千葉県立木更津第一高校]][[後輩]]で、「とても真面目な方だった。会うと地元の先輩後輩のように話し、お互い実家も近かった。3歳年上なので同時期に通わず、入れ替わりで卒業しましたが、頻繁に器械体操部のコーチに来ていました」と、バレーボール部の中尾とも会えば話す間柄だったと語った<ref name = 報知中彬>{{Cite news ja |title = 千葉真一さんの高校後輩・中尾彬が悼む「俺スターになるから、と言っていた」 |newspaper = スポーツ報知 |date = 2021-08-20 |url = https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51184.html?page=1 |accessdate = 2022-05-08 |publisher = 報知新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220508101921/https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51184.html?page=1 |archivedate = 2022-05-08 |url-status = live }}</ref>。「[[芸能|芸能界]]に転身しても器械体操の指導で母校へ通い続け、当時珍しかった[[ジーンズ]]を履き、[[スポーツ刈り#慎太郎刈り|慎太郎カット]]にしていた」と在りし日の姿や、中尾も芸能界に入ると「おお、頑張れよ」「俺の映画見てる?」と親しく声をかけてくれた気さくな人柄、夢を語る様を振り返っている<ref name = 報知中彬/>。「ワクチンも率先して受けるタイプ」と中尾は接種していないことを訝しがりながら、「映画スター。今時、ああいう夢を語れる人が減っちゃったよなあ」と寂しそうだった<ref name = 報知中彬/>
『[[白昼の死角#映画|白昼の死角]]』と『[[伊賀忍法帖#映画|伊賀忍法帖]]』で共演している[[中尾彬]]は千葉県立木更津第一高校の後輩で、「とても真面目な方だった。会うと地元の先輩後輩のように話し、お互い実家も近かった。3歳年上なので同時期に通わず、入れ替わりで卒業しましたが、頻繁に器械体操部のコーチに来ていました」と、[[バレーボール]]部の中尾とも会えば話す間柄だったと語った<ref name = 報知中彬>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さんの高校後輩・中尾彬が悼む「俺スターになるから、と言っていた」|newspaper = スポーツ報知 |date = 2021-08-20 |url = https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51184.html?page=1 |accessdate = 2022-05-08 |publisher = 報知新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220508101921/https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51184.html?page=1 |archivedate = 2022-05-08 |url-status = live }}</ref>。「芸能界に転身しても器械体操の指導で母校へ通い続け、当時珍しかった[[ジーンズ]]を履き、[[スポーツ刈り#慎太郎刈り|慎太郎カット]]にしていた」と在りし日の姿や、中尾も芸能界に入ると「おお、頑張れよ」「俺の映画見てる?」と親しく声をかけてくれた気さくな人柄、夢を語る様を振り返っている{{R |報知中彬 }}。「ワクチンも率先して受けるタイプ」と中尾は接種していないことを訝しがりながら、「映画スター。今時、ああいう夢を語れる人が減っちゃったよなあ」と寂しそうだった{{R |報知中彬 }}
(⇒ ''[[#交友(国内)]]'')


[[キイハンター]]』、『[[影の軍団シリーズ]]』、『[[柳生あばれ旅]]』などにゲスト出演している[[東映ニューフェイス]]の後輩・[[堀田眞三]]は、[[Twitter|ツイッター]]で一緒に撮った写真を掲載し、「千葉真一先輩の訃報 信じられないが あの日 あの時無限様々な想いがよぎる 謹んでご冥福をお祈りします 合掌」とつづっている<ref>{{Cite web |和書 |url = https://twitter.com/hottashinzo/status/1428478936527228929 |title = 千葉真一先輩の訃報 |accessdate = 2022-05-08 |date = 2021-08-20 |website = hottashinzo |publisher = [[Twitter]] |archiveurl = https://archive.ph/3v62l |archivedate = 2022-05-08 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite news ja |title = 堀田眞三「千葉真一先輩の訃報 信じられないが 様々な想いがよぎる」 |newspaper = nikkansports.com |date = 2021-08-20 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000110.html |accessdate = 2022-05-08 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820002416/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000110.html |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。
東映ニューフェイスの後輩・[[堀田眞三]]は『あゝ同期の桜』、『キイハンター』、『[[人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊]]』、『[[狼やくざ 葬いは俺が出す]]』、『影の軍団シリーズ』、『[[柳生あばれ旅]]』で共演しており一緒に撮った写真を[[Twitter|ツイッター]]掲載<ref name = 真三>{{Cite web |和書 |url = https://twitter.com/hottashinzo/status/1428478936527228929 |title = 千葉真一先輩の訃報 |accessdate = 2022-05-08 |date = 2021-08-20 |website = hottashinzo |publisher = [[Twitter]] |archiveurl = https://archive.ph/3v62l |archivedate = 2022-05-08 |url-status = live }}</ref>。「千葉真一先輩の[[死亡記事|訃報]] 信じられないが あの日 あの時無限様々な想いがよぎる 謹んでご冥福をお祈りします 合掌」とつづっている{{R |真三 }}<ref>{{Cite news |和書 |title = 堀田眞三「千葉真一先輩の訃報 信じられないが 様々な想いがよぎる」|newspaper = nikkansports.com |date = 2021-08-20 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000110.html |accessdate = 2022-05-08 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820002416/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000110.html |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。


11歳の時、共演している[[小林幸子]]は[[Instagram|インスタグラム]]にて、「初めて出会ったのは、私にとってめてのドラマ出演だった『[[暗闇五段#|くらやみ五段]]』。デビューしてまもない私を“チビ”と呼び、肩車してくれたり、一緒に[[キャンプファイヤー]]したり、とっても優しいお兄ちゃまという印象でした。その後も『キイハンター』など、いろんなお仕事でご一緒させて頂きました。いつも撮影の合間には、体を鍛えたりアクション練習したり、ずっと動いていて格好いい方でした。最後にお会いしたのは、昨年の文化庁長官表彰の時、息子さんの話を笑顔でお話していたことが印象に残っています。日本のアクションの世界を作り上げ、千葉さん自身が日本の刀のような、何にも負けないはず方なのに。悔しいです。コロナが憎いです。今はゆっくり休んでください。ご冥福をお祈りします。合掌」と思いを記した<ref>{{Cite web |和書 |url = https://www.instagram.com/p/CS0WOKHpOMi/ |title = 千葉真一さん |accessdate = 2022-05-08 |date = 2021-08-20 |website = kobayashi_sachiko_5884 |publisher = [[Instagram]] |archiveurl = https://archive.ph/DPfGN |archivedate = 2022-05-08 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite news ja |title =「何にも負けないはずの方…コロナが憎い」小林幸子、千葉真一さんを悼む 11歳のころから共演 |newspaper = 中日スポーツ |date = 2021-08-21 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/315558 |accessdate = 2022-05-08 |publisher = 中日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821151834/https://www.chunichi.co.jp/article/315558 |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite news ja |title = 小林幸子 千葉真一さんと11歳で出会い「何にも負けないはずの方」「コロナが憎いです」|newspaper = デイリースポーツ online |date = 2021-08-21 |url = https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/21/0014610401.shtml |accessdate = 2022-05-08 |publisher = 神戸新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821181343/https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/21/0014610401.shtml |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>。
11歳の時、共演し[[小林幸子]]はインスタグラムにて、「初めて出会ったのは、私にとって初出演だった『くらやみ五段』。デビューしてまもない私を“チビ”と呼び、肩車してくれたり、一緒に[[キャンプファイヤー]]したり、とっても優しいお兄ちゃまという印象でした。その後も『キイハンター』など、いろんなお仕事でご一緒させて頂きました。いつも撮影の合間には、体を鍛えたりアクション練習したり、ずっと動いていて格好いい方でした。最後にお会いしたのは、昨年の文化庁長官表彰の時、息子さんの話を笑顔でお話していたことが印象に残っています。日本のアクションの世界を作り上げ、千葉真一さん自身が日本の刀のような、何にも負けないはず方なのに。悔しいです。コロナが憎いです。今はゆっくり休んでください。ご冥福をお祈りします。合掌」と思いを記した<ref>{{Cite web |和書 |url = https://www.instagram.com/p/CS0WOKHpOMi/ |title = 千葉真一さん |accessdate = 2022-05-08 |date = 2021-08-20 |website = kobayashi_sachiko_5884 |publisher = [[Instagram]] |archiveurl = https://archive.ph/DPfGN |archivedate = 2022-05-08 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite news |和書 |title =「何にも負けないはずの方…コロナが憎い」小林幸子、千葉真一さんを悼む 11歳のころから共演 |newspaper = 中日スポーツ |date = 2021-08-21 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/315558 |accessdate = 2022-05-08 |publisher = 中日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821151834/https://www.chunichi.co.jp/article/315558 |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite news |和書 |title = 小林幸子 千葉真一さんと11歳で出会い「何にも負けないはずの方」「コロナが憎いです」|newspaper = デイリースポーツ online |date = 2021-08-21 |url = https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/21/0014610401.shtml |accessdate = 2022-05-08 |publisher = 神戸新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821181343/https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/21/0014610401.shtml |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>。


『キイハンター』を筆頭に『[[網走番外地 南国の対決]]』と『[[不良番長#不良番長 猪の鹿お蝶|不良番長 猪の鹿お蝶]]』で共演している[[谷隼人]]は、2019年に催された芸能活動60周年記念祝賀会で会ったのが最後だった<ref name = イソ13>[[#挑む2692|イソガイマサト 「谷隼人 伝説となった命がけの『キイハンター』撮影ロケ」、13頁。]]</ref>。『キイハンター』共演時には[[新宿]]の同じ[[マンション]]に住んでいたという<ref name = イソ12>[[#挑む2692|イソガイマサト 「谷隼人 伝説となった命がけの『キイハンター』撮影ロケ」、12頁。]]</ref>。
[[倉田保昭]]は訃報を聞き、「ショックで寂しかった」と語っている<ref name = 天本>[[#挑む2692|天本伸一郎 「倉田保昭 『目標として いつも背中を追い求めた 憧れの先輩』」、14 - 15頁。]]</ref>。[[東映アカデミー|東映演技研修所]]に一期生で通っていた倉田にとって、7歳上で既にスターを確立していた違いは、「『キイハンター』で特に意識し、“ああなりたい”と思うような憧れの先輩でしたね」と回想した<ref name = 天本/>。1970年から[[香港映画]]に活動の場を移した倉田は、1974年に“和製ドラゴン”として凱旋帰国後、『[[直撃! 地獄拳]]』に出演<ref name = 天本/>。同作では直接手合わせするシーンは無く、あまり話す機会はなかったものの、『[[バーディー大作戦]]』『[[Gメン'75]]』に出演していた時、[[近藤照男]]から「千葉真一ならこうだ」「千葉ならこうした」と倉田を発奮させるかのように幾度となく話をされ、更に意識するようになっていた<ref name = 天本/>。『[[必殺女拳士]]』でも共演するが同じシーンは無く、『[[服部半蔵 影の軍団]]』第2話「闇に潜む牝豹」ではようやく対面で演技をし、終盤に決闘をするシーンもあったが、『[[影の軍団シリーズ]]』のレギュラーを断っていたので倉田は、きっちり共演できていないと気持ちに駆られていた<ref name = 天本/>。そのような思いから倉田が製作する『[[マスター・オブ・サンダー 決戦!! 封魔龍虎伝]]』に、出演してもらえるよう、自ら頼んでいる<ref name = 天本/>。「当時の日本の[[アクション映画]]は若手が育っていなかったので、千葉さんと私がぶつかる姿を若手に教材として見せたい」「3度ほど、二人きりで10時間以上お話をして ようやく千葉さんはOKしてくれた」「千葉さんとの最初のアクションを撮影する日には、[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ (''JAC'') ]]と[[倉田プロモーション|倉田アクションクラブ]]の門下生が大勢、[[美術 (職業)#美術デザイナー|セット]]へ見学に来たのが驚きだった」と振り返った<ref name = 天本/>。撮影の合間に「作りたい映画を何時間も語り合ったことが思い出深い」と語る倉田は、同作で共演以降、ほとんど会う機会も無く、「いつも私の片思いでした」と残念がっている<ref name = 天本/>。倉田は千葉の出演作では「『[[赤穂城断絶]]』が特に印象に残っている」と評し、「何人ものスターを作り上げ、息子さん二人([[新田真剣佑]]と[[眞栄田郷敦]])もスターになりつつある。その情熱は素晴らしいし、大変な方だと思います。亡くなられた時に思い出したのは、千葉さんと私が[[殺陣|立ち回り]]で闘ったこと。私たちの時代、特に私は先輩がいらっしゃったからガンバレたし、目標としていつも背中を追い求めてきました。良い時代を過ごさせていただき、ありがとうございました」と追悼した<ref name = 天本/>。


日本のアクション映画を切り開いた第一人者、千葉真一さんが逝去した(享年82)。銀幕の彼の姿は、なぜこんなにも観客の心を鷲づかみにしたのか。出世作『キイハンター』(1968~1972年)にまつわる秘話を、俳優・谷隼人が明かした。
『[[服部半蔵 影の軍団#影の軍団III|影の軍団III]]』と『[[写真甲子園 0.5秒の夏]]』で共演した[[秋野暢子]]は「千葉真一さん……残念です」と[[ブログ]]で書き始め、「若い頃、東映スタジオで[[殺陣]]を教えていただきました。とても優しく、丁寧に指導してもらい、お優しい素敵な方」と、最近は会えなかったが、世界を代表するアクション俳優から指導を受けた思い出を振り返り、「とても頑強でお元気な方が、コロナ感染されるなんて信じられません」とショックを隠せず、「どうぞゆっくりおやすみください。ご冥福お祈りしています。合掌」と哀惜した<ref name = ニッカン的秋池/><ref name = 池慎秋暢的浩/><ref>{{Cite web|和書|url = https://ameblo.jp/yokosmilerun/entry-12693189097.html |title = 千葉真一さん………訃報 |accessdate = 2022-05-10 |date = 2021-08-20 |website = 秋野暢子オフィシャルブログ「スマイルライフ」|publisher = [[アメーバブログ]] |archiveurl = https://archive.ph/qkgHr |archivedate = 2022-05-09 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite news ja |title = 千葉真一さん訃報に「ワクチン打たれてなかったとか」「頑強な方が」秋野暢子ショック |newspaper = デイリースポーツ online |date = 2021-08-20 |url = https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/20/0014607371.shtml |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 神戸新聞社 |archiveurl = https://archive.ph/LT70m |archivedate = 2021-08-22 |url-status = live }}</ref>。
 当時はまだ東映に入って3年目。ペーペーの僕は、『キイハンター』シリーズでは“坊や”みたいな存在でした。メインどころの丹波哲郎さん、野際陽子さん、千葉真一さんに付いていくだけで精一杯でね。でも、あれほど貴重な5年間はなかった。
〈1968年に放送がスタートしたアクションドラマ『キイハンター』(TBS系)。東映が制作を担い、深作欣二、佐藤純彌といった名監督が演出を担当した同シリーズは、国際犯罪を題材に外国人キャストもふんだんに起用し、最盛期には視聴率30%超を連発。千葉を国民的スターに押し上げた。谷は新人諜報員役で出演し、ボス役の丹波、先輩の野際、千葉に可愛がられながら成長していく役どころだった〉
 半年、1年たって徐々に自分も人気が出てきて、千葉さんと絡むシーンも増えてきました。千葉さんは日体大時代に体操でオリンピックを目指していたような人。かたや私は夜の街で黒服を着ていた不良。一緒にアクションするのは、それは大変でした。御殿場のロケでは、ジープに乗っていたら「おい谷、飛び降りるぞ!」って。走ってる車からですよ。爆薬が仕掛けられているなか、必死に身体を丸めて転がるように飛び降りました。まだスタントマンもいないし、俳優が全てやらなければならない時代。運動神経抜群の千葉さんはいいですけど、こちらはたまらない(笑)。
 千葉さんは“身体での表現”に徹底的にこだわる人でした。しょっちゅうスタッフと演出のアイデアをぶつけ合っていて、爆発して吹っ飛ばされるシーンでトランポリンを使ったりね。今ならワイヤーを使って簡単に再現できるようなアクションを、試行錯誤しながら現場で試していた。
 千葉さんは『キイハンター』で、アクションの立ち回りを改革した人でもありました。それまでのアクションは、例えば相手を捕まえて、はい、殴る……というように、ゆっくりしたテンポだったのが、襲い掛かってくる相手にいきなりカウンターを入れたり、“動きの速さ”を初めて見せた。細かい動作や相手との間合いの取り方まで、いろいろ教えてもらいました。


<ref name = htpt31>{{Cite web |和書 |url = https://www.news-postseven.com/archives/20210831_1686976.html?DETAIL&_from=widget_related_pc |title = 谷隼人が語る千葉真一さんの思い出「爆薬の中で『おい、飛び降りるぞ』」|accessdate = 2024-03-21 |author = 週刊ポスト |authorlink = 週刊ポスト ||date = 2021-08-31 |website = NEWSポストセブン |work = 芸能 |publisher = 小学館 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20240321021319/https://www.news-postseven.com/archives/20210831_1686976.html?DETAIL&_from=widget_related_pc |archivedate = 2024-03-21 |url-status = live }}</ref>
20代のころに『[[織田信長 (1989年のテレビドラマ)|織田信長]]』で共演した[[野村真美]]は、「ジャパンアクションクラブにお友達もいて、一緒にお食事をしたことも。今朝、テレビで見て『あぁ、そうか…』って言葉がない感じ。胸がつまる思いがありました」と偲んだ<ref>{{Cite news ja |title = 野村真美、千葉真一さんの訃報に「胸がつまる思い」|newspaper = SANSPO.COM |date = 2021-08-20 |url = https://www.sanspo.com/article/20210820-O2MLJSLZQ5OGHFNVK5ZX56VAXE/ |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 産業経済新聞社 |archiveurl = https://archive.ph/MLiV0 |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>。


[[倉田保昭]]は訃報を聞き、「ショックで寂しかった」と語っている<ref name = 天本15>[[#挑む2692|天本伸一郎 「倉田保昭 『目標としていつも背中を追い求めた憧れの先輩』」、15頁。]]</ref>。[[東映アカデミー|東映演技研修所]]に一期生で通っていた倉田にとって、7歳上で既にスターとして活躍していた違いもあり、「『キイハンター』で特に意識し、“ああなりたい”と思うような憧れの先輩でしたね」と回想した<ref name = 天本14>[[#挑む2692|天本伸一郎 「倉田保昭 『目標としていつも背中を追い求めた憧れの先輩』」、14頁。]]</ref>。1970年から[[香港映画]]に活動の場を移した倉田は、1974年に“和製ドラゴン”として凱旋帰国後、『[[直撃! 地獄拳]]』に出演{{R |天本14 }}。同作では直接手合わせするシーンは無く{{R |天本14 }}、あまり話す機会はなかったものの{{R |天本14 }}、『[[バーディー大作戦]]』『[[Gメン'75]]』に出演していた時{{R |天本15 }}、[[近藤照男]]から「千葉真一ならこうだ、こうした」と倉田を発奮させるかのように幾度となく話をされ{{R |天本15 }}、更に意識するようになっていた{{R |天本15 }}。『[[必殺女拳士]]』でも共演するが同じシーンは無く、ようやく対面で演技をしたのは『[[服部半蔵 影の軍団]]』第2話「闇に潜む牝豹」{{R |天本15 }}。終盤に決闘するシーンもあったが、『影の軍団シリーズ』のレギュラーを断っていたので、倉田はきっちり共演できていないという気持ちに駆られていた{{R |天本15 }}。そのような思いから、倉田が製作する『[[マスター・オブ・サンダー 決戦!! 封魔龍虎伝]]』に出演してもらえるよう、自ら頼んでいる{{R |天本15 }}。「当時、日本の[[アクション映画]]は若手が育っていなかったので、千葉さんと私がぶつかる姿を若手に教材として見せたい」「3度ほど、二人きりで10時間以上お話をして ようやく千葉さんはOKしてくれた」「千葉さんと最初にアクションを撮影する日には、ジャパンアクションクラブ (''JAC'') と[[倉田プロモーション|倉田アクションクラブ]]の門下生が大勢、[[美術 (職業)#美術デザイナー|セット]]へ見学に来たのが驚きだった」と振り返った{{R |天本15 }}。撮影の合間に「作りたい映画を、何時間も語り合ったことが思い出深い」と語る倉田は、同作で共演以降、ほとんど会う機会も無く、「いつも私の片思いでした」と残念がっている{{R |天本15 }}。倉田は出演作だと「『[[赤穂城断絶]]』が特に印象に残っている」と語り{{R |天本14 }}、「何人ものスターを作り上げ、息子さん二人もスターになりつつある。その情熱は素晴らしいし、大変な方だと思います。亡くなられた時に思い出したのは、千葉さんと私が[[殺陣|立ち回り]]で闘ったこと。私たちの時代、特に私は先輩がいらっしゃったからガンバレたし、目標としていつも背中を追い求めてきました。良い時代を過ごさせていただき、ありがとうございました」と追悼した{{R |天本15 }}。
『[[源義経 (1990年のテレビドラマ)|源義経]]』で共演した[[東山紀之]]は千葉の悲報に、「20代のころに共演させていただきましたが、千葉さんが時代劇の立ち回りにアクションを入れた最初の方なんです。今、世界中の映画で行われているアクションものの一番最初は千葉さんがお考えになったものなので、この功績は凄いです」と改めて存在の大きさを絶賛した<ref name = 報知東紀>{{Cite news ja |title = 東山紀之 千葉真一さんを追悼「時代劇の立ち回りにアクションを入れた最初の方…この功績は凄い」 |newspaper = スポーツ報知 |date = 2021-08-22 |url = https://hochi.news/articles/20210822-OHT1T51026.html?page=1 |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 報知新聞社 |archiveurl = https://archive.ph/1wTtf |archivedate = 2022-05-09 |url-status = live }}</ref><ref name = デイスポ東紀>{{Cite news ja |title = 東山紀之“母親”亡くし“父親”失った真田広之との誓い「僕らは教えを次の世代に」 |newspaper = デイリースポーツ online |date = 2021-08-22 |url = https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/22/0014612529.shtml |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 神戸新聞社 |archiveurl = https://archive.ph/cfgE7 |archivedate = 2021-08-24 |url-status = live }}</ref>。千葉の弟子・[[真田広之]]と[[電子メール|メール]]で連絡し、「僕は[[メリー喜多川|メリー]]さんという母親を亡くして、真田さんは千葉さんという父親を亡くした。これは自然の摂理で、しょうがないことなんですが、僕らはその教えを次の世代に伝えていくっていうのが、これからますます大事になるねっていうやり取りをさせていただきました」と誓い合ったことを明かしている<ref name = 報知東紀/><ref name = デイスポ東紀/>。


『[[影の軍団III]]』と『[[写真甲子園 0.5秒の夏]]』で共演した[[秋野暢子]]は「千葉真一さん……残念です」と[[ブログ]]で書き始め、「若い頃、東映スタジオで[[殺陣]]を教えていただきました。とても優しく、丁寧に指導してもらい、お優しい素敵な方」と、最近は会えなかったが、世界を代表するアクション俳優から指導を受けた思い出を振り返り、「とても頑強でお元気な方が、コロナ感染されるなんて信じられません」とショックを隠せず、「どうぞゆっくりおやすみください。ご冥福お祈りしています。合掌」と哀惜した{{R |ニッカン的秋池 |池慎秋暢的浩 }}<ref>{{Cite web |和書 |url = https://ameblo.jp/yokosmilerun/entry-12693189097.html |title = 千葉真一さん………訃報 |accessdate = 2022-05-10 |author = 秋野暢子 |authorlink = 秋野暢子 |date = 2021-08-20 |website = 秋野暢子オフィシャルブログ「スマイルライフ」|work = アメーバブログ |publisher = サイバーエージェント |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210828101932/https://ameblo.jp/yokosmilerun/entry-12693189097.html |archivedate = 2021-08-28 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん訃報に「ワクチン打たれてなかったとか」「頑強な方が」秋野暢子ショック |newspaper = デイリースポーツ online |date = 2021-08-20 |url = https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/20/0014607371.shtml |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 神戸新聞社 |archiveurl = https://archive.ph/LT70m |archivedate = 2021-08-22 |url-status = live }}</ref>。
『[[寺子屋ゆめ指南]]』で父娘役を演じた[[西田尚美]]は、「千葉さん、信じられません 半年間、時代劇で私の父上様でした」と受け入れがたい心境を吐露した<ref name = ねとエン多数追悼/><ref name = Twitter西尚>{{Cite web |和書 |url = https://twitter.com/nnnnaominishida/status/1428361797464064001 |title = 千葉さん、信じられません |accessdate = 2022-05-10 |date = 2021-08-20 |website = 西田尚美 |publisher = Twitter |archiveurl = https://archive.ph/g8l4Q |archivedate = 2022-05-09 |url-status = live }}</ref>。同ドラマは千葉と長女・[[真瀬樹里]]の初共演作でもあり、西田は「千葉さんと娘さんの樹里ちゃんと殺陣のお稽古とか…私がふらふらになっても、千葉さんと樹里ちゃんはとても楽しそうで。なんて素晴らしい時間だったんだろう」と振り返りつつ、「ありがとうございました。心よりご冥福をお祈り致します」と結び、西田が2014年3月2日にリツイートした千葉、樹里、真剣佑、郷敦の写真を添えている<ref name = ねとエン多数追悼/><ref name = Twitter西尚/>。


20代のころに『[[織田信長 (1989年のテレビドラマ)|織田信長]]』で共演した[[野村真美]]は、「ジャパンアクションクラブにお友達もいて、一緒にお食事をしたことも。今朝、テレビで見て『あぁ、そうか…』って言葉がない感じ。胸がつまる思いがありました」と偲んだ<ref>{{Cite news |和書 |title = 野村真美、千葉真一さんの訃報に「胸がつまる思い」|newspaper = SANSPO.COM |date = 2021-08-20 |url = https://www.sanspo.com/article/20210820-O2MLJSLZQ5OGHFNVK5ZX56VAXE/ |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 産業経済新聞社 |archiveurl = https://archive.ph/MLiV0 |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>。
『[[悪名]]』で共演した[[的場浩司]]はブログで「ため息。笑顔が似合う気さくで偉大な先輩が逝かれた。“千葉真一さん”。偶然にも前回の写真は、千葉さんと初めて共演させて頂いた映画『悪名』のもの。京都のロケ現場で全身からオーラを放つ千葉さんに、緊張しながら御挨拶させて頂いた場面を思い出しました。優しい笑顔が印象に残っています。その後も御会いする度に色んなお話しを聞かせてくれました。千葉さんの御冥福を御祈り致します。朝からため息しか出ないよ」と沈痛の思いをつづった<ref name = ニッカン的秋池/><ref name = 池慎秋暢的浩/><ref>{{Cite web |和書 |url = https://ameblo.jp/matoba-koji/entry-12693196061.html |title = ため息… |accessdate = 2022-05-10 |date = 2021-08-20 |website = 的場浩司オフィシャルブログ |publisher = アメーバブログ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220509143620/https://ameblo.jp/matoba-koji/entry-12693196061.html |archivedate = 2022-05-09 |url-status = live }}</ref>。


『[[柳生十兵衛七番勝負#テレビドラマ|柳生十兵衛七番勝負]]』で共演した[[村上弘明]]は、世界的アクションスターとし活躍した千葉を「旧来の立ち回りに変革をもたらした人で、特にアクション、殺陣分野において曲芸的ものよりショーアップしたもを取り入れ、時代物、現代物を問ず見せるアクションを創り上げでした<ref name = 中日村弘>{{Cite news ja |title = 千葉真一さん見せるアクションを創り上げ村上弘明が追悼コメント NHKドラマで刃を交える |newspaper = 中日スポーツ |date = 2021-08-20 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/314946 |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 中日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820153722/https://www.chunichi.co.jp/article/314946 |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>」と敬意を表した<ref name = 報知村弘>{{Cite news ja |title = 村上弘明、NHK時代劇で共演した千葉一さんを追悼見せるアクション創り上げた人」|newspaper = スポーツ報知 |date = 2021-08-20 |url = https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51205.html?page=1 |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 報知新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220510100832/https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51205.html?page=1 |archivedate = 2022-05-10 |url-status = live }}</ref>。殺陣では「刃交えたのですがその一振りに鍛錬を重ねた荘厳さ感じられ、たいへん充実した立ち合いにったと思ます。芝居に対するほばしる情熱がまるで純粋子供のようで、それがとても印象的でした<ref name = 中日村弘/>」と回想<ref name = 報知村弘/>。その数年後に『[[柳生十兵衛七番勝負 最後]]』リハーサル室に現た千葉は{{Efn |同時期に千葉真一は[[河ドラマ]]『[[風林火山 (NHK大河ドラマ)|風林火山]]』出演しており、それぞれ[[NHK総合テレビジョン|NHK総合制作]]の作品であ。[[特選!時代劇#木曜時代劇(2006 - 2007年度)|木曜時代劇]]『[[柳生十兵衛七番勝負 最後の闘い]]』には千葉の親友・[[夏八木勲]]も出ている。}}、村上に「るねー!相談事があっら、いつでも連絡て。待ってるからさ<ref name = 中日村弘/>」と名刺を渡し、立ち去ったという<ref name = 報知村弘/>。天国の千葉へ村上は「とても残念です。ご冥福をお祈りします<ref name = 中日村弘/>」と追悼した<ref name = 報知村弘/>
『[[源義経 (1990年のテレビドラマ)|源義経]]』で共演した[[東山紀之]]は、悲報に「20代のころに共演させいただきましたが、千葉真一さんが時代劇の立ち回りにアクションを入れた最初んです。今世界中映画で行れているアクションものの一番最初は千葉さんがお考えになっものなの、この功績は凄いです」と改めて存在の大きさを絶賛した<ref name = 報知東紀>{{Cite news |和書 |title = 東山紀之 千葉真一さんを追悼時代劇の立ち回りにアクションを入れ最初の方…この功績は凄い」 |newspaper = スポーツ報知 |date = 2021-08-22 |url = https://hochi.news/articles/20210822-OHT1T51026.html?page=1 |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 報知新聞社 |archiveurl = https://archive.ph/1wTtf |archivedate = 2022-05-09 |url-status = live }}</ref><ref name = デイスポ東紀>{{Cite news |和書 |title = 東山紀之“母親”亡く“父親”失った真田広之との誓い僕らは教え次の世代に」|newspaper = デイリースポーツ online |date = 2021-08-22 |url = https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/22/0014612529.shtml |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 神戸新聞社 |archiveurl = https://archive.ph/cfgE7 |archivedate = 2021-08-24 |url-status = live }}</ref>。真田広之と[[電子メール]]連絡し、「真田さん千葉さんという父親亡くし。これは自然摂理で、しょうがないとなすが僕らはその教えを次世代に伝えてくっていうが、こからますますねっていり取りをさせだきま」と誓い合ったを明かしてる{{R |報知東紀 |デイスポ東紀 }}


『[[寺子屋ゆめ指南]]』で父娘役を演じた[[西田尚美]]は「千葉真一さん、信じられません 半年間、時代劇で私の父上様でした」と受け入れがたい心境を吐露した{{R |ねとエン多数追悼 }}<ref name = Twitter西尚>{{Cite web |和書 |url = https://twitter.com/nnnnaominishida/status/1428361797464064001 |title = 千葉さん、信じられません |accessdate = 2022-05-10 |date = 2021-08-20 |website = 西田尚美 |publisher = Twitter |archiveurl = https://archive.ph/g8l4Q |archivedate = 2022-05-09 |url-status = live }}</ref>。この時代劇は千葉と真瀬樹里の初共演作でもあり、西田は「千葉さんと娘さんの樹里ちゃんと殺陣のお稽古とか…私がふらふらになっても、千葉さんと樹里ちゃんはとても楽しそうで。なんて素晴らしい時間だったんだろう」と振り返りつつ、「ありがとうございました。心よりご冥福をお祈り致します」と結び、西田が2014年3月2日にリツイートした千葉、樹里、新田真剣佑、眞栄田郷敦の写真を添えている{{R |ねとエン多数追悼 |Twitter西尚 }}。
===== ''JAC''出身者 =====
創設した[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ (''JAC'') ]]からは、愛弟子たちが追悼コメントを発した。


[[金田治]]は「千葉さんとの思い出は数えきれないほどあるが、同じ作品に出演したことよりも、一緒に練習し、''JAC'' の合宿、番組の企画でアメリカのアクョン映画のケ地を千葉んと二人巡ったりどのほう印象に残っている。千葉さんの功績は、アクションの専門職を作ったこ。『自分だけが凄いアクションができもダメだ』と言い、スタントマンが冷遇ていたなか、日本アクションを変え、アメリカ映画に負けないスタントが日本でもできるというポリシーを持って続けてきた。僕は千葉さんが考えていたこと、やりたいことを今も自分なり続けている。千葉さがいなかったら僕はこの道に入っいないかもしない、アクション仕事で飯食えていないない。今自分は存在してなかった」と回想した<ref>{{Cite web |和書 |url = https://wpb.shueisha.co.jp/news/entertainment/2021/10/17/114597/ |title = 金田治氏が語る仮面ライダーシリーズを支える“スーツアクター”の仕事「いくら運動神経がよくても、芝居心がなければなれない」|accessdate = 2022-07-16 |author = 井上陸人 [[昌谷大介]] (A4studio) |date = 2021-10-17 |website = [[週刊プレイボーイ|週プレNEWS]] |work = エンタメ |publisher = 集英社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20211016221313/https://wpb.shueisha.co.jp/news/entertainment/2021/10/17/114597/ |archivedate = 2021-10-16 |url-status = live }}</ref>。
[[悪名#的場浩司主演版|悪名シリーズ]]』で共演した[[的場浩司]]はオフィャルブグで「ため息。笑顔が似合う気偉大先輩逝かれた千葉真一さん”。偶然にも前回写真は、千葉さん初め共演いた『悪名』のもの。京都のロケ現場全身からオ放つ千葉さんに、緊張しなら御挨拶させいた場面を思い出しまし。優し笑顔が印象残っています。その後も御会いす度に色んなお話しを聞た。千葉さん御冥福御祈り致します。朝らため息か出ないよ」と沈痛をつづった{{R |ニッカン的秋池 |池慎秋暢的浩 }}<ref>{{Cite web |和書 |url = https://ameblo.jp/matoba-koji/entry-12693196061.html |title = ため息… |accessdate = 2022-05-10 |author = 的場浩司 |authorlink = 的場浩司 |date = 2021-08-20 |website = KOJI MATOBA OFFICIAL BLOG |work = ーバブログ |publisher = サイバーエージェント |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220509143620/https://ameblo.jp/matoba-koji/entry-12693196061.html |archivedate = 2022-05-09 |url-status = live }}</ref>。


『[[柳生十兵衛七番勝負#テレビドラマ|柳生十兵衛七番勝負]]』で共演した[[村上弘明]]は、世界的アクションスターとして活躍してきた様を「アクション・スタントに[[アクロバット]]を取り入れ、時代劇・[[現代劇]]を問わず、魅せる演技を創り上げた人で、旧来の殺陣に変革をもたらした<ref name = 中日村弘>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さんは「見せるアクションを創り上げた人」村上弘明が追悼コメント NHKドラマで刃を交える |newspaper = 中日スポーツ |date = 2021-08-20 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/314946 |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 中日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820153722/https://www.chunichi.co.jp/article/314946 |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>」と敬意を表した<ref name = 報知村弘>{{Cite news |和書 |title = 村上弘明、NHK時代劇で共演した千葉真一さんを追悼「見せるアクションを創り上げた人」|newspaper = スポーツ報知 |date = 2021-08-20 |url = https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51205.html?page=1 |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 報知新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220510100832/https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51205.html?page=1 |archivedate = 2022-05-10 |url-status = live }}</ref>。「決闘ではその一振りに鍛錬を重ねた荘厳さが感じられ、たいへん充実した立ち合いになったと思います。芝居に対するほとばしる情熱がまるで純粋な子供のようで、それがとても印象的でした{{R |中日村弘 }}<ref name = 悦子広之>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん死去に真田広之らJAC〝門下生〟も悲しみ |newspaper = SANSPO.COM |date = 2021-08-21 |url = https://www.sanspo.com/article/20210821-UUEX3AUQK5JOJIET42ZHWC5HWU/ |accessdate = 2024-03-01 |publisher = 産業経済新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821094423/https://www.sanspo.com/article/20210821-UUEX3AUQK5JOJIET42ZHWC5HWU/ |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>」と回想。その数年後に『[[柳生十兵衛七番勝負 最後の闘い]]』のリハーサル室に現れ{{Efn |同時期に千葉真一は『[[風林火山 (NHK大河ドラマ)]]』に出演しており、それぞれ[[NHK総合テレビジョン|NHK総合制作]]の作品である。『[[柳生十兵衛七番勝負 最後の闘い]]』には千葉の親友・[[夏八木勲]]も出ている<ref name = 夏八木ポスト>{{Cite web |和書 |url = http://www.news-postseven.com/archives/20130429_184553.html |title = 世界的アクションスター・千葉真一に劣らぬ夏八木勲の筋肉美 |accessdate = 2013-05-04 |author = 春日太一 |authorlink = 春日太一 |date = 2013-04-29 |website = [[NEWSポストセブン]] |work = 芸能 |publisher = [[小学館]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130504043823/http://www.news-postseven.com/archives/20130429_184553.html |archivedate = 2013-05-04 |url-status = live }}</ref><ref name = 東スポ夏八木>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一 夏八木勲さんへの思い語る |newspaper = 東京スポーツ |date = 2013-05-14 |url = http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/142369/ |accessdate = 2013-05-21 |publisher = 東京スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130611045130/http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/142369/ |archivedate = 2013-06-11 |url-status = live }}</ref>。}}、村上に「やってるねー!相談事があったら、いつでも連絡して。待ってるからさ{{R |中日村弘 }}」と名刺を渡し、立ち去ったという{{R |報知村弘 }}。天国の千葉真一へ村上は「とても残念です。ご冥福をお祈りします{{R |中日村弘 }}」と追悼した{{R |報知村弘 }}。
[[志穂美悦子]]はブログで「見上げる空に」と題し、「それは、あまりに突然で、言葉にならない。でも''JAC'' イズムは生きている。それぞれの場所で生きている」と恩師の死を悼み、''JAC''への思いを記した<ref name = 真剣志穂美/>。


===== ''JAC OB OG'' =====
[[真田広之]]は「子役の頃から、様々な事を学ばせて頂きました。何よりも、夢を抱くことの大切さを。志を受け継ぎ、走り続ける事が恩返しと心得ております。本当にお世話になりました。安らかにおやすみ下さい。合掌」と悼んだ<ref name = 樹里NHK/><ref name = 樹里真田沢/>。
創設したジャパンアクションクラブ (''JAC'') からは、愛弟子たちが追悼コメントを捧げた。


[[金田治]]は「千葉真一さんとの思い出は数えきれないほどあるが、同じ作品に出演したことよりも、一緒に練習し、''JAC''の合宿、番組の企画でアメリカのアクション映画のロケ地を、千葉さんと二人で巡ったりなどのほうが印象に残っている。千葉さんの功績は、アクションの専門職を作ったこと。『自分だけが凄いアクションができてもダメだ』と言い、スタントマンが冷遇されていたなか、日本のアクションを変え、アメリカ映画に負けないスタントが日本でもできるというポリシーを持って続けてきた。僕は千葉さんが考えていたこと、やりたいことを今も自分なりに続けている。千葉さんがいなかったら僕はこの道に入っていないかもしれないし、アクションの仕事で飯を食えていないかもしれない。今の自分は存在していなかった<ref name = 金田治>{{Cite web |和書 |url = https://wpb.shueisha.co.jp/news/entertainment/2021/10/17/114597/ |title = 金田治氏が語る仮面ライダーシリーズを支える“スーツアクター”の仕事「いくら運動神経がよくても、芝居心がなければなれない」|accessdate = 2022-07-16 |author = 井上陸人 |coauthors = [[昌谷大介|昌谷大介 (A4studio) ]] |date = 2021-10-17 |website = [[週刊プレイボーイ|週プレNEWS]] |work = エンタメ |publisher = 集英社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20211016221313/https://wpb.shueisha.co.jp/news/entertainment/2021/10/17/114597/ |archivedate = 2021-10-16 |url-status = live }}</ref>」と回想し、“日本アクション界の偉大な父”の冥福を祈った{{R |金田治 }}。
[[伊原剛志]]はツイッターで、「千葉真一さん!40年前、18歳で''JAC''に入って、目をかけて貰い『[[服部半蔵 影の軍団#影の軍団IV|影の軍団IV]]』『[[コータローまかりとおる!#映画|コータローまかりとおる!]]』に抜擢してくれた。二人きりになると優しく、京都で良く一緒に走ったりトレーニングもした」と思い出を回顧<ref name = ねとエン多数追悼/>。「俺が役者であるキッカケになった人だ!有難う御座いました。心からご冥福をお祈りします」と人生に大きな影響を与えた名優をしのんでいる<ref name = ねとエン多数追悼/>。

「見上げる空に」と題するブログにて{{R |真剣志穂美 }}、[[志穂美悦子]]は「それは、あまりに突然で、言葉にならない{{R |真剣志穂美 }}」と綴るのが精一杯ながら{{R |悦子広之 }}、「でも''JAC''イズムは生きている。それぞれの場所で生きている{{R |真剣志穂美 }}」と恩師の死を悼み、''JAC''への思いを記した{{R |真剣志穂美 |悦子広之 }}。

真田広之は{{R |悦子広之 }}、「子役の頃から、様々な事を学ばせて頂きました。何よりも、夢を抱くことの大切さを。志を受け継ぎ、走り続ける事が恩返しと心得ております。本当にお世話になりました。安らかにおやすみ下さい。合掌」と師匠を悼んだ{{R |SHOGUN |樹里NHK |樹里真田沢 |悦子広之 }}。
(⇒ ''[[#海外進出]]'')

ツイッターで[[伊原剛志]]は「千葉真一さん!40年前、18歳で''JAC''に入って、目をかけて貰い『[[影の軍団IV]]』『[[コータローまかりとおる!#映画|コータローまかりとおる!]]』に抜擢してくれた。二人きりになると優しく、京都で良く一緒に走ったりトレーニングもした{{R |ねとエン多数追悼 |悦子広之 }}」と思い出を回顧{{R |ねとエン多数追悼 }}。「俺が役者であるキッカケになった人だ!有難う御座いました。心からご冥福をお祈りします{{R |ねとエン多数追悼 |悦子広之 }}」と人生に大きな影響を与えた名優をしのんでいる{{R |ねとエン多数追悼 }}。


===== 親交の有った芸能人 =====
===== 親交の有った芸能人 =====
千葉を敬愛する芸能関係者は多く{{R |ねとエン多数追悼 }}、親交していた芸能人も各々追悼している。
千葉を敬愛する芸能関係者は多く<ref name = ねとエン多数追悼/>、[[池畑慎之介]]はブログで偉大な名優との思い出として<ref name = ねとエン多数追悼/>、「53年ぐらい前の何かの雑誌に掲載されたもの<ref name = アメブロピタ>{{Cite web |和書 |url = https://ameblo.jp/oziba/entry-12693144059.html |title = 訃報が‥。|accessdate = 2022-05-10 |date = 2021-08-19 |website = 池畑慎之介オフィシャルブログ「VIVA! プラチナ人生!!」|publisher = アメーバブログ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220510115643/https://ameblo.jp/oziba/entry-12693144059.html |archivedate = 2022-05-10 |url-status = live }}</ref>」と千葉、[[野際陽子]]との3ショットを公開し、「ピー(池畑)が16歳。千葉さんが29歳。野際陽子さんが30代前半。みんな若かった<ref name = アメブロピタ/>」としみじみ振り返りつつ、「千葉真一さんのご冥福を心からお祈りいたします。合掌<ref name = アメブロピタ/>」と追悼した<ref name = ねとエン多数追悼/><ref name = ニッカン的秋池/><ref>{{Cite news ja |title = 池畑慎之介「ご冥福を心からお祈りいたします」千葉真一さん悼む…53年前の千葉さん野際さんとの3ショットで追悼 |newspaper = スポーツ報知 |date = 2021-08-19 |url = https://hochi.news/articles/20210819-OHT1T51222.html?page=1 |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 報知新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220510121211/https://hochi.news/articles/20210819-OHT1T51222.html?page=1 |archivedate = 2022-05-10 |url-status = live }}</ref>。[[オスマン・サンコン]]は日本でタレント活動し始めたころに知り合い、それからは“千葉のアニキ”と慕っていた<ref name = 久坂部羊/><ref name = サンコン真剣佑/>。「コロナでアニキが亡くなったのはショックだった。千葉さんはサムライね!アニキほど、[[アフリカ]]のことを考えてくれた俳優はいなかった」と語り、千葉が創った''JAC'' (JAPAN ACTION CLUB) の顧問に2022年4月、就任している<ref name = サンコン真剣佑/>。

[[池畑慎之介]]はブログで偉大な名優との思い出として<ref name = ねとエン多数追悼/>、「53年ぐらい前の何かの雑誌に掲載されたもの。ピー(池畑)が16歳。千葉真一さんが29歳。[[野際陽子]]さんが30代前半。みんな若かった<ref name = ピタ>{{Cite web |和書 |url = https://ameblo.jp/oziba/entry-12693144059.html |title = 訃報が‥。|accessdate = 2022-05-10 |date = 2021-08-19 |website = VIVA! プラチナ人生!! |publisher = アメーバブログ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220510115643/https://ameblo.jp/oziba/entry-12693144059.html |archivedate = 2022-05-10 |url-status = live }}</ref>」と3ショットを公開{{R |ねとエン多数追悼 |ピタ }}。しみじみ振り返りつつ、「千葉真一さんのご冥福を心からお祈りいたします。合掌{{R |ピタ }}」と哀悼した{{R |ねとエン多数追悼 |ニッカン的秋池 }}<ref>{{Cite news |和書 |title = 池畑慎之介「ご冥福を心からお祈りいたします」千葉真一さん悼む…53年前の千葉さん野際さんとの3ショットで追悼 |newspaper = スポーツ報知 |date = 2021-08-19 |url = https://hochi.news/articles/20210819-OHT1T51222.html?page=1 |accessdate = 2022-05-10 |publisher = 報知新聞社 |page = 1 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220510121211/https://hochi.news/articles/20210819-OHT1T51222.html?page=1 |archivedate = 2022-05-10 |url-status = live }}</ref>。

オスマン・サンコンは日本でタレント活動し始めたころに知り合い、それからは“千葉のアニキ”と慕っていた{{R |久坂部羊 |サンコン真剣佑 }}。「コロナでアニキが亡くなったのはショックだった。千葉さんはサムライね!アニキほど、[[アフリカ]]のことを考えてくれた俳優はいなかった」と語り、千葉が創った''JAC'' (''JAPAN ACTION CLUB'') の顧問に[[2022年|令和4年]]4月、就任している{{R |サンコン真剣佑 }}。
(⇒ ''[[#2010年代]]'')
(⇒ ''[[#2010年代]]'')


空手道を通じ、交流があった[[長嶋一茂]]は「本当に残念」と切り出し、「千葉さんは僕が傾倒する空手団体の門下生で、四段を允許されているし、トーナメントにも出ている。それぐらい凄い方で、小中学校時代には千葉さんの強さについて話を聞いていた」と振り返った<ref name = 一茂生き方>{{Cite news |和書 |title = 長嶋一茂、ワクチン未接種だった千葉さん「生き方、生きざまでの決断」|newspaper = デイリースポーツ online |date = 2021-08-20 |url = https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/20/0014606900.shtml |accessdate = 2024-02-28 |publisher = 神戸新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820041427/https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/20/0014606900.shtml |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。2019年に開催された空手の世界大会では「お会いして。黒づくめのスーツでお洒落な[[帽子#分類|ハット]]を被って、『一茂くん』と来てくれて。本当に格好良くて、ほとんどしゃべれなかったが、こういう年の取り方ができたらいいなって。憧れの方だった」とも語った{{R |一茂生き方 }}<ref name = 一茂決断>{{Cite news |和書 |title = 長嶋一茂、ワクチン接種しなかった千葉真一さんを「生き様での決断だったと思う…カッコ良かった」|newspaper = スポーツ報知 |date = 2021-08-20 |url = https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51030.html?page=1 |accessdate = 2024-02-28 |publisher = 報知新聞社 |page = 1 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20240228122314/https://hochi.news/articles/20210820-OHT1T51030.html?page=1 |archivedate = 2024-02-28 |url-status = live }}</ref>。「生き方や生きざまでの判断・決断だったと思うので、ワクチンを打っていれば…と悔やまれるが、打たなかった千葉さん、変な言い方ですけど、格好良かったなっていう風に思う。ただ残念であることは間違いないです」と偲んでいる{{R |一茂生き方 |一茂決断 }}。
==== スポーツ界 ====
(⇒ ''[[#極真カラテ]]'')
[[1964年東京オリンピックの体操競技]]で[[銅メダル|女子団体銅メダル]]を獲得し、[[日本体育大学]]の同期である[[千葉吟子]]は突然の訃報に、「選手としての実力は相当のものだった。在学中の1年半を一緒に練習していたが、男性なのに柔らかくて、とても素敵な演技をしていた。当時、同期のみんなは彼が入学した時からオリンピック選手になれると思っていた」と振り返り、[[1960年ローマオリンピックの体操競技]]にも出場した吟子は「怪我をしていなければ、一緒に出場していたかもしれない。すごくハンサムで、女性は密かに憧れや気持ちを寄せていた」と回想<ref name = 東スポ吟子>{{Cite news ja |title = 千葉真一さん、幻の五輪秘話 同期の体操メダリスト語る「五輪選手になれると思っていた」|newspaper = 東京スポーツ |date = 2021-08-20 |url = https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/80989 |accessdate = 2023-07-20 |publisher = 東京スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20230720154046/https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/80989 |archivedate = 2023-07-20 |url-status = live }}</ref>。「とにかく残念。[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症 (''COVID-19'') ]]が終わったら、同期会をやろうって言っていたのに・・・。とても寂しいです」としんみり語った<ref name = 東スポ吟子/>。

==== 体操界・日体大 ====
1964年東京オリンピックの体操競技で女子団体銅メダルを獲得した千葉吟子は突然の訃報に、「選手としての実力は相当なものだった。在学中の1年半を一緒に練習していたが、男性なのに柔らかくて、とても素敵な演技をしていた。同期のみんなは彼が入学した時から[[オリンピック選手]]になれると思っていた」と振り返り、[[1960年ローマオリンピックの体操競技]]にも出場した吟子は「怪我をしていなければ、一緒に出場していたかもしれない。すごく[[美男子|ハンサム]]で、女性は密かに憧れや気持ちを寄せていた」と回想<ref name = 東スポ吟子>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん、幻の五輪秘話 同期の体操メダリスト語る「五輪選手になれると思っていた」|newspaper = 東京スポーツ |date = 2021-08-20 |url = https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/80989 |accessdate = 2023-07-20 |publisher = 東京スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20230720154046/https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/80989 |archivedate = 2023-07-20 |url-status = live }}</ref>。「とにかく残念。[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症 (''COVID-19'') ]]が終わったら、同期会をやろうって言っていたのに…。とても寂しいです」としんみり語った{{R |東スポ吟子 }}。
(⇒ ''[[#オリンピックを目指して]]''・''[[#プロレス界]]''・''[[#器械体操]]'')

[[松浪健四郎]]は1か月前に話したばかりだったので、「残念だね…」と絶句した<ref name = 東スポ松浪>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん 御年80で日体大伝統「エッサッサ」を“パンイチ”披露 松浪健四郎氏が回想 |newspaper = 東京スポーツ |date = 2021-08-21 |url = https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/81123 |accessdate = 2024-02-05 |publisher = 東京スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20240205103625/https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/81123 |archivedate = 2024-02-05 |url-status = live }}</ref>。2019年に芸能生活60周年パーティーが催された時、“[[日本体育大学#エッサッサ|エッサッサ]]”を、80歳で現役学生と共に白いパンツ一丁でやり通した姿に、松浪は「あれはきつくて、でも引き締まった美しい肉体で見事なエッサッサを見せてくれた」と衰えぬ身体に驚いている{{R |東スポ松浪 }}。同大学の特別卒業第1号に認定されたときは「すごく喜んでくれて、ずっと中退が心残りだったと思う。五輪壮行会にも二つ返事で駆けつけてくれた」と母校愛がとても強く、スターを育成したい気持ちから「アクションスター学科を作ってほしい」といつも話していたと回想し、哀悼の意を表した{{R |東スポ松浪 }}。
(⇒ ''[[#2010年代]]''・''[[#最期]]''・''[[#2022年]]''・''[[#プロレス界]]'')

==== 格闘技界 ====
===== 極真カラテ =====
[[山崎照朝]]は自身の[[格闘技]]コラム“撃戦記”にて、「訃報には驚いた。暗いニュースだった」と嘆き、「千葉さんは極真会館の前身・[[大山道場]]に入門しており、私の大先輩でもある。俳優になる前は器械体操の選手として、五輪を目指すほどの実力を持っていた。私が大学生の頃、[[稽古]]でご一緒したこともある。嗜む[[スポーツ]]は多彩で、アクションスターとして格好いい存在だった」と、その経歴・印象や在りし日の思い出を振り返りながら、追悼を寄せている<ref name = 山崎照朝>{{Cite web |和書 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/320992 |title = 驚いた千葉真一さん訃報… 極真空手の稽古でご一緒した思い出、アクションスターとして格好いい存在だった |accessdate = 2024-02-02 |author = 山崎照朝 |authorlink = 山崎照朝 |date = 2021-08-30 |website = 中日スポーツ |work = 撃戦記 |publisher = 中日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20211001080100/https://www.chunichi.co.jp/article/320992 |archivedate = 2021-10-01 |url-status = live }}</ref>。

「本当に格好よく、小学生の時に『キイハンター』を観ていて、身体のキレが素晴らしく、憧れていました」と語る[[八代英輝]]は、「中学・高校と6年間、本部道場に通っていた際、直接教えて頂く機会に恵まれた。あの時、間違いなく日本で一番強かったですね。稽古の一つに[[スクワット]]して[[前蹴り]]100回を10本するんですが、物凄くキツいこの鍛錬を最前列に立ち、笑顔で一緒にこなされていたのが深く脳裏に焼き付いている。それから20年ほど経ち、映画の仕事で千葉さんと[[ニューヨーク]]で再会できたが、僕のことを覚えていてくれて、とても嬉しかったですね。多くの人材を育て上げた実績もある」と追憶している<ref>{{Cite web |和書 |url = https://kakaku.com/tv/channel%3D6/programID%3D20354/episodeID%3D1494558/ |title = 栄光の旗、柳生一族の陰謀、戦国自衛隊、魔界転生、キル・ビル、JAC、千葉真一芸能生活60周年記念祝賀会、スポーツニッポン、極真会館、スポーツ報知、るろうに剣心 |accessdate = 2024-04-22 |date = 2021-08-20 |website = [[カカクコム|価格.com テレビ紹介情報]] |work =「ひるおび!」 2021年8月20日(金)放送内容 |publisher = [[カカクコム]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20221113092147/https://kakaku.com/tv/channel=6/programID=20354/episodeID=1494558/ |archivedate = 2022-11-13 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite web |和書 |url = https://ameblo.jp/massmedia-oya-ma/entry-12693362575.html |title = 八代英輝氏の空手経歴 |accessdate = 2024-04-22 |author = massmedia-oya-ma |date = 2021-08-21 |website = massmedia-oya-maのブログ |work = ブログ |publisher = アメーバブログ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210828181557/https://ameblo.jp/massmedia-oya-ma/entry-12693362575.html |archivedate = 2021-08-28 |url-status = live }}</ref>。

[[松井章圭|松井章奎]]は[[極真会館松井派|極真会館 松井派]]の公式サイトで「千葉真一氏の訃報に接し、謹んで哀悼の意を表します」と声明を出した{{R |efight松井 }}<ref name = 松井派>{{Cite web |和書 |url = https://www.kyokushinkaikan.org/ja/news/2021/08/20/s_chiba/ |title = 千葉真一氏の訃報に寄せて |accessdate = 2024-02-02 |author = 松井章奎 |authorlink = 松井章圭 |date = 2021-08-20 |website = 国際空手道連盟 極真会館 |work = 本部最新情報 |publisher = [[極真会館松井派|極真会館 松井派]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210926031244/https://www.kyokushinkaikan.org/ja/news/2021/08/20/s_chiba/ |archivedate = 2021-09-26 |url-status = live }}</ref>。大山道場で修行を始め、『けんか空手シリーズ』の主演、1977年にハワイ州で開催された極真日本代表 vs ハワイ代表の試合に参戦{{R |efight松井 }}、ジャパンアクションクラブを率いて[[全世界空手道選手権大会|第3回全世界空手道選手権大会]]でアクションの[[演武]]、松井体制では総本部相談役として大会に出席するとファンにサインをねだられるなど{{R |efight松井 }}、極真を世に広めた大きな功労を紹介・感謝し、冥福を祈っている{{R |efight松井 |松井派 }}。

(⇒ ''[[#Sonny Chiba]]''・''[[#2022年]]''・''[[#親交の有った芸能人]]''・''[[#格闘作品]]''・''[[#空手道]]'')

===== プロレス界 =====
[[船木誠勝]]は「千葉真一さんがお亡くなりになられました。『[[新・影の軍団|新 影の軍団シリーズ]]』の撮影時に大変お世話になりました。本当にありがとうございます。心より御冥福をお祈り致します」とオフィシャルブログに綴った<ref>{{Cite web |和書 |url = https://ameblo.jp/masa-funaki/entry-12693140425.html |title = 訃報 |accessdate = 2024-02-25 |date = 2021-08-19 |website = REDZONE |work = ブログ |publisher = アメーバブログ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20240225170611/https://ameblo.jp/masa-funaki/entry-12693140425.html |archivedate = 2024-02-25 |url-status = live }}</ref>。「撮影でご一緒する機会が多く、千葉さんは[[筆]]で[[台詞]]を大きな紙に書き、[[台本]]の代わりに持ち歩いていた。私が[[YouTube]]の脚本を書いているのも、あの時の千葉さんが頭の片隅にあるんでしょうね」と回想しつつ、大スターへ哀悼の意を表している<ref>{{Cite news |和書 |title =「千葉さんは筆で…」船木誠勝が千葉真一さんを追悼 エピソード明かす |newspaper = 東京スポーツ |date = 2021-08-20 |url = https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/81054 |accessdate = 2024-02-06 |publisher = 東京スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20240206064146/https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/81054 |archivedate = 2024-02-06 |url-status = live }}</ref>。

[[永田裕志]]は「日本体育大学の偉大な大先輩で、何度かお会いさせて頂きました。いつも優しい言葉をかけて頂きました。ご冥福をお祈りします」と[[Twitter]]でお悔やみの言葉を寄せた<ref>{{Cite news |和書 |title = 日体大の後輩永田裕志「いつも優しい言葉を」千葉真一さん悼む |newspaper = nikkansports.com |date = 2021-08-19 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108190001120.html |accessdate = 2022-05-08 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210819160254/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108190001120.html |archivedate = 2021-08-19 |url-status = live }}</ref>。同大学の先輩に紹介されて知り合った永田は、「なんてご挨拶したらいいか分からなくて、ひたすら『[[新日本プロレス]]の永田裕志です』と自己紹介した。[[紳士]]というか、偉ぶることなく優しい言葉で接してくれて、いたく感動したのを覚えている」、母校で催された[[2016年リオデジャネイロオリンピック]]の代表になった選手の壮行会では「[[敬語]]でお話され、こちらが申し訳なく思った」、[[アントニオ猪木]]や[[藤原喜明]]らが参加した会合でも「優しく声をかけてもらったことが忘れられない」、「かっこいい方だったなあ。アクションスターの先駆けのような存在だったし。心よりお悔やみ申し上げます」と振り返り、しんみりと悼んでいる<ref>{{Cite news |和書 |title = 永田裕志 大学の先輩・千葉真一さんを追悼「優しい言葉で接してくれて、いたく感動した」|newspaper = 東京スポーツ |date = 2021-08-20 |url = https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/80996 |accessdate = 2024-02-06 |publisher = 東京スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20240206070309/https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/80996 |archivedate = 2024-02-06 |url-status = live }}</ref>。
(⇒ ''[[#体操界・日体大]]'')


=== 追悼(海外) ===
=== 追悼(海外) ===
==== 追悼(欧米) ====
[[アメリカ合衆国]]では、『[[バラエティ (アメリカ合衆国の雑誌)]]』や『[[ハリウッド・リポーター]]』といった業界誌はもちろん、『[[ニューヨーク・タイムズ]]』や『[[ロサンゼルス・タイムズ]]』、『[[ワシントン・ポスト]]』といったアメリカの[[新聞|主要一般紙]]でもその死が報じられた<ref name = 荻原1819>[[#挑む2692|荻原順子 「アメリカにおけるサニー千葉の訃報と反響」、18 - 19頁。]]</ref>。映画にしてもテレビドラマにしても自国製の作品のみで十分に調えて供給できるアメリカでは、外国人俳優に対する一般人の関心が決して高くないことを踏まえると、サニー千葉は例外的存在だったと言える<ref name = 荻原1819/>。各媒体とも[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症 (''COVID-19'') ]]による合併症で亡くなったことから始まり、[[生い立ち]]や俳優としての経歴を紹介し、欧米で知名度を一気に上げた主演映画『激突! 殺人拳』に言及していた<ref name = 荻原1819/>。
アメリカ合衆国では、『バラエティ{{R |CNNjp1 }}<ref name = 荻原1819>[[#挑む2692|荻原順子 「アメリカにおけるサニー千葉の訃報と反響」、18 - 19頁。]]</ref><ref name = 猿渡>{{Cite web |和書 |url = https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/00829932ec2f25d41acef35e34ffb84909f0fe25 |title = 千葉真一に海外のセレブやファンから追悼メッセージ |accessdate = 2024-02-29 |author = 猿渡由紀 |date = 2021-08-20 |website = [[Yahoo! JAPAN]] |work = [[Yahoo!ニュース]] |publisher = [[LINEヤフー]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20240229092307/https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/00829932ec2f25d41acef35e34ffb84909f0fe25 |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref><ref name = 日刊バラ>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん死去を米誌電子版が報道「格闘技の伝説サニー・チバ」|newspaper = nikkansports.com |date = 2021-08-20 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000003.html |accessdate = 2024-03-01 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210819173036/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202108200000003.html |archivedate = 2021-08-19 |url-status = live }}</ref>』、『[[ハリウッド・リポーター]]{{R |荻原1819 }}』、『''[[Deadline.com]]''{{R |猿渡 }}』といった業界誌はもちろん{{R |荻原1819 |猿渡 }}、『[[ニューヨーク・タイムズ]]{{R |荻原1819 }}<ref name = エンよも二>{{Cite web |和書 |url = https://www.sankei.com/article/20210903-X2OZL6RJUBPL7G6PUYP3I37BYU/2/ |title = ブルース・リーを超えた格闘場面 |accessdate = 2024-02-29 |author = 岡田敏一 |date = 2021-09-03 |website = 産経デジタル |work =【エンタメよもやま話】|publisher = 産業経済新聞社 |page = 2 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210906060006/https://www.sankei.com/article/20210903-X2OZL6RJUBPL7G6PUYP3I37BYU/2/ |archivedate = 2021-09-06 |url-status = live }}</ref>』『[[ロサンゼルス・タイムズ]]{{R |荻原1819 }}』『[[ワシントン・ポスト]]{{R |荻原1819 }}』といった[[新聞|主要一般紙]]や{{R |荻原1819 }}、『[[ニューヨーク・ポスト]]』などの[[ニュースサイト]]{{R |猿渡 }}、[[CNN|''CNN''エンターテインメント]]をはじめとするテレビでも{{R |猿渡 |エンよも二 }}、その死が大々的に報じられた{{R |荻原1819 |猿渡 }}。映画にしてもテレビドラマにしても、自国製の作品のみで十分に調えて供給できるアメリカでは、外国人俳優に対する一般人の関心が決して高くないことを踏まえると、''Sonny Chiba''(サニー千葉)は例外的存在だったと言える{{R |荻原1819 }}。各媒体とも新型コロナウイルス感染症 (''COVID-19'') による合併症で亡くなったことから始まり{{R |荻原1819 }}、出生地から[[生い立ち]]{{R |荻原1819 |日刊バラ }}、器械体操と空手道の修練{{R |CNNjp1 |日刊バラ }}、長く尊敬されるキャリアを築いてきた俳優であることをしっかり紹介{{R |荻原1819 |猿渡 |日刊バラ }}。さまざまな作品に出演し、欧米で知名度を一気に上げた代表作『[[殺人拳シリーズ]]』にも言及している{{R |エンよも1 |荻原1819 }}。
(⇒ ''[[#Sonny Chiba]]''・''[[#格闘作品]]''・''[[#空手道]]'')


[[アカデミー賞]]公式''Twitter''は千葉の訃報に触れ、追悼メッセージを発表した
[[アカデミー賞]]公式''Twitter''は千葉の訃報に触れ、追悼メッセージを発表した<ref>{{cite news |url = https://www.moviecollection.jp/news/99448/ |title =「タランティーノのアイドル」千葉真一の訃報に海外からも追悼相次ぐ |date = 2021-08-20 |publisher = MOVIE Collection - ムビコレ }}</ref><ref>[https://twitter.com/theacademy/status/1428508059026952198 The Academy@TheAcademy]. 2021年8月20日. 2022年1月18日閲覧。</ref>。
<ref>{{cite news|url=https://www.moviecollection.jp/news/99448/|title=「タランティーノのアイドル」千葉真一の訃報に海外からも追悼相次ぐ|date=2021-08-20|publisher= MOVIE Collection - ムビコレ}}</ref>
<ref>[https://twitter.com/theacademy/status/1428508059026952198 The Academy@TheAcademy]. 2021年8月20日. 2022年1月18日閲覧。</ref>。


[[イギリス]]の[[インデペンデント]]は「『[[キル・ビル]]』などで知られる日本の有名なベテランスターは、新型コロナが原因で死去した」と速報し、[[フランス]]の''[[BFM TV]]'' は「彼は絶望の危機に瀕している日本映画の真の伝説」と評し、世界中の千葉作品を愛したファンたちも、[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|''SNS'' ]]などで「''[[RIP]]''(安らかに眠れ)」とメッセージを投稿した<ref>[[#報知11版|「英仏が速報」、芸能、11版、21頁。]]</ref>。
[[イギリス]]の[[インデペンデント]]は「『[[キル・ビル]]』などで知られる日本の有名なベテランスターは、新型コロナが原因で死去した」と速報し、[[フランス]]の''[[BFM TV]]'' は「彼は絶望の危機に瀕している日本映画の真の伝説」と評し、世界中の千葉作品を愛したファンたちも、[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|''SNS'' ]]などで「''[[RIP]]''(安らかに眠れ)」とメッセージを投稿した<ref>[[#報知11版|「英仏が速報」、芸能、11版、21頁。]]</ref>。

==== 追悼(アジア) ====
[[中華人民共和国]]では、[[新京報]]が[[新浪微博]]にて<ref name = 新京報>{{Cite news |和書 |title = コロナ感染の千葉真一さん死去、中国ネットも死を悼む |newspaper = [[新京報]] |date = 2021-08-20 |author = 川尻 |url = https://nordot.app/801271647640715264?c=62479058578587648 |accessdate = 2024-08-25 |agency = [[Record China]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821054004/https://nordot.app/801271647640715264?c=62479058578587648 |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref>、[[環球時報]]は電子版で<ref name = 環球時報>{{Cite news |和書 |title =「雄霸」千葉真一さん死去、中国でも活躍した日本のアクションスターたち―中国メディア |newspaper = [[環球時報]] |date = 2021-08-23 |author = 柳川 |url = https://nordot.app/802434283864784896?c=62479058578587648 |accessdate = 2024-08-25 |agency = Record China |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210901094952/https://nordot.app/802434283864784896?c=62479058578587648 |archivedate = 2021-09-01 |url-status = live }}</ref>、それぞれ訃報を流した{{R |新京報 |環球時報 }}。半世紀を超える芸歴を持つ大ベテランであり、映画監督や歌手などマルチな才能を持っていたことを伝えている{{R |新京報 }}。多くのネットユーザーがお悔やみの言葉を残し、「千葉真一死去」が微博のホットワードランキング上位に登場した{{R |新京報 }}。

[[大韓民国]]では[[共同通信社]]や<ref name = 共同通>{{Cite web |和書 |url = https://www.wowkorea.jp/news/read/311870.html |title =「崔倍達の弟子」俳優の千葉真一さん、コロナで死亡=韓国報道 |accessdate = 2024-08-25 |date = 2021-08-20 |website = wowKorea |work = 社会/文化 |publisher = エイアイエスイー |archiveurl = https://web.archive.org/web/20240825134252/https://www.wowkorea.jp/news/read/311870.html |archivedate = 2024-08-25 |url-status = live }}</ref>、[[フランス通信社|AFP通信]]・[[日本放送協会|NHK]]を<ref name = AFP通>{{Cite web |和書 |url = https://www.wowkorea.jp/news/read/311996.html |title = 映画「キル・ビル」の俳優・千葉真一、新型コロナの合併症で死去=韓国報道 |accessdate = 2024-08-25 |date = 2021-08-21 |website = wowKorea |work = 社会/文化 |publisher = エイアイエスイー |archiveurl = https://web.archive.org/web/20240825135032/https://www.wowkorea.jp/news/read/311996.html |archivedate = 2024-08-25 |url-status = live }}</ref>、ソースにして報道し{{R |共同通 |AFP通 }}、芸能人としてだけでなく、[[大山倍達]]の弟子としても訃報が流され、多くの追悼の声が数多く寄せられている{{R |共同通 |AFP通 }}<ref>{{Cite news |和書 |title =「大山倍達の弟子」千葉真一さんの訃報、韓国でも報じられる=韓国ネット民も追悼 |newspaper = [[聯合ニュース]] |date = 2021-08-20 |author = 丸山 |url = https://nordot.app/802434283864784896?c=62479058578587648 |accessdate = 2024-08-25 |agency = Record China |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210821054651/https://nordot.app/801339584654688256?c=62479058578587648 |archivedate = 2021-08-21 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite news |和書 |title =「空手」崔倍達の弟子…日本俳優の千葉真一さんコロナで死去 |newspaper = 中央日報日本語版 |date = 2021-08-20 |url = https://japanese.joins.com/JArticle/282093 |accessdate = 2024-08-25 |publisher = [[中央日報]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820055043/https://japanese.joins.com/JArticle/282093 |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。大ファンであると公言する[[リュ・スンワン]]は2024年に再来日した際、「以前、千葉真一先生にお会いできて、本当に光栄でした。数年前にお亡くなりになられて、とても胸が痛みました」と9年前の対面を振り返り、お悔やみを述べていた<ref name = 千葉リュ20241>{{Cite web |和書 |url = https://moviewalker.jp/news/article/1207741/ |title =『密輸 1970』緊急来日したチョ・インソンと大谷亮平が初対面!リュ・スンワン監督は『修羅雪姫』『仁義なき戦い』ら日本映画の影響明かす |accessdate = 2024-08-25 |author = 富塚沙羅 |date = 2024-07-13 |website = [[MOVIE WALKER PRESS]] |work = 映画ニュース・読みもの |publisher = [[ムービーウォーカー]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20240825095131/https://moviewalker.jp/news/article/1207741/ |archivedate = 2024-08-25 |url-status = live }}</ref><ref name = 千葉リュ20242>{{Cite web |和書 |url = https://natalie.mu/eiga/news/582175 |title = チョ・インソンのドラマで韓国語学ぶ、大谷亮平が初対面「今でもセリフ覚えてます」|accessdate = 2024-08-25 |author = 映画ナタリー編集部 |date = 2024-07-13 |website = [[ナタリー (ニュースサイト)|映画ナタリー]] |work = ニュース |publisher = ナターシャ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20240825084715/https://natalie.mu/eiga/news/582175 |archivedate = 2024-08-25 |url-status = live }}</ref><ref name =千葉リュ20243>{{Cite web |和書 |url = https://news.kstyle.com/article.ksn?articleNo=2243489 |title = チョ・インソン、映画「密輸 1970」来日舞台挨拶に監督と共に出席…大谷亮平が大絶賛! |accessdate = 2024-08-25 |date = 2024-07-14 |website = Kstyle |work = MOVIE |publisher = [[ミンカブ・ジ・インフォノイド]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20240825120629/https://news.kstyle.com/article.ksn?articleNo=2243489 |archivedate = 2024-08-25 |url-status = live }}</ref>。
(⇒ ''[[#Sonny Chiba]]''・''[[#海外進出]]''・''[[#格闘作品]]''・''[[#外国作品]]''・''[[#ファン(海外)]]'')


== 没後 ==
== 没後 ==
261行目: 348行目:
数々の代表作を放送、パッケージ販売、リバイバル上映など、追悼企画としてそれぞれ催された。
数々の代表作を放送、パッケージ販売、リバイバル上映など、追悼企画としてそれぞれ催された。


[[スカパー! (東経110度BS・CSデジタル放送)|スカパー! ]]は死去翌日の8月20日、テレビ映画『[[キイハンター]]』『[[現代鬼婆考 殺愛]]』のほか、[[映画]]『[[激突! 殺人拳]]』『[[やくざ刑事シリーズ]]』『[[麻薬売春Gメンシリーズ]]』『[[あゝ同期の桜]]』『[[仁義なき戦い 広島死闘篇]]』『[[いつかギラギラする日]]』、[[時代劇]]『[[赤穂城断絶]]』『[[太閤記 (1987年のテレビドラマ)|太閤記]]』『[[徳川家康 (1988年のテレビドラマ)|徳川家康]]』など、[[主演]]・出演した映画・テレビ映画・時代劇を放送すると発表した<ref>{{Cite web |和書 |url = https://spice.eplus.jp/articles/291594 |title = 千葉真一さんを追悼 『キイハンター』『仁義なき戦い 広島死闘篇』『激突! 殺人拳』などドラマ・映画をスカパー!で放送 |accessdate = 2021-08-20 |author = SPICE編集部 |date = 2021-08-20 |website = SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス |work = ニュース 映画 |publisher = [[イープラス|e+]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820132256/https://spice.eplus.jp/articles/291594 |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。[[BSテレビ東京]]は24日にアメリカ映画『[[エイセス/大空の誓い|エイセス / 大空の誓い]]』を29日21時から追悼放送するとアナウンス<ref name = AcesRS>{{Cite web |和書 |url = https://realsound.jp/movie/2021/08/post-843483.html |title = 千葉真一さんを追悼 BSテレ東で『エイセス / 大空の誓い』放送決定 |accessdate = 2021-08-24 |author = リアルサウンド映画部 |date = 2021-08-24 |website = [[リアルサウンド|Real Sound]] |work = ニュース 映画情報 |publisher = blueprint |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210824163629/https://realsound.jp/movie/2021/08/post-843483.html |archivedate = 2021-08-24 |url-status = live }}</ref><ref name = エイセス報知>{{Cite news ja |title = BSテレ東、千葉真一さん追悼で米映画「エイセス / 大空の誓い」29日放送 |newspaper = スポーツ報知 |date = 2021-08-24 |url = https://hochi.news/articles/20210824-OHT1T51118.html?page=1 |accessdate = 2021-08-24 |publisher = 報知新聞社 |page = 1 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220410062517/https://hochi.news/articles/20210824-OHT1T51118.html?page=1 |archivedate = 2021-08-24 |url-status = live }}</ref>。同局プロデューサーは「[[敬老の日]]に世界の名優たちと同列に活躍する千葉へリスペクトを込めて放映する準備をしていたが、突然の訃報により急遽追悼放送になってしまった…。(自身が)[[昭和]]の映画少年として、数々の千葉出演作から影響を受けたものは計り知れず、その勇姿を心に刻んでほしい」とコメントを寄せている<ref name = AcesRS/><ref name = エイセス報知/>。地元の[[千葉テレビ放送|チバテレ]]は主演・[[アクション監督]]の映画『[[戦国自衛隊 (映画)|戦国自衛隊]]』を「千葉真一追悼番組」として10月10日に放送し<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.chiba-tv.com/info/detail/54851 |title = 千葉真一追悼番組 映画『戦国自衛隊』|accessdate = 2021-10-10 |website = チバテレ |work = 新着情報 |publisher = [[千葉テレビ放送]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20211001081942/https://www.chiba-tv.com/info/detail/54851 |archivedate = 2021-10-01 |url-status = live }}</ref>、[[東映チャンネル]]は「映画界最強の男 千葉真一特集」 と銘打ち、11月は『[[魔界転生#1981年|魔界転生]]』『[[風来坊探偵 赤い谷の惨劇]]』『『[[ゴルゴ13 九竜の首]]』『[[けんか空手 極真拳]]』『[[けんか空手 極真無頼拳]]』『[[やくざ刑事 俺たちに墓はない]]』、12月は『[[柳生一族の陰謀]]』『仁義なき戦い 広島死闘篇』『[[狼やくざ 殺しは俺がやる]]』『激突! 殺人拳』『[[殺人拳2]]』『[[警視庁物語#警視庁物語 不在証明|警視庁物語 不在証明]]』、翌年1月は『[[カミカゼ野郎 真昼の決斗]]』『[[直撃! 地獄拳]]』『[[日本暗殺秘録]]』『[[忍者武芸帖 百地三太夫]]』『[[狼やくざ 葬いは俺が出す]]』『[[逆襲! 殺人拳]]』、翌年2月は『[[直撃地獄拳 大逆転]]』『[[少林寺拳法 (映画)|少林寺拳法]]』『[[東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯]]』『[[ボディガード牙]]』『[[子連れ殺人拳]]』『[[空手バカ一代 (映画)|空手バカ一代]]』と、4か月間に代表作24本を特集放映した<ref>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20211027104409/https://www.toeich.jp/special/chibashinichi_memorial |date = 2021年10月27日 |title = 映画界最強の男 千葉真一特集 }}</ref>。[[時代劇専門チャンネル]]は「ありがとう!千葉真一&#12316;ジャパニーズ・ニンジャ・アクションスター&#12316;」と題して11月に『[[服部半蔵 影の軍団]]』と12月に『[[柳生一族の陰謀#連続ドラマ|柳生一族の陰謀]]』を各々全話ラインナップし、『[[里見八犬伝 (1983年の映画)|里見八犬伝]]』『[[伊賀忍法帖#映画|伊賀忍法帖]]』『赤穂城断絶』の映画と併せて放送した<ref>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20211124143625/https://www.jidaigeki.com/osusume/chiba-shinichi/ |date = 2021年11月24日 |title = <2ヵ月(11-12月)連続>ありがとう!千葉真一&#12316;ジャパニーズ・ニンジャ・アクションスター&#12316; }}</ref>。
[[スカパー! (東経110度BS・CSデジタル放送)|スカパー! ]]は死去翌日の8月20日、『[[キイハンター]]』『[[現代鬼婆考 殺愛]]』のほか、『[[激突! 殺人拳]]』『[[やくざ刑事シリーズ]]』『[[麻薬売春Gメンシリーズ]]』『[[あゝ同期の桜]]』『[[仁義なき戦い 広島死闘篇]]』『[[いつかギラギラする日]]』、『[[赤穂城断絶]]』『[[太閤記 (1987年のテレビドラマ)|太閤記]]』『[[徳川家康 (1988年のテレビドラマ)|徳川家康]]』など、[[主演]]・出演した作品を放送すると発表した<ref>{{Cite web |和書 |url = https://spice.eplus.jp/articles/291594 |title = 千葉真一さんを追悼 『キイハンター』『仁義なき戦い 広島死闘篇』『激突! 殺人拳』などドラマ・映画をスカパー!で放送 |accessdate = 2021-08-20 |author = SPICE編集部 |date = 2021-08-20 |website = SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス |work = ニュース 映画 |publisher = [[イープラス|e+]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210820132256/https://spice.eplus.jp/articles/291594 |archivedate = 2021-08-20 |url-status = live }}</ref>。[[BSテレビ東京]]は24日に『[[エイセス/大空の誓い|エイセス / 大空の誓い]]』を29日21時から追悼放送するとアナウンス<ref name = AcesRS>{{Cite web |和書 |url = https://realsound.jp/movie/2021/08/post-843483.html |title = 千葉真一さんを追悼 BSテレ東で『エイセス / 大空の誓い』放送決定 |accessdate = 2021-08-24 |author = リアルサウンド映画部 |date = 2021-08-24 |website = [[リアルサウンド|Real Sound]] |work = ニュース 映画情報 |publisher = blueprint |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210824163629/https://realsound.jp/movie/2021/08/post-843483.html |archivedate = 2021-08-24 |url-status = live }}</ref><ref name = エイセス報知>{{Cite news |title = BSテレ東、千葉真一さん追悼で米映画「エイセス / 大空の誓い」29日放送 |newspaper = スポーツ報知 |date = 2021-08-24 |url = https://hochi.news/articles/20210824-OHT1T51118.html?page=1 |accessdate = 2021-08-24 |publisher = 報知新聞社 |page = 1 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220410062517/https://hochi.news/articles/20210824-OHT1T51118.html?page=1 |archivedate = 2021-08-24 |url-status = live }}</ref>。[[テレビプロデューサー|同局プロデューサー]]は「[[敬老の日]]に世界の名優たちと同列に活躍する千葉真一さんへリスペクトを込めて放映する準備をしていたが、突然の訃報により急遽追悼放送になってしまった…。(自身が)[[昭和]]の映画少年として、千葉さんが出演する数々のから影響を受けたものは計り知れず、その勇姿を心に刻んでほしい」とコメントを寄せている<ref name = AcesRS/><ref name = エイセス報知/>。地元の[[千葉テレビ放送|チバテレ]]は主演・[[アクション監督]]の映画『[[戦国自衛隊 (映画)|戦国自衛隊]]』を「千葉真一追悼番組」として10月10日に放送し<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.chiba-tv.com/info/detail/54851 |title = 千葉真一追悼番組 映画『戦国自衛隊』|accessdate = 2021-10-10 |website = チバテレ |work = 新着情報 |publisher = [[千葉テレビ放送]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20211001081942/https://www.chiba-tv.com/info/detail/54851 |archivedate = 2021-10-01 |url-status = live }}</ref>、[[東映チャンネル]]は「映画界最強の男 千葉真一特集」 と銘打ち、11月は『[[魔界転生#1981年|魔界転生]]』『[[風来坊探偵 赤い谷の惨劇]]』『『[[ゴルゴ13 九竜の首]]』『[[けんか空手 極真拳]]』『[[けんか空手 極真無頼拳]]』『[[やくざ刑事 俺たちに墓はない]]』、12月は『[[柳生一族の陰謀]]』『仁義なき戦い 広島死闘篇』『[[狼やくざ 殺しは俺がやる]]』『激突! 殺人拳』『[[殺人拳2]]』『[[警視庁物語#警視庁物語 不在証明|警視庁物語 不在証明]]』、翌年1月は『[[カミカゼ野郎 真昼の決斗]]』『[[直撃! 地獄拳]]』『[[日本暗殺秘録]]』『[[忍者武芸帖 百地三太夫]]』『[[狼やくざ 葬いは俺が出す]]』『[[逆襲! 殺人拳]]』、翌年2月は『[[直撃地獄拳 大逆転]]』『[[少林寺拳法 (映画)|少林寺拳法]]』『[[東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯]]』『[[ボディガード牙]]』『[[子連れ殺人拳]]』『[[空手バカ一代 (映画)|空手バカ一代]]』と、4か月間に代表作24本を特集放映した<ref>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20211027104409/https://www.toeich.jp/special/chibashinichi_memorial |date = 2021年10月27日 |title = 映画界最強の男 千葉真一特集 }}</ref>。[[時代劇専門チャンネル]]は「ありがとう!千葉真一&#12316;ジャパニーズ・ニンジャ・アクションスター&#12316;」と題して11月に『[[服部半蔵 影の軍団]]』と12月に『[[柳生一族の陰謀#テレビ映画|柳生一族の陰謀]]』を各々全話ラインナップし、『[[里見八犬伝 (1983年の映画)|里見八犬伝]]』『[[伊賀忍法帖#映画|伊賀忍法帖]]』『赤穂城断絶』の映画と併せて放送した<ref>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20211124143625/https://www.jidaigeki.com/osusume/chiba-shinichi/ |date = 2021年11月24日 |title = <2ヵ月(11-12月)連続>ありがとう!千葉真一&#12316;ジャパニーズ・ニンジャ・アクションスター&#12316; }}</ref>。


[[東映ビデオ]]は9月10日に代表作の『逆襲! 殺人拳』と『子連れ殺人拳』を、同年12月8日に初DVD化して販売することを発表し<ref name = 逆襲子連れ初>{{Cite news ja |title = 千葉真一さんの代表作「逆襲! 殺人拳」と「子連れ殺人拳」が初のパッケージ化 |newspaper = スポーツ報知 |date = 2021-09-10 |url = https://hochi.news/articles/20210910-OHT1T51191.html?page=1 |accessdate = 2022-07-21 |publisher = 報知新聞社 |page = 1 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220721164455/https://hochi.news/articles/20210910-OHT1T51191.html?page=1 |archivedate = 2022-07-21 |url-status = live }}</ref>、販売した<ref>{{Cite web |和書 |url = https://www.toei-video.co.jp/special/chibashinichi/ |title = 躍動する肉体が人々の魂を揺さぶった世紀のスター |accessdate = 2021-09-10 |website = 追悼・千葉真一 |work = 特集 |publisher = [[東映ビデオ]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210910122229/https://www.toei-video.co.jp/special/chibashinichi/ |archivedate = 2021-09-10 |url-status = live }}</ref>。
[[東映ビデオ]]は9月10日に代表作の『逆襲! 殺人拳』と『子連れ殺人拳』を、同年12月8日に初DVD化して販売することを発表し<ref name = 逆襲子連れ初>{{Cite news |title = 千葉真一さんの代表作「逆襲! 殺人拳」と「子連れ殺人拳」が初のパッケージ化 |newspaper = スポーツ報知 |date = 2021-09-10 |url = https://hochi.news/articles/20210910-OHT1T51191.html?page=1 |accessdate = 2022-07-21 |publisher = 報知新聞社 |page = 1 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220721164455/https://hochi.news/articles/20210910-OHT1T51191.html?page=1 |archivedate = 2022-07-21 |url-status = live }}</ref>、販売した<ref>{{Cite web |和書 |url = https://www.toei-video.co.jp/special/chibashinichi/ |title = 躍動する肉体が人々の魂を揺さぶった世紀のスター |accessdate = 2021-09-10 |website = 追悼・千葉真一 |work = 特集 |publisher = [[東映ビデオ]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210910122229/https://www.toei-video.co.jp/special/chibashinichi/ |archivedate = 2021-09-10 |url-status = live }}</ref>。


[[新文芸坐]]では10月2日に『ボディガード牙』『激突! 殺人拳』『直撃地獄拳 大逆転』『子連れ殺人拳』のオールナイト上映会が<ref name = 逆襲子連れ初/>、同月20日から30日には同所で“六つの黒帯を持つ男 世界のアクションスター 追悼・千葉真一”と題して、『直撃地獄拳 大逆転』『激突! 殺人拳』『けんか空手 極真拳』『少林寺拳法』『[[脱走遊戯]]』『ゴルゴ13 九竜の首』『[[沖縄やくざ戦争]]』『仁義なき戦い 広島死闘篇』『柳生一族の陰謀』『魔界転生』『ボディガード牙』『子連れ殺人拳』をラインナップし、特集上映会が開催された<ref>{{Cite web |和書 |url = https://natalie.mu/eiga/news/449640 |title = 千葉真一の追悼特集が新文芸坐で開催、「激突! 殺人拳」「魔界転生」など12本 |accessdate = 2022-08-15 |author = 映画ナタリー編集部 |date = 2021-10-16 |website = [[ナタリー (ニュースサイト)|映画ナタリー]] |work = ニュース |publisher = ナターシャ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220815141606/https://natalie.mu/eiga/news/449640 |archivedate = 2022-08-15 |url-status = live }}</ref>。
[[新文芸坐]]では10月2日に『ボディガード牙』『激突! 殺人拳』『直撃地獄拳 大逆転』『子連れ殺人拳』のオールナイト上映会が<ref name = 逆襲子連れ初/>、同月20日から30日には同所で“六つの黒帯を持つ男 世界のアクションスター 追悼・千葉真一”と題して、『直撃地獄拳 大逆転』『激突! 殺人拳』『けんか空手 極真拳』『少林寺拳法』『[[脱走遊戯]]』『ゴルゴ13 九竜の首』『[[沖縄やくざ戦争]]』『仁義なき戦い 広島死闘篇』『柳生一族の陰謀』『魔界転生』『ボディガード牙』『子連れ殺人拳』をラインナップし、特集上映会が開催された<ref>{{Cite web |和書 |url = https://natalie.mu/eiga/news/449640 |title = 千葉真一の追悼特集が新文芸坐で開催、「激突! 殺人拳」「魔界転生」など12本 |accessdate = 2022-08-15 |author = 映画ナタリー編集部 |date = 2021-10-16 |website = 映画ナタリー |work = ニュース |publisher = ナターシャ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220815141606/https://natalie.mu/eiga/news/449640 |archivedate = 2022-08-15 |url-status = live }}</ref>。


=== 2022年 ===
=== 2022年 ===
誕生日の[[1月22日]]、ジャパンアクションクラブ (''JAC'') 出身の栗原敏・関根大学・[[若山騎一郎]]を発起人としたお別れの会 &#12316;さらば!千葉真一&#12316;」が[[港区 (東京都)|東京都港区]]の[[増上寺]]光摂殿で営まれた<ref name="oriconcojp2221948">{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2221948/full/ |title=千葉真一さん、お別れの会がしめやかに 新田真剣佑&眞栄田郷敦「父を愛し続けて」|website = ORICON NEWS |publisher=オリコン株式会社 |date=2022-01-22 |accessdate=2022-01-23}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://saraba.chiba-shinichi.com/ |title=千葉真一さんお別れの会 さらば!千葉|publisher=『千葉真一さんお別れの会』実行委員会事務局 |accessdate=2022-01-23}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202201220000937.html |title=岡崎二朗「千葉真一は永遠美しき勇者夢は子供たちが受け継いだ |publisher=日刊スポーツ |date=2022-01-22 |accessdate=2022-01-23}}</ref>『戦国自衛隊』のオフショットとして撮影された写真が遺影として飾られ、足元には同作で使用された日本刀ヘルメットが添えられた<ref name="oriconcojp2221948"/>。祭壇は前に描いた油絵をもとにして約4000本キキョウを使って白い富士山をデザインされた<ref name="hochinews51167">{{Cite web|和書|url=https://hochi.news/articles/20220122-OHT1T51167.html?page=1 |title=千葉真一さんお別れの会で息子・新田剣佑眞栄田郷敦が連で手紙「心中に今も変わらず息づいています」 |publisher=スポーツ報知 |date=2022-01-22 |accessdate=2022-01-23}}</ref>。BGMとしてお気に入りだった「[[戦国自衛隊 オリジナル・サウンドトラック#ララバイ・オブ・ユー / LULLABY OF YOU|ララバイ・オブ・ユー / ''LULLABY OF YOU'']]」などが流された。愛用空手着や主演を務めた時代劇『柳生十兵衛』眼帯ど私物ら撮影で使用され小道具まで幅広く展示された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.daily.co.jp/gossip/2022/01/22/0015003559.shtml |title=千葉真一さんお別れの会「柳生十兵衛」の眼帯、刀、愛用の空手着など展示 涙するファンも |publisher=デイリースポーツonline |date=2022-01-22 |accessdate=2022-01-23}}</ref>。長男の新田真剣佑と次男の眞栄田郷敦は欠席し、手紙で連名のコメントを寄せた<ref name="oriconcojp2221948" />。新型コロナウイルスの感染対策を徹底した上で、午前の一般の部にファンが、夕方から「共に闘った戦友達のお見送り」として関係者が、合わせて約500人が参列した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/01/23/kiji/20220122s00041000765000c.html |title=千葉真一さん「お別れの会」、親子3人共演映画の構想もかなわず |publisher=スポニチ |date=2022-01-23 |accessdate=2022-01-23}}</ref>。
[[誕生日]]の1月22日、[[新田真剣佑]]・[[眞栄田郷敦]]を筆頭に{{R |Farewell }}、[[栗原敏]][[関根大学]]・[[若山騎一郎]]・西田真吾を発起人とした<ref name = お別れ実行>{{Cite web |和書 |url = https://saraba.chiba-shinichi.com/ |title = さらば!千葉真一 |accessdate = 2024-01-25 |date = 2022-01-23 |website = 千葉真一さんお別れの会・供花お申し込みサイト |publisher =『千葉真一さんお別れの会』実行委員会事務局 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20240125060626/https://saraba.chiba-shinichi.com/ |archivedate = 2024-01-25 |url-status = live }}</ref>、「&#12316;さらば!千葉真一&#12316; 千葉真一さんお別れの会」が[[増上寺]]光摂殿でしめやかに営まれた<ref name = oriお別れ>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん、お別れの会がしめやかに 新田真剣佑&眞栄田郷敦「父を愛し続けて」|newspaper = オリコンニュース |date = 2022-01-22 |url = https://www.oricon.co.jp/news/2221948/full/ |accessdate = 2024-01-25 |publisher = Oricon ME |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220122075841/https://www.oricon.co.jp/news/2221948/full/ |archivedate = 2022-01-22 |url-status = live }}</ref>。自身が描いた[[富士山]]の[[油彩|油絵]]を約4,000本の[[キク#スプレー菊|スプレーマム]]・[[キク|白菊]]・[[キキョウ]]・ブルーデルフィニウムによる色鮮やかな花々で再現された[[祭壇]]には<ref name = 報知お別れ>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さんお別れの会で息子・新田剣佑と眞栄田郷敦が連名で手紙「心の中に今も変わらず息づいています」|newspaper = スポーツ報知 |date = 2022-01-23 |url = https://hochi.news/articles/20220122-OHT1T51167.html?page=1 |accessdate = 2024-01-25 |publisher = 報知新聞社 |page = 1 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220122214816/https://hochi.news/articles/20220122-OHT1T51167.html?page=1 |archivedate = 2022-01-22 |url-status = live }}</ref><ref name = daiお別れ>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さんお別れ会「柳生十兵衛の眼帯、刀、愛用の空手着など展示 涙するファンも |newspaper = デイリースポーツ online |date = 2022-01-22 |url = https://www.daily.co.jp/gossip/2022/01/22/0015003559.shtml |accessdate = 2024-01-25 |publisher = 神戸新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220122065153/https://www.daily.co.jp/gossip/2022/01/22/0015003559.shtml |archivedate = 2022-01-22 |url-status = live }}</ref>『戦国自衛隊』のオフショットを[[遺影]]に据え{{R |お別実行 |daiお別れ }}その手前には同作で使用された[[日本刀]]・[[ヘルメット]]で装飾{{R |Farewell }}。メモリアルコーナーには等身大パネルや<ref name = お別れ実行/>、柳十兵衛日本刀・[[眼帯|アイパッチ]]愛用の[[空手道#空手道衣|空手道衣]]など{{R |Farewell }}、私物から撮影で使用された小道具まで幅広く展示された<ref name = daiお別れ/>。恩人である[[高倉健]]・深作欣二・大山倍達へメッセージを送り{{R |Farewell }}、[[雪山]]で大山と[[組手 (空手)|組手]]{{R |組手大映像 }}、ハワイ開催された「日本代表極チーム対ハワイ代表チーム」の日本代表して参戦し{{R |Farewell }}、前蹴りから飛び後ろ回し蹴りの連続技{{R |Farewell }}、後ろ蹴りヒットするシーン{{R |組手大会映像 }}、最後はボディKOするシーンなど{{R |組大会映像 }}、在りし日姿が映像で紹介されている{{R |Farewell |組手大会映像 }}。[[背景音楽|''BGM'']]としてお気に入りだった「[[戦国自衛隊 オリジナル・サウンドトラック#ララバイ・オブ・ユー / LULLABY OF YOU|ララバイ・オブ・ユー / ''LULLABY OF YOU'']]」などが流された{{R |daiお別れ }}真剣佑は海外、郷敦は[[大阪府]]で仕事ため連名で「父と同じ俳優とり、もう少し話しておけば良」と[[他界]]を悔やみ、「僕たちの心の中に父親、俳優としての千葉真一が今も変わらず息づいていす」とと直筆の手紙を会に託し、メッセージを送った{{R |Farewell |oriお別れ }}。[[葬儀|弔辞]]は西田真吾・[[関本郁夫]]・[[岡崎二朗]]が、そぞれ哀悼の意を捧げ{{R |Farewell }}<ref>{{Cite news |和書 |title = 岡崎二朗「千葉真一は永遠の美しき勇者」夢は子供たちが受け継いだ |newspaper = nikkansports.com |date = 2022-01-22 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202201220000937.html |accessdate = 2024-01-25 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220122122707/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202201220000937.html |archivedate = 2022-01-22 |url-status = live }}</ref>。新型コロナウイルスの感染対策を徹底した上で、午前の一般の部にファンが、夕方から「共に闘った戦友達のお見送り」として関係者が、合わせて約500人が参列<ref>{{Cite news |和書 |title = 千葉真一さん「お別れの会」、親子3人共演映画の構想もかなわず |newspaper = スポニチ Sponichi Annex |date = 2022-01-23 |url = https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/01/23/kiji/20220122s00041000765000c.html |accessdate = 2022-01-23 |publisher = スポーツニッポン新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220123181340/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/01/23/kiji/20220122s00041000765000c.html |archivedate = 2022-01-23 |url-status = live }}</ref>。涙ながらに献花をするファンの姿も見られた{{R |daiお別れ }}
(⇒ ''[[#Sonny Chiba]]''・''[[#ジャンルを越えた活躍]]''・''[[#最期]]''・''[[#極真カラテ]]''・''[[#アクション作品]]''・''[[#空手道]]''・''[[#家族]]'')


2月20日、[[沖縄県]][[那覇市]]ぶんかテンブス館にて、沖縄映画研究会は「沖縄への視角 千葉真一主演作を手がかりとして」と題し、第10回研究発表会を[[オンライン]]開催し、主演作や人柄を振り返った<ref name = 沖縄映画研究/>。沖縄を舞台・題材にした千葉主演作品には「沖縄と本土の深い溝を描かれている」と同会代表の世良利和は指摘し、[[1976年]]に国内公開された『脱走遊戯』、『沖縄やくざ戦争』などを紹介<ref name = 沖縄映画研究/>。世良は「他の役者も沖縄の[[ヤクザ|やくざ]]を演じているが、千葉さんは別格。[[沖縄語|うちなーぐち]]も話し、[[三線]]にあわせて[[空手道|空手]]の[[演武]]もやって見せる、堂々たる主演作だ」と評した<ref name = 沖縄映画研究/>。このほかには[[台湾]]から[[国立政治大学]][[講師 (教育)|非常勤講師]]の[[:zh:李政亮|李政亮]]による発表や、映画監督の當間早志と[[特定非営利活動法人|NPO法人]]・シネマラボ突貫小僧代表の平良竜次は「千葉さんは演技や役作り、アクションで創意工夫をする方だった。役者だけでなく、作り手側の人でもあった」と言及<ref name = 沖縄映画研究/>。併せて[[2016年]]に収録した千葉のインタビュー動画を初上映し千葉と[[中島貞夫]]のインタビュー動画も流されている<ref name = 沖縄映画研究/>
2月20日、[[沖縄県]][[那覇市]]ぶんかテンブス館にて、沖縄映画研究会は「沖縄への視角 千葉真一主演作を手がかりとして」と題し、第10回研究発表会を[[オンライン]]開催し、主演作や人柄を振り返った{{R |沖縄映画研究 }}。沖縄を舞台・題材にした主演作品には「沖縄と本土の深い溝を描かれている」と同会代表の世良利和は指摘し、1976年に国内公開された『脱走遊戯』、『沖縄やくざ戦争』などを紹介{{R |沖縄映画研究 }}。世良は「他の役者も沖縄の[[ヤクザ|やくざ]]を演じているが、千葉さんは別格。[[沖縄語|うちなーぐち]]も話し、[[三線]]にあわせて空手道の[[演武]]もやって見せる、堂々たる主演作だ」と評した{{R |沖縄映画研究 }}。このほかには[[台湾]]から[[国立政治大学]][[講師 (教育)|非常勤講師]]の[[:zh:李政亮|李政亮]]による発表や、映画監督の當間早志と[[特定非営利活動法人|NPO法人]]・シネマラボ突貫小僧代表の平良竜次は「千葉さんは演技や役作り、アクションで創意工夫をする方だった。役者だけでなく、作り手側の人でもあった」と言及{{R |沖縄映画研究 }}。併せて2016年に収録したインタビュー動画本人のみと[[中島貞夫]]と一緒に行われたもが、それぞれ上映された{{R |沖縄映画研究 }}


3月27日に開催された[[第94回アカデミー賞]]では、授賞式恒例の追悼コーナーである{{仮リンク|イン・メモリアム|en|In memoriam segment}}にて、「''SONNY CHIBA ACTOR MARTIAL ARTIST''」と紹介され、俳優だけでなく、格闘家としても、その偉業をたたえられた<ref>{{Cite news ja |title =【米アカデミー賞】千葉真一さん、追悼コーナーで「俳優・格闘家」として紹介 ワダエミさんも |newspaper = nikkansports.com |date = 2022-03-28 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202203280000565.html |accessdate = 2022-03-28 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220328064822/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202203280000565.html |archivedate = 2022-03-28 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite news ja |title = アカデミー賞で千葉真一さん、ワダ・エミさん追悼 |newspaper = シネマトゥデイ |date = 2022-03-28 |url = https://www.cinematoday.jp/news/N0129347 |accessdate = 2022-03-29 |publisher = シネマトゥデイ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220329092643/https://www.cinematoday.jp/news/N0129347 |archivedate = 2022-03-29 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite news ja |title =「第94回アカデミー賞」千葉真一さん、ワダエミさんを追悼 |newspaper = オリコンニュース |date = 2022-03-28 |url = https://www.oricon.co.jp/news/2222042/full/ |accessdate = 2022-03-29 |publisher = Oricon ME |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220329092947/https://www.oricon.co.jp/news/2222042/full/ |archivedate = 2022-03-29 |url-status = live }}</ref>。
3月27日に開催された[[第94回アカデミー賞]]では、授賞式恒例の追悼コーナーである{{仮リンク|イン・メモリアム|en|In memoriam segment}}にて、「''SONNY CHIBA ACTOR MARTIAL ARTIST''」と紹介され、俳優だけでなく、格闘家としても、その偉業をたたえられた<ref>{{Cite news |title =【米アカデミー賞】千葉真一さん、追悼コーナーで「俳優・格闘家」として紹介 ワダエミさんも |newspaper = nikkansports.com |date = 2022-03-28 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202203280000565.html |accessdate = 2022-03-28 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220328064822/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202203280000565.html |archivedate = 2022-03-28 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite news |title = アカデミー賞で千葉真一さん、ワダ・エミさん追悼 |newspaper = シネマトゥデイ |date = 2022-03-28 |url = https://www.cinematoday.jp/news/N0129347 |accessdate = 2022-03-29 |publisher = シネマトゥデイ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220329092643/https://www.cinematoday.jp/news/N0129347 |archivedate = 2022-03-29 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite news |title =「第94回アカデミー賞」千葉真一さん、ワダエミさんを追悼 |newspaper = オリコンニュース |date = 2022-03-28 |url = https://www.oricon.co.jp/news/2222042/full/ |accessdate = 2022-03-29 |publisher = Oricon ME |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220329092947/https://www.oricon.co.jp/news/2222042/full/ |archivedate = 2022-03-29 |url-status = live }}</ref>。


8月17日、真瀬樹里を喪主として「千葉真一さんを偲ぶ会」が[[リーガロイヤルホテル東京]]で催された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202208170000533.html |title=千葉真一さんを偲ぶ会で真瀬樹里「父の長子として残してくれたもの責任持って継がせていただく」 |publisher=日刊スポーツ |date=2022-08-17 |accessdate=2022-08-17}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2246052/full/ |title=千葉真一さん「偲ぶ会」しめやかに 長女・真瀬樹里「父と語らって、いい会になれば」│ORICON NEWS |publisher=オリコン |date=2022-08-17 |accessdate=2022-08-17}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://news.tv-asahi.co.jp/news_geinou/articles/hot_20220817_070.html |title=千葉真一さんを偲ぶ会がしめやかに…長女・真瀬樹里「何とか一年以内に」│テレ朝news |publisher=テレビ朝日 |date=2022-08-17 |accessdate=2022-08-17}}</ref>。発起人は若泉久朗([[KADOKAWA]]執行役員)、[[松浪健四郎]]、[[熊谷俊人]]、倉田保昭、中島貞夫、[[金子修介]]、[[北村龍平]]、[[深作健太]]、谷隼人、真田広之、兵頭慶爾(サンライズジャパン代表取締役)、[[金田治]]、西本良治郎([[ジャパンアクションエンタープライズ]]代表取締役副社長)、鈴木哲也([[アストライア (プロダクション)|アストライア]]代表)<ref name="chibashinichicom2022">{{Cite web|和書|url=https://www.chibashinichi.com/news/index.html |title=千葉真一 偲ぶ会開催のお知らせ |publisher=千葉真一公式WEBサイト Official website of JJ SONNY CHIBA |accessdate=2022-08-17}}</ref>。主催:アストライア、協力:ジャパンアクションエンタープライズ、[[東映エージエンシー]]<ref name="chibashinichicom2022" />。もともとは1月22日に開催する予定だったが、[[SARSコロナウイルス2-オミクロン株|オミクロン株]]の感染拡大で首都圏に[[緊急事態宣言及びまん延防止等重点措置|まん延防止等重点措置]]が敷かれたので、延期されていた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.chibashinichi.com/ |title=千葉真一公式ホームページ |publisher=株式会社アストライア |accessdate=2022-01-23}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202201200000364.html |title=千葉真一さん「偲ぶ会」延期決定、新型コロナ・オミクロン株感染拡大で決断 |publisher=日刊スポーツ |date=2022-01-20 |accessdate=2022-01-23}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/01/21/kiji/20220121s00041000008000c.html |title=千葉真一さん「偲ぶ会」延期 長女の真瀬樹里「皆さまを感染リスクにさらすことは適切でない」|publisher=スポニチ |date=2022-01-21 |accessdate=2022-01-23}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://hochi.news/articles/20220120-OHT1T51090.html?page=1 |title=千葉真一さんを偲ぶ会延期、所属事務所「コロナ感染により旅立った故人を思うと、適切ではない」 |publisher=スポーツ報知 |date=2022-01-20 |accessdate=2022-01-23}}</ref>。白い胡蝶蘭や白いカーネーションなどで彩られた祭壇には真瀬が選んだ写真と、出演した映画のポスターや野際陽子らとのプライベート写真などが飾られた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.chunichi.co.jp/article/528335 |title=千葉真一さんしのぶ会、娘の真瀬樹里「一周忌の時期に合わせてすることができて良かった」│中日スポーツ 東京中日スポーツ |publisher=中日新聞社 |date=2022-08-17 |accessdate=2022-08-17}}</ref>。午後1時から関係者の部、午後3時からジャパンアクションクラブ関係者の部では約100人が参列し、午後5時から一般の部の3部に約50人が来場し、それぞれ献花を行った<ref name = 中日しのぶ会>{{Cite news ja |title =「千葉真一の作品をずっと忘れないで」長女・真瀬樹里あいさつ しのぶ会に錦野旦、デヴィ夫人ら出席 |newspaper = 中日スポーツ |date = 2022-08-18 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/528491 |accessdate = 2022-08-20 |publisher = 中日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220820100451/https://www.chunichi.co.jp/article/528491 |archivedate = 2022-08-20 |url-status = live }}</ref><ref name="sanspocom20220817">{{Cite web|和書|url=https://www.sanspo.com/article/20220817-332RSS5YQNI3XH3Q6BUCOPG3BU/ |title=千葉真一さんを偲ぶ会が19日の一周忌前に開催 長女真瀬樹里「いい会にできれば」 |publisher=サンスポ |date=2022-08-17 |accessdate=2022-08-17}}</ref>。千葉と生前親交のあった芸能関係者らが続々と詰めかけ<ref name="sanspocom20220817" />、[[別所哲也]]、谷隼人、[[デヴィ・スカルノ]]、[[オスマン・サンコン]]、[[錦野旦]]、松浪健四郎、金子修介、[[河崎実]]ら、計約250人が出席した<ref name = 中日しのぶ会/><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/08/18/kiji/20220818s00041000146000c.html |title=千葉真一さんを偲ぶ会に250人出席 好きだった白い花で祭壇彩る |publisher=スポニチ |date=2022-08-18 |accessdate=2022-08-18}}</ref>。[[北島三郎]]、[[三田佳子]]、志穂美悦子、[[明石家さんま]]、[[関根勤]]、[[小堺一機]]、[[坂上忍]]、伊原剛志らより、花が届けられた<ref name = 中日しのぶ会/>。
8月17日、真瀬樹里を喪主として「千葉真一さんを偲ぶ会」が[[リーガロイヤルホテル東京]]で催された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202208170000533.html |title=千葉真一さんを偲ぶ会で真瀬樹里「父の長子として残してくれたもの責任持って継がせていただく」 |publisher=日刊スポーツ |date=2022-08-17 |accessdate=2022-08-17}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2246052/full/ |title=千葉真一さん「偲ぶ会」しめやかに 長女・真瀬樹里「父と語らって、いい会になれば」│ORICON NEWS |publisher=オリコン |date=2022-08-17 |accessdate=2022-08-17}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://news.tv-asahi.co.jp/news_geinou/articles/hot_20220817_070.html |title=千葉真一さんを偲ぶ会がしめやかに…長女・真瀬樹里「何とか一年以内に」│テレ朝news |publisher=テレビ朝日 |date=2022-08-17 |accessdate=2022-08-17}}</ref>。発起人は若泉久朗([[KADOKAWA]]執行役員)、[[松浪健四郎]]、[[熊谷俊人]]、倉田保昭、中島貞夫、[[金子修介]]、[[北村龍平]]、[[深作健太]]、谷隼人、真田広之、兵頭慶爾(サンライズジャパン代表取締役)、[[金田治]]、西本良治郎([[ジャパンアクションエンタープライズ]]代表取締役副社長)、鈴木哲也([[アストライア (プロダクション)|アストライア]]代表)<ref name="chibashinichicom2022">{{Cite web|和書|url=https://www.chibashinichi.com/news/index.html |title=千葉真一 偲ぶ会開催のお知らせ |publisher=千葉真一公式WEBサイト Official website of JJ SONNY CHIBA |accessdate=2022-08-17}}</ref>。主催:アストライア、協力:ジャパンアクションエンタープライズ、[[東映エージエンシー]]<ref name="chibashinichicom2022" />。もともとは1月22日に開催する予定だったが、[[SARSコロナウイルス2-オミクロン株|オミクロン株]]の感染拡大で首都圏に[[緊急事態宣言及びまん延防止等重点措置|まん延防止等重点措置]]が敷かれたので、延期されていた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.chibashinichi.com/ |title=千葉真一公式ホームページ |publisher=株式会社アストライア |accessdate=2022-01-23}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202201200000364.html |title=千葉真一さん「偲ぶ会」延期決定、新型コロナ・オミクロン株感染拡大で決断 |publisher=日刊スポーツ |date=2022-01-20 |accessdate=2022-01-23}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/01/21/kiji/20220121s00041000008000c.html |title=千葉真一さん「偲ぶ会」延期 長女の真瀬樹里「皆さまを感染リスクにさらすことは適切でない」|publisher=スポニチ |date=2022-01-21 |accessdate=2022-01-23}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://hochi.news/articles/20220120-OHT1T51090.html?page=1 |title=千葉真一さんを偲ぶ会延期、所属事務所「コロナ感染により旅立った故人を思うと、適切ではない」 |publisher=スポーツ報知 |date=2022-01-20 |accessdate=2022-01-23}}</ref>。白い胡蝶蘭や白いカーネーションなどで彩られた祭壇には真瀬が選んだ写真と、出演した映画のポスターや野際陽子らとのプライベート写真などが飾られた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.chunichi.co.jp/article/528335 |title=千葉真一さんしのぶ会、娘の真瀬樹里「一周忌の時期に合わせてすることができて良かった」│中日スポーツ 東京中日スポーツ |publisher=中日新聞社 |date=2022-08-17 |accessdate=2022-08-17}}</ref>。午後1時から関係者の部、午後3時からジャパンアクションクラブ関係者の部では約100人が参列し、午後5時から一般の部の3部に約50人が来場し、それぞれ献花を行った<ref name = 中日しのぶ会>{{Cite news |title =「千葉真一の作品をずっと忘れないで」長女・真瀬樹里あいさつ しのぶ会に錦野旦、デヴィ夫人ら出席 |newspaper = 中日スポーツ |date = 2022-08-18 |url = https://www.chunichi.co.jp/article/528491 |accessdate = 2022-08-20 |publisher = 中日新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220820100451/https://www.chunichi.co.jp/article/528491 |archivedate = 2022-08-20 |url-status = live }}</ref><ref name="sanspocom20220817">{{Cite web|和書|url=https://www.sanspo.com/article/20220817-332RSS5YQNI3XH3Q6BUCOPG3BU/ |title=千葉真一さんを偲ぶ会が19日の一周忌前に開催 長女真瀬樹里「いい会にできれば」 |publisher=サンスポ |date=2022-08-17 |accessdate=2022-08-17}}</ref>。千葉と生前親交のあった芸能関係者らが続々と詰めかけ<ref name="sanspocom20220817" />、[[別所哲也]]、谷隼人、[[デヴィ・スカルノ]]、[[オスマン・サンコン]]、[[錦野旦]]、松浪健四郎、金子修介、[[河崎実]]ら、計約250人が出席した<ref name = 中日しのぶ会/><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/08/18/kiji/20220818s00041000146000c.html |title=千葉真一さんを偲ぶ会に250人出席 好きだった白い花で祭壇彩る |publisher=スポニチ |date=2022-08-18 |accessdate=2022-08-18}}</ref>。[[北島三郎]]、[[三田佳子]]、志穂美悦子、[[明石家さんま]]、[[関根勤]]、[[小堺一機]]、[[坂上忍]]、伊原剛志らより、花が届けられた<ref name = 中日しのぶ会/>。


8月19日、[[大願寺]]で一周忌法要が、新田真剣佑と眞栄田郷敦を願主にして営まれた<ref name="sanspocom20220820">{{Cite web|和書|url=https://www.sanspo.com/article/20220820-YCZDGBIUTJJOXA37SP2VXG3V3Y/ |title=千葉真一さん一周忌法要に100人 |publisher=サンスポ |date=2022-08-20 |accessdate=2022-09-01}}</ref>。真剣佑と郷敦は仕事で欠席したが、連名で「またこうして故人の思いを皆さまと共に分かち合い、新たな絆が生まれました」とメッセージを寄せた<ref name="sanspocom20220820" />。祭壇には主演映画『[[魔界転生#1981年|魔界転生]]』(1981年)で務めた柳生十兵衛役の写真などが遺影として飾られ、[[大村崑]]、[[山田隆夫]]、若山騎一郎ら約100人が参列した<ref name="sanspocom20220820" />。
8月19日、[[大願寺]]で一周忌法要が、新田真剣佑と眞栄田郷敦を願主にして営まれた<ref name="sanspocom20220820">{{Cite web|和書|url=https://www.sanspo.com/article/20220820-YCZDGBIUTJJOXA37SP2VXG3V3Y/ |title=千葉真一さん一周忌法要に100人 |publisher=サンスポ |date=2022-08-20 |accessdate=2022-09-01}}</ref>。真剣佑と郷敦は仕事で欠席したが、連名で「またこうして故人の思いを皆さまと共に分かち合い、新たな絆が生まれました」とメッセージを寄せた<ref name="sanspocom20220820" />。祭壇には主演映画『[[魔界転生#1981年|魔界転生]]』(1981年)で務めた柳生十兵衛役の写真などが遺影として飾られ、[[大村崑]]、[[山田隆夫]]、若山騎一郎ら約100人が参列した<ref name="sanspocom20220820" />。


=== 2023年 ===
=== 2023年 ===
84回目の誕生日となる1月22日<ref name = 230123スポアネ>{{Cite news ja |title = 新田真剣佑、眞栄田郷敦 父・千葉真一さん誕生日に兄弟W結婚発表 生前千葉さんに紹介も |newspaper = スポニチ Sponichi Annex |date = 2023-01-23 |url = https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/01/23/kiji/20230122s00041000719000c.html |accessdate = 2023-07-19 |publisher = スポーツニッポン新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20230123011338/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/01/23/kiji/20230122s00041000719000c.html |archivedate = 2023-01-23 |url-status = live }}</ref><ref name = 230123サンスポ>{{Cite news ja |title = 新田真剣佑&眞栄田郷敦が結婚同時発表 天国の父・千葉真一さん誕生日に、ともに一般女性と |newspaper = SANSPO.COM |date = 2023-01-23 |url = https://www.sanspo.com/article/20230123-IDFIJVDMFRKNFN4YKCZK6DZ7DQ/ |accessdate = 2023-07-19 |publisher = 産業経済新聞社 |page = 1 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20230131014525/https://www.sanspo.com/article/20230123-IDFIJVDMFRKNFN4YKCZK6DZ7DQ/ |archivedate = 2023-01-31 |url-status = live }}</ref>、新田真剣佑と眞栄田郷敦は一緒にそれぞれの[[結婚]]を発表した<ref name = 230123スポアネ/><ref name = 230123サンスポ/><ref name = 230122モデルプレス>{{Cite web |和書 |url = https://mdpr.jp/news/detail/3566640 |title = 新田真剣佑&眞栄田郷敦、同時に結婚を発表 父・千葉真一さんの誕生日に |accessdate = 2023-07-19 |author = modelpress編集部 |date = 2023-01-22 |website = [[モデルプレス|m modelpress]] |work = エンタメ&ライフスタイルニュースサイト |publisher = ネットネイティブ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20230122205401/https://mdpr.jp/news/detail/3566640 |archivedate = 2023-01-22 |url-status = live }}</ref><ref name = 230122日テレNEWS24>{{Cite news ja |title = 新田真剣佑&眞栄田郷敦 兄弟そろって結婚を発表 2人で決めた“同日発表の理由” |newspaper = 日テレNEWS24 |date = 2023-01-22 |url = https://news.ntv.co.jp/category/culture/1e1ac026f05a4f44b0c1423cac1063d0 |accessdate = 2023-07-19 |publisher = CS日本 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20230122103023/https://news.ntv.co.jp/category/culture/1e1ac026f05a4f44b0c1423cac1063d0 |archivedate = 2023-01-22 |url-status = live }}</ref><ref name = 230123ZAKZAK>{{Cite web |和書 |url = https://www.zakzak.co.jp/article/20230123-GRORSKXDMNKX5JHDW35CHRVSEY/ |title = 新田真剣佑と眞栄田郷敦、父・千葉真一さんの誕生日にW婚同時発表〝千葉兄弟〟の固い結束 |accessdate = 2023-07-19 |date = 2023-01-23 |website = ZAKZAK |work = 芸能 |publisher = 産業経済新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20230123063902/https://www.zakzak.co.jp/article/20230123-GRORSKXDMNKX5JHDW35CHRVSEY/ |archivedate = 2023-01-23 |url-status = live }}</ref><ref name = 230124オリコン>{{Cite news ja |title = 新田真剣佑&眞栄田郷敦、父・千葉真一さん誕生日にそろって結婚 今後も注目作続々 兄は人気漫画実写版、弟は大河ドラマ |newspaper = オリコンニュース |date = 2023-01-24 |url = https://www.oricon.co.jp/news/2264987/full/ |accessdate = 2023-07-19 |publisher = Oricon ME |archiveurl = https://web.archive.org/web/20230124123343/https://www.oricon.co.jp/news/2264987/full/ |archivedate = 2023-01-24 |url-status = live }}</ref>。真剣佑と郷敦は「父の誕生日である1月22日に揃って発表しよう」と事前に決めていたので<ref name = 230123スポアネ/><ref name = 230123サンスポ/><ref name = 230122モデルプレス/><ref name = 230122日テレNEWS24/><ref name = 230124オリコン/>、兄弟の結束の強さを示す格好となった<ref name = 230123ZAKZAK/>。生前、真剣佑と郷敦から妻となる女性たちを紹介され、食事を共にしており、息子たちの相手を気に入っていたことから、彼らの結婚を楽しみにしていた<ref name = 230123スポアネ/>。
84回目の誕生日となる1月22日<ref name = 230123スポアネ>{{Cite news |title = 新田真剣佑、眞栄田郷敦 父・千葉真一さん誕生日に兄弟W結婚発表 生前千葉さんに紹介も |newspaper = スポニチ Sponichi Annex |date = 2023-01-23 |url = https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/01/23/kiji/20230122s00041000719000c.html |accessdate = 2023-07-19 |publisher = スポーツニッポン新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20230123011338/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/01/23/kiji/20230122s00041000719000c.html |archivedate = 2023-01-23 |url-status = live }}</ref><ref name = 230123サンスポ>{{Cite news |title = 新田真剣佑&眞栄田郷敦が結婚同時発表 天国の父・千葉真一さん誕生日に、ともに一般女性と |newspaper = SANSPO.COM |date = 2023-01-23 |url = https://www.sanspo.com/article/20230123-IDFIJVDMFRKNFN4YKCZK6DZ7DQ/ |accessdate = 2023-07-19 |publisher = 産業経済新聞社 |page = 1 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20230131014525/https://www.sanspo.com/article/20230123-IDFIJVDMFRKNFN4YKCZK6DZ7DQ/ |archivedate = 2023-01-31 |url-status = live }}</ref>、新田真剣佑と眞栄田郷敦は一緒にそれぞれの[[結婚]]を発表した<ref name = 230123スポアネ/><ref name = 230123サンスポ/><ref name = 230122モデルプレス>{{Cite web |和書 |url = https://mdpr.jp/news/detail/3566640 |title = 新田真剣佑&眞栄田郷敦、同時に結婚を発表 父・千葉真一さんの誕生日に |accessdate = 2023-07-19 |author = modelpress編集部 |date = 2023-01-22 |website = [[モデルプレス|m modelpress]] |work = エンタメ&ライフスタイルニュースサイト |publisher = ネットネイティブ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20230122205401/https://mdpr.jp/news/detail/3566640 |archivedate = 2023-01-22 |url-status = live }}</ref><ref name = 230122日テレNEWS24>{{Cite news |title = 新田真剣佑&眞栄田郷敦 兄弟そろって結婚を発表 2人で決めた“同日発表の理由” |newspaper = 日テレNEWS24 |date = 2023-01-22 |url = https://news.ntv.co.jp/category/culture/1e1ac026f05a4f44b0c1423cac1063d0 |accessdate = 2023-07-19 |publisher = CS日本 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20230122103023/https://news.ntv.co.jp/category/culture/1e1ac026f05a4f44b0c1423cac1063d0 |archivedate = 2023-01-22 |url-status = live }}</ref><ref name = 230123ZAKZAK>{{Cite web |和書 |url = https://www.zakzak.co.jp/article/20230123-GRORSKXDMNKX5JHDW35CHRVSEY/ |title = 新田真剣佑と眞栄田郷敦、父・千葉真一さんの誕生日にW婚同時発表〝千葉兄弟〟の固い結束 |accessdate = 2023-07-19 |date = 2023-01-23 |website = ZAKZAK |work = 芸能 |publisher = 産業経済新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20230123063902/https://www.zakzak.co.jp/article/20230123-GRORSKXDMNKX5JHDW35CHRVSEY/ |archivedate = 2023-01-23 |url-status = live }}</ref><ref name = 230124オリコン>{{Cite news |title = 新田真剣佑&眞栄田郷敦、父・千葉真一さん誕生日にそろって結婚 今後も注目作続々 兄は人気漫画実写版、弟は大河ドラマ |newspaper = オリコンニュース |date = 2023-01-24 |url = https://www.oricon.co.jp/news/2264987/full/ |accessdate = 2023-07-19 |publisher = Oricon ME |archiveurl = https://web.archive.org/web/20230124123343/https://www.oricon.co.jp/news/2264987/full/ |archivedate = 2023-01-24 |url-status = live }}</ref>。真剣佑と郷敦は「父の誕生日である1月22日に揃って発表しよう」と事前に決めていたので<ref name = 230123スポアネ/><ref name = 230123サンスポ/><ref name = 230122モデルプレス/><ref name = 230122日テレNEWS24/><ref name = 230124オリコン/>、兄弟の結束の強さを示す格好となった<ref name = 230123ZAKZAK/>。生前、真剣佑と郷敦から妻となる女性たちを紹介され、食事を共にしており、息子たちの相手を気に入っていたことから、彼らの結婚を楽しみにしていた<ref name = 230123スポアネ/>。
(⇒ ''[[#家族]]'')
(⇒ ''[[#家族]]'')


285行目: 373行目:
=== 変身ヒーロー ===
=== 変身ヒーロー ===
[[File:Invasion of the Neptune Men 1.jpg|thumb|300px|right|『[[宇宙快速船]]』にて、[[横蹴り]]と[[裏拳打ち|裏拳]]を同時に繰り出す。]]
[[File:Invasion of the Neptune Men 1.jpg|thumb|300px|right|『[[宇宙快速船]]』にて、[[横蹴り]]と[[裏拳打ち|裏拳]]を同時に繰り出す。]]
[[デビュー]]作は1960年1月7日から放送された『[[新 七色仮面]]』で、次の『[[アラーの使者]]』にも主演し、まずはテレビドラマで人気を得る<ref name = 高平哲郎/>。『新 七色仮面』は『[[七色仮面]]』から引き継がれた作品で、『七色仮面』では蘭光太郎を[[波島進]]、七色仮面を[[スーツアクター]]が分担して演じていた<ref>{{Cite book ja |author = 京本政樹 |authorlink = 京本政樹 |date = June 1992 |title = 京本政樹のHERO考証学 |publisher = [[バンダイ]] |page = 144 |id = |isbn = 489189234X }}</ref>。波島は古典的な仮面ヒーローの王道を行ったが、千葉はスーツアクターも兼務して、[[器械体操]]を活かしたアクションをふんだんに取り入れ、新しい七色仮面を編み出した<ref name = 七色42>[[#超人画報|「七色仮面 / 新 七色仮面」、42頁。]]</ref><ref name = 全怪獣怪人>{{Cite book ja |date = 1990-03-24 |title = [[全怪獣怪人]] |publisher = [[勁文社]] |volume = 上 |pages = 48 - 49 |id = C0676 |isbn = 4-7669-0962-3 }}</ref>。その演技・[[スタント]]・[[擬斗]]は、後に製作されていく[[変身 (ヒーロー)|変身ヒーロー]]を題材とした[[特撮|特撮作品]]に、大きな影響を与えている<ref name = 七色42/><ref name = 全怪獣怪人/>。『アラーの使者』も児童向け活劇だが、アクションは本格的で<ref>[[#超人画報|「アラーの使者」、48頁。]]</ref>、翌年の主演映画『[[宇宙快速船]]』のアクションヒーローに繋がっていく<ref>[[#超人画報|「宇宙快速船」、53頁。]]</ref>。
[[デビュー]]作は1960年1月7日から放送された『[[新 七色仮面]]』で、次の『[[アラーの使者]]』にも主演し、まずはテレビドラマで人気を得る<ref name = 高平哲郎/>。『新 七色仮面』は『[[七色仮面]]』から引き継がれた作品で、『七色仮面』では蘭光太郎を[[波島進]]、七色仮面を[[スーツアクター]]が分担して演じていた<ref>{{Cite book |和書 |author = 京本政樹 |authorlink = 京本政樹 |date = 1992-06 |title = 京本政樹のHERO考証学 |publisher = [[バンダイ]] |page = 144 |id = |isbn = 489189234X }}</ref>。波島は古典的な仮面ヒーローの王道を行ったが、千葉はスーツアクターも兼務して、[[器械体操]]を活かしたアクションをふんだんに取り入れ、新しい七色仮面を編み出した<ref name = 七色42>[[#超人画報|「七色仮面 / 新 七色仮面」、42頁。]]</ref><ref name = 全怪獣怪人>{{Cite book |和書 |date = 1990-03-24 |title = [[全怪獣怪人]] |publisher = [[勁文社]] |volume = 上 |pages = 48 - 49 |id = C0676 |isbn = 4-7669-0962-3 }}</ref>。その演技・[[スタント]]・[[擬斗]]は、後に製作されていく[[変身 (ヒーロー)|変身ヒーロー]]を題材とした[[特撮|特撮作品]]に、大きな影響を与えている<ref name = 七色42/><ref name = 全怪獣怪人/>。『アラーの使者』も児童向け活劇だが、アクションは本格的で<ref>[[#超人画報|「アラーの使者」、48頁。]]</ref>、翌年の主演映画『[[宇宙快速船]]』のアクションヒーローに繋がっていく<ref>[[#超人画報|「宇宙快速船」、53頁。]]</ref>。
(⇒ ''[[#アクションスター]]'')
(⇒ ''[[#アクションスター]]'')


=== アクション映画 ===
=== アクション作品 ===
[[File:Wandering Detective Black Wind in the Harbor 1.jpg|thumb|left|300px|『[[風来坊探偵 岬を渡る黒い風]]』にて、[[ウィンチェスターライフル]]を手にする。中央は[[曽根晴美]]。]]
[[File:Wandering Detective Black Wind in the Harbor 1.jpg|thumb|left|300px|『[[風来坊探偵 岬を渡る黒い風]]』にて、ウィンチェスターライフルを手にする。中央は曽根晴美。]]
1961年に[[深作欣二]]監督デビュー作[[風来坊探偵 赤い谷の惨劇]]に主演。危ないシーンは[[スタントマン]]に任せるのが主流な時代に、「[[吹き替え]]せずにきる」と[[映画スタッフ|スタッフ]]へ言ったので、「さすが[[日体大]]だけに凄いことをやる」と評された<ref name =育6162/>。深作は文芸作品よりアクションものを好み「肉体こそ俳優の言葉」が口ぐせだったので{{Efn |2013年現在、千葉真一自身座右の銘「肉体は永遠の言葉である」としている<ref name = 映画com日体大/><ref name = 日刊日体大311/>。}}、第二作『[[風来坊探偵 岬を渡る黒い風]]』でも千葉を主演に据え、更に危険な吹き替え無しのスタントを演じさせた<ref name = 世通ア育62>[[#JAC特集号|「世界に通じるアクションスター育成」、62頁。]]</ref>。[[第二東映|ニュー東映]]のホープとして主演した『[[ファンキーハットの快男児シリーズ]]』では<ref>{{Eiren|03000009141|『ファンキーハットの快男児』}}</ref>、[[カーチェイス]]、左右に[[開脚]]して2人の敵を同時に倒す[[跳び蹴り]]、[[体操競技|器械体操]]で培った筋骨隆々な肉体美を[[大車輪]]で披露している<ref name = kamakura/><ref name = せんせい/>。こののち千葉と深作は17映画でコンビを組み、ヒットを連発していく<ref name = nikkan1/>
1961年の『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』では、危ないシーンはスタントマンに任せるのが主流な時代に、「わざわざ吹き替えしてもらわなくても、自分やりますよ」と申し出たので、[[映画スタッフ]]「さすが日体大だけに凄いことをやる」と驚かれた{{R |世ア5960 }}『[[風来坊探偵シリーズ]]』を監督した深作欣二文芸ものよりアクション作品を好み「肉体こそ俳優の言葉」が口ぐせだったので、千葉真一自身座右の銘にしている{{Efn |「肉体は永遠の言葉である」としている{{R |映画com日体大 |日刊日体大311 }}。}}。[[第二東映|ニュー東映]]のホープとして主演した『[[ファンキーハットの快男児シリーズ]]』では<ref>{{Eiren |03000009141 |『ファンキーハットの快男児』}}</ref>、[[カーチェイス]]、左右に[[開脚]]して2人の敵を同時に倒す[[跳び蹴り]]{{R |kamakura }}、器械体操で培った筋骨隆々な肉体美を<ref>{{Cite journal |和書 |date = 1989-04-08 |title = トムソーヤ企画メンバー ■プロフィール / コメント |journal = [[せんせい (1989年の映画)|せんせい]] |page = 17 |publisher = [[松竹]] |format = パンフレット }}</ref>、[[大車輪]]で披露している。こののち千葉と深作は23作品でコンビを組み、ヒットを連発していく{{R |nikkan1 }}
(⇒ ''[[#キイハンター]]'')
(⇒ ''[[#アクションスター]]''・''[[#キイハンター]]'')


深作欣二評価は対照的に[[高倉健]]から「アクションスターはアクションしかできないという評価もあるから、そのイメージを世間に持たれないほうがいい」とアドバイスされ、ドンパチの活劇だけでなく青春ものをやりたいなとも思っていた<ref name = 世通ア育62/>。宣伝担当の福永邦昭は「[[体操競技|器械体操]]で鍛え上げた肉体と抜群の運動神経で、新しいアクション俳優の誕生と騒がれたが[[東映]]が彼を生かしきれなかった<ref name = 子守唄/>」と振り返っており、それでも東映は映画・テレビ映画と[[ジャンル]]を問わず、アクションスターであることを千葉へ常に求めていくこととなる<ref name = wakita/>。3, 4年ほど悩んだ末、やる以上、誰にも負けない完全にアクションのできる役者に成ろうと決意した<ref name = 世育63>[[#JAC特集号|「世界に通じるアクションスター育成」、63頁。]]</ref>。
宣伝担当福永邦昭は「器械体操で鍛え上げた肉体抜群の運動神経で、新しいアクション俳優の誕生と騒がれたが、東映が彼を生かしきれなかった{{R |子守唄 }}」と振り返っており、[[高倉健]]から「アクションスターはアクションしかできないという決めつけがあるから、その印象を世間に持たれないほうがいい」と忠告されたので、ドンパチの活劇だけでなく青春ものをやりたいなとも思っていた<ref>[[#JAC特集号|「世界に通じるアクションスター育成」60頁。]]</ref>それでも東映は映画・テレビと[[ジャンル]]を問わず、アクションスターであることを千葉へ常に求めていくこととなる{{R |wakita }}。3, 4年ほど悩んだ末、やる以上、誰にも負けない完全にアクションのできる役者に成ろうと決意した<ref name = 世ア61>[[#JAC特集号|「世界に通じるアクションスター育成」、61頁。]]</ref>。
(⇒ ''[[#格闘映画]]'')
(⇒ ''[[#格闘作品]]'')


1966年の『[[カミカゼ野郎 真昼の決斗]]』([[日本映画|日]][[台湾映画|台]]合作)は[[中華民国|台湾]]で[[ロケーション撮影]]され、離陸する[[軽飛行機]]の翼に飛びつき乗り込むスタントをした<ref name = kamakura/><ref name = 20人が証言113>[[#20人が証言|「20人が証言する裸の千葉真一」、113頁。]]</ref>。疾走する自動車を追いかけアンテナに飛びつくスタントでは、後輪の跳ねた石が脛に突き刺さり、台湾で一週間入院する代償を払っている<ref name = 平凡>{{Cite journal |和書 |year = 1969 |title = ●空中滑降撮影中、地面にたたきつけられる 本誌カメラマンの目の前で千葉真一が 『[[キイハンター]]』 左足首を骨折! 2ヶ月の重傷!! |journal = [[週刊平凡]] |issue = 4月3日号 |publisher = [[マガジンハウス]] }}</ref>。傷だらけになりながらもスタントを演じきったが<ref name = 20人が証言113/>、『[[柔道一代 講道館の鬼]]』(1964年)に続いてケガしたため、父親を受取人にして[[傷害保険]]・[[生命保険]]を契約<ref name = 平凡 />。1970年の『[[やくざ刑事シリーズ]]』では、クランクイン前に約1億円の保険に加入した<ref>{{Cite journal |和書 |title = シネマ・サロン 1億円の生命保険かけた千葉真一 -東映男性路線にカムバック- |journal = 週刊明星 |issue = 1971年5月10日号 |publisher = 集英社 |pages = 172 }}</ref>。同シリーズは後の作品にも影響を与えており、1999年の[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]『[[マトリックス (映画)|マトリックス]]』で[[キアヌ・リーブス]]扮する主人公が片手側転しながら[[機関銃|マシンガン]]を連射するシーンは、第1作の『[[やくざ刑事]]』で千葉が右手で[[拳銃]]を撃ちながら、片手で[[:w:Cartwheel (gymnastics)|側転]]する[[スタント]]が原型となっている<ref>[[#挑む2692|小玉大輔 「VIVA CHIBA! 国内外の映画人から敬愛される伝説のスター」、28頁。]]</ref>。
1966年の『[[カミカゼ野郎 真昼の決斗]]』は[[中華民国]]で[[ロケーション撮影]]され、離陸する[[軽飛行機]]の翼に飛びつき乗り込むスタントをした{{R |kamakura }}<ref name = 20人が証言113>[[#20人が証言|「20人が証言する裸の千葉真一」、113頁。]]</ref>。疾走する自動車を追いかけアンテナに飛びつくスタントでは、後輪の跳ねた石が脛に突き刺さり、台湾で一週間入院する代償を払っている<ref name = 平凡>{{Cite journal |和書 |year = 1969 |title = ●空中滑降撮影中、地面にたたきつけられる 本誌カメラマンの目の前で千葉真一が 『[[キイハンター]]』 左足首を骨折! 2ヶ月の重傷!! |journal = [[週刊平凡]] |issue = 4月3日号 |publisher = [[マガジンハウス]] }}</ref>。傷だらけになりながらもスタントを演じきったが{{R |20人が証言113 }}、『[[柔道一代 講道館の鬼]]』(1964年)に続いてケガしたため、父親を受取人にして[[傷害保険]]・[[生命保険]]を契約<ref name = 平凡 />。1970年の『[[やくざ刑事シリーズ]]』では、クランクイン前に約1億円の保険に加入した<ref>{{Cite journal |和書 |title = シネマ・サロン 1億円の生命保険かけた千葉真一 -東映男性路線にカムバック- |journal = 週刊明星 |issue = 1971年5月10日号 |publisher = 集英社 |pages = 172 }}</ref>。同シリーズは後の作品にも影響を与えており、1999年の『[[マトリックス (映画)|マトリックス]]』で[[キアヌ・リーブス]]扮する主人公が片手側転しながら[[機関銃|マシンガン]]を連射するシーンは、第作の『[[やくざ刑事]]』で千葉が右手で[[拳銃]]を撃ちながら、片手で[[:w:Cartwheel (gymnastics)|側転]]する[[スタント]]が原型となっている<ref>[[#挑む2692|小玉大輔 「VIVA CHIBA! 国内外の映画人から敬愛される伝説のスター」、28頁。]]</ref>。
(⇒ ''[[#キイハンター]]''・''[[#格闘映画]]''・''[[#ファン]]'')
(⇒ ''[[#キイハンター]]''・''[[#格闘作品]]''・''[[#ファン]]'')


芸能生活20周年記念作品である『[[戦国自衛隊 (映画)|戦国自衛隊]]』(1979年)で<ref name = 戦自プロノー26/>、主演と[[日本映画]]初の[[アクション監督]]を兼務した<ref name = senpro/>。[[時速]]100[[キロメートル|km]]で飛ぶ[[ヘリコプター]]に[[ロープ]]1本でぶら下がり、[[乗馬]]では同年の『[[闇の狩人#映画|闇の狩人]]』に続き、地面にある[[矢]]と[[弓 (武器)|弓]]を左右に傾き、拾い上げるスタントを演じたほか、ヘリコプターから宙吊りになるシーンは自前の[[ハイスピードカメラ]]を足に括りつけて撮影し<ref name = wakita/>、騎手の目線を写すためにカメラを取り付けたヘルメットを被り乗馬するなど<ref>[[#千葉2008|「革命的手法をもたらした『戦国自衛隊』」、73 - 74頁。]]</ref>{{Efn |当時の[[ハイスピードカメラ]]は今と比べると遥かに重たく、外見もかさばっていた。}}、アクション監督として撮影を自ら行っており、これらの敢行は[[映画スタッフ|スタッフ]]をとても心配させた<ref name = wakita/>。[[馬]]の脇腹に隠れての乗馬は、テレビ時代劇『[[柳生一族の陰謀#テレビ映画|柳生一族の陰謀]]』第27話「美女と野獣」で千葉が、既に演じていたものを[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ (''JAC'') ]]のメンバーに再現させ、『[[戦略大作戦]]』を意識して演出をした<ref name = 高平哲郎/>、1980年に[[ブルーリボン賞 (映画)#第23回(1980年度)|ブルーリボン賞]]のスタッフ賞を受賞した。
芸能生活20周年記念作品である『[[戦国自衛隊 (映画)|戦国自衛隊]]』(1979年)で<ref name = 戦自プロノー26/>、主演と[[日本映画]]初の[[アクション監督]]を兼務した{{R |senpro }}。[[時速]]100[[キロメートル]]で飛ぶ[[ヘリコプター]]に[[ロープ]]1本でぶら下がり、[[乗馬]]では同年の『[[闇の狩人#映画|闇の狩人]]』に続き、地面にある[[矢]]と[[弓 (武器)|弓]]を左右に傾き、拾い上げるスタントを演じたほか、ヘリコプターから宙吊りになるシーンは自前の[[ハイスピードカメラ]]を足に括りつけて撮影し{{R |wakita }}、騎手の目線を写すためにカメラを取り付けたヘルメットを被り乗馬するなど<ref>[[#千葉2008|「革命的手法をもたらした『戦国自衛隊』」、73 - 74頁。]]</ref>{{Efn |当時の[[ハイスピードカメラ]]は今と比べると遥かに重たく、外見もかさばっていた。}}、アクション監督として撮影を自ら行っており、これらの敢行は[[映画スタッフ|スタッフ]]をとても心配させた{{R |wakita }}。[[馬]]の脇腹に隠れての乗馬は、『[[柳生一族の陰謀#テレビ映画|柳生一族の陰謀]]』第27話「美女と野獣」で千葉が、既に演じていたものを[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ (''JAC'') ]]のメンバーに再現させ、『[[戦略大作戦]]』を意識して演出をしている{{R |高平哲郎 }}、1980年に[[ブルーリボン賞 (映画)#第23回(1980年度)|ブルーリボン賞]]のスタッフ賞を受賞した。
(⇒ ''[[#ジャンルを越えた活躍]]''・''[[#2022年]]'')
{{Main|戦国自衛隊}}
{{Main|戦国自衛隊}}


東映から「好きな映画を作っていい」と許可され、企画した1981年の主演作『[[冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-|冒険者カミカゼ ''-ADVENTURER KAMIKAZE-'']]』は、[[フランスの映画|フランス映画]]『[[冒険者たち]]』を[[オマージュ]]した作品で、空手・拳法の達人や剣豪・忍者とは異なるしがない大学職員に扮して活劇を演じた<ref name = Hoshina/>。前年の『[[忍者武芸帖 百地三太夫]]』では[[ワイヤーアクション]]を初めて取り入れ、『[[吼えろ鉄拳]]』と同様に[[俳優]]とアクション監督を兼ね、『[[燃える勇者]]』ではアクション監修に携わった。1989年の『[[将軍家光の乱心 激突]]』では再び、アクション監督と俳優を兼務したが、この作品は[[第39回ベルリン国際映画祭]]に招待された。[[1990年の映画|1990年]]には[[映画プロデューサー|プロデューサー]]と初の[[映画監督|監督]]を兼ねた映画『[[リメインズ 美しき勇者たち]]』を手がけ、[[アクション映画]]の全盛期を牽引していた。
東映から「好きな映画を作っていい」と許可され、企画した1981年の主演作『[[冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-|冒険者カミカゼ ''-ADVENTURER KAMIKAZE-'']]』は、[[フランスの映画|フランス映画]]『[[冒険者たち]]』を[[オマージュ]]した作品で、空手・拳法の達人や剣豪・忍者とは異なるしがない大学職員に扮して活劇を演じた<ref name = Hoshina/>。前年の『[[忍者武芸帖 百地三太夫]]』では[[ワイヤーアクション]]を初めて取り入れ、『[[吼えろ鉄拳]]』と同様に[[俳優]]とアクション監督を兼ね、『[[燃える勇者]]』ではアクション監修に携わった。1989年の『[[将軍家光の乱心 激突]]』では再び、アクション監督と俳優を兼務したが、この作品は[[第39回ベルリン国際映画祭]]に招待された。[[1990年の映画|1990年]]には[[映画プロデューサー|プロデューサー]]と初の[[映画監督|監督]]を兼ねた映画『[[リメインズ 美しき勇者たち]]』を手がけ、[[アクション映画]]の全盛期を牽引していた。
{{Main|冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-|将軍家光の乱心 激突}}
{{Main|冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-}}
{{Main|将軍家光の乱心 激突}}


これまで話題作に数多く主演してきたが、それとは裏腹に「アメリカで撮影が始まるときには『''Ready camera. Action!''』と声がかかる。“アクション”は本来『あらゆる演技』を意味するものだけど<ref name = samurai183184>[[#千葉2010|「受け継がれる武士道」、184頁。]]</ref>、『体が動くからアクション俳優をやれ』と要望通りに何でも演じてきたことで、日本では逆にアクションのみが先行してしまい、あまり良くないイメージを持たれた<ref name = samurai183184/><ref name = キネマ130133>{{Cite journal |和書 |author = 黒田邦雄 |date = 1982-08-01 |title = ザ・インタビュー 千葉真一 |journal = KINEJUN キネマ旬報 |volume = 1655 |issue = 841 |pages = 130 - 133 |publisher = キネマ旬報社 }}</ref>」と複雑な心情を吐露している。
これまで話題作に数多く主演してきたが、それとは裏腹に「アメリカで撮影が始まるときには『''Ready camera. Action!''』と声がかかる。“アクション”は本来『あらゆる演技』を意味するものだけど<ref name = samurai183184>[[#千葉2010|「受け継がれる武士道」、184頁。]]</ref>、『体が動くからアクション俳優をやれ』と要望通りに何でも演じてきたことで、日本では逆にアクションのみが先行してしまい、あまり良くないイメージを持たれた<ref name = samurai183184/><ref name = キネマ130133>{{Cite journal |和書 |author = 黒田邦雄 |date = 1982-08-01 |title = ザ・インタビュー 千葉真一 |journal = KINEJUN キネマ旬報 |volume = 1655 |issue = 841 |pages = 130 - 133 |publisher = キネマ旬報社 }}</ref>」と複雑な心情を吐露している。
309行目: 399行目:


=== 音楽 ===
=== 音楽 ===
1963年に[[シングル]]「[[男一匹生きるなら]]」[[発売|リリース]]して[[歌手]]デビューを果たした。[[1967年の音楽|1967年]]に[[グループ・サウンズ]]の「ザ・サタンズ」というエレキバンドを結成<ref name = モー81>[[#モーレツ24|「追跡ルポ / チバシンのモーレツ24時間」、81頁。]]</ref><ref name = GS196570>{{Cite book ja |editor = 辻幸多郎 |title = GS グループ・サウンズ 1965&#12316;1970 |date = 2013-12-25 |publisher = 近代映画社 |isbn = 476482390X |page = 111 |chapter = NEW SOUNDS GROUP - 千葉真一とザ・サタンズ誕生 }}</ref>。リーダーとして夜は音楽喫茶で歌い<ref name = モー81/>、九州巡業や東京の[[ジャズ喫茶]]でライブをしていた<ref name = GS196570/>。メンバーには[[ドラマー]]兼ライブの司会者で[[潮健児]]、もう1人の[[ドラムセット|ドラム]]・[[サイドギター]]・[[ベースギター]]・[[電子オルガン]]・[[リードギター]]の5人は高校の後輩である<ref name = GS196570/>。バンド名の由来は漫画『[[悪魔くん]]』が好きな千葉が名付けたもの<ref name = 20人が証言113/>。主な楽曲には1968年の「[[女の片えくぼ]]」があり、同年5月11日に放送された『[[キイハンター]]』第6話「影のメロディー」では、風間洋介(千葉)と谷口ユミ([[大川栄子]])が[[ゴーゴー喫茶]]で踊るシーンの[[劇伴]]に流され、ザ・サタンズも[[バックバンド]]のメンバーとして出演している。このほか映画やドラマの主題歌も歌い、作詞・作曲も手掛けた。
[[1963年の音楽|1963年]]「[[男一匹生きるなら]]」[[歌手]][[デビュー]]、[[1967年の音楽|1967年]]には“千葉真一とザ・サタンズを結成した<ref name = モー81/><ref name = GS196570/>。自身は[[グループ・サウンズ]]のリーダー<ref name = GS196570/>、メンバーには[[ドラマー]]兼ライブの司会者で[[潮健児]]、もう1人の[[ドラムセット|ドラム]]・[[サイドギター]]・[[ベースギター]]・[[電子オルガン]]・[[リードギター]]の5人は高校の後輩である<ref name = GS196570/>。バンド名の由来は漫画『[[悪魔くん]]』が好きな千葉が名付けたもの<ref name = 20人が証言113/>。主な楽曲には1968年の「[[女の片えくぼ]]」があり、同年5月11日に放送された『[[キイハンター]]』第6話「影のメロディー」では、風間洋介(千葉)と谷口ユミ([[大川栄子]])が[[ゴーゴー喫茶]]で踊るシーンの[[劇伴]]に流され、ザ・サタンズも[[バックバンド]]のメンバーとして出演している。このほか映画やドラマの主題歌も歌い、作詞・作曲も手掛けた。
(⇒ ''[[#ジャンルを越えた活躍]]''・''[[#キイハンター]]''・''[[#ディスコグラフィ]]'')
(⇒ ''[[#アクションスター]]''・''[[#ジャンルを越えた活躍]]''・''[[#キイハンター]]''・''[[#ディスコグラフィ]]'')


=== キイハンター ===
=== キイハンター ===
『[[キイハンター]]』(1968年 - 1973年)は、瞬く間に視聴率は30パーセントを超え、1年の放送予定が5年に延ばされた<ref name = ア芸キ/><ref name = samurai28>[[#千葉2010|「毎回新しいアクションにチャレンジ、大人気となった『キイハンター』」、28頁。]]</ref>。山頂駅を出発した[[谷]]を行き来する[[索道|ロープウェイ]]に[[ワイヤ]]を投げてぶら下がってからよじ登り、走行する[[列車]]や[[バス (交通機関)|バス]]に飛び降りて屋根で敵と格闘、[[自動車]]から並走する[[軽飛行機]]に飛び移る、[[雪渓]]から回転しながら転落、滑落しそうな[[滝]]の前で格闘など、数々のスタントを演じているがケガも絶えず、大きなものでは左[[足首]]骨折や[[日本刀]]で[[腕]]を斬られたこともある<ref name = 平凡/><ref>[[#千葉2010|「毎回新しいアクションにチャレンジ、大人気となった『キイハンター』」、20頁。]]</ref><ref>[[#千葉2010|「毎回新しいアクションにチャレンジ、大人気となった『キイハンター』」、25 - 26頁。]]</ref><ref>[[#千葉2008|「死と隣り合わせのアクションシーン」、65 - 66頁。]]</ref>。
『[[キイハンター]]』(1968年 - 1973年)は、瞬く間に視聴率は30パーセントを超え、1年の放送予定が5年に延ばされた{{R |ア芸キ }}<ref name = samurai28>[[#千葉2010|「毎回新しいアクションにチャレンジ、大人気となった『キイハンター』」、28頁。]]</ref>。山頂駅を出発した[[谷]]を行き来する[[索道|ロープウェイ]]に[[ワイヤ]]を投げてぶら下がってからよじ登り、走行する[[列車]]や[[バス (交通機関)|バス]]に飛び降りて屋根で敵と格闘、[[自動車]]から並走する[[軽飛行機]]に飛び移る、[[雪渓]]から回転しながら転落、滑落しそうな[[滝]]の前で格闘など、数々のスタントを演じているがケガも絶えず、大きなものでは左[[足首]]骨折や[[日本刀]]で[[腕]]を斬られたこともある{{R |平凡 }}<ref>[[#千葉2010|「毎回新しいアクションにチャレンジ、大人気となった『キイハンター』」、20頁。]]</ref><ref>[[#千葉2010|「毎回新しいアクションにチャレンジ、大人気となった『キイハンター』」、25 - 26頁。]]</ref><ref>[[#千葉2008|「死と隣り合わせのアクションシーン」、65 - 66頁。]]</ref>。
(⇒ ''[[#アクション映画]]'')
(⇒ ''[[#アクション作品]]'')
{{Main|キイハンター}}
{{Main|キイハンター}}


本作の脚本は映画に比べるとアクションが詳細に指定されていなかったので、千葉は良いものを作りたい一心で積極的にアイデアを出すが、経費を気にするスタッフと対立することもあった<ref name =育63/>。しかし視聴率が上がっていき、千葉のアイデアはどんどん採用されていくこととなる<ref name =育63/>国内では[[1969年]](昭和44年)[[近代映画社|近代映画]]10月号臨時増刊は『千葉真一特集号』を刊行され[[マーガレット (雑誌)|週刊マーガレット]]では同年No.17から『千葉真一物語』が連載されるなど、[[人気]]はさら上昇していった<ref name = kamakura/><ref name = 芸キ/>。[[海外]]でもオンエされ、[[ブルース・リー]]は千葉の大ファンとなり<ref name = 子守唄/>、その活躍に深い興味示して共演の申し入れをしてきたが<ref name = kamakura/>リーの突然の死より実現しなかっ<ref name = kamakura/><ref name = 子守唄/>。千葉のアクションやスタントを観てから熱狂的なァンとなった[[ジャッキー・チェン]]は、千葉のようなアクションスターになる夢を抱いていた<ref name = 職業病>{{Cite web |和書 |url = http://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/46a52dbafe59712cdeaf15ab22f92cbb |title = 千葉真一さんの職業病 |accessdate = 2011-01-05 |author = 堀田眞三 |authorlink = 堀田眞三 |date = 2006-07-30 |website = 俳優 堀田眞三(グランパ)です。|work = Weblog |publisher = [[gooブログ]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130517232515/http://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/46a52dbafe59712cdeaf15ab22f92cbb |archivedate = 2013-05-17 |url-status = live }}</ref>
本作の脚本は映画に比べるとアクションが詳細に指定されていなかったので、良いものを作りたい一心で積極的にアイデアを出すが、経費を気にするスタッフと対立することもあった{{R |世ア61 }}。しかし視聴率が上がっていき、千葉のアイデアはどんどん採用されていくこととなる{{R |世ア61 }}作品も俳優という立場ながら撮影現場いろいろと提案し続ける“米国流”の仕事の進め方、深作欣二ようにアイデアを喜んで受け入れる者もいたが、対照的がるスタもおり、後年渡米する理由の一つとなってい{{R |Ane国際派 }}。

国内では[[1969年]]の[[近代映画社|近代映画]]10月号臨時増刊では『千葉真一特集号』を刊行され、[[マーガレット (雑誌)|週刊マーガレット]]では同年のNo.17から『千葉真一物語』が連載されるなど、[[人気]]はさらに上昇していった{{R |kamakura |ア芸キ }}。[[海外]]でもオンエアされ、[[ブルース・リー]]は千葉の大ファンとなり{{R |子守唄 }}、その活躍に深い興味を示して共演の申し入れをしてきたが{{R |kamakura }}、リーの突然の死により実現しなかった{{R |kamakura |子守唄 }}。千葉のアクションやスタントを観てから熱狂的なファンとなった[[ジャッキー・チェン]]は、千葉のようなアクションスターになる夢を抱いていた{{R |職業病 }}。
(⇒ ''[[#ファン(海外)]]'')
(⇒ ''[[#ファン(海外)]]'')


[[香港]]・[[タイ王国]]で[[映画]]『[[東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯]]』(1973年)、『[[激殺! 邪道拳]]』『[[ゴルゴ13 九竜の首]]』(1977年)、『[[HAKEN 覇拳 ふりむけば修羅]]』『[[地雷原 A mine field.]]』(1992年)など、千葉の[[主演]]・[[映画監督|監督]]作品が[[ロケーション撮影]]された際には現地で大歓迎されている。[[中島貞夫]]は『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』をタイの製作会社からの資本参加を得てロケができた理由の一つに、『キイハンター』が当地で放送されており、千葉の人気が高かったことを挙げている<ref>[[#遊撃|「『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』」、324頁。]]</ref>。
[[香港]]・[[タイ王国]]で『[[東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯]]』(1973年)、『[[激殺! 邪道拳]]』『[[ゴルゴ13 九竜の首]]』(1977年)、『[[HAKEN 覇拳 ふりむけば修羅]]』『[[地雷原 A mine field.]]』(1992年)など、千葉の[[主演]]・[[映画監督|監督]]作品が[[ロケーション撮影]]された際には現地で大歓迎されている。[[中島貞夫]]は『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』をタイの製作会社からの資本参加を得てロケができた理由の一つに、『キイハンター』が当地で放送されており、千葉の人気が高かったことを挙げている<ref>[[#遊撃|「『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』」、324頁。]]</ref>。
(⇒ ''[[#ファン]]'')
(⇒ ''[[#ファン]]'')
{{Main|東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯}}
{{Main|東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯}}
329行目: 421行目:


[[大川栄子]]は「俳優にならなかったら、体育の先生になっていたと、よく基本を教えてくれる<ref name = 20人が証言112>[[#20人が証言|「20人が証言する裸の千葉真一」、112頁。]]</ref>」と言っている。
[[大川栄子]]は「俳優にならなかったら、体育の先生になっていたと、よく基本を教えてくれる<ref name = 20人が証言112>[[#20人が証言|「20人が証言する裸の千葉真一」、112頁。]]</ref>」と言っている。
(⇒ ''[[#音楽]]'')


[[宮内洋]]は千葉が爆発の中を駆け抜けるシーンを横のアングルから見ていた時、「カメラを通して観るように」と言われ、安全のために千葉は火薬と距離を取りアクションをしていたが、レンズの位置からみると「今にも火薬でやられてしまうような迫力だった」とその迫力の違いに驚愕していた<ref name = georgia>{{Cite web2 |url = https://weekly-g.jp/c05roman/s01horoniga/ho153/ |title = 1秒でも長く映っていたい!! |accessdate = 2016-11-23 |date = 2016-11-15 |work = 宮内洋(俳優) - ほろ苦インタビュー |publisher = 週刊ジョージア |archiveurl = https://web.archive.org/web/20161123082940/https://weekly-g.jp/c05roman/s01horoniga/ho153/ |archivedate = 2016-11-23 }}</ref>。『[[仮面ライダーV3]]』のオファーを受けた宮内は演技づくりのために『[[仮面ライダー]]』を何本かみて、「“アクションの神様”である千葉真一さんから教えを受けた私なら、変身前のアクションシーンをもっと盛り上げられると思った」とその影響を認めている<ref name = georgia/>。このほかにも「(V3の)アクションシーンで必ず手袋を着用したのは怪我を防ぐためだが、これは千葉さんのアイデアを取り入れたものだ<ref>{{Cite episode |title = [[仮面ライダーシリーズ]]よ永遠に |series = とことん! [[石ノ森章太郎]]・最終章 |network = [[日本放送協会|NHK]] |station = [[NHK衛星第2テレビジョン|BS2]] |airdate = 2008-03-29 }}</ref>」と、アクションのノウハウを千葉から享受されていた。
[[宮内洋]]は千葉が爆発の中を駆け抜けるシーンを横のアングルから見ていた時、「カメラを通して観るように」と言われ、安全のために千葉は火薬と距離を取りアクションをしていたが、レンズの位置からみると「今にも火薬でやられてしまうような迫力だった」とその迫力の違いに驚愕していた<ref name = georgia>{{Cite web2 |url = https://weekly-g.jp/c05roman/s01horoniga/ho153/ |title = 1秒でも長く映っていたい!! |accessdate = 2016-11-23 |date = 2016-11-15 |work = 宮内洋(俳優) - ほろ苦インタビュー |publisher = 週刊ジョージア |archiveurl = https://web.archive.org/web/20161123082940/https://weekly-g.jp/c05roman/s01horoniga/ho153/ |archivedate = 2016-11-23 }}</ref>。『[[仮面ライダーV3]]』のオファーを受けた宮内は演技づくりのために『[[仮面ライダー]]』を何本かみて、「“アクションの神様”である千葉真一さんから教えを受けた私なら、変身前のアクションシーンをもっと盛り上げられると思った」とその影響を認めている<ref name = georgia/>。このほかにも「(V3の)アクションシーンで必ず手袋を着用したのは怪我を防ぐためだが、これは千葉さんのアイデアを取り入れたものだ<ref>{{Cite episode |title = [[仮面ライダーシリーズ]]よ永遠に |series = とことん! [[石ノ森章太郎]]・最終章 |network = [[日本放送協会|NHK]] |station = [[NHK衛星第2テレビジョン|BS2]] |airdate = 2008-03-29 }}</ref>」と、アクションのノウハウを千葉から享受されていた。
334行目: 427行目:


1969年、『キイハンター』を休んで[[映画]]『[[日本暗殺秘録]]』に[[主演]]。[[TBSテレビ|TBS]]やファンから復帰の要望が高まっていたが<ref name = samurai3335/>、風間洋介のイメージから脱皮しようと同作に賭ける思いはとても強かった<ref name = samurai3335/>。中島貞夫と打ち合わせしながら[[小沼正]]を創り上げていき、撮影見学に来ていた小沼本人からもその演技は太鼓判を押された<ref name = samurai3335/>。同作で[[京都市民映画祭]]の主演男優賞を受賞し、これが「様々な作品に出演していくためにも。『キイハンター』を[[卒業]]しよう<ref name = samurai3335/>」と決意することとなる。降板をボス役の[[丹波哲郎]]に申し入れ<ref name = ア芸キ/><ref name = samurai28/>、丹波と[[東映]]は続けたかったが<ref name = samurai28/>、丹波は「千葉が居ないのでは『キイハンター』は成り立たない。だったら一度番組を終わらせよう」と理解を示し、大ヒットしていた同ドラマは1973年に終焉<ref name = ア芸キ/><ref name = samurai28/>。千葉は「丹波さんの決断にとても感謝している」と述懐している<ref name = samurai28/>。
1969年、『キイハンター』を休んで[[映画]]『[[日本暗殺秘録]]』に[[主演]]。[[TBSテレビ|TBS]]やファンから復帰の要望が高まっていたが<ref name = samurai3335/>、風間洋介のイメージから脱皮しようと同作に賭ける思いはとても強かった<ref name = samurai3335/>。中島貞夫と打ち合わせしながら[[小沼正]]を創り上げていき、撮影見学に来ていた小沼本人からもその演技は太鼓判を押された<ref name = samurai3335/>。同作で[[京都市民映画祭]]の主演男優賞を受賞し、これが「様々な作品に出演していくためにも。『キイハンター』を[[卒業]]しよう<ref name = samurai3335/>」と決意することとなる。降板をボス役の[[丹波哲郎]]に申し入れ<ref name = ア芸キ/><ref name = samurai28/>、丹波と[[東映]]は続けたかったが<ref name = samurai28/>、丹波は「千葉が居ないのでは『キイハンター』は成り立たない。だったら一度番組を終わらせよう」と理解を示し、大ヒットしていた同ドラマは1973年に終焉<ref name = ア芸キ/><ref name = samurai28/>。千葉は「丹波さんの決断にとても感謝している」と述懐している<ref name = samurai28/>。
{{Main|キイハンター|日本暗殺秘録}}
{{Main|キイハンター}}
{{Main|日本暗殺秘録}}


=== ジャパンアクションクラブ (''JAC'') ===
=== ジャパンアクションクラブ (''JAC'') ===
1970年、アクション・[[擬斗]]を演じる相手や[[スタント・パーソン|スタントマン]]の不足に悩み{{Efn |name = 講道館の鬼 }}、[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]で活躍するような[[俳優]]・スタントマンの育成、若年層の教育に関心を持っていたことから、[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ (''JAC'') ]]を設立。結成式には[[若山富三郎]]が駆けつけてお祝いをしていた<ref>{{Cite episode |title = 銀幕にかける情熱 夢・ロマン そて挑戦 |series = 本格報道 INsideOUT |series-link = 本格報道 INsideOUT |network = |station = [[日本BS放送|BS11]] |airdate = 2013-03-20 |minutes = 21:00 - 21:54 }}</ref>。主な門下生には[[春田純一]]・[[金田治]]・[[西本良治郎]]・[[山岡淳二]]・[[大葉健二]]・[[高橋利道]]・[[栗原敏]]・[[井上誠吾]]・[[志穂美悦子]][[真田広之]]・[[甲斐将馬]]・[[関根大学]]・[[稲田龍雄]]・斉藤一之・[[黒崎輝]]・[[崎津隆介]]・[[山田一善]]・[[山本亨 (俳優)|山本亨]]・[[渡洋史]]・[[高木淳也]]・[[伊原剛志]]・[[堤真一]]・[[真矢武]]・[[土家歩]]・[[村松美香]]・[[山口祥行]]らがおり、俳優・[[アクション監督]]・スタントマン・[[スーツアクター]]で活躍する人材を輩出<ref name = nikkan1/>。指導者には千葉真一自身のほか、[[日本体育大学]]の[[OB・OG|OB]]がアクション・[[スタント]]の為のトレーニング<ref>[[#誠真JAC3|「厳しいコーチ」、14 - 15頁。]]</ref>、[[石橋雅史]]が[[空手道]]をそれぞれ教えていた<ref>[[#誠真JAC3|「石橋雅史と出会う」、6 - 7頁。]]</ref>。
1970年、アクション・[[擬斗]]を演じる相手や[[スタント・パーソン|スタントマン]]の不足に悩み{{Efn |name = 講道館の鬼 |自分の役でもないのに「投げ飛ばされる」、「板にぶつかる」、「海に放り込まれる」など、幾度となく代わりに[[スタント]]を演じてきたので<ref>「千葉真一さん [[森末慎二]]さんの若さと元気のヒミツ“年齢に負けない鮫肝油のサラサラパワー”」『[[テレビショッピング]]』 [[2013年|平成25年]]、[[エバーライフ]]。</ref>、[[吹き替え]]ができる人材の不足を憂いていた。}}、[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]で活躍するような[[俳優]]・スタントマンの育成、若年層の教育に関心を持っていたことから、[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ (''JAC'') ]]を設立。結成式には[[若山富三郎]]が駆けつけてお祝いをしていた<ref>{{Cite episode |title = 銀幕にかける情熱 夢・ロマン そて挑戦 |series = 本格報道 INsideOUT |series-link = 本格報道 INsideOUT |network = |station = [[日本BS放送|BS11]] |airdate = 2013-03-20 |minutes = 21:00 - 21:54 }}</ref>。主な門下生には[[春田純一]]・[[金田治]]・[[西本良治郎]]・[[山岡淳二]]・[[大葉健二]]・[[高橋利道]]・栗原敏・[[井上誠吾]]・志穂美悦子・真田広之・[[甲斐将馬]]・関根大学・[[稲田龍雄]]・斉藤一之・[[黒崎輝]]・[[崎津隆介]]・[[山田一善]]・[[山本亨 (俳優)|山本亨]]・[[渡洋史]]・[[高木淳也]]・伊原剛志・西田真吾・[[堤真一]]・[[真矢武]]・[[土家歩]]・[[村松美香]]・[[山口祥行]]らがおり、俳優・[[アクション監督]]・スタントマン・[[スーツアクター]]で活躍する人材を輩出<ref name = nikkan1/>。指導者には千葉真一自身のほか、[[日本体育大学]]の[[OB・OG|OB]]がアクション・[[スタント]]の為のトレーニング<ref>[[#誠真JAC3|「厳しいコーチ」、14 - 15頁。]]</ref>、[[石橋雅史]]が[[空手道]]をそれぞれ教えていた<ref>[[#誠真JAC3|「石橋雅史と出会う」、6 - 7頁。]]</ref>。
(⇒ [[#''空手道'']])
(⇒ [[#''空手道'']])


千葉真一の親友・[[夏八木勲]]や<ref name = 夏八木ポスト>{{Cite web |和書 |url = http://www.news-postseven.com/archives/20130429_184553.html |title = 世界的アクションスター・千葉真一に劣らぬ夏八木勲の筋肉美 |accessdate = 2013-05-04 |author = 春日太一 |authorlink = 春日太一 |date = 2013-04-29 |website = [[NEWSポストセブン]] |work = 芸能 |publisher = [[小学館]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130504043823/http://www.news-postseven.com/archives/20130429_184553.html |archivedate = 2013-05-04 |url-status = live }}</ref><ref name = 徳間骨太>{{Cite web |和書 |url = http://www.asagei.com/13902 |title = 夏八木勲「親友・千葉真一が明かした骨太“名脇役人生”」|accessdate = 2013-07-01 |date = 2013-05-29 |work = アサ芸+ |publisher = 徳間書店 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130701105308/http://www.asagei.com/13902 |archivedate = 2013-07-01 |url-status = live }}</ref>、[[桜木健一]]<ref name = 桜木>[[#平凡69121|「アクションをやるならJACへ来いよ!」、106頁。]]</ref>、ら所属していない俳優も練習に通っていた<ref name = 夏八木ポスト/><ref name = 徳間骨太/><ref name = 桜木/>。共に格闘映画を製作してきた[[橋本新一]](脚本家・助監督)は「[[東映]]の[[大部屋俳優]]だけでは千葉真一との擬斗を活かせることができなかったから、''JAC''を作ったことで格闘映画の質は向上した」と評している<ref>[[#カラ映6421|ギンディ小林 「橋本新一 インタビュー」、24頁。]]</ref>。
千葉真一の親友・[[夏八木勲]]や<ref name = 夏八木ポスト/><ref name = 徳間骨太>{{Cite web |和書 |url = http://www.asagei.com/13902 |title = 夏八木勲「親友・千葉真一が明かした骨太“名脇役人生”」|accessdate = 2013-07-01 |date = 2013-05-29 |work = アサ芸+ |publisher = 徳間書店 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130701105308/http://www.asagei.com/13902 |archivedate = 2013-07-01 |url-status = live }}</ref>、[[桜木健一]]<ref name = 桜木>[[#平凡69121|「アクションをやるならJACへ来いよ!」、106頁。]]</ref>、ら所属していない俳優も練習に通っていた<ref name = 夏八木ポスト/><ref name = 徳間骨太/><ref name = 桜木/>。共に格闘映画を製作してきた[[橋本新一]](脚本家・助監督)は「[[東映]]の[[大部屋俳優]]だけでは千葉真一との擬斗を活かせることができなかったから、''JAC''を作ったことで格闘映画の質は向上した」と評している<ref>[[#カラ映6421|ギンディ小林 「橋本新一 インタビュー」、24頁。]]</ref>。


トップスターでありながら、志穂美悦子の『[[女必殺拳]]』、真田広之の『[[忍者武芸帖 百地三太夫]]』『[[吼えろ鉄拳]]』『[[伊賀忍法帖]]』、大葉健二の『[[宇宙刑事ギャバン]]』、黒崎輝の『[[伊賀野カバ丸#映画|伊賀野カバ丸]]』『[[コータローまかりとおる!#映画|コータローまかりとおる]]』、村松美香の『[[旅少女 (テレビドラマ)|旅少女]]』など、教え子たちの主演作品に[[助演]]として出演することも多い<ref>[[#役者は一日|「JACの創設」、40 - 41頁。]]</ref>。共に格闘映画を製作してきた[[橋本新一]](脚本家・助監督)は「[[東映]]の[[大部屋俳優]]だけでは彼の擬斗を活かせることができなかったから、''JAC'' を作ったことで格闘映画の質は向上した」と評している<ref>[[#カラ映6421|ギンディ小林 「橋本新一 インタビュー」、24頁。]]</ref>。
トップスターでありながら、志穂美悦子の『[[女必殺拳]]』、真田広之の『[[忍者武芸帖 百地三太夫]]』『[[吼えろ鉄拳]]』『[[伊賀忍法帖]]』、大葉健二の『[[宇宙刑事ギャバン]]』、黒崎輝の『[[伊賀野カバ丸#映画|伊賀野カバ丸]]』『[[コータローまかりとおる!#映画|コータローまかりとおる]]』、村松美香の『[[旅少女 (テレビドラマ)|旅少女]]』など、教え子たちの主演作品に[[助演]]として出演することも多い<ref>[[#役者は一日|「JACの創設」、40 - 41頁。]]</ref>。共に格闘映画を製作してきた[[橋本新一]](脚本家・助監督)は「[[東映]]の[[大部屋俳優]]だけでは彼の擬斗を活かせることができなかったから、''JAC'' を作ったことで格闘映画の質は向上した」と評している<ref>[[#カラ映6421|ギンディ小林 「橋本新一 インタビュー」、24頁。]]</ref>。
348行目: 442行目:


=== ヤクザ映画 ===
=== ヤクザ映画 ===
1966年から始まった[[任侠映画]]『[[子守唄シリーズ]]』をヒットさせていたが<ref name = 子守唄/>、1973年の映画『[[仁義なき戦い 広島死闘篇]]』がイメージを一新することとなる。
1966年から始まった『[[子守唄シリーズ]]』を成功させていたが{{R |子守唄 }}[[1973年]]の『[[仁義なき戦い 広島死闘篇]]』がそれまでのイメージを一新することとなる。


配役は[[予科練]]出身の[[ヤクザ]]・山中正治に決まり、セリフも全て覚えて撮影に入る直前だった<ref name = 壬生智裕/><ref name = 映画com仁義/><ref name = samurai3943>[[#千葉2010|「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』、39 - 43頁。]]</ref>。しかし狂犬のようなヤクザ・[[大友勝利]]を演じることが決まっていた[[北大路欣也]]が「大友は粗暴で下品すぎて、どうしても自分では演じられない。山中をやらせてほしい」と言い出したことから[[プロデューサー]][[日下部五朗]]と宣伝担当者らは千葉を突然訪ね、「山中と大友を交代してもらえないか」と依頼してき<ref name = 壬生智裕/><ref name = 映画com仁義/><ref name = samurai3943/>。『[[日本暗殺秘録]]』に続いて『広島死闘篇』の[[脚本]]を執筆した[[笠原和夫 (脚本家)|笠原和夫]]は、[[小沼正]]の一面を山中のキャラクターに取り込んでいたこともあり、東映と笠原は「小沼を好演して受賞した千葉に、山中を演じさせよう」とキャスティングしていた<ref name = samurai3943/>。このような経緯から千葉も、小沼と山中に共通点を見出して役作りしてきたため、初め交代に難色を示した<ref name = samurai3943/>。ほどなくして[[深作欣]]が会議唯一「千葉に大友を演じさせたほうが、絶対おもしろくなる」と主張していたことを知り、似たような役を再び演じることは俳優として停滞するのではないかと再考し、「役作りし直すから、出番を少し後にずらしてほしい」と交代を了承した<ref name = 壬生智裕/><ref name = 映画com仁義/><ref name = samurai3943/>。この時[[中島貞夫]]も「友をやるべき」と説得しており、「千葉ちゃんサクさん(深作欣二)ともよく付き合っていたけど、肝心なところでは僕の意見を聞いてくれた」と話している<ref>[[#遊撃|「『日本の仁義』、474頁。]]</ref>。北大路に役を譲ったのはこれが初めてでなく、[[1963年]]の映画『[[海軍 (映画)|海軍]]』に続いて二度目であった{{Efn |[[北大路欣也]]は戦前からの大スターで東映の役員を兼務していた[[市川右太衛門]]の御曹司であることから、東映は北大路の意向を幾度となく受け入れてきた<ref name = アサ芸深作>{{Cite web |和書 |url = http://www.asagei.com/9401 |title = 千葉真一、深作欣二の初時代劇の教えに感謝 |accessdate = 2012-11-29 |date = 2012-11-28 |work = アサ芸 |publisher = 徳間書店 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130922053410/http://www.asagei.com/9401 |archivedate = 2013-09-22 |url-status = live }}</ref>。}}。
配役は[[予科練]]出身の[[ヤクザ]]・山中正治に決まり、セリフも全て覚えて撮影に入る直前だった{{R |壬生智裕 |映画com仁義 }}<ref>[[#深作山根|「笠原和夫との共同作業」『第八章 仁義なき戦いシリーズの炸裂』、275 - 276頁。]]</ref><ref name = samurai3943>[[#千葉2010|「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』、39 - 43頁。]]</ref>。しかし狂犬のようなヤクザ・[[大友勝利]]を演じることが決まっていた[[北大路欣也]]が「大友はちょっと自信がない{{R |笠原276 |映画com仁義 }}。山中なら理解できる{{R |笠原276 }}」「大友は粗暴で下品すぎて、どうしても自分では演じられない{{R |映画com仁義 |samurai3943 }}。山中をやらせてほしい{{R |samurai3943 }}」と言い出し、配役の交代を要求した{{R |笠原276 |壬生智裕 |映画com仁義 |samurai3943 }}。このようなリクエストは二度目{{Efn |name = 譲る }}は[[戦前#日本における「戦前」|戦前]]からの大スターで[[東映]]の役員を兼務していた[[市川右太衛門]]の御曹司であることから、東映は北大路の求めを幾度となく受け入れてきた{{R |笠原276 |アサ芸深作 }}。
{{Main|日本暗殺秘録|仁義なき戦い 広島死闘篇}}


そのため[[日下部五朗]]と宣伝担当者らは千葉を突然訪ね、「山中と大友を交代してもらえないか」と調整することになる{{R |笠原276 |壬生智裕 |映画com仁義 |samurai3943 }}。『[[日本暗殺秘録]]』に続いて『広島死闘篇』の[[脚本]]を執筆した[[笠原和夫 (脚本家)|笠原和夫]]は、[[小沼正]]の一面を山中のキャラクターに取り込んでいたこともあり、東映と笠原は「小沼を好演して受賞した千葉に山中を演じさせよう」とキャスティングしていた{{R |samurai3943 }}。このような経緯から千葉も、小沼と山中に共通点を見出して役作りしてきたため、初めは交代に難色を示す{{R |samurai3943 }}。[[深作欣二]]は主役を二度も譲らざるを得なかった{{Efn |name = 譲る }}、その心情を「さぞ悔しかったはずだ」と思い遣っている{{R |笠原276 |アサ芸深作 }}。
[[ブロマイド]]の売上げが俳優部門で4年連続No.1のアイドルでもあったが<ref name = ア芸キ/><ref name = 壬生智裕/><ref name = 映画com仁義/><ref name = アサ芸仁義>{{Cite web |和書 |url = http://www.asagei.com/3678 |title = 「仁義なき戦い」40年目の壮絶秘話 (1)「顔のシワ作り」に励んだ松方 |accessdate = 2012-11-29 |date = 2012-11-28 |work = アサ芸+ |publisher = 徳間書店 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20131216074450/http://www.asagei.com/3678 |archivedate = 2013-12-16 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite journal |和書 |year = 2007 |title = 【突然引退】 千葉真一が酸素ボンベ闘病 |journal = [[アサヒ芸能|週刊アサヒ芸能]] |issue = 8月2日号 |pages= 204 - 207 |publisher = 徳間書店 }}</ref>、過激なセリフに悩みながら「これまで良いと思ったものを全て捨てる」という姿勢で、[[サングラス]]を常時掛けて眼を隠し、唇を裏返しにして糊付けするなど、役柄にふさわしい演技・扮装を工夫した<ref name = 映画com仁義/><ref>[[#千葉2010|「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』、43 - 45頁。]]</ref>。そして作り上げた大友勝利はシリーズ中1, 2を争う名キャラクターとして人気をつかんでおり<ref name = 壬生智裕/><ref name = アサ芸仁義/><ref name = 仁義なき戦いPERFECTBOOK/>、後の[[ヤクザ映画]]でも「『[[仁義なき戦い]]』の千葉真一さんがやった大友勝利のような」と影響を与え続け、ヤクザ役のひな型となっている<ref name = アサ芸深作/>。封切り公開されると千葉のイメージチェンジは話題となり<ref name = 高平哲郎/><ref name = 壬生智裕/><ref name = 映画com仁義/><ref name = キネマ130133/>、[[俳優座]]養成所1期生で千葉と何度か共演している[[岩崎加根子]]などからも絶賛され<ref>[[#千葉2010|「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』、48頁。]]</ref>、それを聞いた千葉は「とても自信がついた。悪役の妙味を知ることができ、実に大きなものを与えてくれた作品だった」と語っている<ref name = 壬生智裕/><ref name = 映画com仁義/>。大友勝利は人気キャラクターだけあって[[主人公]]にした企画が出され<ref name = 壬生智裕/>、『[[仁義なき戦い 頂上作戦]]』にも大友で出演する予定だったが<ref>{{Cite book |和書 |author = 小林信彦 |authorlink = 小林信彦 |year = 1991 |title = 映画を夢見て |publisher = [[筑摩書房]] |pages = 177 - 185 |isbn = }}</ref>、『広島死闘篇』と同時進行で『[[柔道一代シリーズ]]』以来、10年ぶりの[[格闘技|格闘]]映画に[[クランクイン]]したため、『[[仁義なき戦い|仁義なき戦いシリーズ]]』の再出演は実現しなかった<ref name = kyoken/>。
(⇒ ''[[#アクションスター]]''・''[[#転機]]'')

一方で深作は「毛並みがいいというか、血筋がいいというか、欣也には[[ヤクザ]]特有のヤニ臭さがない<ref name = 完結篇286>[[#深作|「仁義なき戦い 完結篇」、286頁。]]</ref>。だから山中はできても{{R |完結篇286 }}、大友を演じることは[[逆立ち]]してもできない{{R |笠原276 }}」と見抜いており、「千葉に大友を演じさせるほうが、絶対おもしろくなる」と考えていた{{R |笠原276 }}。深作が配役の入れ替えに反対していないことを知り、その意図を想像して「似たような役を再び演じることは、俳優として停滞するのではないか{{R |壬生智裕 |samurai3943 }}」と再考する{{R |壬生智裕 |映画com仁義 }}。最終的に「役作りをし直すから、少し後に出番をずらしてほしい」と交代を了承した{{R |壬生智裕 |映画com仁義 |samurai3943 }}。

この時、[[中島貞夫]]も「大友をやるべき」と説得しており、「千葉ちゃんはサクさん(深作欣二)ともよく付き合っていたけど、肝心なところでは僕の意見を聞いてくれた」と話している<ref>[[#遊撃|『日本の仁義』、474頁。]]</ref>。
{{Main|日本暗殺秘録}}
{{Main|仁義なき戦い 広島死闘篇}}

[[ブロマイド]]の売上げが俳優部門で4年連続No.1のアイドルでもあったが{{R |ア芸キ |壬生智裕 |映画com仁義 |アサ芸仁義 }}<ref>{{Cite journal |和書 |year = 2007 |title = 【突然引退】 千葉真一が酸素ボンベ闘病 |journal = [[アサヒ芸能|週刊アサヒ芸能]] |issue = 8月2日号 |pages= 204 - 207 |publisher = 徳間書店 }}</ref>、過激なセリフに悩みながら「これまで良いと思ったものを全て捨てる」という姿勢で、[[サングラス]]を常時掛けて眼を隠し、唇を裏返しにして糊付けするなど、役柄にふさわしい演技・扮装を工夫した<ref name = 映画com仁義/><ref>[[#千葉2010|「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』、43 - 45頁。]]</ref>。そして作り上げた大友勝利はシリーズ中1, 2を争う名キャラクターとして人気をつかんでおり<ref name = 壬生智裕/><ref name = アサ芸仁義/><ref name = 仁義PB/>、後の[[ヤクザ映画]]でも「『[[仁義なき戦い]]』の千葉真一さんがやった大友勝利のような」と影響を与え続け、ヤクザ役のひな型となっている<ref name = アサ芸深作/>。封切り公開されると千葉のイメージチェンジは話題となり<ref name = 高平哲郎/><ref name = 壬生智裕/><ref name = 映画com仁義/><ref name = キネマ130133/>、[[俳優座]]養成所1期生で千葉と何度か共演している[[岩崎加根子]]などからも絶賛され<ref>[[#千葉2010|「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』、48頁。]]</ref>、それを聞いた千葉は「とても自信がついた。悪役の妙味を知ることができ、実に大きなものを与えてくれた作品だった」と語っている<ref name = 壬生智裕/><ref name = 映画com仁義/>。大友勝利は人気キャラクターだけあって[[主人公]]にした企画が出され<ref name = 壬生智裕/>、『[[仁義なき戦い 頂上作戦]]』にも大友で出演する予定だったが<ref>{{Cite book |和書 |author = 小林信彦 |authorlink = 小林信彦 |year = 1991 |title = 映画を夢見て |publisher = [[筑摩書房]] |pages = 177 - 185 |isbn = }}</ref>、『広島死闘篇』と同時進行で『[[柔道一代シリーズ]]』以来、10年ぶりの[[格闘技|格闘]]映画に[[クランクイン]]したため、『[[仁義なき戦い|仁義なき戦いシリーズ]]』の再出演は実現しなかった<ref name = kyoken/>。
(⇒ ''[[#転機]]'')
(⇒ ''[[#転機]]'')
{{Main|仁義なき戦い#登場人物}}
{{Main|仁義なき戦い#登場人物}}
359行目: 461行目:
多くの[[ヤクザ映画]]を手掛けてきた[[俊藤浩滋]]は「役者でいうと[[高倉健]]タイプかな。(ヤクザ映画で)行動派を演じさせれば、ピッと光るものがある」と評している<ref>{{Cite book |和書 |author1 = 俊藤浩滋 |authorlink1 = 俊藤浩滋 |author2 = 山根貞男 |authorlink2 = 山根貞男 |title = 任侠映画伝 |date = 1999-02-01 |edition = 第一刷 |publisher = 講談社 |id = C0095 |isbn = 4062095947 |pages = 265 - 266 |chapter = 第十二章 夢とロマンを求めて }}</ref>。
多くの[[ヤクザ映画]]を手掛けてきた[[俊藤浩滋]]は「役者でいうと[[高倉健]]タイプかな。(ヤクザ映画で)行動派を演じさせれば、ピッと光るものがある」と評している<ref>{{Cite book |和書 |author1 = 俊藤浩滋 |authorlink1 = 俊藤浩滋 |author2 = 山根貞男 |authorlink2 = 山根貞男 |title = 任侠映画伝 |date = 1999-02-01 |edition = 第一刷 |publisher = 講談社 |id = C0095 |isbn = 4062095947 |pages = 265 - 266 |chapter = 第十二章 夢とロマンを求めて }}</ref>。


=== 格闘映画 ===
=== 格闘作品 ===
[[1963年]]から始まる『[[柔道一代シリーズ]]』に主演したのが最初の格闘映画で、第二作『[[柔道一代 講道館の鬼]]』([[1964年の映画|1964年]])の乱闘シーンで[[肩]]を[[骨折]]してしまった<ref name = 平凡/>{{Efn |name = 講道館の鬼 }}。1963年11月には主演映画『空手風雲録』に備え、[[空手道|空手道場]]で[[跳び蹴り]]を繰り出す姿が残されている<ref>[[#報知11版|「1面写真」、紙面11版。]]</ref>。
[[1963年]]から始まる『柔道一代シリーズ』に主演したのが最初の格闘映画で、第二作『[[柔道一代 講道館の鬼]]』([[1964年の映画|1964年]])の乱闘シーンで[[肩]]を[[骨折]]してしまった{{R |平凡}}。1963年11月には『空手風雲録』の撮影に備え、[[空手道|空手道場]]で[[跳び蹴り]]を繰り出す姿が残されている<ref>[[#報知11版|「1面写真」、紙面11版。]]</ref>。
(⇒ ''[[#アクション映画]]''・''[[#空手道]]'')
(⇒ ''[[#極真カラテ]]''・''[[#アクション作品]]''・''[[#空手道]]'')


[[File:Sonny Chiba Signature.svg|thumb|260px|''Sonny Chiba''の[[サイン]]]]
[[File:Sonny Chiba Signature.svg|thumb|right|300px|''Sonny Chiba''の[[サイン]]]]
1973年の『[[ボディガード牙シリーズ]]』で、10年ぶりに格闘映画へカムバック。翌年の『[[激突! 殺人拳]]』は、[[ヤクザ映画]]が下火になっていた[[東映]]にとって、久々の大ヒットを飛ばす作品となった<ref name = 高平哲郎/><ref>{{Cite book |和書 |author = 小沢茂弘 |authorlink = 小沢茂弘 |coauthors = 高橋聡 |title = 困った奴ちゃ - 東映ヤクザ監督の波乱万丈生 |publisher = [[ワイズ出版]] |date = 1996-11-10 |edition = 初版第一刷 |isbn = 9784948735576 |pages = 91 - 92 }}</ref>。[[アメリカ合衆国]]・[[ヨーロッパ]]・[[オーストラリア]]・[[カナダ]]の映画会社も『激突! 殺人拳』を買い付けに来ていた<ref name = brucelee/>。なかでもアメリカの[[ニュー・ライン・シネマ]]は当初ヤクザ映画を購入するつもりだったが、本作を見て心変わりし、「[[ブルース・リー]]以上だ。素晴らしい<ref name = brucelee/>」と評して興行権を買い取り、『''[[w:The Street Fighter|The Street Fighter]]''』とタイトルをつけ、千葉を''[[w:Sonny Chiba|Sonny Chiba]]''(サニー ちば)とネーミング<ref name = 伊藤生まれた21/><ref name = samurai51/><ref name = samurai11/><ref name = 高平哲郎/>{{Efn |name = Sonny }}。
1973年の『[[ボディガード牙シリーズ]]』で、10年ぶりに格闘作品へカムバック。翌年の『[[激突! 殺人拳]]』は、[[ヤクザ映画]]が下火になっていた[[東映]]にとって、久々の大ヒットを飛ばす作品となった{{R |高平哲郎 }}<ref>{{Cite book |和書 |author = 小沢茂弘 |authorlink = 小沢茂弘 |coauthors = 高橋聡 |title = 困った奴ちゃ - 東映ヤクザ監督の波乱万丈生 |publisher = [[ワイズ出版]] |date = 1996-11-10 |edition = 初版第一刷 |isbn = 9784948735576 |pages = 91 - 92 }}</ref>。[[アメリカ合衆国]]・[[ヨーロッパ]]・[[オーストラリア]]・[[カナダ]]の映画会社も『激突! 殺人拳』を買い付けに来ていた{{R |bl1227 }}。なかでも[[ニュー・ライン・シネマ]]は当初ヤクザ映画を購入するつもりだったが、本作を見て心変わりし、「[[ブルース・リー]]以上だ。素晴らしい{{R |bl1227 }}」と評して興行権を買い取り、『''[[w:The Street Fighter|The Street Fighter]]''』とタイトルをつけ、千葉を''[[w:Sonny Chiba|Sonny Chiba]]''(サニー ちば)とネーミングし{{R |伊藤21 |samurai51 |samurai11 |高平哲郎 }}{{Efn |name = Sonny }}、アメリカ国内で興行を開始した{{R |Ane国際派 |bl1227 |var1218 }}。この後、ニュー・ライン・シネマは次々と千葉の作品を興行していく{{R |伊藤21 |エンよも1 }}。
(⇒ ''[[#Sonny Chiba]]'')


1974年11月12日から主にアメリカ中南部の都市18館で封切られ、3週間でベスト5に躍り出て千葉の代表となった<ref name = 高平哲郎/><ref name = brucelee/><ref name = variety/>。アメリカ最も権威のある総合情報週刊誌「''[[バラエティ (アメリカ合衆国の雑誌)|Variety]]''」の[[12月18日]]付にもこの出来事が掲載され、同誌が初めて日本映画を取り上げるという快挙を成し遂げている<ref name = brucelee/><ref name = variety/>。大ヒットした要因として「リーの舞踊劇的な[[功夫]]と違い、ワザと力もより本物に近く、迫力がある」「[[体操競技|器械体操]]を利用した、トランジスター的器用さが面白い」と評されており<ref name = brucelee/>、計四作の『[[殺人拳シリーズ]]』として封切りされた<ref>[[#あかん|「千葉真一の躍進とカラテ映画」、345頁。]]</ref>。[[忍者]]の末裔に扮した同年の主演作『[[直撃! 地獄拳]]』は、千葉のスピードあるアクションと[[石井輝男]]のユーモアとウィットを盛り込んだ演出が組み合わされた作品で、1974年度に4億1700万円の[[配給収入]]を上げ、同年度の[[日本映画]]配給収入ランキング第5位に入り、アメリカでは『''[[w:The Executioner|The Executioner]]''』というタイトルで[[1999年]]現在、10万本以上のビデオが売れている<ref name = gai173179>[[#極真外伝|「極真空手三段 千葉真一」、173, 179頁。]]</ref>。
千葉真一の作品が欧米で大ヒットした要因として{{R |エンよも1 }} 、「リーの舞踊劇的な[[功夫]]と違い、ワザと力もより本物に近く、迫力がある{{R |bl1227 |エンよも二 }}」「[[体操競技|器械体操]]を利用した、トランジスター的器用さが面白い{{R |bl1227 }}」と評されており、計四作の『[[殺人拳シリーズ]]』として封切りされた{{R |エンよも1 }}<ref>[[#あかん|「千葉真一の躍進とカラテ映画」、345頁。]]</ref>。[[忍者]]の末裔に扮した同年の主演作『[[直撃! 地獄拳]]』は{{R |スポニチ急死 }}、千葉のスピードあるアクションと[[石井輝男]]のユーモアとウィットを盛り込んだ演出が組み合わされた作品で、1974年度に4億1700万円の[[配給収入]]を上げ、同年度の[[日本映画]]配給収入ランキング第5位に入り、アメリカでは『''[[w:The Executioner|The Executioner]]''』というタイトルで[[1999年]]現在、10万本以上のビデオが売れている<ref name = gai173179>[[#極真外伝|「極真空手三段 千葉真一」、173, 179頁。]]</ref>。
(⇒ ''[[#Sonny Chiba]]''・''[[#海外進出]]''・''[[#空手道]]'')
(⇒ ''[[#海外進出]]''・''[[#空手道]]'')


海外では[[格闘技|マーシャルアーツ]]の大スターである"''Sonny Chiba''"の熱狂的な人気は根強く<ref name = oyaji/>{{Efn |特に[[アメリカ州]]<ref name = senpro/><ref name = ライフタイム/>・[[ヨーロッパ]]<ref name = senpro/><ref name = ライフタイム/>・[[東南アジア]]<ref name = シネマトリビューン/>・[[香港]]など<ref name = 香港ゴルゴ/>。}}、[[キアヌ・リーブス]]<ref name = キアヌ/>、[[クエンティン・タランティーノ]]、[[リュ・スンワン]]<ref name = 佐藤結/>、らの著名人の熱烈なファンがおり、[[谷川貞治]]は「千葉さんの映画のおかげで[[格闘技]][[人口]]がかなり増え、格闘技界の宝だ<ref>{{Cite video |和書 |people = [[谷川貞治]] |title = [[HAKEN 覇拳 ふりむけば修羅]] 推薦文 |medium = [[VHS]] |publisher = [[オデッサ・エンタテインメント#タキ・コーポレーション|タキ・コーポレーション]] |date = 1992-01-24 }}</ref>」と述べている。
海外では[[格闘技|マーシャルアーツ]]の大スターである"''Sonny Chiba''"の熱狂的な人気は根強{{R |oyaji }}{{Efn |特に[[アメリカ州]]{{R |senpro |ライフタイム }}・[[ヨーロッパ]]{{R |senpro |ライフタイム }}・[[東南アジア]]{{R |シネマトリビューン }}・[[香港]]など{{R |香港ゴルゴ }}。}}、[[キアヌ・リーブス]]{{R |Ane国際派 |キアヌ }}、[[クエンティン・タランティーノ]]{{R |CNNjp1 }}、[[リュ・スンワン]]{{R |佐藤結 |千葉リュ20241 |千葉リュ20242 |千葉リュ20243 }}、らの著名人の熱烈なファンがおり、[[谷川貞治]]は「千葉さんの映画のおかげで[[格闘技]][[人口]]がかなり増え、格闘技界の宝だ<ref>{{Cite video |和書 |people = [[谷川貞治]] |title = [[HAKEN 覇拳 ふりむけば修羅]] 推薦文 |medium = [[VHS]] |publisher = [[オデッサ・エンタテインメント#タキ・コーポレーション|タキ・コーポレーション]] |date = 1992-01-24 }}</ref>」と述べている。
(⇒ ''[[#ファン(海外)]]'')
(⇒ ''[[#追悼(アジア)]]''・''[[#ファン(海外)]]'')


[[岡田茂 (東映)|岡田茂]]は「(主人公と)牛との格闘を欧州ではびっくりして、えらく受けている<ref name = shinkainin/>。[[ショウ・ブラザーズ]]が千葉真一の[[空手映画]]を購入して[[シンガポール]]でも大ヒット<ref name = 66千葉>[[#活動屋|「千葉の空手は断然強い」、66頁。]]</ref>。[[東南アジア映画祭]]で[[ジャカルタ]]へ行ったときも、抜群の動員力と人気を上げていた<ref name = 66千葉/>。千葉くんの空手が入って、東南アジア全域で当たり、すごい人気だ<ref name = 67新幹線>[[#活動屋|「『新幹線』も海外で人気」、67頁。]]</ref>。東洋でナンバーワンなんだから、あのアクションをやらせたら世界に(千葉真一以外)いないんじゃないかな<ref name = 67新幹線/>」と世界各地の人気・商況・反響を語っている。この頃[[フランシス・フォード・コッポラ]]は「千葉真一と[[アル・パチーノ]]の共演で映画を[[製作]]したい」と東映へオファーし<ref name = shinkainin/>、千葉も「[[海外]]で勝負させてください」と岡田に懇望したが<ref>[[#千葉2010|「海を渡る気概」、242頁。]]</ref>、「まだその時期ではない」と認められなかった<ref name = nikkan1/>
[[岡田茂 (東映) ]]は「(主人公と)牛との格闘を欧州ではびっくりして、えらく受けている{{R |shinkainin }}。[[ショウ・ブラザーズ]]が千葉真一の[[空手映画]]を購入して[[シンガポール]]でも大ヒット<ref name = 66千葉>[[#活動屋|「千葉の空手は断然強い」、66頁。]]</ref>。[[東南アジア映画祭]]で[[ジャカルタ]]へ行ったときも、抜群の動員力と人気を上げていた{{R |66千葉 }}。千葉くんの空手が入って、東南アジア全域で当たり、すごい人気だ<ref name = 67新幹線>[[#活動屋|「『新幹線』も海外で人気」、67頁。]]</ref>。東洋でナンバーワンなんだから、あのアクションをやらせたら世界に(千葉真一以外)いないんじゃないかな{{R |67新幹線 }}」と世界各地の人気・商況・反響を語っている。この頃[[フランシス・フォード・コッポラ]]は「千葉真一と[[アル・パチーノ]]の共演で映画を[[製作]]したい」と東映へオファーし{{R |shinkainin }}、千葉も「[[海外]]で勝負させてください」と岡田に懇望したが<ref>[[#千葉2010|「海を渡る気概」、242頁。]]</ref>、「まだその時期ではない」と認められなかった{{R |nikkan1 }}
(⇒ ''[[#海外進出]]'')
(⇒ ''[[#海外進出]]'')


『[[けんか空手シリーズ]]』や『[[子連れ殺人拳]]』で千葉とタッグを組んだ[[山口和彦]]は「常に自分しかできないアクションを見せることに徹していた。熱心な男で現場でいろいろなアイデアを出してくる。全てのアイデアを聞き入れることはできなかったが、自分が[[アクション映画]]を変えるんだという、その意気込みは凄かった。そうやって彼は自分の代わりが居ないところまで到達したからね。千葉真一というアクションスターは永遠に残っていくよ」と評している<ref>[[#カラ映6421|ギンディ小林 「山口和彦 INTERVIEW」、27頁。]]</ref>。
『[[けんか空手シリーズ]]』や『[[子連れ殺人拳]]』で千葉とタッグを組んだ[[山口和彦]]は「常に自分しかできないアクションを見せることに徹していた。熱心な男で現場でいろいろなアイデアを出してくる。全てのアイデアを聞き入れることはできなかったが、自分が[[アクション映画]]を変えるんだという、その意気込みは凄かった。そうやって彼は自分の代わりが居ないところまで到達したからね。千葉真一というアクションスターは永遠に残っていくよ」と評している<ref>[[#カラ映6421|ギンディ小林 「山口和彦 INTERVIEW」、27頁。]]</ref>。

(⇒ ''[[#Sonny Chiba]]''・''[[#空手道]]'')
(⇒ ''[[#Sonny Chiba]]''・''[[#空手道]]'')
{{Main|激突! 殺人拳|殺人拳シリーズ|けんか空手シリーズ}}
{{Main|激突! 殺人拳}}
{{Main|殺人拳シリーズ}}
{{Main|けんか空手シリーズ}}


=== 人間ドラマ ===
=== 人間ドラマ ===
390行目: 496行目:


=== 時代劇 ===
=== 時代劇 ===
[[1978年]]から本格的に[[時代劇]]へ進出するが、[[1963年]]の『[[八州遊侠伝 男の盃]]』以来であった。[[木刀]]で[[殺陣]]の練習を1日8時間行い臨み、[[主演]][[映画]]『[[柳生一族の陰謀]]』では20[[メートル|m]]の[[崖]]から[[川]]へ飛び込む[[スタント]]をした。この作品は千葉が『裏柳生』というタイトルで[[深作欣二]]へ提出した[[企画]]がベースになっている<ref name = アサ芸深作/><ref name = 20年記念>{{Cite journal |和書 |author = 田島隆久 |coauthors = 編集部 |date = 1979-12-15 |title = 千葉真一インタビュー アメリカの俳優のように、理想的な仕事ができた |journal = キネマ旬報 |volume = 1590 |issue = 776 |page = 76 |chapter = 俳優生活20年の記念として |publisher = キネマ旬報社 }}</ref><ref>[[#あかん|「『柳生一族の陰謀』」、358頁。]]</ref><ref>[[#役者は一日|「柳生十兵衛の殺陣」、46頁。]]</ref><ref>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20131213051519/http://project-jax.com/act/urayagyu/ |date = 2013年12月13日 |title = 裏YAGYU }}</ref>。深作は従来の時代劇でなく、もっとテンポのあるアクション時代劇を作りたかったので、その期待に応えられる俳優は千葉真一、ただ一人しかないと見定めていた<ref>[[#実テ時|「不確実性の時代劇」、245頁。]]</ref>。[[2012年]]の[[ハリウッド映画]]『[[アベンジャーズ (2012年の映画)|アベンジャーズ]]』の[[サミュエル・L・ジャクソン]]が、扮した役柄は千葉の柳生十兵衛を参考としているなど、後世の作品にも影響を与え、根強い人気がある<ref name = アベンジャーズ/><ref name = 秋山>{{Cite news ja |title = 「千葉真一の柳生十兵衛だな」/ 秋山監督 |url = http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp1-20130216-1085854.html |format = 紙面 |newspaper = 日刊スポーツ |publisher = nikkansports.com |date = 2013-02-16 |accessdate = 2013-02-16 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130216064343/http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp1-20130216-1085854.html |archivedate = 2013-02-16 |url-status = live }}</ref>。しかし十兵衛で長時間、左目に[[眼帯]]をしていたため千葉の右目は酷使され、視力を失い、人工レンズを入れる代償も払っていた<ref>[[#千葉2010|「悲願の柳生十兵衛役を演じ、テレビでの連載にもつながった『柳生一族の陰謀』」、68頁。]]</ref>。
[[1978年]]から本格的に[[時代劇]]へ進出するが、[[1963年]]の『[[八州遊侠伝 男の盃]]』以来であった。[[木刀]]で[[殺陣]]の練習を1日8時間行い臨み、[[主演]][[映画]]『[[柳生一族の陰謀]]』では20[[メートル|m]]の[[崖]]から[[川]]へ飛び込む[[スタント]]をした。この作品は千葉が『裏柳生』というタイトルで[[深作欣二]]へ提出した[[企画]]がベースになっている<ref name = アサ芸深作/><ref name = 20年記念>{{Cite journal |和書 |author = 田島隆久 |coauthors = 編集部 |date = 1979-12-15 |title = 千葉真一インタビュー アメリカの俳優のように、理想的な仕事ができた |journal = キネマ旬報 |volume = 1590 |issue = 776 |page = 76 |chapter = 俳優生活20年の記念として |publisher = キネマ旬報社 }}</ref><ref>[[#あかん|「『柳生一族の陰謀』」、358頁。]]</ref><ref>[[#役者は一日|「柳生十兵衛の殺陣」、46頁。]]</ref><ref>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20131213051519/http://project-jax.com/act/urayagyu/ |date = 2013年12月13日 |title = 裏YAGYU }}</ref>。深作は従来の時代劇でなく、もっとテンポのあるアクション時代劇を作りたかったので、その期待に応えられる俳優は千葉真一、ただ一人しかないと見定めていた<ref>[[#実テ時|「不確実性の時代劇」、245頁。]]</ref>。[[2012年]]の[[ハリウッド映画]]『[[アベンジャーズ (2012年の映画)|アベンジャーズ]]』の[[サミュエル・L・ジャクソン]]が、扮した役柄は千葉の柳生十兵衛を参考としているなど、後世の作品にも影響を与え、根強い人気がある<ref name = アベンジャーズ/><ref name = 秋山>{{Cite news |title = 「千葉真一の柳生十兵衛だな」/ 秋山監督 |url = http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp1-20130216-1085854.html |format = 紙面 |newspaper = 日刊スポーツ |publisher = nikkansports.com |date = 2013-02-16 |accessdate = 2013-02-16 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130216064343/http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp1-20130216-1085854.html |archivedate = 2013-02-16 |url-status = live }}</ref>。しかし十兵衛で長時間、左目に[[眼帯]]をしていたため千葉の右目は酷使され、視力を失い、人工レンズを入れる代償も払っていた<ref>[[#千葉2010|「悲願の柳生十兵衛役を演じ、テレビでの連載にもつながった『柳生一族の陰謀』」、68頁。]]</ref>。
(⇒ ''[[#ジャンルを越えた活躍]]''・''[[#ファン]]'')
(⇒ ''[[#ジャンルを越えた活躍]]''・''[[#ファン]]'')
{{Main|柳生一族の陰謀|魔界転生#1981年}}
{{Main|柳生一族の陰謀}}
{{Main|魔界転生#1981年}}


千葉真一演ずる剣豪・忍者は、[[空手]]や[[体操競技|器械体操]]の技を取り入れたアクロバティックな[[殺陣]]で、人気を得ている<ref name = 服部半蔵/><ref name = どらく/><ref>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20160305071800/http://www.jidaigeki.com/forum/peri/kagyo/20101217_1925.html |date = 2016年3月5日 |title =『影の軍団Ⅲ』打倒、紀州!!千葉・真田・志穂美ら影の軍団。石橋蓮司も女装の刺客で登場。}}</ref>。その身体能力を活かしたド迫力の殺陣を時代劇の芝居に持ち込み、これまで表現できなかったアクロバティックな動きが、時代劇の殺陣で観れるようになった<ref name = kjnsc194>{{Cite book |和書 |author = 春日太一 |title = 時代劇入門 |edition = 初版 |date = 2020-03-10 |publisher = [[KADOKAWA]] |series = [[角川新書]] |volume = K-308 |isbn = 978-4-04-082263-1 |ncid = BB30170940 |oclc = 1158080311 |asin = 4040822633 |page = 194 |chapter = 第三部 とりあえず知っておきたい基礎知識 第三章 とりあえず知っておきたい 千葉真一 }}</ref>。時代劇の表現が定形化し、大人しくなっていく中で、新たな可能性を追求・挑戦し続けたスターである<ref name = kjnsc194/>。
千葉真一演ずる剣豪・忍者は、[[空手]]や[[体操競技|器械体操]]の技を取り入れたアクロバティックな[[殺陣]]で、人気を得ている<ref name = 服部半蔵/><ref name = どらく/><ref>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20160305071800/http://www.jidaigeki.com/forum/peri/kagyo/20101217_1925.html |date = 2016年3月5日 |title =『影の軍団Ⅲ』打倒、紀州!!千葉・真田・志穂美ら影の軍団。石橋蓮司も女装の刺客で登場。}}</ref>。その身体能力を活かしたド迫力の殺陣を時代劇の芝居に持ち込み、これまで表現できなかったアクロバティックな動きが、時代劇の殺陣で観れるようになった<ref name = kjnsc194>{{Cite book |和書 |author = 春日太一 |title = 時代劇入門 |edition = 初版 |date = 2020-03-10 |publisher = [[KADOKAWA]] |series = [[角川新書]] |volume = K-308 |isbn = 978-4-04-082263-1 |ncid = BB30170940 |oclc = 1158080311 |asin = 4040822633 |page = 194 |chapter = 第三部 とりあえず知っておきたい基礎知識 第三章 とりあえず知っておきたい 千葉真一 }}</ref>。時代劇の表現が定形化し、大人しくなっていく中で、新たな可能性を追求・挑戦し続けたスターである<ref name = kjnsc194/>。
422行目: 529行目:
== 人物 ==
== 人物 ==
=== 器械体操 ===
=== 器械体操 ===
[[File:Sonny Chiba at the horizontal bar on 1961.jpg|thumb|left|200px|[[鉄棒]]で[[大車輪]]をする([[日本体育大学]]にて、1961年)。]]
[[File:Sonny Chiba at the horizontal bar on 1961.jpg |thumb |left |200px |[[鉄棒]]で大車輪をする(日本体育大学にて、1961年)。]]
君津市君津中学校へ進学すると、千葉の進路に影響を与えることとなる体育教師の松本と出会う<ref name = 千葉流89/>。松本は千葉を[[陸上競技]]・[[バレーボール]]・[[野球]]([[投手]]で4番打者<ref name = 近代映画123-126/>)など、複数の大会に出場させていた<ref name = 千葉流89/>この頃[[1952年ヘルシンキオリンピック|ヘルシンキオリンピック]]が開催され、日本勢が[[体操競技]]でメダルを獲得したことにより、体操競技の一大ブームが発生する<ref name = 千葉流90-91>[[#千葉2010|「厳しくも愛情ある指導、体操を始めるきっかけを作ってくれた松本先生」、90 - 91頁。]]</ref>。松本はその時勢に乗り、千葉を「体操部を創るから部員になれ」と勧誘したので、[[運動部]]を掛け持ちしながら練習し始める日々となった<ref name = 千葉流90-91/>。勧められての体操競技だったが、やがて[[近代オリンピック|オリンピック]]で[[日本の国旗|日の丸]]を掲げたいという夢を抱くようになり<ref name = kamakura/><ref name = wakita/>、松本に相談すると「体操するなら[[千葉県立木更津高等学校|木更津一高]]へ行け」とアドバイスされた<ref name = 千葉流90-91/>。進学校のため躊躇していると松本は練習後にも勉強をみてくれる先生を手配し、その甲斐有って合格<ref name = 千葉流90-91/>入学後は体操競技に専念し、1年生で全国大会上位入賞、3年生で全国大会優勝を成し遂げた<ref name = kamakura/><ref name = samurai9596/>
[[君津市君津中学校]]へ進学すると、進路に影響を与えることとなる体育教師の松本と出会う{{R |千葉流89 }}。松本は千葉を[[陸上競技]]・[[バレーボール]]・[[野球]]([[投手]]で4番打者{{R |近代映画123-126 }})など、複数の大会に出場させていた{{R |千葉流89 }}。[[1952年ヘルシンキオリンピック]]が開催されると、日本勢が体操競技でメダルを獲得したことにより、一大ブームが発生する<ref name = 千葉流90-91>[[#千葉2010|「厳しくも愛情ある指導、体操を始めるきっかけを作ってくれた松本先生」、90 - 91頁。]]</ref>。松本はその時勢に乗り、「体操部を創るから部員になれ」と勧誘したので、[[運動部]]を掛け持ちしながら練習し始める日々となった{{R |千葉流90-91 }}。勧められての体操競技だったが、やがて[[近代オリンピック|オリンピック]]で[[日本の国旗|日の丸]]を掲げたいという夢を抱くようになり{{R |kamakura |wakita }}、松本に相談すると「体操するなら木更津一高へ行け」とアドバイスされた{{R |千葉流90-91 }}。進学校のため躊躇していると松本は練習後にも勉強をみてくれる先生を手配し、その甲斐有って合格{{R |千葉流90-91 }}。1年生で全国大会上位入賞{{R |kamakura }}、3年生で全国大会優勝を成し遂げた{{R |samurai9596 }}

[[1957年]]、[[日本体育大学]][[体育学部]][[体育学科]]へ進学<ref name = 映画com日体大/><ref name = スポニチ日体大/><ref name = 日刊日体大310/><ref name = デイリー日体大1/>。同級生には[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]]の[[跳馬]][[金メダル|金メダリスト]]の[[山下治広]]がおり、ヘルシンキオリンピックの跳馬[[銀メダル|銀メダリスト]]・[[竹本正男]]に指導を受けた<ref name = kamakura/><ref name = スポニチ日体大/>。オリンピック出場を目指して練習に明け暮れていたが、独力で通学することが条件だったので、学費を稼ぐために時給が高い[[土工]]や引越しの[[アルバイト]]を、身体鍛錬も兼ねて並行していた<ref name = 20人が証言110>[[#20人が証言|「20人が証言する裸の千葉真一」、110頁。]]</ref>。大学2年生の夏{{Efn |name = 夏秋 }}、跳馬を練習中に着地で失敗し、腰・両膝を痛めてしまう<ref name = 映画com日体大/><ref name = スポニチ日体大/><ref name = 近代映画123-126/><ref name = 報知日体大/>。練習とアルバイトの掛け持ちで身体を酷使していたことも加わり悪化し、医者から「1週間運動禁止」と宣告された<ref name = 映画com日体大/><ref name = デイリー日体大1/>。1週間も練習を休めば差がつくこの時期に、選手を続けることが困難となる<ref name = 映画com日体大/><ref name = スポニチ日体大/><ref name = デイリー日体大1/>。山下はその実力を「日本の体操選手が不得意にしている[[あん馬]]が彼は得意だった。でも大学二年の秋{{Efn |name = 夏秋 }}、跳馬の練習中に着地を失敗して[[アキレス腱]]と腰を痛めてしまって…。あのまま体操を続けていれば、間違いなく東京オリンピックでメダルを獲得できたのに惜しかった」と評し、才能を惜しんでいる<ref name = 20人が証言110/>。
(⇒ ''[[#オリンピックを目指して]]'')
(⇒ ''[[#オリンピックを目指して]]'')

1957年、日本体育大学体育学部体育学科へ進学{{R |スポニチ日体大 |映画com日体大 |日刊日体大310 |デイリー日体大1 }}。同級生には1964年東京オリンピックの跳馬金メダリストの山下治広がおり、ヘルシンキオリンピックの跳馬[[銀メダル|銀メダリスト]]・[[竹本正男]]に指導を受けた<ref name = スポニチ日体大/>。オリンピック出場を目指して練習に明け暮れていたが、独力で通学することが条件だったので、学費を稼ぐために時給が高い[[土工]]や引越しの[[アルバイト]]を、身体鍛錬も兼ねて並行していた{{R |報知元祖92111 }}<ref name = 20人が証言110>[[#20人が証言|「20人が証言する裸の千葉真一」、110頁。]]</ref>。大学2年生の夏{{Efn |name = 夏秋 }}、跳馬の着地で失敗し、腰・両膝を痛めてしまう{{R |報知元祖92111 |スポニチ日体大 |映画com日体大 |近代映画123-126 |報知日体大 }}。練習とアルバイトの掛け持ちで身体を酷使していたことも加わり悪化し{{R |報知元祖92111 }}、医者から「1週間運動禁止」と宣告された{{R |映画com日体大 |デイリー日体大1 }}。1週間も練習を休めば差がつくこの時期に、選手を続けることが困難となる{{R |スポニチ日体大 |映画com日体大 |デイリー日体大1 }}。山下は「日本の体操選手が不得意にしている[[あん馬]]が彼は得意だった。でも大学二年の秋{{Efn |name = 夏秋 }}、跳馬の練習中に着地を失敗して[[アキレス腱]]と腰を痛めてしまって…。あのまま体操を続けていれば、間違いなく東京オリンピックでメダルを獲得できたのに惜しかった」と評し、その実力・才能を惜しんでいる{{R |20人が証言110 }}。
(⇒ ''[[#オリンピックを目指して]]''・''[[#2010年代]]''・''[[#体操界・日体大]]'')


=== 空手道 ===
=== 空手道 ===
[[東映]]に入る前から[[大山道場]]に通っており、きっかけは[[大学生]]時に[[大山倍達]]を知っている[[朝鮮民族|韓国人]]から紹介を受け入門<ref name = gai173>[[#極真外伝|「極真空手三段 千葉真一」、173頁。]]</ref>。[[格闘技|格闘]]映画千葉の敵役を演じた[[石橋雅史]][[極真会館|極真カラテ]][[先輩]]にあたる<ref name = gai173/><ref>{{Cite book |和書 |title = 蘇る伝説“[[大山道場]]”読本 |date = 2000-01-14 |edition = 初刷 |pages = 178 - 179 |publisher = [[日本スポーツ出版社]] |isbn = 4930943272 }}</ref>。大山は「学生時分から千葉は道場へ通ってきており、仕事の関係でまとまった稽古をしていないまでも、門下生の序列でいうと相当古い方になるんだよ<ref>[[#学生時代|「『けんか空手 極真拳』の撮影で初めて会う」、104 - 105頁。]]</ref>」と語っている。千葉は[[段級位制#名誉段位|名誉段位]]ではなく一般門下生同様に昇段審査を受け、[[1965年]][[10月15日]]に[[黒帯]]([[空道#段級位・色帯・称号|初段]])を允許<ref>[[#昇段|「国際空手道連盟 極真会館 - 年度別昇段登録簿(国内)」、62頁。]]</ref>、1977年2月3日に[[空手道#段級位・色帯・称号|弐段]]を越え飛び段で[[空手道#段級位・色帯・称号|参段]]<ref>[[#昇段|「国際空道連盟 極真 - 年度別昇段登録簿(国内)」、63頁。]]</ref>、1984年1月20日に[[空手道#段級位・色帯・称号|四段]]へ昇段した<ref name = Yodan/>
東映に入る前から大山道場に通っており、きっかけは日体大学生の頃、大山倍達を知っている[[朝鮮民族|韓国人]]から紹介を受け入門した{{R |Farewell }}<ref name = gai173>[[#極真外伝|「極真空手三段 千葉真一」、173頁。]]</ref>。主演格闘作品、幾度となく[[敵役]]を演じていた石橋雅史は極真カラテの先輩にあたる{{R |gai173 }}<ref>{{Cite book |和書 |title = 蘇る伝説“[[大山道場]]”読本 |date = 2000-01-14 |edition = 初刷 |pages = 178 - 179 |publisher = [[日本スポーツ出版社]] |isbn = 4930943272 }}</ref>。大山は「学生時分から千葉は道場へており、仕事の関係でまとまった稽古をしていないまでも、門下生の序列でいうと相当古い方になるんだよ<ref>[[#学生時代|「『けんか空手 極真拳』の撮影で初めて会う」、104 - 105頁。]]</ref>」と語っており大山と[[(空手)|組手]]もしいる{{R |映像 }}
(⇒ ''[[#格闘映画]]'')


[[段級位制#名誉段位|名誉段位]]ではなく、一般門下生と同様に昇段審査を受けており、[[1965年]]10月15日に黒帯([[空手道#段級位・色帯・称号|初段]])を允許<ref>[[#昇段|「国際空手道連盟 極真会館 - 年度別昇段登録簿(国内)」、62頁。]]</ref>。山崎照朝は大学生の時に、極真会館本部道場で一緒に修練したと証言している{{R |山崎照朝 }}。1977年2月3日に[[空手道#段級位・色帯・称号|弐段]]を越えて飛び段で[[空手道#段級位・色帯・称号|参段]]<ref>[[#昇段|「国際空手道連盟 極真会館 - 年度別昇段登録簿(国内)」、63頁。]]</ref>、[[1984年]]1月20日に四段へ昇段した{{R |Yodan }}。
1977年3月16日に[[空手道]]による真剣勝負をすることが発表され<ref>{{Cite news ja |title = 千葉真一三段がデスマッチ |newspaper = スポーツニッポン |publisher = 毎日新聞社 |date = 1977-03-16 }}</ref>、4月に[[ハワイ州|ハワイ]]で開催された「日本代表[[極真会館]]チーム対ハワイ代表チーム」という[[フルコンタクト空手]]の対抗戦に参戦した<ref name = kamakura/><ref name = whywin8384/>。他の日本代表メンバーには[[大石代悟]]・[[二宮城光]]・[[東孝]]・[[中村誠 (空手家)|中村誠]]などがおり{{Efn |[[大石代悟]]と[[二宮城光]]はケガのため、対抗戦を欠場した<ref name = whywin86>[[#なぜ勝つ|「“極真”だけがなぜ勝つのか」、86頁。]]</ref>。}}、対戦相手は「前[[アメリカ東海岸]]空手チャンピオンのグレッグ・カーフマン」という180[[センチメートル|cm]]以上ある[[ネグロイド]]であった<ref name = gai174176/><ref name = whywin8487/>。千葉は通常の空手技の他に、跳び右[[後ろ回し蹴り]]や[[蹴り技#種類|胴回し回転蹴り]]の元となった前方宙返りして踵で蹴るなど攻撃して、第2ラウンドに[[蹴り技#種類|二段蹴り]]で[[ノックアウト|KO]]勝ちを収めた<ref name = kamakura/><ref name = gai174176/><ref name = whywin8487/>。結果的に同年5月14日に国内で封切り公開された[[映画]]『[[空手バカ一代 (映画)|空手バカ一代]]』の宣伝にもなった。[[大山倍達]]は「千葉真一の[[空手映画]]は[[欧米]]で非常なブームとなっており、本職の[[空手家]]らの『''Sonny Chiba''(サニー ちば)の空手は本物』という批評が聞かれていた。極真カラテの黒帯である千葉だからそれも当然で、この対抗試合に出場してその実力を示したのは立派と言うしかない」と述べている<ref name = whywin86/>。
(⇒ ''[[#Sonny Chiba]]'')
(⇒ ''[[#極真カラテ]]''・''[[#格闘作品]]'')

1977年3月16日に空手道による真剣勝負をすることが発表され{{R |デス4 }}、4月にハワイで開催された「日本代表極真会館チーム対ハワイ代表チーム」というフルコンタクト空手の対抗戦に参戦した{{R |kamakura |whywin8384 }}。他の日本代表メンバーには[[大石代悟]]・[[二宮城光]]・[[東孝]]・[[中村誠 (空手家)|中村誠]]などがおり{{Efn |[[大石代悟]]と[[二宮城光]]はケガのため、対抗戦を欠場した<ref name = whywin86>[[#なぜ勝つ|「“極真”だけがなぜ勝つのか」、86頁。]]</ref>。}}、対戦相手は「前アメリカ東海岸空手チャンピオンのグレッグ・カーフマン」という180cm以上あるネグロイドであった{{R |gai174176 |whywin8487 }}。通常の空手技の他に、跳び右[[後ろ回し蹴り]]や[[蹴り技#種類|胴回し回転蹴り]]の元となった前方宙返りして踵で蹴るなど攻撃して、第2ラウンドに二段蹴りでKO勝ちを収めた{{R |Farewell |gai174176 |whywin8487 |組手大会映像 }}。結果的に同年5月14日に国内で封切り公開された『[[空手バカ一代 (映画)|空手バカ一代]]』の宣伝にもなった。大山倍達は「千葉真一の[[空手映画]]は[[欧米]]で非常なブームとなっており、本職の空手家らの『''Sonny Chiba''(サニー ちば)の空手は本物』という批評が聞かれていた。極真カラテの黒帯である千葉だからそれも当然で、この対抗試合に出場してその実力を示したのは立派と言うしかない」と述べている{{R |whywin86 }}。
(⇒ ''[[#Sonny Chiba]]''・''[[#2022年]]'')

1984年1月20日 - 22日に開催された極真会館主催の第3回オープントーナメント全世界空手道選手権大会では志穂美悦子・真田広之らジャパンアクションクラブ (''JAC'') メンバーを率い、演武と[[中継放送|テレビ中継]]のゲスト解説をした。同年8月、極真会館[[ブラジル]]支部長・[[磯部清次]]の招待により、志穂美・真田・[[大葉健二]]を連れて[[サンパウロ]]へ行き、25日 - 26日に開催された第1回日[[ブラジル|伯]]・第8回ブラジル極真空手道選手権大会でも演武を行った<ref>{{Cite journal |和書 |date = 1984-11-01 |title = 速報!! [[アデミール・ダ・コスタ]]が連覇 ブラジル支部設立10周年記念大会 |journal = [[月刊パワー空手]] |volume = 7 |issue = 11 |pages = 3 - 13 |publisher = パワー空手出版社 }}</ref>。
(⇒ ''[[#極真カラテ]]'')


日本・アメリカ合衆国・[[東南アジア]]と世界各国で後進の育成・空手道普及の活動をしており、毎年10月には[[旧武徳殿]]がある[[京都市武道センター]]で少年少女オープン空手道選手権大会「千葉真一総裁杯」を催している。『[[新 影の軍団シリーズ]]』で共演した[[高野八誠]]は「最終章のラストシーンで千葉さんと殺陣をするんですが、休憩中に千葉さんが後ろ回し蹴りを見せてくれて、すっごい感動しましたね。動きは昔と変わってないなって、改めてビックリさせてもらいました<ref>[[#新影最終|特典映像 「高野八誠インタビュー」]]</ref>」と、当時66歳の千葉について語っている。
1984年1月20日 - 22日に開催された極真会館主催の第3回[[全世界空手道選手権大会|オープントーナメント全世界空手道選手権大会]]では[[志穂美悦子]]・[[真田広之]]ら[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ (''JAC'') ]]メンバーを率い、[[演武]]と[[テレビ]]のゲスト解説をした。同年8月、極真会館[[ブラジル]]支部長・[[磯部清次]]の招待により、志穂美・真田・[[大葉健二]]を連れて[[サンパウロ]]へ行き、25日 - 26日に開催された第1回[[日本|日]][[ブラジル|伯]]・第8回ブラジル極真空手道選手権大会でも演武を行った<ref>{{Cite journal |和書 |date = 1984-11-01 |title = 速報!! [[アデミール・ダ・コスタ]]が連覇 ブラジル支部設立10周年記念大会 |journal = [[月刊パワー空手]] |volume = 7 |issue = 11 |pages = 3 - 13 |publisher = パワー空手出版社 }}</ref>。
(⇒ ''[[#格闘作品]]''・''[[#時代劇]]'')


『[[キネマ旬報]]』の[[著作家|ライター]]である荻原順子は子供が小学生の時に、新田真剣佑・眞栄田郷敦と同じロサンゼルスに在る極真カラテの道場に通わせていたので、稽古や昇級試験を見学しにきた千葉真一と会っている{{R |荻原1819 }}。そこの先生は弐段だったので、千葉が訪れると大いに緊張し、恐縮していたが、介することなく「みんな、頑張って!押忍!」と極々短く挨拶{{R |荻原1819 }}。気さくに居合わせた他の親たちに話しかけ、子供たちの[[スパーリング]]をにこやかに眺めていたのが印象的だったと、荻原は述べている{{R |荻原1819 }}。
日本・[[アメリカ]]・[[東南アジア]]と[[世界]]各国で後進の育成・[[空手道]]の普及に活動しており、毎年10月には[[旧武徳殿]]がある[[京都市武道センター]]で少年少女オープン空手道選手権大会「千葉真一総裁杯」を催している。『[[新 影の軍団シリーズ]]』で共演した[[高野八誠]]は「最終章のラストシーンで千葉さんと[[殺陣]]をするんですが、休憩中に千葉さんが後ろ回し蹴りを見せてくれて、すっごい感動しましたね。動きは昔と変わってないなって、改めてビックリさせてもらいました<ref>[[#新影最終|特典映像 「高野八誠インタビュー」]]</ref>」と、当時66歳の千葉について語っている。
(⇒ ''[[#格闘映画]]'')
(⇒ ''[[#最期]]・''[[#追悼(海外)]]''・''[[#家族]]'')


=== ファン ===
=== ファン ===
==== ファン(国内) ====
==== ファン(国内) ====
[[日本]]では[[秋山幸二]]<ref name = 秋山/>・[[いしだあゆみ]]<ref name = いしだあゆみ>[[#平凡69121|「表紙のおしゃべり」、232頁。]]</ref>・[[今井雅之]]<ref name = 今井雅之1>{{Cite web |和書 |url = http://ameblo.jp/i-masayuki/entry-10686169761.html |title = 大先輩 |accessdate = 2012-09-28 |author = 今井雅之 |authorlink = 今井雅之 |date = 2010-10-24 |website = 今井雅之の押忍! |work = 今井雅之オフィシャルブログ |publisher = アメーバブログ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20120927151845/http://ameblo.jp/i-masayuki/entry-10686169761.html |archivedate = 2012-09-27 |url-status = live }}</ref><ref name = 今井雅之2>{{Cite web |和書 |url = http://ameblo.jp/i-masayuki/entry-10937286125.html |title = 千葉先輩!!! |accessdate = 2012-09-28 |author = 今井雅之 |date = 2011-06-28 |website = 今井雅之の押忍! |work = 今井雅之オフィシャルブログ |publisher = アメーバブログ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20120927152910/http://ameblo.jp/i-masayuki/entry-10937286125.html |archivedate = 2012-09-27 |url-status = live }}</ref>・[[小倉久寛]]<ref name = 久寛日刊>{{Cite news ja |title = 三宅裕司&小倉久寛、劇団SETのスパイアクション作品開幕直前「最高のアクション」と自信、劇団SETのスパイアクション作品開幕直前「最高のアクション」と自信 |newspaper = nikkansports.com |date = 2023-10-18 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202310180000914.html |accessdate = 2023-10-26 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20231026143014/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202310180000914.html |archivedate = 2023-10-26 |url-status = live }}</ref>・[[尾崎将司]]<ref name = 天魔覆滅>{{Cite journal |和書 |date = 2013-09-24 |title = ジャンボも唱える影の軍団「天魔覆滅」|journal = [[ゴルフダイジェスト|週刊ゴルフダイジェスト]] |volume = 36 |issue = 9月24号 |page = 126 |publisher = [[ゴルフダイジェスト|ゴルフダイジェスト社]] }}</ref>・[[竹中直人]]<ref name = 竹中直人>{{Cite web |和書 |url = https://nikkan-spa.jp/1726750/2 |title =「アクションの激しさとギャグのゆるさの緩急を見せたい」|accessdate = 2021-02-22 |author = 小西麗 |date = 2021-01-11 |website = [[SPA!|日刊SPA!]] |work = 竹中直人と『燃えよデブゴン』谷垣監督が語る、真のアクションスターの条件 |publisher = [[扶桑社]] |page = 2 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210113081926/https://nikkan-spa.jp/1726750/2 |archivedate = 2021-01-13 |url-status = live }}</ref>・[[吉川晃司]]<ref name = kikkawa1>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20161203035713/http://eigamiru.link/archives/26444 |date = 2016年12月3日 |title = 吉川晃司、大ファンの千葉真一と倉田保昭が共演するアクション映画の楽曲を担当 }}</ref><ref name = kikkawa2>{{Cite web |和書 |url = http://www.nikkatsu.com/movie/official/master_of_thunder/atmovie/production/index.html |title = 音楽も壮絶バトル!吉川晃司VS大槻ケンヂ率いる特撮 |accessdate = 2017-10-26 |year = 2006 |website = [[マスター・オブ・サンダー 決戦!! 封魔竜虎伝]] |work = プロダクションノート |publisher =『マスター・オブ・サンダー』製作委員会 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20171026075631/http://www.nikkatsu.com/movie/official/master_of_thunder/atmovie/production/index.html |archivedate = 2017-10-26 |url-status = live }}</ref>・[[関根勤]]<ref name = 高平哲郎/>・[[園子温]]<ref>{{Cite news ja |title = 園子温監督 芸人デビュー「たけしさんに肉薄したい」|newspaper = スポニチ Sponichi Annex |date = 2013-05-01 |url = http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/05/01/kiji/K20130501005717300.html |accessdate = 2013-05-13 |publisher = スポーツニッポン新聞社
[[日本]]では[[秋山幸二]]<ref name = 秋山/>・[[いしだあゆみ]]<ref name = いしだあゆみ>[[#平凡69121|「表紙のおしゃべり」、232頁。]]</ref>・[[今井雅之]]<ref name = 今井雅之1>{{Cite web |和書 |url = http://ameblo.jp/i-masayuki/entry-10686169761.html |title = 大先輩 |accessdate = 2012-09-28 |author = 今井雅之 |authorlink = 今井雅之 |date = 2010-10-24 |website = 今井雅之の押忍! |work = 今井雅之オフィシャルブログ |publisher = アメーバブログ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20120927151845/http://ameblo.jp/i-masayuki/entry-10686169761.html |archivedate = 2012-09-27 |url-status = live }}</ref><ref name = 今井雅之2>{{Cite web |和書 |url = http://ameblo.jp/i-masayuki/entry-10937286125.html |title = 千葉先輩!!! |accessdate = 2012-09-28 |author = 今井雅之 |date = 2011-06-28 |website = 今井雅之の押忍! |work = 今井雅之オフィシャルブログ |publisher = アメーバブログ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20120927152910/http://ameblo.jp/i-masayuki/entry-10937286125.html |archivedate = 2012-09-27 |url-status = live }}</ref>・[[小倉久寛]]<ref name = 久寛日刊>{{Cite news |title = 三宅裕司&三宅裕司&小倉久寛、劇団SETのスパイアクション作品開幕直前「最高のアクション」と自信、劇団SETのスパイアクション作品開幕直前「最高のアクション」と自信 |newspaper = nikkansports.com |date = 2023-10-18 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202310180000914.html |accessdate = 2023-10-26 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20231026143014/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202310180000914.html |archivedate = 2023-10-26 |url-status = live }}</ref>・[[尾崎将司]]<ref name = 天魔覆滅>{{Cite journal |和書 |date = 2013-09-24 |title = ジャンボも唱える影の軍団「天魔覆滅」|journal = [[ゴルフダイジェスト|週刊ゴルフダイジェスト]] |volume = 36 |issue = 9月24号 |page = 126 |publisher = [[ゴルフダイジェスト|ゴルフダイジェスト社]] }}</ref>・[[竹中直人]]<ref name = 竹中直人>{{Cite web |和書 |url = https://nikkan-spa.jp/1726750/2 |title =「アクションの激しさとギャグのゆるさの緩急を見せたい」|accessdate = 2021-02-22 |author = 小西麗 |date = 2021-01-11 |website = [[SPA!|日刊SPA!]] |work = 竹中直人と『燃えよデブゴン』谷垣監督が語る、真のアクションスターの条件 |publisher = [[扶桑社]] |page = 2 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210113081926/https://nikkan-spa.jp/1726750/2 |archivedate = 2021-01-13 |url-status = live }}</ref>・[[吉川晃司]]<ref name = kikkawa1>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20161203035713/http://eigamiru.link/archives/26444 |date = 2016年12月3日 |title = 吉川晃司、大ファンの千葉真一と倉田保昭が共演するアクション映画の楽曲を担当 }}</ref><ref name = kikkawa2>{{Cite web |和書 |url = http://www.nikkatsu.com/movie/official/master_of_thunder/atmovie/production/index.html |title = 音楽も壮絶バトル!吉川晃司VS大槻ケンヂ率いる特撮 |accessdate = 2017-10-26 |year = 2006 |website = [[マスター・オブ・サンダー 決戦!! 封魔竜虎伝]] |work = プロダクションノート |publisher =『マスター・オブ・サンダー』製作委員会 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20171026075631/http://www.nikkatsu.com/movie/official/master_of_thunder/atmovie/production/index.html |archivedate = 2017-10-26 |url-status = live }}</ref>・[[関根勤]]<ref name = 高平哲郎/>・[[園子温]]<ref>{{Cite news |title = 園子温監督 芸人デビュー「たけしさんに肉薄したい」|newspaper = スポニチ Sponichi Annex |date = 2013-05-01 |url = https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/05/01/kiji/K20130501005717300.html |accessdate = 2013-05-13 |publisher = スポーツニッポン新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130502014022/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/05/01/kiji/K20130501005717300.html |archivedate = 2013-05-02 |url-status = live }}</ref>・[[高平哲郎]]<ref name = 高平哲郎/>、[[吉本真由美]]<ref name = 真由美>{{Cite episode |title = 千葉真一 沢田研二 魔界転生 |url = https://www.youtube.com/watch?v=z8I5SSqz-AE |series = 2時のワイドショー |series-link = 2時のワイドショー |network = [[日本テレビネットワーク協議会|NNS]] |station = [[讀賣テレビ放送|ytv]] |airdate = 1981年5月 |time = 22分22秒から }}</ref>、などのファンがいる。
|archiveurl = https://web.archive.org/web/20130502014022/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/05/01/kiji/K20130501005717300.html |archivedate = 2013-05-02 |url-status = live }}</ref>・[[高平哲郎]]<ref name = 高平哲郎/>、[[吉本真由美]]<ref name = 真由美>{{Cite episode |title = 千葉真一 沢田研二 魔界転生 |url = https://www.youtube.com/watch?v=z8I5SSqz-AE |series = 2時のワイドショー |series-link = 2時のワイドショー |network = [[日本テレビネットワーク協議会|NNS]] |station = [[讀賣テレビ放送|ytv]] |airdate = 1981年5月 |time = 22分22秒から }}</ref>、などのファンがいる。


秋山幸二は「あなたにとって[[侍|サムライ]]とは?」という問いに「千葉真一の柳生十兵衛は、生きるか死ぬか究極の真剣勝負というイメージがいい」と評した<ref name = 秋山/>、いしだあゆみは雑誌の表紙撮影で対面したときに「わたし、千葉さんの大ファンなんです」と伝えており<ref name = いしだあゆみ/>、[[テレビドラマ]]『[[雪の朝に]]』([[1987年]])にて、いしだは千葉の恋人役で念願の共演を果たし、[[映画]]『[[闇の狩人]]』([[1979年]])や千葉主演のテレビドラマ『[[おわこんTV]]』([[2014年]])でも共演した。今井雅之は子供の頃、友達と『[[キイハンター]]』ごっこで遊ぶときには、千葉に扮するほどの熱狂的なファンである<ref name = 今井雅之1/><ref name = 今井雅之2/><ref>{{Cite web |和書 |url = http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20150716/enn1507161140007-n2.htm |title = スクープ! 今井雅之さん、幻の「戦国自衛隊」遺していた 20年前に続編の脚本執筆(2/2ページ)|accessdate = 2015-07-18 |date = 2015-07-16 |website = ZAKZAK |work = 芸能 |page = 2 |publisher = 産業経済新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20150718094922/http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20150716/enn1507161140007-n2.htm |archivedate = 2015-07-18 |url-status = live }}</ref>。
秋山幸二は「あなたにとって[[侍|サムライ]]とは?」という問いに「千葉真一の柳生十兵衛は、生きるか死ぬか究極の真剣勝負というイメージがいい」と評した<ref name = 秋山/>、いしだあゆみは雑誌の表紙撮影で対面したときに「わたし、千葉さんの大ファンなんです」と伝えており<ref name = いしだあゆみ/>、[[テレビドラマ]]『[[雪の朝に]]』([[1987年]])にて、いしだは千葉の恋人役で念願の共演を果たし、[[映画]]『[[闇の狩人]]』([[1979年]])や千葉主演のテレビドラマ『[[おわこんTV]]』([[2014年]])でも共演した。今井雅之は子供の頃、友達と『[[キイハンター]]』ごっこで遊ぶときには、千葉に扮するほどの熱狂的なファンである<ref name = 今井雅之1/><ref name = 今井雅之2/><ref>{{Cite web |和書 |url = http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20150716/enn1507161140007-n2.htm |title = スクープ! 今井雅之さん、幻の「戦国自衛隊」遺していた 20年前に続編の脚本執筆(2/2ページ)|accessdate = 2015-07-18 |date = 2015-07-16 |website = ZAKZAK |work = 芸能 |page = 2 |publisher = 産業経済新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20150718094922/http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20150716/enn1507161140007-n2.htm |archivedate = 2015-07-18 |url-status = live }}</ref>。
451行目: 564行目:
(⇒ ''[[#アクション映画]]''・''[[#キイハンター]]''・''[[#格闘映画]]''・''[[#時代劇]]'')
(⇒ ''[[#アクション映画]]''・''[[#キイハンター]]''・''[[#格闘映画]]''・''[[#時代劇]]'')


[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ (''JAC'') ]]に1980年代初期までに入団したメンバーのほとんどが千葉の勇姿に憧れた者ばかりで、[[春田純一]]<ref name = 春田>[[#JAC特集号|「前人未踏!15Mのダイビング」、150頁。]]</ref>・[[大葉健二]]<ref name = 大葉>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20170320054038/http://www.crank-in.net/movie/news/13467 |date = 2017年3月20日 |title = 30年ぶりにギャバンを演じた大葉健二「50代の女性がセーラー服を着る恥ずかしさが判りました」}}</ref>・[[志穂美悦子]]<ref name = "志穂美">[[#JAC特集号|「可能性に最大限挑戦したい!」、141頁。]]</ref><ref name = クランクイン1>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20131224084744/http://www.crank-in.net/movie/column/28435/1 |date = 2013年12月24日 |title = 27年ぶりのテレビ出演で再注目 元女優・志穂美悦子のスゴさ1 }}</ref><ref name = 日刊スポ27年ぶり>{{Cite news ja |title = 長渕悦子さんが27年ぶりテレビ出演 |newspaper = nikkansports.com |date = 2013-12-18 |url = http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20131218-1232885.html |accessdate = 2017-10-25 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20140120152654/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20131218-1232885.html |archivedate = 2014-01-20 |url-status = live }}</ref>・[[関根大学]]<ref>[[#宇宙刑事|「インタビュー 関根大学」、67頁。]]</ref>・[[山田一善]]<ref>[[#宇宙刑事|「インタビュー 山田一善」、127頁。]]</ref>・[[渡洋史]]<ref>{{Cite book |和書 |editor = 安藤幹夫、[[スタジオ・ハード|スタジオハード]] |title = 宇宙刑事大全 |edition = |date = 2000-06-01 |publisher = [[双葉社]] |isbn = 4575290807 |oclc = 674734525 |pages = 128 - 130 |chapter = }}</ref>、などがいる。
[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ (''JAC'') ]]に1980年代初期までに入団したメンバーのほとんどが千葉の勇姿に憧れた者ばかりで、[[春田純一]]<ref name = 春田>[[#JAC特集号|「前人未踏!15Mのダイビング」、150頁。]]</ref>・[[大葉健二]]<ref name = 大葉>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20170320054038/http://www.crank-in.net/movie/news/13467 |date = 2017年3月20日 |title = 30年ぶりにギャバンを演じた大葉健二「50代の女性がセーラー服を着る恥ずかしさが判りました」}}</ref>・[[志穂美悦子]]<ref name = "志穂美">[[#JAC特集号|「可能性に最大限挑戦したい!」、141頁。]]</ref><ref name = クランクイン1>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20131224084744/http://www.crank-in.net/movie/column/28435/1 |date = 2013年12月24日 |title = 27年ぶりのテレビ出演で再注目 元女優・志穂美悦子のスゴさ1 }}</ref><ref name = 日刊スポ27年ぶり>{{Cite news |title = 長渕悦子さんが27年ぶりテレビ出演 |newspaper = nikkansports.com |date = 2013-12-18 |url = http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20131218-1232885.html |accessdate = 2017-10-25 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20140120152654/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20131218-1232885.html |archivedate = 2014-01-20 |url-status = live }}</ref>・[[関根大学]]<ref>[[#宇宙刑事|「インタビュー 関根大学」、67頁。]]</ref>・[[山田一善]]<ref>[[#宇宙刑事|「インタビュー 山田一善」、127頁。]]</ref>・[[渡洋史]]<ref>{{Cite book |和書 |editor = 安藤幹夫、[[スタジオ・ハード|スタジオハード]] |title = 宇宙刑事大全 |edition = |date = 2000-06-01 |publisher = [[双葉社]] |isbn = 4575290807 |oclc = 674734525 |pages = 128 - 130 |chapter = }}</ref>、などがいる。
(⇒ ''[[#ジャパンアクションクラブ (JAC) ]]'')
(⇒ ''[[#ジャパンアクションクラブ (JAC) ]]'')


==== ファン(海外) ====
==== ファン(海外) ====
日本国外の熱烈なファンには[[キアヌ・リーブス]]<ref name = キアヌ/><ref name = Keanu/>、[[クエンティン・タランティーノ]]<ref name = タランティーノ/><ref name = gai173179/>、[[サミュエル・L・ジャクソン]]<ref name = gaiden737983/><ref name = アベンジャーズ/><ref name = gai179>[[#極真外伝|「極真空手三段 千葉真一」、179頁。]]</ref>、[[ジャッキー・チェン]]<ref name = 職業病/>、[[ジャレッド・フェルナンデス]]<ref name = jwf070723>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20100106064204/http://hiroshima.nikkansports.com/baseball/professional/carp/p-rp-tp0-20070723-231158.html |date = 2010年1月6日 |title = フェルナンデス、千葉真一引退にショック }}</ref>、[[ジョナサン・ノーラン]]<ref name = west2ja>{{Cite web |和書 |url = http://jp.ign.com/westworld/23822/news/2 |title =『ウェストワールド』シーズン2:将軍ワールドのエピソードは日本語で描かれる |accessdate = 2018-04-19 |author = Alex Gilyadov |date = 2018-04-12 |website = [[IGN|IGN Japan]] |work = 映画・ドラマ |publisher = [[産経デジタル]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20180419092042/http://jp.ign.com/westworld/23822/news/2 |archivedate = 2018-04-19 |url-status = live }}</ref><ref name = west2en>{{Cite web |url = http://ew.com/tv/2018/04/09/westworld-shogun-world-interview/ |title = Westworld creators break silence on 'spectacular' Shogun World plans |accessdate = 2018-04-19 |author = James Hibberd |authorlink = :w:James Hibberd (writer) |date = 2018-04-12 |website = [[エンターテインメント・ウィークリー]] |work = TV |publisher = [[タイム・ワーナー]] |language = 英語 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20180419091915/http://ew.com/tv/2018/04/09/westworld-shogun-world-interview/ |archivedate = 2018-04-19 |url-status = live }}</ref>、[[ブルース・リー]]<ref name = 子守唄/>、[[マイク・タイソン]]<ref name = MikeTyson>{{Cite web |和書 |url = https://www.nikkansports.com/sports/column/hyakkei/news/202102150000680.html |title = タイソン公開スパーでも… 楽観ムード包まれ違和感 |accessdate = 2021-02-20 |author = 首藤正徳 |date = 2021-02-16 |website = nikkansports.com |work = 首藤正徳のスポーツ百景 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210217113808/https://www.nikkansports.com/sports/column/hyakkei/news/202102150000680.html |archivedate = 2021-02-17 |url-status = live }}</ref>、[[リュ・スンワン]]<ref name = 佐藤結/>、[[インドネシア]]の[[格闘家]]・[[俳優]]の[[:id:Yayan Ruhian|ヤヤン・ルヒアン]]<ref name = シネマトリビューン/>、らがおり、[[世界]]の映画人・著名人に影響を与えている。
日本国外の熱烈なファンには[[キアヌ・リーブス]]<ref name = キアヌ/><ref name = Keanu/>、[[クエンティン・タランティーノ]]<ref name = タランティーノ/><ref name = gai173179/>、[[サミュエル・L・ジャクソン]]<ref name = gaiden737983/><ref name = アベンジャーズ/><ref name = gai179>[[#極真外伝|「極真空手三段 千葉真一」、179頁。]]</ref>、[[ジャッキー・チェン]]<ref name = 職業病/>、[[ジャレッド・フェルナンデス]]<ref name = jwf070723>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20100106064204/http://hiroshima.nikkansports.com/baseball/professional/carp/p-rp-tp0-20070723-231158.html |date = 2010年1月6日 |title = フェルナンデス、千葉真一引退にショック }}</ref>、[[ジョナサン・ノーラン]]<ref name = west2ja>{{Cite web |和書 |url = http://jp.ign.com/westworld/23822/news/2 |title =『ウェストワールド』シーズン2:将軍ワールドのエピソードは日本語で描かれる |accessdate = 2018-04-19 |author = Alex Gilyadov |date = 2018-04-12 |website = [[IGN|IGN Japan]] |work = 映画・ドラマ |publisher = [[産経デジタル]] |archiveurl = https://web.archive.org/web/20180419092042/http://jp.ign.com/westworld/23822/news/2 |archivedate = 2018-04-19 |url-status = live }}</ref><ref name = west2en>{{Cite web |url = http://ew.com/tv/2018/04/09/westworld-shogun-world-interview/ |title = Westworld creators break silence on 'spectacular' Shogun World plans |accessdate = 2018-04-19 |author = James Hibberd |authorlink = :w:James Hibberd (writer) |date = 2018-04-12 |website = [[エンターテインメント・ウィークリー]] |work = TV |publisher = [[タイム・ワーナー]] |language = 英語 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20180419091915/http://ew.com/tv/2018/04/09/westworld-shogun-world-interview/ |archivedate = 2018-04-19 |url-status = live }}</ref>、[[ブルース・リー]]<ref name = 子守唄/>、[[マイク・タイソン]]<ref name = MikeTyson>{{Cite web |和書 |url = https://www.nikkansports.com/sports/column/hyakkei/news/202102150000680.html |title = タイソン公開スパーでも… 楽観ムード包まれ違和感 |accessdate = 2021-02-20 |author = 首藤正徳 |date = 2021-02-16 |website = nikkansports.com |work = 首藤正徳のスポーツ百景 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210217113808/https://www.nikkansports.com/sports/column/hyakkei/news/202102150000680.html |archivedate = 2021-02-17 |url-status = live }}</ref>、[[リュ・スンワン]]{{R |佐藤結 |千葉リュ20241 |千葉リュ20242 |千葉リュ20243 }}、[[インドネシア]]の[[格闘家]]・[[俳優]]の[[:id:Yayan Ruhian|ヤヤン・ルヒアン]]<ref name = シネマトリビューン/>、らがおり、[[世界]]の映画人・著名人に影響を与えている。


キアヌ・リーブスは「僕は''Sonny Chiba''の映画とともに育ったようなものなんだ<ref name = キアヌ/>」、「『''[[w:The Street Fighter|The Street Fighter]]''』からアクションと芝居を学んだ。僕は映画用の[[カンフー]]ならできるけど、サニー千葉は実際に人をボコボコにできる。情熱を感じる<ref name = Keanu/>」と語り、リーブスの主演映画『[[ジョン・ウィック]]』のプロモーションで[[来日]]した2015年10月に千葉と待望の対面を果たした際には、"''Oh my god!''"を連発、固い握手を交わし、「ハジメマシテ、マエストロ(巨匠)!」と低頭して挨拶<ref name = Keanu/>。「あなたはキャラクターを演じるだけでなく、そこにアクションを盛り込んだ。屈強なキャラクターにもあなたが演じると心が感じられる」と身振り手振りを交えながら、リーブスは終始嬉しそうに大はしゃぎしていた<ref name = Keanu/>。
キアヌ・リーブスは「僕は''Sonny Chiba''の映画とともに育ったようなものなんだ<ref name = キアヌ/>」、「『''[[w:The Street Fighter|The Street Fighter]]''』からアクションと芝居を学んだ。僕は映画用の[[カンフー]]ならできるけど、サニー千葉は実際に人をボコボコにできる。情熱を感じる<ref name = Keanu/>」と語り、リーブスの主演映画『[[ジョン・ウィック]]』のプロモーションで[[来日]]した2015年10月に千葉と待望の対面を果たした際には、"''Oh my god!''"を連発、固い握手を交わし、「ハジメマシテ、マエストロ(巨匠)!」と低頭して挨拶<ref name = Keanu/>。「あなたはキャラクターを演じるだけでなく、そこにアクションを盛り込んだ。屈強なキャラクターにもあなたが演じると心が感じられる」と身振り手振りを交えながら、リーブスは終始嬉しそうに大はしゃぎしていた<ref name = Keanu/>。
467行目: 580行目:
=== 交友 ===
=== 交友 ===
==== 交友(国内) ====
==== 交友(国内) ====
[[深作欣二]][[高倉健]][[大山倍達]]を「人生で最も影響を受けた特別な存在で最も敬愛する人物<ref name = samurai131>[[#千葉2010|「第4章 現代日本のサムライ三傑 - 深作欣二、高倉健、大山倍達」、131頁。]]</ref>」、尊敬する[[俳優]]に「[[ジェームズ・ディーン]]、[[ジャン=ポール・ベルモンド]]、高倉健、[[若山富三郎]]、[[ゲイリー・クーパー]]<ref>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20141121065647/http://www.tbsradio.jp/top954/2011/12/12.html |date = 2014年11月21日 |title = 千葉真一 高倉健から東映解雇を救ってもらった体験を明かす }}</ref>」、「[[親友]]は[[夏八木勲]]<ref name = 夏八木ポスト/><ref name = 東スポ夏八木>{{Cite news ja |title = 千葉真一 夏八木勲さんへの思い語る |newspaper = 東京スポーツ |date = 2013-05-14 |url = http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/142369/ |accessdate = 2013-05-21 |publisher = 東京スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130611045130/http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/142369/ |archivedate = 2013-06-11 |url-status = live }}</ref>」を挙げている。
深作欣二・高倉健・大山倍達を「人生で最も影響を受けた特別な存在で最も敬愛する人物{{R |Farewell }}<ref name = samurai131>[[#千葉2010|「第4章 現代日本のサムライ三傑 - 深作欣二、高倉健、大山倍達」、131頁。]]</ref>」と語り、尊敬する[[俳優]]に「[[ジェームズ・ディーン]]、[[ジャン=ポール・ベルモンド]]、高倉健、[[若山富三郎]]、[[ゲイリー・クーパー]]<ref>{{webarchive |url = https://web.archive.org/web/20141121065647/http://www.tbsradio.jp/top954/2011/12/12.html |date = 2014年11月21日 |title = 千葉真一 高倉健から東映解雇を救ってもらった体験を明かす }}</ref>」、「[[親友]]は[[夏八木勲]]{{R |夏八木ポスト |東スポ夏八木 }}」を挙げている。
(⇒ ''[[#2022年]]'')


[[1967年]]の[[映画]]『[[あゝ同期の桜]]』で知己を得て以来、最も共演が多い夏八木勲は千葉を<ref name = 夏八木ポスト/><ref name = 東スポ夏八木/>、{{cquote|新人で[[京都市|京都]]にきたばかりで挨拶の仕方も知らなく、そんな僕を千葉ちゃんがいろいろと面倒みてくれた。「何も知らない奴だから、あまりいじめないでくれよ」と周囲に言ってくれたんです。お陰で見知らぬ京都でかなり過ごしやすくなったので、本当に感謝しています。千葉ちゃんのそういう性格はもちろんだけど、あそこまで自分の肉体を意のままに操れるよう、鍛えていたことに僕はビックリしてね。千葉ちゃんから「''JAC''でアクションの練習をしているから、なっちゃんも暇があったら来てみない?」って誘われたので、時間がある時は練習場に行って、紛れて一緒に鍛えたりしていました。<ref name = 夏八木ポスト/>}}と評しており、千葉と夏八木を知る関係者も「夏八木さんの口からは、千葉さんを絶賛する言葉しか聞いたことがない。千葉さんも夏八木さんを『僕の人生の中で最高の俳優』と認めていて、事あるごとに仕事に誘っていた。互いによき理解者で、尊敬し合えるかけがえのない友だった」と証言している<ref name = 東スポ夏八木/>
[[1967年]]の[[映画]]『[[あゝ同期の桜]]』で知己を得て以来、最も共演が多い夏八木勲は千葉を{{R |夏八木ポスト |東スポ夏八木 }}、{{cquote|新人で[[京都市|京都]]にきたばかりで挨拶の仕方も知らなく、そんな僕を千葉ちゃんがいろいろと面倒みてくれた。「何も知らない奴だから、あまりいじめないでくれよ」と周囲に言ってくれたんです。お陰で見知らぬ京都でかなり過ごしやすくなったので、本当に感謝しています。千葉ちゃんのそういう性格はもちろんだけど、あそこまで自分の肉体を意のままに操れるよう、鍛えていたことに僕はビックリしてね。千葉ちゃんから「''JAC''でアクションの練習をしているから、なっちゃんも暇があったら来てみない?」って誘われたので、時間がある時は練習場に行って、紛れて一緒に鍛えたりしていました。{{R |夏八木ポスト }} }}と評しており、千葉と夏八木を知る関係者も「夏八木さんの口からは、千葉さんを絶賛する言葉しか聞いたことがない。千葉さんも夏八木さんを『僕の人生の中で最高の俳優』と認めていて、事あるごとに仕事に誘っていた。互いによき理解者で、尊敬し合えるかけがえのない友だった」と証言している{{R |東スポ夏八木 }}


深作欣二は「ともかく熱心だった。特にアクションシーンになると、自分からアイデアを出して急にイキイキしてくる。[[スティーブ・マックイーン]]みたいになりたいというのが口癖だった<ref>[[#20人が証言|「20人が証言する裸の千葉真一」、111 - 112頁。]]</ref>」、[[東映ニューフェイス]]の先輩でもある高倉健は「お互いに無口なところが妙に気が合ってね。普通なら男同士、酒でも飲んで語り合うもんだが、酒を飲めない俺に気を使ってか、喫茶店でコーヒーを飲んだりメシを食いに行ったりで、内気な恋人同士のデートみたいだった。それでも楽しいんだなあ<ref name = 20人が証言111/>」、同期の[[亀石征一郎]]は「[[方言]]が抜けないから研修が終わっても、一人で発音の練習をしていたのが印象的だった<ref name = 20人が証言111/>」と語る。
深作欣二は「ともかく熱心だった。特にアクションシーンになると、自分からアイデアを出して急にイキイキしてくる。[[スティーブ・マックイーン]]みたいになりたいというのが口癖だった<ref>[[#20人が証言|「20人が証言する裸の千葉真一」、111 - 112頁。]]</ref>」、[[東映ニューフェイス]]の先輩でもある高倉健は「お互いに無口なところが妙に気が合ってね。普通なら男同士、酒でも飲んで語り合うもんだが、酒を飲めない俺に気を使ってか、喫茶店でコーヒーを飲んだりメシを食いに行ったりで、内気な恋人同士のデートみたいだった。それでも楽しいんだなあ{{R |20人が証言111 }}」、同期の[[亀石征一郎]]は「[[方言]]が抜けないから研修が終わっても、一人で発音の練習をしていたのが印象的だった{{R |20人が証言111 }}」と語る。


デビュー当時から相談に乗っていた[[潮健児]]は「[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]]のあった[[昭和]]39年([[1964年]])前後に一番悩んでいた。[[日本体育大学]]の友人はオリンピックで名を上げ、『[[網走番外地 (東映)|網走番外地]]』で高倉健さんがスターになった。映画をやめたいと漏らしていた<ref name = 20人が証言112/>」と苦悩する様子を、[[鶴田浩二]]は「融通の利かないところが損しているな。絶対に弁解しないから、誤解されやすい<ref name = 20人が証言112/>」と、それぞれ慮っている。
デビュー当時から相談に乗っていた[[潮健児]]は「[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]]のあった[[昭和]]39年([[1964年]])前後に一番悩んでいた。[[日本体育大学]]の友人はオリンピックで名を上げ、『[[網走番外地 (東映)|網走番外地]]』で高倉健さんがスターになった。映画をやめたいと漏らしていた{{R |20人が証言112 }}」と苦悩する様子を、[[鶴田浩二]]は「融通の利かないところが損しているな。絶対に弁解しないから、誤解されやすい{{R |20人が証言112 }}」と、それぞれ慮っている。


[[中尾彬]]は[[千葉県立木更津高等学校|千葉県立木更津第一高等学校]]の後輩で、「前田さん(千葉の本名)」と挨拶する<ref name = nakao>{{Cite journal |和書 |date = 1970-6-14 |title = モーレツ体操教師と生徒 千葉真一 + 中尾彬 |journal = 週刊明星 |volume = 23 |issue = |publisher = 集英社 }}</ref>。日体大に在学していた千葉が[[教育実習]]で指導した生徒が中尾で、教師と教え子の関係でもあったが、理由もなく反抗して授業をよくサボっていた<ref name = nakao/>。芸能界で再会したときに、中尾は非礼を陳謝<ref name = nakao/>。中尾の出演ドラマ『[[二人の刑事]]』([[TBSテレビ|TBS]])を千葉が「観ているぜ」と言うと、中尾は「光栄です」と低頭する間柄である<ref name = nakao/>
[[中尾彬]]は[[千葉県立木更津高等学校|千葉県立木更津第一高等学校]]の後輩で、「前田さん(千葉の本名)」と挨拶する<ref name = nakao>{{Cite journal |和書 |date = 1970-6-14 |title = モーレツ体操教師と生徒 千葉真一 + 中尾彬 |journal = 週刊明星 |volume = 23 |issue = |publisher = 集英社 }}</ref>。日体大に在学していた千葉が[[教育実習]]で指導した生徒が中尾で、教師と教え子の関係でもあったが、理由もなく反抗して授業をよくサボっていた{{R |nakao }}。芸能界で再会したときに、中尾は非礼を陳謝{{R |nakao }}。中尾の出演ドラマ『[[二人の刑事]]』([[TBSテレビ|TBS]])を千葉が「観ているぜ」と言うと、中尾は「光栄です」と低頭する間柄である{{R |nakao }}
(⇒ ''[[#共演者]]'')


特別後援者として[[ピラニア軍団]]に関わっており、軍団の結成式が[[1975年]]に[[大阪市]]の[[御堂会館]]で催され、深作欣二・[[渡瀬恒彦]]と共に立会った<ref name = robin>{{Cite book |和書 |author = ロビン前田 |coauthors = [[杉作J太郎]]・[[植地毅]] |editor = 杉作J太郎・植地毅 |title = 東映スピード・アクション浪漫アルバム |edition = 第一刷 |date = 2015-9-30 |publisher = [[徳間書店]] |series = 浪漫アルバム |isbn = 4198640033 |page = 231 |chapter = ピラニア軍団 }}</ref>。千葉は舞台へ上がらず、[[カメラ]]片手に客席からメンバーに声をかけて裏方に徹し、場を盛り上げていた。そんな千葉に[[川谷拓三]]は感謝し「ワシ、生まれて初めてこんな派手なスポットライトを浴びましたわ。ホンマおおきに!」と号泣していた<ref name = robin/>
特別後援者として[[ピラニア軍団]]に関わっており、軍団の結成式が[[1975年]]に[[大阪市]]の[[御堂会館]]で催され、深作欣二・[[渡瀬恒彦]]と共に立会った<ref name = robin>{{Cite book |和書 |author = ロビン前田 |coauthors = [[杉作J太郎]]・[[植地毅]] |editor = 杉作J太郎・植地毅 |title = 東映スピード・アクション浪漫アルバム |edition = 第一刷 |date = 2015-9-30 |publisher = [[徳間書店]] |series = 浪漫アルバム |isbn = 4198640033 |page = 231 |chapter = ピラニア軍団 }}</ref>。千葉は舞台へ上がらず、[[カメラ]]片手に客席からメンバーに声をかけて裏方に徹し、場を盛り上げていた。そんな千葉に[[川谷拓三]]は感謝し「ワシ、生まれて初めてこんな派手なスポットライトを浴びましたわ。ホンマおおきに!」と号泣していた{{R |robin }}


==== 交友(海外) ====
==== 交友(海外) ====
友人である[[サミュエル・L・ジャクソン]]<ref name = アベンジャーズ/>、[[クエンティン・タランティーノ]]のほかには<ref name = タランティーノ/>、[[スティーヴン・セガール]]<ref name = gai179/>、[[デニス・ヘイスバート]]、[[映画プロデューサー]]の[[デスティン・パフ]]<ref name = ブシドー>{{Cite web |和書 |url = http://www.cinematoday.jp/page/N0036889 |title = 千葉真一が米ドラマで主演!タイトルは「ブシドー」!72歳にして米アクション・ドラマ初主演作に |accessdate = 2012-04-13 |author = 島村幸恵 |authorlink = 島村幸恵 |date = 2011-11-10 |publisher = シネマトゥデイ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20120413074113/http://www.cinematoday.jp/page/N0036889 |archivedate = 2012-04-13 |url-status = live }}</ref>、らと親交がある<ref name = アベンジャーズ/><ref name = タランティーノ/><ref name = gai179/><ref name = ブシドー/>。セガールは流暢な[[大阪弁]]で「千葉先生、居てはりまっか?」などと頻繁に連絡してきており<ref name = gai179/>、パフは「'''''[[w:Sonny Chiba|Sonny Chiba]]'''''(サニー ちば)のような伝説の俳優と組めるなんて、これ以上の幸せはない<ref name = ブシドー/>」と語っている。(⇒ ''[[#格闘映画]]''・''[[#ファン]]'')
友人である[[サミュエル・L・ジャクソン]]{{R |アベンジャーズ }}、[[クエンティン・タランティーノ]]のほかには{{R |タランティーノ }}、[[スティーヴン・セガール]]{{R |gai179 }}、[[デニス・ヘイスバート]]、[[映画プロデューサー]]のデスティン・パフ<ref name = ブシドー>{{Cite web |和書 |url = http://www.cinematoday.jp/page/N0036889 |title = 千葉真一が米ドラマで主演!タイトルは「ブシドー」!72歳にして米アクション・ドラマ初主演作に |accessdate = 2012-04-13 |author = 島村幸恵 |date = 2011-11-10 |publisher = シネマトゥデイ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20120413074113/http://www.cinematoday.jp/page/N0036889 |archivedate = 2012-04-13 |url-status = live }}</ref>、らと親交がある{{R |アベンジャーズ |タランティーノ |gai179 |ブシドー }}。セガールは流暢な[[大阪弁]]で「千葉先生、居てはりまっか?」などと頻繁に連絡してきており{{R |gai179 }}、パフは「'''''[[w:Sonny Chiba|Sonny Chiba]]'''''(サニー ちば)のような伝説の俳優と組めるなんて、これ以上の幸せはない{{R |ブシドー }}」と語っている。(⇒ ''[[#格闘映画]]''・''[[#ファン]]'')


=== 人柄 ===
=== 人柄 ===
[[スポーツニッポン]]文化部次長だった[[脇田巧彦]]は「何事においても、とことん、のめりこむ性質で、適度ということを知らない熱血漢である<ref name = wakita/>」と評し、娘の[[真瀬樹里]]は「何があっても進んでいく前向きさと、映画への情熱は世界一。パパは私の誇り<ref name = sponichi/>」と話している。[[高平哲郎]]は「打ち合わせ相手を待っていると、後ろのテーブルには千葉さんが女性と仕事の話をしながら、食事をしていた。思わず『高平です。ご無沙汰しています』と声をかけると、千葉さんは立ち上がり、笑顔で『お元気ですか』と答えてくれた。2回しか会ってない私にきちんと挨拶をしてくれるのが、千葉さんの真面目さと優しさなんだと思う<ref name = 高平哲郎/>」と記している。
[[スポーツニッポン]]文化部次長だった[[脇田巧彦]]は「何事においても、とことん、のめりこむ性質で、適度ということを知らない熱血漢である{{R |wakita }}」と評し、娘の[[真瀬樹里]]は「何があっても進んでいく前向きさと、映画への情熱は世界一。パパは私の誇り{{R |sponichi }}」と話している。[[高平哲郎]]は「打ち合わせ相手を待っていると、後ろのテーブルには千葉さんが女性と仕事の話をしながら、食事をしていた。思わず『高平です。ご無沙汰しています』と声をかけると、千葉さんは立ち上がり、笑顔で『お元気ですか』と答えてくれた。2回しか会ってない私にきちんと挨拶をしてくれるのが、千葉さんの真面目さと優しさなんだと思う{{R |高平哲郎 }}」と記している。


[[日刊スポーツ]]の記者は「圧倒的な存在感を[[オーラ]]と呼ぶが、それを感じた<ref name = nikkan1/>、[[東映ニューフェイス]]の後輩である[[堀田眞三]]は「かつて大流行した『カッコいい!千葉ちゃん!』の言葉通り、“カッコよさ”の象徴だった<ref name = 堀田眞三20101023>{{Cite web |和書 |url = https://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/0bdbc9509a9f454ded6421ec848eea3c |title = 千葉真一先輩 記念パーティー |accessdate = 2022-04-04 |author = 堀田眞三 |date = 2010-10-23 |work = 俳優 堀田眞三(グランパ)です。|publisher = gooブログ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220404101430/https://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/0bdbc9509a9f454ded6421ec848eea3c |archivedate = 2022-04-04 |url-status = live }}</ref>。国中を席巻した[[カリスマ]]であり、正真正銘の映画スターとして、醸し出す雰囲気や存在感が全然違う<ref name = 堀田眞三20101023/>。共演俳優や[[東映]]の後輩らも、威厳とパワフルで圧倒されるけど明るくて格好良いと言ってるし、滲み出る男を感じさせてくれる<ref>{{Cite web |和書 |url = http://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/0b3e88fc87d9142cc997ff50361e5d73 |title = “親父”衣装合わせなどの打ち合わせ。|accessdate = 2012-03-30 |author = 堀田眞三 |date = 2006-07-10 |work = 俳優 堀田眞三(グランパ)です。|publisher = gooブログ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20120330192829/http://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/0b3e88fc87d9142cc997ff50361e5d73 |archivedate = 2012-03-30 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite web |和書 |url = http://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/544ac87ac80114c4b9b1c67b2e8b4bd5 |title = 親父 - 撮影 快調!|accessdate = 2012-03-30 |author = 堀田眞三 |date = 2006-07-21 |work = 俳優 堀田眞三(グランパ)です。|publisher = gooブログ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20120330192715/http://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/544ac87ac80114c4b9b1c67b2e8b4bd5 |archivedate = 2012-03-30 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite web |和書 |url = http://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/e86da1f1ff47f38da0dbfd58f22e6339 |title = いよいよ“親父”の撮影 |accessdate = 2012-03-30 |author = 堀田眞三 |date = 2006-07-26 |work = 俳優 堀田眞三(グランパ)です。|publisher = gooブログ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20120330195425/http://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/e86da1f1ff47f38da0dbfd58f22e6339 |archivedate = 2012-03-31 |url-status = live }}</ref>」[[サミュエル・L・ジャクソン]]は「タフガイを演じる時には、いつも千葉さんの演技を参考にさせてもらっているんだ。カリスマ的な存在感のある、最高にクールな俳優だと思うよ<ref name = アベンジャーズ/>[[あさ美]]は「かっこよすぎだし、オーラがすごいし、魅入っちゃった<ref>{{Cite web |和書 |url = http://ameblo.jp/asami-kumakiri/entry-11377402906.html |title = かっこよすぎで |accessdate = 2012-11-25 |author = あさ美 |authorlink = あさ美 |date = 2012-10-12 |work = あさ美のMaybe☆めいビー |publisher = アメーバブログ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130310063038/http://ameblo.jp/asami-kumakiri/entry-11377402906.html |archivedate = 2013-03-10 |url-status = live }}</ref>」[[大木凡人]]は「とにかくカッコ良く情熱をもったスターです<ref>{{Cite web |和書 |url = http://ameblo.jp/ooki-bondo/entry-11411813425.html |title = 千葉真一と大木凡人 2時間トーク ディナークルーズ |accessdate = 2012-12-06 |author = 大木凡人 |authorlink = 大木凡人 |date = 2012-11-24 |work = 凡ちゃんブログ |publisher = アメーバブログ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20121206065045/http://ameblo.jp/ooki-bondo/entry-11411813425.html |archivedate = 2012-12-06 |url-status = live }}</ref>」[[小泉孝太郎]]は「撮影現場に入られただけで、見えていないのにそれと分かる雰囲気を感じるくらい、ものすごい存在感でした。何かに例えるならば、[[サッカーコートジボワール代表]]の[[ディディエ・ドログバ]]のような。千葉さんが画面の前にお立ちになると、一気に何かが激変します<ref name = ドログバ>{{Cite news ja |title = 小泉孝太郎、千葉真一「ドログバのよう」|newspaper = nikkansports.com |date = 2014-06-16 |url = http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20140616-1318794.html |accessdate = 2014-10-04 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20141004074458/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20140616-1318794.html |archivedate = 2014-10-04 |url-status = live }}</ref>{{Efn |[[テレビドラマ]]『[[おわこんTV]]』の発表会見で小泉は、[[2014年]][[6月14日]]の[[2014 FIFAワールドカップ・グループC#コートジボワール vs 日本(Match 6)|サッカーW杯・日本 vs コートジボワール]]に交代出場して試合の流れを変えたドログバに、千葉をなぞらた<ref name = ドログバ/>。}}」など、異口同音に「(千葉さんには)オーラやカリスマ性がある」と証言している。
[[日刊スポーツ]]の記者は「圧倒的な存在感を[[オーラ]]と呼ぶが、それを感じた{{R |nikkan1 }}[[堀田眞三]]は「かつて大流行した『カッコいい!千葉ちゃん!』の言葉通り、“カッコよさ”の象徴だった{{R |川地 }}。国中を席巻した[[カリスマ]]であり、正真正銘の映画スターとして、醸し出す雰囲気や存在感が全然違う{{R |川地 }}。共演俳優や[[東映]]の後輩らも、威厳とパワフルで圧倒されるけど明るくて格好良いと言ってるし、滲み出る男を感じさせてくれる<ref>{{Cite web |和書 |url = http://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/0b3e88fc87d9142cc997ff50361e5d73 |title =“親父”衣装合わせなどの打ち合わせ。|accessdate = 2012-03-30 |author = 堀田眞三 |date = 2006-07-10 |website = 俳優 堀田眞三(グランパ)です。|work = gooブログ |publisher = NTTドコモ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20120330192829/http://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/0b3e88fc87d9142cc997ff50361e5d73 |archivedate = 2012-03-30 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite web |和書 |url = http://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/544ac87ac80114c4b9b1c67b2e8b4bd5 |title = 親父 - 撮影 快調! |accessdate = 2012-03-30 |author = 堀田眞三 |date = 2006-07-21 |website = 俳優 堀田眞三(グランパ)です。|work = gooブログ |publisher = NTTドコモ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20120330192715/http://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/544ac87ac80114c4b9b1c67b2e8b4bd5 |archivedate = 2012-03-30 |url-status = live }}</ref><ref>{{Cite web |和書 |url = http://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/e86da1f1ff47f38da0dbfd58f22e6339 |title = いよいよ“親父”の撮影 |accessdate = 2012-03-30 |author = 堀田眞三 |date = 2006-07-26 |website = 俳優 堀田眞三(グランパ)です。|work = gooブログ |publisher = NTTドコモ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20120330195425/http://blog.goo.ne.jp/hottashinzo/e/e86da1f1ff47f38da0dbfd58f22e6339 |archivedate = 2012-03-30 |url-status = live }}</ref>」[[サミュエル・L・ジャクソン]]は「タフガイを演じる時には、いつも千葉さんの演技を参考にさせてもらっているんだ。カリスマ的な存在感のある、最高にクールな俳優だと思うよ{{R |アベンジャーズ }}[[あさ美]]は「かっこよすぎだし、オーラがすごいし、魅入っちゃった<ref>{{Cite web |和書 |url = http://ameblo.jp/asami-kumakiri/entry-11377402906.html |title = かっこよすぎで |accessdate = 2012-11-25 |author = あさ美 |authorlink = あさ美 |date = 2012-10-12 |website = あさ美のMaybe☆めいビー |work = アメーバブログ |publisher = サイバーエージェント |archiveurl = https://web.archive.org/web/20130310063038/http://ameblo.jp/asami-kumakiri/entry-11377402906.html |archivedate = 2013-03-10 |url-status = live }}</ref>」[[大木凡人]]は「とにかくカッコ良く情熱をもったスターです<ref>{{Cite web |和書 |url = http://ameblo.jp/ooki-bondo/entry-11411813425.html |title = 千葉真一と大木凡人 2時間トーク ディナークルーズ |accessdate = 2012-12-06 |author = 大木凡人 |authorlink = 大木凡人 |date = 2012-11-24 |website = 凡ちゃんブログ |work = アメーバブログ |publisher = サイバーエージェント |archiveurl = https://web.archive.org/web/20121206065045/http://ameblo.jp/ooki-bondo/entry-11411813425.html |archivedate = 2012-12-06 |url-status = live }}</ref>」[[小泉孝太郎]]は「撮影現場に入られただけで、見えていないのにそれと分かる雰囲気を感じるくらい、ものすごい存在感でした。何かに例えるならば、[[サッカーコートジボワール代表]]の[[ディディエ・ドログバ]]のような。千葉さんが画面の前にお立ちになると、一気に何かが激変します<ref name = ドログバ>{{Cite news |title = 小泉孝太郎、千葉真一「ドログバのよう」|newspaper = nikkansports.com |date = 2014-06-16 |url = http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20140616-1318794.html |accessdate = 2014-10-04 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20141004074458/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20140616-1318794.html |archivedate = 2014-10-04 |url-status = live }}</ref>{{Efn |『[[おわこんTV]]』の発表会見で[[小泉孝太郎]]は、[[2014年]][[6月14日]]の[[2014 FIFAワールドカップ・グループC#コートジボワール vs 日本(Match 6)|サッカーW杯・日本 vs コートジボワール]]に交代出場して試合の流れを変えたドログバにている{{R |ドログバ }}。}}」など、異口同音に「オーラやカリスマ性がある」と証言している。


[[真樹日佐夫]]は「とても折り目正しいところに、淡い好感をおぼえた<ref>[[#学生時代|「『けんか空手 極真拳』の撮影で初めて会う」、106頁。]]</ref>」、「[[ニューヨーク]]で酒を酌み交わした時{{Efn |千葉真一は映画の撮影で、[[真樹日佐夫]]は[[梶原一騎]]と共に[[極真会館]]の北米支部長会議に出席する[[大山倍達]]の随行で、それぞれ[[ニューヨーク]]を訪れていた<ref name = newyork106108>[[#学生時代|「いくら飲んでも崩れを見せぬ見事な酒品だった」、106 - 108頁。]]</ref>。}}、いくら飲んでも崩れを見せぬ見事な酒品だった<ref name = newyork106108/>」と述べ、[[平松伸二]]は自身の漫画が映画化されたときに、『[[ドーベルマン刑事#映画|ドーベルマン刑事]]』の撮影現場を訪れて主人公の加納錠治を演ず千葉真一会っており、「まさかこんな若い人(平松)が漫画を描いているとはねえ~!」「ホンネを言えば、ボクとかより[[松田優作]]くんなんかの方が加納にあってると思ってるんじゃないのかなァ!!」と笑いながら話しかけられ、「図星だった!千葉さんは正直で気さくないい人だった」と回想している<ref>{{Cite book |和書 |author = 平松伸二 |authorlink = 平松伸二 |title = [[そしてボクは外道マンになる]] |origdate = 2017-09-19 |edition = 初版 |publisher = [[集英社]] |isbn = 4088907574 |volume = 2 第7話 |chapter = 結婚してください! }}</ref>。
[[真樹日佐夫]]は「とても折り目正しいところに、淡い好感をおぼえた<ref>[[#学生時代|「『けんか空手 極真拳』の撮影で初めて会う」、106頁。]]</ref>」、「[[ニューヨーク]]で酒を酌み交わした時{{Efn |千葉真一は映画の撮影で、[[真樹日佐夫]]は[[梶原一騎]]と共に[[極真会館]]の北米支部長会議に出席する[[大山倍達]]の随行で、それぞれ[[ニューヨーク]]を訪れていた<ref name = newyork106108>[[#学生時代|「いくら飲んでも崩れを見せぬ見事な酒品だった」、106 - 108頁。]]</ref>。}}、いくら飲んでも崩れを見せぬ見事な酒品だった{{R |newyork106108 }}」と述べ、[[平松伸二]]は自身の漫画が映画化されたときに、『[[ドーベルマン刑事#映画|ドーベルマン刑事]]』の撮影現場を訪れた際に対面すると、「まさかこんな若い人(平松)が漫画を描いているとはねえ〜!」「ホンネを言えば、ボクとかより[[松田優作]]くんなんかの方が加納にあってると思ってるんじゃないのかなァ!!」と笑いながら話しかけられ、「図星だった!千葉さんは正直で気さくないい人だ」と回想している<ref>{{Cite book |和書 |author = 平松伸二 |authorlink = 平松伸二 |title = [[そしてボクは外道マンになる]] |date = 2017-09-19 |edition = 初版 |publisher = [[集英社]] |isbn = 4088907574 |volume = 2 第7話 |chapter = 結婚してください! }}</ref>。


[[戸田菜穂]]は[[1990年]]の『第15回 [[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』で、約3万4千人の応募者のなかからグランプリに選ばれるが、発表の直前に後ろで控えていると、審査員の1人だった千葉に「いつか共演しましょうね」と声をかけられ、「え、もしかして?!」と嬉しさや驚きを飲み込んだのが「芸能界での一番最初の思い出」と振り返っている<ref name = 戸田菜穂>{{Cite news ja |title = 柄本時生「絶対井岡だ」スポーツジムで遭遇の記憶 |newspaper = nikkansports.com |date = 2020-11-27 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202011270000989.html |accessdate = 2021-02-21 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20201201104259/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202011270000989.html |archivedate = 2020-12-01 |url-status = live }}</ref>。
[[戸田菜穂]]は[[1990年]]の『第15回 [[ホリプロタレントスカウトキャラバン]]』で、約3万4千人の応募者のなかからグランプリに選ばれるが、発表の直前に後ろで控えていると、審査員の1人だった千葉に「いつか共演しましょうね」と声をかけられ、「え、もしかして?!」と嬉しさや驚きを飲み込んだのが「芸能界での一番最初の思い出」と振り返っている<ref>{{Cite news |title = 柄本時生「絶対井岡だ」スポーツジムで遭遇の記憶 |newspaper = nikkansports.com |date = 2020-11-27 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202011270000989.html |accessdate = 2021-02-21 |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20201201104259/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202011270000989.html |archivedate = 2020-12-01 |url-status = live }}</ref>。


=== 好尚 ===
=== 好尚 ===
; 趣味
; 趣味
: 高校在学中から[[ハリウッド映画]]のファンで、[[アラン・ラッド]]の『[[シェーン]]』や[[ゲイリー・クーパー]]の『[[真昼の決闘]]』など、[[西部劇]]・[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]を夢中で観ていた<ref name = samurai9596/>。[[水彩画]]<ref name = 実話特報/>。日記をつけている<ref name = モー81/>。愛車は[[日産・ブルーバード]]、[[フォード・モーター|フォード]]、白の[[フォルクスワーゲン・タイプ1|フォルクスワーゲン1200(1963年型)]]と[[セダン]]に乗り始め<ref>{{Cite journal |和書 |date = 1964-09-13 |title = 今度はスポーツカーに替える |journal = [[サンデー交毎]] |volume = |issue = |page = 1 |publisher = [[交通毎日新聞社]] }}</ref>、[[スポーツカー]]では[[マツダ・コスモ|マツダ・コスモスポーツ(白)]]と[[フォード・マスタング#初代後期(1969年 - 1973年)|フォード・マスタング・Mach1]]<ref>[[#モーレツ24|「追跡ルポ / チバシンのモーレツ24時間」、78頁。]]</ref>、[[マーキュリー (自動車)#差別化の成功|マーキュリー・クーガー]]へ乗り継いだ。[[トヨタ・カリーナ]]のCMに出演した頃、[[トヨタ自動車|トヨタ]]よりカリーナの新車を毎年提供されていたので1年間乗った後、[[志穂美悦子]]や[[真田広之]]ら[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ (''JAC'') ]]のメンバーに譲っていた。
:高校在学中から[[ハリウッド映画]]のファンで、[[アラン・ラッド]]の『[[シェーン]]』や[[ゲイリー・クーパー]]の『[[真昼の決闘]]』など、[[西部劇]]・[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]を夢中で観ていた<ref name = samurai9596/>。[[水彩画]]<ref name = 実話特報/>。日記をつけている<ref name = モー81/>。愛車は[[日産・ブルーバード]]、[[フォード・モーター|フォード]]、白の[[フォルクスワーゲン・タイプ1|フォルクスワーゲン1200(1963年型)]]と[[セダン]]に乗り始め<ref>{{Cite journal |和書 |date = 1964-09-13 |title = 今度はスポーツカーに替える |journal = [[サンデー交毎]] |volume = |issue = |page = 1 |publisher = [[交通毎日新聞社]] }}</ref>、[[スポーツカー]]では[[マツダ・コスモ|マツダ・コスモスポーツ(白)]]と[[フォード・マスタング#初代後期(1969年 - 1973年)|フォード・マスタング・Mach1]]<ref>[[#モーレツ24|「追跡ルポ / チバシンのモーレツ24時間」、78頁。]]</ref>、[[マーキュリー (自動車)#差別化の成功|マーキュリー・クーガー]]へ乗り継いだ。[[トヨタ・カリーナ]]のCMに出演した頃、[[トヨタ自動車|トヨタ]]よりカリーナの新車を毎年提供されていたので1年間乗った後、[[志穂美悦子]]や[[真田広之]]ら[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパンアクションクラブ (''JAC'') ]]のメンバーに譲っていた。
:
; 健康法
; 健康法
: 健康法は一日一食を心掛け<ref name = 45年前/>、水素サプリメントを飲んでいた<ref>{{Cite web|和書|url=https://president.jp/articles/-/49763 |title=「失うのはお金だけではない」千葉真一さんもハマっていた"怪しい水商品"の3つの特徴 |publisher =president |date=2021-09-10 |accessdate=2022-10-05}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/2014174/ |title=千葉真一さん「水素飲んでるから大丈夫」ワクチン拒絶にあった“サプリ”傾倒 |publisher =女性自身 |date=2021-09-06 |accessdate=2022-10-05}}</ref><ref name="hontou">{{Cite book|和書|author=名取宏ほか |title=新型コロナとワクチンの「本当のこと」がわかる本【検証】新型コロナ デマ・陰謀論 |publisher=彩図社 |date=2021 |page= |isbn=978-4801305762}}</ref>。
:健康法は一日一食を心掛け<ref name = 45年前/>、水素サプリメントを飲んでいた<ref>{{Cite web|和書|url=https://president.jp/articles/-/49763 |title=「失うのはお金だけではない」千葉真一さんもハマっていた"怪しい水商品"の3つの特徴 |publisher =president |date=2021-09-10 |accessdate=2022-10-05}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/2014174/ |title=千葉真一さん「水素飲んでるから大丈夫」ワクチン拒絶にあった“サプリ”傾倒 |publisher =女性自身 |date=2021-09-06 |accessdate=2022-10-05}}</ref><ref name="hontou">{{Cite book|和書|author=名取宏ほか |title=新型コロナとワクチンの「本当のこと」がわかる本【検証】新型コロナ デマ・陰謀論 |publisher=彩図社 |date=2021 |page= |isbn=978-4801305762}}</ref>。
:
; 思考
; 思考
:「[[フリーメイソン|フリーメイソンリー]]の会員である」と『[[週刊文春]]』の2021年1月14日号で記事になり、「友達やまわりに何人もいたんで、いろいろと興味津々、探索しているところ」と取材に答えた<ref>{{Cite web|和書|url= https://bunshun.jp/denshiban/articles/b241|title=【追悼】千葉真一があのフリーメーソンに入会|publisher= 週刊文春|date= 2021-01-06|accessdate= 2022-05-10}}</ref>。2022年8月19日付の『[[週刊新潮|デイリー新潮]]』によると、[[日蓮正宗]]に帰依し、2019年3月11日付の御授戒と同年12月20日付の御本尊下付願があると配信された<ref>{{Cite web|和書|title=千葉真一「一周忌」で再燃した“宗教問題” 明かされた日蓮正宗の「御本尊」と「御授戒文」の波紋(デイリー新潮) |url=https://www.dailyshincho.jp/article/2022/08190605/ |website=デイリー新潮 |access-date=2022-08-18 |language=ja}}</ref>。
:「[[フリーメイソン|フリーメイソンリー]]の会員である」と『[[週刊文春]]』の2021年1月14日号で記事になり、「友達やまわりに何人もいたんで、いろいろと興味津々、探索しているところ」と取材に答えた<ref>{{Cite web|和書|url= https://bunshun.jp/denshiban/articles/b241|title=【追悼】千葉真一があのフリーメーソンに入会|publisher= 週刊文春|date= 2021-01-06|accessdate= 2022-05-10}}</ref>。2022年8月19日付の『[[週刊新潮|デイリー新潮]]』によると、[[日蓮正宗]]に帰依し、2019年3月11日付の御授戒と同年12月20日付の御本尊下付願があると配信された<ref>{{Cite web|和書|title=千葉真一「一周忌」で再燃した“宗教問題” 明かされた日蓮正宗の「御本尊」と「御授戒文」の波紋(デイリー新潮) |url=https://www.dailyshincho.jp/article/2022/08190605/ |website=デイリー新潮 |access-date=2022-08-18 |language=ja}}</ref>。


=== 家族 ===
=== 家族 ===
[[福岡県]][[福岡市]][[博多区]][[雑餉隈]]で二男三女の長男(第二子)として生誕<ref name = 千葉流8182/>。父親は[[大刀洗町]]に在った[[陸軍飛行戦隊]]に所属する[[軍人]]で、母親は[[熊本県]]出身で学生時代に[[陸上競技]]をしていた<ref name = 千葉流8182/>。[[零式艦上戦闘機|零式二号艦上戦闘機]]などの[[テストパイロット]]を務めていた父は、初めて建造された[[航空母艦|空母]]へ初着艦を成功させるなど、危険な重責業務で給料の半分が飲み代となり、家庭は裕福でなかった<ref name = 近代144-145/>。4歳の時、父が[[千葉県]][[木更津市]]へ異動となったため、家族で千葉県[[君津市]]へ転居した<ref name = 和千永38/>。[[終戦]]後、軍が解体され、父は漁業組合の役員へ転職したが、家計は厳しかった<ref name = 近代144-145/>。小学生の頃から、新聞・牛乳配達をして家計を助けた<ref name = 20人が証言110/>。しかし「貧乏だったものの大自然に囲まれていたため、[[米]]以外は不自由せずにいろいろな[[食物]]を食べることができ、自分の土台となった」と当時を述懐している<ref>[[#千葉2008|「パイロットだった親父」、34頁。]]</ref>。父は[[芸能界]]入りを猛烈に反対して[[勘当]]していたが<ref name = samurai100101/>、作品を観てからは考えを変え<ref>[[#千葉2010|「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」、103頁。]]</ref>、その後は観るのを楽しんでいる<ref name = 20人が証言110/>。[[1971年]]初めには地元の[[君津市]]に実家を新築して親孝行をした<ref>[[#千葉2010|「「気骨ある明治生まれの軍人、子供心に誇らしかった飛行機姿の親父」」、85頁。]]</ref>。(⇒ ''[[#オリンピックを目指して]]'')
[[父親]]は[[大刀洗町]]に在った[[陸軍飛行戦隊]]に所属する[[軍人]]で、[[母親]]は[[熊本県]]出身で学生時代に[[陸上競技]]をしていた{{R |千葉流8182 }}。[[零式艦上戦闘機|零式二号艦上戦闘機]]などの[[テストパイロット]]を務めていた父は、建造ばかりの[[航空母艦]]へ初着艦を成功させるなど、危険な重責業務で給料の半分が飲み代となり、家庭は裕福でなかった{{R |近代144-145 }}
(⇒ ''[[#アクションスター]]'')
{{Main |あゝ同期の桜#配役 }}
4歳の時、父が[[千葉県]][[木更津市]]へ異動となったため、家族で千葉県[[君津市]]へ転居した{{R |和千永38 }}。[[終戦]]後、軍が解体され、父は漁業組合の役員へ転職したが、家計は厳しかった{{R |近代144-145 }}。小学生の頃から、新聞・牛乳配達をして家計を助けた{{R |20人が証言110 }}。しかし「貧乏だったものの大自然に囲まれていたため、[[米]]以外は不自由せずにいろいろな[[食物]]を食べることができ、自分の土台となった」と述懐している<ref>[[#千葉2008|「パイロットだった親父」、34頁。]]</ref>。父は[[芸能界]]入りを猛烈に反対して[[勘当]]していたが{{R |samurai100101 }}、作品を観てからは考えを変え<ref>[[#千葉2010|「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」、103頁。]]</ref>、その後は観るのを楽しんでいる{{R |20人が証言110 }}。[[1971年]]初めには地元の[[君津市]]に実家を新築して親孝行をした<ref>[[#千葉2010|「「気骨ある明治生まれの軍人、子供心に誇らしかった飛行機姿の親父」」、85頁。]]</ref>。
(⇒ ''[[#オリンピックを目指して]]'')


弟の[[矢吹二朗]]が中学生になると[[東京都]]へ呼び寄せ、学校にも通わせ、育ち盛りの矢吹にはご飯を食べさせ、千葉は[[コッペパン]]に水という日々もあった<ref name = "20人が証言110"/>。「ときどき兄貴の腕時計や無理して買った[[テープレコーダー]]が無くなったのは、きっと[[質屋]]へ持って行っていたと思う。僕には心配させまいと、一言も言わなかった」と語る<ref name = 20人が証言110/>
弟の[[矢吹二朗]]が中学生になると[[東京都]]へ呼び寄せ、学校にも通わせ、育ち盛りの矢吹にはご飯を食べさせ、自分は[[コッペパン]]に水という日々もあった{{R |20人が証言110 }}。「ときどき兄貴の腕時計や無理して買った[[テープレコーダー]]が無くなったのは、きっと[[質屋]]へ持って行っていたと思う。僕には心配させまいと、一言も言わなかった」と語る{{R |20人が証言110 }}


テレビ映画『[[キイハンター]]』で共演した[[野際陽子]][[1973年]]に結婚し、一人娘の[[真瀬樹里]]を儲ける。おしどり夫婦として有名だったが、[[ハリウッド]]で仕事が増え始めて拠点を移したい千葉と<ref name = wachinaga113114>[[#千葉2008|「樹里が生まれた日」、113 - 114頁。]]</ref>、[[日本]]に居たい野際の意志不一致から<ref name = wachinaga113114/>、[[1994年]]に離婚。[[記者会見]]を野際と一緒に行うなど憎みあっての離婚ではないため、真瀬共々良好な関係を続けており、真瀬とはテレビ時代劇[[寺子屋ゆめ指南]]』、『[[風林火山 (NHK大河ドラマ)|風林火山]]』で共演し、複数の[[トーク番組]]へ一緒に出演している。[[1996年]]に28歳年下の一般女性と再婚。長男・[[新田真剣佑]]と次男・[[眞栄田郷敦]]を授かり、[[アメリカ合衆国]][[カリフォルニア州]][[ビバリーヒルズ]]に在住していた<ref name = nikkan1/><ref name = chunichi/><ref name = daily2/><ref name = houchi/>。[[2015年]]に一般女性と離婚したが<ref>{{Cite news ja |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1586737.html |title = 千葉真一が離婚 調停中の28歳下の夫人と昨年 |newspaper = 日刊スポーツ |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |date = 2016-01-01 |accessdate = 2016-01-01 }}</ref>、その女性とは子供たちともども良好な関係を続けていた<ref name = スポニチ急死/>
『[[キイハンター]]』で共演した野際陽子と1973年に結婚し、一人娘の真瀬樹里を儲ける。おしどり夫婦として有名だったが、ハリウッドで仕事が増え始めて拠点を移したい千葉と<ref name = wachinaga113114>[[#千葉2008|「樹里が生まれた日」、113 - 114頁。]]</ref>、日本に居たい野際の意志不一致から{{R |wachinaga113114 }}、[[1994年]]に離婚。[[記者会見]]を野際と一緒に行うなど憎みあっての離婚ではないため、真瀬共々良好な関係を続けており、真瀬とは『寺子屋ゆめ指南』、『風林火山 (NHK大河ドラマ)』で共演し、複数の[[トーク番組]]へ一緒に出演している。[[1996年]]に28歳年下の一般女性と再婚。長男・新田真剣佑と次男・眞栄田郷敦を授かり、アメリカ合衆国[[カリフォルニア州]][[ビバリーヒルズ]]に在住していた{{R |nikkan1 |chunichi |daily2 |houchi }}。[[2015年]]に一般女性と離婚したが<ref>{{Cite news |和書 |url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1586737.html |title = 千葉真一が離婚 調停中の28歳下の夫人と昨年 |newspaper = 日刊スポーツ |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |date = 2016-01-01 |accessdate = 2016-01-01 }}</ref>、その女性とは真剣佑・郷敦ともども良好な関係を続けていた{{R |スポニチ急死 }}
(⇒ ''[[#2010年代]]''・''[[#最期]]''・''[[#2022年]]''・''[[#2023年]]'')


== 受賞 ==
== 受賞 ==
529行目: 648行目:
* ''SINGAFEST 2011''〔[[w:Bigfoot Entertainment|ビッグフット・エンターテインメント]]主催〕- ''LIFETIME ACHIEVEMENT AWARD''([[2011年]])
* ''SINGAFEST 2011''〔[[w:Bigfoot Entertainment|ビッグフット・エンターテインメント]]主催〕- ''LIFETIME ACHIEVEMENT AWARD''([[2011年]])
: ''MARTIAL ARTS LEGEND Sonny Chiba''を表彰
: ''MARTIAL ARTS LEGEND Sonny Chiba''を表彰
* [[文化庁長官表彰]]([[2020年]])
* [[文化庁長官表彰]]([[2020年]])<ref name = 文化日刊/><ref name = 文化日テレ/><ref name = 文化東スポ/><ref>[https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/pdf/92684701_02.pdf 令和二年度文化庁長官表彰名簿]</ref>
* [[第45回日本アカデミー賞]] - [[第45回日本アカデミー賞#会長特別賞|会長特別賞]]([[2022年]])
* [[第45回日本アカデミー賞]] - [[第45回日本アカデミー賞#会長特別賞|会長特別賞]]([[2022年]])


== 出演 ==
== 出演 ==
=== 映画 ===
=== 映画 ===
==== 国内映画 ====
==== 国内 ====
<small>太字は[[主演]]や[[映画スタッフ|スタッフ兼務]]作品。諸外国との合作映画は[[#海外映画]]を参照。社名のない作品は[[東映]]。</small>
{{Indent |<small>太字は[[主演]]や[[映画スタッフ|スタッフ兼務]]作品。諸外国との合作映画は[[#海外映画]]を参照。社名のない作品は[[東映]]。</small>}}
[[File:Invasion of the Neptune Men 2.jpg|thumb|right|200px|『[[宇宙快速船]]』の[[ポスター]]]]
* [[警視庁物語|警視庁物語シリーズ]]([[1961年の日本公開映画|1961年]])- 中川刑事
* [[警視庁物語|警視庁物語シリーズ]]([[1961年の日本公開映画|1961年]])- 中川刑事
** [[警視庁物語|警視庁物語 不在証明(ありばい)]]
** [[警視庁物語#警視庁物語 不在証明|警視庁物語 不在証明]]
** [[警視庁物語|警視庁物語 十五才の女]]
** [[警視庁物語#警視庁物語 十五才の女|警視庁物語 十五才の女]]
** [[警視庁物語|警視庁物語 十二人の刑事]]
** [[警視庁物語#警視庁物語 十二人の刑事|警視庁物語 十二人の刑事]]
* '''[[風来坊探偵シリーズ]](1961年、[[ニュー東映]])- 主演・西園寺五郎'''
* '''[[風来坊探偵シリーズ]](1961年、[[ニュー東映]])- 主演・西園寺五郎'''
** '''[[風来坊探偵 赤い谷の惨劇]]'''
** '''[[風来坊探偵 赤い谷の惨劇]]'''
** '''[[風来坊探偵 岬を渡る黒い風]]'''
** '''[[風来坊探偵 岬を渡る黒い風]]'''
[[File:Invasion of the Neptune Men 2.jpg|thumb|right|200px|『[[宇宙快速船]]』の[[ポスター]]]]
* '''[[宇宙快速船]](1961年、ニュー東映)- 主演・立花真一 / アイアンシャープ'''
* '''[[宇宙快速船]](1961年、ニュー東映)- 主演・立花真一 / アイアンシャープ'''
* '''[[ファンキーハットの快男児シリーズ]](1961年)- 主演・天下一郎'''
* '''[[ファンキーハットの快男児シリーズ]](1961年)- 主演・天下一郎'''
** '''[[ファンキーハットの快男児]](ニュー東映)'''
** '''[[ファンキーハットの快男児]](ニュー東映)'''
** '''[[ファンキーハットの快男児 二千万円の腕]]'''
** '''[[ファンキーハットの快男児 二千万円の腕]]'''
* [[次郎長社長と石松社員シリーズ]]
* [[石松社員は男でござる]](1961年)- 長島
** [[進藤の社長シリーズ 石松社員は男でござる]](1961年)- 長島
* [[次郎長社長石松社員 安来ぶし道中]](1963年)- 塩見寛
** [[次郎長社長と石松社員 安来ぶし道中]](1963年)- 塩見寛
* [[南太平洋波高し]]([[1962年の日本公開映画|1962年]])- 結城
* [[南太平洋波高し]]([[1962年の日本公開映画|1962年]])- 結城
* [[恋愛学校 ラブ・スクール]](1962年、ニュー東映)- 木暮慎一
* [[恋愛学校 ラブ・スクール]](1962年、ニュー東映)- 木暮慎一
559行目: 677行目:
* [[山麓 (映画)|山麓]](1962年)- 速水信吉
* [[山麓 (映画)|山麓]](1962年)- 速水信吉
* [[八月十五日の動乱]](1962年)- 大森医師
* [[八月十五日の動乱]](1962年)- 大森医師
* [[ギャング対Gメン]](1962年)- 梶修
* [[ギャング対Gメン|ギャング対''G''メン]](1962年)- 梶修
* [[王将 (1962年の映画)|王将]](1962年)- 毛利
* [[王将 (1962年の映画)|王将]](1962年)- 毛利
* '''[[事件記者シリーズ]] - 主演・城野大助'''
* '''[[事件記者シリーズ]] - 主演・城野大助'''
** '''[[恐怖の魔女]](1962年)'''
** '''[[恐怖の魔女]](1962年)'''
** '''[[殺人鬼の誘惑]]([[1963年の日本公開映画|1963年]])
** '''[[殺人鬼の誘惑]]([[1963年の日本公開映画|1963年]])'''
* [[こまどり姉妹|こまどり姉妹シリーズ]](1963年)
* [[こまどり姉妹|こまどり姉妹シリーズ]](1963年)
** [[こまどり姉妹|こまどりのりんごっ子姉妹]] - 梅さん
** [[こまどり姉妹|こまどりのりんごっ子姉妹]] - 梅さん
** [[こまどり姉妹|こまどり姉妹 未練ごころ]] - 富沢健一
** [[こまどり姉妹|こまどり姉妹 未練ごころ]] - 富沢健一
* [[暴力街 (1963年の映画)|暴力街]](1963年)- 市ノ木一夫
* [[暴力街 (1963年の映画)|暴力街]](1963年)- 市ノ木一夫
* '''[[特別機動捜査隊|特別機動捜査隊シリーズ]](1963年)- 主演・内藤刑事'''
* '''[[特別機動捜査隊#映画|特別機動捜査隊シリーズ]](1963年)- 主演・小松刑事'''
** '''[[特別機動捜査隊#特別機動捜査隊|特別機動捜査隊]]'''
** '''[[特別機動捜査隊#特別機動捜査隊|特別機動捜査隊]]'''
** '''[[特別機動捜査隊#特別機動捜査隊 東京駅に張り込め|特別機動捜査隊 東京駅に張り込め]]'''
** '''[[特別機動捜査隊#特別機動捜査隊 東京駅に張り込め|特別機動捜査隊 東京駅に張り込め]]'''
576行目: 694行目:
* [[八州遊侠伝 男の盃]](1963年)- 佐太郎
* [[八州遊侠伝 男の盃]](1963年)- 佐太郎
* [[浅草の侠客]](1963年)- 葉山新介
* [[浅草の侠客]](1963年)- 葉山新介
* [[海軍 (映画)#東映製作(1963年) |海軍]](1963年)- 牟田口隆夫
* '''[[海軍 (映画)#東映製作(1963年)|海軍]](1963年)- 主演・牟田口隆夫'''
* '''[[やくざの歌]](1963年)- 主演・新田俊次'''
* '''[[やくざの歌]](1963年)- 主演・新田俊次'''
* [[ギャング忠臣蔵]](1963年)- 矢頭七郎
* [[ギャング忠臣蔵]](1963年)- 矢頭七郎
* '''[[白い熱球]](1963年)- 主演・荻原要太'''
* '''[[白い熱球]](1963年)- 主演・荻原要太'''
* [[わが恐喝の人生]](1963年)- 小沢伍郎
* '''[[わが恐喝の人生]](1963年)- 主演・小沢伍郎'''
* [[地獄命令]](1964年)- 大松信一
* [[地獄命令]](1964年)- 大松信一
* [[東京アンタッチャブル 売春地下組織]](1964年)- 原田芳夫
* [[東京アンタッチャブル 売春地下組織]](1964年)- 原田芳夫
590行目: 708行目:
* [[にっぽん泥棒物語]](1965年)- 大木弁護士
* [[にっぽん泥棒物語]](1965年)- 大木弁護士
* [[逃亡 (映画)|逃亡]](1965年)- 立石三郎
* [[逃亡 (映画)|逃亡]](1965年)- 立石三郎
* [[やくざGメン 明治暗黒街]](1965年)- 柴山徹
* '''[[やくざGメン 明治暗黒街]](1965年)-主演・柴山徹'''
* [[無頼漢仁義]](1965年)- 陣内壮一
* [[無頼漢仁義]](1965年)- 陣内壮一
* [[網走番外地 (東映)|網走番外地シリーズ]]
* [[網走番外地 (東映)|網走番外地シリーズ]]
603行目: 721行目:
* '''[[黄金バット#黄金バット(1966年)|黄金バット]](1966年)- 主演・ヤマトネ博士'''
* '''[[黄金バット#黄金バット(1966年)|黄金バット]](1966年)- 主演・ヤマトネ博士'''
* '''[[組織暴力]](1967年)- 主演・高杉晋次'''
* '''[[組織暴力]](1967年)- 主演・高杉晋次'''
* [[あゝ同期の桜#映画|あゝ同期の桜]](1967年)- 半沢少尉
* '''[[あゝ同期の桜#映画|あゝ同期の桜]](1967年)- 主演・半沢少尉'''
* [[北海遊侠伝]](1967年)- 間修一
* [[北海遊侠伝]](1967年)- 間修一
* [[ギャングの帝王]](1967年)- 松本
* [[ギャングの帝王]](1967年)- 松本
611行目: 729行目:
* [[あゝ予科練]](1968年)- 児玉少尉
* [[あゝ予科練]](1968年)- 児玉少尉
* [[不良番長#不良番長 猪の鹿お蝶|不良番長 猪の鹿お蝶]]([[1969年の日本公開映画|1969年]])- 藤木光男
* [[不良番長#不良番長 猪の鹿お蝶|不良番長 猪の鹿お蝶]]([[1969年の日本公開映画|1969年]])- 藤木光男
* '''[[日本暗殺秘録]](1969年)- 主演・[[小沼正]] <small>※[[京都市民映画祭]]主演男優賞、昭和44年度[[芸術祭 (文化庁)|芸術祭]]参加作品。</small>'''
* '''[[日本暗殺秘録]](1969年)- 主演・[[小沼正]] <small>※[[京都市民映画祭]] 主演男優賞、[[昭和]]44年度[[芸術祭 (文化庁)|芸術祭]]参加作品。</small>'''
* '''[[やくざ刑事シリーズ]] - 主演・隼田志郎'''
* '''[[やくざ刑事シリーズ]] - 主演・隼田志郎'''
** '''[[やくざ刑事]]([[1970年の日本公開映画|1970年]])
** '''[[やくざ刑事]]([[1970年の日本公開映画|1970年]])'''
** '''[[やくざ刑事 マリファナ密売組織]](1970年)'''
** '''[[やくざ刑事 マリファナ密売組織]](1970年)'''
** '''[[やくざ刑事 恐怖の毒ガス]]([[1971年の日本公開映画|1971年]])'''
** '''[[やくざ刑事 恐怖の毒ガス]]([[1971年の日本公開映画|1971年]])'''
621行目: 739行目:
** '''[[狼やくざ 殺しは俺がやる]](1971年) - 主演・氷室剛介'''
** '''[[狼やくざ 殺しは俺がやる]](1971年) - 主演・氷室剛介'''
** '''[[狼やくざ 葬いは俺が出す]]([[1972年の日本公開映画|1972年]])- 主演・伊吹徹'''
** '''[[狼やくざ 葬いは俺が出す]]([[1972年の日本公開映画|1972年]])- 主演・伊吹徹'''
* '''[[麻薬売春Gメンシリーズ]](1972年)'''
* '''[[麻薬売春Gメンシリーズ|麻薬売春''G''メンシリーズ]](1972年)'''
** '''[[麻薬売春Gメン]] - 主演・菊池靖男'''
** '''[[麻薬売春Gメン|麻薬売春''G''メン]] - 主演・菊池靖男'''
** '''[[麻薬売春Gメン 恐怖の肉地獄]] - 主演・菊地春夫'''
** '''[[麻薬売春Gメン 恐怖の肉地獄|麻薬売春''G''メン 恐怖の肉地獄]] - 主演・菊地春夫'''
* [[銀蝶流れ者 牝猫博奕]](1972年)- 東隆次
* [[銀蝶流れ者 牝猫博奕]](1972年)- 東隆次
* [[仁義なき戦い 広島死闘篇]]([[1973年の日本公開映画|1973年]])- [[大友勝利]]
* '''[[仁義なき戦い 広島死闘篇]]([[1973年の日本公開映画|1973年]])- 主演・[[大友勝利]]'''
* '''[[ボディガード牙シリーズ]](1973年)- 主演・牙直人'''
* '''[[ボディガード牙シリーズ]](1973年)- 主演・牙直人'''
** '''[[ボディガード牙]]'''
** '''[[ボディガード牙#映画|ボディガード牙]]'''
** '''[[ボディガード牙 必殺三角飛び]]'''
** '''[[ボディガード牙 必殺三角飛び]]'''
* '''[[殺人拳シリーズ]]'''
* '''[[殺人拳シリーズ]]'''
638行目: 756行目:
** '''[[直撃! 地獄拳]]'''
** '''[[直撃! 地獄拳]]'''
** '''[[直撃地獄拳 大逆転]]'''
** '''[[直撃地獄拳 大逆転]]'''
* [[女必殺拳シリーズ|女必殺拳]](1974年)- 響征一
* [[女必殺拳]](1974年)- 響征一
* '''[[少林寺拳法 (映画)|少林寺拳法]]([[1975年の日本公開映画|1975年]])- 主演・[[宗道臣]]'''
* '''[[少林寺拳法 (映画)|少林寺拳法]]([[1975年の日本公開映画|1975年]])- 主演・[[宗道臣]]'''
* [[若い貴族たち 13階段のマキ]](1975年)- 日向健一
* [[若い貴族たち 13階段のマキ]](1975年)- 日向健一
649行目: 767行目:
* [[爆発! 暴走族]](1975年)- 津上
* [[爆発! 暴走族]](1975年)- 津上
* [[新仁義なき戦い 組長の首]](1975年)- [[バーテンダー]] <small>※[[カメオ出演]]<ref name = アサ芸深作/>。</small>
* [[新仁義なき戦い 組長の首]](1975年)- [[バーテンダー]] <small>※[[カメオ出演]]<ref name = アサ芸深作/>。</small>
* [[激突! 合気道]] (1975年)- 名取新兵衛
* [[激突! 合気道]](1975年)- 名取新兵衛
* [[必殺女拳士]](1976年)- 桧垣一真
* [[必殺女拳士]](1976年)- 桧垣一真
* [[横浜暗黒街 マシンガンの竜]](1976年)- 小松啓市
* [[横浜暗黒街 マシンガンの竜]](1976年)- 小松啓市
659行目: 777行目:
* [[日本の仁義]](1977年)- 木暮勝次
* [[日本の仁義]](1977年)- 木暮勝次
* '''[[ドーベルマン刑事#映画|ドーベルマン刑事]](1977年)- 主演・加納錠治'''
* '''[[ドーベルマン刑事#映画|ドーベルマン刑事]](1977年)- 主演・加納錠治'''
* [[トラック野郎・度胸一番星]](1977年)- 新村譲次
* [[トラック野郎・度胸一番星|トラック野郎 度胸一番星]](1977年)- 新村譲次
* [[ブラック・ジャック (実写版)#映画(1977年・宍戸錠版)|瞳の中の訪問者]](1977年、[[ホリプロ|ホリ企画]])- 酔っ払い <small>※カメオ出演。</small>
* [[ブラック・ジャック (実写版)#映画(1977年・宍戸錠版)|瞳の中の訪問者]](1977年、[[ホリプロ|ホリ企画]])- 酔っ払い <small>※カメオ出演。</small>
* '''[[柳生一族の陰謀]]([[1978年の日本公開映画|1978年]])- 主演・[[柳生三厳|柳生十兵衛三厳]] <small>※[[第2回日本アカデミー賞]]優秀助演男優賞。</small>'''
* '''[[柳生一族の陰謀]]([[1978年の日本公開映画|1978年]])- 主演・[[柳生三厳|柳生十兵衛三厳]] <small>※[[第2回日本アカデミー賞]]優秀助演男優賞。</small>'''
* [[宇宙からのメッセージ]](1978年、東映 / [[東北新社]])- ハンス王子
* [[宇宙からのメッセージ]](1978年、東映 / [[東北新社]])- ハンス王子
* [[沖縄10年戦争]](1978年)- 伊波朝勇
* '''[[沖縄10年戦争]](1978年)- 主演・伊波朝勇'''
* [[赤穂城断絶]](1978年)- [[不破正種|不破数右衛門]]
* [[赤穂城断絶]](1978年)- [[不破正種|不破数右衛門]]
* [[白昼の死角#映画|白昼の死角]]([[1979年の日本公開映画|1979年]]、東映 / [[角川映画|角川春樹事務所]])- 太田洋助
* [[白昼の死角#映画|白昼の死角]]([[1979年の日本公開映画|1979年]]、東映 / [[角川映画|角川春樹事務所]])- 太田洋助
* [[闇の狩人]](1979年、[[俳優座]] / [[松竹]])- 下国左門
* [[闇の狩人#映画|闇の狩人]](1979年、[[俳優座]] / [[松竹]])- 下国左門
* [[蘇える金狼#1979年|蘇える金狼]](1979年、角川春樹事務所)- 桜井光彦
* [[蘇える金狼#1979年|蘇える金狼]](1979年、角川春樹事務所)- 桜井光彦
* '''[[戦国自衛隊 (映画)|戦国自衛隊]](1979年、角川春樹事務所)- 主演・伊庭義明三尉 兼 [[アクション監督]]
* '''[[戦国自衛隊 (映画)|戦国自衛隊]](1979年、角川春樹事務所)- 主演・伊庭義明三尉 兼 [[アクション監督]]'''
* [[復活の日#映画|復活の日]]([[1980年の日本公開映画|1980年]]、角川春樹事務所 / [[TBSテレビ|TBS]])- 山内博士
* [[復活の日#映画|復活の日]]([[1980年の日本公開映画|1980年]]、角川春樹事務所 / [[TBSテレビ|TBS]])- 山内博士
* '''[[忍者武芸帖 百地三太夫]](1980年)- 不知火将監 兼 アクション監督'''
* '''[[忍者武芸帖 百地三太夫]](1980年)- 不知火将監 兼 アクション監督'''
676行目: 794行目:
* '''[[冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-|冒険者カミカゼ ''-ADVENTURER KAMIKAZE-'']](1981年)- 主演・神風大介'''
* '''[[冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-|冒険者カミカゼ ''-ADVENTURER KAMIKAZE-'']](1981年)- 主演・神風大介'''
* [[蒲田行進曲#映画|蒲田行進曲]]([[1982年の日本公開映画|1982年]]、角川春樹事務所 / 松竹)- 本人 <small>※[[カメオ出演|友情出演]]。</small>
* [[蒲田行進曲#映画|蒲田行進曲]]([[1982年の日本公開映画|1982年]]、角川春樹事務所 / 松竹)- 本人 <small>※[[カメオ出演|友情出演]]。</small>
* [[伊賀忍法帖#映画|伊賀忍法帖]](1982年、角川春樹事務所 / 東映)- [[柳生宗厳|柳生新左衛門]]
* '''[[伊賀忍法帖#映画|伊賀忍法帖]](1982年、角川春樹事務所 / 東映)- [[柳生宗厳|柳生新左衛門]] 兼 アクションアドバイザー'''
* '''[[伊賀野カバ丸]]([[1983年の日本公開映画|1983年]])- 伊賀野才蔵 兼 企画'''
* '''[[伊賀野カバ丸#映画|伊賀野カバ丸]]([[1983年の日本公開映画|1983年]])- 伊賀野才蔵 兼 企画'''
* [[里見八犬伝 (1983年の映画)|里見八犬伝]](1983年、角川春樹事務所)- 犬山道節
* [[里見八犬伝 (1983年の映画)|里見八犬伝]](1983年、角川春樹事務所)- 犬山道節
* '''[[コータローまかりとおる!]]([[1984年の日本公開映画|1984年]])- ムーア公国大佐 兼 企画'''
* '''[[コータローまかりとおる!#映画|コータローまかりとおる!]]([[1984年の日本公開映画|1984年]])- ムーア公国大佐 兼 企画'''
* [[最後の博徒]]([[1985年の日本公開映画|1985年]])- 加納良三 〔モデル : [[美能幸三]]〕
* [[最後の博徒]]([[1985年の日本公開映画|1985年]])- 加納良三
* [[キャバレー (小説)#映画|キャバレー]]([[1986年の日本公開映画|1986年]]、角川春樹事務所)- 関東連合組長 <small>※[[カメオ出演|ゲスト出演]]。</small>
* [[キャバレー (小説)#映画|キャバレー]]([[1986年の日本公開映画|1986年]]、角川春樹事務所)- 関東連合組長 <small>※[[カメオ出演|ゲスト出演]]。</small>
* [[必殺4 恨みはらします]]([[1987年の日本公開映画|1987年]]、[[朝日放送テレビ|ABC]] / 松竹)- わらべや文七
* [[必殺4 恨みはらします]]([[1987年の日本公開映画|1987年]]、[[朝日放送テレビ|ABC]] / 松竹)- わらべや文七
690行目: 808行目:
* [[ちんちろまい]]([[2000年の日本公開映画|2000年]]、[[ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント (日本)|ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント]])- 黒田武士
* [[ちんちろまい]]([[2000年の日本公開映画|2000年]]、[[ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント (日本)|ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント]])- 黒田武士
* [[実録・安藤昇侠道伝 烈火]]([[2002年の日本公開映画|2002年]]、[[東映ビデオ]])- 阪東連合幹事長 土方泰典
* [[実録・安藤昇侠道伝 烈火]]([[2002年の日本公開映画|2002年]]、[[東映ビデオ]])- 阪東連合幹事長 土方泰典
* [[伝説のやくざ ボンノ|伝説のやくざ ボンノ シリーズ]](東映ビデオ)- 山賀組 山倉組組長 山倉健一
* [[伝説のやくざ ボンノ|伝説のやくざ ボンノシリーズ]](東映ビデオ)- 山賀組 山倉組組長 山倉健一
** [[伝説のやくざ ボンノ|伝説のやくざ ボンノ 烈火の章]](2002年)
** [[伝説のやくざ ボンノ 烈火の章]](2002年)
** 伝説のやくざ ボンノ 落日の章([[2003年の日本公開映画|2003年]]) <small>※''[[オリジナルビデオ|OV.]]''</small>
** [[伝説のやくざ ボンノ 落日の章]]([[2003年の日本公開映画|2003年]])<small>※''[[オリジナルビデオ|OV]]''</small>
* '''[[新 影の軍団シリーズ]]([[シネマパラダイス]])- 主演・初代[[服部半]]'''
* [[悪名#的場浩司主演版|悪名シリーズ]]([[シネマパラダイス]])- 黒島東洋
** [[悪名|悪名 ''AKUMYOH'']](2001年)
** '''[[新 影の軍団]](2003年) - 兼 企画'''
** '''[[ 影の軍団II]](2003年)- 兼 企画''' <small>※''OV.''</small>
** [[悪名2 〜荒ぶる喧嘩魂〜]](2002年)<small>※''[[オリジナルビデオ|OV]]''</small>
* '''[[新 影の軍団シリーズ]](シネマパラダイス)- 主演・初代[[服部半蔵]]'''
** '''[[新 影の軍団]](2003年)- 兼 企画'''
** '''[[新 影の軍団II]](2003年)- 兼 企画''' <small>※''OV''</small>
** '''[[新 影の軍団III 地雷火]](2003年)- 兼 製作総指揮'''
** '''[[新 影の軍団III 地雷火]](2003年)- 兼 製作総指揮'''
** '''[[新 影の軍団IV 地雷火]](2003年)- 兼 製作総指揮''' <small>※''OV.''</small>
** '''[[新 影の軍団IV 地雷火]](2003年)- 兼 製作総指揮''' <small>※''OV''</small>
** '''[[新 影の軍団V]]([[2005年の日本公開映画|2005年]])'''
** '''[[新 影の軍団V]]([[2005年の日本公開映画|2005年]])'''
** '''[[新 影の軍団 最終章]](2005年)'''
** '''[[新 影の軍団 最終章]](2005年)'''
703行目: 824行目:
* [[銭道|銭道シリーズ]](シネマパラダイス)- 神開浩次郎
* [[銭道|銭道シリーズ]](シネマパラダイス)- 神開浩次郎
** [[銭道]]([[2004年の日本公開映画|2004年]])
** [[銭道]]([[2004年の日本公開映画|2004年]])
** 銭道2 借金地獄抜け道指南(2004年)
** [[銭道2 借金地獄抜け道指南]](2004年)
** 銭道3 なにわ金融指南(2004年)
** [[銭道3 なにわ金融指南]](2004年)
** 銭道4 男と女の金融講座(2004年)<small>※''OV.''</small>
** [[銭道4 男と女の金融講座]](2004年)<small>※''OV''</small>
** 銭道5 無限連鎖講(2004年)<small>※''OV''</small>
** [[銭道5 無限連鎖講]](2004年)<small>※''OV''</small>
** 銭道6(2005年)
** [[銭道6]](2005年)
* '''''[[SURVIVE STYLE5+]]''(2004年、東北新社)- 主演・薬品会社社長 風間'''
* '''''[[SURVIVE STYLE5+]]''(2004年、東北新社)- 主演・薬品会社社長 風間'''
* [[猿飛佐助 闇の軍団|猿飛佐助 闇の軍団シリーズ]](2005年)- 柳生十兵衛三厳
* [[猿飛佐助 闇の軍団|猿飛佐助 闇の軍団シリーズ]](2005年)- 柳生十兵衛三厳
** [[猿飛佐助 闇の軍団]]3 風の巻
** [[猿飛佐助 闇の軍団3 風の巻]]
** 猿飛佐助 闇の軍団4 火の巻 完結篇
** [[猿飛佐助 闇の軍団4 火の巻 完結篇]]
* ''[[THE WINDS OF GOD|THE WINDS OF GOD -KAMIKAZE-]]''([[2006年の日本公開映画|2006年]]、松竹)- 太田信忠 飛行隊長
* ''[[THE WINDS OF GOD|THE WINDS OF GOD -KAMIKAZE-]]''([[2006年の日本公開映画|2006年]]、松竹)- 太田信忠 飛行隊長
* [[マスター・オブ・サンダー 決戦!! 封魔龍虎伝]](2006年、[[日活]])- 源流和尚
* [[マスター・オブ・サンダー 決戦!! 封魔龍虎伝]](2006年、[[日活]])- 源流和尚
717行目: 838行目:
* [[修羅の花道|修羅の花道シリーズ]]([[2012年の日本公開映画|2012年]]、[[コンセプトフィルム]])- 須玉誉士夫 <small>※特別出演。</small>
* [[修羅の花道|修羅の花道シリーズ]]([[2012年の日本公開映画|2012年]]、[[コンセプトフィルム]])- 須玉誉士夫 <small>※特別出演。</small>
** [[修羅の花道]]
** [[修羅の花道]]
** 修羅の花道 2 <small>※''OV.''</small>
** [[修羅の花道 2]] <small>※''OV''</small>
* [[日本統一|日本統一シリーズ]]([[2013年の日本公開映画|2013年]]、[[オールインエンタテインメント]])- 初代侠和会会長 権田誠蔵(初代権田組組長)
* [[日本統一|日本統一シリーズ]]([[2013年の日本公開映画|2013年]]、[[オールインエンタテインメント]])- 初代侠和会会長 権田誠蔵(初代権田組組長)
** [[日本統一]]
** [[日本統一]]
** 日本統一 2 <small>※''OV.''</small>
** [[日本統一 2]] <small>※''OV''</small>
* [[ニンジャセオリー]]([[2014年の日本公開映画|2014年]]、[[ワッヘンフィルムスタジオ]])- 忍者マスター <small>※特別出演。</small>
* [[ニンジャセオリー]]([[2014年の日本公開映画|2014年]]、[[ワッヘンフィルムスタジオ]])- 忍者マスター <small>※特別出演。</small>
* '''[[修羅の伝承 荒ぶる凶犬]](2014年、[[アスプロスドラーゴ]])- 主演・秋山秀平'''
* '''[[修羅の伝承 荒ぶる凶犬]](2014年、[[アスプロスドラーゴ]])- 主演・秋山秀平'''
727行目: 848行目:
* [[騒音 (映画)|騒音]](2015年、[[浅井企画]] / [[スタジオブルー]])- 特別指導教官
* [[騒音 (映画)|騒音]](2015年、[[浅井企画]] / [[スタジオブルー]])- 特別指導教官
* [[極道天下布武|極道天下布武シリーズ]]([[2017年の日本公開映画|2017年]]、[[オールインエンタテインメント]])- 安芸 毛利屋一家総長 毛利屋元就
* [[極道天下布武|極道天下布武シリーズ]]([[2017年の日本公開映画|2017年]]、[[オールインエンタテインメント]])- 安芸 毛利屋一家総長 毛利屋元就
** 極道天下布武 第一幕
** [[極道天下布武 第一幕]]
** 極道天下布武 第二幕
** [[極道天下布武 第二幕]]
** 極道天下布武 第四幕
** [[極道天下布武 第四幕]]
* [[写真甲子園 0.5秒の夏]](2017年、シネボイス)- 椅子工房の職人
* [[写真甲子園 0.5秒の夏]](2017年、シネボイス)- 椅子工房の職人


==== 海外映画 ====
==== 海外 ====
<small>太字は[[主演]]や[[映画スタッフ|スタッフ兼務]]作品で、[[日本]]との合作映画も含む。</small>
{{Indent |<small>太字は[[主演]]や[[映画スタッフ|スタッフ兼務]]作品で、[[日本]]との合作映画も含む。</small>}}
[[ファイル:千葉真一と松下順一.jpg|代替文=「爆裂都市」千葉真一と松下順一|サムネイル|[[2003年]]、『爆裂都市 / ''Explosive City''』の撮影にて。右は[[松下順一]]。]]
* '''[[カミカゼ野郎 真昼の決斗]]([[1966年の映画|1966年]]、[[日本映画|日]][[台湾映画|台]]合作)- 主演・御手洗健'''
* '''[[カミカゼ野郎 真昼の決斗]]([[1966年の映画|1966年]]、[[日本映画|日]][[台湾映画|台]]合作)- 主演・御手洗健'''
* '''[[海底大戦争]](1966年、日[[アメリカ合衆国の映画|米]]合作)- 主演・安部'''
* '''[[海底大戦争]](1966年、日[[アメリカ合衆国の映画|米]]合作)- 主演・安部'''
739行目: 861行目:
* '''[[激殺! 邪道拳]]([[1977年の映画|1977年]]、日香泰合作)- 主演・無音笛 兼 企画'''
* '''[[激殺! 邪道拳]]([[1977年の映画|1977年]]、日香泰合作)- 主演・無音笛 兼 企画'''
* '''[[ゴルゴ13 九竜の首]](1977年、日香合作)- 主演・[[ゴルゴ13 (架空の人物)|ゴルゴ13(デューク東郷)]]'''
* '''[[ゴルゴ13 九竜の首]](1977年、日香合作)- 主演・[[ゴルゴ13 (架空の人物)|ゴルゴ13(デューク東郷)]]'''
* [[武士道ブレード]]([[1981年の映画|1981年]]、[[イギリスの映画|英]]米合作)- 井戸守
* '''[[武士道ブレード]]([[1981年の映画|1981年]]、[[イギリスの映画|英]]米合作)- 主演・井戸守'''
* '''[[HAKEN 覇拳 ふりむけば修羅|''HAKEN'' 覇拳 ふりむけば修羅]](1992年、日香合作)- 高阪正 兼 監督'''
* '''[[HAKEN 覇拳 ふりむけば修羅|''HAKEN'' 覇拳 ふりむけば修羅]](1992年、日香合作)- 高阪正 兼 監督'''
* [[エイセス / 大空の誓い]]([[1992年の映画|1992年]]、米)- スエオ・ホリコシ大佐
* [[エイセス / 大空の誓い]]([[1992年の映画|1992年]]、米)- スエオ・ホリコシ大佐
746行目: 868行目:
* '''[[ザ・サイレンサー MAGNUM357|ザ・サイレンサー ''MAGNUM357'']](1994年、日米合作)- 主演・マコト'''
* '''[[ザ・サイレンサー MAGNUM357|ザ・サイレンサー ''MAGNUM357'']](1994年、日米合作)- 主演・マコト'''
* '''[[風雲 ストームライダーズ]]([[1998年の映画|1998年]]、香港)- 主演・雄覇 <small>※第18回[[香港電影金像奨]] [[w:18th Hong Kong Film Awards#Best Actor|優秀主演男優賞]]。</small>'''
* '''[[風雲 ストームライダーズ]]([[1998年の映画|1998年]]、香港)- 主演・雄覇 <small>※第18回[[香港電影金像奨]] [[w:18th Hong Kong Film Awards#Best Actor|優秀主演男優賞]]。</small>'''
* 小李飛刀之飛刀外傳 ''The Legend Of The Flying Swordsman''([[2000年の映画|2000年]]、香港)- 李元覇
* [[:zh:小李飛刀之飛刀外傳|小李飛刀之飛刀外傳]] [[w:The Legend Of The Flying Swordsman|''The Legend Of The Flying Swordsman'']]([[2000年の映画|2000年]]、香港)- 李元覇
* {{仮リンク|狼たちの伝説 亜州黒社会戦争|zh|勝者為王 (2000年電影)}}(2000年、香港)- 草刈一雄
* {{仮リンク|狼たちの伝説 亜州黒社会戦争|zh|勝者為王 (2000年電影)}}(2000年、香港)- 草刈一雄
* [[キル・ビル]]([[2003年の映画|2003年]]、米)- 100代目[[服部半蔵]] 兼 [[剣術]]指導 <small>※[[第30回サターン賞]] [[第30回サターン賞#助演男優賞|助演男優賞]]。</small>
* [[キル・ビル]]([[2003年の映画|2003年]]、米)- 100代目[[服部半蔵]] 兼 [[剣術]]指導 <small>※[[第30回サターン賞]] [[第30回サターン賞#助演男優賞|助演男優賞]]。</small>
[[ファイル:千葉真一と松下順一.jpg|代替文=映画「爆裂都市」千葉真一と松下順一|サムネイル|[[2003年]]、『爆裂都市 / ''Explosive City''』の撮影に関する千葉真一と[[松下順一]]との打ち合わせ風景]]
* {{仮リンク|爆裂都市 (2004年の映画)|label=爆裂都市 / ''Explosive City''|en|Explosive City}}([[2004年の映画|2004年]]、香港)- ''Otosan''
* {{仮リンク|爆裂都市 (2004年の映画)|label=爆裂都市 / ''Explosive City''|en|Explosive City}}([[2004年の映画|2004年]]、香港)- ''Otosan''
* [[ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT|ワイルド・スピード''X3 TOKYO DRIFT'']]([[2006年の映画|2006年]]、米)- カマタ組長
* [[ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT|ワイルド・スピード''X3 TOKYO DRIFT'']]([[2006年の映画|2006年]]、米)- カマタ組長
* ''[[SUSHI GIRL]]''([[2012年の映画|2012年]]、米)- [[握り寿司#寿司職人|寿司職人]]
* ''[[SUSHI GIRL]]''([[2012年の映画|2012年]]、米)- [[握り寿司#寿司職人|寿司職人]]
* [[テイク・ア・チャンス〜アメリカの内弟子〜]]([[2015年の映画|2015年]]、米)- [[宮本武蔵]]
* [[テイク・ア・チャンス〜アメリカの内弟子〜]]([[2015年の映画|2015年]]、米)- [[宮本武蔵]]
* [[シェイクスピア・イン・トーキョー]]([[2018年の映画|2018年]]、[[オーストラリアの映画|豪]])- [[書家]]


=== テレビ ===
=== テレビ番組 ===
==== テレビ映画(国内) ====
==== テレビ映画 ====
<small>太字は[[主演]]や[[映画スタッフ|スタッフ兼務]]作品。</small>
{{Indent |<small>太字は[[主演]]や[[映画スタッフ|スタッフ兼務]]作品。</small>}}
* '''[[七色仮面|新 七色仮面]]([[1960年のテレビ (日本)|1960年]]、''[[毎日放送|MBS]]'')- 主演・二代目七色仮面 / 蘭光太郎'''
* '''[[七色仮面|新 七色仮面]]([[1960年のテレビ (日本)|1960年]]、''[[毎日放送]]'')- 主演・二代目七色仮面 / 蘭光太郎'''
* '''[[アラーの使者]](1960年、''NET'')- 主演・鳴海五郎 / アラーの使者'''
* '''[[アラーの使者]](1960年、''[[テレビ朝日|NET]]'')- 主演・鳴海五郎 / アラーの使者'''
* [[浅草の灯 (1937年の映画)|浅草の灯]]([[1963年のテレビ (日本)|1963年]]、''NET'')
* '''[[鉄道公安36号]]([[1964年のテレビ (日本)|1964年]]、''NET'')- 主演・早川公安官'''
* '''[[鉄道公安36号]]([[1964年のテレビ (日本)|1964年]]、''NET'')- 主演・早川公安官'''
** '''第53話「シグナルは赤だ」'''
** '''第53話「シグナルは赤だ」'''
766行目: 887行目:
** '''第78話「影ある牙」'''
** '''第78話「影ある牙」'''
** '''第79話「消えた荷箱」'''
** '''第79話「消えた荷箱」'''
* [[特別機動捜査隊]] 第207話「大都会 後編」(1965年、''NET'')- 小松刑事
* [[特別機動捜査隊]] 第207話「続・大都会」(1965年、''NET'')- 本人役
* '''[[暗闇五段|くらやみ五段]](1965年 - 1966年、''NET'')- 主演・倉見達也'''
* '''[[暗闇五段|くらやみ五段]](1965年 - 1966年、''NET'')- 主演・倉見達也'''
* '''[[キイハンター]]([[1968年のテレビ (日本)|1968年]] - [[1973年のテレビ (日本)|1973年]]、''TBS'')- 主演・風間洋介'''
* '''[[キイハンター]]([[1968年のテレビ (日本)|1968年]] - [[1973年のテレビ (日本)|1973年]]、''[[TBSテレビ|TBS]]'')- 主演・風間洋介'''
* [[特命捜査室]] 第9話「デートは殺しのタイム」([[1969年のテレビ (日本)|1969年]][[8月28日]]、''[[フジテレビジョン|CX]]'')
* [[特命捜査室]] 第9話「デートは殺しのタイム」([[1969年のテレビ (日本)|1969年]][[8月28日]]、''[[フジテレビジョン|フジテレビ]]'')
* [[柔道一直線#テレビドラマ版|柔道一直線]]''TBS''- 鷲尾
* [[柔道一直線#テレビドラマ版|柔道一直線]] (''TBS'') - 鷲尾
** 第41話「荒鷲よはばたけ! -高校とはなにか-」([[1970年のテレビ (日本)|1970年]][[4月5日]])
** 第41話「荒鷲よはばたけ! -高校とはなにか-」([[1970年のテレビ (日本)|1970年]][[4月5日]])
** 第45話「火の鳥よ翼を燃やせ -師とはなにか-」(1970年[[5月3日]])
** 第45話「火の鳥よ翼を燃やせ -師とはなにか-」(1970年[[5月3日]])
** 第68話「鬼車と講道館 -自信とはなにか-」(1970年[[10月18日]])
** 第68話「鬼車と講道館 -自信とはなにか-」(1970年[[10月18日]])
* [[刑事くん]]''TBS''- 矢吹刑事
* [[刑事くん]] (''TBS'') - 矢吹刑事
** 第一部第31話「きらめく星は我が胸に」([[1972年のテレビ (日本)|1972年]][[4月3日]])
** 第一部第31話「きらめく星は我が胸に」([[1972年のテレビ (日本)|1972年]][[4月3日]])
** 第二部第1話「ぼくたちの春」(1973年[[4月16日]])
** 第二部第1話「ぼくたちの春」(1973年[[4月16日]])
** 第二部第38話「輝かしき道へ」([[1974年のテレビ (日本)|1974年]][[1月7日]])
** 第二部第38話「輝かしき道へ」([[1974年のテレビ (日本)|1974年]][[1月7日]])
* [[ロボット刑事]]''CX''- 新條敬太郎
* [[ロボット刑事]] (''フジテレビ'') - 新條敬太郎
** 第1話「バドーの殺人セールスマン」(1973年[[4月5日]])
** 第1話「バドーの殺人セールスマン」(1973年[[4月5日]])
** 第2話「目撃者はゼロ」(1973年[[4月12日]])
** 第2話「目撃者はゼロ」(1973年[[4月12日]])
* '''サスペンスシリーズ / [[現代鬼婆考 殺愛]](1973年[[9月28日]]、''MBS'')- 主演・大庭しげ / 大庭しげ男'''
* '''サスペンスシリーズ / [[現代鬼婆考 殺愛]](1973年[[9月28日]]、''毎日放送'')- 主演・大庭しげ / 大庭しげ男'''
* '''[[ザ・ボディガード]](1974年、''NET'')- 主演・鷲見秀介'''
* '''[[ザ・ボディガード]](1974年、''NET'')- 主演・鷲見秀介'''
* '''[[ザ★ゴリラ7]]([[1975年のテレビ (日本)|1975年]]、''NET'')- 主演・風見大介'''
* '''[[ザ★ゴリラ7]]([[1975年のテレビ (日本)|1975年]]、''NET'')- 主演・風見大介'''
* '''[[燃える捜査網]](1975年 - [[1976年のテレビ (日本)|1976年]]、''NET'')- 主演・大神史郎'''
* '''[[燃える捜査網]](1975年 - [[1976年のテレビ (日本)|1976年]]、''NET'')- 主演・大神史郎'''
* '''[[大非常線]](1976年、''NET'')- 主演・五代正弘'''
* '''[[大非常線]](1976年、''NET'')- 主演・五代正弘'''
* '''[[柳生一族の陰謀#テレビ映画|柳生一族の陰謀]](1978年 - [[1979年のテレビ (日本)|1979年]]、''[[関西テレビ放送|KTV]]'')- 主演・[[柳生三厳|柳生十兵衛三厳]]'''
* '''[[柳生一族の陰謀#テレビ映画|柳生一族の陰謀]](1978年 - [[1979年のテレビ (日本)|1979年]]、''[[関西テレビ放送|関西テレビ]]'')- 主演・[[柳生三厳|柳生十兵衛三厳]]'''
* '''[[服部半蔵 影の軍団|影の軍団シリーズ]]''KTV'''''
* '''[[影の軍団シリーズ]] (''関西テレビ'')'''
** '''[[服部半蔵 影の軍団]]([[1980年のテレビ (日本)|1980年]])- 主演・三代目[[服部半蔵]]'''
** '''[[服部半蔵 影の軍団]]([[1980年のテレビ (日本)|1980年]])- 主演・三代目[[服部半蔵]]'''
** '''[[影の軍団II]](1981年 - [[1982年のテレビ (日本)|1982年]])- 主演・柘植新八'''
** '''[[影の軍団II]](1981年 - [[1982年のテレビ (日本)|1982年]])- 主演・柘植新八'''
793行目: 914行目:
** '''[[影の軍団IV]]([[1985年のテレビ (日本)|1985年]])- 主演・十五代目服部半蔵'''
** '''[[影の軍団IV]]([[1985年のテレビ (日本)|1985年]])- 主演・十五代目服部半蔵'''
** '''[[影の軍団 幕末編]](1985年)- 主演・十五代目服部半蔵'''
** '''[[影の軍団 幕末編]](1985年)- 主演・十五代目服部半蔵'''
* '''[[木曜ゴールデンドラマ|木曜ゴールデンドラマスペシャル]] / [[東京大地震マグニチュード8.1]](1980年[[4月17日]]、''[[讀賣テレビ放送|ytv]]'')- 主演・小林'''
* '''[[木曜ゴールデンドラマ|木曜ゴールデンドラマスペシャル]] / [[東京大地震マグニチュード8.1]](1980年[[4月17日]]、''[[讀賣テレビ放送|よみうりテレビ]]'')- 主演・小林'''
* '''[[柳生あばれ旅シリーズ]]''ANB''- 主演・柳生十兵衛三厳'''
* '''[[柳生あばれ旅シリーズ]] (''[[テレビ朝日]]'') - 主演・柳生十兵衛三厳'''
** '''[[柳生あばれ旅]](1980年 - [[1981年のテレビ (日本)|1981年]])'''
** '''[[柳生あばれ旅]](1980年 - [[1981年のテレビ (日本)|1981年]])'''
** '''[[柳生十兵衛あばれ旅]](1982年 - [[1983年のテレビ (日本)|1983年]])'''
** '''[[柳生十兵衛あばれ旅]](1982年 - [[1983年のテレビ (日本)|1983年]])'''
* [[警視庁殺人課]] 第1話「復讐のバラード」(1981年[[4月13日]]、''ANB'')-
* [[警視庁殺人課]] 第1話「復讐のバラード」(1981年[[4月13日]]、''テレビ朝日'')-
* [[宇宙刑事ギャバン]]''ANB''- ボイサー <small>※特別出演。</small>
* [[宇宙刑事ギャバン]] (''テレビ朝日'') - ボイサー <small>※特別出演。</small>
** 第1話「東京地底の怪要塞」(1982年[[3月5日]])<small>※写真のみでノンクレジット。</small>
** 第1話「東京地底の怪要塞」(1982年[[3月5日]])<small>※写真のみでノンクレジット。</small>
** 第11話「父は生きているのか?謎のSOS信号」(1982年[[6月4日]])<small>※写真のみでノンクレジット。</small>
** 第11話「父は生きているのか?謎のSOS信号」(1982年[[6月4日]])<small>※写真のみでノンクレジット。</small>
805行目: 926行目:
** 第43話「再会」(1983年[[2月18日]])
** 第43話「再会」(1983年[[2月18日]])
** 第44話「ドンホラーの首」(1983年[[2月25日]])<small>※ノンクレジット。</small>
** 第44話「ドンホラーの首」(1983年[[2月25日]])<small>※ノンクレジット。</small>
* [[宇宙刑事シャリバン]] 第15話「海鳴りの仕掛島」(1983年[[6月10日]]、''ANB'')- ボイサー <small>※ノンクレジット。</small>
* [[宇宙刑事シャリバン]] 第15話「海鳴りの仕掛島」(1983年[[6月10日]]、''テレビ朝日'')- ボイサー <small>※ノンクレジット。</small>
* '''[[水曜ロードショー (日本テレビ)|水曜ロードショー特別企画]] / [[素晴らしきサーカス野郎]]([[1984年のテレビ (日本)|1984年]][[1月4日]]、''[[日本テレビ放送網|NTV]]'')- 主演・前島大学 兼 [[企画]]'''
* '''[[水曜ロードショー (日本テレビ)|水曜ロードショー特別企画]] / [[素晴らしきサーカス野郎]]([[1984年のテレビ (日本)|1984年]][[1月4日]]、''[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]'')- 主演・前島大学 兼 [[企画]]'''
* [[TBS大型時代劇スペシャル]]''TBS''
* [[TBS大型時代劇スペシャル]] (''TBS'')
** [[太閤記 (1987年のテレビドラマ)|太閤記]]([[1987年のテレビ (日本)|1987年]])- [[明智光秀]]
** '''[[太閤記 (1987年のテレビドラマ)|太閤記]]([[1987年のテレビ (日本)|1987年]])- [[明智光秀]]'''
** [[徳川家康 (1988年のテレビドラマ)|徳川家康]]([[1988年のテレビ (日本)|1988年]])- [[石川数正]]
** '''[[徳川家康 (1988年のテレビドラマ)|徳川家康]]([[1988年のテレビ (日本)|1988年]])- [[石川数正]]'''
** [[織田信長 (1989年のテレビドラマ)|織田信長]]([[1989年のテレビ (日本)|1989年]])- [[織田信秀]]
** [[織田信長 (1989年のテレビドラマ)|織田信長]]([[1989年のテレビ (日本)|1989年]])- [[織田信秀]]
** [[源義経 (1990年のテレビドラマ)|源義経]](1990年)- 禅林坊覚日
** [[源義経 (1990年のテレビドラマ)|源義経]](1990年)- 禅林坊覚日
** [[武田信玄 (1991年のテレビドラマ)|武田信玄]]([[1991年のテレビ (日本)|1991年]])- [[武田信虎]]
** [[武田信玄 (1991年のテレビドラマ)|武田信玄]]([[1991年のテレビ (日本)|1991年]])- [[武田信虎]]
* [[新春時代劇スペシャル]]''ANB''
* [[新春時代劇スペシャル]] (''テレビ朝日'')
** [[家光と彦左と一心太助 天下の一大事]](1989年)- 柳生十兵衛三厳
** [[家光と彦左と一心太助 天下の一大事]](1989年)- 柳生十兵衛三厳
** [[新吾十番勝負]](1990年)- 梅井多門
** [[新吾十番勝負]](1990年)- 梅井多門
** [[戦国乱世の暴れん坊 斎藤道三 怒涛の天下取り]](1991年)- [[明智光綱]]
** [[戦国乱世の暴れん坊 斎藤道三 怒涛の天下取り]](1991年)- [[明智光綱]]
* '''[[時代劇スペシャル (フジテレビ)|時代劇スペシャル]] / [[十七人の忍者]](1990年[[10月10日]]、''CX'')- 主演・[[伊賀流|伊賀]]三ノ組 組頭 甚伍左 兼 監督補'''
* '''[[時代劇スペシャル (フジテレビ)|時代劇スペシャル]] / [[十七人の忍者 (テレビ映画)|十七人の忍者]](1990年[[10月10日]]、''フジテレビ'')- 主演・[[伊賀流|伊賀]]三ノ組 組頭 甚伍左 兼 監督補'''
* '''[[徳川無頼帳]]([[1992年のテレビ (日本)|1992年]]、''[[テレビ東京|TX]]'')- 主演・廓幻之介([[松平忠輝]]) 兼 監修'''
* '''[[徳川無頼帳]]([[1992年のテレビ (日本)|1992年]]、''[[テレビ東京]]'')- 主演・廓幻之介([[松平忠輝]]) 兼 監修'''
* [[森蘭丸〜戦国を駆け抜けた若獅子〜]]([[1993年のテレビ (日本)|1993年]][[8月10日]]、''TX'')- [[森可成|森三左衛門可成]]
* [[森蘭丸〜戦国を駆け抜けた若獅子〜]]([[1993年のテレビ (日本)|1993年]][[8月10日]]、''テレビ東京'')- [[森可成|森三左衛門可成]]


==== テレビドラマ(国内) ====
==== 国内ドラマ ====
* '''ドキュメンタリードラマ / [[指名手配 (テレビドラマ)|指名手配]] 第38回 [[悪魔の火]](1960年[[7月6日]]、''[[テレビ朝日|NET]]'')- 主演'''
* '''ドキュメンタリードラマ / [[指名手配 (ドキュメンタリードラマ)|指名手配]] 第38回悪魔の火(1960年[[7月6日]]、''NET'')- 主演'''
* [[日曜劇場|東芝日曜劇場]](''[[TBSテレビ|TBS]]'')
* [[浅草の灯 (1937年の映画)#テレビドラマ|浅草の灯]]([[1963年のテレビ (日本)|1963年]]、''NET'')
* [[日曜劇場|東芝日曜劇場]] (''TBS'')
** [[栄光の旗]] 前編([[1965年のテレビ (日本)|1965年]][[4月4日]])- 山中中尉
** [[栄光の旗]] 前編([[1965年のテレビ (日本)|1965年]][[4月4日]])- 山中中尉
** '''[[足で見る山]]([[1990年のテレビ (日本)|1990年]][[9月9日]])- 主演・倉橋'''
** '''[[足で見る山]]([[1990年のテレビ (日本)|1990年]][[9月9日]])- 主演・倉橋'''
* [[黄色い風土#テレビドラマ|黄色い風土]](1965年 - [[1966年のテレビ (日本)|1966年]]、''NET'')
* [[黄色い風土#テレビドラマ|黄色い風土]](1965年 - [[1966年のテレビ (日本)|1966年]]、''NET'')
* '''[[ナショナルゴールデン劇場]] / [[七色とんがらし]](1976年、''NET'')- 主演・鮫島鉄男'''
* '''[[ナショナルゴールデン劇場]] / [[七色とんがらし]](1976年、''NET'')- 主演・鮫島鉄男'''
* [[新伍とんでけ捕物帳]]([[1977年のテレビ (日本)|1977年]]、''TBS'')
* [[新伍とんでけ捕物帳]]([[1977年のテレビ (日本)|1977年]]、''TBS'')
* '''[[土曜ドラマ (NHK)|土曜ドラマ]] [[鎌田敏夫|鎌田敏夫シリーズ]] / [[十字路 (1978年のテレビドラマ)|十字路]]([[1978年のテレビ (日本)|1978年]]、''[[日本放送協会|NHK]]'')- 主演・木原潤三'''
* '''[[土曜ドラマ (NHK)|土曜ドラマ]] [[鎌田敏夫|鎌田敏夫シリーズ]] / [[十字路 (1978年のテレビドラマ)|十字路]]([[1978年のテレビ (日本)|1978年]]、''[[NHK総合テレビジョン|NHK総合]]'')- 主演・木原潤三'''
* [[土曜ワイド劇場]]
* [[土曜ワイド劇場]](''テレビ朝日'')
** '''[[想い出の海辺 パパ、ぼく死にたくない!!]](1978年[[9月9日]]、''[[テレビ朝日|ANB]]'')- 主演'''
** '''[[想い出の海辺 パパ、ぼく死にたくない!!]](1978年[[9月9日]])- 主演'''
** [[旅行けば連続殺人]](1988年[[7月16日]]、''ANB'')- 南条哲也
** [[旅行けば連続殺人]](1988年[[7月16日]])- 南条哲也
** [[OL潜入! ニッポン風俗名所]](1989年[[6月17日]]、''[[朝日放送テレビ|ABC]]'')- 岩田
** '''[[OL潜入! ニッポン風俗名所]](1989年[[6月17日]]、''[[朝日放送テレビ|朝日放送]]'')- 主演・岩田'''
* ドラマ ネットワーク 第3弾 / [[雪山讃歌・ある青春 〜 立てた! 滑れた!]](1978年[[10月28日]]、''CX'')-
* ドラマ ネットワーク 第3弾 / [[雪山讃歌・ある青春 〜 立てた! 滑れた!]](1978年[[10月28日]]、''フジテレビ'')-
* [[南十字星 コルネリアお雪異聞 わたしの山田長政]](1978年、''ABC'')- [[宮本武蔵]] <small>※[[特別出演]]。</small>
* [[南十字星 コルネリアお雪異聞 わたしの山田長政]](1978年、''朝日放送'')- [[宮本武蔵]] <small>※[[特別出演]]。</small>
* '''[[金曜ドラマ (TBS)|金曜ドラマ]] / [[深夜にようこそ]]([[1986年のテレビ (日本)|1986年]]、''TBS'')- 主演・村田耕三'''
* '''[[金曜ドラマ (TBS)|金曜ドラマ]] / [[深夜にようこそ]]([[1986年のテレビ (日本)|1986年]]、''TBS'')- 主演・村田耕三'''
* [[金曜女のドラマスペシャル]] / [[雪の朝に]](1987年[[5月1日]]、''CX'')- 坂本医師
* [[金曜女のドラマスペシャル]] / [[雪の朝に]](1987年[[5月1日]]、''フジテレビ'')- 坂本医師
* [[旅少女 (テレビドラマ)|旅少女]](1987年、''NHK'' ) - 石川猛志
* [[旅少女 (テレビドラマ)|旅少女]](1987年、''NHK総合'' ) - 石川猛志
* SAISON SPECIAL / [[秋のシナリオ]](1987年[[11月6日]]、''NTV'')- 辰巳プロデューサー
* SAISON SPECIAL / [[秋のシナリオ]](1987年[[11月6日]]、''日本テレビ'')- 辰巳プロデューサー
* '''[[シリーズ街]] / [[夢に見た日々]](1989年、''ANB'')- 主演・関本慎作'''
* '''[[シリーズ街]] / [[夢に見た日々]](1989年、''テレビ朝日'')- 主演・関本慎作'''
* [[土曜グランド劇場]] / [[聖龍伝説]]([[1996年のテレビ (日本)|1996年]]、''NTV'')- 冴木勇次
* [[土曜グランド劇場]] / [[聖龍伝説]]([[1996年のテレビ (日本)|1996年]]、''日本テレビ'')- 冴木勇次
* [[金曜時代劇]](''NHK'')
* [[金曜時代劇]](''NHK総合'')
** [[寺子屋ゆめ指南]]([[1997年のテレビ (日本)|1997年]])- 泉水又十郎
** [[寺子屋ゆめ指南]]([[1997年のテレビ (日本)|1997年]])- 泉水又十郎
** [[柳生十兵衛七番勝負]] 第5話「邪の剣光の剣」([[2005年のテレビ (日本)|2005年]])- 宮本武蔵
** [[柳生十兵衛七番勝負]] 第5話「邪の剣光の剣」([[2005年のテレビ (日本)|2005年]])- 宮本武蔵
* [[できちゃった結婚 (テレビドラマ)|できちゃった結婚]]([[2001年のテレビドラマ (日本)|2001年]]、''CX'')- 小谷一徹
* [[できちゃった結婚 (テレビドラマ)|できちゃった結婚]]([[2001年のテレビドラマ (日本)|2001年]]、''フジテレビ'')- 小谷一徹
* [[アストロ球団 (テレビドラマ)|アストロ球団]](2005年、''[[テレビ朝日|EX]]'')- J. シュウロ
* [[アストロ球団 (テレビドラマ)|アストロ球団]](2005年、''テレビ朝日'')- J. シュウロ
* [[大河ドラマ]] / [[風林火山 (NHK大河ドラマ)|風林火山]]([[2007年のテレビ (日本)|2007年]]、''NHK'')- [[板垣信方]]
* [[大河ドラマ]] / [[風林火山 (NHK大河ドラマ)|風林火山]]([[2007年のテレビ (日本)|2007年]]、''NHK総合'')- [[板垣信方]]
* [[木曜ミステリーシアター]] / [[秘密諜報員 エリカ]] #13 最終話([[2011年のテレビ (日本)|2011年]][[12月29日]]、''ytv'')- 聖フランシスコ教会の牧師 <small>※[[友情出演]]。</small>
* [[木曜ミステリーシアター]] / [[秘密諜報員 エリカ]] #13 最終話([[2011年のテレビ (日本)|2011年]][[12月29日]]、''読売テレビ'')- 聖フランシスコ教会の牧師 <small>※[[友情出演]]。</small>
* '''[[プレミアムよるドラマ]] / [[おわこんTV]]([[2014年のテレビ (日本)|2014年]]、''[[NHK BSプレミアム|BS-P]]'')- 主演・荒巻源次郎''' <small>※[[文化庁芸術祭賞|文化庁芸術祭参加作品]]<ref name = 芸術祭/>。</small>
* '''[[プレミアムよるドラマ]] / [[チョコレートTV#テレビドラマ|おわこん''TV'']]([[2014年のテレビ (日本)|2014年]]、''[[NHK BSプレミアム|NHK BSP]]'')- 主演・荒巻源次郎''' <small>※[[文化庁芸術祭賞|文化庁芸術祭参加作品]]<ref name = 芸術祭/>。</small>


==== 海外ドラマ ====
==== 海外ドラマ ====
857行目: 979行目:
==== ドキュメンタリー ====
==== ドキュメンタリー ====
* 千葉真一 4,000メートルの[[:w:Mammoth Mountain|マンモスマウンテン]]を滑る([[1974年のテレビ (日本)|1974年]][[5月6日]]、[[テレビ東京|東京''12ch'']])
* 千葉真一 4,000メートルの[[:w:Mammoth Mountain|マンモスマウンテン]]を滑る([[1974年のテレビ (日本)|1974年]][[5月6日]]、[[テレビ東京|東京''12ch'']])
* アクションスターはこうして作る!! -汗と涙の特訓合宿-([[1985年のテレビ (日本)|1985年]]、''[[日本テレビ|NTV]]'')
* アクションスターはこうして作る!! -汗と涙の特訓合宿-([[1985年のテレビ (日本)|1985年]]、''日本テレビ'')
* なんだ、こいつら。''JAC''スーパーアクション in 激突([[1989年]]、[[東映ビデオ]])
* なんだ、こいつら。''JAC''スーパーアクション in 激突([[1989年]]、[[東映ビデオ]])
* ''[[Japanorama]]''「伝説〔''Legends''〕」([[2007年]][[4月9日]]、''[[英国放送協会|BBC]]'')
* ''[[Japanorama]]''「伝説〔''Legends''〕」([[2007年]][[4月9日]]、''[[英国放送協会|BBC]]'')
863行目: 985行目:
==== 情報 ====
==== 情報 ====
; [[紀行番組|紀行]]・[[旅番組]]
; [[紀行番組|紀行]]・[[旅番組]]
* [[いい旅・夢気分]](''[[テレビ東京|TX]]'')<small>※各年の夏に家族で出演。</small>
* [[いい旅・夢気分]](''テレビ東京'')<small>※各年の夏に家族で出演。</small>
** [[2005年のテレビ (日本)|2005年]] - [[五島列島]]の[[旅]]
** [[2005年のテレビ (日本)|2005年]] - [[五島列島]]の[[旅]]
** [[2006年のテレビ (日本)|2006年]] - [[知床半島]]の旅
** [[2006年のテレビ (日本)|2006年]] - [[知床半島]]の旅
870行目: 992行目:


; [[情報番組|情報]]・[[ワイド番組]]
; [[情報番組|情報]]・[[ワイド番組]]
* [[リビング2]] 千葉真一のハッスル料理([[1977年のテレビ (日本)|1977年]][[5月3日]]、''[[フジテレビ|CX]]'')
* [[リビング2]] 千葉真一のハッスル料理([[1977年のテレビ (日本)|1977年]][[5月3日]]、''フジテレビ'')
* [[やじうまテレビ!]] 千葉真一の金曜ハンター([[2013年のテレビ (日本)|2013年]]、''[[テレビ朝日|EX]]'')- [[コメンテーター]] <small>※毎週[[金曜日]]レギュラー。</small>
* [[やじうまテレビ!]] 千葉真一の金曜ハンター([[2013年のテレビ (日本)|2013年]]、''テレビ朝日'')- [[コメンテーター]] <small>※毎週[[金曜日]]レギュラー。</small>


; [[ニュース番組|ニュース]]・[[教養番組]]
; [[ニュース番組|ニュース]]・[[教養番組]]
879行目: 1,001行目:


=== 演劇 ===
=== 演劇 ===
<small>太字は[[主演]]や[[映画スタッフ|スタッフ兼務]]作品。</small>
{{Indent |<small>太字は[[主演]]や[[映画スタッフ|スタッフ兼務]]作品。</small>}}
* '''[[柳生十兵衛 魔界転生]]([[1981年]][[7月3日]] - [[7月28日]]、[[新宿コマ劇場]])- 主演・[[柳生三厳|柳生十兵衛光厳]]<ref group = 注釈 name = 光厳/>''' <small>※第1回''[[ジャパンアクションクラブ|JAC]]''[[ミュージカル]]『[[スタントマン物語]]』と同時上演。</small>
* '''[[柳生十兵衛 魔界転生]]([[1981年]][[7月3日]] - [[7月28日]]、[[新宿コマ劇場]])- 主演・[[柳生三厳|柳生十兵衛光厳]]{{Efn |name = 光厳 }}''' <small>※第1回''[[ジャパンアクションクラブ|JAC]]''[[ミュージカル]]『[[スタントマン物語]]』と同時上演。</small>
* '''[[ゆかいな海賊大冒険]] - 主演・ダイダロス船長 兼 [[演出]]'''
* '''[[ゆかいな海賊大冒険]] - 主演・ダイダロス船長 兼 [[演出]]'''
** '''([[1982年]]、新宿コマ劇場)'''<small>※第2回''JAC''ミュージカル。</small>
** '''([[1982年]]、新宿コマ劇場)'''<small>※第2回''JAC''ミュージカル。</small>
891行目: 1,013行目:
* ''[[バイオハザードシリーズ#舞台|BIOHAZARD THE STAGE]]''([[2015年]][[10月22日]] - [[11月1日]]、''[[EX THEATER ROPPONGI]]'')- エズラ・セネット
* ''[[バイオハザードシリーズ#舞台|BIOHAZARD THE STAGE]]''([[2015年]][[10月22日]] - [[11月1日]]、''[[EX THEATER ROPPONGI]]'')- エズラ・セネット


=== Vシネマ ===
=== ''OV'' ===
<small>海外で公開された作品、シリーズに映画とOV両方がある作品は[[#映画]]を参照。</small>
{{Indent |<small>海外で公開された作品、シリーズに映画とOV両方がある作品は[[#映画]]を参照。</small>}}
* [[悲しきヒットマン|悲しきヒットマン 蒼き狼]]([[2001年]]、[[GPミュージアムソフト|GPミュージアム]])- 龍神会組長 三好
* [[悲しきヒットマン|悲しきヒットマン 蒼き狼]]([[2001年]]、[[GPミュージアムソフト|GPミュージアム]])- 龍神会組長 三好
* [[悪名|悪名 シリーズ]]([[シネマパラダイス]]<!--的場浩司版-->)全2作 - 黒島東洋蔵
* 殺しの軍団シリーズ([[シネマパラダイス]]- 神羅組組長 神羅忠次郎
** [[悪名|悪名 AKUMYOH]](2001年)
** [[悪名2 〜荒ぶる喧嘩魂〜]]([[2002年]])
* 殺しの軍団 シリーズ(シネマパラダイス)全2作 - 神羅組組長 神羅忠次郎
** [[殺しの軍団]](2001年8月)
** [[殺しの軍団]](2001年8月)
** [[殺しの軍団 関西制圧への道]](2001年10月)
** [[殺しの軍団 関西制圧への道]](2001年10月)
* [[浪商のヤマモトじゃ!|浪商のヤマモトじゃ! 喧嘩野球編]]([[2003年]]、GPミュージアム)
* [[浪商のヤマモトじゃ!|浪商のヤマモトじゃ! 喧嘩野球編]]([[2003年]]、GPミュージアム)
* [[実録・九州やくざ烈伝 兇健と呼ばれた男]](2003年、シネマパラダイス) - 雄仁会初代会長 大賀磯治
* [[実録・九州やくざ烈伝 兇健と呼ばれた男]](2003年、シネマパラダイス)- 雄仁会初代会長 大賀磯治
* [[新・日本の首領|新・日本の首領 シリーズ]]([[2004年]]、シネマパラダイス) - 二代目辰野会舎弟頭 高野松雄
* [[新・日本の首領|新・日本の首領シリーズ]]([[2004年]]、シネマパラダイス)- 二代目辰野会舎弟頭 高野松雄
** [[新・日本の首領]]
** [[新・日本の首領]]
** [[新・日本の首領#新・日本の首領II 非情篇|新・日本の首領II 非情篇]]
** [[新・日本の首領#新・日本の首領II 非情篇|新・日本の首領II 非情篇]]
** [[新・日本の首領#新・日本の首領III 激闘篇|新・日本の首領III 激闘篇]]
** [[新・日本の首領#新・日本の首領III 激闘篇|新・日本の首領III 激闘篇]]
* [[実録九州やくざ抗争 誠への道|実録九州やくざ抗争 誠への道シリーズ]]([[2006年]]・[[2007年]]、GPミュージアム)全2作 - 雄仁会初代会長 大賀磯治 <small>※[[特別出演]]。</small>
* [[実録九州やくざ抗争 誠への道|実録九州やくざ抗争 誠への道シリーズ]](GPミュージアム)- 雄仁会初代会長 大賀磯治 <small>※[[特別出演]]。</small>
** 実録・九州やくざ抗争 誠への道(2006年)
** 実録・九州やくざ抗争 誠への道([[2006]]
** 実録・九州やくざ抗争 誠への道 完結編(2007年)
** 実録・九州やくざ抗争 誠への道 完結編([[2007]]
* [[千年の松|千年の松 シリーズ]](GPミュージアム)全2作 - 元関根組組長 関根
* [[千年の松|千年の松シリーズ]](GPミュージアム)- 元関根組組長 関根
** [[千年の松]]([[2009年]]2月)
** [[千年の松]]([[2009年]]2月)
** 千年の松 完結篇(2009年4月)
** 千年の松 完結篇(2009年4月)
* [[極道の紋章|極道の紋章 第十八章]]([[2012年]]、[[オールインエンタテインメント]]) - 九州 白浜一家総長 城島誠太郎 <small>※特別出演</small>
* [[極道の紋章|極道の紋章 第十八章]]([[2012年]]、[[オールインエンタテインメント]])- 九州 白浜一家総長 城島誠太郎 <small>※特別出演</small>
* [[首領の道]]678・9([[2013年]]、オールインエンタテインメント) - 東和総業総長 高木レイホウ
* [[首領の道|首領の道6, 7, 8, 9]]([[2013年]]、オールインエンタテインメント)- 東和総業総長 高木レイホウ
* [[関東極道連合会]]1・2([[2014年]]・[[2015年]]、オールインエンタテインメント) - 博徒集団国士会会長 守川
* [[関東極道連合会|関東極道連合会1, 2]][[2014年]]・[[2015年]]、オールインエンタテインメント)- 博徒集団国士会会長 守川
* [[頂点てっぺん)]]12・3([[2017年]]、オールインエンタテインメント)全3作 - 藤倉
* [[頂点 (てっぺん)|頂点 (てっぺん)1, 2, 3]]([[2017年]]、オールインエンタテインメント)- 藤倉


=== ライブ ===
=== ライブ ===
923行目: 1,042行目:
=== 声優 ===
=== 声優 ===
; レコード
; レコード
* [[ザ★ゴリラ7#サウンドトラック|風見大介の危機]]([[1975年]]、[[テイチクレコード]])
* [[ザ★ゴリラ7#サウンドトラック|風見大介の危機]]([[1975年]]、[[テイチクエンタテインメント|テイチクレコード]])


; ラジオドラマ
; ラジオドラマ
* [[セイ!ヤング|セイ!ヤングスペシャル]] [[宇宙からのメッセージ]]([[1978年]][[4月19日]]、''[[文化放送|QR]]'')- ハンス王子
* [[セイ!ヤング|セイ!ヤングスペシャル]] [[宇宙からのメッセージ]]([[1978年]][[4月19日]]、''[[文化放送]]'')- ハンス王子


; 語り手
; 語り手
* [[少林寺 (映画)|少林寺]]([[1982年]])- [[ナレーション]] <small>※[[日本]]で[[2005年]][[8月3日]]に発売されたアルティメット・エディションDVD</small>
* [[少林寺 (映画)#キャスト|少林寺]] - [[ナレーション]] <small>※日本で[[2005年]][[8月3日]]に発売されたアルティメット・エディションDVD</small>
* [[BS時代劇]] / [[猿飛三世]]([[2012年のテレビ (日本)|2012年]]、''[[NHK BSプレミアム|BS-P]]'')- 初代[[猿飛佐助]]
* [[BS時代劇]] / [[猿飛三世]]([[2012年のテレビ (日本)|2012年]]、''[[NHK BSプレミアム|NHK BSP]]'')- 初代[[猿飛佐助]]


=== 肖像 ===
=== 肖像 ===
; 小説
; 小説
* 過去のない男・胡蝶幻太郎探偵シリーズ([[1971年]]4月号 - [[1972年]]3月号、[[学研ホールディングス|学研]])- 胡蝶幻太郎 <small>※『[[中一コース]]』に連載された[[ミステリ]]。</small>
* 過去のない男・胡蝶幻太郎探偵シリーズ([[1971年]]4月号 - [[1972年]]3月号、[[Gakken|学研]])- 胡蝶幻太郎 <small>※『[[中一コース]]』に連載された[[ミステリ]]。</small>


; レコードジャケット
; レコードジャケット
* [[ザ★ゴリラ7#サウンドトラック|ザ・ゴリラ7のテーマ]]([[1975年]]、[[テイチクレコード]])
* [[ザ★ゴリラ7#サウンドトラック|ザ・ゴリラ7のテーマ]]([[1975年]]、[[テイチクエンタテインメント|テイチクレコード]])
* [[渥美二郎#シングル|空手道]](1975年<!-- 8月 -->、[[ワーナー・パイオニア]])
* [[渥美二郎#シングル|空手道]](1975年<!-- 8月 -->、[[ワーナーミュージック・ジャパン|ワーナー・パイオニア]])
* [[光と影のバラード]]([[1981年]]<!-- 10月 -->、[[バンダイ・ミュージックエンタテインメント|''SMS Records'']])
* [[光と影のバラード]]([[1981年]]<!-- 10月 -->、[[バンダイ・ミュージックエンタテインメント|''SMS Records'']])


=== CM ===
=== ''CM'' ===
* [[トヨタ自動車]] - [[トヨタ・カリーナ]]([[1970年]] - [[1988年]])<small>※初代から4代目まで<ref>{{Cite web |和書 |url = https://bestcarweb.jp/feature/column/263549?prd=2 |title = セダンの良心がまたひとつ消える プレミオアリオン生産終了 コロナとカリーナの光と影 |accessdate = 2021-03-28 |author = ベストカーWeb編集部オオハシ |date = 2021-01-11 |website = [[ベストカー|ベストカーWeb]] |publisher = [[講談社ビーシー]] |page = 2 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210328100419/https://bestcarweb.jp/feature/column/263549?prd=2 |archivedate = 2021-03-28 |url-status = live }}</ref>。</small>
* [[トヨタ自動車]] - [[トヨタ・カリーナ]]([[1970年]] - [[1988年]])<small>※初代から4代目まで<ref>{{Cite web |和書 |url = https://bestcarweb.jp/feature/column/263549?prd=2 |title = セダンの良心がまたひとつ消える プレミオ&アリオン生産終了 コロナとカリーナの光と影 |accessdate = 2021-03-28 |author = ベストカーWeb編集部オオハシ |date = 2021-01-11 |website = [[ベストカー|ベストカーWeb]] |publisher = [[講談社ビーシー]] |page = 2 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20210328100419/https://bestcarweb.jp/feature/column/263549?prd=2 |archivedate = 2021-03-28 |url-status = live }}</ref>。</small>
* [[日本盛]] - 清酒 日本盛(1970年 - [[1971年]])
* [[日本盛]] - 清酒 日本盛(1970年 - [[1971年]])
* [[オリエント時計]] - 液晶クオーツ([[1976年]] - [[1978年]])
* [[オリエント時計]] - 液晶クオーツ([[1976年]] - [[1978年]])
* [[ハウス食品]] - [[ジャワカレー]](1976年 - [[1982年]]) <small>※[[野際陽子]]と共演。</small>
* [[ハウス食品]] - [[ジャワカレー]](1976年 - [[1985年]]) <small>※[[野際陽子]]と共演。</small>
* [[オエノンホールディングス|合同酒精]] - ワリッカ([[1979年]] - [[1984年]])
* [[オエノンホールディングス|合同酒精]] - ワリッカ([[1979年]] - [[1984年]])
* [[PHILIPS]] - フィリシェーブ([[1981年]] - 1982年<ref>{{Cite journal |和書 |date = 1982-06-05 |title = おとこ達よ 野性の切れ味を忘れるな |journal = [[週刊宝石]] |volume = 2 |issue = 23 |page = 2 |publisher = [[光文社]] }}</ref>)
* [[PHILIPS]] - フィリシェーブ([[1981年]] - 1982年<ref>{{Cite journal |和書 |date = 1982-06-05 |title = おとこ達よ 野性の切れ味を忘れるな |journal = [[週刊宝石]] |volume = 2 |issue = 23 |page = 2 |publisher = [[光文社]] }}</ref>)
975行目: 1,094行目:


== 監督・演出・監修 ==
== 監督・演出・監修 ==
<small>出演兼務の作品は[[#出演]]を参照。</small>
{{Indent |<small>出演兼務の作品は[[#出演]]を参照。</small>}}
; 映画
; 映画
* [[燃える勇者]]([[1981年]]、[[東映]])- [[アクション映画|アクション]][[監修]]
* [[燃える勇者]]([[1981年]]、[[東映]])- [[アクション映画|アクション]][[監修]]
987行目: 1,106行目:
* 斬([[2011年]])- [[徳島県|徳島産]]・[[芋焼酎]]の監修
* 斬([[2011年]])- [[徳島県|徳島産]]・[[芋焼酎]]の監修


== 楽 ==
== 楽 ==
<small>太字は[[作曲]]兼務。声の出演は[[#声優]]を、写真のみの出演は[[#肖像]]を、それぞれ参照。</small>
{{Indent |<small>太字は[[作曲]]兼務。声の出演は[[#声優]]を、写真のみの出演は[[#肖像]]を、それぞれ参照。</small>}}
<!-- 千葉真一の楽曲でない他人の曲を載せないでください。作詞・作曲・規格などの情報は、Wikipedia日本語版に無い楽曲のみを載せてください。 -->
<!-- 千葉真一の楽曲でない他人の曲を載せないでください。作詞・作曲・規格などの情報は、Wikipedia日本語版に無い楽曲のみを載せてください。 -->
; シングル
; シングル
1,002行目: 1,121行目:
* [[太陽に突っ走れ#主題歌・挿入歌|太陽も笑っている]](1966年、[[徳間ジャパンコミュニケーションズ|ミノルフォン]])
* [[太陽に突っ走れ#主題歌・挿入歌|太陽も笑っている]](1966年、[[徳間ジャパンコミュニケーションズ|ミノルフォン]])
* [[太陽に突っ走れ#主題歌・挿入歌|妻に捧げる歌]](1966年、ミノルフォン)
* [[太陽に突っ走れ#主題歌・挿入歌|妻に捧げる歌]](1966年、ミノルフォン)
* [[握手をしよう]]{{Efn |name = 下沢 |千葉真一と[[真田広之|下沢広之]]名義だが、下沢はセリフのみ。}}{{Efn |作詞:[[高田そうか]]、作曲:[[北村得夫]]、編曲:[[小町昭]]、規格:[[コンパクト盤|EP]]、規格品番:BS-818。}}([[1968年の音楽|1968年]]、[[キングレコード]])
* [[握手をしよう]]{{Efn |name = 下沢 |千葉真一と[[真田広之|下沢広之]]名義だが、下沢はセリフのみ。}}{{Efn |作詞:[[高田そうか]]、作曲:[[北村得夫]]、編曲:[[小町昭]]、規格:[[コンパクト盤|EP]]、規格品番:BS-818。}}([[1968年の音楽|1968年]]、[[キングレコード]])
* [[母のひざはゆりかご]]{{Efn |name = 下沢}}{{Efn |作詞:[[山北由希夫]]、作曲・編曲:小町昭。}}(1968年、キングレコード)<small>※楽曲「握手をしよう」のB面。</small>
* [[母のひざはゆりかご]]{{Efn |name = 下沢}}{{Efn |作詞:[[山北由希夫]]、作曲・編曲:小町昭。}}(1968年、キングレコード)<small>※楽曲「握手をしよう」のB面。</small>
* [[男の子守唄 (千葉真一の曲)|男の子守唄]](1968年、キングレコード)
* [[男の子守唄 (千葉真一の曲)|男の子守唄]](1968年、キングレコード)
1,008行目: 1,127行目:
* [[一匹狼 (千葉真一の曲)|一匹狼]]([[1970年の音楽|1970年]]、キングレコード)
* [[一匹狼 (千葉真一の曲)|一匹狼]]([[1970年の音楽|1970年]]、キングレコード)
* [[白いワゴン]](1970年、キングレコード)
* [[白いワゴン]](1970年、キングレコード)
* [[俺たちに墓はないから]]{{Efn |作詞:[[風間陽介]]、作曲・編曲:[[北村得夫]]、規格:EP、規格品番:BS-1203。}}(1970年、キングレコード)<small>※映画『[[やくざ刑事 俺たちに墓はない]]』の主題歌。</small>
* [[俺たちに墓はないから]]{{Efn |作詞:[[風間陽介]]、作曲・編曲:[[北村得夫]]、規格:EP、規格品番:BS-1203。}}(1970年、キングレコード)<small>※『[[やくざ刑事 俺たちに墓はない]]』の主題歌。</small>
* [[夕日に立つ乙女]]{{Efn |作詞:[[名村宏]]、作曲:[[江口浩司]]、編曲:[[森岡賢一郎]]。}}(1970年、キングレコード)<small>※楽曲「俺たちに墓はないから」のB面。</small>
* [[夕日に立つ乙女]]{{Efn |作詞:[[名村宏]]、作曲:[[江口浩司]]、編曲:[[森岡賢一郎]]。}}(1970年、キングレコード)<small>※楽曲「俺たちに墓はないから」のB面。</small>
* [[野良犬のブルース]]([[1971年の音楽|1971年]]、キングレコード)
* [[野良犬のブルース]]([[1971年の音楽|1971年]]、キングレコード)
* [[白い月の浜辺]](1971年、キングレコード)
* [[白い月の浜辺]](1971年、キングレコード)
* [[葬いは俺が出す]]{{Efn |作詞:[[及川恒平]]、作曲:[[小室等]]、編曲:[[寺島尚彦]]、規格:EP、規格品番:BS-1581。}}([[1972年の音楽|1972年]]、キングレコード)<small>※映画『[[狼やくざ 葬いは俺が出す]]』の主題歌。</small>
* [[葬いは俺が出す]]{{Efn |作詞:[[及川恒平]]、作曲:[[小室等]]、編曲:[[寺島尚彦]]、規格:EP、規格品番:BS-1581。}}([[1972年の音楽|1972年]]、キングレコード)<small>※『[[狼やくざ 葬いは俺が出す]]』の主題歌。</small>
* [[母を亡くした禿鷹よ]]{{Efn |作詞:[[太田浩児]]、作曲・編曲:[[桜庭伸幸]]。}}(1972年、キングレコード)<small>※楽曲「葬いは俺が出す」のB面。</small>
* [[母を亡くした禿鷹よ]]{{Efn |作詞:[[太田浩児]]、作曲・編曲:[[桜庭伸幸]]。}}(1972年、キングレコード)<small>※楽曲「葬いは俺が出す」のB面。</small>
* [[流れ唄]]([[1973年の音楽|1973年]]、キングレコード)
* [[流れ唄]]([[1973年の音楽|1973年]]、キングレコード)
* [[街角のエトランゼ]](1973年、キングレコード)
* [[街角のエトランゼ]](1973年、キングレコード)
* [[燃える捜査網#主題歌|旅人ひとり]]([[1975年の音楽|1975年]]、[[テイチクレコード]])
* [[燃える捜査網#主題歌|旅人ひとり]]([[1975年の音楽|1975年]]、[[テイチクエンタテインメント|テイチクレコード]])
* [[限りなき愛 〜千葉真一のラブテーマ〜]]([[1976年の音楽|1976年]]、テイチクレコード)
* [[限りなき愛 〜千葉真一のラブテーマ〜]]([[1976年の音楽|1976年]]、テイチクレコード)
* [[小さな旅立ち]](1976年、テイチクレコード)
* [[小さな旅立ち]](1976年、テイチクレコード)
* '''[[曠野 (曲)|曠野]]([[1985年の音楽|1985年]]、[[バップ・レコード|VAP]])'''
* '''[[曠野 (曲)|曠野]]([[1985年の音楽|1985年]]、[[バップ|VAP]])'''
* [[影 (千葉真一の曲)|影]](1985年、VAP)
* [[影 (千葉真一の曲)|影]](1985年、VAP)
* [[粋な関係]]([[2020年の音楽|2020年]]、[[日本コロムビア]])<small>※楽曲「ごめんね大丈夫」のB面、[[清水節子]]とのデュエット。</small>
* [[粋な関係]]([[2020年の音楽|2020年]]、[[日本コロムビア]])<small>※楽曲「ごめんね大丈夫」のB面、[[清水節子]]とのデュエット。</small>
1,036行目: 1,155行目:
== 著書 ==
== 著書 ==
* {{Cite book |和書 |author = 千葉真一 |title = 千葉ちゃんのスポーツ特訓 |edition = 初版 |date = 1977-05-25 |publisher = ''[[廣済堂出版|KOUSAIDO BOOKS]]'' |ncid = BA71724274 |asin = B000J8VCIM |ref = 千葉1977 }}
* {{Cite book |和書 |author = 千葉真一 |title = 千葉ちゃんのスポーツ特訓 |edition = 初版 |date = 1977-05-25 |publisher = ''[[廣済堂出版|KOUSAIDO BOOKS]]'' |ncid = BA71724274 |asin = B000J8VCIM |ref = 千葉1977 }}
* {{Cite book |和書 |author = 千葉真一 |title = 千葉真一 改め 和千永倫道 |edition = 初版第1刷 |date = 2008-05-05 |publisher = [[山と渓谷社]] |isbn = 4635340228 |oclc = 227283266 |ref = 千葉2008 }}
* {{Cite book |和書 |author = 千葉真一 |title = 千葉真一 改め 和千永倫道 |edition = 初版第1刷 |date = 2008-05-05 |publisher = [[山と渓谷社]] |isbn = 4635340228 |ncid = BA86797533 |oclc = 676579933 |ref = 千葉2008 }}
* {{Cite book |和書 |author = 千葉真一 |title = 千葉流 サムライへの道 |edition = 初版第1刷 |date = 2010-09-20 |publisher = [[ぶんか社]] |isbn = 4821142694 |oclc = 662404923 |ref = 千葉2010 }}
* {{Cite book |和書 |author = 千葉真一 |title = 千葉流 サムライへの道 |edition = 初版第1刷 |date = 2010-09-20 |publisher = [[ぶんか社]] |isbn = 4821142694 |ncid = BB04246411 |oclc = 662404923 |ref = 千葉2010 }}
* {{Cite book |和書 |author = 千葉真一 |title = DVD BOOK 千葉真一のキッズアクション入門 |edition = 第1版第1刷 |date = 2014-08-01 |publisher = [[ベースボールマガジン社]] |isbn = 4583107390 |oclc = 889958889 }} <small>※監修</small>
* {{Cite book |和書 |author = 千葉真一 |title = DVD BOOK 千葉真一のキッズアクション入門 |edition = 第1版第1刷 |date = 2014-08-01 |publisher = [[ベースボールマガジン社]] |isbn = 4583107390 |ncid = BB16576311 |oclc = 889958889 }} <small>※監修</small>
* {{Cite book |和書 |author = 千葉真一 |others = 米谷紳之介 |title = 侍役者道 &#12316;我が息子たちへ&#12316; |edition = 第1刷 |date = 2021-12-25 |publisher = [[双葉社]] |isbn = 4575316849 |oclc = 1289471537 |ref = 取材を終えて }}
* {{Cite book |和書 |author = 千葉真一 |others = 米谷紳之介 |title = 侍役者道 &#12316;我が息子たちへ&#12316; |edition = 第1刷 |date = 2021-12-25 |publisher = [[双葉社]] |isbn = 4575316849 |ncid = BC11691149 |oclc = 1289471537 |ref = 侍役者 }}


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
:<small>※異なる頁を複数参照をしている文献のみ。発表年順。</small>
{{Indent |<small>※異なる頁を複数参照をしている文献のみ。出版年順。</small>}}
* {{Cite journal |和書 |date = 1969-08-05 |title = 追跡ルポ / チバシンのモーレツ24時間 |journal = [[月刊平凡]] |volume = 25 |issue = 8 |publisher = [[平凡出版]] |ref = モーレツ24 }}
* {{Cite journal |和書 |date = 1969-08-05 |title = 追跡ルポ / チバシンのモーレツ24時間 |journal = [[月刊平凡]] |volume = 25 |issue = 8 |publisher = [[平凡出版]] |ref = モーレツ24 }}
* {{Cite journal |和書 |date = 1969-10-15 |title = 千葉真一特集号 デビュー10周年 / アクションとともに! |journal = 近代映画 |volume = |issue = 10月号臨時増刊 |publisher = [[近代映画社]] |ref = 近代196910 }}
* {{Cite journal |和書 |date = 1969-10-15 |title = 千葉真一特集号 デビュー10周年 / アクションとともに! |journal = [[近代映画社|近代映画]] |volume = |issue = 10月号臨時増刊 |publisher = [[近代映画社]] |ref = 近代196910 }}
* {{Cite journal |和書 |date = 1969-12-01 |journal = 月刊平凡 |volume = 25 |issue = 12 |publisher = 平凡出版 |ref = 平凡69121 }}
* {{Cite journal |和書 |date = 1969-12-01 |journal = 月刊平凡 |volume = 25 |issue = 12 |publisher = 平凡出版 |ref = 平凡69121 }}
* {{Cite journal |和書 |date = 1970-03-01 |title = 今月のズームアップ / 20人が証言する裸の千葉真一 |journal = 月刊平凡 |volume = 26 |issue = 3 |publisher = 平凡出版 |ref = 20人が証言 }}
* {{Cite journal |和書 |date = 1970-03-01 |title = 今月のズームアップ / 20人が証言する裸の千葉真一 |journal = 月刊平凡 |volume = 26 |issue = 3 |publisher = 平凡出版 |ref = 20人が証言 }}
* {{Cite book |和書 |author = 大山倍達 |authorlink = 大山倍達 |title = わがカラテ革命 |publisher = [[講談社]] |date = 1979-11-09 |edition = 第3刷 |isbn = 4061241931 |oclc = 673398027 |ref = なぜ勝つ }}
* {{Cite book |和書 |author = 大山倍達 |authorlink = 大山倍達 |title = わがカラテ革命 |edition = 第3刷 |publisher = [[講談社]] |date = 1979-11-09 |isbn = 4061241931 |ncid = BN09107621 |oclc = 673398027 |ref = なぜ勝つ }}
* {{Cite book |和書 |title = [[戦国自衛隊 (映画)|戦国自衛隊]] |publisher = [[角川映画|角川春樹事務所]] |date = 1979-12-15 |asin = B004M0T1C2 |ref = パンフ戦国 }}
* {{Cite book |和書 |title = [[戦国自衛隊 (映画)|戦国自衛隊]] |publisher = [[角川映画|角川春樹事務所]] |date = 1979-12-15 |asin = B004M0T1C2 |ref = パンフ戦国 }}
* {{Cite book |和書 |title = [[魔界転生#1981年|魔界転生]] |publisher = 角川春樹事務所 / [[東映]] |date = 1981-06-06 |asin = B077C161LY |ref = パンフ魔界 }}
* {{Cite book |和書 |title = [[魔界転生#1981年|魔界転生]] |publisher = 角川春樹事務所 / [[東映]] |date = 1981-06-06 |asin = B077C161LY |ref = パンフ魔界 }}
* {{Cite book |和書 |title = [[冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-]] |publisher = 東映 |date = 1981-11-07 |asin = B0076JWROK |ref = パンフ冒険 }}
* {{Cite book |和書 |title = [[冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-|冒険者カミカゼ ''-ADVENTURER KAMIKAZE-'']] |publisher = 東映 |date = 1981-11-07 |asin = B0076JWROK |ref = パンフ冒険 }}
* {{Cite journal |和書 |date = 1982-03-05 |title = ジャパン・アクション・クラブ12周年記念 JAC特集号 |volume = 8 |issue = 4 |publisher = 近代映画社 |ref = JAC特集号 }}
* {{Cite book |和書 |editor = 小杉修造 |title = ジャパン・アクション・クラブ12周年記念 ''JAC''特集号 |volume = 8 |issue = 4 |publisher = [[近代映画社]] |series = 別冊 近代映画 |date = 1982-03-05 |ref = JAC特集号 }}
* {{Cite book |和書 |author = 真樹日佐夫 |authorlink = 真樹日佐夫 |title = 極真カラテ 二十七人の侍 「地上最強の格闘技」を支えた男たちの伝説 |edition = 1刷 |publisher = [[サンケイ出版]] |date = 1986-07-10 |isbn = 4383025064 |ncid = |oclc = 122968262 |chapter = 第11話 学生時代からの大山門下生 千葉真一三段 |ref = 学生時代 }}
* {{Cite book |和書 |title = 第IV回JACミュージカル [[酔いどれ公爵]] |publisher = [[新宿コマ劇場|新宿コマ・スタジアム]] |date = 1985-04-01 |asin = B00GJMM25Y |ref = 酔いどれ }}
* {{Cite book |和書 |author = 真樹日佐夫 |authorlink = 真樹日佐夫 |title = 極真カラテ 二十七の侍 「地上最強格闘技」を支えた男たちの伝説 |date = 1986-07-10 |edition = 1刷 |publisher = [[サンケイ出版]] |isbn = 4383025064 |oclc = 122968262 |chapter = 第11話 学生時代からの大山門下生 千葉真一三段 |ref = 学生時代 }}
* {{Cite book |和書 |editor = イオン |title = 画報 国産架空ヒーロー40年歩み |edition = 初版第1刷 |publisher = [[竹書房]] |date = 1995-11-30 |id = C0076 |isbn = 4884758749 |ncid = BN15171363 |oclc = 40507555 |ref = 超人画報 }}
* {{Cite book |和書 |editor = 竹書房 / イオン編 |date = 1995-11-30 |title = 超人画報 国産架空ヒーー40年の歩み |edition = 初版第1刷 |publisher = [[竹書房]] |id = C0076 |isbn = 4884758749 |oclc = 40507555 |ref = 超人画報 }}
* {{Cite book |和書 |author = 能村庸一 |authorlink = 能村庸一 |title = 実録テレビ時代劇史 ちゃんばらクニクル 1953 - 1998 |edition = 2刷 |publisher = [[東京新聞出版局]] |date = 1999-02-10 |isbn = 4808306549 |ncid = BA40085024 |oclc = 675629235 |ref = 実テ時 }}
* {{Cite book |和書 |author = 庸一 |authorlink = 能村庸一 |title = 実録テレビ時劇史 ちゃんばらクロニクル1953-1998 |publisher = [[東京新聞出版局]] |date = 1999-02-10 |edition = 2刷 |isbn = 4808306549 |oclc = 675629235 |ref = 実テ時 }}
* {{Cite book |和書 |editor = カタブツ君 |title = 極真外伝 &#12316;極真空手もうつの闘い&#12316; |others = [[吉田豪]]・矢丸治 |edition = 第1刷 |publisher = [[ぴいぷる社]] |date = 1999-12-25 |isbn = 4893741373 |ncid = BA45830412 |oclc = 675680900 |ref = 極真外伝 }}
* {{Cite book |和書 |author = 中村タブツ |authorlink = 中村カタブツ |title = 極真外伝 &#12316;極真空手もう一つの闘い&#12316; |publisher = [[ぴいぷる]] |date = 1999-12-25 |edition = 第1刷 |isbn = 4893741373 |oclc = 675680900 |ref = 極真外伝 }}
* {{Cite book |和書 |title = 極真ラテ総鑑 新・精神主義への創世紀へ |edition = 初版 |publisher = 株式会I.K.O.出版事務局 |date = 2001-04-20 |isbn = 4816412506 |ncid = BA52578889 |oclc = 676281505 |ref = 昇段 }}
* {{Cite book |和書 |title = 極真カラテ総鑑 新・精神主義への創世紀へ |date = 2001-4-20 |edition = 初版 |publisher = 株式会社I.K.O.出版事務局 |isbn = 4816412506 |oclc = 676281505 |ref = 昇段 }}
* {{Cite book |和書 |author1 = 深作欣二 |authorlink1 = 深作欣二 |author2 = 山根貞男 |authorlink2 = 山根貞男 |title = 映画監督 深作欣二 |publisher = [[ワイズ出版]] ||date = 2003-07-12 |edition = 第1刷 |isbn = 489830155X |ncid = BA63115055 |oclc = 674824011 |ref = 深作山根 }}
* {{Cite book |和書 |title = [[キル・ビル Vol.1]] |date = 2003-10-25 |publisher = [[ユニバーサル・ピクチャーズ]] |asin = B003NIVNQ6 |ref = キルビル }}
* {{Cite book |和書 |title = [[キル・ビル Vol.1]] |date = 2003-10-25 |publisher = [[ユニバーサル・ピクチャーズ]] |asin = B003NIVNQ6 |ref = キルビル }}
* {{Cite video |和書 |date = 2005-06-25 |title = 新・影の軍団 &#12316;最終章&#12316; 服部半蔵最期の戦い |medium = [[DVD]] |publisher = [[シネマパラダイス]] |time = 1時間28分 |oclc = 1129700186 |ref = 新影最終 }}
* {{Cite video |和書 |date = 2005-06-25 |title = 新・影の軍団 &#12316;最終章&#12316; 服部半蔵最期の戦い |medium = [[DVD]] |publisher = [[シネマパラダイス]] |time = 1時間28分 |oclc = 1129700186 |ref = 新影最終 }}
* {{Cite book |和書 |title = [[映画秘宝]] |date = 2006-04-21 |publisher = [[洋泉社]] |volume = 12巻5号 |asin = B000ESSRBW |chapter = 史上最強のカラテ映画大戦争! |ref = カラ映6421 }}
* {{Cite book |和書 |title = [[映画秘宝]] |volume = 12 |issue = 5 |publisher = [[洋泉社]] |date = 2006-04-21 |asin = B000ESSRBW |chapter = 史上最強のカラテ映画大戦争! |ref = カラ映6421 }}
* {{Cite book |和書 |editor = [[文化通信社]] |others = 指田洋・渡邉裕二・大川仁志 |title = 映画界のドン 岡田茂の活動屋人生 |date = 2012-06-15 |edition = 初版 |publisher = [[ヤマハミュージックメディア]] |isbn = 4636885198 ||oclc = 820774816 |ref = 活動屋 }}
* {{Cite book |和書 |editor = [[文化通信社]] |title = 映画界のドン 岡田茂の活動屋人生 |others = 指田洋・渡邉裕二・大川仁志 |edition = 初版 |publisher = [[ヤマハミュージックメディア]] |date = 2012-06-15 |isbn = 4636885198 |ncid = BB09775169 |oclc = 820774816 |ref = 活動屋 }}
* {{Cite book |和書 |author = 春日太一 |authorlink = 春日太一 |title = あかんやつら 東映京都撮影所血風録 |publisher = [[文藝春秋]] |date = 2013-11-30 |edition = 第2刷 |isbn = 4163768106 |oclc = 952394433 |ref = あかん }}
* {{Cite book |和書 |author = 春日太一 |authorlink = 春日太一 |title = あかんやつら 東映京都撮影所血風録 |edition = 第2刷 |publisher = [[文藝春秋]] |date = 2013-11-30 |isbn = 4163768106 |ncid = BB14126380 |oclc = 952394433 |ref = あかん }}
* {{Cite book |和書 |author = 中島貞夫 |authorlink = 中島貞夫 |editor = 河野眞吾 |title = 遊撃の美学 映画監督中島貞夫&#x32a4; |date = 2014-10-20 |edition = 第1刷 |publisher = [[ワイズ出版]] |isbn = 4898302831 |oclc = 895768292 |ref = 遊撃 }}
* {{Cite book |和書 |author = 中島貞夫 |authorlink = 中島貞夫 |editor = 河野眞吾 |title = 遊撃の美学 映画監督中島貞夫&#x32a4; |edition = 第1刷 |publisher = [[ワイズ出版]] |date = 2014-10-20 |isbn = 4898302831 |ncid = BD05811505 |oclc = 895768292 |ref = 遊撃 }}
* {{Cite book |和書 |editor = [[杉作J太郎]]・[[伴ジャクソン]] |title = 宇宙刑事ダイナミックガイドブック |date = 2015-01-30 |edition = 初版 |publisher = [[徳間書店]] |id = C9476 |isbn = 4197301324 |oclc = 910540013 |ref = 宇宙刑事 }}
* {{Cite book |和書 |editor = [[杉作J太郎]]・伴ジャクソン |title = 宇宙刑事ダイナミックガイドブック |edition = 初版 |publisher = [[徳間書店]] |date = 2015-01-30 |id = C9476 |isbn = 4197301324 |ncid = |oclc = 910540013 |ref = 宇宙ダイ }}
* {{Cite book |和書 |author = 春日太一 |title = 役者は一日にしてならず |date = 2015-02-28 |edition = 初版第一刷 |publisher = [[小学館]] |isbn = 4093798699 |oclc = 905172825 |ref = 役者は一日 }}
* {{Cite book |和書 |author = 春日太一 |title = 役者は一日にしてならず |edition = 初版第一刷 |publisher = [[小学館]] |date = 2015-02-28 |isbn = 4093798699 |ncid = BB1843387X |oclc = 905172825 |ref = 役者は一日 }}
* {{Cite book |和書 |title = フルコンタクトKARATEマガジン |date = 2016-06-01 |publisher = 武道ユニオン |volume = 3 |asin = B078GG1KDB |chapter = 誠真会館館長・井上誠吾ら元JACメンバー座談会 |ref = 誠真JAC3 }}
* {{Cite book |和書 |title = フルコンタクト''KARATE''マガジン |volume = 3 |publisher = 武道ユニオン |date = 2016-06-01 |asin = B078GG1KDB |chapter = 誠真会館館長・井上誠吾ら元''JAC''メンバー座談会 |ref = 誠真JAC3 }}
* {{Cite news ja |title = コロナ急変 千葉真一さん 力尽く |newspaper = [[スポーツ報知]] |date = 2021-08-20 |url = https://hochi.news/articles/20210819-OHT1T51230.html?page=1 |accessdate = 2022-04-04 |format = 紙媒体 |publisher = [[報知新聞社]] |quote = 11版 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220404120321/https://hochi.news/articles/20210819-OHT1T51230.html?page=1 |archivedate = 2022-04-04 |url-status = live |ref = 報知11版 }}
* {{Cite news |和書 |title = コロナ急変 千葉真一さん 力尽く |newspaper = [[スポーツ報知]] |date = 2021-08-20 |url = https://hochi.news/articles/20210819-OHT1T51230.html?page=1 |accessdate = 2022-04-04 |format = 紙媒体 |publisher = [[報知新聞社]] |edition = 11版 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20220404120321/https://hochi.news/articles/20210819-OHT1T51230.html?page=1 |archivedate = 2022-04-04 |url-status = live |ref = 報知11版 }}
* {{Cite journal |和書 |date = 2021-09-21 |title = 千葉真一よ、永遠に!! |journal = 映画秘宝 2021年11月号 |volume = 通巻18号 |issue = 11 |publisher = [[双葉社]] |asin = B09B12VZMW |ref = 永遠1811 }}
* {{Cite journal |和書 |date = 2021-09-21 |title = 千葉真一よ、永遠に!! |journal = 映画秘宝 2021年11月号 |volume = 通巻18号 |issue = 11 |publisher = [[双葉社]] |asin = B09B12VZMW |ref = 永遠1811 }}
* {{Cite journal |和書 |date = 2021-11-01 |title = 千葉真一 世界(アクション)に挑み続けた男 |journal = 2021 [[キネマ旬報]] 11月上旬特別号 |volume = 通巻2692号 |issue = 1878 |publisher = [[キネマ旬報社]] |asin = B09HG6KDDX |ref = 挑む2692 }}
* {{Cite journal |和書 |date = 2021-11-01 |title = 千葉真一 世界(アクション)に挑み続けた男 |journal = 2021 [[キネマ旬報]] 11月上旬特別号 |volume = 通巻2692号 |issue = 1878 |publisher = [[キネマ旬報社]] |asin = B09HG6KDDX |ref = 挑む2692 }}
* {{Cite book |和書 |author = 小山将生 |title = 柳生十兵衛と千葉真一 二人の武人が現代人に伝える真理 |edition = 初版 |publisher = 体育とスポーツ出版社 |date = 2022-11-25 |isbn = 4884583604 |ncid = BC18581080 |oclc = 1351777840 |chapter = |ref = 十兵衛 }}
* {{Cite book |和書 |author1 = 中島貞夫 |author2 = 大森俊次 |title = 中島貞夫監督 映画人生60年を語る |edition = 初版 |publisher = [[かもがわ出版]] |date = 2023-07-20 |isbn = 978-4-7803-1285-0 |ncid = BD03189623 |oclc = 1404808442 |chapter = 第2章 京都で出会った俳優たち |ref = 大森 }}


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}

=== 注釈 ===
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
{{Notelist}}


=== 出典 ===
=== 出典 ===
{{Reflist|30em}}
{{Reflist}}

== 関連項目 ==
* [[ジャパンアクションエンタープライズ]] - [[ジャパンアクションクラブ]](''JAC'')から派生


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
1,087行目: 1,207行目:
* {{Official website |https://chibashinichi.com/ |千葉真一公式WEBサイト }} <small>※株式会社アストライアによる運営。</small>
* {{Official website |https://chibashinichi.com/ |千葉真一公式WEBサイト }} <small>※株式会社アストライアによる運営。</small>
* {{Official website |https://www.astraia.tv/Chiba.html |千葉真一 - アストライア }}
* {{Official website |https://www.astraia.tv/Chiba.html |千葉真一 - アストライア }}
* {{Amebaブログ |jjsonnychiba |千葉真一オフィシャルブログ }} <small>※2012年9月18日 - 2014年3月14日に所属していた[[スティルパートナーズ]]による運営。</small>
* [https://www.allmovie.com/artist/sonny-chiba-p12789 allmovie Sonny Chiba ]{{en icon}}
* {{IMDB name |0002002 |Sonny Chiba }}
* {{Allcinema name}}
* {{映画.com name}}
* [http://hkmdb.com/db/people/view.mhtml?id=4280&display_set=big5 千葉真一 - 香港影庫 HKMDB ]{{yue icon}}・{{en icon}}
* {{Kinejun name}}
* [https://archive.is/PEVl 千葉真一 - 香港電影資料館 Hong Kong Film Archive ]{{yue icon}}・{{en icon}}
* {{Eiren name}}
* {{Movie Walker name |80832 }}
* {{Tvdrama-db name}}
* [https://www.allmovie.com/artist/shinichi-chiba-an93249 ''Shin'ichi Chiba''] - [[オールムービー|''AllMovie'']]{{en icon}}
* [https://hkmdb.com/db/people/view.mhtml?id=4280&display_set=big5 千葉真一 ] - [[:zh:香港影庫|香港影庫]]{{yue icon}}
* [https://hkmdb.com/db/people/view.mhtml?id=4280&complete_credits=1&display_set=eng ''Sonny Chiba''] - [[:w:Hong Kong Movie Database|''HKMDB'']]{{en icon}}
* {{Archive.today |url = http://ipac.hkfa.lcsd.gov.hk/ipac20/ipac.jsp?session=1325619R17HR6.1783&menu=search&aspect=power&npp=10&ipp=20&profile=hkfa&ri=1&index=.GW&term=千葉真一&x=15&y=10&aspect=power |title = 千葉真一 - 香港電影資料館 Hong Kong Film Archive |date = 20121218113045 }}{{yue icon}}・{{en icon}}
* {{IMDB name |0002002 |''Shin'ichi Chiba''}}
* {{Rotten Tomatoes |celebrity/sonny_chiba |''Sonny Chiba'' }}
* {{Discogs artist |artist = 7488433 }}
* {{Wayback |url = https://www2.nhk.or.jp/archives/search/special/detail/?d=selection051 |title = 特集 あの人のとっておきセレクション 千葉真一さん NHKアーカイブス |date = 20150408004525 }}
* {{Wayback |url = https://www2.nhk.or.jp/archives/search/special/detail/?d=selection051 |title = 特集 あの人のとっておきセレクション 千葉真一さん NHKアーカイブス |date = 20150408004525 }}
* {{NHK人物録 |0009071213_00000 }}
* {{NHK人物録 |0009071213_00000 }}
* {{Amebaブログ |jjsonnychiba |千葉真一オフィシャルブログ }} <small>※2012年9月18日 - 2014年3月14日に所属していた株式会社[[スティルパートナーズ]]による運営。事務所閉鎖により更新停止。</small>


{{Navboxes
|list =
{{千葉真一}}
{{エランドール賞新人賞}}
{{エランドール賞新人賞}}
{{Normdaten}}
{{Normdaten}}
}}


{{リダイレクトの所属カテゴリ
{{リダイレクトの所属カテゴリ
1,103行目: 1,236行目:
|1-1 = 本名のリダイレクト
|1-1 = 本名のリダイレクト
|1-2 = 日本の男子体操競技選手
|1-2 = 日本の男子体操競技選手
|redirect2 = 和千永倫道
|2-1 = 日本の脚本家
}}
}}


1,146行目: 1,277行目:
[[Category:20世紀日本の俳優]]
[[Category:20世紀日本の俳優]]
[[Category:21世紀日本の俳優]]
[[Category:21世紀日本の俳優]]
[[Category:20世紀日本の脚本家]]
[[Category:21世紀日本の脚本家]]
[[Category:20世紀日本の実業家]]
[[Category:20世紀日本の実業家]]
[[Category:21世紀日本の実業家]]
[[Category:21世紀日本の実業家]]

2024年12月22日 (日) 12:19時点における最新版

ちば しんいち
千葉 真一
Sonny Chiba
千葉 真一 Sonny Chiba
映画情報』1965年6月号より。
本名 前田 禎穂(まえだ さだほ)[1]
生年月日 (1939-01-22) 1939年1月22日
没年月日 (2021-08-19) 2021年8月19日(82歳没)
出生地 日本の旗 福岡県福岡市博多区[2]
出身地 日本の旗 千葉県君津市[3]
死没地 日本の旗 千葉県木更津市[4]
民族 日本人[1][2][5]
身長 176センチメートル[6][7][8]
血液型 O型[7][8]
職業 俳優体操選手歌手空手家芸能プロモーターアクション監督演出家映画プロデューサー映画監督
ジャンル 映画テレビ映画ドラマ音楽演劇CM
活動期間 1959年 - 2021年
活動内容 1959年 東映ニューフェイス
1960年 デビュー
1966年 ・日合作映画主演
1970年 JAC設立
1973年合作映画主演
1974年 Sonny Chiba
1977年 空手大会出場
1979年 本邦アクション監督
1981年合作映画主演
1989年 映画プロデューサー
1990年 映画監督
1991年 JAC売却
1992年 拠点をL.A.
1994年合作映画主演
2008年 京都造形芸大教授
2010年 芸能生活50周年
配偶者 野際陽子1973年 - 1994年
一般人(1996年 - 2015年
著名な家族 真瀬樹里(長女[注釈 1]
新田真剣佑(長男[注釈 2]
眞栄田郷敦(次男[注釈 2]
矢吹二朗(弟)
事務所 注釈9
公式サイト #外部リンク
主な作品
日本映画

海外映画 ※日本との合作含む

テレビ映画

ドラマ ※海外ドラマ含む

演劇

スタッフ ※助演兼務含む
受賞
ミスタースポーツモデル
ウェアモデル入賞1958年
エランドール賞 新人賞1962年
日本映画製作者協会 新人賞1967年
京都市民映画祭 主演男優賞
日本暗殺秘録』(1969年
沖縄やくざ戦争』(1976年
受賞
日本アカデミー賞
優秀助演男優賞(第2回)
柳生一族の陰謀』(1979年
会長特別賞(第45回)2022年
ブルーリボン賞
スタッフ賞(第22回)(1979年)
その他の賞
香港電影金像奨
優秀主演男優賞(第18回)

風雲 ストームライダーズ』(1999年
サターン賞
助演男優賞ノミネート(第30回)

キル・ビル』(2004年
ハワイ国際映画祭
MAVERICK AWARD2005年
日本映画批評家大賞
ゴールデン・グローリー賞2006年
OKINAWA シネマ&ミュージックアワード
映画部門功労賞(2006年)
天草映画祭 風の賞 特別賞2007年
SINGAFEST 20112011年
LIFETIME ACHIEVEMENT AWARD
文化庁長官表彰2020年
テンプレートを表示
千葉 真一
Sonny Chiba
学歴 日本体育大学体育学部体育学科卒業
ジャンル 歌謡曲J-POP
レーベル コダマプレス(1963年 - 1965年)
クラウンレコード(1966年)
ミノルフォン(1966年)
キング(1968年 - 1973年)
テイチク(1975年 - 1976年)
VAP(1985年)

千葉 真一[注釈 3](ちば しんいち、Sonny Chiba[注釈 4], 1939年1月22日 - 2021年8月19日)は、日本俳優体操選手歌手空手家芸能プロモーターアクション監督演出家映画プロデューサー映画監督

日本を代表する映画スター[16][17][18][19]・アクションスターとして[20][21][22][23][24]海外ではSonny Chiba(サニー ちば)の通称で名高い[16][19][20][21][22][25][26][27][28][29][30]吹き替えに任せず、特技の器械体操極真カラテ四段[31]乗馬スキー少林寺拳法弐段を活かしたアクロバティックスタント殺陣を自ら演じてきたことや[26][27][32][33]、名優としての存在感も併せ[11][16][27][34][35]、定評を博している[11][16][26][27][29][32][33][34][35]

芸能生活は半世紀以上の60年を越え、映画テレビ映画ドラマ演劇など、計1,500本以上の作品に出演[36][37]。創設したジャパンアクションクラブ (JAC) からは、数々のスタントマンスーツアクター殺陣師・俳優・アクション監督を輩出している[16][18][19][23][38]。本職だけではなく、指導者として後進の育成をし、映画・演劇の演出製作にも参画するなど、多岐にわたり活躍していた。

愛称千葉ちゃん[注釈 5]チバシン[注釈 6]。本名:前田 禎穂(まえだ さだほ)[1]

生涯

[編集]

オリンピックを目指して

[編集]

福岡県福岡市博多区雑餉隈にて、二男三女の長男・第二子として生誕[2]。4歳の時、千葉県君津市へ転居[3]。中学生から器械体操を始め[39]オリンピック日の丸を掲げたいという夢を抱くようになり[26][32]千葉県立木更津第一高等学校へ入学後、1年生で全国大会上位入賞[26]、3年生で全国大会優勝を成し遂げた[40]。 (⇒ #家族

1957年日本体育大学体育学部体育学科に進学した[41][42][43][44]。器械体操の仲間には後の1964年東京オリンピックの体操競技女子団体銅メダルを獲得する千葉吟子や、同オリンピック金メダリストで“山下跳び”の山下治広がおり[26][45]、「種目によっては山下より上」と評されている[45]

将来を嘱望されていたが[45]、2年生の時に[注釈 7]跳馬を練習中に着地で失敗し、を痛めてしまう[11][41][42][46][47]。医者から「1年間運動禁止」と宣告され[42][44]、選手を続けることが困難となる[41][42][44]休学も検討したが、学費を工面できないので余儀なく退学した[注釈 8]。 (⇒ #2010年代#体操界・日体大#器械体操

今後を模索し始め、実家に帰る途中の代々木駅で「東映第6期ニューフェイス募集!」のポスターを偶然見かける[50]。地元に戻り、相談した親友も賛成してくれたことや[50]、かつてミスタースポーツウエア・コンテストに入賞し[51]東映ニューフェイスを受験するよう勧められていたこともあり、応募した[50][51]。日本体育大学で器械体操をしていた経歴を珍しがられたが、2万6千人の応募からトップの成績で合格を果たす[50]

1959年大学中退[注釈 8]、入社。男性6名・女性14名のうち、俳優では新井茂子亀石征一郎志村妙子都築克子中条宏美春海洋子や、映画監督では中島貞夫[52]、同期生にいた。

アクションスター

[編集]

俳優座で6か月の研修を経て[53]1960年1月7日に『新 七色仮面』の二代目・蘭光太郎として主演デビュー。続けて『アラーの使者』にも主演した[45]。 (⇒ #変身ヒーロー

1961年中山昭二の代役で『警視庁物語 不在証明』に出演後[54]深作欣二が初めて監督をした『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』に主演して、2期先輩の曽根晴美と「拳銃コンビ」のキャッチコピーで売り出された[55]。『ファンキーハットの快男児シリーズ』でもコンビを組み、深作は自身が愛着もしくは面白味のある役どころに千葉を起用していくことで作品を弾けさせ、千葉も深作を師匠と仰ぎ、その期待に応えていく[56]。『宇宙快速船』も含め、吹き替え無しでスタントをこなし[57]、キレのある擬斗を披露するので[57]、「アクションができる素材に演技の磨きを増せば」と期待される新人であった[58]。 (⇒ #アクション作品

1962年は『事件記者シリーズ』の第1作『恐怖の魔女』、1963年には『特別機動捜査隊シリーズ』、シリーズ化される『柔道一代』、『殺人鬼の誘惑』、『海軍[注釈 9]』、『やくざの歌』、『白い熱球』に主演している[45]。『八州遊侠伝 男の盃』で時代劇に初出演した。

同年には音楽活動も始め、「男一匹生きるなら」をリリースして歌手デビューを果たした。1967年には“千葉真一とザ・サタンズ”というグループ・サウンズバンドを結成[62][63]。リーダーとして夜は都内音楽喫茶ライブハウスで歌い[62]九州へも巡業し、ライブをしていた[63]。 (⇒ #音楽#キイハンター#ディスコグラフィ

1966年は、『カミカゼ野郎 真昼の決斗』、『海底大戦争[64]』など、外国ロケ・外国資本の作品にそれぞれ主演した。後に1970年代の『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯[65][66]』、『激殺! 邪道拳』、『ゴルゴ13 九竜の首[33]』に続く、諸外国との共同作品に主演するきっかけとなった。その合間に主演作では1965年に『くらやみ五段』の放送がスタートし、遠藤実の自伝を映画化した『太陽に突っ走れ』や、大ヒットした『子守唄シリーズ』も翌年にかけて興行している[67]。 (⇒ #Sonny Chiba#海外進出#アクション作品

1967年には『組織暴力』や父親が軍人だったので[2]、「夢にまで特攻隊が出てくる[68]」と語る『あゝ同期の桜』、『河内遊侠伝』など次々と主演していた[45]。 (⇒ #家族

1968年は主演作『陸軍諜報33』のほか、『キイハンター』の放映がスタート。これまで誰も見たことのないスーパーアクションで人気をさらい[11][23]千葉ちゃんの愛称で[注釈 5]、一躍国民的アイドルとして親しまれた[11][26][61][69][70]。海外でも放送され[26][71]ブルース・リー[26]ジャッキー・チェン[72]、同作で活躍する勇姿を視聴している[26][72]。 (⇒ #音楽#キイハンター#ファン

転機

[編集]

1969年オールスターキャストで製作された『日本暗殺秘録』では小沼正に扮して主演した。『キイハンター』を休んで撮影に臨み、小沼が悩み苦しみ葛藤から、怒りへ覚醒していく情念を、アクションスターという枠に収まらない、印象深い演技をしている[45][73]。同年の京都市民映画祭では、主演男優賞を受賞[74]。『キイハンター』で人気者になるだけではなく、「様々な作品に出演していかなくてはいけない」と考え直す転機にもなっている[74]。 (⇒ #キイハンター

同時期、日本の映画・テレビ映画のアクションシーンを欧米作品並に向上させるため[75]、自分と同レベルで動ける俳優・スタントマンの育成が急務を要すると痛感したことから[75][76]、1969年に養成所を設立し、人材育成を始める[34][76]1970年には法人として、正式にジャパンアクションクラブ (JAC) を発足させ[11][16][23][26][34]、俳優の傍ら、指導者を兼務した。 (⇒ #ジャパンアクションクラブ (JAC)#演劇

1973年の『仁義なき戦い 広島死闘篇』ではクランクイン直前に配役交換が行われ[45][59][60][61][注釈 9]、凶暴凶悪なキャラクターである大友勝利を演じることになったが、『仁義なき戦いシリーズ』の中で、主人公をしのぐほどの強烈な印象を残す[45][61]。大友はシリーズ中1, 2を争う名キャラクターとして人気をつかんでおり[45][61][77][78]、これ以降、他のヤクザ映画でも「『仁義なき戦い』の千葉真一さんがやった大友勝利のような」と影響を与え続け、ヤクザ役のひな型となっている[60]。 (⇒ #アクションスター#ヤクザ映画

『広島死闘篇』と同時進行で『柔道一代シリーズ』以来、10年ぶりの格闘技モチーフとした『ボディガード牙シリーズ』の撮影に入り、『殺人拳シリーズ』と次々主演作がクランクインしたため、『仁義なき戦いシリーズ』の再出演は実現しなかった[79]。これ以降は格闘をメインとした作品に続けざま主演していくが、極真カラテを修行して黒帯を允許された技量が生かされることとなる[16][26][27][30]。 (⇒ #空手道

Sonny Chiba

[編集]

『ボディガード牙シリーズ[80]』(1973年)は日本だけに止まらず、欧米でもヒットし、格闘ブームの先駆けとなる作品になった[29][30]

これを皮切りに『殺人拳シリーズ[28]』(1974年 - 1976年)、『地獄拳シリーズ[28]』(1974年)、『少林寺拳法』(1975年)、『けんか空手シリーズ[81]』(1975年 - 1977年)、『激殺! 邪道拳』(1977年)、前後して『やくざ刑事シリーズ[67]』(1970年 - 1971年)、『狼やくざシリーズ[80][82]』(1971年 - 1972年)、『麻薬売春Gメンシリーズ[80]』(1972年)、『ウルフガイ 燃えろ狼男』(1975年)、『ドーベルマン刑事』『ゴルゴ13 九竜の首[33]』(1977年)など数々の主演作と、助演作の『女必殺拳』(1974年)、『激突! 合気道』(1975年)、『必殺女拳士』(1976年)は、国内興行だけでなく、海外でも封切りされている[83]

上記作品は『キイハンター』と同様のスタントに、空手道拳法・器械体操が加わり、アクロバティック・スリリング・シャープな演技は好評を博した[26][28][32][33][67][80][81][82][84][85]

とりわけ『殺人拳シリーズ』の第一作『激突! 殺人拳』(1974年)は、『The Street Fighter』のタイトルで海外公開されるやいなや[16]、同年11月12日からアメリカ中南部の都市18館を3週間興行され、全米ベスト5にランクインしている[28][29][86][87]日本映画として初めて興行収入100万ドル以上を計上した[6]。この成功は『バラエティ (アメリカ合衆国の雑誌)』の同年12月18日付に取り上げられ、日本映画が初めて同誌に掲載される快挙を成し遂げている[29][86][87]

この頃から国際的にSonny Chiba(サニー ちば)という名前で認知されることとなり[13][15][16][28][注釈 4]、輸出された主演・出演作品は世界的に続々と大ヒットした[17][88][89][90][91]。海外でも著名人のファンは多い[16][29][92][93][94][95][96][97]。1975年12月には[98]フランシス・フォード・コッポラから「千葉真一とアル・パチーノの共演で映画を撮りたい」と申し入れが東映に来た[81]。海外進出の機会だったが[34]、このオファーを岡田茂 (東映) が断ったので実現していない[34]。 (⇒ #海外進出#アクション作品#格闘作品#ファン(海外)

芸能活動と若手の育成に追われる日々が再開し[34]、1976年には『沖縄やくざ戦争』で京都市民映画祭の主演男優賞を受賞する。テレビ映画でも『キイハンター』以降、『ザ・ボディガード』(1974年)、『ザ★ゴリラ7』『燃える捜査網』(1975年)『大非常線』(1976年)とアクション作品に主演。

このような中で、カリフォルニア州に聳えるマンモスマウンテンバックカントリースキーで滑走しており、その姿は1974年5月6日ドキュメンタリー『千葉真一 4,000メートルのマンモスマウンテンを滑る』(東京12ch)や6月6日の『ザ・ボディガード』第10話「グランドキャニオンの殺人者」で、それぞれ放送されている[注釈 10]。この滑走は合同酒精「ワリッカ」のCMで採用され、流された。

1977年4月にハワイ州で開催された「日本代表極真会館チーム対ハワイ代表チーム」というフルコンタクト空手の対抗戦に参戦[26][100][101][102]。180センチメートル以上あるネグロイドアメリカ東海岸空手チャンピオンと戦い、二段蹴りKO勝ちを収めた[102][103][104][105][106]。 (⇒ #2022年#極真カラテ#空手道

ジャンルを越えた活躍

[編集]

名実共に日本を代表するアクションスターとして活躍する中[26][33][84][85]1978年から本格的に時代劇へ進出[28]。主演作『柳生一族の陰謀』は、興行収入30億円以上の記録的な大ヒットをした[107][108][109][110]。同作で1979年第2回日本アカデミー賞の優秀助演男優賞を受賞。

1981年の主演作『魔界転生』では柳生但馬守宗矩若山富三郎)や宮本武蔵緒形拳)と華麗で凄みのある一騎討ちを披露し、観客動員数200万人・配給収入10.5億円を超す成功を収めた[111][112]。『赤穂城断絶』(1978年)、『闇の狩人』(1979年)、『伊賀忍法帖』(1982年)『里見八犬伝』(1983年)、『必殺4 恨みはらします』(1987年)などにも出演。特に『柳生一族の陰謀』、『魔界転生』、『柳生あばれ旅シリーズ』(1980年 - 1983年)の柳生十兵衛[113][114][115][116][117]、傑作と評価されている『影の軍団シリーズ[118]』(1980年 - 1985年)の服部半蔵[119][120]十八番である[113][114][115][116][117][119][120]。 (⇒ #時代劇

1979年には芸能生活20周年記念作品である『戦国自衛隊』で[121]、主演と日本映画初のアクション監督を兼務し[17]、配給収入で13.5億円の大ヒットを記録[122]。その演出が評価され、1980年にブルーリボン賞のスタッフ賞を受賞した。

1981年の主演作『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-』は自ら企画し[123]、『忍者武芸帖 百地三太夫』(1980年)と『吼えろ鉄拳』(1981年)で出演とアクション監督を兼務。1989年の『将軍家光の乱心 激突』でも出演とアクション監督を兼ね、同作は第39回ベルリン国際映画祭に招待された。

1990年には映画プロデューサーと初映画監督を兼ねた『リメインズ 美しき勇者たち』を手がけ、アクション作品の全盛期を牽引していた。 (⇒ #2022年#アクション作品

1981年から演劇にも進出し、『ゆかいな海賊大冒険[124]』(1982年 - 1984年)、『酔いどれ公爵』(1985年)など複数の作品を企画・演出・主演し、JACミュージカルとして定期的に公演した。新宿コマ劇場の観客動員数では、3年間にわたって満員御礼となる記録的な成功を収めている[124]。 (⇒ #ジャパンアクションクラブ (JAC)#演劇

並行して1970年代から1980年代にかけ、『七色とんがらし』(1976年)や『十字路』(1978年)、『深夜にようこそ』(1986年)、『夢に見た日々』(1989年)の人間ドラマにも主演[125][126]。1982年には「誓い(JACのテーマ)」を作詞、1985年には10年ぶりに歌手としてリリースした「曠野」の作曲も手がけ、俳優・歌手に留まらない映画監督・映画プロデューサー・作詞家作曲家など、その活躍ぶりはジャンルを越えて幅広いものであった。 (⇒ #音楽#人間ドラマ

海外進出

[編集]
風来坊探偵 赤い谷の惨劇』で、ウィンチェスターライフルを手にする。左は北原しげみ

1966年から1970年代に数々の日本と諸外国との合作作品に主演するほか、1981年は『武士道ブレード』(米合作)に主演した。1975年に訪れた海外進出を岡田茂が認めなかったので断念した経緯もあり[34][81][98]、関係者内では「本格的な海外作品の出演をあきらめた」と認識されていた[34]。 (⇒ #アクションスター#Sonny Chiba

それでもハリウッドへの思いは募り[29]、水面下のアピールや主演映画の評判などで[34]、海外進出を決意[29]。その姿勢は真田広之にも大きな影響を与えており、「(師は)国内だけでなく、常に世界市場に目を向けていた。私も海外の俳優・監督と一緒に仕事をするには、どうしたらいいかを考えるようになった」と述懐している[127]。 (⇒ #JAC OB OG

1990年頃からアメリカ映画の出演依頼が届き始め[34]、折しもロサンゼルスでは『激突! 殺人拳』(1974年)、『子連れ殺人拳』(1976年)など、14本の主演作がリバイバル興行されていた[128]。 (⇒ #格闘作品

1991年、ジャパンアクションクラブ (JAC) の売却を経て、1992年に『エイセス / 大空の誓い』に出演[29]。これを機に拠点をロサンゼルスへ移し[29]、アメリカ合衆国でも活動をするようになり、グリーンカードも取得した[38][129]。日本未公開作品もあるが[29]、長年の経験で培ったそのアクションは高く評価されている[27][130]。 (⇒ #外国作品

1998年に出演した『風雲 ストームライダーズ』では、ラスボス“雄覇(ホンパ / ホンファ)”を演じた。原作のイメージを彷彿とさせるその演技は話題に上り、翌年の第18回香港電影金像奨では、外国人として初めて優秀主演男優賞にもノミネートされた。2001年には台湾でも連続ドラマ化された。 (⇒ #追悼(アジア)#外国作品

2003年、友人でもあるクエンティン・タランティーノが監督した『キル・ビル』シリーズでは出演と、ユマ・サーマンルーシー・リューらハリウッドスターへ剣術指導をした[29][131]第30回サターン賞では『キル・ビル』で助演男優賞にノミネートされた。 (⇒ #外国作品

2005年10月29日に開催されたハワイ国際映画祭では、これまでの功績を讃えた“MAVERICK AWARD”を受賞した[29][132]

2007年英国放送協会製作の、日本をテーマにしたドキュメンタリーの『Japanorama』に出演。「Densetsu (Legends)」(伝説)をテーマにした回で取り上げられ、4月9日に放送された。同年の『風林火山 (NHK大河ドラマ)』に板垣信方役で出演。 11月には海外で通称としていたJJ Sonny Chiba(JJ サニー チバ)を日本でも使うようになった[14][注釈 4]11月26日には厚生労働省から健康大使にも任命されている[133]2008年10月から2009年3月まで京都造形芸術大学教授を務めた[134]

2010年代

[編集]
ハワイ国際映画祭2005年

2010年10月22日にはグランドプリンスホテル赤坂で、結婚披露宴を兼ねた芸能生活50周年記念式典を開いた[135]。もともとはアントニオ猪木池谷幸雄[136]石田純一[136]市川亀治郎今井雅之[137]内野聖陽梅宮辰夫岡崎二朗ガッツ石松[136]川地民夫[138]神取忍樹木希林北の湖敏満京本政樹[137]具志堅用高郷田勇三小林幸子[135][138]コロッケ[135][138]高橋英樹竹本直一田中好子谷村新司津川雅彦十朱幸代夏八木勲[135]白竜張本勲[135]布施明風吹ジュン松井章圭松坂慶子美川憲一[138]三田佳子やまさき十三山本KID徳郁横峯良郎ラモス瑠偉ら計60名を発起人とした芸能生活50周年記念式典が先に決まっていたところ、現妻と挙式や披露宴をしていなかったため、千葉の要望で記念式典と合わせて企画された[135][139][140][141][142][143][144]。前半の披露宴には家族でキャンドル点灯のほか、長女・真瀬樹里は父への尊敬とお祝いの挨拶が行われ[142]、芸能界にまだ入っていなかった長男・新田真剣佑と次男・眞栄田郷敦の二人も登壇し、手紙を読み上げる形で両親を祝福している。後半の記念式典では主演・出演した映画・テレビ映画・ドラマ・演劇が順に紹介され、樹里と殺陣[136][138]、真剣佑・郷敦とは空手道の演武でと杉板の試割りを家族皆で披露[136][138][140][141][142][143][144]勝野洋小堺一機夏樹陽子らは花環を贈呈し、出席者に上記発起人ほか、太田昭宏北島三郎関根勤[136]高岡早紀高橋和也デヴィ・スカルノ[136]南部虎弾ビリー・ブランクス堀田眞三[138]魔裟斗松木安太郎ら、多数の芸能人を含む、各界から約600人がお祝いに集った[138][135][140][141][142][143][144]。「あっという間の50年だった。まだまだ、やり残したことがあるので精進したい」と気を引き締めつつ、感謝の意を表している[135][140][141][142][143][144]。 (⇒ #最期#人柄#家族

2011年以降、芸名を日本のみ千葉 真一、海外ではJJ Sonny Chibaとしている[8][38][注釈 4]。同年9月29日から10月2日にアジア・アメリカ映画を祝す国際フィルムフェスティバル「SINGAFEST 2011」(ビッグフット・エンターテインメント主催)がロサンゼルス・ウエストウッドビッグフット・クレスト・シアターにて開催され、LIFETIME ACHIEVEMENT AWARDを受賞[145]。代表作の一つである『魔界転生』が上映され[88][145]、授賞式には樹里・真剣佑・郷敦も出席し、千葉と樹里は殺陣を、真剣佑と郷敦は空手を披露し、集まった多くのファンをわかせている[145]。11月、徳島県鳴門市で生産・販売されている「本格焼き芋焼酎“斬”」の監修をした[146]。 (⇒ #最期#外国作品#家族

2013年3月10日、日本体育大学から正式に卒業を授与され、これにより最終学歴は「日本体育大学体育学部体育学科卒業」となり、学校教育法第104条および学位規則第2条の規定に従って「学士体育学)」の学位が与えられた[注釈 8]。 (⇒ #体操界・日体大#器械体操

2014年の『おわこんTV』に主演し、テレビ業界のウラのウラまで知り尽くす名物社長を[147]、存在感醸し出しながらも軽いタッチで演じた[147][148]。同ドラマは文化庁芸術祭参加作品となっている[149]

2016年4月14日に勃発した熊本地震では、母の故郷を憂い[2][150]オスマン・サンコンと一緒に被災地で炊き出しをした[150][151][152]。同年8月21日、千葉市の「第41回 親子三代夏祭り」で、千葉氏中興の祖である千葉常胤に扮して武者行列を務めた[153][154]。 (⇒ #親交の有った芸能人

2019年12月19日、千葉市の健康大使に任命された[154][155]。市民が主体的に健康づくりを取り組めるよう、同市は広報・啓発の一環として、県内出身で芸能生活60周年を迎えていた千葉が就任する運びとなった[154][155]。任命式では「来月、81歳を迎えるので少々不安でございますが」と挨拶をしながらも、年齢を重ねるごとに健康管理を替えてきたことや、その矜持、健康大使としての抱負を述べた[155]。 (⇒ #家族

晩年

[編集]
「健康大使」任命時(2007年)。右は舛添要一

2020年、文化活動に優れた成果を示し、文化振興や日本文化の海外発信・国際文化交流に貢献したとして、文化庁長官表彰をされた[156][157][158]。前年に芸能生活60周年を迎えており、これまでの歩みを振り返りながら、近況や家族のことと併せて、「私にはあんまり似合わない賞をいただいちゃって…。これからはこれに恥じないよう、しっかり努力して生きていきたい」と笑顔を見せた[156][157][158]。 (⇒ #最期

2021年6月、個人事務所「ルイアンドリーブス」を[159]、「エム&リーヴス」へ設立し直した[160]。子供たちに自身の企画やアイデアを受け継いでもらう願いと「いまのうちにきちんとしておきたい」という思いからである[160]。千葉が代表で新田真剣佑は取締役となり、それまで複数あった会社の事業を統一し、全著作権を「エム&リーヴス」が引き継ぐと決めた[160][注釈 11]西田真吾は「膝・足が硬直するなど、昔と比べて身体の自由が利かなくなり、日課のジョギングも思うようにできなくなっていた。一昨年末頃から『もう長くない』と漏らし、断捨離を始めていた」と証言しており[160]、本人も「60代までは、まだまだ若者に負けないくらいのスピードができていた。しかし今はハッキリと肉体が衰えていることを自覚している。気持ちとして演技や作品を追求したいけど、肉体がついてこない」と吐露していた[162]。 (⇒ #家族

スティーブン・セガールとダブル主演での映画や[163]ジェシー・ベンチュラウェズリー・スナイプスと共演するハリウッド映画も撮影予定であったが[164]、コロナウイルスのパンデミックにより撮影が延期になっていた[163][164]

最期

[編集]

事業の統一から2か月過ぎた2021年8月19日17時26分、新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) による肺炎のため、千葉県木更津市君津中央病院で死去した[4]。82歳没[64][38][165]。折しもCOVID-19の第5波で感染爆発している日本は[166]、同月6日に感染者が100万人を超えており[167]、医療体制が逼迫・確保できていない真っ只中に失命した[166][168]。自らの意思で、COVID-19ワクチンを接種していなかった[64][169]

7月末に感染[170]咳嗽などの症状はあったが、元気だったので、そのまま自宅療養を続けていた[38]。しかし8月4日に38.8度の熱を発し[171]PCR検査の数値も悪く[172]、肺炎が悪化[172]。救急車で搬送され[38]、8日に入院した[38][172]。酸素吸入などの治療を受け、一時は回復する兆しがあったものの、容体は急変[38][170]。18日あたりから意識がなくなり、そのまま息を引き取った[64][38][170][172]。新田真剣佑はハリウッド映画の撮影でアメリカ合衆国に滞在しており[173][174][175]、真瀬樹里と眞栄田郷敦は仕事後に駆けつけるも[169][172]、3人は父親の最期を看取ることができなかった[169][172][174]。 (⇒ #家族

緊急事態宣言中のため、通夜は行われていない[11][38][172][176]。翌20日、眞栄田郷敦を喪主とし[177][178]葬儀が営まれた[179]。人数が制限されていたため[177]、親戚5人のみが参列[179]荼毘に付され[171][180]、郷敦と前夫人が遺骨を拾った[179]。 (⇒ #家族

長女・真瀬樹里は「一報を受け、仕事後に駆けつけましたが、最期に立ち会うことはできず…。しかし、顔を見て、お別れと伝えたい事を言うことはできました。苦しんだとは思えないほど、穏やかな顔をしておりました」と最期の様子を振り返り、「少し前に、電話で父の元気な声を聞いたばかりでした。私にとっても突然のことで、まだ現実感がありません。ただただ悔しいです…。天国から両親が見守ってくれていることを信じて、胸を張って見せられる仕事ができるよう、精一杯生きていきたいと思います。父の遺した作品を、これからも愛し続けて頂けたら幸いです」と所属事務所を通じて発表した[22][169][179][181][182][183]

長男・新田真剣佑はインスタグラムにて、ローソクが立てられたケーキを前に、幸せそうに笑う千葉と微笑む幼少期の真剣佑や、千葉の体の上で安心した様子で眠る幼少期の真剣佑の姿が収められている2ショットを公開し、「No matter where I am, you'll always be in my heart.(私がどこにいても、あなたはいつも私の心の中にいます)Love you so much Dad.(お父さん、あなたをとても愛しています)」と思いを綴った[20][173][175][179][182][184][185][186]

次男・眞栄田郷敦は防護服を着て対面した日の夜に、所属事務所を通じて「一方的な約束をしてきました。それを守るだけです」と発表した[20][172][178][182]

2019年に世阿弥の著作より格言を抜粋し、樹里には『花鏡』から「初心不可忘(初心忘るべからず)」、真剣佑には『風姿花伝』から「秘すれば花」、郷敦には『風姿花伝』から「離見の見」と、それぞれ自筆の巻物にして娘・息子たちへ授けている[162][187]。 (⇒ #晩年#体操界・日体大#2022年#空手道#家族

追悼

[編集]

国内外の各界から追悼が寄せられた[35][188][189]

追悼(国内)

[編集]

芸能界

[編集]
共演者
[編集]

白昼の死角』と『伊賀忍法帖』で共演している中尾彬は千葉県立木更津第一高校の後輩で、「とても真面目な方だった。会うと地元の先輩後輩のように話し、お互い実家も近かった。3歳年上なので同時期に通わず、入れ替わりで卒業しましたが、頻繁に器械体操部のコーチに来ていました」と、バレーボール部の中尾とも会えば話す間柄だったと語った[190]。「芸能界に転身しても器械体操の指導で母校へ通い続け、当時珍しかったジーンズを履き、慎太郎カットにしていた」と在りし日の姿や、中尾も芸能界に入ると「おお、頑張れよ」「俺の映画見てる?」と親しく声をかけてくれた気さくな人柄、夢を語る様を振り返っている[190]。「ワクチンも率先して受けるタイプ」と中尾は接種していないことを訝しがりながら、「映画スター。今時、ああいう夢を語れる人が減っちゃったよなあ」と寂しそうだった[190] 。 (⇒ #交友(国内)

東映ニューフェイスの後輩・堀田眞三は『あゝ同期の桜』、『キイハンター』、『人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊』、『狼やくざ 葬いは俺が出す』、『影の軍団シリーズ』、『柳生あばれ旅』で共演しており、一緒に撮った写真をツイッターへ掲載[191]。「千葉真一先輩の訃報 信じられないが あの日 あの時無限様々な想いがよぎる 謹んでご冥福をお祈りします 合掌」とつづっている[191][192]

11歳の時、共演した小林幸子はインスタグラムにて、「初めて出会ったのは、私にとって初出演だった『くらやみ五段』。デビューしてまもない私を“チビ”と呼び、肩車してくれたり、一緒にキャンプファイヤーしたり、とっても優しいお兄ちゃまという印象でした。その後も『キイハンター』など、いろんなお仕事でご一緒させて頂きました。いつも撮影の合間には、体を鍛えたりアクション練習したり、ずっと動いていて格好いい方でした。最後にお会いしたのは、昨年の文化庁長官表彰の時、息子さんの話を笑顔でお話していたことが印象に残っています。日本のアクションの世界を作り上げ、千葉真一さんご自身が日本の刀のような、何にも負けないはず方なのに。悔しいです。コロナが憎いです。今はゆっくり休んでください。ご冥福をお祈りします。合掌」と思いを記した[193][194][195]

『キイハンター』を筆頭に『網走番外地 南国の対決』と『不良番長 猪の鹿お蝶』で共演している谷隼人は、2019年に催された芸能活動60周年記念祝賀会で会ったのが最後だった[196]。『キイハンター』共演時には新宿の同じマンションに住んでいたという[197]

日本のアクション映画を切り開いた第一人者、千葉真一さんが逝去した(享年82)。銀幕の彼の姿は、なぜこんなにも観客の心を鷲づかみにしたのか。出世作『キイハンター』(1968~1972年)にまつわる秘話を、俳優・谷隼人が明かした。  当時はまだ東映に入って3年目。ペーペーの僕は、『キイハンター』シリーズでは“坊や”みたいな存在でした。メインどころの丹波哲郎さん、野際陽子さん、千葉真一さんに付いていくだけで精一杯でね。でも、あれほど貴重な5年間はなかった。 〈1968年に放送がスタートしたアクションドラマ『キイハンター』(TBS系)。東映が制作を担い、深作欣二、佐藤純彌といった名監督が演出を担当した同シリーズは、国際犯罪を題材に外国人キャストもふんだんに起用し、最盛期には視聴率30%超を連発。千葉を国民的スターに押し上げた。谷は新人諜報員役で出演し、ボス役の丹波、先輩の野際、千葉に可愛がられながら成長していく役どころだった〉  半年、1年たって徐々に自分も人気が出てきて、千葉さんと絡むシーンも増えてきました。千葉さんは日体大時代に体操でオリンピックを目指していたような人。かたや私は夜の街で黒服を着ていた不良。一緒にアクションするのは、それは大変でした。御殿場のロケでは、ジープに乗っていたら「おい谷、飛び降りるぞ!」って。走ってる車からですよ。爆薬が仕掛けられているなか、必死に身体を丸めて転がるように飛び降りました。まだスタントマンもいないし、俳優が全てやらなければならない時代。運動神経抜群の千葉さんはいいですけど、こちらはたまらない(笑)。  千葉さんは“身体での表現”に徹底的にこだわる人でした。しょっちゅうスタッフと演出のアイデアをぶつけ合っていて、爆発して吹っ飛ばされるシーンでトランポリンを使ったりね。今ならワイヤーを使って簡単に再現できるようなアクションを、試行錯誤しながら現場で試していた。  千葉さんは『キイハンター』で、アクションの立ち回りを改革した人でもありました。それまでのアクションは、例えば相手を捕まえて、はい、殴る……というように、ゆっくりしたテンポだったのが、襲い掛かってくる相手にいきなりカウンターを入れたり、“動きの速さ”を初めて見せた。細かい動作や相手との間合いの取り方まで、いろいろ教えてもらいました。

[198]

倉田保昭は訃報を聞き、「ショックで寂しかった」と語っている[199]東映演技研修所に一期生で通っていた倉田にとって、7歳上で既にスターとして活躍していた違いもあり、「『キイハンター』で特に意識し、“ああなりたい”と思うような憧れの先輩でしたね」と回想した[200]。1970年から香港映画に活動の場を移した倉田は、1974年に“和製ドラゴン”として凱旋帰国後、『直撃! 地獄拳』に出演[200]。同作では直接手合わせするシーンは無く[200]、あまり話す機会はなかったものの[200]、『バーディー大作戦』『Gメン'75』に出演していた時[199]近藤照男から「千葉真一ならこうだ、こうした」と倉田を発奮させるかのように幾度となく話をされ[199]、更に意識するようになっていた[199]。『必殺女拳士』でも共演するが同じシーンは無く、ようやく対面で演技をしたのは『服部半蔵 影の軍団』第2話「闇に潜む牝豹」[199]。終盤に決闘するシーンもあったが、『影の軍団シリーズ』のレギュラーを断っていたので、倉田はきっちり共演できていないという気持ちに駆られていた[199]。そのような思いから、倉田が製作する『マスター・オブ・サンダー 決戦!! 封魔龍虎伝』に出演してもらえるよう、自ら頼んでいる[199]。「当時、日本のアクション映画は若手が育っていなかったので、千葉さんと私がぶつかる姿を若手に教材として見せたい」「3度ほど、二人きりで10時間以上お話をして ようやく千葉さんはOKしてくれた」「千葉さんと最初にアクションを撮影する日には、ジャパンアクションクラブ (JAC) と倉田アクションクラブの門下生が大勢、セットへ見学に来たのが驚きだった」と振り返った[199]。撮影の合間に「作りたい映画を、何時間も語り合ったことが思い出深い」と語る倉田は、同作で共演以降、ほとんど会う機会も無く、「いつも私の片思いでした」と残念がっている[199]。倉田は出演作だと「『赤穂城断絶』が特に印象に残っている」と語り[200]、「何人ものスターを作り上げ、息子さん二人もスターになりつつある。その情熱は素晴らしいし、大変な方だと思います。亡くなられた時に思い出したのは、千葉さんと私が立ち回りで闘ったこと。私たちの時代、特に私は先輩がいらっしゃったからガンバレたし、目標としていつも背中を追い求めてきました。良い時代を過ごさせていただき、ありがとうございました」と追悼した[199]

影の軍団III』と『写真甲子園 0.5秒の夏』で共演した秋野暢子は「千葉真一さん……残念です」とブログで書き始め、「若い頃、東映スタジオで殺陣を教えていただきました。とても優しく、丁寧に指導してもらい、お優しい素敵な方」と、最近は会えなかったが、世界を代表するアクション俳優から指導を受けた思い出を振り返り、「とても頑強でお元気な方が、コロナ感染されるなんて信じられません」とショックを隠せず、「どうぞゆっくりおやすみください。ご冥福お祈りしています。合掌」と哀惜した[188][189][201][202]

20代のころに『織田信長』で共演した野村真美は、「ジャパンアクションクラブにお友達もいて、一緒にお食事をしたことも。今朝、テレビで見て『あぁ、そうか…』って言葉がない感じ。胸がつまる思いがありました」と偲んだ[203]

源義経』で共演した東山紀之は、悲報に「20代のころに共演させていただきましたが、千葉真一さんが時代劇の立ち回りにアクションを入れた最初の方なんです。今、世界中の映画で行われているアクションものの一番最初は千葉さんがお考えになったものなので、この功績は凄いです」と改めて存在の大きさを絶賛した[204][205]。真田広之と電子メールで連絡し、「真田さんは千葉さんという父親を亡くした。これは自然の摂理で、しょうがないことなんですが、僕らはその教えを次の世代に伝えていくっていうのが、これからますます大事になるねっていうやり取りをさせていただきました」と誓い合ったことを明かしている[204][205]

寺子屋ゆめ指南』で父娘役を演じた西田尚美は「千葉真一さん、信じられません 半年間、時代劇で私の父上様でした」と受け入れがたい心境を吐露した[35][206]。この時代劇は千葉と真瀬樹里の初共演作でもあり、西田は「千葉さんと娘さんの樹里ちゃんと殺陣のお稽古とか…私がふらふらになっても、千葉さんと樹里ちゃんはとても楽しそうで。なんて素晴らしい時間だったんだろう」と振り返りつつ、「ありがとうございました。心よりご冥福をお祈り致します」と結び、西田が2014年3月2日にリツイートした千葉、樹里、新田真剣佑、眞栄田郷敦の写真を添えている[35][206]

悪名シリーズ』で共演した的場浩司はオフィシャルブログで「ため息。笑顔が似合う気さくで偉大な先輩が逝かれた。“千葉真一さん”。偶然にも前回の写真は、千葉さんと初めて共演させて頂いた『悪名』のもの。京都のロケ現場で全身からオーラを放つ千葉さんに、緊張しながら御挨拶させて頂いた場面を思い出しました。優しい笑顔が印象に残っています。その後も御会いする度に色んなお話しを聞かせてくれました。千葉さんの御冥福を御祈り致します。朝からため息しか出ないよ」と沈痛の思いをつづった[188][189][207]

柳生十兵衛七番勝負』で共演した村上弘明は、世界的アクションスターとして活躍してきた様を「アクション・スタントにアクロバットを取り入れ、時代劇・現代劇を問わず、魅せる演技を創り上げた人で、旧来の殺陣に変革をもたらした[208]」と敬意を表した[209]。「決闘ではその一振りに鍛錬を重ねた荘厳さが感じられ、たいへん充実した立ち合いになったと思います。芝居に対するほとばしる情熱がまるで純粋な子供のようで、それがとても印象的でした[208][210]」と回想。その数年後に『柳生十兵衛七番勝負 最後の闘い』のリハーサル室に現れ[注釈 12]、村上に「やってるねー!相談事があったら、いつでも連絡して。待ってるからさ[208]」と名刺を渡し、立ち去ったという[209]。天国の千葉真一へ村上は「とても残念です。ご冥福をお祈りします[208]」と追悼した[209]

JAC OB OG
[編集]

創設したジャパンアクションクラブ (JAC) からは、愛弟子たちが追悼コメントを捧げた。

金田治は「千葉真一さんとの思い出は数えきれないほどあるが、同じ作品に出演したことよりも、一緒に練習し、JACの合宿、番組の企画でアメリカのアクション映画のロケ地を、千葉さんと二人で巡ったりなどのほうが印象に残っている。千葉さんの功績は、アクションの専門職を作ったこと。『自分だけが凄いアクションができてもダメだ』と言い、スタントマンが冷遇されていたなか、日本のアクションを変え、アメリカ映画に負けないスタントが日本でもできるというポリシーを持って続けてきた。僕は千葉さんが考えていたこと、やりたいことを今も自分なりに続けている。千葉さんがいなかったら僕はこの道に入っていないかもしれないし、アクションの仕事で飯を食えていないかもしれない。今の自分は存在していなかった[213]」と回想し、“日本アクション界の偉大な父”の冥福を祈った[213]

「見上げる空に」と題するブログにて[186]志穂美悦子は「それは、あまりに突然で、言葉にならない[186]」と綴るのが精一杯ながら[210]、「でもJACイズムは生きている。それぞれの場所で生きている[186]」と恩師の死を悼み、JACへの思いを記した[186][210]

真田広之は[210]、「子役の頃から、様々な事を学ばせて頂きました。何よりも、夢を抱くことの大切さを。志を受け継ぎ、走り続ける事が恩返しと心得ております。本当にお世話になりました。安らかにおやすみ下さい。合掌」と師匠を悼んだ[127][169][183][210]。 (⇒ #海外進出

ツイッターで伊原剛志は「千葉真一さん!40年前、18歳でJACに入って、目をかけて貰い『影の軍団IV』『コータローまかりとおる!』に抜擢してくれた。二人きりになると優しく、京都で良く一緒に走ったりトレーニングもした[35][210]」と思い出を回顧[35]。「俺が役者であるキッカケになった人だ!有難う御座いました。心からご冥福をお祈りします[35][210]」と人生に大きな影響を与えた名優をしのんでいる[35]

親交の有った芸能人
[編集]

千葉を敬愛する芸能関係者は多く[35]、親交していた芸能人も各々追悼している。

池畑慎之介はブログで偉大な名優との思い出として[35]、「53年ぐらい前の何かの雑誌に掲載されたもの。ピー(池畑)が16歳。千葉真一さんが29歳。野際陽子さんが30代前半。みんな若かった[214]」と3ショットを公開[35][214]。しみじみ振り返りつつ、「千葉真一さんのご冥福を心からお祈りいたします。合掌[214]」と哀悼した[35][188][215]

オスマン・サンコンは日本でタレント活動し始めたころに知り合い、それからは“千葉のアニキ”と慕っていた[151][152]。「コロナでアニキが亡くなったのはショックだった。千葉さんはサムライね!アニキほど、アフリカのことを考えてくれた俳優はいなかった」と語り、千葉が創ったJAC (JAPAN ACTION CLUB) の顧問に令和4年4月、就任している[152]。 (⇒ #2010年代

空手道を通じ、交流があった長嶋一茂は「本当に残念」と切り出し、「千葉さんは僕が傾倒する空手団体の門下生で、四段を允許されているし、トーナメントにも出ている。それぐらい凄い方で、小中学校時代には千葉さんの強さについて話を聞いていた」と振り返った[216]。2019年に開催された空手の世界大会では「お会いして。黒づくめのスーツでお洒落なハットを被って、『一茂くん』と来てくれて。本当に格好良くて、ほとんどしゃべれなかったが、こういう年の取り方ができたらいいなって。憧れの方だった」とも語った[216][217]。「生き方や生きざまでの判断・決断だったと思うので、ワクチンを打っていれば…と悔やまれるが、打たなかった千葉さん、変な言い方ですけど、格好良かったなっていう風に思う。ただ残念であることは間違いないです」と偲んでいる[216][217]。 (⇒ #極真カラテ

体操界・日体大

[編集]

1964年東京オリンピックの体操競技で女子団体銅メダルを獲得した千葉吟子は突然の訃報に、「選手としての実力は相当なものだった。在学中の1年半を一緒に練習していたが、男性なのに柔らかくて、とても素敵な演技をしていた。同期のみんなは彼が入学した時からオリンピック選手になれると思っていた」と振り返り、1960年ローマオリンピックの体操競技にも出場した吟子は「怪我をしていなければ、一緒に出場していたかもしれない。すごくハンサムで、女性は密かに憧れや気持ちを寄せていた」と回想[218]。「とにかく残念。新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) が終わったら、同期会をやろうって言っていたのに…。とても寂しいです」としんみり語った[218]。 (⇒ #オリンピックを目指して#プロレス界#器械体操

松浪健四郎は1か月前に話したばかりだったので、「残念だね…」と絶句した[219]。2019年に芸能生活60周年パーティーが催された時、“エッサッサ”を、80歳で現役学生と共に白いパンツ一丁でやり通した姿に、松浪は「あれはきつくて、でも引き締まった美しい肉体で見事なエッサッサを見せてくれた」と衰えぬ身体に驚いている[219]。同大学の特別卒業第1号に認定されたときは「すごく喜んでくれて、ずっと中退が心残りだったと思う。五輪壮行会にも二つ返事で駆けつけてくれた」と母校愛がとても強く、スターを育成したい気持ちから「アクションスター学科を作ってほしい」といつも話していたと回想し、哀悼の意を表した[219]。 (⇒ #2010年代#最期#2022年#プロレス界

格闘技界

[編集]
極真カラテ
[編集]

山崎照朝は自身の格闘技コラム“撃戦記”にて、「訃報には驚いた。暗いニュースだった」と嘆き、「千葉さんは極真会館の前身・大山道場に入門しており、私の大先輩でもある。俳優になる前は器械体操の選手として、五輪を目指すほどの実力を持っていた。私が大学生の頃、稽古でご一緒したこともある。嗜むスポーツは多彩で、アクションスターとして格好いい存在だった」と、その経歴・印象や在りし日の思い出を振り返りながら、追悼を寄せている[220]

「本当に格好よく、小学生の時に『キイハンター』を観ていて、身体のキレが素晴らしく、憧れていました」と語る八代英輝は、「中学・高校と6年間、本部道場に通っていた際、直接教えて頂く機会に恵まれた。あの時、間違いなく日本で一番強かったですね。稽古の一つにスクワットして前蹴り100回を10本するんですが、物凄くキツいこの鍛錬を最前列に立ち、笑顔で一緒にこなされていたのが深く脳裏に焼き付いている。それから20年ほど経ち、映画の仕事で千葉さんとニューヨークで再会できたが、僕のことを覚えていてくれて、とても嬉しかったですね。多くの人材を育て上げた実績もある」と追憶している[221][222]

松井章奎極真会館 松井派の公式サイトで「千葉真一氏の訃報に接し、謹んで哀悼の意を表します」と声明を出した[106][223]。大山道場で修行を始め、『けんか空手シリーズ』の主演、1977年にハワイ州で開催された極真日本代表 vs ハワイ代表の試合に参戦[106]、ジャパンアクションクラブを率いて第3回全世界空手道選手権大会でアクションの演武、松井体制では総本部相談役として大会に出席するとファンにサインをねだられるなど[106]、極真を世に広めた大きな功労を紹介・感謝し、冥福を祈っている[106][223]

(⇒ #Sonny Chiba#2022年#親交の有った芸能人#格闘作品#空手道

プロレス界
[編集]

船木誠勝は「千葉真一さんがお亡くなりになられました。『新 影の軍団シリーズ』の撮影時に大変お世話になりました。本当にありがとうございます。心より御冥福をお祈り致します」とオフィシャルブログに綴った[224]。「撮影でご一緒する機会が多く、千葉さんは台詞を大きな紙に書き、台本の代わりに持ち歩いていた。私がYouTubeの脚本を書いているのも、あの時の千葉さんが頭の片隅にあるんでしょうね」と回想しつつ、大スターへ哀悼の意を表している[225]

永田裕志は「日本体育大学の偉大な大先輩で、何度かお会いさせて頂きました。いつも優しい言葉をかけて頂きました。ご冥福をお祈りします」とTwitterでお悔やみの言葉を寄せた[226]。同大学の先輩に紹介されて知り合った永田は、「なんてご挨拶したらいいか分からなくて、ひたすら『新日本プロレスの永田裕志です』と自己紹介した。紳士というか、偉ぶることなく優しい言葉で接してくれて、いたく感動したのを覚えている」、母校で催された2016年リオデジャネイロオリンピックの代表になった選手の壮行会では「敬語でお話され、こちらが申し訳なく思った」、アントニオ猪木藤原喜明らが参加した会合でも「優しく声をかけてもらったことが忘れられない」、「かっこいい方だったなあ。アクションスターの先駆けのような存在だったし。心よりお悔やみ申し上げます」と振り返り、しんみりと悼んでいる[227]。 (⇒ #体操界・日体大

追悼(海外)

[編集]

追悼(欧米)

[編集]

アメリカ合衆国では、『バラエティ[30][228][229][230]』、『ハリウッド・リポーター[228]』、『Deadline.com[229]』といった業界誌はもちろん[228][229]、『ニューヨーク・タイムズ[228][231]』『ロサンゼルス・タイムズ[228]』『ワシントン・ポスト[228]』といった主要一般紙[228]、『ニューヨーク・ポスト』などのニュースサイト[229]CNNエンターテインメントをはじめとするテレビでも[229][231]、その死が大々的に報じられた[228][229]。映画にしてもテレビドラマにしても、自国製の作品のみで十分に調えて供給できるアメリカでは、外国人俳優に対する一般人の関心が決して高くないことを踏まえると、Sonny Chiba(サニー千葉)は例外的存在だったと言える[228]。各媒体とも新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) による合併症で亡くなったことから始まり[228]、出生地から生い立ち[228][230]、器械体操と空手道の修練[30][230]、長く尊敬されるキャリアを築いてきた俳優であることをしっかり紹介[228][229][230]。さまざまな作品に出演し、欧米で知名度を一気に上げた代表作『殺人拳シリーズ』にも言及している[16][228]。 (⇒ #Sonny Chiba#格闘作品#空手道

アカデミー賞公式Twitterは千葉の訃報に触れ、追悼メッセージを発表した[232][233]

イギリスインデペンデントは「『キル・ビル』などで知られる日本の有名なベテランスターは、新型コロナが原因で死去した」と速報し、フランスBFM TV は「彼は絶望の危機に瀕している日本映画の真の伝説」と評し、世界中の千葉作品を愛したファンたちも、SNS などで「RIP(安らかに眠れ)」とメッセージを投稿した[234]

追悼(アジア)

[編集]

中華人民共和国では、新京報新浪微博にて[235]環球時報は電子版で[236]、それぞれ訃報を流した[235][236]。半世紀を超える芸歴を持つ大ベテランであり、映画監督や歌手などマルチな才能を持っていたことを伝えている[235]。多くのネットユーザーがお悔やみの言葉を残し、「千葉真一死去」が微博のホットワードランキング上位に登場した[235]

大韓民国では共同通信社[237]AFP通信NHK[238]、ソースにして報道し[237][238]、芸能人としてだけでなく、大山倍達の弟子としても訃報が流され、多くの追悼の声が数多く寄せられている[237][238][239][240]。大ファンであると公言するリュ・スンワンは2024年に再来日した際、「以前、千葉真一先生にお会いできて、本当に光栄でした。数年前にお亡くなりになられて、とても胸が痛みました」と9年前の対面を振り返り、お悔やみを述べていた[241][242][243]

(⇒ #Sonny Chiba#海外進出#格闘作品#外国作品#ファン(海外)

没後

[編集]

2021年

[編集]

数々の代表作を放送、パッケージ販売、リバイバル上映など、追悼企画としてそれぞれ催された。

スカパー! は死去翌日の8月20日、『キイハンター』『現代鬼婆考 殺愛』のほか、『激突! 殺人拳』『やくざ刑事シリーズ』『麻薬売春Gメンシリーズ』『あゝ同期の桜』『仁義なき戦い 広島死闘篇』『いつかギラギラする日』や、『赤穂城断絶』『太閤記』『徳川家康』など、主演・出演した作品を放送すると発表した[244]BSテレビ東京は24日に『エイセス / 大空の誓い』を29日21時から追悼放送するとアナウンス[245][246]同局プロデューサーは「敬老の日に、世界の名優たちと同列に活躍する千葉真一さんへリスペクトを込めて放映する準備をしていたが、突然の訃報により急遽追悼放送になってしまった…。(自身が)昭和の映画少年として、千葉さんが出演する数々の作品から影響を受けたものは計り知れず、その勇姿を心に刻んでほしい」とコメントを寄せている[245][246]。地元のチバテレは主演・アクション監督の映画『戦国自衛隊』を「千葉真一追悼番組」として10月10日に放送し[247]東映チャンネルは「映画界最強の男 千葉真一特集」 と銘打ち、11月は『魔界転生』『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』『『ゴルゴ13 九竜の首』『けんか空手 極真拳』『けんか空手 極真無頼拳』『やくざ刑事 俺たちに墓はない』、12月は『柳生一族の陰謀』『仁義なき戦い 広島死闘篇』『狼やくざ 殺しは俺がやる』『激突! 殺人拳』『殺人拳2』『警視庁物語 不在証明』、翌年1月は『カミカゼ野郎 真昼の決斗』『直撃! 地獄拳』『日本暗殺秘録』『忍者武芸帖 百地三太夫』『狼やくざ 葬いは俺が出す』『逆襲! 殺人拳』、翌年2月は『直撃地獄拳 大逆転』『少林寺拳法』『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』『ボディガード牙』『子連れ殺人拳』『空手バカ一代』と、4か月間に代表作24本を特集放映した[248]時代劇専門チャンネルは「ありがとう!千葉真一〜ジャパニーズ・ニンジャ・アクションスター〜」と題して11月に『服部半蔵 影の軍団』と12月に『柳生一族の陰謀』を各々全話ラインナップし、『里見八犬伝』『伊賀忍法帖』『赤穂城断絶』の映画と併せて放送した[249]

東映ビデオは9月10日に代表作の『逆襲! 殺人拳』と『子連れ殺人拳』を、同年12月8日に初DVD化して販売することを発表し[250]、販売した[251]

新文芸坐では10月2日に『ボディガード牙』『激突! 殺人拳』『直撃地獄拳 大逆転』『子連れ殺人拳』のオールナイト上映会が[250]、同月20日から30日には同所で“六つの黒帯を持つ男 世界のアクションスター 追悼・千葉真一”と題して、『直撃地獄拳 大逆転』『激突! 殺人拳』『けんか空手 極真拳』『少林寺拳法』『脱走遊戯』『ゴルゴ13 九竜の首』『沖縄やくざ戦争』『仁義なき戦い 広島死闘篇』『柳生一族の陰謀』『魔界転生』『ボディガード牙』『子連れ殺人拳』をラインナップし、特集上映会が開催された[252]

2022年

[編集]

誕生日の1月22日、新田真剣佑眞栄田郷敦を筆頭に[102]栗原敏関根大学若山騎一郎・西田真吾を発起人とした[253]、「〜さらば!千葉真一〜 千葉真一さんお別れの会」が増上寺の光摂殿でしめやかに営まれた[254]。自身が描いた富士山油絵を約4,000本のスプレーマム白菊キキョウ・ブルーデルフィニウムによる色鮮やかな花々で再現された祭壇には[255][256]、『戦国自衛隊』のオフショットを遺影に据え[253][256]、その手前には同作で使用された日本刀ヘルメットで装飾[102]。メモリアルコーナーには等身大パネルや[253]、柳生十兵衛の日本刀・アイパッチや愛用の空手道衣など[102]、私物から撮影で使用された小道具まで幅広く展示された[256]。恩人である高倉健・深作欣二・大山倍達へメッセージを送り[102]雪山で大山と組手[105]、ハワイで開催された「日本代表極真チーム対ハワイ代表チーム」の日本代表として参戦し[102]、前蹴りから飛び後ろ回し蹴りの連続技[102]、後ろ蹴りがヒットするシーン[105]、最後はボディ連打でKOするシーンなど[105]、在りし日の姿が映像で紹介されている[102][105]BGMとしてお気に入りだった「ララバイ・オブ・ユー / LULLABY OF YOU」などが流された[256]。真剣佑は海外、郷敦は大阪府での仕事のため、連名で「父と同じ俳優となり、もう少し話しておけば良かった」と他界を悔やみ、「僕たちの心の中に父親、俳優としての千葉真一が今も変わらず息づいています」とと直筆の手紙を会に託し、メッセージを送った[102][254]弔辞では西田真吾・関本郁夫岡崎二朗が、それぞれ哀悼の意を捧げた[102][257]。新型コロナウイルスの感染対策を徹底した上で、午前の一般の部にファンが、夕方から「共に闘った戦友達のお見送り」として関係者が、合わせて約500人が参列[258]。涙ながらに献花をするファンの姿も見られた[256]。 (⇒ #Sonny Chiba#ジャンルを越えた活躍#最期#極真カラテ#アクション作品#空手道#家族

2月20日、沖縄県那覇市ぶんかテンブス館にて、沖縄映画研究会は「沖縄への視角 千葉真一主演作を手がかりとして」と題し、第10回研究発表会をオンライン開催し、主演作や人柄を振り返った[37]。沖縄を舞台・題材にした主演作品には「沖縄と本土の深い溝を描かれている」と同会代表の世良利和は指摘し、1976年に国内公開された『脱走遊戯』、『沖縄やくざ戦争』などを紹介[37]。世良は「他の役者も沖縄のやくざを演じているが、千葉さんは別格。うちなーぐちも話し、三線にあわせて空手道の演武もやって見せる、堂々たる主演作だ」と評した[37]。このほかには台湾から国立政治大学非常勤講師李政亮による発表や、映画監督の當間早志とNPO法人・シネマラボ突貫小僧代表の平良竜次は「千葉さんは演技や役作り、アクションで創意工夫をする方だった。役者だけでなく、作り手側の人でもあった」と言及[37]。併せて2016年に収録したインタビュー動画は、本人のみと中島貞夫と一緒に行われたものが、それぞれ上映された[37]

3月27日に開催された第94回アカデミー賞では、授賞式恒例の追悼コーナーであるイン・メモリアム英語版にて、「SONNY CHIBA ACTOR MARTIAL ARTIST」と紹介され、俳優だけでなく、格闘家としても、その偉業をたたえられた[259][260][261]

8月17日、真瀬樹里を喪主として「千葉真一さんを偲ぶ会」がリーガロイヤルホテル東京で催された[262][263][264]。発起人は若泉久朗(KADOKAWA執行役員)、松浪健四郎熊谷俊人、倉田保昭、中島貞夫、金子修介北村龍平深作健太、谷隼人、真田広之、兵頭慶爾(サンライズジャパン代表取締役)、金田治、西本良治郎(ジャパンアクションエンタープライズ代表取締役副社長)、鈴木哲也(アストライア代表)[265]。主催:アストライア、協力:ジャパンアクションエンタープライズ、東映エージエンシー[265]。もともとは1月22日に開催する予定だったが、オミクロン株の感染拡大で首都圏にまん延防止等重点措置が敷かれたので、延期されていた[266][267][268][269]。白い胡蝶蘭や白いカーネーションなどで彩られた祭壇には真瀬が選んだ写真と、出演した映画のポスターや野際陽子らとのプライベート写真などが飾られた[270]。午後1時から関係者の部、午後3時からジャパンアクションクラブ関係者の部では約100人が参列し、午後5時から一般の部の3部に約50人が来場し、それぞれ献花を行った[271][272]。千葉と生前親交のあった芸能関係者らが続々と詰めかけ[272]別所哲也、谷隼人、デヴィ・スカルノオスマン・サンコン錦野旦、松浪健四郎、金子修介、河崎実ら、計約250人が出席した[271][273]北島三郎三田佳子、志穂美悦子、明石家さんま関根勤小堺一機坂上忍、伊原剛志らより、花が届けられた[271]

8月19日、大願寺で一周忌法要が、新田真剣佑と眞栄田郷敦を願主にして営まれた[274]。真剣佑と郷敦は仕事で欠席したが、連名で「またこうして故人の思いを皆さまと共に分かち合い、新たな絆が生まれました」とメッセージを寄せた[274]。祭壇には主演映画『魔界転生』(1981年)で務めた柳生十兵衛役の写真などが遺影として飾られ、大村崑山田隆夫、若山騎一郎ら約100人が参列した[274]

2023年

[編集]

84回目の誕生日となる1月22日[275][276]、新田真剣佑と眞栄田郷敦は一緒にそれぞれの結婚を発表した[275][276][277][278][279][280]。真剣佑と郷敦は「父の誕生日である1月22日に揃って発表しよう」と事前に決めていたので[275][276][277][278][280]、兄弟の結束の強さを示す格好となった[279]。生前、真剣佑と郷敦から妻となる女性たちを紹介され、食事を共にしており、息子たちの相手を気に入っていたことから、彼らの結婚を楽しみにしていた[275]。 (⇒ #家族

事績

[編集]

変身ヒーロー

[編集]
宇宙快速船』にて、横蹴り裏拳を同時に繰り出す。

デビュー作は1960年1月7日から放送された『新 七色仮面』で、次の『アラーの使者』にも主演し、まずはテレビドラマで人気を得る[28]。『新 七色仮面』は『七色仮面』から引き継がれた作品で、『七色仮面』では蘭光太郎を波島進、七色仮面をスーツアクターが分担して演じていた[281]。波島は古典的な仮面ヒーローの王道を行ったが、千葉はスーツアクターも兼務して、器械体操を活かしたアクションをふんだんに取り入れ、新しい七色仮面を編み出した[282][283]。その演技・スタント擬斗は、後に製作されていく変身ヒーローを題材とした特撮作品に、大きな影響を与えている[282][283]。『アラーの使者』も児童向け活劇だが、アクションは本格的で[284]、翌年の主演映画『宇宙快速船』のアクションヒーローに繋がっていく[285]。 (⇒ #アクションスター

アクション作品

[編集]
風来坊探偵 岬を渡る黒い風』にて、ウィンチェスターライフルを手にする。中央は曽根晴美。

1961年の『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』では、危ないシーンはスタントマンに任せるのが主流な時代に、「わざわざ吹き替えしてもらわなくても、自分でやりますよ」と申し出たので、映画スタッフは「さすが日体大だけに凄いことをやる」と驚かれた[57]。『風来坊探偵シリーズ』を監督した深作欣二は、文芸ものよりもアクション作品を好み、「肉体こそ俳優の言葉」が口ぐせだったので、千葉真一自身も座右の銘にしている[注釈 13]ニュー東映のホープとして主演した『ファンキーハットの快男児シリーズ』では[286]カーチェイス、左右に開脚して2人の敵を同時に倒す跳び蹴り[26]、器械体操で培った筋骨隆々な肉体美を[287]大車輪で披露している。こののち千葉と深作は23の作品でコンビを組み、ヒットを連発していく[34]。 (⇒ #アクションスター#キイハンター

宣伝担当の福永邦昭は「器械体操で鍛え上げた肉体と抜群の運動神経で、新しいアクション俳優の誕生と騒がれたが、東映が彼を生かしきれなかった[67]」と振り返っており、高倉健から「アクションスターは、アクションしかできないという決めつけがあるから、その印象を世間に持たれないほうがいい」と忠告されたので、ドンパチの活劇だけでなく青春ものをやりたいなとも思っていた[288]。それでも東映は映画・テレビとジャンルを問わず、アクションスターであることを千葉へ常に求めていくこととなる[32]。3, 4年ほど悩んだ末、やる以上、誰にも負けない完全にアクションのできる役者に成ろうと決意した[289]。 (⇒ #格闘作品

1966年の『カミカゼ野郎 真昼の決斗』は中華民国ロケーション撮影され、離陸する軽飛行機の翼に飛びつき乗り込むスタントをした[26][290]。疾走する自動車を追いかけアンテナに飛びつくスタントでは、後輪の跳ねた石が脛に突き刺さり、台湾で一週間入院する代償を払っている[291]。傷だらけになりながらもスタントを演じきったが[290]、『柔道一代 講道館の鬼』(1964年)に続いてケガしたため、父親を受取人にして傷害保険生命保険を契約[291]。1970年の『やくざ刑事シリーズ』では、クランクイン前に約1億円の保険に加入した[292]。同シリーズは後の作品にも影響を与えており、1999年の『マトリックス』でキアヌ・リーブス扮する主人公が片手側転しながらマシンガンを連射するシーンは、第一作の『やくざ刑事』で千葉が右手で拳銃を撃ちながら、片手で側転するスタントが原型となっている[293]。 (⇒ #キイハンター#格闘作品#ファン

芸能生活20周年記念作品である『戦国自衛隊』(1979年)で[121]、主演と日本映画初のアクション監督を兼務した[17]時速100キロメートルで飛ぶヘリコプターロープ1本でぶら下がり、乗馬では同年の『闇の狩人』に続き、地面にあるを左右に傾き、拾い上げるスタントを演じたほか、ヘリコプターから宙吊りになるシーンは自前のハイスピードカメラを足に括りつけて撮影し[32]、騎手の目線を写すためにカメラを取り付けたヘルメットを被り乗馬するなど[294][注釈 14]、アクション監督として撮影を自ら行っており、これらの敢行はスタッフをとても心配させた[32]の脇腹に隠れての乗馬は、『柳生一族の陰謀』第27話「美女と野獣」で千葉が、既に演じていたものをジャパンアクションクラブ (JAC) のメンバーに再現させ、『戦略大作戦』を意識して演出をしている[28]、1980年にブルーリボン賞のスタッフ賞を受賞した。 (⇒ #ジャンルを越えた活躍#2022年

東映から「好きな映画を作っていい」と許可され、企画した1981年の主演作『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-』は、フランス映画冒険者たち』をオマージュした作品で、空手・拳法の達人や剣豪・忍者とは異なるしがない大学職員に扮して活劇を演じた[123]。前年の『忍者武芸帖 百地三太夫』ではワイヤーアクションを初めて取り入れ、『吼えろ鉄拳』と同様に俳優とアクション監督を兼ね、『燃える勇者』ではアクション監修に携わった。1989年の『将軍家光の乱心 激突』では再び、アクション監督と俳優を兼務したが、この作品は第39回ベルリン国際映画祭に招待された。1990年にはプロデューサーと初の監督を兼ねた映画『リメインズ 美しき勇者たち』を手がけ、アクション映画の全盛期を牽引していた。

これまで話題作に数多く主演してきたが、それとは裏腹に「アメリカで撮影が始まるときには『Ready camera. Action!』と声がかかる。“アクション”は本来『あらゆる演技』を意味するものだけど[295]、『体が動くからアクション俳優をやれ』と要望通りに何でも演じてきたことで、日本では逆にアクションのみが先行してしまい、あまり良くないイメージを持たれた[295][296]」と複雑な心情を吐露している。 (⇒ #アクションスター#ジャンルを越えた活躍

音楽

[編集]

1963年に「男一匹生きるなら」で歌手デビュー1967年には“千葉真一とザ・サタンズ”を結成した[62][63]。自身はグループ・サウンズのリーダー[63]、メンバーにはドラマー兼ライブの司会者で潮健児、もう1人のドラムサイドギターベースギター電子オルガンリードギターの5人は高校の後輩である[63]。バンド名の由来は漫画『悪魔くん』が好きな千葉が名付けたもの[290]。主な楽曲には1968年の「女の片えくぼ」があり、同年5月11日に放送された『キイハンター』第6話「影のメロディー」では、風間洋介(千葉)と谷口ユミ(大川栄子)がゴーゴー喫茶で踊るシーンの劇伴に流され、ザ・サタンズもバックバンドのメンバーとして出演している。このほか映画やドラマの主題歌も歌い、作詞・作曲も手掛けた。 (⇒ #アクションスター#ジャンルを越えた活躍#キイハンター#ディスコグラフィ

キイハンター

[編集]

キイハンター』(1968年 - 1973年)は、瞬く間に視聴率は30パーセントを超え、1年の放送予定が5年に延ばされた[69][297]。山頂駅を出発したを行き来するロープウェイワイヤを投げてぶら下がってからよじ登り、走行する列車バスに飛び降りて屋根で敵と格闘、自動車から並走する軽飛行機に飛び移る、雪渓から回転しながら転落、滑落しそうなの前で格闘など、数々のスタントを演じているがケガも絶えず、大きなものでは左足首骨折や日本刀を斬られたこともある[291][298][299][300]。 (⇒ #アクション作品

本作の脚本は映画に比べるとアクションが詳細に指定されていなかったので、良いものを作りたい一心で積極的にアイデアを出すが、経費を気にするスタッフと対立することもあった[289]。しかし視聴率が上がっていき、千葉のアイデアはどんどん採用されていくこととなる[289]。他の作品でも俳優という立場ながら、撮影現場でいろいろと提案し続ける“米国流”の仕事の進め方は、深作欣二のようにアイデアを喜んで受け入れる者もいたが、対照的に煙たがるスタッフもおり、後年渡米する理由の一つとなっている[29]

国内では1969年近代映画10月号臨時増刊では『千葉真一特集号』を刊行され、週刊マーガレットでは同年のNo.17から『千葉真一物語』が連載されるなど、人気はさらに上昇していった[26][69]海外でもオンエアされ、ブルース・リーは千葉の大ファンとなり[67]、その活躍に深い興味を示して共演の申し入れをしてきたが[26]、リーの突然の死により実現しなかった[26][67]。千葉のアクションやスタントを観てから熱狂的なファンとなったジャッキー・チェンは、千葉のようなアクションスターになる夢を抱いていた[72]。 (⇒ #ファン(海外)

香港タイ王国で『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』(1973年)、『激殺! 邪道拳』『ゴルゴ13 九竜の首』(1977年)、『HAKEN 覇拳 ふりむけば修羅』『地雷原 A mine field.』(1992年)など、千葉の主演監督作品がロケーション撮影された際には現地で大歓迎されている。中島貞夫は『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』をタイの製作会社からの資本参加を得てロケができた理由の一つに、『キイハンター』が当地で放送されており、千葉の人気が高かったことを挙げている[301]。 (⇒ #ファン

共演者の野際陽子は「ともかく熱意が凄くて、ケガすると普通はビビるのがそれ位以上のことに挑戦して成功する“怖いもの知らず”。でもサボテンだけは怖いんですって[290]」と証言している。千葉に比べると役者として駆け出しだった野際だが、放映し始めた頃のギャラは多くの映画に主演経験のある千葉より高かったので、「追い越してやる」と奮起させてくれる間柄でもあった[注釈 15]

谷隼人は「千葉さんは『キイハンター』で身体障害者のファンが増えた。“あなたのアクションは私たちの夢です”と言われ、自分のアクションが希望を与えるならと一層刺激を受けていた。彼らの施設にも寄付をしていた[290]」、

大川栄子は「俳優にならなかったら、体育の先生になっていたと、よく基本を教えてくれる[303]」と言っている。 (⇒ #音楽

宮内洋は千葉が爆発の中を駆け抜けるシーンを横のアングルから見ていた時、「カメラを通して観るように」と言われ、安全のために千葉は火薬と距離を取りアクションをしていたが、レンズの位置からみると「今にも火薬でやられてしまうような迫力だった」とその迫力の違いに驚愕していた[304]。『仮面ライダーV3』のオファーを受けた宮内は演技づくりのために『仮面ライダー』を何本かみて、「“アクションの神様”である千葉真一さんから教えを受けた私なら、変身前のアクションシーンをもっと盛り上げられると思った」とその影響を認めている[304]。このほかにも「(V3の)アクションシーンで必ず手袋を着用したのは怪我を防ぐためだが、これは千葉さんのアイデアを取り入れたものだ[305]」と、アクションのノウハウを千葉から享受されていた。 (⇒ #アクションスター

1969年、『キイハンター』を休んで映画日本暗殺秘録』に主演TBSやファンから復帰の要望が高まっていたが[74]、風間洋介のイメージから脱皮しようと同作に賭ける思いはとても強かった[74]。中島貞夫と打ち合わせしながら小沼正を創り上げていき、撮影見学に来ていた小沼本人からもその演技は太鼓判を押された[74]。同作で京都市民映画祭の主演男優賞を受賞し、これが「様々な作品に出演していくためにも。『キイハンター』を卒業しよう[74]」と決意することとなる。降板をボス役の丹波哲郎に申し入れ[69][297]、丹波と東映は続けたかったが[297]、丹波は「千葉が居ないのでは『キイハンター』は成り立たない。だったら一度番組を終わらせよう」と理解を示し、大ヒットしていた同ドラマは1973年に終焉[69][297]。千葉は「丹波さんの決断にとても感謝している」と述懐している[297]

ジャパンアクションクラブ (JAC)

[編集]

1970年、アクション・擬斗を演じる相手やスタントマンの不足に悩み[注釈 16]アメリカ映画で活躍するような俳優・スタントマンの育成、若年層の教育に関心を持っていたことから、ジャパンアクションクラブ (JAC) を設立。結成式には若山富三郎が駆けつけてお祝いをしていた[307]。主な門下生には春田純一金田治西本良治郎山岡淳二大葉健二高橋利道・栗原敏・井上誠吾・志穂美悦子・真田広之・甲斐将馬・関根大学・稲田龍雄・斉藤一之・黒崎輝崎津隆介山田一善山本亨渡洋史高木淳也・伊原剛志・西田真吾・堤真一真矢武土家歩村松美香山口祥行らがおり、俳優・アクション監督・スタントマン・スーツアクターで活躍する人材を輩出[34]。指導者には千葉真一自身のほか、日本体育大学OBがアクション・スタントの為のトレーニング[308]石橋雅史空手道をそれぞれ教えていた[309]。 (⇒ #空手道

千葉真一の親友・夏八木勲[211][310]桜木健一[311]、ら所属していない俳優も練習に通っていた[211][310][311]。共に格闘映画を製作してきた橋本新一(脚本家・助監督)は「東映大部屋俳優だけでは千葉真一との擬斗を活かせることができなかったから、JACを作ったことで格闘映画の質は向上した」と評している[312]

トップスターでありながら、志穂美悦子の『女必殺拳』、真田広之の『忍者武芸帖 百地三太夫』『吼えろ鉄拳』『伊賀忍法帖』、大葉健二の『宇宙刑事ギャバン』、黒崎輝の『伊賀野カバ丸』『コータローまかりとおる』、村松美香の『旅少女』など、教え子たちの主演作品に助演として出演することも多い[313]。共に格闘映画を製作してきた橋本新一(脚本家・助監督)は「東映大部屋俳優だけでは彼の擬斗を活かせることができなかったから、JAC を作ったことで格闘映画の質は向上した」と評している[314]

30代前半でJAC創設を経て育成を続け、志穂美悦子の『女必殺拳』、真田広之の『忍者武芸帖 百地三太夫』『吼えろ鉄拳』『伊賀忍法帖』、大葉健二の『宇宙刑事ギャバン』、黒崎輝の『伊賀野カバ丸』『コータローまかりとおる』、村松美香の『旅少女』など、教え子たちの主演作品に助演[18]。自身がトップスターでありながら、後進の活躍に華を添える姿勢は、当時の映画スターでは珍しいことであった[18]。 (⇒ #転機#演劇#ファン(国内)

ヤクザ映画

[編集]

1966年から始まった『子守唄シリーズ』を成功させていたが[67]1973年の『仁義なき戦い 広島死闘篇』がそれまでのイメージを一新することとなる。

配役は予科練出身のヤクザ・山中正治に決まり、セリフも全て覚えて撮影に入る直前だった[61][70][315][316]。しかし狂犬のようなヤクザ・大友勝利を演じることが決まっていた北大路欣也が「大友はちょっと自信がない[59][70]。山中なら理解できる[59]」「大友は粗暴で下品すぎて、どうしても自分では演じられない[70][316]。山中をやらせてほしい[316]」と言い出し、配役の交代を要求した[59][61][70][316]。このようなリクエストは二度目で[注釈 9]、北大路は戦前からの大スターで東映の役員を兼務していた市川右太衛門の御曹司であることから、東映は北大路の求めを幾度となく受け入れてきた[59][60]

そのため日下部五朗と宣伝担当者らは千葉を突然訪ね、「山中と大友を交代してもらえないか」と調整することになる[59][61][70][316]。『日本暗殺秘録』に続いて『広島死闘篇』の脚本を執筆した笠原和夫は、小沼正の一面を山中のキャラクターに取り込んでいたこともあり、東映と笠原は「小沼を好演して受賞した千葉に山中を演じさせよう」とキャスティングしていた[316]。このような経緯から千葉も、小沼と山中に共通点を見出して役作りしてきたため、初めは交代に難色を示す[316]深作欣二は主役を二度も譲らざるを得なかった[注釈 9]、その心情を「さぞ悔しかったはずだ」と思い遣っている[59][60]。 (⇒ #アクションスター#転機

一方で深作は「毛並みがいいというか、血筋がいいというか、欣也にはヤクザ特有のヤニ臭さがない[317]。だから山中はできても[317]、大友を演じることは逆立ちしてもできない[59]」と見抜いており、「千葉に大友を演じさせるほうが、絶対おもしろくなる」と考えていた[59]。深作が配役の入れ替えに反対していないことを知り、その意図を想像して「似たような役を再び演じることは、俳優として停滞するのではないか[61][316]」と再考する[61][70]。最終的に「役作りをし直すから、少し後に出番をずらしてほしい」と交代を了承した[61][70][316]

この時、中島貞夫も「大友をやるべき」と説得しており、「千葉ちゃんはサクさん(深作欣二)ともよく付き合っていたけど、肝心なところでは僕の意見を聞いてくれた」と話している[318]

ブロマイドの売上げが俳優部門で4年連続No.1のアイドルでもあったが[69][61][70][77][319]、過激なセリフに悩みながら「これまで良いと思ったものを全て捨てる」という姿勢で、サングラスを常時掛けて眼を隠し、唇を裏返しにして糊付けするなど、役柄にふさわしい演技・扮装を工夫した[70][320]。そして作り上げた大友勝利はシリーズ中1, 2を争う名キャラクターとして人気をつかんでおり[61][77][78]、後のヤクザ映画でも「『仁義なき戦い』の千葉真一さんがやった大友勝利のような」と影響を与え続け、ヤクザ役のひな型となっている[60]。封切り公開されると千葉のイメージチェンジは話題となり[28][61][70][296]俳優座養成所1期生で千葉と何度か共演している岩崎加根子などからも絶賛され[321]、それを聞いた千葉は「とても自信がついた。悪役の妙味を知ることができ、実に大きなものを与えてくれた作品だった」と語っている[61][70]。大友勝利は人気キャラクターだけあって主人公にした企画が出され[61]、『仁義なき戦い 頂上作戦』にも大友で出演する予定だったが[322]、『広島死闘篇』と同時進行で『柔道一代シリーズ』以来、10年ぶりの格闘映画にクランクインしたため、『仁義なき戦いシリーズ』の再出演は実現しなかった[79]。 (⇒ #転機

多くのヤクザ映画を手掛けてきた俊藤浩滋は「役者でいうと高倉健タイプかな。(ヤクザ映画で)行動派を演じさせれば、ピッと光るものがある」と評している[323]

格闘作品

[編集]

1963年から始まる『柔道一代シリーズ』に主演したのが最初の格闘映画で、第二作『柔道一代 講道館の鬼』(1964年)の乱闘シーンで骨折してしまった[291]。1963年11月には『空手風雲録』の撮影に備え、空手道場跳び蹴りを繰り出す姿が残されている[324]。 (⇒ #極真カラテ#アクション作品#空手道

Sonny Chibaサイン

1973年の『ボディガード牙シリーズ』で、10年ぶりに格闘作品へカムバック。翌年の『激突! 殺人拳』は、ヤクザ映画が下火になっていた東映にとって、久々の大ヒットを飛ばす作品となった[28][325]アメリカ合衆国ヨーロッパオーストラリアカナダの映画会社も『激突! 殺人拳』を買い付けに来ていた[86]。なかでもニュー・ライン・シネマは当初ヤクザ映画を購入するつもりだったが、本作を見て心変わりし、「ブルース・リー以上だ。素晴らしい[86]」と評して興行権を買い取り、『The Street Fighter』とタイトルをつけ、千葉をSonny Chiba(サニー ちば)とネーミングし[12][13][15][28][注釈 4]、アメリカ国内で興行を開始した[29][86][87]。この後、ニュー・ライン・シネマは次々と千葉の作品を興行していく[12][16]。 (⇒ #Sonny Chiba

千葉真一の作品が欧米で大ヒットした要因として[16] 、「リーの舞踊劇的な功夫と違い、ワザと力もより本物に近く、迫力がある[86][231]」「器械体操を利用した、トランジスター的器用さが面白い[86]」と評されており、計四作の『殺人拳シリーズ』として封切りされた[16][326]忍者の末裔に扮した同年の主演作『直撃! 地獄拳』は[38]、千葉のスピードあるアクションと石井輝男のユーモアとウィットを盛り込んだ演出が組み合わされた作品で、1974年度に4億1700万円の配給収入を上げ、同年度の日本映画配給収入ランキング第5位に入り、アメリカでは『The Executioner』というタイトルで1999年現在、10万本以上のビデオが売れている[327]。 (⇒ #海外進出#空手道

海外ではマーシャルアーツの大スターである"Sonny Chiba"の熱狂的な人気は根強[91][注釈 17]キアヌ・リーブス[29][95]クエンティン・タランティーノ[30]リュ・スンワン[97][241][242][243]、らの著名人の熱烈なファンがおり、谷川貞治は「千葉さんの映画のおかげで格闘技人口がかなり増え、格闘技界の宝だ[328]」と述べている。 (⇒ #追悼(アジア)#ファン(海外)

岡田茂 (東映) は「(主人公と)牛との格闘を欧州ではびっくりして、えらく受けている[81]ショウ・ブラザーズが千葉真一の空手映画を購入してシンガポールでも大ヒット[329]東南アジア映画祭ジャカルタへ行ったときも、抜群の動員力と人気を上げていた[329]。千葉くんの空手が入って、東南アジア全域で当たり、すごい人気だ[330]。東洋でナンバーワンなんだから、あのアクションをやらせたら世界に(千葉真一以外)いないんじゃないかな[330]」と世界各地の人気・商況・反響を語っている。この頃フランシス・フォード・コッポラは「千葉真一とアル・パチーノの共演で映画を製作したい」と東映へオファーし[81]、千葉も「海外で勝負させてください」と岡田に懇望したが[331]、「まだその時期ではない」と認められなかった[34]。 (⇒ #海外進出

けんか空手シリーズ』や『子連れ殺人拳』で千葉とタッグを組んだ山口和彦は「常に自分しかできないアクションを見せることに徹していた。熱心な男で現場でいろいろなアイデアを出してくる。全てのアイデアを聞き入れることはできなかったが、自分がアクション映画を変えるんだという、その意気込みは凄かった。そうやって彼は自分の代わりが居ないところまで到達したからね。千葉真一というアクションスターは永遠に残っていくよ」と評している[332]

(⇒ #Sonny Chiba#空手道

人間ドラマ

[編集]

アクションスターとして大画面をいっぱいに暴れまわっていた同時期、アクション・格闘・スタントを主としない対照的な作品に主演をし、静の演技を見せ、主戦場のアクション映画・アクションドラマで魅せる姿とは対照的であった[125][126]

1976年のドラマ『七色とんがらし』を皮切りに、1978年には鎌田敏夫脚本の『十字路』に主演し、不器用ながら朴訥な男を演じていた[125][126]

インタビュー番組を視聴した山田太一は、(千葉真一に)だけでない一面を感じ取り、主演ドラマを書き下ろしたのが、1986年の『深夜にようこそ』である[126]。サラリーマンの悲哀を感じさせる中年を丁寧に演じ、長ゼリフを淡々と、しかし静かに感情を込めながら、発していた[126]。その3年後にも山田とタッグを組み、主演したのが『夢に見た日々』で、挫折を引きずり続ける男に扮し、真実味を与えていた[126]

いずれもキャリアを積んだ千葉真一の役者としての成熟を感じさせる人間ドラマである[126]。 (⇒ #ジャンルを越えた活躍

時代劇

[編集]

1978年から本格的に時代劇へ進出するが、1963年の『八州遊侠伝 男の盃』以来であった。木刀殺陣の練習を1日8時間行い臨み、主演映画柳生一族の陰謀』では20mからへ飛び込むスタントをした。この作品は千葉が『裏柳生』というタイトルで深作欣二へ提出した企画がベースになっている[60][333][334][335][336]。深作は従来の時代劇でなく、もっとテンポのあるアクション時代劇を作りたかったので、その期待に応えられる俳優は千葉真一、ただ一人しかないと見定めていた[337]2012年ハリウッド映画アベンジャーズ』のサミュエル・L・ジャクソンが、扮した役柄は千葉の柳生十兵衛を参考としているなど、後世の作品にも影響を与え、根強い人気がある[93][338]。しかし十兵衛で長時間、左目に眼帯をしていたため千葉の右目は酷使され、視力を失い、人工レンズを入れる代償も払っていた[339]。 (⇒ #ジャンルを越えた活躍#ファン

千葉真一演ずる剣豪・忍者は、空手器械体操の技を取り入れたアクロバティックな殺陣で、人気を得ている[119][120][340]。その身体能力を活かしたド迫力の殺陣を時代劇の芝居に持ち込み、これまで表現できなかったアクロバティックな動きが、時代劇の殺陣で観れるようになった[341]。時代劇の表現が定形化し、大人しくなっていく中で、新たな可能性を追求・挑戦し続けたスターである[341]

2007年の『風林火山』を「いままで大河ドラマに不思議と縁が無く、ようやく(出演のオファーが)来たかと思った」と語っており[342]、共演した内野聖陽

思い出に残るシーンは、それはもちろん千葉真一さんとの殺陣でしょうね。僕も殺陣が非常に好きで普段から稽古しているんですが、千葉さんといえば世界的にも有名でアクションも凄いじゃないですか。そういう方と殺陣ができるのが、うれしくてしょうがなかった。千葉さんは「どっからでもかかっていらっしゃい」という感じで、どっしりと構えている。僕もこの大きな胸を借りて、思いっきりやってやれという感じで、やらせていただきました。千葉さんはすごく情熱的な方で、収録が終わっても若い人を集めて酒を飲みながら、演技について語っているんですよ。その仲間に僕も入れていただいて、電気が消えて「早く出て行ってください」と言われても、ひたすら飲んで語っていました(笑)。殺陣の極意をいろいろ聞かせていただいて、楽しかったですね。視聴者の方にはお教えできないテクニックも教わって、いろんな意味で勉強になりました(笑)。[343]

と語っている。

市川猿之助は『風林火山』がテレビドラマ初出演だったが、「現場がよかった。千葉真一さんは僕に付きっきりで、映像のことを教えてくれた」と撮影時の様子を振り返っている[344]

演劇

[編集]

1980年代、定期的にJACミュージカルを公演し、成功を収めていた[124]大地真央少年隊も観劇に来場しており、宝塚歌劇団を退団したばかりの大地は今後どういう方向性で行けば迷っていた頃で、「千葉さんにどうしてもご挨拶をしたい」と要望し、楽屋を訪ねて「刺激を受けました」と伝えている[345]。(⇒ #ジャンルを越えた活躍

JACの設立当初は吹き替えせずにアクションを演じられる俳優スタントマンを育成する場だったが、ウエスト・サイド物語に感動して「いつかはミュージカルをやりたい」という夢を抱いていた[346]、「肉体は俳優の言葉」というポリシーに「五体で喜怒哀楽を表現する」を加えて生徒を育てていく[296]、「役者を育てるにはミュージカルが一番だと気づいた[28]」、などミュージカル公演は悲願のひとつであった。高平哲郎1980年代後半からミュージカルやショー関係の舞台が多くなってきたときに、「脇を固めてくれるダンサーや役者は、ほとんどがJAC出身者か劇団四季の退団者だった」と述べている[28]。(⇒ #転機#ジャパンアクションクラブ (JAC)

外国作品

[編集]
ギャラクシーコン・ローリーのイベントで『キル・ビル』のザ・ブライドモデルの刀を構える(2019年)。
The Lonely Shepherd · Zamfir - Kill Bill Vol. 1 Original Soundtrack - YouTube

1966年以降、日本と外国の合作映画や海外資本の作品に主演し始め、1973年から主演し始めた格闘映画が国内外でヒットし始めると、アメリカらオファーが来たものの、東映の反対により進まなかったが、1990年代初頭に『エイセス / 大空の誓い』皮切りに、外国作品に出演し出した[347]

ハリウッド映画だけでなく、他の外国作品にも出演しており、香港映画では『風雲 ストームライダーズ』が代表作である。

2003年、クエンティン・タランティーノのアメリカ映画『キル・ビル』では“百代目 服部半蔵”として出演と、ユマ・サーマンルーシー・リューらハリウッドスターへ剣術指導をした[131]。サーマンは「Sonny(サニー)は大好きよ。私にとって彼は大スターだし、偉大な俳優だと思う[348]」と、一方のリューは「Sonnyは本当にいろいろなことを教えてくれた[349]」と、それぞれ語っている。

後輩の松方弘樹は千葉が海外で活躍している要因を

むちゃくちゃ仕事熱心な方です。しかも弱音を吐いたところを聞いたことがない。映画の現場では遅刻もしなければ、現場から早く自宅に帰ることもない。まじめなんですね。本当に頭が下がる思いです。もう一つかなわないことがあるんです。僕は割と交友関係は広い方なんですが、千葉さんは僕以上に友達が多い。だれとでもすぐに友達になるんですよね。ホントうらやましい。ハリウッドにポンと挑戦できちゃうのも、気さくな性格とこの交友関係の広さなんでしょうね。[34]

と評している。

人物

[編集]

器械体操

[編集]
鉄棒で大車輪をする(日本体育大学にて、1961年)。

君津市立君津中学校へ進学すると、進路に影響を与えることとなる体育教師の松本と出会う[39]。松本は千葉を陸上競技バレーボール野球投手で4番打者[46])など、複数の大会に出場させていた[39]1952年ヘルシンキオリンピックが開催されると、日本勢が体操競技でメダルを獲得したことにより、一大ブームが発生する[350]。松本はその時勢に乗り、「体操部を創るから部員になれ」と勧誘したので、運動部を掛け持ちしながら練習し始める日々となった[350]。勧められての体操競技だったが、やがてオリンピック日の丸を掲げたいという夢を抱くようになり[26][32]、松本に相談すると「体操するなら木更津一高へ行け」とアドバイスされた[350]。進学校のため躊躇していると、松本は練習後にも勉強をみてくれる先生を手配し、その甲斐有って合格[350]。1年生で全国大会上位入賞[26]、3年生で全国大会優勝を成し遂げた[40]。 (⇒ #オリンピックを目指して

1957年、日本体育大学体育学部体育学科へ進学[41][42][43][44]。同級生には1964年東京オリンピックの跳馬金メダリストの山下治広がおり、ヘルシンキオリンピックの跳馬銀メダリスト竹本正男に指導を受けた[41]。オリンピック出場を目指して練習に明け暮れていたが、独力で通学することが条件だったので、学費を稼ぐために時給が高い土工や引越しのアルバイトを、身体鍛錬も兼ねて並行していた[11][351]。大学2年生の夏[注釈 7]、跳馬の着地で失敗し、腰・両膝を痛めてしまう[11][41][42][46][47]。練習とアルバイトの掛け持ちで身体を酷使していたことも加わり悪化し[11]、医者から「1週間運動禁止」と宣告された[42][44]。1週間も練習を休めば差がつくこの時期に、選手を続けることが困難となる[41][42][44]。山下は「日本の体操選手が不得意にしているあん馬が彼は得意だった。でも大学二年の秋[注釈 7]、跳馬の練習中に着地を失敗してアキレス腱と腰を痛めてしまって…。あのまま体操を続けていれば、間違いなく東京オリンピックでメダルを獲得できたのに惜しかった」と評し、その実力・才能を惜しんでいる[351]。 (⇒ #オリンピックを目指して#2010年代#体操界・日体大

空手道

[編集]

東映に入る前から大山道場に通っており、きっかけは日体大学生の頃、大山倍達を知っている韓国人から紹介を受け、入門した[102][352]。主演格闘作品で、幾度となく敵役を演じていた石橋雅史は、極真カラテの先輩にあたる[352][353]。大山は「学生時分から千葉は道場へ来ており、仕事の関係でまとまった稽古をしていないまでも、門下生の序列でいうと相当古い方になるんだよ[354]」と語っており、大山と組手もしている[105]

名誉段位ではなく、一般門下生と同様に昇段審査を受けており、1965年10月15日に黒帯(初段)を允許[355]。山崎照朝は大学生の時に、極真会館本部道場で一緒に修練したと証言している[220]。1977年2月3日に弐段を越えて飛び段で参段[356]1984年1月20日に四段へ昇段した[31]。 (⇒ #極真カラテ#格闘作品

1977年3月16日に空手道による真剣勝負をすることが発表され[100]、4月にハワイで開催された「日本代表極真会館チーム対ハワイ代表チーム」というフルコンタクト空手の対抗戦に参戦した[26][101]。他の日本代表メンバーには大石代悟二宮城光東孝中村誠などがおり[注釈 18]、対戦相手は「前アメリカ東海岸空手チャンピオンのグレッグ・カーフマン」という180cm以上あるネグロイドであった[103][104]。通常の空手技の他に、跳び右後ろ回し蹴り胴回し回転蹴りの元となった前方宙返りして踵で蹴るなど攻撃して、第2ラウンドに二段蹴りでKO勝ちを収めた[102][103][104][105]。結果的に同年5月14日に国内で封切り公開された『空手バカ一代』の宣伝にもなった。大山倍達は「千葉真一の空手映画欧米で非常なブームとなっており、本職の空手家らの『Sonny Chiba(サニー ちば)の空手は本物』という批評が聞かれていた。極真カラテの黒帯である千葉だからそれも当然で、この対抗試合に出場してその実力を示したのは立派と言うしかない」と述べている[357]。 (⇒ #Sonny Chiba#2022年

1984年1月20日 - 22日に開催された極真会館主催の第3回オープントーナメント全世界空手道選手権大会では志穂美悦子・真田広之らジャパンアクションクラブ (JAC) メンバーを率い、演武とテレビ中継のゲスト解説をした。同年8月、極真会館ブラジル支部長・磯部清次の招待により、志穂美・真田・大葉健二を連れてサンパウロへ行き、25日 - 26日に開催された第1回日・第8回ブラジル極真空手道選手権大会でも演武を行った[358]。 (⇒ #極真カラテ

日本・アメリカ合衆国・東南アジアと世界各国で後進の育成・空手道普及の活動をしており、毎年10月には旧武徳殿がある京都市武道センターで少年少女オープン空手道選手権大会「千葉真一総裁杯」を催している。『新 影の軍団シリーズ』で共演した高野八誠は「最終章のラストシーンで千葉さんと殺陣をするんですが、休憩中に千葉さんが後ろ回し蹴りを見せてくれて、すっごい感動しましたね。動きは昔と変わってないなって、改めてビックリさせてもらいました[359]」と、当時66歳の千葉について語っている。 (⇒ #格闘作品#時代劇

キネマ旬報』のライターである荻原順子は子供が小学生の時に、新田真剣佑・眞栄田郷敦と同じロサンゼルスに在る極真カラテの道場に通わせていたので、稽古や昇級試験を見学しにきた千葉真一と会っている[228]。そこの先生は弐段だったので、千葉が訪れると大いに緊張し、恐縮していたが、介することなく「みんな、頑張って!押忍!」と極々短く挨拶[228]。気さくに居合わせた他の親たちに話しかけ、子供たちのスパーリングをにこやかに眺めていたのが印象的だったと、荻原は述べている[228]。 (⇒ #最期#追悼(海外)#家族

ファン

[編集]

ファン(国内)

[編集]

日本では秋山幸二[338]いしだあゆみ[360]今井雅之[361][362]小倉久寛[363]尾崎将司[364]竹中直人[365]吉川晃司[366][367]関根勤[28]園子温[368]高平哲郎[28]吉本真由美[369]、などのファンがいる。

秋山幸二は「あなたにとってサムライとは?」という問いに「千葉真一の柳生十兵衛は、生きるか死ぬか究極の真剣勝負というイメージがいい」と評した[338]、いしだあゆみは雑誌の表紙撮影で対面したときに「わたし、千葉さんの大ファンなんです」と伝えており[360]テレビドラマ雪の朝に』(1987年)にて、いしだは千葉の恋人役で念願の共演を果たし、映画闇の狩人』(1979年)や千葉主演のテレビドラマ『おわこんTV』(2014年)でも共演した。今井雅之は子供の頃、友達と『キイハンター』ごっこで遊ぶときには、千葉に扮するほどの熱狂的なファンである[361][362][370]。 (⇒ #2010年代#キイハンター#時代劇

小倉久寛はアクションヒーローを聞かれ、「千葉真一さんです」と回答[363]。尾崎将司は千葉の『影の軍団シリーズ』を好み、千葉演ずる主人公が敵を倒す前に唱える“天魔覆滅”を“無”と解釈し、「パターの前に“天魔覆滅”と発して打つとリズムが出ていい」と語っている[364]。吉川晃司は「(千葉を)憧れのヒーロー」と答え[366][367]、竹中直人はアクション作品の憧憬として、心に残るアクションスターに千葉を挙げている[365]。吉本真由美は、千葉が主演映画『魔界転生』のプロモーションで『2時のワイドショー』に出演した際、司会の奥田博之から「この吉本くんは大変、千葉さんのファンでしてね。(前日から)眠られない、眠られないと。自分が好きな俳優さんが来られると、この人(吉本)はものを言わなくなってしまうんですよ」と紹介されている[369]。 (⇒ #アクション映画#キイハンター#格闘映画#時代劇

ジャパンアクションクラブ (JAC) に1980年代初期までに入団したメンバーのほとんどが千葉の勇姿に憧れた者ばかりで、春田純一[371]大葉健二[372]志穂美悦子[373][374][375]関根大学[376]山田一善[377]渡洋史[378]、などがいる。 (⇒ #ジャパンアクションクラブ (JAC)

ファン(海外)

[編集]

日本国外の熱烈なファンにはキアヌ・リーブス[95][96]クエンティン・タランティーノ[94][327]サミュエル・L・ジャクソン[92][93][379]ジャッキー・チェン[72]ジャレッド・フェルナンデス[380]ジョナサン・ノーラン[381][382]ブルース・リー[67]マイク・タイソン[383]リュ・スンワン[97][241][242][243]インドネシア格闘家俳優ヤヤン・ルヒアン[90]、らがおり、世界の映画人・著名人に影響を与えている。

キアヌ・リーブスは「僕はSonny Chibaの映画とともに育ったようなものなんだ[95]」、「『The Street Fighter』からアクションと芝居を学んだ。僕は映画用のカンフーならできるけど、サニー千葉は実際に人をボコボコにできる。情熱を感じる[96]」と語り、リーブスの主演映画『ジョン・ウィック』のプロモーションで来日した2015年10月に千葉と待望の対面を果たした際には、"Oh my god!"を連発、固い握手を交わし、「ハジメマシテ、マエストロ(巨匠)!」と低頭して挨拶[96]。「あなたはキャラクターを演じるだけでなく、そこにアクションを盛り込んだ。屈強なキャラクターにもあなたが演じると心が感じられる」と身振り手振りを交えながら、リーブスは終始嬉しそうに大はしゃぎしていた[96]

クエンティン・タランティーノはアメリカ映画トゥルー・ロマンス』で主人公が『激突! 殺人拳』を映画館で観て、部屋には『カミカゼ野郎 真昼の決斗』、『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』のポスターを貼るなど、千葉の熱狂的ファンである主人公を描いている。サミュエル・L・ジャクソンは初めて千葉に会った時、直立不動で「サインをください」と頼んでいた[379]。千葉が『パルプ・フィクション』の撮影現場を訪問した際、いつもは自信満々で堂々としているジャクソンも、このときばかり緊張を隠せなかった[384]

ジャッキー・チェンはスターとして認められだした頃に東映京都撮影所へ出向き、千葉を表敬訪問して念願であった対面を実現した[72]。ジョナサン・ノーランは「千葉真一の作品を見て育った」と答え[381][382]広島東洋カープ投手映画プロデューサー転身の夢があるジャレッド・フェルナンデスは「中学時代から、Sonny Chibaの映画をよく見ていた。いい映画を作って彼を呼びたい」と言っている[380]。ブルース・リーは『キイハンター』で千葉を知っており[26]、大ファンとなったリーは[67]、共演をオファーしていた[26]

マイク・タイソンは1990年に試合で来日した際、練習の合間に飯田橋レンタルビデオショップへ行き、「シンイチ・チバ(千葉真一)の映画はどれ?」と同行した日刊スポーツの記者・首藤正徳に尋ね、上機嫌で計10本を借りて、ホテルへ戻ったが、首藤は「(タイソンは)連日の不調ぶりがウソのように明るかった」と述べている[383]。リュ・スンワンは『キネマ旬報』の2015年12月下旬号で対談した際、千葉から『仁義なき戦い 広島死闘篇』のDVDにサインをしてもらい、「今日はDVDを持って来られなかったのですが、千葉さんの『激突! 殺人拳』が本当に好きなんです。僕があまりにも見ているので、うちの子供たちもテーマ曲を口ずさむことができる。お会いできて光栄です」と喜びを語っている[97]。ヤヤン・ルヒアンは映画『ザ・レイド』のプロモーション2012年に来日した際、「千葉さんのアクションは本当に勉強になります」と日本が誇る世界のアクションスターに敬意を表した[90]。(⇒ #キイハンター#格闘映画#時代劇#外国作品

交友

[編集]

交友(国内)

[編集]

深作欣二・高倉健・大山倍達を「人生で最も影響を受けた特別な存在で最も敬愛する人物[102][385]」と語り、尊敬する俳優に「ジェームズ・ディーンジャン=ポール・ベルモンド、高倉健、若山富三郎ゲイリー・クーパー[386]」、「親友夏八木勲[211][212]」を挙げている。 (⇒ #2022年

1967年映画あゝ同期の桜』で知己を得て以来、最も共演が多い夏八木勲は千葉を[211][212]

新人で京都にきたばかりで挨拶の仕方も知らなく、そんな僕を千葉ちゃんがいろいろと面倒みてくれた。「何も知らない奴だから、あまりいじめないでくれよ」と周囲に言ってくれたんです。お陰で見知らぬ京都でかなり過ごしやすくなったので、本当に感謝しています。千葉ちゃんのそういう性格はもちろんだけど、あそこまで自分の肉体を意のままに操れるよう、鍛えていたことに僕はビックリしてね。千葉ちゃんから「JACでアクションの練習をしているから、なっちゃんも暇があったら来てみない?」って誘われたので、時間がある時は練習場に行って、紛れて一緒に鍛えたりしていました。[211]

と評しており、千葉と夏八木を知る関係者も「夏八木さんの口からは、千葉さんを絶賛する言葉しか聞いたことがない。千葉さんも夏八木さんを『僕の人生の中で最高の俳優』と認めていて、事あるごとに仕事に誘っていた。互いによき理解者で、尊敬し合えるかけがえのない友だった」と証言している[212]

深作欣二は「ともかく熱心だった。特にアクションシーンになると、自分からアイデアを出して急にイキイキしてくる。スティーブ・マックイーンみたいになりたいというのが口癖だった[387]」、東映ニューフェイスの先輩でもある高倉健は「お互いに無口なところが妙に気が合ってね。普通なら男同士、酒でも飲んで語り合うもんだが、酒を飲めない俺に気を使ってか、喫茶店でコーヒーを飲んだりメシを食いに行ったりで、内気な恋人同士のデートみたいだった。それでも楽しいんだなあ[54]」、同期の亀石征一郎は「方言が抜けないから研修が終わっても、一人で発音の練習をしていたのが印象的だった[54]」と語る。

デビュー当時から相談に乗っていた潮健児は「東京オリンピックのあった昭和39年(1964年)前後に一番悩んでいた。日本体育大学の友人はオリンピックで名を上げ、『網走番外地』で高倉健さんがスターになった。映画をやめたいと漏らしていた[303]」と苦悩する様子を、鶴田浩二は「融通の利かないところが損しているな。絶対に弁解しないから、誤解されやすい[303]」と、それぞれ慮っている。

中尾彬千葉県立木更津第一高等学校の後輩で、「前田さん(千葉の本名)」と挨拶する[388]。日体大に在学していた千葉が教育実習で指導した生徒が中尾で、教師と教え子の関係でもあったが、理由もなく反抗して授業をよくサボっていた[388]。芸能界で再会したときに、中尾は非礼を陳謝[388]。中尾の出演ドラマ『二人の刑事』(TBS)を千葉が「観ているぜ」と言うと、中尾は「光栄です」と低頭する間柄である[388]。 (⇒ #共演者

特別後援者としてピラニア軍団に関わっており、軍団の結成式が1975年大阪市御堂会館で催され、深作欣二・渡瀬恒彦と共に立会った[389]。千葉は舞台へ上がらず、カメラ片手に客席からメンバーに声をかけて裏方に徹し、場を盛り上げていた。そんな千葉に川谷拓三は感謝し「ワシ、生まれて初めてこんな派手なスポットライトを浴びましたわ。ホンマおおきに!」と号泣していた[389]

交友(海外)

[編集]

友人であるサミュエル・L・ジャクソン[93]クエンティン・タランティーノのほかには[94]スティーヴン・セガール[379]デニス・ヘイスバート映画プロデューサーのデスティン・パフ[390]、らと親交がある[93][94][379][390]。セガールは流暢な大阪弁で「千葉先生、居てはりまっか?」などと頻繁に連絡してきており[379]、パフは「Sonny Chiba(サニー ちば)のような伝説の俳優と組めるなんて、これ以上の幸せはない[390]」と語っている。(⇒ #格闘映画#ファン

人柄

[編集]

スポーツニッポン文化部次長だった脇田巧彦は「何事においても、とことん、のめりこむ性質で、適度ということを知らない熱血漢である[32]」と評し、娘の真瀬樹里は「何があっても進んでいく前向きさと、映画への情熱は世界一。パパは私の誇り[142]」と話している。高平哲郎は「打ち合わせ相手を待っていると、後ろのテーブルには千葉さんが女性と仕事の話をしながら、食事をしていた。思わず『高平です。ご無沙汰しています』と声をかけると、千葉さんは立ち上がり、笑顔で『お元気ですか』と答えてくれた。2回しか会ってない私にきちんと挨拶をしてくれるのが、千葉さんの真面目さと優しさなんだと思う[28]」と記している。

日刊スポーツの記者は「圧倒的な存在感をオーラと呼ぶが、それを感じた[34]」。堀田眞三は「かつて大流行した『カッコいい!千葉ちゃん!』の言葉通り、“カッコよさ”の象徴だった[138]。国中を席巻したカリスマであり、正真正銘の映画スターとして、醸し出す雰囲気や存在感が全然違う[138]。共演俳優や東映の後輩らも、威厳とパワフルで圧倒されるけど明るくて格好良いと言ってるし、滲み出る男を感じさせてくれる[391][392][393]」。サミュエル・L・ジャクソンは「タフガイを演じる時には、いつも千葉さんの演技を参考にさせてもらっているんだ。カリスマ的な存在感のある、最高にクールな俳優だと思うよ[93]」。あさ美は「かっこよすぎだし、オーラがすごいし、魅入っちゃった[394]」。大木凡人は「とにかくカッコ良く情熱をもったスターです[395]」。小泉孝太郎は「撮影現場に入られただけで、見えていないのにそれと分かる雰囲気を感じるくらい、ものすごい存在感でした。何かに例えるならば、サッカーコートジボワール代表ディディエ・ドログバのような。千葉さんが画面の前にお立ちになると、一気に何かが激変します[396][注釈 19]」など、異口同音に「オーラやカリスマ性がある」と証言している。

真樹日佐夫は「とても折り目正しいところに、淡い好感をおぼえた[397]」、「ニューヨークで酒を酌み交わした時[注釈 20]、いくら飲んでも崩れを見せぬ見事な酒品だった[398]」と述べ、平松伸二は自身の漫画が映画化されたときに、『ドーベルマン刑事』の撮影現場を訪れた際に対面すると、「まさかこんな若い人(平松)が漫画を描いているとはねえ〜!」「ホンネを言えば、ボクとかより松田優作くんなんかの方が加納にあってると思ってるんじゃないのかなァ!!」と笑いながら話しかけられ、「図星だった!千葉さんは正直で気さくないい人だ」と回想している[399]

戸田菜穂1990年の『第15回 ホリプロタレントスカウトキャラバン』で、約3万4千人の応募者のなかからグランプリに選ばれるが、発表の直前に後ろで控えていると、審査員の1人だった千葉に「いつか共演しましょうね」と声をかけられ、「え、もしかして?!」と嬉しさや驚きを飲み込んだのが「芸能界での一番最初の思い出」と振り返っている[400]

好尚

[編集]
趣味
高校在学中からハリウッド映画のファンで、アラン・ラッドの『シェーン』やゲイリー・クーパーの『真昼の決闘』など、西部劇アメリカ映画を夢中で観ていた[40]水彩画[58]。日記をつけている[62]。愛車は日産・ブルーバードフォード、白のフォルクスワーゲン1200(1963年型)セダンに乗り始め[401]スポーツカーではマツダ・コスモスポーツ(白)フォード・マスタング・Mach1[402]マーキュリー・クーガーへ乗り継いだ。トヨタ・カリーナのCMに出演した頃、トヨタよりカリーナの新車を毎年提供されていたので1年間乗った後、志穂美悦子真田広之ジャパンアクションクラブ (JAC) のメンバーに譲っていた。
健康法
健康法は一日一食を心掛け[155]、水素サプリメントを飲んでいた[403][404][405]
思考
フリーメイソンリーの会員である」と『週刊文春』の2021年1月14日号で記事になり、「友達やまわりに何人もいたんで、いろいろと興味津々、探索しているところ」と取材に答えた[406]。2022年8月19日付の『デイリー新潮』によると、日蓮正宗に帰依し、2019年3月11日付の御授戒と同年12月20日付の御本尊下付願があると配信された[407]

家族

[編集]

父親大刀洗町に在った陸軍飛行戦隊に所属する軍人で、母親熊本県出身で学生時代に陸上競技をしていた[2]零式二号艦上戦闘機などのテストパイロットを務めていた父は、建造したばかりの航空母艦へ初着艦を成功させるなど、危険な重責業務で給料の半分が飲み代となり、家庭は裕福でなかった[5]。 (⇒ #アクションスター

4歳の時、父が千葉県木更津市へ異動となったため、家族で千葉県君津市へ転居した[3]終戦後、軍が解体され、父は漁業組合の役員へ転職したが、家計は厳しかった[5]。小学生の頃から、新聞・牛乳配達をして家計を助けた[351]。しかし「貧乏だったものの大自然に囲まれていたため、以外は不自由せずにいろいろな食物を食べることができ、自分の土台となった」と述懐している[408]。父は芸能界入りを猛烈に反対して勘当していたが[50]、作品を観てからは考えを変え[409]、その後は観るのを楽しんでいる[351]1971年初めには地元の君津市に実家を新築して親孝行をした[410]。 (⇒ #オリンピックを目指して

弟の矢吹二朗が中学生になると東京都へ呼び寄せ、学校にも通わせ、育ち盛りの矢吹にはご飯を食べさせ、自分はコッペパンに水という日々もあった[351]。「ときどき兄貴の腕時計や無理して買ったテープレコーダーが無くなったのは、きっと質屋へ持って行っていたと思う。僕には心配させまいと、一言も言わなかった」と語る[351]

キイハンター』で共演した野際陽子と1973年に結婚し、一人娘の真瀬樹里を儲ける。おしどり夫婦として有名だったが、ハリウッドで仕事が増え始めて拠点を移したい千葉と[411]、日本に居たい野際の意志不一致から[411]1994年に離婚。記者会見を野際と一緒に行うなど憎みあっての離婚ではないため、真瀬共々良好な関係を続けており、真瀬とは『寺子屋ゆめ指南』、『風林火山 (NHK大河ドラマ)』で共演し、複数のトーク番組へ一緒に出演している。1996年に28歳年下の一般女性と再婚。長男・新田真剣佑と次男・眞栄田郷敦を授かり、アメリカ合衆国カリフォルニア州ビバリーヒルズに在住していた[34][140][141][143]2015年に一般女性と離婚したが[412]、その女性とは真剣佑・郷敦ともども良好な関係を続けていた[38]。 (⇒ #2010年代#最期#2022年#2023年

受賞

[編集]

☆ノミネートを含む。

千葉真一とジャパンアクションクラブによる、日本映画のアクション技への貢献に対して)
映画への貢献を称える特別賞
日本映画の発展に貢献した俳優
  • OKINAWA シネマ&ミュージックアワード - 映画部門功労賞(2006年)
「おきなわシネマ&ミュージックフェスタ2006」にて、映画の発展に貢献したクリエイターとして表彰
MARTIAL ARTS LEGEND Sonny Chibaを表彰

出演

[編集]

映画

[編集]

国内

[編集]

※太字は主演スタッフ兼務作品。諸外国との合作映画は#海外映画を参照。社名のない作品は東映

宇宙快速船』のポスター

海外

[編集]

※太字は主演スタッフ兼務作品で、日本との合作映画も含む。

「爆裂都市」千葉真一と松下順一
2003年、『爆裂都市 / Explosive City』の撮影にて。右は松下順一

テレビ番組

[編集]

テレビ映画

[編集]

※太字は主演スタッフ兼務作品。

国内ドラマ

[編集]

海外ドラマ

[編集]

ドキュメンタリー

[編集]

情報

[編集]
紀行旅番組
情報ワイド番組
ニュース教養番組

演劇

[編集]

※太字は主演スタッフ兼務作品。

OV

[編集]

※海外で公開された作品、シリーズに映画とOV両方がある作品は#映画を参照。

ライブ

[編集]

声優

[編集]
レコード
ラジオドラマ
語り手

肖像

[編集]
小説
レコードジャケット

CM

[編集]

監督・演出・監修

[編集]

※出演兼務の作品は#出演を参照。

映画
演劇
商品

楽曲

[編集]

※太字は作曲兼務。声の出演は#声優を、写真のみの出演は#肖像を、それぞれ参照。

シングル
アルバム(オムニバス含む)
作詞
エグゼクティブ・プロデューサー

著書

[編集]
  • 千葉真一『千葉ちゃんのスポーツ特訓』(初版)KOUSAIDO BOOKS、1977年5月25日。ASIN B000J8VCIMNCID BA71724274 
  • 千葉真一『千葉真一 改め 和千永倫道』(初版第1刷)山と渓谷社、2008年5月5日。ISBN 4635340228NCID BA86797533OCLC 676579933 
  • 千葉真一『千葉流 サムライへの道』(初版第1刷)ぶんか社、2010年9月20日。ISBN 4821142694NCID BB04246411OCLC 662404923 
  • 千葉真一『DVD BOOK 千葉真一のキッズアクション入門』(第1版第1刷)ベースボールマガジン社、2014年8月1日。ISBN 4583107390NCID BB16576311OCLC 889958889  ※監修
  • 千葉真一『侍役者道 〜我が息子たちへ〜』米谷紳之介(第1刷)、双葉社、2021年12月25日。ISBN 4575316849NCID BC11691149OCLC 1289471537 

参考文献

[編集]

※異なる頁を複数参照をしている文献のみ。出版年順。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 母は野際陽子
  2. ^ a b 母は一般人。
  3. ^ 東映東京撮影所の所長である山崎真一郎が「千葉県出身ということで千葉、そして仕事を忠実に真心込めて」という意味で命名したと『千葉真一特集号』(近代映画社)で紹介しているが[9]、千葉自身は「山崎所長から『千葉から来たから名字を千葉、名前はオレの名前をとって真一にしろ』と言われた」と述べている[10][11]
  4. ^ a b c d e ニュー・ライン・シネマアメリカ合衆国で『激突! 殺人拳』を『The Street Fighter』のタイトルで封切公開した際に、社長のロバート・シェイが命名した[12][13]。それが他国に広まり、世界での通称となったが、英語圏Sonny(サニー)は男性の名前に使われるほか、口語で「兄ちゃん・坊や」という意味があり、愛称の“千葉ちゃん”を欧米風に訳した。2000年代からJJ Sonny Chibaとしたが[14]JJJustice Japan(正義の日本)の略である[13][15]
  5. ^ a b 1970年から放送されていたトヨタ・カリーナCMでも、「決まってるね、千葉ちゃん!」が使われていた。
  6. ^ デビューから1970年代初頭まで呼ばれていた。
  7. ^ a b c 出典により、夏または秋としている。
  8. ^ a b c 日本体育大学は「3年以上の在籍で100単位以上の取得。その後の社会的な活躍や貢献によって、特別卒業認定証を授与する」という新たな規約を設け、千葉を特別卒業認定証第1号とし、2013年3月10日に卒業を認定[41][42][43][47][48]。在学時の成績は優が多く、教授会でも満場一致で同規約の適用を認めていた[42][49]
  9. ^ a b c d 当初キャスティングされていた役柄ではなく、別の役柄を演じることになったのが、『海軍』(1963年)と『仁義なき戦い 広島死闘篇』(1973年)である[45][59][60][61]。(⇒ #転機#ヤクザ映画
  10. ^ ザ★ゴリラ7』のオープニングクレジットでも滑走している姿は全話流されており、それぞれのDVD-BOXで視聴できる。1979年の『バトルフィーバーJ』の1,2話エンディングで白石謙作(バトルコサック)が雪山を滑走するシーンにも流用されている[99]
  11. ^ これまでは個人事務所「ルイアンドリーブス」と[159]アストライア[161]、窓口となっていた[159][161]。今回の再編で「エム&リーヴス」に事業を統一することが同社議事録にも記されており、千葉は直筆署名をしている[160]。社名の「エム」は真剣佑のイニシャル「M」が由来で、ゆくゆくは眞栄田郷敦も合流する構想があった[160]
  12. ^ 同時期に千葉真一は『風林火山 (NHK大河ドラマ)』に出演しており、それぞれNHK総合制作の作品である。『柳生十兵衛七番勝負 最後の闘い』には千葉の親友・夏八木勲も出ている[211][212]
  13. ^ 「肉体は永遠の言葉である」としている[42][49]
  14. ^ 当時のハイスピードカメラは今と比べると遥かに重たく、外見もかさばっていた。
  15. ^ 2年後にギャラは千葉のほうが上になった[302]
  16. ^ 自分の役でもないのに「投げ飛ばされる」、「板にぶつかる」、「海に放り込まれる」など、幾度となく代わりにスタントを演じてきたので[306]吹き替えができる人材の不足を憂いていた。
  17. ^ 特にアメリカ州[17][88]ヨーロッパ[17][88]東南アジア[90]香港など[89]
  18. ^ 大石代悟二宮城光はケガのため、対抗戦を欠場した[357]
  19. ^ おわこんTV』の発表会見で小泉孝太郎は、2014年6月14日サッカーW杯・日本 vs コートジボワールに交代出場して、試合の流れを変えたドログバに準えている[396]
  20. ^ 千葉真一は映画の撮影で、真樹日佐夫梶原一騎と共に極真会館の北米支部長会議に出席する大山倍達の随行で、それぞれニューヨークを訪れていた[398]
  21. ^ a b 柳生十兵衛光厳の「光厳」だが、「三厳」ではなく「光厳」とパンフレット魔界転生』の登場人物・キャスト一覧に表記されているため、当該記事もこれに則った[413][414]
  22. ^ 作詞森和夫作曲木内紀九生編曲橘場清、規格:ソノシート、規格品番:KX-1009。
  23. ^ 規格:ソノシート。
  24. ^ a b 千葉真一と下沢広之名義だが、下沢はセリフのみ。
  25. ^ 作詞:高田そうか、作曲:北村得夫、編曲:小町昭、規格:EP、規格品番:BS-818。
  26. ^ 作詞:山北由希夫、作曲・編曲:小町昭。
  27. ^ 作詞:風間陽介、作曲・編曲:北村得夫、規格:EP、規格品番:BS-1203。
  28. ^ 作詞:名村宏、作曲:江口浩司、編曲:森岡賢一郎
  29. ^ 作詞:及川恒平、作曲:小室等、編曲:寺島尚彦、規格:EP、規格品番:BS-1581。
  30. ^ 作詞:太田浩児、作曲・編曲:桜庭伸幸

出典

[編集]
  1. ^ a b c 「君津のガキ大将時代」、38 - 39頁。
  2. ^ a b c d e f 「気骨ある明治生まれの軍人、子供心に誇らしかった飛行機姿の親父」、81 - 82頁。
  3. ^ a b c 「君津のガキ大将時代」、38頁。
  4. ^ a b 俳優 千葉真一さん死去 コロナで肺炎悪化」『日テレNEWS24CS日本、2021年8月19日。オリジナルの2022年3月27日時点におけるアーカイブ。2022年3月27日閲覧。
  5. ^ a b c 「千葉真一特集」、144 - 145頁。
  6. ^ a b 「キイハンター」JAC設立、千葉真一さん 82歳死去 / 写真特集」『nikkansports.com日刊スポーツ新聞社、2021年8月19日。オリジナルの2022年8月14日時点におけるアーカイブ。2022年8月14日閲覧。
  7. ^ a b 千葉真一 - プロフィール - ウェイバックマシン(2013年6月26日アーカイブ分)
  8. ^ a b c 千葉真一 / Shinichi Chiba, JJ Sonny Chiba”. PROFILE. 俳優/ Actor. アストライア. 2017年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ2017年10月24日閲覧。
  9. ^ 「千葉真一特集」、148頁。
  10. ^ 「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」、101頁。
  11. ^ a b c d e f g h i j k 「82歳元祖アクションスター」、紙面11版、1頁。
  12. ^ a b c 伊藤彰彦 Sonny Chibaが生まれた瞬間」、21頁。
  13. ^ a b c d 「全米でブルース・リーを超える興行収入、サニー千葉の名を広めた空手映画」、51頁。
  14. ^ a b 特典映像、「劇場初日舞台挨拶」
  15. ^ a b c 「序章」、11頁。
  16. ^ a b c d e f g h i j k l m n 岡田敏一 (2021年9月3日). “欧米が絶賛した千葉真一とブルース・リーの違い”. 産経デジタル. 【エンタメよもやま話】. 産業経済新聞社. p. 1. 2021年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年2月29日閲覧。
  17. ^ a b c d e f 「プロフィール」、30頁。
  18. ^ a b c d 春日太一 「JACの創設」、40 - 41頁。
  19. ^ a b c 千葉真一さん死去 新型コロナウイルス感染で82歳”. 映画.com. 映画.com速報. エイガ・ドット・コム (2021年8月19日). 2021年8月21日時点のオリジナルよりアーカイブ2022年7月14日閲覧。
  20. ^ a b c d 新田真剣佑、父・千葉真一さん訃報受け思いつづる「Love you so much Dad」」『ORICON NEWSOricon ME、2021年8月20日。オリジナルの2021年8月21日時点におけるアーカイブ。2022年7月14日閲覧。
  21. ^ a b 俳優・千葉真一さん死去 82歳 新型コロナによる肺炎で入院 - ウェイバックマシン(2021年8月21日アーカイブ分)
  22. ^ a b c 真瀬樹里、父・千葉真一さんとの別れ「穏やかな顔をしておりました」 - ウェイバックマシン(2021年8月21日アーカイブ分)
  23. ^ a b c d 千葉真一さん急死、82歳…新型コロナによる肺炎のため 「柳生一族の陰謀」「服部半蔵 影の軍団」に主演」『スポニチ Sponichi Annexスポーツニッポン新聞社、2021年8月19日。オリジナルの2021年8月19日時点におけるアーカイブ。2022年7月14日閲覧。
  24. ^ 俳優の千葉真一さん亡くなる 新型コロナで肺炎が悪化し入院中」『東スポWeb』東京スポーツ新聞社、2021年8月19日。オリジナルの2021年8月19日時点におけるアーカイブ。2022年7月14日閲覧。
  25. ^ 「お見事、空手三段」『東京新聞 かわらばん』東京新聞社、1977年2月28日。
  26. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 「とっておきの『先生』特集」『SPORTS CITY』第1巻第2号、鎌倉書房、1981年6月25日、32頁。 
  27. ^ a b c d e f 「極真空手三段 千葉真一」、173, 179, 182 - 183頁。
  28. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 高平哲郎 (2011年5月18日). “JJサニーちば、真面目さと優しさに溢れ…”. ZAKZAK. あくまで人名事典 -昨日の友は今日も友-. 産業経済新聞社. 2012年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ2012年9月27日閲覧。
  29. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 海外でも愛された国際派「サニー千葉」、タランティーノ監督らもファン公言」『スポニチ Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2021年8月20日。オリジナルの2021年8月20日時点におけるアーカイブ。2024年3月1日閲覧。
  30. ^ a b c d e f アクションスターの千葉真一さん死去、82歳 「キル・ビル」などに出演 (1/2)」『CNN.co.jpCNN、2021年8月20日、1面。オリジナルの2021年8月20日時点におけるアーカイブ。2024年3月3日閲覧。
  31. ^ a b 「国際空手道連盟 極真会館 - 年度別昇段登録簿(国内)」、64頁。
  32. ^ a b c d e f g h i 脇田巧彦 「アクションに賭ける男・千葉真一」、21頁。
  33. ^ a b c d e f ゴルゴ13 九竜の首」(グラビア)『KINEJUN キネマ旬報』第1532巻第718号、キネマ旬報社、1977年10月1日、42 - 44頁。 
  34. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 【復刻・日曜のヒーロー】待っていて下さい 必ずや ハリウッドの千葉真一”. nikkansports.com. 日曜日のヒーロー. 日刊スポーツ新聞社 (2021年8月20日). 2021年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ2022年4月4日閲覧。
  35. ^ a b c d e f g h i j k l m 深戸進路「千葉真一さんの急逝に芸能界から多数の追悼メッセージ「役者であるキッカケになった人」「信じられません」」『ねとらぼエンタITmedia、2021年8月20日、1面。オリジナルの2021年9月1日時点におけるアーカイブ。2022年5月10日閲覧。
  36. ^ 米谷紳之介 「取材を終えて」、303頁。
  37. ^ a b c d e f 千葉真一さんと沖縄 主演作から見る沖縄への視座 「沖縄やくざ」では三線、空手も」『琉球新報 DIGITAL』琉球新報社、2022年3月11日。オリジナルの2022年3月11日時点におけるアーカイブ。2022年4月18日閲覧。
  38. ^ a b c d e f g h i j k l 千葉真一さん急死 82歳 コロナで入院中容体悪化「元気だった」のに…」『スポニチ Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2021年8月20日。オリジナルの2021年8月20日時点におけるアーカイブ。2022年4月4日閲覧。
  39. ^ a b c 「厳しくも愛情ある指導、体操を始めるきっかけを作ってくれた松本先生」、89頁。
  40. ^ a b c 「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」、95 - 96頁。
  41. ^ a b c d e f g h 千葉真一 日体大から半世紀ぶり卒業証書 体操で五輪目指すも中退 - ウェイバックマシン(2013年1月27日アーカイブ分)
  42. ^ a b c d e f g h i j k 千葉真一 53年ぶりに母校・日体大を“卒業”し「もうひと花」とさらなる意欲”. 映画.com. 映画.com速報. エイガ・ドット・コム (2013年3月10日). 2013年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ2013年3月12日閲覧。
  43. ^ a b c 千葉真一が日体大から特別卒業認定」『nikkansports.com』日刊スポーツ新聞社、2013年3月10日。オリジナルの2013年3月12日時点におけるアーカイブ。2013年3月12日閲覧。
  44. ^ a b c d e f 千葉真一 半世紀がかりで日体大卒業」『デイリースポーツ online神戸新聞社、2013年3月11日。オリジナルの2013年3月12日時点におけるアーカイブ。2013年3月12日閲覧。
  45. ^ a b c d e f g h i j k 中日春秋”. 中日新聞. オピニオン. 中日新聞社 (2021年8月21日). 2021年8月21日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年2月28日閲覧。
  46. ^ a b c 『近代映画』、近代映画社、1970年11月、123 - 126頁。 
  47. ^ a b c 千葉真一、57年がかりで日体大を卒業 - ウェイバックマシン(2013年3月12日アーカイブ分)
  48. ^ 千葉真一 半世紀がかりで日体大卒業 (Page 2)」『デイリースポーツ online』神戸新聞社、2013年3月11日、2面。オリジナルの2013年3月12日時点におけるアーカイブ。2013年3月12日閲覧。
  49. ^ a b 千葉真一 日体大卒業「人生最高の喜び」」『nikkansports.com』(紙面)、日刊スポーツ新聞社、2013年3月11日。オリジナルの2013年3月12日時点におけるアーカイブ。2013年3月12日閲覧。
  50. ^ a b c d e 「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」、100 - 101頁。
  51. ^ a b 「千葉真一特集」、140頁。
  52. ^ 「18 居候が演技開化の機会に - 千葉真一 」、117頁。
  53. ^ 「そして、千葉真一になった」、60頁。
  54. ^ a b c 「20人が証言する裸の千葉真一」、111頁。
  55. ^ 『東映の友』、1961年、東京国立近代美術館フイルムセンター4階図書室所蔵。
  56. ^ 樋口尚文「深作にとっての千葉はゴダールにとってのベルモンド」、25頁。
  57. ^ a b c 「世界に通じるアクションスター育成」、59 - 60頁。
  58. ^ a b 「東映城に羽ばたく」『週刊実話特報』第3巻第8号、双葉社、1961年2月23日、3 - 6頁。 
  59. ^ a b c d e f g h i j 「笠原和夫との共同作業」『第八章 仁義なき戦いシリーズの炸裂』、276頁。
  60. ^ a b c d e f g h 千葉真一、深作欣二の初時代劇の教えに感謝”. アサ芸+. 芸能. 徳間書店 (2012年11月28日). 2024年4月6日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年4月6日閲覧。
  61. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 壬生智裕 (2013年1月13日). “千葉真一、『仁義なき戦い』の野獣系ヤクザ・大友勝利は役者としての転機と明かす”. シネマトゥデイ. シネマトゥデイ. 2013年1月16日時点のオリジナルよりアーカイブ2012年1月31日閲覧。
  62. ^ a b c d 「追跡ルポ / チバシンのモーレツ24時間」、81頁。
  63. ^ a b c d e 辻幸多郎 編「千葉真一とザ・サタンズ誕生」『GS グループ・サウンズ 1965〜1970』 NEW SOUNDS GROUP、近代映画社、2013年12月25日、111頁。ISBN 476482390X 
  64. ^ a b c d 千葉真一さん死去 アクション俳優、82歳 - 新型コロナに感染」『時事ドットコムニュース』(時事通信社)2021年8月20日。オリジナルの2021年8月28日時点におけるアーカイブ。2022年4月4日閲覧。
  65. ^ 東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯 - ウェイバックマシン(2014年10月6日アーカイブ分)
  66. ^ 『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』、324 - 327頁。
  67. ^ a b c d e f g h i 香港で出会った大スター 「千葉空手」生んだブルース・リーの死(1/2ページ)”. ZAKZAK. 【今だから明かす あの映画のウラ舞台】. 産業経済新聞社. p. 1 (2016年3月18日). 2016年6月27日時点のオリジナルよりアーカイブ2016年6月27日閲覧。
  68. ^ 「2月の話題映画ご案内 スターおうわさアラカルト」『月刊明星』1967年3月号、集英社、253頁。 
  69. ^ a b c d e f 千葉真一、深作欣二の初監督の怒号に驚いた”. アサ芸+. 芸能. 徳間書店 (2012年11月27日). 2024年4月6日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年4月6日閲覧。
  70. ^ a b c d e f g h i j k l 千葉真一「仁義なき戦い」秘話披露 深作欣二監督の命日に”. 映画.com. エイガ・ドット・コム (2013年1月12日). 2013年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ2012年1月31日閲覧。
  71. ^ 『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』、324頁。
  72. ^ a b c d e 堀田眞三 (2006年7月30日). “千葉真一さんの職業病”. 俳優 堀田眞三(グランパ)です。. gooブログ. NTTドコモ. 2013年5月17日時点のオリジナルよりアーカイブ2013年5月17日閲覧。
  73. ^ 沢辺有司「千葉真一がテロリストを熱演」『ワケありな映画』(初版第一刷)彩図社、2011年5月10日、151頁。ISBN 4883927911 
  74. ^ a b c d e f 「テロリストの苛烈な生涯を演じた大作『日本暗殺秘録』」、33 - 35頁。
  75. ^ a b 第3章 肉体は俳優の言葉だ 〜日本映画のアクションを変えろ!〜 ジャパンアクションクラブの創設、144 - 145頁。
  76. ^ a b 「初日10名の研究生が10日目には3名」、63 - 64頁。
  77. ^ a b c (1)「顔のシワ作り」に励んだ松方”. アサ芸+. 「仁義なき戦い」40年目の壮絶秘話. 徳間書店 (2012年11月28日). 2024年4月6日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年4月6日閲覧。
  78. ^ a b 仁義なき戦い PERFECT BOOK」『別冊宝島』第833号、宝島社、2003年、12, 30 - 31頁。 
  79. ^ a b 「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』、48 - 49頁。
  80. ^ a b c d 『ボディガード牙』 - 日本映画製作者連盟
  81. ^ a b c d e f 「『新幹線』も海外で人気」、68頁。
  82. ^ a b 「直営劇場を100館へ」、26頁。
  83. ^ 伊藤彰彦 Sonny Chibaが生まれた瞬間」、22頁。
  84. ^ a b 「解説」、7頁。
  85. ^ a b 「かいせつ」、16頁。
  86. ^ a b c d e f g 「本家ブルース・リーしのぐ千葉真一 全米でヒット5位『……殺人拳』“舞踊風”より迫真力」『報知新聞報知新聞社、1974年12月27日、朝刊
  87. ^ a b c (英語)バラエティ (アメリカ合衆国の雑誌). (1974年12月18日). 
  88. ^ a b c d Lifetime Achievement Award Tribute: Sonny Chiba” (英語). Singafest 2011: LA's Newest International Asian Film Festival (2011年8月31日). 2015年7月29日時点のオリジナルよりアーカイブ2015年7月29日閲覧。
  89. ^ a b 「“ゴルゴ13”香港ロケ 千葉真一」『週刊明星』、集英社、1977年9月11日。 
  90. ^ a b c d 『ザ・レイド』最強格闘家たちが新宿でガチバトル!Berryz工房ももちも、必殺技で参戦!? at the Wayback Machine (archived 2013年1月24日)
  91. ^ a b 親父 - 映画作品紹介 at the Wayback Machine (archived 2014年3月8日)
  92. ^ a b 「極真空手三段 千葉真一」、173, 179, 183頁。
  93. ^ a b c d e f 「アベンジャーズ」サミュエル・L.ジャクソン、役作りの参考はソニー千葉(千葉真一) - archive.today(2012年4月27日アーカイブ分)
  94. ^ a b c d 町山智浩 「クエンティン・タランティーノ」、17 - 18頁。
  95. ^ a b c d スリムボディーが復活 キアヌ・リーブス - archive.today(2016年6月23日アーカイブ分)
  96. ^ a b c d e 千葉真一初対面でキアヌ大興奮、熱いリアクションに「かわいい」の声。」『ナリナリドットコムNarinari.com、2015年10月6日。オリジナルの2015年10月6日時点におけるアーカイブ。2015年10月6日閲覧。
  97. ^ a b c d 佐藤結「『ベテラン』 対談 リュ・スンワン[監督]× 千葉真一 韓国・日本 両国の映画を愛する漢たちの語らい」『キネマ旬報 2015年12月下旬号 No.1705』第1705巻第2519号、キネマ旬報社、2015年12月4日、70頁。 
  98. ^ a b 「1975年(昭和50年)12月 映像多角化の縦深展開で収益拡大」、62頁。
  99. ^ バトルフィーバーJ#映像ソフト化』(東映ビデオ)の1,2話より。
  100. ^ a b “千葉真一三段がデスマッチ 4月にハワイで他流派の挑戦受け 18日に出発“世界空手行脚”「ボケっとするより」”. スポーツニッポン (毎日新聞グループホールディングス). (1977年3月16日) 
  101. ^ a b 「“極真”だけがなぜ勝つのか」、83 - 84頁。
  102. ^ a b c d e f g h i j k l m n 千葉真一「お別れの会」で大山倍達との組手や試合など”秘蔵映像”も、空手着や映画小道具を展示で偲ぶ”. イーファイト. ニュース. ヨシクラデザイン. p. 1 (2022年1月23日). 2022年1月23日時点のオリジナルよりアーカイブ2023年12月22日閲覧。
  103. ^ a b c 「極真空手三段 千葉真一」、174 - 176頁。
  104. ^ a b c 「“極真”だけがなぜ勝つのか」、84 - 87頁。
  105. ^ a b c d e f g 【フォト】1.千葉真一 vs.大山総裁 2.極真の試合でKO勝利する千葉さん”. イーファイト. ニュース. ヨシクラデザイン. p. 2 (2022年1月23日). 2022年1月23日時点のオリジナルよりアーカイブ2023年12月22日閲覧。
  106. ^ a b c d e 極真・松井館長が、”大先輩”千葉真一氏を追悼「アドバイスを頂いた」”. イーファイト. ニュース. ヨシクラデザイン (2021年8月20日). 2021年8月20日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年2月2日閲覧。
  107. ^ 『柳生一族の陰謀』 - 日本映画製作者連盟
  108. ^ 西郷輝彦、深作欣二作品の萬屋錦之介に身震い”. アサ芸+. 徳間書店 (2012年12月12日). 2013年9月21日時点のオリジナルよりアーカイブ2013年1月31日閲覧。
  109. ^ 関根忠郎、山根貞男山田宏一『惹句術:映画のこころ』講談社、1986年、90頁。ISBN 406202005X 
  110. ^ 柳生一族の陰謀 (2008) at the Wayback Machine (archived 2014年10月6日)
  111. ^ 1981年配給収入10億円以上番組 - 日本映画製作者連盟
  112. ^ 深作欣二「千葉ちゃん、ウソって観客に思わせたら負け」”. アサ芸+. 芸能. 徳間書店 (2012年11月29日). 2024年4月6日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年4月6日閲覧。
  113. ^ a b 的田也寸志. “商品の説明「Amazonレビュー」”. 柳生一族の陰謀 (DVD). Amazon.co.jp. 2017年6月27日時点のオリジナルよりアーカイブ2017年6月27日閲覧。
  114. ^ a b 佐藤雅夫 「プロダクション・ノート 魔界に祟られたスタジオ」、24 - 25頁。
  115. ^ a b 『柳生十兵衛あばれ旅』 JJサニー千葉、十八番の十兵衛が大暴れ!志穂美悦子、真田広之など充実の顔ぶれ。 at the Wayback Machine (archived 2016年3月5日)
  116. ^ a b 『徳川無頼帳』 西城秀樹の十兵衛とJJサニー千葉が握手! 強力コンビが吉原を根城に大暴れ。 at the Wayback Machine (archived 2012年3月31日)
  117. ^ a b 柳生十兵衛七番勝負 at the Wayback Machine (archived 2012年6月10日)
  118. ^ 「ウーマンパワーの席捲」、256頁。
  119. ^ a b c 服部半蔵 影の軍団 at the Wayback Machine (archived 2021年10月1日)
  120. ^ a b c 7月1日 あなたの思い出と共にあの時代劇が甦る! at Archive.is (archived 2013年4月25日)
  121. ^ a b 「プロダクションノート」、26頁。
  122. ^ 1980年配給収入10億円以上番組 - 日本映画製作者連盟
  123. ^ a b 保科幸雄 「高鳴る!冒険者たちのメロディ 燃える夢喰い男・千葉真一」、3 - 5頁。
  124. ^ a b c 「ごあいさつ 株式会社コマ・スタジアム専務取締役・酒井肇」、35頁。
  125. ^ a b c 石飛徳樹 「渋い外見の奥に在る弱さと温かさ」、31頁。
  126. ^ a b c d e f g 加藤義彦 「テレビドラマで挑んだ『静』の演技」、20頁。
  127. ^ a b Jake Kring-Schreifels (2024年4月14日). Miwako Ozawa: “準備万端にしてから役に入るのは楽”. 'GQ JAPAN'. 『SHOGUN 将軍』は未来への大きな一歩 - 真田広之、俳優兼プロデューサーとしての想い. コンデナスト・ジャパン. 2024年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年4月19日閲覧。
  128. ^ 「“カラテのチバ”15年ぶりリバイバルで脚光 ハリウッド映画主演 千葉真一 再び旋風だ」『スポーツニッポン』毎日新聞グループホールディングス、1991年3月26日、朝刊。
  129. ^ 「苦しかったアメリカ移住後の最初の数年間」、246頁。
  130. ^ SONNY CHIBA プロフィール」、27頁。
  131. ^ a b INTRODUCTION」、11頁。
  132. ^ 「59年デビュー」、紙面11版、1頁。
  133. ^ 「健康大使」の任命について”. 健康局総務課生活習慣病対策室. 厚生労働省 (2007年11月26日). 2008年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ2010年10月9日閲覧。
  134. ^ 俳優の千葉真一さん死去、82歳 新型コロナで入院中」『朝日新聞デジタル朝日新聞社、2021年8月19日。オリジナルの2021年8月19日時点におけるアーカイブ。2022年3月28日閲覧。
  135. ^ a b c d e f g h 千葉真一が子供と披露宴&50周年式典」『nikkansports.com』日刊スポーツ新聞社、2010年10月23日。オリジナルの2013年6月14日時点におけるアーカイブ。2010年11月1日閲覧。
  136. ^ a b c d e f g デヴィ夫人 (2010年10月28日). “千葉真一さん 芸能生活50周年記念・結婚披露宴”. Dewi Sukarno Official Blog. アメーバブログ. サイバーエージェント. 2014年12月11日時点のオリジナルよりアーカイブ2012年9月28日閲覧。
  137. ^ a b 今井雅之 (2010年10月24日). “大先輩”. 今井雅之の押忍!. アメーバブログ. サイバーエージェント. 2012年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ2012年9月28日閲覧。
  138. ^ a b c d e f g h i j 堀田眞三 (2010年10月23日). “千葉真一先輩 記念パーティー”. 俳優 堀田眞三(グランパ)です。. gooブログ. NTTドコモ. 2023年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ2022年4月4日閲覧。
  139. ^ 千葉真一が結婚披露宴&芸能生活50周年式典 at the Wayback Machine (archived 2010年10月24日)
  140. ^ a b c d e 千葉真一 家族初お披露目 結婚15年目の披露宴 at the Wayback Machine (archived 2010年10月24日)
  141. ^ a b c d e 千葉真一、嫁さんLOVE! 結婚披露宴 at the Wayback Machine (archived 2010年10月24日)
  142. ^ a b c d e f 千葉真一 芸能生活50周年式典で結婚披露宴 at the Wayback Machine (archived 2010年10月24日)
  143. ^ a b c d e 千葉真一Jr. お披露目…結婚披露宴に600人が出席 at the Wayback Machine (archived 2010年10月24日)
  144. ^ a b c d "JJサニー千葉 結婚披露宴 将来のハリウッドスター!? 息子たちの素顔". 情報ライブ ミヤネ屋. 25 October 2010. 14:32 - 14:41 minutes in. NNS. ytv
  145. ^ a b c 千歳香奈子 (2011年10月4日). “千葉真一の夢...真の日本映画をアメリカから世界へ”. nikkansports.com. ハリウッド直送便. 日刊スポーツ新聞社. 2011年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ2011年10月31日閲覧。
  146. ^ “うずしお”だけじゃない!鳴門の新観光スポットを探索 at the Wayback Machine (archived 2012年9月27日)
  147. ^ a b 千葉真一&小泉孝太郎がタッグ!業界ドラマ『おわこんTV』は7月1日からスタート at the Wayback Machine (archived 2014年6月30日)
  148. ^ 新ドラマでは“過去の千葉”像を捨ててみた”. アサ芸+. テリー伊藤対談「千葉真一」(1). 徳間書店. p. 1 (2014年7月29日). 2014年10月4日時点のオリジナルよりアーカイブ2014年10月4日閲覧。
  149. ^ a b おわこんTV【お知らせ】 at the Wayback Machine (archived 2014年10月3日)
  150. ^ a b 特別編 千葉真一さん オスマン・ユーラ・サンコンさん”. ジェイソン・ウィンターズ・ティー. インタビュー. イオス コーポレーション. 2024年2月26日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年2月26日閲覧。
  151. ^ a b 久坂部羊 (2023年10月25日). “見返りを求めない”. マネー現代. 幸せな晩年の「意外な過ごし方」…「CoCo壱」創業者が提唱する「ラッキー20%の法則」. 講談社. p. 3. 2023年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ2023年11月12日閲覧。
  152. ^ a b c 中野裕子 (2022年6月24日). “オスマン・サンコンさん、アニキと慕った千葉真一さん長男・新田真剣佑との意外な交流を語る”. NEWSポストセブン. 芸能. 小学館. p. 3. 2023年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ2023年11月12日閲覧。
  153. ^ 大河ドラマ化目指すぞ!「千葉氏サミット」初開催 武者行列に千葉真一も」『ちばとぴ!ニュース』千葉日報社、2016年8月22日。オリジナルの2022年3月28日時点におけるアーカイブ。2022年3月28日閲覧。
  154. ^ a b c 「千葉を若返らせる」千葉真一さん、千葉市の健康大使に 製作中の「100年ダンス」お披露目【動画あり】」『千葉日報』千葉日報社、2019年12月19日。オリジナルの2019年12月20日時点におけるアーカイブ。2022年3月28日閲覧。
  155. ^ a b c d 80歳・千葉真一「1日1食」続ける健康法は映画俳優の自覚 45年前と体型変わらず」『オリコンニュース』Oricon ME、2019年12月19日。オリジナルの2019年12月19日時点におけるアーカイブ。2022年3月28日閲覧。
  156. ^ a b 千葉真一「あんまり似合わない賞」文化庁長官表彰」『nikkansports.com』日刊スポーツ新聞社、2020年12月17日。オリジナルの2020年12月17日時点におけるアーカイブ。2021年4月4日閲覧。
  157. ^ a b 文化庁長官表彰 俳優の千葉真一さんら表彰」『日テレNEWS24』CS日本、2020年12月17日。オリジナルの2020年12月17日時点におけるアーカイブ。2021年4月4日閲覧。
  158. ^ a b 千葉真一に文化庁長官表彰「自分の本当の姿でいこうと思った」ダンディな白髪姿で登場」『東スポWeb東京スポーツ新聞社、2020年12月17日。オリジナルの2020年12月19日時点におけるアーカイブ。2021年4月4日閲覧。
  159. ^ a b c 新田真剣佑が父・千葉真一の事務所に移籍していた 展覧会サポーター就任会見に出席、質問に口開かず」『中日スポーツ』中日新聞社、2021年4月20日。オリジナルの2021年4月20日時点におけるアーカイブ。2022年1月19日閲覧。
  160. ^ a b c d e f 晩年の千葉真一さん「断捨離だ」と言って貴重な私物を燃やして身辺整理”. NEWSポストセブン. 芸能. 小学館 (2022年2月17日). 2022年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ2022年2月17日閲覧。
  161. ^ a b 千葉真一さん事務所“四十九日法要”報道にコメント「親族間でのトラブルなどは一切ございません」」『オリコンニュース』Oricon ME、2021年10月5日。オリジナルの2021年10月5日時点におけるアーカイブ。2022年2月17日閲覧。
  162. ^ a b 千葉真一、長男・新田真剣佑が出演する『るろうに剣心』を見て「俺を越えたな」”. 週刊女性PRIME. 芸能. 主婦と生活社. p. 2 (2021年7月23日). 2021年7月24日時点のオリジナルよりアーカイブ2022年4月4日閲覧。
  163. ^ a b 千葉真一さん 渾身の遺作が撮影直前でお蔵入り…原因はW主演セガールのプーチン支持発言”. 女性自身 (2022年8月23日). 2023年5月5日閲覧。
  164. ^ a b Bob D'Angelo, Cox Media Group National Content Desk (2021年8月19日). “Sonny Chiba, martial arts legend, 'Kill Bill' star, dead at 82” (英語). FOX23NEWS. FOXニュース. 2023年11月16日時点のオリジナルよりアーカイブ2023年5月5日閲覧。
  165. ^ 「キイハンター」JAC設立、千葉真一さん82歳死去 / 写真特集」『nikkansports.com』日刊スポーツ新聞社、2021年8月19日。オリジナルの2021年8月20日時点におけるアーカイブ。2022年3月27日閲覧。
  166. ^ a b (40) 2021年8月9日〜 「第5波」感染ついに2万人超す」『産経新聞 THE SANKEI NEWS』産業経済新聞社、2021年12月22日。オリジナルの2021年12月23日時点におけるアーカイブ。2022年3月28日閲覧。
  167. ^ 東京都 新たに4544人の感染確認 先週の月曜より約700人増 (16:47)」『NEWS WEBNHK、2021年8月6日。オリジナルの2021年8月7日時点におけるアーカイブ。2022年3月28日閲覧。
  168. ^ 倉持仁医師「医療供給体制さえ確保できれば…無駄死にさせるな!」コロナで死去の千葉真一さんを悼むツイート」『中日新聞』中日新聞社、2021年8月20日。オリジナルの2021年8月20日時点におけるアーカイブ。2022年3月28日閲覧。
  169. ^ a b c d e 俳優の千葉真一さん死去 82歳 新型コロナ感染による肺炎」『NEWS WEB』NHK、2021年8月20日。オリジナルの2021年8月21日時点におけるアーカイブ。2022年4月4日閲覧。
  170. ^ a b c 「7月末に感染」、紙面11版、1頁。
  171. ^ a b 千葉真一さん 発熱から4日後入院のワケ…元妻と次男・郷敦の手で納骨」『東スポweb』東京スポーツ新聞社、2021年8月20日。オリジナルの2021年8月21日時点におけるアーカイブ。2022年4月4日閲覧。
  172. ^ a b c d e f g h 千葉真一さん、コロナに死す 8日に入院、肺炎悪化」『SANSPO.COM』産業経済新聞社、2021年8月20日。オリジナルの2021年8月21日時点におけるアーカイブ。2022年4月4日閲覧。
  173. ^ a b 新田真剣佑、父・千葉真一さんとの2ショットを公開「いつも私の心の中にいます」」『クランクイン!ブロードメディア、2021年8月21日。オリジナルの2021年9月13日時点におけるアーカイブ。2022年4月4日閲覧。
  174. ^ a b 新田真剣佑、父・千葉真一さんへの思い綴る」『日テレNEWS』CS日本、2021年8月20日。オリジナルの2022年4月4日時点におけるアーカイブ。2022年4月4日閲覧。
  175. ^ a b 千葉真一さん長男・新田真剣佑 英語で追悼「あなたはいつも私の心の中にいる」思い出2ショット写真添え」『スポニチ Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2021年8月20日。オリジナルの2021年8月21日時点におけるアーカイブ。2022年4月4日閲覧。
  176. ^ 俳優・千葉真一さん死去 82歳」『シネマトゥデイ』シネマトゥデイ、2021年8月19日。オリジナルの2022年8月20日時点におけるアーカイブ。2022年4月4日閲覧。
  177. ^ a b 喪主は次男・真栄田郷敦 千葉真一さん死去一夜明けて葬儀「荼毘に付しました」長男・真剣佑は米国から「愛してる」」『中日スポーツ』中日新聞社、2021年8月21日。オリジナルの2021年8月21日時点におけるアーカイブ。2022年4月18日閲覧。
  178. ^ a b 千葉真一さん 荼毘にふされる 喪主は次男・眞栄田郷敦」『オリコンニュース』Oricon ME、2021年8月21日。オリジナルの2021年8月21日時点におけるアーカイブ。2022年4月18日閲覧。
  179. ^ a b c d e 新田真剣佑、インスタで父の千葉真一さん追悼「お父さんのことを本当に愛しています」」『スポーツ報知』報知新聞社、2021年8月21日、1面。オリジナルの2022年4月4日時点におけるアーカイブ。2022年4月4日閲覧。
  180. ^ 真剣佑「あなたはいつも私の心に」父・千葉真一さん訃報から一夜、インスタに思い投稿」『デイリースポーツ online』神戸新聞社、2021年8月21日。オリジナルの2021年9月11日時点におけるアーカイブ。2022年4月4日閲覧。
  181. ^ 深戸進路「千葉真一さんの長女・真瀬樹里、“偉大な父”の急逝に悔しさにじむ 「現実感がありません」「元気な声を聞いたばかり」」『ねとらぼエンタ』ITmedia、2021年8月20日。オリジナルの2022年4月18日時点におけるアーカイブ。2022年4月18日閲覧。
  182. ^ a b c 新田真剣佑、父・千葉真一さん訃報受け思いつづる「Love you so much Dad」」『ORICON NEWS』Oricon ME、2021年8月21日。オリジナルの2021年8月21日時点におけるアーカイブ。2022年4月5日閲覧。
  183. ^ a b 千葉真一さんの娘で俳優の真瀬樹里さん「お別れ言えた」」『朝日新聞』朝日新聞社、2021年8月20日。オリジナルの2021年8月21日時点におけるアーカイブ。2022年4月18日閲覧。
  184. ^ ステキな写真…千葉真一さんの長男・新田真剣佑が思い出の写真を公開「お父さん、本当に愛してる」」『中日スポーツ』中日新聞社、2021年8月20日。オリジナルの2021年8月21日時点におけるアーカイブ。2022年4月5日閲覧。
  185. ^ 新田真剣佑、父・千葉真一さんとの思い出の写真を公開「あなたはいつも私の心の中に」」『ABEMA TIMESABEMA、2021年8月21日。オリジナルの2022年4月5日時点におけるアーカイブ。2022年4月5日閲覧。
  186. ^ a b c d e 新田真剣佑、父・千葉真一さん追悼2Sを公開「あなたはいつも心の中にいる…愛している」」『ENCOUNTCreative2、2021年8月21日。オリジナルの2021年8月20日時点におけるアーカイブ。2022年4月5日閲覧。
  187. ^ 千葉真一さん死去【復刻】60周年祝賀会で樹里、真剣佑、郷敦と勢ぞろい」『デイリースポーツ online』神戸新聞社、2021年8月21日。オリジナルの2022年4月5日時点におけるアーカイブ。2022年4月5日閲覧。
  188. ^ a b c d 的場浩司「朝からため息しか」秋野暢子「優しい素敵な方」千葉真一さん悼む」『nikkansports.com』日刊スポーツ新聞社、2021年8月20日。オリジナルの2021年8月20日時点におけるアーカイブ。2022年5月10日閲覧。
  189. ^ a b c 千葉真一さん死去から一夜明け 芸能界からお悔やみの声続々…池畑慎之介、的場浩司、秋野暢子ら悼む」『スポニチ Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2021年8月20日。オリジナルの2021年8月20日時点におけるアーカイブ。2022年5月9日閲覧。
  190. ^ a b c 千葉真一さんの高校後輩・中尾彬が悼む「俺スターになるから、と言っていた」」『スポーツ報知』報知新聞社、2021年8月20日。オリジナルの2022年5月8日時点におけるアーカイブ。2022年5月8日閲覧。
  191. ^ a b 千葉真一先輩の訃報”. hottashinzo. Twitter (2021年8月20日). 2022年5月8日時点のオリジナルよりアーカイブ2022年5月8日閲覧。
  192. ^ 堀田眞三「千葉真一先輩の訃報 信じられないが 様々な想いがよぎる」」『nikkansports.com』日刊スポーツ新聞社、2021年8月20日。オリジナルの2021年8月20日時点におけるアーカイブ。2022年5月8日閲覧。
  193. ^ 千葉真一さん”. kobayashi_sachiko_5884. Instagram (2021年8月20日). 2022年5月8日時点のオリジナルよりアーカイブ2022年5月8日閲覧。
  194. ^ 「何にも負けないはずの方…コロナが憎い」小林幸子、千葉真一さんを悼む 11歳のころから共演」『中日スポーツ』中日新聞社、2021年8月21日。オリジナルの2021年8月21日時点におけるアーカイブ。2022年5月8日閲覧。
  195. ^ 小林幸子 千葉真一さんと11歳で出会い「何にも負けないはずの方」「コロナが憎いです」」『デイリースポーツ online』神戸新聞社、2021年8月21日。オリジナルの2021年8月21日時点におけるアーカイブ。2022年5月8日閲覧。
  196. ^ イソガイマサト 「谷隼人 伝説となった命がけの『キイハンター』撮影ロケ」、13頁。
  197. ^ イソガイマサト 「谷隼人 伝説となった命がけの『キイハンター』撮影ロケ」、12頁。
  198. ^ 週刊ポスト (2021年8月31日). “谷隼人が語る千葉真一さんの思い出「爆薬の中で『おい、飛び降りるぞ』」”. NEWSポストセブン. 芸能. 小学館. 2024年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年3月21日閲覧。
  199. ^ a b c d e f g h i j 天本伸一郎 「倉田保昭 『目標としていつも背中を追い求めた憧れの先輩』」、15頁。
  200. ^ a b c d e 天本伸一郎 「倉田保昭 『目標としていつも背中を追い求めた憧れの先輩』」、14頁。
  201. ^ 秋野暢子 (2021年8月20日). “千葉真一さん………訃報”. 秋野暢子オフィシャルブログ「スマイルライフ」. アメーバブログ. サイバーエージェント. 2021年8月28日時点のオリジナルよりアーカイブ2022年5月10日閲覧。
  202. ^ 千葉真一さん訃報に「ワクチン打たれてなかったとか」「頑強な方が」秋野暢子ショック」『デイリースポーツ online』神戸新聞社、2021年8月20日。オリジナルの2021年8月22日時点におけるアーカイブ。2022年5月10日閲覧。
  203. ^ 野村真美、千葉真一さんの訃報に「胸がつまる思い」」『SANSPO.COM』産業経済新聞社、2021年8月20日。オリジナルの2021年8月21日時点におけるアーカイブ。2022年5月10日閲覧。
  204. ^ a b 東山紀之 千葉真一さんを追悼「時代劇の立ち回りにアクションを入れた最初の方…この功績は凄い」」『スポーツ報知』報知新聞社、2021年8月22日。オリジナルの2022年5月9日時点におけるアーカイブ。2022年5月10日閲覧。
  205. ^ a b 東山紀之“母親”亡くし“父親”失った真田広之との誓い「僕らは教えを次の世代に」」『デイリースポーツ online』神戸新聞社、2021年8月22日。オリジナルの2021年8月24日時点におけるアーカイブ。2022年5月10日閲覧。
  206. ^ a b 千葉さん、信じられません”. 西田尚美. Twitter (2021年8月20日). 2022年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ2022年5月10日閲覧。
  207. ^ 的場浩司 (2021年8月20日). “ため息…”. KOJI MATOBA OFFICIAL BLOG. アメーバブログ. サイバーエージェント. 2022年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ2022年5月10日閲覧。
  208. ^ a b c d 千葉真一さんは「見せるアクションを創り上げた人」村上弘明が追悼コメント NHKドラマで刃を交える」『中日スポーツ』中日新聞社、2021年8月20日。オリジナルの2021年8月20日時点におけるアーカイブ。2022年5月10日閲覧。
  209. ^ a b c 村上弘明、NHK時代劇で共演した千葉真一さんを追悼「見せるアクションを創り上げた人」」『スポーツ報知』報知新聞社、2021年8月20日。オリジナルの2022年5月10日時点におけるアーカイブ。2022年5月10日閲覧。
  210. ^ a b c d e f g 千葉真一さん死去に真田広之らJAC〝門下生〟も悲しみ」『SANSPO.COM』産業経済新聞社、2021年8月21日。オリジナルの2021年8月21日時点におけるアーカイブ。2024年3月1日閲覧。
  211. ^ a b c d e f 春日太一 (2013年4月29日). “世界的アクションスター・千葉真一に劣らぬ夏八木勲の筋肉美”. NEWSポストセブン. 芸能. 小学館. 2013年5月4日時点のオリジナルよりアーカイブ2013年5月4日閲覧。
  212. ^ a b c d 千葉真一 夏八木勲さんへの思い語る」『東京スポーツ』東京スポーツ新聞社、2013年5月14日。オリジナルの2013年6月11日時点におけるアーカイブ。2013年5月21日閲覧。
  213. ^ a b 井上陸人; 昌谷大介 (A4studio) (2021年10月17日). “金田治氏が語る仮面ライダーシリーズを支える“スーツアクター”の仕事「いくら運動神経がよくても、芝居心がなければなれない」”. 週プレNEWS. エンタメ. 集英社. 2021年10月16日時点のオリジナルよりアーカイブ2022年7月16日閲覧。
  214. ^ a b c 訃報が‥。”. VIVA! プラチナ人生!!. アメーバブログ (2021年8月19日). 2022年5月10日時点のオリジナルよりアーカイブ2022年5月10日閲覧。
  215. ^ 池畑慎之介「ご冥福を心からお祈りいたします」千葉真一さん悼む…53年前の千葉さん野際さんとの3ショットで追悼」『スポーツ報知』報知新聞社、2021年8月19日、1面。オリジナルの2022年5月10日時点におけるアーカイブ。2022年5月10日閲覧。
  216. ^ a b c 長嶋一茂、ワクチン未接種だった千葉さん「生き方、生きざまでの決断」」『デイリースポーツ online』神戸新聞社、2021年8月20日。オリジナルの2021年8月20日時点におけるアーカイブ。2024年2月28日閲覧。
  217. ^ a b 長嶋一茂、ワクチン接種しなかった千葉真一さんを「生き様での決断だったと思う…カッコ良かった」」『スポーツ報知』報知新聞社、2021年8月20日、1面。オリジナルの2024年2月28日時点におけるアーカイブ。2024年2月28日閲覧。
  218. ^ a b 千葉真一さん、幻の五輪秘話 同期の体操メダリスト語る「五輪選手になれると思っていた」」『東京スポーツ』東京スポーツ新聞社、2021年8月20日。オリジナルの2023年7月20日時点におけるアーカイブ。2023年7月20日閲覧。
  219. ^ a b c 千葉真一さん 御年80で日体大伝統「エッサッサ」を“パンイチ”披露 松浪健四郎氏が回想」『東京スポーツ』東京スポーツ新聞社、2021年8月21日。オリジナルの2024年2月5日時点におけるアーカイブ。2024年2月5日閲覧。
  220. ^ a b 山崎照朝 (2021年8月30日). “驚いた千葉真一さん訃報… 極真空手の稽古でご一緒した思い出、アクションスターとして格好いい存在だった”. 中日スポーツ. 撃戦記. 中日新聞社. 2021年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年2月2日閲覧。
  221. ^ 栄光の旗、柳生一族の陰謀、戦国自衛隊、魔界転生、キル・ビル、JAC、千葉真一芸能生活60周年記念祝賀会、スポーツニッポン、極真会館、スポーツ報知、るろうに剣心”. 価格.com テレビ紹介情報. 「ひるおび!」 2021年8月20日(金)放送内容. カカクコム (2021年8月20日). 2022年11月13日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年4月22日閲覧。
  222. ^ massmedia-oya-ma (2021年8月21日). “八代英輝氏の空手経歴”. massmedia-oya-maのブログ. ブログ. アメーバブログ. 2021年8月28日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年4月22日閲覧。
  223. ^ a b 松井章奎 (2021年8月20日). “千葉真一氏の訃報に寄せて”. 国際空手道連盟 極真会館. 本部最新情報. 極真会館 松井派. 2021年9月26日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年2月2日閲覧。
  224. ^ 訃報”. REDZONE. ブログ. アメーバブログ (2021年8月19日). 2024年2月25日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年2月25日閲覧。
  225. ^ 「千葉さんは筆で…」船木誠勝が千葉真一さんを追悼 エピソード明かす」『東京スポーツ』東京スポーツ新聞社、2021年8月20日。オリジナルの2024年2月6日時点におけるアーカイブ。2024年2月6日閲覧。
  226. ^ 日体大の後輩永田裕志「いつも優しい言葉を」千葉真一さん悼む」『nikkansports.com』日刊スポーツ新聞社、2021年8月19日。オリジナルの2021年8月19日時点におけるアーカイブ。2022年5月8日閲覧。
  227. ^ 永田裕志 大学の先輩・千葉真一さんを追悼「優しい言葉で接してくれて、いたく感動した」」『東京スポーツ』東京スポーツ新聞社、2021年8月20日。オリジナルの2024年2月6日時点におけるアーカイブ。2024年2月6日閲覧。
  228. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 荻原順子 「アメリカにおけるサニー千葉の訃報と反響」、18 - 19頁。
  229. ^ a b c d e f g 猿渡由紀 (2021年8月20日). “千葉真一に海外のセレブやファンから追悼メッセージ”. Yahoo! JAPAN. Yahoo!ニュース. LINEヤフー. 2021年8月21日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年2月29日閲覧。
  230. ^ a b c d 千葉真一さん死去を米誌電子版が報道「格闘技の伝説サニー・チバ」」『nikkansports.com』日刊スポーツ新聞社、2021年8月20日。オリジナルの2021年8月19日時点におけるアーカイブ。2024年3月1日閲覧。
  231. ^ a b c 岡田敏一 (2021年9月3日). “ブルース・リーを超えた格闘場面”. 産経デジタル. 【エンタメよもやま話】. 産業経済新聞社. p. 2. 2021年9月6日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年2月29日閲覧。
  232. ^ “「タランティーノのアイドル」千葉真一の訃報に海外からも追悼相次ぐ”. MOVIE Collection - ムビコレ. (2021年8月20日). https://www.moviecollection.jp/news/99448/ 
  233. ^ The Academy@TheAcademy. 2021年8月20日. 2022年1月18日閲覧。
  234. ^ 「英仏が速報」、芸能、11版、21頁。
  235. ^ a b c d 川尻「コロナ感染の千葉真一さん死去、中国ネットも死を悼む」『新京報』(Record China)2021年8月20日。オリジナルの2021年8月21日時点におけるアーカイブ。2024年8月25日閲覧。
  236. ^ a b 柳川「「雄霸」千葉真一さん死去、中国でも活躍した日本のアクションスターたち―中国メディア」『環球時報』(Record China)2021年8月23日。オリジナルの2021年9月1日時点におけるアーカイブ。2024年8月25日閲覧。
  237. ^ a b c 「崔倍達の弟子」俳優の千葉真一さん、コロナで死亡=韓国報道”. wowKorea. 社会/文化. エイアイエスイー (2021年8月20日). 2024年8月25日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年8月25日閲覧。
  238. ^ a b c 映画「キル・ビル」の俳優・千葉真一、新型コロナの合併症で死去=韓国報道”. wowKorea. 社会/文化. エイアイエスイー (2021年8月21日). 2024年8月25日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年8月25日閲覧。
  239. ^ 丸山「「大山倍達の弟子」千葉真一さんの訃報、韓国でも報じられる=韓国ネット民も追悼」『聯合ニュース』(Record China)2021年8月20日。オリジナルの2021年8月21日時点におけるアーカイブ。2024年8月25日閲覧。
  240. ^ 「空手」崔倍達の弟子…日本俳優の千葉真一さんコロナで死去」『中央日報日本語版』中央日報、2021年8月20日。オリジナルの2021年8月20日時点におけるアーカイブ。2024年8月25日閲覧。
  241. ^ a b c 富塚沙羅 (2024年7月13日). “『密輸 1970』緊急来日したチョ・インソンと大谷亮平が初対面!リュ・スンワン監督は『修羅雪姫』『仁義なき戦い』ら日本映画の影響明かす”. MOVIE WALKER PRESS. 映画ニュース・読みもの. ムービーウォーカー. 2024年8月25日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年8月25日閲覧。
  242. ^ a b c 映画ナタリー編集部 (2024年7月13日). “チョ・インソンのドラマで韓国語学ぶ、大谷亮平が初対面「今でもセリフ覚えてます」”. 映画ナタリー. ニュース. ナターシャ. 2024年8月25日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年8月25日閲覧。
  243. ^ a b c チョ・インソン、映画「密輸 1970」来日舞台挨拶に監督と共に出席…大谷亮平が大絶賛!”. Kstyle. MOVIE. ミンカブ・ジ・インフォノイド (2024年7月14日). 2024年8月25日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年8月25日閲覧。
  244. ^ SPICE編集部 (2021年8月20日). “千葉真一さんを追悼 『キイハンター』『仁義なき戦い 広島死闘篇』『激突! 殺人拳』などドラマ・映画をスカパー!で放送”. SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス. ニュース 映画. e+. 2021年8月20日時点のオリジナルよりアーカイブ2021年8月20日閲覧。
  245. ^ a b リアルサウンド映画部 (2021年8月24日). “千葉真一さんを追悼 BSテレ東で『エイセス / 大空の誓い』放送決定”. Real Sound. ニュース 映画情報. blueprint. 2021年8月24日時点のオリジナルよりアーカイブ2021年8月24日閲覧。
  246. ^ a b “BSテレ東、千葉真一さん追悼で米映画「エイセス / 大空の誓い」29日放送”. スポーツ報知 (報知新聞社): p. 1. (2021年8月24日). オリジナルの2021年8月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220410062517/https://hochi.news/articles/20210824-OHT1T51118.html?page=1 2021年8月24日閲覧。 
  247. ^ 千葉真一追悼番組 映画『戦国自衛隊』”. チバテレ. 新着情報. 千葉テレビ放送. 2021年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ2021年10月10日閲覧。
  248. ^ 映画界最強の男 千葉真一特集 at the Wayback Machine (archived 2021年10月27日)
  249. ^ <2ヵ月(11-12月)連続>ありがとう!千葉真一〜ジャパニーズ・ニンジャ・アクションスター〜 at the Wayback Machine (archived 2021年11月24日)
  250. ^ a b “千葉真一さんの代表作「逆襲! 殺人拳」と「子連れ殺人拳」が初のパッケージ化”. スポーツ報知 (報知新聞社): p. 1. (2021年9月10日). オリジナルの2022年7月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220721164455/https://hochi.news/articles/20210910-OHT1T51191.html?page=1 2022年7月21日閲覧。 
  251. ^ 躍動する肉体が人々の魂を揺さぶった世紀のスター”. 追悼・千葉真一. 特集. 東映ビデオ. 2021年9月10日時点のオリジナルよりアーカイブ2021年9月10日閲覧。
  252. ^ 映画ナタリー編集部 (2021年10月16日). “千葉真一の追悼特集が新文芸坐で開催、「激突! 殺人拳」「魔界転生」など12本”. 映画ナタリー. ニュース. ナターシャ. 2022年8月15日時点のオリジナルよりアーカイブ2022年8月15日閲覧。
  253. ^ a b c さらば!千葉真一”. 千葉真一さんお別れの会・供花お申し込みサイト. 『千葉真一さんお別れの会』実行委員会事務局 (2022年1月23日). 2024年1月25日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年1月25日閲覧。
  254. ^ a b 千葉真一さん、お別れの会がしめやかに 新田真剣佑&眞栄田郷敦「父を愛し続けて」」『オリコンニュース』Oricon ME、2022年1月22日。オリジナルの2022年1月22日時点におけるアーカイブ。2024年1月25日閲覧。
  255. ^ 千葉真一さんお別れの会で息子・新田真剣佑と眞栄田郷敦が連名で手紙「心の中に今も変わらず息づいています」」『スポーツ報知』報知新聞社、2022年1月23日、1面。オリジナルの2022年1月22日時点におけるアーカイブ。2024年1月25日閲覧。
  256. ^ a b c d e 千葉真一さんお別れの会「柳生十兵衛」の眼帯、刀、愛用の空手着など展示 涙するファンも」『デイリースポーツ online』神戸新聞社、2022年1月22日。オリジナルの2022年1月22日時点におけるアーカイブ。2024年1月25日閲覧。
  257. ^ 岡崎二朗「千葉真一は永遠の美しき勇者」夢は子供たちが受け継いだ」『nikkansports.com』日刊スポーツ新聞社、2022年1月22日。オリジナルの2022年1月22日時点におけるアーカイブ。2024年1月25日閲覧。
  258. ^ 千葉真一さん「お別れの会」、親子3人共演映画の構想もかなわず」『スポニチ Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2022年1月23日。オリジナルの2022年1月23日時点におけるアーカイブ。2022年1月23日閲覧。
  259. ^ “【米アカデミー賞】千葉真一さん、追悼コーナーで「俳優・格闘家」として紹介 ワダエミさんも”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2022年3月28日). オリジナルの2022年3月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220328064822/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202203280000565.html 2022年3月28日閲覧。 
  260. ^ “アカデミー賞で千葉真一さん、ワダ・エミさん追悼”. シネマトゥデイ (シネマトゥデイ). (2022年3月28日). オリジナルの2022年3月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220329092643/https://www.cinematoday.jp/news/N0129347 2022年3月29日閲覧。 
  261. ^ “「第94回アカデミー賞」千葉真一さん、ワダエミさんを追悼”. オリコンニュース (Oricon ME). (2022年3月28日). オリジナルの2022年3月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220329092947/https://www.oricon.co.jp/news/2222042/full/ 2022年3月29日閲覧。 
  262. ^ 千葉真一さんを偲ぶ会で真瀬樹里「父の長子として残してくれたもの責任持って継がせていただく」”. 日刊スポーツ (2022年8月17日). 2022年8月17日閲覧。
  263. ^ 千葉真一さん「偲ぶ会」しめやかに 長女・真瀬樹里「父と語らって、いい会になれば」│ORICON NEWS”. オリコン (2022年8月17日). 2022年8月17日閲覧。
  264. ^ 千葉真一さんを偲ぶ会がしめやかに…長女・真瀬樹里「何とか一年以内に」│テレ朝news”. テレビ朝日 (2022年8月17日). 2022年8月17日閲覧。
  265. ^ a b 千葉真一 偲ぶ会開催のお知らせ”. 千葉真一公式WEBサイト Official website of JJ SONNY CHIBA. 2022年8月17日閲覧。
  266. ^ 千葉真一公式ホームページ”. 株式会社アストライア. 2022年1月23日閲覧。
  267. ^ 千葉真一さん「偲ぶ会」延期決定、新型コロナ・オミクロン株感染拡大で決断”. 日刊スポーツ (2022年1月20日). 2022年1月23日閲覧。
  268. ^ 千葉真一さん「偲ぶ会」延期 長女の真瀬樹里「皆さまを感染リスクにさらすことは適切でない」”. スポニチ (2022年1月21日). 2022年1月23日閲覧。
  269. ^ 千葉真一さんを偲ぶ会延期、所属事務所「コロナ感染により旅立った故人を思うと、適切ではない」”. スポーツ報知 (2022年1月20日). 2022年1月23日閲覧。
  270. ^ 千葉真一さんしのぶ会、娘の真瀬樹里「一周忌の時期に合わせてすることができて良かった」│中日スポーツ 東京中日スポーツ”. 中日新聞社 (2022年8月17日). 2022年8月17日閲覧。
  271. ^ a b c “「千葉真一の作品をずっと忘れないで」長女・真瀬樹里あいさつ しのぶ会に錦野旦、デヴィ夫人ら出席”. 中日スポーツ (中日新聞社). (2022年8月18日). オリジナルの2022年8月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220820100451/https://www.chunichi.co.jp/article/528491 2022年8月20日閲覧。 
  272. ^ a b 千葉真一さんを偲ぶ会が19日の一周忌前に開催 長女真瀬樹里「いい会にできれば」”. サンスポ (2022年8月17日). 2022年8月17日閲覧。
  273. ^ 千葉真一さんを偲ぶ会に250人出席 好きだった白い花で祭壇彩る”. スポニチ (2022年8月18日). 2022年8月18日閲覧。
  274. ^ a b c 千葉真一さん一周忌法要に100人”. サンスポ (2022年8月20日). 2022年9月1日閲覧。
  275. ^ a b c d “新田真剣佑、眞栄田郷敦 父・千葉真一さん誕生日に兄弟W結婚発表 生前千葉さんに紹介も”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2023年1月23日). オリジナルの2023年1月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230123011338/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/01/23/kiji/20230122s00041000719000c.html 2023年7月19日閲覧。 
  276. ^ a b c “新田真剣佑&眞栄田郷敦が結婚同時発表 天国の父・千葉真一さん誕生日に、ともに一般女性と”. SANSPO.COM (産業経済新聞社): p. 1. (2023年1月23日). オリジナルの2023年1月31日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230131014525/https://www.sanspo.com/article/20230123-IDFIJVDMFRKNFN4YKCZK6DZ7DQ/ 2023年7月19日閲覧。 
  277. ^ a b modelpress編集部 (2023年1月22日). “新田真剣佑&眞栄田郷敦、同時に結婚を発表 父・千葉真一さんの誕生日に”. m modelpress. エンタメ&ライフスタイルニュースサイト. ネットネイティブ. 2023年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ2023年7月19日閲覧。
  278. ^ a b “新田真剣佑&眞栄田郷敦 兄弟そろって結婚を発表 2人で決めた“同日発表の理由””. 日テレNEWS24 (CS日本). (2023年1月22日). オリジナルの2023年1月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230122103023/https://news.ntv.co.jp/category/culture/1e1ac026f05a4f44b0c1423cac1063d0 2023年7月19日閲覧。 
  279. ^ a b 新田真剣佑と眞栄田郷敦、父・千葉真一さんの誕生日にW婚同時発表〝千葉兄弟〟の固い結束”. ZAKZAK. 芸能. 産業経済新聞社 (2023年1月23日). 2023年1月23日時点のオリジナルよりアーカイブ2023年7月19日閲覧。
  280. ^ a b “新田真剣佑&眞栄田郷敦、父・千葉真一さん誕生日にそろって結婚 今後も注目作続々 兄は人気漫画実写版、弟は大河ドラマ”. オリコンニュース (Oricon ME). (2023年1月24日). オリジナルの2023年1月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230124123343/https://www.oricon.co.jp/news/2264987/full/ 2023年7月19日閲覧。 
  281. ^ 京本政樹『京本政樹のHERO考証学』バンダイ、1992年6月、144頁。ISBN 489189234X 
  282. ^ a b 「七色仮面 / 新 七色仮面」、42頁。
  283. ^ a b 全怪獣怪人』 上巻、勁文社、1990年3月24日、48 - 49頁。ISBN 4-7669-0962-3。C0676。 
  284. ^ 「アラーの使者」、48頁。
  285. ^ 「宇宙快速船」、53頁。
  286. ^ 『ファンキーハットの快男児』 - 日本映画製作者連盟
  287. ^ 「トムソーヤ企画メンバー ■プロフィール / コメント」(パンフレット)『せんせい』、松竹、1989年4月8日、17頁。 
  288. ^ 「世界に通じるアクションスター育成」、60頁。
  289. ^ a b c 「世界に通じるアクションスター育成」、61頁。
  290. ^ a b c d e 「20人が証言する裸の千葉真一」、113頁。
  291. ^ a b c d 「●空中滑降撮影中、地面にたたきつけられる 本誌カメラマンの目の前で千葉真一が 『キイハンター』 左足首を骨折! 2ヶ月の重傷!!」『週刊平凡』4月3日号、マガジンハウス、1969年。 
  292. ^ 「シネマ・サロン 1億円の生命保険かけた千葉真一 -東映男性路線にカムバック-」『週刊明星』1971年5月10日号、集英社、172頁。 
  293. ^ 小玉大輔 「VIVA CHIBA! 国内外の映画人から敬愛される伝説のスター」、28頁。
  294. ^ 「革命的手法をもたらした『戦国自衛隊』」、73 - 74頁。
  295. ^ a b 「受け継がれる武士道」、184頁。
  296. ^ a b c 黒田邦雄「ザ・インタビュー 千葉真一」『KINEJUN キネマ旬報』第1655巻第841号、キネマ旬報社、1982年8月1日、130 - 133頁。 
  297. ^ a b c d e 「毎回新しいアクションにチャレンジ、大人気となった『キイハンター』」、28頁。
  298. ^ 「毎回新しいアクションにチャレンジ、大人気となった『キイハンター』」、20頁。
  299. ^ 「毎回新しいアクションにチャレンジ、大人気となった『キイハンター』」、25 - 26頁。
  300. ^ 「死と隣り合わせのアクションシーン」、65 - 66頁。
  301. ^ 「『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』」、324頁。
  302. ^ 出会いは『キイハンター』・野際陽子、92頁。
  303. ^ a b c 「20人が証言する裸の千葉真一」、112頁。
  304. ^ a b "1秒でも長く映っていたい!!". 宮内洋(俳優) - ほろ苦インタビュー. 週刊ジョージア. 15 November 2016. 2016年11月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月23日閲覧
  305. ^ "仮面ライダーシリーズよ永遠に". とことん! 石ノ森章太郎・最終章. 29 March 2008. NHK. BS2
  306. ^ 「千葉真一さん 森末慎二さんの若さと元気のヒミツ“年齢に負けない鮫肝油のサラサラパワー”」『テレビショッピング平成25年エバーライフ
  307. ^ "銀幕にかける情熱 夢・ロマン そて挑戦". 本格報道 INsideOUT. 20 March 2013. 21:00 - 21:54 minutes in. BS11
  308. ^ 「厳しいコーチ」、14 - 15頁。
  309. ^ 「石橋雅史と出会う」、6 - 7頁。
  310. ^ a b 夏八木勲「親友・千葉真一が明かした骨太“名脇役人生”」”. アサ芸+. 徳間書店 (2013年5月29日). 2013年7月1日時点のオリジナルよりアーカイブ2013年7月1日閲覧。
  311. ^ a b 「アクションをやるならJACへ来いよ!」、106頁。
  312. ^ ギンディ小林 「橋本新一 インタビュー」、24頁。
  313. ^ 「JACの創設」、40 - 41頁。
  314. ^ ギンディ小林 「橋本新一 インタビュー」、24頁。
  315. ^ 「笠原和夫との共同作業」『第八章 仁義なき戦いシリーズの炸裂』、275 - 276頁。
  316. ^ a b c d e f g h i 「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』」、39 - 43頁。
  317. ^ a b 「仁義なき戦い 完結篇」、286頁。
  318. ^ 『日本の仁義』、474頁。
  319. ^ 「【突然引退】 千葉真一が酸素ボンベ闘病」『週刊アサヒ芸能』8月2日号、徳間書店、2007年、204 - 207頁。 
  320. ^ 「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』、43 - 45頁。
  321. ^ 「狂犬のようなヤクザを演じ、悪役の妙味を知った『仁義なき戦い 広島死闘篇』、48頁。
  322. ^ 小林信彦『映画を夢見て』筑摩書房、1991年、177 - 185頁。 
  323. ^ 俊藤浩滋山根貞男「第十二章 夢とロマンを求めて」『任侠映画伝』(第一刷)講談社、1999年2月1日、265 - 266頁。ISBN 4062095947。C0095。 
  324. ^ 「1面写真」、紙面11版。
  325. ^ 小沢茂弘、高橋聡『困った奴ちゃ - 東映ヤクザ監督の波乱万丈生』(初版第一刷)ワイズ出版、1996年11月10日、91 - 92頁。ISBN 9784948735576 
  326. ^ 「千葉真一の躍進とカラテ映画」、345頁。
  327. ^ a b 「極真空手三段 千葉真一」、173, 179頁。
  328. ^ 谷川貞治HAKEN 覇拳 ふりむけば修羅 推薦文』(VHSタキ・コーポレーション、1992年1月24日。 
  329. ^ a b 「千葉の空手は断然強い」、66頁。
  330. ^ a b 「『新幹線』も海外で人気」、67頁。
  331. ^ 「海を渡る気概」、242頁。
  332. ^ ギンディ小林 「山口和彦 INTERVIEW」、27頁。
  333. ^ 田島隆久、編集部「千葉真一インタビュー アメリカの俳優のように、理想的な仕事ができた」『キネマ旬報』第1590巻第776号、キネマ旬報社、1979年12月15日、76頁。 
  334. ^ 「『柳生一族の陰謀』」、358頁。
  335. ^ 「柳生十兵衛の殺陣」、46頁。
  336. ^ 裏YAGYU at the Wayback Machine (archived 2013年12月13日)
  337. ^ 「不確実性の時代劇」、245頁。
  338. ^ a b c “「千葉真一の柳生十兵衛だな」/ 秋山監督” (紙面). 日刊スポーツ (nikkansports.com). (2013年2月16日). オリジナルの2013年2月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130216064343/http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp1-20130216-1085854.html 2013年2月16日閲覧。 
  339. ^ 「悲願の柳生十兵衛役を演じ、テレビでの連載にもつながった『柳生一族の陰謀』」、68頁。
  340. ^ 『影の軍団Ⅲ』打倒、紀州!!千葉・真田・志穂美ら影の軍団。石橋蓮司も女装の刺客で登場。 at the Wayback Machine (archived 2016年3月5日)
  341. ^ a b 春日太一「第三部 とりあえず知っておきたい基礎知識 第三章 とりあえず知っておきたい 千葉真一」『時代劇入門』 K-308(初版)、KADOKAWA角川新書〉、2020年3月10日、194頁。ASIN 4040822633ISBN 978-4-04-082263-1NCID BB30170940OCLC 1158080311 
  342. ^ 『別冊ザテレビジョン NHK大河ドラマ 風林火山』(初版)KADOKAWA、2006年12月、40頁。ISBN 4048944800 
  343. ^ 【内野聖陽さんインタビュー】その生き様に感動!内野聖陽が大河ドラマ「風林火山」の魅力を語る。 at the Wayback Machine (archived 2010年9月2日)
  344. ^ 市川猿之助、香川照之の助力に感謝「1日付いて頭を下げてくれた」<アナザースカイ>”. ザテレビジョン. KADOKAWA (2021年4月16日). 2021年4月18日時点のオリジナルよりアーカイブ2021年4月18日閲覧。
  345. ^ 「千葉の指導」『誠真会館館長・井上誠吾ら元JACメンバー座談会⑦』 9巻、武道ユニオン〈フルコンタクトKARATE MAGAZINE 2016 December〉、2016年12月1日、56頁。ISBN 978-4434227462OCLC 967582192 
  346. ^ 「千葉真一 対談 石崎勝久(映画評論家)」、27 - 31頁。
  347. ^ 小玉大輔 「サニー千葉としての海外出演作品」、23頁。
  348. ^ 森山京子 「ユマ・サーマン インタビュー」、21頁。
  349. ^ 小西未来 「ルーシー・リュー インタビュー」、26頁。
  350. ^ a b c d 「厳しくも愛情ある指導、体操を始めるきっかけを作ってくれた松本先生」、90 - 91頁。
  351. ^ a b c d e f 「20人が証言する裸の千葉真一」、110頁。
  352. ^ a b 「極真空手三段 千葉真一」、173頁。
  353. ^ 『蘇る伝説“大山道場”読本』(初刷)日本スポーツ出版社、2000年1月14日、178 - 179頁。ISBN 4930943272 
  354. ^ 「『けんか空手 極真拳』の撮影で初めて会う」、104 - 105頁。
  355. ^ 「国際空手道連盟 極真会館 - 年度別昇段登録簿(国内)」、62頁。
  356. ^ 「国際空手道連盟 極真会館 - 年度別昇段登録簿(国内)」、63頁。
  357. ^ a b 「“極真”だけがなぜ勝つのか」、86頁。
  358. ^ 「速報!! アデミール・ダ・コスタが連覇 ブラジル支部設立10周年記念大会」『月刊パワー空手』第7巻第11号、パワー空手出版社、1984年11月1日、3 - 13頁。 
  359. ^ 特典映像 「高野八誠インタビュー」
  360. ^ a b 「表紙のおしゃべり」、232頁。
  361. ^ a b 今井雅之 (2010年10月24日). “大先輩”. 今井雅之の押忍!. 今井雅之オフィシャルブログ. アメーバブログ. 2012年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ2012年9月28日閲覧。
  362. ^ a b 今井雅之 (2011年6月28日). “千葉先輩!!!”. 今井雅之の押忍!. 今井雅之オフィシャルブログ. アメーバブログ. 2012年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ2012年9月28日閲覧。
  363. ^ a b “三宅裕司&三宅裕司&小倉久寛、劇団SETのスパイアクション作品開幕直前「最高のアクション」と自信、劇団SETのスパイアクション作品開幕直前「最高のアクション」と自信”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2023年10月18日). オリジナルの2023年10月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20231026143014/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202310180000914.html 2023年10月26日閲覧。 
  364. ^ a b 「ジャンボも唱える影の軍団「天魔覆滅」」『週刊ゴルフダイジェスト』第36巻9月24号、ゴルフダイジェスト社、2013年9月24日、126頁。 
  365. ^ a b 小西麗 (2021年1月11日). “「アクションの激しさとギャグのゆるさの緩急を見せたい」”. 日刊SPA!. 竹中直人と『燃えよデブゴン』谷垣監督が語る、真のアクションスターの条件. 扶桑社. p. 2. 2021年1月13日時点のオリジナルよりアーカイブ2021年2月22日閲覧。
  366. ^ a b 吉川晃司、大ファンの千葉真一と倉田保昭が共演するアクション映画の楽曲を担当 at the Wayback Machine (archived 2016年12月3日)
  367. ^ a b 音楽も壮絶バトル!吉川晃司VS大槻ケンヂ率いる特撮”. マスター・オブ・サンダー 決戦!! 封魔竜虎伝. プロダクションノート. 『マスター・オブ・サンダー』製作委員会 (2006年). 2017年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ2017年10月26日閲覧。
  368. ^ “園子温監督 芸人デビュー「たけしさんに肉薄したい」”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2013年5月1日). オリジナルの2013年5月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130502014022/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/05/01/kiji/K20130501005717300.html 2013年5月13日閲覧。 
  369. ^ a b "千葉真一 沢田研二 魔界転生". 2時のワイドショー. May 1981. 該当時間: 22分22秒から. NNS. ytv
  370. ^ スクープ! 今井雅之さん、幻の「戦国自衛隊」遺していた 20年前に続編の脚本執筆(2/2ページ)”. ZAKZAK. 芸能. 産業経済新聞社. p. 2 (2015年7月16日). 2015年7月18日時点のオリジナルよりアーカイブ2015年7月18日閲覧。
  371. ^ 「前人未踏!15Mのダイビング」、150頁。
  372. ^ 30年ぶりにギャバンを演じた大葉健二「50代の女性がセーラー服を着る恥ずかしさが判りました」 at the Wayback Machine (archived 2017年3月20日)
  373. ^ 「可能性に最大限挑戦したい!」、141頁。
  374. ^ 27年ぶりのテレビ出演で再注目 元女優・志穂美悦子のスゴさ1 at the Wayback Machine (archived 2013年12月24日)
  375. ^ “長渕悦子さんが27年ぶりテレビ出演”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2013年12月18日). オリジナルの2014年1月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140120152654/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20131218-1232885.html 2017年10月25日閲覧。 
  376. ^ 「インタビュー 関根大学」、67頁。
  377. ^ 「インタビュー 山田一善」、127頁。
  378. ^ 安藤幹夫、スタジオハード 編『宇宙刑事大全』双葉社、2000年6月1日、128 - 130頁。ISBN 4575290807OCLC 674734525 
  379. ^ a b c d e 「極真空手三段 千葉真一」、179頁。
  380. ^ a b フェルナンデス、千葉真一引退にショック at the Wayback Machine (archived 2010年1月6日)
  381. ^ a b Alex Gilyadov (2018年4月12日). “『ウェストワールド』シーズン2:将軍ワールドのエピソードは日本語で描かれる”. IGN Japan. 映画・ドラマ. 産経デジタル. 2018年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ2018年4月19日閲覧。
  382. ^ a b James Hibberd (2018年4月12日). “Westworld creators break silence on 'spectacular' Shogun World plans” (英語). エンターテインメント・ウィークリー. TV. タイム・ワーナー. 2018年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ2018年4月19日閲覧。
  383. ^ a b 首藤正徳 (2021年2月16日). “タイソン公開スパーでも… 楽観ムード包まれ違和感”. nikkansports.com. 首藤正徳のスポーツ百景. 日刊スポーツ新聞社. 2021年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ2021年2月20日閲覧。
  384. ^ 相馬学 (2019年8月22日). “栄冠、そして大ヒットを引き寄せた最大のスターは誰か?”. CINEMORE. 『パルプ・フィクション』低予算製作でスターたちを動かした真の奇跡とは?. 太陽企画. p. 3. 2020年12月29日時点のオリジナルよりアーカイブ2021年3月1日閲覧。
  385. ^ 「第4章 現代日本のサムライ三傑 - 深作欣二、高倉健、大山倍達」、131頁。
  386. ^ 千葉真一 高倉健から東映解雇を救ってもらった体験を明かす at the Wayback Machine (archived 2014年11月21日)
  387. ^ 「20人が証言する裸の千葉真一」、111 - 112頁。
  388. ^ a b c d 「モーレツ体操教師と生徒 千葉真一 + 中尾彬」『週刊明星』第23巻、集英社、1970年6月14日。 
  389. ^ a b ロビン前田、杉作J太郎植地毅 著「ピラニア軍団」、杉作J太郎・植地毅 編『東映スピード・アクション浪漫アルバム』(第一刷)徳間書店〈浪漫アルバム〉、2015年9月30日、231頁。ISBN 4198640033 
  390. ^ a b c 島村幸恵 (2011年11月10日). “千葉真一が米ドラマで主演!タイトルは「ブシドー」!72歳にして米アクション・ドラマ初主演作に”. シネマトゥデイ. 2012年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ2012年4月13日閲覧。
  391. ^ 堀田眞三 (2006年7月10日). ““親父”衣装合わせなどの打ち合わせ。”. 俳優 堀田眞三(グランパ)です。. gooブログ. NTTドコモ. 2012年3月30日時点のオリジナルよりアーカイブ2012年3月30日閲覧。
  392. ^ 堀田眞三 (2006年7月21日). “親父 - 撮影 快調!”. 俳優 堀田眞三(グランパ)です。. gooブログ. NTTドコモ. 2012年3月30日時点のオリジナルよりアーカイブ2012年3月30日閲覧。
  393. ^ 堀田眞三 (2006年7月26日). “いよいよ“親父”の撮影”. 俳優 堀田眞三(グランパ)です。. gooブログ. NTTドコモ. 2012年3月30日時点のオリジナルよりアーカイブ2012年3月30日閲覧。
  394. ^ あさ美 (2012年10月12日). “かっこよすぎで”. あさ美のMaybe☆めいビー. アメーバブログ. サイバーエージェント. 2013年3月10日時点のオリジナルよりアーカイブ2012年11月25日閲覧。
  395. ^ 大木凡人 (2012年11月24日). “千葉真一と大木凡人 2時間トーク ディナークルーズ”. 凡ちゃんブログ. アメーバブログ. サイバーエージェント. 2012年12月6日時点のオリジナルよりアーカイブ2012年12月6日閲覧。
  396. ^ a b “小泉孝太郎、千葉真一「ドログバのよう」”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2014年6月16日). オリジナルの2014年10月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20141004074458/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20140616-1318794.html 2014年10月4日閲覧。 
  397. ^ 「『けんか空手 極真拳』の撮影で初めて会う」、106頁。
  398. ^ a b 「いくら飲んでも崩れを見せぬ見事な酒品だった」、106 - 108頁。
  399. ^ 平松伸二「結婚してください!」『そしてボクは外道マンになる』 2 第7話(初版)、集英社、2017年9月19日。ISBN 4088907574 
  400. ^ “柄本時生「絶対井岡だ」スポーツジムで遭遇の記憶”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2020年11月27日). オリジナルの2020年12月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20201201104259/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202011270000989.html 2021年2月21日閲覧。 
  401. ^ 「今度はスポーツカーに替える」『サンデー交毎』、交通毎日新聞社、1964年9月13日、1頁。 
  402. ^ 「追跡ルポ / チバシンのモーレツ24時間」、78頁。
  403. ^ 「失うのはお金だけではない」千葉真一さんもハマっていた"怪しい水商品"の3つの特徴”. president (2021年9月10日). 2022年10月5日閲覧。
  404. ^ 千葉真一さん「水素飲んでるから大丈夫」ワクチン拒絶にあった“サプリ”傾倒”. 女性自身 (2021年9月6日). 2022年10月5日閲覧。
  405. ^ 名取宏ほか『新型コロナとワクチンの「本当のこと」がわかる本〜【検証】新型コロナ デマ・陰謀論〜』彩図社、2021年。ISBN 978-4801305762 
  406. ^ 【追悼】千葉真一があのフリーメーソンに入会”. 週刊文春 (2021年1月6日). 2022年5月10日閲覧。
  407. ^ 千葉真一「一周忌」で再燃した“宗教問題” 明かされた日蓮正宗の「御本尊」と「御授戒文」の波紋(デイリー新潮)”. デイリー新潮. 2022年8月18日閲覧。
  408. ^ 「パイロットだった親父」、34頁。
  409. ^ 「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」、103頁。
  410. ^ 「「気骨ある明治生まれの軍人、子供心に誇らしかった飛行機姿の親父」」、85頁。
  411. ^ a b 「樹里が生まれた日」、113 - 114頁。
  412. ^ 千葉真一が離婚 調停中の28歳下の夫人と昨年」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2016年1月1日。2016年1月1日閲覧。
  413. ^ 「登場人物」、11頁。
  414. ^ 「キャスト」、26頁。
  415. ^ ベストカーWeb編集部オオハシ (2021年1月11日). “セダンの良心がまたひとつ消える プレミオ&アリオン生産終了 コロナとカリーナの光と影”. ベストカーWeb. 講談社ビーシー. p. 2. 2021年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ2021年3月28日閲覧。
  416. ^ 「おとこ達よ 野性の切れ味を忘れるな」『週刊宝石』第2巻第23号、光文社、1982年6月5日、2頁。 
  417. ^ 千葉真一; 本間千代子小林裕子小川守三田佳子. “歌う東映スター”. 別冊歌謡コダマ;KY-1001. コダマプレス. 2014年11月26日閲覧。

外部リンク

[編集]